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メーソット・ターク2024(3)ターク散歩

タークは100年以上前に交通の要所として栄えた街だと聞いていた。すぐ近くに博物館があるというので出向いてみたが、休みだった。その先あたりから、かなり古い家屋が点在している。中には屋号が漢字で書かれている物もあり、また「バーンチン」という住居表示が見え、この付近は潮州人の居住地だったと想像された。

チェンマイを流れるピン川は何とタークにも流れていた。だから交通の要所だったのだと分かる。この時期、水位がかなり高く、洪水にならないかと心配になった。川沿いをただ歩いていると、暑いながらも風が吹いてきて気持ちが良い。近くに大きな市場があり、この川を通じて物流が発展した様子も分かる。

腹が減ったので何か食べようと探すと市場の横に麺があった。華人系の旨い麺(バミー)だった。スープ麺ではなく、乾麺というのが何とも良い。周囲の人々の表情が皆穏やか。よそ者が入ってくることに慣れているのだろうか。昼下がりの市場は人影もまばらでけだるい雰囲気がまた良い。

タークといえば、タークシン。潮州人鄭信はビルマを打ち破り、トンブリ王朝を築くも、部下のラーマ1世に殺害されてしまう。250年も前の話しだ。こんな昔からこんな場所に潮州人がいたことには驚きを隠せない。そのタークシン廟へ行ってみると、以前ラヨーンにあった廟とほぼ同じではないかと感じられた。ラヨーンはタークシンが再起をかけて潜伏した場所だった。この辺の歴史、興味はあるが理解は難しい。馬と鶏の像が沢山置かれているのはなぜだろうか。

午後2時になったので宿へ戻り、チェックインして休む。この部屋、とても心地よい。もうこのまま寝入ってしまいそうだった。このホテル自体、デザインがおしゃれで面白い。夕方腹が減ったので外へ出たがまだ暑い。すぐ近くに麺屋があったので、タイ人のおばさんに身振り手振りで注文する。何と出てきたのはラートナー、これも潮州系料理だ。予想以上の美味しさに感激する。後は夕日が落ちるのをゆっくりと眺め、早めに就寝する。

9月17日(火)チェンマイへ

朝は早くに目覚めた。食事は宿に付いていたので食べてみると、種類が豊富だ。田舎で1000バーツ出すとかなりいい宿に泊まれ、心地よいと感じる。食後に散歩すると池があり、朝の風景が何とも良い。市場に行ってみると活気がある。ここで私はミアンを売っているか見たかったのだが、言葉が出来ずに断念する。聞くところによればタークのミアンは砂糖などを入れて、スイーツのように食べるらしい。

それから昨日閉まっていた博物館へ行ってみたが、今日も閉まっていた。どうやら休館中らしい。タークの歴史を知りたかったので残念だったが、仕方がない。10時に宿を出て歩いてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと雨が降り出したので慌ててGrabバイクを呼ぶ。40バーツで行ってくれるので心強い。

バスはなかなかやって来なかったが、ただダラダラと待つ。これがタイだ。暑いが待つしかない。ようやく乗車すると中は涼し過ぎる。風邪を引きそうだ。そのまま3日前に来た道をただ折り返していく。途中ランパーンに停まったぐらいで、4時間余りでチェンマイまで戻ってきた。タークとチェンマイ、思ったより近い。

メーソット・ターク2024(2)メーソットからタークへ

少し郊外に温泉が湧いているところがあった。温泉といっても、小川の流れで足湯をする程度。子供たちが楽しそうに遊んでいる脇で、犬が心地よさそうに横たわっている。一体何が現実で、何が幻なのかよく分からない光景が広がる。昼前にはロビンソンに戻り、子供たちは遊具コーナーで遊び始める。ここにもミャンマーの子が何人も来て遊んでいた。

ミスタードーナッツでドーナッツを買う。皆これが日本の物とは知らなかったようだ。それからアイちゃんの誕生プレゼントのバービー人形を買いに行く。彼女は優しい子で、『バービーは高いから、安いのにしよう』と貧乏な私を気遣ってくれた。この感じは20年前の彼女の母親と同じで、ちょっと驚いた。母子は似るものだ。良い子に育っている。昼ごはんは昨年も行ったレストランで美味しく頂く。

私はメーソットにもう1泊することにしたら、彼らももう1泊するという。ただ所用で一度ミャンマー側へ戻り、夕方また来るという。ホテルは良いと思っていたが、何と延泊するのに部屋を替わらなければならず、しかも12時前に一度チェックアウトして、2時にまたチェックインしろという。これは何とも不合理であり、スタッフが不慣れだから起こったことだろうが、最近タイでも日本的な経営優先サービスが始まってしまって残念だ。新しい部屋で午後は休息した。

夕方皆が戻ってきたら、海鮮料理屋へ行く。こんな海もない所で海鮮かと思ったが、これまでは物流の拠点であったこともあり、いい魚が入っていたらしい。今晩も旨い海鮮とその味付けを堪能した。特にイカが美味しい。メーソットには意外な店がまだあるのかもしれない。

9月16日(月)タークへ

朝起きて、宿の朝ごはんを食べに行く。何と食パンとソーセージ、ゆで卵というシンプルさ。まあこんなものか。結局SSたちはギリギリに降りてきて朝飯すら食べずに帰るという。これから私をバスターミナルに送ったら、ミャンマー側の学校へ登校するというのに。まあ子供のいる生活は大変だ。

バスターミナルで別れて、すぐにバスに乗り込む。ところが車掌に『ターク』というと怪訝な顔をしており、2度行き先を確認して来る。よく見るとチケットはバンコクまで買われていたのだ。道理で料金が高いと思ったが、もう仕方がない。勿論バンコクまで行く気もない。バスの乗客は半分ちょっとしか乗っていないが、一番前の私の隣にはタイ人が座っている。後ろの方からは日本語も聞こえてきた。

バスは山越えして約2時間でタークに着く。その少し前に急に腹が痛くなる。バスの後方にトイレがあったので駆け込んで難を逃れると、ちょうどタークのバスターミナルに着いた。ここで降りたのは私だけだったろう。まだ午前10時頃、取り敢えずGoogleMapに従い、街の方に歩いて行く。最初の大きな交差点を見ると、ここが北タイの交通の要所だと分かる。

最初に見つけたホテルで聞くと、部屋はあるが、チェックインは2時からだという。もう少し先にもう少しいい宿があるぞ、と教えてもらったので更に暑い中1㎞も歩いてしまう。ようやく辿りつた宿は華人系のキレイだったが、何とここも2時しかチェックインできない。昨日のメーソットと言い、アジア的良さは薄れている。それでも仕方がないので、そこに荷物を預けて、歩き出す。

メーソット・ターク2024(1)バスでメーソットへ

《メーソット・ターク2024》  2024年9月14日‐9月17日

1年に一度、メーソットへ行く時期になった。チェンマイから行くのは初めてだが、バスチケットの手配も終わり、後は乗るだけだった。ちょっとワクワクするタイ国内旅だ。

9月14日(土)メーソットへ

チェンマイのバスターミナル、通称アーケードに向かった。Boltを呼べばすぐに来るので極めて簡単だ。土曜日だから通勤ラッシュもないようで、車はスイスイ走る。30分前には到着していた。バスも既に所定の位置にある。ちょっとフラフラすると、クッキーを売っていたのでつい買ってしまった。

10分前になるとバスに乗り込む。なかなかいいバスで、席の配置も1₋2で、私は1座席だったので、かなりゆったりとして座り心地も良い。乗客は半分ちょっとで混んでもいない。水とスナックが配られた。車掌がメーソットのどこで降りるか聞いてきた。バスターミナルと答えようと思ったが、試しに『ロビンソン』というと深く頷いて過ぎていく。これなら今日の宿の横なので、実にラッキーだった。

バスは快調に飛ばしていき、途中ランパーンで乗客を少し拾うと、一路南下した。3時間ちょっとで休憩があり、皆が昼飯を食べに降りた。いつもは食べない私だが、今日は麺を啜ってみる。意外と旨い。トイレを使うとまたバスに乗り、タークまで行く。ここで休憩があったので、帰りのチケットを確認しようとしたが、上手くできなかった。

そこからピン川を渡ると水位がかなり高いと感じる。その先から山越えがあったが、特に問題もなく、タークから1時間半度でメーソットへ着いた。乗客は自分の降りたいところを申告しているので、各駅停車のように進んでいき、ロビンソンデパートの前で数人が下りた。SSが予約した宿は新しいようで、すぐ横にあった。荷物も少ないので、便利でよい。

フロントも明るく、何だかいい所へ来たと思った。部屋も新しいので快適だった。ただ電気ポットが無いので、お湯の問題はあった。お茶が飲めない。SSたちが来るまでしばし休息を取ったが、ロビンソンにドリンクを買いに出た。飲み物が無いのは何とも困るが、私にとってちょうどよい飲み物はロビンソンにもない。

夕方SSたちが合流した。まずは夕飯を食べに郊外のきれいなレストランへ行く。子供たちも大きくなり、1年でかなり成長した。英語も更に上達していた。だがミャンマー側の生活状況は昨年よりさらに悪化しているようで心配だった。内乱は一向に収まる気配がない。美味しいご飯を食べながら、そんな話を聞くのは悲しい。それでも鍋が美味しい。悲しい歌を歌う歌手がいた。

9月15日(日)メーソット散歩

ホテルに朝ご飯が付いていないので、朝から出掛けた。場所はミャンマー食堂。今やメーソットにはミャンマー人コミュニティも出来ているようで、そういう人々が集まる場所になっているらしい。勿論食事はミャンマーと同じ味。ナンジ-を食べてみたが、実に美味しく驚いた。

昨年も行った服屋へ。ミャンマー人が沢山働く工場と聞いていたが、ちょっと活気が無いように思われた。ミャンマーにあった縫製工場は、内戦を回避してベトナムなどへ移転しているという。朝早かったからか、この店に客はいなかった。子供たちの成長は早いので服は常に必要とされている。

第二友好橋方面に車を走らせたが、ほぼ車は走っていなかった。物流が止まってしまったようだ。聞けば、ミャンマー側のミャワディの先は通行が制限されており、ヤンゴンへの道はかなり閉ざされている。そして物流拠点としてのミャワディの街は空爆などもあり、死んでしまったようになっているらしい。第一友好橋に行ってみても昨年のような往来は見られない。ただミャンマー側の人が物資の豊富なタイ側にやってきて買い物をする姿は多く見られる。

山形・新潟旅2024(6)高崎経由で東京へ

そこから宿の方へ戻り、午後は図書館で調べ物をしようと思ったが、何と休館日。酒田もそうだが、とにかく休館日が全国余りにバラバラなので、何とかしてもらいたい気持ちになる(酒田の恨みあり?)。事前に検索してから行け、というお言葉ももらったが、研究者でもない私の旅からしてそういうのは似合わない、と思う。

一旦宿に帰って疲れを癒す。今晩は何を食べようかと考えたが、何だかフラフラともう一度バスターミナルへ行ってしまい、今日はイカ天そばの気分で食べる。よく分からないが、何だかこれでスッキリした。もう思い残すことはない。そして夜はダラダラして、いつのまにか寝る。

7月13日(土)高崎経由で東京へ

今日は高崎にでも泊まろうかと考えていたが、東京へ帰ることにした。三連休に入り、何だか宿も高い。取り敢えずチェックアウト時間ギリギリまで部屋でダラダラしていた。それから近所にある会津八一記念館に向かった。お知り合いのI先生がFBでここの特別展示についてアップしており、是非見に行きたいと思っていた。

ビルの5階はひっそりしていた。入場料を払い『(富岡)鉄斎・八一の文人世界』という展示を見た。両者とも名前だけは知っているが、実はよくは知らない。先日早稲田で会津八一記念館を見学したばかりだったので、何となくご縁を感じた部分がある。それにしても富岡鉄斎、もう少しきちんと見ておくべきだった。私は以前煎茶道など文人茶について簡単に調べたことはあるが、頼山陽や田能村竹田など幕末には目が行ったが、明治以降は見ていなかった。いい物を見学した。I先生、有り難い。

それから荷物を引き取り駅へ行く。新潟から新幹線で東京まで帰れば楽だが、それではつまらない。と言って各駅停車だと高崎まで行くにも2回乗り換えて5時間近くかかってしまう。仕方なく高崎まで新幹線で行き、その先は湘南新宿ラインで帰ることにした。新幹線は前日予約しており、新潟駅からスムーズに乗車。1時間ほど窓の外を眺めていると、いつの間にか高崎に着いてしまった。

そこで立ち食いそばを食べようとキョロキョロすると、何と店はホームにはなく(以前はあったと思うが)、新幹線と在来線の改札を跨いで営業していた。どちらからでも入れる。肉そばを頬張ったが、特に特徴はない。駅構内にはぐんまちゃんや高崎ダルマが置かれており、こちらは地域色が出ていた。

そこから湘南新宿ラインに乗るが、何だか始発なのに遅れている。確かこの路線、遅れが目立つ。それでも何とか発車して、無事新宿まで戻ってきた。家に夕飯はないようなので、午後4時台に駅近くのそば屋に入った。ここは先日久しぶりに食べて美味しいと感じたので再訪したのだが、何と中国人観光客とみられるグループが荷物を席に置き、食べ終わっても退かないなど、他人の迷惑を考えない行動をしていた。

店員もあきれ顔。食べるスペースがない私は、既に買ってあった券を思わず『キャンセル』した。そして駅に戻り、駅地下の10割そば屋に入ってみる。こちらも気になっていたのだが、初めて入る。午後4時台でもやはり混んでいるが、なんとか席を確保。ここのそばは美味い。怪我の功名というのだろうか。ここ2₋3日ずっとそばを食べ続けていたそば旅はここで終了した。

山形・新潟旅2024(5)バスターミナルで立ち食いそばとカレー

今日のアパホテルはかなりでっかい。リゾートと名が付けられており、有料ながらプールやジムなどが併設されていた。大浴場は無料で入れてとても気持ちが良い。実は周囲にアポホテルは3軒あるが、ここは他と差別化しており、団体客などを多く入れている。企業研修などでも使われているようで、フロントも大きい。

取り敢えず外へ出た。宿から直ぐ近くにある万代バスターミナルへ向かう。今回新潟に寄ったのは、ここで立ち食いそばとカレーを食べることだけが目的だった。バスターミナルは簡単に見つかると思っていたが、意外と手間取った。そしてようやく中に入っていくと、既にカレーのいいにおいがしてくる。

券売機まで行き、何を食べようか迷っていると(実はカレーとそばのセットはあると思っていたらなかった)、後ろに何人も並んできたので、順番を譲り考えた。しかし考え付かずに、ついにカレーとかき揚げそばを注文する。既に大勢の人が立って食べており、なんとか場所を確保する。

カレーは黄色くて甘口かと見えたが、食べた後少し辛さが来るとてもいい感じ。そばは順当に旨い。それにしても、これを両方食べている人などいない。多くはカレーだけを食べている(まだ午後5時だからおやつ替わりか)。私は部活帰りの高校生並みの食べ方をしており、食べ終わる頃には、腹がはち切れそうだった。まあ、かなり満足して去る。

そのまま駅前まで歩くと、途中に居酒屋や食堂が一杯あった。中には9年前に連れてきてもらったヘギそば屋も見付けた。ここでも食べたい衝動にかられたが、私は既に満足しており、コンビニでドリンクを買っていそいそと宿に帰り、テレビを見ながら夢見心地となった。

7月12日(金)新潟散歩

朝はゆっくりと起動する。雨もないようなので、散歩に出ると気持ちが良い。川を渡り、古町を歩く。この辺、古い建物がいくつもあり、また歴史的な場所にもなっていて興味深い。新潟大神宮には坂口安吾生誕碑などもある。この辺から急に日本海が見たくなり、護国神社に向かう。

神社周辺を一回りすると、海が見えてきた。特に海水浴など出来そうな場所でもなく、人影もない。なぜだかこんな海が見たかった。そこから少し入ると記念碑や像などがいくつかあった。興味深いのは、ここ新潟は元々長岡藩領だったが、幕末に幕府直轄領になっていたこと。この辺の真相はどうなのか。初代新潟奉行、川村修就は海防に務めたと書かれており、異国船対策などを担っていたようだ。

ふと思い立ち、新潟歴史博物館まで歩いてみた。かなりの距離があり、途中には古民家が見られた。博物館自体は頑丈な建物で、新潟の港をにらんでいる。『淳足柵』という言葉が妙に心に引っかかる。新潟県令楠本正隆という名前も久しぶりに出てきた。やはりたまには博物館に来ないと思い出せない歴史がある。

何故か9年前に渡った佐渡が恋しくなり、フェリー乗り場まで行ってみたくなる。対岸に見えるのだが、歩くと30分近くかかる。何とか歩きぬくとそこには食堂がある。そして9年前に気になっていたブリかつ丼があるはずだったが、そのメニューは既に無くなっていてガッカリ。仕方なく食べたタレかつ丼とざるそばのセット、意外とおいしい。横はフェリーの乗船場。佐渡へもう一度行きたくなる。

山形・新潟旅2024(4)鶴岡を散歩する

7月11日(木)鶴岡から新潟へ

翌朝起きてみると天気が良かった。昨晩の大盛りのお陰で食欲もなく、ただ歩きだした。鶴ケ岡城を目指す。鶴岡は歩きやすい、穏やかな街だった。商店街には三井家の蔵座敷が残されていた。街中にはきれいな庭を持つ寺社などもあったが、とりわけ目を引いたのが、教会だった。

1903年にフランス人神父により建てられたらしい。このカトリック教会を建てたのは日本人大工だという。完全な和洋折衷で、教会内に入ると、ステンドグラスなど洋風教会のそれに、畳が敷かれていて面白い。入口の門は武家屋敷のそれであり、横には現在幼稚園が併設されている。

更に歩くと、西郷隆盛碑がある。戊辰戦争で最後まで抵抗した庄内藩に寛大な措置を取ったと言われる西郷。庄内の人々はその対応に感激して西郷を師と仰ぎ、鹿児島まで教えを請いに行ったらしい。まあ各地に残る西郷伝説の一つかもしれないが、こういう話が庄内にはよく似合っている。

庄内藩校致道館に行く。ここは資料館のようになっており、庄内藩関連の歴史的展示が多い。徳川四天王の一人、酒井忠次の流れを汲む庄内藩は江戸時代も異彩を放っており、幕府から国替えを命じられても、領民がそれを阻止した。幕末庄内藩の英雄、酒井玄番や先ほどの西郷の話も展示されている。官軍黒田清隆に藩主がここで降伏したという部屋もある。

鶴ケ岡城跡には、庄内神社、藤沢周平記念館、大宝館などが残されている。この大宝館では、鶴岡ゆかりの人物についての展示があり、興味深い。致道博物館も城脇にあり、その偽洋風建物が目立っている。天気が良いので足がどんどん進む。午前中かけて鶴岡の旧市街地を歩き疲れる。

駅まで戻り、昼ご飯を食べようと思ったが、ラーメン屋ぐらいしか見つからない。地方都市は郊外に車で食べに行くので、駅前は本当に寂しい。そんな中、小さな食事処を見付ける。入ってみると狭い店内は地元民で溢れていた。ここが憩いの場という感じだ。刺身定食を頼むと分厚いさしみがやってきて嬉しい。なんだか味噌汁がやけに美味い。

駅で乗車券を買って、時間に余裕があったので各停に乗り込む。少し進むと日本海が見えてくる。今日は天気が良いのでのどかな風景だが、冬の海の荒い日などは大変な風景になるのだろう。途中までいた乗客はほぼ降りてしまい、寂しい車内でただただ外を見て過ごす。

1時間半ほどで終点の村上に着く。すでに新潟県に入っている。村上も9年前に来たきりで、降りてみたい衝動にかられたが、何となく新潟を目指して先に進んでしまった。村上茶は商業上は日本北限茶であるし、その歴史も興味深い。今度は高校生の下校時間と重なり、人が増えている。ふと窓の外を見ると、三幸製菓の工場があった。私はここのせんべいが好きでいつも食べているのだが、確か工場では不幸な事故があったはずだ。

1時間20分ほど電車に揺られた。新潟が近づくにつれて乗客が増えていく。そして新潟駅で降りると大都会に来たような気分になる。開業120周年で現在工事中の駅前から今日予約した宿を探したら、大通りの向こうの方に既に見えている。だが歩くとなかなか辿り着かない。おまけに歩道橋を使うなど、荷物が多い人間にはちょっと苦痛。

山形・新潟旅2024(3)酒田から鶴岡へ

雨は止んでいたので街散歩に出た。図書館を探していると、お寺があった。何気なく入るとそこに『徳尼公廟』と書かれており、中に『三十六人衆之碑』があった。何と奥州平泉を頼朝が征服した際、藤原秀衡の妹?がお供と共にここに流れ着いたとある。泉流寺とはそういうことか。

その横に酒田市文化資料館の建物があった。色々な展示物もあるようだったが、折角なので本間家と茶というテーマで資料はないか、聞いてみたが、残念ながら見いだせなかった。本当に本間家を研究している人はいないのだろうか。本間家の資料などを保存している光丘文庫もここにあると書かれているのだが。北前船と茶、というのでも、何も出て来ない。

ランチの時間になった。適当にホルモンと書かれた店に飛び込んだら、まさかの満員御礼。店主がワンオペで手が回らず、多くがセルフサービスの店。でもさすが日本人、皆きれいに片付けて帰っていく。私はご飯を自分でよそおうとしたが、何と蓋が開けられず、後ろのおばさんに笑われる。もつ煮込み、かなり濃厚。皆鉄板焼きを食べているよ。

駅前まで戻ると電車の時間までちょうど1時間。駅前にあるミライニという施設の中に図書館があるので、そこで時間をつぶそうかと思ったら、まさかの休館日。ちょうど観光案内所があったので、近所の穴場を聞いたところ案内されたのが、清亀園という邸宅。ここまで駅から徒歩10分。

何とも優雅な庭園だったが、誰もいない、まさに穴場。古い建物も残っている週末だけ一般公開があるのか、ひっそりしている。この周辺は古い地区らしく、お寺などもちょっと面白い。ちょうど1時間でよい散策が出来て良かった。Google検索では出て来ないよな、こういう場所。

駅には羽越本線100周年と書かれていた。開運で栄えた街に鉄道が通るには随分と時間が掛かったらしい。2両列車に乗り込むと、田んぼが広がっている。車内も何だか広々としていて、乗客は少ない。僅か30分で鶴岡に到着する。駅前は閑散としていて、寂しい。取り敢えず駅前ホテルに投宿する。

それから隣のビルにあった観光案内所で地図を貰い、説明を受ける。羽黒山も有名だが、今回は行かないこととして、今日は近場だけ回ることにした。やはりいつ雨に見舞われるか分からないので仕方がない。ちょっと歩きだすと、昔の商店街が見えるが、残念ながら開いている店は多くない。『おくりびと』という映画はここが舞台だったか。

日枝神社まで来ると芭蕉の句碑があった。奥の細道は、先日大垣を訪ねたばかりだったのでちょっと新鮮。そのまま釣られるように、芭蕉が船に乗った内川の乗り場や逗留した長山重行宅跡へも行ってみる。今や何もない場所に記念碑が建っているだけだが、もう一度奥の細道を読み返そうと思う。藤沢周平ゆかりの地という看板もある。

夕方腹が減ったので、もう一度外出する。検索しておいた近くの定食屋へ行こうとすると、何と道を渡る中で、車と接触してしまう。幸いほぼスピードが出ていなかったので、驚いただけだったが、もっと驚いたのは運転していた若い女性だったかもしれない。お爺ちゃん、危ないよ。

何とその定食屋は水曜日定休だった。Googleにはそんなこと書いてなかった、と言ってみ仕方がない。こわごわもう一度検索すると、ここから徒歩10分のところに評判の良さそうな店が見付かり、歩き出す(よく考えてみれば宿から反対側なので帰りが大変だ)。着いた店の名は『定食家』だった。

もつ煮込みが名物らしいが、昼も食べたばかりなので断念して定番かつ丼へ。味噌汁はお替り自由らしい。しかし出てきたかつ丼を見て驚いた。これは通常の1.5倍以上はありそうだ。もう味噌汁のお替りなど考えずに、ひたすら掻き込んだ。味は悪くなかった。そういえば田舎で800円といえば、確かにボリューム満点と考えるべきだった。帰りは歩いて20分だったが、腹が重くて歩行が緩やかで困る。まあこれなら車に轢かれることはない。

山形・新潟旅2024(2)本間美術館

休憩後、夕飯をどうするか悩む。雨は強く降っている。近くのラーメン屋に駆け込もうかと考えたが、一応検索してみると、『とんや』という店名が目に入る。外へ出るとなんと雨は奇跡的に止んでいたので、その店に向かったら、何とそこは平田牧場の本社だった。平田牧場といえば、前回山形市に行った際、駅ビルの店舗で600円のとんかつ定食(タイムセールで半額)を食べ、その品質に感じ入っていた。なぜ私がこんなところに宿を取ったのか、が何となくわかった気がする。

店舗内は広々しており、お客は雨のせいか多くはなかった。メニューを貰うと創業60周年とある。酒田代表する有名企業なのだ。ロースカツとランプカツのセットが400円引きになっているので思わず注文する。さすが創業60年、とろけるようないいお味だった。帰りも雨には降られなかった。よし!

7月10日(水)酒田から鶴岡へ

あれから一晩中、雨が降ったらしい。そして今朝も雨だ。朝食は宿に付いているのでそれを食べて雨が止むのを待ってみたが無理だった。10時にチェックアウトとなり、タクシーを呼んでもらった。女性のドライバーさんだったが、『夏はお客さんが多くて忙しい』などと言っている。

途中で川を渡ったが、雨でかなり増水している。溢れたりしないかと聞いてみると『50年ぐらい住んでいるけど、溢れたことはない』ときっぱり言われた(ところが後日の大雨の時、NHKのニュースでこの川が氾濫している様子が映し出されてビックリ)。駅に着いて料金を払うと、領収書と一緒にティッシュをくれた。地元タクシーのいい所かな。

取り敢えず駅に入り、荷物を預けようとコインロッカーに近寄ると、支払いは交通系ICカードのみ、と書かれている。随分進んでいるなと感心していたが、何と電車に乗るにはICカードは使えず、切符を購入しろというから驚いた。駅員に聞いたら『私もおかしいと思うんですよね』と言いながら、そそくさと立ち去る。まあ、ロッカーが切符より早く進化してしまったということか。

外を見ると何と雨が止んでいる。急いで歩いて本間美術館へ向かう。実は昨日の本間家で『必ず行くべし』と言われ、共通券を購入していたので、行かなければならない。6分ほど歩くと入口があった。ここは美術館というよりは、本間家別邸といった方が分かりやすいのではないか。

美術館へ入って声を掛けると、『雨が降りそうですから、庭から先に見たらどうですか?』と傘を渡された。こういう対応は実に好ましい。その庭というのが、かなりの庭園で、敷地も広いし、手入れも素晴らしい。鶴舞園という200年以上前に作られた庭で、最初は藩主の休息場として作ったというから本間家は凄い。

その向こうの方には、清遠閣という見栄えの良い木造建築が建っている。その横には茶室もある。清遠閣には様々な展示があったが、2階に登ってみると、その大きな座敷から庭が眺められるのがよい。実はここで30分もの間、ただただ庭を眺めていた。こんなに落ち着ける空間があっただろうか。松尾芭蕉関連の展示にも興味を引かれる。

雨が降り出したので美術館の見学に切り替えた。ちょうど『本間家と茶道』の特別展示をやっており、天目茶碗をはじめとして、お宝所蔵品が多く展示されている。ここにも本間家の財力を見る思いだ。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とはよく言ったものだ。

山形・新潟旅2024(1)雨の酒田に突撃する

《山形・新潟旅2024》  2024年7月9‐13日

兎に角7月の東京は暑かった。何とかしてこの暑さから逃れたかった。ふと思い出したのが、山形。2年ほど前の冬に新潟から行こうとして雪で断念した記憶がある。電車、バス、新幹線など、山形、特に酒田、鶴岡方面へ行く方法を探していたら、突然目の前にANAのスペシャルオファーが飛び込んできたので、思わずポチっと。

7月9日(火)酒田へ

ANAのオファーをポチってすぐにメッセージが入ってくる。火曜日のフライトは大雨のため、着陸できるかどうかわかりません、と。それが何度も来るのでとても心配になったが、特に予定もない旅なので気にもしていなかった。だが前日になり、明日の酒田で予約した宿を確認したら、驚いた。鶴岡と勘違いしており、何と空港からも駅からも、遠く離れた宿を取っていたことが分かる。でももうどうしようもない。なるようにしかならない。

当日朝ゆったりと羽田空港へ向かう。特に雨は降っていなかったが、相変わらず天候不良の文字は見られる。最近の災害情報はほぼオオカミ少年か、と疑ってしまうほど煩い。そしてやはりキャンセルした人もいたようで、非常口席をあてがわれる。普通ならうれしいのだが、この場合、喜ぶべきだろうか。

フライトは10分ほど遅れただけで飛び立った。大きな揺れを懸念して、念のため、温かい飲み物の提供はなかった。そして庄内空港への着陸は2度目で見事成功し、事なきを得た。だが外はかなりの雨が降っており、先が思いやられる。空港バスに乗り、酒田駅まで行けばよかったはずが、途中の市役所付近で降りて、予約した宿まで歩いて30分かかるらしい。この雨ではとても無理だ。

ところが市内中心に入ると雨はピタリと止んだ。バスを降りると傘は不要で、突然自由を得る。まずはランチを食べようと周囲を見回すとビルの1階に食堂があったので、そこでカレーを食べる。山形名物を探す心の余裕は全くなく、この付近のサラリーマンのランチを食べたことになる。

そこから本間家はすぐだった。まずは別館へ行くと、丁寧に説明してくれる人がいて、色々と勉強になった。酒田といえば大富豪の本間家が何といっても有名。その一端を見ることが出来た。そこの人が地図をくれ、観光案内をしてくれた。雨は降っていないので、10分ほど離れた山居倉庫まで歩いて行く。酒田は海上貿易で栄えた街。川沿いにある、その古めかしい建物の名残を見て、おしんを思い出す。

本間本家の屋敷に戻って見学する。こちらは別館と違って写真撮影もダメで、係員の対応もあまり親切とは言えなかった。これだけ大きな本間家について、研究された資料などもないという。広い敷地を持つ本間家の大きさはよく分かったが、何となくモヤモヤして外へ出た。庭が少し見えた。立ち去る。

雨はずっと降っていなかった。予約した宿の近くまで行くバスの時間まであと1時間もある。そうなれば歩くしかない。荷物を引いて行くが、意外と道が良く、スイスイ進んでいく。ちょうどチェックイン時間直前に宿まで辿り着いた。何と急に雨が降だしてホッとする。実はこの宿、次に行く鶴岡の駅前にもあり、そこと勘違いして予約してしまったのだが、車社会の地方都市では、ここの方が便利なのだと分かる。周囲にはチェーン店のラーメン屋などが見える。

鎌倉旅2024(2)鎌倉散歩

階段をかなり上っていくと、大江広元の墓(祠のよう)が見える。その横には広元の四男、毛利季光が並んでいる。この毛利が、あの戦国、幕末の毛利の初代だという。三浦一族にくみして宝治合戦で敗れ、自刃したとある。広元は頼朝、義時の重臣。大河ドラマでは北条政子を想う男、として描かれていたような。

そこから島津の墓へは何と一度階段を下りて、もう一度上り直す必要があるため断念。横から写真だけ撮る。昨年12月鹿児島県出水市に行った際にも、忠久の墓に遭遇している。忠久は頼朝の命で九州へ行き、そこから島津家が始まったようだが、一説には頼朝の子ども、というのがあり、江戸時代に島津家がここの修繕をしたらしい。いずれにしても、幕末の薩長がここに並んでいるのが面白い。

ランチはMさんに連れられて、鎌倉駅近くで食べる。昼からカウンターで懐石風、を堪能する。そして何とこのお店の名物はラーメンなのだとか(別に大船でラーメン屋も経営)。最後に出てきて感激する。季節の野菜などを使って美味しいものを出しているのだが、狭い店内で、店員さんを何度も叱っているのは、今のご時世には合わないかな。Mさん、ご馳走様でした。

午後は寿福寺へ。ここも初めて。北条政子の寺と聞いていたが、栄西開山ということで、一度訪ねてみようと思った。ここは頼朝の父、義朝の館があった場所だともいう。ただお寺の境内には入れない。横の道を歩いて裏に回ると墓地がある。大佛次郎や高浜虚子などがここに眠っている。この奥の方の横穴に、北条政子と源実朝の墓があった。何だか呆気ないご対面となる。改めて政子と実朝の歴史に思いを馳せる。

帰りがけに坂を下っていると、昔のお屋敷を使ったレストランがあった。Mさんはここでお茶会などを開催しているようだが、本日は定休日で見学できず。次回もし開いていたら、中を覗いてみたい。旧家の庭、書斎や本棚を見るのが何となく好きだ。

最後にMさんのご自宅へ向かった。閑静な住宅街、こちらでお茶や書の教室が開かれ、沢山の生徒さんが通っているという。何とも言えないいい雰囲気の中で、お茶を入れて頂く幸せに浸る。西鎌倉といえば、以前何度かセミナーをやらせて頂いた場所のすぐ近くだと知る。

私は電車にしか乗らないので、鎌倉駅から西鎌倉は遠いと感じていたが、車だとかなり近いんだなと思う。そういえば、新入社員の研修で、この辺の資産家の家を回ったことを突然思い出す。何とも懐かしい。夕日が落ちる鎌倉高校駅前では、今もカメラを構えたアニメファンがいるのだろう。Mさんがわざわざ大船駅まで車で送ってくれた。今回はお世話になってしまい、恐縮至極。

帰りはJRでダラダラ行くつもりだったが、何故か川崎で降りてしまう。何となく行きと違うルートで帰りたかっただけなのだが、南武線の方に向かっていると、かき揚げうどんという文字が目に入る。ふらっと入っていくと、なんとカウンターの目の前でかき揚げを挙げているではないか。

ここは立ち食いうどん屋のコンセプトに、揚げたてを売りものにしており、ちょっと興味を引かれる。食べている人も半数は女性だったから、意外とうまくいっているのかもしれない。かき揚げ自体は、さすが揚げたてで美味い。そして大きい。スープも合格点なので、今後も近くにあれば行きたい店だった。それから稲田堤を経由して京王線で帰宅した。