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ある日のバンコック日記2020(5)王有記を再訪!

昼ご飯は1階の8番らーめんで食べた。ここで食べるのは10年ぶりだろうか。石川のローカルラーメンが何故タイでここまでヒットしたのか、そして今やタイ人も日本のラーメンとは思わなくなったのかは、何とも興味深い話だ。昼時はタイ人でほぼ満席だった。そのラーメンは、昔の日本のしょうゆラーメンであり、何とも優しい味がした。量は少なめだが、焼餃子を付けても、150バーツ程度だから日本の本格ラーメンと比べれば安い。今後は体調が良くない時に利用しようと思う。

 

午後は、5年ぶりに知り合いに会いに行く。アソークの先の古めかしいオフィスビル、何とも懐かしい。ここで沖縄出身のIさんは10年以上、沖縄とタイを繋げる活動をしている。私も昨年沖縄でお茶の講座を開いたこともあり、何かお役に立つることでもあるかと訪ねたが、意外なことに『タイ人は沖縄になかなか興味を持ってくれない』と嘆く。そして何とかキラーコンテンツを探しているらしいことが分かる。沖縄と福建ならいくらでもあるが、果たしてタイとの接点は簡単に見つかるだろうか。泡盛はタイ米から作られる、程度ではタイ人は動かないらしい。

 

1月15日(水)
華人茶荘再訪

午後MRTに揺られて、サムヨット駅まで行く。2日前に来たばかりなので、もう道は分かっていた。あの王有記をもう一度訪ねた。今回はオーナーの王さんもいることが分かっていたが、1年2か月前に話を聞いていたにもかかわらず、私のことは全く覚えていなかった。あれ。

 

王有記の歴史について、かなり詳しい説明を聞く。ここで初めて様々なことが分かり、ある意味での謎が解けていく。やはり質問は具体的に、明確な意図をもって行うべきだと痛感する。そうでないと聞かれた方も答えにくい。祖先のこと、台湾との関係、ヤワラーの店との関係など、家系図で説明されて、ようやく納得する。今やちょっと聞いただけでは理解できない、情報が整理できない頭になってしまっている。

 

茶のパッケージに、華人の顔が使われていた。2代目、祖父であるという。そして王有記が開業したのは、1930年頃だというから、この店舗の立地も含めて考えると、ここがバンコック最古の茶荘であったのかもしれない。それについては、既に無くなってしまった茶荘も沢山あるので何とも言えない、と言われてしまったが、商売人ならきっと『最古の茶荘』で売り出すだろうから、福建人の誠実さが出ているな、と感じられた。

 

夜、何となく体調が優れずに、また八番らーめんを食べた。今日は鴨肉麺だ。何とも言えず体に優しいので、弱っている時は本当に良い。後はポカリスエットを飲んで寝てしまう。明日は一度バンコックを離れ、久しぶりにヤンゴンに行くことになっているので、体調を整える必要がある。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

朝、タクシーに乗って空港へ向かう。タイスマイルというタイ航空の子会社に乗るので、スワナンプームになる。運転手はお釣りを返さず、言葉も通じずに困る。故意なのかどうかも分からないから、始末に悪い。年配の運転手にはいまだにこういう人が時々いる。時代は変わっているのだが、と思ってしまうが、思い違いだろうか。

 

タイスマイルは、タイ航空の子会社、そして私はタイ航空のサイトから直接ヤンゴン行を購入しているのだが、タイ航空のサービスを受けることはできない。何となく騙された気分になるが、これは以前台湾のエバ航空でも同じことがあったので、その仕組みは理解していた。それでも釈然としないものが残る。

 

空港は思ったよりは空いていた。さらっと出国審査を済ませると、まだ時間があったので、朝ご飯を探す。空港内のレストランはどこも市内の倍ぐらいする料金を取っており、何となく腹立たしいが、仕方のないことなのだろうか。フラフラしていると、99バーツでクロワッサンサンドとコーヒーが出てくるというので座ってみた。まあ、これならリーズナブルかと思えるものが出てきたので満足。探せば色々とあるのだな。最近自分の行動パターンがマンネリ化してきており、新しい発見が少ないことを強く感じながら、飛び立つ。

ある日のバンコック日記2020(4)集友茶行を再訪する

1月13日(月)
華人茶荘を訪ねる

今日は朝から出掛ける。MRTでファランポーン駅まで行き、そこでHさんと待ち合わせた。向かった先はこれまで2回訪ねていた集友茶行だ。以前もこの茶行の歴史を何となく聞いていたが、今回はきちんと体系だってヒアリングすることとした。創業80年を越えるこの茶行は、今やバンコックでも現存するもっとも古い茶行の一つだと思われ、何とも興味深い。

 

王さんは原籍が福建省安渓だから、これまで訪ね歩いた多くの茶荘と同じであり、安渓も何度も訪ねているので、話は早い。創業者の父は100歳でまだご存命だともいう。もしお父さんの話が聞ければ、ヤワラー茶業史は全て分かるのではないかと思ってしまうが、ご高齢でもあり、また遠くにお住まいだということで遠慮する。

 

王さん自身も茶の歴史や茶器などにも非常に興味があるようで、つい先日も上海と宜興に出向いて、古い茶や急須を買い込んできたという。そんな老茶を振る舞われながら、タイ茶の歴史を聞く。故郷安渓には今も親族がおり、中には茶業で成功している人もいる。その繋がりなども、更に興味の対象となっていく。

 

たっぷり2時間も話し込み、店を離れた。昼ご飯を食べようと思っているとHさんが、この辺の麺は美味しいというので、すぐ近くの店に入った。店の前には行列が出来ていたが、その多くはフードデリバリーの人で、店内は空いていた。揚げ米粉に目玉焼きが載っているスープ麺だった。これは潮州料理だろうか(日本でいうかた焼きそばもこの麺かな)。うまい。さほど腹が減っているわけでもないのに、更に炒粿條まで注文してしまった。どうみても食べ過ぎだが、どう考えても満足だった。

 

それから茶荘三馬の前を通り過ぎ、有記銘茶の前も通り過ぎた。ここのオーナーはいつも不在で話が聞けない。今日も店員さんがいるだけだった。ちょうど目の前には新しいMRTの駅が出来ていた。ワット・マンコーン(龍蓮寺)がそこにあり、駅名にもなっている。ちょっとトイレを借りに入ると、多くの人が参拝している。中華街の中心的な寺、やはり潮州系なのだろうか。

 

ここからトゥクトゥクに乗った。目指すは前回何とか探し当てた王有記だった。だがとても一人で行けないとHさんのタイ語力を借りた。10分ほど走り、ジャイアントスイングと呼ばれる巨大ブランコがある場所で停まった。ここは見覚えがある。因みにこのブランコはなぜここにあるのだろうか。何となくアカ族の祭りに使われるブランコのように見えるのだが。

 

更にその横の道を行くと、仏具屋(仏像なども多し)が立ち並び、専門職業の道という雰囲気が漂う。その先に目指す王有記茶行はそのままの姿であった。だが女性オーナーは今日不在で話は聞けず、後日となる。店員はタイ語しか話さないので仕方がない。まあ場所が確認できてよかった。

 

折角ここまで来たのだからと、Hさんが古民家カフェに連れて行ってくれた。この付近は政府機関が立ち並び、老舗食堂なども多いようだが、近年白人の姿が目立ち始め、バンコックでは珍しい木造建築の古民家を利用したカフェ(食堂はいくつもあるがカフェだけは珍しいらしい)が出来ていた。

 

店員はしきりにスイーツを勧めてくる。なぜかと言えば、ここは『インスタ映えするカフェ』を売り物にしている。2階で席に着くと、スイーツがきれいな器に盛られ、如何にも、という感じで、タイ人の若い女性がしきりに写真を撮っていた。因みにドリンクしか頼まなかった我々の席は彼女の席に比べ、いいとは言えなかった。古い家の部屋が開放され、古い写真が飾られている。ここでまったりするのは悪くないかもしれない。

 

帰りはHさんの先導で、MRTの駅まで歩いて行く。サムヨット駅までは歩いて10分ほどだから、これからはMRTに乗ればいつでも来られるという安心感が広がる。更にはMRTに渋滞はないため、あっという間に帰宅できるというのも大変有り難い。ヤワラーから向こうが非常に身近に感じられる。

 

1月14日(火)
シムカード

翌日は、シムカードについて調査した。現在使っている空港で買ったカードは、どうも高過ぎるのではないか、たとえば1か月使えるカードでもっと安いものはないかを探したいと思ったが、何しろタイ語の壁は厚い。そこでYさんにお願いして、一緒に探してもらうことにする。

 

近くのロータスのAISショップで、現在のカードの有効期限などを確認すると、カード自体は3か月使えるが、15GB のパッケージはやはり8日かしか使えない。ところが何と、プロモーションで、1か月使い放題200バーツというカードを売っているというではないか。1月中はこの料金だというので、ミャンマーから戻ったら、すぐにこのカードを買うことに決めた。シムカードは50バーツで、電話番号を保持するには、毎月10バーツ払えばよいらしい。タイのシステムは本当によく分からないが、これまた何とも有り難い。

ある日のバンコック日記2020(3)バンコックでTVスポーツ観戦

1月11日(土)
突然の豪雨で

今朝は土曜日だが、Yさんが出勤してきて朝コーヒーとなる。今日は台湾の総統選挙の日であり、ニュースもそれが中心となっている。CCTVでさえも、速報していた。台湾の命運がかかるこの選挙、大勢は既に判明しているように思うが、どうだろうか。私の友人周辺では『国民党でもいいけど、韓は絶対ダメ』とか、『兎に角選びたい候補者はいない。その中での苦渋の選択だ』などの声がSNSで飛び交っている。

 

ボーっとテレビを点けていたら、昼頃ラグビーが始まる。大学選手権決勝、早稲田対明治の一戦だ。ラグビーワールドカップの余韻があり、会場には熱気が感じられた。ここ数年、早稲田が強いと聞いたことはなかったのだが、案に相違して、前半早稲田が猛攻を仕掛け、大量リード。後半明治が猛追する中、突然テレビ画面が消える。まさかのブラックアウトか、と外を見ると、何と急激な豪雨が襲い掛かっており、衛星放送が中断されてしまっていた。これは久しぶりの消える画面、何とも懐かしい。

 

雨がしっかり上がった夕方、外へ出た。近所でとんかつを食べようと思ったのだが、その向こうにおしゃれなレストランがある。レバノン料理、シーフードと書かれているが、レバノンではどんな料理を食べているのだろうかと、突如気になってしまう。これもやはりカルロス・ゴーン効果というべきか。因みにタイでは中東料理の多くがレバノン料理屋として出ているらしい。それは中東の中ではレバノン料理が美味しいという評価に寄るからだとか。

 

夜はバレーボール女子、タイとカザフスタンの一戦を見る。身長ではカザフなのだが、要所でタイが得点を重ねて勝利する。この辺のうまさがタイにはある。それにしてもネットでタイ選手の情報を検索すると、『美人選手は誰か』と言った記事ばかりがあまりにも多くて嫌気がさす。バレーに限らず、女子スポーツには、美人とかスタイルとか、そんな競技と関係ない話題が多過ぎる。これも一つのセクハラではないのか。このようなマスコミの攻勢を交わしながら、競技をしていく選手たちは可哀そうだ。

 

1月12日(日)
スポーツを見ながら

今朝はゆっくり起き上がる。そして午前中からテレビに見入る。全国都道府県対抗女子駅伝の中継があった。この駅伝は、本人は素晴らしいがチームが弱くて全国大会に出られない選手を見るのを楽しみにしている。たとえば、今回マラソン代表となった鈴木亜由子は中学生の時(中学に陸上部がなくても2年連続区間賞)からずっと注目していた。ちょうど現役を引退した宇賀地強も作新学院の時から見ている。

 

ただ今回は1区で予想以上の走りをした廣中璃梨佳が、期待の田中希美や他の大学生たちを突き放して圧巻の独走。結局レースは新谷仁美の追い上げも敵わず、高校生が強かった京都が逃げ切り。しかしこの大会、区間記録にかなり古いものが残されているのはなぜだろうか。昔の選手の方が強かったと単純に言えるのだろうか。今回2つの中学生区間で共に大分の選手が区間賞を取ったのが、新しい兆しだろうか。

 

遅い昼ご飯を探しに行く。ちょっと体調が優れない感じがあったので、近くのモール内にある和食をチョイスする。焼肉定食が税込みで240バーツというのはもはや手頃なのだろうか。食べているのはタイ人の家族ばかりだ。そして体調が悪い時によく食べるブドウパンを買いに行く。これは60バーツでブドウがたくさん詰まっており、何とも有り難い食べ物なのだ。

 

夜はそのブドウパンを食べて大人しく過ごす。ついに今日はタイバレー界にとって運命の日。対韓国戦に勝てば、東京オリンピック出場が決まる。しかも地元開催だからこれまでとは違う。これまで、2012年のロンドン五輪予選は、疑惑の判定などもあり、日本に負けてわずかの差で手が届かず。2016年のリオ五輪予選も韓国にあと1ポイント足りずに予選落ち。

 

そろそろ悲願が叶うのではと期待を寄せていたが、そこは韓国。大エース、キムヨンギョンの前には成すすべがなく、完敗。大応援団の声援も虚しかった。多くのタイ人が泣いていた。次は必ず五輪に行く、と前向きでもあったが、その落胆はいかばかりか。タイチームに足りないもの、それは一体なんだろうか。

ある日のバンコック日記2020(2)いつものバンコックで

1月9日(木)
いつもの一日

何となく体は重かったが、朝は7時に起きる。ここに泊まるといつも朝はYさんとコーヒーを飲んで一日が始まる。そしてタイで起こっている様々な出来事や変化を学び、私が知りたい情報なども得て、その日の活動方針が決まったりもする。朝ご飯は敢えて食べず、アメリカンをすすりながら1時間を過ごす。

 

普段はそのまま部屋に帰るのだが、今日はやはりどうしても我慢できずに、近所でコムヤーンを食べる。これにカオニャオ(もち米ご飯)を一緒に食べると幸せが蘇る。しかも値段はたったの45バーツだから、何とも嬉しい。それから昨晩支払った領収書をもらったが、その際、契約書にサインした。ホテル契約ではなく、月極賃貸契約のようだ。何とも大げさだが、これも法令で定められているのだろう。

 

フロントからプールとジムが使えることを告げられる。これまでもプールがあることは分かっていたが、今回改めて見に行ってみる。時間帯によってはサウナまであった。こういうホテルファシリティを日本人はあまり使わないので、本当にもったいないと思われているようだ。

 

昼ご飯もいつもの食堂と呼ばれる場所で、いつものヤンマーマを食べる。なんだか生活が落ち着いてくる。やはりコスパがよい食べ物を食べている時が一番良い。午後は出掛ける。バイタクでプロンポンに行く。これも以前は料金確認などしていたが、今は40バーツ渡すだけで簡単だ。GRABの発達により、料金も透明化されていく。

 

バンコックは思っていたより暑く、連日昼間は33度を越えている。服装もTシャツなどを増やす必要があり、買いに来たのだが、昔に比べればTシャツの値段も2倍ぐらいする。タイの物価は確実に上がっている。日本の物価は上がらないから、タイ人にとっても日本がどんどん安く見えるだろう。

 

続いて、壊れたデジカメを治しにいく。地下鉄ラマ9駅で降り、電脳ビルに入る。前回探した時、殆どがスマホ用ショップで、デジカメを売る店は少ない。ましてやデジカメを直してくれる店はほぼなく、何とか1軒見つけておいたのだ。そこに2つのデジカメを持ち込んだが、1つはパーツがないので治せない、もう一つは何とか動くからこれで我慢しろ、という内容でがっかり。もうデジカメの使命は終わったと言われた気分であり、今はそういう時代なのだと悟る。

 

夜はテレビを見る。タイではちょうど東京オリンピック予選を兼ねたU-23サッカー選手権が行われているが、私の住む部屋では残念ながらこの放送を見ることはできない。既に日本は出場権を持ってはいるが、初戦でサウジに負けている。一方西野監督のタイは好調のようだ。仕方なく、バレーボールを見る。こちらも東京オリンピック女子最終予選がナコンラチャシマで開催されている。悲願のオリンピック出場を目指すタイは今日、背の高いオーストラリアを圧倒して準決勝にコマを進めた。

 

1月10日(金)
タイ関連の情報

午前中は書き物に没頭した。昼ご飯は何とこの宿の従業員と一緒に食べてよいとオーナーから言われ、社食?を食べる。今日は根菜スープにチキンを入れるチキン麺。これはとても美味しかった。食事が美味しいと、仕事への張り合いも出てくるだろう。有り難い。

 

午後はバスでアソークまで行ってみる。いつの間にか赤バスの料金は6.5から8バーツに値上がりしている。これも世の流れだろう。アソークで以前よく言っていた100バーツ床屋に行ってみる。ところが昨年120バーツに値上がりしたと思ったら、もう150バーツになっている。そして平日の昼とはいえ、閑古鳥が鳴いている。近くの500バーツ床屋はちゃんと客がいるのだから、明らかにコスパが悪く、競争力が無くなった。私も次回は地元床屋にチャレンジしようか。

 

アソークの知り合いのオフィスを訪ねる。旧知のO社長はいつもながら親切で、今回の私の調査への助言、具体的な手助けをしてくれるので、何とも有り難い。更にはこのオフィスには、何と図書室があり、そこには東南アジア関連の書籍がかなりまとまってあるので、それを見せてもらう。中には貴重な情報や意外な観点が載っており、少し前途が開けた思いだ。

 

帰りにターミナル21に寄ってみる。既に旧正月用の飾りがされており、多くの観光客が写真に収めている。やはり中国人が多い。店内の店舗はそれほど変わった様子はなく、レストランなども人が入っている。上のフードコートに行ったら、5時頃なのに席を探すのが大変だった。それにしてもカオマンガイが100バーツとは、やはり高いと言わざるを得ない。

ある日のバンコック日記2020(1)バンコックへ

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月8日-16日

2015年6月、私は2年程半拠点としていたバンコックを引き払った。その日は大嵐で、道路は冠水し、木々はなぎ倒れていた。やはり私にはバンコックは合わなかったのだ、と妙な確信を得ての帰国だった。その後は年に1度程度、タイ国内旅行をし、バンコックにも数日滞在するだけだった。

 

昨年あたりから風向きが変わっていた。東南アジアの華人茶商の歴史に踏み込むなど、タイとの接点も何となく増え始めていた。そして2020年、実は今年は茶旅を始めてから20年の区切りの年となる。ここ数年で台湾及び中国の茶の歴史調査も一段落かもしれない。色々と考える中、取り敢えず2か月ほど、バンコックを拠点に動いてみようかと思い始め、正月早々荷物を抱えてやってきた。

 

1月8日(水)
バンコックへ

正月はいつものように駅伝などスポーツを見て過ごす。生活のリズムもちょっと変わっており、それを戻すのは一苦労だった。更には本日、早朝に羽田空港へ行かなければならず、寝付けない中、遂に午前4時には起き、5時過ぎの電車に乗ってしまった。6時過ぎには羽田に着き、全てが順調に進んだ。ただ体がだるい。

 

今日のフライトは北京経由のエアチャイナ。このフライトも昔はよく乗っていたが、かなり久しぶりだ。機内では朝から鮭ご飯が出た。何となくウトウトしていると、北京に着いてしまう。昨年12月、ここから東京に戻った。僅か半月でまた北京に舞い戻るとは。当然ながら東京よりはかなり寒いが、トランジットなので外へ出ないから問題はない。

 

乗り継ぎは、専用カウンターを通らなければならないはずだった。そこへ行ってみると、何と機械が導入されており、搭乗券とパスポートをかざすだけで、通り抜けられた。これでパスポートにハンコを押されることも無くなってよかった。だがその下の荷物検査は旧泰然としており、長い列が出来ていて、一向に進まない。

 

更には、バンコック行のフライトは50分ぐらい遅れるとの情報も流れる。特に急いでいるわけでもないが、疲れているので早く乗りたい気持ちはある。ところが変更時間にゲートに行ってみると搭乗はとっくに始まっていた。何だ、と急いで乗り込んだが、結局遅れた人を待ち、更に遅れる羽目になる。

 

それから5時間、じっと座っていた。やはり直行便でないと長い。疲れる。ようやく1時間遅れでバンコックに到着したが、ここでも入国審査の長い列が待っている。ドムアン空港は確か中国人の入国を別窓口にしていたが、ここスワナンプームでは多くの中国人と同じ列に並んだ。非常に多国籍の訪問者たち。入国審査も厳格に行うのか、スピードはかなり遅い。

 

荷物を取り出して、出口に向かうまで40分ぐらい経っていた。まずはシムカードを購入。今回は8日間で一度出国するので8日用のシムを買う。ただ間違えて15GBの物を買ってしまい、電話番号も必要なので、その分まで含めると意外と高くなる。後で専用アプリを入れて計ったところ、多少動画などを見ても、1日の使用量が1GBを越えることはなかったので、やはり無駄な買い物だったと分かる。

 

タクシーに乗ると運転手がメーターを倒さず『500バーツ』と言ってくるので、メーターを倒すように強く言うとすぐに引っ込んだ。取り敢えず言ってみる、ということだろうか。既に夜8時を過ぎており、渋滞はあまりなかったが、何とこの運転手、吹っ掛けておきながら、道を知らなかったので、時間がかかる。それでも結局目的地までは高速代を入れても380バーツだったから、ぼられずに済んだ。

 

今日から2か月、馴染みの宿に宿泊する。なぜか家賃は現金の前払い。デポジットまで入れたら結構な額になる。この現金を持ち込むのもちょっと緊張する。フロントは顔なじみだから良いのだが、これだけ支払って領収書は明日、と言われると、中国ならひと悶着ありそうだが、そこはタイのおおらかさだろうか。

 

部屋に荷物を置くと腹が減る。もう午後9時を回っており、遠くには行きたくないが、以前あった屋台は既に無くなっていた。それでも少し離れた所にちゃんと新しい屋台があるのがタイだろう。暗い道路わきの排ガスの中、いつものように麺をすすると、タイに来た気分になれるは面白い。既に日本時間は夜中の12時、今朝は4時前に起きているから、相当に疲れてしまい、さすがに部屋に帰ってすぐに寝込む。

ある日の台北日記2019その3(16)チョコイベントへ

11月17日(日)
茶展からチョコイベントへ

今日はゆっくり起きて、また茶展に向かう。まだ挨拶していない茶業者も沢山いるので、この機会に纏めてご無沙汰を詫びる所存だった。日曜日なので人出は多いが、業界人は来ない日なので、余り直接的な商売にはならないらしい。どちらかというと一般人向け宣伝の日という位置付けかもしれない。

 

人だかりができているブースに行ってみると、Aさんたちが手もみの実演をしていた。その横では、以前お世話になったNさんたちが和服でお茶を点て接客に忙しい。こういうブースは非常に分かりやすくて人が集まる。その場で茶葉の販売もしており、日本茶普及への貢献度は高い。

 

少し離れた所に行くと、陽光茶園のブースが見えた。ふと覗くと楊さんもやはり来ていた。既に98歳だが、先日の南投茶博にも姿を見せており、霧社からここまでやってくる体力はすごい。魚池の李さんを見つけ、そこでお茶を飲んで休む。新しい茶工場もできたというので、次回は是非訪ねてみたい。三峡谷芳のブースも久しぶり。なぜかスペイン人の若者がここの緑茶に興味を持ち、あれこれ聞いている。

 

折角なので、横の食べ物コーナーも一通り見学する。食品卸しのブースが多いせいか、その場で食べられる場所は多くはない。私はいくつかサンプル品をつまんで腹が一杯になってきた。台湾には美味い物が一杯ある。更には反対側の酒コーナーもふらつく。酒を飲まない私には無縁の場所だが、お茶コーナーより多くの人が試飲などをしている。コンパニオンが酒を勧めるなど華やかさがある。日本酒のブースも人気だ。

 

確か夕方、知り合いが来るとか言っていたので待とうかと思っていると、葉さんが『今からチョコレートイベントに行かないか』という。茶展にも飽きてきたので、その誘いに乗ると、会場は市政府近くの百貨店であり、地下鉄で移動した。特設会場に着くと大勢の観衆がいた。そして驚いたのは、葉さんの茶葉をチョコレートやドリンクに混ぜて使っていたシェフは日本人だったのだ。

 

お茶とチョコのコラボ。そして台湾特産品とのコラボ、いわゆるペアリングだが、これを日本人シェフがアレンジして、台湾で提供するのは、実に面白い。実際には銀座の店で提供が始まっているらしい。非常に工夫されており、多彩で観客ウケもよい。お茶の扱い方を見直す時期が来ていることを感じさせる。

 

11月18日(月)
南港の茶農家へ

茶展最終日。昨日途中で抜けてしまったので、今日も行こうと地下鉄に乗る。鹿谷からUさんが出てきており、南港で待ち合わせることになっていた。ちょうど2年前Uさんと南港の茶農家に行ったのだが、彼は今日もそこへ行くというのでバスの時間を確認していた。ところが今日は大雨だった。

 

Uさんのお義父さんが車で送ってくれるというので、南港茶展に寄らず、駅で拾ってもらい、そのまま茶農家へ直行した。ここはいつ来ても懐かしさを感じさせる場所だった。そして素朴な農家が、昔ながらの茶作りをしているのが、何とも好ましい。数種類の包種茶を並べて試飲していると、その発酵度も若干高く、心地よい。ほぼ今年の茶は作り終えており、常連さんがどんどん買って行ってしまう。

 

奥さんは茶摘みのプロ(ご本人は長年やっているだけと言っているが)であり、全国茶摘みコンテストで準優勝するなど、その実力を発揮している。今や茶の摘み手不足が深刻化する中、貴重な存在だ。果たしてこの茶農家、いつまで続くのだろうか。台北市内から車であっという間なのに、この山の中。環境的にも面白い。

 

一度宿泊先に帰り、夜はTさん主催の浙江の会に参加させてもらった。先日は四川の会だったが、Tさんは昔から会を作って人を集めるのが得意なのだ。今晩も6人で杭州料理を食べた。奥さんが浙江人という方が中心だが、近々江蘇との合同会に発展するとか。台湾にも中国関係者が増えているということだろう。

 

今回の台北滞在1か月半も無事に終了した。茶の歴史はいくらでも広がっていくが、調べることの限界も見えてきている。そしてその広がりは台湾に留まらず、中国、そして東南アジアへと繋がっている。来年は少し台湾滞在が減り、東南アジアシフト及び中国への本格調査が始まるのかもしれない。

ある日の台北日記2019その3(15)坪林の絶景茶畑

11月16日(土)
坪林へ

翌朝は早く起きて、新店駅へ向かった。今日は知り合いと共に坪林を散策する予定となっている。坪林行バス、週末なのでハイキング客で混んでいるかと思い、早めに集合したところ、何とか乗車することができてよかった。ここから1時間弱で坪林に到着する。ちょっと朝早かったが、祥泰茶荘は開いており、お父さんがお茶を淹れてくれた。因みにお父さんの趣味の一つが急須を集めることであり、ものすごい数の急須を所蔵していることに初めて気が付く。

 

それから馮君が包種茶について色々と説明をしてくれ、勉強する。その後、天気が良いので茶畑を見に行こうと言って、近くの川沿いの畑を見学する。最近は茶農家と一緒に茶畑を見ながら基本的な話しをする機会は無くなっており、ちょうどよかった。もう街の近くには茶畑は殆どない。

 

馮君は他に予定があったので、そこで分かれて、早めの昼ご飯に向かう。勧められた食堂に行くと、店先に珍しい野菜が置かれており、自分で選んで調理してもらう方式になっていた。この野菜が色味はワイルドだが、新鮮でなかなか良い。それに乾麺やスープ、魯蛋などを注文して腹を満たす。味がとても良く満足。

 

腹がくちると散歩するが、何しろ暑い。通りをフラフラしていると、店先で茶葉のてんぷらを作って売っていたので、興味本位で食べてみることにした。これもサクサクしてなかなか美味しい。日本でも是非茶葉天ぷらを茶産地の名物にして欲しいと思う。このお店、勿論お茶屋でもあり、茶箱には達筆な文字が書かれている。今や茶葉を売るにも個性が必要な時代だろうか。

 

その後もフラフラと歩き、茶葉博物館の前まで来た。前回既に見学していたので、今回は単に待ち合わせ場所に使った。午後は白青長工作坊を訪問する予定となっており、白さんがわざわざ迎えに来てくれたのだ。私は2年前に一度訪ねてことがあったが、昨日偶然茶展で再会し、急遽今日の訪問が実現した。これも茶縁だろう。

 

『坪林で一番高い所にある茶畑を見に行こう』と連れて行ってもらったのは、山道をかなり上った標高800mの茶畑。その風景は絶景で、遠くには太平洋も望めた。だが台風などが来れば、畑は直撃を受け、強い風で葉は育たないともいう。ほんのちょっと離れた場所でも生育状況がかなり異なることを知る。自然環境とは実に恐ろしいものである。

 

白さんの家は高祖父の代から茶を作っているらしい。この付近の茶畑は、福建の安渓から渡ってきた先祖が開拓し、今も親族が所有して、何軒かが茶を作っているという。白さん自身は33歳で、大学を出てから茶業を継ぐため郷里に戻った5代目、青年茶農だ。ちょうど2年前我々が訪ねた時に結婚し、既にお子さんがいた。台湾ではイケメン茶農家としても有名だと聞く。

 

白さんの茶工場に向かった。ここには最新鋭の製茶機械が揃っており、包種茶を中心に、東方美人茶、白茶、鉄観音茶など様々な茶を作っている。ちょうど摘まれた生葉が到着し、お父さんが室内萎凋を行っていた。今や坪林では日光萎凋は行わず、いきなり萎凋槽に茶葉を入れて、熱風萎凋を行うのが普通になっている。これなら天候に関わらず、茶作りができる。

 

数種類のお茶を試飲した。あの800mの茶畑に植えられていた鉄観音で作られた茶もあった。焙煎機も最新の設備を備えている。何度も言うが、台湾茶の歴史の中で、一番重要なのは包種茶だと思っている。現在は坪林の文山包種茶だけが有名であるが、日本時代はどこでも作っていた。坪林の、それもこれほどの山の中であれば、その伝統もかなり残っているかと思ったが、今や技術は進み、若者は最先端の茶を作っていく。

 

茶工場の前にある茶畑、雰囲気がとても良い。何でも台湾茶飲料のCMのために使われたらしい。しかもそこに出演したのが、何と日本の俳優、阿部寛だというから驚いた。先ほど隣でお茶を飲んでいたカップルも、この茶畑でポーズを決めて写真を撮っている。私もイケメン君の写真をパチリ。

 

帰りに車で街まで送ってもらう。ちょうど車がバス停に着いた時に、新店行のバスがやってきたので、急いで乗り込むと、何とか席を確保できた。お世話になったのに挨拶もできぬまま、お別れとなってしまったのは残念だ。まあまたどこかで会うこともあるだろう、きっと。

ある日の台北日記2019その3(14)南港茶展始まる

11月15日(金)
南港茶展始まる

翌朝、茶展に出掛ける葉さん夫婦に同行して、南港に向かった。開場は10時だが、9時に到着。皆さんは準備に精を出すが、私はやることもないので、一度会場を後にして、近所を散策する。すると、ロイヤルホストの看板が見え、何やら朝食を提供しているとあったので、思わず入ってみる。

 

朝定食は2種類あり、どちらも190元だった。鮭和風定食はよいが、和牛ハンバーグ定食は、日本の朝に、出て来るものだろうか?取り敢えず鮭を選択してみたが、そこはファミレス。当然ながらチンして作った食事だから、何とも味気ない。海苔が一番良いかな。ハンバーグの方がよかったかと後悔する。因みに午前9時台に食事している人はほとんどいなかった。

 

会場に戻ると既に沢山のお客さんが入場している。葉さんの所では、冷蔵庫が壊れたようで、ジェラートが提供できずに困っていた。私はブースを回り始める。まず目に入ったのが、埔里で高山茶を作っている原住民のところ。以前一度訪問したことがあったが、今は息子が販売に力を入れている。

 

鹿谷の連山とは、先日南投でも会っており、既に顔なじみになった。花蓮の嘉茗茶園も毎年出店している。先日東台湾茶の歴史を書いたので、その冊子を渡す。花茶の歴史関連では、三峡で先日訪ねた天芳が出店している。息子が来ており、お父さんと会ったことを話すと喜んでくれた。そしてこれから是非行くべきと言われた茶業者も出店していたので、奥さんにあいさつした。来年訪ねる時、果たして覚えていてくれるだろうか。

 

あっという間に昼を過ぎてしまった。知り合いが来ていたので、一緒に近くにあった台湾料理の欣葉に行く。欣葉は懐かしい店だが、最近は大発展を遂げ、支店を幾つも出しており、ここもきれいな店舗だった。茶展関係者が沢山食事をしていたが、何とか席を確保して、定番料理を食べた。

 

実はこの知り合い、夜も台湾人の招待で、別の欣葉で食事をすることが分かり、何だか申し訳なかった。その話を聞きつけたこの店のマネージャーが『夜はどこの欣葉に行くのですか?予約のお名前は?』といい、何と我々が昼に食べたメニューを夜の店に伝達しておくので、重ならない食事ができるでしょう、というではないか。この辺のサービス概念は素晴らしい。

 

午後もまた、ブースを回った。ただ1階のお茶コーナーではなく、4階にある珈琲コーナーを見学した。4階の方が規模は遥かに大きく、来場者も遥かに多い。各ブースでは、新しいコーヒーの売り込み、淹れ方や豆の紹介などを競って行っている。やはりお茶よりはコーヒーかとも思ってしまうが、よく見ると4階の隅には空きスペースが結構あった。さすがに台湾のコーヒーブームも一段落かなと思われるスペースだった。

 

午後4時過ぎに南港を出た。葉さんから『中山の店とコラボして、お茶が飲めて、アイスが食べられるスペースがある』と聞いたので、予約してもらったのだ。その店は中山駅からすぐの所にあり、畳があるなど和のテースト満載だった。そこで何と、ジェラート、お茶ポップコーンなどのセットが無料で体験できたのには驚いた。

 

聞けばこの店は、食事も提供する予定だったが、火の取り扱いが禁止されてしまい、やむなく閉店するところで、葉さんたちが1か月だけそのスペースを借りて、プロモーションに使っていたのだ。日本人観光客からは、『こんな店があったら是非行きたい』との要望もあるようだが、ある程度の料金を取っても、家賃との比較では割に合わないのだろうか。

 

既に暗くなりかけていた。中山からトボトボ歩いて、長安東路に向かった。夜は『32年ぶりの再会』が待っていた。32年前に一緒に上海に留学していたBさんから、『あの時院生だったSさんが来るので会いませんか?』と誘われたのだ。正直Sさんとはそれほど親しく話した記憶はないが、言われた瞬間、彼のフルネームを思い出し、急に懐かしくなっていた。

 

会うと、その面影は十分に見て取れた。彼は九州の大学で中国文学を研究しながら、中国語を教えているのだという。留学中、似非文学班だった私とは違い、Sさんは既に明確な目的で留学しており、その後も巴金や余華などの文学作品を研究、紹介していた。今は台湾の日本時代文学にも興味を持ち、台湾に来る機会も増えているらしい。

 

久しぶりの熱炒で、何だかたくさん食べて、たくさん話してしまった。酒を飲まない私は熱炒に来る機会も少ないが、偶にはこういう空間で食事をするのもよいものだ。何となく熱気があると、人はハイになるらしい。急に思い出した懐かしい記憶、ご縁も繋がり、いい一日だった。

ある日の台北日記2019その3(13)花茶から広がる意外な歴史

11月10日(日)
再び全祥茶荘へ

土日は動かないとの原則が崩れていく。土曜日は気になっていた花茶資料探索のために、永和図書館へ行く。ここでひたすら日本時代の新聞記事を検索して時を過ごす。それに疲れたら、日本時代の書籍を斜め読みする。午後一に出掛けても閉館の5時近くまでいることになる。

 

帰りがけに1階奥のスペースを何気なく見ると、写真が数枚飾られていた。近づいてみると、古寧頭戦役70周年記念の写真展だった。古寧頭戦役と言えば、国共内戦で国民党が金門島を死守した戦役だと記憶している。そうか、中国人民共和国が建国70周年なのだから、その裏には70年前に幾多の歴史が起こっているのだ。ただこの展示には、根本中将などについては全く触れられていない。

 

翌日もまた出掛けてしまった。知りたいことが出てくると、どうしてもすぐに動きたくなる性格なのだ。先日一度訪れた、全祥茶荘、その衡陽路の本店にもう一度行ってみる。今回は林さんのお父さんに話を聞く。日本時代、林家は天津で商売していたということで、そのあたりの事情を聴いたのだが、お父さんも台湾生まれであり、伝えられているトピックスを参考までに聞く。

 

その中には、あの民主活動家で、先ごろ亡くなった呂明さんの名前などが出てきて驚く。後日呂明伝記を読んでみた。彼もまた、大陸から引き揚げた一人であり、その引き上げの際に頼った親戚というのが、私が今調べている王添灯の兄、王水柳だと書かれているではないか。ここでも繋がったお茶の歴史、本当にすごい。

 

お父さんの話は引っ切り無しにお客が来るので、途切れ途切れになる。花茶の歴史としては、外省人がキーになると思われるが、この店の裏は台湾銀行本店、その向こうは総統府という位置関係を考えるだけでも、そのレトロな店舗と相俟って、その歴史の一旦は十分に見て取れるのではないだろうか。

 

このすぐ近所には、兄弟である華泰茶荘もある。そして西門町まで歩けば、紅楼のすぐ近くに全泰茶荘もある。ここも先々代は兄弟である。一応歩いて行ってみたが、特に中には入らなかった。お客は観光客がメインなのだろうか。私はあまり各家のファミリーヒストリーを調べるつもりはないのだが、この辺の棲み分けには興味がある。

 

帰りがけに、店先でいい匂いをさせている食堂があったので、フラッと入り、肉粽と魚丸湯を食べてみる。たまに食べるとこういう食事は実にうまく感じられる。しかもサックと食べられるのが何とも私の今のリズムに合っている。宿泊先の近くにこんな店がないのは残念だ。

 

11月14日(木)
茶業者の宴会へ

今日から何となく南港茶展のムードが高まってくるが、なぜか朝部屋の電気が点かなくなる。停電かと思ったが、電球が切れたことが判明。すぐさま近所の雑貨店に行き、替え電球を買い求める。こんな時、台北はすぐ近くに何でも売っている店が何軒もある。コンビニでは間に合わない物を簡単に買えるのは良い。そして電球を交換したので、部屋が急に明るくなり、眩しいほどで、ちょっとやる気が出る。

 

午後は知り合いがやってくるので、松山空港に迎えに出た。ちょっと時間があったので、空港展望台に行ってみる。今やどこの空港にもある展望台だが、ここは飛行機との距離がやけに近い。やはり小さな空港なのだ。そういえば、飛行機に乗っていると、『空港上空からの写真撮影は禁止』とのアナウンスが流れるが、ここからは何の規制もないのか。

 

今回日本から来た人はちょっと変わっており、ホテルではなく、民泊するという。タクシーでその住所へ向かったが、本当に住宅街で、探すのは大変だ。しかも古い住宅で、5階までエレベーターもなく、重い荷物を自分で持ち上げなければならない。宿泊スペースは快適そうだが、私には向かないタイプだ。オーナーは流ちょうな英語を話し、近隣紹介もちゃんと英語で書かれていた。『鼎泰豊まで歩いて行けるぞ』がウリらしい。

 

夜は明日の南港茶展の前夜祭か、茶業者の集まりに顔を出す。日本から手もみのAさんが来ており、彼を囲む夕食会に私も飛び込んだ形になる。行ってみると3卓もあり、非常に盛況な会だった。主催者の許さんの人徳だろうか。明日の茶展に出展する台湾中の茶業者の顔が見られた。

 

Aさんは非常に社交的で、言葉が通じなくても、酒を酌み交わし、誰とでも仲良くなれる人だった。何だか昔の日本の宴会がそこにあって、酒を飲まない私でも、ちょっと懐かしい気分に浸る。海鮮料理の店なので、海の幸がふんだんに出てきたが、途中から何を食べているのかも分からなくなってしまい、笑い声が絶えないまま、夜は更けていった。

ある日の台北日記2019その3(12)茶業関係者の末裔と

11月7日(木)
茶業関係者の末裔と会う

2日間、中部に行ったので、今日はゆっくりしようと思っていた。ところが突然微信で連絡が入る。1年以上前に茶商公会の紹介で知り合った呉さんだった。彼は当時上海で働いているということで、会う機会はなく、その後私も上海に行くことが全くなかったので、完全に忘れていたのだ。

 

メッセージでは今台北にいるとのことだったので、急遽会うことになり、30分後には部屋を飛び出した。待ち合わせ場所は大稲埕に近い地下鉄の駅だった。現れたのは、私の息子と同じ歳の青年だったので、ちょっと驚いた。そして茶商公会からは『日本時代初期に有名だった茶商、呉文秀の末裔』とのことだったが、聞いてみると少し違っていて、これまた驚く。

 

彼の案内で迪化街にある同安楽という名の店に入った。店名からして厦門の向こうにある同安である。店は最近はやりのきれいなものだが、奥行きがあり、かなり心地よい空間になっていた。よく見ると以前はお茶屋だったようで、『陳悦記』という文字も見える。店の女性も我々の歴史話に興味を示し、自らの一族の歴史を少し話す。店には日本時代、悦記が大稲埕で包種茶の茶商として活動していたことを示す新聞記事もあった。

 

呉さんの先祖は呉文秀ではなかったが、やはり茶業界の人で、100年ほど前に茶商公会で働いていたらしい。彼もその辺の歴史が知りたくて以前茶商公会を訪ねていたのだ。ちょうど私が持って行った茶商公会の本の中にも、ちゃんと彼のご先祖の名前はあった。1922年の茶業コンテストの際の実行委員会のメンバーだった。

 

そしてその息子は、台湾茶共同販売所に関連しており、日本時代は茶業を中心に発展した一族だと思われた。元は福建の泉州付近から出てきたようで、これまでは安渓中心に調べてきたので、これを機会に泉州茶商の足跡も当たってみたい。何しろ現在調べている林馥泉も泉州出身であり、呉さんの親戚はまだそこに住んでいるようなので、訪ねてみたいと思うようになる。

 

それにしても、若者が自分の一族の歴史に興味を持つことはとても良いことであり、また彼は予想以上に調べていた。そしてこういう話はいくら話も尽きることはない。茶を飲みながら話していたが、昼食もそこで取る。同安の昔の料理が定食で出てくる。なかなかうまい。そしてまた話し続け、結局初対面にも拘らず4時間以上にもなってしまった。

 

それでも別れがたくて、一緒に新芳春の博物館まで行った。ここも大稲埕の大茶商だったが、今は立派な博物館だ。これまで何度か来ていたが、いつの間にか完全リニューアルされており、展示内容は格段に分かりやすく、そして興味深

 

呉さんの一族に歴史に更に興味が沸いてきた。今回はここまでだが、ネタはいくらでもあるだろう。その後も彼からは、様々な資料が送られてきて、それを眺めている。直接的なものではなくても、いずれは役に立つ物だ。再会と新たな発見に期待している。年齢は異なるが、同じ話題で盛り上がれる同士は得難いものだ。

 

一度帰り、疲れをとる。若者と長時間話していたら、やはり疲れてしまった。夜はTさんからのお誘いで、四川の会に行ってみる。これは四川ゆかりの人が集まり、四川料理を食べる会らしい。私も今年、久しぶりに四川に行き、茶旅したばかりだったので、入れてもらった。

 

中山にある四川料理屋、何となく日本的な雰囲気があった。当然ながらそこまで激しい四川料理は出て来ない。なぜか他のお客も日本人ばかりで、店員も日本語で応対する。昔の台北の料理屋の雰囲気がある。参加者も急用などで、4人だけとなっており、和やかな雰囲気で、食事をした。

 

80年代の四川を知る大先輩と、懐かしい話に花が咲く。あの頃は本当に痺れる辛さで、日本人はとても食べられない四川料理が沢山あったことを思い出す。泊まれるホテルは錦江賓館だけ。そして言葉の訛りも強く、何を言っているのか分からないことも多かった。全てが既に歴史の域に入っている。