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インドでアユルベーダを2017(17)プネーに広がる工業団地

3月1日(水)
いよいよ今回のインド最終日。朝は周辺散歩に出る。これまで何度かラトール家に滞在しているのに、一人で外を散歩したことすらなかった。うきうきと出掛ける。今日も快晴だ、気分がよい。そして静かな町。この付近は車もそれほど多くなく、実に環境がよい。道路は相変わらず、女性が箒で掃いていた。プネーの私の第一印象というのは、実はこの掃除。インドは汚いという先入観念があったが、プネーでは見事にそれが払しょくされた。昨日は機械で掃除する人を見かけたが、やはり箒がよく似合う。道が朝日に輝いていた。

 

近くの公園に行くと、多くの人が決められたコースをウオーキングしている。日本ならジョギングだろうか。向こうではアーサナのポーズをとっているおじさんがいた。中国の公園なら、太極拳だな。瞑想している人もいて、実に多彩。戦車が飾られているのはなぜ?

 

それからも道を忘れないようにしながら、ゆっくり散策した。1時間も歩くととてもすっきり。戻って頂く朝食が美味しい。部屋に戻って荷物をまとめて、さあ出発だ。10時過ぎに車に荷物を載せて、この家ともお別れ。今日はどこへ行くのだろうか。着いた先は、かなり広い敷地を持つ、立派なところ。聞けば、地方政府の教育部門だという。

 

ここの言語教育担当責任者に会う。彼らも日本語教育の重要性を強調しており、日本との交流を望んでいると言ってきた。話を聞いていると、大学の多い学園都市プネーには、フランス、ドイツ、ロシアなどから、各国語の支援が入ってきている(語学教育、留学など)が、残念ながら日本語はないのが現状らしい(H先生のように日本語教師として派遣されている例はある)。勿論日本は他の都市でやっているのかもしれないが、デリーやムンバイなどの誰でも知っている都市ばかりではなく、プネーのような重要都市にも何かをするべきかと思う。

 

次に郊外のITパークに行く途中、A氏夫妻に帰国の挨拶に行く。家の前までは何度か来たことがあるが、中に入るのは初めてだ。軽く立ち寄るつもりが、話が弾み、1時間以上の長居となる。やはり政治でも文化、習俗でも、インドのこととなると、A師に確認したいことは山ほどあるのだ。

 

それから30分ぐらいで郊外のヒンジャワディにあるITパークに着く。何とここには街が形成されており、その中に数千人が住み、仕事をしていた。インドのインフォシースやタタなどの大きな建物が目についた。外資系もちらほらあり、かなりの規模だと分かる。現在第1期、2期が完成し、3期の計画もあるという。こういうところを見ると、インドも広いな、とつくづく思う。

 

腹が減ったので、道路脇のレストランに入る。麺が食べたかったが、客家ヌードルしかなく頼む。前回客家ヌードルの起源を調べてみたが、よくわからない。インドに客家がいるのだろうか。また客家は独特の焼きそばを持っているのだろうか。意味不明ながら久々でうまい。ニンブーもあったので飲む。満足。

 

それから工業団地があるというので行ってみる。ラトールさんの仕事に同行した訳だ。そこには富士通、ブリジストン、よつばなど、日系企業が数社見えた。ここにも日本がと感慨深かったが、近くを回ると、フォルクスワーゲン、メルセデス、ボッシュなどドイツメーカー、それも一流の自動車関連が出てきており、ドイツ語需要が高いことが分かった。

 

ロレアルなどフランス系もあり、また三一重工など中国系の大工場もあった。インド系の二輪会社やトラック会社が先に出て、そこへドイツ系がやって来たのだろう。日系自動車は、デリーはチェンナイなどに出ているので、ここではマイナーな存在。先ほどのITパーク同様、優秀な学生が多いこの街を選ぶ理由に良い人材の確保があるのは間違いがない。

 

そこからプネー空港までは距離はそうないのだが、夕方の大渋滞にはまる。私のフライトにはまだ時間があったが、ラトールさんは日本語学校の授業に間に合わない。申し訳ない限りだ。空港では、これまでチケットのコピーがないと入れなかったのだが、今回はスマホ画面で入ることができた。当然だ、インドも進歩しているのだから。

 

デリー行きの国内線は、フライトが遅れ、いつチェックインできるかもわからない。あまり遅れると、デリーの乗り継ぎに問題が出ると冷や冷やしたが、遅れて出たにもかかわらず、デリーには定刻に着いた。夜中の零時、デリー空港の国際線は大混雑だった。エアチャイナのチェックインはまだよかったが、荷物検査で1時間近く並んだ。何とも効率が悪い。

 

そこを何とか抜けると、もう搭乗時間が迫っていた。だがいつになっても搭乗は始まらない。インド人などは平気な顔で待っていたが、日本人のおじさん二人がしきりに『おい、どうなっているんだ』と叫ぶ。彼らはビジネスクラスのチケットを持っているのに、そんな態度だからスタッフも取り合わない。

 

ようやく搭乗が始まるかと思っていたら、なんと、車いすに乗ったインド人がその家族と共に続々と搭乗を始める。北京で国際会議でもあるのだろうか。何とか搭乗すると、ほぼ満員。すぐに食事も出てなかなか眠れない。ちょっとウトウトしていたら、もう到着。5時間半ぐらいのフライトだった。北京空港の国際線トランスファーも車いす組が優先!

 

夕方の便で羽田へ向かうのだが、このフライトも遅延した。昨日から3本のフライトに乗ったが、その全てが遅れるという珍しい体験。結局羽田にも1時間遅れで着いたが、まだ電車があり、問題なく帰れた。さすがに丸一日以上の移動は堪えた。アユルベーダの教えをちゃんと守り、規則正しい生活、移動を少なめにしていこう。出来るかな?

 

いよいよ今回のインド最終日。朝は周辺散歩に出る。これまで何度かラトール家に滞在しているのに、一人で外を散歩したことすらなかった。うきうきと出掛ける。今日も快晴だ、気分がよい。そして静かな町。この付近は車もそれほど多くなく、実に環境がよい。道路は相変わらず、女性が箒で掃いていた。プネーの私の第一印象というのは、実はこの掃除。インドは汚いという先入観念があったが、プネーでは見事にそれが払しょくされた。昨日は機械で掃除する人を見かけたが、やはり箒がよく似合う。道が朝日に輝いていた。

近くの公園に行くと、多くの人が決められたコースをウオーキングしている。日本ならジョギングだろうか。向こうではアーサナのポーズをとっているおじさんがいた。中国の公園なら、太極拳だな。瞑想している人もいて、実に多彩。戦車が飾られているのはなぜ?

それからも道を忘れないようにしながら、ゆっくり散策した。1時間も歩くととてもすっきり。戻って頂く朝食が美味しい。部屋に戻って荷物をまとめて、さあ出発だ。10時過ぎに車に荷物を載せて、この家ともお別れ。今日はどこへ行くのだろうか。着いた先は、かなり広い敷地を持つ、立派なところ。聞けば、地方政府の教育部門だという。

ここの言語教育担当責任者に会う。彼らも日本語教育の重要性を強調しており、日本との交流を望んでいると言ってきた。話を聞いていると、大学の多い学園都市プネーには、フランス、ドイツ、ロシアなどから、各国語の支援が入ってきている(語学教育、留学など)が、残念ながら日本語はないのが現状らしい(H先生のように日本語教師として派遣されている例はある)。勿論日本は他の都市でやっているのかもしれないが、デリーやムンバイなどの誰でも知っている都市ばかりではなく、プネーのような重要都市にも何かをするべきかと思う。

次に郊外のITパークに行く途中、A氏夫妻に帰国の挨拶に行く。家の前までは何度か来たことがあるが、中に入るのは初めてだ。軽く立ち寄るつもりが、話が弾み、1時間以上の長居となる。やはり政治でも文化、習俗でも、インドのこととなると、A師に確認したいことは山ほどあるのだ。

それから30分ぐらいで郊外のヒンジャワディにあるITパークに着く。何とここには街が形成されており、その中に数千人が住み、仕事をしていた。インドのインフォシースやタタなどの大きな建物が目についた。外資系もちらほらあり、かなりの規模だと分かる。現在第1期、2期が完成し、3期の計画もあるという。こういうところを見ると、インドも広いな、とつくづく思う。

腹が減ったので、道路脇のレストランに入る。麺が食べたかったが、客家ヌードルしかなく頼む。前回客家ヌードルの起源を調べてみたが、よくわからない。インドに客家がいるのだろうか。また客家は独特の焼きそばを持っているのだろうか。意味不明ながら久々でうまい。ニンブーもあったので飲む。満足。

それから工業団地があるというので行ってみる。ラトールさんの仕事に同行した訳だ。そこには富士通、ブリジストン、よつばなど、日系企業が数社見えた。ここにも日本がと感慨深かったが、近くを回ると、フォルクスワーゲン、メルセデス、ボッシュなどドイツメーカー、それも一流の自動車関連が出てきており、ドイツ語需要が高いことが分かった。

ロレアルなどフランス系もあり、また三一重工など中国系の大工場もあった。インド系の二輪会社やトラック会社が先に出て、そこへドイツ系がやって来たのだろう。日系自動車は、デリーはチェンナイなどに出ているので、ここではマイナーな存在。先ほどのITパーク同様、優秀な学生が多いこの街を選ぶ理由に良い人材の確保があるのは間違いがない。

そこからプネー空港までは距離はそうないのだが、夕方の大渋滞にはまる。私のフライトにはまだ時間があったが、ラトールさんは日本語学校の授業に間に合わない。申し訳ない限りだ。空港では、これまでチケットのコピーがないと入れなかったのだが、今回はスマホ画面で入ることができた。当然だ、インドも進歩しているのだから。

デリー行きの国内線は、フライトが遅れ、いつチェックインできるかもわからない。あまり遅れると、デリーの乗り継ぎに問題が出ると冷や冷やしたが、遅れて出たにもかかわらず、デリーには定刻に着いた。夜中の零時、デリー空港の国際線は大混雑だった。エアチャイナのチェックインはまだよかったが、荷物検査で1時間近く並んだ。何とも効率が悪い。

そこを何とか抜けると、もう搭乗時間が迫っていた。だがいつになっても搭乗は始まらない。インド人などは平気な顔で待っていたが、日本人のおじさん二人がしきりに『おい、どうなっているんだ』と叫ぶ。彼らはビジネスクラスのチケットを持っているのに、そんな態度だからスタッフも取り合わない。

ようやく搭乗が始まるかと思っていたら、なんと、車いすに乗ったインド人がその家族と共に続々と搭乗を始める。北京で国際会議でもあるのだろうか。何とか搭乗すると、ほぼ満員。すぐに食事も出てなかなか眠れない。ちょっとウトウトしていたら、もう到着。5時間半ぐらいのフライトだった。北京空港の国際線トランスファーも車いす組が優先!

夕方の便で羽田へ向かうのだが、このフライトも遅延した。昨日から3本のフライトに乗ったが、その全てが遅れるという珍しい体験。結局羽田にも1時間遅れで着いたが、まだ電車があり、問題なく帰れた。さすがに丸一日以上の移動は堪えた。アユルベーダの教えをちゃんと守り、規則正しい生活、移動を少なめにしていこう。出来るかな?

インドでアユルベーダを2017(16)日本語を学ぶ理工系学生

一度部屋に戻ると、ナイニーカがオムレツサンドを作ってくれた。昨年6月に名古屋へ日本語の勉強に行き、食事に苦労していた彼女。母親のビバさんからも『自分でご飯を作れるように』と強く言われている。インド人が海外へ出たら、自炊が基本となるので、料理の勉強は欠かせない。

 

それから銀行へ行った。インドの銀行、なんか懐かしい雰囲気がある。スタッフはマネージャー以下ほぼ全員女性。住宅ローンの宣伝が大きく出ているが、その金利は8年前に初めて見た時とほぼ同じだ。それなのに、定期預金金利は年4%と、以前と比べてかなり低下している。これは銀行の貸し出しが伸びていないことを意味しているのだろうか。

 

昨日は女子校に行ったが、今日は系列の男子校をラトールさんと訪問した。ここも雰囲気のある建物。元気な男の子ばかりが教室一杯に座っていた。初めは緊張気味だった彼らも、ちょっと話してみると、日本への興味が実に強く、『日本へ行ったみたい』という声が出てくる。だが日本に関する情報はあまりなく、どんなところかというイメージは沸かないようだ。

 

今日はバイクの後ろに乗って行動しているのだが、さすがに炎天下に出ると暑い。クリニックから出たばかりなので、かなりひ弱になっており、水分補給が必要になる。フラフラになって歩く。ラトールさんが連れて行ってくれた場所は、カフェというかバーの様な雰囲気。イギリス人が経営する、おしゃれなスポットだった。

 

だが売られている物は、酒ではなく、ベジタリアンフードが中心。マンゴジュースと、目についたトーフロールというのを頼んでみたが、マスタードが効いていて、美味い。久しぶりに触れた日本的な味だった。プネー在住外国人の憩いの場となっているようで、白人や中国、韓国人の姿も見られた。こういう場所が増えると日本人も少しは楽になるのではないか。但し長居禁止のようで店内ではPCを使用できない。

 

午後はまずHSBCの支店へ行く。ここのATMで試してみると、ちゃんとお金が引き出せた。やはりCitiは私の問題で引き出せないのだと分かる。最近プネーの街で見かけるものとして、機械を担いで掃除する人がいる。昨年導入されたらしいが、以前は女性が箒で掃いていたが、今や機械化が進んでいる。ただこの暑い中、労働は大変だろう。

 

道路工事もあちこちで見かける。道幅拡張や花壇の設置など、徐々に進歩が見られる。プネーも地下鉄工事が始まっているようだが、ラトールさんによれば、20年前に日本の地方都市が地下鉄の必要性を指摘したが誰も取り合わなかったという。急激な渋滞が発生し、皆目が覚めたのだが、かなり後手に回っている。

 

夕方、またバイクに乗り、工科大学へ向かう。ラトールさんはここで日本語の授業をしているというので見学に行く。キャンパスは道を隔てて2つに分かれており、100年は経っていそうな古い建物の横では、新しいビル工事が行われている。教授の一人にお会いしたところ、『実は今年から正式な大学になるんです』という。これまでは理工系の専門学校的な位置づけだったらしいが、規模を拡大する。

 

『日本の大学と是非提携したいんです!どこかいいところはありませんか?理工系でもよいし、総合大学でもいいんです』と訴えられる。『インドの発展はこれから。日本の成功に学びたい』ということか。もし日本の大学で将来を見据えてインドの大学との提携を検討するのであれば、良いかもしれない。

 

教室は新しいビルにあり、きれいだった。生徒が十数人来ていたが、正直ちょっとビックリした。これまで日本語を勉強している子たちは、女子が多く、またはアニメや音楽など、日本のカルチャーが好きで学んでいたのだが、ここは全然違う雰囲気だった。まず生徒はほぼ男子(女子は1人だけ)、しかも専攻はITや電子工学といった専門性の高い分野が多い。

 

授業は、まだ初歩であり、あいうえおなど、ひらがなから始まっている。ラトールさんの授業はひらがなを教えながら、同時に日本の文化などにも触れていく。カラオケを説明するのに『カラは空、つまりスカイだね』『リキシャーという言葉は日本から来たんだよ』という感じだ。日本から持ってきた教材を使い、ビデオも見せる。

 

彼らになぜ日本語を勉強しているのかと聞いてみるとズバリ『日本へ行って日本の技術を学びたい』というのだ。出来れば日本で就職の機会を得て、自分の理工系の知識を生かして働きたいと、優秀なインドの学生に訴えられると思わず、『皆さんは既に英語も出来るし、アメリカやヨーロッパの方が行くのが簡単ではないですか』と問うてみる。それでも日本の技術が優れている、と彼らは思っており、そう思われているうちが花だな、今のうちに日本のシンパを多く作るべきだな、としみじみ思う。因みに日本語は難しいかと聞くと『思ったより入りやすい言語だ』と言われ、これまた驚き。

 

夜は疲れたので、また軽くご飯を食べてシャワーを浴びて寝る。それにしても、インドで日本語がこんなに学ばれているとは驚きだった。これからもやり方次第ではどんどん増えていくだろうが、日本側にその意識が薄く、その担い手がいない、という現状を変える必要があると思われる。

インドでアユルベーダを2017(15)インドの経済発展を見る

ラトールさんに車で送ってもらい、クリニックへ戻った。1011日の滞在、いや修行が終了し、お別れの時が来た。先生はYさんに与える薬をさっと渡してくれた。説明を聞こうとしたが、『中にすべて書いてあるから指示通り飲めばきっとよくなる』というので、物だけもらって出てきてしまった。2匹の番犬もすでに吠えなくなっていた。随分長くいたような気がする。またいつか来よう。

 

ラトール家に投宿する。これが何回目だろうか。今回のプネー初日の朝もここに立ち寄りシャワーを借りている。夕方、日が暮れた頃、ラトールさんが『銀行に行ってみますか?』と聞く。Citibankのカード、デリー空港のATM機で現金が引き出せなかったので、試してみようというのだ。バイクの後ろに乗って街に出る。何とも賑やかで、バイクの洪水。これまでの環境とはだいぶ違う。しかし市内のATMでも結局現金は出て来なかった。これは機械の問題ではなく、カードの問題に違いなと判断。因みに後日香港で確認したところ、何とパスワード変更したことを忘れていたらしい。今回はもう滞在日数も少ないので、明日銀行で両替すればよい。

 

帰りがけに、ビッグバザールという、インドではお馴染みの大型スーパーの前を通ったので、ちょっと寄ってみることにした。バッグを預けなければならないのは面倒だが仕方がない。中に入ると、3年前よりずいぶんときれいになっており、品物もよくなっているように思えた。その分か、価格も高くなっているような気がする。

 

お茶コーナーに行ってみて、驚いた。棚の多くの部分が、グリーンティのティバッグで占められているのだ。あのリプトンが大々的に『グリーンティは健康に良い、ダイエット効果がある』と謳っている。紅茶のティバッグは棚の下の方に押しやられ、見る影もない。グリーンティは紅茶の3倍の価格が付いている。これで売れるのであれば、当然こちらを売るだろう。勿論チャイのパウダーは健在だが、徐々にチャイから緑茶へのシフトが進んでいると感じられる。これも経済発展の恩恵だろうか。

 

どうしてもニンブーというインドの一般的なジュースが飲みたくて、探したが、こちらも見つからなかった。棚にはオレジジやアップル、ライチなどのジュースはあるが、安いニンブーは棚から漏れたらしい。また前は瓶や缶が多かった飲料コーナーも、ペットボトルが主流になっていた。

 

高額消費時代の足音が聞こえるようだ。支払いはクレジットカードもあるが、ATMカードも使える。一部だが、スマホ決済すら導入されようとしている。経済成長が年率7%というのは、決して低い成長率ではない。日本ではどうしても中国と比較してしまいがちだが、インドは急速に変化しようとしているらしい。

 

夜は、ラトール家でチャパティと野菜が出た。夜は沢山食べないというのは、クリニックだけではなく、一般家庭でも普通に行われているらしい。出所したばかりの私には軽い食事が有り難い。日本や中国のように、夕飯を思いっきり食べていては消化が追い付かない。ベッドに横になるとあっという間に睡魔に襲われた。

 

228日(火)

翌朝は7時には起きて、アーサナを行う。8時前にはラトールさんがチャイを運んでくれた。そして今日は仕事が忙しいというビバさんを車で送っていくというので付いていくことにした。ビバさんの職場までは、市街地を通らなければならず、朝は渋滞が予想された。デリーやムンバイでは相当ひどい渋滞になっているが、ここプネーにもその波は押し寄せてきている。

 

何とか職場まで送り届けた帰り道。何とも趣のある道を通過した。馬車に積まれていたのは氷だった。馭者のおじさんがにっこりと手を挙げる。古びた図書館のような建物があった。ここはパルシーが住む街だという。ベーカリーに入る。ここのクックキーが美味しいとお土産に買ってもらった。パルシーはイラン系、パンをうまく焼く技術があったのだろうか。お客が引っ切り無しに来て、繁盛していた。店員は男性しかいなかった。

 

また少しくとイスラ系住民が住む地域がある。インドは各都市に、各階層、各民族が住んでいる。その先はヒンズー教徒が住むエリア。ラトールさんは日本語教材などをここのコピー屋さんに持ち込み、大量のコピーを依頼しているらしく、店員とも仲良しだった。日本語の本は簡単に手に入らないので、どうしてもコピーが必要になる。

 

外では皆が朝ご飯を食べていた。最近は他の州からプネーに働きに来る者も多く、簡単な朝ご飯の屋台が繁盛しているらしい。どんどん人々が忙しくなるインドでは、これから食の変化、食のとり方の変化が起こってくるだろう。家の近くまで戻ると、路上の野菜売り場に『Paytm』という表示が出ている。これがスマホ決済のシステムの一つらしい。

 

誰か使っていないか、じっと見ていたが、数人の客はすべて現金で払っていた。店はこの決済をすると、2%の手数料を取られるの、客には勧めないらしく、お客も少額の買い物は、現金でよい、という感じ。現時点では店にも客にメリットがないので、取り敢えずは普及しないようだが、もし何かのインセンティブが付けば、中国のように急激に発展する可能性はなきにしも。少なくとも政府は今回の高額紙幣廃止に合わせて、キャッシュレス化を進めるつもりだから、今後の動向には注目したい。

インドでアユルベーダを2017(14)女子校の日本発表会

先生は私を面白い人間だと思ったらしい。実は彼女は年に3回、オーストリアにアユルベーダ治療に行っているという。オーストリア人に彼女の患者がおり、大きな屋敷を使って、クリニックのようなことをしているらしい。暇なら、そこへ来ないか、と誘ってくれた。これはとても興味深い話なので、何とか日程を合わせて、東欧訪問を実現したい。

 

昼の12時にラトールさんがやって来た。今日はクリニックを退所する前に、A師から学校見学に誘われていた。ランチも外で食べるというので、もうほぼ退所状態となった。3人でまず向かった先は、日本人の日本語教師H先生の家。JICAから派遣されている先生で、過去に韓国やマレーシアで教えた経験がるという。

 

プネーの生活はどうですか、と尋ねると『2年の契約が終わったらここを離れたい』という。理由は食生活など、違いが大きすぎることらしい。韓国や東南なジアでは食事でこんなに苦労することはなかった、と話す。確かに一人暮らしでも、東南アジアなどで食事に困ることはあまりない。だがインドで毎日外食、というのはかなり辛いかもしれない。外食産業が発展したと言っても、あくまでマクドナルドやスターバックスの話であり、ある程度以上の年齢の日本人にはあまり必要ない場所かもしれない。

 

経験がかなりあるこの先生ですら、この文化都市、静かで治安も悪くないプネーでさえそうなのだから、他のインドで暮らしていくのは相当に大変だろう。現地化すると言っても、日本人は東南アジアまでが限界なのだなと再認識した。インドと日本、やはり距離は思った以上に遠い。

 

ランチは久しぶりに、いや今回初めて、レストランへ行く。ターリーを食べる。正直何を食べてもスパイシーに感じられ、舌先で何かを感じてしまう。でも食べたいという気持ちが出て食べていると、どんどんお替りが運ばれてきてしまう。クリニックの食事とのあまりの違いに戸惑ってしまう。

 

いつの間にかお客で満員の店内。外食が少ないとは言っても、人口も多いのだから、食事する人が多いのは当然だ。ナイニーカとシバさん(日本語の先生)も合流する。彼女らはバイクでやって来た。因みにナイニーカのバイク姿は顔にスカーフをぐるぐる巻きにしていて、まるでイスラム教徒かと思った。街にイスラム教徒が増えたな、と思ったのは、実は埃避けのスカーフのせいだったようだ。最後にアイスまで食べてしまった。冷たい物が腹に入ると、かなりヒヤッとして、心配になる。相当敏感になっている。

 

それから学校へ向かった。そこは創立75年の歴史を誇る女子校だった。いい感じのレンガの校舎、中に入ると広い校庭が目に入ってくる。いきなりある教室に案内された。その入り口には浴衣を着たインド人の女に子たちが立っており、『こんにちは』と日本語で挨拶してくれた。

 

ここはラトールさんが日本語を教えている学校で、教室に集まっていたのは、その日本語クラスの生徒たち。中へ入ると、既に全員が来ており、テーブルごとに、何かを展示している。我々が各テーブルを回ると、そこでこれまで調べてきた日本についての様々なことを次々と発表してくれた。

 

日本の学校、相撲、庭園、などについて、実際の模型なども作り、手書きやパワーポイントで、要点をまとめ、英語で説明してくれた。小学校高学年から中学生が在籍するこの学校、生徒の背の高さもまちまちだが、その発表内容も様々。こういうのを見ていると、インド人からは日本という国がどのように見えているのかが、少しわかったようで実に面白かった。

 

『日本の災害』というテーマでは、実際に火山の模型が作られ、液体を入れて噴火の様子を再現していた。プネーには地震もなく、自然災害が少ないようで、日本はある意味で怖いところと映っているかもしれない。『日本の食』ではなぜか豆腐スムージーというのが作られていた。基本的に日本食になじみがない彼女らだが、豆腐は日本の物として認識しているらしい。

 

茶道というのもあったが、実際どんなものかは分からなかったらしい。一方花道は見事なフラワーアレンジメントが出来ており、こちらの方が分りやすいのだな、と思っていたら、後からサリーを着た日本女性が入ってきて、彼女が教えたということだった。彼女はインド人と結婚して最近プネーに住み始めたらしい。未知の物に対しては、先生が必要だ。

 

一通り発表が済むと、我々が気に入ったものを選び、1-3等が選ばれた。それから日本語の歌が歌われる。『結んで開いて』や『大きなクリの木の下で』など、子供時代にしか歌ったことがない歌。生徒が大きな声で、振りを付けて歌っていると、日本語のH先生も一緒になって歌う。この辺はさすがプロ。あっという間に生徒に溶け込み、日本語を教えている。

 

部屋の真ん中には、これまで集められた様々な日本に関する品物が展示されていた。ラトールさんが日本から持ち帰った物も多いという。H先生はその中のけん玉を取り出し、やって見せる。こういう目に見えるものが若者には受けがいい。コマ回しは、なかなかうまくできなかったが、皆興味津々だった。

 

会の後、校長先生からチャイをご馳走になる。一人の生徒が入ってきて、歌を歌ってくれた。とても純粋で澄んだ歌声だった。ドキュメンタリー映画を作成したという子もいた。実に多彩だ。校庭では日本でいうなぎなたの稽古のようなものが行われていた。護身目的ということだが、何となく軍事教練のように見えてしまったのは、目の錯覚だろうか。インドの現実は女性だからと言って、容赦はされない、様に思えた。

インドでアユルベーダを2017(13)特に問題はないが懸念すべきことは

体力を意外と使う割には、夜遅くに物を食べるのは明らかに消化不良を起こしており、エネルギー不足の面もあるという。夜中にお菓子を食べるのなら、イチジクやレーズンのドライフルーツに変えてみたらなど、そのアドバイスは優しい。出来そうもないことを強制しない、患者の状態に沿ってアドバイスするのは良いと思う。お茶の飲み過ぎには注意して、ミルクなどに変えてみては、ともいうが、これはできそうもない。

 

11時にはまたいつものマッサージ+バス。これを続ける意味はよくわからないが、パンツが毎回ビチャビチャになるのにさえ、慣れてしまった。そしてまた目をオイルマッサージ。これをすると何とも眠くなってしまう。寝てしまいたかったが、ここで寝てはいけないと頑張る。そこへラトールさんがやってきて、ちょっと話して楽になる。

 

ランチはその後だった。今日はカボチャが登場した。こういう物がうまいと感じる。そしてスイーツとして、甘い汁も出てきた。だいぶん気分が変わる。先生からは何度か『食後は10-15分、ゆっくり歩くのがよい』と言われていたが、私のこれまでの概念では、食後は消化に努めるため、寝てはいけないが、あまり動かない方がよいというもので、違和感があった。ネットで検索すると、いつの間にか日本でも、食後のウオーキングが奨励されているのを見てびっくり。世の中知らないことが多過ぎる。

 

実は最も知りたい質問をここでしてみた。『アユルベーダでは、痛くない死を迎えることはできるのか』というものだが、先生は『痛みのない死は理想だが、それは各人の運命なので、コントロールすることはできない。ただ可能性を高めることはできるかもしれない』という答えだった。確かに日頃から病気がち、というのでは、前提条件にすら届かないから、まずは日頃の健康、ということだろうか。『ぴんぴんころり』、何とかならないのだろうか。

 

また規則正しい生活習慣についても、考える。私の場合、夜は10時に寝て、朝は6時に起きるというのが理想的だという。夜更かししてよいことはないし、夜遅くまで帰宅できないとか、酒を飲んでいるということもないので、朝型生活の方がよいらしいが、意外とこれは難しい。原稿を夜中に書くこともないはずだが、何となく、時間が過ぎてしまう夜がある。

 

食事後、取り敢えず散歩に出たが、大変暑い。昼日中、35度はあるので、その日差しには勝てず、10分も歩かずに退散した。仕方なく、今日は音楽を聞いてみることにする。懐かしの80年代、90年代ポップスを聞いていると、瞬く間に時間が過ぎていき、いつの間にはシャワーの時間となる。こんな生活も悪くはない。

 

夕飯に塩味が効いたポテトが出た。これが今、私の求めていた食べ物だ。それだけ食べて満足してしまった。既にここに来て約10日、食べる量が激減し、食べたい物も相当に絞られていた。人間、最低限の食事量で充分生きていけると確信した。これまでの自分の食生活は何だったのだろうか。1日中机に座ってPCを操作している私には、それほどのエネルギーは必要ない。今日は10時には寝入る。

 

227日(月)
クリニック11日目

 

ついに最終日がやって来た。長いようで短いようで。飽きたようでまだ居たいようで、と何とも複雑な思いがする。10時に寝たのに、6時には起きられず、7時になる。アーサナとプラナヤーマをやってみる。朝食にはタピオカが出てきた。フルーツもある。食後には散歩にも出た。徐々に社会復帰の準備を始めた。

 

 

先生と最後の話をする。確認するまでもなく、今回も又、私の体には何の問題もなかった、というのが結論だ。ただ懸念材料として、①長距離の移動が多過ぎる、②お茶を飲み過ぎている、③PCを見過ぎている、の3つが挙げられた。

 

特に①の移動については、気候、風土などが全く違う場所へ行くと、体がすぐに対応できず、体調を崩す、消化不良に陥るケースが多いので、気を付けるべきだという。私は既にその状況に気が付いており、今年から半月か1か月は同じ場所にいて、そこからショートリップする試みを始めていた。これで随分体が楽になっているように感じている。

 

②についても、特に東京にいると朝から晩まで何種類ものお茶を飲み続けており、これが眠りを妨げ、消化不良を起こしていることも自覚していた。そこで、台湾の埔里滞在中は自分の部屋には電気ポットや茶道具を持ち込まず、部屋では茶は一切飲まないことにした。これがまた意外と快適で、続けようと思っている。勿論お茶関係者と会ったりすれば、沢山お茶を飲むこともあるが、自分では水かポカリスエットでも飲んで過ごそうと思う。

 

③はかなり難しい。どうしても文章は書かないといけないし、検索など調べ物も多い。それでも毎日更新していたブログを少し減らしてみるなど、対応策を考えることにした。目の予防も考えなければいけない。まあ、とにかく意識して生活すること、これが続けられるのであれば、相当に進歩するとは思うのだが、娑婆に戻るとそうはいかないことは3年前の経験でよくわかっている。

インドでアユルベーダを2017(12)居心地の良い空間で

1時頃呼ばれて2階に行く。今日もチャパティとダル、野菜はいんげん。もう慣れてはいるのだが、少々飽きてきている。日本というのは、本当に食のバリエーションが凄いなと思う。インドでは食事は生きるための義務、という考え方もあるようで、一般人が多彩な食事を楽しむということは少なかったようで、外食産業も従来は発展していなかった。また麺類がないのが何とも寂しい。インド南部にはあるらしいが、インドの麺と言えばチャウメン、中華風焼きそばしか思い浮かばない。焼きそばでよいから食べたいと思ってしまうが、それが出てくることはあり得ない。

 

先生の息子が入って来た。私の方を向いて『実は抹茶を飲んでいる』という。健康に良いというのをネット上で知り、抹茶と茶碗をネットショッピングで購入したというから、いかにも現代風で驚きだ。『でも淹れ方がよくわからないんだよね』と笑って言うのが何ともおかしい。今や日本人でちゃんと抹茶を点てられる人など、ほんの一握りの茶道を学んでいる人だけだよ、というと驚いた顔をしていた。ネットの英語ではどんな情報が掲載されているのだろうか。

 

先生とは政治の話になる。『モディ首相は最近で一番政策がクリアーで、しかも正しい』と絶賛する。以前首相はガチガチのヒンズー至上主義者だと聞いていたが、イスラム教徒の増加するインドでは、それでは政策は前に進められない。ただ毎日ヨーガは欠かさずやっているらしい。『インドを変えられるのは彼しかいない』と熱い期待を寄せるが、どこまでできるだろうか。

 

3時頃、今日もバスティを宣告される。昨日とは違うオイルを使ったというが、やはりホールドできずに、途中でトイレに駆け込む。余程この施術は性に合っていない、ということだろうか。ヨゲーシュも成すすべがなく、私を見送るのみだ。珍しく、ラトールさんが顔を出す。何か用事かと思ったら、私も一緒に先生と出掛けることになった。私の体調、大丈夫だろうか。

 

先生の車でさほど離れていない場所へ行く。お寺がある場所と聞いていたが、どうみても個人の家のように見え、きれいに手入れされた庭が見えていた。ここは先生のお母さんの土地に、お母さんが好きな物を作ったらしい。手前には廟があり、その横には、お母さんが毎日日中を過ごす小さな家があった。とても静かで落ち着きのある空間、私もここに住んでみたいと思ってしまう。ブランコに揺られて、しばし休憩。

 

フォトスタジオは先生の妹さんがやっているといい、何かの撮影が行われていた。更にその向こうにはおじさんの土地になり、結婚式などのイベントができるスペースまであった。一番奥まで行くとそこは川。細長い空間だが、周囲は未開発。そこから夕闇が迫る中、ラトール家に移動。先生はラトールさんとは長い付き合いだが、家に行くのは初めてらしい。

 

ビバさんが『何を飲むか』と聞くと、先生は『コーヒー』と答えており、ちょっとビックリ。先生の方をじっと見ていると、私も飲んでよいとの許可が出る。ただ出されたクッキーにはダメとの表情を浮かべたので、大人しく、コーヒーを啜る。このコーヒー、ミルクと砂糖が入っており、甘いのだが、特に美味しく感じる。やはり糖分を体が欲している。

 

クリニックに戻り、シャワーを浴びる。何となくあのままラトール家にいたかったな、という気分になっている。そろそろここの生活も飽きてきたのだろうか。夕飯もいんげんとチャパティだけを食べて終わりにした。お茶は先生の目を盗んで、日本から持参したおーいお茶のティバッグを入れた。体重は相当減ったな、という感覚がある。

 

実はFBで連日滞在の様子をアップしていたところ、少なからぬ反響があった。その中で知り合いのYさんから、個別に問い合わせがあった。症状、日常生活、職業などを教えてくれれば、アユルベーダの薬を処方する、と先生から言われたので、その旨伝えると、やがてその内容が届いた。今晩はこの内容の英訳を行う。何しろ医学用語はほぼ分からないし、ちょっと苦労した。

 

彼女の日常生活を見ると『誰が見ても健康的とは言えない生活』をしており、まあこれを改善すれば、薬もいらないのでは、と思ってしまった。今の日本人で仕事をしている人は多かれ少なかれ、問題を抱えているのがよくわかる。元気なのは退職した老人ばかり、かもしれない。

 

226日(日)
クリニック10日目

 

昨晩はGood Knightのお陰で、蚊の攻撃もなく、外出した疲れもあってか、熟睡できた。8時頃先生がやってきて、呼吸法を教えてもらう。プラナヤーマとしてヨーガの合宿でも教わってはいたが、より具体的な話が出てきた。息を吸い込んだ時は、頭のてっぺんまで息が上がるように吸い、そこで一旦止めてから、ゆっくり吐き出すと。カパラバーティもゆっくりやるのがよい、と言われる。オームのバイブレーションは、体に良い効果ももたらすらしい。

インドでアユルベーダを2017(11)蚊との闘いにGood Knight

11時頃、初めての脊髄マッサージを受ける。骨に沿ってマッサージしてもらうだけだが、何とも気持ちがよかった。だがその後ちょっと腹痛を起こす。やはり急に食べ過ぎたのだろうか。午後1時頃には腹痛も収まり、昼食。地元でとれた季節の野菜を多く食べようにと言われる。日本では今どんな野菜のシーズンかと聞かれても、私などはすぐに答えられない。野菜や果物はどのシーズンでもあるのが今の日本だ。いつでも好きなものを食べるのは一見合理的のように見えて、実は不合理なのかもしれない。

 

またサラダなど生野菜を取るのも消化には良くないという。確かに生は消化に時間が掛かりそうな気はする。確かに中国人は、以前は長い間生野菜も刺身も食べなかった。日本人がサラダというものを食べ始めたのはいつからだろうか。これは我々の生活習慣ではなく、西洋から入った物ではないのだろうか。

 

温野菜を取る、煮物を食べるのが消化上も好ましいと思われる。西洋人と我々はアルコールなどもそうだが、消化の体質も違うはずだ。日本人は既に食生活の変化で何らかの体調不良を起こしているのではないだろうか。また急に生ものを食べ始めた中国人にも、将来何らかの病が襲ってくる可能性はある。

 

3時頃から目のマッサージが行われた。何だか気持ちよくなり眠ってしまう。終わっても何となく体がだるく、気が付くとベッドにごろり。そのまま熟睡してしまい、気が付くと3時間も寝てしまっていた。疲れていたのだろうか。起き上がってもまだ目がかすんでいる。シャワーを浴びて夕食へ。フルーツが置いてあった。バナナ、オレンジ、イチジク、こういうものがなんとも嬉しい。

 

何度が寝ようと試みたが、3時間も昼寝したのでは簡単には眠れない。更には大量の蚊に襲われ、その羽音が耳に響いて益々眠れない。久しぶりに地獄のような夜を過ごした。これも日頃の行いだろうか。結局明け方までウトウトした状態が続き、明るくなってから少し眠れただけだった。

 

225日(土)
クリニック9日目

 

8時にベッドから出た。正直睡眠不足で頭が痛い。トーストとオムレツを食べたが消化できるか自信がなかった。体がこんな状況の時は消化に合わせた食べ物を取るべきだとよくわかった。日本の学校教育などは残さずに食べることばかりだったが、実に違和感があることが、今ではよくわかる。

 

消化を少しでも助けようと、3日ぶりに散歩に出た。フラフラしながら、ゆっくり歩いて行く。車の走る通りまで出て、更には川のところ、橋まで行ってみる。明るい日の光を浴び、少し生き返ったような気分になるが、何とも眩しい。寝不足で足元がおぼつかない状態であり、すぐに引き返す。

 

部屋に戻るとスタッフの一人が珍しくやってきていきなり『グッドナイト』と言って何かを渡し、去っていく。あれ、彼女、英語が全く分からないのかな、朝なのにグッドナイト、などと思って渡された物を見てびっくり。それは電気蚊取り器の詰め替え用液体だったのだが、何とその名称が『Good Knight』であり、『Good Night』ではなかったのだ。これには笑ってしまったが、実はその夜、これを点けて寝ると、何とあんなに来た蚊が一匹も来なかった。さすがは救世主、白馬の騎士!

 

先生と昨日の続きを話す。肝機能向上には、発酵食品は良くないとのことだったが、例えばパンなどはどうなのか。『インド人は基本的に焼いていないパンは食べない。一番良いのはトーストしたパンの焦げかすだ。ギーを交ぜて食べるのがよい。因みにインドでも北の方では、パンのように発酵させたナンを食べるが、中南部は発酵させないチャパティを食べる』と説明された。

 

実は私はこんがり焼いたトーストが好きで、体調が悪い時も、トーストを食べていることが多い。焦げかすはがんになると言っている人もいるが、適量であれば、良いと体が感じていたので、この話は面白かった。南インドではドーシャなど、発酵食品が多くあり、インド人が発酵食品を嫌っている訳ではない、ともいうが、相変わらず発酵食品の定義や概念の開きは大きいと感じる。

 

また今やバラモン階層の家庭でも、全体の70%以上は鶏肉を食べているらしい。これは1970年代以降の現象だというが、ベジタリアン主流だと思い込んでいたインドも相当に変化している。若者はケンタッキーでフライドチキンを食べ、コーラを飲むのが常態化している。因みに日本ではインド料理の飲み物と言えばラッシーを思い描くが、あれもある意味で腐りかけの飲み物、インドで飲むと中る確率が高いらしい。私は元々味的にダメなので飲まないのだが、インドではラッシーは避けた方がよいかもしれない。

 

12時頃になり、ヨゲーシュがやって来たのでビックリ。今日は土曜日だし、休みかと思って油断していたら、ポータリーマッサージというのが始まった。薬草を布でくるんで、オイルに浸して煮ている。温まると、それを体の上に乗せ、前後左右に動かしてマッサージする。ちょっと熱いぐらいで気持ちはよいのだが、何に効くのだろうか。冷えの防止などだろうか。

インドでアユルベーダを2017(10)肝臓、そして消化を大切に

1時過ぎに下からヨゲーシュも上がってきて、何やらテレビを点けている。何か見ていたが、急に皆が歓声を上げた。『こないだの市議会議員選挙、与党BJPが勝ったわ』と姪が喜ばしそうに告げる。選挙結果は忘れた頃にやってくるのだった。意外なほどに選挙に関心があること、そしてやはりモディ首相が支持されていることを感じる。敵対勢力はいるものの、これは階層を問わないようだ。

 

部屋に帰ると、『掃除するか?』と聞かれ、掃除してもらう。部屋にはあまり頓着がない私は、掃除することも考えていなかった。ソファーに座っていると、重い荷物を持ったビンセントがやって来た。これからムンバイ方面の知り合いの家へ行き、その後フランスへ帰国するという。荷物の多くはアユルベーダの薬。買付だから当然だが、大変そうだった。リキシャーが呼ばれ、彼は颯爽と乗り込み、去っていった。私にとっては実にありがたい隣人だったのでちょっと寂しい。

 

4時頃、軽いマッサージとスチームバスがある。そしてバスティと言われる。先日はエネマという腸内洗浄に過敏に反応してしまったが、今回のバスティ(浣腸)でも肛門からオイルを入れているだけで、もう我慢が出来なくなり、途中で中断して、トイレに駆け込んだ。これにはヨゲーシュもあきれ顔だが、仕方がない。最近我慢しない癖がついているようだ。

 

5時半頃、シャワーを浴びる。シロダーラのお陰で髪の毛がオイルまみれのままだが、シャンプーも特別の物を使った方がよいと渡される。とにかく頭がすっきりしたので良かった。6時半にはチャパティ+ライス、ダルと野菜を完食する。やはり腹が減っていたのだが、自覚があまりない。食べ終わると満足する。先生から『少し食べ過ぎかな』と言われるほど。

 

224日(金)
クリニック8日目

 

前夜は9時半頃には眠りに就いたのだが、夜中に蚊に襲われ、相当刺される。眠りは常に浅くなり、蚊が気になって仕方がなかった。朝5時には痒くて起き上がってしまうほど刺された。これはどうしたことだろうか。最初にちょっと蚊が気になったが、その後はお目に掛からなかったのに。そう言えば、ビンセントは蚊に刺されたと言っていたから、彼が私を守ってくれていた、彼が居なくなったから、また蚊が私のところに戻って来た、ということだろうか。

 

7時頃までゴロゴロしていたが、何ともぐったりする。おまけに鼻水まで出てくる。明け方は涼しいのだ。白湯を飲む。8時には朝食。トースト+ゆで卵、そしてバナナにオレンジ、夢のような朝ご飯。完食して、完全回復が証明された。バナナにギーを塗ると消化を助けるよ、と言われたが、拒否!折角の美味しい物を。

 

先生と話をする。紅茶がよくないとか加工食品はダメだとか、色々な話があったが、ようは当たり前だが『食べ過ぎない、飲み過ぎない』ということのようだ。アユルベーダの世界で絶対にダメ、ということはないような話だった。個人がそれをどこまで意識してできるか、という問題のように思う。過ぎたるは及ばざるが如し!

 

実は最近記憶力がとみに低下していると話したところ、最初に自覚したのはいつ頃かと問われ、そういえば20年ぐらい前だったと答える。するといきなり『肝臓が悪い。肝機能が低下したのでは』と言われ、思い当たるふしがあって驚く。『肝臓はKing of Bodyだよ』と先生は言い、肝臓の障害によって引き起こされる病は実に多いと。確かに20年前、私は肝機能が低下し、アルコールを飲むと痒みが出ていた。副作用を押さえながら2年半に渡り薬で治した経験がある。

 

実はその時、記憶力も低下していたのだ。そして最近はずっと意識するまでに低下している。肝機能を向上させるにはどうすればよいかと聞くと『アルコール、酸っぱい物、そして発酵食品を取らないこと』と間髪を入れずに言われる。アルコールは分かるが、梅干しもダメなのだろうか、いや納豆は体にいいはずだ、と考えが駆け巡る。

 

日本では発酵食品を食べる生活習慣があり、それをダメと言われると困る、と言っておく。先生も『日本の食生活はよくわからないが、アユルベーダでは発酵食品は腐っているもの、という位置づけだ』と説明するにとどまった。ここで食文化の違いを議論しても始まらないが、発酵食品=腐った物、という考え方があるのはある意味新鮮だった。

 

また食事のタイミング、日常のルーティン化が重要だともいう。4-6時間の間をあけて三食をきちんととることがよいという。消化力はたとえて言えば、竈のようなもので、朝火を点けると徐々に温まり、昼間は一番消化力が高まり、そして日が暮れるとともに弱まる。だから、ランチは多く食べてもよいが、ディナーは軽めがよい。また寝る前に食べるのもよくない。消化できなかったものは体内に老廃物として残され、排出されない。これが病を引き起こす元になる。全ては消化にベストの状況を作り、ベストの物をベストのタイミングで食べることだ。

インドでアユルベーダを2017(9)ついにビレッチャナ

222日(水)
クリニック6日目

昨晩はドラマの見過ぎで深夜まで夜更かし。頭が回転していて、よく眠れなかった。何のためにクリニックに滞在しているのか、これじゃあよくわからない。7時半には起きてみるが、どうも体調が。そこへ先生がやってきて脈診。ちょっと脈が速い・・らしい。全てお見通しだ。

 

朝ご飯もいらない。ハーブティを飲んでみるも、美味しくない。どうしたものだろうか。10時にヨゲーシュがやってきて、いつものオイルマッサージ+スチームバス。今日もこのルーティンかと思っていたら、その後先生が入ってきて、『今日ビレッチャナしましょう』というではないか。あれ、もう1日先ではなかったの、と言っても始まらない。

 

ビレッチャナとはパンチャカルマの療法の1つで、下剤療法とでも呼ぶべきか。ある薬草を飲み、人工的に下痢を誘発するもので、これまで体内に溜めてきた腐敗物をここで一気に、下から体外に吐き出す、ということだ。アユルベーダは気持ちがよい、などと言っている女性にこの話をすると皆ドン引きしてしまい、インドでアユルベーダ治療などと言い出す人がいなくなるから、如何に宣伝広告がいい所取り、しているかが分かるというもの。

 

覚悟を決めて薬を飲む。飲みにくいという程でもなく、すぐに済む。そして部屋で大人しくしていると、1時間も経たないうちにトイレに駆け込むことになる。まあ、3年前にも経験しているので慌てることもなく、実際今回はそれほど辛いとは思われなかった。2時間ぐらいの間に8回位の便意が来て、かなり楽になった。インドのトイレには紙がなく、水で洗う仕組みだが、これだと痔になりにくいから助かる。

 

前回は暗い部屋で一人、便座に座ってばかりだったが、今回は全体的に明るい部屋で、気分もそれほど悪くはない。白湯も少し口に入れる余裕がある。何よりお腹が痛い、という感じがないのがよい。徐々に快適になり、トイレにも行かなくなると、昨晩の続きが見たくなり、またPCを開いてしまった。その後も断続的に便意は来たが、少量を出すだけで、特に異変はない。

 

先生は2時間置き位に様子を見に来てくれたが、午後4時には『とってもスムーズ、もう大丈夫ね』という感じで、チャイを出してくれた。さすがに下痢中にいきなりチャイはどうかと思ったが、有り難く頂く。この甘みが何とも言えない。食事がとれない中、このような飲み物は本当に有り難い。

 

5時半頃には重湯が出てきて、余り味もないが完食。益々調子が出てきた。7時半頃には最後の1回が出て、これで終わりだな、と自覚できた。やはり経験というのは重要なものだ。気が抜けたようにまたドラマを見ていると、先生が入ってきて『いい加減にやめなさい』と優しく怒られた。確かに体力をかなり奪われているし、もう寝た方がよいと思い、就寝。ビレッチャナという一大行事は意外とあっけなく終わってしまった。

 

 

223日(木)
クリニック7日目

 

6時には目が覚める。やはり疲れてはいたのだ。だらだらとベッドで過ごすうちに、水分が欲しくなる。まずは白湯を飲んでみる。少し空腹を感じてくる。昨日あれだけ体から出したのだから、当然食欲が出そうなものだが、ある意味下痢の翌日、凄く食べたいわけではない。ただ失った水分を取り戻したい欲求が体の方にある。

 

8時に朝ご飯として重湯(おじや?)が出る。これ、塩気が効いていて旨い。やはり体は塩を欲しているのだ。立ち上がってみると、体は異常に軽い。先生の脈診も完璧にパス。そうなるとチャイが欲しくなるのだが、それは出て来ない。仕方なく、白湯を何回も飲む。味気ない。

 

10時半頃、『シロダーラでもやる?』という感じで声がかかる。シロダーラ、あの日本で普通に思い描くアユルベーダの典型的マッサージ。頭にオイルを垂らすヤツ。だが今回私は一度もシロダーラを受けていない。あれは頭をリラックスさせるだけで、あなたには必要ない、とのことだったが、PCを見過ぎたせいか、体験できることになった。

 

施術はまたまたビンセント。確か先生を実験台にして練習していたので、私が実験台2号となるわけだ。オイルが頭に垂れてくるのは決して気持ちの良いものではない。また髪の毛がオイルまみれになるのも、正直勘弁してほしい。決してビンセントの技術の問題ではない。それがシロダーラの印象だった。髪の毛は夕方まで洗ってはいけないと言われ、トホホ。シロダーラを持ってアユルベーダと言っているとしたら、それはちょっとどうだろうか。

 

久しぶりにランチで2階へ上がると、先生の姪だという若い子が来ていた。彼女はインドのダンスをしているとかで、イギリスやフランス、日本にも行っているらしい。英語も得意でよく話す。フランス語も学んだらしく、ビンセントにはフランス語を使う。如何にも現代のインド人、という感じで、先生のような古典的バラモンとはかなり違う。ランチはお粥だったが、何ともうまい。また完食。昨日激しい下痢をしたとはとても思えない調子の良さ。

インドでアユルベーダを2017(8)海外情報は正しく輸入し、日本情報はきちんと海外へ

クリニックへ帰ると、先生とビンセントと3人でランチ。何とも気分がよく、リラックスできた。大好物のオクラが出てきたのが嬉しい。きゅうりのサラダも久しぶり。休日の午後を楽しく過ごした。みんなで食べるご飯が美味しいということに久しぶりに気が付いたように思う。食べるメンバーが面白かったからかもしれない。

 

ミルクが話題に上る。アユルベーダでは、ミルクは良いとされているが、それはあくまでもフレッシュな場合だけだ。日本で搾りたてのミルクが飲める場所など、北海道などへでも行かない限り、難しい。しかも毎日とるとなるとどうするのか。先生が『家で牛を飼えばよい』と笑いながら言う。残念ながら、インドでも、フレッシュミルクを手に入れることは難しくなっている。

 

フルーツについては、基本的に体に入れてよい物であるが、沢山食べるのは良くないと言われる。また水分をフルーツからジュースなどの形でとるのもよいが、加工されたものはダメ。あくまでフレッシュジュースに限る。尚食後すぐにフルーツを食べるのは、消化の妨げになるので避けるのがよいらしい。食後のフルーツ、デザートなどは西洋から入ったスタイルで東洋では馴染まないのかもしれない。勿論『食べ過ぎ、飲み過ぎがよくない』ということであり、先生は絶対にダメ、という言葉は使わず、あくまでアユルベーダ的にこうだ、と教えてくれるのみ。

 

我が息子についても話す。彼は幼い頃から胃腸が弱い。これは私自身もそうだったので、遺伝かもしれないが、私の場合は40歳の時、北京で脚マッサージを6か月間受け、完全に治ってしまったという経験があるから、彼もここへ来れば治るのではないか、と思える。先生も彼の日頃の生活を聞き、『ここに一定期間いれば、何らかの効果が得られることはほぼ確実だ』と言っていた。本人は英語ができない、面倒だなどというが、胃腸が治ることは相当に人間を活性化する効果があるので、ぜひ試してもらいたい。

 

少し休んで、目のトリートメントを行う。何と施術するのはビンセントだ。水泳のゴーグルにオイルを入れ、それを装着する。目を薄っすら開けてもオイルは入り込まないが、前は良く見えない。7分間、目の玉を前後左右に回して、パチクリして、オイルを目に沁み込ませる。すぐに効果は体感できないが、何となく、目の疲れが取れるような気にはなる。

 

その後は目に煙を当てる。スモークと言われて当然煙が目の前にやってきて、目が見えなくなる。目が痛い、涙が出るが、拭くこともできない。ヨーガのクリアーの1つ、トラータカでは、1滴も涙が出ない私だが、ここまで強制すれば、十分な水分を外へ放出できることが分かった。終わってから1時間ぐらいは目がかすんでよく見えない。ただボッとしていた。

 

午後6時にゆっくりシャワーを浴びてリラックス。この辺でようやく目も完全に見えるようになる。7時にはビンセントと2人で夕飯を食べる。彼はインドには何度も来ているが、日本に行ったことはないという。だが興味津々で、ネットなどで色々な情報を集めているようだった。日本の地震対策はどうなっているのか、福島の現状は?もしフランスで原子力発電所の事故などあれば、国民は皆で廃止を訴えるはずだが、日本人はどういう考えで、発電を再開しようとしているのか?などなど。この辺の話はヨーロッパ人の方がチェルノブイリの教訓か、非常に敏感である。

 

また沖縄が長寿なのは煎茶を飲んでいるからか、など『その情報、一体どこから入手したの?』と聞いたくなるような話も飛び出して驚く。日本人は、日本政府は、これまでどのような情報を海外に向けて発信してきたのだろうか。彼らは日本語など読みはしない。少なくとも英語で、きちんとした情報を流す必要性を強く感じたが、政府に大本営発表など信じないだろう。日本に来た外国人の発信に頼るのではなく、研究者や民間人が外国語で正しい情報を流すことが求められている。

 

インドについても『インドはなぜスパイスを受け入れたのか』などというテーマが出てくる。インドは今ではスパイス国家だが、それは中南米からイギリスが持ち込んだものだとビンセントは言う。イギリス以前のインドにはスパイスはあったが、今のような辛い物はなかったというのだ。芋類やトマトなども従来インドにはなく、中南米から運ばれてきた。600年前、インドではどんな野菜が食され、どんなスパイスが使われていたのか、アユルベーダからそれを説き起こすことはできるのだろうか。実に興味深い話だ。

 

実は今日、目の治療が行われたのには訳があった。Wi-Fiが繋がったことにより、私は気を紛らわすために、ネットでドラマを見ることにしたのだが、たまたま目にした山崎豊子原作の『運命の人』にハマってしまったのだ。これはちょうど沖縄関連の本を読んでいた中で、出てきたドラマなのだが、沖縄返還密約に関する筋立ては知ってはいたものの、本木雅弘と真木よう子の演技に見入ってしまったのだ。何時間もPCを食い入るように見ていた、それを先生に見つかったという訳だ。まるで小学生だ。