タイ南部を歩く2019(2)トランへ行くはずがラノーンへ

8月9日(土)
山田長政はどこ?

私がこの辺鄙な?ナコンシータマラートに来た理由、それは『山田長政が死んだ場所』と聞いたからだった。アユタヤなどには日本人町が作られ、山田の名前も出てくるのだが、彼の最後の地がここだ、というのは意外だった。それも殺されたのだ、と言われると、興味を持ってしまった。

 

まずはホテルに付いている朝ご飯を食べる。昨日はあまり食べていなかったので、カオトームの他、パンも食べてしまう。団体客は既に食べ終わって去ってしまったらしく、ゆっくり食べられてよかった。それからすぐに外へ出て、この街の散策を開始した。ここにはバスはないらしいので、歩きか。

 

最初に行ったのは宿の近く。古い仏塔があったが、観光地ではないらしく、説明書きすらない。そこから広い通りに出ると、ソンテウが走っており、博物館まで行きたいとスマホを見せると、運転手が頷いたので乗り込む。ここのソンテウ、全て10バーツらしい。バイタクより便利で、本数も多い。

 

博物館は5㎞ぐらい離れていたが、通り沿いだったので助かる。かなり立派な建物だったが、私が知りたい山田長政に関するものは勿論、その時代の展示もほとんどない。タイでは山田は知られた存在ではなかったということだろう。この街が中世の重要貿易拠点だったことは確かのようだ。展示物はかなり多いのだが、他の都市の博物館にも大体ある仏像などを眺めて過ごす。

 

それから歩いて、観光のメインと言われているワット・プラマハタートに向かう。その隣にも興味深い寺があり寄り道する。ワット・プラマハタートは確かに立派なお寺で、その仏塔もなかなか見ごたえがある。寺院内の立像もその輝きがかなり立派でしばし立ち止まる。

 

その後、またソンテウを拾い、城壁まで運んでもらう。その昔の城壁の一部が残っており、堀で仕切られていた。城壁横の廟もかなり美しい。ちょうど何か祈りが行われており、坊さんたちが食事中だった。そのままフラフラ歩いて宿方面へ帰る。昼食の場所を探すのも大変で、何とか麵屋を見つけて飛び込む。

 

宿へ帰って午後どうするか考えていると、突然強い雨が降り出して外出できなくなる。ちょっとしたスコールだろうと思っていたが、雨は3時間以上降り続き、結局午後の散策話になってしまった。夕方は未だ小雨が降っていたが、今度はこのホテルに向かって車が大挙してなだれ込んでくるのが窓から見えて驚く。どうやらここで結婚披露宴でもあるらしい。この雨の中、着飾った人々が次々に中に入ってくる。私は益々外に出られない。

 

ようやく雨が止んだのを見計らって表へ出た。とにかく何か食べたい。辺りは既に暗く、飢餓感に追い打ちをかける。昨晩とは違う道を歩いて行くと、何だかきれいな食堂が見えた。ただメニューから注文する方式らしく、タイ語が分からず注文が出来ない。そこの若者は英語ができたので、炒飯と言ってみると、おしゃれな炒飯が登場した。ここはバーにもなっているようだが、料金は普通の食堂並みで有難い。

 

8月10日(日)
トランへ行くはずが

幸い雨は降っていなかった。朝食後にチェックアウトして、道を歩き出す。今日はトランへ行くつもりだが、バスターミナルまで歩いては行けなさそうだったので、バイタクを拾う。ヘルメットを渡され、ちゃんと被ったつもりが、何と途中で抜け落ちてしまう。後続車に被害がなかったからよかったが、かなり焦る。

 

ホテルのフロントで『トラン』と言ってみたが通じなかったので発音が難しいことは分かっており、何べんも練習してきた。ターミナルの人にその成果を披露すると、すぐに通じて、チケット窓口へ案内され、120バーツ支払ってチケットをもらい、ミニバスに案内された。運のよいことにすぐに満員になり出発した。

 

ところがどう考えても行く方角が違う。最初はこちらの方から行くのが早いのだろうと思っていたが、スマホ地図で見ると完全に反対方向で、北上しているのだ。それに気が付いてもどうすることもできない。途中で降りても厄介なので、まあ到着するまで待つしかない。チケットもらっても、ミニバスの車体を見ても、タイ語が読めなければ、何の意味もない、とわかる。

 

2時間後、スラッタニーに着いた。こんなことが世の中にはあるんだな。この街は昨年訪れており、ターミナルの様子などには見覚えがあった。だがここで見るべきものはもうない。どうするか、戻るか。その時急にひらめいた。そうだ、ミャンマーへ行こうと。唐突だが、この半島の反対側にラノーンという温泉で名高い街があり、そこからミャンマー最南端に行けると聞いていた。時間的な余裕もあるので、この際ポジティブ思考、この間違いを利用して行ってみることにする。

 

聞いてみると30分後にラノーン行きがあるという。トイレに行くだけで食事もとらずにそのミニバスに乗り込んだ。そこから北上して、更に半島の山道を延々と横断し、更にまた反対海岸を北上。4時間ほどかかって、何とかラノーンに着いた。正直ナコンシータマラートからトランまで2時間以内の旅を想定していたので、合計6時間以上はかなり疲れてしまった。

タイ南部を歩く2019(1)ハジャイからナコンシータマラートへ

《タイ南部を歩く2019》  2019年8月7-14日

マレーシアを旅していたが、ちょうどマレー系最大の祭りの一つ、ハリラヤの休みにぶつかった。この休みでは2年前、東海岸でひどい目に遭ったので、一度タイに脱出することを思いつく。ペナンから車で4時間、国境を越えて6年ぶりにハジャイに来た。後は風任せの旅になる。

 

8月7日(木)
ハジャイで

小型バスはハジャイ市内に入る。バスターミナルで西洋人を下ろし、後は中国人2人を駅前のホテルまで運ぶ。その途中に私が予約したホテルがあった。そこは元々フランス系ホテルだったが、今は撤退してタイ資本になっていた。とにかく直前割引で安かったので、泊ってみようと予約した。

 

確かにロビーなどは立派で、部屋も眺めは良かったが、何しろ古い。まあこの料金だとこんな感じだろうか。ペナンのホテルよりはマシかもしれないが、朝食も付いていないし、2度は泊まらないだろう。このホテルの下の階はモールになっており、地下にはスーパーも入っていて便利ではある。

 

周囲は繁華街で、賑やかだ。まずはシムカードを買わないと話にならないのだが、ちゃんとホテル近くに旅行者用シムを売っているところがあった。イスラム教徒の女性、英語も通じる。8日間、13GB 、299バーツは安い。腹が減ったので近所で鴨肉麺を食べる。懐かしいタイの味がして、思ったよりうまい。ここの店員は華語をちゃんと話す。やはりこの辺の言語仕様は、マレーシアの影響を強く受けているということだろう。

 

駅も近いので、明日の電車の時間を確認する。インフォメーションでは、きちんと英語で教えてくれた。ちょっと疲れたので午後便でナコンシータマラートへ向かうことにした。この駅、ステーションホテルも併設されているのが目に入る。今度泊まってみようかと考えて、一応料金を確認した。

 

それから街の散歩に出たが、それほど見るものもなく、1時間ほど歩いて宿に帰る。この街は6年前、ソンクラーに行くために泊まったことがあるが、その時も印象は殆どない。単なるマレーシアへの中継地ということだろうか。暗くなってから夕飯を探す。意外とうまい肉と野菜があったので、ご飯をもらってその食堂で食べる。宿の前に人だかりが出来ている。何かと思ってみると、ドリアン祭りでいくつもブースが出ており、ドリアンを買う人でごった返していた。勿論ホテルへのドリアン持ち込みは禁止だ。

 

8月8日(金)
ナコンシータマラートへ

翌朝はかなりゆっくり目覚める。ベッドは悪くないので眠りは深かったかもしれない。11時頃まで部屋でグダグダしてから、外へ出て昼ご飯を食べる。今日は豚足飯だ。ここのタイ人も片言の華語を話している。タイもこのくらい言葉が通じると楽なんだがな、とつい思ってしまう。

 

 

午後1時に宿を出て、駅に向かう。駅では普通車の切符を購入して、ホームに入る。1時40分ごろ来るはずの列車は一向に来ない。反対ホームにはバンコックから到着した列車が停まった。こちらのホームには、飲み物や食べ物を売る人々が何人も待機している。1日中、ここにいるのだろう。

 

ようやく乗るべき列車が来たのは30分以上遅れてから。そして出発時点では50分遅れていた。これがタイ国鉄だ。固い座席、乗客は多くはないので、一人で占領して外を眺める。お客にはマレー系の人もいる。外は延々と、畑か林が続く。駅があっても、どこが駅か分からない場所すらある。これは確か、ミャンマー南部でも見た光景だなと思い出す。途中パタルンという大きな駅を通過したが、それ以外は本当にのどか。

 

 

 

景色も変わらず、3時間も乗れば飽きてくる。その頃バンコックへ向かう列車との別れ駅に着く。何時目的地に着くんだろうと不安に思い始める。それから1時間は意外とスピードが出て早かった。1時間ぐらい遅れていたのだが、最終的には20分ぐらいで済んでいる。それでもまあ、よくここまで来たな、という感じだ。

 

ナコンシータマラート駅は小さくはなかったが、駅前にはあまり店も見えなかった。既に暗くなり始めたので急いで宿を探すが、やはり1㎞くらい歩かないとないらしい。何とか歩いて行くと、そこそこ立派なホテルが見え、600バーツと書かれていたので、そこへ飛び込む。すると後ろから観光バスが停まり、大勢のタイ人がこのホテルに入った。昔はいいホテルだったんだが、というあれだ。

 

部屋などには特に文句はない。急いでまた外へ出て夕飯を探す。こういう田舎町では夜7時を過ぎると食べ物屋が全て閉まることも考えられる。というか、駅から歩いてきた道に食べ物屋は一軒もなかった。結局駅まで戻るも何も見付けられず、その横道にあった麵屋で食べた。何となくかなり寂しい街に来てしまった、という印象だ。

 

 

ペナンで老舗茶商を探す2019(3)ペナン散策

8月6日(水)
ペナン散策

今朝も天気が良い。朝食後、張さんから連絡があり、今日の午前中、茶荘に行こうと誘われる。場所はまたしてもちょっと郊外。タクシーで来て、と言われたが、昨晩で十分に慣れたので、余裕を持って出掛けた。だがほぼ現地までやってきても、住所だけでは、なぜか上手くたどり着けず、やはり電話で場所を聞く羽目になる。

 

人和茶荘は、そんな道路沿いにこじんまりとした店舗があった。張さんも車でやって来て合流した。ここも市内中心部からは離れており、小売りというより卸がベースなのだろう。安渓人の劉さんは、1952年にペナン最大の茶商、龍泉で働き始め、25年間務めた。元々岳父が経営していた人和に1977年に参加して、岳父が引退後店を引き継いだという。

 

龍泉の時代は、マレー半島東海岸を担当しており、交通が不便だったので2日も掛けて行っていたらしい。お客はマレー系が多いので、テダレの原料となる紅茶粉を売るのが仕事で、福建茶などは扱わなかった。キャメロンハイランドのボーティーは輸出用で、国内ではあまり流通しかなったともいう。

 

劉さんは80歳を過ぎても元気で、自らお茶を淹れてくれる。そして昔話はとめどなく流れていく。以前は六堡茶がかなり飲まれていたが、今ではプーアル茶に変っているように、お客の方向性はどんどん変わっていく。果たしてどのようなお茶屋が必要なのか、いつまであるのか、将来はかなり不透明な状況と言わざるを得ない。

 

張さんとも別れて、またバスで戻ることにした。スマホ地図に示されたバス停で待っているとバスが来たので乗り込む。まあ宿の近くに行かなくても港には行くだろうから、これに乗って行く。バスはかなりくねくねと運行しており、どこへ行くのかさっぱり分からない。20分ぐらい乗っていると、昨晩張さんが教えてくれた古い茶荘の近くに出たので、そこで降りた。

 

この付近は古い建物が多く残っており、チャイナタウンという感じで歩いていても楽しい。その茶荘、ちょうど昼時で店に人がいなかったので外から眺めるだけにした。ちょうど無料のバスが来たので思い切って乗ってみた。ペナンには無料で乗れるバスが走っており、実はこれが便利で市民も利用している。

 

無料バスで宿へ帰ろうかと思ったが、途中にきれいな建物が見え、思わず降りてしまった。コロニアルスタイル、なかなかいい。この付近には博物館もあるというので探してみると、いいデザインの教会も見えてくる。その横にあるはずだった博物館は、改修工事で遠くに移転しており、残念ながら見ることは出来なかった。

 

宿まで歩いて帰り、お向かいにあるマレー料理屋に入り、ミー・ゴレンを注文する。とてもうまそうな鍋の音が響く。なぜかこういう時のドリンクはコーラを頼むことにしている。ミー・ゴレンは焼きそばではあるが、福建麺とはまた違った味わいがありよい。料金も安い。宿に帰って休息する。

 

実はこの宿、当初2泊しか予約していなかった。もう一泊延泊を申し出るとフロントで言われた料金はどう見ても高い。フロントからもネット予約の方が安いと言われたので、予約してみたのだが、何と一段上の部屋を予約してしまったようで、『部屋を移動して』と言われてしまう。面倒だったが、仕方なく荷物をまとめて新しい部屋に行くと、ビューもよいし、バスタブなどもあり、かなり良い部屋になっていて驚く。それほど料金が違うわけでもない、最初からここにすればよかった。

 

 

部屋が気に入ったせいもあり、夕方までゆったりと休む。日が西に傾いたころ、部屋を出て、ペナンの夕日を探しに行く。だが海岸沿いは建物が建っており、なかなかいいスポットが見つからない。かなり苦労してようやく陽が沈むのを眺めたが、特に印象的な風景にはならなかった。街を少し散策すると、美味しいそうな食堂があり、叉焼などを食べる。

 

8月7日(木)
ハジャイへ

今日はペナンを離れ、タイのハジャイへ行く。ゆっくり移動するため、12時のバスを予約しており、午前中は部屋で過ごした。やはり体力がなくなってきている。歩いて10分のコムタに荷物を引いて行く。タクシーに乗るほどでもないが、暑さは厳しい。

 

コムタにある旅行社に行き、バスを待つ。12時過ぎてやってきたのは小型バス。乗客はタイ人、華人など数名のみ。まあ予定通りに行けばバスを乗り換えることもなく、国境を越えてハジャイに着く。ところがこのバス、ペナン島内で、更に乗客を乗せるため走り回る。予約していた中国人乗客はバスと遭遇できずに、怒りの電話を入れてくる。何とか彼らの場所に行くと、キャンセルだと言って乗ってこない。

 

ようやく半島側に渡り、高速道路を走ると快適。1時間ほどで国境に着く。国境には驚くほどに人がおらず、あっという間に出国し、少し移動して入国手続きを行い、何となくタイに入った。そこから更に1時間、合計4時間でハジャイまで行った。ここで一旦マレーシア旅は終了した。

 

ペナンで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘と茶藝に巡り合う

そこから更に2㎞ほど歩いて、ついに老翁茶の店舗を探し当てた。看板を見る限り、ここが1929年創業だとは分かったが、例の資料にこの茶荘の名はなかった。中に入って聞いてみると、何と元の名前が資料にあった陳烈盛だと分かり、歓喜する。やはり残っていたのだ、こういう店が。置いてある茶道具や茶缶なども古めかしく、テンションが上がる。だがオーナーは不在で詳細は分からない。午後もう一度来て、と言われたので、一度宿に戻ることにした。

 

ただ流石ここから歩いて帰るのは辛い。私はGrabなどのアプリを使わないので、タクシーを呼ぶこともできない。近くにバス停があったのでみてみると、どうやら市内にはいけるようなのでバスを待つことにした。すると華人の年配女性が英語で『どこへ行くの?』と声を掛けてくれ、一緒にバスに乗った。

 

彼女はタイ生まれの華人で、5つ以上の言語を流ちょうに話せるらしい。聞いたら80歳近いというのに非常に元気で活発だ。これも華人パワーの1つだろうか。宿の近くでバスを下ろしてもらう。料金は1.4リンギ。バスに乗る時は行き先の距離により料金が違うので、行先が言えないと乗れないことを知る。

 

場所とバスルートが分かったので、午後はバスに乗って老翁茶へ向かう。店には3代目のオーナーがいて、暖かく迎えてくれた。そしてすぐに様々な資料を出して、見せてくれる。熱心に写真を撮っていると、あげるよ、と言って、茶商公会の本までくれた。更には奥に行き、元の茶荘名である張烈盛の看板も探して見せてくれた。

 

 

ここの一族は珍しく広東省から来た客家であった。お茶は安渓茶など中国茶を多く扱っており、現在も小袋に鉄観音茶などを詰めて販売していた。実はペナンでは老舗茶荘が後2つ、リストに載っていたが、残念ながら2つとも既に廃業しており、ここが一番古い茶荘になっているとの情報も得た。

 

お店を出て、またバスに乗る。途中にコムタという場所があり、そこがバスターミナルだと分かったので、降りてみる。ある意味で町の中心はここだった。私の次の目的地は、タイのハジャイになるので、そこへ向かうバスを探すと、意外と便利で安いのだと分かり、満足して歩いて宿へ帰る。

 

その途中、ちょうど食べたかった福建緬があったので、立ち寄って食べた。福建緬も汁ありとなしの2種類あるが、私は汁なしが好きだ。アイスレモンティーを加えても、8リンギほどで食べられるので、軽食にはお手頃でよい。取り敢えず宿へ帰り、今日の成果を見ながら、休む。

 

日が暮れた後、宿の隣にある、フードコート?へ出掛けてみる。規模がかなり大きく、多くの屋台が出ていて、食べ物の種類は豊富。外国人観光客などはここで食べる人が多いのかもしれない。私はサーモングリルとライスを注文した。ちょっと和食テイストで案外イケる味だった。

 

今晩はこれで終わらない。午前中に連絡した茶芸協会の人から連絡が入り、夜9時に会いたいというのだ。しかも場所はペナン市郊外。場所が分かりにくいので、ホテルのフロントに相談したが、『表に居るタクシーに乗って行け』と非常につれない返事で困る。仕方なく、タクシースタンドに行き、住所を見せると、ちょっと高い料金を吹っ掛けられた。

 

それならばと、他へ行くそぶりを見せると、慌てて料金を下げてきた。どう見ても暇なのだが、大丈夫だろうか。車はすぐに郊外に出た。夜道はどこを走っているのかさっぱり分からないが、今はスマホ地図で追えるのが何とも有り難い。20分ぐらい走ると目的地に着いたが、そこは郊外の大型住宅地で、その住所には辿り着かない。電話して、最後は迎えに来てもらう。

 

その家は、林さんの自宅だった。夜9時に、全く面識のない人の家に突然上がり込む、これ海外では普通ならあり得ない状況だと分かっていたが、そこは茶の繋がり。ズカズカと上がり込む。部屋には沢山の急須があるのが目に入る。2階に上がると、心地のよい空間でお茶を頂く。張さんと林さん、この二人が十数年前に設立された茶芸協会の主要メンバーで、茶芸について日々研究する場所がここであるらしい。

 

珍しい、年代物のお茶が沢山出てきた。茶器はよく見ると日本の茶碗が使われていたりする。茶碗の本来の意味を考える。茶芸というのは工夫が重要であり、またおしゃれだなと思うが、私とは別世界、とも感じる。マレーシアの茶の歴史についても、色々と話が出てきて大変参考になる。やはりお茶の繋がりは初対面でも何の違和感もなく話に入れるのがよい。

 

夜も11時過ぎまで居座ってしまった。帰りは張さんの車で送ってもらった。彼らは本業を持っており、茶芸は趣味だと言い、連日遅くまで仕事をしたのち、お茶を飲むらしい。宿に付く前に、市内の茶荘の場所など、いくつか聞きながら行く。また明日は連れて行きたいところがあると言われ、その連絡を待つことになる。何の情報もなかったペナン、1日にして、これだけの進展を見せた。如何にも茶旅らしい。

ペナンで老舗茶商を探す2019(1)17年ぶりのペナン

《ペナン茶旅2019》  2019年8月4-7日

シンガポールから直接クアラルンプールに入らず、まずはペナン島に飛んだ。ペナン島に行ったのは、今から17年前の2002年以来になる。あの時は前年の911テロの影響で、ペナンのホテルはガラガラで、かなり安い料金で泊まれたので、1週間滞在した記憶があるが、正直あまりよく覚えていない。今回は老舗茶商を探す旅であり、これまでの旅行とは違うのだが、果たしてどうなるのだろうか。

 

8月4日(日)
ペナンで

シンガポールからペナンまでは1時間ちょっとと近い。また普通LCCでは食事は出ないのだが、私はいつも20㎏の荷物を預ける時に、座席指定とのパックで購入する。なぜか食事も含まれるので、それを食べる。今日はパンプキンライス(ベジ)だった。

 

空港に着くと、タラップを降りて歩いてターミナルに入る。かなりのローカル空港の雰囲気だ。荷物を取り出し、イミグレは簡単に通り抜けたが、シムカードの販売ブースが一か所しか見当たらず、列が出来ており手間取る。これから1か月間使うので、かなり容量の多い物を選ぶ。それでも台湾やタイよりは安い。両替はせず、ATMからリンギを引き出す。

 

空港バスに乗って市内へ行きたかったが、いつ出発するかも分からないと言われ、仕方なくタクシーを利用する。ブースで行先を言うと45リンギ取られる。これはマレーシアではかなりの料金だとは思ったが、これまた仕方がない。車はかなりのスピードで市内に向かい、40分後には予約していたホテルに着いた。

 

ホテルはかなり古く、サービスもそれほど良くはなかったが、街の中心だったので、散策には便利だった。取り敢えずまだ日も高いので、外へ出てみる。かなり暑いが、ペナンはいい感じの古い町並みがあり、歩いていても楽しい。近くの市場に入り、涼をとる。帰りにコインランドリーを見つけたので、一度宿に戻り、シンガポールで溜まった洗濯物を持って出向く。使い方がよく分からなかったが、華人のおじさんが簡単な華語で教えてくれた。料金は乾燥までつけて日本円300円程度、何とも有り難い料金設定だ。

 

洗濯の間、近所の店に入り、カヤトーストとお茶を頼む。ここは観光客も来るような有名店らしい。エアコンより扇風機の方が意外と涼しい。トーストも甘みがありおいしい。しばらく休んでから、洗濯物を取りに行った。これで当分洗濯の心配がないのは良い。実はマレーシアはコインランドリー天国だった。

 

夜は涼しくなっていたのでまた外へ出た。港の方まで歩いて行くと、途中に華人街があり、多くの古い建物が残っていた。更に行くとインド人街があり、ここはインドの匂い、雰囲気が漂っている。港からフェリーに乗れば、半島側に渡れるようだが今日は止めて、戻る。港付近は英国植民地色が強い。ペナンは色々な顔を持っている。腹が減ったので、屋台の焼きそばを食べる。これは相変わらず美味しい。

 

8月5日(月)
老舗茶商と茶藝

朝はホテルの朝食を、最上階の眺めの良い席で食べる。食事自体は普通だが、この景色はとても贅沢で、気分もよい。食後、外へ出た。スマホ地図で検索したところ、福建会館の場所が特定できたので、まずはそこへ行くことにした。何しろ老舗茶商の名前は、先日シンガポールでもらった資料に記載されているのだが、それがどこにあるのか、住所などは分からない。それを尋ねる方法として、福建会館には可能性があった。

 

会館は意外と遠く、歩いて20分もかかった。だがバス路線も分からず、ひたすら歩くしかない。ようやくたどり着くと、そこには孫文記念館があった。広東系の孫文の横に福建会館か。後でこちらの記念館も訪ねてみようか。会館のビルには新聞社が入っているようで、その5階に同郷会事務所がある。エレベーターが壊れており、階段を上がると息も上がる。

 

事務所にいた人に聞いてみた。曽さんはとても親切な人だったが、何と『私は福建人だが、お茶は飲まないよ』と言い放つ。これで望みは絶たれたかと思ったが、思い出したように『先日茶芸協会の人が訪ねてきたから、彼らに聞いてみれば』と言い、電話を入れてくれた。電話で話してみると、老舗茶荘はあるらしい。今晩彼らと会うことにして電話を切る。

 

すると曽さんは思い出したように『そういえば、老翁茶というのがあるよ』と言って、住所を調べてくれた。またタイムズスクエアーにもお茶があるぞ、と段々ノッてきた。スマホで見るとここからタイムズスクエアーは近いので、まずはそこまで歩くことにして別れた。やはり何らかの情報は得られるものだ。

 

タイムズスクエアー、香港などにもあるショッピングモールがペナンにもできていた。かなり広いスペースだが、朝早いせいかお客はおらず、エアコンだけがやけに効いた空間であった。2階に上ると、蔵茶と書かれた店があったので入ってみたが、そこに置かれていたのはプーアル茶だけ。まあ蔵茶がマレーシアまで来るわけもないか。

シンガポールで老舗茶商を探す2019(6)チャイナタウンで

8月3日(土)
散策3

今日はついに疲れ果て、朝はゆっくり起きて、部屋に居た。この宿も気が付けば6日目。今日の夜は何と週末料金が適用され、S$20も値上がりするので、ちょっと他のホテルをのぞき見しても良いかと考えたが、今更他に移る気もないので、ここに留まる。明日の出発に備えて、残った菓子や飲み物を処理する。昼前に宿を出てまたバスに乗る。

 

今日はNさんとチャイナタウンを歩く約束をしていた。地下鉄駅で待ち合わせて、例のコンプレックスに向かう。先日訪ねた店は週末休みのようで、扉は閉まっている。1階の小売りの店は開いており、すぐに優しいオーナーが相手をしてくれ、お茶が振る舞われ、会話が始まる。王三陽、こちらも安渓人である。戦後店舗を構えた後発で、現在も小売りがメインのようだ。以前は福建茶を多く商っていたが、今ではプーアル茶などがよく売れるらしい。

 

腹が減ったので2階のホッカーで食事を探す。珍しい麺があったので食べてみる。肉と水餃子と麺が1つの皿に載っている。特性のたれはやや甘めだが私の好みだ。それから先日も訪ねた路面店、白三春に行ってみる。残念ながら今日もオーナーはおらず、歴史の話は結局聞けなかった。ただシンガポールに来たばかりのNさんにとっては、誰かを案内する時、こういう小売りの店を知っていればいいのかなとは思う。

 

それからTea Chapterに行く。昨日は1階のショップに立ち寄っただけだったが、今日は2階に上がっていく。ここでは靴を脱ぐ。座敷もあるが、テーブルにする。隣はエリザベス女王が座った場所らしいが、特別料金がかかるので止める。ゆっくりと自分で茶を淹れて飲む。人のために茶を淹れるなんて、一体何年ぶりだろうか。色々と話しているとすぐに時間は過ぎていき、日が傾いてくる。この店は相変わらずお客が多く、シンガポールの若者も茶芸には興味があるようだ。

 

歩いて地下鉄に向かう途中、なぜか和食の店が並んでいる一帯があった。海外に活路を求めた日本人が開いたのか、はたまた商機を感じたシンガポール人が経営しているのか。ここなら客単価は高いだろうが、店舗賃料や人件費など、コストも高いに違いない。収支は見合うのか。

 

地下鉄で一本、宿の最寄り駅まで戻る。Nさんと一旦分かれて宿で休み、夜また再会して四川料理屋へ。ゲイラン中華ツアーも最終日だ。ところが店に入ると、何とまさかの日本人団体の宴会中。何かの打ち上げなのか、酒が入って大騒ぎ。まあ貸し切りに近いので良いのかもしれないが、どうせなら貸し切りにして欲しい。隅っこの我々はどうなるのだろうか。

 

麻婆豆腐が出てきたが、どうもその辛さ、ちょっと雰囲気が違う。水煮牛肉、色が違うし、肉の歯ごたえも違う。何だか中国で食べる四川料理とは思えない。ここは湖南の人がやっているのだろうか。それでもちょっと違う気がする。ゲイランは全て本格的な中国料理かというと、かなりアレンジされたものも混ざっているということだろう。

 

8月4日(日)
ペナンへ

今日はついにシンガポールを離れる。1週間も泊っていると宿にも愛着がわく。そういえば、滞在中はずっと天気が良く気持ちがよかった。雨も一度スコールが来たほかは、殆ど降らなかった。今は雨期ではないのか。これは日頃の行いがよかったということだろうか。宿をチェックアウトして地下鉄駅に歩いて向かう。

 

空港までは簡単に行けたのだが、今日乗る飛行機はエアアジア。それは第4ターミナルだと言われるが、どこにあるのだろうか。昔はなかったターミナルに何とバスで移動したが、そこは新しくて、きれいだった。エアアジアは大きなスペースをとっているが、基本的にチェックインは機械だった。最初は不慣れで戸惑うが、慣れるとこれは便利だ。後は如何に慣れている人の後ろに並ぶかが勝負だった。預け荷物も機械で預けるので最初は戸惑う。

 

出国審査は長蛇の列で疲れた。やはり外国人乗客が多い。シンガポール人はあっという間に抜けてしまうが、中東系の人などは時々別室に連れていかれている。30分以上かかってようやく解放された。ゲートまではかなりおしゃれなデザイン空間、色々と趣向を凝らしている。特に待合室の椅子のデザインが何ともよい。無味乾燥な同じ形のものではなく、皆独特で個性が感じられる。TWGの店舗も出店するなど、とてもLCCターミナルとは思えない。これならLCCに乗るとしても、気分良く出立できる。さすがシンガポール、この辺のサービス精神、きめは細かい。

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(5)教会とモスク

8月2日(金)
散策2

今日も昨日に続いて散策する。昨日暑さで最後にへばってしまったボッキーでバスを降りる。キャナルロード付近にも老舗茶荘が残っていると思われたので、その住所を訪ねてみたが、今は跡形もなくなっている。ただそのあたりには古い薬屋があり、潮州料理屋があることから、やはりこの辺に茶貿易のための茶荘があったことは容易に想像できる。

 

その道をふらふら歩いて行くと、5分ぐらいで、初日に訪ねた茶荘が入っているコンプレックスに出た。これで位置関係がはっきりする。やはりこの一帯なのだ。チャイナタウンを通っていくと、ヒンズー寺院があり、新しい中国寺院もある。このあたりの混沌ぶりが、往時の貿易基地を思わせる。

 

もう一つ住所が分かっていたところへ行ってみると、何と6年前にSさん一家と行った茶荘だった。Tea Chapter、ここはちょうど30年前にできた新しい茶荘。1階がショップで、2階でゆっくり茶が飲める。いわゆる茶芸が台湾から入り、新しい茶のスタイルの草分けとなった店、と言えるだろう。

 

1階に入っていくと年配の女性が流ちょうな英語で接客していた。私が華語で話しかけると、ちゃんと華語で返ってくる。話を聞くと、この店は数人のオーナーの共同主出資だが、コンセプトは30年変っていないという。30年前開店して10日目にエリザベス女王夫妻がこの店に来て茶を飲んだというからびっくりした。当時中国茶が飲める場所がなかったのだろう。店員の彼女も原籍は安渓だが、この店で働くまでお茶などほとんど飲まなかったらしい。この辺が一般的な茶の普及の歴史だろうか。

 

その店のすぐ近くに、昔よく言ったマクセルフードコートが見えたので懐かしくて行ってみた。改修中だったが、営業は通常通り。中はそれほど変わっていない。すでにお客が多かったが、鴨肉麺をゲットして、何とか席に着く。この鴨肉にかかったタレが絶妙で、麺にかけるとうまい。S$5程度で十分満足できるのがよい。

 

午後はこれまでバスで通り過ぎてきて気になっていた、教会とモスクを訪ねる。聖アンドリュー教会はとても立派な白亜の建物で、100年以上の間、目立っていた。内部で祈りを捧げる人々、壁のステングラスなども美しい。敷地も広いので出口を間違えると、そこには建設中のスタジアムが見えた。こんな街中にスタジアムを作るとは、さすがシンガポールだ。

 

そこの横からバスに乗り、今度はマスジットモスクに向かう。この建物も趣がありよい。周囲は急にアラブ人街になる。だが今日は金曜日、残念ながらイスラム教徒以外は中を見学できなかった。その横の方には博物館があり、そちらをチラッと見学する。周囲にいくつか歴史的建造物があり、古きシンガポールを残しているという。ただかなり改修されてきれいになっており、観光地化は否めない。

 

それからまたバスで図書館へ向かう。ここに入るとオアシスのように涼しく、快適だ。更に資料を読み込む。特に福建とシンガポールの茶貿易の歴史に興味が沸く。相変らず英語の感覚は戻らず、素早く資料を読むことができずに歯がゆいばかりだ。夕暮れが近づく頃、今日もバスで家路につく。

 

夜はまたご近所のNさんからお誘いがあったので、ゲイランでご飯を食べる。今晩は東北料理屋。水餃子をはじめ、土豆糸、地三線など、いわゆる東北料理の定番をズラッと並べて悦に入る。シンガポールでもこんなものが食べられるんだ。うれしくなって、腹が膨れるまで食べ続けた。やはり一人では食べられないが、食事は2人いるとよい。

 

私は毎晩宿へ帰る前に、便利店に立ち寄る。シンガポールにもセブンイレブンはあるが、同じ飲み物でもなぜかかなり高い。そこで2日目からはインド系がやっている店でジュースを買っている。何日も通えば自然と会話も生まれ、日本人だと分かると、なぜか一層親しみを見せてくれるのが面白い。旅も1週間同じ場所に居れば、また違った景色が見られるというものだ。ただ当てもなく街に滞在する、沢木幸太郎の深夜特急を思い出す。

シンガポールで老舗茶商を探す2019(4)シンガポールを歩き回る

8月1日(木)
シンガポール散策

本日もまたバスに乗り、老舗茶商を訪問する。今回の場所はチャイナタウンからもかなり離れており、正直行けるのか不安だったので、事前に電話を入れてみた。これは安渓会館が役に立った。電話に出たオーナーは初めあまり乗り気ではなかったが、私が厦門の王さんとの繋がりで電話したと言うと、『会いましょう』と言ってくれた。こういうご縁も面白い。

 

バスはチャイナタウンを通り過ぎた。隣の華人女性が英語で『どこへ行くの?』と声を掛けてきた。観光客が行き先を間違えていると思ったのだろう。私がスマホで行先を見せると納得して『エンジョイしてね』と言いながら降りて行った。こういう親切も、日本ではなかなかない。

 

指定のバス停で降りてもそれらしい場所は見つからず、スマホ地図を頼りに歩いた。着いたのは完ぺきな工業団地の一角。目の前は倉庫だったが、会社名が私の目指したものだった。思ったより規模が大きく、従業員も何人もいる。何の用だと言われ、オーナーと約束していると言うと何とか通してくれた。事前に電話していなければ門前払いだったろうか。

 

オーナーの魏さんは例の『新嘉坡茶商公会史略』を編集した人で、公会にも大いに関わり、また歴史にも詳しい人だった。既に公会のオフィスもなくなった今、公会の資料、辞めていく茶商の残したものも含めて、後世に残そうとあの本を書いた。当然膨大な資料があり、それは大変な作業だったという。

 

だが最近は滅多に取材は受けないらしい。皆がいいように歴史を書いてしまう現実を好まないようだ。私も厦門の王さんがいなければ会うことはなかっただろう。王さんが魏さんを紹介してくれなかった理由も何となく分かった。それでも会ってしまう、それが茶旅というものだ。

 

 

 

 

魏さんの会社、南苑は1960年に設立された。それ以前から茶業は行われており、ちょうど対中国向け購買会社、岩渓茶行が設立された年だから、これと関連があるらしい。昔に比べれば規模は縮小しているようだが、小売りはせずに、卸に専念していて、業務は継続されている。ただ将来については、はっきりした展望は見えてこない。

 

魏さんと別れてまたバスに乗る。今度は国立博物館へ行こうと考えた。シンガポールのバスは本当に便利だ。また一本で近くまで行けた。既に昼は過ぎていたので、その辺でランチを食べる。どうやらチェーン店らしい。メニューにチキンカツ麺があり、思わず注文する。これがなかなかイケる。セットに付いてきたコーヒーとも合う。不思議な融合だ。

 

博物館は立派な、100年以上前の建物だった。ただ入場料がS$15もして、ちょっと躊躇したが、思い切って入ってみた。年代ごとにきちんと展示が分かれており見やすい。老舗茶商の展示などもある。コーラは1960年代には既にあったが、氷はいつ頃一般に普及しただろう?

 

シンガポールの大体の歴史が頭に入ってくる。1965年この国は独立したのだが、それはこちらの意志ではなく、マレーシアから捨てられた、という説明が意外だった。もう一度勉強し直す必要を感じる。当時の東南アジアの各国情勢は、決して今の尺度では測れないと思われ、この辺の都市間の歴史にも大いに興味を持つ。

 

ついでに近くにあるペラナカン博物館にも寄ってみようと出向いたが、何と改修工事中で閉鎖されていた。ペラナカンの歴史を合わせて考えれば、華人の歴史が自ずと見えてくると思ったので残念だったが仕方がない。更には1㎞以上歩いて、アジア文化博物館にも行ってみたが、疲れてしまい中に入らず、しばらくは外で川を眺めていた。ラッフルズがシンガポールに上陸して今年がちょうど200年であることを知る。

 

更には川沿いを歩いていき、ボッキーに出る。20年ぐらい前に家族旅行で来た時に、知り合いとここで食事をしたことが何となく思い出された。先日訪ねた源崇美など数軒の茶荘は、元々はこの付近にあったらしい。今はスイスホテルになっているところなど、如何にもそれらしい。貿易商は必ず川沿いを抑えるので、多分間違いはない。

 

最後にクランキー付近を散策した。かなりの暑さの中、よくもこんなに歩いたな、と自分で驚いてしまった。何とかバス停を見つけてバスに乗り込む。今日も図書館で勉強しようと思ったがその気力はなく、とにかく宿へ帰った。元は4日ぐらいで去るはずだったシンガポール。意外と楽しいので延泊することに決定。

 

夜は先日会ったNさんと待ち合わせて、ゲイランで飲茶を食べる。焼売も餃子も何となく美味しく感じられる。特に豚バラ炒飯がうまい。今日は相当体力を使ったので、食べ物がどんどん入っていく。ゲイランの夜に賑わいは相変わらずで、中国人観光客だけでなく、地元民、在住日本人もやって来る。やはり食事が安くて旨ければ人は集まる。

 

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(3)図書館のサービスが素晴らしい

7月31日(水)
肉骨茶と図書館

今朝も昨日と同じバスに乗る。今日は国立図書館へ行ってみることにした。実は昨日安渓会館で出会った男性が『国立図書館は本や資料が相当充実しており、冷房も効いて環境がよいから行ってみる価値はあるよ』と教えてくれたのだ。その場所を確認すると、ちょうどランチを約した場所に近かったので、覗きに行く。

 

バスをブギスで降りた。すぐそこに立派な建物が見えた。確かに室内は涼しい。エレベーターで上に上がる。荷物検査も簡単で預ける必要もない。書棚は充実しすぎていて、自ら探すのは不可能に見えたので、係の人に、必要な人物の名前や茶貿易と言ったキーワードを渡してみる。係員は華人で、英語でも中国語でも対応してくれる。そしてあっと言う間に取り敢えず2冊の本を探し出し、教えてくれた。

 

その本は英語だったが、私が必要としている内容がかなり含まれていて驚いた。検索能力が極めて高いのだ、と思われた。そしてそのフロアーはリサーチャー向けになっており、デスクもあり充電もできる。朝からここで勉強したり、資料をまとめたりすれば、効率が上がりそうだ。席についている顔を見ても、多国籍という感じで、研究者が集まっているようだった。

 

それから1時間半ほど、しっかり資料を読み込んでいたが、何しろ英語の資料は久しぶりで単語も忘れており、なかなか進まない。時間が来てしまったので、係に本を返しに行くと、『まだ使うなら保管しますよ』というではないか。夕方に戻ると約束して、預けて外へ出た。

 

図書館から近くにある有名な肉骨茶の店に行った。まだ11時半と早かったので、席は空いており、座ることができた。周囲を見ると中国人観光客が多い。今日は数年ぶりにFさんと会うことになっていた。彼女は結婚後シンガポールにやってきた。元は中国関係の人だから、この国は問題ないと思っていたが、意外と英語を使う機会が多いので疲れるという。

 

肉骨茶はマレーシア発だと思うのだが、シンガポール発だという人もいる。ご飯と漬物も頼み、美味しく頂く。スープのお替りも注いでくれる。お茶も注文できたので、烏龍茶を飲んでみたが、こちらはまあ、という感じだった。それでもランチ時間にお茶を飲ませてくれるだけ有難い。前回行った店は茶を飲ませてくれなかったので、それでは肉骨茶ではないだろう、と文句を言いそうになった思い出がある。

 

それからカフェに移動して更に話続けた。数年ぶりだと話すことは沢山ある。カフェもかなりおしゃれで、最近流行りというレインボーケーキまで食べる。やはりシンガポールは、若干のお金を払えば、快適な空間が保証されるような気がする。外は暑いが、室内はかなり涼しい。そのギャップで風邪をひかないように注意は必要だが。

 

3時ぐらいまで話し込み、次に向かう。地下鉄に乗るが、やはり複雑で乗り換えで迷う。それでも何とか待ち合わせのホテルまで辿り着く。午後は6年前にこの地で会ったSさんと再会した。いつも私のFBを見ていてくれるようだったので、連絡してみた次第だ。Sさんはシンガポール在住22年というベテラン。シンガポール事情を聴くにはうってつけの人物だった。

 

ホテルの最上階のラウンジでお茶をした。アイスティーを頼むと、出てきた紅茶専用メニューは何とTWGだった。今やシンガポールの名物なのだろう。ラウンジからは、セントーサ島などいい景色が見られた。港に船が停まっていたが、実は今この港は移転が決まっており、近日中に風景は一変するらしい。シンガポールは常に動いている。

 

この6年でシンガポールの不動産は値上がりが止まったという。さすがに高くなり過ぎ、中国マネーが注がれた香港の方が高くなったようだ。この国、不動産価格が安くなり、物価が安定すれば、住みやすい場所かもしれない。中国人投資移民の流入は食い止めようとしているが、適切なコントロールが出来ればよいかと思う。

 

Sさんと別れて、また地下鉄に乗り、図書館に舞い戻った。係員は代わっていたが、私が預けた本はちゃんと出てきた上、しかももう1冊本が加えられていた。どうやらさっきの係員が検索を加え、必要であろう本を探しておいてくれたらしい。こんなサービス、日本では考えられない。サービスの国、シンガポールらしい計らいに感激する。

 

 

 

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘で

7月30日(火)
老舗茶荘を探して

翌朝はゆっくり目覚める。これまでシンガポールといえば、狭くて喧騒の中にいる感じだったが、今回はゆったりとした気分。これならもう数日泊まれると判断して、フロントで延泊を依頼する。基本的に部屋は常に空いているようで、これまた有り難い。

 

これまで地下鉄を基本として移動してきたが、今回は地下鉄駅まで歩いて少し距離がある。スマホ地図で見ると、チャイナタウンまで行くには、バスが便利だと表示されていた。近くのバス停に行くと、大勢の人がバスを待っている。その1台に乗り込む。涼しいし、それほど混んでいないので快適。途中モスク、教会、運河が見える。シンガポールらしい景色を眺めながら、バスは快調に進んで行く。そしてチャイナタウン駅の横で降りる。地下鉄だと乗り換えが必要だが、バスだと一本、30分だから、やはりこちらの方が便利だった。

 

今回シンガポールに来た目的、それは老舗華人茶荘をさがすことにあった。実は先日厦門で、『新嘉坡茶商公会史略』という本を手に入れ、数年前の会員リストが掲載されており、何と住所まで書かれていたので、それほど苦労なく探し出されると踏んでいたのだ。

 

チャイナタウン駅からリストの一番上に書かれた茶荘の住所を地図に入れて歩き出す。簡単に見つかると思ったが、なぜかその住所はない。似たような住所にコンプレックスがあったので聞いてみたが、あっさり『ここじゃない』と言われてしまう。まさかシンガポールで道に迷うとは。

 

言われた方に歩いて行くと、確かにそこは住所通りの場所だった。駅の裏のコンプレックス。1階には老舗茶荘がちゃんと店を構えていたが、私が当初目指した茶荘は3階にあるというので、そこへ上って行く。途中もう一つの有名茶荘を見つけたが、固く扉は閉ざされており、既に営業は辞めているようにしか見えなかった。

 

ついに源崇美を探し当てた。このコンプレックでももっと分かり難そうな裏手に位置しており、どう考えても小売りメインではないようだ。店に入っていくと店員の女性が怪訝そうに応対してくれる。『茶の歴史を調べていますが、オーナーはいますか?』『今忙しい』こんなやり取りが繰り返された後、何とかそのオーナーに出てきてもらった。

 

ここの3代目、顔明福さん。源崇美は来年創立100周年を迎える。顔さんの祖父が安渓からシンガポールに渡り設立した。そして1928年の新嘉坡茶商公会設立にも関与して、2代目も含めて会長職に就くなど、長年会を支えてきた存在だ。詳しくはこちらに既に書いている。

http://www.peopleschina.com/zlk/cha/201909/t20190923_800179196.html

 

それにしても、最初はどうなるかと思ったこの訪問、2時間も話をしてくれ、昔の茶やその包装、貴重な写真を見せてくれた。そして何より極めて貴重な資料(2代目が書いた資料を含む)を幾つも頂いたことには感謝しかない。これからのシンガポール、マレーシアの調査を行う上で極めて有益だ。淹れて頂いたお茶がプーアル茶というのも、今のシンガポールを表している。

 

朝ごはんを食べていなかったので腹が減った。12時半を過ぎていたが、このコンプレックス内のホーカーはかなり混みあっていた。オフィス街のランチ、という感じで、きちんとした身なりの人々が、数人でテーブルを囲み、楽しそうに食べている。私はほぼ並んでいないところから麺を調達して、何とか座って食べた。食後にお茶を飲もうと思い、『茶』とだけ言ってみると、出てきたのは、アイスミルクティーだった。

 

午後も引き続き、このコンプレックスの住所を訪ねた。だが2つは既に閉まっており、人の気配がなかった。わずか数年で、店がどんどん閉まっていく様子が何となく分かる。5階まで上がると一軒の骨董屋が目に入る。何とそこは黄春生という茶荘だった。ちょうどオーナーがいたので、少し話を聞いてみたが、今年が設立100週年だという。

 

『お茶屋だけで食べていける時代は過ぎている』と言い、今は昔から残っている老茶を中心に、健康茶のコンセプトで若者向けに販売しているという。同時に若者が興味を持ちそうな骨董などを並べて、来客を促している。オーナーは『最近中国人が来て、骨董を買い漁っており、無断で写真を撮ってSNSに上げているので、写真撮影は断っている』と言い、私の質問にも極めて慎重に応対していた。

 

次にすぐ近くのストリートを目指す。白新春という、今や珍しい小売りの店があると聞いたので、行ってみる。店には観光客が来ており、何語でも対応できそうなおばさんが仕切っていた。オーナーは不在で話は聞けず。それにしても、このご時世に、女性が手で茶葉を紙に包む作業をしているのには驚いた。これでコストは合うのだろうか。是非記念に買いたいと言ってみたら、50袋入りの缶しかない、と言われ断念。

 

その先を歩いていく、安渓会館がある。アジア各地にある同郷会館、これがとても役に立つので、入ってみる。茶荘について聞いてみても今一つ良い返事はなかったが、そこに客としてきていた男性が親身になって探してくれた。福建会館の方が見つかるだろうと電話してくれたが、資料はないと言われてしまう。安渓会館でもいくつかの茶荘の名前は出てきたが、全て本に載っているもので、唯一の救いはオーナーの携帯番号が分かったことぐらいだった。

 

その後近くの天福宮に歩いていく。これも福建系の廟だと分かっていたので、何か掴めないかと思って行ったが、単なる観光地となっていた。その付近の通り沿いは、何となく福建系の匂いがプンプンしており、よく見ると廟の前には立派な福建会館もあった。まあ初日としては上出来だったろう。