東マレーシア散歩2016(4)ティオマン島へ

3.    ティオマン島
メルシンで

豪華長距離バスがやってきた。シートもちゃんと決まっている。これは快適だ。乗客はマレー人が多い。ここからは南国のムードが漂う田舎道をひた走る。すっと眠りに落ちると、すぐに時間が過ぎていく。2時間ほどで、目的地メルシンに着いた。このバスターミナル、やけに白人が多い。やはりリゾート地、ティオマン島へ行った帰りの人々らしい。私はビーチリゾートが好きではないが、この旅で一度ぐらいは良いかと思い、ティオンマン行を決意した。

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ただどうやって行くのだろうか。バスチケット売り場で聞くと、このターミナルの向かいでフェリーチケットを売っているらしい。行ってみるとインド系の女性が、『ティオンマン行チケットはここでしか買えないから往復買っていけ』という。これだけのリゾートでそんなはずはない、と思いながらも、1カ月有効というので取り敢えず買ってみる。往復70mrは結構な値段だ。バスは安いがフェリーは高い。

 

フェリーターミナルはここから歩いて10分だという。仕方がないので、荷物を引いていく。途中メルシンの街があるのだが、あまりに小さいので、やはりティオマン島へ行くのが正解だった。フェリーターミナルにはやはりいくつものチケット売り場があった。こんなすぐに分かる嘘が付ける、というのはある意味ですごい。

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そしてフェリーに乗るための手続きが意外とややこしい。入島税のようなものを支払い、フェリーチケットを手に入れ、更にその検閲を受けた。雇用対策だろうか。外国人にはわからないような仕組みを作っているに違いない。リゾートとは外国人から金を巻き上げるシステムだと考えている。

 

腹が減ったので、昼ご飯を食べる。ナシレマック、という、ご飯に目玉焼きが乗っている定番メニューだ。ジュースと合わせて5mrは、このターミナルとしては良識的な値段だろう。フェリーは1時発。バスにうまく乗れたから、今日ティオマンへ行くことができる。有り難い。だがそのフェリーは定刻を過ぎてもなかなか来なかった。

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ようやく来たフェリーに乗り込む。かなり乗客が多い。白人も多いがインド系の顔をしたファミリーが凄い量の荷物を積んでいる。食料も入っているのだろう。彼らはイスラムとはまた違った食生活なので、食べ物を持参すると聞く。日本人も1-2人はいたが、リゾートっぽくない、バックパッカーだった。

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ティオマン上陸

フェリーは大海原を1時間以上、ゆっくり航行した。所々で波が高く、揺れもあったが、それほど影響はなかった。12月頃に行くと、船が欠航するほど揺れると聞いていたので、このシーズンは良かった。ただティオマン島にはいくつもの桟橋があった。どこで降りるのだ、と聞かれても何の当てもない私は困ってしまう。

 

結局空港もある一番大きそうな場所で降りることにしたが、そこへはなかなか到達しない。一つずつきれいな海の小さな桟橋に船が横付けされ、数人ずつ降りていく。ここでいきなり降りても、宿があるのだろうかと思ってしまう。何とか桟橋に辿り着くと、私の荷物はフェリーの上から若者が降ろしてくれる。

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宿探し

桟橋を出て、キョロキョロしたが、宿のようなところはない。白人などの一団は、迎えの車に乗り込み去っていく。どうやら大型リゾートホテルがここにはあるようだ。実は今から20年以上前、香港に住んでいる時、同僚が家族とティオマン島へ来ていた。大自然がとても良い、と勧められたが、小型セスナで行くと聞いて躊躇した。その空港からこの桟橋のすぐそこにあった。確かに今でも小型機しか離発着できないだろう。

 

仕方なく歩き出す。小さなレストランや土産物屋、売店などはあるが、宿は見付からない。荷物を引いて、炎天下歩いているのは私しかいない。すると、後ろから『どこへ行くんだ』と中国語で声が掛かる。華人のおじさんが、バイクに乗っていた。『乗りな』と言ってくれたが、その後で『うちは宿屋をやっている。ホテルは高いからうちに泊まれ』と言われ、逆に躊躇した。ここで乗ってしまっては選択肢がなくなる。

 

選択肢もないのに、おじさんの誘いを断り、前に進む。太陽が照り付け、暑さが身に染みる。そのうちおじさんの宿の前を通った。ビーチリゾートではなく、単なるゲストハウスだ。ここまで来て、ビーチがないのは残念だと思い、更に行くと、一軒の宿がある。サーフボードなどもあり、いかにもリゾートだ。ここがいいと思い聞いてみたが、部屋は奥まったところしか空いていない。いいところは長期滞在の白人が占拠しているという。

 

そういえばさっきのおじさんの宿の前に宿の看板が出ていたのを思い出し、行ってみる。そこは細長くなっており、奥に行くとコテージがあり、その先に海があった。ビーチに面した部屋を見てもらうと、160mr220mrがあり、どうみても220mrの方がよいので、そこに泊まることにした。

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オーナーは何人か分らないが気軽な若者。雰囲気も悪くない。コテージにはテレビもあり、エアコンもある。そして宿には洗濯機が備えられていたので、早速洗濯に行く。使っている人がいたので、順番を待つ間、ロビーでPCをやる。ネット環境も問題はない。いい風が吹いてくる。

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東マレーシア散歩2016(3)JBグルメ散歩

94日(日)
再びホテル探し

翌朝は早くに目覚める。ホテルの朝食を食べに行ってみると、屋外でも食べられるが、既に日差しが強く、とてもいられない。大人しく室内でパンを焼き、卵を食べる。それから朝の散歩に出た。今日は最初から隧道沿いを歩くことにしていた。古い街並みを抜けると、そこは広い道とショッピングモール。更に進むと、お屋敷のようなところがあり、時計台もある。隧道沿いもビーチのようで、人もなく、何となく落ち着く。

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その向こうには、立派なモスクが見えた。近寄ってみたくなる雰囲気がある。道路から正面を登ると、いい感じの建物がある。だが扉は開いていない。日曜日は開いていないのだろうか。裏に回ると、おじさんがいた。『ここはJBの象徴さ。今は改修工事中で中に入れず、人がいないけど、いいところへ来たな』という。何だか初めてJBがマレーシアであり、イスラム国家なのだ、と感じさせる光景だった。そこから内陸へ歩いて行くと、広大な敷地を持つお屋敷や、昔からあるキリスト教の教会などがあった。それほど広くはないJBだが、往時は様々なものが行き交っていたようだ。

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今日は宿を変わるのでその候補地まで歩いてきた。確かに99mrで泊まれると横断幕もあるので入ってみたが、ネットの状態を聞くと『良好とはいえない』という残念な返事が返ってきたので、取り止めとした。そして駅の方に戻る途中、昨日も通りかかった道路工事中の前のホテルで聞いてみると、128mrだけど、ネットは良好だという。ただその部屋が空くかどうかは午後2時までわからないと言われ、悩む。

 

まあ今日はJB散歩だ、と思い、駅を上から見て、その反対側へも行ってみる。そちら側は殆ど開けていなかったが、例のイスカンダルプロジェクトか、中国系ディベロッパーがシンガポールが眺められる高級マンションを建設していた。そしてホテルも何軒かあったが、荷物を持ってここまで来るのが面倒で止めにした。特に料金的に安いということもなかったからかもしれない。

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昼に近くなり、宿をチェックアウト。荷物を預けて昼飯を食べる。昨日から狙っていた叉焼焼きそば。麺が美味い。たれも美味い。茶を頼むと、ホットのミルクティが出てきた。こちらはマレーシアで作られている紅茶、ボーティから作るのだろう。茶、と一言言っても、昨日の黒茶と言い、バリエーションがあって面白い。先ほどのホテルに行くと部屋が確保できたので、荷物を移動させる。こちらの部屋は実にコンパクトで日本のビジネスホテルを想起させる。そして確かにネットは高速だった。

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ようやく今日の宿が決まったばかりだが、明日は東海岸へ移動しようと思う。その移動手段を探しに行く。近くにバスチケットを売る店が並んでいたが。そのすべてがKLやマラッカなどの西海岸へ向かうもの。東へ行くには駅下のバスターミナルから、郊外の大型ターミナルへ移動して、そこからバスを探すらしい。ちょっと面倒だが仕方がない。フラフラしていると、焼き腸粉の屋台が目に入り、思わず食す。濃厚なたれが絶妙だ。

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宿に戻ってネット検索していると、JBにはジャパンストリートなる場所があると分かる。それもすぐ近くのモールの中だったから、見学することにした。だがその場所は簡単には分らなかった。ようやく探し当てた6階、他の食堂がにぎわっている中、このストリートには全くといってよいほど、お客がいなかった。日本食は当地でも人気があると聞いていただけに、意外な気がした。コンセプトを間違えたのだろうか。寂しい限りだ。

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結局一度は宿に戻り、もう夕飯は食べないと決めたのに、その後空腹に耐えきれず、夜な夜なまた屋台街へ舞い戻り、海南チキンライスを食べる。昨日のマレー風とは違い、これは非常に本格的で実にうまかった。屋台のおじさんも『わざわざ日本から来たのか』と妙に感激してくれて、大満足。

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95日(月)
いざ東海岸へ

翌朝は早めに起きて、ホテルの朝食を食べる。1階のロビーの向こうにあるその食堂、なぜか制服を着た人々に占拠されていた。これは中国の航空会社の制服だった。ここに宿泊しているクルーなのか、それとも研修ででも来ている社員なのか。クルーにしては人数が多い。お陰で卵もなくなっていたし、フルーツもなくなっている。

 

そしてホテルをチェックアウトして、バスターミナルへ。取り敢えずラーキンという郊外の大きなターミナルへ向かおうとしたが、もう一度聞いてみると、ちょうど入ってきたバスがメルシンの方角、途中まで行くらしい。ラーキンで乗り換えても、そこで乗り換えて結果は同じだろうと考えて、来たバスに乗り込む。5mr。コタ・ティンギという街まで約1時間、長距離バスではないので、荷物の保持が難しかったが、無事到着した。

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しかしこのコタ・ティンギの街は小さかった。バスも殆どローカルバスしかない。トイレに行こうと2階に上がると、そこにバスチケット売り場があった。メルシン行きを尋ねるとなんと15分後に出るというからラッキーだった。だがそのバスがどれか迷う。勿論ここが始発ではないので、いつ来るかわからない。

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東マレーシア散歩2016(2)JBを歩いて見ると

2.    ジョホールバル(JB
宿を探す

イミグレを出るとそこはショッピングモールに繋がっていた。下はバスターミナルだ。モールの中を歩くと暑くはないが、なかなか出口が見付からない。何とか外へ出て、言われた宿へ行ってみたが、何と満室。土曜日はシンガポール人で一杯になるらしい。向かいにも宿があったので、そちらへ行くと、新人のインド人女性がまごまごしている。すぐに華人のおばさんが、抜け目なく『部屋はあるよ。泊まりな』と言ってきた。

 

ちょっと高いと思ったが、その部屋は最上階で広々としており、見晴らしは抜群。ただネットはつながりにくく、何となく埃っぽい。恐らくは普通の部屋ではなく、高い部屋、あまり使っていない部屋をあてがわれた様だ。まあ、仕方がない。すぐに下に降りて、昼ご飯を食べようとしたが、エレベーターはなぜかなかなか来ない。シンガポールから来たという女性が暇なのか話しかけてくる。『週末はJBでマッサージよ』と。

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宿の周囲は完全なチャイナタウン。肉骨茶の店があったが、何となく素通り。中央餐室と書かれた食堂へ入る。海南鶏飯があったので注文したが、作ってくれたのはマレー人。出来上がったものは、中華風の鶏飯ではなく、ショウガが効いたマレー風味。会計台に座っていたのはどう見ても華人のおばさんだったので、中国語で『茶はあるか』と聞くと『熱いのか』というので、そうだと答える。マレーシアでは茶の基本はアイスのようだ。

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出てきたお茶は出涸らしのようだった。黒茶っぽい。茶の名前を聞くと『タンチャ』と答える。メニューを見ると『Teh』という表記が並んでいる。これは福建の言葉で茶だ。彼女は海南島の出身だという。でもタンチャだ。なぜだろうか。そしてこの謎の黒茶。マレーシアの華人は広西の六堡茶をよく飲んでいるから、それであろうか。薬缶で煮出している。奥に行き、茶葉を見せてもらったが、小さな包みに小分けされていた。タンチャとはどう意味、どういう文字だろうか。

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ショッピングモールに入ると、中秋節が近いせいか、月餅を売る特設ブースが沢山出ていた。中には日本語で『ももやま』などと書かれた月餅?も売られており、これまた面白い。華人が多いことがよくわかる光景だが、マレー人も品選びをしていた。先ほどのイミグレの方に戻り、両替をする。いくつかある両替所、あるところに客が集中している。レートがいいのである。私もそこに並ぶ。なぜこんなことを起きるのだろうか。不思議だ。

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イスカンダル計画

お金が手に入ると、次は携帯のシムカード。10mrで簡単に買える。恐らくこれで10日間はもつだろうという。以前はパスポートチェックなど面倒な手続きがあったが、ここではあっと言う間にスマホにシムが挿入された。これは便利で有り難い。その横では不動産のセールスが盛んに行われている。暇だったのでその一つを覗くと、すぐにセールスレディが出てきて、中国語で話しかけられた。興味本位で話を聞く。私が日本人だと分かると言語もさっと英語になり、日本企業の工場などがある場所の近くの物件を勧めてくる。賃貸するのに便利だという。

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現在ここJBでは壮大なイスカンダル計画なるプロジェクトが進行している。全てできればシンガポールの3倍の土地を開発することになるらしい。そろそろマンションが建ち始め、プレセールが盛んだった。小型のコンドミニアムが日本円で1000万円ちょっと、安いと言えるだろうか。これだけ巨額な投資が行われ、マンションが数多くの建つのだ。値崩れは起きないのだろうか。

 

向こう側では中国系のディベロッパーが販売していた。広さが同じようなコンドミニアムの値段は先ほどの2倍。ロケーションがすごく良いらしいが、後から来て用地を買収したので、当然コストが高い。チャイナマネーはその程度なら吸収できる、ということだろうか。川向こうのシンガポールは、どんな外れた場所でも億ションと言われるだけに、その価格メカニズムはよくわからない。よくわからないものに踊らされて投資するのは良くないだろう。それにしても2025年に完成するというこのプロジェクト、最終的にどうなるのか、是非見てみたい。

 

それから少し街中を歩いて見たが、特に面白いものもなさそうだ。イスカンダルとは関係ないのだろうが、あちこちでビルの修復や道路工事をしているのが目につく。緩やかな坂もあったので登ってみると、立派なお屋敷があった。スルタンの居住地だろうか。暑いのでいったん宿に戻り休む。そして夕方腹が減り、また外へ出る。道路にせり出したテーブルには沢山の男たちがいた。単にお茶を飲んでいるかと思いきや、突然お兄ちゃんが何かをわめくと、一斉に動きがある。これは競馬から何かの、ノミ行為が行われているに違いない。

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屋台街もあり、既に人が集まっていた。鴨肉飯を食べたが、収まらず、また麺も食べてしまう。これが屋台のいけないところだが、しかし旨いのだから仕方がない。更に歩いて行くと、今度はマレー料理の屋台が出ている。この辺は中華系とマレー系できちんとすみ分けはできている。明日はマレー料理に挑戦しよう。ということで、JBにもう1泊することを心の中で決めた。

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部屋に戻るとちょうどジョホール水道に夕日が落ちていく。この夕日をボーっと眺めていると、スーッと暗くなり、今度は夜景が拝めた。この部屋には色々と問題はあるのだが、まあ、この景色が見られるだけでも良しとしよう。ただ明日はもうちょっと安いところへ引っ越そう。

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東マレーシア散歩2016(1)シンガポールからJBへ

《東マレーシア散歩2016》 201692-13

 

茶旅に疲れた!今年は特に激しい旅が続いており、お茶を求める自由な旅とはいえ、行ったからには何か成果を求めてしまう自分に少し疲れてきた。7月末に行ったカンボジアの帰り、バンコックまでの気ままなバス旅はいい意味で気分転換になった。リオオリンピック後、最初の海外はマレーシア、特に行ったことがない、東海岸に行こうと思った。そこはマレー人の世界と聞いている。また違ったマレーシアが見られることだろう。楽しみだった。

 

92日(金)
1.    シンガポールまで

東マレーシアにはどこから入るか、それが問題だった。KLから行くか、コタバルから行くか、JBからか。フライトチケットを確認したところ、どれもそれなりに高い。そんな中、なぜかエアチャイナのシンガポール線(片道)が意外と安い。シンガポール自体は物価が高いのであまり行きたくなかったが、早朝シンガポールに着き、空港から直接JBに行けば良いと割り切り、予約した。

 

ただこのフライト、夜8時前に羽田を出て、北京到着は2240分。シンガポール行きの出発は00:05。乗り換え時間は僅か1時間25分しかなかった。ちょっと遅れれば、北京1泊となる。まあそれも面白いかと思っていたが、何とフライトは極めて順調で、いつもであれば1時間はかかる北京での乗り換えも予想外に空いていた。結局殆ど待ちがなく、次のフライトに乗り込むことになった。

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乗り込むとすぐに寝込む。昔エアチャイナの深夜便は寝ている乗客をたたき起こして食事をさせていただが、さすがに改善されたらしい。起き上がると機内が明るくなり、すぐに着陸した。まだ6時前だった。飛行機を降りる時、日本人のカップルが大きなスーツケースを持っているのに気が付いた。なぜあんな荷物を預けなかったのか。そこで思い付いた。乗り換え時間が少ないということは、荷物の乗せ換えにもリスクがあるということだ。もしやすると、私の預け荷物は届いていないかもしれない。だがこの不安も杞憂に終わる。荷物はすぐにターンテーブルを回ってきた。なんて順調なんだろう。

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93日(土)
JBまで

まず腹が減った。ふらふら歩いていると、目の前にスターバックスがある。シンガポールはスタバも高いのだろうなと思ったが、疲れたので、6.9ドルの朝食セットを頼む。コーヒーとサンドイッチだ。ここでPCを立ち上げ、ネットに繋ぐ。さすがシンガポール、ネットは快調だ。シムカードは買わないので、空港を出たらネットが無くなる。食べ終わると、これからの移動方法を探る。JB行直行バスがあると分かったが、1時間後だった。ただここからウットランドまでMRTに乗って行っても1時間以上かかると言われ、バスを待つことにした。

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バス停は分り難い。バスもちゃんと来るのか分らない。8時半に何とかバスが来て乗る。しかしこれは直通バスというより市内バスの延長。我々は国際バスということで10ドル取られる。バスはぐるぐるとシンガポールを回っているように思われ、いつになったら国境に着くのか、皆目わからない。ようやくバスから降りたのは1時間以上経っていた。荷物を引いて、国境のビルに歩いて向かう。

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国境を越える人は予想以上に多かった。今日が土曜日であることをすっかり忘れていた。シンガポール人は物価の安いJBに週末出掛けて、買い物したり、食事をしたりするとは聞いていた。それでもシンガポール側はまだよかった。そこからJBへ向かう中間点は激混みだった。そしてどのバスに乗ればよいか分らない。来たバスに聞いてみても、違うと首を振るばかり。私と同様、空港から来た中国人一家も途方に暮れていた。1時間近く経っても我々が乗ってきたバスは姿を見せなかった。騙されたのか。

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仕方なく、一般の人が乗るバスにまた2ドル払って乗った。これもまた激混み。それでも橋を渡るだけだから、すぐに着いてしまう。これで2ドル?何だか釈然としない。そしてマレーシア入国審査へ。体育館のような天井の高い、だだっ広い空間は人で埋め尽くされていた。一体どれだけの人がいるのだろうか。何とか列に並び、後は前へ進むのを待つしかなかった。シンガポール人は知り合いを見付けては、そちらの列に並び替えて前に進む。家族がバラバラの列に並び、一番早いところへ集合する姿もあった。私にはジャンプする手段はない。寝不足もあり疲れが倍加する。冷房は効いているはずだが、汗が出る。

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結局1時間半近くかかってイミグレに辿り着く。職員はヒジャブを被るマレー人が多かった。この人たちも仕事とはいえ大変だ。ようやくJBに辿り着いたが、既に昼になっていた。飛行機代は安かったが、意外と高くついた。JBには以前も来たことがあるが、街中に泊まったことはない。まずは案内所で、街の位置を確認し、地図をもらい、安宿を聞く。すぐ近くに宿があるようなので、探しに出た。案内所の女性が唯一優しいと感じられた。

ようやく熊本・宮崎茶旅2016(5)台風で突然熊本城へ

919日(月)
熊本へ

翌朝、五ヶ瀬は靄っていた。折角の景色もよく見えない。取り敢えず朝ご飯を食べる。納豆やノリでまたご飯を沢山食べてしまう。九州の米ではなく、山口の美味しいコメだったらしい。これは太るしかない。そして今回、1つの決断をしていた。今日はY夫妻と別れて、一人宮崎市に向かうはずだったが、何と台風が接近していた。このまま宮崎に行くには、バスで延岡へ出なければならない。

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だがそのバスに乗るための足さえも確保できていないし、更には宮崎まで行けても、そこに台風が直撃する予報となっていたので、行くのを諦めた。宮崎ではお知り合いと会う予定だったが、昨晩急きょキャンセルした。何とも申し訳ない。そしてネットで熊本空港から成田へ行くフライトを予約した。そのフライトは夜の7時だったため、熊本経由で福岡へ戻るY夫妻の車にそのまま便乗することになった。

 

五ヶ瀬の周りももう少し歩いて見たかったが、雨も降り出し、出発時間もあったので、次回に譲る。車は一路熊本市へ向かった。私には地理の知識がなかったのだが、五ヶ瀬から宮崎市へ行くより、熊本市へ行く方が近いというのだ。熊本と言えば、昨日一つの疑問をMさんにぶつけてみていた。佐賀のOさんが言っていた、九州紅茶の祖、可徳乾三について、知っていることはないかと。すると彼はすぐに電話を入れた。相手は山鹿のFさんという茶農家だった。

 

『熊本に行くことがあったら、寄ってみたら』と言われた。山鹿と言えば、明治初期に茶業伝習所が開設されたまさにその場所だった。Fさんはその伝統を受け継ぎ、山鹿紅茶を作っているらしい。実に興味深かったが、山鹿がどこにあるかもわからなかった。結局今回は電話で、ヒアリングしたが、可徳についての情報は知りうる以上には出て来なかった。歴史というのは埋もれてしまうものだろうか。これからは気に留めて調べて行こう。

 

4.熊本
震災の街

車に揺られること、約2時間で熊本市内に入った。真っすぐ熊本城へ向かう。雨のせいか、3連休ながら、車はそれほど多くはなかった。駐車場のトイレの屋根瓦が崩れ落ちていた。数日前にたまたまNHKのテレビで見た熊本城、その崩れているところを生で見ると、その感じ方は全然違っている。きれいに崩れている訳がなかった。勿論立ち入りも出来ない。加藤清正の像はビクともしていないが、城は壊滅的な状況だ。

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お昼を食べに行く。Y夫妻は最初から帰りに熊本で食べる物を決めていたので、それに従う。アーケードにある中華料理へ向かう。ここにご当地グルメ、たいぴんえん(太平燕)がある。12時前でもすでに何人もが並んで待っている。太平燕は元々福州料理だったが、明治期に熊本に入り、春雨スープにちゃんぽんの具材が載っている感じだった。セットメニューとして酢豚が付いたが、これをスーバイコウと呼んでいる。なぜだろうか。日本の中華料理屋は時々理解できないことがある。

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更に重たくなったお腹を抱えて、次に進む。どうしても食べたいアップルパイがあるという。南阿蘇産のリンゴが詰まったパイは確かにうまかった。ただ腹が破裂しそうになる。女子はスイーツは別腹というが、私の腹は1つだった。苦しい!また熊本城付近に戻り、お土産にいきなり団子を買う。そして車で熊本駅まで送ってもらい、Y夫妻と別れた。今回は本当に最後までお世話を掛けた。感謝。

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後は熊本空港に行くだけだったが、時間がかなりあったので、もう一度熊本市内を歩くことにした。荷物をコインロッカーに預ける。ちょうど雨も止んでいたので、市電に乗らず、熊本城を目指して歩く。古い街並みが所々に残っていたが、その古い建物がいくつも崩れていた。お墓も倒れていた。震災から5か月が経っており、基本的には平静だが、一度崩れたものは元には戻らない。ゆっくり歩いて見ると、どうしても目につく。

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結局歩いて駅まで戻り、バスで空港に向かった。バスは30分ぐらいで空港に着いたが、私が乗るジェットスターだけ、チェックインカウンターが離れていた。そしてそこへ行くと『台風が近づいているので、大幅な遅延または結構の可能性がありますが、よろしいですか?』と聞かれる。宜しい訳がないが、他に手立てはない。もし本当に飛ばなかったら、自分で宿を確保するのだろうか。かなり不安になる。

 

この頃から雨脚が強くなり、フライトが飛んでこなくなる。飛んでこなければ、こちらからの出発もない。JALANAもフライトは遅れていた。我がLCCの前途は暗い。昨晩予約した時は、宮崎の方へ上陸すると言っていたはずなのになぜ。後悔先に立たず。あとは祈るのみ。6時を過ぎると、急に飛行機が飛んで来るようになった。台風は既に鹿児島に上陸しているとニュースが伝えていたが、なぜか熊本空港への影響は少ないようだった。ついに我がフライトも飛んできた。そして僅か15分遅れただけで奇跡的に熊本を離れた。飛行機が飛びあがると目をつむり、起きた時は成田だった。今回は幸運だったのか、それとも不運だったのか。いずれにしても、それが私の旅だった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(4)五ヶ瀬の釜炒り茶

駐車場から階段を下りていくと、そこには何とも雄大な景色が見られた。川がかなりの速さで流れ、岩がごつごつとしており、樹木が鬱蒼と生い茂っている。紅葉のシーズンなどはさぞやきれいだろう。今や中国にはこのような風景は見られないような気がする。いや、日本だって、早々あるものではない。雨で濡れる道に足を取られそうになりながら、その眺めを堪能した。

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「天孫降臨とは、日本神話。邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降ったこと」を指すようだが、それが実話なのかどうか、そしてこの降りた場所が、現在の高千穂町であるとは確定できないようだ。それでも日本史がここから始まったかもしれないことに、ちょっと感慨があるのはなぜだろうか。

 

ちょうど昼時になり、腹が減ってきたので、駐車場付近に戻り、空いている店に入る。そばと地鶏のセットを食べる。まあ、観光地の昼ごはんだが、地鶏は歯ごたえがあった。それから高千穂を出て、今日の目的地、五ヶ瀬へ向かう。車で僅か15分位だが、これがバスに乗ろうとするとほとんどないので大変だ。実は明日宮崎市へ向かう予定で、ここからバスに乗る算段をしていた。

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五ヶ瀬の釜炒り茶

Y夫妻は昨年も五ヶ瀬に来たという。それは単なる旅だったが、宿で飲んだお茶があまりに美味しかったため、その生産者を急きょ訪ねたというのだ。それが今日訪問するM茶房だった。五ヶ瀬の役場を通過したところ、横断幕にM茶房が全国茶品評会で農林水産大臣賞を受賞したと書かれていた。この付近ではとくに有名な茶農家だと分かる。かなり平たい場所に茶畑が広がっていた。

 

忙しいとのことだったが、Mさんは待っていてくれた。聞けば、午前は四国から阿波晩茶の生産者さんや研究者の方が来られていたらしい。私が昨年3月に四国の後発酵茶を回ったことを話すと『それなら午前中から来てもらえばよかった』と残念がる。役所に就職して、週末にお茶作りをしている青年も一緒にいた。Yさんが言う、『M茶房には色んな人が出入りしている』というのは本当だ。それはMさんの魅力が大きいのだろう。

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M茶房は昭和の初期に茶作りを始めた。こちらでは農薬や化学肥料は一切使わず、30年以上やってきたという。Mさんは4代目。基本的に緑茶、それも釜炒り茶に力を入れてきた。日本では珍しい。高度成長期に皆が蒸し製の煎茶に切り替えた時に、ここだけは昔のままの作り方が残ったという。釜炒りというと、佐賀の嬉野が有名だが、一昨年訪問してみると、もう釜炒りしている農家は殆どなかった。日本に釜炒りが初めて持ち込まれた場所としては有名だが、生産現場は既に違っていた。

 

茶畑をゆっくり見学した。ちょうど小雨が上がり、フラフラ見て回る。標高700m程度の場所に、色々な品種が植えられており、平たい土地ばかりではなく、斜面もあった。平地の茶樹は密集しており、傾斜地の茶畑は美しかった。無農薬なので草取りが大変だという。茶工場もかなりの規模があり、古い製茶道具も置かれており、歴史が感じられる。手前に販売所、奥に試飲室があった。その試飲室に入り、実に沢山のお茶を一気に飲ませてもらった。

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こちらも持参した茶葉を出して、一緒に試飲してみる。茶農家は他の人が作った茶を飲む機会が多いとは言えず、このような場で比較してみるのは面白い。釜炒り茶だけではなく、紅茶も作られていた。昨日訪問した熊本のKさんのお茶にも興味を持っていた。『今年はKさんのところを回ってここにくるお客さんが多い』というのだ。国産紅茶への関心の高まりがそうさせるのだろうか。

 

M茶房では、日々ここで様々なお茶にトライしている。釜炒り茶、紅茶だけでなく、ほうじ茶、烏龍茶まで作っている。一見飄々としたMさんだが、そこに独特の感性があるように思える。そうでなければ、数多くの賞を受賞することなどできないだろう。ただそれがどこにあるのか、外見や話からでは分からない。そして日々の活動を見ないと、何も出てこないようだ。ただただ楽しい日々と過ごした。

 

山の民宿

天気は今にも雨が降りそうだ。M茶房を辞して、すぐ近くにある民宿へ移動する。今日は三連休の中日、Y夫妻が昨年宿泊した農家民宿は予約が取れずに、観光案内に紹介されたこの宿に泊まることになった。何だかちょっとロッジ風。雰囲気がよい。ベッドの部屋と畳の部屋があるようだが、私は一人で畳の部屋に入る。窓から外を眺めると山のいい景色が見えた。それだけで満足。

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外に出て茶畑の写真を撮る。遠くにワイナリーが見える。ここ五ヶ瀬ではブドウが採れ、ワインの製造もしているらしい。高原野菜も美味しそうだ。雨が止んでいたので、そのまま付近を散歩した。予想以上に茶畑があり、その風景は美しい。そして夕飯は豪華。刺身、山の焼き魚、そして和牛まで登場した。宿泊代はそれほど高くないのに、こんなに立派な夕飯でよいのだろうか。昨日、本日の反省をしながら、楽しく夕飯を頂き、そのまま話し込む。10時近くにやっと引き上げたが、それまで片づけを待ってくれていた宿の人には申し訳なかった。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(3)芦北紅茶から天孫降臨の地へ

熊本にはいくつか茶産地があるようだが、ここ芦北で茶作りをしているところは少ないという。一般的にはお茶が活況を呈した、高度成長期の昭和30年代から茶生産が増え、その後のバブル崩壊で、徐々に無くなっていったようだ。お茶も商品作物である。Kさんのところに60年ぐらい前の茶畑もあり、以前より茶作りを行っていたようだが、紅茶を作り始めたのは最近のことらしい。『ここの茶葉が紅茶に合うと言われたんで』というが、それだけでは茶は出来まい。実は5月に台湾の魚池を訪れた時、ある人からKさんの名前が出ていた。ちゃんと台湾に紅茶作りの修行に行き、その成果が着実に出ている。

 

Kさんは若くは見えるが、すでにお孫さんが3人もいるという。それでも日々のチャレンジを忘れない。それは簡単にはできないことだ。こちらの茶畑は3つに分かれているらしい。比較的最近植えた茶畑、数十年前に植えた在来、そして自生茶畑。べにふうきの他、釜炒り緑茶を作る品種で紅茶も作っているという。農薬などは使っていない。飲ませて頂くと、キレがある。従来多くの国産紅茶は何となくボヤーっとした印象があったが、このお茶はとてもすっきりしていて良い。緑茶の釜入り作りと何か関連があるのだろうか。

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春の熊本地震、ここ芦北は震源地から遠くないとのことだったが、幸い被害は軽微だったらしい。実は熊本震災復興支援の一環として、紅葉さんの呼びかけで、この芦北紅茶を売り、募金をしたのも思い出す。正直私は、復興支援の募金というものをあまり好まないが、この紅茶に関しては、自分で飲んでおいしいと思ったから人にも勧め、その人々が美味しいと思って紅茶を買い、合わせて募金にも応じてくれた。ただ言葉に釣られて募金箱にお金を入れるのではない、良いものを味わい、その地を少しでも理解しようとすることが大切だと思う。

 

奥様もフルーツやお菓子を出して頂き、会話に加わっていたが、帰る時には姿が見えなかった。何と高熱を出していたという。そんな時に押しかけてしまい、何とも申し訳ない。『これまでの国産紅茶のイメージが変わった』と、同行したY夫妻も、Kさん宅で頂いたお茶にいたく感激していた。Kさんのお父様とも少しお話することができた。一家で茶作りを行っている様子がよく分かった。

 

家の奥にある茶工場も拝見した。古い、既に使っていない器具も散見され、昔ながらの懐かしい雰囲気があった。その中で紅茶作りの道具もそろっていた。家の周囲は田んぼや畑があり、また神社なども見える。また車に乗り、別の茶畑を見に行く。こちらは山を登って行き、その途中にあった。斜面に茶樹が株で生えていた。何だか、台湾の阿里山で見た、昔の茶畑を思い出す。もっと木が大きければダージリンにもあるかもしれない風景だった。この茶樹が自生かどうかは正直分からないが、貴重な茶畑であることには間違いがない。産量が少なく、手間もかかるだろうが、保存して欲しいと思う。

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八代で

名残は尽きなかったが、Kさんとお別れして、八代へ向かう。明日の宮崎行に備えて、今晩は八代に泊まることになっていた。少し雨が降り出した。茶畑を見る時に降らなくてよかった。1時間もかからずに車は八代市内に入った。ビジネスホテルはYさんが予約してくれたが、連休でかなり混んでいたらしい。八代に何があるのだろうか。八代城跡という表示が見えたが、既に暗くなっており、観光は出来ない。

 

雨が降る中、夕飯に向かう。ホテルでお勧めの場所を聞いてもらったが、アーケードがある場所がよいということで傘を差して歩いて行く。グルメに興味がない私だが、今回はY夫人がいるのでお任せ。『八代と言えば辛子蓮根』だそうだ。ところが人通りは少ないのに、お店は結構満員だ。地元の人なのか、それとも周辺から食事に来た人なのだろうか。居酒屋に入ると子連れも多かった。新鮮なお刺身を頂き、更に馬刺しも出てくる。熊本は海の幸と山の幸の両方が楽しめる場所ということだった。ただお客の数と店員の数がどう見てもマッチしておらず、オーダーしてもなかなか来ないのは難点。その夜は早々にホテルに引き上げ、ぐっすり眠る。

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918日(日)
3.五ヶ瀬

高千穂へ

翌日は睡眠十分で起き上がる。特に朝ご飯も食べずにダラダラして、9時半に出発。車は何となく内陸部へ入っていく、という感じでスイスイと進んでいく。そして最終的にはかなりの山道を登って行った。2時間後、高千穂に着いた。そもそも今回の旅はお茶の旅だったが、私も一度は行ってみたいと思っていた、天孫降臨の地。雨にもかかわらず、ここには沢山の観光客が訪れていた。中国語も沢山聞こえてくる。彼らは何を求めてここに来ているのだろうか。日本の歴史に興味があるのか、日本の始まりを見ようというのか。恐らくはそうではなく、この自然の風景を単に見に来ているだけだろう。

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ようやく熊本・宮崎茶旅2016(2)佐賀から芦北へ

Oさんは国産紅茶の第一人者であり、最近とみに有名になってきている。話は流れの中で日本の茶業、特に紅茶の将来についてなど、現実的な話題になってしまう。国産紅茶のブームの兆しがあるのは間違いないが、果たしてその流れにきちんと乗れるのか、品質が伴う紅茶が供給されるのかなど、問題は色々とあるようだ。そして紅茶の歴史についてももう少しきちんと見返すべきという。何故明治以降紅茶が作られ、そして廃れて行ったのか。

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静岡で多田元吉翁が日本紅茶の祖と言われているが、九州にはその多田翁から指導を受けた可徳乾三という人がいたらしい。彼の歴史を聞くと、中国武漢に製茶修行に行き、ウラジオストックで日本茶を売り、最後は台湾で製茶技師、そして茶荘を開いていたらしい。こんなダイナミックな動きをした人が明治期にいたとは、意外だ。興味を持ったが、その歴史はトンと分からない。因みに九州、熊本は明治初期に紅茶作りのために最初に伝習所が作られ、中国人講師が招かれた場所である。

 

Oさんは多彩な才能を持ち、地元ラジオ局に定期的に出演している。最近は東京などへの出張も多くなり、ラジオの収録をまとめてやらねばならない。それがちょうど今日だということで、2時間ほど話して出掛けて行く。2年前に初めて会った時から考えれば、相当に忙しい人になっている。彼がいなくなったお店を眺め、いくつかのお茶を買い求めた。ただ国産紅茶は1つもなかった。自分のセレクションながら、紅茶の店に来てなんだそれは?

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帰り道、この街に溢れている恵比寿像を眺めながら歩く。様々な恵比寿さんが、その辺にパラッと鎮座しているから面白い。その数約800体で日本一らしい。こんなに恵比寿さんがある所は他にあるのだろうか。どうしてそんなにあるのだろうか。雨が降り出した。腹が減ったので駅の近くでちゃんぽんを食べた。昨年はちゃんぽんを食べに30分も歩いたのだが、今回は安直。中華屋のちゃんぽんは、何となくタンメンを連想させる。ちょっと疲れていたので、早目に寝て明日に備える。

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917日(土)
鳥栖から

翌朝は早く起きて、ホテルで朝食を食べる。和食中心の場合、朝から思いっきり食べてしまって困る。生卵をご飯にかけるし、味噌汁をお替りする。宿をチェックアウトするも、腹がパンパンで動きにくい。駅へ行き、鳥栖行の電車に乗る。途中に吉野ケ里公園が見えてくる。未だに行く機会がない。歴史好きとしてはどうしても行くべき場所だ。次回は何としても時間を作ろう。

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今日は鳥栖駅でY夫妻を待ち合わせ。鳥栖までは近いので問題ないと思っていたが、下車してから待ち合わせ場所がわからない。駅前にはJ1サガン鳥栖のホームスタジアムがある。その前に車が待っていた。Y夫が車を運転してくれる。有り難い。Y夫妻とは北京で知り合い、その後も何度も会っているが、一緒に旅に出るのは初めてだ。車は一路熊本へ向かって動き出す。私は地理が全然頭に入っていない。途中でサービスエリアに入ったが、何とトイレがあるだけだった。こんなシンプルなSAは初めて見た。

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煙突から煙が出ている場所も通った。ここが水俣か。今日は天気が非常によく、空も青いが、その昔は水俣病など公害で有名だった。また途中で今年の春に起こった熊本地震の影響があり、道路が片道走行、かなりの渋滞になっていた。今日は三連休の初日、やはり普段より車は多いのだろう。芦北インターまで3時間ほどかかって到着した。本日お訪ねするKさんが『デコポンで待っています』というので向かう!

 

2.熊本
芦北紅茶

デコポンとはJAのスーパーのようなところだった。Kさんは随分早くからここに来て待っていてくれたようだ。誠に申し訳ない。更に移動して、近くの大野温泉へ行った。ここは道の駅と書かれている。温泉はあるのだろうか。天井の高い建物の中に入り、そこでお昼を頂いた。地元で採れた野菜などを使い、かなり多彩なヘルシー料理が並んでいた。お母さんの家庭料理、という感じで、とても美味しく頂いた。炊き込みご飯と汁はお替りした。地方ではこんな食事が特に嬉しい。

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この施設の脇には茶畑が見えた。食後、すぐにそこへ行ってみる。かなりきつい傾斜だ。そして半分は茶畑が無くなっている。『昨年の台風で崩れてしまった』ようだ。横の林も樹木がなぎ倒れたままだった。台風の猛威が想像できる。そしてこのような場所にある茶畑の厳しさにも出会う。横の平地にはきれいな水田、稲が植わっていた。素晴らしい水田と破壊された茶畑の対比が凄まじい。

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Kさんのお宅へ伺った。実は昨年下田で行われた地紅茶サミットでご挨拶し、FBでお友達にはなっていたが、ちゃんとお話を聞くのは初めてだった。そんな関係でも快く受け入れて頂き、感謝の言葉もない。そしてKさんの芦北紅茶は昨日行った佐賀の紅葉さんで初めて飲んで驚いたお茶だったのだ。これまでの日本の紅茶にはない、独特のうまみがあり、これなら世界でも通用するのではないか、と思えるものだった。一体どのようなところでどのように作られているのか知りたくて、宮崎に行く前に今回の訪問となった。

ようやく熊本・宮崎茶旅2016(1)なぜかまた佐賀へ

《ようやく熊本・宮崎茶旅2016》  2016916-19

 

九州には1年に一度は行きたいと思っている。やはり博多は便利で飯が美味い。今年も行くぞと、お知り合いのYさんに連絡したところ、『一緒に宮崎にお茶を見に行きましょう』と返され、それに乗ってしまった。福岡までくれば後は車に乗せて連れて行ってくれるという。やはり車がないと動けないので有り難い。まずは博多で飯を食い、それから宮崎、楽しみだった。実は昨年も南九州の茶旅を計画していたが、直前に台風が来て断念した。それでも博多には寄れたので、水炊きを食べた、良い思い出がある。

 

今年は旅が続いており、直前もマレーシアに行っていた。福岡までどのようなルートで行くか、頭には描いていたが、チケットを取っていなかった。するとなんと、とても高い。考えてみれば3連休に行くのだ。高いに決まっている。それでも色々と足搔いていたところ、何と福岡でなく、佐賀へ連休前日に飛べば安いことが分かった。しかもY夫妻が住む場所からは福岡でも佐賀で等距離らしい。それなら今回は佐賀だ、ということで潔く博多飯を放棄した。

 

916日(金)
1.佐賀
佐賀まで

その日は朝、いつものように成田へ向かったが、なぜかボーっとしていて電車を乗り違え、京成高砂駅に来てしまった。アクセス特急というのは速いのだが、少し高い。同じ駅の反対ホームから乗って、時間が20分くらい違い、料金も150円ぐらい違う。今回は時間があったので安い方で行ってみる。京王線の最寄り駅から成田空港まで約1400円で行けるのは嬉しい。特に国内線に乗る場合、コストが気になる。

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成田空港駅からシャトルバスで第3ターミナルへ向かう。これももう慣れた。今回は春秋航空、フライトは満席だが、チェックインは意外とスムーズだった。第3ターミナルをよく見たことがなかったが、食事が充実している。フライトで食事が出ない前提のLCCに合わせて多彩なメニューが用意されている。国内線の機内食は確かに要らないが、ここなら食べてしまう。面白い。機内でもちゃんと『うれしの茶』がリプトン紅茶と並んで、メニューにあったりして、喜ばしい。お替り自由とは!

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よく考えてみれば、ちょうど1年前、このフライトで佐賀から成田に飛んだのを思い出す。昨年は台風で茶旅が中止になったが、何と佐賀から成田の航空券だけは事前に手配してしまっていた。何しろ片道1000円、という表示に釣られてすぐに購入した。もったいないので、佐賀まで在来線鉄道の旅をして、このフライトに乗ったのだ。しかも今日は奥さんの誕生日。今年は仕方なく、昨日お祝いした。何の因果だろうか。

 

ホテルで

空港に着くと、駅までのバスに乗る。昨年は水曜日の半額デーで300円だったが今回は倍だ!30分ぐらいで駅に着き、すぐ近くの予約していたホテルへ向かう。全てが順調だった。チェックインしようとすると『お荷物をお預かりします』という。時計は35分前。3時からはチェックインできるはずだし、シティーホテルなら、5分前でもOKだろうと思ったが、フロントの男性は『今部屋を掃除中です』というばかり。そんなはずはない、日本のホテルで5分前に掃除が完了していなければ異常事態だ。

 

『何時まで待てばよいのか』と聞くと、取り敢えずお待ちください、としか言わない。どう見てこれは意地悪されているようだ。そこで『これから出掛けるので』と言ってみると、何と『お着替えは別の場所へご案内します』というではないか。さすがに少し強く言うと男性は上の階に電話を入れ、急に『準備が整いました』と言う。これだから日本のおもてなしは、凄い!融通というものがなく、ルールが顧客ニーズを越えている!

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部屋へ行き、着替えをしてすぐに出掛けた。昨年もお世話になった紅葉(くれは)さんへ向かう。既に道は大体わかっており、歩いて行く。途中大きなお寺が見えた。何でも関が原の戦いで西軍に着いた鍋島家を西本願寺が救い、そのお礼に建立されたとか。佐賀はやはり歴史のある街だった。更に歩いて行くと、道場があった。ここが古賀道場。世界平和などと書かれており、不思議なところだと昨年思ったのだが、何と今年の1月ミャンマーのタウンジーへ行った際、大学の後輩がこの道場のミャンマー事務所を任されていることを発見し、お互い驚いたのが懐かしい。

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お店の近くは保存地区になっており、古い家が多い。1つずつ眺めていると、老人が『向こうの方にもっと古い家があるよ』と教えてくれた。何となく親しみやすい街だ。商家の2階を改修した、雑感店などがある。くれはさんもその古い建築の家に店を構えており、相変わらず趣がある。入っていくとカウンターの端に予約の札が立っていた。店主Oさんとは、年に何度かイベントなどで会うようになっている。この店は2度目の訪問だが、何とも居心地がよい。静岡の紅茶を試しているというので淹れてもらう。そして凝ったお菓子も登場する。なかなかいい空間だ。

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茶旅の原点 福建2016(16)厦門のITパークで

7.    厦門
なぜかITパークへ

厦門では本来することがなかったのだが、またS氏から指令が来た。『厦門でお茶のサンプルを受け取ってきてほしい』と。まあ暇なので引き受けたのだが、その相手は茶荘や茶市場にいる人間ではなかった。どのようにして会うのがよいのかよく変わらず、『あなたの近くに泊まりたいが、どこか良いところはないか』と聞いてみると、ある場所を予約してくれた。だがそこはITパーク内だった。

 

行き方は分らないので、厦門北駅からタクシーに乗る。厦門北駅は厦門空港よりも遠い。結構な時間をかけて車は目指すITパークに入った。その中にあるホテルだと思い込んでいた私に、運転手が『住所はここだよ』と言ったのは、単なるオフィスビルだった。こんな所のはずはない、と思ったが、運転手はさっさと私を置いて行ってしまった。こういう工業区などは分り難いのでタクシーは嫌がるのが普通だ。

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1階に喫茶店があったので聞いてみると、何と正面入り口から入れ、という。そこを入ると受付があり、守衛さんが応対した。予約したというと、何やら紙を取り出す。1日泊まるための契約書だというから驚いた。やはりここはホテルライセンスを持っていない。そこで警察との間で取り決めたのが、日ごとに部屋を貸す賃貸契約という手法だったと思われる。恐らくはこのITパークに出張で来る人及び徹夜残業などの人が寝るために作られた宿、必要悪だった。こんなところに潜り込めるとは面白い。

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部屋は15階にあり、いわゆるマンションの一室という感じ。ベランダからの眺めはなかなか良い。ホテルより快適ではないかと思われる。ただタオルがない。歯ブラシなどもない、と思っていたら、ビニールに1セット入った物があったので開けてみる。あとで有料だ、と言われ、10元取られた。因みにタオルも受付に言えば貸してくれたらしいが、その仕組みはまるで説明されないから分からなかった。

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S氏の知り合いである陳さんが部屋まで来てくれた。彼はこのビルで働いているという。動画関係の仕事らしい。日本のアニメが大好きで日本語も覚えたという。彼は私が依頼されたサンプル茶を渡したが、『代金は300元です』というのでまた驚いてしまった。サンプル茶は当然無料だと思っていたのだが、確かにサンプルにしては量が多い。仕方なくS氏に微信で確認すると『払ってくれ』というではないか。正直『どんなお茶をいくらで、どれだけ、持ってきてほしい』とS氏は頼むべきだと思う。そうでなければ外国で、このようなことがあった場合、対処は出来ない。私に持ち合わせがあったから払えたが、もし現金がなければ受け取ることも出来なかったではないか。

 

陳さんは仕事があるので帰って行った。そして私は腹が減った。昼ご飯を食べていなかったのだ。だが周囲にある食堂で食べる気にもなれず、バナナを買って食べて終わりにした。ITパーク内を少し散策したが、広々とした空間で気持ちはよかった。でもどこも同じように見えるので散歩にはあまり向かない。部屋に帰ってPCに向かう。5時を過ぎるとさっきの陳さんから電話があり、食事に行こうと誘ってくれた。

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彼の車で市内へ。やはりそこそこ離れていた。まだ明るい中、レストランが出している外のテーブルに腰掛け、お茶を飲みながら、食べ物を食べる。鍋物から炒め物まで、とても二人では食べ切れないほど頼んでいる。やはり中国人とは食べる量が違うのだ。彼は武夷山の出身であり、厦門とはかなり文化の違うところの出であった。だからお茶に詳しいとも言える。

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食後は彼の知っているお茶屋さんへ行く。この辺は厦門の高級住宅地らしく、地価も相当に高い。こんなところで茶荘を経営するのは大変だろうと思っていると、オーナーの女性が『武夷山に帰ろうかと思っている』とぽろっという。やはりお茶は売れない時代なのだ。店員は一生懸命紙に茶葉を包み、1つずつ丁寧に糸で縛っていた。このような芸術的処置がないと更に売れないらしい。お店の改修をしたばかりだというのに、何とも厳しい時代なのだ。

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55日(木)

日本へ

翌朝は曇っていたので、景色を眺めることが難しかった。雨は嫌だなと思っているとその内靄は晴れてきた。朝ご飯は下のファーストフード店でお粥を食べる。このような店のシステムは残念ながらしっかりしていないから、順番はバラバラ。前の人が食べ残したものが大量にテーブルに溢れて次の人間は使えない。それでも出勤前の若者はどんどん入ってきて注文するから、ますます混乱する。

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ここにいても仕方がないので、早めにチェックアウトして、タクシーを捕まえようとするが、なかなか捕まらない。ITパーク内に入ってくる車は少ないのだろうか。いや、仕事で乗ってくる人は多いはずだ。やはり最近はやりの携帯で呼ぶタクシーのせいだろうか。それでも何とか捕まえて、空港まで行く。この出費はバカにはならない。それでも地下鉄のない厦門としては仕方がない。

 

空港に着くと早過ぎて、チェックインができない。そうだ、これが厦門空港の欠点だった。直接カウンターへ行けないのだ。仕方なく外で待ち、何とかチェックインを済ませ、それでも時間が余る。今回の旅は思えば長かった。その思い出にふける。飛行機はそれほど混んでいなかった。ゴールデンウイークだというに、やはり日本人の旅行者はいないのだ、と実感した。中国には魅力的な場所が一杯あるというのに、なんとももったいない。

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