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世界お茶祭り2016(4)緑茶コンテストの授賞式

それからゆっくり1階を見て回る。お茶を販売するためのブースもあるが、その場でお金を取ってお茶を飲ませるところもある。何だかそれは新鮮。3階に上がると、下のブースが俯瞰できて面白い。そんなことをしていると、また終了時間が来てしまった。ちょうどエコ茶会のMさんと一緒になったので、静岡駅に向かった。

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驚いたことに、私とMさんは同じところに泊まっていた。夕飯はどうするのかと話していると、今朝のSさんの宴会が話題に上り、そこに合流することにした。実は我々、今晩は万が一台湾人か中国人が静岡にやってきた場合に備えていたのだが、どちらからも連絡がなかったのだ。

 

Sさんの宴会は10数人が参加して行われていた。後から割り込んだ我々、端の席でSさん、そしてTさんと話し込む。この会は皆さんお茶関係者だから、各場所で話が盛り上がっている。Tさんとは以前から顔馴染みだが、ゆっくりお話しするのは初めてで、楽しく時間が過ぎた。

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我々が待っていた台湾人、ジョニーは静岡にやってきたが、既に食事をしているということで放置。更には連絡がないと思っていた福州の魏さん、突然知り合いのS女史から電話をもらう。今浅草で魏さん夫妻を一緒だというのだ。それにしてもなぜ彼女が電話してきたのか。何と魏さんの携帯が壊れてしまい、連絡できなかったらしい。それでも繋がってしまうお茶の世界、凄い、というか、恐ろしい。Sさんたちは近くの別の宿に泊まっているようで、団体さんで帰っていく。

 

1030日(日)
魏さんと

翌朝はチェックアウトして荷物をフロントに預けて出掛けた。昨日のおにぎり屋さんも日曜日はお休みのようだ。もう慣れたルートでグランシップへ。駅で何と札幌の日げつさんと出会う。彼女の案内で1階のブースを回り、新たな出会いがある。札幌セミナーに呼んでくれたKさんとも再会。お茶祭りだ。

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魏さん夫妻が日本で有名なお茶博士、王さんの案内でやって来た。ジョニーもやって来た。この両者、初対面だが、私の親しいお知り合いだ。2人とも今回来日した理由は世界緑茶コンテストで最高金賞を受賞、その授賞式に出席するためだった。まずは受賞茶が展示されている会場へ向かい記念撮影。

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それから1階のブースを回り始めたが、皆それぞれに知り合いが多く、インド紅茶、台湾茶、日本茶、そして製茶機械から茶缶メーカーまで、あちこちで引っかかり、前に進まない。魏さんの熱心さが光る。お昼を落ち着いて食べるところもあまりない。館内のカフェで適当に済ませる。折角日本に来たのに、これでよいのかとも思ったが、魏さんの目的は何よりお茶。ご飯は二の次である。

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今日は天気も良いので富士山が見えるかもしれないと、館内最上階へ行ってみる。ここでは高校生が茶席を設けていた。大きな窓から外がよく見えたが、残念ながら富士山は隠れて見えなかった。魏さんの奥さんは、和服姿の日本人を見ると、『一緒に写真を撮って』といって、近づいていく。これもまた面白い光景だ。

 

それにしても魏さんは忙しい。隙があれば1つでも多くのものを見て、一人でも多くの人と出会おうとしている。この圧倒的な行動力についていく、彼の部下たちは大変だな、とつくづく思う。日本の和紅茶にもかなりの興味を示し、来年は茶産地を訪ねようと意気込んでいる。

 

午後3時から表彰式が始まった。受賞者は日本、中国、台湾、インドなど、各国から出ており、受賞茶もかなりの数に上っていた。その中で最高金賞10品のうち、魏さんとジョニーで4つを取っていた。各人が川勝静岡県知事から賞をもらい、記念撮影をしている。実はこの緑茶コンテストは世界お茶祭りとは関係ないのだが、その授賞式をお祭り内で行っているに過ぎないと聞いた。なんだか不思議な感じだが、まあお茶祭りの最後を飾るにはよい企画と言えよう。

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式が終わってもあちこちで記念撮影は続いている。お茶を販売する者にとって、このような受賞写真は重要だろう。またこの機会にネットワークを広げることも有意義に違いない。お茶の輪が広がっていくのは嬉しいことだ。蛍の光が流れ、お茶祭りは幕を閉じた。出口へ向かうとそこでも知り合いに会い、また立ち止まる。

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魏さんたちは新幹線で東京へ戻るというので、静岡駅まで送る。でも明日は京都へ行くというのだから、東京へ戻るのは反対だよ、と思ったが、仕方がない。私も今日は東京へ行くのだが、いつものように鈍行だ。静岡駅で切符を買っていると、MさんやSさんが通りかかる。『1時間だけ静岡の名物を食べて帰らない?』と誘われたが、すでにその気力はなく、ホテルに預けた荷物を取り出して、緩々と鈍行に乗った。よく考えてみればバスで行くこともできたのだが、何だか今回は頭が回らなかった。

 

世界お茶祭り、私にとっては魏さんたちが登場したし、セミナーも万里茶路で、世界を感じたのだが、正直言うと、全体的には日本お茶祭りか静岡お茶祭りに思えてしまった。どうしてこの名前が付いたのかはわからないが、恐らく中国の茶葉博覧会を常に見ている魏さんからすれば、寂しい会場に映ったことだろう。3年後、果たしてどうなるのだろうか、余計なお世話ではあるが、ちょっと心配になった。

世界お茶祭り2016(3)セミナーについて

紅茶セミナーは事前予約を受け付けないと言い、30分前から先着順というので、10時過ぎに行ってみたら、既に数人が並んでいる。私も並ぼうとしたら、何とすぐ近くに講師のY先生がいるではないか。中では主催者のYさんが忙しそうに準備に追われ、更には紅茶の呈茶担当の丸子紅茶組がバタバタしている。私はY先生から『日本の紅茶史』について、色々と聞いてしまった。

 

実は中国ではいつから紅茶という文字が使われだしたのか、と聞かれたことがあった。私も興味があったので、中国茶の関係者にかなり問い合わせたのだが、最終的に政府機関の研究員でもはっきりしなかった。そのようなことに関心を示さないのが現代中国だ。いや日本だって同じだろう。だからこのセミナー、お茶関係者の関心が極めて高い。

 

10時半の開場と同時に50人以上の人がなだれ込んだ。私も末席に連なる。私の横には日本茶のS先生、反対側にはKさんが座った。開会時には座席を増やして定員を超える70人近い人がいたらしい。今回一番人気のセミナーだっただろう。Yさんの挨拶に続き、丸子のMさんの軽妙なお話。やはり日本の紅茶と言えば多田元吉だから。

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Y先生も日本で紅茶という言葉が使われだしたのは明治初期と言い、それは中国の上海方言から来ていると、文献などを検証した内容を解説した。その前は赤茶とも表現していたらしい。その紅茶という言葉を、多田元吉らが広めていったということだろう。明治7年には紅茶を作るために、清国から技術者も呼び寄せているし、多田元吉自身も中国湖北省に紅茶と黒茶の研修に行っていたはずだ。地元ということで静岡と紅茶の歴史に触れられていた。

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そして多田元吉が植えたという100年以上前の茶樹、原木から摘んだ茶葉を使って作られた紅茶が振る舞われた。何とも歴史を感じる。紅茶は当時日本人が飲むものではなく、輸出される商品作物。日本人が紅茶を本格的に口にし始めたのは戦後だろうが、どのような経緯で飲まれたのだろうか。今回のセミナーは基本的に明治時代に絞られていたので、その後の紅茶史について、続編を期待したい。

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セミナー2

紅茶セミナーから急いで戻り、自分のセミナーの準備にかかる。と言っても昨日と全く同じことを話すのだから、それほど時間はかからない。ただ本日は昨日よりかなり多くの方が聞きに来てくれた。何とも有り難いことだが、その分プレッシャーもある。また2回、全く同じに話せた試しがないので、それも困るが、2日続けて参加という方はいないので、今日は今日の話をしよう。

 

何とか話を終えて、質問を受けた。質問された方は、私の説明が悪かったのか、私の意図していない理解をされていたので、その点は修正させて頂いたつもりだった。だがその夜、ネット上の公開の場で『金を払う価値のないセミナー』という批判をかき込まれていて、驚いた。

 

確かにお金を払って聞いてもらっているという概念が私の方に薄かったのは事実かもしれない。昨日のセミナーの前にも『今日は参加者も少ないので自由に話しましょうか』といったところ、『お金を払って聞きに来ているのだから、ちゃんと話してください』と言われて、ちょっと驚いた。これまでそのように言われたことなどなかったからだ。言われなかった理由、それはこれまではそもそも私の活動を理解している人が多かったからだろう。セミナーの題名だけで来てくれる人を受け入れるのは稀だったのかと反省した。

 

私としては、そのような批判がよい悪いではなく、セミナーをもう一度考え直す必要があると痛感した。一度セミナーをやめて、何が必要なのか、何を伝えるべきなのかを考える良いタイミングではないかと思った。今年は色々とセミナーをやり過ぎた。これまでも私のセミナーにかなり不満を持って帰った方がいたのだろう。Y先生のように文献に根差して検証していくのは学術的でもあり、説得力もあるが、私には難しい。私としては全ての方に満足いくような話はできないし、いくら考えても、限界はあると思うのだが、まあ、これも一つの契機であろう。

 

因みに私のセミナーにこれまで参加してくれた数人に『なぜ私のセミナーに参加するのか』を聞いてみたところ、『自分が行きたくても行けないようなところの話が出るから』とか、『珍しいお茶が飲めるから』『お茶を歴史という観点から考えたことがなかったから』などという答えが多かった。今回も『茶旅』を前面に出せばよかったのかもしれないが、『万里茶路』などという硬いテーマを掲げたため、専門的な話かと誤解されてしまったのかもしれない。

 

フラフラ

昼は大幅に過ぎていたが、ご飯を食べていなかったので、外へ出た。広場では屋台が出ており、食事が買えた。何となく富士宮焼きそばを食べた。疲れていたが、好きなものを食べれば元気は出る。それから昨日も見た釜炒り実演のところへ行くと、今日は有名なKさんが炒っていた。しかもそこへ静岡の手もみ茶の方が来られて、共演!何だかお茶祭りらしい光景だった。

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世界お茶祭り2016(2)レトロな静岡

歩いていると埼玉日高の備前屋さんと出会う。昨年一度お訪ねしただけだが、その後FBでのやり取り、台湾茶農家を紹介頂くなど、しばしば連絡を取り合っている。今年は日本茶アワードで受賞したという。常に勉強の人だ。後をついていくと、何とK先生がいた。しかもコスプレ?でマテ茶を淹れていた。私などは茶葉以外のお茶を飲むことなど極めて稀なのだが、積極的な備前屋さんはそこに座る。

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ブラジルやアルゼンチンなどで生産される南米の飲み物マテ茶。飲むサラダとも呼ばれ、体に良いと現地では相当飲まれているらしい。K先生からマテ茶の飲み方を教えてもらい、飲んでみる。何とも不思議なお茶だった。なんかボンビージャというフィルターのついたストローでちびちび飲む。現地では回し飲みが普通とか。それにしても中国茶や紅茶のK先生と思っていたら、マテ茶まで。実に多彩だ。

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雨の夜

時間が過ぎるのはあっという間だった。午後4時が本日の終了時間。外は雨。私は静岡駅まで電車で行き、予約した宿へ向かう。前回は駅の北側に泊まったが、繁華街で煩いので、今回は反対側にしてみようと思い南側にした。だが最近の方向音痴がさく裂して、ずぶ濡れになりながら宿を探す羽目に。ついにグーグルマップに頼る時が来たようだ。

 

その宿は、如何にも昔のビジネスホテルだったが、コンパクトで悪くはなかった。そして本来1泊の予定だったのが、明日も泊まることになったので、この宿に連泊しようと聞いてみるとなんと『明日は満室です』と言われて凹む。取り敢えず部屋で明日の宿を予約しなければならないと焦る。

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ところがネットで出てきた中に何とこの宿があるではないか。料金も変わらない。予約したうえで下に行き、『部屋、有るじゃないですか』というと、すかさず『それは喫煙部屋では』と言われ、更に凹む。ただフロントもちょっと調整してみます、と言ってくれ、結局禁煙の同じ部屋に2泊できることになる。有り難いことだが、何となく釈然としないところもある。

 

そのまま雨の中、外へ出た。今晩は疲れたので、早く休んで明日に備えたい。そこで駅へ行き、寿司を食べて、すぐに戻った。静岡では駅の寿司と言っても侮れない。かなり美味しいものがリーズナブルな料金で食べられるので、行くと必ず食べている。いつもならコンビニも寄り、更にお菓子など買うのだが、その気分ではなかった。宿ではウエルカムドリンクとして券を1枚くれていた。これを自販機に差し込むとコーヒーが出てくるので、それを部屋に持ち込んで飲んだ。面白い自動化だ。そして早目に安らかに眠る。

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1029日(土)

静岡の朝は

翌朝は当然早めに起きたので、朝食が必要になる。天気は回復しており、気持ちがよい。コンビニでサンドイッチでも買おうかと外へ出たが、すぐに古めかしいおにぎり屋さんが目に入る。そこは何と中で食べられるようになっていたので、入ってしまった。地元の人?が2人ぐらい、食べていたのが、おにぎりセット。おにぎり2個と味噌汁、漬物で300円也。おにぎりの具は自由に選べる。勿論作り置きのおにぎりをテイクアウトしていく人もいる。

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これはいい、と早々に注文する。店内のテーブルなどどう見ても昭和の雰囲気。そのテーブルの上には、なぜか朝からおでんが作られている。これも美味そう、と思っていると後から入ってきた女性がそのおでんを2-3本抜き取り食べ始める。静岡おでんは有名だから食べてみたかったが、そんなに食べられないと控えた。その横ではおじさんが朝から競馬新聞を読み、耳にイヤホンを付けている。本当にすごい!

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自分のセミナーは午後1時だが、紅茶セミナーを聞きたいので早めに行くことにしていた。ちょうど静岡駅で改札を入ろうとすると、向こうから顔馴染みのSさんが改札を出てきた。やはりお茶祭りに参加し、所属する協会の皆さんで茶芸を披露するようだ。何だかとてもテンションが高い。『夜は宴会がありますから、参加してね』などと言い、更には『朝ご飯食べてないから付き合って』と言われ、駅構内のコーヒーショップへ。

 

若者向けかなと思う作りのお店だった。Sさんはクロワッサンとコーヒーのセットを頼んだが、私は飲み物だけにした。メニューを見てびっくり。紅茶のコーナーの一番上に『ディンブラ』と書かれていた。普通の店なら『紅茶』とか、『ダージリン』ぐらいしか書いていないと思うのだが、いきなりスリランカの、それもウバやヌワラエリアではなく、ディンブラと書くのだから、相当に凝っている。実際出てきたお茶は、ポットに入っており、茶葉もしっかり。2杯分もある。これで290円とは驚く。日本の紅茶界は変わろうとしているのだろうか。

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紅茶セミナー

Sさんと電車でグランシップに向かい、10階に上がる。それにしてもこの施設、立派だな。地元の人にそれを言うと『税金の無駄遣い』など問う言葉が飛んで来る。箱物行政だろうか。因みにお茶祭りの規模は3年前と比べ、少し縮小しているようだ。予算が縮小しているのだろうか。広場の出店の数も減っているという。

世界お茶祭り2016(1)お茶祭りでセミナーしてみた

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静岡で3年に一度開かれる世界お茶祭り。その名前は数年前から聞いていたが、これまで訪れる機会はなかった。今年はその開催の年に当たっており、かなり早い段階からその話が聞こえてきていた。私が静岡のお茶雑誌に寄稿していることも一つの要因だったかもしれない。中には『お茶祭りでセミナーやったら』などと言ってくれる人もいた。果たしてこのお祭り、どんなものか全く分からなかったが、折角なので見てみることにした。そしてついでにセミナーで『万里茶路』を紹介してみようと思い立つ。

 

お祭り事務局を紹介してもらい、連絡すると『ぜひセミナーを沢山やって』と言われたのだが、その参加者募集からスタッフの調達まで、全てが自前であることが分かり茫然。なるほど、これこそ旅芸人だな、と気を取り直して、お手伝い頂ける人を探し、宣伝も自分でしてみた。更には入館申請からセミナールームの問い合わせまで、結構面倒だった。セミナー主催者の苦労はよく分かったが、一体どうなるのか、当日まで不透明な状態が続いた。

 

1028日(金)
グランシップへ行く

セミナー開催当日の朝、いつものように在来線に乗り、静岡まで向かった。小田急線で小田原まで行く。東京へ行くのとは逆向きであるのが、それでもサラリーマンや学生が乗っておりかなり混んでいる。小学生が制服で通学しているのが、何とも日本的だ。途中まで座れなかったが、相模大野あたりから空いてくる。

 

そして我が息子が数か月通っていた伊勢原を通り過ぎる。毎日ここまで通うのは大変だったな、と思う。まあ私も1年間毎日栃木から東京の予備校に通った実績があるので、慣れれば何とかなることは知っているのだが、たまに長距離電車に乗ると、特に座れない電車に乗るとその大変さを思い出す。

 

小田原から東海道線に乗り、とろとろと進む。静岡に近づいて頃、よく見ると、今日お手伝いをお願いしたKさんが座っているのを発見した。彼女は横浜からやはり各停で来ると言っていたが、ここで会うかと驚く。しかもスーツケースに大きな荷物を持っている。中には茶道具一式が入っている。何とも申し訳ないことだ。私が巻き込んでしまったのだ。

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静岡の一つ手前に東静岡駅がある。その駅前にお茶祭り会場、グランシップがある。私はその位置関係すらよくわからず、Kさんについて会場に向かう。確かに駅前には広場があり、その向こうに立派な建物が建っていた。お茶祭りは既に昨日から始まっていた。雨が降りそうな天候の中、建物の外にテントがある。

 

セミナー1

屋外で茶葉の販売などが行われている。ここはちょっと大変だな、と覗いていると、何と釜炒り茶を作っている人がいた。目が合ってビックリ、先月お訪ねした高千穂の宮崎茶房さんだった。釜炒りの実演をしていた。中国では珍しくはないが、日本では今や貴重になった釜炒り。その人気は徐々に高まっている。お馴染みの川根のMさんもにこやかに参加していた。

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セミナールームは10階。そこでもすでにいくつものセミナーが準備されており、実際に開催されているものもあった。ちょっと興味を惹かれるものもあったが、まずは自分の準備をした。私は持ち込んだプロジェクターを設置するぐらいだが、Kさんは茶道具を広げ、水を汲み、忙しい。今日の話は黒茶が多く出てくるので、その用意はちょっと大変だ。

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そこへ更にお手伝いのSさんとIさんが来てくれた。Sさんは藤枝で料理屋さんをやっており、何とお昼ごはんを作ってきてくれる。何とも有り難い。牧之原のSさんが1階でお茶の販売をしているが、彼の分の昼ご飯もあるというので、私が届けに行く。1階はお茶屋さんのブースが並んでおり、すぐには見付からないほど。お客さんがお茶を試飲して、買い求めている。日本だけではなく、中国や台湾、インドなどのブースもあり、世界お茶祭りらしくはある。

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お昼ご飯を頂き、セミナーの開始を待つ。本日は平日でもあり、参加希望者はそれほど多くはない。これまで何度も参加しているKさんによれば、『当日参加したいと来る人もいるはず』とのことだったが、結果はそれほど多くはなかった。私としては、少人数でお話する方が楽なので有り難い。興行主としては失格だが。

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セミナーではいつものように万里茶路を紹介した。参加者は皆熱心な、お茶好き、お茶の専門家ばかりで、セミナー終了後も、色々と質問があり、また参加者同士で意見交換が行われた。これはとても有意義だった。話しての話を聞いて帰るのではなく、そこから疑問をぶつけあい、各自の情報を共有化していくことはとても大切だ。今回はいい勉強になった。

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セミナーが終われば、自由時間になる。1階では顔馴染みの人々がお茶を売っていたので挨拶する。3階はお茶席があり、入間の極上茶仕掛け人が高級茶試飲会をしていたり、アニメ茶柱倶楽部の世界を再現したコーナーもあった。著者の青木さんとは何年も前にご連絡を頂き、会ったことがあり、懐かしく思い出す。アニメは海外編に進んだだろうか。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(5)台風で突然熊本城へ

919日(月)
熊本へ

翌朝、五ヶ瀬は靄っていた。折角の景色もよく見えない。取り敢えず朝ご飯を食べる。納豆やノリでまたご飯を沢山食べてしまう。九州の米ではなく、山口の美味しいコメだったらしい。これは太るしかない。そして今回、1つの決断をしていた。今日はY夫妻と別れて、一人宮崎市に向かうはずだったが、何と台風が接近していた。このまま宮崎に行くには、バスで延岡へ出なければならない。

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だがそのバスに乗るための足さえも確保できていないし、更には宮崎まで行けても、そこに台風が直撃する予報となっていたので、行くのを諦めた。宮崎ではお知り合いと会う予定だったが、昨晩急きょキャンセルした。何とも申し訳ない。そしてネットで熊本空港から成田へ行くフライトを予約した。そのフライトは夜の7時だったため、熊本経由で福岡へ戻るY夫妻の車にそのまま便乗することになった。

 

五ヶ瀬の周りももう少し歩いて見たかったが、雨も降り出し、出発時間もあったので、次回に譲る。車は一路熊本市へ向かった。私には地理の知識がなかったのだが、五ヶ瀬から宮崎市へ行くより、熊本市へ行く方が近いというのだ。熊本と言えば、昨日一つの疑問をMさんにぶつけてみていた。佐賀のOさんが言っていた、九州紅茶の祖、可徳乾三について、知っていることはないかと。すると彼はすぐに電話を入れた。相手は山鹿のFさんという茶農家だった。

 

『熊本に行くことがあったら、寄ってみたら』と言われた。山鹿と言えば、明治初期に茶業伝習所が開設されたまさにその場所だった。Fさんはその伝統を受け継ぎ、山鹿紅茶を作っているらしい。実に興味深かったが、山鹿がどこにあるかもわからなかった。結局今回は電話で、ヒアリングしたが、可徳についての情報は知りうる以上には出て来なかった。歴史というのは埋もれてしまうものだろうか。これからは気に留めて調べて行こう。

 

4.熊本
震災の街

車に揺られること、約2時間で熊本市内に入った。真っすぐ熊本城へ向かう。雨のせいか、3連休ながら、車はそれほど多くはなかった。駐車場のトイレの屋根瓦が崩れ落ちていた。数日前にたまたまNHKのテレビで見た熊本城、その崩れているところを生で見ると、その感じ方は全然違っている。きれいに崩れている訳がなかった。勿論立ち入りも出来ない。加藤清正の像はビクともしていないが、城は壊滅的な状況だ。

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お昼を食べに行く。Y夫妻は最初から帰りに熊本で食べる物を決めていたので、それに従う。アーケードにある中華料理へ向かう。ここにご当地グルメ、たいぴんえん(太平燕)がある。12時前でもすでに何人もが並んで待っている。太平燕は元々福州料理だったが、明治期に熊本に入り、春雨スープにちゃんぽんの具材が載っている感じだった。セットメニューとして酢豚が付いたが、これをスーバイコウと呼んでいる。なぜだろうか。日本の中華料理屋は時々理解できないことがある。

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更に重たくなったお腹を抱えて、次に進む。どうしても食べたいアップルパイがあるという。南阿蘇産のリンゴが詰まったパイは確かにうまかった。ただ腹が破裂しそうになる。女子はスイーツは別腹というが、私の腹は1つだった。苦しい!また熊本城付近に戻り、お土産にいきなり団子を買う。そして車で熊本駅まで送ってもらい、Y夫妻と別れた。今回は本当に最後までお世話を掛けた。感謝。

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後は熊本空港に行くだけだったが、時間がかなりあったので、もう一度熊本市内を歩くことにした。荷物をコインロッカーに預ける。ちょうど雨も止んでいたので、市電に乗らず、熊本城を目指して歩く。古い街並みが所々に残っていたが、その古い建物がいくつも崩れていた。お墓も倒れていた。震災から5か月が経っており、基本的には平静だが、一度崩れたものは元には戻らない。ゆっくり歩いて見ると、どうしても目につく。

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結局歩いて駅まで戻り、バスで空港に向かった。バスは30分ぐらいで空港に着いたが、私が乗るジェットスターだけ、チェックインカウンターが離れていた。そしてそこへ行くと『台風が近づいているので、大幅な遅延または結構の可能性がありますが、よろしいですか?』と聞かれる。宜しい訳がないが、他に手立てはない。もし本当に飛ばなかったら、自分で宿を確保するのだろうか。かなり不安になる。

 

この頃から雨脚が強くなり、フライトが飛んでこなくなる。飛んでこなければ、こちらからの出発もない。JALANAもフライトは遅れていた。我がLCCの前途は暗い。昨晩予約した時は、宮崎の方へ上陸すると言っていたはずなのになぜ。後悔先に立たず。あとは祈るのみ。6時を過ぎると、急に飛行機が飛んで来るようになった。台風は既に鹿児島に上陸しているとニュースが伝えていたが、なぜか熊本空港への影響は少ないようだった。ついに我がフライトも飛んできた。そして僅か15分遅れただけで奇跡的に熊本を離れた。飛行機が飛びあがると目をつむり、起きた時は成田だった。今回は幸運だったのか、それとも不運だったのか。いずれにしても、それが私の旅だった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(4)五ヶ瀬の釜炒り茶

駐車場から階段を下りていくと、そこには何とも雄大な景色が見られた。川がかなりの速さで流れ、岩がごつごつとしており、樹木が鬱蒼と生い茂っている。紅葉のシーズンなどはさぞやきれいだろう。今や中国にはこのような風景は見られないような気がする。いや、日本だって、早々あるものではない。雨で濡れる道に足を取られそうになりながら、その眺めを堪能した。

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「天孫降臨とは、日本神話。邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったこと」を指すようだが、それが実話なのかどうか、そしてこの降りた場所が、現在の高千穂町であるとは確定できないようだ。それでも日本史がここから始まったかもしれないことに、ちょっと感慨があるのはなぜだろうか。

 

ちょうど昼時になり、腹が減ってきたので、駐車場付近に戻り、空いている店に入る。そばと地鶏のセットを食べる。まあ、観光地の昼ごはんだが、地鶏は歯ごたえがあった。それから高千穂を出て、今日の目的地、五ヶ瀬へ向かう。車で僅か15分位だが、これがバスに乗ろうとするとほとんどないので大変だ。実は明日宮崎市へ向かう予定で、ここからバスに乗る算段をしていた。

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五ヶ瀬の釜炒り茶

Y夫妻は昨年も五ヶ瀬に来たという。それは単なる旅だったが、宿で飲んだお茶があまりに美味しかったため、その生産者を急きょ訪ねたというのだ。それが今日訪問するM茶房だった。五ヶ瀬の役場を通過したところ、横断幕にM茶房が全国茶品評会で農林水産大臣賞を受賞したと書かれていた。この付近ではとくに有名な茶農家だと分かる。かなり平たい場所に茶畑が広がっていた。

 

忙しいとのことだったが、Mさんは待っていてくれた。聞けば、午前は四国から阿波晩茶の生産者さんや研究者の方が来られていたらしい。私が昨年3月に四国の後発酵茶を回ったことを話すと『それなら午前中から来てもらえばよかった』と残念がる。役所に就職して、週末にお茶作りをしている青年も一緒にいた。Yさんが言う、『M茶房には色んな人が出入りしている』というのは本当だ。それはMさんの魅力が大きいのだろう。

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M茶房は昭和の初期に茶作りを始めた。こちらでは農薬や化学肥料は一切使わず、30年以上やってきたという。Mさんは4代目。基本的に緑茶、それも釜炒り茶に力を入れてきた。日本では珍しい。高度成長期に皆が蒸し製の煎茶に切り替えた時に、ここだけは昔のままの作り方が残ったという。釜炒りというと、佐賀の嬉野が有名だが、一昨年訪問してみると、もう釜炒りしている農家は殆どなかった。日本に釜炒りが初めて持ち込まれた場所としては有名だが、生産現場は既に違っていた。

 

茶畑をゆっくり見学した。ちょうど小雨が上がり、フラフラ見て回る。標高700m程度の場所に、色々な品種が植えられており、平たい土地ばかりではなく、斜面もあった。平地の茶樹は密集しており、傾斜地の茶畑は美しかった。無農薬なので草取りが大変だという。茶工場もかなりの規模があり、古い製茶道具も置かれており、歴史が感じられる。手前に販売所、奥に試飲室があった。その試飲室に入り、実に沢山のお茶を一気に飲ませてもらった。

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こちらも持参した茶葉を出して、一緒に試飲してみる。茶農家は他の人が作った茶を飲む機会が多いとは言えず、このような場で比較してみるのは面白い。釜炒り茶だけではなく、紅茶も作られていた。昨日訪問した熊本のKさんのお茶にも興味を持っていた。『今年はKさんのところを回ってここにくるお客さんが多い』というのだ。国産紅茶への関心の高まりがそうさせるのだろうか。

 

M茶房では、日々ここで様々なお茶にトライしている。釜炒り茶、紅茶だけでなく、ほうじ茶、烏龍茶まで作っている。一見飄々としたMさんだが、そこに独特の感性があるように思える。そうでなければ、数多くの賞を受賞することなどできないだろう。ただそれがどこにあるのか、外見や話からでは分からない。そして日々の活動を見ないと、何も出てこないようだ。ただただ楽しい日々と過ごした。

 

山の民宿

天気は今にも雨が降りそうだ。M茶房を辞して、すぐ近くにある民宿へ移動する。今日は三連休の中日、Y夫妻が昨年宿泊した農家民宿は予約が取れずに、観光案内に紹介されたこの宿に泊まることになった。何だかちょっとロッジ風。雰囲気がよい。ベッドの部屋と畳の部屋があるようだが、私は一人で畳の部屋に入る。窓から外を眺めると山のいい景色が見えた。それだけで満足。

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外に出て茶畑の写真を撮る。遠くにワイナリーが見える。ここ五ヶ瀬ではブドウが採れ、ワインの製造もしているらしい。高原野菜も美味しそうだ。雨が止んでいたので、そのまま付近を散歩した。予想以上に茶畑があり、その風景は美しい。そして夕飯は豪華。刺身、山の焼き魚、そして和牛まで登場した。宿泊代はそれほど高くないのに、こんなに立派な夕飯でよいのだろうか。昨日、本日の反省をしながら、楽しく夕飯を頂き、そのまま話し込む。10時近くにやっと引き上げたが、それまで片づけを待ってくれていた宿の人には申し訳なかった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(3)芦北紅茶から天孫降臨の地へ

熊本にはいくつか茶産地があるようだが、ここ芦北で茶作りをしているところは少ないという。一般的にはお茶が活況を呈した、高度成長期の昭和30年代から茶生産が増え、その後のバブル崩壊で、徐々に無くなっていったようだ。お茶も商品作物である。Kさんのところに60年ぐらい前の茶畑もあり、以前より茶作りを行っていたようだが、紅茶を作り始めたのは最近のことらしい。『ここの茶葉が紅茶に合うと言われたんで』というが、それだけでは茶は出来まい。実は5月に台湾の魚池を訪れた時、ある人からKさんの名前が出ていた。ちゃんと台湾に紅茶作りの修行に行き、その成果が着実に出ている。

 

Kさんは若くは見えるが、すでにお孫さんが3人もいるという。それでも日々のチャレンジを忘れない。それは簡単にはできないことだ。こちらの茶畑は3つに分かれているらしい。比較的最近植えた茶畑、数十年前に植えた在来、そして自生茶畑。べにふうきの他、釜炒り緑茶を作る品種で紅茶も作っているという。農薬などは使っていない。飲ませて頂くと、キレがある。従来多くの国産紅茶は何となくボヤーっとした印象があったが、このお茶はとてもすっきりしていて良い。緑茶の釜入り作りと何か関連があるのだろうか。

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春の熊本地震、ここ芦北は震源地から遠くないとのことだったが、幸い被害は軽微だったらしい。実は熊本震災復興支援の一環として、紅葉さんの呼びかけで、この芦北紅茶を売り、募金をしたのも思い出す。正直私は、復興支援の募金というものをあまり好まないが、この紅茶に関しては、自分で飲んでおいしいと思ったから人にも勧め、その人々が美味しいと思って紅茶を買い、合わせて募金にも応じてくれた。ただ言葉に釣られて募金箱にお金を入れるのではない、良いものを味わい、その地を少しでも理解しようとすることが大切だと思う。

 

奥様もフルーツやお菓子を出して頂き、会話に加わっていたが、帰る時には姿が見えなかった。何と高熱を出していたという。そんな時に押しかけてしまい、何とも申し訳ない。『これまでの国産紅茶のイメージが変わった』と、同行したY夫妻も、Kさん宅で頂いたお茶にいたく感激していた。Kさんのお父様とも少しお話することができた。一家で茶作りを行っている様子がよく分かった。

 

家の奥にある茶工場も拝見した。古い、既に使っていない器具も散見され、昔ながらの懐かしい雰囲気があった。その中で紅茶作りの道具もそろっていた。家の周囲は田んぼや畑があり、また神社なども見える。また車に乗り、別の茶畑を見に行く。こちらは山を登って行き、その途中にあった。斜面に茶樹が株で生えていた。何だか、台湾の阿里山で見た、昔の茶畑を思い出す。もっと木が大きければダージリンにもあるかもしれない風景だった。この茶樹が自生かどうかは正直分からないが、貴重な茶畑であることには間違いがない。産量が少なく、手間もかかるだろうが、保存して欲しいと思う。

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八代で

名残は尽きなかったが、Kさんとお別れして、八代へ向かう。明日の宮崎行に備えて、今晩は八代に泊まることになっていた。少し雨が降り出した。茶畑を見る時に降らなくてよかった。1時間もかからずに車は八代市内に入った。ビジネスホテルはYさんが予約してくれたが、連休でかなり混んでいたらしい。八代に何があるのだろうか。八代城跡という表示が見えたが、既に暗くなっており、観光は出来ない。

 

雨が降る中、夕飯に向かう。ホテルでお勧めの場所を聞いてもらったが、アーケードがある場所がよいということで傘を差して歩いて行く。グルメに興味がない私だが、今回はY夫人がいるのでお任せ。『八代と言えば辛子蓮根』だそうだ。ところが人通りは少ないのに、お店は結構満員だ。地元の人なのか、それとも周辺から食事に来た人なのだろうか。居酒屋に入ると子連れも多かった。新鮮なお刺身を頂き、更に馬刺しも出てくる。熊本は海の幸と山の幸の両方が楽しめる場所ということだった。ただお客の数と店員の数がどう見てもマッチしておらず、オーダーしてもなかなか来ないのは難点。その夜は早々にホテルに引き上げ、ぐっすり眠る。

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918日(日)
3.五ヶ瀬

高千穂へ

翌日は睡眠十分で起き上がる。特に朝ご飯も食べずにダラダラして、9時半に出発。車は何となく内陸部へ入っていく、という感じでスイスイと進んでいく。そして最終的にはかなりの山道を登って行った。2時間後、高千穂に着いた。そもそも今回の旅はお茶の旅だったが、私も一度は行ってみたいと思っていた、天孫降臨の地。雨にもかかわらず、ここには沢山の観光客が訪れていた。中国語も沢山聞こえてくる。彼らは何を求めてここに来ているのだろうか。日本の歴史に興味があるのか、日本の始まりを見ようというのか。恐らくはそうではなく、この自然の風景を単に見に来ているだけだろう。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(2)佐賀から芦北へ

Oさんは国産紅茶の第一人者であり、最近とみに有名になってきている。話は流れの中で日本の茶業、特に紅茶の将来についてなど、現実的な話題になってしまう。国産紅茶のブームの兆しがあるのは間違いないが、果たしてその流れにきちんと乗れるのか、品質が伴う紅茶が供給されるのかなど、問題は色々とあるようだ。そして紅茶の歴史についてももう少しきちんと見返すべきという。何故明治以降紅茶が作られ、そして廃れて行ったのか。

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静岡で多田元吉翁が日本紅茶の祖と言われているが、九州にはその多田翁から指導を受けた可徳乾三という人がいたらしい。彼の歴史を聞くと、中国武漢に製茶修行に行き、ウラジオストックで日本茶を売り、最後は台湾で製茶技師、そして茶荘を開いていたらしい。こんなダイナミックな動きをした人が明治期にいたとは、意外だ。興味を持ったが、その歴史はトンと分からない。因みに九州、熊本は明治初期に紅茶作りのために最初に伝習所が作られ、中国人講師が招かれた場所である。

 

Oさんは多彩な才能を持ち、地元ラジオ局に定期的に出演している。最近は東京などへの出張も多くなり、ラジオの収録をまとめてやらねばならない。それがちょうど今日だということで、2時間ほど話して出掛けて行く。2年前に初めて会った時から考えれば、相当に忙しい人になっている。彼がいなくなったお店を眺め、いくつかのお茶を買い求めた。ただ国産紅茶は1つもなかった。自分のセレクションながら、紅茶の店に来てなんだそれは?

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帰り道、この街に溢れている恵比寿像を眺めながら歩く。様々な恵比寿さんが、その辺にパラッと鎮座しているから面白い。その数約800体で日本一らしい。こんなに恵比寿さんがある所は他にあるのだろうか。どうしてそんなにあるのだろうか。雨が降り出した。腹が減ったので駅の近くでちゃんぽんを食べた。昨年はちゃんぽんを食べに30分も歩いたのだが、今回は安直。中華屋のちゃんぽんは、何となくタンメンを連想させる。ちょっと疲れていたので、早目に寝て明日に備える。

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917日(土)
鳥栖から

翌朝は早く起きて、ホテルで朝食を食べる。和食中心の場合、朝から思いっきり食べてしまって困る。生卵をご飯にかけるし、味噌汁をお替りする。宿をチェックアウトするも、腹がパンパンで動きにくい。駅へ行き、鳥栖行の電車に乗る。途中に吉野ケ里公園が見えてくる。未だに行く機会がない。歴史好きとしてはどうしても行くべき場所だ。次回は何としても時間を作ろう。

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今日は鳥栖駅でY夫妻を待ち合わせ。鳥栖までは近いので問題ないと思っていたが、下車してから待ち合わせ場所がわからない。駅前にはJ1サガン鳥栖のホームスタジアムがある。その前に車が待っていた。Y夫が車を運転してくれる。有り難い。Y夫妻とは北京で知り合い、その後も何度も会っているが、一緒に旅に出るのは初めてだ。車は一路熊本へ向かって動き出す。私は地理が全然頭に入っていない。途中でサービスエリアに入ったが、何とトイレがあるだけだった。こんなシンプルなSAは初めて見た。

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煙突から煙が出ている場所も通った。ここが水俣か。今日は天気が非常によく、空も青いが、その昔は水俣病など公害で有名だった。また途中で今年の春に起こった熊本地震の影響があり、道路が片道走行、かなりの渋滞になっていた。今日は三連休の初日、やはり普段より車は多いのだろう。芦北インターまで3時間ほどかかって到着した。本日お訪ねするKさんが『デコポンで待っています』というので向かう!

 

2.熊本
芦北紅茶

デコポンとはJAのスーパーのようなところだった。Kさんは随分早くからここに来て待っていてくれたようだ。誠に申し訳ない。更に移動して、近くの大野温泉へ行った。ここは道の駅と書かれている。温泉はあるのだろうか。天井の高い建物の中に入り、そこでお昼を頂いた。地元で採れた野菜などを使い、かなり多彩なヘルシー料理が並んでいた。お母さんの家庭料理、という感じで、とても美味しく頂いた。炊き込みご飯と汁はお替りした。地方ではこんな食事が特に嬉しい。

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この施設の脇には茶畑が見えた。食後、すぐにそこへ行ってみる。かなりきつい傾斜だ。そして半分は茶畑が無くなっている。『昨年の台風で崩れてしまった』ようだ。横の林も樹木がなぎ倒れたままだった。台風の猛威が想像できる。そしてこのような場所にある茶畑の厳しさにも出会う。横の平地にはきれいな水田、稲が植わっていた。素晴らしい水田と破壊された茶畑の対比が凄まじい。

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Kさんのお宅へ伺った。実は昨年下田で行われた地紅茶サミットでご挨拶し、FBでお友達にはなっていたが、ちゃんとお話を聞くのは初めてだった。そんな関係でも快く受け入れて頂き、感謝の言葉もない。そしてKさんの芦北紅茶は昨日行った佐賀の紅葉さんで初めて飲んで驚いたお茶だったのだ。これまでの日本の紅茶にはない、独特のうまみがあり、これなら世界でも通用するのではないか、と思えるものだった。一体どのようなところでどのように作られているのか知りたくて、宮崎に行く前に今回の訪問となった。

ようやく熊本・宮崎茶旅2016(1)なぜかまた佐賀へ

《ようやく熊本・宮崎茶旅2016》  2016916-19

 

九州には1年に一度は行きたいと思っている。やはり博多は便利で飯が美味い。今年も行くぞと、お知り合いのYさんに連絡したところ、『一緒に宮崎にお茶を見に行きましょう』と返され、それに乗ってしまった。福岡までくれば後は車に乗せて連れて行ってくれるという。やはり車がないと動けないので有り難い。まずは博多で飯を食い、それから宮崎、楽しみだった。実は昨年も南九州の茶旅を計画していたが、直前に台風が来て断念した。それでも博多には寄れたので、水炊きを食べた、良い思い出がある。

 

今年は旅が続いており、直前もマレーシアに行っていた。福岡までどのようなルートで行くか、頭には描いていたが、チケットを取っていなかった。するとなんと、とても高い。考えてみれば3連休に行くのだ。高いに決まっている。それでも色々と足搔いていたところ、何と福岡でなく、佐賀へ連休前日に飛べば安いことが分かった。しかもY夫妻が住む場所からは福岡でも佐賀で等距離らしい。それなら今回は佐賀だ、ということで潔く博多飯を放棄した。

 

916日(金)
1.佐賀
佐賀まで

その日は朝、いつものように成田へ向かったが、なぜかボーっとしていて電車を乗り違え、京成高砂駅に来てしまった。アクセス特急というのは速いのだが、少し高い。同じ駅の反対ホームから乗って、時間が20分くらい違い、料金も150円ぐらい違う。今回は時間があったので安い方で行ってみる。京王線の最寄り駅から成田空港まで約1400円で行けるのは嬉しい。特に国内線に乗る場合、コストが気になる。

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成田空港駅からシャトルバスで第3ターミナルへ向かう。これももう慣れた。今回は春秋航空、フライトは満席だが、チェックインは意外とスムーズだった。第3ターミナルをよく見たことがなかったが、食事が充実している。フライトで食事が出ない前提のLCCに合わせて多彩なメニューが用意されている。国内線の機内食は確かに要らないが、ここなら食べてしまう。面白い。機内でもちゃんと『うれしの茶』がリプトン紅茶と並んで、メニューにあったりして、喜ばしい。お替り自由とは!

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よく考えてみれば、ちょうど1年前、このフライトで佐賀から成田に飛んだのを思い出す。昨年は台風で茶旅が中止になったが、何と佐賀から成田の航空券だけは事前に手配してしまっていた。何しろ片道1000円、という表示に釣られてすぐに購入した。もったいないので、佐賀まで在来線鉄道の旅をして、このフライトに乗ったのだ。しかも今日は奥さんの誕生日。今年は仕方なく、昨日お祝いした。何の因果だろうか。

 

ホテルで

空港に着くと、駅までのバスに乗る。昨年は水曜日の半額デーで300円だったが今回は倍だ!30分ぐらいで駅に着き、すぐ近くの予約していたホテルへ向かう。全てが順調だった。チェックインしようとすると『お荷物をお預かりします』という。時計は35分前。3時からはチェックインできるはずだし、シティーホテルなら、5分前でもOKだろうと思ったが、フロントの男性は『今部屋を掃除中です』というばかり。そんなはずはない、日本のホテルで5分前に掃除が完了していなければ異常事態だ。

 

『何時まで待てばよいのか』と聞くと、取り敢えずお待ちください、としか言わない。どう見てこれは意地悪されているようだ。そこで『これから出掛けるので』と言ってみると、何と『お着替えは別の場所へご案内します』というではないか。さすがに少し強く言うと男性は上の階に電話を入れ、急に『準備が整いました』と言う。これだから日本のおもてなしは、凄い!融通というものがなく、ルールが顧客ニーズを越えている!

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部屋へ行き、着替えをしてすぐに出掛けた。昨年もお世話になった紅葉(くれは)さんへ向かう。既に道は大体わかっており、歩いて行く。途中大きなお寺が見えた。何でも関が原の戦いで西軍に着いた鍋島家を西本願寺が救い、そのお礼に建立されたとか。佐賀はやはり歴史のある街だった。更に歩いて行くと、道場があった。ここが古賀道場。世界平和などと書かれており、不思議なところだと昨年思ったのだが、何と今年の1月ミャンマーのタウンジーへ行った際、大学の後輩がこの道場のミャンマー事務所を任されていることを発見し、お互い驚いたのが懐かしい。

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お店の近くは保存地区になっており、古い家が多い。1つずつ眺めていると、老人が『向こうの方にもっと古い家があるよ』と教えてくれた。何となく親しみやすい街だ。商家の2階を改修した、雑感店などがある。くれはさんもその古い建築の家に店を構えており、相変わらず趣がある。入っていくとカウンターの端に予約の札が立っていた。店主Oさんとは、年に何度かイベントなどで会うようになっている。この店は2度目の訪問だが、何とも居心地がよい。静岡の紅茶を試しているというので淹れてもらう。そして凝ったお菓子も登場する。なかなかいい空間だ。

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京都・名古屋茶旅2016(5)名古屋まで在来線で

828日(日)

翌朝、お世話になったISO茶房を離れ、京都駅へ向かう。日曜日の朝、バスもすぐにやってきて、スムーズに進む。駅に着くと、横にバス乗り場があり、名古屋へバスで行こうかと考える。だがちょうどバスは出たばかり、しかも電車より時間が掛かりそうだったので、今日は予定通り電車で向かう。名古屋での報告会に参加するためだが、主催者から『名古屋駅の新幹線口で待っています』とメッセージを頂き、『いえ、在来線で行きます』と答えていた。

 

格安旅行を旨とする私、新幹線は天敵だ。確かに速いのだが、料金が高過ぎる。名古屋まで在来線に比べて2倍以上、3000円の新幹線代がかかる。その価値があるだろうか。もう一つは在来線に乗ると様々な駅を通過していき、面白いのだ。ただ在来線で長距離を乗る場合の注意は、スイカが使えないこと。JRが勝手に決めたエリア、なるものを跨ぐと使えなくなる。そこで切符を買うことになるのだが、いつもはみどりの窓口で並んで買っていた。今回見てみたら、新幹線の切符が買える自販機で、普通乗車券をクレジットカードで買えることを発見。次回からこれにしよう。

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京都から名古屋まで、2時間ちょっとの旅だった。新快速で米原まで、瀬田、安土、彦根など、歴史的な地名が並んでいるが、通過駅になっているところもある。何となく降りて、今どうなっているのか見てみたくなる。米原から新快速を乗り継ぎ、関ケ原、清州などを通っていく。歴史好きの年配者が関が原で降りていくのを横目で見ながら羨ましかった。次回は1つずつ降りて歩く旅をしてみよう。

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3. 名古屋

定刻に名古屋駅に到着する。待ち合わせ場所はバスセンターになっていた。そこには女性が待っていてくれ、報告会会場まで連れて行ってくれるという。何とも有り難い。しかし私はそこでバスの時刻を見た。今日の夜、名古屋に泊まるのか、を決めていなかったのだが、夜10時過ぎに夜行バスがあることに気が付き、何とその切符を買ってしまった。待っていてくれた方はさぞ驚いたことだろうが、これが私の旅だった。

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名古屋には地下鉄がいくつも走っているが、会場付近はちょうどそれがないため、お迎えに来て頂いたようだ。公民館で開かれる報告会、なんとも素朴で好ましい。主催者のKさんとは、2年ぐらい前の名古屋のお茶会で知り合ったが、久しぶりの再会だった。共同主催者のTさんのお店には6月に流れ着き、興味を持っていた。こんな形で報告会が実現するとは思いもよらなかった。

 

主催者の努力で、会場は満員の盛況。有り難いことだ。私の知り合いも何人か来てくれ、懐かしい顔も見た。福建のお話で、冒頭福清のお話をしたところ、参加者の中に福清出身の女性がいたことは、彼女にとっては驚きだったようだ。お茶に詳しい方には物足りない内容だったかもしれないが、中国のお茶事情などを少しは理解して頂けたのではないだろうか。

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会が終わった後、場所を茶心居さんに移して、懇親会が開かれた。店主のTさんが自ら腕を振るい、料理が出てきた。それがタイ料理だったりベトナム料理だったり、とあまりにも多彩で驚く。何とアジアを放浪している私にちなんで、アジア各国料理を作ってくれたというのだ。この才能と経験は凄い。世の中にはこのような人がいるんだな。因みにTさんはミュージシャンでもあり、他にもたくさんの趣味を持つと聞く。

 

懇親会にも10数人が参加され、大盛況。Tさんの料理もあり、大いに盛り上がる。私は端でこっそり料理を頂き、大人しくしているつもりだったが、台湾茶のUさんと話が弾み、それをお隣の人が突っ込み、いつの間には立ち上がっての、大演説をしてしまうという失態。しかも『報告会より、こっちの方が面白い!』という有り難いお褒めの言葉までいただき、どうしてよいやら。何と次回の名古屋開催は『地獄の千本ノック』とし、参加者が自分の疑問を持ち寄り、それに私が答えるという、とても出来そうにない企画が成立してしまった。いくら与太話が好きだとは言ってもそれは無理でしょう。

 

更にはいつもお世話になっている安城のIさん、そして今や和紅茶の有名人、豊橋のGさんまで登場して、本当に驚いてしまった。名古屋というのは広いのか狭いのか。何だかとても楽しい夜を過ごすことができた。10時半のバスまで時間があるな、などと思っていたのが、いつ間にか9時半になっており、また車で駅まで送って頂いた。感謝。

 

JRの夜行バスは、先日乗った南海バスのような配慮はあまりなかった。シートは三列だが、カーテンなどはなく、単なる観光バスのように見える。日曜日の夜のせいか、待合室はめちゃ混みで座る所もない。まあ、また乗り込んで目をつぶったら朝になっていたので、何の問題もないのだが、名古屋からでも、7時間かかって新宿に着いた。京都まで行っても7時間、かなり時間調整しているのだろう。午前5時過ぎに着いたところをみても、始発電車前に到着するのを避けたようだ。

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この夜行バス、運転手は一人しかいなかった。これは現在の規定上問題ないのだろうか。私がこれまで乗った夜行で初めてだ。2人の交代運転が原則ではないのだろうか。おまけになぜか降りる時に全員から切符を回収している。スマホチケットの人もいるご時世、何のためにそんなことをしているのだろうか。そのお陰で全員が荷物のトランクが開くのを待つ羽目にもなっている。早くトランクを開けて、というと『一人しかいないんだから無理だよ』と逆切れされた。サービスの概念がなく、昔のままのやり方を踏襲している企業はいずれ滅ぶだろう。

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