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先生と行く高知茶旅2017(5)高知散策

それでは困るので、他の宿へ行くも、料金が1000円以上上がっても、Wi-Fiは繋がらないことがある、というのだから本当に困ってしまう。過去3日はスマホのみの使用となっており、今晩は色々と作業があるので、Wi-Fiが繋がらないと言われると泊る訳には行かない。更に歩いていき、日本各地にあるチェーンホテルで尋ねても『この辺でWi-Fiがちゃんとつながる保証なんてありませんよ』とさも当然という声が出てきて、本当に驚いた。日本ではスマホのみを使用し、PCを使うことはないのだろうか。

 

最後にダメもとで行ったきれいなビジネスホテル、そこのフロント女性は『Wi-Fi、繋がりますよ。今まで問題があったとは聞いていませんよ』と言ってくれた。私はその答えを待っていたのだ。ここに投宿。部屋は狭いがきれいでよい。高知駅から数百メートルという立地もよい。少し疲れが出たので、この部屋で休みながら、色々と作業をした。

 

日が暮れて、腹が減る。香港時代に知り合いから是非行くようにと言われていたラーメン屋があったのだが、行ってみると店は閉まっている。何と午後8時開店だというのだ。高知では飲んだ後の〆はラーメンということなのだろうか。酒を飲まない人はお客にあらず、というか。

 

ホテルのフロンで紹介された店へ行ってみた。そこも夜7時から開店のテント屋台だったが、既に人が並んでいたので、その後ろに並ぶ。屋台餃子安兵衛、どこかで聞いた名前だなと思ったら、昼にひろめ市場で餃子を食べたばかりだった。ただ入ってしまったので、ラーメンと餃子を注文する。

 

一人で来る客は稀で、ほぼ全員が酒を飲み始めている。ラーメン屋の屋台とは違うようで、おでんなども出てくる。餃子は昼と同じで形は小さめだったが、パリっと焼き上げられており、中の肉汁がうまかった。ラーメンはシンプルであっさりしているが、うまみがあり、細麺とよく合っている。十分に満足してしまった。お客がどんどん列を作るので早々に退散した。

 

11月28日(火)
高知散策

翌朝はボーっとしていた。9時半頃になり、今日はどこへ行こうかと検索を始めると、My遊バスというのが、あることが分かる。これなら植物園にも桂浜の龍馬像も見に行けるらしい。ただ時間を見ると、駅前を10時に出発する。慌ててホテルをチェックアウトし、荷物を預けて、走って高知駅へ。バスセンターで1000円の1日乗り放題チケットを買い、また駅の反対側へ戻る。バスはまだ停まっており、何とか乗り込むことができた。乗客は数人しかいない。

 

まずは五台山展望台へ向かった。ここは初日に看板を見てIさんが反応した場所だった。そう五台山と言えば中国にもあるので、何かゆかりがあるに違いない。20分ちょっとで山を登り、バス停で降りた。運転手さんに聞くと『2時間後にバスがあるから、ここを歩いて竹林寺へ降りて、そこから乗るといい』とアドバイスを受けた。そして彼はバス停に掛かる札をひっくり返して去っていく。バスが通過したかどうかはこの札で分かる仕組み。有り難い。

 

展望台からは高知市が一望できた。庭園になっているところも、色々な木が植えられており、きれいである。ただ殆ど人がいなくて寂しい。すぐに坂を下りていくと、竹林寺が見えた。ここはちょうど紅葉の時期になっており、予想もしなかった美しい景色に遭遇することができた。境内はかなり広く、趣もあり、その中で見る紅葉は実に鮮やかだった。ここには結構観光客やお遍路さんがいた。

 

更に歩いていくと牧野植物園の裏門に出たので、そこから入ってみる。温室には世界中の植物が植えられており、南国ムードが漂い、目をキョロキョロさせてしまう。かなり広い敷地には、本当に様々な樹木が植わっている。ただ茶樹は見付けることは出来なかった。後で聞くと入れないエリアにあったらしい。

 

ここは日本植物学の父、と呼ばれている牧野富太郎が作った植物園だった。彼は高知に生まれ、小学校中退ながら、最後は博士にもなる人物。記念館にはその苦労の連続であった植物研究の活動内容が詳細に展示されていた。このような人物が出てくるのも高知ならではかもしれない。

 

正門でバスに乗り、そのまま桂浜へ向かった。浜へ下る所に龍馬記念館があったので降りたかったがどうやら休館中らしい。終点で降りると何とも寂しい所だった。ちょっと歩くと、坂本龍馬の大きな像があったが、それも改修工事中。天気もあまりよくないためか、桂浜も寂しく見えた。観光客の数も少ない。近くの水族館でイルカショーの入場を呼びかける声がこだましているが、殆ど観客はいないだろう。残念だがこれが地方の実態だ。海津見神社という小高い所にある神社から浜を眺めるのみ。

 

そこで味気ない親子丼を食べた。何だか寅さんの映画を思い出す。またバスに乗り、駅へ引き返した。まだ時間があったので、路面電車に乗り(バスチケットで無料)、龍馬生誕の地に行き、碑を見る。更にその付近を散策、才谷屋の跡にも巡り合う。路面電車はかなりゆっくり走っていく。最後にはりまや橋で降り、昨日のお菓子屋でお菓子を買い、駅から空港バスに乗り込む。高知空港は小さな空港でお土産物を眺めて時間を潰すしかなかった。

先生と行く高知茶旅2017(4)ひろめ市場で

それから車で1時間、高知駅まで送ってもらった。Iさんは電車に乗って高知の別の場所へ向かった。Hさんは夕方のフライトで東京へ行くのでそれまで時間がある。2人でコインロッカーに荷物を預けて、高知の街を散策することにした。駅前には幕末に活躍した坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の像が青空に屹立している。

 

まずは高知城の方角へ歩いていく。道にはあんパンなどのキャラクターが飾られている。ここは生みの親、やなしたかしが育った場所でもある。彼の父親は高知の出で、東亜同文書院を卒業し、厦門で客死した人だったと知る。一番街というアーケードが見える。高知はサンゴが有名ということで、店がいくつかある。

 

Kさんが言っていたひろめ市場に出くわした。昼には少し早いが、ここでランチを探すことにした。一番並んでいたのは、やはりカツオのたたき。しかも並んでいるのは何と中国人ばかり。聞けばクルーズ船が今日入港したという。若い中国人が『日本語でテイクアウトって、なんていうんだ?』と聞いてきたので教えてあげたら、喜んでくれた。彼らは一生懸命日本語を使おうとしていた。中には英語でコミュニケーションを図ろうとしている者もいる。

 

3日前にたらふく食べたのにもかかわらず、カツオは美味しかった。食後お茶屋さんなどを見ていると、土佐碁石茶なども売られている。土佐の人は飲まなかった碁石茶、これもお土産用か。城の方に向かうと、骨董市みたいなものもあった。中に『両替』の文字を掲げているところが見える。完全な個人営業だが、確かに船でやってきた人々は一体どこで両替するのだろうか。合法的とは思えないが、ニーズはあるのだろう。

 

高知城に入る。山内一豊とその妻の像があった。そういえば大河ドラマで松嶋菜々子がやっていたな、と言ったら、Hさんから、違うでしょう、と言われてしまう。そう松嶋菜々子は『利家とまつ』のまつ、だった。千代は仲間由紀恵、一豊は上川隆也だったことを思い出すには数分掛かってしまった。私の記憶力の衰えは相当に深刻だった。

 

お城はとても立派に見えたが、階段を上って行くのは結構大変だった。結局上までは上がらず(入場料を払わずに)、途中から城下を眺めた。それでも十分に気持ちの良い風が吹き抜けた。中国人観光客も、全員が上に上がる訳でもなく、皆適当に散策していた。正直高知城の歴史に興味を持つ人は多くなく、遠目から写真を撮ればよい、という雰囲気だった。

 

もう一度ひろめ市場に戻ると、場内は完全に中国になっていた。12時に開店する餃子屋を目指して再訪したのだが、尋常ではない込み具合。さすがクルーズ船の威力は凄い。その中で餃子を買うのは日本人が多い。何とか餃子を買って、席を探したが見付からない。ちょうど荷物が置かれている場所があったので中国語で、『ここに座っても良いか』と聞くと、中年女性は『取り敢えず座って、席がないんでしょう』と譲ってくれた。その後両親などが戻ってきたが席は何とかやりくりする。

 

食後は地元の人が日本三大がっかり名所の1つと呼ぶ『はりまや橋』を見に行く。因みに日本三大がっかり名所とは『札幌の時計台と高知のはりまや橋が含まれることはほぼ意見の一致を見ている』ようだが、3つ目は意見が分かれるという(長崎オランダ坂とか、沖縄守礼門とか)。私は世界三大がっかりは聞いたことがあったが、日本版は聞いたこともなかった。

 

ひろめ市場から1㎞ぐらい歩いた交差点、そこに近づいても、確かに橋は見えない。交差点まで行ってちょっと横を向くと、小さな橋が架かっていた。なるほど札幌の時計台も、通り過ぎてしまうのががっかりなのだ。その橋は思ったよりきれいだったが、きっときれいになったのだろう。

 

元々この橋と言えば『土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい』というよさこい節で有名な訳だが、僅か20mの橋も、まさか自分が名所となるとは思っておらず、更にはがっかりと言われるとは夢にも思っていなかっただろう。お坊さんの恋の歌、というのは、決して褒められた話ではないのだから。

 

今ではその橋の架かっている奥に、きれいな人工水路があり、子供の遊び場もある。Hさんは橋のたもとのお菓子屋に入り、お土産の物色に入った。何だかおいしそうだったので、帰る時には私も買おうと思った。ちょうど時間となり、駅まで歩いて戻り、Hさんは空港バスに乗って去っていった。いよいよここから一人旅が始まった。

 

まずは今日泊まる宿を探さなければと思い、駅の周りを歩いてみた。コインロッカーから荷物を取り出してしまい失敗した。宿が決まったら取りに来ればよかったのだ。すぐ近くに安い宿が見付かった。ただチェックインは午後4時からと言われ、おまけに部屋は4階になり、Wi-Fiが繋がる保証はないと言われてしまう。

先生と行く高知茶旅2017(3)山の古民家で飲むりぐり茶

11月26日(日)
いのの街へ

翌朝も早めに起きた。先生は当然起きておられ、またお話しを聞いた。今日はIさんも話に加わった。Iさんは恩施玉露について、現地にも行き、強い関心を持っていた。先生は20年以上前にそこを訪問していたが、その時は地元では恩施玉露はここが発祥だと言っていたという。だが最近先方の対応が変わってきたとか。

 

Iさんは中国北京の出身で、好奇心が非常に強い。ちょうど私が上海に留学した1986年に日本にやってきたというから改革開放後世代だ。この時期に日本に留学に来た中国人は総じて学力レベルも高く、また家柄の良い人が多い。Iさんはその後日本で結婚し、今は日本人となっている。

 

昨日同様ふれあいの里で朝ご飯を頂き、Kさんが迎えに来てくれた。先生は既に今回の調査目的を達し、午前中の列車で帰られることになっていた。JRいの駅まで先生を送り方々、我々も街に向かった。まずは清流として有名になっているという、仁淀川、その最下流にある沈下橋を見学した。この付近は台風などで大水が出ることがあり、橋に欄干があると流されるので、初めから設置しないと聞き、昨日見た山同様、自然災害の激しさを思う。

 

それからいの町の紙の博物館に送ってもらい、先生とはここでお別れした。先生とKさんは車でいの駅へ走っていった。雨が軽く降っている。博物館の中に入り、入場料を払うと、案内の人がついてくれ、ゆっくり見学を始めた。世界の紙の歴史から、紙漉きの実演まで、紙に関する様々な内容が詰め込まれており、興味深かった。特に紙を作る過程で原料を蒸す大きな木製の道具が、何となく阿波番茶の製造過程で出てくるものと似ており、ちょっと反応してしまった。

 

 

その後、車で古民家に行く。ギャラリーぼたにか、というギャラリー?があった。この倉は明治初期の建造物らしい。中に入ると、何となく骨董屋さんを思わせる古い物が置かれていた。古書もある。オーナーの女性は実に穏やかで、平家の落人です、と言われ、そうだなと思える人だった。商売をしているのか、展示を見せているのか、と思ってしまうような作りだったが、何とも楽しい空間だった。

 

昨日とは違う山の茶畑も見た。今日は天気が悪かったが、何とか雨は免れた。清流が流れる脇に、昨日同様の急斜面があり、茶樹がぽつぽつ植わっている感じだった。こうなると生産効率は良くなさそうだが、有機栽培というに相応しい雰囲気があった。茶はどのように作られるのだろうか。

 

昼ごはんは道の駅でうどんを食べた。お客さんが沢山いて、驚いた。周囲にあまり食べる所がないのかもしれない。そして、また山を登っていく。かなり上ったところに瀟洒な古民家があった。Kさんがお客さんにお茶を振る舞う場所らしい。中に入ると、何とも言えない古い台所があり、竈などもある。柱がしっかりしている。

 

Kさんは囲炉裏に薪をくべ、火を漉し始めた。人間はゆっくりと火を眺めるのがよい。インドでもそう教わった。一杯のお茶を飲むためには、様々な労力を惜しまない。そして丁寧に淹れられたKさんのお茶、りぐり茶を味わう。既に茶畑を見ているので、それを頭に浮かべながら飲む。

 

山茶を原料にして、それを釜入りで仕上げる。何となく中国の山の中の、勢いのある緑茶を思い出す。それでいて柔らかさもある。有機無農薬、あの畑ならそうだろう。『りぐり』とは土佐弁で『こだわる』という意味だと聞く。日本にもこんなお茶があるのかと、正直びっくりしてしまう。台湾のお茶好きに連絡したら、『ぜひ買ってきてくれ』と即答だった。その希少性に惹かれたのだろう。

 

それにしてもこの民家で、畳に座ってダラダラとお茶を飲むのは何とも嬉しい。ずーっとここでこうして居たいような気になってくる。ここに泊まれないのかな。もしお天気が良ければ、眼下の景色も素晴らしかったろう。Kさんには感謝しかない。山を下り、宿舎に戻り、今晩は先生がいないので、3人で夕飯を頂いた。部屋の寒さにも慣れ、ぐっすりと眠ることができるのはよい。

 

11月27日(月)
高知へ

翌朝はゆっくり起きる。お話し相手の先生はもういない。もっと話を聞けばよかったと後悔するが遅し。8時に高知の方に行くというKさんが迎えに来てくれ、宿舎ともお別れして、車に乗り込む。まずはKさんの茶工場による。ここも見晴らしの良い高台にある。創業者であるKさんのお父様がここに眠っている。20年前に亡くなり、その跡を関西にいたKさんが継いだ。とんでもない苦労があったことだろう。お父様の山にかける情熱が伝わるような石碑が建っている。

 

工場の中は比較的新しく、釜入り用の釜もあり、蒸し製を作る機械もあり、設備はきちっと揃っていた。年間にここを使用する機会はそれほど多くはないだろう。隅の方に手摘みに使う竹のかごが置かれていたのが、山茶の工場、という雰囲気を出していた。林業の傍ら、茶業も行う、そう簡単ではないように思う。思いが無ければできないことだろう。

 

それからKさんのオフィスに寄った。Kさんのお嬢さん2人が頑張って事業を進めている。後継者がいるのは頼もしい。お茶を購入した。普通の日本茶に比べれば決して安いとは言えないが、これまで茶畑から工場まで見せてもらい、お茶についても様々な話を聞いているので、特に高いとも思わない。時々思うのは、日本茶、特にいいお茶は他国に比べて安過ぎるのだ。

先生と行く高知茶旅2017(2)山の茶

いの町に着いた時は、既に辺りは暗かったが、雰囲気のよさそうな田舎の集落だった。Kさんの実家が今は来客宿舎になっていると言い、そこに泊めて頂くことになる。2階に上がるとちょうど4部屋あり、一人一部屋となる。すぐに夕飯が供される。かつおのたたき、新鮮な野菜の煮物、太巻きなど、高知の名物が並ぶ。美味しいので、どんどん食べてしまい、腹一杯になる。苦しい!

 

先生は夜が早く、朝も早いので、私も早めに就寝。11月下旬の高知、暖かいかと思ってきたが、この山間は結構涼しい。夜は寒いくらいだったが、エアコンが機能して、また厚手の布団を掛けて、寝入る。畳の部屋、何だか田舎のおばあちゃんの家に来たような感覚に包まれ、かなり熟睡できてしまった。

 

11月25日(土)
茶樹のある山へ

翌朝7時前に目覚める。居間に行くと、先生が既に起きておられ、資料を見ていた。そしてチビリチビリと昨晩の残りの酒を飲んでいた。先生は朝からお酒を飲む習慣があるのかと驚いたが、部屋が寒かったので、仕方なく飲んでいたということが分かった。実はこの部屋にはエアコンがあったのだが、それには気づかれなかったらしい。しかも先生の起床時間は午前4時。それは寒いはずだが、環境対応力は抜群だ。

 

Hさんがやってくるまで、先生に色々と質問してしまった。私にとってはこの時間が一番貴重だった。何しろ先生の60年に渡る経験値は物凄い。こちらが何か聞けば即座に何かが返ってくる。しかもそれが普通の、本で読んだような答えではなく、『何それ?』と思うようなことが多々あり、そしてそれが後日、どこかで役に立つというのだから面白い。

 

8時過ぎに4人で近所に朝食を食べに行く。明るくなった外を見ると、やはり想像通り、雰囲気のある、秋の終わりの集落。5分ほど歩くと、ふれあいの里という共同販売所があり、Kさんがお願いしておいてくれ、そこで朝食となる。味噌汁がホッとする。近隣の農家で採れた野菜などに交じり、釜炒り茶が売られている。何とも懐かしい味がする。

 

そこへKさんがやって来た。ここの女性たちと地元の言葉で話しているが一部聞き取れない。車で山を登り始める。停まったところには特に何もなかったが、『ここからこの山系全体が見渡せる』というKさん。さすが林業会社の社長さんだ。確かに先ほど地図を見てはいたが、先ずここから全体を見ないと、後で山に入っても何もわからない。

 

それから山の反対側へ行く。車は全く走っていなかったが、途中道路工事をしている場所がある。その手前に茶畑が広がっていた。斜面に茶樹がかなりの密度で植えられている。勿論これは山茶ではなく、人が植えた物。民家もあり、軒下の柿が干されているのが晩秋の風情だった。

 

更に登り進むと林が濃くなる。先生はこの付近で車を降り、熱心に道路脇を眺め始めた。ちょっとしたところに茶樹が植わっている。今回の先生の調査、それは『人が住まないところに茶樹はない』を確認することだったらしい。茶樹のある場所ではKさんに、以前民家があったどうか聞いている。

 

そしてついにかなりの急斜面に、茶樹がぽつぽつ植わっている場所に出た。何だか福建省武夷山あたりの光景を想起させる岩が所々にある。ここでの茶摘みは大変だろうな。有機栽培茶畑との表示が見えるが、茶園管理も厳しそうだ。登っているが足元がおぼつかないほど急だった。こんな風景が日本にもあるとは意外だ。茶葉を見ると、様々な形をしており、いわゆる自然交配が繰り返された雑種だった。

 

かなり山道を歩き回り、写真を撮ったり、木を眺めたり。それからふれあいの里まで一旦戻り、お昼にうどんを頂く。このふれあいの里、夏はテラスでBBQなども出来るらしい。そこから外を見ると、畑がきれいだった。田んぼアートというのだろうか。何となく疲れが癒える。

 

午後も別の山に行く。標高700-800m、この辺まで来ると、茶樹は見られなくなっている。それを必死で確認する。この辺は過去も人の住んだ気配がない。無いことを確認することの重要性、きちんとした仮説を持ち、先入観を持たずに行動すること。結果は先生の言うとおりになっていた。なるほど、そうか。

 

今回は大きな車は途中までしか行けないというので、小さな車に乗り換え、2人ずつ運んでもらった。帰りは下りだったが、先生はあっという間に坂を自分の足で下っていく。そのスピードはとても87歳とは思えない。60年以上の経験は、茶だけはなく、山の中を歩くことにもいかんなく発揮されている。驚くばかりの元気さに、皆舌を巻く。

 

疲れて宿泊先に戻る。夜は美味しいお稲荷さんが待っていた。実に見事なキウイも出てくる。そしてこの街の役場で課長をしていた女性が来てくれ、色々と街の話をしてくれた。我々はあまり酒を飲まないので、先生にはよい相手が出来た。こういうところで周辺情報を集めるのも重要な仕事だ。

先生と行く高知茶旅2017(1)突然長曾我部の居城跡へ

《先生と行く高知茶旅2017》  2017年11月24-28日

ある日、以前からのお知り合いであるHさんよりメールが来た。『この度M先生から、お電話があり11月24日~27日まで四国へ山茶の実態調査に行かれるそうです。関心のある方と同行したいとの事です。ご一緒しませんか?もう、最後の調査かも^_^; と仰ってましたが・・・( ^ω^ )』

 

M先生と言えば、茶旅の大先輩であり、茶の歴史の研究歴は60年を超えるという大御所だ。一昨年ベトナム茶旅をご一緒し、その60年に渡る茶旅の膨大な蓄積を伺う機会を得、大いに感化された。出来ればまたお話を伺いたいと機会を狙っており、幸運が訪れたと即座に回答した。しかもこれが最後の旅かもしれないと言われるとどうしても行こうと考える(先生は毎回これが最後か、とおっしゃっていることは知っていたが)。

 

だがよく考え見れば、なぜ私が誘われたのか、誰が私を誘ったのかさえよくわからない中で、行くという決断は早計だったのかもしれない。ただこれまたベトナムでご一緒したTさんも参加されると聞き、また千葉のIさんとも初めて会う機会を得るというので、取り敢えず行くこととした。タイミングは絶好で、ベトナムの旅から帰ってすぐ後、台湾に行く前になっており、やはり天は行けと指示したと感じた(元々は九州に茶旅に行く予定だったがキャンセルした、残念)。

 

11月24日(金)
高知まで

高知に行くには、飛行機しか考えられなかった。例え電車に乗ったとしても料金は安くないし、何より時間がかかり過ぎる。四国の他の都市にはLCCが参入し、料金が大幅に下がっているのに、高知だけはJALとANAしか飛んでいないため、更に競争原理が働かず、料金は高いままである。夜行バスなどもあるかもしれないが、今回は待ち合わせもあり、またベトナムから戻ってすぐのため、ANAを選択することにした。M先生は新幹線と特急で来るという。その時間に合わせて午後のフライトを予約した。羽田から行くHさんとIさんも同じフライトとなる。

 

久しぶりには羽田空港の国内線のロビーへ行く。今やチェックインはなく、バーコードで飛行機に乗れる。今回は荷物を預けるつもりもなく、何とも手軽だった。ただ荷物預けが機械で自動になっているのを見たが、そこには『手荷物』と大きく書かれている。手荷物とは、機内持ち込み荷物のことだと思っていたが、中国語では宅運行李と書かれており、こちらは正しい。なぜこんな紛らわしい書き方をしているのだろうか。日本人はこれで分かるのだろうか?不思議でならない。

 

お二人とも無事に合流した。搭乗口で前回はバーコードが消えてしまい焦ったが、今回はきちんと処置をしてきたので、問題なく搭乗できた。国内線のフライトとはいえ、料金はかなり高いのに、ご飯すら出ないのはどうしてだろうか。LCCとは違うのだから、その辺のサービスがあってもよいのではと思うほど高知は遠かった。2時間以上かかって高知空港に到着した。

 

いきなり博物館へ
当初はM先生の到着する高知駅で待ち合わせていた。ところが状況が変わり、急きょ高知県立歴史民俗資料館へ行くことになった。空港からタクシーに乗り込んだのだが、運転手は極めて陽気に高知の紹介を始める。だが今回お世話になるKさんによれば『空港から10分で着く』と聞いていたのに、それを過ぎても着かない。そして車は市内中心部へ入っていく。

 

突然運転手が『間違えた』と言い出した。彼は高知城の横にある博物館だと思い込んで走っていたが、指定されていたのは、市内から少し離れた、長曾我部氏の居城だった岡豊城跡に建てられた資料館だったのだ。運転手は恐縮しきりで、料金は割り引かれ、何回も謝られた。小高いところを上り詰め、ついに到着した。外には格好良い長曾我部元親像が建っていた。私のイメージが武骨な武将だったが、近年ゲームがヒットして、格好良い長曾我部像が作られているという。

 

ちょうどKさんが老人を送りに出てきたところだった。この郷土史家がM先生と会い、お互いの情報交換をしていたという。その話、是非聞きたかったが間に合わなかった。何とも残念だ。それにしてもかなり高齢で、且つ外出も難しいと言われている老人がわざわざ出向いて来る。その好奇心の強さ、精神力、私など到底及ばないと察する。

 

資料館に入り、先生を探す。長曾我部氏の歴史が展示されているところで先生と合流した。この歴史も何かお茶の歴史と繋がるものがあるのかもしれない。更には特別展として、仏教、禅関連の展示もあった。最近地方の博物館、美術館に行くことがあるが、実に展示が充実していると思う。ここには高地について色々と書いているKuさんも同行していた。

 

それからKさんの車に乗せてもらい、1時間半ほどかかっていの町に到着した。実は今回の旅は先生と一緒にTさんがやってきて、レンタカーを借りて動く、と聞いていたのだが、なぜかTさんの姿がなかった。先生によると、『名古屋から乗った新幹線でも、乗り換えた岡山駅でも見付からなかった』というのだ。そして『Tさんには高知でどこへ行くのか知らせていない』というので、急いで携帯電話を掛けると、既に名古屋辺りに戻っていた。何とも残念だったが、結局参加者が4人となり、Kさんの車に乗ることができた。

富山から静岡まで茶旅2017(4)遠州森に藤江勝太郎の足跡を訪ねる

7月7日(金)
森町まで

翌朝起きて、お茶を飲みながら朝ご飯を頂き、Iさん宅を失礼する。今日は掛川まで行き、そこからローカル線に乗ることになっており、まずは名鉄で豊橋に向かう。全く問題ないルートだと思っていたが、何と人身事故で電車のダイヤは、完全にマヒしていた。豊橋に何時に着けるのかもわからない状況となる。

 

何とか電車が動き出し、各駅停車となった列車に乗り、豊橋を目指す。だが予定していた東海道線には乗ることが出来ず、豊橋で待ちぼうけ。調べてみると掛川から乗る予定の天竜浜名湖鉄道は、掛川からだけでなく、豊橋に近い、新所原という駅からも出ていることが分かり、しかもこちらの方が待ち時間が少ないので、新所原で降りる。

 

天竜浜名湖鉄道の可愛らしい駅はJRの横にあったが、完全に隔離されていた。スイカも使えず、その料金も遠州森まで1280円と極めて高い、ローカル線だった。しかも車両は1両のみ。でも天気が凄く良くて、なんだか楽しい気分になる。乗客数人を乗せて出発。初めは民家のある場所を通っていたが、その内ちょっとした林の中に入ったりする。

 

20分ぐらいすると浜名湖がきれいに見えてきた。ウナギが食べたくなる。それから気賀という駅に着く。ここは今年の大河ドラマ、直虎の舞台になっているところ。こんなところから出たのか井伊家は。おじさん3人組が乗っていたが、彼らは直虎一日ツアー券を持っていた。ついには大河ドラマ館なる建物まで見えてきて、皆が降りていく。週末なら結構人がいて盛り上がっているのだろうか。

 

その内乗客はほぼいなくなり、運転手と私の2人だけがずっと乗っていることとなった。勿論途中で乗る人もいるが多くはない。ついにはトイレに行きたくなるが、途中駅で数分停まるというので駅のトイレの場所を聞き、降りて用を足したりした。何ともローカル、温かい雰囲気が漂う。まるでテレビのBSの旅番組のようだ。

 

大学が目の前にある駅を通り、乗客が増えてくる。フルーツパークという珍しい名前の駅もある。柿の木が植えられている。名物らしい。1時間40分ほど乗り、とうとう森町病院前という駅で降りた。何とも疲れたが貴重な体験だった。ただこの駅も無人で、周囲には町役場の建物などが見えるだけ。思えば遠くへ来たもんだ、という気分。

 

4. 森町
藤江勝太郎を訪ねて

森町教育委員会に詳しい方がいると聞き、既に1週間前に連絡を取っており、そこを訪ねた。目的は藤江勝太郎。彼は日本統治時代、総督府によって設立された茶業試験場の初代場長。台湾茶業の基礎を築いた人物だと思われるが、どのような人なのかはよくわかっていない。そこで出身地で、且つ帰国後は町長も務めた森町なら何かわかるだろうと訪ねた次第だ。

 

教育委員会には藤江家文書のコピーが残されており、見せて頂いた。それにより藤江の略歴なども明らかになって来た。興味深い資料もあるようだったが、文書を保存している藤江家の了解が必要とのことで、コピーなどは貰えなかった。取り敢えず撮れるものはカメラに収める。お話しを聞けば聞くほど、茶業における藤江の功績は大きいように思った。

 

しかし森町にはもう一人、台湾に深く関係した偉人がいた。鈴木藤三郎、台湾製糖の初代社長を務めた人物で、町としてはこちらの知名度を上げていこうと努力しているという。実際台湾に使節団を派遣し、台湾製糖と交流する、冊子を作りその業績を顕彰するなどを行っていた。藤江はその陰に隠れているようだった。それにしても台湾の3大商品の内、2つがここ森町出身者により興されたというはとんでもないことのように思うのだが。

 

ご担当の案内で、藤江勝太郎の生家にも行ってみた。特に表示などもなく、一人で来ても全く分からなかっただろう。現在は誰も住んでおらず、ご子孫は別の町に移っているとのことだった。森町は明治時代には茶業が盛んだったようだが、今やそれを示すようなものも見当たらない。昔の町役場を利用した歴史民俗資料館も訪ね、藤江の写真を見つけたのは収穫だった。

 

 

遠州森と言えば、どうしても森の石松を思い出してしまう。広沢虎蔵の浪曲、清水次郎長伝の中の石松が好きだ。実在の人物かどうかよくわからないが、この町には石松の墓があるといい、そこにも連れて行ってもらった。大洞院というお寺の前にその墓はあった。墓石を削って持っていると勝負運が付くと言われ、かなり削られていた。この墓は3代目で、削られても壊れない硬い石が採用されているという。

 

遠州一宮、小国神社にも行ってみる。このあたりを見てみると、昔からこのあたりは重要な場所だったことが分かる。まあ博徒が出入りするのも、町が栄えていた証拠だから、東海道線の開通までは少なくとも栄え、そして徐々に今のように落ち着いた街になっていったということだろう。

 

遠州森駅まで送ってもらい、また1両電車に乗る。夕方のこの時間は高校生などが多く、車内は昼間と違って込み合っていた。掛川まで25分、新幹線が走っているにもかかわらず、それからまた延々在来線に乗り、東京へ戻っていった。

富山から静岡まで茶旅2017(3)古民家宿泊、そして高山

古民家に宿泊

実は1回目と2回目のお茶会にはちょっと間があり、そこを利用して本日の宿泊先にチェックインした。そこは何と田舎の古民家だった。朝日町で保存している家で、宿泊可能ということで、Yさんとお知り合い、Tさんと私の4人が、この広い古民家に泊めてもらうことになったのだ。

 

笹川ふるさと移住交流体験施設『さゝ郷(ごう)ほたる交流館』は一昨年開業。1943年に作られた家を県と町が改修して、宿泊施設として利用している。目的は過疎地となっているこの街への移住者の誘致。田舎暮らし体験などで訪れる人を迎え入れるという。とにかくこの地域、田んぼが美しい。川も流れ、実に静かな田舎のイメージだ。冬は寒いかもしれないが、今の時期は最高の環境。

 

夜も9時を過ぎてセミナーの片づけが終わり、皆さんで遅い夕飯を食べた後、こちらの施設に戻ってきた。施設名にもある通り、この辺にはほたるが多いというので早々真っ暗な戸外に出ると、確かに各所にほのかな光が見える。台湾の田舎では見たことがあるが、日本でこんなにほたるが見られるところがあるとはちょっと驚き。

 

室内に戻り、居間でお茶を飲みながらおしゃべりする。さすがお茶好きのTさんが台湾茶を淹れてくれる。それから広々とした畳の部屋に布団を敷いてどっかりと休む。何だか修学旅行のような気分になる。静かな環境に疲れも手伝い、心地よい眠りに就く。ちょっと田舎暮らしがしてみたくなる。

 

7月6日(木)
高山へ
翌朝は7時前に起きたが、Tさんは既に近くの神社にお参りに出てしまっていた。台所では朝飯の準備をしてくれるKさんの姿がある。古民家のゆったりとした廊下の椅子にもたれると、何だか、ザ・日本の朝、という雰囲気が漂う。そして朝ご飯、美味しそうな地元の食材が並んでおり、幸せな気分になる。特にわかめの味噌汁!地元の海岸で採られ、干された自然な食材は絶品だった。これは忘れられない。Kさん、有難う。食後にはこれまた地元産のはと麦茶を飲む。Kさんは実にさりげなくPRがうまい。

 

名残惜しい朝日町と別れ、Yさんの車で富山駅まで送ってもらう。やはり途中は天気が良くなかったが、駅前で降りるといい天気だった。これから飛騨高山に向かう。特急に乗ろうと切符を買いに行くと、何とたった今発車したばかりだという。そうだ、私は貧乏旅行なので鈍行で行くつもりだったことを忘れていた。

 

富山駅の高山本線のホームは変わっていた。2番ホームは1,3番ホームの向こうにあるのだ。危うく乗り間違える所だった。乗客は少ない。平坦な畑の中を50分ほど行くと猪谷(いのたに)駅で終点となり、また斜め向かいに停まっている電車に移動する。猪谷は谷を普通に『たに』と読むらしい。

 

ここから先はかなりの山沿いをとことこ走る。いつの間にか富山県から岐阜県になっている。1時間ばかり走って、ついに高山駅に辿り着く。まずは荷物をコインロッカーに入れて、それから観光案内所で地図をもらい、大体の観光スポットを聞く。平日なので人は多くないが、それでも外国人を少し見掛けた。

 

3. 高山
高山散歩

駅前を見渡して適当な食堂に入り、飛騨牛のどんぶりを食べる。まあこんなものだろうという代物。ちゃんとしたステーキでも食べればよかったと後悔するも、既に富山で食べ過ぎなので、良しとする。それから伝統的建造物が立ち並ぶ保存区へ足を進める。この辺まで来ると中国人を含めた外国人がかなり目に付く。

 

確かにその街並は見事に残っている、という感じだった。町役場や陣屋などが残り、お茶屋やしょうゆ屋などの商家にも歴史が感じられる。ちょっと暑いのだが、ふらふら歩いて回る。アイスクリームが飛ぶように売れている。如何にも観光地、と言った雰囲気である。ただこれといった目玉はない。ただただ街を歩き、博物館などを眺め、この街の発展の歴史、地理的重要性を確認するだけだった。

 

ほぼ端から端まで、少し上った丘の上まで歩いてしまうと、最後はかなりへばってしまう。駅近くの三重塔のある国分寺でしばし休む。それから駅前でお土産物を買い、3時過ぎの特急に乗り込む。高山は有名な場所だったので、もう少し、おーと思うものがあるかと思っていたが、今回は発見できず残念。

 

この列車、名古屋まで直通なので、もう鈍行は止めてこれに乗った。勿論自由席、ガラガラだ。途中、白川茶と書かれた看板を見て、岐阜の白川に行きたかったな、と後悔。自然頂いた白川茶が美味しかったのを今頃思い出しても仕方がない。下呂温泉もよさそうだな、後の祭り。列車は特急なのでどんどん進んでいってしまう。

 

名古屋には3時間かからずに着いた。上出来だ。駅で駅弁を2個買い込み、名鉄に乗ろうと歩いていると、何とボヤ騒ぎに遭遇。それから新安城までどの電車に乗ればよいかわからず、右往左往したが、何とか辿り着く。今晩は、以前も泊めて頂いたIさんの家へ行くことになっていた。前回は場所が分からず、大いに迷ったが今回は問題なく到着。

 

Iさんは昨年体調を崩し、外出が難しくなっていたので、この機会にお訪ねしようと連絡したのだ。まあ、こちらに集まって来たお茶を淹れてもらい、買ってきた駅弁を広げ、お茶談義などをして時間はすぐに過ぎてしまい、疲れ果てて寝入る。

富山から静岡まで茶旅2017(2)朝日町 旅するお茶会

7月5日(水)
2. 朝日町
バタバタ茶再び

翌朝はホテルに朝食が付いているので、そこで食べる。和食・洋食の両方があり、それなりに充実している。昨日のサービスと考え合わせると、このホテルのコスパはかなり高い。全国チェーンのようなので、またどこかで泊まってみようと思う。そう思わせるホテルはそうは多くない。

 

今朝は雨も上がり、天気はよさそうに見える。Yさんの車で、富山から朝日町に移動した。電車で50分ぐらいかかるところ、高速に乗っても1時間ぐらいかかっていた。途中で雲行きが怪しくなるなど、やはり山の天気は変化が大きい。まあ雨が降らないだけよいか。車はなないろKANに入る。

 

その駐車場の向こうには朝日町歴史公園があり、その脇には茶畑があった。ここがバタバタ茶の原料を供給している場所。4年間でさぞや育ったことだろうと思っていたが、意外やそれほどでもなかった。やはり寒い場所は育ちが遅いのだろうか。後で聞くとやぶきた品種の半分が枯れてしまい、2年前に別品種を植えたのだという。

 

因みにその品種、富山らしい名前の『富春』を選定し、指導したのは、武田善行先生だという。その時はただ有名な先生が来られたのだなと思っただけだったが、まさかこの20日後にタイのチェンライの茶旅でご一緒することになるとは、まさに茶縁というのは恐ろしい。

 

次に車で連れてきてもらったのは、バタバタ茶伝承館。ここには4年前も来ている。以前より黒茶生産を中心的に行っている元町役場のHさんとも4年ぶりに再会したが、私のことは覚えていなかった。そしてその茶作りの苦労、プレッシャーは相変わらず続いているようだった。あと1か月もしないうちに今年の茶作りが始まるが、気が重くなっているのだろうか。

 

一方朝日町のPRを託されたKさんは、非常に熱心な人。バタバタ茶を精力的に売り込んでいる。ここに集うおばあさんたちとも仲良くしている。ご老人たちは賑やかに煮出した黒茶を五郎八茶碗に入れて茶筅でバタバタ泡立たせている。先日テレビ番組の収録で松岡修造もやって来たとか。おばあさんたちはいつも明るく、楽しそうにその時のことを語る。相変わらずお当番が持ってくる漬物がうまい。お茶を飲みながら、バクバク食べる。

 

お昼前に伝承館を失礼して、ランチに向かう。この辺の名物ということで、たら汁を食べるために、海岸近くの道路沿いのお店へ。4年前もそうだったが、ここ朝日町には山もあるが海もあるのに、今回も海を見ることはなかった。ヒスイ海岸も一度は見てみないといけない。

 

たら汁はスケソウダラをぶつ切りにして、味噌で煮込んだ料理。元はこの辺の漁師が船上で食べていたものだが、今はこの付近の海水浴客などに提供して、評判だとか。この道路はたら汁街道とも呼ばれ、何軒もの店がたら汁を出しているそうだ。ただ今やたらの水揚げは激減し、北海道産などで作られているらしい。美味しく頂き、まんぷく。これで午後お話などできるのだろうか。

 

旅するお茶会
朝日町の古民家カフェにやって来た。実に良い感じの雰囲気が漂う。ここで午後と夜の2回、お茶会が開かれ、その中で茶旅のお話をする予定となっている。ただ正直一体どんな人たちが聞きに来てくれるのか見当もつかない。しかも最後はバタバタ茶のお話をすることになっているが、このお茶の歴史、国立国会図書館にも出向き、何冊もの本を読んでみたが、どうしても謎が解けないまま、今日を迎えてしまう。恐ろしい。

 

この古民家の一族であり、京都でお茶屋さんと風水師をしているTさんが美味しい台湾茶を淹れてくれることになっている。これは心強い。しかもバタバタ茶に使われる黒茶と酷似していると言われている広西の六堡茶をわざわざ持ってきてくれ、飲み比べまでしてくれた。これは参加者にもわかりやすい。

 

参加頂いた方々、地元朝日町は勿論、富山市など富山全土から集まって来られ、2部とも満員盛況で驚きだった。東京では毎週のように多くのお茶会、セミナーが開かれているが、地方ではその機会が少ないということだろうか。それなら、私のような旅人は旅のついでにお話しする、旅芸人に徹してもよいのでは、と思わせてくれるほど、熱気があった。

 

北京で一緒だったコーヒー屋のRさんとも再会した。昨日飲んだ富山紅茶の会の代表Sさんも来てくれた。学芸員の方、茶道などお茶に関連する方、文化関連のイベントを開催する方、など、思いもよらない人々が集まり、一緒にお茶を飲んだだけでも嬉しかった。また機会があればぜひやりたいな、と思う。

 

因みにセミナーの内容はバタバタ茶にまつわる幾つものネタを披露し、まるでパズルのピースを出すように提供。後は地元で考えてくださいというものだったので、お役に立ったかどうかはわからない。ただ言えることは単にお茶の話をするより、地元にまつわる内容の方が当然ながら興味が沸くだろうということ。バタバタ茶の謎についてはお茶からのアプローチだけでなく、歴史学、言語学、地政学、文化人類学など、様々な観点から切り取ってみると更に面白いと思う。4年に一度ぐらいその成果を発表できれば嬉しい。

富山から静岡まで茶旅2017(1)富山でお話し

《富山から静岡まで茶旅2017》  2017年7月4日-7日

4年前に行った富山。魚がうまかったな、環境がよかったな、という印象が強い。また行きたいな、と思っていると、北京時代のお知り合い、前回も世話を焼いてくれたYさんから『ぜひ来てね』と声がかかる。そしてあのバタバタ茶の朝日町で、セミナーをさせてもらうことになる。地元のお茶について、地元の方に何を話せばよいのだろうかという迷いはあったが、それより、『また富山に行きたい』という思いが勝ってしまった。

 

更にはついでに静岡を再訪しようと思い立つ。だが日本は広い。日本海側から太平洋側へ、どうやってもそれなりの時間が掛かる。台湾に行くより遠いなと思いながら、なぜか無理して、しかも飛騨高山、愛知を経由して行ってしまった。無謀だが、まあこんな旅もあってよいか。

 

7月4日(火)
1. 富山
北陸新幹線で

朝から小雨が降っている。富山への行き方は飛行機、バスなどいくつかあったが、一番安直でつまらない新幹線に乗ってしまう。いよいよ私の旅も歳老いてきたのだろうか。勿論4年前はなかった、一昨年開業した北陸新幹線を一度は体感しようという狙いはあるのだが、新幹線はどれも同じだろう。新鮮味は特にない。

 

大宮まで在来線で行き、はくたかに乗車した。かがやきというのはもっと速いらしいが、そこまで急ぐ必要もない。列車は軽井沢などを通り長野まで行く。天気の悪い平日、基本的には出張のサラリーマン中心で自由席もかなり空いている。数人、山登りの格好の人がいるのはちょっと気の毒だ。

 

黒部川あたりではかなり雨が降っており、川が相当に増水している。台風が近づいているとの話があったが、それは逸れているのではなかったのか。車内ニュースでは福井あたりで大雨のため列車が止まっているとの情報も流れている。私は何という時に来てしまったのだろうか。まあそれも私の旅なのだが。

 

富山駅には定刻1時過ぎに着いた。僅か2時間ちょっと。確かに速いが費用もそれなりに掛かる。あまり食欲はなかったが、一応腹に何か入れようと駅のそばを食べた。駅前を眺めてみると、4年前は新幹線の工事をやっていたが、今はすっきりしている。時の流れの速さを感じる。

 

Yさんが予約してくれたホテルは駅前にあり、雨でも便利。まだチェックインの時間には早かったが、荷物を預けに行ってみると『本日は雨なのでお部屋へどうぞ』と嬉しいご案内。更には雨に濡れていたのでタオルまで差し出されてちょっと感激。これぞおもてなし、ではないだろうか。

 

富山でお話
ホテルの部屋はコンパクトだが居心地は悪くない。さすがに旅慣れた女性が選ぶ宿はどこか良い。午後4時近くまでゆっくりと休み、今日、明日の準備を少しした。ロビーには無料のドリンクサービスもあり、そちらに移動してコーヒーを飲みながら最後の仕上げを行う。そこへ雨の中、Yさんが登場した。

 

そして車に乗り、富山県民会館に移動した。ここの一階のカフェで打ち合わせ。今晩は、富山のビジネスマンの集まりでお話をさせて頂くことになっている。これもYさんの人脈のお陰だ。伝票の代わりに小さな人形が置かれているのも面白い。もしこれが中国なら、この人形にQRコードでもつけてスマホ決済にすれば受けるだろうな、と考えてしまう。日本ではいずれにしても無理だな。

 

このカフェには、富山産の和紅茶が置いてあったので、オーダーしてみた。販売もしているようだ。今や日本のどこでも紅茶が作られている。富山紅茶の会が生産しているとあるが、どんな団体だろうか。くれは紅茶とあさひ紅茶という2種類がある。あさひとはやはり朝日町のことだろうか。あそこで紅茶?

 

会場はこの会館の上だった。行ってみるとすでに主催者が来られていたが、私のPCとプロジェクターの相性が悪く、接続できずに慌てる。これからはPCだけではなく、コードも持参すべきと痛感。参加者は10数人だが、志のある官庁や有力企業の方々が中心の会でちょっと驚く。事前に参加者も聞かずに勝手な話をするのは悪い癖だ。

 

今回は『お茶を通して見るアジア事情』ということで、富山には何にも関係ないし、特にビジネスに繋がるようは話でもなかったが、皆さんきちんと聞いておられ、ホッと一息。お茶というのは意外と様々な側面があるということを理解して頂ければ十分だろうか。それにしてもこのような勉強会が定期的に開かれているというのは素晴らしい。

 

夜は皆さんに連れられて、新鮮な魚介類など富山の料理を堪能した。またかなり幅広い富山情報を聞くことができ、楽しく過ごした。私もセミナーとは違って、こぼれ話をいくつか話し、いつものように『セミナーより2次会の方が面白い』という不名誉なお言葉を頂戴する羽目になる。まあ仕方がないか。ホテルに帰る頃には雨はほぼ上がっていた。

 

静岡フラフラ茶旅2017(2)台湾で活躍した茶業関係者を調べる

3. 藤枝
幸之松の夜

実は幸之松さんにはちょうど1年前に呼んで頂き、セミナーを開催してもらっていた。満員盛況のお客さんだったが、ごく一部のお茶農家、お茶好きの方を除いて、お目当ては私の話ではなく、こちらの料理だったと思う。まあ話の内容も、お茶に相当関心がないと興味を引かない黒茶だったからだろうか。そして驚くほどおいしい料理が続々運ばれてきて、皆さん大満足だったのを覚えている。

 

その時は牧之原のSさんの紹介だった。結局その夜は彼の家に泊めてもらったのだが、『次回静岡に来ることがあれば泊まっていいよ』と言われていたので、お言葉に甘えることにしたのだ。このお店、何しろ風情があってよい。外国人などは必ず喜ぶ日本的な作りだと思う。

 

お店に入るとすぐに料理が運ばれてきた。お刺身、てんぷら、鍋物、どれも美味しく頂いたが、中でも静岡名物黒はんぺんの揚げ物。何と5枚も食べてしまう。これまで食べた物とは別次元の美味しさだった。『今日は家庭料理だ』とのことだったが、大将の料理は実に食べ甲斐がある。

 

Sさんがお茶関係者として呼んでくれていた人がいた。ここ藤枝には、あの日東紅茶の工場がある。そこに勤務するHさん。仕事で世界中の茶産地に行くそうで、今時のお茶事情を聞く。当たり前だが、世界は我々の目の前で起こっていること以上に、動いているようだ。そして日東紅茶の歴史についても、得るものがあった。

 

そんな話をしていると、東京にいるはずのI夫妻が入って来た。一昨日は京都の茶会に出て、昨日の夜、帰り際にここに寄って食事をしたらしい。そこで今日私が来ることを知り、何と実家のある山梨から戻って来たらしい。神出鬼没とは私がよく言われることだが、I夫妻は私の上を行っている。驚くべし。しかも食事が終わると東京へ帰っていたからすごい。何時に着いたのだろうか。

 

私はHさんとのお茶談義に没頭し、気が付けば12時を回ってしまう。酒も飲まずに、実に6時間近くも話をしていたことになる。これは楽しかった。それからお風呂にも入らず、そのまま寝てしまう。Sさん夫妻はさぞや呆れたことだろう。私の旅スタイルはどこでも自由奔放だ。

 

6月7日(水)
翌朝は鳥のさえずりで目覚める。散歩でもしようかと思ったが、もうご飯が出来ていると御呼ばれした。まるで旅館の朝ご飯を頂くようで、何とお替りまでしてしまう。昨晩から食べ過ぎだ。申し訳なかったのはSさんご夫妻の方は、私のはるか前に起きて、犬の散歩も済ませ、朝食もすでに済んでいたこと。居候がのこのこ起きてきて、大飯ぐらいだとは、落語のような展開となる。

 

4. 金谷
野茶研へ

今日は朝から金谷の試験場へ行くことになっており、藤枝駅まで車で送ってもらう。なんとも迷惑な客だっただろうが、また機会があれば泊まりに行きたい。でも断られるかもな。藤枝から電車で金谷まで行く。駅で降りてバスの時間を聞くと30分後しかなかった。しかももしそれを逃せば、午前中はもうないらしい。ちゃんと調べもせずに来たのは無謀だった。取り敢えず駅付近を散策。高台に上がり、旧東海道の石畳の道の入り口まで歩いたところでバスの時間となる。

 

バスの乗客は殆どなく、10分ほどで目的地に着いた。通称野茶研と呼ばれる場所、今日はお知り合いのIさんのお陰で、ここの図書館で調べ物をさせてもらえることになっていた。ここの歴史を見てみると、何と明治時代は東京の西ヶ原にあったらしい。私の母校も西ヶ原にあったのだが、ここの跡地、ということはないのだろうか。試験場だから広々としており、周囲には茶畑もある。

 

Iさんと一緒に図書館に行くと、既に話が通っており、何と私が調べたかった人物に関連する本を選んでくれていた。何とも申し訳ないことだが、時間の短縮となる。藤江勝太郎、中村円一郎など、台湾茶業で活躍した静岡出身者は多いが、茶処静岡のこと歴史に埋もれてはいないだろうか、と思うのだ。静岡でも彼らの名前を知る人が多くないのは残念だ。資料もそれほどない。出身地の町役場などに問い合わせた方がよい、とのアドバイスは貴重だった。

 

お昼はIさんの研究室で一緒に食べ、またお茶の話をした。Iさんとは昨年のお茶祭りセミナーで初めて会ったのだが、偉い研究員の先生とは知らなかった。私は品種や育種のことは何もわからないのだが、お茶の話題が全く尽きないのが不思議だ。やはり世界の茶産地を旅している人とは、話のテーマが合うのかもしれない。

 

午後は、何と偶然にもここで、黒茶の試飲が行われるというので、飛び入り参加した。集まったメンバーもすごい。近世茶歴史を研究するYさん、江戸文化を研究するK先生、尖ったお茶屋のIさんなどが、黒茶を持ち寄り、勉強している。私もプーアル茶などいくつかの黒茶を持っていき、飲んでみる。色々と専門的な意見や疑問が出てきて面白い。更には研究室でトルコのチャイなども飲んでみる。皆さん、お茶に向き合う姿勢が半端ない。私は場違いだな。

 

それから図書館に戻り、お借りした資料を整理してから、バスで金谷に戻った。バスの本数が少ないのでちょっとドキドキしたが、何とかたどり着く。そして名残惜しかったが、そのまま在来線で東京へ戻った。本当は1泊ぐらいして、お茶屋さんや農家を回りたかったが、時間が許さなかった。まあまたすぐに来るだろう。