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福建茶旅2019(5)福州で

4月10日(水)
福州へ

翌朝は雨が降っていた。朝ごはんはお宿でお粥と卵。今日は自力で福州へ移動する。鉄道もあるらしいが、近くにバスターミナルがあるので、そちらでチケットを買い、バスに乗り込んだ。福州行は1時間に一本はあるようで、それほど混んではいなかった。車内はきれいで、座席も快適。バスは高速道路を走り抜け、途中で海辺を見ながら、2時間ほどで福州駅横に到着した。

 

福州駅で地下鉄を探して乗る。福州には何度も来ているが、地下鉄に乗るのは初めてだろう。路線があまりないので不便だと地元の人は言い、これまでチャンスがなかった。どこの都市もそうだが、最近できた地下鉄はみなきれいで、料金は安いのに乗客は少ない。利用できるときは今後はこれを使おう。

 

今回のお宿は、最近の定宿チェーンホテル。これまで福州ではいつも魏さんたちの手を煩わせてきたが、ついに自分で予約してみた。場所も地下鉄駅からすぐで、かつ三坊七巷にも近く、何かと便利かと思われた。魏さんのオフィスまでは歩くと少し距離があるが、これは致し方ないか。

 

地下鉄を降りるとかなり雨が降っていた。傘は差したが、荷物を引いていたのでちょっと濡れた。その状態でホテルに入り、チェックインすると、これまでのどの地域のフロントよりも対応が悪い。このチェーンの良い所は対応の良さにあると思っていたので、ちょっとショック。まあたまたまそういう人だったのかもしれない。しかも部屋も小さめ。

 

どうしても腹が減ったので、また外へ出た。地下鉄駅の向こうまで行くと、小さな食堂があるのは分かっていたが、雨が激しく降りつけてくる。それでも頑張って進んだが、結局午後3時という中途半端な時間では麵屋しか見つからず、色々とトッピングした麺をすする。ここの店主は愛想が非常に良い。

 

夕方、魏さんのオフィスに向かうが、どうも雲行きが怪しいと思い、バスを選択する。僅か2駅で到着するので油断していると、何と雷雨となり、激しい雨が道路を叩きつける。そしてバスを降りると、既に道は冠水しており、びしょびしょになりながら、オフィスを目指すが、靴が耐えられそうになく、雨宿りする。大勢の歩行者がビルの下で雨を眺めながらおしゃべりしていた。

 

ようやくオフィスに着くころには全身ずぶ濡れだった。それを乾かすように、お茶を少し飲み、そのまま図書室に入って、資料を見始める。福安での経験から、張天福老師の歴史について、もう一度きちんと整理する必要を痛感しており、『茶葉人生』をはじめ、一連の本を読み返す。さすがに資料はそろっていたが、時間はすぐに過ぎてしまい、ほんのちょっと垣間見た程度で終了。

 

夕飯は、魏さんの会社メンバーとともに食べる。魏さんの会社は従来紅茶販売がメインなのだが、最近は少し方針転換を行い、社員に評茶師などをそろえていることから、評茶試験を請け負う、ある種の教室を始めていた。日本でお茶の資格と言えば茶芸師だが、中国では国家資格である評茶師への関心が高まっているようだ。確かに単純に茶葉の売買で利益が出る時代は終わっていると思われる。

 

それから魏さんと二人で雨上がりの三坊七巷を散策する。ライトアップは年々きれいになっているようだ。何だか新しい道まで出来ているが、歩いている人は少ない。そして連れて行かれた茶荘は、昨年も訪ねていた。ここで著書もある先生から茶の歴史を聞いたのを思い出す。ここの店主は武夷山出身の若い女性だが、非常に活発な人で、日本にも一人で旅をしに行き、言葉は十分ではない中、自らの興味のある茶や茶器を訪ね歩いているという。こういう中国人が増えているのではないかと思う。

 

武夷山に行ったばかりだが、ここでも岩茶を美味しく頂く。その後ホテルに向かって歩いていく。途中の細い路地は風情があり、そこにも茶荘が出来ている。ここが先日福安で世話になった鄭さんの店だと分かり、ホテルとはほんの目と鼻の先なので、ちょっとびっくり。やはりご縁は続いているようだが、彼は未だ福鼎にいるので、今晩は寄らずに帰る。

 

不思議なことは、あんなに食べて続けているのに、ちょっと腹が減る。いや確実に胃袋が大きくなっている証拠だろう。また駅付近をウロウロしたが、さすがに夜10時を過ぎるとやっている店は少ない。思わずケンタッキーに入ると、そこは若者仕様で、アニメが壁に書かれている。そこでフライドチキンを食べているおじさん、どう見ても怪しい。

福建茶旅2019(4)坦洋工夫茶の村へ

4月9日(火)
坦洋工夫茶の村へ

今朝も鄭さんが来てくれた。そして福安の紅茶、坦洋工夫茶を復活させた立役者、福安市の有力者ですでに引退している陳成基氏が態々ホテルに来てくれ、昨晩同様、農墾茶の店でその歴史の話を聞く。1851年に福安郊外の社口で作られ始めた坦洋工夫茶は非常に海外で好評だったらしい。同時にこの福安が茶業にとって往時、いかに重要な場所であるかは、社口に行けば分かるという。更にその茶の輸出が無くなり、知名度が下がる中、如何にして復活させたかは興味深い所だ。

 

次に福安市茶業協会を訪問した。この付近は福安でも最も古い建物が残っている地域で、何ともレトロな雰囲気が漂う。そして協会のビルには畬族に関する展示があると書かれていた。畬族は少数民族、瑶族の流れを汲み、福建省の少数民族で最も茶業に近い存在と言われていて、何とか調べたいと思っていた。だが協会の人々はみな漢族であり、茶業は漢族が行っているとして、余りその歴史に向き合う感じはない。もちろん皆良い人ばかりなので坦洋工夫茶の資料などを沢山くれたが、このような民族間の感情が歴史調査を妨げる可能性があることは否めない。

 

それから福安市内の茶葉卸市場に行った。市場というより、ある道に茶問屋が集まっており、そこで茶葉が売買されている場所と言った方がよいかもしれない。ここでは大きな袋に詰められた毛茶が運び込まれ、おじさんが茶葉を手でより分けていた。思ったより規模が大きく、閩東一の茶業と言われた福安の片鱗が垣間見えた。

 

ここで北京から来た茶業者も混ざってローカル昼ご飯を食べた。相変らず鶏が歯ごたえがあってうまい。食べ終わると、お茶屋に入り、お茶を飲む。そのお茶屋が何だかちんまりと焙煎などしていて、香りがよい。いいなあ、こういうの。それから車に乗り、30分ぐらい田舎道を行くと、社口坦洋村のあたりまで来た。

 

そこには大きな建物が見えた。福安市坦洋茶場と書かれた看板がある。元はここが国営工場だったのだろう。今は民営化されているという。工場では少量の製茶が行われていたが、活気はなかった。昼過ぎだったからだろうか。建物は50-60年代に建てられたのだろうが、その歴史を聞く術はない。とてものどかな雰囲気が漂う老工場。

 

我々の車は川沿いに進んでいる。川の両側に茶畑が見えてくる。牌楼が見え、ここから坦洋村だと分かる。横には坦洋工夫発祥地、との石碑がある。張天福氏が書いている。工夫紅茶、などの文字も見える。その先には200年以上前から架かる廊橋が古びた姿を見せている。この辺から辺鄙な村が現在改修中で、観光地を目指している様子が見て取れる。この川を通じて、茶葉が海辺の町に流れて行ったという。

 

村はそれほど大きくはない。その一角に切り込んでいくと、古い家並みの先に、横楼があった。ここは元々豊泰隆という茶行の建物だったらしい。かなりの規模であり、茶の加工も行われていたのだろう。ここには入れなかったが、横の邸宅は博物館のようにその歴史が展示されており、その展示物は意外なほどに精緻で、ひとしきり坦洋工夫茶の流れを学ぶことができた。1915年のパナマ運河万博では、この紅茶も受賞している。1990年頃、寧徳市の書記をしていた習近平も何度かここを訪れているようだ。

 

そして帰り道、福建省茶葉研究所に立ち寄った。ここは1935年、張天福氏が設立した福建省初の茶葉研究所であり、昨晩訪れた福安農学校と同時に作り、その生徒はここで研究の手伝いをしながら、育種、製茶などを学んだという歴史的な場所だった。当然敷地内はきれいになっているが、唯一張天福が当時住んでいたという宿舎が残されていた。

 

何故ここに研究所を作ったのか、それはとても面白い問い掛けだ。数年で主要業務は武夷山に移されたらしいが、今でもここに研究所があるのだから。室内には数十年前の茶葉が保存されており、素晴らしい田舎の農村風景の中、十分に歴史は感じられた。夕飯は近くの、地元の人で賑わう食堂で頂く。そして真っ暗な中、福安の街に戻った。何と鄭さんは北京の茶業者を送って、これから白茶で有名な福鼎の街まで出掛けていくという。私も是非行きたかったが、明日は福州へ行くと言ってしまったので、次回に回した。

福建茶旅2019(3)武夷山から福安へ

4月8日(月)
武夷山から福安へ

武夷山ツアーもあっという間に最終日を迎える。やはり団体の旅は、自分で考えて行動しないから、時間が過ぎるのだけがやたらと速い、というか、日程をこなしているだけという印象が強い。そして何よりも食べ過ぎ。今朝は沢山のご馳走を前に、麺を軽く食べて終了とする。残念、未練。

 

今日、私は他のメンバーと別れて一人で福安というところへ向かう。調べてもらうと武夷山から福安は意外と行きにくいと分かる。辛うじて1日に2本だけ直通のバスがあるというので、まずはそれを確認するためバスターミナルへ向かう。ターミナルではなく、ちょっとした停留所のようなところだった。そこで午後のバスチケットをゲットして一安心。

 

それから皆で、下梅に向かった。下梅は3年前、万里茶路の福建の起点として訪ねた街だった。ここは以前は完全に廃れた街になっていたが、大茶商だった鄒家の末裔が、こつこつと自らの先祖の歴史を調べており、それが万里茶路ブームに乗って、その起点として蘇ったらしい。本当は赤石という場所が、茶葉の集積地で起点であるとは教わったが、赤石はほぼ街が消滅する勢いで、下梅に注目が集まるのはやむを得ない。

 

パッと見た感じは3年前とそれほど変わっていないようだが、更に整備された建物が広がっているようで、見たことがない所へも案内される。今や30人近いガイドさんがいるというから、この街の観光業は大繁盛なのだろう。ガイドさんを指導しているのは、前回私が案内してもらった鄒家の末裔の方、道理でガイドさんの説明がよく耳に入る訳だ。

 

1時間ほど見学して、すぐにホテルに戻った。ちょっと早めだがホテルでランチの用意がされている。今日は香江の武夷山の責任者が出てきて、歓迎してくれた。食事はやはり広東料理でうまかったが、急に用意したのか、料理が出てくるのが遅く、全部食べる前に私は失礼する時間になってしまった。慌てて荷物を取り、ロビーへ行くとすぐに車に乗せられ、皆さんに挨拶もせずに離れることになってしまった。何とも申し訳ない。

 

バス停に到着したが何とものどかな空気が流れており、バスはいつ来るともしれない。午後1時と書いてあったが、それは別の場所の始発時間であり、ここに来るのは1時20分だと聞き拍子抜け。こんなことならランチをデザートまで食べてから来ればよかったと後悔。結局バスはさらに遅れて1時半頃音もなくやってきて、危うく乗り損なうところだった。

 

乗客はそれほど多くはなく、ゆったりと過ごす。最初の1時間は高速にも乗らず、一般道を行き、高層マンションが建設されている郊外から建陽の街に入っていく。このバスは途中何か所かに寄るため、相当に時間が掛かることを理解した。出来ればここで下車したかったが、トイレに行くだけに留める。

 

今度は高速に乗り、また1時間ほどで水吉という料金所に停まる。19年前この街を偶然に訪れ、600年前の明代の登り窯から作られた天目茶碗の破片を多数目撃したことが忘れられない。更には3年前に行った、政和という地名も出てくる。福建には何度も来ているが、もう一度行って見たいところが沢山あることに改めて気づく。

 

段々と日は西に傾いていくが、バスはひたすら高速を走り続けている。一体いつ着くのだろうかと心配した頃、突然バスは止まり、乗客が降りて行く。バスの横を見ると福安ターミナルとの表示があり、バスを降りると私の荷物が既に降ろされていた。約4時間の旅は終わったと知る。

 

紹介を受けていた鄭さんが態々福州から迎えに来てくれていた。彼は福州で茶荘を経営しているが、故郷は福安であり、地元のお茶を売り込もうと熱心に活動している。鄭さんが予約してくれた(名義は何と農墾)ホテルに入る。福安には外国人が泊まれるホテルは2つしかないのだという。因みに少し安い部屋もあったが、そちらには泊まれない?と言われてしまう。外国人の中国旅行は、お金持ちには関係ないが貧乏旅行には益々やり辛くなっている。

 

ホテルの隣に農墾の代理店があり、オーナーと鄭さんが知り合いで、まずそこでお茶を飲み始める。農墾と言えば、新疆や海南島などで見たことはあるが、福建にもあるのはちょっと意外。ここも辺境防衛が必要な場所だということか。ここで私は今回の福安来訪の目的、『福安農学校』『坦洋工夫茶』の2つを述べた。そして坦洋工夫茶を初めて飲んだが、思いのほか、味がしっかりしていて美味しく感じる。

 

ホテルのレストランに場所を移して、食事をしながら話を続けた。タニシのような小さい貝、そして独特の麺が出てきて、美味しく頂く。そこには坦洋工夫茶の製茶技術に優れているという鄭さんのお父さんも登場したので、その歴史の一端をヒアリングした。お父さんはこの日、地元の茶功労者として表彰されたらしい。

福建茶旅2019(2)筏下りと印象大紅袍

午後は筏下りに乗るという。19年前に乗ったきりだから、偶には良いかと後ろから付いていく。しかし観光客が非常に多く、長蛇の列でこれまた驚く。乗るまでに30分以上は並んだか。料金だって、決して安くはないのに、なぜこんなに人がいるのだろう。そして筏の数も昔とは比べ物にならず、川にズラッと並んでいる。船頭さんもかなり若返っている。仕事があるから若者が住まう武夷山、ということだろうか。

 

天気もよく、爽やかな中、筏はどんどん進んでいく。と思ったら、なぜか我々の筏だけ遅く、周囲の筏に抜かれていく。それでもチップは一人20元あげることになっており、なんとそれも筏上での微信決済だった。すごい。昔もそうだったが、船頭の解説には付いて行けず、何が何やら分からないうちに九曲は終了した。その昔はこの筏で人でなく、茶葉を運んでいたのだろうと思うと、ちょっと情緒がある。19年前と比べて景色はそれほど変わっているとは思えないが、1時間半ぐらいかかったので、かなり疲れる。

 

岸に上がると、その近くの茶荘で休む。この店も香江の系列店のようだ。さほど暑くはないと言っても2時間以上何も飲んでいなかったのでお茶が旨い。更には茶葉で煮た茶たまごが登場。これがまた絶品で腹を満たす。鉄羅漢の母樹とか、老水仙など、ちょっと気になるお茶が並んでいた。

 

ホテルに帰る前に、景区内にある大紅袍母樹を見に行く。19年前は景区に入り、2時間ぐらい散歩した果てにようやくたどり着いた(当時のガイドの演出)が、今回は一番近いゲートから、並ぶこともなく、さらっと入り、茶樹が植えられている道を通り抜けて到着した。もうここは完全な観光地、19年前はなかった柵が設けられ、勿論よじ登ることも出来ないようになっていた。大勢の観光客が記念写真を撮っている。武夷山に来て、ここを見ないで帰ることはあり得ない、と言った雰囲気が漂っている。

 

帰りがけに地元の食堂で夕飯を食べる。何だか食べてばかりだから控えめにしたいところだが、地鶏の料理などが出てくるとどうしても手が出てしまう。中国の旅は一人でご飯を食べても量が多くて腹一杯だが、団体で食べるとどうしようもないほど食べ過ぎになり、体重増加だけでなく、体に悪いとさえ思ってしまう。

 

ホテルに帰ると特に予定はなかったので、ホテル内を散策する。裏側には大きなプールがあり、更に別荘のようにいくつもの建物が並んでいた。まだ正式オープンではないからプールに水もなく、別荘に泊まっている客もいないが、ここの敷地も相当に広い。最終的には分譲するのかもしれないが、取り敢えず家族連れなどに一棟ごと貸し出すらしい。これまた規模の大きな話だ。

 

4月7日(日)
武夷山観光

翌朝も朝食を沢山食べて出掛ける。今日も天気が素晴らしく良い。初日の夜の小雨は何だったのだろうか。本日は一日、街中から車で1時間程度行った武夷山周辺の山に入り、環境の良い中で、森林浴などを楽しんだ。昼ご飯も農家飯を堪能して、ご満悦。食べ過ぎなどは全く気に留めなかった。紅茶も飲んだ。途中の道端にも茶畑が広がり、外山の茶葉を見ることもできた。本当の武夷山観光はこういう場所に足を運ぶのが良いのかもしれない。

 

早めの夕飯がまたやって来た。大体どこのレストランでも1階の入り口付近に置かれている食材を選び、2階の個室で食べるスタイルになっている。相変わらずすごい量がテーブルに並び、どれを食べてよいか分からないほど。カエルなども出てきて、美味しく頂く。日本人のように、兎に角ビール、などということはなく、酒を飲む人は多くない。最近は乳酸菌飲料が流行りのようで、テーブルに置かれている。

 

夜8時前になると、『印象大紅袍』というショーを見に行く。私は正直、このような観光ショーを見たいとは思わないが、『騙されたと思って一度見てみて』と言われたので、出掛けていく。会場は屋外で、非常に広い。驚いたことに舞台が周囲を囲み、客席が回っていく仕掛けになっていた。舞台だけでなく、池なども配されており、かなり本格的な作りだ。

 

有名な映画監督である張芸謀の演出だという。なるほど、このショーは何となく北京オリンピックの開会式を想起させるものがあった。それにしても100人以上が出演して、華やかに、そして細やかに、踊りや歌が繰り広げられていく。勿論テーマはお茶なのだが、製茶の場面が取り入れられ、茶館が再現され、時折客席に茶が振る舞われたりしていた。

 

1時間ちょっとのショーだったが、如何にも中国人が好みそうな、スケールの大きな、興味深いものだった。日本でもこんなショーが出来ればよいとは思うが、日本円4000円を払う観客を、1000人以上集めて毎回満員にするのは、今の経済状況では簡単ではないということだろうか。ホテルまで歩いて帰ったが、人が多過ぎて迷子になりそうだった。この人々がまたお茶屋などに吸い込まれ、新たな消費に繋がるのだからすごい。

福建茶旅2019(1)旅遊特色小鎮とは?

《福建茶旅2019》  2019年4月5-14日

年に一度以上は必ず訪れている福建省。今回は3年ぶりの武夷山、初めての福安、そしていつもの福州、厦門に行って見る。武夷山の茶工場見学ツアー、福安、福州では近代中国茶業のルーツ、台湾茶業との関連にも迫っていく。

 

4月5日(金)
武夷山に着く

フライトは順調で武夷山空港に着いた。この空港を利用するのは2000年12月以来ではないだろうか。相変わらず小さな空港だが、さすがにきれいにはなっている。先日のハルピン同様国際線の入国審査ゲートは少なく、更に外国人用は少ない。並んでいたら今回も最後の一人になってしまった。私の預け荷物は同行者が確保してくれており、既にターンテーブルは止まっていた。

 

夜の8時、周辺は暗くてよく見えない。外は予想以上に涼しい。車に分乗して街中に向かう。少し行くと見慣れた市街地が登場する。そのままホテルに行くかと思いきや、突然裏道に入り、車は停まる。そこは街の食堂、飛行機内でちゃんと夕飯は出ていたが、やはり夜食は食べるらしい。人数が多いので店の外にテーブルを出して、スープや餃子を食べる。身体が温まってとても良い。

 

それからホテルに向かった。今回のホテルはまるで役所の建物のようにいかつい、立派なものだった。そしてまだ正式開業していない試運転段階の5つ星ホテルだそうだ。ロビーは豪華でだだっ広い。私の部屋はなぜか3階の1番端だったので、部屋まで行くのが大変だった。部屋もきれいで広かったが、そこはやはり中国スタンダードの5つ星。心地よさ、というポイントが少し不足しているようにも思うが、それは中国人客のニーズに合わせているのだろう。まあ取り敢えず疲れたので、置かれていたリンゴをかじると、すぐに眠りに就く。

 

4月6日(土)
街を作る

朝はしっかり早めに目覚める。窓の外は霧に覆われており、あまり爽やかではない。まあ、武夷山と言えば、19年前に初めて来た時も、朝は靄っていたように思う。ホテルの朝ご飯は5つ星ホテルらしく、とても豪華だった。試運転中なので、宿泊客は少なく、何だかもったいない。私はお粥や目玉焼きなど、いつものメニューにしたが、きれいな和食まで並んでいて、もっと食べればよかったと後悔する。

 

今日はまず今回の主要目的である、香江集団の茶工場見学に出掛ける。武夷山は狭いので車に乗ればすぐに着いてしまう。2006年にこの茶工場に出資した、とだけ聞いていたのだが、その規模は想像をはるかに超えるほど大きく、そして何よりもきれいだ。何と団体旅行客を受け入れ、入場料まで取っている。茶の歴史展示から、茶工場見学、製茶体験コーナーまで、既に観光茶園がきちんと作り上げられていた。

 

裏庭もまた大きく、池には舞台まであった。そしてもう一つの建物に入ると、そこには大きな急須のモニュメントがあり、若い男子によるお茶淹れパフォーマンス(茶芸)が見られ、完全に舞台化している。ちょっとお茶を紹介するといったレベルではなく、ショーを見ながらお茶を味わい、購入したいお茶を選んでいく感じだろうか。やはり茶旅にはお茶購入タイムが必要なのであり、それがビジネスなのだ。

 

我々は更にここのプランナーから話を聞いた。この茶工場はきっかけに過ぎず、これから8年かけて1万人が暮らす、茶を主題とした街、『香江茶工場旅遊特色小鎮』を作るというのだから驚いてしまった。総投資額は50億人民元。さすが香港の開発業者、考える規模が違うと思わざるを得ない。この茶工場に出資する時、既にこの構想をもっていたのだろうか。因みにここのブランド、『曦瓜』は、元々の国営茶廠民営化に伴い、香江集団も出資した後作られた。今では武夷山を代表するブランドとなっており、茶業者なら誰もが知っている。

 

お昼は少し離れた農家菜のレストランへ行く。ここも規模が大きく、池がデカい。武夷山は、いや今や中国の観光地は、どんどん巨大化しており、どこに行っても驚いてしまう。料理は武夷山の地元のものかと思っていたが、そうとも限らない。武夷山は福建省にあるが、料理は山向こうの江西の影響を強く受けており、かなり辛いというのだ。こういうところにも、労働力流入の影が見える。

 

香港から来たお客は辛い物は苦手、ということで、山菜やら、辛くない肉など食べられそうなものが出てくるという訳だ。今日のお客は我々以外に上海から来た3人が加わっており、既に大人数、アレンジする方も各地の味を考えてオーダーしなければならず、この時期は毎日お客があるようで、大変なことだ。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(8)成都散策

3月25日(月)
四川を去る

翌朝早く、Mさんは北京へと帰っていった。私のフライトは午後3時半なので、午前中は暇だった。実は今回、ロシアから持ち越した課題があった。銀聯カードが使えなくなっていることに気が付いていたが、銀行に行く暇がなかったので、まずはその処理をしようと考えた。

 

その銀行はホテルから2㎞弱あったが、歩いて行くことにした。成都の街を歩くことがあまりなかったからだ。大きな通りを歩いていると、やはり昔とは違い、きれいで大きなビルが多い。それでも上海などよりは随分と落ち着いて見えるのはこの街の特性といえるだろうか。

 

銀行での処理は予想外に時間の掛かるものだった。そしてあまりにも不可解な理由でカードが止められたことに納得は行かなかった。やはり中国はどんなに支払いアプリが進歩しても、人の進歩が追い付かないところだと痛感する。それにいわゆる管理強化が加わると、もう何が何だか分からない。

 

銀行を出て地下鉄に乗る時も、よく見るとチケットの自販機に支払方法が4つも表示されている。よほど支付宝を使って切符を買ってみようかと思ったが、スマホを開けて、支付宝を選び、その金額を入れてパスワードを入れるとは、何と面倒な作業だろう。Suicaなら一発なのにと思いながら、しわを伸ばして現金を突っ込む。本当に中国は便利になったのだろうか。いや勿論以前より便利だが、驚くほど進化したかというと正直疑問だ。

 

地下鉄で錦江飯店にやって来た。32年前、あの暗い夜道をバスに乗り、ここまで来たことが懐かしい。当時成都には外国人が泊まれる宿は少なくて、錦江飯店にチェックインできるとホッとしたものだ。同時にここの朝食でパンを食べると、辛い物を食べなくてよいので何よりも有難かったのを鮮明に記憶している。

 

現在のホテルは外から見ると同じようだが、中は凄くきれいに改装されている。これで500元ぐらいであれば、一晩泊ってみてもよかったかもしれない。恐らく水回りなどに問題があるか、部屋はきれいではないのかもしれない。とにかく敷地内を一周すると、いくつか新しい建物も出来ており、なかなか面白い。

 

そこから川沿いに歩いてみた。薄暗い夜の川しか記憶はなかったが、今や市民の憩いの場と言う感じだろうか。ちょっと暖かくなり、風がさわやかで歩きやすい。途中で道を曲がると、先日歩いた錦里辺りに出てくる。このように歩くと地理が少し理解できるが、やはり全体像はよく分からない。

 

バスに乗って帰ろうとしたが、ホテルまで直接行けるバスは見当たらない。仕方なく地下鉄駅まで歩いて行くと腹が減る。その辺で店を探したら、何だかチベット僧が何人も歩いているではないか。よく見ると付近にチベット寺院があるようだ。彼らの現在の境遇はどうなんだろうか。

 

小さな食堂に入る。帰る前にどうしても回鍋肉が食べたくなって注文したつもりだったが、 出てきたのは炒飯だった。何とその名も回鍋炒飯、ところがこれが意外とイケる。肉の油が炒飯に沁み込んで美味い。辛さも全くなく、思わず笑顔になる。これで10元か、コスパも抜群だ。

 

地下鉄でホテルに帰る。駅を出るとパイナップル売りのおじさんがいた。突然興味を持ち『甘いか』と聞くと、ぶっきらぼうに『当たり前だ』というので買ってみると、本当に甘かった。これも8元で、腹一杯になるまで食べた。私にはやはりこんな旅が合っているに違いない。

 

午後1時に居心地の良いホテルをチェックアウトして、タクシーを呼んでもらう。待っている間、本を読むスペースに座ったが、隣でおじさんがタバコをスパスパ。この空間でそれはないでしょう、と思ったが、タクシーが来たので、何も言わないで外へ出た。何とすぐに高速になり、僅か15分で空港に着いてしまった。

 

国際線の方はそれほど混んでいないだろうと思っていたが、今は成都から東南アジアへ向かう便なども多く、意外と混んでいる。出国時に外国人の列に並ぶ人も予想外に多い。そして本日乗る、エアチャイナの成田行きは、恐らくはさくらの花見に行く中国人団体観光客でほぼ満席だった。席の隣の女性はガイドさんで、何と26人分の入国書類を一人で書いて、皆に配り、事細かに説明している。

 

無事に成田に着いたが、雨が降っていた。翌日見ると、桜の花は一部にしか見られない。それでも花が見られただけでもよいと思い、早々に台北に向かった。今回の四川の旅、従来の茶旅とはまた違ったアプローチで、なかなか行けない茶産地や歴史を旅した。今度はゆっくり一人で四川を回ってみたいと思う。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(7)突然彭州へ

3月24日(日)
突然彭州へ

久しぶりに一人で寝たのと、朝ご飯を食べなかったことにより、今朝は身体がすっきりしていた。9時に陳さんが車で迎えに来てくれ、Mさんと共に今日の旅が始まった。成都市内を抜けて高速道路を走る。北西に約1時間、彭州市に至る。そこから田舎道をまた1時間ほど行って、目的地に着いた。

 

そこはきれいな観光茶園のようだった。一体ここはどこだろうか。宝山村とある。迎えてくれたここの責任者、徐さんは茶師で、やはり福建省武夷山から招聘されて、ここで数年前に茶作りを始めたらしい。きれいな建物も、中にある最新設備の製茶機械も、福建の投資家が準備した。『正直この地は歴史的な場所ではあるが、近年茶業はあまり盛んではなかった。我々が再度茶業を始めるためにここに来た』という。

 

裏山に登ると、そこには茶畑が広がっていた。『ここは60年ぐらい前に、茶樹が多く植えられたが、その後放棄された場所。それを数年前に借り受け、茶作りが始まった』という。ということは、ここは中国でよく見かける、政府に指示で茶樹を植え、その後の混乱で捨てられた土地だった。その茶樹も数年の管理で見違えるように復活した。

 

実は昨晩この辺りには雪が降っていた。『本当は向かい側の龍門山系に入れば、樹齢100年を越える茶樹が沢山植わっているのだが、そこはとても滑りやすく、残念ながら今日行くことは出来ない』とも言われてしまう。やはり茶旅だ。そんな簡単に目的地に行ける訳がない。確か昨日陳さんの雑誌で見た、梯子を掛けて茶葉を摘む様子、あの茶樹が見られないのは残念だが、仕方がない。この葉っぱで徐さんは紅茶を作っているという。

 

昼ごはんを食べに行く。ここも誰かが投資して、きれいに整備された場所。野菜も鶏も地元産でこりゃ美味い。その横にはかなり古い建物があり、茶館として使われていた。近くには中国のどこにでもある老街が観光化されている。この地は古くは2000年前の書物にも出てくる要衝の地、茶処であり、唐代の陸羽も茶経にこの地について書き残しているというが、今はその面影はない。

 

実は彭州市は北海道の石狩市と姉妹都市だ、と地元の古老が教えてくれた。きっかけは30年以上前にこの地の若者の農業実習を石狩市が受け入れたご縁だという。全く性格の違う都市が結びつく、こんなこともあるのだな。近年この地はほうれん草の産地だとも言い、1990年代には日本に盛んに輸出していた歴史もあるというのは何とも意外な話だ。

 

午後は寺に行くという。丹景山にある金華寺。幹線道路から山道に車が突っ込み、ちょっと行くと、階段が見えた。その手前の駐車場から、道なき道を突然歩き始めたので驚く。どこへ行くのかと思っていると、そこには古い石碑のようなものが建っていた。『これは唐代にここで出家した新羅の王子の墓だ』というではないか。何の話だ、それは。

 

階段まで戻り、登り始めるときつい。先日の蒙頂山最古の茶園ほどではないが、既に膝を痛めていたので、上がるのは大変だった。何と陳さんは車で上がっていたので、ちょっと恨む?喘ぎながら寺の門に到達した時は、もう死にそうだった。しかもそこで終わりではなく、そこが寺の始まりだった。

 

奥に入っていくと、お坊さんたちが何かしている。その中には、韓国の茶雑誌の社長も混ざっていた。先ほどの新羅の王子の話から、韓国との縁を感じ、やってきたという。見ていたのは、何と王子の遺骨だというではないか。先ほど見た墓から掘り出されたものらしい。急な展開にちょっとまごつく。しかし王子は何故こんな山奥に来たのだろうか。国に後継問題でもあったのだろうか。

 

寺院内でお茶を頂く。お坊さんがお茶を淹れてくれるのだが、このお茶、紅茶を煮出している。渋みなどはない。徐さんのお茶を使っているらしい。ここには市の観光局の人も来ており、今年中に韓国人社長と今年中に何らかのイベントをする話が進んでいた。さすが韓国、日本はこういうのはなかなか出来ないな。

 

今日の集まりの意味がようやく分かり、我々二人の日本人はお邪魔だった?と悟る。因みにこの寺には見るべきものが沢山あったようだが、殆ど見ないで帰ることになった。例えば寺院内の柱には龍が施されており、これは皇帝だけに許されるしるしだと言われた。ここは皇帝が建てた寺院なのだろうか。

 

陳さんの車で成都市内に戻る。午前中は曇りや小雨だったが、帰り道で晴れてきたのは何とも恨めしいが、これも仕方がないことだ。夕日が車の窓に反射してまぶしい。日曜日の游がンで市内はやはり渋滞だ。ホテルの近くで軽く夕飯ということで、魚麺を食べる。これは今流行りらしく、大勢のお客が入っていた。何とか席を確保して、大型どんぶりの麺を頂く。スープが特にうまい。また完食してしまい、腹がくちる。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(6)本当の茶旅が始まる?

3月23日(土)
本当の茶旅が始まる?

ついに茶旅行最終日。今日ご一行は成都から成田へ帰る。そのフライトは午後なので、朝は雅安の博物館を訪れる。あまり期待はしていなかったが、ここには文成公主から始まる茶関連の歴史がかなり展示されており、旅の纏めてしては一見の価値はあった。今回はお茶の歴史に殆ど踏み込んでおらず、不完全燃焼だったので有り難い。

 

更には茶馬古道や蔵茶の歴史に関する本も何冊か売っており、既にパンパンのカバンにも拘らず、また買い込んでしまう。私が昨年北京で買った四川茶に関する本は、ここの元館長が作者だったらしい。だからここの展示が比較的詳細なのだと理解した。清代の大商人の歴史など、もう少し突っ込んで知りたいところだ。

 

高速道路をひた走り、2時間ほどで成都まで戻ってきたが、街中で渋滞に遭う。本当は空港近くで軽くお昼を食べるはずだったが、折角だから老舗の陳麻婆豆腐で、本場の辛い物を食べる事に切り替わっていた。渋滞でロスして時間があまりない。取り敢えず店に入り、席には着いたものの、ちょうどイベントなどと重なり、思ったようなスピードで料理は出て来ず、全部出てこないうちに時間切れ。八宝茶の切れのあるパフォーマンスが見られただけでも良しとするか。実はガイドは前日店側に昼のメニューを連絡していたが、厨房には伝わっておらず、残念な結果に終わる。

 

渋滞は続いたが、何とか出発1時間半前に空港に到着。空港に着くまで、ガイドは一人ずつの名前を呼び、その思い出を語っている。私は鉈先生との漫才コンビの相方、として記憶されている。そして最後に『今日の日よ、さようなら、また会う日まで』と歌った。日本語ガイドの需要は本当に少なく、また次回彼女に会えるのか、ちょっと心配だ。

 

皆さんはチェックインカウンターに並ぶ。北京に帰るフライトがキャンセルとなり、夜便を取り直したMさんと私はそこでお別れし、街に戻ることにした。私はホテルを予約しており、Mさんの検索により地下鉄が早そうだというので、空港から初めて地下鉄に乗る。今や中国の地下鉄はどこもきれいだ。1度乗り換えたが、意外と近い。そこは最近泊まり歩いているチェーン店だが、部屋は広く快適そうだった。

 

それから魏さんに紹介されたお茶屋さんに出向く。ホテルから近道(地下道?)を行けば歩いて10分もかからない。そこは小さなお茶屋さんだったが、オーナーの陳さんは何と福建人で雑誌の編集などもやっており、自らも茶産地に出向いて、取材を重ねている人だった。現場を踏んだ彼の話には説得力があり、とても参考になる。因みにお茶屋の方は奥さんに任せて、本人は年に数か月は中国各地を飛び回っているのだという。茶旅の先達だ。

 

陳さんが鉄観音茶の歴史を話しながら、工夫茶のセットで古い鉄観音茶を淹れてくれた。それをじっと見つめていたMさんは『この人のお茶の淹れ方、なんて丁寧なんだろうか』と感心している。後で彼の経歴を見て頷くMさん。陳さんは国家級高級茶芸師でもあった。お茶を丁寧に淹れる、とても新鮮な言葉だった。私の最近の興味は歴史だけなので、人の口元は見ても手元を見ることはない。

 

陳さんと色々と話していると突然、『実は明日彭州へ行く予定だが、良かったら一緒に行かないか』という喜ばしいお誘いがあった。明日はもう一軒お茶屋を訪ねるつもりだったが、そこは次回にお願いして、すぐに同行することにした。何しろ彭州は約2000年前から茶があったという記載がある場所だと記憶しており、四川茶の歴史上では重要な場所だと思ったからだ。それを聞いたMさんも迷いに迷った末、何と先ほど取り直した今晩のフライトをまたキャンセルして、明日一緒に行くことになった。これぞ茶旅だろう。

 

明日の再会を約して店を出た。ホテルに戻り、突然泊まることになったMさんもチェックインする。まあこれまでいくつか泊まったが、成都のここが一番広々としており、何だか寛げる。料金はそれなりだが、余計なことを考えなくてよい。おまけにゴールド会員に昇格したらしい。何かいいこと、あるのだろうか。

 

夕飯は近所に食べに行った。フロントでは『道を渡れば色々あるよ』と教えられたが、そんなに色々な選択肢はなかった。食堂に入ると、一皿が大きいので二人では食べ切れないように思う。これまで食べ過ぎなので、抑えたかったが、出てくるとまた食べてしまうのは、何とも悲しい。胃袋が大きくなっていた。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(5)雅安茶廠と茶馬古道

3月22日(金)
雅安茶廠と茶馬古道

今日はホテルをチェックアウトしなくてよい。茶葉ホテルには2泊するので、それだけでも気が楽だ。茶葉枕も快適のようでよく眠れた。これからこの旅の最終目的地、雅安茶廠に向かう。ここが昔から蔵茶を作っている拠点だ。外側から見ると、トレードマークの『中国蔵茶』も見える。

 

メンバーにはあまり自覚はないと思うが、蔵茶もある意味で国家の戦略物資、湖南省安化のように、『国家機密だから見学できない』といわれそうな場所。しかも雅安といえば、チベットとの最前線という感覚もあり、ちょっと緊張する。『謝絶参観』の文字まで見える。だが我々の前に既に上海から来たという団体が、中に入っていく。

 

まずは蔵茶の製造法を説明した展示室へ。この茶作りが如何に力仕事であるかを示している。明代から作り始めたというこのお茶、歴代の茶葉が展示されている。1970年代製造の蔵茶も飾られているが、そこには『川』の文字が。これは湖北省趙李橋で作られるお茶と同じマークか。何だか色々と歴史的な資料があり、とても時間内で見て回れるものではない。

 

マニ車が設置されるなどチベット色も出ている。実際の製造工場も見学できるというので驚きながら中を見る。作られた茶葉は長く保存されるため、竹?にくるまれて積み上げられていく。この茶は如何にしてチベットまで運ばれたのか、実に興味深い。お茶を飲みながら説明を聞く。説明者は地元出身でアメリカ帰りの若者。広報担当だという。ネット販売に力を入れるという。これからの雅安茶廠はどんどん変わっていくかもしれない。

 

バスは高速道路を走っている。これからどこへ行くのだろうか。途中のサービスエリアでランチを取るという。皆がバスを降りて行った時、私はあることに気を取られており、一番後ろの席で、身をかがめていた。少し経ってバスを降りようとしてビックリ。何と既にバスは施錠され、外へ出ることが出来ない。閉じ込められてしまったのだ。メンバーは既にトイレなどに行ってしまっている。遠くに鉈先生の姿が見えたが、叫んだところで聞こえない。どうしたものかと悩んでいると、スマホで連絡することを思いつき、スンでのところで救出された。

 

まあ運転手もガイドも、まさか人が残っているとは思わなかっただろうが、こういうことは過去一度もないと言われると、私の方が悪いのだろうか。確かに出発前の乗車確認はするが、降車確認はしたことないかも。今後気を付けよう。ランチはビュッフェだったが、それほど食欲はなかった。それにしても高速道路のSAも少しずつ質が向上しているような気もする。

 

それから約1時間、ゆるゆると山道を登っていくと、とある街に着いた。既に標高は2000mに近く、小雨が降っていて肌寒い。そこから更に少し上がった村、そこに茶馬古道の起点、といわれる場所があった。ただこの村、村人の服装は昔のままなのに、住宅の建物がやけに新しく、車も停まっている。古道とマッチしていないように見えた。地震後の補助で再建したのだろうか。

 

その先の何もないところに、石が敷かれた道があり、そこが起点だという。どうも観光用として整備されたとしか思われないが、往時この辺りに茶葉を担いだ人足が行き来していたのだろう。茶馬古道は茶葉を馬が運んでいく場面もあるが、実はその多くは人が担いで行く。茶と馬は交易市場の交換商品という意味だとは意外と知られていない。人足のその苦労は想像できないほどであったろう。

 

今日も吹きっさらしの高地は、凍えるほどの寒さで、チベットの方を指して歩いて行く気量はない。防寒対策なしの我々は早々に撤退を余儀なくされる。帰りの道を見ると、政府の奨励で花椒がたくさん植えられており、今や名産品となっているという。また桃の花などがきれいに咲いており、特産品と観光地化を進めている様子も見えた。

 

街に戻って来た。今晩は食べ過ぎなので軽い物が良い、というのでホテルに帰る前に麺を食べることになった。昔某総書記もここで麺を食べたという食堂。地元の人が入れ代わり立ち代わりやってくる中、団体さんが席を占めてしまうのは申し訳ない。辛いのは避けたところ、なかなか美味しい麺が出てきて満足。

 

夜は茶葉ホテルの上の階にあるお茶部屋?に案内される。ここから見る夜景はきれいだ。このホテルの女性社長の招待。2004年のお茶会議に合わせて作られたという部屋は、まさにお茶だらけで、その香りに包まれていた。そこで美味しいお茶を飲みながら、蔵茶の歴史に思いをはせる。社長も2000年頃始まった西部大開発プロジェクトで浙江省からやって来た一人だという。これももう一つの歴史になりつつあるが、西部も常に進化を続けている。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(4)蒙頂山で、そして雅安へ

3月21日(木)
蒙頂山で

翌日もまた朝粥を食べてホテルをチェックアウト。毎日ホテルを変わるのは意外と疲れる。今日は峨眉山から蒙頂山へ移動する。天気は今一つの中、バスは高速道路を走り、1時間半ほどで、蒙頂山と書かれた門をくぐった。そこからすぐのところに、今日の訪問先があった。

 

躍華茶業とは4代目で、ここの茶業を改革開放後に発展させたお父さんの名前が付けられている。とてもきれいな展示館には、茶業の歴史などが書かれ、昔の文物が展示されている。炒青の実演なども行われる。蒙頂山の緑茶も近年かなり有名になってきており、団体のお客が次々にやってくる。外には樹齢100年を越える茶樹が移植されていた。

茶工場の見学、前日同様見学ルートが決められておりそこを歩く。マイクロウエーブ殺青という機械が目を引く。これで鮮やかな緑色を保持するらしい。昨日の工場にもあったので、昨今の流行りだろうか。工場は大型投資により現代化され、展示室にある製茶道具が遠い過去に思える。

 

蒙頂甘露などのお茶が出され、試飲する。ちょうど新茶のシーズン、すっきりした味わい。蒙頂黄芽という珍しい黄茶も作られており、台湾人にぜひ買ってきて欲しいといわれる。それほど珍しいお茶ということだろう。5代目、イケメン社長が登場して、更に説明してくれる。メンバー女子のテンションが明らかに上がっているように見え、お買い物もヒートアップ。まさかこんなに細かな注文を、しかも現金払いで、10人以上から受けるとは思っていないスタッフは大混乱に。

 

それからバスに乗り、少し山を上がっていく。『茶之都』という石碑が見える。その付近の斜面には茶畑が広がり、茶摘みしている人が見える。1軒のお茶屋さんに入り、そこで昼ご飯を食べる。いわゆる農家菜。地元で採れた野菜中心の優しい食事を味わう。毎日食べてばかりだが、カボチャやゼンマイなど胃腸にも良さそう。何だか食べている皆も、ちょっとホッとしている様子が窺える。

 

そしてここからが今回の旅のハイライトの一つ、中国最古の茶園、を訪ねる。しかしその道のりは想像以上に険しかった。ロープウエーがあるのは分かっていたが、皆歩いて登るという。大きな急須のモニュメントの脇を通り抜け、その急な階段を一体何百段登ったのだろうか。足が痛い鉈先生はお留守番で、逐次メッセージで状況を伝える。こちらまで膝が痛くなってきた。途中の廟で少し休むも、体力の衰えを痛感する。

 

30分ぐらいかかっただろうか。石の門が見えた。潜ると井戸が見えた。古蒙泉とある。その辺には観光客がちらほら歩いている。石の壁には茶が運ばれる様子などが描かれているが、これは後世の物だろうか。治水の神様、大禹像も登場してくる。茶畑は斜面に続いている。

 

ついに皇茶園に到着した。7株の茶樹が植えられているが、周囲は壁で囲まれており、少し高い位置でないと写真には入らない。ここが文献上、人が植えた茶畑で最古だということだが、確か日本でも最古の茶園という石碑を三か所で見た記憶がある。歴史は歴史、物語は物語。呉理真という人の名前も出てくるが、正直あまりしっくりとは来ない。それは私が不勉強だからだろうか。

 

足も痛いので、帰りはロープウエーに乗せてもらう。2人乗り、スピードが速いので、乗り損なう危険あり。高い所は嫌いだが、この程度なら問題はない。まあ脚で登ってこそ、価値があると思うので、この選択は妥当かな。お茶屋に戻ると、なぜか四川茶芸の練習をしており、鉈先生もその人々とお友達になっている。

 

そこからバスで30分ぐらい行くと河沿いで停まる。今日の宿に到着。部屋に入ると、何と蔵茶が置かれている。よく見ると壁にも茶餅がはめ込まれており、いい香りがする。これが噂の茶葉ホテルか。食事のためにホテル内のレストランに行くと、もっとすごかった。至る所に茶葉があり、お茶に埋め尽くされているようにさえ、思えるほどだった。そしてここで頂くのは、やはり茶葉料理。きれいに盛り付けされた全ての料理に茶葉を使っており、その徹底ぶりは見事といえる。

 

食後は小雨の降る中、河沿いを少しお散歩。辿り着いたのは1軒のお茶屋さん。入っていくと、オーナーが出てきて、色々と話してくれる。出てきた蔵茶を飲むと、妙にスッキリしており、イメージが違う。『これは2000年以降、漢族に飲ませるために開発した蔵茶だ』というではないか。

 

確かに長年チベットに運ぶために作られてきた蔵茶は、正直質の良くない茶だった。だが、茶業が民営化されると、儲からないチベット向けではなく、漢族向けに商売するのは道理だろう。ただ小声で『今でもチベット向けの蔵茶は政府の要請で作り続けている。これをしないと事業は続けられないよ』と漏らす。メンバーも蔵茶に対する認識が一変し、美味しい、飲みやすいという。製法も変化しているようで、次回はこちらの工場にも行って見たいと思った。