ヤンゴン茶旅2020(5)ヤンゴン大学を訪ねるも

『口福』という同じ名前の店が二つ並んでいるが、今日はカジュアルな方へ入る。店内は中国人観光客で満員だ。前回もお会いしたGさん夫妻が待っていてくれた。Gさんは写真家であり、現在はブログなどでミャンマー情報を発信している。更にはインド国境を度々訪れて写真を撮っているということで、非常に有益な旅及び民族情報を幾つも教えてもらった。そしてミャンマーではなぜ茶をラペッというのか、という根本問題にもヒントを頂き、感激。

 

果敢レストランということで、前回は敢えてケシの実スープなども飲んでみたが、特に中国料理と大きくは変わらない。ただ果敢地区はミャンマー側から外国人は実質入れないし、中国側からも簡単には入れないと聞いており、その名に惹かれてやってくる客が多いのは事実だろう。

 

帰りもフラフラと歩いてみる。公園を通りかかったので、ちょっと寄ろうとしたが入場料がいるというので止めた。この近くには餃子の王将が店を出していた。あまりに疲れたので、冷たいコーラを飲んで休む。ひと息つくとすぐに元気になるのはすごい。最後は前回も行ったピンピンの火鍋屋の前を通る。横には新しくマッサージ屋が併設されており、更にビジネスを拡大したことが分かる。若いのにやはり彼女はやり手だ。

 

1月21日(火)
ヤンゴン大学へ行くも

そろそろ疲れがピークに差し掛かる。朝食にも少し飽きてきたので、食欲も落ちる。午前中は休むつもりだったが、何となく散歩に出た。いつもと反対方向へ歩いて行くと、立派な教会があった。モスクもヒンズー寺院もある。ダウンタウンは相当広いのだと分かる。ただ華やかさはない。

 

シティーマートがあったので入ってみる。どんなお茶を売っているか、見るためだ。例の張さんの鉄観音茶も、一番小さい袋は売っていた。果敢茶もあった。でも圧倒的に珈琲が多い。お茶では何といってもティーミックス。私も疲れた体に良いかと、ティーミックスを買って帰る。

 

ついでに昼ご飯を食べに行く。日本食の店で弁当という選択肢もあったが、時間が早過ぎて開いていなかった。結局先日行ったチン州レストランを訪ね、チンのかゆを食べようと思ったが、何と店は開いているのに、誰もおらず、湯気だけが立っていて、食べ損ねた。仕方なく、近くでモヒンガーを食べる。600チャットで、安定のうまさ。

 

部屋に帰ってテレビを見る。大相撲がいつになく面白い。白鵬も鶴竜も早々に休場。小兵力士が活躍し、幕尻力士が優勝争いの先頭に立つ。ここ数年の面白みのない、停滞した相撲界に下克上が起こり、ワクワクする。せっかくヤンゴンに居るのだからと言われても、面白い物を見たい。

 

相撲が終わったら、外へ出た。昨日教えてもらったヤンゴン大学の図書館を訪ねてみようと思ったわけだ。地図で見ると結構遠い。タクシーの運ちゃんは道が分かるというので乗り込む。渋滞もあり、1時間近くかかって、正門に辿り着き、そこで図書館の場所を訪ねて何とか行き着く。

 

図書館は立派だった。係員も英語ができたので、茶に関連した本を探していると告げると『まずはHPで検索してから来てね』という。折角ここまで来たのだからというと、『実は既に閉館時間で帰るところよ』と言われ、愕然。大学の図書館が午後4時過ぎに閉まるとは、学生はいつここを利用するのだろうか。

 

係員の女性たちは足早に立ち去り、電気も消されてしまった。仕方なくキャンパス内を散歩すると、ちょうど卒業シーズンなのか、記念写真を撮る学生たちがいる。学内は静かで居心地はよさそう。宿舎もあるようなので、もし図書館が役立つようであれば、ここに1泊してみたい気もする。

 

既に閉まっている横門を開けてもらい、外へ出た。ここにはインヤーレイクがある。ちょっと湖の写真に撮ろうと、セーリングクラブに入ってみる。さすがイギリス植民地だから、こういうクラブは沢山ある。更に先に行くと、湖の脇に散歩コースがあり、夕暮れ時、たくさんの人々が歩いていた。私もロッテホテルに向かって歩いてみた。

 

暗くなったので、今晩の待ち合わせ場所へ歩いて向かう。僅か15分ぐらいのお店だったので、楽勝と思っていたが、場所が分からず迷う。それでも予定時刻より早く着いてしまった。ここはこじんまりした、雰囲気の良いカチンレストラン。お知り合いのIさんが選んでくれたお店だった。カチン料理を味わう。日本人に非常に合う味だ。

 

お店でお酒が飲めないのも、私にとっては好都合。カチンの茶をお願いすると、緑茶が出てきたが、質が良い。店主はバンモーの出身だと言い、そこには茶畑もあると言うが、残念ながら外国人は入れないときっぱり。Iさんからも、ミッチーナには行けるけど、山の中はねえ、と言われてしまう。帰りはIさんにタクシーを拾ってもらって、何とか帰る。やはりGrabぐらい使えないと、色々と困る。

ヤンゴン茶旅2020(4)ヤンゴンに留まって

1月19日(日)
再びSSと

ヤンゴン4日目、そろそろ疲れが出てくるタイミングなので、午前中は休養日に当てた。このホテルもNHKワールドプレミアが映るので、先週の女子に続いてボーっと都道府県対抗駅伝を見て過ごす。福島がまさかの出遅れ、長野が劇的な逃げ切り。箱根や実業団駅伝ランナーが多数出てきて、面白い。高校駅伝を見ていなかったので、高校生はよく分からないが、栃木出身の松山君が学法石川所属のため、福島から出ているのがちょっと残念だった。

 

12時半にタクシーを拾う。今日はSSとの約束で、イタリアンレストランに向かう。運転手は分かったと走り出したが、着いたのはピザハット?仕方なくSSに電話して、何とか辿り着く。遅刻してしまったので、既にアイちゃんはピザを頬張っていた。スパゲッティやらサラダも出てきて、テーブルの上はかなり賑やかだ。昔はSSと言えばホットポットだったのだが、今やイタリアンが常道だ。

 

久しぶりのTTMもいた。確か高田馬場以来だろうか。TTMの御主人とも初めてお話しした。TTMは最近自由奔放に動き回っており、今回もバンコックから帰国したばかりであり、午後も集会が入っているという、慌ただしいスケジュールの中を会ったことになる。まあ二人の娘も母になり、自身も落ち着いたので、好きなことをしてもよいだろう。昔はかなり苦労したはずだから。

 

TTMたちとは別れて、またSSの家に行く。アイちゃんとも相当馴染んできており、遊び相手となる。5歳の女の子のことはよく分からないが、言葉が通じなくても非常に楽しい。何でも遊びになってしまうのもすごい。ニセ爺さんを2時間もやっていたら、疲労困憊になってしまうが、アイちゃんの勢いは全く衰えない。

 

結局SSが晩御飯を作ってくれて、それを食べてから帰る。SSは何と先日私がFBに投稿した内容を覚えており、『イカが食べたいんでしょう』と言って、イカ炒めまで作ってくれた。何とも有り難い。テレビではNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の初回が二週間遅れてスタートしていた。何だかきれいな大河ドラマだが、明智光秀の前半生を詳しく描くと言われており、ちょっと気になる。川口春奈も気になるが、やはり門脇麦が気になる。

 

タクシーを呼んでもらい、宿に戻る。NHKを点けると、何と夜中に卓球全日本選手権の男女シングルス決勝が放映されている。男子は張本が、同年代の宇田に競り負けた。これではオリンピックどころではない。女子も準決勝で伊藤美誠を破った早田ひながその気負いのまま、石川佳純に勝ってしまう。オリンピックには一番調子のよい選手、中国人に勝てる選手を選ぶべきだろう。

 

1月20日(月)
まさにフラフラ

本来今日あたりはミャンマー北部へ出掛けているはずだった。そのためにバンコックへ帰る飛行機を23日にしてあったのだ。ところが当てが外れる。出来れば初めてカチン州に踏み込みたいと考えていたのだが、カチン州は現在でもその多くの場所が外国人立ち入り禁止区域になっており、許可がなければ茶畑に入ることもできない。そもそもどこに茶畑があるのかも分からないのだから話にもならない。

 

都市であるミッチーナぐらいにはせめて行きたいと思ったが、そもそもミャンマー国内の飛行機代は非常に高い。国際線であるバンコック行きの2倍ぐらいするのだから驚いてしまう。そして正味二日ぐらいいるだけで、茶畑があっても山に入ることはできないでは、コスパは非常に悪い。これは一度撤退だろう。

 

何かミャンマー史や北部山岳民族の歴史などでヒントになるものはないかと思い、すぐ近くにあるさくらタワーに行く。そこには日本人会があり、ミャンマー関連の図書もあると聞いていた。行ってみると何と同じフロアーには、昔お訪ねした人材紹介会社のオフィスが規模を拡張してそこにあった。

 

図書室にはかなり本が置かれていた。その中でミャンマー関連の物も一か所にまとめられており、さすが日本だ、効率的で有り難い。係員に断ると、自由に閲覧できた。そして何冊か気になる本を見つけた。借りることは出来ないので、その場で読んでいく。ミャンマー史は通り一遍のものも多いが、かなり詳しい物もあり、参考にする。特にミャンマー人が書いた現地史には、これまで知らなかったことが多く書かれていた。

 

それからゆっくり歩いて博物館を目指した。日差しはそれほど強くはないのだが、歩いているとジワジワと汗が出てくる。鉄道の線路を越えて、西の方へ向かう。30分以上も歩いて博物館に辿り着いたが、何と今日は月曜日で休館日だった。仕方なく、ランチの約束場所がある、更に西に向かった。

 

そこは前回も来た果敢レストランであったが、よく見るとすぐ近くに大きな中国大使館があった。更に少し行くと、何とヤンゴン環状線の鉄道駅もあるではないか。これなら鉄道に乗って来ればよかった、と思ったが、後の祭り。まあ電車もいつ来るか分からないが、歩きで疲れ果てた。

ヤンゴン茶旅2020(3)懐かしのヤンゴンを歩く

1月18日(土)
ヤンゴンをフラフラ

翌朝も宿で朝食を食べてから、外へ出た。今日も香港から来ているIさんと一緒にヤンゴンを歩くことにした。彼女のホテルのすぐ近くには、100年ぐらい前に建てられた教会があったが、そこには厦語教会とも書かれており目を惹く。19世紀半ば以降、厦門には教会が出来、そこで英語を学んだ若者がおり、彼らは台湾や香港など海外に雄飛したとも言われている。もしやラングーンにもやって来て、その支部がここに建てられたのだろうか。その横にはヒンズー寺院があり、インド系との境目になっていた。

 

スタンドで売られている新聞に目をやると、スーチー氏と習近平氏が握手していた。私は知らなかったが、習氏はネピドーを訪問していたようだ。だがその記事はとても好意的な内容とは思われず、今日ヤンゴンでも反中デモが行われるという話まであった。ミャンマーの苦境に忍び寄る中国、という構図だろうか。

 

チャイナタウンを歩くということだったが、何となく東の方に足が向き、インド人街を抜けて、川の方へ向かっていた。昨晩話に出ていた国立図書館のきれいな建物が見えたが、警備員から『オープンは4か月後だよ』と教えられる。ミャンマーのことを調べるためには一体どこへ行けばよいのだろうか。

 

クラシカルな建造物エリアに進む。レトロ郵便局は土曜日だからか人がいない。ストラッドホテルではハイティーが20ドルと書かれていたが、朝からやっているわけはない。まあ、それほど暑くないので、川沿いの重厚な建物を見て回るのは悪くないが、やはり疲れてくる。

 

私の宿に戻った。今日は旧知のTさんと会う約束だったが、昨晩メールで会う場所を変更した。が、Tさんからは何の連絡もなく、どちらに来てくれるのか分からないという事態が発生した。電話も掛けたが繋がらない。こういう場合は、やはり元の場所の方が無難だと思い、待っていると、ちゃんとTさんが現れたのでビックリ。何だかスマホも携帯もない時代に戻った気分だ。

 

昼ご飯は、近くのシャンカオスイの店へ行く。普通のカオスイも美味しいだが、折角なので、トウフヌエを頂く。シャン州に行ったら必ず食べたい麺だった。ついでに揚げ豆腐も頼んだが、こちらはシャンとは少し味が異なっていた。Tさんは最近モン州に引っ越しており、たまたまヤンゴンに出張で来ていて再会できた。ミャンマーのことにはとても詳しいので何でも聞いてしまう。

 

チン州の話が出たところで、場所を移してチンレストランでコーヒーを飲むことにした。話しているとそれが目の前に出てくる、やはりTさんと一緒だと世界が変わる。牛干し肉がなぜか出てきて、コーヒーを一緒に食べる。まあ、ビーフジャーキーかな。こんな組み合わせ、見たことがない。

 

Tさんと別れて、ボージョーマーケットへ行く。2003年の初ヤンゴン以来、何度も行ったマーケットだが、最近は買い物に行くこともない。Iさんは雑貨や服、織物などを物色している。そういえば、ここでチン州の物品を扱っている店があり、昔チンの茶をご馳走になったことを思い出す。あの店まだあるのかな、と思っていたら、Iさんが目指す店はそこだった。だがチンの若者は『チンにはコーヒーはあるが茶はない』ときっぱり。

 

やっぱりパゴダも1つは行こうということになり、スーレーに向かう。ここに入るのは何年ぶりだろうか。ミャンマーのお寺は入り口で靴を脱がなければならず面倒だが、花を買うと靴を預かってくれるのは昔ながらで懐かしい。昔と言えばどんな時にも、参拝客で混雑していたヤンゴンのパゴダ。今や本当に訪れる人が減った。信心より金儲け、と言われて久しいが、ミャンマーらしさが失われていく。

 

お参りは、自分の生まれた曜日の前で行う。これもミャンマーを訪れると最初に知る習慣だった。何だか日本語を少し話すミャンマー人が、一生懸命にIさんに参拝方法を指南している。こういう人は、単なる親切なのか、何か目的があって近づいているのか、現在のミャンマーにおいてはその判断は難しい。

 

疲れてしまったので、カフェに入る。ヤンゴンは急速におしゃれなカフェが増えている。外国人比率が高い。2階はバーになっており、夕暮れ時、酒を求める人々も入ってくる。今日一日、Iさんには様々な情報が入ってきたかもしれない。しかしそれを吸収、消化するのは簡単ではない。ここで飲み物を飲みながら、頭を冷やす。

 

最後に串焼きストリートへ向かう。数年前から、チャイナタウンに、路上も含めて、ビールを飲み、串焼きなどを食べる一つの通りが出現した。そこに辿り着く直前、観音古廟から麒麟がお出ましになる。夜に一体どこへ行くのだろうかと、興味本位で付いて行くと、近くの別の廟へ向かっていた。これは練習なのか、本番なのか、何も分からない。折角なので、少し観音古廟も見学する。ライトの光で廟内はきらびやか、且つ幻想的だ。

 

土曜の夜で賑わうストリートに席を見つけて、その雰囲気を味わった。白人も多いが、ミャンマー人比率が上がっているように思われる。ヤンゴンの夜の観光名所として定着しているのだろう。

ヤンゴン茶旅2020(2)ヤンゴンの再会、そして茶旅報告会

1月17日(金)
ヤンゴンの再会、そしてお話し会

朝、ホテルで朝食をとる。ここは老舗だからやはり種類が多い。パンもあればお粥もあり、フルーツもそれなりにあるので十分だった。それから暑くなる前に外へ出た。1年2か月前、何度か歩いたダウンタウンだったが、既に土地勘が無くなり、思い出しながら歩いてみた。途中インド系の多いエリアでは、インド風のチャイが飲まれており、ミャンマーのティーミックスの起源かな、などと思う。それにしてもなぜヤンゴンにはインド系が多いのだろうか。

 

そうこうしているうちに、華人街に入り、漢字が増えてくる。その昔、張彩雲が開いた茶行、張源美のあった場所も懐かしく通り過ぎた。そして彩雲の孫が今も細々とやっている茶荘に何とか辿り着いた。丁国さんは私のことを忘れていたようだが、話をしながら書いた文章を渡すとにわかに記憶が蘇ったようで、嬉しそうに相手をしてくれた。

 

その後、少し離れたホテルに向かう。何と現在は香港在住のIさんが今朝バンコックから飛んで来ているはずだった。彼女と会うのは台湾の基隆以来だろうか。ちょうど到着したIさんと二人で慶福宮に向かい、そこに彩雲の息子を訪ねた。Iさんの北京時代の同僚で、ヤンゴン在住のICさんも加わった。

 

家栄さんも私のことなどすっかり忘れていたのだが、あれから厦門へ行き、安渓へ行き、遂には彩雲の長女にも会ったことを告げると、目を丸くして驚いていた。全てはこの宮から始まったのだ。もう一度会って話ができることは双方にとって何とも喜ばしいことであった。家栄さんがお菓子を勧めてくれたが、これは彼の息子が作っているらしい。やはり張家は実業家一家なのだ。

 

そこへ男性が入ってきた。聞けば家栄さんの長男だという。何と聴診器をぶら下げており、医者だとすぐに分かる。茶業で儲かった家は必ず子供によい教育をさせており、医者や弁護士が出ることは珍しくはない。このお医者さん、政府内幹部にも患者がいるようで、なかなか興味深い人物だ。

 

更に奥さんは華人ではなかった。どうして華人以外の人と結婚したのかと問うと『うちの嫁は美人なんだ』というからビックリしてしまったが、家栄さんも満更でもない、という顔をしている。後で知ったことだが、このお医者さんのお嬢さんは、ミスミャンマーやミスインターナショナルミャンマー代表などの栄冠に輝いた、自慢の娘だったのだ。張彩雲の曾孫はミスミャンマー、知っていればエピソードとして書いたのに、残念だ。次回は是非曾孫にインタビューしに行こう?

 

外を歩いていると、やはり旧正月が近いことが分かる。正月の麒麟舞(獅子舞?)の稽古が行われており、正月飾りなどが売られている。お昼はチャイナタウンで麺を食べる。汁なし麺。豚肉がうまい。スープはホーロー缶で煮込まれている。昨晩ほど高くもなく、満足できる味だった。

 

午後はもう一度丁国さんの店に行く。折角なので、ICさんたちにも、このお店を紹介しておこうと思う。今や張彩雲関連のお茶は、ほぼここでしか買えないからだ。以前はシティーマートに置かれていたが、一部を除いて取り扱われなくなったらしい。ここは看板も出ていないので、一見さんが来るのは難しい。丁国さんも来訪を喜んでくれたのでよかった。

 

ここでICさんとは一度別れて、Iさんと二人、フラフラ歩きながらホテルへ戻った。ロビーで待っているとジュースが振る舞われる。何とも有り難く、美味しく頂く。それから、今日の講座の会場へ向かう。タクシーに場所を説明して、何とか辿り着く。今やGoogleマップもあり、何とも便利になっている。

 

着いた場所は、ダウンタウンから少し離れており、周囲はお寺が多い場所だった。そこにベトナムで成功した日系ビジネスホテルが出来ていた。この宿にはホーチミンで8年ぐらい前に泊まり、経営者とも会ったことがあったので、懐かしかった。会場はその建物の一番上、夕日の沈む、そしてライトアップされたシェンダゴンパゴダがよく見えた。

 

会には駐在員夫人や現地在住者など10数人が集まってくれ、かなり驚いた。これも主催者ICさんのネットワークの広さだと感心すると同時に、ミャンマーに住んでいるのだから、ミャンマーのことを知りたい、という意欲が他国よりも一層感じられた。話の内容はミャンマー茶の歴史及び華人茶商の歴史についてだったが、色々と質問も飛び出し、興味深い会となった。

 

その後場所を移して、夕飯を有志で食べた。中華料理とのことだったが、どこの料理かは分からない。そこでもミャンマー事情を伺うことができ、また少数民族のこと、茶の起源などについて、様々な情報が寄せられた。やはり現地でこのような問題提起の報告を行い、それによって皆さんの知識・経験などを呼び起こすことも大切かな、と思われた。

ヤンゴン茶旅2020(1)アイちゃんと赤ちゃん

《ヤンゴン茶旅2020》  2020年1月16-23日

娘のように長年付き合っているスス(以下SS)が昨年11月に二人目を出産した。可愛らしい赤ちゃんの写真が沢山送られてくる。ニセ爺さんとしては、孫の顔を見に行かねばならない。併せて、一昨年10月に訪ねた張彩雲氏の息子や孫も再訪し、既にまとめて発表した文章を届けてお礼を言いたいと思っていた。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

タイスマイルはLCCではないので、一応サンドイッチ程度の食事は出た。座席も頼んではいないが、非常口の広めの席が用意され、隣もいなかったので、かなり快適な旅だった。と言っても、1時間ちょっとで着いてしまうのだから、どうでも良いか。中国で、新型ウイルスが流行っているらしいが、中国人もチラホラ乗っている。

 

ヤンゴン空港はどんどんきれいになっていくようだ。入国審査もスムーズでよい。預けた荷物もサッと出てくる。初めてヤンゴンに来た2003年から見ると、まさに隔世の感がある。出口を出るとすぐにシムカードを買う。これも前回から簡単に買えるようになり、有り難い。前の中国人が『本当に使えるのか』などと聞いているのが微笑ましい。だが私の番になり、シムを入れ替えた後、なんとタイのシムカードを捨ててしまったらしい。この辺がミャンマーの未熟さだろうか。

 

今日はまっすぐSSの家に行くことになっていた。何しろスーツケース一杯にお土産が詰まっているのだ。しかも一番は粉ミルクだった。どうしても日本の粉ミルクがよい、というので、運んで来たのだが、これは意外と重い。それでも赤ちゃんの貴重な食糧だと思えば、軽く持っていける。

 

空港のタクシースタンドで行先を告げると1万チャットと言われたが、8000チャットでしょう、と切り返すと、それでよいという。乗り込むと若い運転手が片言の日本語を話し出す。どうやら技能実習かなにかで半年ほど広島に行っていたらしい。一生懸命に話す姿が何とも微笑ましい。30分ぐらいで到着したが、結局彼にチップとして2000チャット渡す。

 

SSと娘のアイちゃんは、昨年タイ国境のミャワディからヤンゴンに引っ越していた。アイちゃんの幼稚園の都合らしい。この家には初めて来た。おばさんが来ており、子供たちの面倒を見ている。SSが作ってくれた料理を久しぶりに食べたが、美味しい。アイちゃんは遠くの幼稚園に行っており、夕方しか帰って来ないという。それまでSSと近況を話し、赤ちゃんの顔を見て過ごす。

 

おばさんが車で迎えに行き、アイちゃんが帰って来たのは、本当に夕方だった。車の渋滞もあり、通園時間は片道1時間、大変だ。1年会っていないと、幼女が少女の顔に変っているのは面白い。そして非常に活発になっている。遊ぶところがなくて、元気を持て余しているのだろうか。

 

アイちゃんの顔を見たので、帰ることにして、車で送ってもらった。今回は初めて泊まるダウンタウンの古いホテルを予約した。数年前はどこでも高かったヤンゴンのホテルが、今や軒並み安くなっている。こういうホテルは部屋が比較的広く、設備は古いが一通り整っているところが今の私には有難い。

 

夕飯を探しに外へ出てみる。以前この付近には泊まったことがあるが、何を食べたかは覚えていない。唯一覚えていたのは、レートの良い両替屋だけだった。ちょっと覗いてみるとやはり近所より多少はレートがよいようだったので、100ドル札を出してみると、『この札は10%カットだ』と言われ、ミャンマーの洗礼を浴びる。勿論慣れているので違う札を出して100%両替をしたが、もうそろそろこういう習慣、止めてもらえないかな。

 

その近所にうまそうな麵屋があったので入ってみた。女性は英語ができるので『チキンヌードルスープ』と注文したところ、出てきた麺は大盛りの上に、店にある具材を全種類入れたかのような特盛状態だった。まあなんて盛りの良い店だろうと感心しながら、懸命に碗を平らげた。

 

勘定を聞くと、何と3000チャットだというから驚いてしまった。さすがに『こんなにたくさん頼んでない』と反論するとすぐに『じゃあ、2500チャットでいい』と値下げするから、これはボッタくりだと思い、さらに値下げを要求したところ、男性が出てきたが、英語はあまりうまくなく、何だかにらみ合いになってしまった。

 

こうしていても仕方がないので、2000チャットをテーブルに置いて出てきたが、特に相手は何も言わなかったから、それでも儲かったのだろうか。ただ翌日地元民に聞くと、『今は麺一杯1000チャットなんてない。2000チャットは十分あり得る金額』と言われ、ヤンゴンの物価が1年で相当に高くなったことを実感した。

ある日のバンコック日記2020(5)王有記を再訪!

昼ご飯は1階の8番らーめんで食べた。ここで食べるのは10年ぶりだろうか。石川のローカルラーメンが何故タイでここまでヒットしたのか、そして今やタイ人も日本のラーメンとは思わなくなったのかは、何とも興味深い話だ。昼時はタイ人でほぼ満席だった。そのラーメンは、昔の日本のしょうゆラーメンであり、何とも優しい味がした。量は少なめだが、焼餃子を付けても、150バーツ程度だから日本の本格ラーメンと比べれば安い。今後は体調が良くない時に利用しようと思う。

 

午後は、5年ぶりに知り合いに会いに行く。アソークの先の古めかしいオフィスビル、何とも懐かしい。ここで沖縄出身のIさんは10年以上、沖縄とタイを繋げる活動をしている。私も昨年沖縄でお茶の講座を開いたこともあり、何かお役に立つることでもあるかと訪ねたが、意外なことに『タイ人は沖縄になかなか興味を持ってくれない』と嘆く。そして何とかキラーコンテンツを探しているらしいことが分かる。沖縄と福建ならいくらでもあるが、果たしてタイとの接点は簡単に見つかるだろうか。泡盛はタイ米から作られる、程度ではタイ人は動かないらしい。

 

1月15日(水)
華人茶荘再訪

午後MRTに揺られて、サムヨット駅まで行く。2日前に来たばかりなので、もう道は分かっていた。あの王有記をもう一度訪ねた。今回はオーナーの王さんもいることが分かっていたが、1年2か月前に話を聞いていたにもかかわらず、私のことは全く覚えていなかった。あれ。

 

王有記の歴史について、かなり詳しい説明を聞く。ここで初めて様々なことが分かり、ある意味での謎が解けていく。やはり質問は具体的に、明確な意図をもって行うべきだと痛感する。そうでないと聞かれた方も答えにくい。祖先のこと、台湾との関係、ヤワラーの店との関係など、家系図で説明されて、ようやく納得する。今やちょっと聞いただけでは理解できない、情報が整理できない頭になってしまっている。

 

茶のパッケージに、華人の顔が使われていた。2代目、祖父であるという。そして王有記が開業したのは、1930年頃だというから、この店舗の立地も含めて考えると、ここがバンコック最古の茶荘であったのかもしれない。それについては、既に無くなってしまった茶荘も沢山あるので何とも言えない、と言われてしまったが、商売人ならきっと『最古の茶荘』で売り出すだろうから、福建人の誠実さが出ているな、と感じられた。

 

夜、何となく体調が優れずに、また八番らーめんを食べた。今日は鴨肉麺だ。何とも言えず体に優しいので、弱っている時は本当に良い。後はポカリスエットを飲んで寝てしまう。明日は一度バンコックを離れ、久しぶりにヤンゴンに行くことになっているので、体調を整える必要がある。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

朝、タクシーに乗って空港へ向かう。タイスマイルというタイ航空の子会社に乗るので、スワナンプームになる。運転手はお釣りを返さず、言葉も通じずに困る。故意なのかどうかも分からないから、始末に悪い。年配の運転手にはいまだにこういう人が時々いる。時代は変わっているのだが、と思ってしまうが、思い違いだろうか。

 

タイスマイルは、タイ航空の子会社、そして私はタイ航空のサイトから直接ヤンゴン行を購入しているのだが、タイ航空のサービスを受けることはできない。何となく騙された気分になるが、これは以前台湾のエバ航空でも同じことがあったので、その仕組みは理解していた。それでも釈然としないものが残る。

 

空港は思ったよりは空いていた。さらっと出国審査を済ませると、まだ時間があったので、朝ご飯を探す。空港内のレストランはどこも市内の倍ぐらいする料金を取っており、何となく腹立たしいが、仕方のないことなのだろうか。フラフラしていると、99バーツでクロワッサンサンドとコーヒーが出てくるというので座ってみた。まあ、これならリーズナブルかと思えるものが出てきたので満足。探せば色々とあるのだな。最近自分の行動パターンがマンネリ化してきており、新しい発見が少ないことを強く感じながら、飛び立つ。

ある日のバンコック日記2020(4)集友茶行を再訪する

1月13日(月)
華人茶荘を訪ねる

今日は朝から出掛ける。MRTでファランポーン駅まで行き、そこでHさんと待ち合わせた。向かった先はこれまで2回訪ねていた集友茶行だ。以前もこの茶行の歴史を何となく聞いていたが、今回はきちんと体系だってヒアリングすることとした。創業80年を越えるこの茶行は、今やバンコックでも現存するもっとも古い茶行の一つだと思われ、何とも興味深い。

 

王さんは原籍が福建省安渓だから、これまで訪ね歩いた多くの茶荘と同じであり、安渓も何度も訪ねているので、話は早い。創業者の父は100歳でまだご存命だともいう。もしお父さんの話が聞ければ、ヤワラー茶業史は全て分かるのではないかと思ってしまうが、ご高齢でもあり、また遠くにお住まいだということで遠慮する。

 

王さん自身も茶の歴史や茶器などにも非常に興味があるようで、つい先日も上海と宜興に出向いて、古い茶や急須を買い込んできたという。そんな老茶を振る舞われながら、タイ茶の歴史を聞く。故郷安渓には今も親族がおり、中には茶業で成功している人もいる。その繋がりなども、更に興味の対象となっていく。

 

たっぷり2時間も話し込み、店を離れた。昼ご飯を食べようと思っているとHさんが、この辺の麺は美味しいというので、すぐ近くの店に入った。店の前には行列が出来ていたが、その多くはフードデリバリーの人で、店内は空いていた。揚げ米粉に目玉焼きが載っているスープ麺だった。これは潮州料理だろうか(日本でいうかた焼きそばもこの麺かな)。うまい。さほど腹が減っているわけでもないのに、更に炒粿條まで注文してしまった。どうみても食べ過ぎだが、どう考えても満足だった。

 

それから茶荘三馬の前を通り過ぎ、有記銘茶の前も通り過ぎた。ここのオーナーはいつも不在で話が聞けない。今日も店員さんがいるだけだった。ちょうど目の前には新しいMRTの駅が出来ていた。ワット・マンコーン(龍蓮寺)がそこにあり、駅名にもなっている。ちょっとトイレを借りに入ると、多くの人が参拝している。中華街の中心的な寺、やはり潮州系なのだろうか。

 

ここからトゥクトゥクに乗った。目指すは前回何とか探し当てた王有記だった。だがとても一人で行けないとHさんのタイ語力を借りた。10分ほど走り、ジャイアントスイングと呼ばれる巨大ブランコがある場所で停まった。ここは見覚えがある。因みにこのブランコはなぜここにあるのだろうか。何となくアカ族の祭りに使われるブランコのように見えるのだが。

 

更にその横の道を行くと、仏具屋(仏像なども多し)が立ち並び、専門職業の道という雰囲気が漂う。その先に目指す王有記茶行はそのままの姿であった。だが女性オーナーは今日不在で話は聞けず、後日となる。店員はタイ語しか話さないので仕方がない。まあ場所が確認できてよかった。

 

折角ここまで来たのだからと、Hさんが古民家カフェに連れて行ってくれた。この付近は政府機関が立ち並び、老舗食堂なども多いようだが、近年白人の姿が目立ち始め、バンコックでは珍しい木造建築の古民家を利用したカフェ(食堂はいくつもあるがカフェだけは珍しいらしい)が出来ていた。

 

店員はしきりにスイーツを勧めてくる。なぜかと言えば、ここは『インスタ映えするカフェ』を売り物にしている。2階で席に着くと、スイーツがきれいな器に盛られ、如何にも、という感じで、タイ人の若い女性がしきりに写真を撮っていた。因みにドリンクしか頼まなかった我々の席は彼女の席に比べ、いいとは言えなかった。古い家の部屋が開放され、古い写真が飾られている。ここでまったりするのは悪くないかもしれない。

 

帰りはHさんの先導で、MRTの駅まで歩いて行く。サムヨット駅までは歩いて10分ほどだから、これからはMRTに乗ればいつでも来られるという安心感が広がる。更にはMRTに渋滞はないため、あっという間に帰宅できるというのも大変有り難い。ヤワラーから向こうが非常に身近に感じられる。

 

1月14日(火)
シムカード

翌日は、シムカードについて調査した。現在使っている空港で買ったカードは、どうも高過ぎるのではないか、たとえば1か月使えるカードでもっと安いものはないかを探したいと思ったが、何しろタイ語の壁は厚い。そこでYさんにお願いして、一緒に探してもらうことにする。

 

近くのロータスのAISショップで、現在のカードの有効期限などを確認すると、カード自体は3か月使えるが、15GB のパッケージはやはり8日かしか使えない。ところが何と、プロモーションで、1か月使い放題200バーツというカードを売っているというではないか。1月中はこの料金だというので、ミャンマーから戻ったら、すぐにこのカードを買うことに決めた。シムカードは50バーツで、電話番号を保持するには、毎月10バーツ払えばよいらしい。タイのシステムは本当によく分からないが、これまた何とも有り難い。