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クアラルンプール茶旅2023(4)2つの天后宮へ

7月7日(金)ホーチミンに戻る前に

今朝はお目当ての朝食屋がまさか閉まっていた。仕方なく、MRTに乗り2駅行く。KLセントラルの隣の駅とは思えない閑散とした、未開発の空間に驚く。きっと何かいわくがあるのだろう。とぼとぼ歩いていき、坂道を登る。高級住宅はあるが、大都会とは無縁の静けさだ。

その先にお目当ての天后宮があった。思っていたよりはるかにデカい。観光バスがやってきて、大勢の華人観光客を下ろしている。そこには海南会館もあり、海南人が建てたものらしい。階段を上がると観音がいくつもある。外へ出ると、街が一望できる。結構高いところまで来たとの実感が沸く。

帰りは途中でバスに乗ろうと待っていたが、その付近は何だか工事中で、バスは一向に来なかった。仕方なくまた駅まで歩き、MRTに乗る。チャイナタウン付近で降りて、ランチに向かう。昨晩聞いていた、最近KLで流行りという蘭州拉麺の店に行ってみた。確かに昼時、店はかなり混雑していた。お客は中国系もいるが、何とマレー系女子もいる。蘭州拉麺は豚肉を食べないマレー系にうってつけの料理と言える。串羊肉も合わせて頼み、美味しく頂く。

今度は別の駅から別の路線に乗うろとGoogleの言う通り歩くと、何とキリスト教系の学校の中を突き抜けた。なぜだろうと思っていると、何と駅が学校の入り口に直結していたのだ。更にこの駅から2駅行こうと乗り込むと、何とひと駅で列車は止まり、反対側のホームまで階段を上り下りした。何と不便なのだろう。

何とか目的の駅に着き、歩き出す。そしてもう一つの天后宮へ行ってみた。こちらは午前のそれより規模がかなり小さく、庶民的だった。数十年前にここに移築されたようだが、そのいわれや歴史はよく分からない。そろそろ時間が来たので、バスで帰ろうとしたが、バス停というものが無く、どこで待てばよいか分からない。ちょうどお坊さんが立っていたので、その横にいるとバスが通り過ぎ、お坊さんが走り出したので驚いた。

何とか乗り込み、終点まで来ると、またチャイナタウンだった。この街を一周してみたが、特に面白い所はない。まあ観光地だから仕方がない。最後に初日の夜に外から見ただけの関帝廟に寄る。ここは広肇会館とも書かれており、KLに多い広東系の根拠地のようだった。宿に戻り、荷物を持ってKLセントラルを目指した。

KLセントラルからバスで空港に向かう。昔はよくこれに乗っていたのに、乗り場すら忘れてしまう。1階降りて何とかバス乗り場を見付け、チケットを買う。以前は10リンギだったと思うが、今や15リンギになっている。まあそれでも鉄道の50リンギに比べれば安いか。バスは満員の乗客を乗せて走り出す。

約1時間かかって空港に着いた。私が乗るベトナム航空はどっちのターミナルだろうか。何とかチェックインカウンターへ行き、チケットを貰う。出国審査は入国時よりかなり空いてはいたが、時々審査が滞り、列がなかなか進まない。それはミャンマーやバングラあたりの労働者が、不法滞在などを疑われてのことらしい。結構な確率で別室へ向かう。日本もこんな感じなのだろうか。

広いKLIAで時間を持て余す。LCCターミナルの方が楽しそうだったなと思い出す。KLはかなり多民族が行き交う場であり、彼らを眺めて過ごす。搭乗のコールがなかなかかからず、本当に時間を持て余す。何とか飛行機に乗り込み、機内食を完食するとホーチミンまで戻ってきた。今回のKL旅は何だったのだろうか、と思う間もなく、ホーチミンのイミグレはあっという間に通過できた。

クアラルンプール茶旅2023(3)高級茶荘で

7月6日(木)散歩するだけで楽しいKL

今朝はゆっくりと起き上がる。朝食は付いていないので、外で食べようと出掛ける。すぐ近くに元氷室の食堂があった。いくつの店が入っていたが、迷わず牛肉麺をチョイスした。ただここは観光客向けのようで味は今一つ。おまけに頼んでいないのに大盛りだと言って料金をプラスで取られた。これもまたKL。華人は油断できない。

そこから北上してみる。川沿いに潮州会館、永春会館、安渓会館が並んでいたのは、やはり初期のKLに流れてきた人々の構図だろうか。橋を渡り、川の反対へ行くと、急に景色はインドになる。マスジット・インディアという古いヒンズー寺院がそびえていた。1863年、インド系イスラム教徒貿易商により建てられたとある。華人の横にはインド商人あり、という構図は変わらない。

そこから川沿いを歩くと、 クアラルンプール最古のモスク と言われるマスジット・ジャメクが見える。ここは美しいイスラム寺院として知られ、10時から観光客に無料開放していたので、見学する。確かにきれいな寺院だが、観光客はまばらで、マレー人が敬虔な祈りを捧げている姿が美しい。ムルデカ広場方面の建物もきれいに見え、またそちらへ向かって歩いてしまう。この辺がKL発祥の地、ということだろうか。

昨日素通りしてしまったテクスタイル博物館へ寄る。ここは旧鉄道局の建物を利用している。民族衣装などが展示されているが、特に華人に注目してみてみる。ババニョニャスタイルなどが興味深いが、この辺は知識を埋めないと理解が難しいような気がする。マイノリティである華人は、マレー人から見えれば、興味の対象だろう。

昨日と前を通った南洲茶室で海南鶏飯を食べる。料金もリーズナブルで味も手堅い。そこからMRTに乗る。途中乗り換えがあったが、駅が離れており、一度地上に出て歩くことになる。駅中にはファミマがあって安心?何とか辿り着いた駅はかなり郊外の印象だ。それにしても郊外の新しい駅は見事に先端を行っている。

今日訪ねたのは国立図書館。ここに来ればお茶の資料もあるだろうと勇んできたのだが、何と古い方の図書館は改修中で、半分しか使えない。それでもレファレンスで事情を話すと、色々と資料を探してくれた。しかしやはり茶関係の本は殆どない。マレーシアは茶産地がほぼないので仕方がないか。

ようやく見つけた資料は20年前のKLで開催されたお茶のシンポジウムの記録。私が知っている方々の講演が何人も再現されており、記念にコピーを取ろうと尋ねると、何と『コピー面倒なので、写メして帰って』とあっさり言われてしまう。何でも煩い日本の図書館とは大違い。著作権などどこ吹く風。素晴らしい。

またMRTに乗って宿へ帰った。結構疲れたので休んでいると雨が降り出す。その雨が止んだ頃、また出掛ける。今晩はKL在住のHさんと会う予定になっていた。何と彼はつい先日結婚したとのことで、奥さんも一緒にやってきた。まずは彼があさりラーメンの店に連れて行ってくれた。KLで結構人気があるという。あさりラーメンというと松江を思い出すが、ここのあさりはかなりデカい。

続いてHさんが行きたいというので、中国茶の店に行ってみる。夜もやっている観光客用の店で、私も以前来たことがあるが、何ときれいな2号店が出来ており、高級感が出ていた。この店は、好きなお茶を一人一品選んで、店の人が淹れてくれるという方式。試飲だけして買わない人を防止するということだろう。かなりいい、またレアな岩茶を揃えており、その分値段は高い。オーナーは福建人だという。H夫人は客家の出とか。お茶にも興味があるので色々と話が盛り上がる。

クアラルンプール茶旅2023(2)KL旧市内をフラフラ歩く

昼は近くで海南チキンライスを食べる。以前からある有名店だが、その観光客向け対応が進み、もはや私が食べる場所ではないように思えた。そこからもう一つの老舗茶荘、高泉発を探す。4年前に行ったのだが、今では場所も定かでない。許さんから教えられた通り慎重に歩いて行くと、途中に安渓会館なども出てきて、雰囲気が増す。

以前はもう少しオープンだった高泉発だが、コロナの影響か、今はピンポンを押さないと入れないので、普通のお客さんはいない。中に入ると女性がいたので華語で『オーナーは居るか?』と聞くと一瞬怪訝な顔をしたので、私が4年前に書いた記事にある写真を見せるとすぐに対応してくれた。後で聞けば娘さんだった。

黄さんは、4年経ってもあまり変わらない。最初日本人が来たというので簡単な日本語を使ったが、すぐに『ああ、あんたのことは覚えているよ』と華語に代わった。お茶を飲もうと岩茶を淹れてくれる。言い方は変だが、おばあちゃんの家に来たような気分になる。そして店に飾られたお茶や茶缶を眺めながら、ゆるゆると話す。店内には本当に貴重な品々が並んでいた。

そこからふらふらと図書館を探して歩き出す。クラン川とゴンバック川が合流する地点がクアラルンプール発祥の地とされており、その西側に芝生が映えるムルデカ・スクエアが見えた。その前には1897年に建てられたスルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)が聳え立つ。複合様式で圧倒的存在。

その先のナショナル・テキスタイル・ミュージアム(国立織物博物館)は、もとは1905年に鉄道事務局として建てられた。そこから右に曲がるとKLシティギャラリーが見えてくる。1898年に建てられたコロニアル式の建物を改築した資料館。1階にはKLの歴史が学べる展示室があり、KLの街が形成された様子、客家が大いに貢献したことなどが分かる。2階にはKLの町を模型で再現したコーナーがある。この辺観光客が多い。

さらに進むとお目当ての図書館がある。ここの1階には先ほどよりさらに詳しいKLの歴史が通路のように展示されていて面白い。2階に上がるとほぼ人はいないので、ゆっくりと本を探して読む。もし観光に疲れたら、ここで休むのも良いだろう。私は茶に関する書籍を探すが、かなり限られている。

その後ムルデカ広場をちょっと歩く。この広場の周囲に歴史的建物がごっそり集まっているのが面白い。更に向こうは高層ビル。古びた教会があるのもちょっと気になるが、その背景は書かれていない。スルタン・アブドゥル・サマドビルに入ってみたかったが、門は閉ざされている。今も現役で使用されているのか。その横に観光案内所があったので、地図をもらいながら、お勧めを聞く。更にはこの建物写真を撮る。

フラフラとこの地域を脱出すると、ちょうどよい所に食堂があった。ここで焼肉鶏飯を食べる。広東系で、こりゃいい味出している。11リンギ。お茶と言えば、すぐに中国茶アイスが出て来るのも良い。こんな感じで簡単なご飯を食べるのが私のKLかな。

そこからまた歩く。KLの2大モスク、マスジットネガラはちょっと遠い。その向かいには1910年にイギリス人建築家の設計で建てられたクアラルンプール駅(旧中央駅)が見える。ミナレット(尖塔)があったのでモスクと見間違えてしまった。KLセントラルが今は中央駅だが、ここも現役。この駅の横から線路を撮るのは鉄道オタク的か。裏に回って眺めていると、インド系の女性から『駅の入り口はどこ?』と聞かれたので、教えてあげた。一日とても良く歩いたので、疲れ果て、宿に帰ってシャワーを浴びて熟睡する。

クアラルンプール茶旅2023(1)KLへ

《クアラルンプール茶旅2023》  2023年7月4日-7日

ホーチミン滞在中、中抜けする形で4年ぶりのKLを満喫した。以前取材した老舗茶行を訪ね、またKLの変化もちょっとだけ体感した。

7月4日(火)KLへ

ホーチミンからベトナム航空で2時間足らずのKL。今後拠点をベトナムにして、アジア各地を回るという手もあるな、と思いながら、機内食を食べる。日が西に傾く頃、KL空港に到着。バスでターミナルまで運ばれ、そこから歩いて出口を探すが、なんと遠いことか。以前はシャトルが走っていたようだが、今は停止されている。

ようやく入国審査場まで来て驚いた。延々長蛇の列が目の前に現れる。しかもその列はなかなか進まず。ちょうどラッシュ時に遭遇したらしく、何と1時間近くかかり、入国した。日本人は登録すれば自動ゲートが使えると、見た記憶が蘇ったが後の祭り。ただただ疲れてしまい、これまで使用したことがない、空港シャトルに乗ることにした。

その前に先ずはシムカードを購入。何とコロナ前からかなり値上がりして、どこのブースも最低25リンギだった。そこから空港シャトル、KLIAエクスプレスへ。料金50リンギは高いが、30分でKLセントラルへ出られる。勿論車内も快適だが、バスに比べて高いので利用者は多くない。最初の方は草ぼうぼうで景色はない。突然雨が降り出したが、到着までに止む。

KLセントラル、懐かしい駅だ。ここから僅か一駅、パサールスニへ向かうのだが、何と度の電車に乗ればよいか迷ってしまい、右往左往する。4年間のブランクの大きさを噛みしめる。更に電車カードも4年の間に失効しており、新しいカードを買わなければならない。この辺は他の都市にはなかった扱いだ。

何とかパサールスニへ辿り着き、予約した宿まで歩く。駅のすぐ横だったが、道は分かり難い。フロントは親切で、部屋はコンパクト。特に申し分はないが、何とも機械的な現代ホテルだった。部屋の窓から、不思議な光が輝いて見えた。なんだろうと思い、外へ出てみた。そこはヒンズー寺院で、夜のライトアップがあったのだ。

何となく寺院に入るのは止めにして、腹が減ったのでその近所の華人食堂に入る。怖そうなおじさんが待っていた。何とか焼きそばを頼む。出てきた麺は、福建麺だろうか。味は濃いがこれは美味い。おじさんは華語が出来たが、『どこの出身だ?』と聞くと、困惑した表情を浮かべるだけだった。店の横には関帝廟もある。それから何とかコンビニを見付けてドリンクを買って帰る。

7月5日(水)懐かしの茶荘へ

朝は宿に付いている朝食を食べてみる。正直ちょっと残念。これなら外でマレーシアの朝食を食べるべきだった。ただ宿は気に入ったので、ネットでまた予約。今度は朝食抜きとした。日々プライスが変わるので、何だかせわしない。パサールスニの市場、店もかなり閉まっているのだろうか。チャイナタウンの露店も活気はあまり感じられない。店員は明らかに華人ではなく、バングラデッシュやミャンマー人らしく、華語は通じず英語で話す。

チャイナタウンの端まで歩いて行くと、懐かしの建源茶荘が見えてきた。4年ぶりだが特に変わっていない。中に入ると女性スタッフが『あら、久しぶり』と何の驚きもなく迎えてくれた。オーナーの許さんも『よく覚えているよ』と古い友人のような自然な話しぶりだった。何だか突然ホームグラウンドに帰ったみたいだ。

店で茶を飲んでいた常連さんが帰ると、この4年間、特にコロナ禍での商売など、色々な話を聞いた。残念ながら茶の売れ行きも今一つのようだ。茶の歴史の方も、許さんがかなり興味を持ち、色々な話が出てきた。とにかく一度福建に行かないと確かめられないことばかりだ(行っても分からないかも)。マレーシア茶商公会の60周年記念誌を買って帰った。

マレーシア老舗茶荘探訪 その後2019(3)鬼門マラッカの老舗茶荘

9月4日(水)
久しぶりにマラッカへ

翌朝も昨晩のパンをかじっていた。今日は実質マレーシア最終日、いやこの2か月に及ぶ東南アジア旅の締めくくりの日と言ってもよい。目指すはあの鬼門、マラッカである。6年前、私がその前後も含めてただ一度だけ窃盗被害に遭った場所であり、そのショックはずっと引きずっていた。

 

マラッカ行きの高速バスに乗るにはKLセントラルから列車に乗り、TBSを目指さなければならない。ここに行くのは何と3本の列車が走っているようで、私は一番安いのを選んだ。乗っている間に、6年前も同じ道を辿ったことが蘇ってくる。列車を降りてもかなり歩かないとTBSには着かなかった。

 

このターミナルにはバス会社がいくつも入っているのだが、切符売り場は統一されており、一番早いバスの切符が買えるのがよい。ただ料金はバス会社により若干違う。それは車体によるのかもしれない。バスは頻繁に出ているので、すぐに乗り込み、すぐに出発する。料金も15リンギ以内だから安い。

 

バスはスイスイと走り、高速道路を経て約2時間で、マラッカ郊外のバスターミナルに着く。ここからバスに乗れば市内に行けるのは分かっている。何しろこのバスの車内でスリにあってしまったのだから忘れられない。だが乗り場が分からずまごまごしているうちにバスは行ってしまい、かなり長い時間待たされた。日本人女性の姿も何人かあり、皆バスを待っていた。マレーシアのバスは安いがタクシーは比較的高いのだ。

 

ようやくバスに乗り込むと2リンギだった。それから30分ほど乗って、市内中心部で降りた。ここは観光客が一番多い場所だ。ここから住所は分からないがチャイナタウンにあると思われる茶荘を探しに行く。真ん中付近から数本北に行くと、ほぼ外れかと思われる道が広い。そこに目指す高銘發を無事発見した。

 

入って声を掛けるとオーナーの高さんが親切に話をしてくれた。ここも1930年頃、シンガポールの支店としてできた店舗で、そのうちにオーナーがこちらに移住して、シンガポールの店はなくなり、今はこちらだけが残っていた。マラッカでは唯一の中国茶を扱う茶荘らしい。

 

マラッカは華人も多いので常連さんがおり、今も中国茶中心に小売している。店舗もかなり趣があり、レトロな雰囲気のマラッカにもマッチしている。だが後継者はいないので、いつまで続けられるかは分からない、と寂しそうに言われてしまい、こちらも寂しくなってきた。

 

これで今回探そうと思っていた老舗茶荘、全てに当たりがついた(すでに無くなっているものもほぼ確認できた)。これは意外とすごいことではないかと自分を褒めてしまった。一応の達成感があると、やはり腹が減る。チャイナタウンをフラフラと歩いているうちに、海南チキンライスを見つける。

 

マラッカの特徴はライスがボールになっていることだ。これは6年前にも味わっているので、特に目新しくはない。もうすることもないので、先ほど降りた場所でバスを待つがバスは一向にやってこない。花をつけたリキシャーに中国人観光客が乗り込んでいるのをずっと見ているだけだった。

 

40分以上待ってついにバスが来た。だがこのバスは循環ルートなので、街をぐるぐる回って、なかなかバスターミナルにはいかない。物凄く時間をロスした思いだ。KL行バスは15分も待てばさっと乗れるだけに、この差はあまりにもデカイ。帰りも目をつぶっているとTBSに着いてしまった。

 

また同じルートで帰ろうとしたが、なぜか私の交通カードはゲートに反応しない。いや私だけではなく、誰もゲートが通れない。何と停電だった。仕方なく、もう一つの路線に乗る。交通カードはチャージしていなかったので、現金で切符を買う。途中でモノレールに乗り換え、KLセントラルの一駅前で降りたが、ゲートが開かない。係員を呼んで聞くと、あと1リンギ払えと言う。

 

おかしいだろうと抗議すると、元々あなたはKLセントラルへ行くのだから、というからまたモノレールでKLセントラルまで行ってみてが、やはり出ることは出来なかった。今度は少し頭に来て係員に聞くと『別路線の切符を買っているから出られない』というではないか。地下鉄からモノレールに乗り換えると料金体系が別だと初めて知るが、それなら乗り換えの所でチェック掛けろよ、と言いたくなる。

 

最後の晩はそんな感じでちょっとイライラ。そろそろ日本モードかな。夕飯は焼きそばと肉団子スープにしたが、これが当たりで気分がよくなる。結局宿も最後まで同じ部屋で、窓がなく、ぐっすり眠れた。

 

9月5日(木)
2か月ぶりに日本へ

翌朝はついに日本に戻る日だった。朝はカヤトーストを食べて支度を整える。空港までのバスにも慣れており、エアアジアのチェックインももう問題はなかった。すっかりホームグランド化している。空港もきれいで居心地は良いので、ゆっくりとネットでもやりながら休む。

 

エアアジアは羽田行きなので便利だった。荷物を預けると一応セットで機内食も出てくる。それを食べるとあとはひたすら寝るだけ。ただ前回、確かフライトが遅れて、終電を逃して、深夜バスで辛うじて家に辿り着いたのを思い出す。今回はそれもなく、楽しいマレーシアの思い出のまま、家に帰り着いた。

マレーシア老舗茶荘探訪 その後2019(2)再びクランへ

9月3日(火)
再びクランへ

リベンジの日がやってきた。先日訪ねたクランだが、結局目的を果たせず、むなしく撤退した。だがその際に今日の約束を取り付けたので、もう一度出向く。しかも訪ねる場所は前回と同じ、自宅だ。場所の位置関係はもう分っているので、特に悩むこともなく、列車に乗り込む。

 

やはり1時間かかってクラン駅に到着し、少し待つと無料バスがやってきた。全く前回と同じ運びだ。だが降りるところが違う。前回はスマホ地図に間違った住所を入力してかなり歩く羽目になったので、今回は一番近いバス停で降りるため、地図を注視して、その場所を探った。残念ながら、前よりは近いとはいえ、歩いて2㎞ぐらいの場所にしか停まらなかった。まあやむを得ない。

 

そこからフラフラ歩いて見知った住宅地に入った。今回はパスポートの提示を求められなかった。そして門の前に着き、ベルを鳴らすと人が出てきた。有り難い。楊さん、楊瑞香の3代目だ。招き入れられ、お茶を振る舞われた。茶荘は20年以上前に畳んでしまい、現在は紅茶粉の工場が離れた場所に残っているという。

 

2代目のお父さんが出ていて話に加わる。楊瑞香は元々シンガポールで始まり、後にクランにも支店を出し、今はある意味ではどちらも無くなってしまったブランドだ。クランは福建系が多い街であり、楊家も安渓人であった。そんな話をしているとお父さんが『肉骨茶を食べに行こう』と誘ってくれる。肉骨茶はクランが発祥地、ここまで2度も来たら、やはり食べたいと思い、連れて行ってもらった。

 

車はクラン駅の近くまで戻って止まった。駅から歩いてすぐのところに創業80年の老舗肉骨茶屋があった。まだ11時台だというのにお父さんは急いでやってきた。『売り切れたら閉まる』からだという。店にはお客がパラパラ座っている。オーナーは忙しそうに働いている。やはり福建人だという。

 

突然こちらに向かって『どの肉食べる?』と聞いてくる。まさか肉の部位が指定できるのか。出てきた肉骨茶、スープが何とも濃厚で、素晴らしい。肉も厚みがあり、柔らかい。何だか肉骨茶を食べている感想ではない。だが、この店が始まった当初は、とてもこんな良い材料で、作られていたわけではあるまい。そこには華人の努力が詰まっているように思えた。

 

お父さんが、『是非連れて行きたいところがある』と言って、また自宅の方に戻っていく。実は自宅に上がった時、不思議な物を見た。日本の仏壇のようなもの。『僕は創価学会会員』と言われて、ビックリした。ここクランにも相当数の会員がおり、会館まで建てられているという。日本人の私のその活動を知って欲しいと会館にやってきた。

 

かなり大きな会館だった。これを会員の寄付で建てたというからすごい。今も月に1度、皆が集まるという。向かい側にはかなりの敷地を持つ池田平和公園まである。クランでこの規模だから、マレーシア全体では、相当の勢力になっているはずだ。日本の宗教法人、アジアでの勢いはすごい。

 

駅まで車で送ってもらった。次の列車まで30分ほどあったので、駅周辺を歩いてみた。まずは楊瑞香の店舗があったという場所へ。しかし今は完全にインド人商店街になっている。更に歩いて行くと古い教会が見える。駅の方へ戻るとヒンズー寺院もある。さすが港町クランだ、と思ったところで、列車が来た。

 

実はクランは昔の州都だが、現在セランゴール州州都は、シャーアラムだという。KLに向かうとすぐにこの駅があるので、ちょっと降りてみた。美しいスルタン・サラディン・アブドゥル・アジズ・モスク、通称ブルーモスクがあると聞き、是非見てみたいと思ったわけだ。

 

ところが駅を出た所で、スマホ地図を使おうとしたところ、何とも動かない。約1か月使って、遂に容量が無くなったらしい。駅前には何と店の一つもなかった。少し歩きだしては見たものの、方向も分らず、シムカードのトップアップが出来そうなところは全くない。これでは完全にお手上げだ。シャーアルム見学は次回として、次の列車でKLに帰った。

 

宿に戻る途中、シムカードの処理をした。10リンギで2GBとか言っていたけど、翌日使うとまたすぐに無くなってしまった。新しいものを探したほうが良かったのだが、何しろ後2日内だから我慢した。夕飯は疲れていたので簡単に済ませようと思い、目玉焼きの乗った焼きそばを食べる。

 

腹ごなしに駅のモールを歩くと、美味しそうなパン屋があった。デザート代わりに1つ買うことにしたが、美味しそうなのが2つあったので、それをトレーに乗せて会計に向かう。すると横の女性が『3つ買えばサービスがあるのよ』と教えてくれ、何となく3つ目を選んでしまう。割引があると期待したらなんと『あと2つ無料ですので、選んでください』と言われ、唖然とする。しかしここまで来たら仕方がないと、なんとパンを5つも抱えて宿に戻る。どうするんだ、これ。

マレーシア老舗茶荘探訪 その後2019(1)王室への道は遠い

《マレーシア老舗茶荘を訪ね歩く(2)2019》  2019年8月31日-9月5日

 

8月31日(土)
メダンから戻って

メダンから乗ったエアアジアはあっという間にKLに戻ってきた。正直インドネシアよりKLの方がホッとする。ホッとすると腹が減ってしまい、空港内の食堂に足が向く。カフェテリアには各種の食べ物がズラッと並んでいたが、私はすぐに海南チキンライスの店に前に立つ。わざわざここで食べなくても、とは思うのだが、食べたい物を食べたい時に食べるのが幸せ、ということだろう。

 

バスを探してKLセントラルまで戻る。今日は前回とは違う宿を予約していた。いつも満室で人気だったので、泊ってみることにしたのだ。このホテルはかなりきれいでその割には安い。私が予約した一番安い部屋は窓がない。だがこの窓がない部屋、というのが、よく眠れるので偶に泊まるとよいのだ。電球が切れていたが、すぐに直しに来てくれたのでサービスも良い。

 

まずは洗濯に取り掛かる。明日はどうしようかとその間に考える。だが皆さん明日は忙しいという。私は全く気が付かなかったのだが、何とマレーシアでは昨日(8月31日)は独立記念日、そして今日はイスラムの新年、それで明日は月曜日ながら振替休日になっていたのだ。3連休の真ん中に戻っていてしまった不幸。これも長旅では仕方がないこと。

 

取り敢えずゆっくり休む。夜は近所をウロウロして、中国系の店で定食を食べてみたが、味も美味しくなく、サービスも悪く、料金も安くないという悲劇に遭う。隣の海鮮の方が良いかと思ったが、一人で海鮮は面倒なので、この選択になった。やはり一人旅は食事には不向きかな。

 

9月2日(月)
KL散歩

窓のない部屋でゆっくり寝た。今日は本当にやることがないので、また無料バスに乗って当てのない旅に出た。レッドからブルーのバスに乗り換えて、市内中心部を通る。シャングリラホテルなど、90年代に泊まったホテルは何とも懐かしい。何となく肉骨茶が食べたくなり、その専門店を検索して降りる。

 

だがなぜか歩く方向を間違えてしまい、一向に辿り着けない。そのうち思いっきり腹が減ったので、やむなくモール地下のフードコートで焼きそばを食べて終わる。なんでそうなったのだろうか。それからまたフラフラ歩くと、KLツインタワーが見えてきた。ここは20年以上前にKLに来た頃完成したビルで、日本と韓国が半分ずつ請け負っていたと記憶している。前にあるきれいな公園から写真を撮ってみる。観光客がとても多い。

 

疲れてきたのでバスに乗り宿へ帰る。何だか体力が無くなってきている感じがする。さすがに2か月の長旅での消耗はかなりあり、疲れるのだ。それでも窓のない部屋に居ると昼間は寂しくなる。ちょっと検索すると宿の近くに王室博物館があるではないか。歩いて行けそうなので歩き出す。

 

ところが、川を渡ったあたりで地図がかなり怪しくなる。大きな道路があるのに、示す方向は、人が一人歩けるだけの細い道。突然山歩きかと思う。仕方なく歩いて行くと、何とか通り抜けて廟がある所に出た。しかしそこも博物館の裏側なので、ぐるっと回らなければ入れなかった。

 

一体どうしてこんな構造になっているのだろうか。それはこの広い道がほぼ自動車専用道であり、この博物館には原則車でないと来ないからだ(しかもバスも通っていない)と、正門の前に立ってようやくわかる。入場料を払って中に入るときれいな庭があり当然ながら敷地も相当に広い。

 

靴を脱いで室内に入ると、そこは王様が日常生活を送る場所。決して宝石などが並ぶのではなく、洗濯機があったり、歯医者の設備があったりする。こういう王族の日常が見られる博物館は珍しいのではないだろうか。ふつうは王様の偉業などについての展示が多いはずなのだが。更に行くと、別の建物で特別展として、王様の写真が飾られ、歴史が書かれ、玉座が置かれ、剣などが展示されているスペースがあった。こちらが普通の展示に見える。

 

帰りは無謀にも自動道を何とか渡って帰ろうとする。が、どこへ行っても徒歩では閉ざされてしまい、一般道に出られない。バスもない。仕方なくそのチャレンジを中止して、また山道?をトボトボ帰る。こんなところにさりげなく王様の権威が出ているのだろうか。貴重な体験だった。

 

夜は昨日閉まっていた(祝日だから?)中国系の屋台で食べてみた。ここの人は昨日と違ってとても親切で、テキパキしていた。チキンライスも美味しく感じられ、おまけに料金も安い。こういう店が普通にあると、私のような旅人には本当にありがたい。でもマレーシアの美食を味わおうとすれば、もう少し出掛けて行かなければならないのだ。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(8)KLをフラフラ

他に当てもないので、バス停に戻ろうとしたが、途中にショッピングモールがあり、タクシーがいたので、クラン港まで乗せてもらった。今やマレーシアでも普通の人はGrabでタクシーを呼ぶので、彼らもその料金を念頭に請求してくる。運転手は日本に行きたい、などと言いながら陽気に運転する。港まで5㎞もあった。そして港はほとんど見えない。観光船が出るターミナルで降ろされる。

 

何だかフェリーに乗って海鮮食べに行く、という感じらしいが、どうも今日はそんな気分でもない。天気も曇りで心も晴れない。取り敢えず腹が減ったので付近を歩いていると、マレー料理があったので、そこでチキン麺を食べた。これが意外とうまく、またマレー系は優しいので、ちょっと癒された。

 

クラン港駅はすぐそこにあったので、列車で帰ることにした。一応バスターミナルも見たのだが、KLまで行くバスはここからは出ない。というより、この付近、殆ど人家もなく、何とも寂しいのだ。列車は朝も乗ったので、途中で地下鉄に乗り換えて、別ルートで帰ったが、路線図が頭に入っていないので苦労した。初めてのクランの旅は完全に空振りに終わった。

 

今晩は、以前台湾で一度会っただけの知り合い、Iさんと会う約束になっていた。彼女は台湾の後、メキシコで働いているとばかり思っていたが、いつの間にか、KLにいたようで、連絡があり、再会した。場所はKLセントラル駅。何だか丁度良い店がなかったので、華人系の麵屋に飛び込む。麺をすすりながら気が付けば3時間近く話しており、店の客も全員帰っていた。メキシコからKLに移り住む、凄い。更には行ったことがない南の島に移住するとか、彼女の話は面白過ぎる。

 

宿へ戻る時、前を盲人が歩いていた。実はここに来てからずっと気になっていたのが、盲人が沢山歩いていることだった。しかも必ず誰かが肩を貸すなど、ごく自然にサポートに入っているのがよい。日本はなかなか優しくなれない社会であるが、ここには優しさがある。盲人が多い理由は、どうやらこの付近に盲人按摩の店がいくつもあるかららしい。それで夜も出歩いていることが分かる。

 

8月24日(土)
KL散歩

今日は午前中特に予定がなかったので、適当に動いてみることにした。まずは博物館に行こうと思い、パサールスニの先でバスを降りたが、なかなか見つからない。観光客向けの道があり、更に行くと大きな広場があった。そこに博物館はあったのだが、何とそれは繊維博物館?のような専門的な物だった。

 

ここで無料バスに乗り、国立博物館に向かおうとしたが、バスの乗り場が分からず、結局歩くことになった。2駅ほど行くと、古めかしい建物が登場する。元々鉄道局のビルだったようだ。その向こうにはマジェスティックホテルがある。KLの老舗ホテルで恰好がよい。

 

晴れてはいなかったが、汗だくになってようやく博物館に到着した。ここも敷地が広く、入り口を探すのも苦労した。入場料10リンギ、先日のシンガポール博物館の5分の1以下だ。中の展示はかなりまとまっており、マレーシアの歴史の外観は掴めた。1階では子供向けの絵画教室が行われており、皆楽しそうだった。

 

無料バスを見つけて乗り、駅の反対側まで来た。腹が減ったので、そこにあったケンタッキーに入ったが、そのサービスは良くなかった。マレーシアのファーストフードにサービスを期待する方が間違いだろうか。午後は地下鉄でKLCCまで行く。旧知のHさんとの待ち合わせは、紀伊国屋。

 

だがそこから延々歩いてブキビンタンまでやってきた。以前も行った肉骨茶屋に入る。以前ミャンマーにいたHさん、そこのミャンマー人店員と親しくなっていた。やはり肉骨茶はうまい。実は昨日行ったクランが発祥と言われているが、食べなかったので、ちょうどよかった。帰りはモノレールで帰る。夜は腹一杯で食べず、早く寝ようとしたが、何と外でお祭りのパレードが始まる。鳴り物の音がすごい。

 

8月25日(日)
スマトラへ

今日はインドネシアに向けて出発するため、宿をチェックアウトした。空港へはバスが安いのでそれに乗る。1時間ほどで到着。エアアジアのチェックインと預け荷物の処理は全て機械化されている。最初は戸惑うが、慣れると早い。ただイミグレはとても混んでいて、30分以上通れなかった。シンガポールほどではなかったが、それでもなかなか機能的な空港ではある。これから6年ぶりのインドネシア、そして初めてのスラバヤへ行く。どうなるのか、ちょっとワクワクだ。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(7)クランの老舗茶荘を訪ねるも

8月22日(木)
陳さんと

翌朝は、まず宿の前の店に入り、カヤトーストとコーヒーで朝食をとる。これはマレーシアの定番朝ごはんだと思うが、ここで食べている人はほぼ観光客。そして店員のサービスレベルはかなり低い。早々に退席する。そして宿をチェックアウトして、近くの別のホテルに移った。まだ朝10時前なので、チェックインできるとは思わなかったが、ここのフロントの対応は非常によく、そのうえ部屋が空いていたので、荷物を入れることが出来た。

 

そこからまた元の宿に戻る。今日は知り合いの陳さんと会うことになっており、陳さんにはチェックアウトしたホテルの場所を教えていたからだ。車で迎えに来てくれ、どこへ行きたいかと、私の希望を聞いてくれる。私が、イポーの梁瑞生さんから教えられた茶荘の名を告げると、家の近くだと言って、まずはそこに向かった。

 

九鼎香茶荘は、ケポンという場所にあった。ここはプーアルなど黒茶類がかなり置かれており、老舗という感じはなかった。聞いてみると、1990年代に店を開いたという。ただ以前、茶葉が足りない時代にキャメロンハイランドで茶摘みをしていた人はいた、ということで、昔からお茶に関わっていると思われているようだった。マレーシアのお茶は紅茶だけだと思っていたが、この茶葉で烏龍茶なども作っていたらしい。

 

残念ながら早々に退散して、陳さんのオフィスへ向かう。彼は既にリタイアしているが、勿論今でも彼の会社である。若者が出てきて話をしてくれたが、なんと彼の息子だった。後継者として修業中。しかし話の内容は、日本大好き。特に仮面ライダーなどに興味があるというので、今度うちの息子を紹介して、一緒に秋葉原へでも行ってもらおうかと思った。

 

そうこうしているうちにお昼になる。当初は陳さんと二人で麺でも食べて軽く済ませようと話していたが、最近滅多に顔を見せない陳さんが来たということで、スタッフと一緒に食事をすることになる。潮州料理屋で美味い飯にありつく。だが不思議なのは、潮州料理屋なのに、店主は広東語を使い、客も広東語で答えていること。

 

しかもボスの陳さんは福建人なのに、皆で広東語を使いあっている(ほぼ全員が福建語もできるはずなのだが)。そして中華料理なのに、箸は出てこない。皆フォークとスプーンで食べている。何だか頭がさく裂しそう。でも逆にマレーシアの言語、華人の生活習慣などにとても興味を持ってしまった。来年はマレーシアにも長く滞在して、こういった些細な謎を解き明かしたいものだ。

 

昼ご飯の後も、陳さんのオフィスに行き、美味しそうなお茶をたくさん飲んで、ダラダラと雑談していた。さすがに眠くなったので、車で送ってもらい、新しい宿へ帰った。陳さんは今や悠々自適、この前まで中国を1か月旅し、今週末からは家族でバリ島に行くらしい。まさに悠悠で、羨ましい。

 

夕方までゆっくりと休む。このKLセントラル駅前、手軽で美味い店をなかなか見つけられずにいた。今晩は軽く、と思っていたのに、突然インド系の店に乱入して、魚、鶏肉など3品もメインを頼み、大盛りの飯も付いてきて、食べるのが大変だった。それでも完食してしまうのは、かなり問題だ。どこかストレスでもあるのだろうか。

 

8月23日(金)
クランへ行くも

今日は建源茶荘に教えてもらった、クランの老舗茶荘を訪ねてみることにする。地図で見ると、列車でクラン駅まで行き、そこからバスに乗るらしい。特に連絡もせず、突然訪ねるのだが大丈夫だろうか。行きつけるのか、ちょっと心配だ。KLセントラルから、クラン港まで列車が出ている。これで約1時間、ダラダラと乗って行く。朝8時台でも特にラッシュはない路線のようだ。どの列車に乗ればクラン港に着くのか迷うが、駅員に聞いて事なきを得る。

 

早めにクラン駅に着いたが、駅舎は工事中。バスはどこに来るのか分からない。2-3人が立っていたので、そこにいると10分ほどでバスがやってきたので乗り込む。料金をどのように払うのか聞くと『これは無料バスだ』というではないか。素晴らしい。それから20分ほど乗って、かなり郊外のバス停で降りる。

 

しかしどう見ても目的地ではない。私はスマホ地図に入れる住所を間違えてしまい、かなり歩く羽目になる。だがその目的地に着いても、どう見ても高級住宅地(パスポートを見せてようやく敷地内に入る)であり、茶荘があるようには思えなかった。そしてその番号の家へ行ってみたが、やはりただの住宅で、看板すらない。この一帯は華人のお金持ちが住んでいるようではある。途方に暮れる。

 

そこで初めて電話してみた。女性が出たが『何で自宅に来たの』と向こうも戸惑っている。遠くにある工場にいるらしい。彼女も困って、息子に電話しろ、と番号を教えてくれる。掛けると、いま遠くにいるので迎えに行くこともできない、と言われたが、その声はかなり好意的。後日にして欲しいと言われ、1週間後に再設定した。それにしてもこんな遠くまで来て、誰もいない、というのは茶旅でも珍しい。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(6)KLの老舗茶荘

8月21日(水)
KLの老舗茶荘

翌朝、もう一度パサールスニに向かった。朝10時前だったが、広滙豊という昨日発見した店に乗り込んだ。古い六堡茶なども置かれており、確かに店内を見ても歴史が感じられる。確か6年前にもこの店に入り、マレーシア華人は六堡茶を飲むんだ、と再認識した記憶が蘇る。

 

店員に聞いてみると、やはり100年近い歴史はあり、KLで最も古い茶荘と言われているという。だがオーナーは来ていないので、詳しい話は分からない。そこで若旦那の電話番号を聞いて、掛けてみるも、歴史なら父親に聞くしかないが、現在国外にいるというので、日を改めて訪問することにした。

 

そちらは諦めたが、店員から広滙豊が現在の会長を務める茶商公会の冊子をもらい、現在のマレーシアの茶商リストを手にすることが出来た。これまで行ったペナンやイポーの茶商の名前も載っており、その役割と共に掲載されているので、これで大体の感じは掴めた。更にこの付近の老舗茶商を紹介してもらい、そこまで歩いて行って見た。

 

建源茶行は、チャイナタウンの端の方にあり、今まで気が付かなかった。入っていくと店主らしき人が、ヨーロッパ系の女性に英語でお茶を説明している。若い3代目許さんが私の相手をしてくれた。この店は戦後、1945年創業となっており、祖父が自転車で茶を売り始めたという。

 

1960年、中国茶を輸入するために茶商たちが設立した会社、岩渓茶行には、聯隆泰(貿易専門会社)という別会社で参加しているので、始めたよく分からなかった。福建茶などの卸を主に、現在も営業を続けている。彼らはとても親切で、茶の歴史にも興味があると言い、お茶を飲みながらいろいろな話をした。

 

そして彼は2つの老舗茶荘を紹介してくれた。1つは巴生(クラン)にあるというので後日行くことにした。もう一つはここから歩いて15分ぐらいだというので、そのまま行ってみた。チャイナタウンを過ぎて、インド系の匂いがしてくれる。元々マレーシアでは華人とインド系は貿易などを行う上で、港の近くのほぼ同じ場所に店を出していた。

 

高泉發、その店舗は暗くて、営業しているのかどうかさえ定かでなく、恐る恐る入っていく。ここは卸が中心だな、とわかる店の作り。往時は相当な茶業だっただろう。店員に話しかけると、中から70歳代の夫人が出てきた。彼女が3代目の奥さん黄さんで、残念ながらご主人は昨年87歳で亡くなっていた。

 

最初はあまり話に乗り気ではなかった彼女。私が高という苗字なら安渓大坪出身でしょう、と聞くと、日本人がなぜそんなことを知っているのか、と驚いた。そして私が大坪の張彩雲の歴史を調べたことを伝えると、『うちの主人とは同郷で、親戚の中には張家から船賃をもらってマレーシアに渡った者もいる』と急に親しげになり、その後は何でも話してくれた。因みに黄さんは安渓人ではなく広東の客家の出だという。この2人が結びついた経緯などにも興味があるが、それは説明してもらえなかった。

 

日本人も昔はよく店に来てお茶を買って行ったが、最近は来ないという。景気が悪いのかなというので、素直に頷く。マレーシアの茶業もすでに転換期を過ぎ、今後どれだけ続いて行くのかは分からないと言い切る。こういう老舗が続いてほしいとは願うものの、一方で消費者の好みの変化などを考えると致し方ないのかなとも思ってしまう。それでも4代目が既に店は継いでいるという。

 

茶荘を出ると腹が減る。午後1時を過ぎているのに、満員の店があったので覗き込むと店主が華語で話しかけてきたので吸い込まれた。またまたチキンライスを食べる。私は基本的に1日2食ならチキンライスだけ食べていれば十分だ。活気がある店で食べるとその味がまた良くなる。

 

この付近には大きなマスジットジャメ・モスクもある。かなり美しい外観で引き付けられた。1909年建造とあり、KLの中心的なモスクだ。地下鉄も通っていたので、チラッとモスクを見てから、と思ったが、手続きしている人を見ていて面倒になり、そのまま宿に戻る。そして宿の斜め向かいにあるコインランドリーで洗濯。

 

夜はたまたまKLに来ていたMさんと再会する。場所はまたチャイナタウン。何と2日で3回目だが、これもご縁というものだろう。中華レストランで観光客的な料理を食べながら、マレーシア事情などについて話す。Mさんは多言語を操り、旅好きで、非常に興味深い人物だ。初めて知ったのだが、彼は昔KLに3-4年住んでいたらしい。色々と詳しいわけだ。勉強になる。3時間以上話し込んで、夜遅くに地下鉄で帰った。