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メーソット・ターク2024(3)ターク散歩

タークは100年以上前に交通の要所として栄えた街だと聞いていた。すぐ近くに博物館があるというので出向いてみたが、休みだった。その先あたりから、かなり古い家屋が点在している。中には屋号が漢字で書かれている物もあり、また「バーンチン」という住居表示が見え、この付近は潮州人の居住地だったと想像された。

チェンマイを流れるピン川は何とタークにも流れていた。だから交通の要所だったのだと分かる。この時期、水位がかなり高く、洪水にならないかと心配になった。川沿いをただ歩いていると、暑いながらも風が吹いてきて気持ちが良い。近くに大きな市場があり、この川を通じて物流が発展した様子も分かる。

腹が減ったので何か食べようと探すと市場の横に麺があった。華人系の旨い麺(バミー)だった。スープ麺ではなく、乾麺というのが何とも良い。周囲の人々の表情が皆穏やか。よそ者が入ってくることに慣れているのだろうか。昼下がりの市場は人影もまばらでけだるい雰囲気がまた良い。

タークといえば、タークシン。潮州人鄭信はビルマを打ち破り、トンブリ王朝を築くも、部下のラーマ1世に殺害されてしまう。250年も前の話しだ。こんな昔からこんな場所に潮州人がいたことには驚きを隠せない。そのタークシン廟へ行ってみると、以前ラヨーンにあった廟とほぼ同じではないかと感じられた。ラヨーンはタークシンが再起をかけて潜伏した場所だった。この辺の歴史、興味はあるが理解は難しい。馬と鶏の像が沢山置かれているのはなぜだろうか。

午後2時になったので宿へ戻り、チェックインして休む。この部屋、とても心地よい。もうこのまま寝入ってしまいそうだった。このホテル自体、デザインがおしゃれで面白い。夕方腹が減ったので外へ出たがまだ暑い。すぐ近くに麺屋があったので、タイ人のおばさんに身振り手振りで注文する。何と出てきたのはラートナー、これも潮州系料理だ。予想以上の美味しさに感激する。後は夕日が落ちるのをゆっくりと眺め、早めに就寝する。

9月17日(火)チェンマイへ

朝は早くに目覚めた。食事は宿に付いていたので食べてみると、種類が豊富だ。田舎で1000バーツ出すとかなりいい宿に泊まれ、心地よいと感じる。食後に散歩すると池があり、朝の風景が何とも良い。市場に行ってみると活気がある。ここで私はミアンを売っているか見たかったのだが、言葉が出来ずに断念する。聞くところによればタークのミアンは砂糖などを入れて、スイーツのように食べるらしい。

それから昨日閉まっていた博物館へ行ってみたが、今日も閉まっていた。どうやら休館中らしい。タークの歴史を知りたかったので残念だったが、仕方がない。10時に宿を出て歩いてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと雨が降り出したので慌ててGrabバイクを呼ぶ。40バーツで行ってくれるので心強い。

バスはなかなかやって来なかったが、ただダラダラと待つ。これがタイだ。暑いが待つしかない。ようやく乗車すると中は涼し過ぎる。風邪を引きそうだ。そのまま3日前に来た道をただ折り返していく。途中ランパーンに停まったぐらいで、4時間余りでチェンマイまで戻ってきた。タークとチェンマイ、思ったより近い。

メーソット・ターク2024(2)メーソットからタークへ

少し郊外に温泉が湧いているところがあった。温泉といっても、小川の流れで足湯をする程度。子供たちが楽しそうに遊んでいる脇で、犬が心地よさそうに横たわっている。一体何が現実で、何が幻なのかよく分からない光景が広がる。昼前にはロビンソンに戻り、子供たちは遊具コーナーで遊び始める。ここにもミャンマーの子が何人も来て遊んでいた。

ミスタードーナッツでドーナッツを買う。皆これが日本の物とは知らなかったようだ。それからアイちゃんの誕生プレゼントのバービー人形を買いに行く。彼女は優しい子で、『バービーは高いから、安いのにしよう』と貧乏な私を気遣ってくれた。この感じは20年前の彼女の母親と同じで、ちょっと驚いた。母子は似るものだ。良い子に育っている。昼ごはんは昨年も行ったレストランで美味しく頂く。

私はメーソットにもう1泊することにしたら、彼らももう1泊するという。ただ所用で一度ミャンマー側へ戻り、夕方また来るという。ホテルは良いと思っていたが、何と延泊するのに部屋を替わらなければならず、しかも12時前に一度チェックアウトして、2時にまたチェックインしろという。これは何とも不合理であり、スタッフが不慣れだから起こったことだろうが、最近タイでも日本的な経営優先サービスが始まってしまって残念だ。新しい部屋で午後は休息した。

夕方皆が戻ってきたら、海鮮料理屋へ行く。こんな海もない所で海鮮かと思ったが、これまでは物流の拠点であったこともあり、いい魚が入っていたらしい。今晩も旨い海鮮とその味付けを堪能した。特にイカが美味しい。メーソットには意外な店がまだあるのかもしれない。

9月16日(月)タークへ

朝起きて、宿の朝ごはんを食べに行く。何と食パンとソーセージ、ゆで卵というシンプルさ。まあこんなものか。結局SSたちはギリギリに降りてきて朝飯すら食べずに帰るという。これから私をバスターミナルに送ったら、ミャンマー側の学校へ登校するというのに。まあ子供のいる生活は大変だ。

バスターミナルで別れて、すぐにバスに乗り込む。ところが車掌に『ターク』というと怪訝な顔をしており、2度行き先を確認して来る。よく見るとチケットはバンコクまで買われていたのだ。道理で料金が高いと思ったが、もう仕方がない。勿論バンコクまで行く気もない。バスの乗客は半分ちょっとしか乗っていないが、一番前の私の隣にはタイ人が座っている。後ろの方からは日本語も聞こえてきた。

バスは山越えして約2時間でタークに着く。その少し前に急に腹が痛くなる。バスの後方にトイレがあったので駆け込んで難を逃れると、ちょうどタークのバスターミナルに着いた。ここで降りたのは私だけだったろう。まだ午前10時頃、取り敢えずGoogleMapに従い、街の方に歩いて行く。最初の大きな交差点を見ると、ここが北タイの交通の要所だと分かる。

最初に見つけたホテルで聞くと、部屋はあるが、チェックインは2時からだという。もう少し先にもう少しいい宿があるぞ、と教えてもらったので更に暑い中1㎞も歩いてしまう。ようやく辿りつた宿は華人系のキレイだったが、何とここも2時しかチェックインできない。昨日のメーソットと言い、アジア的良さは薄れている。それでも仕方がないので、そこに荷物を預けて、歩き出す。

メーソット・ターク2024(1)バスでメーソットへ

《メーソット・ターク2024》  2024年9月14日‐9月17日

1年に一度、メーソットへ行く時期になった。チェンマイから行くのは初めてだが、バスチケットの手配も終わり、後は乗るだけだった。ちょっとワクワクするタイ国内旅だ。

9月14日(土)メーソットへ

チェンマイのバスターミナル、通称アーケードに向かった。Boltを呼べばすぐに来るので極めて簡単だ。土曜日だから通勤ラッシュもないようで、車はスイスイ走る。30分前には到着していた。バスも既に所定の位置にある。ちょっとフラフラすると、クッキーを売っていたのでつい買ってしまった。

10分前になるとバスに乗り込む。なかなかいいバスで、席の配置も1₋2で、私は1座席だったので、かなりゆったりとして座り心地も良い。乗客は半分ちょっとで混んでもいない。水とスナックが配られた。車掌がメーソットのどこで降りるか聞いてきた。バスターミナルと答えようと思ったが、試しに『ロビンソン』というと深く頷いて過ぎていく。これなら今日の宿の横なので、実にラッキーだった。

バスは快調に飛ばしていき、途中ランパーンで乗客を少し拾うと、一路南下した。3時間ちょっとで休憩があり、皆が昼飯を食べに降りた。いつもは食べない私だが、今日は麺を啜ってみる。意外と旨い。トイレを使うとまたバスに乗り、タークまで行く。ここで休憩があったので、帰りのチケットを確認しようとしたが、上手くできなかった。

そこからピン川を渡ると水位がかなり高いと感じる。その先から山越えがあったが、特に問題もなく、タークから1時間半度でメーソットへ着いた。乗客は自分の降りたいところを申告しているので、各駅停車のように進んでいき、ロビンソンデパートの前で数人が下りた。SSが予約した宿は新しいようで、すぐ横にあった。荷物も少ないので、便利でよい。

フロントも明るく、何だかいい所へ来たと思った。部屋も新しいので快適だった。ただ電気ポットが無いので、お湯の問題はあった。お茶が飲めない。SSたちが来るまでしばし休息を取ったが、ロビンソンにドリンクを買いに出た。飲み物が無いのは何とも困るが、私にとってちょうどよい飲み物はロビンソンにもない。

夕方SSたちが合流した。まずは夕飯を食べに郊外のきれいなレストランへ行く。子供たちも大きくなり、1年でかなり成長した。英語も更に上達していた。だがミャンマー側の生活状況は昨年よりさらに悪化しているようで心配だった。内乱は一向に収まる気配がない。美味しいご飯を食べながら、そんな話を聞くのは悲しい。それでも鍋が美味しい。悲しい歌を歌う歌手がいた。

9月15日(日)メーソット散歩

ホテルに朝ご飯が付いていないので、朝から出掛けた。場所はミャンマー食堂。今やメーソットにはミャンマー人コミュニティも出来ているようで、そういう人々が集まる場所になっているらしい。勿論食事はミャンマーと同じ味。ナンジ-を食べてみたが、実に美味しく驚いた。

昨年も行った服屋へ。ミャンマー人が沢山働く工場と聞いていたが、ちょっと活気が無いように思われた。ミャンマーにあった縫製工場は、内戦を回避してベトナムなどへ移転しているという。朝早かったからか、この店に客はいなかった。子供たちの成長は早いので服は常に必要とされている。

第二友好橋方面に車を走らせたが、ほぼ車は走っていなかった。物流が止まってしまったようだ。聞けば、ミャンマー側のミャワディの先は通行が制限されており、ヤンゴンへの道はかなり閉ざされている。そして物流拠点としてのミャワディの街は空爆などもあり、死んでしまったようになっているらしい。第一友好橋に行ってみても昨年のような往来は見られない。ただミャンマー側の人が物資の豊富なタイ側にやってきて買い物をする姿は多く見られる。

バンコク・ハジャイ旅2024(6)

部屋は先ほどより狭かったが、電気ポットなど必要なものはちゃんとそろっており、十分だった。夕飯を食べようと再び外へ出たが、アテがない。ネット検索すると少し離れた場所に良さそうなレストランがあったので、そこまで歩いて行く。途中華人系寺院などに寄り道する。夕日が西に傾いてきた。

そのレストランはオープンな感じでとても良かった。オーナーも華人で愛想がよい。何か面白い物はないかと探していると『日本人なら天ぷらを食べれば。ついでに地元の野菜炒めもお勧めだよ』といってくれたので、それを注文してみる。料理が出て来るとビックリ。海老の天ぷら?エビが7本も皿に載っている。だが天つゆはないので、塩を貰いつけて食べると旨い。野菜も卵と絡まって実に旨い。気さくなオーナーと英語で言葉を交わして、名残を惜しんで店を後にした。

それからまた街の中心に戻る。中華公会の建物があったので、覗いてみると、何と絵の展示が行われている。何とも優しい絵で、ちょっと見入る。2階に上がると、そちらにも展示があったが、壁には公会歴代会長の写真が飾られており、ここが今も華人の集まりに使われていることが分かる。絵を描いた女性は、ここの生まれでバンコクで長く暮らしていたが、やはり故郷が良くて戻ってきたという。サトゥーンの街の特性など、色々と教えてくれた。こういう何気ない交流は温かい。

1月27日(土)ペナンを目指して

夜は風が強くて、5階にある部屋の窓枠がガタガタ鳴っていたように思われたが、翌朝は気持ちよく目覚めた。天気は上々。9時前に宿を出て、言われた通り、大通りを南へ向かう。セブンのところまで来ると、ちゃんとソンテウが1台おり、タマラン港まで、というと、100バーツで行ってくれた。ソンテウは一路南下して10分ちょっとで、港に着いてしまった。

まずはマレーシアのランカウイ行きフェリーが11時半に出ることを確認した。その上で旅行会社の人に『他にマレー半島に行く方法はないか』と聞いてみたが、全員が首を横に振る。コロナ以前はボートさえ確保できれば、越境して半島を南下で来た、ランカウイへ行く必要はなかった、との情報もあったが、今や完全に閉ざされているようだ。

もう一つ、ランカウイからペナンへ行くフェリーはあるか、と尋ねてみたが、こちらも首を傾げられたのには驚いた。もしランカウイ経由でペナンへ行くとしたら、もう一度フェリーに乗って対岸のクアラパリスへ行き、そこからバスで向うしかないらしい。いやもう一つあるのは飛行機で飛ぶことだというが、それは面白くない。

調査は簡単に済み、ランカウイ行きフェリーチケット(450バーツ)も簡単に買ってしまうと、もうやることもない。周囲をフラフラしていると、地元のおじさんは桟橋まで出て釣りをしている。その辺にボートはないかと未練を残したが、無駄だった。仕方なくお茶を飲みながら、じっと待つことにする。

表示では11時にならないとイミグレは始まらないとなっていたが、意外や10時半には人が並び始め、すぐに出国審査が行われた。後は船に乗るだけだった。フェリーは中型船、乗客は半分ぐらいか。その多くがマレー系に見えたが、どちらの国の人だろうか。勿論観光と思われる人はいない。そこからダラダラと乗船していき、11時半になっても船が出る気配はない。何しろ1日にこの一本しかないのだから、多少は待っているのだろう。10分過ぎて船が動き出す。さあ、マレーシアへ渡るぞ。しかしそこからどうなるのだろうか。

バンコク・ハジャイ旅2024(5)初めてのサトゥーンで

『ペナンに行くには?』と窓口で聞いてみると『フェリーはランカウイ行きしかない。それも1日1便だけだ』といい、それ以外の手段はなく『早く行きたいならハジャイに戻れ』とまで言われてしまう。更に『もし今から行くなら200バーツ出せば送ってやる。フェリーの出航時間は11時半だぞ』とも。時計を見るともうすぐ11時。ここから港まで10分、チケットを買い出国審査はちょっと面倒なので、一度サトゥーンの街へ行くことにした。この街は陸の孤島だったのだ。

出口にはおじさんがぽつんと座っていた。バイタクのおじさんだったので40バーツで行ってもらう。街の真ん中の宿で部屋を頼むと680バーツ。部屋からの眺めも良いのでここに泊まることにした。しかも何と洗濯機が置いてあったので、まずは洗濯に励む。天気が良く風も吹いているので気持ちがよい。部屋に電気ポットが無いのでおばさんからお湯を貰う。ついでにペナン行きの相談をしたが、やはり答えは一緒だった。どんづまりに来てしまったわけだ。

仕方なく外へ出てランチを探す。日差しが何となく強く、暑さを感じたので、時計台の横で早々に見つけたマレー系料理屋に入る。言葉は通じないので、魚と野菜を指さしてよそってもらう。ちょっとスパイシーだが、十分に美味しい。また外へ出ると、先ほどドリンクを飲んでいなかったので、雑貨屋でコーラを買う。何と小さなペットボトルで10バーツ。景気が悪くなると小分けで売る、ということだろうか。

その先にサトゥーン博物館があった。その建物が何とも良い。元々ラーマ五世の南部視察に合わせて建てられたらしい。1902年以降は地方事務所となり、第2次大戦中は日本軍の本部として使われたとある。現在は博物館となっており、サトゥーンの歴史を学ぶことが出来る。

その近くを歩いていると、刑務所跡があった。かなり立派な壁が連なっており、ちょっと見学してみたくなる。正門を見付けて入っていくと、警備員が『どこへ行くんだ』と聞いてくる。『ちょっと中に入りたい』というと、エッという顔をして周囲の同僚に向かって『中に入りたいんだって』とおどけた表情をした。皆がどっと笑ったので、ここが刑務所跡ではなく、現役の刑務所であることを初めて悟り、私も大笑いした。

市内をフラフラ歩いていると、勿論モスクもあるが中国系寺院なども見られ、この街もまたかなりミックスされた世界であることが分かる。まあマレーシアとの国境の街だから、当然ではあろう。街は小規模なのである程度歩くと一回りできた。部屋に戻って休んでいたが、シャワーを浴びたくなる。だが何とお湯が出ない。

フロントに聞きに行くと『実は昨日から壊れていて、今日直る予定だったが、業者がチェックした結果、今晩熱いお湯は出ない』と説明される。何とも景色の良い部屋だったので、一晩ぐらいいいかとも思ったが、何だかシャワーが頭から離れず、ホテルを替わることにしてしまった。

そして裏のもう少しだけいいホテルへ荷物を引きずる。フロントで料金を聞いてみるとネットよりかなり高い。交渉していると『とにかくネットで予約すれば』というので面倒になって予約ボタンを押すと、何と料金は現金フロント払いになっているではないか。希望通りで喜ぶ。更に先ほどの宿と同様、親切なおばさんが出てきて、明日のペナン行きの方法を色々と考えてくれた。だがこちらはどうしてもいい方法は見付からない。

バンコク・ハジャイ旅2024(4)ハジャイ食べまくり

夕方また外へ出た。タイ語が読めない私は、相変わらず華人系の建物が目に付いてしまう。苦瓜麺という文字が目に入ったので、思わず注文する。外のテーブルで待っていると突如雨が降り出したので、屋内に避難。すると店のおばちゃんが話し掛けてきたが、最初は華語だったはずなのに、途中から閩南語か潮州語に変わっている。それでも身振り手振りで何となくわかるので調子を合わせていたら、最後までずっとしゃべっていた。肝心の苦瓜麺の味はよく分からず終わる。夜は佐藤優が出ていたテレビ番組を見る。

1月25日(木)ハジャイ2日目

何となくすっきりしない目覚めだった。それでも外へ出て、何と朝から肉骨茶に挑む。昨日通り掛かった時、この店だけがなぜか混んでいたので入ってみることにしたのだ。朝も混んでおり、何とか一番奥の席に潜り込む。取り敢えず肉骨茶といってみると、実に立派なものが登場した。それなりに美味しかったが、お値段もそれなりだった。

また腹ごなしに散歩する。少し郊外へ向かうと教会が見える。モスクもあるようで、華人だけの街ではないことも分かる。そこで雨が降り出し、屋根の下で雨宿り。傘はあったが雨宿りしてみたかった。本当に10分ぐらいで止んでしまい、如何にも南国を感じる。何事もなかったように歩き始めると、華人が創設した学校なども見られる。

宿に戻ってもう1泊しようとフロントへ行くと何と『今日スタンダードルームは満室なので500バーツ高い部屋しかありません』というではないか。ここから慌てて近くの宿を探し始めた。一番近い所へ行くとネット検索よりかなり高いが、まけてはくれない。もう一軒訪ねたが、やはり同じだったので、仕方なく最初のホテルをネット予約したところ、何と現地払いで150バーツ安くなってしまい、また喜ぶ。フロントの女性たちも面白がって付き合ってくれ、皆で笑う。この雰囲気がとても良い。

朝結構散財したので、お昼は質素にお粥を食べる。しかしこの魚粥、何とも旨い。なぜだろうか。その後に昔泊まったハジャイ駅を見学していると、また雨が強く振り出し、慌ててロビンソンデパートに逃げ込む。地下のスーパーでドリンクなどを買っている内に小降りになったので、帰る。

夕方また空を見ながら外出。旨そうな福建麺の店があったので食べる。やはり旨い。だがその後フラフラしていると、フライドチキンで有名な店があり、お客も多かったので食べてみたくなり、ハーフサイズを頼んで完食した。もう腹一体で何ともならない。それでも帰りフルーツを買うとこれまた甘い。ハジャイは実にいい所だが、腹は極度に重い。

1月26日(金)サトゥーンへ

朝早めに起きて8時前にはチェックアウト。宿の前のトゥクトゥクに声を掛けてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと高い。市場の方で昨日来た料金が安かったのだが、そこへ行ってみても全員が100バーツだという。完全にカルテルだ。そんな中、一人のおじさんだけがなぜか60バーツというので乗り込む。バスターミナルは私が思っていたのより遠かったが、丁寧に送ってくれ、サトゥーン行きロットゥの場所まで教えてくれた。朝からおじさんを拝む。

100バーツでチケットを買うと10分でロットゥは満員となり走り出す。今日はいい天気で気持ちが良い。これも順調で2時間ちょっとでサトゥーンの街に入る。途中一人ずつ降りたいところで降りるので、最後に私は残されてバスターミナルに着いた。だがそこはあまりにも閑散として前途が思いやられる。

バンコク・ハジャイ旅2024(3)ハジャイへ

疲れたので、カフェアメゾンに入って休む。このプロンポーンにある間口の小さい店舗、実は狭いながらも2階、3階もあるのは、初めて知る。何となくだらだらしながら過ごす。でも若者が多く、居心地はあまり良くはないので、アソーク方面に歩いてみる。駅まで来ると地下に入る。

そこにはその昔のQBハウスがあった。今は別経営ではあるが、まだ存在していた。暇なので数年ぶりに入ってみる。何と代金の現金支払いはダメで、QRコード決済だけだった。この辺もコロナの影響だろうか。僅か10分で髪を切り終わる。私はこういうスピード感が嫌いではない。

そしてプロンポーンに戻り、Sさんと会う。Sさんとは前回初めて会ったが、何となくまた会いたいと思い、連絡した。昔話に花が咲く。場所は10年以上前に何度か行ったオーガニックフードを売る店。お茶なども売られているが、殆どが茶外茶だった。ここの2階はレストランになっていて、美味しいべジタリアンフードが食べられる。チャイも飲めて、楽しい夜だった。

1月24日(水)ハジャイへ

朝まだ暗いうちに宿をチェックアウトして車を呼んでドムアン空港へ。かなり早い時間なので、スムーズに到着する。いつも使っているタイライオン、ここでトラブル発生。何と今回のチケットには預け荷物量が含まれていないので、1100バーツ払えと言われて愕然とする。これまで15㎏程度は無料だったので、今回も同じと思い込んでいたが、まさかの9㎏超過料金となる。これからはちゃんと確認しよう。因みに今回からチケットは機械で取得し、預け荷物はカウンターで。

悄然としても腹は減る。いつもの食堂でジョークを食べて息を吹き返す。荷物検査を終え、フライトを待っていると、さっき車を呼んだBoltからメールで領収書が送られてきた。驚いたのは、何と金額が支払ったものより100バーツ少ないのだ。まあ領収書は使わないので良いのだが、もしやすると私がボケて100バーツ多く渡してしまったのでは、と疑心暗鬼になる。

フライトは順調であっという間にハジャイに降りた。まだ朝10時過ぎだった。ここからGrabを呼ぼうかと思ったが、バスはないかと探してみると、出口を出た先にロットゥが停まっており、100バーツで市内へ運んでくれた。元々はミニバスが60バーツで運行していたようだが、ご多分に漏れずコロナで無くなっていた。

ロットゥはほぼ満員になり、すぐに出発した。15分ぐらいで街中に入り、殆どの人をロットゥ乗り場で降ろしてから後はゆっくり進む。私は適当なホテル名を告げてあり、そこまで運んでもらった。ホテルに入り料金を聞くと、ネット予約より高かったのでその旨を告げると、『特別価格ですよ』と言って、その料金になった。何だか気分の良いハジャイだった。

部屋に荷物を置いてすぐに散歩に出た。近所には福建会館、海南会館など華人の同郷会館がいくつか見られ、ハジャイも華人が多いことを示していた。何となく腹が減ったので、豚肉と鴨肉ご飯を食べる。こういうのがすぐに食べられ、普通に美味いのが良い。注文もタイ語ではなく、華語で出来るのは有難い。

食後の散歩に市場へ向かう。それから何となくお寺を見たり、時計台へ行ったりする。旧市街地はコンパクトなので、歩いて一通り行ける。最後に市場に戻り、何故か柿を買う。既に食べられるように剥かれており、久しぶりに柿を味わう。セブンでドリンクを買って宿で休息する。

バンコク・ハジャイ旅2024(2)スクンビットをうろうろ

Mさんが待っていてくれた。こんな場所を指定するとはさすがバンコクを知り尽くした男、Mさんと唸る。それからタイの中国系料理について、色々と尋ねる。実に面白いし、これまで誰もスポットを当てていない部分ではないだろうか。特に潮州系の多いタイにおいては、従来日本では見られない潮州料理に特徴が見いだされるので興味深い。

夕方になったので、カフェを出て夕飯を探す。話の流れ上、やはりタイ中華にしようと、トンローまでBTSで移動。行くべき店に6時前に到着したが、何と6時半開店と知ってショック。Mさんは開店まで待とうと言い、周囲の散歩を始める。そしてその辺の麵屋に入り、いきなりコーラだけを頼んで席に着き、時間をつぶす。この時間に麺を頼まないのは迷惑かと思ったが、店側も全然気にせず、氷なども出してくれる。こういうことは超人Mさんにしかできない技だ。

6時半過ぎに店に戻ると既にかなりの客がいる。何とか席を確保したが、後から後から客が入って来てすぐに満席となる。トンローということもあり、日本人客も結構いる。ここの料理、味付けがすごくいい。豚肉とキャベツ、タケノコ、小魚など甘くてうまい。これはやはり潮州系だとMさんは解説する。そう、この味だ。とても勉強になる。タイ人も日本人は潮州料理が好きなのだ。帰りにGrabで車を呼んだが、何故か来ない。空車は沢山通り過ぎるので、結果キャンセルして車を拾って帰る。何だか面倒だな。

1月23日(火)スクンビットをうろうろ

今朝はゆっくり起きて、Yさんとコーヒーを飲む。明日のフライト手配も終わる。昼前にまた赤バスに乗ってスクンビットへ向かう。なぜか今日の昼もトンローで待ち合わせ。Mさんとはずいぶん長い付き合いだが、とうとうバンコクを離れるらしい。それで最後のランチとなる。

ランチはなぜか韓国料理となった。昨晩も歩いたトンローの道を行く。この店にイカ炒めがあったので、すぐに注文する。韓国料理には副菜が沢山付いてくるのが良い(日本を除く)。Mさんとこの10年余りのお茶会の思い出などについて話が弾んだが、何となく寂しくなった。

夜もまたプロンポーンで約束がある。一度宿に戻るのも面倒なので、この辺をフラフラする。まずはプロンポーンまで歩いて、ユニクロへ行く。どうしてだか冬の北京の服はちゃんと持って来たのだが、夏のバンコクの服を少し忘れていたのだ。2000バーツ以上買ったら、消費税が戻るというので、初めて還付手続してみる。

そこからバンコクの60バーツ均(日本の100均)の店へ行き、耳かきを買う。これを忘れると、ちょっと困るのだが、こういうものが簡単に買えるのは、やはりバンコクだ。更には北京で余った人民元の両替をしてみようかと考え、周辺の数軒の両替所を回り、レートを比較した。

以前はあった両替所がいくつも無くなっていた。コロナで無くなったのだろうが、その後も復活しないのはやはりキャッシュレスの進行だろうか。一番レートがいいのは、ショッピングモールの地下だったので、そこで両替を終えた。それにしても、北京でも感じたことだが、中国国内で実質使えない人民元現金が、海外では普通に両替できる、というのは、何となく違和感がある。

バンコク・ハジャイ旅2024(1)30度のバンコクに到着して

《バンコク・ハジャイ旅2024》  2024年1月21₋27日

極寒の北京から暑いバンコクへ。そこから南下して久々のハジャイを経由して、ペナンを目指すことになった。ただ通常ルートは面白くないと思い、初めてサトゥーンへ行くが、そこからのルートはかなり限られてしまい、袋小路にはまり込む。さて、どうなるのか。

1月21日(日)バンコク到着

快適なフライトでバンコクに着いた。入国審査は思ったほど時間はかからなかった。荷物は預けていないので、一目散にAISにブースに向かい、3か所目でようやく無料シムをゲットする。取り敢えずこれでスマホは繋がった。またタクシー乗り場から車に乗る。今回はいい運転手?で、メーター通りの料金で済んだ。これが普通だろうに。

いつもの宿にチェックイン。ここには随分と泊まったが、料金はどんどん上がっていく。円安もあって、もうリーズナブルな料金とは言いにくい状況だ。部屋もコロナ後は何となく格下げされた。これまでの部屋はもっと高くなっているのだろう。慣れているので居心地は良いのだが、これからどうするか、考えないといけない時期に来ている。

腹が減ったので外へ出た。まずは一食、と思うと、なぜかパッタイ屋に足が向いてしまう。おじさんとは顔が合うと挨拶する仲だ。何となくパッタイを食べてコーラを飲むとかなり落ち着く。日本人町でいつものパンを買ってから、暗い夜道を歩いて帰る。チェンマイに比べて車の多さが際立つバンコク。

1月22日(月)タイ中華の夜

朝はいつものルーティーンでコムヤーンを食べに行く。だが何と既にコムヤーンの姿はない。おばさんは『あの人が全部買って行ったよ』と指を指す。そのおじさんは大きな袋にコムヤーンサラダを詰め込んでいた。おばさんもサラダ作りに大忙しだったはずだ。それでも諦めきれない私。じっと空の籠を見ていると、コムヤーンのきれっぱしでサラダを作ってくれた。初めて食べるが、かなりスパイシーだった。それでも有り難い。

当たり前だが、北京の零下からバンコクの30度は体に堪える。部屋で休息していたが、シムカードをゲットする必要があり、外へ出る。Yさんのスタッフにタイ語で『シムカードの再発行』と書いてもらって行く。これがあれば、恐らく問題ないはずだが緊張はする。ロータスのAISブースに行って紙を見せると、担当者が流暢な英語で対応したので驚いた。そして実にスムーズにシムが再発行され、おまけに1か月200バーツの特別価格への設定までしてくれた。こういうサービスは実に有り難い。

昼はYさんといつもの食堂へ行き、いつもの物を食べる。これまで同様普通に美味しい。料金も変わらない。変化が無いのはここだけか。午後は赤バスに乗り、アソークまで出る。このバス、前より少なくなっているのか、なかなか来ない。まあ来れば速いからよいが。料金は8バーツだ。

アソークで降りると、ナナ方向に少し歩く。指定されたビルに入り、カフェアメゾンを探す。だがどこにあるのか分からない。インフォメーションの女性に尋ねると『そうですよね、分かり難いですね』と言いながら、自ら案内してくれた。それは1階の奥深く、階段の陰に隠れるように存在しており、このビルに来た人でも気が付かないだろうと思われる場所にあった。これからは隠れ家的カフェとして、使わせてもらおう。

メーソット旅2023(3)メーソット散策

次に向かったのは服のアウトレットショップ。子供たちはすぐに大きくなる。常に服を買う必要があり、安くて品質の良い服を売っているのでよく来るらしい。ここは縫製工場が直販している。見ると日曜日でも出勤した工員たちが働いている。大多数はミャンマー人で、宿舎に住み込みだという。タイもこのような労働者に支えられて、工場が成り立っている。汗水たらして働く人々、その横のクーラーの効いたカフェで美味しい飲み物を飲んでいるとちょっと複雑な気分になる。

それから車の修理場へ行く。車の修理点検もタイ側で行うという。ここの従業員もミャンマー人で会話はビルマ語だった。修理を待つ場所で、またドリンクを飲みながらゆっくりする。ガソリンはミャワディ側の方が安いとか、タイ側には新しい道路が出来たとか、そんな話を聞く。

午後2時頃になり、さすがにお腹が空いたので、やはり火鍋に行く。火鍋は昔からススが大好きであり、当然子供たちも大好きなようだ。もう食べ過ぎだと思っていても、何となく入ってしまうのが火鍋の特徴かもしれない。たらふく食べる。最後にマクロへ行く。ここでミャワディ側では手に入らない、または高い食材を大量に買い込み、車に積んで帰るのだ。そんなミャンマー人で店内は大混雑だった。

ここでタイムアップ。私のバスは夜8時半発だが、彼らの国境ゲートが先に閉まるので、その前に帰路に就く。今回も短い時間だったが、実に楽しく過ごした。疑似じいさんも堪能できてよかった。ホテルまで送ってもらい、そこで涙の別れとなる。彼らが去ると、ホテルに荷物を預け、付近の散策に出た。

この辺は旧市街地の趣があり、木造のものや洋風のものなど、建物が面白い。国境、交通の要衝だったこともあり、当然華人も多いので、廟なども見られる。ムスリムやヒンズー様式の寺も見られ、実に多彩だ。旧バスターミナルはすぐ近くだったが、今は近郊向けのみで寂れていた。私が乗るバスは空港脇の新ターミナルから出るため、そこまでテクテク歩いて行くことにした。

コロナ禍で一度閉まったホテルなどが復活してきているが、リノベーションしてオーナーも変わったようだ。中国資本の雰囲気がある。夕日が傾く中、そちらに向かって歩いて行くのは何となく楽しい。40分ぐらいかけてゆっくり歩くとあたりは暗くなる。ようやくターミナルに着いた。

バスは頻繁に来ており、何台も見送る。私のバスはバンコク行の最終。そうしないとバンコク到着が午前3時などとなり、向こうで動けなくなることを考慮したのだが、待っている時間はすごく長く感じられた。しかも予想通り大勢の人がいる。次々に様々な方面へ向かバスに乗り込む。私はタイ語も分からないため、乗り過ごさないよう注意を払っているので疲れる。

ようやく自分のバスが着て乗り込む。シートは快適で、申し分ない。最初は山道をかなり上り、バスはゆっくりと走った。途中に検問などもあるが、夜は真っ暗でよく見えない。過去に一度乗ったはずだが、全く記憶がない。寝入っていると途中でバスが停まる。専用休憩所に着いたので、降りて無料の麺を啜る。夜中にこんなものを食べて良いかなどとは考えない。無料だと手が出てしまう。

それから数時間、いつの間にかバンコク内に入り、時々人が下りていく。こんなところで降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバイタクが迎えに来ている。ついにモーチットのバスターミナルに着いたのは午前5時過ぎ。雨も降っている。街へ行くバスを見ると1台出て行くところだったので慌てて乗り込む。

BTS駅まで行くと既に明かりがついていたが、私が乗りたいMRTは6時からしか入口が開かない。仕方なくBTSに乗り、一度乗り換えてプロンポーンまで行く。ところが早過ぎて当てにしていたバイタクの姿はない。しかも雨が降っておりタクシーも捕まらない。その内小雨になったので、何と歩いて行くことにした。涼しい朝のバンコク、気持ちの良い散歩となる。最後にマックに寄り、ゆっくり朝マックを食べてから帰宅した。