「中国」カテゴリーアーカイブ

北京半日散歩2024(3)老地方の変化

既に朝ご飯を2回食べ、煎餅も食べており、昼ごはんは想像できない。どこへ行こうかと話していると、「白塔寺へ行こう」となり、車を呼んで向かう。何とも懐かしい場所だが、何かあるのだろうか。その入り口まで来ると、入場料が必要だという。というか、まずは微信で登録を行い、それから微信支付で料金を払うのだが、私には複雑すぎて出来ず、Kさんに任せたが、最後の決済がどうしてもできない。係員も困っていた。後から来た女性は「現金でもいい?」と聞いていたが、どうなんだろうか。

何とか中へ入れて貰い、見学する。15年位前、北京歴史散歩で来て以来だとは思うが、この白い塔には覚えがある。元代にネパールから来た建築家が建てたらしい。お天気が良いので観光客は多いが、外国人はほぼ見ない。お寺の横には白塔寺薬店があり、老舗薬局として漢方薬などを売っている。ここは薬師如来のお寺なのか。薬にご利益はあるのだろうか。

その薬店の建物の屋上がカフェになっており、白塔を見ながらコーヒーを飲むというコンセプトになっていた。所謂インスタ映えを狙っており、それに合わせて白塔を模したケーキなどが売られている。白塔の周囲には、屋上をカフェにして客を集めているところが何軒もあり、北京の新しいスポットになっているという。まあ日差しが出ていて風が無ければ、ここで休息するのも良いか。因みにカフェの物価は東京より北京の方が高いかな、というイメージだ。

恐ろしいことに、そんなことをしているとまた腹が減る。沢山は食べられないので麺でも食べようとなり、また車を呼んで懐かしいジャージャー麺の老舗に行く。午後1時過ぎでもお客は多かったが、辛うじて席を確保して、久しぶりのジャージャー麺と腰花を食べる。チェンマイでは食べられない、この濃い味が何とも嬉しい。

さすがに空港に戻る時間となり、また車を呼ぶ。北京も便利になったものだ。かなり西側から北京空港まで、車で1時間もかからない。懐かしい北京の街の一部を眺めながらウトウトしていると、途中でKさんが降りていき、空港まで戻って来た。既に東京行きのチケットは持っているので、出国審査に直接進んでいく。以前と比べて空港内の人が少なく感じられるのは、偶々だろうか。それとも経済低迷で出国者が減っているからだろうか。

出国審査もあまり待たずに終了する。空港内は何となく寒々としている。ここで初めて昨年香港で買った、LINEやFB使用可能なシムカードをスマホに入れてみたが、何故か起動しなかった。まあ半日滞在なので問題はなし。ここはゆっくり休んで、後は東京に戻って作業しよう。機内はかなりの乗客が乗っていたが、夜の到着便だから、観光客というより日本在住者、そして少しだが日本人が乗っている。

ビザ免除復活で入りやすくなった中国だが、はたしてこれからどれだけの日本人が訪れるのだろうか。色々と懸案の多い日中関係、まずは相手の国に行き、その実情を見た上で判断したいところだが、中国に入国するのはビジネスマンばかりか。決してマスコミが流す中国情報に惑わされないのが良いと思うのだが、日本人の中国固定イメージは意外と強固だ。そんなことを考えていると、フッと羽田空港に降り立ち、今回の旅は終了した。

北京半日散歩2024(2)北京で朝飯をはしごする

12月8日(日)北京散歩

北京の朝の気温は零下5度となっており、前回(零下8度)より寒さを感じない。車窓から見える北京は薄暗くて寒々としているが、空気はキレイですっきり感がある。待ち合わせは前門近くの胡同にある食堂。車は渋滞のない道をスイスイと走っていき、どこまで行くのか分からない。因みに服装は前回チェンマイのユニクロで買ったウルトラライトダウンとトレーナーという格好だが、何とかなりそうだ。

何だかとても久しぶりに湯気が立ち上る胡同へやってきた。夜明け直前の胡同にしばし見とれる。「尹三豆汁」と書かれた店で待ち合わせ。朝から観光客が豆汁を食べ、地元民はテイクアウトしている。しかし驚いたのが、その地元のおじちゃん、おばちゃんが、手に人民元を握りしめていたことだった。何でもQR決済の中国で現金とは。これもまた機内ビデオの案内通りか。若者は当然QRだけど、この寒いのに現金を握って嬉しそうに注文する人が奇異に映る。

豆汁と焦圏、更に面茶まで注文してしまう。これぞ北京の朝ごはんだろうか。だが私は北京に住んでいた頃、こんな朝飯を食べた記憶はほぼない。豆汁の酸っぱさやB級感はちょっと相容れなさを感じてしまっていた。だが今日食べてみると、酸味もそれほど感じない。寒いからかスルスルと入ってしまう。店内は温かいし、気分も良い。

さあ、どうしようかと思っていると同行してくれたKさんとIさんは「朝ご飯のはしごです」ときっぱり。そしてすぐ近くの野菜市場に入る。昔に比べると実にきれいになっている。何となく野菜もきれい。ただそこで売っている人たちはそれほど変わっていないように見えた。お客と談笑しながら、野菜を勧めている。Iさんがツッコんでも軽く受け流していく。

端の方に煎餅屋があり、並んで買う。前の人も現金で支払っている。店側もちゃんとお釣りを渡している。明かに北京の支払い事情は変化している。よく見ると野菜売りもQRコードを置いているが、現金を使っている老人も多い。まあ勿論若者はQR決済だが、老人は現金が使いたかったのだろうか。久しぶりの煎餅を立ち食い、美味かった。

朝ご飯のはしごに出掛ける。すぐ近くの店だったが、何とかなりの行列で断念(なんせ零下の世界で並ぶのはキツイ)。その横の店に入り、豆漿と油条を頼んで食べる。この店、昼以降は別の店として使われており、朝だけの営業のようだ。賃料が高い北京ではこういう店も多いのだろう。

腹がくちてしまったので散歩する。チェンマイで買った帽子はさすが薄くて、頭がスースーしたが、Iさんから温かいものを貰い被ると幸せな気分。風もなくそれほど寒さは感じない。少し行くと、ちょっと面白そうな場所に着いた。何だか芸術村の一角、という感じで、壁に絵などが描かれている。美術館と書かれた建物の中に入ると、子供たちが何やら見学している。現代アートの展示室という感じか。アニメ好きの子供たちが歓声を上げている。

我々は横のカフェでまったり。やはり寒さの中を歩いていると、温かい場所は有難い。カフェのメニューに「KYOTO LATTE」という飲み物があった。何で京都、と思っていたら、Iさんが「京都と関連があるらしい」という。まあ抹茶でも入っているのだろうが、中国の若者にも京都の認知度は高いのだろう。Iさんは用事がるというのでここでお別れし、Kさんと話を続けた。

北京半日散歩2024(1)チェンマイからビザ免除の北京へ

《北京半日旅2024》  2024年12月8日

長かったチェンマイ暮らしに終止符を打ち、冬の東京へ帰ることになった。だが昨年同様チェンマイから安いフライトで帰ろうとすると、荷物代込みでは、どうしてもエアチャイナという選択になる。そして北京経由なので、北京に寄りたい気持ちになる。実は昨年は3泊した。そして1月の折り返しでも3泊した。

もういいんじゃないか、と上海や広州経由を検討したが、やはり北京経由が一番良いのだ。一応今回は僅か半日程度の滞在に留めた。何といっても北京は零下の気温であり、前回は3泊して東京に帰り、大風邪で数日倒れてしまったので、反省していた。しかし何より、1週間前より日本人はノービザ30日になっており、ビザの面倒がないのは何とも有難い。

12月7日(土)チェンマイから北京へ

チェンマイ空港は小さい。出国審査は簡単だが、それから先はすることが無く、北京対応の服に着替えて、ひたすら搭乗を待つばかりだ。今回はわずか半日なのでSIMカードすら買わない。ほぼ定刻に搭乗が始まったが、やはり乗客は多くはない。中に日本人夫妻が東京に行くために乗り込んでいたが、大半は中国人だった。

前回はあっと言う間に寝落ちたが、今回は眠りが浅かった。食事は勿論断った。周囲も静かだったが、なぜだろうか。やはり今晩のスマホ騒動が尾を引いているのだろうか。着陸1時間前には電気がついて明るくなる。時差が1時間ある。ほとんど眠れなかったようだ。ビデオで入国案内が始まったが、何とその中に「中国では多様な支払い手段が使えます」というのを見て思わず目を疑った。現金でもクレジットカードでもOKだというのだが、実態とかけ離れていないだろうか。

ほぼ予定通り、午前4時には北京に着いた。寒々とした空港内を歩いて行くと入国審査がある。前回まではその前に臨時入境ビザを得る必要があり、それが面倒だったが、今回はそのまま入国審査ゲートへ行けるのでかなり楽だった。しかも乗客は多くなく、すぐに入国できてしまう。

荷物はバッゲージスルーなので、ピックアップ不要。あまりにスムーズなので、まだ街中へ行く電車も動いていない。休む場所もないので、その辺をフラフラするしかない。荷物受取場を通り抜けるとそこに両替所があった。サラっと通り過ぎたが、よく考えてみれば以前はあっただろうか。出口階には両替所はない、と1年前に確認していたのだが、これは現金流通の兆しだろうか。

午前5時でも開いているカフェはあった。そこには充電設備がある。今の中国で最も重要なのは充電ではないか。何しろスマホがあっても充電が無ければ、何もできない。街中行きの電車の始発は何と6時半頃だと分かる。これだとさすがに約束の時間に間に合わない。仕方なく、空港内の配車待合場へ行ってみた。途中に日本製(いや中国製)のフィギャーを売るガチャを見付ける。

以前は配車を呼んでも、広い北京空港では見付けられない、と聞いていたが、今やかなりシステマチックになっている。そして当然ながら充電器も沢山あるので充電を始めた。それから車を呼んでみたら、すぐにやってきた。基本的に中国シムがあれば、スムーズに事が運んでいくのは有難い。

北京・天津旅2024(4)魚祭りの夜

今日は房山線という初めて乗る路線へ向かう。何度か乗り換えが必要であり、また最後の房山線は運転間隔が空いていて、約束の時間に遅れてしまった。それにしても、北京の交通網の発達はすさまじく、またそれに合わせて発展する郊外もかなり伸びているようだ。駅を3つほど行くと、全く知らない駅で降りる。そこにも街が形成されている。

久しぶりに会うCさんは、以前は中関村にいたが、コロナ中にこの付近に引っ越していた。その昔は本当に何もない所だったというが、今やマンションが立ち並び、それに合わせてきれいなレストランも並んでいた。その一軒でランチをご馳走になったが、この料理もまた広東系で美味かった。やはり皆さん、歳をとると健康への関心度が高まり、北京の料理ではなくなるのだろうか。中国経済や日中関係の話しをしたが、あまり明るい話題にはならず、ちょっと盛り上がりに欠けてしまうのは、残念でならない。

疲れたので一度宿に帰り、休息する。テレビを点けるとテニスのオーストラリアンオープンがライブで中継されている。3回戦で中国女子選手同士が試合をしている。今やテニスも日本より中国だろうか。それから東京から持って来たお酒を下げて、宿を出て、またもや光明飯店に向かう。

昨年11月にも訪ねた日本料理屋。本日は貸し切りで『魚祭り』が開催されていた。以前お世話になったMさんが私の北京滞在に合わせてアレンジしてくれたのは何とも有難い。参加者は20名強で、懐かしい方々と色々とお話しできてよかった。また初めての方ともすぐに打ち解けるのが北京の良さだろう。

スーパーで鮮魚を扱っている日本人の方がセレクトした極上の魚を、その場でさばいて食べる会。それは想像以上にすごいものだった。日本に居てもこんなものは食べられない。さしみから煮つけ、寿司からいかめしまで、どんどん出てきてどんどん食べる。お酒もどんどん進んでいく。気が付いたら5時間も経っていた。こんなに楽しい時間なら、次回もまたやって欲しいな。興奮冷めやらぬ中、零下10度の北京を歩いて帰る。

1月21日(日)バンコクへ

昨晩食べ過ぎたので、今朝は軽く食べて、散歩に出た。気温とは関係なく、今日は風が強くて歩くのは大変だった。これもまた北京の冬だ。部屋に逃げ帰り、タイの無料シムカードの手続きをしてみた。たった1日だけ使用できるカードだが、北京空港でシムを落とした私としては、それは有難いものだった。

空港へ行こうと車を呼んだが、何故かネット回線が悪くてうまく繋がらない。フロントの若者に言うと、すぐに自分のスマホから呼んでくれた。この辺のサービスは実に有り難い。車もすぐにやってきて乗り込んだのだが、『誰が予約したんだ』と運転手に言われる。何だかスマホ番号が必要のようで、フロントに戻り、何とか事なきを得た。それにしてもちょっと面倒だな。

空港までは順調に進んだが、降りる時の決済で『アリペイで』と言ったら、『微信ペイにしてくれ』と言われた。昨晩暇だったので、初めて微信ペイを繋いでみたが、本当に使えるのかどうか自信がなかった。一応やってみると見事に支払えたので、運転手も笑顔になり別れた。今どき北京で微信ペイが使えて喜んでいるなど、人間ではないな、と思う。

空港はなぜか混んでいた。そして私が乗るバンコク行きも満員だという。搭乗ゲートでチケットを見せると係員は『アップステアー』と英語で言った。この飛行機には2階席があるのかと思い機内に入ると『なんとビジネスクラスにアップグレード』されていた。これは意外な喜び。乗客はどんどん乗り込んでくるが、その半数は白人でビックリ。恐らくは冬休みが始まり、寒い北京から南へ避難する人々らしい。私の隣にはロシア系の若い女性が座っている。

まあビジネスクラスといって食事は少し良い程度。それでも席が広くて有り難い。食べ終わると、すぐに寝入ってしまい、そのまま夢見心地でバンコクまで来てしまった。偶には良いこともあるようだ。この先も良いことがあるといいなと思うが、ここで運を使い切っただろうか。

北京・天津旅2024(3)冷え込む天津で広東鍋

降りたのは周鄧紀念館という駅。さすがに周恩来・鄧穎超夫妻の偉大な功績が通路に多数展示されている。地上に上がると5年ぶりのXさんが待っていてくれた。今回天津に来たのはXさんと会うためだった。まずはそこにあった水上公園を歩きながら、お互いの近況を報告し合う。更に公園内にある博物館で、天津の歴史を詳細に学ぶ。

天津は先日かなりの雪が降ったようで、公園内には雪が残っているが、今日の天気は抜群。そして北京より寒さを感じる。それは景気が低迷していることとも関連あるだろうか。Xさんの車で市内を少し走る。5年前、天津を茶旅した時、色々とお世話になったことを思い出す。当然ながら天津には歴史関連のスポットが多い。

お昼ご飯に行く。Xさん行きつけのカフェ、と思ったが、実に奥が深く、個室がいくつもあった。元々はXさんの学生も同席予定だったので個室を取ってあったが、インフルが流行っており、結局2人で広い個室を占領することとなる。このお店、コロナの時は大変だったようで、色々と工夫をして凌いだらしい。その結果生まれたのが広東系の鍋料理だったというから驚きだ。

この鍋、打辺炉はスープが絶品だった。まあ広東系はスープが命、というところがあるが、この鍋は広西のチワン族が起源とも言われているようで、少し独特だった。そこへ野菜やキノコをぶち込んで煮込む。最後に新鮮な鶏肉を入れれば、完璧な鍋が出来上がった。天津でこんな旨い物が食べられるとは思いもよらない幸せ。

Xさんとの付き合いは長いので、昔話や故人になった方の思い出話しでいくらでも続けられる。娘さんは今や大学を卒業して、京都で茶業関係の会社に勤めているらしい。チャンスがあれば京都に会いに行こうと思う。中国経済の話しはほんの少しだけ。非常に状況が良くないことだけは理解できた。これから中国はどちらの方向へ向かっていくのだろうか。Xさんも新たな展開を模索しているようだ。

話しは尽きなかったが、予約した高鉄の時間があったので、来た道を戻り、天津駅へ。帰りも至極順調で、何事もなく北京に帰還する。今回臨時入境の範囲に河北省と天津が含まれていたのは、実に幸運だった。まあ日本で見た報道でも天津経済は中国内でもかなり悪いと聞いていたが、それは事実のように見えた。

宿近くに戻り、コンビニを探したが、なかなか見つからない。日本のようにその辺に路面店があるというより、オフィスビルの中に入っているので、歩いていても見つからない。オフィスビルも昔とは随分イメージが変わっており、1階ロビーはおしゃれな空間が広がり、若者がネットで作業などをしている。

京城大廈は何とも懐かしい。昔仕事で何度もここへ来た。あの頃は燦然と輝く50階建てのビルだったが、今でも異彩を放っている。中に入りATMを探すと、創業者栄毅仁の像が暗闇に浮かび上がる。中国の変化を彼はどう見ているのだろうか。なぜかATMカードが使えなくなっていて焦る。宿へ帰るとアジアカップ、日本対イラク戦が生中継されている。こういうところが中国は素晴らしい。日本では中継すらままならないのだから。しかし負けては何もならない。

1月20日(土)魚祭りの夜

朝起きると急に銀行カードが心配になる。もしこれが使えないと大変面倒だと思い、銀行へ向かった。だが日曜日のオフィス街、支店は閉まっており、聞くことは出来なかった。仕方なく試しにもう一度ATMにカードを入れてみると、何と普通に作動したので、どっと疲れた。この辺が不安定な中国だ。

今日は昼に約束があるが、時間が出来たので、ちょっと南羅古巷へ行ってみた。ここは15年前の私のお気に入りの場所。だがその後観光地化が進み、今や胡同の面影もかなり変化してしまった。更にコロナ禍の影響もあり、記念館なども閉鎖され、道はきれいになり、説明板は充実してきているが、古き良き時代は過ぎ去っていた。

北京・天津旅2024(2)天津へ向かう

すぐに気分を変えるため外へ出た。気温は零下だがそれほど寒さを感じない。東直門までフラフラ歩いて行くと、路肩に雪が積まれている。その横には大型マンションが建設中だが、このエリアなら相当の値段になるだろう。現在の中国不動産の状況を考えると、果たしてこれは売れるのだろうか、とちょっと心配になる。

2号線に乗り、北京駅へ向かった。地上へ出ようとすると、人が多くて進めない。よく見ると検問があり、身分証の提示を求められて、機械でチェックしている。私はどうするのかと取り敢えずパスポートを出したら、そのまま通されて地上に出た。実に久しぶりの北京駅だった。切符売場までの距離が長い。

ようやく中に入り、温まる。昔の切符売場は長蛇の列で、しかも一人ずつの交渉?が長いので、列はいつになっても流れず、窓口に客が殺到するような状況もあった。だが今は違う。薄暗かった室内は明るくなり、列も短い。殆どの人がネットで購入し、ここに来るのは訳ありの人か、外国人ぐらいだろう。外国人旅行者はかなり少ないはずだから、列は短くて当然だ。10分もかからず順番が回ってきて、切符も簡単に買える。天津行は南駅から出るが、ここで切符が変えるのは有難い。そして現金が使えたのは、何とも嬉しい。

北京駅から建国門まで歩く。昔は何度も歩いた道だが、何だか思い出せない。建国門には15年ほど前に住んでいた家がある。そこを見上げると昔のままだった。その近辺もコロナ前とあまり変わってはいない。更に亮馬橋まで戻り、好運街へ向かう。25年ほど前、この辺に住んでいた。その公寓はまだ名前はそのままだったが、当時の日本人村は全く無くなったようだ。

好運街は15年位前に出来たと思うが、以前は日本人街のようだった気がする。今も居酒屋や和食系は多いが、オーナーは中国人に変わっているのかもしれない。その一番端にある山西料理の店に入った。今晩は北京在住のHさんと会うことになっていた。Hさんと会うのは初めてだが、実は彼の奥さんは15年位前から知っている。しかも驚いたことに、Hさんはうちの奥さんの高校同期だという。そんなご縁もあるんだな、と。

Hさんは中国ビジネスのプロだが、北京に住み始めたのはここ3年ほどらしい。だから奥さんと会ってもご主人の姿を見ることはなかった、ということか。ここの鍋は美味しかった。特に肉団子、そしてスープが美味い。留学時代の話をしながら、食べていると、昔とは隔世の感がある。ご馳走になってしまったが、楽しい夜だった。帰りも歩いて宿へ戻る。途中に京城大廈が聳え立っていた。懐かしい。

1月19日(金)天津へ

朝早く起きて朝食を食べる。それからゆっくりして宿を出る。今日は天津へ向かう。天津行列車は基本的に南駅から出る。三元橋から南駅まで行くのはちょっと面倒だ。10号線でかなり走り、そこから4号線に乗り換える。まあ、1時間はかかる。運よく座れたので、何となく寝ていけた。以前に比べて出勤ラッシュも少し収まっているようだ。

南駅は久しぶりだった。時間が余ったのでちょっと歩き回ったが、実に広い。吉野家などの食堂も充実している。天津行は専用ゲートがあり、シャトルのような感じで15₋20分に一本出ている。私が乗った電車はそれほど混んでいなかったので、ゆったりと座っていけてよかった。まあ時速300㎞で僅か40分程度なので、外を見ていたら着いてしまった。なぜか車内の動画広告がお茶関連だった。

外へ出ると地下鉄の表示がある。コロナ前と比べて路線が増えているように感じられる。待ち合わせ場所を指定されていたので、その指示通りの路線を探す。天津も切符は基本スマホ決済。私は自販機でQR決済。北京と違い身分証をかざす必要はなく、すぐに買えたのは助かった。時間帯の問題なのか、天候が寒すぎるのか、天津駅も地下鉄も人は多くない。

北京・天津旅2024(1)北京再入国

《北京天津2024》  2024年1月18₋21日

昨年11月、チェンマイからの帰途、北京に立ち寄った。そして今回、その折り返しのチケットで、また北京に降り立つことになっていた。なぜ上海経由にしなかったのか、と聞かれても、その答えは自分の中にはない。と言って北京にどうしても行きたい訳でもない。それでも行ってしまう北京とは。今回は日帰りで天津まで足を延ばす。

1月18日(木)北京再入国

朝4時前に起きた。すぐに羽田へ向かって始発電車に乗る。今日は北京へ向かうのだが、羽田空港出国の大行列を想像すると夜も眠れない。それなら始発で行ってゆっくりしようかと考える。始発電車にも結構乗客がいて、座れない。まあ混んでいる訳ではないので、ゆったりと構えて向かう。

6時頃羽田空港に到着したが、人は殆どいない。何とまだチェックインカウンターも開いていない。普通はWebチェックインで、そのまま保安検査場へ行けるのだが、中国行きには特別カウンターが用意されている。ちょっと待つとチェックインが始まり、臨時入境のため、書類チェックが入念に行われた。

それが終わると保安検査場へ。もう少し遅い時間だと長蛇の列だったが、この時間だと人は少なく、10分で通過可能とある。ところが何と荷物検査で引っかかる。知り合いから頼まれていた日本酒を機内持ち込みしようとしたが(預け荷物無し)、なんと持ち込み不可で没収だという。私は酒を飲まないので、長年海外に酒を持っていったことがなく、そのルールに疎かった。

どうしても酒を持っていかねばならず、一度カウンターに戻って荷物に入れて預ける必要があった。特別ルートで戻され、預けてまた特別ルートから再検査となった。まあこれもいい経験だろう。出国が完了してお土産を少しだけ買う。その頃ようやく朝日が昇り始める。早く来ればそれだけ早く出国できることを実感する。次回からいつも始発にしようか。

フライトは順調だった。やはり乗客は多くはなく、日本人より中国人の方が多いのは変わらない。食事は前回とほぼ同じで選択権なし。もう期待はしない。映画を見ながらウトウトする。ちょうど12時頃、北京空港に到着した。前回も行ったので臨時入境手続きの場所は分かっていたし、書類も事前に書いていたが、何と20人以上の列が出来ていて、窓口まで辿り着けない。

仕方なく、シムカードの交換などをしていると、何とタイのシムを落としてしまう。あの小さいシムカード、一度落ちるとどこにあるのか分からない。バッグの中に落ちたのか、と探すのを断念する(結局紛失)。タイのシムでよかったが、これが中国や日本だと再発行が想像するだけでも大変だ。

結局40分以上かかってシールを貰い入国。預け荷物のレーンは既になく、荷物を探して右往左往。だから預けたくなかったのに荷物。今回は昼まで荷物も少ないので、地下鉄で市内へ向かう。ここはさすがに現金でも切符が自販機で買える。だが地方から来た老人たちが切符を買えずに困っており、私が教える羽目になる。不親切にも職員はいないのだ。

今回はチェーンホテルの前回とは別の宿を予約してみる。駅から地図上では遠くないのだが、実は道が限られており、意外と歩くのは大変だった。そしてチェックインしようとしたが、スタッフは私のパスポートを持ったまま、他の中国人の対応に追われ、私の順番は全く進まない。20分ぐらいして、ようやくお客が途切れ、『私のチェックインは』と聞いたら、『あなたは誰?』と聞かれたので、さすがに頭に来た。

その後上級スタッフが平謝りしていたが、同じチェーンでも対応がかなり違うことを実感。また中国人の横入りは普通だが、いくら何でももう少し配慮が欲しいところ。まあ、こういう時は間が悪く、前回に比べて部屋も良くなく、更に落ち込む。スタッフが部屋まで来てきてしきりに『微信で繋がりましょう。こちらでご意見を承ります』というのも、少し気に障る。

ちょっと北京散歩2019(3)苦節5年、ついに決着

10月23日(水)
ついに決着

今日は午前中、ティールームで旧知のMさんと会った。Mさんとは今年3月、四川の旅をご一緒し、団体さんが帰った後も、本格茶旅に付き合ってもらった。彼女も北京滞在20年を越える人だから、一応Hさんにも紹介する。Mさんが気功、薬膳の話をすると、サックスを吹いているHさん、呼吸の話に大いに興味を持ったようだ。

 

今や殆ど見られなくなった武夷山の白鶏冠のサンプルをもらい、Mさんが淹れてくれた。驚いたことに、彼女は来月住み慣れた北京を離れ、上海に引っ越すらしい。自分の決断ではないようだが、偶には環境を変えてみたい、ということだろうか。上海に行けば、きっと北京を懐かしむことになるだろう。Hさんは途中で香港に帰って行き、今回の私の任務は全て終了した。

 

昼は隣のビルに勤務する、元同僚の中国人と会う。これまで会う時は、出来るだけ彼の家のある、中関村方面にしていたが、今回はランチしか空いていないというので、珍しく職場付近になった。年度末ということもあり、彼はとても忙しく、食事の途中で職場から電話があり、あっという間に呼び戻されてしまった。やはり職場の近くではゆっくりできない。そして現在中国経済が置かれている状況についても何となく分かる感じがした。

 

午後はまた西の方へ行く。もう5年以上前に銀行カードを失くしてしまい、そのために現金も引き出せないし、口座の解約もできない状態がずっと続いていた。既に10年前に北京を離れており、5年前に北京を旅した時からこの戦いは始まった。簡単に再発行できるだろうと思っていたら、何と口座開設時に登録したパスポートが更新されており、古いパスポートも持ってこないと手続きできないと言われたことに始まる。

 

その1年後に行っても、『お前の口座は見つからない』とか、『カード再発行には1週間かかる』とか、言い訳をさんざん言われ、どんどん手続きは厳しくなり、ようやく2年前に再発行の手続きをしたが、1年前に取りに行く時、何と間違えて隣の支店に行ってしまい(大手銀行の支店は多すぎる)、らちが明かず。そしてついに今日、全てをそろえて万全の態勢でカードを取りに行った。

 

しかしやはり、2年前に申請したカードをきちんと管理しているほど、中国の銀行は甘くない?ただ彼らも私の事情は十分に分かってくれ、懸命に探しているようだったが、最後は本店に電話を入れて、カードなしで口座を解約して、口座残高を現金で渡してくれた。ああ、苦節5年、中国の銀行とは何と面倒なことか。いや日本でも対応は親切だろうが、手間はかかるだろうな。ただ中国で今から外国人が口座を作るのは大変だとも聞いており、口座を残しておけば、何かに使えるかもしれず、ちょっと残念だった。

 

それから東の方に戻り、昔住んでいた辺りを散歩していると辺りが暗くなる。そのまま歩いてホテルまで帰ることにしたが、今晩は予定もなかったので、その辺で夕飯を軽く食べてから戻ろうと思った。が、オフィス街では一人でサクッと食べられる店は多くはなく、結局ホテル裏のモールで麺を食べた。このモール、夜もレストランは意外と混んでいる。仕事帰りのOLが一人で食事をしている姿も見られた。今やデリバリーフード全盛の中国だが、勿論外で食べる若者もいるのだ。

 

夜は部屋でサッカーACL準決勝、浦和対広州恒大の試合を見た。今季リーグ戦不調の浦和だが、この試合に賭けていたのか、第一線のアドバンテージも生かして何とか競り勝つ。その後NHKでニュースを見ていたが、香港騒動のニュースはきれいにブラックアウトしていた。ウイグルと香港は見られない。

 

10月24日(木)
台北へ

今朝は5時に起きて、6時前にホテルを出た。朝8時半のフライトで台北へ帰るためだ。私はこんな朝早いフライトを選択することはないが、今回はスポンサーが選んでくれたので、仕方がない。そもそも昨日変えるべきところを1日延長してくれたのだから有り難いと思わなければいけない。そしてちゃんと運転手が空港まで送ってくれるのだから尚有り難い。

 

朝の空港は相変わらず混んでいたが、それでも比較的スムーズに通り抜けた。既に9月末より大興空港が開港したとニュースでは聞いているが、まだ殆どのフライトは北京空港を使っているらしい。巨大空港の試運転はいつまで続くか分からない。北京市内からも相当に遠いようで、利用者は大変だ。私は今後も安全なエアチャイナを使うことにしよう。今回は自分の旅ではないので、あっという間に過ぎてしまった。目をつぶっていると台北に着いてしまう。

ちょっと北京散歩2019(2)新旧北京を巡る

そこから王府井に歩いて出た。ここも以前に比べれば歩いている人は多くない。既にかなり疲れてきたので、ここから地下鉄で帰ろうと思ったが、ちょうどそこに北京飯店があり、Hさんの希望で見学することにした。入ってみると、昔の面影はあまりなく、ロビーはすっかりきれいになってしまっていた。

 

コーヒーショップでコーヒーを飲もうと注文すると、ウエートレスがいきなり『今日はシステムに不具合があり、現金は使えませんが、大丈夫でしょうか?』と訳の分からないことをいう。現金しか使えない、の間違いではないのか。私が支付宝を持っているというと、ウエートレスはホッとした顔でコーヒーを提供する。外国人が利用するホテルで一杯63元もすると飲み物の支払いさえも、難しくなってきている。最後にシステムが治り?Hさんが現金で支払って、ご馳走になることが出来たのはよかった。

 

ホテルに戻って休む。夜は知り合いのMさんとKさんに来てもらい、昨日の夜と同じレストランの同じ個室で食事をした。目的は昨今の北京情勢を聞いて、12月のイベントに備えることだった。この二人とはもう10数年の付き合いになるが、こんなフォーマルな席を共にするのは初めてであり、何だか緊張する。オーナーからは高級ワインの差し入れもあり、いつもと様子が違う。それでもHさんが質問を連発して、かなり長い時間を付き合わせてしまった。まあ、偶にはいいか。

 

10月22日(火)
北京散歩2

今朝も天気が良い。朝飯の後、テレビを見る。このホテルではNHKワールドプレミアが映るので、便利ではある。今日日本は祝日、雨の中、新天皇の即位の儀式が行われており、生中継を見ることが出来た。この儀式については賛否あると思うが、色々とものを考える節目にはなる。

 

大戦後、昭和天皇はなぜ退位しなかったのか、とても疑問に思っている。そしてその流れが平成天皇の生前退位となったような気がしてならない。皇后など皇族の服装などに関心が集まるのは、正直ちょっと頂けない。ワイドショーとは、『話を広げる』という意味なのだろうか。

 

快晴の北京で外に出た。茶荘の店長に連れられて、三里屯に行ったのは意外だった。そこには、何と高級車のショールームがあったのだ。我々とは無縁に思われる高級車だが、そこにも高級茶として岩茶が置かれ、スタッフが派遣されて、上客に茶を振る舞っているという。写真を撮ることを遮られた車、聞けば1台日本円で1億円ぐらいするらしい。ショールームと言っても既にほぼ予約済みの車が飾られているようだ。やはり中国経済の勢いは未だ全て止まったわけではない。

 

その後早めのランチを食べに行く。店長と運転手は共に北京人だといい、かなり力を入れて?伝統的な北京料理をオーダーしてくれた。この店は最近流行っていると言うだけあって、店内もきれいで、料理の盛り付けなどもインスタ映えする内容だった。私は久しぶりに濃厚な味付けの腰花が食べられて、満足する。Hさんも初めての北京料理に『意外にうまい』と言って手を伸ばしている。

 

一度ホテルに戻り、ホテル裏にあるショッピングモールを見学する。昼時は近所のオフィスビルからOLなどが大量にランチにやってくる場所で、それ以外の時間は閑散としているらしい。もしイベントをするなら、ランチタイムしかないな、と感じる。今北京にはモールが多過ぎて、お客も相当に分散している。

 

午後はHさんの希望で、什刹海へ地下鉄で向かう。ここにジャズクラブがあるので行って見たということだったが、確かに東岸という名前のクラブが存在した。北京にもジャズ好きがいるのだな、と初めて認識する。そしてここに出演している人の中に、日本人もいるのに驚く。活躍の場を中国に求めた人々なのだろうか。いずれにしても昼下がりに演奏はなく、お客もおらず、その雰囲気は掴めないが、建物の古めかしい感じは悪くない。

 

そのまま歩いて南羅鼓巷まで行く。ここは昔大好きな場所だったが、今は新しい土産物屋や食べ物屋が並び、大勢の観光客の波が押し寄せ、完全に浅草のようになってしまっていた。ここが初めてのHさんには、ちょっとした北京下町散歩で良かったようだが、昔を知る者からすればかなり残念な状況だと言わざるを得ない。

 

夜は西側まで地下鉄に乗って行く。旧知のWさんと会うためだ。10号線に乗って行ったが、やはりそれほどの混雑がない。駅を降りてから、大きなモール付近にあるレストランを探すのに苦労した。北京でも珍しい南京料理の店で、美味しい魚をご馳走になった。Wさんは更に精力的に活動しており、頻繁に日本にも行ってようだ。Hさんとも話が合い、楽しい夜を過ごした。

ちょっと北京散歩2019(1)天安門へ

《ちょっと北京散歩2019》  2019年10月20日-24日

昨年12月の香港及び北京、今年4月の香港そして武夷山でお世話になった香港のお茶屋さんのイベントに関して、またお声がかかった。ただ今回は何と12月に北京で行われるビックイベントの下見として、日本人Hさんのお供をするという、ちょっと変わった旅となる。久しぶりの天安門に北京飯店、何となく新鮮で不思議な体験だった。

 

10月20日(日)
北京へ

台北から北京に行く。初めての試みだ。航空会社はエアチャイナ。まずはバスで桃園空港に向かう。中華航空やエバ空港と同じ第2ターミナルから出発する。エアチャイナはエバ航空と同じスターアライアンスグループだが、ラウンジは中華航空の場所を使うらしい。搭乗ゲートが近いからという理由だったが、如何にも中国人のニーズに応えた対応だと思われた。

 

エアチャイナには何度も乗っており、機内はいつもと何ら変わらない。3時間ちょっとで北京に到着する。ところが空港の入国審査、外国人が殺到しており、審査場に入るのが制限されるほどだった。ようやく審査の列に並んだが、長蛇の列でいつ辿り着くのかも分からないほどだ。こんな北京空港、見たこともない。何かあったのだろうか。旅行シーズンということか。

 

列に並びながら、周囲をキョロキョロした。ほぼ同じ時間に香港からやってくるHさんを探してみたのだが、人が多くて見付からない。フライトもちゃんと着いているのか分からない。そんな時、Hさんの姿が目に入り、無事合流できた。そしてダラダラと1時間ほどかかって何とか入国する。ちょうど直前に北大の准教授が中国で拘束される事件もあり、少し緊張したが、何事もなく過ぎた。

 

出口には、迎えの運転手が待っていた。昨年12月と同じ人だった。Hさんは北京が約20年ぶりだと言い、何から何まで見たこともない風景だという。今日は日曜日ではあるが、三環路のホテルに着くまでには、かなりの渋滞があった。空気は以前に比べるとかなり良くなっており、気候も10月の秋の北京で気持ちがよい。

 

ホテルに着くと、香港から来た老板が我々を待っていてくれた。早速レストランの個室で、夕飯が始まる。蒸し魚、茹でエビ、北京ダック、そして極めつけは季節の上海ガニ。それも1杯、300gもある特大の蟹で、これまで食べた中で最大だったと思う。しかも一人3杯も用意されてあり、残念ながら2杯しか食べられなかった。何だか全てが超高級なメインデッシュだけで構成された夕食で、驚いてしまった。Hさんは麻婆豆腐が食べたいと言ったが、結局出てくることはなく、腹は完全に一杯となり、すぐに部屋に戻り休む。シャワーを浴びて寝ようとしたところ、バドミントンの男子シングルス決勝に桃田が出ており、それを見ながらそのまま眠りにつく。これは何とも幸せな夜だった。

 

10月21日(月)
北京散歩

朝は快晴だった。まさに北京秋天。朝ご飯をホテルで食べると外へ出てみた。気持ちがよい。近くのセブンイレブンに行くと、若いサラリーマン、OLが朝ご飯を買っていた。私以外は全員スマホ決済で、現金を出した私を見て、『どこの田舎から来たおじさんか?』といった顔をしているのがよく分かった。

 

午前中は、ちょっと打ち合わせがあり、今回北京に来た目的の一部を早々に果たした。私の役割は、こちらの秘書とHさんの通訳をすることになった。また同時に中国の習慣などをHさんに伝えることも必要となる。このホテルでは今晩、映画の新作発表会があるらしく、その準備が進んでいた。若い二人の主演俳優の写真や映画ポスターなどが展示されており、ファンなのか若者が盛んに写真を撮っていた。

 

昼ご飯は公寓のレストランで特別にスパゲッティーを食べた。こちらも12月にちょっとしたイベントをやる予定で、打ち合わせした。併せて2階のプライベートティールームにて、私の小セミナー開催も決まった。北京でお茶の話、一体何を話せばよいのだろうか。でも日本語でよいというのでかなり気は楽だ。でも誰が聞きに来るのだろうか。

 

午後はHさんの北京散策に付き合った。地下鉄に乗って天安門広場へ行く。地下鉄カードを忘れてきてしまい、一々切符を買うのがとても面倒だったが、いずれにしてもHさんの分は買わなければならなかったから、手間は一緒だ。昔は大混雑だった1号線、車両もきれいで心なしか空いている。

 

天安門東駅で降りると、警備は以前より厳しかった。広場へ向かう道もかなり制限されている。つい20日前に建国70周年の記念式典があったのだから、その名残だろうか。広場に行ってみても以前に比べて観光客が少ない。特に中国の地方から来た人、お上りさんがそれほど多いと感じられない。これだけ天気の良い10月、昔なら観光客で埋まっていたはずだが、何か制限でもあるのだろうか。天安門の下を潜り、門の上に登れるかと思って見てみると、切符売り場はきれいに無くなっていた。

 

ごく一部の人が横からひっそりと登っていくのが見える。どうやらここを登るには事前予約が必要らしい。更には故宮に入るにも、QRコードの読み込みなど、面倒な作業が必要らしい。しかも月曜日は休館日で閉鎖されており、結局入ることは出来なかった。本当に外国人にとっては、不便な国になったと言わざるを得ない。