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メーソット旅2023(3)メーソット散策

次に向かったのは服のアウトレットショップ。子供たちはすぐに大きくなる。常に服を買う必要があり、安くて品質の良い服を売っているのでよく来るらしい。ここは縫製工場が直販している。見ると日曜日でも出勤した工員たちが働いている。大多数はミャンマー人で、宿舎に住み込みだという。タイもこのような労働者に支えられて、工場が成り立っている。汗水たらして働く人々、その横のクーラーの効いたカフェで美味しい飲み物を飲んでいるとちょっと複雑な気分になる。

それから車の修理場へ行く。車の修理点検もタイ側で行うという。ここの従業員もミャンマー人で会話はビルマ語だった。修理を待つ場所で、またドリンクを飲みながらゆっくりする。ガソリンはミャワディ側の方が安いとか、タイ側には新しい道路が出来たとか、そんな話を聞く。

午後2時頃になり、さすがにお腹が空いたので、やはり火鍋に行く。火鍋は昔からススが大好きであり、当然子供たちも大好きなようだ。もう食べ過ぎだと思っていても、何となく入ってしまうのが火鍋の特徴かもしれない。たらふく食べる。最後にマクロへ行く。ここでミャワディ側では手に入らない、または高い食材を大量に買い込み、車に積んで帰るのだ。そんなミャンマー人で店内は大混雑だった。

ここでタイムアップ。私のバスは夜8時半発だが、彼らの国境ゲートが先に閉まるので、その前に帰路に就く。今回も短い時間だったが、実に楽しく過ごした。疑似じいさんも堪能できてよかった。ホテルまで送ってもらい、そこで涙の別れとなる。彼らが去ると、ホテルに荷物を預け、付近の散策に出た。

この辺は旧市街地の趣があり、木造のものや洋風のものなど、建物が面白い。国境、交通の要衝だったこともあり、当然華人も多いので、廟なども見られる。ムスリムやヒンズー様式の寺も見られ、実に多彩だ。旧バスターミナルはすぐ近くだったが、今は近郊向けのみで寂れていた。私が乗るバスは空港脇の新ターミナルから出るため、そこまでテクテク歩いて行くことにした。

コロナ禍で一度閉まったホテルなどが復活してきているが、リノベーションしてオーナーも変わったようだ。中国資本の雰囲気がある。夕日が傾く中、そちらに向かって歩いて行くのは何となく楽しい。40分ぐらいかけてゆっくり歩くとあたりは暗くなる。ようやくターミナルに着いた。

バスは頻繁に来ており、何台も見送る。私のバスはバンコク行の最終。そうしないとバンコク到着が午前3時などとなり、向こうで動けなくなることを考慮したのだが、待っている時間はすごく長く感じられた。しかも予想通り大勢の人がいる。次々に様々な方面へ向かバスに乗り込む。私はタイ語も分からないため、乗り過ごさないよう注意を払っているので疲れる。

ようやく自分のバスが着て乗り込む。シートは快適で、申し分ない。最初は山道をかなり上り、バスはゆっくりと走った。途中に検問などもあるが、夜は真っ暗でよく見えない。過去に一度乗ったはずだが、全く記憶がない。寝入っていると途中でバスが停まる。専用休憩所に着いたので、降りて無料の麺を啜る。夜中にこんなものを食べて良いかなどとは考えない。無料だと手が出てしまう。

それから数時間、いつの間にかバンコク内に入り、時々人が下りていく。こんなところで降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバイタクが迎えに来ている。ついにモーチットのバスターミナルに着いたのは午前5時過ぎ。雨も降っている。街へ行くバスを見ると1台出て行くところだったので慌てて乗り込む。

BTS駅まで行くと既に明かりがついていたが、私が乗りたいMRTは6時からしか入口が開かない。仕方なくBTSに乗り、一度乗り換えてプロンポーンまで行く。ところが早過ぎて当てにしていたバイタクの姿はない。しかも雨が降っておりタクシーも捕まらない。その内小雨になったので、何と歩いて行くことにした。涼しい朝のバンコク、気持ちの良い散歩となる。最後にマックに寄り、ゆっくり朝マックを食べてから帰宅した。

メーソット旅2023(2)メーソットを眺める

メーソットで

車で今日泊まるホテルへ行く。この街ではかなり良いホテルらしい。プールが大きい。だがまだチェックインはできず、ドライブに出る。といっても行くところもないので、コロナ禍に開通したタイーミャンマー国境の橋を見に行く。最近までミャンマー国内の混乱により通行が制限されていたという立派な橋は、今は開通し、貨物を積んだトラックが列をなしている。ここは貨物専用で、人の往来は相変わらず従来の橋を使っている。

ランチに行く。街道沿いのきれいで、静かなレストランで、美味しいタイ料理を頂く。カズちゃんと会うのは3年ぶり。その時は赤ちゃんで、こちらの顔など覚えていないが、徐々に打ち解けていく。アイちゃんは常に意識しており、こちらの様子をチラチラと窺っているだけ。今日のメーソットは36度と暑い。

それから今度は第一国境へ行く。ここは以前歩いて何度か越えているので思い出深いが、日中の暑さのせいか歩いている人はほぼいない。車もあまり見られない。そして数年前と特に変化は感じられない。今回は残念ながらここを越えることはなく、メーソットで1泊してバンコクに戻る予定だ。因みに日帰りであれば、パスポートを預けて手数料を払えばミャワディ側に行けるようだ。

ホテルへ行き、チェックイン。広くてきれいで見晴らしも良い快適な部屋だ。今はこんなホテルが出来ている。午後4時ロビー集合というので行って見たが、誰もやってこない。きっと子供たちのことで遅れていると思い、少し離れたセブンまでドリンクを買いに行く。するとなんと一家はそこにいた。何で集合時間に来ないのかと聞いたら、『ミャンマー時間の4時』と言われ、唖然。そうだ、タイとミャンマーには30分の時差があることも忘れていた。スス一家は大量にお菓子などを買い込んでいる。

街の中心にあるロビンソンデパートへ行く。子供たちの目当てはここで遊ぶことだった。子供向けのゲームセンターは充実しており、多くの子供がはしゃいでいる。その中にはミャンマー側から来た人々もおり、知り合いとあいさつを交わしている。建物の外にはマーケットが出来ており、その周囲にはまた遊具がある。週末の夕方、多くの子供連れが遊んでいる。これがタイ式。

夕飯もロビンソンで火鍋かと思ったが、また別のレストランへ行く。駐車場は車で溢れている。家族連れが多い。ここでもエビやカニなどご馳走を頂く。コロナ禍のこの付近の様子などを聞いていると、カズちゃんは疲れて寝込んでいる。隣のテーブルでは子供の誕生会が開かれており、ちょっとうるさいのだが、構わずぐっすり寝ている。ホテルに戻ると私も疲れてすぐにぐっすり寝た。

3月12日(日)メーソット2日目

朝早くに目覚める。朝ご飯を待っていたが、一人で先に食べることになった。子供たちの用意もあるのだろう。どう見ても昨日食べ過ぎているので、今朝はパンとコーヒーで軽く済ませた。後で聞くと、スス一家は実にぐっすりと一晩を過ごしたらしい。何と彼らの住むミャワディはここ数か月ずっと停電で、暑い夜にクーラーも使えない状況が続いている。昨晩はホテルのクーラーを思いっきり浴びて幸せだったという。それで今回、私はメーソットへ行くというと、彼らも出てきて泊った訳だ。ミャンマーのそんな状況にちょっと暗い気持ちになる。

宿を出て、お寺へ行く。ここは以前もアイちゃんと来たことがある。何ともユニークなキャラクターが沢山置かれており、子供たちも楽しめる如何にもタイのお寺だ。カズちゃんとはすっかり打ち解けたが、アイちゃんはスマホを向けても、なかなか笑顔にならない。もうお歳頃、ということだろうか。それでも写真を撮られるのは嫌がらないので、嫌われてはいないらしい。ほんの少し英語で会話する。

メーソット旅2023(1)キャンセルされたフライト

《メーソット旅2023》  2023年3月11₋12日

バンコク滞在中に、行くべく所が1つあった。それはメーソット。1月にバンコクに来た時にすれ違ってしまったスス一家に会いたいと思っていたが、何となくミャンマーには入り辛い。そこで以前のようにメーソットまで行き、そこに来てもらい週末を過ごすというプランになった。

3月11日(土)キャンセルされたチケット

メーソットまでのフライトは一社独占だった。1日2往復。以前も乗ったことがあるので、何気なく予約をして、セブンで支払いをした。だが出発2日前になって、帰りの便だけ欠航となったと知らせが来た。このフライトをどうするのかを決めるためには、コールセンターへの電話しか手段がない。

当然電話は繋がらない。何とも面倒だ。以前ならすぐに癇癪を起していただろうが、今はそれを楽しむ感じでずっと待つ。30分ぐらいでオペレーターが出た。選択肢は3つ。①行きもキャンセルしてリファンドを受ける②帰りのフライトを変更する③帰りのキャンセルしてリファンド、行きだけ搭乗する。

普通は②を選択するのだが、何と搭乗できるフライトは5日先までないという。まさかそんなにメーソットに居るわけにはいかない。オペレーターは①の方向で話し始めたが、私は③を選択し、帰りはバスで帰ると言った。そこで問題なのがキャンセル分の払い戻し。クレジットカードで買っていれば、そこに戻すだけなのだが、セブンで支払ったため、振込先が必要になる。取り敢えず銀行口座を教えて電話を切った。

ところが翌日空港会社からメールが来ており、払い戻し口座を知らせろと聞いてきた。もう昨晩伝えたので無視していると、何と電話もかかってきて、払い戻し口座を教えろとしつこい。これは新手の詐欺かとも思い、途中で電話を切った。しかしその後払い戻される気配もない。一体どうなっているのだろうか。因みにチケット代は通常の国内線料金より高いので、残念だ。

Yさんにその話をすると、『帰りのバスを予約しないと』という。確かにフライトが欠航になればバスに乗る人もいるだろうから、現地に行ってバスチケットが無かったら大変だ。バスは夜行しかないが、これも仕方がない。予約は宿のタイ人にやってもらい、飛行機よりずっと安い料金になった。

メーソットまで

いつものようにドムアン空港には相当早く着いた。そしていつものように食堂で粥を啜ってから、荷物検査を通過したが、それでもかなり時間が余る。仕方なくボーっと離発着する飛行機を眺めていた。ところが出発時間20分前になっても、全くゲートが開く気配がない。いや、それより飛行機が来ていない。

これはおかしいと思い、掲示板に目をやると、何と私のフライトは何の知らせもなくゲート変更になっていた。慌てて移動すると、ちょうど搭乗が開始されており、間に合ってよかった。久しぶりの黄色い航空会社だが、以前ほど良いイメージはない。

フライトは完全に満員。チケット代も結構高いのに、何故か若者が沢山乗っている。しかもお世辞にも柄が良いとは言えない。隣に座ったにーちゃんはずっとゲームに興じている。手に持っているパスポートは中国だった。一体これはどういうことだろうか。中国人の若者がメーソットに何しに行くのだろうか。

フライトはあっと言う間に空港に着陸した。あの若いにーちゃんたちの姿もいつの間にか消えていた。だがススたちの到着が遅れたため、私だけがロビーに取り残された。空港はコロナ前に新しくなり、きれいで、冷房も効いているので問題はなかった。ようやく3年ぶりにアイちゃんやカズちゃんが迎えに来てくれ、ようやく感激の再会となった。

トラン、スラッタニー旅2022(4)スラッタニー散策

仕方なくGrabタクシーを呼ぶと10分ほどしてやってきた。だが街中の予約した宿までは相当に距離があり、料金も180b程度した。この街は列車で着く街ではないらしい。以前来たと言ってもタクシーの窓から見る風景にとんと覚えがない。30分近く走ってようやく川沿いの見覚えのある通りに出て、何とか宿に着いた。

目の前に現れたのはきれいなホテル。そして名前にリバービューが付く。ところがフロントで『リバービューの部屋をお願い』したところ、『我がホテルにはリバービューのお部屋は1つもございません』だと??確かにリバーから少し離れており、方角的にも見え難い位置だ。まあ部屋がきれいだったのと、清々しいまでの返答に免じて、良しとしよう。

そうこうするうち、日が暮れてしまった。私は何の目的もなくスラッタニーへ来てしまっていた。だから取り敢えず腹を満たしたい。だが宿の周辺に食堂らしきものは見られない。街の通りの方へ歩くのも億劫だ。反対に少し歩くと、チキンがぶら下がっていた店があった。ガイヤーン、何でタイ南部でとは思いながらも急に食べたくなり、その屋台に毛の生えた店に入った。大盛のご飯を貰い、大量の鶏に思いっ切り食いつく。とても満足したが、何と隣は草むらで大量の蚊に刺されて、かゆくてたまらない。店主夫妻が英語を話したのは意外だった。

10月27日(木)スラッタニー散歩

朝ご飯が無かったので、外へ出て探す。宿から直ぐのところに、小さな食堂が2₋3軒あった。ちょっと覗き込むと、何とジョークが作られていた。しかもジョークの上から団子スープのような物を掛け、半熟卵と高菜漬けも載っていた。これは思ったよりはるかに美味く、大満足。なぜか飲み物は甘いミルクティというのもタイらしい朝だった。

いい天気なので、そこから散歩に出た。すぐ近くにコーランプーパークという小島が公園になっているところを歩く。なかなか自然な雰囲気でよい場所だったが、特に見るべきものはない。歩いている内に数年前にここを散歩したことを急に思い出す。次に橋を渡ると、白いきれいなお寺が見えたので、遠方からちょっと眺める。

そのまま川沿いを歩いて行けば、華人廟などに着くだろうと歩き始めたが、なかなか見えてこない。途中には鯨のモニュメントなどがある。因みに川沿いの看板に中国領事館の注意書きがあったのは、やはりこの付近にも中国人観光客が沢山来るのだろうかと、ふと疑問に思う。最後はトイレに行きたくなり宿へ引き返した。

宿で少し休み、12時にチェックアウトして、またGrabタクシーを呼ぶ。昔は空港バスなどあったはずだが、ホテルのフロントは『バスなど知らない』というので仕方なく、Grabにした。空港は昨日の駅より更に遠く、1時間弱かかり、料金も相当かかった。何でこんなに遠いのだろうか。途中で雨も降りだす。

空港にはかなり早く着いたので、色々と眺めてみた。到着便から降りてくる乗客には欧米人も多く、リゾート島へ向かう人々の中継地がこの空港だと分かる。ここからバスとフェリーで思い思いの島へ行くらしい。出迎えの旅行業者も多く、チケットもここで買える。次回は島へでも行ってみようか。

チェックインカウンター、荷物検査ともかなり混んでおり、もうコロナの時代は終わり、観光事業が蘇ってきたことを告げていた。お気に入りのタイライオン航空に乗り、1時間ちょっとで無事にドムアン空港に戻る。空港ではきれいな夕日が出ており、気分良くバンコクの宿へ帰った。

トラン、スラッタニー旅2022(3)トラン散策2、そして鉄道旅

10月26日(水)トラン散策2

翌朝も昨日の早茶屋へ行った。店が気に入ったこともあるが、この店では点心だけでなく、 ジョークが旨いとの情報を得たからだ。食べてみると確かにめちゃくちゃ味付けが良く(米つぶし少な目)絶品だった。更にトランの名物焼き豚(豚の丸焼き)も頼めば出してくれるので、一つの店で色々と食べられ、大満足できる。特に豚肉はジューシーでうまい。点心と合わせて食うと、何となく香港を思い出してしまう。

食後はまた散歩に出る。特に目的地もなかったので、ちょっと郊外にあるシーナカリーン公園まで30分ぐらい歩いて行く。かなり広々とした公園に、市民がジョギングしたり、散歩したりしていて、とても気持ちが良い。そういえばここにも時計台があった。帰りに宿の近くの線路でバンコクからやってきた電車に遭遇した。鉄道員のおじさんが踏切で旗を振る。これから電車に乗るので何となく気分が盛り上がる。

宿に戻ると2階に立派なプールがあることを発見した。だがそこへ行ってみると、何と子供たちが潜水の練習をしているではないか。これはホテルとのタイアップ企画らしい。付き添いの大人たちが暇そうに眺めている。ホテル側も客を増やすため、色々と対策を練っている。12時にチェックアウトして駅へ歩いて行く。途中鳥かごを売る店が何軒かあった。そんなに需要があるのだろうか。

スラッタニーへ

電車の時間より1時間前に駅に着く。本来はランチを食べてから乗るつもりだったが、体調も考量(食べ過ぎ)して、食べないことにした。すると時間が余るが仕方なく、ホームで大人しく、タイ人乗客の動きを観察して過ごす。駅員に聞いたら乗るべき電車はディレー?だという。タイ国鉄、これまた仕方がない。

1時間ほどホームで待っていると、いろいろなタイ人が来る。乗車するより見送りの方が多いらしい。皆思い思いにお話ししながら待っている。まあ待つのもまた楽しいのかな。そう思っていると意外に早く列車が来てほぼ定刻出発となった。慌てて自分が乗るべき二等車両を探して乗り込む。貨物車両に荷物が沢山積まれていく。駅員がベルを鳴らして見送ってくれる。

座席はゆったりしており、エアコンはなく、扇風機が回っているだけが、窓から吹く風が気持ちよい。乗客も多くはなく、緩い時間が過ぎていき、完全に我を忘れて、いい気分になる。さっき汗で濡れたTシャツを車内で干したが、風で結構乾く。2等は座席が柔らかくてよい。3等の方そうな座席には若い軍人さんが沢山乗っていた。

今回の目的地、スラッタニーまで10以上の駅に、各駅で停まる。コロナ前はもう少しあったはずの列車本数は、今はバンコクまで1日2便しかなく、選択肢は極めて狭い。乗客にとって車掌が切符のチェックに来た以外は全くフリーだ。どこの駅も線路を跨いで乗客は自由に乗り降りしている。田舎の風景がずっと続いていたが、途中パラパラと雨が降ったり、バンコクに近づくにつれてだんだん暗くなっていく。

4時間弱でスラッタニー駅に到着し、列車の旅は終わった。さすがに乗る客は多いが、降りた者は多くはない。実は4年ほど前スラッタニーに来たことがあったが、その時なバスで到着したため、列車の駅の場所も良く分からない。駅舎はかなり小さい。駅の周辺を見てもバスなどが走って様子はなく、近所にあったタクシースタンドで聞いても、観光客向けに高い料金を言ってくるだけで乗せる気もない。

トラン、スラッタニー旅2022(2)トランを散策する

10月25日(火)トラン散策

翌朝は狙っていた近所の早茶屋へ向かう。完全な華人経営(元は旅行会社もやっていた)であり、お客も華人の顔をしているが、店員はタイ人が多く、華語を使う場面はない。点心は魚のすりみなど実にうまし。華人オーナーに話し掛けようとしたら向こうから英語が飛んできた。

食後散歩していると大きなタイ寺があり、その向かいに天福宮の文字が見えた。中に入ると管理人が出てきて、きれいな華語を話す。100年以上前に移民してきたらしいが、祖先がどこから来たのか、自らの原籍を知らないという。ここは福建系ではないのだろうか。それでも華人(年配者)はこの地でちゃんと華語を学んでいたことが分かる。今の若者は全てタイ語で話してしまうようだ。

ここから大観音が見えたので、登って行ってみる。途中道を間違えそうになったが、車に乗った華人女性が英語で道を教えてくれた。更に細い道に入ると自転車に乗った華人の老人とすれ違う。彼も普通に華語を話したので聞いてみると、姓は黄、ヤラー県生まれの潮州系で、薬屋を開くために商売に適したここに移住して数十年も経つらしい。

トランの華人勢力は広東系、福建系、潮州系の順番だと黄さんは言う。100年以上前貿易で栄えた街で、ペナン、プーケット方面から来た華人が多く住んでいる。黄さんが若い頃は華人学校で皆が華語を学んでいたが、今はバラバラになっているため、華語を話す人は確実に減っているとか。

大観音まで登る。誰が建てたのか、説明もなくよく分からない。そして特に寺があるわけでなく、人も常駐していない。ただただ街の(華人の)シンボルのように小高い丘に建っている。近所に天后廟があったので寄ってみたが、華人でなくタイ人管理人一家が廟を守っていたのは意外だった。タイ語が分からないため、その経緯などを聞くことは叶わなかった。この付近には犬が多く、吠えられるので早々に退散した。

宿まで戻ってくると隣にいい雰囲気の建物が見えた。近づくと何とホテルとして使われている。次回トランに来る機会があればここに泊まってみたい。今日の昼は昨日失敗したホッキンミーにありついた。これは濃厚なスープともちもち麺の組み合わせで確かに美味い。観光できていたタイ人若者も迷わず頼んでいた。ペナンで以前食べたのとよく似ている。50bで満足。

食後フラフラと歩いて行くと、チュワン首相生家というのがあった。チュワン・リークパイ(中国語: 呂基文)は、1938年にこの地で生まれた華人であり、タイの首相(第27・30代)にまでなった人物である。現在も政治家を続けており、ある意味でトランを象徴する人ともいえる。実は私にホッキンミーの店を教えてくれたのも、バンコクに住むチュアン一族の一人であった。

形ばかりの警護門があるが、中に入ると誰もいないので、説明を受けることもできなかった。どれが家なのか、敷地が広大でよくわからない。奥の方まで庭が続いており、小さな池もある。温室などもある。何だかトイレがとてもおしゃれだ。それから街をゆっくり歩いて宿へ帰る。途中に大きな寺などを見る。

午後はまた激しい雨が降る。スコールというべきだろうか。しかし2日続けて夕飯に行かないのも詰らないと思い、宿で傘を借りて出掛ける。マッサマンカレーも名物だと聞き、ネットで調べた店を探す。ところがその情報が正しいのかどうか、かなり歩くもなかなか見つからない。Google検索もできないので諦めかけたその時、奇跡的に目の前に現れる。ちょうど雨も上がった。

ここはイスラム教徒の経営だった。マッサマンと言うと何とか通じる。取り敢えずチキンを注文。美味しそうなカレーにきゅうりが付け合わせで付いてくる。ここではきゅうりを一緒に食べないのは反則らしい。調理場を覗くとチキンだけでなく、魚や煮卵など美味しそうなものが並んでいたので、思わず皆注文して合わせて食べる。

ちょっとスパイシーだが実に美味しく、日本人に合うお味だ。応対してくれたのは高校生ぐらいの女の子。英語ができるので、少しお話したところ、日本人がこの店に来るのは珍しいらしく、とても喜んでくれた。最後に支払いをしたら、お釣りが無いと言って、隣の店に走っていく姿が何とも愛らしい。

トラン、スラッタニー旅2022(1)トランへ行く

《トラン、スラッタニー旅2022》  2022年10月24₋27日

先日タイ深南部を旅して、南タイの面白さに惹かれた。Yさんから『トランはいいよ』と言われて行く気になった。トランは4年ほど前に行こうとして、発音が通じず、全く別の街に連れていかれた苦い経験があったが、今回はそれを克服しようと勇んで出掛ける。

トランはタイ南部、プーケット島の南東約140㎞、アンダマン海に面した南北約120キロメートルにわたる長大な海岸線を持ち、近年は近隣のプーケットやクラビに続いて欧米などからの個人旅行者も訪れている。また20世紀初頭までは国際交易の拠点で、マレー語で「夜明け」を意味するその地名のとおり、連日外国からの船が暁の港を発着していた。街中には当時の繁栄を物語る古びた建物、中華系住民がいまも大切に守り伝える信仰や暮らしがある。

10月24日(月)トランへ

何だかタイ国内旅が面白くなってきた。ちょうど半月前にドムアン空港からノックエアでベートンへ向かったが、今日もまたトランへ向かう。搭乗ゲートまで行くと、一つ前のプーケット行きに乗り遅れたインド人女性が激怒して係員に怒鳴っているが、飛行機は既にゲートを離れている。どんな事情かは分からないが、飛行機に乗れないのは悲しい。

私が乗るフライトはとても順調。トランも華人が多い街と聞いていたので、ベートンのように乗客も華人が多いのかと思っていたが、そうでもなかった。1時間半でトラン空港に無事到着する。空港はとても小さく、周囲には何もない。殆どの人に迎えが来ていたが、街まで行くミニバン送迎があったので、それに乗り込む。90b。私以外に乗ったのは地元住民2人のみ。先に彼らの家に行き、そこから街に向かった。

ミニバンは20分で駅前に到着。駅周辺で泊まる所を探したが、どこも部屋に電気ポットの備えがなく、歩いて10分ほど行った街のどこからでも目に付く大型ホテルへ向かった。朝食なしなら1000b。部屋は広く、静かで快適、おまけに景観も良い。大型ホテルは団体客が騒がしいかと危惧したが、フロントで聞くと今日はお客が僅か10室のみ。騒がしい心配はないが、ホテル自体が心配になる。

このホテルの近くにホッキンミーが旨い店があると聞いていた。その店まで歩いたつもりだったが、何と間違えてとなりの店へ入ってしまうというミスを犯した。腹が減っていたので普通のクイッティアオを食べたが、スープが美味い。店員は華人の顔をしているがタイ語しか話さない。お客の家族連れも華人の顔をしていたが、タイ語しか聞こえてこない。

食後街を歩いてみると、中国的建物があり、『董里』がトランの漢字名だと知る。ここにも洋風な時計台が駅前から伸びた道の十字路に建っている。きれいな庭園も見られる。駅からの道には古びているがおしゃれな洋風建築もあり、この街が昔はかなり栄えていたことを示している。

駅近くを歩いていると何とも美味しそうな匂いがしてくる。店の前で焼きそばが作られており、思わず入ってしまった。これはもちもち卵麺にいい感じのソースが絡まっており、何とも旨い。50b。潮州系の麺ということだろうか。メニューには英語はあったが、華語はなく、よく分からない。

更に歩いて行くと、古い建物が多く見られた。広東、潮州公所など華人会館も存在している。駅の向こう側には包公宮もあった。古びた市場もかなり大きい。宿のすぐ近くには、1915年創建、今は歴史的建造物となっているトラン教会がかなりいい感じで佇んでおり、観光客が写真を撮っていた。

宿へ戻ると既に日は西に傾いていた。そして部屋で休んでいると、突然大雨が降り出し、その雨は夜まで止まなかった。仕方なく外へ出るのを諦め、持ち合わせの物を食べて、そのまま部屋でゆっくり過ごす。本当に静かなホテル、静かな雨の夜だった。

タイ最南部からマレーシア2022(7)ナラティワート おじさんとビーチへ

10月14日(金)おじさんとビーチへ

朝飯がないのでふらふら散歩していたら、華人の店でジョークが出ていた。焼売も頼んでみると、こりゃ何とも美味い。華人オーナーは華語も話したので、何となく楽しい。中国茶をゆっくりと飲んで、70b。これならもうホテルの朝食など今後は不要だな、と思う朝。

店を出てまたフラフラしていると、何と昨日の(英語で話し掛けてきた)おじさんと遭遇する。どう見ても悪い人では無さそうだったので、案内してくれると言われるがままバイクの後ろに乗る。まずは近くのボートレース公園へ。ここは広々としており、年1回は前国王も訪れていたらしい。

更にマナオビーチへ。バイクで15分(歩いたら結構ある)。非常にきれいなビーチだが、人はほぼいない。おじさんがお茶とお菓子を買ってくれるというピクニック気分の展開。公園を掃除している人に挨拶。その先には何故かアメリカ人女性が一人で海を見つめていた。聞けば親族がここで英語教師をしているらしい。更にはヨーロッパ人男性もいた。タイ人女性と結婚しているとか。ある意味で秘境であるこの地に憧れる外国人もいるということだ。

海を見ながら、おじさんとイスラムについて話す。この地域はタイ南部のイスラム地域で、日本では危険視(渡航中止勧告地域)されているが、決してそんなことはないという。更には日本と日本人が大好きで、いつか日本へも行きたいともいう。甥は既に2回日本へ行った。日本人に是非ナラティワートを知ってもらい、来てもらいたいといい、写真を撮りまくり、LINEで知り合いに送り続けている。このおじさん、誰とでも気さくに話すのは素晴らしく、タイ国内から来た人々とも記念写真を撮っている。

帰りも軽快に走っていたバイクが突然パンクした。これは困った、どうするのかと見ていると、まずは人家のある所へ行き、人を選んで助けを求める。電話してもらうと修理屋がすぐに来てくれるのはすごい。今日は金曜日でお休みだったが、特別に修理してくれた。150b。こういうコミュニティーは素晴らしい。ホテルまで送ってもらうと、おじさんはホテルのボーイとも知り合いで、私のことを頼んでくれた。何とも有難い出会いだった。

宿で12時まで休み、チェックアウトしてランチへ。あまり食べる所はないので、結局一番近いムスリム系食堂へ思い切って入ってみる。言葉は通じないがとても親切で助かる。ちょっとピリ辛な牛雑スープとライス、そして卵焼きもいるかと言われて頷く。75bで大満足。 

午後1時、宿に頼んだ送迎ミニバスが到着する。乗っていたのは5人(家族)だけ。一人80b。20分で空港まで来てしまった。実はナラティワートには公共バスもなく、空港に行けるタクシーを見付けるのも大変。ホテルで聞くと乗り合いバスがあるというので乗ってみたのがこれ。快適だが、フライトまではさすがに早すぎる。

空港には公園のような場所があり、家族連れが芝生で食事するなど、多くの人の憩いの場になっていた。そして空港入り口はなぜか人でごった返している。まるでインドの空港を見る思いだ。空港内に入っても人が多いのはなぜ?実はこの飛行場はエアアジアとタイスマイルの1日2便しかないはずで、しかも今日のエアアジアは既に飛んでしまったのだが。 

よく見るとチェックインカウンター脇には、同じバックを持った団体が並んでいる。もしや巡礼の旅に出るのだろうか?大勢の人々はその見送りか?などと想像するがよく分からない。更に横を見ると僧侶が4人もいる。ちょっとカオスな状況だった。私はWebチェックインして、チケットはスマホに入っていたが、何とスマホ搭乗券はダメと言われて、カウンターに取りに行く羽目に。

やはり警戒態勢は厳しいと感じたが、荷物検査スタッフなど、そこで働いている人はとても明るく、ナラティワートの人々のフレンドリーさが出ている。中には日本語を使ってくる人までいて驚いた。1時間ほど待って飛行機がやってきて、歩いて搭乗する。意外と大きな機体だったが、搭乗率8割?でかなり混んでいた。

1時間20分でスワナンプーム空港まで飛んでいく。実は国内線でスワナンプームに降りたのは初めて?ではないだろうか。出口が分からず右往左往する。歩いていると途中で搭乗者とすれ違い、更に混乱をきたす。入国審査もないのにかなり緊張してようやく外へ出てバンコクに戻った。

タイ最南部からマレーシア2022(6)ボートでタイ国境へ

10月13日(木)ナラティワートへ

宿で朝飯後散歩に出た。ホテル敷地内に石碑を発見するも入れず。スタッフに説明して頼んで無理に入れてもらう。漢字の碑が建っていたが、何なのかは誰にも分からない。そして突然のにわか雨に襲われ、部屋に逃げ帰る。

1時間で雨が止む。宿を出てバス乗り場まで歩く。10:15のペンカランクボール行、料金3.2mrは定刻に出発した。乗客は4人。車内は冷房がきつかった。途中道路工事があり、またかなり郊外に中国系の寺が2‐3見えた。約1時間かかってペンカランクボールに到着。もう海の横だ。

皆の後について行くと、イミグレの建物がある。非常に簡素。出国手続き後トイレに行きたくなり聞いてみると戻っていいと言われ、またイミグレを通過。何とも親切で有難い。その先は川を渡ればタイ側だった。ボートかフェリーかを選択。ボートが速いと言われ、3mr払う。フェリーは車なども乗せるのでゆっくりのようだ(1mr)。

数人が小型ボートに乗るとすぐ対岸へ。2‐3分で到着。だが思いの外、イミグレは混んでいる。窓口は一つしかなく地元民10人以上が待っていた。おまけに陸路入国はイミグレカードも必要で取りに行く。知り合いなのかマレー人の横入りもいてなかなか進まず。ようやく私の番が来ると係官はゆっくりとパスポートを眺め、そしてPCを見てから、『陸路3回目、ここは通れない』と言い出す。

私もノービザの場合、タイは年に2階しか陸路入国を認めていないことは知っており、その上で今回2回目を使おうとしたので、その拒絶には驚いた。懸命に説明すると何とか分かってくれ、すごい時間をかけて確認後ようやくハンコを教えてくれた。だが後ろで待っていたマレー人が怒りだした。その気持ちは十分に分かる。

タイ側はタクバイという名称の街だった。国境を歩いて出ると、バイタクからの声が沢山かかったが、全て誘い断ってソンテウを探す。何と国境付近では頼みのGrabは使えない。バイタクは40㎞、300bはかかる上、そんな時間高速のバイクに乗っていては体がもたないと思った。

何とかソンテウの居場所を発見したが、いつ出るかも分からない。運転手に話し掛けると、200b出せば、今すぐにナラティワートへ向かうという。これは安いのではないかと思い、その誘いに乗る。運転手はシンガポールに出稼ぎに行ったことがあり、その時日系企業で働いたらしく、日本びいきだったが、それ以上の英語会話は続かなかった。

40㎞は平たんないい道だったが、やはりバイクではきつかったろう。途中で乗客も乗ってくるなど、この辺の交通手段がどうなっているのか分からなかった。ここからハジャイや南部三県へ道は繋がっている。約1時間で街に到着。直前に調べたタンヨンホテルまで連れて行ってもらった。何とも有難い。

このホテル、朝食なしなら1000b。部屋は広くて開放的。ベランダがあり、強い西陽で濡れたい服が乾くのが良い。宿の前の中国系食堂で麺を食す。コーラで国境越えに乾杯、70b。残念ながら華語は通じなかった。

食後ビーチの方へ歩いて行く。広い公園にいい風が吹いている。家族連れ、カップルがランチを食べているが、ビーチで泳ぐ者がいないのは、ここがイスラム教圏だからだろうか。子供が波で遊んでいるだけだったが、何となくゆったりした気分になる。子供向け電車も走る。

帰りにモスクに寄ると近代的な建物だった。その先で突然おじさんに英語で声を掛けられる。何だかとてもフレンドリーで、日本が大好きだと言っていたが、この人は誰なんだろうか。更に行くと立派な時計台があった。タイ国内でも、ミャンマーなど他の東南アジア諸国でも、時計台を見ることは多い。なぜアジアの街に時計台があるのだろうか、というテーマで調べた人はいないだろうか。

一度宿で休息し、夕方夕飯を探しに出たが、食べるところはなかなか見つからない。そんな中、ハンバーガーを売る屋台を発見。若者2人でやっているのだが、何と日本サッカー協会と書かれたエプロンをしているではないか。話し掛けると英語も上手くて、『札幌』と言えば『コンサドーレ』、『アントラーズ』と言えば『鹿島』という感じでJリーグにかなり詳しい。さっきのおじさん同様日本大好き。思わずハンバーガーを購入。ついでに近所でフライドチキンも買う。合計68b。テイクアウトして部屋で食う。しかしこの宿、夜2時まで音楽が鳴り響き、うるさい。

タイ最南部からマレーシア2022(5)コタバル散策

10月12日(水)コタバル散策

朝ご飯は前回同様ルーフトップで食べる。お粥が旨い。本当は外で食べたかったが、既に日差しが強くてとても暑く、座ってはいられない。9時過ぎに戦争博物館へ向かった。6年前のリベンジ、旧憲兵隊司令部。前回お休みだった博物館にとうとう入った。入場料2mr。係の女性が何処から来たのか聞くので、『日本』と答えると、彼女は大きく頷きながら中を指した。

館内の展示をゆっくりと見た。第1次大戦で英国に連れていかれヨーロッパで戦死したマレー人がいた。山下奉文の隣に牟田口廉也が登場した。銀輪部隊についても書かれており、パールハーバーより僅かに早く、コタバル上陸作戦が行われたとある。上陸戦はかなりの激戦で戦死した日本兵も多くいた。

三方より上陸してシンガポールを目指すのが日本軍の作戦だった。逃げていくイギリス軍に地元民は喝采したとあるが、それも長くは続かなかった。途中からは抗日運動も起こり、そこでまた悲劇が生まれる。博物館の後方には飛行機、戦車なども置かれている。我々はコタバル上陸作戦をもう少し知る必要があり、その後の日本軍がマレー半島で一体何をしたのか、もっと知るべきだろう。

外へ出て、何となく歩き出す。ふと、マレーシアリンギをあまり持っていないことに気が付いて、銀行を探す。銀行のATMに銀聯カードを突っ込んだが、お金は出てこなかった。慌てて銀行の人に聞いたが、よく分からない。もう一つの銀行でも銀聯が使えないことが分かり、愕然となる。と同時にこの街が中国人観光客の来るところではない証明を見た思いだった。

結局地元系銀行は無理で、かなり歩いてHSBCのコタバル支店でリンギットを何とか確保した。ついでに街の両替所の場所を聞くとKBモールという徒歩20分かかる郊外のビルにあることが分かった。折角なのでモールまで歩いて行く。途中で旧バスターミナルを発見、ここから国境行のバスの存在も発見できてよかった。それにしても市内で両替所はここしかないのか??モールにお客は殆どなく、小学生が遠足に来ている以外は、閑散としていた。 

宿まで歩いて帰り、荷物を持ってリバーサイドのホテルにチェックインした。ところがなんと5時前まで部屋のエアコンが使えないというではないか。結局10mr割引してもらい、 1泊朝食付218mr。部屋は広く、リバービュー全開。おまけに室内は冷房の残りが効いており、涼しく快適で問題なし。

外に出て昼ごはんを探すがなかなか良い所がない。よく見るとチキンが下がっている店があったので入ってみたら、食堂は隣だと言われる。隣はかなり立派なレストランで、きちんとした身なりの人々が食事している中、場違いな格好でチキンライスを食べる羽目になる。料金は11.5mrとそんなに高くはない。

食後に出てきたティーはミルクなしで、甘い。周囲を見渡すと、基本的にヒジャブを被った女性たちが食事をしているが、なぜか身なりの良い男性4人も登場し、私とは違った場違い感を出している。まあイスラム世界では酒を飲まないのが私にとってはとても良い。

午後はイスラム博物館でイスラム教がこの地に伝わった歴史などを勉強。ついでに隣の州立モスクを見ると非常に美しい。思わず何枚も写真を撮る。ここに来ている人は皆優しい顔をしているのが印象的。更にその隣は王宮博物館。その建築美は素晴らしいが、室内の展示は王室関係ばかりだった。その隣には今も使われている王宮があるがここは立ち入り禁止。もう一つケランタン州博物館まで歩いて行ってみたが、現在改装中で入れず。

疲れたので宿に戻り、大きな窓から川を眺めて休息する。これは何とも落ち着く。4時前にはエアコンも復活。少しずつ降りてくる夕日を見ているのは幸せだった。涼しくなったので夕飯を探しに外へ出たが、いい所が見付からず困る。川沿いに屋台?が出ていたが、川だけ眺めて宿に戻り、結果クラブサンドイッチをルームサービスして、部屋で夕日を眺めながら食べる。何とも贅沢な時間。6年前を思い出す。暗くなると川も見えず、川音だけが静かに聞こえてくる中、深い眠りにつく。