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雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(4)樹齢3200年の茶樹

皆今年の新茶の出来を気にして、また買付の算段のために、この山深き茶産地まで足を運んでいる。一番長い人で既に半月いるという深圳の女性がいた。『勿論自分の商品を確認するために来ているのだけれど、ここの環境があまりにも良いので長居している』と言い、もう2-3年前から毎年春はここにいるのだとか。そして『今年は例年より寒かったから、なかなか茶葉の芽が出ず、お茶が出来なくてさらに長居になっている』ともいう。確かにここは自然に囲まれた場所で、都会よりはるかに空気もよいし、静かだ。

 

この工場には来客用の宿泊所が作られており、何と3階建てで部屋数は10を超えている。現在も多くの部屋が埋まっており、私が街のホテルになったのも、実は満室だったからかもしれない。そしてお昼の時間になると皆が食堂へ行き、地元料理を頂く。これがまた美味いから、皆も飽きずに泊まっているのだろう。なんと素晴らしい環境だろうか。暇があればお茶を飲み、雨でなければ付近の茶畑を散策する。極楽生活だ。

 

昼ごはんの後は、宿舎の屋上から外を眺める。雄大な景色が広がっている。反対側を見ると斜面に茶畑が見える。案内されてその茶畑にもちょっと足を踏み入れる。結構古い茶樹が植わっている。説明によれば、1950年代に植えられた大葉種だとか。この葉を使って紅茶を作るのがよいという。土壌もしっかりしており、確かの紅茶作りに適した場所のようだ。

 

茶畑の方で激しい爆竹の音がした。今日は清明節、先祖供養のために人々が墓に集まるのだが、この茶畑の中に墓があるのだろうか。それとも茶農家だった故人を偲んで茶畑の中で供養しているのだろうか。いずれにしても、お茶と友の人生を過ごし、そしてこの地で逝った人々がいた、という事実が語られる、そんな清明節だった。

 

3200年前の老茶樹
何人かが車で出かけるというので付いていくことにした。どうやら相当古い茶樹を見に行くらしい。昨年は雲南省易武で1000年茶樹を見た。今回はどんなものが見られるのだろうか。車2台で出発。それにしても思ったよりその場所はずっと遠かった。山道を1時間ぐらい走ると、ダムが見え、そこで休憩した。この道路も十年ほど前、水力発電のためにこのダムができる時に作られたらしい。その前は道路がなく、あの茶工場も含めて、街に出るだけでも大変だったはずだ。だからこそ、いまだにあの自然環境が残っていたのだろう。

 

更に30分以上車に乗り、ようやくその場所に着く。茶畑が広がり、その間を歩いて行く。一応観光地のように整備はされている。小湾鎮茶王村と書かれている。ちょっと上って行くと、かなり背の高い木があった。表示があり、樹高8.3m、1000年以上の古茶樹となっている。但し大理茶とも書かれている。これはカメリアシネンシスではなく、タリエンシスということか。

 

その上の方に城壁のように囲われた場所がある。遠くに大きな木が見えた。『あれが3200年前の古茶樹だ』と言われたが、ちょうど管理人さんが清明節で出かけており、中に入ることは出来なかった。ただどう見ても、あの木もタリエンシスだろう。石に彫られた内容を見ると、中国をはじめ、アメリカや日本の専門家が『3200年前の世界最大の古茶樹』に認定したとある。そんなこと、簡単に認定できるのだろうか。軽い疑問は残ったが、古い木であることには違いない。一人だけ茶摘みしているおばさんがいた。

 

帰りは1時間半ぐらいで工場に戻った。実はこの会社、紅茶作りの他、プーアル茶も作っている。ここからかなり離れた茶葉の産地にもネットワークがあり、仕入れているらしい。ここに集まった茶商の中にも、紅茶よりもプーアル茶を求めてきた人たちもおり、彼らは明後日から茶葉の産地巡りに出掛けるという。私も是非ついていきたかったが、次の予定があるため、今回は断念した。

 

夕暮れ時、茶葉を担いだ近所の農民たちがやって来た。ここに茶工場があることは地元の農民にとって本当に貴重なことであり、また地元の若者に働く場を提供している。夕飯をここで食べ、車で送ってもらい、またホテルに戻った。今晩は外へ出て歩いて見た。10分ぐらい行くと、便利店があり、水などの飲み物も買えた。

 

4月4日(火)
博物館で

今朝も迎えが来てくれ、活動開始。今日は滇紅の歴史を知るべく、元国営企業である滇紅集団の博物館を訪問することになっている。滇紅集団は清明節中休み、と聞いていたが、張さんがアレンジしてくれ、街の顔役を通じて、博物館を開けてもらうことになっていた。何とも申し訳ない話だ。ただ役場に行くと、その人はまだ来ておらず、先に朝食。昨日とはまた別の麺を食べる。この麺線が何と旨い。

 

滇紅集団は元々、この街そのものと言ってもいい大企業だった。企業城下町という言葉がピッタリで、旧市街地の中心部に旧工場とオフィスがデーンと構えていた。新工場は2012年に郊外に作られており、基本的な機能は全てそちらに移っている。ここに残っているものは、今後歴史的な遺産として残されるものなのだろうか、それとも壊されていくものなのだろうか。この辺が大変微妙であり、滇紅の経済的な現状とも大いに関わってくるはずだ。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(3)滇紅の里 鳳慶へ

4月2日(日)
鳳慶へ

 

今朝は7時には起き、朝食を食べて8時にはチェックアウトした。雨が降り始めていた。急いで昨日のバス停に向かい、ちょうどやって来たバスに乗り込んだ。少し濡れただけで済んだのは幸いだったが、今日もバスは寒かった。10時発なのに9時前には西ターミナルに着いてしまう。

 

それからトイレに行き、バスの出発場所を確認する。とにかく今日は人が多い。清明節の連休が始まっていた。皆故郷に墓参りのため帰るのだ。子供連れも多い。私が乗るバスは30分前には着いており、席に座った。当然のように満員になり定刻前に出発した。すぐに高速道路に入る。このターミナルは高速に近いから便利なのだろう。

 

それから約4時間半、バスはひたすら雨の中を走り続けた。大半の乗客は眠っている。途中の休憩もない。外は山間部の風景が続く。ちらっとモスクが見えたりすると、回族がいるのかな、などと思ってしまう。祥雲という場所で高速を降りて、すぐにサービスエリアに入り、ついに休憩があった。私はトイレに駆け込む。トイレは建物の2階にあり、かなり遠くがよく見える。ここで昼食を取る人もいるが、私はバスに乗っている間は食べないことにしている。ただポテトがいい匂いがしていたので、つい買ってしまったが、辛くて食べられなかった。

 

そこからバスは一般道路を走る。今や雲南省でもほとんど高速道路が通っていると思い込んでいたが、それは間違いだった。いくつもの山を越えていく。一体どこを走っているのかも分からなくなる。所々に街があり、集落もあるが、私の目的地にはいつになっても着かない。バスには車掌がいるので聞いてみると到着少し前には声を掛けると言ってくれた。それを合図に隣の若者と会話が始まる。無錫に働きに行っている地元の若者だった。出来れば故郷に帰りたいが仕事がない、と嘆く。

 

3.鳳慶
鳳慶の街に泊まる

結局午後6時半頃、突然現れたきれいに整備された道路、マンション群に遭遇し、ついに鳳慶の街に入った。ずっと山道を走ってきたので、ちょっと驚く。そしてその街を抜けてターミナルに入った。先ほど見たのが新区だろうか。こちらは昔の街の印象だ。9時間近くバスに乗っていたのでさすがに疲れた。

 

張さんの会社の人が迎えに来てくれるとのことだったが、見当たらない。電話をかけてみると、正面にいるという。私は裏口から出てしまったらしい。正面まで歩いて行くと、若い男女がいた。もう一組、お客を待っているという。同じバスで来たらしい。そのお客も載せて車は近くのレストランへ向かう。

 

そのレストランで地元料理をご馳走になった。山菜や地鶏、腹が減っていることもあったが、実にうまい。ここまで来た甲斐があったというものだ。それから私は少し離れたホテルに連れていかれた。もう一組のお客は、若者と一緒に車で去っていった。後で分かったことだが、彼らは山の中の工場に泊まるためにここから30分かけて山へ行ったらしい。私は外国人だから、念のため、街に泊めたようだ。

 

ホテルの部屋はきれいだった。恐らく最近できた新しいホテルなのだが、周囲には何もない。飲み物を買いたくても、もう暗いので出ることができなかった。まあ、そういう場合はただただゆっくり休めばよい。幸いWi-Fiは繋がるので、問題ないと思ったが、PCに設定してあったVPNはなぜか機能しない。これは困った!

 

4月3日(月)
鳳寧茶業の茶工場へ

翌朝は早めに起きたが、このホテルには食堂もなく、朝ご飯は食べられない。フロントで聞くと15分ぐらい歩けば食べる所があるという。まあ、食べなくてもよいか。9時に若者、李さんが車で迎えに来てくれた。そしてもう一人また新たな客が登場した。彼は昨日午後のバスで昆明を出たが、バスが遅れて午前2時に着いたので、このホテルに転がり込んだらしい。

 

車は道路沿いの清真レストランに入る。牛肉麺が朝ご飯となる。これがまたいい味を出している。それから山道を走り始める。約30分道を登る。小雨が降り視界が悪い。急に道路沿いの道から上がると、そこに鳳寧茶業の茶工場があった。車を降りるとすぐに工場の見学が始まる。朝摘んだ茶葉が運び込まれ、室内で萎凋されている。揉捻機も回っていた。お茶の香りがほのかに漂ってくる。

 

入り口付近にお茶を飲むところがあり、早々に試飲が始まる。既に数人がそこにいたのだが、従業員ではなく、皆客だという。一体この工場には何人の客が来ているのだろうか。それも聞けば東北地方から武漢などの中部、北京や上海近郊まで、様々な地域の人が集っている。後で分かったことには、彼らは殆どがその地区でここのお茶を扱っている代理店のオーナーだったのだ。

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(2)昆明の茶葉市場再訪

4月1日(土)
茶葉市場へ

 

昨晩は寝るのが相当遅かったにもかかわらず、6時台に起床し、出掛ける。今回の目的地、雲南紅茶、滇紅の里、鳳慶には昆明からバスで行く。そのバスは西バスターミナルから出るというので、出発時間を確定させるために、切符を買いに行く。西ターミナルと言えば、2013年に下関の茶廠に行く際、マレーシアの大金持ちの陳さんに連れられてバスに乗った記憶はある。ただその時はホテルからタクシーに乗ったので、どこにあるのか全く覚えていない。

 

取り敢えず近所の旅行社でバスチケットが買えないか聞いてみたが、やはりターミナルに行く必要があるという。そして路線バスの乗り場を教えてくれたので、それに乗る。何となく雨が降ってくる。そして今日の昆明は4月だというのに寒い。にも拘らずバスにはエアコンがついており、凍えそうになる。スマホで見たら、気温8度と出ているではないか。そんなバスに1時間近くも揺られていく。座ってはいるが結構辛い。

 

ターミナルで鳳慶行きバスを確認すると1日に数本あるのみだった。やはり確認してよかった。明日10時のチケットを買う。そして明日訪問予定の張さんに電話を入れた。実は今回の雲南行は直前に問題が発生し、大変だった。元々訪問予定の会社が何と急きょ清明節休みのため、工場を休止すると言い、訪問できなくなってしまっていた。一時は雲南以外の他の場所に変更しようかと考えたが、福州の魏さんの方で、もう一つの会社を探してくれ、直前にも拘らず、快く受け入れてもらえることになったのだ。これは何とも有り難いが、茶産地の状況は心配だった。

 

帰りも強い雨の中、何とかバスに乗り込み、元来た道を行く。バスも来た時よりかなり混んでいる。このバスは昆明の街の中心を通っているようだ。ホテルに帰ると、まだ朝ご飯が食べられるようだったので、急いで行く。少し冷めているが、結構色々な種類があり、美味しく頂く。古いホテルはホテル代も安いが、こんなところもよい。

 

部屋で少し休み、昼前にまた外へ出た。さっき食べたばかりだが、これからお茶を飲むので、昼ごはんは軽く麺とした。これが意外とうまい。その横の携帯修理屋でシムカードに入金。スマホを持っているのに、ネット入金できない変な客にも怪訝な顔をせず、手数料1元でやってくれるのは1年前と同じ。それから地下鉄に乗って茶葉市場へ向かう。

 

金星駅で降り、歩いて数分。雄達という新しい茶葉市場がある。その向かいの古い茶葉市場に入る。昨年も同じように鉈先生とここに入り、何となくふらつき、最終的に王さんの店に辿り着いた。ちょうど彼が仕入れてきた野生紅茶が非常に美味しかったので、今年はその産地に同行したいなと思って連絡はしていたのだが、結局天候不順でまだ茶が出来ておらず、次回になってしまった。

 

店に行ってみると、王さんはちょうど昼ご飯を食べていたので、一度店を出て、雄達市場を覗きに行く。きれいな店は沢山並んでいたが、ほぼお客はなく、閑散としていた。一軒の店から声が掛かったので、一応偵察する。今ある新茶は低地の茶葉で作られたものだけで、正直美味しいとも思われない。昨年の物も飲んでみたが、野生茶と言っても随分と味が違うものだ。すごすご退散する。

 

王さんの店では色々と話をして長居する。雲南農業大学の学生も遊びに来て、雲南紅茶の話題などで盛り上がる。但し歴史に興味があるのは私だけ。普通は如何にして美味しいお茶を作るかなどに焦点が当たっているのだ。農業大学だから当たり前か。とにかく今年は涼しくて、茶葉は育っていないという。新茶が入荷するまで、あと数日は市場も閑散としているだろうと残念な話が続く。

 

王さんの息子は1年前奥さんに抱っこされていたが、かなり動き回る上、自分で椀を使ってお茶まで淹れて、飲んでしまうようになっていた。子供の成長は本当に早い。そしていかにもお茶屋の息子らしい。王さんに『涼しいから夕飯は一緒に鍋を食べに行こう』と誘われたが、店にいてお茶を飲んでいるのに、何となく寒気を感じたので、申し訳ないが先に帰ることにした。

 

地下鉄に乗って戻ると、何となく気分がよくなってきた。するとなぜか腹が減るから面白い。昨年食べておいしかった、西紅柿炒蛋炒飯を食べに行く。昨年は雲南とラオスでずっと味の濃い物ばかり食べてきた後だったので、格別に美味しく感じたが、今回はまあ普通かな。それより海苔スープがやけに美味く感じる。やはり寒さのせいだろうか。

 

ホテルに戻って、フロントで『昨晩はスイートルームに泊めてもらったけど、今日は普通の部屋に移るんでしょう?』と聞くと、昨日とは別の子が『いや、面倒だからもう1日そこに泊まったら』というではないか。まあ、広い部屋を与えられては文句も言えないが、やはりこのホテル、何かがおかしい。管理というものが杜撰なようだ。

 

雲南から江蘇、湖北の茶旅2017(1)台湾から昆明へ行ってみる

【雲南から江蘇、湖北の茶旅2017】

 

今年の中国茶旅が始まった。『中国紅茶の旅』という月1連載の関係で、2か月に1度、紅茶の産地を2つ回る必要が出てきた。今回は雲南省の鳳慶と急須の街、江蘇省の宜興に行くことになる。その距離はかなり遠い。更には湖北省恩施の玉露を訪ねる旅まで加わってしまい、中国中を駆け回る、という雰囲気になった。かなり疲れる旅、もうしないはずだったのに。懲りない性格だ。

 

3月31日(金)
1.深圳経由で昆明まで

 

台湾桃園空港を飛び立った飛行機は深圳に向かっていた。今回の旅、台北-昆明の片道フライトで一番安かったのが、南方航空の深圳経由だったので、迷わずそれにした。台北から昆明までのフライトもあったが、高い。台湾と中国、近いようで意外と遠い。むしろ東京でチケットを買った方が余程安い。これは需給の関係か、政策の関係か。

 

機内食で出た角煮が意外とうまかった。南方航空に乗るのは久しぶりだが、国航と比べれば、サービスも機内食もこちらの方がよいと感じる。ほぼ定刻に深圳に着いた。実はここでは2つのポイントがあった。1つ目は、桃園で預けた荷物はどうなるのか、ということ。中国では普通国内線に乗り換える時はバッゲージスルーとはならず、一旦荷物をピックアップして、再度国内線カウンターで預ける必要があるのだが、桃園の南方航空カウンターの女性は『昆明まで荷物は直接行くので、ピックアップの必要はない』と説明していた。もしこれが本当なら画期的だが。

 

もう一つは国際線から国内線への乗り継ぎ専用通路があるかどうか。これまた桃園では、『専用通路を通って入国審査を行い、そのまま国内線ターミナルへ』と言われたが、よく利用する北京空港でも、国際線間の乗り継ぎはそうなるが、国内線への移動は、荷物を取った後、申し訳程度の通路があるだけだ。果たしてどうか。

 

空港に着いて、国内線専用通路を探したが、そんなものはなかった。すぐに入国審査場についてしまい、まずは入国することになる。そこで驚いたのが、指紋を取る機械が設置されており、窓口へ行く前に指紋を取れという。中国で初めて見た、こんなの。係員がいて、指紋のとり方を教えてくれたので、ついでに聞いてみると『この空港で試験的に行われているだけで全土には広がっていない』というので一安心。だが数人しかいない外国人はかなり混乱していた。今後こんなことが行われると益々不便になりそうな予感。

 

入国審査を通ると、やはりバッゲージクレームで荷物を取る。何となく通路があったので、そちらへ歩いて見たが、そこにあったのは特定国際路線から国内線への専用通路で、今は開いてもいなかった。結局ごく普通に出口を出て、国内線のチェックインカウンターを探し、荷物を預けることになる。既に昆明行きのチケットだけは発券されているので、何とも面倒な話だ。

 

カウンターで『フライトは遅れています』と言われる。ボードを見ると、軒並みフライトが遅延している。深圳でも雨が降っているが、このせいだろうか。フライトはいつ出発できるかすごく心配になる。それにしても深圳空港は明るい。華為などの企業ブースもデザインが斬新でよい。

 

2.昆明
昆明の悪評ホテル

 

結局フライトは1時間半遅れて出発し、夜の10時半過ぎに昆明空港に到着した。この空港、規模が大きすぎて、毎回出口まで歩くのに難儀する。10分以上歩いて何とか荷物を取り、ようやく出口を出ると、まだ空港バスがあったのでそれに乗り込む。バスの車内に変なおじさんが乗り込んできて、無料で道案内をすると言っている。このホテルへ行くのはどこで降りるのがよいかなど、丁寧に答えている。ようは旅行会社の人で、ホテルの決まっていない人などお客を探しているだけなのだが、このスマホの時代にこんなサービスが必要なのが中国のギャップだろうか。

 

バスは昆明駅近くまで行く。今晩はその近くのホテルを予約していたので、真っすぐそこへ向かった。ちょっと入り口が分かり難かったが、駅に近く便利で料金も高くない。私がこのホテルに決めたのは、何より予約サイトに日本人のコメントが数件あり、パスポートでも確実に泊まれると思ったからだ。夜中にホテルを捜し歩くのは正直勘弁してほしい。

 

もう一つはその日本人のコメントのほとんどが『フロントの対応が悪い、サービスの概念がない』など、ひどい内容だったことだ。なんでこんなにひどいことを書かれているのか、怖いもの見たさで行ってみたのだ。フロントへ行くと、確かに若い女性に全く愛想はなく、また予約も見つからないという。何しろ要領が悪い。そこで気が付いたのは、こちらが中国語で教えてあげれば対応できるということ。ようは日本語しかできない日本人がここに来ても『怒ってしまうだけ』なのである。

 

最終的に予約はあったが、私の予約した部屋はもう一杯だと言い、このホテルのスイートルームに通してくれた。そんな広い部屋は必要ないのだが、こんな対応があるのも旅としては面白い。勿論このレベルのホテルのサービスがよいとは言えない。だが意思疎通ができないと混乱が生じるのは、当然のことだろう。フロントの子も田舎から出てきてサービスなど知らないだけなのだ。

偶には香港を旅する2017(4)中国通がいない香港の日本人

3月13日(月)
懐かしい人々に会う

 

今朝もゆっくり起き、そのままそごうへ。ここでLさんと待ち合わせしていた。Lさんとは1月に台北で会ったばかりだったが、やはり何となく香港に来たら会いたいなと思い、何とか時間を合わせてもらった。まだそごうもカフェも開いていない時間、我々は近くの屋台のような朝ご飯を食べる所に入り、港式ミルクティを啜りながら話をした。これが香港らしくて良い。

 

Lさんの中国昔話は、時として非常に参考になる。そして現在のビジネスの話や、各地のネットワークから出てくる人々の活動など、話題は全く尽きない。お互いが自分のネタを出し合っていると、1時間半など、まさにあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいがMTRで移動した。

 

向かったのはフォートレスヒル!これもまた懐かしいところだ。25年も前に香港で一緒にビジネスしたIさんのオフィスを訪ねる。香港の家賃高騰で数年前に金鐘から移ってきたというが、それでも立派だ。香港だけでなく、中国、台湾、そして日本も視野に入れたビジネス展開をしている。

 

ランチをご馳走になる。近くのビル内のレストランは、サラリーマンたちで超満員。香港は景気が悪いという話もあるが、こういう光景を見ていると決して景気が悪いとは思われない。ただ夜も同じようにお客が入っているとも思えず、賃料の高騰もあり、経営は楽ではないのかもしれない。

 

Iさんは『今日は実に楽しかった。中国のディープな話をしたのは久しぶりだ。昔は中国通と言われた、中国の内情に詳しい人が香港にゴロゴロいたが、今では中国のことなど全く分からない人々が香港に来て仕事をしている。これでは日本企業の前途は暗いと言わざるを得ない』とコメントしていた。香港にいて中国が分からない、中国を避けてきた人々は昔から多くいたが、それでもここまで酷いとなると、大変なことだ。そして何かと言えば『中国はとんでもない』を繰り返されては道を誤るだろう。

 

食後、一度宿に戻り休息した。そして午後4時頃にセントラルへ向かう。北京の時に一緒だったYさんとスタバで会う。スタバではあるが、ティバナというお茶カフェも併設されている。ほぼコーヒー並の料金で紅茶が楽しめる。一部日本のほうじ茶なども入っているが、日本から来ているかどうかはわからない。ちょっとおしゃれな店内だ。

 

Yさんは北京の後、香港にやってきて6年になるという。勿論会社も変わり、今は日系企業の現地採用で働いている。『年齢もある程度になり、技術も伴っていれば、駐在員より給与もよく、つまらない仕事はしなくてよいので、現地採用の方が余程マシだ』という。確かに日本の会社は仕事の分担がはっきりとしていない。契約により必要な仕事だけをしていればよい、という身分は理想的かもしれない。ただ職位が安泰とは言えないが。

 

次の約束に少し時間があったので、昔よく行ったセントラルの教会に行く。ここは駐在時代に心を休める場として、クリスチャンでもないのに、時々利用していた。こんな大都会の、オフィス街のすぐ上に、こんなに静かな場所があること、それ自体が素晴らしい。ただ教会の椅子に座っているだけで、心が落ち着き、怒りやざわめきが収まる。こういう場所を日本ではなかなか見つけることはできない。宗教には無縁ではあるが、それはやはり必要なのかな、と思ってしまう。

 

その後ちょうどトラムがやってきたので、上環の先まで乗ってみた。この乗り物、決して早くもないし、便利とも言い難いが、なぜか時々乗りたくなってしまう。便利ではないが、道を歩いていると目の前にやってくるから乗りやすい。2.3ドル、昔と変わらない。乗客も多くはないので座ってゆっくり市内見物。周囲はあまり変わっていないようだ。

 

セントラルの古い懐かしいビルに向かった。前回の香港駐在で一緒だったTさんと待ち合わせた。彼は2回目の赴任で、偉くなっており、車で山沿いの四川料理屋に招待された。香港現法の仕事は今やどこの会社も香港限定か、せいぜい広東省までのエリア。中国ビジネスの主流は上海や北京になってしまった。往時の香港の賑わいはかなり薄れたという。

 

四川料理は大変美味しかった。昔香港人は辛い物が食べられず、日本同様四川料理も辛くはなかったが、今や本場の味に近い物を食べている。いや、実際に食べているのは大陸から来た人々かもしれない。ウエートレスは英語も普通話も片言以上話す。年配のウエートレスが片言の日本語も話すのは、昔の名残か。

 

3月14日(火)
台中へ

今日はいよいよ香港を離れる日。早めに起きて、朝食を探す。トーストとミルクティとなる。店はそれほど混んでいない。皆テイクアウトしてオフィスで食べるのだろうか。宿のチェックアウトは少し面倒。荷物を持って部屋を出て、一度ビルも出て、先日のフロントまでまた荷物を持って上がり、鍵を返す。

 

銅鑼湾より空港バスに乗り、1時間で到着した。今回初めて香港エクスプレスというLCCに乗り、台中へ向かうことになっている。チェックインは順調だったが、気が付くと搭乗ゲートが突然変更になっており、ちょっと焦る。何だかいつもと違うゲート、バスに乗り飛行機へ。今回の香港の旅も慌ただしく終了。これが香港らしくて良い。

偶には香港を旅する2017(3)香港も安くなってきた?!

格安な宿

フェリーを降りるとすぐにホテルに戻り、荷物を取り出して、今日から泊まるホテルに急ぐ。そこは全く初めてだったのでちょっと不安。ホテルからほど近いその場所を、住所通りに訪ねてみると、ブランドショップが入るビルの3階に受付があった。何となくゲストハウス風だ。フロントの女性は英語も普通話をでき、お客は欧米人も中国人もいた。部屋はこのビルにはなく、すぐ横のビルに行き直す。6階の一角を使用している。因みにここの経営でこの付近、数百室の部屋を抑えているらしい。意外と資本を掛けている。

 

完全な民泊形式だが、何しろ銅鑼湾の駅からもすぐで極めて便利。しかも料金は1泊400ドル以下だったから、それは人気もあるわ、と思う。部屋は勿論狭いが、窓もあり、狭いがバストイレ付きだ。Wi-Fiなども支障なく、不自由はない。香港のホテル代は高過ぎると決めてつけていたが、これなら何とか泊まれるので、次回からはもう少し泊まる機会を増やそうと思う。

 

今晩は昨日会えなかった、昔の知り合いHさんが、広東省から帰ってきたので会うことになった。場所は日本人クラブ。昨日も行ったのだが、移転してからレストランへ行くのは初めてだった。きれいなカウンターに座り、Hさんの知り合いの大将と話しながら、美味しい物を沢山頂いた。日本人クラブって、こんなだったっけ?と思うほど。ただカウンターに座るのは香港人ばかりで、自分を含めて日本の経済力の無さを嘆かざるを得ない。

 

3月12日(日)
先輩に会いに

今朝はゆっくり起きて、朝食も食べずに、バスに乗った。銅鑼湾からホンハムへ行くバスには乗りなれている。トンネルを潜れば一つ目のバス停なのだから簡単だ。だが最近はバス路線が増えたり、バス停の位置がいくつかに分かれたりして、分り難くなっていた。何とかホンハム駅に着くと、まだ待ち合わせ時間には早かったので、散歩に出た。

 

香港島側や尖沙咀のプロムナードからハーバーを眺めることは偶にあるが、ホンハムから眺めるのは初めてかもしれない。駅の方から階段を降りて行くと、立派なホテルなどがあり、更に行くと高級マンションが見える。この辺、今一体いくらするんだろうか。非常に環境の良い、静かな高級感が漂う。3月らしく、香港サイドには靄が立ち込め、よく見えない。

 

駅付近に戻り、待ち合わせのホテルでAさんと会った。もう20年も前にここ香港で同じ支店にいた、お世話になった方だ。今は別の会社に移り、出張で来ていた。私が香港へ来る直前に連絡があり、劇的な再会となる。ホテルで食事をご馳走になりながら、様々な話をした。もう会社勤めはできない私だが、相手をしてくれる先輩がいることはとても嬉しい。

 

Aさんは午後のフライトで台北へ行くというので、そのままチェックアウトして去っていった。何とも格好がよい。因みにこのホテル、立地も抜群でそれなりの会社が運営しているのに、それほど高い訳ではない。やはり香港のホテル代は依然と比べ、確実に下がってきていると言えるだろう。

 

私はフラフラとまたバスに乗り、銅鑼湾へ戻った。日曜日の銅鑼湾は人の波で溢れんばかり。ホンハムの静けさが懐かしくなるほどだ。馴染んだ場所でワンタンメンと温野菜を食べる。今やそれが似合っていると自分でも思える。ついでに港式ミルクティも飲んでみる。少しの苦みが悪くない。

 

新しいカフェ
宿に戻り、休息した。特に暑い訳ではないが、今や休息がないと一日中の活動は難しい。夕方の約束までベッドで寝ていた。4時前に外へ出たが、相変わらず人が多い。ちょうど選挙があるようで、選挙活動をしていて人が集まっている。だが歩いている人の多くは外国人であり、インドネシア系の女性が目立っている。

 

今日は大学の同級生S氏と同窓生の香港人Jさんと3人で会った。何となくこの組み合わせがよいということになり、過去何度が3人で会っている。S氏は大学で研究するための調査もあるが、家族が香港にいるので定期的に戻ってきている。通訳業のJさんは日本企業の動きなどについても詳しい。この二人から教わることも多い。

 

場所は銅鑼湾の山側、少し奥。最近はこの辺がおしゃれなスポットだと言われる。確かに気の利いた店が数軒ある。カフェに入る。本格的なコーヒーを出す店だ。その昔香港には喫茶店などなく、コーヒーが飲める場所は相当に限られていたが、スタバの登場以来、コーヒーチェーンで溢れかえり、ついにはそれに飽き足らない世代が、新しい形を示してきているようだった。話が長くなったのでクッキーも食べてみるが、これがまた意外と美味しい。カフェだけでなく、ティーの世界も変化しているだろうか。

 

夕飯は一人で食べた。食べ過ぎは良くないと思いながら、鴨肉飯を頬張る。香港に遊びに来た大陸客が一人か二人で簡単に食べるような店だったが、意外と美味しい。香港と言えば、昔はその辺の何気ない店がうまい、と言われてきたが、今やチェーン店ばかりで面白くないので、小さい店には頑張って欲しい。

偶には香港を旅する2017(2)長洲島でお爺さんに再会

地下鉄に乗り、金鐘へ向かう。昔の知り合いヘレンに連絡を取ると、ちょうど彼女が所属する財団でパーティーがあるから来ないかと誘われた。折角なので出向いてみると、大都会の喧騒とは別世界の場所がそこにあった。非常に驚く。久しぶりに香港社会の一面に触れた。

 

しかしヘレンは見当たらず、待っても来ないので、勝手に見学を始める。今日のパーティーは展示会のオープン記念。創作的な芸術の世界を歩いていると、向こうにヘレンが見える。周囲には数人の日本人がいた。香港人やイギリス人もいる。無国籍状態で会話が弾む。これはヘレンのなせる業だ。お茶の関係者を紹介してもらったのは有り難い。

 

夜は尖沙咀へ移動して、その昔香港で一緒に過ごした人たちと会食する。もう20年以上前の知り合いだが、彼らは未だに香港にいる。脱サラして起業に成功した、また現地採用として、長らく職を得ている、など、私は見れば、好きな香港に居られて、良い環境で生きているように見えるのだが、最近の激しい変化には、かなり厳しい面もあるようだった。

 

3月11日(土)
長洲島へ

今朝はゆっくりと起き、ゆっくりと朝食を食べた。土曜日ということか、朝食を食べている人々にもゆとりがある。香港は衰えたとはいえ、スピードが命の場所。1日半で結構疲れている自分を発見した。このホテルとは今日でおさらばということで、荷物をフロントに預けてチェックアウト。

 

MTRに乗ってセントラルへ向かう。そこからスターフェリー乗り場方面へ。観覧車が寂しそうに回っている。何となく活気のない香港。それはどこから来ているのだろうか、気のせいだろうか。今日は久しぶりに長洲島へ行くことになっている。あの5年前の衝撃的な訪問以降、ずっと温めてきた題材に一つのケリをつけに行くということだろうか。

 

Yさんが同行してくれるのは有り難かった。何しろお爺さんは広東語しか話さないので、通訳は必須だった。フェリーの料金は何となく少し値上がりしているようだ。まあ、5年前との比較をしても意味がないほど、香港の物価は上がっているのだ。土曜日ということもあり、乗客は多い。

 

長洲島に着くと、やはり多少はオシャレになっている。取り敢えずお爺さんは元気かどうか確かめに、ベビー服屋へ。この辺にも2週間ほど滞在したことがあるので妙に懐かしい。服屋に変化はなく、おばさんもそこにいて、顔を見るとすぐに思い出してくれた。そして『お爺さんは元気だが、少しボケて来たよ』と言いながら、午後ここで再会する段取りをしてくれた。何とも有り難い。

 

そこでまずは腹ごしらえと、港の方に戻る。海鮮が名物だが2人だと多いかなと歩いていると、その昔ここで体調が悪かった時に食べたお粥屋が見えた。どうしても食べたくなり、そこへ入る。1938年創業などと書いているがどうなんだろうか。粥は相変わらずに美味しい。我々が注文すると、もう店仕舞いだ。昼までしかやらない。安くてうまい、これが一番。

 

再び服屋に行ってみると、お爺さんは既に来ており、満面の笑顔で迎えてくれた。既に90歳になっているが、足が少し悪いだけで元気そうだ。彼がプーアルの熟茶製法を初期段階で考案したと5年前に聞いていた。その後中国でもその話が広まり、今では有名人になっている。早々に、プーアル茶に歴史について、色々と確認させてもらった。広東プーアルの元祖との関係などもよく分かった。やはり一部、記憶がはっきりしないところがあり、娘であるおばさんが聞き返したり、補足してくれたりしたが、いずれにしても貴重な、生の話には価値がある。

 

ただこういうインタビューというのは実に難しいものだ。お爺さんは生き証人だから、彼が言った言葉は事実になっていく。しかし時には記憶違いもあるだろうし、また元々の思い違いさえもあるかもしれない。これをどう生かして、真実に近づけるのか、また一体何が真実なのかを理解するのは至難の業だ。私はノンフィクション作家には絶対になれないな、と以前から思っている。

 

1時間半ほどお話を聞いて、記念写真を撮って、退散した。お爺さんは初めて会った時と全く同じな笑顔であった。今度はいつ会えるだろうか。それから島の中を少し散歩した。桜の花が咲いているか見に行ったり、Yさんの知り合いに教えてもらった開放日の学校に闖入したりもした。ふらふら歩いているとすぐに時間が経ってしまう。本当は他にも行くところがあったのだが、次の予定が決まり、急きょ島を離れたのは、ちょっと残念だった。

 

極寒の湖南湖北茶旅2016(11)武漢で空港行地下鉄が開通したが

夜はどこか初めてのところで食べようと思い、夜の街をふらついたが、付近にはなかなか手頃なところがなかった。行き着いたのは、香港式の店。たまには味の薄い広東系が食べたかったのでちょうどよかった。白切鶏。店の女性からどこの人かと聞かれ、日本人だと答えると、目が輝いた。今や日本を見る中国の若者の雰囲気に反日などはなく、実に好意的で、好ましい。

 

1227日(火)
武漢散策

 

明日日本へ行くのだが、今日は予備日としており、1日予定はなかった。朝ご飯は初めて回転レストランではなく、1階のKさんの店で食べてみる。ここの和食屋で朝食を出していると知ったのは最近だった。行ってみると、味噌汁や納豆、焼き魚など、和食が並んでいた。これは偶には有り難い。ここで朝ご飯を食べている人は基本的に、日本人のようだ。このホテルには仕事で長期滞在している人もおり、既に名簿が出来ていた。

 

休んでいるのでもよかったのだが、天気が良かったので、外へ出てみることにした。こういう時は博物館を目指せばよい。検索するといくつか出てきたが、取り敢えず一番大きそうな湖北省博物館へ行ってみる。ここは前回訪ねた劉先生の家の近くにあることが分かり、地下鉄で向かう。駅から歩いて10分以上はかかる。この付近は武昌の政府機関、研究機関などが集まっていた。

 

博物館は予想通り大きく立派だった。だが私が欲しかった万里茶路に繋がるような展示は殆どなかった。やはり清末の貿易については、漢口に行かなければならないのだろう。ロシアに関する特別展もあったが、これはというは展示品は見付からない。博物館の屋上から周囲を眺めると、湖が少し見えた。

 

歩いてその湖に行ってみた。東湖、たしかここには30年前に来た記憶がある。勿論今はきれいになっているのだが、その面影は確かにある。天気の良い冬の湖は絵になる。気持ちがよいので、思わずずっと歩いて行く。そしてもう一つの出口から道路に出た。少し行くとバス停があったので、ここからバスに乗る。地下鉄駅まで歩く必要もなく、漢口まで1本で帰れるので有り難い。途中、武漢大学のキャンパスや繁華街を抜け、1時間ほどかかった。

 

漢口駅でバスを降り、腹が減ったので、ショッピングモール内の食堂で食べる。量は多いが味も大味。そこから今度は漢口の博物館へ行く。何だかセキュリティーチェックが厳しい。展示品は想像通り、漢口に貿易関連や、ここから留学に行った人々などがあり、参考となる。そう、ここ武漢から日本へ留学に行った人はかなりの数にのぼったようだ。革命の原動力、ということだろう。

 

地下鉄で宿に戻ると、もうぐったりしてしまう。さすがに博物館を2つ見るとそれなりに疲れものだ。夜までベッドでゴロゴロして休み、最後の夜はいい感じで湯気が出ていた湯包と麺でしめた。昼間は日差しがあり暖かかったが、夜はやはり寒く、温かい食べ物に人気が集まっている。

 

1228日(水)
武漢で空港行地下鉄が開通したが

 

翌朝はゆっくりと起き、回転レストランで最後の朝食を取り、そしてホテルをチェックアウトして、地下鉄駅に向かう。これから空港へ向かうのだが、何と本日、空港までの地下鉄が開通するというのだ。正直、開通初日だから、何かトラブルがあるかもしれないと警戒しつつも、折角だからトライしてみようという気になっている自分がいた。

 

地下鉄は順調に動いており、表示もきちんと出ていたので安心して乗った。だが、乗った電車は空港まで行かず途中駅止まり。仕方なく、そこで降り、空港行を待つが、次が来てもその次が来ても、全てその駅止まりになっており、ホームには人が溜まるばかりで皆の不満が募って来た。どうやら空港まで行く電車は4-5本に1本の割らしい。

 

そこへようやく空港行がやってきたので、大きな荷物を持った人々がドアに殺到し、ただでさえ物騒な武漢の地下鉄が修羅場となってしまった。それでも何とか乗り込む。途中から地上を走り、一応景色も見えた。だが、空港駅に着いてもそれで終わりではなかった。長いエスカレーターに乗り、皆の後ろをついていくと、何とバスが待っていた。ここからシャトルバスで空港まで送ると言われ、えー、と思ってしまった。

 

そのバスがまた滅茶混み。重い荷物を持つ身としては辛い。すぐに発車していくが、皆が慣れていないため混乱する。それに何とか乗り込み、空港に着いた頃には、もうかなりの疲労感があった。確かに料金的には安いのだが、こんなことならタクシーかバスで来るんだった、と後悔する。まずはここで国内線に乗り、北京へ向かう。その機内で亀田のお煎餅が出てきて驚く。そこまでポピュラーになったのか。

 

 

北京に順調に着き、夕暮れの空港から東京へ向かって更に便を乗り継いでいく。今日は北京も快晴で、スモッグは感じられなかった。思えば前年末も北京にいたのだが、その時は黄色注意報が出ていたな。フライトは順調に羽田に着き、私の2016年の旅はようやく終わった。

極寒の湖南湖北茶旅2016(10)南陽市の漢画

1225日(日)
南陽市へ

 

翌朝は早く起きるが寒い。周囲を散策しながら、朝ご飯を探す。油茶と書かれていたので、食べてみる。油茶とは、『熱した鍋に茶油を注ぎ、茶葉を入れて炒め、水を注いで中火にし、数分煮だしたもの』で、トン族、ヤオ族、ミャオ族など少数民族の食べ物と書かれているが中には油条のようなものが入っていた。漢族流なのだろうか。思ったよりあっさりしていて美味しい。この地方で昔から食べられていたのだろうか。ちょっと不思議だ。

 

もう一度会館前で壁を見て、それから昔埠頭があったと言われる場所へ歩いて行ってみる。だが今や影も形もない。往時は水運も使われたが、川の規模からして、道路の発達などで廃れてしまったのだろう。僅かに石段などにその影を見るが、今やそこに住んでいる人でさえ、その歴史は知らないだろう。それから街を少し歩いて見ると、やはり古い建物が多く、歴史は感じられた。

 

 

そして社旗を離れる時が来た。車で南陽市に向かう。そこに李さんの知り合いがいるらしい。市内まではすぐだったが、そこで道に迷い、電話して確認しながら進む。音楽家の知り合いとその奥さんに美味しい地元料理をご馳走になる。羊料理の店と書かれているが、何を食べても美味しい。こんなことを言っては何だが、今や中国では大都市より地方都市、それも小さな店にうまい店が多いように思う。地元の人の案内があるからだろうか。

 

南陽市に来た目的は、漢画館に来るためだった。今から2000年ほど前の漢代に、石に掘られた絵が沢山展示されている。動物を描いたものが多い。人間が踊っている絵もある。一つ一つに意味があるのだろうとは思いながら、余りに展示品が多いので、さらっと見るだけでも2時間はかかった。

 

李さんは一生懸命写真を撮っている。それにしても、よくもこれだけの物が、2000年の時を経て、我々の前に姿を見せたものだ。ちょうど小学生の子供たちが休日に親たちに連れられて見学に来ていたが、郷土の歴史は誇らしいようだ。河南省南陽市、その歴史は恐ろしく古いと言えるが、私はその意味を知る前にこの街を離れてしまった。

 

襄陽へ戻る

李さんの車は襄陽に戻って来た。先に知り合いを下ろして、一度李さんの家に行き、奥さんを下ろした。更には私の明日の武漢行きの切符を買いに行く。手数料5元ですぐに手に入るので有り難い。次に私の宿を考える。安い宿は暖房が効いていない可能性があると言い、彼の知っている特別の宿へ案内してくれた。確かにそこの部屋は非常に暖かかった。暖汽、北京の部屋も暑かったが、何とも懐かしい。

 

外は雨が降っている。もう今晩は一人で適当に軽くご飯を食べようと思ったが、李さんは気を使ってくれ、宿まで迎えに来てくれる。今日はクリスマスだが、中国には関係ないか。奥さんも1泊旅行に一緒だったので許してくれたのだろう。それほどお腹は空いていなかったが、羊鍋を食べた。あまりにうまいので、結局かなり食べてしまい、動きが鈍くなるほどだった。

 

李さんからは、様々な資料を見せてもらった。その中には1910年代に、漢口にあった日本領事館から外務省宛に『襄陽の重要性を調査したい』との公文書も残されていた。その時代は未だ万里茶路が幕を閉じてすぐであり、茶葉貿易以外にもまだまだ物資は動いていただろう。今では想像できないことだが、当時はここの重要性が際立っており、各国も注目していたようだ。日本はここで何かをしようとしただろうか。開発計画という言葉が見えるようだが。

 

1226日(月)
漢口へ

 

翌朝はゆっくり起きて、ゆっくり漢口へ帰ろうと思っていたが、李さんから電話があり、地元の新聞記者が取材したいと言っているというので部屋で待っていた。李さんが私の旅を面白いと思い、記者に売り込んだらしい。やって来たのは女性記者で、1時間ほど万里茶路や私の茶旅について、話をした。私もこういう形で話をする機会はなかったので新鮮だった。相手の質問に答える方が、自ら話すより話しやすいのかもしれない。因みに数日後、これは記事になり、ネットで見ることができた。

 

朝から降っていた雨は殆ど止み、タクシーを拾って駅へ向かった。駅は旧市街から見ると郊外に位置しているようだった。それでも15分位で着いてしまい、時間があったので、駅前で携帯電話の入金を行う。そしてまた一昨日来た道を漢口に向かって帰っていく。もう日本は年末、そろそろ日本へ戻りたいという里心が出てきた。

 

8. 武漢3
休む

 

漢口のホテル、今回は何の問題もなくチェックイン出来た。この1週間で3回目だから流石に大丈夫だった。このホテル、古いが部屋は広く、何より落ち着ける。これでホテルサービスがきちんとしてれば、言うことはないのだが、まあ仕方ない。まずは部屋で昼寝する。それからいつもの腰花麺を食べに行き、飲み物を買い、部屋に戻ってテレビを見ながらゴロゴロする。正直相当に疲れていた。湖南から湖北へ、縦横無尽の移動、これは堪えた。

極寒の湖南湖北茶旅2016(9)圧巻の社旗 瑠璃照壁

そこからまた川沿いに出た。そこには先ほどとは違い、埠頭の跡が立ち並んでいた。全部で30近い数があったという。しっかりした門があるものもあり、名前が明示されている埠頭もある。ここから荷が運ばれたということだろうか。この付近だけが残ったということか。正直よくわかない。

 

この川沿いには高層マンションが立ち並び始めている。李さんによれば、この街の不動産はどんどん高くなっているという。私は襄陽という街がどうしてこんなに発展していくのか理解できなかったが、李さんは『だってここは東風汽車があるからさ』と一言で片づけた。そう、中国三大汽車の一つ、東風汽車の工場がここの郊外にあった。そして日本の日産やホンダとの合弁会社もここにある。意外と外国人も多く住んでいる街なのかもしれず、マンションは自動車関係者の需要に応じているようだが、どうだろうか。因みに当たり前だが街には東風の車が沢山走っている。

 

襄陽城という、城壁がほぼ完全に残っている場所には驚いた。中国各地に行ったが、ここまで城壁に囲まれているのは初めての光景だった。襄陽は三国志の舞台としても有名なところらしい。襄陽の戦いでは呉の孫権の父、孫堅が討ち死にしている。その時代からこの漢江の畔は、重要拠点だったということだろう。それにしても、後世にこの城が残っているのは何とも不思議だ。

 

城内に入ってみると、観光地として、土産物屋などが並んでいる。それはちょっとわざとらしい、中国のどこにでもある風景だが、裏に回ると、ちゃんと人が住んでいる。住人も何代にも渡ってここに住み、この街の繁栄を眺めてきたのだろうか。ここはさすがに再開発にはならいだろうが、立ち退き問題は起こりそうだ。

 

昼ご飯は牛肉麺を食べる。さっき見た回族の肉売りのことが思い出される。襄陽の名物が牛肉麺だとすれば、それはやはり回族の影響だろう。貿易の街らしい名物というものはあるものだ。それにしてもこれは濃厚なスープで美味い。麺もしっかりしている。もうこの辺は米文化ではなく、小麦文化なのだろうか。それにしても、万里茶路を訪ねてきた私としては、襄陽は書面上では重要拠点であるが、それほど保存されたものがない、そして勿論茶畑もない、という結果を見るだけだった。

 

社旗

李さんの車は郊外へ向かう。まずは李さんの奥さんが車に乗り、更に彼の知り合いの男性を乗せて、社旗へ。今日はこのメンバーで社旗に泊まる、1泊旅行に出たわけだ。突然の展開だが、私の旅としては望ましい。車は高速道路を1間ほど走り、それからはローカルな道を1時間ほど行く。ここは既に湖北省ではなく、河南省に入っていた。南陽市とある。

 

街に入ると、そこは時代劇の舞台のような雰囲気があった。街全体が観光地といった様相だ。そこに博物館がある。その横へ行ってビックリした。大型のスクリーン、と言えばよいだろうか。あでやかな壁がそこに存在していた。瑠璃照壁という、高さ15m、幅10mの、見る者を必ず引き付ける、龍や牡丹の図柄が色鮮やかに輝く、まるで黄金の壁とでもいうようなものがあった。これにはしばし声が出なかった。

 

この壁がある場所、それもまた山陝会館だというではないか。襄陽で見た物とは違って、こちらは完全にその形が残っており、今は入場料を取って観光客に見せている。李さんは各地の会館を調べる中、こちらのオーナーとも連携しており、今日もガイドさんをつけて我々を案内してくれた。

 

門を潜ると、裏側にも照壁があり、こちらの方が更にはハッキリしていた。中庭、本殿など全てが揃っており、李さんによれば『これほど完璧に当時の姿が残っている会館は珍しい』という。確かに200年にも渡って、きちんと残されているのは、ここが発展しなかったからだろうか。そしてここへ来て、万里茶路の重要拠点、茶畑の無い世界でも道は存在していたと実感できるものだった。大興奮。

 

会館の周りも、全て古い街並みが残されており、観光客向けの宿や土産物屋、食堂が並んでいる。その中には博物館として物を展示しているところもあり、見学する。特に金融関係の票号など、貿易の街には必須のアイテムはチェックした。河南省から山西省にかけては、農作物が育ちにくい場所もあり、貿易や金融で生きていくしかなかった、ということだろうか。

 

福建会館など、他の会館や商家も多くある。大きな廟もあった。ここで商売繁盛を祈願したのだろうか。これも万里茶路では重要アイテムだ。商人には商売祈願の廟が必須だ。だが、その廟の中へ入ると、本殿の背後に、大きなモスクが見ているのが何とも異様だ。だがそれは回族の活動拠点である証であり。ここでは様々な貿易戦争が起こっていたのではないかと想像できる。

 

夜は山陝会館の女性オーナーを食事した。彼女が連れて行ってくれたのは、やはり回族料理だった。この辺ではポピュラーなのかと思っていたが、何とそのオーナーも回族だった。何とも恐るべし、回族。その夜は何とクリスマスイブ、でもイスラムには関係なかった。会館のすぐ近くにある古めかしい宿屋に投宿した。李さんたちは夜の散策に出掛けたが、私は疲れたので部屋で休んだ。