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熊本・福岡茶旅2023(4) 博多の日本茶カフェ

外へ出るとかなり強い雨になっていた。歩けないので博多駅まで戻り、地下鉄に乗る。この路線、以前は見たことがない。コロナ中に開設された新路線。この線の開通によって、博多駅まで出るのが非常に便利になったとの声を聴いた。私はこれで渡辺通を目指す。今日は日本茶カフェでYさんと待ち合わせ。

ビルの2階、看板が無ければ通り過ぎてしまうようなところにそのカフェはあった。店主のIさんとは以前一度会ったことがある。そのカフェが最近人気だと聞き、訪ねてみたのだが、カウンターとテーブル合わせて8人を相手にIさんは一人でお茶を淹れている。それも冷たいお茶から淹れ方を変えて4煎ぐらいまで、様々な茶の魅力を見せ、解説してお客を楽しませている。

これは新しいスタイルの日本茶カフェだ。お客も台湾人が来ると、すぐに中国版のガイドブックなどを出してこの店のスタイル、システムを知らせて、あまり違和感なく対応している。これならお茶に興味のある外国人もやってくるのだろう。どうしても質問したければ、Google翻訳なども使える。お茶は静岡辺りの煎茶が多く、ちょっと意外だったが、自分が良いと思う茶を選んだ結果、というから、地域ではなくこだわりで選ぶ時代なのだろう。

2時間もお店にいた。お茶を飲んですっきりして宿へ戻ると腹が減る。近所にその昔行った店があったので、覗いてみるとおやじさんが一人で営業していた。ちょっと昭和感がある店なのか、フランス人カップルがかつ丼を食べていた。こんなところまでインバウンドはやってくるのか、と驚く。私もかつ丼とうどんのセットを食べて何となく昔を懐かしむ。

宿はちょっと面白い。部屋には洗面台しかなく、トイレは各階共用。最近トイレが近いのでちょっと心配したが、あまり人と会うこともない。シャワーは1階に行かないと浴びられない。1階のカフェ部分には本も置かれていて、コーヒーを飲む人、待ち合わせの人などがいる。スタッフは親切でよい。夜は大きめのベッドに横たわり、本を読んだり、テレビを見て過ごす。最近博多も宿代の値上がりが激しい中、駅にも近くちょっと助かる。

12月15日(金)東京へ

朝はさわやかに目覚め、外へ出た。目指すは以前小倉で行ったことがある「資さんうどん」。何と近くには以前訪ねた聖一国師ゆかりの承天寺などがあり、思わず寄り道。朝飯は肉うどんセットを食べて満足。どうも博多に来るとうどんばかり食べてしまうのは、やはり聖一国師のお陰だろうか。更に散歩を続けて、聖福寺界隈を歩く。何だか得した気分の朝。

午前に宿をチェックアウトしたが、フライトまで時間があったので、あまり歩いたことがなく地域に足が向く。さっき朝飯食べたのに、なぜか650円の定食に目を引かれ、早めのランチを食べる。チキ南メンチ定食、チキン南蛮とメンチカツのセットを頂く。コスパはいいのだが、何となくカレーのにおい?味?があるような。何と隣はインド料理屋で、しかも厨房を覗くとインド系の人が料理している。あれ、厨房を共有しているのだろうか。

最後に博多塀のある楽水園を通り、宿で荷物をピックアップ。博多駅から地下鉄に乗れば、すぐに空港に着いてしまうのは、何とも有難い。今回は珍しく、スカイマークに乗る。チェックインカウンターが分からずまごまごする。今やカウンターへ行く人は多くはない。土産に明太子を買おうと思ったが、何となく止めてしまい、後で後悔する。

熊本・福岡茶旅2023(3)出水にあった栄西ゆかりの寺

12月13日(水)出水で

今朝も温泉に浸かりパンを食べてから、荷物を整える。Aさんが迎えに来てくれ、名残惜しいこの地を離れた。そして車で山越えして30分。鹿児島県に入っていた。出水市、そこには若者Kさんが待っていた。Aさんは用事で福岡へ行くというのでお別れ。今回は実にお世話になった。感謝しかない。Kさんは地域おこし協力隊に属しているが、茶業を目指しているという。

Kさんの車で感応禅寺という寺へやってきた。ここは栄西が開山ということで案内されたのだが、何とあの島津氏の初代から5代目までの墓がある、菩提寺だったのでびっくりした。いつもは静かなお寺らしいが、今日は暮れの大掃除の日だったようで、檀家さん総出で庭を掃き、本堂をきれいにしている。

そこには普段は見られない仏像があり、ちょうどお掃除で拝むことが出来、何とも感激。ただ栄西に関しても、特に資料は残されていないという。栄西がここにも茶を植えた可能性はあるということか、最近茶業者がこの周囲にお茶を植えて作っているという話もあった。まあ、何ともご縁だな。栄西はこの地にやってきたのだろうか。

続いて、出水茶業の歴史として知られる、小木原三楽翁が江戸後期に宇治製法を導入した場所へ向かう。今は説明板が作られており、その付近に少し茶畑が残されていた。ご近所の人に聞いてみると、昔は茶業が盛んだったらしいが、あまりよく分からない。やはり歴史は埋もれていく。

お昼をKさんと食べる。彼は以前有名なお茶ショップで働いており、奥さんの実家があるこちらに移住して茶業を目指していた。昔の品種を探して植えてみたとのことだったので、ちょっと調べのお手伝いをした。こういう人たちが出て来ると、茶業界も徐々に変わっていくだろうか。

駅まで送ってもらい、新幹線を待つ。駅周辺は歴史感を出しているが、お客さんは多いのだろうか。そこから僅かな時間で熊本駅まで行く。更に路面電車に乗り、宿へ。更にまた路面電車に乗り、県立図書館で調べ物をしていたら、日が暮れた。夕飯にいつものとんかつ屋へ行くと、何と台湾人が行列している。これに中国人と韓国人を合わせると実に9割が外国人客になっており、大いに驚く。これもTSMC効果だろうか。ポストコロナだな。まあとんかつは美味しく頂き、すぐに退散する。

12月14日(木)博多で日本茶

朝ご飯は宿で美味しく頂く。それからバスで武蔵塚公園へ行ってみる。ここは勿論宮本武蔵関連の場所。園内には武蔵の像が立っており、墓もある。武蔵に憧れ、西南戦争で亡くなった人物の碑まである。武蔵はなぜ晩年をこの地で過ごしたのだろうか。何度来ても熊本は興味深い。

宿へ戻り、熊本駅へ向かう。また新幹線に乗り博多へ。新幹線はつまらないが、とにかく速い。あっという間に博多に着く。そして予約した宿を探して歩く。今日の宿はちょっと不思議。書店ホテルというらしい。看板はほぼ出ておらず、1階はカフェなので、通り過ぎてしまう。フロントも外国人が担当(日本語で会話)。そしてエレベーターの前には本が置かれている。部屋にもある。ここに潜り込んで本を読み耽る、というコンセプトだろうか。

熊本・福岡茶旅2023(2)水俣の山中で

12月12日(火)水俣で

朝は明るくなると川の音で目覚めた。階段の軋みの音が何とも良い。また温泉にゆったりと浸かる。何だか疲れるが取れる。朝飯はパンが置かれており、適当に食べるらしい。みかんもあったので簡単に済ませる。それが健康的でよい。宿では宿泊客同士の交流もあり、和やかだ。

散歩に出ると雨も上がっており、何とも気持ちが良い。この宿、明るくなって見てみると、かなり色々と飾りや置物があり、何とも風情がある。昔は立派な旅館だったのだろうか。6年前に今のオーナーが、いい温泉が出るのでもったいないと、借り受けて温泉重視で再開したらしい。

今日はまずは水俣図書館でお茶の歴史調査を開始する。以前も来たことがあったので簡単に済ませる。その後地元の銘菓、美貴もなかを買いに行く。餡がぎっしり詰まっていて美味しい。有名な店だが、店に行かないと買えないらく、地元民の行列が出来るという。隠れた銘菓、いいね。

水俣城跡をちょっと見る。相良氏が島津に攻められて落城したとある。関ケ原後は加藤清正の支城となったが、すぐに破却された。ここ水俣は国境、常に島津を警戒していたようだ。相良と島津の関係、それは江戸期の沖縄の茶に繋がっていく。なぜかお寺があり、そこに豆腐の行商が来ている。城付近の地名は陳内という。やはり国内だけでなく、中国などとの繋がりもあっただろうか。

車は徐々に山を登っていく。途中いい感じのヤマチャが見られ、思わず車を降りた。この茶葉でお茶を作ったら、美味しそうだと思う。Aさんも頷いている。林の中を分け入ると、そこには昭和3年に茶園が開拓された時の記念碑が建っている。今や完全に埋もれてしまった茶の歴史、実に興味深い。地元でこの歴史を発掘して欲しいなと思う。

標高約500m付近まで行くと、戦前にアメリカ帰りの入植者が茶の栽培を始めた場所があった。石飛という集落で、旧石器時代の遺跡も確認されている。ここに南畝(のうねん)正之助翁顕彰碑が建っている。お名前も独特だが、ここで一体どんな茶業が展開されたのだろうか。残念ながら戦時に茶業は衰退してしまったようで、戦後改めて入植したのがAさんのご先祖たちだということだ。さっき買ったもなかを持って、Aさんの家へ行く。この奥深い土地で丁寧な茶作りが行われている。なぜかイタリア人の若者が研修?している。お父さんから簡単にお話を聞く。

近くの家にシイタケを取りに行く。そこの方は猟師もやっており、最近は大忙しらしい。イノシシなどが沢山出るようだ。昼はラーメンを頂き、宿に戻った。午後は私がちょっと国産紅茶の歴史をお話しする会を開いて頂いたが、お役に立っただろうか。旧知のKさんもわざわざ聞きに来てくれた。この宿にこんなレトロな広間があるとは。これもまた楽しい。

ここ湯の鶴温泉を散歩してみる。この付近にもやはり平家の落人伝説があった。やや鄙びた感じの温泉街、細い川を挟んで両側に建つ温泉宿、その風情が如何にも昭和な日本だった。また温泉に浸かり、夜はまたおでんを頬張り、畳の部屋で寝る。これはなかなかいい生活だ、と強く意識して寝る。

熊本・福岡茶旅2023(1)山中でヤマチャを見る

《熊本・福岡茶旅2023》  2023年12月11₋15日

チェンマイから北京経由で東京に戻ると、何だか寒かった。零下の北京より東京が寒いはずはない、と思ったが、体調不良に見舞われ、4日ほど休息した。それから1週間して今年最後の旅、熊本へ向かった。

12月11日(月)水俣へ

羽田空港で熊本行きのフライトを待っていた。搭乗する飛行機を撮影しようと、一番端に移動して、何とか収めた。ふと振り返ると、何とそこにバドミントンの山口茜選手が座っていた。仲間と一緒にスマホゲームに興じていた。所属する再春館製薬は熊本にあるのだから帰る途中なのだろうか。同じチームの志田松山は世界選手権に出ているが、彼女は怪我のために離脱中。日本リーグの試合に帯同していたらしい。

そんなこんなで、ほぼ満席のフライトで熊本に着いた。出口には今回お世話になる、Aさんが迎えに来てくれた。同道するお仲間お二人も一緒だ。実はAさんも(奥さんも)バドミントン部だったそうで、山口選手が見たかったらしい(熊本に居ても会えるものではない)。もう少し待っていればよかったか。

車は小雨の中、ずんずんと進んでいく。1時間近く乗っていると、山道に入っていく。ちょっと上り始め、川が流れているとテンションが上がってくる。五家荘の標高1000mあたりで車は止まる。ここに峠のレストランがある。まずはランチを頂く。名物やまめそば、更におにぎりと辛子レンコン。外は霧雨が降る寒い日にこれは絶品だった。このお店の人も山仕事をしており、この付近の歴史などを聞いてみたかったが、時間もなく先に進む。

30分ほど山の中を走ると、そこに茶畑があるという。行ってみると、それは我々が想像する茶畑ではなく、ヤマチャの木が集められ、斜面の植えられている場所だった。ちょっと違うが、これは雲南やシャン州で見た茶畑の光景のようだった。基本的にこの辺の山の中には、所謂ヤマチャがたくさん生えており、最近利便性から一か所に纏めたらしい。山に入っていくと、足元がおぼつかなくなり、滑りそうだ。そんな山の中が心地よい。

五木村の方へ向かった。途中に立派な学校の校舎があったが、既に廃校になっているらしい。ほんの少し前まで人が結構住んでいたのだな、と分かるが、今やほぼ消えてしまった。山仕事が先細り、若者は都会へ出て行った。川沿いの斜面に茶畑が少し見えた。この辺でお茶を作っている人はいまだいるようだ。この付近には平家の落人伝説がかなり濃厚に残っている。四国から逃げてきたルートなども示されており、興味深い。

今日は天気が悪いのでここまで。道の駅でちょっと買い物をして、水俣方面へ向かう。暗くなった頃、今日の宿に着いた。細い川沿いに数軒宿が建っている如何にも温泉場という雰囲気だ。部屋も畳で何となく鄙びた感じが良い。温泉が出ているようで、入ってみると、これは誠に気持ちが良かった。かなりの効能が見込めそうなお湯だった。近隣の人たちが温泉に入りに来ている。

夕飯はみんなで向かいの小屋に入っておでんなどを食べる。実は宿の人たちが夜7時になると、この小屋を開き、宿泊客のために食事や酒を提供している。ジンジャーエールを飲みながら、だし巻き卵と焼きそばを食べて満足。後はずっとお茶の話をしてしまった。水俣のお茶の歴史はどんなだろうか。

静岡茶旅2023 その2(4)川根へ

K先生の車で金谷駅まで送ってもらい、JRで焼津に戻る。またSさんにピックアップしてもらい、Sさんのお寺へ向かう。ご住職でSさんのお父様のお話を聞く。曹洞宗大覺寺全珠院、日本一の千手観音を持つ由緒あるお寺だった。お寺とこの付近の歴史も極めて興味深いが、基礎知識が無いため、なかなか消化できない。とにかく歴史は古く、そして複雑に絡まっている。

夜は美味しいうなぎをご馳走になる。Sさんの妹さんとそのお子さんも参加する。何だかうなぎのフルコースを頂いたようで、満足この上ない。お話を聞いていると、日本のお寺というのはなかなか難しいものだと思う。それでも相応の歴史を有してきたということは、それに何らかの意味があるということだろう。帰り際、小雨が降り出す。

8月31日(木)川根へ

本日は東京へ帰る日。何となくMさんに会いたくなって川根へ行くことにした。Sさんが車を出して連れて行ってくれた。元々は金谷から大井川鉄道に乗るつもりだったが、何と先日の災害で、途中駅までしか運行していないらしい。まずはいつものような焼津に出勤し、そこから川根を目指す。意外と時間が掛かる。

何とか川根まで辿り着いたがMさんの家が分からない。8年前に一度お邪魔したが、道など全く覚えていない。最後は連絡して救出してもらう。M家でお茶を飲みながら、森薗さんの話などを聞いた。印雑や藤かおりなど、Mさんは10年も前から香り品種に取り組んでいた。今回飲んだ烏龍茶、ウンカが噛んでおり香りがすごかった。

茶畑も案内してもらい、おしんの畑(おしんのモデルになった人物がこの付近で茶畑をやっていた?)などの説明を受ける。Mさんはいつも実に色々な試みをしており、感心してしまう。取り敢えず現在の茶業界に一石を投じたいという気持ちが良く伝わる。もう10年も前に日本茶の歴史をライターに語っており、その取り組みの速さが注目される。

そこから静岡駅方面へ戻る途中、山道を走ってもらい、聖一国師生誕地を訪ねる。この前は国師のお墓を訪ねたが、そこはバスで行けた。今回の場所はバスでは難しそうだったのでお願いした。栃沢、『径山茶伝来の地』などと表示がある。浙江省径山へ行ったのはもう6年位前か。

山の中ののどかな集落という感じの場所には、茶畑もあり、生誕地の石碑も立っている。『幻の茶 伝説の彩』などという看板も立っている。最近は聖一国師の伝説も注目されているのだろうか。まあ彼が中国から持ち帰った茶を栃沢に植えた、というのは色々無理がある、というのが専門家のお話ではあるが、どうだろうか。国師が持ち帰ったものとしては、うどんやそば、味噌などの方が有名かもしれない。

車で静岡駅まで送ってもらい、Sさんと別れた。今回は彼女のお陰でいつもより沢山の場所へ行くことが出来た。感謝しかない。取り敢えず昼ご飯を食べていなかったのでエキナカで寿司を頬張る。それから京王バスのチケットを買い、午後早い時間ながら東京へ戻る。実は本当は県立図書館で調べものする予定だったが、なんと月末休館日で叶わなかった。

バスは半分も乗客はおらず、ゆったりと座っていく。順調に走行し、途中の休憩所では、夕暮れの富士山を拝んだ。新宿駅まで僅か3時間半で到着。なんだかんだで新幹線に乗るのとそれほど変わらない。料金は半額だから、これからはこちらを主に利用しようか。

静岡茶旅2023 その2(3)焼津から金谷へ

その後歴史民俗資料館を再訪して、その資料を再度眺める。その脇に蓮華寺という由緒ある寺があったので、ついでに覗いてみる。ここは家康ゆかりの寺だというが、静岡には家康ゆかりの場所は多過ぎて、今回の大河ドラマでも取り上げられることはないだろうという。家康の死因は本当に天ぷらだったのだろうか。

Mさんと別れて、森の石松の墓に詣でる。6年ぶりだが、何となく変わった感じがする。説明書きが増えたのか、囲いが出来たのか。まあ森町と言えば森の石松、伝説の人物だが茶との関わりもあり、無視できない存在だ。博徒が往来していた街なら、それなりに栄えていた証拠にもなる。大洞院はかなり古びた建物で、その風情が何となくよい。静岡の宿まで車で送ってもらい、この日は疲れたので大浴場に入り、宿のカレーを食べて寝てしまう。やはり久々の旅は疲れる。

8月30日(水)焼津から金谷へ

朝静岡駅へ行くと女子高校生が公衆電話で電話を掛けていた。スマホ携帯禁止なのかな。今日も焼津へ。もう通勤電車気分だ。駅の南口を降りると、そこにはなぜか小泉八雲の記念碑がある。読んでみると晩年八雲はこの地が気に入り、東京帝国大学講師となってからの数年間、頻繁に訪れていた。ここに移住することも考えたがその前に亡くなったらしい。

今日は焼津市の歴史民俗資料館で焼津茶のお勉強。先日訪問した製茶会社のT社長夫妻、3日連続のTさんも参加する。実は茶業関係者でももう焼津茶の歴史はよくわからなくなっているらしい。ご担当から焼津市誌などを中心に色々と教えて頂く。更には資料館内をご案内頂き、中世の城から意外と多くの出土品が出ているのに驚く。その中には茶碗など茶道具もあり、今川氏の影響が強く感じられた。焼津はヤマトタケルから始まり、戦国時代まで極めて重要な要所だったことを知る。

横には小泉八雲記念館もあったが、時間の関係で次回に回し、車で焼津港近くまで送ってもらう。ここでK先生と待ち合わせていた。K先生とはイベントなどで何度かお会いしているが、二人で会うのは初めてだった。時々ツイッターにコメントを頂いたり、前回県立図書館ですれ違ったりしていたので、一度ゆっくりお話しを聞くこととなった。

その食堂で焼き魚を食べる。確か水曜日は問屋が休みとかで、刺身類はない感じ。それでも美味しい魚を食べ、楽しい歴史話を聞いていると、何だか嬉しくなる。K先生はお茶の専門ではないが、行きがかり上かなりお茶の歴史もやっており、またお茶以外の角度からの豊富な歴史知識、深い洞察を伺えるので、何とも有難い存在だった。

それから先生の車で、茶の都ミュージアムへ向かう。そのルートを見ていると何となくいつもJRでぶつ切りに通っている茶の歴史がはっきりと見えるような気がした。私の茶歴史は鉄道駅中心であり、静岡の地理が分かっていないと痛感する。空港の近くを通ると、牧之原の広さも実感する。

ミュージアムで、まずは図書室に入れてもらい、先生と一緒に資料を探す。取り敢えずここに何があるのか確認するのが目的だった。私の知り合いのHさん、いやSさんとも色々とお話しする。それから展示室を見学した。世界のお茶が紹介されており、充実した内容となっている。私ももう少し幅を広げて世界のお茶を見るべきかもしれないと思う。

静岡茶旅2023 その2(2)焼津から掛川・森町へ

8月29日(火)焼津から掛川・森町へ

朝起きて宿のご飯を食べる。ここの朝食は地元料理など、かなり充実しているので、ついつい食べ過ぎてしまう。今日もまた焼津へ向かう。午前8時台のJRでもラッシュという感じは全くない。駅で拾ってもらい、少し走って、少し上ったところに、林叟院という立派なお寺がある。風がさわやかに吹いている。

1471年創建の曹洞宗の古刹。長谷川次郎左衛門(鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の先祖)が開基という。1573年には武田軍により寺は消失してしまうが、江戸時代徳川家光から朱印状を受けるなどして、現在に至る、とある。

ご住職は今日からアメリカへ行くというのでお会いできなかった。現住職の実父であり、先代住職の鈴木俊隆師は、アメリカ西海岸で禅の教えを広めることに心血を注ぎ、曹洞宗では海外布教の第一人者と言われているという。アップルの元最高経営責任者、故スティーブ・ジョブズ氏もまた俊隆師や、俊隆師によって招かれた乙川(知野)弘文師から学んだ多くの生徒の一人だというから、その繋がりに驚く。

奥様からお話をちょっと聞く。ここから登る高草山一体は戦後一面の茶畑で、摘まれた茶を持って、走り降りてくる男たちがいたのをよく覚えている。それも昭和40年高速道路が通った頃から下火になり、いつの間にか茶畑は少なくなってしまった。まあ今でも茶作りをしている檀家さんはいるが、その数は極めて少ない。

そこから車で山を登っていく。上るのは簡単だろうと思っていたら、意外と道に迷う。更に老人が散歩させている犬が道をふさぎ、車はなかなか進まない。ようやく頂上までやってくると、何とも天気が良く、見晴らしは抜群、太平洋が良く見える。その前の斜面には茶畑がある。一部在来種で、一部はやぶきたらしい。この茶畑と太平洋を眺めながら、お茶を飲んだらいいだろうな。茶屋は出来ないものだろうか。笛吹段公園という名前も見える。

そこからTさんのお店に戻り、また黒べにふうきなどの資料を頂く。何とも有難い。昨晩のIさんの話が更に鮮明に蘇る。そして車は掛川へ。Iさんの話で、清水俊二さんの実家が大須賀町の江戸期から続く海鮮問屋であったこと、そしてその邸宅が今も残っていると聞いたので、取るものも取り敢えず行ってみた。

確かにそこには立派な邸宅があり、今は掛川市に寄贈され、一般公開されていた。大きな池と庭園の奥に母屋があり、そこで係の人にお話を聞くと、色々と清水家についての資料を見てくれた。本家はすぐ横に今もあるが、当主は住んではいないようだ。俊二は次男だったので家を出ている。彼が茶の世界の入ったのは、この海鮮問屋と関わりがあるのだろうか。抹茶ドリンクを飲みながら考えるが、よくわからない。

昼ご飯は近くの和食チェーン店へ入る。この付近には昔ながらの食堂などもあるだろうが、地元の人のお勧めはチェーン店だった。まあ確かに何でも食べられるし、価格も手ごろということか。観光客が多い場所とは思えないが、街おこしのような古い町並み再現の店は割高ということか。

午後は森町へ向かう。文化会館にM館長を訪ねて歓談する。今度藤江勝太郎の講演会が開かれると聞き、何とも喜ばしい。藤江だけでなく、他の森町出身茶商についてもぜひ知りたいと思い、お話しを聞く。岡野利兵衛は何も出て来ないが、村松吉平は少しずつ何かが見えてくる。

静岡茶旅2023 その2(1)焼津のお茶

《静岡茶旅2023 その2》  2023年8月28日-31日

7月初旬にホーチミンから戻って以来、どうにも体調がすぐれない。肩から肘に掛けて痛みがあり、また7₋8月の異常気象、連日38度を記録しており、外へ出る気力もなかった(代わりに女子ワールドカップや世界陸上などを見る)。重い腰を上げたのは1か月半も経ってから。それも止む負えない事由で静岡に出掛けた。

8月28日(月)静岡へ

いつもは色々な行き方を考える静岡行きだが、今回は体調も考慮して、新幹線で楽に行くことにした。新宿駅のチケット売場へ行くと、外国人観光客が列を作っていた。私は自販機で購入できるが、初めての外国人には自販機操作も辛いだろうなと思う。日本という国は決して外国人には優しくない。そういえば私のクレカも一つ目は使えなかった。

東京駅まで中央線で行き、新幹線の自由席に乗った。8月末ということもあってか、席はかなり埋まっており、品川駅では自由席はほぼ満員となった。後ろにはスペイン系と思われる若い男女が乗ってきて、楽しそうに話しているが、横の日本人男性は不快そうに席を立ち、別の車両へ移動していく。ほんのちょっとした習慣の違いが、実はなかなか難しい。

約1時間で静岡駅に到着した。最近の定宿に荷物を置くとランチを探す。居酒屋みたいなところにお客さんがいたので、そこのランチを試してみる。日替わり定食は850円もするのに、ちょっと寂しいおかず。私の前に会計していたグループはインドネシア人労働者だろうか。何だか日本が寂しくなっていくのを感じる。

静岡駅へ行きJRに乗る。今日の目的地は焼津。初めて降りる駅だった。先日東京で知り合ったSさんが車で迎えに来てくれ、お茶屋さんでもう一人の女性Tさんをピックアップして、少し離れたところにある製茶会社さんへ向かった。社長のTさんから、会社の歴史などを伺う。奥さんがお茶を淹れてくれる。途中でお父様からも面白い歴史の話を聞く。実は静岡には茶産地が多過ぎて、焼津はノーマークだったが、やはりどこにでも茶の歴史は埋もれているものだ。

続いて、先ほどTさんをピックアップしたお茶屋さん(因みにTさんはここのお嬢さんで、後継ぎだという)に戻り、そこのご主人からも焼津の茶歴史を伺う。焼津は海というイメージしかないが、実は山があり、茶もかなり作られていた。海運を利用した茶の輸送など、その歴史を顧みる人はおらず、今や忘れ去られている。早い段階で茶の生産から茶商に転じた影響もあるようだ。

駅まで送ってもらい、静岡駅へ戻る。今晩は現在私が調べている清水俊二という人に関して、その息子さんと関係があったIさんに連絡して、会ってもらうことにしたのだ。静岡駅で待ち合わせて、駅構内でコーヒーを飲みながらお話を聞く。その息子さんは京大農学部を出ており、茶の研究者だったようで、晩年黒べにふうきというお茶を作った。先ほど焼津で訪ねたお茶屋さんではこのお茶を商っており、そのお茶を生産していたのが、その前に伺った製茶会社さんだったというのは面白い。

Iさんと別れて夜の静岡駅を歩くと、家康と今川義元の像がライトアップされている。今年の大河は家康だが、もうあまりにも使われ過ぎているので、地元でもそこまで盛り上がりはないだろう。いや、地元は浜松?三河?夕飯は先日食べて気に入った、磯おろしそばと天丼セットを食べに行く。夜の静岡はかなり静かだった。

東京高知関西茶旅2023(6)三宮で

三宮で

三宮駅は慣れない人間には複雑だったが、何とか予約した宿に辿り着いた。週末の三宮の宿代は驚くほど高かったが、サービスはイマイチで、ちょっとイライラしてしまう。ポストコロナでは、従来の格安感が無くなり、このような気分になりやすいかもしれない。まあ部屋はきれいでよいか。

今晩は大学の後輩Nさんと会うことになっていた。指定されたのは駅の反対側の繁華街にあるスペイン料理屋。だがなぜか突然スマホが動かなくなり、マップが見られない。電波障害か。約束時間になっていたので、以前見たマップを思い出しながら、何とか探し当てた。

Nさんは大学教授だが、その専門は少数民族の言語学だった。先月香港のKさんと会った時に紹介され、折角なのでここまで会いに来た。日本で畲(輋)族について研究している人がいるとは思わなかったので、嬉しくなってしまい、様々な疑問をぶつけお話を聞く。お茶の歴史を解明していくには、特に少数民族の場合は、文献などの資料がほぼないので、このような言語学的観点は極めて重要であると実感する。

スペインバルの料理は、予想以上に美味しく、酒も飲まないのでバクバクと食べていく。何だかとても知識が吸収出来た気になっているが、吸収したのは栄養だけだったかもしれない。それにしてもこのような稀有な人材と出会えたことは何とも嬉しい。それでも畲族については、まだまだ分からないことだらけだ。

6月17日(土)三宮から

翌日はゆっくりと起きて、散歩がてら、一駅歩いて神戸南京町へ行く。前回はコロナ禍で大変そうだったが、土曜日ということもあり、ある程度人が戻ってきているように見えた。豚まんの老祥記などはかなりの行列が出来ており、残念ながらパスした。情報では近所に似たような豚まんを売る店があるらしい。次回チャレンジしよう。

11時に待ち合わせがあったので、指定された場所へ向かった。阪急神戸三宮駅東口改札、と言われていたが、何故か西口で待ってしまった。隣はJR三ノ宮駅の改札だったので、混乱してしまったようだ。慌てて反対側まで走っていくと、何とか懐かしいSさんと再会できた。

Sさんとは北京で一緒の駐在、その後東京でも会っていたが、ここ10年ほどは機会が無かった。偶々連絡があったので、会うこととなった。ところが何ともうすぐ鹿児島に転勤だという。しかもその場所は私が茶の歴史で目を付けていたところに近い。何という偶然だろうか。

ランチはそば焼きを食べる。これが鉄板で焼かれていて、かなり旨い。お客が次々に入ってくるので、食べ終わるとすぐ外へ出て、Sさん行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら、ゆっくりと話を続ける。お互い10年も会わないと様々なことがあるものだ。最近中国へ出張した話などは参考になる。

そこから神戸市立中央図書館へ向かった。ここには2度ほど来ているので、要領は分かっていた。明治期の大茶商、山本亀太郎に関する資料はかなり手に入った。だがもう一人の茶商、武田貞吉については、思うようにいかなかった。仕方なく、亀太郎の像があるという公園の方へ歩いてみる。

途中何故か関帝廟があった。南京町にありそうなものだが、ここにある理由は分からない。すぐ近くの学校の壁には孫文来校のプレートが挟まっている。この付近、今でも多くの華人が住んでいるようだ。諏訪山公園まで行くと金星台や孫文の碑は見付かったが、残念ながら亀太郎の像には出会わなかった。

バスもないので、宿まで歩いて戻ることにした。途中に相楽園という場所があったが、入場時間は過ぎていて入れなかった。何だか立派なお屋敷のようだった。神戸駅付近は細い路地のようなアーケードが並んでいて、暑さを避けて歩けるのが良い。地下鉄で一駅、新神戸駅まで行き、駅弁を買い、新幹線に乗り込んだ。弁当は姫路鶏のり弁。姫路城が立体化できる仕掛けがあった。何だか3時間ほどで品川まで戻ってきた。やっぱり速いな。

東京高知関西茶旅2023(5)五代友厚散歩、そして奈良へ

6月16日(金)大阪散歩

朝はゆっくりと目覚める。昨日までの団体旅行はやはり私には向いていない。気が向いた時に向いた方へ歩きたい。今朝の気分は五代友厚だったので、そのゆかりの場所を歩いてみる。まずは道頓堀を北に向かう。天気が良い中、途中に古い民家が建ち、花火や産などもあって楽しい。

大阪商工会議所まで来るとその横に五代友厚像が他2人の会議所会頭と並んであった。明治維新後、大阪経済の中心、商工会議所を立ち上げたのが五代であった。現在の会議所前には『大阪府立貿易館跡』などの記念碑も立っている。商業の街大阪を支えた男が薩摩出身の五代だったということか。

続いて五代友厚邸跡を探しに行く。途中勝海舟寓居などの表記が見える。海舟はこの地で私塾を開設し、坂本龍馬らが通ったらしい。その近くに大阪科学技術館という立派な建物があり、その先は緑地になっている。この一帯が友厚邸だったらしいが、今や表記も見いだせないのは残念だ。

土佐堀川に出る。旧住友銀行の実に立派な本店がある。北浜まで歩くと大阪証券取引所があり、その前にも五代の像が立派に建っている。証券取引所開設にも関わった五代。その向かいには、江戸時代の俵物会所跡の表記があり、天下の台所大阪の中心地が良く分かる。ここから地下鉄に乗る。

南森駅まで乗る。地上へ上がると、駅のすぐ近くに墓地がある。その中ほどに、ひときわ大きな墓石が見える。五代友厚の墓だ。五代家の人々もここに収められている。大阪で、日本の実業界で大活躍した五代だが、やはり薩摩に帰ることは難しかったのだろうか、などと思ってしまう。

宿の近くまで地下鉄で戻ると、そこに黒門市場があったので、ちょっと寄ってみる。ここは外国人観光客の人気スポットと聞いていたのだが、午前中で入り口付近を除いては、それほど人は多くない。英語や中国語、韓国語が飛び交っている。海鮮などが売られていたが、その値段は決して安くはない。何か食べてみようという気にはならず立ち去る。

奈良へ

宿へ帰って荷物を取りだし、近鉄難波駅へ向かう。しかし歩いて辿り着いた地下の駅には近鉄日本橋駅とある。まあどちらでも近鉄奈良へ行けるので良いのだが、私のボケも相当に進んでいる。昼間なので近鉄特急は空いており、ゆっくりと座って周囲を眺めながら移動できた。

近鉄奈良駅にはOさんが待っていてくれた。何とウルムチ以来10年ぶりの再会だ。Oさんはその後ウルムチからパキスタンに移り、最近帰国して奈良に住んでいるというので、会うことになった。駅から荷物を引いて、観光客の多い地域を歩くと、結構人がいる。それでも古い町並みの奥の方まで行くと誰もいない静けさ。

その一軒に吸い込まれる。ここは古民家を改造した宿屋で、ランチも食べられるという。間口から想像できないほど奥行きがあるのだろうか。庭がきれいに見える。卵焼きメインの定食を美味しく頂きながら、パキスタンやウイグルの話を聞くとは、何とも愉快だ。更には若狭のお茶の話まで出て来る。

それから徒歩数分の所にある心樹庵さんを訪ねる。以前はエコ茶会でしか会わなかったのだが、最近はお店を訪ねたり、一緒に山添村へ行ってもらったりと親交を深めている。Oさんの家も近所ということで、既にお店に何度か行っていた。ここでまた最近分かったお茶の歴史の話などを勝手気ままにしゃべってしまい、申し訳なかった。いいお茶を出して頂くのに、その感想すら述べないのは改めなければならない。

夕方お店を後にして近鉄奈良駅へ戻る。私は全く理解していなかったのだが、近鉄奈良から神戸の三宮までは、何と近鉄特急に乗れば乗り換えなしで行けるのだ。今晩の宿はまさに三宮なので、何とも有難い。始発だから座れるし、約1時間で到着してしまったのは、体力的に有り難かった。