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ホーチミン茶旅2023(4) ビンズオンで台湾

フラフラと歩いていると一軒の茶荘が目に入った。阿里山高山茶の文字が目に留まり、興味本位で入ってみた。するとそこにいたのはやはり台湾人。オーナーは以前ここに投資して工場を作ったが、今は引退して茶荘を開いたらしい。茶を飲ませてもらうと懐かしい阿里山の烏龍茶の味がした。『ベトナム産高山茶は沢山あるが、わざわざ台湾から烏龍茶を輸入しているのはうちぐらいか』と笑っている。

1990年代台湾も変化して、南進政策が取られていた。その時期軽工業を中心に、東南アジアへ数多くの台湾企業が出て行ったが、実は政府の支援はあまりなく、皆独力で頑張ったらしい。その後他へ移る者、台湾へ帰る者など様々な進路があり、今や台湾人はそう多くはないという。これも一つの華僑だろうか。台湾の中小企業はなかなか強い。

付近をほぼ一周して腹が減り、元の店に戻って大腸米線を食べることにした。ベトナムでこれが食べられるとはちょっと感激。ほとんどの客はランチビュッフェで皿を山盛りにして、腹一杯食べている。さすがに台湾系なので、台湾人と思われる客が多く来ている。

午後は車を呼んでビンズオン省の中心へ向かう。トーゥダモートという街の真ん中には、天后廟があった。ここも華人が多そうだ。だがその横にはかなり立派な教会も見られる。ちょっと行くと、古い市場がある。建物がレトロでよい。その向こうには川が流れている。この川が物流の中心だったのだろう。いい風が吹いている。渡し船に乗ってみた気分になる。

市場には昔はお茶屋だったところがいくつか見られた。だが現在はコーヒーがメインになっている。この街にはいくつものお寺があり、華人は多そうだが、お茶は飲まれないようだ。帰りがけに台湾系の店があり、美味しい豆乳を買って飲む。なぜかパンをおまけにくれた。最後に見つけた寺はかなり由緒があるように見え、更にその向かいには相当大きな仏像が横たわっている。この街は決してホーチミンの横にある、というだけではない。

また車を呼んで、Nさんを送り、そのままホーチミンまで帰った。既に辺りは暗くなり、ちょっと腹が減る。フラフラ歩いていると、ブンチャーの店が目に入り、思わず入ってしまう。まあ味はそこそこだったが、そこの主人の態度が悪く、あまり気分の良くない夕飯となった。やはりブンチャーはハノイで食べるべし。

11月12日(日)チェンマイへ戻る

今朝も宿で朝ご飯を食べて、帰り支度をする。ホーチミンの空港は街から近いので安心して行ける。それでも随分早く車を呼んで空港に向かった。それは今回のフライトがベトジェットであり、その昔、随分とチェックインで並ばされた、苦い経験があったからだ。カウンターへ行ってみると、多少は並んでいたが、大したことはなかった。イミグレもすぐに終了する。

時間を持て余したが、この空港でやることはない。仕方なく搭乗ゲート近くへ行くと、何と前の便がオーストラリア行きとかで、その便が出るまでは他の搭乗者はそこの椅子に座ることが出来ないと、仕切りが出来ている。そんな決まりがオーストラリアにはあるのか、とちょっと驚く。同時に座る場所が無くて難渋する。昔はよく遅れが出たベトジェットだが、今やベトナム航空を上回る航空会社となり、今回遅れもなく、スムーズにチェンマイに戻った。あの制服はそのままだった。

ホーチミン茶旅2023(3) 鰻と火鍋

Kさんとは前回会おうとして叶わなかったので、久しぶりだ。外へ出てランチを探すと丸亀製麺が目に入ったが、ちょうど昼時で超満員。相変わらずベトナムでは人気のようだ。仕方なく隣を見ると宇奈とという鰻屋があったので、こちらへ入ってみることにした。日本でも格安鰻屋というイメージだ。

こちらの店はお客がまばら。日本の宇奈と同様、鰻としては安いがさすがにベトナム人のランチには高いので、ゆったりと食べられる。私は鰻唐揚げ丼、Kさんは鰻カレーを試してみたが、まあわざわざ一緒に食べなくても良い、という感じで、ベトナム人の気を引くこと、鰻単品より安くなるように設定しているのかもしれない。

それにしてもKさんとは4年ぶりだったが、その間の彼の変化は凄かった。コロナ禍により、人生が変わってしまった人は多いのかもしれないが、彼もその一人なのだろう。ベトナム社会も温かいとは言えないが、実は日本社会も温かくはない。今後何が起こるか分からないが、その時頼れるのは自分だけかなと、話を聞いていて強く思う。

夕方まで人生について考えていた。時間が来たので外へ出て歩く。張さんから指定された行き先はビジネスビル。なぜこんなところに中国の有名火鍋屋があるのだろうか。時間は午後5時だったが、店内には既にかなりの客がいて、熱気があった。この店は入り切れない客の待ち時間に、色々なサービスをして客を飽きさせない、というのがあったが、ホーチミンでもあるのだろうか。

張さんが火鍋を注文してくれ、前菜やフルーツを取り、乾杯した。その頃、店のいくつかのテーブルでは誕生会などが催され、ハッピーバースデーの歌が歌われ、店員がケーキをプレゼントして、テーブルを盛り上げている。更には途中からあの変面ショーまで行われ、大いに盛り上がっている。まるでバブル期の東京を思い出す光景だった。

火鍋の料理は決して安くはないのだが、ベトナムの若者はこういうことにはお金を使うようだ。ここの火鍋は格別美味いというわけではないが、こういうパフォーマンスが重要だ。午後8時ごろ店を出ようとしたら、店の前に長蛇の列ができていた。勿論全員の椅子が用意されていたが、ネイルなどが行われていたかは確認できなかった。歩いて帰るとホーチミンのライトアップは美しい。若い女性が着飾って街を闊歩しているのが、これまたバブルを想起させた。

11月11日(土)ビンズオンへ

今日は一昨日会ったNさんの住むビンズオンへ行くことになった。隣の省へ行くので長距離バスに乗るかと思いきや、Nさんから『Grabで来て』と言われてちょっと驚く。バスがないのかと聞くとGrabが便利で早いという。チェックしてみると料金もハノイなら空港から市内へ行く程度なので、その通りに車を呼ぶ。

市内をすり抜け、郊外へ。と言ってもずっと町が続いている感じだった。約1時間かかって、指定の場所に近くづくと、そこはなんと大きな工業団地で驚く。1990年代シンガポールとベトナムが共同プロジェクトで開発した場所らしい。工場も大きいものが多く、日の丸も見えたので日系工場もあるようだ。

団地の先にNさんの住まいがあった。そこで車を降りて歩き出す。この周辺、Nさんによれば台湾系が多く住んでいるという。この工業団地にやってきた台湾人が住み着いたのだろうか。食堂を見ると漢字が見られ、何となく台湾的な料理がメニューに並んでいるのが面白い。この地域の限られた場所だけだというが、小さな台湾村が出てきた。だが最近中国の進出も多いようで、簡体字で書かれた看板も目に付く。

ホーチミン茶旅2023(2)老舗茶荘へ再び

市場の横まで戻ると細い道にはハラール料理屋などが並んでいる。インド系だけではなく、マレー系などもいるのだろうか。それともムスリム観光客向けの店なのだろうか。よくよく見ていると謎は結構深まっていく。そして2つ目のモスクに辿り着く。こちらは中に人が結構いたので遠慮して外から眺めていると、おばさんが『中に入りなよ』という感じで招き入れてくれた。

マリアマンという名前らしい。こちらは観光客も立ち寄るようで有名な寺なのかもしれない。すぐ近くに日本のカレー屋、ココイチがあるのは関連あるのだろうか??それにしてもホーチミンにインド系がそんなに住んでいるとは思わなかった。確かにその昔の貿易都市だから、華人とインド人がいてもおかしくないが、インド系はベトナム戦争などによってどのような影響を受けたのだろうか。そんな歴史が無性に知りたくなる。

ホーチミン郊外に滞在中のNさんがやってきた。Nさんとはヨーガ繋がりで、沖縄やバンコクで知り合い、台湾で茶旅を一緒にしたこともある。取り敢えず今日も茶旅ね、ということで、前回一度行った茶荘を訪ねることにした。まずは市場の横にある松記へ。オーナーは覚えていてくれ、また女性のNさんが一緒だったこともあってか、前回よりかなり対応が柔軟になっており、歴史的な話や家族のことなど色々としてくれた。このお店、いつまで続くだろうか。

続いて、前回一度行って、もう一回来るからと言いながら、突然の帰国となり行けなかった新生茶荘に向かう。ここのオーナーも覚えていてくれ、歓迎してくれた。なぜか六堡茶を飲みながら、情報交換を進める。このお店の間取りが独特で面白い。ベトナム北部の老茶樹についても、知り合いを紹介してくれるという。何と有難いことか。ベトナム高山茶を買って帰る。

お昼はその近くの華人系食堂で食べると、何となくホッとする。そこから車を呼んでショロンへ移動した。前回の旅はショロンに泊まったが、不完全燃焼に終わったので、ちょっと覗いてみる。天后廟などを見たNさんは『こんなホーチミンがあるとは』と驚いている。ザビエル教会なんかもあるので、面白い街ではある。

だがわたしが探したいお茶屋の場所がなぜか分からなくなっていた。もしやすると閉店してしまったのかもしれない。今回はNさんと一緒なので、もう少し話が聞けるかと期待していたが、かなり歩いても見つからない。代わりに高山茶と書かれた紙を見付けたので華語で声を掛けたが、返ってきたのは広東語だった。その店も40年ほどの歴史だというが、雑貨屋さんなどもやっている。結局車で宿に戻り、Nさんと別れた。

夜は前回初めて会ったIさんと再会して、また歴史談義を始めた。場所は宿からほど近いフードコート。かなりきれいで外国人観光客を当て込んで作ったのだろうが、いまやベトナムの若者もかなり酒を飲んでいる。料金はそれなりに高いので、ベトナムの消費力向上が窺える。歴史の話しは果てしなく続き、どんどん遠くへ飛んでいく。

11月10日(金)再会

朝はさわやかなので、朝食後は散歩に出る。今日は北の方にある教会を目指した。30分ぐらい行くと、かなり立派な教会が道路沿いに見える。その建物の形が良く、周囲の目を引く。ホーチミンも本当に色々な宗教が点在している。帰りにトイレに行きたくなり、公園へ駆け込む。ホーチミンの公衆トイレも今やきれいで驚く。その周辺にはバイク配送の人々が大勢待機している。

帰りがけに郵便局に寄る。ここはフランス時代の建物で、郵便を出すというより、観光地として大いににぎわっていた。隣の大聖堂はあいかわらず改修中で姿を現さないが、写真を撮る観光客で溢れている。何とか宿に帰り着くと、意外と疲れてしまい、休む。そこへ旧知のKさんがやってきた。

ホーチミン茶旅2023(1)再びホーチミンへ

《ホーチミン茶旅2023》  2023年11月8₋12日

チェンマイ滞在中にホーチミンを再訪した。これは先月のハノイ旅が非常に簡単だったことと、7月のホーチミン訪問が途中で中断したことにより、やり残しことがあったためだった。

11月8日(水)再びホーチミンへ

先月のハノイ行はエアアジアだったが、今回はベトジェット。ほぼ同じ時間にチェンマイ空港に到着したのに、今回は1階のチェックインカウンターがかなりの行列。そして2階の出国審査、荷物検査の入り口に着いて驚いた。ものすごい大行列。まさかと思ったのは前回ほぼ人がいなかったからだ。チェンマイが乾季となり、急に観光客が増えたからだろうか。同時にタイ人の出国者も増えているのはなぜだろうか。何とも不思議な感じで行列の後ろに並ぶ。

何と荷物検査場に入るまでに40分近くかかった。これならバンコクと変わらない混雑ぶりだ。検査が済むと出国手続きはあっと言う間ではあった。少し余裕を持ってきていたからよかったが、もしギリギリに宿を出ていれば、かなり焦っただろう。待機場には中国人と韓国人の団体が多く見られた。やはり中国人が少しずつ増えているということか。次回も余裕をもって空港に来ることとしよう。

機内はそこそこ混んでいた。そしてあの制服のCAさんたちが動き回っている。前回のハノイまでは1時間ちょっとだったが、ホーチミンまでは2時間かかり、到着したら、もう日が西に傾いていた。入国審査の前にシムカードを売っていたので買っておいてよかった。入国審査も30分はかかっており、その間スマホを眺められたのは良かった。次回からはタイシムカードのローミングを使う方が良いだろうか。

空港を出るとGrabを呼ぶ。ここでは車が空港駐車場に待機しているのをすでに勉強しており、捕まえた車を探しに動いた。何とか見つかったので良かったが、大きな荷物でも持っていたらどうするんだろうか。夕方のラッシュ時に近く、バイクがすごく多く、車の窓の脇まで溢れる。

それでも市内まで近いのが良い。今回予約した宿はベンタン市場のすぐ近く。ただ改修中でちょっとわかり辛かった。ここも窓のない部屋となっている。安い部屋を予約すると最近こんなことが多い気がする。気を取り直して夕飯を探しに行く。取り敢えずベンタン市場を通ってみたが、腹をそそられる食べ物は見付からず、通り抜けただけに終わる。

そこから大通りをちょっと行き、裏通りを歩くと、何となく良さそうな店が目に入った。ちょっと覗くとおばさんが『食べていきなさいよ』と言っているように見え、そのまま席に着く。ここは華人の店だった。メニューを見ると英語があり、麺とトッピングを選ぶようになっている。フウティウ、内臓ミックスを選び、ゆっくりと待つ。何とティシュ2000ドンがメニューにあるのはご愛敬か。この麺、あまり食べたことはないが、内臓好きには堪らない。帰りに店の前をよく見ると、確かに内臓がぶら下がっている。

11月9日(木)インド系と華人

朝ご飯は宿についていたのでそこで食べた。いつものようにオムレツを作ってもらう。それから散歩に出た。昨晩ちょっと検索していたら、宿の近くに、モスクがいくつかあると出ていたので、興味を持った。ベンタン市場の向こう側に、1つ目のモスクはあった。小さな入り口を入ると、その建物はかなり立派。誰も人はいなかったのでゆっくりと見学した。しかしいつ作られたのか分からない。

ハノイ茶旅2023その2(3)民族博物館からブンチャーへ

10月11日(水)民族博物館へ

朝は気持ちが良い。すると朝ご飯をまたまた食べ過ぎてしまう。何とか腹ごなししようと、宿を出て散歩する。キンマー通りをロッテデパートの方へ歩いてみると、確かに日本料理店が何軒かあった。だが一部は営業していないようにも見えた。コロナ禍の影響か、それとも日本人勢力の衰えか。

40分ほど歩いて民族博物館に着いた。ところが入り口は学生で大混雑。秩序もなくチケットがいつ買えるか分からない状態となっており、その先の窓口で訴えると、優先して切符を売ってくれた。建物の入り口まで進むと、今度は可愛らしい幼稚園児が手を繋いで入場している。ここは子供たちの勉強の場となっている。

中の展示は、民族ごとにかなり詳しい説明書きや写真などがあり、予想以上に内容だった。ヤオやモン、タイなどの民族を集中的に眺めてみるとやはりタイやラオスのことが思い出される。南部では華人が目立つ形で説明されており、マイノリティーとしての漢族が興味深かった。

外に出ると広い庭がある。本当に天気が良くて空が青い。Grabで車を呼んで宿へ戻ろうとしたが、何とピックアップポイントが自分のいる場所に設定されておらず、車を探すことが出来なかった。いよいよ困って色々とやってみると何とか設定が変えられたが、かなり時間をロスした。

宿に戻って荷物をまとめた。しかしどうしても食べたい物があり、荷物を宿に預けて再び歩き出す。ハノイの道はやはり複雑でGoogleの力をかなり借りたが、そのお陰もあり、路地を見たり、中越戦争前に華人が住んでいたであろう建物の跡をいくつか見ることが出来た。これはこれでとても面白い体験だった。

最後に食べたかったブンチャーの店に辿り着き、勢い込んで腹に収めていく。さすがに11時頃なので、お客は殆どいなかったが、肉が焼かれる姿がよい。そして何とも言えない味わいがよい。7万ドンと代金は来るたびに上がっているようにも思えるが、これを食わないと居られないから仕方がない。帰りもまた路地を通過して、ハノイを味わった。

宿に戻りGrabを呼んで空港に向かった。何となく名残惜しいが、また来ればよいか。空港まで30分、ハノイの街を眺めていた。空港に着くと、エアアジアのチェックインは始まっていたのだが、何と私のWebチェックインは出来ていなかった。実は帰りは有料で座席を買おうとしていたのだが、何故か決済が上手くできずにいた。係員は実に手早く支払いに誘導して、あっという間に完了させてくれた。この辺は如何にもエアアジアだろうか。

かなり時間は余っていたが、出国審査を行い、後はひたすら飛行機が来るのを待っていた。この空港、さらに拡張工事が行われており、近い将来更なるフライトが増便されるのだろうか。結局出発30分前になってようやく飛行機がやってきた。すると何故か搭乗手続きが始まる。どう考えてもまだ飛行機の乗客が下りていないのに、と思っていると、何と手続きの終わった乗客全員を通路に立たせて待たせているではないか。そうだ、いつかマレーシアのどこかの空港でも見た光景だった。これもまたエアアジア流、こんなことで遅延していないと言い張るのがすごい。

ようやく機内まで辿り着くと疲れが出てしまった。ただドリンクを買っていなかったので喉が渇いたが、お金を払ってまで機内でドリンクを買うのもなんだと思い、我慢した。僅か1時間ちょっとのフライトが意外と長く感じられたわけだ。まあ、チェンマイ空港に着くと、あっという間に入国審査を通り、またあのまったりした日常に戻っていった。

ハノイ茶旅2023その2(2)ベトナム華人の話しで盛り上がる

まあ歴史談義はどこまでも続いて行くということだろう。適当にカフェに入ったら、すぐに店員が外の椅子を片付け始めた。オーナーらしい男性が我々に向かい『ポリス』と話し掛けてきた。何だか懐かしい路上取り締まりの光景だ。ただ実際にポリスが来ることはなかった。コーヒーを飲みながら話しはゆっくりと、しかしどんどん広がっていく。

昼間になり、近くの酒家に移動する。ここは広東系レストランだと言い、粥麺や飲茶などで人気の店だった。Iさんが予約してくれなければ、とても入れなかっただろう。店員からも広東語が聞こえてくる。Iさんは華人研究などをしているので、この辺りの話は専門家だ。私は来年ベトナム華人の歴史を勉強したいと考えており、彼に色々と聞いてみた。『カントーを拠点に歩いてみるのがベトナム華人研究ではお勧めだ』とのこと。ホーチ民からも離れたその町へ行く、そのチャンスはあるだろうか。何とかNさんを巻き込まなければなるまい。

腰片湯麺などという珍しいメニューがあり思わず注文する。腸粉や焼売もオーダーして、美味しく頂く。何となく懐かしい味がするのは気のせいだろうか。食後は横のカフェに移動して時間一杯まで話しを続ける。ベトナム華人の歴史もまた話が尽きない。かなり複雑だ。来年また来て話そうと思うが、果たしてどうだろうか。

そこからGrabを呼んで、少し離れた場所に向かう。午後は前回突如再会した蔡君が開いたという茶空間を訪問した。驚くほど立派な郊外の有名なマンション群の中にそれはあった。まだ正式オープンでもないらしく、ようやく用具が並べられただけのシンプルな空間がそこにあった。それはそれで実に蔡君らしい感覚だと思う。

ここで台湾茶やベトナム茶を淹れながら、茶文化をベトナム人に発信していく予定らしい。将来を見据えた投資の始まりだろう。お茶屋さんをやるわけではなく、ベトナムの若者と共に茶についての勉強を続けていくという。何ともいい空間だが、果たしてベトナム人にどこまで響くだろうか。

サロンを辞して、MRTの駅へ向かう。周囲は新しく開発されたようで、きれいなのだが、何となく味気ない雰囲気が漂う。その向こうの川の周辺は正直きれいとは言い難いが、これがベトナムっぽいと思ってしまう。夕方のラッシュ時、何とか車とバイクをよけながら、駅まで辿り着く。前回来た時乗った路線だが、ここへ繋がっているのか、という感じ。郊外の住宅街を走っていることがようやく分かってきた。残念ながら帰宅時間だが、乗客は多くはない。

終点のカットリン駅で降りて、歩き出す。方向を間違えてしまい迷っていると、何だかとても明るいレストランがあった。いわゆるインスタ映えするスポットだが、食べている客はいるのだろうか。宿まで辿り着く前に腹が減ってしまい、適当な麺屋に入り、適当に注文してみた。よく分からない麺が登場したが、たくさん入っている具が意外と美味しく頂けたのは良かった。衛生的な店というのもポイントは高いかな。今やハノイの麺の価格は最低5万ドンになっている。

ハノイ茶旅2023その2(1)再びハノイへ

《ハノイ茶旅2023その2》  2023年10月9₋11日

チェンマイからハノイへ行く。ハノイへ行くのはバンコクへ行くのと時間的には変わらない。チェンマイは空港も近い。わざわざラオスへ行くよりずっと近い気がして、まずはトライアルで行ってみることとした。

10月9日(月)ハノイへ

チェンマイ空港は街中にあり、本当に便利だ。フライトの2時間前にBoltで車を呼び、5分で到着。そこから空港まで約10分。荷物もないので、スマホ搭乗券を持てば、カウンターに行かず、検査場・出国審査も難なく終わってしまい、時間が余る。バンコクのあの面倒な車の手配、大行列のイミグレを考えると、実に簡素で有難い。

久しぶりのエアアジア。これだとハノイ往復が1.2万円程度で、国内線並みの安さなのは実に有り難い。そして何より近いのが良い。僅か1時間ちょっと、バンコクへ行くのと変わらない。ビザのつなぎが必要であれば、ハノイへ行くのが一番近くて便利だと分かる。

ノイバイ空港に着くのは今年2月以来。入国審査も簡単で、ノービザ期間も45日に伸びている。今回2泊3日というのがもったいない気がする。両替して、SIMを買って、Grabを呼ぶ。ベトナムにはかなり慣れが出てきたので、気楽でよい。車もすぐに見つかり、スムーズに市内へ向かう。日が西に傾いているが、まだまだ午後の半ばだ。

今回はキンマー通りにあるくれたけインに泊まってみる。ここは最近私が静岡駅付近で常宿にしているホテル。それがハノイにもあるというので来て見た訳だ。如何にも日本です、という飾りがある。フロントの女性は日本留学経験があり、日本語が上手い。部屋に窓が無いのはよく眠れるだろう。流し台あり、浴槽が深いのに、更に大浴場も完備されていてよい。もう10年も前からあるとは知らなかった(コロナで2店舗の内1店舗は閉鎖)。

取り敢えず外に出て、コンビニにドリンクを買いに行く。意外とないので少し遠出する。買い物が終わり、ちょっと近道しようかと路地に入る。しかしベトナムの路地は行き止まりが多い。するとちゃんと私と同年輩の人が出てきて、道はあっちだと教えてくれる。ただ私がその路地から出るまで、ずっと付いてきたのは、ちょっと中国的(監視)だった。

夕方Nさんが来てくれた。今回ハノイに来た目的、それはNさんと話すためだった。ビアホイでコーラを飲んでつまみ系の食べ物を食べながら、歴史談義はいつまでも続いて行く。ベトナムから東南アジア、そして中央アジアへと、それは壮大で果てしなく、永遠に尽きない話となる。こんな楽しい夜はない。来てよかった。

10月10日(火)歴史談義は続く

朝は目覚めが良かった。この宿は何と日本のテレビ番組がほぼ見られるので、朝から眺めていると、何とベトナム話をやっているから面白い。朝ご飯は宿についているが、なかなか充実している。しかし納豆、そして生卵が置いてあるのにはちょっとビックリ。納豆まではイケルが、さすがにベトナムで生卵を食べる日本人はいないような気もするが。

散歩しながら目的地まで行く。ハノイの街は歩いていてとても楽しい。途中で来たことがある場所を見付けて驚く。地理が全く頭に入っていないことが良く分かる。団体観光客がバスから降りてきたが、中国人は珍しい。ハノイで一番よく見かけるのは韓国人だろう。約1時間歩いて昨日も散々話したNさんと落ち合う。

ベトナム南部茶旅2023その2(5)突然帰国となる

腹が減ったので適当に食堂に入った。メニューはベトナム語以外に英語と中国語があったので、何とも有難い。豚腎筋麺というのを頼んでみる。コリコリした触感の肉の塊にクリアーなスープ。驚くほど美味しいと感じてしまった。豚腎筋はあまり見たことがないが、普通の中華食材なのだろうか。5.5万ドン、また明日も来たい。

昼前にチェックアウトして、新しく予約した宿へ移る。歩いて15分ぐらいなのだが、雨が降った後で歩きにくい。何とか辿り着くとすぐにチェックインできた。きれいな部屋でよかった。目の前を見ると洗濯屋があり、1㎏2万ドンで洗濯してくれるというので、明日出すことに決める。

昼めしは近所の海南鶏飯館へ向かった。漢字が書かれているので華語が通じると思って行ったが、甘かった。海南チキンライスの味はまあまあだったが、なぜかキムチが出てきた。まさか韓国系の経営だろうか。更に歩くと、粥屋があり、そこの主人は華語が出来たので、思わずピータン痩肉粥を食べてしまった。こちらは美味かった。

突然の帰国となる

フラフラ宿に戻る。ここに何泊かして、ショロンをゆっくりと見て回るつもりだった。そこへ突然親族からメールが届く。身内に不幸があったのだ。外は急に雨が降り出し、外出もできない。葬儀日程が送られてきたので、それに合わせて帰国することにした。フライトを見ると片道料金はベトナム航空が安い。

日系をキャンセルして、0:10発の便を抑えた。その確認書を見ていて驚いた。私は7月10日に東京に着くつもりだったが、なんと予約したのは今夜発の便。零時10分という紛らわしい表記で混乱してしまった。折角きれいな宿にチェックインしたのに、今晩ここに寝ることもなく、チェックアウトとなってしまった。まあこれも天命か。

取り敢えず、ショロンを見て回ろうと雨上がりの街に出た。華人の街なら寺も多いだろうと歩いてみると、結構新しい寺がある。これは解放後、どこからか入ってきたものらしく、ビルの中にあったり、妙にきれいだったりする。まあ、今回はここまでとして帰国準備に取り掛かる。

夜、腹ごしらえはしておこうと、もう一度外へ出た。ごく普通のコムタムを食べたかったが、意外とその店がない。何とか見つけた店は安いらしく、宅配が沢山来ていた。ここのコムタムは残念ながらちょっと物足りなかったが、確かに安い。暗い夜道をとぼとぼと帰っていく姿は妙に寂しい。

9時頃涙でチェックアウト。Grabを呼んで難なく空港へ到着。空港は意外と混んでいたが、まあ時間の余裕もあり、出国してフライトを待つ。隣に1時間前に出る日系の飛行機が見える。本来はあれに乗って帰るはずだった。ただ考えてみればちょうど比較ができるとも言える。

深夜12時の少し前、搭乗が始まる。やはりベトナム人が多い。結構家族連れなどもいるので、日本に観光に行くベトナム人が増えているのだと感じられる。乗り込むとすぐに灯りは消えて、皆寝入る。そして着陸1時間半前ぐらいに少し明るくなり、必要な人に朝食が配られる。私はパスしてお茶だけもらう。隣の白人女性は着陸30分前まで横になって熟睡していたが、当然起こすなどという野暮はなし。この辺が日系と明らかに違う。

7月9日(日)帰国して

ほぼ定刻に成田空港に着いた。成田空港に来たのは5年ぶりだろうか。最近はとにかく羽田の方が便利で安いので、成田には縁がなかった。あまり人の気配がなく、実にスムーズに入国した。これなら外国人でもそれほど並ばなくて済むだろう。勿論店が開いている時間でもなく、すぐに電車に向かう。

Suicaを取り出し、京成特急に乗ろうとしたのだが、何と入り口を間違えてJRへ行ってしまった。係員に事情を話して取り消してもらったが、『結構多いんですよね』というので、思わず『もっと表示を工夫したら』などと言ってしまいそうになる。やけに電車が空いているなと思ったら、今日は日曜日だった。でもそういうことだろうか?

何となく、ボーっとしていたが、ちょっとホーチミンが心残りだ。もう一度行くと言ったお茶屋にも行けていない。早めにリベンジしよう。それにしても腹が減ったが、京成から都営に乗り換える駅の日高屋すら、まだ開いていない。

ベトナム南部茶旅2023その2(4)ショロンを巡る

7月4日(火)散歩してから空港へ

今朝も宿で腹一杯食べてから出掛けた。ホーチミン1区をふらふら歩くにはちょうど良い。次々に何かしら興味があるものが登場してくる。結局目的地の歴史博物館まで歩く。隣は動物園だろうか。仏像などが多く飾られ、また漢族の展示や説明が目を引く。恐らくハノイにはないだろう。

そこを出て学校の前を通ると、バイクが沢山止められており、大人たちが大勢屯している。今日はきっと何か学校行事もあり、そのお迎えだろうか。今やアジアでは学校の送り迎えは家族が行うようになっている。日本は安全な国ということだろうか。金魚売りのバイクに何となく目が止まる。

宿へ帰って時間まで休み、Grabを呼んで空港へ向かった。今日はこれからマレーシアのクアラルンプールへ行く。なぜそうしたのかは分からないが、まあホーチミン滞在が14日というのは長すぎると感じたからだろう。空港はそれほど乗客もおらず、チェックインから出国までスムーズでよかった。KLも4年ぶりだな。

7月7日(金)ショロンへ

夕方KLからホーチミンへ戻った。今晩の宿はチャイナタウンのショロンを予約していた。ようやく本腰を入れて、ホーチミンの華人調査を始めるのが目的だ。空港でGrab車を呼んだが、一向にやって来ない。Grab画面の車が動かないのだ。私は右往左往してみたが、何ともならずキャンセルした。

しかしショロンまでどうやって行くのか。仕方なく再度Grabに手を伸ばす。捕まえた車の運転手から『駐車場にいるから来い』とのメッセージが来た。何と無礼な、と一瞬思ったが、あの空港出口の混雑を考えれば、駐車場へこちらが行くのが効率的かと思い直し、荷物を引きずって行く。何とか車が見付かったので良かったが、雨など降れば大変だ。

車は順調に走り、夜道を軽快に行く。バイクのライトが眩しい。ショロンに入ると、予約した宿はすぐに見つかったが、受付の華人にーちゃんにパスポートを渡すと『チェックアウトまで預かる』と言い張るので驚いた。確かに10年前のベトナムではそのようなこともあったが、未だにそんなことをしているのか。それだけでもう明日は他を探す決意をする。

部屋はそれほど広くなく、なんとアカ蟻が出てきたので困った。取り敢えず外へ出てさっき見たコンビニを探して歩き出す。暗い夜道の中、結構大きなファミマがあり、ドリンクを買うと、レジ袋をくれる。何となく懐かしい光景だった。

7月8日(土)ショロンを巡る

朝起きてすぐに歩き始めたのは、宿の部屋に居るのが嫌だったからだ。まず目指したのは先日訪ねた際は閉まっていた老舗茶荘。行ってみると、何とか扉は開いており、声を掛けると中年の女性が出てきた。華語を話したので話を少し聞いてみた。奥には彼女のお母さんと思われる女性もいて、何か言いたそうだったが、結局一言も発しなかった。

『福利茶荘』は福の字が付いたので福建系かと思っていたが、どうやら潮州系らしい。少なくとも解放後の1980年代初めには、この地で茶荘を開いていた。それ以前のことはよく分からないというが、潮州系ということもあり、ほぼ間違いなく、解放前は別の場所で、もっと手広く商売をしていたと考えられる。多分私が2008年にホーチミンを訪ねた際も立ち寄っており、その頃はまだ活気があった。今はコーヒーの片手間に茶を売る状況に見えた。

それからチャーダム教会へ行く。教会前の道は両側生地屋だ。この教会、何故か漢字が書かれている。『方済各天主堂』、方済各と言えば、あのフランシスコザビエルのことだから、元はザビエル教会だったのだろうか。なぜチャイナタウンに教会があるのか、ザビエルとの関係は、と思いを馳せるが、残念ながら英語は中国の説明は一切ない。ただ美しい教会が立っているだけだった。

そこから二府会館や天后廟などを回ってみる。さすがチャイナタウンなので、いくらでも漢字が出て来るし、興味深い建物も見えてくる。ただその歴史を知りたくても、それほど説明もないので、ここからは自力で探さなくてはならないだろうか。朝市で買い物している人たちも華人顔が多い。

ベトナム南部茶旅2023その2(3)引き続き1区を散策する

7月3日(月)1区を散策する

今回の宿は、古めかしいが部屋も広くて快適である。朝食も付いているので食べに行くと、ほとんど人がいないので、また快適である。何となく一通り食べて、ベトナム珈琲飲んで、和む。ここは以前日本人も多く泊まっていたようで、日本人への接客に慣れている印象がある。

外へ出た。天気も良く実に快適。宿から直ぐ近くのロータリーに、あのベトナムの英雄、チャンフンダオの立派な像が立っている。この人が元寇でモンゴル軍を払いのけ、結果日本が助かった(元寇の再来はなかった)と聞いたが、そうだとすれば日本にとっても英雄だろう。しかし写真を撮るとその背景にハノイの高層ビルが移りこむのは何となく笑える。

懐かしのマジェスティックホテル(ルーフトップバーでミスサイゴンを飲んだのはいつのことだろう)を通り過ぎ、ホーチミン税関の建物にやっていた。昨晩Iさんから教えてもらった建物。ここに150年前、大物華人の邸宅があった場所だった。今もベランダの模様に、その名残があるようだ。そこから海と反対に歩いて行くと、何とちょっとした華人街があって驚く。旨そうな店がいくつかあった。

その先の角に茶荘があった。恐る恐る入って行くと老板と目があった。華語で話し掛けるとすぐ返事がある。私が日本人だと告げると驚いていたが、店の歴史を聞きたいというと『まあ、座れ』と茶を淹れ始めた。ここは解放直前に開店したそうで、広東系だという。開店してすぐは順調だったが、サイゴンが陥落して・・?

オーナーは非常に気さくな人で、話はどんどん展開していく。そこへお客が入ってくる。主人とのやり取りは最初は英語だったが、やはり華語で会話する。シンガポールから来た若いカップルはベトナムコーヒーを買いに来たのだが、そのパッケージを見て、ベトナム茶も合わせて購入していく。今はこんな商売だよ、笑っているが、本業は茶の卸しらしい。

しばらく話してから、そこの路地を入る。道の両側に屋台の店が出ており、野菜などが売られていた。その陰に隠れるように、『西貢廣肇中華理事会館』の文字が見えた。門は閉まっているが、察するに普段は華語教室などに使われ、会合がある時だけ広東会館になるのだろう。やはりこの付近は潮州系ではなく、広東系が多い場所だと分かる。民国32年改修などの字が見えたが、戦時中壊れたのだろうか。

そこからふらふら歩いて、ベトナム戦争証跡博物館へ向かった。その昔も来た記憶はあるが、随分ときれいになっている。そして外国人観光客がすごく多い。ベトナム戦争に関する詳細な説明があり、日本での反米運動なども写真付きでいくつも紹介されていて驚く。ダラットなどでの活動も見ることが出来、如何に広範囲で戦いが行われていたのかも見られた。あの頃、日本は揺れていたな。

続いて、統一会堂に向かう。戦前は大統領府。サイゴン陥落時の重要拠点として知られている。今は広々とした庭、立派な建物がきれいに残されているが、中の展示はそれほど充実している訳でもない。裏にカフェなどがあったが、観光客用で興味が失せ、何もせずに去る。そこからとぼとぼ歩いて宿へ戻る。

夕方また外へ出て夕飯を探す。午前中に行った広東人街?の食堂に入り、鶏肉飯にスープを食す。これは予想以上に旨い。広東風だ。こんなところに広東が残っているとは。ホーチミンはなかなか複雑だと思われる。主人はちゃんと華語を話す。ちょっと疲れてしまい、明日に備えて早く寝る。