ある日の埔里日記2018その2(1)深坑へ行く

《ある日の埔里日記2018その2》

今年2回目の台湾入り。今回は悩んだ末に、マイレージの余りを使い、羽田から松山に飛んできた。そうなれば、まずは台北で調べものをして、それから埔里に行くことにした。台湾茶の歴史、なぜは深まるばかりなのだ。

 

3月21日(水)
深坑へ

昨日台北に入った。観光客なら色々と美味しい店などを探すのだろうが、私は今台湾茶の歴史に取りつかれているので、ご飯は食べられれば良いと言う感じになっている。近くに香港式の店があったので、そこで三宝飯を頼む。鶏や叉焼など定番メニューが入っており、お得感がある。

 

翌朝は付近を散策。クラブサンドイッチがある店を探したが、近くには見付からない。隣の駅まで遠征したが、それでも見付からず、ついにトーストに卵などが挟まったパンを食べる羽目になってしまった。私はもうクラブサンドから離れられない。これなしでは生きていけない体になっている。困った。

 

台北市内の中心部と言っても、かなり古い建物が残っている。最近は意図的に保存しているものもあると思うが、大きな木の近くに古い建物、何となく日本時代からあるのかな、などと思ってしまう。教会があり、大学があり、雰囲気は落ち着いている。台北の西側が中心地だったその昔、ここは郊外の静かな場所、田んぼや畑だったのだろうか。

 

今日は先日幕張Foodexで再会したレベッカに会いに深坑へ行くことになっていた。実は深坑には4-5年前に3回ほど行ったことがあるが、それは全て連れて行ってもらったのであり、自ら行く方法すら分からなかった。レベッカの指示通り、バスに乗ってみる。MRT木柵駅で降り、バス停を探す。何本か走っており、すぐに乗ることができた。

 

20分ぐらい乗ると、深坑老街に出たので降りてみる。ここは臭豆腐が有名で、何度か食べた記憶があるが、今日は平日の昼間で、人はあまりいない。道はすっかり観光用になっており、お土産物屋が多いが、店の人も客がいないのであまりやる気は見られない。横に川が流れており、ここから茶葉が大稲埕に運ばれたのかな、と思うのみ。

 

深坑は日本統治時代から、茶葉の一大集積地だった。今日訪ねた儒昌茶行も茶を作り始めたのが6代前、茶商になったのも3代前からという老舗。ただ今やこの地区には殆ど茶商はおらず、往時は忘れ去られつつある。そんな中で頑張っているレベッカ。実はこの店には過去にも来ているが、その時訪ねたのは彼女の弟さんだった。彼は静岡でも修行し、日本茶にも詳しく、日本語も流暢で、将来が嘱望された茶商だったが、不幸にも亡くなってしまった。その一報を聞いて、この店を急きょ訪ね、お母さんを慰めたことを思い出す。

 

その弟の遺志を継ぐかのように、お店の別室には『和』の様相が溢れ出ていた。茶道ばかりではなく、各地の煎茶なども置かれており、その魅力についてかなり力を入れて宣伝している。こういうお店は台湾でも珍しいのではないだろうか。レベッカはよく日本に行くようだが、『東京をゆっくり歩いたことはない。いつも静岡などの茶産地に直行している』という程熱心だ。

 

儒昌茶行の先祖も、福建省の安渓からやって来た。王という姓は、台北の茶商に実に多いが、その多くが同郷人であり、とても興味を惹かれる。家族の歴史の話になると、やはりお母さんが出てきて、色々と説明してくれた。あの4年前の憔悴しきった顔はなく、今は前を向いて元気に茶業をしている。そして茶栽培などにも実に詳しく、多くの収穫を得る。店先には文山包種茶と書かれた昔ながらの大きな缶が置かれているのが最後に目に入る。

 

帰りは市内方面に向かうバスに乗り、そのまま宿の近くで来て、フラフラ歩いて帰る。来た時から気になっていたレストランが見えたので、入ってみることにする。そこは大通りにあるきれいなレストランだが、清粥がある、と書かれて、そのギャップが気になる。今や粥はコストがかかり儲からない商品のはずだが、なぜこんな家賃の高い場所で、それをウリにするのか。

 

店内では料理を自分で選び、粥かご飯を選ぶ仕組みになっている。焼き魚と豚肉を頼み、それに地瓜粥を付けると160元になった。ようは一人で入る店ではなく、2人以上で来ればリーズナブルな店だと分かる。粥を食べたいという人は、比較年齢の高い層に多く、その財布を狙った店という訳だ。なるほど。ひとでは食べ切れない粥をほとんど食べてしまい、動けないほどの腹を抱えて帰る。

静岡、大阪、和歌山 茶旅話の旅2018(4)和歌山大に行ってみる

3月16日(金)
和歌山大学で

翌朝は驚くほど涼しかった。小雨も降ってきている。当初は和歌山の街を散歩するつもりだったが、完全に取り止めて、ホテルの部屋に籠っていた。僅か2-3日でこんなに天気が急変するなんて、さすが日本だ、と感心している場合でもない。外に出れば風邪を引きそうだが、もう出掛けなければならない時間だった。

 

まずはMさんが車で来てくれた。荷物を彼女の車に乗せると、走り去っていく。これから外せない用事があるというので、私はバスに乗って和歌山大学へ向かうことになっていた。ホテルをチェックアウトして、すぐ目の前のバス停からバスに乗るだけだったが、何となく間違いそうで、怖かった。1台逃すと30分は来ないので約束に遅れてしまうだろ。それにしても寒いのになぜかコートをMさんに預けてしまい後悔する。

 

JR和歌山駅前から30分程行くと、バスは上り坂を走り、そして丘の上で停まった。今日は大学が休みかと思うほど、乗客はいない。雨が激しく降っている。丘の上で風も非常に強い。さて、どこへ行けばよいのだろうか。訪ねる相手、タイ人のAさんに連絡してみたが、繋がらない。ちょっと不安だ。

 

仕方ないので強風の中、傘をさして飛び出す。構内案内図を見てもよく分からない。何しろもらった所在地のメールは英語で書かれているので、その日本語が分からないのだ。困っていると後ろから声が聞こえた。Aさんがやって来たのだ。よかった。結構長い階段を上り、彼のオフィスに行く。

 

和歌山大には珍しく観光学部があり、そこには外国人の先生もいる。タイ人のAさんの他、インド人とカナダ人がいるというから国際的だ。カナダ人とは会うことができたが、すぐにお客さんが来て英語で話し始めたので、あまり話は聞けなかった。Aさんは学生をタイの山の中に連れて行って、そこの少数民族との交流を図るなど、面白い取り組みをしている。その村ではミエンという食べるお茶が作られており、私にとっては興味津々の場所だった。

 

Aさんとは昨年7月タイで出会い、その後10月にも静岡で会っていた。タイから持ち帰ったというお茶を飲みながら雑談した。日本では最近急速にインバウンドという言葉が使われ始めたが、持続的な観光業とは何か、何が観光客にとって本当に魅力的なのか、など、観光学部の研究は益々重要になっていると思う。

 

そこへMさんから大学に着いたと連絡が入る。彼女も実はこの大学で中国語を教えており、よく知った場所だという。中国語は中国語系だけで固まっており、他の言語、他の学部との交流は限られているようなので、Aさんを紹介した。ちょうど私のベクトルが和歌山の方を指していたようだ。

 

お昼ご飯を食べようということで、Mさんの車に乗り、近くのイオンで行く。ここは市街地から離れているが、大きなイオンがあり、生活には困らなそうだ。しかもそこは駅と直結しており、極めて便利な環境となっている。私も食事の後はここから電車で関空へ行けばよいと言われ、安心してご飯が食べられる。

 

イオンの中にはレストランが沢山あるが、どれもチェーン店だ。Aさんは何を選ぶのかと思っていると、何と中華に挑戦するという。私も入ったことがないチェーン店だったので、それに続く。今回の旅はほぼほぼ中華系で占められたな。油淋鶏定食に棒餃子が付く。棒餃子が日本で認知されているとは面白いし、味も悪くない。食後はドリンクバーで飲み物を取り、3人で話す。何だかファミレス感覚だ。

 

時間になると和歌山大学前駅まで歩き、電車に乗る。するとすぐに大阪府になる。この地は和歌山と大阪の境にあったのだ。ある意味で大阪への通勤圏でさえあるが、雨の日の午後に乗客はほぼいない。途中泉佐野で乗り換え、関空へ向かう。和歌山大から1時間もかからず到着する。やはり近い。

 

関空から飛び立つのは何年ぶりだろうか。しかも国内線となると10年以上前かな。当然ターミナルはきれいになっており、ちょっと見違えた。今日の便はバニラだが、まだチェックイン開始までも時間があった。フラフラしていると、肉まん屋に行列が出来ており、私も並んで買ってみた。お土産に持って帰る人も多いようだ。中国人や韓国人が母国まで運ぶらしい。私は軽食のつもりで2つ食べてみたが、食べ甲斐があり、腹が相当に膨れた。

 

ちょうどこの肉まんを新幹線の車内で食べてよいかどうかで議論になっていた。私にはそこまで強烈には思えないが、気になる人には何でも気になるのだろう。まあたばこの煙がダメという段階で、ある程度のにおいは禁止されるべきかもしれない。それなら禁煙や禁肉まんだけでなく、禁酒もお願いしたいのが、酒を飲まない人間の考え方だがどうだろう。

 

フライトはちょっとスタートが遅れたが、アッと思っている間に成田空港に着いた。国内線だと機内で酒を飲む人もいないのでよい。国際線もそうならないだろうか。第3ターミナルから1000円バスで東京駅へ。このバスは非常に混んでいる。もっと本数を増やしてほしいがこちらにも既存の壁が立ちはだかるのだろう。

静岡、大阪、和歌山 茶旅話の旅2018(3)初めての和歌山市で

3. 和歌山
夜の和歌山駅はかなりひっそりしていた。電車から降りる乗客もまばらで、ホームで写真を撮っていると、あっという間に誰もいなくなってしまった。駅の改札付近にはコンビニがあるが、まだ電車はある時間だというのに、駅前全体もひっそりしていた。その駅のすぐ横のホテルを予約していたので、そそくさとチェックインする。

 

大阪に泊まろうかと考えた時、検索するとどこも相当に高かった。『どうせ和歌山へ行くなら、そちらに泊まる方がずっと安い』とアドバイスを受けたのだが、それはやはり正解だったようだ。部屋はそこそこ広く、ゆったりしており、静岡-大阪-和歌山と転戦してきた疲れが一気に噴き出し、寝入る!

 

3月14日(木)
初めての和歌山市

翌朝は駅の周りを散歩してみた。これまで和歌山県と言えば、高野山や竜神温泉には泊まったことがあるが、和歌山市に来るのは初めてだった。だがどこの都市も最近の傾向では、駅周辺にはあまり見るべきものはない。ちょっとコンビニによって朝飯を買っただけに終わる。

 

9時過ぎにMさんが迎えに来てくれた。Mさんは私の中国紅茶の連載を読んでいてくれて、友人を通じて連絡をしてくれていた。『和歌山に来ることがあれば寄って』と言われて2か月ぐらいで、もうやってきてしまったのだから、私も動きが軽い。いや、やはりこれもご縁のなせる業なのだ。

 

車で和歌山ビック愛、という建物に向かった。周囲には高い建物がなく、かなり目立つビルだ。そこの8階に和歌山県国際交流センターがある。今日はMさんの働き掛けがあり、こちらでお話しさせて頂くことになっていた。ここは和歌山に住む外国人との交流を進める目的で設立されており、担当のNさんは元中国人。ちょうど私が上海に行った頃、上海から日本に渡って来た人だった。こういう人々が、言葉だけではない、本当の交流に一役買っているのだろう。

 

『中国紅茶の歴史』なんて、ご興味ある人がいるのだろうか、と心配していたが、それも杞憂に終わる。Mさんの中国語教室の生徒さんなど、大勢が聞きに来てくれ、大変有意義にお話しすることができた。Mさんに黄茶を淹れて頂き、質問もいくつも出て、何とも有り難い。まあ、内容は少しマニアックすぎたかもしれないと反省。

 

会が終了すると、ランチに案内された。Mさんたちがいつも行くという中華料理屋だった。昼時はかなり混んでいる。何とも不思議に感じてしまうのは、昨晩も今日も中華を食べているということだ。今や日本の国民食は中華料理なのだろうか。私自身の感覚では、日本の中華料理は日本料理であり、それはそれで十分美味しいのだが、彼らが地元で支持される理由は何だろうか、とふと考えてしまう。

 

午後は国際交流センターに戻り、Mさんに紹介されたインド人に会う。何故インド人に会うことになったのか。それもインドにいる時、マハラシュトラ州と和歌山県が友好都市であり、和歌山にもインド人留学生がいるという話を聞いたので、どんな暮らしをしているのか、聞いて見たかったからだった。

 

ただ知り合いのラトールさんからの紹介はなく、代わりにMさんが紹介してくれたわけだ。ところがやって来た人は、デリーの出身で、ここでヨーガを教えてながら、インド文化・料理などを紹介している人だった。当初の目論見とは異なるが、これはこれで面白い話が聞けて良かった。インド人が日本で暮らす上での苦労話、1時間以上があっという間に過ぎてしまった。

 

その後はMさんにホテルに送ってもらい休息。そろそろ疲れが出てきており、十分に休む。夕方散歩方々、お城の方にゆっくりと歩いていく。駅から歩くと思ったより距離があり、お城に近づいたころには陽が落ちていた。ショッピングアーケードが見えたので、そちらを歩いてみるも、あまり人影はなく、ちょっと寂しい。

 

ちょうどラーメン屋が見えたので、入ってみる。和歌山ラーメンも有名だと聞いていた。中華そばと書かれているのがなんとなく懐かしい雰囲気だ。和歌山のラーメン、食べてみると、しょうゆ味なのに結構こってりしている。豚骨ベースの豚骨醤油味というらしい。独特だ。

 

更には店の隅では牛筋肉に味噌ダレを付けて焼いたどて焼き『すじどて』が作られており、お腹は一杯ながらこちらにも挑戦した。私はこういうB級食物が大好きだ。お酒を飲む人なら、まずはすじどてをあてに一杯飲み、その後中華そばを食べるのだろう。酒を飲めないと楽しみが少し薄れるが、すじどてが食べられたので満足して戻る。

静岡、大阪、和歌山 茶旅話の旅2018(2)あっという間に通過した大阪で

3月13日(水)
大阪へ

翌朝は6時に目覚め、7時半前に掛川駅へ行き、こだま号にまた乗った。私が新幹線に2日も続けて乗ることは極めて稀だ。しかも品川から新大阪まで全てこだまというのも実に久しぶりのことかもしれない。掛川から乗ると、どこかでのぞみなどに乗り換えなければならず、それが面倒だから早めに出てこだまにしたわけだが、他の車両に追い越され、2時間以上かかる新幹線は何となく苦痛だった。それなのに料金は同じとはどういうことだろうか。

 

2. 大阪
新大阪に着くと、かなり暑く感じられた。ホームから降りようとしたその時、何とコートを車内に忘れたことに気づいた。幸いここが終点だったので、車両は未だホームに停まったままだった。一番前の車両だったので乗り込もうとすると中に車掌がおり、『今係員が前から忘れ物を持ってくるからここで待て』と言われる。確かにしばらくすると私のコートを持った人が来て無事に受け取れ、ホッとした。

 

新大阪からJRで大阪駅へ向かう。この電車、意外と混んでいる。大阪駅では初めての阪神電車の駅を探す。阪神甲子園球場と言えば、子供の頃から高校野球でいつも見ていたのだが、実は甲子園には行ったこともなく、ましてや阪神電車には乗ったこともなかったので、何となく楽しみだった。

 

何とか阪神梅田駅に辿り着き、ホームに出たが、どの電車に乗ればよいかわからない。野田という駅で降りるように言われていたので、梅田のすぐ近くだと知り、普通電車に乗ってみた。西宮の方へ向かうこの電車、どんな感じかなと周囲を見る暇もなく、すぐに野田駅に着いてしまった。

 

今日はFBで連絡をもらっていたLさんと待ち合わせた。Lさんがどんな人なのかは全然分からなかったが、中国人翻訳家かな、という認識程度だったが、なぜか一目で分かった。駅の脇の喫茶店に入る。サンドイッチを食べ、コーヒーを飲みながら雑談した。既に大阪に住んで20年以上というLさんだったが、なぜか2人の会話はオール中国語た。まあ、特に違和感はない。

 

共通の知人もおり、彼女の活動には理解できるところもあったが、何分時間が短すぎて、肝心な話はしなかったように思う。それでも次回の再会を約した。次はどんなことが起こるだろうか、楽しみだ。そして私が向かう梅田のビルの近くまで案内してもらった。一人でも行けると思っていたが、梅田の地下街は想像以上に複雑で、助けがあって本当に助かった。

 

しかしビルがいくつもある。そして指定された階にエレベーターで昇っても、今度はいくつもの部屋がある。ここはレンタルルームが沢山ある所なのだ。表示が分かりにくく、人に聞いても首を振る。何とか探し当てた時には、既にセミナー開始30分を切っていた。結構慌てて準備に加わる。

 

インドから連絡した時、Mさんとは『3-4人でお茶でも飲みましょう』という話であったが、何とこの会場は優に30人は入る。この辺がMさんの凄いところで、茶芸教室の生徒さんなどを動員してくれ、盛況となる。『今日は学校の卒業式などで来られない人もいた』というから、大阪のお茶熱は素晴らしい。

 

午後1時から3時まで、台湾紅茶と包種茶の歴史をお話しした。この2つのテーマ、東京では1つを2時間かけて話していたので、ちょっと盛り込み過ぎた。正直歴史の話はなかなかウケないので心配したが、何とか話し切る。そしてあと1時間は、お茶を飲みながら雑談会となる。急に雑談して、と言われても困るので、また私が余計なことを話す。雑談は得意な方だ。

 

Mさんは昨日中国から戻ったばかりだというのに、とてもエネルギッシュで、ビルの地下で食事会まで開いてくれた。中華の食べ放題、店員も中国人だった。この頃になると、インドで『たこ焼きが食べたい』などと叫んだことなど、完全に忘れてしまっており、出てくる中華をバクバク食べていた。そして10人の方と楽しくお話して過した。大阪に来た甲斐はあった。ただ次回はタコ焼きやお好み焼きに手を出そうと思う。

 

夜も7時を過ぎると、荷物を引き摺って大阪駅に向かう。ここがまた迷路なのでメンバーの方にご案内頂き、ついでに和歌山行きの電車に乗せてもらい、途中まで送ってもらった。ちょうど大阪駅で和歌山行きの電車がやってきてラッキーだった。一人ではとてもこれには乗れなかっただろう。

 

電車は堺などを通っていく。その後は乗客も少なくなり、かなり涼しくなる。途中で電車が2つに分離され、一部は関空の方に、一部は和歌山へ向かった。更に最後の方でなぜか後続の電車に抜かれたので、先の電車に乗り換えたりもした。よくわからないながら、何とか10時前に、和歌山駅に降り立った。

静岡、大阪、和歌山 茶旅話の旅2018(1)静岡の研修会

《静岡、大阪、和歌山2018》  2018年3月12日-16日

 

急に大阪に行きたくなった。先月のインド滞在中、あまりに味気ない食事に耐え切れず?日本食が少し恋しくなるという珍しい現象が起きた。偶々同室の人が大阪出身、たこ焼き食べたい、と思い始めると、居ても立ってもいられなくなってしまった。3月に静岡に御呼ばれしていたので、その足で大阪へ行こうと思う。

 

そして大阪のMさんに連絡すると『ちょうど中国から帰ってくるので、お茶会しましょう』と言ってくれた。そういえば和歌山のTさんからもお声がかかっていたので、連絡すると『ちょうど中国から帰ってくるので、セミナーしましょう』というではないか。まるで計ったように日程が決まってしまった。

 

3月12日(火)
1. 静岡

Foodexの間は東京にいた。そのタイミングで、静岡の製茶機メーカーさんに呼んで頂き、茶旅のお話をすることになっていた。いつもは在来線で行く静岡だが、今日はちゃんと?新幹線に乗ろうと思い、品川へ向かう。今日の目的地は掛川なので、こだまを探して乗っていく。

 

今日は何ともいい天気だ。品川駅の新幹線ホームにはなぜか幼稚園児とその親が大集合していた。自由席なので、皆がそこを避ける中、ちょっと興味を持って同じ車両に乗り込んだ。親たちは付き添いではなく、見送り(送り)だった。親に甘えていた子供たちも大人しく乗り込んでいく。先生たちは大変だ。3人掛けの席に4人ずつ乗せて、面倒を見ている。

 

子供が煩い、と飛行機でよく問題になるが、新幹線の自由席、しかも平日の午前中だから空いており、問題は起きない。彼らは次の新横浜で降りていく。そうか、遠足?に行くのに新幹線とはすごい!子供たちがいなくなった車内は軽い緊張が解け、完全な静寂に包まれた。静岡に近づくと富士山がくっきり見えてくる。思わず写真に収め、すぐにFBに投稿したが、『なぜ新幹線に乗っているの?』といった反応に苦笑する。

 

掛川駅まで1時間ちょっとの旅だった。やはり電車の旅としては早過ぎる。でも仕方がない。駅には昨年タイの茶旅でご一緒したYさんが待っていてくれた。今回のお声がけは昨年の旅のご縁の延長だった。何とも有り難い。Sさんが運転してくれる車でランチに向かった。途中税務署近くで、デモ隊と出会って驚く。これも佐川事件の影響なのだろうか。

 

そよかぜ、というレストランへ行く。『ここが静岡ローカルハンバーグで有名なお店です』と言われて入っていく、11時半ですでにお客さんが待っていた。げんこつ炭焼きハンバーグが有名で、静岡県内に30店舗を有するという。芸能人などが紹介して、県外からも食べに来る人がいるらしい。

 

確かにこのハンバーグはボリュームがあり、ジューシーで美味しい。ウエートレスが色々と説明してくれる。特にプレートにハンバーグを押し付け、ジュ―っとやるのがよい。そのウエートレスの名前がかわっていて、聞いてみると沖縄出身だった。ここまで働きに来ているのだろうか。

 

午後は製茶機械メーカーの研修会に参加した。400人もの参加希望があると聞いて驚いた。静岡以外からの参加者もいるようだったが、基本的に400もの茶農家がいるのか。それほどに私は日本の茶業を知らない。社長のTさんに会うと、『いやー、今日は快晴なんで、少し参加者が減りました』というではないか。農家は天気が良ければ畑に出てしまうからだ、と言われて、なるほどと思う。

 

それでも大勢の方が、茶業の現状や機械の紹介、安全管理などの話を熱心に聞いている。会場には様々な機械の展示が行われており、休み時間には各場所で説明と質問が繰り返されている。最後に私も少しお話をしたが、数百人を前に大会場でマイクの前に立つのは何年ぶりだろうか。緊張というより、ちょっとビックリしながら話している自分を別の自分が見つめている感じだった。

 

この会には昨年7月にタイでご一緒したNさんやIさんも来られており、夜はT社長のお招きで会食した。酒を飲まない私ではあるが、静岡で食べる海鮮などは美味しく、懐かしい話も飛び出して、楽しい夜を過ごした。お茶を介した多様な繋がり、これは本当に貴重だ。

 

今晩は掛川駅近くに泊めてもらった。ドーミインのエクスプレス、ドーミインは昔何度か泊まったが、今や簡易版まであるのだ。エクスプレスと言いながら、屋上の露天風呂もあるし、夜半の夜泣きラーメンも健在だ。日本のビジネスホテルは今、料金も上昇傾向にあり、変革期なのかもしれない。

香港ショートステイ2018(3)新界の村祭り

私は一体何のお祭りに紛れ込んでしまったのだろうか。表示を眺めるとどうやら駱という家の祖祠の修繕記念のようだ。村の人が沢山出てきて、その祠の周囲に集まっている。突然爆竹が鳴り、村の中を練り歩いていた獅子?いや龍が祠にやってきて、華麗に舞う。今や舞う人も稀で、かなり練習したんだろうなと思う。恐らくは普段は相当静かなこの村が、何だかとても賑やかだ。

 

皆が去った後、新しい祠に入れてもらった。きれいに修繕されたその中には、族譜なども展示されている。相当古い家なのだろう。香港に来て何代になるのだろうか。客家系だろうか。この新界、元朗地区には古い集落が多くあり、我々が思っている香港とは全く違う世界がある。

 

かなり寒い日だったが、村人と近隣の村の代表などが、広場のテーブルに着いている。我々もそのテーブルの一つに案内されて席に着く。Yさんのお知り合いの香港人が、このような村々の調査をしており、村から招待を受けたらしい。主賓と主催者がテーブルに着く頃、テーブルの上には盆菜と呼ばれる鍋?が置かれ、火がつけられ始める。温かくてよい。

 

盆菜は元々客家料理だと言われている。結婚式などの祝い事があると、大勢の人に料理を振る舞う宴会料理だった。シイタケ、花膠、魚のすり身団子、鶏肉、車えび、豚ロースト、などが上の層に、その下にイカ、豆腐、髪菜、乾燥牡蠣、大根なども入れられ、中国料理の食材が1つの鍋でぐつぐつ煮られていく。ちょっと味付けは濃いが、味がしみておいしい。そして何より暖まる。昔は自前で作っていたようだが、今は盆菜専門店が大型コンテナでケータリングするらしい。香港では今、盆菜が人気だというのだ。

 

まだ明るい時間だが、来賓あいさつもそこそこに村のカラオケ大会になる。お年寄りがマイクを取る。おばあちゃんが演歌を歌い、わざわざ客家語で歌っている人もいた。その合間にラッキードローも行われている。完全な村祭りだ。そして盆菜を食べ終わると、皆ドンドン席を立ち、帰って行ってしまう。

 

我々も村の中を少し見学してから帰路に就いた。ちょうど村はずれにミニバスの停留所があり、そこから乗る。ミニバスだから席が少なく、危うく乗りそこなうところだった。この村にも黒人が住んでいるらしく、乗り合わせる。そういえば先ほどの祭りには村出身と結婚したヨーロッパ人も来ていた。意外や国際的な香港の田舎。

 

帰りは来た経路を戻る。Yさんも私の宿の近くに住んでいるので、何も考えずについていく。佐敦の近くまで来ると、『実は空港に行くバスはネーザンロードを通ると時間がかかるが、それ以外にもある』と教えてもらう。こういう情報はやはり地元ならでは。特に明日は時間が無いので有り難い。

 

2月5日(月)
楽しく話して

翌朝は狭い部屋で何とか荷物を整理してチェックアウト。鍵はフロントに置いて出るだけだ。今朝は大学の後輩Kさんと再会するため、荷物を引き摺って佐敦駅に向かう。今日も結構冷えている。確か昨日MRTで『霜に注意』などという表示もあったな。どう考えても10度以下だ。

 

駅で落ち合って、近くの茶餐庁に入る。だが大きな荷物は席まで持ち込めず、入り口付近に置かざるを得ないので、誰かが持っていかないか、ちょっと気になる。サテ牛肉即席麺を食べる。なぜか香港の茶餐庁で食べるインスタント麺は旨い。更には朝食セットとして、パンと卵まで付いてくる。

 

Kさんとは昨年久しぶりに再会し、何気ない話から、共通の関心事が多いことを発見し、話し足りなかったことから、また会うことにしたのだ。彼には無理を言って、私が空港に向かう時間まで付き合ってもらった。相変わらず、言語学、民族学などの観点から中国を中心としたアジアの話題で話は尽きない。あっという間に2時間以上が経過してしまう。

 

名残惜しかったが、バス停に向かう。幸い昨晩Yさんに早いルートを教わっていたこと、そのバスがすぐに来たことから、これまたあっという間に空港まで連れていかれてしまった。こんなことならもう少し話していればよかった、と思ったが、もう遅い。空港でいつものお菓子を買い、ゆっくりと飛行機に乗る。

 

フライトは順調、機内で映画を見ていると時間が過ぎる。香港は台湾よりちょっと遠いのだが、その1時間はかなりの距離を感じる長さだった。羽田に降りて、電車で帰ると、まだ家の周りには雪が残っていた。道理で寒い訳だ。

香港ショートステイ2018(2)上環から新界の村へ

セントラルには慣れているはずだったが、待ち合わせのFCCに辿り着くまでの坂が登れず時間を要してしまい、遅刻。ここは昔から私のお気に入りだが、以前は外国人特派員の会員しか入れなかったため、誰かに連れてきてもらうしかなかった。聞けば最近は一般(会員)にも開放されており、店内もとても明るくなっていて見違えた。ただウエーターの応対に特に変化はない。

 

Nさんと雑談。香港在住20年を超える先生で、私も以前かなりお世話になった。でも最近の香港はやはり息苦しくなっているようだ。それでも『日本よりはマシ』というのは、今や合言葉のようでおかしい。香港も残念な方向に変化しているが、日本はもっとすごい。そんな中で日本語を学び、日本で働く卒業生も多いので、彼らの心中はどうであろうか。

 

このレストランではやはりカレーが無難だという。一週間後にはインドへ向かう身でありながら、勧められればそれに従う。イギリスでも香港でも、インドカレーは人気である。期待にたがわず、なぜかうまいので、どんどん食べてしまう。膨れた腹を抱えながら、宿に戻る。

 

フェリーもアッパーデッキに乗る。10年ぶりか。料金もそれほど違わないのに、これは上流階級の乗り物だと思っていた。さっきは薄暗がりだったが、今度はくっきりとした夜景に満足した。フェリーを降りるともうあの人込みを歩くのは嫌だったからバスに乗っていく。だが停車しているバスはなかなか出発しない。ネーザンロードは未だ混んでおり、ノロノロ運転だ。

 

宿の横には廟街市場がある。腹を空かせるためにも歩くことにして、市場を覗いた。夜はかなり涼しい。9時過ぎた時間では、さほどのお客もおらず、皆あまりやる気もない様子だった。あの深夜特急の廟街の熱気はどこへ行ってしまったのだろうか。中国人観光客もここには興味はないのだろうか。

 

2月4日(日)
茶縁坊へ

翌朝は窓がないので明るくなったことも知らずに寝ていた。以前何度か窓がない部屋に寝たことがあるが、基本的によく眠れるのは、灯りのせいだけだろうか。まあ、お茶も飲んでいないので、良い。午前中は時間があるので周辺を少し散歩した。当たり前だが、この地域、再開発の対象である。特にハーバー沿いは見慣れぬ建物が増えており、数年のブランクを強く感じた。

 

またフェリー乗り場まで歩く。午前中それほど人込みはない。フェリーも休日は平日より料金が高いことに久しぶりに気が付く。やはりアッパーは贅沢だ、とローアーのいつもの位置に腰を下ろす。セントラル側では何やらコスプレイベントでもやっているのか。ちょっと不思議な人々を見る。

 

それから何気に日本領事館のあるビルを通り過ぎると、何とその前に慰安婦像が置かれていた。その近くは日曜日なのでフィリピンアマさんが、段ボールを敷き詰め、寒さ対策万全にして、皆で集まっておしゃべりしていた。一体この像を前にどんなリアクションをすればよいのか、かなり迷う。そしてあまりよく見ないで、通り過ぎてしまった。

 

上環の茶縁坊に着くと、既にYさんが来ていた。そしてお父さんがまた菜飯を作ってくれていた。私はこれを食べるのが一番好きだ。Oさんも加わって、皆で食べる。風邪気味のOさんだったが、完食した。こんなシンプルな食べ物がいい、ということかもしれない。張さんの鉄観音茶で温まる。

 

今日は上環でお茶の歴史について、色々と確認しようと思っていたのだが、何ということか、日曜日はこの辺休みだということを完全に忘れていた。何ということだ。前回も香港大学の図書館が休みで同じ目にあったのだが、まさか香港に長く住んでいたことも忘れてしまっているのだろうか。自分で自分が信じられない。

 

突然村のお祭りへ
風邪気味のOさんとはここで別れ、Yさんと向かったのは新界の村だった。ちょうどYさんの知り合いから、祭りを見に来ないか、と誘われ、それにノッた訳だ。西鉄に乗ると、昔を思い出す。初めての香港歴史散歩の会は天水圍で降りて行った村の祭りだった。その時の興奮は今でも忘れない。Yさんもそこから嵌ってしまい、今やその道の専門家になっている。

 

錦上路という駅で降りて、バスに乗り換えた。この辺は全てYさんにお任せだ。このバス停で待っている人々、よく見ると極めて多国籍だ。インドネシア系のメイドもいれば、中東系の女性達、インド系もいれば、アフリカ系と思われる男たちもいる。こんな田舎に何でこれらの人々がいるのか、それぞれ事情はあるだろうが、ある意味で今の香港を象徴していると思われる。

 

バスは結構混んでいた。2階に乗り込んだが15分位で目的地の村に着く。Yさんは降りる時もオクトパスカードをかざしていた。なんでと聞くと、『実は近距離で降りた場合、返金される制度がある』というのだ。こんなの初めて聞いた、というと、『香港人でも知らない人が多い』というではないか。さすが香港、情報通のみが得をする、という意識は健在だった。

香港ショートステイ2018(1)混んでいる香港

《香港ショートステイ2018》

 

ひょんなことから香港へ行くことになった。昨年3月に用事で行った時にマイレージで航空券を予約したのだが、帰りは日本に帰らず、LCCで台中へ飛んでしまったので、帰りのチケットが余っていた。そのうち使うだろうと思っていると、既に有効期限が目の前に迫っている。もったいないので台湾からの帰り道を香港経由という逆方向に敢えてしたわけだ。

 

それなら昨年の逆ルートでと、台中―香港間のLCCチケットを見ると、何と1000円という格安チケットを売っているではないか。ところがPC画面で処理を進めていくが、最後の決済がどうしてもできない。これはパスワードなどを間違えていると勘違いして、パスワードまで変更してみたが、結局翌日になっても買えなかった。後で若者に聞くと『それは安いから皆が殺到したんだ。処理が遅いから競争に負けたのさ』と言われて愕然。確かに手のスピードは全く敵わない。仕方なく桃園―香港を買い、何とか行くことになった。

 

2月3日(土)
香港まで

いつものようにバスで台中、高鐵で桃園駅、そしてMRTで空港へ。もうあまり長いとは感じられない。ただ万が一に備えてかなり早く出てくるので、空港での待ち時間が長い。桃園空港第2ターミナルの地下を歩くと、フードコートがあり、そこでPCなども使え、充電も出来ることが分かる。有り難い。先日行った台中の春水堂なども出店しており、意外と充実している。

 

今回乗る飛行機はLCCの香港エクスプレスではなく、香港航空。どう違うのかよく分からなかったが、荷物は普通に預けられ、搭乗すると座席で映画も見られるし、食事も提供される。僅か2時間弱のフライトだが、これは普通のサービスでよい。出てきた炒飯がうまく感じられる。やはり私のような年齢の人間にはLCCは合わないように思えてならない。

 

香港空港に着くと、旧正月の飾りが目につく。埔里では花や対聯を売っている程度であまり気が付かなかったので、これはやはり商売上の飾り、ビックセールの合図ということだろう。荷物を取るのには時間がかかった。前の便の荷物がターンテーブルに置き去り。イミグレで引っかかっているのだろうか。そこに我々の荷物が落ちてくるから、困ったことになる。結局30分待ちになってしまった。

 

今回は銅鑼湾ではなく、九龍側に泊まることにしてみた。最近は銅鑼湾の宿がリーズナブルなので利用していたが、銅鑼湾がよくなったのだから、観光客の多い九龍はもっと良くなっているかもしれない、と思ったからだ。だがまずその期待は空港バスで打ち砕かれる。バスが満員で乗れなかったのだ。これでは香港生活のスピードが落ちる。更には途中で渋滞、特にネーザンロードに入ってからはずっと混んでいる。こんなことなら香港島側にすればよかった。こちらの方がバスはスムーズなはずだ。

 

そしてなぜか中国人のおばあちゃんと孫が2人で乗って来たのだが、彼らは自分の行先の住所は分かるが、どこでバスを降りてよいかわからない。運転手は適当な答えをしており、周囲の乗客(多くが中国人)が皆で助け舟を出すものの、根本的には香港人はないので、誰も地理は分らず、手の出しようがない。まあスマホではないが電話は持っているようだし、誰か迎えはいるだろうから、何とかなるだろう。それにしても香港のバスの運転手も相変わらず不親切ではある、特に中国人に対する態度はひどい。

 

何と1時間以上もかかりようやく佐敦付近でバスを降りる。道路の両側も通行人が多くて、荷物を持った旅行者には厳しい。本日予約した比較的安い宿を探すと、何とその場所は3年ぐらい前にも泊った古ぼけたビルだった。しかもエレベーターの具合など、何ら変わってはいない。

 

その小さなドアを叩くと中から若い男性が出てきた。受付には女性もいた。二人とも英語がとても流暢だったが、二人で話すときはなぜか中国語を使っている。どう見ても香港人らしからぬ振る舞いに、後で聞いてみると、男性の方がマレーシア華僑で広東語は出来ないとのことで納得。それにしてもこの二人を見ていると(聞いていると)どこの出身かもわからなくなるほど中国語が標準化している。因みに二人は夫婦で、安宿が儲かるというので始めたらしい。

 

部屋には窓もなく、とても狭いが、まあ寝るには十分な清潔感がある。銅鑼湾に比べれば進歩はないようにも思えるが、一時ほど値段が高くないのは良い。そういえば、台湾を出る前日、携帯に電話があった。この宿の女性からで『宿の場所は分かるか』など、予約の確認をしながら、きちんと客をフォローしていたので、好感度は高い。

 

夕方ネーザンロードを歩くと、もう大変。人が多過ぎて前にも横にも進めない状態が続く。仕方なくわき道を抜けて、何とかスターフェリーまで辿り着く。この付近のブランドショップに相変わらず中国人が行列を作っており、首をかしげる。恒例行事になっているスターフェリー乗船。夜景がきれいな8分間。

ある日の埔里日記2018その1(7)廬山温泉で

1月30日(月)
台北最終日

今日は夕方埔里に戻るバスを予約していた。ちょうど午後に雑誌社に行く用事があったので、その前をどうしようかと考えていると、料理人のSさんを思い出し、会うことになった。場所は、午後の予定を考えて小巨蛋の近くにしてもらった。レストランはこぎれいな京鼎小館。昔鼎泰豊で働いていた人が開いたらしい。

 

午前11時なので、お客はまばらだったが、12時近くなるとほぼ満席になった。日本人観光客もガイドブックを抱えてやってくる。埔里では日本人に会うことは殆どないので、ちょっとした違和感がある。メニューにはもちろん日本語があり、ウエートレスも日本語を話すようだが、こちらは全て国語で注文する。

 

出てきた鶏スープは何となく懐かしかった。これが鼎泰豊のウリだったよな。チャーハンも満足できるものでよかった。デザートに豆沙小包を食べればもう完璧だった。今や日本人観光客で行列ができるあの店には行きたくないが、こういうこじんまりした店で、似たような味が食べられるのは悪くない。

 

まだ時間があったので、コーヒーショップを探して入る。カフェラテを頼むとラテアートが出てきて驚く。今や台北ではそんなにしゃれた店ではなくても、それなりにおしゃれなのだと実感する。コーヒー1杯が私の夕飯2回分の値段である。やはり台北には住めないな、とも思う。

 

午後訪ねる会社の住所を忘れてきてしまった。仕方なく、この辺と思われるビルを1つずつチェックしていったが、なかなか見つからず焦る。結局MRT駅にかなり近いところでようやく見つける。私に記憶もいよいよ末期症状だ。ここではN編集長と2時間も話し込んでしまった。何だか仕事の邪魔をしてしまったようで申し訳なかった。

 

それが終わると急いで宿へ取って返して荷物を取り、台北駅へ向かう。何とか5時のバスには間に合い、一安心。バスは一路埔里を目指して快調に走り、眠っている間に体を運んでくれるから有り難い。

 

1月31日(火)
霧社へ

翌朝はゆっくり起きる。実は昨日台北で会ったSさんが、休暇があるというので、埔里に遊びにくることになっていた。久しく会っていなかったのに、2日続けて会うのは何となく不思議な気分だ。バスターミナルで待ち合わせて、廬山温泉へ向かった。Sさんの希望で、今日は霧社事件関連を歩くことにする。

 

ちょうどバスが来たので乗り込む。清境農場行きなどは本数があるが、廬山温泉行は一日に数本しかないので、霧社を通り越してまずはこちらを目指す。相変わらずお客はあまりおらず、終点に着いた頃には我々だけになっていた。取り敢えず昼を過ぎていたので、ご飯を食べる。

 

一人だと入りにくい食堂も、二人だと入れるのは嬉しい。特にこのような人がいない場所ではそれは顕著だ。野菜は新鮮で山豚の肉は旨い。スープもイケており、満足できた。これを一人で払うと400元になるが、二人で割れば半分なので、旅の経済性は格段に向上する。

 

目の前に難敵の吊り橋が待っていたが、今日は他に誰もおらず、揺れる心配がないので、何とか渡り切った。ここを越えると少し店が並ぶがその後は閉鎖された温泉宿。その後に蒋介石が好んだという和風の家がある。そこを過ぎると上りになり、マヘボ社の石碑がある。ここが霧社事件のモーナルーダオの本拠地へ続く道だ。

 

実はこのルート、昨年一人で歩いて大雨に遭い、大変難儀した。1㎞ぐらい坂を上がると、モーナルーダオの石碑があり、廟もある。そしてその向こうには故居の表示もあるが、前回は雨で見付からなかった。取り敢えず歩いて探してみたが、やはり見付からず、民宿になっているので入って聞いてみると『昔はあったが、今はもうない』というではないか。しかもよく考えてみると、彼らの部落はもっと山奥にあるはずだと思えてきて、単なる観光客向けの看板にかなり嫌な気分になる。その民宿には温泉もあるが、自分でお湯を入れて入るのだという。まるでプールだな。

 

仕方なく山を下りると、別の道があったので歩いてみた。奥の方に源泉が湧き出ているような湯気が立っている。近づくとそれなりの建物が建っているが、中に入ると誰もいない。個室温泉があるようだが、今や利用者はないようだ。食堂もあるが、実に懐かしい孫燕姿のポスターが貼られており、タイムスリップ状態だった。

 

バス停まで戻りバスを待つ。だが予定時刻を過ぎてもバスは来ない。ちょっと遅れるのかと思っていたが、何とこのバスはついに来ず、次のバスが50分後の始発だったので、それに乗り霧社へ向かう。前のバスは廬山始発なので、この坂を下りて来ないで通過したらしい。何とも酷い対応だが、これも二人だから笑って過ごせた。

 

霧社までは20分もかからない。降りてすぐに、昔の神社跡に登り、景色を眺める。それから記念碑を訪ねる。そこも完全に観光地化しており、何とも言えない。更に下におり、事件の起こった公学校跡(現在の台湾電力)を通り、日本人墓地跡を見て帰路に就く。何だか妙に疲れた。

 

今度は幹線?なのでバスはすぐ来て1時間で埔里に戻る。夜はお客さんが来ると行く古月軒で、地元料理を食べる。Sさんは料理人なので、色々と試しては首を振ったり頷いたりしているのが面白い。

ある日の埔里日記2018その1(6)雨の三峡で

1月28日(日)
三峡へ

ちょっと昨晩の疲れは残っていたが、今日は三峡へ向かう。新店駅で黄さんと待ち合わせて車で連れて行ってもらうが、あいにくの雨模様だ。何故新店から三峡まで車で行ったのかと言えば、その距離感を知りたかったからだ。往時このルートも、茶葉が運ばれていたに違いない。勿論今のような道がある訳もなく、茶葉を担いで山道を越えてきたのだろうと想像する。

 

やはりというか、新店‐三峡間は車であれば近かった。20分程度で抜けてしまう。ただ雨は本降りとなり、視界は悪い。黄さんが紹介された茶農家を何とか見つけて滑り込む。やはり黄さんという苗字の方が対応してくれた。ここで祖父の代から主に緑茶作りをしているという。

 

コンテスト入賞茶がずらりと並ぶ。三峡でも緑茶コンテストは早くから行われていたようで、黄さんは毎年のように受賞し、この付近の有名人らしい。光復後は龍井茶などの緑茶も作っていたが、包種茶など緑茶以外も多く作られていたはずだ。そして徐々に茶農家が無くなる中、彼はどのように生きてきたのだろうか。最近少し人気の出てきた台湾緑茶、請われて手もみの茶なども披露するというが、きっとそこには深い歴史があるに違いない。

 

黄さんのところをお暇して、途中で昼ご飯を食べる。普通の魯肉飯とスープだが、寒いせいか、やけに美味しく感じる。田舎のせいかボリュームもある。午後は大寮の茶文化館に向かう。ここは日本時代の三井の工場だったところ。大渓、三叉河と並ぶ三大工場の一つだ。実は昨年バスに乗って自力でここを訪ねようとしたが、うまくバスに乗れずに断念した経緯があり、今回ようやくの訪問となった。

 

工場はあったが、新しい。これは台湾農林が今も使っているようだが、今は時期的に稼働しておらず、おまけに非公開。その少し上に、昔の工場長の宿舎を改装した記念館があった。そこに簡単な歴史が展示されてはいたが、どうもあまり雰囲気は出ていない。単なる日本家屋の見学と言う感じだ。後は土産物を売るのみ。

 

聞けばここから山道を数キロ登った、海抜700mぐらいの場所に当時からある茶園が残っているというので、そちらへ向かう。小雨で霧がかなり出ており、山道はちょっと危険な雰囲気だった。かなり上ったと思ったところでようやく熊空茶園という門が見えたが、その門は閉ざされていた。熊空とは、あの猫空に対抗したのだろうか。

 

まずは横のショップに入る。天気が良ければ観光客が来るのだろうが、この天気では店員も手持無沙汰。黄さんは知り合いにお土産を買い込み、レジで『商品を買った人は無料で茶園に入れる』と聞いてきた。我々は小雨の中茶園を眺めに出る。そこは茶株がぽつぽつとある、昔風の茶園であり、量産体制にはなかった。まあ一種の公園のような雰囲気だろうか。空気は良いので散歩には適している。園の端に古い工場が残っていたらしいが見つけることはなく、引き揚げた。

 

そこからまた車で新店まで引き返した。今回は天気が悪く、何となく心残りな三峡になってしまったが、これはこれで仕方がない。一歩ずつ進もう。一度宿に帰り休息したが、すぐまた外出する。Kさんとの待ち合わせ場所は、いつもの広方園。この時間湯さんはいないだろうと思いながら店に入ると息子が2階を指す。どうやら茶の講座を開いていたらしい。すぐに湯さんが降りてきて、世間話を少ししていたが、お客さんが多くて、細切れになる。

 

そこへKさんが現れ、食事に向かう。今晩は鶏料理にしようということで、近くのレストランに入る。ここは日本人観光客も多く、おばさんが日本語で対応してくれる。これが美味しいよ、これは半分でいいよ、などとアドバイスをくれ、なんとなく懐かしい。おばさんに従って注文すると、何だか日本的な中華の構成になってしまう。私は鶏スープが確保できればそれで満足だった。

 

Kさんとは厦門で知り合い、台北に移住してきてからも何度か会っていた。その度に『台湾で田舎暮らしがしたい』という彼女だが、埔里の良さを伝えると目を輝かせている。もし仕事があれば、すぐにでも移りたいというが、仕事をすれば、きっとどこでも大変なのだろう。日本の会社で仕事するのと台湾人と仕事するなら、どっちがより大変か、考えたこともなかったが、結構いい勝負のような気がした。