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北京半日散歩2024(3)老地方の変化

既に朝ご飯を2回食べ、煎餅も食べており、昼ごはんは想像できない。どこへ行こうかと話していると、「白塔寺へ行こう」となり、車を呼んで向かう。何とも懐かしい場所だが、何かあるのだろうか。その入り口まで来ると、入場料が必要だという。というか、まずは微信で登録を行い、それから微信支付で料金を払うのだが、私には複雑すぎて出来ず、Kさんに任せたが、最後の決済がどうしてもできない。係員も困っていた。後から来た女性は「現金でもいい?」と聞いていたが、どうなんだろうか。

何とか中へ入れて貰い、見学する。15年位前、北京歴史散歩で来て以来だとは思うが、この白い塔には覚えがある。元代にネパールから来た建築家が建てたらしい。お天気が良いので観光客は多いが、外国人はほぼ見ない。お寺の横には白塔寺薬店があり、老舗薬局として漢方薬などを売っている。ここは薬師如来のお寺なのか。薬にご利益はあるのだろうか。

その薬店の建物の屋上がカフェになっており、白塔を見ながらコーヒーを飲むというコンセプトになっていた。所謂インスタ映えを狙っており、それに合わせて白塔を模したケーキなどが売られている。白塔の周囲には、屋上をカフェにして客を集めているところが何軒もあり、北京の新しいスポットになっているという。まあ日差しが出ていて風が無ければ、ここで休息するのも良いか。因みにカフェの物価は東京より北京の方が高いかな、というイメージだ。

恐ろしいことに、そんなことをしているとまた腹が減る。沢山は食べられないので麺でも食べようとなり、また車を呼んで懐かしいジャージャー麺の老舗に行く。午後1時過ぎでもお客は多かったが、辛うじて席を確保して、久しぶりのジャージャー麺と腰花を食べる。チェンマイでは食べられない、この濃い味が何とも嬉しい。

さすがに空港に戻る時間となり、また車を呼ぶ。北京も便利になったものだ。かなり西側から北京空港まで、車で1時間もかからない。懐かしい北京の街の一部を眺めながらウトウトしていると、途中でKさんが降りていき、空港まで戻って来た。既に東京行きのチケットは持っているので、出国審査に直接進んでいく。以前と比べて空港内の人が少なく感じられるのは、偶々だろうか。それとも経済低迷で出国者が減っているからだろうか。

出国審査もあまり待たずに終了する。空港内は何となく寒々としている。ここで初めて昨年香港で買った、LINEやFB使用可能なシムカードをスマホに入れてみたが、何故か起動しなかった。まあ半日滞在なので問題はなし。ここはゆっくり休んで、後は東京に戻って作業しよう。機内はかなりの乗客が乗っていたが、夜の到着便だから、観光客というより日本在住者、そして少しだが日本人が乗っている。

ビザ免除復活で入りやすくなった中国だが、はたしてこれからどれだけの日本人が訪れるのだろうか。色々と懸案の多い日中関係、まずは相手の国に行き、その実情を見た上で判断したいところだが、中国に入国するのはビジネスマンばかりか。決してマスコミが流す中国情報に惑わされないのが良いと思うのだが、日本人の中国固定イメージは意外と強固だ。そんなことを考えていると、フッと羽田空港に降り立ち、今回の旅は終了した。

北京半日散歩2024(2)北京で朝飯をはしごする

12月8日(日)北京散歩

北京の朝の気温は零下5度となっており、前回(零下8度)より寒さを感じない。車窓から見える北京は薄暗くて寒々としているが、空気はキレイですっきり感がある。待ち合わせは前門近くの胡同にある食堂。車は渋滞のない道をスイスイと走っていき、どこまで行くのか分からない。因みに服装は前回チェンマイのユニクロで買ったウルトラライトダウンとトレーナーという格好だが、何とかなりそうだ。

何だかとても久しぶりに湯気が立ち上る胡同へやってきた。夜明け直前の胡同にしばし見とれる。「尹三豆汁」と書かれた店で待ち合わせ。朝から観光客が豆汁を食べ、地元民はテイクアウトしている。しかし驚いたのが、その地元のおじちゃん、おばちゃんが、手に人民元を握りしめていたことだった。何でもQR決済の中国で現金とは。これもまた機内ビデオの案内通りか。若者は当然QRだけど、この寒いのに現金を握って嬉しそうに注文する人が奇異に映る。

豆汁と焦圏、更に面茶まで注文してしまう。これぞ北京の朝ごはんだろうか。だが私は北京に住んでいた頃、こんな朝飯を食べた記憶はほぼない。豆汁の酸っぱさやB級感はちょっと相容れなさを感じてしまっていた。だが今日食べてみると、酸味もそれほど感じない。寒いからかスルスルと入ってしまう。店内は温かいし、気分も良い。

さあ、どうしようかと思っていると同行してくれたKさんとIさんは「朝ご飯のはしごです」ときっぱり。そしてすぐ近くの野菜市場に入る。昔に比べると実にきれいになっている。何となく野菜もきれい。ただそこで売っている人たちはそれほど変わっていないように見えた。お客と談笑しながら、野菜を勧めている。Iさんがツッコんでも軽く受け流していく。

端の方に煎餅屋があり、並んで買う。前の人も現金で支払っている。店側もちゃんとお釣りを渡している。明かに北京の支払い事情は変化している。よく見ると野菜売りもQRコードを置いているが、現金を使っている老人も多い。まあ勿論若者はQR決済だが、老人は現金が使いたかったのだろうか。久しぶりの煎餅を立ち食い、美味かった。

朝ご飯のはしごに出掛ける。すぐ近くの店だったが、何とかなりの行列で断念(なんせ零下の世界で並ぶのはキツイ)。その横の店に入り、豆漿と油条を頼んで食べる。この店、昼以降は別の店として使われており、朝だけの営業のようだ。賃料が高い北京ではこういう店も多いのだろう。

腹がくちてしまったので散歩する。チェンマイで買った帽子はさすが薄くて、頭がスースーしたが、Iさんから温かいものを貰い被ると幸せな気分。風もなくそれほど寒さは感じない。少し行くと、ちょっと面白そうな場所に着いた。何だか芸術村の一角、という感じで、壁に絵などが描かれている。美術館と書かれた建物の中に入ると、子供たちが何やら見学している。現代アートの展示室という感じか。アニメ好きの子供たちが歓声を上げている。

我々は横のカフェでまったり。やはり寒さの中を歩いていると、温かい場所は有難い。カフェのメニューに「KYOTO LATTE」という飲み物があった。何で京都、と思っていたら、Iさんが「京都と関連があるらしい」という。まあ抹茶でも入っているのだろうが、中国の若者にも京都の認知度は高いのだろう。Iさんは用事がるというのでここでお別れし、Kさんと話を続けた。

北京半日散歩2024(1)チェンマイからビザ免除の北京へ

《北京半日旅2024》  2024年12月8日

長かったチェンマイ暮らしに終止符を打ち、冬の東京へ帰ることになった。だが昨年同様チェンマイから安いフライトで帰ろうとすると、荷物代込みでは、どうしてもエアチャイナという選択になる。そして北京経由なので、北京に寄りたい気持ちになる。実は昨年は3泊した。そして1月の折り返しでも3泊した。

もういいんじゃないか、と上海や広州経由を検討したが、やはり北京経由が一番良いのだ。一応今回は僅か半日程度の滞在に留めた。何といっても北京は零下の気温であり、前回は3泊して東京に帰り、大風邪で数日倒れてしまったので、反省していた。しかし何より、1週間前より日本人はノービザ30日になっており、ビザの面倒がないのは何とも有難い。

12月7日(土)チェンマイから北京へ

チェンマイ空港は小さい。出国審査は簡単だが、それから先はすることが無く、北京対応の服に着替えて、ひたすら搭乗を待つばかりだ。今回はわずか半日なのでSIMカードすら買わない。ほぼ定刻に搭乗が始まったが、やはり乗客は多くはない。中に日本人夫妻が東京に行くために乗り込んでいたが、大半は中国人だった。

前回はあっと言う間に寝落ちたが、今回は眠りが浅かった。食事は勿論断った。周囲も静かだったが、なぜだろうか。やはり今晩のスマホ騒動が尾を引いているのだろうか。着陸1時間前には電気がついて明るくなる。時差が1時間ある。ほとんど眠れなかったようだ。ビデオで入国案内が始まったが、何とその中に「中国では多様な支払い手段が使えます」というのを見て思わず目を疑った。現金でもクレジットカードでもOKだというのだが、実態とかけ離れていないだろうか。

ほぼ予定通り、午前4時には北京に着いた。寒々とした空港内を歩いて行くと入国審査がある。前回まではその前に臨時入境ビザを得る必要があり、それが面倒だったが、今回はそのまま入国審査ゲートへ行けるのでかなり楽だった。しかも乗客は多くなく、すぐに入国できてしまう。

荷物はバッゲージスルーなので、ピックアップ不要。あまりにスムーズなので、まだ街中へ行く電車も動いていない。休む場所もないので、その辺をフラフラするしかない。荷物受取場を通り抜けるとそこに両替所があった。サラっと通り過ぎたが、よく考えてみれば以前はあっただろうか。出口階には両替所はない、と1年前に確認していたのだが、これは現金流通の兆しだろうか。

午前5時でも開いているカフェはあった。そこには充電設備がある。今の中国で最も重要なのは充電ではないか。何しろスマホがあっても充電が無ければ、何もできない。街中行きの電車の始発は何と6時半頃だと分かる。これだとさすがに約束の時間に間に合わない。仕方なく、空港内の配車待合場へ行ってみた。途中に日本製(いや中国製)のフィギャーを売るガチャを見付ける。

以前は配車を呼んでも、広い北京空港では見付けられない、と聞いていたが、今やかなりシステマチックになっている。そして当然ながら充電器も沢山あるので充電を始めた。それから車を呼んでみたら、すぐにやってきた。基本的に中国シムがあれば、スムーズに事が運んでいくのは有難い。

メーソット・ターク2024(3)ターク散歩

タークは100年以上前に交通の要所として栄えた街だと聞いていた。すぐ近くに博物館があるというので出向いてみたが、休みだった。その先あたりから、かなり古い家屋が点在している。中には屋号が漢字で書かれている物もあり、また「バーンチン」という住居表示が見え、この付近は潮州人の居住地だったと想像された。

チェンマイを流れるピン川は何とタークにも流れていた。だから交通の要所だったのだと分かる。この時期、水位がかなり高く、洪水にならないかと心配になった。川沿いをただ歩いていると、暑いながらも風が吹いてきて気持ちが良い。近くに大きな市場があり、この川を通じて物流が発展した様子も分かる。

腹が減ったので何か食べようと探すと市場の横に麺があった。華人系の旨い麺(バミー)だった。スープ麺ではなく、乾麺というのが何とも良い。周囲の人々の表情が皆穏やか。よそ者が入ってくることに慣れているのだろうか。昼下がりの市場は人影もまばらでけだるい雰囲気がまた良い。

タークといえば、タークシン。潮州人鄭信はビルマを打ち破り、トンブリ王朝を築くも、部下のラーマ1世に殺害されてしまう。250年も前の話しだ。こんな昔からこんな場所に潮州人がいたことには驚きを隠せない。そのタークシン廟へ行ってみると、以前ラヨーンにあった廟とほぼ同じではないかと感じられた。ラヨーンはタークシンが再起をかけて潜伏した場所だった。この辺の歴史、興味はあるが理解は難しい。馬と鶏の像が沢山置かれているのはなぜだろうか。

午後2時になったので宿へ戻り、チェックインして休む。この部屋、とても心地よい。もうこのまま寝入ってしまいそうだった。このホテル自体、デザインがおしゃれで面白い。夕方腹が減ったので外へ出たがまだ暑い。すぐ近くに麺屋があったので、タイ人のおばさんに身振り手振りで注文する。何と出てきたのはラートナー、これも潮州系料理だ。予想以上の美味しさに感激する。後は夕日が落ちるのをゆっくりと眺め、早めに就寝する。

9月17日(火)チェンマイへ

朝は早くに目覚めた。食事は宿に付いていたので食べてみると、種類が豊富だ。田舎で1000バーツ出すとかなりいい宿に泊まれ、心地よいと感じる。食後に散歩すると池があり、朝の風景が何とも良い。市場に行ってみると活気がある。ここで私はミアンを売っているか見たかったのだが、言葉が出来ずに断念する。聞くところによればタークのミアンは砂糖などを入れて、スイーツのように食べるらしい。

それから昨日閉まっていた博物館へ行ってみたが、今日も閉まっていた。どうやら休館中らしい。タークの歴史を知りたかったので残念だったが、仕方がない。10時に宿を出て歩いてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと雨が降り出したので慌ててGrabバイクを呼ぶ。40バーツで行ってくれるので心強い。

バスはなかなかやって来なかったが、ただダラダラと待つ。これがタイだ。暑いが待つしかない。ようやく乗車すると中は涼し過ぎる。風邪を引きそうだ。そのまま3日前に来た道をただ折り返していく。途中ランパーンに停まったぐらいで、4時間余りでチェンマイまで戻ってきた。タークとチェンマイ、思ったより近い。

メーソット・ターク2024(2)メーソットからタークへ

少し郊外に温泉が湧いているところがあった。温泉といっても、小川の流れで足湯をする程度。子供たちが楽しそうに遊んでいる脇で、犬が心地よさそうに横たわっている。一体何が現実で、何が幻なのかよく分からない光景が広がる。昼前にはロビンソンに戻り、子供たちは遊具コーナーで遊び始める。ここにもミャンマーの子が何人も来て遊んでいた。

ミスタードーナッツでドーナッツを買う。皆これが日本の物とは知らなかったようだ。それからアイちゃんの誕生プレゼントのバービー人形を買いに行く。彼女は優しい子で、『バービーは高いから、安いのにしよう』と貧乏な私を気遣ってくれた。この感じは20年前の彼女の母親と同じで、ちょっと驚いた。母子は似るものだ。良い子に育っている。昼ごはんは昨年も行ったレストランで美味しく頂く。

私はメーソットにもう1泊することにしたら、彼らももう1泊するという。ただ所用で一度ミャンマー側へ戻り、夕方また来るという。ホテルは良いと思っていたが、何と延泊するのに部屋を替わらなければならず、しかも12時前に一度チェックアウトして、2時にまたチェックインしろという。これは何とも不合理であり、スタッフが不慣れだから起こったことだろうが、最近タイでも日本的な経営優先サービスが始まってしまって残念だ。新しい部屋で午後は休息した。

夕方皆が戻ってきたら、海鮮料理屋へ行く。こんな海もない所で海鮮かと思ったが、これまでは物流の拠点であったこともあり、いい魚が入っていたらしい。今晩も旨い海鮮とその味付けを堪能した。特にイカが美味しい。メーソットには意外な店がまだあるのかもしれない。

9月16日(月)タークへ

朝起きて、宿の朝ごはんを食べに行く。何と食パンとソーセージ、ゆで卵というシンプルさ。まあこんなものか。結局SSたちはギリギリに降りてきて朝飯すら食べずに帰るという。これから私をバスターミナルに送ったら、ミャンマー側の学校へ登校するというのに。まあ子供のいる生活は大変だ。

バスターミナルで別れて、すぐにバスに乗り込む。ところが車掌に『ターク』というと怪訝な顔をしており、2度行き先を確認して来る。よく見るとチケットはバンコクまで買われていたのだ。道理で料金が高いと思ったが、もう仕方がない。勿論バンコクまで行く気もない。バスの乗客は半分ちょっとしか乗っていないが、一番前の私の隣にはタイ人が座っている。後ろの方からは日本語も聞こえてきた。

バスは山越えして約2時間でタークに着く。その少し前に急に腹が痛くなる。バスの後方にトイレがあったので駆け込んで難を逃れると、ちょうどタークのバスターミナルに着いた。ここで降りたのは私だけだったろう。まだ午前10時頃、取り敢えずGoogleMapに従い、街の方に歩いて行く。最初の大きな交差点を見ると、ここが北タイの交通の要所だと分かる。

最初に見つけたホテルで聞くと、部屋はあるが、チェックインは2時からだという。もう少し先にもう少しいい宿があるぞ、と教えてもらったので更に暑い中1㎞も歩いてしまう。ようやく辿りつた宿は華人系のキレイだったが、何とここも2時しかチェックインできない。昨日のメーソットと言い、アジア的良さは薄れている。それでも仕方がないので、そこに荷物を預けて、歩き出す。

メーソット・ターク2024(1)バスでメーソットへ

《メーソット・ターク2024》  2024年9月14日‐9月17日

1年に一度、メーソットへ行く時期になった。チェンマイから行くのは初めてだが、バスチケットの手配も終わり、後は乗るだけだった。ちょっとワクワクするタイ国内旅だ。

9月14日(土)メーソットへ

チェンマイのバスターミナル、通称アーケードに向かった。Boltを呼べばすぐに来るので極めて簡単だ。土曜日だから通勤ラッシュもないようで、車はスイスイ走る。30分前には到着していた。バスも既に所定の位置にある。ちょっとフラフラすると、クッキーを売っていたのでつい買ってしまった。

10分前になるとバスに乗り込む。なかなかいいバスで、席の配置も1₋2で、私は1座席だったので、かなりゆったりとして座り心地も良い。乗客は半分ちょっとで混んでもいない。水とスナックが配られた。車掌がメーソットのどこで降りるか聞いてきた。バスターミナルと答えようと思ったが、試しに『ロビンソン』というと深く頷いて過ぎていく。これなら今日の宿の横なので、実にラッキーだった。

バスは快調に飛ばしていき、途中ランパーンで乗客を少し拾うと、一路南下した。3時間ちょっとで休憩があり、皆が昼飯を食べに降りた。いつもは食べない私だが、今日は麺を啜ってみる。意外と旨い。トイレを使うとまたバスに乗り、タークまで行く。ここで休憩があったので、帰りのチケットを確認しようとしたが、上手くできなかった。

そこからピン川を渡ると水位がかなり高いと感じる。その先から山越えがあったが、特に問題もなく、タークから1時間半度でメーソットへ着いた。乗客は自分の降りたいところを申告しているので、各駅停車のように進んでいき、ロビンソンデパートの前で数人が下りた。SSが予約した宿は新しいようで、すぐ横にあった。荷物も少ないので、便利でよい。

フロントも明るく、何だかいい所へ来たと思った。部屋も新しいので快適だった。ただ電気ポットが無いので、お湯の問題はあった。お茶が飲めない。SSたちが来るまでしばし休息を取ったが、ロビンソンにドリンクを買いに出た。飲み物が無いのは何とも困るが、私にとってちょうどよい飲み物はロビンソンにもない。

夕方SSたちが合流した。まずは夕飯を食べに郊外のきれいなレストランへ行く。子供たちも大きくなり、1年でかなり成長した。英語も更に上達していた。だがミャンマー側の生活状況は昨年よりさらに悪化しているようで心配だった。内乱は一向に収まる気配がない。美味しいご飯を食べながら、そんな話を聞くのは悲しい。それでも鍋が美味しい。悲しい歌を歌う歌手がいた。

9月15日(日)メーソット散歩

ホテルに朝ご飯が付いていないので、朝から出掛けた。場所はミャンマー食堂。今やメーソットにはミャンマー人コミュニティも出来ているようで、そういう人々が集まる場所になっているらしい。勿論食事はミャンマーと同じ味。ナンジ-を食べてみたが、実に美味しく驚いた。

昨年も行った服屋へ。ミャンマー人が沢山働く工場と聞いていたが、ちょっと活気が無いように思われた。ミャンマーにあった縫製工場は、内戦を回避してベトナムなどへ移転しているという。朝早かったからか、この店に客はいなかった。子供たちの成長は早いので服は常に必要とされている。

第二友好橋方面に車を走らせたが、ほぼ車は走っていなかった。物流が止まってしまったようだ。聞けば、ミャンマー側のミャワディの先は通行が制限されており、ヤンゴンへの道はかなり閉ざされている。そして物流拠点としてのミャワディの街は空爆などもあり、死んでしまったようになっているらしい。第一友好橋に行ってみても昨年のような往来は見られない。ただミャンマー側の人が物資の豊富なタイ側にやってきて買い物をする姿は多く見られる。

山形・新潟旅2024(6)高崎経由で東京へ

そこから宿の方へ戻り、午後は図書館で調べ物をしようと思ったが、何と休館日。酒田もそうだが、とにかく休館日が全国余りにバラバラなので、何とかしてもらいたい気持ちになる(酒田の恨みあり?)。事前に検索してから行け、というお言葉ももらったが、研究者でもない私の旅からしてそういうのは似合わない、と思う。

一旦宿に帰って疲れを癒す。今晩は何を食べようかと考えたが、何だかフラフラともう一度バスターミナルへ行ってしまい、今日はイカ天そばの気分で食べる。よく分からないが、何だかこれでスッキリした。もう思い残すことはない。そして夜はダラダラして、いつのまにか寝る。

7月13日(土)高崎経由で東京へ

今日は高崎にでも泊まろうかと考えていたが、東京へ帰ることにした。三連休に入り、何だか宿も高い。取り敢えずチェックアウト時間ギリギリまで部屋でダラダラしていた。それから近所にある会津八一記念館に向かった。お知り合いのI先生がFBでここの特別展示についてアップしており、是非見に行きたいと思っていた。

ビルの5階はひっそりしていた。入場料を払い『(富岡)鉄斎・八一の文人世界』という展示を見た。両者とも名前だけは知っているが、実はよくは知らない。先日早稲田で会津八一記念館を見学したばかりだったので、何となくご縁を感じた部分がある。それにしても富岡鉄斎、もう少しきちんと見ておくべきだった。私は以前煎茶道など文人茶について簡単に調べたことはあるが、頼山陽や田能村竹田など幕末には目が行ったが、明治以降は見ていなかった。いい物を見学した。I先生、有り難い。

それから荷物を引き取り駅へ行く。新潟から新幹線で東京まで帰れば楽だが、それではつまらない。と言って各駅停車だと高崎まで行くにも2回乗り換えて5時間近くかかってしまう。仕方なく高崎まで新幹線で行き、その先は湘南新宿ラインで帰ることにした。新幹線は前日予約しており、新潟駅からスムーズに乗車。1時間ほど窓の外を眺めていると、いつの間にか高崎に着いてしまった。

そこで立ち食いそばを食べようとキョロキョロすると、何と店はホームにはなく(以前はあったと思うが)、新幹線と在来線の改札を跨いで営業していた。どちらからでも入れる。肉そばを頬張ったが、特に特徴はない。駅構内にはぐんまちゃんや高崎ダルマが置かれており、こちらは地域色が出ていた。

そこから湘南新宿ラインに乗るが、何だか始発なのに遅れている。確かこの路線、遅れが目立つ。それでも何とか発車して、無事新宿まで戻ってきた。家に夕飯はないようなので、午後4時台に駅近くのそば屋に入った。ここは先日久しぶりに食べて美味しいと感じたので再訪したのだが、何と中国人観光客とみられるグループが荷物を席に置き、食べ終わっても退かないなど、他人の迷惑を考えない行動をしていた。

店員もあきれ顔。食べるスペースがない私は、既に買ってあった券を思わず『キャンセル』した。そして駅に戻り、駅地下の10割そば屋に入ってみる。こちらも気になっていたのだが、初めて入る。午後4時台でもやはり混んでいるが、なんとか席を確保。ここのそばは美味い。怪我の功名というのだろうか。ここ2₋3日ずっとそばを食べ続けていたそば旅はここで終了した。

山形・新潟旅2024(5)バスターミナルで立ち食いそばとカレー

今日のアパホテルはかなりでっかい。リゾートと名が付けられており、有料ながらプールやジムなどが併設されていた。大浴場は無料で入れてとても気持ちが良い。実は周囲にアポホテルは3軒あるが、ここは他と差別化しており、団体客などを多く入れている。企業研修などでも使われているようで、フロントも大きい。

取り敢えず外へ出た。宿から直ぐ近くにある万代バスターミナルへ向かう。今回新潟に寄ったのは、ここで立ち食いそばとカレーを食べることだけが目的だった。バスターミナルは簡単に見つかると思っていたが、意外と手間取った。そしてようやく中に入っていくと、既にカレーのいいにおいがしてくる。

券売機まで行き、何を食べようか迷っていると(実はカレーとそばのセットはあると思っていたらなかった)、後ろに何人も並んできたので、順番を譲り考えた。しかし考え付かずに、ついにカレーとかき揚げそばを注文する。既に大勢の人が立って食べており、なんとか場所を確保する。

カレーは黄色くて甘口かと見えたが、食べた後少し辛さが来るとてもいい感じ。そばは順当に旨い。それにしても、これを両方食べている人などいない。多くはカレーだけを食べている(まだ午後5時だからおやつ替わりか)。私は部活帰りの高校生並みの食べ方をしており、食べ終わる頃には、腹がはち切れそうだった。まあ、かなり満足して去る。

そのまま駅前まで歩くと、途中に居酒屋や食堂が一杯あった。中には9年前に連れてきてもらったヘギそば屋も見付けた。ここでも食べたい衝動にかられたが、私は既に満足しており、コンビニでドリンクを買っていそいそと宿に帰り、テレビを見ながら夢見心地となった。

7月12日(金)新潟散歩

朝はゆっくりと起動する。雨もないようなので、散歩に出ると気持ちが良い。川を渡り、古町を歩く。この辺、古い建物がいくつもあり、また歴史的な場所にもなっていて興味深い。新潟大神宮には坂口安吾生誕碑などもある。この辺から急に日本海が見たくなり、護国神社に向かう。

神社周辺を一回りすると、海が見えてきた。特に海水浴など出来そうな場所でもなく、人影もない。なぜだかこんな海が見たかった。そこから少し入ると記念碑や像などがいくつかあった。興味深いのは、ここ新潟は元々長岡藩領だったが、幕末に幕府直轄領になっていたこと。この辺の真相はどうなのか。初代新潟奉行、川村修就は海防に務めたと書かれており、異国船対策などを担っていたようだ。

ふと思い立ち、新潟歴史博物館まで歩いてみた。かなりの距離があり、途中には古民家が見られた。博物館自体は頑丈な建物で、新潟の港をにらんでいる。『淳足柵』という言葉が妙に心に引っかかる。新潟県令楠本正隆という名前も久しぶりに出てきた。やはりたまには博物館に来ないと思い出せない歴史がある。

何故か9年前に渡った佐渡が恋しくなり、フェリー乗り場まで行ってみたくなる。対岸に見えるのだが、歩くと30分近くかかる。何とか歩きぬくとそこには食堂がある。そして9年前に気になっていたブリかつ丼があるはずだったが、そのメニューは既に無くなっていてガッカリ。仕方なく食べたタレかつ丼とざるそばのセット、意外とおいしい。横はフェリーの乗船場。佐渡へもう一度行きたくなる。

山形・新潟旅2024(4)鶴岡を散歩する

7月11日(木)鶴岡から新潟へ

翌朝起きてみると天気が良かった。昨晩の大盛りのお陰で食欲もなく、ただ歩きだした。鶴ケ岡城を目指す。鶴岡は歩きやすい、穏やかな街だった。商店街には三井家の蔵座敷が残されていた。街中にはきれいな庭を持つ寺社などもあったが、とりわけ目を引いたのが、教会だった。

1903年にフランス人神父により建てられたらしい。このカトリック教会を建てたのは日本人大工だという。完全な和洋折衷で、教会内に入ると、ステンドグラスなど洋風教会のそれに、畳が敷かれていて面白い。入口の門は武家屋敷のそれであり、横には現在幼稚園が併設されている。

更に歩くと、西郷隆盛碑がある。戊辰戦争で最後まで抵抗した庄内藩に寛大な措置を取ったと言われる西郷。庄内の人々はその対応に感激して西郷を師と仰ぎ、鹿児島まで教えを請いに行ったらしい。まあ各地に残る西郷伝説の一つかもしれないが、こういう話が庄内にはよく似合っている。

庄内藩校致道館に行く。ここは資料館のようになっており、庄内藩関連の歴史的展示が多い。徳川四天王の一人、酒井忠次の流れを汲む庄内藩は江戸時代も異彩を放っており、幕府から国替えを命じられても、領民がそれを阻止した。幕末庄内藩の英雄、酒井玄番や先ほどの西郷の話も展示されている。官軍黒田清隆に藩主がここで降伏したという部屋もある。

鶴ケ岡城跡には、庄内神社、藤沢周平記念館、大宝館などが残されている。この大宝館では、鶴岡ゆかりの人物についての展示があり、興味深い。致道博物館も城脇にあり、その偽洋風建物が目立っている。天気が良いので足がどんどん進む。午前中かけて鶴岡の旧市街地を歩き疲れる。

駅まで戻り、昼ご飯を食べようと思ったが、ラーメン屋ぐらいしか見つからない。地方都市は郊外に車で食べに行くので、駅前は本当に寂しい。そんな中、小さな食事処を見付ける。入ってみると狭い店内は地元民で溢れていた。ここが憩いの場という感じだ。刺身定食を頼むと分厚いさしみがやってきて嬉しい。なんだか味噌汁がやけに美味い。

駅で乗車券を買って、時間に余裕があったので各停に乗り込む。少し進むと日本海が見えてくる。今日は天気が良いのでのどかな風景だが、冬の海の荒い日などは大変な風景になるのだろう。途中までいた乗客はほぼ降りてしまい、寂しい車内でただただ外を見て過ごす。

1時間半ほどで終点の村上に着く。すでに新潟県に入っている。村上も9年前に来たきりで、降りてみたい衝動にかられたが、何となく新潟を目指して先に進んでしまった。村上茶は商業上は日本北限茶であるし、その歴史も興味深い。今度は高校生の下校時間と重なり、人が増えている。ふと窓の外を見ると、三幸製菓の工場があった。私はここのせんべいが好きでいつも食べているのだが、確か工場では不幸な事故があったはずだ。

1時間20分ほど電車に揺られた。新潟が近づくにつれて乗客が増えていく。そして新潟駅で降りると大都会に来たような気分になる。開業120周年で現在工事中の駅前から今日予約した宿を探したら、大通りの向こうの方に既に見えている。だが歩くとなかなか辿り着かない。おまけに歩道橋を使うなど、荷物が多い人間にはちょっと苦痛。

山形・新潟旅2024(3)酒田から鶴岡へ

雨は止んでいたので街散歩に出た。図書館を探していると、お寺があった。何気なく入るとそこに『徳尼公廟』と書かれており、中に『三十六人衆之碑』があった。何と奥州平泉を頼朝が征服した際、藤原秀衡の妹?がお供と共にここに流れ着いたとある。泉流寺とはそういうことか。

その横に酒田市文化資料館の建物があった。色々な展示物もあるようだったが、折角なので本間家と茶というテーマで資料はないか、聞いてみたが、残念ながら見いだせなかった。本当に本間家を研究している人はいないのだろうか。本間家の資料などを保存している光丘文庫もここにあると書かれているのだが。北前船と茶、というのでも、何も出て来ない。

ランチの時間になった。適当にホルモンと書かれた店に飛び込んだら、まさかの満員御礼。店主がワンオペで手が回らず、多くがセルフサービスの店。でもさすが日本人、皆きれいに片付けて帰っていく。私はご飯を自分でよそおうとしたが、何と蓋が開けられず、後ろのおばさんに笑われる。もつ煮込み、かなり濃厚。皆鉄板焼きを食べているよ。

駅前まで戻ると電車の時間までちょうど1時間。駅前にあるミライニという施設の中に図書館があるので、そこで時間をつぶそうかと思ったら、まさかの休館日。ちょうど観光案内所があったので、近所の穴場を聞いたところ案内されたのが、清亀園という邸宅。ここまで駅から徒歩10分。

何とも優雅な庭園だったが、誰もいない、まさに穴場。古い建物も残っている週末だけ一般公開があるのか、ひっそりしている。この周辺は古い地区らしく、お寺などもちょっと面白い。ちょうど1時間でよい散策が出来て良かった。Google検索では出て来ないよな、こういう場所。

駅には羽越本線100周年と書かれていた。開運で栄えた街に鉄道が通るには随分と時間が掛かったらしい。2両列車に乗り込むと、田んぼが広がっている。車内も何だか広々としていて、乗客は少ない。僅か30分で鶴岡に到着する。駅前は閑散としていて、寂しい。取り敢えず駅前ホテルに投宿する。

それから隣のビルにあった観光案内所で地図を貰い、説明を受ける。羽黒山も有名だが、今回は行かないこととして、今日は近場だけ回ることにした。やはりいつ雨に見舞われるか分からないので仕方がない。ちょっと歩きだすと、昔の商店街が見えるが、残念ながら開いている店は多くない。『おくりびと』という映画はここが舞台だったか。

日枝神社まで来ると芭蕉の句碑があった。奥の細道は、先日大垣を訪ねたばかりだったのでちょっと新鮮。そのまま釣られるように、芭蕉が船に乗った内川の乗り場や逗留した長山重行宅跡へも行ってみる。今や何もない場所に記念碑が建っているだけだが、もう一度奥の細道を読み返そうと思う。藤沢周平ゆかりの地という看板もある。

夕方腹が減ったので、もう一度外出する。検索しておいた近くの定食屋へ行こうとすると、何と道を渡る中で、車と接触してしまう。幸いほぼスピードが出ていなかったので、驚いただけだったが、もっと驚いたのは運転していた若い女性だったかもしれない。お爺ちゃん、危ないよ。

何とその定食屋は水曜日定休だった。Googleにはそんなこと書いてなかった、と言ってみ仕方がない。こわごわもう一度検索すると、ここから徒歩10分のところに評判の良さそうな店が見付かり、歩き出す(よく考えてみれば宿から反対側なので帰りが大変だ)。着いた店の名は『定食家』だった。

もつ煮込みが名物らしいが、昼も食べたばかりなので断念して定番かつ丼へ。味噌汁はお替り自由らしい。しかし出てきたかつ丼を見て驚いた。これは通常の1.5倍以上はありそうだ。もう味噌汁のお替りなど考えずに、ひたすら掻き込んだ。味は悪くなかった。そういえば田舎で800円といえば、確かにボリューム満点と考えるべきだった。帰りは歩いて20分だったが、腹が重くて歩行が緩やかで困る。まあこれなら車に轢かれることはない。