北京及び遼寧茶旅2019(3)秦皇島で、壊れる?!

12月14日(土)
秦皇島へ

今朝はゆっくりと起きて、ゆっくりと朝食を食べて、一行と別れ、北京駅へ向かった。チケットは持っているので悠々と駅舎に入る。本日向かう秦皇島行きの列車は1階の古い改札口から出るらしい。レトロ感満載。久しぶりに、昔の北京駅を思い出させる場所に来た感じだ。まだこんな場所が残っていたとは。改札も自動ではなく、係員が切符を切っている。

 

北京発の列車はどんな時でも混んでいると思う。常に満員、やはり人が多いのだ。列車は冬枯れの田畑を縫って走る。何となく北に向かう感じが出ている。約2時間半の道のり、淡々と過ぎていく。秦皇島駅に着くとそのまま地下からタクシーに乗り、予約している宿へ直行した。

 

ちょうど宿の部屋に入ると、女子サッカー東アジア選手権、日本対中国の中継があったので、取り敢えずそれを見た。日本は日テレベレーザのメンバー中心に、上手い試合運びで勝利した。サッカーでは男女とも日本が中国を上回っている現状が続いているが、中国女子は確実に力を盛り返してきているので要注意だ。

 

実は先日北京のホテルで応急修理したスーツケース、残念ながらまた同じ場所が壊れてしまった。今回は修理不能と診断され、新しいのを買わなければならない羽目になる。こんな時は、いくら1年間の保証がついていても、何の役にも立たないことを知る。壊れた物を運ぶこともできないし、旅は継続しなければならい。何とこのホテルには独自ブランドのケースが売っており、サイズもぴったりだったので、思い切ってそれを買う。

 

そして溜まった洗濯物を洗濯機に突っ込んで、街に出た。既に暗くなっており、観光地巡りもできないので、少し早いが夕飯を探す。近所には食堂が少なかったが、麵屋を見つけて入ってみた。ここで出た麺、いわゆる日本の中華そばによく似ており、あっさりしたしょうゆ味だ。こういうものを食べると、戦後引き揚げてきた人が日本でこのようなラーメンを作ったのではないか、と勝手に想像してしまう。

 

部屋に帰ると、今度は卓球が始まっている。水谷/伊藤の混合ダブルス。決勝の相手は許/劉の中国最強コンビ。初めに2ゲーム取ったが逆転負け。中国選手を追い詰めるが、最後に躱されてしまうの、何とかならないのだろうか。これが中国の底力さ、といつまで言っていても始まらない。

 

洗濯物の乾燥が終わった頃、今度は女子シングル準決勝、陳夢と伊藤の試合が始まる。陳は伊藤対策が万全で、やはり届かなかった。中国女子の層は極めて厚い。若手はこの大会で決勝に進んでも、オリンピック代表に手が届かない。日本のマスコミは取り敢えず『金メダル候補』をやたらに持ち上げるが、本当にメダルが取れる選手は簡単に負けないはずだ。

 

すると今後はバドミント女子シングルが始まり、山口茜と陳雨非が対戦した。この日の陳はいつもより動きがよく、期待の山口も疲れが出たのか、最後は力尽きて破れてしまう。バドでは中国が圧倒的に強いという状況はなく、女子シングルは日本の2人、タイ、台湾、インド、スペインが優勝候補。その中で中国も少し盛り返しているのが不気味である。

 

12月15日(日)
秦皇島と山海関

翌朝はゆっくりと宿の朝食を食べてから、外へ出た。秦皇島に特に用事はなかったが、初めて来たので、河北の守り山海関と秦の始皇帝所縁の秦皇島港は見てみたいと思っていた。まずは宿を出ると公園があったので覗いてみる。そこには石碑が建っており、1893年に中国初の通常軌道鉄道が開通したとある。ここの位置付けは当時一体どんなものだったのだろうか。

 

山海関へ行こうと思い、スマホでバスを検索して、バス停に行くとちょうどその番号がやってきたので慌てて乗り込む。ところが発車して少しすると、どうやら逆向きに乗ってしまったことが分かる。バスは市内中心部へ入ったので、仕方なくそのまま乗って行き、途中でバスを乗り換えて、秦皇島港へ向かうルートに変更した。

 

港が見え、鉄道まで敷設されているのをみたところでバスを降りた。そしてここからどう進もうかとスマホを取り出すと、なぜか突然画面が真っ暗になってしまった。再起動しても動かない。こんなところでスマホが壊れるとは、と愕然となる。しかし時刻はまだ朝9時台であり、スマホ修理屋も閉まっているだろう。取り敢えずここ辺の見学はスマホなしで行けるだろうと思い、歩き始めた。

北京及び遼寧茶旅2019(2)久しぶりに

12月12日(木)
久しぶりに

今日は休養日だった。一行はこの寒いのに、万里の長城と故宮観光に出かけていく。周囲からは『凍え死なないように』などと冷やかしの声が掛かるが、皆意気揚々と出掛けていく。今日は氷点下ではないようだ。後で聞いてみると、長城は風がなく、スカイブルーで楽しかったらしい。私は一行と別れて、一人で行動することにしていたので、寒さは気にならない。

 

まずは地下鉄で北京駅へ行き、明後日北京を離れる際の列車の切符を手に入れる。予約はスマホだが、窓口の混み具合が分からないため、事前に取りに来た。15分程度で受け取れたので良かった。それからまた地下鉄に乗ったが、すぐに前門駅で降りてしまい、その付近を何ということもなく歩き回った。老舎茶館など懐かしい建物がある。この辺りは名もなき古い建物が多く保存されている。

 

そのままずっと歩いて行くと、いつの間にか瑠璃廠まで来てしまった。昔はアテンドでよく来たものだが、今や観光客を含め、歩いている人もほとんどいない。骨董や文具などを買う人もいなくなったのだろうか。そこから更に西単まで行き、いつもの図書城で、お茶関係の本を数冊購入する。

 

なぜか地下鉄を建国門で降り、22日の帰国前日に泊まる予定の宿の場所を確認した。ずっと食事をしないで歩き疲れていたので、ここで麵屋に入った。すると出てきた伝統麺というのが、カレー味で驚いた。回族系の経営だろうか。これが意外とうまく、『最近はご馳走ばかりだったけど、こういうのが食べたかった』と思わずつぶやく。

 

一旦ホテルに帰り休息。実は現在韓国で卓球のグランドファイナルが行われており、CCTVで見ることが出来た。女子ダブルス準々決勝には、平野/芝田組と若い長崎/木原組が登場。勢いのある長崎/木原は見事に準決勝に進んだ。中国は一組しか準々決勝に進んでおらず、中国の弱点はダブルスか、と思わせる。

 

夕方、亮馬橋まで地下鉄で行き、懐かしい三全公寓へ向かう。ここは20年前近所にオフィスがあり、よくランチに来た場所で、その和食屋で故邱永漢氏に出会ったりしたのを思い出す。ここには現在知り合いのTさんの和食屋があり、今日は実に久しぶりに彼と再会すべく訪ねた。

 

5年ぶりに会ったTさんは今日本及びアジアを駆け巡っており、北京にいることは少ないらしく、ちょうど良いタイミングだった。体調が悪い中、カッピングをして、無理して出てきてくれた。何とも有り難い。彼との話は尽きることはなく、開店から閉店まで話し続けてしまった。ご飯もウナギをご馳走になり、とても美味しく頂いた。帰りにトイレに行こうとすると全て電気は消されており、スマホの光で見送られた。

 

12月13日(金)
講座で

中国でも近年クリスマスムードは高まっている。今日はクリスマスツリーも用意され、クリスマスバザーが行われているショッピングモールで演奏が行われた。先日よりも更に人が多く、興味を持って聞き入る人の数も増えていた。人が増えると、演奏者もノッテ来て相乗効果がある。

 

演奏が終わるとすぐに公寓に移動した。午後はここの茶室でお話会がある。ランチはここの1階で取る。この公寓に住んでいる日本人向けに1時間ほど簡単なお茶の話をすることになっていた。ここの住人の3割が日本人だという。折角なので、日本茶と中国の繋がりを説明してみるが、内容的にはどうだったろうか。

 

1時間ほど経つと、下の階から音楽が聞こえてくる。何と今回は茶とジャズのコラボとして、1階でジャズの演奏が行われたのだ。こちらは言葉の問題がないので、日本人以外にもたくさんの参加者があり、子供たちも興味津々で聞き入っている。やはり音楽というものはいいものだ、と実感する。

 

夜はショッピングモール内の杭州料理を頂く。店内の様子が実にユニークで興味をそそられる。そして出てくる料理もビジュアル的に良い。いわゆるインスタ映えを狙っている。ここで今回参加したインド系アメリカ人と南アフリカ人の女性と楽しく話をしながら食べた。彼女らはいずれも医学部の博士課程に在籍しており、趣味でジャズバンドに参加していた。まさに多才ということだろう。

 

部屋に帰ると再び卓球。女子準々決勝で伊藤美誠対佐藤瞳の日本人対決があった。佐藤は中国の丁寧を破って上がってきたが、やはり伊藤には敵わない。CCTVの放送でも、日本チームでマークすべきは伊藤のみといった印象で、かなり詳しく彼女について放送していた。更に広州で開催されているバドミントンのグランドファイナルも見る。日本の有力選手が順当に勝ち上がっていた。

北京及び遼寧茶旅2019(1)北京にて

《北京及び遼寧茶旅2019》  2019年12月10日-22日

10月Hさんに誘われて北京に行った。それはイベント準備の手伝いだったが、そのイベント本番が12月にあり、そこにもお呼ばれした。一行は香港から北京入りするのだが、私だけ東京から向かった。更にイベント後は秦皇島、営口、瀋陽などを回る予定を立て、2年連続極寒の東北へ向かった。

 

12月10日(火)
北京へ

昨晩名古屋から戻り、荷物をまとめた。東京が寒いと言っても10度以下という程度だが、北京更には瀋陽となると、氷点下10度台は覚悟しなければならない。しかし荷物が多いのも動きにくいので、少し悩む。北京の天気予報は零度前後で温かいようで、東京も昼間は10度以上あったので、余り厚着をせずに出た。

 

空港もそれほど混んでおらず、スムーズだった。エアチャイナの食事は和のテーストでまあまあだった。北京空港に着くと、飛行機を降りたゲートの所にホテルの人が待っていた。今回はまさに特別待遇、ホテルカーで送ってもらえたのだが、まさか飛行機を降りたところから先導が始まるとは思ってもいなかった。またこのようなサービスがあることも知らなかった。そして空港の外へ出ると、車が待っており乗り込んだ。

 

さすがに渋滞があり、1時間半ほどかかってホテルに到着する。香港から来たHさん一行は団体だったこともあり、かなり予定より遅れて到着していた。ホテルに入る時、スーツケースをボーイが持ってくれたのだが、何と取っ手が壊れてしまった。バンコックで買ってわずか半年のイタリア製。壊れるにしてもちょっと早過ぎだろう。直ぐに専門の人が派遣され、修理が行われた。この辺は五つ星ホテル、手際が良い。

 

既に夜7時を過ぎており、レストランへ行くと、明日のイベントのためのミーティングを兼ねて夕食が始まる。私は立派な海南チキンライスを食べる。主催者はかなり緊張しており、色々と細かい心配をする。普段は大雑把に見える中国人だが、オーナー絡みの大イベントとなると話は俄然違ってくる。

 

その後、一行はホテルのバーに移動して、練習を兼ねてスタンダードジャズを演奏した。これが思っていたよりもずっと上手で驚く。特にインド系女性のクラリネットは目を引いていた。思わず体を揺すって聞き入ってしまった。バーの客も突然現れたバンドに拍手を送っている。自分の好きな曲をリクエストする輩まで出てきて、盛況に終わる。

 

12月11日(水)
イベントにて

翌朝朝ご飯を食べに行ったが、メンバーは誰もいなかった。若者が多く、遅くまで起きていたらしい。私はショッピングモールの茶荘へ行って茶を飲み、それからモール中心部へ向かった。そこでは昼の準備が進んでいた。ここでもジャズの練習会が行われる。折角だからと、モールに一番人が集まるランチタイムに行われた。ジャズをあまり知らない私でも知っている名曲が次々に流れ、思った以上に中国人が足を止め、聞き入っている姿があった。中には子供と踊り出すおじさんまでいた。如何にもジャズが好きなんだと思われる若者もいた。

 

昼ご飯を食べたら、すぐにイベント準備となる。今日は香港の某企業の開業50周年記念パーティーがあり、そのレセプション時に、またジャズが流れることになっていた。初めはちょっとしたパーティーかと思っていたのだが、ふたを開けてみると500人を超える参加者があり、ボールルームは大盛況。その中で、約2時間に渡り、お客さんを迎える演奏をしたバンドはエライ。というか、休みなしでこんなに長く演奏できるなんて、何ともすごいスパルタ練習会だった。

 

パーティーにも参加させてもらったが、ご馳走がどんどん出てくるが、従業員や子供たちの合唱などもあり、企業オーナーの人となり、そして企業の歩みが分かり、とても興味が沸く。ここには中国各地の企業スタッフ・関係者が多く集まってきており、82歳のオーナーは2時間余り殆ど立ったまま、一緒に記念写真を撮ったり、挨拶を受けている。この年齢でこの対応は正直凄い。経営者とは大変なのだ、きっと。

 

更には二次会もあるというので、昨晩のバーへ行ってみると、既にオーナーや親族が奥に座っていた。そこへ大勢の人々が引っ切り無しに訪れて、再度お祝いを述べ、何やら話をしている。我々は特に用事はなかったので、すぐに退散して部屋で、ふろに入り、大いにくつろいだ。

名古屋茶講座の旅2019(2)名古屋三昧

今日は午前中、『鉄観音茶の歴史』を話した。名古屋も熱心な方が多い。参加者の中で、珍しい鉄観音茶を持ってきてくれた人がいた。パッケージは中国福建の鉄観音だが、台北の恵美寿の文字があり、それを大阪の茶商が輸入して日本で販売されていた。ああ、これが台湾で聞いた大陸鉄観音茶だ、と分かってとても面白い。

 

お昼はTさんがご飯を作ってくれ、それをご馳走になる。Tさんの料理は常に美味しいので、食べ過ぎてしまい、眠気も出て、午後の講座に支障が出る。午前と午後に2時間合間があるので、数人で雑談会も開催する。皆さん、色々と茶の歴史に関する疑問を持っているので、質問もなかなか難しい。

 

午後は本邦初公開の『東台湾茶の歴史』を話す。これは今年1月に訪ねた宜蘭、花蓮、台東の茶旅を中心に、これまでに歩いて調べた東側の台湾について報告した。今では蜜香紅茶や紅烏龍などがブランド化され、注目されるようになったが、その歴史を話す人はほとんどいない。

 

私の講座内容は、先ず私的勉強会で話してみて、分かりにくい点などを修正してから、一般公開となるのだが、今回はTさんの要望もあり、ぶっつけ本番で実施した。その結果はやはり時間的なバランスも良くなく、内容にもばらつきが出て、私としては満足できる内容ではなかった。やはりもう少し練ってから話すべきだったと後悔する。

 

参加者の中には、わざわざ静岡から来てくれたMさんがいた。私が今調べている台湾の製茶試験場を作った男、藤江勝太郎の故郷に住み、藤江について関心を持っている方だ。来年は静岡森町で、藤江についての報告会が出来ればよいな、と考えている。名古屋にはご当地ネタ、無いのだろうか。

 

今回は夜の懇親会などは開催せず、Tさんと二人で夕食を食べることにしていた。Tさんは明日早朝から海外に出るのに、忙しい中付き合ってくれた。実は講座を何度も主催してくれているのだが、ゆっくり話す機会がなかったので、ちょうどよかった。Tさんについての理解が深まる。

 

連れて行ってもらったのは、洋食屋さん。名古屋三昧という定食があり、エビフライから手羽先、みそカツまで、凄いボリュームで名古屋が載ってきた。どう考えても若者向きの量なのだが、家族連れなども多く、知る人ぞ知る名古屋の穴場らしい。これには大満足、Tさんご馳走様でした。

 

12月9日(月)
春日井で

翌朝、宿をチェックアウトして、荷物を持って名古屋駅へ。乗る電車は昨日と同じ、中央本線だった。千草までは10分だったが、勝川駅までは18分。春日井市は思ったより近いところにあった。駅で迎えてくれたのは、お茶研究会のMさん。初対面だが、既に私の書いたものなども読んでおられ、勉強熱心で、今回お声を掛けてくれた。

 

会場は、普通の住宅地の中にあり、連れてきてもらわないと分からないところ。皆さん、遠くは1時間以上かけて、車で通ってこられているそうだ。多くが主婦などで、平日の昼間の都合の良い方々だった。中に一人、昨日の講座にも参加された方がおられ、その熱心さには驚く。また中国などの駐在経験のある方もおられ、中国茶に親しんでいる方も多い。

 

話をする前に、既に主催者の方から、たくさん質問が飛んできて、驚いた。そして相当にネット検索などで情報を集めていることも分かった。『台湾茶の輸出は東方美人から始まったのか?』『台湾茶の始まりは原住民?』など、予想もしない問い掛けもあり、ビックリする。なるほど、世の中にはいろんな情報が出回っていることがうっすら分かって面白い。

 

今日のお話は『台湾高山茶の歴史』だった。これは主催者がチョイスしたものだが、果たしてどこまで満足感が得られただろうか。また皆さん、お忙しい方も多く、講座の途中でお昼ごはんの弁当が配られ、それを食べながら話を聞いていた。私だけが話が終わった後に弁当を頂くというこの形式、個人的にはちょっと残念だった。

 

帰りに有志の皆さんと駅前でお茶をしながら(ケーキも食べる)、更に話を進めた。私が書いたこと、調べたことが全て正しいなどというつもりは毛頭ないので、説明に大きく頷かれると、こちらがビビってしまう。どこまでを鵜呑みにして(知識として覚える)、どこからを疑うのか、これは実に難しい問題だ。ただ現地に行っているから分かるというものでもないし、でも行った方が感覚は掴めるのだ。

 

名古屋駅まで戻り、新幹線に乗り込む。参加者の一人は何と新所原から来られており、新幹線で豊橋まで帰るというのでまた驚く。私などは名古屋から掛川でも在来線で行くだろう。というか、本当は帰りもJRバスで帰りたかったのだが、明日から北京なので、さすがに体の負担が少ない交通手段にした。

 

品川まで1時間半で着いてしまうのは、私にとっては、本を読むにも、何かを考えるにも実に中途半端だ。結局ボーっとしているうちに降りることになり、何となくもったいない気がする。電車の中は、私がもっとじっくり本が読める場所だからであり、今回は行きのバスの中でも松下先生の『アッサム紅茶文化史』を熟読して、テンションがかなり上がったものだ。さて、明日は極寒の地へ向かう。果たしてどうなるのだろうか。

名古屋茶講座の旅2019(1)名古屋で

《名古屋茶旅2019》  2019年12月7日-9日

4日前に九州・大阪の旅から戻ったが、すぐにまた名古屋に向かう。お声がかかるのは何とも有り難いことであり、出来る範囲で希望には応えたいと思っている。名古屋は今年2月に伺ったばかりではあるが、話したいことも増えてきているので、若干無理な日程の中、出掛けていく。

 

12月7日(土)
名古屋で

4日前、新幹線で大阪から東京に向かう際、名古屋を通過した。本当はここで降りたかったが、そうもいかずに通り過ぎたので、もう新幹線で名古屋へ行く気はなかった。静岡にも用事があったが、タイミングは合わず来年に持ち越し。それではと、昼間のバスで向かうことにした。バスは空いており、ゆったりと座って行けた。

 

バスタ新宿を昼に出たバスは、途中2か所で休憩して、夕方6時前に名古屋駅に到着する。普通の人なら、日中に5時間以上かけて移動するのは無駄に思えるだろうが、旅が専門の私にとっては、料金は新幹線の約半額で、色々と景色も眺められるので、悪い話ではなかった。天気の良い冬は特に富士山がきれいに見える。今日は土曜日なので、サービスエリアも賑わっており、土産や食べ物なども少しチェックする。

 

JRバスは名古屋駅脇に到着するから移動に便利だ。本日予約したホテルまで歩いて5分、ここは今工事中であり、料金は比較的安かったが、部屋は非常に狭かった。まあ、寝るだけなら問題はなく、テレビでもあれば退屈も凌げるので良い。電気ポットがなく、湯は給湯器で汲むのだが、紙コップなので持つのが熱くてちょっと面倒だった。

 

名古屋駅でIさんと再会した。今年2月に犬山市に彼を訪ねて以来だった。香港で一緒だったのは、もう25年も前になる。北京で再会したのも20年も前になる。その後も断続的に連絡が続いていたが、最近会う頻度が上がっている。今回はもう一人の香港仲間のUさんと3人で、と思っていたが、それは叶わず次回に持ち越し。

 

Iさんが予約してくれた駅から歩いて5分ほどのビルの上にある居酒屋に入り、四方山話に花が咲く。この居酒屋、食べ物は悪くないのだが、何だかすごく混んでおり、厨房も接客も明らかに手が回っていない状態だった。我々が注文した鍋は味がないな、と思いながら食べていたら、若い店員が『これを忘れた』と言って、つゆをポンと置いて行く。すみません、の一言すらない。何だかな、もう少し言いようもあるだろうに。近頃の若者は、などと言うつもりもないが、おもてなし日本はすでに過去のものではないだろうか、とふと思ってしまった。

 

12月8日(日)
茶心居で

翌朝は、朝ご飯を食べに、宿近くのコメダ珈琲に向かう。これまで名古屋には何度も来たが、恐らく名古屋のコメダに入るのは初めてだろう。日曜日のせいか、それほど混んではいない。駅近いこともあり、外国人観光客がチラホラみられる。そして店員は殆どが外国籍だと思われる。

 

コメダに来たのは先日台北のコメダに入ってみたので、その違いがあるかどうか確認する意味もあったのだが、違いは殆どないように見えた。珈琲の味も特に変わらない。料金は台北の方が少しだけ安いかもしれない。小倉トースト、これはやはり美味いように思う。時間があれば、ここでダラダラしていたかった。

 

2月も開催された名古屋、茶心居での講座。これまでは公民館を使用していたが、今回は茶心居の新店舗が会場となった。私は行くのが初めて。前の店舗ともそうは離れていないと聞いていたが、検索すると一番近いのはJR中央本線に乗って行くと出ている。これまでは地下鉄かバスだったので、ちょっと意外な展開。しかも地下鉄よりJRの方が安いらしい。

 

名古屋駅からJRに乗り込む。日曜日だからラッシュはない。千草という駅まで行く。駅前を歩いていると、元祖台湾カレーの文字が見える。台湾カレー、初めて見るネーミングだ。名古屋には奇怪な台湾ラーメンなる、台湾にはない辛いラーメンがあるが、カレーまであったとは。台湾のカレーは日本からの輸入品が始まりだと思うのだが、どうだろうか。そういえば、台湾うどんという看板も目に入った。正直名古屋では『台湾と付ければ何でもよい』という風潮でもあるのかと、ちょっとびっくりする。恐らく台湾人もビックリだろう。

 

歩いて10分ほどの住宅街の一角に新店舗はあった。前の店と異なり、一見ここはお茶屋かと思う作りであり、お茶や茶器もあまり並んでいない。店主Tさんによれば、どちらかと言えばイベントスペースとして使っていきたいらしい。10数人は入れるので、確かに勉強会などには適しているかもしれない。ただ日が当たる時間帯はシャッターを閉めるので、秘密結社感もある?

九州茶旅2019(4)大阪民博で客家の勉強を

そして搭乗時間となり、お別れ。ピーチの関空行き最終便は意外と混んでいた。搭乗に手間取り出発は少し遅れた。それでも1時間後には到着する。ピーチが着いたターミナルから、電車の駅までシャトルバスで移動して、何とか11時の電車に間に合った。この電車に乗らないと、終電まであと僅かだった。

 

ラピートは、特急料金がかかったが、既に深夜なので早く着くに越したことはなく、料金を払った。乗車ギリギリだが、窓口で買ったら割引があるというので並ぶ。難波まで行っても、天下茶屋で降りても、料金が同じというのは腑に落ちなかったが、とにかく急いで乗り込んだ。ガラガラなので指定席も意味がない。いや、むしろ座席を探す方が手間だった。

 

時刻検索で見ると、今晩予約した宿は難波まで行くより、天下茶屋で堺筋線に乗り換えて長堀橋駅へ行く方が早かった。ただ最終電車なので乗り過ごすことはできない。堺筋線に乗ろうとしたら、酔っ払いの若者がホームで吐いている。何だかそれを見て『日本だな』と思ってしまう。

 

大阪のホテルは2-3年前まで非常に高騰しており、予約も取り難かったが、その後新しいホテルが雨後の筍のようにできており、9月に来た時久しぶりに泊まると、地方都市より安くてサービスがよい所まで逆転してきていた。今晩の宿も地下鉄駅の真上で、真新しく、深夜なのに若い女性が勤務しており、対応がとても柔らかい。今回は寝るだけなので部屋は簡素だが、簡単な朝食も付いて1泊4000円代とは、素晴らしい。

 

12月3日(火)
民族博物館へ

昨晩遅く寝たので、ゆっくりと起きる。午前9時前に軽く朝食を食べようと食堂に行くと、いたのはほぼ外国人。中国語やタイ語が聞こえてくる。意外と食べ物もあった。掃除のおばちゃんが私に向って『サンキュー』と言ったので、日本人だと告げると、とても恥ずかしそうに去っていく。

 

10時にチェックアウトして、荷物を持って地下鉄に乗り、懐かしい梅田駅前のビルに行く。ここはいつも講座を開催してもらう場所であり、さすがに迷わず来ることが出来た。今日は民族博物館で客家のお勉強の会に参加する。その主催者で台湾擂茶を商っているMさんと合流してランチを食べることにしたのだが、指定された場所はこのビルの地下の洋食屋だった。

 

集合時間は何と10時50分。なぜこんなに早いんだろうか。いくら民博が遠いとしても早過ぎる。行ってみると既にMさんだけでなく、講座主催者でお世話になっているM女史など4人が集まっており、店の前で並んでいる。そして10分前には他に数人並ぶではないか。『予約はできないし、11時過ぎに来ると席がないんです』、ちょっと驚き。

 

11時に店に入ると既に注文してあったので、すぐに定食が出てきた。Mさんはステーキしか食べないと言うが、私はさっき朝ご飯を食べたばかりなので、ハンバーグなどにしてみた。確かにボリュームもあって、美味しい。ふと周囲を見ると、既に席は埋まっており、外には列が出来ていた。

 

それから重い腹を抱えて、荷物も引いて、梅田から千里中央に向かう。千里中央と言えば、35年前、大阪外大との定期線で2回、訪れた場所だが、それ以来来たことはなかった。妙に懐かしい。そこから更にモノレールに乗り継ぐと、万博公園駅に着く。駅からあの太陽の塔が見えるだけでワクワクした。

 

大阪万博から50年が経つ。国立民族博物館は、その公園の敷地内に建てられていた。今日は民博で客家研究をしておられる先生のお話を聞く予定だが、その前に、膨大な展示の一部を見ることにして、荷物をコインロッカーに預け(館内のロッカーは無料)、館内を回り始める。ついでに本などの資料も探してみる。

 

2時になると参加者10数人が集まり、K先生の先導で、館内のアジア、特に中国、華人関連の展示の説明を受けながら見学する。お茶に関する展示は殆どないのだが、華人や客家に関する説明は勉強になる部分があった。またここは、博物館だが、博士課程の大学院生もおり、研究員は教授や準教授の肩書も持っているというのがユニークだ。

 

そして会議室で、参加者が先生に質問する時間がやってきた。皆さんそれぞれの角度で、疑問をぶつけ、先生がそれに答えていくという、ある意味で非常に効率的な形式で行われた。最後に私は『台湾擂茶は客家の伝統文化か』と『広東客家が台湾に茶業を持ち込んだ可能性はあるか』という2つの質問をしてみた。擂茶を商うMさんからすると、ドキッとする回答だったが、真実は真実、商売は商売だろう。客家についても益々興味が沸く内容だった。

 

既に夕暮れが近づいていた。私はこれから東京へ戻らなければならないので、新大阪まで出て、新幹線に乗るべく、皆さんと別れた。駅で駅弁を買って乗り込み、それを食べてからウトウトした。そして来年の計画を考える。やはり少し東南アジアにシフトして、茶商だけではなく、華人や客家について勉強しようと思った。

九州茶旅2019(3)佐賀で講座、そして福岡経由で

12月1日(日)
佐賀で

朝はゆっくりと起き上り、ゆっくりと宿の朝ご飯を食べた。ここのご飯はかなりの種類があった。食べている人を見ていると、中国人やら他の外国人も何人かいた。中国人が納豆を食べる姿はちょっと不思議。何故鳥栖に外国人が泊まるのか、それは謎だった。どこか見るべきところがあるのだろうか、それとも何か買うのか。

 

10時前に宿を出て、佐賀に向かった。駅舎はかなり古く、小さかった。昨日の事故の影響は既になく、定刻に出発し、30分で佐賀に着く。残念ながら今回も吉野ケ里遺跡にはご縁がなく通り過ぎた。と言ってもここの駅から遺跡入り口まで歩いて20分以上かかると聞くと、簡単には行けない。

 

駅には講座の主催者、Oさんが待っていてくれており、車で会場である彼の店に行く。店の周囲ではイベントがあり、駐車場が満員で遠くまでに停めにいく。まずは簡単に準備してから昼ご飯に行く。その店には期間限定のラーメンがあり、今はなすとカボチャラーメンだったので、それを注文する。思ったよりずっとカボチャが合っており、美味しくてちょっと感激する。

 

今日は昨日の熊本と同様、可徳乾三について話をした。午後から雨になり、生憎の天候の中、皆さん熱心に集まってくれた。正直同じ九州でも熊本と佐賀は違うので、どこまで興味を持ってくれるのか心配したが、それは杞憂に終わり、かなり反応は良かった。参加者はお茶関係者が多かったが、かなり意識の高い方がおり、同じ九州人ということもあってか、多くの質問が出た。

 

講座終了後、有志で懇親会も開かれ、その席ではさらに活発な茶の歴史談義が繰り広げられた。わざわざ熊本から来てくれた茶農家さんもいて、驚いた。お酒を飲まない私でも、話題が興味深ければ楽しく過ごせる。お茶を作るにも、販売するにも、歴史や文化を知っている方が有利である、ということは間違ないだろう。ただそれを学ぶ心の余裕が持てるかどうかであろうか。

 

今晩は駅の近くの以前も泊ったホテルに投宿した。明日も講座があるので、その準備もあり、部屋でPCを開いていると、かなり大きな音がした。雷が鳴っている。季節のはずれの嵐か。それとも明日の波乱の予兆か。

 

12月2日(月)
佐賀から福岡経由大阪へ

翌朝は雨だった。宿の朝ご飯は昨日よりさらに充実していたので、ゆっくりと味わう。それにしても毎日朝からコメを食い、おかずをたらふく食べているから、どんどん太っているように感じられ、体は重い。そろそろどこかでダイエットが必要だと突き出した腹が言っている。

 

雨が止んだので、とにかく腹ごなしに散歩に出た。昨年も散歩しているので、特に目的なく歩いていく。道路に水が溜まっているから、昨晩はかなり降ったのだろう。ふと見ると横をバスが通り過ぎたが、そこには福岡空港行と書かれているではないか。今日は講座終了後、福岡空港経由で大阪に行くのだが、このバスでいくのがよいのではないかと思い、駅まで行って時間を確認した。やはり電車を乗り継ぐより早くて便利らしい。お土産に佐賀名物のぼうろを買う。佐賀はなぜか菓子がうまい。

 

今日もOさんが迎えに来てくれ、お店に行く。月曜日は定休日だが、講座のためだけに使用する。この付近は古い昔の街並みが残されており、雰囲気がよい。近所に古い建物を利用した映画館があり、そこでランチもできるというので行ってみたが、ご飯は食べられなかった。すぐ近くのラーメン屋で食べる。佐賀ラーメンというのは、高菜?食べ放題で、あと生卵を入れるのが特徴だと言われ、食べてみる。

 

午後の講座は昨日に続いて参加してくれた人もおり、またタイで知り合った人、四川で知り合った人など、熊本や福岡からも来てくれ、平日にもかかわらず有難い。今日は『台湾茶と日本の深い繋がり』について話をする。特に日本統治時代の茶業の取り組みや、昨日の可徳も係わった初期台湾紅茶の歩みなど、台湾でも知られていない内容が多かったが、果たしてどの程度、関心は得られただろうか。

 

講座終了後は、車で駅まで送ってもらい、朝調べておいた福岡空港行バスに乗り込む。乗客は少なかったが、途中数か所でお客を拾ってから高速道路を通って、特に渋滞もなく、約1時間20分で空港までやってきた。これなら確かに荷物を持って電車を乗り継ぐよりは便利だ。

 

空港には福岡在住で、昨日の講座にも来てくれたYさんが待っていてくれた。午後9時の最終便を予約しているので、まだ3時間ほどあり、夕飯を一緒に食べてもらうことにしていた。博多は食べ物が美味しく、毎年一度は必ず来ると誓っていたが、今年は空港だけになってしまった。

 

空港内にも飲食店はいくつもあったが、博多名物と言われるものは多くはなかった。それでもYさんともつ鍋を食べると、笑顔になれる。次回は福岡でも講座が出来ないだろうかと真剣に思うのだが、なぜかご縁は訪れない。国内線なので食事をしても時間はあまり、更に珈琲を飲みながら話をする。

九州茶旅2019(2)三友堂、そして合志で

11月30日(土)
三友堂へ

久しぶりに泊まった東横イン。昔はあまりよい印象がなかったが、最近はいくつか改善したようで、悪くはなかった。無料で提供される朝ごはんも以前はおにぎりとみそ汁だけだったような気がするが、今日はいくつか選択の余地があった。何よりここは駅の横にあるのが便利だった。

 

今日は合志市で行われる講座に出掛ける訳だが、最後の最後まで調べようと思い、可徳乾三が130年前に設立した茶舗を訪問することにしていた。熊本駅前からバスに乗れば一本で行けるらしい。ただその本数は多くはなく、もし乗り間違えると訪問できなくなるので結構緊張する。駅前のバスは思ったより多く走っているので、目を凝らす。

 

何とかバスに乗り込む。30分ほどでバスを降り、少し歩くとお寺があった。見性寺、そうか、ここが可徳乾三の法要が行われた寺だと知る。そのすぐ近くに三友堂はあったが、その店舗は思ったより小さかった。店主のKさん夫妻が迎えてくれる。聞けば熊本地震で仮店舗での営業を余儀なくされているという。

 

ここ三友堂は1887年(1889年の説もあり)に可徳乾三他2人により設立された老舗茶荘で、往時はシベリア向けの茶を大量に輸出していた。球磨地方などから沢山の茶が運び込まれていたという。可徳はシベリアビジネスに失敗した1908年頃には経営から手を引き、Kさんの祖先が引き継いだが、その後も発展を続けていた。

 

以前の店舗の写真を見ると間口も広く、従業員も沢山いたが、昭和28年の大洪水で茶葉を失い、その補償のために店舗を売り、縮小したらしい。可徳の名前が入った看板があるとのことだったが、残念ながら今は見せられる状態にないとのことだった。戦後宮本常一もこの店を訪れ、民族学の研究をしていた。現在の店主は茶商だけではなく『茶葉の鑑定』などで有名だという。

 

もっとお話を聞きたかったが、講座の時間が迫っており、ここから熊本鉄道に乗り、終点の御代志という駅まで行く。駅は本当に簡易で、その昔の江ノ電を思い出してしまった。二両編成の電車が何とも良い。天気が良いので、車内は温かく、転寝しそうになる。30分ほど揺られていく。

 

合志で講座
駅に着くと今回の主催者市議会議員のUさんが迎えに来てくれ、会場である合志図書館に移動した。ここは前回もつれてきてもらったが、立派な施設であり、今日はその一角を使い、可徳乾三の話をさせてもらう。会場には歴史好きの方やお茶関係者などが集まってくれた。中には台湾埔里でお世話になった日本人Yさんのお知り合いも駆け付けてくれていた。Yさんは熊本出身だったので連絡してみたところ、声を掛けてくれたようで、何とも有り難い。

 

可徳乾三はここ合志の生まれであるが、完全に歴史上は埋もれてしまった人物。その生涯とゆかりの地を追った話は地元の人にはどう映っただろうか。講座終了後、参加者から『合志の人々が戦前多く外国に出ていたことは聞いているが、具体的な話を知ることが出来た』などと言ってもらえたのは良かったが、もっと詳しい話を期待されていたかもしれない。

 

そして昔、熊本ではロシア語や中国語が出来る人は沢山いたという話も出るなど、こちらも色々と勉強になった。次回は可徳本家などから話が聞けるとよいのだが、どうだろうか。因みにほとんどお話もできなかったが、会場で紅茶を淹れてくれたのは、人吉出身の女性で、手作り菓子とお茶のお店をやっている方だったが、何とトルストイ翻訳の第一人者、北御門二郎氏のお孫さんだという。この方は就農しながら翻訳したと言うが、お茶も作っていたのだろう。やはりご縁がある。

 

帰りは高校の先生の車に乗せて頂き、上熊本駅まで行った。車中でも様々な歴史の話が出てきて面白かった。やはり私の対象はお茶好きではなく、歴史好きとの会話ではないだろうか。話も広がるし、各地方の知らないことも沢山けるのがよい。駅からJRの在来線で、一路鳥栖を目指す。

 

この路線は以前も乗っていたので、安心して寝落ちる。いつの間にか冬の田園風景が暗くなっていく。荒尾あたりに着くと、ちょうど台湾紅茶に投資した日本人の末裔からメッセージが来た。彼の先祖も荒尾の出だったことを思い出す。この車両は長距離用ではないので、ずっと座っていると腰が痛くなってくる。1時間半の旅、最後は久留米で急行に抜かれるというので乗り換えて態勢を変えた。

 

鳥栖駅に着くと、長蛇の列が出来ていた。何と佐賀、長崎方面の電車が止まっており、払い戻しなどを求める列だと分かった。普通なら佐賀に泊まるのだが、今晩は禁煙部屋が確保できず、ちょうど鳥栖に泊まることにしていたので、助かった。駅のすぐ近くの宿を予約してもらっていたが、そこの設備・サービスは料金の割にはちょっと・・??とても腹が減っていたので、近所のモールでかつ丼を食べたが美味しいとは思えない。ちょうどサガン鳥栖は残留争いをしており、ホーム最終戦がここのスタジアムで行われていたようだが、どうなったろうか。

九州茶旅2019(1)阿蘇で突然通訳を

《九州茶旅2019》  2019年11月29日-12月3日

九州には1年に一度は行きたいと思っている。昨年6月に熊本、佐賀を旅したが、今年は7月に沖縄に行った。そしてここ3年間でまとめた『九州茶をシベリアに売り込んだ男』の話をついに地元熊本で話す機会を得た。ついでに佐賀でも話す。そして何だか福岡経由で大阪まで飛んでしまった。いつもながら予測不能な旅だった。

 

11月29日(金)
熊本へ

偶にはマイレージを使って国内線に乗ってみようと思った。羽田‐熊本の片道だからそれほどマイルを食うわけでもない。そしてよく見てみると、私には毎年アップグレードポイントなるものが付与されているのだが、今まで一度もアップグレードしたことがなかった。国内線だとちょうど持っているポイントでアップグレードできたので、プレミアエコノミーというのに初めて乗る。

 

座席は一番前。少なくてもここ10年、飛行機の一番前の席に乗った記憶はない。座席もまあまあ広くて快適。そのうえ、国内線エコノミーではドリンク一杯しか出ないのに、軽食まで登場した。乗り込んだらすぐに寝ようと思っていたのに、眠れなくなる。だが実はもう一つ眠れない要因があった。

 

若いCA二人が、私の斜め前でずっとおしゃべりしていたのだ。これまであまり見たことのない光景だった。カーテンの陰というならまだ分かるが、私が見える位置でだから驚いた。そして年配CAが来たので収まるかと思ったが、止めさせようともしない。確かにプレミアム席は空いていたから、やることはなかっただろうが、日本の航空会社もアジア化が始まったか。

 

ほぼ定刻に熊本空港に着いた。先日のウラジオストクのフライトと時間はほぼ変わらない。この空港、3年前に台風直撃の中、成田に向かって飛び立ったことはあるが、降り立ったのは初めてだ。そしてここで35年ぶりの再会が待っているはずだった。大学の1年先輩のTさんは熊本出身で卒業後は地元に帰ったとは聞いていたが、その後全く連絡を取っていらず、今回電話番号を聞いて連絡したところ、わざわざ空港まで迎えに来てくれるというのだ。

 

事前に最近の写真ももらっていたので、問題なく分かるだろうと思っていたが、何と出口で通り過ぎてしまったらしい。その原因の一つは、明日からちょうどハンドボール女子の世界選手権が熊本で開催されるそうで、私のフライトにもフランス語を話す選手たちが乗り込んでおり、彼女らを歓迎する人々が多かったからだろう。電話をかけてようやく再開にこぎつける。

 

Tさんの車に乗り、お互いの35年を埋めようと話し始めたが、それは簡単な作業ではなかった。卒業後のTさんの波乱万丈の展開だけでも今日中に終わりそうもない。それほど長い時間会っていなかったのに、一瞬にして昔に戻れるのはすごいと言わざるを得ない。下宿で一緒にご飯を食べたことなど、色々と思い出して、若かりし自分が蘇る。

 

周囲は既に暗くなりかけていたが、折角だからと阿蘇方面を走り、写真を撮ろうとしたが、残念ながら暗すぎて見えなくなっていた。それから田楽を食べようと、高森というところにある雰囲気の良いレストランに入った。囲炉裏がいくつかあり、そこで肉を焼いて食べた。向こうでは中国語も聞こえてきており、観光客もいるようだった。

 

いつの間にかお客は皆帰ってしまい、我々だけが話を続けていた。話しは尽きないのだ。ところが突然店の人が騒ぎ出し、こちらに向かって『車をぶつけられたみたいです』という。意味不明ながら急いで駐車場へ行くと、暗がりの中で、Tさんの車に別の車が微かにこすったらしい。

 

その運転手は日本人ではなかった。顔を見てすぐに中国語で話しかけると、相手は台湾人であり、彼らも店の人も言葉が通じたのでホッとしている。台湾人は高齢の両親を連れており、お父さんの具合が悪いので、一度宿に送ってから戻ってくるというが、律義に一人は残っていた。私は車を運転しないので、こういう処理には全く疎く、言葉が出来てもなかなか捗らない。

 

警察もやって来て現場検証と確認が始まった。若いお巡りさんは『いやー、助かります。多いんですよ、外国人の事故が』と言い、いつもは携帯アプリで会話していると告げた。レンタカー会社もちゃんと中国語対応の体制は出来ており、様々あったが何とか解決した。事故を起こした台湾人の方は、実にきちんとしたいい人たちで、『今度高雄に来たら寄ってくれ』などと言いながら分かれた。

 

思えば熊本辺りは戦前台湾に渡って仕事をした日本人も多かったはずだ、などと思っていると、店のおばさんも『うちの主人も台湾生まれで、その両親は花蓮で・・』などと話し出す。明日の講座で話し内容にも、熊本ではロシア語や中国語が話せる人が戦前は沢山いた、というくだりがある。

 

Tさんに熊本駅前に予約した宿まで送ってもらった。何とも有り難い。もっともっとその後の出来事を聞いていたかったが、それは次回にしよう。そういえば、明日の夜、東京では大学の同じクラブのOB会が開かれるので、早々にTさんについて報告を入れておいた。

ある日の台北日記2019その3(16)チョコイベントへ

11月17日(日)
茶展からチョコイベントへ

今日はゆっくり起きて、また茶展に向かう。まだ挨拶していない茶業者も沢山いるので、この機会に纏めてご無沙汰を詫びる所存だった。日曜日なので人出は多いが、業界人は来ない日なので、余り直接的な商売にはならないらしい。どちらかというと一般人向け宣伝の日という位置付けかもしれない。

 

人だかりができているブースに行ってみると、Aさんたちが手もみの実演をしていた。その横では、以前お世話になったNさんたちが和服でお茶を点て接客に忙しい。こういうブースは非常に分かりやすくて人が集まる。その場で茶葉の販売もしており、日本茶普及への貢献度は高い。

 

少し離れた所に行くと、陽光茶園のブースが見えた。ふと覗くと楊さんもやはり来ていた。既に98歳だが、先日の南投茶博にも姿を見せており、霧社からここまでやってくる体力はすごい。魚池の李さんを見つけ、そこでお茶を飲んで休む。新しい茶工場もできたというので、次回は是非訪ねてみたい。三峡谷芳のブースも久しぶり。なぜかスペイン人の若者がここの緑茶に興味を持ち、あれこれ聞いている。

 

折角なので、横の食べ物コーナーも一通り見学する。食品卸しのブースが多いせいか、その場で食べられる場所は多くはない。私はいくつかサンプル品をつまんで腹が一杯になってきた。台湾には美味い物が一杯ある。更には反対側の酒コーナーもふらつく。酒を飲まない私には無縁の場所だが、お茶コーナーより多くの人が試飲などをしている。コンパニオンが酒を勧めるなど華やかさがある。日本酒のブースも人気だ。

 

確か夕方、知り合いが来るとか言っていたので待とうかと思っていると、葉さんが『今からチョコレートイベントに行かないか』という。茶展にも飽きてきたので、その誘いに乗ると、会場は市政府近くの百貨店であり、地下鉄で移動した。特設会場に着くと大勢の観衆がいた。そして驚いたのは、葉さんの茶葉をチョコレートやドリンクに混ぜて使っていたシェフは日本人だったのだ。

 

お茶とチョコのコラボ。そして台湾特産品とのコラボ、いわゆるペアリングだが、これを日本人シェフがアレンジして、台湾で提供するのは、実に面白い。実際には銀座の店で提供が始まっているらしい。非常に工夫されており、多彩で観客ウケもよい。お茶の扱い方を見直す時期が来ていることを感じさせる。

 

11月18日(月)
南港の茶農家へ

茶展最終日。昨日途中で抜けてしまったので、今日も行こうと地下鉄に乗る。鹿谷からUさんが出てきており、南港で待ち合わせることになっていた。ちょうど2年前Uさんと南港の茶農家に行ったのだが、彼は今日もそこへ行くというのでバスの時間を確認していた。ところが今日は大雨だった。

 

Uさんのお義父さんが車で送ってくれるというので、南港茶展に寄らず、駅で拾ってもらい、そのまま茶農家へ直行した。ここはいつ来ても懐かしさを感じさせる場所だった。そして素朴な農家が、昔ながらの茶作りをしているのが、何とも好ましい。数種類の包種茶を並べて試飲していると、その発酵度も若干高く、心地よい。ほぼ今年の茶は作り終えており、常連さんがどんどん買って行ってしまう。

 

奥さんは茶摘みのプロ(ご本人は長年やっているだけと言っているが)であり、全国茶摘みコンテストで準優勝するなど、その実力を発揮している。今や茶の摘み手不足が深刻化する中、貴重な存在だ。果たしてこの茶農家、いつまで続くのだろうか。台北市内から車であっという間なのに、この山の中。環境的にも面白い。

 

一度宿泊先に帰り、夜はTさん主催の浙江の会に参加させてもらった。先日は四川の会だったが、Tさんは昔から会を作って人を集めるのが得意なのだ。今晩も6人で杭州料理を食べた。奥さんが浙江人という方が中心だが、近々江蘇との合同会に発展するとか。台湾にも中国関係者が増えているということだろう。

 

今回の台北滞在1か月半も無事に終了した。茶の歴史はいくらでも広がっていくが、調べることの限界も見えてきている。そしてその広がりは台湾に留まらず、中国、そして東南アジアへと繋がっている。来年は少し台湾滞在が減り、東南アジアシフト及び中国への本格調査が始まるのかもしれない。