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インドで自然療法2018(17)娑婆に戻ったが

9時半にヨゲーシュが来て、『今日はバスティだ』という。いや、昨日も言ったが、私は10時半にはここを離れる予定だから、今日はトリートメントは要らないのだ。それでも『まだ時間はある、やろう』というから困ってしまう。きっと連絡がうまく伝わらず、わざわざ来てしまったので、どうしてもやりたかったのだろう。ただ10時半になっても迎えの車は来なかったので、やってもよかったかもしれない。どうせ料金は同じだろう。それがインド流かなとも思う。

 

ビレッチャナを迎えたWさんとドクターと3人で最後の話をしていた。結局A氏夫妻が現れたのは11時半近くであり、12時近くまでドクターと話し込む。今日はホーリーというインドの祭日で夜には火の周りを皆が回る儀式もあるらしい。祭日の日は交通状況が読めないので、早く先に進みたいと思っていた。

 

ようやくドクターに別れを告げて、車に乗り込む。そのホーリーの翌日はインドでもっとも危険な日だと聞く。若者たちが色水を使った水鉄砲で辺り構わず、掛け回るとか。バンコックの水かけ祭りのはるか上を行く凶暴さであり、A氏夫妻も明日は一日自宅に籠るらしい。私は今日が出国日で助かった。もうバカ騒ぎを喜ぶ歳ではない。

 

懐かしいゴレ家に寄った。郊外の村にあるゴレ家に2泊したのはもう4年も前のこと。ガンジー主義とは何ぞや、その一環を垣間見られたのは良い経験だった。あの時ゴレさんはアメリカに行っており、奥さんのレッカさんしかいなかった。よくまあ日本人のおじさんを引き受けてくれたものだと思う。夫妻は昨年ニサル先生一行と日本の旅に来ていたので、私は少しだけ東京でご一緒して以来だ。

 

アメリカにはよく行くゴレさんは、日本に行く前と後で印象がガラッと変わったようだ。『日本の技術は素晴らしい』と言い、新幹線博物館に感動した話をしている。確かに山手線に乗る時も、凄く熱心に見ており、写真を撮っていたのはゴレさんだった。何がそこまで彼を突き動かしたのか、今回はちょっとお昼ごはんを頂戴しただけでゆっくり話す機会はなかった。また次回どこかで会うだろう。その時に聞こう。

 

車はA夫妻宅で2人を下ろし、それから一路ムンバイに向かった。車は極めて順調に走行し、私は1時間完全に眠ってしまった。やはり疲れているのだろうか。気が付くと郊外に出ており、途中でトイレ休憩をして、3時間ちょっとでムンバイ空港に滑り込んだ。ムンバイ市内ではさすがに渋滞があったが、ラッシュアワーの前に何とかすり抜けた。

 

以前は空港に入るのも警備員とのやり取りが大変だったが、今は実に簡単だ。だがチェックインにはさすがに早過ぎた。ANAは3時間前からとのことで、シートに座ってPCを広げたら、怖そうなおじさんがやってきて、『セキュリティリーの関係でこのシートから立ち去れ』と言われてドキリ。こういう時はわがままなインド人もあっという間に移動するんだな、と分かる。

 

結局4時50分にチェックインが開始され、あっという間に済み、荷物検査、イミグレもそれほど混んでおらず、すぐに済んでしまった。ムンバイは空港もきれいだし、もう昔のインドの面影はどこにもない。ただ空港でWi-Fiを拾うことは出来なかったが、なぜだろうか。お土産物コーナーで紅茶などを眺めてみても、何ともおしゃれなパッケージになってきている。インドは着実に変わっている。

 

空港内で時間を潰す。何となく腹が減ったので、焼きそばやパスタ、ピザに手を出すと、これが殊の外うまく感じられる。冷たい飲み物など、ここ20日間、飲んでいなかったが、何とも言えない爽快感がある。これはまずい、折角の修行が台無しだ。既に娑婆に完全に戻ってしまった、と思ったが、もうあそこには戻れないのだ。

 

フライトはほぼ満員。離陸してご飯を食べると周囲は暗くなり、私も落語を聞きながら寝てしまった。行きは11時間近くかかったフライトも、帰りは風の関係か7時間程度で着いてしまう。朝方軽食が出ると、もう着陸。このくらいの長さなら問題はない。ただ成田空港でまたスマホがおかしくなり、何とか充電スポットを見付けて充電するも、またすぐに落ちてしまった。

 

第一ターミナルからだと、1000円で東京駅まで行ける格安バスは極めて乗りづらいので、今回は電車で帰ることにする。スマホが動かないので、時間すらわからなくなってしまう。何とも寂しい帰郷となるが、ちょうどインドの反省をする時間をもらったと思い、目をつぶって考えながら電車に揺られた。娑婆がいいとは思えないが、さりとて自然療法がよいとも言えない。現代は難しい。

インドで自然療法2018(16)女子高を再訪

展示会の開場に入ると昨年同様、可愛らしく浴衣を着た女の子たちと、日本文化に関する様々な調査研究の発表が我々を待っていた。折り紙から始まり、自然災害や原爆の歴史まで、自分たちで調べた成果を並べていた。突然歌を歌い出した子がいた。意味は全く分からないというが、相当早口の日本のアニメソングらしい。かなり耳がよい子なのだろう、音だけでほぼ完璧に歌ってくれた。

 

茶道のコーナーでは、何と茶道でなく、なるみのカップで玄米茶を淹れてくれた。何が日本茶かは分からないだろう。それでも見様見真似の手作りで柄杓や茶筅を作っていたのはユニークだ。材料は他の展示にもよくあったが、アイスの棒だというのが、いかにも子供らしくてかわいい。結局審査の結果、この茶道組が今回の一位となった。

 

最後に記念写真を皆で撮り、解散しようとすると、浴衣を着た子が、私を引っ張った。季節外れの七夕の短冊に願いを書いて欲しいという。彼女は何を書いたのかと聞くと『日本へ行きたい』と日本語で書かれていた。プネーの日本語熱は相当に高まっており、先生によれば、5月に生徒を連れて、岡山、和歌山、京都の旅が計画されているという。この子はその中に含まれているのだろうか。

 

校長室でチャイを振る舞われた。その前にスナックとしてフレンチトーストのようなものが出た。実に久しぶりにこんがり焼かれたトーストを食べて感激した。さっきが生徒からチョコレートやキャンディをもらい、食べてよいか迷ったが、ここでは全く迷いはない。むしろお替りしたぐらいだ。

 

クリニックに戻る時間となり失礼した。何とも楽しい時間だった。お土産までもらってしまう。クリニックではスタッフが待っており、いきなり目に粘土のようなものを押し付けて、そこにギーを垂らす。目は空けたままにせよ、と指示される。特に痛いということはないが、ちょっと目が霞む。更には鼻からオイルを入れる。これにはちょっとまいる。その上耳からも入れた。そして耳に綿を突っ込んで部屋を暗くして出て行った。かなりの時間が経った頃、Wさんが入ってきて、スタッフはもう帰りましたよ、という。何と放置されたままだった。さすが。

 

それから最後のフルーツとしてスカイを食べ、Wさんと話しているうちに辺りは暗くなり、夕飯も食べる。今回のここの食事には大いに満足した。その前が自然療法だったせいだろうか。今晩が最後となるのでWさんとずっと話していた。彼とは10日以上も一緒にいたことになる。初対面の人と10日、なんだか不思議な縁だ。

 

9時過ぎにドクターが帰って来た。そして我々に『このクリニックで改善すべき点を教えて』という。確かにハード面はかなり改善されたが、問題は色々とある。一番は『説明だ』と伝える。具体的には説明書を用意する、それも宿泊用とアユルベーダ用の2つ。我々が説明を聞かなくても理解できるようなペーパーがあれば、ずいぶん楽になるだろうと主張し、彼女も、それは必要だ、と理解を示した。

 

また昨年と一番違うところは、実はドクターに余裕がなくなっているところではないかと感じていたので、率直にその辺を述べた。何でも彼女一人で管理するには限界がある。我々の世話も完全にできているとは言い難く、常に携帯で呼び出され、前の会話を忘れてしまうことも多い。どう考えても、マネージメントと施術は分けなければならない。そうでないと、いかに優秀なドクターでも、患者の信頼は得られないし、何よりクリニックが回らなくなってしまう。経営の点からいえば、これは致命的ではないだろうか。果たして来年以降、何らかの改善がなされるだろうか。非常に興味深い。

 

生活は既に日常に近くなっており、睡眠時間も8時間以内となっている。PCに向かう時間も増えていき、文章を書きなぐるので遅くなる。食事がうまいとこうも元気になるのか、やることが自由にできるとやらなくてもよいことまでやってしまうのか、など、色々と考えさせられるインド滞在も、もう終わりだ。蚊は飛んでこなかった。

 

3月1日(木)
アユルベーダ5日目&最後の日

ついに最後の朝を迎える。今朝は目覚ましの音で起きる。だがその直後、スマホの電源はきれてしまう。今後は目覚まし機能も危機だと自覚する。東京に行ったら、すぐに修理しなければならない状態、最悪は買い替えだ。面倒だが、今やスマホなしでは旅行は出来ないので、おろそかには出来ない。

 

最後のご飯を食べ、荷物のパッキングを終える。そこへ突然自然療法でも見かけたKさんという日本人が飛び込んできたから驚いた。なぜここに来たのかはわからなかったが、ドクターとは前からの知り合いらしい。すぐにロナワラへ向けて出て行ってしまう。何だったんだろう。

インドで自然療法2018(15)食って寝て体重増加

ちょっと休息してランチになる。何ともゆっくりな生活がよい。ご飯もカボチャが実にうまい。美味ければチャパティも進む。折角自然療法でダイエットしたのに、これでは太り始めてしまうではないか。なんとも嬉しい悲鳴だ。それでもやはりご飯は美味しい方がよい。昨年はそこまで感じなかったが、自然療法を経験したせいか、今年は特に美味しいと感じてしまう。

 

午後はシロダーラ。昨年はフランス人の実験台として体験したが、今年はちゃんとした施術を受けることになる。正直シロダーラは日本ではアユルベーダの象徴となっているが、それほど効果があるのか気になるところ。まずはいきなりゴーグルをつけて、シャバーサナで精神統一、そしてオイルが垂らされる。

 

前回はゴーグルの周りにオイルが溜まり、ちょっと不快だった思い出があるが、今回は全く何もなく、オイルが終わってもヨゲーシュは単に頭の周囲をちょっとマッサージしただけであえなく終了。気持ちよく眠れる感じではあるが、効き目がある、という雰囲気はない。ただ後で感じる所では、時々眠気が襲ってきたので、それなりに効果はあったのだ、と思う。

 

その後Wさんが同じくシロダーラを行った。頼まれていたので写真を撮ろうと待機していたが、いつまでも合図がなく、部屋をノックするとすでに施術が始まっていた。何だか人がやっているのを見ると、気持ちよさそうに見えるのが面白い。午後のフルーツとして、ブドウと釈迦頭を食べる。釈迦頭、ねっとりした甘味でこれまた美味しい。

 

夕方、ドクターと話を続ける。ドクターは17-20時の間は近くにクリニックに出勤し、患者を診ているというので、そのクリニックに連れて行ってもらうことにした。彼女は5時前に着替えると言って自室に戻ったが5時半になっても現れず、怪しいと思い、外へ出てみると、なんと前を歩いている。我々を撒くつもりだったのか?何か意味があるのだろうか。

 

久しぶりに外へ出た。クリニックに来てから散歩すらしていない。太陽がまぶしい。大通りまで出ると、車の往来が激しい。Wさんは道を渡るのは一苦労だと言っていたが、中国で鍛えた私にはさほど難しい道ではないと思えた。やはり全盛期の中国の交通地獄は凄かったということだろうか。

 

クリニックに入ると、奥の小窓からドクターが手を振っている。何とも可愛らしいのだが、我々を連れていく話はどうなったのか。全く不明である。患者さんは高齢者が多く、毎日かなりの人数を見るので最近は残業らしい。この日も午後9時半に戻って来た。アユルベーダドクターも大変である。

 

ところでスマホの電池が完全におかしくなり始めた。電池は十分に入っているはずなので突然電源が落ちてしまい、充電が必要と表示される。これを何度か繰り返している。充電器に差し込むとしばらくして元に戻るのだが、バックアップの充電器を持ち歩かない私にとって、スマホが使えなくなれば、時間すらわからない死活問題になる。どうすればよいのか。全く分からない。

 

2月28日(水)
アユルベーダ4日目

今朝も爽やかな朝を迎えた。朝食前にドクターがきて、脈を診る。『よく眠れていないのか?』と聞かれてドキリ。実は昨晩久しぶりに動画を見たのだが、しばらく見ていなかったせいか、ちょっと目に堪えたような気がしていた。朝の脈でいち早くその兆候が出てしまったらしい。ドクターは何でもお見通しというわけだ。コーンフレークの朝ご飯を済ませる。

 

午前中は普通のマッサージを行った。もう明日にはここを離れるので最後のマッサージになるはずだ。ヨゲーシュのそれは相変わらず押しが強い。足の筋などかなり痛いが気持ちはよい。いわゆる、イタ気持ちいい、というやつだ。スチームバスも最後。べたべたの体を洗うのも最後だった。名残惜しい。いよいよいつもの帰り際のインド再訪熱が出始めているらしい。

 

昼ごはんで出たサラダは胡麻のドレッシングのような味がとても美味。ただスープはデザート系のようで、それほど、といった感じ。自然療法場に比べれば非常に美味しいのだが、何となくばらつきもある。また明日ビレッチャナのWさんはギーを取らなければならないはずだが、全く運ばれてこないので、こちらから注文する羽目になる。

 

午後1時半前に迎えの車が来た。同時にシヴァ先生もやって来た。彼女はラトールさんの日本語学校の先生で、今日は我々を女子高に連れて行ってくれることになっている。聞けば、岡山にホームステイしたことがあるとかで、日本語はしっかりしている。プネーは岡山や和歌山と縁が深い。

 

プネーの細い旧市街地を車はくねくねと進む。バイクが多くてかなり運転は厄介だ。『インドでは皆交通ルールを守りません』とシヴァ先生は言う。日本は安全だともいう。確かにこの光景を見れば、そうだろうなと思う。学校は昨年同様立派な校舎を持っていた。中に入るとすぐに校長先生の顔が見えた。大きな招待状をもらい持参したが不要だった。

インドで自然療法2018(14)極楽のアユルベーダ生活

2月26日(月)
アユルベーダ2日目

翌朝はなぜかドクターが7時からヨーガをやるというので、起きてみた。しかしやる気配はなかった。以前学んだところでは、アユルベーダでヨーガが取り入れられているとの話はなかったが、今回ドクターによれば、100年以上前からアユルベーダの中にヨーガはある、とのことだった。実はその朝は7時過ぎに患者が来て、診察にかなり長い時間がかかっていたので、実施されなかったのはそのためかもしれない。

 

朝ご飯として、ホットミルクとコーンフレークが出てきた。コーンフレーク、何とも懐かしく有り難い。自然療法では間違っても出ないご飯だった。美味しく頂く。そもそも自然療法では朝ご飯はジュースだったから、その違いは大きい。そしてお湯をもらってハーブティも飲む。

 

ドクターの息子、ウオーレンがやって来た。昨年は抹茶を飲んでいると言っていたが、何と今はコーヒー党だという。『やはりコーヒーは味が良いから』というではないか。彼は学校を出て、今はドクターのクリニックを手伝っているらしい。脈の専門家になりたい、と言っていたが、相変わらず若者らしく、カッとんでいる。

 

今日から本格的な施術かと思っていたが、まずは製薬工場の見学に行こうということになり、車で向かう。そこは昨年も行っているところだが、なんだかすごく遠く感じられた。プネー郊外もどんどん宅地化が進み、1年も見ないと、景色はかなり変わる。ただ製薬工場は特に変わってはいなかった。

 

薬の製造工程を見ていると、見慣れた機械が置かれており、何となくお茶の工程に似ているなと思う。それはある意味で当たり前か。ここでは約6か月を掛けて、約700種類のアユルベーダ伝統医薬が作られ、各アユルベーダクリニックに小売されるらしい。

 

そのニーズはますます高まっているが、原料の調達は、大手製薬会社の資本投下で青田買いされてしまい、難しい状況になっているとも聞くが、今日も原料を洗い、砕く作業が手で行われていた。牛糞は固形燃料になるが、それを灰にして塗ると効き目があるとも聞く。何となくプーアル茶を連想したが、それは形だけだったか。

 

帰りにドクターが小さな市場に寄ったので、我々も付いていく。野菜を買っていたが、我々の目はフルーツの方に向いていた。ドクターが『何が食べたいの』と聞いてくれたので、メロンを指さした。その他ブドウやスイカなど数種類のフルーツが買いこまれ、食べさせてもらえそうで嬉しい。

 

クリニックに帰ると、ランチが待っていた。サラダが出てくるところが泣けてくる。この家で食事を作る女性が更に食事を盛ってくれた。何だかいいホテルにでも泊まっているような気分だ。それからお昼寝をしたが、どうも寝起きにめまいを感じる。どうしたのだろうか。午後はポータリーマッサージを受ける。これはハーバルボールを温めて、体全体を隈なくマッサージしていくもので、何と今日は二人掛だったのでちょっと驚く。終わるとスチームバスに入り、汗を流してデトックス。どうも毎日の習慣になっており、インドを離れれば、これがなくなると思うと、ちょっと残念だ。

 

夕方気が付いてみると、テーブルの上にスイカとブドウが置かれていた。思わず食べ始めると美味くて止まらない。あっという間に食べてしまい、腹がくちる。これではとても夕飯は食べられないと、少し間をおく。ドクター曰く、『太陽のあるうちは消化力が高いので沢山食べてもよいが、日が沈んだ夜は量を減らすこと』ということで、混ぜご飯のようなものが出る。これがまた新しいバリエーションで嬉しい。

 

それからWさんとずっと話をして、ドクターの帰りを待ったが、ついに帰ってこなかった。どうしたんだろうか。シャワーを浴びて、ベッドに入る。今晩は蚊もおらず、よく眠れそうだった。

 

2月27日(火)
アユルベーダ3日目

今朝は5時台に起きてしまった。やはり自然療法場とは違い、お茶も飲み、食べ物も多く食べるとそれだけ体に負担が増え、寝る体力を奪ってしまうのだろうか。それともストレスだろうか。いずれにしても困ったものだ。7時にはリビングでWさんと話し始める。実は彼は今日、ビレッチャナをするかどうかが分からずにいたのだ。

 

ドクターがやってきたが、やはりこれまでほとんどギーを使っていないので、Wさんのビレッチャナは3月1日に延期になった。ついでに今日から私のご飯にもギーが使われるらしい。今朝の朝食はボーハというご飯。古代米を使ったピラフのようなもので意外と美味しい。食後にブドウを頂く。

 

午前中はついにバスティーが行われる。自然療法ではエネマと言っていたが、その違いを尋ねると、『バスティーはハーブをかなり使っている』という。ようは効果が高いということだろう。実際自然療法場では大勢を一度にやることもあり、簡単に挿入して、簡単に済ませていたが、ここではじっくり管を入れ、ゆっくりしみこませていく。私は途中で耐えられなくなり、トイレに駆け込むことになる。

インドで自然療法2018(13)アユルベーダに突入

11時前にラトールさんの車で別の人が迎えに来てくれた。鍵を返して荷物を積み込み、ついにアシュラムから出所した。実に13日、正直長過ぎた。もうここに来ることはないだろうと思うが、特に感慨はない。車は一路プネーに向かって走り、途中少し渋滞はあったものの、12時前に市内に入る。そこから前回行った両替所へ行こうとしたが、見付からず。結局違う場所へ行くも外国人だと足元を見られ、レートはかなり悪かった。

 

それからラトール家に行き、ラトールさんと共にランチの場所へ向かう。ビバさんの美味しいチャイを飲む時間はなく、残念!Good Luckというその店は、若者でごった返していた。ここはイラン系レストランとして有名な老舗だというから驚きだ。ベジもノンベジもOKということで、今日お会いするH先生お気に入りのレストランとして、連れて来られた。

 

10分以上待って何とか席が空く。H先生とは昨年も一緒に食事し、また学校行事にも参加した。そしてお互いのFBで近況を見ているので、1年ぶりとは思えないスムーズな会話となる。ここはイラン人がやっているから、イラニアンティがあるというので注文してみたが、何とプレーン紅茶にライムが付いているだけだった。Wさんはイラニアンティにミルクと頼んだら、チャイと同じになってしまった。

 

バターパンとエッグカレー、そしてチャパティが登場した。どれも一口食べて、『うまい』と叫んでしまう味だった。分けてもエッグカレー、私は卵好きだが、これほど卵がうまいと感じたのはいつ以来だろうか。カレーもマイルドにしてもらい、チャパティをつけて食べると、何とも言えない幸福感が広がった。やはり私は資本主義に毒されている、でも毒されていても、もう戻れないのだ。

 

H先生は昨年より元気そうに見えた。家を転居し、生活環境がよくなり、プネーの生活にも慣れたようだった。インドの、特にこの地域の日本語熱は盛んだから、色々と行事などもあり、忙しい日々を送っているという。インド国内の旅行もままならないとか。やはりインドで仕事をしているのは大変なのだろう。

 

レストランの近くでWさんが日本で用意してきたプリペイドカードを使って現金を引き出した。インドの銀行のどこで引き出せるとのことだったが、一軒目はダメだった。私も昔海外銀行のATMカードを持って銀行を回ったが結局引き出せなかった。記憶がある。何とか3軒目で現金が出てきたらしいが、その仕組み、理由は良く分からないという。

 

ビックバザールへ向かう。ここは私の定点観測の場。今回も買うものはなかったが、敢えて店内を見て回る。品ぞろえは年々向上している。そして売り場の品ぞろえと位置も変わっている。売れ筋商品に変化があるのだろうか。お茶も緑茶スペースは相変わらずで紅茶を圧倒。しかも紅茶も安い商品は置かなくなり、値の張るものだけが置かれるようになっていた。

 

一瞬ラトール家に戻り、荷物を持って、スチェータ先生のアユルベーダクリニックへ行く。先生もクリニックも特に変わった様子もなく、チェックイン。今回はシャワートイレ付きの部屋をWさんに譲り、私は隣の部屋へ。部屋の横にはトイレがあるので問題はない。1階の内部はかなり変わっていた。以前食事をしていた狭い部屋は無くなり、広めの施術室が2つになっている。

 

既に夕方に近づいており、早々今日のマッサージが始まる。マッサージ師は昨年同様ヨゲーシュ。彼のマッサージも実にうまい。自然療法のチャンドラカントよりさらにパワフルに押してくるが、気持ちよい。スペースも広い個室なので、自然療法のようにおじさんたちに挟まれてマッサージを受けることもなく、気持ちが楽になっている。

 

夕方もすでに5時を過ぎているがまだ日は高い。それでも今日のトリートメントは終了。夕飯が用意されていたが、さすがに昼を食べ過ぎているので、6時にシャワーを浴び、6時半から頂くことにした。食事の前にシャワーを浴びるのは、消化を助けると昨年ドクターに助言されていたこと、記憶力の悪い私も、ここで教わったことのいくつかは実践している。

 

夕飯はドクターが運んできてくれた。日曜日だからだろうか。野菜がコロコロ入っていて嬉しい。自然療法場では、いつも同じようなスープと野菜だったので、かなり新鮮だった。そしてチャパティは旨い。更には白いご飯まで出てきて感激した。ドクターが横で質問に答えてくれるので、どんどん思いつくまま質問を繰り返す。この環境が欲しかったんだ。

 

そうしていると突然電気がすべて消えてしまった。慌ててスマホのライトをつける。どうやら周囲一帯が停電したようだ。ドクターが『こんなことは滅多にない』と言いながら、ライトとろうそくを持ってきてくれた。いつもなら夜ドクターはいないので、ラッキーだった。一度は点いたがその後また消え、復旧には少し時間がかかった。ラダックでの停電などを懐かしく思い出す。その夜はチャイなど飲んだせいか眠りが浅く、また蚊にも刺され、夜中に起きあがってしまった。やはりGood Knightは必要だったか。

インドで自然療法2018(12)ウルリの街へ

2月24日(土)
復活の12日目

今朝は5時台に起きてしまう。さすがに10時間睡眠を何日も続けてはいられないだろう。Wさんが寝ていたので、ロビーのソファーでPCをいじっていると、『どうしたんですか?』と彼が心配そうに起きてきた。『急にいなくなったから』というが、確かに昨日までグータラ寝ていたオヤジが居なくなれば驚くかもしれないな。腰痛はすっかり良くなり、身体向上の予感。

 

今日は精算の日。まずはマッサージで支払いをして、と思ったが、チャンドラカントは『明日もするなら明日でいい』という。そしてマッサージが終わるとスーパーバイザーを指して、サインと言ってくれたのでスムーズに終わる。スチームバスも熱くなるので、人が出てから少し間を開けて入るようにすると熱くない。そんな技術を身に着けたと思ったら最終日だった。

 

それから難関のキッチンでもあっさりとサインをもらい、一度も行ったことがないライブラリーでも、何のチェックもなく、サインをもらう。まるでスタンプラリーのようだが、何のために我々がこれをしなければならないのか、分らない。更にドクター横のデスクでサイン、レセプションでもサインをもらい、ようやく会計に辿り着くからたまらない。これが治療にでも役立つならよいのだが、何とも首をひねるばかりだ。

 

昼ご飯を食べながら皆で雑談。まあこれもまた楽しい。12時に部屋でアイパックをすると急に頭がクラっとなる。めまいか?そこへ掃除ににいさんが入ってきたので勝手に掃除してと言ったら、目を開けてみていて欲しいという。そうか、何かがなくなったとか、疑われたくない、自分の仕事を守る手段なんだな。勿論アイパックを外し、見ていた。その後またアイパックをすると、そのまま完全に寝入ってしまい、1時間程起き上がれなかった。これもまた反応なのだろうか。もうドクターに聞きに行くことは出来ない。

 

3月の予定が埋まり始めたのでフライトの予約をしていると3時になり、もう腰痛はなかったが、お金を払ってしまっていたので、最後の電気治療に行く。ちょっと時間がかかった上、今日だけ熱く感じる。スピナルバスに行く必要もないと思い、そのまま部屋に帰ると、Wさんが娑婆へ出るという。

 

流石に一度ぐらい出た方がよいと思い、着いて行く。カードをガードマンに渡し、12日ぶりに娑婆へ。そこは思っていたよりは随分きれいな、小さな街だった。YさんとWさんはお菓子屋さんに走っていき、ドーナッツみたいなお菓子を買っていた。味見したが、腹にちょっと堪えた。

 

それから一人で駅まで歩いてみる。埃っぽかったが、清潔な道だった。駅には人が結構待っており、ちょっとするとハイデラバード行の電車がやって来た。いつものことだが、満員電車だ。しかも待っているところには停まらず、勿論表示もなく、皆が大慌てで前の方に走っていき、乗り込む。

 

もう少し街をフラフラしたが、すぐに尽きてしまうほど小さい。野菜市場を通り抜け、果物を物色するも、美味しいと言われたイチジクはなく、アシュラムの門まで帰ってくる。仕方なく、内部でイチジクを買おうとしたが、なぜか私だけが吹っ掛けられる。それは高いだろうというと素直に安くなるからよいのだが、嫌われているのだろうか。しかもそのイチジクは思ったほどうまい、ということはなかった。

 

夕飯を食べることにした。明日は午後1時まで食事できないと分かっているので、フルーツだけだとめまいがしそうだった。ちょっと珍しい食べ物もあり、にいちゃんが勝手に大盛りにしたこともあり、それを食べ切るのに苦労した。そして腹が完全に膨れてしまい、散歩ぐらいではへこまなかった。

スピードスケートマススタートで高木奈菜が金メダルを取った。この姉妹、姉が金2つ、妹は金銀銅だ、凄いな。でも美帆にしてみれば15歳で自分の方が上にいたのに、今回もまた越されてしまった感があるだろうな。カーリング女子も何とか銅メダル、これは日本中が沸いているぞ、きっと。

 

いつものように夜9時すぐにベッドにもぐりこんだ。だがその瞬間、ちょっとめまいを感じる。そうなると睡眠は十分足りているので、眠れなくなってしまった。このめまいの原因は何だろうか、一過性なのだろうか。そういえば、このアシュラムでは鉄分など殆どとっていないのでは。そうこうしているうちにWさんが部屋に戻り、先に寝息を立ててしまった。最後の夜が眠れぬ夜になろうとは。

 

2月25日(日)
ラスト&ファーストデ―

今朝は朝からてんやわんや。急に車のアレンジが変わったのだが、その詳細が何も詰められておらず、困ってしまった。ラトールさんに電話しても繋がらない。スマホの調子が悪いらしい。どうなるんだろう、今日は。8時にA師夫妻とYさんがプネーに向けて先に出発。Yさんは午後そのままムンバイに行き、今夜のフライトで帰国する。

 

8時20分には早くもチャンドラカントが迎えに来た。まず料金の支払いをしたが、少し多めに渡すと『お釣りは要らないのか?』と聞いてくる。何とも律義な男だ。勿論チップだよ、と言ったが、どう思ったかな。そして入念な最期のマッサージを受け、スチームに入り、体を洗い、全てが終了した。

インドで自然療法2018(11)腰痛がぶり返す

2月22日(木)
腰痛の10日目

朝は5時台に目が覚めてしまった。Wさんは既にヨーガに行っている。腰が痛い。これは困った。取り敢えず冷やさないようにして、頑張る。7時台に暖かいハーブミルクを飲むと少し落ち着く。和歌山の知り合いからも歓迎とのメッセージが入る。もう心は日本に飛んでいた。

 

いつものマッサージを受け、熱いスチームバスに入ると、腰痛は柔んできた。ドクターの診察を受けようとオフィスに行くも午後からと分かり、体重を図る。何と昨日より2㎏以上落ちている。スタッフが『体重計が2㎏間違っているね』とあっさり言う。ダイエットの人にとってはぬか喜びか。

 

昼ご飯を食べ、アイパックで昼寝、これももうルーティン化している。2時半にオフィスに行ったが、ドクターと話したのは3時過ぎ。腰痛を説明すると『自然療法の反応とは関係ない』と簡単に言われ、すぐに別棟送りとなる。そこで腰を温める機械治療。ベッドに寝て、腰を板に押し当て電気で温める。これって自然療法?1回80ルピーの別料金。これから3日間受けることになった。一時的に収まるが、夜にはまた復活の痛み。どうするんだ。まあ神経治療で背中を足で踏まれるよりは良いか。

 

和歌山の人とFB電話で話す。いつの間にかことは大きくなり、セミナー開催の様相となる。とにかく地方に行けるのは有り難い。大阪のお茶会も10名以上が参加だそうだ。また作業が増えてしまった。3月は一体何回話をするのか、原稿の締め切りはどうか、などと完全に日常に戻ってしまい、また腰痛がぶり返す。なんてこった。

 

Wさんたちはフルーツダイエットをはじめ、夕飯がフルーツだけとなり、一人で夕飯を食べる。さすがにもう飽きてきたな、この食事。しかしここを出所しても又スチェータ先生のクリニックだ。何と今回はインドに来て一度も娑婆で食事もチャイすらない、という逆説的にいえば画期的な旅となりそうだ。日本での反動が怖い。

 

深夜特急3、読み終わる。『インドでは何も得ることができない』という言葉が響く。まさにその通り。何かを期待してもイケないし、何かを得ようとすれば膨大な研鑽が必要になる。中国もそうだったが、この広大なインドを理解できる人間などいないのだ。私は既にその挑戦意欲すら失っているだろう。それでも何かを知りたい!何かを持って帰りたい。

 

2月23日(金)
平穏な11日目

朝はWさんより私の方が早く起きた。と言っても7時前だが。ロビーでPCをチェック。それからお茶を飲みに行くと外にYさんがいたので歓談。彼女の会社やご家族と、私の元勤め先はかなり関りがあることが分かり、話が弾む。ひとはどこで繋がっているのか分からない。

 

今日も順調に予定をこなす。チャンドラカントのマッサージは既に私の日常と化しており、これだけはもっと続いて欲しい。彼は英語も多少わかるし、毎日迎えにも来てくれ、私の体も気遣ってくれる。腕もよく、マッサージは心地よい。勿論仕事としてやっているのだが、実に好感が持てる。ここに来ての最大の収穫だった。

 

 

そろそろここを離れる日が近づいてきている。精算をどうするのか、次の日程がどうなるのかが気になり始める。明後日はラトールさんが迎えに来てくれることになっているが、何時に来てくれるのかと電話を入れたりする。インドでは大雑把には決まっていても、詳細は直前に詰めないと分からない。しかも実際に電話すると25日の予定が知らない間に入れられていたりするから、面白い。A師やYさんとも別行動で決着する。

 

ランチを食べていると、インド人がやって来た。日本に結構詳しいと言い、我々にも興味を持っている。『富士山のさんは、須賀さんのさんという意味か?』などと言われると、こちらも思いもよらず、驚く。『どうして富士山は、ふじやま、と読まないのか?』と聞かれても困る。日本に興味を持つインド人はどんどん増えているが、その知識は、どこから手に入れたのか、と思うようは、不思議なものに時々遭遇する。

 

午後スピナルバスをしようと向かったが、何とスタッフが誰もおらずに出来ず。こんなの初めて。仕方なく、昨日の腰の電気治療へ行き、10分間行うとかなり良くなる。今日は右が少し良くなり、ただ左に少し痛みが出ていたので、かなり効果的だった。そのままフルーツを買いに。今日はおじさんがおらず、おばさんの言い値は少し高いが、結局パパイヤとブドウを買う。今晩はフルーツダイエットの続きだ。

 

オフィス前で久しぶりにKさんに会った。彼女は到着日からフルーツとジュースで5日目を迎えていたが、実に元気で驚く。この人が一番ここに合っているな、と思う。彼女によれば、最終的な精算にはドクターのサインがいるのだという。それなら忙しいドクターを今日の内に捕まえておく方がよいだろうということになり、急きょオフィスに向かう。

 

また30分ぐらい待たされたが、何とか面談にこぎつける。そしてサンポートに感謝し、明後日発つことを告げる。血圧を測ると130/80、これはベストだと助手のジュディが言う。インド人の血圧は高いのだろうか。まあ確かに血の気の多そうな人は多いのだが。そしてドクターと記念写真を撮り、握手して別れた。ただ明日はキッチンから図書館まで終了のサインをもらって歩く作業があると聞き、愕然。そんなのそっちでやってよ!

 

夕飯の時間になったが、もうキッチンの食事には飽き飽きしており、買っておいたフルーツで済ませる。こんなこと、日本にいたら絶対にできないよな。日本には美味しいものが多過ぎて、基本的にダイエットなど無理だと思う。オリンピックのカーリング準決勝で日本が韓国に負けてしまったのは何とも残念。

インドで自然療法2018(10)悪者は判明したが

別れの9日目

朝7時、目覚ましの音で起きる。ちょうど10時間、一度もトイレに行くこともなく眠っていた。体はすごく快調で、この上ない状態だ。甘いハーブティを飲みに行く。もうキッチンデスクには近寄らない。9時20分にマッサージ師が来た。今日はいつもより少し遅い。マッサージ後は、そのままスチーム。今日は初めて一番大きなバスに入り、快適。小型なのは熱すぎて火傷気味だから、これからはこちらにしたい。

 

具合の悪かったTさんが、やはり帰国することになった。今晩遅くの便でプネー空港から発つ。その精算でもめており、なぜかまた私が呼び出されて通訳する羽目になる。私はリーダーではないのだから呼ばないで欲しい、そして昨日の事件を考えれば、私に良くも頼めるな、という気持ちだったが、インド人は凄い。臆面もなく頼み、そして李さんにまで泣きついて私を動員してしまう。

 

彼らはTさんに今晩遅い便なので夜9時半まで部屋を使い、それからタクシーで空港へ、という提案をしていた。だがTさんは帰ってくるはずのデポジットが少ないので確認すると、その日の泊まり賃もきっちりとられていることが分かる。この世界に親切などはないのだ。それを断ると、『では12時にチェックアウト、3時にタクシーで空港へ行け』となったらしい。理由は夜女性が一人で行くのは危ないから。完全に論理が空回りしているが、ようは追い出したいのだ。

 

因みに彼女はそれを受け入れ、午後3時にタクシー乗ることに同意したが、12時にチェックアウトした後も、同室のKさんの部屋にいたところを咎められ、また私は呼ばれる事態になった。本当に金が絡むとやけに細かいな、インド人。まあその場は適当に治め、適当に過ごしてもらう。

 

午前中ドクターと面談して、全てのダイエットの中止と昨日の事件の説明を求めるつもりだったが、何と彼は会議で不在だった。もうこうなれば、ドクターの意見を待つまでもなく、健康体の私は通常食に転換した。フルーツダイエットは僅か1日で終了、体重は250g減少に止まった。2日ぶりに食べた食事は以前より美味しく感じられた。

 

部屋にアイパックが届いていたのでやってみる。初日からメニューにはあったが1週目は来ていなかったような気がする。Wさんが入室してから、ちゃんと来るようになった。そういえば、他の部屋にはマッサージシートや水、せっけんなどがセットされていたらしいが、我が部屋には全く無かったので、私はもう必要はなかったが、Wさんのために抗議してみた。というより、昨日の事件を根に持ち??要求できるものはちゃんと要求しようと思うようになる。ウデイクマ氏に言うと、支給するとの回答で、午後にはちゃんと配送された。1つせしめたぞ!?

 

午後2時半にドクターのところへ行く。彼は昨日の事件をすでに知っており『あれはオフィサーのミステイクで、キッチンに指示が正しく伝わっていなかったのだ』と説明していた。ようはデスクのおばさんが悪いのではなく、そこに指示を出すべきオフィサー、つまりあのウデイクマ氏に責任があるという。彼は今朝何食わぬ顔で『彼女は申し訳ないと謝っている』とかぬかしていたが、事の真相はこれだろうな。それだとつじつまは合う。

 

ドクターには『私は健康体なので、何を食べてもよいようにしてくれ』と言い放ち、もうダイエットは止めにした。もうあんな面倒な思いはしたくない。今晩から通常食かフルーツか、自分で選ぶことに決めた。因みに体を冷やすのはなぜ、という質問には、『一時的に体を冷やし、体内の循環を良くする』との答えだった。また血圧を測ってもらうと130/90で前回の100/80よりだいぶん上がってしまったが、こちらの方がよい、と言われる。インド人は血圧が高いのだろうか。

 

ドクターの診察が終わると、ちょうどTさんが車に乗り込み、アシュラムを離れる場面に出くわした。ちょっと残念ではあるが、インドでは体調最優先だから、やむを得ない。最後に写真を撮りたいというので、私とかと思ったら、何と彼女はウデイクマ氏とKさんのところへ行き、私がカメラマンになったのには呆れた。ウデイクマ氏もまんざらでもない様子で写真に納まっている。この悪代官め!!意外と憎めないタイプだ。

 

更に氷水のパックをやってみると、何だか体が絶好調になり、それと共に腹が減って来た。ここではフルーツを買う以外の自由はないので、今の季節が美味しいと聞いた、ブドウを買ってみる。200g、30ルピー。パパイヤが1㎏、40ルピーであることを考えると、高いのか安いのか。まあとにかく食べてみると甘いので許す!それにしても、何かをやる気はあまり起こらない。怠惰になっている。

 

何となく、娑婆の食べ物が恋しくなる。Wさんと話しているうちに、彼の出身地である大阪へ行ってみたくなる。そういえば先日在阪中国人から、お誘いがあった。和歌山からもお誘いがあった。ついに帰国後、静岡へ行ったついで?に、関西方面への訪問計画を練り始めた。大阪の知り合いからよい反応があり、行くことになるだろう。

 

オリンピックは女子スピードパシュートで金メダルが出た。高木美帆はこれで金銀銅全てを手にした。またお姉ちゃんと同時金メダル。きっと苦労が報われただろう。15歳でオリンピックに出て、前回は落選。厳しい状況からよく這いあがったと思う。カーリング女子も苦しみながらのベスト4。これからの一発逆転はあるだろうか。

 

夜寝る時にベッドに横たわると、急に腰が痛くなって来た。折角治って絶好調と思ったのに、好事魔多し、である。いつもは目をつぶれば5分以内に眠れるのに、ちょっとした痛みが気になって、体の位置を変える等して、なかなか寝付けない。ウトウトしながら1時間以上はそうしていただろうか。

インドで自然療法2018(9)ついに怒りが爆発

5時前に皆のドクター診断が終わり、ジュースを飲む。それからYさん、Wさんはオイルを買いに行く。6時頃に夕飯に進む。何とも忙しい日々だ。今日到着したKさんは早速フルーツダイエットに挑戦ということでキッチンに姿を見せず。いつもは味気ない食事だが6人で食べると味が濃く感じられて不思議だった。

 

それから散歩をして、お祈りと瞑想にいくというWさんに着いて行った。殆ど人が来ていない中、ドクターが歌を歌い始めていたが、興味が薄れ、私は退散して、部屋でシャワーを浴びた。夜9時頃帰って来たWさんと旅や鍼灸の話をしていると、夜も11時を過ぎてしまい、初めての夜更かしを体験する。

 

2月20日(火)
怒りの8日目

朝6時頃Wさんはヨーガに向かったが、私は寝たままだった。Wさんは7時半に採血の人が来るので部屋に戻って待機。私はハーブティをもらいに行く。採血はちょっと乱暴に行われていたのが気になる。9時までは部屋で話しながら待つ。マッサージ師はきちんと9時にドアを叩き、二人で出かけた。マッサージ後、マッドパックへ行くが、泥を塗る人が来ずに、10分間日光浴してスチームバスへ。今日は何とか熱さに耐えられた。

 

ちょうどタイ人のバンダと韓国人の李さんがチェックインを始めていた。バンダとはこれまで色々なところで一緒になっている。何ともクレバーで行動力のある女性だ。李さんもバンダと同時期にカイバリヤダーマにいたという。きっとつわものだ。早々バンダが安い部屋への移動交渉をしたが受け入れられず、おまけに一人部屋と思って来たら、二人一部屋だと分かり憤慨する。これまで皆が通ってきた道だ。

 

そしてランチの時間が来た。昨日ドクターから指示された特別食を取るためには、どうしてもその食事名が書かれた紙がいる。それは初日作られたカードを提示すればPC化されており、自動的に出てくるはずだった。だがそこに座っている女性はどうしてか、初日から一度も私のカードを受け取ろうとせず、更にはあっちに並べ、と言った横柄な態度で接してきていた。

 

それでも今日はドクターの指示があるのだからと思い、また出したが、『あなたは既にお金を払っているから紙は要らない』という全く意味の分からない理由を述べて拒否されたので、さすがに頭に来た。ドクターの指示がインプットされているのだから、きちんとPCの中を見ろ、というと、初めは納得しなかったが、ついに見て、バターミルクとサラダね、と言ったが、とうとう紙は打ち出さなかった。

 

『キッチンスタッフは分かっている』というのだが、これだけの人数で私に何が必要か分るはずがなく、また他の人は紙をもらっているのになぜ、と何度も言う羽目になる。最後は仕方なく。オフィスへ行き、懇意のオフィサーに窮状を訴えるが、『キッチンへ行けば大丈夫だ』というばかり。仕方なくキッチンに戻り、トレーを差し出したが、出てきたのはやはり普通食。その食事をデスクの女性に見せると、『これは違う。カード見せて』と言われたので、もう言う言葉はなかった。

 

別の男性が私のサラダを取り出した頃には、もう何の気力も残っていなかった。私は正直特に病気があってここにきている訳ではないので、間違ったものを食べても問題ないが、『食物は薬』がモットーのこのアシュラムで、薬を間違えてよいはずはない。ランチは皆で食べたが、敦煌の話などをして気を静める。もういいだろう、ここは。

 

『基本的にインド人はこちらの質問に正面から答えてくれない』とWさんも嘆く。彼も仕事を兼ねてきているので、それなりの理屈が分かりたいわけだが、誰からも説明はないのだ。『なんで体を冷やすようなことをするのか』『なぜフルーツジュースを飲んで、暖かい物を飲まないのか』、我々に理解できないことが沢山あるのだが、誰か答えて欲しい。

 

午後2時半に今日の夕飯になるパパイヤを買いに行く。いつものおじさんがいなくても若者が代行している。料金は同じ、ちゃんと切ってもらい、食べやすくしてくれたのは有り難い。その後スピナルバスという半身浴をやる。ただこの湯も熱くはなく、10分で冷めてしまいくしゃみする。

 

出てきたところにA師夫妻とKさんがおり、話す。バンダも加わるが忙しそうだ。キッチンに3時から暖かい飲み物が出ることを1週間以上いて、この時初めて知る。何事も教えてはくれないので困ったものだ。そこでバンダとアユルベーダについて話し、李さんとお茶の歴史について話した。これまでのモヤモヤはある意味吹き飛んだ。これから数日は彼らと楽しく笑って過ごそうと思う。ここで何かを得ようというのが間違いなのだ。

 

面白いのは同室のWさんは鍼灸師の免許を持っているのに、なぜか今日の午後、この自然療法場で、鍼を打たれた。それも鍼は日本製で、打ち方も日本に近かったというのだから、意味不明だ。インドの治療法である自然療法に日本、いや中医が入るのか。自然療法は薬を使わないと聞いていたが、そうであればなんでも使うのだろうか。よくわからない。

 

夕方、皆が夕飯に行くと、すぐにパパイヤを全て食べてしまった。腹が減っているという感覚もないが、パパイヤが甘いので吸い寄せられるように食べてしまうのだ。呆気ない、ちょっと寂しいが仕方がない。Wさんは今晩もカラオケと称されるお祈りに行ってしまった。9時頃になると急に眠くなり、そのまま就寝。

インドで自然療法2018(8)お仲間がやって来た

何だかとても元気になって来た。元気になれば腹が減る。これほどまでにフルーツに力があるとは思わなかった。フルーツダイエットに挑戦してもよいかもしれない。午後のトリートメントに行ってみたが、何と今日は日曜日で午後はどこも完全休養だった。私も休養することして、また残りのパパイヤを食べてしまった。うまい。

 

夕方やることがないなと思っていると、オリンピックの小平奈緒のレースが始まった。前日羽生君と宇野君のワンツーがあったが、それよりも私は最初から小平の500mに注目していた。真の王者は常に負けない。彼女はそれを証明してくれた。苦労は並大抵のもではなかったと思う。基本的にマスコミはとにかく盛り上げようと、なんでもメダル候補にしてしまうが、結果としてはやはり、これまで相当の実績を積んだ者だけが、その位置についている気がする。

 

急いで夕飯に出掛ける。今晩はもう、ノーマルフードにしよう。気持ちが盛り上がり、ドクターの指示を無視して、食べる。何となく美味しく感じるのは罪悪感からだろうか。7時頃にはジュディがにこやかに回診に来た。昼ご飯を食べずパパイヤを思いっきり食べた、というと、笑いながら、明日ドクターに話してね、と言って帰っていた。夜は深夜特急を読み進む。やはりインドは、地べたを這って歩かなければならない、と感じる。次回はブッダガヤ方面に巡礼に行こう。

 

2月19日(月)
お仲間登場の7日目

今朝は何気なく、5時半には起きた。夜9時睡眠だからほぼ正常に戻っている。7時過ぎに飲み物をもらいに行くまで、ボーっと過ごす。こんな日も今日で終わりかもしれない。今日からお仲間がやってくる。ただ今回お目当てのニサル先生が来られないのは何とも残念だが、これもインドだろうか。

 

8時半にこちらからマッサージ室へ出向く。こんなことは初日以来だ。ただマッサージ師の名前を聞かれても答えられない。確かに彼に聞いていなかった。チャンドラカント、という名であることがようやく分かり、彼が出てきたがマッサージ中であった。仕方なくオフィスへ行き、昨日彼に現金を支払ったことの可否を尋ねた。親切なウデイクマ氏が出てきて、『あなたに問題なければ二重請求はしないよ』と言ってくれたので安心して、マッサージを受けた。

 

それからドクターのところへ行き、この2日のいきさつを話すと『あなたみたいに反応が早い人は珍しい。想像以上だ』と驚かれる。そしてあと1週間あるなら、と、フルーツダイエットを試してみることになる。まあ折角来たのだから、やってみるか。私は好転反応という言葉すらしないでここにやって来たのだが、睡魔の下痢はA師が言う通り、良い兆候だったわけだ。反応が人より早いのはマッサージの質のせいだろうか。私はセンシティブなのだろうか。

 

朝から突然人が呼びに来た。ルームメイトが来たというのだ。確かに今日来る人はいたが、こんなに早いはずはない。部屋に行ってみると、見知らぬ男性が日本語で『ルームシェアしろと言っている』というではないか。彼は半年も前に2000ルピーのシングルルームを予約したという。ただこちらもグループなので、と説明して、オフィスに戻ってまた説明する。ウデイクマ氏は本日2回目のグループ人数を確認して頷いた。

 

その男性もすでにここに10数回来ているとかで、かなり慣れており、何とか相部屋を避けてシングルを取ろうと交渉を重ねていた。彼によればシステムは毎年変わり、料金も上がってきたが、昨年から外国人に対しては相当に厳しくなり、最高ランクの部屋しか提供しなくなったという。だから特に驚いている様子もなく、淡々としているのが面白い。

 

そのどさくさの間に列車で二人の日本人女性が来ていた。Kさんは英語も堪能で、どんどん資料記入を進め、交渉事も慣れていた。インドにはここ5年、毎年来ているらしい。もう一人のTさんは、ちょっとせき込んでおり、しんどそうだった。よく聞けば二人はプネーではなく、リシュケシュから電車で1日以上掛けてやってきたというのだ。すごいバイタリティーだ。とても真似は出来ない。

 

彼女らのチェックイン作業は遅々として進み、12時半には何とか終了。ご飯も食べられてよかった。ここまでやってカギをもらわないと部屋にも入れないのだから、一安心だ。ご飯を美味しいと言って食べている。私には味気ないのだが、市井の脂っこい、スパイシーな料理を口にしてきた身としては、体に優しいと感じるとか。Kさんは穂高養生園のキッチンスタッフだと後から聞き、納得。

 

2時半頃、A師一行が到着し、すぐにチェックイン手続きが始まる。ラトールさんは咳き込むTさんの通訳サポートに回る。大丈夫だろうか?参加者の一人Yさんとはカンボジア以来、3年ぶり。同室のWさんは初めての出会い、鍼灸師さんらしい。受付は混みあっており、相当の時間を要する。

 

Tさんは初めてのインドでちょっと強行軍だったらしい。A師は『辛ければあまり我慢しないで、日本に帰国した方がよい』と勧める。この言葉は一見厳しく聞こえるが、これまでの長いインド経験で、『大丈夫』と言いながら頑張ってしまい、結果的に大ごとになってしまうことは多々あること、そしてインドではそうなったら、対応が難しいことを指していた。更には、本人は2度とインドに来たくなくなるだろうし、家族など周囲の人も『インドだからこうなった』と一方的にインドのせいにする傾向があるのも事実。これからインドへ行こうという人々の妨げにもなってしまうことがある。