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ある日のバンコック日記2020(12)ヤワラーを歩き回る

2月12日(水)ヤワラーの奥へ

今日も午後散策へ出掛ける。MRTでファランポーンの次の新駅、ワットマンコーンで降りる。この駅の前にワットマンコーン(蓮光寺)がある。ここは中国的に商売繁盛などにご利益があると言われており、いつも多くの人が訪れている。その並びには例の王有記があるが、道路の向かい側から見るとその建物の上にも看板があった。

今日は進路をヤワラー通りの方へ取る。駅の横から両側に店が並ぶ細い道を抜ければ行けるのだが、敢えて一つ先の大きな道を行く。途中に大きな廟もあったが、ヤワラー通りの角にひっそりと建つ小さな廟に惹かれる。更に川の方に向かってずっと歩いて行くと、ようやく立派な建物の培英学校に辿り着く。

培英学校はちょうど100年前、1920年に潮州人が資金を出し合い設立した華人学校。その裏には、バンコックにおける潮州系廟の総本山ともいわれる大本頭公廟がドカンとある。その脇から路地に入っていくと、薄暗い。そうだ、80年代の都市伝説『ヤワラーに一度入ったら出て来られない』という雰囲気が漂う。そこにもほのかな灯が見え、廟が存在している。如何にもチャイナタウンの奥地だ。

明るい所へ出てくると、客家総会の入り口が見えた。その間口はかなり狭いが、中に入ると広い敷地に立派な建物が建っており、如何にも目立たないように生きる客家を象徴している。その建物の最上階には100年以上前に作られた関帝廟が置かれており、商売繁盛を願って、管理人が管理していた。

道に戻るといくつもの小さな廟を見かけた。どこも参拝者がいて、廟は華人にとって極めて重要な場所だとよく分かる。MRT駅のあるチャルンクルン通りまで戻り、広肇会館に入ってみる。ここはその名の通り、広東系の総本山。手前に仏像などは安置された廟があるが、裏は同郷会館になっている。140年前に別荘の名で建てられたという。広東系の影が薄いバンコックで、ここは異彩を放っている。

道を斜めに歩いてみる。呂帝廟がある。ここは1899年に建てられた客家最大の廟であり、道教寺院でもある。当時2大派閥があった客家を一つにまとめたのがこの廟だとも言われている。客家は当時から自らを客家と認識していたのだろうか。30年ほど前に火災で焼け、再建されたとある。中には薬を扱う場所もあり、薬局(医者)の役目も果たしていた。

その向こうには報徳善堂と書かれた大きな会館が見える。ここがタイでよく見る慈善団体、救急隊の本部だった。その向かいには100年以上前に報徳堂によって建てられた廟があり、多くの参拝者が拝んでいた。更に行くと南海観音宮がある。小さな廟だが、凛としている。ここも客家廟だそうだ。

帰る前に細い路地を歩いてみる。ふと人が横にそれた。そこにも古い廟があった。龍尾古廟、ここはバンコックの中国寺院としてはもっと古いらしい。華人商人たちがその昔から商売繁盛を願って祈る場所、潮州系廟だった。

K先生と

一度宿に戻り、ゆっくり休息した。夜また出掛ける。先日お訪ねしたOさんが『私にぴったりの人を紹介する』と言ってくれ、その方のご本まで貸してくれた。それがK先生。華人廟の歴史などを書かれていて、これまで見たことがない角度から調査されている。何より今の私の活動にドンピシャな内容で、さっそくこの本を使って歩いているわけだ。

そのK先生とお会いして更にビックリ。特に華人研究を主にしているわけではなく、世界中の面白いと思うものを実地で調べ上げ、本にしているというのだ。これはもう話が弾まないわけはない。私は茶の歴史しかやらないが、K先生は何でも知っている文化人類学者だった。隣でOさんがあきれ顔で会話を聞いている。

そこで今私が一番疑問に思っていることを素直にぶつけてみた。正直分かるわけがないと思っていたが『チェンライ、チェンマイの雲南回族がチンギスハンの子孫だといっているが?』と聞いてみると、『それはね・・』とすらすら話し出すではないか。一生解けないかと思っていた疑問、目の前でそのヒントがどんどん出てくる。そしてそれに関する本も書いてあるよ、というから、これはまさに奇跡の出会いだった。

2月13日(木)うまい炒飯と客家

今日はどうしても炒飯が食べたくなり、近所の食堂へ向かう。他の店と違い、ここの海鮮チャーハンがなぜか絶妙にうまい。一体何を入れているのだろうか。完全に癖になってしまった。ここはパッポンカリーもうまいのだ。何か秘伝のたれでもあるのではないか。

夕方、出掛ける。同級生のOさんと会う。今日は態々奥さんにも来てもらって話を聞く。何しろ奥さんはマレーシア華僑で、しかも客家系だというのだ。家庭内でも多言語を話すマレーシアの言語事情、客家としての意識の変化など、様々な話が聞けてとても有意義だった。

その後3人で、中国系食堂へ行った。いつもは満員だというのだが、お客はまばら。これもコロナの影響だろうか。オーナーがビール飲みながら夕飯をゆっくり食べている。新華僑、それも東北人がやっているのだから、餃子がうまい。でも麻婆豆腐はちょっとね。なんだか急にマレーシア中華が食べたくなる夜。

ある日のバンコック日記2020(11)ソムデット

2月11日(火)茶の番組

バンコック暮らしも1か月を過ぎると生活リズムというものが生まれてくる。午前中は資料まとめなどを行い、昼ご飯の後、気分が乗れば散策に出掛け、そして毎日プールに入るようになった。これまで宿にプールがあっても見向きもしなかったが、本を読む空間として良いかと思い、プールサイドへ行ったところ、何とも暑かったので体を浸してみるとこれが心地よい。少し泳いで、後は体が乾くまでお茶資料を読む、何ともいい習慣だ。ちょっと筋力も付いて体も軽くなってきている。

また朝ドラも必ず見るようにしている。朝ではなく10時45分からの再放送。この時間までに色々なことを済ませ一つの区切りとしている。今日朝ドラの少し前にテレビを点けると、偶然コウケンテツの食旅番組で、何とタイのミエンが取り上げられていた。それもかなり詳しく、作り方から食べ方、健康に良いなどとも言っている。こういう形でタイのお茶が番組で流れていることを初めて知る。

朝ドラが終わってそのままテレビを点けていたら、趣味の番組で、『茶の湯』をやっている。日本ではいつの間にかお茶関連番組が増えているのだろうか。私は茶の湯のことは本当に知らないので、真剣に見ていたが、解説者の話の端々に引っかかるものがあり、どうにも馴染めない。『茶の湯は特別なことではない』と言いながら、じわっと特別感を出している感じか。まあこれも一つの世界、文化と見えれば、良いのかもしれない。決して茶の湯を否定しているわけではなく、余りに形式的なのどうだろうか。気軽にお茶飲んだ方が私は楽しい。

午後はまた赤バスに乗り、ヤワラーを越えて、川を渡る。降りるべき場所が分からずだいぶん過ぎてしまう。今日の目的地はソムデット地区。今まで来たこともなかった、全くノーマークな場所。運河沿いには大きな廟があるが、タイ式だ。ここにも華人の足跡はあるのだろうか。

ずっと歩いて行くと、かなり大きな市場があった。その向こう、川に近い方に目指す三奶廟をようやく見つける。こじんまりした作りだが、中に入ると飾りがギュッと詰まっている。ここがバンコック最古の客家系廟だという。元々は川沿いにあったが後の区画整理で現在地へ移動したらしい。私には客家を示すものを発見することはできなかったが、客家は自らを隠して生きてきた、とも言われているので、そう簡単に分かるものでもないか。

渡し場が見えた。その横を潜り抜けていくと、昔の木造、塩倉庫があった。これも客家の商いだろうか。何となく昔を偲ばせる、いい風景だった。その先には公園が見えたが、河南古廟という横幕が目に入ったので、まずは川沿いの廟を目指す。武聖廟、古めの立派な廟が川沿いにあった。これは福建系で、かなり由緒正しそうな廟だった。

疲れたので、川沿いに建つ古民家カフェに入ってみた。中には多くの観光客がドリンクを飲みながらくつろいでいた。ここも昔は華人の商家だったようで、その末裔らしき人がカフェを開いていた。川辺で飲むドリンクは疲れた体に優しい。そして眺めも良いのでつい長居してしまう。

先ほどの公園は、故プミポン国王の母、シーナカリーン妃にちなんだ場所だった。王室らしい作りの庭園があり、建物内は展示館になっていた。一般人だった(華人の血が入っている)彼女が、どのような経緯でラーマ8世及び9世(プミポン国王)を生み、国母になったのか、その概要が写真から推察できる(ほぼタイ語なので説明は分からず)。

この付近、古い華人の雰囲気が溢れている。アユタヤから移り住んだ人々の末裔なのだろうか。昭帝老爺という小さな廟もあった。そのままバスを降りた方へ歩いていくとタイ式の立派な廟があったが、その中にも華人を感じさせる建物が見え、墓には漢字が刻み込まれていた。このあたりの往時の様子が垣間見られる。

運河の向こうには、高い仏塔とさらに立派な廟が見える。ワット・ピチャヤ・ヤティカラム、1830年前後に建立されたというから、このあたりの様々な歴史を思わず考えてしまう。ただ夕方のせいか、参拝者はほぼいない。そこからトボトボと10分ほど歩くと、庶民の生活が続いて行き、モスクなども見え、MRTの駅まで行く。そこで今日の散策は終了した。因みに途中に氷屋さんがあったが、氷は海南系の得意業種だったと聞いたことがある。

ある日のバンコック日記2020(10)驚きの再会

2月7日(金)ベーリングへ

夕方、近所のバスターミナルに行った。コロナ感染防止の観点から言えば、タクシーは乗りたくない。バイタクも濃厚接触か。そんな中で安くて、窓が開いていて、人がそれほど多くない赤バスが良いのではないかと乗りに行ってみる。今日はBTSに乗り継ぐ(結局コロナ対策意味なし)ため、エカマイ駅へ行けるバスに初めて乗る。

タイで初めてのバス乗るのは緊張する。何しろ言葉が通じず、字も読めないので、どこへ行ってしまうか分からない。またいつ出発するかも不明なので、相当時間に余裕をもって出る。かなり面倒だが、時間を持て余しているなら、これがよい。今日のバスも期待に違わず、あらぬ方向へスタートして、なるほどというルートで進んでくれた。ワクワク。

エカマイ駅に着くとまだ時間があったので、懐かしいエカマイゲートウエイに行ってみた。相変らず上の階に日本専門階があり、多くの和食レストランがあったが、何となく、店も変わっており、メニューもタイ風になり、お客も多くはない。外にあった巨大招き猫も無くなっただろうか。BTSに乗ると、マスクしている率が急に上がる。バンナー方面に乗る。数年前、この方面に半拠点があった時は、終点の駅がベーリングという今日の目的地で分かりやすかったが、今やBTSは四方八方に伸びており、全く知らない駅が終点になっていた。

ベーリング、意外と遠い。如何にも郊外の駅らしく、閑散としている。駅前にはなぜかインター(高校)がある。その建物を上から見てみると、なぜかジムが併設されており、バイクを漕いでいる人が見えるのが、タイらしくない。

Mさんが時々行くという食堂に入る。Mさんからは、イサーン料理と聞いていたのに、ウエートレスが中国語のメニューを持ってきたので驚く。しかも内容はイサーン料理ではなく、普通の中国料理だったので、この辺にも中国人観光客が沢山泊まるんだな、と気が付く。彼らは私と同様、タイ語が読めないので、写真付きのメニューだが、結局よく分からず、慣れ親しんだ食べ物を頼むようで、それを見越して華人が作っている。

Mさんはオーナーに口頭で料理を注文した。彼は文字が読めるし、話せるので心強い。そして先日旅したインド、特にアッサムからナガランド、インパール、そしてミャンマーへ抜けるルートの様子を教えてくれる。この旅には何ともワクワクするが、私は行くことができるだろうか。すでにインド5年マルチビザの申請は終わっている。今回はコルカタだけにしてまずはビザをゲットしようか。もし滞在中にコロナ関連で異変があれば、隔離されてしまう恐れもある。インドで隔離は辛いな。いつものことだが、インド旅は簡単にはいかないのだ。

2月8日(土)驚きの再会

今日は土曜日。何となく静かなので、少し外出してみようという気になる。昨日エカマイまで乗った赤バス、実は終点は国立図書館だということが分かった。やはりタイの歴史など、図書館で調べたいことがあるが、タイの図書館は英語が通じるのか、そもそも外国人は閲覧できるのかも分からない。

バスは順調にエカマイを過ぎ、何と大回りしてマッカサン駅の横を通り、パヤタイ駅まで来た。だがバスはUターンしてしまった。慌ててバスを降り、この先のバス停を探し、バスを待つ。この辺が文字の読めない辛さ。それでもなんとかバスを乗り継ぎ、遂に終点まで来た。ちょっと腹が減ったのでその辺で麺を注文する。すると小学1年生ぐらいの男の子が一生懸命働いている。言葉が通じなくても何とかしようとするのがとても良い。ここでチップをあげようとすれば、まさに深夜特急の沢木耕太郎だな。

図書館は歩いて3分の所にあり、とても広い敷地に立派な建物だった。さすが国立。だが何と、今日は祝日で休館日だった。がっかり。仕方なくそこからテクテク歩きだすと、教会系の学校がある。今年100周年だ。15分ぐらい歩いて、川沿いに出ると、この付近は昔の建物なども残り、ちょっと雰囲気が違っていた。

そのまさに川沿いに水尾聖娘廟があった。ここは知らなければ来られない場所だ。廟は海南系、ちょうど元宵節の午餐が終わったばかりで人々が帰りかけていた。実はバンコック、海南系もそれなりの勢力があるのだが、一般的には知られていない。そこに橋が架かっているので渡っていくと、本当に川にくっ付いた廟が見え、往時は川からお参りに来たことが分かる。

そのまま川を越えたら、そこにMRTの表示が見えたので行ってみる。10分ぐらい歩くと、新しくできたスリンドーン駅に到達した。今日は無料だと聞き、乗り込んでみる。乗客は多くはなかったが、何と目の前に昨晩一緒だったMさんが現れたのには心底驚いた。そんなに深いご縁だったのか。彼は鉄道好きで、新しい線に試乗していたのだ。

取り敢えず終点(と言っても環状線だが、今は乗り換え必要)で降り、Mさんと共にラクソン駅方面に乗ってみる。ここは元々の住宅街にMRTを通した感じで新しい感じはなく、観光地もない。帰りはそのままあり返して最寄り駅まで30分もかからない。バンコックもどんどん便利になっている。

ある日のバンコック日記2020(9)タラートノイを歩く

《ある日のバンコック日記2020》  2020年2月4日-16日

2月4日(火)空港から

チェンマイからのフライトはドムアン空港に夜7時ごろ着いた。夜のドムアンは久しぶりだ。この時間、タクシーに乗っても渋滞なのでバスで抜けることを考える。いつもはA1バスでチャドチャックまで出てMRTに乗るのだが、今日はちょうどA2が来たので、どこへ行けるのかよく分からないが、荷物も少ないので、乗り込んでみた。満員だったが座れたので、ゆっくり行くことにした。

想像通りかなりの渋滞であったが、30分ぐらいすると車掌がMRTと叫んだので降りてみたら、何といつものチャドチャックだった。A1もA2もここまでは同じルートだったことを初めて知り愕然となる。ちゃんと調べないで、これまでA2に乗らなかった自分が悔やまれる。

チャドチャック駅に降りていくと、なんとすごくきれいになっている。しかも地下モールまで出てきており、これまでの殺風景な駅が一掃されていた。急に腹が減ってくる。これまで食べるところはなかったが、見ると色々とレストランがあるではないか。中にカレーのココイチバンの名前を見てカレーに決めた。

行ってみると、普通のココイチとは様子が違っていた。入口に弁当のようなパックが沢山並んでおり、テイクアウトする人はそこで買い、中で食べる人はレジでチンを要請する仕組みのようだ。値段も普通の店より安く、よく見るとエクスプレスと書かれている。中では若者たちがカレーを食べながら話したり、一人でスマホを見ながら過ごしていた。

これからの外食産業はこうだろうか。並びのコンビニ、ローソンを眺めてみると、40-50バーツの小型弁当やおにぎりが並んでいた。若者はこれをレジに持ち込み、チンしてもらい、その辺の空きスペースでサッと食べて帰宅する感じだろう。さっきのココイチはここでは高級な方か。

2月6日(木)ヤワラーからタラートノイへ

今日の昼は久しぶりに宿近くの通称食堂へ。ただどうしてもコムヤーンが食べたい。そういう時は隣のおばさんのところから買ってきて、食べられるのがタイの良さだ。ドリンクも持ち込み自由。結局ガイヤーンとソムタムまでついてきて、大満足のランチとなる。

そのまま外出する。バンコックはコロナの影響もなく、特に変わった様子もない。バスでファランポーンまで行くが、平日の昼間としては車が少ないと感じられる。駅前から運河沿いに歩いてみる。横道に入ると、本頭廟がある。これはタイでは非常に一般的にみられる廟だ。

その先を行くと、大きな廟に出会った。慶雲寺と漢字で書かれているが、何となく雰囲気が違う。よく見るとベトナム語も書かれているではないか。入口には大きな菩提樹がある。140年前にインド政府からラーマ5世に送られたものだという。この寺はその時代にベトナムからやってきた移民が建てたもので、その土地はラーマ5世が与えたらしい。移民というと中国系やインド系ばかりを追ってしまうが、労働者としてベトナム系もいたとは。今その子孫はまだ居るのだろうか。

私はタラートノイを目指しているが、どこにタラートがあるのかよく分からない。周囲を見ると、鉄くずを扱う町工場がずらり。その脇に小さな廟があり、そこが福建系だと分かる。タラートノイはトンブリからバンコックへ都が移った時に、福建系が移り住んだと聞いていたが、あまりはっきりしない。

ただ少し歩くと見覚えのある風景が出てきてちょっと驚く。そうだ、ここは1年以上前、安渓茶商の末裔探しで通りかかった道。そしてその先には安渓人の清水祖祠廟があるのだ。何となく繋がってきた。その近くにあった財を成した役人の邸宅、恒泰は扉が閉ざされており、カフェはやっていなかった。この付近、観光客が多く歩くようになっており、それに合わせてカフェなどがどんどん増えている。中国人観光客も団体は止まったが、個人はまだ来ている。

更に川沿いを行くと、漢王廟がある。ここは客家系の廟と聞いている。18世紀に客家商人がこの廟を建て、その後1888年に現在の建物に建て替えた。タラートノイは福建系だけではなく、海南系、客家系なども多く住んでいたらしい。ちょうど正月15日(元宵節)の獅子舞の準備が行われていた。漢王廟は川辺にあり、天気が良いとその景色はとても映える。そこから内陸に歩いていくと、古い家々を使ってギャラリーが出来ており、写真展が行われていた。

その先には、サイアムコマーシャル銀行発祥の地があり、今も立派な建物が建っている。この銀行は福建系なのだろうか。その横には立派な教会があり、学校もある。この辺りがバンコック王朝初期に作られた街のようだ。その先にはリバーシティというモールがあり、この付近はリバーフロント開発が進んでいたので、今日はここまでにした。さすがに歩き疲れたので、バスで戻る。

ある日のバンコック日記2020(8)部屋を代わる&インドビザ申請

1月29日(水)

部屋を代わり、インドビザを申請

翌朝部屋に行ってみると、水漏れは止まっているように見えたが、宿側はハッキリした原因を言わず、折角なので気分転換も兼ねて、部屋を代わることにした。やはりタイのサービスというのはこんなものなのだろう。部屋を代わるにあたり、旧部屋で使用した電気と水道料金の支払いを求められた。

だがその電気代がどう見ておかしい。その点を尋ねても、明確な説明はない。仕方なく日本人Yさんに聞いてみると『タイの電気料金請求は誰にも理解できない』と言われビックリ。ホテル側も電力会社からの請求で毎度揉めているらしく、電力会社はその請求理由を一向に開示しないらしい。すごいな、タイ。ホテルなら電気料金は宿代に含まれるので、こんなことが裏にあることを初めて知る。タイ在住日本人は皆困っているのか。

部屋は家具の配置などが、今度の方が私にとって好みだった。長期で住む場合は、意外と大事なことである。ただ午後西日が当たるので、かなり暑くなるのが難点か。外の景色も変わったので、気分転換にはなる。バスタブは無くなったが、むしろスッキリしてよい。

昼はYさんと従業員が、焼肉を食べに行くというのでお供する。近くのモールに入っているチェーン店、プロモーションということで食べ放題のように肉が出てくる。焼肉と言っても、ムーカタ方式で、鍋の真ん中で肉を焼き、ヘリに汁が溜まるので、そこで野菜などを煮る。

野菜はなぜかキャベツが大量に出てくる。以前タイでこんなにキャベツを食べただろうか。まるでとんかつ屋のキャベツお替り自由を思い出す。きっとタイではキャベツ栽培が拡大しているのだろう。〆はうどん、というのも意外性があって面白い。

そのまま2階に上がり、スーパーを覗くと、なぜかキャベツが大量に売られているのが目に入る。やはりタイの野菜市場には大きな変化があったようだが、その事情などはここからは読み取れない。キャベツ好きの私としては有難い話だ。バンコックのとんかつ屋も皆、キャベツお替り自由にしてほしい。

夕方、大きな夕陽が落ちるのを部屋から眺めた。部屋を代わったことで、何だかとても得した気分になる。そのままの気分で、道端で麺をすすって、夕飯とした。これがやはりタイらしい生き方だ。

そろそろ次の旅の準備を始める。まずは2月初めにチャンライとチェンマイを訪問することが決まり、そのアポ取りを行う。それからフライトと宿を押さえる。心持か、料金が安くなっているような気がするのは、コロナウイルス関連で旅客が減っているのだろうか。そういえばMRTなどに乗ると急速にマスク姿が増えている。

2月中旬にインドに行くことも決める。あのアッサムからインパールへの過激旅を敢行する気力が出たのだ。それは良いことだが、まずはインドビザを確保する必要がある。元々インド行きと言えば、これまでビザ取得に悩まされてきた。ところが昨年驚くべき変化があった。何とインドが観光客にも5年マルチビザを発行し始めたのだ。

しかも申請はオンラインであり、いとも簡単に取れると知り合いはいう。彼は現在そのビザを使って、私が行こうとしている道を旅しているのだ。一度申請が通れば5年間ビザに悩まされない、しかも1度の滞在は180日以内だから、実質半年に一度出国すればインドに5年間住むことも可能というのは何とも画期的だ。だがそんなにうまくいくのか。

ネットビザ申請を始めたが、記入事項など要領を得ないところもあり、なかなか進まない。パスポートと写真のコピーをネットでアップロードしたりもする。悪戦苦闘の末、何とか最後まで辿り着いたが、ビザ代の支払いでまた躓く。それも乗り越え、遂に申請完了したのは深夜になっていた。5年間のビザ代は僅か25米ドル、信じられない。しかも翌日には申請完了、入国用のビザが送られてきたではないか。

だがインドはそんなに甘くはなかった。コロナ騒動が襲いかかってきた。まだインドには入れたのだが、もし途中で何か変更があった場合、インドに隔離されるのは恐ろしいと思い、結局行かないことになる。120日以内に入国しないと取得したビザは失効するのだが、それまでにインドに行ける保証はどこにもない(現在はそのビザ自体が一時停止中)。まあビザ代が安かったからまた申請するか。いや、今回の件で、次回の申請に影響があるかもしれない。やはりインドは一筋縄ではいかない国なのだ。

ある日のバンコック日記2020(7)サナムチャイからトンブリへ

1月28日(火)サナムチャイからトンブリへ

何となくバンコック滞在が長くなる予感があった。そしてちょうどOさんから、『バンコク謎解き華人廟めぐり』という本を借りた。この本にはまさに私が知りたいと思っていたことが書かれており、驚き、そして楽しく読んだ。直ぐに紀伊国屋で本を買い、華人廟を巡ってみようと思い、MRTに乗ってみる。

バンコックのMRTは大幅に延長されており、一部は環状線のようになっている。少なくともファランポーン駅から先が繋がったことにより、行動範囲が非常に広がった。今日は初めてサナムチャイという駅まで行ってみる。駅は真新しく、非常にきれいで驚く。そして駅を出ると、観光客目当てのトゥクトゥク運ちゃんが声を掛けてくる。白人が沢山歩いていて驚く。

川向うに渡る橋に向かって歩いて行くと、市場があり、カフェやホテルもある。この付近、これまで一度も来たことがなく、全くノーマークだったが、面白そうだ。橋の上を歩くと風は強いが、眺めは良い。橋を渡ると、立派な仏塔が見える。庭園も見事だ。見れば1820年代にコーヒー園だった場所がお寺になったらしい。

その先を歩いて、サンタクルス教会を探す。川沿いに建つこの立派な教会、タークシン王(タークのシン)がポルトガル人に土地を与えて1770年に建てられた(現在の建物は1916年)という。この時代はちょうどタークシン王がトンブリ王朝を開いてすぐ。荒廃したアユタヤからトンブリに都が移転したのだ。

そこから細い路地を歩く。ここがトンブリ朝時代の華人集落、クディ・チンだった。特に福建人が多く住むと言うが、残念ながらその特徴を見出すことはできない。細い路地には猫がゆっくり歩いている。まるでNHKの世界街歩きのようだ。バーン・クディチン博物館があったので入ってみる。ここは80年以上前に建てられた華人の個人宅であった。

クディ・チンは1767年、タークシン王がトンブリ王朝を建てる際、ポルトガルの兵士と福建を中心とした中国人をここに入植させたのが始まりらしい。現在のバンコック華人のマジョリティーは潮州人であるが、これはタークシンが潮州系であったことと関連する。但し世界的なチャイナタウンで潮州人がマジョリティーを占めるところはなく、バンコックが極めて稀であることが分かる。そして本来主流であるはずの福建人はどうしていたのか、その歴史がここにある。

川沿いに戻ると、建安宮があり、ここが福建系の廟であることからもそれが分かる。実に古びた、こじんまりしたいい寺であり、昼間から人が絶えない。更に歩くと、今度はタイ式の大きな寺院を目にする。ワット・カンヤラーナミット、中に入っていくと一転、中国様式の門があり、拝殿がある。これはなんだ、如何にも華人らしい様式ではないか。しかも本尊の大仏は三宝公であり、これはあの明朝時代の大遠征で有名な鄭和が祭られているではないか。

地図を見るとその向こうにモスクがあるが、何と細い運河を渡る橋はなく、かなり遠回りする。古いモスクが見えたが、門は閉ざされていた。聞けばこの付近にはムスリムの墓も沢山あるらしい。自転車の旅を楽しむ白人団体の後を行くと、白が鮮やかな大きな寺の裏から川沿いに抜け、古びた倉庫を目にする。既に使われていないようだが、後で調べると往時は塩を保管する倉庫だったようで、塩で儲けた大商人がいたということだ。

そしてトンブリ朝の宮殿跡地を見たと思い、フラフラ歩くが入る場所が見つからない。この辺、初めて来たが、白人や中国人が多く歩いており、店も沢山出来ている。横道に入ると人だかりがあり、50バーツを払ってそこへ入ると、何とワット・アルンだった。ここだけ中国人が列をなして写真を撮っており、日本人もいた。トンブリ宮殿の入り口を探したが、ここも隣は海軍の施設であり、入ることは叶わない。どうやら宮殿は海軍に飲み込まれているらしい。そこから歩いてMRT駅まで行き、宿へ戻る。暑さもあり大いに疲れる。

夜、部屋で水漏れがあった。フロントに言うと、係がすぐに見に来てくれたので、てっきり対応してくれると思ったが、その後は誰も来ない。またフロントに行くと『修理の人は明日修理すると言って帰った』というから驚いた。直ぐに部屋を変えて欲しいと言うと、夜中は出来ないと言い、一晩だけ別の部屋の鍵をくれた。バケツを借りて、水漏れの部屋の浸水を防ぎ、別の部屋で寝る。

ある日のバンコック日記2020(6)バンコックの旧正月

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月23日-2月1日

1月24日(金)除夜

ヤンゴンから戻り、空港からタクシーで宿泊先に帰ると、途中の渋滞がかなりひどい。運転手は英語ができて、『明日は大晦日だから、華人は今日買い物をして、料理を作るから、クロントイ市場付近は大渋滞さ』と教えてくれた。恐らく彼は華人なのだろう。確かにその付近の渋滞が一番ひどかった。

その後ロータスのAISに行き、教えられたシムカードを買い、1か月使い放題200バーツというとてつもなく安いパッケージを購入した。もしこれが毎月あるのなら、これまでの旅行用シムなど全く不要だ。このパッケージ、プロモーションと言っているが何故あるのだろうか。ロータス店内はお客は多くない。

昨日は通り過ぎただけだったので、翌朝、クロントイ市場に行ってみる。宿泊先からは歩いて10分もかからない。午前中だからだろうか、既に買い物は終わったということだろうか、市場の店主たちは皆手持ち無沙汰に座っていた。籠の中の鶏たちは元気だったが、お客は殆ど歩いていなかった。かといって、店を閉める人もあまりいない。この付近も華人が多いエリアの一つだろうが、市場で働く人はタイ人ということか。


宿泊先の好意で、我々も昼ご飯を食べさせてもらっているが、やはりオーナーが華人ということで、本日は蒸し魚、焼き鳥などスペシャルランチが振る舞われ、従業員一同、ちょっとはしゃいでいる。デザートのフルーツも豊富、我々には金柑も配られた。如何にも華人の正月らしい。ここにはコロナウイルスの影はない。

部屋に戻ってテレビを見ていると、ニュースで我が故郷が取り上げられていた。実は昨年大洪水が起き、私が育った家も床上浸水したと聞いていた。母校はニュースでその浸水の様子が伝えられるほどの被害が出ていた。私が小さい頃には全く考えられない事態が今は起こるのだ。その復興イベントが開かれているという。今や日本では、これまでの想定にはなかったことが次々に起きている。

1月25日(土)旧正月

本日は旧正月初日。昨晩は深夜に花火も揚がったようだが、私は何事もないように寝てしまった。いつもに比べて中国からのあけおめメッセージが少ないのは、やはりコロナウイルスの影響で、武漢が封鎖された影響だろうか。これから中国はどうなっていくのだろうか、これは対岸の火事なのだろうか。

ずっと注目していた大相撲春場所。ついに一敗同士の正代と徳勝龍が対戦した。既に大関貴景勝に優勝の可能性はなく、この二人の争いに絞られていた。正代は以前から期待されてきた大型力士、かたや33歳で幕尻の徳勝龍だったが、勝負は意外にも幕尻に軍配が上がる。これは本当に面白い。

正月元日なのに?屋台で麺を食べたくなる。勿論タイ全体に正月ムードがあるわけではなく、屋台は通常営業しているわけだが、陽の高いうちに通りかかったその屋台になぜか惹かれた。麺に豚肉を入れてもらうと、これが何ともうまい。スープも濃厚で本格的な感じがする。それでも料金は僅か40バーツだ。ご馳走を食べるばかりが正月ではない。

1月26日(日)講座にて

旧正月中だが通常運転のバンコック生活。今日は昨年まで年に1回程度開催していたバンコク茶会を行った。これまでずっと会場を提供してくれていた主催者Mさんがお引越しを行い、初めて伺う。念のためバイタクで行ってみると、わずか10分で到着してしまい、周囲を少し散策する。スクンビットのソイは奥に入っても、色々なレストランなどがあり、結構華やかだ。

講座には沢山の人が来てくれ、満員御礼だった。今日は『台湾茶と日本の繋がり』についてお話ししたが、どの程度響いただろうか。勿論台湾でやれば興味を持たれ、かなり響く内容だとは思うが、タイではピンときただろうか。またかなりマニアックな内容も含まれており、茶業関係者でも全く知らない話も多いので、ちょっと厳しかったかな。うんちく好きな人には良かったかもしれない。

講座後、近所のレストランでランチ。やはりオシャレなお店が多く、訪ねたタイレストランもかなりきれいだった。旧正月2日目の日曜日ということか、華人が一族で来ていることもあり、店員不足か、料理がなかなか出て来ない。料理はインスタ映えが考慮されており、食べるのがもったいない。マッサマンカレーを初めて食べたが、非常に食べやすい。

あっという間に時間が過ぎてしまった。今日は大相撲の千秋楽があり、どうしても見たい。ランチがお開きになると、すぐにバイタクを見つけて宿に急行した。僅か10分ほどで着き、最後の五番を見ることが出来た。徳勝龍、ついに貴景勝にも勝ってしまい、堂々の優勝だ。優勝インタビューも茶目っ気があり、とても良かった。エンターテイメントとしての相撲界は従来のモンゴル中心の構図が飽きられてきているので、何かはじけるような工夫が必要だろう。そうしないと盛り上がらないことが証明された形だ。

ある日のバンコック日記2020(5)王有記を再訪!

昼ご飯は1階の8番らーめんで食べた。ここで食べるのは10年ぶりだろうか。石川のローカルラーメンが何故タイでここまでヒットしたのか、そして今やタイ人も日本のラーメンとは思わなくなったのかは、何とも興味深い話だ。昼時はタイ人でほぼ満席だった。そのラーメンは、昔の日本のしょうゆラーメンであり、何とも優しい味がした。量は少なめだが、焼餃子を付けても、150バーツ程度だから日本の本格ラーメンと比べれば安い。今後は体調が良くない時に利用しようと思う。

 

午後は、5年ぶりに知り合いに会いに行く。アソークの先の古めかしいオフィスビル、何とも懐かしい。ここで沖縄出身のIさんは10年以上、沖縄とタイを繋げる活動をしている。私も昨年沖縄でお茶の講座を開いたこともあり、何かお役に立つることでもあるかと訪ねたが、意外なことに『タイ人は沖縄になかなか興味を持ってくれない』と嘆く。そして何とかキラーコンテンツを探しているらしいことが分かる。沖縄と福建ならいくらでもあるが、果たしてタイとの接点は簡単に見つかるだろうか。泡盛はタイ米から作られる、程度ではタイ人は動かないらしい。

 

1月15日(水)
華人茶荘再訪

午後MRTに揺られて、サムヨット駅まで行く。2日前に来たばかりなので、もう道は分かっていた。あの王有記をもう一度訪ねた。今回はオーナーの王さんもいることが分かっていたが、1年2か月前に話を聞いていたにもかかわらず、私のことは全く覚えていなかった。あれ。

 

王有記の歴史について、かなり詳しい説明を聞く。ここで初めて様々なことが分かり、ある意味での謎が解けていく。やはり質問は具体的に、明確な意図をもって行うべきだと痛感する。そうでないと聞かれた方も答えにくい。祖先のこと、台湾との関係、ヤワラーの店との関係など、家系図で説明されて、ようやく納得する。今やちょっと聞いただけでは理解できない、情報が整理できない頭になってしまっている。

 

茶のパッケージに、華人の顔が使われていた。2代目、祖父であるという。そして王有記が開業したのは、1930年頃だというから、この店舗の立地も含めて考えると、ここがバンコック最古の茶荘であったのかもしれない。それについては、既に無くなってしまった茶荘も沢山あるので何とも言えない、と言われてしまったが、商売人ならきっと『最古の茶荘』で売り出すだろうから、福建人の誠実さが出ているな、と感じられた。

 

夜、何となく体調が優れずに、また八番らーめんを食べた。今日は鴨肉麺だ。何とも言えず体に優しいので、弱っている時は本当に良い。後はポカリスエットを飲んで寝てしまう。明日は一度バンコックを離れ、久しぶりにヤンゴンに行くことになっているので、体調を整える必要がある。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

朝、タクシーに乗って空港へ向かう。タイスマイルというタイ航空の子会社に乗るので、スワナンプームになる。運転手はお釣りを返さず、言葉も通じずに困る。故意なのかどうかも分からないから、始末に悪い。年配の運転手にはいまだにこういう人が時々いる。時代は変わっているのだが、と思ってしまうが、思い違いだろうか。

 

タイスマイルは、タイ航空の子会社、そして私はタイ航空のサイトから直接ヤンゴン行を購入しているのだが、タイ航空のサービスを受けることはできない。何となく騙された気分になるが、これは以前台湾のエバ航空でも同じことがあったので、その仕組みは理解していた。それでも釈然としないものが残る。

 

空港は思ったよりは空いていた。さらっと出国審査を済ませると、まだ時間があったので、朝ご飯を探す。空港内のレストランはどこも市内の倍ぐらいする料金を取っており、何となく腹立たしいが、仕方のないことなのだろうか。フラフラしていると、99バーツでクロワッサンサンドとコーヒーが出てくるというので座ってみた。まあ、これならリーズナブルかと思えるものが出てきたので満足。探せば色々とあるのだな。最近自分の行動パターンがマンネリ化してきており、新しい発見が少ないことを強く感じながら、飛び立つ。

ある日のバンコック日記2020(4)集友茶行を再訪する

1月13日(月)
華人茶荘を訪ねる

今日は朝から出掛ける。MRTでファランポーン駅まで行き、そこでHさんと待ち合わせた。向かった先はこれまで2回訪ねていた集友茶行だ。以前もこの茶行の歴史を何となく聞いていたが、今回はきちんと体系だってヒアリングすることとした。創業80年を越えるこの茶行は、今やバンコックでも現存するもっとも古い茶行の一つだと思われ、何とも興味深い。

 

王さんは原籍が福建省安渓だから、これまで訪ね歩いた多くの茶荘と同じであり、安渓も何度も訪ねているので、話は早い。創業者の父は100歳でまだご存命だともいう。もしお父さんの話が聞ければ、ヤワラー茶業史は全て分かるのではないかと思ってしまうが、ご高齢でもあり、また遠くにお住まいだということで遠慮する。

 

王さん自身も茶の歴史や茶器などにも非常に興味があるようで、つい先日も上海と宜興に出向いて、古い茶や急須を買い込んできたという。そんな老茶を振る舞われながら、タイ茶の歴史を聞く。故郷安渓には今も親族がおり、中には茶業で成功している人もいる。その繋がりなども、更に興味の対象となっていく。

 

たっぷり2時間も話し込み、店を離れた。昼ご飯を食べようと思っているとHさんが、この辺の麺は美味しいというので、すぐ近くの店に入った。店の前には行列が出来ていたが、その多くはフードデリバリーの人で、店内は空いていた。揚げ米粉に目玉焼きが載っているスープ麺だった。これは潮州料理だろうか(日本でいうかた焼きそばもこの麺かな)。うまい。さほど腹が減っているわけでもないのに、更に炒粿條まで注文してしまった。どうみても食べ過ぎだが、どう考えても満足だった。

 

それから茶荘三馬の前を通り過ぎ、有記銘茶の前も通り過ぎた。ここのオーナーはいつも不在で話が聞けない。今日も店員さんがいるだけだった。ちょうど目の前には新しいMRTの駅が出来ていた。ワット・マンコーン(龍蓮寺)がそこにあり、駅名にもなっている。ちょっとトイレを借りに入ると、多くの人が参拝している。中華街の中心的な寺、やはり潮州系なのだろうか。

 

ここからトゥクトゥクに乗った。目指すは前回何とか探し当てた王有記だった。だがとても一人で行けないとHさんのタイ語力を借りた。10分ほど走り、ジャイアントスイングと呼ばれる巨大ブランコがある場所で停まった。ここは見覚えがある。因みにこのブランコはなぜここにあるのだろうか。何となくアカ族の祭りに使われるブランコのように見えるのだが。

 

更にその横の道を行くと、仏具屋(仏像なども多し)が立ち並び、専門職業の道という雰囲気が漂う。その先に目指す王有記茶行はそのままの姿であった。だが女性オーナーは今日不在で話は聞けず、後日となる。店員はタイ語しか話さないので仕方がない。まあ場所が確認できてよかった。

 

折角ここまで来たのだからと、Hさんが古民家カフェに連れて行ってくれた。この付近は政府機関が立ち並び、老舗食堂なども多いようだが、近年白人の姿が目立ち始め、バンコックでは珍しい木造建築の古民家を利用したカフェ(食堂はいくつもあるがカフェだけは珍しいらしい)が出来ていた。

 

店員はしきりにスイーツを勧めてくる。なぜかと言えば、ここは『インスタ映えするカフェ』を売り物にしている。2階で席に着くと、スイーツがきれいな器に盛られ、如何にも、という感じで、タイ人の若い女性がしきりに写真を撮っていた。因みにドリンクしか頼まなかった我々の席は彼女の席に比べ、いいとは言えなかった。古い家の部屋が開放され、古い写真が飾られている。ここでまったりするのは悪くないかもしれない。

 

帰りはHさんの先導で、MRTの駅まで歩いて行く。サムヨット駅までは歩いて10分ほどだから、これからはMRTに乗ればいつでも来られるという安心感が広がる。更にはMRTに渋滞はないため、あっという間に帰宅できるというのも大変有り難い。ヤワラーから向こうが非常に身近に感じられる。

 

1月14日(火)
シムカード

翌日は、シムカードについて調査した。現在使っている空港で買ったカードは、どうも高過ぎるのではないか、たとえば1か月使えるカードでもっと安いものはないかを探したいと思ったが、何しろタイ語の壁は厚い。そこでYさんにお願いして、一緒に探してもらうことにする。

 

近くのロータスのAISショップで、現在のカードの有効期限などを確認すると、カード自体は3か月使えるが、15GB のパッケージはやはり8日かしか使えない。ところが何と、プロモーションで、1か月使い放題200バーツというカードを売っているというではないか。1月中はこの料金だというので、ミャンマーから戻ったら、すぐにこのカードを買うことに決めた。シムカードは50バーツで、電話番号を保持するには、毎月10バーツ払えばよいらしい。タイのシステムは本当によく分からないが、これまた何とも有り難い。

ある日のバンコック日記2020(3)バンコックでTVスポーツ観戦

1月11日(土)
突然の豪雨で

今朝は土曜日だが、Yさんが出勤してきて朝コーヒーとなる。今日は台湾の総統選挙の日であり、ニュースもそれが中心となっている。CCTVでさえも、速報していた。台湾の命運がかかるこの選挙、大勢は既に判明しているように思うが、どうだろうか。私の友人周辺では『国民党でもいいけど、韓は絶対ダメ』とか、『兎に角選びたい候補者はいない。その中での苦渋の選択だ』などの声がSNSで飛び交っている。

 

ボーっとテレビを点けていたら、昼頃ラグビーが始まる。大学選手権決勝、早稲田対明治の一戦だ。ラグビーワールドカップの余韻があり、会場には熱気が感じられた。ここ数年、早稲田が強いと聞いたことはなかったのだが、案に相違して、前半早稲田が猛攻を仕掛け、大量リード。後半明治が猛追する中、突然テレビ画面が消える。まさかのブラックアウトか、と外を見ると、何と急激な豪雨が襲い掛かっており、衛星放送が中断されてしまっていた。これは久しぶりの消える画面、何とも懐かしい。

 

雨がしっかり上がった夕方、外へ出た。近所でとんかつを食べようと思ったのだが、その向こうにおしゃれなレストランがある。レバノン料理、シーフードと書かれているが、レバノンではどんな料理を食べているのだろうかと、突如気になってしまう。これもやはりカルロス・ゴーン効果というべきか。因みにタイでは中東料理の多くがレバノン料理屋として出ているらしい。それは中東の中ではレバノン料理が美味しいという評価に寄るからだとか。

 

夜はバレーボール女子、タイとカザフスタンの一戦を見る。身長ではカザフなのだが、要所でタイが得点を重ねて勝利する。この辺のうまさがタイにはある。それにしてもネットでタイ選手の情報を検索すると、『美人選手は誰か』と言った記事ばかりがあまりにも多くて嫌気がさす。バレーに限らず、女子スポーツには、美人とかスタイルとか、そんな競技と関係ない話題が多過ぎる。これも一つのセクハラではないのか。このようなマスコミの攻勢を交わしながら、競技をしていく選手たちは可哀そうだ。

 

1月12日(日)
スポーツを見ながら

今朝はゆっくり起き上がる。そして午前中からテレビに見入る。全国都道府県対抗女子駅伝の中継があった。この駅伝は、本人は素晴らしいがチームが弱くて全国大会に出られない選手を見るのを楽しみにしている。たとえば、今回マラソン代表となった鈴木亜由子は中学生の時(中学に陸上部がなくても2年連続区間賞)からずっと注目していた。ちょうど現役を引退した宇賀地強も作新学院の時から見ている。

 

ただ今回は1区で予想以上の走りをした廣中璃梨佳が、期待の田中希美や他の大学生たちを突き放して圧巻の独走。結局レースは新谷仁美の追い上げも敵わず、高校生が強かった京都が逃げ切り。しかしこの大会、区間記録にかなり古いものが残されているのはなぜだろうか。昔の選手の方が強かったと単純に言えるのだろうか。今回2つの中学生区間で共に大分の選手が区間賞を取ったのが、新しい兆しだろうか。

 

遅い昼ご飯を探しに行く。ちょっと体調が優れない感じがあったので、近くのモール内にある和食をチョイスする。焼肉定食が税込みで240バーツというのはもはや手頃なのだろうか。食べているのはタイ人の家族ばかりだ。そして体調が悪い時によく食べるブドウパンを買いに行く。これは60バーツでブドウがたくさん詰まっており、何とも有り難い食べ物なのだ。

 

夜はそのブドウパンを食べて大人しく過ごす。ついに今日はタイバレー界にとって運命の日。対韓国戦に勝てば、東京オリンピック出場が決まる。しかも地元開催だからこれまでとは違う。これまで、2012年のロンドン五輪予選は、疑惑の判定などもあり、日本に負けてわずかの差で手が届かず。2016年のリオ五輪予選も韓国にあと1ポイント足りずに予選落ち。

 

そろそろ悲願が叶うのではと期待を寄せていたが、そこは韓国。大エース、キムヨンギョンの前には成すすべがなく、完敗。大応援団の声援も虚しかった。多くのタイ人が泣いていた。次は必ず五輪に行く、と前向きでもあったが、その落胆はいかばかりか。タイチームに足りないもの、それは一体なんだろうか。