タイ巡礼、そして茶旅2017(7)カンペッペの遺跡で思う

7月17日(月)
遺跡へ

カンペッペに来た理由、それは遺跡を見るためだった。タイ中部の遺跡と言えばスコータイなどが有名だが、出来ればあまり観光客がいない場所がよいと思い、この地を選んだ。だが、ホテルから遺跡までは歩いて4㎞近くあり、バスなどの交通手段はないという。タイの観光地によくある利権なのだろうか。プーケットやチャンマイとここは違うと思うんだけどな。タクシーなどはなく、トゥクトゥクが走っているだけなのだが。

 

仕方がないので暑くない早朝に散歩がてら歩いて行くことにした。朝6時過ぎに起きて、朝食のお粥を食べると、すぐに出掛けた。昨晩までの雨は上がっており、既に太陽は登り、日差しが出ていたが、それほど暑くはなかった。道は川沿いの大通りの一本道で間違えることはない。昨日見たお寺を過ぎ、渡った橋の近くを通り、ただただ歩いて見る。

 

その先の方から、ちょっと遺跡らしいところが見えてきた。このまま歩いて行けば入り口があるに違いないと思い、ひたすら歩いたが、ついに入り口はなく、遺跡もそこまでになってしまった。何と私は遺跡の入り口の反対側を歩いていたのだ。一本道だと思い込む、やはり地図などはきちんと見て歩かなければいけない。

 

その遺跡の先を回りこんで何とか入り口に着いたと思ったが、私が目指していたカンペッペ歴史公園はここからまだ先だったのだ。途中バイタクのお兄さんが声を掛けてくれたが、近いと思って断ったのが悔やまれる。その入り口に着いた時には正直もうクタクタだった。5㎞以上は歩いただろう。いい運動にはなる。

 

入り口で入場券を買う時、横を見ると自転車が置かれていた。貸自転車だというので、借りることにした。パスポートを預ける必要があったが、まあ無くなることもないだろう。入場者は殆どいない。自転車は快適だった。この公園は傾斜地にあるようで丘の上に向かって漕いでいく。雨ざらしの状態で、実に沢山の寺院跡があり、壊れかけた仏像が安置されている。

 

スコータイ時代のものが多いようだが、その破壊のされ方がかなりひどい。アユタヤなど、他の遺跡でも見られることだが、異教徒同士の争いは、極めて凄惨な結末を生む。これは現代でも続いている。そんなことをこの遺跡群は教えてくれる。組んだ足だけが残っている仏像を見ると、その痛ましい状況に耐えがたいものを感じるが、同時にそれでも数世紀の間、そこに座っている不思議さを思わざるを得ない。

 

奥の方に自転車で入っていくと、犬が何匹かいた。その横を通り抜けてさらに奥に行こうとすると、猛烈な勢いでその犬たちが私を追撃してきた。そのけたたましい叫び声と迫力は、とてもただ吠えているようには感じられなかった。その場所には私には見えない何かがあったに違いない。犬たちはそこを守っており、入って来る者を許さない、そんな世界があるのかもしれない。

 

この公園、何とも広い。自転車は正解だった。外周道路を走り、入り口に戻り自転車を返した。だが実は先ほど通ってきた方にも公園は続いていたのだ。また歩いてそちらに向かう。こちらはコンパクトで、仏像もかなり完全な形で残っており、ビジュアル的には観光客が見学するのに適していた。この遺跡全体に興味を持ったが、博物館は残念ながら休館日で、その歴史を知ることは出来なかった。もっと勉強してからくるべきだった。

 

帰りも歩いて戻っていく。お爺さんのトゥクトゥクが近づいてきて20バーツで乗らないかという。まだ歩けるので断ってしまったが、後で考えるとお客がいなくて困っていたのだろう。乗ってあげるべきだった。そう思うと急に足が痛くなる。ゆっくり歩きながら、街中のお寺を見たりして過ごす。次はスコータイへ行こうと思っているので、ロットゥ乗り場を探したが、見付からなかった。

 

昼前にようやくホテルに辿り着いた。もう1泊すると告げるとフロントのおばさんはかなり意外な顔をしたが、それでも笑顔だった。暑いシャワーを浴びてゆっくりとベッドでまどろむ。最高の気分だった。3時頃には朝出しておいた洗濯物も届けられてきた。洗濯代も安いので本当に助かる。

 

午後は雨が降っていたので外出せず。夕方何となく雨が止んだように見えたので、取り敢えず外へ出たが、まだほとんど歩かないうちにまた雨が降り出した。思わず小さなショッピングモールに駆け込む。そこにはちょうどケンタッキーがあったので、そこへ入り込んで休息のつもりが夕飯を食べてしまう。偶に食べると意外とうまい。

 

食べ終わると雨が上がり、川沿いを散歩する。そこには市場があり、色々な食べ物を売っていたのでちょっと残念。見るだけに留める。何と日本料理の提灯が見える。タコ焼きなどはこちらでも大人気、そして小さめの握り寿司も売られている。日本人にはなかなか手が出しにくいが地元の人は気楽に食べている。お寺もあったが、ここは中国式、華僑のためのものだった。華僑というのはどんなところにもいる、それは凄いことだ。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(6)チケット売切れでも行くカンペッペ

7月16日(日)
カンペッペへ向かうが

翌朝、ホテルで朝食を食べて、迎えを待った。近いのだが一応バスターミナルまで送ってくれるというのだ。バスの出発時間も分っているので問題はなかったが、見送りに来てくれるという心が嬉しい。ターミナルで涙のお別れとなる。次はいつ会えるかな。

 

一昨日確認したブースで11時のカンペッペ行きのチケットを買おうとしたら、何と売り切れだという。次は午後までないらしい。一昨日買おうとしたら当日しか買えないと言われたのだが、こうなると言葉が通じないのでお手上げだ。出だしで躓いた。ただこのような経験は何度もあるので、ターミナル内で聞き込みをしてみた。すると、ここからソンテウに乗って、町のバスターミナルへ行き、バスを乗り継げば行けることが分かった。面白そうなのでそのままソンテウで街へ行く。

 

ついにメーソットの街にやって来た。やはり一度は見ておかないと。ただ確かに何もない。バスターミナルというより、市場の横にバスが来るといった感じだが、一応チケット売り場があり、そのおじさんは英語を話し、ちゃんとしていたので安心。ロットゥに乗り込み、一路タークを目指す。

 

タークまで約2時間、所々山道はあるが比較的平たんな道を走っていく。席がちょっと狭くて窮屈、しかも意外と乗り降りがあり、私は席を立ったり座ったりと忙しい。まあでも僅か69バーツ。十分に我慢できる。タークは交通の分岐点、ここも見ておきたかったが、まずは目的地を目指す。カンペッペ行きのソンテウはすぐに見つかり、50バーツ払って出発した。

 

ロットゥは密室で窮屈だが、空いているソンテウは快適だ。特に天気が良い日は、風がとても気持ち良い。そしてどうやらロットゥにはスピード制限があるようだが、ソンテウにはないのか、速いのも魅力的。平らない国道、車も殆ど走っていないので、ビュンビュン飛ばしていく。気持ちいい!午後1時過ぎにソンテウはカンペッペのバスターミナルに入った。元々乗る予定のバスと同じぐらいの時間で到着したことになる。

 

3. カンペッペ
古いホテルは狙い目

バスターミナルはちょっと郊外にあるらしい。歩いて街に行けるのかよくわからないので、バイタクに乗ることにした。吹っ掛けられるかと思ったが、リーズナブルだった。目的地はよくわからないので、取り敢えずガイドブックにあった『ホテル ペ』と言ってみた。橋を越えて街に入り、意外と距離があってペホテルに到着した。

 

ここは昔街一番のホテルだったらしい。名前からして想像できる。結構立派な作りになっている。取り敢えずフロントで聞いてみると『1泊1300バーツの部屋が700バーツだよ』というではないか。しかも朝食まで付いている。更にはスタンダードな部屋なら何と500バーツだことが分かり、そこに泊まることにした。いくらなんでも安過ぎるのではないだろうか。

 

部屋は古びていたが、ネットも繋がるし、ホットシャワーも出る。何より部屋が広い。環境としては悪くない。更にはフロントのおばさんはそこそこ英語も出来て、とても親切で有り難い。このような昔のいいホテルが古びてかなり安く泊まれることを知ったのは幸運だ。これからの旅、狙いは昔の一流ホテルで行こう。

 

もう午後2時頃だが、腹が減ったので外へ出た。さすがに日差しが強くて、あまり歩く気にはなれない。すぐ近くに麺屋があり、うまそうだったので店頭でオーダーして中に入った。店主は髪を後ろで束ねた男性で一風変わっていた。店の中を見てびっくり。まるで骨董屋かと思うほど、古いビールやウイスキー、コーラのビンが飾られていた。反対側に何と仮面ライダーのフィギャーがいくつもあった。これはもうオタクの域を超えている。全て店主のコレクションらしい。食べ終わるとその横の市場でTシャツを2枚買う。

 

夕方までゆっくりと休んだ。暑い時は昼寝して、涼しくなったら行動する。地元のタイ人の行動様式を真似てみる。普通の観光客には時間がないが、私にはたっぷり余裕がある。今回の旅の一つの目的、それは『ゆとり』そして『茶以外の旅』だ。原則1つの街には2泊して、毎日移動しない、出来るだけゆっくりと街を回ることにしていた。

 

暗くなる前に宿を出て街の散歩を始めた。フロントでもらった地図はタイ語であり、よくわからないが、お寺の位置ぐらいは分かるので、そちらへ歩いて行く。お寺は大きかったが6時を過ぎており、本堂は閉まっていた。タイのお寺は境内にはいつでも入れるが、仏像を拝むのは午後6時までと学ぶ。

 

更に歩いて行こうとすると突然雨が降り出す。急いでホテルへ引き返すも、ちょっと腹が減り、食べ物はないかと市場へ紛れ込む。ただ市場も雨で店仕舞いが多く、食べるところがなかなか見つからない。すると一軒、鶏肉をつるした屋台があった。ここで鶏肉を買って部屋で食べようかと立ち寄ると、何と後ろに食べるスペースがあった。

 

雨も小ぶりで助かった。カオマンガイを運んできた少女が、なぜかとても嬉しそうな顔をしていた。屋台は父親がやっており、幼い弟がいる。今日は雨で商売はあがったり、鶏肉も売れ残って、と思っているところへ一人でもお客が来たのが嬉しかったのだろう。そんな顔を見ているとなぜか『きっとこの子には母親はいないんだろうな』と思ってしまった。笑顔の中にほんの少し影が見えるのだ。何と言うこともなく、寂しい気分になって、ホテルへ帰った。

タイ巡礼、そして茶旅2017(5)メーソットお寺巡り

7月15日(土)
お寺巡り

翌朝はゆっくり起きた。さすがに昨日の夜行バスの疲れが出ていたのだろう。最近夜行をあまり使わなくなって、少し柔になったか。朝食は宿で付いているので、お粥と目玉焼きを食べる。今日は土曜日、特にゆったりしているように感じられた。昨晩の雨も何とか上がっている。

 

10時頃にスス一家が迎えに来てくれた。因みにアイちゃんには若い女の子が子守役としており、どこに行くにも付いてくるので、一家は4人である。今日は車でメーソット見学に連れて行ってくれるというのだ。ただメーソットに観光する場所はそれほどないとのことで、ヤンゴンの時のようにお寺巡りが始まる。私はこれが嫌いではない。いや、むしろ好きなので歓迎だ。まあススとの付き合いは15年近くになるのだから、私のことはかなり分っているはずだ。因みに今回行ったお寺、名前は憶えていない。何しろ文字は全てタイ語、しかも案内人がいるので覚える必要がなく失念。悪しからず。

 

まずは鶏の像が沢山置かれている寺へ。ここはミャンマーの王様が関係して建てられたお寺だという。この付近は昔、タイの王朝に支配されたり、ミャンマーに入ったりと、随分時代に翻弄されたことだろう。そんな中で今のタイ人にもミャンマー人にも崇拝されるお寺、素晴らしい。

 

何故鶏が沢山置かれているのか。幸運を呼ぶかららしい。それにしても圧巻の並びに、願いが込められている(笑い)。参拝者も皆記念撮影している。ロンジーを履いたミャンマー人も多く見られる。ミャンマー人がタイ国境を越えて観光に来る、そういう時代に入っているのだ。

 

次に行ったのは洞窟。この付近も山間であるから、洞窟もあるだろう。何となく昔ススと行った、シャン州ビンダヤの洞窟を思い出す。あそこは相当奥まで仏像が並んでいた。ススは空気が悪いと言って中に入らなかったはずだが、ここは奥には入れず、入り口付近の仏像にお祈りするだけ。アイちゃんも流石ミャンマー人、きちんとお祈りできている。こういうのが、親の教えというのであろう。

 

郊外の舗装されたいい道を走っていると突然『ここから始まります』と言われたが何のことか。マジックヒルと英語でも書かれている不思議な上り坂だという。スタートポイントから数十メートルは、車のエンジンを掛けなくても、自動的に車が登っていくというのだから、確かにマジックである。何か自然科学的原理があるのだろうが、神秘のままでいいか。

 

3つ目のお寺で黄金の仏像を拝む。ここはいかにもお金持ちの寺、という印象で、きれいな室内にきれいな輝く仏像が安置されている。最近タイのお寺のお布施箱は、殆どが金庫式になっているのがおかしい。泥棒が多いのだろう。信心も金には勝てない時代なのだろうか。日本でも賽銭泥棒、いや仏像泥棒は多発しており、そのせいか?寺は固く門を閉ざし、用事の無い人間の来訪を歓迎しない。それって仏教なの、と思う事態だ。

 

お昼は郊外のとても雰囲気の良いレストランへ行く。大自然の中にある、という感じなのだが、庭などは非常に人工的でちょっと日本の庭園管理を入れているのかと思うようなアンバランスな印象。トイレの作りも変わっていて、アイちゃんはお気に入りらしい。ちょっとしたテーマパークのようにも見える。タイ人にはとても人気のあるところだという。確かに従業員の対応などは良い。

 

料理はススが選んでいるが、なかなか美味しいものを選択している。やはりミャンマー料理よりタイ料理の方が美味しいのではないか、などと言えばミャンマー人は怒るに決まっているが、実際に食べているところを見えればそれが分かる。それはインドの料理より中国の料理の方が美味しいよね、と言っているような感じではなかろうか。

 

午後も又お寺に向かった。普通の日本人なら、もう勘弁してほしいという気持ちになるかもしれない。その昔の私もそうだったが、今ではお寺の違いや面白いものを見付けて楽しんでいる。最後の寺はそれにふさわしかった。何と境内に骸骨の人形があるのだ。これにはアイちゃんも興味津々。タイのお寺には可愛らしい人形が置かれていて、面白いのだが、まさか骸骨が登場するとは。

 

でも可愛いものがある一方で、人間は死んだらこうなるんだよ、という不気味な模型が置かれていたりもするので、普通のことなのかもしれない。またここにはきれいな傘が飾られていたり、花がふんだんに飾られた自転車が置かれていたり、その由来は何だろうと思うものが一杯あるのだ。お寺とは本来何のためにあるのかを考えさせてくれる1日だった。

 

ホテルまで送ってもらい、彼らはまたミャンマーへ帰っていった。近いとはいえ毎日出入国、これは大変だ。ホテルで休んでから、夕飯は近所にあった麺屋へ行き一人で食べた。昼ご飯を食べ過ぎているのでこれで十分だった。その先にあるロビンソンデパートをちょっと見て、帰って寝てしまった。結局メーソットの繁華街がどこにあるかもわからないまま、次に向かうことになる。

タイ巡礼、そして茶旅2017(4)ミャワディ ワンデートリップ

まずはメーソットで泊まる宿へ。きれいなホテルに連れて行ってもらったが、周囲には何もない街外れ。朝8時でもすぐに部屋に入れるのはなんとも嬉しい。この田舎で1泊1000バーツだから、新しいそれなりのホテルだろう。スス旦那はタイ語が少しわかる程度、友人のタイ人パートナーがすべてを取り仕切ってくれる。

 

それから朝ご飯を食べに行く。この辺の名物という麺だったが、そうめんのように見える。そこに野菜や汁を自分の好みで掛けて食べる形式。わんこそばを思い出す。かなりの量が腹の中に納まる。タレがうまいのだ。食後はアイスチャイを飲む。ここはコーヒーが有名のようだが、これがまた美味い。何だかタイに来た気分になる。

 

車はアジアンハイウエー1号線を走り、すぐに国境に到着した。タイ側を出国して、次にミャンマー側のイミグレ部屋に入る。まるで『いらっしゃい』と言われているような顔で、『1日、500バーツだよ。午後6時前には必ず帰って来るんだ』と言われ、パスポートを預けて入国を許される。

 

何とも呆気ないイミグレだ。後で見てみるとちゃんと入国スタンプは押されている。いわゆるワンデイトリップというヤツだが、私には初めての体験だった。後で気付いたのだが、陸路でタイに入国するとビザ免除は15日しかもらえない可能性があり、そうなると私の旅の予定が狂うところだったが、再入国では30日くれたのは助かった。パスポートが無くならないか、とても心配になる。それと1日500バーツというのはいかにもボッタくりだなと思う。まあ、これも可愛いアイちゃんに会うためだから仕方がない。

 

国境付近はさすが人も多く、車も連なっている。ミャワディ側に入ると急に道が悪くなる。そして狭くもなる。ススたちの住む会社の事務所はすぐそこにあった。前はお寺だ。それだけで落ち着く。国境貿易業を営む旦那はここミャワディを拠点に、頑張ってきた。ススとアイちゃんもいつの間にかヤンゴンから引っ越してきていた。アイちゃんとは4月にススの姉、ピョピョの結婚式のおり東京で会っている。2歳を過ぎたアイちゃんは可愛らしくなっており、もう一度会おうとやってきたわけだ。

 

小雨が止んだので、みんなでお寺に出掛けた。アイちゃんは私のことを覚えているのだろうか。ピタッとススにくっ付いたきりだ。このお寺には大きな龍の像があり、そちらに興味がいっている。まあ元気だからそれでよい。それから昼ご飯を食べに行くと言われたが、車は非常に道の悪いところを走っていく。どう見てもレストランなどありそうにない。

 

ところが突然立派な建物が目に前に見える。何とそこはカジノだった。免税店も併設されている。そこにチョウヤの梅酒が売れられていたのがおかしい。何となく外からでもカジノの様子が見えたが、勿論平日の昼間、お客は殆どいない。恐らくは週末にタイ側からカジノ客が来るのだろう。ミャンマー-タイ国境にはこんなカジノがあることは既にタチレイで体験済みだ。

 

その横にレストランがあり、そこにはランチを食べるお客がいた。料理はやはりタイ料理。結構上品でうまい。ススは美味いものがある場所をよく知っている。アイちゃんもご機嫌で食べている。外には川が見えるが、その狭い川幅の向こうはタイだった。ここなら夜、ちょっと川を渡ればすぐにタイに行けそうだ。密航者はいるだろうか。

 

その後、また悪路を走り、別の川沿いへ出る。そこからは橋の建設が見えた。あれが第二の国境橋だという。アジアンハイウエーは現時点ではあまり動いているようには見えないが、その内橋が出来、動きが出てくるかもしれない。タイとミャンマーの国境は、時々来てみる必要がある。

 

メーソットの帰りにはススとアイちゃんも一緒に来るという。彼らは特別のライセンスがあり、簡単に国境を越えられる。私は先ほどのイミグレ部屋に戻り、無事にパスポートを取り戻した。これで一安心。折角なので、橋の上を歩いて国境越えをした。特に目立つものはなかった。

 

タイ側に戻ると、すぐに道路沿いのホームセンターへ行った。これはスス旦那の要望だったが、何を買うのかと付いていくと、何と自家発電機を熱心に見ている。またこのセンターには多数の自家発電機が展示されていて驚く。基本的にこの店にはミャンマー人が多く来ることが想定されており、ミャンマー人の欲しい商品として、発電機があるのだ。これが今のミャンマーの電力事情を表している。旦那もお客さんからの要請にしたが、商品を写真に撮り、メールで送って検討を促している。ミャンマー人従業員もおり、ミャンマー語で会話している。

 

それ以外にもこのセンターには沢山の商品があり、ミャンマー側のススとアイちゃんも喜んで食べ物や日用品を買い込んでいる。ミャンマーが発展したとは言ってもまたタイの経済格差は大きい。その後ロビンソンデパートにも行ったが、パンやお菓子、水はそこで調達していた。洋服などもここで買うらしい。夕飯もMK火鍋となり、完全なタイ仕様だった。雨の中をアイちゃんたちはミャンマーへ帰っていった。

タイ巡礼、そして茶旅2017(3)VIPバスでメーソットへ

7月13日(木)
お茶会

今朝は宿をチェックアウト。9時前にはカフェの店員が来ていないので、荷物を共有スペースにおいて、出掛けていく。もう慣れ親しんだMさんの家に向かう。今日は恒例のお茶会。少人数でゆったりとお茶を飲み、私の話を聞いて頂くという趣向が気に入っているので、止められずにいる。

 

始めたのは5年も前。当時は私自身もバンコックを臨時拠点にしており、開催回数も多かった。20人ぐらいでやっており、会場も大きかったが、その後少人数に切り替わり、現在に至っている。元はタイにも茶畑があり、タイ産のお茶があることをバンコック在住者に知ってもらおうという意図だったが、今は純粋にお茶を楽しみ、お茶の話題を提供している。

 

前回同様MさんのPCにパワーポイントが入っておらず、東京に行っているお嬢さんのPCを借り、東京との電話のやり取りで接続しているところが、いかにも現代的だ。そしていつものメンバーに集まって頂き、また初めましての方にもお出で頂き、最近の台湾や中国のお茶の話題をパワポを使って、お話しした。お茶はMさんが淹れてくる。あっという間に2時間が過ぎ、時間をオーバーして話し込む。年に1-2回は今後もお茶会を続けたいなと思う。

 

それからランチを食べて、スクンビット通りソイ53を歩いて見る。なぜここを歩くのか。それは香港長洲島のお爺さんが1975年頃、ここでプーアル茶を作っていたと証言していたからだ。勿論茶工場が残っているはずはなく、40年前の面影が見られるとも思えないが、ちょっとその雰囲気を味わう。このソイ、ゆったりとした住宅街で、意外と昔の影があった。大きな木があり、古い家もチラホラ。お爺さんがここへ来れば、懐かしむだろうか。これも一つの茶旅と言える。

 

銀行で用を足し、宿の方向へ戻る。途中でまたマッサージ屋に寄り、ゆっくりをとマッサージを受けた。このお店、かなりの大型店であり、海外からのお客も多い。ヨーロッパ系もいるが、韓国系、中国系が主になっているように見える。中国人も結構英語で対応している。マッサージ師とは言葉は通じないが、特に問題はない。

 

バスターミナルへ
それが終わると歩いて宿へ向かう。途中の市場で麺を食う。今晩は夜行バスなので、こまめに食事を腹に入れておくのがよい。周囲に安い屋台がないからか、結構お客がいた。今やバンコック中心部では、安いご飯を食べることが難しくなってきているようだ。食後、宿に帰る。預けた(置いておいた)荷物を受け取るが、バスの時間までは早過ぎるので、カフェで時間を潰す。

 

しかしお客がいなくなり、店員は帰りたそうだったので、外へ出た。例のバスでゆっくりとバスターミナルに向かうつもりだった。バスは結構混んでおり、道も混んでいたが、時間に余裕があるので問題はないと思っていた。このバスは6.5バーツと安いので乗る人が多い。そしてどんどん郊外に進んでいき、客も減って来た頃、突然Uターンして停まってしまう。何とバスターミナルまで行かなかったのだ。

 

これにはちょっと慌てた。何しろ真っ暗の中、自分がどこにいるのか分らない。文字も読めない。取り敢えず道路脇のバス停に行くも要領を得ない。少し歩くと交差点があり、お巡りさんがいた。聞いてみると、言葉は通じないが私の意図を理解し、タクシーを止めてくれた。結局安く上がるとバスに乗ったものの、タクシー代が高くつく。しかもかなり早く着いてしまい、時間を潰すのにも苦労する。

 

夜行バス
バスターミナルは若干エアコンも効き、快適ではあるが、人が多い。地方へ行くバスは夜行が多いということだ。メーソット行きは予約したバスより1時間前のものがあり、乗りたかったが、メーソットに早く着きすぎても先方に迷惑が掛かるので止めにして、色々と見学して回る。まあネットも繋がるので、問題はない。

 

ようやく乗るバスがやって来た。立派なバス、私の座席は1番前。座席は広く、隣は不在。充電も可能で非常に豪華。さすがVIPシート。飲み物とスナックも配られて快適。出発間際にオランダ人カップルが乗り込んできて、『こんなに安い料金でビジネスクラスのサービス、驚いた』と言っていたが、私も同じ感想だった。これからVIPに乗ろうと思う。

 

既に時間は夜の10時半、出発してすぐに寝入ってしまった。平地の道をスイスイと走ったようだ。夜中の1時頃、どこかのサービスエリアに停まる。取り敢えずトイレに行き戻ってみると、多くの乗客が飲み物を受け取っていた。どうやらバスチケットにクーポンが付いており、それを出せば無料でもらえるらしい。文字が全てタイ語で分からなかったのだ。折角なのでハニーレモンをもらったが、これが意外とうまかった。玄米茶は微妙な味。

 

それからうつらうつらしながら山道に入ったことを認識した。朝5時過ぎにはうっすらと明るくなり、かなりの山の中にいることが分かった。そして6時半、メーソットの街に入り、バスターミナルにバスは停まった。8時間のバスの旅は終わりを告げた。体は夜行でもかなり楽だった。

 

7月14日(金)
2. メーソット
ミャワディへ

早々にススにフェイスブックで連絡をした。ススは旦那の仕事の関係で、ここメーソットの対岸、ミャンマー側のミャワディに住んでいるのだ。ミャンマー人も許可があれば、メーソットに来るのは簡単だというので、迎えに来てもらうことにしていた。ただ朝が早過ぎて、ススの旦那が車でやって来たのは、1時間ぐらい経ってからだった。まあ眠かったのでぼっとしているとすぐに時間は過ぎた。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(2)運河ボートに乗って

気が付けばバンコックに来たのは昨年12月以来。帰りにちょっと散歩してみると、所々に変化が見られる。まずはアソークの近く、スクンビット通り沿いになぜか怪獣のテーマパークが出来ている。観覧車も見える。ここには元は何があったのだろうかと考えたが全く思いつかない。いずれにしても、突然街の真ん中にこんな物が出来てしまうのが、タイらしい。

 

そのすぐ近くには北朝鮮レストランも出来ている。昔からあったのかもしれないが気が付かなかった。営業時間前、中では女性従業員が踊りなどの練習をしているのが見えている。以前北京で行ったことがあるが、まあそれほど面白い所ではない。でもなぜか人気なのが不思議だ。

 

タイと言えば、やはりセブンイレブンにはよく行く。暑いので、水分補給は水かポカリスエット。最近はアクエリアスの細いボトルも売っているが、明らかに日本とは味が違う。そんなセブンで会計しようとすると、中国人観光客がどっと押し寄せている。そして皆が微信で支払いをしている。ついにタイでも微信決済か。私も使ってみたい衝動に駆られる。

 

疲れたので近くのマッサージ店に入ってみる。普段は脚マッサージばかりで、タイ式マッサージはあまりやらないのだが、ちょっと眠気があったので、そこで寝るつもりで受けてみる。これが何とも気持ちがよい。終わった後に冷たい水を飲むと本当に心地よい。病みつきになりそうで怖い。夜はやはりやはり早く寝る。どうも様々な疲れが出てきたようだ。

 

7月12日(水)
ボートの旅へ

翌朝も早く起きた。夜中に雨が降ったようだが、朝は止んでいた。宿のすぐ近くに運河があり、そこには乗合ボートが走っているのが見えた。特に予定がなかったので、散歩がてら、これに乗ってみようと、とっさに運河に降りた。ボートはすぐにやって来たが、どうやって乗るのか見ているうちに、皆が乗り込み、あっという間に行ってしまった。

 

ボートが着くと、大勢が降りてきて、乗る側はその後ボートのへりにつかまり、飛び乗るような感じでボート内に入っていく。ちょうど席が空いていたので座り込む。すると動き出したボートはすぐに水しぶきを上げ、危うく、ずぶ濡れになる。前の女性がビニールシートを持ち上げ、難を逃れる。これはかなり動きの激しい、スポーツのような乗船だ。

 

料金は車掌?に手渡し。いくらか分らないので20バーツ札を差し出す。お釣りが返ってこないので20バーツらしい。この運河ボート、意外と乗り降りが激しいので驚く。乗っている人は渋滞を避けた通勤途上の人々だから、服装はちゃんとしている。黒が多いのは未だに王様の死を悼んでいる。この服装でこの水しぶき、ちょっと日本ではあり得ない。しかも水はきれいとは言い難い。

 

終点を迎え、全員降りた。どうしようかとみていると更に先に行くボートが来て、乗り込む。僅か10分ぐらいで、また終点を迎えた。ここはどこだろうかと運河から上がってみると、何となく見たことのある光景が。ここには以前来たことがあるお寺があった。まずはお寺に入り、仏像を拝む。そうすると心が落ち着く。

 

それからどうやって帰るろうかと歩いて行くと、何と前回訪れた王宮への道を歩いていることに気が付いた。今日もまだ多くの人が王宮を目指している。私も王宮まで歩いて見たが、中には入らず、カオサン近くのバス停からまた無料バスに乗り込む。そろそろ戻らないと昼の約束に間に合わなくなる。ところがこのバス、アソークの裏を回り、そのまま高速に乗ってオンヌットの先まで行ってしまい、エラク遠回りとなってしまう。

 

ちょうど宿に辿り着いた頃、同級生のOさんから遅れるとの連絡が入る。待ち合わせはプロンポンの紀伊国屋。まあ先に行って少し本でも見ることにした。東南アジア関連の本がここには沢山あるからだ。ミャンマーの本が多い。どこまで真実が語られているのだろうか。またビジネスが進められるのか。

 

Oさんと落ち合い、まずはユニクロへ。ステテコを買いに行くが、ちょうどよいものがない。それにしてもタイのユニクロにもステテコがあることが驚きだ。続いてエンポリアムの上のフードコートに行く。ここは昔よりきれいになっているが、お向かいの新しいショッピングモールのそれより、安い。そしてそれほど混んでもいない。いつものカオマンガイを食べる。カメラを落として立ち上がってしまったが、向こうの席のお客さんに教えてもらい、事なきを得る。

 

それからエンポリのカフェでずっと話し込む。3時間以上はそこにいて、随分と色々な話をしたと思うのだが、それほど記憶には残っていない。何故だろうか。むしろタイ人男性が大声で携帯電話を掛けていたり、セレブの奥さんたちが騒いでいたりしたのが気になってしまった。帰ろうとすると、日本人のセレブ、Sさんが入って来たのにはびっくりしながら挨拶した。

 

帰りにアソーク駅のところにあるタイ茶のショップに立ち寄り、タイ茶アイスを食べた。昨日Tさんから『タイ茶アイスが大人気だ』と聞いていたので行ってみたのだ。このタイ人が好きなオレンジ色のタイ茶、2年前に茶工場まで訪問して色々と話を聞いたのが懐かしい。確かに行列ができていて驚く。45バーツで結構幸せな気分になれる。

 

そのままアソークから歩いて行くと、途中にすき屋があった。日本ではまず入ることがないのだが、『かつ丼』の文字が新鮮で、寄ってしまった。牛丼ではなくかつ丼。店は若者を中心に混んでいる。私のことはすぐに日本人だと分かるようで、英語で応対してくれる。170バーツぐらいでセットメニューを頂く。タイではこんな形態が流行っているのだと勉強になった。

 

タイ巡礼、そして茶旅2017(1)新しい宿

《タイ巡礼、そして茶旅2017》  2017年7月10日-8月2日

今年前半、それほど激しい旅ではないが、相変わらずお茶を求めて走り回っていた。そして茶の歴史の文献まで読み始めた。生活がほぼお茶になってしまっていたので、気分を変えるべく、お茶と関係ない旅を実施することにした。昨年はマレーシアに行ったが、今回はタイを歩いて見ることにする。果たして茶なしで何をするのか。ところがやはり茶は付いて来てしまった。お茶のご縁、恐るべし。さてどうするのか。

 

7月10日(月)
1. バンコック
新しい宿

いつものように成田空港からタイ航空に乗った。夏休み前でそれほど混んでいない時期を狙った。料金も高くない。グリコのアイスが出てくると着陸1時間前の合図だ。少し早く到着した。しかも駐機した場所はイミグレの真ん前。あっという間にイミグレを通過し、荷物もスムーズに出てくる。バンコックもやるな。

 

これまたルーティーンのように1か月のシムカードを買い、ATMでお金をおろし、電車に乗り込む。驚いたのは、切符売り場の自販機の大半が故障していたこと。空いていたので窓口に並び、切符を買った。どうなっているんだバンコック!電車では座り、マッカサンまで30分。いつもはここから地下鉄に乗り換えるのだが、今回は新しい宿にチャレンジした。

 

そこはマッカサン駅から歩いてすぐとなっている。ただ河があり、荷物を持って橋を越えるのがちょっと面倒だが、歩いて5分ほど。マンションの一角にあるが、予約でもしていないと、ここに宿があるとは分らないだろう。1階はカフェになっている。取り敢えず2泊をネットで予約しており、料金は現金で払うつもりだったが、いつの間にかカードで引き落とされていた。

 

ケーススタディと言う名前だけあり、まさに実験しているような宿だった。部屋はきちんとしており、トイレとシャワーもある。窓もあるし、クーラーもちゃんと効く、ネットの問題もない。ベッドがちょっと上がっており、何だか座禅する場所のようなイメージになっている。冷蔵庫はないが、電気ポットはある。

 

問題なさそうだったのであと2泊の追加をお願いしたが、オーナーがいないと分からないと言われてしまう。後で聞くともう1泊しか部屋はないと言われてしまう。因みに1階のカフェは8時すぎには閉店し、スタッフは帰ってしまう。夜中のチェックインなどはどうするのだろうか。謎だ。泊まり客は数人しかいないようだった。

 

しかし困ったことに、宿の付近は食べ物屋が少ない。それほど暑くないので、夜フラフラ歩いて見たが、なかなか見つからない。スクンビッドの方まで出て、何とか麺にあり付く。屋台のような店が沢山ある場所が恋しい。今晩は疲れたので、すぐに宿に戻り、シャワーを浴びて寝入る。

 

7月11日(火)
チケットを買いに

翌朝は早めに起きて、北バスターミナルへ行く。次の目的地、メーソットにはアイちゃんがいるので、ちゃんと到着時間を知らせる必要があり、バスチケットを購入して時間を確定させる。ネットでは既にみていたのだが、ちゃんと予約できる自信がなく?アナログにもブースを目指す。

 

宿の前から馴染みのバスに乗るつもりで出る。このバスの始発は私の定宿の脇にあるのでよくわかっている。ただ乗っていれば、いつかはターミナルに着く。だが、朝はラッシュ時間帯であり、車は全然動かない。地下鉄の駅は近いので、そちらへ行き、チャドチャックパークまで行く。そこで地上に上がり、無料の新聞を配っているおじさんにターミナル行バスの番号を教えてもらい、無事に到着した。

 

999バスのブースへ行き、メーソットまでのVIPシートを買う。VIPシート初めてだ。夜行バスだが、これで580バーツは安いと思う。ただ朝何時に着くかは、その時次第らしい。それから少しバスターミナルを見学した。市内へ行くミニバスを探すが、文字は読めず、言葉は通じず。結局また普通のバスに乗り、チャドチャックからMRTとなる。ちょっと詰まらないが、仕方がない。宿に帰ってゆっくり休む。

 

なぜかギリシャ料理を
今日のお昼は、昨年のバンコックヨーガ合宿で知り合ったTさん、以前からの知り合いのKさんなどとランチすることになっていた。Tさんはバンコック在住でヨーガクラスを開いている。実は明後日恒例のお茶会をするのだが、その時間帯はクラスがあるということで、今日のランチとなった次第だ。

 

指定されたレストランは何とギリシャ料理のお店。バンコックにギリシャ料理があるのか、ギリシャ料理って、どんな料理かと興味津々で向かう。ホテルの1階にあるとてもおしゃれなところだったが、広いスペースにお客さんはほぼいなかった。これもまた驚きだ。何と貸し切りか!

 

メニューをもらっても文字が読めず、よくわからず、適当に注文したところ、サラダも肉も凄いボリュームで登場し、これまたびっくり。結構美味しいので、久しぶりにむしゃむしゃ食べたが、とても食べ切れなかった。でも何となくカザフスタンで食べた串焼きに似ていたな。関係あるのだろうか。12時から3時まで、ずっと話続けてしまう。まるで女子会の様相。

富山から静岡まで茶旅2017(4)遠州森に藤江勝太郎の足跡を訪ねる

7月7日(金)
森町まで

翌朝起きて、お茶を飲みながら朝ご飯を頂き、Iさん宅を失礼する。今日は掛川まで行き、そこからローカル線に乗ることになっており、まずは名鉄で豊橋に向かう。全く問題ないルートだと思っていたが、何と人身事故で電車のダイヤは、完全にマヒしていた。豊橋に何時に着けるのかもわからない状況となる。

 

何とか電車が動き出し、各駅停車となった列車に乗り、豊橋を目指す。だが予定していた東海道線には乗ることが出来ず、豊橋で待ちぼうけ。調べてみると掛川から乗る予定の天竜浜名湖鉄道は、掛川からだけでなく、豊橋に近い、新所原という駅からも出ていることが分かり、しかもこちらの方が待ち時間が少ないので、新所原で降りる。

 

天竜浜名湖鉄道の可愛らしい駅はJRの横にあったが、完全に隔離されていた。スイカも使えず、その料金も遠州森まで1280円と極めて高い、ローカル線だった。しかも車両は1両のみ。でも天気が凄く良くて、なんだか楽しい気分になる。乗客数人を乗せて出発。初めは民家のある場所を通っていたが、その内ちょっとした林の中に入ったりする。

 

20分ぐらいすると浜名湖がきれいに見えてきた。ウナギが食べたくなる。それから気賀という駅に着く。ここは今年の大河ドラマ、直虎の舞台になっているところ。こんなところから出たのか井伊家は。おじさん3人組が乗っていたが、彼らは直虎一日ツアー券を持っていた。ついには大河ドラマ館なる建物まで見えてきて、皆が降りていく。週末なら結構人がいて盛り上がっているのだろうか。

 

その内乗客はほぼいなくなり、運転手と私の2人だけがずっと乗っていることとなった。勿論途中で乗る人もいるが多くはない。ついにはトイレに行きたくなるが、途中駅で数分停まるというので駅のトイレの場所を聞き、降りて用を足したりした。何ともローカル、温かい雰囲気が漂う。まるでテレビのBSの旅番組のようだ。

 

大学が目の前にある駅を通り、乗客が増えてくる。フルーツパークという珍しい名前の駅もある。柿の木が植えられている。名物らしい。1時間40分ほど乗り、とうとう森町病院前という駅で降りた。何とも疲れたが貴重な体験だった。ただこの駅も無人で、周囲には町役場の建物などが見えるだけ。思えば遠くへ来たもんだ、という気分。

 

4. 森町
藤江勝太郎を訪ねて

森町教育委員会に詳しい方がいると聞き、既に1週間前に連絡を取っており、そこを訪ねた。目的は藤江勝太郎。彼は日本統治時代、総督府によって設立された茶業試験場の初代場長。台湾茶業の基礎を築いた人物だと思われるが、どのような人なのかはよくわかっていない。そこで出身地で、且つ帰国後は町長も務めた森町なら何かわかるだろうと訪ねた次第だ。

 

教育委員会には藤江家文書のコピーが残されており、見せて頂いた。それにより藤江の略歴なども明らかになって来た。興味深い資料もあるようだったが、文書を保存している藤江家の了解が必要とのことで、コピーなどは貰えなかった。取り敢えず撮れるものはカメラに収める。お話しを聞けば聞くほど、茶業における藤江の功績は大きいように思った。

 

しかし森町にはもう一人、台湾に深く関係した偉人がいた。鈴木藤三郎、台湾製糖の初代社長を務めた人物で、町としてはこちらの知名度を上げていこうと努力しているという。実際台湾に使節団を派遣し、台湾製糖と交流する、冊子を作りその業績を顕彰するなどを行っていた。藤江はその陰に隠れているようだった。それにしても台湾の3大商品の内、2つがここ森町出身者により興されたというはとんでもないことのように思うのだが。

 

ご担当の案内で、藤江勝太郎の生家にも行ってみた。特に表示などもなく、一人で来ても全く分からなかっただろう。現在は誰も住んでおらず、ご子孫は別の町に移っているとのことだった。森町は明治時代には茶業が盛んだったようだが、今やそれを示すようなものも見当たらない。昔の町役場を利用した歴史民俗資料館も訪ね、藤江の写真を見つけたのは収穫だった。

 

 

遠州森と言えば、どうしても森の石松を思い出してしまう。広沢虎蔵の浪曲、清水次郎長伝の中の石松が好きだ。実在の人物かどうかよくわからないが、この町には石松の墓があるといい、そこにも連れて行ってもらった。大洞院というお寺の前にその墓はあった。墓石を削って持っていると勝負運が付くと言われ、かなり削られていた。この墓は3代目で、削られても壊れない硬い石が採用されているという。

 

遠州一宮、小国神社にも行ってみる。このあたりを見てみると、昔からこのあたりは重要な場所だったことが分かる。まあ博徒が出入りするのも、町が栄えていた証拠だから、東海道線の開通までは少なくとも栄え、そして徐々に今のように落ち着いた街になっていったということだろう。

 

遠州森駅まで送ってもらい、また1両電車に乗る。夕方のこの時間は高校生などが多く、車内は昼間と違って込み合っていた。掛川まで25分、新幹線が走っているにもかかわらず、それからまた延々在来線に乗り、東京へ戻っていった。

富山から静岡まで茶旅2017(3)古民家宿泊、そして高山

古民家に宿泊

実は1回目と2回目のお茶会にはちょっと間があり、そこを利用して本日の宿泊先にチェックインした。そこは何と田舎の古民家だった。朝日町で保存している家で、宿泊可能ということで、Yさんとお知り合い、Tさんと私の4人が、この広い古民家に泊めてもらうことになったのだ。

 

笹川ふるさと移住交流体験施設『さゝ郷(ごう)ほたる交流館』は一昨年開業。1943年に作られた家を県と町が改修して、宿泊施設として利用している。目的は過疎地となっているこの街への移住者の誘致。田舎暮らし体験などで訪れる人を迎え入れるという。とにかくこの地域、田んぼが美しい。川も流れ、実に静かな田舎のイメージだ。冬は寒いかもしれないが、今の時期は最高の環境。

 

夜も9時を過ぎてセミナーの片づけが終わり、皆さんで遅い夕飯を食べた後、こちらの施設に戻ってきた。施設名にもある通り、この辺にはほたるが多いというので早々真っ暗な戸外に出ると、確かに各所にほのかな光が見える。台湾の田舎では見たことがあるが、日本でこんなにほたるが見られるところがあるとはちょっと驚き。

 

室内に戻り、居間でお茶を飲みながらおしゃべりする。さすがお茶好きのTさんが台湾茶を淹れてくれる。それから広々とした畳の部屋に布団を敷いてどっかりと休む。何だか修学旅行のような気分になる。静かな環境に疲れも手伝い、心地よい眠りに就く。ちょっと田舎暮らしがしてみたくなる。

 

7月6日(木)
高山へ
翌朝は7時前に起きたが、Tさんは既に近くの神社にお参りに出てしまっていた。台所では朝飯の準備をしてくれるKさんの姿がある。古民家のゆったりとした廊下の椅子にもたれると、何だか、ザ・日本の朝、という雰囲気が漂う。そして朝ご飯、美味しそうな地元の食材が並んでおり、幸せな気分になる。特にわかめの味噌汁!地元の海岸で採られ、干された自然な食材は絶品だった。これは忘れられない。Kさん、有難う。食後にはこれまた地元産のはと麦茶を飲む。Kさんは実にさりげなくPRがうまい。

 

名残惜しい朝日町と別れ、Yさんの車で富山駅まで送ってもらう。やはり途中は天気が良くなかったが、駅前で降りるといい天気だった。これから飛騨高山に向かう。特急に乗ろうと切符を買いに行くと、何とたった今発車したばかりだという。そうだ、私は貧乏旅行なので鈍行で行くつもりだったことを忘れていた。

 

富山駅の高山本線のホームは変わっていた。2番ホームは1,3番ホームの向こうにあるのだ。危うく乗り間違える所だった。乗客は少ない。平坦な畑の中を50分ほど行くと猪谷(いのたに)駅で終点となり、また斜め向かいに停まっている電車に移動する。猪谷は谷を普通に『たに』と読むらしい。

 

ここから先はかなりの山沿いをとことこ走る。いつの間にか富山県から岐阜県になっている。1時間ばかり走って、ついに高山駅に辿り着く。まずは荷物をコインロッカーに入れて、それから観光案内所で地図をもらい、大体の観光スポットを聞く。平日なので人は多くないが、それでも外国人を少し見掛けた。

 

3. 高山
高山散歩

駅前を見渡して適当な食堂に入り、飛騨牛のどんぶりを食べる。まあこんなものだろうという代物。ちゃんとしたステーキでも食べればよかったと後悔するも、既に富山で食べ過ぎなので、良しとする。それから伝統的建造物が立ち並ぶ保存区へ足を進める。この辺まで来ると中国人を含めた外国人がかなり目に付く。

 

確かにその街並は見事に残っている、という感じだった。町役場や陣屋などが残り、お茶屋やしょうゆ屋などの商家にも歴史が感じられる。ちょっと暑いのだが、ふらふら歩いて回る。アイスクリームが飛ぶように売れている。如何にも観光地、と言った雰囲気である。ただこれといった目玉はない。ただただ街を歩き、博物館などを眺め、この街の発展の歴史、地理的重要性を確認するだけだった。

 

ほぼ端から端まで、少し上った丘の上まで歩いてしまうと、最後はかなりへばってしまう。駅近くの三重塔のある国分寺でしばし休む。それから駅前でお土産物を買い、3時過ぎの特急に乗り込む。高山は有名な場所だったので、もう少し、おーと思うものがあるかと思っていたが、今回は発見できず残念。

 

この列車、名古屋まで直通なので、もう鈍行は止めてこれに乗った。勿論自由席、ガラガラだ。途中、白川茶と書かれた看板を見て、岐阜の白川に行きたかったな、と後悔。自然頂いた白川茶が美味しかったのを今頃思い出しても仕方がない。下呂温泉もよさそうだな、後の祭り。列車は特急なのでどんどん進んでいってしまう。

 

名古屋には3時間かからずに着いた。上出来だ。駅で駅弁を2個買い込み、名鉄に乗ろうと歩いていると、何とボヤ騒ぎに遭遇。それから新安城までどの電車に乗ればよいかわからず、右往左往したが、何とか辿り着く。今晩は、以前も泊めて頂いたIさんの家へ行くことになっていた。前回は場所が分からず、大いに迷ったが今回は問題なく到着。

 

Iさんは昨年体調を崩し、外出が難しくなっていたので、この機会にお訪ねしようと連絡したのだ。まあ、こちらに集まって来たお茶を淹れてもらい、買ってきた駅弁を広げ、お茶談義などをして時間はすぐに過ぎてしまい、疲れ果てて寝入る。

富山から静岡まで茶旅2017(2)朝日町 旅するお茶会

7月5日(水)
2. 朝日町
バタバタ茶再び

翌朝はホテルに朝食が付いているので、そこで食べる。和食・洋食の両方があり、それなりに充実している。昨日のサービスと考え合わせると、このホテルのコスパはかなり高い。全国チェーンのようなので、またどこかで泊まってみようと思う。そう思わせるホテルはそうは多くない。

 

今朝は雨も上がり、天気はよさそうに見える。Yさんの車で、富山から朝日町に移動した。電車で50分ぐらいかかるところ、高速に乗っても1時間ぐらいかかっていた。途中で雲行きが怪しくなるなど、やはり山の天気は変化が大きい。まあ雨が降らないだけよいか。車はなないろKANに入る。

 

その駐車場の向こうには朝日町歴史公園があり、その脇には茶畑があった。ここがバタバタ茶の原料を供給している場所。4年間でさぞや育ったことだろうと思っていたが、意外やそれほどでもなかった。やはり寒い場所は育ちが遅いのだろうか。後で聞くとやぶきた品種の半分が枯れてしまい、2年前に別品種を植えたのだという。

 

因みにその品種、富山らしい名前の『富春』を選定し、指導したのは、武田善行先生だという。その時はただ有名な先生が来られたのだなと思っただけだったが、まさかこの20日後にタイのチェンライの茶旅でご一緒することになるとは、まさに茶縁というのは恐ろしい。

 

次に車で連れてきてもらったのは、バタバタ茶伝承館。ここには4年前も来ている。以前より黒茶生産を中心的に行っている元町役場のHさんとも4年ぶりに再会したが、私のことは覚えていなかった。そしてその茶作りの苦労、プレッシャーは相変わらず続いているようだった。あと1か月もしないうちに今年の茶作りが始まるが、気が重くなっているのだろうか。

 

一方朝日町のPRを託されたKさんは、非常に熱心な人。バタバタ茶を精力的に売り込んでいる。ここに集うおばあさんたちとも仲良くしている。ご老人たちは賑やかに煮出した黒茶を五郎八茶碗に入れて茶筅でバタバタ泡立たせている。先日テレビ番組の収録で松岡修造もやって来たとか。おばあさんたちはいつも明るく、楽しそうにその時のことを語る。相変わらずお当番が持ってくる漬物がうまい。お茶を飲みながら、バクバク食べる。

 

お昼前に伝承館を失礼して、ランチに向かう。この辺の名物ということで、たら汁を食べるために、海岸近くの道路沿いのお店へ。4年前もそうだったが、ここ朝日町には山もあるが海もあるのに、今回も海を見ることはなかった。ヒスイ海岸も一度は見てみないといけない。

 

たら汁はスケソウダラをぶつ切りにして、味噌で煮込んだ料理。元はこの辺の漁師が船上で食べていたものだが、今はこの付近の海水浴客などに提供して、評判だとか。この道路はたら汁街道とも呼ばれ、何軒もの店がたら汁を出しているそうだ。ただ今やたらの水揚げは激減し、北海道産などで作られているらしい。美味しく頂き、まんぷく。これで午後お話などできるのだろうか。

 

旅するお茶会
朝日町の古民家カフェにやって来た。実に良い感じの雰囲気が漂う。ここで午後と夜の2回、お茶会が開かれ、その中で茶旅のお話をする予定となっている。ただ正直一体どんな人たちが聞きに来てくれるのか見当もつかない。しかも最後はバタバタ茶のお話をすることになっているが、このお茶の歴史、国立国会図書館にも出向き、何冊もの本を読んでみたが、どうしても謎が解けないまま、今日を迎えてしまう。恐ろしい。

 

この古民家の一族であり、京都でお茶屋さんと風水師をしているTさんが美味しい台湾茶を淹れてくれることになっている。これは心強い。しかもバタバタ茶に使われる黒茶と酷似していると言われている広西の六堡茶をわざわざ持ってきてくれ、飲み比べまでしてくれた。これは参加者にもわかりやすい。

 

参加頂いた方々、地元朝日町は勿論、富山市など富山全土から集まって来られ、2部とも満員盛況で驚きだった。東京では毎週のように多くのお茶会、セミナーが開かれているが、地方ではその機会が少ないということだろうか。それなら、私のような旅人は旅のついでにお話しする、旅芸人に徹してもよいのでは、と思わせてくれるほど、熱気があった。

 

北京で一緒だったコーヒー屋のRさんとも再会した。昨日飲んだ富山紅茶の会の代表Sさんも来てくれた。学芸員の方、茶道などお茶に関連する方、文化関連のイベントを開催する方、など、思いもよらない人々が集まり、一緒にお茶を飲んだだけでも嬉しかった。また機会があればぜひやりたいな、と思う。

 

因みにセミナーの内容はバタバタ茶にまつわる幾つものネタを披露し、まるでパズルのピースを出すように提供。後は地元で考えてくださいというものだったので、お役に立ったかどうかはわからない。ただ言えることは単にお茶の話をするより、地元にまつわる内容の方が当然ながら興味が沸くだろうということ。バタバタ茶の謎についてはお茶からのアプローチだけでなく、歴史学、言語学、地政学、文化人類学など、様々な観点から切り取ってみると更に面白いと思う。4年に一度ぐらいその成果を発表できれば嬉しい。