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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(19)ベトナム茶道の心

ハノイ散歩

そしてどこかのホテルの2階でランチを食べる。ここもきれいだが、お客は殆どいない。お客がいないので、ツアー客を格安で連れて来る、という構図が見え見えである。基本的にはビュッフェスタイルで、料理が並んでいるが、それをとる人は誰もいない。従業員が暇そうに欠伸をしている。それでもなぜか我々にはセットメニューが用意されている。そして例のドリンクメニューが配られるが、昨晩と似たような料金体系になっており、もうだれ一人、手を出そうとはしない。皆この話には疲れてきている。責任者の説明に納得する人などいないのだ。食事はまずくはなかったが、その場の空気はお通夜のようだった。

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それからハノイの旧市街を散策した。古い教会が相変わらず、いい感じで建っている。道端では美味しそうな食べ物が売られ、一般庶民が楽しそうにランチしている。私もこちらに混ざって、B級グルメを堪能したい、と心からそう思った。樹齢100年は超えるだろうと思われる、如何にも雰囲気の良い木の下で食事がしたい!欲求不満が募ってしまう。

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何故か韓国料理のファーストフード店が紛れ込んでいる。韓国はベトナムでも強さを発揮しているが、韓流ブームの影響もあり、ベトナムの若者にはイメージが良いようだ。メニューを見ると、海苔巻なども売られている。今やアジアの日本料理屋の多くが韓国人経営とも言われている。

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漢字が書かれた門がある。中に入ると小さな廟である。ハノイは中国の影響を色濃く受けている。この廟もそんな時代を反映しているのかもしれない。現在では中国人を嫌っている人が多いと言われているが、既に生活に染み込んだものは、自国文化として取り込んでいる。中国を嫌う日本人も沢山いるようだが、日本も全く同じ状況ではないだろうか。

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ベトナムではバイクに乗る人がかなりいる。道路上の大気汚染は中国ほどではないが、かなりひどい。そこでマスクをして乗るのだが、若者、特に女の子は、キティちゃんの絵柄など、お洒落なマスクをしていて、目を引く。マスクは白、というイメージはここにはない。白だとすぐに汚れが目立ってしまうからだろう。面白い土産になると、買い込む人も。値段交渉をすると、言い値の70%引きに下がってしまう。やはり観光客向けの商売だった。

 

スオンさんの店で

疲れたのでガイドが行き付けのカフェに入る。コーヒーが2万ドン。若者が店の前の小さな椅子に座り、何をするでもなく、ボーっとしている。Tさんが『日本でも若者がこんな感じお茶を飲んでくれるといいんだが』とポツリ。『お孫さんに小さなカフェを開かせて、対面式で抹茶ラテなど売ってみては』と素人考えを披露する。

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過去2回訪れた文廟横にあるスオンさんの店へ行く。M先生とぜひ引き合わせたいと思っていたが、暑い中の散策が堪えたのか、先生はバスで休んでいるとのことで、残りのメンバーで行く。いつもながら古民家を使ったショップは雰囲気がとても良い。ベトナムを代表する茶人であるスオンさんも忙しい中、店にやって来て、我々を待っていてくれた。

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今回はお茶関係者が来ると伝えたせいか、ベトナム茶道について、一通り話してくれ、一部実際に披露もしてくれた。作法はゆったりとしており、日本に通じるものもあるように思われた。だが一番違っていたのは『お茶を飲む時はそれを作った人に感謝します』という言葉。日本の茶道では作り手に感謝することはないそうだから、これには一同感銘を受ける。ベトナムでも、このような茶道をたしなむ人はごく一部だろうが、その感覚は素晴らしい!

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ジャーナリストでもあるスオンさんは、PCに収めた画像でセレモニーの様子を上手に説明してくれた。お茶も渋いが良質な緑茶から、古茶樹を使ったプレミアムティー、更にはジャスミン茶なども飲ませてくれた。スオンさんがセレクトしたお茶、中には産地で茶農家と一緒に作ったお茶もあるようだった。予定の1時間半はあっという間に過ぎてしまい、M先生の待つバスに引き上げた。

 

夕方水上人形劇を見た。私は前に見たので不要だったが、これもセット。ガイドはチケットを買ってきてくれたが、一人10ドル徴収された。そんな料金ではなかったはずだと思い、チケットをもらうと、なんと5ドルという表示。一人から5ドルの手数料をとっている。きっと彼も安い給料で働かされ、チップや両替の手数料などで補うように言われているに違いない。そんな思いで人形劇を見ると、何とも味気ない物になってしまった。夕飯はまた立派なフレンチレストランで。大きな鶏肉を食べて腹一杯になる。ここでも一番安いお茶だけを飲む。ツアー旅行は食事が楽しみ、だったはずが、食事の時間が憂鬱になってしまったのは、誰のせい?私のせい?日本的団体行動にはやはり馴染まないのだろう。

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今晩の日本行きフライトは午前0時半。夕飯を食べ終わると、まだ午後8時台だったが、早々に空港に向かった。3時間半前でもチェックインできるベトナム航空。ガイドは早く仕事を終えたくて、仕方がない様子。それからの長い時間、我々は空港内で、土産物を買い、飲み物を飲み、転寝をして過ごした。驚いたことに、この夜行フライト、日本行きが名古屋、成田、大阪、福岡と4便も運航している。これは日本人の乗客が多いからではなく、ベトナム人や中国人、他のアジア人が乗っているという事実を再認識した。

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今回の旅では茶の木の源流を訪ね、植物学的、また民俗学的に見たお茶、という新しい切り口を学んだことはこれから茶旅を続ける上で、とても大きな収穫があったが、同時に日本の旅行業界の現状を大いに認識し、暗澹たる思いを抱いたのも、また真実である。飛行機は早朝成田に降りた立ち、旅は終了した。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(18)とんでもないツアーの仕組み

だが今回はビールだけではなく、ソフトドリンクも相当に高かったので気になった。コーラが4.4万ドン、市価の4倍以上ではないか。しかもこのメニューは紙1枚に日本語で書かれている。どう考えても怪しい。そこでやってきた若いウエートレスに何となく『英語か中国語のメニューはないのか』と聞いたところ、彼女は立派なメニューを持って戻ってきた。

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それを開いてみてビックリした。コーラは1.6万ドン、ビールでも4万ドン台だった。これは一体どうしたことか、と尋ねようとしたその時、マネージャーの女性がスッ飛んできて、『すみません、古いメニューを渡してしまいました。この日本語メニューが最新なんです』と英語で言う。だが、それでは中国語版の最新メニューを出せ、というと彼女も困ってしまった。

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ガイドはこの事態を静観していたが、『いや、この日本語版は団体用メニューなんです』と思わず口走ってしまう。どうして個人と団体で料金が違うんだ、というと、二人とも無口なってしまった。そして最終的に『今日は個人版の料金でよい』と言い出した。後でガイドは言うには、『あなたたちが払わなかった差額はあのメニューを渡してしまった若いウエートレスが弁償することになる』と。まるで我々が悪いかのような言い草にはさすがに腹が立った。楽しいはずの夕飯、何を食べたかもよく覚えていないし、完全に台無しになってしまった。

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翌日我々の要請により、このツアーの現地請負A社の責任者なる人物が説明にやってきたが『我々には一切の責任はない。全てレストランが勝手にやったことだ』と言い放ったのには、本当に驚き、そして呆れた。日本人だからちゃんとやれる、などと言うつもりはないが、団体旅行を請負い、レストランを選定したのは自分たちであるのに、そんな言い草がある通用すると思っているのだろうか。ガイドも団体から高い料金を請求している事実を認めているではないか。

 

結局その日本人がとった行動は、我々が日本へ帰国するため空港へ向かう直前に、押し付けるように1枚の紙を渡しただけ。それは英語で書かれたレストランのわび状だった。最後まで『楽しい旅を台無しにして申し訳ない』などという日本語は全く聞かれず、自分は悪くない、言い続けた。日本語ガイドの質の低下を嘆く前に、日本人の質の低下を嘆くべきであろう。

 

因みにこの件について、ある旅行関係者から『現在のパッケージツアーでは、レストランの食事料金をツアー会社が低料金で設定させ、その代りドリンクは別料金として工学を黙認して、補填させる仕組みをとっている』と丁寧に教えてくれた。もしこんなことが常にまかり通っているのなら、日本の旅行業界に未来はない、とはっきり断言してもよい。何もわからない、海外に不慣れな老人たちを騙して商売している、と言われても申し開きはできないはず。

 

これまでのように豊富な資金を使い、旅行社に利益を落としてくれる日本人など、いなくなるのはもはや時間の問題だ。70歳以下で普通にパソコンを操り、ネットにアクセスできる世代は、航空券やホテルは自分で取り、自分で旅行するようになってきている。ベトナムにいる日本人の中には、以前と同じやり方を繰り返し、進歩がない人が時々いて困る、とも聞いている。海外で日本人相手にプロ意識なく仕事ができる時代は過ぎているという認識がない。

 

11月2日(月)

翌朝はまたビュッフェでたらふく食べた。もうできるだけ元を取ってやろう?という気分である。このツアー、特に安い訳ではない。いや、むしろそれなりの料金を払っているのに、一人一部屋でもない。その上、こんなツアーオペレーターの度を越した対応には呆れるしかない。もう2度とツアーには参加しないという思い。その不満が食欲に見てしまったようだ。

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食後、大学の後輩で、ハノイ在住10年を超えるNさんがわざわざホテルまで会いに来てくれた。最近のベトナム経済の状況、不動産市況、そしてベトナム人の日本への渡航状況などについて、短時間に丁寧な解説をしてもらった。やはりベトナムの景気は良くないが、中国との関係改善もあり、観光客が持ち直し、投資も回復傾向。今後は少しずつ良くなってくるようだ。

 

ベトナム茶協会

ベトナム最後の日、午前中はベトナム茶協会を訪問した。約束の時間より早く到着したので、そのビルの1階に入っているティーショップでお茶を見てみた。ここは茶協会の直営店、それなりの品質のものが買えるだろうと期待したが、試飲はないので、パッケージだけを頼りに緑茶を選んでみた。棚には紅茶や烏龍茶も並んでおり、蓮茶も合わせて、ベトナムでは多彩なお茶作りが行われていることがよく分かる。

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協会の会議室で、会長と面談した。ベトナム茶業の係数(輸出額や輸出先、種類別の生産量)などが欲しいと言ってみたが、『正確な数字は持っていない』などと、不可解な返事が多かった。そして『日本からベトナム茶業への投資を歓迎する』という発言が何度も出てきており、この協会が投資促進協会であったことを認識する。

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まるで中国共産党と同じスタイルだ。政府が作った協会の目的は、対外交流という名の外資導入、金儲け。純粋な研究目的の訪問にはほとんど興味を示さない。本当は会長もこんな話はしたくないのかもしれないが、今のご時世、そうも言っていられない、というところだろうか。とても残念だったが、これも今のベトナムの現状だろう。昔作られたと思われるパンフレットをもらって、早々に退散した。

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(17)強かに生きるベトナム

私の目を引いたのは、爆撃の様子やフランス人の捕虜などではなく、この時期、この付近に既に住んでいたモン族やヤオ族の動向だった。ベトナム軍に協力して、荷運びなど使役に耐えている様子が写真で展示されているが、実際はどうだったのだろうか。本当はどこにも支配されない自分たちの国を持ちたかったのではないか、などと勝手な妄想に取り付かれる。

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それからA1の丘、と呼ばれる場所に行った。ここはフランス軍の爆撃弾が直撃した場所。丘を緩やかに登っていくと、その穴が丘の上にぽっかり空いている。その横には地下司令部かなと思われる、地下道が開かれており、ここを目掛けて爆撃した様子が分かる。激戦地だった、ということだろうが、今やベトナムの若者が楽しそうに、それを眺め、記念写真を撮っている。時代は変わったのだ。

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ここの入り口には戦車が飾られており、ちょっとした展示館があった。そこには中国清朝時代の地図が掲げられており、その説明には『この地図には中国の最南端は海南島と明記されており、南沙諸島は明確に中国領ではない』と書かれていた。このあたり、現在問題なっている歴史をはっきりと主張している。きちんと主張しなければ、何をされるか分からない。ベトナムが過去に経験してきた歴史上の戦いは決してフランスだけではない。アメリカとのベトナム戦争もあれば、中国との1000年の長きに渡る戦いも当然含まれてくる。強かでなければ生きてはいけない。

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最後に街の真ん中にある『勝利の記念像の丘』にやってきた。ここの階段を見ただけで、なぜM先生らが、我々と別行動したか、すぐに分かった。この数百段ある階段を登るだけでも、相当の労力がいる。実際それほど日差しが強いわけでもない午後、我々は物凄い汗を掻きながら、一段一段よろよろと歩を進めた。何故ここを登らなければならないのか、と考えても始まらない。

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喘ぎながら上まで登ると、そこには勝利の像があった。周囲は全て見渡せるが、木々があり、クリアーではないところも多い。しかしそれ以外には何もない。ここでも入場料を取られたのにはちょっと驚く。この苦行の末に何故。それがベトナムのために戦ってきた人々の慰霊になるとはとても思えない。

 

空港はここから直ぐだった。しかも国内線なのに、2時間弱前には空港にやってきた。この辺もツアーの不便なところ。確かに遅刻して乗り遅れてはいけないが、こんな小さな空港で、何をしろというのだろうか。チェックインが始まったが、その対応スピードはかなり遅い。それでも時間はあり余っているので、気にはならなかったが、ガイドは何故か別室へ向かう。

 

何か問題があったのか、と心配になったが、出てきたガイドに聞くと『地酒を預け荷物に入れてよいか』と質問して、何と全て没収されたというのだ。えー、信じられない!あのシンホのホテルで作られた酒をポットボトルに入れて持ってきていたのだが、それを自ら申告するとは。彼は本当にガイドの経験があるのだろうか。国内線の飛行機に乗ったことはないのではないか。疑問が湧き上がる。今回の旅のストレスの一つは、これだったかもしれない。

 

日本語ガイドの質はアジアのどこへ行っても、低下していると感じることが多い。それは本人のせいもあるが、日本人観光客の減少、そして収入の減少が大きく響いている。彼と話しても『実は中国語の勉強をしている。中国人相手の方が遥かに儲かる』とつぶやいていた。日本人相手は儲からない、そう思われていることを当の日本人は気づいているだろうか。かつての金持ち日本人のイメージは完全に中国にとって代わられ、『妙にうるさいだけで、金には渋い』というレッテルが貼られそうだ。フライトは定刻に出発し、順調にハノイに着いた。

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8.ハノイ2

夕飯で事件

また前回と同じホテルにチェックインした。もう判で押したように同じ行程だ。実はハノイ在住10数年の日本人に聞くと、『知り合いのビジネスマンをこのホテルに泊めることはない』と言い出した。このホテルは古い上にベトナム人からも何故か評判が悪く、取引先のベトナムの会社へ行って、このホテルに泊まっているといえば、それだけで仕事がうまくいかないことさえあるらしい。まあ我々はそういう意味でビジネスをしているわけではないから、どうでもよいのだが、なぜ旅行会社がこのホテルを使うのかはとても良く分かった。

 

既に暗くなっており、夕飯に出掛けた。どこかのショッピングモールの2階にそのレストランはあった。中華料理だったが、広いスペースにお客は殆どいない。時間が早いのだろうか。何でこんなところに来たのだろうか。料理はコースで、どんどん運ばれてきて、選ぶことはできない。唯一選べるのが、ドリンク。日本人なら、『取り敢えずビール』となるのだろうが、ハノイでこれまで食べたレストラン同様、市価に比べてビールはずいぶん高い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(16)アジアの厨房から

11月1日(日)

アジアの厨房から

翌朝も快晴だった。朝食を食べていると、Uさんがスーッと奥の厨房に消えていった。また面白いことが始まりそうだと思い、後からこっそり着いていく。見ると、葉を採り除いた茎?枝?を釜で炒っていた。茎茶を作っている。更には昨日から作って置いていた茶葉をポットに入れて試飲を始めた。だがやはりどうしてもかなり渋いようで、顔をしかめている。

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するとそこにいた若い女性が、何かビンを持ってきた。既にUさんとかなり仲良くなっているようだ。見ていると彼女はその中のものを、お茶が入ったカップにタラリと垂らしていた。それはハチミツだった。この辺りでは、蜂を飼い、蜜を採っているらしい。自家製だ。

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そして渋いお茶に入れて飲むのだという。それならよく分かる。ベトナムの人も必ずしも渋いお茶がこの実とは限らない。確かに甘い蜜は有効だろう。ベトナムではこんな工夫が行われていると分かった。因みに彼女はバナナも持ってきて、お茶と一緒に食べろ、という。彼らは渋いお茶をそのまま飲むのではなく、当然ながら色々と対策をとっていたのだ。これは発見!

 

Uさんは自分でも『人の家やホテルの厨房に入るのが大好き』だというから、それならいっそのこと、この趣味?を使い、『アジアの厨房から』という企画で、どこへ行っても厨房に潜り込み、お茶を作り、そこで何かを発見してレポートすれば、これは読者の大いなる注目を集めるのではないかと思う。地元の人との交流、などと口では言うものの、真の交流ができる人が決して多くはない。UさんやSさんは、どんな人ともすぐ親しくなるという武器を持っており、これを活用すればきっと面白いことが起こる。いや、現に起こっている。

 

またモン族の家へ

そしてホテルをチェックアウトして、また車に乗る。今日はハノイへ帰る日だ。だがフライトは午後なので、午前中は道中にあったモン族の家へ立ち寄る。この家には珍しく一家全員が揃っていた。今日は農作業、休みだろうか。道路脇から少し上ったところにある家へ招き入れられた。

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中は薄暗い。Sさんは早々に家内を物色?いいナイフを見つけた。ご主人がそれを見て立派な鞘を持ってきた。きっと自家製だろう。実に格好いい!家の女の子にモン族の子供の衣装を着てもらった。とてもかわいい。これも全て手縫い。お母さんの作品だろう。本当の手作り、それは何にも増して暖かいように思う。

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外には竹などの材料が放置されている。農作業だけではなく、何かを作って生計の足しにしているのかもしれない。蜂を飼う箱も置かれている。Uさんは野菜などを担ぐ、籠が気にいったようで、自分でしょって記念撮影。何だか人の家に来てやりたい放題なような気もするが、それがまた交流を生んでいる。

 

この家を辞してまた車で進む。既に平地となっており、農作業する人々が見えた。何か長い草を刈り採っている。燃料になるのだろうか。向こうには水田も見えている。実にのどかに見える農作業だが、暑い中、毎日これを続けるのは大変なことだろう。実は道路脇で喧嘩している人々を見た。何かの拍子に日頃の不満が爆発する、ということは十分あり得る。

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7.ディエンビエンフー2

戦地跡観光

車は昼前にディエンビエンフーに入った。まずはランチということで、また同じレストランに入ろうとする。ツアーの場合、提携レストランに連れていくことに決まっており、旅人の自由は本当にない、ということがよく分かる。ガイドによれば『日本人が行けるような清潔なレストランはない』ということだが、果たしてそうだろうか。ところが、数日前に行ったレストランは、何と結婚披露宴が行われるとかで、その準備のため、使えなかった。

 

仕方なく、向かいのレストランに入る。ここも提携先なのだろうか。サイゴンビールを皆さんが頼んだので、一口飲んでみたが、なぜかとてもまずかった。食事もうーん、どうなんだろうか。急に外国人が来たからか、それともここがベトナム人のスタンダードなのか。横のテーブルで食べている炒飯は実に美味しそうに見えるのだが、それを食べさせて欲しい!

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午後は二手に分かれた。M先生など、前回もここに来たメンバーは郊外の立派なホテル?を見学に行った。我々初めてディエンビエンフーに来たメンバーは、取り敢えず、戦いの爪痕を辿ることにした。まずは戦争博物館へ。ここは箱モノ行政的で、モダンな建物だった。1.5万ドンの入場料を払って中へ。

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1954年、ベトナムは宗主国フランス相手に独立戦争を戦っていた。そしてこの地で勝利し、独立を決定づけたと言われている。まさに聖地だった。先ごろ亡くなったこの戦いの英雄、ボーエンザップ将軍やホーチミンの胸像が置かれており、戦いの経緯が克明に展示されている。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(15)ムンライという街で

6.ムンライ2

運転手の家

5日ぶりにムンライに帰ってきた。懐かしいような、ホッとしたような気分で、また同じリゾートホテルに投宿した。ホテル環境は抜群だが、ネット環境はここの方が良くない。まあ1泊だけなので、ゆったりした気分に浸る。

 

まだ外は明るいが、特にやることもないので、市場見学に出掛ける。前回は夕方入って来て、翌朝出掛けてしまったので、この村をゆっくり見ることはなかった。まあそれほど大きな村ではない。市場もそれほどの規模ではなく、しかも日が傾いている。野菜や魚を売る人々は既にやる気はなく、のんびりムード。魚だけが焼かれていて、いい匂いはしていたが。

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市場のゲートの所に、座り込んでいる女性がいた。何かを売っているのかと思ったが、商品は見えない。どうもやら目が悪いように見えた。横には息子だろうか、男の子がいた。彼は何となくこちらに目をやり、近づこうか、止めようか、と迷っているように見える。そして母親の手を引き、ユルユルとこちらにやってきた。気が付いた運転手がすぐに手を振って追い払った。彼らはそれ以上来なかった。後で聞いたところ、M先生は彼らにこっそり、何がしかのお金を渡したと聞く。

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実は運転手の1人はこの村の出身でタイ族だった。彼の家を訪ねることになる。行ってみるとかなり大きな家だった。彼の奥さんが幼い子供を抱っこして迎えてくれた。典型的な高床式の住居で、2階へ上がる。大きなテレビ、ソファーもあり、部屋もいくつもあった。部屋と部屋の間、真ん中あたりには神棚のようなものも置かれていた。また部屋が並んでいるところと反対に1つだけ部屋があった。嫁さんはこちらで寝るという。お母さんも出てきた。

 

彼のお父さんはトラックで荷物を運ぶ仕事をしているようだ。彼自身も数年前に車を買い、仕事があれば運転手をしているという。ランドクルーザーを買えるのだから、そしてこの家を建てられるのだから、それなりの財力がある。この財はどこからやってくるのだろうか。

 

Uさんがまた得意の抹茶を点てて皆さんに振る舞う。奥さんもお母さんも『美味しいです』と言いながら、この場から姿を消していた。やはりこの苦味は、苦手なのではないだろうか。ただ運転手の彼だけが、とても興味を持ち、Uさんの指導で、実際に茶筅を使ってお茶を立ててみた。その手つきの良いこと、まるですでにどこかで習っていたようにしか見えない。茶を点てる潜在的才能というがあるのだろうか。

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ホテルに戻ると夕暮れ時。前回はあまり見なかったのだが、ホテルの裏側にある、古い木造の建物を見た。私ならこちらに泊まってみたい、と思ったのだが、設備がとても古く、今はガイドなどしか泊まっていないという。つい最近手前に新しい棟を建てたことが分かる。旅行客の増加を見込んだのだろうか。前回M先生らが来た時は、ここのオーナーも来ており、親しく懇談したようだが、今回その姿は見えない。どう見てもオフシーズンなのだろう。

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新しい建物の屋上へ行くと、向こうに川が見え、そして遥か遠く、微かに水力発電所が見えた。送電線が川沿いを伝っている。ベトナムの電力供給は現在どうなっているのだろう。最近あまり停電という事態に遭遇しないのは、それなりに行き届いてきていることを示しているといえるのかもしれない。

 

部屋の前ではTさんがお茶を点て始めた。Y先生が庭に咲いていた小さな花を摘んできて、その脇に活けた。このようなちょっとした心遣いが風流だと感じられる。自然な心というのだろうか。一人一人お点前を頂き、心地よいひと時を過ごす。夜が少しずつ近づいてくる気配がした。

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夕飯はまたあの広い食堂で食べた。今日も我々しか客がいない。これまでの4日間と違って、味付けがより中国的になる。それを美味しいと感じるのは、やはり日本人だからだろうか。海外に出た日本人が日本食を食べられない時、中華を食べてホッとする心境に似ている。まあ最近は中華よりも韓国料理かもしれない。今や韓国料理もアジア中、大体どこにでもある。

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食後、お待ちかねのカラオケとなる。前回M先生たちは、ここでカラオケを大いに楽しんだと聞いていた。特に若手のO君が活躍したようで、彼も張り切っている。そしてカラオケセットの準備を始めたのだが、どうしても日本の歌が出てこない。今やカラオケも衛星配信だから、その通信に問題があるかと思ったが、ベトナム語の歌は出てくる。結局日本人客は来ないし、来てもカラオケなどやらないということで、契約を打ち切ったらしいと諦める。

 

それでも収まりがつかないO君、英語の歌を歌い出したが、慣れていないせいか、フラストレーションが溜まる。すると宴会部長のSさんは、素早くIpadを持ち込み、何やら操作している。何とIpadの中に、曲が入っており、これを見ながら歌うことが出来た。これには一同ビックリしたが、M先生も懐かしい歌を探して、歌い始めた。良く考えてみれば、今回のグループの年齢差は最大60歳。当然知っている歌も違ってくる。それをここベトナムで歌う。何だかとても面白い。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(14)可愛い子供たち

10月31日(土)

モン族の可愛い子供たち

ついにシンホ村を離れる朝が来た。このホテルには何と4泊もした。朝ごはんをいつもの定位置で食べていると、さすがに飽きてはいた。だが、何となく離れ難いのは、ここの従業員のおじさん、おばさん、お姐さんの、不思議な優しさ、素朴な気遣い、などに魅了されたからだろうか。

 

いつも1階のフロントに座っている若い女性、Sさんは彼女に洗濯物を頼み、乾かないな、と言いながら、一緒に笑っている。Sさんのように常にアクションを起こしていると、自然に周囲と打ち解けていく。彼女には幼い男の子がおり、すっかり顔なじみになった。だが彼はママに構ってもらう以外、大体一人で遊んでいる。何人かの子供たちが、ホテルの敷地内に入って来て、遊んでいる。それはそれで可愛いのだが、どうにも彼のことは気にかかっていた。

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そうこうしている内に、荷物をまとめ、出発した。名残惜しい!5日前に来た道をただ戻るだけだが、気分は大いに違っていた。天気も悪くない。途中で車を停めて、眼下に山並みの中に霧が立ち込める見事な景色を眺めながら、私がここに来た意味を改めて自分に問う。道にはいつ起こったのか、土砂崩れの跡も見える。自分の生きている意味を考えさせられる。

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時間はたっぷりあるので、途中でモン族の村に立ち寄る。子供たちが沢山出てきて、恐る恐るこちらを見ている。男の子は普通の格好だが、民族衣装を着ている女の子がいる。皆元気についてくる。彼らは学校へ行っているのだろうか?今日は土曜日で休みなのかもしれない。大人には休みがないようで、農作業で出て行ってしまって留守だった。農作業をする小屋にも人影はない。

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子供の中に顔はモン族なのに、髪の毛は金髪の女の子がいた。どうみてもハーフかなと思うのだが、どうしてこんな山の中にいるのだろうか。お父さんがフランス人で、わけあってお母さんの故郷に戻ったのだろうか。どう見ても余計な妄想が広がり始める。ベトナムには、様々な深い歴史がある。

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ランチで

それからまた車で移動した。ちょうど昼頃、道路脇のレストランに入った。見ていると、皆鍋を食べている。どうやらここは、新鮮な鶏肉を1羽鍋にぶち込む、豪快な鍋が売り物のようだ。ここでもSさんが鍋奉行として活躍、湯気の立つうまい鍋にあり付けた。何しろ4日間、ホテルの食事に飽き飽きしていたこともあり、ぷりぷりした鶏肉は実にうまいと感じた。

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このレストランにはWi-Fiもあると表示されていたが、パスワードを入れても全く反応しなかった。まあこの田舎でWi-Fiは望み過ぎかもしれない。食事が終わると、慣例に倣って席を移して、お茶を飲む。いつもの渋いお茶を飲んでいると、食事したテーブルに柿とみかんの入った袋を置き忘れたことを思い出す。だがそのテーブルに戻ってみたが、袋はなかった。

 

きっと片づけてしまったのかと思い、ウエートレスに聞いたが知らないという。おかみさんらしい人も知らないというが、厨房の方へ行くと、何とそこに柿がポツンと置かれているではないか。これは何だ、というと、やはり知らないという。だが袋も見つかったので、もう完全にこの人が私の柿をとった、ということが判明した。ではみかんはどうしたと聞くと、悪びれることもなく、『捨てた』と言い放った。さすがに驚いたが、何ともしようがない。

 

ガイドがやって来て『田舎ではよくあることですから』と取り成したが、本当に田舎では人のものを確認もせずにとってしまうのだろうか。それにしても『謝る』とか、『言い訳する』とか、いうこともない。『あー、見付かっちゃった』という雰囲気である。ちょっと憤慨して車に乗り込むと、ガイドが『お詫びのしるしです』と言って水を一本くれた。うーん?

 

田舎の人だから、『外国人が怒っているのにどう対処したらよいのか分からなかった』という意味だろうか。ただもう一つ、分かったことは、この辺では、みかんは一般的なものだが、やはり柿は高価なものらしいということ。だから、おばさんもみかんは捨てて、高価な柿だけ残したのだろう。

 

茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(13)食事もお茶も雰囲気次第

おじさんの家を辞して、車に乗り、弁当を食べる場所を探した。あまり適当な場所はなかったので、道路脇の平らな場所で弁当を開くことになる。弁当の中身は分かっているのだが、外で食べると気分が全然違う。何となく部屋で食べるより、解放感があり、美味しく感じられる。食事には環境、雰囲気が大切だ、としみじみ。

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食後のお茶はどうするのか。朝からSさんは悩んでいた。そこで私が自分のバッグを探ってみたが、出てきたのは、何と日本のビジネスホテルに置かれているほうじ茶のティーバッグ。こんな物、お茶のプロの皆さんに出すのは失礼だ、と思っていると、Sさんが『これがいい』と言い出す。半信半疑で持っていく。Sさんはちゃんと厨房からお湯をポットに入れて持ってきている。プラスチックのコップすら用意している。そこへほうじ茶バッグを入れる。

 

食事中に皆さんに配ると『これはうまいなあ』という声が聞こえる。皆さん、お茶の専門家である。まさかこれが安いほうじ茶のティーバッグだとは言い出せなくなる。しかし自分で飲んでみても、何とも味わいがある。そうか、食事だけではなく、お茶も環境に左右されるものなのだ。そして長らく日本のお茶を飲んでいなかったので、その味が懐かしく思われる。このような状況下であれば、お茶の質など、大きな問題ではない。これは面白い実験だった。しかしこれがいいと選んだSさん、包丁の見立てだけではなく、商才もあるな。

 

格好いいおじいさん

午後、どのような経緯からか、ある家を訪問した。そこの集落の子供たちがみんなで遊んでいる姿が微笑ましい。するとUさんがバッグから何か取り出した。何と小さな独楽を持ってきていた。ちょっとやってみせると、子供たちの目が輝き、皆がやりたいと寄ってくる。私も何十年ぶりかで回してみた。上手くはできないが、独楽が回ると嬉しい。子供の頃を思い出す。

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この家にも対聯が貼ってある。ヤオ族の家であろうか。天井からとうもろこしが大量につりさげられていた。これは食べるのだろうか、家畜の餌なのだろうか。中からすごく絵になる、白髭を蓄えたおじいさんが登場した。ここは一体何なんだろうか。このおじいさん、近所でも評判のお茶好きだったようだ。早速お茶を淹れてくれる。あのタリエンシスの葉っぱが出てくる。

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これが近くに沢山植えられているようだ。家の裏を上って行くと、丘があり、そこにポツポツと植えられていた。お茶を大量生産しようという計画があったのかもしれないが、どうみても自家用になっている。おじいさんも『今の若者は茶など飲まない』と嘆いており、金になる作物に変わっていくだろうと、将来を悲観していた。まるでどこかの国の話のようだ。

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ホテルに戻ったが、まだ時間が早い。やることもないので、周辺をフラフラした。ここからライチョウという街までミニバスが出ているが、そのバスは韓国の現代製だった。若い女性が民族衣装を着て、バイクに乗りながら携帯で話している。バイクも中国製の安物から、ベトナム製造の日本ブランドに変わってきている。ベトナムの経済的な底上げは確実にある。

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市場へ入っていくと、Sさんが既に馴染となっているヤオ族のおばさんのところへ行く。Uさんが縫っている上着を見て気に入り、値段交渉に入った。おばさんはまけてあげる、とは決して言わず、逆に『このステッチを縫い付けると素敵でしょう』という身振りをした。確かにそれが良かったので、それを込みの料金として、実質値下げがなったものと安心していたが、その場で器用に縫い付けたおばさんは、ちゃんとそのステッチ代金も要求してきた。今更要らないとも言えず、結局おばさんの言い値になる。なかなかやるな、おばさん!

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市場の真ん中で、豚の丸焼きが始まり、皆の興味を引く。このようなパフォーマンスが美味しく感じさせるのだろう。市場の外でも串焼き屋が豪快に肉を焼いていた。腹は減っていないが、何だか食べたくなる。するとSさんが既に包まれていた物を買い込む。持ち帰って食べてみようというのだ。ついでに飲茶で出てくる腸粉のような食べ物も買う。これはうまそうだ!

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ホテルに帰り、皿などがないので、慣れ親しんだ厨房へ行く。おじさんが『何買ってきたんだ』という顔をして、覗き込む。品物を見ると、手際よく、必要な皿やフォークを出してくる。腸粉は、何と甘い味のデザートだった。これにはライムをかけるとうまいぞ、という感じで、奥からライムまで出してきた。

 

そして包まれていた物体を開けたが、それは肉などではなく、本当に謎の物体だった。するとおじさんは、これをつけて食べるといいよ、という感じで、酢や調味料を混ぜ合わせ、付けるためのたれを用意してくれた。この親切には、本当に驚いた。訳の分からない物を買ってきて、と言われても仕方ない中、何とかしてあげようというおじさんの心意気には感じるものがあった。しかし食べた物が何だったのか、最後まで分からなかった。おじさんとは言葉が通じない。

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今日も夕飯はホテルだが、それを簡単に済ませて、外の店で先ほど食べられなかった串焼きを食べ、ビールを飲もうという計画が密かに進行していた。さすがに明日はこの地を離れるので、最後ぐらいはいいだろう、という思いがあった。ところが、何と急に雨降り出した。それもシトシト降るのではなく、ザーザー降り。これは外へ行くなという天からの合図だっただろうか。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(12)モン族の村

帰りにM先生が、ヤオ族の布が欲しいと言い出す。勿論村には店などなく、その辺の人に聞くと、恐る恐る品物が出てきた。だが、売れると分かるとあちこちから布が持ち込まれ、驚くほど集まってしまった。一方衣裳好きのSさんは別の場所で、値段交渉をしていたようだ。このような田舎の村では、自分で縫った自らの衣装も売ってしまう、ということが、新鮮だった。ヤオ族の女性は、暇があれば縫物をしているが、これが商品化されるとどうなのだろうか。

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ホテルに戻る。Sさん製作のお茶が笊を入れられ、今日も干されていた。皆さんでその出来を確認する。何だかいい感じに乾いている。ホテル従業員は相変わらず、日中何も言わなくても、太陽の動きに合わせて、笊を移動してくれている。これは凄いことだと言わざるを得ない。

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夕飯には新鮮な鶏肉が出た。私は気にしないのだが、先ほどバイクの後ろに括られていた鶏を思い浮かべてしまった人もいる。我々が初日にうまいって言ってお替りを要求したソーセージ、毎日のように出してくれるのは良いが、さすがに飽きてきた。明日の食事はどうあっても改善しなければならない。

 

そこでついに行動に出た。まず朝ご飯はパンでなく、フォーにしてくれるように要求。そして明日の昼も、ホテルに戻るのではなく、外でランチを食べるので、弁当を作るように依頼した。これはM先生から『昼にホテルに戻る時間がもったいない』とのリクエストによる。分かった、ということだったが、果たしてどうなることだろうか。まあ、それもワクワク材料。

 

ホテルの部屋では連日Sさんがすごい音を立てていた。最初はシャワーを浴びているのかと思っていたが、実は洗濯していたのだった。しかもただの汚れ物を洗うのではなく、道で拾った布きれを一生懸命に洗っていたのだ。一度ではとても落ち切れない汚れ、なぜそれ程までに頑張るのか。それはその布に古い刺繍が施されていたからだ。その刺繍が気にいったSさん、最終的にこれを自分のジーンズの膝当てとして見事に再生させた。後日見たその布きれは、非常にジーンズにフィットしていて、皆を驚かせた。凄い才能と言わねばなるまい。

 

10月30日(金)

朝からフォー

ついに翌朝のご飯にフォーが出てきた。チキンが入っていた。久しぶりに麺を食べられる幸せ、皆さん満足ではなかっただろうか。日本人はきっと皆麺好きだ、ということだろう。実はこの日の朝は、鳥のさえずりではなく、豚の悲鳴がホテル周辺に響き渡っていた。昨日市場近くで見た豚売りのバイクが、ここへやってきたのだ。簡単な価格交渉があり、ホテルの人がお金を払うと、バイクの後ろに括りつけられた豚は引き渡され、そしてそのまま裏へ。その間の悲鳴は見ていられないほどだった。気の弱い人なら、当分は豚肉など食えないかもしれない。

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馴染みになった厨房へ行ってみると、ここも珍しく活気があった。何と我々の弁当を作ってくれていたのだ。プスチックケースにご飯を詰め、その上に卵焼きが置かれた。そしてそこへ、ヘルメットを被ったおじさんが、何かを持って戻ってきた。見ると太いソーセージだった。どこか他所で焼いてもらい、バイクで取りに行き、そのままの格好で、弁当に詰めている。これはこれでとてもユーモラスな光景だった。

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モン族の家

今日はモン族の村へ行ってみる。基本的には林に分け入り、タリエンシスなどを探すためだった。ただ何の案内もなしに分け入ってもどうにもならない。近くの小川で洗濯している女性たちがいた。すると集落近くにおじさんが立っており、こちらをジッと見ていた。変な奴らが来たな、と見張っていたのかもしれない。運転手が趣旨を説明すると、おじさんは笑顔になり、率先して、案内を買って出てくれた。

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この付近にも人工的に植えられたとみられるタリエンシスの木があった。商品化の計画があったということか。おじさんもこの葉を摘んできて、簡単に自分でお茶にして飲むことがあるという。林には多種多様な木々が植わっていたが、やはり昨日までの調査と変わったものは残念ながら発見できなかった。

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おじさんが家へ来いと誘ってくれたので、行ってみた。家のすぐ近くには背の高い喬木がそそり立っていた。この家の歴史は相当に古いらしい。数代前に中国から来た。馬も飼われている。家の中は薄暗いが天井が高い。家の壁には、なぜか摘んだ葉っぱが挟み込んである。一通り話を聞いて外へ出ると、ちょうどおじさんの家族が帰ってきた。畑はかなり遠いとろろにあるらしい。

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今日は木材を調達してきたようで、背負っている。再度家の中に入り、話をはじめる。息子は、竹で出来た楽器が吹ける。奥さんは踊りが得意、などいかにも少数民族らしい会話が続く。実際に息子が吹いて見せてくれた。Sさんも楽器を借りてチャレンジ、微かに音が出ていた。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(11)ヤオ族の葬儀

市場で茶葉を発見

ヤオ族の家を辞して、再び市場へ向かう。もうここでの目的はほぼ達成されたので、時間つぶしのようなものだった。Sさんは相変わらず、昨日も訪ねたヤオ族の包丁屋に寄って、飽きもせずに、鉈や包丁を眺めている。道ではバイクの後ろに豚が括り付けられて売られていく。何とも言えない。

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市場に入っていくと、Uさんが生葉を発見。Sさんが買い取り交渉に入る。ガイドがいたので通訳を頼んだが、売り手が5000ドンと言っているのに、『1万ドン払ってやって』と自分の意見を入れてくる。Sさんも仕方ない、といった表情で、1万ドン札を出した。そして皆で記念撮影。いいんだか悪いんだか、よく分からないが、何となくそれでよくなるところがいい。

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隣では、蜂の子を売っているが、その横にはさんまのような魚も置かれている。更にその横には、蛙が。そして幼虫も。これらは魚を除いて、ミャンマーなどの山の中でもよく見掛ける品々だった。だがなぜここにさんまがいるのだろうか。これを焼くと美味そうだな、と思ってしまうが、実際はどんな味だろうか。

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市場を出ると、Sさんが携帯ショップへ寄る。既にここの店員とも仲良しになっている。彼らは片言の英語を話し、日本人にも興味を持っているので、にこやかに談笑している。スマホでSさんを写真に収めている。ちょっと前なら携帯ショップだが、今やあっという間にスマホショップに変わろうとしている。先ほどの中学生ですら使っているスマホ、中国あたりから安い製品が入ってきており、この田舎ですらかなり普及しているのには驚くばかりだ。

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部屋に戻ると、Sさんが私の買った柿を剥いてくれた。さすが、鉈のSさん。手の動きが素早い。そしてその柿を食べてみるとかなり甘い。実は先ほど市場で、この柿がどこから来たのかを調査してみたのだが、箱に漢字が書かれていたことからすると全て中国製だ。ベトナムでも中国産は嫌われているのかと思っていたが、甘いので食べるということだろうか。いまだにハノイ空港のターンテーブルで見た、日本の柿が忘れられない。柿は高級品らしい。

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そしてまたいつもの部屋でランチした。さすがにもう飽き飽きしてきたが、一向に何も改善されない。これがツアーというものか。Sさんたちも、他に食べられるところはないか、ビールが飲める店はないか、と道を歩きながら見ていたが、確かにちゃんとした、日本人が入れるような店は見付からない。まあ私とSさんだけなら、どんなところでもよいのだが。

 

ヤオ族の村訪問

午後はヤオ族が多く住む村を訪ねることになった。20分ほど車で行くと、田植えが行われた水田が見えてくる。そして村の入り口に車を停めて、歩きだす。周囲の村人が珍しそうに我々を眺める。いい感じの古い家が並んでいる。ヤオ族の衣装を着たおばさんとすれ違った時、M先生が話し掛ける。耳や首に付けているアクセサリーが珍しい。よく見ると、そのアクセサリーには漢字が刻みこまれていた。単なるデザインとしての意味しかないようにも思えるが、こんなところにも漢字が使われているのを見て、何となく感動してしまった。

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村の細い土の道を、フラフラと歩く。いい感じに蛇行しており、アップダウンもある。気は植えられているが、茶の木が見られることはない。垣根の隙間から家が見られるところもある。石垣があるところもある。そして一人のおばさんを捕まえて、話を聞き、彼女の家を訪問することになった。

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家に招き入れられたが、何やら慌ただしい。息子や近所の人達が、鉄の釜に何かを入れて作業していた。おばさんは湯を沸かし、我々にお茶を淹れてくれようとしたが、近所の人が引っ切り無しにやって来て、その対応に追われている。ガイドによれば、この家の親戚に不幸があり、これから葬儀があるというのだ。何というタイミングでここへ来てしまったのだろう。

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ちょっと話を聞いて、すぐに失礼した。葬儀の準備なのに、釜に黒いものを入れて何を作っていたのだろうか。後で聞いてみると、何とそれは火薬だった。勿論ベトナムでも民間人が火薬を作ることなど禁止されているはずだが、田舎の風習として、葬儀に使う少量の製造は許されているらしい。それにしてもこの火薬は葬儀でどのように使われるのだろうか。

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外へ出て、また村の道を歩いていると、向こうから、人々がやってきた。10人以上の男性が棺を乗せた丸太を肩に担ぎ、その後ろからも大勢の村人が付き従う。死者に村を見せるため、一周するのだという。一番後ろから、喪主である男性が馬に乗って行った。これからどんな儀式があるのだろうか。

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そう思っていると、突然目の前で、男性が何かをした。すると大音響で爆発?が起こる。あまりの凄さに、写真を撮る手がブレブレとなり、その音の大きさに心臓が高鳴った。村の各地で哀悼の意を表して、この大きな音を響かせるらしい。それにしても予想以上に威力がある。亡くなった方は70代の男性ということだった。ずっとこの村で一生を送ったのだろう。

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茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(10)ヤオ族の家先単

今朝は朝9時に公安を訪問した。何か怪しいことをしたわけではない。実は折角ここまで来たのだから、この場所の正確な位置を知り、周辺の村の情報も得るために、地図を入手したかったのだ。研究者としては当然の行動だろう。だがホテルでも村の中でも地図はどこにも売っていなかった。ホテルのロビーにかかっていた地図が欲しいといっても、ダメだと言われていた。中国でも辺境地区の地図は非公開になっているところが多い。公安の許可が必要だ。

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ガイドが公安に聞いたところ、取り敢えず『公安まで来い』ということになったらしい。公安は村の真ん中にあった。何かの会議をしているのか、我々が珍しいのか、大勢の人が建物の中にいた。皆がこちらを見ている。招き入れられるのかなと思っていると、ガイドが出てきて、『帰るように』と言われたという。地図は外国人には提供できない、ということだ。では何でこんな面倒なことをしているんだ。この辺がベトナムの良く分からないところだ。

ヤオ族の長老を訪ねる

ホテルの後ろにはかなり立派な家があった。皆でそこへ入ったが、ヤオ族の長老の家は更に後ろだという。後ろの木造の家は古びていたが、風情があった。そして何より、入り口に中国の対聯と呼ばれる一対の紙が貼られていた。その内容は漢字で書かれている。しかもその字は新しい。最近誰かが書いたものと見受けられる。中国国内ならまだしも、現代のベトナムで漢字を見る機会は稀である。ましてや、この田舎で、しかも中国で言う少数民族の家なのだから驚きである。

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向こうからお婆さんが、孫に介添えされて歩いてきた。伝統的なヤオ族の衣装を着ている。おじいさんも出てきた。我々の人数が多いのを見て、この家ではなく、新しい立派な家で話そうと、向こうへ行く。階段を上がった2階はかなり広かった。老人は昔ながらの家に住み、若い者は新しい家に住んでいる。

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M先生は早速、質問を始めた。この一族はおじいさんの祖父の代に、中国からやって来て、ここで焼畑をしていたらしい。ただ先祖が茶を運んできたとか、雲南省から来たとかいった話はなかった。現在ここの家族は、四世代に渡っており、大家族と言える。M先生は突然、紙に漢字を書き、『これはあるか?』と紙を見せる。通訳していたガイドには何のことか分からなかったようだが、長老はちらっと見ただけで『あるよ』と首を大きく縦に振った。

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我々見ている者は、ある意味で狐につままれたよう気分になる。一体M先生は何と書いたのか。それを見に行くと、『家先単』と書かれていた。それこそ、これは何だ?長老は息子に頼み、その家先単を持って来させた。大切に保管されているのだろう。そこにはやはり、漢字が書かれている。覗き込むと、全て漢字で名前が羅列されている、一種の家系図のようなものだった。誰の所にどこから嫁が来たか、などが詳細に記されている。この家の名字は『焦』というらしい。

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M先生によれば、『ヤオ族は基本的にこれを持っており、漢字を扱う』という。長老は、簡単な中国の標準語を話すことも出来、これまたビックリ。しかも自分の父親から習った口伝だというのだ。漢字を書くことも出るのだろう。これまで中国に30年以上関わってきたが、これぞ目から鱗だった。そんな民族がいるとは初めて聞いた。当然漢族との関係が深いのだろう。

この旅の中でM先生から何度も『ヤオ族と焼き畑、そして茶の繋がり』について、教えを受けていた。なるほど、と頭の中では思っていたが、このような現実を突きつけられると、とてもリアリティを持って躍動してくる。歴史とはそのようなものだろうか。だから私は茶旅をする、そういうことだろう。本に書かれたことを一生懸命読むよりも、目の前の現実を見つめたい。

そしてヤオ族と茶について、少しでも考察を広げられればと密かに考える。日本でヤオ族に関する文献は多くない。ましてやヤオと茶についての本などない。M先生は研究の集大成として、現在この出版を検討しているという。失礼ながら、一日も早い出版を願う。そしてそこから、日本に仏教以外のルートで茶が伝わった可能性などについて、勉強してみたいと思う。

Uさんが突然、抹茶を立て始めた。いつの間に道具を持ち込み、湯を得たのだろうか。これもまた不思議なタイミングだったが、この家の家族は、皆面白がって飲み始める。だが、飲んだ後はほぼ無言だった。これまで飲んだこともないお茶、なかなか受け入れるのは難しいようだ。

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中学生の孫娘は好奇心旺盛だった。Uさんと片言の英語で何とかコミュニケーションを図り、いつの間にかFacebookで友達になっていた。Uさんが日本語を使っても、翻訳機があり、Uさんも彼女のベトナム語が読める。ベトナムの田舎でも、今や普通にFBが使われている。そして彼女のFB上の友達は何と1000人を数えるそうだ。FBとスマホは我々の想像をはるかに超えて、世界を変えたかもしれない。