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香港・深圳茶旅2023(8)香港フラフラ

その奥に、元ホテルだという不思議な建物が建っている。中に入るとレトロな雰囲気で、多くの映画の舞台にもなったらしい。壁にはたくさんのスターの写真が飾られている。元々Kさんは、ここでハトを食べようと思い、選んだらしい。まあ何よりもお客が少なく、ゆっくりと話が出来るのは有難い。

のっけから畲族が登場したので、鳩肉を食べながら、潮州人、客家などの言語学的違いについて、色々と教えてもらった。香港にも多い潮州人とは一体どんな人々なのか。突如注目されてから30年の客家、そして誰も知らない畲族との関わりや如何に。知りたことだらけだが、分かることは多くはない。

3時間も話し込み、店を出た。私は沙田にある銀行へ向かった。ここでも手続きに色々と時間は掛ったが、中国のような緊張感はない。ただ店内では何とも横柄な普通話が飛び交っており、英語を話す客など稀らしい。彼らは大事な客だろうが、私はどうでもいい客なので、その対応は何となく雑になる。

ネーザンロードまでMTRで進む。よく知っているが泊ったことのない宿を予約してみた。当日予約だから高いのかと思ったら、当日でいい部屋しかなかったのだと、チェックインして分かる。まあ香港も深圳も本当にコスパは良くない。やはり私は東南アジアが好きになっている。因みにこの宿には電源アダプターがちゃんと備え付けられていた。

もう夕方なので廟街を歩いてみる。やはり昔の熱気はないようで、屋台は出ているものの静かな感じだ。何となく吸い込まれるようにチェーン店に入り、何となく牛喃カレーを食す。うーん、やはり九龍城迄行きたい。暗くなってからもう一度廟街を通ると、食事をする人が多く見られた。こういうところは一人で食べるのが難しいのでパス。ネーザンロードに戻ると、そこには安い弁当を売る店があり、大繁盛していた。香港庶民も厳しい現実に直面している。

5月10日(水)台北へ

朝は早く目覚めた。今日は台北に帰る日だが、香港への未練はあまりない。取り敢えず散歩に出て、油麻地の天后廟にご挨拶する。それから朝ご飯を探して茶餐庁に入る。人が多くてごちゃごちゃしているのは香港らしいが、料金はうんざりするほど高くなっている。それでも何とか食べていると、中国人観光客家族が入ってきて、めちゃくちゃ煩く、退散する。

そのまま油麻地を歩き、更に深水埗までフラフラ歩いて行ってみる。高層建築が目立つ中、古い建物にどうしても目が行ってしまう。いつまで頑張れるのだろうか。深水埗の近づくにつれて、何となく懐かしい香港の風景が出現して、嬉しくなる。ただ人はあまりおらず、いても香港人ではなさそうな顔の人が多い。

深水埗では、鴨寮街でSIMカードを買った。今回の反省を踏まえて、中国でも使えそうなカードを念のため買っておいた。といっても次回いつ中国に行けるのかも分からないのだが、まあ保険の意味合いが強い。その辺で雲吞麺を頬張る。やはり香港に来たら、一度は食べておこうと思う。

MTRに乗って、尖沙咀へ。普段はあまり歩きたくない所だが、偶には行ってみたくなる。ペニンシュラーホテルは健在で、ネーザンロードも人が多い。重慶マンション、懐かしい。結局横道に入る時間はなく、ただネーザンロードを北上しただけだったが、それでもやはり香港が強く感じられる。古き良き香港、などという言い方は、香港には似合わない。

ホテルまで戻り、チェックアウトする。宿のスタバで林さんと会う。東京以来4年ぶりだろうか。大学時代からの知り合いだから、もう40年になる。私は実は正確な彼の年を知らなかったが、既に70歳を超えていると聞き、驚く。まあ元気でよかった。よもやま話をしているとすぐに時間は過ぎてしまう。

林さんと別れて、空港バスに乗る。急にトイレに行きたくなり、一本逃してしまうと、なかなか来なくて不安になる。ようやく乗り込むと、何となく眠くなる。1時間で空港まで到着する。コロナ禍で空港内部もちょっと変化が感じられた。2003年のSARSの時を思い出すと、香港への影響は甚大だった。

人の移動が止まれば香港は死んでしまう、という恐ろしい体験をしたので、今回の被害も甚大だったはずだ。今や空港に人が戻り、結構混雑しているように見えるが、果たしてどれほど回復しているのだろうか。今更香港の将来をどうこういっても仕方がないが、やはり心配ではある。

香港・深圳茶旅2023(6)中英街と茶葉世界で

5月8日(月)深圳茶葉世界

宿は深圳の中心部。周囲は高層ビルで囲まれている。どうなんだろう、この風景。30年前は香港が高層ビルで囲まれていたのに、今は深圳の方がすごい。朝ご飯は上の階へ行く。窓はなく、薄暗い室内で食べる。食事内容はコロナ前とほぼ変わっていない、健康系のように感じるがどうだろうか。

そのまま外へ出る。小雨が降っているがあまり気にならない。ただ既に昨晩かなり降ったようで、所々に水が溜まっているので地下道を通る。深圳も交通量が増え、歩行者の横断は地下道でさせるようにしている。本日の、いや今回深圳訪問の目的地はその先のビルの中にあった。

中国の銀行に口座を持っていると時々機能が停止する。今回はコロナ禍で3年以上使っていなかったので当然止まるとは思っていたが、これを再開するためには中国内へ行かなければならない。中には口座を開いた店へ行かなければ手続きしない銀行もあるようだが、私が使っているところは簡単に再開できてよかった。これで支付宝にもチャージできるので、普通に使えるようになる。この現金が全く流通しない社会では、支付宝が命綱となる。

あまりにあっけなく解決したので、午前中をどう過ごすか考えた。ちょっと地下鉄で遠出しようと思い、思いついたのが沙頭角。ここは昔中英街の件で来たことがあるが、それ以来だろう。地下鉄の切符を買うのに紙幣がはねられたので、今回は係員を見付けて、コインと代えてもらい、無事購入した。

沙頭角駅がいつできたのかは知らないが、私が知っているところとイメージがかなり違っていた。駅から数分歩くと沙頭角の辺境が見えてくる。村人だけが行き来できた以前とは違い、今では中国人観光客が中英街を目指して、専用入り口から入っていく。残念ながら外国人は入れないようで、そのまま引き返すしかない。ただその周辺には立派なマンションが立ち並び、その発展を見ることは出来た。

そこから中心部に引き返し、羅湖駅前にある茶葉世界に行く。まずは腹ごしらえと、その近くにある昔よく行った食堂に入ったが、経営が変わったのか、料金は高くなり、味は落ちており、かなり残念な状況だった。まあ、これも時の流れと諦めるしかない。この周辺、駅前なのに以前と比べて人通りがかなり少ない。

茶葉世界はそのまま残っていた。だが2階に上がっても、人は殆どいない。完全に閑古鳥が鳴いている。馴染みの店に行ってみたが、不在だった。もう一軒は引っ越したのか、それとも閉鎖してしまったのか見付からない。何だか完全に取り残された感じとなり、早々に立ち去ろうかと思った。

フラフラ歩いていると見慣れた名前の看板がある。あれと思い、中に入ると、ご主人の笑顔があった。ちょうどコロナの頃にこの場所に引っ越したらしい。元々岩茶の店だが、今や黒茶類が大半を占めている。茶を飲みながら世間話をしていると、コロナ禍の大変さが伝わってきた。それでも20年も店をやっていれば常連客がおり、基本的に個人より飲食店などへの卸しは影響が少なかったようだ。

もう一軒の店ももう一度覗いてみると帰ってきていた。ご主人は公務員を退職してもう10年近い。夫婦二人で店をやっているが、お客が来ることは稀だという。今は全てが微信なので、直接顧客と会うことは本当に少ない。そして現金を受け取らなければ、偽札を掴むこともなく、会計も全て機械でできるので、個人商店としては本当に有り難いという。確かにその通りだ。慣れてしまえば、こんな便利な社会もない。さすがに店舗が無いと信用度が下がるらしいが、それ以外問題はない。

香港・深圳茶旅2023(5)4年ぶりの深圳では

深圳で

懐かしの深圳に入った。相変わらず人が多く、出口には人だかりが出来ている。その中にシムカードを売る人々もいた。彼らに中国移動香港のシム、というと、小雨が降る中、ちゃんと店まで連れて行ってくれた。店の女性が私のスマホにシムを差し込んだが、このシムも作動しなかった。これは私のスマホの問題なのか。30分ほどあれこれやったが、結局使えず、店を後にした。因みに代金は払わなかったが、ここだけは現金でも良いと言われた。

中国国内のシムは持っていたので、それを使って本日の宿を予約して、地下鉄で向かう。地下鉄1号線の駅はどこだ。迷う。それほどに深圳の地下鉄は路線が伸びている。何とか探し当てて改札へ行くと、皆がスマホスキャンで通っていく。私は切符を買おうとしたが、10台ほどある自販機の9台は使用停止だった。残り1台も勿論100元札など入らず、古い札を入れてみたが、はじかれてしまう。コインを探して何とか切符を買う。僅か3元が払えない恐怖。

地下鉄で3駅乗って大劇院で下車。ここから歩いて予約した宿へ向かう。道はよくわからなかったが、スマホ地図で何とか辿り着く。深圳の街が何となく静かに見えたのは気のせいだろうか。宿はコロナ前からよく使っていたチェーン店で私は会員だった。チェックインしようとすると、フロントの女性が、『何で予約しましたか』と聞いてくる。この宿のアプリからさ、と答えたら、エッという顔をした。

更に微信は持っていないのかと聞く。何とチェックインも全て微信で行うらしい。彼女は私のスマホを引き取り、すごいスピードで作業を完了した。だが最後の支払いが出来ない。私は微信支付を使っていなかったのだ。支払いは現金でも良いかと聞くと、またエッという顔になったが、何となく頷いたので、4年前の100元札を何枚か取り出したら、『お客様・・』となり、私のスマホから支付宝を見付けて、『こちらから払いましょう』と手続してしまった。私のなけなしの電子マネーは一気に無くなった。これが今の中国なのだと思い知った。

この騒動のせいか、部屋はアップグレードされて、広い。冷蔵庫のドリンクは全て無料。茶葉とお茶道具のお茶セットも用意されている。勿論朝食も付いている。ただ料金は円安も含めれば、コロナ前よりかなり上がっている。それでもお客はひっきりなしにやってくる。エレベーターに乗るにはカードキーが必要であり、カードをかざせば自動的に行き先階に連れて行ってくれる。これはコロナによる自動化だろう。

何となく腹が減ったので、外へ出た。突然蘭州拉麺が食べたいと思い探す。見付けた店に入ると、メニューに羊肉拌麺があり、ついそれを頼んでしまった。店員はウイグル族なのだろうか。味は普通だが、量が非常に多く、それだけで十分腹一杯。勿論支払いはQR決済の一択。最初から現金を出すとか、受け取るとかいった雰囲気は全くない。

腹が一杯になったので少しだけ深圳の街を歩いてみる。歩道を歩いて困るのは、デリバリーを行うミニバイクが縦横無尽に走っていること。ちょっと油断すれば確実に轢かれてしまう。比較的静かな街に、このバイクだけが蠅のようにうるさい。バイク側には時間に追われているという制約があるようだが、事故多発は間違いない。規制すべきだと思うが、どうだろうか。

老街に行ってみたが、雨上がりでも人はそれなりにいた。マスク率は低い。店はどこも開いていて、既にコロナは終わった感がある。賑やかな音楽が中国らしい。少し人がいない公園の方へ歩いて行く。深圳はある意味で人工都市だから、緑は意外と多い。多くの人が憩いの場として活用しているように見える。

帰りに線路脇を通る。列車が走っていく。広州へ行くのだろうか。私は深圳市内にしか行けない身。こういうのを籠の鳥、というのだろうか。しかもこの街には何となく監視されている雰囲気もある。以前のような自由な環境は無いようにも感じられる。景気も良くないのかもしれない。

その夜、部屋に戻ってPCを立ち上げた。なぜか日本のテレビ番組を見ることが出来た。中国国内では、FBもツイッターも見られないはずなのに、なぜか読める。それは中国が緩和したのか、この宿の問題なのか、それともほんの一時なのか。とにかく外の人々への連絡などが出来て良かった。中国国内に入ると、何しろ生存報告も難しい。

香港・深圳茶旅2023(4)恐ろしい中国入境の顛末

ちょうど係員がいたので、無言でスマホを差し出すと、彼も無言でパスポートを見ながら打ち込んでくれた。これは助かった。周囲にはどうしてよいか分からない外国人や高齢者が多数立ち止まっている。私はそこをすり抜け、取得したQRコードをかざして、機械ゲートを通り抜けた。

その先に行くと、あれ。何と入国審査ゲートに出てしまった。驚いて係員に聞くと『ああ、ここにはビザオフィスはないよ。外国人が良く間違えるんだ』と笑いながら言う。この瞬間、私の立ち位置は大いにぐらつく。どうするんだ、と聞くと、『戻るんだよ、香港に』と一言。そこから今来た道を懸命に戻る。途中係員に誰何されても、気にせずに戻る。確かに福田の地下鉄という表示が見える。

ついに香港出国審査の手前まで来た。ここで係員に誘導され、事務所へ入る。そこには数人の同じ境遇の人々がいた。ただその多くは香港人で、回郷証が失効していたために入国を拒否されていた。もう一人日本人の若者がいたが、彼は普通話をまくしたてていたので、深圳に住む駐在員だろうか。

20分ほど待って解放されたが、私はどうしたらよいのだろうか。とにかく一度ここを離れ、羅湖を目指そうか。係員に聞くと『落馬洲-皇崗の間にビザオフィスはあるよ』と教えてくれた。そこへ行く方法はバスかタクシーらしい。取り敢えず駅から地上へ降りてタクシーを探した。かなりの雨が降っており、濡れながらタクシー乗り場へ行くと、緑のタクシーは『ここからは落馬洲も羅湖にも行けないよ』と素っ気ない。

ならばとMTRの駅へ行こうとしたが、なぜかそこに辿り着けない。工事中らしいが、今電車に乗ってきたのに、なぜだろうか。もう一度イミグレに戻ると、係員に文句を言っている香港人がいた。彼に連れられ、駅を目指した。だがどの表示に従っても駅へ行けない。香港人の彼は怒りだした。『香港はいつの間にこんなに劣化したんだ』と。

結局工事中、通行止めの印を無視して、階段を歩いて上がると、そこに駅があった。ここは中国ではなく、香港だろう、と叫びたい気持ちになったが致し方ない。香港も中国になったのだ。何とも言えない気持ちを抱えて、上水で乗り換え、羅湖で降りた。ここは慣れ親しんだ辺境なので、ゆるゆる進む。

そして再度健康チェックがやってきた。私は先ほど既に入力済みだったが、それがどこに保存されているのか、わからなかった。どうしようかと悩んでいたが、ちょうど端っこにデスクがあったので、そこへ進み事情を話し、スクショしたQRを提示したら、そのまま通してくれた。こちらではスマホ操作が出来ない人向けに『人工道』が作られており、何とか抜けることが出来るようだった。それにしても今も中国はコロナ禍なのだろうか。

次にビザ申請に向かう。何時間も立って並ぶことを想定していたが、ここは一つの部屋になっており、外国人が座って待っていた。目測で十数人。まずは外の機械で自分の写真を撮る。順番の番号札を機械から取り、そして申請書を書いて待つ。その間窓口に全く動きはない。ただ番号は表示されているので、いつかは順番が来るだろう。

10分ほど待つと番号を表示され、申請は難なく受け取られた。その後ヨーロッパ人の一団が、ビザを受け取り、費用支払いに呼ばれて人が減る。聞いてみると彼らは午前中から2‐3時間待っていたらしい。午後着いた私の後に来る人はほぼいない。狙い目は午後だったか。落馬洲での出来事も無駄ではなかった。

1時間ほど待ってようやく支払いに呼ばれた。私の前にフランス人が並び、ビザカードを出したが、何故か反応せずにはねられた。彼は人民元の現金を持っていたが、ここでは微信支払、支付宝しか役には立たない。何と彼は係官から『香港へ戻れ』と言われ、すごすご帰っていく。恐ろしい世界だ。

私はかなり緊張したが、スマホに支付宝が入っているので安心していた。ところが昨日トミーが直してくれたシムカードがやはり作動しない。おまけに辺境のため、Wi-Fiが弱く、機能しない。結構焦ったが、代わりにビザカードを差し出すと、何とか反応を見せ、無事ビザ取得となった。このビザは深圳のみ5日間有効の特別ビザで必要は168元だった。

香港・深圳茶旅2023(3)ホンハムから上環へ

近所を見ていると、すき家や丸亀製麺が出店しているが、中国系銀行の支店も多く、この周辺は中国人観光客が来る場所だとよくわかる。昼は旧知のIさんと会うことになっていたので、ふらふら歩いてみる。飲食店が並ぶ一角に小さな上海ラーメン屋があった。何とも懐かしい醤油味のラーメンが食べられた。Iさんが広東語で注文したが、店主は我々が日本人だと分かり、普通話で返してくる。

Iさんが病気だと聞いていたので様子を見に来たわけだが、思いの外元気そうでよかった。積もる話はさておき、歴史話などをするために隣のお茶屋に移動した。若者向けのカフェだが、何と奥には座敷がある。そこに座り込んで2時間も話し込んでしまう。店側にとっては迷惑な客だったろうが、こちらは楽しく過ごす。

そこから香港島に渡るため、歩いてフェリー乗り場へ行く。いつもはスターフェリーに乗るのだが、今回は時間がなさそうなので、ホンハム-北角間を渡る。この路線は夜が早いので、今乗るしかない。料金はスターフェリーと比べれば高い。観光用は政府の補助が出ているのだろうか。何の感慨もなく、僅か10分で北角に着く。

北角の海鮮市場を抜けると、高層ビル街となる。その合間に懐かしい新光劇院があった。広東オペラを上演する劇場で、25年前に一度見た記憶があるが、あまりに長いので、その後は行かなくなった。今やっている演目は『毛沢東と四人組』らしい。お客は入っているだろうか。昔ここ北角の山の上に住んでいたが、下に降りてくることはあまりなかった。

MTRに乗って上環まで行く。ここには行きたい茶荘があったが、残念ながら待ち合わせの時間となってしまい、次回に持ち越した。待ち合わせたトミーとカフェに入る。そして私の懸案となっている、中国移動のシムカードの接続をお願いした。いつもは簡単にやってしまう彼が苦戦しており、広東語で中国移動に電話して1時間もかけて何とか繋がった。一体これはどういう状況なのか、私にはさっぱり分からないが、とにかく感謝しかない。

ちょうどその作業中、約束していたOさんが店の前を通りかかる。慌てて捕まえてそのまま一緒に作業を待つ。それから場所を老舗レストランへ移動して、夕飯を食べた。この店に来るのは恐らく10数年ぶり。トミーも『こういう店は来ないんだよな』と言いながら結構食べている。伝統的な広東料理というのだろうか。腹一杯食べて眠くなりながら、地下鉄で宿に戻る。

5月7日(日)深圳入国で体験したこと

今朝は9時からオンラインがあるので、早めに朝食を取る。何となく雑ではあるが、まあ満足できる食べ物だった。部屋に帰り、コーヒーを淹れ、ハーバーを眺めながら時間まで過ごす。オンラインは特に問題もなく、11時には終了する。それから急いで荷物を詰めてチェックアウトして、MTRに乗り、深圳を目指した。

九龍塘で乗り換える。昔は九龍鉄道と言っていたが、今やここもMTR。羅湖まで一体何度この鉄道に乗ったことだろう。ここは特に変わりはない。ただ本日は羅湖ではなく、落馬洲へ向かうため、上水でまた乗り換える。落馬洲にはバスで何度も行ったことがあるが、鉄道で行くのは初めて。

落馬洲駅で香港出境。これは簡単に進む。そこで係員に『中国ビザを取るオフィスはこの先にあるか』と聞くと、あるというので進んでいく。今日は日曜日だからか、人はかなり多い。少し行くと行列が出来ている。何と健康チェックがあった。健康カードを書くのかと探すと、皆がスマホに目をやっている。スマホでスキャンしたQRコードを読み込み、それに打ち込むらしいがよく分からない。

香港・深圳茶旅2023(2)伝統的潮州料理を求めて

宿はハーバー沿いにあり、広い部屋はフルハーバービューという贅沢だった。ただ泊まっている多くが中国人で、ロビーはかなり煩い。まあ今日は到着しただけで儲けもの。だが解決すべきはシムカード、そして電源アダプター(香港の電源が台湾や日本と違うことを忘れていた)。フロントに聞くと『アダプターの貸し出しはありません。イオンに行って買ってください』というではないか。これも中国人観光客対策だろう。でも五つ星ホテルでこのサービスはないだろう。

船の形のイオンの店舗、昔はヤオハン・ジャスコだっただろうか。妙に懐かしい。だがアダプターは見付からない。仕方なくシムを求めて彷徨うことにする。セブンイレブンにあるかもと聞いてみると『あっちに行けばあるよ』とぶっきらぼうに教えてくれる。この辺は中国人観客だらけで、私もその扱いだ。いや、香港は昔からぶっきらぼうだった。

更に歩いて行くと、スマホ修理店を発見。そこで英語で聞いてみるとおじさんが香港シムの登録までしてくれ、難なく開通した。ついでにアダプターもゲット。昔から香港で頼れるのは、街の小店だなと改めて痛感し、同時に嬉しさがこみ上げてくる。スマホで検索できると急に行動できるようになる。

ホンハム市場の前からバスに乗る。今晩は九龍城へ向かう。旧知のYさん、そしてOさんと食事の予定がある。バスはそんなにかからずに九龍城に着き、少し時間があったので、その辺を歩いてみる。4年の間にタイ料理屋がすごく増えたような気がする。この付近は潮州人が多いと聞いているが、バンコクも潮州人が多い街。そんな繋がりからタイ料理が出来ているのだろうか。

我々は伝統的な潮州料理屋で食事をした。それは私がリクエストしたからだ。台湾には伝統的な潮州料理が無いと言われて、では香港で、となった。だが香港でも昔は沢山あった安い潮州料理は姿を消しており、麺屋などが残るだけ。今回は食前に工夫茶が出て来る店を、といったので、九龍城まで来ることになったわけだ。今や工夫茶が出て来るのはそれなりの店だけらしい。

確かにこの店は伝統的で入り口に食材が並び、客がそれを選んで注文する。工夫茶も言わなくてもちゃんと出て来る。料理もなんか懐かしい感じがする。ただ料金だけは昔の数倍になっていた。まあ、香港話や歴史話などで楽しく盛り上がったので、それで良しとしよう。今の香港に昔を求めるのは無理というものだ。

帰りにYさんに地下鉄駅まで送ってもらった。いつの間にか九龍城近くに駅が出来ていたのだ。やはり香港も進んでいる。駅は勿論きれいで、乗客も結構乗っている。距離は近いが一度乗り換えて到着。折角なので、宿の周囲のハーバー、夜景を撮る。部屋からでも十分に見えるのだが、やはり風が心地よい。

5月6日(土)混乱は続く

朝早く目覚めた。カーテンを開けるとハーバーが靄っていた。7時には朝食に行き、かなり食べた。その後ハーバー通りを散歩する。朝は暑くないので、ランニングする人たちもいる。風が何とも気持ちよい。フェリー乗り場の方へ行くと、幼い男の子が進み出た。ああ、懐かしい、土曜日のドネーションだった。思わずコインを入れてシールを張られた。こんなことは昔よくあったが、今もあるんだ、と妙に感傷的になる。

宿では本日結婚披露宴があるらしく、ロビーは朝から慌ただしい。外へ出ると結婚用に飾られた高級車が停まっており、若者たちが楽しそうに写真を撮っている。私はそのまま外出して、用事を済ませようとしたが、何とまさかのインコンプリートとなってしまった。土曜日でお客が多かったのかもしれないが、解決の見込みがないことが分かるまで、1時間半も要してしまった。スピードが信条の香港の姿はやはり過去のものと言わざるを得ないだろう。

香港・深圳茶旅2023(1)香港にも実名制で

《香港・深圳茶旅2023》  2023年5月5日-10日

台北に滞在中、ちょっと所用で香港へ行ってみることにした。合わせて深圳にも潜入したいと思っているが、果たしてどうなるのだろうか。

5月5日(金)4年ぶりの香港で

朝台北駅に向かった。香港行のフライトは桃園空港から出る。昔はよくここからバスに乗って桃園へ行ったものだが、最近は羽田-松山を使うことも増え、久しぶりの桃園だった。バスターミナルへ行くと、人が少ない。コロナのせいか、バスがかなり減っているように見える。以前は20分に一本あった空港行きも、30₋40分に一本となっており、かなり待つ羽目になる。途中で気が付いたのだが、空港行MRTが出来ており、そちらに乗る人が多いのだろう。

バスの運転手は相変わらず愛想が無く、運転も丁寧とは言い難い。MRTより安いとはいえ、やはり選ばれないかな。空港まで1時間、第2ターミナルは後なので、さらに時間もかかる。

空港内は静かだった。チェックインカウンターにも人はいない。朝夕はかなりいるらしいが、この時間は荷物検査も並ぶことはない。羽田空港の衝撃を体験した後なので、どこの空港も混雑していると思ってしまうが、実はそうではないと分かる。当然飛行機も空いている。台湾にGWはないが、それにしても乗客は少ない。実にゆったりと過ごす。

香港の空港もそれほど混んでいなかった。荷物も預けておらず、すぐに外へ出た。4年ぶりの香港、まずはシムカードを買おうといつものブースを探したがない。香港移動の店舗は撤退しており、シムはセブンイレブンで買えるという。確かに買えたが、カードを挿入してくれるサービスはない。ただ何か説明書のようなものを手渡された。

続いてオクトパスカードの確認。だがエアポートエクスプレスに乗る観光客で行列が出来ている。取り敢えず機械で照会してみると、やはり使えなくなっている。まあ4年も使っていなので当たり前か。鉄道駅のホームにも切符売場があることを思い出し、そちらへ行くと、すぐに対応してくれ、15ドルの手数料でカードは見事に復活した。

目の前に来たエクスプレスに飛び乗る。ゆっくり座れたのでやれやれと思っているとさっき買ったシムカードが作動していない。慌ててもらった説明書を見てびっくり。何と中国だけでなく、香港にも実名制が導入されていた。急いで車内のWi-Fiを繋ぎ、パスポートのスキャンをしたが、揺れてうまくいかない。それでも何故か『開通』通知が来た。よかったと思っていたが、やはり繋がっていなかった。

九龍駅で列車から降りるとWi-Fiが無くなり、スマホは使えない。ここから予約した宿までどうやって行くか。まさにサバイバル状態となる。昔スマホなどない時代は常にこうしていたのだが、今はスマホ無しではどこへも行けないことを知る。うろ覚えでミニバス乗り場を探す。

キレイな九龍駅と異なり、ミニバス乗り場は地下の暗い所にあった。運転手に確認すると頷いたので乗り込む。料金はオクトパスで払えるからよい。乗客は満員。皆ほぼ地元の人々らしい。次の課題はどこで降りるか。まあ成り行きだ。ネーザンロードなど慣れ親しんだ道を横切り進む。

降りる時、ミニバスは自ら合図をしなければならない。ボタンなどないのだ。私は乗客からどう見えているだろうか、と急に思ってしまった。普通話をここで使うことはあり得ない。英語でも良いが、それもなんか変だな。と言って広東語の発音には自信がない。下手に使うと、『変な中国大陸人』扱いになってしまう。結局降りる客に続いて降りたので、声を発することはなかったが、何とも窮屈な香港になっている。いや、これは自分の勝手な問題だろう。

北京及び遼寧茶旅2019(10)北京ぶらぶら

12月21日(土)
北京で

今朝はいつもより早く起きた。そしてさっさと朝食を取り、8時には宿を出た。ついに北京に戻る時が来た。瀋陽駅から北京駅まで行く列車は多くなく、普通の高鉄より時間も少しかかるが、瀋陽北駅まで行き、北京南駅で降りて戻ることを考えると、自分の選択はすぐに決まった。

 

瀋陽駅までは歩いても行けるのだが、ちょうどバスが来たのでそれに飛び乗り、あっという間に到着した。だが駅に行くには地下道を通らなければならず、エレベーターがない所もあって、荷物を持って上がるのは大変だった。瀋陽駅と言えば、確か映画ラストエンペラーの冒頭で、溥儀が連行される場面がここだったのではなかったか、と突然思い出す。

 

列車に乗り込むと、すぐに寝込む。今回の旅で列車に乗るのはこれが5回目、さすがに飽きた。しかも今回は最も長い5時間だ。この列車はこれまで来た道のりを戻っていくだけでもあり、窓の外を見ることもなく、やることはない。当然列車は満員で、居心地がよいわけでもない。

 

何とか午後2時前に北京駅に到着した。この駅から脱出するにはやはり地下鉄しかない。一駅乗って建国門で降り、歩いて宿へ向かう。瀋陽に比べればかなり暖かく、着込みすぎていて汗が出てしまう。宿に到着し、昼を食べていなかったので、前回来た時と同じ麵屋で麺を食べる。

 

その後、地下鉄駅まで歩き、一駅乗って10号線に乗り替え、また一駅乗って先日泊まった宿に行く。実は一部荷物を預けていたので引き取りに来たのだが、1週間前の荷物が見つからず、ちょっと困る。五つ星ホテルと言ってそこは北京か。最後は出てきたので事なきを得たが?

 

建国門で昔馴染みの足マッサージ屋、いまだに12年前に作ったカードが使えるのは有難い。この10年で店舗は相当きれいになり、そして料金は2-3倍になった。いつものようにマッサージお姐さんから、色々と話を聞き、中国の庶民の様子を勉強する。ついでに凝りもほぐしてもらい、一石二鳥である。中国の農村地帯、話によると激変しているらしいが、行ってみないと、実感が沸かない。

 

夕飯はKさんと食べる。今や貴重な東四の老舗北京料理屋へ向かう。ずいぶん前に来たことがあったと思うが、雰囲気はあまり変わっていない。勿論ここも料金は相当上がっているが、何となく懐かしい味がして、嬉しい。ジャージャー麺や腰花などを食べて満足する。ただ土曜日の夜なのに、凄く満員ではないところがちょっと気になる。

 

Kさんは北京B級グルメをよく知る人物だが、北京からどんどん老舗食堂が無くなっていくことに時に流れを感じているようだ。恐らく老北京人も同じ感慨を持っているだろうが、もうこの国の勢いを止めることはできず、ただただ呆然と眺めていくだけだ。古き良き北京、今や建物だけでなく、料理の味や人々の心も失われていく。

 

12月22日(日)
東京へ

ついに東京へ戻る日がやってきた。外へ出るとさほど寒くはないので、帰る前に懐かしい散歩道を歩いてみる。10年前に住んでいた建国門から二環路の内側に入り、社会科学院の脇を抜けて、川弁へ。ここの四川料理は安くてうまかったが、今はどうだろうか。そこから北へ趙家楼飯店(1919年の五四運動の現場)を通り過ぎ、灯市口の方へ歩いて行く。

 

この付近にも古い歴史的な建物がいくつも残っており、歩いているだけで歴史好きには楽しい。清末から民国時代が目の前に現れてくるようだ。ここは何度も歩いているが、何度でも歩きたい場所である。北京の胡同、開発は一応止まっているようだが、改修などの名目で古い建物が建て替えられている姿を見ると、何とも言えない。

 

宿へ帰って時間までテレビを見た。チャンネルは沢山あるのだが、日曜日の午前中は大体ドラマの再放送が多い。しかもいくつものチャンネルで、いわゆる抗日ドラマをやっている。日本軍人役の俳優が変な日本語を使っているのがおかしい。これまでじっくり抗日ドラマを見ることなどなかったが、これは日本でいえば、水戸黄門や大岡越前などの時代劇に当たるのでは、と思ってしまう。何しろストーリーは安定しており、筋は大体は読める。別に中国人も日本憎しで見ている人は多くはないだろう。

 

昼にチェックアウトすると、外にはフードデリバリーのバイクが列をなしている。今や北京も食堂に行かない時代なのだろう。地下鉄に乗り、久しぶりに空港鉄道に乗り換えて行く。車内はかなり混んでいたが、外国人と中国人が席を譲り合って、座っている姿が微笑ましい。今年に私の茶旅もこれにて終了した。来年はどうなるのだろうか。

北京及び遼寧茶旅2019(9)瀋陽故宮と張氏師府

12月20日(金)
瀋陽で

翌朝部屋から外を見ると快晴だった。それで暖かいのかとちょっと外へ出てみたら、ものすごく寒かった。気温は午前8時で零下15度。ほぼ想定したマックスの寒さだった。疲れもあるのでどうしようかと思ったが、ご飯を食べたら気合が入ったので、予定通り出掛けることにした。

 

今日は王道の故宮と張氏師府に行くことにした。ここは10年前には行ったと思うが、やはり歴史を見る上では外すことはできない。今は地下鉄もあるので、外が寒くても、道が凍結していても行くことはできる。中街という駅で降りる。道を間違えて反対に歩くとすぐに立派な建物を見る。1905年に設立された東北三省官銀号、当時東北最大の銀行だったという。だが1931年に日本軍がここも占拠し、資金を持ち去り、営業停止に追い込まれた、とプレートにはある。

 

やはり道は歩きにくかった。雪が残っているところは凍結していて危険だった。それでも何とか10分歩いて瀋陽故宮まで来た。入場料は50元にもなっている。中に入っていくつかの宮殿を見たが、特に日蔭は凍り付いており、危なくてオチオチ見学もしていられない。北京の故宮の小型版とはいっても、それなりの規模なので、途中で投げ出し、無念のリタイア、外へ出た。

 

数分歩くと瀋陽故宮博物院という文字が見えた。ここにも博物院があるようだが、一般公開はされていない。その横に見慣れた立派な建物が見えてきた。張氏師府、東北軍閥の首領、張作霖、張学良親子の官邸及び私邸だった場所だ。中国的な部分と西洋的な部分が入り混じった独特の建物だ。

 

1914年に作られた大青楼が中心の建物で、会議室では軍閥、日本軍など様々な人々が出入りしたとある。彼らの執務室や寝室もここにあった。また趙四小姐楼は側室の建物で、爆破された作霖はここに運び込まれて息絶えたという。尚張学良の弟たちは共産党に入党して新中国を生きた。更には1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した劉長春の写真がある。彼は中国初のオリンピック選手(陸上100m、200m)だが、張学良の支援があったと書かれているなど、知らないことも多く掲示されている。建物の門の前には張学良の像がスッとが建っている。

 

張氏師府を横に歩くと、辺業銀行という名のかつての銀行の建物が出てくる。今は金融博物館となっており、合わせてここも見学する。中は迷路のようになっており、思ったよりははるかに大きい。ここも清末から民国時代、そして満州事変での影響などの歴史が綴られている。

 

瀋陽にも立派な天主堂があると聞き、そこも訪ねてみた。1878年に作られた建物は大規模で荘厳。1900年の義和団事件、1960年代の文革では相当の被害を受けたようだが、今も立派にそびえている。現在信徒はどれほどいるのだろうか。教会の横にはなぜか瀋陽で一番きれいな公衆トイレがあった。

 

天気は良いのだが、昼間でも気温は氷点下。かなり疲れてきたので、宿へ戻る。そして宿の前にあった韓国料理屋で昼ご飯を取る。まあこれも東北らしくて良いかと思ったが、ボリュームはすごいのだが、料理の質はイマイチだった。中国では全体の物価も上がっているが、良いものとそうでないものの価格差がかなり開いていることを実感する。

 

ちょっと休んだだけで、また外へ出ていく。ラストスパートと言ってよいかもしれない。バスで旧日本領事館を探しに行く。結局今は瀋陽迎賓館になっており、建物も建て替えられてしまっていた。その横にはそれらしい建物があったが、こちらはどこぞの公館跡だった。

 

そこからフラフラ歩いて、中山広場の方へ向かう。途中から古い建物がチラホラ出てくる。更に行くと欧風街などと書かれている。皆大体1920年代に建てられているらしい。ということは、瀋陽の街が整備されたのはその頃だったのではないか。かなり歩いて瀋陽駅の近くまで来ると、ここは保存地区なのか、その100年前の建物がズラッと並んでいる。往時は日本人も沢山住んでいたのだろう。郵便局の中の展示室があったりもする。

 

夜はまた面倒になり、宿の近くの店に入った。何となく見覚えのあるメニューで、水餃子を頼んだのだが、何と営口で行った餃子屋と同じチェーンだった。そして同じメニュー、同じ味なのに、餃子が2元高かった。この辺りが中国の地方格差を表しているようにも思う。

北京及び遼寧茶旅2019(8)瀋陽 中山広場から九一八紀念館へ

12月19日(木)
瀋陽へ

いよいよ旅も終わりに近づいてきている。それと共に疲労が出ており、疲れていると眠りが浅くなる。今朝も6時台に目覚め、外を見ると日が昇っていく。宿の食事にも飽きてきたが、寒いので外に出る気にはならない。また茶専門チャンネルを見て過ごすことになる。過去に放送された番組も是非見てみたい内容だ。

 

時間になり、荷物を持って外へ出ると、そこにちゃんとタクシーがやって来て、寒さを感じないうちに、駅まで運ばれていった。今日は省都瀋陽を目指す。駅の中のトイレに入ると、各扉の上に『有人』『無人』を知らせる電光掲示があったので驚いた。こんなの今まで見たことがない。先進的だが、そこまで必要なのだろうか。ただその横で『禁煙』と書かれて壁に手をついてタバコを吸っている若い男がいたのは、明らかに時代に逆行していた。

 

改札時間が来て、ホームへ行くと風が冷たくて思わず引っ込みたくなる。わずか数分間だったが、耐えるのに苦労する。一昨日から東北地方では大雪が降ったと聞いていたが、これまでの暖かな冬が嘘のように寒さが堪える。瀋陽もかなり雪が降ったらしいから、さぞや寒いだろう。

 

列車は僅か1時間で瀋陽駅に着いた。瀋陽に来るのは10年ぶりだと思う。いつの間にか地下鉄が走っており、一駅だけ乗って、予約した宿に入る。ここは繁華街のど真ん中だが、上の階なので、うるさくはない。まだ12時過ぎだったので、外へ出て昼ご飯を食べるかどうか考える。

 

日差しがあるものの、気温は零度前後。おまけに2-3日前に降った雪が残っており、道は滑りやすく歩きにくい。地下鉄の駅名が太原街なのに、その太原街が見つからない。そこは満州時代、日本人が住んでいた中心的な場所だったのだが。ようやくその辺りに行くと、きれいなショッピング街になっていて、ちょっとがっかり。確か大連の天津街と同じ構図になっている。

 

 

ただ日本人町だったことを反映してか、日本食レストランがいくつか見える。スマホで見てみると、割烹清水の名前も出てきたので、ちょっと離れていたが、迷わずそこへ行ってみた。ここは昨年大連でも行った、懐かしの食堂だった。だが、午後1時半過ぎに入ると、お客は殆どおらず、店員は日本語を話して丁寧だったが、全体的には和食屋のサービスでもなく、味もちょっと。瀋陽は大連とは違うんだ、と何となく思う。

 

それからやはり中山広場に足が向く。ここの遼寧賓館(旧大和ホテル)はまだちゃんと営業していた。ここに泊まったのは32年前になる。中に入るときれいなロビーで驚く。横浜正金や三井の入っていた建物も残っているが、公安が使っている建物などもあり、写真を撮るのが憚られた。

 

結構疲れていたが、折角なのでここからバスに乗って、一気に九一八紀念館へ向かうことにした。スマホ地図ではかなり遠いとなっていたので、覚悟していく。このバス、柳条湖橋の手前で降りることになっており、なぜか歩いて橋を渡ることになる。橋の上は強風が吹き付け、気温は零下8度。下は雪が凍結しており実に歩きにくい。何だか試練を与えられたような気分で、前に進む。橋から真っ赤な夕陽が落ちていくのが見える。

 

何とか紀念館に辿り着いたが、トイレに行きたくて仕方がない。受付で聞くと、この展示をずっと行かなければない、と言われ、少しずつ見始めると、止められなくなり、しかし限界が来て?展示内容はかなり刻銘であり、残念ながら日本人が見るには厳しい。参観者のほとんどが中国人であり、あちこちで『日本は本当にひどい』などと囁きあっているのが耳に入ると、困ってしまい、結局かなりの展示を飛ばしてトイレに駆け込む。

 

そしてすっきりして出てくると、もう閉館時間が迫り、半分も見ないうちに追い出されてしまった。柳条湖事件とは何だったのか、満州とは何なのか。考えなければならないことは沢山あるが、考えて分かる話でもないかもしれない。先日登場した張学良などに更に関心が高まる。

 

帰りもバスに乗る。瀋陽駅まで渋滞もあり1時間以上かかった。駅に着くと既に暗くなっており、駅舎のライトアップが美しい。宿の周辺も古い建物にライトが当たっており、ちょっと華やかだ。疲れてしまったので、宿の前の牛肉麺の店に入る。ウイグル系の若者が一生懸命麺を打っていたが、その動作にも疲れが見える。きっと苦労して生きているのだろうな。