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ボルネオ探検記2019(12)KKの暇つぶし

遅い夕飯を探しに出る。1軒、とても繁盛している店があったので入ってみる。そこはインド系の店であり、ローティーと鶏肉煮つけを食べることにした。味は悪くないが、何しろあのサンダカンの食堂を思い出してしまうと、どうにも味気ない感じがするが、どうすることも出来ない。夜は重ね着して、震えながら?寝る。

 

2月27日(水)
KKの暇つぶし

翌朝はゆっくり起きた。外気温が上昇すると部屋の寒さは気にならなくなる。ホテルに付いている朝食をこれまたゆっくりと食べる。今日の深夜便で東京へ向かうので、食事を含めた時間配分、バランスが重要となる。午後1時のチェックアウトまではゆっくりと部屋で英気を養う。

 

午後1時の日差しは強い。昼ご飯を探して歩いてみると、これまで見なかった大型海鮮レストランなどが目に入ってくる。一人旅の欠点は、海鮮などを食べることが出来ないことだろう。最後の食事もやはり市場脇の海南チキンライスだった。ここのチキンは大きく、かなりいい味出していた。

 

実は昨晩、ホテルに戻った時、何気なくツアーデスクに立ち寄った。明日の午後、いかに暇をつぶすかの参考にしようと聞いてみたところ、何と『午後2時出発で午後10時に戻るツアー』があるというのだ。このプランは時間的に私にとって最適。ほぼ何も考えずに申し込んでしまった。しかしよく考えれば190MRのツアー料金は決して安くはない。暇つぶしなら、マッサージなどの方が安上がりだったかもしれないと若干後悔したがもう遅い。

 

午後2時前にホテルに戻ると、ツアーガイドが私を見つけてミニバンに送り込んだ。既にマレー人のおばさんが一人で乗り込んでいた。それから韓国人の若者を拾い、最後に郊外のホテルからドイツ人一家を連れだした。そのまま車はひた走り、1時間後にトイレ休憩を入れて、約2時間で目的地に到着した。

 

そこは地図で見ると、すでにブルネイ国境に近いようだ。なんでこんな所まで来てしまったのかと考えても仕方がない。まずは川辺の家で、ティータイムが始まる。ここで出された菓子や麺は、意外なほどうまく、子供たちも喜んでいた。少し日が傾いた川を眺めていると、小型ボートがやってくる。

 

ボートには我々の他、中国人の団体が乗り込んできて満員となる。ボートは川沿いに少し行き、いきなり停まると2人のガイドが何かを指さしている。英語と中国語、どちらも猿と言っているのでよく見ると、木の上に猿が何匹もあり、自由気ままに遊んでいる。そこで初めてこのツアーが猿を見るためのものだったと知り、ちょっと愕然とした。しかしボートは数か所に停まり、その都度猿を眺め、写真を撮る。最後に夕日を写真に収めて終了。

ボートは先ほどの家に戻る。そこには夕飯が用意されている。我々3人は黙々とそれを食べた。ドイツ人の子供たちも食べられそうなものを頬張っている。そして頃合いを見計らってガイドが合図し、またボートに乗る。中国人も乗せ、先ほど猿のいた場所へ戻っていく。

 

そこでは息を飲んだ。無数のホタルが木々にまとわりつき、光を放っている。ガイドは365日のクリスマスツリーと表現しているが、確かに見事なイルミネーションだった。台湾などでもホタルを見たことはあるが、時期が限られている。ところがここでは雨さえ降らなければ毎日このような光景が見られるというから驚きだ。ライトは全て落としていることから、写真を撮っても何も写らない。見上げると夜空の星も負けじと輝いている。

 

そんな光景を20分ほど眺めてから、ボートは戻り、我々は暗い桟橋を落ちないように歩き、ミニバンに乗り込んだ。猿を見て、ホタルを見るだけのツアーだったが、何となく面白かった。また2時間かけて、KKに引き返す。ガイドは途中で降りて帰宅する。ちょうど午後10時前、ホテルシャングリラに戻って来た。完璧な暇つぶしだった。

 

ホテルで荷物を引き取り、トイレに行って、着替えをした。暑いKKから真冬の東京へ戻るのだから、それなりの装備は必要だ。タクシーで空港に到着すると、深夜便は何本もあり、意外なほどに乗客がいた。出国審査などは早めに済ませて、座って待っていようと思ったが、どこも満員で、かなり端の方に席を見つける。

 

それから搭乗時間までPCをいじっていた。搭乗の合図が出たのでゲートへ行くとなぜか大行列が出来ている。仕方なく列の後ろに並んでいると、日本人が割り込んで前に進んでいくではないか。何と礼儀の無い日本人かと思っていたら、何と私が並んでいたのは上海行であり、東京行きの搭乗は既に終わっていた?らしい。ミリ空港だけではなく、KKの、それも国際線でも、こんな混乱を起こしているとは正直信じられない。

 

機内は半分ちょっとの乗客でゆったり。機体は新しくて快適。既に深夜1時、日本時間3時なのに、夕飯が出る。それを少し食べて目をつぶると、離陸体制に入っている。僅か5時間で成田に到着する。行きのKL行きの8時間、遠かったな。今回の旅はちょっと冒険があり、何とも楽しいものだった。

ボルネオ探検記2019(11)ミリで

ミリ散策

もう昼を過ぎていた。腹が減っていたので外へ出る。さっきから感じているのは、ブルネイにはなかった漢字の看板の波。なぜか漢字の看板を見るとテンションが上がり、ホッとする自分がいる。不思議なことに、カフェと書かれた店の中に幾つもの屋台が出ている場所があった。1つずつ見ていくと突き抜ける。裏には野外の席が沢山あり、オーダーしてそこで食べる方式らしい。一番手前の海南チキンの店から取り寄せたが、ものすごく丁寧に英語で対応してくれた。味もよく、値段もブルネイを考えれば安くて、感激する。皆が楽しそうにランチを食べていた。

 

そのまま歩いていると、海沿いに出た。ミリのウオーターフロントと書かれている。大きなホテルも建てられており、意外と近代的だった。ミリの街は思っていたより大きく、歩いていてもなかなか終わりは来ない。そして目に付くのが、コインランドリー。中にはお菓子から日用品、草花の苗まで何でも自販機で売られている、珍しいコインランドリーすらあった。それにしても洗濯好きなのか、それとも物臭なのか。

 

小さな市場が街外れにあった。午後で魚もほぼ無くなっており、店仕舞いだ。その隣にはお寺があり、この辺も華人の雰囲気が感じられる。よく見えればいくつかの建物に中華商会やら福建会館などの表示があり、ここもやはり華人中心の街のように思える。今日は曇りで歩きやすかったが、疲れたので宿で休む。

 

夕方、スーパーに飲み物を買いに行く。マレーシア、キャメロンハイランドのボーティーが沢山売られている。リプトンなどの紅茶もあるが、ここではサバティーは見られない。なぜか日本の玄米茶も売られている。スーパー全体の品ぞろえは、やはりブルネイより多いし、安い。ブルネイの人がミリに週末買い出しに来る、という話もよく分かる。

 

夕暮れ時、またウオーターフロントへ行って見る。ちょうど夕日がとっぷりと暮れようとしており、そこに航行する船が重なって美しい。日が暮れてしまうと、何だか寂しい街だ。食べようと思っていた食堂も早々に閉まっていた。仕方なく、ホテルの前の屋台街でナシゴレンをゆっくり食べる。

 

2月26日(火)
KKへ戻る

この旅も10日を過ぎて、そろそろ疲れのピークが来ている。それでも腹は減るので外へ出た。昨日の昼を食べた食堂で、内臓系の入った乾麺を注文する。結構暑いミリでこれを食べると、何ともひんやりして美味だ。これからは汁面だけではなく、乾麺も愛用しようと思う。

 

それからミリ郊外に向けて歩き出す。途中に和服女性がほほ笑む、ブルネイ航空の日本直行便就航の宣伝を見る。ミリからブルネイに入り、そこから日本へ向かうとは、何だか夢のような気分だが、よく考えてみれば、それほど遠くはないのかもしれない。更に歩いて行くと、大きな公園があり、立派な図書館が見え、官庁の建物もあった。広々とした空間で気持ちはよいが、人影は殆どない。

 

部屋で少し休んで、午後1時には荷物を預けてチェックアウト。今日は夕方の便でKKへ戻るのだが、それまでの暇つぶしをどうするか。取り敢えず昼ご飯を探すと、カヤトーストの店があり、風もよく抜け、居心地もよいので、そこにずっと居座ることにした。PCをいじりながら、時の経過を待つ。

 

午後4時にホテルに戻り、タクシーを呼んでもらって空港に向かう。ここの空港もそれほど遠くはないが、バスで行く方法もない。25MRで到着。ミリの空港も小さく、時間を潰す場所もない。今回もエアアジアに乗る。やはりマレーシアの国内線は料金、時間共に、エアアジアが一番便利になっている。サンダカンの教訓を生かして、チェックインはスムーズだった。

 

だが搭乗時の列の作り方が分かりにくく、マレー人が私に聞いてくる始末だから改善の余地は大いにある。更には搭乗アナウンスがあり、チケットチェックが終わってさあ搭乗という時になり、我々が乗る飛行機から乗客が降りてきて、こちらはそれを見ながら20分もの間、立って待っているとは。こんな空港、エアライン、見たことがない。いくら小さな空港だと言っても、こんなサービスは頂けない。

 

フライトは40分ぐらいでKKに到着した。もしブルネイからバスに乗ってKKに行くなら、飛び地を通るので何度も出入国を繰り返して、8時間ぐらいかかると聞いていたが、ミリからのフライトがこんなに近いとは。KK空港ももう3度目で慣れているが、空港バスは1分差で行ってしまい、午後8時の最終バスまで40分も待つのは面倒なのでタクシーに乗る。

 

今晩の宿はホテルシャングリラ。あのシャングリラグループより前にあった老舗ホテルらしく、郊外に立派なシャングリラリゾートが2つもあるのに、街中で堂々と営業している。ロビーでは中国人観光客が大声で話し、煩い。部屋はきれいに見えたが、何とエアコンの調節が出来ない。係員を呼んだが、『ここは古い設備でセントラルシステムだから、風の方向を変えるぐらいしかできないよ』と寂しそうに言う。

ボルネオ探検記2019(10)突然のクアラブライト、そしてミリへ

クアラ・ブライトで

車でバンダルスリブガワンを離れた。あっという間でよく分からないうちに逃れ出た感じだ。車は真っすぐ高速道路のような、滑らかな道を進む。意外と速度制限を守らない車が多い。最近はネズミ捕りの機械も導入されているとか。1時間半後に、セリアというイギリス軍基地付近に着いた。基地内に侵入して?そこのスーパーへ。イギリス軍関係者向けの物が売っているということで買いに来た。やはりブルネイの買い物事情はそれほど良くないようだ。

 

この辺でマレーシア行きのバス停を探すと、もう国境に近いクアラ・ブライトにあると地図が示している。そこまで車で約30分、街に入るところで長距離バスとすれ違う。何とかバスターミナルを見つけたが、バスはいない。小型バスの運転手は寝こけており、たたき起こして聞くと『ミリ行きのバスは10分前に出たぞ、今日はもうない』というではないか。さっきのバスだったんだ。タッチの差で逃してしまった。何と1日2本、バンダルスリブガワンから来るバスしかないのだ。

 

一応タクシー会社にも聞いてみた。60BD出せばミリまで連れて行くというが、私の腹はここに1泊と決まっていた。Aさんは心配してくれたが、明日のバスは確実にあるし、未知の街に泊まるのはちょっとワクワクするからよい。バスターミナル近くにあったホテルに飛び込み、Aさんとはここで別れた。ホテル代は75BDだが、タクシーに乗るよりはマシで、しかも部屋はかなり良く、ベッドがフカフカ。Wi-Fiもサクサク。フロントの対応もとても良いので気に入ってしまった。

 

夕方、クアラ・ブライトの街を散策する。地球の歩き方にも載っていない街だ。平屋の家がゆったりと建っている、とても落ち着いたいい雰囲気。海沿いに行くと、海風が心地よい。家の前を掃除している華人のおじさんが、丁寧にあいさつしてくれる。何とのどかなところだ。きれいなモスクも見える。平和とは何か、を考えた。

 

そういえば今日ブルネイを出るつもりだったので、ブルネイドルをそれほど持っていないことに気が付く。勿論日曜で両替は出来ないので、明日のバス代も考えると節約が必要。ちょうど市場があり、美味しそうなものを売っていたので買い込んで部屋で食べる。僅か3BD。地元の人もたくさん来ていたから、これが一番いい夕飯なのだろう。

 

食後、暇なので洗濯に出る。サンダカンで一度洗濯しただけだったので、ちょうどよい。ここのコインランドリーは機械がキレいだ。だが料金はマレーシアのほぼ倍、しかもコインは専用コインで、両替しすぎて困る。すると隣にいたおばさんが、引き取ってあげるというではないか。そこへ続々と洗濯する人が現れ、満員盛況となる。ブルネイ人はなぜこんな快晴の日に、夕方コインランドリーで洗濯するのだろう。一種のコミュニテー化している。順番待ちしながら井戸端会議か。

 

2月24日(月)
ミリへ

翌朝は雨が降っていた。7時半に朝食に行くと、ビュッフェではなく、セットメニューを選ぶ方式だった。そしてボリュームある熱々の朝食が出てくるのでこれもよい。何だかこのホテル、とても満足度が高い。バスは9時半に来る予定だが、念のため9時過ぎにはターミナルで待機せよ、とフロントが言うので、そうしようと思ったが、ものすごい雨が降っていて荷物を持って出られない。するとボーイが荷物を持ってくれ、ターミナルまで誘導してくれた。これもとてもありがたい。

 

バスはいつ来るのか。おじさんが寄ってきて『今からミリに行くけど、バス料金払ってくれれば乗せていくよ』と誘ってくれた。だがそれではここまで苦労した意味がない。バスに乗りたいと断ると怪訝な顔で去っていく。ここでバスを待っていたのは白人のおばさんと私だけだった。バスは9時半前にやって来た。

 

バスの乗客は白人が数人だけ。このバスの利用者は本当に少ない。15BD。バンダルスリブガワンから20BDと聞いていたから、ここまで来てもあまり節約にもならない。雨は上がっており、バスは快調に国境を目指す。30分ぐらいで国境に着き、まるで我々専用かと思うイミグレで出国手続き、続いてマレーシア側へ行き、入国手続きを済ませる。週末は混んでいると聞いていたが、閑散とした国境、人の気配はなかった。

 

バスはそのままミリに向かって、田舎道を走り続けた。そして郊外のターミナルで停まる。ここから路線バスで市内へ行きたかったが、基本的にないようで、仕方なくタクシーに乗り込む。ここでもミリホテルを指定する。20MR、ブルネイ感覚からすると安い。20分ぐらいで市内に入り、すぐにミリホテルに到着した。

だが、ミリホテルは正直かなり古く、リノベーションもしていない安ホテルだった。それでもフロントの対応は悪くないので泊まることにする。1泊80MR。久しぶりに昔のタイの安宿などを思い出す。ミリの街にはあまり人影もなく、落ち着いているというより、ちょっと寂しい雰囲気だ。

ボルネオ探検記2019(9)突然の出会いから急展開

2月22日(土)
市内に戻るも

翌朝は建国記念日で、年に一度市内の広場に王様がお出ましになると聞いていた。普通の観光客なら年に一度の機会だから無理しても見に行くのだろうが、ものすごい人出になること、朝が早いことから、この折角の機会をパスして、ゆっくりした。まずは周囲の散策。ただこの辺には特に見るべきものもなく、祝日の朝ということか閑散としていた。朝ご飯もまた昨晩食べたレストランで取る。ここで出される朝食が全て少しずつ入っているスペシャルを注文。朝から豪華な気分に浸る。

 

部屋の居心地が良かったので、そのまま昼のチェックアウト時間まで、ブルネイからの脱出?手段などを考えつつ、ダラダラと過ごす。市内中心部に戻るにはまた55番バスを待つ。意外なほどすぐにやってくるが満員。パキスタン辺りから来た労働者だろうか、すぐに荷台にスペースを作り、座らせてくれた。

 

バスターミナルまで戻り、また両替所を覗くと休み。その付近の店も多くが開いていない。周辺には出稼ぎ労働者らしき人々が大勢屯している。取り敢えず予約しておいた前のホテルに再チェックイン。だが早過ぎると言われ、荷物を預けて外へ出る。どこへ行こうかと迷ったが、確かブルネイには世界に2つしかない7つ星ホテルがあると聞いており、暇だからそこを見に行こうと考えた。

 

ところがバスを待っても全然来ない。ようやくやってきたバスはすぐに満員となり、乗る気が失せてしまう。そこで昨日閉まっていた歴史センターを再訪するも、今日も閉館。確か昨日おじさんが明日来い、と言っていたのに、と言っても始まらない。建国記念式典会場もほぼ片付けが終わり平常に戻っている。ホテルの北側に立派な華人学校があるのを見て、ホテルに帰り部屋で休む。

 

何だかブルネイに来てから、ツイていないことばかりのように思える。だが裏を返せば、それほどに私は何も知らずに、マレーシアの続きだ位の感覚で、初めての国に気軽に来てしまったともいえる。これはある意味で危険な兆候だろう。中東や西アジアならもう少し慎重に調べをしてから来ただろうか。

 

夕方外へ出たが、どうもブルネイではおいしそうな食事が見当たらない。折角なので朝誰もいなかったバーガーキングに入って見た。何と私はここで食べるのは生まれて初めてだ。お客さんは多少いたが、バーガーは決して美味しくはなかった。それはブルネイだからだろうか。その後海沿いを歩き、また夕日に見とれる。南国の夕日はどこでも見てもそれなりに感動的だ。大勢の人がジョギングやランニングをしている。

 

2月23日(日)
突然の紹介で

今日は午後1時の直通バスでブルネイを抜け、ミリに向かうことにしていた。だが朝FBを開くと、北京時代の知り合いから突然ブルネイ在住日本人、Aさんを紹介された。どうやら二人は韓国ソウルの駐在仲間らしい。どんな人かも分からないうちに、電話をもらい、早々会うことになった。

 

家族4人で車に乗ってやって来たAさん。ご主人はアメリカ人で、二人のお嬢さんも数か国の滞在経験があり、日本語より英語がうまい。取り敢えずブランチを食べに、ブルネイ大学のキャンパスに向かう。自然環境抜群のキャンパスが郊外にあった。そこのカフェに入る。ハンバーガーを食べる。昨日のバーガーキングとは大違いだ。ブルネイにも大学は4つあるそうだ。

 

それから昨日行けなかった7つ星ホテル、エンパイヤホテルにも連れて行ってもらった。やはりブルネイでは車がないと何もできないと実感する。何しろホテルと言いながらも、敷地が広大すぎる。ゴルフコースも敷地内にあるようで、とても歩いて回ることなどできない。ホテルロビーも広く、その割にお客さんは少ない。外国人、特に韓国人が目立っている。ビーチとプールを眺める。

 

ここも元々は王室関連施設らしい。こんなホテルが1泊2万円ぐらいで泊れるようで、韓国人はゴルフツアーに来る。確かにブルネイで一般観光客がすることは限られている。昨日待っていたバスもここの玄関口まで乗りつけてくる。このホテル自体が一大観光資源という訳だ。

 

それから我がホテルに戻り、荷物を持って再び車に乗り込む。本来はバスでミリに向かうはずだったが、Aさん夫妻が『ミリまでは行かないが、マレーシア国境近くまで買い物に行くので、そこまでは乗せて行ってもよい』と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしたのだ。通常ルートでない旅、ワクワクする。

 

まずはAさん宅に寄り、お嬢さん二人を降ろす。家は郊外のいい一戸建てであり、申し分ない。周囲の家も皆素晴らしく、住人も良さそうだ。英語はどこでも通じるのでブルネイで言語を学ぶ必要もない。駐在員ならこんな生活が出来るのだろう。ブルネイには日本人は全部で100数人しかいないという。

ボルネオ探検記2019(8)ブルネイ 魔の金曜日

2月22日(金)
ブルネイ 魔の金曜日

翌朝はゆっくりと起き上がる。まずは8時から開いているという両替に向かう。両替所は開いていたが、何と人民元は両替できないと言われてしまう。この国には中国人は来ないのだろうか。慌てて米ドルを出すも、100ドル札しかなく、仕方なく日本円5000円札を渡すと、レートは非常に悪かった。日本人でブルネイに来る人は少ないのだろう。石油などの貿易ではあんなに緊密なのに。

 

朝ご飯を探すが、見付からず、バーガーキングを覗く。ところが開店しているはずなのに、お客はおろか、従業員も一人もいない。こんなファーストフード店初めてだ。仕方なくその裏へ行くと、華人経営の食堂がある。粥でも食べようと入っていくと、店員が『アメリカンブレックファーストね』というので、思わず頷き席に着く。茶を頼むと何も聞かずに、甘いミルクティが出てきた。

 

次にシムカード購入へ進む。午前9時からショップが開くというので行って見たが、ブルネイにはプロバイダーが2社しかない。安いと言われた方へ行くも、『もう安いシムはない』と言い放たれ、それならもう1社へと、向かいの店に入ると、店員はとても親切だ。だがシムカードは25BD(約2000円)と高額。それでもそれしかないのだから買う。競争が働かない国はこうなのだ。

 

それから王室資料館、ロイヤル・レガリアを見学。外観もモダンな作りで中も豪華。如何にもブルネイの王室関連らしい。無料で入れるが、靴を脱ぐことと写真は禁止。ブルネイの歴史、王室の歴史を知りたければ、ここに来るのが良い。観光客も多かったが、その苦難の歴史をどうみていたのか。入り口付近で写真を撮る人ばかりが目立つ。

 

ただ華人の歴史など、私の興味にある分野はないので、一周したら、すぐに隣の歴史資料センターへ移動した。ところが靴を脱ぎかけると係員が飛び出してきて『今日は休みだ、明日来い』という。金曜日も開放しているはずなのになぜだろうか。仕方なく、海の方へ歩いて行く。天気は良いので景色は良い。ボートから『乗らないか』と声が掛かる。対岸の水上生活者の村へ行くらしい。遠くに王宮も見えたが、その気分ではなかったので、乗らずに部屋に帰る。

 

12時前にホテルに着き、まずは横にあるショップで飲み物を買い込む。金曜日の12時から14時の間、この国の全て食堂、ショップは閉まってしまうと聞いた。勿論博物館も役所も交通機関も全て停まる。そんなことが出来るのはこの国しかないだろう。お祈りの時間は厳格だ。イスラム教+絶対王政、強烈だ。静かな時間が始まる。

 

そんな日にホテルを追い出される。どうせバスも動かないが、ホテルも実質停止だから2時まで部屋にいたいと言って見たが、なぜか1時にチェックアウトさせられ、後はロビーのソファーで寝ていた。1時45分位に外へ出ると、既に私有車は少し動き出し、職場に戻る人々が歩いていた。

 

この付近のホテルはどこも満員で予約できなかった。よく場所も確認せずに予約画面に出てきた中で手頃なホテルを予約したが、何とそこは中心部から7㎞も離れたところだった。どうやって行けばよいのか分からずにバスターミナルで聞くと、『55番に乗れ』という。そのバスは2時過ぎにやってきたが、そこにはなんと、昨日ムアラのフェリーターミナルから一緒にバスに乗ったアメリカ人がいた。聞けば昨日からそのホテルに泊まっているらしい。

 

バスはほぼ満員の乗客を乗せて郊外に走り出す。所々にショッピングモールなどが見え、ブルネイ人はちょっと郊外に住み、車で移動していることが分かる。バスに乗っているのは外国人、それも観光客と出稼ぎ者だった。30分ぐらい走るとアメリカ人が『ここで降りるぞ』という。降りて行くと店が何軒もあり、スーパーまであった。

 

その向こうに今日のホテルがある。場所が悪いだけに、値段の割に部屋は悪くなかった。明日の建国記念日の影響で中心部に泊まれなかった外国人観光客の多くがここに泊まっていて、ちょっと異様だった。お祈り時間のせいでランチを食べ損ねていたので、ホテル並びの食堂に入る。ウエートレスが恐る恐るやってきて英語で注文を取り終えると『やったー、出来た』と言う感じで、仲間と喜んでいた。

 

暑いのでスーパー見学。脇の入り口から入ろうとすると、そこはノンハラール部門。豚肉などハラール処理されていない商品が置かれていたが、売り場は凄く小さかった。正面から入り直すとすごく大きなスーパー。物価は日本より高いもの(野菜など)もあるが安いもの(肉など)もある。飲み物コーナーに大量の日本茶ティバッグがあったのは何故だろうか。緑茶ブーム?

 

特に行くところもないので、快適な部屋で過す。夜になり腹が減るとまた並びの別の店に入る。ディナーセットとして、パスタとドリンク、ケーキというのがあり、それを注文。ここのパスタ、うめ―!なぜこんなところの料理がこんなに美味いのだろうか。ブルネイ、侮れない。ケーキもまあまあで満足。これで11BDは高くはない。

ボルネオ探検記2019(7)KKからラブアン経由ブルネイへ

2月21日(木)
ラブアン経由ブルネイへ

朝6時前に目が覚めた。ホテルを早々にチェックアウトして、ジュッセルトンのフェリーターミナルに向かう。朝早いので車はそれほど走っておらず、荷物を引いて10分もかからず到着。午前7時前に窓口へ行き、フェリーチケットを購入。目的地はブルネイであるが、マレーシアのラブアンという島を経由していくので、2度乗ることになる。その通しチケットが買えた。60MR+税、国際フェリーとしては高くない。

 

本日も快晴で海はきれいだ。ターミナルには観光客が集まってきているが、彼らはラブアン行きに乗るのではなく、近隣のリゾート島などへ向かうらしい。乗船時間になっても、乗り込む乗客は僅か。フェリーは、香港から珠海などへ向かうサイズより小さい。席は指定されているが、実質自由席。1等と2等があるが、それも5MR程度の違いで、2階か1階らしい。

 

フェリーは揺れも少なく順調に航行しているが、海しか見えない、それも窓が汚れているのできれいには見えず、かなり退屈。そして何よりも寒い。船内のエアコンが効きすぎており、皆それを予想してか、かなりの厚着をしているではないか。何故エアコンを調節しないのだろうか。結局この寒さで眠ることも出来ず、3時間半の間、凍えて過ごすことになった。

 

ラブアン島には11時半前に着いた。ブルネイ行きのフェリーは午後1時半発だから、約2時間島に滞在する。ラブアン島と言えば、アジア金融の世界に身を置いた者としては何とも懐かしい。ここはマレーシアのタックスヘブンで、マレーシア内の外国企業が海外で資金調達する場合、ここラブアンに法人を設立して窓口としていた。しかしまさかこの島を実際に訪れることになろうとは、思いもよらなかった。しかもブルネイ行きの為とは、本当に驚きだ。

 

フェリーから見えた島は、一部に近代的な建物が建っていたが、全体としてはのどかな場所だった。街を歩いてみても、マレーシアの田舎町の雰囲気が出ている。荷物を持っているので遠くに行けず、近場を散策。コンベンションセンターなどもあるが、昔ながらのショップハウスが並んでいる。ターミナル前では免税と書かれた酒などが売られているが、これはKKやブルネイの人が買うのだろうか。

 

腹も減ったので、海南チキンライス(焼)を食べる。ここも華人経営、店は繁盛していた。店のおばさんが笑顔で接客しているのが良い。ターミナルに戻り、念のためにチケットを見せると、チケット売り場を指さされる。行って見ると、ここでも利用税?5MRを別途徴収された。知らないで乗ろうとするとちょっと面倒だったかもしれない。

 

乗船時間にコールされ、簡単な審査で出国する。乗客は先ほどよりもさらに少ない。この人たちはどういう目的で乗船するのだろうか。フェリーのサイズは国際船なのに先ほどよりもさらに小さい。何となく不安が過るが、今回は寒くないので寝てしまった。起き上がると既にブルネイに着いているではないか。

 

1時間半の船旅、ムアラというそのターミナルは本当に何もない所だった。入国審査は簡単だったが、荷物検査では機械を通したうえで開けるように言われる。密輸でも疑われているのだろうか。それが済むと何もない出口へ。僅かに小さな両替所が1つだけある。既にブルネイドルはKKで両替しておいたので問題ないが、ここのレートは良くない。

 

シムカードも売っていない。いや食堂や売店すらない。今日のフェリーはもう終わっておりチケット売り場は閉まっている。まさに裏口からこっそり入った感じだ。係員に聞くと、その内バスが来るという。タクシーは一台いたが、誰かが乗って行ってしまった。半数以上は迎えの車に乗り込み、バスを待つのは外国人だけ。

 

30分経ってバスが来た。やれやれと思っていたら、すぐに乗り換えを命じられる。ブルネイのバスはどこまで乗っても1ドル。因みにブルネイドル、理由は分からないが、シンガポールドルと等価であり、ブルネイでもシンガポールドルが使えると聞いた。

 

運転手にホテルの場所を告げたところ、うーんという顔をしたが、兎に角このバスに乗るしかない。ブルネイは資源があり、豊かな国だと思っていたが、郊外を走っていると本当に緑が多く、自然環境が良い場所だった。30分ぐらいで街中に入る。いつもならスマホ地図でホテルを探し当てるのだが、シムカードがなくそれも出来ない。不安に思っていると、運転手が急に停まり、『あのビルに裏だから歩いて行け』という。

 

行って見ると屋外マーケットがあったが、そこは行き止まりで大回りしていくと、ちゃんとホテルがあった。ちょっと古いが快適そうな部屋だったので、明日もう1泊をお願いすると『明日は建国記念日前日で満室だ』とあっさり断られる。仕方なく、街でシムカードを買い、両替所状況も調べようと出掛けたが、結局シムカードを買うことも出来ず、両替所も既に閉まっていた。

 

途方に暮れつつ、夕飯を探したが、マレーシアのような安食堂も見当たらず。夕日がとっぷりと暮れていく。ついにケンタッキーに入ってしまう。ここはマレーシアに比べて物価が1.5倍以上だと知る。食後は、街一番のモスクまで行って見る。ライトアップは素晴らしいがイスラム教徒でなければ堂内に入ることは出来なかった。何も調べずに来た私は久しぶりの厳しい洗礼に打ちのめされた。

ボルネオ探検記2019(6)サンダカンからKKへ

2月19日(火)
サンダカン散策

特に何があるという訳でもないのだが、何だかすっかりサンダカンが気に入ってしまった。今日も腹一杯朝食を食べてから、ちょっと冒険してみようと思い、郊外の寺を目指す。その行き方もよく分からないので、バスターミナルで聞き込みしてみる。最初は首を傾げたマレー人運転手だったが、何とか乗るべきミニバンが分かり、そこへ行くと既に数人の先客がいた。その多くが華人の老人たちで、広東語を話していたが、私には普通話で話しかけてくれた。とても親切。

 

バスは一般道から山道に入っていく。ちょっと行くと『ここで降りろ』と教えてもらい、この辺に住んでいるという老婆と一緒に降りた。この老人たちにもとても興味があったが、聞いても『私はここで生まれたのよ』というだけで、あまり祖先の話をしない。すぐに老婆とも別れて、一人で歩き出す。少し行くと坂があり、そこを登るときれいな寺が現れた。

 

そこは海が一望できる大きな寺で、ちょうど何かの儀式が行われており、大勢の人が堂内におり、外にも溢れていた。30年ぐらい前に出来た寺のようだ。下の方にも大きな建物があり、どんどん広がっているように見える。やはりここサンダカンにおける華人パワーの強さを実感する。

 

帰りも先ほどの道を戻り、バス停でバスを待った。ちょうど小雨が降ってくる。少しするとミニバンがやってきたが、うまく言葉が通じない。それでも親切に乗せてくれ、山を下りたところで、バンを乗り換えるように指示される。料金を払おうとしたが、要らないという。よく分からないが、有り難い。

 

乗り換えたバスは、バスターミナル手前で停まってしまった。ちょうど雨が強くなり、雨宿りを兼ねて、そこにあったスーパーに入った。飲み物コーナーではやはりインスタントコーヒーが多いが、緑茶なども置かれており、関心が出てきていることが分かる。サバティーなど、地元の紅茶もある。

 

雨はすぐに止んだので、そのまま街を散策。実は両替所を探していたが、殆どないようだ。よく見掛けるのは、消費者金融?金利などが書かれており、入り口から中が見えないようになっているので、質屋など個人がお金を借りる場所だと推測する。なぜこんなに多いんだ、と訝るほど店がある。

 

その向こう側に人だかりが出きており、鳴り物が響き渡る。ライオンダンスではなく、ドラゴンダンスが始まった。十数人の若者たちが一生懸命ドラゴンを回し、練り歩いている。ただよく見ると華人の子だけではなく、マレー系やインド系に見える子たちも一緒になって楽しそうに踊っている。これは華人の知恵、民族融合の一つの手法ではなかろうか。リーダーは男前の女子だった。

 

昼前にホテルに帰り、そのまま休息に入った。ご飯は食べ過ぎで昼は抜き、疲れもたまっているので、昼寝する。夕方どうしても腹が減り、早目に外へ出るが、また同じ食堂に入ってしまう。もう私の専用食堂でよいだろう。それから海辺に行き、昨日とは違う場所からまた夕日を眺めた。夕日は何度見てもよい。市民も食べ物や飲み物を持って見に来ており、ここは憩いの場となっていた。

 

2月20日(水)
KKへ

翌日の午前は完全休養として、チェックアウトまで、諸所の作業を行う。12時半にホテルを出て、呼んでもらったタクシーで空港へ向かう。今日は一度KKへ戻り、明日に備える。タクシーは先日の郊外バスターミナルの方向へ向かい、そして途中で分かれた。それでも空港までは20分ぐらい。これで30MRは安くはない。

 

今日のフライトはエアアジア。チェックインは簡単だろうと思ってカウンターに行くも、色々と面倒があり、困惑。荷物検査や自動チェックインなど、もう少しちゃんとした表示や説明があるべきでは、と思ってしまう。空港は小さく、食事をとる所も1つぐらいしかない。折角なので摂生に努める。

 

フライト時間は1時間弱。KK空港は先日下りて分かっているが、今回は空港バスに乗ってみる。5MRでタクシーの6分の1。僅か20分ほどの行程だからこれで十分だが、40分に1本しかなく、乗客は少ない。街に入ると3か所に停まる。私は2つ目で降り、歩いて5分ほどで、予約した宿に到着した。

 

そこはきれいではあるが、すごく居心地がよいとは思えない宿。だが予約サイトでは非常に高評価がついていたので、ちょっとビックリ。この料金なら前回のホテルに泊まればよかったと思うが後の祭り。腹が減ったのですぐ外に出てインド系の店に入り、炒飯を食べるがこれも不満足。サンダカンの食堂が既に懐かしい。

 

両替を探してショッピングモールへ。その後は海沿いでまた夕日を見る。サンダカンと違って、こちらは観光客が主体。夕日自体も、観光用?なのかと思う程で、船の間から劇的に沈んでいった。明日は朝が早いので、早々に寝入る。

ボルネオ探検記2019(5)サンダカンの日本人墓地

2月18日(月)
サンダカンの日本人墓地

翌朝はゆっくりと起き上がる。コタキナバルからサバティーの旅は少し強行軍だったと反省。ホテルの朝食を食べ、それからゆっくりと歩き出す。まずは昨日閉まっていた中国系寺院へ。ここは一目で広東系と分かる。地元の華人参拝客も広東語を話しているから、サンダカン華人は広東系が主流だ。

 

続いて、やはり閉まっていたセント・ミカエル教会へ。中に入るにはチケットの購入が必要。売店の人が鍵を開けてくれ、そのままガイドとなる。1888年に建てられた教会で『今年は131年目です』とその人は何度も強調していた。教会内はシンプルで厳かな感じ。ステンドグラスなどはそのままだが、屋根だけは連合軍の空爆で吹き飛んで修繕している。『それは昔の出来事で今の日本人には関係ないよ』と慰めの言葉をもらう。

 

そこから坂を登っていくと、中国廟があり、更に行くと100年前の階段が残っていた。そこを曲がり、フラフラ行くと大きな道がある。更にそれを渡ると道の両脇に木々が茂り、いい雰囲気になる。アグネス・キーズの家はそんなところにあった。家は改修されてきれいになっており、室内が博物館のようになっている。実はここに来た理由は、サバ州博物館の入場券で、ここも無料で入れると言われたからだ。他の国でも1つのチケットで複数の場所に入れることはあるが、これだけ離れた場所で使えることは珍しい。ここもサバ州博物館管轄だからだろうか。

 

その横にイングリッシュティーガーデンがあり、ここでお茶を飲むために一生懸命に歩いてきた。だが今日の昼は貸し切りだと断られ、お茶にありつけなかった。仕方なくそのまま歩き続ける。サンダカンに来た目的、それはずばり日本人墓地に行くことだった。高校生の頃に見て衝撃を受けた『サンダカン八番娼館』という映画を少しずつ思い出していく。この映画の田中絹代、忘れられない。ただどうしてももう一度見る勇気はない。

 

 

勿論原作本も読んだ。作者の山崎朋子さんが昨年亡くなったという記事を読み、それで記憶が蘇り、やはりここへ来なければ、と思った。ここまで来るのに40年もかかってしまった。なぜかずっと心のどこかで『来てはいけない場所』という思いがあったのだろう。それほどの衝撃を与えられた作品は今までほとんどない。

 

一人も歩いていない道を行くと、中国人墓地に出会う。その上には1945年日本軍に殺された華人の記念碑も建っていた。やはりここにもあったか。墓地は広大で、山の斜面に沢山ある。南方式で、沖縄にもありそうな形だ。広東、客家、福建など各地から来ていたようだ。どんな思いでここに埋葬されたのだろうか。

 

その先をずっと歩いて行くと、日本人墓地と書かれている。坂を上がると、こじんまりした墓地が見えてくる。日本語で墓碑が書かれており、名前でなく戒名が書かれているのは、やはりからゆきさんのものだろう。からゆきさん以外にも商人や船員など、この地で亡くなった方が葬られている。

 

遠くに海が見える山の斜面、何とも言えない気分になる。半袖半ズボンでやってきた私、猛烈にやぶ蚊に刺される。痒くて仕方がないが、それが何かを語られているような気になり、蚊を叩くことすらなく、ただただ海を見ながらじっと耐えていた。そんなことをしても、からゆきさんの供養にすらならないことは分かっているが、そうせざるを得ない心持ちになる。かなり長い時間そこに突っ立っていた。頭が真っ白になっている。何も考えられない。

 

ようやく動く気になり、墓地を降りる。中国墓地を通り過ぎ、さっきの道の入り口にある階段を降りて行く。最初はきつかったが、途中は滑らかな坂だった。下に着き、そのまま海まで突き抜けた。あまりにも明るい日差しにたじろぐ。思い出してカメラ屋に行き、カードリーダーを買う。この店も華人がやっている。78MRは高いが、買わなければどうにもならない。デジカメの時代の終わりを感じる。

 

昼飯は混みあっている華人の店に入る。主人は広東系、中国語で注文を取り、意麺のようなものが出てきた。イメージとは違ったが、優しい味で満足した。私が日本人だと分かると驚いていた。いったん部屋に帰り、洗濯物を持ってコインランドリーへ向かう。だが、ここは50センコインしか使えない。そんなコインを10個も持っていない、どうやってコインを確保するのか。色々探したが、結局洗剤を売る自販機に札を入れると両替できた。洗濯出来てすっきり。乾燥まで入れて10MR。

 

夕方、先ほど追い出されたイングリッシュティーガーデンを再訪し、庭で景色を楽しみながら、お茶を飲みスコーンを食べる。これはなかなかいい雰囲気だ。料金も高くはない。日が落ち始めたので、そこを辞し、海岸沿いに向かい、写真を撮る。からゆきさんもこのきれいな夕陽を見ただろうか。サンダカンは時間が止まったような、本当に静かな街だった。夕飯またあの食堂に入り、炒飯と鶏肉を食べる。食事すら、変化を拒んでいるように見える。

ボルネオ探検記2019(4)ついにサンダカンへ

サンダカンへ

バス停はあるのだろうか。サバティーガーデン入り口の看板のある場所に、日差しを避けられる場所があった。そこで待つ。まさかもう通り過ぎてはいないと思うが、10分ぐらいすると不安になる。そこへ先住民と思われる家族が軽トラでやって来た。男はすぐに林に分け入り、枝を落としている。子供たちは私のすぐ脇でそれを見ながら遊んでいる。枝が落ちると女たちがその枝から何かを取っていた。こんな山の中で、たった一人でバスを待っていたら、心が落ち着かなかったはずだが、横に人がいるということは何と心強いことか。

 

さっきの門番のおじさんがやってきて、バスはあと10分ぐらいで来るよ、と教えてくれたが、それでも来なかった。ただ来るよ、という言葉に勇気づけられる。そして待つこと40分、ついに大型バスが姿を現す。私は車道に飛び出して大きく手を振り、バスを止めた。運転手にサンダカン、というと、大きく首を振り、荷物を入れてくれた。30MR。

 

車内はそれほど混んでいなかった。エアコンがかなり効いていて寒いくらいだ。乗客は殆どがマレー人に見えた。それも子供連れの女性が多い。車内では映画が上映され、それが終わると音楽が流れ、ちょっとうるさい。それでもバスに乗れた幸せで、あまり気にならなかった。

 

バスは山道を走り続けた。道は悪くないので、ミニバンより広い車内は快適だった。2時間半ぐらい行くと平地に出て、それから更に1時間経って、サンダカン郊外にバスは停車した。ここがバスターミナルとは思えない、郊外住宅の空いた場所。降りるとタクシーの勧誘があるが、バスで市内へ行きたいと告げると『バスはない』と言い放つ。段々面倒になり、その内の一台に乗る。運転手はゲームに夢中で仕事をする気がなかったのが良かった。15MRで市内へ。

 

取り敢えず行き先はサンダカンホテルにした。最近は『その街の名前が付いたホテルに泊まる』ということをやっており、料金が合理的であれば、そこに泊まることにしている。大体はちょっと古いが一応設備が整っており、その割に料金は高くない、というコンセプトになっている。ここサンダカンホテルもまさにそうだった。1泊110MR、朝食付き。部屋はコンパクトだが使い心地は悪くない。ただやはりWi-Fiは弱かったが。

 

既に時刻は午後2時半。何となく腹が減り、外へ出るとホテルの向かいに食堂があった。何人か食べていたのでそこへ飛び込む。ウエートレスとは言葉が通じないが、メニューを指して注文。ミー・ゴレン スペシャルだな、と店主のインド系が確認に来た。何がスペシャルかと思っていると、目玉焼きが上に載っていた。腹が減っていたこともあったが、この甘い感じのソースが好きだ。あっという間に平らげる。

 

街の輪郭を掴むため、散策する。観光案内所は日曜日で休み。その横にある博物館も休みかと思っていたが、2階の展示場を見ることは出来た。ここサンダカンは19世紀後半、イギリスが開いた街で、そこへ労働者として中国系が流れ込んだ歴史が書かれている。第2次大戦では日本軍に占領され、1945年には連合軍の空爆で街は灰燼に帰す。戦後はサバ州の中心がコタキナバルに移り、静かな街になっているようだ。

 

博物館前の広場には、この街を創設したイギリス人、プレーヤーの記念碑が建っている。1879年のことだとある。その横にはここで亡くなった人の碑、反対側には第2次大戦終結により解放された記念碑があり、中国語でも書かれている。日本軍占領期間中、ここでも華人迫害などがあったのだろうか。

 

一度ホテルで休息し、夕方また出掛ける。海までは歩いてすぐ。快晴でいい景色が広がっている。ここはフィリピン南端の島とかなり近いと聞く。街は小さくまとまっており、歩きやすい。中国寺院があったが閉まっており参拝できず、古い教会へ行って見たが、まだ日は高いのにやはり閉まっていた。

 

実は私はスマホを持ちながらも、ずっとデジカメで写真を撮っていた。ところが持ち歩いていたカードリーダーが反応しなくなってしまった。確かにこれも数年前に買ったもので劣化したのだろう。買い換えようと街で探したが、何と、どこにも売っていなかった。スマホ関連の店は沢山あるのに、デジカメは時代遅れだ、という顔をされる。親切な店員が、『明日カメラ屋に行けば』と言ってくれた。そういう時代なのか、私もスマホで写真を撮るべきなのだろうか。

 

日曜日の夜、小さな店はかなり閉まっていた。先ほどランチを食べた店にまた入り、鶏肉とローティーを注文する。卵入りローティーはその場で作ってくれるので美味し。鶏肉とたれをそれにつけると何とも言えない。アイスレモンティーを入れてもこれで10MRちょっと。日本では考えられないコスパがここにある。

ボルネオ探検記2019(3)突然のサバティーガーデン

2月16日(土)
サバティーガーデンへ

翌朝は朝食を食べてチェックアウト。昨日のミニバンを目指して荷物を引き摺る。ラナウ行きは一番端にあり、そこへ行くとバンには既に数人が乗り込み待機中。私が乗るとすぐにドイツ人夫婦が乗ってきて満員になり、9時を待たずに出発。何とも幸先が良いスタートを切る。ただ車内はかなり狭く、ちょっと窮屈。20MR。

 

車はコタキナバル郊外をずっと走っていく。30分ほどで山道に掛かると、前に車が何台も重なり、山道渋滞となる。今日は週末だからキナバル山へドライブという人も多いのだろうか。運転手は慣れたもので、隙間があればこういう車を追い抜いていく。大型トラックもスイスイ抜いていく。

 

キナバル山が見えてくる。頭抜けて高い山だ。2時間弱でキナバル山公園入口に到着すると数人はここで降りる。日帰り観光を楽しむ客のようだ。更に30分ほど走ると、ラナウの街に入る。予想よりは大きな街。バンを降りると運転手が『サバティーまで60MRで行くよ』と言ってくれたが、一応断り、周囲のタクシーを探す。だが聞いてみても50MR以下にはならない。えー、ここまで20MRで来たのに、ここからすぐの場所に50MRとは。でもそれがマレーシアだと以前の旅で思い知っている。

 

トイレに入り気分を整えると、ミニバン運転手と目が合う。45MR、潮時だ。一人ミニバンに揺られていく。そこからサバティーまでは何と30分以上かかった。そして確かに本道から山道を登るのはきつく、そして長かった。案内所の忠告を聞いておいて本当によかったと思う。茶工場も通り過ぎ、そのまま宿泊施設へ向かう。

 

宿泊施設は伝統的なロングハウス(木造長屋)とロッジ。料金は2倍以上だが、快適そうなロッジを選ぶ。この辺が既にヘタレ。ロッジは客間と寝室があり、3人は泊まれる広さ。昼間、客は誰もいないが、隣の部屋の修理をする人が出入りする。ここから歩いて5分以上かけて、レストランへ向かう。途中は一面の茶畑。気分は途端に良くなってくる。

 

レストランは茶工場の横にある。茶工場は動いているようだが、外からは見えない。レストランは結構お客がいた。週末だからだろう。ここからの眺めは、キナバル山と茶畑、素晴らしい。サバティアイスミルク、昔飲んだ物よりも美味しく感じられる。場所のせいだろうか。茶葉の入ったスープは豚肉も入っていて意外だが、私には美味しい。炒飯もよくできていて驚く。

 

茶工場見学をお願いしてみたが、何と今日はもう生産終了、明日は日曜日で休日と言われショック。一応ガイドさんから、この茶園の歴史などを聞く。ここは1970年代にサバ州が開発した新しい茶園。ボルネオ島唯一の茶園でもあり、インドからアッサム種を持ち込み、紅茶作りを始めたという。以前は広大なジャングルだった。現在も紅茶の生産は順調で、生産量を伸ばしているらしい。

 

午後は茶園をぐるぐると散策する。歩いている人など一人もいない。ここの従業員は基本的にバイクで動いている。茶畑の脇には様々な花が咲いており、フルーツも沢山なっている。如何にも自然の中に迷い込んだ雰囲気がある。2時間歩いても歩ききれない。夕暮れが近づくとかなり寂しい雰囲気にもなる。

 

疲れたので、レストランへ行き、サバティーとコーヒーをミックスした飲み物をアイスで注文する。確かにコーヒーの味もして面白いが、わざわざ混ぜる必要があるのかは疑問。レストランは早く閉まるというので、そのまま夕飯も食べる。さすがに夕方は観光客もいない。私が帰る頃、宿泊客が食事にやってきた。ここの宿泊客は、この付近ではここしか食べる場所はないのだ。私は早々に引き上げ、シャワーを浴びて早寝する。

 

2月17日(日)
朝のキナバル山

翌朝は早く起きた。あたりが明るくなるとすぐに外に出て、朝のキナバル山を眺めた。レストランから見る山が、茶畑と相俟って素晴らしい。ただそれもすぐに霧に包まれてしまう。まだ朝飯には早いので、付近の散策を始めた。ところが霧のせいか、道に迷ってしまう。気が付くと、茶苗を育てている畑に到着。これも見られて嬉しい。ただ帰りの坂が急すぎて、息切れがすごい。

 

朝飯は店員に勧められて、XXフォー(名前失念)という、スープヌードルを食べる。このスープ、絶品。フォーって、あのベトナムにあるフォーの原型なのだろうか。この茶園だから当然洋風朝食と思っていたが、意外性があってよい。温かいティーがポットにカップ3杯もあり、満足。ショップでお茶を買うが、紅茶以外に手作り烏龍茶、そして何と日本から輸入している玄米茶も売っていた。

 

9時半に本道にバスが来ると聞いたので、9時にチェックアウトして荷物を引き摺りながら降りて行く。とにかく道が悪いのでスピードは出ない。荷物ケースが壊れるのではと思う程だ。何と下まで降りるに30分かかってしまう。確かにこれなら登っていくのはどれほどの時間を要するのだろうか。橋があり門番のおじさんが怪訝そうな顔で見送ってくれた。