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ある日の台北日記2019その2(10)高雄六亀のブヌン族を訪ねて

5月2日(木)
高雄六亀にブヌン族を訪ねる

翌朝は5時に起床、6時前にはホテルをチェックアウトした。今日はまた高雄に向かう。ホテルに朝食が付いていたが、食べる時間がないというと、ランチボックスを用意してくれていた。台湾もこういうサービスがあるのか。でも中味はパンと水だったので、もう少し何とかし欲しいとの欲も出る。

 

トミーの車でまずは高鐵台南駅へ行く。ここでトミーの姉、サニーと落ち合った。今日はサニーの同級生に案内を乞うており、彼女もわざわざ台北から駆け付けてくれた。前回の高雄も嘉義から入っていったが、今回も台南から現地に向かう。高雄はかなり広い地域で山が多いのは意外だった。

 

小雨の中、1時間ほどで六亀の街に着いた。ここでサニーの同級生、ブヌン族のアンドリューと合流して、早々に山の中に入る。アンドリューは大学卒業後アメリカに渡ったが、今はこの地の住民代表をしているという。今ちょうど山で茶の作業をしている親族がおり、午後は大雨かもしれないというので、急いで向かう。その山道はかなり細く、山に慣れているトミーも運転し辛らそうだった。

 

山の中に茶畑が見えた。アンドリューは携帯で親族の所在を確認しようとしたが繋がらず、車から降りて大声で呼び始める。如何にも原始的な風景にビックリ。そして何とか親族夫妻を見つけ出し、老茶樹を見ることができた。この付近には山茶と呼ばれる茶樹もあるが、後から植えられた烏龍などが多い。茶業はいつから始まったのだろうか。

 

 

 

実は日本時代末期、茶業試験所の谷村愛之助技師がこの地に踏み込み、アッサム原生種を発見した、との記事を目にしたことがあった。それは当時の京都帝国大学演習林内にあったようだが、この付近のことなのだろうか。それをどうやって確認すればよいのか、今やその術はないように思われた。

 

アンドリューが村にある一軒の家に入っていく。そこには94歳のブヌン族夫婦が待っていてくれた。アンドリューとは遠い親戚にあたる。何と二人ともほぼ完ぺきな日本語で話す。ここで出てきた話はかなり衝撃的だった。いつものように原住民は製茶にはほぼ関わっておらず、ここの茶作りは最近始まったという。だが日本時代、ここにも公学校が出来て、日本人の先生一家が住み込みで教えていた。当時小学生だった奥さんは、先生の家で子守をしていたそうだが、先生の奥さんが『茶の葉を摘んできて、それを自分であぶって揉んでいたのをよく覚えている』というのだ。当時の日本人は、一般人でも簡単な茶作りが出来た、という証拠かもしれない。それでブヌン族も茶の存在を認識し、飲むようになったというのは面白い。

 

肝心の原生種の話。新聞記事に載っている地名をいうと、『この近くだ』というではないか。更には『そういえば、当時は様々な調査をしに日本人が来ていた』というから、谷村もその一人だったかもしれない。ここで発見された茶樹を使い、紅茶生産が計画されたが、戦争によりとん挫したため、詳細はやはり不明のままだが、興味深い事例だと思う。

 

94歳の夫婦は、話し始めると色々なことを思い出していき、その思い出をどんどん話してくれる。親族は大体内容が分かっているようで、日本語にも拘らず、時々合いの手を入れているが、アンドリューやトミーは全く内容が分からない。通訳してくれと言われても、そのスピードと内容、難しい。最後に奥さんは日本語の歌を歌い始める。戦前の流行歌だと思うが何という曲かはわからない。小学校唱歌などではないから、先生の奥さんか教えられたものだろうか。その歌が何曲も続き、遠くを見ながら子供の頃を思い出し、あふれ出てくる姿に、日本統治の意味を考えた。因みにここの地名は『桃源郷宝山村』である。

 

街に戻り、林業試験場六亀分場に行ってみる。行けば京大関連の資料があるかもしれないとのことだったが、昼時だからかそこは閉まっており、聞くことは出来なかった。日本時代、なぜここに演習林が置かれたのか、その中で茶業については何か研究されたのか、など、興味深いテーマではあるが、調べる術が見つからない。

 

昼ご飯に麺を頂く。付け合わせで出てきた小菜が美味しいとお替りする。その後、先ほどの茶業夫婦の家に行き、お茶をご馳走になる。非常にシンプルな製茶設備があり、原始的な作りとなっている。紅茶と緑茶があるようだ。もう少し原生種の特色が分かるようなお茶だと、注目を集めるのではないだろうか。基本的に歴史的にはかなり意義のある茶産地なのだから、何とか発展してほしいと思う。

 

帰りも行きと全く同じルートを取る。台南高鐵でサニーを下ろし、私は台中高鐵まで乗せてもらう。サニーと一緒に台北に帰ればよいのだが、一つは台中から乗った方が安いこと、もう一つはトミーと車中で今日のまとめ、反省会をすることが目的だった。この短期間に2度も高雄山中に連れて行ってくれたトミーには感謝しかない。

ある日の台北日記2019その2(9)南投で歴史を聞く

5月1日(水)
南投で

日本の元号が令和に変わった。昨日は天皇退位の儀をテレビで見ていたが、何とも淡々とことが過ぎていく。今日は新天皇の即位だが、勿論私の生活には特に変化はない。今日は埔里と魚池へ行くため、またもや早朝の高鐵に乗る。そしていつものようにトミーが車で待っていてくれ、また歴史調査が始まる。

 

今回はまず埔里に行き、昨年突然訪ねた劉さんの所に行ってみる。もし在宅ならば話を聞こうと今回もアポなしで出掛けて行くと、運よく、前回と同じ椅子に座っていた。ただ昨年足を怪我したということで、歩くのが少し大変になっている。それでも95歳にしては、まだまだ元気そのものだ。

 

劉さんは流ちょうな日本語を話してくれる。劉さんも光復後、この付近で茶業に長年携わっていたことから、魚池の分場長だった林復氏とはやはり面識があった。というより、彼は日本時代の持木茶園に勤めており、持木一族が引き上げた後、台湾茶業(後の台湾農林)に接収された持木茶工場の工場長をしていたというので、そちらの方に興味を惹かれた。劉さんは持木工場後、自ら茶の販売を長く行い、今でも一部の贔屓客より注文を受けているらしい。

 

次に魚池に王さんを訪ねた。こちらも89歳になっているが、とても元気で、日本語も話す。王さんは光復後茶業伝習所5期の卒業生であり、林復氏が所長(校長)を辞める頃卒業していた。勿論面識はあり、色々なことを教わったという。卒業後は故郷に戻り、台湾農林の茶工場で働いた(茶業伝習所卒業生の義務)。因みに王さんのお父さんは渡辺茶園の創設と関係が深く、ある意味魚池で最初に紅茶作りをした人々なのではないかと思われる節がある。またお兄さんは新井さんがいた試験場に会計係として勤務していたようだが、早くに亡くなってしまったという。

 

昼ご飯に鶏肉を食べると、まだ時間があったので、王さんの孫が整備中の茶工場へ向かった。ここは魚池農会の真向かい。小高い所に茶畑を配して、露営キャンプ場、横にはホテルも建設中だ。茶工場は最新設備を整えて既に稼働しているが、今月工場の上の階に売店、試飲室などが開業予定で、ついに本格的に動き出す。規模もかなり大きく、日月潭から近いこともあり、大勢の観光客の来場が見込まれている。これからの時代、単なる茶業ではなく、観光も織り交ぜた取り組みが必要かもしれない。

 

午後は8年ぶりに鹿嵩の和果森林へ行く。前回ここの石さんから色々な話を聞いていたのだが、91歳になった石さん、何と以前よりずっと若くみえるのはすごい。水泳、ウオーキングなどを日課としているらしい。記憶力も衰えておらず、こちらの質問にもはっきりと答えてくれるので有難い。

 

石さんは先ほどの王さんより2つ年上で、茶業伝習所の光復後3期卒。ということは、林馥泉所長から、林復所長に交代する時期であり、両者の学校時代、そしてその後の茶業でのかかわりについて、かなり有益な情報を得ることができた。やはり林馥泉氏は光復の時に台湾に渡り、日本の茶業資産を接収したメンバーだったのだ。また午前中に会った埔里の劉さんは石さんの先輩にあたり、何と持木茶工場での劉さんの後任が石さんだということも判明して驚く。

 

石さんは私のことは忘れていたかもしれないが、娘さん夫妻は覚えていてくれたようで、再会を喜んだ。和果森林はこの地域で観光を取り入れた先駆的な茶業者であり、DIYなど、素人に茶を自ら作らせる体験型を導入したところだ。娘さんは最近日本でもセミナーを開くなど、紅茶販売促進に努めている。最後に彼女から『実は持木さんの末裔の方とは交流がある』という有力な情報も得、後日連絡を取り合うようにもなった。やはり現地で聞きこまなければ情報は出てこないものだ。

 

トミーの車で台中駅まで送ってもらった。何と大学の同級生夫妻がGW休みで台中に来るというので、今晩は同じホテルを取り、夕飯を共にすることにしていたのだ。彼らのホテルには私も何度か泊ったことがある、駅前のとても便利な場所だった。台中駅も今や完全に新駅が完成して、様相は一変している。

 

トミーから聞いた鍋の店へ、タクシーに乗って向かった。そこは日本的な入口でちょっと不思議なレストラン。鍋もあったが、なぜか店員は薬膳料理を勧めてくる。まあ折角だから、と薬膳定食を頼んだが、なぜここでこれを食べているのか、よくわからなくなってしまった。翌日トミーにそのことを告げると『なんで鍋を食べなかったの?』と言われてしまう。勧められたものをちゃんと食べるべきであった。ホテルに戻り、そこでお茶を飲みながら、他愛もない話をして過ごす。これも同窓生ならではあり、リラックスできて有り難い。

ある日の台北日記2019その2(8)涼しいので麺ばかり

4月26日(金)
台湾大学で

久しぶりに調べものがあり、台湾大学へ向かう。大学裏門にUバイクを停めて、早餐店にて、ハンバーガーを食べる。さすが大学近くの店だから、他よりもボリュームがあり、安い気がする。と言っても台湾大学の学生はお金持ちも多いようで、こういう店よりスタバの方が人気は高い。

 

大学の図書館には何度も行っているのだが、その度に前回探した資料の場所を忘れてしまい、また一からやり直すことになるのは、本当に困ったことだ。今日は呉振鐸茶業改良場元場長の論文集を見に来たのだが、何とその本はご本人から大学に献本されたもので、直筆の署名がされていて驚いた。そういえば、呉氏は台湾大学教授という肩書も長年持っていたのをうっかり忘れていた。

 

夕方学内で、日本語中心主催のセミナーがあるというので、覗いてみた。講師はよく見たら、以前ロータリークラブであった蔡さんという方だった。そしてご専門がマーケッティングだと初めて知り、かなり細かい動向調査と分析がなされ、ちょっと勉強になる。パワーポイントは日本語だが、お話は中国語で進められる。

 

SNS利用率は、台湾の方が日本より高い。特に高齢者世代も使っている点は時々感じている。スマホ決済も中国のようには進んでいないが、今後どのように活用するのだろうか。世代間格差、経済低迷による若者の不安定さ、など共通の話題も多く出てくる。日本に比べれば、フットワークが軽いと思える台湾だが、どうだろうか。

 

確かに日本と台湾、似ているようにも思えるが、消費者の行動パターンなどはかなり違うようだ。参加者は学校の先生と学生、そして一般人もいた。日本人も数人おり、無料でお話が聞けるのは素晴らしい。お茶の勉強ばかりせずに、偶にはこのような刺激を受けるのも良いかと思う。

 

4月27日(土)
寒いので麺ばかり

4月も終わりだというのに、雨が続き、気温が低い台北。これはちょっと異常なのではないだろうか。原則週末は出掛けずに、資料整理などに使う予定なのだが、ご飯だけは食べるために外へ出る。いつもなら、もう暑くて汗が噴き出すので、スープ麺など食べないのだが、この気候だと麺だな、と思ってしまう。

 

まずは小雨の降る中、久しぶりに焼鍋麺を食べに行く。ここのスープは海鮮出汁が効いていて、結構うまい。そして揚げた麺との相性がかなり良い。もう今シーズンは食べる機会もないかなと諦めていたのだが、ちょうどよかった。これで75元はお値打ちと言えよう。さすがにお客さんが多いのもこの気候のせいだろうか。帰りに近所にできた、ミニ鯛焼き屋にも寄ってしまう。寒からな。

 

夕飯もまた雨。気温も20度ぐらいしかない。これなら矢張り麺か、でも遠くには行きたくない。その場合は、刀削牛肉麺に行くのがよい。近年牛肉麺屋はどんどんでき、そしてなぜか値段もどんどん高くなっている。だがここは120元で、肉がゴロゴロ入っており、麺もしっかりしている。いつも更に安い牛肉湯肉糸麺を食べているのだが、今日は奮発した。豚足麺でも良かったかもしれない。

 

日曜日の昼、雨が降っていなかったので、少し歩いてみる。偶には米を食べようかと思ったのだが、やはり麺に引っ張られた。温州雲吞麺、これはチェーン店でもどこにでもあるのだが、なぜかたまに食べたくなる。あっさりしたスープと大きな雲吞がよい。そして小菜を食べてちょうど100元という価格設定も悪くない。

 

台湾にはかなりの種類の麺があり、麺が好きな私には有り難い。確か以前トルコに行った時、麺が殆どなかった(豚肉もなく中華もなかったか)時は、2週間が本当に長く感じられたものだ。特に今回のように涼しいときに温かい麺を食べると体にも優しく元気が出て有難い。台湾はご飯ものや小龍包だけではないのだ。

 

4月29日(月)
張さんがやってきた

今日は天気が良く、暖かくなってきた。先日ホーチミンの張さんから連絡があり、今台湾に帰省中だが、1日だけ、台北にやってくるという。その理由は師匠に会いに来るというものだった。彼が師と仰ぐのが、意翔村の陳さんだ。張さんは大学時代の卒論が茶貿易というだけあって、色々な知り合いがおり、お茶の歴史だけではなく、茶作りにも真剣に取り組んでいる。その師匠として、陳さんは適任と思える。

 

店までは歩いて10分ちょっとと近い。入っていくと、奥さんと張さんがいた。なぜか奥さんに会うのはこれが初めてだと思う。いつも店にはベテランの男の人しかいない印象だった。張さんは今年旧正月休みで帰省中、故郷豊原で会っていたが、何度会っても面白い人物だ。

 

今回は3月の四川旅行でゲットしたお茶を渡すのが目的だった。彼は探求心が旺盛で、様々なお茶に興味を持っていたので、合わせて日本の茶も少し渡しておいた。相変らず陳さんから少し歴史談義を聞き、いくつか質問をして、収穫を得た。その後は子弟再会の邪魔をしないように退散する。張さんには茶作りに関して聞きたいことが山ほどあるはずだ。

ある日の台北日記2019その2(7)お茶の歴史調査で

4月21日(日)
本屋へ

茶の歴史調査、ここのところヒアリング調査が主になっていたが、やはり資料との睨めっこも必要だと思い、偶には本屋に足を運ぶ。図書館では色々な資料を見てきたが、出来れば手元に置きたい本もある。最近出た雑誌にも興味深いものがある。なぜか南京路の方に出向いていく。

 

この辺に本屋があったな、という辺りに来てみる。よく見ると何とそこはフランス語専門書店?ちょっとおしゃれだなと気になっていたがよく見ずに失敗した。そこには入らず(入っても読めない)、歩き出すとオシャレな出版社?が見える。中に入るとレストランになっており、大勢が食事をしていた。

 

本を読みながら食事する、お茶を飲みながら本を読む、そんな空間のようだ。最近台北にはこんなところが増えている。2階には本の展示があるというので上がってみたが、何と硬派な政治家の本が並び政局が語られている。出版社も不況で、硬軟取り混ぜた様々なアイデアを出している。日本の出版社はどうなんだろう。本が売れないとただ嘆いても何の解決にもならない。

 

結局歩きに歩いて、誠品に行きつく。ここの売り場は広く、探そうとしていた茶関連の雑誌は、何と2冊も置かれている。台湾史コーナーも充実していて驚く。図書館で読んだ本も何冊かは販売されており、思わず購入してしまった。UCCのインタントコーヒーが1つ無料で付いてきた。

 

 

こんな近くに立派な書店があるとは気が付かなかった。これからは偶に顔を出してチェックしよう。そういえば中高生の頃は本屋に行くのが楽しみだったことを急に思い出す。台湾の書店は、若者が通路に座り込んで本を読んでいてもOK。買った本を隣のカフェで読んでいる人もおり、何となく楽しそうだ。そういえば誠品は東京に進出するらしい。本屋もあるのだろうか。

 

一度家に帰って、夕方またバスに乗り出掛けた。先日突然30年来のお知り合いであるTさんから連絡があった。ずっと北京にいると思っていたのだが、何と台北に来たらしい。しかもこれからはここに駐在するという。早々宿泊先のホテルを訪ね、久々の再会を果たす。実はこの界隈は、私が30年前に住んだ場所だが、殆ど変わっており、店もよくわからない。

 

Tさんはスタスタと歩きだし、一軒の日本食屋に入った。東京でも有名なうなぎ屋らしい。こういう店が、フラッとあるのが今の台北だろう。店員の案内も待たずに空いた席に着く。店員がちょっと困った顔をする。Tさんはまだ何となく、中国大陸的振る舞いが抜けていないようだ。それは私も十分に分かるのだが、これで北方の普通話を話せば、台湾で嫌がられる可能性もあるので、そのことだけは伝えておいた。今の空気感、北京と台北ではかなりの差があるだろう。あなご丼は美味しかった。これからはTさんが台北にいるので楽しみだ。

 

4月23日(火)
製茶公会へ

今日は製茶公会に黄顧問を訪ねることにしていた。その前にいつもの銀行で両替。順番を待っていると、前のお客が窓口で日本円への両替を申し出た。そして出てきた札を見て、『このお札、まだ使えるの。大丈夫?』と何度も聞いていた。係りの女性は『使えます!』ときっぱり答えていたが、私の番が来ると小声で『日本って、いつからお札新しくなるの?』と聞いてくる。

 

私は思わず、『心配ご無用、確か2024年からだから』と答えると、そこにいた全員が唖然とした表情を浮かべ、『なんでそんなに時間がかかるの?』と聞かれても、『それは日本だからさ』としか答えようがなかった。余りのスピード感のなさに驚く、というか、なぜこのタイミングで5年先のことを発表するのか確かに理解に苦しむ。

 

昼過ぎに公会近くまで行き、久々に客家料理屋に入る。やはりここのホルモン系はいつ食べてもおいしい。肉はささみやヒレではなく、脂身や皮、そして内臓系がうまいと思う。でも我が家では私は完全少数派であり、台湾などで一人楽しむしか仕方がない。本当にうまいものとはなにか、を考える。

 

公会では黄顧問と総幹事がいつものように、色々と教えてくれた。黄さんは理事長として、林復氏と一緒に活動したこともあり、勿論呉振鐸氏とは常に顔を合わせていた。林馥泉氏、林復氏は共に製茶公会の総幹事を長く勤めているが、残念ながらその資料はさほど残ってはいないらしい。

 

理事長は注目されるが、縁の下の力持ちで、実質的に会を取り仕切る総幹事については、書き残されていない(自分で書くわけにもいかない)のが実情だ。ただ両氏には文才があり、公会の雑誌にはかなりの文章を寄せていることが後で分かった。ただこれとて、本人の履歴を知る手掛かりとはなっても、決定打にはなり難い。資料集めは苦労が絶えない。

 

帰りに中山の誠品に寄ってみた。本は先日見たので、地下に降りると、きれいなフードコートがあった。日本食店も見られ、私はなぜか讃岐うどんに引きずられた。急に食べたくなるのだ、うどんは。温泉卵入り豚肉うどん、美味し!丸亀製麺は時々食べるけど、こっちの方が美味しいかな。時間が早かったから席があったけど、夕飯時なら座れないかもしれない。何となく幸せに一日が終わる。

ある日の台北日記2019その2(6)鹿谷にて

4月20日(土)
鹿谷で

翌朝は早く目覚めた。この宿は朝食付きだというので8時に降りていくと、カウンターにハンバーガーと豆乳が置いてあった。宿泊客は私しかいなかったようだ。金曜日の晩だったが、雨のせいだろうか。そうこうしている内にUさんが迎えに来てくれ、一緒に農会へ向かう。

 

農会がちょうど開店した瞬間にオフィスに入っていくと、林さんが待っていてくれた。お茶を飲みながら、茶の歴史、今回は特に林さんの師匠である呉振鐸氏について、突っ込んで聞いてみた。茶業界では最も有名な専門家の一人である呉氏だが、彼が外省人である、云々と言った話に出会ったことは殆どなかった。これから蒋介石と共にやってきた福建人の中で、台湾茶業に貢献した人物にスポットを当てたいと考えている。

 

呉元場長について、林さんは『自分より良く知っている人々』を数人挙げ、連絡先なども分かる範囲で教えてくれた。これは何とも有り難い。もう少し話を聞こうとした時、スタッフが林さんを呼びに来た。何と今日は農会の社員旅行で、林さんはその忙しい中、私に対応してくれていたのだ。何とも申し訳ない。外へ出ると大型バスが停まっており、すでに全員乗り込んでいたので、恐縮してしまった。これからどこへ行くのだろうか。

 

我々もこれからどうするのだろうか。Uさんが『ちょっと茶畑を見にいく』というので、バイクの後ろに乗る。そしてバイクは坂道を上がり、山の中へ向かう。到着したのは、茶工場。そこには林老師がいた。何となく雨を気にしている様子で、早々に皆で茶畑を見に行くことになる。

 

これまで何度も鹿谷には来たが、初めて見る茶園がそこにあった。そこでは今まさに茶摘みが行われている。かなりの急斜面であり、道路から登っていくのはかなり怖かった。地元の女性たちが元気に茶摘みしているのだが、最高齢は84歳とか。平均でもゆうに70歳は越えているだろう。これはかなり厳しい労働だと言わざるを得ない。

 

少し雨が降り出した。摘み取られた茶葉が計量されて(計量はどこの茶産地でも真剣勝負な雰囲気)、次々に茶工場に運ばれていく。ここのところ雨続きだったので、今日に期待していたようだが、残念ながらここまで、という感じになっており、皆さん少し緩んできていた。やはり山の茶摘みは時間との闘い、いつ天候が変わるか分からないのだ。

 

茶工場では、すでに多くの葉が萎凋されていた。これからいくつかの工程を経て、明日には凍頂烏龍茶になるのだろう。果たして出来はどうだろうか。皆さん、心配顔のように見えた。幸い雨は強くはなかったので、バイクで戻り、昼ご飯に麺を食べた。そのまま偉信の所へ寄ろうとしたが、隣に住むお父さん、林老師に招き入れられた。どうも彼は体調が悪いらしい。

 

林老師は茶作り中にもかかわらず、戻ってきて相手をしてくれた。何とも有り難い。私が更新しているFBも欠かさず見ていてくれ、コメントももらっている。せっかくの機会なので、凍頂烏龍茶の歴史を聞き、合わせてそこにかかわった人々についても詳細に聞いた。一体どのようにして凍頂烏龍茶はブランドとして生み出されたのか。当時の台湾の置かれた状況と併せて考えることが重要だ。

 

最後に張さんも訪ねてみた。張さんは今朝がた中国から帰ってきたばかりであったが、快く質問に応じてくれた。彼は改良場に勤めているから、呉元場長について、誰がよく知っているか、なども教えてもらう。勿論もう歴史の域に入っているので関係者も高齢でなかなか捕まらない。

 

張さんの話の中でも、1970年代、なぜ台湾が輸出から内需への切り替えを行ったのか、それは誰の指導で行われたのか、などを教えられる。これまた極めて重要な話であり、これは台湾だけに起こった事象ではなく、興味深い。特にそれを論理的に説明してくれるので非常にありがたい。

 

今日は土曜日なので、夕方になると台中行きのバスが混むだろうと言われ、バス停に向かう。渓頭で大勢が乗るので、途中のバス停では、地元民向けに少なくとも3席は空けておく政策がとられており、無事に乗車できた。今回もUさんには大変お世話になり、思いがけず収穫の多い旅となった。

 

いつもは高鐵台中から高鐵に乗って帰るのだが、何となくいつもと同じはつまらないと思い、バスを終点まで乗る。新しい台中のバスターミナルから台北行きのバスは頻繁に出ており、こちらの方がかなり安いのでそれに乗った。だがこのバスは台中市内を走り抜けてから高速に乗ったので、何と3時間もかかって台北に着く。ちょっとぐったりして1泊2日の旅は終わった。

ある日の台北日記2019その2(5)那瑪夏へ

4月19日(金)
那瑪夏へ

朝早く起きた。今日は高鐵で台中まで行き、そこで拾ってもらって、高雄の山中に分け入る予定だ。前日高鐵の予約を試み、何とかセブンで支払いを済ませて、チケットを手に入れた。午前6時台に家を出て、7時半過ぎの高鐵に乗る。朝が早過ぎて、台北駅のヤマザキパンすら開いておらず、ちょっと腹ペコ。

 

8時半過ぎに台中駅に着くと、トミーとビンセント、そして彼らの講義をわざわざ受けに来ていた香港人女性も加わり、4人で出かける。まずは高速道路で嘉義まで行き、そこから車は山道へ回る。何故高雄に行くのに、嘉義から入るのか、それは到着する時にようやく分かる。それにしても、思っていたより道がかなり良い。それでも、香港女性は山道に慣れておらず、気分が悪くなったようだが、普段から山に入っている我々には、相当楽な道に思えた。

 

勿論、車はほとんど走っておらず、対向車もない。標高300-400mのあたりで、カーブはあるものの、舗装もしっかりした、かなり平坦な道をひらすら走っていく。途中滝があったので、一休み。そして1時間半ほど走って、あとわずかで目的地、というところで、高雄と書かれた表記に出会う。原住民部落があり、観光客目当ての店などもあったが、人は殆どいなかった。

 

那瑪夏、我々が辿り着いたのはここだった。茶農家、詹宗翰さんとは、3月のFoodexで出会い、茶畑を訪ねたいと伝えてあった。実は昨年梅山瑞里に高山茶の勉強に行った際、『梅山から40年前に那瑪夏に移住して、高山茶を作っている人々がいる』と聞いていた。その息子が詹さんだったというわけだ。

 

ちょうど茶摘みが終わり、製茶機械が稼働していた。早々お茶を飲みながら、こちらの歴史を尋ねる。お父さんも加わり、話が具体的になっていく。1980年代、林業のためにこの地に移住してきたが、ちょうど高山茶ブームが始まり、故郷梅山から製法や機械を調達して、茶作りを始めたという。

 

一時は相当の茶農家が茶を作っていたが、高山茶に陰りが出てきた今、中海抜であるこの地も淘汰が始まっていた。そんな中、青年農家として息子がここに戻り、茶作りに精を出し、販売推進のため、台北はもちろん、遠く日本まで出掛けていたのである。この努力は素晴らしい。希少価値として、また比較的伝統的な製法がウケ、徐々に売り上げを伸ばしているらしい。

 

お昼は弁当を用意してくれ、引き続き話し込む。その後茶畑を見学。烏龍や金萱が植わっている斜面の景色は良く、自然環境に優れている。また車で更に上に上がると、山茶を集めて植えた場所もあり、特色ある茶作りを進めている様子が窺えた。茶樹の背丈は高く、葉も大きめだった。因みにこの山茶がいつからあるのかは分からない。

 

台湾ではみなそうだが、山には昔から原住民が住んでいても、お茶作りと無縁であり、また関心もない。茶樹がいつからあるのかもわからない。ここで茶作りが始まった時も、原住民の労働力が必要だったが、残念ながら、根付かなかったという。現在も一番の問題は労働力の確保であり、人材は本当に限られている。

 

畑から戻ると、激しい雨に見舞われ、動けなくなった。山の天気は変わりやすいとは言うが、まるで嵐のように叩きつけていた。それが収まると、朝来た道を引き返す。香港女性は辛かっただろうが、良い経験にはなったようだ。嘉義まで出て一休み。そこからまた雨が降り出す中、今度は私のために鹿谷へ向かった。

 

暗くなった頃、慣れしたしんだ鹿谷に上がってきた。そこで茶の買い付けに来ていたUさんと落ち合い、皆で晩御飯を食べた。やはり話題はお茶の将来についてとなり、活発な議論が展開されて面白い。食後、Uさんが予約してくれた宿に入り、トミー一行は台中に戻っていった。宿の部屋では引き続きUさんと茶についての話をし、気が付いたらかなり遅い時間まで話し込んでいた。茶業界はどうなっていくべきなのか、こういう雑談は非常に重要だと思う。

 

ある日の台北日記2019その2(4)お茶好きがやってきて

417日(水)

お知り合いがやってきた

 

前日の夜、いつものスーパーに買い物に行く。珍しいクッキーが安売りになっていたので、何気なくかごに入れ、レジへ行く。するとそのクッキーを見た店員のおじさんが小声で何かささやく。おじさんは『このクッキー美味しいのか?』と聞いてくるではないか。何かまずい物を買ってしまったのかと思っていたが、『もしうまいんだったら、俺も後で買おうと思って。今度来た時、美味いかどうか教えてくれ』というのを聞いて、さすがは台湾と頷く。

 

FBを見ていたら、先日四川の旅をご一緒したKさんが台湾にやってきたという。ちょうど時間に余裕があったので、連絡を入れたところ今日の午後茗心坊に行くというので、そこで会うことになった。何しろ茗心坊は宿泊先から歩いて5分なので、何とも便利だ。

 

 

店に行くと、Kさん以外に2人の日本人女性がいた。今回は薬膳関連の仲間3人の旅だというが、特にきっちり予定は決めていないとか。日本人女性の台湾旅で気の向くまま歩く、というのは珍しいのではないだろうか。3人ともお茶好きとのことで早々試飲を繰り返えし、この店の焙煎を見て勉強している。私は店主の林さんと奥で話し込んでいたが、特に困る様子もなく、気ままに楽しんでいる。

 

今日はここでお別れする。私は今晩、2年ぶりに会うことになっている人がいたのだ。その彼、北京時代からの知り合いであるHさんが指定したお店も、宿泊先から歩いて10分と近かった。このお店は2階にあり、何度か下を歩いていても気が付かなかった。よく知っているなと思ったら、Hさんの勤め先の人の親戚が経営しており、よく来るとのことだった。

 

 

ここは鍋料理屋さん。野菜と肉をふんだんに入れて食べる。味もなかなかイケる。〆の麺は、やはりの袋めんというのも台湾的だ。それにしても店の壁にはなぜか大量のプーアル茶が貼られていて、驚く。鍋と何か関連があるのかと聞いてみたが、単にオーナーがプーアル茶好きで集めただけだという。お茶が鍋のにおいを吸い込んで駄目にならないのか、ちょっと気になったが、どうだろうか。結局3時間以上に渡り、昔話に花が咲く。共通の知人の近況などが聞けてとても良かった。

 

418日(木)

お茶屋巡り

 

翌日は午前11時前に行天宮駅で3人組と待ち合わせ。先着していた彼女らは、既に裏の市場を物色していた。そこからいつものレストランへ行き、ちょっと美味しい台湾料理を食べに行く。11時半前に入らないと席がなくなるので、早めに動く。そして鶏肉、からすみ炒飯などをさっさと平らげて、満腹状態で、講茶学院台北へなだれ込む。

 

 

そこで評茶していると、突然地震警報が鳴り、かなりの揺れが来て驚いた。花蓮では震度6だったようだが、台北では被害はなかった。お茶を飲みながらSunnyと話していると、薬膳の話題となる。Sunnyが『実は知り合いにイケメン中医師がいるけど』というと、皆さんの目が輝き、すぐに明日のアポが取られた。通訳不在だったがお構いなし。何とLINEの翻訳アプリが優れていることなどが紹介される。

 

 

その後MRTに乗り(地震の影響で一時止まっていたが動き出してくれた)、次に場所へ。珍しく小楊の所にお客を連れて行く。ちょっと変わった雰囲気の店と人を、チラッと見て帰るつもりだったが、3人のうち2人は、茶器にも目がなく、きらきらした目で茶器を物色し始める。小楊も段々ノッテきてしまい、いいお茶もどんどん淹れられて行き、気が付けば、外は暗くなっていた。茶器の代金を払うため、ATMに向かうも、なぜか台湾元が出てこないで困る。

 

 

小楊のおごりで先にご飯を食べに行く。彼のレストランとご飯(料理)の選択はいつもながらなかなか良い。ホルモン系も大好きな3人組はバクバク食べて、驚かせる。食後、もう一度ATMに戻ると今度はちゃんと機能している。恐らくは昼間の地震後、メンテナンスでもしていたのだろうとの結論に達し、無事精算も終了した。結局丸一日お付き合いすることになったが、今日は珍しく愉快な日であった。

ある日の台北日記2019その2(3)基隆に向かう

《ある日の台北日記2019その2》  2019年4月15日-5月9日

香港、福建の旅で、またまた色々と収穫があり、今後の歴史調査に意欲を持って帰ってきたが、台湾ではどうなるのだろうか。

4月15日(月)
基隆へ

厦門滞在中から体調が優れなかった。食べ過ぎが一番の原因かとも思うのだが、腹の調子は悪くなく、何となく疲れやすいという状況は、一種の怠け病だろうか。取り敢えず台北に逃げ帰れば、ゆっくり養生できると思っていたが、何と帰国翌日は朝から基隆へ向かうことになっていた。

 

それは1か月ぐらい前、一度会ったことがあるAさんから『Hさん夫妻が世界一周クルーズで基隆に来るので、集合してほしい』というメッセージを受け取った。Hさんとは、大学の先輩でもあり、仕事上でも世話になった方なので、駆け付けることにしたのだが、基隆とは。更にはあと二人参加者がいるとのことだったが、それは誰が聞いていなかった。

 

何と先日香港で北京つながりのIさんと会ったら、『10日後に基隆に行く』というではないか。まさかと思い聞いてみると彼女も参加者だった。そうなると思う一人はBさんかもしれないと思い連絡すると『一緒に基隆に行きましょう』となり、台北市内からバスに乗った。

 

基隆行きのバスは市内何か所も乗り場があるらしい。そして40分ぐらいで基隆駅まで来てしまった。いつもは台北駅まで行き電車に乗るのだが、その必要もなくこの便利さには驚いた。基隆駅も新しい駅舎が出来ており、古い駅舎はお役御免のようだ。しかし指定されたレストランはこの駅からかなり遠い海岸線沿いにある。市内バスに乗ると、何となく反対方向に走っている。市内巡回バスだろうか。

 

30分近くかかってようやく目的地に着いた。ただまだ待ち合わせ時間には早いので、周囲を散策した。公園のような場所へ行くと、何と蒋経国の像が立っている。何故ここにこの像があるのかの説明はない。その近くには、プレハブの建物があり、中は海鮮市場になっている。ただ平日の昼間で、お客は殆どおらず、開いている店のおばさんが手持ち無沙汰に声を掛けてくる。小さなハーバーにはヨットが停泊しており、漁船の姿はあまりない。

 

ここのレストランはこの海鮮市場を背景に、週末の観光客を当て込んで作られているようだ。それでも観光バスが停まり、台湾人の団体さんが降りてきてテーブルを囲んでいる。Hさん夫妻も、クルーズ船から降りて、タクシーで駆け付け、我々は集合した6人でテーブルを囲んだ。

 

海鮮料理屋らしく、いけすから選んだ魚やイカが調理され、美味しそうに並んでいた。今回のメンバー、私はH夫人以外、皆知っている人であり、他のメンバーは元々旧知の間柄だから、昔話などに花が咲く。それにしてもよくこのメンバーが基隆に会したものだと感心しきり。やはりご縁というものはあるものだ。

 

H夫妻の世界一周クルーズも、聞いてみるとかなり壮大なもので、3か月を掛けてアジアから地中海を経て、大西洋から北中米にまで至る。かなりの時間を船内で過ごすらしいが、毎回美味しい食事が出て、イベントがあり、食事の席も変わり、その度に新たな出会いもあるようだ。ただ私はその狭い、船内に閉じ込められるのは無理だろうな、と勝手に想像する。今回のクルーズで台湾の寄港は基隆だけ、次はシンガポールだと言い、夕方出港する船に戻って行かれた。

 

我々もタクシーで基隆駅まで戻り、そこからまたちょうど出発するバスで台北駅へ向かう。結局基隆を歩くことはほぼなかったが、なんだか珍しい体験をしたような気分にはなる。香港から来たIさんはAさんの家に泊まると言っていたが、何と台湾入国時に、『日本で買ったカップ牛肉麺をお土産に持ち込んだところ、桃園空港の税関で没収された』と憤慨していた。現在肉製品の台湾への持ち込みは厳しい。桃園空港にも特別専用台が設置され、荷物検査をしていたことを思い出す。ただまさかカップ麺までとは、全く想定外だった。

 

宿泊先に戻ると、もう気力はなく、寝入ってしまった。やはり大陸の旅の直後は知らない間に疲れがたまっている。そして文章を書くなどの作業もたまっている。私のように常に旅をしている者は、当然旅の中で休息を入れないと続かない。そして年齢的にも厳しい状況になっていることに薄々気が付いているが、今のところ知らないフリをしている自分に対して、無理はないかと問いかけている。

ある日の台北日記2019その2(2)台北をフラフラ

3月29日(金)
静岡県事務所へ

私は昨年まで静岡県の茶雑誌に4年ほど、連載をしていた。お茶と言えば静岡だと思っていたが、お蔭で静岡だけでなく、日本全国を回り、色々な日本茶を見ることが出来たし、茶旅の報告までできて、とても感謝している。静岡県のために何かしないといけない、という気持ちはささやかながら持っている。

 

以前大学の先輩から台北にある静岡県事務所を紹介されたことがあったが、その時は埔里におり、台北に出てきたが時間が合わず、訪問しなかった。地方自治体がきちんと職員を派遣して業務に当たるのは、かなり大変なことだ。静岡は何故台湾に事務所を置いているのだろうか。

 

今年1月、台湾茶の歴史を簡単に話した折、ちょうど静岡県事務所の人が聞きに来ていたので、更に静岡と台湾茶の繋がりを強調してみた。静岡は日本一の茶産地であり、私などが何も言わなくても、繋がりは深いに決まっているが、歴史を掘り返すより、現在の発展が優先される面は仕方がないと思う。それに何より静岡の茶人材は多過ぎるほどいる。

 

今日はその事務所のNさんを訪ねた。事務所設立6周年になるという。色々と共通の知人の話が出たり、お茶のことを話したりしている内に、とんだ長居になってしまったのは申し訳ないことだったが、こちらとしては、『お茶を切り口に更に静岡をアピールする』のは悪いことではないし、茶業関係者を中心に、台湾人も日本時代に台湾に貢献した人の存在にはかなり興味が持たれる時代なので、茶業試験場を作った藤江勝太郎などをもう少し紹介してもよいのでは、と話した。

 

実は台湾には様々な形で静岡産の茶葉が流れてきている。今後は静岡茶を使ったフレーバーティーの店舗なども出店が予定されているようで、紹介するチャンスもありそうだ。またお茶を切り口にした静岡への茶旅も、台湾人なら受け入れそうな雰囲気があり、富士山、温泉、お茶などを組み合わせたプランは有効かも知れない。インバウンド資源は沢山ある静岡だが、新たな魅力を伝えるのは悪くないと思う。

 

3月31日(日)
小籠包から居酒屋へ

先日白酒を飲む会で出会ったYさんから、お茶についての質問を受ける。このYさんも前回のSさん同様、どこかで会ったことがあるかもしれないと思っていた人だった。結局人違いだと分かったのだが、某金融機関に全く同じ時期に同じ姓の人がいたので、勘違いしたのだった。それでもその人のことを思い出したのも30年ぶりだったので、何となくご縁を感じる。

 

ランチを食べようと言われて向かったのは、東門。宿泊先から歩いて行ける範囲。途中に大安森林公園が横たわっており、意外と遠く感じる。この公園の中を初めて通ってみた。森林公園という程木々はないものの、池などもあり、景色がよく、写真を撮る人や家族連れで賑わっていた。

 

Yさんは東門に住みながら、日本と台湾を行き来しているようだ。指定されたのは老舗の小籠包屋さん。ずいぶん昔に来たことがあるような店だった。東門、永康街といえば、日本人観光客が押し寄せる場所で、あまり寄り付かない。特に鼎泰豊の行列にはちょっとどうかと思っているが、ここはすんなりと入店できた。

 

よく見てみたが、日本人は我々二人しかいなかった。Yさんによれば、以前日本人は多く来ていたというのだが、もう飽きられてしまったのだろうか、それとももっと別の店に集中しているのだろうか。ここの小籠包は大き目で、元々の上海当たりの形に近く、それが台湾的な薄皮になっている。鶏ガラスープはあるのに、卵炒飯がメニューにないのは、小籠包が主食、という意味だろうか。

 

夜もまた歩いて出掛ける。帰国が決まってしまったSさんと会う。指定されたのは市民大道。私は昔の台北を結構知っているつもりが、その時、市民大道などという道はなかった。私が立っている復興南路辺りは、1990年代半ばに開通したらしい。上には首都高が通っており、渋滞はかなり解消されたのだろうか。

 

この付近には居酒屋が沢山あるので一度入って見たいというのがSさんの希望であり、私は入ったこともないので、フラフラ歩きながら店を物色してみる。確かにレトロ風からおしゃれ系まで、ここは日本かと思えるような様々な店が立ち並んでいた。お客も若者が多かった。

 

日本風の居酒屋に入っていくと、ほぼ満席で一番手前の席しか空いていない。ビールにホッケなどの魚やホタテを焼いてもらったが、思ったより料金は高く、これは日本で食べた方がよいと思う値段。ということは、日本を想定したサービスで台湾人向けに作られているということだ。台湾人にとって日本食はある程度高くても行く場所。当然ながら日本人は我々しかいない。やはり日本人は台湾では台湾料理を食べるのがコスパは良い、と理解した。

ある日の台北日記2019その2(1)白酒会に飛び入り参加して

《ある日の台北日記2019その2》  2019年3月27日-4月2日

今年2回目の台北臨時拠点。今回はちょっと眺めにフライトを取り、ここから色々と出掛けることにした。既に1週間後には香港、福建の旅が控えていた。果たして、お茶の歴史調査はどこまで進むのか、新展開はあるのか。

 

3月27日(水)
台北へ

今回は日系航空会社のマイレージを使って飛ぶことにした。サーチャージが非常に安いのが有り難い。原油価格って、そんなに変動しているのだろうか。最近そんなことにもまるで関心がなくなっている。羽田の昼便なので、家を出る時間に何となく余裕もあってよい。桜の散る道を通りながら駅へ向かう。

 

日系空港会社、正直食事などの機内サービスは少しずつ落ちてきているように思えてならない。これは他の人も偶に言っていること。私も台湾線では出来ればエバに乗りたい派だ。日系に乗って充実しているのは映画ぐらいだとの声も出ている。取り敢えず映画を見て過ごす。

 

松山空港は狭いので到着すると、実にスピーディに事が運び、すぐに外に出られるのは良い。そしてシムカードを買い、国内線へ移動した。前回はここで荷物をロッカーに預けて出掛けたが、今回はPCを使って、終わらせるべき作業をすることにしていたのだ。セブンで飲物を買って、電源がある席に着けば完璧。これで2-3時間は存分に作業可能だ。

 

ところが大家の葉さんから連絡があり、あと1時間ぐらいで一度家に帰るから、そこで鍵を渡すという。それはそれで有り難いので、30分ほど作業してからゆっくりと地下鉄に向かう。最寄り駅まですぐに到着し、荷物を引いて行き、無事に部屋に入れた。約2か月ぶりだが、既に何が置いてあるのかも思い出せないほど記憶力は低下しており、一度荷物を出して整理を開始する。忘れ物が沢山あることに気づき、愕然とする。

 

夜、腹が減るといつもの店へ向かう。そしていつもの定食と、大根スープで腹を満たす。これはお金の問題ではなく、台湾でなければできないことだ。いつも無愛想な店員たちは、今日も無愛想だったが、それはそれでよい。その変化の無さがよいと思えるのも、またよいのだ。

 

3月28日(木)
白酒会に飛び入りして

実は相当に疲れが溜まっていた。何しろ、島根の旅、そしてハバロフスクから四川の茶旅を経て、ほぼ休みなく移動してきた。アユルベーダ的にはやってはいけない移動であり、最近のダメージ回復力の無さは、相当に実感している。いわゆる疲れが取れない状態で、何もする気が起きないのだ。だがそろそろ提出しなければならないものもある。頑張ることを放棄した数年だったが、どうしたものだろうか。

 

とにかく疲れを取るためには寝るのが一番だと分かっていた。幸い涼しい台北では、何も考えずに熟睡できる環境があった。ただ一つの懸念は原稿の締め切りだったが、それも集中できないのであれば、まずは体調を整えることを優先する。熟睡の条件とはお茶をたくさん飲まないこと、利尿作用とカフェインを抑えることが必須だろう。夕方まで睡眠を繰り返して、目もすっきりしてきた。

 

いつものTさんに連絡したところ、ちょうど食事会があるから飛び入り参加したら、といわれ、気分転換も兼ねて出掛けることにした。場所が客家料理屋というのも、何となく気分が乗るお誘いだった。MRT古亭駅で降り、ちょっと横道に入ると、そこには古びた建物が建っていた。晉江茶堂というお店、以前一度来たことがあるような気がする。

 

店内もレトロな雰囲気でお客は超満員。私は台湾に長く住む日本人の皆さんと共に客家料理のコースを味わう。どれも安定の味で美味しい。ただこの会が白酒を飲む会だと知り、かなりの場違い感は拭えない。何しろ私は酒を飲まないのだから。皆さんは自ら持ち寄った酒を次々に開け、論評している。

 

ただお茶についても色々と参考になるお話が聞けて良かった。食事の最後に擂茶が出てきたのにはびっくりしたが、これも台湾客家の伝統文化との位置づけだから面白い。そして皆さんが『意外と美味しい』というので、なるほどとも感じる。大阪で擂茶の販売をしているMさんの顔が浮かぶ。

 

実は翌日になり、昨晩のメンバーの一人の名刺をしげしげと眺め、ちょっと思い当たることがあった。夕方まで考えて、その方にメールした。『30年前、XXとご関係がおありでしたか?』、すると答えはYesだった。ああ、Sさんは30年前、ある台湾の著名人に紹介してもらい、ご自宅でご飯をご馳走になったことがあったのだ。やはり台湾は狭い、そして私の記憶力はどんどん衰えている。因みに私より先輩のSさんも『全く覚えていない』というので、少し安心する。