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バンコックの茶商を訪ねて2018(9)なぜかホーチミンで半日

10月23日(火)
ホーチミンへ

翌日は朝早く起きて、チェックアウトの準備をした。一応Yさんとのコーヒータイムは確保したが、すぐにスワナンプーム空港に向けてタクシーに乗り込んだ。ベトナム航空のバンコック往復、行きはハノイ経由だったが、帰りはホーチミン経由にしてみた。そしてホーチミンを出るのは深夜便として、半日滞在を画策した。

 

空港には早く着き、出国審査も順調で時間があったので、パンなどを食べながらネットして過ごした。飛行機は相変わらず混んでおらず、簡単な機内食も出てきて、快適な空の旅となった。

 

ホーチミンの空港にはほぼ定刻にランディングした。入国審査は係員によって『ノービザなら帰りのチケットを提示せよ』と指示されることがあるが、私はチケットではなく?すでにバンコックで発券された成田行きのボーディンパスを見せたので、先方がちょっと呆然となった。こういう乗客はいないのだろうか。

 

わずか半日滞在にシムカードを買うかどうかも悩んだが、やはり地図機能などが必要なので、一番安いものを購入して装着した。今や街中でスマホなしの移動は考えられない。完全にからめとられた感あり。昔は地図やガイドブックを持って歩いたものだが、今や格好悪い。

 

空港を出ると端の方にバスが停車していた。ホーチミン市内行きのバスに乗り込むと、何と料金は5000ドン。タクシーなら15万ドンぐらいだからこれは安い。車掌の男性が『どこへ行きたいか』と聞いてきたので、早々スマホでホテル名を出すと親切に教えてくれた。荷物はリュックサック1つだけで、大きな荷物は成田までピックアップ不要というのは非常に気楽でよい。

 

市内までは小1時間かかったが、それほどの渋滞もなかった。乗客の乗り降りは結構あり。ベンダイン市場あたりで降りようかと思っていたが、ちょうど改修工事中だった。車掌もこの一つ先で降りろ、と指示してくれ、無事に到着した。実は待ち合わせていたホテルも改修中であった。ホーチミンは今、改修ブームなのだろうか。

 

ホーチミンに来るといつも会うKさんと待ち合わせて、スタバに行った。このスタバはベトナム一号店だったと思う。今や若者で賑わい、席の確保が難しい。ドリンクは決して安くはなく、丸亀製麺のうどんより遥かに高い。それでもこれだけの人がいるというのはやはり、ベトナム経済、特に中間層の所得の伸びが感じられる。

 

Kさんからはベトナムの現状について、様々な情報をもらう。これは一般報道などで語られる物とはかなり違っており、実に参考になる。ベトナムの一般庶民はどう考え、どんな行動をしているのか、ということは、ベトナム人と一緒に生活している人にしかわからない。Kさんの話は大いに参考にさせてもらっている。

 

あっという間に2時間ほど話し込んでしまう。スタバを出ようとすると、何と突如大雨が降り出して、身動きが取れなくなる。足止めを食らえば、また話を聞く。ホーチミンの日系企業の動きや地下鉄工事の現状など、話はどんどん具体的になっていき、面白くなってきた。ちょうどその時、夕飯の約束をしていた台湾人から連絡が入り、そちらへ向かうことになる。

 

張さんとは、1年前にこの地に来た時に知り合った。その後有難いことにFBなどでコメントを何度も寄せてくれ、私の活動に大いに関心を示してくれており、折角なので、夕飯を一緒に食べることになっていた。スタバからすぐ近くの焼肉屋を予約してくれ、そこへ向かおうとしたが、先ほどのスコールで道は水浸しで歩き難い。こういうインフラはこれから修繕していくことになるのだろうか。

 

焼肉屋では既に張さんが肉を注文して、沢山運ばれてきていた。彼はホーチミン台湾人学校に勤めているが、学校が終わると駆け付けてくれたに違いない。なんとも嬉しい再会となる。彼も茶の歴史を勉強していたことがあり、話題は自然とそちらに向かう。私の活動状況はFBでほぼ見ているようで、質問は『あそこへ行っただろう?どうだった、何が見付かったか』と言う感じだった。こういう会話は非常に楽しい。

 

ベトナム茶の歴史は相変わらず、なかなか手掛かりが得られない。何とかこじ開けるルートを見つけたい、というと、ホーチミンには老舗茶荘はない、という。特に華人系はベトナム戦争時に移民してしまい、歴史は分からないようだ。ベンダイン市場付近に古そうな茶荘が1つあったから見に行こうと言われ、彼のバイクの後ろに乗って向かったが、既に廃業?しており、店はなかった。

 

張さんと別れて、空港行バス乗り場へ向かう。タクシーでもよかったが、昼間のバスの安さに惹かれてしまっていた。大きなバス停でバスを待っていたが、乗り場が違うと言われる。バスがなかなか来ないのでちょっと心配になったが、ようやくやってきたので乗り込む。若い女性車掌に5000ドンを渡すと『2万ドンだよ』と言われ驚く。何とバスは2種類あるようだ。ルートが違うらしいが、所要時間はほぼ同じで料金4倍は解せない。が、仕方がない。

 

空港に着いてもチェックインの必要もなく、出国審査と税関検査には時間が掛かったが、その後はスムーズに搭乗した。夜中の空港は少し涼しく、快適だった。機内ではあまり寝られないうちに成田に着いてしまう。フライト時間5時間ちょっとというのはやはり中途半端だったが仕方がない。家で昼から寝てしまう。

バンコックの茶商を訪ねて2018(8)ホアヒンからバンコックへ

10月21日(日)
バンコックへ

翌朝は小雨で始まったが、すぐに止んでくれた。こういう場所で雨に降られると途方に暮れる。今日はこの旅を終了して、バンコックに戻ることにしていた。その前に最後に海を見に行こうと出掛ける。まずは今日のバスチケットを購入する。これによりここでの滞在時間が確定する。

 

朝の飲み屋街は実に閑散としている。もうこういう場所に夜足を踏み入れることもないが、何とも懐かしい雰囲気だけが僅かに残っている。朝のビーチ、それも雨上がりはかなり爽やかで鮮やかだった。それから朝ご飯を探して歩き回るも、コスパの良いものに出会わず、また宿近くで食べることになる。折角リゾート地だから、それらしいものを食べたいと思うのだが、やはり私には観光地料金には相当の抵抗があるということだろう。

 

10時のバスは時間通りに来るのか心配したが、大型バスがちゃんと定刻前にやってきた。乗客は数人しかいない。本当にオフシーズンなんだな。電車に比べたコスパは分からないが、僅か150バーツでバンコックまで運んでくれるというのだから有り難い。バス自体はかなり老朽化していたが、改善される気配はないようだ。

 

バスは快調に飛ばし、バンコックに入る時に少し渋滞があったものの、今日は日曜日ということもあってか、スムーズに進行した。ただ初めての南バスターミナルはかなり西の方に在り、驚く。おまけにターミナルの前で右折できないため、極めて大回りしてようやく到着する。知っている人々はターミナル前の路の反対側でいち早く降りてしまっていた。それでもホアヒンから3時間の道のりだった。

 

車掌のおばさんが『どこへ行くんだ』と外国人を気にして声を掛けてくれる。私はすかさず『507番のバスに乗りたい』というと、ああ、ターミナルから出ているよ、と言ってくれ、そのバスを指さしてくれたので安心した。しかしこの路線バスも、進行方向に向かうまでにターミナルの周囲をぐるっと回らなければならない。一体どういう設計をするとこうなるのだろうか。507番は定宿のすぐ近くまで乗り換えなしで行けるので利用してみたのだが。

 

最初は殆ど乗っていなかった乗客も川を渡った頃から増え始める。そしてチャイナタウン付近から渋滞となり、バスは動かなくなる。タクシーではどのくらいかかるのか分からないが、定宿近くまで1時間半以上バスに乗っていた。料金は僅か12バーツで嬉しいのだが、冷房が効きすぎて、最後は凍えるような寒さを覚えた。バスを降りると足が固まっており、一気に伸びをして、暖かさを体に入れた。

 

バンコックで
定宿に戻るとすぐに洗濯物を出した。最近は洗濯物が気になるのに、自分では洗わない、という習慣が定着し、余計に気になっている。定宿のおばさんとは顔馴染みだが、そろそろその子供たちの時代が近づいており、息子や娘も顔を覚えるようになってきており、何も言わなくても私のしたいことが分かっている。こういう何気ない付き合いは嬉しい。

 

昼ご飯は食べておらず、猛烈に腹が減った。何が食べたいのか分からず、取り敢えずショッピングモールへ向かう。そうだ、やはりここは日本食だ。それも出来ればとんかつ、と頭が回り、昔行ったことがあるとんかつ屋を目指す。この店、以前はかなり大きかったが、少し前に移転し、分かりにくい場所で細々営業している。

 

まだあったことがまずは嬉しい。そしてなぜか店内にインスタントラーメンのうまかっちゃんが展示されてあるのを不思議に眺めた。夕方5時前なのに若いタイ人カップルなどが上手そうにとんかつを食べている姿は微笑ましい。キャベツもたっぷり、肉も悪くない。久しぶりに満足感に満ちていた。

 

10月22日(月)
バンコックにて

今朝も天気はちょっと曇り。いつものようにYさんとコーヒーを飲み、外に出て、コムヤーンを食べる。それから午前中は部屋で過す。そして昼も又Yさんと近所の食堂で食べる。 ここは旅先というより自分の家にいる感覚だ。それからバイタクに乗り、エンポリアムに向かう。

 

ちょっとMUJIで買い物をしようと思ったのだが、ここにはユニクロしかなかった。検索するとサイアムドランゴン方面にあると分かり、わざわざ出かけていく。時間が余っていたのでちょうどよい。バックが壊れたので、新調する。軽いのが良いのでここに来たのだ。輸入品なら日本より高いと思っていたが、20%引きになっており、変わらぬ値段で買えたのは嬉しい。

 

それからMさんとの待ち合わせで、アソークに戻る。彼女には先日ヤワラー探索でお世話になったが、その後集友茶行には一緒に行けなかったので、その報告をした。更には8月のお茶会で出会ったHさんも合流した。彼女は熊本山鹿の出身であり、山鹿と聞くだけで興味深い。勿論地元では明治初期の紅茶伝習所の話など誰も伝えてはいない。彼女は来月からご主人の関係でスリランカに転勤になるという。またお茶に関係ある場所、ご縁は続きそうだ。

バンコックの茶商を訪ねて2018(7)ホアヒンで

もう夕方なので散歩がてら、ビーチの方へ歩いていく。途中に立派なホテルがあった。セントラという名前だったが、ここは1922年にホアヒンが開かれ、鉄道駅が出来た際、ラーマ7世に会うために来る人々のために作られたレイルウエイホテルだと聞いた。なるほど広大な敷地に威厳が感じられる。敷地内の見学が警備員に優しく止められてしまう。

 

ビーチに行くと岩が多く見られた。ホアヒンとは『石頭』という意味らしい。結婚式の写真撮影なども行われ、静かな夕暮れが見られた。少し歩くとヒルトンホテルがあったが、そこから上がることもやはり優しく止められ、その横から登ってみると、何と清水祖祠が観音廟と並んであるではないか。ここもやはり福建、それも安渓系華人が多いことを窺わせた。向こうを見ると、小さな漁港のようになっており、ここから上陸したらしい。

 

一度宿に帰る。テレビを点けると、世界バレーを生中継している。それもロシア対日本。タイチームは既に敗退していたが、日本戦を毎日中継していることにはちょっと驚く。一方日本で開催されている世界バレーなのに、日本のテレビ局は日本戦しか放送しないらしい。これは一体どういうことだろうか。今後の世界選手権は中国や中東など、資金力のある国での開催が有力だとも聞く。

 

結局日本の試合をずっと見てしまい、気が付くと夜も8時を過ぎていた。腹が減ったので外へ出てみたが、近所にあるのは酒を飲むようなところばかり。一軒だけ屋台が出ていたので、そこで手早く炒飯を食べて満足する。そこにはちょうどランドリーがあったので、明日は朝からここに洗濯物を出そうと思う。

 

10月20日(土)
翌朝はぱらっと雨があった。それが止むとすぐに外へ出た。洗濯物を出すためだったが、何と明日は日曜日なので、お渡しは月曜日だと言われ、凹む。それなら明日バンコックに戻って洗濯することにしよう。観光地なのに日曜日が休みとは。きっとピークシーズンならこうではないだろう。この週末は、ちょうど休暇の間らしい。

 

宿の近くを歩くと、そこには野菜や魚を売る市場があった。その前を楽器を鳴らしながら歩く一団がいた。派手な衣装を着たおばさんが踊りながら歩いて行く。何をしているのかはよく分からないが、商売している人のところに寄っていくから、なにがしかをもらっているのだろう。

 

とにかく歩いてみることにした。北の方へ向かい、街道沿いを歩くが、延々と車が走るだけであまり面白くない。途中でビーチの方へ曲がり、海を眺める。何もないが、これはこれでよい。雨が降りそうな気がしたので、一旦宿に戻ることにした。宿の近くまで来ると、ブレックファーストという文字が見えたので、そこに入る。

 

いわゆるオールデイ・ブレックファーストのメニューで料金も安め。白人などでかなり賑わっていた。だが私がオーダーしてから20分経っても何も出てこないので、さすがにクレームした。白人たちも待たされていたが、クレームはしていないようだった。これが文化の違いだろうか。スタッフは人が足りず対応が遅れたと謝っていたが、マネージメントの問題だろう。食事自体は悪くないので残念だった。

 

午後はお休みしようかと思っていたが、天気が回復してきたので、また外へ出た。今度は歩くのを止めて、ソンテウに乗ってみることにした。市場の辺りから幹線道路を走っていくと聞き行って見ると、ちょうどソンテウが出てしまった。どこに行きたいかと聞かれたが、よく分からないので、適当に広告を指してみると、そこへ行くのは反対側と言われ、停まっていたソンテウに乗り込む。

 

カオ・タキアップ、という場所に向かった。僅か10バーツの料金が嬉しい。幹線道路を行くと、ショッピングモールやスーパーがあり、次々に人が降りて行く。中国人観光客も乗っており、降りる所が分からず困っていた。20分ぐらい乗っていると、殆ど乗客はいなくなり、幹線からも外れていく。そしてここで降りて後は歩け、と言われてしまう。

 

少し歩くとビーチに着く。そこには岩山があり、よく見るとかなり立派な観音像が建っていた。取り敢えずそこを参拝する。皆が階段を上って行くのでついていくと、廟がある。その付近には猿が沢山いて、ちょっと怖い。更にそこを上って行くと、海がよく見えた。しかも下には廟があったので、そこまで歩いていき、敷地に入った。だが廟は頂上にあり、階段が凄かったので、行く気力はなく、坂を下った。

 

下は小さな漁港になっており、今では観光客用の魚市場、そして魚料理の食堂になっている。ここには中国人もいて、盛んに魚を買って調理法を指示していた。ソンテウの場所まで戻り、また10バーツで乗る。宿近くで降りて、その付近の廟とパレスを散策する。そのあたりには観光客用のバーが沢山あり、夜は賑やかなのだろう。帰りに麺を食べて宿へ。その辺からかなり強い雨が降り、外へ出るのは止めて、部屋でバレーボールを見て過ごした。

バンコックの茶商を訪ねて2018(6)チュムポーンからホアヒンへ

10月18日(木)
チュムポーンで宿を変わる

今朝もいい天気だった。ホテルの簡単な朝食を食べ、部屋の窓から風景を眺めていた。今日はホテルを変わらなければならないので、泊る宿探しが目的の外出をした。道に出ると、何だかお祭りの行列、白装束の人々が船の模型などを引いて通り過ぎて行く。やはり華人の一団だ。この時期は各地でお祭りが開催されているのだろうか。

 

ちょっと細い路地に入ると、その先にきれいなホテルが見えた。庭も広く、ロビーも吹き抜けで気持ちがよい。料金も高くないので気に入ってチェックインした。部屋も今よりは快適で、ホテルを変えて正解だったと思えた。ただフロントの女性が英語は出来るのだが、タイ的なソフトは対応がなく、ちょっと残念だった。荷物を前のホテルに置いたままだったので、急いで取りに行く。

 

昼は新しいホテルのすぐ近くにあった飲茶屋に入る。先日スラッターニーで食べたのとシステムは同じだったが、何とここには肉骨茶があった。これは食べてみねばと注文すると、想像以上に濃厚で美味しかった。しかしオーナーは華人ではなく、ハジャイ辺りで修行して、ここに店を出したというのだ。タイ南部は何とも福建のにおいがするが、タイ人もそこに少し入り込んでいるのだろうか。

 

午後は恒例となった昼寝に勤しむ。そして夕日が沈むのを部屋の窓から眺めて、外へ出た。昨日見付けた夜市に向かっていくと、まだ明るいのにご飯を食べている人々がいたので、釣られてカオマンガイを食べてしまった。何のプレッシャーもなく、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る生活、これは一つの理想だろうか。

 

10月19日(金)
ホアヒンへ

今日の朝は少し雲がかかっていた。ホテルの朝食はそれなりで、期待を下回った。昼に電車に乗るので、取り敢えず午前中は街の散策に当てる。教会なども見え、ここも昔は交易がかなりあったのだろうと想像するが、今は本当に静かな田舎町だ。いや沢木耕太郎が来た時もそうだったはずだ。

 

昼にホテルを出て駅へ。12:46に来るはずの電車はほぼ定刻に来た。ここからバンコックまでは約7時間らしい。乗り込むと指定席はほぼ満員で、何とか自分の席に辿り着く。外国人の姿も見え、意外と人気の路線なのかもしれない。席も心なしかゆったりとしている。でもスペシャルだったのはこの後。

 

何と車掌の女性が飛行機のCAの様にワゴンを推して登場し、何とランチを配ってくれた。周囲の人はもう食べ終わっているのか、私にだけくれた。でも食べたものか迷ってしまう。すると隣のおばさんが『美味しいから食べてみなさい』というようなタイ語で語りかけてきた。開けてみると、何と魚の煮つけと白いご飯。この魚、いわゆるサバの味噌煮の缶詰のような感じなのだが、それでも久しぶりで美味しく完食してしまう。確かにスペシャルだった。

 

列車はほぼ民家も何もない風景の中を走っていく。本当に開発も何もされていない場所が沢山ある。途中で海が見える所もあった。この路線は海岸沿いを一路バンコックに向かっているのだ。また車掌がドリンクとスナックを持って現れた。途中から乗った人は時間によってサービスが異なるようだ。ずっと乗っていればそのサービスを受け続けることができる。

 

3時間ちょっと乗っていると、フワッと言う感じでホアヒンに到着した。ちょっと慌てて荷物を下ろして下車する。ホームの端には立派な貴賓室が見える。皇族はここを使うのだろうか。さすが皇室の避暑地として開かれた街、だけのことはある。駅自体もかなりおしゃれな雰囲気が漂い悪くない。大勢の観光客が写真撮影に励んでいる。

 

ホアヒンで

天気は曇りで雨が降るかもしれないと感じ、早めに宿を決めようと思った。週末の観光地ということで、事前に一応ホテルが固まっている場所を確認していたが、最後はフィーリングで決めるつもりだった。駅前からフラフラ歩いていくと、いくつかホテルがあったが、どうもしっくりこない。そんな中、ふと見上げると、貸し部屋のような看板があった。ホアヒンだから欧米人の長期滞在もあるのだろう。

 

階段に近くづくと、1階に作られた小さなカフェの女性が声を掛けてくる。彼女がオーナーのようで、かなり広い部屋だが1000バーツでどうかと聞いてくる。取り敢えず見に行くと、その部屋は2ベッドルーム、どう見てもファミリータイプで100㎡以上ありそうなコンドミニアムだ。1人で泊ってもよいというので、面白いのでそこに決めた。エレベーターがないので、階段で3階はちょっと大変だが、まあ良い運動だ。

バンコックの茶商を訪ねて2018(5)チュムポーンへ

フラフラ歩いてホテルに戻ろうとしたその時、目に入ったレストランがあった。何だか蒸篭が積み上げられている。入ってみると、肉や野菜、シュウマイなどを自分で選び、蒸してもらって食べる。皿も小さいので一人飲茶でも大丈夫だ。これはいいといくつか注文して待つ。食べてみるととても本格的でうまい。お茶もあったので頼んでみたが、水が悪いので、美味しくは感じられない。

 

オーナーは華人で英語がうまいのでビックリ。更には日本人だと分かるととても親切にしてくれ、あれこれ説明もしてくれた。やはり日本人はここでは珍しい存在のようだ。かなりお客が入っているが、ほぼ地元の人だろう。喫茶店の代わりに使っている人もいるし、食堂としてくる人もいるようだ。

 

宿に帰り、休息する。それほど日差しが無くても、暑いのだ。窓の外を見ると天気は下り坂。軽く雨が来そうだと思い、昼寝していると夕方になってしまう。また外に出てひたすら歩く。特に見るべきものもないので、寺へ行ったが、本堂は開いておらず、おまけに犬に追い出された。仕方なく川沿いを眺める。そこには露店の食堂も出ていたので、夕飯はまだ日も暮れていない中、ここで叉焼入りの炒飯を食べることにした。これが意外とうまく、幸せになる。

 

10月17日(水)
チュムポーンへ

翌朝もロビーで軽く食べて、チェックアウトした。今日は少し北上してチュムポーンへ行くことにしていた。昨日確認したところでは、バスターミナルの一番端から、ミニバスが出ていた。恐らく朝は便が多いと思い、9時前にホテルで呼んでもらったトゥクトゥクに乗って行ってみた。

 

そこに着くとミニバスは停まっており、私がチケットを買うと皆が乗り込み始め、すぐに出発となった。最後の一席だったようだ。もし少し遅れていたらかなり待たされたかもしれない。段々旅の勘が働いてきており、嬉しい。ミニバスはかなり窮屈なのでちょっと困るが、我慢する。

 

バスは舗装された道を快調に走っていく。途中で結構乗り降りがあったが、予定通りほぼ3時間、180㎞の道のりを経てチュムポーンの街に入った。すると皆がどんどん降りて行く。運転手が『お前はどこで降りるんだ?』と聞いているようだったので、スマホで検索して、それらしいホテルを指さすと、ちゃんとそこまで運んでくれて助かった。

 

昼間のホテルがガランとしていた。余程空いていると思い、『2泊』と告げると、何と『明日は満員だから出て行ってね』と言われて驚く。まあこの街は1泊でもよいので、取り敢えずチェックインした。部屋はガランと広いが何もない。まあ窓からの眺めは良い。外はビヤガーデンのようなものが見え、夜は煩いのかもしれない。

 

まずはチュムポーン駅に向かった。この街にいる理由はただ一つ。沢木耕太郎が深夜特急でこの街に降りたから、だけだった。しかも彼は夜中に宿が無くて困っていたはずだ。今や昔の話である。だから駅は必須アイテム。ちょっとおしゃれな駅舎に入ると、ちょうど電車が来る様子だった。そうだ、ここから次のホアヒンまでは電車に乗ろうと思い立つ。

 

駅で聞いてみると、この昼過ぎの列車はスペシャルらしい。何がスペシャルか分からないが、取り敢えず明後日のチケットを買った。これで明日の夜もここに泊まる必要が出てしまう。駅の周辺にはSLが展示されていたりはするが、昔の面影、は無さそうだった。ちょっと寂しい。

 

そのまま街を散歩するが何も見出せない。ちょっとウエスタンスタイルのレトロな変わったレストランがあったので、入ってみた。中は地元の客で満員だった。雰囲気は悪くないのだが、どうもあまりタイ人とはフィットしない。おまけに店員は忙しすぎて注文は忘れられ、いつになってもランチにありつけない。海鮮オムそば??を食べた後、ちょっと不愉快で店を出る。まあ田舎でよいサービスを求めたのが間違いだったのだ。

 

部屋に帰るとまた昼寝をしてしまう。まあ、タイ人も暑い時は昼寝して涼しくなると活動するのだから、それでよいと思う。夕暮れ時に窓から夕日が見えるのが良い。暗くなると外に出て食べ物を探す。何となくジャンクな気分になり、街中のケンタッキーに入ってしまう。ここのセットはお得だし、ドリンクもフリーだから、偶には良い。

 

そこから駅の方に向かうと屋台街があるのを発見する。木造の家の前に煌々と電気が点いている。子供が母親を手伝って懸命に働いている。何となく沢木耕太郎の世界に近いものを感じたので、こちらで食べればよかったと後悔したが、後の祭り。まあ明日の夜もあるか。駅前の派手なディスコが興を削ぐ。

バンコックの茶商を訪ねて2018(4)スラッターニーへ

10月15日(月)
スラッターニーへ

翌日は一応体調も回復し、定例のYさんとの珈琲でスタートできた。昼前にタクシーでまたドムアン空港に向かう。もうすぐ着いてしまうことには慣れてしまったが、それでも早めに着いてしまう。今日は初めて乗るライオンエア。勝手が分からず戸惑うが、まあ国内線の旅、問題はない。

 

スラッターニーという全く未知の街へ行く。そのワクワク感は良い。荷物検査を越えるとまだ時間があった。ふと見ると、何とラーメンの一風堂が店を出しているではないか。今日はご飯を食べていなかったので、思わずラーメンと餃子を頬張る。6月に福岡本店に食べに行ったが、味はほぼ同じで料金はこちらの方が若干安い。素晴らしい。

 

ライオンエアは特に問題はなかったが、何だかちょっと運転が荒い?ような気がした。着陸時の衝撃は結構あった。後日インドネシアで飛行機が墜落するなど、懸念がある。サービスは1時間のフライトではよく分からなかった。ああ、とにかく無事に着いたのは祝着至極だ。

 

スラッターニー、この街を訪れることを選んだ理由は特に何もない。ただ南部はハジャイに行ったことがあり、今回の日程上、バンコックに戻れる場所として一番南の街だったというだけだ。勿論何をする必要もない。見るべきものも知らない。こんな旅が最近は好きなのだ。

 

空港は地方らしく小さい。荷物もすぐに出てくる。さて、街にはどうやって行くのか。シャトルバスがあるというので、乗ってみることにした。100バーツ、これは異常に高い。タイの地方都市の空港関連の交通は本当に不便だ。わざと不便にしている利権があるのだろうが、もうそういう時代ではない。バスが出来たのも最近のことだという。

 

バスは満員になるまで出発しなかった。というよりフライトが少ないので、乗りたい人全員を収容したのかもしれない。バスは郊外の舗装道路を走り、20分ぐらいで街に入った。一体どこで降りるのが良いのかも分からず、周囲をキョロキョロしていたら、大きな通りの角にきれいなお堂が見えたので、そこで降りた。

 

そこからなぜか川沿いを歩かずに街中に切り込んだ。華人の雰囲気が満ちている。少し歩くと、ちょっと雰囲気の良い宿を見つけた。新しくオープンしたとかで、プロモーションしており、安くて、広くて、きれいなホテルに泊まることができた。机はあるかと聞くと、何と部屋には小さな書斎スペースまである。これも何かのお導きだろう。朝食はないが、ロビーには常に飲み物とクッキーが用意されていて、快適そうだった。

 

取り敢えずバスターミナルを目指して歩き始めた。すぐに川沿いに出た。この辺が最初に栄えた場所なのだろう。川の風景がやけにきれいだ。福建系の寺があり、やはりタイ南部の華人は福建系が中心なのだと確認した。それからさらに別の寺では、炎が上がり、華人のお祭りが行われていた。それはこの街の中心は華人だと言わんばかりの目立ちぶりだった。

その付近にバスターミナルがあったので、この次に行く予定のチュムポーン行きのバスを探したが、見付からなかった。ターミナルの外のバス会社にも問い合わせたが、バンコック行などはあっても、途中のチュムポーン行きはないと言われる。どうなっているのだろうか。唯一あったのは350バーツもするミニバスだけ。どうするかは明日考えようと思う。

 

歩いていると夜市があった。働いている人にお年寄りが多いことが少し気になった。やはり若者は都会に行ってしまったのだろうか。体調はかなり回復していたが、食べ物には気を付けようと思い、近所で麺を食べて夕飯とした。家族でやっている小さな屋台なのだが、何となくほのぼのとした。美味しく食べられたので、体調は大丈夫ではないだろうか。ホテルのロビーでコーヒーを飲んでみたが、蚊が凄くて、すぐに退散した。

 

 

10月16日(火)
スラッターニー散策

朝、1階でインスタントコーヒーとクッキー、そしてバナナを食べた。朝飯はこれで十分だ。そのまま街の散歩に出た。昨日バスを降りたお堂に行ってみようと思ったが、まずは橋を越えて向こう岸に渡ってみる。歩いていくとのどかな風景が広がり、このまま歩いて行っても、街からどんどん離れてしまうので引き返した。

 

橋のすぐ近くには、また別の橋があり、川に沿って小さな島があった。そこはきれいに整備された公園になっており、タイの田舎町とは思えない優雅なスペースを構成していた。コ・ランプパークという名前らしい。人は殆どいないが、地元の老人がのどかに散歩している。

 

もう一度橋を渡り、白亜のきれいなお堂を見学する。ちょうど数人が懸命に掃除をしている、恐らくこれから誰か偉い人が参拝に訪れると言った雰囲気に満ち満ちていた。このお堂、チェンライにも似たようなものがあったように思う。文字が読めないので由来などは何も分からないが、見ているだけで幸せな気分になれる。

バンコックの茶商を訪ねて2018(3)ヤワラーに残る老舗茶行

10月12日(金)
再度ヤワラーへ

メーソットからドムアン空港へ降り立つと、かなり疲労感が漂っていた。やはり本調子ではない。ただ特に予定もなかったので、ゆっくり空港バスに乗り、地下鉄に乗り換えて同宿に戻った。基本的には3日ほど休養するつもりだった。その旨を伝えにYさんにところに行く。

 

ちょうど話がヤワラーの茶商になった。そうか、先日発見した茶荘の末裔が、『ヤワラーに福建出身の古い茶荘が残っている』と言って、電話までしてくれていた。折角だから彼には会いたいと思ったが、店の場所もよく分からない。するとYさんの会社のスタッフの一人が華人系で、中国語の住所をタイ語に訳して、その場所を示してくれた。

 

そこはファランポーン駅から近かった。電話を掛けると、『明日と明後日は休みだから月曜日に来い』と言われたが、月曜日はもういないかもしれないと思い、『今から行く』と答えてしまった。もう体調のことなど、すっかり忘れてしまい、慌てて宿を飛び出した。地下鉄でファランポーンまで出て、歩いていくとその店はすぐに分かった。

 

集友茶行、この名前も安渓商人の中に入っていた。まさかまだあるとは夢にも思わず、ちょっと興奮気味。中に入ると奥でオーナーの王さんが、お茶を淹れていた。ちょうど台湾人のお茶好き女性が飛び込んできて、3人で工夫式で淹れた鉄観音茶をお茶を飲みながら話をした。

 

この店は王さんのお父さんが若い頃、大いに繁盛したという。97歳のお父さんは健在で、今はバンコック郊外で娘家族と暮らしているという。恐らくはお父さんに聞けば、先日の建峰茶行のことも含めてバンコック茶業界のあらましが分かりそうだったが、それは叶わなかった。

 

それでも王さんから、ヤワラー付近の華人茶商の変遷など、貴重な話を幾つも聞いた。やはり無理しても来てよかった。伊藤園が80年代に出版した『福建烏龍茶』という本を持っていて驚いた。林奇苑の集合写真もこの店の中に保管されていた。あそことは親戚関係にあるのだという。どんどん謎が解けていく。

 

今やバンコックも華人の数が減り、茶を飲む人口も減少しているという。建峰のようにヤワラーを出ていく人も増えている。実は王さんも店はここにあるが、自宅はずっと前にバンナーに引っ越しているというのだ。ヤワラーは生活空間ではなくなってきているのだろうか。王さんの代がいなくなるとタイの華人も完全なタイ人になってしまいそうだ。

 

店を出ると急激に疲れが出てしまった。やはり無理だったのか。気持ちが切れてしまい、ほうほうの体で宿に戻る。その際、近くのパン屋でブドウパンなどを買い込んでみた。宿に帰ると、なぜか食べたくなり、むしゃむしゃ食べた。それからは食事も取らずずっと寝ていた。水分だけは買い込んでおり、とにかくひたすら休息する。これは病気ではなく、単なる疲れだと分かっていたので、その点は安心だった。

 

10月13日(土)
翌日朝起きても体調はすぐれなかった。取り敢えず溜まっていた洗濯物をいつものように1階に出しに行き、後はまた寝ている。そういえばミャンマーのモウラミュインにいた時もなぜかホテルでNHKが見られた。この宿も見られたので、ボーっとテレビ画面を見ていた。それでも少しも回復の兆しはなく、食事も全く頭になかった。

 

普通なら半日寝ていれば、腹が減って起き上がり、外で食べ物を求めるのだが、不思議なほどにその気配がない。洗濯物を回収しても、それ以上は何もしたくない。疲れているので、いつも受けるマッサージすら、その気分になれない。どうすればよいのかと考えているうちに日が暮れてしまう。また残りのパンをゆっくり食べて寝てしまう。また旅の過程である体の調整だろう。

 

10月14日(日)
不思議なことに眠れるのだが、食欲はない。そして熱もなければ、体の痛みもない。腹の調子も悪くない。こいつは何年に一度かという『動きたくない病』に掛かったらしい。全身の力が抜けており、いわゆるやる気がない状態だ。こんなことは久しぶりだが、ちょうど頑張る必要もないので放置していた。

 

それでも明日はタイ南部に向かう予定なので、何とかしなければならない。まあ旅に出てしまえば、最低限には動けることは分かっていたが、出来ればもう少しシャキッとしたいところだ。さすがに何となく腹が減ってきたので、昼にテスコで買い物した際、フードコートで麺を食べてみた。マズくはなかったが、全部は食べられなかった。

夕方にはまた腹が減った。やはりこういう時は日本食が良いのかと思い、近くの大戸屋まで出向いてみた。午後5時過ぎに行っても家族連れが何組もいて驚く。本当にバンコックには日本食が根付いている。私は無謀にもカツ煮定食を注文し、ほぼ完食した。やはり好きなものは食べられるのかもしれない。

 

バンコックの茶商を訪ねて2018(2)バンコックの2大茶商をついに発見

途中にきれいな寺があり、これかなと思って入ってみたが、違っていた。そこのお坊さんに中国語を使ってみても全く反応がなかった。ただここにお参りに来ている華人は結構いるようで、漢字の写真付きのプレートは嵌っていた。我々が思うチャイナタウンからは、だいぶ離れてきたように思われた。

 

更に進んでいくと、狭い路地のようになっていく。その奥にその廟、清水祖祠があった。奥の割には意外と大きい。そこにいた女性に声を掛けると一人は流ちょうな標準語を話した。この付近にはやはり福建系が多いらしい。そしてこの廟はあの福建省安渓にあった清水岩寺の分家だと分かりハッとする。

 

この廟の横はもうチャオプラヤ川なのだ。100年以上前、この辺りでは活発な貿易が行われていたに違いない。そして福建華僑の人々はここにお参りに来たはずだ。ちょっと暑いがいい風が吹いている。そこのおばさんが、『コーヒーを飲むいい場所がある』と案内してくれたのが、近くの見事なお屋敷。

 

昔コメ貿易で財を成した潮州系一族が暮らしていたようで、古い建屋が建っているのだが、今は末裔がダイビングをやるため、庭の真ん中はプールという極めて特徴的な場所だった。2階に一族関連の展示が少しあるが、ここも川にほぼ隣接しており、往時は米の輸出を激しく行っていたと想像できる。2階で冷たいお茶を啜ると心地よい。タイ華人や白人が来ており、穴場の観光地と化している。

 

取り敢えず腹が減ったので、ヤワラーに戻り、飲茶を食べる。ちょっと暑かったこともあり、そこで休息方々、2時間以上もしゃべり続けた。その後Oさんとは別れ、Mさんともう一つの調べに出掛けた。前回ここに来た時、台北の有記茶荘のお茶を売っている、と言っていたところがあったが、今一つ言葉が通じなかったので、Mさんを通訳に確認に行く。

 

そこはやはり、王有記の店だと分かった。有記は2代目がバンコックで開業しており、その末裔かと思ったが、それもちょっと違うらしい。この店のオーナー、4代目は不在だということで詳しいことは分からないが、店の男性は『実は王有記はもう一つあるよ』というではないか。

 

その場所を彼は簡単に説明してくれ、遠くはない、と言ったので、何となくその方向へ歩き出した。ところがタイ語で確認していたMさんは『そんなに近い訳はない』と言い出し、周辺で聞き込みを始める。でも誰も知らない。仕方なく、唯一得た場所のキーワードを頼りに、トゥクトゥクに乗り込み向かう。かなり走った後、政府機関の前で停まる。

 

もうこの辺はヤワラーではないが、漢字の看板は多い。飛び込みでMさんが聞き込みすると、何と近くにあることが分かり、ついには発見に至る。そこにはきちんと漢字で王有記と書かれているではないか。店の女性に聞いたがよく分からない。そこに4代目店主の女性が帰ってきて中国語で話が聞けた。この店の前身は約100年前に開業した、まさに2代目有記だった。もう感激だ。

 

色々と話を聞いたが、取材された英語記事なども見せてもらい、理解を深めた。今は姉弟で経営しているというが、跡取りはいないので、今後がどうなるかはちょっと心配だ。ヤワラーのような観光地ではないので、中国人や台湾人観光客も期待できない。地元民はどんどん茶を飲まなくなっている。さて、どうなるのか。

 

そこでタクシーを拾った。午前中に訪ねて引っ越した人と連絡が着いたのだ。ただそこはヤワラーからは遥かに離れた場所だった。車に揺られて30分以上かかった。一体どこへ行ってしまうのだろう。着いたところは立派な中華レストランだった。そして2階に上がると、そこにリバービューの席がある。夕暮れのチャオプラヤを見ながら、美味しい広東料理を食べた。

 

ここのオーナーはどこにいるのか、ずっと待っていたが来なかったので、もう一度聞いてみると何と隣で食事をしていた女性だった。この人が我々の探していた建峰茶荘の末裔。茶荘を閉めてレストランを興したのかと思っていたが、一応今も茶荘は続けていると言い、1階に看板も置かれていた。ついにここまで辿り着いたか、と感激はひとしお。今回はこれで目的達成と喜んだが、更にここで次の手掛かりを得る。茶のご縁はどんどん繋がっていく。

 

10月5日(金)
ヤンゴンへ

翌朝もコーヒーを飲んでチェックアウト。タクシーでドムアン空港に向かう。今日も又道は極めてスムーズで、30分以内で空港に到着した。朝ご飯を食べていなかったので、周囲を見渡すと、和食の看板があったので入ってみた。だが出てきたのは和食というより、もどき。それでもまあ食べられるのでよい。サボテンがあった時代が懐かしい。

 

今日は珍しくエアアジアに乗る。最近はこれに乗る必要がなく、何となく敬遠していたが、今回は時間の関係で乗る。私が買ったチケットにはなぜかご飯をついており、私だけが食べることになって恥ずかしい。皆ヤンゴンへ行く時荷物は手荷物だけなのだろうか。1時間のフライトでは食べ物は要らない。

バンコックの茶商を訪ねて2018(1)リベンジのヤワラー探索

《バンコックの茶商を訪ねて2018》  2018年10月3-5日、12-15日、21-23日

僅か1か月ちょっと前に行ったばかりのバンコック。今回はビザ免除になったミャンマーに行くついでに、ほんのトランジットのつもりで飛んで行った。だが1か月前のヤワラー攻略戦の不完全燃焼を抱えたままでは終われない。ちょうどバンコック在住のMさんが、タイ語の部分をサポートしてくれることになり、ある資料を手掛かりに、再度ヤワラーに分け入ることとなった。

 

10月3日(水)
バンコックまで

久しぶりに早起きした。午前4時、長男はバイトから帰ってきていた。午前5時過ぎの電車に乗って成田空港を目指す。7時半前に成田空港に到着したが、この空港はまだ完全に起き上がってはいなかった。店は7時半から開くらしい。今回選んだベトナム航空はすぐにチェックイン出来た。

 

3年前に同じベトナム航空でハノイ行きに乗った時は、確か1時間以上並ぶ羽目になった。その悪夢から逃れただけでもよかった。とにかくベトナム航空は安い。ベトナム経由のバンコック往復が3万円台、当然乗る人は多いと思っていたが、嘘のように人がいない。早過ぎただけなのか。

 

なぜかUAのラウンジが使えるというので行ってみたが、何と午前8時開門だった。どういう連携になっているのだろうか。実はベトナム航空はスカイチームの一員でありながら、最近ANAが資本参加しているというねじれ現象を起こし、複雑な状態になっていた。国内ではべトジェットに追い上げられているとも言われ、内部事情は厳しいのかもしれない。

 

やはり満席にはなっておらず、ゆったりと座席に着いた。フライトは順調、安いけれどLCCではないので、立派な機内食も出る。ほぼ寝込んでいると5時間ちょっとでハノイ空港に着いた。ここで2時間トランジットして、そのままバンコックに向かう。空港はきれいだが、特に何もないので退屈。トイレから外がきれいに見えるのはちょっと驚き。外からも見えるのだろうか?

 

バンコック行のフライトは本当にガラガラだった。だが成田で既に発券されたチケットには窓側の座席が指定されていた。CAに『通路側でお願いしたんだけど』というと、ドアが閉まったら、どこへでもどうぞ、と言われる。最近は指定された座席にしか座ってはいけない、と言われることもあったので、有り難く移動した。また機内食が出る。食べる。これは完全な赤字路線だ。夕日がきれいだ。

 

午後6時にはバンコックに到着した。シムカードを購入すると、同じAISなのに、8月のドムアンより100バーツ高い。何故なのだろうか。訳が分からないが購入するしか選択肢はない。電車に乗って定宿に向かう。ベトナム経由で丸1日が暮れ、暗くなって宿に着く。

 

10月4日(木)
ヤワラーリベンジ

翌朝はいつものようにコーヒーを飲む。終わるとすぐにMRTに向かう。今日はヤワラー調査のリベンジを決行する。ファランポーン駅まで行き、そこからは歩いてワット・トライミットへ。バンコック在住のMさんとインド在住で以前バンコックにも住んでいたOさんとの待ち合わせ場所を、有名なお寺にしたつもりだったが、二人とも、『初めて来た』というので、かなりビックリした。在住者は観光地には行かないものか。確かに日本人観光客は多くはないかも。

 

取り敢えずの手掛かりは、手紙のレターヘッドに書かれた茶荘。中国語で住所が書かれていたが、タイ語で何と言うか分からない。そこを解決したMさん、スマホでその場所へ連れて行ってくれた。だがそこの門は固く閉まっている。隣の人にタイ語で聞いてもらうと、数年前に引っ越していた。そこで手掛かりは途切れた、かに見えたが、後で奇跡が起こることになる。やはりMさんとOさんの二人のタイ語力は相当に役立った。中国語にプラス現地語、これが華人調査の基本だと知る。

 

取り敢えず、前回福建会館で教えてもらった廟に行ってみることにした。歩き出してすぐに、正大と書かれたビルに出会った。正大といえば、タイの華人が設立した大企業、あのチャローンポカパーン集団の中国語名なのを思い出すが、なぜこの小さなビルにこの名前が付いているのか。念のため警備員に聞いてもらっていたところ、車から降りてきた男性が英語で話しかけてきた。

 

ここがなんとあの大企業の創業の地だったのだ。そしてその男性は、創業者の孫世代に当たる一族の人であり、非常に驚いた。タイでは有名企業だが、タイに住む日本人はこの漢字の企業名は知らない。私のような者が歩いて初めて発見できるということを知る。タイ語も必要だが、中国語も必要であり、しかも一定の知識があれば、歩きは俄然エキサイティングになる。3人ともノリノリになっていく。

タイ巡礼、そして茶旅2017(21)ヤワラ―をふらつくも

8月2日(水)
空港へ行くまで

やはり少し長くバスに乗り過ぎたのかもしれない。首のあたりに疲れがたまり、少し頭が重い。そんな朝を迎えた。8時頃何とか起き上がると、ちょうど電話が鳴る。Yさんが階下に到着した合図だ。いつものようにタイ情勢や旅行業界の様子などを聞いて、情報収集に努める。

 

その後いつものように宿の向かいにコムヤーンを食べに行く。これはもうここに泊まったらマストアイテムになっている。おばさんも特に愛想よくしてくれるわけでもないが、一応席は空けてくれ、そこで食べさせてはくれる。今や半年に1度ぐらいしか来ない客となり、常連客からは外されてしまっている。しかしコムヤーンとカオニャオで45バーツの幸せ。何とも有り難い。

 

午前中は今晩の夜行に備えて、完全休養として、部屋で過す。この宿ではNHKが見られるのだが、何とお昼のニュースの後の番組、ひるブラというのを見ていたら、先日行った富山県朝日町が登場、しかも我々が世話になったKさんが何と生出演していたので本当に驚いた。バンコックでこれが見られるとは、かなり奇跡的なことだろう。すぐにFBで伝えると先方も『まさか海外まで自分の映像が流れていたことに驚いた』とのことだった。NHK、恐るべし。

 

昼になると下へ降りていき、Yさんたちとランチを取るのも恒例となっている。Yさんのところのタイ人スタッフが、ちゃんと席を確保して、メニューを選んでくれるので何とも安心できる。3-4人で食べて一人60バーツ程度と激安、激ウマなのがよい。その後、Yさんのオフィスにコーヒーを持ち込んで飲むのだが、その値段が55バーツだから、物の価値が分からなくなる。

 

部屋をチェックアウトして荷物を預け、出掛ける。今日はヤワラ―に昔の茶廠の痕跡を探しに行くことにした。冷房の効いた4番バスに乗れば一本で行けるのは知っていたが、何と乗り場が変わっているので、ちょっと驚く。何しろ言葉ができないのだから、こういうのは意外と困る。何とか乗り込んでチャイナタウン、ヤワラ―へ向かった。

 

ヤワラ―には何度も来ているのだが、どうも苦手だ。何しろ潮州系、客家系の街で普通話も通じにくいし、商売優先で話も聞きにくいのだ。だが今回もIさんからの無理強いがあり、重い腰を上げた。数十年前にバンコックにあった茶工場、茶商について知りたいというのだが、電話番号簿でも引けばという、そんな簡単な話ではなかった。

 

取り敢えず目に付いたお茶屋に入り、おばさんに『こんな名前のお茶屋が昔あったのを知らないか』と聞いてみるも首を振るばかり。その次の店も同じで、仕方なく、現在のヤワラ―で最大級のお店、三馬印へ行ってみた。だが何とここでも普通話すら通じない。何とか英語で対応してもらったが、何もヒントは出て来なかった。

 

更にふらふら歩いて見たが、どうにもならない。中国語よりむしろタイ語ができる人と一緒に歩かないと何もできないと知る。最後の店先にちょっと変わった名前を発見!『台湾南港茶』とは何ぞや。思わずこれを購入して、店のおばさんに聞いてみると『ああ、それは台湾のお茶じゃないよ』と軽くいなされてしまう。『じゃあ、なんで台湾って付いてんの』と聞いても、もう答えは返ってこなかった。

 

またバスに乗り、途中で地下鉄に乗り換えて、何とか宿に辿り着く。かなり暑くて疲れたので、宿のマッサージで時間を調整しようと考えたのだが、何と先客があり、『明日来てね』とつれない返事。私に明日はないのだ、と言いたいが、そのタイ語が分からない。それなら近所で探そうと、ウロウロし始めるが、なかなか見つからない。

 

ようやくかなり離れた場所で1軒、発見して中に入る。お客はいなかったので、すぐに足を揉んでもらう。『あっちが混んでいたの?』と聞かれ、ちょっと変だなと思っていると、何と斜向かいに日本人がマッサージ屋を開いたというのだ。私もそこを訪ねた客だと思ったらしい。次回はそちらへ行ってみようか。

 

少し早かったが空港へ向かった。地下鉄も結構混んでいたが、乗り換えたエアポートリンクは激混みだった。ちょうど退勤時間と重なり、空港へ向かう人、家に帰る人で長蛇の列となっていた。2台、乗れずに見送るという恐ろしい状況。本当に早めに出てきてよかった。ようやく乗れた3台目も超満員で身動きできず。途中で人がおり、何とか座れて助かった。空港では夕飯を食い、ネットをやって、ダラダラ過ごす。

 

夜10時のフライトはちょっと遅れてテイクオフした。何となく寝付けずに朝を迎えた。6時前の朝日はきれいだった。定刻にランディングして、家路を急ぐ。明日の夜からは世界陸上テレビ観戦のため、ロンドン時間で過すことになっている。時差ボケ解消が急務だった。もうこの旅を振り返る余裕はない。