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島根横断茶旅2019(5)吉賀の夢見る茶畑

3月11日(月)
津和野から吉賀町へ

朝早めに起きて散歩しようと思ったが雨模様なので取りやめる。8時頃に食事が用意されており、一人でポツンと食べた。昨日の朝もそうだったが、関東などでは和朝食の定番である、納豆、生卵、海苔の3点セットは一つも出てこなかった。これは何を意味しているのだろうか。納豆はスーパーなどでは普通に売っているというのだが。

 

散歩に出た。古い街並みを歩く。津和野駅に着くと、突然強い雨が降り出し、傘もないので雨宿り。その風情はなかなか良い。雨が止んだのでまた歩き出す。川沿いから教会へ。ここの教会、本堂は畳敷き。如何にも歴史を感じさせる。幕末に潜伏キリシタンが島原から送られてきて(浦上四番崩れ)、ここで弾圧されたという歴史もある。そしてまた雨が降り出し、濡れながら宿へ帰る。

 

Uさんが迎えに来てくれた頃には雨は上がっていた。私が歩かなかったもう一本の道を散歩する。古い薬屋さんがあり、お茶との関連を聞くが特に収穫はない。そのまま一軒のお茶屋に入る。どう見ても老舗だが、最近老夫婦が引退して孫娘が継いだという。しかもご主人はフランス人。何だかとてもユニークだ。

 

香味園 上領茶舗、カワラケツメイを使ったざら茶を売っている。健康茶として認知されつつあるようだ。店舗はいかにも昔からある、という雰囲気が良い。かなり古い茶缶が無造作に置かれている。実は津和野に来る外国人の半数はフランス人らしい。ご主人は大阪で奥さんと出会い、縁があってここにやって来たのだが、これは面白い取り合わせかな、と密かに思う。因みにフランス人が津和野に来る理由は、『有名なガイドブックに載っているから』とか。

 

もう一軒、お茶の秀翠園というところも訪ねた。事前に連絡したが返事がなかったため、突然の訪問となったが、対応してくれた。この地区では一番手広く茶業をしているという。茶工場前の茶畑から見る山の景色は良い。お話しを聞くと、これまでで一番現実的。文化や伝統を守る、ようは茶業を続けていくためには、売れるお茶を作り、宣伝し、包装することだ、という。これはとてもはっきりしていてよい。こちらもお嬢さんがイタリア帰りで、お婿さんはイタリア人とか。これからはクルーズ船に合わせて外国人にも売っていくという。

 

そしてついに、Uさんの住む吉賀町に向かった。ここまで本当に長かったように思う。天気はいつの間にか快晴となる。40分ぐらい山沿いの道を行くと、到着した。まずは道の駅でランチを食べる。ランチを食べられる場所があまりないらしい。食堂には地元のお客さんがいて、Uさんに話しかけてくる人もいる。狭い社会なのだろう。隣では特産品などが売られており、Uさんの作るお茶も置かれていた。

 

Uさんがここに住み始めて2年。色々な困難もあるようだが、サポートしてくれる人々も沢山いるようで、特に農家の人々が何でも自分で作り、治すのには驚くという。確かに他に頼れるものが無ければ自分でやるしかない。そこに創意工夫や技術革新というものが育つのではないだろうか。私などにはとてもできない。

 

Uさんたちの茶畑を見る。ちょっと道路から上がっており、隠里的茶畑がそこにあった。以前は神奈川で『夢見る茶畑』をやっていたUさんらしい、茶のシーズンにはまだ早く、芽は出ていないが、それは趣があり、またきれいに整備されたところだった。環境がよく、空気もよかった。時々クマやイノシシが出るらしい。ここで作られる有機茶、実は昨年もらって飲んでいるのだが、予想を上回る美味しさで重宝している。因みにこの畑の下には、某お笑い芸人の実家があり、そこは非常に立派な建物だが、誰も住んでいないのでもったいない感じがする。

 

もう一つ別の場所にも行く。この地域はかなり以前から茶があり、山の中、林の中にもその痕跡があるという。実際に林には入っていけないが、道路脇にも茶樹がチラホラ見える。島根県の茶をこれまで見てきたが、大体は誰かが植えたものだった。だが、ここにはそれよりもっと古い何かがあるのではないか、と思わせてくれた。当然大陸や朝鮮半島との関連を考えるべきだが、その資料は今のところないようだ。

 

あっという間に時は過ぎてしまい、Uさんの車で、石見・萩空港まで送ってもらう。小1時間で到着。4日間もお世話になってしまい、感謝しかない。空港はとても小さく、空港バスは1日2便しかない。何とフライトはANAの1日2便だけのようだ。後でニュースを見たら、地元では空港存続?の運動もしているようだ。

 

まだ相当に時間があったので、空港の外の丘に登ってみる。これだけ空港が丸見えの丘、というのも珍しい。ゆっくりと夕日が空港の向こうに沈んでいく。空港内で簡単な土産を買い、テレビを見ると相撲をやっている。横綱の取り込みの前にコールが掛かり、乗り込んでみたが、お客はそれほど多くはなく、ゆったりと東京へ戻っていった。

島根横断茶旅2019(4)出雲から津和野へ

3月10日(日)
出雲から津和野へ

翌朝は宿の朝食を頼んでおいた。2階の食事場所は、和食屋さんの座敷で、ビジネスホテル+サウナの朝食とは思えない旅館気分。意外とたくさんの人が泊まって朝飯を食べていたのにはちょっとビックリ。結局サウナにも入らず、車に乗り込み出発した。

 

車で1時間ぐらい行った山間に美郷町はあった。まずはスーパーに行く。後で知ったのだが、ここが街で唯一のスーパーだそうだ。普通の物も売っているが、地元の農家が持ち込んだ野菜なども売られており郷土色がある。中でも驚いたのはイノシシの缶詰。最近この町が発信して流行っているという。お茶も地元の番茶などが並んでいる。この町には鉄道駅もあったが、既に廃線になっているという。

 

茶農家を訪問する。道路脇に家が少なくなると、どこの家へ行けばよいか分からなくなる。何とか探し当てると、そこには農作業をする老夫婦がいた。ここに住んでいる訳ではなく、茶を作るために来ているらしい。父親の代からここで茶作りをしているが、茶だけで食べられない時期は、山仕事の会社に勤めていた。その時はバブル期で社員旅行にタイや韓国に行った話を楽しそうにする。お母さんが被っていた編み笠はその時タイで買ったものだというから物持ちが良い。

 

番茶も作るが煎茶も作る。売れるものを作るのが茶農家だという。向こうの畑は苗を植えて1年、べにふうきでこれから紅茶を作るというから、何とも元気だ。だが息子は松江で働いており、後を継ぐかどうかは分からない。周辺の茶農家もどんどん辞めていき、今は3軒ほどになっているという。何ともきれいな茶畑と風景、残せるといいが、それもまた経済が前提か。

 

帰りにここのお茶を買おうとして、一軒の家を探す。そこでしか売っていないというので行って見たが、昔は雑貨屋だったと思われる店、今商品は殆どなく、お茶だけがぽつんと置かれていた。店主のおじさんと話すと『この村でも出征経験があるのは私一人になってしまった』と言い、人口減少で、小さな店はほぼ無くなり、先ほどのスーパーが残るだけになっているらしい。隣を見ると小さな茶工場があり、往時は沢山の農家がここで茶を作っていたのだろう。

 

ここ美郷町には比較的大きな川が流れているが、少し上流に行くとダムがあった。1950年代に出来たとあるが、先ほどの農家では『ダムのせいで、この付近の気候(霧の出方など)が変わり、茶作りに影響が出た』と言っていたがどうだろうか。開発と環境保全、古くて新しいテーマではないか。

 

それから車は日本海側に出て、大田、江津、浜田を通り抜けて、2時間以上かけて雨の中、益田市までやって来た。もう山口県とは県境だ。益田の街中で、日曜日の今日はイベントが行われているという。だがイベント会場には駐車場の空きがなく、駐車できない。仕方なく、まだ食べていなかった昼ご飯にありつく。街をちょっと抜けたところにあるその飯屋は、古民家を改造した建物で、非常に素晴らしい。食事の内容も豪華で、かなり満足度が高い。

 

満腹になったところで会場に戻り、何とか駐車した。グラントワという芸術センター、非常に立派な、美術館などを併設した複合施設だ。その中庭では大雨にも拘らず、神楽が上演されており、熱心に見入る地元の人々がいた。益田、いや島根では神楽は日常的なもので、小さい頃から見慣れているという。上演が終わると、子供たちがその衣装を着せてもらい、写真を撮るなど、文化の継承が行われていた。ここで今日はUさんたちが作る吉賀町のお茶も売られていたが、あいにくの雨でお客は少なかったらしい。

 

ちょっと寄り道、と言って、連れていかれた場所は茶器などを作る工房だった。裏には窯もあるという。そこで作られている物は萩焼とはまた別の益田の焼きも、雪舟焼の窯元だった。あの雪舟に因んだ名が付いており、近年注目されているという。会話は当然のように茶道になっていき、ご主人がサラサラっと、お茶を点ててくれるのが良い。雪舟繋がりで、近所にあるお寺も訪ねてみた。雪舟は益田に滞在していたようだ。

 

Uさんが現在住む吉賀町に向かうことになったが、その前に今晩の私の宿を確保すべく、電話を掛けてくれた。だが何と、いくつかの宿は満員と言われてしまう。この雨の日曜日の夜に満員とはあり得ないだろう。きっとお客がいないので、今日は休業していると想像するが、泊まる所がないのは何とも困る。

 

結局吉賀町に泊まるのを諦めて、津和野に向かうことになった。津和野、何とも懐かしい響きだが、勿論来たことは一度もない。その昔、JRのコマーシャルで見たのだろうか。一時津和野ブームが起こっていたらしい。暗くなる頃、津和野に入り、民宿に投宿した。昔は繁盛した宿なのだろうが、今晩は一人の客もいない。食事が出来る場所も限られており、早々に6畳の部屋に帰り、テレビを見て寝てしまう。

島根横断茶旅2019(3)奥深い出雲へ

ちょっと早いお昼を食べようかと、かんべの里という場所へ行く。そこは20年前に歩いた神魂神社の近く。出雲風土記の世界を味わえるとても良い神社だった記憶がある。その時はかなりの距離を歩き、神社とは何か、などを考えていた。かんべの里は道の駅のようなところだったが、土曜日のせいか、大変混んでおり、昼ご飯を食べ損ねて去る。

 

宍道湖を回り、車は出雲方面に出ていく。30分ぐらい行くと山道を登り始め、かなりの山の中に着く。そこにはコテージなどの表示があり、一瞬ペンションにでも来たかと思ったが、よく見るとお寺だった。一畑薬師。入っていくとすぐに『お茶湯』があり、お茶を掛けてお参りする。番茶もそこで販売していた。薬師というぐらいだから薬と関連があり、お茶との関連も垣間見える。

 

実はかなり大きなこのお寺。本堂からは読経が流れてくる。仏像が並んでいるところを見ていると何と『赤塚富士夫、天才バカボンのレレレのおじさんのモデル』と書かれた像があったので驚いてしまった。注荼半諾迦というひたすら掃除をして、人の心の汚れは落ちにくいと悟ったとある。もう少し行くと水木しげるの漫画に出てくる『のんのんばあ』の像もある。何だか観光地に来てしまった感が強く、少し違和感はあるが面白い。

 

お腹が空いている。少し下ったところにお店があるというので車で向かう。本当は階段で行けばよいのだが、帰りの上りが怖い。お店には番茶の大きな袋が売られており、『この辺の人は800gも入っているものがお得だから買うのよ』と言われて、この周辺の番茶文化を知る。温かいのと冷たい出雲そばを両方頂き、別の店でまんじゅうも食べて、お茶も飲ませてもらい満足。

 

そこから山道を10分ぐらい下ると茶畑が見えてきた。ここが一畑番茶の畑かと思ったが、防霜ファンがあり、寒冷紗が掛かっており、玉露でも作るのかと思うような設備になっている。しかも茶樹は若く、最近開拓されたようにも見える。この辺りにも新しい動きがあるのかもしれない。

 

更に30分ぐらい走ると、寺の入り口が見えてきた。鰐淵寺と言い、弁慶修行の地とある。武蔵坊弁慶は出雲の生まれだった。京都に出る前にこの寺にいたようだ。ここは1つの山全体が寺になっており、かなり広い。ただ入り口で入山料500円を徴収するというのは如何なものだろうか。推古2年(594年)開山、天台宗の古刹とはどういう意味だろうか。我々は茶旅中で時間もないのでパスしていく。

 

山登りを続けていくと、唐川という場所に着く。とてもきれいな茶畑が並んでおり、思わず写真を撮る。Uさんによれば、ここがぼてぼて茶の番茶を供給している地区だという。農家のおじさんの言葉も訛りが強くて少しわかり難いが、そこがまた情緒があってよい。ここにはまだかなりの茶農家が残っており、春にはお茶祭りも開かれるという。『今茶はないよ、春においで!』と言われ、また来たくなるような風景を去る。

 

田舎の路は分かり難い。ナビもあまり役に立たない。同じ場所をぐるぐるしていたが出られない。いつの間にか辿り着いたのは、韓竈神社。出雲風土記にも登場する由緒ある神社。名前からして朝鮮半島から渡来した人が作ったものだろう。いや、この辺は半島と近く、ゆかりの場所は沢山あるはずだ。

 

神社は高いところにあるようだが、石段は滑りやすいので、上るのを諦める。船石があるというので、小川の横の道を上がっていく。船石と言えば、高橋克彦の小説ではUFOということになっているのを思い出す。小さな滝などもあり、自然に満ち溢れていたが、夕方ということもあり、ちょっと神秘的で恐ろしい雰囲気もある。何かに付かれたように歩いてしまい、Uさんに『行き過ぎです』と言われるまで気が付かなかった。大きな石もあり、いわゆるパワースポットなのだろうか。

 

今日はどこに泊まるか決めていなかった。Uさんがネット検索すると、我々がこれから向かう西の方には安くて手頃な宿はないようだった。今日は土曜日なので、既に満員なのだろうか。仕方なく、出雲市に戻り、宿泊先を探す。辿り着いたのは、郊外のホテル。何と地元の人がサウナや岩盤浴に来るところの上がビジネスホテルとして泊れるようになっていた。週末は出張者の宿泊もなく、閑散としている感じだった。

 

夕飯を食べる所もあまりなく、名物を食べるのは早々に諦め、普通の食堂に入った。『かつ柳川』というメニューがあり注文すると、いわゆるカツ煮、かつ卵とじが出てきた。柳川とは、ゴボウが入っていれば柳川なのか、それともこの鍋を使っていれば柳川なのか、地域性も含めてちょっとした考察をした。

 

更にはUさんと人生について語り合っていると、あっという間に閉店の時間なり、宿に帰ってサウナにでも入ろうかと思っていたら、何と既に時間を過ぎていて入れなかった。女性用岩盤浴は遅くまでやっているのになぜ、と思いながらも、少し疲れていたので、すぐに眠りについてしまった。

島根横断茶旅2019(2)松江でぼてぼて茶

街中にある「はんのえ」というお店に入り、ぼてぼて茶碗などを見た。抹茶茶碗とさほど変わらない。茶筅は奈良の高山町産だという。ただ扱っているお茶は地元産ではなく、ぼてぼて茶の由来についても収穫はなかった。最後に出雲大東町の方まで出向く。ここには20年以上前、須賀神社の総本山を訪ねてきたことがあり懐かしい。神社は立派な鳥居などが出来てかなり変わっているようだった。降りてゆっくり眺めたかったが、茶旅にはその時間もなく通り過ぎた。

 

藤原茶問屋を訪ねる。ここで島根茶の歴史について、教えを乞う。藤原さんはお茶作りにも熱心であり、地元の茶の歴史にも熱心だった。大東茶の起源は松平不昧公がこの地に来て、番茶を飲んだことから始まるらしい。250年の歴史あるお茶。水もよい土地だったという。古い茶業史資料が出てきて面白い。お茶も美味しく頂く。

 

長い一日のドライブを経て、車はついに松江市内に入った。松江に来たのも20年ぶりだが、街の様子はそれほど変わっていないように見えた。駅前のホテルを予約しており、チェックイン。思ったよりずっと良いホテルで、パッケージツアーの良さを知る。続いてUさんが急きょ泊ることになったゲストハウスを探したが、なかなか見つからず苦戦する。

 

それが済むと、Iさんの店に向かった。Iさんとは5年ほど前、香港、広州で一緒に旅をしており、その後彼は故郷で中国茶荘を開いていた。一度は訪ねたいと思いながら、開店して5年以上、来る機会がなく過ぎてしまったが、ついに今晩実現した。お店は茶町と書かれた通りに面していたが、その通り自体、多くの店が閉まっていた。せっかく茶町なのに、茶の雰囲気はない。

 

お店の中はかなりきれいで雰囲気が良い。お茶の種類も豊富で、お客さんも多いだろうと思って聞くと『松江は保守的で、新しい物に手を出す人が少なく、中国茶の認知度が非常に低い』というではないか。これには正直びっくり。松江と言えば茶文化というぐらいだから、さぞや各地のお茶に精通しているものと思っていたが、全く様子は違うようだ。

 

隣の鳥取や広島から来るお客さんもいるというのに、地元の人が来ないとは困ったものだ。それでも昨今の台湾ブームなどもあり、豆花を出すなど工夫をしており、興味を持つ人は増えているらしい。外部への出張なども行っているようだが、是非店を続けられるようにして欲しいと願う。

 

3人で夕飯を食べに行く。私の泊まるホテルに車を駐車したところ、宿泊代とは別に一晩1000円の駐車料が掛かるというので驚いた。日本というのは本当に恐ろしいところだ。それから歩いて、松江名物のおでんを食べに行った。ところが今日は金曜日の夜、8時過ぎに店に入ったところ、もうほとんど食べるものは残っていないという。

 

あり合わせのおでんを注文してつまんでいると、いつの間にかお客さんはいなくなっている。まだ腹も満ちていなかったので、今度はしじみラーメンを食べに行って見る。しじみは宍道湖の名物だが、ラーメンがあるとは初めて知る。しじみが金属の笊に分けられて出てきたのはちょっと驚く。味は意外とうまい。長い1日目はこんな感じで暮れていく。

 

3月9日(土)
松江から出雲へ

泊まっていたホテルは快適だった。ビジネスホテルではあるが、東横インなどからすると2段階も上と言う感じだ。昨晩帰る時に酔っぱらったサラリーマンが『今回の出張、ここに泊まれてうれしいです』と大声を出していたのを思い出す。朝食も充実しており、和食にオムレツまで付けてもらい、朝から嬉しい悲鳴?

 

今日はまず、ぼてぼて茶を実際に飲んでみることにした。お城の堀端にあるお店へ行くと、堀沿いの外の席に案内され、ぼてぼて茶がやって来た。茶碗に既にお茶が入っており、具として、豆腐、黒豆、高菜など7種類を入れて、塩も振る。このお茶は番茶だという。茶筅を茶碗にぶつけるのはバタバタ茶と同じ原理だ。

 

味はかなり飲みやすいのだが、飲み方は片手でひょいと口に持っていき、こぼさないようにさっと飲むらしい。だがこれは全くできない。お店の人から、ぼてぼて茶の由来などを調べた資料を見せてもらったが、当然ながら不昧公の逸話などが載っており、バタバタ茶やブクブク茶とは違うことは分かったが、その歴史的背景を探るのは難しかった。

 

松江の郊外に出てきた。造園業の傍ら、宝箱、という茶業をしているMさんのところにお邪魔した。島根茶の復興、農薬や化学肥料を使わないお茶作りを進めているという。事務所ではお嫁さんが対応してくれ、車で山を上がると、お父さんが待っていてくれた。非常に眺めの良い場所に茶畑が見える。

 

大庭空山、有機の畑。造園業をされているので、林と茶畑の共生などにも配慮され、合わせて他の場所から飛んで来る農薬などの侵入も防いでくれるのだという。何しろ景観が素晴らしい。茶工場も横にあり、紅茶製造の機械なども導入されている。脇には井戸があり、水が良いことも分かる。やはり信念をもって茶作りをしている茶畑はちょっと違う。

島根横断茶旅2019(1)米子から安来へ

《島根茶旅2019》  2019年3月8日‐11日

島根県、そこは東京からもっとも遠く感じられる日本の県かもしれない。5年前にぼてぼて茶に興味を持ち、すぐにでも行こうと思ったし、2年前には知り合いのUさんは島根に移住して茶作りを始めたので、ぜひ来て、とも言われていた。しかしいざとなると、なかなか一歩が踏み出せずにいた。

 

ちょうど予定していた勉強会が、会場の都合で延期となった。実は私は今回の説明資料を作りあぐねており、この延期を心から歓迎していた。そしてぽっかり空いた数日間、これを島根行きの当てることにして、Uさんに連絡したところ、折角だから、島根を端から端まで楽しもうという話になり、渡りに船と出掛けていく。

 

3月8日(金)
米子から松江へ

今回の島根行きに際しては、Uさんより、『パッケージツアーを使うと安い』と言われてちょっと驚く。送られてきた内容を見ると、ANAの往復航空券(いくつかの空港から選択し、行き帰り別空港可)+ホテル1泊が付いており、他にも特典がいくつかあった。観光客を呼びたい島根とのタイアップ商品かもしれない。

 

行きは出雲空港から入ろうとしたところ、何とANAは飛んでおらず、米子空港となる。またいい時間のフライトには割増料金が掛かり、どこまでお得だったのかは判断が難しいが、この商品のお陰であまり悩まずに日程が決められたのは良かった。尚いつも思うことだが、ネットで購入したツアーのチケットなどが郵送されて来るのには本当に違和感がある。

 

早朝羽田空港に向かう。国内線は乗る機会が少ないので、いつも駅ホームの前で降りるか後ろで降りるかが覚えられずに困る。国内線はWebチェックインすれば、そのまま搭乗ゲートまで行けるので、荷物も預けずにスタスタと進む。正直、誰が乗っているか分からないフライト、ちょっと怖いけどね。

 

飛行機に乗る前にツアー特典を1つ使う。1000円分の買い物券があるので、それでお土産のお菓子を買う。足りない税金分80円を現金で払うと、マイレージを溜めましょう、と言われ、カードの提示を求められる。80円でマイルがたまるのだろうか??もし貯まらないのなら、こういうマニュアル的な無駄は排除して欲しいものだ。

 

フライトは順調で、1時間半ほどで米子空港に着いた。バッゲージクレームでは目玉おやじに歓迎されるなど、空港内は鬼太郎一色になっている。出口をUさんの姿はない。何とUさんの住む場所から、この空港まで車で4時間以上かかり、その予想外の遠さで少し遅れたという。それは本当に申し訳なかった。でも車がないと、何もできないのも事実。せめてANAも出雲行きを飛ばしてくれていればと思う。米子は鳥取県の端なのだ。

 

Uさんと落ち合って、最初に行ったのは境港のおさかなセンター。ここでお昼を食べようという。それにしてもいい天気だった。海も輝いており、向こうに大山がくっきりと見える。釣りをしているおじさんたちも何となく楽しそうに見えるのはやはり天気のせいだろう。

 

展望台のようなものが建っているが、登っている人はあまりいない。鳥取紅茶などが並んでいるお土産物店も開店休業状態だ。如何にも箱物行政の産物だ。ランチに魚を食べて、ちょっと市場を覗く。大きな蟹や魚がゴロゴロ。あまり見かけない魚もいるのは、やはり日本海側だからだろうか。

 

それから境港の鬼太郎ロードでも歩いて観光するのかと思いきや、突然の茶旅が始まり驚いた。さすがUさん、只者ではない。車はドジョウすくいで有名な安来町に向かった。30分ぐらい走るとちょっとした山の中へ入る。そこに古い工場が見える。茶工場だった。既に閉鎖しているのか看板もない。事務所に恐る恐る入っていくと、話しを聞くことが出来た。

 

この辺りでは昔から茶を作っており、戦後の好景気には製茶組合が出来て、共同工場としてここが作られた。だが茶葉需要は落ちていき、組合は解散。今は一部の人がここを使って、番茶などを細々と作っているという。工場は大きく、かなりの生産量があったことを窺わせる。安来番茶は、今でも周辺地域では飲まれているが、全国的には知られていない。因みにぼてぼて茶の原料はここの番茶ではなく、安来にはそもそもぼてぼて茶を飲む習慣もないとのこと。

 

茶畑の残っている場所を聞き、見に行く。突然立派な鳥居が見える。登っていくと、平安時代に京都岩清水八幡宮の別宮だったと書かれており、由緒正しい。それにしても、その時代にここに建てられた八幡宮、何か特別な意味があるようにも思う。更に進んでいくと、道路脇に茶畑が僅かに残っていた。防霜ファンも装備され、きれいな畑だった。

 

それから同じ安来市内の、母里という場所に移動した。そこに民俗資料館があるとのことだったが、閉まっていた。周囲を見ると立派な図書館があり、中には当地の民藝品などの展示室があった。更には地元の歴史本を見ていると、昭和初期にぼてぼて茶について纏めた資料が見つかり、コピーをお願いした。因みに母里と言えば、黒田官兵衛の部下に母里太兵がいたのを思い出すが、何か関係があるのだろうか。

静岡から愛知へ2019(3)犬山の病院と城

2月3日(日)
セミナー

今朝は早めに起きる。あまりに狭い部屋で、息苦しかった。上はちゃんとした部屋だったから、料金を払えばよかっただけだが、それなら駅前の3000円の所に泊まって、銭湯だけ入りに来れば、420円で済む。次回はそうしよう。チェックアウトする時に見ると、朝から銭湯は開ており、大勢が入っていて驚いた。また泊り客は若者が多く、皆朝風呂後にチェックアウトしようとしている。こんなのが流行りなのかもしれない。

 

名古屋駅前から地下鉄に乗り、今池に向かう。ところが今池に行ける地下鉄は2つあることに気が付く。どちらが便利なのか、さっぱり分からず、適当に乗ったら、遠回りだった。やはり不慣れだ。駅を出て、荷物を引っ張って会場へ向かう。会場に行くのは3回目なので、問題はなかったが、結構歩いた。

 

今日は台湾高山茶と中国紅茶の話。主催者の茶心居さんが参加者を集めてくれて有り難い。高山茶の話は、茶産地の位置と意味が分かり難かったようだ。確かに余程詳しくないと理解できないはずだ。私は今や、自分の話したいテーマで、話したいようにしており、参加者のことはあまり考えていないと改めて思う。

 

お昼は台湾おにぎりとスープの会場販売があり、私もそれを頂いた。しかし午前と午後の間が2時間以上あり、雑談に花が咲いてしまい、少し気が抜けた。散歩に行った人もいたが、雨が降り始めたようで、ちょっと難儀した。次回は1時間ぐらいのインターバルで出来るとよい、と思う。

 

午後の中国紅茶、こちらも中国全土を駆け巡っており、位置関係は分からなかったかもしれない。また紅茶全体の歴史の詰めがまだ甘いため、分かり難かったかとも思う。紅茶の近現代史は、各産地共に似通っているので、もう少し工夫が必要だろう。まだ烏龍茶の歴史などを勉強していないため、その比較ができないことも苦しい。

 

セミナーが終了すると小雨の中、今池に歩いて戻り、また名古屋駅へ。今日はこれから犬山市へ向かうのだが、何しろ初めてで、名鉄でもまごつく。ホームまで行くと、色別に並ぶ列が違っており、本当に困った。そこにアジア系外国人数人がやってきて、当然のように空いているところに並んでいたが、自分たちが乗る電車が来ると横入りの形になってしまう。何となく車内の雰囲気が悪くなる。

 

5時半過ぎに犬山駅に到着する。旧知のIさんが車で迎えに来てくれて、夕飯に連れて行ってくれた。そこはちょっといい和風ファミレス。何と香港で一緒だったTさんが今そこの役員になっているというので驚く。立派な定食とドリンクバー、親子三世代で来られるお店を目指しているようだ。

 

そこでIさんと昔話に花が咲く。実はIさんと、昨晩名古屋で会ったUさんも香港の時に知り合い。奥さん同士は今も年賀状をやり取りしているらしい。この二人、近くにいるのに会う機会がなかったようで、ちょっと橋渡しした。Iさんはこの偶然?にとても驚き、そして喜んでいた。今晩はIさんが予約してくれたホテルに入り、足を十分に延ばして寝る。

 

2月4日(月)
背骨と犬山城

翌朝、朝食付きというので1階のカフェに行って見ると、トーストとゆで卵に、煮物のようなものが付いてきた。とても不思議な朝ご飯。そういえばいまだに名古屋のモーニングを食べたことがない。Iさんが迎えに来てくれ、勤務している、『あいちせぼね病院』に向かう。

 

この病院には椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の患者がやってくる。治療費は100万円以上するが、1度の手術で、ほぼ治るというので、東海地方を中心にお客がたくさん来ているという。確かに費用が多少掛かっても、数か月、数年痛い思いするより、すぐに治る方を選びたいという希望は理解できる。東京にも分院があるので、腰痛持ちの私もいつかお世話になりそうだ。

 

病院内を見学すると、MRIが何台もあるなど最新鋭の機器が揃っている。病室もとても広くてきれい。外国人富裕層向けの対応だろうか。病院はつい最近だが、オペクリニックは20年以上前に開業しているという。愛知にこんな病院があるとは驚きだ。健康診断に来る人も多いとか。Iさんとこの病院が更に良くなる方法について話しているうちに、あっという間に昼になる。

 

とんかつ屋に連れて行ってもらったら、満員盛況。何だか活力あるな、犬山。その後車で国宝犬山城まで連れて行ってもらい、Iさんと別れ、城に登る。この城、日本で一番古い天守を持つことから、城好きに大人気だとか。登っていくと階段が急で大変。上からの景色はとても良い。歴代城主、明治以降も城主が城を所有してきたという。

 

城の下には神社などもある。前の道は、昔ながらの風情を作っている。そこを歩いて駅へ行き、名鉄で名古屋に出る。JRバスで帰ろうと思い、新宿行きを頼んだが、『30分後の東京駅行きの方が早く着く』と言われてびっくり。余った時間で、あの台湾ラーメンを食べてみるが、辛くてたまらない。これに台湾と名付けるか?長距離バスに乗る前に食べるものではない。バスは空いていて快適。途中SA に寄って約5時間で東京駅まで帰って来られた。料金は新幹線の半分、その日の内に帰れるし、次回からこれにしよう。

静岡から愛知へ2019(2)富士山茶園から袋井、名古屋へ

2月2日(土)
富士山茶園から袋井、名古屋へ

翌朝は早めに起きたが、既に包丁とまな板がぶつかる音が響いていた。農家の朝は早い。朝ご飯を頂いていると電話が鳴る。Nさんのお知り合いの茶農家から、『富士山がきれいだから茶畑見に来れば』とのお誘い。本日は午前中に金谷のミュージアムを見学してから袋井まで行くことになっていたが、富士山の誘惑には勝てずに、Nさんの車で出掛けて行く。

 

そこは金谷とは反対方向。車の中からも富士山が大きくなっていくのが分かる。まずはHさんの家に迎えに行き、一緒に茶畑に進む。もう沼津に近いこの辺り、平地にも茶畑が見られるが、我々は山道を登り始める。少し行くと山沿いにひっそりと茶畑が広がっている。まるで山茶を見に行った時に出会ったような光景だ。

 

更に登っていくと、新しく開墾された場所にまだ小さな茶樹が植えられていた。畝の幅がとても広く、普通の畑とはかなり違ってみえる。『皆が山を捨てて機械を入れやすい平地に移ったから、逆張りで山に植えている』のだという。新しい試み、実に新鮮だ。大きな木が邪魔しなければ富士山がよく見え、観光スポットとしても絶景になるだろう。

 

帰り路を行くと、今度は目の前に海が見える。その前には広々とした平地があり、製紙工場などの煙突が見える。写真撮影には絶好の場所だが、当然地元の人以外に知る者はない。更に下りると高速道路を渡るが、この辺は高速の上を渡る橋がとても多く、比較的簡単に平地に戻れる。

 

そのまま車は沼津インターを目指す。ここから高速に乗った方が金谷には近いという。そしてSAではHさんのお茶が売られていた。このSAは、ここから海が撮影できることから、立ち寄る客が非常に多く、売り上げもかなりあるという。またなぜか入り口には行列が出来ており、なぜかアニメキャラのイベントが大人気なのだという。

 

高速道路に乗ったが、静岡は広いことを改めて知る。途中まで行って、金谷に寄っていては、袋井の約束に全く間に合わないことが分かり、金谷のミュージアム行きを諦めることになった。松下先生のコレクション展示の見学は次の機会に譲ることとしよう。Nさんたちは静岡の東側の人。西側にある袋井へ道は分からないという。途中のSAで確認してようやく道を選び、遠州森町で高速を降りた。

 

そこから一般道を走り続け、11時半の約束に10分遅れで到着。ランチはお知り合いのIさん、Mさんとハンバーグを食べる。Hさんは金谷に行くために同乗してきたが、この混乱に巻き込まれ、一緒に食べる。同業者のMさんとは、やはり何となく面識があり、業界内話も始まる。

 

食後NさんはHさんを乗せて金谷に向かった。金谷へ行きたかった私が行けず、特に必要がなかったNさんが行くとは。何かのお告げかもしれない。我々はMさんの車で、セミナー会場へ移動する。袋井駅近くの立派な公民館だ。『茶学の会』のことは何度も聞いていたが、偶々今日開催だったので初めて参加する。

 

重鎮K先生をはじめ、参加者が続々集まってくる。旧知のY先生と隣になり、茶の歴史について雑談する。今日は埼玉の博物館の学芸員から『明治期のさいたま茶の輸出』について、話があった。この方は茶の専門ではなく、博物館の展示のために1年かけて準備した、その内容を報告している。

 

埼玉と言えば狭山茶だが、県内にはそれ以外にも茶産地があり、一時輸出されたというもので、地元の茶関係者などが紹介されている。出来れば、江戸時代の茶生産まで遡ってもらえると、私としてはもっと興味を惹かれたのだが。静岡の参加者は茶の歴史に詳しく、鋭い質問がどんどん飛んでくる。ずっと聞いていたかったが、夜の名古屋の予定に備えて、一足先に失礼した。

 

袋井駅まで歩いて行き、JR在来線に乗り込む。浜松で乗り換え、また豊橋でも速い電車に乗り換えた。途中で乗客がたくさん乗ってくる場面もあったが、席は確保できたので楽ちんだった。新幹線を使わなくても約2時間で名古屋駅に到着した。今晩は前回とは違う駅近くのホテルへ向かう。

 

その宿は、何と銭湯が部屋を提供するという面白い所だった。銭湯の入り口でチェックイン。そこから横のビルに繋がっていて、地下へ。どうやら前はバーだったと思われる場所に実に狭い部屋がいくつかあった。この部屋で6000円は、いくら銭湯入り放題といわれても正直高い。

 

夕飯は旧知のUさんと駅付近で洋食。Uさんとは香港、北京でご一緒、その後東京、名古屋でも会ってはいたが、今回は久しぶり。還暦を過ぎてもバリバリ働きながら、奥さんと欧米にも旅行するというからすごい。仕事の話から家族の話まで、古い付き合いの方とは幅広い話が出てよい。その後銭湯にゆっくり浸かり、早々に寝る。銭湯には若者がたくさん来ており、ちょっと驚く。

静岡から愛知へ2019(1)ホッとする農家民宿

《静岡・愛知茶旅2019》  2019年2月1日-4日

1月の台湾生活から戻ったが、旧正月で行くところがない。それでは日本国内を回ろうということで、名古屋のセミナーに呼ばれた。折角名古屋まで行くなら、静岡に寄ろうと思い立ち、農家民宿をされているNさんの所に泊まることになった。更には名古屋の後、初めて犬山市にも向かう。ご縁はずっと続いていく。

 

2月1日(金)
農家民宿へ

台北から戻って僅か2日だったので、今日は朝ゆっくりと出発した。日本は冬だし、無理は禁物。今回は在来線で静岡を目指す。やはり時間がある時は、苦手な新幹線は避けるべし。小田急藤沢経由を計画したが、乗り継ぎに失敗し?いつもの小田原経由となる。スイカが使えないので切符を買うなど、久しぶりのルーティン。箱根駅伝グッズを見ていると、外国人観光客が相談窓口周辺にたむろしている。

 

小田原かJRに乗ると、今日は本当に天気が良くて、海が輝いている。熱海で乗り換えてまた進むと、富士川を渡る頃、おっきな富士山が目の前に現れた。あまりの見事さに心を奪われている内に、写真を撮り損ねた。新幹線では遠くに見える富士山が、在来線ではなぜこんなに大きいのだろうか。

 

午後3時前にJR興津駅に到着。そこにNさんが待っていてくれた。興津といえば、東海道17番目の宿場町。以前一度降りたことがある。茶のゆかりの寺があったはずだと言うと、早速車で連れて行ってくれる。清見寺、ここの特徴は何と言っても、山門と本堂の敷地の間に東海道本線が通っていることだろう。

 

この寺に鎌倉初期、聖一国師が立ち寄り、茶の種が伝えられたと聞いたことがある。ただ境内にはそのような雰囲気も、表示も何もない。あるのは見事な古い五百羅漢などである。ここでお茶会が開かれることがあると言うが、静岡茶の祖だと言われる聖一国師の由来があるのであれば、もう少し宣伝するだろうと勝手に思う。

 

むしろ興味深いのは、大正天皇が皇太子時代にここで静養し、海水浴などをしたという話。その時食べられたのが、宮様まんじゅうとして残っているという。それにしても大正天皇とは一体どんな人物だったのだろうか。天皇が退位する今年、ちょっと知りたいテーマの一つではある。

 

車は旧東海道を走っていく。街角には、古い道しるべや石碑が残っていた。色々なところにあったものを、一か所に集約したのだとか。身延山へ、という表示から、ここから山梨方面を行く旅人がいたことも分かる。『この辺には見るものは何もない』と言いながら、車はその身延山方面に向かって走っていく。

 

途中で高台に上がる。小島陣屋跡、と書かれた場所がある。江戸時代陣屋があった場所、明治維新後は小学校になり、私有地として所有され、下の方の大部分は戦後分譲されたらしい。石垣が残っており、陣屋があったことは何となく分かる。ここには昭和30年以降、かなりの茶畑があったとのことだが、残念ながらかなり前から茶業は衰退し、放棄地が増加していた。

 

10年ほど前に、その放棄地が陣屋跡として、国から指定を受けて、活用されることになった。だが本日現在、若干の茶樹以外はほぼ更地で、陣屋跡の看板だけが建っている。史跡指定を受けて10年も経つのに、再建される訳でもなく、何かに活用される訳でもない。何故だろうか。それにしても陣屋が茶畑になり、また陣屋に戻される、何だか面白い展開ではある。

 

興津駅から10㎞近く進んだところに、小河内という地区があり、車は小道に入って停まる。そこには『有機農法の宿 ぬくもり園』と書かれている。庭には古い建物があり、その横には茶畑がのぞく。とても雰囲気があり、ちょっとテンションが上がる。宿泊場所は、Nさんのおうち、本当に民宿だ。元々は土間になっていた玄関、敷居が高い。その横に広い部屋が2つ、今日はお客さんがいないので、この部屋を占拠する。

 

暗くなる前に周囲の茶畑を散策。家の裏から山沿いに広がる。こういう光景に憧れるお茶好きは多いだろう。近くには小学校があり、下ると川もある。畳の部屋に戻って、お茶を淹れる。涼しくなってきたので、石油ストーブに火が点く。何とも懐かしい生活が始まる。猫がこちらをチラチラ見ている。お風呂に入る。お茶風呂、本当に淹れたお茶が湯船に入っている。体が相当に暖まる。

 

夕飯はNさんと二人で食べた。何だか実家に帰ってきたような気分になる。もう長いこと味わっていなかった感覚だ。猫も慣れてきて、おこぼれを狙いながら、膝の上を占拠する。暖かな夕飯となる。静かな環境で、お腹が一杯になると、かなり眠気に誘われる。今日はサッカーアジアカップ決勝があるはずだが、そんなことにはお構いなく、早々に布団を敷いて寝てしまう。

熱暑の関西茶旅2018(5)ティーツーリズム

7月25日(水)
和歌山大学ワークショップ

翌朝は皆で朝ご飯を食べた。この宿舎には食堂があり、住人は三食をここで食べることができる。確かに周囲に食堂などはあまりなく、学生にとってもここでの食事は重要だろう。朝飯は300円でビュッフェスタイル。好きなものを好きなだけ取って食べる。昔の学生なら大喜びだろうが、今はどうだろうか。パンや卵を取って食べる。因みに昼と夜はメニューが出ており、各500円だというから有り難い。

 

その後N氏とピアポーン先生はどこかへ出掛けていき、私は疲労が溜まっていたので、ワークショップの準備をしながら、部屋で休息していた。12時前にアムナーさんが迎えに来て、会場へ案内され、そこで資料のチェックなどを行った。それからランチ、さすがに学生で混んでいたが、何とか席を確保して、大型のオムライスを食べる。これはどう見ても男子学生向きで量が多い。

 

午後はアムナーさんの授業を見学した。思いの他多くの学生が授業を取っており、観光学に対する興味のほどが窺われた。今日の授業はちょうど、各グループが外国人向けに京都和束の旅をアレンジする旅行商品を発表することになっていた。アムナーさんは基本的に英語で授業しており、時々日本語を交ぜている。発表も勿論英語、プレゼン資料も英語だった。

 

学生にとっては外国人を迎え入れる旅行会社のようなことをするのは、経験がなければ極めて難しいと思う。そんな中、和束を訪ね、色々と工夫して旅をアレンジしている様子は、前向きでなかなか良かった。今政府が推進している訪日客数の増加ありきの政策ではなく、満足が得られる、リピーターが増えるアレンジをしてもらいたいと感じた。

 

授業が終わるとそのまま、ワークショップになだれ込んだ。参加者は学生と学内の先生だけと思っていたが、学外からも大勢来ていたので、驚いた。ピアポーン先生がタイのティツーリズム(ロイヤルプロジェクトなど)を説明、N氏は日本とアジアの茶業の現状を細かく説明していた。私はアジア各地で実際に行われているティーツーリズムを自らの経験に基づき紹介した。果たしてどこまで役に立っただろうか。

 

 

その後、ピアポーン先生がタイ茶を淹れ、私が持ち込んで台湾茶をTさんに淹れてもらって、参加者で飲んでみた。やはりティーツーリズムにはお茶がないと始まらないだろう。参加者同士の交流も行われ、お茶を通じた地域交流、世代を超えた交流会になっており、良かったなと感じる。

 

夜はTさんの車に乗せてもらい、市内へ出て、刺身や焼き物など美味しい物を沢山食べた。日本に何度も来ているピアポーン先生だが、焼き鳥が入ったサラダをお替りしていた。やはり刺身に慣れているとは言っても、ガイヤーンの方が更に慣れているのだろう。Tさんには大学まで送ってもらい、お手数を掛けてしまったが、これも3月のご縁ということで楽しい夜だった。

 

7月26日(木)
大阪セミナー

翌朝は早く起き、宿泊先を出た。午前7時、駅まで行くバスはまだないので、荷物を転がしながら歩いて向かう。大学前駅に着くと、そこそこ乗客がいた。もうすぐ特急サザンが来るというので、大きな荷物も邪魔かと思い、急いで特急券を買って座っていくことにした。こんな贅沢、良いのだろうか。

 

指定席はそれほど混んではいなかったので、ゆったりと過ごす。途中からだいぶ人が乗ってきたが、それでも満員ではなかった。やはり510円払って1時間座るというのは贅沢なのか。田園風景がずっと続いていたが、その内、街がどんどん飛んでいく。一昨日乗り換えて慣れている新今宮で降りて、JR大阪駅へ向かった。

 

この旅で何度も来ている大阪駅ではあるが、今日のセミナー会場は駅前に沢山あるビルの一つであり、正直よそ者には分かりにくい。地下をぐるぐると回り、何度かへこたれながら、それでも3月に来ていたので、何とか辿り着いた。Mさんとお手伝いの皆さんが暖かく迎えてくれ、大勢のご参加を頂き、午前午後のセミナーも無事に終了した。3月に開催したばかりなのに、本当にありがたい。

 

セミナー終了後、東京に帰る前に、『たこ焼き食べましょう』と誘われ、2月にインドで食べたい病に掛かって以来、念願のたこ焼きにありつく。関西ではたこ焼きは家で作って食べるもの、ということもあり、大人数でたこ焼きを食べられる場所をわざわざ探してもらったようだ。そこには普通のたこ焼きもあるが、ネギマヨ、ゆず塩ポン酢、濃厚チーズなど、予想外のたこ焼きが沢山並んでいて驚いた。確かに普通のものを食べるなら家で、となれば、店側も工夫するのだろう。

 

皆さんと楽しくお話しして、腹も膨れた頃、新大阪に向かい、新幹線に乗り込んだ。今夏の旅はとても暑かったが、それなりの収穫もあり、また普段は見ないようなものも見られてとても有意義だった。次回はもう少し涼しい時期に再訪しよう。

熱暑の関西茶旅2018(4)孫文記念館から和歌山大学へ

7月24日(火)
孫文記念館

今日も快晴だった。天気が良いのは悪いことではないが、こう暑いと動きが鈍い。結局わざわざ三宮まで来て2泊もして、何もしていないような気分になってしまい、やはりここは孫文記念館を訪ねることにした。そこがそんなに遠いとは思っておらず、相変わらずの無計画が露呈しているが、それが私の旅だろう。

 

JRで明石の方向へ舞子という駅まで揺られていく。この駅で突然気付いたことは、ホームにあるベンチが全て、電車の進行方向(またはその逆)に並んでおり、ちょっと異様に見えた。少なくとも関東では見たことがない並びだ。後で聞くと、これは転落防止のために作られているという。ホームが傾斜しているので、酔っ払いの他、ベビーカーなども落ちる危険があるようだ。関東にも一部あると教えられたが、それなら全部そうすればよいのではないだろうか。

 

遠くへ来たもんだな、と駅を出ると、何だかちょっと現代的で驚く。そして向こうに海が見える。更にはチラッと橋も見える。ここが明石海峡大橋のある場所だとようやく気が付いた。そしてお目当ての孫文記念館はその雄大な橋のたもとに立派に建っている。実にいい景色だ。

 

八角形の中国式楼閣『移情閣』は1915年に建造された現存する日本最古のコンクリートブロック建造物だという。華僑の貿易商、呉錦堂の別荘の一部をここに移築した。中に入ると、煌びやかで美しい。孫文ゆかりの品も展示されており、神戸華僑の歴史も少し学ぶことができた。何よりこの風景、いいな。

 

周囲も散策したかったが、時間があまりなかった。予想外にいいところだったので次回はゆっくり来よう。JRで三宮まで戻り、荷物をホテルに取りに帰って、またJR駅にやって来た。これから梅田経由で和歌山へ向かうのだが、昨日の予行演習もあり、今日はちゃんとJR大阪駅へたどり着く。

 

梅田経由和歌山へ
大阪駅ではIさんと待ち合わせた。Iさんは阪急沿線の人だが、私が間違えないようにJRまで迎えに来てくれた。何しろ以前彼女のところでセミナーをやった時、JRを乗り間違えて遅刻した苦い経験がある。それから大阪の電車はよく分からない、と思うようになっていたのだ。駅近くのビルの上のレストランへ行く。

 

ここはタイレストランで、ビュッフェスタイル。思えばIさんと会ったのもタイであり、一緒にカンボジアへも行った。何となくフワッとした人で、そこが何とも良い。タイ料理も意外と本格的で、美味しい。実はタイ料理は今やタイより日本の方が旨いのではないかと、思えるほど、日本で普及しており、日本人の口に合わせている。

 

ヨーガの話からアジアの話へ。どんどん話が進んでいき、取り留めはないが尽きることもない。途中でお腹は満腹信号を出していたが、構わず話し続けた。何だかとても懐かしい人に会い、昔話を延々としているような感覚になる。Iさんには申し訳なかったが、非常にすっきりして、次に進むことができた。

 

3月にも梅田から和歌山に向かったことがあった。その時はセミナーに参加していた方が途中まで同行してくれて、何も考えずに、和歌山まで行くことができたが、今回は一人。そして前回はJR和歌山駅だったが、今回は南海で和歌山大学駅前へ。仕方なく検索して、一番簡単なルートである、JR大阪-新今宮-和歌山大学前で行ってみた。

 

新今宮付近は近年外国人バックパッカーが沢山宿泊する安宿があると聞いており、一度は泊まりたいと思っているが、今回もまた大阪は素通りとなってしまった。新今宮駅でJRから南海に乗り換えるのはちょっと面倒だったが、関西空港に向かう外国人は私よりサクサクと乗り換えホームを目指している。

 

特急サザンという列車は一部が指定席になっているが、平日の昼間だから自由席でも十分に座れた。約50分で3月にも来た和歌山大学駅前に到着してしまう(JR和歌山駅へ行くよりずいぶんと近く感じられた)。これは確かに大阪への通勤圏だ。駅前で今回招いてくれたアムナーさんに連絡を取ると、何と出掛けており、こちらに向かっているらしい。私は大学行きのバスに乗ってしまったので、大学で彼を待つことになった。

 

今回は和歌山大学観光学部のワークショップに参加する。そのため、大学のゲストハウスに宿泊させてもらった。アムナーさんもここに住んでおり便利だ。ワンルームマンション、1か月5万円らしい。私が学生の頃は、こんな立派な、明るい部屋には住めなかったなあと感慨深い。ただゲストは与えられたWi-Fiの機械を自分で操作してネットに繋がねばならない。結局よく分からず、職員の方の手を煩わせることに。

 

夜は同じくワークショップで登壇するN氏及びタイのピアポーン先生と一緒に、歩いて和歌山大学駅前に戻り、イオンモールにあるレストランで食事をした。アムナーさんを入れたこのメンバーは、昨年7月タイ北部のお茶調査で出会っており、そんな茶縁がここに繋がるのだな、と面白く感じる。