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沖縄を旅する2019(5)お茶会

7月7日(日)
お茶会

長いようで短かった沖縄滞在も今日が最終日。荷物を持って宿を出なければならないが、やはり雨が降っている。沖縄は梅雨明け宣言が出てから、完全に梅雨に逆戻りしたようだ。窓から外を何度も見てみるが、チェックアウトのタイミングは図れない。どうしようか。

 

10時前雨がかなり小降りとなった。この機会を逃してはならない、と外へ出た。チェックアウトと言っても、支払いは昨日済ませたので、鍵は部屋に置いておくだけで、挨拶もしない。何だかな、昭和の下宿は最後まで素っ気ない。傘をささない程度の雨の中、とぼとぼ歩いてバスターミナルへ向かう。

 

まだ時間的には早かったので、図書館で過ごしたいと思ったが、この大きな荷物をどうするべきか。取り敢えず図書館で聞いてみると、何と預かってくれるという。小さな荷物はコインロッカー(無料)に入れておけばよい。こういう行政サービス、何とも有り難く、助かる。図書館で2時間ほど、昨日の反省をしながら本を読む。

 

 

今日は与那原まで向かうのだが、昨日乗ったバスと全く同じバスに乗り込む。既に一度経験しているので気持ちは非常に楽になっており、緊張感はなかった。それがいけなかったのだろう、ふと考え事をしているうちに、目的地に到着したと思い、慌てて荷物を持ってバスを降りてしまった。ところがそこは『与那原』ではなく、何と『与那覇』という場所。与那まで一緒だったので、つい間違えてしまった。こんなこともあるのだろうか。

 

さて、どうしたものか。与那原まで迎えに出てくれているUさんに連絡を入れると、近いのですぐ来てくれた。地元の人は間違うことなどないのだろうが、なぜこんなに似た地名なのだろうか。きっと何か意味があるに違いない。そんなことを考えているとUさんの車にピックアップされ、茶房一葉に向かった。

 

茶房一葉、こちらも1年半前に紹介されて訪れた場所だ。ただ突然お店に行ったのでUさんが大変驚いていたのは、とても印象に残っている。それからFBなどで近況を相互に見て、コメントなどももらい、交流していたことが、今回の会に繋がった。これも茶縁であろう。このお店は、とても居心地の良い空間であり、またここに戻れたことは何とも幸せだ。

 

今日は10人程度のお茶会が開催され、台湾茶について、雑談しながらご質問を受けるというスタイルで行われる。皆さんが来る前に、Uさんが美味しいお昼ごはんを用意してくれており、有り難く頂戴した。やはり喫茶店を経営するような人は、なんでもうまく作れるということだ。お菓子なども手作りするそうだ。

 

取り敢えず2時間、お話しした。急に質問と言っても難しいと思うので、勝手に話題を見つけて話してしまった。これが皆さんにとって良かったのかどうかは全く分からないが、私個人は結構楽しく過ごしていた。何の筋書きもない話、それは私の茶旅そのものであり、これが本来私のやりたい講座の形ではないかとも思った。特に厳しい質問が出るでもなく、和やかに終了。

 

参加者はかなり遠くから来られた方もおり、満足されたかは心配だが、仕方がない。お茶会後も残られた人の中に、何と栃木の隣町の出身で、あの女優、山口智子とも同級生だった(うちの弟が山口智子と中学の同級であることを、先日息子たちに話したばかりだった)ので、とても驚いた。沖縄には県外から移ってきた人も多い。そのような人々は、本当にお茶の歴史がどうなっているのかを見て、お茶を通じて沖縄の歴史を考えていくのもよいのでは、と思ってしまった。

 

今晩は夜便でバンコックへ行く。最後はUさんが車で空港まで送ってくれた。那覇市内を通らない、日曜日の夜は空港まで30分ちょっとついてしまう。それでも雨が降ってきたので、何とも有り難い。そして何より、今回の一連の主催者として、動いていただき、とても感謝している。

 

未だ出発まで2時間以上あるのに、既にピーチには長蛇の列ができていた。ただよく見ると、ほぼ同時刻に台北行きもあり、そちらが先にチェックインをスタートしたところだった。台北行きとバンコック行き、作業速度に明らかな差があった。台湾人はちゃんと準備しているが、タイ人はそこに行ってから書類を探し、荷物が重量オーバーしているからだ。沖縄ですでに、タイを感じる瞬間だった。いずれにしても日本人より外国人が圧倒的に多い。

 

出国審査を終えると、ホッとして少し腹が減る。ところが何と、ご飯を食べるところはほぼ閉まっていた。商売熱心じゃないな、日本は。深夜便の乗客が入ってきたところで店を閉めるなんて、と言っても仕方がない。日頃の食べ過ぎを是正する良い機会だ。だが、飛行機が飛んでも腹が減っていて眠れない。機内食を買おうとしたが、何と搭載していなかった。この時間に食べ物を購入する人がいないのだろう。ひもじくバンコックに向かった。

 

沖縄を旅する2019(4)沖縄茶の歴史を報告する

7月6日(土)
報告会

翌朝は朝方に雨が止んだ。まずは県立図書館で再度調べものをして、それから先日休館だった那覇市博物館に行ってみた。土曜日ということか、見学者はそこそこいた。受付で荷物をコインロッカーに預けられると教えてくれた。今日は報告会のため、荷物が多いので助かる。那覇の歴史変遷などが展示されているが、勿論お茶に直接関わるような歴史は展示されていない。ついでに例えば沖縄と福井の繋がりを示すものなども探したが出てこない。一部尚家の展示の部分で、興味深い内容があったが、全体的には私が知りたいこととはマッチしていなかった。

 

一応早めに昼ご飯を食べようと思い、図書館近くでステーキを食べた。最近は話しの直前にはあまり食べられないのだが、やはり2時間も話すとかなり疲労するので、出来るだけ事前に多く食べるようにしている。そこからバスターミナルに向かう。南風原方面に行くバスはいくつも出ており、よくわからなかったが、係の人が検索して教えてくれた。

 

12時半にバスに乗り込む。もし乗り間違えたりしたら、遅刻になってしまう。そんな感じのバスの本数なのだ。沖縄には電車がないのでバスが発達しているとは聞いているが、初めて乗ると緊張してしまう。何とか指定されたバス停で降りようと、Google片手に眠りもせずにジッとしていた。乗客はそれなりに乗り降りがある。料金はどんどん変わるので、小銭の用意が大変だ。

 

バス停に着くと、少し雨が降っていたが、迎えの人が来てくれて、車で会場まで向かった。南風原公民館、図書館も併設された、立派な施設だった。今日は土曜日のせいか、いくつかのセミナー会場として使われていた。2階の会場に行くと、靴を脱いで入る洋室?よく分からないがこれまた立派なお部屋だった。

 

そして様々な方が準備をしてくれ、30名近くの方が聞きに来てくれた。これは代表して、今回の仕掛人Uさんにお礼を言わなければならない。私としては、昨年色々と勉強させて頂いたので、ご興味のある方に簡単にご報告するつもりでいたのだが、まさかこのような大きな会になっているとは思いもよらなかった。

 

お話しの内容は、球磨茶を訪ねて熊本県人吉に行ったこと、ちんすこうの故郷を訪ねて福建省福清に行ったこと、さんぴん茶の由来、中でも台湾の包種茶が使われていたことなど、最後にブクブクー茶とバタバタ茶、ぼてぼて茶に関連することを一気に述べてみた。皆さん、恐らくはかなり混乱されたことだろう。『そんな話、今まで聞いたことない』という声が聞こえてきそうだが、私の旅の成果としては、そのようになっているのだ。

 

後は地元の皆さんが、皆さんの歴史を検証して、フィードバックしていて頂けると、有難い。セミナー後、さんぴん茶などを飲む懇親会でも数人の方から、更に有益な情報を頂いた。『昔おばあちゃんから聞いた話なんですけど』などというのは、一見理屈もないように見えるが、意外と真実を突いていることがある。

 

全てが終わり、外に出るとなんと晴れていた。これは今日のセミナー、それなりに上手く行ったという証だろうか。また車でバス停まで送ってもらい、バスに乗って那覇に戻った。折角雨が降っていないので、またお散歩に出た。とまりん付近の若狭町を歩き、気が付くと久米のあたりに出ていた。そこには何と孔子廟まであった。これは新しいものではあったが、横には福州園という名前の場所まであった。既に門は閉められており見学は出来なかったが、中国、特に福建省との繋がりについては、さらに調べを進めるべき課題である。

 

夕飯は昨日食べたいと思って食堂は閉まっていた、なかみー汁を食べに行った。この内臓の入った汁、何とも言えず美味く、好物になっているが、なかなかありつけない。この食堂も働いていたのはバングラあたりから来た青年だったが、一生懸命対応してくれて好感が持てる。安い料金で食事を提供してくれる中で、彼らの存在も大きいのだろうと思う。

 

この畳部屋で寝るのも今日が最後となった。住めば都という感じで少し愛着が出てきた。今日は週末なので、さすがにすべての部屋に人がいるようだ。それでもトイレなどではかち合わず、結局どんな人が泊まっているかも知らずに終わった。ウインブルドンテニス、錦織の順調な試合運びを見て、明日に備えた。夜半からまた雨の音がする。

沖縄を旅する2019(3)最北端まで行くも

7月5日(金)
最北端へ

夜中から雨が降り続き、朝になっても止まなかった。今日はHさんが車で沖縄本島観光に連れて行ってくれることになっていたが、あいにくの天候となっている。Hさんには過去何度か車に乗せてもらい、色々な所へ行っている。そろそろ本島ではいく場所がなくなってきており、今回はお茶とは関係なく北部を訪ねることになった。

 

車は小雨の中、ひらすら走っていく。那覇やその郊外までは渋滞などもあったが、その後は車も少なく順調だった。そして2時間後には、ほぼ北の端までやってきていた。まずは沖縄最北端にあるコンビニとして、ファミリーマートに寄った。今はこんなところまでが、撮影スポットになっていることに驚く。まあ、これは商売上のことだろうが。

 

そこから更に20分以上走り、ついに最北端、辺戸岬に到着した。いつもは多少観光客などもいるようだが、この天気では駐車場に車は殆どなかった。車から降りて海を見に行くと、大きな碑が建っていたが、その先は強い風と雨により、傘が飛ばされそうになり、歩くのが難しくなってしまった。折角来たのだが、ゆっくり海を眺める時間もなかった。晴れた日には与論島まで見えるらしいが、残念。

 

ここに長居しても仕方がないと次に向かう。元々の予定では大石林山という奇岩や巨石、亜熱帯の森、大パノラマなどがある、自然環境豊かな場所を散策する計画だったが、さすがにこの雨では難しい。取り敢えず現地まで行ってみると、係員が『博物館だけでも見て行って』と言うので、見学だけした。もし天気が良ければトレッキングして、やんばるの自然を満喫できたのかもしれない。

 

昼ご飯は、この辺で一番有名だという、前田食堂を訪ねた。建屋は昭和の雰囲気だ。午後1時ごろだったが、店内はほぼ満員のお客さんで、辛うじて座ることができた。これは雨のお陰だろうか。名物の牛肉そばを注文した。出て来たものはどんぶりに山盛りのモヤシが乗った麺だった。確かに美味しいのだが、何となく台湾で食べる牛肉麺に通じるところがあるな、と思った。牛肉を入れる発想などはいつ頃からあるのだろうか。

 

雨が少し強くなる。少なくとも屋外活動は難しい状況となっていた。困ったHさんが『塩作りを見に行きませんか』という。まあ行けるところがあるだけよい。車で1時間以上かけて島の反対側、うるま市に向かう。その断崖?の近くに『ぬちまーす』の工場はあった。ここでは塩作りに適した海水を使い、独特の製塩法を用いて、ミネラルの多い、美味しい塩を作っているのだという。

 

工場見学もでき、案内の人が一通り説明してくれた。工場を見ても、機械があるだけで、正直内容はよくわからない。ただショップの方には、この塩を使った様々な商品、飴や菓子からみそなどまで、が販売されており、ちょっと驚く。ソフトクリームは美味しいそうだったが、涼しいのでパスした。社長には著書もあり、かなりの有名人らしい。外に出ると海が見える。断崖に近づくと、遠目に工場が見える。ここなら他社がこの海水を汲むこともできない。

 

それから車は南下して、那覇の方に戻っていく。途中に有名なうるまジェラートという店があり、寄ってみる。ここのジェラートは美味しい。そして味の種類も豊富で、沖縄の紅茶なども使われている。ただこの店の周囲、殆どが閉店しており、実に寂しい状況だ。この店にも客はいなかった。今後は那覇などでの展開が主になるのだろうか。2種類注文したら、もう1種類おまけでくれた。

 

徐々にあたりが暗くなる。那覇に戻る前に夕飯を食べようと、検索して沖縄らしい食堂に行くも、今日はもう閉店していた。仕方なく近くのモールへ行き、その食堂街を歩いてみたが、なぜか韓国料理が食べたくなり、ビビンバ定食を頼む。ここは食券制で事前に購入する。だが券を買ったのは我々だけで、他のお客さんは別のメニューを見て注文し、現金で払っている。きっとメニューも韓国語で違うのだろうし、料金も違うのだろう。キムチなどの小皿も沢山ついているらしい。この店の客は韓国系なのだろうが、こういう韓国的な取り扱いには不愉快になる。せめて分からないようにやって欲しいものだ。

 

一日中、何となく雨の中、Hさんには大変お世話になり、沖縄本島を北から南まで走ってもらった。やはり沖縄は車がないと何もできない。特に雨の日は動けない。明日明後日、バスに乗って出かける予定だが、どうか雨が降らないで欲しい。畳部屋には洗濯ひもが下がっており、濡れた衣服を掛けて寝る。

沖縄を旅する2019(2)ちんすこう屋さんで

7月4日(木)
ちんすこう屋さんへ

翌朝は曇っていた。知り合いのIさんと朝食を食べるために、旭橋の駅をまたぎ、前回私が泊めてもらったIさん所有アパート付近のベーカリーに行く。旭橋には昨年工事中だったバスターミナルがきれいに完成しており、その上に県立図書館が移転してきていたのは嬉しかった。昨年は歩いて30分ぐらいかけて行った図書館が、すぐの場所にやってきたのだ。

 

このベーカリー、やはりパンが美味しい。中国人観光客の家族なども食べに来ており、朝から満員だ。Iさんにも色々と変化があったようだ。昨年やっていた民泊は条例施行により取りやめとなり、普通のアパートになったらしい。私はまた泊まりたかったのに。相変らず朝から元気だったが、昨年1月一緒に訪ねた台湾人の死の話では、暗くなってしまったが、仕方がない。

 

実は1件、ワードファイルを印刷して郵送する必要があったので、Iさんと別れたその足でファミリーマートに行ってみた。勿論機械はあるのだが、何とPDFでないと印刷できないらしい。困っているとIさんがワードをPDFに変換してくれたので、何とか印刷のこぎつけ、そのままコンビニで切手と封筒を買い、コンビニ内のポストに入れた。21世紀もかなり経つというのに、今で原本主義とは、日本の会社も困ったものだ。

 

それから駅の横、バスターミナルの上にできた県立図書館を覗きに行く。当たり前だがきれい。5階にある沖縄関連本のフロアーに入ると、見たい本がたくさんあることに気が付き、急遽、ここで勉強することにした。土曜日のセミナーでも必要な内容が補足でき、とても有意義だった。それにしても殆ど人がおらず、なんとも贅沢に見える空間だった。これからも時間がある限り、ここで過ごそう。

 

昼ご飯は図書館のすぐ近くにあり、鶏料理屋に入る。ここも前回来たところだったので、勝手は分かっているつもりだったが、修学旅行生などが入ってきて混乱する。ここのタルタルソースと卵、意外とうまい。ボリュームがかなりあるので、食べ切ると腹がかなり膨れる。

 

今日は午後2時におもろまちまで行くことになっていた。雨が降っていれば当然ゆいレールで行くのだが、ちょうど雨は止んでおり、まだ時間もあったので、国際通りを歩いてみた。そこで思い出したのが公設市場。確か無くなってしまったというニュースを見たので行ってみたが、すぐ近くに移転しており、既にそちらでの営業が始まっていた。中国人観光客らが、料理してもらって食べようと真剣に魚を選んでいた。

 

あまり暑くないのでフラフラ歩いていると、いつしかやちむん通りに入る。陶芸の店やおしゃれなカフェがいくつもあるが、雨模様のせいか、お客は殆ど歩いていない。そこを越えていくと、おもろまちに到着した。そこにAさんが迎えに来てくれ、車で彼女のお店に行った。

 

そこは元祖ちんすこうの本店。首里駅からも歩くと15分ぐらいかかるというので、迎えに来てくれたのだ。ちんすこうは以前庶民の食べ物ではなく、王族の物だったから、お店がここにあるのも頷ける。工場はだいぶん前に移転しており、今は店舗が残っていた。観光客が来るような場所でもない。

 

ここでちんすこうについて色々と聞いた。土曜日のセミナー、実は『ちんすこうのルーツを訪ねる旅』の話もする予定なので、もう一度確認しておこうと思ったわけだ。ちんすこうは元々焼き菓子か蒸し菓子か、と言った問いにも、『ちいるんこう』という蒸し菓子があることも分かり、不明な点が多々あることを再認識した。

 

また沖縄茶の歴史についても、昨年お会いしたのち、色々な方に聞いてくれており、その辺の話も聞いた。勿論本に書かれていることは重要なのだが、書かれていない、生の声、情報も本当に必要だと痛感する今日この頃である。かなり昔のことだから思い違いなどもあるとは思うが、聞いたことを一つ一つ検証することが大切な作業となる。

 

お茶も沖縄産煎茶などを入れて頂く。お菓子はちんすこう、ちんるこうなどの他、特製の物までたくさん出して頂き、色々と味わった。本来はお茶とお菓子、この良い組み合わせを見つけて推奨するのがお茶の商売だろうが、私にはその力量はない。お菓子屋さんからの提案は重要ではないだろうか。

 

帰りもまたゆいレール駅まで送ってもらった。県庁前に差し掛かった時、那覇市歴史博物館がパレットに入っていることに気が付き、急に降りて向かった。那覇の博物館なら何か参考になる展示があるかもしれないと思ったからだ。ところが何と今日は休館日だった。これまで様々な博物館に行ったが、木曜日が休館というのは初めてで驚いた。どんな事情からそうなったのだろうか。

 

ちょっと気落ちしながらエスカレーターを降り、地下の食品売り場に向かった。ここで飲み物と、サーターアンダギーなどのお菓子を買い込んだ。レジ袋は有料だった。先進的だな。夜は雨だったので、持っていたお菓子などを少し食べただけで、部屋から出なかった。決して快適ではないと思っている場所でも、雨が凌げればよい、という感覚になる。

沖縄を旅する2019(1)昭和の下宿へ

《沖縄を旅する2019》  2019年7月3-7日

昨年1月、沖縄のお茶について本格的な?調査を実施し、様々なことが分かって来た。更にほぼ同時に『琉球人と茶』という本が刊行されるなど、沖縄のお茶への関心が少しずつ高まっていると感じている。今回はついに沖縄で、沖縄の人に、沖縄の茶の歴史(ついでにちんすこうも)を話す、という大胆な企画にチャレンジすることになった。これはかなりの緊張を伴うもので、果たして反応はどうか、とても気になる所である。

 

7月3日(水)
那覇へ

今回那覇に入ったのは、東京からバンコックまで行く安いチケットを探していたところ、LCCピーチの沖縄経由があったからだった。折角なら、沖縄にも滞在して、何かしようと思い、この便を予約した。成田から那覇まではピーチが飛ぶようになったのは、何とも有り難いことだ。

 

成田空港に行ってみると、第1ターミナルの脇の方に、ピーチのカウンターがあった。何とも小さな空間だが、こういう狭さが安さに繋がっているとも感じられるので、対顧客上は悪くない。そしてチェックインは原則機械で行い、預け荷物が必要な人は隣に並び直して行う。思ったよりずっと効率よく進むので問題はなかった。ピーチの良さは『効率と顧客目線』こんなところにある。

 

搭乗はバスで向かい、タラップを上がる。それから3時間、機内で殆ど何もせず、目をつぶっていた。特に疲れていたわけでもないが、これからの長旅を考えると寝るのが一番かと思われた。ふと気が付くともう着陸態勢だった。乗客は7割ぐらいの搭乗率で、隣も空いており、快適に過ごした。

 

那覇空港に降りると、すぐにゆいレールに乗る。スイカなどが使えないので切符を買う。そのオールドデザインの切符を機械にかざして入る。那覇に来るのは昨年1月以来。あの時はとても寒くて腰をやられたが、今回はちょうど梅雨明けの時期で、夕方は快適な気温だった。旭橋で降りて、予約した宿に向かう。

 

今回の宿、完全に昭和だった。実は半月以上前に国際通りにほど近い新しめの宿を予約していたが、何と昨晩遅くに確認したら、男女混合ドミトリーのベッド1つが予約されていて慌てた。さすがに4泊もドミトリーはおじさんにはきつ過ぎる。よく見ると、前日の23時59分までは無料でキャンセルできるとあった。時間を見ると23時55分、猛スピードでキャンセルに成功した。

 

だが、泊まるところが見つからない。既に沖縄は夏の旅行シーズンに突入しており、特に週末は部屋が取れなかった。今から明日の宿をとる、こと自体が至難の業になっていた。そんな中、一軒だけ4泊取れる宿があった。料金はさほど高くない。しかし一体なぜこの宿はこの時期に空いているのか。怖いもの見たさで予約してみた。

 

旭橋から10分もかからない場所にあったその宿に、昭和の下宿屋、XX荘を思い出した。受付に行っても、部屋番号を言われただけで鍵すら渡されず、お金もいつ払うのか分からなかった。3階の部屋は畳部屋。なかなか見られない骨董品のような場所だった。かなり広いのは2人用の部屋を予約してしまったかららしい。だから思ったより高かったわけだ。エアコンは100円玉を入れないと使えない。小型テレビの映りは悪い。トイレと風呂は共同で、廊下はきしむ。部屋は蒸し蒸しと暑く、学生時代の下宿を思い出した。

 

取り敢えず日も暮れていたので、夕飯を食べに出る。確か前回来た時に近くに手頃な食堂があったはずだったが、いくら探しても見つからない。ちょうどあった別の店に入り、なぜか茄子のみそ炒め定食を頼む。これは意外と美味しく、あっという間に平らげた。これは沖縄料理なのだろうか。因みにこの店の名物はとんかつらしい。

 

部屋の窓を開けておくとスコールが来た時部屋が濡れてしまうが、窓を閉めて出掛けて帰ってくると暑い。エアコンは使わないと決めて、この辺を工夫しながら過ごす。シャワーとトイレ、洗面が一緒なので他人の迷惑にならないようにと思ったが、どうやら3階にはお客はもう一人しかおらず、バッティングすることもなかった。アジアのゲストハウスも段々きれいになっている中、何とも懐かしい雰囲気だ。エアコンはないが扇風機はあるので、夜はそれほど暑くはない。夜中にかなりの雨が降り、その音で少し眠れない。

島根横断茶旅2019(5)吉賀の夢見る茶畑

3月11日(月)
津和野から吉賀町へ

朝早めに起きて散歩しようと思ったが雨模様なので取りやめる。8時頃に食事が用意されており、一人でポツンと食べた。昨日の朝もそうだったが、関東などでは和朝食の定番である、納豆、生卵、海苔の3点セットは一つも出てこなかった。これは何を意味しているのだろうか。納豆はスーパーなどでは普通に売っているというのだが。

 

散歩に出た。古い街並みを歩く。津和野駅に着くと、突然強い雨が降り出し、傘もないので雨宿り。その風情はなかなか良い。雨が止んだのでまた歩き出す。川沿いから教会へ。ここの教会、本堂は畳敷き。如何にも歴史を感じさせる。幕末に潜伏キリシタンが島原から送られてきて(浦上四番崩れ)、ここで弾圧されたという歴史もある。そしてまた雨が降り出し、濡れながら宿へ帰る。

 

Uさんが迎えに来てくれた頃には雨は上がっていた。私が歩かなかったもう一本の道を散歩する。古い薬屋さんがあり、お茶との関連を聞くが特に収穫はない。そのまま一軒のお茶屋に入る。どう見ても老舗だが、最近老夫婦が引退して孫娘が継いだという。しかもご主人はフランス人。何だかとてもユニークだ。

 

香味園 上領茶舗、カワラケツメイを使ったざら茶を売っている。健康茶として認知されつつあるようだ。店舗はいかにも昔からある、という雰囲気が良い。かなり古い茶缶が無造作に置かれている。実は津和野に来る外国人の半数はフランス人らしい。ご主人は大阪で奥さんと出会い、縁があってここにやって来たのだが、これは面白い取り合わせかな、と密かに思う。因みにフランス人が津和野に来る理由は、『有名なガイドブックに載っているから』とか。

 

もう一軒、お茶の秀翠園というところも訪ねた。事前に連絡したが返事がなかったため、突然の訪問となったが、対応してくれた。この地区では一番手広く茶業をしているという。茶工場前の茶畑から見る山の景色は良い。お話しを聞くと、これまでで一番現実的。文化や伝統を守る、ようは茶業を続けていくためには、売れるお茶を作り、宣伝し、包装することだ、という。これはとてもはっきりしていてよい。こちらもお嬢さんがイタリア帰りで、お婿さんはイタリア人とか。これからはクルーズ船に合わせて外国人にも売っていくという。

 

そしてついに、Uさんの住む吉賀町に向かった。ここまで本当に長かったように思う。天気はいつの間にか快晴となる。40分ぐらい山沿いの道を行くと、到着した。まずは道の駅でランチを食べる。ランチを食べられる場所があまりないらしい。食堂には地元のお客さんがいて、Uさんに話しかけてくる人もいる。狭い社会なのだろう。隣では特産品などが売られており、Uさんの作るお茶も置かれていた。

 

Uさんがここに住み始めて2年。色々な困難もあるようだが、サポートしてくれる人々も沢山いるようで、特に農家の人々が何でも自分で作り、治すのには驚くという。確かに他に頼れるものが無ければ自分でやるしかない。そこに創意工夫や技術革新というものが育つのではないだろうか。私などにはとてもできない。

 

Uさんたちの茶畑を見る。ちょっと道路から上がっており、隠里的茶畑がそこにあった。以前は神奈川で『夢見る茶畑』をやっていたUさんらしい、茶のシーズンにはまだ早く、芽は出ていないが、それは趣があり、またきれいに整備されたところだった。環境がよく、空気もよかった。時々クマやイノシシが出るらしい。ここで作られる有機茶、実は昨年もらって飲んでいるのだが、予想を上回る美味しさで重宝している。因みにこの畑の下には、某お笑い芸人の実家があり、そこは非常に立派な建物だが、誰も住んでいないのでもったいない感じがする。

 

もう一つ別の場所にも行く。この地域はかなり以前から茶があり、山の中、林の中にもその痕跡があるという。実際に林には入っていけないが、道路脇にも茶樹がチラホラ見える。島根県の茶をこれまで見てきたが、大体は誰かが植えたものだった。だが、ここにはそれよりもっと古い何かがあるのではないか、と思わせてくれた。当然大陸や朝鮮半島との関連を考えるべきだが、その資料は今のところないようだ。

 

あっという間に時は過ぎてしまい、Uさんの車で、石見・萩空港まで送ってもらう。小1時間で到着。4日間もお世話になってしまい、感謝しかない。空港はとても小さく、空港バスは1日2便しかない。何とフライトはANAの1日2便だけのようだ。後でニュースを見たら、地元では空港存続?の運動もしているようだ。

 

まだ相当に時間があったので、空港の外の丘に登ってみる。これだけ空港が丸見えの丘、というのも珍しい。ゆっくりと夕日が空港の向こうに沈んでいく。空港内で簡単な土産を買い、テレビを見ると相撲をやっている。横綱の取り込みの前にコールが掛かり、乗り込んでみたが、お客はそれほど多くはなく、ゆったりと東京へ戻っていった。

島根横断茶旅2019(4)出雲から津和野へ

3月10日(日)
出雲から津和野へ

翌朝は宿の朝食を頼んでおいた。2階の食事場所は、和食屋さんの座敷で、ビジネスホテル+サウナの朝食とは思えない旅館気分。意外とたくさんの人が泊まって朝飯を食べていたのにはちょっとビックリ。結局サウナにも入らず、車に乗り込み出発した。

 

車で1時間ぐらい行った山間に美郷町はあった。まずはスーパーに行く。後で知ったのだが、ここが街で唯一のスーパーだそうだ。普通の物も売っているが、地元の農家が持ち込んだ野菜なども売られており郷土色がある。中でも驚いたのはイノシシの缶詰。最近この町が発信して流行っているという。お茶も地元の番茶などが並んでいる。この町には鉄道駅もあったが、既に廃線になっているという。

 

茶農家を訪問する。道路脇に家が少なくなると、どこの家へ行けばよいか分からなくなる。何とか探し当てると、そこには農作業をする老夫婦がいた。ここに住んでいる訳ではなく、茶を作るために来ているらしい。父親の代からここで茶作りをしているが、茶だけで食べられない時期は、山仕事の会社に勤めていた。その時はバブル期で社員旅行にタイや韓国に行った話を楽しそうにする。お母さんが被っていた編み笠はその時タイで買ったものだというから物持ちが良い。

 

番茶も作るが煎茶も作る。売れるものを作るのが茶農家だという。向こうの畑は苗を植えて1年、べにふうきでこれから紅茶を作るというから、何とも元気だ。だが息子は松江で働いており、後を継ぐかどうかは分からない。周辺の茶農家もどんどん辞めていき、今は3軒ほどになっているという。何ともきれいな茶畑と風景、残せるといいが、それもまた経済が前提か。

 

帰りにここのお茶を買おうとして、一軒の家を探す。そこでしか売っていないというので行って見たが、昔は雑貨屋だったと思われる店、今商品は殆どなく、お茶だけがぽつんと置かれていた。店主のおじさんと話すと『この村でも出征経験があるのは私一人になってしまった』と言い、人口減少で、小さな店はほぼ無くなり、先ほどのスーパーが残るだけになっているらしい。隣を見ると小さな茶工場があり、往時は沢山の農家がここで茶を作っていたのだろう。

 

ここ美郷町には比較的大きな川が流れているが、少し上流に行くとダムがあった。1950年代に出来たとあるが、先ほどの農家では『ダムのせいで、この付近の気候(霧の出方など)が変わり、茶作りに影響が出た』と言っていたがどうだろうか。開発と環境保全、古くて新しいテーマではないか。

 

それから車は日本海側に出て、大田、江津、浜田を通り抜けて、2時間以上かけて雨の中、益田市までやって来た。もう山口県とは県境だ。益田の街中で、日曜日の今日はイベントが行われているという。だがイベント会場には駐車場の空きがなく、駐車できない。仕方なく、まだ食べていなかった昼ご飯にありつく。街をちょっと抜けたところにあるその飯屋は、古民家を改造した建物で、非常に素晴らしい。食事の内容も豪華で、かなり満足度が高い。

 

満腹になったところで会場に戻り、何とか駐車した。グラントワという芸術センター、非常に立派な、美術館などを併設した複合施設だ。その中庭では大雨にも拘らず、神楽が上演されており、熱心に見入る地元の人々がいた。益田、いや島根では神楽は日常的なもので、小さい頃から見慣れているという。上演が終わると、子供たちがその衣装を着せてもらい、写真を撮るなど、文化の継承が行われていた。ここで今日はUさんたちが作る吉賀町のお茶も売られていたが、あいにくの雨でお客は少なかったらしい。

 

ちょっと寄り道、と言って、連れていかれた場所は茶器などを作る工房だった。裏には窯もあるという。そこで作られている物は萩焼とはまた別の益田の焼きも、雪舟焼の窯元だった。あの雪舟に因んだ名が付いており、近年注目されているという。会話は当然のように茶道になっていき、ご主人がサラサラっと、お茶を点ててくれるのが良い。雪舟繋がりで、近所にあるお寺も訪ねてみた。雪舟は益田に滞在していたようだ。

 

Uさんが現在住む吉賀町に向かうことになったが、その前に今晩の私の宿を確保すべく、電話を掛けてくれた。だが何と、いくつかの宿は満員と言われてしまう。この雨の日曜日の夜に満員とはあり得ないだろう。きっとお客がいないので、今日は休業していると想像するが、泊まる所がないのは何とも困る。

 

結局吉賀町に泊まるのを諦めて、津和野に向かうことになった。津和野、何とも懐かしい響きだが、勿論来たことは一度もない。その昔、JRのコマーシャルで見たのだろうか。一時津和野ブームが起こっていたらしい。暗くなる頃、津和野に入り、民宿に投宿した。昔は繁盛した宿なのだろうが、今晩は一人の客もいない。食事が出来る場所も限られており、早々に6畳の部屋に帰り、テレビを見て寝てしまう。

島根横断茶旅2019(3)奥深い出雲へ

ちょっと早いお昼を食べようかと、かんべの里という場所へ行く。そこは20年前に歩いた神魂神社の近く。出雲風土記の世界を味わえるとても良い神社だった記憶がある。その時はかなりの距離を歩き、神社とは何か、などを考えていた。かんべの里は道の駅のようなところだったが、土曜日のせいか、大変混んでおり、昼ご飯を食べ損ねて去る。

 

宍道湖を回り、車は出雲方面に出ていく。30分ぐらい行くと山道を登り始め、かなりの山の中に着く。そこにはコテージなどの表示があり、一瞬ペンションにでも来たかと思ったが、よく見るとお寺だった。一畑薬師。入っていくとすぐに『お茶湯』があり、お茶を掛けてお参りする。番茶もそこで販売していた。薬師というぐらいだから薬と関連があり、お茶との関連も垣間見える。

 

実はかなり大きなこのお寺。本堂からは読経が流れてくる。仏像が並んでいるところを見ていると何と『赤塚富士夫、天才バカボンのレレレのおじさんのモデル』と書かれた像があったので驚いてしまった。注荼半諾迦というひたすら掃除をして、人の心の汚れは落ちにくいと悟ったとある。もう少し行くと水木しげるの漫画に出てくる『のんのんばあ』の像もある。何だか観光地に来てしまった感が強く、少し違和感はあるが面白い。

 

お腹が空いている。少し下ったところにお店があるというので車で向かう。本当は階段で行けばよいのだが、帰りの上りが怖い。お店には番茶の大きな袋が売られており、『この辺の人は800gも入っているものがお得だから買うのよ』と言われて、この周辺の番茶文化を知る。温かいのと冷たい出雲そばを両方頂き、別の店でまんじゅうも食べて、お茶も飲ませてもらい満足。

 

そこから山道を10分ぐらい下ると茶畑が見えてきた。ここが一畑番茶の畑かと思ったが、防霜ファンがあり、寒冷紗が掛かっており、玉露でも作るのかと思うような設備になっている。しかも茶樹は若く、最近開拓されたようにも見える。この辺りにも新しい動きがあるのかもしれない。

 

更に30分ぐらい走ると、寺の入り口が見えてきた。鰐淵寺と言い、弁慶修行の地とある。武蔵坊弁慶は出雲の生まれだった。京都に出る前にこの寺にいたようだ。ここは1つの山全体が寺になっており、かなり広い。ただ入り口で入山料500円を徴収するというのは如何なものだろうか。推古2年(594年)開山、天台宗の古刹とはどういう意味だろうか。我々は茶旅中で時間もないのでパスしていく。

 

山登りを続けていくと、唐川という場所に着く。とてもきれいな茶畑が並んでおり、思わず写真を撮る。Uさんによれば、ここがぼてぼて茶の番茶を供給している地区だという。農家のおじさんの言葉も訛りが強くて少しわかり難いが、そこがまた情緒があってよい。ここにはまだかなりの茶農家が残っており、春にはお茶祭りも開かれるという。『今茶はないよ、春においで!』と言われ、また来たくなるような風景を去る。

 

田舎の路は分かり難い。ナビもあまり役に立たない。同じ場所をぐるぐるしていたが出られない。いつの間にか辿り着いたのは、韓竈神社。出雲風土記にも登場する由緒ある神社。名前からして朝鮮半島から渡来した人が作ったものだろう。いや、この辺は半島と近く、ゆかりの場所は沢山あるはずだ。

 

神社は高いところにあるようだが、石段は滑りやすいので、上るのを諦める。船石があるというので、小川の横の道を上がっていく。船石と言えば、高橋克彦の小説ではUFOということになっているのを思い出す。小さな滝などもあり、自然に満ち溢れていたが、夕方ということもあり、ちょっと神秘的で恐ろしい雰囲気もある。何かに付かれたように歩いてしまい、Uさんに『行き過ぎです』と言われるまで気が付かなかった。大きな石もあり、いわゆるパワースポットなのだろうか。

 

今日はどこに泊まるか決めていなかった。Uさんがネット検索すると、我々がこれから向かう西の方には安くて手頃な宿はないようだった。今日は土曜日なので、既に満員なのだろうか。仕方なく、出雲市に戻り、宿泊先を探す。辿り着いたのは、郊外のホテル。何と地元の人がサウナや岩盤浴に来るところの上がビジネスホテルとして泊れるようになっていた。週末は出張者の宿泊もなく、閑散としている感じだった。

 

夕飯を食べる所もあまりなく、名物を食べるのは早々に諦め、普通の食堂に入った。『かつ柳川』というメニューがあり注文すると、いわゆるカツ煮、かつ卵とじが出てきた。柳川とは、ゴボウが入っていれば柳川なのか、それともこの鍋を使っていれば柳川なのか、地域性も含めてちょっとした考察をした。

 

更にはUさんと人生について語り合っていると、あっという間に閉店の時間なり、宿に帰ってサウナにでも入ろうかと思っていたら、何と既に時間を過ぎていて入れなかった。女性用岩盤浴は遅くまでやっているのになぜ、と思いながらも、少し疲れていたので、すぐに眠りについてしまった。

島根横断茶旅2019(2)松江でぼてぼて茶

街中にある「はんのえ」というお店に入り、ぼてぼて茶碗などを見た。抹茶茶碗とさほど変わらない。茶筅は奈良の高山町産だという。ただ扱っているお茶は地元産ではなく、ぼてぼて茶の由来についても収穫はなかった。最後に出雲大東町の方まで出向く。ここには20年以上前、須賀神社の総本山を訪ねてきたことがあり懐かしい。神社は立派な鳥居などが出来てかなり変わっているようだった。降りてゆっくり眺めたかったが、茶旅にはその時間もなく通り過ぎた。

 

藤原茶問屋を訪ねる。ここで島根茶の歴史について、教えを乞う。藤原さんはお茶作りにも熱心であり、地元の茶の歴史にも熱心だった。大東茶の起源は松平不昧公がこの地に来て、番茶を飲んだことから始まるらしい。250年の歴史あるお茶。水もよい土地だったという。古い茶業史資料が出てきて面白い。お茶も美味しく頂く。

 

長い一日のドライブを経て、車はついに松江市内に入った。松江に来たのも20年ぶりだが、街の様子はそれほど変わっていないように見えた。駅前のホテルを予約しており、チェックイン。思ったよりずっと良いホテルで、パッケージツアーの良さを知る。続いてUさんが急きょ泊ることになったゲストハウスを探したが、なかなか見つからず苦戦する。

 

それが済むと、Iさんの店に向かった。Iさんとは5年ほど前、香港、広州で一緒に旅をしており、その後彼は故郷で中国茶荘を開いていた。一度は訪ねたいと思いながら、開店して5年以上、来る機会がなく過ぎてしまったが、ついに今晩実現した。お店は茶町と書かれた通りに面していたが、その通り自体、多くの店が閉まっていた。せっかく茶町なのに、茶の雰囲気はない。

 

お店の中はかなりきれいで雰囲気が良い。お茶の種類も豊富で、お客さんも多いだろうと思って聞くと『松江は保守的で、新しい物に手を出す人が少なく、中国茶の認知度が非常に低い』というではないか。これには正直びっくり。松江と言えば茶文化というぐらいだから、さぞや各地のお茶に精通しているものと思っていたが、全く様子は違うようだ。

 

隣の鳥取や広島から来るお客さんもいるというのに、地元の人が来ないとは困ったものだ。それでも昨今の台湾ブームなどもあり、豆花を出すなど工夫をしており、興味を持つ人は増えているらしい。外部への出張なども行っているようだが、是非店を続けられるようにして欲しいと願う。

 

3人で夕飯を食べに行く。私の泊まるホテルに車を駐車したところ、宿泊代とは別に一晩1000円の駐車料が掛かるというので驚いた。日本というのは本当に恐ろしいところだ。それから歩いて、松江名物のおでんを食べに行った。ところが今日は金曜日の夜、8時過ぎに店に入ったところ、もうほとんど食べるものは残っていないという。

 

あり合わせのおでんを注文してつまんでいると、いつの間にかお客さんはいなくなっている。まだ腹も満ちていなかったので、今度はしじみラーメンを食べに行って見る。しじみは宍道湖の名物だが、ラーメンがあるとは初めて知る。しじみが金属の笊に分けられて出てきたのはちょっと驚く。味は意外とうまい。長い1日目はこんな感じで暮れていく。

 

3月9日(土)
松江から出雲へ

泊まっていたホテルは快適だった。ビジネスホテルではあるが、東横インなどからすると2段階も上と言う感じだ。昨晩帰る時に酔っぱらったサラリーマンが『今回の出張、ここに泊まれてうれしいです』と大声を出していたのを思い出す。朝食も充実しており、和食にオムレツまで付けてもらい、朝から嬉しい悲鳴?

 

今日はまず、ぼてぼて茶を実際に飲んでみることにした。お城の堀端にあるお店へ行くと、堀沿いの外の席に案内され、ぼてぼて茶がやって来た。茶碗に既にお茶が入っており、具として、豆腐、黒豆、高菜など7種類を入れて、塩も振る。このお茶は番茶だという。茶筅を茶碗にぶつけるのはバタバタ茶と同じ原理だ。

 

味はかなり飲みやすいのだが、飲み方は片手でひょいと口に持っていき、こぼさないようにさっと飲むらしい。だがこれは全くできない。お店の人から、ぼてぼて茶の由来などを調べた資料を見せてもらったが、当然ながら不昧公の逸話などが載っており、バタバタ茶やブクブク茶とは違うことは分かったが、その歴史的背景を探るのは難しかった。

 

松江の郊外に出てきた。造園業の傍ら、宝箱、という茶業をしているMさんのところにお邪魔した。島根茶の復興、農薬や化学肥料を使わないお茶作りを進めているという。事務所ではお嫁さんが対応してくれ、車で山を上がると、お父さんが待っていてくれた。非常に眺めの良い場所に茶畑が見える。

 

大庭空山、有機の畑。造園業をされているので、林と茶畑の共生などにも配慮され、合わせて他の場所から飛んで来る農薬などの侵入も防いでくれるのだという。何しろ景観が素晴らしい。茶工場も横にあり、紅茶製造の機械なども導入されている。脇には井戸があり、水が良いことも分かる。やはり信念をもって茶作りをしている茶畑はちょっと違う。

島根横断茶旅2019(1)米子から安来へ

《島根茶旅2019》  2019年3月8日‐11日

島根県、そこは東京からもっとも遠く感じられる日本の県かもしれない。5年前にぼてぼて茶に興味を持ち、すぐにでも行こうと思ったし、2年前には知り合いのUさんは島根に移住して茶作りを始めたので、ぜひ来て、とも言われていた。しかしいざとなると、なかなか一歩が踏み出せずにいた。

 

ちょうど予定していた勉強会が、会場の都合で延期となった。実は私は今回の説明資料を作りあぐねており、この延期を心から歓迎していた。そしてぽっかり空いた数日間、これを島根行きの当てることにして、Uさんに連絡したところ、折角だから、島根を端から端まで楽しもうという話になり、渡りに船と出掛けていく。

 

3月8日(金)
米子から松江へ

今回の島根行きに際しては、Uさんより、『パッケージツアーを使うと安い』と言われてちょっと驚く。送られてきた内容を見ると、ANAの往復航空券(いくつかの空港から選択し、行き帰り別空港可)+ホテル1泊が付いており、他にも特典がいくつかあった。観光客を呼びたい島根とのタイアップ商品かもしれない。

 

行きは出雲空港から入ろうとしたところ、何とANAは飛んでおらず、米子空港となる。またいい時間のフライトには割増料金が掛かり、どこまでお得だったのかは判断が難しいが、この商品のお陰であまり悩まずに日程が決められたのは良かった。尚いつも思うことだが、ネットで購入したツアーのチケットなどが郵送されて来るのには本当に違和感がある。

 

早朝羽田空港に向かう。国内線は乗る機会が少ないので、いつも駅ホームの前で降りるか後ろで降りるかが覚えられずに困る。国内線はWebチェックインすれば、そのまま搭乗ゲートまで行けるので、荷物も預けずにスタスタと進む。正直、誰が乗っているか分からないフライト、ちょっと怖いけどね。

 

飛行機に乗る前にツアー特典を1つ使う。1000円分の買い物券があるので、それでお土産のお菓子を買う。足りない税金分80円を現金で払うと、マイレージを溜めましょう、と言われ、カードの提示を求められる。80円でマイルがたまるのだろうか??もし貯まらないのなら、こういうマニュアル的な無駄は排除して欲しいものだ。

 

フライトは順調で、1時間半ほどで米子空港に着いた。バッゲージクレームでは目玉おやじに歓迎されるなど、空港内は鬼太郎一色になっている。出口をUさんの姿はない。何とUさんの住む場所から、この空港まで車で4時間以上かかり、その予想外の遠さで少し遅れたという。それは本当に申し訳なかった。でも車がないと、何もできないのも事実。せめてANAも出雲行きを飛ばしてくれていればと思う。米子は鳥取県の端なのだ。

 

Uさんと落ち合って、最初に行ったのは境港のおさかなセンター。ここでお昼を食べようという。それにしてもいい天気だった。海も輝いており、向こうに大山がくっきりと見える。釣りをしているおじさんたちも何となく楽しそうに見えるのはやはり天気のせいだろう。

 

展望台のようなものが建っているが、登っている人はあまりいない。鳥取紅茶などが並んでいるお土産物店も開店休業状態だ。如何にも箱物行政の産物だ。ランチに魚を食べて、ちょっと市場を覗く。大きな蟹や魚がゴロゴロ。あまり見かけない魚もいるのは、やはり日本海側だからだろうか。

 

それから境港の鬼太郎ロードでも歩いて観光するのかと思いきや、突然の茶旅が始まり驚いた。さすがUさん、只者ではない。車はドジョウすくいで有名な安来町に向かった。30分ぐらい走るとちょっとした山の中へ入る。そこに古い工場が見える。茶工場だった。既に閉鎖しているのか看板もない。事務所に恐る恐る入っていくと、話しを聞くことが出来た。

 

この辺りでは昔から茶を作っており、戦後の好景気には製茶組合が出来て、共同工場としてここが作られた。だが茶葉需要は落ちていき、組合は解散。今は一部の人がここを使って、番茶などを細々と作っているという。工場は大きく、かなりの生産量があったことを窺わせる。安来番茶は、今でも周辺地域では飲まれているが、全国的には知られていない。因みにぼてぼて茶の原料はここの番茶ではなく、安来にはそもそもぼてぼて茶を飲む習慣もないとのこと。

 

茶畑の残っている場所を聞き、見に行く。突然立派な鳥居が見える。登っていくと、平安時代に京都岩清水八幡宮の別宮だったと書かれており、由緒正しい。それにしても、その時代にここに建てられた八幡宮、何か特別な意味があるようにも思う。更に進んでいくと、道路脇に茶畑が僅かに残っていた。防霜ファンも装備され、きれいな畑だった。

 

それから同じ安来市内の、母里という場所に移動した。そこに民俗資料館があるとのことだったが、閉まっていた。周囲を見ると立派な図書館があり、中には当地の民藝品などの展示室があった。更には地元の歴史本を見ていると、昭和初期にぼてぼて茶について纏めた資料が見つかり、コピーをお願いした。因みに母里と言えば、黒田官兵衛の部下に母里太兵がいたのを思い出すが、何か関係があるのだろうか。