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静岡茶旅2023 その2(4)川根へ

K先生の車で金谷駅まで送ってもらい、JRで焼津に戻る。またSさんにピックアップしてもらい、Sさんのお寺へ向かう。ご住職でSさんのお父様のお話を聞く。曹洞宗大覺寺全珠院、日本一の千手観音を持つ由緒あるお寺だった。お寺とこの付近の歴史も極めて興味深いが、基礎知識が無いため、なかなか消化できない。とにかく歴史は古く、そして複雑に絡まっている。

夜は美味しいうなぎをご馳走になる。Sさんの妹さんとそのお子さんも参加する。何だかうなぎのフルコースを頂いたようで、満足この上ない。お話を聞いていると、日本のお寺というのはなかなか難しいものだと思う。それでも相応の歴史を有してきたということは、それに何らかの意味があるということだろう。帰り際、小雨が降り出す。

8月31日(木)川根へ

本日は東京へ帰る日。何となくMさんに会いたくなって川根へ行くことにした。Sさんが車を出して連れて行ってくれた。元々は金谷から大井川鉄道に乗るつもりだったが、何と先日の災害で、途中駅までしか運行していないらしい。まずはいつものような焼津に出勤し、そこから川根を目指す。意外と時間が掛かる。

何とか川根まで辿り着いたがMさんの家が分からない。8年前に一度お邪魔したが、道など全く覚えていない。最後は連絡して救出してもらう。M家でお茶を飲みながら、森薗さんの話などを聞いた。印雑や藤かおりなど、Mさんは10年も前から香り品種に取り組んでいた。今回飲んだ烏龍茶、ウンカが噛んでおり香りがすごかった。

茶畑も案内してもらい、おしんの畑(おしんのモデルになった人物がこの付近で茶畑をやっていた?)などの説明を受ける。Mさんはいつも実に色々な試みをしており、感心してしまう。取り敢えず現在の茶業界に一石を投じたいという気持ちが良く伝わる。もう10年も前に日本茶の歴史をライターに語っており、その取り組みの速さが注目される。

そこから静岡駅方面へ戻る途中、山道を走ってもらい、聖一国師生誕地を訪ねる。この前は国師のお墓を訪ねたが、そこはバスで行けた。今回の場所はバスでは難しそうだったのでお願いした。栃沢、『径山茶伝来の地』などと表示がある。浙江省径山へ行ったのはもう6年位前か。

山の中ののどかな集落という感じの場所には、茶畑もあり、生誕地の石碑も立っている。『幻の茶 伝説の彩』などという看板も立っている。最近は聖一国師の伝説も注目されているのだろうか。まあ彼が中国から持ち帰った茶を栃沢に植えた、というのは色々無理がある、というのが専門家のお話ではあるが、どうだろうか。国師が持ち帰ったものとしては、うどんやそば、味噌などの方が有名かもしれない。

車で静岡駅まで送ってもらい、Sさんと別れた。今回は彼女のお陰でいつもより沢山の場所へ行くことが出来た。感謝しかない。取り敢えず昼ご飯を食べていなかったのでエキナカで寿司を頬張る。それから京王バスのチケットを買い、午後早い時間ながら東京へ戻る。実は本当は県立図書館で調べものする予定だったが、なんと月末休館日で叶わなかった。

バスは半分も乗客はおらず、ゆったりと座っていく。順調に走行し、途中の休憩所では、夕暮れの富士山を拝んだ。新宿駅まで僅か3時間半で到着。なんだかんだで新幹線に乗るのとそれほど変わらない。料金は半額だから、これからはこちらを主に利用しようか。

静岡茶旅2023 その2(3)焼津から金谷へ

その後歴史民俗資料館を再訪して、その資料を再度眺める。その脇に蓮華寺という由緒ある寺があったので、ついでに覗いてみる。ここは家康ゆかりの寺だというが、静岡には家康ゆかりの場所は多過ぎて、今回の大河ドラマでも取り上げられることはないだろうという。家康の死因は本当に天ぷらだったのだろうか。

Mさんと別れて、森の石松の墓に詣でる。6年ぶりだが、何となく変わった感じがする。説明書きが増えたのか、囲いが出来たのか。まあ森町と言えば森の石松、伝説の人物だが茶との関わりもあり、無視できない存在だ。博徒が往来していた街なら、それなりに栄えていた証拠にもなる。大洞院はかなり古びた建物で、その風情が何となくよい。静岡の宿まで車で送ってもらい、この日は疲れたので大浴場に入り、宿のカレーを食べて寝てしまう。やはり久々の旅は疲れる。

8月30日(水)焼津から金谷へ

朝静岡駅へ行くと女子高校生が公衆電話で電話を掛けていた。スマホ携帯禁止なのかな。今日も焼津へ。もう通勤電車気分だ。駅の南口を降りると、そこにはなぜか小泉八雲の記念碑がある。読んでみると晩年八雲はこの地が気に入り、東京帝国大学講師となってからの数年間、頻繁に訪れていた。ここに移住することも考えたがその前に亡くなったらしい。

今日は焼津市の歴史民俗資料館で焼津茶のお勉強。先日訪問した製茶会社のT社長夫妻、3日連続のTさんも参加する。実は茶業関係者でももう焼津茶の歴史はよくわからなくなっているらしい。ご担当から焼津市誌などを中心に色々と教えて頂く。更には資料館内をご案内頂き、中世の城から意外と多くの出土品が出ているのに驚く。その中には茶碗など茶道具もあり、今川氏の影響が強く感じられた。焼津はヤマトタケルから始まり、戦国時代まで極めて重要な要所だったことを知る。

横には小泉八雲記念館もあったが、時間の関係で次回に回し、車で焼津港近くまで送ってもらう。ここでK先生と待ち合わせていた。K先生とはイベントなどで何度かお会いしているが、二人で会うのは初めてだった。時々ツイッターにコメントを頂いたり、前回県立図書館ですれ違ったりしていたので、一度ゆっくりお話しを聞くこととなった。

その食堂で焼き魚を食べる。確か水曜日は問屋が休みとかで、刺身類はない感じ。それでも美味しい魚を食べ、楽しい歴史話を聞いていると、何だか嬉しくなる。K先生はお茶の専門ではないが、行きがかり上かなりお茶の歴史もやっており、またお茶以外の角度からの豊富な歴史知識、深い洞察を伺えるので、何とも有難い存在だった。

それから先生の車で、茶の都ミュージアムへ向かう。そのルートを見ていると何となくいつもJRでぶつ切りに通っている茶の歴史がはっきりと見えるような気がした。私の茶歴史は鉄道駅中心であり、静岡の地理が分かっていないと痛感する。空港の近くを通ると、牧之原の広さも実感する。

ミュージアムで、まずは図書室に入れてもらい、先生と一緒に資料を探す。取り敢えずここに何があるのか確認するのが目的だった。私の知り合いのHさん、いやSさんとも色々とお話しする。それから展示室を見学した。世界のお茶が紹介されており、充実した内容となっている。私ももう少し幅を広げて世界のお茶を見るべきかもしれないと思う。

静岡茶旅2023 その2(2)焼津から掛川・森町へ

8月29日(火)焼津から掛川・森町へ

朝起きて宿のご飯を食べる。ここの朝食は地元料理など、かなり充実しているので、ついつい食べ過ぎてしまう。今日もまた焼津へ向かう。午前8時台のJRでもラッシュという感じは全くない。駅で拾ってもらい、少し走って、少し上ったところに、林叟院という立派なお寺がある。風がさわやかに吹いている。

1471年創建の曹洞宗の古刹。長谷川次郎左衛門(鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の先祖)が開基という。1573年には武田軍により寺は消失してしまうが、江戸時代徳川家光から朱印状を受けるなどして、現在に至る、とある。

ご住職は今日からアメリカへ行くというのでお会いできなかった。現住職の実父であり、先代住職の鈴木俊隆師は、アメリカ西海岸で禅の教えを広めることに心血を注ぎ、曹洞宗では海外布教の第一人者と言われているという。アップルの元最高経営責任者、故スティーブ・ジョブズ氏もまた俊隆師や、俊隆師によって招かれた乙川(知野)弘文師から学んだ多くの生徒の一人だというから、その繋がりに驚く。

奥様からお話をちょっと聞く。ここから登る高草山一体は戦後一面の茶畑で、摘まれた茶を持って、走り降りてくる男たちがいたのをよく覚えている。それも昭和40年高速道路が通った頃から下火になり、いつの間にか茶畑は少なくなってしまった。まあ今でも茶作りをしている檀家さんはいるが、その数は極めて少ない。

そこから車で山を登っていく。上るのは簡単だろうと思っていたら、意外と道に迷う。更に老人が散歩させている犬が道をふさぎ、車はなかなか進まない。ようやく頂上までやってくると、何とも天気が良く、見晴らしは抜群、太平洋が良く見える。その前の斜面には茶畑がある。一部在来種で、一部はやぶきたらしい。この茶畑と太平洋を眺めながら、お茶を飲んだらいいだろうな。茶屋は出来ないものだろうか。笛吹段公園という名前も見える。

そこからTさんのお店に戻り、また黒べにふうきなどの資料を頂く。何とも有難い。昨晩のIさんの話が更に鮮明に蘇る。そして車は掛川へ。Iさんの話で、清水俊二さんの実家が大須賀町の江戸期から続く海鮮問屋であったこと、そしてその邸宅が今も残っていると聞いたので、取るものも取り敢えず行ってみた。

確かにそこには立派な邸宅があり、今は掛川市に寄贈され、一般公開されていた。大きな池と庭園の奥に母屋があり、そこで係の人にお話を聞くと、色々と清水家についての資料を見てくれた。本家はすぐ横に今もあるが、当主は住んではいないようだ。俊二は次男だったので家を出ている。彼が茶の世界の入ったのは、この海鮮問屋と関わりがあるのだろうか。抹茶ドリンクを飲みながら考えるが、よくわからない。

昼ご飯は近くの和食チェーン店へ入る。この付近には昔ながらの食堂などもあるだろうが、地元の人のお勧めはチェーン店だった。まあ確かに何でも食べられるし、価格も手ごろということか。観光客が多い場所とは思えないが、街おこしのような古い町並み再現の店は割高ということか。

午後は森町へ向かう。文化会館にM館長を訪ねて歓談する。今度藤江勝太郎の講演会が開かれると聞き、何とも喜ばしい。藤江だけでなく、他の森町出身茶商についてもぜひ知りたいと思い、お話しを聞く。岡野利兵衛は何も出て来ないが、村松吉平は少しずつ何かが見えてくる。

静岡茶旅2023 その2(1)焼津のお茶

《静岡茶旅2023 その2》  2023年8月28日-31日

7月初旬にホーチミンから戻って以来、どうにも体調がすぐれない。肩から肘に掛けて痛みがあり、また7₋8月の異常気象、連日38度を記録しており、外へ出る気力もなかった(代わりに女子ワールドカップや世界陸上などを見る)。重い腰を上げたのは1か月半も経ってから。それも止む負えない事由で静岡に出掛けた。

8月28日(月)静岡へ

いつもは色々な行き方を考える静岡行きだが、今回は体調も考慮して、新幹線で楽に行くことにした。新宿駅のチケット売場へ行くと、外国人観光客が列を作っていた。私は自販機で購入できるが、初めての外国人には自販機操作も辛いだろうなと思う。日本という国は決して外国人には優しくない。そういえば私のクレカも一つ目は使えなかった。

東京駅まで中央線で行き、新幹線の自由席に乗った。8月末ということもあってか、席はかなり埋まっており、品川駅では自由席はほぼ満員となった。後ろにはスペイン系と思われる若い男女が乗ってきて、楽しそうに話しているが、横の日本人男性は不快そうに席を立ち、別の車両へ移動していく。ほんのちょっとした習慣の違いが、実はなかなか難しい。

約1時間で静岡駅に到着した。最近の定宿に荷物を置くとランチを探す。居酒屋みたいなところにお客さんがいたので、そこのランチを試してみる。日替わり定食は850円もするのに、ちょっと寂しいおかず。私の前に会計していたグループはインドネシア人労働者だろうか。何だか日本が寂しくなっていくのを感じる。

静岡駅へ行きJRに乗る。今日の目的地は焼津。初めて降りる駅だった。先日東京で知り合ったSさんが車で迎えに来てくれ、お茶屋さんでもう一人の女性Tさんをピックアップして、少し離れたところにある製茶会社さんへ向かった。社長のTさんから、会社の歴史などを伺う。奥さんがお茶を淹れてくれる。途中でお父様からも面白い歴史の話を聞く。実は静岡には茶産地が多過ぎて、焼津はノーマークだったが、やはりどこにでも茶の歴史は埋もれているものだ。

続いて、先ほどTさんをピックアップしたお茶屋さん(因みにTさんはここのお嬢さんで、後継ぎだという)に戻り、そこのご主人からも焼津の茶歴史を伺う。焼津は海というイメージしかないが、実は山があり、茶もかなり作られていた。海運を利用した茶の輸送など、その歴史を顧みる人はおらず、今や忘れ去られている。早い段階で茶の生産から茶商に転じた影響もあるようだ。

駅まで送ってもらい、静岡駅へ戻る。今晩は現在私が調べている清水俊二という人に関して、その息子さんと関係があったIさんに連絡して、会ってもらうことにしたのだ。静岡駅で待ち合わせて、駅構内でコーヒーを飲みながらお話を聞く。その息子さんは京大農学部を出ており、茶の研究者だったようで、晩年黒べにふうきというお茶を作った。先ほど焼津で訪ねたお茶屋さんではこのお茶を商っており、そのお茶を生産していたのが、その前に伺った製茶会社さんだったというのは面白い。

Iさんと別れて夜の静岡駅を歩くと、家康と今川義元の像がライトアップされている。今年の大河は家康だが、もうあまりにも使われ過ぎているので、地元でもそこまで盛り上がりはないだろう。いや、地元は浜松?三河?夕飯は先日食べて気に入った、磯おろしそばと天丼セットを食べに行く。夜の静岡はかなり静かだった。

東京高知関西茶旅2023(6)三宮で

三宮で

三宮駅は慣れない人間には複雑だったが、何とか予約した宿に辿り着いた。週末の三宮の宿代は驚くほど高かったが、サービスはイマイチで、ちょっとイライラしてしまう。ポストコロナでは、従来の格安感が無くなり、このような気分になりやすいかもしれない。まあ部屋はきれいでよいか。

今晩は大学の後輩Nさんと会うことになっていた。指定されたのは駅の反対側の繁華街にあるスペイン料理屋。だがなぜか突然スマホが動かなくなり、マップが見られない。電波障害か。約束時間になっていたので、以前見たマップを思い出しながら、何とか探し当てた。

Nさんは大学教授だが、その専門は少数民族の言語学だった。先月香港のKさんと会った時に紹介され、折角なのでここまで会いに来た。日本で畲(輋)族について研究している人がいるとは思わなかったので、嬉しくなってしまい、様々な疑問をぶつけお話を聞く。お茶の歴史を解明していくには、特に少数民族の場合は、文献などの資料がほぼないので、このような言語学的観点は極めて重要であると実感する。

スペインバルの料理は、予想以上に美味しく、酒も飲まないのでバクバクと食べていく。何だかとても知識が吸収出来た気になっているが、吸収したのは栄養だけだったかもしれない。それにしてもこのような稀有な人材と出会えたことは何とも嬉しい。それでも畲族については、まだまだ分からないことだらけだ。

6月17日(土)三宮から

翌日はゆっくりと起きて、散歩がてら、一駅歩いて神戸南京町へ行く。前回はコロナ禍で大変そうだったが、土曜日ということもあり、ある程度人が戻ってきているように見えた。豚まんの老祥記などはかなりの行列が出来ており、残念ながらパスした。情報では近所に似たような豚まんを売る店があるらしい。次回チャレンジしよう。

11時に待ち合わせがあったので、指定された場所へ向かった。阪急神戸三宮駅東口改札、と言われていたが、何故か西口で待ってしまった。隣はJR三ノ宮駅の改札だったので、混乱してしまったようだ。慌てて反対側まで走っていくと、何とか懐かしいSさんと再会できた。

Sさんとは北京で一緒の駐在、その後東京でも会っていたが、ここ10年ほどは機会が無かった。偶々連絡があったので、会うこととなった。ところが何ともうすぐ鹿児島に転勤だという。しかもその場所は私が茶の歴史で目を付けていたところに近い。何という偶然だろうか。

ランチはそば焼きを食べる。これが鉄板で焼かれていて、かなり旨い。お客が次々に入ってくるので、食べ終わるとすぐ外へ出て、Sさん行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら、ゆっくりと話を続ける。お互い10年も会わないと様々なことがあるものだ。最近中国へ出張した話などは参考になる。

そこから神戸市立中央図書館へ向かった。ここには2度ほど来ているので、要領は分かっていた。明治期の大茶商、山本亀太郎に関する資料はかなり手に入った。だがもう一人の茶商、武田貞吉については、思うようにいかなかった。仕方なく、亀太郎の像があるという公園の方へ歩いてみる。

途中何故か関帝廟があった。南京町にありそうなものだが、ここにある理由は分からない。すぐ近くの学校の壁には孫文来校のプレートが挟まっている。この付近、今でも多くの華人が住んでいるようだ。諏訪山公園まで行くと金星台や孫文の碑は見付かったが、残念ながら亀太郎の像には出会わなかった。

バスもないので、宿まで歩いて戻ることにした。途中に相楽園という場所があったが、入場時間は過ぎていて入れなかった。何だか立派なお屋敷のようだった。神戸駅付近は細い路地のようなアーケードが並んでいて、暑さを避けて歩けるのが良い。地下鉄で一駅、新神戸駅まで行き、駅弁を買い、新幹線に乗り込んだ。弁当は姫路鶏のり弁。姫路城が立体化できる仕掛けがあった。何だか3時間ほどで品川まで戻ってきた。やっぱり速いな。

東京高知関西茶旅2023(5)五代友厚散歩、そして奈良へ

6月16日(金)大阪散歩

朝はゆっくりと目覚める。昨日までの団体旅行はやはり私には向いていない。気が向いた時に向いた方へ歩きたい。今朝の気分は五代友厚だったので、そのゆかりの場所を歩いてみる。まずは道頓堀を北に向かう。天気が良い中、途中に古い民家が建ち、花火や産などもあって楽しい。

大阪商工会議所まで来るとその横に五代友厚像が他2人の会議所会頭と並んであった。明治維新後、大阪経済の中心、商工会議所を立ち上げたのが五代であった。現在の会議所前には『大阪府立貿易館跡』などの記念碑も立っている。商業の街大阪を支えた男が薩摩出身の五代だったということか。

続いて五代友厚邸跡を探しに行く。途中勝海舟寓居などの表記が見える。海舟はこの地で私塾を開設し、坂本龍馬らが通ったらしい。その近くに大阪科学技術館という立派な建物があり、その先は緑地になっている。この一帯が友厚邸だったらしいが、今や表記も見いだせないのは残念だ。

土佐堀川に出る。旧住友銀行の実に立派な本店がある。北浜まで歩くと大阪証券取引所があり、その前にも五代の像が立派に建っている。証券取引所開設にも関わった五代。その向かいには、江戸時代の俵物会所跡の表記があり、天下の台所大阪の中心地が良く分かる。ここから地下鉄に乗る。

南森駅まで乗る。地上へ上がると、駅のすぐ近くに墓地がある。その中ほどに、ひときわ大きな墓石が見える。五代友厚の墓だ。五代家の人々もここに収められている。大阪で、日本の実業界で大活躍した五代だが、やはり薩摩に帰ることは難しかったのだろうか、などと思ってしまう。

宿の近くまで地下鉄で戻ると、そこに黒門市場があったので、ちょっと寄ってみる。ここは外国人観光客の人気スポットと聞いていたのだが、午前中で入り口付近を除いては、それほど人は多くない。英語や中国語、韓国語が飛び交っている。海鮮などが売られていたが、その値段は決して安くはない。何か食べてみようという気にはならず立ち去る。

奈良へ

宿へ帰って荷物を取りだし、近鉄難波駅へ向かう。しかし歩いて辿り着いた地下の駅には近鉄日本橋駅とある。まあどちらでも近鉄奈良へ行けるので良いのだが、私のボケも相当に進んでいる。昼間なので近鉄特急は空いており、ゆっくりと座って周囲を眺めながら移動できた。

近鉄奈良駅にはOさんが待っていてくれた。何とウルムチ以来10年ぶりの再会だ。Oさんはその後ウルムチからパキスタンに移り、最近帰国して奈良に住んでいるというので、会うことになった。駅から荷物を引いて、観光客の多い地域を歩くと、結構人がいる。それでも古い町並みの奥の方まで行くと誰もいない静けさ。

その一軒に吸い込まれる。ここは古民家を改造した宿屋で、ランチも食べられるという。間口から想像できないほど奥行きがあるのだろうか。庭がきれいに見える。卵焼きメインの定食を美味しく頂きながら、パキスタンやウイグルの話を聞くとは、何とも愉快だ。更には若狭のお茶の話まで出て来る。

それから徒歩数分の所にある心樹庵さんを訪ねる。以前はエコ茶会でしか会わなかったのだが、最近はお店を訪ねたり、一緒に山添村へ行ってもらったりと親交を深めている。Oさんの家も近所ということで、既にお店に何度か行っていた。ここでまた最近分かったお茶の歴史の話などを勝手気ままにしゃべってしまい、申し訳なかった。いいお茶を出して頂くのに、その感想すら述べないのは改めなければならない。

夕方お店を後にして近鉄奈良駅へ戻る。私は全く理解していなかったのだが、近鉄奈良から神戸の三宮までは、何と近鉄特急に乗れば乗り換えなしで行けるのだ。今晩の宿はまさに三宮なので、何とも有難い。始発だから座れるし、約1時間で到着してしまったのは、体力的に有り難かった。

東京高知関西茶旅2023(4)佐川町から伊丹へ

その向かいにある建物、庄屋さんの家だったであろう立派なお屋敷でランチを取る。なんといつの間にかアメリカ人と日本人の夫婦が料理教室を開いており、本日は特別にベジタリアンフードが提供された。畳の立派な座敷できれいに飾られた和食を頂く。何と贅沢なランチ。ここに居れば、それだけで落ち着ける。

何だか時間はどんどん過ぎていってしまう。旧工場を離れ、Sさんの工場に寄り道する。石さんがどうしても紅茶製造機械を見たいというのだ。私とYさんが3年前にエンゼルカップで紅茶を飲ませて頂いたその場所を一同で見学する。そこからまたすぐに車に乗り、何だか山の上の方へ行く。途中見覚えがあると思ったら、それは3年前迷い込んだ道だったのだ。

小高い丘の上に建物があり、ここで試飲会が行われた。午前中の小雨が嘘のように晴れており、抜群の風景、そしていい風が吹き抜ける。石家とSさんの紅茶が並ぶ。淹れ方は石家の娘が披露する。MさんとYさんはその光景を泣きそうになりながら見つめている。石家の紅茶は持木時代に植えられ、残された木の葉を使っているものもある。まさにここで持木と魚池、そして高知が一つに繋がった。皆真剣に試飲している。

楽しい時間とはすぐに去ってしまうモノ。予定時間をオーバーして会は終了。我々は佐川の牧野富太郎記念館も酒蔵も素通りして、一路高知駅へ向かった。台湾組一行は高知駅から岡山へ電車で移動する。実は台湾に帰る直行便の良いのが四国になく、明日岡山から帰るというのだ。駅で駅弁を買い、そこで分かれた。スティーブは何と我々の分のパンを買って渡してくれた。何とも親切な人だった。

私とMさんはYさんの車で高知空港に送ってもらった。Mさんは東京へ戻り、私は伊丹へ向かう。Mさんはある程度のお歳なので、今回の旅は大変だったかと思うが、それにもまして楽しそうだった。持木家と台湾が繋がっていくのが本当に嬉しいようだ。本来であれば高知にもう少して滞在して親族と旧交を温めるかと思われたが、未だ現役で働いておられ、その暇はないようだった。

伊丹から

高知発伊丹行きの飛行機は小さかった。普通は機内に持ち込めるサイズのケースも預け荷物にされてしまった。乗客は満員御礼。フライトは僅か40分、上昇したと思ったらすぐに降下を始めた。ほぼ定刻に伊丹空港に到着。ほとんど人がいない空港、荷物もすぐに出てきて快適。恐らく初めて降りた空港だった。

今晩は難波方面に泊まる、という頭しかなく、どうやって行くのかキョロキョロしていたら、リムジンバスの難波駅前行きがあったので、すかさず並んで乗り込む。そこで初めて予約した宿を検索したら、何とバス停の目の前だと気づき、幸福感に浸る。バスは難波周辺の駅を回り、50分後にようやく南海の難波駅前に着いた。

そこから見えるビルに向かい、宿へ行くと、外国人従業員が『自動チェックインです』と案内してくれる。だがいくら名前を打ち込んでも出てこない。彼女は私のスマホを覗き込んで『ああ、予約したのは姉妹店ですよ』と言い、約1.5㎞歩かないといけないと告げる。オーマイゴッド!

ホウライ屋の前を通り、グリコの看板まで来ると、外国人観光客で溢れている。既にコロナは終わっていた。更に歩いて行くと酔っ払いのおじちゃんなどが歩いており、平和な日本が蘇っていた。何とか宿に着いたが、そこは近鉄日本橋駅の近くだった。なぜ関東系のホテルチェーンが大阪に4つもあるのだろうか。ここもまた自動チェックイン。先ほどと違い外国人宿泊客で溢れている。さっきの方が静かそうでよかったのに。部屋へ行っても、きれいではあるが、料金の割に狭い。

東京高知関西茶旅2023(3)高知城見学、そして佐川の茶工場へ

そういえば家の横に駐車場があったのだが、石さんが『月決駐車場』って何?と突然聞いてくる。確かにそう書いているのだが、彼女は続けて『東京は月極だった』というのだ。やはり漢字圏の人たちは見ているところが違うとはいつも感じることだ。『月決』はマイナーらしいが、この地域では使われている。

車は高知城まで戻ってきた。我々はここから市内を少し散策してホテルにチェックインする。面白いのはYさん、自宅に戻るという。ホテルの駐車場に停めて一緒に散歩しようと言ってみたが、『夜は酒飲むので』と。実は我々東京から来たメンバーは誰も酒を飲まないのだが、『高知人は酒を飲みます』ときっぱり言われて笑ってしまった。

高知城に入ると山内一豊と妻の像がある。ここで何と陳さんがぐっと前に出て、極めて詳細な説明を台湾華語で始めたのには、本当に驚いた。陳さんは歴史好きで、相当本を読みこんでいる。恐らく普通の高知人よりははるかに詳しいと思われ、その後は彼をガイドとしてついて行くことになった。

小雨が降ってきたので、近くのセブイレブンでビニール傘を買う。ついでにスティーブが森永のジャンボモナカアイスを食べようと言い、全員分購入してくれる。私は数年ぶりに食べてみたが、意外にも美味しい。森永との繋がりが大きくなってきているせいだろうか。Oさんからその製法の綿密さを説明されたからだろうか。

最後にひろめ市場をさっと見る。時間的に早いこともあり、お客は多くはなかった。そして彼ら一家は皆酒も飲まず、生魚を食べないので、それほど興味も沸かなかったらしい。ホテルまで歩いて行き、チェックインする。荷物を部屋に入れて少し休むとまた出掛ける。夕飯はYさんが予約してくれていた。

高知に来たらカツオのタタキなのだが、残念ながら彼らは食べない。鍋や野菜など、それぞれが食べられるものを注文して、腹一杯になるまで食べた。Yさんの酒量も相当なものだった。そしてここでも話しはかなり盛り上がり、喜ばしい夜となる。帰りにアーケードを通っていると、何とそこにマジシャンが待っていた。Yさんの教え子だと言い、わざわざ待機してくれていた。そのマジックは本格的で皆を喜ばせた。駅方面へ帰る道にはアンパンマンのキャラクターの像があり、小さな子供を持つ陳さんなどが喜んで写真に収めていた。

6月15日(木)佐川町へ

ホテルの朝ごはんは豪華だった。定食様式だが、朝から刺身、焼き魚からカツオのタタキまで食べられる。流石に昨晩堪能したので焼き魚定食にしたが、皆何だか喜んで食べている中、スティーブはトーストを注文して何とか凌ぐ。これが彼の信念ということだ。信仰と信念を考える朝となる。

Yさんが迎えに来てくれ、本日の活動がスタートする。目指すは佐川町。佐川と言えば、現在の朝ドラ『らんまん』の主人公、牧野富太郎の生誕地であり、今話題の場所である。途中こちらで紅茶作りをしている懐かしいSさん夫妻と合流し、車は山間部を走っていく。高知市内から車で約1時間、ついに茶畑が見えてくる。

ここはM園芸の茶畑。迎えてくれたMさんは高知に嫁に来てここで茶作りをしているという。緩やかなスロープにべにふうきなどが植わっており、この茶葉がSさんに渡り、美味しい紅茶が作られているらしい。台湾組も熱心に写真を撮り、質問を重ねていく。やはり茶畑に来れば茶のプロなのだ。

そこからまた車で小1時間走る。そして懐かしの旧茶工場へ着いた。ここは3年前、Yさんと二人、苦難の末に辿り着いた森永紅茶製造最後の茶工場だった。その時既に中に入れないほど痛んでいたが、その後の豪雨などでついに解体が決まったが、地元企業がここを買い取りリフォームして原型を保っていた。周囲の茶樹も健在で何となく涙する光景だった。

東京高知関西茶旅2023(2)持木家との交流が続く

そこから赤坂に地下鉄で移動。夜はMさん一家と天ぷら屋さんで会食となった。ここでもベジタリアンのスティーブが気なったのだが、お店側も野菜中心に天ぷらを作ってくれ、それを食べたスティーブが『この野菜は甘い!どこで作っているのか』などと質問攻勢に転じて、大将も大いに喜び、どんどん会話が弾んでいってこちらが驚いてしまった。彼は食べ物、飲み物に対する非常に高い意識があり、それを高い会話力で、ぐいぐい引き込んでいく。

Mさんの息子夫婦、孫たちも駆けつけ、非常に賑やかな、和気藹々の宴となった。Mさんの情熱は知っていたが、この紅茶を媒介とした一族の歴史については、皆が強い関心を持ち、台湾からやってきた客を、まるで親戚のように扱っている。ご縁というのはこうして繋がっていくのだなと思わせる夜だった。

6月14日(水)高知へ

翌日は高知へ移動した。羽田空港を11時台に出るフライトなのだが、何しろ石家の荷物が多く、無事辿り着けるのか、心配だった。一応2時間前集合としていたが、何と彼らは2時間半前には空港に到着したという。宿泊先の前から空港行バスが出ており、ラッシュにも合わず座って悠々とやってきた。Mさんも息子さんの付き添いで早々と空港に来ていた。皆気合が入っている。

ランチは機内で食べることにして、それぞれ好きな空弁を買う。皆日本に慣れているから、どれが食べられるか、美味しそうかの見分けはすぐに付く。フライトは順調で弁当を食べ終わると高知空港に着いた。今回はやはり持木家の子孫であるYさんが色々と気を使ってくれていたが、何と石家は『空港に迎えは不要です。荷物が多いのでリムジンバスに乗る』と言ってきて驚いたが、1台の車に一行6人を乗せ、更に大きな荷物は入らない、とよく分かった上での申し出だった。

取り敢えずバスが出発しないように係の人に話し、何とか荷物を引っ張ってきた彼らを乗せて行く。高知空港まで約40分、だが空港のバス停は二つあり、Yさんとは会えなかった。それでも我々は高知駅前を楽しく通過。坂本龍馬像などで記念写真を撮っていると、何と駅にはアンパンマン列車が停まっている。因みにこの日アンパンマン号は利用者100万人達成セレモニーが行われていた。

駅のすぐ横のホテルに荷物を預ける。そこにYさんが合流。Facebookでは交流はあったが、石家と会うのは初めて。ついでにYさんにとってMさんは従妹の子供になるが、すごく久しぶりの再会となる。ここでもご縁が繋がっていく。Yさんの車でYさんのご両親が住む、いの町に向かう。

Yさんのお母様はMさん同様、創業者持木壮造の孫にあたる。お母様の父は壮造の長男であり、Mさんの父は次男。この二人は若い頃は東京で会っているが、何と近年はご無沙汰で、数十年ぶりの再会となっている。もしこんなことがなかったら、一生会えなかったかもしれないとMさんはつぶやく。

ちょっとご挨拶と思って家に入ったが、そこからとても和やかな交流が始まって、また驚く。皆で昔の写真を見ながら、話が弾む。ついにはお母様が立ちあがり、何と流ちょうな英語で挨拶を始めた。因みにお母様もMさんも台湾生まれの所謂湾生であるが、幼少期に引き揚げているので、台湾の記憶はあまりないという。

もう一つ驚いたのは、お母様のご主人、Yさんのお父様は本日90歳のお誕生日だったことだ。しかも高知で植物学を収め、現在も研究を続けているという。ちょうど朝ドラの主人公が高知の牧野富太郎であり、お父様はそのひと世代下らしい。お歳を感じさせないクリアーな発言が多く、たくさん質問させて頂いた。あっという間に1時間半が過ぎ、お暇したが、とても名残惜しい感じだった。

東京高知関西茶旅2023(1)森永紅茶と魚池

《東京高知関西茶旅2023》  2023年6月13日-17日

ここ数年、森永紅茶の歴史を調べている。元々は台湾紅茶、日月潭紅茶の歴史を追っていたのだが、そこで行き着いたのが森永紅茶だった。日本統治時代の台湾で、日本人が作っていた紅茶。今回はその後継者台湾人が日本へやってきて、日本人子孫と交流することになり、その手伝いをした。

6月13日(火)持木家と森永

台湾中部魚池から石家(戦後父親が旧持木工場の工場長)の娘夫婦とその娘の3人、そして台中から陳さんが日本へやってきた。昨晩無事に成田に着いたと連絡があったが、入国にはどれくらい時間が掛かったことだろう。今朝はまず持木家の子孫であるMさんに会うため、朝の通勤時間帯にホテルから最寄り駅まで電車で来てもらった。ラッシュとは縁遠い魚池から来たのだから、さぞや戸惑うだろうと思ったが、何と彼らは何度も日本に来ており、満員電車にも慣れていた。

Mさんと石家は4年前から付き合いがあり、遠くの親戚が来たかのような打ち解け具合だった。早々に沢山のお土産(なぜかお茶と一緒にお酒も)が渡され、英語を主とした会話はどんどん盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていく。こんな海外との民間交流、なかなかないのでは。

次にJRで鶴見に行く。昼前に駅に着いたので、駅ビルでランチを取る。実は石家のスティーブはベジタリアン。食事を心配していたが、さすがに日本慣れしており、すぐに蕎麦屋を見付けて入る。メニューをさっと見て自分が食べられるものを探して、店員に注文している(この店はアプリで注文する仕組みだが、多くの老人は口頭でやっている)。私は蕎麦を啜りながら、それを眺めるだけ。

鶴見駅からバスに乗る。娘のジョアンはお土産を入れた大型スーツケースをずっと持っていて混んでいるバスの車内では大変だ。10分ぐらいで森永鶴見工場に着いた。ここの研究所に勤務するOさんが、森永紅茶の歴史に大いに興味を抱き、社内で資料を探し、外部にもコンタクトして、何と今年『森永紅茶復活プロジェクト』を立ち上げたので、その話を聞きに行く。

とても働きやすそうな、雰囲気の良い研究所内で、色々と説明を聞く。森永の歴史、それは我々の歴史でもあった。子供の頃から親しんだ、森永チョコボールやムーンライトなどは何とも懐かしい。台湾組はチョコモナカジャンボの画期的な製造方法に大いに興味を示している。台湾ではこの商品は売られていないらしい。

森永紅茶については、既に50年前に無くなってしまった商品であり、決して大きな比重を占めていたわけでもないので、殆どの社員がその存在自体を知らない。そんな中でOさんはただ一人で資料を集め、各地に出向いて歴史を調べて、ついには紅茶復活のため、三重・奈良・高知の紅茶生産者と組んで、森永紅茶復活を目指している。

この紅茶の当初の原料は日本統治時代の台湾にあるので、今回の石家訪問がきっかけとなり、今後プロジェクトに進捗があれば、台湾産紅茶も加えて復活して欲しいという願いが私にはある。因みに森永が最初に手掛けたドリンクは宇治ほうじ茶というのも興味深いものだった。

研究所を後にして、またバスで鶴見駅まで戻る。そこから京急で銀座へ向かう予定だったが、何と事故があり、電車は止まってしまった。このままでは次の予定に間に合わない。そこでJR川崎駅へ向かい、京浜東北線で有楽町まで出て、何とか歩いて到着する。そこは石家のデニスが行きたいといった、小さな、おしゃれな茶荘だった。ここで買いたい茶器があったようだが、残念ながら在庫は無かった。それでも様々な日本茶が置かれていて、試飲も一部可能。英語でも説明してくれるので、外国人にとっては有難い茶荘だろう。