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チェンマイ滞在記2024その7(3)体力の衰え、生きる意味

11月18日(月)コピー

先日Sちゃんに資料を貸したら、彼女はコピー屋を探してサクッとコピーしていたので、私も1冊コピーしようと、近所のコピー屋を探した。歩いていけるギリギリの場所に1か所発見したので、早々に歩いて行ってみる。お店が連なっているところではなく、ポツンとあったのでちょっと驚く。

中に入ると、ちゃんと英語も通じ、料金表なども貼られていた。Sちゃんはカラーコピーしたので、相当高かったらしいが、私は白黒でよいので、料金はそれ程高くはなく、お願いした。それにしてもこのペーパーレスの時代に、大量のコピーを請け負っているこのお店、一体何をコピーしているのだろうか。

コピーするのに時間がかかるので、一旦店を離れ、昼ご飯はニーマンの和食屋さんで済ませる。それから宿へ戻り、疲れを癒し、またその店まで歩いて行く。最近は歩くスピードもゆっくりとなり、Google Mapの表示通りの時間がかかる。体の劣化はかなり激しいと自覚している。

午後4時に無事コピーを受け取り、そのままMayaへ歩いて行く。長距離を歩いただけで、なぜか腹だけは減る。こういう時は体から危険信号が出ている証拠だ。八番らーめんで、早めの夕食として優しい麺を食べるのが一番固い。モール内の店ではすでにクリスマス飾りが始まっている。チェンマイ滞在も既に3カ月超。そろそろ本格的な疲れが見えてきていた。

11月19日(火)ガチ中華2

先日壊れたスーツケースの修理に失敗していた。そろそろ帰国のことを考えなければならない。もう新しいのを買うしかない。そう思って昨日Mayaを歩いていると、旅行鞄を売る店が、セールをしていたので、ちょっと見てサイズを確認しておいた。プラプラとMayaの方へ歩いて行くと、先日食べた四川料理屋の看板が目に入る。

辛い物が欲しくなる時は、体の危険信号と理解しているが、何となく店へ行ってしまった。辛い物を敢えて避けて、トマト卵麵を注文する。麺はツルツルしており、スルスルと喉を通過する。トマトと卵が辛い訳がない。大盛りサイズなので食べ過ぎ感はあるが、大変満足な一品だった。この店はフルーツ取り放題なので、スイカも一杯食べる。

Mayaへ行くと、昨日話を聞いたおじさんが待っていた。早々に選んでおいた超軽量級の大型バッグを購入する。おじさんは他にもいいのがあるよ、と言っていたが、そこは完全に無視。ただいざ会計しようとすると「会計係がいないのでちょっと待って」と言いながら、色々と商品説明をしてくれる。これまでタイでこんな対応を受けたことが無い。というか、このおじさんは英語が出来たから理解できただけなのだろうか。

ケースを引っ張って宿まで持ち帰る。午後はこれから行くマレーシアの六堡茶に関する資料を少し読んで、論点をまとめていく。だがどうしても所々抜けが発生してしまい、きちんと輪郭を掴むことが出来ない。これもまた老化の一環なのだろうか。以前はすっきりしていた頭が何となくぼやけてしまい、何を考えてもクリアーにまとまらず、同時にひらめきも起こらない。

これはもう妄想茶旅の終焉を意味するのだろうか。これからの旅、そして執筆はかなり苦しいものとなって行くだろうが、果たして耐えられるのか。いや耐える必要はなく、出来なければ辞めればいいという選択肢が残されているのだが、生きていく意味がどこにあるのかを少し考えなければならない。

チェンマイ滞在記2024その7(2)アカ族のタンブンで

日本語先生一家はこれから予約したコムローイ会場へ行くのだと言い、大型タクシーを呼んだが、予約できてもすぐにキャンセルされてしまい、何度か繰り返していた(もっといい条件のオファーがあればすぐに乗り換えるらしい)。この時期は、車を捕まえるのは本当に大変、まるでバンコクのようだ。車を待っているとAさんが呼んだバイクがサッと来て、彼女はサッと移動していく。格好いい。私はテクテク歩いて帰る。

11月17日(日)アカ族の村へ

朝突然昨日のHさんから「今日の昼、アカ族村でタンブンがある」とのお知らせが来た。え、どうしてその情報、昨日会った時に言わないの、などという野暮は言わない。早々にアカ族村に興味を持ったAさんにも連絡して、村へ向かうこととした。ところが、ロイカトーンの真っ最中で、ただでさえ車がひっ迫する中、チェンマイ郊外の村まで行ってくれる車は全然見付からない。

取り敢えずAさんが我が宿までバイタクでやってきて対策を練るが、埒が明かない。Hさんに連絡すると「メージョーまで来てくれれば迎えに行く」と言ってくれた。メージョーは大きな道路沿いになるので、Boltで何とか車を捕まえることに成功した。この作業に1時間以上を費やした。

何とかHさんと落ち合い、懐かしい村へ向かった。村の一つの家へ行くと、かなり大がかりに食事の準備が進んでいる。Hさんと入っていくとH夫人に「準備を手伝わないなら邪魔だから出て行って」と怒られてしまう。だがAさんはその合間を縫って、しれっと準備作業に加わっている。さすが料理研究家。いや、普通の料理研究家はここまでするだろうか。実地研修で積み上げたAさんの料理は一味違うことを私は知っている。

1時間ぐらいフラフラしていると料理が完成する。同時に牧師さんが教会の日曜ミサから移動してきて、この家でまた説教をしている。更にはなぜか歌を歌い始める。歌って踊れる牧師さん、凄い。確か彼とは昨年中国語で会話して記憶もあるが、今日は忙しいので話す時間はなかった。ところで今日は一体何の会なのだろうか。ロイカトーンとは関係ないと思うのだが。

食事は前回より辛くなかった。それは今日の料理の主担当がH夫人だったから、敢えて我々のために辛さを抑えてくれたのだという。何とも有難いことだ。豚肉野菜炒め、スープ、ラープと生野菜、もち米と共に食べると、どんどん食べられてしまう。少し食べるとまた料理が追加され、満腹になっても止まない。

帰りはHさんがチェンマイまで送ってくれた。途中で急にAさんが「モンスーンカフェに行きたい」というので、3人で立ち寄った。冷たいお茶と温かいお茶を2つ頼んで3人で十分に飲めるのは有難い。オーナーのケネスがちょうどやってきたので、ここ2週間の北タイ茶旅の成果を報告、彼から貴重な情報を得ることも出来た。

因みにこのカフェの反対にピン川が流れており、昨晩はそこで大勢が集まって灯篭流しを眺めていたらしい。突然お酒も入り、ケネスは眠そうな目をこすっていたが、今日もまたあるのだろうか。そういえばHさんも昨晩コムローイ祭り会場に足を運び、格安で入場して写真を撮りまくったという。車など足のない私にはどうすることも出来ない。まあ行きたいという願望も沸かない。

チェンマイ滞在記2024その7(1)ロイカトーンのチェンマイ

《チェンマイ滞在記2024(7)》  2024年11月15日‐20日 11月27日‐12月7日

11月15日(金)日本語が聞こえる街

茶旅ツアーから戻り、かなり疲れたので休養が必要だったが、朝からパンを買い、食事に出なければならない。家々には提灯が下がっていて、ロイカトーンという感じにはなっている。昨晩手の怪我のため、薬局に行った時に気づいたのだが、我が宿の路地付近を歩く親子連れ、若いカップル、普段は全く聞こえない日本語があちこちで聞こえて驚いた。

ロイカトーンの時だけ、日本人がチェンマイに来るということが分かる。1年に1度、この3日ほどの間だけ、同胞が沢山いるという、何とも不思議な光景だった。結構な料金を払って旅行会社に依頼して、コムローイ(天燈/ランタン)フェスティバルに参加する人々。チェンマイには勿論色々と魅力があると思うのだが、これは日本人の習性をうまく利用した旅行会社の策略なのだろうか。

昼ご飯は鶏麺を食べた。やっぱり鶏肉が柔らかくてうまい。何だか激闘の旅の疲れを癒すにはもってこいの麺だった。午後はSちゃんの連絡を待っていた。彼女に貴重な資料を渡しており、コピーして返してくれることになっていたが、こんな日にちゃんとコピーできるのか、そしてそれを返しに来られるのかちょっと心配した。

彼女はバイタクに乗って悠々と戻ってきた。すごい、さすが探検部。お腹が空いているというので、そのまま近所のタイ料理屋へ行き、夕飯を取る。ここのチャーハンもスープも美味しいと言って食べていたが、実は彼女は中国人なので、「これは中国料理じゃないの?」と当然すぎるリアクションだった。全くタイ料理と言われているものの多くは、中国由来と考えていいのではないか。

その後彼女はターペー門の方へ歩き出したので、付いて行った。お堀のあたりまで来ると、花火が上がり、かなりの人が出ていた。若者が多く、自ら花火を上げているので、ちょっと怖い。何だか10数年前の危険な北京、花火が飛び交う元宵節を思い出す。お坊さんも一緒に堀を眺めていたが、とても平和な光景ではない。そこで彼女とは別れ、宿へ帰った。私はどうも祭りというものに乗り切れない。この日の夜はさすがに若者が夜中まで騒いでいた。

11月16日(土)ロイカトーンのお客

Hさんから連絡が来た。お昼にロイカトーンでチェンマイに旅行に来た日本人の会食があるという。場所はニーマンだというので、出掛けることにした。ちょうど茶旅を一緒にしたAさんをH夫妻に紹介したいと思っていたので、Aさんも誘ってみる。宿から歩いて10分ちょっとでそのレストランに着いた。

そこは庭もあり、感じの良い場所。外国人客も多い。今日に限っては日本語も結構聞こえる。かなり込み合う中、H夫妻は席を14も押さえてくれていた。何とも有難い。メンバーはバンコクから来たSさん(先日チェンマイで知り合った)と奥さん(カレン族)、子供二人、そして日本語の先生をしている男性と日本から来たそのご家族計六人となっていた。

ここの名物はカレーだという。ビルマカレーと書かれていてコクがある。他の料理もまあ美味しく、しかもそれほど高くはない。日本語先生のお父さん、鹿児島から来たというが、我々と親しく話をしてくれ、楽しい。しかも気が付かない内にこの食事会の支払いまでしてくれた。息子がいるタイに来るのが何よりの楽しみのようだ。

チェンマイ滞在記2024その6(5)チェンマイのガチ中華

外に何とか席を確保していつものクイッティアオを注文したが、既に太麺は売り切れていると言われた。仕方なく細麺をお願いしたのだが、出てきた碗の中を見ると、ところどころに太麺が混ざっている。取り敢えず残っていた太麺を全部入れたな、という感じが何とも良い。これが日本なら、こんな中途半端はしないだろう。

夜も近所で済ませることにした。麺ばかり食べても何なので、と何とガパオライスを注文する。なぜ日本人はガパオライスが好きなのか、なぜ日本ではあんなに高いのか、と思う一品である。この店のガパオもその辺よりは少し高いが、それでも70バーツだ。日本の800円とはかなり違う。

11月9日(土)ガチ中華

何だか天気もイマイチで気分がさえない。もうすぐ第2回茶旅があるので、元気を出さねばならない。やはり気分を変えるには食事しかない。晴れていたので、少し歩いて行くと、中国料理の店が大型コンドの中にあるのを思い出した。一度も入ったことのない四川料理屋。中に入ると、何と全てが華語である。客はほぼ中国人で、スタッフもタイ華人だろうか。オーナーは四川人だと言っている。

久しぶりに回鍋肉を食べる。特に辛くはない、分厚い肉が入っていてご飯がすすむ。オーナー夫人と話していたら、日本人だと分かり、向こうがかなり驚いていた。そして宣伝宜しく、と如何にも中国人らしい対応が何となく好ましい。次回は何を食べようか。

恐らくチェンマイには数千人の中国人が暮らしているだろうから、所謂ガチ中華の店は沢山あるはずだが、私の眼にはなかなか入らない。確かにチェンマイに来て中国人と付き合おうと思ったこともないし、出会いもあまりない。ちょっと生活をリフレッシュするには、他国のお友達を作る必要もあるかもしれない。

11月11日(月)Aさん、Sちゃん登場

今日は11月11日。中国ではビックセールの日として有名だが、何だかあまり盛り上がってはいないらしい。まあ私にはあまり関係ないが。昼ごはんはいつものお弁当を頂き、テンションを上げていく。そして明日からの茶旅に参加する二人がチェンマイに到着したとの連絡があった。

Sちゃんはお知り合いの娘さん。高校生の頃に一度、そして今年久しぶりに京都で会っただけである。お茶好きということで誘ったところ、一人でやってきた。昼ごはんでもと思っていたが、一人で街歩きがしたい、ということで、放置した。若者の考えはよく分からないので、言うとおりするのが良い。

もう一人のタイ料理研究家Aさんは、何度もチェンマイに来ており、こちらも問題ない。午後は打ち合わせがあるとのことで、夕飯を3人で食べることにした。ちょっと早めにソンテウに乗り、ワーロット市場方面へ行く。1か月半前の洪水の時ほどではないがピン川の水位それなりに高い。周囲のお寺などをフラフラしていると、洪水の時に比べると観光客はかなり多い。

Aさんが予約してくれた店は6時で完全満席だった。チェンマイでは珍しい海鮮系ということもあるのだろう。場所が良いこともあるだろう。Aさんはここのシェフにほれ込み、料理研修を受けているらしい。確かに出てきた料理はいつものチェンマイとは全く異なり、味付けがいい。何だか久しぶりに2人以上で食べたので、更に美味しく感じられたかもしれない。

Sちゃんは若いのでナイトマーケットをちょっと見てから帰ると言い、結局ニーマンの宿まで歩いて帰ったらしい。Aさんと私は車を呼んで帰る。この年代も興味もバラバラの3人の旅、一体どうなるのだろうか。ちょっと楽しみ。

チェンマイ滞在記2024その6(4)疲れが溜まって

11月2日(土)チェンマイ食のはしご

何とか茶旅を終えて、ちょっとホッとしていた。朝起きると道路が濡れていたので雨が降ったのが分かった。パンを買い、久しぶりの場所でカオマンガイを食べた。ボーっとしているとMさんから連絡が入る。他の2人は昼のフライトでハノイへ行ってしまい、Mさんだけが残っていた。ガイヤーンが食べたいというので、有名な食堂で待ち合わせた。

ガイヤーンを食べながら話しをしている内に、やはりカオソイも食べたいということになり、Boltで川向うまで走った。昼過ぎだがお客は多かったが、何とか席があり、カオソイにありついた。現在のオーナーが名物だ、というので、フライドパンプキンも頼んだ。甘いおやつだな。Mさんのお宿は旧市街地の立派なホテルに移動しており、そこまで車で送って別れた。Boltの使い方が分かれば、買い物などに私は不要だろう。これで茶旅第1弾の責務は終了した。

11月4日(月)スーツケースの修理は

日曜日はゆっくりとお休みした。やはり疲れはかなり出ていた。今日は何かしなければ、と思い立ち、懸案だったスーツケースの修理に行くことにした。ネット上で簡単に修理が出来ると書かれていたので、取り敢えず持ち込んでみた。場所は空港のすぐ近くで、Boltを読んで100バーツ程度で行けた。

何とかその店を見付けて、スーツケースの壊れた部分を見せると、その瞬間『ああ、これは簡単に直らないね。部品もないからバンコクまで送って2₋3週間かかるが、それでも直らないと言われかねない』という厳しい評価が下ってしまった。仕方なく、また車を呼んで宿へケースを持ってすごすごと引き返す。これは意外と無駄な出費となる。

何となく腹立たしい気分になってしまい、昼めしをがっつり食べたい欲求にかられた。こんな時はダンバウだと、いつもの店に行き大盛りを注文して、がつがつ食べて気を紛らわせた。こんな感じになるのは久しぶりだった。これもやはり疲れのせいだろうか。午後はゆっくり休んで早く寝る。

11月5日(火)やることは溜まるが

チェンマイ滞在も3カ月が過ぎようとしている。既に色々と茶旅もしたし、人から話も聞いていたのだが、何故か纏めようという気力が起こらない。最近は疲れを感じるケースも多く、折角乾季になり、雨の心配も無くなったのに、自分で洗濯する以外は、イマイチ積極性も生まれない。

それでも何とか新規開拓をしようと思い、ネット検索で出てきた近所のムーピン屋を訪ねてみた。焼き豚は好きなので簡単に食べようと思ったが、結局カイダオのセットを注文してしまう。店はキレイだが、ニーマン付近なのに英語はあまり通じないのが不思議だ。料金はニーマン的で、量は多くない。

夕飯はあまり歩く気にならず、隣の食堂で食べた。ここは緊急時に食べる用にいつもはあまり行かない。チャーハンを頼んだのだが、何となくご飯が美味しくない。疲れが溜まっているせいか、最近ご飯が美味しいと思えない日もある。いくらチェンマイの環境が良いと言っても、3カ月もいれば、飽きてくるのだろうか。

11月7日(木)雨が降る

乾季に入って一安心と思っていたら、最近は雨が降る。気温も低く、タイ人は上着を着ている人が増えた。私はいまだ短パンだが、涼しいと感じることが多い。昨日からバミー、カオソイなど麺ばかり食べているのも涼しいからだろうか。今日の昼もまた麺の店に行く。ここは美味いからいつもお客が多い。

チェンマイ滞在記2024その6(3)ラミンティの3代目と会う

10月25日(金)ラミンティー

午前中散歩していると、比較的大きなお屋敷が売りに出ていた。タイ語と併記で中国語も書かれているのだが、このご時世、中国人でこの家を購入する者はいるのだろうか。まあ、値段も分からないので何とも言えないが、時々不動産の売り物件を目にする。昼ご飯は久しぶりにおかずを選んでご飯とスープで食べる店へ行く。

今日は重要な日だった。10月初めにチェンダオで会う予定だった、ラミンティーの3代目と突然会えることになったのだ。しかも場所はチェンダオではなく、チェンマイ市内のラミンのオフィス。何と40年以上前に建てられた茶工場が併設されていた。またそこは大きなバイパス道路に面しており、現在茶業と並んで家業となっている自動車ディラーの店舗もあった。

3代目は非常に親切な人で、わざわざパワーポイントを準備してくれ、ラミンの歴史を説明してくれた。ただ初代については少し不明な点があり、今後機会があれば2代目夫人に聞いてみたいと思った。いずれにしてもここ北タイにおいて、最初に茶を植え、茶園を造り出したのは1940年前後のラミンであることは間違いなさそうだ(元々生えていた茶樹の葉を加工したケースはもっと古いと思う)。

現在同社では様々な種類の茶を作っているが、その根本は創業当時から紅茶で変わっておらず、今もアメリカ向け紅茶輸出が主業だと聞くと、確かに北タイは烏龍茶、というイメージは後世の物だと感じられる。そして初代の謎を解くことで、北タイプーアル茶の歴史も紐解けていくかもしれない。茶工場も見学して、紅茶をお土産にもらって帰る。

10月28日(月)茶旅が始まる

いよいよ北タイ茶旅が始まる。昨晩メンバーの一人HHさんがチェンマイにやってきて、気分が高揚する。昨晩はMAYAにサンダルを買いに行き、そのままフードコートで麺を食べ、ニーマン地区をフラフラ散策した。ハローウインが近いこともあり、仮想して写真を撮っている人達がいる。何だかちょっとキラキラしたチェンマイを見た。

今朝は朝8時集合でHHさんとカオソイメーサイに行く。この時間だと行列もなく、この有名店で悠々とカオソイを食べることが出来る。久しぶりのチェンマイだと聞いたので、こういう店も良いかと思う。食べ終わって出てくるころには既に外に観光客が立っていたから、相変わらずの人気だが。

そこから周辺を散策。市場に行ってみようと歩いて行く。そろそろ10月も終わりに近づき、心地よい朝が来ていた。市場でも魚や野菜などを見ていくが、私には名前も分からず、聞くためのタイ語力もない。実はもう一人のメンバーMさんが空港に到着するはずだったので、その連絡を待っていたのだが、何故かスマホの不具合か?うまく連絡がつかず。何とか無事到着を確認したが、Mさんは夜行便の疲れもあり、マッサージ屋へ行っていた。

我々は昼ご飯を食べるため、モンスーンカフェまで車で行った。後からMさんも合流して、3人でお茶を飲みながらミアンが入った料理を頂く。色々なお茶を飲んでまったりしてしまい、時間がどんどん過ぎていく。車を呼んで帰る際、HHさんは途中の市場で降りる行動派だ。夜は明日からのメンバーで夕飯(昨年と同じ場所)を食べる。夜の便でチェンマイ入りしたHSさんも無事合流して、明日からの気分が大いに高まる。

チェンマイ滞在記2024その6(2)急遽ワーウイへ

10月22日(火)急遽ワーウイへ

今月末に北タイ茶旅を計画して、参加者を募っていた。なぜ茶旅に参加者を呼ぶのか、それは車代をシェアしてもらえれば助かる、というのが一番大きい。皆で行きたいところへ行き、インタビューも出来れば、色々な意味で茶旅に広がりも出るし、これまでの盲点、弱点も見いだされるだろう。

ところが今回是非訪ねて話を聞きたいと思っていた人々は当日不在であることが分かり、取り敢えずどうしても話を聞きたいワーウイの李さんを訪ねに、運転手ドームの都合もあり、急遽ワーウイ日帰り旅を決行することになった。これでは何のためにシェア茶旅をやるのか分からなくなったが、まあ仕方がない。

今朝も天気はとても良い。8月末にも一度行っているので、ルートは分かっていた。それでも何故かワーウイまで4時間近くかかってしまう。それはドームが温泉たまごを作って時間を使ったからではあるまい。前回のことを既に忘れてしまっていた私に責任がある。まあとにかく老李リゾートに11時過ぎに到着した。

李氏から、色々な話を聞いた。特に驚いたのが、前回発見した香港・マカオとの繋がりだろう。1960₋70年代北タイでは大量の荒茶を作り、香港へ輸出していた。中にはプーアル茶を作って輸出したケースもあった。具体的な茶業者の名前、茶工場の場所なども出てきて理解がとても深まる。

プーアル茶を飲みながら、あっと言う間に2時間ぐらい話し込んでしまった。日帰りなのでもう帰らねば、と思っていると、お昼ご飯として雲南麺が登場した。この麺がとても美味しく、何とお替りまでしてしまう。10日後の茶旅では、ここに1泊するので、その時食べる夕飯を今から予約してお別れした。食事は結構期待できそうだ。最後にちょっと茶工場を見学した。

帰り道、ワーウイの近くにあるラフ族村に寄ってみた。ここにはドームの同級生が暮らしているという。だが村へ入る道をタイ語で尋ねても冷たい対応だったらしい。ところがラフ語で尋ね直すと対応が一変したというから、よそ者への警戒感は相当なものだ。質素な家が並ぶ村の中で2人は再会した。40数年ぶりだというから驚きだ。何を話しているかは分からないが、初めはぎこちなく、途中から懐かしげな様子が伝わってきた。

陽が傾き始めたので、急いで山を下った。夕方5時頃、チェンマイ郊外までやってくると、ドームが突然親戚の家へ行こうという。そこはドイサケットという街、先ほど李さんからその昔茶工場が沢山あった場所として紹介されたが、今や茶工場など一軒もない、と言われていた。

ところが実際に行ってみると、とても小さくはあるが、家の裏に製茶機械があり、現在も細々と花茶を作っている女性がいたので、本当に驚いた。そしてこの花茶はチェンマイの中華レストランなどで飲まれているらしい。このドイサケットの茶工場の歴史、本当に誰も知らないだろうか。今回は時間的には短かったが、収穫の多い旅だった。

10月23日(水)エレベーターが止まっている

昨晩宿に戻ると、何とエレベーターが止まっていた。疲れている中で、階段で4階まで上がるのはかなり大変だった。そして修理完了は25日となっており、愕然とする。今朝起きて考えたのは、如何に効率的に部屋から出ないで過ごすかだった。だが私は自炊をしない(そもそも設備はない)ので、ご飯を食べるには外へ出る必要がある。勿論パンやカップ麺を買っておいてやり過ごす方法を検討した。

まずは朝、パン屋へ行って多めにパンを買う。帰りに久しぶりにジョークを食べに行く。その後近所の花をめでながら散歩する。昼間は暑いこともあり外出せずパンで過ごす。夕方もう一度外出して、麺を食べる。夜は卓球を見て過ごす。まあ、こんな感じであと2日耐えようと思っていると、翌日エレベーターは何の前触れもなく復活しており、全てが日常に戻っていた。

チェンマイ滞在記2024その6(1)雨で体調不良に

《チェンマイ滞在記2024(6)》  2024年10月17日‐10月28日 11月2日‐11日

10月17日(木)体調を気遣う

ベトナム、ホーチミンからバンコク経由でチェンマイに帰ってきた。今やホームタウンのチェンマイであり、なんとなくホッとする。ただ既に10月半ばなのに、まだ雨が降っていて驚く。やはり今年は異常気象なのだろうか。ベトナム疲れもあったので、昼まで部屋でゆっくりと写真の整理などをして過ごす。

腹が減ったので、外へ出る。雨はない。いつものパンを買い、すぐ近くの麵屋で牛肉麺を食べる。ベトナムでフォーボーを食べなかったなと思い出す。こういう食べ物を食べると、何となく体に優しい。腹が温まる。夕方もう一度外へ出て食べたのも、ジョーク。やはり体調が優れないので、優しいものを欲していると分かる。

翌日も疲れは取れず、天気も回復しない。そんな時はやはり麺。鶏麺が美味しい店に行き、適当に指差しで注文したら、何だか手羽先が何本も入ってきた。コラーゲンたっぷりで、これはこれでイケル。夜も焼き麺を食べている。こういう時に米は重たい。これで体調回復を図る。

10月19日(土)久しぶりの台湾料理

朝から箱根駅伝予選会を見る。何と1秒差で予選を通過した順天堂。このような周回コースの予選会は良いのだろうか。まあそんなことを言っても仕方がない。日本では秋が始まり、季節が移っているが、チェンマイはまだ雨季のようだ。何とも寂しい朝が過ぎていく。因みに翌朝もプリンセス駅伝を見る。もう駅伝、マラソンシーズンなのにチェンマイは、という思いに駆られる。

いつものパン屋でいつものパンを買う。先日ネットで見ていると、チェンマイで一番美味しいカオマンガイ屋として挙げられていた店は目の前だ。久しぶりに食べてみたが、普通の美味しさという感じ。50バーツでこれが食べられるという点では素晴らしい、ということだろうか。

夕方なぜか急にソンテウに乗り、ターペー門を目指した。ところがソンテウは最短コースではなく、他の乗客の目的地に向かって走り出し、一時はどうなることかと思ったが、その後は順調に進み、最後はむしろ目的地近くで降りられた。夕飯を1年ぶりに台湾料理屋?で食べた。台湾で働いていたタイ華人が出した店、というのが正しいだろう。味は悪くないので、また寄ってみたが、店のおばさんは私のことなど完全に忘れていてちょっとショック。帰りは何となく夕暮れの中をトボトボと歩いて宿まで帰る。寂しい。

10月21日(月)飲茶が食べたくて

週末を過ぎても、体調が思わしくない。というより、所謂テンションが上がらない状態がずっと続いている。そんな時は和食でも食べるかと、いつもの店にランチを食べに行く。ハンバーグにコロッケ、味噌汁にひじきご飯でかなり元気が出て、そのまま長距離散歩をする。何となくもう雨はないかな、という感じだ。

夕方AISショップに行く。今回のシムカード、いつもと違うので、何となくよく分からない。もしバンコクなら、スクンビットまで行かないと英語は通じないが、チェンマイでは近所のショップでも簡単に英語は通じるのが何とも有難い。何とか理解して、支払いを済ませるとすっきりする。

その足で堀沿いを歩いてみる。ちょっと行くと少し大きめのレストランがあった。ここは団体観光客が来るのかなと覗いてみると、そうでもなく、普通に麺などを提供しているので入ってみた。するとメニューに点心がいくつか載っていたので、これも注文する。ちょうど点心が食べたいな、と思っていたのだ。

席はオープンスペースと思っていたが、店員に誘導されてエアコンの効いた涼しい場所へ。ここにまだ午後4時過ぎだというのに、中国人観光客が数組いた。そしてかなり食べ散らかした状態で、外に出たくないのか、話し込んでいる。それをしり目に私は出てきた麺と点心を簡単に片付け、足早にその場を去る。

チェンマイ滞在記2024その5(3)断水やキャンセルや

久しぶりに指差しでおかずを選ぶ食堂へ行った。イカ炒めをいつものように頼んでみたが、今日は滅茶苦茶スパイシーでお腹がグルグルとなる。もう一つのゴーヤたまご炒めで何とか中和できないかと思ったが、それは無理な相談だったようで、逃げるように宿へ引き上げた。そもそも体調がよくなかったこともあるのだろう。

10月3日(木)キャンセル

いよいよ明日から活動が再開される。取り敢えず少しでも元気を取り戻さないといけないと、麺などを張り切って食べてみる。動かないと食も細っていくということが分かってきた。やはり歳を取ったのだとしみじみ思う。ご飯ものをちゃんと食べる元気はない。

夕方になってもドームからは何も言ってこないので、一応明日朝8時ね、とメッセージしたところ、突然『キャンセル』という返事が返ってきた。理由は大雨により道路は崩れてしまったから行けない、とのことだったが、そんなことは今日じゃなくても分かるだろにと『なぜ連絡をくれなかった』と打ち返したら、子供じみた言い訳を並べてきて驚いてしまった。

これがプロのガイドだろうかと思ったが、これがタイなのだ、と思うしかない。いや彼はガイドではなかった。単なる運転手に大きな期待をしてしまったこちらが悪いのだろう、きっと。それにしても明日は私にとって極めて大事なミーティングだったので、キャンセルは誠に痛い。

10月5日(土)朝食と晴れ間

今朝は朝から快晴だった。晴れというだけでこれだけ気分が晴れるというのは、久々な経験だ。勿論洗濯をして干した。それから近所のパブ?へ向かう。ここは朝からやっており、白人たちが集う食堂のようになっている。午前中はノマド系がPCに向かい、初老はボーッとコーヒーを飲んでいる。

私はここでブレックファーストを食べてみたかっただけだった。面白いのは朝食メニューが一日中注文可能であり、しかも4種類もあることだった。取り敢えず王道のアメリカンブレックファーストを注文すると、ジュースとコーヒーが付いてきてかなり豪華だった。何だか朝からとても良い気分になれた。

この店、中国人も来るのだろうか。後ろの席に座っていたおじさん、流ちょうな英語をスタッフとは話し、奥さんとは中国語を話している。なぜか中国語の方が声がデカくなるので、出来れば英語で話して欲しいと思ってしまう。これまでの客が置いていった書籍があったが、その中に新華字典があるのが不思議だった。バイクレンタルの客も多い。

10月6日(日)断水

今朝も晴れていて嬉しい。日曜日ということもあり、ゆっくりと起動して遅めの朝飯を食べに行く。今日は先日見たモスクの近くで牛肉麺にした。相変わらず黙々と麺を茹でるヒジャブの女性。これで十分に生計は成り立っているのだろう。何となくゆったりした仕草であり、それを見てゆったりとした気持ちになれる。

午後はオンラインセミナーに参加した。自らが主宰でないセミナーへの参加は久しぶりだ。ハノイのNさんの企画、なぜかお題は中国の『チャーズ』だった。どんなお話になるのかと聞いてみたが、ご本を出された方は生後1歳半でこの悲劇に遭遇され、記憶にはないようだ。ただそのお兄様も参加されており、かなり具体的な満州での生活などが聞けた。

この方々のお父様は、恐らくは京都帝大を出て林業関係に進んだと思われる。だから満州であったのであり、もし茶業なら台湾だったのでは、と何となく思ってしまう。チャーズといえば、遠藤誉と山崎豊子が思い出され、中国関係者ならその多くが聞いたことぐらいはあるはずだが、それ以外の日本人はドラマ『大地の子』なども見ていないのだろう。

チェンマイ滞在記2024その5(2)ついに未曽有の洪水が

取り敢えず朝飯を食べることにして、いつもの華人食堂へ行き、ワンタンメンを食べる。安定の旨さだ。そしてもう一度付近の道に戻ると、10時を過ぎたのか何軒か開店していた。最初の一軒に聞くと、120バーツというので、面倒だからそこにしてみた。若いニーちゃんが髪を切ってくれるのだが、おしゃれな切り方で時間がかかる。

確かに日本の1000円床屋よりは余程丁寧かもしれない。因みに私は日本では690円しか払っていない。昼間のタイムサービスを利用しているのだが、それにしても安い。料金からすれば円安もあり、チェンマイも東京も変わらなくなってきている。物価が安いチェンマイが東京を抜いて行く、そんなことが現実になるのだろうか。

午後はゴルフの日本女子オープン初日を見ていた。NHKだと配信されるので有難い。思えば日本女子ゴルファーの活躍はすさまじい。ニュースでは渋野ばかりが取り上げられるが、古江や西郷、笹生に畑岡などアメリカで戦っている選手が増えた。そこに日本では、女王山下の前に竹田や岩井姉妹が加わり、常に面白い展開をみせている。

そういえば8月初旬に入居したのに、1か月後の家賃請求が無いことに気が付いた。こちらから言うのもなんだが、レセプションへ行ってみると、完全に忘れていたらしい。すぐに電気代などが計算され、支払いは終わったが、特に謝ることもなく、感謝することもない。やはりタイはそのような国なのだろう。

9月27日(金)新総裁

今朝は久しぶりに晴れ間があり、急いで洗濯して干した。何日ぶりに、太陽を見た思いだ。ようやくこれで雨季は終わると信じたかったが、事態は簡単ではなかった。まあ取り敢えず今日は良い日だ。ただ今度は太陽が出ると暑いと思ってしまうのが、人間のエゴというものだろう。

NHKを見ると、自民党総裁選を中継していた。石破と高市の決選投票となっていた。オールドメディアの予想は外れてしまったらしい。これで高市が勝てば、日本初の女性総理誕生となり、いい悪いは別として、日本に新しい風が吹くのでは、と期待されたが、最後のその期待は見事に打ち砕かれて終わった。まあ、これで全てが終わる、ということもなさそうではあるが、メディアも政治も、そして我々は変わることは出来ないのだろう。

夕方配信でU-20サッカーアジア選手権予選を見た。日本対ミャンマー、結果は最初から分かっているようなものだが、ミャンマーということもあり、ちょっと見てみた。今はどの年代でも日本チームが強いと思われており、この試合もそうではあったが、何となく日本に慢心があるのでは、と思えた。一方ミャンマーの選手は、どんな思いでサッカーをしているのだろうか、と考えてしまう。

10月1日(火)モスク

ここ数日また雨だった。そしていよいよチェンマイにも洪水が押し寄せてきた、らしい。私の周辺は相変わらず水が無いので、実感はない。ただ数日間ひたすら原稿と格闘して、締め切りに備えている間に、ピン川方面が崩壊してしまったという。川沿いの店舗、民家が床上浸水している。さすがのチェンマイ人たちも『生まれてから初めて見る光景だ』と肩を落としていた。

雨の間に食事を取り、買い物をしている。いつもの道を逆方向から歩いていると、突然モスクが見えた。これまで何度も通っていたのに気が付かなかった。ただ近所でヒジャブを被った女性が牛肉麺屋をやっている理由が突如わかったような気がする。そういう目で見てみると、この通りはイスラム系が多いのかもしれない。