雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(4)麗江 ナシ族の馬幇

やはりお茶屋が多いから、何となく気持ちが良いのだろうが、ただそこで売られている茶は観光客向けで、非常に廉価。プーアル茶餅、1枚10元など、一体どこから持って来たのか、といった茶が多いので中に入る気にはなれない。ただ店の説明などがあれば写真に撮っておく。きっと何かの役に立つ。

木府付近は観光客が集中していた。60₋70歳はチケット半額、20元で入る。中はかなり豪華な建物が3つぐらい並んでおり、とても普通の家ではない。何だか寺院に入ったような感覚だったが、庭園などもあり、もし観光客が押し寄せていなければゆったりは出来る。ただ私は木氏の歴史を知りたくて来たのだが、ついにその詳細は説明に出会うことが無かった。人が多過ぎて通り過ぎてしまったのだろうか。

木府を出ると来た方と反対側に歩く。観光客向け土産物屋が実に多く、今日は観光客もいるので非常に活気がある。地図アプリを使ってもなかなか行きたい方向に行けないほど、迷路のようになっていて面白い。ただ観光地化されているとはいえ、民族衣装を借りて写真を撮る人があまりにも多いのは、ちょっと、という感じだ。思い出してみれば昔から中国人は写真好きだったが。

宿のところまで帰ってくると、ちょうど古びた木造の建物のところに「馬幇博物館」の文字が見えた。ただ戸は閉まっており入れない。正面に回ってみるとそこは茶馬広場。そこに同心阜という茶荘があった。馬幇の像が建ち、説明板もある。中に入って博物館を見学したいというと、2階に案内され、展示を見ることが出来た。そこには馬幇が使用していた馬具や服などがあり、また運んだ茶葉や製法などについても説明があった。だが個人博物館のため写真撮影は不可だった。

店に戻り、老板娘に話を聞く。彼女はナシ族でご主人が最後の馬幇と言われている人物だという。ナシ族以外に漢族も回族も馬幇はいたらしい。彼らのルートはラサに行って終わりではなく、インドやネパールまで運ぶこともあったというが、それに関する資料はないともいう。馬幇は1980年代に公路が開通するまで存在していたらしい。この家では明代後期から17代続いたとある。本来は販売しないという、ご主人のことが書かれた本も譲ってもらい、今後勉強することにした。

そういえばさっき道を歩いている時も、茶商の称号を見かけたような気がする。仁和昌という商号で、今はその屋敷跡で茶や土産物などを売っている。大理から繋がれた茶馬の道は、ここでナシ族などに引き継がれ、チベットを目指したということだろうが、既に50年前には途絶えており、昨今の観光ブームで一部が形を変えて復活しているのかもしれない。

宿に帰って休息したが、やはり標高2400mの高地に体がすぐには順応せず、疲れが出た。部屋まで行くのに階段で2階に上がると息が切れる。頭が痛いとか、吐き気がある、などの症状はないのだが、食欲はほぼない。昼の回族料理の油がいけなかったのだろうか。取り敢えずシャワーだけ浴びて寝ようとしたが、横になるとちょっと息苦しく、なかなか寝付けない。

10月5日(日)麗江で

よく眠れない中、明るくなるまでベッドに居た。特に症状は出ていないので、取り敢えず宿の朝ごはんに行く。麺は自分で調味料を使って味付けするのが面倒だ。なぜかチキンカツのようなものがあり、食べてみると旨い。だが、食後出掛けてみると、やはりちょっと腹の調子が悪い。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(3)麗江の茶馬ホテル

普通の駅は15分前にホームに降りるが、ここは25分前、しかも始発だからゆるゆる乗り込む。当然満席かと思っていたが、所々空いている。ただ私の席は窓側で、横の2人の女性はほぼ動かず、何と4時間そこに閉じ込められて窓の外を見て過ごす。列車は120₋150㎞の速度で淡々と走っており、時折古い家などが見える程度で、どこを見ても飽きてきた。停まる駅は何と2つしかない。目をつぶっているしか仕方ない。

ちょうど2時間ぐらいで大理の近くに来る(10年前は高速鉄道が無く、確か7時間ぐらいかかっていた)と、突然湖と高い山という風景が登場し、車内が急に沸き、皆が一斉にスマホを構え始める。大理付近で結局30分ほど停まっていたようだったが、その後はスムーズ。車内では売り子さんが見事な話術で特産品の販売を始め、何だか観光の雰囲気が出てきた。それが終了すると約4時間かかって、麗江に着いた。

気温は昆明より少し低いが、非常に気持ちが良いのは空気がきれいだからだろうか。ホームに吹く風が特によい。出口を出て車を呼ぶとどこでも同じように指定場所に誘導されるが、そこは駐車場になっており、予約した車を自分で探すことになるが見付からない。入口に立っている人が声を掛けてきて、自分の運転手だと分かる。

駅から古城までは30分以上かかった。途中渋滞もある。さすがに連休だからか。ようやく着いたと思ったら、運転手が「この中には車は入れないから、歩いていけ」と降ろされてしまう。しかも指さした方は駐車場で結局抜けられず、騙された思いで、トボトボと石畳の道を行く。スーツケースを引っ張るのは大変でかなり疲れる。標高も2400mに上がっているので息が切れる。

宿泊ホテルは広場の前で、馬幇の像などが置かれており、茶馬広場という名前だった。そして何とこのホテル自体が、その昔の土司(地元の管理者)、木氏の王府驛駅旧趾(茶葉の集散地)だった場所だと書かれており、何だか周囲が茶に囲まれており、気持ちが茶馬古道に寄っていく。

宿の敷地はかなり広く、茶葉の集積地としての規模が窺われる。四合院の庭が3つもある。部屋もかなり広くて快適だ。部屋に冷蔵庫が無いのは、必要性がそこまでないということだろう。エアコンもないようだが、寒くなればセントラルコントロールとなるのだろうか。まあ何だか期待が持てる。

時間は午後2時。腹が減ったのだが、何を食べるべきか。さっき車の窓から見えた清真の文字が気になってしまい、歩いて探しに行く。そこは車通りの端っこにあった。25年続く回族食堂と書かれている。メニューで気になったのが、牛干巴(雲南回族の伝統料理)。頼んでみるとこれは干し牛肉を作って再度揚げたもの。塩気と油が意外と強く、サクサク食べられるという感じではなかったが、別の部位の牛肉は美味しく、ご飯と一緒にかなり食べた。また無料で出てきたお茶(たぶん緑茶)がかなり美味しくて、これを飲むと干牛肉も入っていく感じがあった。

店は家族経営で、1998年に開いたという。麗江に回族は多いか聞くと「回族は大理だ」と言い、彼らも元は大理にいたようだ。ここには馬幇がいたのだから、その中継地として当然回族もいただろうとは思うが、その関係はこれから明らかになるだろうか。

この古城の中で最も有名なのは土司であった木氏の邸宅、木府。そこへ向かうと急に雨が降り始め、ドリンクだけ買って宿へ引き上げた。だが雨はすぐに止み、すぐにもう一度木府に向かった。古城内は道が曲がっていたりして、しかも石の道で歩きにくく、なかなか目的地に着かない。だが、その光景は観光化されていると言ってしまえばそれまでだが、それなりのいい雰囲気を持っており、思わず写真に収める。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(2)昆明でロシア人と出会う

昆明駅はすぐそこなのだが、10年前とはかなり違っており、見違えてしまった。あの頃改築工事が行われていたような気もする。ここで車を呼び、出掛ける。ところが数分で来るはずの車が一向に来ない。駅周辺は旧市街で道が狭く、大混雑のようだ。何とか車に乗り込むと、今度は一気に外環道路を走り出す。

約40分かけて知り合いのHさんが最近留学を始めた大学までやって来た。中国の大学は敷地が広く、門がいくつもあるので、なかなか迷う。何とか留学10日目のHさんと合流して、その住まいの方へ向かったが、くねくね曲がった上り坂の周囲には80年代に建てられたであろう教員宿舎がそのままずらりと並んでいて、何となく懐かしい風景だ。そのかなり奥まった場所に外国人居住区があり、授業もそこで受けるらしい。

Hさんの部屋を見せてもらうと、天井が高く、部屋はかなり広い。これなら私もここに留学したぐらいだ。80年代の上海の留学生宿舎は狭かった。もう一つの建物に入り、Hさんが知り合ったばかりだというロシア人のところへ行ってみた。驚いたことに彼は英語も中国語も普通に話せた。

ロディアはモスクワ郊外の出身だといい、5年前に中国に留学に来た。南京で中国語を学び、その後彼の関心事である茶を学ぶため杭州の大学4年で学部を卒業した。その卒業論文は「万里茶道」だというので驚いていると、関連資料がどんどん出てきた。私も10年前に万里茶路の旅に出ており、かなり色々と調べたので話が合う。留学早々のHさんは中国語の会話もそうだが、内容が耳に入って来なかっただろう。特に彼が言う「現在万里茶道に関する論文などは中国人によって書かれており、ロシア側の情報がほぼない。またロシア人研究者が書いた論文はロシア語から翻訳されることはほぼない」は極めて重要であり、彼のような人材が非常に貴重であることが分かる。

彼はこれまでにため込んだ貴重なお茶も沢山持っていて、色々と飲ませてくれた。茶器にもこだわりがあり、壊れた物は金継ぎしているようだった。ロシアの茶関係者が来る時は、通訳兼ガイドもしているという。最近は武夷山や漢口へ行き、調査も欠かさない。こういう大学院生が日本にもいるのだろうか。

あっと言う間に3時間が過ぎてしまい、あたりが暗くなる。彼の部屋を辞して、近所で晩御飯を探す。農家菜の店を検索で見つけて行ってみたが、途中に似たような店があったのでそこに入った。豚肉スープは意外と旨く、野菜もたっぷりでよかった。Hさんはここで一年頑張るというのだが、色々と大変なことだろう。ただきっとそれ以上の収穫を得ると思いたい。車を呼んで40分ほどかけて暗い夜道を宿へ戻った。かなり疲れていた筈だが、なかなか寝付けなかったのは、やはり標高1900mのせいだろうか。

10月4日(土)麗江へ

眠りが浅い中、朝は早めに起きて宿の朝飯を食べた。まあ仕方ないのだが、食べたいものは殆どなく、かなり軽めの食事となる。実は昆明駅は宿の窓からほぼ見えているのだが、百度地図などで見ると歩いて10分などと書かれていて、ちょっと不安になり、早めに出ていく。

駅前の広場はキレイになり、駅舎も勿論きれいだ。チェックも簡単ですぐに中へ入る。エキナカの店の一つはあの2015年末に寒さを凌ぐために入ったところだと気づいて、ちょっと感動する。確かあの頃、この駅で事件があり、ピリピリしていたことも思い出す。国慶節休みの混雑はほぼ感じられず、季節の良い週末という感じだ。

雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(1)国慶節に8年ぶりの昆明へ

《雲南茶葉古道をかじる茶旅2025》  2025年10月3₋12日

チェンマイで北タイの茶歴史を学んで3年になる。いよいよ雲南へも足を踏み入れるべきだろう。昨年末よりノービザになり、時期は整っている。今回は国慶節の連休に行くという暴挙に出たが、果たして結果はどうだろう。

10月3日(金)昆明でロシア人に会う

いつものように車を呼んで僅か20分でチェンマイ空港に着いた。既にWebチェックインも済んでいるので問題ないと思っていたら、何とスマホのチケットは使えないらしく、預け荷物もないのに、長い列の一番後ろに並ばされた。カウンターで聞くと、元々Webチェックインで送られてくるチケットはここでは使えないという。なーんなんだ。

それでも20分ほどでチケットを得て、イミグレを簡単にすり抜ける。チェンマイ空港は本当に良い。でも中国は国慶節だというのに、その割には観光でチェンマイに来る人は多くない。昆明行のフライトも、連休半ばということもあってか、若干空席が見られたのは、中国経済が余程悪いという証明だろうか。

フライトは僅か1時間半、それでも中国東方航空はレガシーキャリアであり、以前は必ず食事が出たと思うのだが、今回は何とドリンク一杯だけだった。そういえばネットで席を予約した際、非常に紛らわしい表示に騙されて、わざわざ3席の真ん中が予約されていたのには、自分で驚く。因みに急に気分が悪くなった乗客が出て、初めて「お医者さんはいませんか」とCAが声を掛ける場面にも遭遇した。幸い軽症だったようで、飛行機はそのまま昆明に着いた。出発も定刻10分まで、到着は20分前だった。

イミグレへ行くと、外国人と書かれたブースに係官はいなかった。勿論誰も並んでいない。全てのパスポート、と書かれたブースでようやく係官を見付けてパスポートを出すと、暇なのか中国語で色々と聞いてくる。そして入国スタンプを押したのに、パスポートを別の係官に渡してしまう。えー、と思っていると、その後ろの係官は「あなた、記者じゃないでしょ?」と聞いてきただけですぐに解放された。

昆明に来るのは調べてみると8年ぶりだった。今は地下鉄もあるようだが、昆明駅へ行くルートを案内所で確認すると、やはりバスだった。10年前に来た時は夜中に空港に着き、極寒の中をこのバスで駅へ向かったのを懐かしく思い出す。切符はどこで買うのかウロウロすると、係員が寄ってきて、機械を出してくる。こちらも支付宝を差し出すと25元取られ、チケットの紙が出てくる。

バスはすぐに満席になる。運転手をはじめ、喫煙者は恨めしそうに車内に入る。バスが動くとなんと車掌の女性、いやガイドさんが、雲南の紹介を始め、観光案内、物産紹介などをテキパキと行う。バスは2か所だけ止まり、3つ目で駅付近に終着した。40分ほどかかったろうか。

予約した宿へ行く途中、どうしても腹が減ってしまい、米線を食べる。路上にテーブルが出ており、皆そこで食べるのだが、気温20度で優しい風が吹き、あの暑かった東京、時々雨模様以外は30度のチェンマイと比べて格段に気持ちが良い。更には米線が何とも旨く、しかも僅か8元で幸せになれる。

予約した宿もそれなりにきれいで良い。ただ笑ってしまったのが、トイレで流すためのボタン(レバー)がどうしても見つからずに困る。実は半日探してようやく見つけたのは便器の下の方にちょっとだけ突き出たポッチ(センサー)だったのだが、今まで見たことが無い場所にあるので、困った人は多いのではないだろうか。なぜそこにあるのか、誰か教えて欲しかった。足を近づければ水は流れる。

チェンマイ滞在記2025その1(4)チェンマイをフラフラ

そこから車を呼んで、郊外にある山岳民族博物館へ向かった。ここは2度ほど行こうとして、タイミングが悪く、行けていなかった場所。運転手は女性で、順路はアプリにも出ていたのだが、何か勘違いして、行き過ぎてしまい、戻る所で、どこかの敷地内に入って出られなくなる。まあ何とか脱出して無事博物館に着いたので良かった。

池のほとりに立つ博物館はかなり立派な建物で入場は無料。名前や住所を書くと入口に案内され、後は自由に見てね、というスタイル。ここにはミャオ、ヤオやアカ、リス等、北部タイの山岳民族に関する展示が並んでおり、動画もあった(日本語バージョンもあり)ので、とても理解が進んでよかった。まあ残念ながら茶に関する展示は見付からなかった。

帰りも車を呼んだのだが、一体どこを走っているのか、なかなかこの場所に近づいてこない。何とかやって来たその車のドライバーも女性であり、先ほどの人同様に英語が出来たので会話は成立した。彼女の場合、スマホが壊れてしまい、地図が表示できずに困っていたらしい。何だか今日は不思議な日だなと思う。

夕方腹が減ったのだが、何とかなり強烈なスコールに見舞われて、外へ出られない。少し待てば止むかと思ったが、30分経っても止まないので、仕方なく傘をさして一番近いバー(カフェ)まで走る。ここがいいのは、一日中ブレックファーストが食べられることだったが、今回入ってみると、クラブサンドイッチはメニューから消えていた。まあアメリカンでも十分に美味しいのでゆっくりと食べる。それでも雨は止まず、少し小降り状態で帰る。果たして洪水の危機は再来するのか。まずはほぼ濡れずに生還したことを祝おう。

10月1日(水)‐2日(木)チェンマイをフラフラ

朝雨はあがっていたが、何となく時折パラつく。朝はパンをかじり、昼前に傘が要らなかったので外へ出た。何となく気分が肉だったので、歩いてガイヤーンを食べに行く。この店はいつでも混んでおり、スタッフの愛想は相変わらずないが、鶏肉は美味い。中国人の一人旅の男女が、大量のガイヤーンとソムタムを注文してひらすら食べているのが愛くるしい。私はガイヤーンハーフで腹パンパン、もう若くはない。

特に体調が悪い訳でもないが、何となくしっくりこない。こんな時は八番らーめんに限ると、夕方MAYAまで出掛けた。この店のスタッフも愛想はなく、淡々と仕事をしている感じが良く出ている。現地化するとはこういうことかもしれない。五目ラーメンは優しい味で沁みる。

翌日は晴れたので、まずは洗濯物を干してから、また外へ出ていく。昼ごはんに和食を食べようと、いつも行くキッチンへ。ここの弁当はいつでも優しい。そして昨年無くなると書かれていた、カレー無料サービスは復活していたが、また今月で無くなるらしい。昨年より10バーツ上がったかもしれないが、これで180バーツは素晴らしい。

いよいよ明日から雲南へ行くので、色々と準備をして過ごす。気温はチェンマイより低いらしく、更には高地へも向かうのでそれなりの服装も必要だ。同時に日本女子オープンゴルフを見ながら過ごす。NHKは10月からNHK+を辞めて、NHK Oneという取り組みになったが、初日には登録が出来ずに焦った。これはNHK側の完全なミスだと思うのだが、なんと登録していなくても、配信が見られることを後になってしまったので思わず、「受信料返せ」とどこかの党のように叫びたくなる。

そんな思いをしていたら、少し腹が減ったので、今日まで行っていなかった麵屋に行ってみる。ここも安定の旨さでかつ夕方以降も開いているのが有難い。明日のフライトのチェックインも済ませて、確認事項もチェックしたので、まあ何とかなるのではないか。でも中国は国慶節の大型連休中、さてどうなるだろうか。

チェンマイ滞在記2025その1(3)洪水の気配を感じながら

9月27日(土)‐28日(日)洪水の気配が

夜中に雷が鳴り、かなり強く雨が降っていた。朝起きて外を見たら道路が少し濡れている程度でホッとした。だが外を歩いていると、一部道路に水が溢れており、昨年の再現かと緊張する。折角なのでターニン市場の方まで歩いてみたが、さすがに水が出ているところはなかった。それでもまた雨が降れば分からない。

いつも行く華人系食堂で、ワンタンメン+カリカリ豚、スープなし麺を食べる。これが何とも美味しくて嬉しい。恐らく潮州系華人が作る麺だが、彼らは既に中国語を介さず、簡単な英語でオーダーだけをする間柄だ。宿に戻ってから陸上の実業団選手権を見る。1週間前世界陸上に出た選手も結構いた。彼らは企業に雇われており、疲れていても会社のために頑張らなければならない立場なのだろう。ちょっと過酷だ。

午後もまた雨の気配があり、近所の食堂へ行く。ここは白人さんの利用が多く、スタッフも英語が出来たりする。テイクアウトして部屋で食べる人たちも多いらしい。私はここでなぜかタイなのにバインミーを注文する。そこにはフィレオフィッシュにタルタルソースがかかっており、何とも旨いのだ。マックのようには安くないので偶にしか食べられないが、なぜこんなメニューがあるのだろうか。

翌朝は麺が食べたくなり、昔行った雲南回族経営の麵屋へ。相変わらずヒジャブーを被った女性が麺を作っており、ここもまた50バーツシリーズの幸せを噛みしめる。特にスープが美味い。帰りに昨日水が出ていた道を確認したが、全く水はなかった。これで安心なのだろうか。

昼に約束があり、実に久しぶりにソンテウに乗ってターペー門へ出た。観光客が相変わらず写真を撮っているが、その数は多くはない。まだ雨季は終わっていないということだろうか。門からほど近い指定場所を探していくと、何と隠れ家的な中国食堂が現れる。タイのいい雰囲気の木造住宅。

オーナーは上海人、奥さんは山東人だと言い、コロナの頃にチェンマイに移住してきた。シェフは香港人らしく、メニューも広東系及び潮州・客家系料理が並んでいる。待ち合わせたSさんも初めて来たらしく、彼はタイ語で、私は華語で話すので話がごちゃごちゃになっていく。出てきた鶏が美味い。あの茶わん蒸しの親玉のような食べ物も登場した。

奥さんはワインや日本酒を勉強しているらしく、日本から買ってきた本まで持っている。オーナーはIT系と言っていたから、最近のこだわり夫婦なのだろう。彼女はお茶も好きだと言い、東方美人など彼女セレクトのお茶を振舞ってくれた。最近はこんな中国人がチェンマイに居るのかと感心する。

食事が終わると、一応ピン川まで歩き、水位を確認した。昨年の同じ時期に同じ場所で見た光景を考えると、今年は何とか持ちこたえるのではないか、という希望的観測が浮かんでくる。周囲に水の気配もなく、皆通常営業だった。帰りはターペーロードを歩いていたが、疲れたので車を呼んで帰る。夕飯は近所でジョークを食べて休む。少し疲れが出る時期だな。

9月30日(火)山岳民族博物館へ

あっと言う間に9月も終わりだ。早い。何だかチェンマイに来て1週間、生活が単調になっているので、今朝は全く違う道を歩いてみる。20分以上歩いていたら、昨年も見かけた点心の店が見えたので、思い切って入ってみる。メニューは小さな紙きれで、そこにタイ語と漢字が書かれているが、正直小さすぎて読めない。一生懸命見ていたら、オーナーが英語で「こちらで見て」と、点心が置かれた冷蔵庫を指す。確かにこれがいい。

焼売などいくつかの点心と粥などを頼んでみる。思っていたより美味しい。ただ頼み過ぎて、朝ご飯としては破格の代金となる。オーナーは元々バンコクの客家で、数年前に心機一転チェンマイに移住して店を始めたという。もとの職業がツアーガイドということで英語はかなり上手い。

チェンマイ滞在記2025その1(2)久しぶりの幸せな食べ物たち

9月24日(水)久しぶりのチェンマイ料理

当然朝は早く起きて、パンなどをかじって茶を飲んだ。その内外へ出たくなり、行きつけの店でカオマンガイを食べる。これがまた美味い。そして50バーツ。これからは50バーツの幸せシリーズを作って行こうかな。天気は悪くないが、時折スコールが来る。そして昨年も気になっていた洪水が迫っていたが、私の地域では何も感じられない。

昼はMAYAへ買い物に行く。スマホケースが壊れたので買う。昨年チェンマイを離れる際、スマホがフリーズして難儀していたのを救ってくれたのはここのスタッフだったが、誰かもわからない。感謝しかない。フードコートで豚足麺を食べる。これもなかなかいい。フードコートの前は遊戯施設が出来ており、ちょっと変化を感じる。ついでに壊れたスーツケースも買ってしまった。昨年も買ったのでおじさんを覚えており、懐かしい。

午後はお休みして、夕方また出掛ける。ここもいつも行く食堂で、イカ炒めを食べたが、何だかいま一つだった。炒飯は普通だったのに、なぜだろうか。そういえばこの食堂はオープンスペースなので、常に蚊に食われる。だから長ズボンを履いて来るのを常にしていたが、1年のブランクで忘れていた。痒い。

9月25日(木)‐26日(金)特に予定のない日々

朝またパンを買いに行く。ただ戻るのもしゃくなのでターニン市場まで歩いて、牛筋麺を頂く。本当に大鍋の煮込みが良く、癖が無く、旨い。ここも50バーツの幸せシリーズに入る。部屋に戻って時を待つ。今日は台湾の統一発表の当選番号が出る日。いつか当たるのではないかと期待するが、今回も外れた。私が過去に当たったのは200元が一度きりだ。

夕方、今度はガチ四川料理屋へ行く。そこで回鍋肉を頼んだのだが、どう見ても回鍋肉には見えない。むしろ東北あたりのジャガイモの煮込み風だ。日本ではなぜキャベツが入っていて、四川にはないのか、どころの騒ぎではない。やはりその土地の食材を使って美味しく作るのが中国料理だろうか。まあでも美味しいので白米を掻き込んで満足する。

翌朝ごみを捨てようとゴミ袋を持って階段のところへ行ったがゴミ箱が無い。よく見ると張り紙があり、「ゴミは1階のゴミ箱へ」となっているではないか。これまで各階に設置されていたゴミ箱を1階に集約した模様。ちょっと不便になったが、まあこの程度なら許容範囲か。ついでに別の張り紙には「大麻禁止」と書かれている。数年前の大麻合法化で町中に大麻ショップが乱立したチェンマイでも、昨今の情勢下、ついに取り締まりが厳しくなったようだ。

昼飯はやはり夢にまで見たカオカーモックを食べる。ミャンマーではダンバウ。ドライチキンカレー、といったところだろうか。いつも行く店はいつも混んでいる。やはり美味しいのだ。昨年までは大盛りを頼んでいたが、今回から普通盛りにすると、何と40バーツで食べられるからすごい。これ日本で食べたらいくらするのだろう。幸せの50バーツシリーズを下回る(幸せは更に上回る)コスパ最強飯。

夕方また腹が減ったので外へ出た。ランチが普通盛りだったから小腹が空いた。タイはちょっと空腹になれば、すぐに軽く食べる文化だから有り難い。近所に新しい店が出来ており、意外とお客がいるので入ってみた。メニューを見ると食べたい物が並んでおり、しかも確かに安い。特に野菜たっぷりのスープが50バーツは安い。これにカリカリ豚炒飯で100バーツ、しかも家から近いのは何とも有難い。尚タイは1年ぶりでタイ語も覚えておらず、カリカリ豚を入れて貰うのにかなり説明に苦労した。

チェンマイ滞在記2025その1(1)今年もチェンマイ滞在

《チェンマイ滞在記2025(1)》  2025年9月23日‐10月2日

チェンマイに滞在も3年目を迎えた。茶の歴史の方はそろそろ成果を出さないといけない。いや、それほど多くの茶歴史はないだろうから、この辺でケリを付けないといけない。今回は雲南やネパール行きもあるので、違った楽しみが見込めるだろうか。

9月23日(火)バンコク経由でチェンマイへ

世界陸上を見終わって、ゆっくり寝た。翌日の夕飯を食べた後、最後の準備をして家を出た。夜の羽田空港に行くのは2年前のベトナム行き以来だろうか。空港には3時間以上前に到着したが、既にタイ航空のカウンターは開いており、スムーズにチェックインできた。何とも有難いサービスだ。午後9時過ぎ、税関検査も簡単だった。後はタラタラ過ごす。

午前0時過ぎのフライト。昔はタイ人で満席だったかもしれないが、今は結構空いていて、3列席の真ん中は空いていて楽ちんだ。取り敢えず離陸するとパンと飲み物だけ配られ、すぐに暗くなるのは良いが、何故か眠れない。以前は簡単に眠りに就いたのに、どうしたのだろうか。仕方なく、邦画を2本も見てしまう。ちょっとウトウトしていたらタイ時間午前3時に朝食が運ばれてくる。そして午前4時過ぎには空港に着いてしまう。

今回は初めてバンコクスルーチェンマイというTGを使ってみた。大体東京方面からチェンマイに来る人はこの路線を使うのだが、私は乗ったことが無かったので、確認の意味も込めて利用してみた訳だ。午前5時前のほぼ無人の空港を彷徨い、かなりの距離を歩いて、トランジットカウンターまでやってくる。途中でシムカードを買ったが、何だか頭がボーっとして高い買い物をしたようだ。

そこに入国審査があるのだが、私以外誰もいない。係官がデジタル入国カードやったか、という感じの仕草をしたので、問題ないと首を縦に振ると、笑顔で入国スタンプが押される。今も60日間ノービザは有難い。やはり観光客は減っているのだろうか。中国人が減っているのが痛いのだろう。そして国内線ロビーに入っていくと、国際線より人がいる。午前6時台に出るフライトに乗る人たちがいた。

実はバンコクスルーチェンマイの場合、午前8時頃のフライトに乗り、チェンマイに9時台に着くのが普通だが、私は入居するアパートの管理人が来ないので、そんなに早く行っても仕方なく、午前10時のフライトに乗るので、大幅に時間が余る。まあ8時のフライトでも2時間半は余裕があるので、本来はこれが良いと理解した。

午前11時半頃、チェンマイに到着した。機内でもサンドイッチが出たので、腹は問題ない。だが昨年もスーツケースが空港で壊れて困ったが、何と今年もまた壊れた。バッゲージは羽田からスルーだったが、まあ元から壊れかかっていたので航空会社にクレームすることはしなかった。

車を呼ぶとすぐに来た。空港から僅か10分でアパートに着いた。だが11時には来るはずの管理人の姿は見えない。電話しても鳴るのは目の前のオフィスの電話。さあ、どうする、やはりタイらしいスタートか、と思ったら、彼らが車でやってきて、すぐに手続きが始まり、入居を完了した。

行きつけのパン屋まで歩き、パンを買い、スーパーでトイレットペーパーを買った。その辺にある麵屋でクイッティアオを食べると旨い。これで50バーツは素晴らしい。更にカットフルーツを買い、最後に水などドリンクをゲットして部屋に帰る。まだ何となく暑いが、東京よりはやはり涼しい。夕方には眠気に襲われ、そのまま寝込んで翌朝を迎えた。

福島の旅2025(5)西那須野でお屋敷を回る

何が食べたいか聞かれたので「地元の人が普通に食べている物」とリクエストしていたところ、何と彼の行きつけのスナックのママが、サンマ塩焼きなどのご飯を作ってくれていた。これはこれでかなりの驚きであり、しかも二人とも酒も飲まずにずっと昔話をして話し込んでいる。その内お客さんが来てカラオケを歌い出すと、Mは政治の話などを始めて、我々は益々世俗と離れていく。結局5時間近くも話して車で送ってもらい、宿に戻ったのは10時頃だった。

9月6日(土)西那須野でお屋敷を回る

朝はさわやかに目覚める。やはり古い知り合いと話していると、話題はどうあれ、なんだか楽しい。朝飯は宿に付いていたので食べてみる。この宿1泊4000円ぐらいなので期待していなかったが、ちゃんとしたご飯が出てきてビックリ。カレーまで食べてしまい、満腹となる。

爽やかな朝、迎えが来るまで時間があったので、駅の向こう側にある大山公園付近を散策する。4年前に来た時は、大山巌、捨松について調べていて行ってみたが、今回はただの散歩。この付近には乃木希典も滞在しており、那須の御用邸もあって、実はここは明治の有名人の別荘などが多くある。

Mにお願いして、その明治の有名人たちの足跡を追うことにした。彼はずっとここに住んでいるが、それほど詳しくはないという。まずは那須野が原博物館へ向かう。ここには那須疎水の跡が見られ、先日の安積疎水との関連に思いを馳せる。因みに日本三大疎水はこの2つと琵琶湖らしい。館内には那須の歴史が展示されており、小学生の時に習う矢板武などの懐かしい名が出てくる(因みに私が栃木に転校したのは小学校高学年なので栃木の歴史は学んだことがない)。

次に千本松牧場へ行く。天気の良い週末、家族連れなどで賑わっていたが、私の目当ては松方別邸。松方正義の別荘が残っているとのことだったが、何と松方邸はこの牧場からは見えず?現在は見学不可になっているとのことで、残念ながら通り過ぎてしまう。日露戦争時に皇太子(後の大正天皇)が滞在中に、遼陽会戦に勝利して万歳したことから、萬歳閣とも呼ばれているという。

そして明治の森記念館へ。ここは明治の外交官、青木周蔵の別荘が残っていた。きちんとした見学ができ、かなり詳細な展示物があり、勉強になる。青木はドイツ一辺倒の外交官、と書かれているのが面白い。娘もドイツ人と結婚、子孫には外交官になって活躍した人もいるが、あまり世に知られる存在ではないだろう。

昼前に板室へ行く。ここは湯治場として知られる場所で、温泉宿が何軒か見られたが、今やかなり寂しい。勿論夏の暑い中、わざわざ湯治に来る人などいないだろうから、今はオフシーズンだとは思うのだが、それにしても人が歩いていない。それでも人気のそば屋があり、そこだけ車が停まっていた。我々もそこへ駆け込み、炊き込みご飯とそばを頂く。旨い。

午後は矢板の方へ向かい、田んぼと山に囲まれた田舎にある、山形有朋記念館へ行く。こんなところに人が来るのかという場所だが、雰囲気のいい洋館が見える。内部もかなり古いが、いい展示も沢山ある。この建物は小田原の別荘をここに移築したらしい。ただ内部の写真撮影禁止なのは残念だ。更に入場料が700円は高いと思っていると、管理人さんがコーヒーをご馳走してくれ、「市の補助などが無いので」と説明してくれる。まあ色々あって運営は大変だろう。

そこから40分ほどでJR宇都宮駅まで送ってもらった。今回Mには大変お世話になってしまった。何とも有難い。ここから湘南新宿ラインで2時間ちょっと行くと新宿まで行ける。新幹線に乗るには大宮か東京駅まで行かなければならないので、コスパを考えてもこの路線が一番合理的だ。またいつかこんなフラフラ旅をしよう。

福島の旅2025(4)福島から西那須野へ

仕方なく次の電車で福島まで戻る。駅に立ち食いそば屋があったので入ってみたが、何だかちょっと?外では手ごろな弁当などを売っていたが、中で天丼セットを注文した。量が多く、料金もそれなりだが、少し味気なかった。立ち食いとは書いてあったが、一種のファーストフードのような店だった。

午後は疲れてしまい、休息を取ることにした。最近は数日ずっと歩き続ける体力が無くなっていたので、仕方がない。夜は検索してやはり東口にある定食屋を訪れたが、お目当てのホルモン定食はなく、残念。まあ代わりに食べたロース味噌定食がまあまあでよかったが、ワンオペ店でせわしない。味噌汁が福島で初めてしょっぱいと感じられた。

9月5日(金)西那須野へ

台風接近の予報が出ていたが、上陸したのは四国か関西方面でこんな遠くにまでさすがに影響はなかった。最近のテレビの天気予報は騒ぎ過ぎではないか。それでも朝方は少し雨が降っており、道路が濡れている。福島では朝ラーメンを食べると検索で出たので行ってみることにしたが、雨が止むのを待っていたら、昼前になってしまった。駅東口近くのラーメン屋へ行くと午前11時でかなりお客さんがいた。ラーメン炒飯セットを注文する。ラーメンには大きな肉が入っており、スープは優しい。炒飯は町中華の味で美味しかった。

ランチ終了後時間が余ったので、バスに乗って古関裕而記念館に行く。ところがバス停でどのバスに乗ってよいか全く分からず、地元の親切な人の手助けで何とか乗れた。バスは岩谷観音の方へ向かうというので、まずはそちらへ行ってみた。だがかなり急な階段を上らねばならず、しかも階段は雨で濡れており、最近膝が痛い私には断念するしかなかった。

古関裕而記念館へ向かおうとスマホで位置を検索したが、何とスマホが動かない。いや地図アプリが開けない。こんなところでスマホが使えなくなると非常に困る。まごまごしている内に、何とか記念館にやってきたが、バス停の場所も気になってしまい、とにかくバスで福島駅へ戻る選択をして、見学を諦めた。バスはかなりの本数があり、思ったより早く駅に戻れたので見学すればよかったと後悔。しかも駅に来るとスマホは完全に回復しており、何だったのかと理解に苦しむ。

午後は福島から先日来た路線を戻り、西那須野に向かった。2日前は郡山で下車してから福島へ向かったが、今日の電車は新白河行きで郡山で乗り換える必要はなかった。が、実際は郡山で結構な時間停まっているだけで、乗り換えても変わらなかった。本当は新白河で降りて、白河城でも見ようかと思っていたが、コインロッカーもないようだったので、そのまま黒磯行きに乗り換える。

西那須野駅に来るのは4年ぶりだが、何となく変わっていた。2階の改札に人影はなく、切符を持っていてもそのまま出られてしまった。歩道橋を越えるとそこに予約したホテルがあり、とても便利だった。ただこのホテル、かなり年季が入っており、テレビを点けても点かない。それでもフロントに伝えるとちゃんと直してくれて親切。何だか田舎の有り難たみを感じる。

午後5時半には45年来の旧友Mが迎えに来てくれた。彼とも4年ぶりに会う。前回は彼が当時勤めていた病院の脇のホテルに泊まったが、今回は駅近くで彼の家も近いので良いと思ったのに、「俺も酒は飲まない」と言って車を運転する。結局病院からほど近い住宅街に車は入っていく。