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ベトナム旅2024(8)ホーチミンからバンコク経由で

何とか車を拾い、宿へ戻るも、途中かなりの渋滞に巻き込まれ、待ち合わせ時間直前に何とか辿り着く。既に雨は止んでいたが、足元にかなり水がある。昼はKさんと会って、近所のすし屋でランチ。鯖の塩焼きセットを注文するとかなり立派な定食が登場した。これとお茶で約15万ドンは安いのか、高いのか。Kさんは昨年会った時も激変していたが、更に大変な状況の中、ホーチミンに止まっていた。

午後はお馴染みの新生茶荘に行ってみたが、いつもは昼寝している老板の姿はなかった。代わりにいたベトナム人は店番で、言葉もうまく通じず、状況はよく分からないが、恐らく老板は自分で店番するのを辞めて人を雇ったのだろう。もし彼に会いたければ事前に連絡しておく必要がある。

夕方宿の部屋でサッカーワールドカップ予選を見た。日本対オーストラリア。日本のホームゲームなのに、何故かぎこちなく失点してしまう。サポーターの期待値が高過ぎたのだろうか。何だか残念な試合を見ている内に、約束の時間となり宿を出た。歩いて15分ぐらいの場所にあるレストランへ向かった。

今晩は北京繋がりのHさん夫妻と会った。実はHさんは体調不良で入院したと連絡があり、今回会うのは諦めていたが、何と本日退院したというので、急遽出向くことになった。雰囲気の良いベジタリアンレストランであったが、何故か私の方が体調不良に陥り、あまり食べられなかったのは残念だった。

10月16日(水)バンコク経由でチェンマイへ

朝7時過ぎ、朝食会場を横目に見ながら、空港へ向かった。今日はバンコクまで飛び、一旦街中で用事を済ませて、夜にはチェンマイに戻る予定となっていた。昨年は運行していたホーチミン‐チェンマイ線が無くなったことで、こんな日程となった。まずはタイ航空にチェックイン。バッゲージはチェンマイまでスルーになるのか心配だったが、なんとなりそうだ。

空港でちょっと食べて、飛行機に乗り込む。乗客はそれほど多くはない。僅か1時間でスワナンプーム空港に着いてしまう。本来はLCCで十分なのだが、最近は荷物があるとLCCもレガシーも価格がそれほど変わらないので、タイ航空を選んだわけだが、その快適さを味わう暇もない。

飛行機を降りると、何となく違和感がある。これまで私が何十回も利用してきた空港と何かが違う。何だか明るくきれいなドムアン空港だ。すると何とシャトル電車が登場し、それに乗ると、すぐに入国審査前まで連れて行ってくれる。これがスワナンプームのサテライトというヤツか。イミグレもすぐに通過して、エアポートリンクで街へ出ていく。

マッカサンからMRTでスクンビット、そこからBTSでプロンポーンへと小刻みに乗り換えるも、荷物が無いから楽ちんだ。銀行で用事を済ませ、本屋で本を探し、パン屋でいつものパンを買う。フラフラ歩いてアソークまで戻り、ターミナル21のフードコートで麺を啜る。これが私のバンコクだ。用事が済めばさっさと空港に戻っていく。

スワナンプームの国内線は簡単だ。既に航空券もあるので、サクッと入ってちょっと食べて待つ。ところがフライトが何となくディレー。まあそれでも1時間でチェンマイに着くのが何とも良い。チェンマイに着くと、何だかややこしいことになっている。海外からバッゲージスルーした乗客は一団にされて、係員に誘導され、入国イミグレの脇を通り、国際線荷物受取場へ進む。ここで言われた場所で待っていたのだが、隣のスイス人と話していると30分経っても荷物は出て来ない。おかしいと思い聞いてみると、なんと違うところから既に出てきて、グルグル回っているのだ。さすがタイランド。まあこれもタイランド。

ベトナム旅2024(7)ホーチミン もう一つの老舗茶荘へ

何とか予約した宿に着くと雨は止んでいた。今回の宿はちょっと古い感じだが、料金も高くなく、特に問題はない。ドリンクを買いに外へ出るとすぐに近所に丸亀製麺があった。ここはコロナ前に興味を持って入った和食チェーン店。当時と比べると、価格は1.5倍ほどになっていたが、久しぶりなので入ってみた。午後3時半でも店内に客は結構いる。肉うどんとおにぎりを1個で、12万ドン。偶に食べると美味しい。

それからコンビニでドリンクとお菓子を買って宿に戻る。1時間後に約束があったので、また外へ出た。歩いて10分ちょっとで到着したのは、レトロなカフェ。エッグ珈琲とも書かれている。ここで台湾人の張さんと会った。会えばもう話は茶歴史ばかり。さっきうどんを食べたので、トーストやフルーツを食べながら、いい雰囲気の中でずっと話し続ける。

実に有益な情報も得られて満足する。ただ途中でパスポートを携帯していないことに気づき、落としたのではないかとかなり心配になる。帰り道も道端をキョロキョロしたが、最終的には宿に置いたまま出てきてしまっていた。最近のボケ度合いが半端ない。これからはこういう心配も旅の中で増えていくのかと思うと、気が滅入る。

10月15日(火)ホーチミンの老舗茶荘

朝ご飯は宿についていたので、遅めの時間に食べた。安い宿の割には色々食べられてよかった。それから車を呼んで出掛ける。昨日張さんから『ホーチミンの古い茶荘をもう一つ見付けたよ』と聞いていたので、行ってみることにしたのだ。その茶荘は11区にあるという。昨日バスターミナルから来た道を戻っていく感じ。途中見慣れた5区を通過しても更に行く。

結局30分ほどかかって目的地に着く。車を降りると目の前が茶荘で、覗き込むと『いらっしゃい』という感じで、まるで友達のように老板が声を掛けてくれたので、ホッとして中に入る。怡發茶荘の郭鉄佛さん(1965年ホーチミン生まれ)に話を聞くと、彼の両親が1948年に中国の潮州から渡ってきて、当初は親戚など同郷人の茶業者の元で働いていたが、潮州でも茶業に携わっていたことから、2年後には独立、店を開いたという。

お母さんは90歳だが、とても元気でにこやか。華語は話さず潮州語だけなので、何を言っているのかは分からないが、一緒にいるだけでとても楽しくなってしまう人だった。これも華人の一つの特徴だろうか。戦後渡って来ての苦労、ベトナム戦争での苦労、その後の苦労(ご主人は20数年前に亡くなったらしい)があったはずだが、全てを幸せに変えてしまうようでこちらまで嬉しくなる。

郭さんは1990年代、台湾人がバオロックに茶園を開く時に、通訳として同行した経験があり、あの当時の茶業史に詳しい。色々な面白い話が聞けてラッキーだった。また潮州人と茶業については、興味深い証言が飛び出し、今後ちょっと調べてみようかと思わせるものがあった。今回の訪問はとても有意義なものだった。

茶荘の近くもやはり以前は華人が多かったようで、近所に2₋3軒お寺があったので、見学しようかと立ち寄る。ところがちょうど雨が降り出し、見学もそこそこに慌てて避難する。だが雨はどんどん強くなり、濡れ方もひどいのでGrabで車を呼ぶも、なぜか私のいる場所にやって来ない。以前もベトナムで起きた不具合だろうか。こういう時が一番寂しい。

ベトナム旅2024(6)バクリュウ、そしてホーチミンへ

ここで石を祭っているのを見た。これはクメール系の影響が強いと聞かされ、なるほどと思う。我々は華人の観点でこの地域を見てきたが、実は元々はクメールのエリアなのだ。少し行くとカンボジアに入るらしい。クメールとベトナムの関係、機会があればもう少し歴史を見てみたい。既に時間は昼を過ぎていた。街中に食堂を見付けて、普通に美味しい鶏飯を食べる。4.5万ドンというから、地方都市も都会もあまり物価は変わらない。

もうそろそろ帰るのかなと思っていると、車は東に進んでいく。バクリュウという新たな省へ入った。ここは更に華人色が強いと言われ、外を眺めると、確かに華人のにおいがする。川の横にある旧市街地には、漢字が良く見られ、狭い道には古廟や同郷会館もいくつもあった。

天后宮が大きい。中には関帝廟も完備されている。その横には華人学校(今は使われていないかな)があり、広肇会館の文字も見られるので、この辺は広東系が多いのだろうか。もうちょっとゆっくり街を歩いてみたかったが、そろそろ帰る時間のようだ。何とも残念だが、次回ゆっくり来よう。

カントーへの帰り道、1時間ほど走ると車は止まる。「お土産でも買ったらどうだ」と言われて降りてみると、そこはまるでテーマパークのように大きい。漢字で新華園食品という文字が見える。華人系企業だとは分かるが、聞いてみると潮州人だという。そしてここの名物菓子は潮州月餅を改良したパイ。この付近なら誰でも知っている有名店。確かにお客さんは多かった。

更に1時間ほど走り、既に日が暮れたカントーに何とか戻った。宿まで送ってもらい、皆さんと別れた。これはなかなか経験できない旅だった。Iさんに感謝。そして腹が減り、外を彷徨うが、いい所が見付からず、最後はバインミーのスタンドで買って帰った。スタンドの女性とは言葉が通じなかったが、すぐにスマホを出して翻訳アプリで会話してくれ、有り難い。バインミーも旨かった。

10月14日(月)ホーチミンへ

今朝はゆっくり起き上がる。そして川に近いカントー刑務所跡に散歩がてら行ってみる。ここもフランス時代に抑圧された人々が展示されている。囚人の中に華人はどれほどいたのだろうか、と思ってしまうが、残念ながらベトナム語も読めず、何も分からない。建物は意外ときれいに残っている。

そこから川沿いを歩いてみる。意外と水位が高いのは雨季だからだろうか。ちょっと雨が降れば溢れてしまいそうだ。朝ご飯を探す。昨日南部名物の麺フーティウは潮州の粿條(タイではクイッテアオ)だと聞いて、それが頭から離れない。何とか探し出して写真を撮りながら食べてみる。店のお爺さんがとても優しい。

10時にチェックアウトすると、すぐに迎えのミニバスが来た。今日はホーチミンへ移動だが、何と宿でチケット予約が出来、送迎車が宿まで来る。ベトナムの交通網は旅行者にとても優しい。郊外のバスターミナルへ行くと、バスがたくさん並んでいる。まずはカウンターでチケットを受け取り、料金を払う。

バスはちょっとわかりにくく、11時発のホーチミン行が2台ある。と思ったら、何と私のバスは11時1分発らしい。その意味はよく分からないが、それほど頻繁に出ており、1台が満席なら増発するのでは、と思われる。バスはベトナムでいつも乗る長距離用で、寝転んでいける。ただ何故か上段を選んでしまったので、年寄りには上り下りが大変だ。

バスは順調に出発したが、何と1時間後にランチ休息。これは決められていて仕方がないが、何だかな。その後も順調に走り、合計3時間でホーチミン郊外までやってきた。カントーとホーチミンの近さを感じる。ただこのバスターミナルから街の中心1区まではかなり距離があるので、Grabで車を呼ぶ必要がある。そして雨が降りだしたこともあり、渋滞が発生して、なかなか進まない。

ベトナム旅2024(5)ソクチャンへ

10月13日(日)ソクチャン・バクリュウへ

本日はIさんのご縁で、カントー郊外への日帰りツアーに参加した。朝7時に車が迎えに来てくれた。メンバーはカントー大学の先生たち2人と、助手(運転手)、そしてIさんの5人。座席はちょっときつめ。まずは市内で朝食の麺を食べてから出掛ける。今日の目的は華人廟をいくつか訪ねることだという。

天気はすごくよくて、快適な車旅となった。約1時間南へ走っていくとソクチャン省ソクチャン市という場所に着く。ここの街中は華人人口が3割を超えるといい(省全体ではクメール人が50%を越え、華人は20%弱)、そこに天后廟があった。かなり立派な、しかも新しい建物で驚く。中に入ると潮州会館とも書かれている。この辺の華人の中心が潮州系だと分かる。Iさんはここに以前も来たことがあるといい、管理人のおじさんと話を始める。彼らは既に潮州語は話さず、ベトナム語での会話となっている。

続いて30分ぐらい車に乗り、ビンチャウという街に着く。きれいな街並みで新しい雰囲気。清明古廟(本頭公廟)にやってきた。ここはかなり新しく、立派な廟だった。中も広い。Iさんの知り合いという男性が現れたが、彼は潮州人だと名乗り、この辺の家庭では今も潮州語が話されていると聞き、驚く。一緒にいた女の子は華語を学んでいると言ったが、恥ずかしいので話せないという可愛らしさ。

この廟を改装するに当たっては、この地から海外に飛び出した華僑たちからの寄付が大きい。アメリカやカナダが多いようだが、寄付額の通貨も色々とあって面白い。更にはこの地を離れてホーチミンなどへ出た人々も沢山いることが分かる。華人の強さ、郷土愛など、考えさせられることが多い。

そしてこの廟の中には「三山国王」が祀られている。これは潮州系の信仰するものであり、この付近に潮州系華人が多いことを物語っている。横には天后廟が見られ、その後ろには大きな学校が建っている。如何にも教育に熱心な華人が建てた学校だと思われるが、現在生徒は多いのだろうか。メインは潮州系だろうか。恐らくここでは華語も教えていると思われるが、どうだろう。中学生ぐらいの子たちがバスケをやっている。

古廟巡りはまだまだ続く。また20分ほど車に乗ると、かなり田舎道に廟があった。ただ中はここも比較的新しい。コロナ後に改修されたようだ。名前は福興古廟だった。私個人としては廟をたくさん見てもはっきり見分けは付かない。ベトナム人の先生は細かい所を見ており、もう一人の先生は天后廟のレポートを出すらしい。

この廟のすぐ近くに、観光用の看板が出ていた。入っていくと大きな建屋、広い庭があった。ラムヤイの木も沢山植わっている。この邸宅は約100年前に作られたらしい。何の説明もないので詳細は分からないが、ホーチミンあたりに出て成功した華人が、故郷に錦を飾ったのではないだろうか。観光資源として活用しようとの意図はあったようだが、うまく活用されていないのは残念だ。

この家は頼という姓で、その祖先は中国河南省から南下した人々と漢字の説明があった。そういえば、この屋敷の構造はどことなく客家の三合院に通じるものがある。客家は中原発祥という説の真偽は別にして、頼氏は客家ではないか、と勝手に想像してしまった。潮州系と客家、どことなく繋がっているように思える。

更に少し走ると、また天后廟があった。かなり小ぶりで特に特徴はない。同行者が報告のためにここの写真を撮るのが目的で来たらしい。場所も分かりにくいが、周囲もほぼ何もない。新しい場所に移転したようにも見える。とにかくカントー郊外には華人が多いことは分かったが、現在目の前にある廟は皆21世紀に改修されたもの、または新しく[作られたものであるようで、これもまた一つの歴史なのだろう。



ベトナム旅2024(4)カントー散歩

銀行は休みだが、ATMでお金を下ろそうとカードを入れてみると、なんと現金は出て来なかった。もう一つのATMでも同じだった。3つ目は空港にあった銀行のATM。こちらはちゃんと出てきた。そうか、ベトナムの銀行ATMは外貨に対応できる銀行が限られている(決められている)ことを知る。

何となくぶらっと歩き出す。20分も歩くとちょっと郊外へ出た感じ。そこには中国寺がいくつかあった。寺巡りは楽しかったが、寺の建物は新しいものが多く、21世紀に入ってから、海外移住者の寄付などによって新しくされたものが多いことに気づく。街は全体に落ち着いており、散歩していても静かでよい。

近所まで戻ってくると、突然の大雨に見舞われ、慌ててお寺に逃げ込んだ。すぐに止むと思っていたら、意外と長く降っており、軒下でじっと待つ。観音様が雨に濡れているが、南国なのでシャワーを浴びているようにも見える。ようやく雨が小降りになったので、急いで脱出を図った。

昼になっていたので、ご飯を探す。昨日来た道に入るとすぐに美味しそうな広東系の鶏飯屋に引き寄せられる。何となく叉焼も追加したが、ドリンクを入れても10万ドン程度で、旨い。やはりベトナムの華人食堂は広東系が中心であることは間違いがない。ついでに味も間違いはない。

食べていると、宿から連絡があった。連絡は全てWhatsAppというアプリを通じてやってくる。今や東南アジアの若者は基本WhatsAppである。『掃除が終わったので、部屋を移動できます』という内容だったので、すぐに宿に戻り、隣の部屋に移動した。こちらは若干広い上、バルコニーが使える、流しがあり簡単調理も可能(私はやらないが)など、なかなか良い。この宿で一番良い部屋、といっても4000円台だったから嬉しい。

午後はGrabで車を呼んで、古い町並みが残るビンドゥイ地区へ向かう。東洋と西洋の文化が入り混じった当時の独特な建築が有名で、ジャン=ジャック・アノー監督のフランス映画「愛人/ラマン」の舞台として撮影に使われたと邸宅に行ってみたが、この日は中国人のお客1名のみでゆっくり見ることが出来た。

入口を入ると男性がやってきて3万ドン請求される。家の中はどう見ても富豪華人の家で、広々としており、奥行きもある。ベトナム語の説明は多少あるが、英語や中国語などはないので、ここがどんな家で、どのような経緯で残っているのかは、我々には全く分からない。広い庭には花が咲き、100年以上保存されている歴史を知りたくなる。隣にも古びた建物があり、こちらも見学できそうだ。

この建物がある道をフラフラ歩いてみると、確かに古びているが、結構建て替えが進んだ感じもある。大きな通りに出ると、そこには古い廟(龍泉古廟)があり、寄り道する。途中で転んでしまい、手をちょっと怪我する。それでもめげずに川沿いにあるもう一つの廟も見学する。確かに100年以上前に、華人は川を遡り、ここから上陸したのだろう。

そこから宿までなぜか歩いて帰ることにしてしまった。何と6㎞以上もあり、それほど暑くないと言っても、それは結構大変だった。途中には水が溜まった場所もあり、まだ雨季の状況が残っていた。大きな教会も2つほどあった。最後の方は脚を引きずりながら歩いたような気がする。さすがに距離があり過ぎた。疲れた。

夕飯はカントーに住む知り合いIさんと、広東系の店で麺を食べた。女主人とIさんは広東語で話している。麺は撈麺で、汁なし。内臓系など具沢山で有難い。店内は結構広かったが、お客で溢れており、人気のほどが分かる。それからカフェに移動して華人関連の話を続けた。カントー周辺は華人の多い場所、Iさんはその研究のため、こちらに職場をうつしている。明日は郊外の華人ツアーだ。

ベトナム旅2024(3)いざ、カントーへ

10月11日(金)カントーへ

朝は早く起きた。よく眠れたのはなぜだろうか。1階へ降りていくと、既に出張者のおじさんたちは朝食を食べ終わっており、一人で立派な鯖塩焼き定食を頂く。この食事だけでも何千円かしそうだが、宿代は朝食付きで6500円程度。もし事前に予約していたら、もっと安いらしい。これなら次回からハノイに来る時はここに泊まろう。歳を取ると誰しも、こういうサービスが有難いということだ。

朝の散歩を終えて、Grabで車を呼んで空港に向かった。ハノイから国内線に乗るのは久しぶり。国際線の建物とは少し離れていることを思い出す。今回は預け荷物もないので、スマホをかざしてサクサク入場。荷物検査は厳しいが、時間はかからない。結構時間が余っていたが、何とフライトはディレーした。何もすることが無く、ただ待つのみ。

ベトナム航空の機内は悪くない。乗客はかなり乗っている。機内食もちゃんと出る。2時間はあっと言う間に過ぎて、ふと気が付くと着陸した。カントー、初めて来る場所だ。空港はキレイだが、人はあまりいない。ATMでお金を下ろしてみると、ちゃんとベトナムドンが出てきた。Grabで車を呼べば、すぐにやってきた。快適だ。

空港前の道はかなり広い。カントー市内にほど近く、ベトナムの地方都市が現れる。予約した宿まで15分ぐらいで到着した。ここはカントー在住のIさんが勧めてくれたホテルで、雰囲気が良く、スタッフも親切だ。予約は1泊しかしていなかったが、すぐに2泊追加を願い出た。

ところがこのホテル、全ての部屋のデザインが異なり、部屋ごとに予約を受けている。私の部屋は明日から予約が入っており、使えないという。ふと見ると向かいの部屋がとても良さそうだった。今晩は塞がっているが、明日から2泊はOKとのことで、無事に問題は解決した。いや、宿で一番良い部屋をゲットした。バルコニーもあるし、おしゃれな空間は心地よい。

スタッフに地図を貰い、街歩きを始める。川沿いに向かうと、大きなホーチミン像が立っている。カントーにとってこの川が繁栄の源となっていた。ホーチミン像の向かいには、廣肇会館があり、この街の華人度の高さが窺われる。周辺を散策しても、華人の顔を持った人々が沢山おり、漢字表記の店も見られる。やはりここはホーチミンなどと比べても華人に対する寛容度が高い。

夕飯は宿のスタッフに聞いた地元料理、ニエムムオンを頂く。店に入ると言葉は通じないが、おばさんが親切に対応してくれて嬉しい。食べ方も教えてくれたが、ソーセージと野菜などをライスペーパーで巻いて食べるらしい。これはなかなかイケる。揚げ春巻きも旨いよ、というので頼んでみる。何だかほんわかした夕食となる。気が付けば店はお客で溢れていた。

食後散歩していると陽はとっぷりと落ちた。教えられた道を入ると、そこは華人街ともいえる食堂街で、ここに来ればくいっぱぐれないという何とも安心感がある。私は既にこの街が気に入っているという自覚がある。更に行くと池があり、その周辺の建物が何ともきれいに池面に映っている。

10月12日(土)カントー散歩

ゆっくりと目覚めた。朝ご飯はないので、フラフラ外へ出た。すぐに道端に人々が座ってコーヒーを飲んでおしゃべりしている場所に出くわす。覗くとバインミーがあるので注文して待つ。『チャー』と叫ぶとどこからかおばさんがやってきて熱いお茶と氷の入ったビールジョッキを持ってきてくれる。こういう雰囲気がたまらなく好きだ。

そこからカントー博物館を目指した。ベトナムの他の博物館同様、植民地時代の解放運動の戦士などが沢山顕彰されている。カントーには華人が多いと聞いているので、その辺の歴史が学べるかと期待していたが、残念ながらそれほど深くは取り上げられていなかった。華人の歴史は歴史ではなく、現在進行形なのだろうか。

ベトナム旅2024(2)ハノイの日本人宿

Nさんとは1年ぶりに歴史談義をする。ベトナム華人などをテーマとしてコーラを飲んでいる自分が何となくおかしい。ビールの栓抜きが無かったが、店のお姐さんが何と、会計板を使って見事に開けてくれた。やはり東南アジアはこうなんだね。ベトナムも中進国となって行き、徐々に普通の国になって行くのだろうか。

歩いて部屋に戻り、今日は大浴場を使わず、部屋の大バスタブで湯に浸かる。これは何とも気持ちが良い。事前予約で1泊5000円は安い。でも明日は10000円で泊まれない。夜遅く、近所の日本人宿の最後の一部屋を抑えた。残りものには福はあるのだろうか。ぐっすり眠れる。

10月10日(木)ハノイの茶

宿に朝ご飯が付いていないので、外へ出掛ける。目指すは昨日のリンラン市場。途中はやはりハノイ旧市街だから、趣のある路地が続く。市場へ着いて中を歩いてみたが、実は食べられる場所はあまりない。何とか見つけた麵屋、おじさんが外側で肉を焼いており、ブンチャーがあったので注文してみる。春巻きも旨そうだ。やはり市場は、安くてうまい。

今日は午前中に蔡君のサロンへ出向く。昨年も行ったので問題なく行けると思ってよく見たら、場所が違っていた。何とつい最近引っ越したらしい。昔なら大いに焦る所だが、今やGrabを呼べば、場所さえ分かっていればすぐに行けてしまうのがすごい。今回の場所も、車で15分ほどの少し郊外のいい環境にあった。

相変わらず部屋はシンプルで気持ちが良い。高層階で外の眺めも良い。彼は博士論文をどう描くかで悩んでいるようだったので、今回はそちら方面の話が多くなる。とは言ってもこの1年の間に発見した茶の歴史、特にベトナム編についての意見も、お茶を淹れてもらいながら聞く。あっと言う間に時間は過ぎる。

昼過ぎにバイクの後ろに乗せてもらい、おしゃれな食堂にランチに行く。折角なので珍しいものを食べたいということで、今回は焼フォーにしてみる。ベトナム緬は基本がスープ麺だと思うのだが、やはり焼きそばに当たるものもあるということだ。ここでまた長時間話を続け、お店の人がお茶をサービスしてくれた。

バイクで近くのMRT駅まで送ってもらった。昨年乗ったのとは違う路線が開通していたのだが、この2つの路線は繋がっているはずが、まだそこまで出来ていないようで、相変わらず乗客は少なかった。宿に近い駅で降りて後は歩く。これがまた面倒だから乗客は増えないだろう。

散歩しながら帰ると、古びた門が見え、漢字が書かれている。漢字を見るとホッとしてしまうのは、もう習性でどうしようもない。だがその門を潜っても、その先がない。門だけが残されたのだろうか。ベトナム戦争後に、祠は取り壊されてしまったのかもしれない。宿まで辿り着く間の夕日がきれいだった。

宿から荷物を取り出して、今日の宿へ向かう。日本人宿の老舗らしいがどんな所だろうか。歩いて数分で到着する。日本人地区内移動だ。古びた宿に入るといきなり丁寧な日本語で対応される。それが何となく心地よい。明日の朝食の鮭塩焼き定食を注文するだけでテンションが上がる。

部屋はコンパクトだが、必要なものは揃っている。バスタブもあるし、ウオシュレットも付いている。冷蔵庫の中には、ビール・コーラ・ポカリが置かれており、無料で飲める。これはその昔、コンビニもない時代の出張者のおじさんのために、外に出なくても良いようなサービスの名残だろうか。勿論テレビ番組は日本の物はほぼ見られる。

更には屋上に露天風呂まで付いている。誰もいない夕暮れ時に、一風呂浴びるのは何とも気持ちが良い。そして夜8時頃になると1階に夜食としておにぎりが置かれている。もうこうなると、周辺に美味しそうな和食店が立ち並んでいたとしても、宿から外へ出る気もしない。部屋に一夜籠城する羽目になる。

ベトナム旅2024(1)ハノイの日本人地区

《ベトナム旅2024》  2024年10月9日‐10月16日

チェンマイの洪水などで体調がおかしくなっていた。やる気も出ないし、何となく頭も痛い。ようやく洪水騒ぎが一段落したところで、ベトナム旅に出てみた。今回はハノイ、ホーチミンの他、南部カントーに初めて上陸する。

10月9日(水)ハノイへ

昨年も同じ時期に向かったハノイ。今回もエアアジアで行くことにした。チケットを買う時、荷物が7㎏を越えるだろうということで、荷物枠を買ったのだが、カウンターで計ってみると9㎏しかなく、頑張ればよかったと後悔する。それよりエアアジアのカウンター、国内線に行ってしまったよ。ちょっとわかり難いチェンマイ空港。

ベトナムで使えるシムカードを買おうと思って聞いてみたが、何と結構割高だと気が付き、ハノイで現地シムを買うことに変更した。出国審査はいつものようにあっと言う間に終了。ドリンクもいつもの物を買おうとしたら、何故か品切れ。10バーツ高い飲み物になってしまう。まあ何だかかんだで、平穏に出発。

ハノイまでのフライトは1時間ちょっとなので何でもよい感じだ。ほぼ定刻に到着して、すぐに入国審査を通過。順調だ。シムカードもかなり良いのが買えて嬉しい。だがネット環境が整い、Grabを呼んだら、その車がやって来ない。1台目は分からずにキャンセル。2台目は動かなかったのでこちらから動いて失敗。何で去年と違うんだろう。3台目でようやく普通に迎えが来て乗車。

今回の宿は日本人エリアらしい。実は何度も来ているのに初めての地区。昨年キンマー通りのくれたけに泊まった時、そこが日本人街と勘違いしていたことに気づき、今回はロッテモール裏のエリアに宿を取ってみた。ちょうどネットでも新規開店のその宿が推奨されていたこともある。

路地にあるその宿は真新しかった。フロントの男性は日本語を話し、ストレスが無い。大浴場は屋上にあるという。そして『もうすぐ夕飯の準備が出来ます。カレーですけど食べてください』と無料カレーまである。部屋もかなり良くて、きれいな上にバスタブがデカい。テレビは日本語放送が沢山みられる。これは以前ホーチミンで泊った日本人出張者宿のコンセプトを継いでいるようだ。

私の予約には朝食が付いていなかったが、和定食だというので是非食べたいと思い、すぐに連泊を申し出たのが、数週間前に予約した料金の2倍はしており、断念した。ここには日本人出張者がどんどん入って来て、完全な日本社会が出来ていた。周囲にもこのような宿があると聞き、予約を試みるも皆一杯でなかなか見つからない。

取り敢えず周辺を散歩してみた。確かに日本語の看板や日本食店がかなり並んでいる。ここが日本人街か。ずっと歩いているとリンラン市場という古めかしい市場が登場した。如何にもベトナムの市場、という感じがする。今やあまり見られない希少価値。夕方でかなりの買い物客がおり、美味しそうな物が売られているが、ここは我慢だ。その先には日本食スーパーがあった。かなり充実しており、単身の日本人駐在員が弁当を買っていた。この辺に住めば、食には困らないだろう。

宿に戻るとカレーが出来ている。ほんの少しだけ食べてみると意外とおいしい。だがこれ以上食べると夕食が入らない。まもなくNさんがやってきて、近所のビアホイへ行く。このエリアでも日本食へ行かないというのが、Nさんらしい。ビアホイは以前ほど繁盛していない。飲酒運転規制強化や景気低迷など、いくつか要因はあるようだが、相変わらず煩い。そして豪快なおかずは美味い。

ホーチミン茶旅2023(4) ビンズオンで台湾

フラフラと歩いていると一軒の茶荘が目に入った。阿里山高山茶の文字が目に留まり、興味本位で入ってみた。するとそこにいたのはやはり台湾人。オーナーは以前ここに投資して工場を作ったが、今は引退して茶荘を開いたらしい。茶を飲ませてもらうと懐かしい阿里山の烏龍茶の味がした。『ベトナム産高山茶は沢山あるが、わざわざ台湾から烏龍茶を輸入しているのはうちぐらいか』と笑っている。

1990年代台湾も変化して、南進政策が取られていた。その時期軽工業を中心に、東南アジアへ数多くの台湾企業が出て行ったが、実は政府の支援はあまりなく、皆独力で頑張ったらしい。その後他へ移る者、台湾へ帰る者など様々な進路があり、今や台湾人はそう多くはないという。これも一つの華僑だろうか。台湾の中小企業はなかなか強い。

付近をほぼ一周して腹が減り、元の店に戻って大腸米線を食べることにした。ベトナムでこれが食べられるとはちょっと感激。ほとんどの客はランチビュッフェで皿を山盛りにして、腹一杯食べている。さすがに台湾系なので、台湾人と思われる客が多く来ている。

午後は車を呼んでビンズオン省の中心へ向かう。トーゥダモートという街の真ん中には、天后廟があった。ここも華人が多そうだ。だがその横にはかなり立派な教会も見られる。ちょっと行くと、古い市場がある。建物がレトロでよい。その向こうには川が流れている。この川が物流の中心だったのだろう。いい風が吹いている。渡し船に乗ってみた気分になる。

市場には昔はお茶屋だったところがいくつか見られた。だが現在はコーヒーがメインになっている。この街にはいくつものお寺があり、華人は多そうだが、お茶は飲まれないようだ。帰りがけに台湾系の店があり、美味しい豆乳を買って飲む。なぜかパンをおまけにくれた。最後に見つけた寺はかなり由緒があるように見え、更にその向かいには相当大きな仏像が横たわっている。この街は決してホーチミンの横にある、というだけではない。

また車を呼んで、Nさんを送り、そのままホーチミンまで帰った。既に辺りは暗くなり、ちょっと腹が減る。フラフラ歩いていると、ブンチャーの店が目に入り、思わず入ってしまう。まあ味はそこそこだったが、そこの主人の態度が悪く、あまり気分の良くない夕飯となった。やはりブンチャーはハノイで食べるべし。

11月12日(日)チェンマイへ戻る

今朝も宿で朝ご飯を食べて、帰り支度をする。ホーチミンの空港は街から近いので安心して行ける。それでも随分早く車を呼んで空港に向かった。それは今回のフライトがベトジェットであり、その昔、随分とチェックインで並ばされた、苦い経験があったからだ。カウンターへ行ってみると、多少は並んでいたが、大したことはなかった。イミグレもすぐに終了する。

時間を持て余したが、この空港でやることはない。仕方なく搭乗ゲート近くへ行くと、何と前の便がオーストラリア行きとかで、その便が出るまでは他の搭乗者はそこの椅子に座ることが出来ないと、仕切りが出来ている。そんな決まりがオーストラリアにはあるのか、とちょっと驚く。同時に座る場所が無くて難渋する。昔はよく遅れが出たベトジェットだが、今やベトナム航空を上回る航空会社となり、今回遅れもなく、スムーズにチェンマイに戻った。あの制服はそのままだった。

ホーチミン茶旅2023(3) 鰻と火鍋

Kさんとは前回会おうとして叶わなかったので、久しぶりだ。外へ出てランチを探すと丸亀製麺が目に入ったが、ちょうど昼時で超満員。相変わらずベトナムでは人気のようだ。仕方なく隣を見ると宇奈とという鰻屋があったので、こちらへ入ってみることにした。日本でも格安鰻屋というイメージだ。

こちらの店はお客がまばら。日本の宇奈と同様、鰻としては安いがさすがにベトナム人のランチには高いので、ゆったりと食べられる。私は鰻唐揚げ丼、Kさんは鰻カレーを試してみたが、まあわざわざ一緒に食べなくても良い、という感じで、ベトナム人の気を引くこと、鰻単品より安くなるように設定しているのかもしれない。

それにしてもKさんとは4年ぶりだったが、その間の彼の変化は凄かった。コロナ禍により、人生が変わってしまった人は多いのかもしれないが、彼もその一人なのだろう。ベトナム社会も温かいとは言えないが、実は日本社会も温かくはない。今後何が起こるか分からないが、その時頼れるのは自分だけかなと、話を聞いていて強く思う。

夕方まで人生について考えていた。時間が来たので外へ出て歩く。張さんから指定された行き先はビジネスビル。なぜこんなところに中国の有名火鍋屋があるのだろうか。時間は午後5時だったが、店内には既にかなりの客がいて、熱気があった。この店は入り切れない客の待ち時間に、色々なサービスをして客を飽きさせない、というのがあったが、ホーチミンでもあるのだろうか。

張さんが火鍋を注文してくれ、前菜やフルーツを取り、乾杯した。その頃、店のいくつかのテーブルでは誕生会などが催され、ハッピーバースデーの歌が歌われ、店員がケーキをプレゼントして、テーブルを盛り上げている。更には途中からあの変面ショーまで行われ、大いに盛り上がっている。まるでバブル期の東京を思い出す光景だった。

火鍋の料理は決して安くはないのだが、ベトナムの若者はこういうことにはお金を使うようだ。ここの火鍋は格別美味いというわけではないが、こういうパフォーマンスが重要だ。午後8時ごろ店を出ようとしたら、店の前に長蛇の列ができていた。勿論全員の椅子が用意されていたが、ネイルなどが行われていたかは確認できなかった。歩いて帰るとホーチミンのライトアップは美しい。若い女性が着飾って街を闊歩しているのが、これまたバブルを想起させた。

11月11日(土)ビンズオンへ

今日は一昨日会ったNさんの住むビンズオンへ行くことになった。隣の省へ行くので長距離バスに乗るかと思いきや、Nさんから『Grabで来て』と言われてちょっと驚く。バスがないのかと聞くとGrabが便利で早いという。チェックしてみると料金もハノイなら空港から市内へ行く程度なので、その通りに車を呼ぶ。

市内をすり抜け、郊外へ。と言ってもずっと町が続いている感じだった。約1時間かかって、指定の場所に近くづくと、そこはなんと大きな工業団地で驚く。1990年代シンガポールとベトナムが共同プロジェクトで開発した場所らしい。工場も大きいものが多く、日の丸も見えたので日系工場もあるようだ。

団地の先にNさんの住まいがあった。そこで車を降りて歩き出す。この周辺、Nさんによれば台湾系が多く住んでいるという。この工業団地にやってきた台湾人が住み着いたのだろうか。食堂を見ると漢字が見られ、何となく台湾的な料理がメニューに並んでいるのが面白い。この地域の限られた場所だけだというが、小さな台湾村が出てきた。だが最近中国の進出も多いようで、簡体字で書かれた看板も目に付く。