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ある日の台北日記2024その2(3)ラマダン明けのお祭りへ

4月14日(日)ラマダン明けのお祭りへ

今日は午前中からお出掛け。近くにある大安森林公園で開催されるラマダン明け祭りに行くことにした。Aさんと待ち合わせていると、公園に続々と参加者が入っていく。その顔は華人系もいるが、東南アジア系、中東系など実に様々で驚いた。そしてみな、楽しそうに記念写真などを撮っている。

会場には多くのブースが作られており、食べ物が沢山売られていた。ただお客さんの方が多くて、Aさんが食べたかった弁当は売り切れていた。中国回教教会というブースがあり、2人の女性がいた。聞いてみると、1人は親が1949年後に台湾に渡ってきた河南の回族。もう一人は以前留学で台湾に来ており、今回は内戦で2年前にこちらに避難してきたというミャンマー華人の女性だった。とにかく子供が心配だったという言葉が刺さる。

モロッコの雑貨、トルコのスイーツ、インド系のカレーなど、多くのブースが賑わっている。ただ一番多そうなのはインドネシア系だろうか。人口も多いし、台湾への出稼ぎ者もかなりの数に上る。公園のベンチでランチの麺を食べるのは何とも気持ちが良い。このままボーッと芝生に寝転がりたい気分だ。

人々が集会場に集まっていく。何らかのイベントがあるようだ。後ろの方から歓声が上がり、まるでアイドルスターが登場するように、女性たちに囲まれた人がやってきた。蒋台北市長だった。蒋介石一族で若手のホープだと聞く。開幕式典が行われ、市長とインドネシア代表が挨拶していた。インドネシア勢の勢いを感じると共に、蒋市長に台湾の将来を見る。果たしてよい未来だろうか。

一旦宿に戻り休息。夕方また出て行く。MRT頂渓駅で降りて、10数分歩く。もう完全な住宅街だな、というあたりにその店はあった。今日は黄さんと会う予定で、また老舗レストランを紹介してもらう。黄さんの奥さんも一緒だった。上海料理の懐かしい味がしてきた。有名人も来るという店で、落ち着きがあってよい。

黄さんからは、台湾に居る民族について、多くのヒントをもらった。台湾は小さな島かもしれないが、実はかなり深い歴史がある。特に民族については、多くの疑問があり、そう簡単に片付けられる問題ではない、と感じている。より深くこの問題を突き詰めるつもりはないが、私の茶歴史勉強にはその辺の理解が欠かせない気がする。

4月15日(月)茶商公会へ

毎年台湾に来るたびに訪問している茶商公会へ今年もお邪魔した。昨年は台湾最古の茶商について有益な情報を得たが、今回は『台湾白茶の歴史』について聞いてみる。こちらに置れている資料などにも当たるが、残念ながら台湾白茶の輸出は統計資料にもない。なぜだろうか。

公会オフィスの入り口のところに、李春生の写真が飾られている。そこには『台湾茶業の父』という文字が見えたが、よくよく見ると『茶業』の業という文字が後から貼られていた。聞いてみると元々は『茶葉の父』だったようだが、それはおかしいということで、ようやく『茶業』に収まったという。歴史というのは何とも不思議なものだ。何かを発見すればそれが歴史になるが、それがまた違っていた場合、その修正は難しい。

昼ご飯は昨年も行った店に入る。何を食べようかと迷っていると、何だかどんどん印をつけてしまい、気が付いたら、テーブル一杯に料理が並んでしまった。昔ならおばちゃんが『あんた、一人でそんなに食べる?』なんて声を掛けてくれただろうが、今は配慮が大切なのか、そんな声は聞こえない。とにかくできるだけ食べる。腹が一杯で動けない。

ある日の台北日記2024その2(2)台北の美味しい物

4月12日(金)知り合いがやってきた

朝ご飯が食べたい。外に出て適当に歩く。ちょっときれいなサンドイッチ屋があったので、入ってみる。お客はいないのに、今やオーダーは皆QRコードで行うので、おじさんには面倒だ。メニューがかなり多いのも選ぶのは大変だ。正直コスパが良いとは思えないサンドだった。

一度部屋に戻り、昼過ぎにもう一度その店の近くへ行った。実はネットを見ていたら、『台湾に行って番茄牛肉麺が食べたい』と書き込んでいる知り合いがいた。折角台湾に居るので、代わり食べてあげようと思い?さっき見た牛肉麺の店を目指した。そこは意外な人気店で昼過ぎでもお客が結構いた。何とかオーダーを通して、番茄牛肉麺を食べてみる。結論からいうと、トマト入れないで牛肉麺を食べる方が好きかな。

夜は中正紀念堂近くの金峰へ。随分以前に東京で会ったYさんが台北に来ているというので、夕飯に同席するために指定されたのが金峰だった。コロナ前は、金曜の夜なら、相当の行列を覚悟しなければならなかったが、今回行ってみると列は本当に短い。私が並び始めて数分で、席が用意されてしまう。Yさんとお友達はやってきたが、もう一人は間に合わなかった。

席に着くとおばちゃんが、『早く注文しろ』とすごくプレッシャーをかけてくる。オーダーできないのかと、メニューまで出してくる。それでもタラタラしていると、またやってきて、魯肉飯が美味いぞ、などと言い出す。折角空いていてよいのだが、店員の調子は以前のままというのが面白い。確かにここの魯肉飯も肉焿は美味い。魯蛋と豆腐も加えればさらに良い。そして料金は100元ちょっとだから有り難い。

食後はYさんたちとカフェに移動した。3人の女子は皆さんお茶関係ではあるが、何だか女子会に闖入した感じになっており、その中でもお茶の歴史の話ししか出来ない自分に、何とも恐縮する。9時にカフェが閉まり、MRTで帰ろうとしたら、なんと改札手前で皆の話が盛り上がり、いつまでも続いてしまった。足が痛くて歩けなくなるくらいまで、ずっと立ち続けていた。もう若くはない。

4月13日(土)豪華海鮮へ

週末は原則出掛けない、が昨年だったが、今年は少し変えてみようと思う。まあランチは近所で、と考えたが、先日食べたベトナム料理屋の撈麺が忘れられず、近所にもあるはずだ、と探しに出た。一番近い広東系食堂に行ってメニューを眺めたがない。『撈麺はあるか?』と聞いてみると、なかなか通じない。何とか分かってもらって出てきた麺は、予想に反して乾麺ではなく、何となく汁が掛かったような不思議なもの。これは台湾式か、香港式か。

台湾のテレビでも、大谷が出場する試合は全試合放映がある(NHKはそこまでないだろう)ので、喜ばしい。今日は山本由伸も先発しており、昼過ぎはずっと野球観戦となる。台湾でも大谷人気は凄いということが分かる。

夕方バスで出掛ける。今晩はTさんのアレンジで、15年ぶりのKさんと会うことになっていた。場所は金門海鮮料理屋。最近流行っているらしいが、初めて行く。結構立派な店で、下に鮮魚が泳ぐスペースがあり、2階が食事場所。今回は個室。そして2名の記者さんも同席していた。

Kさんとは北京以来だろうか。彼はその後上海や広州などでも勤務しており、常に中華圏のどこかに居るんだなと思っていたが、なんといつの間にか台北にいた。いつ会おうかなと考えていたら、Tさんがアレンジしてくれた。Kさん、今回は畑違いの仕事、しかも台湾人に囲まれているという。私も35年前、台湾人に囲まれたことがあったが、その頃とは状況が違う。この店の魚やエビ、そして炒飯は美味しかった。でも料金はここ数年で最高の支払いとなる。

ある日の台北日記2024その2(1)龍譚へ

《ある日の台北日記2024その2》  2024年4月11₋17日

4月11日(木)龍譚へ

今日は台鐵に乗るため、台北駅へ向かう。早めに駅に着き、財布から小銭を出して切符を買う。小銭が無くなってラッキーと思ったが、よく考えてみると台鐵の区間車なら、悠遊卡が使えた。何だかボケた出だした。Mさんと待ち合わせて区間車に乗り込む。前の方は自転車等貨物用に座席が少ない。

1時間ほど乗っていると埔心駅に到着。ここで7年ぶりに会う葉さんが出迎えてくれた。何とも懐かしい。彼の茶工場がある龍譚に向かう前に、寄りたいところがあった。駅からほど近い場所に出来た故事館だ。車がそこに着くと、すぐに思い出した。ここは13年前、あの徐英祥先生にただ一度お会いした時、連れてきてもらった場所だった。あの時先生は『ここが1903年に製茶試験場が最初に出来たところだ』と説明されたが、その風景は倒れかけた日本家屋だったと記憶している。

あれから13年。そこはキレイに整備され、日本家屋は改修されて展示館となっている。もう一つの建物は台湾茶葉学会と書いてある。展示館の方に入ってみると、ちょうど4月初めに起きた地震の点検が行われていたが、大きな問題はないようだ。さすが日本家屋。ここは官舎として1907年に建てられたとある。入口近くの部屋は『戦後呉振鐸場長が住んでいた部屋』と説明された。呉振鐸は福建人の茶業専門家で、師匠はあの中国茶界のレジェンド張天福。戦後台湾に渡り、茶業改良場の場長を30年以上勤め、戦後の台湾茶業を支えた重要人物だ。

故事館には台湾人の担当者がおり、来場者に対して、藤江勝太郎の説明をしている姿を見て、思わず涙してしまった。実は7年ほど前、改良場のスタッフにその歴史を聞きに行った際、『初代場長の名前は知っているが、どんな人かは資料がないので分からない』と言われたのが記憶に残っている。そこから私も必死に調べて最近ようやく略歴などが語れるようになってきた。7年間は台湾で誰も知らなかった藤江について、今では彼の話が出来る人がいる、歴史は掘りこされるものなのだ、と強く感じた。

故事館から龍譚の街へ入った。実は龍譚には2₋3度来ているが、いつも茶工場へ行くだけで、街を見ることはなかった。街は結構古くていい感じだった。客家が多いということもあり、客家粄條という米麺(平打ち麺)をご馳走になる。人気店には行列が出来ている。食後は1935年創業の『松屋』でアイスを食べる。完全に昭和の店だった。

街の中には、日本家屋が残っており、日本時代にはかなり栄えていたことが分かる。これも茶業のお陰なのだろうか。龍元宮という立派なお寺もある。近所に大きな池があり、そこにも大きな寺がある。時間が無く、そこまでは行かなかったので、次回は訪ねてみようか。

街から少し離れると、茶畑が見えた。畑の中に大きなお墓があるのが如何にも、という感じだった。その茶畑には、何と日本のやぶきたが植えられていた。烏龍茶主体の台湾だが、ここ龍譚では、釜炒り緑茶のガンパウダーや日本の煎茶を作っていた時代がある(今も作っている)。

葉さんの茶工場、7年ぶりに訪ねたが、雰囲気はあまり変わっていなかった。ここは日本時代より前に創業し、現在まで続く長い歴史を持っている。それだけにお茶に関する写真や資料も残っており、また茶工場のレトロ感も良い。ここでお茶を飲みながら、長い時間話をした。

駅まで送ってもらい、また台鐵で台北駅まで戻る。駅の2階の食堂街で早めの夕飯を取ることにした。台南の有名店でエビ炊き込みご飯を初めて食べる。目玉焼きを乗っけると何だか旨い。セットメニューが充実しており、外国人でも選びやすいのも良い。さすが台湾、商売人だ。Mさん、ご馳走様でした。

ある日の台北日記2024その1(5)木柵のベトナム華人

それから迪化街をフラフラする。王福記で3代目と目が合ったので、三峡緑茶を購入する。更に南下して、これまで踏み込んだことがなかった大稲埕の辜家邸宅を見に行く。まさかこんな狭い路地を通っていくとは思わず、以前はそこの角の空き地がそうだと思い込んでいたが、大正時代の立派な建物がちゃんと残っているとは、驚きだった。でもここも李家の敷地のはず。一体どういう経緯で辜家に土地が渡ったのだろうか。

昨年も訪ねて話を聞いた王瑞珍に寄ってみる。先日お知り合いが私の話を聞いてお茶を買いに行ったと聞いたのだが、やはり私のことは何となくしか覚えていなかった。それでも話し始めると止まらなくなり、常連さんは逃げ出していく。『初恋』という名のお茶が気になり買ってみる。ここも後を継ぐ人がいないようで、ちょっと心配だ。いや、その前に仕入れている茶農家が高齢化しており、心配だと言われてしまう。その先にある陳天来故居は、市政府により修復作業中のようで、展示館が出来ることが期待される。

4月10日(水)木柵のベトナム料理

今日は昨年ある方の宴会で知り合ったUさんを訪ねて木柵へ向かう。Uさんは台湾生活30年弱で、華語より台湾語を主に生活しており、料理についても詳しいので、お話を聞いてみることにした。MRTで木柵方面へ向かい、バスに乗り換えようとしたところ、急に雨が降り出し、難儀する。それでも何とか待ち合わせ場所まで辿り着く。木柵といっても広いことが良く分かる。

この辺には50年ほど前、ベトナム戦争から逃れて台湾に渡ったベトナム華人が多く住んでいるらしい。そしてその人々が開いた食堂がいくつか残っているという。その一軒に入ろうとしたが閉まっており、雨も小降りだったので、かなり歩いて別のところへ行く。閉まっていた店は大きな看板で越南の文字があったが、ここは小さく書かれていた。

メニューを見ると、越南と広式の2つがある。ベトナムで見かける広東系の食べ物があるということだろうか。広式撈麺と越南カレーを食べてみる。撈麺は確かに以前香港で食べたあの懐かしい味がした。カレーはなぜベトナムにあるのか不明らしいが、Uさんによれば、台湾にあるベトナム系食堂には基本的にあるというから驚きだ。

食後また散歩すると、50年前にベトナムから来た人々を受け入れた住宅が現れる。もうかなり建て替えが進み、高層マンションに変わったものもあるという。日本では何となくボートピープルのイメージが強いが、彼らは何らかのコネを持ち、飛行機で台湾へやってきたとも聞く。当初の生活は大変だったようだが、今はどうなんだろうか。Uさんから、実に色々な話を聞き、勉強になる。これまで台湾には何十回も来ているが、こういう話に出くわしたことはない。台湾、奥が深い。

バスに乗り、MRT駅まで戻ったところでまた腹が減り、羊肉麺を食べてみる。特に麵に特徴はないが、これはこれで美味しい。テレビでは馬英九が訪中して、習近平と会談したと伝えている。台湾は思った以上に混沌とした世界であり、理解するのはかなり難しいと感じながら麺を啜る。

ある日の台北日記2024その1(4)好きな食べ物を探して

4月7日(日)好きな食べ物を探して

今日こそは休養日とした。それでも腹は減るので、昼に食べ物を探す。私は本来一体何が食べたいのだろうか、と考えながら歩くのだが、思い当たらない。弁当屋などは閉まっているので困る。見付けたのは広東系の店。そこで三宝飯を注文する。これでスープが美味しければいいのにな、と思うが、香港と比較してはいけない。

夕方また食べ物を探すも、見つからない。その時突然肉圓を思い出す。急にどうしても食べたくなり、ネット検索すると、何とか一軒見つかった。そこまで歩いて行くと、とても狭い店で、お客同士がかなり避けないと通れない。肉圓1個では足りないかと思い、2個注文すると多過ぎた。多いというより、味が同じなので単調過ぎる。それでも久しぶりに食べられて満足する。

4月8日(月)好きな食べ物を探して2

今朝もまたフラフラと歩く。立派なサンドイッチを出す店に行きたかったが、お客が多かったので断念。その先を歩いて行くと、鶏肉飯の文字を見付けて、入ってみる。まだ早過ぎてお客はない。定番の鶏肉飯に魯蛋を乗せる。たくあんが美味い。ガチョウの腸スープも旨い。そして揚げ豆腐がいい。台湾らしい、気分の良いブランチとなる。

夕方また出掛ける。今日は東京から戻ったばかりのTさんと再会した。場所は飲茶レストラン。点心ばかりかと思っていたら、色々なメニューがあり、ちょっと驚く。更に6時前は客もまばらだったが、帰る頃には席待ちの人々が何人もいた。こういう店が実は重宝されるのだと分かる。この店のすぐ近くには天仁銘茶がある。ここは1990年頃、盛んに高山茶を売っていた店で何とも懐かしい。

4月9日(火)大稲埕へ

今日はMRTで大橋頭へ向かった。1年ぶりに大稲埕を歩く。駅を出てから慈聖宮へ寄る。ここには20軒ほどの屋台が並んでいる。大稲埕に何度も来ているのに、もう何十年も来ていなかった場所。食事の約束が無ければ、是非何か食べたかった。宮の中を見学して、ちょっとお参りだけ。ここは大稲埕の茶商なども商売繁盛を願って参っただろうか。

以前コロナ中にオンラインで何度か会った、しかしリアルには会ったことがなかったMさんと待ち合わせてご飯を食べた。ご主人の仕事の関係で中国や香港など、色々な場所に住んだ経験があり、その中でお茶を勉強してきたという。美味しいご飯を食べながら、お茶好きさんとお話しするのは楽しい。

折角なので大稲埕を散歩する。Google検索で『李春生邸宅跡』が出てきたので、そこへ行ってみたが、マンションが建っているだけ。ただその入り口にコロナ前に開催された李春生関連のイベントポスターが貼られていたので、何らかの関連はあるようだ。後で聞いてみると、そこは一族の一人の住居らしい。

そのマンションの横には立派な教会が建っており、社会科見学の小学生が見学に来ている。長老教会と書かれており、1915年に李春生などが寄付して建てられたらしい。礼拝堂という文字は李の揮毫とか。大稲埕の港からここまでの広大な敷地が、李家の物だったということだろう。あまりの広さに驚嘆する。

その後Mさんが知っているお茶屋に入る。私は初めてだったが、何と先方は『顔を見たことがある』というから驚いた。よく聞いてみると、トミーが講座で歴史の話をする時に使う写真に私も一緒に写っているかららしい。確かに以前も何人かから同じことを言われて、恥ずかしかったが、一方でちょっと嬉しい気持ちにもなる。このお店は完全な問屋さんだと思うのだが、その商標が美しい。聞けば、何とお爺さんが描いた絵を使っているという。多彩な人がいるものだ。

ある日の台北日記2024その1(3)全祥茶荘と台湾図書館

何とあたりが暗くなってしまった。話過ぎて腹が減る。昨年行った店に入り、ミャンマーブッフェを楽しむ。ミャンマー料理を適当に選んでご飯と食べるのは、チェンマイでも良くやっており、安くてうまい。しかしそこでも食べるより話すのがメインとなる。結局解散したのは夜の9時を過ぎていた。実に楽しい一日で、地震のことなど忘れていたが、やはり余震は夜中にやってきた。

4月5日(金)全祥茶荘へ

ああ、よく眠れない。大体夜中2時頃に震度2₋3の揺れが来て、起きてしまう。それでも何とか再度寝ると、1時間以内にまた揺れる。私は恐らく他人より地震に敏感なので、これはかなり辛い。朝までウトウトして起き上がるから、明らかに寝不足になっている。従来朝飯は食べないのだが、何となく落ち着かずに、今日もサンドイッチを頬張ることになる。

先日知り合いから『台湾白茶の歴史』に関して問い合わせがあった。1960年代香港の白茶市場で台湾白茶がかなりの量を占めていたという、衝撃的な内容で、本当なのだろうかと調査を始めた。大家に話すと、すぐにやってきて、仮説を述べてくれた。更に最近作られた台湾白茶を持ってきてくれたが、その値段の高さには驚くしかない。こんな物が70年前に輸出されていたとは到底思えない。

午後フラフラと歩きだす。途中に行列が出来ているハンバーガー屋があった。今日も祝日だと知る。SOGOまで歩いて行くと、その手前に『美登利寿司』があるではないか。昨年梅が丘でご馳走になった、超人気店が、既に台北にも出てきているのか。円安もあってか、当然ながら価格は高い。

5年ぶりに全祥を訪ねた。林さんは相変わらず軽快な動きをしているが、話を聞こうとするとお客がやってきて忙しい。客層は比較的上品なご婦人方で、『あなたも一緒に試飲しましょう』などと世話を焼いてくれる。私が日本人と分かると、能登地震の話などを始めるのには驚く。『今回の地震は大したことはない。義援金は有難いが、能登に回して欲しい』などといわれると、返す言葉が無い。夕方いつも行く餃子屋で、水餃子と焼き餃子を食べる。

4月6日(土)台湾図書館

土曜日なので何となく疲れを取ろうとしたが、なかなか休まらない。昼前に大腸麺線を食べに出る。これを食べると元気が出る。そのままの勢いでMRTに乗り、永安市場まで行ってしまった。ここには行きつけの台湾図書館がある。日本時代の新聞記事をここで検索して、大いに参考にしている。

ところが図書館は開いていたのだが、何と私が目指す6階は閉鎖されていた。地震による破損らしい。今回の地震で私が被った初めての実害だろうか。一応4月15日にはリオープンになると書かれていたので、大人しく引き上げることにした。しかし私の調べ物は本当にできるようになるのか、ちょっと心配だ。

ただ帰るのも何なので、近くにあるユニクロを探して向かう。歩いて1㎞ちょっと、ショッピングモール内にユニクロはあった。どこでもあるので便利だ。ただその品ぞろえは日本とはかなり違っており、私が買いたかった半袖シャツはいいのが無くて断念した。東京では、まだ半袖は売っておらず、台湾ならばと、思ったのだが、趣味はかなり異なるようだ。価格も高い。帰りに近所で牛肉麺を食べて憂さを晴らす。

ある日の台北日記2024その1(2)地震直後にミャンマー街へ

花蓮では一部で建物が倒壊するなど被害が報道されていたが、その全体像は分からない。2時間ぐらいそうしていると、何とお向かいの学校の建設工事が始まり、すごい音がしてきた。天気はとても良いので階下を見ると、人が普通に歩いていた。余震はまだ続いている。私は部屋に食糧が無く、腹が減り始めた。地震発生ほぼ3時間後、恐る恐る外へ出てみた。

するとそこは全くの日常だった。下でいつもの野菜を売っているおばさんが『あら、帰ってきたの』と気さくに声を掛けてきた。『地震、すごかったね』というと、『えー、日本人は慣れているでしょう』といって周囲の人も笑っている。いつもの朝飯を食べる店も普通に開いており、皆が普通に食事をしている。地震の話題はもう終わったのか、誰もしていない。帰りに清水廟にお参りして帰る。

MRTもバスも動いており、ランチを求める人々が出てきていた。消防署の前を通ったが、救急車の出動もないようだ。完全に拍子抜けした。午後も余震は続いたが、知り合いに安否確認の連絡をしても、『あ、台湾に来たんだ、いつ会う?』などという普通の会話が帰ってくるだけで、地震の影響を心配する声は日本人からしか聞かれなかった。これは台湾人の強さだろうか。

夕方また外へ出て、いつもの店で魯肉飯などの台湾メシを頬張る。テレビのニュースはずっと花蓮の様子を伝えていたが、既に台北ではまるで何事もなかったかのように、人々が生活していた。それにしても今日の台北は暑い。いや、私がまだ台北に慣れていなかったのだろうか。慣れないうちに慣れない物がやって来て戸惑う。夜中にまた大きな余震有り。

4月4日(木)ミャンマー街へ行く

翌日は新北市の華新街へ向かった。地震のことは気になったが、それ以上に今回の滞在で気になっているのが、ミャンマー・タイからの移住者。昨年この通称ミャンマー街はMさんに案内してもらっていたが、早く行ってみたいと思っていた。MRTも普通に動いており、難なく南勢角まで辿り着く。

今日は清明節の祝日。午前中で人は少なかったが、相変わらずミルクティーを飲んでいるおじさんたちがいる。Aさんとミルクティーを飲んでいると、おじさんを紹介された。喫茶店のオーナーで何と香港出身。ここは元々広東系が多い街だったらしい。話を聞きたかったが、お客がどんどん増えてきて、また次回訪ねることとした。

実は以前私と同じ世代の台湾人に、華新街について聞いてみたら、皆一様に『子供の頃、あそこで食べた点心は美味かった』といっていたのを思い出す。そう、この街は1960₋70年代は広東系移民の街だったのだ。折角なので、我々も街で唯一残っている飲茶の店に入り、美味しい焼売や腸粉、あんかけ焼きそばなどを食べた。ただこの店、20年ほど前からオーナーは福建系に代わっており、広東系は消滅しているようにも見える。

Aさんが、『実はタイ北部に詳しい人を紹介したい』といってくれた。しかも彼はこの街に来ているかも、というので連絡してもらうと、何とすぐに会えた。そんな人いるのだろうか。ちょうど裏通りの店でランチを食べていたというのだ。彼は某大学の職員だという。留学生や教師の日本人は会ったことがあるが、台湾の大学の日本人職員は初めてであり、もうそれだけで普通ではないことが分かる。

それから我々はミャンマー街の話しからタイ北部、果ては回族などの民族についてなど、何かに取り付かれたように話した。喫茶店も変えたが、話は延々と続いた。こんな面白い話を止めることは出来ない。彼は私のほとんどの話題に対応してくれ、しかも的確な情報を与えてくれた。驚きが先走る。

ある日の台北日記2024その1(1)いきなり地震に見舞われる

《ある日の台北日記2024その1》  2024年4月2₋10日

昨年3年ぶりに訪れた台湾。今年は少し時期がずれたが、またやってきた。もう台湾ではあまりやることもないか、のんびりしようかと思っていた矢先、事態は動いた。ここから2カ月、実に様々な体験をした台湾となった。やはり、台湾は面白い。

4月2日(火)台北到着

何だか久しぶりに海外へ行く気分。さくらを見てからゆっくり行くつもりが、何と桜はまだほとんど咲いていない。何だかちょっと気分が萎えるが、これもまた運命。新宿からバスで羽田へ着くと、まだ搭乗3時間前だったが、運よくエバ航空のカウンターは開いており、保安検査場も朝の混雑は終わっていて、あっさり通り抜けた。

フライトも順調で、機内食を美味しく頂き、名探偵コナンを見ている内に松山空港に着いてしまった。当然昼間の空港は空いており、イミグレを難なく通過。だが荷物が出て来るのを待って間、パスポートを確認すると、入国スタンプが見当たらない。廃止されたのかと職員に聞いてみると『そんなはずはない』と探してくれ、なんと見付け出してくれた。そのスタンプはすごく小さく空いていたスペースに見事に押されている。素晴らしい。ボケ老人の始まりだ。

外へ出ていつものシムカード購入と両替(古い米ドル札)を終えると、Tさんが待っていてくれた。いつものように大家さん(知人)が帰宅するまでの間、時間があったのでTさんに来てもらい、空港内で話を聞いた。彼女は台湾内のタイ・ミャンマーからの移住者村に詳しい。今回は何か所かへ行ってみようと思っており、たくさんの情報を得た。幸先が良い。

夕方6時前に連絡があり、タクシーでいつもの場所へ向かう。以前はMRTで大きな荷物を抱えていったが、今やその気力はなく、タクシーを使う。ものすごく優しい華語で行き先を告げると、運転手も優しい華語で返してくれる。15分ぐらいで到着。料金は1300円ぐらい(よく見ると空港使用料が250円ぐらい含まれている)。この料金なら有難い。

本日大家は急な会食があり、同じ建物内の知人に鍵を預けたらしい。ビルの7階、エレベーターで重い荷物を運ぼうと思ったが、何と故障中で動かない。上には待っている人がいるので焦っており、仕方なくその重い荷物を抱えて?7階まで階段を上る。途中で息が切れ、喘ぐように上る。汗だくで苦しい。10分ぐらいかけて上ると、『やっぱり止まっていた?』と聞かれ、へたり込む。

その人はすぐに補修会社に電話を入れてくれたようで、荷物を整理して30分後に見ると、既に復旧していた。これで何とか夕飯にありつける。夕飯はもうあそこしかない。いつもの麵屋で牛肉湯肉絲麺を美味しく頂く。そこでふと思い出す。私は観光客用のくじ引きを登録していたが、空港で引くのを忘れていた。何となく今日は当たりそうな気がしたのでMRTに乗り空港まで引き返した。だがくじは無情にもハズレてしまい、バスでトボトボ帰る。

4月3日(水)地震に見舞われる

翌朝はタラタラと目覚め、朝ご飯は何を食べようかなと椅子に座り考え始めたその時、思いもかけない揺れが来た。その揺れは長く続き、一時は体のバランスを維持するのも大変な状況で驚いた。これは2011年に東京で体験して以来の揺れだった。慌ててテレビを点けると花蓮方面が震度6強と出ている。その後も余震が続いており、かなり危険な状態だと思われたので、テレビの前でじっとしていた。

チェンマイ滞在記2023その2(6)7 劇的な再会、そしてチェンマイを離れる

そこから何故かトボトボと歩いて、セントラルデパートまで行く。道は一本だが、思ったより遠くて疲れた。どうしても寒さ対策が不足と考え、再度ユニクロでパーカーなどを購入した。きっとどれだけあっても不安は解消できないが、ないよりかなりマシ、という感じだろうか。帰りがけにはちばんラーメンに寄り、久しぶりのラーメンを食べる。ちょっと体調が不安な時に一番いい食事だが、チェンマイでは食べる機会にあまり恵まれない。

ちょうど帰宅ラッシュ時に当たってしまい、初めてGrabもBoltも呼んでも来てくれなかった。仕方なく、さっき来た道を歩いて帰ることにした。少し行くと、日本領事館の看板が見えた。今後もお世話になることはないと思っているが、初めてその位置を確認する。夕日が落ちる中、ゆっくりと歩いたが、それでも足が痛くなる。もう明日はチェンマイを離れるのだから、夜は荷物の整理に勤しむ。

11月24日(金)

チェンマイを離れる直前 劇的再会

ついに2か月の滞在を終え、チェンマイ最終日を迎えた。部屋の片付けを完了し、残ったクッキーなどで朝食を取る。荷物のパッキングは意外と簡単で、どんどん進んでいく。そして昼にチェンマイ大学へ向かった。入院中だったPさんが復帰しているというので帰国前に挨拶に行った。色々な話が出来、元気そうでよかった。

夕方宿の人に精算を頼むとこれまた至極簡単に終わった。そして来年の予約も行ってしまった。来年はここでもっと長く過ごしたいと考えている。最後の晩餐はジョークだった。やはり体調が万全ではないため、体に優しい物を選ぶ。ボリュームたっぷり、美味しいジョークには本当に助けられた。

何と空港に向かう直前、ジュジュから連絡があり、彼女のお父さんと会うことが出来た。お母さんが腰痛で来られなかったのは残念だったが、まさかこのタイミングで話が聞けるとは何とも有難い。時間もないので、国民党軍の動きと、ワーウィの李さんの話などを掻い摘んで聞いてみた。当然ながらその辺の歴史は良く知っているので、明快な答えが聞けて喜ばしい。これでまた来年、更に調べを進めることが出来そうだ。奇跡的な再会に感謝する。

すぐに宿に戻り、荷物を整え部屋を出た。鍵は中に置いておけばよい、というのは何と有り難い。これで午後8時過ぎまで部屋が使えた。車を呼び、慣れた感じで空港へ向かう。夜の空港は初めてだったが、韓国のLCCの乗客が溢れていた。その横のエアチャイナへ行き、緊張のチェックイン。スタッフも何度も書類を確認していたが、何とかトランジットOKが出た。

それからシムカードを購入。今回まさか北京に寄るとは思っておらず、シムを用意してこなかった。それでもAISのカードが使えるというので試してみることにする。出国審査には誰も並んでおらず、すぐに通過できたのは良かった。もうあとはフライトを待つばかりとなり、寂しさが増す。それにしても極寒の北京を思うと、身震いする。

チェンマイ滞在記2023その2(6)6 新しいカフェ

11月22日(水)ミアンと観光2

今日はSさんの授業が終わる頃、チェンマイ大学で待ち合わせた。語学系の校舎まで歩く。何しろチェンマイ大学のキャンパスは広い。私がいつも行く校舎からも随分と離れている。折角なので歩いて行ってみると、途中に懐かしい風景が広がる。以前の滞在で訳も分からず歩いていた道だった。その向こうにキャンパスが見え、そこが正門だと初めて知る。

そこから歩いて5分ほどで目的地に到着した。この校舎には孔子学院の文字が見える。通っている外国人も、普通話があちこちで聞こえ、中国系が多いように思われた。Sさんと合流し、更にお知り合いのタイ人の先生とも会い、彼の車でキャンパスを出た。それにしてもSさんは一体どれだけの人を知っているのだろう。

車は何とワンニーマンの近くに戻り、ガイヤーンやソムタムを食べた。こんな近くにいい店があるのを知り嬉しい。有名店らしく、外国人も含めて満席状態だった。そこからまた車に乗り、少し郊外のカフェへ行く。大きな木の下にカフェがある感じが良い。チェンマイは少し郊外に出れば自然が味わえる。

ここでコーヒー入りのレモネードを飲む。最近カフェも色々と工夫がある。そして観光学が専門の先生から色々と教えてもらう。ミアンについても『タークではミアンの消費が多く、砂糖を入れて食べる』など貴重な情報を得た。是非彼と一緒にタークへ行きたいが、何と来週彼はチェンマイを離れ、中部の大学に転勤するという。一期一会かな。

11月23日(木)新しいカフェへ

今朝は早めに目覚めたので、早めに散歩に出た。お堀の周辺を歩き、教えられたタイヤイ人(シャン人)のお寺へ向かう。私にとっては、どれがタイ人の寺で、どれがタイヤイ人の寺かなど、皆目見当がつかず、いつも通り過ぎていたところだった。中は意外に広く、古めかしい仏塔がなかなか良い。幼稚園が併設されており、朝から元気な声が聞こえてくる。

更に進み、ターペー門を曲がり、懐かしのカフェへ行く。ここは1年前の滞在でクラブサンドイッチを食べた店だった。看板のメニューを見ると、軒並み料金が値上げされており、クラブサンドイッチのモーニングも20バーツ上がっていた。まあ、居心地の良い店なのでよいが、何だか朝から散財した、という感覚だ。

チェンマイの朝は20度台でとても涼しく、いい気候だ。これから行く北京を検索してみると、零下の寒さ。何とか寒さを凌がなければと思いながら、散歩を続ける。チェンマイの街中もロイクラトーンの祭りの準備で徐々に盛り上がっている。私はその祭りの3日前にこの地を離れる。何で、とよく聞かれたが、実はあまり興味がないだけなのだ。

午後またお堀端を歩く。今度は宿にかなり近い。そこに、あのメーサローンビラの娘、ジュジュがカフェを開いたと聞き、訪ねてみた。彼女とは今回の滞在では会っていなかったが、着々と準備を進めていた。そのカフェは大通りからちょっと入ったスペースで、お茶を飲めるし、テイクアウトも出来るし、しかも茶葉も販売していた。

ここでお茶を淹れてもらって飲んでいると、シンガポールから来たというお茶好きが立ち寄り、自ら蓋碗で茶を淹れて味わっている。ジュジュも華語が普通にできるので会話もスムーズだ。メーサローンのお茶の味も随分向上しており、日本のコンテストにも出品して賞を取ったと聞くと、何となく嬉しくなる。