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ある日のバンコック日記2020(5)王有記を再訪!

昼ご飯は1階の8番らーめんで食べた。ここで食べるのは10年ぶりだろうか。石川のローカルラーメンが何故タイでここまでヒットしたのか、そして今やタイ人も日本のラーメンとは思わなくなったのかは、何とも興味深い話だ。昼時はタイ人でほぼ満席だった。そのラーメンは、昔の日本のしょうゆラーメンであり、何とも優しい味がした。量は少なめだが、焼餃子を付けても、150バーツ程度だから日本の本格ラーメンと比べれば安い。今後は体調が良くない時に利用しようと思う。

 

午後は、5年ぶりに知り合いに会いに行く。アソークの先の古めかしいオフィスビル、何とも懐かしい。ここで沖縄出身のIさんは10年以上、沖縄とタイを繋げる活動をしている。私も昨年沖縄でお茶の講座を開いたこともあり、何かお役に立つることでもあるかと訪ねたが、意外なことに『タイ人は沖縄になかなか興味を持ってくれない』と嘆く。そして何とかキラーコンテンツを探しているらしいことが分かる。沖縄と福建ならいくらでもあるが、果たしてタイとの接点は簡単に見つかるだろうか。泡盛はタイ米から作られる、程度ではタイ人は動かないらしい。

 

1月15日(水)
華人茶荘再訪

午後MRTに揺られて、サムヨット駅まで行く。2日前に来たばかりなので、もう道は分かっていた。あの王有記をもう一度訪ねた。今回はオーナーの王さんもいることが分かっていたが、1年2か月前に話を聞いていたにもかかわらず、私のことは全く覚えていなかった。あれ。

 

王有記の歴史について、かなり詳しい説明を聞く。ここで初めて様々なことが分かり、ある意味での謎が解けていく。やはり質問は具体的に、明確な意図をもって行うべきだと痛感する。そうでないと聞かれた方も答えにくい。祖先のこと、台湾との関係、ヤワラーの店との関係など、家系図で説明されて、ようやく納得する。今やちょっと聞いただけでは理解できない、情報が整理できない頭になってしまっている。

 

茶のパッケージに、華人の顔が使われていた。2代目、祖父であるという。そして王有記が開業したのは、1930年頃だというから、この店舗の立地も含めて考えると、ここがバンコック最古の茶荘であったのかもしれない。それについては、既に無くなってしまった茶荘も沢山あるので何とも言えない、と言われてしまったが、商売人ならきっと『最古の茶荘』で売り出すだろうから、福建人の誠実さが出ているな、と感じられた。

 

夜、何となく体調が優れずに、また八番らーめんを食べた。今日は鴨肉麺だ。何とも言えず体に優しいので、弱っている時は本当に良い。後はポカリスエットを飲んで寝てしまう。明日は一度バンコックを離れ、久しぶりにヤンゴンに行くことになっているので、体調を整える必要がある。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

朝、タクシーに乗って空港へ向かう。タイスマイルというタイ航空の子会社に乗るので、スワナンプームになる。運転手はお釣りを返さず、言葉も通じずに困る。故意なのかどうかも分からないから、始末に悪い。年配の運転手にはいまだにこういう人が時々いる。時代は変わっているのだが、と思ってしまうが、思い違いだろうか。

 

タイスマイルは、タイ航空の子会社、そして私はタイ航空のサイトから直接ヤンゴン行を購入しているのだが、タイ航空のサービスを受けることはできない。何となく騙された気分になるが、これは以前台湾のエバ航空でも同じことがあったので、その仕組みは理解していた。それでも釈然としないものが残る。

 

空港は思ったよりは空いていた。さらっと出国審査を済ませると、まだ時間があったので、朝ご飯を探す。空港内のレストランはどこも市内の倍ぐらいする料金を取っており、何となく腹立たしいが、仕方のないことなのだろうか。フラフラしていると、99バーツでクロワッサンサンドとコーヒーが出てくるというので座ってみた。まあ、これならリーズナブルかと思えるものが出てきたので満足。探せば色々とあるのだな。最近自分の行動パターンがマンネリ化してきており、新しい発見が少ないことを強く感じながら、飛び立つ。

ある日のバンコック日記2020(4)集友茶行を再訪する

1月13日(月)
華人茶荘を訪ねる

今日は朝から出掛ける。MRTでファランポーン駅まで行き、そこでHさんと待ち合わせた。向かった先はこれまで2回訪ねていた集友茶行だ。以前もこの茶行の歴史を何となく聞いていたが、今回はきちんと体系だってヒアリングすることとした。創業80年を越えるこの茶行は、今やバンコックでも現存するもっとも古い茶行の一つだと思われ、何とも興味深い。

 

王さんは原籍が福建省安渓だから、これまで訪ね歩いた多くの茶荘と同じであり、安渓も何度も訪ねているので、話は早い。創業者の父は100歳でまだご存命だともいう。もしお父さんの話が聞ければ、ヤワラー茶業史は全て分かるのではないかと思ってしまうが、ご高齢でもあり、また遠くにお住まいだということで遠慮する。

 

王さん自身も茶の歴史や茶器などにも非常に興味があるようで、つい先日も上海と宜興に出向いて、古い茶や急須を買い込んできたという。そんな老茶を振る舞われながら、タイ茶の歴史を聞く。故郷安渓には今も親族がおり、中には茶業で成功している人もいる。その繋がりなども、更に興味の対象となっていく。

 

たっぷり2時間も話し込み、店を離れた。昼ご飯を食べようと思っているとHさんが、この辺の麺は美味しいというので、すぐ近くの店に入った。店の前には行列が出来ていたが、その多くはフードデリバリーの人で、店内は空いていた。揚げ米粉に目玉焼きが載っているスープ麺だった。これは潮州料理だろうか(日本でいうかた焼きそばもこの麺かな)。うまい。さほど腹が減っているわけでもないのに、更に炒粿條まで注文してしまった。どうみても食べ過ぎだが、どう考えても満足だった。

 

それから茶荘三馬の前を通り過ぎ、有記銘茶の前も通り過ぎた。ここのオーナーはいつも不在で話が聞けない。今日も店員さんがいるだけだった。ちょうど目の前には新しいMRTの駅が出来ていた。ワット・マンコーン(龍蓮寺)がそこにあり、駅名にもなっている。ちょっとトイレを借りに入ると、多くの人が参拝している。中華街の中心的な寺、やはり潮州系なのだろうか。

 

ここからトゥクトゥクに乗った。目指すは前回何とか探し当てた王有記だった。だがとても一人で行けないとHさんのタイ語力を借りた。10分ほど走り、ジャイアントスイングと呼ばれる巨大ブランコがある場所で停まった。ここは見覚えがある。因みにこのブランコはなぜここにあるのだろうか。何となくアカ族の祭りに使われるブランコのように見えるのだが。

 

更にその横の道を行くと、仏具屋(仏像なども多し)が立ち並び、専門職業の道という雰囲気が漂う。その先に目指す王有記茶行はそのままの姿であった。だが女性オーナーは今日不在で話は聞けず、後日となる。店員はタイ語しか話さないので仕方がない。まあ場所が確認できてよかった。

 

折角ここまで来たのだからと、Hさんが古民家カフェに連れて行ってくれた。この付近は政府機関が立ち並び、老舗食堂なども多いようだが、近年白人の姿が目立ち始め、バンコックでは珍しい木造建築の古民家を利用したカフェ(食堂はいくつもあるがカフェだけは珍しいらしい)が出来ていた。

 

店員はしきりにスイーツを勧めてくる。なぜかと言えば、ここは『インスタ映えするカフェ』を売り物にしている。2階で席に着くと、スイーツがきれいな器に盛られ、如何にも、という感じで、タイ人の若い女性がしきりに写真を撮っていた。因みにドリンクしか頼まなかった我々の席は彼女の席に比べ、いいとは言えなかった。古い家の部屋が開放され、古い写真が飾られている。ここでまったりするのは悪くないかもしれない。

 

帰りはHさんの先導で、MRTの駅まで歩いて行く。サムヨット駅までは歩いて10分ほどだから、これからはMRTに乗ればいつでも来られるという安心感が広がる。更にはMRTに渋滞はないため、あっという間に帰宅できるというのも大変有り難い。ヤワラーから向こうが非常に身近に感じられる。

 

1月14日(火)
シムカード

翌日は、シムカードについて調査した。現在使っている空港で買ったカードは、どうも高過ぎるのではないか、たとえば1か月使えるカードでもっと安いものはないかを探したいと思ったが、何しろタイ語の壁は厚い。そこでYさんにお願いして、一緒に探してもらうことにする。

 

近くのロータスのAISショップで、現在のカードの有効期限などを確認すると、カード自体は3か月使えるが、15GB のパッケージはやはり8日かしか使えない。ところが何と、プロモーションで、1か月使い放題200バーツというカードを売っているというではないか。1月中はこの料金だというので、ミャンマーから戻ったら、すぐにこのカードを買うことに決めた。シムカードは50バーツで、電話番号を保持するには、毎月10バーツ払えばよいらしい。タイのシステムは本当によく分からないが、これまた何とも有り難い。

ある日のバンコック日記2020(3)バンコックでTVスポーツ観戦

1月11日(土)
突然の豪雨で

今朝は土曜日だが、Yさんが出勤してきて朝コーヒーとなる。今日は台湾の総統選挙の日であり、ニュースもそれが中心となっている。CCTVでさえも、速報していた。台湾の命運がかかるこの選挙、大勢は既に判明しているように思うが、どうだろうか。私の友人周辺では『国民党でもいいけど、韓は絶対ダメ』とか、『兎に角選びたい候補者はいない。その中での苦渋の選択だ』などの声がSNSで飛び交っている。

 

ボーっとテレビを点けていたら、昼頃ラグビーが始まる。大学選手権決勝、早稲田対明治の一戦だ。ラグビーワールドカップの余韻があり、会場には熱気が感じられた。ここ数年、早稲田が強いと聞いたことはなかったのだが、案に相違して、前半早稲田が猛攻を仕掛け、大量リード。後半明治が猛追する中、突然テレビ画面が消える。まさかのブラックアウトか、と外を見ると、何と急激な豪雨が襲い掛かっており、衛星放送が中断されてしまっていた。これは久しぶりの消える画面、何とも懐かしい。

 

雨がしっかり上がった夕方、外へ出た。近所でとんかつを食べようと思ったのだが、その向こうにおしゃれなレストランがある。レバノン料理、シーフードと書かれているが、レバノンではどんな料理を食べているのだろうかと、突如気になってしまう。これもやはりカルロス・ゴーン効果というべきか。因みにタイでは中東料理の多くがレバノン料理屋として出ているらしい。それは中東の中ではレバノン料理が美味しいという評価に寄るからだとか。

 

夜はバレーボール女子、タイとカザフスタンの一戦を見る。身長ではカザフなのだが、要所でタイが得点を重ねて勝利する。この辺のうまさがタイにはある。それにしてもネットでタイ選手の情報を検索すると、『美人選手は誰か』と言った記事ばかりがあまりにも多くて嫌気がさす。バレーに限らず、女子スポーツには、美人とかスタイルとか、そんな競技と関係ない話題が多過ぎる。これも一つのセクハラではないのか。このようなマスコミの攻勢を交わしながら、競技をしていく選手たちは可哀そうだ。

 

1月12日(日)
スポーツを見ながら

今朝はゆっくり起き上がる。そして午前中からテレビに見入る。全国都道府県対抗女子駅伝の中継があった。この駅伝は、本人は素晴らしいがチームが弱くて全国大会に出られない選手を見るのを楽しみにしている。たとえば、今回マラソン代表となった鈴木亜由子は中学生の時(中学に陸上部がなくても2年連続区間賞)からずっと注目していた。ちょうど現役を引退した宇賀地強も作新学院の時から見ている。

 

ただ今回は1区で予想以上の走りをした廣中璃梨佳が、期待の田中希美や他の大学生たちを突き放して圧巻の独走。結局レースは新谷仁美の追い上げも敵わず、高校生が強かった京都が逃げ切り。しかしこの大会、区間記録にかなり古いものが残されているのはなぜだろうか。昔の選手の方が強かったと単純に言えるのだろうか。今回2つの中学生区間で共に大分の選手が区間賞を取ったのが、新しい兆しだろうか。

 

遅い昼ご飯を探しに行く。ちょっと体調が優れない感じがあったので、近くのモール内にある和食をチョイスする。焼肉定食が税込みで240バーツというのはもはや手頃なのだろうか。食べているのはタイ人の家族ばかりだ。そして体調が悪い時によく食べるブドウパンを買いに行く。これは60バーツでブドウがたくさん詰まっており、何とも有り難い食べ物なのだ。

 

夜はそのブドウパンを食べて大人しく過ごす。ついに今日はタイバレー界にとって運命の日。対韓国戦に勝てば、東京オリンピック出場が決まる。しかも地元開催だからこれまでとは違う。これまで、2012年のロンドン五輪予選は、疑惑の判定などもあり、日本に負けてわずかの差で手が届かず。2016年のリオ五輪予選も韓国にあと1ポイント足りずに予選落ち。

 

そろそろ悲願が叶うのではと期待を寄せていたが、そこは韓国。大エース、キムヨンギョンの前には成すすべがなく、完敗。大応援団の声援も虚しかった。多くのタイ人が泣いていた。次は必ず五輪に行く、と前向きでもあったが、その落胆はいかばかりか。タイチームに足りないもの、それは一体なんだろうか。

ある日のバンコック日記2020(2)いつものバンコックで

1月9日(木)
いつもの一日

何となく体は重かったが、朝は7時に起きる。ここに泊まるといつも朝はYさんとコーヒーを飲んで一日が始まる。そしてタイで起こっている様々な出来事や変化を学び、私が知りたい情報なども得て、その日の活動方針が決まったりもする。朝ご飯は敢えて食べず、アメリカンをすすりながら1時間を過ごす。

 

普段はそのまま部屋に帰るのだが、今日はやはりどうしても我慢できずに、近所でコムヤーンを食べる。これにカオニャオ(もち米ご飯)を一緒に食べると幸せが蘇る。しかも値段はたったの45バーツだから、何とも嬉しい。それから昨晩支払った領収書をもらったが、その際、契約書にサインした。ホテル契約ではなく、月極賃貸契約のようだ。何とも大げさだが、これも法令で定められているのだろう。

 

フロントからプールとジムが使えることを告げられる。これまでもプールがあることは分かっていたが、今回改めて見に行ってみる。時間帯によってはサウナまであった。こういうホテルファシリティを日本人はあまり使わないので、本当にもったいないと思われているようだ。

 

昼ご飯もいつもの食堂と呼ばれる場所で、いつものヤンマーマを食べる。なんだか生活が落ち着いてくる。やはりコスパがよい食べ物を食べている時が一番良い。午後は出掛ける。バイタクでプロンポンに行く。これも以前は料金確認などしていたが、今は40バーツ渡すだけで簡単だ。GRABの発達により、料金も透明化されていく。

 

バンコックは思っていたより暑く、連日昼間は33度を越えている。服装もTシャツなどを増やす必要があり、買いに来たのだが、昔に比べればTシャツの値段も2倍ぐらいする。タイの物価は確実に上がっている。日本の物価は上がらないから、タイ人にとっても日本がどんどん安く見えるだろう。

 

続いて、壊れたデジカメを治しにいく。地下鉄ラマ9駅で降り、電脳ビルに入る。前回探した時、殆どがスマホ用ショップで、デジカメを売る店は少ない。ましてやデジカメを直してくれる店はほぼなく、何とか1軒見つけておいたのだ。そこに2つのデジカメを持ち込んだが、1つはパーツがないので治せない、もう一つは何とか動くからこれで我慢しろ、という内容でがっかり。もうデジカメの使命は終わったと言われた気分であり、今はそういう時代なのだと悟る。

 

夜はテレビを見る。タイではちょうど東京オリンピック予選を兼ねたU-23サッカー選手権が行われているが、私の住む部屋では残念ながらこの放送を見ることはできない。既に日本は出場権を持ってはいるが、初戦でサウジに負けている。一方西野監督のタイは好調のようだ。仕方なく、バレーボールを見る。こちらも東京オリンピック女子最終予選がナコンラチャシマで開催されている。悲願のオリンピック出場を目指すタイは今日、背の高いオーストラリアを圧倒して準決勝にコマを進めた。

 

1月10日(金)
タイ関連の情報

午前中は書き物に没頭した。昼ご飯は何とこの宿の従業員と一緒に食べてよいとオーナーから言われ、社食?を食べる。今日は根菜スープにチキンを入れるチキン麺。これはとても美味しかった。食事が美味しいと、仕事への張り合いも出てくるだろう。有り難い。

 

午後はバスでアソークまで行ってみる。いつの間にか赤バスの料金は6.5から8バーツに値上がりしている。これも世の流れだろう。アソークで以前よく言っていた100バーツ床屋に行ってみる。ところが昨年120バーツに値上がりしたと思ったら、もう150バーツになっている。そして平日の昼とはいえ、閑古鳥が鳴いている。近くの500バーツ床屋はちゃんと客がいるのだから、明らかにコスパが悪く、競争力が無くなった。私も次回は地元床屋にチャレンジしようか。

 

アソークの知り合いのオフィスを訪ねる。旧知のO社長はいつもながら親切で、今回の私の調査への助言、具体的な手助けをしてくれるので、何とも有り難い。更にはこのオフィスには、何と図書室があり、そこには東南アジア関連の書籍がかなりまとまってあるので、それを見せてもらう。中には貴重な情報や意外な観点が載っており、少し前途が開けた思いだ。

 

帰りにターミナル21に寄ってみる。既に旧正月用の飾りがされており、多くの観光客が写真に収めている。やはり中国人が多い。店内の店舗はそれほど変わった様子はなく、レストランなども人が入っている。上のフードコートに行ったら、5時頃なのに席を探すのが大変だった。それにしてもカオマンガイが100バーツとは、やはり高いと言わざるを得ない。

ある日のバンコック日記2020(1)バンコックへ

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月8日-16日

2015年6月、私は2年程半拠点としていたバンコックを引き払った。その日は大嵐で、道路は冠水し、木々はなぎ倒れていた。やはり私にはバンコックは合わなかったのだ、と妙な確信を得ての帰国だった。その後は年に1度程度、タイ国内旅行をし、バンコックにも数日滞在するだけだった。

 

昨年あたりから風向きが変わっていた。東南アジアの華人茶商の歴史に踏み込むなど、タイとの接点も何となく増え始めていた。そして2020年、実は今年は茶旅を始めてから20年の区切りの年となる。ここ数年で台湾及び中国の茶の歴史調査も一段落かもしれない。色々と考える中、取り敢えず2か月ほど、バンコックを拠点に動いてみようかと思い始め、正月早々荷物を抱えてやってきた。

 

1月8日(水)
バンコックへ

正月はいつものように駅伝などスポーツを見て過ごす。生活のリズムもちょっと変わっており、それを戻すのは一苦労だった。更には本日、早朝に羽田空港へ行かなければならず、寝付けない中、遂に午前4時には起き、5時過ぎの電車に乗ってしまった。6時過ぎには羽田に着き、全てが順調に進んだ。ただ体がだるい。

 

今日のフライトは北京経由のエアチャイナ。このフライトも昔はよく乗っていたが、かなり久しぶりだ。機内では朝から鮭ご飯が出た。何となくウトウトしていると、北京に着いてしまう。昨年12月、ここから東京に戻った。僅か半月でまた北京に舞い戻るとは。当然ながら東京よりはかなり寒いが、トランジットなので外へ出ないから問題はない。

 

乗り継ぎは、専用カウンターを通らなければならないはずだった。そこへ行ってみると、何と機械が導入されており、搭乗券とパスポートをかざすだけで、通り抜けられた。これでパスポートにハンコを押されることも無くなってよかった。だがその下の荷物検査は旧泰然としており、長い列が出来ていて、一向に進まない。

 

更には、バンコック行のフライトは50分ぐらい遅れるとの情報も流れる。特に急いでいるわけでもないが、疲れているので早く乗りたい気持ちはある。ところが変更時間にゲートに行ってみると搭乗はとっくに始まっていた。何だ、と急いで乗り込んだが、結局遅れた人を待ち、更に遅れる羽目になる。

 

それから5時間、じっと座っていた。やはり直行便でないと長い。疲れる。ようやく1時間遅れでバンコックに到着したが、ここでも入国審査の長い列が待っている。ドムアン空港は確か中国人の入国を別窓口にしていたが、ここスワナンプームでは多くの中国人と同じ列に並んだ。非常に多国籍の訪問者たち。入国審査も厳格に行うのか、スピードはかなり遅い。

 

荷物を取り出して、出口に向かうまで40分ぐらい経っていた。まずはシムカードを購入。今回は8日間で一度出国するので8日用のシムを買う。ただ間違えて15GBの物を買ってしまい、電話番号も必要なので、その分まで含めると意外と高くなる。後で専用アプリを入れて計ったところ、多少動画などを見ても、1日の使用量が1GBを越えることはなかったので、やはり無駄な買い物だったと分かる。

 

タクシーに乗ると運転手がメーターを倒さず『500バーツ』と言ってくるので、メーターを倒すように強く言うとすぐに引っ込んだ。取り敢えず言ってみる、ということだろうか。既に夜8時を過ぎており、渋滞はあまりなかったが、何とこの運転手、吹っ掛けておきながら、道を知らなかったので、時間がかかる。それでも結局目的地までは高速代を入れても380バーツだったから、ぼられずに済んだ。

 

今日から2か月、馴染みの宿に宿泊する。なぜか家賃は現金の前払い。デポジットまで入れたら結構な額になる。この現金を持ち込むのもちょっと緊張する。フロントは顔なじみだから良いのだが、これだけ支払って領収書は明日、と言われると、中国ならひと悶着ありそうだが、そこはタイのおおらかさだろうか。

 

部屋に荷物を置くと腹が減る。もう午後9時を回っており、遠くには行きたくないが、以前あった屋台は既に無くなっていた。それでも少し離れた所にちゃんと新しい屋台があるのがタイだろう。暗い道路わきの排ガスの中、いつものように麺をすすると、タイに来た気分になれるは面白い。既に日本時間は夜中の12時、今朝は4時前に起きているから、相当に疲れてしまい、さすがに部屋に帰ってすぐに寝込む。

ぶらぶらバンコック滞在記2012(6)12月29日~1月3日ハジャイ、ソンクラー

12月29日(土) とてもラフな思い付きバンコック茶話会開催

24日深夜、零下15度の極寒の北京からバンコックに辿りついた。バンコックで夜風に吹かれていると「人間の幸せはこんなことだなあ」と思ってしまう。ただ暖かいというだけで体が脱力する幸せ、噛み締めた。

そしてそんなダラダラの気分の中、突然「茶会でもしよう」と思い付く。これまでMさん主催のバンコック茶会は既に3回開催されており、定着してきたが、平日来られない人の為に土日開催の茶会をしたい、もっとラフな会をしたい、という希望が心にあったようだ。まずはBTSチョンノンシー駅近くでお茶屋をやっているポーラに電話し、場所を確保した。

だがこの年末に、しかも僅か3日目の通知では、「既に帰省している」「先約がある」との当然すぎる回答を貰う。それでもめげずにいると、先日ヨーガ合宿で一緒だったIさんがお友達を連れて参加するという。最終人数2人と明記したので、これで会は成立した。そしてやはりヨーガで一緒だったKさんも参加。更には2日前に一緒に飲んだSさん、Kさんを引き込み、前日にはバンコック茶会に来てくれたT夫妻も参加となり、なんとなく会の形が整う。

当日、殆ど準備もせずに、会を始める。持っているお茶が全て詰まった袋を持参。まさに話の流れで、またその時の気分でお茶を出し、話をした。プロジェクターが無いのでPCの小さな画面を見せることになり、申し訳なかった。

トルコの緑茶に始まり、湖南省安化の紅茶、福建の白茶と続き、阿里山高山茶、タイチェンライ県の金萱茶と飲み続けた。話もトルコが注目の国であること、反日のこと、台湾茶が足りないこと、果ては杭州のお寺のお茶まで話がどんどん飛んで行った。

そして2時間半が過ぎ、ようやくポーラのプーアール茶講座が始まった。生茶と熟茶の違い、そして今回は彼女の故郷、広西壮族自治区で作られる黒茶、六保茶の由来などまで話が及び気が付けば、6時近くになっていた。主催者は楽しかったが参加者はどうだったろうか??

その後4名でポーラお勧めの本格四川料理屋へ。本当に中国人しか働いていない、中国人を対象としたお店だった。お客は多く、殆どが普通話を話していた。その付近にある中国料理店の多くが、行き成り中国語で話し掛けてくるタイプの店。うーん、バンコックは広い。料理のあまりの美味さに?写真を撮ることすら忘れた夜だった。場所はナラワティロード ソイ24らしい。

12月30日(日) ノックエアーに乗ってみた

今年の残すところあと2日。日本では年賀状書いたり、大掃除したり、帰省ラッシュに巻き込まれたりしているかもしれないが、既に1年9か月の放浪生活を続けていると、年末とか年の瀬とかいう言葉は正直ピンとこない。ただ年末年始に時間が出来たので、どこかへ行こうと考えた。

初めは12月の東京報告会でご縁を得た関係でマレーシアのサバ州へ行こうとしたが、現地の紅茶工場がクローズということで断念。次にチェンマイ郊外の少数民族の村へ行こうかと思ったが、こちらもご縁を得た方と会えずに、結局行く機会を失った。そして、何故か、タイ南部ハジャイとソンクラーへ行くこととなった。

マレーシアへ行けばよいのだが、最近の円安は私の旅行資金をかなり圧迫しており、節約したかった。鉄道やバスは年末年始の休暇移動でかなり大変だと言われ、それではLCCで行くことにした。ところが、エアアジアの料金とノックエアーの料金がさほど変わらない。座席料金だけなら確かにエアアジアは安いが、荷物を1つ預けると300バーツ(15㎏まで)取られるので、往復で600バーツ加算すると合計料金は200バーツも変わらなくなる。

そうなると、荷物の重さを気にしなくてよい、座席指定が事前に出来る、簡単な飲み物が出る、というノックエアーが良く見えてくる。更にはタイエアーの子会社であるという安心感、CAの笑顔にも定評あり、と聞くと乗ってみたくなるのが人情??レガシーとLCCの中間ニーズを補足するノックのような航空会社が好まれてきているように感じる。

バンコックのLCCはドムアン空港に集められていてこれは不便(ノックもLCC扱い)。ドムアンに行って時刻表を見ると当たり前だが、KL起点のエアアジアよりバンコック拠点のノックの方がはるかに多くの便を運航している。お客も多いようで、チェックインには時間が掛かる。飛行機の到着が遅れて出発は30分ディレー。でも、ノックエアーの乗客であれば、空港内フリーWIFIは嬉しい。予約番号がパスワードになっているので、何と予約したPCを使うと予約番号が出て来て直ぐに繋がった。いいぞ、これは。

機体は比較的新しく、清潔。CAさんの黄色の制服もなかなかよい。知り合いで「あの制服に萌える」という人もいるようだが、そこまではどうか。でも確かに笑顔の接客があり、好感は持てる。

僅か1時間のフライトなので、何もいらないのだが、甘いパンと水が配られた。何もないよりは良い。風邪気味のせいか、冷房が寒く感じたが、毛布は無いようだった、残念。基本的にはエアアジアと大きく違うわけではないが、ほんのちょっとしたところの違いが意外と大きいのかもしれない。気持ちの問題だが、その問題は影響が大きい。帰りも乗ってみて観察を続けよう。

12月30日(日) ハジャイの街

ノックエアーを降りると、そこはハジャイの空港。先ずはどうやって街へ行くのか。またトゥクトゥク野郎と料金交渉するのか、嫌だな、と思っていると、エアポートタクシーなる看板が。見ると市内まで一人100バーツ。更には白タクや白トゥクの姿はなく、迎えが無い人は基本的にこれに乗るらしい。タクシー1台は300バーツ。

タクシーというか、ロットー(ミニバス)。お客は女性二人と私。市内までは10㎞ちょっとか。直ぐに着いた。予約したホテルは昔の一流ホテルという触れ込み。確かにそうだった。ロビーは立派で広いし、部屋も広かった。だがホテルキーを差し込むと電気が入るのだが、エアコンはどうやっても止まらない。とても寒い中、タオルを被ってPCに向かう。PCの充電をするためには私が部屋に居なければならず、エアコンも点いているのである。風邪ひいた。おまけに小さな虫がいてかまれて痒い。こりゃいかん。

ハジャイの街は小さい。ホテルは中心から少し離れており、散歩しながら中心へ。中国的な寺がある。中国系と思われる人々が歩いている。ここはタイか、中国か。更に中心部の屋台ではイスラム系の女性が中華系料理を作って売っている。混沌とした街、ハジャイ。マレーシア華人が年末年始を過ごしにやって来ているようだ。

中心のデパート、ホテル街付近は車両通行禁止で警備の警官が大勢出ている。実はテロの予告があるようだ。以前よりタイ南部はイスラム系のテロが頻発しており、特に危ない所へ行かない日本人には敬遠されている。私にも知らせてくれた方がいたが、最近の気分は「そこでテロに会ったら、それは私の人生の定め」と割り切ってしまっている。実際観光客がいない場所は、何とものんびりしており、いい感じなのだ。

ハジャイ駅へ向かう。私が今回ハジャイへ来た目的は殆ど何もないが、唯一あるとすれば「深夜特急」で沢木耕太郎が訪れたハジャイを見ること。彼はスラタニーから夜行でハジャイ駅へ降り立ち、乗り合いタクシーでソンクラーへいく。そしてまたハジャイ駅へ戻り、ダッシュして列車に乗り、マレーシアへ抜けて行った。

駅も警戒厳重のように見えたが、タイの他の駅同様、出入り自由。誰にも咎められない。駅前には機関車が置かれ、国王の写真が飾られていた。ハジャイはこの駅を中心にとても小さな街を形成している。

夕飯は中心街のローカル市場で食べた。本当は中華系の食堂に入り、中国語を使って話を聞いてみたかったが、適当な店が無かったことと、おばさんが作っていた物が美味しそうだったので、ふらふら頼んでしまった。それはマレーシアで昔食べた卵を入れた焼きそばに思えたが、実際に食べてみると何と麺は無く、ジャガイモと思っていたのが、お餅だったのだ。そこにもやしとにらを入れて炒めただけだが、美味い。僅か30バーツ、2日前に正月が来た気分だ。ついでに豚と鶏を揚げた物も買った。塩味が効いていて美味かった。極楽、極楽。

12月31日(月) ハジャイの大晦日

夜中に大雨が降った。結構大きな雨音にビックリ。そして朝になってもしとしとと霧雨が降る。タイでこの季節に雨が降るなんて、と思っていたが、天気予報を見るとKLも雨。ここハジャイはタイではなく、マレーシアなのかもしれない。朝ごはんはビュッフェだったが、カオトーンというお粥が美味しく、そればかり食べる。雨が止まないため、部屋にこもる。することもなく、「深夜特急」を読み返す。文庫2冊目のマレー半島編、結構切ない。特にペナン島の売春宿で働く女とそのヒモの話、何とも言い難い。

何とか雨が止んだが、時刻は既に11時。今泊まっているホテルはイマイチなので、ホテルを変えることにし、予約を入れたので、移動を開始。ところが、何と再び雨が降り出し、ずぶ濡れになる。歩いて10分ぐらいと思っていた新しいホテルまで何と20分以上掛かったし、その間に雨脚はどんどん強くなり、背中のバックにあるPCが心配になるほど、濡れてしまった。

雨に濡れながら、車が水を跳ねるのを気にしながら歩いていると、「何故私はこんな所に居るのだろう」と思ってしまう。日本人なら日本に帰り、紅白歌合戦や駅伝を見る方が普通ではないのか。確かにその通りだが、最近は「それが定め」で片づけている。来年は「少しスピードを落とし、考えながら行動しようかな」と弱気になる。

今度のホテル、見た目は新しく、清潔感がある。それでも部屋のドアはきちんと閉まらず、毎回強引に開け閉め。またバスタブが広くてよかったが、お湯を流そうとしても、出来ず。こういう細かい?ところがきちんとできないと日本ではフラストレーションが溜まるが、こちらでは見た目が大事、ということだろうか。まあ、暮の31日に足を伸ばしてゆっくりと湯に浸かったのだから、大満足なのだが。


   

午後2時ごろ雨が止み、昼ごはんへ。直ぐ近くにバスターミナルがあり、そこで年越しそばならぬ、年越しクイッティオ。きしめんのような太くて平べったい麺で大好物。どこで食べても美味しい。沢木耕太郎も深夜特急で食べていたので、つい手が出た。沢木はこれをバンコックの駅で食べるのだが、そこの6-7歳の子供の行動を疑ってしまい、後悔している。まさに最近、中国に住んで覚えてしまった「性悪説」になっている私にも、痛い話題だった。そしてまた雨。ここは完全に雨季だ。夕方までシトシト。このホテルは街から結構離れているので、もう一度濡れ鼠になって歩く気分ではない。テレビはNHKワールドしかないので、紅白も楽しめない。どうするんだ、この年の瀬に。

ようやく晴れてきたのは午後6時頃。また昨日と同じ街へ出た。それしか行く所が無かった。そして美味しそうな海鮮オムレツを買ったが、食べることが無く、持ち帰ってホテルの部屋で食べた。たれを付けるとバカウマ。今年もいい年だったと思えた。夜は方々で花火や爆竹の音が鳴り響いた。テロの危険が言われていたが、正直こんな中で発砲や爆発があっても誰も気が付かないだろう。そういえば、街中では警備の警官が観光客の記念撮影に応じていた。何とも長閑だな。せめてもの救いは街から離れていたこと。直ぐに眠りに落ちた。今年は呆気なく終わった。

1月1日(火) ソンクラーのビーチリゾートホテル

新しい年が始まった、という実感はまるでない。単に一日が過ぎ、また一日が始まったに過ぎない。昨晩のカウントダウンはどこへやら、街はひっそりしている。朝食を軽く食べ、チェックアウト。今日はハジャイからソンクラーへ移動。

直ぐ近くのバスターミナルまで歩き、ソンクラー行きのロットーが出ているので乗る。乗客は私しかいないと思ったが、後ろの女性が一人乗っていて、突然携帯でしゃべり始めたのには運転手もビックリ。この車、16人乗り。快調に進むかと思ったが、その後街中で乗客待ち。私は始発駅で乗ったにすぎず、30分は街を出なかった。そして街を出る時は満員。

料金は28バーツ、何と運転手が籠を回し、客が料金を入れる仕組み。何だか田舎芝居を思い出す。街を出ると急にスピードを上げる。20分もしない内に客が降りはじめる。香港のミニバスと同じで、降りたい所で声を掛ける。最後まで乗っていたのは私ともう一人の若者だけ。このバスは地元の人が使うものだった。だから運転手が何度も「お前はどこへ行くのか」と聞いてきたのが分かる。

バスはサミナビーチでキチンと停まった。ホテルは目の前。古いが大きかった。ロビーは更にだだっ広い。フロントは笑顔でよいが、WIFIが使えるかと聞くと何とロビーだけ、と言われ驚く。部屋へ行くと完全なSea View。気分は一気に晴れやかに。何故かWIFIも問題なく繋がり、良いお正月になる。

直ぐにビーチへ出る。正月休みか、ビーチは多くの観光客及び地元の人で賑わっていた。ここの波は非常に激しい。しかも浜に対して斜めに押し寄せてくる。近くに島が2つ見える。その景色がなかなか良い。

昼ご飯を食べようとしたが、適当な所が無く、焼鶏肉を買って部屋で食べる。ウマいが量が多過ぎた。食べたら眠くなる。昼寝をすると夜になる。まだ腹が減らないので、風呂に入る。ここの湯船も深くて、ゆったり。いい気分だ。

このホテルは沢木耕太郎の深夜特急で沢木が泊まったというホテル。ここで日本人夫婦と会い、遅くまでラウンジで語らったという。だが、今日来てみると、その面影はそれほどない。40年も前の話、途中で改装や増築などもあったかもしれない。それでもこの環境で思ったほど高くはない料金、悪くはない。

1月2日(水) ソンクラーのフェリー

朝早く、波の音で目覚める。だが、強烈な雨が降ってきた。出掛けることが出来ない。ようやく雨が止んだのは午前10時半、そそくさと外へ出る。昨日の混雑はどこへ行ったのか、殆ど人がいないビーチ。既に正月休みは終わっていた。

急に日差しが強くなってきたが、何とも心地よい。足に任せて歩いて行くと、フェリーターミナルの表示があった。何気なく見ると、ちょうどフェリーが接岸され、多くの車やバイクが降りてきた。ふらふらっとフェリーに乗りこんでしまう。どこへ行くのだろうか、この船は。どこでもいいや、という気分になる。

このフェリー、単に対岸へ車やバイクを運ぶための渡し船だった。5分で到着。徒歩の人間もぞろぞろ降りていく。しかも無料。まさに地元民の足、いや橋だった。しかしどこへ行く当てもない。直ぐ近くに観音廟があり、手を合わせて見たりする。

車はかなりの数が列を作ってフェリーを待っていた。そこで果物や卵を売る人々がいた。一日いくつ売れるのだろうか?その女性の脇で子供達が纏わりついていたが、私が通り過ぎるといきなり手を出し、「マネー」という。やはり貧しいのだろうか。イスラム系の人々が住む村のようだ。

もう少し歩いて行くと空き地にイヌが三匹、ごろりと寝ていた。すると一人の少年がいきなり石を投げつけ、犬は驚いて起き上がる。何とひどいことを、と思ったが、遠い昔自分も同じようなことをしていたような気がする。これは一種のあそびなのだ、と思って気に留めずにやっていたが、本当は遊びだったのか、不満のはけ口だったのか、いじめ、とはそんなことから始めるのかもしれない。

帰りもまたフェリーに乗る。そして歩き出す。暑い。ロイヤルパゴダ、という名称が見えたので、近づいたが、このパゴダ、山の上に有り、リフトで上るという。リフトと言えば、昨年湖南省長沙で恐ろしいリフトに30分も乗ったトラウマがあり(高所恐怖症)、直ぐに諦めて去る。サルが沢山いた。

パレス、と書かれた場所がある。この地の王の住処だったのだろう。面白いのはその両脇がインドネシア領事館と中国領事館だったこと。中国がこんな田舎に領事館を開いている意味は何だろうか。この街は何か特殊のだろうか。確かに華人は多そうだが、それは理由ではない。

ホテルに帰り、汗でぬれた体にシャワーを浴びさせ、寝入る。夕方少し腹が減り、ビーチへ。ホテルの横にゴルフ場があるが、その脇では多くの食べ物屋台が出ており、竹製の小屋?で食事ができる。メニューはどこも同じで、焼魚、焼き鳥、など。ビーチなどに座り込み、買い込んだつまみをあてに、ビールを飲む若者グループもいる。少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえる。

屋台のおばさんと目が合った。野菜炒めでも作ってよ、というジェスチャーをすると分かったという表情で懸命に作り始める。出来たのは海鮮チャーハン、それに焼き鳥。思いっきり食べたが、食べ切れない。それでも使命感で食べる。食べ終わるとおばさんに「アロイ」といって支払いをする。お互い笑顔になる。この店、旦那は適当に皿などを片付けるだけ、もしかすると障害があるかもしれない息子におばさんが根気よく仕事を言い付けていた。一生懸命働いても大した儲けにはならないように思えるが、このおばさん、頑張っているな、と感心してしまう。そして人間の生き様、について少し思いを巡らせる。

夜ある人のツイッターを読んでいたら、「マスコミは天皇陛下の新年の言葉を全文掲載せよ」というのがあった。こういう文章は直ぐに右翼で片づけられてしまうかもしれないが、実は大切な気がする。天皇の言葉が「国民の幸せを祈ります」とだけ新聞紙面に載っていても、それは何だ、と思ってしまう。マスコミは一国の象徴である人の言葉を自分の都合で表現せずに、全文を掲載し、国民自身に考えさせるべきだと思う。因みにバンコックポストの2日の紙面トップはやはり王様の写真。これって当たり前のことだろう。

1月3日(木) ソンクラーからバンコックへ戻るには

ソンクラーのビーチホテル最終日。今日はさらに激しい雨に見舞われる。外出すらままならず、ベランダから荒れた海を眺めるのみ。仕方なく、部屋の大きな湯船に浸かり、足を思いっきり伸ばして休む。

午後2時になっても雨は断続的に降っている。雨が止んだ瞬間を捉え、ホテルをチェックアウトして、ハジャイ空港へ向かう。ホテルからタクシーをチャーターすると700バーツと言われたが、時間はあるので自力で行って見る。ホテル前にはトゥクトゥクすらいない。どうするんだ?少し歩いて行くと学校があり、その前にはトゥクトゥクが数台いたが、私が「ハジャイ」と告げると、皆困った顔で「お前行けよ」という雰囲気で誰も乗って来ない。するとトゥクトゥクに乗っていた高校生が「バイタク」と叫び、皆が「そうだ」と安堵して、バイタクが呼ばれる。ハジャイ行きのロットー乗り場まで連れて行くらしい。高校生、ナイス。

バイタクに乗るとまた雨が降り出した。かなり強くなり、濡れる。困ったと思っているともう到着。20バーツ払う。そしてロットーに乗り込む。直ぐ出発し、順調。行きと同様、お客を拾いながらゆっくり進む。もう慣れた、と思ったが、ハジャイまでの道は見慣れない道。本当にハジャイ行きか心配したが、何とか市内に入る。30バーツ。

全員が降りたが、私はどうするんだ?運転手は何も言わない。とうとうバスターミナルまで戻る。ここでタクシーを拾えという。だが時間は3時半、私にフライトは7時なので、先ずは食事。麺を食べる。相変わらず美味い。40バーツ。この店、旅行社を兼ねているらしい。おじさんが「どこ行くんだ」と聞くので「空港」と答えると興味なさそうな顔。

別のおじさんが、400バーツだ、というので驚く。そんなに高いのか、何故。確かにハジャイ空港から市内のタクシーは1台300バーツだった。どうやらこれが基本、そしてタクシー以外にバスなどは全くないという。飛行機に乗る人間はお金持ち、ということだろうか。「高い」と訴えると、トゥクトゥクは300バーツという。それも本当にボロボロの車だ。きっと空港へ行く旅行者が集まる場所は他にあり、そこでタクシーをシェアするのだろうが、今は探すすべもない。結局このボロトゥクで空港へ。それでもソンクラーのホテルからタクシーに乗ると700バーツだから、ちょうど半額で来た。

空港にはすぐに着いてしまった。あまりに早いので、もう1つ前のフライトに乗ろうと思ったが、何と「キャンセル」だった。仕方なく、WIFIでも、と思うと、この空港はドムアンと違い、ノックエアーのWIFIはないとのこと。残念。コーヒーショップでも「今日は繋がらない」と言われたが、レストランでは何故か使えた。ここのトーストは何故かうまい。コーヒーもコンデンスミルク入りで甘いが良い。そして中国茶?も登場。

ノックエアーはほぼ定刻に出て定刻に着いた。CAの笑顔は相変わらずよい。ドムアンでは前回タクシー待ちの列、そしてタクシー運転手の騙し、に会い、嫌だったが、今回は初めから空港の外へ出た。バスに乗ろうかと思ったが、バスの番号を忘れてしまい、そこにやって来たタクシーに乗る。高速を走ることもなく30分、175バーツで宿泊先に到着。これならいいか。

今回は何もない所へ行き、何もせずに、そして何かを考えた。年の初めとしては良い旅だったかもしれない。さあ、これから鬼門のインドだ。やはり緊張する。






 

ぶらぶらバンコック滞在記2012(5)11月1~23日

11月1日(木) 第2回バンコック茶会開催

第2回バンコック茶会が開催された。前回は日曜日開催だったが、今回は平日の午前中。16名のご参加があり(男性は二人)、会場はアソークのパーソネルコンサルタントさん(http://personnelconsultant.co.th/)がセミナールームを提供してくれた。場所が便利で有難い。

主催者Mさんが前回同様タイ産の金萱茶、軟枝烏龍茶、パパイヤ茶を淹れて、タイでお茶が採れること、そのお茶が健康にもよく、そして美味しいことを説明。タイのお茶も品質が向上している。

私は「中国茶の基礎知識」を説明し、前回と全く違うラインナップでお茶を淹れた。福建の白牡丹(白茶)、金駿眉(紅茶)、そしてインドのダージリン紅茶を提供し、飲んで頂いた。ダージリンの茶旅も少し披露。どうだっただろうか。

そういえば、ウエルカムティーとして、トルコの緑茶を淹れてみた。「飲みやすい」との感想が多かったが、それもそのはず。このお茶は鹿児島の技術で出来たせん茶だった。が、説明するのを忘れた。最近ボケの傾向が強まり、何と紅茶も雲南紅茶と福建紅茶を取り違える始末。主催者と参加者にはご迷惑を掛けてしまった。

そして今回の目玉は何と和菓子。トライアスロン選手のKさん、実は和菓子屋さんの息子さんでどら焼き、水羊羹、みたらし団子が振舞われた。これには参加者からも「作り方を教えて欲しい」の声が。和菓子と烏龍茶や紅茶のコラボ、どうだっただろうか。

もし皆さんのご要望があれば第3回が開かれるかもしれない。こんな会が定例化するのもよいのではないかと思う。

11月5日(月) ドムアン空港は安くない

ビエンチャン訪問を終え、バスで国境を越え、ウドンタニへ行った。バスターミナルの直ぐ近くにセントラルのショッピングモールが見える。ビエンチャンの人々がここまで買い物に来るらしい。時間が無いのでトゥクトゥクで空港へ。20分、80バーツ。ウドンタニ空港には無料Wifiエリアもあり、なかなか好ましい。

エアアジアでバンコックへ。10月からエアアジアはスワナンプーンからドムアンへ使用空港が移った。ドムアン空港は以前バンコックに来るたびに使った懐かしの空港。基本的にLCCはドムアンに集結させたわけだが。

国内線で預け荷物もなく、あっと言う間に外へ出た。そこにはタクシーを待つ長蛇の列。昔ドムアンには空港から市内へのバスが走っていたが、今はない。バスはスワナンプーンへのシャトルバスだけだろうか。外の公道へ出れば市内行きの路線バスはあるだろうが、夜も8時で暗く、字も読めないのでタクシーを待つ。因みにバンコック行きの鉄道もあるが、いつ来るか分からないし。

そしてようやく列がカウンターに着き、宿泊先を告げる。4つのタクシー乗り場があるが、各場所に仕切り人がいて、タクシーを指定して客を乗せる。だが、この仕切りが悪い。寧ろ人がいない方がスムーズに乗れる感じだ。

タクシーに乗り込むと運転手が「場所が分からない」というジェスチャーをして聞きまわる。ようやく「分かった」というポーズをして車を動かそうとするが、周囲の車が動かずに進めない。何とか車は空港を出たが30分ぐらいして全然違う場所に向かっていることを知る。「ここじゃなかったのか」と運転手。そして再度名刺を出し、宿泊先を告げると「なんだそうか」と頭を搔きながら、運転する。彼は完全に故意に演技していた。そこからは実にスムーズに宿泊先に着いた。人のよさそうな顔をした人だったのに。

ドムアンからはメタ―+50バーツが原則。この50バーツは遠回り代として支払わなかった。運転手は一瞬怒る振りをしたが、そのまま行ってしまった。これでも支払過ぎたのかもしれない。

格安航空会社が集まるドムアンで、空港を出ると安い交通手段がないとはどういうことだ。懐かしのドムアン空港の思い出は急速に色褪せた。

11月21日(水) 和僑会例会に参加してみた

スリランカから戻った翌日、和僑会に参加した。和僑会は香港が発祥、海外で頑張る日本人起業家の会。最近は何故か東京にも和僑会が出来て、ちょっと違和感あるが。バンコックでは和僑会関係者との交流があり、朝の読書会にも参加したことがあるが、例会は初めて。今回の会場は何とオープンテラスの和食。ビアガーデン状態の中、そこに20名以上の参加者が集い、ワイワイガヤガヤ。これは如何にもタイの和僑会ならでは。何とマイクを持ち込み、メンバーがお話する場面も。

参加者は会員とは限らない。タイで起業している人が中心ではあるが、日本から来た人、中国での経験がある人、そして私のように何でいるのか分からない人まで、暖かく迎え入れられ、何ともおおらか。実際に様々な人とお話をしたが、タイ情報に精通している人から、タイでの節税を訴える人、これからバンコックで飲食業をする若者、通販をしている人など、それはそれは幅が広い。先ずは基礎的な情報はこのような場で交換し、進んで行くのだろう。

和僑会には日本では感じられない力強さ、前向きな姿勢が大いにある。日本以外での人生を選択した(または選択しようとする)人々は、個々に苦悩しながらも、個々に輝いて見える。

和僑会の総会は現在シンガポールで開催されているようだが、来年は世界の和僑がバンコックに集う予定とか。何となく覗いてみたい気がする。

11月23日(金) バンコックでスーパー銭湯へ行く

バンコックの宿泊先の直ぐ近くに2か月ぐらい前にオープンしたスーパー銭湯。あることは知っていたが、行く機会はなかった。ところが約束をしていたIさんの仕事が早く終わり、宿泊先まで来てくれることになり、そして銭湯へ連れて行ってくれることとなった。

外見は日本と同じようだ。入り口を入ると明るい。そして客層はタイ人の若者が多い。ある年齢層以上のタイ人はお金があってもここには来ないのだろう。居酒屋あり、カフェあり、ネットしている若者もいる。オーナーはタイ人で、日本の銭湯好きが高じて営業を始めたらしい。入浴料450バーツ。受付を済ませると、次は履物を脱ぎ、サンダルに履きかえる。そうして浴衣(丹前?)を貰う。この浴衣、結構厚手。タイのクーラー事情から、このような厚手になったと思われるが、ちょっとどうかな。

浴室は銭湯のようになっており、洗い場の向こうに湯船、ジャグジー、水ぶろなどがある。スチームサウナもある。更に露天ではないが、ドアの向こうには温室のような場所があり、浴槽とサウナ、丸い一人用の浴槽まである。開業したばかりということもあるが、きれいである。お客さんはタイ人の方が多かったが、裸で入ることにも抵抗はなく、騒ぐ人もおらず、実に日本的な雰囲気がした。日本で温泉などを体験した人や日本の習慣に慣れている人々がここの主要顧客であることが分かる。

風呂から上がると居酒屋へ向かい、冷えたビールで乾杯する。日頃それ程お酒を飲まない私でもこの1杯は美味いと感じる。この居酒屋は九州系のようで、この銭湯にテナントとして入居している。

Iさん曰く、「バンコックで銭湯につかり、冷たいビールが飲める日が来るなんて、夢のようだ」。確かにリラックスにはちょうど良く、これは使えるかもしれない。同時にこの店が流行るかどうかが、タイの日本ブームの一つのチェックポイントかもしれない。





ぶらぶらバンコック滞在記2012(4)10月5~31日

10月5日(金) サケオへ行く

2週間ほど、トルコへ行ってきた。トルコにはアジアもある、と思い込んで行ったのだが、残念ながらアジアは見付からなかった。ただヨーロッパも中東もトルコを起点に中央アジアを目指している、非常に基礎的な理解は出来た。 タイの田舎へ行く、ここはアジアである。今回はバーンタオ氏が炭焼きを依頼しているサケオ県を訪ねた。サケオはバンコックから東へ約200㎞、あと数十キロでカンボジア国境と言う街。

朝BTSのウドムスックという駅で待ち合わせる。この駅、以前は無かった。ここ1-2年でBTSの線が東西南北に延びている。駅前にはマンションが建っているが、それほど高くはないらしい。新しい駅だからか。結構便利なのに何で。マンションの下にMax Valueが入っていた。24時間営業、店内にキッチンがあり、朝の弁当を仕込んでいた。新興住宅の香りがした。駅付近の朝の渋滞はかなりひどい。

車は一路サケオへ。今日台風が来るという不穏な情報があったが、快晴で快適。30分も行くと田園風景が広がってくる。ゆうかりの木が植林されている場所もある。バンコックも一歩抜け出せば田舎の風景がある。これがタイ本来の姿のような気がする。

3時間弱でサケオの街に到着。先ずはバーンタオ氏お勧めの駅前肝っ玉母さん食堂でランチを取る。コイセンミー(餡かけ固焼きそば)を頼む。確かに勧めるだけのことはある。ここの餡は実に濃厚で美味い。揚げたそばとの相性も抜群で、最後の最後まで汁を吸ってしまう。何杯でも食べたい気分だが我慢した。値段は1杯、30バーツ。バンコックなら大盛りの分量は嬉しい。

サケオ駅前といったが、本当に本当に小さい駅がそこにあった。バンコックから5-6時間掛かるだろう列車がたまに来る各駅停車のみが停まる駅。まるで映画のセットのようだ。その横の並木道、ミャンマーと全く同じ風景がある。うーん、タイの田舎は素晴らしい。

先ずは付近の国立公園に行く。自然を売り物にしているが、本当に大自然、管理するのも大変な敷地に様々な草花や木々が所狭しと育っている。管理と言っても道を整備する以外は自然に任せて、開発しないという意志表示のようだ。途中道にひょっこりイグアナが顔を出す。トカゲの大きい物だ。

かなり進むと見晴らし台があり、そこが終点。山に木々が密生している様子がよく分かり、山の深さを教えてくれる。小さな滝も見た。タイ人は水遊びをするようで数人が下に降りていく。自然の中での遊びは彼らが一枚上手のようだ。

それから炭焼き小屋へ行く。これまでチェンマイ郊外の窯などを見学したが、比べると格段に整備されており、窯の数も多い。雨季は材料の木々の切り出しが少し困難で生産量が落ちるとのことだが、一定量は焼き上がっている。

バーンタオ氏はこの地にバーンタオ村をつくろうとしている。先ずは身近なバンコック在住者からメンバーを募り、時々遊びに来る計画。敷地を借り、畑も作る。炭焼き体験もする。緩いコミュニティはこれからの主要テーマだ。面白い。

帰りは渋滞がひどく、また途中で雨も降り、5時間以上掛かってバンコックに戻る。午後9時半にスクンビットのお蕎麦屋さんに辿りつき、鴨南蛮を食べる。久しぶりで実に美味しい。お腹が空いていたからだろうか。幸せな気分で一日を終える。

10月6日(土) 心地の良い2つのカフェ

バンコックには最近日本人経営のカフェがいくつもオープンしていると聞く。今日はご縁のある2つのカフェをはしごした。

1つ目はスクンビット、ソイ49にあるMoss Terrace。8月にオープンしたこのカフェ、閑静な住宅街にある。ただ店内はカフェという雰囲気はない。タイで生産された女性服が並んでいる。本業は服屋さんなのだとか。その横には、数々の珍しい石が並ぶ。ご主人が趣味で集めた物が中心とか。かなりの種類があり、また売るか売らないかはその人の熱意とも聞く。石に秘められた魅力が見える。

水槽の前に座る。ブルーオパールが中に入っているその水槽は、何となく好ましい。いくつか構想が浮かび、何故かメモを出して書き留めていた。面白い。ここだとアイデアが出やすい。でもPCを持ち込んでやってはいけないだろう。頂いた抹茶牛乳がまた素晴らしいミックス。心が少し温まる。そういえば水槽の前で気持ちよく寝込んだ人もいた。

このお店、Aさんご夫妻が開いている。来タイ20年、海外から見た日本など、話題は尽きず、午後5時の閉店時間を大幅にオーバーして居座る。ここはカフェというより、楽しい空間であり、オーナーと来客のコミュニケーションの場であった。お子さんがお小遣いを貯めて、小さな石を買いに来る、何とも嬉しい。

そしてもう1軒は、先日バンコック茶会でお世話になった、シーロムにあるSaladee。僅かしかいないバンコックで今日がもう4回目だ。先日のトルコ旅行、主目的の茶畑訪問が成功した一番の要因は、このお店のオーナーAさんによる紹介だった。茶縁のお礼を兼ねて報告に伺った。

野菜ソムリエのAさん、食事にはスペシャリティがある。赤米のスープ、さっぱりしている。サバが乗ったご飯。豆、野菜などが添えられている。昨年6月に行ったヨーガ合宿、長野県穂高の養生園の料理を少し思い出す。白米を食べず、肉を食べない。体が軽くなるのが分かる。そして暖かいお茶を飲み、ネガティブではない前向きの話をする。実に健康的だ。こういうお店が近くにあると、便利だなと思う。

バンコックには個性的なお店が増えている。こんな空間とのコラボ、望ましいな。

10月30日(火) バンコックのバス

10月は10-29日、中国と日本に行っており、不在。久しぶりのバンコックは雨季が明けたかと思いきや、強烈なスコールが夜中だったり、朝だったり、突如として降り出す不安定な天気。我が宿泊先から最寄りの地下鉄駅まで歩いて10分、かつ交通量の多い道路を信号なしで横断しなければならない。雨でも降ろうものなら、結構シンドイし、かつ暑い。(東京や上海は今がベストシーズン。比べるとバンコックの暑さは際立つ)

宿泊先の直ぐ近くにバスターミナルがある。以前もたまに使用していたが、昨日は午前午後の2度の外出で共にここからバスに乗る。ターミナルには以前は無かった路線ごとの大まかな行先表示看板が出来ており、しかも英語も併記されていたので、初めていくつかの路線の行く先を知る。タイではタイ語が読めないと色々と不便がある。


   

バンコックのバスには何故か無料バスと有料バスがある。それは青色の帯がフロントガラスに表示されており、字が読めなくても分かる。何だか籤引きのような気分でバスを待ち、青が見えると「当たった」と喜ぶ。但し私が払うバス代は赤バス(全線料金共通)で6.5バーツ(日本円15円程度)。実にささやかな喜びである。因みに本日は2回で1回当たりが出た。

私が乗るバスにはエアコンはない。エアコンがあれば料金は倍になるようだ。窓は基本的に空け放たれるが、渋滞に捕まると風が入らず、難渋する。またスコールでも来ようものなら、一斉に窓が閉められ、地獄のように暑くなる。良く見てみると車内に1つだけ扇風機がある。それは運転手のすぐ後ろ。車掌のおばさんもそこへ居着く。私も2回目は運転手の後ろの席をゲット。


   
  

バスはいつ目的地に着くか分からない。バンコックの渋滞は時々とんでもない状態になる。そんな時はバスを降りる。日本ではバス停以外でバスがドアを開けることはないが、ここでは渋滞になれば自然とドアが開き、降りたい人は自由に降りることが出来る。このような柔軟性がタイの良いところ。私も時間を見計らってバスを降り、目的地に向かう。

日本の公共交通機関は高過ぎる。途上国には料金によりいくつものバリエーションがある。私の場合は時間があるので、タクシーやバイクタクシーを止め、バスにしている。一般的なタイ人は今や時間が大切。一番有効なのは渋滞をものともしないバイクタクシーだろう。またタイ人は全般的に言って歩くのが苦手。200mでもバイクタクシーに乗る人がいる。それもまた柔軟性のある社会ということか。タイ人が時間に追われ始めたのを見て、経済発展を感じ、また一抹の寂しさを感じている。

10月31日(水) 中国人経営のプーアール茶荘

9月に開催したバンコック茶会。その会場はBTSチョンノンシー駅から少し歩いたシーロムプラザにあった。そこへ何回か通ううち、BTS駅のすぐ近くにあるお茶屋が気になり始めた。開いていないことも多く、その存在自体が謎となっていた。

バンコック茶会主催者のMさんはいち早く、この茶荘を訪れ、オーナーと交流していた。そして私にもお声が掛かり、訪れることに。オーナーは中国人だと聞いていたので、通訳のようなものか。

お店はなかなか綺麗で、茶器がかなり置かれていた。お茶はプーアールしかない。何だか面白い、こだわりのありそうな店だ。棚にはプーアール茶の茶餅がずらっと並ぶ。見ると易武の茶が多い。これは本格的かもしれない。

オーナーのポーラさんは中国広西壮族自治区、桂林近くの出身。10年前に一家でバンコックに来て、プーアール茶を商っている。聞けば、中国では地元メディアの記者だったとか。またご主人は画家で、現在は北京在住とか。そういえば中国ではこのような文化人で茶好きが多かったな。

彼女は緑茶やウーロン茶を飲み続け、最後にプーアールに辿りつた。これが一番と他の茶は商わない。毎年雲南省を訪れ、仕入れを行う。茶器にもこだわりを持っている。好きが高じて茶荘を開いてしまったようだ。

肝心のお茶は2007年以降の生産が多いが、原料の茶葉は樹齢100年以上の古樹から摘んだ物が多いという。確かに熟茶2種類、生茶1種類を飲ませてもらったが、カビ臭さはなく、飲みやすい物だった。飲む所はカウンターになっているが、今後は変えていくという。2階には12-3人が座れる茶席もあり、有料で貸してくれるらしい。

お客はタイ人、華人、欧米人、日本人と多岐に渡っている。日本人は生茶が好きで、良く通ってくるし、友人達とも連れ立ってくるという。タイ人は健康志向の人、文化的な人が飲んでいる。タイの茶文化事情の一端が分かるかもしれないと思ったが今回は時間切れ。次回再訪しよう。



ぶらぶらバンコック滞在記2012(3)9月16~19日

9月16日(日) 第1回バンコック茶会開かれる

いよいよバンコック茶会の日がやって来た。会場となるシーロムプラザの「Saladee」に12時ごろ到着したが、生憎の雨。お客さんは来てくれるのだろうか。ちょっと心配。会場の設置も初めてであり、試行錯誤。久しぶりに初めての緊張感を味わう。

雨にもかかわらず、午後2時過ぎには参加者16名が揃う。流石日本人。バンコック在住者14名と香港から旅行に来た私の知り合い2名、男性は1名のみ。まあ初回は仕方がないか。お子さん2名。割と大人しくしていてくれる。

Mさんがタイ産の金萱茶を淹れながら説明する。このお茶、開始までの間、冷たくしたものを出しているので、その違いも味わう。皆さん、タイでお茶が採れることに興味津々。更には台湾との繋がり、健康への効果など、熱心に聞いて行く。軟枝烏龍も十分に味わう。一際関心を惹く。

私も鉄観音、正山小種、そして大紅袍と淹れて行き、タイ産との違い、中国茶の分類など簡単にお話する。紅茶の歴史やちょっとしたこぼれ話は参考になっただろうか。茶葉を回し、その違いを見てもらう。会場オーナーからも和菓子が振舞われる。お茶に合うように工夫されており、美味しく頂く。

2時間きっかりで茶会は終了。皆さんの反応はどうだっただろうか。聞けば、もっとお茶のことを知りたい、との要望があるようだ。第2回はいつ開かれるだろうか。バンコックで茶会、それも中国茶、ちょっと意外な内容が受けるのかもしれない。

反省会もせずに、夜は香港から来たKさん、Nさんとカフェドラオというラオス料理の店へ。ここは会場オーナーAさん御用達の場所で、雰囲気がすごく良い。静かでゆとりがあり、食べ物も美味しい。お茶会の疲れ?を癒すには絶好の場所であった。

9月17日(月) バンコックでタイ人向けヨーガ講習に参加

今日は大学の同窓生でインド在住20年を超えるA師が教えるヨーガ講習に参加してみた。過去日本の穂高でのヨーガ合宿にも参加したことがある。夕方5時半から8時まで、参加者はタイの社会人だ。タイでも近年ストレス社会を迎え、ヨーガのニーズが高まっている。

会場は某大学校内。このようなプログラムに大学が助成を行い、社会人を受け入れているという。日本ではヨガスクールなどへ行かないと習えないヨーガがここでは公的な支えで成り立っている。A師との待ち合わせ場所へ着く頃には豪雨となり、会場へ移る頃には校内は軽い洪水状態。昨年の洪水が少し頭を過る。

会場には三々五々、受講者が集まり、ヨーガマットの上で思い思いのポーズを取る。その姿は自然。タイ人はヨーガを知らなくても、基本的な座り方は心得ているという。座るという生活習慣から来るのか、宗教的なものから来るのか。

A師が教えるハタヨーガは非常に地味で、フィットネスだ、ダイエットだ、とは完全に一線を画している。タイ人もこのヨーガに溶け込んでいるように見える。実技は師が英語で話し、通訳がタイ語にする。何だかこうしてみると違うものに見えるから不思議。

アーサナを一通り行い、呼吸法も行う。久しぶりの私は用語も忘れてしまい、体も痛く、A師夫人の丁寧な日本語での説明にも拘らず、途中で脱落。A師のヨーガは無理をする必要もなく、止めたい時に止め、休息も自由に取る。これが良い。体を曲げすぎるな、器械体操ではない、といつも言う。

2時間ほどで実技が終了すると怠けていた私でさえ、爽快な気分になるから不思議。これを毎日ちゃんと続ければよいのだが。11月後半の合宿にはもう少しきちんと臨もう、思うのだが。

9月18日(火) イミグレーションオフィスに出頭したが

実は一昨日大変なことに気が付いた。タイ入国時にホチキスでとめられる出国カードが今回は何故か添付されていなかった。パスポートをしげしげと見たが、ホチキスの跡もないので、空港のイミグレのおじさんが忘れたに違いない。おじさんが忘れたんだから、出国時に空港で説明すればよい、と実に安易な気持ちでいたのだが、念の為に人に聞いてみると、「それは大変だ。下手すると空港で出国できなくなる」と言われ、慌てる。2日後にトルコ旅行が控えているから。

お世話になっている旅行会社のYさんにタクシーで行先を言ってもらい、どこにあるのかも分からないイミグレオフィスへ向かう。一体どんな困難が待ち受けているのか。などと考えていたが、タクシーはいつになっても目的地に着かない。ドムアン空港の近くということは分かっていたが、どうなるのだろう。

40分ほど車に乗っていると突然巨大ビルが出現。ここは政府の総合庁舎。運転手がお前はどこへ行くのだ、とタイ語で聞いている。だが、どこへ行くのか、いくつもビルがあり言えない。仕方なくパスポートを見せると、直ぐに分かったようであるビルの前へ。ビルの中、右手の入り口には外国人が沢山出入りしていた。

先ずはインフォメーションと書かれた受付で、若い女性に事情を話してみると「そんなのどうでもいいんじゃない」といった反応。え、そんないい加減な話ではない、と訴えると、「だったら受付行ったら」と言われ、更に奥の受付へ。そこでまた事情を話すとオジサンが「カード失くしたのか」「そんなことの為に来たのか」と笑って取り合わない。何故か「そこを何とか」と言ってみると、番号の書かれた紙をくれ、更に奥へ進む。

その番号のデスクには待っている人もおらず、職員が雑談していた。また事情を話すと数人が、「そんなの空港へ行けばいんだ」という。何だか狐につままれたような話。念のため、Yさんに電話に出てもらい、職員の話を確認してもらったが、答えは「空港へ行けばよい」というもの。どうやらここはビザの延長やパスポート更新時の入国スタンプ更新などの為に来るところのようだ。思わず私も笑い出し、すごすごと引き上げる。

但しその時職員の一人が私の入国記録をPC で確認し、番号を入国スタンプの横に書いてくれていた。2日後、空港で新しく出国カードを記入し、係員に出すと全く何も言われずに通ることが出来た。これまでホチキスで出国カードを止めるほど重要だった書類がオンライン管理でどうでもよくなったということだろうか。もしそうなら資源の節約のためにもホチキス止めは止めるべきだろう。いや、あの番号、あれが重要なので、あれが無ければ空港でもひと悶着あったのだ、と帰りのバスで色々と考えてしまった。

9月19日(水) 労働許可証なしでも開設出来た銀行口座

タイである程度の期間、滞在する際、あると便利なのが銀行口座。イチイチ現金を持ち歩かなくても、口座に入れてATMで出し入れできればと考えていたが、バンコック在住者に聞くと一様に「労働許可証なしでは無理だ」と言われていた。だがある人が「噂だけどバンコックバンクでは最近出来るらしい」と言い、またある人は「バン銀でもエンポリアムにある支店だけはOK」という。まあ考えても仕方が無いので、行って見ることに。初めに行った時には「ワークパミット」と言われたが、「ない」と答えると「運転免許証」とここだけは日本語で言ってくれた。日本の免許証でよいかと聞くとイエスと答えたので、免許証を持ち出し再度行って見た。

ローカウンターの女性は流暢に英語を話し、時折冗談まで言う。昔のバンコックバンクは敷居が高い、サービスが悪いという印象を持っていたので、まるで違っていた。口座開設作業もスムーズで20分後にはキャッシュカードが渡され、無事完了。カード代として300バーツを取られたが、何とこのカード、BTSのカードにもなっていて、しかも最初の70バーツは無料だという。後で試してみるとちゃんとBTSに乗れた。因みにデビット機能もあるらしい。

またネットバンキングの話をするとワークパミットのある人だけが対象だが、定期預金してくれるなら、申請してみようという。しかも定期預金はプロモーション中、11か月で4%の金利が付く(9月末まで) という。20万バーツ以上が対象。今はその資金もないが、長く滞在するなら、結構有利なレートかもしれない。

タイでもカシコンバンクなどが顧客サービスを拡大、危機感を持ったバン銀も対応に乗り出した訳だ。その競争は我々にとって好ましい。尚免許証で口座が開けるのはエンポリアムの支店のみだそうだ。いつまで可能か分からないが、実体験を記録しておく。





ぶらぶらバンコック滞在記2012(2)9月11~15日チェンライ

9月11日 チェンライ

今朝は昨日の豪雨が嘘のように良い天気だ。朝は近所の麺屋で豚肉入りきしめんを食う。どこで食べても美味いが、30バーツは安い。チェンライの物価はバンコックより安いと言える。

午前中は昨晩救助を依頼した日本人、Iさんよりお話を聞く。彼は日系企業のバンコック駐在員を辞め、3年前からこの地に移住。コーヒーと米を商っている。コーヒーはチェンライ郊外のアカ族の村で栽培。自ら週に一度は出掛けて行き、焙煎するという本格派。日本人を中心にタイ国内でネット販売。最近タイ人も急激にコーヒーを飲むようになったと言い、今後の潜在的な市場拡大が予想された。

Iさんは言う。日本の農業関係者はタイなどへ技術を持って進出し、ここで農業をやるべきだ。タイにもマーケットはあるし、東南アジアにもある。日本だけが全てではないと。

チェンライの生活はストレスも少なく快適。日本人は400名ほど滞在しているが、殆どがロングステイ。平均年齢は70歳近いらしい。そんな中で若手のIさんの生き方は私には大いに参考になる。大儲けするのではなく、自分のやりたいことを一歩ずつ実現していく、いいことだ。

お昼は近所で鴨ごはん。スープも付いて30バーツ。これもまた美味しく、そして安い。そのすぐ近くのお寺を見学。このお寺、堂に入ると風が吹き抜けて外の暑さを全て忘れさせてくれる。これは設計の知恵なのか、仏の御心か。

金ぴかの時計台を過ぎる。道路標識を見ると道路名がタイ語、英語、中国語の併記となっている。ここは華人の街か。確かにお茶を売っている店では中国語が通じたが、英語も話した。うーん、このこじんまりした街、なかなか面白い。チェンライの創始者、メンライ王の像が道沿いに建てられていた。1262年、メンライ王がこの地に遷都したとある。

ホテルの南、徒歩20分の所にセントラルプラザがあった。高い建物が少ない、デパートもなかったチェンライにようやくできたショッピングモール。タイという国はやはりバンコックの一極集中だ。店内はどこにでもある店舗が並び、平日夕方でも人はそこそこにはいる。ふじレストランという日本料理屋、数年ぶりに入って見る。お客は結構多い。また食べ放題の店が多く、中には回転寿司の回転台の上を色々な食べ物が回り、更には周囲にも沢山の食べ物が並んでいる店に人気があるようだった。タイ人の食生活も変化が見える。

9月12日 チェンライ3日目

今朝も快晴。朝、一昨日行った華人系の店へ行く。店頭で中国人観光客が数人、大騒ぎしながら、おかずを選んでいた。麺だけでは足りずに、野菜の煮物などを注文している。だが、どうみても華人の店のお婆さんは、顔色一つ変えずに英語で通していた。本当に中国語が分からないのだろうか、それとも話したくないのか。それにしてもこのお婆さん、非常に上品な立ち居振る舞いで、私が英語で話すと軽く頭を下げる仕草が見えたりして、雰囲気は良い。やはり話したくないのかもしれない。

11時ごろ空港へ向かう。チェンライの空港へ行くにはタクシーしかないと言われる。本当か?ホテルでタクシーを呼んでもらうと20分掛かるという。それなら道まで出て自分で拾おうかとすると、ホテル側が今来るから少し待て、という。しかし案の定、それから20分近くやって来ない。どうなっているのかと聞いている所へタクシーが滑り込む。人のよさそうな運転手だが、いきなり140バーツを請求する。この辺では空港へ行くのにメーターは使わない。ホテルのフロントで100バーツが相場と聞いていたので、その旨を告げるとあっさり引き下がる。取り敢えず言った者勝ち、ということか。困ったものだ。空港まで30分ぐらい掛かったので、100バーツは妥当な線。それにしても、チェンライはちょっと走ると郊外へ出てしまい、田園風景が広がる。まだまだ開発の余地がありそうなのだが、マンションブームもこれからのようだ。ロングステイの皆さんも戸建てに住んでいるケースが多いと聞く。

空港は昨年末にも来たことがあり、その際2階の食堂でネットが使えたので、行って見ると何と繋がらなくなっていた。これは一時的な故障なのか、いや皆が使えないと言っているから、サービスが後退したのか。このご時世に何故だろうか。代わりにネットの出来る所を聞くとようやくコーヒーショップがあることが分かる。

このお店、チェンライ付近の少数民族支援のNPOが経営しているらしい。店には少数民族の子供たちの写真などが飾られ、コーヒーが役立っていることを告げている。ここのコーヒーは美味しく、またパンなどの食べ物もイケる。ネットも繋がるし、なかなか良い。

バンコックへ戻り、夜は宿泊先の近所、テスコロータスの裏の中華料理屋へ単身乗り込む。日月楼飯店、オーナーは遼寧省出身、話してくれたウエートレスはチェンマイ出身の華人。水餃子は完全に中国の味。最近のバンコック、こんな店が増えている。因みに値段はそうは高くない。

9月13日 バンコックの病院へ行く

チェンマイ、チェンライの旅の途中から、何となく体がだるいと感じる。そして体が少し痒くなる。これは私にとって危険な兆候だ。疲れが溜まっているのかもしれないが、念の為、病院に行くことにした。会社を辞めてから初めて行く病院。クレジットカードに付与されている保険を活用しようと思い、日本人がよく行くという病院に電話した。バンコックでは、いくつかの有名病院に日本語サービスがあり、この病院も電話の会話は日本語だった。ただ「保険をキャッシュレスで使いたいなら、保険会社に電話してから来てくれ」と言われ、ちょっとビックリ。当然カードを提示さすれば良いと思っていたのだが。最近タイでは海外保険を悪用する人がいるので、その対策かもしれないが、ちょっと面倒ではある。

もう一つの病院、以前知り合いに連れられて行ったことがあるサミティベートにも電話を入れる。保険に関しては同じ答えだったが、症状を述べ、日本語の出来る医者をお願いしたところ、即座に対応できた。それからネットで保険会社のバンコックでの連絡先を調べ、電話を入れる。カード番号を告げると折り返し電話するという。掛かってきた電話は日本から。このサービスのコストはどうなっているのだろうか。兎に角無事にOKを貰い、病院へ。

タクシーを降りようとすると、ドアボーイがドアを開けてくれ、「ウエルカム」と言われ、ここはホテルか、と思う。建物内に入るときれいなフロアーで以前見たピアノの生演奏をやっている。又日本では考えられないほどゆとりのあるスペースにソファーがあり、表示には英語や日本語が入っている。看護師も日本語が出来る、いや各国語が出来る人を採用している。

日本人には専用窓口があり、すべて日本語で対応している。パスポートを出すと直ぐに写真を撮られ、診察カードが出来上がる。流れ作業であっと言う間に診察科へ進む。表示に「15分以上待っている人は申し出て」ともある。日本では考えられないサービスだ。実際15分しか待っていないオーストラリア人がクレームを付けると、受付が流暢な英語で説明をし、対応していた。

私は15分以内に呼ばれ、千葉大医学部を出た女性の先生に診てもらう。幸い大きな問題はなかったが、やはり病気の場合、母国語で説明を聞けるのは何より安心だ。また先生が日本語が出来ない場合は、通訳サービスを付けることも可能だという。また薬をもらうと日本語で「朝夕一日2回」などと書かれていて助かる。薬剤師もポイントの言葉はすべて日本語で説明してくれた。

そしてこの病院、入院患者及び付添い家族のために、各国料理のレストランが備えられている。日本料理は大戸屋が入っており、勿論病室へ運んでくれる出前サービスもある。イタリアンでもマックでも、スタバでも、何でもある。セブンイレブンから山崎パンまで、来客の便宜を最大限にはかっている。日本にこんな病院、あるのだろうか。医療ツーリズム、という言葉が日本でも言われているが、とても太刀打ちできない。

因みにこの病院の経営トップは医療関係者ではなく、元一流ホテルマンだと聞いた。そう聞けば、ここがホテルのように感じられた訳が分かる。

9月14日 MKダンスを見る

今日は大学の同窓生Oさんの誘いでアユタヤへ行く。アユタヤと言えば、昨年の洪水で甚大な被害があった場所だが、半年後にはほぼ復旧したと聞いており、行って見ることにした。バンコックを11時に出たため、途中で昼食時間となり、道路脇のBig Cというショッピングセンターへ入る。この店舗、タイではどこにでもある。そして中に入っているレストランも大体同じ。ある意味で安心して入れる場所である。

今日はMKをチョイス。タイスキと呼ばれる鍋は、日本ではコカレストランが有名であり、私も昔何度も行ったが、最近では高い、サービスが悪いと何かと評判を落としている。それに引き換え、7年前に初めて入ったMKというレストランは、庶民的で安くてサービスが良いことウリに、急速に店舗を拡大、今ではバンコックではどこにでもあると言うほど、知られる店となっている。

タイスキはタイの国民食となったと思う。平日の昼間だというのに、お客で満員だ。暑いタイで鍋を食べるなどは日本では考えにくいが、タイ人は鍋好きだ。Oさんによれば、「タイ人従業員はこちらの奢りだと言えば、エビやイカを食べるが、普通は肉を入れて食べている」という。実はタイでは海鮮が高い。通常は野菜と肉で食べる、面白い発見だ。因みにタイ人はイカは食べるがタコは食べない。だからMKのメニューにタコはない。

昼間から鍋をつつくのは悪くない。何だか幸せな気分になれる。そしてその幸せな気分を更に盛り上げるのが、MKダンスだ。突如店内に大音響が流れ出し、「MKスキスキ」との音楽に合わせ、何と従業員全員が客の座るテーブル間の通路で踊り出す。初めて見た私は呆気にとられていたが、一般の客は慣れたもので、平然と鍋をつつく。

このダンス、オーナーが考えたというが、何のためであろうか。従業員の健康のため、それともメジャーリーグのようなパフォーマンス、いずれにしても何だか、笑ってしまう。従業員には若い女性もいるし、おばちゃんもいる。決してやりたくはないだろうが、仕事と心得ているのだろうか、アメリカみたいに皆で楽しもうという雰囲気はなく、その遠慮がちな踊りが微妙に嬉しい。

鍋をたらふく食べた後、デザートにアイスまで食べてしまった。MKの魅力に嵌りそうだ。

9月15日(土) ヤワラーを歩く

今日はバンコックのチャイナタウン、ヤワラーを歩く。宿泊先の横のバスターミナルから4番というバスに乗るとヤワラーまで連れて行ってくると聞き、乗ってみる。何とこのバス、たまに走る無料バス。ラッキーだ。

土曜日ということもあり、道は空いていた。だがやはりシーロムを過ぎるあたりから混んできて、なかなか進まない。ヤワラーまで小1時間を要する。そして問題はこれから訪ねるノッパドン君のお店。彼は以前紹介されて、1年半前に一度バンコックの空港で会ったことがあり、今回も色々と聞こうと思っていた。だが彼らか貰った住所を見てもイマイチどこだが、分からない。まあ、いつものことだが、行ってから考えよう。

バスがヤワラーに入って、大勢が降りたので私も降りてみた。ノッパドンの店は骨董屋。何となくバス停から数歩歩いて見ると、何と何とそこに彼の店があった。ちょっと驚き。店に入ると彼も一瞬驚いた様子を見せる。彼の骨董屋はお父さんの代から。古めかしい雰囲気に誘われて観光客も入って来るが、本当のお客はヤワラーの人たちか。

ワット・トライミット(黄金仏寺院)へ行く。ここには高さ3m、重さ5.5トン、純度60%の金で造られ、時価推定120億円の価値があるとも言われる黄金の仏像があるが、私のお目当ては併設された博物館。ここに中華街としてのヤワラーの歴史が説明されている。既に200年以上の歴史を誇るヤワラーだが、現在でも70%は潮州系と言われ、米の貿易で財を築いた華人が発展させてきたことが分かる。ただお目当てのお茶に関する記述は殆どない。

仕方なく1軒の茶屋へ入る。ヤワラーの歴史、タイのお茶の歴史について聞いたが、全く関心が無い様子。南美書店へ行けと言われる。この街で一番大きい書店?が南美であり、ここへ行くもヤワラーの歴史は売り切れ、お茶の歴史などは見たこともないと言われる。更に別の茶屋へも入ったが、結果は同じ。何故歴史が語られないのか。

ヤワラーの街並みもドンドンきれいになっており、街の景観が一部失われていく。そして歴史も埋もれていくのだろうか。困り果ててノッパドンに所に戻ると「それなら客家総会はどうか」と言われて、又歩き出す。

実に立派な建物を有する客家総会。さすがお金持ちが多いのだろうと思う。ヤワラーでは既に普通話が通じにくくなっているが、こういう場所では問題ない。が、教えてくれそうな人もいない。3階にある寺院にお参りしろ、と言われ向かう。途中事務室があったので覗くが誰もいない。と、掃除のおばさんが手招き。行くとそこに男性がおり、「何の用か」と聞かれる。最初は不思議そうにしていた男性も話が分かると「ついて来い」と歩き出す。黙々と歩く彼の後ろを付いて行くと「三馬」と書かれた大きなお茶屋の前に。ただ時間は既に営業時間の午後5時を過ぎ、入れず。この男性最後に曰く、「いいか、必ずお茶を買ってから話を聞け。ここでは金を払わないやつにサービスはしない。分かったか」と言って立ち去る。次回お茶を買ってから聞いてみよう。どうなるんだろうか。