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バンコック ヨーガの旅2016(10)悲しみの王宮へ

テスコまで来たら何となく腹が減る。仕方なく、いや無謀にもそこでかつ丼を食べてみる。まあ期待はしていなかったが、一応食べられる。だがセットメニューにはみそ汁の他にドリンクが付き、更には何とたこ焼きが付いてくる。これがタイ人の好む日本食かとある種の感動を覚えた。これで145バーツは高いのか、安いのか。

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夜は久しぶりにテレビを見る。大河ドラマは佳境に入っていた。タイのテレビはやはり何となくシックな番組が多く、中には亡くなった王様を偲ぶ番組もあった。実は私が今日合宿を切り上げたのは、明日やりたいことがあったからなのだが、何と明日は祝日、それも王様の誕生日だと知り、計画が狂ってしまった。こうなれば、明日は王匡に出掛けてみようと思い立つ。

 

125日(月)
王宮

翌朝は5時には起きず、ゆっくりする。私には睡眠時間の確保が重要であり、無理をするとすぐに体調を壊す傾向がある。ちょっとアーサナだけをやり、8時半を過ぎたのでいつものコムヤーンで朝ご飯を食べる。最近店に行ってもあまり笑顔を見せないおばさんだが、今日は孫?を抱いてご機嫌だった。

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その場で食べようとするとお知り合いのKさんと遭遇した。色々とお世話になっているのだが、今回は特に連絡していなかったが、期せずして話が聞けた。やはり王様の逝去はタイ国民にとってかなりのショックだったが、徐々に立ち直りつつあるようだ。彼も今日はお休みで、これからジムへ行くという。バンコックでタイ人にジムが人気らしい。それでも東京のように混むこともなく、料金もまだ安いとか。

 

Kさんにバスの番号と乗り場を教えてもらい、バス停へ。やってきたバスは無料バスだった。バンコックには一番安いエアコンなしのバスに、時々無料のものがある。以前それに乗った話をIさんにしたところ、『それは貧しい人たちのためにあるのでお金のある外国人が乗るのは良くない。政府が廃止を検討している』と怒られた記憶がある。だが次にいつ来るかわからないので乗り込んでしまう。

 

バスはスイスイと見慣れた道を進んでいく。チャイナタウンを過ぎ、カオサンの近くまで来た時、大勢の人々が見えてきた。しかもほぼ黒い服を着ている。バンコックでこのような光景を見るのは初めてだ。私も洗濯した黒いポロシャツを着てはいたが、ズボンは茶色だし、違和感ありあり。外国人だから許して、と思っていると、ノースリーブの白人女性が歩いていたりもする。

 

いつもは楽しそうに歩いているタイ人も、この場ではかなり違っていた。花を持つ人、王様の写真を掲げる人、バイクにタイ国旗と遺影を付けて走って人までいるが、皆が整然として、続々と王宮を目指している。そしてゲートが設けられており、セキュリティチェックを受ける。そこからは広いイベント会場のようになっており、大勢の人が歩いていた。英語や中国語での案内表示もあり、国内外から人々がその死を悼んでいることが分かる。

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駐車場だった場所を見ると、そこには医療車両があり、看護師さんが待機している。ブースにはお医者さんもいるようだ。皆さん、不測の事態に備えている。その向こうではなんと警察官や軍人が通りゆく人に食べ物や飲み物を配っている。曇りとはいえ、暑さはあるので、水分補給は重要だが、彼らはすべて業務ではなく、ボランティアで行っているように見える。

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他のブースでも食事や飲み物、団扇やティシュなどが配られており、ここにいれば無料で何でも手に入ってしまいそうだ。国王の逝去を悲しむことと、人に施しをすることが結びついている。普段はバラバラ、自分勝手に見えていたタイ庶民の団結力をそこに見たような気がする。王様の弔問には毎日長い行列ができているとは聞いていたが、実際にそれを目の当たりにすると、自分が見てきた世界が違って見えた。

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様子が分かったので横から外側へ出た。タマサート大学、博物館ともに、弔意が表されており、博物館は今日は休みだが、来年1月末まで入場無料らしい。偉大なる王の業績なども展示されているのだろう。それからカオサン方面に歩いて行く。バスを待つ人が沢山いた。カオサンの雰囲気はいつもとそれほど変わらない。

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結局カオサンを通り抜け、大好きなお寺、ワット・ボウォーンニウェートへ行く。ここは王様が出家し、修行した寺だ。ラーマ5世以降歴代国王が出家したというから由緒はあるのだが、その規模は決して大きくはない。この寺の何が好きと言って、本堂に座っている時吹いてくる風がとても気持ち良いのだ。勿論今日は大勢の人が参拝に来ており、いつものような風を感じることはなかったが、ここでも王様への熱い思いがあふれ出ていた。

 

王様が出家修行していた頃の写真が何点も飾られている。特別の祭壇も用意され、そこに座って拝む人の姿もある。端の方にはテントがあり、ここでも飲み物が無料で支給されていた。ちょっと疲れていたのでコーラをもらい、椅子に座って休むと気持ちがよい。流れに流されることなく、ここで初めて王様のことを深く思う。私がタイに初めて来たのが1987年、それ以来王様はずっと一人だった。寂しい。

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バンコック ヨーガの旅2016(4)インド人もヨーガを始めた!

この合宿、ワンサニットの広い敷地内のいくつかの場所を使って行われる。昨日のイントロは、この施設の象徴的な建物である、通称『池ハウス』。周囲を池に囲まれ、蓮の花でも咲けば、天国かと思われる作り。この施設を所有する財団のオフィスがあり、その関係で唯一Wi-Fiが使える。日本から来た人は基本的にシムフリーの携帯ではないので、ここに来てネットへ繋ぐことになる。私も前回はちょくちょくここへ来ていたが、今やタイのシムを入れており、どこでも繋ぐことができるので、ここに来る回数は相当減った。

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朝は2階建ての2階、瞑想ホール。早朝の瞑想に始まり、実習も夜のビデオ鑑賞もここで行われる。そして昼間の講義は通称『土ハウス』。天井の高い、立派な建物なのだが、前回はアリが入り込み、かなり噛まれる。実はアリに嚙まれると相当に痛いとこの時に知った。しかし今回は入り口に盛り土がしてあり、侵入が阻まれていて助かった。この施設の横には新しいセミナーホールも出来ており、そちらはエアコンルームだそうだ。

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参加者には各人当番が割り当てられる。私はプロジェクターなどの移動が担当。土ハウスと瞑想ホールの間をプロジェクターを担いで往復し、その設置も行う。何だか楽しい。講義は、以前も何度も聞いている内容のはずだが、なかなか頭に入ってこない。もう歳だ、専門的な用語は特にすぐに忘れてしまう。それでも講義に触れることで、ヨーガが体操ではないこと、その奥深いポイントを少し垣間見ることができる。

 

講義だけでは頭に入らないのは私だけではない。そのため参考図書なども紹介されるが、何と移動図書館として、かなりの量の本が持ち込まれており、実際に手に取って本を眺め、必要な書籍を確認することができる。インドにおいてもヨーガ研究の歴史は1920年代から、というので、参考図書もヨーガだけではなく、インド哲学から日本仏教、そして心理学など様々な要素が取り込まれていて、面白い。

 

講義で初めて、『マインドフルネス』という言葉が流行していると聞いた。瞑想をベースに今現在自らの内面や外面に起こっていることに注意を向けること、無意識に注意を向けること、といった定義がなされているらしい。これはこれまで何度となく、合宿で聞いてきた話ではないのか。普段聞いてもピンとこないだろうが、ここで聞くと何となく分かった気になる。

 

これが『心のエクササイズ』と言われ、ストレス解消法、うつ病対策になる、と巷では言われているらしい。そういう話を聞くと、どうしても胡散臭い、ビジネス的なものを感じてしまう。取り敢えず問題になっていることの対処法を探してきて商売の種にする、という人達がいる。ヨーガもインド伝来と言いながら、中身はアメリカのエクササイズ、ということが少なくない。マインドフルネスの考え方自体は良いと思うが、流行に流されるのではなく、一人一人が自ら考え、静かに実践していくのが望ましい。

 

またランチがやって来た。ここでは基本的に1日のメインがランチとなる。夜は軽めの食事、というのが胃腸の負担を和らげるので、有り難い。現代の暴飲暴食生活、時間との闘い、から隔絶されたゆっくりした空間で、ゆっくりご飯を食べれば、それだけでも健康になるだろう。

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更に私にとっては、『1日中お茶を飲まない』ということが、実は体に良い、ということをこの合宿で体感している。勿論お茶が体に悪いということではないが、1日に何種類ものお茶を次々に飲んでいけば、それはやはり体内にストレスとなる。お腹も減るので食べる量も増え、太っていく原因にもなる。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし、だ。お茶当番の人が淹れてくれる、一杯の日本茶、で十分だ。

 

ランチの後は昼寝。11月終わりとはいえ、タイの日中はそれなりに日差しがある。勿論この部屋にはエアコンなどがないが、十分に快適なのは、森に囲まれているからだろうか。都会は暑い、ということも、ここにいればよくわかる。昨晩の寒さを体験し、日中の涼しさが心地よい。

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午後の講義で、昨今のインドヨーガ事情が出てきた。2年半前に就任したモディ首相はインド至上主義者。聖なる河、ガンジスがどうしてあんなに汚いのかと、浄化作戦も練られているらしい。モディ首相本人が毎日90分やっていると言われるヨーガ。日本では彼の経済的な手腕ばかり語られているが、インドの伝統的なヨーガを世界に発信してもいる。国連で自ら発言し、政府の担当部署を格上げして、相当に力を入れているらしい。

 

この機会にヨーガが再定義され、インストラクターの資格も決められ、インド人にもヨーガを推奨し、一般への普及も図っている。まさにインド人がヨーガを始めた、のだ。これまでのヒンズー教の考え方では人は生まれながらに身分が決まってしまい、現代社会とは明らかに不適合。この中で生きる人々のストレスは従来にも増しており、半端ないはずだ。企業の福利厚生でヨーガが始まっている。

 

インド人がヨーガを通して健康になり、またヒンズーからも自由になれば、凄い活力が生まれるのだろう。首相はそこまで考えて、ヨーガを発信しているのだろうか。500ルピーと1000ルピーの高額紙幣をあっという間に廃止してしまった手腕。インドは大混乱に陥っているというが金を持たない庶民からは拍手喝采とか。大胆な政治はインドをどう変えていくのだろう。興味深い。

 

バンコック ヨーガの旅2016(2)タイの仏教見学

合宿はバンコック郊外のワンサニットというアシュラムで行われるのだが、今日はそこへ行く前に社会科見学がある。タイの仏教に触れる、ということで、お寺を2つ訪問する。「シャンティ・アソーク」と「スーアン・モッカ・バンコク(BIA)」、この対照的なお寺、5年前も訪問したが、その後どう変わっただろうか。日本の仏教とタイの上座部仏教の違いを垣間見る、良い機会となる。

 

因みに10月にプミポン国王が亡くなったタイは、どのような状況になっているのかにも、関心があった。正直昨晩歩いた感じでは、普段とそれほど変わった様子も見られなかったのだが、朝一番、私の普段着を見たA師は即座に、『これに着替えてください』と言って、黒のポロシャツが渡される。全員女性の前でいきなりシャツを脱いでポロシャツを着る羽目になった。さすがにお寺に行く場合、それなりの服装で行くべきなのであろう。

 

まずは車で1時間弱、原理主義的なシャンティ・アソークに行ってみる。ここは元々の仏教に帰ることを目指し、独自の規律で、出家各自がクティを作り、集団生活を送っている。まるで森の中で生活しているような環境にある。5年前に来た時はその原始的な様相に少なからず驚いたが、今回来てみると、クティがかなりきれいになっている。勿論僧たちは相変わらず厳しい顔をしているが、それでも前回よりはなじめる感じがあった。ここにいると何とも落ち着く。

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子供たちが托鉢の帰りなのか、朝礼のようなことをしている。ここに来ている信者の服装はほぼ皆黒。やはり黒のポロシャツは正解だった。裏門から出て、各自買い物タイムとなる。ワンサニットへ行くと、簡単に買い物できる場所はないので、必要なものはここで調達する。ここには有名なシャンティ・アソーク経営のレストランもあり、美味しいそうな湯気を立てていた。路上でも様々な食べ物が売られていたが、なぜか食欲は出ない。

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更に裏手ではトラックが横付けされ、若者が物資を下ろしていた。これもこの寺に住む若者たち。どこからか運ばれてきた食料を運んでいた。かなりの人数を食べさせることは、現代のタイでは托鉢だけでは難しいのだろうか。そもそも托鉢など行わない僧が増えているとも聞くが、ここは本来の仏教を実践する場だから、托鉢は欠かせないだろう。

 

続いてBIAに行く。ここも5年前に来て、極めて印象的だった。大きな目玉が描かれた絵が掛かっているところだ。現代アートと仏教が結びついている。あの目は何を見ているのだろうか。我々には何も見えていない、という表れだろうか。大きな池があり、施設は現代的で、ここも環境がよい。建物内ではセミナーが開かれているが、タイ語なので内容は分らない。

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輪廻について描かれた絵などもあり、ここにいると常に自らについて考える機会が与えられる。1室には暗い空間があり、その奥には非常に安らかに過ごせる場所が設定されている。皆思い思いに寝転んで、池を眺めたり、目をつぶったり。心地よい安らぎが訪れる。タイ人のバンダが同行しており、彼女からタイ式の礼拝の仕方などを習う。彼女とは、バンコックのヨーガクラスでも会ったし、何と言ってもインドのロナワラを訪ねた時、1年間のコースで勉強していたので馴染みである。今はタイに戻ってヨーガの先生をしているらしい。何とも優秀な女性である。

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施設内にショップがあり、皆さんは買い物を始める。これから始まる合宿に備えて、服などを買い揃えているのだが、私はまるで無頓着。A師と共に、自販機のコーヒーを飲んで待つ。それにしても、タイの仏教と言えば、一般人にはワットポーやワットアルンといった観光地の印象しかないが、随分と色々な面があるのだな、とつくづく思う。日本人ももっとタイの仏教を知るべきだろう。それが自分たちのためにもなる。

 

そういえば、5年前ここに来た時、ちょうどタイの高僧が来るというので、会いに行ったが、なんとそれは日本人だった。日本語で話しかけると日本語が返ってきた。タイで長年修行し、タイで誰もが知っているお坊さんになったというので驚いた。だがもっと驚いたのはその後、彼は突然恋に落ちて、還俗してしまったことだ。これは格好のスキャンダルとしてタイ全土を揺るがしたが、果たして信者のタイ人はどう思ったであろうか。

 

そしてまた車に乗り、ワンサニットへ。この2台のチャーターされたロットゥ。普段は普通に路線を走っているらしい。夫婦が個人で運転しており、今日はこの往復だけで十分に上がりがあるのだろう。荷物なども運んでくれて、実に親切。両側で花が売られている通りへ出ると、そこには懐かしいワンサニットアシュラムがあった。花屋?いや植木屋の規模もかなり拡大している。

 

このアシュラムへ入るには小さな川を越える必要があり、小舟に乗り、ロープを引いて渡らねばならない。一種の儀式のようで、何とも面白い。初めてここに来た10年前は、子供が手伝ってくれなければ渡れない感じだったが、今ではきれいになっている。いよいよここで私にとっての1週間の修行が始まる。

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タイ茶を訪ねる茶旅2015(7)チェンライ タイ茶工場を見学して

少し待つと、林家の長男がやってきた。実に実直そうな青年で、見ただけで好感が持てる。英語も話せるので、彼の案内で工場に向かう。工場内にはお茶のいい香りがしていた。今まさに摘まれてきた生葉が運び込まれ、室内に広げられていた。これから緑茶を作るらしい。Cha-thaiは元々紅茶製造を主としていたが、近年は緑茶需要がかなり伸びているとのこと。そして茶葉はこの近辺だけではなく、チェンライ、チェンマイ、メーソンホーンなどタイ北部各地の茶農家から運び込まれてくる。何故この場所に茶工場があるのか、それは茶葉の集積地としてとても便利だからとすぐに分かる。

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社長であるお父さん、林さんが入ってきた。この地に工場を建てたのは30年前だそうだ。大量のタイ茶を作るには、原料である茶葉の確保が一番重要だったという。確かにタイ市場で大きなマーケットシェアを持つ同社の生産は半端な量ではない。タイ経済は常に順調ではなく、いや逆に常に何らかのイベントを抱えている中、庶民の味として生き続けていくこと、これは並大抵のことではない。

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第二次大戦後、タイにもアメリカ文化が流入し、コーヒーが入ってきたことは衝撃だった。同社のライバルは他の製茶メーカーではなく、コーヒーメーカーだという。但しスターバックスのような高額な商品は全く競合しないとも言う。タイ人はスタバでコーヒーではなく、アイスグリーンティラテなどを好んで飲むが、この料金は1杯120バーツ前後。同社のアイスグリーンティは僅か35バーツだからだ。この価格帯だと、景気変動にも左右されにくく、今日までやって来ている。

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また同社にとっても不可欠なコンデンスミルク、これをネスレなど外国勢に抑えられているおり、彼らに大きな収益を握られているのは痛い。しかし膨大な資本を持つ欧米企業ではないと、コンデンスミルクの設備投資はできないので、仕方なく彼らの製品を買っている、と嘆く。

 

話を聞いている間にも、茶葉は揉捻機に掛けられるなど、どんどん処理されていった。少し雨が降り出した。11時を過ぎるとランチタイムで従業員はバイクに乗り、家に帰っていく。この工場では地元住民を優先的に雇っている。『これも華人が地元と融和する1つの大きな手段』となっている。地元に支持されなければ、如何に大きな工場を建てても、最終的に上手くいかないのは自明の理。

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それから工場内のパッキング施設を見学、実に大量の段ボール箱が積み上げられていた。これが先日訪問したバンコック郊外の本社を経由して各地に配送されていくようだ。更には品質管理をしている試験室なども回ってみた。これからアセアンに大きく打って出る予定の同社、当然ながら国際基準での生産を進めている。

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我々もランチをご馳走になる。カオソイを食堂の人が作ってくれた。漬物と一緒に食べるとピリ辛だが、美味い。スッキリした緑茶がアイスで登場した。喉が渇いていたので、ごくごく飲む。林さんたち華人も自社製品のタイ茶ではなく、伝統的な釜炒り緑茶などを好むようだ。コンデンスミルクを入れた甘い物、ライムを絞った物など、様々なお茶が提供されて、試飲した。フルーツも沢山出てきて、有難く頂いた。何だか嬉しくてどんどん食べてしまった。

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社長とは打ち解けて別れがたかったが、工場を後にした。華人の家族経営、実に素朴でよかった。明らかにシンハの大企業経営とは違っていた。このような出会いは茶旅の醍醐味であり、更には低価格で庶民に向けて販売する、タイ茶のアセアン進出など、前向きの話は聞いていて嬉しくなる。

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ドイチャーン

そして今日はチェンライに泊まることにしているので、そちらへ向かった。だがまだ午後も早い時間ということで、近隣の山に入ってみる。Eさんが知っている風光明媚なスポットを眺める。この付近には元々茶樹が自生したのかもしれないが、新しく茶樹を植える、苗木を育てるなど、茶に関する新たな動きがあるように見える。茶葉の需要が増加していることが感じられる。

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山頂付近にはドイチャーンという有名なコーヒーチェーンの工場があった。ここには一般観光客用のショップがあった。そこで休息し、コーヒーを飲んでみる。お茶ばかり飲んでいたので、コーヒーをブラックで飲むと、その苦味、そして酸味が新鮮に感じられる。工場脇にはきれいな庭園があり、いい感じの建物があった。30年前にゴールデントライアングルの代替作物として、タイ政府主導でコーヒー栽培が始まったようだ。チェンライはお茶だけではなく、コーヒーで有名になっている。

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チェンライの街に車で送ってもらい、Eさんお勧めのホテルに投宿する。ここは何と数年前に私が偶然泊ったところだった。そしてその時のフロントの対応が良く無かったことを鮮明に覚えていたが、今回も全く変わっていなかったことに驚いてしまった。部屋代は150バーツも上がっていたのに。まあこれも運命か。

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チェンライの街も相変わらずそれほど発展しているようにも見えず、食事をする場所も探さないとなかなかない。夜は閉めてしまう店も多いのだ。のどかでよいとも言えるが、何もすることがないのはちょっと寂しい。

 

8月6日(木)

翌朝は6時半にまだ準備中のレストランで朝食を食べて、自らタクシーを拾い、チェンライ空港へ向かう。非常に長い旅が終わりを告げようとしている。腰はまだ痛く、足を引きずりながら、バンコックエアーに乗り込む。この航空会社はLCCではないので、空港内でジュースもくれるし、機内で簡単な食事も出る。ようやく少し落ち着いた気分になる。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(6)チェンライ 日タイ合弁会社のお茶

日タイ合弁会社が作るお茶

そして工場の前で停まる。何とそこには『丸善フーズ』と書かれていた。これがシンハと静岡の丸善製茶の合弁会社だと分かる。昨年合弁会社を設立し、早急に工場を整備して、昨年後半から生産を開始していた。日本語の出来る通訳の女性も付いてきてくれたが、中で待っていたのは日本人のTさんだった。

 

既に定年の年齢に達しているが、1年前にこの工場が作られた時から、ここにたった一人で赴任し、工場管理をしているという。生産現場にはタイ人スタッフも数人しかいない。住まいもこの敷地内とのことで、職住接近ではあるが、この付近には何もない。『時々チェンライの街に出るくらいが楽しみ。テレビはタイ語しかなく、何もわからない』というから生活は大変だと思われる。

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工場内には日本から持ち込まれた製茶機械がズラッと並び、日本の茶工場と殆ど変わりがない。確かに人手はそれほど要らない。現地の建屋と茶葉を使い、日本の機械で商品を作る、それは工業で言う加工貿易の形態に似ている。だが作られた商品が日本に輸出されるのではなく、タイ国内で販売されることに大きな違いがある。『シンハの販売網を使ってタイ人に煎茶を売っていく』のである。

 

実はバンコックで試飲した煎茶は『うま味』や『渋味』があまり感じられなかった。日本と同じ製茶機械を使っているのに、どうして日本とは味が違うのだろうか?茶葉が違うからだろうか、水が違うのだろうか。率直にそのことをTさんに尋ねると、『合弁パートナーの要請です』とあったさりと答えた。タイ側がタイ人向けに売るのだから、当然その好みに合わせて茶は作られる。そこでは日本的な『うま味』などの概念は取り払われてしまう。玄米茶が好まれるといえば、玄米茶を作ることになる。抹茶がブームだとすれば、日本とその概念が違っていたとしても、タイ人が求めるものを作っていく、それは当然のことだろう。

 

そしてオフィスに戻ると、タイ人スタッフがお茶を淹れてくれ、商品の試飲をしたが、煎茶はやはり日本とは違っていた。抹茶も日本で言うところの、抹茶とは少し違うような気がしたが、これが売れていくのだという。烏龍茶にはフレーバーが付いている。甘い飲み物だけがよい、という時代は終わりかけているが、今後タイの飲料市場はどのようになっていくのだろうか。

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ウインパオへ

シンハパークを後にして、明日のアポに備えて、Cha-thai社のあるウインパオへ向かった。ここはチェンライとチェンマイのちょうど中間にある、両都市を結ぶバスの通る街だった。私も過去2₋3回通過したことがあり、前回2月にはこの辺に茶工場があると聞いて、バスの窓から眺めてはいたが、まさかこの道沿いに茶工場があるとは思いもよらなかった。なぜここに?

 

今日は取り敢えず、宿を取り、泊ることにした。Eさんはと奥さんはいつも車でタイ国内中を旅しており、行き当たりばったりで、よさそうな宿を選んで泊っているという。今回もこれを採用し、勘に任せて適当に探していく。それほど大きな宿はなく、モーテルといった宿がいくつかあるだけだ。

 

その中で、比較的新しいところへ入る。料金も1部屋350バーツだったので、そこに決定した。部屋は三方に窓やドアがあり、外から丸見えだ。急いでカーテンを引き、何とか落ち着く。ネットはWi-Fiが飛んでおり、繋がった。駐車場は広く、土地は余っている。何とももったいないが、使い道がないかもしれない。のどかな空気が流れてくる。眠気が襲ってくる。

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まだ時間的には早かったが、5時過ぎには夕飯を食いに出た。道沿いにちょっと洒落た店があり、入ってみる。だが田舎のしゃれた店、というのは曲者だ。料理の味より、雰囲気などが重視されているようで、従業員にやる気はなく、サービスなどもよくはない。その割に料金は高い。やはりタイは屋台に限る、などと思ってしまう。食べ終わると外は真っ暗になっており、早々に宿に戻り、シャワーを浴びて、PCをやり、終わるとすぐに寝てしまった。

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8月5日(水)

Cha-Thaiへ

当然翌朝は早めに起きたが、特にやることはない。宿には朝食は付いていなかったが、あまり食欲もない。宿の事務所へ行くと、お湯があったので、お茶を淹れて飲む。これが一番落ち着くな。道路脇ながら、部屋は奥まったところに並んでおり、車の音などは気にならない。それほどの交通量がないとも言える。

 

9時半に宿をチェックアウトして、Cha-thaiの工場へ。今日も天気は良く、気温も高くはなく、快適だ。宿から5分も走れば着いてしまう。それほどに小さな街だ。少し早いが入ってみようと思ったが、3つある門はどこも閉ざされていた。仕方なく、警備員に主旨を伝え、開けてもらい、何とか中へ、入れてもらう。華人経営というのは、色々と考えなければならない。

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タイ茶を訪ねる茶旅2015(5)チェンライ シンハパークを訪ねる

※その後しばらくバンコックに滞在し、それからミャンマー激走列車旅に出た。そしてミャンマーのラショーで極度の疲労に見舞われ、這う這うの体で飛行機に乗り、タチレクにたどり着く。そこから橋を歩いて渡り、タイ側のメーサイで休養した。何とか腰痛が収まったので、先日行ったシンハとCha-thaiのチェンライ工場を訪問することにして、連絡を取った。

 

8月4日(火)

シンハパーク

メーサイのミャンマー国境近く、最初に泊まったホテルは虫が出て、疲れが取れず、一晩で退散した。次に見つけた宿は快適だった。長期滞在者用アパートを貸しているところで、清潔感があり、ゆっくりと静養で来た。何しろ腰が痛く、ネットをすることもままならず、寝ているのも苦痛だったが、それも時間が経過と共に、何とか改善した。その間にバンコックのシンハとCha-thaiに工場見学の依頼をした。ちょうど良い間合いとなり、アポが実現した。

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前回2月にお世話になったチェンセーン在住の日本人Eさんにも連絡して、同行をお願いした。回復したとはいえ、自分で重い荷物を持ち、バスに乗ってメーサイからチェンライの工場を訪ねていく自信はとてもなかった。Eさんが宿の脇まで車で迎えに来てくれ、荷物を積み込み、何とか出発した。雨が降り、国境付近は水が少し溢れていた。今は雨季である。

 

車は国境前から1時間近くかかり、チェンライの街を通り過ぎて、郊外の道を進んでいく。すると突然巨大な敷地に遭遇した。入口にはあの獅子のでっかい像が見えてくる。シンハパーク、ここがシンハの茶工場、茶畑、そして観光茶園であった。この場所には以前一度、チェンライ在住でコーヒーの焙煎をしているIさんに連れてきてもらい、ランチを食べたことがある。まるでゴルフ場のクラブハウスにいるように居心地がよい、と思った記憶がある。

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今回もまずは腹ごしらえ、とレストランに行き、ランチを食べる。ここのところずっと、タイの麺しか食べていなかったので、スパゲッティを注文したところ、実に濃厚で美味かった。体が洋食を欲していたのかもしれない。疲労が回復したことを実感した。お茶は敢えてホットの緑茶を注文したが、ポットにティーバッグが入って出てきた。少し濃いお茶を飲むのも久しぶりで、これまた舌に染みた。疲れを取るのも環境だと、と感じられたがどうだろうか。

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ここにはタイとは思えない環境があった。店内には大勢の団体さんが静かにご飯を食べていた。どこかの会社の研修旅行かもしれない。茶畑を見ながら、お茶を飲み、そして食事をする。このような場所を作り、茶の普及を図る、それは大資本を持つシンハだからできることではあるが、このように徹底的にお客を引き付ける施設の必要性は、日本も同じではないか、とふと思ってしまう。日本にもこのような場所はあるのだろうか。そして活用されているのだろうか。

 

食後茶畑を見る。大きな池の周囲を取り囲む茶樹の波。かなりきれいなうねりを見る。少し日本の茶畑に似ている。観光客の親子が楽しそうに茶畑に分け入り、遊んでいる。写真を撮る人々もいる。タイ人はお茶を飲まない、と言われていたが、それも少し変化してきていることが見て取れる。いや、茶を飲むというより、茶に親しんでいるということだろう。

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茶摘みをしている人達もいる。機械を持っていないが、手で摘んでいるのだろうか。この茶畑を見る限り、機械摘み用としか思えないが、一部手摘みもあるのだろうか。ここは標高も高くないので、茶葉がすごく良質、という訳にはいかないだろうが。どのようにお茶を作っているのか、興味が湧いてくる。

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約束の時間に敷地内にあるオフィスに方に向かう。既に本社から連絡が入っており、担当者が出てきて、歓迎される。まずはゴルフカートに乗って園内を一周した。ゴルフカートの使用にも色々とルールがあるようで、如何にも大企業といった感じがする。これは本社でも感じたものと同じだ。

 

敷地内には簡単な展示室もあったが、すべてタイ語で書かれており、特に説明もされなかったので、こちらから質問するしかない。だが通訳を介して話すので、なかなか進まない。Eさんは流暢なタイ語で色々と聞いているようだが、その内容も分からない。いずれにしてもこの茶園は出来て10年ほどと新しく、台湾から持ち込まれた茶樹、品種はキンセンであるらしい。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(4)バンコック 華人経営のタイ茶

7月10日(金)

サイアムスクエアー

翌朝はスッキリと目覚めた。やはり東京にいるより、バンコックの方が体に合っているらしい。日本人でなくなってきていることを実感する。ゆっくりと旅日記などを書き、昼前にバスでサイアムスクエアーに行く。今日は大学の後輩、Hさんと一緒に、タイ茶の調査に行くことになっており、まずはランチを食べるためにここに集合していた。Hさんは4年前にバンコックに少し滞在していたが、広州などで中国茶を習っており、お茶に対する興味は人一倍ある。

 

この一帯、昔来た時はごちゃごちゃと店が並んでおり、観光客で賑わっていた印象があったが、今は人通りも少なく、スッキリしている。BTSの向かい側には、サイアムパラゴンをはじめ、ショッピングモールがずらりと立ち並び、完全に圧倒されている。ただ昼前にこちらのモール群を歩いてみても、お客は殆どおらず、どの程度儲かっているのかはかなり怪しい。

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サイアムスクエアーでHさんが時々行くというレストランに行ったが、閉まっていた。何とも活気がない。仕方なく近くの麺屋に飛び込んでみた。エビ叉焼麺が美味しそうだったので注文したが、よく見るとなんと香港企業の出店だった。値段は屋台よりかなり高いが、ちょっとお洒落なのか、お客はそこそこ入っている。タイに出てくる香港企業、面白い構図だ。

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BTSサイアム駅から川向うの終点駅、バンワー駅まで乗る。いつの間にかBTSはここまで延長されていた。この駅の下には、現在工事中の地下鉄がここまで伸びてくるらしい。確かヤワラーなどを通過するものだが、川を越えてくるのだろうか?周囲は高層アパートも見えるが、何となく閑散としている。

 

Cha-Thai

ここでPさんと待ち合わせていた。Pさんとは2月にチェンマイでお茶イベントを開催した。実はその際、質問の中に『タイ茶はなぜオレンジ色なのか?』というのがあり、タイ人のPさんたちも答えられず、いつか一緒に調べに行こうと話していたのだ。その後Pさんの尽力により、それが今日実現したという訳だ。

 

タイ茶のメーカー、Cha-Thaiにコンタクトを取り、何とか約束を取り付けてくれた。彼らの本社はこのバンワー駅からでもかなり遠い。Pさんが車を出してくれ、何とか向かう。かなり田舎までやって来て、道に迷う。こんなところにタイの大手飲料メーカーの本社があるのだろうか?かなり不安になった頃、停まっているトラックのドアにCha-Thaiのマークが付いているのを発見した。

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そこは3階建ての個人宅のように見えたが、中に入ると、豪華なロビーがあり、更に2階に上がるときれいな部屋に通される。如何にも華人が好みそうは作りだった。今日は社長が会ってくれるというので、緊張していたが、出てきたのは20代に若い女性。彼女はパワーポイントで会社の概要などを説明してくれた。社員かとも思ったが、何となく品が良いので聞いてみると、社長令嬢だった。

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Cha-Thaiは1945年創業の華人企業。元潮州出身で、先祖は広東で貿易に従事していたが、1920-30年代にタイに移住。一族の一人がタイ人に飲んでもらえる茶としてタイ茶を考案したという。戦争前から売っていたが、戦後会社化した。最盛期は50社もあったタイ茶製造会社だが、現在は2社を残すのみ。Cha-Thaiのシェアは大きく、この市場を押さえている。元々茶を飲まないタイ人が好むお茶を、ということで、タイ北部で栽培されている茶葉を使い紅茶を製造し、そこにフードカラーを使ってタイ人が美味しそうに見えるオレンジ色にして見せたところ、大量に飲まれるようになり、タイ庶民の飲料として定着した。いずれにしてもアイスを入れて飲む冷たいお茶が基本だ。

 

工場はチェンライとチェンマイの中間にあるという。工場での製茶作業は社長であるお父さんとお兄さんが担当し、バンコックオフィスではお母さんと彼女が、財務経理、マーケティング、配送などを担当しているという。見事な華人的家内分業体制だ。お母さんがやってきた。タイ語は勿論、英語も普通に話し、そして普通話でも話す。私とHさんが普通話で話し始めると、彼女とPさんは目を丸くした。日本人がタイで普通話を話すのは珍しいだろう。更にHさんはタイ語も流暢に話し、皆が驚く。語学的なセンスが良い。冷たくて甘いタイ茶を飲みながら話す。

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Cha-Thaiは以前卸業が中心で、道端で売る屋台に商品が流れていた。今もそれは変わらないが、少しずつスーパーなどにも浸透し、現在は高級デパートでの販売も始まっている。最近のグリーンティブームもあり、緑茶が伸びているが、スタバで120バーツするグリーンティーラテが、Cha-Thaiは屋台で35バーツで売っている。勿論質は異なるが、タイの庶民にはこちらの方が好まれている。更にはインドネシア、ベトナムなど他のアセアン諸国でもタイ茶が好まれる傾向があり、安くて美味い飲料として、今後アセアン展開を図っていく予定。お母さんは『それは次世代の仕事です』と娘の方を見て、微笑んでいた。アセアン市場でブレークの予感がある。

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最初は緊張して訪ねたのだが、すっかり打ち解けてしまい、8月初旬にチェンライへ行く際に、こちらの工場を訪問する旨、話が進んだ。お父さんとお兄さんはどんな人で、どんなところ茶を作っているのか、俄然興味が湧いてきた。

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(3)バンコック 景気が悪いタイ

フェリーでチャオプラヤ川を

フェリー乗り場は本当に小さかった。そこは地元の人しか利用しない場所。チケットもそこで物を売っているおばさんから買う。何故か欧米人親子がやってきた。赤ちゃんを連れていたので、皆がそこに集まってきて、あやし始める。タイ人は本当に子供好きだ!タイ人の赤ちゃんもやって来て、賑やかになる。如何にもタイのローカルといった風景に、大いに和む。先ほどのシンハでの張り詰めたミーティングの雰囲気が一気に吹き飛ぶ。これぞタイ!

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15分ほど待ってフェリーがやってきた。出発してすぐに、あの獅子のマークの建物が見えてきた。広大な敷地、船上から見るシンハの建物群は実に立派に聳え建っていた。タイの象徴とも言えるその光景と、その大手企業が作るお茶、今後どう展開していくのだろうか。興味津々である。

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これまでチャオプラヤ川のフェリーには何度も乗っているが、いつも行くのはチャイナタウンやワットポーまで。今回は相当上流から乗って下って行く。乗客のいる乗り場のみ停まり、後は無視して進んでいくのが面白い。乗客がいることを知らせる何かがあるのだろうか。結構なスピードで通過していくので、急に停まることなどできはしない。一般的に観光客はチャオプラヤクルーズという名前の英語アナウンスが付く料金の高い船に乗ることが多い。このフェリーに乗るのはこれを移動手段にしている地元民であり、その数が意外に多いことも分かってくる。やはりバンコックはチャオプラヤを中心に栄えてきたのである。

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ただこの川を通行する船舶の量は昔と比べてかなり減っているような気がする。以前は船がぶつかりそうになるほど、船が交錯していたこともあったが、今はスイスイと進んでいく。上流だからだろうか。かなり大きな橋が見えてくる。アーチが三つもあり、かなり鮮やかな橋である。少し大型の船は身を屈めて、橋の下を通っているように見えるのがおかしい。

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下流の方に来ると、数十年前に建てられたと思われる歴史的建造物が目に入ってくる。これはずっしりと重く建っており、中には現役で使われているものもある。往時西洋から取り入れた建築手法は今に息づいている。そして高級ホテルが立ち並ぶ現代的建物。そのコントラストにも歴史が感じられる。

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タクシン橋でフェリーを下りる。30分以上乗っていたことになる。行きのタクシーは30分で200バーツ以上かかったが、このフェリーは僅か15バーツ。何とも有難い。ここからBTSでサラディーン、そしてその先はバスで宿に戻った。たった半日なのに、大旅行をした気分。かなり疲れたので、昼寝をした。

 

じいさんの店で

夜はいつもここに泊まると行く、客家のじいさんの店でご飯を食べる。もうここに通い始めて4年になるが、『商売はどうか』と聞くと、いつも『まあまあ』と答えが帰ってくる。ところが今日は『いや、景気が悪い』とはっきり言う。珍しいことだが、それが今のタイ経済の真実なのであろう。

 

『タイ人はその日のことしか考えない。今日金があれば、外で飯を食い、金がなければ家で食う』というのである。昨年ぐらいから景気が悪いとは感じていたが、いつに庶民レベルではっきりと表れてきたのかもしれない。タイではクーデターや洪水など毎年何かのイベントがあり、経済的な数字が落ちても、みなそのせいと言われてきているが、実際は中国経済の減速をはじめ、いくつもの要因から、かなり厳しい状況にあるのではないかと思う。

 

銀行の預金金利も、この2年の間で1年物の定期預金が4%から2%以下と半減している。投資の減速、そしてクーデターなどによる観光客の減少もあり、タイ経済は思っているよりも悪い状況と言わざるを得ない。しかし日本ではこのような報道はあまりなされず、軍事政権だから、といった論調も目立っている。じいさんなどは『軍事政権の方がむしろ安定していてよい』と言っている。日本ではよく『安倍首相が民主化を促す』などと言っているが、それはあくまで建前に過ぎない。何より庶民はタクシンだろうが、軍事政権だろうが、自分に危害を加えなければ、安定して商売でき、生活できる政権が一番であるのは当然だ。

 

この店は奥さんが全ての調理をしており、80歳を過ぎたじいさんは皿を出したり、ご飯を盛るだけの存在だ。ただこの周辺に住んでいるのは華人ばかりであり、華人でない奥さんには何か壁があるのかもしれない。勿論華人と言っても皆がタイ語を話し、普通話を話せる人は実は多くはない。私がじいさんのところへ行くのも、実は言葉が通じることが大きい。

 

奥さんしかいない時は言葉が全く通じないが、長年通っているので、あるもので適当に作ってくる。いわゆる賄い的な飯であるが、これが何とも美味い。中華料理の要素がかなり入っており、エビやカニも入った炒め物は絶品である。更にはタイ料理のカレーなどが出てくることもある。スープは中国から入ったと思われるゲンチュウというタイの定番スープ。基本的に1食、100バーツを支払うようにしているが、そのボリュームと質から考えるとかなり安い。

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因みにこのじいさんの波乱万丈の人生は、既にコラムに書いている。そのコラムが掲載された雑誌を持っていった時、じいさんは目が悪くて入院していたが、奥さんたちが大変喜んでくれたのを思い出す。その後本人がこれを見てどう思ったのか、全く聞いたことがない。

タイ茶を訪ねる茶旅2015(2)バンコック シンハビールが作るお茶

シンハのお茶

この敷地内にはシンハビールグループの統合オフィスがある。その中に今回訪問するお茶専門の子会社も入っていたが、タイで長年大きなビールシェアを握るシンハの中で、その存在は決して大きなものではない。お茶事業は新参者、という感じのこじんまりしたオフィスに案内された。まあ日本で言えばサントリーがアルコール部門と共にお茶部門を有しているのだから、別におかしな話ではない。

 

Mさんの上司だという男性が入ってきたが、最近異動になったばかりで、茶部門のことには詳しくないらしい。更に若い男性がやって来て、流暢な英語で話し始めた。彼は親会社シンハの企画担当で、このお茶プロジェクトの企画を担っているらしい。10年前に茶部門を立ち上げ、子会社として設立したこと、チェンライに大規模な茶園を作り、台湾から茶樹を持ち込み、機械を買い、技術を入れて、烏龍茶作りを始めたことなど、一通りの説明がなされた。

 

当初は烏龍茶を台湾に輸出することを考えたが、その後台湾側の事情も変わり、輸出はほぼ無い状況。現在も烏龍茶は作っているが、主に欧米向けにバラなどのフレーバーをつけて輸出している。代わりにタイ国内の需要が少しずつ高まり、緑茶製造も始まった。そして昨年、静岡のお茶会社と合弁で、煎茶、抹茶製造にも着手した。今タイは抹茶ブーム。抹茶ラテなどの飲料の他、ケーキなどお菓子に抹茶パウダーを使う需要が急激に伸びているという。

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抹茶という名称は確かにそこかしこで使われている。バンコックのスターバックスに入っても、タイの若者はコーヒーなど飲まずに、抹茶ラテかグリーンティラテ(しかも甘いアイスティー)を飲んでいる。グリコのポッキーなどの菓子も、軒並み抹茶味を売り物にしている。いつからタイ人はそんなに抹茶が好きになったんだ、と聞きたくなるほどだ。そこに最近の日本旅行ブーム。日本食の認知度も上がり、本物の日本茶を飲む機会も増えているから、日本の会社の技術を使い、日本の煎茶を作ることにも意味があるのかもしれない。

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実際に試飲してみようということで、お茶が準備されたが、私に出されたのは、烏龍茶ではなく、その煎茶だった。企画担当者は『どうだ、これは日本の本物の煎茶と同じ味か?』と何度もしつこく聞いてくる。彼は製造担当ではないので、作られた商品の価値などを確認したいと思っており、日本人に飲ませて、その感想を聞くのが良いと判断したようだ。若いがその優秀さが感じられる。

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実際飲んでみると、おやっと思う。『うま味』というものはなく、『渋味』というものも少ない。一言で言えば、何となく味もそっけもないお茶だった。Mさんが『私の淹れ方がまずかったんだ』と言い、入れ直してくれたが、変わらなかった。これは水のせいではないか、とも思ったが、話を聞いていると、どうやら、タイ人の嗜好から生まれたものであるようだ。

 

一般的にタイ人は『うま味』がそれほど好きではない。以前タイの紅茶好きの女性に、高級玉露を飲ませたことがあったが、『これは飲めない』と拒否されたことが思い出される。茶わん蒸しなどは大好きだから、料理に混ざっているのはOKなはずなのだが、何とも不思議だ。

 

『渋味』については、英語で何というのだろうか、と悩んでいると、相手が『ビターか?』と聞いてきた。ビターは『苦味』であろうか、ちょっと違うな。どう説明すればよいか迷ってしまった。英語でお茶を説明する機会が最近無かったこともあり、すっかりさび付いてしまい、苦戦する。

 

結局のところ、日本煎茶の需要は、抹茶ほどは無いようで、また日本茶の世界で言われている、その特徴である『うま味』をタイ人はそれほど必要とはしていないということだ。ただ日本というブランド、健康志向という感覚、などから、グリーンティーではなく、煎茶というイメージも出てきているらしい。ただ担当者の力の入れようも、煎茶よりも明らかに抹茶であり、しかも飲むより食べる、であるところが面白いが、何となくちょっと悲しい。

 

2時間ほど話しを聞いて、外へ出る。企画担当者は颯爽と次の会議に向かっていった。シンハはタイの一流企業、その身のこなしはタイ人らしからぬものがあった。香港あたりでミーティングしていた感じだ。Mさんがタクシーを呼ぼうかと言ってくれたのを断り、歩いて帰ることにした。ただ敷地内は完全に撮影禁止であり、カメラでも取り出そうものなら、警備員が素早く目を光らせていた。そういえば、ミーティングの最後に記念写真を撮りたい、と申し出たが、それすら断られた。セキュリティーは相当に厳しいようだ。さすが一流!

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何とか本社を写真に収めたいと思いを巡らしたところ、この近くにフェリー乗り場があることに気づいた。この敷地の横はチャオプラヤ川だから、フェリーから写真を撮ることは可能だった。ただ近いと思っていた乗り場は歩いていくと意外と遠かった。本社入り口を出てぐるっと回ったのだが、それほどにこの本社敷地が広いこと、そしてシンハが大企業であることを思い知らされた。

 

 

タイ茶を訪ねる茶旅2015(1)バンコック 道に迷って大騒ぎ

《タイ茶を訪ねる茶旅2015》  2015年7月9-10日、8月4-5日

 

6月にタイのベースキャンプを引き払ったが、すぐまた所用でバンコックにやってきた。その所用の合間に、タイのお茶事情について、少し勉強してみようと思い立つ。ふと思いつくと、2月にチェンマイお茶セミナーでタイ人からも出た、『タイ茶はなぜオレンジ色なのか?』、そして3月の幕張Foodexで出会ったシンハビールの烏龍茶。ちょっと興味深いテーマが出てきていたので、今回はそれらを作っている会社を直接訪問して、その実態を見てみることにした。

 

7月8日(水)

バンコックへ

夕方5時過ぎの便で成田からバンコックに飛んだ。これまでは中国経由が多かったが、今回はタイ航空の直行便。バンコックから東京往復を買うと8万円近くするのに、東京発で買うと同じフライトが何と5万円。円安の影響や航空会社の政策だというのだが、タイ人の購買力向上の結果、いや、日本人の低下が大きいだろうか。とにかく航空会社はタイ人から金を儲け、その隙間に日本人を乗せることにしたらしい。因みにバンコック発で北京経由羽田行の往復チケットを中国国際航空で買っても8万円する時代になってしまった。空は時代が大きく変わった。

 

機内に乗り込むと、日本人も少なからずいるが、やはりタイ人が多く見られる。如何にも観光の帰りといったラフな服装が目立つ。昨年は年間65万人が日本にやってきたのだ。中国人ほどではないが、皆お土産を持ち、日本に貢献してくれている。若者はディズニーランドの帽子や土産を持っている。

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さすがにタイ航空はシートが快適で食事もウマイ。これで安ければ言うことはない。到着1時間前にはアイスクリームまで出てきた。もう言うことはない。1つ気になったのが、日本人CAのアナウンス。『お酒は適量に。一定以上のお酒は提供しません。自分で持ち込んだお酒も飲まないようにお願いします』と日本語で言っていたような気がする。何でそんなアナウンスが必要なのだろうか。勿論泥酔するなどよからぬことをする日本人客がいることを指している。タイ人でそんな人、恐らくいないだろう。

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フライトは順調でほぼ定刻にバンコックに到着した。いつもなら電車を乗り継いでいくが、今日は荷物が多いのでタクシーに乗る。夜の道路は空いており、あっという間にラマ4通りに近い宿に着いてしまう。Kさんが待っていてくれ、鍵をもらう。1か月ぶりのバンコック、特に変わったところはない。

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7月9日(木)

ビール会社へ

翌朝は早く起きた。本日はタイの大手ビール会社であるシンハビールを訪問する予定になっていた。この訪問ではタイ人のPさんにお願いして、アポを取ってもらっていたが、その訪問先はどこにあるのか、全く分からなかった。何とか住所がわかり、ネットで検索したが、元々バンコックに地理に詳しくない上にタイ語で表示されたりするので、そこがどの辺りか見当をつけるだけでも大変だ。

 

仕方がないので、コーヒーを飲みに行きがてら、知り合いのYさんを訪ねる。タイ語の出来るYさんに検索してもらったところ、どうやらここから行くのはかなり不便であるようだった。BTSや地下鉄でも行きにくい。『タクシーに乗れ』というYさん、タクシーを拾ってくれて、ドライバーに指示してくれた。ドライバーも分かったと言いながら車を発車させた。

 

8時台のバンコック市内は、渋滞であった。ドライバーも『高速で行こう』というので同意する。約束は10時だが、果たして間に合うのだろうか。高速に乗るまでは混んでいたが、なぜか高速は空いており、どんどん進んだ。そして高速を降りてからは、一般道も混んではおらず、スイスイ進む。これは予想外。かなり早く到着することを覚悟した。さてどう時間をつぶすか。

 

だが、運転手は目的地が分かっていなかった。急に誰かと携帯で話し出すが、タイ語なので分からない。後で分かったことだが、私が渡した住所が書かれた紙にPさんの携帯番号があり、私は言わずにそこに電話。Pさんも当然わからないので、先方のMさんの携帯にも電話していたのだ。突然Pさんから『大丈夫ですか?分かりますか?』と電話があり、既に大事になっていることが分かって驚いた。

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運転手は『分かった』と何度も言っていたが、なかなか行き着けない。タイ人は地図が読めない、とよく言われるが、場所を探すにも苦労している。ついに行き着いた場所は、チャオプラヤ川沿いに建つ、非常に広大な敷地。ビールなどの配送基地と、オフィスビルが併設されたところだった。今度は敷地内で、目指すオフィスを探す羽目になる。この敷地内、勝手にウロウロすることはできない。警備員が厳しく監視している。さすが一流企業だ。仕方なく携帯に電話して、何とかMさんと東京以来の再会を果たした。到着時間は約束より30分も早かった。バンコックは時間が読みにくい。

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