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パクセー茶旅2020(4) 老舗ホテルで夕日を

昨晩泊まった宿ではなく、新しく予約した宿で降ろしてもらった。ここは街の名前がついている老舗ホテル。1962年開業だというから、設備は古いだろうが、昨日の宿よりはだいぶマシだろうと昨晩料金を聞き、交渉して安くしてもらい、部屋まで予約しておいたのだ。部屋はさほど広くないが、コンパクトで良い。昨日は繋がりにくかったネットも何とか繋がるのは有難い。何よりクラシカルな作り、窓から街が一望できるのがよい。

昼ご飯を食べようと外へ出たが、かなり暑い。旅行社のパネルを見ると、ここからバスでタイだけではなく、ベトナム、ダナンなどへも行けることが分かる。いつもならノリでバスを使いたくなるのだが、今はコロナがあるので、密閉された空間を避けて、出来るだけ短時間で移動したい。ご飯は地元民しか行かない食堂を見つけ、麺をすすった。これはベトナム風で、安くて意外とイケる。

午後は疲れてしまったので部屋で休んだ。今は疲れを貯めるのもよくない。ちょっとした風邪なども大事に至る可能性があるので、注意が必要だ。取り敢えず早めにバンコックに戻ろうと、明日のフライトを予約した。それでも簡単にタイ入国が出来るのだろうか。厳しいチェックがあるとか、外国人が入国拒否されたとのうわさが出ている。もう流れに任せるしかない。

夕方、このホテルの屋上に行ってみる。ここの屋上からメコン川に沈む夕日がよく見えると言われたので、夕日好きとしては眺めてみようと思ったのだ。まだ陽があるうちから白人たちがビールを飲みながら大声で話している。ハッピーアワーと書かれていたが、私は一人、アイスティーを飲みながら、陽が沈むのを待った。

段々陽は落ちていくが、メコンに沈む夕日、という雰囲気には残念ながらならない。なぜか昨晩も出会った中国人グループがやってきた。その後ろには日本人女性が一人でPCを打っている。午後6時頃、陽は沈んだが、お客たちは誰も帰らず、話し込んでいた。私は一人、部屋に戻った。

暗くなってから、軽くご飯を食べようと思い外へ出たが、やはりピンとくる食堂はない。思い出したのが宿のエレベーターの広告。クラブサンドイッチが食べられるとあったので、急に宿へ戻った。ところが1階のカフェは元々休業中だったようで、スタッフの姿すらない。

フロントに聞くと、たぶん屋上のレストランでサンドイッチを作ってくれるだろうというので、何と先ほど出てきた屋上にまた戻ってメニューを眺めた。ところがサンドイッチはなく、あるのはハンバーガーだけ。それでも面倒くさくなり、大きなバーガーを注文して、ポテトを頬張った。もう完全にバーとして機能しているので、酔っ払いも登場してうるさい。私は食べたらすぐに退散した。

2月19日(水)バンコックへ

翌朝は宿の朝ご飯を食べた。1階のカフェは、朝ご飯会場のみに使われていることが分かった。多くの人が食べており、席の確保が難しい。食事は何といってもパンが美味しい。オムレツも丁寧に作られておりとても良い。もう一泊したところだったが、今回の最大の目的はタイ入国だったので、急いでチェックアウトした。

ラオスではGrabが使えない。ホテルに車を頼むと高そうだし、このホテルの外にいる運ちゃんも吹っ掛けてきそうだし、と思っているうちに『まあ、時間もあるので、ゆっくり歩いていくか』となり、歩き出してしまった。途中までは数年前にも歩いた道で、何となく懐かしい。朝ごはん屋の湯気も好ましい。さっき食べたばかりなのに、また食べたくなる。

空港までほぼ直線で3㎞ちょっと。思えば先日ウボンで空港から宿まで歩いた距離とほぼ同じだ。今回は運動のため、旅に出たのだと分かる。もともと私の茶旅は『歩いてなんぼ』の旅だったはずだが、最近は少しサボっていたのかもしれない。旅の良い所は、適度な運動、気分転換、そして未知との遭遇だろうか。

空港は小さかった。入っていくとチェックインが始まっているが、並んでいる人は多くない。それでも乗客と係員が長い間話しているので列は進まない。やはり他国へ移動するのは難しいのか。だが私の番になるとあっという間にチケットが渡され、何の質問もなかった。

ここはビエンチャン行きの国内線も混在しており、そちらはかなり混んでいる様子だった。まだ時間があったので、空港内を歩いてみたが、特に何もなかった。仕方なく、出国審査に進んだが、何と普通の窓口でパスポートを提示してスタンプをもらう。その横の狭い通路を入ると、荷物検査があり、その向こうが待合室だ。

どうやら国際線も国内線も区別なく、待っている。中国人はいないようだ。バンコック行にはタイ人の他、白人がかなり乗っているが、彼らはどこへ行くのだろうか。日本人は私の他に出張者が一人だけかな。機内は半分以下の搭乗率であり、CAもマスク、手袋。一応簡単な食事は出た。さて、バンコックに無事入れるのだろうか。

パクセー茶旅2020(3)パークソンの茶畑

それから街中をゆっくり散策する。ウボンと比べると少し涼しい感じがするのは気のせいか。ワット・ルアンという大きな寺に入ってみる。かなり歴史がありそうだとみていると、なぜか日本人の団体が入ってきた。学術調査のついでに観光しているといった感じで、細かい所を見ている。ここのお墓にも漢字が刻まれており、華人もいることは分かる。

きれいな建物があった。中には小さな店がたくさん入っているが、お客は全くいない。昔の市場をここに押し込んだのだろうが、効果はあまりなかったようだ。教会も見える。この地には、華人の他、宣教師などもやってきたことだろう。そこから川沿いに出て友好橋を写真に収めようとしたが、うまく撮れないので、どんどん橋に近づいて行き、気が付くと橋の袂まで来ていた。

この橋、日本の資金でできたらしいが、建設したのは韓国の会社か。その名前が刻まれている。そして実際にこの橋を使っているのは、ラオ人の他はタイ人と中国人が多いらしい。これぞ国際貢献、と言って喜べるのだろうか。いずれにしてもパクセーはこの川で栄えた、とは分かる。近くには立派なホテルも建っている。夕陽がドンと落ちていく。

今度は内側に歩いて行くと、市場があり、夕飯の買い物をする人々がいた。宿の方へ戻ると、途中には中国系の廟などが見られたが、既に門は閉ざされていた。結構歩き回ってかなり疲れてしまった。夜外へ出るとすぐ近くにも立派な中華商会の建物があり、やはり華人が貿易していたのだと理解する。

夕飯は、昼を食べた隣のカフェへ入る。そしてシーフード炒めと書かれているのを、イカ炒めだけにしてもらい、たらふく食べた。隣に地元の華人と中国から来た中国人のグループが座った。周囲はちょっと気にしていたようだ。既に中国人団体観光は止まっているが、彼らは個人で来たのだろうか。それとも中国に帰れず、既に1月からここに留まっているのかもしれない。

2月18日(火)パークソンの茶畑へ

翌朝は宿で簡単にご飯を食べてチェックアウトした。やはり隙間風がうるさくてよく眠れなかった。フロントの男が『どうしてチェックアウトするのか』と聞いてきたが、無言で支払いをした。外に出ると、そこには昨日予約した車の運転手が待っており、荷物を載せて出発した。

車はすぐに郊外へ出て、思っていたよりずっといい道をほぼまっすぐ走っていく。山を登っているという印象は全くなかったが、30分後に標高を計ると、100mから800mに上がっていたので、かなり驚いた。そして車は道路わきに入っていく。そこは茶園があるらしい。手前の小屋には簡易な製茶道具が置かれ、奥には確かにかなり古い茶樹が沢山植わっている。

運転手は何が楽しんだ、という顔をしていたが、とにかく茶畑を見ると嬉しくなってしまうのはどうにも止めることができない。思ったよりずっと広い茶畑なので、写真を撮りながら、ずんずん奥へ入っていく。茶樹の間隔は広く、昔の茶畑という雰囲気が漂う。但し直射日光が照りつける、平たい場所にあるので、茶樹の生育としてはどうなのだろうか。

建物の所に戻ると、運転手が女性と話していた。その女性がここのオーナーであり、製茶もしているとのことだった。運転手が通訳をしてくれて聞いたところでは、まだフランス統治下、お父さんがベトナムからやって来て、ここでフランス人の茶作りの手伝いをしていたらしい。

フランスが去った後、その茶園を受け継ぎ、ここで茶業を続けてきた。道路の向かいにはコーヒー園とドリアン畑も広げた。そして父親が亡くなる時、姉妹が相続をした。目の前の彼女が茶園を引き継ぎ、妹が残りをもらい受けたらしい。とにかくここの茶畑は80年以上の歴史があることが分かり、満足。

現在ここで作られている茶は、何と紅茶、烏龍茶、白茶の3種類だった。普通ならあの晩茶のような緑茶が作られるはずだが、どうやら観光客向けに販売するので、フランス人あたりの好きそうなメニューになっているのかもしれない。これ以上、技術的な話は、通訳もできないだろうからと止めた。そして茶を少量ずつ買って、ここを離れた。

更に道を行くと、大型バスが停まっていた。ここでは白人さんが沢山下りてきて、皆でコーヒーを飲みながらガイドの説明を聞いていた。そしてお土産にコーヒーを買っていく。まさにコーヒーツーリズムだ。お茶も同じような扱いだろうが、現在ではコーヒーの方が優勢だ。

もう一つの茶園に行った。こちらはきちんと手入れをしていないようにも見える。完全に平らな土地に茶樹が無造作に植えられている。日もだいぶ高くなり、とにかく暑い。これではいいお茶が出来る、という感じはしない。なぜか茶畑を牛が歩いており、危うく衝突するところだった。

もうこれ以上、ここにいる理由もなく、車は町に帰っていった。途中道路脇に、大きな工場が見えた。Dao Coffeeという有名ブランド。1991年創業のラオスでも有数の企業だという。昨日歩いていた友好橋の袂にも、きれいなカフェを開店させていた。コーヒーの他、茶も商っている。

パクセー茶旅2020(2)バスで国境を越え、パクセーへ

2月17日(月)パクセーへ

翌朝は早めに起きて、宿の朝食を食べた。思ったより多くの人が宿泊していたことが分かる。その中にはやけに偉そうにしているタイ人の爺さんもいた。大声で皆に話しかけているから街の有力者かもしれないが、朝の大声は耳に響く。料理は色々とあってなかなか良い。このホテルの料金が安いのはコロナのせいなのだろうか。

午前8時にはGrabで車を呼んで、急いでチェックアウトした。Grabがあるので、交通に困ることはなく、何とも有り難い。月曜日の朝だが特に渋滞もなく、すぐにターミナルに着いてしまった。昨日の切符売り場に行くと、かなりの席は埋まっていたが、私は予約してあったので、一番前の席を確保した。

9時過ぎにバスに乗り込み、出発を待ったが時刻を過ぎても発車しない。誰かが荷物でも運んでくるのだろう。特に急ぐ旅でもないので、ゆっくり構えていた。乗客は意外と白人が多い。子供連れまでいる。20分ほど遅れてバスは動き出す。街の郊外、特に見るべきものはなくウトウトしていたら、1時間半ほどで、ラオス国境に到着した。

特に車掌は指示もせず、皆勝手にタイのイミグレで出国手続きをする。そこからどう行けばよいか分からなかったが、タクシーの客引きや物売りのおばさんから情報を得て、地下道を通り、上に上がるとテントがあり、いきなり検温された。コロナ対策だ。それが済むと、向こうにラオス側のイミグレの建物が見えたので向かう。

窓口がどれか分からなかったので、前の人が出したところに私もパスポートを差し出してみた。すると向こうから『100バーツ』との声がかかる。なぜここで賄賂払うんじゃ、と思い、ノー、と言って見たら、パスポートを突っ返された。何と入国カードを書いていなかったことが判明。直ぐに用紙を探して提出したら、あっという間にスタンプをくれる。入国カード代筆が100バーツか。

その頃、白人たちはゆっくりと歩をラオスに進めていた。そして皆がアライバルビザの申請を行い、その許可をもって窓口の審査を受けるのだから、そんな直ぐに出来るわけない。あっという間に30分が過ぎたがまだバスすら来ない。そんな時、おばさんが『ラオスのシムカード、要らない?』というので、100バーツで買ってみた。おばさんが親切に使えるように挿入してくれた。これでパクセーに着いても安心だ。

バスが来たので乗り込んだが、白人たちが乗っても未だ出発しない。外へ出ようとすると車掌が入り口に座り込んで、邪魔している。誰かがどこかへ行ってしまうと探すのが大変なのだろう。確かこのバス、3時間でパクセーに着くとか言っていたが、もう3時間は過ぎていた。

結局バスは国境で2時間立ち往生した。最後に乗ってきたのは、恐らくはラオス人の若者たちだ。私の隣に乗っていた若者もやってきた。地元民なので、とっくに別の手段で出発したと思っていたのだが。何で彼らだけ検査が厳しいのか。それを説明してくれる人はここにはいない。

そこからまだパクセーまで50㎞ぐらいある。3時間で着く?全然話が違うが、これがアジア旅だろう。バスは順調に進み、パクセーの街に入る時、大きな川を越えた。これがメコン川か。するとこの大きな橋が日本の資金援助でできた友好橋か。そしてついに5時間弱かかってパクセーのバスターミナルに到着した。

バスを降りない人も多かった。これから街へ向かうのかもしれないが、私は尻が痛かったので、とにかくバスから降りた。トゥクトゥクおじさんたちが近づいてきたが、料金が高そうだったので、端にひっそりと立っていたおじさんに乗せてもらった。80バーツ、ここではタイバーツが普通に使える。

街中まで風に吹かれていくのはとても気持ちがよい。大きな街ではないが、川沿いは少し道が入り組んでおり、目指す宿に行くのに迷った。ホテルサイトでは高評価だった宿だったが、フロントの態度も今一つで、部屋も今一つ。料金もさほど安くはない。特に部屋の窓に隙間があり、風でかなりの音がするのには困った。これは早々に逃げ出そうと思う。

とても腹が減っていた。もう午後3時近い。さっき見たカフェが良さそうだったので、入ってみる。客は白人が多く、英語メニューがある。ラオスに来たらパンが食べたかったので、サンドイッチを注文。お茶もアイスグリーンティーにしてみた。これは甘いが意外と満足できる味だった。ラオキープを持っていなかったので、ATMで引き出して、支払ってみる。

旅行会社を探すと、すぐに見つかり、『明日茶畑へ行きたい』というと、簡単に車のチャーターが出来た。パクセーは白人も多くやって来る、観光地だったのだ。そして大きな滝などがあり、自然を見るツアーが多いようで、茶畑だけ行きたいというのはやはり変わった客だったらしい。

パクセー茶旅2020(1)ウボンラチャタニーで

《パクセー茶旅2020》  2020年2月16日-19日

3月初めまでバンコックを拠点に活動する予定だった。そして5年マルチのインドビザを用意し、コルカタ経由でアッサムに乗り込むつもりだったのだが、コロナウイルスの影響で急激に雲行きが怪しくなる。もしインド国内で隔離されたら、と思うと、インド行きに二の足を踏んでしまい、ビザを捨てて、ラオスに走ることにしてしまった。この判断が正しかったのかは、後に分るだろう。今回は行ったことがない南部ラオス、パクセーを目指す。

2月16日(日)ウボンへ

バンコックから直接パクセーに行ってもよかったのだが、それではやはりつまらない。今回は陸路で国境を越えようと思い、ラオス国境に近い街、ウボンラチャタニーまで飛行機で行って、そこに泊まることにした。実は2年前、コンケーンからウボンに行こうとしたことがあったが、バスの時間の関係でシーサケットに行ってしまい、結局ウボンだけ取り残してしまっていたのだ。

国内線に乗るべく、ドムアン空港を目指す。日曜日ということもあるが、MRTは空いていた。マスク姿が殆どだ。チャドチャックから空港バスに乗ると乗客は何と2人だけ。既にバックパッカーなどは随分と減っていることが分かる。ある意味でこれだけ人がいなければ安心かな。

ところがドムアンでは相変わらず乗客がかなりいた。マスクしていないのは、ほぼ白人というのが面白い。白人は感染症に敏感だとずっと思ってきたが、違うのだろうか。それともマスクが買えないのだろうか。飛行機に向かうバスも満員。機内はタイ人が多く、7割程度の乗客だった。

1時間でウボン空港に到着する。直ぐに外へ出ると、ここにも空港バスが出来ていたので乗ろうとして聞いたら、このバスは、お前が予約した宿にはいかない、と乗せてもらえなかった。タクシーに乗れと言われたが、何となく嫌で、そのまま歩き出してしまう。この空港、街とくっついているので、宿まで3㎞程度だった。ちょっと暑いが歩けないほどでもなく、街を散策しながらゆるゆると行く。

街はゆったりとしており、それほど大きくもない。宿までもう少しというところで腹が減ったので、食堂に入ってみた。そこには何ととんかつなどと書かれている。注文してみると,薄いカツに、不思議なソースが掛かっており、どんぶりでもなく皿に載ってくる。ライスの上には、目玉焼きが載る。完全な創作料理で面白い。

宿は結構立派で部屋も広い。料金は意外と安かったので、嬉しい。早速明日のパクセー行き情報を集めようとしたが、残念ながらフロントの女性たちはあまり英語が得意ではない。それでも一生懸命対応してくれ、何とか分かったのは、ここからかなり離れたバスターミナルから1日2本バスが出る、ということだけだった。

仕方なく、周辺を歩いて、旅行会社などを探すが、見つからない。大きな通りに出ると、ウボン国立博物館があったので、取り敢えず見学してみる。タイの博物館はどこもそうだが、ここも発掘された仏像の展示が中心。見学者は誰もいないので、係員も手持無沙汰でおしゃべりに夢中。

商店街があったが、日曜日のせいかほぼ閉まっていて人気がない。旅行社が一軒開いていたので、入ってみると何とか英語は通じたが、やはりバスの予約はターミナルへ行かないとできないと教えられる。その場所はBigCの近くだと聞く。そのまま川沿いに歩いて行くと、市場があったが、既にほぼ店じまいしており、のんびりした雰囲気。少し川を眺める。

橋の所へ行くと、ソンテウが停まっていたので、『BigC』と言ってみると、乗れ、と合図されたので乗ってみた。大通りをまっすぐ行けばBigCなのだが、ソンテウはくねくねと横道に入りながら、北に向かって行き、最後のBigCで停まった。地方都市のソンテウは10バーツだから安い。

地図で見るとすぐのはずだったが、ターミナルまでは実はかなり距離があった。テクテク歩く。郊外のバイパス道を何とか渡り、ようやくたどり着く。私はウボンで何しているんだろうか。パクセー行のバスは午前9時半と午後3時の2本、料金は200バーツ。午前便を予約したかったが、当日しか売らないと言いながら、座席表に私の名前を書き込んでくれたので、安心してまたソンテウで戻る。

まだ陽が高かったので、もう少し散歩を続ける。大きな教会が見えたので、ちょっと眺めていると、シスターが子供たちに声を掛け、何か話している。その親しげな様子は好ましい。私にも英語で声を掛けてくれた。

国境の街だから、貿易などに携わる華人は沢山いると思うのだが、華人廟も見つからないし、漢字の看板もさほどない。華人は一体どこへ消えたのだろうか。夜は何とか見つけた華人経営の店で麺をすすったが、言葉は英語だった。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(3)チェンマイのコンブチャ

チェンマイで

バスは今来た道を戻り、順調に進んでいく。車内の乗客は6-7割の状況であり、わりとゆったりできる。途中であのタイ茶の工場があり、近くには温泉が出ており、そして休息があった。3時間で着くはずだったが、1時間は遅れているのが何ともタイらしい。更にはチェンマイ市内へ入る道がひどい渋滞でバスが全く進まず、結局4時間半かかって、アーケードターミナルに入った。

バスを降りると、誘導され一列に並んで、何と検温を受けた。一昨日のチェンライ空港でもなかったことで正直驚く。平熱で助かる。既にチェンマイは大変なことになっているのか勘ぐったが、そこを通るといつもの風景。いや、客が非常に少ない状況が見えた。渋滞なので、予約した宿までタクシーには乗りたくなかった。何とかバイタクを探して乗り込む。

西側の老舗ホテルの豪華なロビーは静まり返っていた。日本人観光客の姿が数人見えただけで、スタッフは全てマスクをしていた。部屋は広いが非常にシンプル。テレビはなぜか日本の民放が1つ映ったが、NHKは映らなかった。電気ポットはあったが、インスタントコーヒーすらなかった。これがかつては天皇も訪れたというホテルだろうか。ロビーにその写真が飾ってあるが、今やかなり安いのだ。

ここでOさんと再会した。Oさんは以前バンコック茶会に参加してくれたことがあり、その後いつの間にかインドに拠点を変えていた。一昨年台湾で再会し、その後バンコックで一緒に茶旅した。今はインドが寒い(彼の拠点は北部の山中)ので、チェンマイで避寒しているというのだ。この付近には月極で借りられる部屋が多くあり、日本人もかなり住んでいるらしい。次回は試してみるか。食事も日本人などがよく通う台湾料理屋で食べながら、遅くまで話し込んだ。

2月4日(火)コンブ茶

翌朝Oさんと待ち合わせて、タクシーでTea Galleryへ向かった。ここも2年半前に訪問した場所ではあるが、車で連れてきてもらったので、その一は全然分かっていなかった。それでもGrabで車を呼び、何とか辿り着く。チェンマイ郊外、閑静な住宅街にオフィスがあり、知らない人はまず行けない場所だろう。

1階はドリンクなどが飲めるスペースになっている。入っていくと、何と前回チェンライでプレゼンしていたイタリア人と再会した。Jackはコンブ茶などを研究している博士だった。そしてオーナーのJeedもやってきた。彼女は私のことは忘れていたが、静岡訪問団は覚えていた。

コンブチャはタイのミエンから作られるドリンクで、健康茶としてアメリカなどで人気があるという。日本ではその昔、紅茶キノコと呼ばれていた。ミエンの製造を含めて、Oさんは発酵食品の研究に余念がなく、この手の話には極めて情熱的に反応して、出されたミエンが美味しいと食べている。ミエンから作られるジャムなど、興味深い商品も並んでおり、ワッフルにつけて食べる。もし身近に売っていれば、きっとヒットするだろうが、家訓なのか、大きな商売はしないともいう。

Jeedの話を聞いていて驚いた。実は彼女の父親も雲南回族。母がタイ人のため、彼女はヒジャブを被らないが、イスラム教徒だというのだ。苗字は雲南回族で一番多い『馬』であり、馬班だったらしい。しかも昨日訪ねたジャルワンとは姻戚関係もあるというから世界は狭い。父親の代は茶業者だったので、バンコックの茶業者との付き合いもかなりあったらしく、知っている名前もいくつか出てきた。

彼女が引き継いでから従来の形態を転換して、現在は科学的な研究を行うラボも作り、健康をキーワードにビジネスを展開している。顧客はアメリカやヨーロッパに広がっているが、タイ国内の需要が高まることを一番期待しているという。タイの茶産業は後発だから、このような健康食品ビジネスが有望ではないかということだ。

Galleryを辞して、ワロロット市場へ行ってみる。いつもは観光客で賑わっているが、中国人の団体がごっそり抜けた感じで実に静かでよい。ミエンを売っている店は僅かしかなく、残念ながらタイではこれを食べる習慣は薄れていることが実感できる。周囲の華人廟などを探しながら散歩してみたが、思ったほどは見つからない。この街で華人はひっそりと生きているのだろうか。

一度宿に帰り、預けた荷物を取ってから空港へ行く。バスターミナルと異なり、こちらは検温など、コロナ関連の対応は特になかった。マスク姿が増えていたものの、バンコック行のフライトはほぼ満員で、影響はまるで感じられない。この時点、コロナは中国だけの問題だと思われていた。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(2)回族の茶業者

そのまま川の方に戻ると、何ともレトロで良い感じの洋風建築のカフェがあった。タイの若者であふれており、川べりの席は無さそうだったので、そのまま歩いて帰る。夜は、かなり気になっていたコムヤーンカレーを食べてみた。豚ネックを使った、それほどスパイシーではないカレーは意外なほどうまい。カレーは北部タイ料理なのかと聞いてみたが、家では食べたことはない、との答えだった。チェンマイカオソイなどもカレー味だが、このカレーは一体どこから入ってきたのだろうか。

2月3日(月)

回族の茶農家

翌朝も宿で朝食を取る。そして昨日インストールしたGrabを初めて使ってみる。本日訪ねる茶農家は、何とチャンライ市内から30㎞も離れており、バスで向かうことは不可能だと聞いていた。ホテルでタクシーを頼めば、法外な料金を請求されかねない。Grabで検索すると300バーツで行けると出ている。だが本当にこんな遠くまで行くタクシーを見つけられるのか。

食後、Grabアプリで予約を押したところ、3分で来るとの表示が出たので慌てて、荷物を持ってチェックアウトする。表に出たところでタクシー到着の連絡はあったが、その車を見つけることができない。仕方なくメッセージでホテル名を再度打ち込むと2分ほどで、その番号の車と合流できた。

車は郊外の道を一直線に走る。車はきれいで、運転手は英語を話した。これなら外国人でも快適だ。目的地に行ってからGrabで帰りのタクシーを探すのは不安だったので、彼に頼んで待っていてもらうことにした。とても良い人で、滞在中の待ち時間は無料で良いという。確かに往復した方が実入りは良いのだろうが、こちらとしては何とも有り難い。

目的地は本当に田舎、それも住宅などもほぼない場所にあった。まさに農地、そして茶畑が少し見えた先に、工場と事務所があった。オーナーのジャルワンさんとは、2年半前に茶ツアーで一度訪問して顔は分かっていた。先方も日本人が中国語の通訳をしていたので、覚えていてくれたようで、にこやかに迎えてくれた。

彼女の特徴は何といっても、ヒジャブを被っており、一目でイスラム教徒と分かることだろう。そしてタイのイスラム教徒なのに、華人であること、これも我々には理解が難しい。今回はこの辺の謎をたっぷり聞こうと訪問したわけだが、その壮大な一族の歴史には正直驚いてしまった。俄かには信じられない話も出てくる。

彼女のお爺さんの故郷は雲南省。生まれた村は全員が回族だという。そしてその先祖はチンギスハンだと言われたが、いきなり言われても歴史が繋がらない。勿論雲南回族は以前馬班と言われ、ホースキャラバンを率いてこのエリアの物流を担っていたと聞く。それと関連があるのだろうか。よく調べてみる必要がある。

現在チェンライのイスラム教徒は、タイ・パキスタンとタイ・雲南の2系統がいるという。そして昨日見た清真寺は雲南系が建てたもので、一大勢力であり、現在その勢力を束ねる顔役は何と、あの鄭和の子孫だというではないか。確かに鄭和は雲南回族出身と言われているが、歴史とは何とも面白い。

話していると彼女の妹が入ってきた。妹はアメリカ留学経験があり、中国語より英語が得意だと言うので、後半は英語で話すことになる。この辺の言語適応力もすごい。彼女らのお爺さんが雲南からチェンライへ来た旅、お父さんが一代で築いた茶園、そして現在チェンライ市内にもスウィルンという名前で2店舗を持つ、姉妹で発展させる茶業、とても面白い。

茶畑の写真も撮った。以前はマンゴなどのフルーツ畑であったが、お父さんが全て買い取り茶園を広げていった。この辺の平地で茶樹が育つと思っていた農家はなかったというから、農業の才があったのだろう。台湾から技術を導入した四季春品種の烏龍茶をお土産に少し購入した。

あっという間に2時間以上が過ぎ、お昼ごはんを出してくれるというのを断って、車でチェンライバスターミナルへ向かう。この道、よく見ればチェンマイへの道ではないか。よく分かっていれば、ここからチェンマイ行きのバスに乗ることもできるのかもしれないが、既にチェンマイ行きチケットを購入していたので、市内まで戻ることになる。

ターミナルに着くと、購入したバスの時間まで1時間以上あったので、早いバスにチェンジしようとしたが、何と変更不可だった。仕方なく新たに購入してバスに乗り込む。何で変更できないのだ。ちゃんと確認しなかったこちらが悪い。しかしそうであれば、少なくとも郊外の新バスターミナルへ行けばよかったと後悔する。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(1)チェンライを散策すると 

《チェンライ・チェンマイ茶旅2020》  2020年2月1日-4日

タイ北部にはこれまで何度も行っているが、今回は華人調査の一環で訪ねることになった。2年半前に訪問した中で、興味を持った茶農家、果たしてどんな歴史があるのだろうか。

2月1日(土)チェンライへ

又ドムアン空港にやってきた。今回はタイライオン航空でチェンライへ向かう。その前に、また一風堂でラーメンと餃子を食べてしまった。水が一本ついているので、これを持って飛行機に乗り込む。コロナウイルスの影響で空いているかと思ったが、国内線の影響はさほどないようで、かなりの席が埋まっていた。国際線の方はほぼ中国人団体の姿が無くなり、かなり空いているように見えた。

ウトウトしていると飛行機は着陸してしまう。実質1時間の旅はやはりバスに比べて楽だ。手荷物も少なく、すぐに外へ出る。チェンライは何度も来ているが、以前は市内へ行くにはタクシーしかなかった。ところが今回路線バスを発見して、思わず乗り込む。路線はよく分からないが、街には慣れているし、Googleもあるので、20バーツ支払って席に着く。

バスは郊外からどんどん進んで市内へ入る。見慣れた風景も出てきたが、最終的には私が望んだ方向に向かわず、市内バスターミナルで降りた。ここは前回来た時は大改修工事中だったのだが、きれいに出来上がっていた。予約した宿までの道は分かっているので軽やかに歩く。

ところが宿に着いてびっくり。なんと昔の定宿が単にリニューアルされただけだった。きちんと地図も見ずに料金だけで予約したのは間違いだった。しかもきれいになった分以上に料金は高くなっている。部屋に入ると間取りは何ら変わらず、バストイレは異常に狭い。これで1400バーツも取るのはどうだろうか。ただきれいなフロント、プール、そして朝ご飯会場が光る。

夕方、P先生がご主人と一緒に来てくれた。Pさんは2年半前の北部タイ茶ツアーでお世話になり、その後も東京や静岡、和歌山でも会っている。だが昨年の彼女主催のお茶イベントには参加できず、最近はご無沙汰が続いていた。今回は、チャンライ・チェンマイでのアポにご協力頂いたこともあり、お忙しい中、会ってもらった。

庭に野菜が植わっている、何とも素敵なレストランでランナー料理をご馳走になる。北タイの料理、エビのてんぷらなどもあり、なぜか好みに合っている。ランナー王国の由来など、もう少し勉強してみようかとも思う。タイの茶産業、やはりコーヒーに押されており、政府の支援もどこまで期待できるか、ということらしい。お茶の歴史を研究する人もタイにはほとんどいないといい、資料も乏しい。なかなか厳しい現実がある。

2月2日(日)チャンライ散歩

翌朝は宿で朝食をとると暑くなる前に出掛ける。チャンライの街はこれまで何度も歩いているが、今回は少しアングルを変えてみる。古めかしい時計台のロータリーを過ぎると大きな市場がある。その裏辺りにも立派な寺があり、よく見ると何となく華人に関連しているようにも見える。その辺をフラフラすると、漢字が書かれた廟などが見えてくる。当然ながら内陸の交易都市チェンライには華人が多い。道路標示にも漢字が書かれているのが特徴的だ。

ムスリムの大きな清真寺もあった。10数年前に改修されたという。華人以外のムスリムも多いのだろうが、清真寺であれば中国系だろうか。よく見れば、漢字で雲南の文字も見え、謎は深まる。その付近にはハラール料理のレストランなどもあるようだ。更に歩いて行くと古墳のような場所があり、広い公園になっていた。何とも今風、インスタ映えする物がたくさん置かれているが、人影はなかった。

山岳民族博物館にも入ってみた。ちょうどビデオ上映があるというので急いで部屋に入ったが、何とドイツ語だった(後で日本人参加者が来たので、日本語版をもう一度見た)。それでも画面から内容は推測できるのが面白い。タイ北部の少数民族の分布など、興味深い内容であり、茶に関連したと思われる民族についても多くを知ることができる。

フラフラ歩いていると1914年に建てられた、チェンライ初の教会が建っていた。更に行くと実にうまそうな食堂があった。華人の店だとすぐに分かる。地元のお客で溢れていた。飛び込んで、何とか席を見つける。出てきた豚バラ入り麺は期待通りの濃厚なスープでうまい。幸せな気分で外へ出ると、隣のマッサージ屋が『中国加油』を掲げていたが、これはオイルマッサージとかけているのだろうか。残念ながら中国人観光客の姿は多くない。

一度部屋で休んだ後、気分がよかったので午後もまた出掛けた。川を越え、30分以上歩いた。向かった先はブルーテンプル。チェンライには白を基調とした美しいホワイトテンプルがあり、観光客で賑わっているが、それにあやかってか、ブルーのお寺も作ってしまった。確かにブルーだ。そして本堂内部が鮮やかだ。だがここも中国人観光客は少なく、白人が少し目立つだけだった。

ヤンゴン茶旅2020(6)チン州のこと、そして

1月22日(水)

チン州を思う

昨晩Iさんに教えてもらったので、川沿いにあるブリティッシュ・カウンシルへ行ってみた。ここには図書室があり、英語で書かれたミャンマーの歴史などがあるだろうというのだ。ストラッドホテルの隣に英国大使館があり、その横に附設されている。セキュリティーはさすがに厳しいが、パスポートを提示するだけですぐに入れてくれた。

にこやかな老人がこちらを見ていたので尋ねようとしたところ、横から女性係員が『係員は私です』と言って私が探している本の内容を聞いてくれたが、『お茶関連の本はない。歴史本なら多少』という感じだ。ここは元々英語教育の教材などを提供する場らしく、英語を勉強する若者が来ていた。それでも2階でミャンマーの歴史に関する古い本を紐解いて、参考にした。

続いて、ダウンタウンに華人図書室を探す。ここは前回訪ねていたが、場所が分からなくなっていた。先日Tさんに再度確認して行ってみるとちゃんとあるではないか。階段を上ると漢字の本がズラッと並んでいる。その中から、華人関連の歴史を探してみる。壁には華人の集合写真などもあり、ここの歴史が少しみられた。ここの利用者は極めて少ない。既に若い世代は漢字が読めないのだろうか。

宿に戻る途中に、昨日誰もいなかったチンレストランの前を通ると、従業員がいたので入っていく。お目当てのサブティを注文すると、オーナーが出てきて流ちょうな英語で、チン州の魅力を話し出す。やはりチン州は今、コーヒーであり、茶はほぼないという。サブティはチンの雑炊だろうか。チキンを入れてもらったが、かなりさっぱりしていて食べやすい。

私は今回の旅の初めから、インドのアッサム、インパールを目指したいと思ってきた。インド、ミャンマー国境は長年、第三国人(外国人)の通行が制限されてきたが、昨年ぐらいから陸路通行が可能になったらしい。もし国境を越えるなら、ミャンマー側はチン州になるようなので、期せずしてチンに入ることは出来そうで、今から楽しみだ。夢は大いに膨らむ。

午後は疲れたので部屋で過ごす。日本と2時間半の時差があるので、相撲中継は1時半から3時半まである。今日も炎鵬が勝ち、徳勝龍、正代も勝った。果たして誰が優勝するのか、益々楽しみが増えていく。後は帰りの準備をするだけだ。ちょっとスーパーでティーミックスを買い足しておく。これがあれば体調が悪い時などに重宝する。それでもスーツケースはガラガラだ。

夜飯を暗くなってから探しに行く。近くに野菜や果物、魚を売る露店が並んでいる。最後の夜なので薄暗い屋台で食べたい物を注文して食べる。魚の煮付けと煮卵、味が濃くてご飯に掛けると何ともうまい。これぞミャンマーに来た感じがする。何だか昔のミャンマーの思い出に浸る。

1月23日(木)

バンコックへ

翌朝は朝食をしっかり食べてから、チェックアウト。気が付けば1週間、ずっと同じ宿に居た。タクシーは1万チャットですぐに来てくれ、早々にお別れだ。朝の渋滞もそれほど激しくはなく、思ったより早めに空港に着いてしまった。何とタイスマイルのチェックインは2時間前からでまだ始まっていない。

空港内、きれいなカフェなどが増えている。2時間前に行くと既にチェックインが始まっているのがミャンマーらしい。出国審査も簡単に終わってしまい、時間が余ったので、搭乗ゲートより前の店をフラフラ見て回る。空港でもティーミックスは売っているが、市内の1.5倍から2倍ほどする。やはりスーパーで購入して正解だ。

その先に本屋があったので、立ち寄ると、洋書ばかりが置かれている。書店の名前を見てびっくりした。何と紀伊国屋ではないか。なんでこんなところに紀伊国屋があるのだろうか。店員に聞いてみると、ヤンゴン市内に店舗はなく、ミャンマー唯一の店舗が空港だというのだ。そして日本の本は全く置かれていない。一体どんな戦略でここへ出店したのか、是非聞いてみたい。

バンコックにもある和食屋、山小屋もこの空港内に出ている。このミャンマー出国直前に和食を食べる人はいるのだろうか。またタイの国民ドリンク、Cha-Thaiも出店している。東南アジア戦略を加速するこの会社、ミャンマーで果たしてタイ茶は受け入れられるのだろうか。

搭乗時間になり、機内に入ると、中国人観光客がCAからマスクをもらっている。この時点で、中国でのコロナウイルス関連の情報が既に開示され、旧正月前日の今、武漢は封鎖されたと聞く。だが東南アジアの片隅にまで、その影響が及んでくることは、およそ想定で来ておらず、白人も我々もマスクをする人はほとんどいなかった。

ヤンゴン茶旅2020(5)ヤンゴン大学を訪ねるも

『口福』という同じ名前の店が二つ並んでいるが、今日はカジュアルな方へ入る。店内は中国人観光客で満員だ。前回もお会いしたGさん夫妻が待っていてくれた。Gさんは写真家であり、現在はブログなどでミャンマー情報を発信している。更にはインド国境を度々訪れて写真を撮っているということで、非常に有益な旅及び民族情報を幾つも教えてもらった。そしてミャンマーではなぜ茶をラペッというのか、という根本問題にもヒントを頂き、感激。

 

果敢レストランということで、前回は敢えてケシの実スープなども飲んでみたが、特に中国料理と大きくは変わらない。ただ果敢地区はミャンマー側から外国人は実質入れないし、中国側からも簡単には入れないと聞いており、その名に惹かれてやってくる客が多いのは事実だろう。

 

帰りもフラフラと歩いてみる。公園を通りかかったので、ちょっと寄ろうとしたが入場料がいるというので止めた。この近くには餃子の王将が店を出していた。あまりに疲れたので、冷たいコーラを飲んで休む。ひと息つくとすぐに元気になるのはすごい。最後は前回も行ったピンピンの火鍋屋の前を通る。横には新しくマッサージ屋が併設されており、更にビジネスを拡大したことが分かる。若いのにやはり彼女はやり手だ。

 

1月21日(火)
ヤンゴン大学へ行くも

そろそろ疲れがピークに差し掛かる。朝食にも少し飽きてきたので、食欲も落ちる。午前中は休むつもりだったが、何となく散歩に出た。いつもと反対方向へ歩いて行くと、立派な教会があった。モスクもヒンズー寺院もある。ダウンタウンは相当広いのだと分かる。ただ華やかさはない。

 

シティーマートがあったので入ってみる。どんなお茶を売っているか、見るためだ。例の張さんの鉄観音茶も、一番小さい袋は売っていた。果敢茶もあった。でも圧倒的に珈琲が多い。お茶では何といってもティーミックス。私も疲れた体に良いかと、ティーミックスを買って帰る。

 

ついでに昼ご飯を食べに行く。日本食の店で弁当という選択肢もあったが、時間が早過ぎて開いていなかった。結局先日行ったチン州レストランを訪ね、チンのかゆを食べようと思ったが、何と店は開いているのに、誰もおらず、湯気だけが立っていて、食べ損ねた。仕方なく、近くでモヒンガーを食べる。600チャットで、安定のうまさ。

 

部屋に帰ってテレビを見る。大相撲がいつになく面白い。白鵬も鶴竜も早々に休場。小兵力士が活躍し、幕尻力士が優勝争いの先頭に立つ。ここ数年の面白みのない、停滞した相撲界に下克上が起こり、ワクワクする。せっかくヤンゴンに居るのだからと言われても、面白い物を見たい。

 

相撲が終わったら、外へ出た。昨日教えてもらったヤンゴン大学の図書館を訪ねてみようと思ったわけだ。地図で見ると結構遠い。タクシーの運ちゃんは道が分かるというので乗り込む。渋滞もあり、1時間近くかかって、正門に辿り着き、そこで図書館の場所を訪ねて何とか行き着く。

 

図書館は立派だった。係員も英語ができたので、茶に関連した本を探していると告げると『まずはHPで検索してから来てね』という。折角ここまで来たのだからというと、『実は既に閉館時間で帰るところよ』と言われ、愕然。大学の図書館が午後4時過ぎに閉まるとは、学生はいつここを利用するのだろうか。

 

係員の女性たちは足早に立ち去り、電気も消されてしまった。仕方なくキャンパス内を散歩すると、ちょうど卒業シーズンなのか、記念写真を撮る学生たちがいる。学内は静かで居心地はよさそう。宿舎もあるようなので、もし図書館が役立つようであれば、ここに1泊してみたい気もする。

 

既に閉まっている横門を開けてもらい、外へ出た。ここにはインヤーレイクがある。ちょっと湖の写真に撮ろうと、セーリングクラブに入ってみる。さすがイギリス植民地だから、こういうクラブは沢山ある。更に先に行くと、湖の脇に散歩コースがあり、夕暮れ時、たくさんの人々が歩いていた。私もロッテホテルに向かって歩いてみた。

 

暗くなったので、今晩の待ち合わせ場所へ歩いて向かう。僅か15分ぐらいのお店だったので、楽勝と思っていたが、場所が分からず迷う。それでも予定時刻より早く着いてしまった。ここはこじんまりした、雰囲気の良いカチンレストラン。お知り合いのIさんが選んでくれたお店だった。カチン料理を味わう。日本人に非常に合う味だ。

 

お店でお酒が飲めないのも、私にとっては好都合。カチンの茶をお願いすると、緑茶が出てきたが、質が良い。店主はバンモーの出身だと言い、そこには茶畑もあると言うが、残念ながら外国人は入れないときっぱり。Iさんからも、ミッチーナには行けるけど、山の中はねえ、と言われてしまう。帰りはIさんにタクシーを拾ってもらって、何とか帰る。やはりGrabぐらい使えないと、色々と困る。

ヤンゴン茶旅2020(4)ヤンゴンに留まって

1月19日(日)
再びSSと

ヤンゴン4日目、そろそろ疲れが出てくるタイミングなので、午前中は休養日に当てた。このホテルもNHKワールドプレミアが映るので、先週の女子に続いてボーっと都道府県対抗駅伝を見て過ごす。福島がまさかの出遅れ、長野が劇的な逃げ切り。箱根や実業団駅伝ランナーが多数出てきて、面白い。高校駅伝を見ていなかったので、高校生はよく分からないが、栃木出身の松山君が学法石川所属のため、福島から出ているのがちょっと残念だった。

 

12時半にタクシーを拾う。今日はSSとの約束で、イタリアンレストランに向かう。運転手は分かったと走り出したが、着いたのはピザハット?仕方なくSSに電話して、何とか辿り着く。遅刻してしまったので、既にアイちゃんはピザを頬張っていた。スパゲッティやらサラダも出てきて、テーブルの上はかなり賑やかだ。昔はSSと言えばホットポットだったのだが、今やイタリアンが常道だ。

 

久しぶりのTTMもいた。確か高田馬場以来だろうか。TTMの御主人とも初めてお話しした。TTMは最近自由奔放に動き回っており、今回もバンコックから帰国したばかりであり、午後も集会が入っているという、慌ただしいスケジュールの中を会ったことになる。まあ二人の娘も母になり、自身も落ち着いたので、好きなことをしてもよいだろう。昔はかなり苦労したはずだから。

 

TTMたちとは別れて、またSSの家に行く。アイちゃんとも相当馴染んできており、遊び相手となる。5歳の女の子のことはよく分からないが、言葉が通じなくても非常に楽しい。何でも遊びになってしまうのもすごい。ニセ爺さんを2時間もやっていたら、疲労困憊になってしまうが、アイちゃんの勢いは全く衰えない。

 

結局SSが晩御飯を作ってくれて、それを食べてから帰る。SSは何と先日私がFBに投稿した内容を覚えており、『イカが食べたいんでしょう』と言って、イカ炒めまで作ってくれた。何とも有り難い。テレビではNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の初回が二週間遅れてスタートしていた。何だかきれいな大河ドラマだが、明智光秀の前半生を詳しく描くと言われており、ちょっと気になる。川口春奈も気になるが、やはり門脇麦が気になる。

 

タクシーを呼んでもらい、宿に戻る。NHKを点けると、何と夜中に卓球全日本選手権の男女シングルス決勝が放映されている。男子は張本が、同年代の宇田に競り負けた。これではオリンピックどころではない。女子も準決勝で伊藤美誠を破った早田ひながその気負いのまま、石川佳純に勝ってしまう。オリンピックには一番調子のよい選手、中国人に勝てる選手を選ぶべきだろう。

 

1月20日(月)
まさにフラフラ

本来今日あたりはミャンマー北部へ出掛けているはずだった。そのためにバンコックへ帰る飛行機を23日にしてあったのだ。ところが当てが外れる。出来れば初めてカチン州に踏み込みたいと考えていたのだが、カチン州は現在でもその多くの場所が外国人立ち入り禁止区域になっており、許可がなければ茶畑に入ることもできない。そもそもどこに茶畑があるのかも分からないのだから話にもならない。

 

都市であるミッチーナぐらいにはせめて行きたいと思ったが、そもそもミャンマー国内の飛行機代は非常に高い。国際線であるバンコック行きの2倍ぐらいするのだから驚いてしまう。そして正味二日ぐらいいるだけで、茶畑があっても山に入ることはできないでは、コスパは非常に悪い。これは一度撤退だろう。

 

何かミャンマー史や北部山岳民族の歴史などでヒントになるものはないかと思い、すぐ近くにあるさくらタワーに行く。そこには日本人会があり、ミャンマー関連の図書もあると聞いていた。行ってみると何と同じフロアーには、昔お訪ねした人材紹介会社のオフィスが規模を拡張してそこにあった。

 

図書室にはかなり本が置かれていた。その中でミャンマー関連の物も一か所にまとめられており、さすが日本だ、効率的で有り難い。係員に断ると、自由に閲覧できた。そして何冊か気になる本を見つけた。借りることは出来ないので、その場で読んでいく。ミャンマー史は通り一遍のものも多いが、かなり詳しい物もあり、参考にする。特にミャンマー人が書いた現地史には、これまで知らなかったことが多く書かれていた。

 

それからゆっくり歩いて博物館を目指した。日差しはそれほど強くはないのだが、歩いているとジワジワと汗が出てくる。鉄道の線路を越えて、西の方へ向かう。30分以上も歩いて博物館に辿り着いたが、何と今日は月曜日で休館日だった。仕方なく、ランチの約束場所がある、更に西に向かった。

 

そこは前回も来た果敢レストランであったが、よく見るとすぐ近くに大きな中国大使館があった。更に少し行くと、何とヤンゴン環状線の鉄道駅もあるではないか。これなら鉄道に乗って来ればよかった、と思ったが、後の祭り。まあ電車もいつ来るか分からないが、歩きで疲れ果てた。