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苦難の台北散歩2016(5)大渓の老茶廠

5. 大渓

鶯歌から一駅乗って、桃園に着く。ここは桃園空港からはかなり離れている。初めて降りた。ここから台湾好行バスに乗り、大渓の老茶廠へ行ってみることにした。先日は三峡の老茶廠行きを失敗したので、こちらでリベンジを。桃園駅前からバスターミナルまで2-3分歩く。駅前にあるレストランが、ベトナム語、インドネシア語、タイ語などで溢れている。そんなに出稼ぎできている人が多いのだろうか。興味深い。バスは午後1時半発が最終だった。それに乗り遅れれば茶廠へ行くことはできないらしい。

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台湾好行には一日150元乗り放題というチケットがある。私が係員に老茶廠往復というと彼は無言でこのチケットを切った。ということは片道75元以上するのだろう。1時間以上はかかるらしい。バスは少し遅れてやってきた。乗り込む人は多くはない。観光客なら午前中から来るだろう。何しろいい天気なのだ。

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バスは川を渡り大渓の街を通り過ぎ、更に進む。ちょうど1時間でバスを降りた。だが、ここに茶廠があるのだろうか。数人が降りたので、その人々についていくと、バス停からすぐだった。かなり大きな茶工場だが、何ともきれい。如何にも改修して観光用にしましたという作りには、ちょっとがっかりする。前庭では小さな子供がはしゃいでいる。

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とにかくのどが渇いた。中に入るとそこはショップ。紅茶などの茶葉が売られている。一番端に冷蔵庫があり、お客さんがボトルを取り出して買っている。緑茶100元、決して安くはないが、飲んでみる。とにかくのどが渇いている時は有り難い。冷たいお茶をごくごく飲み干す。

 

更に進んでいくと、製茶体験などができる場所があり、喫茶スペースもあった。反対側へ行くと、製茶場があり、機械なども置かれている。そこの前にこの茶廠の歴史が展示されていた。1899年に三井合名がこの地に茶園を開拓。1926年に角板山茶廠を開設した。戦後改名されたが、1955年に大火災があり、茶産業も衰退。つい最近台湾農林が改修して観光地化したらしい。

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ちょうど見学ツアーが出発しており、そこに重なる。台湾人はこの茶廠を見て、何を思うのだろうか。台湾茶の歴史は輸出の歴史であり、輸出はイコール、日本の外貨獲得政策の一環。大企業である三井が乗り出し、日東紅茶を作り出した。この工場はその主力の1つ。2階は天井が高い。インドやスリランカに見られる大規模紅茶工場だが、1960年代にはすでに国際競争力を失い、衰退している。

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1時間もいれば、もう十分。既に帰りのバスが気になり始める。4時前にバスが来るので、早々に茶廠を離れる。バス停は見付かったが、台湾好行の表示は見えない。周囲を散策するが、他にバス停はなかった。この付近、意外と民家があり、廟があり、ちょっとした店もある。最近できたとも思えないので、昔からこの茶廠と共にあったのかもしれない。

 

バス停には台湾人の若い子たちが待っていたので、その横で待つ。バスはなかなか来なかった。そして乗客も少ない。ところがいざバスが来ると、何と我々の前を通り過ぎてしまった。運転手が何か手で合図していた。これには慌てた。もしこのバスを逃すとどうなるのだろうか。皆で走っていくとだいぶ先にバスが停まり、そこには十人以上の乗客が待っていた。

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何だ、こんなところにバス停があったのか。2つに分ける理由がわからないが、今はとにかくバスを捕まえることだ。幸い乗客が多く、乗り込むことができた。席もあったので落ち着く。大渓の街で降りる人もいたが、私は疲れたので、そのまま桃園駅まで戻る。夕日が川に落ちていく。

 

6. 台北3

台北に戻る。宿まで歩いて行くと、何と顔馴染みの茶荘の夫婦と出くわす。これには驚いた。今回は寄らないつもりだった茶荘だが、後で行くよ、ということになる。腹が減ったので、ワンタンメンを食べる。これから中国へ行くので、ここで洗濯しようと思い、コインランドリーへ向かい、洗濯する。乾燥機までかければ、すぐに完了するのが嬉しい。ついでに昔使っていた携帯電話の故障について、その辺の店で見てもらう。電池が古過ぎるということだが、既に生産は停止しており、台湾では買えないようだ。

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それから新純香を再訪して、私も寄稿している雑誌、月刊茶を寄贈する。台湾や中国なら何とか漢字を頼りに読むこともできるだろう。ましてやこの夫婦は日本語堪能なのでちょうどよい。そして先ほど出会った茶荘、広方圓に歩いて向かう。だがオーナーは急ぎの用事で出かけていた。パイナップルケーキを買い、退散。

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102日(日)
福州へ

翌朝は台湾を離れて、福州へ向かう。桃園空港までバスで行き、厦門航空に乗る。今や台湾から中国へ行くのは簡単だ。ボードを見ると私が乗るフライトの上の便は厦門航空と華信航空のコードシェア便だった。華信航空はその設立時に、少し関わった会社だから、何とも懐かしい。今は中華航空の傘下と聞いている。中台のコードシェア便、昔では考えられない。

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空港のモスバーガーで食事をして、飛行機に乗り込む。CAもきびきびしており、サービスも悪くはない。何より、1時間ちょっとで福州空港に着いてしまった。この距離感、いい感じだ。

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苦難の台北散歩2016(4)快晴の台北散歩

101日(土)
カンボジアから来た人と

翌朝は6時に起きた。今日はカンボジアから知り合いの女性がやってくることになっていた。Yさんとは、沖縄の知り合いを通じて、2年ぐらい前にシェムリアップで会った。会ったと言っても彼女は忙しくて、何と路上で10分話をしただけだった。そんな薄い繋がりの彼女だったが、高雄へ行く用事があり、桃園空港から台北に寄ると言ってきた。

 

午前6時にフライトが到着しても、入国審査、両替、シムカードの購入をして、バスで台北駅へ来るには2時間以上はかかるはずだった。8時前には宿を出て、台北駅へ向かう。実は空港から駅へ来るバスは以前西棟という建物に到着したのだが、数日前に変更されたと聞いたので、それを確認する必要があった。ついでに明日自分が空港へ行く時のバス乗り場も確認する。大型のバスターミナルは駅の北側にあり、そこで聞くと、バスの到着場所は以前と同じ、駅の東だった。

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彼女は大きな荷物を持ってくるだろうかと、地下のコインロッカーの場所を下見して、地上に戻ると電話が鳴る。既に彼女はバスを降りたらしい。劇的な再会となる。彼女は既に高雄(左営駅)行きの高速鉄道を予約していた。知り合いの結婚式に出席するという。まずはそのチケットを窓口で受け取る。パスポートを出すと実にスムーズ。そしてコインロッカーに荷物を預ける。

 

まずは腹ごしらえ。駅前のたまに行く店に入る。土曜日の朝でもお客は結構いて、繁盛している。Yさんがいたので、すぐに日本人として対応してもらえ(笑い)、笑顔で蛋餅と豆乳を勧められた。Yさんも美味しいと喜んでくれた。台湾の朝ご飯はやはり蛋餅だな、と思う。でもサンドイッチもおにぎりも、いい物は色々とある。それは是非高雄で食べて欲しい。

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お腹が一杯になると散歩に出た。それにしても今日はいい天気だ。カンボジアから来ればそれほど暑くはないかもしれないが、東京から来た私には日差しが強い。駅前から歩いて二二八和平公園へ出た。Yさんにとっては初めて聞く事件だろう。昔はこんな公園はなかったのだが、いつの間にか公園になっていたのだ。

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総統府の前へ出た。この付近の建物の多くは、歴史的建造物であり、壮観である。今年亡くなったエバーグリーンの張栄発会長の財団の建物が見えた。彼は5年前の東日本大震災の日、10億円の寄付をしたとして、最近日本で急激に知名度が上がった人物だ。台湾人が日本で叙勲されることはこれまでなかったが、初めて受賞した2人の内の一人にもなった。私が張氏に仕事で会ったのは20年以上前のこと。

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中正記念堂にも久しぶりに行った。広々とした空間、青空が素晴らしく、感動するほどだった。これまで数十回は来ているが、ここまで美しい空を見たのは初めてかもしれない。記念堂には観光客が集まっていた。気が付くと1時間に一度の衛兵交代式の時間だった。背の高いきりっとした衛兵がびしっと歩き、交代する。護衛時間中はピクリともしない。その辺が人気になっている。

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それから少し歩くともう暑くて仕方がない。飲み物を飲もうと思ったが、適当な喫茶店もなく、スタンドでジュースを買って歩きながら飲む。こういう時は糖分が欲しい。そうこうしているうちに電車の時間が来てしまい、Yさんは荷物をロッカーから出して、急いで駅の改札を入って行った。こんな再会は何とも愉快だった。

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4. 鶯歌

私もどこかへ出かけよう。天気も最高だし。台湾鉄道で切符を買い、各停に乗って行く。鶯歌、陶器の街として名高い。私も10年前に一度来たことがあるが、陶器にあまり興味がなく、その後来る機会はなかった。最近はどうなっているのか、ちょっと寄ってみる。台北から約40分。

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駅前から陶器街までどう歩いて行くのかも忘れてしまった。適当に歩いて行くと、結構古い、洋風の建物があった。昔からあったのだろうが、最近の日本ブームでプレートも嵌められたのだろう。1916年に建てられたらしい。そのまま歩いて行き、陶器博物館を訪ねた。新しい建物で80元もの入場料を取られたが、これといって見るものはなかった。

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その博物館の手前に陶作坊の本店があった。ここには10年前に来た。ちょうど訳アリ品の大セールをやっており、急須など一式買った覚えがある。その時日本まで送ってもらったが、その送料に余りがあれば後で取りに来ると言ったのを思い出す。だがさすがに10年は時効だろう。寄らずに、線路の反対側の陶器街へ。そこにも大きな陶作坊の店が出ていた。

 

鶯歌は有名になり、店舗数は10年前より多くなり、きれいにもなっているが、お客さんはそれほど増えているようには見えない。私にとってはやはりあまり面白い場所ではなかった。時間まで駅前の迷路のような古い街を歩いてみた。昔はこの辺にも工房があったのだろう。

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苦難の台北散歩2016(3)昔を懐かしむ

4.台北2
久しぶりの茶荘で

宿で少し休む。夜はTさんと会うことになっていた。Tさんとの出会いは25年前の台北。彼は駐在していた私の家を探してくれた。お互い若かったな。彼は長らく台湾にいて、それから上海へ。そして何とイスタンブール、モスクワを経て、つい最近台北に戻ってきた。何ともダイナミックなキャリアを持つ人材。東京では何度も会っていたが、台北で会うのは何とも久しぶり。

 

彼は私の宿まで来てくれた。その昔はお互い慣れ親しんだ場所だ。それから食事に出掛けた。何だか昔来たことがあるような路地裏の食堂。日本人も利用しているようだ。牡蠣と油条が美味しい。炒め物も何だか生きがいい。二人では食べ切れないほど、頼んで食べた。いいな、こんな食事。

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そして宿に戻りながら、Tさんが、『新純香へ行きましょう』という。このお茶屋さん、10年以上前はたまに行ったお店だったが、最近は完全にご無沙汰だ。Tさんは日本からお客さんが来るとここを紹介していたらしい。お店は何となくきれいに整理された感じとなっている。入っていくと、日本人観光客が何組もお茶を買うための試飲をしていた。本当に今の台湾は日本人観光客が多い。こんなに日本人を見かける海外は台湾ぐらいではないだろうか。

 

オーナーの王さんと話す。何とこのお店をずっとやっていた王さんのお母さんは4年前に亡くなったと。私はそれほど親しいわけではないが、とても残念に思う。この飲み屋街のど真ん中で何十年にも渡って店を切り盛りするのは色々と大変だっただろう。今や娘の王さんが頑張っている。このお店はお茶の種類も豊富だが、パイナップルケーキやお茶請けが美味しいと人気である。日本語で対応してくれるのも有難い。

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王さんのご主人は日本語の翻訳などもやっているということで、様々なお茶にまつわる話を紹介したいという希望を持っている。私も茶旅について 様々な国の事情についてお話した。台湾の人々はどのようなことに興味があるのか、王さん夫妻は流ちょうな日本語で教えてくれた。我々が話している間にも日本人客はどんどん入ってきて、ちょっと試飲してお茶やお菓子を買っていく。スケジュールぎっしりの旅、楽しいのだろうか。

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9月30日(金)
図書館で調べもの

翌朝は起き上がれなかった。やはり前日の疲れが重くのしかかっていた。台湾ではケーブルテレビが発達しており、その中には日本チャンネルがある。日本の最新ドラマが字幕付きで放映されている。朝ドラ『とと姉ちゃん』は日本で放映が終わったばかりだが、既にこちらでは始まっている。またスポーツチャンネルも充実しており、メジャーリーグも日本のプロ野球も見ることができる。午前中はテレビを見て休む。

 

朝ご飯も食べず、部屋からも出なかった。昼は近所に住むBさんが来てくれて、一緒に麺を食べる。昨晩も食べ過ぎでたのに、なぜか大盛を頼んでしまい、腹がパンパンになる。その後、横に移動してカフェラテを飲みながら話す。この路上にテーブルを出すコーヒー屋さん、今の台北の流行りだ。Bさんはこの5年間、様々なことに挑戦しており、更に挑戦していこうとしている。私は同じようなことの繰り返しになってきている。常に新しいことを目指すのか、一つのことをしっかりやっていくのか、迷うところだ。

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午後は珍しく国立台湾図書館へ行く。ここは5年前に一度調査に来たことがあったが、中和にある、という以外、何も覚えていなかった。調べると南勢角線永安市場駅で下車するとある。駅前に出るとおぼろげながら記憶があり、図書館までは簡単に行けた。実はこの図書館、日本時代の資料が大量に保管されている。6階にその蔵書があるというので行ってみる。

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6階には人は殆どいなかった。係りの人に、どのようにすれば閲覧できるのか、と聞くと、彼女は日本人対応に非常に慣れていて、『どのような内容をお探しですか』と聞き、テキパキと検索してくれた。そしてお茶に関する本があるコーナーまで連れて行ってくれ、台車まで出してきて、『ここに本を乗せて彼方で読んでください』と実に親切だった。私が外国人だとうことはあるだろうが、こんな親切な図書館、これまで出会ったことはない。

 

更にどうしても調べたい人物と会社を探していると、『それではこの新聞のサイトから検索しましょう。恐らくこの手のものは新聞が一番です』と言って、自ら検索してくれた。記事が見付かると、『ここを押すとプリントできますよ』と。実際の調べ物の成果は芳しくなかったが、このサービスには感心する。日本にはこんなこと、有るのだろうか。いつもは憂鬱な調べ物が、気分よくできてしまった。

 

夜は昨日のTさんと待ち合わせて、最近台北に赴任したSさんにところへ行く。宿から彼のオフィスまで歩いて20分、昔の我が家の近くを通り、昔の取引先、昔なじみの人のオフィスの脇も通り、ロイヤルホストやモスバーガーの誕生秘話?に話が及ぶ。最近の台湾しか知らない人には言っても分らないことがTさんと話すと、いくらでも広がっていくから面白い。

 

Sさんにご飯をご馳走になる。Sさんは北京時代の知り合いだが、香港にもご縁が深く、共通の話題がいくらでもある。彼が台北に来るとは思っていなかったが、恐らくはここでは彼の力が発揮されるだろう。その時にはTさんが役に立つかもしれない。何となく楽しみだ。

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苦難の台北散歩2016(2)なぜか三峡老街へ

929日(木)
2. 台北
松山空港へ

5時間ぐらいは寝ただろうか。当然周囲は明るくなり、強い日差しが窓の外に見えた。実は今日は夜まで確定した予定がない。疲れているなら、このまま寝ていてもよいと思ったのだが、まずはシムカードを手に入れる必要があるので、外へ出た。だが、宿の近くの中華電信ショップはまだ開店していなかった。

 

そもそも旅行者用の短期シムを街中のショップで売っているのかも分らなかった。どうせならいつものように空港で買おうと思い立ち、MRTで松山空港へ向かう。ところが文湖線に乗り換えたところで、なぜか電車が止まっている。何か故障があったようで、進まない。あとでニュースを見たら、この日は大混乱だったらしい。この線はいわくつきだ。

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何とか空港に辿り着き、いつものシムを買う。よくわからないのだが、102日に台湾を離れると言ったら、4日間の滞在なのに、3日間用の一番安いシムを売ってくれる。初日は無料だから、ということらしい。これは有り難いし、無駄がない。でも空港を出てMRTに戻ると、またノロノロ運転だ。

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今日はどうしようかと思ったが、今回の旅でちょっと調べてみたいことがあった。それを調べる手掛かりになるかどうかはわからないが、その昔日本時代に三井が作った茶工場が今やきれいに修繕されて、資料館として開放されているらしい。折角だからそこへ向かう。但し1つ問題があった。HPで場所を確認しても、車で来る人しか参考にならない。というか、車以外では行けないのだろうか。

 

台湾の友人に調べてもらうと、バスに乗れば近くまで行けるとの回答があった。文湖線から何とか板南線に乗り換え、最近延長された終点の頂埔駅まで行く。ここは昨年、桃園の茶農家を訪問する際、待ち合わせた駅だった。あれからもう1年が経つ。早いものだ。妊婦に運転させてしまったな。その後無事出産したようだ。

 

3. 三峡
違うバスに乗って三峡老街へ

地上に出て、バス停を探す。道の反対側にバス停があり、頻繁にバスが来ているようなので安心した。私が目指す大寮茶文館はバスで三峡区にある皇后鎮農場まで乗ってそこから歩くらしい。それにしても最近の台湾のバス停は凄い。ちゃんとバスの待ち時間が表示されている。私が乗るべきバスを探して唖然。『67分待ち』、どうするんだ?

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そこにバスが来て、数人が乗り込んだ。バスのフロントガラスには『三峡老街』という表示があった。そこへ行けば何かわかるかもしれない。やはり67分は待てない、と乗り込んでしまった。それにしてもこのバス、どちらの方向へ向かうのだろうか。普通の路線バスのように次のバス停でも停まる。どこまでいくのか。遊遊カードで15元引き落とされただけだ。

 

それから30分ぐらい乗っていると、突然古い街並みのようなものが見え、何人もが降りて行った。私はその次のバス停で突然降りた。理由はない。そのバス停の前には昭和レトロを思わせる看板を大きく掲げた食堂があった。平日の昼過ぎながら、結構客がいたので、入ってみる。

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これは完全に日本の昭和のようであり、日本統治時代を再現していた。店内には森進一のおふくろさん、が流れている。名物は昔風の排骨飯。そして魚湯。観光客相手の店だろうと思っていたが、予想よりうまい。まあ料金は普通よりは高い。今や台湾人は昔を懐かしむことが好きなようだ。

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そこから散歩してみる。この街には一体どのような歴史があるのだろうか。ちょうど歴史文物館というのがあったので入ってみた。その建物自体が歴史的建造物を利用していた。この街には清代に福建省安渓あたりから移民がかなり流入していた。そして1860年代、台湾茶が海外に輸出される段になると、イギリス商人などがここまでやってきて、茶樹を植えさせたらしい。

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安渓と言えば鉄観音の茶産地だから、ここに移住した人々にも馴染みがあったかもしれない。付近の山林の開拓が進められ、樟脳と茶が主産業になっていく。台湾茶は北部から起こった、と何度も聞いているが、この辺の歴史をもう少しきちんと知りたいなと、という気持ちが起こる。三峡茶の最盛期は清末から日本時代の終わりまでだったようだ。茶葉は川を下って、台北の大稲埕、茶葉の集積地から国外へ運ばれた。

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川沿いへ向かう。そこには立派な廟が建っていた。かなりの広さがあり、地元民も観光客も盛んにお参りしている。往時この地区がかなり栄えたという証拠かもしれない。そしてこの付近から茶葉は台北に向かったと思われる。その横から歩いて行くと、三角湧老街がある。三角湧というのが元々の地名らしい。かなりきれいに改修されており、完全に観光地化しているのはちょっと残念。並んでいるお店も観光用なので、さらさらって見て通り過ぎる。

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古い教会もある。台湾に限らないが、100年以上前に山の中まで宣教師がやってきて布教しているのは本当にすごい。三峡は藍染産業も盛んだったようで、その工場跡もきれいになり、公園になっていた。何だか疲れたので、帰ろうと思ったが、どうやって帰ればよいのだろうか。来た時に乗ったバスを探すと30分以上来ない。

 

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また少しフラフラして時間をつぶそうとすると、他のバス停から台北方面を行けるとおじいさんが教えてくれた。ちょうどバスも来たのでそちらで乗り込む。バスは高速道路を走り、あっという間に板橋に着く。ここまで30元だった。ここからMRTに乗れば、すぐに宿へ着く。

苦難の台北散歩2016(1)遅れに遅れて午前4時

【苦難の台北散歩2016】 2016928-102

 

10月に福建省に行くことになった。厦門集合ということで、今回はどこから入ろうかと悩んだが、やはり台北行が安い。そして福州まで飛び、高速鉄道で厦門へ。こんなルートで厦門へ行く日本人などいないだろう。だが、その前には大きな壁が立ちはだかった。

 

928日(水)
1. 台北まで
遅れに遅れて

先週熊本で台風直撃の中、辛くも脱出したばかりだったが、何と昨日は台風が台湾を直撃した。心底思った。『今日ではなくてよかった』と。だが台風の余波はさすがに今日のフライトにも影響を及ぼしていた。桃園空港が混乱しているらしい。確かに前日全便欠航したのであれば、多少の遅れはやむを得ない。

 

今回は安さでシンガポール系のタイガーエアーを選んだ。前回は同じシンガポール系LCCで大失敗しているので、ちょっと不安もあったが、前日夜遅く、翌日のフライト時間変更の連絡があった。11:40発が17:50発と、実に6時間遅れていたが、それでも連絡があれば空港で待たなくてよい。

 

そして当日15時に成田空港に着いてチェックインカウンターへ行くと、ちゃんとチェックインが開始されていたのでホッとした。かなり長い行列が出てきているのも悪くない。カウンターのスタッフを見ていると、実に多彩な顔が見えた。日本人もいるが、韓国人、シンガポール人などが、日本語、英語などを駆使して対応している。一瞬ここは成田か、と疑いたくなるほど。

 

だが、その説明を聞いて驚いた。17:50発の予定が、20:40に変更になったというのだ。都合6時間近く、空港で待たなければならない。彼女らはかなり上手に乗客に説明し、特に文句を言う人もいなかった。LCCだから、台風だから、多少の不便は仕方がない、と皆割り切っているのだ。私も右に倣って大人しくチェックインしたが、何と17時過ぎまでは出国審査も受けられないというから、ビックリだ。これがLCCというものだろう。

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仕方なく、展望デッキへ向かう。これまで何十回と成田空港には来たが、デッキに行くのは初めてだった。飛行機を見ようとしたが、金網が遮っており、あまりよく見えない。ネットの繋がりもここは今一つ。そして何と雨がぱらつく。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。本当に仕方なく、2階の土産物屋を覗く。本屋でも時間をつぶす。

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そして17時過ぎに出国し、席を探して座る。テレビが設置されており、娯楽番組を放送している。くだらないとは思いながら、こういう時はこのような番組をダラダラ見ているのが一番良い。何と3時間も見ていたと思う。そして20時過ぎに、ボードを見に行くと、何と何と、またディレーしている。出発は21:20。桃園空港の混乱は想像以上のようだ。

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ついにコールがあり、飛行機に乗り込んだのは、21時前。疲れ切り、諦めきって乗る。フライトは満員だ。台湾人の方が多い。中にはシンガポールまで乗り継ぐ人もいるのだろうか。私は席に着くと目をつぶる。起き上がるともう着陸態勢にあった。一体今は何時だろうか。果たして台北市内までどうやって行くのだろうか。

 

市内まで

飛行機を降りたのは午前0時半だった。この時間でも結構人がいるのは空港混乱の余波だろう。入国は簡単に済んだが、荷物が出てくるのに時間が掛かった。これも仕方がないだろう。いつもなら両替して、それからSIMカードを買って。だが、もう開いている時間ではない。

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まずは台北市内までのルートを確保する必要がある。いつものバス乗り場へ行くと、簡単にチケットは買えた。深夜でもバスは動いているのだと安心したが、その列の長さに唖然とした。どこが最後尾か分らない。並んでいた台湾人に聞いたら、彼も分らないながら並んでいるという。ちょっと面白くなってしまった。疲れすぎて頭がボーっとしていたからかもしれない。普通ならタクシーを探すだろうに、なぜか列に並んだ。

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当然これだけの列だから、すぐにバスは来ると思った。確かにバスは来たが、乗車人数が限られている。高速走行なので立っていくことはできない。2台目が来ても列は少ししか動かない。3台目が来るま45分はかかった。だが誰一人列を見限るでもなく、勿論不平もない。空港はWi-Fiが完備しているので、皆スマホに目を落としている。どうやら日本の野球、パリーグは日本ハムが優勝したらしい。ハムには台湾のスター、陽岱鋼が所属しており、台湾でも人気があるチームだったので、皆喜んでいるようだ。

 

私がバスに乗れたのは6台目、何と午前250分だった。ずっと立ったままで約2時間、よくも待っていたものだ。それでも私の後ろにはさらに大勢の人が待っている。バス職員が『昨日から2晩徹夜だよ』という声を聴いて、大変なのは我々だけでないと分かる。このターミナルに降りるお客はLCCで来た人が多いから、タクシーには乗らず、安いバスを待っていたのだろうか。何しろバス代は125元だが、タクシー代はその10倍はする。

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午前340分、台北駅に到着。荷物を受け取り、それを引いて、夜明け前の車も殆ど走っていない通りを歩いて行く。午前4時前、ついに予約していた定宿に着いた。ドアは閉まっていたが、中のソファーにおじさんが寝ており、鍵をくれた。何だか目がさえてなかなか眠れなかった。

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埔里から茶旅する2016(26)大稲埕

大稲埕

結局2時間半もクラブにいた。そして別れを告げ、Iさんとも別れた。今日はこれから人に会う予定であるが、その人はちょうど桃園空港に着いた頃だろうか。まだ時間がある、そう思うと足は自然と大稲埕の川べりへ向かっていた。台湾茶業の歴史を語る上で外すことができない場所である。1865年にイギリス人のジョン・ドッドが安渓から茶ノ木を持ち込んだと言われている港である。台湾茶業の創成期、厦門からやってきた買弁、李春生のサクセスストーリーと共に興味深い。そして茶葉貿易が活発に行われ、19世紀後半にはここに茶葉を扱う洋行が立ち並び、台湾茶が欧米に盛んに運ばれていった。日本時代も引き続き繁栄したが、近年台北の中心が東の方に移動したことで、その機能は失っている。

 

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大稲埕は重慶北路から西、淡水側に達するエリアをいう。最近は観光地となった乾物屋街、迪化街などが有名。現在も古き良き台湾の街並みを僅かに残している場所である。淡水河に達する。大稲埕埠頭はよく整備されており、昼間は観光船が発着、夕暮れ時は市民の憩いの場として機能していた。夕日が落ちていく風景をカメラに、いや今はスマホに収めている人が多い。それはなかなかきれいな景色であり、今日はここでボーっとしていれば満足、という雰囲気を十分に感じされるものだった。だがちょうどその時、メッセージが入ってくる。予定より早く面会者がホテルに到着したらしい。

 

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そのホテルはここから歩いて10分ほどのところにあった。フロントで名前を言うとすぐに電話してくれた。ここでは有名人らしい。日本人のMさん。北海道のお茶関係者から紹介された。何となく名前と存在はしていたが、会うのは初めてだった。彼は明日以降、茶葉の仕入れと、製茶体験ツアーのコーディネートのためにやってきたところを捕まえた。私も明日帰るので、絶妙のタイミングだった。

 

Mさんも元サラリーマンでその後独立。お茶で食べていくのはなかなか大変だ、とのことだったが、もう10年以上やっているようだった。私とは台湾や中国ビジネスの体験で共通点が多く、話が弾んだ。各地のお茶屋さん、茶農家も紹介してもらった。それにしてもお茶を本業として、それなりの収入を得ていくことの難しさを痛感する。結局ホテルの食堂でコーヒー一杯を飲み、2時間以上離し続けた。こういう出会いもあるのかと、茶縁の幅の広さに驚く。

 

帰りも何となく歩いていく。途中で寧夏夜市を通りかかり、一度食べようと思っていた肉飯に挑戦。これはまあ言うなれば豚の角煮ご飯。どんぶりご飯の上に、角煮がドーンと載っている感じ。やっぱり私はこういう飯が好きだ。予想以上にボリュームがあって60元、なんとも幸せな気分になる。夜市の他の食べ物も食べたかったが、腹が一杯になってしまい、散歩がてら宿まで歩いて帰る。これで今回の台湾もうまく収まった。

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61日(水)
東京へ

今日はついに東京へ移動する日となった。短いようで長かった今回の滞在。良久へ行き、魚池の紅茶を見、坪林で製茶体験、収穫はあったということだろうか。いつものように台北駅前からバスに乗り、桃園空港へ。それにしても一体いつになったら、空港鉄道は開通するのだろうか。毎回行く度にもうすぐだ、という話になるが、一向に開通しない。これがあればかなり便利なはずなんだがな。まあ、これも台湾、仕方がない。

 

空港に着くと、チェックインカウンターは長い列だったが、これまたいつものようにテキパキと処理されていく。さすがに行きに乗ったシンガポール系LCCは対応がひどすぎたので避け、日系LCCに乗る。搭乗前の腹ごしらえは、なぜかパン屋でサンドイッチとコーヒーを買うという、これまでにないパターンに。やはり飽きてきているのだろうか。しかしパンは日本の方が美味しいと言わざるを得ない。

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フライト時間3時間ちょっとで成田に着いた。今日は61日、昔は衣替えだったかな。今はクールビズの始まりか。成田第三ターミナルからは東京駅行きのバスが僅か1000円で乗れる。バスは夕日を浴びながら、高速道路を走っていき、ちょうど退勤時間の八重洲に到着した。

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そういえば、今回修理できるということで持って行ったPC。ついに修理は出来なかった、既にパーツが生産停止になっていたとの連絡を後から受けた。これを受け取りにまた台北へ行くのだろうか。茶畑行きも何となく中途半端に終わっている。次はいつ行くのだろうか。取り敢えず中国へ行かなければならい。9月以降、早めに再訪しよう。台湾は小さな島だが、お茶に関していくべきところはまだまだたくさん残っている。

埔里から茶旅する2016(25)会員制プーアル茶クラブ

 IさんもKさんも台北で働いてきて、色々と悩みを抱えている。悩むことは良いことだ、などというつもりはないが、前向きに悩み、次に展開を考えることは悪いことではない。私などもサラリーマン時代は、『前向きに悩む』ことができなかった人間であり、ネガティブ志向、先を読み過ぎ、という傾向から、かなり束縛されていたと思う。既に自分で海外に出てきて戦っている二人は、私などより、よほど強いだろう。

 

帰りはタクシーを呼んでもらい、Kさんと一緒に乗る。運転手に『中山駅』と言ったはずだったが、何となく違う方向に進んでいるよう思える。そして着いたところは先日行った、中山国小という駅。『え、違うよ』というと、運転手もえっという顔をして、急いで中山方面へ移動した。結構距離をロスしたな、と思ったが、夜遅くだから、車はそれほど走っておらず、すぐに着いた。降りる時運転手は『先ほどは間違って申し訳ない』と言い、50元を返してよこした。これで2度目だ。台北の運転手は何とも良心的だ。

 

531日(火)
秦味館 地震

本日も朝はゆっくり。そろそろ台湾も飽きてきた、ということなのだろうか。先日の会でお会いしたHさんとランチを食べることになり、また昼前に出掛けていく。場所は国父記念館近く。前回来た時もたまたま寄った国父記念館。今回も何となく横を歩いて見る。食事の場所は『泰味館』とメッセージをもらったので、タイ料理か、と思っていた。近くへ行くと実際にタイ料理屋があり、これは期待できそうだ、と感じる。

 

ところが指示された店に着くと、ここは『秦味館』だと言われて驚く。最近特に目が悪くなり、スマホの小さな字が正直読めない。完全な勘違いだった。それにしても秦の料理とは何だろうか。どうやら羊の肉などを使った中国西北料理ということらしい。お店はこじんまりしていて、何となくよい。予約はされていたが時間に行ってみるとほぼ満員で、『取り敢えずそこに座っていて』という台湾的対応だった。羊スープを飲むと、臭みもなく、旨い。久しぶりに新疆や内モンゴルのことを思い出す。羊の串焼きなどもあり、ある意味で新疆料理屋という感じでもある。台湾でもこんな店があるんだな。まだまだ知らない台湾、奥が深い。

 

 

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Hさんは台湾人と結婚して、子供もいるライターさん。精力的に仕事をこなしている。ちょっとしたことにもこだわりを持ち、調べていく姿勢がある。私などとは大違いだ。これからも知られざる台湾を日本人に紹介してくれることだろう。などという話をしていると、突然店が揺れた。かなりの揺れで、客の全員が立ち上がり、一瞬どうなるのかと思ったが、すぐに収まった。そう、台湾にも地震がある。というより、日本と同じ程度にひどい地震がある。最近も台南で大規模の地震があったばかりであり、皆身構えてしまった訳だ。

 

殆どの客が帰ってしまったが、我々は主食の麺を食べる。この麵、きしめんのかなり太いバージョンかな。そしてデザートとして揚げたパン?に甘いものを掛けて食べる。これは相当に美味しい。ちょっと洋風。こんなお菓子があるのだろうか。何となく満足しながら店を出た。Hさんは忙しそうに次のアポに向かって行った。私は3時に昨日電話を入れてもらったプーアル茶屋さんへゆっくり向かう。

 

プーアル茶屋

地下鉄大頭橋駅へ向かう。初めて降りる駅だ。地図で見ると、それほど遠くなさそうなので、駅から歩いて向かう。ところが・・??歩いて行っても住所が見付からない。というか、10分以上歩いて逆方向に向かっていることに気が付く始末。最近のボケ加減は半端ではない。また10分歩いて振出しに戻るころには汗だく状態。そして何とそこから10分歩いても目的地には着かなかった。何かが間違っている。更に5分歩いてようやくそこへたどり着く。店の前では声を掛けておいたIさんが待っていてくれた。申し訳ない。

 

店は隠れ家のようになっていて、そこがお店であるかどうかは知っていないとわからない。中に入ると陳さんが待っていてくれた。そこはお店というよりはちょっとしたサロン、2人のお客がゆっくりとお茶を飲んでいた。我々もそこに参加する。よさそうなプーアル茶がたくさん並んでいる。だが話を聞いてみると、ここはお店ではなく、会員制クラブといった形態で、茶葉の販売などもしていない。1年に一度、会員の希望者と共に雲南省にお茶の見学と買付に行き、そのお茶を分けるだけだという。ただ持ち帰った茶葉の多くは、店の倉庫に保管しておくとか。

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この会は新竹あたりで始まったらしく、既に台湾内に30のクラブが各地域に存在しているという。ここは台北支部という位置づけだが、運営しているのは、趣旨に共鳴する各個人。陳さんも創始者の活動に感銘を受け、お茶会に参加、ついにはクラブを作るまでになったという。ビデオを見せてもらうと、そこには台北市内で大茶会を開催する創始者と支援者が映っており、創始者の発言から、このクラブの賛同者の多くが、客家の人々ではないかと思えてきた。ある意味では、台湾の高山茶や紅茶ではなく、プーアル茶を選んでいること自体が、何となく不思議なのだ。勿論健康に良いとか、保存がきくとか、理由は色々とあると思うが、この仕組み、組織についてはよくわからない点も多い。

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ここは会員が自由に集い、お茶を飲み、親交を深める場所である。和室なども用意されており、様々な活動ができるようになっている。台湾の茶業の一形態として、このような会員制もありかもしれないとは思う。高級なお茶を皆で共有して、保有していく。そして本来のお茶の目的である、親睦や交流を謳うというのも頷ける。既に大陸にもこの仕組みを入れていく予定で、会員は大陸に行っても、その地域のクラブに参加できるということらしい。

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埔里から茶旅する2016(24)北村家の店長

530日(月)
不動産探し

翌朝はゆっくり起きる。朝飯を食べる気力もなく、11時前に出掛ける。中山の三越の前に来ると、ちょうど開店時間となり、コンパニオン?が丁寧にお辞儀をして、お客を迎え入れている。これも25年前、新光三越の社長から直に聞いたが、三越の良いところを全て取り込んでおり、何よりすごいのは25年経っても変わらない、ということだ。その間に店舗は一体どれだけ増えたのだろうか。北京で開業した時にはそのパーティーに呼ばれて行きもした。

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実は昨日行った行き付けの茶荘で話をしていると、『もし台北で家を借りるなら、重慶北路あたりかな』という助言があった。便利な割には比較的安い、ということらしい。それなら暇な時間にどんな所か探検してみようと、という感じで出向いてみた。と言っても、以前から古いお茶屋もあり、何度も通っている道ではある。今回はどのようにすれば借家が見つけられるのか、という点に絞って調査すればよいわけだ。

 

歩いていくと、不動産屋は沢山あった。だが殆どは売買中心で、賃貸はほんのお遊び程度。確かに一部屋何千万元もする家がゴロゴロしているのに、チマチマした賃貸などやっていられないだろう。中に一つだけ、賃貸中心のところがあり、外から眺めてみると、数万元の物件ばかり。確かに1万元ぐらいでも物件は出ていたが、相当に条件は悪いのだろう。もし本当に借りのであれば、次回はちゃんと訪ねて、内覧してみよう。ただ外国人に貸すかどうか、短期賃借はどうか、家具はどうするのかなど、問題は沢山ある。そもそもそれほど台北にいる訳でないので、また何かご縁があるといいなと思う次第だ。

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何をしていても腹は減る。ちょうど昼時で、魚翅肉羹という名前に釣られ、一軒の店に入る。老舗なのか、お客が多く、接客は『食いたければ自分でやって』という感じ。適当に座ってどうしたものかと考えていると、おばさんが気が付いて、注文を取ってくれた。日本人だとわかったらしい。魚翅とは言ってもふかひれなどは入っていなくて?もやし?と肉の羹というイメージ。野菜も頼んでみたが、どうなんだろうか、これは。

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宿に戻って一休み。午後2時にホテルにBさんが来てくれた。彼は昔の留学仲間、そして5年前に劇的に再会したのが、ここ台北だった。お互いサラリーマンを辞め、自由業で生きている。何となく理解できる相手だ。連絡すると『ちょうど紹介したいお茶屋がある』ということだったので、宿の向かいのオープンカフェでコーヒーを飲みながら、話を聞いた。台北でプーアル茶屋をやっており、外国人も含めて、広くプーアル茶を広めたい、という話だったらしい。私としては『台北でプーアル茶』には違和感はあるものの、紹介されて時間が合えば行ってみる所存。電話してもらうと、『明日の午後はOK』ということだったので、訪ねることになった。

 

それにしても、このごみごみした街の真ん中でオープンカフェとは。すごく暑いわけではないものの、クーラーの効いた店に行けばよいのにと思ってしまうが、どうやら最近の流行らしい。お客はおじさんから若者まで、結構引っ切り無しに入れ替わる。この場所代はそこそこ高いだろうと思うのだが、180元のコーヒーを売れば、十分に元が取れるだろう。日本ではすぐにおしゃれ、高級感などが話題になるが、何気ない空間とか、気軽さ、と言ったものが、求められているような気がした。そしてこの台湾でもその中心はコーヒーであり、お茶の地位は相当に揺らいでいる、と感じざるを得ない。日本の煎茶やほうじ茶なども、もっと気楽に飲める空間があればよいのに、と思ってしまう。

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北村家

Bさんと一旦分かれて、また宿で休息。宿の小さな、小さな窓から夕暮れを感じていると、ユーミンの『陰りゆく部屋』を思い出してしまう。『振り向けばドアの隙間から 宵闇がしのび込む』、どうもこれは中学生の受験勉強時、逃げ出したくなる自分、今日も何もなせなかった自分への当てつけの歌のように聞いていたと思う。この曲が頭を流れてくるときは、あまり良い状況にはない。何とかせねば。

 

夜はBさんが店長の北村家へ行く。オーナーのお父さんが作るデミグラスソースのハンバーグと、お母さんが作る総菜が美味しかったので、再訪することに。先週来、鹿谷、坪林と一緒だったIさんも誘う。そして昨年はBさんと一緒にイベントにも行ったKさんにも声を掛けた。前回は地下だったが、今日はカウンターに陣取る。遅れてきたKさんを待っていたかのように、デミグラスソースのかかったオムライスが出てくる。日本人は和食が好きなのは当然かもしれないが、いわゆる洋食も大好き。特にオムライスやハンバーグなど、お子様メニューが好きだ。歓声を上げながら3人で食べる。

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このお店、本当に流行っている。中心地でもないし、駅からも少し離れている。オーナーが日本人、しかも映画監督とい特殊なバリューもあるのだろうが、その後両親が作る料理は素朴な中に味があり、そういうところが、台湾人にウケるのかもしれない。そして何より店長はじめ、スタッフがフレンドリーであり、居心地がよい、という点があるかと思う。店長は『これも役者業の一環だ』と店長役を演じているというが、これがまたなかなか良い。

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埔里から茶旅する2016(23)昔の仕事を思い出す

9. 台北2

台北の宿にチェックイン。ここの良いところは荷物を長く預けて置けること。今回もいつ帰ってくるかわからないが、といいながら、預かってもらっていた。今や一般のホテルでは預からない、というところまであり、拠点化が出来ずに困る。先日もバンコックのホテルで荷物を預かってもらえずに、右往左往した。やはりどこかに部屋でも借りた方がよいのだろうか、と真剣に悩むが、何となく風が吹いて来ない。

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部屋でまたフラフラしていると、あっという間に暗くなる。腹も減ったので、飯を探しに行く。この付近、日本飯屋が増えている。たまにはそれもよいかと思ったが、何となく居酒屋系が多く、酒を飲まない私には入り難い。勢い、昔ながらの飯屋がある場所に足が向く。25年前、私はここのすぐ近くに住んでいた。飲み屋街が近いというのは、当時の駐在員にとって何かと便利だった。その頃からあったであろう、魯肉飯屋など、飲み屋街の端にはまだあった。

 

だが一軒の店で足を止め、何気なく注文をするとそこの奥さんは、こちらをきつい目でにらみ、無言になった。何か悪いことでも言ったかと思ったが、はっと気が付く。私のことを大陸中国人だと勘違いしたらしい。確かに私の言葉は台湾的でないところがあり、何より、たまに大陸的な物言いが起こる。言葉とは面白いもので、その態度にまで出ることがある。彼女が黙って注文の品を作り、旦那と思われる人が運んできた。彼女の心境はどういうものなのか、それはある意味で今の台湾人の心を映しているようで、文句を言う気にも、自分が日本人だという気にもならなかった。飯は美味かったが、かなり味気ない夕飯となる。

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529日(日)
Wさんと昔の仕事話

もやもやいた気分で寝つきも悪かった。翌朝どうしても気になり、再度昨晩と同じ場所へ行ってみる。その店は開いていなかったが、その付近には安い朝食を出す店が数軒開いている。サンドイッチとコーヒーで40元、やはり安い!この店の老板は愛想がいい。地元の人ばかり来る店だが、私を一瞬にして日本人と見分けたようだ。だが後から入ってきた中国人の若いカップルにも同じように接している。人にはそれぞれ事情があるのかもしれない。一概に台湾人は中国人を嫌っている、とは言い切れない。

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今日は本当に完全休養日となる。一日中宿の部屋から出ない。何をするでもない。いや、もう月末だから、決められたものを書かないといけない。でも書けない。何もする気が起きない。最近食べ過ぎだから、昼ご飯を食べる気も起らない。そうして日本のテレビや台湾の有線テレビをボーっと見ていると、もう夕方になってしまう。サラリーマン時代、日曜日の夕方ほど儚いものはなかった。何もしなかった一日を悔いたあの頃。

 

今晩は、25年以上前に台北でお世話になったWさんと会うことにしていた。彼も昨年ついに銀行を退職し、悠々自適だというので連絡してみたが、まだまだエネルギーが有り余っている。週に何回かチベット仏教の勉強に行っている。台湾でもチベット仏教は大流行しており、その授業には大勢の人が詰めかけているらしい。Wさんとはいつもの場所で待ち合わせたが、地下鉄に乗っていると突然知らない番号からメッセージが入ってきて、場所の変更を告げた。このメッセージ、信じてよいのだろうか。まあ取り敢えず行ってみよう。後で聞いたところ、彼は携帯を2台持っており、別の1台からメッセージしたため、このようなことになったらしい。『これも銀行時代の名残だよ』、経営者の秘書役だった彼は、常に忙しく、そして常に電話が掛かってきていたのだ。

 

待ち合わせ場所のSOGOに行ってみると、6時前だというのに多くのレストランにお客がたくさん入っていた。台湾は景気が悪いのだろうかと目を疑う。ベンチでWさんを待っていると、何と横に座っていた女性もWさんを待っていた。彼もすぐにもう一人の女性と一緒にやってきた。彼らは元同じ職場で働いていた同僚で、現在は一緒に仏教の勉強に行っているらしい。それにしても目指す日本料理店、既に順番待ちになっており、いつ席に就けるか分らない。

 

北海道鍋の店、というところで、肉か海鮮を選び、たらふく鍋を食べた。確かにこの場所で、この料金なら、お客が多いのも頷ける。味は日本的というよりは、台湾的になっており、そこがまた台湾人にウケるのだろう。Wさんが私を紹介する時、『昔一緒に飛行機会社の案件をやった』と言ったので、それまで完全に忘れていた過去のファイナンスの話などが蘇る。そういえば、今日見ていた有線テレビだって、元はと言えば、私がWさんの依頼で東京のケーブルテレビ局を案内して、台湾の業界形成に一役買ったことも急に思い出す。それなら台湾の有名な企業とは殆ど取引関係を作り、台湾のビリオネアーと言われる人々とも交際した。最近、そんな昔の仕事の話など、全くと言っていいほど、思い出さなくなっていたが、確かに私は台湾で色々な仕事をしてきたのだなと、急に懐かしむ気持ちになる。

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埔里から茶旅する2016(22)住んでみたくなる埔里

鍋を囲む

夕方、温泉に行っていたMさんもWさんも帰ってきた。1階にはご年配の一人旅男性もいた。Wさんから『今晩は一緒に鍋に行きませんか?』という声掛けがあり、皆で出かけることにした。暗くなった頃、Wさんの運転で火鍋屋を目指す。しかしなぜ埔里で火鍋なのだろうか。まあ細かいことは言い、皆で食べればよいのだから。5分ほど走って、店の近くに車を停めて、いざ店へ。予想以上にきれいでビックリ。お客も結構入っている。一人鍋も出来る。一人鍋は確か台湾が発祥だったような。店内は冷房がガンガン効いていて寒い。火鍋を食べていると温まってくるのだろうか。

 

まずはスープの選択。辛いのと辛くないの、半々にしてもらう。中国では陰陽鍋という奴か。そしてタレは各自が選び、具はWさんに任せる。牛肉、豚肉、野菜、豆腐と選んでいく。特に中国と変わったところはなく、スープがあっさりかな、と思うぐらいだった。まあここで食べると、北京や上海で食べるよりはかなり安い!恐らく台北より安くて肉の質が良い、ということではないだろうか。日本人をここに連れてくると喜ばれるというのでWさんは何度も来ているらしい。

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GHのいいところは、知らない人同士が、縁あって知り合うことだ。今回もご年配の方と話していると、何と私も知っているお茶関係者と昔同じ職場だったというから驚きだ。早速FBでメッセージを入れたところ、何とご本人はポルトガルにいて、『よろしくお伝えください』という。同じ日本に住んでいるのに、ポルトガルと台湾でメッセージ交換とは、さすがのネット社会。その方は食後、夜市に行くといって、別れた。歩いていくというから、遠いですよと言ったが、全く問題なく歩いて戻ってきた。昼間も暑い中、自転車で散策していたらしい。年齢は私より一回りは上だ。私はそれほど疲れてはいなかったが、一人ドミ部屋でぐっすり。

 

528日(土)
朝食とお寺

朝起きて、リビングへ行くとWさんが『朝飯を食べに行きましょう』という。行き付けのイタリアン?があるらしい。朝からイタリアン、と思ったが、その意外性に打たれ、同行する。Mさんたちも車に乗りこむ。何だが疑似家族だな、これは。お店の前に車を停めて入っていくと、何と満席。土曜日の朝、学校も休みで、家族連れもいる。そうか、こういう朝の過ごし方、昔は屋台で朝食が、今はオシャレなカフェになっている。

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このカフェはイタリアンではなく、アメリカン?完全な私の聞き間違い。トースト、サラダ、ソーセージにコーヒーが付く、豪華モーニングを食す。朝のさわやかな風に吹かれながら、ゆっくりと時間を過ごすのは悪くはない。それがある意味、田舎暮らしの特権でもあると思う。ここでロングステイしていた日本人がいたようだが、私も今度は1か月ぐらい、ここでのんびりしてみようか。いや、既に毎日のんびり過ごしているから、必要ないか。

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Wさんが『折角だからお寺に参詣しましょう』という。また車に乗り、少し田舎道を行く。牛がゆったりと草を食んでいる。山並みが向こうの方に見える。なんだかすごくいい風景がそこにあった。自転車で一人ここまで来て、ボーっとしているのもいいかと思うほどだ。そんな中にあるお寺、かなり規模が大きい。そして参詣者がかなりいる。Wさんは毎週のようにお参りに来るという。近隣の台湾のおじさん、おばさんと同じだ。仏教徒だとか、信仰心があるとかいう前に、まずはきちんとお祈りすべきなのだ。このお寺、上の方に登ると、また景色がよい。

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宿に戻り、荷物をまとめ、チェックアウトした。今回の旅でこの宿を何度、チェックアウトしたことだろうか。今日は実は魚池の茶業改良場で無料開放日のイベントがあると聞いていた。台北からIさんがやってくることも分っていた。だが、そちらへ行かず、なぜか台北を目指すことに心は決まっていた。意味はない。宿で一緒だったJさんもバスで台北へ行くというので、二人でバスターミナルへ向かう。これは先週のYさんと全く同じシチュエーション。そして更に全く同じように、12時のバスは満席でウエーティングと言われたが、もう動じない。どうせ席はあるのだから。

 

道中Jさんとおしゃべりした(前回のことがあるので声は小さめにした)。台湾で日本語教師の経験があり、バングラディシュやメキシコにいたことがある。Jさんは世界中で働いていた、何とも稀な日本女性。今回も台南の日本人宿で短期間働くためにやってきたらしい。『でもできれば台湾ではなく、メキシコで働きたいんですよね』、そんなこと言う日本人に初めて会った。これをグローバルというのだろうか。バスはまたきっちり3時間で台北駅に着いた。今回私は天津街の宿を取ってあったので、まっすぐ歩いてそこへ向かう。Jさんはどこへ行くのだろうか。