5月21日(水)上海散策
爽やかな朝、外へ出る。まずは朝ご飯を探す。この付近、庶民的な店は減っているようだ。何とか食堂に入り、葱油拌麺と湯包を注文。実にシンプルだがこういう朝が欲しかった。静けさの中で麺を食すのは良い。食後は散策。孫中山故居を探しながら、何とも雰囲気の良い昔の風景を垣間見て歩く。あれだけ発展した上海の中に、38年前を思い出せる場がまだあることに少し感動する。更には錦江飯店の敷地内を散策し、多くの面影を確認して脳が喜んでいた。若き日の思い出は老いてこのように蘇るのかとびっくりした。




昼前に宿を出て車を呼んで宿を移る。移らなくてもよかったのだが、何となく散財しないようにという自制と、洗濯したいという衝動が、宿の予約サイトに繋がった。その宿は定宿チェーン店なのだが、どう見ても設備が古びていて、色々と問題がありそう。部屋に至っては何と窓が無く、久しぶりの安宿空間だった。ただ窓がない部屋は嫌いではないので一晩泊まろうと決意を固めるも、何とネットが全く繋がらない。

仕方なくフロントに伝えると、さすがに窓のある部屋に変えてくれた。そんなに安くない部屋に結構な料金を払うことには抵抗があった。ただスタッフたちはその辺の弱点がよく分かっており、非常に臨機応変に対応してくれた。洗濯も結局洗濯して畳んでおいてくれて助かった。

昼ごはんを食べようと麵屋に向かって歩いて行くと、なんとクラシック音楽などが聞こえてくる。優雅な雰囲気で、しかもレトロな建物がずらっと並んでいるので嬉しい。杭州で味をしめ、爆醤猪肝腰花麺を頂く。これは本当に私に合った濃厚な味で、しかも内臓系が驚くほど旨い。


午後は交通大学へ行ってみた。なぜ行こうと思ったのは分からないが、昨日の華東師範と脳の関連ではないだろうか。やはり38年ぶりだが、ここの記憶自体は殆どないので、懐かしさは乏しい。郊外の復旦大学から見えれば、都会だったとの記憶だけがある。歴史も復旦とほぼ同じで、それなりの建物も残っている。外へ出て道を渡ると、そこに李鴻章祠があるとあったので行ってみたが、何と復旦公学の古い門が建っていた。母校は今年120周年を迎えると再認識した。


宋慶齢故居に向かって歩いていたら、何やら交差点付近に人が集まっており、皆が上を向いて写真を撮っている。武康大楼というY字路に立つ100年前の建物。なぜ人はY字路に立つ建築物に魅せられるのだろう、などと思ってしまう。所謂インスタ映えスポットらしい。結局故居の方は通り過ぎ、その先の駅から地下鉄に乗り、宿へ戻る。夜もまた飽きずに大腸拌麺を食べて大満足。



5月22日(木)東京へ
ついに最終日の朝。この宿には朝飯があるのだが、一階の狭い空間で食べるのは気分の良いものではなく、すぐに退散して外へ出た。何となく静安寺の方へ向けて一駅歩いてみる。地図を見ると静安寺の横に愚園路という道があるのが気なる。なぜ愚園という名称なのか知りたく、歩いてみるもほぼ分からず。ただ何となくいい雰囲気の横丁などが多く、感じはいい。


暑くなってきたので静安寺から一駅地下鉄に乗り、昨日音楽が流れた道の更に南を行く。ここに白公館と呼ばれる古い建物があったが、予想通り閉鎖中で立ち入りは出来なかった。ちょっと横に回り、何となく立派な建物の横側を撮る。ここは国民党の重鎮、一時は蒋介石の右腕とも言われた白崇禧将軍の邸宅だったようだ。白崇禧は結局台湾に渡り、不遇のうちに亡くなった。お墓は台北郊外の回族墓地に立派なのが建っている。


宿に戻り、チェックアウトして浦東空港に向かい、地下鉄に乗る。既に駅にも慣れていて、入り口やエレベーターの場所も把握しており、スムーズに乗れた。一度乗り換え、2号線でひたすら向かったが、途中駅で一度終点を迎え、更に乗り継いでいく。1時間半近くかかるが、料金は7元というのが良い。今回の2週間の旅を回顧しながら進む。

空港では搭乗ゲートが遠く、いつの間にか出来たシャトルに乗るのに戸惑うが、まあ許容範囲か。フライトはそれほど混んではいないが、なぜか私の列は3人座っており、ちょっと窮屈。まあ3時間もかからないので良しとする。でもエアチャイナには珍しく、機内食は軽食だった。


成田に着くとちょっと風があり涼しく感じられた。前回同様京成線を八幡で降り、都営線に乗り継ぐ途中、日高屋に寄りタンメンと半チャーハンを食べて〆る。これが恒例となるとは?まあ美味しければよいか。揚州炒飯を食べに行き、日高屋炒飯で終わる旅、美食家的にはないだろうな。
