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チェンマイ滞在記2025その1(4)チェンマイをフラフラ

そこから車を呼んで、郊外にある山岳民族博物館へ向かった。ここは2度ほど行こうとして、タイミングが悪く、行けていなかった場所。運転手は女性で、順路はアプリにも出ていたのだが、何か勘違いして、行き過ぎてしまい、戻る所で、どこかの敷地内に入って出られなくなる。まあ何とか脱出して無事博物館に着いたので良かった。

池のほとりに立つ博物館はかなり立派な建物で入場は無料。名前や住所を書くと入口に案内され、後は自由に見てね、というスタイル。ここにはミャオ、ヤオやアカ、リス等、北部タイの山岳民族に関する展示が並んでおり、動画もあった(日本語バージョンもあり)ので、とても理解が進んでよかった。まあ残念ながら茶に関する展示は見付からなかった。

帰りも車を呼んだのだが、一体どこを走っているのか、なかなかこの場所に近づいてこない。何とかやって来たその車のドライバーも女性であり、先ほどの人同様に英語が出来たので会話は成立した。彼女の場合、スマホが壊れてしまい、地図が表示できずに困っていたらしい。何だか今日は不思議な日だなと思う。

夕方腹が減ったのだが、何とかなり強烈なスコールに見舞われて、外へ出られない。少し待てば止むかと思ったが、30分経っても止まないので、仕方なく傘をさして一番近いバー(カフェ)まで走る。ここがいいのは、一日中ブレックファーストが食べられることだったが、今回入ってみると、クラブサンドイッチはメニューから消えていた。まあアメリカンでも十分に美味しいのでゆっくりと食べる。それでも雨は止まず、少し小降り状態で帰る。果たして洪水の危機は再来するのか。まずはほぼ濡れずに生還したことを祝おう。

10月1日(水)‐2日(木)チェンマイをフラフラ

朝雨はあがっていたが、何となく時折パラつく。朝はパンをかじり、昼前に傘が要らなかったので外へ出た。何となく気分が肉だったので、歩いてガイヤーンを食べに行く。この店はいつでも混んでおり、スタッフの愛想は相変わらずないが、鶏肉は美味い。中国人の一人旅の男女が、大量のガイヤーンとソムタムを注文してひらすら食べているのが愛くるしい。私はガイヤーンハーフで腹パンパン、もう若くはない。

特に体調が悪い訳でもないが、何となくしっくりこない。こんな時は八番らーめんに限ると、夕方MAYAまで出掛けた。この店のスタッフも愛想はなく、淡々と仕事をしている感じが良く出ている。現地化するとはこういうことかもしれない。五目ラーメンは優しい味で沁みる。

翌日は晴れたので、まずは洗濯物を干してから、また外へ出ていく。昼ごはんに和食を食べようと、いつも行くキッチンへ。ここの弁当はいつでも優しい。そして昨年無くなると書かれていた、カレー無料サービスは復活していたが、また今月で無くなるらしい。昨年より10バーツ上がったかもしれないが、これで180バーツは素晴らしい。

いよいよ明日から雲南へ行くので、色々と準備をして過ごす。気温はチェンマイより低いらしく、更には高地へも向かうのでそれなりの服装も必要だ。同時に日本女子オープンゴルフを見ながら過ごす。NHKは10月からNHK+を辞めて、NHK Oneという取り組みになったが、初日には登録が出来ずに焦った。これはNHK側の完全なミスだと思うのだが、なんと登録していなくても、配信が見られることを後になってしまったので思わず、「受信料返せ」とどこかの党のように叫びたくなる。

そんな思いをしていたら、少し腹が減ったので、今日まで行っていなかった麵屋に行ってみる。ここも安定の旨さでかつ夕方以降も開いているのが有難い。明日のフライトのチェックインも済ませて、確認事項もチェックしたので、まあ何とかなるのではないか。でも中国は国慶節の大型連休中、さてどうなるだろうか。

チェンマイ滞在記2025その1(3)洪水の気配を感じながら

9月27日(土)‐28日(日)洪水の気配が

夜中に雷が鳴り、かなり強く雨が降っていた。朝起きて外を見たら道路が少し濡れている程度でホッとした。だが外を歩いていると、一部道路に水が溢れており、昨年の再現かと緊張する。折角なのでターニン市場の方まで歩いてみたが、さすがに水が出ているところはなかった。それでもまた雨が降れば分からない。

いつも行く華人系食堂で、ワンタンメン+カリカリ豚、スープなし麺を食べる。これが何とも美味しくて嬉しい。恐らく潮州系華人が作る麺だが、彼らは既に中国語を介さず、簡単な英語でオーダーだけをする間柄だ。宿に戻ってから陸上の実業団選手権を見る。1週間前世界陸上に出た選手も結構いた。彼らは企業に雇われており、疲れていても会社のために頑張らなければならない立場なのだろう。ちょっと過酷だ。

午後もまた雨の気配があり、近所の食堂へ行く。ここは白人さんの利用が多く、スタッフも英語が出来たりする。テイクアウトして部屋で食べる人たちも多いらしい。私はここでなぜかタイなのにバインミーを注文する。そこにはフィレオフィッシュにタルタルソースがかかっており、何とも旨いのだ。マックのようには安くないので偶にしか食べられないが、なぜこんなメニューがあるのだろうか。

翌朝は麺が食べたくなり、昔行った雲南回族経営の麵屋へ。相変わらずヒジャブーを被った女性が麺を作っており、ここもまた50バーツシリーズの幸せを噛みしめる。特にスープが美味い。帰りに昨日水が出ていた道を確認したが、全く水はなかった。これで安心なのだろうか。

昼に約束があり、実に久しぶりにソンテウに乗ってターペー門へ出た。観光客が相変わらず写真を撮っているが、その数は多くはない。まだ雨季は終わっていないということだろうか。門からほど近い指定場所を探していくと、何と隠れ家的な中国食堂が現れる。タイのいい雰囲気の木造住宅。

オーナーは上海人、奥さんは山東人だと言い、コロナの頃にチェンマイに移住してきた。シェフは香港人らしく、メニューも広東系及び潮州・客家系料理が並んでいる。待ち合わせたSさんも初めて来たらしく、彼はタイ語で、私は華語で話すので話がごちゃごちゃになっていく。出てきた鶏が美味い。あの茶わん蒸しの親玉のような食べ物も登場した。

奥さんはワインや日本酒を勉強しているらしく、日本から買ってきた本まで持っている。オーナーはIT系と言っていたから、最近のこだわり夫婦なのだろう。彼女はお茶も好きだと言い、東方美人など彼女セレクトのお茶を振舞ってくれた。最近はこんな中国人がチェンマイに居るのかと感心する。

食事が終わると、一応ピン川まで歩き、水位を確認した。昨年の同じ時期に同じ場所で見た光景を考えると、今年は何とか持ちこたえるのではないか、という希望的観測が浮かんでくる。周囲に水の気配もなく、皆通常営業だった。帰りはターペーロードを歩いていたが、疲れたので車を呼んで帰る。夕飯は近所でジョークを食べて休む。少し疲れが出る時期だな。

9月30日(火)山岳民族博物館へ

あっと言う間に9月も終わりだ。早い。何だかチェンマイに来て1週間、生活が単調になっているので、今朝は全く違う道を歩いてみる。20分以上歩いていたら、昨年も見かけた点心の店が見えたので、思い切って入ってみる。メニューは小さな紙きれで、そこにタイ語と漢字が書かれているが、正直小さすぎて読めない。一生懸命見ていたら、オーナーが英語で「こちらで見て」と、点心が置かれた冷蔵庫を指す。確かにこれがいい。

焼売などいくつかの点心と粥などを頼んでみる。思っていたより美味しい。ただ頼み過ぎて、朝ご飯としては破格の代金となる。オーナーは元々バンコクの客家で、数年前に心機一転チェンマイに移住して店を始めたという。もとの職業がツアーガイドということで英語はかなり上手い。

チェンマイ滞在記2025その1(2)久しぶりの幸せな食べ物たち

9月24日(水)久しぶりのチェンマイ料理

当然朝は早く起きて、パンなどをかじって茶を飲んだ。その内外へ出たくなり、行きつけの店でカオマンガイを食べる。これがまた美味い。そして50バーツ。これからは50バーツの幸せシリーズを作って行こうかな。天気は悪くないが、時折スコールが来る。そして昨年も気になっていた洪水が迫っていたが、私の地域では何も感じられない。

昼はMAYAへ買い物に行く。スマホケースが壊れたので買う。昨年チェンマイを離れる際、スマホがフリーズして難儀していたのを救ってくれたのはここのスタッフだったが、誰かもわからない。感謝しかない。フードコートで豚足麺を食べる。これもなかなかいい。フードコートの前は遊戯施設が出来ており、ちょっと変化を感じる。ついでに壊れたスーツケースも買ってしまった。昨年も買ったのでおじさんを覚えており、懐かしい。

午後はお休みして、夕方また出掛ける。ここもいつも行く食堂で、イカ炒めを食べたが、何だかいま一つだった。炒飯は普通だったのに、なぜだろうか。そういえばこの食堂はオープンスペースなので、常に蚊に食われる。だから長ズボンを履いて来るのを常にしていたが、1年のブランクで忘れていた。痒い。

9月25日(木)‐26日(金)特に予定のない日々

朝またパンを買いに行く。ただ戻るのもしゃくなのでターニン市場まで歩いて、牛筋麺を頂く。本当に大鍋の煮込みが良く、癖が無く、旨い。ここも50バーツの幸せシリーズに入る。部屋に戻って時を待つ。今日は台湾の統一発表の当選番号が出る日。いつか当たるのではないかと期待するが、今回も外れた。私が過去に当たったのは200元が一度きりだ。

夕方、今度はガチ四川料理屋へ行く。そこで回鍋肉を頼んだのだが、どう見ても回鍋肉には見えない。むしろ東北あたりのジャガイモの煮込み風だ。日本ではなぜキャベツが入っていて、四川にはないのか、どころの騒ぎではない。やはりその土地の食材を使って美味しく作るのが中国料理だろうか。まあでも美味しいので白米を掻き込んで満足する。

翌朝ごみを捨てようとゴミ袋を持って階段のところへ行ったがゴミ箱が無い。よく見ると張り紙があり、「ゴミは1階のゴミ箱へ」となっているではないか。これまで各階に設置されていたゴミ箱を1階に集約した模様。ちょっと不便になったが、まあこの程度なら許容範囲か。ついでに別の張り紙には「大麻禁止」と書かれている。数年前の大麻合法化で町中に大麻ショップが乱立したチェンマイでも、昨今の情勢下、ついに取り締まりが厳しくなったようだ。

昼飯はやはり夢にまで見たカオカーモックを食べる。ミャンマーではダンバウ。ドライチキンカレー、といったところだろうか。いつも行く店はいつも混んでいる。やはり美味しいのだ。昨年までは大盛りを頼んでいたが、今回から普通盛りにすると、何と40バーツで食べられるからすごい。これ日本で食べたらいくらするのだろう。幸せの50バーツシリーズを下回る(幸せは更に上回る)コスパ最強飯。

夕方また腹が減ったので外へ出た。ランチが普通盛りだったから小腹が空いた。タイはちょっと空腹になれば、すぐに軽く食べる文化だから有り難い。近所に新しい店が出来ており、意外とお客がいるので入ってみた。メニューを見ると食べたい物が並んでおり、しかも確かに安い。特に野菜たっぷりのスープが50バーツは安い。これにカリカリ豚炒飯で100バーツ、しかも家から近いのは何とも有難い。尚タイは1年ぶりでタイ語も覚えておらず、カリカリ豚を入れて貰うのにかなり説明に苦労した。

チェンマイ滞在記2025その1(1)今年もチェンマイ滞在

《チェンマイ滞在記2025(1)》  2025年9月23日‐10月2日

チェンマイに滞在も3年目を迎えた。茶の歴史の方はそろそろ成果を出さないといけない。いや、それほど多くの茶歴史はないだろうから、この辺でケリを付けないといけない。今回は雲南やネパール行きもあるので、違った楽しみが見込めるだろうか。

9月23日(火)バンコク経由でチェンマイへ

世界陸上を見終わって、ゆっくり寝た。翌日の夕飯を食べた後、最後の準備をして家を出た。夜の羽田空港に行くのは2年前のベトナム行き以来だろうか。空港には3時間以上前に到着したが、既にタイ航空のカウンターは開いており、スムーズにチェックインできた。何とも有難いサービスだ。午後9時過ぎ、税関検査も簡単だった。後はタラタラ過ごす。

午前0時過ぎのフライト。昔はタイ人で満席だったかもしれないが、今は結構空いていて、3列席の真ん中は空いていて楽ちんだ。取り敢えず離陸するとパンと飲み物だけ配られ、すぐに暗くなるのは良いが、何故か眠れない。以前は簡単に眠りに就いたのに、どうしたのだろうか。仕方なく、邦画を2本も見てしまう。ちょっとウトウトしていたらタイ時間午前3時に朝食が運ばれてくる。そして午前4時過ぎには空港に着いてしまう。

今回は初めてバンコクスルーチェンマイというTGを使ってみた。大体東京方面からチェンマイに来る人はこの路線を使うのだが、私は乗ったことが無かったので、確認の意味も込めて利用してみた訳だ。午前5時前のほぼ無人の空港を彷徨い、かなりの距離を歩いて、トランジットカウンターまでやってくる。途中でシムカードを買ったが、何だか頭がボーっとして高い買い物をしたようだ。

そこに入国審査があるのだが、私以外誰もいない。係官がデジタル入国カードやったか、という感じの仕草をしたので、問題ないと首を縦に振ると、笑顔で入国スタンプが押される。今も60日間ノービザは有難い。やはり観光客は減っているのだろうか。中国人が減っているのが痛いのだろう。そして国内線ロビーに入っていくと、国際線より人がいる。午前6時台に出るフライトに乗る人たちがいた。

実はバンコクスルーチェンマイの場合、午前8時頃のフライトに乗り、チェンマイに9時台に着くのが普通だが、私は入居するアパートの管理人が来ないので、そんなに早く行っても仕方なく、午前10時のフライトに乗るので、大幅に時間が余る。まあ8時のフライトでも2時間半は余裕があるので、本来はこれが良いと理解した。

午前11時半頃、チェンマイに到着した。機内でもサンドイッチが出たので、腹は問題ない。だが昨年もスーツケースが空港で壊れて困ったが、何と今年もまた壊れた。バッゲージは羽田からスルーだったが、まあ元から壊れかかっていたので航空会社にクレームすることはしなかった。

車を呼ぶとすぐに来た。空港から僅か10分でアパートに着いた。だが11時には来るはずの管理人の姿は見えない。電話しても鳴るのは目の前のオフィスの電話。さあ、どうする、やはりタイらしいスタートか、と思ったら、彼らが車でやってきて、すぐに手続きが始まり、入居を完了した。

行きつけのパン屋まで歩き、パンを買い、スーパーでトイレットペーパーを買った。その辺にある麵屋でクイッティアオを食べると旨い。これで50バーツは素晴らしい。更にカットフルーツを買い、最後に水などドリンクをゲットして部屋に帰る。まだ何となく暑いが、東京よりはやはり涼しい。夕方には眠気に襲われ、そのまま寝込んで翌朝を迎えた。

ある日の台北日記2025その3(9)台北を離れる

SOGOから少し歩いてレトロカフェへ行く。台北には古い建物を利用したカフェが多くあるが、ここはかなり気合が入っており、落ち着いた空間で利用客も多い。ここでかなり忙しいHさんと会って、お話しする。彼女は最近活動の幅が広がっており、日本との往復もあり、時間があまりない中会ってくれたのは有難い。先日はわざわざお仕事の紹介も受けており、今後も何か一緒に出来ることがあればと思う。

そこから永康街まで歩いて日本人にも人気だと先日教えられたお菓子屋へ行き、悠遊卡でお土産(お茶会用お菓子)を買い込んだ。これで5000元の殆どを使ってしまったが、大満足。夕飯もまだほんの少しだけカードが使える(1回の上限は1500元のため)金額が残っていたが、最後ぐらいは牛肉麺を食べることにして、私の悠遊卡使用は終了とした。ただ私が大好きな麵屋はついに一度も開くことはなかった。

7月23日(水)東京へ

台北最後の朝、雨を心配していたが降らなかった。最後は別の店のクラブサンドで〆た。台湾よ、さようなら、という気持ちで噛みしめる。ここ3年は台湾に来るのは年1回と決めているので、次はあっても来年だ。この店はセットにポテトが付いている。その塩加減が実に好きだ。

荷物を纏めて部屋を出てMRTで台北駅へ向かう。台北駅からは以前はバスに乗っていたが、最近は空港MRT。今回は初めて駅構内でチェックインして荷物を預けてみようと考えた。そのスペースに着くと、ほぼ人はいない。チェックインカウンターもあるが、Webチェックインが済んでいれば、最初から預け荷物の場所へ行く。そしていとも簡単に荷物預けが終了する。これなら次回からはここで預けて市内でランチを食べてから空港へ行こう(普段は桃園空港を使わないから必要ないか)。

空港線はいつもほぼ満員。早い列車だと40分ほどで空港駅に着く。実は今朝乗車する際も例の悠遊卡を使ってみた。ほんの少しお金が入っていると思い、足りない分は駅で精算するつもりだったが、駅員に尋ねてみると「そのカードはチャージできないので、そのまま通過して」というではないか。何と100元しか残っていなかったので、本来-60元を払うべきだが、それも不要だった。この一週間は何だか5000元悠遊卡に振り回された感があるが、出来れば来年も振り回されたいな。

空港手続きはスムーズで、時間はかなり余り英気を養う。天気は快晴で門出には良い。ところが搭乗時間に行ってみると、乗客が本当に少ない。確か「7月5日に日本で大災害」との話で大量のキャンセルが出たとは聞いていた(あれ、香港人のことか)が、既にそれから2週間経っても、まだ信じられているのだろうか。搭乗率は目測で20%程度、日本人がある程度乗っているので、台湾人客は本当に少ない。この夏休み時期にこれでは採算は厳しいだろう。

機内で映画の2本目(噂の永野芽衣主演)を見ていると成田に着いてしまった。今回の旅もお疲れさんと思っていたら、日本のシムカードが作動せずに、いきなりネット難民と化す。まあ慣れた道を帰るだけなので、何の問題もないが、一体何が起こっているのだろうか(暑さのせいか?)。東京でも色々とありそうな気がして怖い。

ある日の台北日記2025その3(8)ローカル食の食べ納め

7月20日(日)ローカル食の食べ納め

今日は何も予定が無かったので、とにかく荷物をバッグに押し込んでみた。かなりの量の茶葉をゲットしてしまった上に、これから買うお土産物を入れる空間も確保しないといけないので、意外と大変だった。腹も減ったので、取り敢えず大腸麺線を食べに行く。最終的に私の台湾料理はこれに行く着くのだ、と思いながら噛みしめる。

昼はどうしても排骨酥湯が食べたくなり、今回行っていなかった店まで歩いて行く。だが日曜日のお昼で混んでおり、席が空いていない。ちょっと付近を散策して戻ってみるとちょうど席が確保できたのは良かった。排骨酥湯の他、炒米粉と魯蛋を食べてかなり満足する。こういう何気ない店には、ずっと営業して欲しい。

夜はいよいよ「台北私のご飯」を食べ納める。魯肉飯、煮大根、臓物スープ、三枚肉と、オールキャストを並べて食べて大満足。しかもこの店、何と悠遊卡が使えた。灯台下暗し。これなら毎日ここで食べればよかった、ということか。部屋に戻ると参議院選挙の開票状況が報道されていた。いよいよ日本も混沌の時代(世紀末)に入っていく感じかな。既に信じられるものは何もない。

7月21日(月)上海料理を

朝はまたクラブサンドを食う。よく飽きないな、とも言われるが、もうこれがあれば無敵だ。今回の滞在はもっとゆっくりになるはずだったのだが、ご縁が繋がり、何故かいつもより忙しく過ぎていく。次回はかなりゆったり目の日程で臨もう。いや年1回ではなく、2回にすれば季節も含めて、色々と広がるだろうか。昼は食べないつもりだったが、もう押さえが効かない。まだ食べていなかったドライカレーに手を出す。魚丸湯がフワフワで美味い。

小雨が降る中、夜は信義区へ向かう。ここも今回初めて来た。いくつもある新光三越のビル、何とか探し当てて登っていくと、昨年潮州料理を食べた店があった。そう、この辺にある店は皆高級店なのだ。今晩はAさんと上海料理を食べてみることにした。台湾で高級な上海料理を食べてことはなかったからちょうどよい。

平日の雨の夜だが、お客はかなり多い。何とか席は確保してメニューを眺める。落ち着いた雰囲気の店内。ここの小籠包は上海料理だろうか。回鍋肉にキャベツを使っているのは日本だけだと思っていたが、台湾も使うのか。しかもそれを皮で巻くとか。因みに日本で回鍋肉にキャベツを使ったのは陳建民氏。NHKの料理番組『きょうの料理』で「豚肉とキャベツのみそ炒め」として作り方を紹介したのが始まりとか。煮干絲は揚州の方が美味しかったかな。お茶もおしゃれだ。悠遊卡をここで使い切ろうと思っていたが、レストランでは使えなかった、残念。

7月22日(火)片付けながら

明日は東京へ戻るので、朝から荷物整理に忙しい。そうしているうちにメジャーリーグの試合が始まり、大谷翔平が先発、二刀流が再開された。この歴史的な場面を台湾のテレビで見られたのは、大きな一歩だった。昼過ぎにSOGOに行ってみる。昨晩使い切れなかった悠遊卡でお土産を買おうと思ったのだが、ちょうどよいものが無く困った。SOGOは二店舗あったのだが、2つのデパ地下を探したのだが。むしろ飲食店が充実している感じだった。

ある日の台北日記2025その3(7)淡水で歴史談義

一旦部屋に戻り、近所のチェーン店に入る。ここも入ったことが無いけど、悠遊卡が使えるので飛び込んでみた。注文は全てスマホでちょっと面倒。正直ファーストフードの台湾料理ということで、これならいつもの店に行けばよかったと後悔しきり。普段使っている店が、如何に優れているか(味と料金)を再認識する結果となった。

夜はもう一度東門永康街へ行く。台湾山茶について博士に確認するためだったのだが、思いの外、人が来ていて、山茶試飲会になってしまったのはちょっと残念。博士自身は山茶だけでなく、台湾茶の歴史全般に興味があるようで、様々な質問を投げかけてきて面白い。山茶についてはまだ分からないことだらけであり、もしやするとこれからも分からないのかもしれないが、日本人も絡んだ歴史的なお茶なので、情報収集など調査を続けて行きたいと思う。まあ今回は貴重なサンプルを飲むことが出来、満足する。

部屋に帰ると夕飯が中途半端だったため、そしてかなりお茶を飲んだため、大いに腹が減る。ただ時刻は夜11時。仕方なくセブンに行ってカップ麺を買う。カップ麺といってもこの牛肉麺は80元以上するので立派な夕飯だ。ただ食べてみると、牛肉の量が少なく、何か物足りないと感じてしまう。もう一度ちゃんとした牛肉麺をどこかで食べたい。

7月19日(土)淡水の出会い

昨晩は夜更かししたので朝が遅くなり、しかも腹も減らない。昼過ぎまで部屋の片づけなどをしていたが、いよいよ台北を離れる直前なので、今年は一度も食べていない麺屋へ行く。ここは私が台北に来た1か月半前から1度も開いていなかったが、昨日確認すると土曜日から再開と書かれていた。ところが行ってみると見事に期待は裏切られ、これまで通り閉まっている。仕方なく横の店で牛肉湯肉絲麺を食べるがやはりしっくりは来ない。

午後3時ごろ部屋を出てMRTに乗り、淡水に向かう。今日は郭さんからの誘いで、人に会うことになっていた。なぜ淡水かと思ったら、郭さんは淡水の近くに住んでいた。駅で待ち合わせて淡水の街を歩く。観光客はそこそこいて賑やかだ。淡水は1860年以降貿易港として活躍するが、最近そのあたりの歴史的建造物がかなり整理されており、港付近も観光地となっていた。

夜5時からやっているというお店はかなりおしゃれだが、店主は歴史に詳しいと聞いていた。店の奥の座敷?に座り、夕飯にパスタを頼む。お茶もかなり凝っている。そこへ陳さんがやって来た。彼は某名家の出身であり、かつ自らの家の歴史を調べていて、合わせて台湾史、中国史にも詳しい。ただ彼の家が茶業に携わっていた期間は短く、資料はあまりないようだったのは残念。

食後は郭さんが持って来たお茶を飲む。店主も参加して歴史談義となる。店主は淡水の歴史などを調べており、その方面にかなり詳しい。彼の知り合いの研究者がまとめた淡水の貿易史の中に茶についても詳しく書かれているという。次回は時間を取ってゆっくり淡水に来て話を聞きたい。

帰りに淡水駅のすぐ近くに寄る。暗くてよく見えないし、当然入ることは出来なかったその建物。実はジョンドッドが淡水に来て最初に住んだ場所だというので驚いた。確かに彼は1860年代前半淡水に来たのだが、どこに泊まっていたのかなどは考えもしなかった。事務所兼倉庫兼住居だったのだろうか。これまた次回確認した内容だった。

ある日の台北日記2025その3(6)3度目の猫空と台紅

7月17日(木)3度目の猫空で

翌日は朝食を抜き、昼前にランチを探す。ここ数年全くご縁が無かったモスバーガーに入ってみる。これも悠遊卡のお陰だ。ところが入り慣れていないため、注文にまごついてしまい、目に付いた一番高い物を頼んでしまった。私はハンバーガーが食べたかったのに、何と出てきた物はライスバーガー。ポテトが大きくて嬉しかったが、余程別にハンバーガーを注文するかと思うほど。いやしかし、台湾モスは創業時からライスバーガーにはこだわっており、日本からコメが輸入できないと嘆いていたのを思い出して、噛みしめて食べた。

今日は昼過ぎから小楊と共に猫空へ行く予定になっていた。それがモスで食べていると突然、「今から動物園駅に来い」と言われたのでちょっと慌てて出掛ける。しかも12時半に、と言われたのに、12時過ぎには彼らは駅に着いたという。何をそんなに焦っているのか。実はこの日は台湾北部の防空演習が午後1時半からある。これが始まると30分間は全く動けないので、出発を早めたらしい。

駅で何とか落ち合い、タクシーに乗り込む。小楊が運転手に行き先を告げると、さっそく会話が始まる。あそこの茶荘はどうだとか、あそこの誰とは同級生だとか、そんな情報はあっと言う間に車内に流れてくるから面白い。僅か20分ほどの行程だが、到着する頃には彼らは旧知の仲になっている。

昔入口の前まで来たことがある六季春。数年前木柵鉄観音茶の歴史を学ぶ際、張迺妙の直系が茶作りをしている所と言われたが、ついに門を潜ることはなかった。残念ながら締め切りに間に合わなかったと記憶している。今回は小楊のお陰で初めて門を潜ったが、訪ねるべき4代目の張信鐘さんはいなかった。何と約束時間は午後2時、今は午後1時前なのだから仕方がない。

それでも5代目を継ぐ予定の息子がおり、お茶にありつく。演習のサイレンが鳴り響く頃、4代目も現れて、話が始まる。私は鉄観音茶の歴史についていくつか質問してみたが、信鐘氏は非常に朴訥な茶農家という風で、回答はほぼ「茶作りに一番重要なのは茶園管理だ」と私に告げてくる。確かに子孫だからといってその歴史が全て分かるわけではなく、寧ろ直系子孫として如何に伝統的な製法を守り抜くか、味や香りをキープするかが重要であることはよく理解できた。勿論彼は気難しい人、というのではなく、寧ろ誠実な人という印象が強かった。後は小楊と信鐘氏が色々と話し込んでおり、私は庭や台北市内を眺めていた。帰りは5代目が車で送ってくれたので楽ちんに帰り着く。

家まで歩く中、吉野家に寄る。ここも今回全く行く機会が無かったが、半端な時間に腹が減り、牛丼と鶏丼のハーフを食べる。まあ一言で言えば、吉野家の牛丼は日本で食べるべきなのだが、ここでも悠遊卡のお出ましにより、無料で食べられたので良しとする。本当に5000元は食べがいがある。

7月18日(金)永康街で

私の台北滞在時間は終わりが近づいているので、悠遊卡の使える店ばかり探すのは辞めて、いつもの店でクラブサンドを食べる。これが一番美味しく、間違いはない。午後はバスに乗って東門へ。昨年も訪ねた台湾紅茶の店で羅さんと会う。台湾紅茶(株)に関する歴史資料を掘り起こして、本格的にその歴史を検証していく作業が始まっていると聞き、何とも嬉しい限りだ。

羅家も客家であり、先代社長からは「うちの先祖は広東梅州から台湾に渡ったが、広東で茶作りをしていたと聞いたことはない」「客家擂茶は客家の文化ではない」と聞いており、今回梅州に客家茶を訪ねた話などをした。客家にも色々な地域の人々がおり、客家茶についても一概に決めつけられない、との思いを強くする。ここの店は台湾観光関連でコラボしており、何と悠遊卡で買い物ができた。これまでもらってばかりだったので、恥ずかしながら初めてお茶を買う。

ある日の台北日記2025その3(5)基隆の咖哩沙茶炒麵

7月15日(火)台北帰着

桃園空港に着くと、人は多くなく、あっさりとイミグレを通過した。外へ出るとまずは既に儀式のようになっているラッキードローに挑む。何と苦節7回目の挑戦で、ついに当たった。係のお姐さんから日本語で「おめでとうございます」と言われ、5000元の入った悠遊卡を手渡される。喜びもつかの間、これを一体何に使うのかとの悩みが始まる。

まずはMRTで台北の宿泊先まで戻るのに180元使った。セブンで25元のあんパンを買った。え、こんなんで1週間に5000元使うのはしんどいぞ、と思ってしまうのは、やはり貧乏人だからだろうか。もしこんなことで眠れなかったらどうしようとも思ったが、それは杞憂に終わる。香港・広東の疲れでぐっすりと寝られた。

7月16日(水)いきなり基隆へ

朝ご飯を買いにセブンへ行く。いつもは高くて買えないサンドイッチを食べてみる。これも5000元の成せる業。まあ日本の方が美味しいが、代金はほぼ同じかな。午前10時に黄さんが宿泊先まで迎えに来てくれた。今日はなぜか基隆まで昼ご飯を食べに行くという。車はスイスイと進み、僅か40分ほどで基隆の街までやって来た。

まだ昼には早かったので、丘を登ることになった。なぜか大型マンションの駐車場に入っていく。なんとそこは通り道にもなっており、そのまま通り抜けると丘の上に出ていく基隆名所らしい。丘の上にKEELUNGと書かれた看板があるが、ここからは基隆が一望できるスポットだ。ただその脇で「同意罷免」という幟を持った男性がいた。黄さんがその男性に「お疲れ様」と声を掛けている。こんなところにまで政治闘争が持ち込まれている。

下におりてランチに行く。街の中心から少し離れた場所ながら、なぜか3軒並んで、咖哩沙茶炒麵の店がある。黄さんがいつも行くという真ん中の店はちょうどお休みだったので、手前の店に入ってみる。港町である基隆、咖哩は日本統治時代に日本から入ってきた物、沙茶は戦後潮州?から持ち込まれた物のようだが、この2つを合わせるとはどうだろうか。一説には基隆には炭坑などもあり、塩分高めの食事が好まれた、との背景が考えられるとか。

麺は日本のうどんのような太麺。カレーは正直ちょっと薄い感じだが、エビなど海鮮も入っており、それに沙茶を合わせて炒めると美味しい。他にも鶏唐揚げや炒大腸などもあり、十分満足できるランチとなる。基隆という街は、単に戦前日本との縁が深かっただけでなく、戦後も様々な歴史が含まれているようだ。

食後、黄さんが車で簡単に基隆を案内してくれた。その中で興味深いのが、戦後この街にいた沖縄人と朝鮮人の話し。実際に黄さんはここに今も住む沖縄・朝鮮系の人々に話しを聞いたことがあるという。港町には色々なところから色々な人々が色々な事情で集まってくることを再認識する。また和平島には400年前にやって来たスペイン人の遺構もあるとのこと、今後基隆に来る機会があれば、ゆっくりと歩いてみたい。

車で送ってもらい、無事部屋に戻る。昨日までの疲れも出ており、ボーっとして過ごす。夕方餃子が食べたくなり、一番近いチェーン店に行く(私が好きだった店舗は既に閉店)。早い時間なので、お客も少なく混乱はなかった。いつもより多めに餃子を頼み、またサイドデッシュにも手を出す。ここは悠遊卡で支払いが出来たので嬉しい。

ある日の台北日記2025その3(4)図書館から木柵へ

7月4日(金)図書館から木柵へ

今朝は東門へ行き、扁食乾麺を食べる。暑いのでちょうどよい。それからバスで光華商場へ向かう。今回USBメモリを持ってくるのを忘れてしまい、まずはこれを入手してから図書館へ行こうと考えた。光華商場はキレイなビルになっており、昔のごちゃごちゃした雰囲気はもうない。11時開店で開いている店は少なく、その中でUSBを探したが、私が欲しい簡単なメモリは見付からず苦労する。

何とかゲットしてMRTに乗り図書館へ向かった。昨年の地震で閉鎖された6階はまだ修復されていなかった。取り敢えず頼まれた調べ物をしようと1階へ行ったが、何と図書館カードを忘れてしまった。カウンターで解決策を聞こうとしたが、何と「館内ネットワークがダウンしており、使えません」というではないか。

仕方なく2階で新聞を見ようと思って行ったが、100年前の新聞のコピーは非常に読みにくく、参考にはならなかった。そこでどうしても調べたい用語だけを係員に頼んで調べてもらったが、思うような答えは得られなかった。その後ネットは回復したようだが、私には時間が無く、調査は後日となった。

ここからMRTを乗り継ぎ、更にはバスにも乗って木柵まで行った。逆に早く着きすぎたので、政治大学内をフラフラしてから、茶荘に向かった。先日猫空で炭焙煎を見学し、そのお茶を手に入れるために訪問した。老板も出てきてちょっと話をしたが、何となく忙しいようだったので、早々に退散した。

帰りがけに馴染みの店へ行き、食べたい物を食べたいだけ注文した。今回の滞在はかなり食べ過ぎだとは分かっていたが、どうしても食べてしまう。魯肉飯にシラスをかけ、大根スープ、キュウリをバクバク頂く。やはりこういうご飯が安定しており、また台湾らしくて、美味い。夜は陸上日本選手権を見る。

7月6日(日)日本選手権を見ながら

週末の午後は陸上日本選手権を見ていた。女子100mハードルはかなりの接戦で見応えがあった。田中希美も良かった。でも全体的に見ると、世界で戦うのはかなり厳しい。今年の世界陸上は東京開催だから、一人でも多くの日本人選手を出場させたいところだが、単に出るだけでは意味がないように思う。

広州炒飯を食べた。なぜ広州と付いているのか、基本は五目炒飯であり、そこにエビとハムが入っているのが広州だろうか。因みに広州炒麺という名前もあるが、何が入っているのだろうか。次回は試してみよう。肉羹も好きなメニューだが、食べる機会が無かった。広州炒飯の隣の店は昨年入ってイマイチだったが、いつの間にか店が変わっており、入ってみた。味はまあまあだった。

日曜日の夜は通常でも開いてみる店が減るのだが、何と台風が近づいており、天気が悪くなっていき、遠出は難しい状況となった。仕方なく一番近い麵屋へ行ったが、何と休みだった。その先に最近流行りの弁当屋があったので、買って帰った。キャベツがどっさり入っており、鶏肉が意外とおいしい。雨が強くなっていく。

7月7日(月)台風の中 香港へ

早朝は幸い雨が降っておらず、MRTで台北駅へ行き、そこから空港行に乗り換えて、桃園空港まで難なく着いた。空港は夏休みなのかかなり混んでおり、香港シムを買おうとしたがかなりの行列。しかもそのシムはかなり高くて買わずに通過する。荷物検査は日本に比べてスムーズでさほど時間はかからず、自動ゲートから直ぐに出国できた。

搭乗時間になると、雨風が相当に強くなり、出発が危ぶまれた。飛行機も動き出さず、一時はダメかと思ったが、何とは飛び立った。珍しく窓際の席に座り、外を眺めていたが、飛べばもう揺れもほぼない。僅か1時間ちょっとのフライト。一応ご飯は出たが、後は国内線のような感じで、ほぼ定刻に香港に到着した。