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香港ショートステイ2018(3)新界の村祭り

私は一体何のお祭りに紛れ込んでしまったのだろうか。表示を眺めるとどうやら駱という家の祖祠の修繕記念のようだ。村の人が沢山出てきて、その祠の周囲に集まっている。突然爆竹が鳴り、村の中を練り歩いていた獅子?いや龍が祠にやってきて、華麗に舞う。今や舞う人も稀で、かなり練習したんだろうなと思う。恐らくは普段は相当静かなこの村が、何だかとても賑やかだ。

 

皆が去った後、新しい祠に入れてもらった。きれいに修繕されたその中には、族譜なども展示されている。相当古い家なのだろう。香港に来て何代になるのだろうか。客家系だろうか。この新界、元朗地区には古い集落が多くあり、我々が思っている香港とは全く違う世界がある。

 

かなり寒い日だったが、村人と近隣の村の代表などが、広場のテーブルに着いている。我々もそのテーブルの一つに案内されて席に着く。Yさんのお知り合いの香港人が、このような村々の調査をしており、村から招待を受けたらしい。主賓と主催者がテーブルに着く頃、テーブルの上には盆菜と呼ばれる鍋?が置かれ、火がつけられ始める。温かくてよい。

 

盆菜は元々客家料理だと言われている。結婚式などの祝い事があると、大勢の人に料理を振る舞う宴会料理だった。シイタケ、花膠、魚のすり身団子、鶏肉、車えび、豚ロースト、などが上の層に、その下にイカ、豆腐、髪菜、乾燥牡蠣、大根なども入れられ、中国料理の食材が1つの鍋でぐつぐつ煮られていく。ちょっと味付けは濃いが、味がしみておいしい。そして何より暖まる。昔は自前で作っていたようだが、今は盆菜専門店が大型コンテナでケータリングするらしい。香港では今、盆菜が人気だというのだ。

 

まだ明るい時間だが、来賓あいさつもそこそこに村のカラオケ大会になる。お年寄りがマイクを取る。おばあちゃんが演歌を歌い、わざわざ客家語で歌っている人もいた。その合間にラッキードローも行われている。完全な村祭りだ。そして盆菜を食べ終わると、皆ドンドン席を立ち、帰って行ってしまう。

 

我々も村の中を少し見学してから帰路に就いた。ちょうど村はずれにミニバスの停留所があり、そこから乗る。ミニバスだから席が少なく、危うく乗りそこなうところだった。この村にも黒人が住んでいるらしく、乗り合わせる。そういえば先ほどの祭りには村出身と結婚したヨーロッパ人も来ていた。意外や国際的な香港の田舎。

 

帰りは来た経路を戻る。Yさんも私の宿の近くに住んでいるので、何も考えずについていく。佐敦の近くまで来ると、『実は空港に行くバスはネーザンロードを通ると時間がかかるが、それ以外にもある』と教えてもらう。こういう情報はやはり地元ならでは。特に明日は時間が無いので有り難い。

 

2月5日(月)
楽しく話して

翌朝は狭い部屋で何とか荷物を整理してチェックアウト。鍵はフロントに置いて出るだけだ。今朝は大学の後輩Kさんと再会するため、荷物を引き摺って佐敦駅に向かう。今日も結構冷えている。確か昨日MRTで『霜に注意』などという表示もあったな。どう考えても10度以下だ。

 

駅で落ち合って、近くの茶餐庁に入る。だが大きな荷物は席まで持ち込めず、入り口付近に置かざるを得ないので、誰かが持っていかないか、ちょっと気になる。サテ牛肉即席麺を食べる。なぜか香港の茶餐庁で食べるインスタント麺は旨い。更には朝食セットとして、パンと卵まで付いてくる。

 

Kさんとは昨年久しぶりに再会し、何気ない話から、共通の関心事が多いことを発見し、話し足りなかったことから、また会うことにしたのだ。彼には無理を言って、私が空港に向かう時間まで付き合ってもらった。相変わらず、言語学、民族学などの観点から中国を中心としたアジアの話題で話は尽きない。あっという間に2時間以上が経過してしまう。

 

名残惜しかったが、バス停に向かう。幸い昨晩Yさんに早いルートを教わっていたこと、そのバスがすぐに来たことから、これまたあっという間に空港まで連れていかれてしまった。こんなことならもう少し話していればよかった、と思ったが、もう遅い。空港でいつものお菓子を買い、ゆっくりと飛行機に乗る。

 

フライトは順調、機内で映画を見ていると時間が過ぎる。香港は台湾よりちょっと遠いのだが、その1時間はかなりの距離を感じる長さだった。羽田に降りて、電車で帰ると、まだ家の周りには雪が残っていた。道理で寒い訳だ。

香港ショートステイ2018(2)上環から新界の村へ

セントラルには慣れているはずだったが、待ち合わせのFCCに辿り着くまでの坂が登れず時間を要してしまい、遅刻。ここは昔から私のお気に入りだが、以前は外国人特派員の会員しか入れなかったため、誰かに連れてきてもらうしかなかった。聞けば最近は一般(会員)にも開放されており、店内もとても明るくなっていて見違えた。ただウエーターの応対に特に変化はない。

 

Nさんと雑談。香港在住20年を超える先生で、私も以前かなりお世話になった。でも最近の香港はやはり息苦しくなっているようだ。それでも『日本よりはマシ』というのは、今や合言葉のようでおかしい。香港も残念な方向に変化しているが、日本はもっとすごい。そんな中で日本語を学び、日本で働く卒業生も多いので、彼らの心中はどうであろうか。

 

このレストランではやはりカレーが無難だという。一週間後にはインドへ向かう身でありながら、勧められればそれに従う。イギリスでも香港でも、インドカレーは人気である。期待にたがわず、なぜかうまいので、どんどん食べてしまう。膨れた腹を抱えながら、宿に戻る。

 

フェリーもアッパーデッキに乗る。10年ぶりか。料金もそれほど違わないのに、これは上流階級の乗り物だと思っていた。さっきは薄暗がりだったが、今度はくっきりとした夜景に満足した。フェリーを降りるともうあの人込みを歩くのは嫌だったからバスに乗っていく。だが停車しているバスはなかなか出発しない。ネーザンロードは未だ混んでおり、ノロノロ運転だ。

 

宿の横には廟街市場がある。腹を空かせるためにも歩くことにして、市場を覗いた。夜はかなり涼しい。9時過ぎた時間では、さほどのお客もおらず、皆あまりやる気もない様子だった。あの深夜特急の廟街の熱気はどこへ行ってしまったのだろうか。中国人観光客もここには興味はないのだろうか。

 

2月4日(日)
茶縁坊へ

翌朝は窓がないので明るくなったことも知らずに寝ていた。以前何度か窓がない部屋に寝たことがあるが、基本的によく眠れるのは、灯りのせいだけだろうか。まあ、お茶も飲んでいないので、良い。午前中は時間があるので周辺を少し散歩した。当たり前だが、この地域、再開発の対象である。特にハーバー沿いは見慣れぬ建物が増えており、数年のブランクを強く感じた。

 

またフェリー乗り場まで歩く。午前中それほど人込みはない。フェリーも休日は平日より料金が高いことに久しぶりに気が付く。やはりアッパーは贅沢だ、とローアーのいつもの位置に腰を下ろす。セントラル側では何やらコスプレイベントでもやっているのか。ちょっと不思議な人々を見る。

 

それから何気に日本領事館のあるビルを通り過ぎると、何とその前に慰安婦像が置かれていた。その近くは日曜日なのでフィリピンアマさんが、段ボールを敷き詰め、寒さ対策万全にして、皆で集まっておしゃべりしていた。一体この像を前にどんなリアクションをすればよいのか、かなり迷う。そしてあまりよく見ないで、通り過ぎてしまった。

 

上環の茶縁坊に着くと、既にYさんが来ていた。そしてお父さんがまた菜飯を作ってくれていた。私はこれを食べるのが一番好きだ。Oさんも加わって、皆で食べる。風邪気味のOさんだったが、完食した。こんなシンプルな食べ物がいい、ということかもしれない。張さんの鉄観音茶で温まる。

 

今日は上環でお茶の歴史について、色々と確認しようと思っていたのだが、何ということか、日曜日はこの辺休みだということを完全に忘れていた。何ということだ。前回も香港大学の図書館が休みで同じ目にあったのだが、まさか香港に長く住んでいたことも忘れてしまっているのだろうか。自分で自分が信じられない。

 

突然村のお祭りへ
風邪気味のOさんとはここで別れ、Yさんと向かったのは新界の村だった。ちょうどYさんの知り合いから、祭りを見に来ないか、と誘われ、それにノッた訳だ。西鉄に乗ると、昔を思い出す。初めての香港歴史散歩の会は天水圍で降りて行った村の祭りだった。その時の興奮は今でも忘れない。Yさんもそこから嵌ってしまい、今やその道の専門家になっている。

 

錦上路という駅で降りて、バスに乗り換えた。この辺は全てYさんにお任せだ。このバス停で待っている人々、よく見ると極めて多国籍だ。インドネシア系のメイドもいれば、中東系の女性達、インド系もいれば、アフリカ系と思われる男たちもいる。こんな田舎に何でこれらの人々がいるのか、それぞれ事情はあるだろうが、ある意味で今の香港を象徴していると思われる。

 

バスは結構混んでいた。2階に乗り込んだが15分位で目的地の村に着く。Yさんは降りる時もオクトパスカードをかざしていた。なんでと聞くと、『実は近距離で降りた場合、返金される制度がある』というのだ。こんなの初めて聞いた、というと、『香港人でも知らない人が多い』というではないか。さすが香港、情報通のみが得をする、という意識は健在だった。

香港ショートステイ2018(1)混んでいる香港

《香港ショートステイ2018》

 

ひょんなことから香港へ行くことになった。昨年3月に用事で行った時にマイレージで航空券を予約したのだが、帰りは日本に帰らず、LCCで台中へ飛んでしまったので、帰りのチケットが余っていた。そのうち使うだろうと思っていると、既に有効期限が目の前に迫っている。もったいないので台湾からの帰り道を香港経由という逆方向に敢えてしたわけだ。

 

それなら昨年の逆ルートでと、台中―香港間のLCCチケットを見ると、何と1000円という格安チケットを売っているではないか。ところがPC画面で処理を進めていくが、最後の決済がどうしてもできない。これはパスワードなどを間違えていると勘違いして、パスワードまで変更してみたが、結局翌日になっても買えなかった。後で若者に聞くと『それは安いから皆が殺到したんだ。処理が遅いから競争に負けたのさ』と言われて愕然。確かに手のスピードは全く敵わない。仕方なく桃園―香港を買い、何とか行くことになった。

 

2月3日(土)
香港まで

いつものようにバスで台中、高鐵で桃園駅、そしてMRTで空港へ。もうあまり長いとは感じられない。ただ万が一に備えてかなり早く出てくるので、空港での待ち時間が長い。桃園空港第2ターミナルの地下を歩くと、フードコートがあり、そこでPCなども使え、充電も出来ることが分かる。有り難い。先日行った台中の春水堂なども出店しており、意外と充実している。

 

今回乗る飛行機はLCCの香港エクスプレスではなく、香港航空。どう違うのかよく分からなかったが、荷物は普通に預けられ、搭乗すると座席で映画も見られるし、食事も提供される。僅か2時間弱のフライトだが、これは普通のサービスでよい。出てきた炒飯がうまく感じられる。やはり私のような年齢の人間にはLCCは合わないように思えてならない。

 

香港空港に着くと、旧正月の飾りが目につく。埔里では花や対聯を売っている程度であまり気が付かなかったので、これはやはり商売上の飾り、ビックセールの合図ということだろう。荷物を取るのには時間がかかった。前の便の荷物がターンテーブルに置き去り。イミグレで引っかかっているのだろうか。そこに我々の荷物が落ちてくるから、困ったことになる。結局30分待ちになってしまった。

 

今回は銅鑼湾ではなく、九龍側に泊まることにしてみた。最近は銅鑼湾の宿がリーズナブルなので利用していたが、銅鑼湾がよくなったのだから、観光客の多い九龍はもっと良くなっているかもしれない、と思ったからだ。だがまずその期待は空港バスで打ち砕かれる。バスが満員で乗れなかったのだ。これでは香港生活のスピードが落ちる。更には途中で渋滞、特にネーザンロードに入ってからはずっと混んでいる。こんなことなら香港島側にすればよかった。こちらの方がバスはスムーズなはずだ。

 

そしてなぜか中国人のおばあちゃんと孫が2人で乗って来たのだが、彼らは自分の行先の住所は分かるが、どこでバスを降りてよいかわからない。運転手は適当な答えをしており、周囲の乗客(多くが中国人)が皆で助け舟を出すものの、根本的には香港人はないので、誰も地理は分らず、手の出しようがない。まあスマホではないが電話は持っているようだし、誰か迎えはいるだろうから、何とかなるだろう。それにしても香港のバスの運転手も相変わらず不親切ではある、特に中国人に対する態度はひどい。

 

何と1時間以上もかかりようやく佐敦付近でバスを降りる。道路の両側も通行人が多くて、荷物を持った旅行者には厳しい。本日予約した比較的安い宿を探すと、何とその場所は3年ぐらい前にも泊った古ぼけたビルだった。しかもエレベーターの具合など、何ら変わってはいない。

 

その小さなドアを叩くと中から若い男性が出てきた。受付には女性もいた。二人とも英語がとても流暢だったが、二人で話すときはなぜか中国語を使っている。どう見ても香港人らしからぬ振る舞いに、後で聞いてみると、男性の方がマレーシア華僑で広東語は出来ないとのことで納得。それにしてもこの二人を見ていると(聞いていると)どこの出身かもわからなくなるほど中国語が標準化している。因みに二人は夫婦で、安宿が儲かるというので始めたらしい。

 

部屋には窓もなく、とても狭いが、まあ寝るには十分な清潔感がある。銅鑼湾に比べれば進歩はないようにも思えるが、一時ほど値段が高くないのは良い。そういえば、台湾を出る前日、携帯に電話があった。この宿の女性からで『宿の場所は分かるか』など、予約の確認をしながら、きちんと客をフォローしていたので、好感度は高い。

 

夕方ネーザンロードを歩くと、もう大変。人が多過ぎて前にも横にも進めない状態が続く。仕方なくわき道を抜けて、何とかスターフェリーまで辿り着く。この付近のブランドショップに相変わらず中国人が行列を作っており、首をかしげる。恒例行事になっているスターフェリー乗船。夜景がきれいな8分間。

インドで自然療法2018(17)娑婆に戻ったが

9時半にヨゲーシュが来て、『今日はバスティだ』という。いや、昨日も言ったが、私は10時半にはここを離れる予定だから、今日はトリートメントは要らないのだ。それでも『まだ時間はある、やろう』というから困ってしまう。きっと連絡がうまく伝わらず、わざわざ来てしまったので、どうしてもやりたかったのだろう。ただ10時半になっても迎えの車は来なかったので、やってもよかったかもしれない。どうせ料金は同じだろう。それがインド流かなとも思う。

 

ビレッチャナを迎えたWさんとドクターと3人で最後の話をしていた。結局A氏夫妻が現れたのは11時半近くであり、12時近くまでドクターと話し込む。今日はホーリーというインドの祭日で夜には火の周りを皆が回る儀式もあるらしい。祭日の日は交通状況が読めないので、早く先に進みたいと思っていた。

 

ようやくドクターに別れを告げて、車に乗り込む。そのホーリーの翌日はインドでもっとも危険な日だと聞く。若者たちが色水を使った水鉄砲で辺り構わず、掛け回るとか。バンコックの水かけ祭りのはるか上を行く凶暴さであり、A氏夫妻も明日は一日自宅に籠るらしい。私は今日が出国日で助かった。もうバカ騒ぎを喜ぶ歳ではない。

 

懐かしいゴレ家に寄った。郊外の村にあるゴレ家に2泊したのはもう4年も前のこと。ガンジー主義とは何ぞや、その一環を垣間見られたのは良い経験だった。あの時ゴレさんはアメリカに行っており、奥さんのレッカさんしかいなかった。よくまあ日本人のおじさんを引き受けてくれたものだと思う。夫妻は昨年ニサル先生一行と日本の旅に来ていたので、私は少しだけ東京でご一緒して以来だ。

 

アメリカにはよく行くゴレさんは、日本に行く前と後で印象がガラッと変わったようだ。『日本の技術は素晴らしい』と言い、新幹線博物館に感動した話をしている。確かに山手線に乗る時も、凄く熱心に見ており、写真を撮っていたのはゴレさんだった。何がそこまで彼を突き動かしたのか、今回はちょっとお昼ごはんを頂戴しただけでゆっくり話す機会はなかった。また次回どこかで会うだろう。その時に聞こう。

 

車はA夫妻宅で2人を下ろし、それから一路ムンバイに向かった。車は極めて順調に走行し、私は1時間完全に眠ってしまった。やはり疲れているのだろうか。気が付くと郊外に出ており、途中でトイレ休憩をして、3時間ちょっとでムンバイ空港に滑り込んだ。ムンバイ市内ではさすがに渋滞があったが、ラッシュアワーの前に何とかすり抜けた。

 

以前は空港に入るのも警備員とのやり取りが大変だったが、今は実に簡単だ。だがチェックインにはさすがに早過ぎた。ANAは3時間前からとのことで、シートに座ってPCを広げたら、怖そうなおじさんがやってきて、『セキュリティリーの関係でこのシートから立ち去れ』と言われてドキリ。こういう時はわがままなインド人もあっという間に移動するんだな、と分かる。

 

結局4時50分にチェックインが開始され、あっという間に済み、荷物検査、イミグレもそれほど混んでおらず、すぐに済んでしまった。ムンバイは空港もきれいだし、もう昔のインドの面影はどこにもない。ただ空港でWi-Fiを拾うことは出来なかったが、なぜだろうか。お土産物コーナーで紅茶などを眺めてみても、何ともおしゃれなパッケージになってきている。インドは着実に変わっている。

 

空港内で時間を潰す。何となく腹が減ったので、焼きそばやパスタ、ピザに手を出すと、これが殊の外うまく感じられる。冷たい飲み物など、ここ20日間、飲んでいなかったが、何とも言えない爽快感がある。これはまずい、折角の修行が台無しだ。既に娑婆に完全に戻ってしまった、と思ったが、もうあそこには戻れないのだ。

 

フライトはほぼ満員。離陸してご飯を食べると周囲は暗くなり、私も落語を聞きながら寝てしまった。行きは11時間近くかかったフライトも、帰りは風の関係か7時間程度で着いてしまう。朝方軽食が出ると、もう着陸。このくらいの長さなら問題はない。ただ成田空港でまたスマホがおかしくなり、何とか充電スポットを見付けて充電するも、またすぐに落ちてしまった。

 

第一ターミナルからだと、1000円で東京駅まで行ける格安バスは極めて乗りづらいので、今回は電車で帰ることにする。スマホが動かないので、時間すらわからなくなってしまう。何とも寂しい帰郷となるが、ちょうどインドの反省をする時間をもらったと思い、目をつぶって考えながら電車に揺られた。娑婆がいいとは思えないが、さりとて自然療法がよいとも言えない。現代は難しい。

インドで自然療法2018(16)女子高を再訪

展示会の開場に入ると昨年同様、可愛らしく浴衣を着た女の子たちと、日本文化に関する様々な調査研究の発表が我々を待っていた。折り紙から始まり、自然災害や原爆の歴史まで、自分たちで調べた成果を並べていた。突然歌を歌い出した子がいた。意味は全く分からないというが、相当早口の日本のアニメソングらしい。かなり耳がよい子なのだろう、音だけでほぼ完璧に歌ってくれた。

 

茶道のコーナーでは、何と茶道でなく、なるみのカップで玄米茶を淹れてくれた。何が日本茶かは分からないだろう。それでも見様見真似の手作りで柄杓や茶筅を作っていたのはユニークだ。材料は他の展示にもよくあったが、アイスの棒だというのが、いかにも子供らしくてかわいい。結局審査の結果、この茶道組が今回の一位となった。

 

最後に記念写真を皆で撮り、解散しようとすると、浴衣を着た子が、私を引っ張った。季節外れの七夕の短冊に願いを書いて欲しいという。彼女は何を書いたのかと聞くと『日本へ行きたい』と日本語で書かれていた。プネーの日本語熱は相当に高まっており、先生によれば、5月に生徒を連れて、岡山、和歌山、京都の旅が計画されているという。この子はその中に含まれているのだろうか。

 

校長室でチャイを振る舞われた。その前にスナックとしてフレンチトーストのようなものが出た。実に久しぶりにこんがり焼かれたトーストを食べて感激した。さっきが生徒からチョコレートやキャンディをもらい、食べてよいか迷ったが、ここでは全く迷いはない。むしろお替りしたぐらいだ。

 

クリニックに戻る時間となり失礼した。何とも楽しい時間だった。お土産までもらってしまう。クリニックではスタッフが待っており、いきなり目に粘土のようなものを押し付けて、そこにギーを垂らす。目は空けたままにせよ、と指示される。特に痛いということはないが、ちょっと目が霞む。更には鼻からオイルを入れる。これにはちょっとまいる。その上耳からも入れた。そして耳に綿を突っ込んで部屋を暗くして出て行った。かなりの時間が経った頃、Wさんが入ってきて、スタッフはもう帰りましたよ、という。何と放置されたままだった。さすが。

 

それから最後のフルーツとしてスカイを食べ、Wさんと話しているうちに辺りは暗くなり、夕飯も食べる。今回のここの食事には大いに満足した。その前が自然療法だったせいだろうか。今晩が最後となるのでWさんとずっと話していた。彼とは10日以上も一緒にいたことになる。初対面の人と10日、なんだか不思議な縁だ。

 

9時過ぎにドクターが帰って来た。そして我々に『このクリニックで改善すべき点を教えて』という。確かにハード面はかなり改善されたが、問題は色々とある。一番は『説明だ』と伝える。具体的には説明書を用意する、それも宿泊用とアユルベーダ用の2つ。我々が説明を聞かなくても理解できるようなペーパーがあれば、ずいぶん楽になるだろうと主張し、彼女も、それは必要だ、と理解を示した。

 

また昨年と一番違うところは、実はドクターに余裕がなくなっているところではないかと感じていたので、率直にその辺を述べた。何でも彼女一人で管理するには限界がある。我々の世話も完全にできているとは言い難く、常に携帯で呼び出され、前の会話を忘れてしまうことも多い。どう考えても、マネージメントと施術は分けなければならない。そうでないと、いかに優秀なドクターでも、患者の信頼は得られないし、何よりクリニックが回らなくなってしまう。経営の点からいえば、これは致命的ではないだろうか。果たして来年以降、何らかの改善がなされるだろうか。非常に興味深い。

 

生活は既に日常に近くなっており、睡眠時間も8時間以内となっている。PCに向かう時間も増えていき、文章を書きなぐるので遅くなる。食事がうまいとこうも元気になるのか、やることが自由にできるとやらなくてもよいことまでやってしまうのか、など、色々と考えさせられるインド滞在も、もう終わりだ。蚊は飛んでこなかった。

 

3月1日(木)
アユルベーダ5日目&最後の日

ついに最後の朝を迎える。今朝は目覚ましの音で起きる。だがその直後、スマホの電源はきれてしまう。今後は目覚まし機能も危機だと自覚する。東京に行ったら、すぐに修理しなければならない状態、最悪は買い替えだ。面倒だが、今やスマホなしでは旅行は出来ないので、おろそかには出来ない。

 

最後のご飯を食べ、荷物のパッキングを終える。そこへ突然自然療法でも見かけたKさんという日本人が飛び込んできたから驚いた。なぜここに来たのかはわからなかったが、ドクターとは前からの知り合いらしい。すぐにロナワラへ向けて出て行ってしまう。何だったんだろう。

インドで自然療法2018(15)食って寝て体重増加

ちょっと休息してランチになる。何ともゆっくりな生活がよい。ご飯もカボチャが実にうまい。美味ければチャパティも進む。折角自然療法でダイエットしたのに、これでは太り始めてしまうではないか。なんとも嬉しい悲鳴だ。それでもやはりご飯は美味しい方がよい。昨年はそこまで感じなかったが、自然療法を経験したせいか、今年は特に美味しいと感じてしまう。

 

午後はシロダーラ。昨年はフランス人の実験台として体験したが、今年はちゃんとした施術を受けることになる。正直シロダーラは日本ではアユルベーダの象徴となっているが、それほど効果があるのか気になるところ。まずはいきなりゴーグルをつけて、シャバーサナで精神統一、そしてオイルが垂らされる。

 

前回はゴーグルの周りにオイルが溜まり、ちょっと不快だった思い出があるが、今回は全く何もなく、オイルが終わってもヨゲーシュは単に頭の周囲をちょっとマッサージしただけであえなく終了。気持ちよく眠れる感じではあるが、効き目がある、という雰囲気はない。ただ後で感じる所では、時々眠気が襲ってきたので、それなりに効果はあったのだ、と思う。

 

その後Wさんが同じくシロダーラを行った。頼まれていたので写真を撮ろうと待機していたが、いつまでも合図がなく、部屋をノックするとすでに施術が始まっていた。何だか人がやっているのを見ると、気持ちよさそうに見えるのが面白い。午後のフルーツとして、ブドウと釈迦頭を食べる。釈迦頭、ねっとりした甘味でこれまた美味しい。

 

夕方、ドクターと話を続ける。ドクターは17-20時の間は近くにクリニックに出勤し、患者を診ているというので、そのクリニックに連れて行ってもらうことにした。彼女は5時前に着替えると言って自室に戻ったが5時半になっても現れず、怪しいと思い、外へ出てみると、なんと前を歩いている。我々を撒くつもりだったのか?何か意味があるのだろうか。

 

久しぶりに外へ出た。クリニックに来てから散歩すらしていない。太陽がまぶしい。大通りまで出ると、車の往来が激しい。Wさんは道を渡るのは一苦労だと言っていたが、中国で鍛えた私にはさほど難しい道ではないと思えた。やはり全盛期の中国の交通地獄は凄かったということだろうか。

 

クリニックに入ると、奥の小窓からドクターが手を振っている。何とも可愛らしいのだが、我々を連れていく話はどうなったのか。全く不明である。患者さんは高齢者が多く、毎日かなりの人数を見るので最近は残業らしい。この日も午後9時半に戻って来た。アユルベーダドクターも大変である。

 

ところでスマホの電池が完全におかしくなり始めた。電池は十分に入っているはずなので突然電源が落ちてしまい、充電が必要と表示される。これを何度か繰り返している。充電器に差し込むとしばらくして元に戻るのだが、バックアップの充電器を持ち歩かない私にとって、スマホが使えなくなれば、時間すらわからない死活問題になる。どうすればよいのか。全く分からない。

 

2月28日(水)
アユルベーダ4日目

今朝も爽やかな朝を迎えた。朝食前にドクターがきて、脈を診る。『よく眠れていないのか?』と聞かれてドキリ。実は昨晩久しぶりに動画を見たのだが、しばらく見ていなかったせいか、ちょっと目に堪えたような気がしていた。朝の脈でいち早くその兆候が出てしまったらしい。ドクターは何でもお見通しというわけだ。コーンフレークの朝ご飯を済ませる。

 

午前中は普通のマッサージを行った。もう明日にはここを離れるので最後のマッサージになるはずだ。ヨゲーシュのそれは相変わらず押しが強い。足の筋などかなり痛いが気持ちはよい。いわゆる、イタ気持ちいい、というやつだ。スチームバスも最後。べたべたの体を洗うのも最後だった。名残惜しい。いよいよいつもの帰り際のインド再訪熱が出始めているらしい。

 

昼ごはんで出たサラダは胡麻のドレッシングのような味がとても美味。ただスープはデザート系のようで、それほど、といった感じ。自然療法場に比べれば非常に美味しいのだが、何となくばらつきもある。また明日ビレッチャナのWさんはギーを取らなければならないはずだが、全く運ばれてこないので、こちらから注文する羽目になる。

 

午後1時半前に迎えの車が来た。同時にシヴァ先生もやって来た。彼女はラトールさんの日本語学校の先生で、今日は我々を女子高に連れて行ってくれることになっている。聞けば、岡山にホームステイしたことがあるとかで、日本語はしっかりしている。プネーは岡山や和歌山と縁が深い。

 

プネーの細い旧市街地を車はくねくねと進む。バイクが多くてかなり運転は厄介だ。『インドでは皆交通ルールを守りません』とシヴァ先生は言う。日本は安全だともいう。確かにこの光景を見れば、そうだろうなと思う。学校は昨年同様立派な校舎を持っていた。中に入るとすぐに校長先生の顔が見えた。大きな招待状をもらい持参したが不要だった。

インドで自然療法2018(14)極楽のアユルベーダ生活

2月26日(月)
アユルベーダ2日目

翌朝はなぜかドクターが7時からヨーガをやるというので、起きてみた。しかしやる気配はなかった。以前学んだところでは、アユルベーダでヨーガが取り入れられているとの話はなかったが、今回ドクターによれば、100年以上前からアユルベーダの中にヨーガはある、とのことだった。実はその朝は7時過ぎに患者が来て、診察にかなり長い時間がかかっていたので、実施されなかったのはそのためかもしれない。

 

朝ご飯として、ホットミルクとコーンフレークが出てきた。コーンフレーク、何とも懐かしく有り難い。自然療法では間違っても出ないご飯だった。美味しく頂く。そもそも自然療法では朝ご飯はジュースだったから、その違いは大きい。そしてお湯をもらってハーブティも飲む。

 

ドクターの息子、ウオーレンがやって来た。昨年は抹茶を飲んでいると言っていたが、何と今はコーヒー党だという。『やはりコーヒーは味が良いから』というではないか。彼は学校を出て、今はドクターのクリニックを手伝っているらしい。脈の専門家になりたい、と言っていたが、相変わらず若者らしく、カッとんでいる。

 

今日から本格的な施術かと思っていたが、まずは製薬工場の見学に行こうということになり、車で向かう。そこは昨年も行っているところだが、なんだかすごく遠く感じられた。プネー郊外もどんどん宅地化が進み、1年も見ないと、景色はかなり変わる。ただ製薬工場は特に変わってはいなかった。

 

薬の製造工程を見ていると、見慣れた機械が置かれており、何となくお茶の工程に似ているなと思う。それはある意味で当たり前か。ここでは約6か月を掛けて、約700種類のアユルベーダ伝統医薬が作られ、各アユルベーダクリニックに小売されるらしい。

 

そのニーズはますます高まっているが、原料の調達は、大手製薬会社の資本投下で青田買いされてしまい、難しい状況になっているとも聞くが、今日も原料を洗い、砕く作業が手で行われていた。牛糞は固形燃料になるが、それを灰にして塗ると効き目があるとも聞く。何となくプーアル茶を連想したが、それは形だけだったか。

 

帰りにドクターが小さな市場に寄ったので、我々も付いていく。野菜を買っていたが、我々の目はフルーツの方に向いていた。ドクターが『何が食べたいの』と聞いてくれたので、メロンを指さした。その他ブドウやスイカなど数種類のフルーツが買いこまれ、食べさせてもらえそうで嬉しい。

 

クリニックに帰ると、ランチが待っていた。サラダが出てくるところが泣けてくる。この家で食事を作る女性が更に食事を盛ってくれた。何だかいいホテルにでも泊まっているような気分だ。それからお昼寝をしたが、どうも寝起きにめまいを感じる。どうしたのだろうか。午後はポータリーマッサージを受ける。これはハーバルボールを温めて、体全体を隈なくマッサージしていくもので、何と今日は二人掛だったのでちょっと驚く。終わるとスチームバスに入り、汗を流してデトックス。どうも毎日の習慣になっており、インドを離れれば、これがなくなると思うと、ちょっと残念だ。

 

夕方気が付いてみると、テーブルの上にスイカとブドウが置かれていた。思わず食べ始めると美味くて止まらない。あっという間に食べてしまい、腹がくちる。これではとても夕飯は食べられないと、少し間をおく。ドクター曰く、『太陽のあるうちは消化力が高いので沢山食べてもよいが、日が沈んだ夜は量を減らすこと』ということで、混ぜご飯のようなものが出る。これがまた新しいバリエーションで嬉しい。

 

それからWさんとずっと話をして、ドクターの帰りを待ったが、ついに帰ってこなかった。どうしたんだろうか。シャワーを浴びて、ベッドに入る。今晩は蚊もおらず、よく眠れそうだった。

 

2月27日(火)
アユルベーダ3日目

今朝は5時台に起きてしまった。やはり自然療法場とは違い、お茶も飲み、食べ物も多く食べるとそれだけ体に負担が増え、寝る体力を奪ってしまうのだろうか。それともストレスだろうか。いずれにしても困ったものだ。7時にはリビングでWさんと話し始める。実は彼は今日、ビレッチャナをするかどうかが分からずにいたのだ。

 

ドクターがやってきたが、やはりこれまでほとんどギーを使っていないので、Wさんのビレッチャナは3月1日に延期になった。ついでに今日から私のご飯にもギーが使われるらしい。今朝の朝食はボーハというご飯。古代米を使ったピラフのようなもので意外と美味しい。食後にブドウを頂く。

 

午前中はついにバスティーが行われる。自然療法ではエネマと言っていたが、その違いを尋ねると、『バスティーはハーブをかなり使っている』という。ようは効果が高いということだろう。実際自然療法場では大勢を一度にやることもあり、簡単に挿入して、簡単に済ませていたが、ここではじっくり管を入れ、ゆっくりしみこませていく。私は途中で耐えられなくなり、トイレに駆け込むことになる。

インドで自然療法2018(13)アユルベーダに突入

11時前にラトールさんの車で別の人が迎えに来てくれた。鍵を返して荷物を積み込み、ついにアシュラムから出所した。実に13日、正直長過ぎた。もうここに来ることはないだろうと思うが、特に感慨はない。車は一路プネーに向かって走り、途中少し渋滞はあったものの、12時前に市内に入る。そこから前回行った両替所へ行こうとしたが、見付からず。結局違う場所へ行くも外国人だと足元を見られ、レートはかなり悪かった。

 

それからラトール家に行き、ラトールさんと共にランチの場所へ向かう。ビバさんの美味しいチャイを飲む時間はなく、残念!Good Luckというその店は、若者でごった返していた。ここはイラン系レストランとして有名な老舗だというから驚きだ。ベジもノンベジもOKということで、今日お会いするH先生お気に入りのレストランとして、連れて来られた。

 

10分以上待って何とか席が空く。H先生とは昨年も一緒に食事し、また学校行事にも参加した。そしてお互いのFBで近況を見ているので、1年ぶりとは思えないスムーズな会話となる。ここはイラン人がやっているから、イラニアンティがあるというので注文してみたが、何とプレーン紅茶にライムが付いているだけだった。Wさんはイラニアンティにミルクと頼んだら、チャイと同じになってしまった。

 

バターパンとエッグカレー、そしてチャパティが登場した。どれも一口食べて、『うまい』と叫んでしまう味だった。分けてもエッグカレー、私は卵好きだが、これほど卵がうまいと感じたのはいつ以来だろうか。カレーもマイルドにしてもらい、チャパティをつけて食べると、何とも言えない幸福感が広がった。やはり私は資本主義に毒されている、でも毒されていても、もう戻れないのだ。

 

H先生は昨年より元気そうに見えた。家を転居し、生活環境がよくなり、プネーの生活にも慣れたようだった。インドの、特にこの地域の日本語熱は盛んだから、色々と行事などもあり、忙しい日々を送っているという。インド国内の旅行もままならないとか。やはりインドで仕事をしているのは大変なのだろう。

 

レストランの近くでWさんが日本で用意してきたプリペイドカードを使って現金を引き出した。インドの銀行のどこで引き出せるとのことだったが、一軒目はダメだった。私も昔海外銀行のATMカードを持って銀行を回ったが結局引き出せなかった。記憶がある。何とか3軒目で現金が出てきたらしいが、その仕組み、理由は良く分からないという。

 

ビックバザールへ向かう。ここは私の定点観測の場。今回も買うものはなかったが、敢えて店内を見て回る。品ぞろえは年々向上している。そして売り場の品ぞろえと位置も変わっている。売れ筋商品に変化があるのだろうか。お茶も緑茶スペースは相変わらずで紅茶を圧倒。しかも紅茶も安い商品は置かなくなり、値の張るものだけが置かれるようになっていた。

 

一瞬ラトール家に戻り、荷物を持って、スチェータ先生のアユルベーダクリニックへ行く。先生もクリニックも特に変わった様子もなく、チェックイン。今回はシャワートイレ付きの部屋をWさんに譲り、私は隣の部屋へ。部屋の横にはトイレがあるので問題はない。1階の内部はかなり変わっていた。以前食事をしていた狭い部屋は無くなり、広めの施術室が2つになっている。

 

既に夕方に近づいており、早々今日のマッサージが始まる。マッサージ師は昨年同様ヨゲーシュ。彼のマッサージも実にうまい。自然療法のチャンドラカントよりさらにパワフルに押してくるが、気持ちよい。スペースも広い個室なので、自然療法のようにおじさんたちに挟まれてマッサージを受けることもなく、気持ちが楽になっている。

 

夕方もすでに5時を過ぎているがまだ日は高い。それでも今日のトリートメントは終了。夕飯が用意されていたが、さすがに昼を食べ過ぎているので、6時にシャワーを浴び、6時半から頂くことにした。食事の前にシャワーを浴びるのは、消化を助けると昨年ドクターに助言されていたこと、記憶力の悪い私も、ここで教わったことのいくつかは実践している。

 

夕飯はドクターが運んできてくれた。日曜日だからだろうか。野菜がコロコロ入っていて嬉しい。自然療法場では、いつも同じようなスープと野菜だったので、かなり新鮮だった。そしてチャパティは旨い。更には白いご飯まで出てきて感激した。ドクターが横で質問に答えてくれるので、どんどん思いつくまま質問を繰り返す。この環境が欲しかったんだ。

 

そうしていると突然電気がすべて消えてしまった。慌ててスマホのライトをつける。どうやら周囲一帯が停電したようだ。ドクターが『こんなことは滅多にない』と言いながら、ライトとろうそくを持ってきてくれた。いつもなら夜ドクターはいないので、ラッキーだった。一度は点いたがその後また消え、復旧には少し時間がかかった。ラダックでの停電などを懐かしく思い出す。その夜はチャイなど飲んだせいか眠りが浅く、また蚊にも刺され、夜中に起きあがってしまった。やはりGood Knightは必要だったか。

インドで自然療法2018(12)ウルリの街へ

2月24日(土)
復活の12日目

今朝は5時台に起きてしまう。さすがに10時間睡眠を何日も続けてはいられないだろう。Wさんが寝ていたので、ロビーのソファーでPCをいじっていると、『どうしたんですか?』と彼が心配そうに起きてきた。『急にいなくなったから』というが、確かに昨日までグータラ寝ていたオヤジが居なくなれば驚くかもしれないな。腰痛はすっかり良くなり、身体向上の予感。

 

今日は精算の日。まずはマッサージで支払いをして、と思ったが、チャンドラカントは『明日もするなら明日でいい』という。そしてマッサージが終わるとスーパーバイザーを指して、サインと言ってくれたのでスムーズに終わる。スチームバスも熱くなるので、人が出てから少し間を開けて入るようにすると熱くない。そんな技術を身に着けたと思ったら最終日だった。

 

それから難関のキッチンでもあっさりとサインをもらい、一度も行ったことがないライブラリーでも、何のチェックもなく、サインをもらう。まるでスタンプラリーのようだが、何のために我々がこれをしなければならないのか、分らない。更にドクター横のデスクでサイン、レセプションでもサインをもらい、ようやく会計に辿り着くからたまらない。これが治療にでも役立つならよいのだが、何とも首をひねるばかりだ。

 

昼ご飯を食べながら皆で雑談。まあこれもまた楽しい。12時に部屋でアイパックをすると急に頭がクラっとなる。めまいか?そこへ掃除ににいさんが入ってきたので勝手に掃除してと言ったら、目を開けてみていて欲しいという。そうか、何かがなくなったとか、疑われたくない、自分の仕事を守る手段なんだな。勿論アイパックを外し、見ていた。その後またアイパックをすると、そのまま完全に寝入ってしまい、1時間程起き上がれなかった。これもまた反応なのだろうか。もうドクターに聞きに行くことは出来ない。

 

3月の予定が埋まり始めたのでフライトの予約をしていると3時になり、もう腰痛はなかったが、お金を払ってしまっていたので、最後の電気治療に行く。ちょっと時間がかかった上、今日だけ熱く感じる。スピナルバスに行く必要もないと思い、そのまま部屋に帰ると、Wさんが娑婆へ出るという。

 

流石に一度ぐらい出た方がよいと思い、着いて行く。カードをガードマンに渡し、12日ぶりに娑婆へ。そこは思っていたよりは随分きれいな、小さな街だった。YさんとWさんはお菓子屋さんに走っていき、ドーナッツみたいなお菓子を買っていた。味見したが、腹にちょっと堪えた。

 

それから一人で駅まで歩いてみる。埃っぽかったが、清潔な道だった。駅には人が結構待っており、ちょっとするとハイデラバード行の電車がやって来た。いつものことだが、満員電車だ。しかも待っているところには停まらず、勿論表示もなく、皆が大慌てで前の方に走っていき、乗り込む。

 

もう少し街をフラフラしたが、すぐに尽きてしまうほど小さい。野菜市場を通り抜け、果物を物色するも、美味しいと言われたイチジクはなく、アシュラムの門まで帰ってくる。仕方なく、内部でイチジクを買おうとしたが、なぜか私だけが吹っ掛けられる。それは高いだろうというと素直に安くなるからよいのだが、嫌われているのだろうか。しかもそのイチジクは思ったほどうまい、ということはなかった。

 

夕飯を食べることにした。明日は午後1時まで食事できないと分かっているので、フルーツだけだとめまいがしそうだった。ちょっと珍しい食べ物もあり、にいちゃんが勝手に大盛りにしたこともあり、それを食べ切るのに苦労した。そして腹が完全に膨れてしまい、散歩ぐらいではへこまなかった。

スピードスケートマススタートで高木奈菜が金メダルを取った。この姉妹、姉が金2つ、妹は金銀銅だ、凄いな。でも美帆にしてみれば15歳で自分の方が上にいたのに、今回もまた越されてしまった感があるだろうな。カーリング女子も何とか銅メダル、これは日本中が沸いているぞ、きっと。

 

いつものように夜9時すぐにベッドにもぐりこんだ。だがその瞬間、ちょっとめまいを感じる。そうなると睡眠は十分足りているので、眠れなくなってしまった。このめまいの原因は何だろうか、一過性なのだろうか。そういえば、このアシュラムでは鉄分など殆どとっていないのでは。そうこうしているうちにWさんが部屋に戻り、先に寝息を立ててしまった。最後の夜が眠れぬ夜になろうとは。

 

2月25日(日)
ラスト&ファーストデ―

今朝は朝からてんやわんや。急に車のアレンジが変わったのだが、その詳細が何も詰められておらず、困ってしまった。ラトールさんに電話しても繋がらない。スマホの調子が悪いらしい。どうなるんだろう、今日は。8時にA師夫妻とYさんがプネーに向けて先に出発。Yさんは午後そのままムンバイに行き、今夜のフライトで帰国する。

 

8時20分には早くもチャンドラカントが迎えに来た。まず料金の支払いをしたが、少し多めに渡すと『お釣りは要らないのか?』と聞いてくる。何とも律義な男だ。勿論チップだよ、と言ったが、どう思ったかな。そして入念な最期のマッサージを受け、スチームに入り、体を洗い、全てが終了した。

インドで自然療法2018(11)腰痛がぶり返す

2月22日(木)
腰痛の10日目

朝は5時台に目が覚めてしまった。Wさんは既にヨーガに行っている。腰が痛い。これは困った。取り敢えず冷やさないようにして、頑張る。7時台に暖かいハーブミルクを飲むと少し落ち着く。和歌山の知り合いからも歓迎とのメッセージが入る。もう心は日本に飛んでいた。

 

いつものマッサージを受け、熱いスチームバスに入ると、腰痛は柔んできた。ドクターの診察を受けようとオフィスに行くも午後からと分かり、体重を図る。何と昨日より2㎏以上落ちている。スタッフが『体重計が2㎏間違っているね』とあっさり言う。ダイエットの人にとってはぬか喜びか。

 

昼ご飯を食べ、アイパックで昼寝、これももうルーティン化している。2時半にオフィスに行ったが、ドクターと話したのは3時過ぎ。腰痛を説明すると『自然療法の反応とは関係ない』と簡単に言われ、すぐに別棟送りとなる。そこで腰を温める機械治療。ベッドに寝て、腰を板に押し当て電気で温める。これって自然療法?1回80ルピーの別料金。これから3日間受けることになった。一時的に収まるが、夜にはまた復活の痛み。どうするんだ。まあ神経治療で背中を足で踏まれるよりは良いか。

 

和歌山の人とFB電話で話す。いつの間にかことは大きくなり、セミナー開催の様相となる。とにかく地方に行けるのは有り難い。大阪のお茶会も10名以上が参加だそうだ。また作業が増えてしまった。3月は一体何回話をするのか、原稿の締め切りはどうか、などと完全に日常に戻ってしまい、また腰痛がぶり返す。なんてこった。

 

Wさんたちはフルーツダイエットをはじめ、夕飯がフルーツだけとなり、一人で夕飯を食べる。さすがにもう飽きてきたな、この食事。しかしここを出所しても又スチェータ先生のクリニックだ。何と今回はインドに来て一度も娑婆で食事もチャイすらない、という逆説的にいえば画期的な旅となりそうだ。日本での反動が怖い。

 

深夜特急3、読み終わる。『インドでは何も得ることができない』という言葉が響く。まさにその通り。何かを期待してもイケないし、何かを得ようとすれば膨大な研鑽が必要になる。中国もそうだったが、この広大なインドを理解できる人間などいないのだ。私は既にその挑戦意欲すら失っているだろう。それでも何かを知りたい!何かを持って帰りたい。

 

2月23日(金)
平穏な11日目

朝はWさんより私の方が早く起きた。と言っても7時前だが。ロビーでPCをチェック。それからお茶を飲みに行くと外にYさんがいたので歓談。彼女の会社やご家族と、私の元勤め先はかなり関りがあることが分かり、話が弾む。ひとはどこで繋がっているのか分からない。

 

今日も順調に予定をこなす。チャンドラカントのマッサージは既に私の日常と化しており、これだけはもっと続いて欲しい。彼は英語も多少わかるし、毎日迎えにも来てくれ、私の体も気遣ってくれる。腕もよく、マッサージは心地よい。勿論仕事としてやっているのだが、実に好感が持てる。ここに来ての最大の収穫だった。

 

 

そろそろここを離れる日が近づいてきている。精算をどうするのか、次の日程がどうなるのかが気になり始める。明後日はラトールさんが迎えに来てくれることになっているが、何時に来てくれるのかと電話を入れたりする。インドでは大雑把には決まっていても、詳細は直前に詰めないと分からない。しかも実際に電話すると25日の予定が知らない間に入れられていたりするから、面白い。A師やYさんとも別行動で決着する。

 

ランチを食べていると、インド人がやって来た。日本に結構詳しいと言い、我々にも興味を持っている。『富士山のさんは、須賀さんのさんという意味か?』などと言われると、こちらも思いもよらず、驚く。『どうして富士山は、ふじやま、と読まないのか?』と聞かれても困る。日本に興味を持つインド人はどんどん増えているが、その知識は、どこから手に入れたのか、と思うようは、不思議なものに時々遭遇する。

 

午後スピナルバスをしようと向かったが、何とスタッフが誰もおらずに出来ず。こんなの初めて。仕方なく、昨日の腰の電気治療へ行き、10分間行うとかなり良くなる。今日は右が少し良くなり、ただ左に少し痛みが出ていたので、かなり効果的だった。そのままフルーツを買いに。今日はおじさんがおらず、おばさんの言い値は少し高いが、結局パパイヤとブドウを買う。今晩はフルーツダイエットの続きだ。

 

オフィス前で久しぶりにKさんに会った。彼女は到着日からフルーツとジュースで5日目を迎えていたが、実に元気で驚く。この人が一番ここに合っているな、と思う。彼女によれば、最終的な精算にはドクターのサインがいるのだという。それなら忙しいドクターを今日の内に捕まえておく方がよいだろうということになり、急きょオフィスに向かう。

 

また30分ぐらい待たされたが、何とか面談にこぎつける。そしてサンポートに感謝し、明後日発つことを告げる。血圧を測ると130/80、これはベストだと助手のジュディが言う。インド人の血圧は高いのだろうか。まあ確かに血の気の多そうな人は多いのだが。そしてドクターと記念写真を撮り、握手して別れた。ただ明日はキッチンから図書館まで終了のサインをもらって歩く作業があると聞き、愕然。そんなのそっちでやってよ!

 

夕飯の時間になったが、もうキッチンの食事には飽き飽きしており、買っておいたフルーツで済ませる。こんなこと、日本にいたら絶対にできないよな。日本には美味しいものが多過ぎて、基本的にダイエットなど無理だと思う。オリンピックのカーリング準決勝で日本が韓国に負けてしまったのは何とも残念。