インドで自然療法2018(12)ウルリの街へ

2月24日(土)
復活の12日目

今朝は5時台に起きてしまう。さすがに10時間睡眠を何日も続けてはいられないだろう。Wさんが寝ていたので、ロビーのソファーでPCをいじっていると、『どうしたんですか?』と彼が心配そうに起きてきた。『急にいなくなったから』というが、確かに昨日までグータラ寝ていたオヤジが居なくなれば驚くかもしれないな。腰痛はすっかり良くなり、身体向上の予感。

 

今日は精算の日。まずはマッサージで支払いをして、と思ったが、チャンドラカントは『明日もするなら明日でいい』という。そしてマッサージが終わるとスーパーバイザーを指して、サインと言ってくれたのでスムーズに終わる。スチームバスも熱くなるので、人が出てから少し間を開けて入るようにすると熱くない。そんな技術を身に着けたと思ったら最終日だった。

 

それから難関のキッチンでもあっさりとサインをもらい、一度も行ったことがないライブラリーでも、何のチェックもなく、サインをもらう。まるでスタンプラリーのようだが、何のために我々がこれをしなければならないのか、分らない。更にドクター横のデスクでサイン、レセプションでもサインをもらい、ようやく会計に辿り着くからたまらない。これが治療にでも役立つならよいのだが、何とも首をひねるばかりだ。

 

昼ご飯を食べながら皆で雑談。まあこれもまた楽しい。12時に部屋でアイパックをすると急に頭がクラっとなる。めまいか?そこへ掃除ににいさんが入ってきたので勝手に掃除してと言ったら、目を開けてみていて欲しいという。そうか、何かがなくなったとか、疑われたくない、自分の仕事を守る手段なんだな。勿論アイパックを外し、見ていた。その後またアイパックをすると、そのまま完全に寝入ってしまい、1時間程起き上がれなかった。これもまた反応なのだろうか。もうドクターに聞きに行くことは出来ない。

 

3月の予定が埋まり始めたのでフライトの予約をしていると3時になり、もう腰痛はなかったが、お金を払ってしまっていたので、最後の電気治療に行く。ちょっと時間がかかった上、今日だけ熱く感じる。スピナルバスに行く必要もないと思い、そのまま部屋に帰ると、Wさんが娑婆へ出るという。

 

流石に一度ぐらい出た方がよいと思い、着いて行く。カードをガードマンに渡し、12日ぶりに娑婆へ。そこは思っていたよりは随分きれいな、小さな街だった。YさんとWさんはお菓子屋さんに走っていき、ドーナッツみたいなお菓子を買っていた。味見したが、腹にちょっと堪えた。

 

それから一人で駅まで歩いてみる。埃っぽかったが、清潔な道だった。駅には人が結構待っており、ちょっとするとハイデラバード行の電車がやって来た。いつものことだが、満員電車だ。しかも待っているところには停まらず、勿論表示もなく、皆が大慌てで前の方に走っていき、乗り込む。

 

もう少し街をフラフラしたが、すぐに尽きてしまうほど小さい。野菜市場を通り抜け、果物を物色するも、美味しいと言われたイチジクはなく、アシュラムの門まで帰ってくる。仕方なく、内部でイチジクを買おうとしたが、なぜか私だけが吹っ掛けられる。それは高いだろうというと素直に安くなるからよいのだが、嫌われているのだろうか。しかもそのイチジクは思ったほどうまい、ということはなかった。

 

夕飯を食べることにした。明日は午後1時まで食事できないと分かっているので、フルーツだけだとめまいがしそうだった。ちょっと珍しい食べ物もあり、にいちゃんが勝手に大盛りにしたこともあり、それを食べ切るのに苦労した。そして腹が完全に膨れてしまい、散歩ぐらいではへこまなかった。

スピードスケートマススタートで高木奈菜が金メダルを取った。この姉妹、姉が金2つ、妹は金銀銅だ、凄いな。でも美帆にしてみれば15歳で自分の方が上にいたのに、今回もまた越されてしまった感があるだろうな。カーリング女子も何とか銅メダル、これは日本中が沸いているぞ、きっと。

 

いつものように夜9時すぐにベッドにもぐりこんだ。だがその瞬間、ちょっとめまいを感じる。そうなると睡眠は十分足りているので、眠れなくなってしまった。このめまいの原因は何だろうか、一過性なのだろうか。そういえば、このアシュラムでは鉄分など殆どとっていないのでは。そうこうしているうちにWさんが部屋に戻り、先に寝息を立ててしまった。最後の夜が眠れぬ夜になろうとは。

 

2月25日(日)
ラスト&ファーストデ―

今朝は朝からてんやわんや。急に車のアレンジが変わったのだが、その詳細が何も詰められておらず、困ってしまった。ラトールさんに電話しても繋がらない。スマホの調子が悪いらしい。どうなるんだろう、今日は。8時にA師夫妻とYさんがプネーに向けて先に出発。Yさんは午後そのままムンバイに行き、今夜のフライトで帰国する。

 

8時20分には早くもチャンドラカントが迎えに来た。まず料金の支払いをしたが、少し多めに渡すと『お釣りは要らないのか?』と聞いてくる。何とも律義な男だ。勿論チップだよ、と言ったが、どう思ったかな。そして入念な最期のマッサージを受け、スチームに入り、体を洗い、全てが終了した。

人民中国2017『中国紅茶の旅』中文版(2)「湖北省 广东商人生产的宜红」

湖北省 广东商人生产的宜红

说实话,日本人对湖北省不是很了解。所以,知道这里有茶田,以前曾生产过大量茶叶并出口至国外的人更是少之又少。然而,据记载,日本政府曾在明治8年(1875年)为了调查红茶的生产情况,以及在明治20年(1887年)为了研修制茶法,向武汉及周边的茶叶产地派遣过研修人员。从这一事实依稀可知,当时的湖北省是生产出口茶叶的一大据点。

以此为线索,本期我到访了红茶产地宜都。当代中国的交通真是越来越方便。从汉口到宜昌,坐两个小时火车,再从宜昌坐1个小时汽车就可以到达宜都。而在20年前,今天这3个小时的路程,却需要坐汽车走上8个小时。那么,在茶叶出口繁盛的150年前,到底是通过什么运输手段,又需要花费多长时间呢?

为何从广东至遥远的湖北?

据说在19世纪20年代,有一位名叫钧大福的广东商人来到现在湖北省宜都山中的五峰土家族自治县。他判断这里的茶叶适合生产红茶,于是教给少数民族制作红茶的方法。并将生产的茶叶经由宜昌、汉口运至广东,又从广东出口到欧洲。那么,钧大福为何特意从广东千里迢迢来到湖北生产宜红呢?

从宜都市汽车客运中心站乘车来到长江边。此次,我到访的宜红茶业就位于长江和其支流清江的汇合处。在水运作为主要运输手段的时代,不难理解在此建造茶工厂的缘由。尽管现在会在交通更加方便的地方修建新工厂,但古时候应该是有河的地方才有茶。

五峰是从唐代开始就已经有茶田存在的古代茶叶圣地。据说制茶的是山中的少数民族。到了19世纪20年代,清朝限定只有广东一地可以开展对外贸易。然而,实际上,恰克图(清代中俄边境重镇,原属中国——译者注)已经作为北方的窗口开港,推动了面向俄罗斯的茶叶出口。想要通过海路将茶叶出口到欧洲的广东商人,一定是觉得仅仅出口经由河口运来的福建茶叶还不够,有必要压制其他茶叶。并且,压制的茶叶还必须是红茶,于是,就将一直以来生产的绿茶改制成红茶。

被作为调配茶的原料

经历过两次鸦片战争之后,1861年汉口对外开放,宜红的产量也在19世纪80年代迎来了鼎盛期。然而,那之后,和其他的中国红茶一样,受到廉价的印度和斯里兰卡茶叶的冲击,宜红走向衰退,新中国成立后,才有国营宜都茶厂继承了宜红的生产。

改革开放后的上世纪80年代,也是以广州为中心开始了对外出口。我采访了当时在广州茶叶进出口公司工作的一位女士。她对我说:“宜红虽然是欧洲人比较喜欢的红茶品种,但30年前,它仅仅是和其他茶叶,比如从云南移栽到广东的茶树叶进行调配的原料。所以,可以说宜红这一品牌已经从历史上消失了。”的确,宜红相比其它中国红茶略带苦涩。

积极开拓国内市场

宜都茶厂进入21世纪后实现了民营化,更名为宜红茶业。以地方政府支持企业发展的形式,摸索重振宜红品牌。该厂副总经理章艳珍说:“今后,我们还将拓展国内市场。原本产量的90%以上都是出口,现在有20~30%面向国内市场,认知度正在提升。”

茶工厂附近的实验茶园

红茶从某种意义上说是一种调配茶。而一般的中国红茶是不调配的。现在,即便从中国出口时不加调配,运到欧洲市场后也会和其他茶叶混合,生产出符合当地人口味的红茶。由此一来,红茶很难确立自己的品牌,所以,今天开拓新的国内市场,制作中国人喜欢的红茶成为课题

(日文原文刊载于《人民中国》杂志2017年2期 翻译:钱海澎)

人民中国2017『中国紅茶の旅』中文版(1)「江西省也有武夷山?」

江西省也有武夷山?

我们都知道“茶叶的发源地是中国”,但如果问道“红茶的发源地是哪里”,不知为何得到的答案却是印度等。似乎中国与红茶相距甚远、毫无关联。这或许是因为自古以来就没有中国人饮红茶的印象。然而,最近在中国掀起的红茶热,特别是随着以福建产金骏眉为代表的高价红茶的出现,让红茶的知名度迅速提升,普通民众开始关注起中国红茶。

通过经营红茶的中国朋友的介绍,我有机会到访中国各地的茶叶产地。让我大为吃惊的是,红茶产地竟然有18处之多,我想借此机会向喜欢或不喜欢红茶的人们,介绍中国的红茶产地,以及其历史背景、文化背景和生存现状。另外, 最近我不断在中国各地听到我从15年前就开始使用的“茶旅”一词,感觉有形成新产业化的趋势。

江西省的武夷山

在以茶乡闻名的福建省,有一座被列入世界遗产的风光明媚的旅游胜地——武夷山。这里也是被称作岩茶的乌龙茶等茶叶的著名产地。实际上,据说全世界红茶的发源地就是武夷山的桐木村。现在,这里是自然保护区,一般人禁止入内,于是我只能忍痛割爱。

一位福州友人得知情况后建议我:“那就去江西吧!那里也有武夷山!”我不明就里,心想反正也有红茶,就跟随他驱车从武夷山出发奔向江西。中国如今已被高速公路网所覆盖,即便从山区出发,走高速很快就进入江西境内。沿途有几个隧道,最长6公里。我不由得想,古人到底是怎么翻山越岭来到这里的呢?

我们的车沿着河岸行走驶入大自然的怀抱。周围没有住家,水流清澈,密树成林。这里虽然是江西省武夷山自然保护区,拥有国家级的自然资源,但完全看不到游客的身影。虽然我不能相信江西省也有武夷山,但仔细一想,日本的富士山也不只是在静冈县能看到,从山梨县也可以看到,这是一个道理。

万里茶路第一站 河口镇

途中忽然出现了名为“河帮茶厂”的茶叶工厂。到底为何会在这里建厂?并且生产的并非福建盛产的乌龙茶而是红茶?此外,地名桐木关也让人联想到福建的桐木村。

笔者现在对“万里茶路”有着浓厚的兴趣。这是一条将在福建、湖南、湖北生产的茶叶经由蒙古、西伯利亚,千里迢迢运送到俄罗斯莫斯科和圣彼得堡的国际商贸路线。河帮茶厂的存在,印证了福建生产的茶叶先被运至这里(古人要肩挑茶叶翻山越岭令我很惊叹),再由数百名制茶师傅进行加工,之后,经由万里茶路或广东出口至欧洲的历史。顺便解释一下,“河帮”指的是汇集在这附近的中心城市河口(位于现在的上饶市铅山县)的制茶师傅们。

河口的繁荣有深厚的历史背景。1757年,清朝的乾隆帝敕令只有广东一地可以和欧洲开展国际贸易。导致福建武夷山产茶叶的贸易通道——福州和厦门等地的沿岸港口被封锁,只好将茶叶先集中到江西河口,因为这里既是通往广东的捷径,也连接着“万里茶路”。

从流经河口的信江一路到珠江,便来到广东。而走汉口方向又可通往“万里茶路”。并且,这里和上海周边的水路也相连,所以,河口实际上占据了可以将茶叶分别运往三地的绝佳地理位置。只可惜其繁荣终止于鸦片战争。自从福州、厦门和上海开通港口之后,河口便优势尽失。其昔日繁华成为了一场百年遗梦。

复苏的河帮茶厂

河口的现状

如今,河口古镇依然沿河健在,但遗憾的是,和武夷山自然保护区形成鲜明对比,这里由于欠缺保护,正在日益衰败。仔细看,房屋的地下是相通的,有些地方可以直通河道,用于运输茶叶,让人联想到往昔场景。只是,河边的港口已经了无踪影,只看到洗衣妇女。

当“万里茶路”的历史意义开始在中国各地广为传播的时候,河口似乎也在一点点重新认识那段历史。古镇中的老建筑被重新装修后开了茶庄,被人们视为那段历史的见证者。如前所述,通过提升红茶的价值,振兴红茶贸易,一场重新关注河口历史意义的行动悄然兴起。

对于在河口加工的红茶,其出口对象国英国等地也表现出高度的关注。听说,甚至有大学学者直接到访当地搜集相关资料。

想必今后,这里凭借茶叶历史、丰富的自然资源,以及新产的红茶,将会在文化旅游产业结出累累硕果。毕竟250年前的红茶究竟是怎样的味道和芳香已无人知晓。

萧条的河口古镇

(日文原文刊载于《人民中国》杂志2017年1期 翻译:钱海澎)

 

 

 

 

 

インドで自然療法2018(11)腰痛がぶり返す

2月22日(木)
腰痛の10日目

朝は5時台に目が覚めてしまった。Wさんは既にヨーガに行っている。腰が痛い。これは困った。取り敢えず冷やさないようにして、頑張る。7時台に暖かいハーブミルクを飲むと少し落ち着く。和歌山の知り合いからも歓迎とのメッセージが入る。もう心は日本に飛んでいた。

 

いつものマッサージを受け、熱いスチームバスに入ると、腰痛は柔んできた。ドクターの診察を受けようとオフィスに行くも午後からと分かり、体重を図る。何と昨日より2㎏以上落ちている。スタッフが『体重計が2㎏間違っているね』とあっさり言う。ダイエットの人にとってはぬか喜びか。

 

昼ご飯を食べ、アイパックで昼寝、これももうルーティン化している。2時半にオフィスに行ったが、ドクターと話したのは3時過ぎ。腰痛を説明すると『自然療法の反応とは関係ない』と簡単に言われ、すぐに別棟送りとなる。そこで腰を温める機械治療。ベッドに寝て、腰を板に押し当て電気で温める。これって自然療法?1回80ルピーの別料金。これから3日間受けることになった。一時的に収まるが、夜にはまた復活の痛み。どうするんだ。まあ神経治療で背中を足で踏まれるよりは良いか。

 

和歌山の人とFB電話で話す。いつの間にかことは大きくなり、セミナー開催の様相となる。とにかく地方に行けるのは有り難い。大阪のお茶会も10名以上が参加だそうだ。また作業が増えてしまった。3月は一体何回話をするのか、原稿の締め切りはどうか、などと完全に日常に戻ってしまい、また腰痛がぶり返す。なんてこった。

 

Wさんたちはフルーツダイエットをはじめ、夕飯がフルーツだけとなり、一人で夕飯を食べる。さすがにもう飽きてきたな、この食事。しかしここを出所しても又スチェータ先生のクリニックだ。何と今回はインドに来て一度も娑婆で食事もチャイすらない、という逆説的にいえば画期的な旅となりそうだ。日本での反動が怖い。

 

深夜特急3、読み終わる。『インドでは何も得ることができない』という言葉が響く。まさにその通り。何かを期待してもイケないし、何かを得ようとすれば膨大な研鑽が必要になる。中国もそうだったが、この広大なインドを理解できる人間などいないのだ。私は既にその挑戦意欲すら失っているだろう。それでも何かを知りたい!何かを持って帰りたい。

 

2月23日(金)
平穏な11日目

朝はWさんより私の方が早く起きた。と言っても7時前だが。ロビーでPCをチェック。それからお茶を飲みに行くと外にYさんがいたので歓談。彼女の会社やご家族と、私の元勤め先はかなり関りがあることが分かり、話が弾む。ひとはどこで繋がっているのか分からない。

 

今日も順調に予定をこなす。チャンドラカントのマッサージは既に私の日常と化しており、これだけはもっと続いて欲しい。彼は英語も多少わかるし、毎日迎えにも来てくれ、私の体も気遣ってくれる。腕もよく、マッサージは心地よい。勿論仕事としてやっているのだが、実に好感が持てる。ここに来ての最大の収穫だった。

 

 

そろそろここを離れる日が近づいてきている。精算をどうするのか、次の日程がどうなるのかが気になり始める。明後日はラトールさんが迎えに来てくれることになっているが、何時に来てくれるのかと電話を入れたりする。インドでは大雑把には決まっていても、詳細は直前に詰めないと分からない。しかも実際に電話すると25日の予定が知らない間に入れられていたりするから、面白い。A師やYさんとも別行動で決着する。

 

ランチを食べていると、インド人がやって来た。日本に結構詳しいと言い、我々にも興味を持っている。『富士山のさんは、須賀さんのさんという意味か?』などと言われると、こちらも思いもよらず、驚く。『どうして富士山は、ふじやま、と読まないのか?』と聞かれても困る。日本に興味を持つインド人はどんどん増えているが、その知識は、どこから手に入れたのか、と思うようは、不思議なものに時々遭遇する。

 

午後スピナルバスをしようと向かったが、何とスタッフが誰もおらずに出来ず。こんなの初めて。仕方なく、昨日の腰の電気治療へ行き、10分間行うとかなり良くなる。今日は右が少し良くなり、ただ左に少し痛みが出ていたので、かなり効果的だった。そのままフルーツを買いに。今日はおじさんがおらず、おばさんの言い値は少し高いが、結局パパイヤとブドウを買う。今晩はフルーツダイエットの続きだ。

 

オフィス前で久しぶりにKさんに会った。彼女は到着日からフルーツとジュースで5日目を迎えていたが、実に元気で驚く。この人が一番ここに合っているな、と思う。彼女によれば、最終的な精算にはドクターのサインがいるのだという。それなら忙しいドクターを今日の内に捕まえておく方がよいだろうということになり、急きょオフィスに向かう。

 

また30分ぐらい待たされたが、何とか面談にこぎつける。そしてサンポートに感謝し、明後日発つことを告げる。血圧を測ると130/80、これはベストだと助手のジュディが言う。インド人の血圧は高いのだろうか。まあ確かに血の気の多そうな人は多いのだが。そしてドクターと記念写真を撮り、握手して別れた。ただ明日はキッチンから図書館まで終了のサインをもらって歩く作業があると聞き、愕然。そんなのそっちでやってよ!

 

夕飯の時間になったが、もうキッチンの食事には飽き飽きしており、買っておいたフルーツで済ませる。こんなこと、日本にいたら絶対にできないよな。日本には美味しいものが多過ぎて、基本的にダイエットなど無理だと思う。オリンピックのカーリング準決勝で日本が韓国に負けてしまったのは何とも残念。

インドで自然療法2018(10)悪者は判明したが

別れの9日目

朝7時、目覚ましの音で起きる。ちょうど10時間、一度もトイレに行くこともなく眠っていた。体はすごく快調で、この上ない状態だ。甘いハーブティを飲みに行く。もうキッチンデスクには近寄らない。9時20分にマッサージ師が来た。今日はいつもより少し遅い。マッサージ後は、そのままスチーム。今日は初めて一番大きなバスに入り、快適。小型なのは熱すぎて火傷気味だから、これからはこちらにしたい。

 

具合の悪かったTさんが、やはり帰国することになった。今晩遅くの便でプネー空港から発つ。その精算でもめており、なぜかまた私が呼び出されて通訳する羽目になる。私はリーダーではないのだから呼ばないで欲しい、そして昨日の事件を考えれば、私に良くも頼めるな、という気持ちだったが、インド人は凄い。臆面もなく頼み、そして李さんにまで泣きついて私を動員してしまう。

 

彼らはTさんに今晩遅い便なので夜9時半まで部屋を使い、それからタクシーで空港へ、という提案をしていた。だがTさんは帰ってくるはずのデポジットが少ないので確認すると、その日の泊まり賃もきっちりとられていることが分かる。この世界に親切などはないのだ。それを断ると、『では12時にチェックアウト、3時にタクシーで空港へ行け』となったらしい。理由は夜女性が一人で行くのは危ないから。完全に論理が空回りしているが、ようは追い出したいのだ。

 

因みに彼女はそれを受け入れ、午後3時にタクシー乗ることに同意したが、12時にチェックアウトした後も、同室のKさんの部屋にいたところを咎められ、また私は呼ばれる事態になった。本当に金が絡むとやけに細かいな、インド人。まあその場は適当に治め、適当に過ごしてもらう。

 

午前中ドクターと面談して、全てのダイエットの中止と昨日の事件の説明を求めるつもりだったが、何と彼は会議で不在だった。もうこうなれば、ドクターの意見を待つまでもなく、健康体の私は通常食に転換した。フルーツダイエットは僅か1日で終了、体重は250g減少に止まった。2日ぶりに食べた食事は以前より美味しく感じられた。

 

部屋にアイパックが届いていたのでやってみる。初日からメニューにはあったが1週目は来ていなかったような気がする。Wさんが入室してから、ちゃんと来るようになった。そういえば、他の部屋にはマッサージシートや水、せっけんなどがセットされていたらしいが、我が部屋には全く無かったので、私はもう必要はなかったが、Wさんのために抗議してみた。というより、昨日の事件を根に持ち??要求できるものはちゃんと要求しようと思うようになる。ウデイクマ氏に言うと、支給するとの回答で、午後にはちゃんと配送された。1つせしめたぞ!?

 

午後2時半にドクターのところへ行く。彼は昨日の事件をすでに知っており『あれはオフィサーのミステイクで、キッチンに指示が正しく伝わっていなかったのだ』と説明していた。ようはデスクのおばさんが悪いのではなく、そこに指示を出すべきオフィサー、つまりあのウデイクマ氏に責任があるという。彼は今朝何食わぬ顔で『彼女は申し訳ないと謝っている』とかぬかしていたが、事の真相はこれだろうな。それだとつじつまは合う。

 

ドクターには『私は健康体なので、何を食べてもよいようにしてくれ』と言い放ち、もうダイエットは止めにした。もうあんな面倒な思いはしたくない。今晩から通常食かフルーツか、自分で選ぶことに決めた。因みに体を冷やすのはなぜ、という質問には、『一時的に体を冷やし、体内の循環を良くする』との答えだった。また血圧を測ってもらうと130/90で前回の100/80よりだいぶん上がってしまったが、こちらの方がよい、と言われる。インド人は血圧が高いのだろうか。

 

ドクターの診察が終わると、ちょうどTさんが車に乗り込み、アシュラムを離れる場面に出くわした。ちょっと残念ではあるが、インドでは体調最優先だから、やむを得ない。最後に写真を撮りたいというので、私とかと思ったら、何と彼女はウデイクマ氏とKさんのところへ行き、私がカメラマンになったのには呆れた。ウデイクマ氏もまんざらでもない様子で写真に納まっている。この悪代官め!!意外と憎めないタイプだ。

 

更に氷水のパックをやってみると、何だか体が絶好調になり、それと共に腹が減って来た。ここではフルーツを買う以外の自由はないので、今の季節が美味しいと聞いた、ブドウを買ってみる。200g、30ルピー。パパイヤが1㎏、40ルピーであることを考えると、高いのか安いのか。まあとにかく食べてみると甘いので許す!それにしても、何かをやる気はあまり起こらない。怠惰になっている。

 

何となく、娑婆の食べ物が恋しくなる。Wさんと話しているうちに、彼の出身地である大阪へ行ってみたくなる。そういえば先日在阪中国人から、お誘いがあった。和歌山からもお誘いがあった。ついに帰国後、静岡へ行ったついで?に、関西方面への訪問計画を練り始めた。大阪の知り合いからよい反応があり、行くことになるだろう。

 

オリンピックは女子スピードパシュートで金メダルが出た。高木美帆はこれで金銀銅全てを手にした。またお姉ちゃんと同時金メダル。きっと苦労が報われただろう。15歳でオリンピックに出て、前回は落選。厳しい状況からよく這いあがったと思う。カーリング女子も苦しみながらのベスト4。これからの一発逆転はあるだろうか。

 

夜寝る時にベッドに横たわると、急に腰が痛くなって来た。折角治って絶好調と思ったのに、好事魔多し、である。いつもは目をつぶれば5分以内に眠れるのに、ちょっとした痛みが気になって、体の位置を変える等して、なかなか寝付けない。ウトウトしながら1時間以上はそうしていただろうか。

インドで自然療法2018(9)ついに怒りが爆発

5時前に皆のドクター診断が終わり、ジュースを飲む。それからYさん、Wさんはオイルを買いに行く。6時頃に夕飯に進む。何とも忙しい日々だ。今日到着したKさんは早速フルーツダイエットに挑戦ということでキッチンに姿を見せず。いつもは味気ない食事だが6人で食べると味が濃く感じられて不思議だった。

 

それから散歩をして、お祈りと瞑想にいくというWさんに着いて行った。殆ど人が来ていない中、ドクターが歌を歌い始めていたが、興味が薄れ、私は退散して、部屋でシャワーを浴びた。夜9時頃帰って来たWさんと旅や鍼灸の話をしていると、夜も11時を過ぎてしまい、初めての夜更かしを体験する。

 

2月20日(火)
怒りの8日目

朝6時頃Wさんはヨーガに向かったが、私は寝たままだった。Wさんは7時半に採血の人が来るので部屋に戻って待機。私はハーブティをもらいに行く。採血はちょっと乱暴に行われていたのが気になる。9時までは部屋で話しながら待つ。マッサージ師はきちんと9時にドアを叩き、二人で出かけた。マッサージ後、マッドパックへ行くが、泥を塗る人が来ずに、10分間日光浴してスチームバスへ。今日は何とか熱さに耐えられた。

 

ちょうどタイ人のバンダと韓国人の李さんがチェックインを始めていた。バンダとはこれまで色々なところで一緒になっている。何ともクレバーで行動力のある女性だ。李さんもバンダと同時期にカイバリヤダーマにいたという。きっとつわものだ。早々バンダが安い部屋への移動交渉をしたが受け入れられず、おまけに一人部屋と思って来たら、二人一部屋だと分かり憤慨する。これまで皆が通ってきた道だ。

 

そしてランチの時間が来た。昨日ドクターから指示された特別食を取るためには、どうしてもその食事名が書かれた紙がいる。それは初日作られたカードを提示すればPC化されており、自動的に出てくるはずだった。だがそこに座っている女性はどうしてか、初日から一度も私のカードを受け取ろうとせず、更にはあっちに並べ、と言った横柄な態度で接してきていた。

 

それでも今日はドクターの指示があるのだからと思い、また出したが、『あなたは既にお金を払っているから紙は要らない』という全く意味の分からない理由を述べて拒否されたので、さすがに頭に来た。ドクターの指示がインプットされているのだから、きちんとPCの中を見ろ、というと、初めは納得しなかったが、ついに見て、バターミルクとサラダね、と言ったが、とうとう紙は打ち出さなかった。

 

『キッチンスタッフは分かっている』というのだが、これだけの人数で私に何が必要か分るはずがなく、また他の人は紙をもらっているのになぜ、と何度も言う羽目になる。最後は仕方なく。オフィスへ行き、懇意のオフィサーに窮状を訴えるが、『キッチンへ行けば大丈夫だ』というばかり。仕方なくキッチンに戻り、トレーを差し出したが、出てきたのはやはり普通食。その食事をデスクの女性に見せると、『これは違う。カード見せて』と言われたので、もう言う言葉はなかった。

 

別の男性が私のサラダを取り出した頃には、もう何の気力も残っていなかった。私は正直特に病気があってここにきている訳ではないので、間違ったものを食べても問題ないが、『食物は薬』がモットーのこのアシュラムで、薬を間違えてよいはずはない。ランチは皆で食べたが、敦煌の話などをして気を静める。もういいだろう、ここは。

 

『基本的にインド人はこちらの質問に正面から答えてくれない』とWさんも嘆く。彼も仕事を兼ねてきているので、それなりの理屈が分かりたいわけだが、誰からも説明はないのだ。『なんで体を冷やすようなことをするのか』『なぜフルーツジュースを飲んで、暖かい物を飲まないのか』、我々に理解できないことが沢山あるのだが、誰か答えて欲しい。

 

午後2時半に今日の夕飯になるパパイヤを買いに行く。いつものおじさんがいなくても若者が代行している。料金は同じ、ちゃんと切ってもらい、食べやすくしてくれたのは有り難い。その後スピナルバスという半身浴をやる。ただこの湯も熱くはなく、10分で冷めてしまいくしゃみする。

 

出てきたところにA師夫妻とKさんがおり、話す。バンダも加わるが忙しそうだ。キッチンに3時から暖かい飲み物が出ることを1週間以上いて、この時初めて知る。何事も教えてはくれないので困ったものだ。そこでバンダとアユルベーダについて話し、李さんとお茶の歴史について話した。これまでのモヤモヤはある意味吹き飛んだ。これから数日は彼らと楽しく笑って過ごそうと思う。ここで何かを得ようというのが間違いなのだ。

 

面白いのは同室のWさんは鍼灸師の免許を持っているのに、なぜか今日の午後、この自然療法場で、鍼を打たれた。それも鍼は日本製で、打ち方も日本に近かったというのだから、意味不明だ。インドの治療法である自然療法に日本、いや中医が入るのか。自然療法は薬を使わないと聞いていたが、そうであればなんでも使うのだろうか。よくわからない。

 

夕方、皆が夕飯に行くと、すぐにパパイヤを全て食べてしまった。腹が減っているという感覚もないが、パパイヤが甘いので吸い寄せられるように食べてしまうのだ。呆気ない、ちょっと寂しいが仕方がない。Wさんは今晩もカラオケと称されるお祈りに行ってしまった。9時頃になると急に眠くなり、そのまま就寝。

インドで自然療法2018(8)お仲間がやって来た

何だかとても元気になって来た。元気になれば腹が減る。これほどまでにフルーツに力があるとは思わなかった。フルーツダイエットに挑戦してもよいかもしれない。午後のトリートメントに行ってみたが、何と今日は日曜日で午後はどこも完全休養だった。私も休養することして、また残りのパパイヤを食べてしまった。うまい。

 

夕方やることがないなと思っていると、オリンピックの小平奈緒のレースが始まった。前日羽生君と宇野君のワンツーがあったが、それよりも私は最初から小平の500mに注目していた。真の王者は常に負けない。彼女はそれを証明してくれた。苦労は並大抵のもではなかったと思う。基本的にマスコミはとにかく盛り上げようと、なんでもメダル候補にしてしまうが、結果としてはやはり、これまで相当の実績を積んだ者だけが、その位置についている気がする。

 

急いで夕飯に出掛ける。今晩はもう、ノーマルフードにしよう。気持ちが盛り上がり、ドクターの指示を無視して、食べる。何となく美味しく感じるのは罪悪感からだろうか。7時頃にはジュディがにこやかに回診に来た。昼ご飯を食べずパパイヤを思いっきり食べた、というと、笑いながら、明日ドクターに話してね、と言って帰っていた。夜は深夜特急を読み進む。やはりインドは、地べたを這って歩かなければならない、と感じる。次回はブッダガヤ方面に巡礼に行こう。

 

2月19日(月)
お仲間登場の7日目

今朝は何気なく、5時半には起きた。夜9時睡眠だからほぼ正常に戻っている。7時過ぎに飲み物をもらいに行くまで、ボーっと過ごす。こんな日も今日で終わりかもしれない。今日からお仲間がやってくる。ただ今回お目当てのニサル先生が来られないのは何とも残念だが、これもインドだろうか。

 

8時半にこちらからマッサージ室へ出向く。こんなことは初日以来だ。ただマッサージ師の名前を聞かれても答えられない。確かに彼に聞いていなかった。チャンドラカント、という名であることがようやく分かり、彼が出てきたがマッサージ中であった。仕方なくオフィスへ行き、昨日彼に現金を支払ったことの可否を尋ねた。親切なウデイクマ氏が出てきて、『あなたに問題なければ二重請求はしないよ』と言ってくれたので安心して、マッサージを受けた。

 

それからドクターのところへ行き、この2日のいきさつを話すと『あなたみたいに反応が早い人は珍しい。想像以上だ』と驚かれる。そしてあと1週間あるなら、と、フルーツダイエットを試してみることになる。まあ折角来たのだから、やってみるか。私は好転反応という言葉すらしないでここにやって来たのだが、睡魔の下痢はA師が言う通り、良い兆候だったわけだ。反応が人より早いのはマッサージの質のせいだろうか。私はセンシティブなのだろうか。

 

朝から突然人が呼びに来た。ルームメイトが来たというのだ。確かに今日来る人はいたが、こんなに早いはずはない。部屋に行ってみると、見知らぬ男性が日本語で『ルームシェアしろと言っている』というではないか。彼は半年も前に2000ルピーのシングルルームを予約したという。ただこちらもグループなので、と説明して、オフィスに戻ってまた説明する。ウデイクマ氏は本日2回目のグループ人数を確認して頷いた。

 

その男性もすでにここに10数回来ているとかで、かなり慣れており、何とか相部屋を避けてシングルを取ろうと交渉を重ねていた。彼によればシステムは毎年変わり、料金も上がってきたが、昨年から外国人に対しては相当に厳しくなり、最高ランクの部屋しか提供しなくなったという。だから特に驚いている様子もなく、淡々としているのが面白い。

 

そのどさくさの間に列車で二人の日本人女性が来ていた。Kさんは英語も堪能で、どんどん資料記入を進め、交渉事も慣れていた。インドにはここ5年、毎年来ているらしい。もう一人のTさんは、ちょっとせき込んでおり、しんどそうだった。よく聞けば二人はプネーではなく、リシュケシュから電車で1日以上掛けてやってきたというのだ。すごいバイタリティーだ。とても真似は出来ない。

 

彼女らのチェックイン作業は遅々として進み、12時半には何とか終了。ご飯も食べられてよかった。ここまでやってカギをもらわないと部屋にも入れないのだから、一安心だ。ご飯を美味しいと言って食べている。私には味気ないのだが、市井の脂っこい、スパイシーな料理を口にしてきた身としては、体に優しいと感じるとか。Kさんは穂高養生園のキッチンスタッフだと後から聞き、納得。

 

2時半頃、A師一行が到着し、すぐにチェックイン手続きが始まる。ラトールさんは咳き込むTさんの通訳サポートに回る。大丈夫だろうか?参加者の一人Yさんとはカンボジア以来、3年ぶり。同室のWさんは初めての出会い、鍼灸師さんらしい。受付は混みあっており、相当の時間を要する。

 

Tさんは初めてのインドでちょっと強行軍だったらしい。A師は『辛ければあまり我慢しないで、日本に帰国した方がよい』と勧める。この言葉は一見厳しく聞こえるが、これまでの長いインド経験で、『大丈夫』と言いながら頑張ってしまい、結果的に大ごとになってしまうことは多々あること、そしてインドではそうなったら、対応が難しいことを指していた。更には、本人は2度とインドに来たくなくなるだろうし、家族など周囲の人も『インドだからこうなった』と一方的にインドのせいにする傾向があるのも事実。これからインドへ行こうという人々の妨げにもなってしまうことがある。