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タイ中部横断の旅2018(16)バンコックの福建会館へ

8月22日(水)
福建系を探す

今回の旅もついに最終日が来た。かなり充実していたとは思うのだが、心残りがあった。それはヤワラーが攻略できなかったことだ。今日は深夜便のため、午前中は部屋で休養して、午後はヤワラーを再訪、夜になったら空港へ向かうことにした。昼ご飯はいつものようにYさんたちと食べる。

 

そして昨晩Mさんから言われた『ヤワラーは潮州系、客家系だが、福建系は他の場所にいるのでは』との問いを解決すべく、教えてもらった福建会館を訪ねることにした。そこはファランポーン駅で降りるが、ヤワラーとは反対方向に歩いていくのだ。かなり迷ったが、周囲は確かに漢字の看板ばかりだった。

 

ようやく目の前に現れたその会館は思ったよりもはるかに立派だった。福建系もちゃんといるよ、とでも言いたげだ。中に入っていくとスタッフが応対してくれた。同郷会などの会員名簿に私が探している王さんの名前はないか、と聞いたところ、今は皆タイ語だから、タイ語名を持ってこないと分からないとあっさり言われてしまう。

 

それでも彼女は親切で福建系の人が集まっている廟の場所などを書いてくれた。彼女自身も当然福建の末裔だと思い込んでいたら、何とミャンマー、それもシャン州の外れの方から働きに来ているという。『たまたまここに仕事があったから』という雲南の末裔である。やはりきちんと北京語を話せる人材は不足しているのかもしれない。

 

帰ろうと思ったが、非常に強い雨が降ってきた。これではヤワラーの方にも歩いて行けない。仕方なく、会館内を見学する。建物は最近建て替えたのかもしれないが、何とか室内はレトロな感じがする。歴代会長の写真や氏名などが掲示されているが、私が探す歴史に関わるヒントのようなものは出てこなかった。

 

30分ほど待ったが、小ぶりにもならない。傘を忘れてきたのだが、我慢の限界が来て、道に飛び出し、運良くタクシーを拾った。ヤワラーを目指し、ちょうどよいところで降りる。まだ雨は降っていたが、まっしぐらに茶荘に飛び込む。だがそこにいたのはいつものおばさんではなく、どう見ても華人ではないタイ人男性。こちらが中国語で話しかけても反応せず、何だという顔をされる。

 

そこに奥からおばさんが出てきたので助かった。今回は彼女に具体的な茶荘の住所と電話番号を見せて、今もあるか聞いてみたが、首を振る。ただこの住所(漢字名)は近くにあると言い出し、何と自ら電話番号に電話してみてくれた。残念ながら繋がらなかったが、こういう具体性が調査には重要だとようやく分かる。

 

茶荘を出て、今度は向かいの宝石屋に入る。中国人観光客が値段の駆け引きしている中、『この辺で指輪を治せるところはないか』と変な質問をしてみる。店主は『ヤワラーにはないぞ、MBKに行け』と謎の言葉を残すが、取り敢えずここでは治らない、そして何より指の回復が先決だと思い、止める。

 

雨は一向に止まないので、近くの麺屋に入る。午後4時で夕飯には早いが、ここでいつも臓物の入った麺を食べている。これは素直に美味しい。中国人観光客が大勢で押し入ってきたので外へ出ると雨は小降りになっていた。だが、暗くなりかけたヤワラーでこれ以上手掛かりを探すのは難しいと諦める。バス通りに出て、バスに乗り、ゆっくりと宿へ帰る。

 

宿では恒例のマッサージで時間を潰す。今回の旅も意外と疲れが出ており、マッサージ早々で寝落ちてしまう。気が付くと2時間近く経っており、良い気分転換となる。預けていた荷物を取り、タクシーでドムアン空港へ向かう。今回は順調すぎるほど順調で30分で着いてしまった。

 

出発まで3時間以上あった。今回スクートの深夜便は3時間前からチェックイン可能で大いに助かる。日本人乗客も詰め掛け、結構行列が出来ていたが、捌きは早く、簡単にチェックインは終了した。出国審査にもまだ早いので、久しぶりにドムアン空港内を散策する。数年前とは様変わりしている。店がかなり違っており、ターミナル1と2の間の2階に沢山出来ていた。ただ夜10時頃には店も閉まり始め、24時間体制ではない。その空いたスペースを利用して、PCなどをいじって過ごす。

 

スクートの運行は時間通りでよかった。また行きと同じで機体は新しく、座席も広くてLCCと言う感じはしなかった。ただトイレがちょっと壊れており、困ってしまったが。まあそれも何となく解決されるのがLCCか。今回の旅を振り返る暇もなく、早朝成田に着き、いつもの電車で家路に着く。

タイ中部横断の旅2018(15)指輪を切断する

8月21日(火)
病院で指輪を

翌朝はいつものように朝Yさんとコーヒーを飲んでいたのだが、実は最近不安なことがあって思い切って打ち明けた。私の左薬指には20年以上結婚指輪が嵌ったままだが、それは指の第2関節が太くなってしまい、取れないからだった。ところが最近体重の増量に伴い、指の太さまで増量している事態となり、このままではいつか指輪で指が締め付けられ最悪壊死してしまうのではないか、と思い始めたのだ。

Yさんはすぐに検索をはじめ、指輪が取れない時の対処法を探してくれたが、その答えは何と『消防署に行く』だった。なんでだろうかと、思いながらも急に心配になってしまい、『バンコックで消防署には行けないが、有名病院なら日本語デスクもあるので対処法を教えてくれるのでは』と期待して、午後病院に行くことを決めた。石けんでこすっても無理なことは分かっていた。

 

朝はかなり溜まっていた洗濯物をいつものランドリーに出したりして、忙しかった。そして昼には何とちょうど話題の高校野球『大阪桐蔭対金足農業』の決勝戦がNHKで見られるというので、昼も食べずにそれを見ていた。太田幸司の始球式、だが試合は一方的な展開となり、Yさんに誘われ、昼飯を食いに行き、最後まで試合を見ることもなく、タクシーで病院に向かった。

 

この病院には何度かお世話になっており、日本語専用デスクの存在も分っていた。受付の若い男性は完璧な日本語を話していたが、名札はタイ姓のように見えた。きっと日本育ちなのだろう。事情を話すと取り敢えず外科に繋いでくれた。同時に『保険が効くかもしれないので電話したら』とも言ってくれたので、電話してみる。

 

外科に行くと、脈拍や血圧を測られたが、ベテラン婦長が出てきて私の指をつまんで即座に『これはあっちね』という仕草をした。そして小部屋に案内されると、そこには二人のレスキュー隊員がおり、私の指を抑えて机の上に押し付ける。まるで指詰め?の儀式のようだ。ちょっと怖い。そのまま金属のへらで指の隙間を開け、ペンチを差し込み、切ってしまった。僅か5分の出来事だった。

 

もうこれで大丈夫。指輪は曲がってしまってけれど、どこかで元に戻せるのでは、とも言われる。そして『本件は医療行為ではないので、病院は一切費用を請求しません』というではないか。そして通訳の女性が小声で『よろしかったら、有難うと言って、この二人に200バーツぐらい渡しては如何でしょう』というので、喜んでお渡しした。

 

因みに奥さんには外科に来た段階で『指輪を切ってしまうかもしれないが、やむを得ない事情なので了解して欲しい』旨、ラインで送っていたが、やはり実際に切られた指輪の写真を送ると、『これはどこかで治らないのか』と言われてしまう。私としてはまずは20年締め付けられた指の回復を優先させたいと考えている。

 

日本では消防署に行くという意味もようやく分かった。消防ではなく、救急だったのか。部屋を出ると保険会社から本件請求可能との電話をもらったが、既に本件は終了したと伝えて電話を切る。こういう経験もしてみないと分からないものだ。病院からバイタクに乗り、BTSの駅へ出る。

 

プロンポーン駅から終点のサムローンという駅へ向かう。昔この路線にはよく乗ったが、当時はバンナーが終点、のちにベアリングという駅が出来たのまではしているが、サムローンはいつできたのだろうか。バンコックは1年に駅が1-2は増えているようだが、終点の名前がかわると乗る電車を間違える可能性もあり、ちょっと困っている。

 

なぜこのサムローンへ来たのか。それは以前からのお知り合いMさんが家を買って、バンコックにいる間はここに住んでいたからだ。駅に着いたが、それほど新しい、と言う感じはしない。すぐ近くにショッピングモールがあるというので、そこで待ち合わせたが、一昨日のターミナル21などとは大違いで、1階からして小さな店が沢山あり、高級感とは無縁だった。

 

聞いてみるとここはバンコック都下からほんの少しはみ出しており、バンコックではないのが大きいらしい。それで地価も安く、BTSが通って便利でもそれほどは高くないようだ。近所の市場もかなりローカルチックで広い。その昔は、日本的に言えば、バンコックを出た最初の宿場、だったのだろう。

 

ローカルチックとは言ってもちゃんとしたお店に入り、美味しいものを食べる。バンコックではないと言ってもそれほど珍しいものや名物がある訳でもないが、タイ語堪能なMさんが頼んでくれる料理は何となく美味しく感じてしまうのはなぜだろうか。またたわいもない話をして時間が過ぎる。

 

帰る時はMさんに教えてもらったバスナビを使って、バスで帰ることにしたが、何だかうまく機能せず、一本で帰れるバスを捕まえることが出来ずに、かなりの時間待った。そして結局乗り換える羽目になり、素直にBTSに乗ればよかったと反省し、やはりバスは難しいとの結論に達する。タイ語が出来なと大変だ。

タイ中部横断の旅2018(14)奇跡的に見つかった忘れ物

このホテルをチェックアウトして、昼間の暑さを避けて、トゥクトゥクで昨日見付けたホテルに移動した。もうこれまでのようにどんなところでも歩いていく、というのは止めるべきだ。郷に入れば郷に従え、タイ人のようにしよう。新しいホテルとはとても快適で、午後は外出する気力が失せてしまった。

 

このホテル、よくよく見ると、今回の旅の最初に泊まったメーソットのホテルと姉妹店だった。姉妹店と言ってもあちらは簡易なビジネス系、こちらはちょっといいホテルなので、まさか同系列とは思われなかった。タイのホテル業界も相当に変化しているのだろう、これはその一環だろうか。

 

何気なくテレビをつけると、タイ語放送だったが、ジャカルタアジア大会を中継していた。日本の放送局なら日本の注目選手の出ている競技のみを放送するのが常だが、ここでは大いに違っていて驚く。何しろ日本対モンゴルの女子バスケット予選を生中継しているのだ。恐らくは時間調整であったのだが、これを見ている人はいるのだろうか(日本人でもこの試合を見る人はほぼいないはず)、と心配になるほど点差は開き、特筆するものは何もない。日本なら前の競技の再放送とか、これからの競技の見所などを紹介するだろうに。

 

夕方になり、またフラフラ歩き出す。ホテル近くのお寺に参拝。その後腹が減ったので、屋台で炒飯を食べる。このシンプル感がよい。暗くなった頃、ホテルの道斜め向かいに建つ、ショッピングセンター、ターミナル21を見学。まさかここにバンコックと同じものがあるとは驚きだ。売っているもの、出展者もバンコックとあまり変わらず、物価水準からすれば高いかと思うが、大勢の人が来ていた。コラートも少しずつ発展の兆しがあるということか。

 

部屋に戻ると、アジア大会、サッカー男子、タイとウズベキスタンの試合を見る。この試合こそ、タイ人注目の一戦だったが、残念ながらタイは破れてしまった。U23カテゴリーでは、今やアジアはウズベクとベトナムの二強時代の様相を呈しており、サッカー界も変化が激しい。日本も相当頑張らなければならない状況だ。

 

8月20日(月)
忘れ物を探して

翌朝はゆっくり起きて、そこそこ立派な朝ご飯を食べて、ホテルをチェックアウト。すぐ近くに旧バスターミナルから出るバンコック行バスに乗り込む。新バスターミナルまで行かなくてもよいのは便利だし、バスの本数も頻繁にある。午前10時のバスに乗り込むと、乗客はそれほど多くないが定刻出発。シートも快適で、よく眠れる。

 

最近はバスも法定速度(また自社規制速度)をしっかり守っており、スピードを出して飛ばすことはない。4時間近く乗ってアユタヤを過ぎると、ちょっと渋滞に嵌り、速度が遅くなる。結局来たバスターミナルに着いたのは5時間後。意外と疲れたな、と思いながらもバスを降り、いつものようにトイレに入り、チャドチャックまで行く路線バスに乗り込んだ。

 

バスはすぐに出発したので幸先よいと思ったが、払うべき料金を取り出そうと小銭入れを探すもズボンのポケットに見当たらない。咄嗟にヤバいと思い、バスを止めて、一人下りる。バッグの中などを探しまくるも見付からず、いよいよこれはバスの中に落としてきた、とわかる。それでもこれまでカメラを落としたことは何度かあるが、小銭入れを落としたことは一度もなかったので半信半疑。

 

ところで私は何というバス会社のバスに乗って来たのかさえ、分からない。チケットはあるが全てタイ語なのだ。仕方なくまずはバスを降りたところに行ってみたが、当然ながらもうバスの姿はなかった。その付近にバス会社のオフィスもなさそうだ。その辺の人に聞いてみても言葉が通じない。どうするんだ。

 

とにかく言葉が通じる所へ、というので、チケット売り場まで歩いていき、そこのインフォメーションで聞いてみると、3階にこのバス会社のチケット売り場があるからそこで聞け、という。そこへ行くと、ここでは何もわからない、ときっぱり言われてしまう。もう方法はない。むしろホテルの部屋に忘れてきた可能性もあるので電話してみたがやはりないという答えだった。

 

もう万事休すだ。だがなぜここまで小銭入れに拘るのか。中には数十バーツしか入っていないし、入れ物もボロボロなのだ。諦めればよいはずだったが、その中にはコロコロバッグの鍵が入っており、このままだとバッグが開けられない。これは面倒だが、定宿へ行けば何とかなることは経験済みだった。問題は日本の家の鍵。こちらをもしもう一度作るとなると、2-3週間を要し、鍵代も1万円はかかる。これを機会に奥さんから鍵を取り上げられてしまうことを一番に恐れ、必死に探した。

 

ダメもとでもう一度チケット売り場へ行くと、『1階のバス乗り場に行ったらあるかも』と言われた。バス乗り場に忘れ物があるとは思えなかったが、最後の気力を振り絞り、荷物を引き摺り、下に降りた。遠くにバスが見えた。チケットをかざしながら、忘れ物、というと、そこにいた兄さんが『こっちだ』というではないか。行ってみるとそこにバスが停まっており、その運転手が運転座席から見事に私の小銭入れを取り出した。まるで魔法にかかったように動けなくなった。

 

何度もお礼を言った。日本なら、『なんでも忘れ物センターがないんだ』などとこちらが怒るような場面かもしれないが、タイではこれは奇跡に近いのではないかと思う。同時に自分の執念にも感心した。一体どれだけの時間と労力を費やしたことだろう。それからいつものように定宿に戻り、Yさんにこの話をすると、彼も『タイでは奇跡だ』と驚いていた。

タイ中部横断の旅2018(13)ピーマイ遺跡にて

ホテルを出るとちょうどバイタクにいさんと目が合う。仕方なく、それに乗ってバスターミナルへ。すごく遠い訳ではなかったが歩くにはやはり微妙な距離だった。今日は郊外のピーマイ遺跡に行ってみることにした。だがバスターミナルで簡単なはずのピーマイの発音が通じずに困る。それでも何とか探し当て、バスに乗り込む。

 

バスは空いていた。ピーマイ遺跡に行くと思われる外国人も乗っており、取り敢えず行き先に間違いはないようだ。1時間ぐらい乗っていただろうか、バスはピーマイに入り、皆が降りたので、私も降りた。すぐそこに遺跡入り口があり、入場料を払って中に入る。さすがにここ数日見てきた遺跡とは規模が違う。この遺跡を紹介する展示室も設置されており、まずはそこを眺める。ピーマイはアンコールワットのモデル、という言葉が飛び込んでくる。この付近の遺跡、アンコールワットに似ているとは思っていたが、むしろあちらより先に出来た可能性もある訳だ。いずれにしても、ここの規模から考えて、副都市的な位置づけだったのだろう。往時のクメール人の版図は凄い。20世紀に外国人によって発見されたとある。

 

外に出て遺跡を回り始める。何と目の前を日本の大学生一行が歩いていく。研修旅行だろうか。女子が多い。彼らは何を学んでいるのだろう。遺跡は確かにアンコールワットの雰囲気を漂わせ、かなりの敷地に広がっていた。多くの観光客はメインの建物付近を見て帰るが、私はむしろ、端っこの方に佇む建物の端を見ていた。細かい彫り物、細工が素晴らしい。天気は曇りでまだよかったが、それでも汗が出てくる。

 

裏門から出られたので、後ろの寺院に行ってみる。そこで突然雨が降り出し、しばし休息となる。大仏の横に犬が寝ており、私の方をチラチラ見ているが、動かない。まさににわか雨、雨の音はすぐに止む。私に休息を促したに違いない。そのお寺のお堂も雨上がりで開いたので、お参りする。

 

それから細い道を歩いていくと、辛うじて保存はされている、ピーマイ遺跡外の遺跡に出会う。普通の人が通行しているが、いつからあるのだろう、と聞きたくなってしまう。ここが裏門かな。その先は川になっている。更に歩いて博物館に入る。大きな池の向こう側まで歩いていくのは大変だ。相当に広い博物館だが、ここを見学する人は稀らしい。スタッフは私が入っていくと、そこの電気を点けてくれ、私が出ていくと消している。扇風機も同じだ。勿論豊富な展示物があるのだが、館内は意外と暑く、早々に退散してしまう。

 

そこから川を渡り、麺屋があったので休みがてら、麺を食べる。ちょうどこの交差点を右に曲がった向こうに、何かあるというので歩いて行ってみた。ところが歩くにはかなり遠い。疲れ果てた頃、その場所は突如現れた。と言ってもタイ語表記しかないので、ここかどうかも分からない。

 

中に入ると屋台が沢山あり、観光客もかなりいた。ここには100年以上前から木が沢山植わっており、その生い茂った木々が密林のように交差して、独特の自然を演出していた。ある種の芸術だ。ここなら日差しも避けられ、涼しい。しばし自然の屋根の下でお休みする。さっきの大学生もここに来ており、女子二人が何やら人生相談をしている。そんな気分になる場所かもしれない。残念ながら場所の名前はよく分からない。英語は1つもない。

 

またとぼとぼと一人、歩いて戻る。ここに歩いてくる人などおらず、さりとてバイタクすらいない。ようやく交差点まで戻り、コラート行きのバスの停留所を探すが見付からない。その辺の人に聞いてみると、流ちょうな英語で答えが返って来た。何とも有り難い。バスもやってきて無事帰還した。

 

一度ホテルで休み、夕方気になるお寺に行ってみた。そこの規模は大きかったが改修中で、ちょっと落ち着かない。更に歩いていくと、まだ明るいが夜市が始まっていた。ここで夕飯を食べようかと思ったが、また雨が降り出す。今度は小雨がしとしと。結局夜市は歩いただけで、その近くにあった日本料理屋に入ってしまう。私は日本料理がどうしても食べたいわけではなかったが、オーナーはきっと日本人だろうと思い入ってみた。そこで定食160バーツを食べて、満足した。たまにはこんなのもよい。お客はタイ人ばかりだった。この辺に日本人は住んでいるのだろうか。

 

 

8月19日(日)
ホテルを移動

翌朝もロビーで朝ご飯を食べ、その後お寺へ出掛ける。バスが通る道に中国語の書かれた寺があったので、そこへ行ってみたが、特に中国洋式ではなかった。その近くにひっそりと仏堂と書かれた中国廟があったが、鍵がかかっており、入れなかった。更にはイスラムのモスクもあるというので、歩いて探してみたが、道に迷い断念。最後に大きなタイ寺院に参拝して、大汗をかいてホテルに戻る。

タイ中部横断の旅2018(12)コラート散歩

8月17日(金)
コラートへ

翌朝は早めに起きて、早めに朝食を取り、目の前のバスターミナルへ行く。今日はコラート(ナコンラチャシマ)へ行くつもりなのだが、当然バスに乗っていく。何時にバスがあるのか確認したところ、午前9時ごろあるようなので、それに合わせてホテルをチェックアウトして、バスに乗り込む。さすがにバスターミナル横のホテルはこの辺の便利が実に良い。

 

バスは普通で、特に特徴はない。混んではいないが、一応席は決まっているので、そこに座る。1時間ぐらい乗っていると街に入った。ここがプリラムだった。プリラムと言えば、一時サッカーチームが強くて、頭にその地名が残っていたが、ガイドブックにも紹介されない場所だったので、通り過ぎることにしていた。ただ街をある程度走った感触では、ここも意外や面白そうなので、次回通ることがあれば下車してみたい。

 

4時間ぐらいかかってバスはようやくコラート市内に入った。バスターミナルは遠いので、街中の陸橋の付近で降りるのがよいと、ガイドブックに書かれていたので、そのようにしてみた。バイタクのおじさんが寄ってきたが無視して、荷物を引いて歩き出す。またこの街の地名が付くホテルを探してチェックインする。

 

このホテル、街中にあり、ちょっと窮屈な場所にあった。看板に英語がないので不安になったが、フロントで英語は通じた。ただ何となくこれまでのおっとりした雰囲気はなく、とてもビジネスライクで、対応はイマイチというべきだろう。部屋は思ったよりは狭く、クーラーもうまく作動しなかった。今朝までいたスリンのホテルが懐かしい。

 

昼ご飯を食べていないので、外へ出た。ホテルには裏口があり、駐車場からも出られた。むしろこちらを表玄関にすればよいのに、と思ってしまうのだが、何か事情があるのだろう、きっと。道沿いに麺屋があり、言葉は通じないが愛想のよい女性が麺を作ってくれた。最近お昼は麺が定着した。移動後も疲れが出るのだろう。

 

そのまま散策に出た。すぐ近くに中心部があり、その広場には古い門が見え、女性の像があった。その像に向かって実に多くの人がお参りしているのがちょっと不思議だった。この街を昔救った女性だというが、仏様でもない人が、ここまで崇められるのは珍しいように思う。

 

それからコラート博物館を探したが、なかなか見つからない。文字が読めないと、スマホ地図でもよく分からないことがあり、またそこに着いても、表示が読めずに立ち往生する。まさに入り口で『ミュージーアム』と言って見ると、何とか分かってもらえ、奥を指される。そこには小さな博物館、いや展示館があった。50バーツ取られたが、これまでに見慣れた仏像があるだけで、ほぼ見るべきものはない。

 

博物館の横にはお寺があり、こちらは立派。お堂を見て外に出ると、その周囲にはプレートが嵌っており、よく見ると故人の写真の横には漢字が書かれているものが多かった。これは華人のものだと分かり、街中でもひときわ漢字の看板が目立っていたことを思い出す。ここはバンコックとイーサン、ラオスを結ぶ交通の要所であり、往時は物流が盛んで華人が活躍したのだろうと思うが、今はそこまでの繁栄はないように感じる。

 

帰りにホテルの目の前のスーパーに寄ると、意外と品ぞろえが豊富で、欲しいものが手に入る。夕方はゆっくり飲み物を飲んで、部屋でくつろぐ。ホテルの方へは一応明日の延泊を申し入れたが、その対応もイマイチで、もう次はないな、と思った。気に入ったホテルを探すべきだったが、ちょっと疲れてしまい、気力がなかったのが敗因だ。それと1泊900バーツは高くない、というのが心のどこかにあったようだ。

 

夜は何とショッピングモールへ行き、ケンタッキーで夕飯を食べた。こんなことはあまり例がないのだが、139バーツのセットというのが食べてみたくて入ってしまった。先日マクドナルドに入って食べたら、かなり料金が高くなっていて驚いたことがあったので、ケンタはどうかと偵察した。結果このセットはかなりお得であることが分かり、マックが高級路線を考え、ケンタは中級路線を行こうとしているのではないかと思えた。こんな比較もたまには面白い。

 

8月18日(土)
ピーマイ

翌朝はホテルで朝食を食べたが、何とここの朝食場所はロビー。フロントのすぐ横に料理が並び、そしてテーブルが沢山置かれている。正直こんな朝食は初めてかもしれない。大人数のせいもあるが、料理は何となく冷めている。これは団体旅行客の扱いではなかろうか。今日は土曜日で食べている客も家族連れなどが多い。

 

新バスターミナルがどこにあるのか、歩いて行ってみることにした。途中まで行くとよさそうなホテルがあったので、明日の空きを確認し、ここに移る算段をする。正直これまでの旅で最高の宿代なので、ちょっと躊躇したが、まあここからバンコックに帰るのだ、という声が聞こえ、決断する。

タイ中部横断の旅2018(11)何もないスリンの街で

8月15日(水)
スリンのホテルで

翌日は移動日。今回は駅の近くに泊まっていたので、また電車を使いスリンまで移動した。もう電車の乗り方にも慣れたので、難なく移動できた。約2時間の三等車の旅、途中でお婆さんが大きな荷物を持って一人で乗り込んでくる。車掌を中心に周囲の乗客がサポートしている姿が微笑ましい。日本なら、『なんでこんな老人を一人で乗せるんだ』などというクレームが聞こえてきそうだが、タイでは個々の事情を問うのではなく、目の前の困っている人を助けるのがよい。

 

スリン駅を降りて、駅近くのホテルを探した。一応昔のいいホテル風の建物があったので、入ってみると、ロビーも広い。フロントで聞いてみると、何と490バーツ、朝食付きだというので、早々にチェックインした。ところがこの部屋、あまりきれいとは言えない。メンテナンスされていないことがよくわかり、さすがの私でもどうだろうか、と思ってしまう。

 

取り敢えず昼飯を食うので外へ出た。すぐ近くにバスターミナルがあるのも分り、その近くによさそうなホテルが見えていた。まずは麺を食べたが、この麺は本当に美味かった。スープも少しとろみがあり、絶品。これで40バーツは幸せだ。これで勢いをつけて宿に戻ったが、何とWi-Fiも繋がらない。聞けば、Wi-Fiの機械から一番遠い部屋だからだという。

 

ロビーは繋がるというのだが、話が違うので、ここを出ていくことにして交渉を開始。まずは英語のできるスタッフを探し、話をするもの決定権がない。最後はマネージャーが出てきて、二つ返事で料金を返金してくれた。どうしてこんなに落ちぶれてしまったんだろう、このホテル。それでもこんなホテルが生きていけるのは、スリンで有名な象祭りの時に破格の料金が取れるからだというが本当だろうか。

 

宿を脱出して、荷物を引いてまたバスターミナルを目指す。その横にあるこぎれいなホテルできいてみると1泊1200バーツだというが、応対もよくここに泊まることにした。部屋は風通しが良く、実に快適だった。Wi-Fiも繋がり、先ほどとは大違いだった。まあ料金が2倍以上なのだから当然だろうか。

 

ホテルの入り口にレンタサイクルが置かれていた。何と日本の中古自転車だった。しかも『下高井戸』などと貼られていると乗りたくなる。1日50バーツだというので早々に乗って、スリンの街を散策する。まずは近くのお寺へ。何となく立派で格式があると思ったら、皇室に関係があるらしい。ブラパラマと英語で書かれていた。これが寺の名前だろう。

 

池沿いを漕いでいくと、ロータリーに像がある。その近くには象の像がある。ここはスリンだ、象の街だというアピールだろうか。更に線路を渡り反対側にも行ってみるが、特にこれと言って見るべきものはなかった。かなりの暑さを覚え、予定より早く自転車を返して部屋で休む。

 

いつの間にか寝落ちていた。気が付くと外は雨が降っている。スコールのように強い。腹は減ったが、ここは我慢。夜7時すぎにようやく雨が止む。今晩は道路も濡れているので、バスターミナル内で食事を済ませようと探すが、なかなかいい感じの店がない。最後に行き着いたのは、チャーハン。これが一番無難だ。しかもおばさんの手つきがよく、味も予想より良かった。これで満足して寝られる。

 

8月16日(木)
またロットゥに乗り

翌朝は気持ちよい朝だった。食事は別棟のレストラン。ここには白人の客もあり、ビュッフェもまずまずだった。気にいったのでここにもう1泊することにして、今日は旅の中の休養日にすることにした。朝方は涼しいので、ちょっと散歩に出た。昨日の寺でお祈りだけして帰るつもりだったが、やはりどうしても何かしたくなってしまい、結局バスターミナルからロットゥに乗る。

 

また1つ、遺跡を探す旅。今回はまたシーサケット方面に戻るようだ。運転手には行先を伝えてあったが、結局降ろされたのは、ある電車の駅。そこからどう行くのか、その辺の人や駅の人に聞いて何とか方向を定め、歩き出す。そんなに遠くないとの話だったが、どう見ても近くはない。日差しが照り付け、大変なことになってしまった。

 

小学校を通り過ぎたので、遺跡の名前を言って聞いてみたが、通じない。仕方なく、ガイドブックの写真を見せると、皆が一斉に『あっちだー』と指をさす。礼を言って歩き出したが、彼らも外国人は珍しいらしく、付いてきて、更に教えて呉れようとする子もいた。こんな交流は楽しい。だがその先を行っても分らず、また聞いて、ついに辿り着いた時は、疲れ果ててへたり込む。

 

そこはちゃんとした遺跡だった。外国人は100バーツ支払って中に入る。プラサット・シコラプム、というようだ。これまでの現代寺院との組み合わせはなく、池に囲まれた完全な遺跡、如何にもアンコールワットの一部にいるような雰囲気があった。そして木陰で休むと気持ちがよい。一応別れた隣に寺院はある。そこの裏にお墓が多くあったのが目を惹いた。

 

帰りも黙々と歩いたが道が分かっているのでかなり楽だった。腹は減ったが、まずはロットゥに乗らなければならない。駅前で待っていたが、やって来たのはシーサケット行き。どれがどこへ行くのか分からないので面倒だ。ようやく見つけて戻る。また午後はお休みして、夜は麺を食べて寝る。

タイ中部横断の旅2018(10)シーサケットで冒険

8月14日(火)
シーサケット縦横無尽

翌朝はホテルの朝食を食べる。ロビーはとても立派なこのホテルだが、泊り客はそれほどいないことが何となく分かる。シーサケットの街には特に見るべきところもないようだ。だがなぜかこのホテルに2泊することにしたので、今日も1日、時間がある。それなら昨日の電車に続き、今日はロットゥで郊外のお寺に行ってみることにしよう。基本的に言葉が出来ないため、分かっている区間以外は、ロットゥには乗らない私だが、偶にはちょっと冒険してみようという気になる。

 

まずはバスターミナルまで歩いていく。15分ぐらいかかる。そこで行先の寺の名前を連呼してみると、誰かが反応し、ロットゥを指さす。事前に調べた番号とも一致したのだが、その終点は何と、ウトムボン・ピサイ。昨日電車で行った駅の名前だ。そうか、その途中に寺があるのか。

 

ロットゥはほぼ客がいないのに出発した。そして駅の横まで来て停まる。そうか分かっていれば、ここで待てばよかったのか。それから線路を渡ったところでも客を拾う。それである程度の人数になり、急激に郊外の道路を飛ばしていく。20分ぐらい行くと、運転手が、ここで降りろ、と指さす。その先には寺が見えた。

 

プラサット・カンペーンノイ。ここも昨日と同様、クメール時代の遺跡が保存されており、寺と一体になっている。これがこの地域の一つの保存形態なのかもしれない。昨日の寺程規模は大きくなく、返って見学しやすい。横に大きな池があり、小さな橋を渡っていくとお堂に辿り着く。ここで風に吹かれながら、仏像を拝んでいるのは何とも心地よい。

 

帰りは来た時と逆向きのロットゥを捕まえる必要があるが、一応それを待つベンチがある。ただ誰もいないのでちょっと心配になる。車はどんどんスピードを上げて走り去る。もしロットゥが来ても、文字は読めないため(英語が書いてあっても動体視力の衰えで)、とにかく来たら停めるしかないのだ。

 

10分後にやってきたロットゥは凄いスピードで飛ばしており、大きく手を振って何とか私を見つけてもらい、かなりのオーバランをしたが、停まってくれた。やはりこんなところで乗る人は殆どいなのだろう。料金も分っており、駅前で停まったところをすかさず降りた。バスターミナルまで行く必要はもうない。

 

宿に帰ってもすることがないので、駅舎に向かう。ここは線路を通行人が自由に渡っており、それに習う。もう電車もバスも乗ったので次はどうする、と考えていると、ガイドブックにあったちょっと変な中国系の寺を思い出した。そこで、駅前にいたバイタクに声を掛けて聞いてみたところ、往復200バーツだというので、すぐに断り、歩き出した。するとバイクが後ろから追いかけてきて、150バーツで行ってくれることになる。

 

その寺まではやはり8㎞ぐらいあった。最初はさっき通った道を進み、途中で別れて、ちょっと複雑な道を進んだ。少し雨の気配がある。濡れるのは嫌だ、どこにあるのかな、とキョロキョロしていると、前に巨大な寺が見えてきた。まるでテーマパークだ。いかにも現代中国ではないか。こんな所にまで中国が入ってきているのだろうか。ワット・プラタット・ルアンローンという名前らしい。

 

まあとにかく1つ1つの建物が大きく、広い。ちょっと見て回るだけでも大変だ。一番大きな建物は4階ぐらいまで登れるようになっており、上まで行くと周囲が一望できる。そしてここの広さ、大きさが更に実感できる。観光客はそこそこいて、やはり普通の寺ではない。更には横に建設中のものがあり、まあ今風に言うインスタ映えを狙ったようなものが続いており、写真好きのタイ人が喜んでいた。

 

1時間以上見学して、待っていてもらったバイクで街に戻る。意外と疲れてしまい、部屋に戻って昼寝する。タイでは日中は休んで朝晩活動するのがよい。今日は晴れてはいなかったが、それでも体力は確実に奪われる。夕方になり、腹が減ると、ノコノコ起きだして、飯を探す。

 

タイで基本的に食事に困ることはないが、さすがに何日もいると、飽きては来る。少し変わったものを食べようかと考えていると、ムーカタの店に出くわした。文字は読めないが数字は99、と書いてあるので、99バーツ食べ放題らしい。見ると学生や女性が食べている。一人で食べている人もいるので、思い切って、一人焼肉ならぬ、一人ムーカタをしてみた。

 

店のシステムはよく分からなかったが、店主は英語が出来たので、教えてもらい、沢山肉や海鮮を取り、どんどん焼いていく。相手がいない一人だと、すごいスピードで焼いて、すごいスピードで食べていくことになる。ムーカタは以前、ラオスの鍋として取り上げたことがあったが、イーサン料理なのだろう。会計してみると、160バーツだった。何と水代が60バーツ、これは一人で来ると割負けする要因だな。

タイ中部横断の旅2018(9)シーサケットで電車に乗る

フラフラ歩いて宿に戻ろうとすると、ちょっとおしゃれなホテルが目に入った。ここがこの街で一番高そうなので入っていき、フロントで『カオ・プラ・ウィハーンへ行きたい』と言ってみた。英語は出来たが、やはりあまり行く人はいないようで、タクシー会社に電話してくれ、『往復1800バーツ』という回答を得た。しかしこのホテル、ちょっと泊まってみたいかもという思いが募る。明日ここに鞍替えしよう!宿に戻ってネットで調べると、どうもこの世界遺産にはタイ側から入ることは出来ないようなので、今回は諦め、次回カンボジア側から挑戦することにした。

 

夜は食べ過ぎなので、外出はせずに、テスコで買ってきた懐かしいバヤリースオレンジを飲み(なぜ沖縄で生産終了となったドリンクがタイで売っているのか?)、その辺で買ってきたパイナップルで済ませる。夜になるとWi-Fiが弱いこの宿、動画を見ることは出来なくなっていた。ちょうどよいとばかり、旅日記など書き始めるが、疲れに負けて眠りに着く。

 

8月13日(月)
ついに電車に乗る

朝、太陽はなく、涼しい。珍しく朝食が付いていない宿なので、持っているクッキーなどを食べて過ごす。10時前に宿をチェックアウトして、昨日のおしゃれなホテルへ荷物を移動した。『チェックインは午後2時からです』と言われ、ちょっと日本的な嫌なものを感じたが、ちょうど出掛けるので、荷物を預けた。

 

今日はどうしても列車の旅をしたいと思ったが、まずは練習とばかり、近くのウトムボン・ピサイ駅まで乗ってみることにした。何しろタイで鉄道に乗るのは3年ぶり、一人で乗るは5年ぶりになるだろうか。タイの鉄道と言えば、時間通り走らないと思い込んでいるが、さて、どうなることだろうか。

 

まずはチケットを買う。行ってみると30分前だというのにかなりの列が出来ている。後ろにはなぜか中国人女子2人も並んでいる。切符は自動的に三等車、座席番号があるから席は決まっているらしい。25バーツ。ホームにはかなりの人が待っている。10分前には鐘が鳴り、その後アナウンスもあり、何と定刻前に列車が入って来るではないか。だが指定された車両がどこに来るかは分からない。警察と書かれた服を着た人に聞くと親切に教えてくれた。

 

乗り込むと4人掛けのシートで意外と清潔。まあまだウボンから30分走っただけだからだろうか。この列車はこれから10時間かけてバンコックへ向かう。なぜか丸刈りの若者が制服のような服を着て、ネクタイ締めてアタッシュケース持っているのが気にかかる。あれは何だろうか。お坊さん?セースルマン?

 

列車は田園風景を走る。次の駅で降りればよいと思っていたが、何とその前の駅で止まり、対向車とすれ違った。これにより私の列車旅は22分から25分に増えたようだ。何しろ文字が読めず、アナウンスが分からないのだから、時刻表に頼るしか下りる方法はないと思ってちょっと緊張したが、その次の駅、ウトムボン・ピサイ駅にはちゃんと英語表記もあったよ。

 

この駅も小さい。駅前は閑散としている。私はすぐに進路を線路沿いに取り、歩いていく。荷物がないし、涼しいので軽やかだ。10分ほど行くと、右手に大きな大仏が見えてきた。大仏があるとは書かれていなかったがあれだろうと近づいていき、中に入ったが、道はぬかるんでおり、大仏殿も建設中と言う感じだった。ここはどこなんだろうか。

 

更に先を見るとすぐにお寺のようなものが見えた。後で行ってみると、それは焼き場だったのだが、何とも美しく感じられた。中に入ると、普通のお寺が目の前に見ているだけだったが、その後ろに回ると、何とクメール時代初期の遺跡が保存されていた。ここが今日の目的地、サ・カムペーン・ヤイ遺跡だった。

 

20世紀に建てられた寺と11世紀の遺跡が一緒にある、こんな場所初めて見た。古い遺跡の方はかなり整備したと見え、整っている。神殿と図書館らしきものが見えるのは、やはり何となくアンコールワットの遺跡群を思い出す。建物にわずかに残る彫刻もまたそれを想起させるに十分だった。本堂に入ろうとすると犬に吠えられる。

 

またとぼとぼと駅へ引き返す。次にシーサケット行きは午後1時なので、まだ時間はある。駅前にはちょっと歴史を感じさせる木造の建物で麺屋があったので、そこへ入ってみる。やはり華人が経営している。いい場所は基本的に華人が占めているのは、どこも同じだ。さっき線路沿いに華人学校も見えたので、こんな小さな場所でもそれなりに華人は住んでいる。遠く海を渡り、陸を歩いてここまで辿り着き、生活基盤を築く。すごいパワーだ。

 

今度の電車は何だか2等車、料金も倍になっている。席も勿論三等よりは良い。我々は時間で列車を選ぶので、クラスを選ぶことは出来ないようだ。何となく不思議な仕組みだ。また20分ぐらい乗ると、シーサケットに戻って来た。新しい宿まで歩いて数分、軽く雨が降る。

 

今度のホテルは確かにきれいでよかったが、前日の500バーツに比べて、1200バーツが釣り合うのかは正直よく分からない。エレベーターもあるし、見た目はとても良いのだが、所々ボロが出ており、すごく快適とは言い難い。恐らくは昔のホテルを買い取ってリノベーションしたのだろうが、相変わらず壁は薄い。これが地方都市の限界だろうか。夜線路近くの市場で麺を食べ、焼き鳥をつまんで済ませた。

タイ中部横断の旅2018(8)突然のシーサケット

8月12日(日)
バスは満員で

今日もいいお天気だ。この宿は壁が薄いのか、廊下から声が聞こえてくる。昨晩も外で若者が遅くまで騒いでいた。朝食の場所へ行くと、無料の物は、カオトームとトースト、そしてインスタントコーヒーだけだった。しかもトーストに付けるものはないもない。50バーツ払えば卵やハムが食べられるらしいが、特に必要ないのでさっさと済ませる。

 

昨日のバスターミナルの様子からして、今日の日曜日、特に午前中は何となく混みそうだとの予感はあったが、もうここにいてもやることもないので10時前にタクシーを呼んでもらう。フロントは80-バーツと言っていたが、やはり100バーツ取られた。3時間ロットゥに乗っても100-120バーツしか取られないのに、なぜ僅か3㎞、5分で行けるタクシーに同じ料金を払わなければならないのか。いつも思うことだが、考えてもよいことはないので止めよう。

 

バスターミナルで『ウボンラチャタニ―』と言ってみる。チケット売り場を教えてくれたので、そこへ行くと何と3時間後しかないという。1時間に一本あるバスは全て満員だそうだ。そこを何とか、というと、バンコックやチェンマイから来る大型バスに空きがないか聞いて見ろ、とそちらを指さす。行ってみたが、全く取り合ってもらえず、また元に戻る。

 

そこで考えを変え、『シーサケット』と言ってみる。すると1時間半後だという。これでも辛いが半分になったので、えーいとチケットを買った。105バーツ。それからちょっとウロウロして、言われていた乗車場所へ行ってみると、既にバスは来ていた。まだ45分も前だぞ。いや、ここが始発だからまだエアコンも入っていない。席だけ確保して外で待つ。30分前にエンジンがかかり、車内に移動。定刻5分すぎてようやく出発してくれた。

 

乗客はほぼ満員ながら、途中でチラホラ降りていく。かなり水かさがある河、きれいに揃った水田、などを眺めているうちに寝込む。1時間半経って、ヤソートーンという街に入る。ここで降りたい衝動にかられたが、ここのバスターミナルも郊外の街道沿いにあり、街を探すのが大変だ、と諦めてそのまま乗っていた。トイレに降りればよかったのだが、横のおじさんが寝込んでいたので、そのまま座っていた。

 

その後バスはウボンへの道から分かれ、いくつか小さな町を通り抜け、街道沿いで人を下ろし、進んでいく。ローイエットで乗車してから3時間ちょっと過ぎた頃、ようやくシーサケットの街が見えてくる。バスが線路を越えたので、思わず電車に乗りたい、という思いが出てくる。だがバスは駅では停まらず、南にかなり離れたバスターミナルへ。その間の道には商店などがかなり見える。

 

6.シーサケット
宿と世界遺産探し

バスを降りたが、周囲にホテルなどは見付からない。ここに宿を取れば、かなり便利だと思ったのだが、本当に簡易な宿しかないことが分かり、今回もまた検索して、新しめのホテルへ向かう。バイタク40バーツ、ローイエットなどと比べれば良心的な料金だ。駅の方へ向けて走り、また線路を越えた市場の近くにその宿はあった。

 

ブティックホテルという名前が如何にもと言う感じで、ロビーは少女趣味?若者が好みそうなところだ。部屋は広くて明るいが、ネットは弱い。朝食も付いていない。2階の部屋は600バーツ、3階は500バーツで、部屋のタイプは同じだそうだ。エレベーターがないので、100バーツ違うというのが、何ともタイらしい。迷わず安い3階を選択する。

フロントの女性は簡単な英語で色々と教えてはくれたが、急にカンボジア国境の世界遺産へ行きたくなり、なかなか話がかみ合わなくなる。仕方なく、ツーリストインフォメーションを探して街へ出た。ところがすぐに雨に降られ、市場に逃げ込む。昼飯を食っていなかったが、既に3時半を回り、誰も営業していない。雨はなぜか5分で上がる。まさに通り雨。

 

駅へ行くとちょうど列車が入って来た。やはり乗りたくなり、隣の駅まで行く時刻を聞いてみると、ちゃんと英語で答えてくれ、更には英語が書かれた時刻表までくれた。よし、明日は乗ろう。それにしてもこの駅も小さいし、駅前にはほぼ何もない。そこから歩き出すとどうしても腹が減り、麺屋を探すがない。

 

仕方なく一軒の食堂に飛び込むと、『外人が来た』とちょっと向こうがパニックになる。しかし英語のメニューがあるではないか。豚肉炒飯を注文。意外とイケる味だ!その先にツーリストインフォがあるはずだったが、見当たらない。それより、多くの女性が同じ制服?を着てその先の広場に集まっている。一体何のイベントがあるのだろうか。警備員のおじさんに聞いてみるも、言葉が通じず追い返される。イベントは母の日だったようで、午後6時のタイ語のテレビは全てこのイベントになってしまった。

タイ中部横断の旅2018(7)小さな街 ローイエットで

8月11日(土)
ローイエットへ

翌日は移動日。コーンケンからどこへ行こうかと、ホテルロビーの大きな地図を眺めていると、ラオス国境の方に近づいていくのがおもしろそうだと思い、昔ウンドンタニには行ったので、今回はウボンを目指すことにした。まあ、急ぐ旅でもないので、その中間に位置するローイエットという街にも寄ることにする。

 

フロントに『ローイエットにはどうやって行くのが良いか』と聞いたが、そこにいた3人は首を傾げている。仕方なく一人を地図のところまで引っ張っていき指さすと、あー、と言いながら、あなたの発音では通じない、というのだ。どこが悪いのか、どうしても聞き取れなかったが、とにかく発音できないとバスチケットも買えないので、懸命に練習する羽目となる。

 

結局バスターミナルへ行くしかないと分かり、タクシーを呼んでもらったが、この運ちゃんがイマイチ。ホテルから出た瞬間、呼び出し料金を要求したり、メーターではいかないと言い出したり。面倒なので降りてしまった。そして道端でタクシーやトゥクトゥクを探すも全然通らない。仕方なく旧バスターミナルまで歩いていくと、そこに寝ているトゥクトゥクおじさんがいたので声を掛けた。かなりのお爺さんが行くと言い出し、120バーツと良心的な料金を提示してくれる。このお爺さん、1日に1回か2回仕事して、後は寝ているのだろうか。

 

バスターミナルに着き、練習を重ねた地名を吐き出すと、すぐにロットゥが指さされ、乗り込むとすぐに出発となった。幸先がよい。だが、走っていく方角がどう見てもラオス国境方面ではなく、コラートの方なのだ。このルートで行けるのだろうか、いや自分では正しい発音をしたつもりだが、やはり通じなくて、間違った車に乗ってしまったのだろうか。

 

ロットゥは途中から何度も停車し、その度に人が乗り降りした。かなりのローカルロットゥだった。その内に何となく方向性も合ってきて、どうやらローイエットに向かっていることが分かり一安心。結局近いと思っていたのに、3時間もかかってバスターミナルに滑り込む。

 

5.ローイエット
ローイエット散策

バスターミナルは街から少しだけ離れているようだ。まずは適当な宿があるかどうか探したが、良さそうな宿が予約できない。取り敢えず適当に一つ探して、そこまで連れて行ってもらおうと思い、バイタクおじさんに聞くと、60バーツだという。それは高いだろうと言っていると、横からお兄さんが、俺のクマに乗れ、と片言の英語で言うので乗ってみた。

 

確かにクーラーもあり、快適だったが、何とかその宿を見つけると100バーツを要求されてげんなり。3時間乗ったロットゥが120バーツで、僅か3㎞走っただけでどうして100バーツ。この世界から何とか脱却したい。それでもこの宿、何と英語の看板がなく、一人ではとても来られないローカルさ。1泊500バーツだが清潔なので泊る。

 

宿から歩くと川沿いに大きなホテルが見えた。先ほど予約できなかったホテルだが、よく見ると既に廃業していた。この街には必要のないものだったのだろうか。腹が減ったので、その辺で食事を探す。ガバオライスが目に入ったので注文する。ここはインド系らしい。ちょっと辛めの味付けだが、イケル。

 

この街は湖を中心に出ているようだ。風景もなかなか良い。気が付けば今日は土曜日、大勢の家族連れが付近を楽しそうに散策している。湖を半周して向こう側へ行き、更に歩くと、立派な大仏を擁するお寺があったので、そこを参拝する。寺の中にはかなり古い建物も存在し、この街もかなりの歴史があることが分かる。物売りのおばあさんが流ちょうな英語で話しかけてきてビックリした。

 

今度は湖の北側を歩き宿に戻る。途中の繁華街はやはり漢字の看板が多い。そしてその外れには、これまたかなり大きな仏像が建てられており、思わず見上げる。ここには外国人などの姿も見られ、ちょっとした観光地になっている。それにしても誰がこんな仏像を建立したのだろうか。

 

実は問題が一つ発生していた。そろそろ着替えも尽きており、洗濯が必要になっているのだが、安い洗濯屋には出会っていなかった。宿の近くに洗濯工場?らしいところがあり、大量の洗濯物が干されていたので、そこを覗いていると、おばさんが英語で話しかけてきた。そして今日中に50バーツで洗濯して乾かしてあげる、というではないか。もう時刻は午後3時を過ぎていたが、急いで宿から洗濯物を持ってきて預けた。3時間後に取りに行くと、一応乾いている服が畳まれていて驚く。こんな料金でなぜできたのだろうか。

 

夜になってもう一度外へ出て、夕飯を探す。市場に辿り着くと、色々な食べ物を売っていて楽しい。卵焼きのようなものを買って帰る。田舎町はそこで食べるというより、買って帰るのが、基本だ。この小さな街の人々、外国人が多いとは思えないが、なぜかかなりフレンドリーで有り難い。