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広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(6)福州散歩

5月1日(火)
福州散歩

朝はゆっくり起きた。今日は特に予定もない。この旅はほぼ終わりだが、私にとっては旅の中休み。何となく粥が食べたくなり近所で探す。白粥のおかずとしてなぜか角煮を選んでしまう。まだ肉へのこだわりがあるのか。折角なので少し福州の街を歩いて見ようと思う。行く当てがないと寂しいので、博物館を目指す。ただそこは省や市の博物館ではなく、個人の物らしい。ネットで検索したら出てきたので行ってみる。

 

バス路線も一本で行けることが分かったので気楽に乗ってみる。バスは閔江を越え、倉山区に入る。この一帯は150年前頃、外国商人が入り、領事館なども作られた地区だった。ただ目的地の博物館は単なる一族の祠であり、しかも閉まっていた。いきなり出鼻をくじかれる。

そこから川沿いに戻り少し歩いて行くと、数年前魏さんの会社の人に案内してもらった、煙台山の旧外人居住区が見えてきた。ただこの辺の川沿いの開発はすさまじく、かなり変わってはいた。前回はアメリカ領事館跡などを探したが、教会のところへ登っていくと、そこは数年前と変わらぬ、昔の家並みが見られてちょっとホッとした。ただ一部は豪華な別荘などに生まれ変わり、お金持ちが高級車で見学に訪れていた。

 

たまに歴史が書かれたプレートが嵌っているところもあったが、歴史保存がそれほど進んでいるようには見えない。残るべきものは一応残っているので、早めに保存した方がよいと思うのだが、どうだろうか。下まで降りてくると大手ディベロッパーがここを保存しながら再開発すると書かれているが、うまくやって欲しい。

 

川沿いにはロシア風の大きな建物が目立っている。橋を渡ってそこへ行ってみたが、歴史的建造物ではなく、単なる商業施設のようで、雑貨の卸の店などが数多く連なっている。ただ連休中のせいかお客は少なく閑散とした中、皆昼寝をしたり、昼飯を食っている。その昔はこのあたりで外国商人と地元民が激しいやり取りをして、輸出がされていたのだろうか。

 

福州にも地下鉄が走っているというので、その駅を探したが、歩いて行くと遠いので、結局バスを待って宿に帰った。帰るとすぐに魏さんから呼び出しがあり、また紅茶屋へ行く。ここには紅茶に関する本がたくさん並んでおり、パラパラめくりながら勉強する。すると魏さんが『今晩は呉さんのところへ行こう』と言い出す。呉雅真さんは、中国では知られた茶芸の先生、紅茶の本も出されているので、ちょうどよいとその話に乗る。

 

宿で休んで日が暮れる頃、魏さんと出掛ける。呉さんのお店は5年前に一度伺った切りで場所も忘れてしまっていた。ここはレストランであり、夕飯を頂く。ここの料理には福州の食べ物があり、美味しく頂く。貴州に一緒に行った林さんと魏さんの親戚のネイさんも加わる。

 

呉さんはちょうど私が上海の復旦大学に留学していた頃、そこの学生だったというので、一応同窓生ということになっている。今や中国全土で名が知られている彼女、本にサインを頂き、有り難く持って帰る。この本、中国紅茶の各茶産地がかなり詳しく載っているので、とても参考になる。

 

 

お店は繁盛しており、呉さんは忙しいようだったので、食事の後は林さんが勤めるプライベートサロンに場所を移してお茶を頂く。さすが茶芸師の林さんが丁寧に淹れてくれる岩茶が何ともふくよかでおいしい。サロンは実に落ち着いた空間であり、久々に本格的にお茶を味わった気分だ。近くにこんなところがあれば、時々お茶を飲みに来るんだがな。因みに林さんは花道も嗜む。

 

5月2日(水)
空港へ

翌朝は5時に起床、市内バスで空港バス乗り場へ向かおうとしたが、早過ぎて始発まで間があり、仕方なくタクシーで行く。ちょうどバスは出たばかりで20分ほど待ったが、それでも次のバスに乗り、予定より早く空港に着いてしまった。まあチェックインは出来たので、後は空港で時間を潰す。魏さんの元泰空港店もあったが、さすがに早過ぎて人はいない。

 

五一の連休とは言っても国慶節や旧正月ほど長くないので、特に混んでいるという印象はない。また中国人の台湾訪問はかなり減っているということで、乗客は台湾人の方が多かったようだ。少し遅れるとのアナウンスはあったが、ほぼ問題なく飛び、今回は桃園に着いた。

 

今回の旅は突然だったが、貴州の茶産業、とても興味深く見た。中国の地方へ政策がどのようなものであり、また茶業を観光業とマッチさせ、発展を促そうとしているところなど、日本も見習うべき点があるように思う。

広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(5)遵義会議記念館

最後に街の近くまで戻って来た。ここに茶業博物館があった。見るからに歴史を感じさせる建物が見える。ここが1939年、張天福氏が選定した茶畑から採れた茶葉を加工した場所だったのだ。驚くほど当時の様子を留め、いい感じに保存されている。参加者も皆興奮気味に工場内に入っていく。中には当時の製茶機械が多く残されており、まさに博物館だった。外は緑に囲まれており、環境は抜群。ずっとここにいたいような衝動にかられたが、団体行動では仕方がない。

 

宿泊しているホテルの近く、別のホテルで降ろされてツアーは解散した。茶博参会者の人数も減ってきたので、1つのホテルでまとめて夕飯を提供するようだ。まあ、ホテルが変わっても食事の内容はさほど変わらず、さすがに毎食ビュッフェが続くと飽きてくるが、提供してもらえるだけ有り難いと思って食べる。

 

夕飯後、ホテルへ帰らず、林さんと街歩きに出た。街に中心に川が流れているので、その付近を散策する。川では釣りをする人などもおり、のどかな感じだ。林さんは、例の街のシンボルである、大きな急須をよい角度から写真を撮ろうと必死になっており、ついには川辺まで降りていく。そこに電話が鳴り、車の迎えが来た。

 

ちょうど暗くなった頃、車はホテル?に着いた。ここは芸香茶業というお茶屋さんだったが、ホテルがメインかと思ってしまう作りだった。向かいのショップに入る。ここでお茶を飲むのだが、お茶以外にも当地の特産品が沢山売られている。聞けば、『当地の商品を売ることを条件に政府から補助が出ている』という。茶葉を売るだけでなく、このような形で産業を推進していく、やはり貴州は観光業だ。

 

釜炒りの実演なども行われており、お茶の香りがよい。先ほどツアー中に会った人はここのオーナーの親戚で製茶指導をしているという。元は国営工場に勤めていたらしい。お茶の話になると非常に熱が入る人だ。紅茶はやはりこれから、という感じだろうか。宿泊客が次々とショップでお茶を飲み、お土産を買っていく。

 

夜も10時になったのでそろそろホテルへ戻るかと思っていると、何と『どうしても宵夜に連れて行きたい。この街の夜は賑やかだ』と言われ、もう拉致同然?に連れていかれる。この辺が中国的情熱の表現だとは分ってはいるが、個々人の体調などは考慮しないのだろうか。まあ、若者は夜中も食べたいのだろう。

 

確かに川沿いに煌々と電気が点いている場所がある。立派な建物があり、お客も結構いるのでビックリ。昨日訪問した会社の人も他の客を連れてきている。ここで簡単に、と言いながら、また一食分の食べ物が出てきて、酒を飲み、酔っぱらうのだから恐ろしい。まあ日本のおじさんも似たようなものかもしれないが、体力的にはもたないだろう。解放されたのは12時を過ぎてからだった。酒も飲まない身としては本当につらい。

 

4月30日(日)
遵義へ

翌朝は何となく頭が痛い。二日酔いはないから疲れだろう。林さんは別行動で重慶へ向かった。我々は昼のフライトまで時間があるので、遵義へ向かうことになる。7時過ぎにはチェックアウトして、車に乗る。1時間以上かかって遵義の街に入る。ここでも魏さんの知り合いが待っていてくれ、案内が始まった。遵義会議の場所へ行くと、まだ開門していないが、既に大勢の人が並んでいた。今日は日曜日、しかも五一の連休だから、混んでいるのだろう。

 

取り敢えず近所の麺屋に入り、朝ご飯の麺を食う。案内人はどこかへ電話をかけている。まもなく開門となったが、地元民の口利きで並ぶことなく入ることができた。遵義会議記念館、すぐ横には古めかしい立派な建物が建っていた。ここが会議の行われた場所らしい。中に入ることができたので覗いてみると、宿泊施設などもある。ここは元々国民党の師団長の私邸だったらしいが、なぜここに来ることになったのだろうか。因みに毛沢東はこの時主要メンバーではなかったので、別の場所に宿泊し、歩いて会議に来ていたらしい。

 

正面には記念館があり、中は当然ながら偉大なる共産党の歴史が語られ、当時共産党への勧誘をする看板などが飾られていた。参観者が多くてごった返している。ガイドさんが色々と説明してくれるのだが、人が多くてよく聞き取れない。仕方なく勝手に見始める。こんな田舎でも戦闘はあったようで負傷者の写真が飾られていたが、その中に若き日の胡耀邦もいたのは驚きだ。

 

あまりの人に押し出されて早々に参観を切り上げ外に出た。周辺を少しぶらつき、その後車で空港へ向かった。1時間ほどで空港に着くと、小さな空港なのでチェックインもスムーズで、フライトもオンタイムだった。行きは長沙経由だったが、帰りは桂林経由。桂林にも30年行っていないので降りたかったが、降りたのは空港までだった。

 

3. 福州2
福州に帰り着くと車で各人の住居まで送ってもらったが、張夫人は病院に直行していた。この貴州の旅がどのような意味を持つのかをちょっと垣間見る思いだった。私は先日の宿にまたチェックインし、疲れたので、魏さんの誘いも断り、一人で過す。夜は肉まんと肉団子汁で済ませる。部屋に戻ると、やはり一人は楽だ。早々にぐっすりと寝入る。

広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(4)360度全てが茶畑の中国茶海

4月29日(土)
1日お茶ツアー

今日は朝から茶博主催者による1日ツアーに参加した。茶業関係者の集まりだけに当然お茶にまつわる場所に連れて行ってくれると聞き、楽しみにしていた。だが天気はあいにくの雨模様。今日はバスを逃すまいと皆が張り切っている。まずはミニバスに乗り込み、集合場所へ進む。なかなか手際が悪くて出発できない。

 

各車両にはガイドさんがいた。おそろいの制服を着ているだが、どう見てもガイドさんとは思えない雰囲気。聞けば、今日のために臨時に集められた公務員や先生たちだったのだ。我がガイドは中学の理科の先生。この人、実によくしゃべり面白いのだが、何と言っても貴州訛りが強く、声調が標準的でない。そこをお客から指摘されると『そうなんです、私標準語しゃべれないんです』とあっけらかんという。ひと時代前なら、田舎の先生が普通話話せなくて、という話はよくあったが、今でもあるんだ、驚き!(勿論基本的意思の疎通には何の問題もない)

 

更には彼女、バスが出発すると、街のガイドをするのだが、『左手をご覧ください!』と言いながら、右を見てしまう。左右が逆になり、何度言って間違えてしまうという面白さ。皆から『左右さん』と呼ばれる始末。でも実に素朴で愛嬌があり、何よりも一生懸命なので好感度抜群。学校でも生徒に人気があるかも。因みにこの街のシンボルは大きな急須のモニュメントだった。

 

バスは丘の上に上って行く。いや丘というより山だ。湄潭も周囲は山なのだ。だからここが茶畑として選ばれたのか。山道を10数台のバスが連なって登って行く。ついたところは景色を楽しむようにできていたが、霧が凄くてよく見えない。それでも目を凝らしてみると、斜面に茶葉が張り付いている。少し霧が晴れると皆が一斉に写真を撮る。

 

古い建物があったので中に入ると、文革中のスローガンがあり、ここが国営工場?だったことが分かる。と言っても製茶道具は極めて質素、我々の横にいた人が、こうやってやったんだ昔は、と言いながら笊を揺すって見せた。その人、実は今晩魏さんが訪ねる予定の人だと分かり、大笑い。世間は狭い。そういえば顔の広い魏さんは、そこらじゅうで知り合いと出会い、挨拶を繰り返す。

 

もう一つ古い建物があり、そこには湄潭茶場打鼓坡分場という看板が掛かっている。なんとここがあの張天福氏が1939年に作った最初の試験場だったのだ。往時の写真がいくつか飾られていたが、ゆっくり見ようとしたら集合の合図があり、残念ながらこの場に来ただけになってしまった。

 

次に官坪小茶海というところに行った。比較的平地で天気も良くなる。ここは広大な茶畑が向こうまで連なっており、茶の海と呼ばれている。貴州省では現在大規模な茶園開発が行われており、そのすごさを見せつけられる思いだった。これまで茶畑面積中国一は雲南省だったが、貴州が取って代わるのも時間の問題に思えた。ただ左右さんが『ここは小ですからね。もっとすごいのが後で見られますよ』と言っていたのが気にかかる。丘の上から見る景色が実によかった。

 

そこで茶畑を眺めていると、このツアーに白人が混ざっているのに気が付いた。顔が合うと向こうがこちらに寄ってきて英語で話しかけてきた。『日本人ですか?僕もお茶の歴史に興味があるんです』と言ったのは、コロンビア人のジェロという男性だった。フランス人の彼女?と参加していた。私も昨年お世話になった広州茶文化協会の副会長の鄧さんに誘われてきたというのでご縁を感じた。

 

彼はもう10年以上広州に暮らし、普段は貿易会社に勤めているが、中国にいる目的はお茶だという。中国各地を回りたいと言っていた。周囲の中国人にとって、同じ外国人でも、彼らには注目が集まり、引っ切り無しに写真の要請が来ている。そんなことにちょっと嫌気がさして、外国人の私の声を掛けたようだ。広州での再会を約す。

 

お昼は観光客用のレストランで食べた。100以上の人が一度に食べるのだから大変だ。外ではヘリコプターが飛んでいたが、なんとそれは観光用だった。ここで同行していたが林さんがカメラを失くしてしまった。とても良いカメラなので残念だったが、良い物はなかなか出て来ない。

 

午後は翠芽27°という少数民族の村へ行く。ここも観光用テーマパークだった。餅つきが行われていたり、名産品のカラフルな傘が並んでいた。農家菜のレストランなどもあり、子供たちが楽しそうに走り回っていた。貴州の観光業育成は相当の資金を使い、動いているようだ。

 

更には車で移動。着いたところは大きな塔が建っていた。そこの前で少数民族の衣装を着た女性がお茶を淹れ、観光客に配っていた。踊りも披露されている。完全な観光地なのだが、周囲は全て茶畑なのである。エレベーターで塔の上に上ってみた。上でもお茶が振る舞われており、お茶を飲みながら周囲を見渡したのだが、何と360度、全て茶畑のみ、地平線の向こうまで茶畑が繋がっている。これだけの規模の茶畑は世界でも稀らしい。それでついた名前が中国茶海。さっきの小茶海が小さく見てしまうから恐ろしい。

 

茶畑の中に入り、茶葉を摘むお客もいる。その横に立ってみると、その何処までも続く様子には圧倒されてしまう。この平地にこれだけの茶畑を作れば、一気に機械摘みで大量の茶を作ることも可能だろう。品質の問題はあるかもしれないが、生産量はどこまで伸びるのか。まずはそれに合った市場が見付かれば大化けするかもしれない。

 

広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(3)吸引力のある蘭香茶業へ

その内に魏さんたちは開幕式をスキップして、隣の建物に出店している茶ブースへなだれ込む。ここでは貴州各地の茶が展示され、試飲することができた。民族衣装を着た若い女性が説明してくれたが、どうみても彼女らが少数民族だとも思えず、また茶に詳しいとも感じられなかったのは残念。しかし今の時代、参加者に見栄えのよい写真を微信にアップしてもらうことが主眼だからそうなってしまうのも無理はない。

 

横では茶博の主目的である茶葉の商談も始まっており、こちらは漢族?のおじさんが売込みに余念がない。『生態、緑色、健康』など、どこにでもあるスローガンが掲げられている。貴州の茶はその良質な自然環境と古茶樹の葉を使って作っていることなどが謳われている。特に緑茶の中に、非常にピュア―で美味しいものがあったので嬉しい。

 

下の階では、貴州以外の茶のブースが展開されており、林さんの後について、英徳紅茶や重慶の茶商さんのブースに足を止める。英徳は8月に行く予定にしている。重慶は先日行った湖北省恩施にも近く、実は良質な茶が集まる場所であると知り興味が沸く。今度は茶旅で重慶と四川を訪れたいと思っている。

 

吸引力のある蘭香茶業へ
茶博は午前中だけの見学に留め、午後はまた茶業者を訪問した。車で郊外のオフィスへ。ここの庭には200年以上前の古茶樹が何本も移植されており、貴州にも昔から茶の木があったことを示している。ここにも茶博見学が終わった茶業者が続々と詰めかけていた。蘭香茶業はある意味で湄潭一有名な会社かもしれない。

 

茶工場は見学ルートを伝って見る。説明書きもしっかりあり、よく理解できるようになっていた。ここを案内してくれた蒙永紅総経理は、凄い経営者だ。とにかくお客の要望をよく聞き、お客の想像する以上のことをしてくれる。今回のこのツアー受け入れについても、彼女が色々と尽力してくれ、私なども参加できるようになったのだと後から知った。我々のツアー参加者の一人は広州から遅れてやってきたが、わざわざここから3時間かかる貴陽の空港までたった一人を迎えに行ってくれたともいう。これには魏さんも感激しており、蒙さんの虜になってしまった。

 

ここでお茶を頂いて、と思っているとすぐに移動の合図が出た。どこへ行くのかと思っていると、蘭香茶業の茶園が見られるというのでワクワクした。車で30分ぐらい行った場所に着くと、そこは立派な茶園だった。いくつもの建物があり、茶葉も買えるし、製茶体験コーナーやギャラリーまである。今朝摘まれた茶葉が日光萎凋されていたり、釜炒りの実演も見ることができた。そして宿泊施設まで併設されている。まさに一大観光茶園で驚く。

 

茶園を見学するというので歩き出したが、まるで公園のように整備されており、遊歩道が設置されている。あまりに広大な敷地、30分以上歩いても帰り着かない広さ。日本では考えられないスケールだ。茶葉はすくすくと育ち、所々で茶摘みも行われている。手で摘むにはいくら人出があっても足りない面積だ。しかも茶園の区画ごとに、表示がある。元々は若者向けに1坪茶園主制度を設けて、茶の振興を計ったようだが、現在では一般の出資者を募り、一定の資金に対して、茶葉などで支払う制度を作っていた。

 

これは中国各地で広がっているモデルらしいが、この規模で行われると迫力がある。誰かが言っていたが『貴州ではすでに茶葉を売るのではなく、茶園を売っているのだ』と。確かに後発の貴州の茶を如何に販売するかは最大のポイントだろう。ここに観光をマッチさせることにより、より凄みのある観光茶園が完成するのだ。

 

この茶園には有名人の茶園がいくつもあった。その中に、貴州の茶業界の基礎を作った、あの張天福氏の茶園も表示されている。そこには今回ご一緒した張夫人の名前もあり、皆が記念写真を撮るのに殺到していた。なぜ張夫人が貴州にやって来たのか、それは張氏の足跡を再度辿り、その偉大な道のりを見たいという思いがあったのではないだろうか。そして病床にある氏に何らかの報告をするためだったのでは、と思えるところがあった。

 

夕方になると、外に大勢が集まり、会食が始まった。100人ぐらいいるのではないだろうか。席がない人、後から来た人は、屋内に別の卓を設けるほどの大盛況だった。地元料理が並び、酒もふるまわれた。オーナーや政府役人の挨拶の後、食事をしながら各地の代表団が挨拶を始めた。東北地方、山東、上海、広東など中国全土から来ていた。ロシア人やモロッコ人も混ざっている。これだけの人が集まるのは、この会社の力だろう。客人を丁重に持てなしている蒙総経理は休む間もなく動き回っている。大車輪の活躍だ。彼女はこの2-3日は寝ていないのではないだろうか。

 

車でホテルまで送ってもらうはずが、いつものことながら魏さんは別のお茶屋さんに出向く。どこからの茶博で出会ったというオーナーと再会し、色々と話をしているが、こちらはもうお茶も飲み飽きたし、早く帰って寝たい気分になってしまう。私は本当にお茶が好きなのだろうか、と自答してしまうが、答えは出ない。その日も深夜に戻り、すぐに寝込む。

広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(2)福建人が投資した紅茶

2. 貴州
湄潭へ

遵義の空港は小さくて、荷物もすぐに出てくるからよい。出口には今回の茶業博覧会の担当者が待機しており、我々はバス乗り場へ誘導された。張夫人は既に顔を見知っている担当者が素早く駆け付けて、まさにVIP待遇で別行動となる。そこに一応秘書という形で羅さんが同行した。勿論ホテルも別だ。

 

これから車で数十キロ離れた湄潭という場所へ移動する。どうやらこの空港は遵義と湄潭の間に作られているらしい。私は遵義会議の場所など見たいと思ったが、遵義はどんどん遠ざかっていく。団体行動だから仕方がない。ちょうど1時間ほどで、湄潭のホテルに入った。途中に巨大な茶博会場が見えた。中国はどこでもなんでも大きい。

 

ホテルは2人一部屋で、先日同様林さんと同室になる。もう完全に慣れっこだ。ネットも繋がるし、問題は何もない。が、朝から機内でサンドイッチを少し食べただけなので腹は減っている。ホテルの昼食は残念ながらすでに終わっており、皆で外に出て、豪快な麺を食う。魏さんの旅では会食がなければ麺を食うのも恒例となっている。

 

ホテルに戻り、茶博参加の登録を終えて登録証を受け取る。ホテルロビーでは如何にも茶博らしく、地元のお茶が振る舞われており、私も飲んでみた。ここの緑茶は意外とうまい。貴州と言えば緑茶の産地なのだ。サンプルもくれた。だが最近は紅茶も作り始めた。ただ若い淹れ手の女性も急きょ招集されたようで、紅茶には慣れておらず、林さんが指導してお茶淹れしている。この辺が如何にも我々は紅茶屋さんの集団なのだ。

 

福建人の紅茶会社へ
午後車が迎えに来た。茶博は明日開幕なので、今日は魏さんがアレンジした茶業者を訪ねることになっていた。私は知らなかったが、湄潭は貴州省内の一大茶産地だったのだ。車は町から少し離れた工場のような建物の前で停まった。庭には様々な品種の茶樹が植わっている。規模もかなり大きい。

 

琦福苑茶業と書かれたそのビルに入るときれいなお茶の売り場がある。奥には大勢が一度にお茶が飲めるスペースもある。貴州もお茶が盛んなんだなと驚く。お客も次々に入ってきて、店側はその対応に追われる。何しろ明日から茶博があるため、中国全土の茶業関係者が集まってきている。

 

 

しかしどうしてこのお茶屋さんに来たのかと思ってお茶を飲んでいると、何となくこの紅茶、懐かしい味がする。何とここのオーナーは福建省出身で10数年前に貴州に投資して、福建式の紅茶も作っているというのだ。当然魏さんたちとは同じ福建ということで以前より知り合いだった。その上、今回は張夫人も来ている。張天福氏は特に福建人の茶業者にとっては神様のような人だから、オーナーの葉さんも他の客を置いてもこちらで接待する。

 

遵義紅という紅茶のブランドを登記したのは数年前。色々と苦労はあったが、貴州の茶畑に福建品種の小葉種を植え、独自の紅茶を作った。湄潭には昔紅茶があったこともあり、名前は有名な地名である、遵義を使ったという。非常に才覚の働く福建人らしい投資だ。面白いのは葉さんが総経理で若い息子は董事長という名刺を持っている。若者はこれからITなども駆使して茶業を継いでいくと謙虚だった。

 

夕飯の時間にホテルに戻り、食堂でご飯を食べる。今回のこのツアー、何と空港到着時から空港出発までの全ての費用を地方政府が負担するというのだ。ホテル代も車代も食事代も、決められたところへ行く分には全て無料というのは凄い。地元政府がどれだけ茶業に力を入れ、その宣伝に努めているか、合わせて中央政府がこの貧困省にどれだけの予算を割いているかが分かる。(勿論これはバイヤー向けのツアーだからで、一般的な話ではない)

 

4月28日(金)
茶業博覧会で

翌朝は8時に茶博に向けて出発するというので、7時には起きたが、既に林さんの姿はなかった。いつも早起きだ、林さん。食堂で粥やイモなどの朝ご飯を食べて、ロビーでバスを待ったが、8時になってもバスは来なかった。聞いてみると門の外にいたようで、既に出てしまったという。スタッフは沢山いるのだが、彼らも臨時のことなので慣れていない。結局バスが戻ってくるまで20分ぐらい待つ。

 

茶博会場は大きな通りに面している。今回のために作られたわけではないが、最近のデザインで何より大きい。写真を撮ろうとしたが、相当遠景になってしまうほどだ。会場に入ろうとすると、セキュリティが厳しい。登録証を見せても入れてくれず、係員を呼び出して何とか中へ入れてもらった。今日は開幕式で政府要人が来るのだろう。テロ対策だ。

 

開幕式会場もかなり大きな部屋で既に沢山の人が集まっており、席もないほどの盛況だった。立っていると式が始まり、貴州省や湄潭市の偉い人がスピーチを始めた。大型スクリーンでは貴州のキレいな茶畑が映し出され、雰囲気を盛り上げていた。でも偉い人の話には何となく飽きてしまい、会場の2階に上って写真を撮ったりして過ごす。

広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017(1)まずは福州へ行って

《広大な茶畑を眺める貴州茶旅2017》 2017年4月26日-5月2日

 

中国から東京を経て台湾の拠点に戻ろうと思っていた時のことだ。突然福州の魏さんから『一緒に貴州に行かないか』と誘われ驚く。魏さんとは僅か2週間前、一緒に宜興・無錫へ行ったばかり。どうして突然行くことになったのだろうかと詮索する暇もなく、台湾から行くことを決めてしまった。それは貴州の茶畑に行ってみたいという強い衝動があったからだ。何故だろうか。

 

4月26日(水)
1. 福州

午前9時には福州空港に降り立った。もう慣れているので、そのまま空港バスに乗り1時間で市内に到着。今回は時間があるので、敢えてバスで魏さんの店、元泰紅茶屋を目指してみる。これまで何度も福州に来ているのに、その地理は殆どわかっていなかった。いつも魏さんたちに連れられて行くか、タクシーで動いていたので、何もわからないのだと思い、バスに乗ったが、これは正解だった。空港バスの下車場から一直線なのだ。

 

魏さんには連絡を入れたが彼も忙しい。取り敢えず店で待っていると、先日も一緒に旅に出た若い羅さんがやって来た。小柄で可愛らしい彼女は会社の広報担当で、紅茶の歴史などを集めて微信で公開している。いわば同業なのだ。うちの次男と同い年だが実に堂々とやっている。

 

魏さんもやってきて、明日の打ち合わせをして、ここでパスタとワッフルをご馳走になる。中国に来るとこのようなものを食べる機会はあまりないのだが、さすが紅茶屋さん。勿論中国各地の紅茶を幾つも淹れてくれ、それを飲みながら歓談する。ここの茶器も女性好みで可愛らしい。中国紅茶をヨーロッパ風茶器で淹れる、というのもよい。

 

次に私の今晩の宿だが、実は毎回ここに来てから相談している。ただ今回はネットで向かいのチェーンホテルを安く取ってもらったので、そのまま荷物を持って向かいに行き、部屋で少し休む。五一の連休前だが、それほど混んでいる様子はない。朝が早かったので長めの昼寝をする。

 

ちょっと荷物を整理していて驚いた。何とパンツをすべて忘れてきてしまったのだ。こんなことは初めてだが、さすがにこれから1週間の旅、困った。仕方なく外へ出ると雨が降っている。それでもパンツは必要なので、傘を差して探し始めたが、この付近はブランドショップばかりで手頃な店はない。バス停3つぐらい歩いてようやくショッピングモールに入り、何とかパンツを手に入れた時にはかなりホッとした。私の普段使うものとはだいぶん違うが、それも仕方がない。雨を避け、バスに乗って帰った。

 

夕方紅茶屋に戻ると、魏さんはお客さんと一緒にお茶を飲んでいた。この店はいつも誰か、お客が来ている感じだ。中国人は寂しがり屋だなと思うことがある。そして夕飯は、何と店の隣のすし屋から買ってきた寿司を食べることになる。福州では日本へ留学、または仕事に行った人が多く、日本料理にも詳しい人が多いのだが、甘いマヨネーズをかける等、やはり自分たちに合った形にアレンジしている。でも思ったよりずっと美味しい。その夜は明日に備えて早く寝る。

 

4月27日(木)
貴州へ

翌朝雨は上がっていた。5時半にホテルチェックアウト、そして迎えの車に乗り、集合場所である魏さんの会社のビル前で参加者と合流した。何と驚いたことに、今回このグループにはあの中国茶業界の泰斗、張天福氏の夫人が参加している。張夫人には過去2度、ご自宅を訪ねた際に会ってはいるが、張氏が入院中(107歳)の中、なぜ彼女が貴州へ行くのかは、ちょっと不思議だった。

 

約1時間かけて空港に到着。中国人は皆身分証を使い、自動チェックインするが、私と魏さんは、パスポートをカウンターに提示しないとチェックインできない。何とも不便だが、致し方ない。夫人の荷物も合わせて預けた。昨日も台北で朝7時台のフライトだったが、今日も8時過ぎの出発だ。さすがに眠い。

 

フライトは順調だったが、途中長沙で一度降りて、それから目的地、遵義へ向かう。昼には到着だから、まあそれほどの負担でもない。それにしても貴州に行くというから、貴陽に行くものだとばかり思っていたが、なんと遵義に飛行場があるとは驚きだ。遵義と言えば、あの共産党史に残る?長征の中で、毛沢東が指導権を確立したとされる歴史的な遵義会議が行われた場所として、中国人なら誰でも知っている場所である。当然長征の通過地だから、相当の山かと思っていたが、どうやら平地だ。

 

私が貴州に来るのはこれが2度目。2008年に当時の仕事で一度来たことがあるが、行ったのは貴陽と有名な滝ぐらい。当時中国でもっとも貧しい省だと言われており、その変貌ぶりを見たいと思っていたが、残念ながら今回省都には行かないようだ。代わりに前回は見ることができなかった茶畑を存分に見られそうで楽しみ。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(13)武漢→成田は近い?!

私は明日のフライトで東京へ行くので、漢口滞在時間はかなり少ない。会いたい人などもいたが、今日行くべきところは平さんのところだと思い、出掛けていく。何と言っても今回恩施でのピンチを救ってくれたのだからお礼を言わないわけには行かない。彼の店は漢陽にあったが、前回行っているので地下鉄で問題なく着けた。

 

30代なのに常に落ち着いている平さんのところには必ず誰かお客がいる。そして居心地の良い空間が用意されている。そして人柄が温かい。ゆるゆるとお茶を飲む。今は私も今回訪ねた宜興の茶壺に力を入れており、工房と合作して、宜興でのイベントを増やしていた。これから茶葉を売るのではなく、文化を売る、ということだろうか。宜興は遠いが、今回も乗ったように高鉄で5時間あれば行けるので苦はならないらしい。

 

そのまま夕飯に向かう。茶荘の3階で私的にレストランが出来ており、そこで食べた。当然内部の人しか知らない場所だ。確かにこの市場の中には食事をするところがなく不便であったが、そこに目をつけて商売をする人がいる、というのは中国的だ。帰りは平さんと一緒に地下鉄に乗り、帰る。彼の家は空港に近いところだそうだ。既に家も確保している。元は雑誌の編集などもしていたようだが、なかなか才覚がある。

 

4月14日(金)
東京へ

翌朝は8時過ぎのフライトのため、相当早く起きて、支度をした。残念ながらホテルの朝食は6時からなので、食べることができない。更には地下鉄で空港へ行けるようにはなっているのだが、こちらも始発が6時半となぜか遅く、乗ることは出来ない。結局タクシーを探して空港へ向かう。小雨が降っていたが、ちょうど客を下ろしたタクシーがあり、何とか滑り込む。

 

車は30分ほどで空港に到着。それにしても武漢の国際線ターミナルは何とも小さい。南方航空のチェックインカウンターはちょうど2時間前で開いていたが、何とカウンターは1つしか開いておらず長蛇の列。何となくボーっと並んでいると、その内に次々とカウンターが開くのだが、前に待っている人が優先などという考えはなく、後から来た人がそこへ並んでしまうので、私はほぼ最後尾でチェックインする羽目になった。

 

因みにほぼ同時刻にANA便もあるのだが、こちらはちゃんとレーンが決まっており、スムーズにチェックインしているのが羨ましい。あちらは日本人客も多く、こちらはほぼ中国人のアウエー状態で如何ともし難い。更にANA機は目の前に停まっており、搭乗も楽だったが、私の南方航空は機体がどこにあるのかも見えず、バスに乗って遠くの国内線ターミナルまで運ばれていった。何だかとても不思議な感じだった。

 

そもそもなぜ南方航空を選んだのかというと、まずは武漢から帰るのが便利だったからであり、同時に頭にあったのは『格安の春秋航空が飛んでいるから大丈夫』だと思ったこと。片道でも格安料金で利用できるので、これに乗ろうとしたのだが、何と武漢‐成田は週3便しか飛んでおらず、もし明日のフライトにしてしまうと、ノービザ規定の15日を越えてしまうというジレンマがあったのだ。しかしANAの片道は高い。そこへ南方航空がそこそこの料金で出していたので飛びついたわけだ。

 

飛行機は順調に飛び立った、と思う。余程疲れていたのか、機内に入るとすぐに眠り込んでしまい、機内食も置きざれにされていた。2時間ぐらい経った頃、アナウンスで目が覚めた。もうすぐ高度を落とすというのだ。だが東京までそんなに早く着く訳はない。あれ、もしやしてどこかを経由していく便だったのかと不安になる。チケット購入時点の到着予定時刻も13時となっており、まだ2時間もあるのだ。一体どこへ降りるんだ。2時間半では上海ぐらいまでしか行けそうにない。

 

しかし何と成田空港に着いたのだ。フライト時間僅か2時間50分。定刻より約1時間早かった。風などの要因もあると思うが、なにより早く着くことは嬉しかった。今回の旅は昆明から鳳慶までのバスの旅が往復18時間だったし、無錫から恩施の高鉄の旅も約9時間、そろそろ腰が痛くなりそうだったのだ。そんな中、武漢から東京が3時間かからないというのは、奇跡だ。

 

既に散ってしまったと思っていた桜もごく一部残っており、さくらは散り際が美しいという言葉を思い出す。昨年『もう激しい旅は卒業だ』と決意したのにも関わらず、今回も又大旅行をしてしまった。懲りないと言えばそれまでだが、もう少し考えないといけないと、桜を見ながら思った。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(12)観光茶園プロジェクト

あれだけ並んでいたのに、明日のチケットが難なく買えるというのもなんだか不思議な感じだ。そんな思いでまたバスに乗ろうと駅前のターミナルへ向かう。ちょうどバスに乗り込んだところ、近くで女性の叫び声が聞こえてきた。どうやら子供が癲癇でも起こしたようで、揺り動かしながら泣き叫んでいる。中国では病人を見ても助けないという風潮があるので、どうなることかとみていると、あっという間に周囲に人が集まり、城管と呼ばれる人々が車を出して病院に連れて行った。この辺の対応は素早くてホッと胸をなで下ろした。

 

ホテル近くでバスを降り、昼ご飯をどうするか考えていた。その辺を歩き回ったが、食べたい物もなく、近所のパン屋で菓子パンなどを買ってみることにした。何だか長い間パンも食べていないように思えたのだ。こんな田舎街で、そこそこの味のパンが作られているのは驚きだ。急速にライフスタイルが変わりつつある証拠ではないか。部屋に持ち帰って食べると意外といける。

 

白楊坪の茶畑へ
ホテルで待っていると、ようやく仕事が終わったと微信に連絡があり、蒋さんが車でやってきて、拾ってくれた。運転は彼の部下の若者が行ったが、山道には慣れておらず、また最近入ったのか、工場へ向かう道を知らなかった。蒋さんは車の中でも、殆どスマホを操作し、また商売の電話をかけている。企業経営者というのは大変なものだ。

 

約1時間かかって山の上の茶工場に到着した。いずれの方向を走ったのかもわからず、辛うじてここが白楊坪という場所であることを知る。参観者用の建物があり、そこでお茶を飲ませてもらう。晴れているのでとても気持ちがよく、空気も澄んでいる。だが肝心の蒋さんに話を聞こうと思っても、外に出て行ってしまう。仕方なく着いていくと、そこは工事現場。蒋さんは親方と何やら話し込んでおり、あれこれと指示を出している

 

横の看板を見ると2年をかけて、総額8000万人民元(日本円約13億円)の観光茶園プロジェクトをここで行っていたのだと分かる。元々の茶工場や茶園を生かして、新たに文化館やレストラン、宿泊施設などを用意するらしい。一体どれだけの人が来ることを見込んでいるのだろうか。当然政府の支援の下で行われているのだろうと思っていたが、『完全なプライベート』と聞いて、少し驚く。中国で今流行りの観光茶園だが、投資は回収できるのだろうか、ちょっと心配になる。

 

蒋さんが茶園を案内してくれた。景色は抜群に良い。緩やかな斜面に見慣れぬ品種が植わっている。農薬は使っていないという。茶摘みをしている地元民を見かけるが、何となくのどかな雰囲気だ。実は蒋さん自身も土家族という少数民族で、先日行った伍家台の途中の村の出身だという。この付近も少数民族が多く住み、貧困地区となっているので、『起業して仕事を与える』という地元貢献は重要だという。それにしても大型プロジェクトを抱えていては、それは忙しいだろう。よくぞその中で私の相手をしてくれたと感謝する。

 

工場には茶摘みを終えた農民が続々と集まって来た。今日の収穫を引き渡すのだ。どこの茶畑でもこの計量の空間は緊張感がある。受け取った生葉はすぐに萎凋槽に入れられるが、『萎凋している訳ではない』という。いずれにしても数時間置いて深夜に製茶作業は始まるというので、実際の工程を見ることは出来なかった。また工場内には日本製の機械もあるようだったが、見ることはなかった。

 

ここで地元料理の夕飯を頂き、慌ただしく下山した。既に周囲は暗くなっており、山道は少し危険に感じられる。ホテルまで車で送ってもらい、蒋さんとは別れた。彼も現在の自宅は市内にあるとのことだったが、これからまだ仕事しそうな雰囲気だった。私は昨日の劉さんの店に行き、お茶を買おうと思っていたがスタミナ切れ、ホテルでぐったりしていた。

 

4月13日(木)
8.漢口
平さんに挨拶

翌朝も快晴だった。9時前にホテルをチェックアウトして、昨日と同じバスに乗り、駅に向かった。既に切符が手元にあるので余裕で乗車する。そして見慣れた?車窓の景色を眺め、途中から速度が増していくのを体感し、約4時間をかけて、漢口に到着した。この駅もすでに何度も使っており、見慣れているので、迷うことなくすぐに地下鉄に乗り、いつものホテルを目指す。

 

このホテルには大学の後輩Kさんが居るので、まずは一階の彼の店(日本料理屋)を覗く。ちょうどいたので、そこで彼の話を聞く。子供の教育のことを考えて十数年ぶりに日本に復帰するらしい。確かに彼と初めて会ったのは2003年頃の香港だったから、かなりの月日が流れていた。話の中に、日本での就職活動の不思議さや、外国人が巻き込まれるであろう、住む地域の様々な課題、学校など子供を取り巻く環境など、今の日本の現状がよく見えてくるような内容ばかりだった。これではかなり不安だろうと思ってしまう。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(11)恩施玉露はどこから来たの?

そのまま部屋に入り、休む。何とも激動の旅だが、何とかゴールに着けそうな気配。部屋も広いし、眺めも良い。ベッドに潜り込み、寝入る。夕方劉さんがやってきて、また車に乗る。どこへ行くのかと思っていると、少数民族の家などを再現したテーマパークのような場所だった。

 

そこにも恩施玉露体験館があり、劉さんの店に比べると伝統的な雰囲気を漂わせていた。ただここの店長も若い女性だ。彼女に歴史について聞いてみると『我々に聞くより、この本を読んだ方がよい』と言われたので、楊勝偉さんという方が書いたその本を購入した。中をパラパラめくっていると松下先生の名前なども出てくる。後でご本人に聞くと『90年代、3回は行ったよ』とおっしゃっていた。当時は不便だったろうが、『飛行機に乗ったらすぐ着いた』とバッサリ。さすが。

 

店の中を見回してみると、日本で手もみ茶に使っているホイロが置かれている。しかも文字も日本語と同じ焙炉と書かれていた。更にはおじさんがそこにやってきて、茶葉を扱い始めたが、どう見ても日本と同じように手で揉んでいるように見える。これは一体何を意味するのだろうか。日本茶について全く不勉強な私、焙炉はいつから日本で使われていたのだろうか。そして中国には元々こんな形のホイロはあったのだろうか。

 

そこへ恩施玉露伝承人と言われている蒋子祥さんが入って来た。第11代と書かれているが、日本的な数え方ではなく、同時期に学んだ『世代』を表している。彼の先生が先ほどの著者、楊さんという方らしい。私が歴史の話が聞きたいというと、40歳前後の蒋さんはすかさず、師匠の楊さんに電話を入れてくれたが、あいにく恩施にはいなかったので、今回の面談は叶わなかった。

 

という訳で、歴史については本を読めばわかると言われてしまい、それ以上話は進まなかった。特に今回の目的である『恩施玉露は中国独自の物か、日本が伝えたのか』という点については、『中国には昔から蒸し製緑茶は存在している』との立場を述べるにとどまった。そして目の前にある焙炉についても、『昔からあった』と話すだけだった。

 

まあ確かに自分たちが自信を持って作っている茶については『それは日本人が教えたんだろう』などと言えば、気持ちの良いものではないだろう。それでも蒋さんは私を客としてもてなし、夕飯をご馳走してくれた。最近常に思うことではあるが、歴史の勉強とは真に難しいものなのだ。様々な立場があり、しかも過去のことだから、実際にはよくわからないというジレンマ。その真実を明らかにしたという好奇心はあるが、それが一体何になるのだろうか、と考えてしまう。

 

食後は劉さんが近くの硒茶博物館に案内してくれた。このあたりの茶の歴史が語られていて興味深い。この地は以前より緑茶の産地として知られていたが、1850年頃に広東商人がやってきて、植えられていた大葉種が良質だと判断し、紅茶作りをさせたとある。これは同じ湖北の宜紅と同様の歴史だ。また茶馬古道の拠点でもあったとある。この辺で黒茶が作られたという歴史は見られなかったので、恐らくは運ばれる中継地点ということだろう。またここにも焙炉が置かれていた。

 

外では少数民族の祭りを再現したようなイベントが行われており、意外と多くの観光客が集まっていた。湖北省の外れにある恩施では、街を盛り上げるための観光業に力を入れている。その一環として、中国でも珍しい蒸し製緑茶の存在をもアピールしているようだ。実際販売している人に聞くと、ほぼ湖北省内で消費されているというこのお茶、一般の中国人の口に合うのだろうか。雨の中、劉さんの車でホテルまで送ってもらった。

 

4月12日(水)
切符を求めて

翌朝は晴れていた。何と昨日の蒋さんが『午後であれば茶畑に連れて行ってもよい』と言ってくれたので、その連絡待ちとなる。何しろ彼は茶作りの前に経営者であり、様々な雑事に追われている。いつ用事が終わるかはわからないので、取り敢えず明日の漢口行きの列車の切符を買いに行くことにした。

 

私が今いるホテルから駅までどのくらい離れているのかも分からなかったが、言われるままにバスに乗る。どうやら目の前の大きな道をまっすぐ行けばよいだけらしいが、なぜかバスは道を曲がってしまい、焦る。20分以上かかって何とか駅に着く。一昨日降りた時の印象通り、駅の付近は全く新しく作られた街だった。高鉄が通るとはこういうことだ。

 

駅の切符売り場に行くと長い長い列ができており、その列は屋外にまで達していた。こんなに客がいるのに、窓口は僅か2つしか開いていない。どうなっているんだ、これは。取り敢えず列の最後尾に並ぶ。いずれ改善されるだろうとたかを括っていたのだが、人はどんどん増えるばかりで、一向に列は進まない。

 

当然予約した切符を取らなければならない客は窓口に割り込みを図るが、他の場所と違って、ここの客は誰も彼らに譲ろうとはしない。譲っていてはいつになっても順番が回ってこないと分かっているのだろう。この状況で一番後ろに並んでも乗り遅れは必至だ。そうなるとまた窓口で変更などの問題が起き、時間が掛かる。悪循環だ。

 

結局1時間以上並んで切符をゲットした。この駅には自動販売機もあるのになぜこんなに人が並ぶのか。どうやら高鉄だけではなく、乗り継ぎの相談などもしているかららしい。駅ができたばかりの街、というのは慣れていないのだろう。いずれにしても人員が足りないのは致命的だ。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(10)間違って行ってしまった伍家台

7.恩施
間違って山の中へ

夕方5時半にようやく列車を降りた。恩施駅、外へ出ると、そこだけ新しい街だった。小雨が降る中、予約されていた車を探すと、女性の運転手が出てきた。今日は以前武漢で出会った茶荘オーナーの紹介で恩施の茶畑に向かう。既に連絡は取れており、車に乗ればそこまで運んでくれるという。だが、その料金は200元と結構高かった。

 

車は街中を通り抜けると、何と高速道路に乗った。どこまで行くんだろうか。高鉄もそうだが、高速道路も最近作られたらしい。真っすぐ行けば重慶まで遠くないという。途中を見ると土家族自治区があり、茶も作られているようだった。運転手の女性は『今月は毎日のように茶業者を車で運んでいる』という。高速を降りて山道に入り、暗くなる中、かなりの山中で車が停まった。約1時間半もかかった。そこには茶工場があった。

 

連絡しておいた戴さんが待っていてくれた。彼は車を出してきてすぐに出掛けた。既に夜も7時を過ぎており、夕飯は工場にはないらしい。それでご飯を食べに出た。田舎の夜は確かに何もない。連れていかれたところはいわゆる農家菜。しかも山の中の本格的な農家だった。料理ができるまで、寒いからと言って、囲炉裏の傍で待った。お祖母さんと孫娘があたっていた。料理は結構辛くて体の芯から温まった。何となく日本昔話を思い出す。

 

それからここ伍家台にある博物館に行った。こんな小雨の夜、お客は誰もいないが、空いてはいた。中には伍家台の緑茶の歴史などがかなり詳しく展示されていた。ここは緑茶の一大生産地なのだと分かった。だがどこを探しても私が今回ここに来た目的である恩施玉露に関する記述は見付からなかった。戴さんにそのことを聞くと『えー、ここでは玉露は作っていないよ』というではないか。

 

一瞬天を仰いだ。一体何のために高鉄に9時間も乗り、タクシーに1時間半も乗って、はるばるこんなところまでやって来たのか。確かに私は武漢の戴さん(今いる戴さんの妹)に『恩施の緑茶を見たい』と言ったのだが、当然その緑茶とは玉露のことだと思い込んでいたのだ。驚くというより、呆れてしまった。ボー然となる。

 

すると戴さんが『玉露を作っているのはここではなくて別の場所だよ。かなり離れているから一度恩施の街まで戻る必要がある。しかも紹介がなければ探すのは難しいだろう』という。そういえば戴さんの妹は先日その玉露の生産現場に皆で行ったと聞いている。『ああ、そこは武漢の平さんの紹介だよ』と聞き、平さんって、前回武漢であった人だと思い出し、微信で連絡を取った。すぐに返事が来て、明日訪ねられるようにセットしてくれた。これぞ、茶旅の醍醐味である。

 

博物館と言っても、それは土産物売り場に併設されている。海抜800mの自然環境に恵まれた土地、観光資源として売り出している。その横の建物は茶工場になっていた。ちょっと入ってみると、茶葉が置かれていた。雨でも摘んだらしい。葉は小さい。工場には大型の機会が揃っていたが、釜炒りの道具もあり、ここで作られる緑茶はやはり蒸し製ではないと分かる。その夜は茶工場のゲストルームに泊めてもらう。カエルの鳴き声を聞きながら布団に包まって寝る。

 

4月11日(火)
玉露を求めて

翌朝は早く目覚めたがかなり涼しかった。相変わらず小雨も降っている。どうにも動けない状況だった。それでも雨が止んだ瞬間をとらえて、散歩に出た。何とも風情のある田舎の道で、所々に家があり、斜面には茶畑も少し見えた。茶工場では朝の作業をする従業員がいたが、勿論生葉は未だ運び込まれておらず、閑散としていた。

 

戴さんたち若者は、ここに泊まり込み、茶作りの様子を見ている。出来た茶葉は武漢にもっていって売っているようだ。彼らはゆっくり起きてきて、朝ご飯の麺を食べる。まあ、折角来たんだからゆっくりして行けば、と工場の人にも言われたが、どうにも玉露の方に頭が行ってしまい、おまけに雨で茶作りもなさそうだったので、早々に退散することに決めた。

 

戴さんの車で街まで行き、そこからミニバスに乗った。これは意外と速く、料金も35元で戻れた。よくわからないがこれから劉さんという女性を訪ねることになっている。しかし彼女の店がどこにあるのかも知らないのだ。取り敢えず硒都茶城と言われたのでそこで降りた。

 

茶城の入り口付近に『恩施玉露展示体験館』と書かれた店があった。そこへ入っていくと、やはり劉さんの店だった。ただ彼女はまだ来ていないので、そこでお茶を飲ませてもらう。何となくほっとするような柔らかい緑茶で、茶葉もきれいだった。ちょっと休んでいるとかなり劉さんがやってきて、『取り敢えずこれからどうするか、ご飯を食べながら考えましょう』という。彼女は26歳だという。

 

いずれにしても今晩はこの辺に泊まるのがよいというので、まずはホテルに連れて行ってもらい、それからそのホテル内のイタリアン?で食事した。さすが若い女性だ。行くところが違う。『恩施もこの数年でかなり発展した』とパスタを食べながら説明してくれる。突然山の中から帰還して、パスタとはかなりの飛躍があるが面白い。