タイ北部茶旅2022(3)メーサローン散策、そしてウィアンパパオへ

午前中はお散歩。茶器モニュメントまで歩いて行く。これまで何度か歩いたが、今回は無難な広い道を通る。途中の坂道に茶樹が生えている。これは山茶だろうか。葉っぱや木がかなり大きなものもある。アッサム系だろうか。モニュメントに辿り着くと、獅子たちは健在だったが、茶器は一部取り外されていた。かなり古びていたので仕方ないだろう。私が最初に見たのも16年前なのだから。

その下まで歩いて行くと、芙蓉宮が作った風景スポットが出現した。確か茶畑は5年前伍さんが作っていたのを思い出す。あの時の茶畑がこんなインスタ映えするスポットになったのか。ここだけはタイ人観光客がいる。トイレも完備されているので、私も使わせてもらい助かる。その下まで降りるつもりでいたが、足に自信がなく途中で引き返す。衰えを感じる。

主要道路まで戻って、以前訪ねた茶工場を探すとそのあたりに大型リゾートホテルが出来ている。でもお客はいないようだ。コロナ前から準備して出来上がったのだろうが、経営はどうなのだろう。茶工場を探し当てて行ってみると、女性たちにより枝取りが行われているだけだった。雨が多いので今週は製茶はなしらしい。その下には景色の良いカフェが作られており、冷たい飲み物を飲んで休む。

なぜかチェンマイからバンコクに戻るフライト予約をスマホでした。私は現金で払いたいので、セブンのカウンター支払いを選択する。ついでにドリンクを買う。ここにポカリスエットが売っている。その下の雲南麺屋で雲吞麺を食べる。50bで美味しい。やっぱりお婆さんの中国語は流暢 (若者も中国語は分かるが話さない傾向?)。帰りの道にコインランドリーが出きている。やはり突然雨が降る変わりやすい天気には便利?

午後は天気が良かったが、疲れたので部屋にいた。晴れた景色を眺めるのもまたよし。ずっとバルコニーに居たら、蚊に刺されてかゆい。夕飯にチャーハンとキャベツ炒めを注文したら、ちょうどオーナーの楊さんと三男がチェンマイから戻ってきた。ご主人のお母さんご病気で、チェンマイの病院にいるらしい。87歳というが、このお母さんの人生は聞いてみたい。

楊さんとご主人の李さんの父親同士は雲南黄埔士官学校の同期生であり、その縁で結婚したことを初めて知る。ミャンマー生まれの楊さんに最近の状況を聞いてみたが、陸路の国境は全て封鎖されており、この宿で働いているミャンマー人も帰ることはできない。更には危険が迫っているので、ミャンマー人は密航してタイに逃げこんでいるという。また観光客は来ないので、ホテル業は低調だが、巣籠需要なのか、茶葉輸出は好調でホテル従業員を茶業に回しているという。

9月15日(木)メーサローンからチェンライへ

昨晩はそれほど寒くなく、快適に眠れた。朝ご飯を食べに行くと楊さんが一緒に食べてくれた。カオトーガイに今日は油条が付いてくる。楊さんは実は果敢(雲南‐シャン州の国境にある秘境)の領主家出身だというので驚いた。その一族の歴史が書かれた本を貸してくれる。彼女の一代記、是非書いてみたい。

メーサローンを離れる。Grabは捕まるか分からず、三男がメーサイへ行くので下まで乗せて行ってもらう。いつもとは別道を行くと早く平地へ出る。三男とは初めて会ったがなかなかの好青年だった。メーチャン付近で降ろしてもらい、ちょうど来たチェンライ行バスに飛び乗った。ボロバスだが、25bでチェンライまで運んでくれる。

バスで約50分。バスターミナルへ着くとちょうどメーカチャン行は出てしまっていた(トイレに入っている間に?)。仕方なく、ターミナル前のきれいなカフェに入り、久しぶりのクラブサンドイッチを頬張る。美味しい。120bはバンコクでは考えられない値段だ。コーラも飲む。

12時半出発予定のメーカチャン行バスに乗り込んだが、定刻を過ぎても出る様子がない。荷物を大量に載せており、中では箱詰めされた鶏が鳴く!鶏と一緒にバス?数十年ぶりの体験にちょっとウキウキ?運転手はバスの下にもぐり始める。バスは故障したのだろうか?

13時過ぎにようやく出発。そこへ本日訪ねる予定のNさんから電話が入り、私の行き先を車掌にタイ語で告げてもらう。最初誰が車掌だか分からない雰囲気が面白い。途中はかなりの山道あり、水田ありの田舎道を行く。2時間かかって、本日の目的地、ウィアンパパオに到着。55b。降りるよう指示されたサイアムコマーシャルバンク前でバスが停まるまで、タイ人乗客も皆緊張していた。何せ車掌は私より先に下車してしまい、乗客に私のことを頼んでいたのだから。

タイ北部茶旅2022(2)懐かしのメーサローンへ上がる

少し待ってみたが雨は止みそうにない。宿からバスターミナルへ行き、ローカルバスでメーチャンの先まで行って、そこから山へ行くソンテウを拾うという作戦だったが、そもそもコロナでソンテウが走っているのかもわからず、不安になる。念のためにGrabで探してみると、何と料金がこれまで払ってきたタクシー代の半額程度だったので驚いた。

しかし実際に行く車があるのかとボタンを押してみると、何とすぐにつかまり、こちらに向かってきてしまった。驚いて宿をチェックアウトすると、そこにきれいな車が待っていた。メーサローンへと告げると黙って首を縦に振る。若者だが英語は苦手のようだ。車はチェンライを出て、メーサイ方面に向かう。雨が降っているせいか、運転が非常に丁寧で好感が持てる。

メーチャンの先から山道に入ったが、そこにはソンテウの姿はなく、Grabを選択して本当に良かったと感じる。あそこで雨の中いつ来るともしれないソンテウを待つのはちょっと耐えられなかっただろう。山道は相変わらず急であったが、運転の安定感が救いとなる。途中車は殆どなかった。ちょうど1時間半で懐かしいメーサローンビラに到着した。料金はわずか550b。チップをあげても合計600bでとても安い。驚いたことに料金を渡すときに顔が見えたが、何と男性ではなく、若い女性だった。こんなおじさんと山の中を走るのは不安もあっただろうにと、気の毒に思う。

メーサローンビラは変わっていなかったが、受付の女性は変わっていて私は知られていなかった。まあここに泊まるのは7年ぶりだから仕方がない。取り敢えずチェックインすると、いつもより景色が良い、バルコニーのある部屋へ通された。妙に落ち着く。だが、オーナーはチェンマイに行っており、今日は帰らないことを知る。

取り敢えず雨が止んだので、街歩きを始める。覚えている道よりずっと急な坂道に思えるのは、自分の体力が落ちたせいだろうか。セブンの前は工事中だが、何ができるのだろうか。茶葉を売っている店が並んでいた場所までは実に遠く感じた。段将軍陵墓の入り口を通り過ぎると、ようやくお店が見えてきた。

茶葉を売る広場には人がいない。店もお茶よりドライフルーツをメインに置いている。その先に地元民向けの新市場が出来たようだ。観光客が来なかったコロナ禍での変化だろう。とにかく坂がきつい、長く感じられるのは老いのせいだろう。それでもあと1㎞ぐらい歩いて、泰北義民文史館までやってきた。

文史館の敷地内には、新しく段将軍の像が出来ていた。段希文はメーサローンの歴史そのものなのかもしれない。その生い立ちから生涯をここでじっくり学ぶ。特に1960年代、この地に残って孤軍奮闘する様は、何と言ってよいか分からない。またこの軍隊は75年の蒋介石死去でタイに土着することを決め、武装解除したのかと思っていたが、70年代末でも戦闘をしていた。これはサイゴン陥落やラオス建国など国際情勢が影響していたのだろうか?

アップダウンのある坂を引き返しながら考えても何も浮かばない。腹が減り、途中で麺を食べる。ひき肉がスパイシーな、ボリューム満点の雲南麺、40b。おばさんの中国語が流暢なのは有難いが、若者は中国語を使わなくなってきたように思える。あるいは最近ミャンマーから来た人なのだろうか。

段将軍陵墓にも行ってみる。やはり坂道を歩く。実に静かな、奥まった場所にあった。福の文字が印象的。お墓の前のお供え物、茶杯に葉っぱが直接入ったお茶が置かれている。段将軍は茶業に対してどのような考えを持っていたのだろうか。街中の家の壁に描かれた 好々爺な段将軍の姿。近所には蒋家塞の文字も見える。

宿に帰った。バルコニーからただただ景色を眺める。何とも懐かしい風景が広がっているように思える。そしてかなり涼しい、いや半袖では寒いくらいの気候。標高が高いだけではあるまい。夕方食堂で名物の豚足とスープを食べる。ようやくお茶も出て来る。きれいな夕暮れが流れていく。

9月14日(水)メーサローン2

夜中は寒かったので、毛布を掛けて寝たが、朝はさわやかだった。朝ご飯にはお馴染みのカオトームーを頼む。するとなぜかトーストが出てきたので、折角なので一緒に掻き込む。インスタントコーヒーも付いてくる。それからゆっくりとお茶を飲む。そしてまた風景を眺める。

タイ北部茶旅2022(1)チェンライまでの道

《タイ北部茶旅2022》  2022年9月12日₋17日

今回のバンコク滞在中、どうしても行きたい場所があった。それはメーサローン。もう5年も行っていない。何とか合間を見つけて旅に出ることにしたが、まずは予約したチェンライ行フライトがまさかのキャンセル。果たして旅はどうなるのか。

9月12日(月)チェンライへ

1週間前に予約したチェンライ行。4日前の夜に突然キャンセル+当日の夜便に変更、との連絡が来た。当日朝が夜になると、当然予定は狂う。どうするんだ、LCCでの初の経験。取り敢えず書かれていたアドレスにメールを打つ。せめて前日の夜に変更して欲しいと。朝になって、『こんなメールに返事は来ないよな』と思い、対策を練り始めた矢先、返信があった。変更は1回限り無料、但しコールセンターに電話して変更、が条件だった。

そこから電話が繋がらない。諦めかけた頃、突然オペレターが出て、後は意外とスムーズに変更が叶えられた。ただ彼女は3回も『コンファメーションは今日中に送るから見てね』と言っていたが、その肝心のメールはついに来なかった。だが前日リマインダーが届くと、そこには変更後のフライトが記載されていてようやくコンファームされた思いだった。

元々朝早い便だったので、結局ドムアン空港付近に泊まろうかと思っていた。それがドムアンではなく、チェンライになっただけだといい方向に考えた。また午後時間に余裕があったので、雨を避けながら早めに空港に向かい、先日も乗ったレッドラインで空港へ行ってみた。レッドラインの駅(外)にはトイレがあることを発見。また先日も食べた空港食堂でゆっくり夕飯を食べてから飛行機に乗り込んだ。

さすがに朝便を詰めて夕方便だけにしたせいか、機内は意外と混んでいた。タイライオン航空はこの日、キャンセル便がいくつもあった。他社もそうだが、燃料費高騰などで不採算では飛ばさない、ということだろうか。今後もキャンセルの可能性には注意が必要だ。

定刻前にチェンライ空港に着いた。2年半ぶりだが、前回は確か市内行バスが運行されていて喜んだ覚えがある。ところが外へ出てもバスはなく、案内所で聞くと『バスなんてありませんよ』とまるで夢でも見ているの、という対応をされ、タクシーに誘導された。昔は運転手との交渉が嫌だったが、今ではカウンターで行き先を言えば、定額で行ってくれるのでまあいいか。

フライトが確定しなかったこともあり、ホテルは予約していなかったが、以前泊った街中の老舗に行ってみた。予約サイトでも直前は料金が上がっていたが、取り敢えず受け入れ範囲内の料金だったので、そのままそこに泊まることにした。ここは古いがその分広く、ゆったりしていてよいはずだったが、なぜかシャワールームだけ非常に狭かった。

飲み物を買いに外へ出た。すぐ近くのバスターミナルが新しくなっていたが、午後8時でほぼバスはなく、乗客もいなかった。その向こうに夜市があったので行ってみたが、残念ながら観光客の姿は少なかった。ここにもコロナの衝撃が見られた。昔世話になったフランス人経営の旅行会社の姿もない。

以前行った夜市のレストラン、西洋人が多かったが、今やほぼ開店休業状態だった。そこから少し歩くと、そことは別に、地元民を含めたタイ人向けのフードコートが出来ており、そちらはそこそこの賑わいがあった。私も軽く焼きそばでも食べようと席を探したが、雨が降っていたらしく、どこも濡れていた。店の人が席を探してくれ、本日四食目を完食して一日目が終了した。

9月13日(火)メーサローンへ登る

翌朝起きると雨が降っていた。今日は山登りの予定なので憂鬱になる。まずは宿の朝ごはんを思い切り食べて、気力を養う。宿泊客はそれほど多くはないようで、しかもタイ人ばかりで外国人の姿はほぼなかった。7年前はかなり賑わっていたホテルで、静かな朝食を嚙みしめながら食べる。

ラオス鉄道旅2022(6)高速道路でビエンチャン、そしてウドンタニーへ

ビエンチャンからウドンタニーへ

予約したミニバンは11時を過ぎても来なかった。20分ぐらい遅れて到着、数人を乗せて一路ビエンチャンを目指す。私がバンビエンで降りた理由、それはビエンチャンまでの高速道路も体験したいと思ったからだ。確かにスムーズに100㎞出して走れる高速が完備されていた。これも中国の支援だというから、鉄道と道路の両方をきちんと戦略的に整備している。

ただ途中でバスは高速を降りてしまう。何と一人の客を下ろすためにだ。その為のロスはかなりの時間となり、また高速に戻る。元々1時間ちょっとで着くよ、と言われていたが2時間経っても着かない。しかも何と到着地までもう少しという場所でなぜか休憩まで入る。なんだかおかしいよ、このバス。結局休憩後10分で郊外の辺鄙なバスターミナルに着き、降ろされる。100kは高いのか安いか。

ここから私は国境を目指そうとしていた。残念ながらトゥクトゥクも少なく、圧倒的に私が不利な状況で料金交渉に入る。一緒にバスで来たドイツ人女性は『セントラルターミナルまで行くと思っていたので騙された』と嘆くが、後の祭り。結局私は200kも出してノンカイを目指し、一人走り出した。

それにしても遠く、そして暑さもあった。川沿いには風があり、何とか耐えたが、1時間もかかってイミグレに着いた。イミグレでは来た時もそうだったが、ワクチン証明などと言い出す者は誰もいない。何ともスムーズな旅となる。京都市営バスを撮影しながらタイ側へ渡る。

問題はタイ入国後。空港行のバスはあるのだろうか。入国審査を通過したが、陸路入国のマーク(カウント)もなく、ワクチン証明も求められなかった。そして案の定、バスは無さそうだった。タクシー運転手が900bで行くと声を掛けてくる。それを振り切って外へ出ようとしたところ、600bでもいい、という声が掛かり、気が変わった。

タクシーは早かった。これなら4時にはウドンタニー空港に着く。ということは、5時のノックエアに間に合いそうだ。車内で予約をしようとしたが、何と既に予約サイトはクローズしており、空港カウンターへ行くしかない。タクシーはきっかり4時に空港に到着。走ってカウンターへ向かう。

ノックのカウンターはすぐに見つかったが、何と2人並んでいる。私は恐らく空港でこんなギリギリにチケットを購入するのは初めて。一体何時まで売っているのか、席はあるのかまるで分らない。4時10分になり、ようやく自分の番が来て聞いてみると、購入可能との返事で初めて安堵する。

そしてパスポートと代金を渡し、係員がチケットを発券、という瞬間に、何と空港が停電になる。そんな馬鹿な。すると係員は立ち上がり、発券できませんと言いながら、パスポートとお金を返して、席を離れてしまう。ああ、これで万事休すかと思っていると、5分後に復活。もう一度聞くと『ああ、フライトが20分遅れていますから大丈夫』というではないか。それを早く言えよ。

結局発券は45分前までらしい。そしてその足でチェックインカウンターに進み、通路側の席をお願いするとあっさりボーディングパスが出る。2階の検査場へもっていき、荷物検査を終わったところで見ると、何と座席は窓側。まだ時間があるので元に戻りクレームすると『あら』の一言で済まされる。

それから20分ほどで搭乗時間となり、プレミアクラスの人の搭乗を待ってから機内に入ってみると、何と私の席もプレミアシートだった。何で誰も教えてくれないのだ。確かに400bぐらい高かったが、これは空港で買ったからだと思い込んでいた。確かに通路側がいいと言ったが、プレミアシートでないと席は選べなかったのか、疑問は残るが、まずは乗れただけよかったとしよう。

そして飛行も順調で30分ぐらいした時、トイレに行こうとすると塞がっていた。誰も前方に行った人はなく、パイロットが入っていると分かり一旦席に戻った。そこから5分以上経ち、もう出たのではと思っていると、何とシートベルト着用サインが点灯。私がトイレに行きたいというと、CAが『もう無理です』とつれない。それはおかしいと再度主張すると、チーフパーサーが『いいんじゃない』という感じで、何と滑り込む。それにしてもこの黄色い制服の会社のサービス、なかなかすごい。何だか窓の外を見ると虹が出ており、万事丸く収まったらしいが、気分的にはかなり落ち込む旅の終わりだった。

ラオス鉄道旅2022(5)硬座に乗ってバンビエンへ

宿近くに戻り、さすがに暑さに耐えられずに、カフェアマゾンの扉を押した。中はお客でいっぱい、席もない。注文してもラオス語でしか番号を呼ばないから、自分の分がいつ来るのかもわからない。それにしてもルアンパバーンの中心はここではないか、と思うほどの繁盛ぶりだ。何とかドリンクを手に入れ、さっさと外のパラソルの下で飲む。

駅に行くミニバンを予約していたが、ちょっと早く宿に戻った。あのスタッフと雑談する。やはりルアンパバーンの観光業はコロナで相当の打撃があり、この宿もほんの2か月前にリオープンしたが、客足は戻っていないという。鉄道が通ってお客が満員でも、彼らにとっての一番は中国人観光客。何しろお金の落とし方がタイ人やラオス人とは桁違いらしい。

バンビエンへ

そんな話をしているとミニバンがやってきた。時間前に来るなんてラオスも随分変わったものだ。恐らく私を乗せて駅へ行き、5時に降りて来る客を乗せる列に並ぶのだろう。ミニバンには中国人二人と私しか乗らず、あっという間に駅へ着いたが、今度は駅が全く開いておらず、40分ほど外で待つ羽目になる。そこには飲み物すら売っておらず、例え駅舎内に入っても売店がないことは分かっており、手持ちのドリンクを大切に消費した。

今回乗ったのは中国製硬座。やはり料金が安いせいか、ラオス人の家族連れなどが多く乗っている。列車はボーテンから来るので遅れが心配された(ボーテン方面で大雨、洪水情報あり)が、何と定刻より少し早くホームに入ってきた。2日前の高速鉄道と違い、今回はまさに初めて鉄道に乗る人も見られ、座席を探したり、荷物を置くのにちょっとした混乱が見られたが、それもまた微笑ましい光景だった。

私は2人掛けの窓側の席だったが、隣はかなり体格の良いおじさんが座り、席は狭かった。降りる時に気が付いたが、彼は息子と一緒に乗っていたが席がバラバラだった。それなら席を交代すればよかったのだが、そんな融通も利かない。途中で列車が停車すると乗客に動揺が走る。単なる列車のすれ違いだが、それを誰かがラオス語で説明すると、一斉に安堵の声が漏れたのは面白い。

途中で一つだけ駅に停まったが、乗り降りする人はほぼいなかった。1時間半ほど乗るとバンビエンに到着した。1車両で降りたのは私と隣の親子連れの3人だけ。後は皆ビエンチャンに向けて去っていく。他の車両からある程度の人数が降りてきたが、観光客らしい人は半数程度。

ここでもルアンパバーン同様に乗り合いバンが待っており、皆が吸収されていく。30kで街中へ。中国語が目立っていたが、中国人観光客の姿は殆どなかった。私は取り敢えず宿だけ決めて、予約はしていなかったが、行ってみると拍子抜けするほど安かった。予約サイトの料金はどうなっているのだろうか。まあ部屋は昔風だったが、一応私の基準を満たしており、満足。何よりオーナーが非常に穏やかな人で好感が持てた。

腹が減ったので夕飯を探しに行く。歩いていると川の横であることが分かり、何とか夕日を見に行く。ちょっと桂林を思わせる構図だった。この街、残念ながらルアンパバーンほどには人がおらず、かなり寂しい雰囲気。何とか食堂を見つけて、中華系の夕飯を食べる。街は閉鎖された店舗、売り出される店舗がいくつも見られた。

8月30日(火)バンビエン散策

あまり日の入らない部屋はよく眠れる。実にさわやかな朝だった。この宿は木々が生い茂り、雰囲気は悪くない。朝食はなかったが、あまり食べる気にもならず、散歩に出た。一番近くの観光名所はチャン洞窟、と書かれていたので、そこまで歩いて行ってみる。途中立派なホテルがいくつか見られたが、観光客は見かけない。ホテルとレストランのスタッフを養成する学校があった。確かシェムリアップで10年前に泊まった記憶がある。

ずっと歩いて行くと街外れを抜け、横道に入ると公園があり、その入り口で入場料を取られた。何となく雰囲気がよさそうだったので、そのまま中へ入ると、川が見え、洞窟はこの川を渡るのだという。その渡し船?が無料で送迎してくれる。川は意外と流れが速い。観光ボートを避けながら、何とか向こう岸へ。

そこからは断崖絶壁?が見える。その下まで行くとまた入場料を取られ、しかも外国人は特別料金15kだった。まあいいか、と石段を登り始めるとやはりきつい。息が上がりながらなんとか上まで辿り着くと景色は素晴らしい。洞窟内もきちんと整備されていて歩きやすいがちょっと滑る。所謂鍾乳洞の中を歩く感じだ。

また階段を喘ぎながら降りて、また渡し船で川を渡る。今度は犬も乗ってきたが、降りるのに苦労していた。そしてトボトボと歩いて宿まで帰る。バンビエンは郊外に色々と楽しめる場所があるのだろうが、どうも観光地好きでない私にとってはこれで十分だった。

ラオス鉄道旅2022(4)メコンを見ながらルアンパバーンを歩く

自分の宿の前で降りる。部屋は1階で広い。プール前で椅子もある。何となくリラックス出来そうな宿だった。スタッフの男性も実に柔らかい対応。取り敢えず腹が減ったので近所の夜市に行ってみる。まだ陽は高く、夜市は準備中だった。それでも一部が食べ物を提供していていたので、麺を食べた。

夜市には地元民が多いように感じた。タイ人などもいたと思うが、区別はつかない。白人、そして日本人も見かけたが多くはない。Tシャツを忘れたので買ったが、安いのか高いのかの感覚がない。ただ一番大きなサイズを買っても洗えばちじむ。美味しそうなチョコクロワッサンが出ていたので、思わず買う。ラオスに来たら、パンを食べないと。

ラオスはコロナ禍でずっと鎖国していたが5月に突然開国したと聞く。観光客は少なく(一番の原因は中国人が来ないことか)、まだ周知されていないのだろうか。部屋でTVを点けるとバドミントンの世界選手権で、山口茜とアンセヨンが戦っていた。茜ちゃん、強すぎるよ。

8月28日(日)ルアンパバーン散策

朝からとてもいい天気だった。朝食はオムレツとフルーツ。気持ちよく頂く。あまり暑くならないうちにと、フラフラ歩きだす。昨日の夜市の近くの径に入ると、朝市が開かれている。こちらは地元民用だろうか。そこを突き抜けると、観光客とバスが集まっていた。入ろうとする警備員に正面に回るように促される。

ここは博物館だった。ただGoogleでは今日は休みとの表示が出ていたので何ともラッキー。荷物を預けるところへ行くと横は劇場。そうか、8年前にこの劇場に来た記憶が蘇る。日曜日で思ったより観光客が多く、ゆっくり見学できなかった。王宮だったここにはそれなりの歴史が積み重なっていたが、それもラオスの社会主義化で消えて行ったらしい。敷地内には素晴らしい庭と、大きなお堂、そして王様の像もある。

隣の寺を眺めてから、また先の径に入る。そこにはヘリテージセンターがあり、伝統家屋が見えた。中では民族衣装を借りて写真を撮る観光客の女性が多く、ここもゆっくり見ないで退散した。その細い道を突き抜けると、雄大なメコンが現れた。まあ今回もこの景色が見られれば満足だった。

ちょうど向こう岸に渡る船が出る場所。私も8年前は向こうまで行った記憶がある。そこから少し行き、川べりでコーラを頼み、ゆっくりと川を眺めた。風がそよそよと気持ちよい。かなり長い時間座っていたが、何とか立ち上がり、雑貨店で飲み物を買い込み、宿近くの雰囲気の良い寺を見て、宿へ引き揚げた。

宿でまたテレビを点けると、バドミントンが始まっていたが、なぜか途中から映らなくなり、スタッフに来てもらっててんやわんや。スタッフの活躍で何とか回復し、無事茜ちゃんの優勝を見た。外は相当に暑く、目の前のプールに入ろうか悩んだが、子供連れがいたので遠慮した。

その後また腹が減ってきたので、暑い中を川べりまで歩き、チャーハンを食べた。ここは鍋のいい音がしていたので、間違いないと思ってが、やはり正解だった。付いてきたスープも美味しい。観光客用とは思えないクオリティーだった。帰りにタイで庶民の味方とも言われるカフェアマゾン(ドリンクが安い)があったので入ろうかと思ったが、止めておいた。

代わりに昨晩買ったクロワッサンを屋台ではなく、そのお店で買ったら、値段がだいぶん安かった。屋台は出店料がかかるのだろうか。これが夕飯替わりとなり、その後は宿でダラダラと過ごした。結局目の前のプールには入らずに終わる。

8月29日(月)ルアンパバーン散策2

今朝はバナナパンケーキで一日を始めた。まあまあの出だしだ。それからシャワーを浴びたり、原稿を書いたりして午前中を過ごす。今日は列車が夕方なので、チェックアウト後の過ごし方が難しかった。取り敢えずふらふら歩いていると暑さが堪える。近くに鉄道の切符売場があったので聞いてみると、ここでは現金は受取らず、ラオスのキャッシュレス決済か銀聯カードのみが使えると説明された。これまでの3か所、全て支払い方法が異なるのは何とも困る。

切符売場の横には床屋があり、昭和感溢れる?風情が見られた。それを見て、今日もまたメコン川を眺めることにしたのだが、何だか日陰を探してずっと歩いてしまい、クタクタになる。最後はほぼ端っこのワットシェントーンまで行ってしまい、どうかしていた。まあ川風に吹かれるのは悪くはない。折り返して反対側を歩いて帰る。こちらも川なのでゆっくり眺めながら歩く。

ラオス鉄道旅2022(3)大雨のビエンチャンとラオス鉄道の旅

長い時間話していたが、お客が混んできたので外へ出た。Mさんはさっさと歩き出す。向かったのは、何と不発弾処理展示室だった。これは先日宇和島で劇的な再会をしたTさんがカンボジアで行っている活動に通じていた。ラオスにも同じ問題があり、多くの人が苦しんだ様子が展示されている。ただここは午後4時閉館で滞在時間は10分程度だった。公務員の終業は4時で、帰宅が始まるという。昔の中国を思い出す。

Mさんは更に歩いて行く。ちょっと横丁に入ったところにある日本人M女史が経営するラオスコーヒーの店へ。M女史はコロナで日本に帰国中だったが、幸いお店は開いており、雰囲気の良い店内でコーヒーを頂くことが出来た。コーヒーはパークソンより取り寄せているという。パークソンといえば茶葉もあり、店内では茶も売られていた。今度機会があればM女史に色々と聞いてみたい。

店を出たら突然雨に降られる。かなり激しく降り、傘もないのでずぶぬれになるが、乗り物もいない。10分ほど歩いてMさん行きつけの老舗ステーキ屋へ何とか逃げ込んだ。そこでステーキとスープを食べて温まっていると、Mさんの奥さんと義弟が心配して迎えに来てくれた。食べ終わるとまだ雨が降っており、車で送ってもらう。義弟はパークソンの茶畑なども知っており、次回はお茶関係のところに連れて行ってもらいたいなと思う。

8月27日(土)ルアンパバーンへ

午前中は雨も降らず、また散歩に出た。昔泊まったホテルや行ったカフェなどがいくつもなくなっていた。やはりコロナ禍は観光業への打撃がすごい。ワットオントゥで中国系の供養塔を探してみると、その横に日本人の名前が入った供養塔を2つ発見した。この方々はラオスに貢献して亡くなったのだろう。

昼、チェックアウトして目の前のトゥクトゥクと交渉して鉄道駅へ向かう。料金交渉は意外と難航(場所も知らない)、若者ドライバーは行くのを嫌がる。最終的に2日前と同じ100kでお爺さんのトゥクに乗る。ただこのトゥク、かなりゆっくりで、途中客を拾うなど、30分以上かかる。それでもラオスは交渉価格通りに行くからまだよい。

切符売場の営業時間は決められており、ドアは閉まっている。その横のドアは開いていたので、2階に上がり、トイレに入る。トイレ脇には椅子もあり、数人が休息していたので、それに倣う。列車が一日3往復しかないと、待合室にも入れない。当然エアコンは効いていないが、外よりはマシか。

13時半に売場前に戻ってみると既に行列が出来ていた。ただラオスの行列は何となく緩い。人は先を急がない。10分後には売場窓口へ辿り着き、明後日のルアンパバーン‐バンビエン行の硬座、最後の1枚を何とか買うことが出来た。料金は86kとかなり安い。かなり窮屈だろうが、これも経験だ。

今度は荷物検査場が開いた。身分証チェックがない以外は中国式だ。すぐに中へ入ると、だだっ広いだけで何もない。売店もないので、飲み物すら買えない。ホームに停まっている車両を眺めると、中国高速鉄道と全く同じもの。20分前にならないとホームに入れないのもほぼ同じ。中国人はぎちぎちに行列するが、ラオス人にそれはないので楽ではある。

ホームに行ってもどこが何号車かの表示はない。全て係員の誘導に従う。係員はマスクの上にフェイスガードもしている。各車両に乗務員がいて、チケットをチェックするのも同じだ。一等車の向こう、先頭にビジネスクラスがあるのだが、そこへは行かせてもらえず、写真も撮れない。乗車しても高速鉄道と同じなのでワクワク感があまりない。 

どうやらタイ人観光客が多い。中国人はほんの少し、後は白人さん。日本人は見かけない。ラオス人も多くはない。きっと二等に乗っているのだろう。スピードは150㎞程度で早くはない。最初の1時間は平地を走っている感じだったが、後の1時間はトンネルが多い。工事は大変だっただろう。停車した駅は帰りに寄る予定のバンビエンだけだった。ところどころに貨物車が停まっているのが目に付く。単線なので、すれ違いで10分近く停車していた。

ちょうど2時間で終点、ルアンパバーン駅に到着した。これまではバスで10時間かかっていたのを考えると画期的だ。この駅の形はビエンチャンと一緒。駅の脇から出ると、駅前には本当に何もない。1段下がったところにミニバンが沢山待機しており、送迎バンがシステマティックに行われているのはとても良い。1人、35k。20分ほどで街中へ行く。ラオス人も同乗しており、途中で降りていく。

ラオス鉄道旅2022(2)ビエンチャンの変化

取り敢えず泊る所を考えなければならない。検索するとガーデンホテルという文字から10年前に泊まった宿だと思いそこへ行くと記憶間違いだった。だが面倒なのでそこで料金交渉してみる。タイバーツの現金で払うと言ったら、予約サイトより安い料金でよいという。まあ庭にプールもあり、いい感じだったのでここにした。

しかしパスポートを渡したら投げ返された。どういうこと?因みに後で知人が言うには『予約サイトを通さなければマージンを取られないので安い』という説の他、『従業員が代金を懐に入れた』などの説も登場。いずれにしても不可解な対応だった。

腹ごしらえが必要で外へ出た。ちょっと行くと以前何度か泊った中心エリアに出た。だが昔の常宿は既に廃業していた。最後に泊まった2020年3月、あまり元気はなかったので想像できた結末だった。メイン通りも閑散としており、欧米人など観光客の姿もほとんど見られなかった。常宿の裏に麺屋があるのを思い出して行ってみると、まだやっていた。カオソイがうまい。値段は20kから25kに値上がりしていた。昨今ラオスでは物価が高騰していると聞いているので、この値上げは十分に理解できた。お客が来て嬉しそうなお婆さんには同情する。

ふらふら歩いているとセブンイレブンなどのコンビニはないものの、BigCミニなどコンビニ系の店舗が明らかに増えている。商品もタイなどからの輸入ものが多いだろうから、為替安、物価高はこういう店にどのような影響をもたらしているのだろうか。値段がタイと変わらなければ、ラオス人にとっては割高だろう。

何となく涼しいので、空港の方に向かって歩いてみる。クラウンプラザやサマセットなどの高級ホテルが出来ており、中国人需要が取り込まれたのだろうか。更に行くと中国市場である三江市場が見えてきた。数年前はちょっと大きな市場程度の認識だったが、後方が巨大化しており、明らかに1つの街になっていた。鉄道の開通のための物流拠点として整備されてきたのだろうか。中国語、しかも方言が飛び交っている。

夜はナイトマーケットにも行ってみた。思ったより地元人が降り、観光客もちらほら見える。食べ物の屋台は以前より少なくなっている。川沿いの遊園地はライトアップされていてとてもきれいだった。何となくビエンチャンにも明るい兆しがあるように見えた。

夕飯はサンドイッチをきれいな店で注文してテイクアウトしたが、もう一人の客が注文したハムチーズが見事に私の袋に入っていた。まあ残念というより、これもまた旨し、だ。バゲットは非常に大きく、とても食べ切れない量だった。夜10時頃、部屋の脇でお掃除の若い子たちが女子会でおしゃべり、結構うるさい。そしてようやく寝付いた夜中2時には、あほな酔っ払い白人が大声で話していてとても眠れない。

8月26日(金)ビエンチャン散策

よく眠れぬまま起きて、朝食を食べた。正直美味しくない。ビエンチャンならフランス系の美味しいパンと卵料理があればよいのだが、何とも中国式のお仕着せメニュー。食えるのはバナナぐらいか。コーヒーもインスタントを入れた方が良い。まあこれだから宿泊費が安いわけだ。ちょっと散歩でもしようと部屋から出たら激しい雨が降り出し、慌てて引っ込む。まあ部屋は快適なので午前中はこもる。

昼頃雨が上がり、散歩に出た。歩いて行き、タラートサオでウドンタニー方面のバスを確認。1日5本程度あるのでちょっと安心。その横のビエンチャンセンターには鉄道のチケット売場があるというので見に行く。ちょうど昼休みで係員はいない。やはり現金は受け付けず。ただ銀聯もOKのように書かれているが果たして使えるのだろうか。因みにこのショッピングモール、上の階には食堂もあるが、料理教室、テコンドーやフィットネス、そしてシネマなどの施設もあり、かなり詰め込まれ感が強い。

そこへMさんが登場。既に連絡してあったが、予定が早く終わったとのことで、ここで合流する。奥さんとも久しぶりに会う。彼女は客家であり、標準語も通じる。奥さんは先に帰り、2人でカフェアマゾンに入って、現在のラオスの様子から共通の知人の近況まで、色々と話し込む。因みにアマゾンカフェは、タイでは庶民の味方だが、ラオスでは高級カフェになっているようだ。

ラオス鉄道旅2022(1)切符が買えない?

《ラオス鉄道旅2022》  2022年8月25日₋31日

バンコク生活も半月が過ぎた。するとまた旅心が疼く。お知り合いが既にラオス初の鉄道(中国支援で建設)に乗ったと話すので、私もチャレンジすることにする。だが前途に暗雲が立ち込めていた。どうなるのだろうか。

8月25日(木)ビエンチャンの鉄道駅まで

2年半前、バンコク生活最後の出国先がビエンチャンだった。ある意味で私の東南アジア旅はまたここから繋がるように思えた。しかし今朝は雨模様。雨期とはいえ、何だか最近のバンコクは雨が多い。しかも雷まで鳴り出すと結構恐ろしい。朝早いフライトではなかったが、取り敢えず早めに宿を出た。幸いにもバイタクがいて、MRT駅までは快調に運んでくれだ。雨は少し降りだしていた。

MRTに乗ってチャドチャック駅まで行く。聞けば最近ドムアン空港へ行く鉄道が開通したらしいが、良く分からない路線に乗ってイライラするのは嫌だったので、慣れ親しんだA1バスで行くことを選択した。ところがバスの停車位置が書かれていたのに、バスは全然来ない。そして雨が強くなる。どうするんだ、と思っているとA2がやってきたので、飛び乗る。この辺が分かっていると楽でよい。

ドムアン空港まで30b、15分ぐらいで着いた。空港内、人は多くないが、数か月前よりは少し戻ってきているのだろう。ノックエアやエアアジアのカウンターには多少人がいたが、私が今回乗るタイライオンエアにはほぼ人はいない。Webチェックインしたのに、メールで搭乗券くれない?仕方なくここで再度チェックインして、紙を貰う。

空港の端から端まで歩いてみたが、ラオスでローミングできるカードは売っていなかった。そもそも買うのは外国人ぐらいで、その外国人がいなかったのだからこれまた仕方がない。それでも荷物検査場にはそれなりに人がいたので安心する。検査場の向こうの店は開いているが小物や服などはディスカウントの表示が目立つ。カフェは全開、一風堂もちゃんとやっている。

ウドンタニー行のフライトは搭乗者70%程度。1時間で到着する。空港では国境行ロットゥのチケットを買う。2年半前と同じ200b。すぐに乗車すると、人が集まってきて、すぐに出発。前回は確か4人ぐらいしか集まらず、定刻発車だったが、コロナ後少しは動きがあるようだ。

なめらかな道を1時間で国境に着く。出国手続きは簡単で、バスで橋を越える。バス代30bは15bから値上げか。バスは懐かしい京都市営バス。ラオス入国手続きも簡単で手数料 20bも同じ。ここまでは呆気ないほど同じで、コロナのコの字もなく、ワクチン接種証明など誰一人気にしていない。

まずは銀行のATMでラオキープを引き出してみようと思ったが、両替所が目に入る。なぜかトゥクトゥクおじさんが寄ってきて、シムカードはこっちだという。と言っても言葉が通じず、銀行員に通訳してもらう。50kで1週間のシムが手に入る。彼は私の行き先が鉄道駅だと知り、300bで行くという。しかしキープでも相場が300k(バーツの2倍)と聞いていたので、きっと間違いだろうと思いながら、何となく彼の車に乗ることにした。

鉄道駅へはビエンチャン市内とは別方向に約20㎞、20分で着いた。バーツを渡すと喜んで受け取った。やはりキープの下落でバーツが好まれるのか、それともお客がいなかったのだろうか。それにしても全くの農村風景に巨大駅が出現して驚く。しかも全てが中国様式。駅の表記も中国語とラオ語しかない。中国丸抱えの鉄道だと分かる。

まっすぐ切符売場に向かうとドアは開いている。人はほとんどいなかった。だが今日のチケットは全くなかった(ネット情報で分かってはいたが)。そして明日もビジネス720kがたった1枚残っているだけだという。因みにこの鉄道は二等、一等(ファースト)の上にビジネスクラスがあるのでややこしい。結局明後日午後の1等、これもたった1枚残っていたチケットを384kで買った。

それにしても殺風景な駅だった。駅前に僅かに露天商が飲み物などを売り、ATMが1台あるだけだった。タクシーなども見当たらない。さてどうしたものかと思っていると、仕切り屋のおじさんから声が掛かる。市内まで100kで行くという。仕方ない。結構なスピードで飛ばしていたが30分はかかった。やはり駅は極めて遠い。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(11)なぜか屋島へ

なぜか屋島に行ってみたくなった。源平合戦、先日壇ノ浦に行ったことも理由だろうか。琴電屋島で降りる。実は屋島は島と書いて山だった?!小さな駅で降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバスが来て山頂まで連れて行ってくれた。しかも100円で。登るにつれて、眼下に海が見えてくる。

源平屋島合戦場との看板が迎えてくれたが、やはり山の上ではピンとこない。その向こうには四国88か所の一つ、屋島寺があったので、まずはそこを見学。源平合戦の遺物を展示した宝物館があるとあったが、スルーした。太子堂や千躰堂などが並び、蓑山大明神のたぬきの置物がかわいらしい。本堂も年季が入っている。

更に展望台?にも行ってみた。ここからなら屋島地域が一望でき、屋島の合戦の舞台を上から見ることが出来る。きれいに作られた施設もあるが、人は殆どいない。天気が悪いからだろうか。今日は小雨で気温も23度と肌寒いと言ってもよく、歩くにはいい気温ではある。

そこから更に歩き、屋島城という古代の遺跡を見た。663年の白村江の戦いに敗れた後、中大兄皇子がここに防御の城を築いたらしい。他にも瑠璃宝の池(血の池)など源平ゆかりの場所もあるが、那須与一や義経の故事はやはり下へ行かないと出てこないらしい。帰るバスが来たので乗り込んだが、駅まで行く前で一人だけ降りた。

バスから洋館が見えたからだ。神戸の異人館から移築され、今はカフェになっていた。その横にはテーマパークのようなきれいな施設があったが、これまたスルーした。その向こうを登ると屋島神社がある。高松藩初代は水戸家初代徳川頼房の次男で、ここに家康を祭った。讃岐東照宮という文字も見える。階段がきつい。神社の門は固く閉ざされていた。ここからは街が良く見えた。

琴電で元に戻り、瓦町駅から歩く。商店街のモールの下をずっと歩いて行くと、高松のB級グルメ、かしわバター丼を出す店に辿り着き、遅いランチを食べる。それにしてもこの店のボリュームはすごい。ご飯は茶わん3杯ぐらい。鶏肉をふんだんに焼いて乗っけてくれる。更には何とご飯が余れば、無料でカレーを掛けて食べられる。これで800円、ありえない。午後3時でも若者が何人も来ていたのは頷けるが、この量、私にはもう無理かな。

腹ごなしに歩いて行くと、歴史資料館と図書館、そして菊池寛記念館が同じビルに入っていたので、寄ってみる。歴史資料館で香川の歴史を学び、図書館で香川茶業の歴史を探す。菊池寛は時間的にパスしたが、後で中央公園に像が建っているのを見て、地元では顕彰されていると感じる。この日は宿でゆっくりして、夕飯は抜き、夜泣きラーメンで一日を終える。

7月15日(金)高松で

朝ご飯を探して町に出る。商店街の2階にモーニングがあると聞いて出掛けてみると、何と300円のコーヒーを頼めばトーストが無料で付いてくるというものだった。かなりレトロな店内は満員で、ちょうど席が空いたので、取り敢えず注文してみた。正直コーヒーは?だったが、トーストは美味しく頂いた。

東京に戻る前に時間があったので、高松駅まで散歩して、高松城跡を見ることにした。横には琴電築港駅がある。この城は基本的に松平家。天守閣は石垣だけが残っており、披雲閣庭園は手入れが行き届いており、素晴らしい。盆栽なども沢山置かれている。月見櫓も残っている。今は玉藻公園という名称の方が一般的らしい。

宿近くまで戻り、早めのランチに行く。丸亀で行けなかったので、綿屋の肉ぶっかけを食べる。システムが良く分からなかったが、社員食堂のように流れていくらしい。早い時間でもどんどん人が入ってくる。確かにこの麺はコシがあり、肉汁のうまみも感じられ、美味い。

昼頃リムジンバス乗り場を探してバスに乗り込む。高松空港は以前一度降りたことはあるが、乗るのは初めて。というか、今回私が四国を目指した真の理由、それは香川県にこれまで1泊もしたことがなかったからだった。これで残すは埼玉県のみ。いつでも泊まれると思って残ってしまったが、果たしてどこで泊まるのが良いかを考えながら、フライトを終わる。折角讃岐うどんを食べたのに、帰りに新宿でまた立ち食いうどんを食べてしまったのはなぜだろうか。