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バンコク滞在記2022その7(6)日本の観光業を憂う

11月7日(月)東京へ帰ると

ついに3か月に及ぶバンコク生活に別れを告げる日が来た。フライトは夜行便なので十分に時間はあるはずだったが、色々と溜まったものを整理するなどしていると、時はどんどん過ぎていく。朝はコムヤーン、昼は麺といつものラインナップを刻んだが、最後の夕飯は内臓麺を食べる気満々で出掛けた。だが悲しいかな、月曜日が定休日であることを知らず、意気消沈。結果部屋で残り物を食べて過ごす。

少し早めに宿をチェックアウトして、空港に向かう車を探す。昔は宿の人に頼んでいた車探しだが、今やそんな宿泊客は余程のご年配だけだろうか。皆スマホをいじってことを成している。私はGrabを頼りにしていたが、時間帯のせいか意外と高い。仕方なくもう一つのBoltを試してみると何と150バーツ以上安い。タイにも競争が起こり始めているのだろうか。

車はタクシーだったが、特に渋滞もなく、スムーズに空港に到着した。3か月前と比べて空港は人が多く、活気が戻っていた。東京行きのフライト、チェックインには長い列が出来ている。免税店なども以前は手持無沙汰だった店員が客の対応に追われている。何とも好ましい光景だ。

当初はそれほど混んでいないだろうと言われていたが、蓋を開けてみると、何と搭乗率は90%に近く、ほぼ満席。更にそのほとんどがタイ人観光客で驚いた。夜行便なので寝るだけだったが、意外や眠れない。仕方なく映画を見てみると、これが予想外に良い映画だった。ただ気付くのが遅く、最後まで見られなかったのは残念。三浦透子という女優が素晴らしい。

朝飯を機内で食べると、ほぼ定刻の7時に羽田に着いた。私の長い旅は終わったかに思われた。飛行機から出ると、突然前の方が大勢のスタッフが駆け寄ってきて、口々に『スマホ、アプリ』を叫んでいる。その一人に捕まり、慌ててスマホのVisit Japanアプリを開けて見せる。羽田ってこんなにネット環境よかったっけ、と思うほど簡単に開き、すぐに青いカードを渡された。それを持って入国審査近くに行くともう一度チェックがあり、そこをスルっと通ると、後は自動入国するだけだった。これは何のためにやっているのだろうか。そもそも1年以上前に打ったワクチンの証明が本当に役に立つのだろうか。単なる抑止力?なのか。

次に荷物を取り、税関申告ゲートに向かうと、係員が『Visit Japanアプリで税関申告したのか』と聞くので頷くと、『もう一度そちらの機械を通してから、自動ゲートへいけ』と言われ、唖然とする。それならゲートに並んだ方が速くない??実際この時は申告書を手書きして、ゲートに並んでパスポート出している人の方が多かった。

更に新宿までのバス切符を買おうとしたら、まだ7時20分ぐらいなのに、8時半過ぎまでバスはないという。てっきり日本もインバウンドが戻り、バスが満員で乗れないのだと思い、慌てて京急で帰る。この時間帯は通勤時間なので大きな荷物を持って乗るのは嫌だったが、思ったほどのラッシュもない。東京も変化しているのだろうか。家に帰ってから調べてみると、バスは何と始発が8時35分だった。理由は不明だが運転手不足ではないかとも言われている。

日本の観光業、ポストコロナに対応できるのだろうか。観光客が戻っても人手不足で対応できない日本、それが現実かもしれない。それに比べていち早く舵を切り、勢いを見せつけられたタイ。今や日本の対抗馬は中国ではなく、東南アジアではないかと思えてしまう、そんな今回の旅だった。

バンコク滞在記2022その7(5)サパンタクシンで食べ尽くす

それから散歩に出る。川沿いに寺があった。龍船寺という如何にも中国的な名前が付いていた。元々1648年建立とあるが、ラーマ3世時代に中国との貿易が盛んになり、船のモニュメントが作られ、寺の名前も変わったと書かれている。敷地は広く、川べりまである。そして船のモニュメントもある。

何だか船に乗りたくなってピアーに行くと、ICONSIAM行のボートがちょうど出る所だった。無料ということもあり、パッと飛び乗ってしまう。意外と大きなボートに観光客がどっと乗り込んでくる。このボートは対岸のモールへ向かうらしい。気持ちのよい川風に煽られながら、川面を眺めているとすぐに着いてしまった。

そこは立派なモールで、高島屋も入っていた。1階のフードコートでは沢山の観光客がタイ料理を頬張っている。思わず食べたくなったが、私はもう食べるものが決まっているので我慢する。何とスシローまで登場した。裏へ行くとMRTと繋がっており、ボートでなくても簡単に来られることが分かる。私は宿に戻るためボートにまた乗り込む。オリエンタルやシャングリラなどの有名ホテルが並んでいる。

ようやく部屋にチェックイン。何となく前回より狭い印象がある。夕方までゆっくりと休む。部屋の窓から見える夕日はチャオプラヤ河に映えて美しい。そうするとまた腹が減る。外へ出て何を食べようかと見ていると『鴨肉』の文字が目に入る。だがその屋台は既に閉まっていた。そこで私は隣の屋台へ行き『ダック』と怒鳴る。するとそこにいたおじさんが『ダックならあっちの店が旨いぞ』と言って連れて行ってくれた。

その店、新記はかなり混んでいたが、何とか席を見付けて座り込む。鴨肉焼肉飯を注文すると、これが実にうまい。さすが地元の人が教えてくれただけのことはある。そして常に客がいる理由もわかる。柔らかい肉とジューシーな汁、これはなかなか食べられない。いい物を教えてもらった。

そこから散歩でもと思って歩き出したが、またすぐ引っかかった。屋台の麺屋が旨そうなので、立ち止まり、結局ここでも食べてしまう。潮州系の麺に具沢山、何とも有難い。スープもあっさりの割には美味しい。ちょっと歩くだけでいくらでも食べたい物が見付けられるこの場所、これまでなぜ来なかったのだろうか。

夜8時過ぎに部屋に戻ってくると、突然大きな音が聞こえてきて驚く。何と河の上に花火が華麗に上がっていた。それも何発も何発も上がっていく。今日な何の日なのだろうかと訝るも、分からない。少なくとも観光客が戻ってきたことを知らせ、祝うものであるようには思う。先月はサッカープレミアリーグを遅くまで見たが、今夜は早寝した。

11月6日(日)サパンタクシンで食べ尽くす2

朝6時前にきっちりと目覚め、すぐに外へ出た。今回はホテルの朝食を頼まず、朝から食べまくる予定だった。まずは宿の横に向かう。午前しかやっていない『魚の胃袋スープ』を食す。6時過ぎでも既にお客がいる。席数が殆どないのだが、何とか座る。さすがに少し涼しい早朝にこれを食べると温まる。私が食べ終わる頃にはお客が何人も来て、テイクアウトしていた。

帰らずにそのまま次に行く。前回夜8時過ぎに食べたジョークを今回は朝食べる。店に客の姿は殆どなく、中国人グループの声だけが響く。だが空いたテーブルにはジョークの入った袋が山積み状態で、近所のおじさんとデリバリーのおにいさんがひしめき合う。食べている間も電話が鳴りやまない。この昭和感、悪くない。地元に愛さている証拠である。

それから満腹で思わず寝そうになる所を耐えて、オンライン講座に一生懸命に取り組んだ。それが終わると荷物を纏めてチェックアウト。だが帰る前にどうしても食べたい物があった。昨日の夕飯に食べた鴨肉、その時隣のおばさんが食べていた麺。鴨肉叉焼ワンタン麺。店に行くと当然満席だったが、奇跡的一席空いて滑り込む。この麺は期待に違わぬクオリティーで大満足。

それでも定宿に戻り、休んでいるとまだ麵が食べたくなり、付近で一番安いバンミー屋へ向かってしまう。僅か30バーツだが、クオリティー的にはかなり高い。今時バンコクで30バーツの麺が食べられるところなどほぼないだろう。何とも有難い場所だ。

バンコク滞在記2022その7(4)川を渡った名建築で昼食を

11月4日(金)名建築で昼食を

本日はUさんのお誘いで、プラアチットという場所へ向かった。初めて行く所、バスを一度乗り換えて何とか近所まで来ると、見覚えのある国立博物館、美術館などが見えてくる。目をクルクルさせている内に、降りる場所を間違えてしまい、バスは随分と先に進んでしまった。

バスを降りると、白人が大勢横道を入っていくのが見えたので、何があるのだろうかとついて行く。するとその道は予想もしていなかったほどおしゃれなレストランやホテルがいくつもあるではないか。そしてそこでは白人集団が優雅に朝食など食べてゆったり過ごしている。ここはどこなのだろう?カオサンのような貧乏旅行者街ではなく、オリエンタルに泊まるほど裕福ではない層がここに集まっているように見えた。韓国人は見かけたが、日本人は全くいない。次回はじっくり観察しに来よう。

それからチャオプラヤ河沿いをフラフラと歩く。公園になっているところもあり、何とも雰囲気が良い。この辺が白人観光客にウケるところだろう。プラスメンフォートというラーマ一世時代の白い砦跡が目立っている。天気が良いので川面も映える。河を行きかうボートに観光客が吸い込まれていく。

Uさんとプラアチットのボート乗り場で落ち合う。我々はどのボートに乗るのだろうかとみているとUさんはどこかに電話を掛けている。何と本日行くレストランは、対岸にあり、専用ボートを電話で呼んで渡してもらうというのだ。これはもう高級感あふれる演出だ。路線ボートの間を縫うように、そのボートはゆるゆると近づいてきて、我々を乗せるとスルっと対岸へ。

対岸には立派な建物と庭が見える。近くまで来るとそこがホテルであることが分かる。5分で到着。そこは確かに100年前の誰かの別荘だった。確認すると建造は1923年。建物の中に案内されると、何ともクラシックな空間が広がっており、そしてお客はいない夢のような場所だった。これぞ名建築で昼食を、に相応しい。

メニューは、王朝時代別になっているのが面白い。全く分からないのでUさんにオーダーをお願いしたが、これまで見たことがないようなメニューもあるという。カレーやシチュー系のような欧風な物も出て来る。どれも上品な味で、これまで食べてきたタイ料理とは一味違う。お客がいないというのは、単に料金が高いということではなく、敷居が高い、ということだろうか。

係の話を聞くと、ここはホテルで、普通の予約サイトで予約できるという。対岸からボートで来る以外は推奨していないともいう(建物の裏にも道はあるらしいが)。出来れば一度は泊まってみたい。ここに来たら、まさに何もせずボーっとしているのがよさそうだ。

11月5日(土)サパンタクシンで食べ尽くす

いよいよ日本へ帰る日が近づいた。その前にやらなければならいオンライン講座。今回も前回と同じ宿を予約して臨む。料金は数百バーツ高くなっていたが、朝食を付けずに調整した。前回同様昼頃到着したら、チェックインは午後2時に、と言われる。これも観光客が増えた証拠かもしれない。

早々荷物を預けて外へ飛び出す。通りの人々の活気も更に高まっている。前回行けなかったカオカームーを食べに出向く。紹介された店は路地にあり、コロナ禍ではデリバリー専門で営業していたらしい。今日もお客の姿はあまりないが、デリバリーの人がひっきりなしに来て忙しそうだ。

メニューはタイ語しかないが、美味そうな豚足を指せばすべてが済む。柔らかくて、味付けも濃厚で良い。よく分からない甘いドリンクを飲みながら、頬張るのが良い。近所に数軒、カオカームーを出す店があるが、ここはきれいでよい。最近時間が掛かる割に儲からない、と作らなくなっている店が多いと聞くので、頑張って欲しい。

バンコク滞在記2022その7(3)タイ料理の歴史を知りたい

先月はベートンからマレーシア、そしてナラティワート、更にトラン、スラッタニーを旅してみたが、さっき万歩計を見てみると、何と1か月で240㎞も歩いていた。毎日8㎞歩いた計算になるが、さすがにそれはないような気がする。まあとにかくこれまでの最高記録だろう。めでたい。

今朝はバーミーでも食べようと近所に出掛けるも、残念ながら朝はやっていなかった。仕方なくその先のカオソイ屋に行くと、テーブルの上に猫が寝ころんでいた。首にメガホンのような物を付けられており、どこか痛めて動かせないのだろう。可哀そうではあるが、何ともユーモラスな姿だった。

11月2日(水)ヤワラー

本来は今日あたり、ロップリーに行っているはずだったが、先日の駅での切符騒動で萎えてしまい、バンコクで過ごしている。今朝もバスでヤワラーに向かった。意外と空いていて、早めに到着。ジョークにありつく。実は昨晩このお粥に入れるパートンコウとは何かを考えており、写真を撮りたいと思っていた。

パートンコウは中国では油条だろうが、なぜタイではこう呼ぶのだろう。お知り合いから『白糖糕』の潮州語訛りではないかと言われ、ハッとする。やはりタイの食べ物を理解するにはどうしても潮州語や福建語が必要のようだ。今日も屋外で美味しくジョークを食べる。

何となく散歩していると、お寺が見えた。会慶寺、1956年創建とある。立派な山門を潜ると、敷地は狭いが中にはさすがヤワラーと思わせる立派な仏像が安置されており、思わず拝む。後で聞いたら、この山門の下に、有名な焼売売りの老人がいるらしい。ただ昼からの営業で出会うことはなかった。次回を期す。

ふらふらしていると、関帝古廟に辿り着く。中は信者の華人で満ちており、入るのが躊躇われた。更に行くと2年半前に歩いた大本頭廟に行き着き、華人学校も健在だった。こうして時間をつぶしていたのは、本屋が9時に開くのを待っていたからだ。本屋に入ると2階で『何を探しているのか』と華語で聞かれたので、『タイの料理の歴史』と言ってみると、おじさんとおばさんが二人で色々と探してくれたが、残念ながらなかった。

宿に戻ってランチにバーミーを食べた。これも潮州語の肉麺から来ているらしいが、本日食べた麵はいつもの黄色い麵とはちょっと違っていて、緑色の平麺だった。こちらは潮州ではなく、福建系らしいと言われ、なるほど奥が深いと感嘆する。これまで食べ物を食べても、そこまで深く観察したことがなかった。いや、考えたこともなかった。

何だか世界が少し広がった気分となり、夕方近所の歩いたことがない場所を散策する。ここは市場の近くなので、食堂はいくつもあったが、これまで入ったことはなかった。思い切って入ると、そこは鴨肉の店。朝は点心も出しているようだ。肉の上から濃厚なタレを沢山かけるので、インスタ映えはしないが、味は確かだった。

11月3日(木)サラディーで

今朝もコムヤーンを食べて幸せ。それからバスでシーロムへ向かう。シーロム界隈、今回殆ど歩いていなかったので、BTSサラディーンからチョンノンシーまで歩いてみる。道には人が多いが、何となく以前の熱気は感じられない。チョンノンシー近く、昔行った遼寧餃子館などは健在だったが、味はどうだろうか。この付近は相変わらず華語が飛び交っており、大陸中国人の投資が多そうだ。

今日の昼は野菜ソムリエAさんに会うため、懐かしのサラディーに向かった。このお店は私がバンコクで開いた最初のお茶会の会場だった。もう10年も昔のことだ。コロナ前後、Aさんはお店を閉めて、今は弟子がデリバリー専門でやっているが、Aさんの教室、食事会などでも使われている。

本日の目的は、タイ料理の歴史を知ることだった。Aさんに聞けば、何らかのヒントが得られるだろうと思い、出掛けた。ちょうどこの日はAさんが生徒さんと一緒にランチするというので飛び入り参加した。初めての方ばかりかと思っていたら、昔お茶会に参加してくれた人たちもおり、また私が日本で旅した場所の出身者もいた。

お料理は個性的で、ピザやパスタとタイ料理を組み合わせるなど、色々と面白いものが多かったが、1つずつの料理についてはよくわからなかった。肝心の料理の歴史については、『かなり難しい』という感触であり、やはりタイ語が出来ないと前には進みそうもない。華人の料理だけでも何とかならないだろうかと思うのだが、儘ならない。

バンコク滞在記2022その7(2)バンカチャオとタイスキの原点

バンカチャオへ

ところがポートの入り口で止められ、どこへ行くのかと聞かれる。残念ながら言葉が通じず、困っていたら、英語ができる人が出てきて、『あっちだ』と指をさす。そちらへ向かったが、敷地内は水浸しで、やはり見つからなかった。その人はずっと私の行動を見ていたようで、更に『そこじゃない、もっとあっちだ』とジェスチャーで教えてくれた。何と優しいことか。

そこを入っていくと、お寺があり、小さな店が並んでいる路地だった。抜けて行くと、突然川が現れ、そこから木製ボートに乗れた。1回10b。雨期で水かさは増しているが、天気が良かったこともあり、風が気持ちよい。ボートの人も何だか優しげで良い。外国人が自転車を持って乗ったりしている。対岸はどんな所なのだろうか。

這い上がると、そこに建物があり、自転車が沢山置かれていた。貸自転車で回るような場所らしい。自転車に乗ることが禁じられている?私は一人トボトボ歩いて行く。近くにある公園を目指したが、道を間違えたようでどんどん離れていく。ここはバンコク中心地からほぼ近い場所なのに、完全にタイの田舎の雰囲気がする。家は結構あるが、観光地と言った雰囲気でもない。確かにここなら、自転車で回るのが良い。

公園の裏から入ったら、大自然の中だった。バンコク都民憩いの場、という感じだろうか。白人さんのツアーも来ている。日本人らしき姿は全くない。日本人はバンコクに自然を求めてはいないだろう。公園の敷地はとても広い。ゆっくり歩いていたら1時間ぐらい経ってしまい、またピアーに戻ってボートで帰った。偶にはこんな散歩も良い。

10月31日(月)タイスキの原点を訪ねる

いつものようにランチを食べているとS氏が『今晩暇?』と聞いてきた。毎日暇です、と答えたところ、夕方MRTに乗った。降りた駅に出来たきれいなパン屋さんの写真を撮る。今やバンコクもおしゃれなパン屋の時代なのだ。そこからずっと歩いて行くと、今晩の目的地があった。

漢字で『金島』と書いているから、華人の店なのだろう。聞けば、ここがあのタイスキを最初に作った店だというのだ。タイスキと言えばコカレストランが有名で、現在ではMKが圧倒的なプレゼンスを持ち、タイの国民食とも言われる食べ物に成長している。だがこの店は昔ながらのやり方で、ここ一店舗のみで営業しているらしい。

いかにも華人の店という昔の雰囲気を保ち、注文を取りに来る女性も華人で年季が入っている。食べている客も華人の顔が目立ち、常連客も多いようだ。肉や魚介に独特の味付けがされており、それがこの店の特徴そのものとなっている。最初は少したんぱくな味かと思われたが、具を煮込むほどに、味わいが増していき、最後はスープを飲み干してしまうほど美味しかった。なるほど本来のタイスキとはこういうものか、と実感する。

11月1日(火)Visit Japan

昨晩の帰りは道がかなり混んでおり、タクシーで宿まで相当時間が掛かった。バンコクの脱コロナは完全に進んでいる。一方1週間後に戻る東京はどうなっているのだろうか。いまだに入国時にWeb登録が必要と言われ、My SOSなるアプリを眺めた。すると何と本日より新たにVisit Japanというアプリが導入され、私が帰国する時点では両者併用という、いかにも日本的な対応がとられていて戸惑う。

事前検疫(ファストトラック)だけのアプリから、「入国審査」、「税関申告」、「検疫(ファストトラック)」がWebでまとめて出来、スムーズな入国手続きを可能にするのだそうだ。しかしこれまで日本のアプリで『スムーズ』とか『利便性』とかいう言葉を見たことはなかった。案の定、登録までかなりの時間を要した。さて、これでスムーズな入国はできるのだろうか。不安が募る。

バンコク滞在記2022その7(1)ファランポーン駅とクイジャップ

《バンコク滞在記2022(7)》  2022年10月27₋11月7日

10月29日(土)ファランポーン駅で

先日スラッタニーから帰ったばかりだというのに、まだ旅に出たい気分だった。もう帰国まで時間もないので、1泊2日で行ける場所を探し、ロップリーと言う街に行ってみることにした。前回同様タイ国鉄に揺られてみようと思い、時刻表を調べ、ファランポーン駅に切符を買いに出かけた。土曜日なので、バスは快適に私を駅まで運んでくれた。

前回駅に来た時は、乗客は多くなさそうだったが、さすがに観光客を含めて、人の移動が戻ってきており、駅の窓口には人が結構並んでいた。外国人はマスクしている人は多くないが、タイ人はしっかり防御している姿が面白い。ようやく自分の順番が来たので『明後日の朝、ロップリー1枚』と英語で伝えてみたが、係員はエッという顔をしている。

そして『ロップリーは当日しか売れない』と言い出す。私が食い下がると『じゃあ取り敢えずやってみる』と言ってくれ、パスポート情報など機械入力をしてくれたがやはり切符は出てこなかった。どうやら近距離の切符は当日しか買えないらしい。だが知り合いから買えると聞いていたこともあり、ことの真偽を知るべく、インフォメーションデスクにも行って聞いてみる。

ところがそこに座っていた年配の女性は『そんなの買えるわけないじゃない』とこちらの話も聞かず、けんもほろろの対応だった。あまりに酷い態度だったので、『じゃあ、午前8時半の列車に乗るのに、当日何時に来ればよいのか』と聞くと、『ここは朝4時半からやっているから、出来るだけ早く来て買え』と言い張る。さすがに外国人窓口の人がこんな対応をしていたら、微笑みの国タイ王国の評判が落ちてしまわないか、こちらが心配になるほどだった。

結局何のためにファランポーンに行ったのかも分からず、次の用事のため、プロンポーンに向かう。まずは腹ごなしにと、時々行く和食屋で大好きなかつ煮定食を頂き、気分転換を図った。今日は土曜日だったが、意外にも満席ではなかった。ただお客はタイ人家族が多く、日本人は単身赴任のおじさんが数人いるだけ。

それからエンポリアムに入ると、ちょうど今日はハロウインのようで、小さな子供たちがイベントに参加すべく、思い思いの服装でフロアーを占拠。エスカレーターに乗るのも、一苦労だった。店員なども所々でハロウイン仕様の服装をしており、タイもいつの間にかクリスマス、ハロウインなどが定着しつつあるようだ。その後お知り合いに誘われた歴史関連の会に参加。参加者の中に、お茶の歴史を知っている方もいて、有意義な午後だった。

10月30日(日)クイジャップを食べに

昨晩Youtubeを見ていたら、どうしてもクイジャップが食べたくなり、またヤワラーを目指してバスに乗る。いつもはワットトライミット付近で降りるのだが、今回の店はヤワラーロードに面しているので、先まで乗って行く。店に着くと満員で行列が出来ている。さすがに有名店らしく、外国人も食べている。

10分ほど並んで待っていると、席が空き、注文する。クイジャップの他、待っている間に見てしまったチャーシューなども頼んでしまう。お客の多くは2人以上できているので、色々な物が食べられるのが腹立たしく、一人で満腹になるまで食べた。行列はずっと続いており、観光客が増えていて、なぜか中国人は立って何かを食べていた。

ヤワラー付近を少し散歩。中山街、サンペーン市場、日曜日の朝は人が多い。もう一食何か食べたかったが、腹も減らず、残念ながらバスに乗って帰ることに。しかしまだ午前中も早い。このまま帰るのも何なので、バスを終点まで乗って行く。そこは港。ここから小型ボートで対岸に渡れると聞いていたので、この機会に試してみることした。

バンコク滞在記2022その6(3)王陽春とナイラート公園

MRTに乗り、サムヨット駅で降りる。ふらふら歩いて行くと、立派な歴史的建造物、ロイヤルシアターがある。今はコロナで閉まっているが、現役の劇場だ。その先にはかなり長い校舎を持つ学校に100年以上の歴史がある。この付近は歴史的地区なのだと分かる。

ふと道の向こうを見ると、何となく見覚えのある寺があった。ワットリアップ、日本人納骨堂があるタイ寺であり、10年ほど前、ひょんなことから1泊させてもらったところであった。何とも懐かしく、中を見学した。日本人納骨堂ではちょうど法要が行われており、日本人僧侶の姿も見られた。何とも懐かしい。

その先、川の手前にかなりの敷地がある。ラーマ5世像?が建てられているだけの広場だが、その歴史的背景は良く分からない(タイ語は読めない)。そこから花市場の方へ歩いて行くと、王陽春がある。この店のロケーションは、往時は路面電車が走るなど、かなり良い場所だったはずだ。

店には80歳になる2代目店主、そしてその3人の娘(3代目)、更にはその娘(4代目候補)が、揃って待っていてくれた。それから1時間ほど、この店の歴史を聞き、またその姻戚関係を尋ねる。やはり福建安渓堯陽村の出で、これまで訪ねてきたバンコクの老舗茶行の多くと姻戚関係にあった。ただ違うのは、初代が早く亡くなり、その未亡人が店を継ぎ、それからはずっと女系経営だという点かもしれない。80年以上の歴史を誇るこの店、その道のりは決して平たんではなかった。

この付近には最盛期、10軒以上の茶行が存在していたというが、今はついにこの1軒だけになってしまった。果たして未来はどうなるのだろうか。パイナップル印のロゴ、可愛らしい店内、何らかの形で継承して欲しいと願うのだが、それは外野のエゴだろうか。とにかく今日の訪問はとても意義あるものに思えた。次回はいつだろうか。

10月22日(土)ナイラート公園で昼食を

テレビ大阪の番組に『名建築で昼食を』というのがある。コロナ禍、テレビでそれを見ていたら、自分も行ってみたくなったが、ちょうどバンコクに来てしまった。それならバンコクにも名建築はあるだろうと思い、探し始める。だが名建築はあっても、そこでランチが食べられるかとなると、かなり限られてしまうらしい。

そんな中、Mさんが有力な情報を送ってくれた。そこは100年以上前の実業家の家で、美味しいレストランもあるというのだ。お知り合いのお二人にも参加してもらい、4人でランチに行ってみる。当日は土曜日で、朝の交通渋滞もないと踏んで、バスに乗ったが、何故か全く進まず焦る。近くのコンベンションセンターでコスプレ?アニメイベントが行われるようで、何とバスにも乗ってくる。

そのナイラート公園はBTSのチットロム駅から少し北上したところにあり、アクセスは意外とよい。公園のところまで来ると大規模改修工事が行われていた。ここには元々スイスホテルがあったが、今後はアマンリゾートになるらしい。都会のど真ん中、どんなホテルになるのだろうか。大林組が施工しており、その脇を通り抜けて何とかレストランに辿り着く。

レストランの前で、立派な服を着た人に呼び止められる。ドアマン?だった。そして何ともモダンなレストラン、マ・メゾンに案内された。ここは正直名建築と言ってもレトロ感がないので、私が思っているところとちょっと違っていた。だが料理が出て来ると実に上品で美味しい。特にマッサマンカレーとミンチ入り卵麺は特筆したい。これからも偶には食べに来たい味。

帰りに公園に踏み込むと確かにレトロなお屋敷が建っていた。ちょっと入って見学していると『ここは有料予約制』と言われてしまう。仕方なく公園を散策すると、ナイラート像があり、愛車や船が飾られており、日本的な庭園や大きな池もある。池のほとりには、ひっそりとカフェがあり、まさにここに来ればよかったかと思う佇まいだった。今度は朝食に来て見よう。

バンコク滞在記2022その6(2)バンコクで肉骨茶

10月20日(木)バンコクで肉骨茶

後輩のUさんから肉骨茶の店の紹介があった。肉骨茶と言えばマレーシアかシンガポールの名物であり、バンコクで見かけることは殆どない。先日ヤワラーで1軒見掛けて気になっていたが、今日は全く違う場所に案内される。待ち合わせはMRTペップリー駅と連絡を受けたが、路線図を見るとそんな駅は存在しない。だが自分でもあそこだな、と思っているのが不思議。結局ペチャブリ駅をペップリーともいうことが分かる。しかしなぜ2つの名前を持つのだろうか。

そこからタクシーを拾おうとしたが、乗車拒否に遭ってしまい、Grabで呼ぶことになる。乗車拒否などしても営業は成り立つのだろうか。バンコクのタクシーは何とも不思議だ。車は10分以上走って止まった。その周辺には高層住宅がいくつもあったが、『最近中国人がかなり買って住んでいる』との話だった。近くには中国大使館もあり、タクシーが止まった場所にも中国スーパーと食堂が並んでいた。新中華街、今やバンコクの各所に中国人集落があるという。

だが目的地の肉骨茶屋が見当たらない。よくよく見ると店の看板はあったが、店は既に改修工事をしていた。コロナ禍で潰れてしまったのだろうか。ここまで来て食べられないとは、何とも残念。仕方なく他の食堂のメニューなどを見て、どこかへ入ろうかと考えているとUさんが店を覗き込み、張り紙を見つけ、『店の引っ越し先が分かった』と言い、歩き出した。

10分ほど歩くと、肉骨茶屋とは思えないような店が登場した。そしてそこが移転先だった。何だか突然カラオケ屋か何かを借りた感じで、食堂とは思えない空間だった。そこで働いている店員女子も、華人ぽい人はいないが、果たしてタイ人なのだろうか。店名は『巴生桥底』と書かれており、これはマレーシアのクランにあった有名な肉骨茶屋と同じであった。どうやら親戚が出てきてこちらで開業したらしいが、今もその人々が経営しているのだろうか。残念ながらこの店の歴史を聞くことはできなかった。

ちょっと待っていると、いきなりドライバクテーがやってきた。10年前にKLで食べて以降、今や普通のメニューになっているが、これは本格的で美味い。しかもつけ汁が別の椀で付いてきた。それからぐつぐつと煮込まれた熱々の肉骨茶も土鍋に入ってやってくる。中身は豚足で、味は私の好みだった。葱油飯と一緒に食べると余計に良い。ただかなりの時間食べて、しゃべっていたが、残念ながらお客は殆どいなかった。次回この場所にあるのだろうか。ちょっと心配になる。

帰りもGrabで車を呼び、プロンポンまで行った。距離的にはそれほど離れてはいないが、ソイの狭い道は渋滞しており、なかなか前に進まない。バンコクは10月から完全にポストコロナ時代に入ったが、渋滞も元々に戻ってきており、もう油断はできない。

10月21日(金)ついに王陽春茶行へ

2020年3月、バンコクでももっと古いかもしれない老舗茶行を発見した。その店の娘さんと話し、『茶行の歴史はお母さんに聞いて』と言われ、翌日再訪するつもりが、何とコロナによる都市封鎖が迫り、敢え無く国外避難となってしまった。そして2年半、先日店に行くとちゃんと営業していてホッとし、電話連絡で会う日を確定させ、いよいよ話が聞けると楽しみにしていたが、何と前日に家族がコロナ感染、約束はキャンセルとなってしまった。その後コタバルで劇的に電話を受けて、今日ついにその日が来た。

バンコク滞在記2022その6(1)近所の食事と地獄のメール削除の日々

《バンコク滞在記2022(6)》  2022年10月16₋10月24日

10月16日(日)メールが詰まった

実はここ2か月ほど、Webチェックインしたチケットがメールで送られてこないという現象があった。当然空港会社側の問題だろうと問い合わせていたが、理由が判明せず、一方奥さんに聞いたところ『あんたにメール送ってもボックスが一杯いって出ている』と言われた。慌ててメールボックスを見ようと思ったが、もう何年も見ていないのでログインに苦労する。

何とか入って見てみたら、何とボックス内に27万以上のメールが溜まっていた。正直驚いたが、確かに私はGmailを使って受信をしており、そちらで不要になったメールは削除しているつもりでいたが、本家の方を削除していたわけではなかったのだ。もう10年以上の渡るゴミメールで詰ってしまったようだ。それにしても、27万ものメールを受信した覚えもなく、これまでに大量の不正メール、広告メールを無視してきたつけが回ってきたことを初めて知る。

とにかく開通に向けて作業をしなければならないが、それには何と必要なメールとゴミを区分けする必要があり、一気に削除することはできず、1つの画面に30個ずつあるものを地道に消していく作業をすることになってしまった。ただどう考えても、気が遠くなるような作業であり、どこまでやったらメールが開通するのかも分からない。どうすればよいのだろうか。取り敢えず本日より修行のようにひたすら消し続ける日々を送ることとなる。

何となくだが体調もすぐれない。旅から戻っても食べたい物が食べられず、八番らーめんなど、優しい食べ物で凌ぐ。今日もフードコートでベトナム雑炊のようなものを食べてみたが、物足りなくなり、肉まんと焼売を買い込んで帰る。最近こういう食い物の味が良くなっているように感じられる。

10月17日(月)、18日(火)、19日(水)近所の食事

お昼に久しぶりにYさんとランチする。まだ体調万全ではなかったので、おばさん三姉妹の店で鶏麺を食べる。何とも優しい味でよい。昔は常にコーラを飲んでいたYさん。三姉妹は今でもYさんが来るとコーラを持ってくるので、飲まざるを得ない。これが常連というものだろう。

午後もゆっくりと過ごし、夕方外へ出た。やはり和食でも思ったが、すき家があったので牛丼を食べる。これは安上がりな和食だろう。空いている時間、スタッフはワンオペでちょっと大変そうだが、元気に働いている。これで110b、チップ無しとは有り難い。

翌日の昼もYさんとランチ。今日は少し回復したので、バスターミナル脇の食堂でかなり食べる。ラートナーがあると聞き、注文してスープのように飲む。ラートナーはスープ兼主食として、この辺の労働者は食べている。ガパオライスは日本ではなぜか有名だが、バンコクで食べる機会はあまりなので、わざわざ作ってもらった。如何にもご飯のお供、という感じで、主菜にはなりえない。

夕方いつものようにブドウパンを買いに出ると、信号の向こう、タイヤ屋が麺屋になっていたので、思わず入る。ここの麺が好きなのだが、常設ではなく、思い出した時に店を開くようで、なかなかありつけない。タイヤを見ながら麺を啜るのはやはり特別感がある。

その翌日は元気も回復し、朝からコムヤーンを食べる。何だか肉を焼く煙を見るだけで幸せになれる不思議な空間がそこにある。おばさんがいつもと変わらない表情で、焼き鳥を焼いている姿が何とも微笑ましい。

何と3日続けてYさんとランチする。こんなことは珍しい。Yさんは会社から支給されるお弁当をどうしているのだろうかと心配になる。ランチのレパートリーも尽きてきたので、いつもの食堂へ。ここでもラートナーを初めて頼むと、思った以上に美味しく、なぜこれまで頼まなかったのかと後悔する。いつも食べる食堂の食事は安定の味、何とも好ましいし、懐にも優しい。

バンコク滞在記2022その5(3)癒しを求めて

10月5日(水)有料図書館

今日もまた図書館を探しに行く。ただ今日は図書館メインというより名建築がメインであり、そこでランチでもあれば最高、という感じで出掛けてみた。サムヤーンのあたりでバスを降り、後はひたすら歩くと、いい雰囲気の一角が出て来る。隣はブリテッシュカウンセル、そこにネルソンヘイズ図書館があった。1869年という文字から見ても古い。こじんまりした庭もいい雰囲気だ。

図書館へ入ると、何とここは会員制で、非会員は100bの入場料を取られる。しかも室内は写真撮影禁止なので、残念ながら入場を断念する。だが係員に『何か探しているのか』と聞かれ、タイの歴史関連と答えると、中へ入れてくれ、『もし読みたい物があれば入場して』と言ってくれた。結局それはなかったので、礼を言って外へ出た。確かに古めかしい室内ではあったが、特にこれはというものもない。外にはカフェが併設されていたが、こちらはかなり新しく、入る気分にはなれなかった。

図書館を離れると、罰が当たったかのように雨が降りだした。小雨だったので急いでサムヤーンまで戻り、ジョークで有名な店へ行くと、閉まっていた。ガッカリしていると猛烈な雨が降り出し、身動きが取れなくなる。朝の11時にこんな豪雨、初めてかも。店の軒下で雨を凌ぐ。よく見るとそこも食堂で、美味そうな鴨が下がっていた。

思い切って入ってみると、美味そうに麺を食っているおじさんがいた。私も食べようと思い、折角なので具材を全部載せてもらい、その下に麵が敷かれた。スープは別にやってくる。これは広東系だったかな。それにしても叉焼から鴨肉まで、豪華な肉が並んでいる。煮卵もいい。120bは安いのではないか。一杯になった腹を抱えて外へ出ると雨は既に上がり、晴れ間が見えている。この付近、美味そうな店がいくつかあり、是非再訪したい。やはりラマ4通りに沿って華人街が広がり、美味い物屋も広がっていた。

10月6日(木)川沿いのレストランで

今日はMさんのお誘いで、川沿いのレストランで昼食を食べることになった。宿まで迎えに来てもらい、全く知らない道を走ってそこに着いた。ここはどこだろうか、かなり南の方だとは思うのだが。しかもレストランもふらっとある感じで、そこへ行こうとしないと偶然に見つけられない感じである。

川の横には木々が茂った庭があり、雰囲気はとても良い。雨上がりの庭、殆ど客のいない川沿いの席でゆったりと寛げた。食事も美味しい(タイ料理を勉強するはずが、メニューすら気にすることもなく、何を食べたかはよく覚えていない)。いつも戦場で戦っているわけでもないが、年齢的なものか、疲れを覚えることが多くなっているので、こういう癒しは有難い。

チャオプラヤ川の河口近く。川の流れもゆっくりで、しかも周囲には建物も少ない。船の出入りも少なく、何もないと言えば何もないのだが、それがまた良い。不思議な感覚に囚われた。バンコク滞在2か月、私はここで何かを得ただろうか。日本にいるよりずっと開放的、というだけなのだろうか。

10月8日(土)週末の朝食は

一日中道路が混んでいるバンコク。特に朝晩のラッシュ時は激しい渋滞となり、バスは動かなくなる。だが考えてみれば週末の朝は空いているはずだ。そう思って突然バスに乗り、朝ご飯を食べに出た。確かに道路は空いており、バスは快調に走った。それでも小1時間ほど掛かってようやく目的地に着いた。

その店は路地で営業しているが朝8時で結構客がいた。オーナーは簡単な英語も話し、愛想がよい。店の名前は蘆溝橋紅飯。日本人が見るとギョッとするような名前だが、ここでそんな反応をする人はいないのだろう。名物はカリカリ豚のあんかけ飯。確かに豚が旨いし、汁も美味い。70b。華人の家族経営のようで、息子が懸命に豚肉を切り、娘が盛り付けをしていた。こういう光景も嫌いではない。

そこからふらふら散歩していると、以前も通った古い華人街が現れ、自動車部品などの店舗がずらっと並んでいる。更に行くと今度は木工業の店が並び、木製のドアなどが飾られている。チャイナタウンはヤワラーばかりではない。ヤワラーは単なる観光地なのであり、生活感があるのはむしろこちらだとよくわかる。

ワットサケットへ出た。数年前に来た時は上まで登ったが、今回は下を一周するだけにした。地方から来たタイ人観光客がバスで乗り付けてきて嬉しそうに記念写真を撮っている。少し涼しい朝散歩なので、更に歩いて行く。先月Oさんと行ったナンルーン市場へ出たが、腹が一杯で何も食べられない。

そこからバスに乗ったが、相変わらずエアコンバスから降ろされた。ただ車掌は実に丁寧親切で分かりやすい。結局チットロムまで赤バスで行き、BTSに乗り換えて、プロンポンで降りた。レトロ建築のホテルがあると聞いて行ってみたら、既に解体工事が始まっていた。現在のバンコクは高度成長期、ということだろうか。