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ある日のバンコック日記2020(24)緊張状態で帰国したが

花屋が並ぶ一角、よくよく見てみると、その合間に茶を売る店が2軒は見つかった。王陽春という店などは、あの安渓華僑誌にも名前が記されているので、ある意味では大発見だった。パイナップルの商標が何ともかわいらしい。店員はタイ人(いやカンボジア人?)だったが、奥から華人女性が出てきてくれた。店や一族の詳しい歴史は母親に聞いてほしいと言われたが、生憎今日は不在だった。

彼女とは華語で話せたので、後日再訪すると伝えたが、何とこれが今回最後の茶旅となり、コロナ避難となってしまった。このお店の歴史、非常に興味深いのに、何とも残念だが、既に外出制限がかかりそうで、無理して訪ねる訳にも行かなかった。とにかくバンコックにもまだまだ隠れた茶荘があり、その歴史に踏み込む余地はある、ということだろう。

それからMRTに乗って、ファランポーンまで行き、ランチを探す。汁なしワンタンメンがうまいと評判の店に入ったが、いつも満員の店内がガラガラ。すでに外国人観光客の姿は激減しており、チャイナタウンもひっそりとしていた。この麺、美味いが量が少ない。次回は大盛りやら、汁麺やらを食べてみたいと思うのだが、それが叶うのはいつのことやら。

3月22日(日)帰国

帰国の便が決まり、急に慌ただしくなってきた。2か月半も同じところにいると、なんだかんだで物も溜まり、捨てるか持って帰るかの決断を迫られてしまう。今回は予想外の成果もあり、資料や本なども多く持ち帰ることとなる。この宿には1か月分の家賃を納付済みだったが、最後は半月で出るになってしまった。もったいないとは思うが、まさに自己都合、文句は言えないし、宿の方も収入減で困っているはずだから、ある種の支援と考える。

そんな中で、借りていた本を発見し、前日急遽返しに行ったりもした。バスでアソークへ出たが、人が本当に歩いていなかった。週末だが閉まっている店も増えてきている。いよいよバンコックのロックダウンの噂も本格化し、不要不急の外出はしなくなっているようだった。

私は2日分の食料を買い込み、部屋で食事をしていたのだが、買い置いたサンドイッチかおにぎりが悪くなっていたようで、急に腹痛を起こしたのにはかなり焦ってしまった。何しろ発熱は致命的、飛行機にも乗れなければ、この宿にいることもできなくなるのだから、絶対に避けなければならない。

幸い熱は出なかったのでホッとしながら相撲を見ていた。白鵬が勝ってしまい、つまらない幕引きであった。こんな時期でも日本のニュースではまだ『東京五輪』が開催できるかのような論調が流れており、狂っているとしか思えない。世界のアスリートが東京に集まるわけがないだろう。プロ野球もJリーグも開催延期となっているにもかかわらず、オリンピックは開催するというのだから、恐ろしい国だと言わざるを得ない。

フライトは今日の深夜発なので、時間はたっぷりあったし、ホテルで1泊しているわけではないので、チェックアウトは午後9時にしてもらった。空港まで行くタクシーがあるのか心配したが、すぐにやってきた。運転手は厳重にマスクしており、我々より彼らの方がよほど高いリスクの中で仕事をしていると感じられた。

空港に入っても(入り口で体温チェック)人影はまばらだった。ヨーロッパ線のどこかの航空会社のカウンターの前にだけ、白人の団体がいたが、その他は基本的に人が少なく、蜜の状態はなかった。出国手続きもいつものような混雑はなく、スムーズ過ぎる。免税店には少しだけ人がいた。私と同じように帰国する人々が最後に土産を買っている。

時間が余ったので、ラウンジを使おうと思ったが、多くのラウンジは閉鎖されていた。タイ航空のラウンジも一番端の一か所に絞られており、そこに入るとかなりの人がいたので、緊張してしまった。体調もそれほど良くはないので、何も食べずに紅茶だけを飲んでいたが、居心地も悪く、すぐに出てしまった。空港内のベンチの方が人はいなくてよい。

フライトは定刻に出発。乗客は半分ぐらいだろうか。白人が意外と多いのは、バンコックのロックダウンに備えて東京へ移動するのか、いや東京経由で帰国するのか。深夜なので機内ではお茶が一杯出ただけですぐに暗くなる。そして朝日が射しこんで起き上がると到着だった。思いの外眠れたのは良かった。

羽田空港もさぞや緊張しているだろうと思っていたが、何と飛行機を降りても、検疫所カウンターもノーチェック。入国審査も自動で、どこから帰国したのかも尋ねたれることはなかった。どうやら特定国から来た乗客だけ別扱いにしていたようだが、あまりにあっけなく、驚いてしまい、そしてバンコック入国とのあまりの違いに、怖いと感じてしまう。

朝早いこともあるが、新宿行きリムジンバスの乗客は4人でホッとする。新宿からも普通に電車に乗って帰った。こんなことで良いのだろうかと思ったが、翌日帰国した人への対応はかなり厳しかったという。バンコックは翌日ロックダウンとなり、空港便の減便も続いていった。私の帰国は全てがギリギリだったのかもしれない。ここから約2か月半、週に一度1時間以内の買い物以外全く外へ出ない完全籠城生活が始まった。

ある日のバンコック日記2020(23)まだあった老舗茶荘

3月19日(木)再会

状況はどんどん厳しくなり、遂にバンコックもロックダウンに入ることとなった。私はあまり難しいことを考えずに、日本に帰る道を選択し、航空券の手配を行った。既にLCCなどの運休が発表され、1週間先の東京行は料金が跳ね上がっていたが、その前であれば、片道4万円ぐらいでタイ航空に乗れるので、それを選んだ。エアチャイナから片道の返金があれば、ある程度カバーできると諦めた訳だ。

事態はそれほどに切迫している。知り合いのMさんは、逆にバンコック籠城を決めたという。彼は住むところもあるし、仕事にも支障がないので、一つの選択だなと思う。確かにこんな稀有な光景を見られることはないだろう。寧ろいまだにオリンピックを開催すると言っている東京の方がどれだけ危険なことか。それでも家族がいるから私の場合は帰るのが原則だろう。

そんな中、2月初めにチェンマイで再会したOさんが、その後チェンマイを離れ、放浪していることが分かった。彼も沖縄へ向かおうとしたが、既に直行便は閉ざされていた。ちょうどバンコックに来たというので、会いに行ってみる。

場所はプロンポーンの蕎麦屋。こんな時期に開いているのかと思ったが、席の間隔が開けられた店に、お客はそれなりに居た。この蕎麦屋の特徴は、1玉でも3玉でも料金が同じということらしい。折角なので、3玉頼んでしまった。更にはかつ丼をセットにするのだから、胃袋もたまらない。バンコックの和食の競争激化は相当なものだ。

お茶会のMさんも加わって、発酵談議に花が咲く。私はお茶の発酵のみに関係があるのだが、お二人は味噌など発酵食品を作っている。東京に戻ったら、改めて小泉武夫の『発酵』という本を読み返したいと思った。タイのミエンももう一度見たいがいつになることやら。

Mさんはご主人が日本へ行っており、既にPCR検査の陰性証明が得られなければ、バンコックに戻れない状況だという。これからは往来が難しくなり、当分の間、全てがストップする。だが日本では、全てを止めずに解決を図ろうとしていた。普通に考えれば無理な話だが、日本を信じて帰るしかない。

夕方先ほどOさんに教えてもらったデリバリーアプリをインストールして、注文する実験をした。タイ語中心のアプリは無理なので、英語アプリを入れ、馴染みのマクドナルド商品を選んでみた。ビックリしたのは、店舗に行くよりかなり安く、しかもデリバリー料金も安い。これは日本ではとてもできないサービスだ。

ところが注文しても、商品が運ばれてこない。スマホで位置関係を確認するとすぐ近くまで来ており、電話が掛かってきたが、当然タイ語なので応対が出来ずにお互い困ってしまった。仕方なくフロントに頼んで連絡してもらい。何とか受け取ることができた。アプリ上の住所が間違っていたらしいが、そこはタイ語だったので私には確認ができなかったわけだ。まあ、このサービスが使えるのであれば、多少の籠城戦は戦えるでは、と思った。

3月20日(金)老舗訪問

実は2週間ほど前に、フラフラと王宮近くを歩いていると、以前も訪ねた例の王有記茶荘の北側に、もう一つ老舗茶荘があることに気が付いた。そこは店の前にドリンクスタンドがあり、暑かったので冷たい飲み物を頼んで、店内で飲んでいた。よく見るとこの店の名が王瑞珍であったので、思わず反応してしまった。というのは、台北とマレーシアのイポーでこの名前の茶荘を見たことがあり、恐らくは親戚であろうと考えられた。そうであれば、ちょっと面白い。

だが店を預かる女性は華人の顔はしているが、華語は全く分からないと頭を振り、通訳してもらっても自らの茶荘の歴史は分からないという。ただ王姓であるから福建の安渓出身であることは分かった。彼女の父親は健在だというので、後日改めてということで、今日の日を迎えた。

日程のアレンジ及び通訳はHさんにお願いして出掛けた。お店に着くと、80歳を越えた王天慶さんご夫妻が迎えてくれた。やはり王さんの祖父は福建安渓西坪堯陽の出身で、タイに渡ってきた人物。台北の王瑞珍も親族が経営していることが分かった。ただマレーシアの店については、親戚はいると思うが、茶荘をやっているとは聞いていないとのこと。

この店は娘さんに任せて、王さんは普段、息子とともに川向うのクディチンに住んでおり、茶工場もそこにあるという。中国やタイ北部から茶葉を持ってきて、この工場で加工して売っているようだ。クディチンと言えば、アユタヤから移住した福建人が多く住んだ場所。何となくこれまでのバンコック歴史散歩が鮮やかになっていく印象がある。今度機会があれば、茶工場にもお邪魔しよう。

王さんの話の中で興味深かったのが、この近くにまだ数軒、老舗茶荘が残っているはずだという証言。言われたとおり歩いて行くと、かなり遠かったが、MRTサナムチャイ駅近くの花市場付近に辿り着く。この辺りは先日も散歩した場所だが、茶荘があったという記憶は全くない。

ある日のバンコック日記2020(22)バンコックに戻る

3月14日(土)空港で

ビエンチャンからのフライトはいつものように呆気なく着陸した。そして前回同様、タラップを降り、バスに乗り込む。1台に全員を詰め込むので、かなりの密度になっている。走り出すと隣の若い女性、突然気分が悪くなり、座り込む。過呼吸ではないだろうか。友達が世話していたので、周囲は心配しながら見守り、降りる時は若者が手を貸していた。

今回も先月同様、空港内には殆ど人がいなかった。ただ入国審査のところには、意外と人がいたのでその後ろに並んだ。前の方の白人たちを見ると、皆係員に何か聞いており、戸惑っている。中にはアルゼンチンから来たといっただけで、空港内の保健室に案内されている人もいた。一体何が起きているのか、全く分からない混沌とした状況が出現し、にわかに不安になる。

ただよく見てみると、列の横にQRコードが見え、何か説明書きがある。どうやらこれをスキャンして、情報を打ち込む必要があると分かり、トライしてみると、空港アプリが出てきた。名前や搭乗便など入れていく。最後にパスポートを写メしてアップロードすると、OKがでたので、係員にそれを告げると、好きなところへ並べという。

ようは皆入力に慣れていないことから進まないだけで、審査ブースは暇にしているのだった。ここでも何か聞かれるかと身構えたが、スマホを見せると、帰国チケットや保険の提示も求められず、すぐに入国スタンプが押され、全くの拍子抜けだった。やはりラオスからの入国にはこの時点では、何の制限もなかったのだ。ただ入国者の追跡のためにスマホ入力を求められたまでだ。これで私も監視対象だ。

ターンテーブルにも、出口を出ても、相変わらず殆ど人はおらず、思っていたほどの緊張感はなかった。取り敢えずバンコックに戻れたので、ホッとしてゆっくり歩く。ただこのままでは終わりそうもない。これから何かが始まるので、それに備えなければいけない。そんなことを考えながら、エアポートリンクに乗り込む。さすがに皆マスクをつけている。乗客は先月より少ない。MRTも同様だ。白人は母国では基本的にマスクをしないと聞いていたが、さすがにこの事態では対応せざるを得ない。

部屋に戻ると、また相撲を見て過ごす。既に多くのスポーツが中止となる中、相撲が見られるのは本当にありがたいことだ。しかも昨日はビエンチャン、今日はバンコックで見られるのだから、嬉しい限りだ。ただ白鵬が強すぎるのはどうだろうか。先場所のように両横綱不在の方が面白い相撲が多いように思う。

そのままボーっとテレビを見ていると、ブラタモリが始まる。今度は長崎が舞台で、行ってみたい場所が次々紹介される。林田アナがまたピアノ?を弾いている。見終わると、パンを買いに外へ出る。これからは食料の備蓄も必要になってくるだろう。いつも行くパン屋だが、時間が遅いせいか、普段必ず買うぶどうが一杯入ったブドウパンはなかった。ただ念のため聞いてみると、ちょうど奥で作っており、作り立てのパンを買うことができた。今はこういう小さな幸せを積み上げるしかない。

3月16日(月)ご紹介で

既に2か月以上泊っている定宿だが、ついにロビー入り口で検温が始まった。もし体温が37.5度以上であれば、中に入ることはできず、そのまま病院送りとなるらしい。迂闊に発熱は出来ず、外出にも注意を払う必要がある。毎日緊張状態が続くことになる。予定されていたバンコックでのコラボイベントもすでに中止となっており、ここに留まる理由は正直無くなっていた。

更には『バンコックロックダウン』という言葉が聞かれ始め、もしそうなれば買い物などにも不便をきたすことになり、さすがにここにいる理由は完全に無くなる。折角ラオスでビザを更新したのだが、帰国の決断が迫られてきた。宿のオーナー夫人は特製の洗えるマスクを発注しており、私も家族分譲ってもらって、東京へ3つ郵送した。いよいよ臨戦態勢に入ってきた。

そんな中、先日偶然にも再会したシアヌークビルのSさんから、Iさんをご紹介頂いた。タイ北部などで少数民族の茶業支援をしており、ちょうど先月訪ねたパクセーでも行っているということなので、このような時期ではあるが、会えるときに会いましょう、ということで、早々面会する。

アソークのホテルで待ち合わせたが、繁華街は火が消えたようになっており、店もかなりが閉まっていた。ホテルでもマスク、消毒が徹底されており、人と人との距離にも注意が払われ、かなりの緊張感があった。そこでIさんから話を聞く。今日からチェンマイに行くとのことで、タイ北部のミエン造りを見てみたいという。Iさんはタイに20年以上おられ、共通の知人も多くいる。ホテルのビュッフェでランチを食べたが、さすがに客は少なかった。

ある日のバンコック日記2020(21)五輪は何のためにあるのか

3月11日(水)震災9周年

最近はバンコックでも連日コロナの話題ばかりで気が滅入る。そんな中、NHK7時のニュースを見てみると、女優の「のん」が生出演しているではないか。彼女は元々朝ドラあまちゃんで大ブレークしたが、その後トラブルがあったのか、テレビドラマへの出演も無くなり、我々の前から姿を消し、いつの間にか芸名すら変えていた。

その彼女、実に大人の表情になって、最近カムバックしてきており、注目されている。そして今回のNHK生出演。内容は東日本大震災9周年ということで、あまちゃん以降ゆかりのある東北に関する話題だった。もう9年も経ってしまったのか、というのが正直な感想だが、彼女は一つ一つ言葉をじっくり選びながら、話している様子が見て取れる。これは慣れていないせいなのか、性格なのか分からないが、好感が持てた。

私は9年前、26年務めた会社を辞めることが決まっており、後はいつまで出社するかを相談するだけという状態になっていた。そこにこの災害が起きてしまい、高層ビルの21階で、同僚たちと一緒に大きく揺れた。その後の混乱の中、既に戦力外になっていたので、2週間後に出社を止め、中国の茶畑に飛び出してしまったのだ。あれは私にとって日本からの逃避だったのだろうか、自分の行動を整理したことはいまだにないが、今回日本で起こっていることを見ると、その構造に変化がないことはよく分かる。

3月12日(木)聖火採火式

急に思い切って、明日ラオスに行くことにした。今回はもう旅ではなく、タイ滞在ビザ免除を延長することだけが目的となっている。徐々に緊迫しており、急がないと、日本人のタイ再入国が難しくなるかもしれない、などの、不測の事態が想定され始めてきていた。日本に帰るならはっきり決めないといけないのだが、ちょうど宿を延長したばかりでもあり、タイの方が日本より安心感が高いこと、今後の動きやすさを考えて、もう1か月タイに居ることにしたのだ。

夜またNHKを見ていると、ギリシャでオリンピックの聖火採火式というのをやっていた。本来は某元総理や吉田沙保里などが出向いて、その聖火を受け取る手はずであるが、既にギリシャに入国することすらままならないのに、まだ五輪をやると言っているのは滑稽以外の何もでもない。勿論日本国民をそう思っていると思いたいが、一体だれが何のためにこんな茶番をしているのだろうか。

このための準備させられている人々の気持ちなどはどうでも良いのだろうか。某元総理の精神論ももう聞き飽きた。そもそも2回目の五輪なのだから金を掛けずにやるべきところを、結局なんだかんだ言って利権絡みで、膨大な予算をつぎ込んだことで、もし中止となればいい訳すらできないと思っているのだろう。海外から見ていると、これほど情けない政治家はいない。

元々オリンピックに批判的な人は多い。ただ私個人はスポーツ観戦好きであり、特にマイナースポーツに日が当たるのが、五輪しかないという現状から、五輪開催サポーターではある。ただ、東京で開催する必要性は全くない。むしろ日本という国で行うことで様々な雑音が入って来て、好ましいとは思っていない。ましてやこれを好機と考えて乗り出す政治家や企業などが好ましい訳はない。

ニュースの途中で不愉快になり、外へ出た。バスに乗ってプラカノーンに向かう。今晩はインドから戻ってきたMさんと1か月ぶりに会う。さすがに?インド帰りで腹の調子が今一つというが、コロナとは無関係らしい。一応お腹に優しい和食を食べたいというので、和食堂へ行く。この食堂、プラカノーン付近に何店舗もあり、安くてボリュームがあるという、昔ながらの食堂だった。折角なので、偶に食べたくなるレバニラ炒め定食を食べる。

私が5年マルチビザを申請しながら行けていないインドに、Mさんは先月も今月もスルっと行っているのが恐ろしい。しかも今回は滞在中に、ビザ一時停止措置が発令されたというのだから怖い。インドでもし隔離でもされたらどうするのだろうか、と心配になってしまう。

だが彼はバラナシに何日も滞在し(勿論入国済みのビザは有効)、平気でガンジス川を眺めていたらしい。私も兎に角コルカタだけでも行っておけば、5年マルチが有効になり、停止解除後自由にインドへ行くことができたのだ。だがこの申請は4か月以内に入国しないと無効になり、再度取り直さなければならない。果たしてこんなことがあった後に、インドが簡単に5年マルチを出すだろうか。やはり私のインド旅は完全に振出しに戻ってしまった。

因みにインドが完全にロックダウンするというのは、尋常な対応ではない。本当に外出もできないし、何といっても、インド人ですら入国できなくなるのだ。日本人駐在員の中には、家族を残して出張に出てしまい、家族を出国させることもできない人もいるというからやはり恐ろしい。

ある日のバンコック日記2020(20)ビックリな再会

午後は大相撲大阪場所が始まった。何と観客を入れないで開催される異例中の異例な相撲だった。こうなると力士の息遣いやぶつかる音がはっきり聞こえて新鮮だ。更には行事や呼び出しの声もよく聞こえ、動きもよく見えるので、これまで気が付かなかったことがいくつも見えてくる。そして何より、観客の声援で相撲を取っていた力士、というものが結構いると感じられたのがすごい。これを従来は稽古場では強いが、などと言っていたが、声援効果はある力士にとっては、馬鹿にならないことを知る。

それにしても、力士が一人でも感染したら、場所はそこで終了という厳しい条件が付いている。もし途中で場所が打ち切られたら、優勝はどうなる?記録はどうなる?そこまでしてもやらなければならない本当に理由は何だろうか。相撲はオリンピックとも関連はないだろうに。相撲は神事なのだろうか。プロ野球もJリーグもすでに延期になっている今、なぜ開催するのか、各競技団体の利害関係が問われそうだ。

3月10日(火)日本人のタイ入国も制限

今朝ビックリするような話を聞いた。バンコックから香港に出張に行っていた人が、香港空港でタイ航空に乗ろうとして、搭乗を拒否されたというのだ。タイ政府は既に中国などからの入国者に対して、コロナ陰性証明書の提示を求めているが、そこには香港も含まれるというのだ。日本人かどうかは問題ではなく(日本から来る便では要求されない)、搭乗地の問題なのだ。

この人は日本に戻るなどの選択肢を色々と検討した結果、どうしてもバンコックに戻るため、何と香港の病院に手を回し、PCR検査を受け、その証明を入手したというからすごい。だが、再度搭乗手続きをしに空港へ行くと、今度は『10万米ドル以上の海外保険』の提示を要請されたらしい。クレジットカードの保険に入っていると主張しても、目に見える形を求められたが、振り切って飛行機に乗り込んだ。

そして今度はバンコックの空港でその保険の提示を再度求められ、それがなければ、乗ってきた飛行機で帰れ、と言われたらしい。結局夜の空港でネットを駆使して、オーストラリアの海外保険を探し当て、何とか入手して、無事のご帰還となったというのだ。これはもうただ事ではない。日本ではPCR検査を受けることもできないし、ましてやその証明を英語で出してもらうには気が遠くなりそうだ。私も身の振り方を真剣に考える必要を強く感じた。

ビックリな再会

午後相撲を見た後、出掛けた。前回髪の毛を切ったのが、ちょうど2か月前。ただ最近は濃厚接触に該当する床屋へ行くのが良いのかどうか、また床屋側も言葉が通じない相手に来てほしいのかどうかが分からず、躊躇していたのだ。それでも髪の毛は確実に伸びて行き、限界となったので、一番早く処理できるいつもの10分床屋へ駆け込んだ。

床屋はやはり空いていた。店員もお客が少なくて困っているのだろう。いやそうな表情は見せず(マスクで見えない部分はあったが)、いつもより親切丁寧な対応だった。やはり髪を切るとさっぱりしてよい。ちょっとターミナル21のお客具合を見に、上にも行ってみる。意外とお客がいたので、すぐにMRTに乗って引き返そうとしたが、BTS駅との交差で乗客がかなりいた。

MRTからBTSへ向かうエスカレーターはなぜか2本とも登りになっており、下る人は階段を使うしかない。階段を降りても人が多かったので、それを避けてバスで帰ろうかと、アソークの交差点で信号待ちをした。すると後ろから突然名前を呼ばれた。振り返ったが、そこに立っていた女性が一瞬誰だか分からなかった。

何とその人は5年ぶりに会うSさんだった。彼女と最初に会ったのはカザフスタンのアルマティ、2回目が5年前のカンボジア、シアヌークビル。今回が3回目だが、異常に印象に残る人だったが、まさかバンコックにいるとは思わなかった。聞けば、まだシアヌークビルにおり、たまたまバンコックに来ていただけというからあまにもすごい、偶然だった。日本人だが、日本ではきっと会わないタイプの人なのだ。

近況などを立ち話していたが、とても収まらないので、カフェに行って、話を続けた。彼女の人生はその滞在国や都市を見ても、普通ではなく、何とも劇的だ。5年前に訪れたシアヌークビルも、あれから中国資本が投入され、かなり変化してしまったらしい。今やバンコックとの間に直行便も飛んでいるという。コロナ終了後、機会があれば、シアヌークビルをもう一度訪れてみたい。

話は尽きなかったが、予定もあったので、1時間半ほど話して分かれた。次はいつどこで会えるのだろうか。また楽しみが増えた。因みのこのカフェでは、お客が帰るたびに消毒を行っており、その匂いが飛んで来て長居は厳しかった。既にバンコックは臨戦態勢に入っている感じがしたが、日本は相変わらず、ゆったりと構えている。

ある日のバンコック日記2020(19)自粛の流れが

3月7日(土)再会

昨日も1日炎天下のバンコックを歩き回り、かなり疲れた。ただあるミッションに目途がついたのは良かった。タイも徐々に真夏が近づいてきている。だが、既に来月予定されているソンクラーンの休みも取り消されるらしい。タイのコロナ緊迫感は高まってきているが、日本では学校だけが休校になっており、北海道だけが緊急事態だと言い始めている。

夕方、ブラタモリを見る。この番組、マニアックだとの評判をいつも聞いていたが、ほとんど見たことはなかった。見る機会がなかったというべきだろう。だが見てみると何ともためになることが多い。現在のアシスタント、林田アナはアナウンサーっぽくないなと思っていたら、芸大でピアノを専攻していたというからちょっと驚く。NHKも多彩な人材の採用を進めている。

今日は、甲賀と信楽がテーマ。信楽焼は以前工房を訪ねたこともあり、親近感があるが、最近は朝ドラで有名になっている。この朝ドラ、妙に抑揚がなく、面白いとは言い難いが一応見てはいる。陶芸家というのは本当に難しい仕事だと思う。番組ではお茶壺道中の説明などもしている。

ブラタモリを見終わった頃、部屋を出た。既に辺りは暗くなりかけている。バスでプラカノーンに向かっていく。まあどのバスに乗ってもラマ4通りを走って行けば、プラカノーンに着くので安心だ。ただバスは意外と混んでおり、皆マスク装着になっており、空いている車両を探す。エアコンバスの方が料金が高いので空きがある。

間違って少し前で降りてしまった。歩いてみると、大きな宗氏廟が見えたり、漢字の看板があったりと興味深い。やはりこの辺まで華人がメインストリートを占めていたわけだ。スクンビットまで出たが、道を渡るところがない。仕方なくBTSの駅を上下して向こう側へ降りた。それからGoogleで調べた通りに歩いて行ったが、またしても店が見つからない。有名な沖縄料理屋の横のはずだが。実はそのお店、7時開店だったが、まだ準備中で、やっていると分からず通り過ぎてしまっていた。

その店は日本人が経営しており、食堂というよりは、おしゃれない居酒屋という雰囲気だった。先週勉強会で知り合ったIさんと歴史談義をしようと声を掛けたのだが、何と主催者のY先生も一緒にやってきたので驚いた。何しろY先生を紹介されてから、わずか1週間ちょっと4回目の遭遇とは。普通ではあり得ないことだろう。Iさんは先日の勉強会参加者の中で圧倒的に若く、Y先生の助手的役割を担っていた。

Iさんはベビーカーを押している。お子さんをお店の人やお客さんがあやしてくれている間に、少し歴史談義をした。タイや東南アジアの歴史、そしてY先生が語る昭和の歴史。そこへタイ人女性がサッとやってきて席に着く。Iさんの奥さんだった。食事は何と隣から出前を取れるというので、和食となった。これは非常に便利だが、このお店としてはどうなのだろうか。店主は沖縄出身とのことだったが。

結局殆ど何も話していない、と思っていたが、気が付くと3時間もここにいた。店はいつの間にか満員になり、日本人の若者たちが酔っ払って大声で騒いでいた。コロナウイルスなど、どこ吹く風と言った感じだった。タイの緊張感とは裏腹に、ここは完全に日本だった。

3月8日(日)マラソン+無観客相撲

昨晩珍しく遅くに帰ったのだが、今朝は早起きした。マラソンの男女最終選考レースだった。女子の名古屋ウイメンズは元々中継を見られないので、速報を見て過ごす。男子のびわこは、NHKで中継があるのだが、なぜか30分くらいズレている録画。両方ともに気になるので、スマホで経過を追う。

男子の方は記録も低調で、途中から見るのを辞めて、後でNHKを追うことにした。女子はワコールの一山が快走。何と1月に松田が出した記録をあっさり抜いてしまい、代表に内定した。それにしても、見ている側からすれば面白いレース内容だったが、代表落ちした松田瑞生の心境はあまりにも悲しい。しかも男子ほどではないが、代表になっても本番でメダルの期待とは言いにくいタイムでもある。まあそもそもオリンピックは延期か中止か。そろそろはっきりしてもらいたい。

ある日のバンコック日記2020(18)日系航空会社の対応は

ANAへ

BTSまで歩いて行き、シーロムまで乗って行く。段々外出が不自由になるようなので、一度出かけた際に、他の用事も済ませる方針を取ることとなる。今日はANAの支店へ行き、特典航空券のキャンセルについて相談するつもりだった。何だかネットではキャンセルできないみたいなので、困ってしまっていたからだ。

バンコック支店に行くのは初めてだった。ビルの2階に上がると、店の外まで大勢の人が待っているのが見えた。店内も人で溢れている。どうやら、コロナ関連のキャンセルについて、無料でできるかなど、混乱が生じているようだった。先日のエアチャイナとのあまりの違いに驚いた。

店内に番号の紙があったので取ってみたが、一体何人待っているのか、いま何番の人の対応をしているのかも分からず、困ってしまった。電話も鳴りっぱなしで誰も取ろうともしない。ただ流石にタイ人と思うのは、これだけ訳も分からず待たされているのに、誰も怒ったり、文句を言っている人がいないことだ。

仕方なく支店内をウロウロしていると、白人さんが別室で何やら交渉していた。外で待っているのはタイ人ばかりのように見えたので、私も誰かが対応してくれないか、今の状況だけでも知らせてくれないか、と見回ってみると、マイレージデスクがあり、そこのスタッフが日本語で声を掛けてくれた。

特典航空券の件だというと、親切に色々と教えてくれた。だがそこで分かったことは、なんと『特典航空券のキャンセルは電話でしかできない』という衝撃的な事実だった。先日のエアチャイナは、全てネットでするものだったので、ここで日中のネット事情のあまりに大きな差に愕然となってしまった。日本は、何かあると店へ行くか、電話するかという、いまだに20世紀型の経営なのだ。

宿に戻ってすぐに電話しようかと思ったが、きっとパンク状態だろうと思い、まずはPCで予約の変更を試みたが、6月以降の予約はなぜか入れることができない。なぜできないのか、その辺の事情も分からないので、結局夜10時(日本時間深夜12時)に無料の番号に電話をしてみた。だが案の定、繋がらない。結局1時間以上経って諦めかけた頃、突然先方が応答し、話が始まった。

まあ残念ながら余計な確認やら、お知らせなどで時間をどんどんとられていく。そして肝心の予約変更も可能だというが、なぜネットではできないのか判然としない。最終的にもう一度変更となれば、また電話しなければならないので、キャンセルすることにした。オペレーターもクレームにはウンザリしているだろうから、何も言わなかったが、文句を言いたくさせるに十分すぎる対応ではある。

更に予約キャンセルは電話のみで、メールなどの確認も送られてこないので、不安になってしまう。翌日Yさんに話すと、ネット上の予約を確認するように言われ、すでに消えていたので、ようやくキャンセルを確認した。尚サーチャージの返還に関しては、何のお知らせもなく、1か月ぐらい経ってから、クレジットカードに突然戻されていた。まあこの時期だから文句は言えないが・・??

3月5日(木)コロナ混乱が本格化

昨日は一日中歩き回っていたので疲れてしまった。今日は朝から部屋にこもって過ごす。何と楽しみにしているプールも閉鎖されるらしい。運動不足が加速する。この宿では2月に最新式のジム器具も入れたばかりだが、使われることもなく、ジムが閉鎖されている。段々気がめいってくる。

ニュースを見ていると、日本では迷走が続いている。ついに中国と韓国からの帰国者に対して、2週間の自宅待機が要請された。既に遅すぎるだろうとの指摘が多く寄せられている。しかしそれにもかかわらず、オリンピックは通常通りに行うというのだ。あの元総理などは、精神論むき出しで、マスクなどつけず頑張ると言っているから驚きだ。日本が仮に開催しても世界の誰がやってくるというのだ。日本の政治家はどこを向いて話しているのか、全く分からず、困惑する。まさに狂気の沙汰だ。

いよいよタイからも日本が危険な国とみられるようになり、『タイ入国日本人も2週間隔離か??』とのうわさが流れ始めた。最近日本語で話していると、周囲のタイ人の目が厳しくなってきているのが分かる。私は既に2か月近く日本に帰っていない、と説明しないといけない状況になってきている。ちょうど部屋をもう1か月借りる契約をしたが、これは正しい選択だっただろうか。神のみぞ知る、というところか。

ある日のバンコック日記2020(17)バンコックのランチ

2月29日(土)近現代史の会

今日は4年に一度の2月29日。8年前のこの日に母の葬儀を行ったことが思い出される。何しろ大雪が降っていたのだから、忘れられない。母からこの日を忘れるな、と言われているようだが、やはり4年に一度思い出す程度では、誠に申し訳ない。

今回は珍しく、日本人の集まりに参加することになっていた。時期的にどうかと思っていたが、Y先生のお誘いもあり、またテーマにも興味があったので行ってみることにした。待ち合わせまで時間があったので、久しぶりにプロンポーンにある洋食屋に入ってみた。11時半過ぎだというのに、結構混んでいて、相席と言われてビックリ。まあ単身赴任のおじさんなどがランチを求めてきたのだろう。メンチカレーを美味しく頂く。味噌汁が付いているのが如何にも洋食屋でよい。

Y先生に連れられて、日本人が主催している貸しスペースへ向かう。ここは2-3年前に一度、お茶会を開いた場所だった。比較的年齢層の高い方々が10数人集まってくる。今日のテーマは日本国憲法。講師の方が非常に丹念に調べた結果をきれいにまとめて発表され、とてもきめ細かい内容で正直驚いた。憲法論議はとかく改憲だ、擁護だ、アメリカの押し付けだと政治的な話しになりがちだが、元々歴史的にはどのような過程を経て作成されたのか、史実に基づいてもう一度きちんと整理するべきであり、その上でぎろんすべきであろう。大変勉強になった。

3月1日(日)東京マラソン

今朝は早く起きてみた。というのも、東京マラソンが開催されるので、そのレースの様子を知りたかったからだ。スマホを見てみると、FODというので、生中継するらしい。海外でもVPNをかませれば、視聴可能ということで、設定を試みた。基本的に東京オリンピックが7月に開幕する可能性はほぼないが、MGCの結果もイマイチだったので、代表権のかかったこの大会は見ておきたいという気持ちがあった。

案の定、一般参加の3万人のランナーは走ることが出来なかった。正直に言えば、各スポーツが自粛されていく中、この時期にマラソンなんてと思ったが、東京では応援自粛要請にもかかわらず、7万人以上の観客が沿道で応援していたというから、これには世界も驚いたことだろう。

最初は部屋で見ていたが、ネット環境が弱く、途切れがちで困った。途中から1階のロビーに行き、何とかレースを追うことができた。大迫は途中で一度遅れたが冷静だった。井上は最後までもたなかった。設楽は最初から調子が悪かったようだ。まあとにもかくにも、日本新記録でゴールにたどり着いた大迫はやはりすごい、彼こそが世界で戦える人材だと言わざるを得ない。

来週のびわこもあるが、男子はこれで決まりだろう。後はいつオリンピックが開かれるかにかかっている。個人的にはロンドンで可能ならば、会場を移してもよいと思っていたが、ヨーロッパも徐々に感染が広がっているようだから無理だろう。マラソンは東京オリンピックなのに札幌でやるのだから、ロンドンでもどこでもできるところでよいではないか。まずは選手のことを第一に考える、現実的な対応が欲しい。

何だか朝早く起きて、ちょっと興奮してホッとしたら、お腹が空いた。昼前に近所のマックに行ってみると、いつもの日曜日なら子供連れが沢山いる店内に客は全くいなかった。代わりにデリバリーの配達員が数人オーダーしており、受け取りを待っていた。いよいよバンコックでも外出自粛が本格化する感じだ。後から中国人が入って来て10人分ぐらいの大量オーダーをして、テイクアウトで店員と何か揉めていた。その後白人カップルがやってきたが、店内は本当に静かだった。私も食べたらさっさと立ち去る。

3月2日(月)ランチ会

1週間前にランチ会があり、それが意外と楽しかったので、今回もお茶会メンバー数人でランチを食べることになった。今回の場所はエカマイ、ということで、バスで向かうつもりだったが、そこはタイのバス。いつになって出発せず、つい我慢できなくなって、バイタクを拾って進む。だがバイタクはやけに早い。時間前に着きそうになったので途中で降りて、時間調整しながら歩いていたら、何と店を通り過ぎてしまった。

洋食屋さんで、ハンバーグセットを食べる。デザートにティラミスまで出てきて、美味しく頂く。ただ今回は主催者のMさんが都合により欠席となったこともあり、余り方向感のない話になってしまったようで申し訳ない。やはりお話会というのは、きちんとしたテーマがあった方が話しやすいようだし、質問などもしやすいのだろう。

ある日のバンコック日記2020(16)サトーンでフライトキャンセルして

2月27日(木)エアチャイナからサトーン散歩

元々3月5日に予約していた東京への帰国便。中国のエアチャイナの北京経由であり、今北京に入ることはどう考えても得策ではないので、フライトキャンセルの連絡をずっと待っていたが、成田便はキャンセルになったが、結局羽田行きは最後まで飛んでおり、こちらからキャンセルする羽目になってしまった。

旅行会社のYさんによれば、『すでに半分使ってしまったチケットを自己都合でキャンセルする場合、一般的には返金はないが、今回はコロナという特殊要因があるので、オフィスに行って相談してみたら』と言われたので、訪ねていくことにした。

シャワーのような雨が突然降ってきたが、ほどなく止んだ。最近雨も降っていなかったので、政府が人工的に降らせたんだろうか。雨が降っていないであればと、エアチャイナのバンコックオフィスへ行く気になった。サトーンの立派なビルに入っており、バイタクに乗ってそこまで行ってみた。オフィスビルなので、受付で入館証をもらい、機械を通して、エレベーターに乗る。まるでビジネスでの訪問のようで、何とも懐かしい。エレベーターも目的階以外には停まらないシステムで、まごまごする。

驚いたことにエアチャイのオフィスに、お客は誰もいなかった。暇そうな係員に事情を説明すると、『えー、なんでわざわざ来たの。皆ネットで申請するんだよ』と言いながら、コロコロと笑われた。確かに今の中国ならそうなのだろう。そして彼女はURLを教えてくれ、キャンセル事情にコロナの欄があるから、そこを選べば、いくらかの返金がある、と説明してくれた。

不安だったので、その場でスマホを操作すると、あっという間に完了する。10-15日で返金額などの連絡があると書かれている。これは良かった、有り難い。でもいくら返ってくるのだろうか(結果は何の連絡もなく、いきなり3週間後に総チケット代の半額より少し多い額がクレジットカードに戻されており、大満足))

折角なので、この付近を散歩してみた。確かこのビルの後ろには華人の墓があったことを思い出す。恐らく華人がバンコックにやって来た頃からある墓なのだろう。とすると、その頃、シーロムなどは野原だったのだろうか。そういえば近くにはヒンズー寺院もある。風水がよいからこの地が選ばれたはずだ。かなり立派な墓があるが、近づいていくと数匹の犬が吠えてくるので、それ以上近づかなかった。

もう一つ別の門があり、客家系との表示が見える。犬はいないので、墓の文字などを見ることもできた。潮州系が多いようだが、福建系もいる。客家かどうかは墓を見ただけでは判別できない。この周辺、表通りは現代的なビルがどんどん建っているが、裏側には墓があり、かなり古い教会もある。100年以上前の建物も保存されており、歴史を感じた。

夕方宿に戻ると、LINEが入ってくる。最近は色々と情報が必要だから、これは便利だ。その内容は『タイが緊張し始めた』ことを示していた。北海道に観光に行ったタイ人が帰国後、感染者だと分かり、大騒ぎ(北海道旅行を隠していた)になっているという。バンコックに来る日本人出張者のアポがキャンセルされ始めており、タイ人スタッフも出張者のみならず、日本帰りの駐在員を歓迎しないムードが漂う。

夜、日課となったNHKニュースを見る。何と突如安倍さんが全国の小中高校を一斉休校にすると発表して驚いた。確か昨日オリンピックは予定通りと言っていたではないか。そんな国がなぜ学校だけを閉鎖するのか。きちんとした説明もない。瀬戸際とか、正念場倒壊う言葉が飛び交う。しかも文科省も話を聞いていなかったようであり、現場は大混乱。日本という国が恐ろしく見えてきた。

そのままNHKを見ていたら、『世界は欲しいものにあふれている』という番組で、『タイのパン』特集を放送していた。さっきビックリニュースを見たかと思うと、今度はふんわりしたパンのお話しとは、NHKもなかなかやるな、この配置。バンコックにも美味しいそうなパンが沢山あることが紹介されており、さらにそこに日本のパンなども持ち込まれていく。

是非店に行って味わってみたい。そういえば、リトル-マーメイドがバンコックに進出しているが、何とあんパンが70バーツもして、ヤマザキパンの2倍だから、私にはとても手が出ない。日本のパンは高級品だが、タイのホワイトカラーはこれが消費できるようになってきている。

ある日のバンコック日記2020(15)ちょこっとヤワラー

そういえば、先日AISショップで買ったシムカード、1か月の期限が到来寸前だった。プロモーションということで1か月使い放題、僅か200バーツという格安だったが、今度買う時はどうなるのか心配だった。恐る恐るテスコのAISに出向いてみると、何とまた200バーツで1か月継続になった。空港で買うと1000バーツ出しても使い放題にはならないのに、いったいこれは何だろうか。

2月25日(火)ヤワラーへ

数日は、おとなしく宿で勉学にいそしむ。今回は勉強用の本は沢山持ってきており、プールで体を冷やしたのち、ゆっくりと本が読める環境もあるのは有難い。ただ時折中国人の若者などがけたたましく騒いでプールに入るのはいただけない。もう騒がしい中国人はいないと思っていたが、ずっとこちらに滞在している人がいるらしい。

昼ご飯後、久しぶりにヤワラーへ向かった。MRTは何となく空いており、ファランポーン駅も人が少なかった。今日はこれまでと少し違って、この駅の周辺、ヤワラーの中でも早めに発展した場所を訪ねてみる。マイトリッチ通り、余り歩いたことがない。直ぐに細長い古びたビルを発見。マンションと書かれている。100年は経っているだろうか。

その裏側、駅と運河を挟んだ向かい側にあるホテル、シークルンホテル(京華大旅社)が建っている。ここはレトロで立派な駅前ホテル。往時は有名人なども泊っていたらしいが、今や老朽化が激しく、取り敢えずOYOグループに吸収されてしまったらしい。中に入るともう少し色々と分かったのかもしれないが、何となく入る気に慣れず、通り過ぎてしまった。

マイトリッチ通りに戻ると、すぐに七聖媽廟がある。その横には斗母宮、これは一体なのだろう。更に歩くと、タイで最古のプロテスタント教会、マイトリッチ教会がある。華僑区礼拝堂と書かれているものの、やはりこれは潮州人のためにあるようで、礼拝は潮州語でも行われるらしい。商人の信者が多い教会なのかもしれない。中の建物はさほど古いとも思われないが、1935年と書かれている。

この付近には、古い建物を利用したカフェやゲストハウスが少しみられるが、ヤワラー通りと比べれば、本当に静かだ。ぐるっと回って、王さんの集友茶行でお茶を飲ませてもらった。ここでバンコック茶商公会の資料を得ようとしたのだが、既に公会は有名無実化しているようで、資料はない、と言われてしまった。

帰りに駅に寄ってみると、待合室では相変わらず大勢の人が列車を待っている。これで良いのだろうかと思うほど密集している。私も列車の旅がしたいと思い、バンコック近郊の路線を探すが、タイ語でよく分からない。駅から道路の向こうを見ると、ステーションホテルと書かれたて建物が見えた。あれは何だろうか。

夜NHKを見ていると、東北大学の押谷先生という人が出ていた。SARSの時にWHOで陣頭指揮を執っていた感染症の専門家だという。こういう実戦を経験した人の話は何とも説得力があってよい。ただ、ウイルス検査が進まないのは、日本には検査体制が出来ていないから、と言えない事情があるようで、何ともかわいそうな気がした。

とにかく日本は人の命より、パンデミックよりオリンピックなのだろう。同時に受け入れられる病院、ベッドに相当に限りがあることは、日本の医療体制はあまりにもぜい弱だ、ということを露呈しているのではないか。ただいまそれを言っても仕方がない、最善を尽くす、という姿勢が感じられた。

2月26日(水)K先生と

今日も午後はヤワラーの続きを歩こうとバスに乗っていた。するとK先生から『今から時間がある』と連絡があり、急にバスを降りた。なぜか今日は道路が混んでおり、ほとんど進んでいなかったが、降りた場所には屋台に毛の生えた食堂がいくつもあり、意外と美味しそうに見えたので、今度偵察することにして、MRTの駅に向かった。

相変らず会合場所はスクンビットのチョコ屋。場所が固定されているのが考えなくてとても良い。前回お会いしてからまだ数日も経っていない。まるで恋人のようだと冗談を言う。今日お会いしたのは、こちらから華人に関するある質問を投げたからだったのだが、その説明をメッセージでやるのは大変、ということで、口頭で説明をもらった訳だ。

更には前回話題に上がったミャンマー行きの情報も共有した。シャン州の中でも外国人は陸路で行けない場所もあることやソーボアの末裔情報など。ちょうどミャンマー茶の謎に関する原稿を書き上げたばかりで、そのなぞ解きをした気分ではあるが、果たして行けるのだろうか。今の時点でミャンマーには感染者はいないというが、中国人があれだけ入っていて、ゼロはないだろう。事態はどんどん悪い方向に走り始めている。