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ある日の台北日記2019その2(7)お茶の歴史調査で

4月21日(日)
本屋へ

茶の歴史調査、ここのところヒアリング調査が主になっていたが、やはり資料との睨めっこも必要だと思い、偶には本屋に足を運ぶ。図書館では色々な資料を見てきたが、出来れば手元に置きたい本もある。最近出た雑誌にも興味深いものがある。なぜか南京路の方に出向いていく。

 

この辺に本屋があったな、という辺りに来てみる。よく見ると何とそこはフランス語専門書店?ちょっとおしゃれだなと気になっていたがよく見ずに失敗した。そこには入らず(入っても読めない)、歩き出すとオシャレな出版社?が見える。中に入るとレストランになっており、大勢が食事をしていた。

 

本を読みながら食事する、お茶を飲みながら本を読む、そんな空間のようだ。最近台北にはこんなところが増えている。2階には本の展示があるというので上がってみたが、何と硬派な政治家の本が並び政局が語られている。出版社も不況で、硬軟取り混ぜた様々なアイデアを出している。日本の出版社はどうなんだろう。本が売れないとただ嘆いても何の解決にもならない。

 

結局歩きに歩いて、誠品に行きつく。ここの売り場は広く、探そうとしていた茶関連の雑誌は、何と2冊も置かれている。台湾史コーナーも充実していて驚く。図書館で読んだ本も何冊かは販売されており、思わず購入してしまった。UCCのインタントコーヒーが1つ無料で付いてきた。

 

 

こんな近くに立派な書店があるとは気が付かなかった。これからは偶に顔を出してチェックしよう。そういえば中高生の頃は本屋に行くのが楽しみだったことを急に思い出す。台湾の書店は、若者が通路に座り込んで本を読んでいてもOK。買った本を隣のカフェで読んでいる人もおり、何となく楽しそうだ。そういえば誠品は東京に進出するらしい。本屋もあるのだろうか。

 

一度家に帰って、夕方またバスに乗り出掛けた。先日突然30年来のお知り合いであるTさんから連絡があった。ずっと北京にいると思っていたのだが、何と台北に来たらしい。しかもこれからはここに駐在するという。早々宿泊先のホテルを訪ね、久々の再会を果たす。実はこの界隈は、私が30年前に住んだ場所だが、殆ど変わっており、店もよくわからない。

 

Tさんはスタスタと歩きだし、一軒の日本食屋に入った。東京でも有名なうなぎ屋らしい。こういう店が、フラッとあるのが今の台北だろう。店員の案内も待たずに空いた席に着く。店員がちょっと困った顔をする。Tさんはまだ何となく、中国大陸的振る舞いが抜けていないようだ。それは私も十分に分かるのだが、これで北方の普通話を話せば、台湾で嫌がられる可能性もあるので、そのことだけは伝えておいた。今の空気感、北京と台北ではかなりの差があるだろう。あなご丼は美味しかった。これからはTさんが台北にいるので楽しみだ。

 

4月23日(火)
製茶公会へ

今日は製茶公会に黄顧問を訪ねることにしていた。その前にいつもの銀行で両替。順番を待っていると、前のお客が窓口で日本円への両替を申し出た。そして出てきた札を見て、『このお札、まだ使えるの。大丈夫?』と何度も聞いていた。係りの女性は『使えます!』ときっぱり答えていたが、私の番が来ると小声で『日本って、いつからお札新しくなるの?』と聞いてくる。

 

私は思わず、『心配ご無用、確か2024年からだから』と答えると、そこにいた全員が唖然とした表情を浮かべ、『なんでそんなに時間がかかるの?』と聞かれても、『それは日本だからさ』としか答えようがなかった。余りのスピード感のなさに驚く、というか、なぜこのタイミングで5年先のことを発表するのか確かに理解に苦しむ。

 

昼過ぎに公会近くまで行き、久々に客家料理屋に入る。やはりここのホルモン系はいつ食べてもおいしい。肉はささみやヒレではなく、脂身や皮、そして内臓系がうまいと思う。でも我が家では私は完全少数派であり、台湾などで一人楽しむしか仕方がない。本当にうまいものとはなにか、を考える。

 

公会では黄顧問と総幹事がいつものように、色々と教えてくれた。黄さんは理事長として、林復氏と一緒に活動したこともあり、勿論呉振鐸氏とは常に顔を合わせていた。林馥泉氏、林復氏は共に製茶公会の総幹事を長く勤めているが、残念ながらその資料はさほど残ってはいないらしい。

 

理事長は注目されるが、縁の下の力持ちで、実質的に会を取り仕切る総幹事については、書き残されていない(自分で書くわけにもいかない)のが実情だ。ただ両氏には文才があり、公会の雑誌にはかなりの文章を寄せていることが後で分かった。ただこれとて、本人の履歴を知る手掛かりとはなっても、決定打にはなり難い。資料集めは苦労が絶えない。

 

帰りに中山の誠品に寄ってみた。本は先日見たので、地下に降りると、きれいなフードコートがあった。日本食店も見られ、私はなぜか讃岐うどんに引きずられた。急に食べたくなるのだ、うどんは。温泉卵入り豚肉うどん、美味し!丸亀製麺は時々食べるけど、こっちの方が美味しいかな。時間が早かったから席があったけど、夕飯時なら座れないかもしれない。何となく幸せに一日が終わる。

ある日の台北日記2019その2(6)鹿谷にて

4月20日(土)
鹿谷で

翌朝は早く目覚めた。この宿は朝食付きだというので8時に降りていくと、カウンターにハンバーガーと豆乳が置いてあった。宿泊客は私しかいなかったようだ。金曜日の晩だったが、雨のせいだろうか。そうこうしている内にUさんが迎えに来てくれ、一緒に農会へ向かう。

 

農会がちょうど開店した瞬間にオフィスに入っていくと、林さんが待っていてくれた。お茶を飲みながら、茶の歴史、今回は特に林さんの師匠である呉振鐸氏について、突っ込んで聞いてみた。茶業界では最も有名な専門家の一人である呉氏だが、彼が外省人である、云々と言った話に出会ったことは殆どなかった。これから蒋介石と共にやってきた福建人の中で、台湾茶業に貢献した人物にスポットを当てたいと考えている。

 

呉元場長について、林さんは『自分より良く知っている人々』を数人挙げ、連絡先なども分かる範囲で教えてくれた。これは何とも有り難い。もう少し話を聞こうとした時、スタッフが林さんを呼びに来た。何と今日は農会の社員旅行で、林さんはその忙しい中、私に対応してくれていたのだ。何とも申し訳ない。外へ出ると大型バスが停まっており、すでに全員乗り込んでいたので、恐縮してしまった。これからどこへ行くのだろうか。

 

我々もこれからどうするのだろうか。Uさんが『ちょっと茶畑を見にいく』というので、バイクの後ろに乗る。そしてバイクは坂道を上がり、山の中へ向かう。到着したのは、茶工場。そこには林老師がいた。何となく雨を気にしている様子で、早々に皆で茶畑を見に行くことになる。

 

これまで何度も鹿谷には来たが、初めて見る茶園がそこにあった。そこでは今まさに茶摘みが行われている。かなりの急斜面であり、道路から登っていくのはかなり怖かった。地元の女性たちが元気に茶摘みしているのだが、最高齢は84歳とか。平均でもゆうに70歳は越えているだろう。これはかなり厳しい労働だと言わざるを得ない。

 

少し雨が降り出した。摘み取られた茶葉が計量されて(計量はどこの茶産地でも真剣勝負な雰囲気)、次々に茶工場に運ばれていく。ここのところ雨続きだったので、今日に期待していたようだが、残念ながらここまで、という感じになっており、皆さん少し緩んできていた。やはり山の茶摘みは時間との闘い、いつ天候が変わるか分からないのだ。

 

茶工場では、すでに多くの葉が萎凋されていた。これからいくつかの工程を経て、明日には凍頂烏龍茶になるのだろう。果たして出来はどうだろうか。皆さん、心配顔のように見えた。幸い雨は強くはなかったので、バイクで戻り、昼ご飯に麺を食べた。そのまま偉信の所へ寄ろうとしたが、隣に住むお父さん、林老師に招き入れられた。どうも彼は体調が悪いらしい。

 

林老師は茶作り中にもかかわらず、戻ってきて相手をしてくれた。何とも有り難い。私が更新しているFBも欠かさず見ていてくれ、コメントももらっている。せっかくの機会なので、凍頂烏龍茶の歴史を聞き、合わせてそこにかかわった人々についても詳細に聞いた。一体どのようにして凍頂烏龍茶はブランドとして生み出されたのか。当時の台湾の置かれた状況と併せて考えることが重要だ。

 

最後に張さんも訪ねてみた。張さんは今朝がた中国から帰ってきたばかりであったが、快く質問に応じてくれた。彼は改良場に勤めているから、呉元場長について、誰がよく知っているか、なども教えてもらう。勿論もう歴史の域に入っているので関係者も高齢でなかなか捕まらない。

 

張さんの話の中でも、1970年代、なぜ台湾が輸出から内需への切り替えを行ったのか、それは誰の指導で行われたのか、などを教えられる。これまた極めて重要な話であり、これは台湾だけに起こった事象ではなく、興味深い。特にそれを論理的に説明してくれるので非常にありがたい。

 

今日は土曜日なので、夕方になると台中行きのバスが混むだろうと言われ、バス停に向かう。渓頭で大勢が乗るので、途中のバス停では、地元民向けに少なくとも3席は空けておく政策がとられており、無事に乗車できた。今回もUさんには大変お世話になり、思いがけず収穫の多い旅となった。

 

いつもは高鐵台中から高鐵に乗って帰るのだが、何となくいつもと同じはつまらないと思い、バスを終点まで乗る。新しい台中のバスターミナルから台北行きのバスは頻繁に出ており、こちらの方がかなり安いのでそれに乗った。だがこのバスは台中市内を走り抜けてから高速に乗ったので、何と3時間もかかって台北に着く。ちょっとぐったりして1泊2日の旅は終わった。

ある日の台北日記2019その2(5)那瑪夏へ

4月19日(金)
那瑪夏へ

朝早く起きた。今日は高鐵で台中まで行き、そこで拾ってもらって、高雄の山中に分け入る予定だ。前日高鐵の予約を試み、何とかセブンで支払いを済ませて、チケットを手に入れた。午前6時台に家を出て、7時半過ぎの高鐵に乗る。朝が早過ぎて、台北駅のヤマザキパンすら開いておらず、ちょっと腹ペコ。

 

8時半過ぎに台中駅に着くと、トミーとビンセント、そして彼らの講義をわざわざ受けに来ていた香港人女性も加わり、4人で出かける。まずは高速道路で嘉義まで行き、そこから車は山道へ回る。何故高雄に行くのに、嘉義から入るのか、それは到着する時にようやく分かる。それにしても、思っていたより道がかなり良い。それでも、香港女性は山道に慣れておらず、気分が悪くなったようだが、普段から山に入っている我々には、相当楽な道に思えた。

 

勿論、車はほとんど走っておらず、対向車もない。標高300-400mのあたりで、カーブはあるものの、舗装もしっかりした、かなり平坦な道をひらすら走っていく。途中滝があったので、一休み。そして1時間半ほど走って、あとわずかで目的地、というところで、高雄と書かれた表記に出会う。原住民部落があり、観光客目当ての店などもあったが、人は殆どいなかった。

 

那瑪夏、我々が辿り着いたのはここだった。茶農家、詹宗翰さんとは、3月のFoodexで出会い、茶畑を訪ねたいと伝えてあった。実は昨年梅山瑞里に高山茶の勉強に行った際、『梅山から40年前に那瑪夏に移住して、高山茶を作っている人々がいる』と聞いていた。その息子が詹さんだったというわけだ。

 

ちょうど茶摘みが終わり、製茶機械が稼働していた。早々お茶を飲みながら、こちらの歴史を尋ねる。お父さんも加わり、話が具体的になっていく。1980年代、林業のためにこの地に移住してきたが、ちょうど高山茶ブームが始まり、故郷梅山から製法や機械を調達して、茶作りを始めたという。

 

一時は相当の茶農家が茶を作っていたが、高山茶に陰りが出てきた今、中海抜であるこの地も淘汰が始まっていた。そんな中、青年農家として息子がここに戻り、茶作りに精を出し、販売推進のため、台北はもちろん、遠く日本まで出掛けていたのである。この努力は素晴らしい。希少価値として、また比較的伝統的な製法がウケ、徐々に売り上げを伸ばしているらしい。

 

お昼は弁当を用意してくれ、引き続き話し込む。その後茶畑を見学。烏龍や金萱が植わっている斜面の景色は良く、自然環境に優れている。また車で更に上に上がると、山茶を集めて植えた場所もあり、特色ある茶作りを進めている様子が窺えた。茶樹の背丈は高く、葉も大きめだった。因みにこの山茶がいつからあるのかは分からない。

 

台湾ではみなそうだが、山には昔から原住民が住んでいても、お茶作りと無縁であり、また関心もない。茶樹がいつからあるのかもわからない。ここで茶作りが始まった時も、原住民の労働力が必要だったが、残念ながら、根付かなかったという。現在も一番の問題は労働力の確保であり、人材は本当に限られている。

 

畑から戻ると、激しい雨に見舞われ、動けなくなった。山の天気は変わりやすいとは言うが、まるで嵐のように叩きつけていた。それが収まると、朝来た道を引き返す。香港女性は辛かっただろうが、良い経験にはなったようだ。嘉義まで出て一休み。そこからまた雨が降り出す中、今度は私のために鹿谷へ向かった。

 

暗くなった頃、慣れしたしんだ鹿谷に上がってきた。そこで茶の買い付けに来ていたUさんと落ち合い、皆で晩御飯を食べた。やはり話題はお茶の将来についてとなり、活発な議論が展開されて面白い。食後、Uさんが予約してくれた宿に入り、トミー一行は台中に戻っていった。宿の部屋では引き続きUさんと茶についての話をし、気が付いたらかなり遅い時間まで話し込んでいた。茶業界はどうなっていくべきなのか、こういう雑談は非常に重要だと思う。

 

ある日の台北日記2019その2(4)お茶好きがやってきて

417日(水)

お知り合いがやってきた

 

前日の夜、いつものスーパーに買い物に行く。珍しいクッキーが安売りになっていたので、何気なくかごに入れ、レジへ行く。するとそのクッキーを見た店員のおじさんが小声で何かささやく。おじさんは『このクッキー美味しいのか?』と聞いてくるではないか。何かまずい物を買ってしまったのかと思っていたが、『もしうまいんだったら、俺も後で買おうと思って。今度来た時、美味いかどうか教えてくれ』というのを聞いて、さすがは台湾と頷く。

 

FBを見ていたら、先日四川の旅をご一緒したKさんが台湾にやってきたという。ちょうど時間に余裕があったので、連絡を入れたところ今日の午後茗心坊に行くというので、そこで会うことになった。何しろ茗心坊は宿泊先から歩いて5分なので、何とも便利だ。

 

 

店に行くと、Kさん以外に2人の日本人女性がいた。今回は薬膳関連の仲間3人の旅だというが、特にきっちり予定は決めていないとか。日本人女性の台湾旅で気の向くまま歩く、というのは珍しいのではないだろうか。3人ともお茶好きとのことで早々試飲を繰り返えし、この店の焙煎を見て勉強している。私は店主の林さんと奥で話し込んでいたが、特に困る様子もなく、気ままに楽しんでいる。

 

今日はここでお別れする。私は今晩、2年ぶりに会うことになっている人がいたのだ。その彼、北京時代からの知り合いであるHさんが指定したお店も、宿泊先から歩いて10分と近かった。このお店は2階にあり、何度か下を歩いていても気が付かなかった。よく知っているなと思ったら、Hさんの勤め先の人の親戚が経営しており、よく来るとのことだった。

 

 

ここは鍋料理屋さん。野菜と肉をふんだんに入れて食べる。味もなかなかイケる。〆の麺は、やはりの袋めんというのも台湾的だ。それにしても店の壁にはなぜか大量のプーアル茶が貼られていて、驚く。鍋と何か関連があるのかと聞いてみたが、単にオーナーがプーアル茶好きで集めただけだという。お茶が鍋のにおいを吸い込んで駄目にならないのか、ちょっと気になったが、どうだろうか。結局3時間以上に渡り、昔話に花が咲く。共通の知人の近況などが聞けてとても良かった。

 

418日(木)

お茶屋巡り

 

翌日は午前11時前に行天宮駅で3人組と待ち合わせ。先着していた彼女らは、既に裏の市場を物色していた。そこからいつものレストランへ行き、ちょっと美味しい台湾料理を食べに行く。11時半前に入らないと席がなくなるので、早めに動く。そして鶏肉、からすみ炒飯などをさっさと平らげて、満腹状態で、講茶学院台北へなだれ込む。

 

 

そこで評茶していると、突然地震警報が鳴り、かなりの揺れが来て驚いた。花蓮では震度6だったようだが、台北では被害はなかった。お茶を飲みながらSunnyと話していると、薬膳の話題となる。Sunnyが『実は知り合いにイケメン中医師がいるけど』というと、皆さんの目が輝き、すぐに明日のアポが取られた。通訳不在だったがお構いなし。何とLINEの翻訳アプリが優れていることなどが紹介される。

 

 

その後MRTに乗り(地震の影響で一時止まっていたが動き出してくれた)、次に場所へ。珍しく小楊の所にお客を連れて行く。ちょっと変わった雰囲気の店と人を、チラッと見て帰るつもりだったが、3人のうち2人は、茶器にも目がなく、きらきらした目で茶器を物色し始める。小楊も段々ノッテきてしまい、いいお茶もどんどん淹れられて行き、気が付けば、外は暗くなっていた。茶器の代金を払うため、ATMに向かうも、なぜか台湾元が出てこないで困る。

 

 

小楊のおごりで先にご飯を食べに行く。彼のレストランとご飯(料理)の選択はいつもながらなかなか良い。ホルモン系も大好きな3人組はバクバク食べて、驚かせる。食後、もう一度ATMに戻ると今度はちゃんと機能している。恐らくは昼間の地震後、メンテナンスでもしていたのだろうとの結論に達し、無事精算も終了した。結局丸一日お付き合いすることになったが、今日は珍しく愉快な日であった。

ある日の台北日記2019その2(3)基隆に向かう

《ある日の台北日記2019その2》  2019年4月15日-5月9日

香港、福建の旅で、またまた色々と収穫があり、今後の歴史調査に意欲を持って帰ってきたが、台湾ではどうなるのだろうか。

4月15日(月)
基隆へ

厦門滞在中から体調が優れなかった。食べ過ぎが一番の原因かとも思うのだが、腹の調子は悪くなく、何となく疲れやすいという状況は、一種の怠け病だろうか。取り敢えず台北に逃げ帰れば、ゆっくり養生できると思っていたが、何と帰国翌日は朝から基隆へ向かうことになっていた。

 

それは1か月ぐらい前、一度会ったことがあるAさんから『Hさん夫妻が世界一周クルーズで基隆に来るので、集合してほしい』というメッセージを受け取った。Hさんとは、大学の先輩でもあり、仕事上でも世話になった方なので、駆け付けることにしたのだが、基隆とは。更にはあと二人参加者がいるとのことだったが、それは誰が聞いていなかった。

 

何と先日香港で北京つながりのIさんと会ったら、『10日後に基隆に行く』というではないか。まさかと思い聞いてみると彼女も参加者だった。そうなると思う一人はBさんかもしれないと思い連絡すると『一緒に基隆に行きましょう』となり、台北市内からバスに乗った。

 

基隆行きのバスは市内何か所も乗り場があるらしい。そして40分ぐらいで基隆駅まで来てしまった。いつもは台北駅まで行き電車に乗るのだが、その必要もなくこの便利さには驚いた。基隆駅も新しい駅舎が出来ており、古い駅舎はお役御免のようだ。しかし指定されたレストランはこの駅からかなり遠い海岸線沿いにある。市内バスに乗ると、何となく反対方向に走っている。市内巡回バスだろうか。

 

30分近くかかってようやく目的地に着いた。ただまだ待ち合わせ時間には早いので、周囲を散策した。公園のような場所へ行くと、何と蒋経国の像が立っている。何故ここにこの像があるのかの説明はない。その近くには、プレハブの建物があり、中は海鮮市場になっている。ただ平日の昼間で、お客は殆どおらず、開いている店のおばさんが手持ち無沙汰に声を掛けてくる。小さなハーバーにはヨットが停泊しており、漁船の姿はあまりない。

 

ここのレストランはこの海鮮市場を背景に、週末の観光客を当て込んで作られているようだ。それでも観光バスが停まり、台湾人の団体さんが降りてきてテーブルを囲んでいる。Hさん夫妻も、クルーズ船から降りて、タクシーで駆け付け、我々は集合した6人でテーブルを囲んだ。

 

海鮮料理屋らしく、いけすから選んだ魚やイカが調理され、美味しそうに並んでいた。今回のメンバー、私はH夫人以外、皆知っている人であり、他のメンバーは元々旧知の間柄だから、昔話などに花が咲く。それにしてもよくこのメンバーが基隆に会したものだと感心しきり。やはりご縁というものはあるものだ。

 

H夫妻の世界一周クルーズも、聞いてみるとかなり壮大なもので、3か月を掛けてアジアから地中海を経て、大西洋から北中米にまで至る。かなりの時間を船内で過ごすらしいが、毎回美味しい食事が出て、イベントがあり、食事の席も変わり、その度に新たな出会いもあるようだ。ただ私はその狭い、船内に閉じ込められるのは無理だろうな、と勝手に想像する。今回のクルーズで台湾の寄港は基隆だけ、次はシンガポールだと言い、夕方出港する船に戻って行かれた。

 

我々もタクシーで基隆駅まで戻り、そこからまたちょうど出発するバスで台北駅へ向かう。結局基隆を歩くことはほぼなかったが、なんだか珍しい体験をしたような気分にはなる。香港から来たIさんはAさんの家に泊まると言っていたが、何と台湾入国時に、『日本で買ったカップ牛肉麺をお土産に持ち込んだところ、桃園空港の税関で没収された』と憤慨していた。現在肉製品の台湾への持ち込みは厳しい。桃園空港にも特別専用台が設置され、荷物検査をしていたことを思い出す。ただまさかカップ麺までとは、全く想定外だった。

 

宿泊先に戻ると、もう気力はなく、寝入ってしまった。やはり大陸の旅の直後は知らない間に疲れがたまっている。そして文章を書くなどの作業もたまっている。私のように常に旅をしている者は、当然旅の中で休息を入れないと続かない。そして年齢的にも厳しい状況になっていることに薄々気が付いているが、今のところ知らないフリをしている自分に対して、無理はないかと問いかけている。

ある日の台北日記2019その2(2)台北をフラフラ

3月29日(金)
静岡県事務所へ

私は昨年まで静岡県の茶雑誌に4年ほど、連載をしていた。お茶と言えば静岡だと思っていたが、お蔭で静岡だけでなく、日本全国を回り、色々な日本茶を見ることが出来たし、茶旅の報告までできて、とても感謝している。静岡県のために何かしないといけない、という気持ちはささやかながら持っている。

 

以前大学の先輩から台北にある静岡県事務所を紹介されたことがあったが、その時は埔里におり、台北に出てきたが時間が合わず、訪問しなかった。地方自治体がきちんと職員を派遣して業務に当たるのは、かなり大変なことだ。静岡は何故台湾に事務所を置いているのだろうか。

 

今年1月、台湾茶の歴史を簡単に話した折、ちょうど静岡県事務所の人が聞きに来ていたので、更に静岡と台湾茶の繋がりを強調してみた。静岡は日本一の茶産地であり、私などが何も言わなくても、繋がりは深いに決まっているが、歴史を掘り返すより、現在の発展が優先される面は仕方がないと思う。それに何より静岡の茶人材は多過ぎるほどいる。

 

今日はその事務所のNさんを訪ねた。事務所設立6周年になるという。色々と共通の知人の話が出たり、お茶のことを話したりしている内に、とんだ長居になってしまったのは申し訳ないことだったが、こちらとしては、『お茶を切り口に更に静岡をアピールする』のは悪いことではないし、茶業関係者を中心に、台湾人も日本時代に台湾に貢献した人の存在にはかなり興味が持たれる時代なので、茶業試験場を作った藤江勝太郎などをもう少し紹介してもよいのでは、と話した。

 

実は台湾には様々な形で静岡産の茶葉が流れてきている。今後は静岡茶を使ったフレーバーティーの店舗なども出店が予定されているようで、紹介するチャンスもありそうだ。またお茶を切り口にした静岡への茶旅も、台湾人なら受け入れそうな雰囲気があり、富士山、温泉、お茶などを組み合わせたプランは有効かも知れない。インバウンド資源は沢山ある静岡だが、新たな魅力を伝えるのは悪くないと思う。

 

3月31日(日)
小籠包から居酒屋へ

先日白酒を飲む会で出会ったYさんから、お茶についての質問を受ける。このYさんも前回のSさん同様、どこかで会ったことがあるかもしれないと思っていた人だった。結局人違いだと分かったのだが、某金融機関に全く同じ時期に同じ姓の人がいたので、勘違いしたのだった。それでもその人のことを思い出したのも30年ぶりだったので、何となくご縁を感じる。

 

ランチを食べようと言われて向かったのは、東門。宿泊先から歩いて行ける範囲。途中に大安森林公園が横たわっており、意外と遠く感じる。この公園の中を初めて通ってみた。森林公園という程木々はないものの、池などもあり、景色がよく、写真を撮る人や家族連れで賑わっていた。

 

Yさんは東門に住みながら、日本と台湾を行き来しているようだ。指定されたのは老舗の小籠包屋さん。ずいぶん昔に来たことがあるような店だった。東門、永康街といえば、日本人観光客が押し寄せる場所で、あまり寄り付かない。特に鼎泰豊の行列にはちょっとどうかと思っているが、ここはすんなりと入店できた。

 

よく見てみたが、日本人は我々二人しかいなかった。Yさんによれば、以前日本人は多く来ていたというのだが、もう飽きられてしまったのだろうか、それとももっと別の店に集中しているのだろうか。ここの小籠包は大き目で、元々の上海当たりの形に近く、それが台湾的な薄皮になっている。鶏ガラスープはあるのに、卵炒飯がメニューにないのは、小籠包が主食、という意味だろうか。

 

夜もまた歩いて出掛ける。帰国が決まってしまったSさんと会う。指定されたのは市民大道。私は昔の台北を結構知っているつもりが、その時、市民大道などという道はなかった。私が立っている復興南路辺りは、1990年代半ばに開通したらしい。上には首都高が通っており、渋滞はかなり解消されたのだろうか。

 

この付近には居酒屋が沢山あるので一度入って見たいというのがSさんの希望であり、私は入ったこともないので、フラフラ歩きながら店を物色してみる。確かにレトロ風からおしゃれ系まで、ここは日本かと思えるような様々な店が立ち並んでいた。お客も若者が多かった。

 

日本風の居酒屋に入っていくと、ほぼ満席で一番手前の席しか空いていない。ビールにホッケなどの魚やホタテを焼いてもらったが、思ったより料金は高く、これは日本で食べた方がよいと思う値段。ということは、日本を想定したサービスで台湾人向けに作られているということだ。台湾人にとって日本食はある程度高くても行く場所。当然ながら日本人は我々しかいない。やはり日本人は台湾では台湾料理を食べるのがコスパは良い、と理解した。

ある日の台北日記2019その2(1)白酒会に飛び入り参加して

《ある日の台北日記2019その2》  2019年3月27日-4月2日

今年2回目の台北臨時拠点。今回はちょっと眺めにフライトを取り、ここから色々と出掛けることにした。既に1週間後には香港、福建の旅が控えていた。果たして、お茶の歴史調査はどこまで進むのか、新展開はあるのか。

 

3月27日(水)
台北へ

今回は日系航空会社のマイレージを使って飛ぶことにした。サーチャージが非常に安いのが有り難い。原油価格って、そんなに変動しているのだろうか。最近そんなことにもまるで関心がなくなっている。羽田の昼便なので、家を出る時間に何となく余裕もあってよい。桜の散る道を通りながら駅へ向かう。

 

日系空港会社、正直食事などの機内サービスは少しずつ落ちてきているように思えてならない。これは他の人も偶に言っていること。私も台湾線では出来ればエバに乗りたい派だ。日系に乗って充実しているのは映画ぐらいだとの声も出ている。取り敢えず映画を見て過ごす。

 

松山空港は狭いので到着すると、実にスピーディに事が運び、すぐに外に出られるのは良い。そしてシムカードを買い、国内線へ移動した。前回はここで荷物をロッカーに預けて出掛けたが、今回はPCを使って、終わらせるべき作業をすることにしていたのだ。セブンで飲物を買って、電源がある席に着けば完璧。これで2-3時間は存分に作業可能だ。

 

ところが大家の葉さんから連絡があり、あと1時間ぐらいで一度家に帰るから、そこで鍵を渡すという。それはそれで有り難いので、30分ほど作業してからゆっくりと地下鉄に向かう。最寄り駅まですぐに到着し、荷物を引いて行き、無事に部屋に入れた。約2か月ぶりだが、既に何が置いてあるのかも思い出せないほど記憶力は低下しており、一度荷物を出して整理を開始する。忘れ物が沢山あることに気づき、愕然とする。

 

夜、腹が減るといつもの店へ向かう。そしていつもの定食と、大根スープで腹を満たす。これはお金の問題ではなく、台湾でなければできないことだ。いつも無愛想な店員たちは、今日も無愛想だったが、それはそれでよい。その変化の無さがよいと思えるのも、またよいのだ。

 

3月28日(木)
白酒会に飛び入りして

実は相当に疲れが溜まっていた。何しろ、島根の旅、そしてハバロフスクから四川の茶旅を経て、ほぼ休みなく移動してきた。アユルベーダ的にはやってはいけない移動であり、最近のダメージ回復力の無さは、相当に実感している。いわゆる疲れが取れない状態で、何もする気が起きないのだ。だがそろそろ提出しなければならないものもある。頑張ることを放棄した数年だったが、どうしたものだろうか。

 

とにかく疲れを取るためには寝るのが一番だと分かっていた。幸い涼しい台北では、何も考えずに熟睡できる環境があった。ただ一つの懸念は原稿の締め切りだったが、それも集中できないのであれば、まずは体調を整えることを優先する。熟睡の条件とはお茶をたくさん飲まないこと、利尿作用とカフェインを抑えることが必須だろう。夕方まで睡眠を繰り返して、目もすっきりしてきた。

 

いつものTさんに連絡したところ、ちょうど食事会があるから飛び入り参加したら、といわれ、気分転換も兼ねて出掛けることにした。場所が客家料理屋というのも、何となく気分が乗るお誘いだった。MRT古亭駅で降り、ちょっと横道に入ると、そこには古びた建物が建っていた。晉江茶堂というお店、以前一度来たことがあるような気がする。

 

店内もレトロな雰囲気でお客は超満員。私は台湾に長く住む日本人の皆さんと共に客家料理のコースを味わう。どれも安定の味で美味しい。ただこの会が白酒を飲む会だと知り、かなりの場違い感は拭えない。何しろ私は酒を飲まないのだから。皆さんは自ら持ち寄った酒を次々に開け、論評している。

 

ただお茶についても色々と参考になるお話が聞けて良かった。食事の最後に擂茶が出てきたのにはびっくりしたが、これも台湾客家の伝統文化との位置づけだから面白い。そして皆さんが『意外と美味しい』というので、なるほどとも感じる。大阪で擂茶の販売をしているMさんの顔が浮かぶ。

 

実は翌日になり、昨晩のメンバーの一人の名刺をしげしげと眺め、ちょっと思い当たることがあった。夕方まで考えて、その方にメールした。『30年前、XXとご関係がおありでしたか?』、すると答えはYesだった。ああ、Sさんは30年前、ある台湾の著名人に紹介してもらい、ご自宅でご飯をご馳走になったことがあったのだ。やはり台湾は狭い、そして私の記憶力はどんどん衰えている。因みに私より先輩のSさんも『全く覚えていない』というので、少し安心する。

ある日の台北日記2019その1(11)既成概念を取り払いたい

1月27日(日)
いつもの店で

今日はそろそろ米が食べたくなり、いつもの食堂に行く。そしていつもと同じものを頼もうとしたが、店に掛かっているメニューを見て驚く。これまでバラバラに単品を注文していたのだが、何と定食があるではないか。今回は定食を頼んでみる。だがなぜか別に野菜も頼んでしまい、定食と野菜がダブる。

 

今回分かったことは、兎に角台湾には定食の概念があるのだから、一人で食べるなら、定食があるかどうか、または出来るかどうかを確認すべきだということ。単品注文よりかなり安くなる上、量的にもちょうどよくなるはずだ。それが食べ過ぎ注意にも有効に働き、一石二鳥は間違えない。

 

台北生活にもかなり慣れてしまい、ルーティン化してしまっているという自覚がある。まだまだ知らないことだらけだから、もう少しチャレンジしてみる必要があると痛感する。今回はあと僅かで台北を去るし、旧正月が近いのであまり冒険は出来ないが、次に来訪時には今より大胆になろう。

 

1月28日(月)
サッカー

今日は明日のセミナーの準備をしていた。これまで台湾茶については、台湾紅茶、包種茶というように、各茶の歴史について調べたことをお話してきたが、明日は『台湾茶と日本の繋がり』がテーマだから、その一部を抜き出し、再構成する必要がある。しかも話の時間は僅か30分。一つのお茶について、90-120分話すことに慣れている者にとって、これは試練に違いない。コンテンツは豊富にあるが、何を伝えるかは意外と難しい。

 

そんなことをしていると、時間はどんどん経ってしまう。夜も更けてきた。気分転換にサッカーを見ることにする。UAEで行われているサッカーのアジアカップ。日本はここまで苦戦しながら何とか勝ち上がってきたという印象があったが、準決勝の相手は、アジア最強のイラン。ただずっとアジアサッカーをけん引してきたイランなのに、アジアカップ優勝は1976年を最後にない。しかも決勝にすら進んでいない。これは面白いデータだった。

 

まあ、難しい試合になるだろうと思って見ていたが、前半を互角に渡り合うと、何と後半、一瞬のスキを突いて半端ない大迫が先制する。そしてイランのリズムが崩れたところで、追加点を奪い、快勝してしまった。日本代表の試合で久々にスカッとするゲームだった。一瞬のスキ、これをモノにできるかどうかが勝敗の分かれ目だった。これはサッカー以外にも言えることだが、今の日本にはこのようなチャンスを生かせる雰囲気がないように思う。海外組はその辺が鍛えられているのだろうか。

 

1月29日(火)
セミナー

今日も引き続き、セミナー準備に追われる。短く伝えるべきものだけを伝えることは本当に難しい。しかも台湾に詳しい方々ばかりだとは思うが、茶に詳しい方はいないだろうから、余計に伝え方を考えなければならない。言い方を誤ると、妙な誤解を生み、炎上しかねない。

 

あっという間に日が暮れる。MRTで会場に向かう。会場はニニ八公園の向こう側だ。その場所から交差点を眺めて驚いた。ここは日本時代に辻利茶舗があったと言われている場所だろうか。勿論建物の前へ行ってもそのような表示はないのだが、今はスタバになっており、レトロな茶空間を演出しているように見えた。またこの周辺には、陸羽茶芸などもあり、老舗茶荘も目に入ってくる。突然日本時代に隆盛を極めた茶業が眼前に現れた感覚になる。

 

今晩は、お知り合いのTさんが最近発起した新しいロータリークラブでお話しした。もう年末も年末で、しかも正式会合でもないとのこと、一種の忘年会に呼んで頂いたようだ。会場も老舗上海料理屋さん。何となく懐かしい料理と新しい料理が並んでいる。会員もTさんのクラブとそれ以外の台北にある日本語ロータリークラブから、日本人と台湾人、20人近くが集まっていて、ちょっと緊張。

 

私はこれまで何度か言ってきたことがあった。『台湾紅茶の守護者として近年新井耕吉郎氏が顕彰されており、それは茶業界にとっては悪いことではないが、最後の紅茶支所長が顕彰されるのであれば、日本時代初期に苦労して茶業試験場を作った初代場長も顕彰すべきだろう』と。そしてこの2年間調べた、生家にも行った藤江勝太郎についても触れた。

 

三井の日東紅茶ももっとクローズアップされるべきだろう。1970年代の台湾煎茶の大量輸出、そして日本茶とのブレンドなどについても、静岡は沈黙したままだ。もう歴史なのだから、きちんと歴史を残した方がよい。ちょうど静岡の方もいたが、そんな歴史、誰も知らないのだ。それでよいのか。そんな話をした。中には関心を持って頂いた方もいたようで、今後色々と繋がっていくことに期待したい。

 

そして翌日、もう年末でこれ以上の活動は難しくなったので、松山空港から東京へ向かった。エバ航空で東京に向かい人も、何となくいつもより日本人観光客が多かった。機内安全ビデオが、とても斬新なダンスパフォーマンスになっていて驚いた。クリスハートの音楽でぐっすり寝入る。

ある日の台北日記2019その1(10)見るものから考えさせられる

1月25日(金)
国家電影中心で

疲れが溜まってきたが、腹もかなり溜まっているように思えた。食べ過ぎは体調を崩す。ということで、本日午前中は部屋で大人しくして、食べないことにした。だが、一度大きくなった胃袋を急に小さくすることは出来ない。腹は減ってしまうのだ。午後1時過ぎ、我慢できずに、近所に麺を食べに行く。

 

牛肉麺はちょっと重たいと思い、今日は牛肉湯肉糸麺を注文してみる。まあ、これは牛肉の代わりに豚肉の細切り?が入っていると思えばよいのだが、スープはしっかり味わえ、刀削麺も同じで料金は牛肉麺の3分の2で済むので、とてもお得だと分かる。貧乏な私は今後の通常食としてこれを活用しよう。

 

午後もゆっくりと資料整理などして過ごす。元々は出掛ける予定はなかったが、先日会った黄さんから、『黄さん製作のショートフィルム試写会』のお知らせをもらったので、気分転換に出掛けてみる。場所は導善寺駅の近く。駅を出て会場に向かうが、やはり?腹が減って来た。既に午後7時を過ぎており、これから試写会を見終わると9時は過ぎてしまうだろう。

 

目の前にあった、マクドナルドに足が向いてしまう。店内には注文できる機械がデーンと置かれている。私も試してみたかったが、決済などがよく分からなかったので、カウンターに進んでしまう。ハンバーガーセットを注文すると飲み物を聞かれる。咄嗟に温かい紅茶と口から出てくる。マックで紅茶なんて頼んだことない。出てきたのはデリマのティーバッグ。これは喜ぶべきことだろうか。まあ、台湾紅茶は出てこないだろうな。

 

今回の会場は国家電影中心。台湾映画を中心に沢山のDVDや資料が所蔵されており、会員になれば、借りてみることもできるらしい。映画好きなら、一度は行って見るのも面白い。その奥に立派なシアターがあり、既に多くの人が集まっていた。私は一番後ろに座って、事の成り行きを眺める。

 

黄さんが昨年まで、3回位中国新疆に行っていたのは聞いていた。鉄道オタクである彼は、新疆のSLを映像に残していた。そしてもうすぐ終焉を迎える鉄道とそこに生きる人々のストーリーを朴訥な感じに仕上げていた。正直こんな立派なものを作っているとは全く知らず、大いに驚く。

 

試写会に来ていたのは、一緒に新疆に行った彼の仲間が中心だ。鉄道好きが多く、色々な感想が聞かれたが、『最近は中国当局の監視が厳しく、新疆に行くことが出来ない』との不満の声が多く聞かれた。そのショートフィルムにはウイグル族はほとんど出てこないし、物語の主体は新中国後に、東北地方から移住した漢族だった。それでも『台湾人が今新疆に行けば、どんな疑いをかけられるか分からない』『取材先に迷惑はかけられない』など、ここでも中台関係が頭をもたげていた。

 

映像では夜走っている汽車が素晴らしくきれいに映し出されていたが、その汽笛はどこかすすり泣いているようにも聞こえた。私ももう数年、新疆には行けていない。ウイグル人との交流が難しいからだ。私や台湾人が気楽に新疆に行ける日はいつになったら来るのだろうか。

 

1月26日(土)
テニスと相撲

相変わらず涼しい日が続いている。週末は原則遠出しないので、今日もゆっくりと原稿を書いていた。ただうまく書けないことが多く、それがストレスとなり、また食欲が出てしまう。寒いからお茶を飲む量が増えることも一因かもしれない。何となく悪循環に陥っていると感じる。

 

昼を過ぎるとやはり腹が減る。とにかく米を食べるのは控えようと思い、今日は近所に鍋焼麺を食べに行く。ここの鍋焼麺は、蝦や魚介類を多く使い、出汁が取れていて美味しい。麺も揚げ麺を頼むと、とてもいい感じにスープを吸い込んでいる。接客も丁寧で好感が持てる。熱々のスープが体に沁みる。

 

夕方、テレビを点けると、大相撲中継があった。ここ台湾でもNHKを通して、相撲を見ている人が結構いる。先日の王さんなどは、昨年11月に初めて会った時に開口一番『稀勢の里、大丈夫かね?』と心配していたほどだった。台湾人にとっても相撲は日本を感じさせる特別なスポーツだろう。だが最近は不祥事が相次ぎ、横綱・大関の休場も相次いでいる。ある種の職場放棄ではないか、と思わせる時すらある。今場所も関脇が優勝を争い、アナウンサーは新しい勢力を待望しているが、こういう興行をずっと見ているのは正直辛い。

 

同時刻に全豪オープンの女子シングルス決勝も行われている。大阪なおみが順調に勝ち上がり、決勝でも勝って見事に優勝した。世界ランクも1位になるらしい。元々パワーのある選手だったが、急にこんなに正確なショットを打てるようになるのだろうか、と思うほどに成長しており、これなら現時点の世界ナンバーワンも頷ける内容だった。

 

久しぶりの日本出身横綱である稀勢の里の引退、そしてアメリカ育ちの日本人大阪なおみの世界ランク一位、世の中は急激に変化しているのだが、日本国内ではなぜか『日本人への拘り』『誰が日本人か論争』などが聞こえてきて、驚いてしまう。二重国籍も大いに結構だと思うのだが、なぜそんなに出自に拘るのだろうか。大関高安や小結御嶽海も母親はフィリピン人だと言うが、大相撲の世界もどんどん多様化してくるだろうに。

ある日の台北日記2019その1(9)豊原日帰り

1月23日(水)
呉三連紀念館

昨日王さんと話している中でも出てきたのだが、戦後台湾人たちが中国大陸から台湾へ引き上げる際には、大変な困難があった。天津の場合は、同郷会会長の呉三連という人物が相当の尽力をして、アメリカの船を引っ張ってきて、台湾人を乗せて帰った、という話が印象に残った。

 

この呉三連という人物、どこかで聞いたことがある名前だと思っていたら、台湾に戻った後、初代の台北市長に任じられた大物であった。そして亡くなった後も、呉三連基金会が彼の遺志を継ぎ、様々な歴史、文化支援を行っているという。彼と天津との繋がり、また当時のことなど、基金会に何かエピソードが残っているのではないかと思い、南京東路にあるオフィスに向かった。

 

ビルの11階に到着すると、そこは如何にも改修中だった。一応仮オフィスがあり、そこの人に聞くと、5月に再オープンするという。ここには元々図書館があり、多くの資料が保管されている。そして時々講演会なども開催され、歴史などについて学ぶ機会もあるという。黄さんから紹介されていた方を探し、話を聞く。

 

『実は呉三連の天津時代の資料はもともと少なく、更には資料の散逸もあり、現在では殆どわかっていない』というから、ちょっと驚いた。呉氏の自伝のようなものを見ても、あまり細かい内容は書かれていないようだ。やはり何か書きにくい、歴史に残しにくい内容があるのだろう。それはあの混乱の中でギリギリの交渉を行い、同胞を救ったからには人に言えない苦労はあったはずだ。

 

呉氏のインタビュー音源なども残されているというが、現在は改修工事の関係で、引っ張り出すことは難しい。『5月以降、再度連絡して欲しい』と言われる。この基金会、呉氏のことは勿論、それ以外の様々な資料が眠っている可能性がある。お茶に直接関係なくても、台湾の現代史は頭に入れておく必要があるので、再オープン後にゆっくり訪ねてみることにした。

 

部屋に帰るとテニスの全豪オープンが見られた。準々決勝で錦織圭とジョコビッチが試合をしていたが、錦織は序盤から明らかにスタミナ切れとなっており、2セット目に棄権してしまった。これまでフルセットの戦いが多かったこともあるとは思うが、やはり29歳、もう若くはない。大阪なおみは順調に勝ち進んでいる。

 

1月24日(木)
豊原日帰り

ホーチミンの張さんが旧正月で一時帰国したと連絡があった。昨年10月に会ったばかりだが、ちょっと会いたくなり、彼の故郷、豊原へ向かう。朝10時の自強号に乗ると、12時には豊原に着く。駅には張さんとお父さんが迎えに来てくれ、車で流行りの食堂に連れて行ってくれた。

 

そこは平日の昼間から、満員盛況で、週末は席がないという店だった。我々の席もすぐに相席となる。確かに蒸した鶏肉などが美味しい。今日は天気がよいが、鍋なども出ている。さすがに正月が近いからか、数人のグループで来て、わいわい食べている。地方都市にはこんな店が必ずある。

 

その後、街中に戻り、張さんも帰ると必ず行くという、泉芳茶荘へ向かう。私も何度も来ているが、ジョニーに連絡せずに、店を訪れたのは今回が初めてだ。お母さんも突然現れたので、驚いていたようだ。子供二人も正月休みで店に居り、思い切り走り回って遊んでいた。既に正月モード。更にはくるお客さんも皆常連さんで、年賀の挨拶の品を持ってやってくる。台湾の師走の光景なのだろうか。

 

そんな中、様々なお茶を飲みながら、話をする。私一人だとそこまでお茶に拘らないが、張さんはこだわるので、お母さんも色々なお茶を繰り出してくる。台湾各地の茶は勿論、中国茶、果てはハワイで作られたお茶まで出てきてビックリする。ここには本当に様々な茶が集まってくる。それが茶商の力なのかもしれない。

 

夕方、廟東市場へ出向く。ここの食べ物はなぜか他より美味しい。それは多くの人が認めているところであり、地元の張さんも当然のようにそこへ行く。肉圓と四神湯を注文する。うーん、やっぱりうまい。だがすぐに腹が一杯になってしまう。もう少し食べるかと言われたが、もう食べられない。

 

取り敢えず駅の方に向かって歩き出す。張さんが急に立ち止まり、一軒の店に入っていく。そこは張さん行きつけのパン屋だった。何だか珍しいものがあり、張さんは何個もまとめて買いこんでいる。ミルクパンとか、タケノコ・塩玉子パンとか、恐らくは張さんが豊原に帰ったら食べたい物なのだろう。勧められるまま、私も買って帰る。

 

予約した自強号までまだ時間があったので、駅のベンチに座り、茶の歴史について、色々と話し合う。何だか高校生みたいだが、こういう時の話の中に、色々と気づかせてくれる内容が含まれていて、貴重だ。1時間近くはあっという間に過ぎてしまい、タイムアップ。自強号に乗り、2時間かけて台北に帰る。