「マレーシア」カテゴリーアーカイブ

《奇想天外マレーシアの旅》(14)KL 大金持ちの一族だった陳さん

ここにも再会が

夜は大学の先輩Sさんと会うことに。Sさんとは北京駐在時代の13年前に一緒だったが、その後は音信が途絶えていた。2年ほど前Facebookでは再会を果たしたが、7月に突然バンコック出張を捕まえて、劇的に再会した。それからバンコックで2度程会っていた。『次回はKLかな』と言われ、日程を見たらちょうどこの日が重なっていた。

 

ホテルで待っていたが、仕事が遅くなり、夜8時を過ぎてブキッビンタンのホテルへ、と言われる。ホテルの場所もよく確認せずに出たら本当に迷う。モノレールからいくつもホテルが見えたのだが、どうして?

 

ようやく落ち合い、近くの中国料理屋へ。ところが中国料理なのに、従業員は中国語が話せない。灰皿をお願いしても爪楊枝を持ってくる。不思議に思っているとマネージャーが来て『悪気はないんだ、彼はミャンマー人だから』と言われて納得。ミャンマー人でも中華系なら言葉が通じるが純粋のミャンマー人なら仕方がない。それにしてもKLも人手不足、言葉が通じなくても雇わざるを得ない状況だ。

 

そしてSさんに今日会った陳さんのことを話した。陳さんが言っていた言葉を突然思い出す。『オジサンは日産や資生堂、ワコールなどの代理店もやっている』と。実はSさんは昔その中の会社に勤めていたのだ。『え、じゃあ、マレーシアの陳さん知っていますか?』と聞くと『知らない』という。おかしいな、嘘じゃないと思うけど。Sさんはちょっと考え、『それはタンさんじゃないのか?』と聞いてくる。そこで繋がった。福建語で陳はタンと発音するのだ。するとSさんは『それはマレーシアでも最大級の財閥グループだぞ』というではないか。え、本当?驚くしかない。その時、ショートメッセージが入った。陳さんから『明日も昼めし食わないか?』と。ようし、確かめてみよう。

 

10月10日(木)

陳さんアゲイン

翌朝は昨晩の食べ過ぎで朝食を断念、10時過ぎまでうだうだしてチェックアウト。陳さんの車が迎えに来たので、乗り込んだ。昨日と全く同じ軌道を通り、最後だけが違っていた。今日は陳さんのオフィスへ行った。だが受付で何といえばよいか分からず困る。陳さんの肩書なども知らないのだ。ようやく彼の居場所を突き止めた時は、この会社が非常に大きいことは分かった。会計士事務所、何と100名以上の会計士を擁していた。既に引退したとはいえ、彼はそこのオーナー。事業を番頭さんに任せているだけで、実質的には責任者なのだ。3階建ての3階部分の半分を自分の書斎として使っていた。お茶を淹れられる空間が広々と取られている。そこで年代物の六堡茶をご馳走になった。とてもいい空気が流れていた。

DSCN7237m

DSCN7214m DSCN7208m

 

ランチは昨日とは別の店に行く。昨日のバイク屋さんが来ていた。3人で軽く食事をした。そこへ陳さんのお客も合流した。これから重要な会議があるらしい。陳さんは『若いやつを一人つけるから車でどっか行って遊んでから帰れ』と言ってくれたので、お言葉に甘えた。

 

それから若者と2人でショッピングモールを2軒回った。雨が強く降ってきたので屋外には行けなかった。そしてセントラル駅まで送ってもらい、バスで空港へ。空港ではだいぶん時間があったが、無事エジプト航空に乗り、バンコックへ戻った。帰りのエジプト航空は意外と混んでいた。バンコックまでの格安路線ということらしい。

DSCN7243m

 

今回は茶畑に行くだけではなく、お茶屋の陳さんを訪ねるなど収穫があったが、初めてスリに遭ったのはショックが大きかった。これからの旅に影響が出ないとよいが。

《奇想天外マレーシアの旅》(13)KL 膨大なお茶を持つ陳さん

5. KL2

ホテルからKLCC

先ずはホテルだが、チャイナタウンで一番わかりやすそうな場所を探す。それはモノレールの駅の近くだと思い、荷物をひいて向かう。ネットで検索してあったそのホテル、フロントに聞くとちょっと高い。仕方なく、PCを取り出して目の前でネット予約した。データが届くまで少し待たされたが、そんな客は大勢いるのかボーイは頓着しない。

 

部屋は狭いが清潔でよい。ネットも繋がる。外の音もそれほど気にならない。このホテルはさすがに華人と思われる人々が多く泊まっている。シンガポールやインドネシアから来ている人もいるようだ。

DSCN7194m

 

夕方モノレールに乗り、KLCCへ。ある方の紹介でKL在住のHさんとお会いすることになっていた。この方は元インベストメントバンカーで鳴らし、小説のモデルにもなったという大物。私は日本のしがない金融機関の一員であったが、KLでこのような方を会えること自体がご縁を感じる。

 

KLCCはKLでも最も栄えている商業施設の1つ。夜のネオンが煌びやかで、山から下りてきた者には眩しすぎる。ユニクロ前で待ち合わせると、気さくなHさんが探し出してくれ、無事合流。階上のパブに入る。Hさんはロンドン勤務も長く、パブが似合う。ワンパイントのビールで乾杯した。

DSCN7200m

 

お話の中で、KLへロングステイした経緯や現在の状況などが見えてきたが、何よりも『日本の現状への嘆き、憂い』というものを強く感じた。日本から離れた場所で日本人二人が日本を嘆く、外にいるものにはよくわかるが、国内にいるとはっきり分からないことが多いのだろう。私には『日本のために何かしよう』などという気負いは全くないが、日本に向けて情報を発信することには何らかの意味があるように思われた。

 

10月9日(水)

朝飯

翌朝は目覚めもよく、外へ出る。ホテルの前にある食堂で海南チキンライスを頬張る。安くてなかなか良い。ローカルな雰囲気がたまらない。この食堂は食べるスペースが共通で、各屋台が食事を提供している。朝から麺を食べるのも悪くないと思い、既に明日のメニューを物色。

DSCN7201m

 

今日は陳さんに会う。彼とはひょんなご縁で、バンコックのポーラのお店で出会った。良いプーアールを持っているというので飲ませて貰っただけのご縁であるが、KLに行くと言ったら、『是非寄って』と言われたので連絡したのだ。

 

だが、KLに着いた初日にメッセージを入れると何と『今ブータンにいる』というではないか。これはダメだと諦めたが、7日頃戻ってくるというので、本日の面談が可能となった。彼の家がどの辺にあるのか分からない、と言ったら迎えに来てくれた。ちゃんとしたトヨタの新車、運転手付き。彼は何となくお金持ちだと思ってはいたが、どうなんだろうか?

 

車は北の方へ20分ほど走った。KL郊外という雰囲気。周辺に高い建物もなく、のどかな雰囲気。『この辺は全部、うちの一族の土地なんだ。あそことあそことあそこに、茶屋を出しているが全てうちの物。2階と3階にはプーアール茶がぎっしり詰まっているよ』と陳さんは笑いながら話す。『と言っても全てオジサンの物さ。うちのオジサン、92歳だけど、結構成功してね、お茶も好きで買い集めたんだ』とさりげなく言う。

DSCN7213m

 

店に入ると、沢山お茶が並んでおり、箱からはみ出しているお茶が何と『宜興紅茶』だったのには驚いた。これは昔宜興の急須を売る人々が陰で飲んでいたお茶。最近の紅茶ブームで脚光を浴びたらしい。『いや、先月宜興に行ったら、美味しかったので買い込んだ』とか。陳さんはお茶屋さんなんだ、やはり。

 

『お茶屋だけど、茶旅が好きでね、それは同じだよ』と私の方を見る。彼は元々ロンドンにも留学経験がある会計士。5年前にその職を引退して、旅に出ているようだ。『オジサンから暇ならお茶屋でもやれ』と言われて、やっているらしい。彼の一族が一体どれだけのお茶を持っているのか見当もつかない。

DSCN7223m

 

昼は近くのオープンレストランへ。既に仲間が3人待っている。美味しいそうな潮州料理が並ぶ。いつもこうやって仲間と飯を食い、気楽に過ごしているそうだ。理想的だ。一人は上海の復旦大学を出て上海で働いていた。彼だけが大変そう。後の2人はバイク屋などだが、既に息子に家督を譲っているとか。うーん、50代でこの生活、参考になる。

DSCN7233m

 

たっぷり2時間以上昼を食い、更にまた陳さんの店でお茶を飲んだ。そして車でホテルまで送ってもらう。何だか夢のような体験だった。面白い茶旅!

DSCN7230m

《奇想天外マレーシアの旅》(12)キャメロンハイランド 運ちゃんの途中下車

10月8日(火)

タナラタ スタバでネット

翌朝もビュッフェを食べ、ホテルのシャトルバスに乗り込む。タナラタのバスターミナルへ行くためだが、KL行バスにはかなりの時間がある。それでもタクシーに乗る料金を節約してみた。今日は快晴、どうして昨日こうではなかったのかと恨んでみても始まらない。しかし良い天気だ。シャトルバスの運ちゃんも『この旅行社の前からバスに乗れ』と指示して下ろしてくれた。

 

タナラタの街には11年前も1泊したが、印象としてはさほど変わっていなかった。あの時はロッジに泊まり、夜が11度で凍えるほど寒かった、という印象しかない。今日は天気が良いせいか、山も空も隅々までクリアーで素晴らしい場所だと思う。

DSCN7176m

 

ただ荷物があるので自由に動き回ることはできない。スタバを見つけて、ここでネットをしながらバスを待った。スタバもゆったりとしており、スタッフも気持ちが良い。今は観光シーズンではないのか、外国人の姿もほとんど見えない。鮮やかな街を眺めながら。2時間ゆっくり原稿を書く。こういう時の効率は格段に良い。

DSCN7174m

 

KLへ

バスは予定時刻に旅行社の前に来た。これで一安心と乗り込む。殆ど人はいない。すると5分ほど走ったところに正式のバスターミナルがあり、乗客が乗り込んできた。ホテルの運ちゃんは事情に精通しており、私を旅行社の前に連れて行ったことが分かる。

 

そこからは山下りが始まった。一気に下っていく。イポーから来た道とは違うので反対側を下りている感じだ。実はそれほど長い時間は経っていなかったのかもしれない。ウトウトしている内にバスは平地を走り出す。

DSCN7189m

 

途中でバスが停まった。休憩場所とも思えない。運ちゃんだけが下りていく。便所にでも行ったのかと思っていると、ビニールの袋を下げて戻ってきた。中には飲み物が入っている。これが日本なら大変な問題になるのだろう。運転手が乗客をほっぽり出して私用で買い物をしているのだから。勿論ここで異議を唱える者などいない。私も何となく彼の行動が分かっていた。ドライブインは飲み物が高いのだ。観光客は良いが毎日利用する運転手としては節約したい気持になるだろう。もしやすると彼の気にいっている飲み物がないのかもしれない。彼の給料はいくらだろうなどと余計な詮索を始めそうだ。案の定すぐにドライブインがあり、休憩となる。

DSCN7191m

 

それから平地を走り続けた。快晴の空は気持ちがよく、マレーシアでの嫌な出来事は全て忘れられそうだった。そしてほぼ4時間でKLのバスターミナルへ到着。今回はチャイナタウン近くに着いた。

《奇想天外マレーシアの旅》(11)キャメロンハイランド 謎のイタリアン

10月7日(月)

サボテン園で癒されて

何だか目的は達したようだし、今日KLに戻るかどうか思案。だが天気がとても悪く、あまり動きたくない心境となり、延泊決定。優雅に朝食ビュッフェを食べると後はやることがない。そうだ、休息だ、休むのが一番、とは分かっていた。精神的にも疲れはてていた。

DSCN7168m

 

でも雨が止んだので出掛けてしまった。やはり何か歯車が合っていなかったのだろう。ホテルから少し行くと、観光客用の出店が並ぶ。いちごや高原野菜を売っている。そういえば最近この辺りでは華人が農業を行っていると聞いていたが、これのことだったのか。環境もよく、暑くもなく、そして収入の道があれば、農業に従事する人々も増えているのだろう。

DSCN7150m

DSCN7152m

 

サボテン園がある。何故こんなところにあるのかは分からないが、あのとげとげしいサボテンを見ていると何となく癒されるのが不思議。大きいのから小さいのまで、鉢の植えられた各種サボテン、マレーシアではブームなのだろうかと思うほど、大量に展示されている。勿論他の草花もあるが、サボテンが圧倒している。

DSCN7147m

 

昼ごはんは抜いて、ホテルでハイティセットを頼む。僅か15rでスコーンと紅茶が出て来る。誰もいないホテルロビーのカフェ、何だか寛げてよい。スコーンも予想以上に美味い、ジャムつけると、もっと美味い。紅茶もストレートで十分に飲める味。月曜日の雨の午後、なかなか良い雰囲気だったが、なぜか蚊が来て・・?

DSCN7160m

 

夕飯はイタリアン

そして午後は部屋でボーっと過ごした。ボーっとしているなぜか腹が空く。夕方フラフラ外へ出る。相変わらず食べる所は少ないが、イタリアンが目に入る。ここでイタリアン、などと私は思わない。食べたい時にそこにあれば入るのみ。

DSCN7166m

 

お客は誰もいなかった。セットメニューからグリルドチキンを探しだす。飲み物は紅茶だ。若いにいちゃんが注文を取っていたが愛想がよい。ふとカウンターを見ると、そこにはとてもかわいい女性が立っていた。どう見ても中華系だ。この店は誰がやっているのだろうか?店員二人は何と中国語で会話していた。一体どういう関係なのか?彼女はここの生まれなのか?

DSCN7165m

 

やってきたチキングリルを食べながらも、どうしても2人のことが気になってしまう。どうやって聞き出そうか、と考えていると、何と彼女はどこかへ行ってしまった。にいちゃんに何か聞こうとしたが、ちょうど客が来てしまった。この店の謎は全く解けないままに終わった。

《奇想天外マレーシアの旅》(10)キャメロンハイランド ボーティガーデン

ボーティガーデン

ようやくボーティガーデンに近づいた。茶畑の脇に小屋が並んでいた。そしてそのすぐ横にはヒンズー寺院があった。以前スリランカの茶畑に行った時も、同じ光景があった。そこではイギリス統治時代に南インドから連れて来られたタミル人が多く働いていた。タミル人はヒンズー教徒、それで寺院があった。ここもスリランカと同じ歴史があるのだろうか?

DSCN7090m

 

ガーデンの建物ははるか上に見えた。結構きつい坂を上る必要がある。まさに茶畑の合間を歩いて上がる感じ。車で来ている人々もここは足で上がらなければならない。既に午後も遅く、観光客がおりてきている。

DSCN7092m

 

実にモダンな建物が建っていた。11年前の記憶ではここには木の小屋があり、庭から茶畑を見ながらお茶が飲めたはずだったが、今はガラスで仕切られた屋内から眺めるようになっている。館内にはキャメロンハイランドとお茶の歴史が展示されている。ここにお茶が植えられたのは1920年代末のようだ。

DSCN7109m

 

工場の方に回ってみたが、既に工場見学ツアーは終了しており、閑散としていた。ちょうどオジサンがいたので話し掛けてみると、彼が工場の責任者だった。工場は自由に見てよいというオジサンにいくつか質問。その結果、ボーティーはマレーシアの茶葉生産量の半分以上を1社で賄っていること、以前は輸出中心だった紅茶も今では国内向けとなっており、マレーシア全体が茶葉の輸入国となっていること、そしてワーカーはタミル人ではなく、ヒンズー教のネパール人とイスラム教のバングラディシュ人が中心であることを教えてくれた。なるほど。工場は至ってシンプルで、如何にも紅茶工場の造り。

DSCN7106m

 

喫茶コーナーは明るい雰囲気で、マレー系の地元民が楽しそうにお茶を飲んでいた。これは11年前にはなかった光景。やはり紅茶が国内向けになったという話は本当だと思われた。ボーティーはかなり細かく茶葉を刻むが、それはそれで美味しいし、値段もそれほど高くはないので、良い。

DSCN7114m

 

茶畑を見ながらお茶を飲む、避暑地の観光としてはインドのダージリンなどを思い出させる。国内所得の向上により、マレー人の観光客が増えており、彼らが紅茶需要を押し上げているのだ。

DSCN7121m

 

4時半にはガーデン営業が終了。1時間ほどの滞在で、ホテルへ戻ることになる。ただ来た時はまだワクワク感もあったのだが、帰りは単に歩くだけで、結構つらい。おまけに雨も降りだした。こんな雨模様なのになぜか傘も忘れてきている。上り坂が余計きつくなる。こんなことなら最終のバスに乗っておくのだった、と後悔したが後の祭り。

DSCN7135m

 

道ではかなりの車が私を追い抜いて行った。皆帰っていくのだ。すると1台の車が停まり、運転手が『乗って行かないか』という合図をした。助手席には女性が乗っていたが、早々に後部座席に移った。頭にベールを被るマレー系だった。感謝して乗り込む。

DSCN7130m

 

彼らはKLから日帰りの旅に来ていた家族だった。『雨の中を一人で歩いていたので声を掛けた』といい、私が日本人だと名乗ると驚いた様子だった。外国人だから乗せたのではなく、困っていそうだから乗せた、ということが嬉しかった。そして彼らは私が想像していたような典型的な一家だった。ご主人は技術者で日本に研修に行ったこともあった。近年所得が向上し、生活に余裕が出来、国内旅行を楽しんでいた。紅茶もよく飲むという。

 

大きな通りまで出たので感謝して下りる。既に道は渋滞となっていた。日曜日の夕方、これから皆KLを目指して帰っていくのだろう。夜は何も食べずに早や目に就寝。

《奇想天外マレーシアの旅》(9)キャメロンハイランド ボーティ茶園への道

4. キャメロンハイランド

ジャパンセッティングの謎

小雨の降る中、ホテルへの道を歩く。この付近がキャメロンハイランドで一番高い所らしい。標高1800m?ホテルは広い敷地があり、辺りを見下ろす地形にある。なかなか立派なホテルである。

 

ロビーも広々としていてよい。予約していたのですんなりチェックインできると思っていたが、何やら様子が怪しい。また何かトラブルか、と身構える。するとフロントの女性が『これからジャパンセッティングをするので、少し時間がかる』と告げる。なんだそりゃ、ジャパンセッティング?やはり疲れていた私は『そんなもの、いらないからすぐにチェックインを』と食い下がるが、マネージャーのインド系女性が出てきて『これはホテルのルールだから』と譲らない。

DSCN7042m

 

結局20分ほど待たされて部屋へ。その頃には私もかなり怒っており、部屋へ入るなり、そのセッティングを観察した。しかし見つかったものと言えば①ウオシュレットタイプの便器②とてもへんてこな浴衣③日本茶ティーバック、3点のみ。①は元々部屋の備わったもので、②③をセットするのは1分も掛からない。これがサービスと言えるだろうか。それとも日本人客に好意を持っていて、分からないなりに一生懸命やった結果なのだろうか?

DSCN7047m

DSCN7049m

DSCN7050m

 

雨はシトシト降っている。山の上で風も強い。ここは静かに部屋で休めということだろうか。1時間ほど茶を飲みながら過ごしたが、腹が減ってきた。今日は昼を食べていない。雨も何となく上がっていたので、外へ出る。本館の他に、コテージ風の建物もいくつもある。ここはリゾート地なのである。

 

周囲に殆ど食べる所はなかった。日曜日だが、雨の午後、お客もいないと店を閉じたところもあるようだ。1軒だけ、は入れそうな店があったので、入ると、若者がギターを弾いていた。中国語で話し掛けるとちゃんと返ってきた。ワンタン麺を頼む。若者と話していると『もし茶園に行くなら今日だね。明日は休みだから』との貴重な情報を得る。

DSCN7054m

 

ボーティー茶園への長い道のり

何故ここにホテルを取ったのか、それは地図で見る限り、ボーティー茶園まで歩いていえそうだったからだ。早々に若者の情報に基づいて夕方の山を歩き始める。国道にはきちんとボーティーの表示があったが、何とここから3.5㎞もあるという。まあ、何とかなるだろうと持ち前のいい加減さで歩く。

 

本当に山道だったが車は走れる。途中に洋館があり、この辺もイギリス人の別荘があったことが分かる。この辺りでヨーロッパン人女性とすれ違う。茶園までの道のりを聞くと『ずーっと向こう』と言われ、途方に暮れる。道は螺旋を描き、遠くに茶畑が見えた。

DSCN7064m

 

1時間以上歩いて、ようやく茶園に到着した。ちゃんとボーティーの表示がある。キレイな茶畑である。なだらかな斜面にへばりつく様に茶樹が植わっている。遠くを眺めると実に広大な敷地に、優雅に茶樹が植えられている。更に1㎞先に茶園センターがあるらしい。観光客は車でそこへ向かっていた。私も恐らく11年前に訪れた場所だ。疲れ果てていたが、進むしかない。

DSCN7070m

DSCN7074m

DSCN7071m

《奇想天外マレーシアの旅》(8)イポー 静かな落ち着いた街

10月6日(日)

静かな落ち着いた街

イポーの朝は何事もなかったかのような静けさに包まれていた。昨日の興奮からか、眠りは浅く、そのまま起きて、散歩に出る。この街は全体的にゆったりとしており、道も広く、高い建物もない。妙に落ち着く街並みだ。

DSCN7024m

イギリス植民地時代の建物も多く残り、中華的な建物も存在する。マレーシアで3番目に大きな街と聞いたが、そうは見えない。が、かつてはスズの生産で栄え、KLとペナンを結ぶ交通の要衝としても重要な位置にあった都市だ。キンタ川という川が真ん中を流れ、スズを運ぶために作られた鉄道駅もコロニアル風で歴史を感じさせるに十分な造りを持っている。

 DSCN7009m

DSCN7014m

1時間も歩いただろうか、久しぶりに気持ちの良い散歩となった。朝食はホテルで取ったが、外には飲茶屋などもあり、お茶を飲みながらゆっくり点心をつまめば良かったと後悔した。もっと言えば、今からこの街を去らなければならないことに大いに後悔した。

DSCN6997m

イポーからキャメロンハイランドへ行くには昨晩降りた郊外のバスターミナルのほか、街中のバスターミナルからバスが出ていた。11時のバスがあるのを確認して、荷物を引き摺り、ターミナルへ向かう。ところがなぜか雨が降ってきた。

 

横を見ると、東安会館という華人の同郷会が見える。ここで華人はどんな生活をしてきた、そしてしているのだろうか。道を間違えたのか、インド人街にも迷い込む。イポーは華人の街と聞いていたが、ここにもインド系がいる。マレーシアの多様性を垣間見る。

DSCN7025m

 

バスは11時ギリギリに入線。豪華バスだった。今日は日曜日、ほぼ満員の乗客を乗せ、出発した。すぐに山道に入る。昨日のバスの旅が長すぎたせいか、今日の2時間半はあっという間に過ぎる。山をかなり上ると、高原野菜のビニールハウスなどが見え、近づいてきていることが分かる。

DSCN7032m

DSCN7039m

 

このバスの終点はタナラタという街だが、私は途中のブリンチャンで降りなければならない。一体どこで降りればよいのだろうか。一人二人と下車する人が出てきたが、一向に分からない。すると突然『エクアトリアル』という文字が見えた。本日予約をしたホテルではないか。

DSCN7041m

 

慌てて下りようとすると、運転手が『こんな所では降りられない』と厳しい。だが幸いもう一人下りる人がいて、運転手も渋々ドアを開けた。私が荷物を取り出したいというと一層嫌な顔になったが、もう仕方がない。後ろを見ると、車が渋滞していた。これは申し訳ないことをした。

《奇想天外マレーシアの旅》(7)イポー イポー目前で大渋滞

1. イポー

イポー手前で大渋滞

気持が急速に落ち込んでいた。スリの被害額は大したことはない。パスポートやカードなど取られて面倒な物は全て手元に残っている。これはプロの仕業、足のつくものには手を付けていない、幸いだった。旅も続けられる。ということで、イポー行のバスに乗り込む。乗客は少なく、快適なはずなのだが、気持ちを立て直すことが出来ない。こちらには落ち度は殆どなかったと思う。ではなぜ?

DSCN6982m

 

バスはチンタラ走る。そしてイポー行直通ではなく、途中のポートディクソンへ寄った。小さな町でバスターミナルではなく、適当にところで乗客を降ろしたようだが、それでも時間を取られる。トイレにはこまめに行く。

DSCN6984m

 

更に進むと夕陽が傾く。もう一つクランという街にも入る。高速道路は快適なのだが、街中は少し渋滞。イポーまで6時間と言われたが既に4時間近い。これなら一度KLに戻り、バスを探した方が良かったような。

DSCN6989m

 

そして日が暮れ、到着時刻が近づく。明るい内に到着すると何かと気が楽だったのだが、何とイポーまであと50㎞で大渋滞に嵌る。最初はちょっとした事故なのかと思っていたが、いつまでも車が動かない。ちょっとイライラし、そしてまたスリのことを考える。早く新しい街へ行き、気分を変えたいのに、試練が与えられているようだ。

 

1時間後ようやく渋滞を抜け、さあ、イポーだ、と思った瞬間、バスは無情にもドライブインへ入る。ここは相当大型で、きれい。どうやらこのバスはイポー止まりではなくさらに先に行くため、運転手の休息と食事休憩が義務付けられていた。あと20㎞でイポーなのに、と一人悶々としていたが、20分休憩と言いながら、運転手が帰ってくる気配はない。

DSCN6991m

 

乗客が戻り、最後に運転手が席に着いたのは40分後ぐらいだった。そしてあっという間にイポーバスターミナルへ。マラッカを出てから実に8時間近くが経っていた。ターミナルには人影もまばらで、市内へ行くバスなど見付からない。仕方なくタクシーに乗ると25rも取られる。

DSCN6993m

 

大音響のホテル

どこへ行くのかと運転手に問われ、ハッと我に返る。私はホテルの予約もしていなければ、この街のことを何も知らない。だが適当なホテルへ、と言いたくなかった。どうしてもスリのことが頭に残っており、何かが起こりそうな気がしたからだ。ガイドブックで見た、エクセルシオールという名前を言うと、無言で走り出す。

 

市内まで15分ぐらい、タクシー代は高過ぎた。ホテルに入ると、大音響でライブ演奏中だった。他を探したかったが、夜の10時過ぎで、疲れてもいた。1泊150rも気に入らなかったが、部屋は静かだと言われて、チェックイン。部屋は古びていたが、広々としており、多少救われる。だが下での大演奏は当然ガンガン響いてきた。表に出たかったが、疲れが邪魔をした。

DSCN6994m

 

ネットが繋がるので、Facebookに今日の出来事を書き込んだ。今日の出来事を今日書き込むことは稀であるが、そうせざるを得ない精神状態だった。明日からどうやって旅を続ければよいのか、人が信じられなくなる怖さ。

 

もう夜中の12時だというのに、演奏はどんどんエスカレートしていく。このまま朝まで続いたら気が狂いそうだと思った午前1時、ピタッと終了した。そして恐ろしいほどの静寂が訪れ、それがまた私の眠りを大いに妨げた。

《奇想天外マレーシアの旅》(6)マラッカ 集団スリに遭う

10月5日(土)

SIMカード

河沿いホテルの夜景は素晴らしく、ぐっすりと眠れた。マラッカでもうすることはない。朝から散歩に出る。ポルトガル遺構付近では子供たちの踊りが披露されていた。何となく雰囲気がマッチしていてよい。

DSCN6977m

 

今回携帯はタイのSIMをそのまま使っていたが、何とローミング代が高過ぎて、1000バーツ以上使ってしまい、残高不足に陥る。仕方なく、マレーシアのSIMを探しに行く。だが意外とショップはない。コンビニを覗くと、そこで出来そうだった。一応パスポートの提示を求められ、SIMカードが買えた。店員はマレー人で言葉は通じなかったが、携帯に言葉はいらない。セットアップもしてくれて助かった。

DSCN6978m

 

ホテルに戻りチェックアウト。これからキャメロンハイランドへ向かう。取り敢えず下の街、イポーを目指すため、昨日着いた郊外のバスターミナルへ。ホテルオーナーからは近いバス停を紹介されていたが、折角なので、観光スポットの時計台から乗ることに。そこへ着くとちょうどバスが来て慌てて乗り込む。

 

集団スリ

バスはそれほど混んではいなかったが、私の窓際の横には足の悪いオジサンが座る。通路には3-4人のマレー人らしき人々が立っていた。すると後ろの席の男性がくしゃみをして、私のTシャツに何か付いた。彼は『ソーリー、ソーリー』と言いながら、ハンカチで私の背中を拭き始める。私はTシャツだからいいよ、と言いながらほんの数秒振り向いた。

DSCN6868m

 

ちょうどバスがカーブして2人の男性が寄りかかったように思えた。前に振り向くと、2人が私のカバンに手を付いていたが、すぐに元に戻った。ちょっと嫌な感じがした。すると後ろの男性が再度背中を拭き始めた。これはおかしいと感じ、振り向くのをやめた。更には念のためポケットのカメラを取り出し、首から下げてみた。

 

横に立っていたオジサンが『お前の背中はまだ汚れているぞ』という仕草をしたので、決定的におかしいと思い、前を向いたままバックを固めた。その時バスが停まり、一人が下りた。その後隣のおじさんが話し掛けてきたがほぼ無視した。次のバス停で数人が降りた。あの数秒で私のバッグを開けたとは思えない。念のため手でパスポートなどを探ってみたが、特に問題はなかった。ちょっと気にし過ぎたかと反省。

 

それから小1時間、マラッカ市内を遊覧したバスは、ターミナルへ着いた。イポー行バスはまだ来ていなかった。念のため、トイレに入り、荷物を全て点検して驚いた。パスポートの入ったポーチは2段になっていたが、その上の方は見事に現金が抜かれていた。あんな短い間に出るのか、驚愕。

 

完全なプロによる集団スリに遭ってしまった。2年半の旅で1度も危険な目に合ったことがなかった私は狼狽えてしまった。彼らはパスポートなど足が着くものには手をつけなかった。幸いにも米ドルやバーツなどは下の段で取られず、上の段に入っていた人民元だけが抜かれていた。

 

そのある中国系にこの話をした。私は日本人に見えないことが災難に合わない理由だと思っていたが、彼は『お前は中国人に見える。今や現金を持っているのは中国人だぞ。だから狙われたんだ』と。人民元だけが抜かれたというのはその後笑い話となる。『盗人も値上がりする通貨を選んで盗む時代』だと。

 

《奇想天外マレーシアの旅》(5)マラッカ 華人の開墾地マチャバルへ行く

マチャバルへ

ホテルへ戻りオーナーに相談事をしようと思っていたら、先客がいた。何と中国遼寧省出身の中国人女性で、現在シンガポールで働いているという。一人旅でここにやってきた。『最近は中国人女性の一人旅も増えてきた』という彼女、私も認識を改めなければいけない。

DSCN6937m

 

実は今日はマチャバルという場所へ行きたいと思っていた。それは先日ソウルで会った華人女性のシュウシュウが、『マラッカに行くなら、是非黄さんに会いに行け』とメッセージを飛ばしてきたので、それに従ったまで。何度か電話したが、どうやらマラッカ市内から少し離れているらしいこと、夕方5時以降に来るようにということ以外、よくわからないため、オーナーから黄さんに電話してもらった。

 

その結果分かったことは、マチャバルはここから40㎞ほど内陸に入った所で、バスなどはなく、車をチャーターするしかないということ。また料金もKL‐マラッカのバス代が片道10rであるのに対して、マチャバルまでは40r、往復で80rも掛かるということ。何故行くのかと問われれば、それがご縁、というしかない。

 

運転手も華人で言葉は通じた。最初は普通の道を走ったが、途中から山道、田舎道の連続。池などもあり、いい場所ではあるが、本当にこんなところに人が住んだのだろうか。40分ほど、車も走らない道を行き、ついにマチャバルに着く。黄さんは海鮮レストランを開いており、場所は直ぐに分かった。

DSCN6944m

 

だが運転手は1時間後には帰りたいという。黄さんを探し、聞いてみると、この村にはタクシーなどはなく、この車で戻るほかないことが判明。滞在は1時間と決まる。黄さん、74歳、50年以上前に家族と共にこの村に入植。マレーシア政府が華人の為に開墾を認めた村、マチャバルは中国語では新村。当初は色々と大変だったが、場所に恵まれ、農業が軌道に乗り、更にその後レストランを始めた。子供にも恵まれ、うち一人が台湾へ留学、シュウシュウと出会ったと言う訳だ。その彼女はインドネシア華人に嫁いでおり、既に不在。

DSCN6950m

 

黄さんには電話で説明したつもりだったが、突然日本人が現れて驚いた様子。私の電話はレストランの予約だと思い込んでいたので、午後5時の開店に合わせてくるように言ったようだ。何はともあれ飯ということで、美味しい豚の角煮や野菜炒めが私の為に振る舞われる。黄さんは何度も『シュウシュウの紹介だったのか』と感慨深げである。シュウシュウはその昔、ここに遊びに来たことがあった。

DSCN6949m

 

店は地元の人で繁盛しており、すでに老人の黄さんも何かと忙しい。1時間はあっという間に過ぎ、運転手もどこからともなく戻ってきた。何とも突然の出会いであり、そして突然の別れとなる。50年前の新村、マチャバルは若者がどんどん出ていき、過疎化している。今後どうなるのだろうか?帰りは真っ暗な道を無言で戻る。いずれにしても、このショートトリップは歴史の一コマを見るだけでも十分に意味があった。