ある日の台北日記2019その3(2)坪林と天母で

10月11日(金)
連休に坪林へ

実は私は極めて間の悪い時に台湾に来てしまっていた。双十節の祝日の認識はあったが、実質的に木曜日から日曜日まで休みだとは思っていなかったのだ。だから台湾の知り合いに声を掛けてもここ数日は忙しい、と言われ、色よい返事はなかった。一昨日会ったTさんも連休を持て余しているというので、今日は一緒に坪林に行ってみることにした。

 

昼の12時のバスに乗るため、新店駅で待ち合わせた。だがTさんは地下鉄に乗る人ではなく交通カードすら所持したことがないという。そしてタクシーで坪林へ行こうと、運転手に声を掛けたが、ひと声『1000元で行く奴いるかな?』と言われて、バスの方に向かうことになる。バスなら一人30元なのだから。

 

連休中ながら、昼のバスは満員にはならず、無事乗車できた。朝ならハイキングに行く年配者などが多いのだが、むしろ連休で家族と過ごしているのかもしれない。連休なので、道が混んでいるのかと思ったが、途中の宜蘭方面の高速以外はそれほどでもなく、1時間かからずに坪林に着く。

 

初めてのTさんを案内して、老街を歩く。連休とは思えぬ人の少なさ。坪林はやはり観光地ではなく、むしろ隠れ家的でよいともいえる。それから改装されてから初めて茶葉博物館へ入る。展示が充実したとの話もあり、期待して行ったのだが、予想と違って一般人向けの基礎的な展示が多くなりがっかり。包種茶の里なのに、その歴史はカットされており、代わりに一般的な世界の茶の歴史の展示がなされており、学ぶ者にとっては誠に物足りない。80元の入場料がむなしい。

 

いつもの祥泰茶荘に行くと、お父さんがお茶を淹れてくれた。長男の馮君は台北から戻ってくる途中らしく、バスに乗っているという。やはり連休なので車は確実に渋滞する。バスは早いということは我々も体験済みだった。ここで台湾花茶の歴史について基礎知識を得る。私の理解では初期の花茶は包種茶に花を燻製したものだったように思う。

 

Tさんと通りをフラフラした。今や坪林に来ても祥泰茶荘にしか行かなくなっており、街歩きなど久しぶりだ。茶荘の数はそれほど変わっていないように見えるが、茶荘の傍ら、レストランや土産物屋などを開いている店が多くなっているのが気になる。やはりお茶だけで食べていくには限界があるのだろうか。しかし連休なのに観光客の姿はまばらだ。最近できたという旅遊センター、新しくてきれいだが、どれだけ活用されているのだろう。

 

Tさんはバスで台北に帰って行き、私は祥泰茶荘に戻る。馮君が台北から戻って来て、ここから本格的なお茶の歴史談義が始まる。花茶については『台北の全祥茶荘に行けば分かるよ』と言われ、紹介してもらった。とにかく何も分からない時には、ひたすら人と話をすることだ。そうすれば自ずと道は開かれる。他のお客が来たのを潮に、バスで台北に戻った。

 

10月13日(日)
天母へ

連休最終日、実に久しぶりに天母に行く。実は多くの知り合いから『一度辛さんの新しい店を訪ねるとよい』とアドバイスされていたので、行ってみることにしたのだ。そこは宿泊先からバス一本でかなり近くまで行けるので、意外と便利な場所にあった。朝早めに出て、バス停近くで朝ごはんを食べる。さすが住宅街、朝ご飯を食べるところは沢山ある。

 

辛さんのお店、東京彩健茶荘は、住宅街にひっそりとした、実にデザイン性があるお店だった。茶荘や茶館という表現よりはサロンというのがふさわしいだろうか。ちょうどお店にはこのデザインをした台中在住日本人も家族で来ており、賑やかだった。子供たちにも心地よい空間なのだろう。

 

辛さんとは初対面ながら、色々と話が弾んだ。台南人だが日本生まれで、ずっと日本で暮らし、最近台北に移住してきたと言う経歴も面白い。お母様は有名な料理研究家。知り合いのTさんが初代を務めたロータリークラブの会長も引き受けている。非常に多彩で広い交友関係を持っている人だった。このお店も、良質な高山茶などを扱っているが、お茶の専門というより、サロンとして使われるのが好ましいと考えているようで、今後人が集う場所になっていくだろう。

 

お店に入ってきた女性を紹介された。何と大学時代、台湾語の授業を3回だけ受けた時の先生、王育徳氏(日本に亡命した台湾民主化運動家)のお嬢さんだと聞いて驚いた。先方も『父の学生さんですか』と言い、ご存命のお母さまに見せると言って、一緒に写真に収まってしまったが、とても王先生の学生と呼ばれる資格がないのが恥ずかしい。それでもこんな出会いがサラッと実現してしまう、まさにサロンだろう。

 

 

一度帰り、夕方また出掛ける。Tさんに広東料理をご馳走になる。さすが連休最後の日、お客で満員だった。最近は香港あたりか移住してくるシェフも増えたのか、台湾における広東料理の質が進化しているように感じられる。それは果たして香港にとって良いことなのかどうかは分からないが、食べる方としては有難い話だ。

ある日の台北日記2019その3(1)台北に戻って

《ある日の台北日記2019その3》  2019年10月8日-11月21日

今年3回目の台湾滞在。今回は花茶の歴史を調べてみたいと思っているが、どうなるだろうか。また懐かしい人々、会いたかった人々とも会うことが出来て、有意義ではあった。来年の方向性も考える時期に来ていた。

 

10月8日(火)
台北へ

今年何度台北に降り立ったことだろうか。台湾茶の歴史を本格的に訪ねて3年、初歩的な調べはある程度終わったかもしれない。ただ学べば学ぶほど疑問は出てくるし、資料は出て来ないし。益々『謎は深まるばかり』という決め台詞もすでに使い古してしまっている。さてどうするか。

 

桃園空港からいつものバスに乗りながら、そんなことを考える。今回は6月に台北を離れる際に鍵を持ったまま出てきたので、すぐにいつもの部屋に入ることができ、なんともスムーズな台北入りとなった。だがどうしても食べたいと思っていたいつも行く牛肉麺の店がまさかの休業中。なかなか世の中上手くは運ばない。台北も夜はちょっと涼しいので、鴨麺を食べて満足する。

 

10月9日(水)
旧知の人々と

今日は旧知のTさんと会うことになった。いつもは夜、彼の家の近くで食事をするのだが、今回はなぜか彼のオフィスのあるビルで待ち合わせ、昼ご飯を食べることになった。いつもと違うパターンは大歓迎だ。そして待ち合わせ場所にはいつも本屋に行く時に乗るバスで行けるので楽だった。

 

早く着いてしまったので本屋に立ち寄ろうとしたところで、メッセージが来たので急いで移動したが、よく見てみると『着いたら連絡してくれ』とのことで、何と30分も早く待ち合わせてしまった。そしてビルの地下の韓国料理屋で、なぜかビビンバを食べた。台湾で韓国料理、最近は流行りのようだが、30年前を思い返すと、焼き肉屋も殆どなかった。韓国に対する台湾人の感情変化と言ってよいのだろうか。世代は確実に変わっている。

 

その後、コーヒーを飲むところもないというので、かき氷などのスイーツを食べる店に移動した。Tさんはかき氷を食べていたが、私はさすがに冷たい物を食べる雰囲気ではなかったので、メニューに唯一あった汁粉のような物を食べた。この汁粉1つが、私が食べる牛肉麺より高い、というのが、今のおしゃれな台北だろうか。

 

帰りに本屋に立ち寄ると、やはり何かしら買いたくなるものだ。1冊持ってレジに行くと、いつものように会員カードはあるかと聞かれたので、『ないけど作りたい。外国人も作れるのか』と聞いてみた。すると店員は『日本パスポートは何年かで番号が変わるでしょう。番号が変わらない身分証はないのか』と聞いてくるので、驚いた。

 

そこまで日本の事情に詳しいなら、日本人には身分証がないことも知っているだろう、というと、黙ってカードを作ってくれた。あれは何だったのだろうか。そして海外では面倒が多いので、日本も統一身分証を早く作って欲しい。パスポート番号を変更しないというのでもよい。

 

一度部屋に戻り、勉強を始めた所で、Rさんから『今晩空いている?』との連絡をもらう。彼とは茶の歴史について色々と話したいこともあったので、指定されたレストランに向かった。何とそこは、昨日空港から乗ったバスの中から見たレストランで懐かしいな、と思ったところだったので驚いた。

 

モンゴル焼肉、行ったことはあったが、その内容は全く覚えていなかった。席に着くと、テーブルでは鍋が暖められ、既にRさんの息子が何か食べていたので、私もそれを取りに行った。生の野菜と肉を取って戻ってくれると、『それは向こうで焼いてもらうの』というではないか。よく見ると一番端に大きな石焼用の機材があり、コックが二人で焼いていた。調味料をどの程度入れるかが、美味しく食べられるかどうかのポイントらしい。

 

それから鍋に羊肉など入れて食べた。焼餅も出てくる。ここは基本的に食べ放題らしいが、代金を支払ってもらったので、その仕組みはよく分からなかった。それから地下鉄でRさんの家に移動して、お茶を飲みながら雑談した。そこではお茶の話から客家のことまで、様々な話題が飛び交い、気が付くと日付が変わりそうな時間になっている。そこからトボトボ部屋まで歩いて帰る時、何となく充実感を味わえるのが嬉しい。

広島・岡山・大阪ぶらぶら散歩2019(3)美作番茶、そして大阪へ

9月26日(木)
美作番茶から大阪まで

朝はさわやかに目覚めた。ここ二日間、かなり歩いたので筋肉痛はあったが、疲れがちょうどよく、眠りの質が改善された。日頃如何に歩いていないかが分かる。今日は美作というところへ行く。岡山駅に到着するとすぐに『この駅(目的地)、スイカ使えますか?』と駅員に確認すると『使える訳ないでしょ』と軽くあしらわれた。まあ想定の範囲内だが、そういう場所へ行くのだ。

 

朝8時過ぎに岡山から電車に乗った。JR津山線で津山まで約90分、車窓からの眺めが秋の雰囲気だ。津山駅には一両電車が待っており、20分で林野という駅に着く。途中は田んぼや畑が多く、林も見られた。一両電車はワンマン車で、運転手の横に料金箱がある。確かにスイカなど使えないわけだ。同じ岡山県内だが、2時間10分以上かかった。

 

駅にはKさんが迎えに来てくれていた。この地で美作番茶を作っている若者だ。昨年のティーフェスティバルで、誰かの紹介があり、お茶を少し買った。それを台湾茶業界の重鎮に上げたところ、面白いね、と言われたので、一度産地を訪ねたいと考えていた。ちょうどそこに知り合いのWさんが訪問するというので、橋渡しを頼み、今日が実現した。

 

美作と言えばまず思い浮かぶのは剣豪宮本武蔵だろう。武蔵も飲んだお茶、との広告も見られたが、果たしてそんなに古くからお茶作りがあったのか、それはちょっと疑問だった。そんなことを考えているうちに車で、番茶作りの工場に案内された。何となく茶葉を摘む時期(夏)、大きな茹で釜などの設備、製法などは四国の阿波晩茶などを想起させる。ただ茶葉を煮出した汁を茶葉に掛けるところが、決定的な違いかもしれない。色味がよくなるという。

 

次に店舗に連れて行ってもらい、そこで古い製茶道具や写真などを見せてもらう。勿論この地域でも番茶以外に煎茶などを作っており、戦後は活発な時期もあったという。また写真には昨日訪れた後楽園の茶園が写っており、何とここ美作の人々が茶作りをしていることも分った。古い茶箱にその歴史が感じられる。番茶を飲ませてもらうと、やはりすっきりしていて飲み易い。

 

お昼も過ぎてしまい、次の電車までは時間があるので、ランチを食べに行く。近くに湯郷温泉がある。湯郷と言えば、女子サッカーの湯郷ベルがあるところだ。あの日本代表キャプテン宮間が所属しており、覚えている。温泉もあるなら、ちょっとした観光地とセットでお茶も売り出せそうな感じはする。

 

温泉街に焙じ番茶ソフトクリームやドリンクを出す店があり、繁盛しているとのことで、2号店は何と倉敷にあるそうだ。その後食堂に入りご飯。このあたりの名物、ホルモンうどんは自分で炒める。意外に大きな内臓系が入っており、私は好きなタイプだった。若いKさん、お茶の話しをしていても将来が楽しみだ。

 

また林野駅まで送ってもらい、窓口で大阪までの切符を買う。一番早く行く方法は意外と乗り換えが多かったが、言われたとおりにした。JRで佐用まで行き、そこで智頭急行に乗り換える。それから上郡まで行き、また少し離れたJR駅に戻って、下校の高校生と一緒に相生まで行く。そこで新快速に乗れば大阪まで一本だった。

 

相生で座ることができ、後は寝ているだけと安どしていたら、何と事故で姫路から先に行けないという。姫路駅で聞くと振替輸送があると言い、ちょうど姫路城がみえるところから、また別の電車に乗る。しかし振替は三宮までらしく、またJRに戻り、ようやく大阪に着いた時は疲れ果てていた。更に地下鉄で心斎橋まで行く。

 

大阪のホテルは高い、と思い込んでいたが、今回検索すると5000円ぐらいで普通のホテルが取れるようになっていた。心斎橋を歩くとそんなホテルが沢山出来ていることに気が付く。予約したホテルもロビーは豪華な感じだが、中国人観光客に占拠されていた。ただ部屋の装備はアジア仕様であり、欲しい物は皆あったのでこれで十分。

 

ワールドカップラグビーを見るために、すぐに夕飯を済ませに外へ出た。歩いて2分のところに、トンテキがあり、1000円で美味しく食べられてよかった。ラグビーはイングランドが圧勝した。

 

9月27日(金)
大阪で

今日は1年ぶりに梅田でお話しした。午前午後と2講座あったが、また沢山の人に来て頂き感謝だ。ただその中にあれ、と思う二人がいた。東京でお茶イベントを主催するMさんと、大阪で茶文化を教えているOさんだった。この二人とは3月に四川旅行に一緒に行き、楽しく過ごしていた。

 

講座終了後、主催者のMさんが突然サプライズで二人の婚約を祝い、花束を渡した。実は薄々そうではないか、とは思っていたが、まさかここで二人に会うとは思っていなかったので驚いた。これもまさに茶のご縁だろう。その後、場所を移して食事会があったが、そこでも話題の中心はMさんだった。私はひっそりと新幹線で東京へ戻った。

広島・岡山・大阪ぶらぶら散歩2019(2)鞆の浦から後楽園へ

9月25日(水)
鞆の浦から岡山へ

日本の地方都市に泊まって一番驚くことの一つが、ネット接続。このホテルもサービスは悪くないが、Wi-Fiは基本的に使えない。わざわざルーターを持ってきてもらって繋ぐのだから、アジアから来た観光客もびっくり。朝ご飯はホテルに付いていたので頂く。それはとてもいいご飯だった。

 

今日は鞆の浦に行ってみる。尾道からなら近いと思ったのだが、フェリーは週末しか出ておらず、直通のバスもないとはこれまた驚いた。まずは福山までJRで20分乗り、駅前からバスに乗って行く。荷物が邪魔なのでコインロッカーに預けようとしたが、100円玉両替機が故障。500円玉は入らない。隣のコーヒーチェーンでも断られ、駅の改札まで行く羽目になる。おかげでバスを一本乗り損ねた。それでも20分後にバスが来る。

 

バスで30分、鞆の浦に着く。海風が吹き、さすが汐待の港、何だかいい所に来てしまった、と感じる。海を見ていると、如何にも異国船という形の遊覧船が出航して、観光客を乗せている。坂本龍馬も登場する、あの紀州藩から莫大な補償金を取った、いろは丸事件にちなんだ船だそうだ。

 

すぐ近くに対潮楼があるので、上って見に行く。福禅寺内に江戸時代に建てられたもので、朝鮮通信使の宿としてもつかわれたとある。建物前面からは瀬戸内が一望でき、絶景スポットして名高い。室内にはなぜか上野彦馬が撮影した幕末の志士たちの写真もある。この鞆の浦、往時の位置づけが少し読み取れる。

 

そこから街歩きに入る。古い商家の家並みがかなり残っている。港にはシンボルとなっている常夜灯がある。この辺はかなり風が強い。そこから丘を登っていく。鞆城跡と書かれており、石垣がある。ここからは鞆の浦がよく見える絶景スポットだった。天気が良く、幼稚園児が散歩に来ていた。

 

その上に歴史民俗資料館があったので入ってみた。ところが展示品の写真撮影禁止と聞いて『えー、それじゃあ』と言ったら、係員の女性は『それでは』と言ってさっさと引っ込んでしまった。まるで資料館を見せる気もないお役所仕事、これには呆れて、本当に見ないで立ち去る。

 

太田家住宅、と書かれた古い家もある。ここは幕末に都を追われた公家が長州に落ち延びる途中に立ち寄ったらしい。いわゆる七卿落ち。汐待するのは商船ばかりではない。また別の丘を登る。平賀源内生祠というもあった。長崎帰りの源内がここに立ち寄り、源内焼を伝えたとある。

 

医王寺まで登ると、これまたいい景色が拝める。天気が良いのでついフラフラしてしまう。いくつもの寺があったが、その中には何となく中華風の門や窓なども見える。異国の影響を受けることもあっただろうか。山中鹿之助の首塚などもあり、歴史感は満載だ。半日ゆっくりと見て回り、またバスで福山に戻った。

 

電車で岡山へ向かうが、まだ時間的には早い。ちょうど駅の横にある福山城が見えたので、そこだけ見てから行くことにした。まずは城の横を通り、歴史博物館へ。取り敢えず広島の歴史を一通り勉強したが、特に1階にあった資料コーナーで座りながら、冊子を眺めて時間を過ごす。

 

それから城へ上る。建物自体は、第2次大戦の空襲でほぼ焼失してしまっており、現在は再建された天守閣が見られる。何ともきれいな作りのお城だ。だがなぜかここでカメラのキャパが一杯となってしまい、写真は撮れなくなる。それを潮に、駅に戻り、電車に乗る。

 

岡山行きは沢山あると思っていたが、昼下がりは1時間に一本しかなく、慌ててロッカーから荷物を出して、まさにダッシュでホームに駆け上がり、出発寸前の電車に乗り込んだ。そこからおよそ1時間で、岡山駅に到着した。駅近くのホテルを予約していたが、なぜか迷ってしまい、イオンの中をぐるぐる。何とか着いたホテルはサービスがとても良い、感じの良い場所だった。

 

まだ日も高いので、取り敢えず岡山後楽園に行くことにした。恐らくは30年ぶりだが、何も覚えていない。駅前まで戻り、路面電車に乗る。タイ人が何人も乗ってくる。電車を降りると地下道を通るのだが、そこがとてもきれい。上ってかなり歩くとようやく後楽園の入口へ。

 

後楽園は天気が良かったせいか、思っていたよりきれい。その広大な敷地に配置された池など、その風景は美しかった。更にはかなりの茶園があったのには驚いた。なぜここに茶樹が植えられているのだろうか。昔はお殿様が飲むためとあったが、誰が茶を摘んで、製茶するのだろうか。

 

1時間以上歩き回り、一度外へ出て、今度は岡山城へ向かう。お殿様の時代は、城から船で来たらしいが、今は立派な橋が架かっており、夕方の風景はきれいだ。城にも入ってみる。宇喜多家の歴史、今やアニメにも描かれているようだ。日本は城ブームでもあり、若い女性も見に来ている。

 

路面電車の中で『野村のかつ丼』の宣伝が流れていたので、行ってみた。ちょっと高級感のある入り口だが、中では食券を買う。デミグラスソースと玉子とじかつ丼のセットを注文した。1000円と庶民的。ホテルまで帰る道すがらも、何となく風情があり、久しぶりの岡山を瞬間的に満喫。

広島・岡山・大阪ぶらぶら散歩2019(1)尾道を歩きまくる

《広島・岡山・大阪散歩2019》  2019年9月24日-27日

ウラジオストクから帰って中二日で、また旅に出た。今度は国内旅行だから気は楽だったが、正直体力的にはかなかしんどい。それでも面白いことも数々あり、やはり旅を止めることは今のところ出来ない。今回は広島尾道から鞆の浦、岡山、美作、大阪と行く。

 

9月24日(火)
尾道へ

今年の3月に島根横断の旅をした際、何となく山陽道も歩きたい衝動にかられた。それで何気なく広島行きのチケットを予約する。広島市には以前に行ったことがあったので、今回の目的地は以前から気になっていた尾道と鞆の浦。尾道のお茶屋さんにちょっと寄ってみたい、それだけだった。

 

羽田空港国内線は便利でよい。荷物も軽いのでカウンターにも行かず、するっと中に入る。修学旅行生が沢山いる。修学旅行って、楽しいのかなと思ってしまう。誰もが旅行に行けるこの時代に、なぜ修学旅行が必要なのか。先生の負担も軽くない。いや旅行会社の生き残り戦略だろうか。

 

飛行機はするっと飛び立ち、あっという間に広島空港に着陸した。この空港、広島市内からも結構遠い。私は広島ではなく、尾道を目指しており、インフォメーションでその行き方を聞くと、バスでJR駅まで出て、そこから電車で行く。なぜか広島空港は風が吹き、9月にしてはかなり涼しいので驚く。

 

バスは30分ぐらいするとやってきた。広島行きもほぼ同じだったので、フライトに合わせて来るのかもしれない。20分ほど行くと、JRの白市駅という如何にもローカルな駅に着いた。ここで尾道への行き方を再度聞くと、若い駅員さんが丁寧に教えてくれるので好感が持てる。

 

車窓から田んぼを眺める。田植えが行われていないところもチラホラみられ、後継者問題が頭を過る。三原で乗り換え、尾道に着いたのは11時過ぎていた。三原で乗り換えると、同じホームに岡山行きが来るよ、というアドバイスは荷物がある者には助かる。駅からすぐのホテルを予約しており、そこに荷物を預けて歩き出す。

 

駅の目の前が川?内海?なので、そこを歩いてみると、何だかとても心地よい。この街は映画東京物語の舞台にもなっており、そんな展示がされている。如何にも映画の舞台になりそうな街並みではある。昔ながらの商店街もあり、ちょっとレトロな雰囲気に浸る。

 

その商店街のアーケードが無くなった先、少し入ったところに目指す今川玉香園茶舗はひっそりとあった。店主のIさんとは3年前広島のお茶会で知り合ったが、その後FBでお互いの近況を見ており、今年2月のボルネオでも、『サバティーガーデン』へ行くように勧めてくれていた。

 

Iさんとお父さんから話しを聞く。このお茶屋さん、記録では明治初期の創業だが、実際には江戸時代から茶業をしていたらしい。尾道でもっとも古い茶舗の一つ。尾道という山陽道の主要都市だから、海運を使った人の往来もあり、茶の流れもあったのだろう。長崎から中国系商人がこの街に陶器を売りに来た、などという話が普通に出てくる。

 

茶葉も地元の物もあったようだが、京都や九州からも取り寄せていた。現在でも静岡、宇治、鹿児島茶をブレンドして、地元民に合う味にしたものがよく売れるという。Iさんは世界の茶産地を回っており、スリランカの紅茶や阿里山烏龍茶なども取り扱っている。イベント活動にも力を入れており、地域の文化の中心に位置している、と感じられるお店だった。

 

少し話しているともうお昼を過ぎており、近所の小さなお好み焼き屋さんに連れて行ってもらった。席は3つしかなく、目の前の鉄板でおばさんが丁寧に焼いてくれるのを見ながら、話を続ける。ソースは自分で好みの量をかけてね、と言われる。食べるとまさに『普通に美味しい』。

 

午後は一人で尾道を歩き回った。初めに尾道水道の渡し船に乗ってみたが、帰りに別の船着き場から乗ろうとしたら無理だと分かり、10分で往復する。このゆっくりと動く船からの眺めは悪くない。それから歩いてお寺巡りが始まる。まずは千光寺を目指して登る。道が整備されていて歩きやすい。

 

石段の途中に志賀直哉旧居と見えるので曲がる。今日は火曜日でどこも閉まっているが、取り敢えず外観を見る。千光寺からは尾道の街がきれいに一望できた。鎖を伝って登る奇岩があった。その下には鎌倉時代創建の天寧寺の三重塔が見られる。更にずっと歩いて行くと西園寺という寺があった。ここになると奈良時代の創建らしい。尾道の街の古さがよく出ている。

 

それからもいくつかの寺を訪ね歩いた。姿三四郎の像があった。人形浄瑠璃の文楽の墓がなぜかここにある。図書館も休館日で尾道の歴史全般を知る機会はなかったが、実に興味深い街であることは確かだ。最後に夕日が沈むのを水辺で眺めた。何だか動きたくないような気分が続く。夜はIさんに新鮮な海の幸をご馳走になりながら、更にお茶の話や旅の話をした。そして駅前のホテルまで約20分、ふらふら歩いて帰った。

ウラジオストクを歩く2019(4)ウラジオふらふら

9月20日(金)
ウラジオふらふら

今日は実質ウラジオ最終日だが、もう大体行くべきところには行ってしまっていた。さてどうするか、と考えながら、ホテルの朝食を食べる。これまでは韓国人か中国人が多かったが、このホテルには日本人も泊っていた。食事内容はどこも同じような物だった。この辺はヨーロッパ的?

 

取り敢えず多くの観光客が訪れるという鷹の台展望台を目指す。基本は歩きで、ケーブルカーに乗る気もない。スマホ地図を見ながら、途中までは昨日歩いた旧東洋学院方面を行く。その辺から登り始め、高台の住宅地を抜けていく。だがどうも道がない。住宅の警備員に聞いたが、言葉は通じない。でも行きたい場所は分かったらしく、住宅内を突っ切って行けるよ、と笑顔でジェスチャーをしてくれた。しかし残念ながら、その入り口は閉ざされており、元に戻らざるを得なかった。

 

地図で見ると今来た道を一度下まで降りて、更に道路をぐるっと回って行かなければならなかった。その道路は広い自動車道で、歩くのは大変。何とか入り口に辿り着くと観光客が沢山いるではないか。上に登ると、確かに手前の黄金橋からウラジオストクの港がよく見えた。

 

帰り道をトボトボと行くとまた古い建物に出くわす。特に気になった建物があったのだが、果たしてこれが元々なんであったか、それはロシア語でしか書かれておらず、判然としない。また近所の壁には古い建物の写真が貼られており、ちょっと興味深いものも混ざっていた。この近くに骨董屋があるに違いないが、場所が分からなかった。

 

更に歩いていると、腹が減ってくる。ちょうどカフェが見えたのでメニューを見ると英語があった。しかもペリメニと書かれていたので、迷わず入ってみる。何とこのカフェのメインはペリメニであり、10種類ものペリメニが用意されていて迷う。ゆっくり茹でて出てみたペリメニはかなり美味だったので、じっくり味わった。カフェなので食後にコーヒーを飲むと、何だか新しい感覚になる。

 

 

最後に噴水通りの周辺を丹念に歩いてみた。この通りはとてもきれいなのだが、そこから一歩裏に入ると、昔の雰囲気がいくらか残っている。勿論ここにも観光客目当ての店が出てはいるが、何だかここらあたりを100年前に日本人が歩いていたかな、と思うと複雑な気分になる。

 

一度宿に帰り休む。なぜかまた腹が減り、早めに夕飯を食べてしまう。それから夕陽が落ちてくるのが見えたので、ビーチの方に向かう。先日のホテルと違って、ここからは夕陽がよく眺められたので、しばしそれに見とれる。周囲ではビールを飲みながら騒ぐロシア人たちがいた。

 

宿へ帰り、部屋にあるLG製のブラウン管テレビを点けてみる。普通テレビなど見ないのだが、今日はラグビーワールドカップの開幕戦、日本対ロシアの試合が日本である。もしやと思い探すと、ロシアでもちゃんと注目されており、生放送されているではないか。その実況にはかなりの熱が入っていたが、試合はガチガチの日本が勝利したので、かなりがっかりしているようだった。まあそれにしても、ブラウン管テレビはこんなにも見難かったかと実感する。

 

9月21日(土)
ウラジオストクを離れる

ついに日本へ帰る日が来た。本当は空港まで列車に乗って行きたかったが、昨日駅で確認してみて、私のフライトにちょうど合う列車はなかった。朝7時の列車に乗れば確実なのは分かっていたが、空港に着いても3時間半、何もやることがない。それならばホテルで朝食を食べてから、またバスで行くことにした。

 

バスは特に混んでおらず、時刻表通りに出発した。終点だから寝過ごすこともないので目をつぶる。途中で何人かが乗ってくる。そしてある程度行ったところで渋滞になる。よく見ると斜め前の方で煙が上がっている。何と火事に遭遇した。それもかなり大きな火事だ。後で検索した放送局だったらしい。日本語のニュースにもなるほどの規模だったので、驚いた。

 

1時間ちょっとで空港に到着したが、まだチェックインは開始されていなかった。20分後に開始という表示になっており、皆並び始めたが、いつになっても始まらない。その前に韓国行きの便が終わらないからだろうか。そこへ後から来た子供連れの家族がカウンターに何か言うと、なぜか彼らの処理が始まったので、後ろのロシア人が怒り出す。

 

すると横のカウンターが開き、私の後ろのロシア人がそこへ滑り込み、手続きを始めた。それなら私の方が先だろうと、そのカウンターへ行くと『ここはビジネスクラスだけ』というではないか。何の表示もなく、外国人は勿論、ロシア人にも不可解な処理が行われて困る。

 

まあそんなこともあったが、今回のウラジオストクの旅は順調だったと言ってよい。何より天気が素晴らしく、気持ちがよかった。これからここを訪れる日本人も増えていくだろうが、出来れば歴史にももう少し目を向けてもらいたいと思った。確かに日本から最も近いロシアだから、歴史的繋がりは相当ある。

ウラジオストクを歩く2019(3)モルグン先生と会って

9月19日(木)
モルグン先生と

前日早く寝たので、早めに起きた。気温が相当下がっている。厚手の服を着こんで、食堂に行く。広めのスペースにそれほど人はいない。簡単な食事を取って食べる。まあロシアはどこも同じようなメニューなのだろう。せめて、コーヒーや紅茶がもう少し熱いとよいのだが。

 

今日は今回のメインイベント、極東ロシア交流史に詳しい、ゾーヤ・モルグン先生と会うことになっていた。彼女も前回のハバロフスクでポボロツキーさんから紹介を受けた。モルグンさんには第2次大戦前までのウラジオストク在住日本人達に関する著書があり、その中で可徳については触れられていないが、日本人茶業者についても書かれているので、とても興味を持っていた。先生は日本とロシアの人的交流にも常に尽力している。

 

まずは海辺のホテルをチェックアウトする。やはり手続きになんでも時間を要する。手際よくやる、という感覚はない。ソ連時代の名残だろうか。それから荷物を持って、先日泊まったホテルの近くに歩いて行き、荷物を預かってもらった。こちらの方が良さそうには見えるが、それでも建物は国営時代そのものであり、その雰囲気をかなり残していた。

 

待ち合わせ場所はあの横浜正金が入っていた博物館だ。博物館とはご縁が深いモルグンさんはここに用事があり、まずはそれを済ませてから、カフェに移動する。だがちょうど斜め前に昨日見た可徳のオフィスと思われる建物があったので、まずはそこを見てもらう。にこやかだった先生の顔が厳しくなり、専門家に変身する。この建物については、別の専門家がもし分かれば、聞いてみるとのことだった。心強い。

 

現地の人が普通に飲む紅茶などを注文してもらう。甘いケーキも出てきた。そしてこちらが聞きたかったことをどんどん質問していく。長年研究を続けてきた人だけあって、当然ながら色々と詳しく、非常に勉強になる。ただ中にモルグンさんにとっても初耳だったこともあったようで、こちらの話にも非常に興味を持ってくれ、話が弾んで面白い。70歳を過ぎても現役で日本語を教えている(場所は昨日行った旧東洋学院)という先生は、やはりパワフルだ。

 

カフェを出て、少し散策した。観光客でにぎわう噴水通りを見て先生は『ここは100年前日本経営の女郎屋さんが多かった』というので驚いてしまう。今の我々には全く分からない残酷な歴史がそこには存在しているのだ。そして旧日本総領事館などの周辺を回り、更に色々と教えてもらう。NHKのファミリーヒストリーを見て、さだまさしの祖父がスパイだったことを思い出したが、何と先生はこの番組に出演していた。ゆっくりと先生は広場からバスで帰っていった。また教えを請いたいと思う。

 

戻って博物館を見学した。まずは建物のレトロ感がよい。そして土偶から甲冑まで、実に様々な展示がなされており、実に興味深い。日本との繋がりも十分に感じられる。先住民族の歴史もかなり展示されており、勉強になる。先住民族の地に、ロシア、中国、そして日本人も入って来て、街が形成されていった。

 

遅い昼ご飯は、近くの食堂へ行く。先日行ったところよりかなりきれいで客も多いのだが、店員の対応は更にひどい(店員の方も待遇などに不満があるのかな、とも思う)。観光客など外国人は来なくてよい、ということかもしれないが、観光で売り出す街としては、サービス業に弱点があるのではないか。モルグン先生と行ったきれいなカフェの店員もずっとスマホを触っていて、遊んでいるようにしか見えなかった。そしてスープも今一つだったのでがっかり。

 

今日のホテルに戻り、チェックイン。初日より高い料金を払ったが、設備などは良くない。昔の一流ホテル。だから部屋が空いていたのだと納得する。午後は裏側の海を見に行く。遊園地があり、船着き場がある。実にクリアーな天気で気持ちがよい。恐らくウラジオストクの秋、最高の季節なのだろう。平日だが多くの人々が午後の散歩をしている。ビーチがあり、何とこのひんやりとした中、水着で泳いで人、日光浴にいそしむ人もいた。

 

そのまま1時間ほど市内散歩を続け、宿に帰って休息する。ウラジオストクの歩ける範囲はほぼ歩いた気分になる。ちゃんとした机もない部屋で、PCを開いて今回の旅のまとめを始めるが、腰が痛くなる。夜までそうしていると、やはり腹が減るも、余り歩きたくなかったので、先日の食堂へ行き、まあまあだったスープを飲むことにした。急速に秋から冬になろうとしている雰囲気が嫌いではない。