ボルネオ探検記2019(3)突然のサバティーガーデン

2月16日(土)
サバティーガーデンへ

翌朝は朝食を食べてチェックアウト。昨日のミニバンを目指して荷物を引き摺る。ラナウ行きは一番端にあり、そこへ行くとバンには既に数人が乗り込み待機中。私が乗るとすぐにドイツ人夫婦が乗ってきて満員になり、9時を待たずに出発。何とも幸先が良いスタートを切る。ただ車内はかなり狭く、ちょっと窮屈。20MR。

 

車はコタキナバル郊外をずっと走っていく。30分ほどで山道に掛かると、前に車が何台も重なり、山道渋滞となる。今日は週末だからキナバル山へドライブという人も多いのだろうか。運転手は慣れたもので、隙間があればこういう車を追い抜いていく。大型トラックもスイスイ抜いていく。

 

キナバル山が見えてくる。頭抜けて高い山だ。2時間弱でキナバル山公園入口に到着すると数人はここで降りる。日帰り観光を楽しむ客のようだ。更に30分ほど走ると、ラナウの街に入る。予想よりは大きな街。バンを降りると運転手が『サバティーまで60MRで行くよ』と言ってくれたが、一応断り、周囲のタクシーを探す。だが聞いてみても50MR以下にはならない。えー、ここまで20MRで来たのに、ここからすぐの場所に50MRとは。でもそれがマレーシアだと以前の旅で思い知っている。

 

トイレに入り気分を整えると、ミニバン運転手と目が合う。45MR、潮時だ。一人ミニバンに揺られていく。そこからサバティーまでは何と30分以上かかった。そして確かに本道から山道を登るのはきつく、そして長かった。案内所の忠告を聞いておいて本当によかったと思う。茶工場も通り過ぎ、そのまま宿泊施設へ向かう。

 

宿泊施設は伝統的なロングハウス(木造長屋)とロッジ。料金は2倍以上だが、快適そうなロッジを選ぶ。この辺が既にヘタレ。ロッジは客間と寝室があり、3人は泊まれる広さ。昼間、客は誰もいないが、隣の部屋の修理をする人が出入りする。ここから歩いて5分以上かけて、レストランへ向かう。途中は一面の茶畑。気分は途端に良くなってくる。

 

レストランは茶工場の横にある。茶工場は動いているようだが、外からは見えない。レストランは結構お客がいた。週末だからだろう。ここからの眺めは、キナバル山と茶畑、素晴らしい。サバティアイスミルク、昔飲んだ物よりも美味しく感じられる。場所のせいだろうか。茶葉の入ったスープは豚肉も入っていて意外だが、私には美味しい。炒飯もよくできていて驚く。

 

茶工場見学をお願いしてみたが、何と今日はもう生産終了、明日は日曜日で休日と言われショック。一応ガイドさんから、この茶園の歴史などを聞く。ここは1970年代にサバ州が開発した新しい茶園。ボルネオ島唯一の茶園でもあり、インドからアッサム種を持ち込み、紅茶作りを始めたという。以前は広大なジャングルだった。現在も紅茶の生産は順調で、生産量を伸ばしているらしい。

 

午後は茶園をぐるぐると散策する。歩いている人など一人もいない。ここの従業員は基本的にバイクで動いている。茶畑の脇には様々な花が咲いており、フルーツも沢山なっている。如何にも自然の中に迷い込んだ雰囲気がある。2時間歩いても歩ききれない。夕暮れが近づくとかなり寂しい雰囲気にもなる。

 

疲れたので、レストランへ行き、サバティーとコーヒーをミックスした飲み物をアイスで注文する。確かにコーヒーの味もして面白いが、わざわざ混ぜる必要があるのかは疑問。レストランは早く閉まるというので、そのまま夕飯も食べる。さすがに夕方は観光客もいない。私が帰る頃、宿泊客が食事にやってきた。ここの宿泊客は、この付近ではここしか食べる場所はないのだ。私は早々に引き上げ、シャワーを浴びて早寝する。

 

2月17日(日)
朝のキナバル山

翌朝は早く起きた。あたりが明るくなるとすぐに外に出て、朝のキナバル山を眺めた。レストランから見る山が、茶畑と相俟って素晴らしい。ただそれもすぐに霧に包まれてしまう。まだ朝飯には早いので、付近の散策を始めた。ところが霧のせいか、道に迷ってしまう。気が付くと、茶苗を育てている畑に到着。これも見られて嬉しい。ただ帰りの坂が急すぎて、息切れがすごい。

 

朝飯は店員に勧められて、XXフォー(名前失念)という、スープヌードルを食べる。このスープ、絶品。フォーって、あのベトナムにあるフォーの原型なのだろうか。この茶園だから当然洋風朝食と思っていたが、意外性があってよい。温かいティーがポットにカップ3杯もあり、満足。ショップでお茶を買うが、紅茶以外に手作り烏龍茶、そして何と日本から輸入している玄米茶も売っていた。

 

9時半に本道にバスが来ると聞いたので、9時にチェックアウトして荷物を引き摺りながら降りて行く。とにかく道が悪いのでスピードは出ない。荷物ケースが壊れるのではと思う程だ。何と下まで降りるに30分かかってしまう。確かにこれなら登っていくのはどれほどの時間を要するのだろうか。橋があり門番のおじさんが怪訝そうな顔で見送ってくれた。

ボルネオ探検記2019(2)コタキナバルを歩く

2月15日(金)
コタキナバルの街を歩く

翌朝起き上がると、強い日差しが窓の外にあった。やはりここは南国なんだ、真冬の日本とは大違いだ。ホテルに朝食が付いていたので食堂に行って見る。パンもあればお粥もある。それほど高い宿代ではないが、意外なほど充実しており、気に入ってしまった。お粥、それも白粥ではなく、広東粥があるのは、オーナーが広東系だからだろうか。

 

まずは街の様子も分からないので、歩き出す。宿からすぐのところにミニバンなどが沢山停まっており、客引きが盛んだ。私は明日サンダカンに行くつもりだったので、その情報をゲットする。どうやら大型バスは郊外のターミナルから、キナバル山へ行くならここからミニバンと言う感じだと分かる。コタキナバルがサバの中心でここから各地へ向かう。

 

その先の道路を渡ると、中国人観光客が屯しているエリアがあった。まだ旧正月の名残なのか、団体が多いようだ。ガヤストリートはいわゆる中華街。完全に中国系が観光客相手に商売している場所、大勢が朝ご飯を食べていた。この街、歩いているとやたらと漢字の看板が出てくる。本当に華人のプレゼンスが高い。なぜか華人でもない私は漢字の看板でテンションが上がる。

 

そこから海の方へ出てみる。快晴で気持ちがよい、素晴らしい景色が広がっている。海つたいに歩いて行くと本当に爽快だ。ジェッセルトンというフェリー乗り場の脇に大きなビルが建っており、中国語の簡体字でセール、と書かれている。ここに来る観光客が買うのだろうか。

 

街中に古い、いい感じの建物があった。ここが観光案内所だった。中に入り、『サバティーガーデン』への行き方を聞く。係の女性が『サンダカン行きのバスを途中で降りれば行けるけど、降りてからが大変ね。むしろラナウという街まで行ってタクシー拾った方が利口よ』というのでメモしておいた。帰りにまたミニバンが集まる場所を通ると、ちょうどラナウに行くバンがあり、明日は9時にも出るよ、と言われたので、それに乗ることにした。

 

宿に戻り、もう1泊することを告げる。すると係が嬉しそうに、『今日の夜は昨日より安いです』というので、てっきり2泊目を割引してくれたのだと思い喜んだが、後で聞いてみると、『デポジットが多く入っていたので、現金で貰う分が少なかっただけ』というので、一気にいい気分が覚めた。サンダカンから戻ったらまたここに泊まろうと思ったが辞めた。

 

ランチは近所で気になっていたブルネイ・チキンライスを食べてみる。飲み物付きで9MR は安い。どうも海南チキンが蒸し鶏なのに対して、ブルネイは焼き鶏のようだった。取り敢えず満足できる美味しさ。こういう時にコーラを飲むはなぜかフィットする。今回の旅でやはりブルネイには行こう、というモティベーションになる。

 

午後は博物館に行って見ようと思う。案内所でもらった地図で見るとそれほど遠くないのでサンダルのまま歩いて出ていく。何とも暑い日差しが頭の上から注いでくる。少し歩いてみたが、そのような建物は全く見つからない。仕方なくスマホで地図を見てびっくり。ここから3㎞以上離れたところにあるではないか。一瞬迷ったが、戻るのも嫌なので、歩いて向かうことに決定。地図があるので迷うことはないが、やはり相当に遠く、サンダルが擦れて足の皮がむけそうになる。

 

40-50分も炎天下を歩いて何とかサバ州博物館に辿り着く。入口には中国人の団体がいる。チケットを買って中に入る。ここには先住民族の歴史から始まり、イギリス時代、日本の占領を経て現在に至る過程が示されていた。先住民は何となく台湾原住民に似ており、何らかの関係性が感じられる。華人は広東系、客家系が早くに来たこと、イギリスが来て、最初はサンダカンが発展、戦後コタキナバルに中心が移っている。

 

博物館の後ろには鉄道展示場がある。コタキナバルにも100年以上前鉄道が敷かれ、今でもわずかに走っているようだ。更にイスラム博物館もあるというので探したが、何と坂を登り切って、敷地の外に出たところにあった。ここには昔のコーランなどが展示され、世界のイスラム教徒の分布図などもあったが、私の興味を惹くものはなく、早々に退散。

 

最後に先住民の住居などを再現した大きな庭を回り、見学終了。さすがに帰りも歩くのは無理。バス停を教えてもらったが、そこに辿り着く前にバスが来てしまうも、手を挙げたらちゃんと停まってくれた。1MR を運転手に払う。どこ行きかは分からなかったが、最終的に私が行きたかったショッピングモールの前に着いたから驚いた。

 

ここでの目的は両替。銀行よりここの方がレートも良くて便利だと教わっていた。最近米ドルは新札でないとレートが割り引かれる、手数料を取られる国が増えたが、マレーシアは問題ないようでホッとする。疲れたのでソフトクリームを買って食べる。疲れた体には幸せな気分。

 

夕飯はガヤストリートで、海南チキンライスと粥を食べてみたが、どちらも期待外れな味で、量も少ない。どう見ても観光客用で気に入らない。中国人はよくこんなところ食べているなと呆れてしまうが、他に行ける所もないのだろう。少し離れたショッピングモールには旧正月飾りが実に鮮やかだ。華人が普通に食べる所で食べたい。

ボルネオ探検記2019(1)28年ぶりのコタキナバルへ

《ボルネオ探検記2019》  2019年2月14-28日

クアラルンプールに行きたいと思った2月。だが華人の知り合いに『旧正月明けは忙しい』とあっさり断られる。それでも日本は花粉症の季節になっており、どうしても海外脱出したかった。そこで検索して出てきたのが、コタキナバル。マレーシアのボルネオ島に行ったのは、もう28年も前のこと。しかもそれは香港から行った初めての家族旅行(長男1歳)で、ビーチリゾートに滞在しただけ。ほとんど観光すらしていない。実質初めてのボルネオを探検してみようと思い立つ。

 

2月14日(木)
コタキナバルまで

早朝成田空港を目指す。8時半過ぎには空港に到着し、マレーシア航空のチェックインカウンターに進む。既に結構な列が出来ていた。だがよく見ると私のフライトはJALが運行すると書いてある。こういう場合、マレーシア航空でチェックインすると、座席などはちゃんと確認できるのだろうか。ちょっと不安になり聞いてみると、何と『JALでチェックインして』と言われ、慌ててJALに走る。JALカウンターは空いており、すぐにコタキナバルまでの2枚の航空券を得た。

 

空港第2ターミナルに来るのは久しぶりだ。搭乗口はイミグレから一番遠い場所にあった。途中まで歩いて行くと、仕切りがあり、ソファーもある、寝転がれるスペースを発見。偶々空いていたので、ここで休息しながら、充電も行う。テレビも目の前にあり、朝の番組を見て過ごす。搭乗時間が迫るとまた歩き出す。

 

ふと壁を見ると、仮面ライダー勢ぞろいのポスターが。中国人の若いカップルが楽しそうに『私はここから見ていた』などと言っている。そうか、中国人もライダー見ていたんだ、と妙に感心する。ただここにお目見えしているのは平成以降のライダーたち。私は昭和だから、話しは合わんな。

 

搭乗口に行くと大行列が出来ているが、誰がどこに並ぶのかさっぱり分からない。JALはANA以上に優先会員が多いので、あまり優先の意味はないように思える。結局最後の方からノコノコ乗っていく。JALの国際線、しかも長距離線に乗るのは何年ぶりだろうか。ご飯はANAよりは美味しいかな。

 

映画を2本見た。1本は前回も英語版で見たボヘミアン・ラプソディ。これはテンポが良くて、歌がいいので、機内で見るには良い。もう1本はなぜか佐藤健と高橋一生がモロッコを旅する『億男』という映画を見てしまう。そして何だか心に引っかかるものがあり、少し考えこむ。『人間にとって本当は何が大切なのか』という古典的命題かと思うのだが、何が引っかかるのだろうか。そんなことを考えてウトウトしている内に、何となく8時間は過ぎてしまったようで、まずはKLに到着した。

 

国内線への乗り継ぎ場所は非常に分かり難かった。なぜか表示が出ていないのだ。カウンターで聞いて、ようやくたどり着く。しかし国内線のターミナルに入ってしまうと途端に寂しい。食堂も売店も色がなくなる感じだ。しかも食堂で食べている人もいない。私は飲み物が買いたくて自販機に手を出したが、リンギは持っているのに、なかなか買えずに手間取る。カルピスが何種類もの味を出している。

 

ようやくコタキナバル行きに乗り込む。来た時は夕日が沈むところで、今は真っ暗だ。乗客は多くなく、楽ちんなシート。それでも2時間以上の旅なので、簡単な食事も出た。外国人はほぼ乗っていないようだ。機内の照明が暗くなり、ウトウトしているとそのままランディング。

 

午後11時半のコタキナバル空港。何と国内線なのにイミグレカウンターに並ばされる。ここサバ州は自治権を持っているとかで、先ほどKLでマレーシア入国手続きは済んでいるのに、もう一つスタンプが押された。荷物は預けていないのですぐに外に出られた。出口を出るとまずはシムカードの購入。15日間、40MR で25GBというそんなに使えるのかというコースを勧められ、買う。

 

既に空港から市内へのバスは時間的に終了しており、タクシーカウンターに行き先を告げ、チケットを購入してタクシーに乗る。30MRはちょっと高いが、他に方法はないし、一応深夜なので安全を期す。運転手とやり取りする必要がなく便利。街までは15分ぐらいだった。勿論28年前の記憶など全く残ってはいない。

 

今晩予約したホテルは中国系だった。宿の前には大きく中国語名も書かれている。ホテル代の他に、サバ州では1泊10MRの宿泊税を課すと書かれている。1泊ずつだから、これから毎日払うのかと思うと、ちょっと嫌な気分になる。京都に泊まる外国人も同じ気分を味わうのだろうか。

 

部屋はコンパクトだが、エアコンも効き、十分だ。当たり前だが、東京に比べればかなり暑い。残念ながらWi-Fiのパワーがなく、スピードを上げるため、仕方ないので、スマホのテザリングで対応する。シムカードの容量が大きいので安心して、使えるのがよい。1000円のシムカードが、これからボルネオ各地で大活躍することになる。

横浜・鎌倉茶旅2019 大船に泊まったが

《横浜・鎌倉茶旅2019》  2019年2月7-8日

静岡、愛知の旅から東京に戻ったが、どうも腰が落ち着かない。今度は横浜と鎌倉でお話しを頼まれたので、思い切ってその中間?大船に泊まってみることにした。勿論初めての経験。さて、どうなるのだろうか。

 

2月7日(木)
横浜から大船へ

朝から横浜中華街に向かう。9時半に到着するには、ちょうど通勤ラッシュにぶつかるため、少し早めに家を出た。これまで色々な行き方を試したが、今回は王道の東横線、偶々速い電車に乗れたので、中華街到着も早まった。実は開始時間を10時だと思っていたが10時半だとついてから気付く。時間調整のため、会場を通り越して港の方に出てみる。何だか雰囲気のよさそうなホテルに惹かれる。

 

山下公園も長らく歩いていない。向こうには氷川丸も見える。歩き出すと、突然リカルテ将軍記念碑にぶつかる。フィリピン独立の英雄だと書かれており、横浜に亡命していたらしい。この人のことをもっと知りたい、と思っていると、今日の主催者Kさんからお呼びがかかり、ここでお散歩はあえなく終了。

 

香流という居心地の良い茶空間で、お話しさせて頂くのは、昨年5月以来今回が3回目。主催者お二人は大学の先輩でもあり、お声が掛かれば駆け付ける。今回のテーマは『台湾高山茶の歴史』と『鉄観音茶の歴史』の2本。恐らくはこれまでイメージしていた茶の歴史とはかなり違う角度からのアプローチであり、聞いている方は意外に思ったかもしれない。毎回脱線ばかりで、お役に立ったかどうかは定かでないが、午前午後通しの会に集まってくれた人々には感謝したい。

 

お昼は参加者の皆さんと中華街へ繰り出す。今日はまだ旧正月中であり、イベントなどもあるようで、多くの人出が予想されていた。我々は一番近い台湾料理屋、青葉に飛び込む。このお店、実は30年前にも来たことがある。あの時は台湾から研修に来た人を連れて来た。店の人と懐かしそうに台湾語で話していた姿を覚えている。でもメニューを見ると日本人向けになっている。台湾語で注文すれば裏メニューが登場するのだろうか。

 

午後のお話も無事に終了し、それから中国の茶旅などについて、引き続き相談を受けた。暗くなる頃横浜駅まで出た。大船への行き方は色々とあるが、横須賀線で大船へ向かう。大船駅のすぐ近くに宿をとっていたのでチェックイン。このホテル、快適な上、窓から駅と大船観音が見えてよい。

 

腹が減ったので、すぐに夕飯に。先ほどHさんに教えてもらった観音食堂に入る。ここは魚屋さんがやっているというので刺身定食を注文。店内はちょっと古めでいい感じ。皆酒を飲んでいる時間帯だが、一人でも快く受け入れてくれたのは有り難い。刺身も美味しく、満腹。そのまま付近を散策したが、酒も飲まない私は、ホテルに部屋に帰り、テレビを見ているうちに寝落ちる。

 

2月8日(金)
西鎌倉から自由が丘へ

翌朝は早めに起きた。快晴!大船に泊まったのは、大船観音に参拝するため。実は幼い頃、辻堂に住んでおり、東海道線に乗るといつも見えたのが観音様。だがただの一度も参拝したことがなかった。駅の反対側まで歩いて行き急な坂を登るとそこに門があったが、何と9時からしか開かないという。またダメだったか。

 

何とも残念な気分になりながら、ホテルに戻り朝ご飯を食べる。ここはカフェ。メインの料理を選び、後はビュッフェスタイル。私は和食系をチョイス、味噌汁も給湯器のようなものから出てくるのだが、なぜか味噌が入っていない。係員に言うと恐縮しながらすぐに味噌液を交換するというが、いつまで待っても出来ず、メインも来たので洋風スープを取る。食べ終わる頃係員が味噌汁を持ってやってきたが、もう必要がないので断ってしまった。こういう場合、どうするのがよいだろうか。彼女はどう思っただろうか。

 

大船からモノレールに乗るのは、何十年ぶりだろうか。記憶がないくらい遠い過去だ。途中アップダウンがあり、また富士山が見えたり、大工場があったりと飽きない。西鎌倉に到着すると、すぐに今日の会場、茶風さんが見付かる。駅から近い。こちらには初めて来たが、手前にお店があり、ご自宅内がセミナーなどの出来る場所になっている。更には広い庭、いや裏山があり、様々な茶樹が植わっていて楽しい。モノレールも同じ高さに見える。

 

今日は包種茶のお話し。平日なのに男性も来てくれていて心強い。そして皆さん非常にノリがよく、脱線話にもついて来てくれて有り難い。お茶を飲みながら話し、途中には軽食が出てブレーク、ここでも雑談が始まる。合計3時間、何だか沢山話して楽しかった。終了後も何人かがお店でお茶を飲んでおり、そこに加わってまた話す。

 

時間が来たので、自由が丘を目指す。モノレール、横須賀線で武蔵小杉まで行き、東横線に乗り継ぐ。今日は30年前の同じ部署の先輩Tさんと久しぶりに会う。食事の場所は何と泰興楼。ここは本店が八重洲にあり、その昔よく行った。餃子が大きいのが特徴。この支店も同じで懐かしい。上海焼きそばは上海にない、などと言いながら、30年のご無沙汰が吹き飛び、昔話に花が咲く。偶にはこのような再会も嬉しい。夜遅く帰宅し、1泊2日の旅は終了した。

静岡から愛知へ2019(3)犬山の病院と城

2月3日(日)
セミナー

今朝は早めに起きる。あまりに狭い部屋で、息苦しかった。上はちゃんとした部屋だったから、料金を払えばよかっただけだが、それなら駅前の3000円の所に泊まって、銭湯だけ入りに来れば、420円で済む。次回はそうしよう。チェックアウトする時に見ると、朝から銭湯は開ており、大勢が入っていて驚いた。また泊り客は若者が多く、皆朝風呂後にチェックアウトしようとしている。こんなのが流行りなのかもしれない。

 

名古屋駅前から地下鉄に乗り、今池に向かう。ところが今池に行ける地下鉄は2つあることに気が付く。どちらが便利なのか、さっぱり分からず、適当に乗ったら、遠回りだった。やはり不慣れだ。駅を出て、荷物を引っ張って会場へ向かう。会場に行くのは3回目なので、問題はなかったが、結構歩いた。

 

今日は台湾高山茶と中国紅茶の話。主催者の茶心居さんが参加者を集めてくれて有り難い。高山茶の話は、茶産地の位置と意味が分かり難かったようだ。確かに余程詳しくないと理解できないはずだ。私は今や、自分の話したいテーマで、話したいようにしており、参加者のことはあまり考えていないと改めて思う。

 

お昼は台湾おにぎりとスープの会場販売があり、私もそれを頂いた。しかし午前と午後の間が2時間以上あり、雑談に花が咲いてしまい、少し気が抜けた。散歩に行った人もいたが、雨が降り始めたようで、ちょっと難儀した。次回は1時間ぐらいのインターバルで出来るとよい、と思う。

 

午後の中国紅茶、こちらも中国全土を駆け巡っており、位置関係は分からなかったかもしれない。また紅茶全体の歴史の詰めがまだ甘いため、分かり難かったかとも思う。紅茶の近現代史は、各産地共に似通っているので、もう少し工夫が必要だろう。まだ烏龍茶の歴史などを勉強していないため、その比較ができないことも苦しい。

 

セミナーが終了すると小雨の中、今池に歩いて戻り、また名古屋駅へ。今日はこれから犬山市へ向かうのだが、何しろ初めてで、名鉄でもまごつく。ホームまで行くと、色別に並ぶ列が違っており、本当に困った。そこにアジア系外国人数人がやってきて、当然のように空いているところに並んでいたが、自分たちが乗る電車が来ると横入りの形になってしまう。何となく車内の雰囲気が悪くなる。

 

5時半過ぎに犬山駅に到着する。旧知のIさんが車で迎えに来てくれて、夕飯に連れて行ってくれた。そこはちょっといい和風ファミレス。何と香港で一緒だったTさんが今そこの役員になっているというので驚く。立派な定食とドリンクバー、親子三世代で来られるお店を目指しているようだ。

 

そこでIさんと昔話に花が咲く。実はIさんと、昨晩名古屋で会ったUさんも香港の時に知り合い。奥さん同士は今も年賀状をやり取りしているらしい。この二人、近くにいるのに会う機会がなかったようで、ちょっと橋渡しした。Iさんはこの偶然?にとても驚き、そして喜んでいた。今晩はIさんが予約してくれたホテルに入り、足を十分に延ばして寝る。

 

2月4日(月)
背骨と犬山城

翌朝、朝食付きというので1階のカフェに行って見ると、トーストとゆで卵に、煮物のようなものが付いてきた。とても不思議な朝ご飯。そういえばいまだに名古屋のモーニングを食べたことがない。Iさんが迎えに来てくれ、勤務している、『あいちせぼね病院』に向かう。

 

この病院には椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症の患者がやってくる。治療費は100万円以上するが、1度の手術で、ほぼ治るというので、東海地方を中心にお客がたくさん来ているという。確かに費用が多少掛かっても、数か月、数年痛い思いするより、すぐに治る方を選びたいという希望は理解できる。東京にも分院があるので、腰痛持ちの私もいつかお世話になりそうだ。

 

病院内を見学すると、MRIが何台もあるなど最新鋭の機器が揃っている。病室もとても広くてきれい。外国人富裕層向けの対応だろうか。病院はつい最近だが、オペクリニックは20年以上前に開業しているという。愛知にこんな病院があるとは驚きだ。健康診断に来る人も多いとか。Iさんとこの病院が更に良くなる方法について話しているうちに、あっという間に昼になる。

 

とんかつ屋に連れて行ってもらったら、満員盛況。何だか活力あるな、犬山。その後車で国宝犬山城まで連れて行ってもらい、Iさんと別れ、城に登る。この城、日本で一番古い天守を持つことから、城好きに大人気だとか。登っていくと階段が急で大変。上からの景色はとても良い。歴代城主、明治以降も城主が城を所有してきたという。

 

城の下には神社などもある。前の道は、昔ながらの風情を作っている。そこを歩いて駅へ行き、名鉄で名古屋に出る。JRバスで帰ろうと思い、新宿行きを頼んだが、『30分後の東京駅行きの方が早く着く』と言われてびっくり。余った時間で、あの台湾ラーメンを食べてみるが、辛くてたまらない。これに台湾と名付けるか?長距離バスに乗る前に食べるものではない。バスは空いていて快適。途中SA に寄って約5時間で東京駅まで帰って来られた。料金は新幹線の半分、その日の内に帰れるし、次回からこれにしよう。

静岡から愛知へ2019(2)富士山茶園から袋井、名古屋へ

2月2日(土)
富士山茶園から袋井、名古屋へ

翌朝は早めに起きたが、既に包丁とまな板がぶつかる音が響いていた。農家の朝は早い。朝ご飯を頂いていると電話が鳴る。Nさんのお知り合いの茶農家から、『富士山がきれいだから茶畑見に来れば』とのお誘い。本日は午前中に金谷のミュージアムを見学してから袋井まで行くことになっていたが、富士山の誘惑には勝てずに、Nさんの車で出掛けて行く。

 

そこは金谷とは反対方向。車の中からも富士山が大きくなっていくのが分かる。まずはHさんの家に迎えに行き、一緒に茶畑に進む。もう沼津に近いこの辺り、平地にも茶畑が見られるが、我々は山道を登り始める。少し行くと山沿いにひっそりと茶畑が広がっている。まるで山茶を見に行った時に出会ったような光景だ。

 

更に登っていくと、新しく開墾された場所にまだ小さな茶樹が植えられていた。畝の幅がとても広く、普通の畑とはかなり違ってみえる。『皆が山を捨てて機械を入れやすい平地に移ったから、逆張りで山に植えている』のだという。新しい試み、実に新鮮だ。大きな木が邪魔しなければ富士山がよく見え、観光スポットとしても絶景になるだろう。

 

帰り路を行くと、今度は目の前に海が見える。その前には広々とした平地があり、製紙工場などの煙突が見える。写真撮影には絶好の場所だが、当然地元の人以外に知る者はない。更に下りると高速道路を渡るが、この辺は高速の上を渡る橋がとても多く、比較的簡単に平地に戻れる。

 

そのまま車は沼津インターを目指す。ここから高速に乗った方が金谷には近いという。そしてSAではHさんのお茶が売られていた。このSAは、ここから海が撮影できることから、立ち寄る客が非常に多く、売り上げもかなりあるという。またなぜか入り口には行列が出来ており、なぜかアニメキャラのイベントが大人気なのだという。

 

高速道路に乗ったが、静岡は広いことを改めて知る。途中まで行って、金谷に寄っていては、袋井の約束に全く間に合わないことが分かり、金谷のミュージアム行きを諦めることになった。松下先生のコレクション展示の見学は次の機会に譲ることとしよう。Nさんたちは静岡の東側の人。西側にある袋井へ道は分からないという。途中のSAで確認してようやく道を選び、遠州森町で高速を降りた。

 

そこから一般道を走り続け、11時半の約束に10分遅れで到着。ランチはお知り合いのIさん、Mさんとハンバーグを食べる。Hさんは金谷に行くために同乗してきたが、この混乱に巻き込まれ、一緒に食べる。同業者のMさんとは、やはり何となく面識があり、業界内話も始まる。

 

食後NさんはHさんを乗せて金谷に向かった。金谷へ行きたかった私が行けず、特に必要がなかったNさんが行くとは。何かのお告げかもしれない。我々はMさんの車で、セミナー会場へ移動する。袋井駅近くの立派な公民館だ。『茶学の会』のことは何度も聞いていたが、偶々今日開催だったので初めて参加する。

 

重鎮K先生をはじめ、参加者が続々集まってくる。旧知のY先生と隣になり、茶の歴史について雑談する。今日は埼玉の博物館の学芸員から『明治期のさいたま茶の輸出』について、話があった。この方は茶の専門ではなく、博物館の展示のために1年かけて準備した、その内容を報告している。

 

埼玉と言えば狭山茶だが、県内にはそれ以外にも茶産地があり、一時輸出されたというもので、地元の茶関係者などが紹介されている。出来れば、江戸時代の茶生産まで遡ってもらえると、私としてはもっと興味を惹かれたのだが。静岡の参加者は茶の歴史に詳しく、鋭い質問がどんどん飛んでくる。ずっと聞いていたかったが、夜の名古屋の予定に備えて、一足先に失礼した。

 

袋井駅まで歩いて行き、JR在来線に乗り込む。浜松で乗り換え、また豊橋でも速い電車に乗り換えた。途中で乗客がたくさん乗ってくる場面もあったが、席は確保できたので楽ちんだった。新幹線を使わなくても約2時間で名古屋駅に到着した。今晩は前回とは違う駅近くのホテルへ向かう。

 

その宿は、何と銭湯が部屋を提供するという面白い所だった。銭湯の入り口でチェックイン。そこから横のビルに繋がっていて、地下へ。どうやら前はバーだったと思われる場所に実に狭い部屋がいくつかあった。この部屋で6000円は、いくら銭湯入り放題といわれても正直高い。

 

夕飯は旧知のUさんと駅付近で洋食。Uさんとは香港、北京でご一緒、その後東京、名古屋でも会ってはいたが、今回は久しぶり。還暦を過ぎてもバリバリ働きながら、奥さんと欧米にも旅行するというからすごい。仕事の話から家族の話まで、古い付き合いの方とは幅広い話が出てよい。その後銭湯にゆっくり浸かり、早々に寝る。銭湯には若者がたくさん来ており、ちょっと驚く。

静岡から愛知へ2019(1)ホッとする農家民宿

《静岡・愛知茶旅2019》  2019年2月1日-4日

1月の台湾生活から戻ったが、旧正月で行くところがない。それでは日本国内を回ろうということで、名古屋のセミナーに呼ばれた。折角名古屋まで行くなら、静岡に寄ろうと思い立ち、農家民宿をされているNさんの所に泊まることになった。更には名古屋の後、初めて犬山市にも向かう。ご縁はずっと続いていく。

 

2月1日(金)
農家民宿へ

台北から戻って僅か2日だったので、今日は朝ゆっくりと出発した。日本は冬だし、無理は禁物。今回は在来線で静岡を目指す。やはり時間がある時は、苦手な新幹線は避けるべし。小田急藤沢経由を計画したが、乗り継ぎに失敗し?いつもの小田原経由となる。スイカが使えないので切符を買うなど、久しぶりのルーティン。箱根駅伝グッズを見ていると、外国人観光客が相談窓口周辺にたむろしている。

 

小田原かJRに乗ると、今日は本当に天気が良くて、海が輝いている。熱海で乗り換えてまた進むと、富士川を渡る頃、おっきな富士山が目の前に現れた。あまりの見事さに心を奪われている内に、写真を撮り損ねた。新幹線では遠くに見える富士山が、在来線ではなぜこんなに大きいのだろうか。

 

午後3時前にJR興津駅に到着。そこにNさんが待っていてくれた。興津といえば、東海道17番目の宿場町。以前一度降りたことがある。茶のゆかりの寺があったはずだと言うと、早速車で連れて行ってくれる。清見寺、ここの特徴は何と言っても、山門と本堂の敷地の間に東海道本線が通っていることだろう。

 

この寺に鎌倉初期、聖一国師が立ち寄り、茶の種が伝えられたと聞いたことがある。ただ境内にはそのような雰囲気も、表示も何もない。あるのは見事な古い五百羅漢などである。ここでお茶会が開かれることがあると言うが、静岡茶の祖だと言われる聖一国師の由来があるのであれば、もう少し宣伝するだろうと勝手に思う。

 

むしろ興味深いのは、大正天皇が皇太子時代にここで静養し、海水浴などをしたという話。その時食べられたのが、宮様まんじゅうとして残っているという。それにしても大正天皇とは一体どんな人物だったのだろうか。天皇が退位する今年、ちょっと知りたいテーマの一つではある。

 

車は旧東海道を走っていく。街角には、古い道しるべや石碑が残っていた。色々なところにあったものを、一か所に集約したのだとか。身延山へ、という表示から、ここから山梨方面を行く旅人がいたことも分かる。『この辺には見るものは何もない』と言いながら、車はその身延山方面に向かって走っていく。

 

途中で高台に上がる。小島陣屋跡、と書かれた場所がある。江戸時代陣屋があった場所、明治維新後は小学校になり、私有地として所有され、下の方の大部分は戦後分譲されたらしい。石垣が残っており、陣屋があったことは何となく分かる。ここには昭和30年以降、かなりの茶畑があったとのことだが、残念ながらかなり前から茶業は衰退し、放棄地が増加していた。

 

10年ほど前に、その放棄地が陣屋跡として、国から指定を受けて、活用されることになった。だが本日現在、若干の茶樹以外はほぼ更地で、陣屋跡の看板だけが建っている。史跡指定を受けて10年も経つのに、再建される訳でもなく、何かに活用される訳でもない。何故だろうか。それにしても陣屋が茶畑になり、また陣屋に戻される、何だか面白い展開ではある。

 

興津駅から10㎞近く進んだところに、小河内という地区があり、車は小道に入って停まる。そこには『有機農法の宿 ぬくもり園』と書かれている。庭には古い建物があり、その横には茶畑がのぞく。とても雰囲気があり、ちょっとテンションが上がる。宿泊場所は、Nさんのおうち、本当に民宿だ。元々は土間になっていた玄関、敷居が高い。その横に広い部屋が2つ、今日はお客さんがいないので、この部屋を占拠する。

 

暗くなる前に周囲の茶畑を散策。家の裏から山沿いに広がる。こういう光景に憧れるお茶好きは多いだろう。近くには小学校があり、下ると川もある。畳の部屋に戻って、お茶を淹れる。涼しくなってきたので、石油ストーブに火が点く。何とも懐かしい生活が始まる。猫がこちらをチラチラ見ている。お風呂に入る。お茶風呂、本当に淹れたお茶が湯船に入っている。体が相当に暖まる。

 

夕飯はNさんと二人で食べた。何だか実家に帰ってきたような気分になる。もう長いこと味わっていなかった感覚だ。猫も慣れてきて、おこぼれを狙いながら、膝の上を占拠する。暖かな夕飯となる。静かな環境で、お腹が一杯になると、かなり眠気に誘われる。今日はサッカーアジアカップ決勝があるはずだが、そんなことにはお構いなく、早々に布団を敷いて寝てしまう。

ある日の台北日記2019その1(11)既成概念を取り払いたい

1月27日(日)
いつもの店で

今日はそろそろ米が食べたくなり、いつもの食堂に行く。そしていつもと同じものを頼もうとしたが、店に掛かっているメニューを見て驚く。これまでバラバラに単品を注文していたのだが、何と定食があるではないか。今回は定食を頼んでみる。だがなぜか別に野菜も頼んでしまい、定食と野菜がダブる。

 

今回分かったことは、兎に角台湾には定食の概念があるのだから、一人で食べるなら、定食があるかどうか、または出来るかどうかを確認すべきだということ。単品注文よりかなり安くなる上、量的にもちょうどよくなるはずだ。それが食べ過ぎ注意にも有効に働き、一石二鳥は間違えない。

 

台北生活にもかなり慣れてしまい、ルーティン化してしまっているという自覚がある。まだまだ知らないことだらけだから、もう少しチャレンジしてみる必要があると痛感する。今回はあと僅かで台北を去るし、旧正月が近いのであまり冒険は出来ないが、次に来訪時には今より大胆になろう。

 

1月28日(月)
サッカー

今日は明日のセミナーの準備をしていた。これまで台湾茶については、台湾紅茶、包種茶というように、各茶の歴史について調べたことをお話してきたが、明日は『台湾茶と日本の繋がり』がテーマだから、その一部を抜き出し、再構成する必要がある。しかも話の時間は僅か30分。一つのお茶について、90-120分話すことに慣れている者にとって、これは試練に違いない。コンテンツは豊富にあるが、何を伝えるかは意外と難しい。

 

そんなことをしていると、時間はどんどん経ってしまう。夜も更けてきた。気分転換にサッカーを見ることにする。UAEで行われているサッカーのアジアカップ。日本はここまで苦戦しながら何とか勝ち上がってきたという印象があったが、準決勝の相手は、アジア最強のイラン。ただずっとアジアサッカーをけん引してきたイランなのに、アジアカップ優勝は1976年を最後にない。しかも決勝にすら進んでいない。これは面白いデータだった。

 

まあ、難しい試合になるだろうと思って見ていたが、前半を互角に渡り合うと、何と後半、一瞬のスキを突いて半端ない大迫が先制する。そしてイランのリズムが崩れたところで、追加点を奪い、快勝してしまった。日本代表の試合で久々にスカッとするゲームだった。一瞬のスキ、これをモノにできるかどうかが勝敗の分かれ目だった。これはサッカー以外にも言えることだが、今の日本にはこのようなチャンスを生かせる雰囲気がないように思う。海外組はその辺が鍛えられているのだろうか。

 

1月29日(火)
セミナー

今日も引き続き、セミナー準備に追われる。短く伝えるべきものだけを伝えることは本当に難しい。しかも台湾に詳しい方々ばかりだとは思うが、茶に詳しい方はいないだろうから、余計に伝え方を考えなければならない。言い方を誤ると、妙な誤解を生み、炎上しかねない。

 

あっという間に日が暮れる。MRTで会場に向かう。会場はニニ八公園の向こう側だ。その場所から交差点を眺めて驚いた。ここは日本時代に辻利茶舗があったと言われている場所だろうか。勿論建物の前へ行ってもそのような表示はないのだが、今はスタバになっており、レトロな茶空間を演出しているように見えた。またこの周辺には、陸羽茶芸などもあり、老舗茶荘も目に入ってくる。突然日本時代に隆盛を極めた茶業が眼前に現れた感覚になる。

 

今晩は、お知り合いのTさんが最近発起した新しいロータリークラブでお話しした。もう年末も年末で、しかも正式会合でもないとのこと、一種の忘年会に呼んで頂いたようだ。会場も老舗上海料理屋さん。何となく懐かしい料理と新しい料理が並んでいる。会員もTさんのクラブとそれ以外の台北にある日本語ロータリークラブから、日本人と台湾人、20人近くが集まっていて、ちょっと緊張。

 

私はこれまで何度か言ってきたことがあった。『台湾紅茶の守護者として近年新井耕吉郎氏が顕彰されており、それは茶業界にとっては悪いことではないが、最後の紅茶支所長が顕彰されるのであれば、日本時代初期に苦労して茶業試験場を作った初代場長も顕彰すべきだろう』と。そしてこの2年間調べた、生家にも行った藤江勝太郎についても触れた。

 

三井の日東紅茶ももっとクローズアップされるべきだろう。1970年代の台湾煎茶の大量輸出、そして日本茶とのブレンドなどについても、静岡は沈黙したままだ。もう歴史なのだから、きちんと歴史を残した方がよい。ちょうど静岡の方もいたが、そんな歴史、誰も知らないのだ。それでよいのか。そんな話をした。中には関心を持って頂いた方もいたようで、今後色々と繋がっていくことに期待したい。

 

そして翌日、もう年末でこれ以上の活動は難しくなったので、松山空港から東京へ向かった。エバ航空で東京に向かい人も、何となくいつもより日本人観光客が多かった。機内安全ビデオが、とても斬新なダンスパフォーマンスになっていて驚いた。クリスハートの音楽でぐっすり寝入る。