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ベトナムGH11連泊の旅(18)ハノイ ハロン湾日帰りツアー

11月30日(日)

ハロン湾日帰りツアー

今朝は早く目覚める。明日にはベトナムを離れる予定になっており、実質今日が最後の日。そしてツアーに乗り、世界遺産ハロン湾へ行くことになった。ツアー会社も前回とは別の、もう一段良質の旅行会社のツアーを予約した。多少は高いのだが、前回のランチの寂しさは味わいたくない。

 

前回同様8時に道端で待つ。今回はこの宿から4人が参加。若者2人と私は日帰りだが、60過ぎの足の悪い方は1泊を予約していた。すると、迎えも違うし、バスも別になってしまった。まあこのオジサンもアメリカなど海外で長年暮らしていたらしく、あまり困りそうには見えなかった。

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今回はミニバスが直接迎えに来て、それから旧市街地のホテルを回っていった。今日は日曜日なのでラッシュはなく、簡単に出発できそうだったのだが、ガイドがあるホテルに入って行くと、客がまだ集まっておらず、全部のホテルを回った後、再度このホテルに行き、時間を取られた。一体誰が乗ってくるのかと見ていると、何とも恰幅の良いインド人男性が4人、女性が一人、悠々と乗り込んでくる。ああ、自分本位のインド人の特徴がよく出ている。

 

バスはインド人でギューギューになり、出発。途中、日系企業などが多くある工業地区を通過、そしてイオンのハノイ1号店の建設現場も通った。ここも決して市街地から近い訳ではない。かなり大きな店舗を作る予定というが、先日のホーチミンを思い出すと、時期尚早のようにも思える。だが皆がそう思っている内に、経済が追い付いてくるということだろう。

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ニンビンより1時間ぐらい遠いハロン湾、途中休憩が全く同じようにあり、同じような休憩所に寄る。これはもうパターン化されている。ただニンビンより知名度がはるかに高いため、ハロン湾に向かう人は多い。今日は日曜日ということもあるのだろうか。車の渋滞はないので、曜日はあまり気にならない。

 

合計3時間ほどでハロン湾に到着した。ここはニンビンと違い、完全な観光地となっており、多くの団体がガイドの誘導で、船に乗り込んでいく。例のインド人たちは別の船に乗り込んだ。お金持ちらしく、豪華クルーズなのだろう。我々一行も舟に乗り、船室の上に登り、景色を眺める。昔中国で行った桂林の川下りのようだが、それほど広い訳でもない。早々にランチを食べる。先日のニンビンと違い、食べ物が次々出てきて、食べ切れなかった。

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少し行くと船を下りる。ここでオプションのカヤック遊びをする。ニンビンでは足こぎボートだったが、今回は自分で漕いで、洞窟に入る。私は韓国人のホーチミン駐在員とペアーとなり、カヤックに乗り込んだ。だが全くの初心者で、誰も教えてくれないので、上手く進めることができず、あえなく岸に逆戻り。後ろの韓国人もあきれ顔。

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まあなんとか進むようにはなったが、方向感覚もなく、またブレーキも分からないので、小舟にぶつかりながら、喘ぎながら洞窟を潜る。少し漕げるようになると何とも気持ちが良い。帰りはスイスイと進み、岸に到着。ここからどうやって上がるんだ?と思っているとガイドが手を差し伸べて無事に上がったが、韓国人に手を差出した地元民は何と代わりに水に落ちてしまう。皆笑いながら救助していたが、韓国人は真っ青になり、謝っている。どちらが悪いのかはわからないが、何となくチップが欲しかったのかな、という気もした。

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それからまた船に乗り、島に上陸。ティエンクン洞に行く。この名前は中国語の天宮と関係があるのだろうか。ここには鍾乳洞があり、中は煌びやかにライトアップされている。だが私の感覚ではそんなライトアップは返って自然な雰囲気を損ねており、逆効果だと思う。折角の観光資源を無駄にしている、このような例はアジア各地で見られるが、本当に残念だ。

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バスが到着した岸に戻る。1泊2日ツアーの人々はもっと奥まで行き、船上泊となる。我々はほんのさわりだけ。夜空もきれいだというので、次回機会があれば泊りにこうよ。などと思っていると、周囲が慌ただしい。何と暴風雨が接近してきており、今は問題ないが、今夜の船上泊は全て取りやめとなったという。1泊2日を申し込んだ同じ宿のおじさんも戻って来た。彼はハノイに帰らず、ここのホテル泊を希望したという。自然とはそんなものだ、上手くは行かない。

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この混乱でバスの手配も混乱し、出発はかなり遅れた。帰りのバスにインド人はいなかったが、ロシア人が乗り込み、超満員に。元来た道を淡々と帰り、予定より1時間ほど遅れてハノイ着。我々はツアーがしっかりしていたのか、3人いたせいか、近所のホテルまで送ってくれた。夜はまたフォーを食べた。

 

12月1日(月)

最終日。朝からスオンさんの所へ行こうと思ったが、彼の都合が悪くなり、お茶の入手もできなかった。まあこれもまたご縁。ブンチャーを食い、タクシーを呼んでもらって、空港へ。ハノイも離れるとなると、離れがたいところがある。

 

空港ではベトジェットのカウンターだけめちゃ混み状態。やはりお客が多い上に、作業効率が悪すぎる。45分でようやくチェックインできた。空港にはフリーWiFiもあり、まあ快適に過ごす。今回の旅はGHに何と11連泊、私の旅の記録を作った。そしてGHに新たな可能性を見出している。今後も各地のGHをチェックしてみたい。

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ベトナムGH11連泊の旅(17)ハノイの茶縁

夜中のガイド

11時頃に宿に戻って寝ようとすると、元気なオジサンが声を掛けてきた。この方は定年退職後にも拘らず、ラオスやタイをバスで回り、安宿に泊まっている。謙虚に旅を続けており、好感が持てるタイプ。何事かと思いきや、『ハノイから香港へ行きたいのだが、どういう行き方があるのか?』と聞かれる。正直私もよく分からないが飛行機代が意外と高いことだけは知っていたので、『それは列車かバスで南寧に行き、そこから広州経由か直行バスで行くのだろう』と答えると、『ちょっと待て』と言って上に上がって行った。

 

若い女子が一人下りてきた。香港へ行くのは彼女であった。オジサンはラオスのどこかで彼女と同じ宿になり面識があったので、一緒にネットで調べていたらしい。『南寧までの汽車は既に抑えた、そこからどうやって行ってよいのか分からない』というので、南寧の駅から郊外のバスターミナルへの行き方を教え、紙に中国語を書いて、『分からなければこの紙を出して人に聞いて。中国人は存外親切、特に若い日本人の女子にはきっと親切だから』と言って渡した。ただ南寧から香港行の直通バスがあったかどうかは定かではない。広州経由の場合は、もう一工夫必要かもしれないが、南寧が通過できれば何とかなるだろう。

 

ついでに私の8月の経験、掟破りの高速バス乗車についても披露しておいた。彼女がこれを使うのはリスクが高過ぎるので、勧めはしないが情報はあってもよいだろう。結局2時間ほど、この夜中のガイドに付き合い、寝たのは1時を過ぎていた。彼女は明日の朝、早くに出ていくらしい。ハノイ駅が宿から近いのがせめてもの救いだ。

 

http://www.chatabi.net/asiatabi/3775.html

 

11月29日(土)

茶縁

翌日は当然いよいよ怠惰になり、ベッドからも起き上がらない。こんな生活でよいのか、と思うほど。前日までの食べ過ぎもあり、夜遅く寝たこともあり、ダラダラ過ごす。今日もランチの予定がある。腹ごなしに歩いて、指定された大宇ホテルに向かう。このホテルは昨日も見たロッテモールの横にある古いホテル。そこまでゆっくり歩いて30分は掛かる。文廟も一度は入ろうかと思ったが、外側から見えるので、それで我慢した。

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知り合いのKさんから紹介されたYさんは、大手企業から出向して、現在はハノイ在住の駐在員。仕事の話は実に興味深く、如何にベトナムと仲良くして仕事を進めるか、や最近は台湾や中国との合弁が増えているので、仕事で中国語の必要性が出てきた話などもあり、私にも出番があるのかな、と思うようであった。

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Yさんの車で旧市街のかなり古びた家に連れて行ってもらった。そこはレストランであり、2階に上がると100年前の雰囲気がした。チャ・カーというハノイで有名な場所だそうだ。地元民で混んでいたが、何とか席を確保して、ビールを頼むと温い。それもまた風情があると感じてしまう店。そして頼んでいなくても勝手に出てくる雷魚の煮込み鍋?メニューはこの一品しかなく、何十年もの間、これでやって来ているらしい。パクチーとブンを絡めて食べると絶品。かなり濃厚な味で、どんどん食べてしまった。

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その後場所を替え、コーヒーを飲みながら話をしていると、『実は家内が裏千家で茶道を習っており、ちょうど先日えらい師匠がハノイに来たばかりだ』と聞く。その話、どこかで聞いたなと思っていると、何と例のスオンさんに会った時に言っていたことだった。その師匠は確かスオンさんの店にも行ったはずだが、と聞くと、まさに奥様も一緒に行ってスオンさんに会っていたのだ。仕事の関係のご縁はあまり驚かないが、ここで茶縁が登場したのにはビックリした。どこでも繋がる時は繋がるものだ。

 

Yさんの車でハノイ駅へ送ってもらった。初めて見るハノイ駅、思いの外小さい。やはりベトナムはバスが発達しているのだ。電車はハノイ‐ホーチミン間が30時間以上かかり、遅すぎる、ということだろう。昨晩の彼女はここから国際列車に乗って中国へ行ったが、それも一日一本程度だろうから、駅は空いている訳だ。

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Yさんとのご縁もあったので、夕方例のお茶屋へ向かう。6代目、スオンさんは幸い店に居た。彼には2年半前、ベトナム茶の歴史について話を聞いたが、その時はズンさんという友人の通訳がいた。今回は単独で行き、英語で会話したが、特に問題なく、意思疎通ができた。私がインドの話をすると彼は『最近アユルベーダに興味を持っている』というので、私の1月の体験を話してあげた。

 

『最近はベトナムの中産階級も急速に健康志向となっている』のだそうだ。店を見ても、夕方のせいか、お客は若者ばかり。こういうレトロな店が流行ってきている所に、ベトナムの小さな変化が感じられる。若者たちは床に座り、背を柱にもたれさせて、ダラダラとスマホをいじっている。お茶を飲むというより、その空間を楽しんでいるようだ。

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スオンさんはジャーナリスト活動が忙しいようだ。ベトナムの濃い緑茶を飲みながら話を聞いている間も、携帯が鳴る。何故こんな濃いお茶を飲むのか、私なりの答えを持参して行った所、スオンさんも『中国から伝わったことは間違いないだろう』と同意してくれた。陸続きの両国、昔は国境などもなかったのかもしれない。もっともっとベトナム茶の歴史が分かるとよいのだが。またの再会を約して今日は別れた。

 

宿に帰り昨晩のオジサンと道端のフォーを食べに行く。この店では前回焼きそばを食ったので今日は牛肉がたっぷり入ったフォーを頼んだが、やはり正解。量、味共に十分に満足できた。明日に備えてさっさと寝る。

ベトナムGH11連泊の旅(16)ハノイ 様々な角度で物事を見る重要性

11月28日(金)

再会は続く

翌朝は完全に寝坊した。さすがに疲れが出てきている。ゲストハウスの泊り客は朝が遅いので、それに合わせるとどんどんダラダラになる。一部60歳を越えた退職者がおり、この人たちはパターンが違う。『どうしても早く起きてしまう、長く寝ていられない』という状況があるようだ。そういう意味では寝ていられる私はまだまだ若い方なのだろう。

 

新しい若者が飛び込みでやって来た。昨晩もここに泊まりたかったが、暗くて探し当てられず、止む無く近くのホテルで1泊してきたという。管理人のキエンさんはまだ来ていない。でもここはホテルではないのだ。常にフロントがいて、チェックインできる訳ではないことを彼らは良く知っている。

 

朝飯に向かいのブンチャー屋に連れて行く。ハノイに来ないと見かけないので皆知らないが、結局ここではブンチャーが一番美味い。彼も大満足だった。彼はラオスからバスでやって来て、ベトナムを南下して帰るという日本の大学生。親にはかなり心配されたが、来てよかったという。海外に出る日本の若者が減っているのは事実かもしれないが、それはその親世代の影響も大きいのかなとも思う。実は日本人で海外に行ったことがない人もかなり沢山いる。

 

それからリビングでダラダラし、キエンさんにタクシーを呼んでもらう。今日はランチに約束がある。北京時代に知り合ったIさん、元々ベトナムでの勤務経験のある異色の人材だったが、日本へ帰ったと思っていたら、いつの間にかハノイにいた。連絡してみたら、会ってくれるというので出掛けた。ただ、宿から少し遠いのでキエンさんがタクシーを手配してくれた訳だ。

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そこは日本大使館から車で南10分ぐらい行った所だった。この付近には比較的新しいビルが建ち、オフィス街ともいえる感じになっていた。焼いたナマズが美味いというかなりきれいな店。如何にもベトナムらしい。以前ベトナムの田舎で雷魚やナマズを食べたが、非常に美味だったことを思い出す。地元のOLなどが入っており、満員の盛況。人気店であった。

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Iさんは日本で中国人の会社に就職したが、そこからベトナムのプロジェクトへ出向しているようだ。家族でハノイに住んでおり、快適だという。海外生活をエンジョイしたことがある日本人はどうしても日本へ帰ると閉塞感がある。そしてまた海外へ出る傾向にある。外に出る人とでない人、その落差が大きく、違いがはっきりしているのが今の日本の特徴だと思う。

 

忙しいIさんからは短い時間だったが、かなり中身の濃い話を聞くことができた。特に中国とベトナムの関係については、日本にいる学者さんやマスコミさんも反中暴動の事件のみを伝え、あまり関心がないのか、詳細な情報が不足している。私もそうだが、中国を知り、アジアを知る人間の中国アジア情報の発信は重要だと再認識した。

 

Iさんと別れ、歩いて宿へ帰る。まずは日本大使館の方へ行く。2年半前建設を開始したばかりだったロッテのコンプレックスが見事に出来上がっていた。ここに韓国大使館が入居し、日本大使館を見下ろすのだ、と言っている人もいたが、どうなんだろうか。そんなことはどうでもよいか。でもモールにはあまり人がいる気配はない。

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キンマー路を東に進む。途中北上すると、昔のハノイの風景が出てきた。写真を撮ろうとして、カメラを取り落とし、壊してしまう。それほど暑いとは思っていないが、予想以上に消耗しており、手に力が入らない。そのままゆっくり歩いて行くと、レーニンの像が見え、ベトナムの国旗がはためく砦が見える。この付近にタンロンの世界遺産があるはずだと探したが、見付からない。ホーチミン廟があり、古めかしい建物が続く中、真新しい建物が。まさかこれがタンロン遺跡とは知らず、結局中へ入らなかった。ベトナムは表示がしっかりしていないので、よくわからない。

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疲れ果てて宿に戻り、ぐったりする。体力が衰えたなとも思い、またGH連泊の疲れが完全に出てきたとも自覚する。ドミトリーに泊まっていても何の障害もないと思ってはいるが、そこはオジサン、若者とは違う。やはりちょっとしたことでも気を使うらしい。

 

夜までダラダラした。宿の管理人キエンさんは突然、『今から田舎へ戻り、結婚式に出てくる』と言って出掛けて行った。ここから100㎞ぐらい離れた街らしい。ベトナムで100㎞離れているというと、道が悪ければ3-4時間の旅となる。ベトナムでは結婚式を非常に重視しており、物凄いパワーで、お金を掛けて披露宴を行う。この辺の見栄の張り方は中国人を凌ぐかもしれない。彼も宿が忙しいという理由で出席を断っていたが、当日になり、親に説得されたらしい。既にHさん、Kさんとも持ち場に帰っており、私が手伝う必要があるかと思いきや、日本語のできる人が手伝いに来ていた。

 

夜、宿にズンさんがやって来た。宿に入るなりズンさんは『オー、久しぶり』という感じで、管理人代理の方に話し掛けている。聞けば、昔の日本語ガイド仲間だというではないか。何という奇遇、ご縁は恐ろしい。彼は日本語ガイドに見切りをつけて、日本語学校で教えている。今度そこも辞め、自分で日本企業向け人材紹介を始める予定だとか。

 

宿を出て食事に行く。連れて行ってもらったのはハノイ駅の近くのきれいなレストラン。この前散歩したとき気になっていたのだが、何とも大きな造りで、夜はお客で超満員。8時だというのは、席はなかった。少し待って何とかギューギュー詰の席に潜り込む。ここにはあらゆるベトナム料理があるのではないか、と思われるほど、沢山の種類の料理があり、ここ一か所でベトナムが味わえるという趣向になっている。

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韓国人の団体がビールをがぶ飲みして気勢を上げている。欧米人の家族が静かに食べている。日本人の姿もちらほら見えていた。ベトナム人も少しいるようだ。海外在住者かもしれない。勿論ここは道端の屋台より、値段ははるかに高い。結局春巻き、おこわごはん、バインセオ、ブンチャーなどお馴染みの料理を味わった。

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ズンさんとはちょうど10年前、家族旅行でベトナムへ来た時に知り合った。2年半前は一緒に茶旅に出てくれた。その時は、通訳・ビジネスアテンドなどを本業としていたが、今回来てみると就職したという。それもさっきの宿の代理人と同じ、人材紹介会社で働いている。人材紹介で成功したオーナーが様々な事業をするにあたり、ズンさんが引き抜かれたらしい。日本にも強い興味を持ち、先月は財界訪日団に混ざって、日本へも視察に行ったという。日本企業がベトナムを見ていると同時にベトナム企業が日本を見始める。面白い傾向だと思う。彼とは今後何か一緒にできるかもしれないね、と言って別れた。

 

ベトナムGH11連泊の旅(15)ハノイ 昨今ベトナム事情

昨今ベトナム事情

これでツアーは終了し、元来た道をハノイへ帰る。帰りも同じ休憩所に寄る。バスはかなり汚れていたので、運転手が水を掛けて洗っている。その姿が妙に良い。涼しい風が吹き抜けていく夕暮れ時。バスはまたひた走り、日が暮れた頃、ハノイに着いた。2つほどホテルを回り、後はホアンキエム湖のあたりで全員下ろされてしまった。実は私は宿の近くのあるホテルまで連れて行ってもらえるはずだったが、何とガイドまでもが運転手から降りろ、と言われ、引き下がる。

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ガイドに強く言うと、『じゃあ、おれのバイクで連れて行ってやる』と言われたが、朝降りたバイクを停めている場所までも歩いて10分は掛かった。まあちょっとした散歩だと思えば、良い街歩きだ。ガイドも可哀想だ。色々と用事を言いつけられ、客からは怒られ、運転手に置き去りにされる。やってられないよ。バイクで何とか目的地に運んでもらう。

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このホテルでは大学の同窓、Nさんが待って居てくれた。2年半前に人の紹介で知り合い、ハノイで会った後、同窓、しかもほぼ同じ歳であることが分かり、共通の知り合いが何人も出てきた。是非再会したいと願っていた人である。彼はベトナム語の専門で、既に10年以上ハノイに住んでおり、ベトナム事情に明るい。今後もずっとここで生きていく予定だという。

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連れて行ってもらったのはホテルの向かいにある路地。ここだけは海鮮料理屋などが客引きをしており、妙に元気な道だったが、入った店はその中の静かなところ。2階に上がると、何となく韓国のオンドルを想起させるような、床に座り、ちゃぶ台があるスタイル。フエ料理の店だという。

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ちゃぶ台には、エビとひき肉の小皿、つくねみたいなものとビーフン、粽のような物が、次々と並び、ビールを飲みながら、次々と食べていく。この小皿料理が古都、フエの伝統なのかもしれない。ハノイの地元民、友達同士、家族もやって来て、この料理を味わっている。中国南方の料理に似通っているようにも思えるが、独特でもある。

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Nさんとはベトナムの話で盛り上がる。特に私が知りたい華人に関して、1979年の中越戦争とその後に起こった第2戦争など、実に興味深い話を沢山聞いた。ベトナムでも最近は政府の手法に異議を唱える人々が出てきており、その中で歴史の真実を明らかにする動きもあるという。中国でもそうだが、時の政権にとって不都合な真実は沢山あり、これからの火種であることは間違いない。反中暴動もその文脈で読んでみると、中国は嫌いだが、だから中国企業を襲ったというよりは、不満のはけ口を政府が容認したからだと思われる。これは中国における反日暴動と似た構図であるが、それにより、外資頼みのベトナム経済は投資が来なくなり、不況に陥っている。

 

この店は早く閉まる。話は尽きないので、近くのカフェへ移動した。ハノイではカフェでも深夜営業は認められていないというが、この店は11時に一度看板として、それから灯りを落として深夜営業を行う珍しい店だという。当局とは通じ合っているのだろうか。ベトナムの若者で店内は満員。こんなところにもベトナム人の心境が出ているように見えて、とても面白い。

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中国企業は公共事業などでは名前が出てきているが、普通の企業活動には慎重で、その実態も分かり辛い。当然台湾系なのか、大陸系なのかも、区別がつき難い。ただハノイに観光客が大挙して押し寄せたりすると、日本のような島国と違い、すぐ近くに国境のあるこの街ではかなりの拒否反応が出る。しかも彼らの態度は横柄で、金を振り回して威張っているように見えるのだから、プライドの高いベトナム人には耐えられないだろう。勿論政治問題も絡んでくるので、結構複雑だ。経済が悪くなった今、政府は中国に頼るのか、他の手を打つのか、注目される。

 

日本企業でベトナムを目指すところは相変わらず多いが、どうもあまり上手くいっているようには見えない。強かなベトナム人を使いこなすことは難しく、苦戦している様子もうかがえる。円安も効いているかもしれない。今や単に安いからモノ作り、ということであれば、日本に戻った方がよいのでは、とアドバイスすることもあるらしい。

 

11時過ぎのハノイは確かに静かになっている。トボトボと歩いて宿へ帰る。ハノイの旧市街は早々変わり様がないが、郊外の開発はかなり進んでいるという。だが、開発しても不動産価格が以前のように上がらない、売れない。これも消費を急速に冷え込ませている理由だ。中国モデルでやって来たベトナムは完全に岐路に立っている。

 

ベトナムGH11連泊の旅(14)ハノイ 古都ニンビンへの日帰りツアー

バイクの後ろで快適にハノイの街を走り抜ける。先日ミャンマーでバイク決死行3時間をやっているので、平地でしかもスピードも出ない旅は楽ちんだった。しかしいきなり日本から来た普通の観光客にやったら、大変だろうな。旧市街の一角でバイクは停まり、ガイドは旅行会社に入って行った。そしてバスがやって来た。既にヨーロッパ系の人たちが何人も乗り込んでいる。

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そのバスで他のホテルを回り、お客をピックアップした。客が揃うと郊外に向けて出発。ニンビンはハノイから南へ2時間、と聞いている。道路も郊外へ出ると渋滞もなく、快適なドライブとなる。ガイドは英語を話し、ジョークを飛ばす。お客はヨーロッパ人が多く、ノリが良い。あとはシンガポール人とマレーシア人。私は唯一の日本人。

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車は1時間ほど、農村地帯を走る。所々に建設中の建物などが見える。そして休憩所に入った。この辺、ベトナムもルールが厳しくなったのだろうか、いや商業的な目的でお土産物屋に合法的に連れて行く手段だろうか。トイレに行ってから店を覗くと、障害を持った人々が工芸品を製作していた。欧米人はこの辺に関心を寄せている。他のバスで来た中国人観光客は、朝からせっせと土産物を漁る。しかし以前と比べて中国人の姿が減ったなと感じる。これが5月の反中暴動の余波ということなのだろうか。中国国境からハノイまでは車で僅か2時間ほどの距離なのに。

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またバスは走り出し、そして1時間ぐらい行くと川が見えてきた。山水画のような風景、これは昔中国の桂林で見たものに何となく近い。ここニンビンは約1000年前、ベトナム初の王朝の都だったところ。古い宮廷の見学から始まる。橋を渡り、実に古びた門を潜り、かなりこじんまりした建物に入る。中には皇帝の台座があり、外には皇帝の墓と呼ばれるものがあった。全てに龍があしらわれており、この時既に中国の影響を大きく受けていることが分かる。そう見てみると、建物の構造や庭の配置なども中国風に見えてくる。

 

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今ベトナムは乾季であるが、日中は相当に暑い。マレーシアから来た私より年上の夫婦は古い樹木の下で涼を取っていた。彼らの息子はちょうど今、東京に旅行に行っているらしい。親がベトナムで子供が日本へ、そんな時代なのだ、日本も大変行き易い場所になったのだ、と感じる。更に古い寺を1つ見学した。

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ガイドが寄ってきて『よかったらここで午後まで過ごさないか?』と真顔で言う。私は何を言われたのか分からなかったが、頭を過ったのは『私のツアー料金にはランチ代が含まれていないので置いて行く』という意味。思わず『なぜ?』と強い調子で詰問するとガイドは冗談だ、と一言。ドイツ人の女性が寄ってきて『彼の英語は分かりにくいから気にするな』と言ってくれたが、何となく嫌な雰囲気になる。

 

それが的中したのが、ランチ。レストランに着くと、ガイドがお客を2つに分けていた。半分以上を2階に案内し、私と韓国人一家、シンガポール人一家、ドイツ人カップルは1階になった。まあ席の都合かと思っていたが、出てきた食事があまりにもみすぼらしい。野菜炒めと豆腐とご飯、そんな感じだった。ドイツ人カップルが早々文句を言うと『だったら更に10ドル払え』と言われている。そうか、ツアー料金が格安のため、食事が最低限に抑えられている。因みに2階へ行った組の食事はかなり豪華で食べ切れなかったと聞く。ツアー料金は重要だ。

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私はシンガポールから来た華人の母と3人の息子と一緒に食べたが、少ないおかずにテーブルは沈みがち。その中で息子の一人は流暢な英語で日本について質問してくる。彼は大学生で好奇心旺盛。私が普通話で答えを返すと、お母さんもビックリして、『あんたは日本人じゃなくて中国人か』と聞いてきた。彼らは福建から来た三代目と四代目、兄弟同士は普通話、お母さんとは福建語を話していた。

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直ぐに食事は終わり、周囲を散策すると、なかなかいい光景が目に入る。牛が荷を引き、湖にはボートが浮かぶ。この後ボートトリップがあると聞いていたので、ここから出るのかと思いきや、またバスで移動した。そして着いたところにはボートが沢山待っており、2人ずつ乗り込む。私はフランス人男性と一緒になる。後ろにおばさんが一人、櫓を漕ぎスタート。このボートは途中3つの鍾乳洞を潜り抜けて行く。何とも神秘的ではあるが、南国のゆったり感が強く、のんびりしている。

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いい景色を眺めていると後ろのおばさんがこっちを見ろ、という。何とおばさんは両足を使って櫓を漕いでいた。写真を撮れ、とサービス精神も旺盛。しかも言葉はフランス語。やはりベトナム、フランス語を話す客が多いのだろうか。後ろのフランス人に行くと『ベトナムでは今はあまりフランス語が通じない』というから、このおばさん、独自に勉強したのかもしれない。凄く豪快なおばさんだ。そして我々にも自分たちで漕げと言い、オールを取りださせて、自分は楽を始める。見ていると他のボーとも観光客が喜んでオールを動かしており、この辺はおばさんたち、観光客の行動を知り尽くしている。

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ガイドからは『降りるときに良かったらチップを1万ドン上げてくれ』と言われていたが、フランス人がおばちゃんに上げようとすると、さっと5万ドン札を取り上げた。お釣りなどくれない。更に私からも1万ドン徴収した。凄い早業だった。シルブプレ、というフランス語が川面に響いた。たくましいベトナム人、妙に愉快だった。フランス人も笑って諦めた。

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そしてバスはレストランに戻る。殆どの乗客が自転車に乗る。私は足が痛かったので大事を取って乗るのを控えた。レストランで携帯の充電をしながら待つ。40分位で一団は帰って来た。そしてブラジルから来た男性が『どうしてお前は行かなかったんだ、自転車に乗ったといっても僅か2㎞ぐらいをゆっくり。そこにはとてもいい景色、撮影スポットがあったぞ』というではないか。私はてっきり、サイクリングを想定したので、完全にミスをした。誰に聞いても行くべきだったと慰められたが後の祭り。これはオプショナルツアーなので、要注意だ。

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ベトナムGH11連泊の旅(13)ハノイ ビヤホイと劇的な再会

ビヤホイと劇的な再会

今日は何となく休みだな。遅めの昼ごはんに行く。だがあまり遠くへ行く気もなく、また今朝のメンバーで昼から目の前のビヤホイ屋へ行く。ビヤホイとは特にハノイに多い、アルコール度が低い、世界一安いビールと呼ばれている物。ジョッキ1杯、2000‐3000ドンらしい。アルコール度が低いのに更に氷を入れて飲む習慣があることから、あまり酔わない酒というイメージだ。ただHさんによると、ビヤホイの一気飲みを売り物にする店がいくつかあるという。いくら軽いといってもどうなんだろうか。このビールは肉体労働者が飲むもの、という感覚もあるらしい。

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ビヤホイ屋では料理も注文できるので、ランチ時間でも開いており、地元の人で結構賑わっている。我々は揚げ豆腐を頼んだが、これが美味い。どんどん食べてしまう。モツ系を炒めた食べ物も出てきたが、これもイケル。ある意味でビールのつまみなのだが、それとご飯で十分に食事になる所が素晴らしい。料金も高くないので、バックパッカーもよく行くらしい。

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食後は一人で散歩に出た。文廟の周辺を歩いたが、何となく既視感がある。確かに文廟には来たことはあるが、それとは違う何かだ。何となく路地に入った。見覚えがあった。どこなんだ、ここは。そう思ったら、ある店の前に来た。そこには2年半前にベトナム人の友人、ズンさんに連れてきてもらったお茶屋さんがあった。驚いた、こんな偶然ってあるんだな。

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店に入ると以前とあまり変わらない。昼下がりでお客は居ない。ここのオーナーの名前を咄嗟に思い出し『スオンさんはいる?』と聞いてみた。店員は英語を理解せず、ただスオンという名前に反応したが、何を言っているのか分からなかった。仕方なく、外へ出た。すると目の前に携帯電話を持ったスオン氏が立っているではないか。彼も一瞬私が誰か分からなかったようだが、すぐに認識した。彼は著名なジャーナリストでもあり、忙しいようだったので、取り敢えずこの喜ばしい再会を祝しただけで、今日は別れた。

 

それから市場付近で売っていたお茶を見たが、字も読めないし、言葉も通じないので、よく分からない。バナナを売っている女性がいたので、バナナを買う。高いのか安いのかよく分からないがバンコックの基準で買ってみた。このバナナ、かなり美味い。確か昔ベトナムと中国の国境に行った時、おばちゃんたちが担ぎ屋として国境を越えていたが、担いでいた物の中にバナナが多かったのを思い出した。ベトナムのバナナ、美味くて安いのだろう。

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そしてまた宿でダラダラして、夕方を迎え、Hさん、Kさんと文廟近くのおしゃれなカフェへ行った。ベトナムにはフランス風というか、コロニアル風というか、雰囲気の良いカフェが多い。ここもその一軒だろう。ゆるいソファーが置かれており、寝っ転がるのにちょうどいい。一日何もしないでボーッと寝っ転がっていたい、いいなそれ。コーヒーも本格的で美味い。お客がいなかったので静かな時を過ごした。夜はレストランになるらしい。

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夕飯はインスタント焼きそば

夕飯はどうしようかと思っていると、若者たちがフォーを食べたいという。そういえば文廟の横の路上でフォーを美味そうに食っている人がいたのを思い出し、行ってみることに。完全に道にテーブルと椅子を出して営業している。英語のメニューを用意しており、完全ローカルな店ながら、外国人も多く来ることが分かる。

 

皆がフォーを頼む中、私は焼きそばに惹かれていた。何となく横を通った焼きそばが美味そうに見えたのだ。ハノイは広東風であれば、焼きそばも美味いはずだと踏み、敢えて頼んでみる。見ていると、何とインスタント麺を茹で始めた。これは完璧な広東風。香港なら出前一丁にしますか、と聞かれそう。そして出てきた焼きそばはボリューム満点。味もかなりイケル。でもこれで5万ドン、というのはどうだろうか?一方フォーは本当に美味しそう。肉がたっぷり入っており、こちらもボリューム満点。次回は是非フォーを食べてみよう。

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11月27日(木)

ニンビン日帰りの旅

今日はハノイからの日帰り旅行にチャレンジした。Hさんと若者2人は王道のハロン湾ツアーに出掛けたが、私は日程の関係で1泊する余裕がなく、勧められてニンビンというところへ行くことになった。日帰りの英語ツアーだと、30ドルぐらい。ベトナムでは英語ツアーが安くてお得、ということを3年前の旅で味わったので行ってみることにした。

 

我々の宿は旧市街からちょっと離れていたが、それでも宿まで迎えが来るという。8時に路上で待つように言われたが、来るのは8-9時の間とのことで、かなり待たなければならない可能性がある。Hさんは向かいのカフェの外でコーヒーを飲んで待っている。私も隣に座り注文したコーヒーが来た瞬間、若者が『迎えが来ました』という。バスが来ると聞いていたが、何とバイクに乗ったガイドが現れた。

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さてお先に、と挨拶してバイクの後ろに乗ろうとすると『チケット』と言われる。私はお金を払ったが、チケットなる物を貰い忘れていた。慌てて管理人さんに電話しようとしたが、電話の使い方を習っておらず、使えない。携帯番号も聞いていなかったので、困る。ガイドも時間的に焦っているようで、『早くしなと置いて行くぞ』という雰囲気を満面に出している。だが私にはどうすることもできない。すると彼は『分かった。とにかく乗れ』というではないか。この辺の柔軟性、日本にも中国にもなさそうだ。

 

バイクの後ろで快適にハノイの街を走り抜ける。先日ミャンマーでバイク決死行3時間をやっているので、平地でしかもスピードも出ない旅は楽ちんだった。しかしいきなり日本から来た普通の観光客にやったら、大変だろうな。旧市街の一角でバイクは停まり、ガイドは旅行会社に入って行った。そしてバスがやって来た。既にヨーロッパ系の人たちが何人も乗り込んでいる。

ベトナムGH11連泊の旅(12)ハノイ 宿の若者と困った老人

夕飯と旧市街

結局夕方までダラダラしていて、HさんとKさんと、旧市街地に食事に出かけた。タクシーで行けば直ぐだったが、道はかなり細かい路地になっていてよく分からない。今回の旅は完全に人の後ろを付いていくので、道を全く覚えない。これは旅としては良くないな。旧市街の細かな路地を行くと、席を外まで広げて商売している店があった。我々もそこへ入る。

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この店は、焼肉屋。既にテーブルに鍋が置かれており、そこにアルミホイルを敷いて、その上から肉や野菜をふんだんに入れて焼く。まるで煮ているようでもあり、すき焼き風にも見える。食べてみるとなかなかイケル。この店が流行っている訳も何となく分かる。安くて美味い、は万国共通、誰にでも好まれる。

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それにしても地元の人ばかり、外国人が多いこの地区としては異例なほど。我々がとても異常な存在のように見えてしまう。外国人が店に入る前に既にベトナム人に席が占拠されていた、という感じだ。

 

ただこの店を出て、路地をブラブラしても、何となく元気がない。2年半前に来た時もこんな感じだっただろうか。ホーチミンのように店がきれいになっているという様子も少なく、あまり変わり映えがしない。それでもホアンキエム湖まで出ると、眩しい光が差してくる。湖がよく見えるビルの4階にあるバーへ行き、涼しい風に当たりながら、レモンジュースを飲んで、しばし休む。

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宿に戻ってみると、リビングにいるのは男ばかり。年齢も大学生から80歳を越えたおじいさんまで居て多彩。ただこのおじいさん、なぜこの歳で一人旅?自分の荷物を3階に上げることも難しい状況でゲストハウスにやってくるのはどうなんだろうか。若者が文句も言わずに荷物を運んであげているのが、せめてもの救いだが。まあ宗教的に言えば『徳を積む機会』ということだろうが、このおじいさんはどのような考えで旅しているのか。

 

そういえばさっきも管理人のキエンさんに『ベトナム人は英語が通じない!ATMにカードを入れたら、カードが吸い込まれてしまった。この国はどうなっているんだ!』と文句を言っていた。ベトナム人のキエンさんは辛抱強く、相手をしてくれていたが、彼が悪い訳ではない。結局キエンさんが付いて、明日また銀行へ行き、カードを取り戻すらしい。どうも年齢が上の日本人には『無意識に?アジアを見下す傾向』があるように思う。一方若者も偏った情報だけを浴びているから、顔や言葉には出さないがやはり上から目線、は存在する。これは何とかしないといけないと思うが、個々人が海外に出て、十分な体験を積まない限り、新しい目線は生まれないように思う。

 

その夜、誰かの歯ぎしりといびきでちょっと眠りが浅くなった。ベッドに入って5分以内には必ず寝られるのが自慢だが、疲れが出ているのだろうか。日本人の行く末について考えてしまうと眠りが浅くなりそうだ。

 

11月26日(水)

朝飯

翌朝の目覚めは少し悪かった。下に降りていくと、若者が3人おり、Hさんの先導で一緒に朝飯に出る。宿の目の前の道が市場に繋がっており、野菜や果物、豆腐などを売る露店が沢山出ている。この風景、昔の中国の田舎町でよく見た。いや、今もあるだろう光景だ。ここハノイはやはり中国の影響を大きく受けている。

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Hさんは行きつけのカフェに入る。Hさんは今年1か月ほど、この宿の立ち上げに参画し、ハノイに滞在したので、この周辺は熟知していた。アイスコーヒーを頼み、Kさんと外へ出て、バインミーを買って戻り、店で食べた。他の国では持ち込み禁止は当たり前だろうが、ここでは文句を言う人はない。この辺の大らかさも昔の中国、いや東南アジア全般との類似点か。

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そこでまたダラダラした。若者たちは、ゆっくりと世界1周、というか、数か国を回り、気に行った所に留まる旅をしていた。タイから入り、ラオス、カンボジアを訪ねて、ハノイに流れてきた。ラオスがよかった、という声を何度か聞いた。ベトナムやタイよりもっとゆるい社会に見えるラオス。確かに田舎には緊張感がなくて、よいのかもしれない。

 

宿に戻り、ネットを触りながら、ゆっくりと過ごす。それから洗濯をした。3泊以上泊まると洗濯機を無料で使えた。私はホーチミンで着ていたシャツやパンツを洗おうとしたが、洗濯機の使い方が分からず四苦八苦。どうも機械に弱い。何とか洗って干そうとしたが、先客が多く仏間の物干し場所にはスペースがなかった。どうやらハノイではこの時期?洗濯物が乾かないらしい。私の服も2日干して何とか使えた。

 

ベトナムGH11連泊の旅(11)ハノイ ブンチャーと快適な宿

搭乗が始まると、緊張した面持ちのベトナム人が大勢乗り込んでいく。初めて飛行機に乗るお婆さんやお爺さん、何だか初々しい。ベトナムにも少し中間層と言われる人々が出てきており、格安のLCCの登場と相俟って、世の中が変わっていく。機内は普通のLCC、特に問題はなかった。CAは英語が流暢で、多少の笑顔があり、好感が持てる。制服がアメリカ風?のショートパンツというのも、目を惹く。ベトナム航空のアオザイに対抗しているのだろうか?

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フライトは1時間半ほど。ベトナムも南北が長いと実感する。東京-福岡ぐらいの距離だろうか。LCCなので特に何のサービスもなく、手持ち無沙汰ではある。でもベトナム航空の国内線に乗っても、水のペットボトル1本を渡されただけの思い出があり、大差はない。乗客は外国に行くような雰囲気だ。ホーチミンからハノイへ行く、それは海外へ行くのに匹敵するほど、習慣、文化などが異なるのだろう。

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2.ハノイ

空港から

空港に着くと、市内へ行くバスを探した。空港から市内への距離は結構遠い。目の前に航空のシャトルバスと思われるバンが停まっていたので、乗り込む。親切にも荷物を積んでくれる。ただ乗客は一人もいない、おかしいと思い料金を聞いてみると一人20万ドン。あれ、確か空港からタクシーに乗っても40万ドンぐらいで行けるだろう。我々は二人だからこの料金ならタクシーの方が良い。

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そして更に前に行くと、もう少しぼろいミニバスがいた。すぐに乗れ、と合図している。料金は一人4万ドン。これはベトジェットのシャトルバスだった。これなら合理的だと乗り込むと車内はほぼ満席。席も狭いのはLCCだから?すぐに発車となる。そして空港を出て少しくと停まる。そこで降りる人がいる。恐らくはここから別の都市へ行くのだろう。中国でも時々見かける、高速道路下の待ち合わせ。

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それから田園風景を抜け、そして10年前にも見たキャノンなど日本企業の工場を通り、市内へ向かった。40分ぐらい乗って何となく見覚えのある道へ。キンマー路、日本大使館があったな、と思っていると、Hさんは降りるという。降りてみてビックリ、ここは文廟ではないか。10年前のハノイ家族旅行で来た場所、懐かしい。

 

そしてそこを歩いていると、ホーチミンから一端家族でバンコックに戻り、今朝ハノイに来たKさんとばったり出会った。宿の管理人キエンさんとお客さんも一緒だった。文廟から目指すEZ Stayは直ぐだった。ハノイはホーチミンの比べて涼しいが、この付近は樹木も多く、雰囲気は良い。

 

ブンチャーと快適な宿

EZ Stayハノイ(http://ezstayhanoi.com/)は道沿いだったが、入口がちっと見つけにくい。私一人だったら、まごまごしただろう。宿はホーチミンと同じスタイルだが、ちょっと狭い。3階と4階で男女は分かれており、部屋には2段ベッドはぎっしり。上段しか空いていなかったので、久しぶりに登って行く。尚女子のお客は少ないらしい。

 

5階には貸主の仏間があり、洗濯スペースに。更にはその上に危ない階段を上ると屋上がある。今は何も使っていない。是非ホーチミン同様、ここにも風呂場を、とオジサンは切に願う。Hさん、どうでしょうか??

 

まずは腹ごしらえ、ということで、外へ出た。ハノイで食べたい物、といえば、何と言ってもブンチャー。焼肉を汁に入れ、そこへ麺を付けて食べるつけ麺だが、これが実に美味い。ハノイに来たら、フォーなど食べる必要はない、と思える一品である。何と宿の目の前にブンチャー屋があり、入る。子供たちが肉を焼き、お母さんが会計を担当している。あれ、この風景、先日の広州で見たのと同じだ。ハノイは正直、広東の匂いがする。ベトナム語と広東語もかなり似通っていると聞く。

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肉が焼ける煙が上がる。香ばしいにおいが周囲に散乱する。ちょっと甘い汁に焼き肉と生野菜をぶち込み、米麺を付けてすする。ああ、誰がこんなものを考え出したのだろうか。実は後日ベトナム人の知り合いと話していたら、『この店はハノイでも有名なブンチャー専門店だよ』と教えてくれたが、本当なのだろうかと思うほど、素朴な店だった。勿論味は良かったが。

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宿に戻って休息。1階のリビング、2階(中2階感覚)のスペースとも寛げた。そこでPCを開いて、旅日記を書く。横ではHさん、Kさんがスカイプで東京との打ち合わせに参加している。こういう時代なんだな、どこにいても打ち合わせできるし、仕事もできる。ベトナムもネット環境の問題はないので、有難い。

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朝が早かったので3階のベッドに潜り込む。ここも清潔なシーツがあり、クーラーも効いている。この宿に11連泊しているという男性は昼間から自分のベッドでスマホをいじっている。涼しくて、清潔なら、居心地はよいかもしれない。あとで聞くと、体調があまり良くなかったので、休んでいたらしい。元気な時はどこでも寝られるが、いざ体調不良の場合、こういう宿は有難い。ここは1泊、10ドルだ。

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ベトナムGH11連泊の旅(10)さよならホーチミン

小盛りのフォーのはずが

雨は止んでいた。昼ごはんが軽かったのか、胃袋が大きくなっているのか、どうにも腹が減って仕方がない。一人で何か買って簡単に腹の足しにしようと思い、宿周辺を探し始めた。だがコンビニすら見付からない。やはり夕飯まで待とうかと引き返すと偶然にもHさんと行き合う。

 

Hさんは『それなら美味しいフォーを食べたらどうか』という。ちょうど今さっき宿泊客と一緒に食べてきたらしい。小盛りのフォーもあるというので、言われた場所に行ってみた。そこは私が歩いていた道と反対方向にあり、言われなければ全く気が付かない所にあった。

 

夕方5時過ぎというのにお客が引っ切り無しに出入りしており、期待が持てた。言葉は通じなかったが、フォーの小さいの、という表現はできたように思う。ところが出てきた麺を見ると、十分に普通サイズ。かなりの量があった。これを全部食べると夕飯が食べられなくなる、と箸を付けたが、スープを飲むとコクがある。牛肉にも味がある。これは美味いと、生野菜をぶち込んでどんどん食べてしまい、気が付くとスープまで全部飲んでしまっていた。

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お代は4.8万ドン、これが高いのか安いのか良く分からないが、普通盛りだと7万ドンするのだそうだ。店に金額が表示されているので、私にだけボッテいる訳ではなさそうだ。ベトナムに定価はない、と言われたが、このように表示する店も出てきている。そしてその料金は決して安くはなく、それでも客が来る自信があればこうなるのかもしれない。まあ地元民からは少なく徴収している可能性もあるが。

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お洒落な中華系メシ

宿に戻るとN社長が、Oさん、Fさんと一緒に食事に行くという。ちょっと腹はきつかったが、N社長との最後の夜、同行することにした。タクシーで行ったので、場所は良く分からなかったが、お洒落なレストランに到着した。男3人だったらいかないだろうな、この店。日本人客も何組かいたし、欧米人もいた。

 

4人掛けのテーブルに案内されたがOさんが何か言っている。席を替わりたいらしい。どうやらもう一人誰か来る。取り敢えず席を確保してビールで乾杯しているとその女性がやって来た。既にホーチミンに10年以上住んでいるという。N社長ともご縁があり、Oさんの仕事仲間らしい。非常にテキパキとした人。オーダーもどんどん率先してベトナム語でしてくれる。

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この店の食べ物も上品だったが、何となく中華の感じがした。さつま揚げのような物があり、かた焼きそばなどは、特に懐かしい味がした。ホーチミンには華人が住んでおり、チャイナタウンもチョロンにある。中国にほど近いハノイにはチャイナタウンがなく、遠いホーチミンにある、というのが何ともベトナムらしくて、面白い。

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その後、Fさんがどうしてもお洒落なバーで飲みたいというので、Oさん達は付き合った。Fさん、一人早く来て、最後まで満喫しまくりのホーチミンだったようだ。私はN社長とタクシーで宿へ戻り、最後の風呂をゆっくり浴び、そして安らかに寝た。

 

11月25日(火)

ベトジェットでハノイへ

翌朝は7時台のフライトでハノイへ行く。Hさんも一緒に行くので安心していたら、『私はバイクで空港へ行きますので、空港待ち合わせで』と言われ、ちょっと慌てる。まあ、だいぶん慣れたので問題はないのだが。住み慣れた(5泊もした)宿を離れるのは寂しかったが、また来る機会もあるだろう。

 

朝の6時過ぎ、道に出てタクシーを探したが、何と一台も走って来なかった。もし来なかったらどうなるんだろうか?これでは優良と言われるビナサンのタクシーを選んでいる余裕などない。何とかタクシーを捕まえなければ、とかなり焦る。そこへ一台、ヒョロヒョロとやって来た。マイリンと書かれたタクシー、これも比較的良いというので、すぐに乗り込む。

 

空港まで30分で着いた。タクシー代も正規に支払った。LCCであるベトジェットのカウンターへ行くと既に長い列ができていた。これはかなり効率の悪いオペレーションだ。ちょっと前にHさんがいた。バイクの方が早いんだ、やはり。そこへ入れて貰ったが、それでもチェックインまで30分近くかかってしまう。

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国内線なので荷物検査を経て、搭乗口へ。まだ少し時間があったので、ショップへ行き、バインミーを頼んだ。街中のモノと比べると、味も悪く、値段は4万ドン、2倍以上もした。まあ空港価格、仕方がない。Hさんが頼んだフォーも同様だった。そしていよいよ搭乗が始まる。ベトナムのLCC、ベトジェットへの期待と不安が高まる。

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ベトナムGH11連泊の旅(9)ホーチミン イオンモールに行ってみたが

日本食ランチを食べながら

昼前に出掛けた。社員旅行は昨日で終わり、今日は残った人々が思い思いに過ごしている。私も知り合いのKさんと約束していた。Kさんとは2008年のホーチミン訪問で知り合い、前回2011年にも会っている。考えてみれば私は3年に一度ホーチミンに来ており、来ればKさんと会っていることになる。

 

待ち合わせ場所は宿から歩いて行けるニューワールドホテルのロビーにしてもらった。ホーチミンには慣れたとはいえ、一人で出歩いて迷子になる恐れもあったので、そうしたのだ。このホテルの脇にはスターバックスのホーチンミン1号店が作られており、お客で賑わっていた。ただよく見ると外国人が多い。ベトナム人にとってスタバのコーヒーは高過ぎるのではなかろうか。バンコックと一緒で巷に安いコーヒーが出ているので、日本のような有難味はない。若者がその空間を楽しむスペースとして利用しているだけだろう。

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Kさんは変わっていなかった。すぐに近くの日本食屋に移動する。さほど大きくない店だが、日本人の老夫婦がやっている。焼き魚定食を頼む。サバは脂が乗っている。小鉢なども付いて、日本の味だ。最近ベトナム料理ばかり食べていたので、とても有難い。Kさんも奥さんはベトナム人であり、奥さんのコミュニティの中で暮らしているから、日本食を食べる機会はあまり無いのかもしれない。日本人と会う時は日本食にしているようだ。

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Kさんはホーチミンの庶民の暮らしを色々と話してくれる。昨日も見た地下鉄工事については『あれで我が家も立ち退きにあった。代わりの家は凄く遠くて、しかもようやくもらえて行ってみると、電気が通っているだけ。すぐにはとても生活できなかった。政府は一般庶民のことなど全く考えていない。その政府と連携してベトナムのためと言ってODAを出す日本政府の気がしれない』と。

 

日本はベトナムの庶民が必要としていない原発や新幹線をも売り込んでいる。地下鉄だって庶民は不要のものと考えている。それで被害を受けるのだから、日本嫌いにもなりかねない。先日の反中暴動の時に、間違って襲われた日系企業もあったが、あれは間違ったのだろうか。そういえば台湾企業もあったな。真実はいずこに。

 

日本企業の進出も『確かに沢山来ているけれど、必ずしも成功している訳ではない。ベトナム政府は金になりそうな進出案件は積極的に誘致するが、後はお構いなし』、『反中暴動だって、中国が嫌いというよりは、労働争議的な要素もあったはず。ベトナムの賃上げも凄い』とのこと。ようは中国の反日暴動と似ていて、人々のガス抜きであり、それほどに労働者や一般庶民が追いつめられているということだろう。

 

Kさんと話していると、日本の報道には出て来ないような話がいくつも出てきて、尽きない。現実に生活している人の意見は実に重要だ。8年前は確か不動産成金が沢山出て、ベトナムでは結束が固いされた家族が一部で崩壊、といったバブル現象が起こったホーチミン。今はどうなのだろうか。不動産価格は下落気味ということで、また固い一族の結束が図られているのだろうか。

 

イオンモールに行ってみたが

3時過ぎに宿に戻ると、出掛けていたN社長も戻って来た。小雨がパラパラ来たが、折角なので物見遊山でイオンモールへ行ってみる。『タクシーの運ちゃんも知らない人が多い』と言われ、ちょっとビックリ。日本の報道では開店時に10万人以上が訪れたと聞いていたので、ホーチミンの名所となっているに違いない、と思ったからだが。実際タクシーに乗り込むと何とか分かってくれたのでホッとした。

 

街中を抜けて車はどんどん走るがなかなか着かない。空港方面に向かっているのは分かったが、一体どこにあるのだろう。途中でロッテモールを見掛け、タイのビックCを見た。ライバルたちは大きな通りに面していたのだが、イオンは違っていた。かなり走った後、細い路地に入り、更にかなり行ってようやく建屋が見えてきた。ここは大型の住宅開発地。その一角に建てられていた。タクシー代は25万ドンにもなっていた。これは相当に高い。

 

まだ開店してそれほど経っていないので、きれいである。だが中に入って驚いた。お客は殆どいないのだ。スーパーには日本食品も置かれているが、高い。わざわざここまでタクシー代を支払って買いに来る日本人はいないだろう。平日の夕方、しかもかなりの雨が降っているということでお客がいなくても当たり前かもしれないが、レストラン街にもあまりいない。寿司を1個ずつ売っている店にだけ人がいた。

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2階の洋服、雑貨、玩具などには本当に人がいない。ダイソーの100円ショップぐらいは人気かと思ったが、どうやら使い方が分からず眺めるだけ買わない。多くの店が50%以上の値引きをしているが、お客がいなければそれも空しい。3階のシネコンもしかり。ボーリング場とゲームセンターでは多少遊んでいる若者や子供がいた。

 

ここは週末家族連れなどが一日ピクニック感覚で遊びに来るところであり、決して日用品を買いに来るところではない。『週末はそこそこ人が入っている』とは聞いているが、何となく日本人として心配になってしまった。N社長も『オールジャパンとして頑張ってほしい』と言っていたが、イオンは既にホーチミンに2号店をオープンしており、その面積はここに2倍とか。更にはハノイに3号店を建設中で、その面積はここの3倍と聞くと、思わず『うーん』と首を傾げてしまった。

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恐らくこれはイオンの長期的な戦略なのだろう。だから1号店は理由があってこのような場所に出していると思われる。人口9000万人のベトナム市場をいかに取り込むか、ベトナム政府の思惑もあり、簡単ではないだろう。最近市内のスーパーと提携し、商品をそこへ供給しているとも聞く。現場でやっている人は大変だ、と同情した。

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帰りは大雨に中を行く。路地は車で詰まったが、何とか切り抜けた。バイクの2人乗りが多いが、この雨でスリップ、転倒事故を2件目撃した。やはりバイクは怖い。何とか1時間で宿に着いたが、行きより安い20万ドンだった。どうやら行きのタクシーは遠回りした模様だ。