やはりお茶屋が多いから、何となく気持ちが良いのだろうが、ただそこで売られている茶は観光客向けで、非常に廉価。プーアル茶餅、1枚10元など、一体どこから持って来たのか、といった茶が多いので中に入る気にはなれない。ただ店の説明などがあれば写真に撮っておく。きっと何かの役に立つ。

木府付近は観光客が集中していた。60₋70歳はチケット半額、20元で入る。中はかなり豪華な建物が3つぐらい並んでおり、とても普通の家ではない。何だか寺院に入ったような感覚だったが、庭園などもあり、もし観光客が押し寄せていなければゆったりは出来る。ただ私は木氏の歴史を知りたくて来たのだが、ついにその詳細は説明に出会うことが無かった。人が多過ぎて通り過ぎてしまったのだろうか。


木府を出ると来た方と反対側に歩く。観光客向け土産物屋が実に多く、今日は観光客もいるので非常に活気がある。地図アプリを使ってもなかなか行きたい方向に行けないほど、迷路のようになっていて面白い。ただ観光地化されているとはいえ、民族衣装を借りて写真を撮る人があまりにも多いのは、ちょっと、という感じだ。思い出してみれば昔から中国人は写真好きだったが。


店に戻り、老板娘に話を聞く。彼女はナシ族でご主人が最後の馬幇と言われている人物だという。ナシ族以外に漢族も回族も馬幇はいたらしい。彼らのルートはラサに行って終わりではなく、インドやネパールまで運ぶこともあったというが、それに関する資料はないともいう。馬幇は1980年代に公路が開通するまで存在していたらしい。この家では明代後期から17代続いたとある。本来は販売しないという、ご主人のことが書かれた本も譲ってもらい、今後勉強することにした。


そういえばさっき道を歩いている時も、茶商の称号を見かけたような気がする。仁和昌という商号で、今はその屋敷跡で茶や土産物などを売っている。大理から繋がれた茶馬の道は、ここでナシ族などに引き継がれ、チベットを目指したということだろうが、既に50年前には途絶えており、昨今の観光ブームで一部が形を変えて復活しているのかもしれない。

宿に帰って休息したが、やはり標高2400mの高地に体がすぐには順応せず、疲れが出た。部屋まで行くのに階段で2階に上がると息が切れる。頭が痛いとか、吐き気がある、などの症状はないのだが、食欲はほぼない。昼の回族料理の油がいけなかったのだろうか。取り敢えずシャワーだけ浴びて寝ようとしたが、横になるとちょっと息苦しく、なかなか寝付けない。

10月5日(日)麗江で
よく眠れない中、明るくなるまでベッドに居た。特に症状は出ていないので、取り敢えず宿の朝ごはんに行く。麺は自分で調味料を使って味付けするのが面倒だ。なぜかチキンカツのようなものがあり、食べてみると旨い。だが、食後出掛けてみると、やはりちょっと腹の調子が悪い。




















































































