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福島の旅2025(5)西那須野でお屋敷を回る

何が食べたいか聞かれたので「地元の人が普通に食べている物」とリクエストしていたところ、何と彼の行きつけのスナックのママが、サンマ塩焼きなどのご飯を作ってくれていた。これはこれでかなりの驚きであり、しかも二人とも酒も飲まずにずっと昔話をして話し込んでいる。その内お客さんが来てカラオケを歌い出すと、Mは政治の話などを始めて、我々は益々世俗と離れていく。結局5時間近くも話して車で送ってもらい、宿に戻ったのは10時頃だった。

9月6日(土)西那須野でお屋敷を回る

朝はさわやかに目覚める。やはり古い知り合いと話していると、話題はどうあれ、なんだか楽しい。朝飯は宿に付いていたので食べてみる。この宿1泊4000円ぐらいなので期待していなかったが、ちゃんとしたご飯が出てきてビックリ。カレーまで食べてしまい、満腹となる。

爽やかな朝、迎えが来るまで時間があったので、駅の向こう側にある大山公園付近を散策する。4年前に来た時は、大山巌、捨松について調べていて行ってみたが、今回はただの散歩。この付近には乃木希典も滞在しており、那須の御用邸もあって、実はここは明治の有名人の別荘などが多くある。

Mにお願いして、その明治の有名人たちの足跡を追うことにした。彼はずっとここに住んでいるが、それほど詳しくはないという。まずは那須野が原博物館へ向かう。ここには那須疎水の跡が見られ、先日の安積疎水との関連に思いを馳せる。因みに日本三大疎水はこの2つと琵琶湖らしい。館内には那須の歴史が展示されており、小学生の時に習う矢板武などの懐かしい名が出てくる(因みに私が栃木に転校したのは小学校高学年なので栃木の歴史は学んだことがない)。

次に千本松牧場へ行く。天気の良い週末、家族連れなどで賑わっていたが、私の目当ては松方別邸。松方正義の別荘が残っているとのことだったが、何と松方邸はこの牧場からは見えず?現在は見学不可になっているとのことで、残念ながら通り過ぎてしまう。日露戦争時に皇太子(後の大正天皇)が滞在中に、遼陽会戦に勝利して万歳したことから、萬歳閣とも呼ばれているという。

そして明治の森記念館へ。ここは明治の外交官、青木周蔵の別荘が残っていた。きちんとした見学ができ、かなり詳細な展示物があり、勉強になる。青木はドイツ一辺倒の外交官、と書かれているのが面白い。娘もドイツ人と結婚、子孫には外交官になって活躍した人もいるが、あまり世に知られる存在ではないだろう。

昼前に板室へ行く。ここは湯治場として知られる場所で、温泉宿が何軒か見られたが、今やかなり寂しい。勿論夏の暑い中、わざわざ湯治に来る人などいないだろうから、今はオフシーズンだとは思うのだが、それにしても人が歩いていない。それでも人気のそば屋があり、そこだけ車が停まっていた。我々もそこへ駆け込み、炊き込みご飯とそばを頂く。旨い。

午後は矢板の方へ向かい、田んぼと山に囲まれた田舎にある、山形有朋記念館へ行く。こんなところに人が来るのかという場所だが、雰囲気のいい洋館が見える。内部もかなり古いが、いい展示も沢山ある。この建物は小田原の別荘をここに移築したらしい。ただ内部の写真撮影禁止なのは残念だ。更に入場料が700円は高いと思っていると、管理人さんがコーヒーをご馳走してくれ、「市の補助などが無いので」と説明してくれる。まあ色々あって運営は大変だろう。

そこから40分ほどでJR宇都宮駅まで送ってもらった。今回Mには大変お世話になってしまった。何とも有難い。ここから湘南新宿ラインで2時間ちょっと行くと新宿まで行ける。新幹線に乗るには大宮か東京駅まで行かなければならないので、コスパを考えてもこの路線が一番合理的だ。またいつかこんなフラフラ旅をしよう。

福島の旅2025(4)福島から西那須野へ

仕方なく次の電車で福島まで戻る。駅に立ち食いそば屋があったので入ってみたが、何だかちょっと?外では手ごろな弁当などを売っていたが、中で天丼セットを注文した。量が多く、料金もそれなりだが、少し味気なかった。立ち食いとは書いてあったが、一種のファーストフードのような店だった。

午後は疲れてしまい、休息を取ることにした。最近は数日ずっと歩き続ける体力が無くなっていたので、仕方がない。夜は検索してやはり東口にある定食屋を訪れたが、お目当てのホルモン定食はなく、残念。まあ代わりに食べたロース味噌定食がまあまあでよかったが、ワンオペ店でせわしない。味噌汁が福島で初めてしょっぱいと感じられた。

9月5日(金)西那須野へ

台風接近の予報が出ていたが、上陸したのは四国か関西方面でこんな遠くにまでさすがに影響はなかった。最近のテレビの天気予報は騒ぎ過ぎではないか。それでも朝方は少し雨が降っており、道路が濡れている。福島では朝ラーメンを食べると検索で出たので行ってみることにしたが、雨が止むのを待っていたら、昼前になってしまった。駅東口近くのラーメン屋へ行くと午前11時でかなりお客さんがいた。ラーメン炒飯セットを注文する。ラーメンには大きな肉が入っており、スープは優しい。炒飯は町中華の味で美味しかった。

ランチ終了後時間が余ったので、バスに乗って古関裕而記念館に行く。ところがバス停でどのバスに乗ってよいか全く分からず、地元の親切な人の手助けで何とか乗れた。バスは岩谷観音の方へ向かうというので、まずはそちらへ行ってみた。だがかなり急な階段を上らねばならず、しかも階段は雨で濡れており、最近膝が痛い私には断念するしかなかった。

古関裕而記念館へ向かおうとスマホで位置を検索したが、何とスマホが動かない。いや地図アプリが開けない。こんなところでスマホが使えなくなると非常に困る。まごまごしている内に、何とか記念館にやってきたが、バス停の場所も気になってしまい、とにかくバスで福島駅へ戻る選択をして、見学を諦めた。バスはかなりの本数があり、思ったより早く駅に戻れたので見学すればよかったと後悔。しかも駅に来るとスマホは完全に回復しており、何だったのかと理解に苦しむ。

午後は福島から先日来た路線を戻り、西那須野に向かった。2日前は郡山で下車してから福島へ向かったが、今日の電車は新白河行きで郡山で乗り換える必要はなかった。が、実際は郡山で結構な時間停まっているだけで、乗り換えても変わらなかった。本当は新白河で降りて、白河城でも見ようかと思っていたが、コインロッカーもないようだったので、そのまま黒磯行きに乗り換える。

西那須野駅に来るのは4年ぶりだが、何となく変わっていた。2階の改札に人影はなく、切符を持っていてもそのまま出られてしまった。歩道橋を越えるとそこに予約したホテルがあり、とても便利だった。ただこのホテル、かなり年季が入っており、テレビを点けても点かない。それでもフロントに伝えるとちゃんと直してくれて親切。何だか田舎の有り難たみを感じる。

午後5時半には45年来の旧友Mが迎えに来てくれた。彼とも4年ぶりに会う。前回は彼が当時勤めていた病院の脇のホテルに泊まったが、今回は駅近くで彼の家も近いので良いと思ったのに、「俺も酒は飲まない」と言って車を運転する。結局病院からほど近い住宅街に車は入っていく。

福島の旅2025(3)飯坂温泉へ

県庁横に川が流れており、ここが大仏城の城跡だった。河野広中の像が立っていた。県庁の敷地は再開発エリアと聞いたので、いつまでこのままかは分からないが、ちょっといい雰囲気で、和む。更に川沿いに南に行くと、御倉邸という昭和初期の和風建築の屋敷があった。旧日本銀行福島支店長役宅として、20年前までは使われていたらしい。この日はオタク系のイベントとして半分使われていたのが何とも面白い。

何となく駅前まで戻ると、そこには芭蕉と曽良の像が立っている。奥の細道、当然ここも通っているだろうが、あまり記憶がない。更に行くと、古関裕二関連の展示がある。朝ドラ「エール」で盛り上がったのだろうか。東口から西口へ抜けるのは地下道を通ることも分かり、何とかホテルの方へ舞い戻った。

9月4日(木)福島で

朝はゆっくり目覚めたが腹が減る。朝飯が食べられるところを検索したら、やはり東口だったので、地下道を通っていく。10分以上歩く。途中の居酒屋に大波三兄弟と書かれた星取表がかかっていた。確かにここは若隆景や若元春の地元だった。ちょっとした飲み屋街らしいところへ出ると、何とその中にスナックがあり、そこで朝ご飯が出てきた。ママがご飯とみそ汁をよそい、ハムエッグを焼いてくれた。台風の進路が気になり、二人で天気予報に見入る、不思議な朝だった。夜勤のお医者さんが来てご飯を食べてちょっと一杯飲むらしい。

それから一度宿まで戻り、10時過ぎにチェックアウト。今日は飯坂温泉へ行ってみることにして、福島交通飯坂線に乗るために再び駅へ。この路線も古そうで、2両列車がホームに待っていた。チケットはSuicaで買えたが、買い方はちょっと分かり難かった。意外と乗客がいたので驚いたが、30分ほど乗って飯坂温泉に着いた時には、もうそれほど残っていなかった。

駅を出ると、古びたいい感じの街があった。横には川が流れている。少し上り坂を行くと「芭蕉と曽良 入浴の地」と書かれた碑があり、足湯が供えられていた。ただ平日の昼間であり、殆ど人は歩いていない。その先には有名な鯖湖湯という名の銭湯があった。そこには「飯坂温泉発祥之地」とあり、芭蕉がこの湯に浸かったともある。いい感じの木造建築は平成になって再現されたものらしい。湯に入りたかったが、出てきた人が団扇を仰ぎながら、暑い、暑いと言っていたので止めてしまった。

更に歩くと、旧堀切邸がある。敷地はかなり広い。江戸時代は庄屋格、そして金融業や酒作りなどの商売でも成功して財を成し、明治以降も街のために尽力した家と説明されている。この家が町の中心という感じだろう。そこから神社などを見て駅の方へ戻ると公園があり、そこには城跡古舘と書かれている。飯坂氏の城だったとあるが、何とちょうどいま再放送している大河ドラマ「独眼龍政宗」で猫御前と呼ばれた政宗の愛妾(役:秋吉久美子)の出身家、彼女は飯坂局と呼ばれていたことを思い出す。何だか急に大河ドラマが身近になってくる。更に駅の方まで下って行くと、「伊達」や「茂庭」などの地名が書かれており、伊達家がここにあるように思われた。

さすがにちょっと歩いて疲れたので、帰る電車に乗る。昼間は乗客も少なく、何ともローカル感が漲る。折角なので福島駅の前で下車し、県立図書館へ行ってみることにした。美術館図書館前という分かりやすい駅で降りて、指示通りに進む。美術館の方ではジブリ展をやっており、平日でもそこそこお客さんが来ているが、図書館の方は全く人を見かけない。入口に行ってビックリ、何と休館日だった。

福島の旅2025(2)郡山から福島へ

その近くに図書館があったが、なんと今月一カ月は情報システム交換などで休館と出ている。その先の歴史情報博物館は開いていてよかった。ここの展示を見て、郡山は奥州街道の宿場町として栄え、東北における地理的重要性などを学ぶ。勿論ここでも安積開拓は重要な歴史だった。

この近くには立派な建物、郡山公会堂が建っている。更に歩くと21世紀記念公園があり、その中に日東紡の記念碑があった。安積疎水を利用して作られた郡山絹糸紡績を引継いだ会社らしい。今はかなり穏やかな街に見えるが戦前はどうだっただろうか。そんなことを考えながら、時々見られる古い建屋に思いを馳せる。

宿に帰り、夕飯を考えた。地元食堂を探すと、三松という名前が駅前にあると出たので行ってみた。夕方五時過ぎだったが、既にお客で満員盛況。おじさんたちが飲み始める中、若い女性が一人で定食を食べているなど、地元色が強い食堂で、何しろメニューが多い。私は三松定食を注文。久しぶりにエビフライやハンバーグなどを食べて満足する。

9月3日(水)福島へ

翌朝起きると雨が降った跡があり、かなり涼しくなっていてよかった。朝ご飯は駅の立ち食いそばにしようと出掛ける。エキナカの店だが、改札内外どちらでも食べられるのが良い。私は朝から肉そばを注文して精を付ける。何だか働いている女性たちが優しくてまた良い。

腹ごなしに駅を通り越して反対側へ出てみたが、ホテルなどはちょっとあるだけで、特に何もなかった。また元へ戻り、駅付近のバス停からバスに乗ったが、同じような路線が多くて混乱の挙句、違う方面へ行くバスに乗ってしまう。仕方ないので、適当なところで降りて、後は歩くことにした。

約1.5m行くと、福島県尋常中学校(現安積歴史博物館)まで来た。だが昨日の案内所の人が言った通り、完全な改修工事中で中を見ることは出来ず、外の一部の写真を撮って退去する。そこからまた2㎞ほど歩くと郡山開成館という建物があるはずだったが、ここは完全改修中で、その姿を見ることすらできなかった。

近所の稲荷神社にちょっと寄って、広々した公園を散策してからまたバスで駅まで戻り、昼ごはんはネット検索した食堂を訪ねた。何だかかなり混んでおり、老夫婦2人でてんてこ舞いしていた。若者も多く来ており、ほぼカツカレーを頼んでいたが、そのご飯の量が半端なく、全員がかなりのご飯を残していた。中にはカツすら残している人もいて、これはインスタ狙いだと分かる。

ご主人に「半かつ丼」はないかと聞くとあるというので、注文したが、やはり出てきたかつ丼はカツが完全にどんぶりからはみ出しており、どこが半分だ、という量だった。米の値が高いこのご時世にこんな無駄なコメの使い方はあるか、と思いながら。ご飯を半分残してしまった。田舎は全体的に量が多いのだが、ここは少しやり過ぎで、定食のご飯もどんぶりにかなりの量が入ってくる。さすがに苦しい。

郡山駅からJRの在来線に乗り、福島駅まで行く。僅か40分ほどの旅ですぐに着いてしまった。この区間はスイカも使える。駅の西側のホテルを予約したが、観光案内所でもらった地図を見ると、東側に城跡があったようだった。だが、東側へ行くにはどうするのか、よく分からない。エキナカを通ることは出来るのか。地図アプリで出てきたのは駅の南側を迂回するルートで結局それが早かった。

福島の旅2025(1)郡山で安積疎水

《福島の旅2025》  2025年9月2₋6日

暑い、暑い東京に1か月以上も居座っていた。だが連日の35度越え、もう限界だった。どこでもいいから数日旅をしようと思った。ふと思いついたのが福島。東日本大震災発生からもうすぐ15年、通過することはあっても、滞在したのは会津若松ぐらいだった。まあ今回の主目的は移動することだから、目的地のアテは特にない。

9月2日(火)郡山へ

朝起きて何となく家を出て電車に乗る。新宿駅で湘南新宿ラインに乗ろうとしたが、電車が遅れているらしく、動いていない。ちょうど隣の埼京線が発車するので飛び乗る。本来は宇都宮まで直通の予定だったが、大宮止まりなのでどうするか。ネット検索すると赤羽で乗り換えないと(大宮でなく)宇都宮行き列車に遅れてしまうので、赤羽で急いで降りた。

赤羽でやってきた列車は小金井行だった。小金井が宇都宮の先だとなぜか思い込んでそれに乗ったが、小金井は小山の次の駅だったので、小山駅で再度乗り換えて宇都宮まで辿り着く。栃木で育ったのに、小金井の場所も忘れてしまっていたなんて、ちょっとショックだった。

ちょうど昼になっていた。昼過ぎになると黒磯以降方面行き列車が極端に少なくなるので、きちんと時間を管理して乗らないといけない。40分後に黒磯行きがあったので、宇都宮駅でランチを食べることにした。駅のホームに立ち食いそばがあったのを思い出したが、何と昨年閉店したとの張り紙があった。地方の立ち食いは危機的状況にある。

駅構内には食事できる場所はほぼないので、一度改札を出て、駅ビル内で餃子を食べた。焼き餃子一皿とご飯とみそ汁、漬物。まさに典型的な日本食だった。宇都宮はギョウザの街と言われるが、あまりにも店が多過ぎてどれが美味しいのかよく分からなくなっている。周囲の客はなぜか佐野ラーメンを食べている。佐野の近くで育ったが、一度も食べたことはない。そういえば佐野も足利も観光に行ったことすらほぼない。

黒磯より先Suicaは使えないので、まずは切符を買う必要がある。何とも面倒だが時間に余裕があるので苦にならない。宇都宮から宇都宮線で黒磯まで50分、そこからホームが変わるのでエレベーターに乗って移動。この辺までは意外と乗客が多い。25分乗ると新白河駅に着き、新幹線に乗らない人は、そのままホーム前方へ行くと電車が停まっており、それに乗り換える仕組み。最後はまた40分ほど揺られて郡山駅に着いた。

郡山駅は5年前、会津へ行く時乗り換えた。その際新幹線から在来線の乗り換えが上手くできずに、悩んだ思い出があるが、今回は切符を買ってあるからすんなりと出られた。まずは観光案内所へ向かい、周辺の地図を入手する。郡山で見るべきところを全く知らずに来ていたので、係の女性に「歴史的な場所」と問うとちょっと離れた2つの建物を教えてくれたが、どちらも改修中らしい。

まず駅付近に予約した宿に荷物を置いて、すぐに外へ出た。暑い東京と比べれば、風が優しく吹いていて、かなり暑さは和らいでいる。これなら歩けるな、と調子に乗り、歴史情報博物館を目指した。少し上りになり、その付近まで来ると雰囲気の良い公園があった。池があり、木々が茂って、きれいな日本庭園のようだ。何だか文化的な街だなと思って公園を歩いていると、そこに安積疎水関連の表示が見えた。

安積疎水といえば、明治の初めに大久保利通などが関わった一大事業だと思い出す。それは郡山だったのか。猪苗代湖から水を引くこの一大開拓は1882年に完成し、その時この公園でお祭り騒ぎをしたらしい。麗山の飛瀑という名称で、一部再現されているが、今はポンプの故障で滝は見られない。

北京半日散歩2024(3)老地方の変化

既に朝ご飯を2回食べ、煎餅も食べており、昼ごはんは想像できない。どこへ行こうかと話していると、「白塔寺へ行こう」となり、車を呼んで向かう。何とも懐かしい場所だが、何かあるのだろうか。その入り口まで来ると、入場料が必要だという。というか、まずは微信で登録を行い、それから微信支付で料金を払うのだが、私には複雑すぎて出来ず、Kさんに任せたが、最後の決済がどうしてもできない。係員も困っていた。後から来た女性は「現金でもいい?」と聞いていたが、どうなんだろうか。

何とか中へ入れて貰い、見学する。15年位前、北京歴史散歩で来て以来だとは思うが、この白い塔には覚えがある。元代にネパールから来た建築家が建てたらしい。お天気が良いので観光客は多いが、外国人はほぼ見ない。お寺の横には白塔寺薬店があり、老舗薬局として漢方薬などを売っている。ここは薬師如来のお寺なのか。薬にご利益はあるのだろうか。

その薬店の建物の屋上がカフェになっており、白塔を見ながらコーヒーを飲むというコンセプトになっていた。所謂インスタ映えを狙っており、それに合わせて白塔を模したケーキなどが売られている。白塔の周囲には、屋上をカフェにして客を集めているところが何軒もあり、北京の新しいスポットになっているという。まあ日差しが出ていて風が無ければ、ここで休息するのも良いか。因みにカフェの物価は東京より北京の方が高いかな、というイメージだ。

恐ろしいことに、そんなことをしているとまた腹が減る。沢山は食べられないので麺でも食べようとなり、また車を呼んで懐かしいジャージャー麺の老舗に行く。午後1時過ぎでもお客は多かったが、辛うじて席を確保して、久しぶりのジャージャー麺と腰花を食べる。チェンマイでは食べられない、この濃い味が何とも嬉しい。

さすがに空港に戻る時間となり、また車を呼ぶ。北京も便利になったものだ。かなり西側から北京空港まで、車で1時間もかからない。懐かしい北京の街の一部を眺めながらウトウトしていると、途中でKさんが降りていき、空港まで戻って来た。既に東京行きのチケットは持っているので、出国審査に直接進んでいく。以前と比べて空港内の人が少なく感じられるのは、偶々だろうか。それとも経済低迷で出国者が減っているからだろうか。

出国審査もあまり待たずに終了する。空港内は何となく寒々としている。ここで初めて昨年香港で買った、LINEやFB使用可能なシムカードをスマホに入れてみたが、何故か起動しなかった。まあ半日滞在なので問題はなし。ここはゆっくり休んで、後は東京に戻って作業しよう。機内はかなりの乗客が乗っていたが、夜の到着便だから、観光客というより日本在住者、そして少しだが日本人が乗っている。

ビザ免除復活で入りやすくなった中国だが、はたしてこれからどれだけの日本人が訪れるのだろうか。色々と懸案の多い日中関係、まずは相手の国に行き、その実情を見た上で判断したいところだが、中国に入国するのはビジネスマンばかりか。決してマスコミが流す中国情報に惑わされないのが良いと思うのだが、日本人の中国固定イメージは意外と強固だ。そんなことを考えていると、フッと羽田空港に降り立ち、今回の旅は終了した。

北京半日散歩2024(2)北京で朝飯をはしごする

12月8日(日)北京散歩

北京の朝の気温は零下5度となっており、前回(零下8度)より寒さを感じない。車窓から見える北京は薄暗くて寒々としているが、空気はキレイですっきり感がある。待ち合わせは前門近くの胡同にある食堂。車は渋滞のない道をスイスイと走っていき、どこまで行くのか分からない。因みに服装は前回チェンマイのユニクロで買ったウルトラライトダウンとトレーナーという格好だが、何とかなりそうだ。

何だかとても久しぶりに湯気が立ち上る胡同へやってきた。夜明け直前の胡同にしばし見とれる。「尹三豆汁」と書かれた店で待ち合わせ。朝から観光客が豆汁を食べ、地元民はテイクアウトしている。しかし驚いたのが、その地元のおじちゃん、おばちゃんが、手に人民元を握りしめていたことだった。何でもQR決済の中国で現金とは。これもまた機内ビデオの案内通りか。若者は当然QRだけど、この寒いのに現金を握って嬉しそうに注文する人が奇異に映る。

豆汁と焦圏、更に面茶まで注文してしまう。これぞ北京の朝ごはんだろうか。だが私は北京に住んでいた頃、こんな朝飯を食べた記憶はほぼない。豆汁の酸っぱさやB級感はちょっと相容れなさを感じてしまっていた。だが今日食べてみると、酸味もそれほど感じない。寒いからかスルスルと入ってしまう。店内は温かいし、気分も良い。

さあ、どうしようかと思っていると同行してくれたKさんとIさんは「朝ご飯のはしごです」ときっぱり。そしてすぐ近くの野菜市場に入る。昔に比べると実にきれいになっている。何となく野菜もきれい。ただそこで売っている人たちはそれほど変わっていないように見えた。お客と談笑しながら、野菜を勧めている。Iさんがツッコんでも軽く受け流していく。

端の方に煎餅屋があり、並んで買う。前の人も現金で支払っている。店側もちゃんとお釣りを渡している。明かに北京の支払い事情は変化している。よく見ると野菜売りもQRコードを置いているが、現金を使っている老人も多い。まあ勿論若者はQR決済だが、老人は現金が使いたかったのだろうか。久しぶりの煎餅を立ち食い、美味かった。

朝ご飯のはしごに出掛ける。すぐ近くの店だったが、何とかなりの行列で断念(なんせ零下の世界で並ぶのはキツイ)。その横の店に入り、豆漿と油条を頼んで食べる。この店、昼以降は別の店として使われており、朝だけの営業のようだ。賃料が高い北京ではこういう店も多いのだろう。

腹がくちてしまったので散歩する。チェンマイで買った帽子はさすが薄くて、頭がスースーしたが、Iさんから温かいものを貰い被ると幸せな気分。風もなくそれほど寒さは感じない。少し行くと、ちょっと面白そうな場所に着いた。何だか芸術村の一角、という感じで、壁に絵などが描かれている。美術館と書かれた建物の中に入ると、子供たちが何やら見学している。現代アートの展示室という感じか。アニメ好きの子供たちが歓声を上げている。

我々は横のカフェでまったり。やはり寒さの中を歩いていると、温かい場所は有難い。カフェのメニューに「KYOTO LATTE」という飲み物があった。何で京都、と思っていたら、Iさんが「京都と関連があるらしい」という。まあ抹茶でも入っているのだろうが、中国の若者にも京都の認知度は高いのだろう。Iさんは用事がるというのでここでお別れし、Kさんと話を続けた。

北京半日散歩2024(1)チェンマイからビザ免除の北京へ

《北京半日旅2024》  2024年12月8日

長かったチェンマイ暮らしに終止符を打ち、冬の東京へ帰ることになった。だが昨年同様チェンマイから安いフライトで帰ろうとすると、荷物代込みでは、どうしてもエアチャイナという選択になる。そして北京経由なので、北京に寄りたい気持ちになる。実は昨年は3泊した。そして1月の折り返しでも3泊した。

もういいんじゃないか、と上海や広州経由を検討したが、やはり北京経由が一番良いのだ。一応今回は僅か半日程度の滞在に留めた。何といっても北京は零下の気温であり、前回は3泊して東京に帰り、大風邪で数日倒れてしまったので、反省していた。しかし何より、1週間前より日本人はノービザ30日になっており、ビザの面倒がないのは何とも有難い。

12月7日(土)チェンマイから北京へ

チェンマイ空港は小さい。出国審査は簡単だが、それから先はすることが無く、北京対応の服に着替えて、ひたすら搭乗を待つばかりだ。今回はわずか半日なのでSIMカードすら買わない。ほぼ定刻に搭乗が始まったが、やはり乗客は多くはない。中に日本人夫妻が東京に行くために乗り込んでいたが、大半は中国人だった。

前回はあっと言う間に寝落ちたが、今回は眠りが浅かった。食事は勿論断った。周囲も静かだったが、なぜだろうか。やはり今晩のスマホ騒動が尾を引いているのだろうか。着陸1時間前には電気がついて明るくなる。時差が1時間ある。ほとんど眠れなかったようだ。ビデオで入国案内が始まったが、何とその中に「中国では多様な支払い手段が使えます」というのを見て思わず目を疑った。現金でもクレジットカードでもOKだというのだが、実態とかけ離れていないだろうか。

ほぼ予定通り、午前4時には北京に着いた。寒々とした空港内を歩いて行くと入国審査がある。前回まではその前に臨時入境ビザを得る必要があり、それが面倒だったが、今回はそのまま入国審査ゲートへ行けるのでかなり楽だった。しかも乗客は多くなく、すぐに入国できてしまう。

荷物はバッゲージスルーなので、ピックアップ不要。あまりにスムーズなので、まだ街中へ行く電車も動いていない。休む場所もないので、その辺をフラフラするしかない。荷物受取場を通り抜けるとそこに両替所があった。サラっと通り過ぎたが、よく考えてみれば以前はあっただろうか。出口階には両替所はない、と1年前に確認していたのだが、これは現金流通の兆しだろうか。

午前5時でも開いているカフェはあった。そこには充電設備がある。今の中国で最も重要なのは充電ではないか。何しろスマホがあっても充電が無ければ、何もできない。街中行きの電車の始発は何と6時半頃だと分かる。これだとさすがに約束の時間に間に合わない。仕方なく、空港内の配車待合場へ行ってみた。途中に日本製(いや中国製)のフィギャーを売るガチャを見付ける。

以前は配車を呼んでも、広い北京空港では見付けられない、と聞いていたが、今やかなりシステマチックになっている。そして当然ながら充電器も沢山あるので充電を始めた。それから車を呼んでみたら、すぐにやってきた。基本的に中国シムがあれば、スムーズに事が運んでいくのは有難い。

メーソット・ターク2024(3)ターク散歩

タークは100年以上前に交通の要所として栄えた街だと聞いていた。すぐ近くに博物館があるというので出向いてみたが、休みだった。その先あたりから、かなり古い家屋が点在している。中には屋号が漢字で書かれている物もあり、また「バーンチン」という住居表示が見え、この付近は潮州人の居住地だったと想像された。

チェンマイを流れるピン川は何とタークにも流れていた。だから交通の要所だったのだと分かる。この時期、水位がかなり高く、洪水にならないかと心配になった。川沿いをただ歩いていると、暑いながらも風が吹いてきて気持ちが良い。近くに大きな市場があり、この川を通じて物流が発展した様子も分かる。

腹が減ったので何か食べようと探すと市場の横に麺があった。華人系の旨い麺(バミー)だった。スープ麺ではなく、乾麺というのが何とも良い。周囲の人々の表情が皆穏やか。よそ者が入ってくることに慣れているのだろうか。昼下がりの市場は人影もまばらでけだるい雰囲気がまた良い。

タークといえば、タークシン。潮州人鄭信はビルマを打ち破り、トンブリ王朝を築くも、部下のラーマ1世に殺害されてしまう。250年も前の話しだ。こんな昔からこんな場所に潮州人がいたことには驚きを隠せない。そのタークシン廟へ行ってみると、以前ラヨーンにあった廟とほぼ同じではないかと感じられた。ラヨーンはタークシンが再起をかけて潜伏した場所だった。この辺の歴史、興味はあるが理解は難しい。馬と鶏の像が沢山置かれているのはなぜだろうか。

午後2時になったので宿へ戻り、チェックインして休む。この部屋、とても心地よい。もうこのまま寝入ってしまいそうだった。このホテル自体、デザインがおしゃれで面白い。夕方腹が減ったので外へ出たがまだ暑い。すぐ近くに麺屋があったので、タイ人のおばさんに身振り手振りで注文する。何と出てきたのはラートナー、これも潮州系料理だ。予想以上の美味しさに感激する。後は夕日が落ちるのをゆっくりと眺め、早めに就寝する。

9月17日(火)チェンマイへ

朝は早くに目覚めた。食事は宿に付いていたので食べてみると、種類が豊富だ。田舎で1000バーツ出すとかなりいい宿に泊まれ、心地よいと感じる。食後に散歩すると池があり、朝の風景が何とも良い。市場に行ってみると活気がある。ここで私はミアンを売っているか見たかったのだが、言葉が出来ずに断念する。聞くところによればタークのミアンは砂糖などを入れて、スイーツのように食べるらしい。

それから昨日閉まっていた博物館へ行ってみたが、今日も閉まっていた。どうやら休館中らしい。タークの歴史を知りたかったので残念だったが、仕方がない。10時に宿を出て歩いてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと雨が降り出したので慌ててGrabバイクを呼ぶ。40バーツで行ってくれるので心強い。

バスはなかなかやって来なかったが、ただダラダラと待つ。これがタイだ。暑いが待つしかない。ようやく乗車すると中は涼し過ぎる。風邪を引きそうだ。そのまま3日前に来た道をただ折り返していく。途中ランパーンに停まったぐらいで、4時間余りでチェンマイまで戻ってきた。タークとチェンマイ、思ったより近い。

メーソット・ターク2024(2)メーソットからタークへ

少し郊外に温泉が湧いているところがあった。温泉といっても、小川の流れで足湯をする程度。子供たちが楽しそうに遊んでいる脇で、犬が心地よさそうに横たわっている。一体何が現実で、何が幻なのかよく分からない光景が広がる。昼前にはロビンソンに戻り、子供たちは遊具コーナーで遊び始める。ここにもミャンマーの子が何人も来て遊んでいた。

ミスタードーナッツでドーナッツを買う。皆これが日本の物とは知らなかったようだ。それからアイちゃんの誕生プレゼントのバービー人形を買いに行く。彼女は優しい子で、『バービーは高いから、安いのにしよう』と貧乏な私を気遣ってくれた。この感じは20年前の彼女の母親と同じで、ちょっと驚いた。母子は似るものだ。良い子に育っている。昼ごはんは昨年も行ったレストランで美味しく頂く。

私はメーソットにもう1泊することにしたら、彼らももう1泊するという。ただ所用で一度ミャンマー側へ戻り、夕方また来るという。ホテルは良いと思っていたが、何と延泊するのに部屋を替わらなければならず、しかも12時前に一度チェックアウトして、2時にまたチェックインしろという。これは何とも不合理であり、スタッフが不慣れだから起こったことだろうが、最近タイでも日本的な経営優先サービスが始まってしまって残念だ。新しい部屋で午後は休息した。

夕方皆が戻ってきたら、海鮮料理屋へ行く。こんな海もない所で海鮮かと思ったが、これまでは物流の拠点であったこともあり、いい魚が入っていたらしい。今晩も旨い海鮮とその味付けを堪能した。特にイカが美味しい。メーソットには意外な店がまだあるのかもしれない。

9月16日(月)タークへ

朝起きて、宿の朝ごはんを食べに行く。何と食パンとソーセージ、ゆで卵というシンプルさ。まあこんなものか。結局SSたちはギリギリに降りてきて朝飯すら食べずに帰るという。これから私をバスターミナルに送ったら、ミャンマー側の学校へ登校するというのに。まあ子供のいる生活は大変だ。

バスターミナルで別れて、すぐにバスに乗り込む。ところが車掌に『ターク』というと怪訝な顔をしており、2度行き先を確認して来る。よく見るとチケットはバンコクまで買われていたのだ。道理で料金が高いと思ったが、もう仕方がない。勿論バンコクまで行く気もない。バスの乗客は半分ちょっとしか乗っていないが、一番前の私の隣にはタイ人が座っている。後ろの方からは日本語も聞こえてきた。

バスは山越えして約2時間でタークに着く。その少し前に急に腹が痛くなる。バスの後方にトイレがあったので駆け込んで難を逃れると、ちょうどタークのバスターミナルに着いた。ここで降りたのは私だけだったろう。まだ午前10時頃、取り敢えずGoogleMapに従い、街の方に歩いて行く。最初の大きな交差点を見ると、ここが北タイの交通の要所だと分かる。

最初に見つけたホテルで聞くと、部屋はあるが、チェックインは2時からだという。もう少し先にもう少しいい宿があるぞ、と教えてもらったので更に暑い中1㎞も歩いてしまう。ようやく辿りつた宿は華人系のキレイだったが、何とここも2時しかチェックインできない。昨日のメーソットと言い、アジア的良さは薄れている。それでも仕方がないので、そこに荷物を預けて、歩き出す。