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タイ巡礼、そして茶旅2017(21)ヤワラ―をふらつくも

8月2日(水)
空港へ行くまで

やはり少し長くバスに乗り過ぎたのかもしれない。首のあたりに疲れがたまり、少し頭が重い。そんな朝を迎えた。8時頃何とか起き上がると、ちょうど電話が鳴る。Yさんが階下に到着した合図だ。いつものようにタイ情勢や旅行業界の様子などを聞いて、情報収集に努める。

 

その後いつものように宿の向かいにコムヤーンを食べに行く。これはもうここに泊まったらマストアイテムになっている。おばさんも特に愛想よくしてくれるわけでもないが、一応席は空けてくれ、そこで食べさせてはくれる。今や半年に1度ぐらいしか来ない客となり、常連客からは外されてしまっている。しかしコムヤーンとカオニャオで45バーツの幸せ。何とも有り難い。

 

午前中は今晩の夜行に備えて、完全休養として、部屋で過す。この宿ではNHKが見られるのだが、何とお昼のニュースの後の番組、ひるブラというのを見ていたら、先日行った富山県朝日町が登場、しかも我々が世話になったKさんが何と生出演していたので本当に驚いた。バンコックでこれが見られるとは、かなり奇跡的なことだろう。すぐにFBで伝えると先方も『まさか海外まで自分の映像が流れていたことに驚いた』とのことだった。NHK、恐るべし。

 

昼になると下へ降りていき、Yさんたちとランチを取るのも恒例となっている。Yさんのところのタイ人スタッフが、ちゃんと席を確保して、メニューを選んでくれるので何とも安心できる。3-4人で食べて一人60バーツ程度と激安、激ウマなのがよい。その後、Yさんのオフィスにコーヒーを持ち込んで飲むのだが、その値段が55バーツだから、物の価値が分からなくなる。

 

部屋をチェックアウトして荷物を預け、出掛ける。今日はヤワラ―に昔の茶廠の痕跡を探しに行くことにした。冷房の効いた4番バスに乗れば一本で行けるのは知っていたが、何と乗り場が変わっているので、ちょっと驚く。何しろ言葉ができないのだから、こういうのは意外と困る。何とか乗り込んでチャイナタウン、ヤワラ―へ向かった。

 

ヤワラ―には何度も来ているのだが、どうも苦手だ。何しろ潮州系、客家系の街で普通話も通じにくいし、商売優先で話も聞きにくいのだ。だが今回もIさんからの無理強いがあり、重い腰を上げた。数十年前にバンコックにあった茶工場、茶商について知りたいというのだが、電話番号簿でも引けばという、そんな簡単な話ではなかった。

 

取り敢えず目に付いたお茶屋に入り、おばさんに『こんな名前のお茶屋が昔あったのを知らないか』と聞いてみるも首を振るばかり。その次の店も同じで、仕方なく、現在のヤワラ―で最大級のお店、三馬印へ行ってみた。だが何とここでも普通話すら通じない。何とか英語で対応してもらったが、何もヒントは出て来なかった。

 

更にふらふら歩いて見たが、どうにもならない。中国語よりむしろタイ語ができる人と一緒に歩かないと何もできないと知る。最後の店先にちょっと変わった名前を発見!『台湾南港茶』とは何ぞや。思わずこれを購入して、店のおばさんに聞いてみると『ああ、それは台湾のお茶じゃないよ』と軽くいなされてしまう。『じゃあ、なんで台湾って付いてんの』と聞いても、もう答えは返ってこなかった。

 

またバスに乗り、途中で地下鉄に乗り換えて、何とか宿に辿り着く。かなり暑くて疲れたので、宿のマッサージで時間を調整しようと考えたのだが、何と先客があり、『明日来てね』とつれない返事。私に明日はないのだ、と言いたいが、そのタイ語が分からない。それなら近所で探そうと、ウロウロし始めるが、なかなか見つからない。

 

ようやくかなり離れた場所で1軒、発見して中に入る。お客はいなかったので、すぐに足を揉んでもらう。『あっちが混んでいたの?』と聞かれ、ちょっと変だなと思っていると、何と斜向かいに日本人がマッサージ屋を開いたというのだ。私もそこを訪ねた客だと思ったらしい。次回はそちらへ行ってみようか。

 

少し早かったが空港へ向かった。地下鉄も結構混んでいたが、乗り換えたエアポートリンクは激混みだった。ちょうど退勤時間と重なり、空港へ向かう人、家に帰る人で長蛇の列となっていた。2台、乗れずに見送るという恐ろしい状況。本当に早めに出てきてよかった。ようやく乗れた3台目も超満員で身動きできず。途中で人がおり、何とか座れて助かった。空港では夕飯を食い、ネットをやって、ダラダラ過ごす。

 

夜10時のフライトはちょっと遅れてテイクオフした。何となく寝付けずに朝を迎えた。6時前の朝日はきれいだった。定刻にランディングして、家路を急ぐ。明日の夜からは世界陸上テレビ観戦のため、ロンドン時間で過すことになっている。時差ボケ解消が急務だった。もうこの旅を振り返る余裕はない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(20)一路南下してバンコックへ

ようやく宿に帰って遅めの朝食を頂く。ここもやはりビュッフェではなく、アラカルトのチョイスだが、サラダやフルーツなどは自分で取りに行くスタイル。この辺にも華僑ビジネスっぽさが出ているかな。美味しく頂き、その後は疲れた体を休めるため、シャワーを浴び、部屋で休息する。これが何とも心地よい。

 

昼前に動き出し、取り敢えず軽く麺を食べる。そのまま日差しが強い中、歩き出す。ホテルの部屋から見えた寺を目指してみる。その途中にあった寺では信者向けの講話が行われているようで、本堂には入れない。かなり熱心な信者が暑い中、扇風機の風に吹かれながら講話を聴いている。

 

その先にお目当ての寺があったが、特に見るべきものもなく、あまりの暑さに退散し、夕方まで部屋で休憩した。そして意を決して再度出動。歩いて行くが、夕方で日差しが弱い。着いたところはワット・スワンタンという名前らしい。敷地はかなり広く、ここの建物はすっきりしていてよい。それから満を持して?もう一度昨日は小坊主が掃除していて入れなかった寺へ向かう。この寺は、何とも白が効いていて、建物にキレがあり美しい。

 

夕飯を探したが、適当な物がなく、結局いつものカオマンガイになる。何とも古めかしい建物で営業しており、地元民が引っ切り無しにやってくる。女子高校生も学校帰りに食べている。暗くなると部屋に戻り、シャワーを浴びると眠たくなり、ぐっすりと寝入る。この旅もいよいよ終わりに近づいているが、その感慨などはない。

 

8月1日(火)
バンコックへ

今朝も早起きした。6時半の朝食開始と共に食堂へ行き、慣れた感じで朝食を食べた。そして8時のバスに乗るために7時半には宿をチェックアウトし、宿で予約した車に乗り、橋ターミナルへ向かった。あんなに近いのに100バーツも掛かるなんて、やはり華人経営だ、などというつもりはない。

 

本当に時間通りに事が運ぶと、待ち時間が長くなる。その上8時発だというのに、そして始発だというに、なぜか予約したバスは来ないのだ。何か間違いがあったのかと思い、オフィスに聞くも『ウエイト』と言われるだけで埒が明かない。他の会社のバスが行ってしまうとかなり心配になる。

 

結局15分遅れでバスが来てすぐに乗り込み、出発した。座席は一番前で前に広い空間があり荷物を置けたので便利だった。お菓子と水も配られたが、取り敢えず寝ることにした。まだ先は長いのだ。それから元来た道を戻っていく。プレーに停まり、ランパーンの手前で南下した。一番前の席は外がよく見えるのがよい。

 

5時間ほど乗ったところで休憩があった。何とこのサービスエリアはこのバス会社専用のもので、麺でもご飯でも一食は無料で食べられるという。乗車中はあまりものを食べない私だが、無料となるとつい手が出てしまうのはちょっと卑しい。軽く麺を取る。ここは巨大な場所で、体育館のようだ。土産物も売っているし、スナックも買える。バス料金の安さから考えても、日本ではできないサービスだな、と思う。

 

それからまたバスに揺られて南下する。交通の十字路のような場所に標識があったが、昆明1460㎞、ヤンゴン607㎞、ビエンチャン509㎞、ダナン1010㎞というのを見ると、まさにここがアジアンハイウエー、東南アジアの交差点だということがよくわかる。ヤンゴンやビエンチャンがそんなに近いとは驚きだ。それにしても中国の南下政策はどうなるだろうか。今度この辺を拠点に4つの都市に行ってみるのも面白いかもしれない。

 

後はただただ南下を続けた。知らない地名が多く、バスターミナルにも停まらないのでよくわからなかった。一応バスは10時間でバンコックに着くとのことだったが、暗くなる頃には、当然のように渋滞が待っており、何時着くとも知れない状況となっていた。ただそれも見慣れたドムアン空港付近まで来ると後は何とかなり、約12時間かかって午後8時に北ターミナルに戻って来た。今回の旅の初めに夜の北ターミナルを出てから18日が経っていた。

 

11. バンコック2
定宿へ

それからは以前と同じ、バスと地下鉄を乗り継ぎ、今回は定宿へ帰還した。約1時間で到着した。正直疲れてはいたが、慣れたところへ戻ると、何となくホッとする。案内された部屋は以前と違っており、その設備もかなり良くなっていた。電気ポットが導入されたのは何とも有り難い。そして懸案だったWi-Fiも繋がったようだ。これで普通のホテル並みになったと言えるだろう。努力したんだな。

 

腹が減った。午後9時を回っていたが、宿のすぐ近くの屋台が開いていたので、そこに座る。スキヘーンとご飯で十分にお腹いっぱいになる。結構辛かったので疲れた胃腸には堪えたかもしれない。それをコーラで優しく癒す?如何にもタイ流の食事の仕方だ。私もようやくタイ人に少し近づいたかもしれない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(19)よそ者に優しいナーン

10. ナーン
ナーンの宿

ナーンのバスターミナルは街から少し外れたところにあった。その周囲にはホテルがあるようには見えなかったので、取り敢えずバイタクを拾い、街中を目指す。予想通りお寺の間を縫うようにバイクは走っていく。そして街の真ん中のホテルの前で停まった。ここはこれまでと違って、そんなに古い感じではなかった。

 

1泊1000バーツとポンと言われ、一瞬他を探そうかと思ったが、面倒だからやめた。部屋は極めて簡素、そういえばフロントは華人系だったから、そういう経営なのだろう。タイ人のようなゆったりとは根本的に違うのだ。それにしてみれば、ホテルの建物の作りがちょっと不思議。中にかなりの空洞があり、無駄なスペースが多い。

 

外へ出ると小雨。隣には木造の雰囲気のよさそうな宿があり、こちらに変えようかと思ったが、ネットで見る限り宿代は2倍以上するので止めた。取り敢えず雨が上がったので外を散歩する。少し歩くとちょうどいい感じのお寺があったので中へ入り拝む。仏塔の形がよい。

 

既に昼を大きく過ぎており、ご飯を食べる場所が見付からない。ツーリストインフォメーションで聞いた方向へ進むと博物館らしきものが見えてきた。場所がよくわからずまごついたのだが、広い敷地の中にあるかなり古い洋館だった。ただ館内は改修中のようで展示物はほぼ見られなかった。残念。ほんの少しの写真などもタイ語しか表記がなく、意味は不明。唯一あったのがブラックアイボリーと書かれた不思議な像だった。

 

ようやく麺屋を見付けて飛び込む。優しい感じのおばさんが『日本から来たのか?』と英語で聞いてきたのにはちょっと驚く。ここの麺、大根や卵、内臓系などの具がいい。一気に汗が噴き出すと、扇風機を回してくれた。何となくホッとする空間だった。この近くにもゲストハウスがあるようだった。こちらへ越してこようかなと思うほど、のどかだった。何となくここの人は外国人慣れしているように思える。

 

フアクワンという中国系の寺が見えた。1500年代に出来た寺だという。中では新車のお祓い?をしてもらう信者がいた。日本は神頼みだが、ここではすべてが仏頼みなのだ。本堂に入るとすると、年老いた僧が2階を指して、皆が寝ている、という感じのジェスチャーをしたので上がらず退散した。

 

そのすぐ向こうにクリーム色の寺があった。何とも南国風な寺だった。ここに安置された数体の仏像はなかなかいい感じで長く座っていたかったが、ちょうど坊さんが掃除に来て邪魔そうだったので退散する。ワット・ミンムアンという大きな寺にも行ったが、ここも小坊主たちが掃除をしていた。午後のこんな時間が掃除タイムなのだろうか。

 

その道路沿いにバナナクレープを売る屋台があり、思わず買ってしまった。実に甘いのだが、疲れている体には心地よい。天気もすごくよくなって汗が出ていた。その後ナーンで一番有名なワット・プミンを訪ねる。堂に安置されている仏像は四面体。何となくすべての顔が違い、信者はそれぞれの好みで拝んでいるように見える。外では夜市の準備が始まっている。この付近が観光スポットらしい。

 

最後にもう一つ大きな寺に入ると、そこでは掃除をさぼっている小坊主と目が合う。中に一人だけきちんと箒を動かしている者がおり、好感が持てる。彼は一体何のために箒で掃いているのだろうか。ふとそんな思いに駆られるほど、熱心に掃いていた。夕暮れが近づき、宿に戻る。

 

暗くなると腹が減る。外へ出ると自然に市場に突き当たる。そのすぐ近くにパッタイの屋台が出ていた。おばさんたちがやっている。そこでパッタイを注文したが、言葉が通じていないのに、ちゃんと会話しているような心地よい雰囲気があり、好感が持てる。『おもてなし』とは本来このような物だろう。パッタイもイケる。夜を軽めに食べると寝心地もよい。

 

7月31日(月)
ナーン散歩

翌朝は相当早く起きた。暑くならないうちに郊外の寺まで行ってみるようと試みだ。宿からは3㎞以上ありそうだったが、交通手段がないので仕方がない。大きな道路沿いに歩いて行くと、何となく寺に導かれているようだ。前を托鉢僧が歩いているのもよい。ワット・プラチャ・チャエハーンに着いた頃には日も高くなり、薄っすら汗をかいていた。

 

この寺は規模が大きい。そしてきれいな仏塔がそびえている、特徴のある寺だった。寺は塀で囲まれていたが、開いているところがあり、そこから滑り込む。付近は公園のようになっており、敷地は相当に広い。仏塔の前でじっと眺めた後、またテクテクと宿の方へ戻っていく。

 

ナーンはラオスの国境に比較的近いせいか、漢字の看板が多く見られる。華人が中国からこの地までやってきて住み着いたことがよくわかる。何となく外から来た人間に寛容なのはこのせいかもしれない。宿泊先もそうだが、商売をしている家が多い。OTOPの店があり、開いていたので入ってみる。茶が売られていたので、取り敢えず買ってみる。何しろタイの茶産地は、チェンライ、チェンマイとここナーンの3県しかないのだ。今回はその3県を制覇したのだ。

タイ巡礼、そして茶旅2017(18)プレー寺巡り

7月29日(土)
プレーでゆっくりお寺巡り

翌朝は相当早くに目覚める。朝食はホテルで取ったが、やはりお客は少なく、寂しいビュフェだった。まあ、私はお粥があれば満足だから文句はない。ホテルのすぐ近くに有名なお寺があると聞き、出掛けてみた。確かに近かったが、そこには貴金属の売り買いをする市が立っており、日曜日の朝から賑わいを見せていた。まさに門前市だ。

 

ワット・ジョムサバーン、このお寺は素晴らしかった。1850年代に創建されたが、その後イギリス商人の支援もあり、1930年代にビルマ式を導入して、木造の立派なお寺が出来たという。石段のところにいるおばさんに一礼して上がると、本堂は天井が高い。そこは何となく日本の寺のようであり、懐かしい感じがして、何かに包まれたようにしばし動かずに仏像を見つめた。

 

朝のさわやかな風が吹き抜ける中、本堂にじっと座っていたが、それに飽きると外へ出る。仏塔が見えたので近づくと、その中に小さな仏像が見えた。ちょうどお参りに来た女性がそこへ入り、熱心に祈っている。私も祈りたかったが、邪魔はしたくなかったので、明日の朝またここへ来ることに決めた。余裕のある旅はこんなことができるからよい。

 

それからはす向かいに見えた寺にも入ってみた。こちらはド派手で対照的だ。しかもユーモラスな坊さんの大きな像があり、また頭がいくつも伸びる観音像、そしてポケモンのピカチューまで置かれており、とても寺とは思えない。学校が併設されていたが、まるでテーマパークかと思う。

 

昨日と同じ道を通り、市内中心部へ。途中でトイレに行きたくなり、近くの寺に入ったが、何と全てのトイレに鍵が掛かっており、おまけに犬に吠えたてられ、あえなく退散。立派な建物の敷地にも入ってみたが、どうやら政府機関のようで警備が厳重で逃げ出す。もう我慢の限界かと思った頃に、公園があり、何とか用を足した。

 

ワット・ポースワンという寺は実に鮮やかな白い仏塔が並んでおり、気持ちがよいほどだった。ここも廃寺を富豪が修復したという。裏には立派な涅槃仏もあり、ちょっと心洗われる感じがする。本堂に入ろうとしたが、ちょうど坊さんが読経中だったので控えた。天気が良いせいか、白い色が目に沁みる。

 

そのすぐ近くにボンブリハウスという古い家があった。1897年建造というから100年を越え、往時の富豪の生活が見られる。テレビドラマのロケでもよく使われるらしい。庭も相当に広く、優雅できちんと管理されていた。ここは入場料がいるのだが、おばさんが一人で管理しているのか、最初は誰もいなかった。

 

するとそこへ幼い女の子が二人現れ、タイ語で何か聞いてきたが、答えられなかった。彼女たちも残念そうだ。そこへ母親が来たが彼女も英語はできない。ただ分かったことは、もしタイ語が分かるなら、この子たちがガイドする、ということで、ちょうど後から来た客には生き生きとガイドしていた。すっかり感心しながら、見学した。重要な場所にはなぜか中国語が書かれていたので一部は理解できた。

 

最後にワット・プラノーンというお寺へ行く。ここが一番有名らしく、観光バスも停まっていた。800年代の創建となっているから古い。この街の守り寺かもしれない。ここには室内に立派な涅槃仏が安置されていた。それを見終わると川沿いにフラフラと歩いてホテルに戻った。結構疲れたので夕方までゆっくりと休む。

 

夕方、街と反対の方に歩いて見たが、道路があるだけで面白くない。夕日がずんずん落ちていくだけ。街に戻ると市場があり、いい匂いのコムヤーンが出来上がっていたので、思わず買い込む。ホテルの部屋で食べるはずが、歩きながら少しずつ食べているうちに無くなってしまうという意外な展開。昼ごはん食べなかったから、腹が減ったのだろう。お腹にコーラを注いで満腹。その夜もよく歩いたので疲れてよく眠れる。

 

7月30日(日)
再び寺へ

朝6時に起きて、昨日の寺へ向かう。今日もいい天気だ。誰もいない本堂に入り、しばし祈り座っていたら、周囲に機織り機があるのに気が付いた。そう、プレーは昔織物の町として栄えたらしい。今は街中を見てあまり見られなくなっていたが、この寺では自らはたを織っているのだろうか。

 

タイの街を歩いていて気が付くことがある、それはどこの街でも警察署まで何キロあるかという道路標示が必ずあり、そこには英語も必ず書かれていることだ。そんなに皆が、そして外国人が警察に用事があるとも思えないのだが、なぜこの表示はあるのだろうか。単なる興味本位だが、ちょっと気になる。

 

ついに客が少なくて今日はブッフェが取りやめとなっていた。朝粥を食べて、部屋で休息。12時前、ゆっくりとチェックアウトして、バスターミナルへ向かう。最後の訪問地、ナーンへ向けて出発だ。バスターミナルに近いということは本当に便利なことだ。ロットゥがここでも定期便としてあり、数十バーツで行けるのがよい。また2時間ちょっとの旅となる。途中で若者が急にコンビに寄りたいと言い出し、ATMでお金をおろしていたのがご愛敬だった。

タイ巡礼、そして茶旅2017(17)チェンマイからプレーへ

7月28日(金)
茶の革新

翌朝は早めに目覚める。食堂に降りていくと、凄く広くて食べたい物が見付からずに困るほど。こんないいホテルも今日までとは思ってみても、もう食べ過ぎで食事はそれほど進まない。その後チェックアウトして、ロビーで皆を待つ。やはりエレベーターに乗れずに皆困っていた。

 

今日の訪問先はチェンマイ郊外のティギャラリー。名前からしてお茶屋さんらしくない。行ってみると、おしゃれなカフェではあるが、そこで作られていた物は、飲むお茶というよりは食べるお茶。昨日見たミエンを分析して、コンブ茶という名の健康茶を製造し、同時に健康に良い食品を開発している。工場はまるでラボ。こんなところは初めてだ。

 

先日のシンポジウムではイタリア人が説明をしていたので目を惹いたが、オーナーはやはり中国系で今日も通訳のお役が回って来た。だが今回は科学的な用語も多く、中国語では分らない。その辺はHさんなどが英語で対応してくれたが、やはりお茶というのは分野が広いと痛感した。

 

実際に彼らが作ったジャムを付けてパンを食べてみると美味しい。『タイ人は元々お茶を飲む習慣がなかったのだから、その人たちに大量にお茶を飲ませるのは難しい』と言い、それより中間層に高まって来た健康志向を利用して、食べるお茶を売りだした方がよいとの考えだった。この方向性は間違っていないように思う。またコンブ茶を飲んだ人からは『何となく元気になって来た』という言葉も聞かれ、一定の効果がありそうだった。面白い取り組みの今後をフォローしてみたい。

 

プレーへ
そして車でチェンマイ市内に帰る途中、私はバスターミナルで降ろしてもらい、ご一行とここで別れた。申し訳ないことにもう一台に乗っていられた団長以下にはご挨拶も出来ず、何とも呆気ない幕切れとなる。まあ、これもまた旅、またどこかでお目に掛かれるだろうと勝手に思う。

 

確か昼前にプレー行きバスがあると聞いていたので、グリーンバスの窓口に並んだが、何と『夕方4時までは満員だ』とけんもほろろの扱い。あまり考えていなかったのだが、今日はタイの祝日で3連休初日。どこも混んでいると後で知ったがもう遅い。さて、どうするか。

 

いつものように言葉も通じないのに聞きまくる。取り敢えずプレーではなくランパーンまで行き、そこで手段がなければランパーンに泊まるつもりで探すと1時間後のバスが見付かった。そのバスで先日訪ねたランプーンを越え、ランパーンのバスターミナルまで辿り着く。午後2時半、日差しはかなり強かった。

 

3時過ぎにロットゥが出ることが分かりホッとする。ランパーン‐プレーはロットゥの定期便があるのだ。もう座る座席も慣れてきてよい位置を確保する。意外や乗客は多くほぼ満員で発車した。そこから平たい道を一路東に向かって走った。途中で宝くじ売りのおばさんが、その自転車を屋根に載せて、乗り込んでくるのが面白かった。夕方後5時すぎにはプレーの街が見えた。

 

9. プレー
プレー散策

ロットゥは街中で人を下ろしながら、最終的に街外れのバスターミナルまで来た。ここからすぐのところにホテルがあることを知っていたので、そこまで歩く。ただ心配だったのはバスも満員だったので、ホテルもお客で溢れていることだったが、それは完全に杞憂に終わる。

 

ホテルはかなり立派で、庭も広く、周囲を圧倒する高い建物である。ただロビーは薄暗く、人気はまるでない。フロントで聞くとあっさり800バーツで部屋が確保できた。かなり古めかしい作りのホテルで、懐かしさすら感じられる。後ろ側にはかなり大きなプールもあり、子供たちが歓声をあげながら、入っているのが見える。

 

取り敢えず腹が減り気味なので、街の方へ行ってみる。と言っても折角なのでまずは恒例のお寺に参ることにした。宿からフラフラ10分ぐらい歩くと小さな川があり、そこに古い城壁跡が残っていた。ここからが城内ということだ。城内にはめぼしい食堂もなく、民家が並んでいた。そういえば、刑務所があったな。想像通りプレーは落ち着いた街だった。

 

ようやく中心部のロータリーへ行くと、そこに大きな寺が見えたのでお参りした。周囲は官庁街?のように見え、お目当ての食堂や屋台は川沿いにあった。食堂で商売している人は華人、屋台はタイ人のようだった。屋台を覗いたが、結局食堂で麺を食べた。それでも足りないので、豚の串焼きなどを歩きながら食べる。特に観光客が多いようにも見えない。何故バスは満員だったのだろうか。

 

何となく暗くなってきたのでホテルへ戻る。その道すがら、普通の民家の壁の日本語教室のポスターらしきものが貼られていた。お相撲さんがユーモラスに書かれている。プレーで日本語を学ぶ人はいるのだろうか。恐らく日本に留学した人がアニメ好きの若者のために開いたのだろう、と勝手に想像したが、その詳細は分からない。

タイ巡礼、そして茶旅2017(16)ミエン村を訪ねる

7月27日(木)
チェンマイへ行く途中に

今日はチェンマイへ移動するので、住み慣れた?ホテルをチェックアウトした。車は一路チェンマイ方面に向かって走り出すかに見えたが、郊外に出るとガソリンスタンドで停まった。そこにアマゾンカフェがあった。そのカフェで今売られているドリンクを飲んでみる。Green Tea with Milkのホットにしてみた。緑茶ラテ、砂糖は別についてきた。まあ、飲める範囲だが、タイ人はこれが好きなんだろうか。

 

それからまた車は走り、10時過ぎにタイ茶の工場に着いた。ここも2年前に訪問したことがあるので、場所はすぐに分った。ただオフィス棟はきれいになっているように思う。そしてあのシンポジウムで再会した御曹司、何と昨日無事に赤ちゃんが生まれたという。本当にギリギリまで参加していたんだなと驚く。という訳で彼は工場におらず、お父さんもバンコックにいるということで会うことは出来なかった。

 

代わりにスタッフに案内してもらい、工場を見学。この工場は以前入った時も、うわっというにおいがしてくる。持ち込まれた茶葉が無造作に放置されている。それを見て専門家は『これは葉傷みだね』という。茶葉が放置され、腐り始めているということか。このタイ茶は、わざわざこのような葉を使って茶を作っている。暑いタイで、茶葉を遠くから運んで来れば、傷むに違いない。この辺が華人の工夫ということではなかろうか。

 

オフィスでタイ茶を頂く。タイ茶は普通の日本人にはちょっと飲みにくいと思うのだが、T先生などは『これは色が素晴らしい。東京の原宿辺りで女子高生に売り込んだら、結構売れるかもしれないね』というので、かなりびっくりした。確かに色は奇抜なオレンジ、アイスティが主流で若者向けかもしれないが、そんなことは考えもしなかった。その柔軟な発想には驚く。それからランチに炒飯をご馳走になる。目玉焼きが乗っていて旨い。

 

タイ茶工場を失礼して、車は走り始めた。が、すぐに停まった。何と道路脇に温泉が吹き上げていた。天然温泉、という漢字まで書かれている。なぜこんなところに温泉があるのだろうか。さっぱりわからないが、足湯や温泉卵まで用意されており、結構本格的な開発が行われている。

 

そこから30分ぐらい進んだところでまた車は停まった。そこにはピックアップが何台か、我々の到着を待っていたのだ。そのピックアップに分乗して、山の中に入っていく。かなりの山道だ。どこまで行くのかと心配になり、ついにはミャンマー山中を思い出した頃、何とか村に到着した。この村が、ミエン作りをしていたのだ。

 

少し前までは電気も通じていなかったという、実に素朴な村だった。タイにもまだこんなところがあるんだな、と妙に感心した。村人が集まってきて、説明を始める。それから村の中を歩き、ついにミエン作りの場所に辿り着く。ああ、ここはミャンマーシャン州の山の中と何ら変わらない。基本的には同じ文化を共有し、同じお茶を作っていると思う(多少製法に差異はあるようだが)。

 

山間で使える土地は少ないが、茶畑も村の中にある。実にのどかな場所だ。ここは恐らく貧困地区に指定され、政府から補助金が出て、観光客を受け入れるプロジェクトが進んでいるようだ。確かにそれは重要だが、果たして外国人を受け入れられるのだろうか。我々はこの村に何日滞在できるだろうか。シムカードを入れれば、ネットは何とか繋がるので、まあ何とかなるかもしれないが、ホッとシャワーは期待できそうもない。

 

来た道を車で下っていく。もう慣れたので驚きはしない。そして先ほど合流した場所で村人と別れた。この村のミエンに関するプロジェクトも進んでいるらしい。王室系のロイヤルプロジェクトだろうか。有名企業でミエンが取り上げられたらりもしているらしい。将来どこかで出会うことがあるだろうか。それから車は一路チェンマイを目指して進んでいった。

 

8. チェンマイ
チェンマイの夜

車は夕方少し渋滞して、2時間半もかかって市内へ入った。今日のホテルは観光客が多い場所。その昔の大型一流ホテルだから、部屋は広いし、景色も抜群に良い。ピアポン先生はチェンマイ出身とのことで、地元に戻って来たので、張り切っている。夕飯も立派な中華レストランで豪勢に食べる。

 

それから皆と別れて夜市を探検したが、余りに人が多いので、ちょっとスタバなどの値段を見ただけで退散した。チェンマイはあまりに観光客が多過ぎる。先ほどのミエン村が懐かしくなってしまう。ホテルは古い大型でエレベーターがなかなか来なくて困るが、部屋に戻ると静かで落ち着く。珍しくバスタブに浸かり、ゆったりする。疲れもあってか、スーッと寝落ちる。

タイ巡礼、そして茶旅2017(15)メーサローン 中国語通訳を

7月26日(水)
メーサローンへ

今朝はやはりメーサローンへ向かう。チェンライまで茶の関係で来て、メーサローンへ行かない人はいないだろうとは思っていたが、やはり。ロットゥは既に何度も行った道を行き、途中から山道を登り始める。どこへ行くかはピアポン先生次第だったが、1時間半後に到着した茶工場は、やはり増福茗茶だった。

 

オーナー夫妻は私を見付けて驚いた表情を見せ、『なんだ、あんたが連れて来たのか』という。私が初めてメーサローンに来た2006年以来の付き合いだから、もう気心が知れている。当然ここでも通訳業務を仰せつかる。福建安渓から招いている茶師の張さんは、残念ながら病気で故郷に帰っているという。彼が来てから、ここの茶の味はどんどん良くなっていたので、ちょっと残念だが、彼ももう歳なので、そろそろタイ人でやっていく時代かもしれない。

 

茶工場の様子に変化はなかったが、ただ一つ、豆腐機があったのには驚いた。圧茶機と呼ばれるこの機械、茶葉を豆腐のように四角く圧縮するので、台湾では豆腐機と呼ばれている。茶葉を揉む工程にこれを使うと品質に問題が出るとのことで、既に鉄観音茶の産地、安渓では使用が禁止され、台湾でも規制が始まっている代物だ。

 

なぜここにあるのかと聞くと、2年ぐらい前に台湾の人が持ち込んだという。『これがあると揉むのが楽で、非常にコスト節約になる』というのだ。しかも『最近は紅烏龍茶を作り始め、豆腐機を有効に活用し、生産量を伸ばしている。有機紅烏龍はヨーロッパで人気になっており、結構高い価格で売れるので経営的には助かっている』というではないか。台湾との繋がりは良いが、豆腐機や紅烏龍が持ち込まれるのは、どうなんだろう。

 

続いて、増福と並ぶ有力茶園、芙蓉宮へ行く。この2社がチェンライ空港に出店を出しているので、名前は知られている。私はここに入ったことはなかった。迎えてくれたのは若い女性。彼女は若いけれども中国語は流ちょうだった。実は私は増福の娘を知っているが、この2人は同級生だというから驚いた。増福の娘は既に嫁に行き、子供もできているが、こちらの彼女はまだ結婚せず、家業を手伝っていた。

 

まずは茶畑が見渡せるお店で昼ご飯をご馳走になった。鍋が出てきたが出汁がうまかった。豚足などの名物、新鮮な野菜と、ご馳走が並んで嬉しかった。食後はメーサローンの市場に出掛けたが、平日ということから観光客の姿はなく、土産物を売る店で、お茶を少し見ただけで退散した。それからメーサローンの歴史を展示する泰北義民文史館という博物館へ行き、雲南・四川の元国民党兵団がここに流れ着き、タイに帰順した歴史を勉強する。一般の方には全く知られていない歴史かもしれないが、これが茶業と大いに関連するので、是非学ぶべきだ。

 

彼女の父はやはり国民党兵士で、メーサローンで最初に茶園を作ったという。メーサローンの象徴ともいうべき、大きな急須のモニュメントを作ったのもこの会社だった。その場所へ行くと、モニュメントの横に茶園が広がっていた。そこでお父さんが働いていた。30年前、ここを開墾して茶樹を植えたんだ、と懐かしそうに言う。そしてその地を今また開墾して、新たな茶樹を植えようとしている。元兵士だが、今は完全に農民に見えるお父さん。しかしその不屈の魂は若い頃に培われたものだろうか。

 

最後に登って来る時に通り過ぎた101茶園に立ち寄る。ここは観光茶園と書かれているほど、明確に観光客を相手に商売している。茶業専門家が来てもそのような対応はしない。茶畑の風景を眺め、茶工場の中を確認する程度。あとはアイス蜂蜜烏龍茶を飲んで退散する。本日の訪問は全て中国語が通じており、私が通訳をする。そのこと自体が、メーサローンの歴史を雄弁に物語っていた。ここはタイであって、タイではないのだ。

 

そういえば、車の中で機械メーカーの方々から、現在の世界の茶業の状況を興味深く聞く。先日行った中国貴州省にもよく行くというし、ケニアなどアフリカへの出張も増えているという。大規模茶業を展開するところでないと、製茶機械を売っていくのは難しいだろうから、彼らが行くところが世界の茶葉供給基地ということも言える。そういう意味では、タイの茶業の規模は中国やアフリカには及ばないから、自ずと別の道を行くことになるのだろう。

暗くなるころ、ホテルに辿り着いた。そろそろ食べ過ぎで動きが鈍くなる。今晩は軽く麺でも食べたかったが、団体行動なので、すぐ近くの華人経営のレストランに入る。食べないつもりでいても、料理が出てくると食べてしまう。なぜこんなに卑しいのだろうか??まあそれでもみんなで食べると美味しい!

タイ巡礼、そして茶旅2017(14)チェンライ郊外の茶園で

7月25日(火)
シンハパークへ

翌朝は早起きして、団体客より早く朝ご飯を食べる。オムレツも作ってもらえ、かなりの量を食べて満足。今日は午前中、チェンライ郊外のシンハパークへ向かう。ここは過去2度ほどきており、既に色々見ているので、あまり期待はしていなかった。だが行ってみるとパーク自体の建物もバージョンアップし、観光茶園の雰囲気が更に出ていた。

 

また食事をご馳走になったが、ソーセージやチーズなどが美味しく、参加者からも『タイで一番美味しい食事だった』と大好評。元々ここのパスタは美味しく、前回まではゴルフ場のクラブハウスのようなところで食事をしたが、今回はスイスにでもいるような雰囲気の場所に変わっていた。やはり日本と違い、タイの変化は速いのだ。

 

広大な茶園風景も素晴らしいが、この茶葉は製茶に使われることはないと聞き、エコじゃないなと、少し残念。また日本企業との合弁会社へ行くと、生産は軌道になっており、2年前から順調に動いているようだった。機械は日本の中古が持ち込まれている。駐在の方も静岡からご夫婦で来られており、それなりに生活をエンジョイされていたのでよかった。

 

パーク内はカートに乗って回るのだが、途中にオームがいたり、茶畑がよく見えたりと飽きることはない。育種などが専門の方は茶樹をじっくり調べ、製茶機械の方は、その可能性を探る。実は今日は和歌山大学で教えているタイ人の先生が同行していた。彼の専門は観光学であり、シンハパークの完成度が高いことに驚いていた。和歌山と言えば、タイ人と一緒に高野山に行ったことがあり、ご縁を感じる。タイは観光分野では日本より進んでいるように思う。

 

突然茶荘で通訳する

午後は茶工場を見学する。中国名は天元茶行、案内してくれたジャルワンさんは、ヒジャブを被っていた。彼女は中国語を話したので回族ではないかと思い、念のため確認すると、やはりそうだった。ここで驚くことにピアポン先生が、『私は日本語も中国語ができない。タイ語から英語に訳しても大変なので、あなたが中国語-日本語で通訳して』と軽く言われる。正直急に言われてもと思ったが、ジャルワンさんの中国語は非常に標準的で分かりやすかったので、つい引き受けてしまった。

 

天元は1975年にジャルワンさんの父親が茶業を始めた。彼は雲南から逃れてきた国民党の兵士で茶作りの経験があったようだ。その後台湾の支援を受けて、青心烏龍や金宣などの品種を植え、台湾式の烏龍茶も作っている。また日本の煎茶、ほうじ茶なども作っており、茶畑にはやぶきたも植わっている。カワサキの製茶機械、落合の刈り取り機も使っている。日本のこともある程度分かっている。茶工場は清潔で、確かに台湾製の機械もあり、日本製もあった。天元はチェンライ市内、我々が宿泊しているホテルのすぐ横にも大きな店を出しており、卸と小売りの両方を行っている。

 

少し時間が余ったので、観光に行く。ワット・ローンクン、ここはアーティストが私財を投じて設計したというだけあって見事な白の寺院がある。基本的に鮮やかな金色が多いタイの寺では異彩を放っている。ここは観光客も多く、外国人は入場料を払う必要がある。寺院内は涼しいが、相当暑くなってきており、水分補給が重要だった。

 

最後に少し山の方に向かった。ドイチャーンティ、初日の夜も、そして昨日のシンポジウムも一緒だったチュチャワル氏が出迎えてくれた。ここは無農薬、有機を追及している茶園であり、タイ、中国、日本とスエーデンのハーフの3人が共同で出資しているというから実にユニークだ。産量は少ないので、ある意味で実験茶園という意味合いだろうか。ここで試してみて、うまくいけば、他に広げていく、という考えがある。横に茶園を見ると、様々な品種が植わり、虫よけが立てられている。

 

お茶の試飲も数多くした。緑茶、紅茶、烏龍茶、そして独自に作られたエターナル茶。健康に良いお茶だという。途中強い雨が降ってきて、室内で説明を受ける。夕飯もご馳走になったが、カレーなど地元の様々な料理が出てきた。フルーツも豊富。お酒も地酒からワインまで出て、盛り上がる。チュチャワル氏は70代後半と思えないほど元気で、歌を歌い、踊っている。エターナル茶のお陰だろうか。

 

日本の歌を歌えと言われ、『昴』などをみんなで歌う。今はスマホで歌詞から音まで出てくるので、歌うのは意外と簡単だ。タイ人は日本の歌を幾つも知っているので、面白い。『ドラえもん』や『一休さん』などのアニメソング、そしてなぜか『涙そうそう』や『北酒場』なども人気があるらしい。山の中でかなり楽しく夜を過ごした。チェンライ市内で過すより、よほどタイらしい雰囲気がよい。帰りが雨の中、山を下りた。

タイ巡礼、そして茶旅2017(13)シンポジウムでタイ茶業を考える

7月24日(月)
シンポジウムに参加

翌朝は早めに起きて、朝食へ。さすがに大型ホテルだけあってメニューは豊富だが、団体観光客の食事時間とぶつかると、混雑も半端ない。席を確保するのがやっとで、ゆっくり食べることもできない。明日からは時間を考えて食事をしよう。また外の席で食べることもできるようなので挑戦しよう。それにしても、この団体、どこから来たのだろうか。東南アジアもいれば、西洋人もいる。そしてチェンライで何を見るのだろうか?

 

本日はメーファールン大学で開かれるシンポジウムに参加することになっていた。私はそんなものに出る服装すら持っていなかったが、まあタイなので、と皆さんの後ろから付いてバスに乗っていく。昨日も来たこの大学、かなり規模が大きく、施設は結構新しい。その新しいビルの4階でシンポジウムは行われる。

 

会場に行ってみると、外側にはいくつものブースが設けられ、お茶や食品、中にはコーヒーの展示・試飲・販売が行われていた。見てみると、何と日本人形が置かれ、煎茶を急須で淹れて、売っている店がある。ここは以前訪ねたことがある、日タイ合弁会社の製品だ。飲ませてもらうと、やはり我々には味が薄いと感じられるが、タイ人は興味津々で多くが試飲している。

 

パッケージが可愛らしいものもあった。恐らく女性向けのフレーバーティのようだった。タイでは花をつける等、フレーバーティが合うのかもしれない。プーアル茶の餅も置かれている。雲南産となっているが、その原料の茶葉はタイで作られているのだろうか。タイ北部は雲南と接してはいないが、当然近い。更には数十年前バンコックでプーアル茶の作られていた歴史を見ても、今後タイ産プーアルが出てきてもおかしくない。

 

そして驚いたことに、あのタイ茶もブースを出しており、何と無料でタイ茶アイスを配っていた。勿論こちらは大人気、朝からアイス(先日バンコックで食べたのとは別の味)を食べた。しかもブースには2年前に工場を訪ねた時にあった、オーナーの息子がいるではないか。向こうも薄っすら覚えてくれていて突然の再会を喜ぶ。彼の横には可愛らしい女性がおり、何と嫁をもらっていた。しかもお腹が大きい。聞けば数日中に生まれるというのだ。そんな中をこのシンポジウムに参加しているのは凄い。彼らの事業は東南アジアにも広がっており、アイス事業も立ち上がり、公私ともに順調のように見えた。

 

シンポジウムでは午前中タイ側、午後日本側の発表があった。タイ側は政府の役人や研究者が、タイ茶業の問題点などを的確に指摘しており、タイ政府の茶業に対する支援姿勢も感じられた。人材不足、茶畑面積の不足、育種・茶園管理など知識不足など、タイ茶業は後発であることを自覚し、積極的に対応策を検討していた。勿論大学に茶学部も設置され、その研究も進んできている。

 

また昨晩のディナーでも会った生産者も数社発表を行ったが、皆熱心で驚く。しかも有機栽培などに力を入れるほか、台湾の支援で作られてきた烏龍茶の輸出・販売方法や、タイにある後発酵茶、ミエンを活用した食品などが目を惹いた。皆さん、想像以上に努力していることが分かる。

 

昼ごはんのビュッフェを頂き、午後は日本側が話した。団長のHさん、T先生、Iさんなどが日本茶や日本の現状などを報告し、機械メーカーさんは日本の茶業機械について紹介した。どの程度興味を持たれるのかとみていたが、これまた想像以上の反応があり、しかも実務的、実用的な質問などが多く出ていた。中には日本に視察に行きたいという声まで出てきて驚く。日本人でタイがここまで茶業に熱心だと知る人はほぼいないだろう。むしろ日本の方が、進歩が遅い、タイの取り組みに見習うべきところがある、と感じる人まで出てきた。

 

ほぼ丸一日のシンポジウム、タイ側は日本のノウハウなどに極めて深い興味を示したが、日本側は、市場規模としては難しいと感じたかもしれない。ただタイの取り組みが成功するとこれがアセアン全体に広がる可能性があるので、少なくともウオッチしていく必要はあると個人的には感じる。こういう初期段階でうまく支援を行い、自分たちのビジネスに繋げていくことは大切だろうが、意外と日本はこういうことが下手だ。

 

皆さん取り敢えず役割を終えてホッとしたようだ。ホテルに戻り、夜は近くのナイトマーケットのレストランでくつろぎながら、食事をした。まさに観光客気分が味わえた。皆で食べると沢山食べてもそれほど高くない。タイ音楽や踊りを見ながら、かなり盛り上がった。帰りにホテル近くで猫カフェを発見して驚く。今や日本文化はタイにも深く侵入している。日本人がタイでのビジネスを考えるのではなく、タイ人に日本のコンテンツをうまく活用する方法を考えてもらった方が成功の確率は高そうだ。

タイ巡礼、そして茶旅2017(12)茶旅始まる

7月23日(日)
空港に集合して

翌朝は小雨だった。今日はチェンライ空港で日本から来る一行と合流することになっていた。今回は『お茶の無い旅』をするためにタイにやって来たのだが、やはりお茶が付いて来てしまった。バンコックに着いたことをFBで知らせると、静岡のIさんから、『私たちも来週タイ北部に行くけど』との書き込みがあり、その後やり取りを重ねると、そのツアーの幹事がお世話になっているNさんだと分かり、何とそのご一行に飛び入り参加することを許可して頂いたのだ。

 

空港まではタクシーで行くしかない。雨なので念のため早めに宿でタクシーを頼むとすぐに迎えが来てしまい、8時過ぎには着いてしまった。一行のフライトは9時過ぎ着なので、何となくボーっと過ごす。その内空港内のお茶屋スタッフが来たので、旧知のメーサローンビラ経営の茶荘に行ってみたが、そこの女性は中国語も英語も出来なかった。もう一つの茶荘では中国語は通じたので、ちょっと話を聞く。以前と比べても凍頂烏龍茶など、台湾名のついたお茶が沢山売られていて驚く。

 

だが9時過ぎになっても、なぜかバンコックからのフライトはランディングしない。雨が強くなっているせいだろうか。ようやく一行が国際線ゲートから出てきたのは9時半を過ぎていた。何とかIさんとNさんを見つけて合流したが、他のメンバーが誰なのか全く分かっていなかった。今回の団長Hさんは研究者、他に静岡の機械メーカー、肥料メーカーの人が数人いた。そして最後にお顔を見知った方がいた。T先生、日本茶業界では有名な方だったが、お会いしたことはなかった。

 

ご挨拶すると『月刊茶のコラム、読んでいますよ』と言われて恐縮した。更には『あなたは何となく同じ匂いがするね』とまで言われて心から驚く。T先生は『若い頃、よくM先生と一緒に中国やアジアの奥地でお茶調査をしていたから』というツワモノだったのだ。確かにそれなら系統は同じかもしれないが、先生は茶業試験場で長年研究していた方で、その専門性には雲泥の差がある。しかもよく考えてみれば、僅か3週間前に行った富山の朝日町、そこに植えられた品種富春を選んだのはT先生だと聞いたばかりだったから、茶縁というのは恐ろしいものだと感じる。

 

ここからは皆さんに同行して一週間を過ごすという、完全な茶旅になった。タイ側の受け入れは、チェンライにあるメーファールン大学のピアポン先生だった。メーファールン大学には茶学の専門学部があるようで、ピアポン先生はそこの主任教授だという。流ちょうな英語を話し、実にアクティブな女性だった。

 

ゴールデントライアングルへ
今日は日曜日なので、主要な活動は明日からということで、観光となる。まずはチェンライ郊外にあるメーファールン大学のキャンパスに貸し切りロットゥ2台で行く。案内されたところは中国風の建物。よく見ると孔子学院の文字もあり、中国の資金により建てられた中国文化基地であることが分かる。どんなところにも網の目を張り巡らす、こういうところが中国の凄いところだ。それにしてもこの大学の敷地も大きい。

 

 

続いてメーサイからチェンコーン方面へ行く。いわゆる観光地としてのゴールデントライアングル、1年半ほど前に一度連れてきてもらった記憶がある。向こう岸はラオス、モスクに見える建物はカジノ、中州はミャンマーなどと、前回聞いた話を又聞く。でもゆっくりとみられたので良いか。

 

その川岸で昼ご飯を食べる。これだけ大勢で食べるのは久しぶり。しかも団体でありながら、メニューのオーダーはピアポン先生がしているから、美味しいものが出てきて嬉しい。食後は散歩がてら、近くにあるお寺へ行く。黄金の大仏を拝む。バナナを買った人から分けてもらい、美味しく頂く。

 

その後オピウム博物館を見学する。かなり立派な建物だが、見学者は殆どいない。私はここの展示には相当に期待していた。というのは、茶馬古道というのは実は雲南省から南下する道もあり、その主要産品はお茶だけではなく、アヘンなどがあったからだ。ここに来ればその歴史を見ることができると考えていたのだが、その期待は見事に裏切られた。そこに展示されていたのは、アヘン戦争と中英交渉など、遥か離れた場所でのアヘンの歴史だったのだ。

 

だが考えてみればあたり前かもしれない。誰が好き好んで地元の黒歴史を語るものなどいるだろう。その利害関係は今も続いているのかもしれない。未だにミャンマー国境あたりではケシの栽培が続き、その利害関係が少数民族問題という形で語られ、時には武力衝突にまで発展している。取り敢えず、タイ政府が国連などの手前、博物館を作ってお茶を濁しているに違いない。

 

それからチェンライ市内のホテルに入った。立派なホテルだが、団体観光客用だろうか。昨晩泊まった宿のすぐ近くだが、料金は1000バーツも違う。まあ、日本から来た人々と一緒だから、偶には贅沢しないと。夜はホテル内で歓迎会が開かれ、中華を食べる。やはり近辺でもご馳走とは中華料理を指すらしい。食後は皆さん、両替に行き、それからマッサージや買い物に出掛けたが、私は必要がないのでホテルの部屋でゆっくりした。いいホテルでも蟻がいるので、ちょっと噛まれて痒い。