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タイ北部茶旅2022(3)メーサローン散策、そしてウィアンパパオへ

午前中はお散歩。茶器モニュメントまで歩いて行く。これまで何度か歩いたが、今回は無難な広い道を通る。途中の坂道に茶樹が生えている。これは山茶だろうか。葉っぱや木がかなり大きなものもある。アッサム系だろうか。モニュメントに辿り着くと、獅子たちは健在だったが、茶器は一部取り外されていた。かなり古びていたので仕方ないだろう。私が最初に見たのも16年前なのだから。

その下まで歩いて行くと、芙蓉宮が作った風景スポットが出現した。確か茶畑は5年前伍さんが作っていたのを思い出す。あの時の茶畑がこんなインスタ映えするスポットになったのか。ここだけはタイ人観光客がいる。トイレも完備されているので、私も使わせてもらい助かる。その下まで降りるつもりでいたが、足に自信がなく途中で引き返す。衰えを感じる。

主要道路まで戻って、以前訪ねた茶工場を探すとそのあたりに大型リゾートホテルが出来ている。でもお客はいないようだ。コロナ前から準備して出来上がったのだろうが、経営はどうなのだろう。茶工場を探し当てて行ってみると、女性たちにより枝取りが行われているだけだった。雨が多いので今週は製茶はなしらしい。その下には景色の良いカフェが作られており、冷たい飲み物を飲んで休む。

なぜかチェンマイからバンコクに戻るフライト予約をスマホでした。私は現金で払いたいので、セブンのカウンター支払いを選択する。ついでにドリンクを買う。ここにポカリスエットが売っている。その下の雲南麺屋で雲吞麺を食べる。50bで美味しい。やっぱりお婆さんの中国語は流暢 (若者も中国語は分かるが話さない傾向?)。帰りの道にコインランドリーが出きている。やはり突然雨が降る変わりやすい天気には便利?

午後は天気が良かったが、疲れたので部屋にいた。晴れた景色を眺めるのもまたよし。ずっとバルコニーに居たら、蚊に刺されてかゆい。夕飯にチャーハンとキャベツ炒めを注文したら、ちょうどオーナーの楊さんと三男がチェンマイから戻ってきた。ご主人のお母さんご病気で、チェンマイの病院にいるらしい。87歳というが、このお母さんの人生は聞いてみたい。

楊さんとご主人の李さんの父親同士は雲南黄埔士官学校の同期生であり、その縁で結婚したことを初めて知る。ミャンマー生まれの楊さんに最近の状況を聞いてみたが、陸路の国境は全て封鎖されており、この宿で働いているミャンマー人も帰ることはできない。更には危険が迫っているので、ミャンマー人は密航してタイに逃げこんでいるという。また観光客は来ないので、ホテル業は低調だが、巣籠需要なのか、茶葉輸出は好調でホテル従業員を茶業に回しているという。

9月15日(木)メーサローンからチェンライへ

昨晩はそれほど寒くなく、快適に眠れた。朝ご飯を食べに行くと楊さんが一緒に食べてくれた。カオトーガイに今日は油条が付いてくる。楊さんは実は果敢(雲南‐シャン州の国境にある秘境)の領主家出身だというので驚いた。その一族の歴史が書かれた本を貸してくれる。彼女の一代記、是非書いてみたい。

メーサローンを離れる。Grabは捕まるか分からず、三男がメーサイへ行くので下まで乗せて行ってもらう。いつもとは別道を行くと早く平地へ出る。三男とは初めて会ったがなかなかの好青年だった。メーチャン付近で降ろしてもらい、ちょうど来たチェンライ行バスに飛び乗った。ボロバスだが、25bでチェンライまで運んでくれる。

バスで約50分。バスターミナルへ着くとちょうどメーカチャン行は出てしまっていた(トイレに入っている間に?)。仕方なく、ターミナル前のきれいなカフェに入り、久しぶりのクラブサンドイッチを頬張る。美味しい。120bはバンコクでは考えられない値段だ。コーラも飲む。

12時半出発予定のメーカチャン行バスに乗り込んだが、定刻を過ぎても出る様子がない。荷物を大量に載せており、中では箱詰めされた鶏が鳴く!鶏と一緒にバス?数十年ぶりの体験にちょっとウキウキ?運転手はバスの下にもぐり始める。バスは故障したのだろうか?

13時過ぎにようやく出発。そこへ本日訪ねる予定のNさんから電話が入り、私の行き先を車掌にタイ語で告げてもらう。最初誰が車掌だか分からない雰囲気が面白い。途中はかなりの山道あり、水田ありの田舎道を行く。2時間かかって、本日の目的地、ウィアンパパオに到着。55b。降りるよう指示されたサイアムコマーシャルバンク前でバスが停まるまで、タイ人乗客も皆緊張していた。何せ車掌は私より先に下車してしまい、乗客に私のことを頼んでいたのだから。

タイ北部茶旅2022(2)懐かしのメーサローンへ上がる

少し待ってみたが雨は止みそうにない。宿からバスターミナルへ行き、ローカルバスでメーチャンの先まで行って、そこから山へ行くソンテウを拾うという作戦だったが、そもそもコロナでソンテウが走っているのかもわからず、不安になる。念のためにGrabで探してみると、何と料金がこれまで払ってきたタクシー代の半額程度だったので驚いた。

しかし実際に行く車があるのかとボタンを押してみると、何とすぐにつかまり、こちらに向かってきてしまった。驚いて宿をチェックアウトすると、そこにきれいな車が待っていた。メーサローンへと告げると黙って首を縦に振る。若者だが英語は苦手のようだ。車はチェンライを出て、メーサイ方面に向かう。雨が降っているせいか、運転が非常に丁寧で好感が持てる。

メーチャンの先から山道に入ったが、そこにはソンテウの姿はなく、Grabを選択して本当に良かったと感じる。あそこで雨の中いつ来るともしれないソンテウを待つのはちょっと耐えられなかっただろう。山道は相変わらず急であったが、運転の安定感が救いとなる。途中車は殆どなかった。ちょうど1時間半で懐かしいメーサローンビラに到着した。料金はわずか550b。チップをあげても合計600bでとても安い。驚いたことに料金を渡すときに顔が見えたが、何と男性ではなく、若い女性だった。こんなおじさんと山の中を走るのは不安もあっただろうにと、気の毒に思う。

メーサローンビラは変わっていなかったが、受付の女性は変わっていて私は知られていなかった。まあここに泊まるのは7年ぶりだから仕方がない。取り敢えずチェックインすると、いつもより景色が良い、バルコニーのある部屋へ通された。妙に落ち着く。だが、オーナーはチェンマイに行っており、今日は帰らないことを知る。

取り敢えず雨が止んだので、街歩きを始める。覚えている道よりずっと急な坂道に思えるのは、自分の体力が落ちたせいだろうか。セブンの前は工事中だが、何ができるのだろうか。茶葉を売っている店が並んでいた場所までは実に遠く感じた。段将軍陵墓の入り口を通り過ぎると、ようやくお店が見えてきた。

茶葉を売る広場には人がいない。店もお茶よりドライフルーツをメインに置いている。その先に地元民向けの新市場が出来たようだ。観光客が来なかったコロナ禍での変化だろう。とにかく坂がきつい、長く感じられるのは老いのせいだろう。それでもあと1㎞ぐらい歩いて、泰北義民文史館までやってきた。

文史館の敷地内には、新しく段将軍の像が出来ていた。段希文はメーサローンの歴史そのものなのかもしれない。その生い立ちから生涯をここでじっくり学ぶ。特に1960年代、この地に残って孤軍奮闘する様は、何と言ってよいか分からない。またこの軍隊は75年の蒋介石死去でタイに土着することを決め、武装解除したのかと思っていたが、70年代末でも戦闘をしていた。これはサイゴン陥落やラオス建国など国際情勢が影響していたのだろうか?

アップダウンのある坂を引き返しながら考えても何も浮かばない。腹が減り、途中で麺を食べる。ひき肉がスパイシーな、ボリューム満点の雲南麺、40b。おばさんの中国語が流暢なのは有難いが、若者は中国語を使わなくなってきたように思える。あるいは最近ミャンマーから来た人なのだろうか。

段将軍陵墓にも行ってみる。やはり坂道を歩く。実に静かな、奥まった場所にあった。福の文字が印象的。お墓の前のお供え物、茶杯に葉っぱが直接入ったお茶が置かれている。段将軍は茶業に対してどのような考えを持っていたのだろうか。街中の家の壁に描かれた 好々爺な段将軍の姿。近所には蒋家塞の文字も見える。

宿に帰った。バルコニーからただただ景色を眺める。何とも懐かしい風景が広がっているように思える。そしてかなり涼しい、いや半袖では寒いくらいの気候。標高が高いだけではあるまい。夕方食堂で名物の豚足とスープを食べる。ようやくお茶も出て来る。きれいな夕暮れが流れていく。

9月14日(水)メーサローン2

夜中は寒かったので、毛布を掛けて寝たが、朝はさわやかだった。朝ご飯にはお馴染みのカオトームーを頼む。するとなぜかトーストが出てきたので、折角なので一緒に掻き込む。インスタントコーヒーも付いてくる。それからゆっくりとお茶を飲む。そしてまた風景を眺める。

タイ北部茶旅2022(1)チェンライまでの道

《タイ北部茶旅2022》  2022年9月12日₋17日

今回のバンコク滞在中、どうしても行きたい場所があった。それはメーサローン。もう5年も行っていない。何とか合間を見つけて旅に出ることにしたが、まずは予約したチェンライ行フライトがまさかのキャンセル。果たして旅はどうなるのか。

9月12日(月)チェンライへ

1週間前に予約したチェンライ行。4日前の夜に突然キャンセル+当日の夜便に変更、との連絡が来た。当日朝が夜になると、当然予定は狂う。どうするんだ、LCCでの初の経験。取り敢えず書かれていたアドレスにメールを打つ。せめて前日の夜に変更して欲しいと。朝になって、『こんなメールに返事は来ないよな』と思い、対策を練り始めた矢先、返信があった。変更は1回限り無料、但しコールセンターに電話して変更、が条件だった。

そこから電話が繋がらない。諦めかけた頃、突然オペレターが出て、後は意外とスムーズに変更が叶えられた。ただ彼女は3回も『コンファメーションは今日中に送るから見てね』と言っていたが、その肝心のメールはついに来なかった。だが前日リマインダーが届くと、そこには変更後のフライトが記載されていてようやくコンファームされた思いだった。

元々朝早い便だったので、結局ドムアン空港付近に泊まろうかと思っていた。それがドムアンではなく、チェンライになっただけだといい方向に考えた。また午後時間に余裕があったので、雨を避けながら早めに空港に向かい、先日も乗ったレッドラインで空港へ行ってみた。レッドラインの駅(外)にはトイレがあることを発見。また先日も食べた空港食堂でゆっくり夕飯を食べてから飛行機に乗り込んだ。

さすがに朝便を詰めて夕方便だけにしたせいか、機内は意外と混んでいた。タイライオン航空はこの日、キャンセル便がいくつもあった。他社もそうだが、燃料費高騰などで不採算では飛ばさない、ということだろうか。今後もキャンセルの可能性には注意が必要だ。

定刻前にチェンライ空港に着いた。2年半ぶりだが、前回は確か市内行バスが運行されていて喜んだ覚えがある。ところが外へ出てもバスはなく、案内所で聞くと『バスなんてありませんよ』とまるで夢でも見ているの、という対応をされ、タクシーに誘導された。昔は運転手との交渉が嫌だったが、今ではカウンターで行き先を言えば、定額で行ってくれるのでまあいいか。

フライトが確定しなかったこともあり、ホテルは予約していなかったが、以前泊った街中の老舗に行ってみた。予約サイトでも直前は料金が上がっていたが、取り敢えず受け入れ範囲内の料金だったので、そのままそこに泊まることにした。ここは古いがその分広く、ゆったりしていてよいはずだったが、なぜかシャワールームだけ非常に狭かった。

飲み物を買いに外へ出た。すぐ近くのバスターミナルが新しくなっていたが、午後8時でほぼバスはなく、乗客もいなかった。その向こうに夜市があったので行ってみたが、残念ながら観光客の姿は少なかった。ここにもコロナの衝撃が見られた。昔世話になったフランス人経営の旅行会社の姿もない。

以前行った夜市のレストラン、西洋人が多かったが、今やほぼ開店休業状態だった。そこから少し歩くと、そことは別に、地元民を含めたタイ人向けのフードコートが出来ており、そちらはそこそこの賑わいがあった。私も軽く焼きそばでも食べようと席を探したが、雨が降っていたらしく、どこも濡れていた。店の人が席を探してくれ、本日四食目を完食して一日目が終了した。

9月13日(火)メーサローンへ登る

翌朝起きると雨が降っていた。今日は山登りの予定なので憂鬱になる。まずは宿の朝ごはんを思い切り食べて、気力を養う。宿泊客はそれほど多くはないようで、しかもタイ人ばかりで外国人の姿はほぼなかった。7年前はかなり賑わっていたホテルで、静かな朝食を嚙みしめながら食べる。

パクセー茶旅2020(3)パークソンの茶畑

それから街中をゆっくり散策する。ウボンと比べると少し涼しい感じがするのは気のせいか。ワット・ルアンという大きな寺に入ってみる。かなり歴史がありそうだとみていると、なぜか日本人の団体が入ってきた。学術調査のついでに観光しているといった感じで、細かい所を見ている。ここのお墓にも漢字が刻まれており、華人もいることは分かる。

きれいな建物があった。中には小さな店がたくさん入っているが、お客は全くいない。昔の市場をここに押し込んだのだろうが、効果はあまりなかったようだ。教会も見える。この地には、華人の他、宣教師などもやってきたことだろう。そこから川沿いに出て友好橋を写真に収めようとしたが、うまく撮れないので、どんどん橋に近づいて行き、気が付くと橋の袂まで来ていた。

この橋、日本の資金でできたらしいが、建設したのは韓国の会社か。その名前が刻まれている。そして実際にこの橋を使っているのは、ラオ人の他はタイ人と中国人が多いらしい。これぞ国際貢献、と言って喜べるのだろうか。いずれにしてもパクセーはこの川で栄えた、とは分かる。近くには立派なホテルも建っている。夕陽がドンと落ちていく。

今度は内側に歩いて行くと、市場があり、夕飯の買い物をする人々がいた。宿の方へ戻ると、途中には中国系の廟などが見られたが、既に門は閉ざされていた。結構歩き回ってかなり疲れてしまった。夜外へ出るとすぐ近くにも立派な中華商会の建物があり、やはり華人が貿易していたのだと理解する。

夕飯は、昼を食べた隣のカフェへ入る。そしてシーフード炒めと書かれているのを、イカ炒めだけにしてもらい、たらふく食べた。隣に地元の華人と中国から来た中国人のグループが座った。周囲はちょっと気にしていたようだ。既に中国人団体観光は止まっているが、彼らは個人で来たのだろうか。それとも中国に帰れず、既に1月からここに留まっているのかもしれない。

2月18日(火)パークソンの茶畑へ

翌朝は宿で簡単にご飯を食べてチェックアウトした。やはり隙間風がうるさくてよく眠れなかった。フロントの男が『どうしてチェックアウトするのか』と聞いてきたが、無言で支払いをした。外に出ると、そこには昨日予約した車の運転手が待っており、荷物を載せて出発した。

車はすぐに郊外へ出て、思っていたよりずっといい道をほぼまっすぐ走っていく。山を登っているという印象は全くなかったが、30分後に標高を計ると、100mから800mに上がっていたので、かなり驚いた。そして車は道路わきに入っていく。そこは茶園があるらしい。手前の小屋には簡易な製茶道具が置かれ、奥には確かにかなり古い茶樹が沢山植わっている。

運転手は何が楽しんだ、という顔をしていたが、とにかく茶畑を見ると嬉しくなってしまうのはどうにも止めることができない。思ったよりずっと広い茶畑なので、写真を撮りながら、ずんずん奥へ入っていく。茶樹の間隔は広く、昔の茶畑という雰囲気が漂う。但し直射日光が照りつける、平たい場所にあるので、茶樹の生育としてはどうなのだろうか。

建物の所に戻ると、運転手が女性と話していた。その女性がここのオーナーであり、製茶もしているとのことだった。運転手が通訳をしてくれて聞いたところでは、まだフランス統治下、お父さんがベトナムからやって来て、ここでフランス人の茶作りの手伝いをしていたらしい。

フランスが去った後、その茶園を受け継ぎ、ここで茶業を続けてきた。道路の向かいにはコーヒー園とドリアン畑も広げた。そして父親が亡くなる時、姉妹が相続をした。目の前の彼女が茶園を引き継ぎ、妹が残りをもらい受けたらしい。とにかくここの茶畑は80年以上の歴史があることが分かり、満足。

現在ここで作られている茶は、何と紅茶、烏龍茶、白茶の3種類だった。普通ならあの晩茶のような緑茶が作られるはずだが、どうやら観光客向けに販売するので、フランス人あたりの好きそうなメニューになっているのかもしれない。これ以上、技術的な話は、通訳もできないだろうからと止めた。そして茶を少量ずつ買って、ここを離れた。

更に道を行くと、大型バスが停まっていた。ここでは白人さんが沢山下りてきて、皆でコーヒーを飲みながらガイドの説明を聞いていた。そしてお土産にコーヒーを買っていく。まさにコーヒーツーリズムだ。お茶も同じような扱いだろうが、現在ではコーヒーの方が優勢だ。

もう一つの茶園に行った。こちらはきちんと手入れをしていないようにも見える。完全に平らな土地に茶樹が無造作に植えられている。日もだいぶ高くなり、とにかく暑い。これではいいお茶が出来る、という感じはしない。なぜか茶畑を牛が歩いており、危うく衝突するところだった。

もうこれ以上、ここにいる理由もなく、車は町に帰っていった。途中道路脇に、大きな工場が見えた。Dao Coffeeという有名ブランド。1991年創業のラオスでも有数の企業だという。昨日歩いていた友好橋の袂にも、きれいなカフェを開店させていた。コーヒーの他、茶も商っている。

パクセー茶旅2020(1)ウボンラチャタニーで

《パクセー茶旅2020》  2020年2月16日-19日

3月初めまでバンコックを拠点に活動する予定だった。そして5年マルチのインドビザを用意し、コルカタ経由でアッサムに乗り込むつもりだったのだが、コロナウイルスの影響で急激に雲行きが怪しくなる。もしインド国内で隔離されたら、と思うと、インド行きに二の足を踏んでしまい、ビザを捨てて、ラオスに走ることにしてしまった。この判断が正しかったのかは、後に分るだろう。今回は行ったことがない南部ラオス、パクセーを目指す。

2月16日(日)ウボンへ

バンコックから直接パクセーに行ってもよかったのだが、それではやはりつまらない。今回は陸路で国境を越えようと思い、ラオス国境に近い街、ウボンラチャタニーまで飛行機で行って、そこに泊まることにした。実は2年前、コンケーンからウボンに行こうとしたことがあったが、バスの時間の関係でシーサケットに行ってしまい、結局ウボンだけ取り残してしまっていたのだ。

国内線に乗るべく、ドムアン空港を目指す。日曜日ということもあるが、MRTは空いていた。マスク姿が殆どだ。チャドチャックから空港バスに乗ると乗客は何と2人だけ。既にバックパッカーなどは随分と減っていることが分かる。ある意味でこれだけ人がいなければ安心かな。

ところがドムアンでは相変わらず乗客がかなりいた。マスクしていないのは、ほぼ白人というのが面白い。白人は感染症に敏感だとずっと思ってきたが、違うのだろうか。それともマスクが買えないのだろうか。飛行機に向かうバスも満員。機内はタイ人が多く、7割程度の乗客だった。

1時間でウボン空港に到着する。直ぐに外へ出ると、ここにも空港バスが出来ていたので乗ろうとして聞いたら、このバスは、お前が予約した宿にはいかない、と乗せてもらえなかった。タクシーに乗れと言われたが、何となく嫌で、そのまま歩き出してしまう。この空港、街とくっついているので、宿まで3㎞程度だった。ちょっと暑いが歩けないほどでもなく、街を散策しながらゆるゆると行く。

街はゆったりとしており、それほど大きくもない。宿までもう少しというところで腹が減ったので、食堂に入ってみた。そこには何ととんかつなどと書かれている。注文してみると,薄いカツに、不思議なソースが掛かっており、どんぶりでもなく皿に載ってくる。ライスの上には、目玉焼きが載る。完全な創作料理で面白い。

宿は結構立派で部屋も広い。料金は意外と安かったので、嬉しい。早速明日のパクセー行き情報を集めようとしたが、残念ながらフロントの女性たちはあまり英語が得意ではない。それでも一生懸命対応してくれ、何とか分かったのは、ここからかなり離れたバスターミナルから1日2本バスが出る、ということだけだった。

仕方なく、周辺を歩いて、旅行会社などを探すが、見つからない。大きな通りに出ると、ウボン国立博物館があったので、取り敢えず見学してみる。タイの博物館はどこもそうだが、ここも発掘された仏像の展示が中心。見学者は誰もいないので、係員も手持無沙汰でおしゃべりに夢中。

商店街があったが、日曜日のせいかほぼ閉まっていて人気がない。旅行社が一軒開いていたので、入ってみると何とか英語は通じたが、やはりバスの予約はターミナルへ行かないとできないと教えられる。その場所はBigCの近くだと聞く。そのまま川沿いに歩いて行くと、市場があったが、既にほぼ店じまいしており、のんびりした雰囲気。少し川を眺める。

橋の所へ行くと、ソンテウが停まっていたので、『BigC』と言ってみると、乗れ、と合図されたので乗ってみた。大通りをまっすぐ行けばBigCなのだが、ソンテウはくねくねと横道に入りながら、北に向かって行き、最後のBigCで停まった。地方都市のソンテウは10バーツだから安い。

地図で見るとすぐのはずだったが、ターミナルまでは実はかなり距離があった。テクテク歩く。郊外のバイパス道を何とか渡り、ようやくたどり着く。私はウボンで何しているんだろうか。パクセー行のバスは午前9時半と午後3時の2本、料金は200バーツ。午前便を予約したかったが、当日しか売らないと言いながら、座席表に私の名前を書き込んでくれたので、安心してまたソンテウで戻る。

まだ陽が高かったので、もう少し散歩を続ける。大きな教会が見えたので、ちょっと眺めていると、シスターが子供たちに声を掛け、何か話している。その親しげな様子は好ましい。私にも英語で声を掛けてくれた。

国境の街だから、貿易などに携わる華人は沢山いると思うのだが、華人廟も見つからないし、漢字の看板もさほどない。華人は一体どこへ消えたのだろうか。夜は何とか見つけた華人経営の店で麺をすすったが、言葉は英語だった。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(3)チェンマイのコンブチャ

チェンマイで

バスは今来た道を戻り、順調に進んでいく。車内の乗客は6-7割の状況であり、わりとゆったりできる。途中であのタイ茶の工場があり、近くには温泉が出ており、そして休息があった。3時間で着くはずだったが、1時間は遅れているのが何ともタイらしい。更にはチェンマイ市内へ入る道がひどい渋滞でバスが全く進まず、結局4時間半かかって、アーケードターミナルに入った。

バスを降りると、誘導され一列に並んで、何と検温を受けた。一昨日のチェンライ空港でもなかったことで正直驚く。平熱で助かる。既にチェンマイは大変なことになっているのか勘ぐったが、そこを通るといつもの風景。いや、客が非常に少ない状況が見えた。渋滞なので、予約した宿までタクシーには乗りたくなかった。何とかバイタクを探して乗り込む。

西側の老舗ホテルの豪華なロビーは静まり返っていた。日本人観光客の姿が数人見えただけで、スタッフは全てマスクをしていた。部屋は広いが非常にシンプル。テレビはなぜか日本の民放が1つ映ったが、NHKは映らなかった。電気ポットはあったが、インスタントコーヒーすらなかった。これがかつては天皇も訪れたというホテルだろうか。ロビーにその写真が飾ってあるが、今やかなり安いのだ。

ここでOさんと再会した。Oさんは以前バンコック茶会に参加してくれたことがあり、その後いつの間にかインドに拠点を変えていた。一昨年台湾で再会し、その後バンコックで一緒に茶旅した。今はインドが寒い(彼の拠点は北部の山中)ので、チェンマイで避寒しているというのだ。この付近には月極で借りられる部屋が多くあり、日本人もかなり住んでいるらしい。次回は試してみるか。食事も日本人などがよく通う台湾料理屋で食べながら、遅くまで話し込んだ。

2月4日(火)コンブ茶

翌朝Oさんと待ち合わせて、タクシーでTea Galleryへ向かった。ここも2年半前に訪問した場所ではあるが、車で連れてきてもらったので、その一は全然分かっていなかった。それでもGrabで車を呼び、何とか辿り着く。チェンマイ郊外、閑静な住宅街にオフィスがあり、知らない人はまず行けない場所だろう。

1階はドリンクなどが飲めるスペースになっている。入っていくと、何と前回チェンライでプレゼンしていたイタリア人と再会した。Jackはコンブ茶などを研究している博士だった。そしてオーナーのJeedもやってきた。彼女は私のことは忘れていたが、静岡訪問団は覚えていた。

コンブチャはタイのミエンから作られるドリンクで、健康茶としてアメリカなどで人気があるという。日本ではその昔、紅茶キノコと呼ばれていた。ミエンの製造を含めて、Oさんは発酵食品の研究に余念がなく、この手の話には極めて情熱的に反応して、出されたミエンが美味しいと食べている。ミエンから作られるジャムなど、興味深い商品も並んでおり、ワッフルにつけて食べる。もし身近に売っていれば、きっとヒットするだろうが、家訓なのか、大きな商売はしないともいう。

Jeedの話を聞いていて驚いた。実は彼女の父親も雲南回族。母がタイ人のため、彼女はヒジャブを被らないが、イスラム教徒だというのだ。苗字は雲南回族で一番多い『馬』であり、馬班だったらしい。しかも昨日訪ねたジャルワンとは姻戚関係もあるというから世界は狭い。父親の代は茶業者だったので、バンコックの茶業者との付き合いもかなりあったらしく、知っている名前もいくつか出てきた。

彼女が引き継いでから従来の形態を転換して、現在は科学的な研究を行うラボも作り、健康をキーワードにビジネスを展開している。顧客はアメリカやヨーロッパに広がっているが、タイ国内の需要が高まることを一番期待しているという。タイの茶産業は後発だから、このような健康食品ビジネスが有望ではないかということだ。

Galleryを辞して、ワロロット市場へ行ってみる。いつもは観光客で賑わっているが、中国人の団体がごっそり抜けた感じで実に静かでよい。ミエンを売っている店は僅かしかなく、残念ながらタイではこれを食べる習慣は薄れていることが実感できる。周囲の華人廟などを探しながら散歩してみたが、思ったほどは見つからない。この街で華人はひっそりと生きているのだろうか。

一度宿に帰り、預けた荷物を取ってから空港へ行く。バスターミナルと異なり、こちらは検温など、コロナ関連の対応は特になかった。マスク姿が増えていたものの、バンコック行のフライトはほぼ満員で、影響はまるで感じられない。この時点、コロナは中国だけの問題だと思われていた。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(2)回族の茶業者

そのまま川の方に戻ると、何ともレトロで良い感じの洋風建築のカフェがあった。タイの若者であふれており、川べりの席は無さそうだったので、そのまま歩いて帰る。夜は、かなり気になっていたコムヤーンカレーを食べてみた。豚ネックを使った、それほどスパイシーではないカレーは意外なほどうまい。カレーは北部タイ料理なのかと聞いてみたが、家では食べたことはない、との答えだった。チェンマイカオソイなどもカレー味だが、このカレーは一体どこから入ってきたのだろうか。

2月3日(月)

回族の茶農家

翌朝も宿で朝食を取る。そして昨日インストールしたGrabを初めて使ってみる。本日訪ねる茶農家は、何とチャンライ市内から30㎞も離れており、バスで向かうことは不可能だと聞いていた。ホテルでタクシーを頼めば、法外な料金を請求されかねない。Grabで検索すると300バーツで行けると出ている。だが本当にこんな遠くまで行くタクシーを見つけられるのか。

食後、Grabアプリで予約を押したところ、3分で来るとの表示が出たので慌てて、荷物を持ってチェックアウトする。表に出たところでタクシー到着の連絡はあったが、その車を見つけることができない。仕方なくメッセージでホテル名を再度打ち込むと2分ほどで、その番号の車と合流できた。

車は郊外の道を一直線に走る。車はきれいで、運転手は英語を話した。これなら外国人でも快適だ。目的地に行ってからGrabで帰りのタクシーを探すのは不安だったので、彼に頼んで待っていてもらうことにした。とても良い人で、滞在中の待ち時間は無料で良いという。確かに往復した方が実入りは良いのだろうが、こちらとしては何とも有り難い。

目的地は本当に田舎、それも住宅などもほぼない場所にあった。まさに農地、そして茶畑が少し見えた先に、工場と事務所があった。オーナーのジャルワンさんとは、2年半前に茶ツアーで一度訪問して顔は分かっていた。先方も日本人が中国語の通訳をしていたので、覚えていてくれたようで、にこやかに迎えてくれた。

彼女の特徴は何といっても、ヒジャブを被っており、一目でイスラム教徒と分かることだろう。そしてタイのイスラム教徒なのに、華人であること、これも我々には理解が難しい。今回はこの辺の謎をたっぷり聞こうと訪問したわけだが、その壮大な一族の歴史には正直驚いてしまった。俄かには信じられない話も出てくる。

彼女のお爺さんの故郷は雲南省。生まれた村は全員が回族だという。そしてその先祖はチンギスハンだと言われたが、いきなり言われても歴史が繋がらない。勿論雲南回族は以前馬班と言われ、ホースキャラバンを率いてこのエリアの物流を担っていたと聞く。それと関連があるのだろうか。よく調べてみる必要がある。

現在チェンライのイスラム教徒は、タイ・パキスタンとタイ・雲南の2系統がいるという。そして昨日見た清真寺は雲南系が建てたもので、一大勢力であり、現在その勢力を束ねる顔役は何と、あの鄭和の子孫だというではないか。確かに鄭和は雲南回族出身と言われているが、歴史とは何とも面白い。

話していると彼女の妹が入ってきた。妹はアメリカ留学経験があり、中国語より英語が得意だと言うので、後半は英語で話すことになる。この辺の言語適応力もすごい。彼女らのお爺さんが雲南からチェンライへ来た旅、お父さんが一代で築いた茶園、そして現在チェンライ市内にもスウィルンという名前で2店舗を持つ、姉妹で発展させる茶業、とても面白い。

茶畑の写真も撮った。以前はマンゴなどのフルーツ畑であったが、お父さんが全て買い取り茶園を広げていった。この辺の平地で茶樹が育つと思っていた農家はなかったというから、農業の才があったのだろう。台湾から技術を導入した四季春品種の烏龍茶をお土産に少し購入した。

あっという間に2時間以上が過ぎ、お昼ごはんを出してくれるというのを断って、車でチェンライバスターミナルへ向かう。この道、よく見ればチェンマイへの道ではないか。よく分かっていれば、ここからチェンマイ行きのバスに乗ることもできるのかもしれないが、既にチェンマイ行きチケットを購入していたので、市内まで戻ることになる。

ターミナルに着くと、購入したバスの時間まで1時間以上あったので、早いバスにチェンジしようとしたが、何と変更不可だった。仕方なく新たに購入してバスに乗り込む。何で変更できないのだ。ちゃんと確認しなかったこちらが悪い。しかしそうであれば、少なくとも郊外の新バスターミナルへ行けばよかったと後悔する。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(1)チェンライを散策すると 

《チェンライ・チェンマイ茶旅2020》  2020年2月1日-4日

タイ北部にはこれまで何度も行っているが、今回は華人調査の一環で訪ねることになった。2年半前に訪問した中で、興味を持った茶農家、果たしてどんな歴史があるのだろうか。

2月1日(土)チェンライへ

又ドムアン空港にやってきた。今回はタイライオン航空でチェンライへ向かう。その前に、また一風堂でラーメンと餃子を食べてしまった。水が一本ついているので、これを持って飛行機に乗り込む。コロナウイルスの影響で空いているかと思ったが、国内線の影響はさほどないようで、かなりの席が埋まっていた。国際線の方はほぼ中国人団体の姿が無くなり、かなり空いているように見えた。

ウトウトしていると飛行機は着陸してしまう。実質1時間の旅はやはりバスに比べて楽だ。手荷物も少なく、すぐに外へ出る。チェンライは何度も来ているが、以前は市内へ行くにはタクシーしかなかった。ところが今回路線バスを発見して、思わず乗り込む。路線はよく分からないが、街には慣れているし、Googleもあるので、20バーツ支払って席に着く。

バスは郊外からどんどん進んで市内へ入る。見慣れた風景も出てきたが、最終的には私が望んだ方向に向かわず、市内バスターミナルで降りた。ここは前回来た時は大改修工事中だったのだが、きれいに出来上がっていた。予約した宿までの道は分かっているので軽やかに歩く。

ところが宿に着いてびっくり。なんと昔の定宿が単にリニューアルされただけだった。きちんと地図も見ずに料金だけで予約したのは間違いだった。しかもきれいになった分以上に料金は高くなっている。部屋に入ると間取りは何ら変わらず、バストイレは異常に狭い。これで1400バーツも取るのはどうだろうか。ただきれいなフロント、プール、そして朝ご飯会場が光る。

夕方、P先生がご主人と一緒に来てくれた。Pさんは2年半前の北部タイ茶ツアーでお世話になり、その後も東京や静岡、和歌山でも会っている。だが昨年の彼女主催のお茶イベントには参加できず、最近はご無沙汰が続いていた。今回は、チャンライ・チェンマイでのアポにご協力頂いたこともあり、お忙しい中、会ってもらった。

庭に野菜が植わっている、何とも素敵なレストランでランナー料理をご馳走になる。北タイの料理、エビのてんぷらなどもあり、なぜか好みに合っている。ランナー王国の由来など、もう少し勉強してみようかとも思う。タイの茶産業、やはりコーヒーに押されており、政府の支援もどこまで期待できるか、ということらしい。お茶の歴史を研究する人もタイにはほとんどいないといい、資料も乏しい。なかなか厳しい現実がある。

2月2日(日)チャンライ散歩

翌朝は宿で朝食をとると暑くなる前に出掛ける。チャンライの街はこれまで何度も歩いているが、今回は少しアングルを変えてみる。古めかしい時計台のロータリーを過ぎると大きな市場がある。その裏辺りにも立派な寺があり、よく見ると何となく華人に関連しているようにも見える。その辺をフラフラすると、漢字が書かれた廟などが見えてくる。当然ながら内陸の交易都市チェンライには華人が多い。道路標示にも漢字が書かれているのが特徴的だ。

ムスリムの大きな清真寺もあった。10数年前に改修されたという。華人以外のムスリムも多いのだろうが、清真寺であれば中国系だろうか。よく見れば、漢字で雲南の文字も見え、謎は深まる。その付近にはハラール料理のレストランなどもあるようだ。更に歩いて行くと古墳のような場所があり、広い公園になっていた。何とも今風、インスタ映えする物がたくさん置かれているが、人影はなかった。

山岳民族博物館にも入ってみた。ちょうどビデオ上映があるというので急いで部屋に入ったが、何とドイツ語だった(後で日本人参加者が来たので、日本語版をもう一度見た)。それでも画面から内容は推測できるのが面白い。タイ北部の少数民族の分布など、興味深い内容であり、茶に関連したと思われる民族についても多くを知ることができる。

フラフラ歩いていると1914年に建てられた、チェンライ初の教会が建っていた。更に行くと実にうまそうな食堂があった。華人の店だとすぐに分かる。地元のお客で溢れていた。飛び込んで、何とか席を見つける。出てきた豚バラ入り麺は期待通りの濃厚なスープでうまい。幸せな気分で外へ出ると、隣のマッサージ屋が『中国加油』を掲げていたが、これはオイルマッサージとかけているのだろうか。残念ながら中国人観光客の姿は多くない。

一度部屋で休んだ後、気分がよかったので午後もまた出掛けた。川を越え、30分以上歩いた。向かった先はブルーテンプル。チェンライには白を基調とした美しいホワイトテンプルがあり、観光客で賑わっているが、それにあやかってか、ブルーのお寺も作ってしまった。確かにブルーだ。そして本堂内部が鮮やかだ。だがここも中国人観光客は少なく、白人が少し目立つだけだった。

タイ北部・中部を旅する2019(16)突然の停電で

7月27日(土)
突然停電

朝は天気が良かった。いつものランドリーに洗濯物を預けて、外へ出る。まだ暑くなかったので、歩いてプロンポーンまで出た。昔時々行った和食屋でランチに焼き魚定食を食べたが、料金は30-50バーツぐらい高くなっている。以前はバンコックの和食はコスパがよいと思っていたが、もうそういう時代ではないようだ。

 

そこから歩いてアソークまで行き、地下鉄でラマ9まで乗って行く。実はカメラが少し壊れているので、治せないかと思い、電脳街に行ってみた。ところがスマホ屋などはいくらでもあるが、カメラ屋は殆どないのだ。これも世の中の流れだろう。ようやく1軒見つけて聞いてみたが、修理するのに1週間はかかるという。

 

旅行者だからどうしてもすぐにと言ってみても、今日の夕方、だという。料金は500バーツ、そして治るかどうかは分からないと言われ、預けるのを止めてしまった。うちには数台の壊れたデジカメがあるのだが、デジカメは高級品以外売られなくなってきているので、何とか治して使いたいと思ったが、難しいだろうか。

 

地下鉄で宿に戻った。今日の午後は溜まっている書き物をしようと思っていたが、部屋に入るなり、突然大きな音がした。そして電気が点かなくなる。停電だ。少し経っても治らないので、下で聞いてみると、外の電柱に何かがぶつかったという。これではいつ治るか全くわからない。さすがにエアコンなしは少し暑いので、どこかのカフェに避難するつもりでPCを持って出掛ける。既に復旧工事は行われていたので、2-3時間で戻るつもりで出た。

 

近くの店が集まる一帯には数軒のカフェがある。その中で、PCを使え、充電も可能な場所、勿論涼しくて、静か、そしてあまり高くないドリンクを提供している店を探す。意外と条件が多くて、どこも当てはまらないという悲劇。これまでこの辺にはかなり長く滞在しているが、実際カフェで作業をすることなどなかったのだ。

 

だが、実際PCで作業が始まってみると、ネットをちらちら見ることもなく、かなり集中して出来たので、今後も集中したいときにはカフェだな、とは思った。ある意味で新鮮な体験だった。3時間後に近くのフードコートでいつものカオマンガイを食べてから宿に戻ると、何事もなかったように電気が通じており正直ホッとした。

 

7月28日(日)
お茶会2

翌日はお茶会の2回目があった。平日は来られない人々が集まってくれた。話の内容は金曜日と同じだが、参加者によって、感じ方、受け取り方がかなり違うのだ、ということを発見する。問題意識の差、ということかもしれないが、タイで如何にお茶が飲まれてきたのか、タイ人は元々お茶を飲むのか、タイ茶とは何かなど、テーマは尽きることがない。普段はあまり考えない話題でもあり、その答えを持ち合わせている人は多くはない。お茶をテーマに旅する醍醐味はそこにある、ともいえる。

 

会が終了すると、近所の立派なタイ料理屋さんでご飯を食べた。お茶よりビール、という方もおり、お酒が入って更に話が弾む。タイ在住が長い人が多く、タイ人とはそもそも誰なのか、どんな特徴があるのか、など、興味深い話に発展していく。私にとっては、タイ人は本当に分かりにくい人々なので参考になる。

 

食後、皆さんと別れて、タクシーで宿に戻る。既に20日以上タイ国内を旅してきたが、明日にはここを離れると思うと、やり忘れたことがいくつも思われるが、また次回にするしかない。今回はマッサージなどもほとんどせず、体に結構無理が来ていたので、今日は早めに休み、これからの旅に備える。何しろこれで旅は終わりというわけではなく、まだ半分以上残っているのだから。

 

7月29日(月)
シンガポールへ

ついにタイ最後の日がやってきた。朝いつものルーティーンでYさんとコーヒーを飲むと、タクシーを呼んでもらい、空港に向かう。これから実質6年ぶりのシンガポールに向かうのに、今回は7年ぶりのシンガポール航空を使うことにした。一体シンガポールとこの航空会社にはどんな変化がみられるのだろうか。興味津々。

 

それにしても、夏休みなのだろうか。出国手続きの外国人枠はいつにもまして長蛇の列だった。早めに出てきているので、焦ることはないものの、もう少し早くならないものだろうか。他国のように、常時この空港を使う者には、優遇するとか、そんな政策はないのだろうか。確かドムアンは中国人を別枠にしていたように思うのだが、ここは違うのだろうか。開業して10数年だが、スワナンプームは既にキャパオーバーではないかと思いながら、バンコックを後にした。

タイ北部・中部を旅する2019(15)バンコックでタイの茶の歴史を

7月25日(木)
バンコックへ戻るが

翌朝は、昨日も行った大学前のバス乗り場へ荷物をコロコロと引いて出掛けた。『バンコック』と一言いうと、誰かが『これに乗れ』と指示してくれ、乗り込む。料金も40バーツととても安い。これならあっと言う間にバンコックに着くのだ、と思われた。だが昨日フロントの女性が言っていた『ピンカラ』という地名が気になる。このバスの終点はピンカラか、と聞くと運転手も大きく頷くので間違いはない。

 

満員の乗客を乗せてバスは出発する。最初はスイスイ、バンコックが近づくと、渋滞にはまる。それでも2時間弱でピンカラに着いた。ピンカラ、それはピンクラオ、というショッピングモールだった。ここからどうやって定宿まで行くのだろうか。仕方なくYさんに連絡すると『その近くにフェリー乗り場があるから、そこからフェリーでサパンタクシンまでくれば、後は何とかなる』と言われたので、まずはフェリー乗り場を目指した。

 

と言っても歩ける距離でもなく、タクシーを捕まえるしかない。運転手に何とか場所を理解してもらい、2㎞ちょっと進むと川に出たので降りた。フェリー乗り場と思われる方に進むとおばさんがいきなり『ノー』と手を横にして制止する。どうやらここからは乗れないらしい。そしておばさんは『バス』と叫ぶ。何とフェリーにはこの付近からは乗れない?じゃあ、どっから乗るんだ?

 

バスと言われてバス停に行ったがいつ来るかも分からないし、どこへ行くバスかも分からない。仕方なくまたタクシーを捕まえて乗り込んだが、川を渡ることすらできないほどの渋滞が待っていた。これでは本当に何時着くか分からないほどだったので、BTSと叫んでみると、運転手もホッとしたような顔をしていた。そこから20分ぐらいで何とかBTSの駅に着き、更に途中でMRTに乗り換えて、何とか定宿に帰った。今回分かったことは、川向うとの往来はやはり基本的に避けるべき、ということだ。

 

タイ国内旅を2回もしたので、疲れが出ており、また雨も降っていたので、午後は完全休息に充てる。雨が止み、夕飯を食べようと外へ出た瞬間、またもや激しい雨が降り出す。この季節、タイは雨期ではあるが、このように断続的に雨に降られると何もできずに困ってしまう。

 

7月26日(金)
お茶会&ヤワラー

今朝は良く晴れていてホッとする。宿でタクシーを頼み、いつものお茶会会場へ向かう。今回はついに地元タイで『タイ茶の歴史』をお話しすることになっている。思えばタイに初めて来てから30年以上が過ぎたが、タイ茶の歴史を話すようになろうとは思いもよらず、何とも感慨深い。

 

主催者Mさんは、今回パワーポイントを映すためにわざわざ新しいPCを買って用意してくれていた。これまで使っていたPCは、就職したお嬢さんと共に日本へ行ってしまったらしい。1年ぶりの茶会、色々と変化があるものだ。参加メンバーも何年も来てくれている人もいるが、新しく加わってくれる人もおり、少しずつ入れ替わっている。

 

タイの茶の歴史、それはこれまで誰も書いたことがない、とタイの大学教授に言われ、つい自分が、という思いで書いてみたのだが、それがどれだけ困難なことか、やってみてよく分かった。そもそも文献もないし、タイと言ってもその歴史、定義自体が難しい。仕方がないので私が茶旅した内容を報告する、という程度に留まってしまい、しっかりとした分析や発見などはとてもできない。完全な寄せ集めだが、それでも無いよりはマシか、という出来だった。

 

会場近くで皆さんとお昼ご飯を食べて、それからヤワラーへ向かった。Mさんのアレンジで1台のタクシーに5人が乗る。意外とスイスイ進む。今日ヤワラーへ行くのは、4-5年ぶりにDouble Dogというお茶屋さんを訪ねるためだった。ここのオーナー、ジョンラック氏は宇治に住んだことがあり、その後ここに茶荘を開いた潮州系タイ人だ。

 

お店の作りは特に変わってはいなかったが、メニューは豊富になり、日本茶や急須などもかなり充実していた。普通海外でこんなお茶扱わないでしょう、というものがあるなど、やはり店主のこだわりは相当強い。5人でお茶を2つぐらい頼んで自ら淹れて飲む。お菓子も付いてくる。

 

そのうち店主に声を掛け、お茶談議が始まる。タイ茶の歴史、それは彼にとっても興味深いテーマだったようだ。更には仏教と茶、タイ華人と茶などについても、彼の見解を聞き、勉強した。タイにおいて日本語でこのような会話が成り立つのは何とも有り難いことであり、今後も交流を続けていきたい。因みにヤワラーに地下鉄の駅ができ、試運転が始まっていた。これからはどんどん便利になっていく。