「日記」カテゴリーアーカイブ

チェンマイ滞在記2023その2(6)2 ドイワーウィへ

11月15日(水)ドイワーウィへ

今日は先日のドームにお願いして、ワーウィに連れて行ってもらうことにした。ここも国民党残党の村の一つ。そして珈琲チェーン店で有名?だが、烏龍茶作りも行われていると聞いていた。朝迎えに来てもらい、車に乗り、チェンラーイ方面へ向かう。1時間半ぐらい行くと、道路脇に温泉がある。

この温泉には寄ったことがあるが、私がトイレに行っている間に、ドームは卵を買い、温泉たまごを作り始めていた。周囲にはかなりの観光客が来ており、朝のこの時間は多くのツアーがここに寄り道することを知る。ドームは何と20個もの卵を茹でていた。実は温泉は道路脇だけではなく、奥にも続いていることを発見。横にはミニアンコールワット。

チェンマイから3時間ほど行くと、山に登る道に入る。そのあたりに大きな池があり、極めて景色が良いので、写真を撮る。メイスワイダム、と書かれている。メイスワイも時々聞く地名だったが、茶畑はあるだろうか。きれいな花は咲いている。そこから20分ほど登っていくと、突然茶工場が現れた。表には茶葉が干されている。そして中では製茶機械が勢いよく回っている。台湾辺りで見かけた製茶作業だった。

ここで製茶を見学するのかと思ったが、また車に乗り30分、ようやくワーウィ村に入った。万偉というのが中国語名のようだ。村の入り口には高級中学(高校)もあるから、かなり大きな村なのだろう。だが車は村には止まらず、更に4㎞ほど登っていく。そこにもう一つの老李村があった。

そこはリゾートホテルといった感じで、広い庭があり、花が咲き乱れていた。更に進むと、一面の茶畑を見下ろすことが出来、何やら文字も見えている。茶畑の横にはコテージもあり、まさに観光茶園だった。標高は約900m。そこで昼ごはんに、豚足や烏骨鶏スープを頼むと、気分はもう完全に雲南になってしまった。腹一杯食べて満足する。

デザートに美味しいバナナを食べていると、ここの老板が帰ってきた。早速お茶を飲みながら、お話を聞く。お茶は烏龍茶ではなく、何とプーアル茶だった。老板の李開明さんによれば、あの幻のタイ北部のプーアル茶、鴻泰昌の権利を2000年代に引き継いだというから、驚いた。李さんが三代目と名乗っている。

李さんの父は国民党軍と共にタイにやってきたが、1960年代の初めには軍を離脱して、古くからアッサム種が多く生えている茶房と呼ばれる地域だったワーウィに拠点を置き、1962年に明利茶業を設立。烏龍茶などより随分早く、プーアル茶の原料などを作っていたというから、興味深い。

もっと話を聞きたかったが、別のお客さんが来てしまい、ドームと一緒に茶畑を回って写真を撮ると、次回の再会を期して今回は退散することにした。それからこの近くに住むドームの同級生を訪ねると、その家の裏にも大葉種の茶樹が植わっており、確かにこの地域は古い茶の世界があったことを示していた。

そこから一応ワーウィの街中を車で走ってみる。やはり漢字がそこかしこで見られる。セブンイレブンもあるので、ある程度の規模の街だといえるだろうが、戸数は思ったほどない。やはり他の山岳地帯同様、都会へ出てしまったのだろうか。帰り道の途中にパゴダが見えたので行ってみる。何と途中でアカ族が茶摘みをしていた。本当に賃金が安いと嘆いている。パゴダはかなり立派だが、なぜここに建っているのかなどは不明。

チェンマイ滞在記2023その2(6)1 Hさんがやってきて

《チェンマイ滞在記2023その2》  2023年11月12₋11月24日

11月13日(月)Hさんがやってきた

ホーチミンから戻った翌朝、いつものようにパンを買い、フルーツを買って宿に戻ると、もう疲れてしまい、後はダラダラと過ごす。最近はちょっと旅に出ると疲れてしまう。茶旅も限界が近づいていることを自覚し始めている。昼間は暑いので、今後の予定を手配するなど、屋内で過ごす。

夕方外へ出て、ソンテウを拾う。ターペー門まで行くので問題はない。ちょっと早く着いたので、そこにあったアウトドアの店に入る。もうすぐ極寒の北京へ行かねばならず、その準備を開始する必要に迫られていた。だが私の希望にちょうど沿うような服は残念ながら見つからない。

すぐ近くのホテルで、静岡からやってきたSさん、いや旧姓Hさんと再会した。彼女は休暇を取って一人でチェンマイにやってきた。実は私がチェンマイにいることを知らずに、色々とアレンジをしていたようで、後から日程を聞き、取り敢えず会うことになった。まあお茶関係の人なので、いくつか紹介したいところはある。

今晩は彼女の希望もあり、近くのシャン料理屋へ行くことになった。一応食べるお茶、ラペソーもあるので、ミャンマーに入れない今、チェンマイで体験してもらおうというものだ。ただ初めてタイに来た彼女にとっては、少し辛過ぎたようで、あまり食は進まなかった。残念。

折角なのでと、車を呼んで、ナイトバザールを覗いてみる。私も6年ぶりになるので興味津々だったが、昔の賑わいは感じられない。そして売っているものは相変わらずかなり安い。お茶を売る店はかなり増えているように見えるが、果たして売れているのだろうか。何となくアイスを食べて帰る。

11月14日(火)Hさんとぶらぶら

今日もHさんと出掛ける予定になっており、ソンテウを拾った。だがソンテウは堀の周囲を回らず、道を外れたので驚いた。ワーロット市場辺りまで行き、人を下ろして、またターペー方面に向かったので、途中で降りて、10年ほど前泊ったことがある宿がやっているかチェックした。そこはそのままあったが、日本人が今も経営しているのかは分からなかった。

昨日のホテルでHさんをピックアップして、Monsoon Cafeへ向かった。ケネスは1時間だけ時間があるとのことだったが、結局昼ごはんまでご馳走してくれ、大いに語ってくれた。Hさんは英語ができるので、直接色々な話になって、面白かったのではないだろうか。ミアンをお土産にくれるとまで言い出したから、いい出会いだっただろう。最後は現在建造中の川沿い博物館まで見せてくれた。

そしてケネスが車を出して、Tea Galleryまで送ってくれた。ケネスは向こうでイタリア人のジョンと何か話している。こちらは馬さんとミアンの歴史などについて話を進めていく。Hさんはまた英語で色々と聞いている。私は相変わらず、冷たいKombuchaを飲みながら、話を聞いている。

Hさんをホテルに送り、一度宿へ帰る。夜またHさんと約束したので、今回は美味しいタイ料理を食べようと、早めにワンニーマンの有名店を目指す。だが既に人が並んでおり、予約もできないらしい。少しその辺ぶらぶらしてまた店に戻ると、『今なら席があるけど』と言われたので、約束時間より30分早かったが席に座り、Hさんに連絡してきてもらった。

トムカーガイや焼き鳥などを注文する。やはりそれなりに旨い。辛い物は苦手の人でも十分に食べられる優しい味だ。食後はMayaの地下でお茶などを見ながら、買い物に付き合う。こういうスーパーのチェックは意外と重要だ。それからHさんがホテルをこの付近に移していたので、そこまで送っていく。やはり今の観光客はニーマン付近に泊まるのだろう。横道はホテルだらけだった。

チェンマイ滞在記2023その2(5)6 再びドイプーメンへ

村に着く。最初の村は赤ラフ族と前回言われた。ジャファーが住み、ドームが生まれたのは、この村だった。今はその家がどこにあったかも分からなくなっているらしい。こちらは伝統的な精霊信仰でキリスト教徒ではない。更に行くと黒ラフ村がある。こちらは後からビルマ方面よりやってきたラフ族。更にタイ国内で移動している人々らしい。

前回来て、見学だけした建物に入っていく。そこにはランチが用意されており、夢にまで見た囲炉裏の焼き鳥、そして竹筒で茹でた豚肉、新鮮な野菜、カオニャオなどが出てきて、驚喜した。これは本当に自然で、シンプル、そして美味い。焼き芋もいい。こういうご飯が食べたかった、というものだ。お茶は番茶、タマダー。囲炉裏が何とも優しい。

食後は外へ出て茶畑を見る。茶摘み体験もできるようだが遠慮して、その歴史を聞く。目の前の畑は40年ほど前、ジャファーが暗殺された後、ドームがアッサム種を他から分けてもらい、植えたという。製茶された茶葉は今日も天日干しされている。標高1300m、更にかなり上れば背の高い茶樹もあるようだった。

名残惜しいドイプーメンを離れた。帰りに滝があるというので見に行く。道路脇から300mとのことだったが、それは障害物競走のようで、非常に長かった。倒れた木の下を潜り、時に跨ぎ、狭い山道を歩いて行く。何とか辿り着くと、そこは轟然とした音が鳴り響く、実に水量が多い、勢いのある滝だった。これは素晴らしい景色だが、ここまで来る外国人は少ないだろう。立派な竹が生え、キノコが何種類も生えている。毒キノコもあるらしい。

30分ぐらいで街へ降りてくると茶工場へ行った。そこはドームの弟が経営しているという。行ってみてびっくり。かなりの規模であり、茶だけではなく、コーヒーなども扱っている。英語で挨拶するとすぐに日本茶の話になったので驚いた。彼はこの兄弟の中では最もビジネスマンであり、最大の関心事がビジネスであることはすぐに分かった。これからの時代、こういう人材がタイの茶業を引っ張っていくのだろう。

そこからファーンの街を抜けて帰路についた。同じ道を帰るのだからあまり変化はないと思ったが、途中で温泉へ寄るという。そこは幹線から少し入っただけであり、川が流れる中にあった。タイ人や白人が水着で川に入っている。その前に嵌る筒のようなものが埋まっており、そこにも温泉が流れ込んでいる。『チェンダオ土管温泉』と日本語で書かれているのは面白い。20年ほど前、日本人がこれを作ったらしいが、今や日本人の利用は少ないようだ。

夕方5時ごろ、無事にチェンマイへ戻り、ドームと別れた。急に腹が減ってしまい、少し歩いて麺を食べに行く。いつものクイッティアオではない気分だったので、思い切って豚肉乾麺すき焼きソースを頼んでみた。まあ、こんな麵もあるのか、という感じだが、とにかくタイの麺は多様で面白い。

11月5日(日)ダンバウ

ファーンの旅の疲れもあり、翌日は大人しくスポーツ観戦。その翌日もまた大学駅伝などを見て過ごす。昼ごはんに何を食べようかと歩いていると、今まで目に入らなかった店が見えてきた。よく見るとあれはミャンマーで食べたダンバウではないか。思い切って店に入り、メニューを見ると間違いない。カレー味の米と蒸し鶏。食べてみると久しぶりで美味い。この辺にもミャンマー系の人が沢山いるのだろう。昼時の店は満席で、その人気ぶりも分かる。料金的にも満足でリピート確定だ。

夜また外へ出る。朝美味い焼き鳥を焼いてみる店が、夜は人を変えてもっと大掛かりに焼いている。思わず何本か鶏を買って、カオニャオと共に持ち帰り、部屋で食べた。カオニャオの量が多過ぎて、どう見ても食べ過ぎだが、やはり美味しいのでよい。そして何より安いのがよい。

チェンマイ滞在記2023その2(5)5 ラフ族を訪ねて

少し戻るとイチゴ畑がある。私が知るイチゴ畑は平地のビニールハウスだが、ここは斜面に作られている。小ぶりで甘さはなさそうだった。その少し先がミャンマーとの国境地帯だという。ヘリコプターの着陸地点に入らせてもらうとミャンマー側が良く見える。一応柵はあるが、向こうの村までは結構遠い。トーチカなどの備えはある。ここで戦闘が起こることはあるだろうか。

近くにラフ族の村があるというので行ってみた。そこは時間が止まったような、昔ながらの山岳地帯。木造の住まいが斜面に張り付くように立っている。何とさっき芋を売っていた女性もこの村に住んでいた。家では老婆が一心にミサンガを作っていた。覗き込んでいたら、彼女は私の腕に優しくそれを巻いてくれた。何だかすごく懐かしい感覚があった。なぜだろうか。

40分ほどで山を下ると、ファーンの街。ヨックのホテルに到着してお休み。夕飯は宿で適当に頼んで食べる。ドームはさすが山岳ガイドだけあって、非常用食料を携帯しており、それも合わせて食べる。食後茶を飲んで、2階の歴史的展示物を復習してから、床に就く。ああ、今日は疲れた。

11月3日(金)再びドイプーメンへ

夜中に雨が降っていたのだろうか。朝少し空気が湿っている。さわやかな朝には、ラフ族粥が良い。漢方的なものが入っている。宿を出てすぐの家に行く。そこは何とドームの父、ジャファーがファーンに開いた店の跡だという。今は親戚が住んでいるとか。家の中にはジャファーやプミポン国王、更にドームを含めた家族の写真などが沢山張られていた。

中にこの家が出来た時に華人から贈られた記念品があり、そこにジャファーの中国語名が書かれていて、その名を初めて知る。ジャファーは元ハンターだそうで、彼が仕留めた鹿などの展示もある。そういえば昨晩ドームが、父親をドイプーメンに連れて行ったのは、アメリカ人宣教師の息子だと言っていて、非常に興味深い。

次にファーンの街から5㎞ほど離れた村へ行った。ここはジャファーが国王から与えられた土地であり、ドイプーメンからラフ族が下りてきて住んだ場所だという。立派なお寺があったが、その脇に最初にジャファーが建てた小さな廟も残っている。さらにその下には、何とジャファーと妻の墓があるではないか。ここにも中国語名、郭有禄と刻まれている。期せずしてドームと墓参りする。

今や村にはラフ族以外も住んでいるが、ジャファーと共に山から下りてきた親戚も住んでいる。その一軒を訪ねると、おばさんや親せきがドームの来訪を喜んでいるという感じだった。この辺の歴史については、まだもう少し精査が必要だが、ラフ族は色々な場所に移住していることが分かる。

そこからドイプーメンへ向かう。途中から登り路となり、最初はなめらかな道が途中から悪路となる。最初の道は30年前、途中からの道は7年前に出来たというから、新しい方が先に壊れるという不思議。まさに手抜き工事だったのだろうか。まあ私は前回も経験しているので問題ないが、ピックアップの後ろに乗ったら振り落とされかねない。

チェンマイ滞在記2023その2(5)4ドイアンカーンへ

11月2日(木)ドイアンカーンへ

先日ヨックがアレンジしてくれた旅が1泊2日で行われる。朝8時前、ヨックの兄のドームが迎えに来てくれた。彼がガイド兼ドライバーだ。今日はまずドイアンカーンへ向かうことになっていた。ファーンまでは同じ道だから寝ていればよいかと思っていたが、1時間半ほど行くと車は止まる。そこにはあのラミンティーの販売店とカフェがあった。ラミンのオーナーとドームは知り合いだったが、オーナーはチェンダオの茶工場にいるらしい。次回はこのルートで再び、チェンダオへ行こう。

更に途中で止まり、北タイで2番目に高い山をバックに写真撮影もする。ドームもガイド経験が長いので、いつもの行動なのだろう。でも朝から何だか喜ばしい旅だ。ファーンまでは3時間、ドームはこの道に精通している。途中知り合いから連絡が入ったと言って、少し違う道に踏み込む。そして広大な畑の中を突っ切り、彼の家に行った。

その人はバンコク在住の潮州人だったが、だいぶ前にここの土地を買い、ここで暮らしていたらしい。美味しいコーヒーを淹れてくれた。今は故あってバンコクにいることが多く、ここに住めないので、売りに出しているとか。とてもいい所だが、日本人が買うのはどうだろうか。タイの華人の投資活動の一端を垣間見る。

そこから30分ほど行くと、最初の目的地、標高600m弱の萬養村の入り口が見えてきた。ドームは食堂を探している。餃子屋に入ったので、てっきり昼ご飯を食べるのかと期待していたら、何とお茶だけ飲んで出て行く。違う店に入ったらしい。次の店は正解だったようで、ご主人が出てきた。

華語で話し掛けると普通に通じる。ただ奥さんはヒジャブーを被っているので雲南回族だと分かる。国民党の中にも回族は結構いたらしい。この辺の話を聞いていると面白い。その間に焼き餃子が出てきたので頬張る。店主の馬さんはミャンマー生まれの74歳。1950₋60年代にこの村に1500人の人々がやってきたというが、今は60家余りが残るだけで、若者は皆街へ行ってしまったらしい。

村には大きなモスクがあるというので馬さんの案内で見学する。清真寺と書かれており、確かにかなりの大きさ、この村には似つかわしくないほど立派だった。学校も併設されており、昔は人口が多かったのも頷ける。ただこの地では茶業は行われていないようだが、彼らはどのようにして生計を立てたのだろうか。

そのすぐ近くには最初のロイヤルプロジェクトの工場(1973年創設)が記念館となっていた。中に入ると写真が多く展示され、プミポン国王やその母などが頻繁にこの地を訪れ、山岳民族や華人に対して支援をしている様子が見られた。ミャンマーとの国境地帯であり、1970年代の反共との関わりをもう少し勉強したい。この記念館でドイアンカーン産のお茶を買うことが出来た。

そこからドイアンカーンへ登っていった。標高1500mまで登ると、そこにはきれいな庭園があった。盆栽などもあり、ちょっとビックリ。その先にはお花畑があり、おしゃれなカフェもある。山の中に来たとは思えない雰囲気。だがそこに一人、ラフ族のおばさんが地面に座り、芋などを売っている。心優しいドームはその芋を全部買い取り、車に運んでいる。彼も半分はラフ族なのだ。

車でその先の果樹園を回る。梨などいろんな果樹がある。更に行くとついに茶畑が登場した。見事に整っており、台湾を想起させる。ここは台湾の支援で茶が作られており、私の知り合いも参加しているらしい。さっき記念館で買った茶はここで作られている。今の時期製茶はなく、インスタ映えする撮影スポットだった。茶工場もあったが、閉まっていて話を聞くことは出来ない。

チェンマイ滞在記2023その2(5)3 ランパーンの疲れを癒すビルマ料理

チェンマイに戻る列車は午後5時半の一本しかない。バスターミナルを探してバスで帰れるか確認したくなる。駅からターミナルまでまたちょっと歩く。チェンマイ行は沢山出ていると思っていたが、窓口で聞いたら4時50分しかないという。列車より少し早いのでマシかとチケットを買って言われた場所で待っていた。

そろそろ時間だな、と思った頃、何と日本人から話し掛けられて驚いた。ここから1時間ぐらい行った山沿いの村に住んでいるとのことで、帰りの迎えを待っているという。茶畑のことなどで話が盛り上がってしまい、気づけばバスの時間は大分過ぎていた。しかしその間大型バスは全く来なかった。慌てて窓口へ行くと『なんで乗らなかったの』と怒られる。大型バスが来るものと待っていたが、私が乗るべきは目の前に停まっていたロットゥだった。

しかも次のロットゥは1時間後しかなく、日本人の方も迎えが来てしまい、一人取り残された。列車も行ってしまう時間でもうどうにもならない。近くのショッピングモールまで歩いて時間をつぶし、更に肉まんなどを買って食べて待つ。ようやくロットゥに乗った時には夕日がきれいだった。それから1時間半ほど走って、アーケードに着いた頃には周囲は完全に暗くなっていた。疲れ果てて車を呼んで帰る。

11月1日(水)ビルマ料理

昨日はランパーンでかなり疲れてしまい、今朝は起き上がれなかった。昼前に何とか外へ出て、飯を探す。何となく検索したら、ニーマンにとんかつ屋があるというので、そこへ向かった。ところが開店時間になっても店は開いていなかった。もう辞めてしまったのかもしれない。

仕方なくその周辺を見てみると、何とビルマ料理の文字を発見した。店を覗いてみると、実に旨そうな茄子と芋が煮込まれていたので、思わず席に座ってしまった。この店はミャンマー料理とタイ料理が両方あり、メニューも2つある。チキンマメカレーとラペソーを頼んでみる。やはり美味しい。値段もリーズナブル。これは瓢箪から駒、ということだろうか。

店で働いている人たちは英語も話し、ミャンマーから来ているようだ。白人のお客さんも来ており、この付近の人気店なのかもしれない。まあカレー中心で白人にも食べやすいのだろう。これからはこの店をご贔屓にしよう。そして次回は必ず、あの茄子と芋を食べてみようと思う。

店を出てその辺を散歩しようと思ったら、薬局があったので入ってみる。実は肘肩痛は快方に向かってはいるものの、まだ万全ではない。ここらでタイガーバームのシップでもしようと思い立ったのだが、この辺の薬局は中国人団体観光客の爆買い向けに設定されているのか、一袋の量がかなり多い。でも爆買いする人はあまり見かけないのだから、どういう商売をしているのか、ちょっと気になった。結局一番小さい袋を1つだけ買って帰る。

夜は軽く済まそうと思っていたが、ちょっと気になっていた露店の席に座った。ここは100バーツでステーキが食べられるというのだ。ポテトとパンとサラダ、そしてステーキがワンプレートで出て来る。食べているといつの間にか席がすべて埋まっていた。何となく、その昔の台湾の夜市を思い出しながら頂く。

チェンマイ滞在記2023その2(5)2 ランパーンを歩く

さて、駅前から寺までは相当距離がある。ソンテウのおじさんが近寄ってきたが、400バーツというので、一旦退けて、Grabなどで検索してみる。だが片道180バーツと出ていたので、ソンテウで行くことにした。車は郊外に向かう幹線道路を走った。交渉でもう一か所、寄ってもらうことにしていたので、まずはそちらへ向かう。

ナレースワン大王記念碑、という場所に着く。非常に新しい作りで歴史感はないが、英雄像が立っており、その周囲は鶏と象で囲まれているのが、如何にもという感じだ。検索してナレースワン大王の歴史を見ると、アユタヤ朝『救国の英雄』として、ラームカムヘーン、ラーマ5世と並び、「タイ三大王」に数えられている。説明書きは全てタイ語でよく分からず、ちょっと周りを散歩する。池の向こうは地質学院と書かれているが、この辺りで地質調査が行われているのだろうか。

そこから20分ほどで、目的地ワット・ルアタート・ランパーンルアンに到着した。思ったよりはるかに立派なお寺だった。駐車場のところに銀行のATMが3台もあったのは、お布施の用意のためだろうか。脇の方から入っていくと、敷地はかなり広く、本殿までは結構遠い。結局横から入ることになり、まずは裏へ回ると、展示館があった。タイ語だけなのでよく分からない。ただ展示品はかなり貴重な雰囲気がある。

本堂付近に進むと、かなり古めかしい仏塔があり、一周する。本堂にはいい感じの仏像が並んでおり、壁には前日博物館で見た壁画がそのまま残っていた。この寺の歴史、古さが分かってくる。やはり由緒が違うのか、このお寺には参拝者が多い。どの辺がランナー文化なのかは、不勉強でよく分からず。再度勉強して出直すべし。最後に門から荘厳な階段を下りる。そこにはランパーン名物の馬車がお客を待っていた。

運転手を起こして車が走り出すと急に雨が降ってきた。それでも運転手は『この寺も見ていけ』と車を停めるので、途中ちょっと見学する。ランパーン駅まで戻ると雨は完全に上がっていた。ソンテウと別れて、一人歩き出す。駅前の道を行くと、漢字が目に付く。古廟などもあり、この付近は完全に華人の街だった。

その辺で普通のクイッティアオを食べて腹を満たすと、街歩きを始めた。ランパーンにはランナー文化が色濃く残っていると聞いたが、どこにあるのかよく分からず適当に歩く。途中の学校は完全に中国の支援を受けている。公園も中国系で整備されてきれいだ。100年前のお寺に行ってみると、何となくビルマ系の雰囲気だった。確かに街中に木造の古い建物はいくつか見られた。

フラフラ歩いていると、家から出てきたおじさんと目があった。何と向こうから英語で話し掛けてきた。恐らく華人だろうが、中国語を使うべきか迷い、そのままちょっと英語で話して別れた。町を一人で歩いている外国人は珍しかったのだろうか。もうちょっと話を突っ込んで聞けばよかったと後悔。

それからお寺にちょっと寄り、鉄道が近くを通る市場へ行ってみたが、もう終わっていた。その先に黒橋、と書かれた鉄橋?があり、鉄道公園になっていた。どうやらこの橋は第2次大戦中、日本軍が架けたらしい。突然現代史が出てきてビックリする。戦時中ここでは一体何が行われていたのだろうか。折角なので駅の方へ向かって線路沿いを歩くと、貨物列車がやってきて、気分が出る。

チェンマイ滞在記2023その2(5)1 ワット・ムーンサーンへ

《チェンマイ滞在記2023その4》  2023年10月30₋11月7日

10月30日(月)ワット・ムーンサーンへ

チェンマイ付近の歴史をもっと知りたい、とネット検索をしていると、インパール作戦の生き残り日本兵がチェンマイまで逃げてくると野戦病院があった、との記述に出会った。確かにミャンマー北部からタイへ脱出した、という話は、その昔シャン州のカローで『従軍看護師』の手紙を見せてもらった際、記述されていたので知っていたので、その野戦病院のあった場所を訪ねてみたくなる。

朝早く起きて、歩き出す。南門を抜けて行くと、そこは先日行ったシルバーテンプルだった。そのすぐ向こうに目的地、ワット・ムーンサーンに到着した。ただ門には英語表記などもなく、本当に着いたのか、不安になる。門の横にはスッタジットー美術館と書かれた精緻な建物があり、中には銀細工が置かれ、壁にはその歴史が銀で記されていた。

更に奥に入っていくと、日本兵戦没者慰霊碑があった。日の丸が見えたので分かった。その後ろの建物は資料館で、中には日本兵の遺品などもあるようだったが、朝8時前だったので、開いてはいなかった。その反対側にはランナー・タイヤイ様式の古い仏塔が見え、その向こうの大木と合わせて、日本兵のための野戦病院を見ていたのだな、となぜか感じてしまった。

そこからふらふらと横道を歩いて行く。前回滞在したい際に何度か行った粥屋まで30分ぐらい歩いて行ってみた。ところがいつの間にか人気店になっており、お客が外まで溢れていたので、残念ではあったがパスした。仕方なくお堀まで戻ると、前回の見慣れた街が登場する。懐かしいので歩いているとクラブサンドのある店があったので、そこで朝食を取る。その後馴染みの市場でフルーツを買い、チェンマイ最古の寺院、ワット・チェンマーンにお参りして帰る。

結構歩いて疲れてしまい、日中はずっと休息する。もうチェンマイに来てから1か月も過ぎ、疲れがピークに達しているようだ。夜も近所で済ませる。チャーハンのお供に、たまご豆腐のあんかけを頼むと、これが美味い。絶妙に疲れを癒してくれた。急に明日も出掛けようと思い立つ。

10月31日(火)ランパーンへ

今日は先日博物館の展示で見た、ランパーンの寺へ行ってみたいと思う。まずは近所でカオトームの朝食を頬張り、車を呼んでチェンマイ駅へ向かう。ランパーン行きの列車はこの時間だけ続けて2本ある。元々は遅い方の列車でよいと思っていたのだが、何と発車3分前に駅に着き、窓口で『ランパーン』と叫ぶと、『エアコン車の方がいいよ』と言われ、頷いた瞬間、駅員がタイ語で何かを放送した。何と私のために列車を止めてくれたので、驚きながら、小走りでホームまで行った。

乗り込むとすぐに出発した。指定席なので、何とかそこまで辿り着く。意外なほど乗客がいた。中にはこれに乗ってバンコクまで行く人もいるらしい(夜バンコクに着く)。ボロボロの車両ではなく、結構きれいな感じだった。これでもランパーンまで僅か50バーツだから安い。この30分後の列車は鈍行?で、遅い上ファンしかない。いや、エアコンはちょっと寒いのでファンの方が良かったかな。

途中は結構林の中を通り、トンネルもあった。まあ森林地帯を行く感じではなかったが、平原を行くでもない。1時間40分ほどでランパーン駅に着いた。鈍行だと2時間半かかるらしい。何とも古めかしい駅舎、駅前には機関車も置かれている。この街のシンボルは鳥のようだ。

チェンマイ滞在記2023その2(4)4 近所を散策

10月28日(土)ラムドアン2と博物館

久しぶりにお客さんがいない朝。ちょっと解放感が生まれ、30分も散歩に出た。今日は先日のゲーンハンレーの時に話しに出たゲーンホーという食べ物を食べてみたく検索した。何とあのカオソイラムドアンの2号店があり、そこにゲーンホーがあるとの情報が載っていたので、出掛けてみた。

外環道路に建つ立派なお店、あの古いラムドアン1号店とはかなり雰囲気が違う。朝9時頃だが、お客は殆どいない。ゲーンホーと言ってみると、初めは怪訝な顔をされたが何とか通じた。メニューには英語があり、Lanna Mix Curryと書かれている。食べてみるとカレー味の春雨炒めかな。元々家の残り物を放り込んで食べていたらしい。だからMixなのか。

そこからMayaの方へ歩いて行くと『中国城』と書かれた門がある。前から気になっていたのでそこを潜ってみたが、中には建物はあるが、殆ど店はなく、僅かに1軒レストランが見られるだけだった。恐らくはコロナ前、中国人観光客目当ての店を集めるつもりだったが、結局客が見込めず、空き家になっているようだ。

更に進むとチェンマイ博物館がある。ここは立派な国立博物館で前に来たことはあったが、折角なので見学する。毎回来るたびに、新しい発見があるのが良い。というか、当然ながらチェンマイやランナーについて知らなければ通り過ぎてしまう展示だが、今や大いに興味があるので、かなり長い時間眺めていた。特にランパーンに惹かれる。すぐにでも行こうと思い立つ。

Mayaに近づくとそこに立派な寺があった。ワット・ジェーヨッドと書かれており、敷地がかなり広い。散歩にちょうど良いので歩いてみると、かなりの由緒があり、空間が心地よく、何となく楽しい。大仏の前に座り、しばし心を休める。こんな空間が近くにあるとは知らなかった。これからも時々散歩しよう。

かなり歩いて帰りつく。久しぶりに充実した散歩となり、腹が減る。近所の店に入り、ブレックファーストを頼んでみる。トーストとベーコン、目玉焼き、コーヒーで85バーツはまあまあの値段かな。午後は疲れが出てゆっくりと休息する。

10月29日(日)マックとカレーで

朝散歩に出る。近所に『中国人歓迎』と中国語で書かれている看板を見るが、その店はいつ開いているのだろうか。その向かいにはなぜか日本風のお茶屋さんがある。ある人から『日本の抹茶が飲めるらしい』と聞いたが、どうだろうか。当然朝はやっていない。いつもの店の牛肉麺で腹を満たす。

午前中は全国大学女子駅伝を見て過ごす。やっぱり名城大が強いか。昼になり外へ出た。何だかとてもマックの気分だったが、ニーマンのマックにはサービスセットが無いので、わざわざチェンマイ大学医学部の横まで歩いて行く。ここにはお気に入りの99バーツセットがある。フィレオフィッシュを食べながら、ダラダラと過ごす。

夕方また腹が減る。そう、いつでも腹は減るのだ。まだ行っていない店を開拓しようと歩いていると、和食屋が出現した。お客はタイ人一組しかいない。思い切って入ってみると、随分前からやっているようでメニューが古ぼけている。カツカレーがあったので注文する。85バーツで、ゴロゴロした芋の入ったカレーにカツが載っている。コスパは悪くない。

ちょっとしたら、日本の老人が二人別々に入ってきて、餃子やサラダを頼んでいる。この人たちは、あのロングステーヤーの生き残りだろうか。そしてこの料金だから食べに来ているのだろうか。そうであれば、この店自体も日本人のロングステイ全盛期を知る遺物ということだろうか。ちょっと悲しい気分で店を出る。

チェンマイ滞在記2023その2(4)3 ドイサケット温泉とベジレストラン

10月26日(木)ドイサケット温泉へ

翌日もTさんを迎えにホテルへ行った。元々の希望が、チェンマイの温泉に行きたいということであったので、行ってみることにした(私も行ったことがなかったのでちょうどよかった)。Boltで車を呼んだが、運転手は『ドイサケット温泉の往復にBoltが表示している料金で行く車はない』という。私もそうだろうと思っていたので、珍しく料金交渉をして、その車に乗って行く。運転手の人柄が信用できそうだったからだが、Grabなどは郊外へ行く料金設定をもう少しちゃんとやって欲しいとは思う。

車で小1時間走って、大きな道路から脇道に入り少し行くと温泉が見えてきた。もし路線バスやソンテウなど来ると、幹線道路のところで降ろされ、20分は歩くところだった。温泉は広々としており、温泉プールもあるようだった。我々は100バーツ払って個室風呂に入る。ここのお湯はかなり気持ちが良く、肌がすべすべしてくる。鼻歌も出そうな感じ。しかも窓から見える田園風景が何ともリラックスできる。

その後卵を買って温泉たまごを作って食べる。これも意外と楽しいがコツがいるようだ。平日の午前中でお客はほぼいなかったが、車でタイ人グループがやってきて、足湯をしたり、温泉たまご作りに歓声を上げていた。何とものどかで温かい午前中、これはかなり幸福感がある。

車で市内に戻り、ネット検索したベジタリアンレストランで降ろしてもらった。午後1時頃だったが、食事はもうなかった。いや、今日食堂がやっていたのかと思ってしまうほど、閑散としていた。仕方なく、そこで売られていた野菜などを見て、フルーツジュースを買って飲む。

そこからまた車に乗り、Mayaの地下へ行く。そこにもべジレストランがあるはずだったが、何故か今日は休みだった。きっとこれは何かの日なのだ。ちょうどタイティーの店があったので、そこでドリンクを買い、歩きながら周辺で店を探して入った。べジを謳ってはいたが、そこは華人系の店で、観光客向け、何でもありそうだった。パッタイや野菜炒めなどを食べて、本日の活動を終了した。

10月27日(金)嬉しい再会

Tさんと再会して楽しく過ごしていると、前回ラフ族の村に案内してくれたヨックから連絡が入り、急遽ランチを食べることとなった。場所はワンニーマンのおしゃれなレストラン。ここのご飯はとても味付けが良く、美味しい。そしてランチ時間は満員盛況、観光客も多いようだ。ヨックが『ゲーンハンレー、ラフ族は食べない』と言ったのがちょっと引っかかる。

前回ドイプーメンまで送迎してくれたウドムも途中から参加して、旅行業などについて、色々と話が弾む。そしてもう一度プーメンに行きたいという私の希望をヨックが考えると言ってくれた。何とも有難いことだ。私は先日Fさんから『あの村で食べた焼いた鶏肉は絶品』と言われたのが脳裏に焼き付いている。

それからウドムの車で送ってもらい、シャンレストランへ移動する。Tさんが待っていてくれたのだが、何とこの店も今日は休みだった。昨日からべジレストランは軒並み閉まっている。仕方なく、その近所の食堂を検索して行ってみる。もう3時近いのでお客もなく、べジとは言いながら、ここも白人観光客向けの食堂だった。フレッシュジュースを飲みながら2回目のランチを食べる。そしてTさんが乗ってみたいというソンテウを拾い、ゆるゆると帰る。