静岡茶旅2024(4)百里園を探す

更に牧之原市の方へ向かう。平田寺という由緒正しそうなお寺に入る。ここになぜかヘリア商会が建てた英文の記念碑が残っているという。分かり難い場所だったが、茶場関連の碑の横に、英文の碑を何とか見つけた。謂れなど聞きたかったが、人がいないと思っていると突然頭の上からゴーンという鐘の音が響いてきた。帰れという合図と受け取り、日が暮れる中を退散した。帰りにとんかつをバクバク食べて宿まで送ってもらう。体力的にはかなり消耗した。

2月19日(月)百里園を探す

翌日は雨模様。朝掛川駅へ行き、天浜線に乗って森町を目指した。この線に乗るのは何年ぶりだろうか。相変わらず現金で切符を買い、一両列車に乗り込む。ゆらゆらと30分で遠州森に着く。ここでYさんにピックアップしてもらい、森町とはお別れして、浜松方面へ進む。

本日の目的地は、三方ヶ原の百里園。ここは以前から静岡の長老に『調べてみれば』と言われていた場所であり、車が無いとちょっと行きにくいのでYさんのサポートで訪問が実現した。牧之原同様、士族授産事業である百里園については、既に図書館でかなり資料を集めていたので、今日はその雰囲気を味わえればよい。

まずは三方ヶ原神社へ行ってみる。ここには開拓の碑が建っていた。それによれば横田保が百里園で茶業などを経営していたが、1903年に茶工場は閉鎖された。荒廃が心配されたが、地元有志が茶園の土地を購入したらしい。神社をよく探すと、当初開拓に従事した気賀林の顕彰碑も建っている。彼が初期の民間側代表者であり、その後横田に引き継がれた。

近所を歩くと、武家屋敷跡などの表示はあるが、住宅地で茶畑などは全くない。姫街道とも呼ばれた気賀林の屋敷のあった場所には小さな記念碑が建っているだけだった。この辺でなぜか雨がすごく強くなり、歩くのにも難渋した。一度神社に戻り、車に乗って百里園茶工場跡を探す。

その場所は今や葬儀屋さんになっていたが、説明板は設置されていた。そして道の反対側にはかなり大きな横田保顕彰碑が建っている。横田はウーロン茶や紅茶の製造も手掛け、百里園をかなり発展させたようだが、彼の死と共に茶工場は閉鎖されたらしい。明治時代、この辺は茶業で大いに栄えたことが分かる。

近くのお茶屋さんを訪ねてみた。横には茶畑があり、向こうには茶工場も見える。三方原茶という名称で中蒸し茶が売られていたが、その歴史について知ることは出来なかった。茶業組合の事務所へ行っても分かる人はおらず、百里園ははるか遠い存在だと分かる。折角なので三方ヶ原古戦場跡へ行ってみたが、そこは広大な市営墓地の端にあり、あの家康、最大の敗戦などと呼ばれている戦いが、ちょっと歴史の中で小さくなった。

ランチはさわやかでハンバーグを食べたいと行ってみたが、相変わらずの混雑。順番待ちの間に近所の神社などを訪ねてみる。この辺には明治5年に学校が作られたと書かれているから、相当早い時期であり、余程教育に熱心、資金的な余裕があったのだろうか、と思ってしまう。ハンバーグは相変わらずの美味しさ。

帰りはまた遠州森まで送ってもらい、30分ほど電車を待つ間、古めかしい駅舎をじっくりと眺める。掛川からは静岡まで行き、ちょうどバスが来たので新宿までそれに乗って戻る。相変わらず天気が悪く、今回は行きも帰りも富士山を拝めずに終わる。

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