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マレーシア茶及び食の旅(5)雨のハジャイ

ようやくチケットを入手して、いざマレーシア出国、と思ったが、どこからマレーシアを出国するのか分からない。何の表示もなく、そのまま外へ出てしまうと、ヒンズー寺院が見える。反対側に回ると、ホームに列車があるのが見えるのだが、鉄格子が嵌っており、ここから降りることは出来ない。そのまま眺めていると向こうから列車がホームに入ってきた。あれに乗るのだろうか。

結局ある程度の人がベンチに座っている場所が待合室。皆が手持無沙汰にひたすら待っている。だが時計だけが動いていき、人の動きは起こらない。何と発車時間の16:40になって初めて審査場行きのドアが開いた。審査は2度あるが簡単で、すぐにホームまで行けた。タイの陸路入国、以前は年間2回までという制限があったが、今はないんだよな。

そこには古びた列車が待っていた。ハジャイに行く乗客が続々と審査を終えて乗り込んでくると、ゆるゆると出発した。乗客はマレーシア人が多く、白人もいる。日本人の年配者も一人だけ見掛けた。日本人バックパッカーはもういない。列車が走ると窓から吹き込む風が爽やかだ。この風を浴びるために、私はここに居る。

40分後に列車はハジャイ駅に入った。ここは何度か乗り降りしているので、見慣れた光景だった。小雨が降る中、予約した宿へ向かった。メインの通りを歩いて行くと、麵屋が見える。昼ご飯を回避して腹が鳴っており、宿よりまずは麺となった。どう見ても華人経営の店で、豚肉麺を頂く。ハジャイもタイピンに負けずグルメな街だ。有難く満たされた。

宿は以前も泊ったことがある。可もなく不可もないが、料金はちょっと値上がりしている。まあ仕方がない。荷物を置いて再度外へ出たが、雨脚が強くなっており、遠くへは行けない。仕方なく、近所の店でカオマンガイを食べる。これはさすがにタイピンの海南鶏飯の方が美味いし、コスパも良い。もっと他の物も食べたかったが、やむを得ない。部屋に帰って雨音を聞きながら寝るだけだ。明日も早い。

11月26日(火)バンコクの茶荘

朝5時台に起床する。今日は朝一番のフライトでバンコクへ移動する。だが雨はまだ降っており、Grabで車を呼んでも見つからない。何とも困った。周囲を見渡してもソンテウも全くいない。何度か挑戦していると、なんとか車がやってきた。空港までは約30分。国内線だし、それほど慌てる必要もなかったが、万が一の場合は取り返しがつかないので、ちょっと焦ってしまった。

空港に着いてホッとしたが、周囲を見るとイスラム教徒ばかりが目に付く。やはりここは深南3県、チェンマイとは全く風景が異なる。少し時間があったので、あまり人がいない所まで行き、柱についていたコンセントで充電を開始した。するとそこにムスリム親子がやってきて隣で充電する。英語で声を掛けられ、少し会話した。何でもメッカ巡礼に行くらしい。幼い娘はスマホの動画に夢中になっており、移動を拒んでいた。巡礼しなくていいの?

マレーシア茶及び食の旅(4)タイピンから国境へ

宿のすぐ近くにベーカリーがあった。新しい店舗の脇に古びたドアの製パン工場が見え、そこには1918の文字がある。タイピンで最も古いパン屋かもしれない。ラスクのようなものを買い、宿に戻って紅茶を淹れて食べてみると美味しい。本当はまたどこかの食堂でブランチを食べようと思っていたのだが、これで満足してしまう。

お昼前後はクイーンズ駅伝を見て過ごす。鈴木亜由子が久しぶりにいい走りをしていて喜ばしい。見終わるとやはり何か食べたくなり、またフードコートへ。好きなスポーツを見て、腹が減った美食食堂へまっしぐら。こんな生活、幸せだな。汁なし撈麺を頼んだが、おばさんが「ワンタンも食べたら」というので、併せて頼むと、これがモチモチで美味い。まあ、とにかく何を食べても300円程度だから、気兼ねなく追加できるのが何とも嬉しい。

腹がくちると散歩するしかない。時計台など古びた建物が並ぶエリアを歩いて行くと、郵便局など歴史的な雰囲気が漂う。さすがな150周年の街だ。また宿に帰り、今度は大相撲の千秋楽を見る。琴桜がやった!それにしても、日本のスポーツを見ながら、食べたい時に外へ出て、腹が満足すると散歩。夢の極楽生活かもしれない。年に1度ぐらいはこういう生活に浸りたい。

それでも夕方5時前にまた食べに出る。今度は何を食べようかと考えていると、ちょうど目の前に老舗茶室があった。まだ開いているようだったのでふらっと立ち寄る。メニューを見て、唐揚げ炒飯?を注文する。ここは創業から何年ぐらいやっているのだろうか。普通の炒飯に見えたが、意外に旨い。と思っていると、店を閉められ始めたので、慌てて外へ出た。この店は近所に2号店も出している。さすがに今日の食事はこれで終わりだ。

11月25日(月)タイピンからハジャイへ

タイピン最終日の朝、また何を食べようかとフラフラする。昨日の茶室の近所には、古びた茶楼があり、早起きの老人たちが集まっていた。擂茶などと魅力的な文字も見えたが、何故か気分が乗らない。フードコートで最後の一食を探していると、海鮮粥が見えた。これだと思い注文すると、かなり時間、ぐつぐつ粥を温めている。値段も13リンギとこれまでで一番高い。アツアツの粥は非常に旨かった。フードコートでの飲み物は原則中国茶。

天気が良かったので、湖の周りを半周した。今日は平日で観光客も減り、かなり気持ちの良い散歩だった。写真もきれいに撮れたような気がするして満足する。もう一度海南鶏飯を食べようかと思ったがさすがにその気力はなく、宿へ戻って休息する。チェックアウト時間の12時に宿を出てゆっくり歩く。

駅で何か食べようかと考えていたのだが、周辺の食堂を眺めてみても、ちょうど食べたい物に出くわさず、列車を待つこととなった。先日の係員に挨拶してホームで待ったが、列車は遅れていた。20分ほど遅れてやってきた列車に乗り込んだが、ほぼ満員。団体観光客が結構乗っていた。車窓の景色は基本的に変わらないが、途中で雨が降るなど、その雰囲気は時々変わる。結局2時間半以上かかって国境のパダンブサール駅に到着した。

時刻は15:40。実はハジャイ行きの列車は1日2便しかなく、午後は15:40分発しかない。とかなり焦って改札を抜けたが、何と時差が1時間あり、16:40出発だと分かる。係員に聞くとまずはハジャイ行きのチケットを買って、それから出入国審査となるらしい。ところがそのチケット売場に人がいない。確かに1日2便だから、係員も完全にダレている。僅か50バーツのチケットを買うために待つ。

マレーシア茶及び食の旅(3)イポーで飲茶、タイピンでフードコート

その飲茶屋はいい感じに建っていた。意外と奥行きがあり、老人を中心にした家族連れ客も多い。やはり週末の朝は家族・親族で飲茶か。何となく昔の香港を思い出す。何とか席を確保して周囲を見ていると、老板娘がやってきた。彼女は一瞬広東語を話したが、すぐに英語に切り替え、こちらが華語を使えると分かると、華語になった。店のオーナーは広東系だが、彼女の一家は福建省安渓の出だという。

私が安渓には何度も行ったというと喜んでくれ、珍しいお茶も出してくれた。「ここは基本的に広東語の世界なので、私もずっとアウエー状態で生きている」と小声で話したのは印象に残った。点心はかなり美味しく作られており、お茶ともマッチしていた。とてもいい朝食を食べることが出来て感謝。

それからチェックアウトギリギリまで宿の部屋で休む。この宿、眺めがよいし、フロントが最上階にあって、そのスペースも何となくスタイリッシュ。宿から駅までは歩いて10分程度だが、途中に歴史的建造物あり、モスクありで、なかなか楽しめる。到着した駅舎がまた歴史的なので、言うことはない。

列車は10数分遅れたが、無事到着。40分ちょっとでタイピン駅へ滑り込んだ。ここも今年1月に来ているので慣れている。と思ったら、何とチケットカウンターが開いていない。係員に聞いてみると何と「この駅では今は自販機でしか切符は売っていない」というではないか。え、1月は買えたのに、イポー駅でも問題なく買えると言っていたのに。実はタイピンへのチケットは郭さんがネットで予約してくれたので、難なく乗れたのだと初めて知る。

ここでまた私のクレカ問題が再発した。JCBカードは持っていたが使えない。銀聯カードも使えない。どうするのかと思っていると、その背の高い係員が、マレー人のお客さんに声を掛け始めた。何人か目で応じる人がいて、その人のクレカで国境までの切符を買ってもらい、現金を渡して購入が完了した。係員に感謝すると「今日も朝から数人、あなたのようなお客がいて、自分のカードも残高不足だったので」と笑っていた。さすがマレーシア。

予約した宿は、歩いて10分ほど。前回の記憶が鮮明で、問題なく辿り着く。この宿の設備は古びており、昨日とはかなり違っている。ただフロントはとても親切で心地よい。部屋でサッカー天皇杯決勝を観戦する。それが終わって、さてご飯を食べようと思ったら、雨が降り出していた。

でも腹は減っている。少し小降りになったところを見計らって傘を持って走り出す。目指すは前回行ったフードコート、食べたいのは海南鶏飯。だが、時刻は午後3時。いくつかの店は既に閉店していた。海南鶏飯はお預けとなり、代わりにモヤシ鶏飯を食べる。これはこれで美味い。更にフードコート内をウロウロしていると、乾撈麺という文字に反応してしまう。しかしこれは美味かった。焼きそばとスープが絶妙だ。一気に2食を食べて腹が完全に膨らんだ。

また雨が強くなり、ボーっと雨宿りした。ここで働いている人々も手持無沙汰で座り込んでいる。意を決して傘をさして宿へ戻った。そしてまた配信で卓球を見ていた。夕方雨も上がり、また外へ出た。でももう満杯で食べることは出来ない。湖の周囲を少し歩いて腹ごなしを計ったが、無駄だった。本当にこの街は目的無く散歩するに適している。

11月24日(日)タイピンを満喫

朝起きるとすぐにフードコートに向かった。今朝は海南鶏飯の屋台が開いている。これは美味い。そして何より安い。1月より1リンギ値上がりしていたが、それでも僅か5.5リンギ。信じられない値段だ。これを朝食べると一日がハッピーになりそうだ。それから天気の良い中、街をフラフラ歩いた。

マレーシア茶及び食の旅(2)イポー 六堡茶の歴史

11月22日(金)イポー 六堡茶

早く寝たので早く起きた。夕飯も中途半端だったので腹が減っていた。外へ出るとすぐに朝飯が見付かる。麵屋など数軒の屋台が入った複合店で、とろみのついた滷板麺を食べた。これは朝から美味い。中国茶といえば、ちゃんと甘くない、温かい茶も出てきて良い。朝飯を探しに来た人々は、次々とテイクアウトして去っていく。

周囲をちょっと散策すると、KLセントラル付近は様々な顔を見せてくれる。特に多いのがインド系であり、ヒンズー寺院もいくつかある。朝飯屋ではカレー系の食事を取ることもできる。中国系寺院ももちろんあり、更にはタミルチャーチと書かれた教会も存在した。このエリアはかなり混沌としていて、もう少し知識があれば、非常に面白いと感じられるだろう。

宿をチェックアウトしてバスターミナルに向かう。早めに到着してバスが来るのを待ったが一向に現れない。10分ほど定刻を過ぎてようやく姿を現したので、ホッとした。イポーまでは約200㎞、高速道路なら早いはず、と思っていた。だが途中で給油したり、何となくなくのんびり走ったりと、さすがマレーシアのバス。結局3時間ちょっとでイポーに到着。

バスターミナルで待っていてくれた郭さんに拾ってもらい、まずはランチへ向かう。イポー名物もやしチキンの店は大行列だったので、広東の焼肉系に切り替える。これがまた美味いんだ。豚、鴨、鶏、全てに満足できる味だった。こういうのが簡単に食べられるのはさすが食の街、イポーということだろう。ご馳走してもらった郭さんには感謝しかない。

午後は郭さんのオフィスへ行き、古い六堡茶を頂きながら、六堡茶と北タイの繋がり、その歴史について、こちらが最近調べた内容を披露しながら、12年前香港で手に入れた資料のコピーを手渡した。北タイの茶葉(原料)が香港で加工され、マレーシアにやってきたのだろうか。更にはタイから直接やってきた茶葉はあっただろうか。実に興味深いテーマでの意見交換だった。

ただ今日の郭さんは少しそわそわしていた。実は2週間後に中国広西から六堡茶代表団がイポーにやってきて、大規模な交流会があるというのだ。中国のことだから急に決まったのだろう、郭さんはその準備に奔走しており、夕方車に乗ってその会場のチェックに出掛けた。私も宿まで送ってもらうついでに同行した。

イポーの中心街に立派なホテルがあった。そこが会場であり、中国から数十人が来るので、その会場と宿泊準備は大規模だ。ホテルの女性マネージャーはいくつもの言語で話し、作業をどんどん進めて行く。そのテキパキさは、さすがマレーシア華人。イポーにも団体が来てイベントを開催することも結構あるのだろう。

予約した宿まで送ってもらい、郭さんと別れた。次はいつ会えるだろうか。宿はキレいでよかった。コンセントの問題もなかった。夕日がきれいに見えていたのだが、いざ夕飯に出ようとしたら、なんと激しい雨が降り出した。宿の1階にはコンビニが併設されていたので、そこで何か買おうと思ったが、サンドイッチやおにぎりは置かれておらず、カップ麺しかなかった。美食の街イポー、何だか急に寂しい夜となる。

11月23日(土)イポーからタイピンへ

翌朝はすっきり晴れていた。この宿は駅に近いという理由で泊ったのであり、周囲の土地勘はなかった。ネット検索すると歩いて数分のところに飲茶屋があるようだったので、歩いてみる。その付近は以前何度か歩いたこともあり、六堡茶の茶荘も訪ねたことがあったが、今日は週末でオーナーは不在だった。

マレーシア茶及び食の旅(1)困難続きのKL

《マレーシア茶及び食の旅》  2024年11月21日‐11月26日

チェンマイ滞在も僅かになった。行っておきたいところへ行くべきと思い、選んだのはマレーシア。六堡茶の謎を少しずつ考えていきたい。合わせて今回から食の要素を大幅に取り入れていきたいと思い、タイピンを目指す。

11月21日(木)KLの困難

朝車を呼んで空港へ向かう。運転手は英語が出来たので会話する。「先月家族でKLに行った」と言い、「来年は頑張って働いて家族を大阪に連れていきたい」と語る。私が「ペナンもいいよね」というと、「ペナンはプーケットと同じなので、タイ人は興味を持たない」ときっぱり。なるほど。

KLまでの直行便は約3時間。ウトウトしている内に到着する。マレーシア入国には事前にネットで入国カードの記入が必要となっており、それをしておけば日本人は自動ゲートから簡単に出られると聞いていたので、楽ちんと思っていたら、何と私のパスポートははねられてしまう。

係員に聞いても、「ダメなら列に並べ」と言われてしまい、いつもの長蛇の列に加わり、1時間弱かかって、入国する。何とも不思議なのは、機械には撥ねられてしまうのに、有人の入国審査の機械はちゃんと通過すること。それにしてもここで自動ゲートが通過できるかどうかは時間的にも精神的にも大きい。まずはシムカードを購入して気持ちを整える。

KLの空港内は広い。バス乗り場までの距離は相当に長い。ようやくたどり着いたが、チケット売場は1つしか開いておらず、長蛇の列。横を見ると自販機が数台並んでいるが、私は諸般の事情でクレジットカードを保持していないので、そこでは買えないようだ。係員にそれを伝えると、「窓口もキャッシュレス」というではないか。ではどうするんだ。何と係員は手作業でチケットを打ち出し、手数料を取って現金を受け取った。何だこりゃ。

バスに乗る際、今日の宿を思い出した。なぜか電話しろ、とメッセージが来ている。電話すると英語は通じたが、意味が分かり難い。先方もそう感じたようで、しきりにWhatsAppと言っている。私は普段このアプリを使わないので、分からないと答えて電話を切った。何となく面倒な予感がする。

バスは快適。途中でスマホを見ると、何と宿からWhatsAppにメッセージが来ていた。どうやって探したんだろうか。どうやらこの宿は普通のホテルではなく民泊。フロントはなく、何らかの方法で鍵を開けるのだが、その前に1泊分の保証金200リンギの入金が必要だという。

クレカがあれば簡単だったかもしれないが、それもなく、他は主にマレー人向け入金手段だったため、バスの中で窮してしまう。先方も一応外国人対応で保証金を取りに行く、と言ってくれたが、なんと翌日は11時にしか返しに行けないと言われ、万事休す。まさかの予約キャンセル、しかも返金不可。今後はホテル予約も慎重にしなければ損をする。

1時間でKLセントラル駅に着いたが、まずは明日のイポー行き列車のチケットを買わなければならない。駅で何とか売場を見付けたのだが、何と「明日午前は売り切れ」とつれない返事が来た。今日はとことんついていない。駅構内にあるバスターミナルへ移動して聞いてみると、午前は9時過ぎの一本しかないというので、そのチケットを購入。

さて宿が無い。ネットで探して近所のホテルを予約して向かうが、今日の今日で予約できるホテルの質は?既に午後4時を過ぎていたが、すぐにはチェックインできず。おまけに荷物の預かりも断られる。まあ仕方がない。近所で食事を探していたら、焼き豚が釣り下がっていたのでそこで食べる。12リンギ、まあまあ。夜もちょっと外へ出ようかと考えていたが、そこへ大雨が降ってきて出られない。諦めて部屋でネットを見て過ごす。今日は一体どんな日なんだ。

マレーシア茶旅2024(10)スワナンプーム空港で一夜を過ごす

そうするとまずはトランジットで、入国せずに出国ロビーに移動しなければならい。カウンターまで歩いて行き、搭乗券をもらおうとしたが、明日の5時以降と言われる。それでもWebチェックインは完了しており、QRコードはもらっているので、トランスファーの場所へ行くと、ちゃんと通してくれた。

あっけなく、事態は完了した。これから約15時間、どうやって過ごすか。取り敢えずラウンジが使えたので、そこに荷物を置き、空港内散策を開始した。まずは空港内ホテルを探してみる。もし泊まれれば、それに越したことはない。インフォメーションで聞けば、たった一軒しかないという。しかもそれは一番端にあり、歩いて15分ぐらいかかってしまった。

そこに入って聞いてみると、8時間泊まるのに5000バーツ、4時間でも3000バーツというので、驚いた。市内の結構いいホテル並みの料金だ。確かにビーはきれいそうだが、簡単に泊まれる場所ではない。お客も全く見掛けなかった。仕方なくとぼとぼ戻ると、税金還付窓口が目に入った。これまで一度も使ったことはなかったが、今回初めてユニクロの買い物で手続きをしたのを急に出す。

どうせ暇なので、還付可能か聞いてみることにして列に並ぶ。以前は圧倒的に中国人観光客に占拠されていたこの窓口、今は韓国人はじめ様々な人々が並んでいた。10分で窓口に到達し、書類などを提出すると、係員が何やら慌てている。そしてもう一人の係員が『あなたはどこから来たの?』と聞いてくる。完全に異邦人扱いだ。彼女らのシステム上、私は存在しないというのだ。

確かにそうだ、入国していないのだから。ところが係員とその上司は真剣に協議を始めてしまった。もういいです、と言える雰囲気はない。そして結論として警備員が呼ばれる。これはまずいと思ったが、係員は『警備員に出入国ゲートまで連れて行ってもらい、出入国のスタンプがもらえれば、還付できそう』というのだ。もう流れに任せるしかない。

警備員が来て引き渡され、どこかへ向かう。ところが事情を聴いていた警備員が連れて行ったのは、インフォメーションだった。そしてここで事情を話していると、どこかへ電話を掛けて、受話器を渡される。向こうから日本語が聞こえてくる。そして回答として『あなたは一度マレーシアへ出国してしまったので、還付は出来ない』というごく当たり前のものだった。なぜ還付のカウンターではあんなに議論があったのか。もしやすれば何か方法はあったが、警備員が面倒だからここに連れてきたのか。謎だらけだったが、僅か500円の還付で騒ぎを起こしたことを素直に反省する。

ラウンジに戻り夕飯を食べるとやることがない。そういえばシャワーがあるとか言っていたので行ってみると、掃除のおばさんが『シャワー空いているよ。つかうならバスタオルね』と気さくに準備してくれたので有難く浴びる。気持ちが良い。その後フルートなどを食べながら過ごす。

午後11時過ぎて次々にフライトが飛び立ち、急に寂しくなる。そして何とこのラウンジが午前1₋5時の間は閉まるという驚愕の事実を知る。半泣きで係員を見たら、『大丈夫、向こうの別のエアラインのラウンジは24時間だよ』と優しく教えてくれる。何とも有難い。12時過ぎて、真夜中のひと気のない空港をそちらへ移動する。

こちらにも殆ど人はいなかった。朝食用意は午前3時からと書かれていた。その頃から眠気がマシ、ドラマを見ている間に寝落ちする。ふと気が付いたら午前5時だった。一応搭乗券権をゲットして、朝食をゆっくり食べると搭乗口へ向かった。旧正月直前ということか、かなり込み合っていたが、ここでも映画を見ている内に寝落ちして、機内食は食べなかった。急激に疲れを感じながら、成田空港に午後到着した。本当はラーメン、チャーハンセットが食べたかったが、既に体調は不調になっており、タンメン餃子セットを途中で食べて帰る。

マレーシア茶旅2024(9)KLで歩き疲れてへたり込む

宿まで知り合いの陳さんが来てくれた。ホテル併設のカフェで旧交を温める。10年来の知り合いで、以前は経営者として様々な仕事をしていたが、今やほぼ引退状態となり、自分で車を運転してきた。コロナ禍では手術などもしたようだが、元気そうでよかった。これから世界中の興味ある場所にフラッと行くのが生きがいらしい。日本で一緒に旅しようと言われたが、その機会はあるだろうか。

陳さんと別れて、周囲を歩き出す。10分ほど行くと、大掛かりな観光客向けレストランと屋台が並ぶ場所があった。ここはもう完全に普通話が飛び交う世界だった。ブキビンタンを少し入っていくと、その昔肉骨茶を食べた懐かしいレストランが健在だった。相変わらずの賑わで、何とか席を確保して、肉骨茶を食べる。以前より更に立派になった肉骨茶、値段も随分高くなっているが、客はひっきりなしで大繁盛。ここも中国人観光客が多い。近所には蘭州拉麺の店なども出来ており、観光地として発展している感じだ。夜はアジアカップ、日本対イランを見ていたが、何だかな、という試合だった。

2月4日(日)旅も10日目疲れて

今朝は早めに起きて、宿の朝食を頂く。そして部屋に戻り、オンラインで2時間半ほど話す。まあこれが目的で、ネットがちゃんとつながるアメリカ系ホテルを選んだわけだが、何となく疲れが出る。それでも意を決して外へ出て、またモノレールに乗る。今回はモノレールが大活躍でよい。アブドララーマンという名の通りを目指す。この人名は初代首相からきているのだろうか。

実はこの道、戦前は日本人が多く住んでいたとある本に書かれていたのだが、今回行ってみても、その痕跡は全く見付からなかった。今やSOGOなどが建つ、繁華街という感じだろうか。道幅も相当広いので、古い物は壊して拡張したのかもしれない。ずっと歩いているとマレーストリートというところまで来てしまった。この付近はKL初期の頃のマレー村だったとあるが詳細は分からない。

いつの間にかムルデカ広場付近まで来てしまった。もう1時間も歩いただろうか。バスに乗って帰ろうかと探したらちょうどよいのが無くて、また歩いてしまう。かれこれ2時間近くの散策を終えて宿に戻った時は疲労のピークだった。だが突然腹が減り、隣のマックに駆け込んだ。まあセットで400円ぐらいだから高くはない。

部屋でへたり込むと、そのまま寝てしまう。明日はもうバンコク経由で帰国なので、最後の夜に何を食べようかと考えていたが、結局外へ出ることも出来ずに、今回の旅で残った食糧を食べて、ボーティーを飲んで休むしかなかった。もう歳なのだから、そしてGrabも安いのから、もっと効率的な旅をすべきだと反省する。

2月5日(月)バンコクの空港で一晩を

朝は宿で食べて、ダラダラしていた。時間になったので、モノレールに乗りKLセントラルへ出て、そこからバスに乗って空港へ。これは半年前と同じなのでスムーズにいく。だが疲れていたのだろう。チェックインで20分も列に並んだのに、自分の番が来たら違う航空会社だったことに気づき唖然となる。出国審査も長蛇の列で疲弊度がかなり増す。

何とかマレーシア航空に乗り込むと、ちゃんとご飯出てきて嬉しいが、体調を考慮して大人しく少しだけ食べる。KLからバンコクまではフライト時間が2時間ほど。時差も1時間あるので、午後4時にはスワナンプームに到着していた。さて、ここからどうするのか。実は私の東京行フライトは明日の午前8時なのだ。勿論入国してホテルに入ればよいのだが、また長蛇の列に並ぶのも嫌であり、かつ明日は午前4時ごろ起きて、また出国しなければならいことを考えると、空港で一夜を明かす方が良いのかと思う。

マレーシア茶旅2024(8)KLをフラフラ

少し待つと雨は上がったので、出掛ける。モノレールの駅がすぐ近くにあって有り難い。そこから駅3つほど行くと、何とららぽーとがあった。私の目的地とは反対方向だったので、帰りに寄ることとして、歩き出す。10分ほど行くと林が見え、そこに番号が刻まれた小さな石が多数あった。これが墓石だとはすぐには気が付かなかった。

その向こうに日本人墓地があったが、ここは立派な上に門が固く締められており、墓石を見ることすら叶わなかった。さらに周辺は荒れ果てたところに十字架が見えたり、仏教寺院があったりと、かなり不思議な場所だった。KLの中心街にこんな場所があるとは意外だった。風水の関係だろうか。

ららぽーとまで戻って見学する。グルメストリートと書かれた場所にはレストランやカフェが沢山あったが、まだ時間が早いためか、ほとんど人がいない。建物の中も同じく人は少ない。旧正月が近いのでその飾り付けが眩しい。日本をイメージした場所もあったが、ちょっと違うような気がした。結局何もせずに戻り、KLセントラルでカヤトーストとフレンチトーストを食べる。体調がすぐれない時にはありがたい。部屋に帰っておにぎりの残りを食べて寝る。

2月3日(土)KLで

朝、近所を散策するとヒンズー寺院が3つもあった。周辺はインド系の人々が暮らしていた。そこからずっと歩いて行くとパサールスニに着く。インド人街とチャイナタウンは結構離れていたが、これは比較的最近のことではないだろうか。行こうと思っていた店が閉まっており、ちょっと歩いてまた海南チキンライスにありつく。あまりにリラックスしてしまい、なんとカバンを店に忘れてしまったが、すぐに店の人が追いかけてきてくれた。何とも有難いことだ。

そこからパサールスニを通り過ぎ、一番端まで来る。そこに建源茶荘がある。ここは半年前にフラッと入った(4年ぶり)時も、『あ、久しぶり』と言いながら温かく迎えてくれるのが良い。今回もサラッと歴史の話などをしながら茶を飲んだ。そこへお父さんが登場したので、最近モヤモヤしている六堡茶の歴史について詳しく聞いてみた。

こちらは福建系のお茶屋さんだから、広東系?の六堡茶とは少し違うような気もするが、それでも長年マレーシアで茶業をやっていれば、色々な話は見聞きしている。やはり六堡茶には、様々な歴史がありそうだ。宿のチェックアウト時間が迫ってきて、全てを聞くことは出来ず、ちょっと残念。

急いで宿に戻り(モノレールでまさか一駅だったとは)、チェックアウトして荷物を持って、またモノレールに乗る。今日から2泊は中心部の少しいいホテルに泊まる。週末でモノレールは意外と混んでいる。ラジャチュンランという駅で降りて、数分歩くと今日の宿があった。12時過ぎに行っても、日本みたいに『チェックインは2時からです』なんて誰も言わない。部屋が掃除されていれば、すぐに入れてもらえるが嬉しい。

そして腹が減ったので外へ出たが、この付近はオフィス街?で簡単に食べる所が見付からない。少し歩いてみたが状況は変わらなかったので、マレー系ファーストフードの店に入ってみた。するとオーダーは全て機械。だが最後に電話番号を入れる必要があり困る。店員も調理に忙しい。ちょうど出てきた店員に話すとすぐに自分の番号を入れてくれ、オーダー完了。スパゲティボンゴレとカレーパフ、ドリンクで20リンギは高いのか、よく分からないが、若者が多く利用している。

マレーシア茶旅2024(7)イポーをフラフラ

そこから線路沿いに駅まで行こうと歩いて行くと、昔のバスターミナルがある。10年前、ここからキャメロンハイランドへ登ったのが懐かしい。ちょっとトイレに入り、その先の駅舎へ辿り着く。この駅には以前はホテルが併設されていたので、その名残が所々に見え、多くの外国人が写真を撮っている。

駅前からふらふら歩いて行くと、4年前取材で行った梁瑞生茶荘があったので、懐かしくて入ってみた。店員に聞くとオーナーは1時間ぐらい後にしか戻ってこないと言われたので、あきらめて外へ出ようとすると彼がちょうど帰ってきた。すぐに思い出してもらえ、おじさんと共にお茶を飲みながら旧交を温めた。六堡茶の歴史については、昨日会った会長が一番詳しいと言われる。コロナ禍で大変だったと思うが、生き残っていて良かった。これも六堡茶ブームの恩恵だろうか。

宿へ帰る前にフードコートを探して、叉焼鶏飯を食べる。味がいい。イポーに来てよかった。ただ徐々に疲れが出てきている。午後は宿で昨日貰った本を読みながら休息に充てた。それでも日が傾く頃には、また外へ出てしまい、イポー名物のもやし鶏肉麺を食べる。これは確かに美味い。もやしはシャキシャキしているし、鶏肉も新鮮だった。

まだ明るい中、帰ろうと歩いていると、何とコインランドリーを発見。ホテルで聞いても、イポー市内にはない、と言われていたので驚いた。すぐに宿へ帰って洗濯物を取り出して、洗濯に向かう。マレーシアといえばコインランドリーと思っていたが、ようやく巡り合えてよかった。これで心身ともにすっきりした。

2月2日(金)KLへ

今日は朝、近所に出掛けてカレー麺を食べる。この店は朝6時から昼頃までしか開いていない。昨日は12時頃行って、既に麺が品切れだった。とにかく混んでいるが、何とか滑り込んだ形だ。勿論汁なし麺だ。これが美味しいと言われていたが、4年前に食べた物の方が美味しかったような気がするがどうだろうか。

更にフラフラしていると飲茶屋が目に入る。見ていると広東語で声が掛かる。サラっと入ってしまい、その後も広東語でオーダーした。30年近く前の香港を思い出して、何とも懐かしい。あの頃から広東語が出来なかったが、飲茶のオーダーだけは出来た。といっても焼売は元々広東語だったりする。何だかいい気分になる。

昼前に宿から駅までGrabを呼んでいく。マレーシアのGrab は本当に安くて便利、素晴らしい。12時前に列車に乗り込み、そこから3時間かかってKLまでやってきた。かなりの時間眠っていたのは、疲れていたからだろうか。KLセントラル駅に着いて、ホームに降りたが、エスカレーターになかなか乗れない。スペースが狭すぎて移動を制限していた。

今日は取り敢えずこの駅の周辺に泊まるつもりだ。目当ては4年位前に泊まった宿。行ってみると、料金は30%程度上がっていたが、フロントも親切で、部屋もそれなり、まあいいか。ところがネットが全然繋がらない。マネージャーが来て治すとすぐに繋がった。原因は全く分からない。

外へ出た瞬間、雨が降り出した。まさにスコール。傘など何の役に立たない程のザーザーぶりだった。仕方なく横にあったセブンイレブンに逃げ込む。ドリンクを買って部屋まで走るつもりだったが、女子高生がおにぎりを買っているのを目にして興味を持つ。『とびこ かに マヨ』とか『スモークサーモン クリームチーズ』など、日本にはないユニークなものが並んでいる。さすがにこれらは置いておいて、普通に『照り焼きチキン』と『サーモン照り焼き』を買って部屋に戻った。

マレーシア茶旅2024(6)イポーで六堡茶の歴史を学ぶ

1月31日(水)イポーで六堡茶の歴史を学ぶ

朝はまた宿で朝食。今日はマレー系のナシレマッを食す。普通に美味い。全部腹に収めてまた湖を散策。ちょうど反対側付近に動物園があった。地元民によれば『夜は真っ暗で何も見えないナイトサファリ』があるそうだ。その先を歩いて行くと、墓地があった。ここは第二次大戦中に亡くなった、マレーシア、オーストラリア、インドなどの兵士の墓が並んでいる。よく見ると年齢は若く、半分ぐらいは氏名不詳だった。戦った相手は日本軍であろう。

この付近は初期のタイピンでイギリス人などが居住した場所のようで、古い建物やクラブなどが残されている。更には教会なども見え、その先には立派な刑務所があった。その向かいにはもっと立派な博物館まである。1883年に作られたという博物館の展示は豊富で見応えがあった。実は刑務所はそれより早い1879年に出来ているというから、ちょっと面白い。

昨日もちょっと寄った嶺南古廟に今日は入ってみた。意外と色々なものがあった。そこから30分ぐらい歩いて戻る途中にフードコートがあり、美味そうな海南チキンライスを見掛けた。思わず座って食べると旨い。店員はマレー系の若い女性で英語が通じない。取り敢えず5リンギ札を渡したら、0.5リンギのお釣りをくれた。まさかと思ったが、僅か日本円130円だった。これなら毎日くるよ。

11時半頃柯さんが迎えに来てくれ、駅まで送ってくれた。何から何までお世話になった。そして鉄道に乗り、イポーを目指した。意外と乗客が多い。イポーまでは僅か40分だが、何となく列車の旅は良い。イポーには過去2回来ており、駅舎はレトロでとても懐かしい。ここに柯さんから連絡してもらった会長が車で迎えに来てくれていた。

彼はマレーシア六堡茶協会の会長だという。協会は昨年できたばかりらしい。やはりここ数年の六堡茶ブームを反映している。まずは昼ごはんとして、麵屋に連れて行ってくれた。イポーも美食の街であり、食べ物は何でもうまい。その後会長の執務室へ向かう。そこで貴重なお茶を飲みながらゆっくりと話した。その話の内容は驚きの連続であり、私の20年以上の茶旅人生で得られたものが、何の役に立つのかをはっきりと明示してくれた。大変有意義な午後だった。おまけに貴重な本を2冊もらい、感謝感激。

車でホテルに送ってもらった。初めは別のホテルを予約しようと思ったのだが、うまくいかず、結局前回泊まったところに落ち着く。だがなぜかネットが繋がらない。結局部屋を替わることで何とか切り抜けた。ホテル自体は落ち着けるいい感じなので、他を探さす必要がなく助かる。

この付近、意外と夕飯を食べる所に困った。昔の記憶で歩いて行くとレストランがあり、なんと夜も飲茶をやっていた。点心を3つほど頼み、お茶も持ってきてもらって、ちょっと変則な夕飯となる。ちゃんとした点心で実は美味しい。何だかゆったりとお茶を飲む。帰りは既に暗くなっており、足早に戻る。

2月1日(木)イポーをフラフラ

朝ご飯は宿で食べた。意外と混んでいる。外へ出て、どんどん郊外の方へ歩いて行く。街中はやはり漢字が目立つ。旨そうな店も途中に何軒か見掛けたので、こちらで食べればよかったと後悔する。橋を渡ると華人地区と思われるいい感じの通りがあった。だがそのすぐ横は何とインド系の店が並ぶ。なかなか複雑だが、その昔はやはり川を中心に貿易などが行われていたのだろう。

鉄道の線路も越えて辿り着いたのは日本人墓地。こちらもペナン同様鍵がかかっていて中には入れない。それでも墓石の文字はいくつか見える。やはり日本人女性の名前のようだ。からゆきさんはここにも来ていた。何といえばよいのだろうか、言葉が無い。向かいには立派なヒンズー寺院もある。