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【上海歴史散歩2009】 

【上海歴史散歩】 2009年4月26日(日)

23年前に留学した上海、その時の印象は決して良いものではなかった。留学生なのに生活に追われていた?こともあり、また上海側も歴史的な建造物、場所を保護しようともしていなかった。歴史散歩など思いもよらなかった。

2006年2月、2007年10月と上海を訪れ、少しずつ散歩した。今回は大先輩の思い出の場所、東湖賓館及び前日ワイン会でSさんが魯迅の孫に会った、と言ったことから、魯迅関連の場所を訪ねて見た。

1.東湖賓館

先日大手商社を退職されたMさん。1975年から中国ビジネスに関わっていたと言うベテラン中のベテラン商社マン。先日のミニ送別会の席で、『1980年に上海で東湖賓館を押さえたことが、一番の仕事だった』と振り返って言った。

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当時上海にはホテルが少なく、ホテルの部屋を予約するのが駐在員の一番の仕事。私が留学中の86-87年も事情は変わらなかったからその大変さが良く分かる。合弁ホテルなどはなかった。予約は実質出来なかった。予約しても、予約金を入れても当日党のエライさんでも来れば、常にキャンセルされた。

そんな時代に賓館(ホテル)を押さえたことは大きい。出張者は安心して出張できるし、恐らくは駐在員もそこに住んだだろう(当時はアパートもなく、ホテルの一室に住んでいた人が多い)。

陜西南路にある城市酒店を出発。南に下り、新楽路を右折。角には由緒正しそうな建物が。今はホテルであるが、1932年にフランス人のラファエット建築士が設計。上海暗黒街の大ボス杜月笙が設立した三?公司のオフィスであった。飾り窓とベランダ、外壁はきれいになっているが渋い外見を残している。

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尚現在日経新聞に連載中の高樹のぶ子の小説『甘苦上海』は正直一体何を言いたいのか分からないが、何故か私にとっては懐かしい地名が沢山出てくる。この三?公司の建物も小説の中では主人公が食事をするホテルのレストランとして登場する。

この新楽路、左右に古い民家が並ぶ。フランス租界特有の3階建てのちょっとお洒落な建物。東正教堂と言われる古い教会も残っている。1932-34年ロシア形式で建造。5つの玉葱型の尖塔に特徴がある。

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少し歩くと東湖賓館の裏側に出る。公寓も迎え側にある。道を回ると正面玄関へ。非常に感じの良い庭があり、お洒落な雰囲気が漂う。フロントで『お洒落なバーがあると聞いたのですが』と質問すると、それは道の反対側だという。

1920年代から40年代に掛けて建てられたというこのホテル、上海暗黒街のボス、杜月笙の邸宅として部下が建築したと聞く(実際には杜は住む機会がなかった)。由緒正しい5階建てのホテル(85年に従来の3階建てを改装)。主楼の前にはきれいな前庭、そしてそのまま別棟に続くアーチがある。かなり広いかと思っていくと直ぐに突き当たる。ここには2-3の建物があるだけである。

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道の反対側には何があるのか?見ると確かに6号楼という建物がある。1925年建造。特に古めかしいと言う感じはないが、エレベーターで2階に上がる。2階にはラビエラという名前のコーヒーショップがあった。中に入るとなかなか雰囲気がよさそう。ここがバーかと思ったが、夜もコーヒーショップだと言う。

ランチが38元と安かったので、ここで食事をする。ポテトサラダとカレー、コーヒー、デザートも付いていた。かなりお得。特にカレーはかなり美味しい。やはり北京とは違って、上海は質が良くて安い。

ここを出ると横に門がある。公園かなと思って眺めると、ここも東湖賓館であった。何と広いことか。入ると右側に建物がある。これはなかなか雰囲気がある。玄関には『大公館』と書かれた看板がある。中に入ると極めてクラシックな造り。昼間でも暗いが、趣があるスペース。1階の入って直ぐにバーもある。2階は個室とか。

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シガーバーもあった。奥にも怪しげな部屋??がいくつか。こんな所で昼から密会している人はいない。更に行くと庭が眺められる場所へ。結局誰一人食事をしている人はいなかった。よほど高級なのだろうか。写真禁止で残念。庭へ出るといくつか建物がある。全て人が住んでいる気配。別荘風戸建て。大きな庭を挟んで点在。こんな所に住めれば気持ちがよい。門を出て花屋の横に金洋バーと言う名前の店があった。ここも1階。今回ある方の要請で『東湖賓館の主楼以外の建物の2階にある雰囲気のあるバー』を探すと言う企画があったが、残念ながら果たせず。

2.虹口
(1)内山書店

東湖賓館から去り、地下鉄に乗って虹口へ。虹口足球場まで行く。上海の地下鉄は最近急速に増えたようで、何処を何線が走っているのか、テンで分からない。何とか1号線を人民広場で乗り換えて、8号線で向かった。

日曜日の昼下がりの地下鉄は予想外に空いていた。座席に腰掛けて本を読むのは無上の喜びだ。北京ではなかなかない場面。上海の交通整備振りが窺われた。

地下鉄を下りて足球場を過ぎ、魯迅公園の前を通る。魯迅公園は戦前の名称が新公園。私が留学した86-87年は虹口公園と呼ばれていたはず。88年に現在の名称へ。ここは前回も訪問しているので、中には入らず先に進む。

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目指すは旧内山書店。23年前の留学時には時折バスの中から、眺めた場所である。当時既に中国工商銀行の支店になっていたが、何となくここが内山書店と言う感覚はあったが、バスをおりて見ることは無かった(あの頃一度バスを下りると乗るのが大変だったなあ)。

今回訪ねてみると、銀行の壁に魯迅と店主であり魯迅を匿ったとされる内山完造の壁画が描かれていたり、いくつも文化記念地点の表示がなされていたりした。しかし2階を見学できると書いてあったガイドブックがあったが、何処から入るのかも分からない。

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取り敢えず隣の新華書店で上海市の地図を買い、気分を出す。手には『伝統の日中文化サロン 上海・内山書店』(太田尚樹著 平凡社新書)がある。この中でここ内山書店が果たし役割が如何に大きかったが読み取れる。

内山完造はよほど魅力的な人物だったらしい。貸し売り(代金後払い)と言う当時としてはリスクの高い商売をしていた。これは信用の上に成り立っている。中国人に対しても分け隔てなく、貸し売りをしていれば、必ず評判になり、口コミで人が集まったであろう。『いつ行っても老板がお茶を入れて歓迎してくれる』とは実に良い。

谷崎潤一郎、佐藤春夫、金子光春など日本の蒼々たる文人が訪れている。魯迅、郭沫若、田漢、郁達夫などの中国文化人とも交友があった。当時の文化人は同時に革命家でもあり、魯迅を庇った内山は常に危険に晒されたことだろう。

1929年にこの場所に移転してから、終戦まで。日本が軍国主義をひた走り、暴走し、そして自壊した、その中で内山とその書店は日中を繋いでいた。何と言えばよいのか。

(2)魯迅故居

内山書店から魯迅故居までは歩いて10分弱。非常に近い。現在の山陰路をカーブするとそこは戦前の日本人居留区を若干保っている。パラソルの下で野菜や果物を売っている。その上には布団が干されており、2階の窓がちょっとお洒落。

 

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魯迅故居の看板を見つける。その道の反対側には瞿秋白故居もあったが、こちらは看板だけで、中には入れない。と言うか、特に保護されている様子もない。魯迅と瞿秋白、生前頻繁に往来し、仲の良かった二人。瞿秋白夫妻は南側の2階に住んでいたと言う。このアパートは日本人が居住するため造られており、魯迅が内山完造に依頼して、借りてもらっていたと言う。

瞿秋白は30年頃には一時共産党の最高指導者の位置にもついた人物。文革で弾劾されるなど、魯迅とは違い死して尚評価が定まらなかったことが災いしたのだろうか??

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魯迅故居は里弄の中にあり、看板がなければ判らない場所にある。回りには普通の人々が昔ながらの生活をしている。洗濯物は物干し竿に掛けられ、外に突き出している。切符売り場に入る。入場料8元。売り場のおばさんが『日本人?』と聞いてくる。やはり日本人が多いようだ。

隣の建物に入ろうとすると警備のおじさんに遮られる。何で?ボランティアの若い女性が『今他の人が見学中』と言う。そんなに狭いのか?仕方なく、待つ間、その辺の写真を取り捲る。

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ようやくOKが出て、中へ。若いボランティアが付いてきて、ちゃんとした説明を始める。1階にはテーブルがあり、食事をした場所か。2階は魯迅の部屋、そして奥さんである許広平の寝室もある。またお茶好きの魯迅が使ったと言う茶碗なども食器棚に入っていた。『魯迅はどんなお茶を飲んでいたの?』などと意地の悪い質問をすると、後ろに控えているベテラン警備員が答えてくれるのが微笑ましかった。

3階は魯迅の息子周海嬰の部屋。日本人画家が描いたと言う子供向きの絵が架かっていた。魯迅の死亡後、太平洋戦争勃発と同時に日本軍の憲兵隊がこの家に押し入り、資料と許広平を連れ去ったと幼い海嬰が内山に電話したのはここからだろう。

因みにこの家も内山が内山書店店員の名義で借り、ラモスアパートから魯迅をここへ移したものらしい。3階の部屋と反対側には物干し用の屋上への出口もあった。魯迅はここから何度か逃げる用意をしただろう。外へ出ると、猫が一匹、大人しくこちらを見ていた。

(3)長春公寓

宝山路に出る。この辺りにも旧租界のムードが出ている。如何にも旧日本家屋と思われる平屋の建物も見える。この辺りの一部は60年以上変化していない。しかし周りは既に開発が進んでおり、高層マンションも見える。

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更に漂陽路に入ると雰囲気が一変。古い洋館が立ち並び、良い雰囲気が漂う。北側の道沿いを歩くと壁にこのあたりの古い建築物、革命に参加した人々などを紹介するプレートが数多くはめ込まれている。気分よく歩いていると、横道に立派な建物が目に入り、思わず曲がる。

長春路、この道の北側は20年代に建造された欧米近代風の長春公寓が建っている。『虹口地名志』(1989年)の‘長春公寓’の項を引用すると、元は北端公寓と呼ばれ、『1921年前後の建築、一度火災に遭い、1928年前後に再建 』とやや曖昧なところがある。現在の建物は従来の4階建てを1936年に2階付け足して6階建てに改装されている。

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また向かいの南側には沙遜楼群がある。先程見掛けたのはこちらの建物。イギリス風の重厚なレンガ建築。非常に良い佇まいで、思わず住んでみたくなる。オランダ風の装飾が施されていると解説されているが、どこであろうか?この地区は2004年に地元と華東師範大学が共同して、景観を保護。『以前のまま保護』する事を原則としている。

(4)横浜橋

四川北路に戻り、少し南下。すると道の西側に門が見えてくる。多倫路文化名人街とある。旧日本租界はこの辺りが中心であった。内山完造、ジャーナリスト松本重治、尾崎秀実、詩人の金子光春などが住んでいた。

現在は1998年にこの辺りが整備され、一大観光スポットとなっている。この日も天気がよく、多くの人が歩いており、小物、骨董などを見ている。雰囲気の良い場所をブラブラ歩くのは良いものだ。

 入り口近くには『公琲珈琲館遺跡』という看板が出ている。今はどう見ても珈琲館ではなく、写真屋か何か?突然コーヒーが飲みたくなる。租界時代にコーヒーを飲むことはステイタス、そんな記述が『懐旧的中国を歩く』にあった。租界が出来てコーヒーがもたらされた当初は上海人の生活とかかわりがなかったが、1920年代から30年代には多くの珈琲館が出来、進歩的な文化人が出入りし、珈琲館に座ること自体がステイタスみたいになったモダンな時代。50年代から60年代には珈琲館は時代にそぐわないものとして姿を消した。

鴻徳堂という屋根が中華風の教会(1928年建造)あり、有名な名人茶館(既に閉鎖された模様)あり、なかなか楽しめる散歩である。道は北上する(様々な商店や毛沢東記念館のようなものがあるらしい)が、私は南へ。目指すは横浜橋。

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横浜路へ出る。ここは昔の日本租界の雰囲気を伝えている。如何にも2階の窓から日本の布団を干しそうな風景がある。お洒落なべランダの付いた2階建てがある。上海市の歴史遺跡に認定されている。

そこから四川北路に戻ろうと行くと、河がある。既にきれいに改修された川辺から眺めると向こうに橋が見える。あれがお目当ての横浜橋。急いで橋の袂に。最近架け替えられてきれいになっている。ちょっと残念。

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更にビックリしたのが、この橋、横浜の地名から取ったと思い込んでいたが、違っていた。『浜』という字は『水路』の意味で、何と『横濱』とは意味が異なるばかりか、発音まで違うのである。『濱(bing)』と『浜(bang)』。確かに翌日市内の南西の方に『肇家浜路』という道があり、タクシーの運転手に『bang』と直されてしまった。とんだ横浜間違い、結構疲れてしまい、タクシーで新装なったガーデンブリッジを経由してホテルに戻ってしまった。

3.紅房子

ホテルから歩いて3分の所に紅房子があった。ここは留学中、珍しかった洋食を食べさせる店であり、留学生仲間とよく行った場所だ。今回その時の仲間、H君夫妻と22年ぶりに食事をしに行った。

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『懐旧的中国を歩く』(樋口裕子著 NHK出版)と言う本を読んでいたら、以下の記述あり。

『紅房子西菜館』は1930年オープン。租界で偶然出会ったオーストリア人とイタリア人の男女がガレージを改造した店舗で乏しい資金で始めた。文革中に他の西洋料理店が次々閉店する中、この店だけは中国人のコックに引き継がれて残った。北京から来た紅衛兵も記念に食事したと言う。

80年代のこの店の印象は薄暗かった。外国人は2階、中国人は1階との区別もあり、値段も違っていた。当時は高級レストランだった。その後一時店を移転し、ビルを建てた。現在の紅房子はビルの6階にある。正直あまりの変わりようにH君は『本当に行きますか?』と聞いたぐらいだ。

メニューも大幅に変わっていた。逆に昔からあるメニューに印が付いていた。きっと我々のように昔を懐かしむためにやって来る人があり、そのための配慮であろう。私の印象ではポテトサラダ(かなりマヨネーズがべったり)、オニオンスープ、ハマグリのガーリック焼き(かなりの油)があった。今回もそのメニューを頼む。味はお洒落になっていた。ハマグリを入れる器(真鍮か?)だけが昔の姿を留めており、懐かしさがこみ上げた。

正直に言うと店内もきれいになり、メニューも洗練され、自社名を入れたワインを置く紅房子にはもう用はない。ウエイトレスに歳を聞くと『1983年』との答えで、H君が初めてここで食事をした年であった。

4.新天地

その後H夫人(フクタン大学本科卒業の中国人で私の家庭教師)が新天地に連れて行ってくれた。ここは2001年に香港資本により開発された上海屈指のお洒落なスポット。元々は1920~30年代に建てられたモダンな雰囲気の「石庫門住宅」 を修復し、旧フランス租界の街並を再現した。「石庫門住宅」とは、洋中折衷様式で盛んに造られた集合住宅。ボロボロとなっていたタウンハウスを改造し、お洒落スポットに転換した所はさすが。

雰囲気は以前訪れた時少し変わっている。常に拡張し、マイナーチェンジをしているそうだ。本日も非常に多くの人が集まってきている。上海に来た地方の人々、外国人観光客、そして地元に住む人々。ここには不況は感じられない。

新天地の端を歩いていくと、倉庫のような所に出た。ここにはスポットは当たっていない。「中共一大会址記念館」とある。1921年7月に共産党の創立大会がここで行われた。毛沢東他13名が出席。歴史はここから始まった。今の新天地の姿を見たら、毛沢東も驚くだろう。因みに翌日ホテルの近くで「中共二大会址」を発見。1922年7月に開催された。きれいに整備された記念館となっていた。老成都北路7号。

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H夫人のお供で、ライブスポットへ。かなりの賑わい。H夫人はサルサを習っていたとかで、その先生たちのサルサを見せたかったようだが、夜10時でも彼らは姿を見せなかった。代わりに彼女の知り合いの高学歴、高収入の人々がサルサに熱中していた。日曜日の夜なのに、明日も仕事がないかのようなパワフルな人々。まるで日本のバブルを思い出す。新しい中国を見る思いがした。

5.錦江飯店

後日錦江飯店に行く機会を得る。ここは最も懐かしい場所。留学中の憧れの場所。広い敷地内の西楼に当時『ジェシカ』という小さな店があった。ここには日本または香港から輸入された商品が並べられており、我々の眼を奪ったもの。値段はカップ麺が600円ぐらいしたと思うので、かなり高級。

錦江飯店の前身、錦江川菜館は一人の女性が1935年に開いたもの。董竹君、上海の貧しい家に生まれ、12歳で妓楼にあがり、15歳で四川の軍関係者に見初められ、四川へ。その後分かれて、上海に戻り、四川暮らしで覚えた料理を出した。これが当たり、杜月笙などのサポートを得て、大きくなる。

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共産党の時代になり、キャセイマンション(和平飯店)を接収した政府に管理運営を委託され、最終的には錦江グループになる。錦江飯店北楼には留学当時四川料理屋があり、一度はあまりの辛さに腹を壊したこともよい思い出。錦江飯店中楼には一度泊まったが、ここは1972年にニクソン、田中角栄が相次いで泊まり、歴史的な外交を展開した。

現在北楼の11階に四川料理はなく(いや、部屋はあるので食事は食べられるか?)、24時間営業の夜上海と言う店が入っている。写真を撮ろうとしたがどうしても上手く撮れない。きっと昔の自分が悲しんで撮らせないのだろう、と諦めて去る。

6.  馬勒飯店 
最終日に少し時間が空いたので、気になっていた城市酒店の向かい側にある馬勒飯店を訪ねる。ちょうど改装中で、建物の外壁には竹の足場が出来ていたが、中は健在。門の所にホテルの従業員が立っており、笑顔で迎えてくれる。『どうぞ中を見学してください』と気持ちよく言われる。非常にリラックスできる。

中に入るとさすがに重厚な印象。向こうから女性服務員がやってきて、何か用かと聞く。見学したいと申し出ると快く部屋を案内してくれた。この辺は北京では味わえない感じ。更に日本人かと聞いてきて、何と少し日本語も話した。

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3階の部屋は僅か9室。スタンダードの部屋でも結構立派である。1936年建造時のままの内装、家具も骨董か。

更に一番よいお部屋にも入る。広いリビング、洒落たバスルーム。如何にもレトロな上海と言う感じ。説明によると現在の上海市長、韓正が共青団時代の執務室にしていたのが、この部屋とか。因みにホテルが開業した2002年以前は様々な使われ方をしていたようだ。

一昨年の陳宇良氏逮捕劇では何とのこのホテルに北京の公安が陣取り、隣の城市酒店を含めて100名以上で任務遂行に当たったとの話もある。まさに歴史的な建物である。2号楼は後から造られたのか、一般的な客室。ここなら何とか泊まれそうな値段である。客層はやはり西洋人中心か。

庭がまたいい。広い前には馬の像が。向こうにはレストランもある。思わず、ここでお茶を飲みながら時間を使おうか、と考えていたら、携帯がなり、私の上海レトロ旅は終わってしまった。

 

明るくなった上海旅2015(6)雨に降られて

夜も6時を過ぎ、次の約束の地へ向かう。ところがタクシーで来たため、ここがどこかよく分からない。この時間ではタクシーも捕まらない。仕方なく、歩いていくとようやく地下鉄の駅が見えた。しかし既に待ち合わせの時間に遅れそうである。ここから中山公園まで乗り、乗り替えて行くようだが、よく見るとここから2駅先で降りて歩く方が早いかもしれない。それに賭けた。結果として、それが正解で、何とか時間通りレストランに着いた。

 

今晩は東京で行っていた寺子屋チャイナの主要メンバー2人が上海転勤になっており、久しぶりに会うことになっていた。こんな会合は喜ばしい。後から新聞社特派員のKさんも参加して、上海情報を交換し、なかなか愉快な飲み会になった。上海の日本人は減っている、とのことだったが、まだまだ沢山の駐在員がおり、新しい人たちがやって来て、活躍している。

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それにしてもこのレストラン、地元の庶民的な店で、味もまずまずだったが、夜9時前には店員たちが賄い飯を食べ始めた。我々は7時半に集合したので、あまり時間のないまま、解散となる。もっと遅くまでやればいいのに、とは思うが、繁華街からちょっと離れた店では、夜半のお客は見込めないのだろうか。いや、飲んだくれにダラダラいられても困るのだろう。

 

Hさんと一緒にホテルの方に戻った。彼は何とホテルの目の前の大きなマンション群に暮らしていたのだ。『日本人は確実に減っている』と彼は言う。日本企業も撤退を進めているが、中途半端な対応で、そのスピードは上がらず、結果として撤退コストが増大している。中には内部の不正が発覚するなど、今や本社の経営を揺るがしかねない会社も増えている。『外から見ると日本は何とも危うく見える』、その言葉が実に重みを増してくる。日本国内の議論の空虚さよ、何とかならないのか。

 

6月2日(火)

浦東で

上海最終日。外は雨が降っていた。今日は浦東へ行ってみる。既に高層ビルが立ち並び、上海を象徴する場所であるが、その中心街へ行くと、煌びやかな香港のショッピングモールそっくりの造りのビルがあり驚く。シティースーパーやペニンシュラーチョコなど、テナントもほぼ同じ、まるで香港をここへ移築したようで、既に香港など敵ではないという上海の自信、が感じられる場所だった。

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ここにあるカフェで旧知のGさんと再会した。彼はいつの間にか上海駐在となっており、前回の香港以来、久しぶりに会った。上海の明るさはズバリ、『習近平政権への支持の高さ』『株式市場の高騰』、『資金が上海に集まる状況』などにあると明確に教えてくれた。勿論中国政府は『日本のバブル崩壊』に関しても詳細な研究を行っており、日本の巷で騒がれる『中国崩壊論』はあり得ない、という。その後の株式市場の暴落?により、上海の明るさに変化はあっただろうか。バブルは崩壊するのだろうか。そんな簡単な話ではなさそうだ。

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午後は時間が空いたので、茶葉市場へ行ってみる。上海には茶城と呼ばれる市場がいくつもあり、よく分からないので、適当に検索して、新しい場所を探す。地下鉄1号線に乗り、延長路駅で降り、大寧国際茶葉市場なるところへ行く。雨の日の午後、お客は全くおらず、お店側のテンションも最低だった。確かこの茶城は2007年に開業し、取引量は上海一、と聞いていたのだが、茶葉の取引自体が低調なのだろうか。あまりに元気がなく、試飲すらせずに立ち去る。

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雨が降る中、向かいの公園が気になった。閘北公園、入り口には急須のモニュメントがある。そして入っていくと陸羽の座像まであった。どういうことだろうか?そして入場無料の公園を奥へと歩いていくと、今度は清朝末期の革命家、宋教仁の墓があった。宋は湖南省出身で、日本にも亡命、北一輝などと交流した。清朝が倒れた後は国民党を立ち上げ、大統領制ではなく、議院内閣制を主張したが、上海駅で暗殺された。臨時大統領の袁世凱に嫌われた結果と言われているが、一部には孫文との対立の結果とも噂された。今は愛国者として位置付けられている。何故ここに墓があるのだろうか。

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そしてホテル付近に戻る。雨が強くなり、外を歩くのは大変なので、喫茶店で時間をつぶすことにした。最初に入った、香港によくあるチェーン店は何とVPNが機能せず、コーヒーを飲んで早々に退散した。次にスタバに入るとかなり混んでいたが、何とか席を確保、VPNも繋がり、検索しながら、この旅を振り返り、旅行記を書く。上海でもスタバだけはVPNが機能すると聞いたが、何故だろうか。システムが違うのだろうか。スタバのカフェラテは1杯、30元。東京よりはるかに高い600円を出してネットを繋ぐ、やはり面倒な上、高い。

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雨に降られながら、スーツケースを2つも持って、空港へ向かう。地下鉄2号線を延々と乗って行くと、途中駅で下ろされ、向かいの電車に乗り替えをする。そのホームはなぜかものすごく混んでいたが、最後の駅まで乗る乗客は海外へ行く人だけ。上海もどんどん郊外に住処が移っていることが分かる。約1時間半、料金は僅か7元で空港に着くと、後はスムーズだった。そして飛行機に乗り、荷物を引き取るための旅、バンコックへ向かったのである。

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明るくなった上海旅2015(5)茶館を巡る

お洒落なお茶屋さん

昼はHさんの奥さん、Wさんと会うことになっていた。彼女は私の上海留学時代の中国語家庭教師。やはり30年の付き合いになる。北京生まれだが、大学は上海で過ごし、普通話は標準的、上海語も広東語も話し、更に日本語も英語もできるのだ。凄い!彼女はHさんの転勤で、香港や上海で暮らすことが多かったが、今般子どもの関係で20年ぶりに東京に住むという。私は先週も東京で彼女に会った。京都でも会った。そしてなぜか同じ日に上海にいた。

 

ホテルの前の道に人だかりができていた。以前中国ではよく人だかりを見たが、最近は少なくなったように思う。覗いて見ると、セクシーなモデルの女性が3人、男性が一人プラカードを持って立っていた。どうやら通信会社の4Gの宣伝のようだ。彼らは特に何もしないのだが、周囲のスタッフがしきりに大声で、『この瞬間を微信にアップしましょう。友達に知らせましょう』と叫んでいる。確かに微信がこれだけ普及すれば、微信による口コミ、が宣伝が莫大な効果をもたらすのかもしれない。

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地下鉄の駅で待ち合わせた。彼女は前日微信で大学時代の友人たちにメッセージを送り、上海で行くべきお茶屋さんを調べていてくれた。その1つがホテルのすぐ近くにあるというので、一緒に出掛けてみた。地下鉄2号線の上、愚園路を歩いていくと、プラタナスの並木があり、ちょっと懐かしい雰囲気になる。道路沿いの古い建物(1925年建造)の下を潜ると、そこには庶民の生活空間があるはずだった。だが今やこの辺も地価が高騰しているから、既に住人は変わっているかもしれない。その奥の方へ進んでいくと、看板もないその店は扉を閉じていた。ベルを鳴らすと店員が開けてくれる。

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何とも言えない癒しの空間がそこにあった。ここは春の日の午後に転寝をするのに適しているように見えた。小さな庭で名物の猫が微睡んでいる。ただ我々はランチを食べていなかったので、一度退散し、近くの日本料理屋で定食を食べて出直すことになった。因みにこの定食屋、30元ぐらいだったが、味は本格的、量も多い。地元のサラリーマンで一杯だった。私が食べたからあげ丼、親子丼の鶏肉が唐揚げになっていたのだが、なかなか美味かった。

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そして再度お茶屋さんに戻る。喫茶去、という名前のこの茶館、上海に2店舗あるという。お茶の種類も豊富で、目移りする。Wさんが『美味しいプーアール茶が飲みたい』というので、目に入った『2002年易武古茶樹』と書かれた生茶を注文。ふくよかな味わいが広がる。よく考えてみればこのお茶、非常に値段が高かったのだが、それだけの価値のある味だった。この茶を何杯も飲み、ダラダラと過ごす。日本人女性Kさんも合流するというので待っていたが、ついに彼女は来なかった。その間約3時間、ここに座って、まったりした。

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お客ははじめ、誰もいなかったが、気が付くとほぼ満員。商談する男性もいたが、比較的若い女性がダラダラお茶を飲んでいる姿が印象的。店内はかなり広く、座席の種類はバラバラ。皆都合の良い、好きな席についている。間隔がかなり空いており、話をするにも、何とも都合がよい。密談している人もいたかもしれない。決して安くないお茶代でありながら、お客が多い理由は、ここにあるのだろう。勿論レトロな雰囲気もあるかもしれないが。

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Wさんが『もう1軒行きましょう』という。茶館のハシゴ?まあ言われるままに付いていく。タクシーに乗り、徐家匯の方へ行った。到着したところは実に立派な高層ビル。こんなところ茶館があるのか。ビルの2階には場違いな空間が存在していた。何だここは、と言いたくなる豪華な雰囲気。中に入ると、お茶を飲む場所は基本的に個室。4人部屋もあれば6人部屋もある。ここは商談などミーティングの場所として使われる茶館だと分かる。最近の上海のトレンドだろうか。部屋は半分ぐらいが使われており、中は見えないが、打ち解けた雰囲気でミーティングが行われているのだろう。我々は2人で6人ぐらいは入れる部屋に案内される。

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スタッフの女性もこまごまとサービスしてくる。最低消費は1人、100元。お茶は美味しいとは言えないが、種類は揃っている。そしてヒマワリの種などの他、お菓子、フルーツなどもふんだんに出てくる。兎に角お客を招待する空間、豪華に飾り、場所代を取り、単価を上げる作戦だ。このスペースの家賃は相当に高いのだろう。そして極めつけは、何と麺が無料で食べられるということ。隣の麵屋から運ばれてきた牛肉麺は大盛りであり、とても茶館で食べる物とは思えない。ここで商談して、お茶を飲んで、麺で腹を満たして、家に帰る、または次に飲みに行く、というコンセプトだろうか。面白いが、ゆっくりお茶を楽しむ雰囲気はなく、私には縁がない場所だろう。上海には様々なタイプの茶館ができており、本当に驚く。

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明るくなった上海旅2015(4)茶城で出会った少数民族

夜は紹興料理へ

夜はまた豫園の近くに戻る。この付近はこれまであまり来たことがなく、ちょっと興味が湧く。駅の付近は大規模な再開発がなされているが、その先には昔懐かしい上海が広がっていた。どうしてここだけ残ったのだろうか。何か利権があるのだろうか。パジャマ姿で歯を磨く女性がいたり、路上でおしゃべりに励むおばあちゃんたち、庶民生活ががそこにはあった。

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そして今晩のレストランは孔乙己酒家。北京にも3店舗あった紹興料理の店の名前なのだが、北京と同系列の店なのか、関係ないのだろうか。北京の店には実に良く通ったことを思い出す。日本人には紹興料理の味がよくあっており、また紹興酒が好きな人も実に多いので、お客が来ると重宝した。この店でもメニューには懐かしい物が並ぶ。店にはなぜか日本人店員まで居て、そして日本人客が数組いた。日本人店員を雇い、日本人の集客を目指すなんて、最近の中国でもあるんだな。さすが上海、他の都市ではなかなか成り立たない。

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今晩は、上海特派員のS先輩と、昔北京で一緒だったMさんと3人で食べた。Sさんはマスコミの超ベテランで、最初に出会ったのは15年前の北京。そして今回長老として上海に戻ってきた。Mさんも15年前の北京で一緒だったので、この2人もどこかですれ違っていたはずだ。Mさんは現在元の会社から出向し、今は畑違いの仕事をしている。既に4年ぐらい上海にいるはずだ。大ベテランのお2人に上海事情を色々と教わる。確かに最近の上海は明るいらしい。ここでも『上海だけは特別。上海は中国とは呼べないかもしれない』などと聞く。S先輩にご馳走になってしまい、申し訳ない。

 

6月1日(月)

天山茶城で出会う

翌朝も朝ごはんで起こされたが、もう食べる気はせず、また寝てしまった。疲れている、ということだろうか。ゆっくり起き上がり、ネットを繋ぐ。VPNが機能しており、特に不便は感じられない。聞く所に寄れば、上海市内でもVPNが機能する場所とそうでない場所があるということだ。何がイライラするかというと、使いたい時に繋がらない、使えると思って使うと繋がらないということ。人間、我儘といえばそれまでだが、何とも面倒な国だ。

 

今日は午前中暇なので、お茶市場へ行こうと思う。このホテルから一番近い市場は昔何度か行った中山西路にある天山茶城だろう。トボトボ歩いていく。高層ビルの裏側には、まだまだ80-90年代に建てられたと思しき、古いアパートが建っている。自分が留学した頃は、建設ラッシュだったのだろうと感慨深い。洗濯物がベランダから大きくはみ出しているのが、懐かしい。

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茶城は午前の早い時間ということもあり、お客は殆どいなかった。そして何と改修工事中。騒音が響き渡る。これではお客も来ない。店側も全くやる気が感じられない。これは出直した方がよさそうだな、と思っていると、見慣れた看板に遭遇した。深圳茶葉世界でいつも行く台湾茶の店、子揚銘茶の支店があったのだ。本当に支店なのか、名前を使っているだけなのかと、恐る恐る入っていくと、若い女性がにこやかに出迎えてくれ、『座って』と言ってお茶を淹れだした。

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自分は深圳の店によく言っていると告げると『私はあなたのことを知っている』というではないか。何と彼女は2年前まで深圳の店にいて、そこから上海に移ってきたのだという。深圳の店には若い女性が何人かいたので、私には分からなかったようだ。申し訳ない。ということで、突然旧知の人に出会い、馴染の店のようにお茶を飲み始める。こんな出会いもありがたい。

 

なぜ彼女は上海に来たのか、と聞くと『中国南部、広東の人などは上海の気候が体に合わない。桃姐(深圳の店の重鎮女性)なども1週間しかいられなかった。湖南省出身の私は耐えられたので』と面白いことを言う。彼女は湖南省と貴州省の境の山中の出身で、トン族という少数民族なのだという。上海にはトン族の人も出稼ぎに来ているが、交流はなく、早く故郷に帰りたいと言う。彼女は広東省に出稼ぎに来て、工場で働き、売店で働いているところを、偶然台湾人オーナーに出会い、お茶屋さんで働くようになった。元々お茶とは無縁。

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だが、まずは黙々と働き、お金を貯めることに専念しているようだ。地方から出てきた女性たちも、普通は上海を誉め、憧れ、ずっと上海に住みたいというらしいが、彼女は明らかに違っていた。自らの故郷について語る時の懐かしそうな遠い目、現代の中国において、少数民族の置かれている立場について、再度考える機会が与えられた。中国は本当に多様だ。

 

茶城を出て、ホテルの方へ戻る。大きな通りには不動産屋さんが並ぶ。見るともなしに物件情報を見てみると、この付近の家は100㎡で500万元程度が相場のようだ。500万元といえば、日本円で1億円。つまり億ションがずらりと並んでいることになる。今や東京で億ションが並ぶ地域は数少ないだろうが、上海中心部は至る所で億ションが繁殖している。その質が1億円に値しているかどうかは全く別として、それが実態であることを認識すべきだろう。日本に旅行に来て爆買いする観光客の資金源が、こんなところにも垣間見られる。

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また銀行の定期預金金利がかなり低下していることも実感できた。1年前なら1年物の定期預金は3-3.5%以上の金利が付いていたが、今は基準が2.5%程度に下がり、景気減速に伴い、さらに低下すると見られている。私が見た広告では、何とか資金を留めようと、1年物3%まで金利を付ける、という金融機関もあるようだった。ちょっと前までは考えられなかった中国の金利自由化も、確実に進んでいるようだ。それにしてもなぜ上海株に資金が流れるのか、不動産はすでに高値頭打ち、金利の低下などから見ても必然の流れのように見える。

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明るくなった上海旅2015(3)微信は中国人の自信を深めた

その後ダラダラと過ごし、少し早めに豫園に行く。今日は上海駐在のHさんとランチをする予定になっていた。地下鉄に乗り、豫園に着くと、既に大勢の観光客が歩いていた。豫園といえば、私が留学した30年前も観光地ではあったが、どこにあるのかも分からないような、整備もされていない場所だった。それが90年代に入ると、きちんと整備され、いつの間にか巨大なショッピングモールができ、買い物客でごった返していた。私の知る昔の上海はここからも既に消え去っていた。それでもイスラム寺院、清真寺があり、古い仏教寺院もあり、裏道に入ると、庶民の生活も覗くことができ、ごく一部にその面影を残している。

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観光客には中国中から来るお上りさん中国人が多いが、欧米人の姿もかなり目立つ。韓国人や台湾人の姿もちらほら見られたが、ほぼ全く見掛けないのが日本人観光客。僅かに出張に来たと思われる日本人男性が、中国人通訳と歩いていたのを見ただけだった。豫園に行くべきとは言わないが、ここでも日本人のプレゼンスの低下、中国への関心のなさを痛感し、危機感を覚えた。

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Hさんが予約してくれたのは、緑波廊。昔から豫園にある老舗の名店。エリザベス女王やクリントン元大統領などが訪れた写真が飾られるなど、政府御用達の大型レストランだったことが分かる。さぞや混んでいるかと思いきや、Hさんの予約のお陰か、スムーズに入店し、角のこじんまりした席に着き、ゆっくりと食事することができた。ランチとの時間とお茶の時間が分かれているせいかもしれない。伝統的な上海料理だったが、料理も思ったよりも美味しく、結構気に入ってしまった。

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レストラン内から、外の写真を撮る。この構図もなかなか良い。レトロな雰囲気を醸し出し、池も上手く組み合わされているように思う。結局今回も豫園そのものには行かなかった。豫園の前から湖心亭を眺めるだけだった。人が多過ぎる、用事がなければさっさと失礼することにした。

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微信は中国人の自信

次の予定は上海在住中国人との再会。彼女はいつもおしゃれなカフェを指定してくるのだが、今回も江蘇路駅近くの店に呼ばれた。ところが、場所が特定できない。指定された住所、ビルの名前まであっているのに、なぜたどり着けないのか。ビルの人に聞くと面倒くさそうに『あっちだ』と指で指すのだが、そこに行っても店はない。何故だろうか。その横の扉に気が付くのに随分と時間が掛かった。その扉を押すと、何と外に出てしまう。あれ?

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そこは裏の駐車場に繋がっていた。周辺をキョロキョロすると、若者がその先に歩いていく。ついていくと、そこにはおシャレなカフェが確かにあった。しかしこんなところにあるなんて、誰も分からないだろうと中へ入ると、2階は満員だった。どうして?隠れ家的カフェ?今の上海、分からない。そして待ち合わせの相手もまだ来ていない。何と彼女も初めてくるとかで、迷っていたらしい。スマホの地図で探してきても、ここは分からないだろう。

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お洒落な若者が集う店、大ぶりのマグカップに入ったコーヒーは美味しかった。店の空間もリラックスできた。コーヒーは1杯40元だから、日本円で800円もしたが、今の上海では高いとは言えないようだ。その支払いをクレジットカードでするのではなく、スマホでしている人がいた。待ち合わせた彼女に聞くと『とにかく今や中国人は微信です。微信をやればタクシーも呼べるし、支払いもそこからできる。あなたも微信をやらないと中国のことは分からないし、中国人と友達になることはできませんよ』と大いに警告された。そこまでホメるのか?

 

私も先日行った福州で、知り合った中国人が誰も名刺もくれず、すぐに微信友達になろうとすること、そうしないと一緒に撮った写真すら送ってもらえないことに少なからずショックを受けていたのだが、GoogleもFBも原則繋がらない今の中国において、微信は必須アイテムになったのであろう。今の中国人の中にはEメールの使い方が分からないという者もいるのだ。もう世間の新しい波には乗らない、と決めていた私。スマホすら持っていないが、それは中国では許されないことを改めて突き付けられた。仕方ない、スマホ、始めるか!

 

ところで一昨年会った彼女は『私もいつまで上海にいるか分からない。今は皆が中国から国外へ逃げ出したいと思っている』と語っており、その後実際イギリスにも行ったのだが、今回聞いてみると『上海なら中国に住んでもよいと思う。ここは今世界一便利な場所。他の都市はダメ、上海だけ。仕事もあるし』と何度も強調する。そこまでこの1年半で上海は変わったのか。確かに東京並の便利さを感じるし、大気汚染も思ったほどではない。これで政治的制約がなければ、と思うのは私だけか。それでも『習近平政権への評価はかなり高い』と彼女は自信をもっていう。日本では中国人の習政権への支持が高い、などという報道は見たことがないのだが。

 

そして『微信はすごい!Lineより優れている。そしてこれを開発したテンセントもすごい。上海以外で評価できる都市はテンセントを生み出した深圳だけ。他の中国はダメね』と微信とテンセントをべた褒めする。実はこんな意見を上海にいる間、何度となく中国人から聞いた。微信が中国人の自信を大いに深めた、必要は発明の母、ということなのだろうか。驚き!

 

明るくなった上海旅2015(2)物価が高い!

中山公園の宿

乗降客は少ないので、かなりスムーズに入国できた。1号楼ターミナルは何とも古びており、寂しい感じがした。今日の宿は地下鉄の中山公園近く。空港から地下鉄で乗り換えなしで行けると勘違いしていたが、1度乗り換える必要があった。空港1号楼駅は、ターミナルからかなり歩かなければならない。乗客で歩いている人は殆どいない。荷物を引き摺り、何とか駅までたどり着く。ところが中山公園へ行くにはルートが2つあり、どちらが良いか分からず、来た方の電車に乗る。するとそこへ、Hさんからメッセージが入り、後はナビしてもらう。

 

今や上海の地下鉄は東京都より走行距離が長く、路線もどんどん増えているので、路線図を見ても、簡単には理解できず、このナビは実に有難い。それでも2号線から4号線への乗り換えにはかなりの時間を要した。地下から地上へ上がるのに、荷物が多いので難儀した。上海も早めにできた地下鉄はあまり乗客に便利にはできていない。何とか中山公園駅に着くと、そこにはHさんが待っていてくれ、予約してくれたホテルまで連れて行ってくれた。

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Hさんとは29年前、上海の留学で一緒になってからの長い付き合い。奥さんとは先日京都と東京で会ったばかり。最近彼は香港に駐在していたこともあり、懐かしの上海で再会するのは10年ぶりか。彼の上海生活は合計で何年になったのだろうか。長い間彼が日本で働いているのを見たことがない。いや、もう日本で働くのは疲れるのだろう。中華圏で過ごしてしまうと、東京は息苦しい。

 

宿は本当に駅の前、高層ビルのいくつかのフロアーを使っていた。元々は長期滞在者用であろうか、それともアパートとして建てられたのだろうか?大きな冷蔵庫やキッチンが付いており、広々としていた。これで380元/泊は以前なら安い、と感じるだろうが、何しろ1元=20円の時代、何を見ても高く感じてしまうのは、仕方がないところ。29階から見る景色は良いが、目の前では未だに開発が行われ、上海は止まってはない、ということが実感できた。モノレールのように高架を走る地下鉄の音も少し気になったが、学生時代、都電の線路脇で4年を過ごした私にはどうでもよい音だった。

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いきなり浦東へ

蘇州に駐在する大学の同級生S君と連絡したところ、たまたま今日は上海にいるというので、会いに行くことにした。指定された場所は聞いたこともない地下鉄の駅。塘橋駅というその駅は、4号線にひたすら乗り30分、何と浦東側にあった。地上に出ると、駅前には外資系の5つ星ホテルはあるし、ショッピングモールまであった。その後ろは高層の住宅街、上海は今や、中心部ならどこでも、このような光景を目にすることができる。この辺も家賃は高そうだ。

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S君に連れて行かれたのは、日本人が多く住むアパート。日本食品が沢山置かれているスーパーが併設されており、すれ違う住人も日本人ばかり。未だにこんな場所があるのか、と何となく懐かしくなる風景だった。そして地下には日本食レストランがあり、そこでS君たちは、合唱団の練習打ち上げを行っており、そこへ飛び入り参加した。学生時代から合唱をしていた彼は、今でも同好の士と共に、合唱を続けている。

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焼き魚やお好み焼きなど、食べ物は全く日本と変わらず、そばは特に美味かった。地下鉄が発達し、日本食が自由に食べられる都市、上海は今や日本と変わらないな、つくづく思う。ただ駐在員生活は、元高もあり、仕事のやり難さもあり、以前より厳しくなっているようだ。経費の関係は、住環境の問題で、家族を日本に返し、単身赴任している人も多いと聞く。

 

帰りはタクシーであっという間に中山公園に帰りつく。上海ではタクシーも捕まえにくいと聞いていたが、土曜日の夜、雨も降っていなければ、そう難しくはないようだった。道路も空いていた。ただタクシー代はどんどん高くなっており、物価全体は完全に東京より高い、と強く感じられる。

 

中山公園では先ほどのHさんが待っていてくれたので、近くのホテルでコーヒーを飲んだ。彼は開口一番『上海の景気はいいですよ、でも上海だけですよ。他の中国はかなり悪いです』という。私もわずか数時間しかいない上海ながら、なぜか『明るさ』を強く感じていた。何か『上海だけは特別だ』という言葉を突き付けられているように思われる。それは一体どこから来ているのだろうか。一昨年10月に来た時とは雰囲気がまるで違う。習近平政権の政策は、『新常態』だが、上海は確かに新しい常態に入ったようにも見える。その訳が知りたい。

 

5月31日(日)

豫園で

翌朝は7時に叩き起こされた。このホテルには朝食が付いているのだが、何と部屋に運ばれてくる。それが朝の7時に配られたのだ。決して贅沢な旅をしているわけではない私だが、正直この食事を食べるのはちょっと嫌だ、と思ってしまう代物だった。茹で卵は剥き難く、マントウは冷えて固かった。以前は下の階にある上島珈琲で食べていたそうだが、経費削減の結果だろうか。食事が付いているだけマシ、とはとても思えない。上海の食、という点では、安全面と共に課題が残っている。

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明るくなった上海旅2015(1)東方航空は長蛇の列

《明るくなった上海旅2015》  2015年5月30日‐6月2日

 

東京からバンコックへ帰る途中、上海へ寄ることにした。2013年の10月に行って以来、1年半以上訪れていなかった上海。既に上海は東京並、特に目新しいこともないだろうと思い、敢えて行かなかったのだが、何か変化があるだろうか。知り合いが何人も新たに上海駐在になったことも、行ってみようと思った要因である。因みにチケットは行きがバンコック⇒上海⇒那覇で、帰りは東京⇒上海⇒バンコックになっている。羽田⇒虹橋は何とも便利で有難い。

 

5月30日(土)

上海まで

今日は土曜日、午後発の羽田便なので電車も空いており、かなりリラックスして出掛ける。朝の成田便だと電車の遅れなどが気になるのだが、その心配がないと気が楽だ。だがいつも通り電車に乗り、2時間少し前に羽田空港に到着すると、様子が一変している。他の航空会社のカウンターはガラガラなのに、長蛇の列をなしているところがある。それが私の乗る、中国東方航空だと分かり愕然としたが、後の祭り。仕方なく列の最後尾に並び、粛々と順番を待つほかない。

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まあこれはちょうどいい機会だと割り切り、列をなしている中国人の動向や荷物をチェックすることにした。確かに話題の便座や炊飯器を購入している人が何人かいた。また何が入っているかは分からない大きな段ボール箱やスーツケースを持ち込んでいる人もいる。勿論高級デパートやラオックスの買い物袋を持つ人は多い。乗客は比較的若い世代が目に着く。そして異様なほど静かに列は進んでいく。勿論割り込みなどなく、大声を出している人もいない。携帯で話している人はなく、スマホに目をやっている人だけ。行列には慣れているのかもしれないが、文句を言う人は一人も見掛けない。日本人乗客は数えるほどしかいないのはとても残念だが、これが今の日中の現状であろう。日本人が中国へ行かなくなって久しいが、それは『日本人が中国が分からなくなる』ということを意味していおり、危険な兆候だ。

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45分後にチェックインカウンターに辿り着いた。係員は日本人で、処理スピードは決して遅くない。ではなぜこれだけの列ができてしまうのだろうか。恐らくは乗客のチェックインが一時期に集中しており、また荷物が多過ぎるのでその処理に手間取る、ということだろう。ギリギリに来てチェックインする客は少なく、出国審査後の免税店での買い物戦線への突入に備えていることが覗われる。しかしチェックインは2時間半前からしかできない。これを3時間前からにするとかなり待ち時間は緩和されると思うのだが、航空会社の人繰り、経費の問題であろうか。しかもフライトは2時間の間に二本有るので、余計に混みあう。

 

昼ご飯を食べていなかったので、コンビニでおにぎりを買う。ついでにコカコーラから発売された国産烏龍茶のペットボトル、『つむぎ』も購入してみる。ある程度予想はついていたが、まあ、おにぎりを流し込むにはちょうど良い飲料かもしれない。尚上の階には伊藤園のおしゃれな日本茶カフェが出来ていたが、料金が高いのか、暇がないのか、お客はあまりいなかった。

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イミグレを通過すると、まさに爆買いする中国人が何人かいた。中国人の特徴の一つは『税金を払わない』ことに異常なまでに執念を燃やすことだと常々思っているが、これもその一環だろう。それに釣られて、タイ人などもお菓子などをしこたま買い込んでいく。これを機内持ち込みするのか、と思うほどに買い、搭乗ゲートに向かう。後日日本のニュースで『機内持ち込み荷物が制限を越え、預け直しが続出、フライトが遅れる事態が多発している』とあったが、それはそうだろう。ただこの行動は中国人だけが悪いのではない。売上を増やしたい免税店側も、制限を越えていると分かっていても、制止できなかったはずだから。

 

機内は満席であり、家族連れ、出張者、友達同士、8割以上は中国人だった。皆日本での活動で疲れ果て、離陸するとすぐに寝込んでいる。そして機内食になるとパッと起きて、食べ終わるとまた寝てしまう。如何にも中国人らしい行動パターンだ。因みに機内食は魚と野菜の煮物、巻き寿司と卵焼き、そば、そしてどら焼きがデザートで出てきた。意外と豪華で驚く。以前の東方航空といえば、機内食がまずい、ことで有名だったが、少しずつ改善が進んでいる様子が伺われる。特にこの日本線に関しては、何故か昔からかなり力を入れている。

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出発は少し遅れたが、ほぼ定刻に虹橋空港に着いた。基本的に多少の遅れは当たり前、と言われた中国系航空会社としては優秀な成績だった。虹橋空港は1号楼と2号楼があるが、東方航空は1号楼を使っていた。こちらは20年以上前のターミナルで何とも古いが、何となく懐かしい感じがする。1996年に虹橋に降りた記憶が蘇る。1986-87年に上海に留学して以降、9年ほど行っていない内に、上海は劇的に変化していた。何もなかった浦東に高層ビルが建ち、虹橋空港も新しくなり、街の様子も10年で完全に変わっていた。車でどこを走っているのか全く分からなかった、という印象が強い。

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北京寄り道散歩(5)銀行口座は解約できず

その後はケリーセンターへ行き、久しぶりにKさんに会う。Kさんは台湾茶芸の専門家であり、台湾で習ったその茶芸の優美さでは日本人でも指折りだった。が、今回会ってみると、『ワインに嵌った』とかで、ワインエキスパートなる資格を取ったそうだ。『お茶はもうやっていない』という。寂しいがこれも現実。将来はワインソムリエだろうか。こだわりの強い、とことんやり抜くKさんの気性からして『極めるだろうな』と思う。そのKさんも『来年子供が海外の大学へ行けば、自分も北京を離れるだろう』という。そう、どうしてもいる必要のある人だけが残る街、北京になるのだろう。

 

一度ホテルに戻り、荷物を置いてまたまた東直門へ向かう。今日は先日北海でお世話になったZさん主催の集まり。ところが前日になりZさんより『体調不良につき、明日は欠席』との連絡が入る。残念。まあ、残りのメンバーで楽しくやるか。東興楼、老舗っぽいがきれいな店舗だった。

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Zさんの代わりに会をし切るのは、先日福岡のお茶会にサプライズで参加してくれた丁未堂さん、版画家。私の茶旅ロゴを消しゴム判子で作ってくれた人でもある。Zさんが福岡移住を目論んでいる関係で九州関係者が集まった。そして何と欠席のはずのZさんがマスクをしてやってきた。『今日はあまりしゃべれない』とのことだったが、始まってしまえば、どんどんしゃべる。博多の美味い飯の話で盛り上がる。この店の料理も美味しかった。

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10月21日(火)

銀行で

北京最後の日、夜にはバンコックに帰れるので、敢えてネットにはこだわらず。荷物を纏めてチェックアウトして、大きな荷物はホテルに預けて、口座を保有する銀行に向かう。銀行は以前息子が通っていた大学近くにある。彼の学資をこの口座に入れて、キャッシュカードを渡し、彼が必要に応じて使ってのだが。彼は帰国前に何とそのカードをATMに吸い込まれてしまったらしい。慌てて銀行に泣きつくも、『名義人本人以外再発行できない』と冷たく言われ、そのまま口座を放置して帰国していた。

 

まあ、時間もあることだし、ちょっと寄ってみようという感じで銀行を探し当てた。地下鉄10号線から4号線に乗り換えたのでかなりの時間が掛かった。懐かしい場所に戻った感じだ。銀行に入りフロアーの人に事情を説明すると『再発行には1週間かかる』というので『口座を解約したい』というと、それもカードを貰ってからしかできないという。ここで引き下がる訳にはいかないので、自分が外国人で、すでに北京には住んでいない事情を切々と伝えると責任者の女性が出てきて、今晩のチケットを確認の上、『対応する』との返事をしてくれた。以前に比べて実に柔軟性のある対応だった。

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パスポートを出して、手続きを待っていると、彼女が『パスポート番号が違う』という。確かにこの口座は4年前に作ったもので、2年前にパスポートを切り替えているのでその旨伝えたが、『古いパスポートを持参しない限り手続できない』という。既に彼女とはかなり仲良くなっていたので、笑いながら『どうしてもできないか』と聞くと、『大使館で古いパスポートの人物があなただと証明できる書類を作ってもらえば対応可能』とまで折れてきた。だが今から大使館に行き、戻る時間はさすがにない。万事休す。

 

せめて残高だけでも知りたいというと、特別に処置してくれ、息子の記憶通りの残高を確認した。この額が非常に微妙で、『もう一度ここまで来て、また同じやり取りをしてまで取りたい額か』というと迷う水準である。まあ、まずは東京の家に古いパスポートが残っているかどうかを確認するのが先か。

 

お引き合わせ

それから地下鉄4号線に乗り、動物園駅で降りる。実は先日会ったTさんは中国の古い映画が好き、ということで、映画に詳しいWさんを紹介したところ、すぐに連絡を取り合い、今日の昼に会うことになったという。一方私は昔一緒に働いていたS君と元々ランチの約束をしており、この出会いには立ち会えないと思っていたが、彼がヨーロッパ出張から戻り切れず、キャンセルとなったことから、急遽ランチに参加することになった。

 

Wさんが勤める出版社まで歩いて行く。何だかこの辺りは昔の雰囲気を残しているが、それも徐々に再開発されてしまうのだろうか。Wさんと会うのは久しぶり。最近は色々と忙しいらしい。TさんもWさんの映画の知識には驚いていた。私から見ればTさんも相当に映画を見ているように思える。マニアである2人の会話にはほぼついていけない。何しろ私は映画を見ない人なのだから。食事はWさんの勤務先の食堂、そして食後のコーヒーも社内のサロン。こんな体験も面白い。

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帰りはTさんの車に便乗し、途中から地下鉄でホテルに戻る。ホテル前で大きな荷物を持ってタクシーを待ったが、なかなか来ない。先日の渋滞を想定して、早めに出たのだが、タクシーが見付かるとすぐに空港に着いてしまった。まあ、もう私の心はバンコックに飛んでいた。ああ、あの愛すべき私の北京はどこへ行ったんだ?次に来ることはあるのだろうか?心残りは銀行口座の解約だけ、というのが何とも悲しい。いや、まだ沢山の友人たちがここにいる。また来よう。

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北京寄り道散歩(4)朝7時にスタバに出勤したが

10月20日(月)

朝からスタバへ行くも

翌朝はWiFiが繋がり、VPNも機能する、昨日のスタバに朝7時に出勤した。というのはここのスタバが朝7時開店だったので、開店を待って入店したのだ。こんな体験は初めてだが、意外や既に数人がコーヒーを飲んでいた。土地柄、白人もいるし、中国人のサラリーマンもいた。

 

珈琲を買い、パンを買って席に着く。ネットは順調に立ち上がり、何の問題もなかったが、何とVPNは機能しなかった。『え、それじゃ話が違うじゃん、何のために早起きしてスタバに来たと思ってんだ』などとほざいてみても、何ら解決にはならなかった。1時間以上待って再度トライしたが無駄だった。今日は頑として受け付けない。昨日は週末で大使館に出勤する人がいなかったから?いや、大使館なら独自のサーバーでやっているはずだから、関係ないか。じゃあ何なんだ。

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完全に使えないと分かっていれば、諦めもつくが、こういう中途半端さには本当にイライラが募る。北京に住んでいたら、気が狂いそうになるのではないだろうか。周囲の人間は誰も叫び声をあげる訳でもなく、淡々とスマホに向き合っているが、これは微信か微博をやっているのだろう。中国人は完全に海外との接触を止め、中国国内でのコントロールに従っているように見える。確かにこれならストレスもない。

 

中国人と連絡を取る時もEメールなど出しても返事は来ない。『微信やってないと、連絡できない』などと言われてしまう。この統制感、半端ない。辛うじて携帯の短信が出来るので、何とか繋がることができるが、日本の携帯だとそれも出来ない?因みに今日会う予定の人と最終的な連絡ができていなかった。きっと向こうはメールを入れていると思うが、見ることが出来ない。その人の携帯番号も知らなかった。どうしようか?共通の友人を思い浮かべて朝から電話して、電話番号を聞き出し、事なきを得た。本当に困ったことだ、油断大敵。

 

諦めて帰ろうとすると、向こうから知った顔を歩いてきた。何と土曜日のセミナーで司会をしてくれたKさんだった。何という奇遇、ここで会うとは。ちょうど近くに用事のあった彼は、偶々時間潰しにここにやって来たらしい。事情を話すと『私のPCでやってみましょう、いつもはできるので』というので、もう一度店に入る。だが、ダメだった。Kさんは何度も首を捻り、トライしたが、VPNは機能せず、Googleは遥か彼方の遠い存在になっていた。『本当にイライラするし、研究上で必要な検索を掛けても、繋がらないことが多い。本来中国関係の研究をするなら北京がよいはずだが、行き先を真剣に考えなければいけない』とため息をつく。北京は本当に住み難い街になった。

 

それから知り合いの弁護士さんに会いに行く。途中に別のスタバがあったので、事情を話してコーヒーを買わずにネットを使わせてもらった。だがここではネットの接続自体が難しかった。『信号、不好』と言われたが、これではどうにもならない。

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弁護士事務所へ行き、秘書にそのことを話すと『うちのネットで繋いでみて』と言われたので、パスワードを入れると、何と高速で繋がり、VPNも機能した。これで今日の約束の場所を確認した。何で場所によってこんなに違うんだろうか?弁護士さんの中国法務最新事情もとても興味深かったが、できればここでずっとネットをやっていたい衝動にかられた。

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ランチは2倍に

昼は古巣の長富宮へ行く。お知り合いのSさんに会いに行ったのだが、ここではVPNは機能しないそうだ。如何にも古めかしいビルらしい。そしていつものように2階のさくらで食事をする。駐在中は本当によく通ったものだが、その時と比べると、質的にはむしろ落ちているのに、定食が20元ほど値上がりしている。更には為替の影響もあり、以前は日本円1000円程度で食べていたのが、今や2000円のランチになっている。これが今の日中の実態をよく表している。今ではSさんにご馳走にならないと食べられないほど高く感じる。

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そのせいか、以前は日本人駐在員がランチを食べている姿が目に付いたが、今ではほとんど見かけない。中国人のお客さんが、昼から刺身の船盛を食べ、日本酒を飲んでいたりする。子供連れでも豪勢な食事を取っている。本当に日本人の位置づけが変わっていると感じる。このビルに入居しているのは殆どが日本の会社なのだが、駐在している人が日本人から中国人に変わっている面もあるようだ。今回も昔から顔見知りの日系証券の所長と私の後任の所長が食事をしているのに出くわしたが、2人とも元々日本人ではない。そういえば私の相手のSさんも中国人だ。世の中はどんどん変わっていく。

北京寄り道散歩(3)表現できない違和感

スタバで李さんと

昼は過ぎていたが、何だか中途半端だった。今日の午後は休みのはずだったが、昨日のセミナーで東京から偶々里帰りしていた李さんと出会う。東京のある会で2度程会ったことがあり、私のお茶会にも来てくれたことがあるが最近はご無沙汰だったため、昨日突然目の前に現れた人が一瞬誰だか、分からなかった。その李さんから、『会いましょう』との誘いがあり、会うことになった。このようなご縁も面白い。

 

待ち合わせ場所を思い付かなかったので、ケンピンスキーホテルとした。少し早いが外へ出て軽くご飯でも食べようと思った。ちょっと歩くとスタバが見えたので、取り敢えず入ってみる。カフェラテを注文して席に着き、PCを立ち上げる。スタバはフリーWiFiだから良い。しかし驚いたことに、VPNが機能した。忽ちGoogleもFacebookも目に前に現れた。これは嬉しかった。明日の待ち合わせ場所や約束、メールの返信が自由に出来た。初めて北京で自由を謳歌した。この機会を逃してはいけない、李さんに連絡して、待ち合わせ場所を変更した。そしてサンドイッチを追加して、席でPCに熱中した。

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李さんとも色々な話をした。北京出身者の李さんでも、最近の北京にはかなり違和感があるようだ。ご家族の関係もあり、中国に戻るという選択肢はないようだ。しかし日本は本当に良い国だろうか。『日本はこれまでとても良い国であり、それが維持できれば今後もよい国だろう』というのが、結論ではなかったか。

 

また中国については『これ以上膨張することは難しい国。だから人々は海外へ逃げていく。これも古来からの慣わし。ただいつの時代にも逃げ出せない人々がいる。為政者と奴隷、これが中国の歴史的な基軸だ』とも。

 

日本で中国語を習い人がどんどん減っている。中国に旅行に来る人も最近ほとんど聞かない。ある意味で日本人は単純なのかもしれない。もっと強かに生きていかなければ、今後の東アジア情勢、アジア情勢、世界情勢に飲み込まれてしまうかもしれない。日本という国と日本人は一体ではない、と思うのだが、違うのだろうか。

 

旅好きの会

李さんと3時間も話してしまった。お土産にザボンをくれた。このザボン、冬の北京では毎日食べていた大好物。ホテルに持ち帰って剥いてみると、本当に良い香りがして、甘かった。そういえばバンコックでも常にザボンを売っている。北京とバンコック、共通点あるのだろうか。

 

そしてまた外へ出た。既に街は暗くなっている。バスに乗り東直門へ向かう。この区間をバスで走ったことはなかったが、仕事で通ったビル、マッサージに通ったビル、何度もレストラン、誰かが住んでいたマンション、と懐かしい風景が次々に出てきた。そして東直門のもの凄い人ごみ。北京はそれほど変わっていないのかもしれない。変わったのは私の心に方か?

 

指定されたレストランは、私が帰任後に出来たシンガポール系の立派なビルの中。店内もきれいでレストランもきれいだった。ここで北京料理を食べる。私は好きな物を一品だけ注文し、後は皆さんに任せた。

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今日は昔開催した旅好きの会の大姉御Yさんを中心にした会。ライターのTさん、写真家のSさん、料理大好きKさんなど、気が付けば完全な女子会に一人ポツンと座っていた。まあ、お茶会などでも参加者の殆どが女性、ということはよくあるので気にはならない。しかも皆さん、気心が知れているので、楽しく過ごした。

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旅行会社を経営しているYさん、『2年前から日本人観光客は殆ど来ない。日本人を当てにした商売などとっくにできていない。既に中国人の海外旅行に絞って、しかも団体ではなく、個人旅行の手配をしている』と。行先は日本ばかりではなく、タイでもバリでもどこでも付いていく、そうだ。今年は中国人の海外旅行者数が1億人を越える(但し香港だけで2000万人以上で、大半はアジアだが)。日本への受け入ればかりが話題となるが、中国から全世界への手配、これは大きな市場だな。

 

日本人の若者が海外へ行かない、と言われて久しいが、私がアジアを歩いていると多くの若者と出会う。勿論バブル期などとは比べ物にならないだろうが、海外へ行きたい、行ってみたいという人は必ずいる。ただ昔は中国を目指す若者が多くいたが、今は少なくなり、東南アジアが増えているということかもしれない。

 

帰り際にある人が『そろそろ潮時かもしれない。ずっと北京に住むと思い込んでいたが、限界が来るような気がする。ただ急に日本へ帰っても適応できるか心配だ』と言ったのが印象に残る。中国では言葉にいい表せない何かが確実に存在し、我々の居心地を悪くしている。これからも中国から引き揚げる日本人が増えるのは避けられない。