ある日のバンコック日記2020(10)驚きの再会

2月7日(金)ベーリングへ

夕方、近所のバスターミナルに行った。コロナ感染防止の観点から言えば、タクシーは乗りたくない。バイタクも濃厚接触か。そんな中で安くて、窓が開いていて、人がそれほど多くない赤バスが良いのではないかと乗りに行ってみる。今日はBTSに乗り継ぐ(結局コロナ対策意味なし)ため、エカマイ駅へ行けるバスに初めて乗る。

タイで初めてのバス乗るのは緊張する。何しろ言葉が通じず、字も読めないので、どこへ行ってしまうか分からない。またいつ出発するかも不明なので、相当時間に余裕をもって出る。かなり面倒だが、時間を持て余しているなら、これがよい。今日のバスも期待に違わず、あらぬ方向へスタートして、なるほどというルートで進んでくれた。ワクワク。

エカマイ駅に着くとまだ時間があったので、懐かしいエカマイゲートウエイに行ってみた。相変らず上の階に日本専門階があり、多くの和食レストランがあったが、何となく、店も変わっており、メニューもタイ風になり、お客も多くはない。外にあった巨大招き猫も無くなっただろうか。BTSに乗ると、マスクしている率が急に上がる。バンナー方面に乗る。数年前、この方面に半拠点があった時は、終点の駅がベーリングという今日の目的地で分かりやすかったが、今やBTSは四方八方に伸びており、全く知らない駅が終点になっていた。

ベーリング、意外と遠い。如何にも郊外の駅らしく、閑散としている。駅前にはなぜかインター(高校)がある。その建物を上から見てみると、なぜかジムが併設されており、バイクを漕いでいる人が見えるのが、タイらしくない。

Mさんが時々行くという食堂に入る。Mさんからは、イサーン料理と聞いていたのに、ウエートレスが中国語のメニューを持ってきたので驚く。しかも内容はイサーン料理ではなく、普通の中国料理だったので、この辺にも中国人観光客が沢山泊まるんだな、と気が付く。彼らは私と同様、タイ語が読めないので、写真付きのメニューだが、結局よく分からず、慣れ親しんだ食べ物を頼むようで、それを見越して華人が作っている。

Mさんはオーナーに口頭で料理を注文した。彼は文字が読めるし、話せるので心強い。そして先日旅したインド、特にアッサムからナガランド、インパール、そしてミャンマーへ抜けるルートの様子を教えてくれる。この旅には何ともワクワクするが、私は行くことができるだろうか。すでにインド5年マルチビザの申請は終わっている。今回はコルカタだけにしてまずはビザをゲットしようか。もし滞在中にコロナ関連で異変があれば、隔離されてしまう恐れもある。インドで隔離は辛いな。いつものことだが、インド旅は簡単にはいかないのだ。

2月8日(土)驚きの再会

今日は土曜日。何となく静かなので、少し外出してみようという気になる。昨日エカマイまで乗った赤バス、実は終点は国立図書館だということが分かった。やはりタイの歴史など、図書館で調べたいことがあるが、タイの図書館は英語が通じるのか、そもそも外国人は閲覧できるのかも分からない。

バスは順調にエカマイを過ぎ、何と大回りしてマッカサン駅の横を通り、パヤタイ駅まで来た。だがバスはUターンしてしまった。慌ててバスを降り、この先のバス停を探し、バスを待つ。この辺が文字の読めない辛さ。それでもなんとかバスを乗り継ぎ、遂に終点まで来た。ちょっと腹が減ったのでその辺で麺を注文する。すると小学1年生ぐらいの男の子が一生懸命働いている。言葉が通じなくても何とかしようとするのがとても良い。ここでチップをあげようとすれば、まさに深夜特急の沢木耕太郎だな。

図書館は歩いて3分の所にあり、とても広い敷地に立派な建物だった。さすが国立。だが何と、今日は祝日で休館日だった。がっかり。仕方なくそこからテクテク歩きだすと、教会系の学校がある。今年100周年だ。15分ぐらい歩いて、川沿いに出ると、この付近は昔の建物なども残り、ちょっと雰囲気が違っていた。

そのまさに川沿いに水尾聖娘廟があった。ここは知らなければ来られない場所だ。廟は海南系、ちょうど元宵節の午餐が終わったばかりで人々が帰りかけていた。実はバンコック、海南系もそれなりの勢力があるのだが、一般的には知られていない。そこに橋が架かっているので渡っていくと、本当に川にくっ付いた廟が見え、往時は川からお参りに来たことが分かる。

そのまま川を越えたら、そこにMRTの表示が見えたので行ってみる。10分ぐらい歩くと、新しくできたスリンドーン駅に到達した。今日は無料だと聞き、乗り込んでみる。乗客は多くはなかったが、何と目の前に昨晩一緒だったMさんが現れたのには心底驚いた。そんなに深いご縁だったのか。彼は鉄道好きで、新しい線に試乗していたのだ。

取り敢えず終点(と言っても環状線だが、今は乗り換え必要)で降り、Mさんと共にラクソン駅方面に乗ってみる。ここは元々の住宅街にMRTを通した感じで新しい感じはなく、観光地もない。帰りはそのままあり返して最寄り駅まで30分もかからない。バンコックもどんどん便利になっている。

ある日のバンコック日記2020(9)タラートノイを歩く

《ある日のバンコック日記2020》  2020年2月4日-16日

2月4日(火)空港から

チェンマイからのフライトはドムアン空港に夜7時ごろ着いた。夜のドムアンは久しぶりだ。この時間、タクシーに乗っても渋滞なのでバスで抜けることを考える。いつもはA1バスでチャドチャックまで出てMRTに乗るのだが、今日はちょうどA2が来たので、どこへ行けるのかよく分からないが、荷物も少ないので、乗り込んでみた。満員だったが座れたので、ゆっくり行くことにした。

想像通りかなりの渋滞であったが、30分ぐらいすると車掌がMRTと叫んだので降りてみたら、何といつものチャドチャックだった。A1もA2もここまでは同じルートだったことを初めて知り愕然となる。ちゃんと調べないで、これまでA2に乗らなかった自分が悔やまれる。

チャドチャック駅に降りていくと、なんとすごくきれいになっている。しかも地下モールまで出てきており、これまでの殺風景な駅が一掃されていた。急に腹が減ってくる。これまで食べるところはなかったが、見ると色々とレストランがあるではないか。中にカレーのココイチバンの名前を見てカレーに決めた。

行ってみると、普通のココイチとは様子が違っていた。入口に弁当のようなパックが沢山並んでおり、テイクアウトする人はそこで買い、中で食べる人はレジでチンを要請する仕組みのようだ。値段も普通の店より安く、よく見るとエクスプレスと書かれている。中では若者たちがカレーを食べながら話したり、一人でスマホを見ながら過ごしていた。

これからの外食産業はこうだろうか。並びのコンビニ、ローソンを眺めてみると、40-50バーツの小型弁当やおにぎりが並んでいた。若者はこれをレジに持ち込み、チンしてもらい、その辺の空きスペースでサッと食べて帰宅する感じだろう。さっきのココイチはここでは高級な方か。

2月6日(木)ヤワラーからタラートノイへ

今日の昼は久しぶりに宿近くの通称食堂へ。ただどうしてもコムヤーンが食べたい。そういう時は隣のおばさんのところから買ってきて、食べられるのがタイの良さだ。ドリンクも持ち込み自由。結局ガイヤーンとソムタムまでついてきて、大満足のランチとなる。

そのまま外出する。バンコックはコロナの影響もなく、特に変わった様子もない。バスでファランポーンまで行くが、平日の昼間としては車が少ないと感じられる。駅前から運河沿いに歩いてみる。横道に入ると、本頭廟がある。これはタイでは非常に一般的にみられる廟だ。

その先を行くと、大きな廟に出会った。慶雲寺と漢字で書かれているが、何となく雰囲気が違う。よく見るとベトナム語も書かれているではないか。入口には大きな菩提樹がある。140年前にインド政府からラーマ5世に送られたものだという。この寺はその時代にベトナムからやってきた移民が建てたもので、その土地はラーマ5世が与えたらしい。移民というと中国系やインド系ばかりを追ってしまうが、労働者としてベトナム系もいたとは。今その子孫はまだ居るのだろうか。

私はタラートノイを目指しているが、どこにタラートがあるのかよく分からない。周囲を見ると、鉄くずを扱う町工場がずらり。その脇に小さな廟があり、そこが福建系だと分かる。タラートノイはトンブリからバンコックへ都が移った時に、福建系が移り住んだと聞いていたが、あまりはっきりしない。

ただ少し歩くと見覚えのある風景が出てきてちょっと驚く。そうだ、ここは1年以上前、安渓茶商の末裔探しで通りかかった道。そしてその先には安渓人の清水祖祠廟があるのだ。何となく繋がってきた。その近くにあった財を成した役人の邸宅、恒泰は扉が閉ざされており、カフェはやっていなかった。この付近、観光客が多く歩くようになっており、それに合わせてカフェなどがどんどん増えている。中国人観光客も団体は止まったが、個人はまだ来ている。

更に川沿いを行くと、漢王廟がある。ここは客家系の廟と聞いている。18世紀に客家商人がこの廟を建て、その後1888年に現在の建物に建て替えた。タラートノイは福建系だけではなく、海南系、客家系なども多く住んでいたらしい。ちょうど正月15日(元宵節)の獅子舞の準備が行われていた。漢王廟は川辺にあり、天気が良いとその景色はとても映える。そこから内陸に歩いていくと、古い家々を使ってギャラリーが出来ており、写真展が行われていた。

その先には、サイアムコマーシャル銀行発祥の地があり、今も立派な建物が建っている。この銀行は福建系なのだろうか。その横には立派な教会があり、学校もある。この辺りがバンコック王朝初期に作られた街のようだ。その先にはリバーシティというモールがあり、この付近はリバーフロント開発が進んでいたので、今日はここまでにした。さすがに歩き疲れたので、バスで戻る。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(3)チェンマイのコンブチャ

チェンマイで

バスは今来た道を戻り、順調に進んでいく。車内の乗客は6-7割の状況であり、わりとゆったりできる。途中であのタイ茶の工場があり、近くには温泉が出ており、そして休息があった。3時間で着くはずだったが、1時間は遅れているのが何ともタイらしい。更にはチェンマイ市内へ入る道がひどい渋滞でバスが全く進まず、結局4時間半かかって、アーケードターミナルに入った。

バスを降りると、誘導され一列に並んで、何と検温を受けた。一昨日のチェンライ空港でもなかったことで正直驚く。平熱で助かる。既にチェンマイは大変なことになっているのか勘ぐったが、そこを通るといつもの風景。いや、客が非常に少ない状況が見えた。渋滞なので、予約した宿までタクシーには乗りたくなかった。何とかバイタクを探して乗り込む。

西側の老舗ホテルの豪華なロビーは静まり返っていた。日本人観光客の姿が数人見えただけで、スタッフは全てマスクをしていた。部屋は広いが非常にシンプル。テレビはなぜか日本の民放が1つ映ったが、NHKは映らなかった。電気ポットはあったが、インスタントコーヒーすらなかった。これがかつては天皇も訪れたというホテルだろうか。ロビーにその写真が飾ってあるが、今やかなり安いのだ。

ここでOさんと再会した。Oさんは以前バンコック茶会に参加してくれたことがあり、その後いつの間にかインドに拠点を変えていた。一昨年台湾で再会し、その後バンコックで一緒に茶旅した。今はインドが寒い(彼の拠点は北部の山中)ので、チェンマイで避寒しているというのだ。この付近には月極で借りられる部屋が多くあり、日本人もかなり住んでいるらしい。次回は試してみるか。食事も日本人などがよく通う台湾料理屋で食べながら、遅くまで話し込んだ。

2月4日(火)コンブ茶

翌朝Oさんと待ち合わせて、タクシーでTea Galleryへ向かった。ここも2年半前に訪問した場所ではあるが、車で連れてきてもらったので、その一は全然分かっていなかった。それでもGrabで車を呼び、何とか辿り着く。チェンマイ郊外、閑静な住宅街にオフィスがあり、知らない人はまず行けない場所だろう。

1階はドリンクなどが飲めるスペースになっている。入っていくと、何と前回チェンライでプレゼンしていたイタリア人と再会した。Jackはコンブ茶などを研究している博士だった。そしてオーナーのJeedもやってきた。彼女は私のことは忘れていたが、静岡訪問団は覚えていた。

コンブチャはタイのミエンから作られるドリンクで、健康茶としてアメリカなどで人気があるという。日本ではその昔、紅茶キノコと呼ばれていた。ミエンの製造を含めて、Oさんは発酵食品の研究に余念がなく、この手の話には極めて情熱的に反応して、出されたミエンが美味しいと食べている。ミエンから作られるジャムなど、興味深い商品も並んでおり、ワッフルにつけて食べる。もし身近に売っていれば、きっとヒットするだろうが、家訓なのか、大きな商売はしないともいう。

Jeedの話を聞いていて驚いた。実は彼女の父親も雲南回族。母がタイ人のため、彼女はヒジャブを被らないが、イスラム教徒だというのだ。苗字は雲南回族で一番多い『馬』であり、馬班だったらしい。しかも昨日訪ねたジャルワンとは姻戚関係もあるというから世界は狭い。父親の代は茶業者だったので、バンコックの茶業者との付き合いもかなりあったらしく、知っている名前もいくつか出てきた。

彼女が引き継いでから従来の形態を転換して、現在は科学的な研究を行うラボも作り、健康をキーワードにビジネスを展開している。顧客はアメリカやヨーロッパに広がっているが、タイ国内の需要が高まることを一番期待しているという。タイの茶産業は後発だから、このような健康食品ビジネスが有望ではないかということだ。

Galleryを辞して、ワロロット市場へ行ってみる。いつもは観光客で賑わっているが、中国人の団体がごっそり抜けた感じで実に静かでよい。ミエンを売っている店は僅かしかなく、残念ながらタイではこれを食べる習慣は薄れていることが実感できる。周囲の華人廟などを探しながら散歩してみたが、思ったほどは見つからない。この街で華人はひっそりと生きているのだろうか。

一度宿に帰り、預けた荷物を取ってから空港へ行く。バスターミナルと異なり、こちらは検温など、コロナ関連の対応は特になかった。マスク姿が増えていたものの、バンコック行のフライトはほぼ満員で、影響はまるで感じられない。この時点、コロナは中国だけの問題だと思われていた。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(2)回族の茶業者

そのまま川の方に戻ると、何ともレトロで良い感じの洋風建築のカフェがあった。タイの若者であふれており、川べりの席は無さそうだったので、そのまま歩いて帰る。夜は、かなり気になっていたコムヤーンカレーを食べてみた。豚ネックを使った、それほどスパイシーではないカレーは意外なほどうまい。カレーは北部タイ料理なのかと聞いてみたが、家では食べたことはない、との答えだった。チェンマイカオソイなどもカレー味だが、このカレーは一体どこから入ってきたのだろうか。

2月3日(月)

回族の茶農家

翌朝も宿で朝食を取る。そして昨日インストールしたGrabを初めて使ってみる。本日訪ねる茶農家は、何とチャンライ市内から30㎞も離れており、バスで向かうことは不可能だと聞いていた。ホテルでタクシーを頼めば、法外な料金を請求されかねない。Grabで検索すると300バーツで行けると出ている。だが本当にこんな遠くまで行くタクシーを見つけられるのか。

食後、Grabアプリで予約を押したところ、3分で来るとの表示が出たので慌てて、荷物を持ってチェックアウトする。表に出たところでタクシー到着の連絡はあったが、その車を見つけることができない。仕方なくメッセージでホテル名を再度打ち込むと2分ほどで、その番号の車と合流できた。

車は郊外の道を一直線に走る。車はきれいで、運転手は英語を話した。これなら外国人でも快適だ。目的地に行ってからGrabで帰りのタクシーを探すのは不安だったので、彼に頼んで待っていてもらうことにした。とても良い人で、滞在中の待ち時間は無料で良いという。確かに往復した方が実入りは良いのだろうが、こちらとしては何とも有り難い。

目的地は本当に田舎、それも住宅などもほぼない場所にあった。まさに農地、そして茶畑が少し見えた先に、工場と事務所があった。オーナーのジャルワンさんとは、2年半前に茶ツアーで一度訪問して顔は分かっていた。先方も日本人が中国語の通訳をしていたので、覚えていてくれたようで、にこやかに迎えてくれた。

彼女の特徴は何といっても、ヒジャブを被っており、一目でイスラム教徒と分かることだろう。そしてタイのイスラム教徒なのに、華人であること、これも我々には理解が難しい。今回はこの辺の謎をたっぷり聞こうと訪問したわけだが、その壮大な一族の歴史には正直驚いてしまった。俄かには信じられない話も出てくる。

彼女のお爺さんの故郷は雲南省。生まれた村は全員が回族だという。そしてその先祖はチンギスハンだと言われたが、いきなり言われても歴史が繋がらない。勿論雲南回族は以前馬班と言われ、ホースキャラバンを率いてこのエリアの物流を担っていたと聞く。それと関連があるのだろうか。よく調べてみる必要がある。

現在チェンライのイスラム教徒は、タイ・パキスタンとタイ・雲南の2系統がいるという。そして昨日見た清真寺は雲南系が建てたもので、一大勢力であり、現在その勢力を束ねる顔役は何と、あの鄭和の子孫だというではないか。確かに鄭和は雲南回族出身と言われているが、歴史とは何とも面白い。

話していると彼女の妹が入ってきた。妹はアメリカ留学経験があり、中国語より英語が得意だと言うので、後半は英語で話すことになる。この辺の言語適応力もすごい。彼女らのお爺さんが雲南からチェンライへ来た旅、お父さんが一代で築いた茶園、そして現在チェンライ市内にもスウィルンという名前で2店舗を持つ、姉妹で発展させる茶業、とても面白い。

茶畑の写真も撮った。以前はマンゴなどのフルーツ畑であったが、お父さんが全て買い取り茶園を広げていった。この辺の平地で茶樹が育つと思っていた農家はなかったというから、農業の才があったのだろう。台湾から技術を導入した四季春品種の烏龍茶をお土産に少し購入した。

あっという間に2時間以上が過ぎ、お昼ごはんを出してくれるというのを断って、車でチェンライバスターミナルへ向かう。この道、よく見ればチェンマイへの道ではないか。よく分かっていれば、ここからチェンマイ行きのバスに乗ることもできるのかもしれないが、既にチェンマイ行きチケットを購入していたので、市内まで戻ることになる。

ターミナルに着くと、購入したバスの時間まで1時間以上あったので、早いバスにチェンジしようとしたが、何と変更不可だった。仕方なく新たに購入してバスに乗り込む。何で変更できないのだ。ちゃんと確認しなかったこちらが悪い。しかしそうであれば、少なくとも郊外の新バスターミナルへ行けばよかったと後悔する。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(1)チェンライを散策すると 

《チェンライ・チェンマイ茶旅2020》  2020年2月1日-4日

タイ北部にはこれまで何度も行っているが、今回は華人調査の一環で訪ねることになった。2年半前に訪問した中で、興味を持った茶農家、果たしてどんな歴史があるのだろうか。

2月1日(土)チェンライへ

又ドムアン空港にやってきた。今回はタイライオン航空でチェンライへ向かう。その前に、また一風堂でラーメンと餃子を食べてしまった。水が一本ついているので、これを持って飛行機に乗り込む。コロナウイルスの影響で空いているかと思ったが、国内線の影響はさほどないようで、かなりの席が埋まっていた。国際線の方はほぼ中国人団体の姿が無くなり、かなり空いているように見えた。

ウトウトしていると飛行機は着陸してしまう。実質1時間の旅はやはりバスに比べて楽だ。手荷物も少なく、すぐに外へ出る。チェンライは何度も来ているが、以前は市内へ行くにはタクシーしかなかった。ところが今回路線バスを発見して、思わず乗り込む。路線はよく分からないが、街には慣れているし、Googleもあるので、20バーツ支払って席に着く。

バスは郊外からどんどん進んで市内へ入る。見慣れた風景も出てきたが、最終的には私が望んだ方向に向かわず、市内バスターミナルで降りた。ここは前回来た時は大改修工事中だったのだが、きれいに出来上がっていた。予約した宿までの道は分かっているので軽やかに歩く。

ところが宿に着いてびっくり。なんと昔の定宿が単にリニューアルされただけだった。きちんと地図も見ずに料金だけで予約したのは間違いだった。しかもきれいになった分以上に料金は高くなっている。部屋に入ると間取りは何ら変わらず、バストイレは異常に狭い。これで1400バーツも取るのはどうだろうか。ただきれいなフロント、プール、そして朝ご飯会場が光る。

夕方、P先生がご主人と一緒に来てくれた。Pさんは2年半前の北部タイ茶ツアーでお世話になり、その後も東京や静岡、和歌山でも会っている。だが昨年の彼女主催のお茶イベントには参加できず、最近はご無沙汰が続いていた。今回は、チャンライ・チェンマイでのアポにご協力頂いたこともあり、お忙しい中、会ってもらった。

庭に野菜が植わっている、何とも素敵なレストランでランナー料理をご馳走になる。北タイの料理、エビのてんぷらなどもあり、なぜか好みに合っている。ランナー王国の由来など、もう少し勉強してみようかとも思う。タイの茶産業、やはりコーヒーに押されており、政府の支援もどこまで期待できるか、ということらしい。お茶の歴史を研究する人もタイにはほとんどいないといい、資料も乏しい。なかなか厳しい現実がある。

2月2日(日)チャンライ散歩

翌朝は宿で朝食をとると暑くなる前に出掛ける。チャンライの街はこれまで何度も歩いているが、今回は少しアングルを変えてみる。古めかしい時計台のロータリーを過ぎると大きな市場がある。その裏辺りにも立派な寺があり、よく見ると何となく華人に関連しているようにも見える。その辺をフラフラすると、漢字が書かれた廟などが見えてくる。当然ながら内陸の交易都市チェンライには華人が多い。道路標示にも漢字が書かれているのが特徴的だ。

ムスリムの大きな清真寺もあった。10数年前に改修されたという。華人以外のムスリムも多いのだろうが、清真寺であれば中国系だろうか。よく見れば、漢字で雲南の文字も見え、謎は深まる。その付近にはハラール料理のレストランなどもあるようだ。更に歩いて行くと古墳のような場所があり、広い公園になっていた。何とも今風、インスタ映えする物がたくさん置かれているが、人影はなかった。

山岳民族博物館にも入ってみた。ちょうどビデオ上映があるというので急いで部屋に入ったが、何とドイツ語だった(後で日本人参加者が来たので、日本語版をもう一度見た)。それでも画面から内容は推測できるのが面白い。タイ北部の少数民族の分布など、興味深い内容であり、茶に関連したと思われる民族についても多くを知ることができる。

フラフラ歩いていると1914年に建てられた、チェンライ初の教会が建っていた。更に行くと実にうまそうな食堂があった。華人の店だとすぐに分かる。地元のお客で溢れていた。飛び込んで、何とか席を見つける。出てきた豚バラ入り麺は期待通りの濃厚なスープでうまい。幸せな気分で外へ出ると、隣のマッサージ屋が『中国加油』を掲げていたが、これはオイルマッサージとかけているのだろうか。残念ながら中国人観光客の姿は多くない。

一度部屋で休んだ後、気分がよかったので午後もまた出掛けた。川を越え、30分以上歩いた。向かった先はブルーテンプル。チェンライには白を基調とした美しいホワイトテンプルがあり、観光客で賑わっているが、それにあやかってか、ブルーのお寺も作ってしまった。確かにブルーだ。そして本堂内部が鮮やかだ。だがここも中国人観光客は少なく、白人が少し目立つだけだった。

ある日のバンコック日記2020(8)部屋を代わる&インドビザ申請

1月29日(水)

部屋を代わり、インドビザを申請

翌朝部屋に行ってみると、水漏れは止まっているように見えたが、宿側はハッキリした原因を言わず、折角なので気分転換も兼ねて、部屋を代わることにした。やはりタイのサービスというのはこんなものなのだろう。部屋を代わるにあたり、旧部屋で使用した電気と水道料金の支払いを求められた。

だがその電気代がどう見ておかしい。その点を尋ねても、明確な説明はない。仕方なく日本人Yさんに聞いてみると『タイの電気料金請求は誰にも理解できない』と言われビックリ。ホテル側も電力会社からの請求で毎度揉めているらしく、電力会社はその請求理由を一向に開示しないらしい。すごいな、タイ。ホテルなら電気料金は宿代に含まれるので、こんなことが裏にあることを初めて知る。タイ在住日本人は皆困っているのか。

部屋は家具の配置などが、今度の方が私にとって好みだった。長期で住む場合は、意外と大事なことである。ただ午後西日が当たるので、かなり暑くなるのが難点か。外の景色も変わったので、気分転換にはなる。バスタブは無くなったが、むしろスッキリしてよい。

昼はYさんと従業員が、焼肉を食べに行くというのでお供する。近くのモールに入っているチェーン店、プロモーションということで食べ放題のように肉が出てくる。焼肉と言っても、ムーカタ方式で、鍋の真ん中で肉を焼き、ヘリに汁が溜まるので、そこで野菜などを煮る。

野菜はなぜかキャベツが大量に出てくる。以前タイでこんなにキャベツを食べただろうか。まるでとんかつ屋のキャベツお替り自由を思い出す。きっとタイではキャベツ栽培が拡大しているのだろう。〆はうどん、というのも意外性があって面白い。

そのまま2階に上がり、スーパーを覗くと、なぜかキャベツが大量に売られているのが目に入る。やはりタイの野菜市場には大きな変化があったようだが、その事情などはここからは読み取れない。キャベツ好きの私としては有難い話だ。バンコックのとんかつ屋も皆、キャベツお替り自由にしてほしい。

夕方、大きな夕陽が落ちるのを部屋から眺めた。部屋を代わったことで、何だかとても得した気分になる。そのままの気分で、道端で麺をすすって、夕飯とした。これがやはりタイらしい生き方だ。

そろそろ次の旅の準備を始める。まずは2月初めにチャンライとチェンマイを訪問することが決まり、そのアポ取りを行う。それからフライトと宿を押さえる。心持か、料金が安くなっているような気がするのは、コロナウイルス関連で旅客が減っているのだろうか。そういえばMRTなどに乗ると急速にマスク姿が増えている。

2月中旬にインドに行くことも決める。あのアッサムからインパールへの過激旅を敢行する気力が出たのだ。それは良いことだが、まずはインドビザを確保する必要がある。元々インド行きと言えば、これまでビザ取得に悩まされてきた。ところが昨年驚くべき変化があった。何とインドが観光客にも5年マルチビザを発行し始めたのだ。

しかも申請はオンラインであり、いとも簡単に取れると知り合いはいう。彼は現在そのビザを使って、私が行こうとしている道を旅しているのだ。一度申請が通れば5年間ビザに悩まされない、しかも1度の滞在は180日以内だから、実質半年に一度出国すればインドに5年間住むことも可能というのは何とも画期的だ。だがそんなにうまくいくのか。

ネットビザ申請を始めたが、記入事項など要領を得ないところもあり、なかなか進まない。パスポートと写真のコピーをネットでアップロードしたりもする。悪戦苦闘の末、何とか最後まで辿り着いたが、ビザ代の支払いでまた躓く。それも乗り越え、遂に申請完了したのは深夜になっていた。5年間のビザ代は僅か25米ドル、信じられない。しかも翌日には申請完了、入国用のビザが送られてきたではないか。

だがインドはそんなに甘くはなかった。コロナ騒動が襲いかかってきた。まだインドには入れたのだが、もし途中で何か変更があった場合、インドに隔離されるのは恐ろしいと思い、結局行かないことになる。120日以内に入国しないと取得したビザは失効するのだが、それまでにインドに行ける保証はどこにもない(現在はそのビザ自体が一時停止中)。まあビザ代が安かったからまた申請するか。いや、今回の件で、次回の申請に影響があるかもしれない。やはりインドは一筋縄ではいかない国なのだ。

ある日のバンコック日記2020(7)サナムチャイからトンブリへ

1月28日(火)サナムチャイからトンブリへ

何となくバンコック滞在が長くなる予感があった。そしてちょうどOさんから、『バンコク謎解き華人廟めぐり』という本を借りた。この本にはまさに私が知りたいと思っていたことが書かれており、驚き、そして楽しく読んだ。直ぐに紀伊国屋で本を買い、華人廟を巡ってみようと思い、MRTに乗ってみる。

バンコックのMRTは大幅に延長されており、一部は環状線のようになっている。少なくともファランポーン駅から先が繋がったことにより、行動範囲が非常に広がった。今日は初めてサナムチャイという駅まで行ってみる。駅は真新しく、非常にきれいで驚く。そして駅を出ると、観光客目当てのトゥクトゥク運ちゃんが声を掛けてくる。白人が沢山歩いていて驚く。

川向うに渡る橋に向かって歩いて行くと、市場があり、カフェやホテルもある。この付近、これまで一度も来たことがなく、全くノーマークだったが、面白そうだ。橋の上を歩くと風は強いが、眺めは良い。橋を渡ると、立派な仏塔が見える。庭園も見事だ。見れば1820年代にコーヒー園だった場所がお寺になったらしい。

その先を歩いて、サンタクルス教会を探す。川沿いに建つこの立派な教会、タークシン王(タークのシン)がポルトガル人に土地を与えて1770年に建てられた(現在の建物は1916年)という。この時代はちょうどタークシン王がトンブリ王朝を開いてすぐ。荒廃したアユタヤからトンブリに都が移転したのだ。

そこから細い路地を歩く。ここがトンブリ朝時代の華人集落、クディ・チンだった。特に福建人が多く住むと言うが、残念ながらその特徴を見出すことはできない。細い路地には猫がゆっくり歩いている。まるでNHKの世界街歩きのようだ。バーン・クディチン博物館があったので入ってみる。ここは80年以上前に建てられた華人の個人宅であった。

クディ・チンは1767年、タークシン王がトンブリ王朝を建てる際、ポルトガルの兵士と福建を中心とした中国人をここに入植させたのが始まりらしい。現在のバンコック華人のマジョリティーは潮州人であるが、これはタークシンが潮州系であったことと関連する。但し世界的なチャイナタウンで潮州人がマジョリティーを占めるところはなく、バンコックが極めて稀であることが分かる。そして本来主流であるはずの福建人はどうしていたのか、その歴史がここにある。

川沿いに戻ると、建安宮があり、ここが福建系の廟であることからもそれが分かる。実に古びた、こじんまりしたいい寺であり、昼間から人が絶えない。更に歩くと、今度はタイ式の大きな寺院を目にする。ワット・カンヤラーナミット、中に入っていくと一転、中国様式の門があり、拝殿がある。これはなんだ、如何にも華人らしい様式ではないか。しかも本尊の大仏は三宝公であり、これはあの明朝時代の大遠征で有名な鄭和が祭られているではないか。

地図を見るとその向こうにモスクがあるが、何と細い運河を渡る橋はなく、かなり遠回りする。古いモスクが見えたが、門は閉ざされていた。聞けばこの付近にはムスリムの墓も沢山あるらしい。自転車の旅を楽しむ白人団体の後を行くと、白が鮮やかな大きな寺の裏から川沿いに抜け、古びた倉庫を目にする。既に使われていないようだが、後で調べると往時は塩を保管する倉庫だったようで、塩で儲けた大商人がいたということだ。

そしてトンブリ朝の宮殿跡地を見たと思い、フラフラ歩くが入る場所が見つからない。この辺、初めて来たが、白人や中国人が多く歩いており、店も沢山出来ている。横道に入ると人だかりがあり、50バーツを払ってそこへ入ると、何とワット・アルンだった。ここだけ中国人が列をなして写真を撮っており、日本人もいた。トンブリ宮殿の入り口を探したが、ここも隣は海軍の施設であり、入ることは叶わない。どうやら宮殿は海軍に飲み込まれているらしい。そこから歩いてMRT駅まで行き、宿へ戻る。暑さもあり大いに疲れる。

夜、部屋で水漏れがあった。フロントに言うと、係がすぐに見に来てくれたので、てっきり対応してくれると思ったが、その後は誰も来ない。またフロントに行くと『修理の人は明日修理すると言って帰った』というから驚いた。直ぐに部屋を変えて欲しいと言うと、夜中は出来ないと言い、一晩だけ別の部屋の鍵をくれた。バケツを借りて、水漏れの部屋の浸水を防ぎ、別の部屋で寝る。

ある日のバンコック日記2020(6)バンコックの旧正月

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月23日-2月1日

1月24日(金)除夜

ヤンゴンから戻り、空港からタクシーで宿泊先に帰ると、途中の渋滞がかなりひどい。運転手は英語ができて、『明日は大晦日だから、華人は今日買い物をして、料理を作るから、クロントイ市場付近は大渋滞さ』と教えてくれた。恐らく彼は華人なのだろう。確かにその付近の渋滞が一番ひどかった。

その後ロータスのAISに行き、教えられたシムカードを買い、1か月使い放題200バーツというとてつもなく安いパッケージを購入した。もしこれが毎月あるのなら、これまでの旅行用シムなど全く不要だ。このパッケージ、プロモーションと言っているが何故あるのだろうか。ロータス店内はお客は多くない。

昨日は通り過ぎただけだったので、翌朝、クロントイ市場に行ってみる。宿泊先からは歩いて10分もかからない。午前中だからだろうか、既に買い物は終わったということだろうか、市場の店主たちは皆手持ち無沙汰に座っていた。籠の中の鶏たちは元気だったが、お客は殆ど歩いていなかった。かといって、店を閉める人もあまりいない。この付近も華人が多いエリアの一つだろうが、市場で働く人はタイ人ということか。


宿泊先の好意で、我々も昼ご飯を食べさせてもらっているが、やはりオーナーが華人ということで、本日は蒸し魚、焼き鳥などスペシャルランチが振る舞われ、従業員一同、ちょっとはしゃいでいる。デザートのフルーツも豊富、我々には金柑も配られた。如何にも華人の正月らしい。ここにはコロナウイルスの影はない。

部屋に戻ってテレビを見ていると、ニュースで我が故郷が取り上げられていた。実は昨年大洪水が起き、私が育った家も床上浸水したと聞いていた。母校はニュースでその浸水の様子が伝えられるほどの被害が出ていた。私が小さい頃には全く考えられない事態が今は起こるのだ。その復興イベントが開かれているという。今や日本では、これまでの想定にはなかったことが次々に起きている。

1月25日(土)旧正月

本日は旧正月初日。昨晩は深夜に花火も揚がったようだが、私は何事もないように寝てしまった。いつもに比べて中国からのあけおめメッセージが少ないのは、やはりコロナウイルスの影響で、武漢が封鎖された影響だろうか。これから中国はどうなっていくのだろうか、これは対岸の火事なのだろうか。

ずっと注目していた大相撲春場所。ついに一敗同士の正代と徳勝龍が対戦した。既に大関貴景勝に優勝の可能性はなく、この二人の争いに絞られていた。正代は以前から期待されてきた大型力士、かたや33歳で幕尻の徳勝龍だったが、勝負は意外にも幕尻に軍配が上がる。これは本当に面白い。

正月元日なのに?屋台で麺を食べたくなる。勿論タイ全体に正月ムードがあるわけではなく、屋台は通常営業しているわけだが、陽の高いうちに通りかかったその屋台になぜか惹かれた。麺に豚肉を入れてもらうと、これが何ともうまい。スープも濃厚で本格的な感じがする。それでも料金は僅か40バーツだ。ご馳走を食べるばかりが正月ではない。

1月26日(日)講座にて

旧正月中だが通常運転のバンコック生活。今日は昨年まで年に1回程度開催していたバンコク茶会を行った。これまでずっと会場を提供してくれていた主催者Mさんがお引越しを行い、初めて伺う。念のためバイタクで行ってみると、わずか10分で到着してしまい、周囲を少し散策する。スクンビットのソイは奥に入っても、色々なレストランなどがあり、結構華やかだ。

講座には沢山の人が来てくれ、満員御礼だった。今日は『台湾茶と日本の繋がり』についてお話ししたが、どの程度響いただろうか。勿論台湾でやれば興味を持たれ、かなり響く内容だとは思うが、タイではピンときただろうか。またかなりマニアックな内容も含まれており、茶業関係者でも全く知らない話も多いので、ちょっと厳しかったかな。うんちく好きな人には良かったかもしれない。

講座後、近所のレストランでランチ。やはりオシャレなお店が多く、訪ねたタイレストランもかなりきれいだった。旧正月2日目の日曜日ということか、華人が一族で来ていることもあり、店員不足か、料理がなかなか出て来ない。料理はインスタ映えが考慮されており、食べるのがもったいない。マッサマンカレーを初めて食べたが、非常に食べやすい。

あっという間に時間が過ぎてしまった。今日は大相撲の千秋楽があり、どうしても見たい。ランチがお開きになると、すぐにバイタクを見つけて宿に急行した。僅か10分ほどで着き、最後の五番を見ることが出来た。徳勝龍、ついに貴景勝にも勝ってしまい、堂々の優勝だ。優勝インタビューも茶目っ気があり、とても良かった。エンターテイメントとしての相撲界は従来のモンゴル中心の構図が飽きられてきているので、何かはじけるような工夫が必要だろう。そうしないと盛り上がらないことが証明された形だ。

ヤンゴン茶旅2020(6)チン州のこと、そして

1月22日(水)

チン州を思う

昨晩Iさんに教えてもらったので、川沿いにあるブリティッシュ・カウンシルへ行ってみた。ここには図書室があり、英語で書かれたミャンマーの歴史などがあるだろうというのだ。ストラッドホテルの隣に英国大使館があり、その横に附設されている。セキュリティーはさすがに厳しいが、パスポートを提示するだけですぐに入れてくれた。

にこやかな老人がこちらを見ていたので尋ねようとしたところ、横から女性係員が『係員は私です』と言って私が探している本の内容を聞いてくれたが、『お茶関連の本はない。歴史本なら多少』という感じだ。ここは元々英語教育の教材などを提供する場らしく、英語を勉強する若者が来ていた。それでも2階でミャンマーの歴史に関する古い本を紐解いて、参考にした。

続いて、ダウンタウンに華人図書室を探す。ここは前回訪ねていたが、場所が分からなくなっていた。先日Tさんに再度確認して行ってみるとちゃんとあるではないか。階段を上ると漢字の本がズラッと並んでいる。その中から、華人関連の歴史を探してみる。壁には華人の集合写真などもあり、ここの歴史が少しみられた。ここの利用者は極めて少ない。既に若い世代は漢字が読めないのだろうか。

宿に戻る途中に、昨日誰もいなかったチンレストランの前を通ると、従業員がいたので入っていく。お目当てのサブティを注文すると、オーナーが出てきて流ちょうな英語で、チン州の魅力を話し出す。やはりチン州は今、コーヒーであり、茶はほぼないという。サブティはチンの雑炊だろうか。チキンを入れてもらったが、かなりさっぱりしていて食べやすい。

私は今回の旅の初めから、インドのアッサム、インパールを目指したいと思ってきた。インド、ミャンマー国境は長年、第三国人(外国人)の通行が制限されてきたが、昨年ぐらいから陸路通行が可能になったらしい。もし国境を越えるなら、ミャンマー側はチン州になるようなので、期せずしてチンに入ることは出来そうで、今から楽しみだ。夢は大いに膨らむ。

午後は疲れたので部屋で過ごす。日本と2時間半の時差があるので、相撲中継は1時半から3時半まである。今日も炎鵬が勝ち、徳勝龍、正代も勝った。果たして誰が優勝するのか、益々楽しみが増えていく。後は帰りの準備をするだけだ。ちょっとスーパーでティーミックスを買い足しておく。これがあれば体調が悪い時などに重宝する。それでもスーツケースはガラガラだ。

夜飯を暗くなってから探しに行く。近くに野菜や果物、魚を売る露店が並んでいる。最後の夜なので薄暗い屋台で食べたい物を注文して食べる。魚の煮付けと煮卵、味が濃くてご飯に掛けると何ともうまい。これぞミャンマーに来た感じがする。何だか昔のミャンマーの思い出に浸る。

1月23日(木)

バンコックへ

翌朝は朝食をしっかり食べてから、チェックアウト。気が付けば1週間、ずっと同じ宿に居た。タクシーは1万チャットですぐに来てくれ、早々にお別れだ。朝の渋滞もそれほど激しくはなく、思ったより早めに空港に着いてしまった。何とタイスマイルのチェックインは2時間前からでまだ始まっていない。

空港内、きれいなカフェなどが増えている。2時間前に行くと既にチェックインが始まっているのがミャンマーらしい。出国審査も簡単に終わってしまい、時間が余ったので、搭乗ゲートより前の店をフラフラ見て回る。空港でもティーミックスは売っているが、市内の1.5倍から2倍ほどする。やはりスーパーで購入して正解だ。

その先に本屋があったので、立ち寄ると、洋書ばかりが置かれている。書店の名前を見てびっくりした。何と紀伊国屋ではないか。なんでこんなところに紀伊国屋があるのだろうか。店員に聞いてみると、ヤンゴン市内に店舗はなく、ミャンマー唯一の店舗が空港だというのだ。そして日本の本は全く置かれていない。一体どんな戦略でここへ出店したのか、是非聞いてみたい。

バンコックにもある和食屋、山小屋もこの空港内に出ている。このミャンマー出国直前に和食を食べる人はいるのだろうか。またタイの国民ドリンク、Cha-Thaiも出店している。東南アジア戦略を加速するこの会社、ミャンマーで果たしてタイ茶は受け入れられるのだろうか。

搭乗時間になり、機内に入ると、中国人観光客がCAからマスクをもらっている。この時点で、中国でのコロナウイルス関連の情報が既に開示され、旧正月前日の今、武漢は封鎖されたと聞く。だが東南アジアの片隅にまで、その影響が及んでくることは、およそ想定で来ておらず、白人も我々もマスクをする人はほとんどいなかった。

ヤンゴン茶旅2020(5)ヤンゴン大学を訪ねるも

『口福』という同じ名前の店が二つ並んでいるが、今日はカジュアルな方へ入る。店内は中国人観光客で満員だ。前回もお会いしたGさん夫妻が待っていてくれた。Gさんは写真家であり、現在はブログなどでミャンマー情報を発信している。更にはインド国境を度々訪れて写真を撮っているということで、非常に有益な旅及び民族情報を幾つも教えてもらった。そしてミャンマーではなぜ茶をラペッというのか、という根本問題にもヒントを頂き、感激。

 

果敢レストランということで、前回は敢えてケシの実スープなども飲んでみたが、特に中国料理と大きくは変わらない。ただ果敢地区はミャンマー側から外国人は実質入れないし、中国側からも簡単には入れないと聞いており、その名に惹かれてやってくる客が多いのは事実だろう。

 

帰りもフラフラと歩いてみる。公園を通りかかったので、ちょっと寄ろうとしたが入場料がいるというので止めた。この近くには餃子の王将が店を出していた。あまりに疲れたので、冷たいコーラを飲んで休む。ひと息つくとすぐに元気になるのはすごい。最後は前回も行ったピンピンの火鍋屋の前を通る。横には新しくマッサージ屋が併設されており、更にビジネスを拡大したことが分かる。若いのにやはり彼女はやり手だ。

 

1月21日(火)
ヤンゴン大学へ行くも

そろそろ疲れがピークに差し掛かる。朝食にも少し飽きてきたので、食欲も落ちる。午前中は休むつもりだったが、何となく散歩に出た。いつもと反対方向へ歩いて行くと、立派な教会があった。モスクもヒンズー寺院もある。ダウンタウンは相当広いのだと分かる。ただ華やかさはない。

 

シティーマートがあったので入ってみる。どんなお茶を売っているか、見るためだ。例の張さんの鉄観音茶も、一番小さい袋は売っていた。果敢茶もあった。でも圧倒的に珈琲が多い。お茶では何といってもティーミックス。私も疲れた体に良いかと、ティーミックスを買って帰る。

 

ついでに昼ご飯を食べに行く。日本食の店で弁当という選択肢もあったが、時間が早過ぎて開いていなかった。結局先日行ったチン州レストランを訪ね、チンのかゆを食べようと思ったが、何と店は開いているのに、誰もおらず、湯気だけが立っていて、食べ損ねた。仕方なく、近くでモヒンガーを食べる。600チャットで、安定のうまさ。

 

部屋に帰ってテレビを見る。大相撲がいつになく面白い。白鵬も鶴竜も早々に休場。小兵力士が活躍し、幕尻力士が優勝争いの先頭に立つ。ここ数年の面白みのない、停滞した相撲界に下克上が起こり、ワクワクする。せっかくヤンゴンに居るのだからと言われても、面白い物を見たい。

 

相撲が終わったら、外へ出た。昨日教えてもらったヤンゴン大学の図書館を訪ねてみようと思ったわけだ。地図で見ると結構遠い。タクシーの運ちゃんは道が分かるというので乗り込む。渋滞もあり、1時間近くかかって、正門に辿り着き、そこで図書館の場所を訪ねて何とか行き着く。

 

図書館は立派だった。係員も英語ができたので、茶に関連した本を探していると告げると『まずはHPで検索してから来てね』という。折角ここまで来たのだからというと、『実は既に閉館時間で帰るところよ』と言われ、愕然。大学の図書館が午後4時過ぎに閉まるとは、学生はいつここを利用するのだろうか。

 

係員の女性たちは足早に立ち去り、電気も消されてしまった。仕方なくキャンパス内を散歩すると、ちょうど卒業シーズンなのか、記念写真を撮る学生たちがいる。学内は静かで居心地はよさそう。宿舎もあるようなので、もし図書館が役立つようであれば、ここに1泊してみたい気もする。

 

既に閉まっている横門を開けてもらい、外へ出た。ここにはインヤーレイクがある。ちょっと湖の写真に撮ろうと、セーリングクラブに入ってみる。さすがイギリス植民地だから、こういうクラブは沢山ある。更に先に行くと、湖の脇に散歩コースがあり、夕暮れ時、たくさんの人々が歩いていた。私もロッテホテルに向かって歩いてみた。

 

暗くなったので、今晩の待ち合わせ場所へ歩いて向かう。僅か15分ぐらいのお店だったので、楽勝と思っていたが、場所が分からず迷う。それでも予定時刻より早く着いてしまった。ここはこじんまりした、雰囲気の良いカチンレストラン。お知り合いのIさんが選んでくれたお店だった。カチン料理を味わう。日本人に非常に合う味だ。

 

お店でお酒が飲めないのも、私にとっては好都合。カチンの茶をお願いすると、緑茶が出てきたが、質が良い。店主はバンモーの出身だと言い、そこには茶畑もあると言うが、残念ながら外国人は入れないときっぱり。Iさんからも、ミッチーナには行けるけど、山の中はねえ、と言われてしまう。帰りはIさんにタクシーを拾ってもらって、何とか帰る。やはりGrabぐらい使えないと、色々と困る。