埔里から茶旅する2016(11)居心地の良い埔里を去る

 マッサージが終わるとYさんが夜市に行きたいという。金曜と土曜だけやっている大きな夜市が街外れにあると聞いていたが、スマホで確認すると歩けそうだったので、歩いていく。最初は腹ごなしに良いと言って歩き始めたのだが、予想外に遠かった。折角脚マッサージで軽くなったのに、また足が重くなってくる。この街はそう大きくはないと侮ったのがいけなかった。さりとて、タクシーがその辺を頻繁に走っているようにも思えない。バスは行先が分らない。歩くしかなかった、のかもしれない。

 

30分以上あるいて、ようやく夜市に辿り着く。結構人が出ているのに驚く。兎に角腹が減ったので、何を食べるのかと思っていると、Yさんは鉄板焼きの前で止まった。夜市のステーキ、と言えば、30年以上前、初めて台湾に来た時、屋台でご馳走になったのを思い出す。懐かしい。目の前の鉄板で焼いてくれるのかと思っていたが、後ろで焼いて、出してくる。まずはキャベツともやし炒め、その後に肉がやってきた。ご飯とスープはセルフサービス。まあそれでも屋台でステーキがあるのは、台湾ぐらいかもしれず、久しぶりに昔を懐かしんだ。

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食べ終わると、その辺を歩き回る。伝統的な金魚すくいもあったが、金魚が機械の中に入っており、ガチャポンのようにお金を入れると出てきてカップで救うという、ちょっと恐ろしいものがあった。また巨大な輪投げと言うべきものもあり、ぬいぐるみなどの商品がズラッと並んでいた。今や田舎の夜市とは家族が友人がみんなで一緒に遊びに行く場所、単に食べ物を食べるだけではなく遊べる場所、として設定していないと集客できないことがよく分かった。帰りに古い夜市の前を通り過ぎたが、お客はまばらで活気がなかった。

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5月21日(土)
台北へ

翌日はだらだらしてゆっくり起きた。何だか夜中に咳き込んでしまった。意外と涼しい。風邪で引いてしまったのか。私の部屋はIさんがいなくなり、一人部屋になっていた。部屋の外にはテラスがあり、鳥のさえずりを聞きながら、ボーっとすることができた。この宿はドミトリーもあるが、個室もいくつもあり、年配者の私には嬉しい。やはりドミで若者と一緒というのは、夜中にトイレに起きるとか、クーラーが寒すぎるとか、色々と不便なことが多い。3階の部屋ではネットが繋がり難いという問題はあるが、ゲストハウスではリビングに皆が集い、情報交換したりするのには、この方が良いのかもしれない。因みにトイレとシャワーは各階にあり、これも便利だった。

 

朝ご飯はパスして、リビングでYさんが起きてくるのを待つ。宿泊客は日本人ばかりだったが、皆さん早くにチェックアウトしてしまい、ヘルパーのMさんだけがそこにいた。彼女はオーストラリアに4年住んで勉強していたとかで、日本に戻る前にここに1か月ほど滞在しているという。そいう旅の仕方もあるのか、と参考になる。面白そうな人なので色々と話したいと思ったが、今日は台北に戻ることにしていたので、あまり時間がなかった。

 

Yさんが起きてきて、バスに乗る前に食事をすることにした。今日は土曜日だからか、閉まっている店もいくつかある。Yさんは感性で動く人なので、歩いていると突然『あれが食べたい』と見付けた店に寄っていく。竹筍肉包を買い、豆乳も買い、更には麺も食べた。何だかYさんだけでなく、私も埔里の街は居心地が良い、と感じ始めていた。だがもうお別れ、旅とはそんなものだ。宿に戻り、荷物を引き取り、バスターミナルに向かう。

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12時のバスに乗ろうと思ったが、『ウエーティング』と言われてしまう。昨日のIさんも同じだったので、まあ乗れるだろうと思っていたが、土曜日のせいか、思いのほか乗客が多く、ギリギリで何とか乗り込めた。以前は5時間以上かかった台北までのバス旅、いつの間にか高速道路が完備され、3時間で着くようになっていた。それにしても台北まで385元は安い。1000円ちょっとで行けるなんて、日本では考えられない。交通費が安いというのが台湾旅で有り難いところだ。。

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バスが出発してから、我々二人はおしゃべりしていた。信号でバスが停まると運転手が、運転席からクルッと我々の方に向き直り、『皆さん、車内では静かにしてください。寝ている方もいるんですから』ときっぱり言って席に戻った。乗客は皆唖然としている。我々が日本語では話いたのがいけなかったのかと反省したが、運転手の目は一番前の老夫婦に注がれていたように見えた。だが彼らの会話も我々にはあまり聞こえないほど小声だった。一体何が気に障ったのだろうか。初めて見る光景に驚く。その後は誰も話す人がいなくなり、携帯もならず、静かに過ごした。2時間はたっぷり寝ただろうか。気が付くともう板橋を過ぎ、橋を渡ると台北だった。少し雨が降り出していた。

埔里から茶旅する2016(10)新総統就任式を見る

 午後の予定はキャンセル

そういえば午後会う予定のおじさんは山を下りてきただろうか。何も連絡がないので、電話を入れてみた。すると向こうから物凄い怒鳴り声が聞こえてくる。『百回も電話したのになぜ出ないんだ!』と怒っている。電話など受けた覚えはないとのだが、ふと思い出したのは、私のスマホはなぜか台湾のシムカードを入れると電話機能が使えなくなっており、先日彼に電話した時は緊急にYさんが台湾で借りた携帯を使ったことだった。ただYさんも『電話なんか鳴っていない』という。まあとにかく午後会おうと言うと、『お前が電話に出ないから、もう農場に戻るため山を登っている。遅すぎだ』と言われて唖然とした。

 

午後会おうと言ったじゃないか、と言ってみたが、『農場の温泉に入れてやろうと朝から待っていたのに』としか言わない。これはもうご縁がなかった、としか言いようがない。これ以上忙しい葉さんに迷惑を掛けないように、このことは黙って置き、美容室でお茶を飲み、そして良久の茶を分けてもらった。紹介者Mさんからは『必ず定価で買うように』との強い指示が出ていた。確かに茶葉が欲しいというと、彼は『記念に差し上げます』という。あんないいところまで案内してもらい、その上茶葉までもらっては申し訳ない。Mさんのメッセージを見せて、定価で購入した。葉さんとはそんな人だった。何とも有り難い。

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さて、電話の件だが、何とYさんの携帯はマナーモードになっており、確かに例のおじさん、通称松ちゃん、から百回は大げさにしても、10回は電話が掛かってきていた。これは何とも申し訳ないが、今さらどうしようもない。Yさんは空港でシムカードを買ったが、自分の機種に適合せず、代わりに携帯電話を貸してもらってきていた。ただその設定など何も見ていなかったのだ。そういえば、初日に台中駅で私が電話を掛けた時も出なかったわけだ。さすがYさん!

 

というわけで、午後が暇になる。Iさんが台北に帰るというので、バスターミナルまで見送る。ちょっと雨になる。その帰り道、Yさんはフラフラと歩き出す。私も埔里の街の位置関係の把握に努める。見ると、パパイアミルクを売っている。何だか懐かしくなり、飲んでみる。Yさんはメロンパンを見付けて、走り出す。香港あたりで流行っているという、中に冷たいバターが入っているものらしい。私は餡が入っているメロンパンを買った。

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宿に帰ろうと道を歩いていくと、向こうから凄い勢いで電動車いすに乗った人が私の脇を通り過ぎた。その直後、Yさんの悲鳴が聞こえた。車いすとぶつかったのかと、振り返ると、何と彼女の手からメロンパンが転げて、道路に落ちていた。袋にしっかり入ってはずのメロンパンがどうしてこうなるのかと聞くと、ちょうど食べようとしたところに車が突っ込んできた!と。まるで漫画の一場面のようで笑い転げてしまった。Yさんの楽しさは、こんなところに出ている。それにしても電動車いすには気を付けた方がよい。

 

夕方宿のオーナーWさんが、お客さんを連れて馴染みのお茶屋へ行くという。我々もついでに連れて行ってもらった。その店は雑然としており、小売りをやっているようには見えなかった。茶葉もばらばらに置かれており、おばさんもどれがどれやら、という感じ。私が気になったのは、このお店のオーナーも葉という姓だったこと。おばさんに聞いてみると、やはり『葉という姓は殆どが客家だよ』という、だが午前中に案内してくれた葉さんは客家には見えなかった。ただお兄さんは客家に見えるかな?

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夜はYさんがマッサージに行きたいというので、Wさんに教えてもらったマッサージ屋に向かう。近くに大きなホテルがあるせいか、店は満員で待たされる。テレビではちびまる子ちゃんをやっており、Yさんは『わー、まる子が中国語しゃべっている』と興味津々だった。アジアの色々なところへ行くが、多くの場所でちびまる子ちゃんは放映されている。お客がぞろぞろと帰り、我々が席を勧められる頃、店のオーナーはそっとテレビの番組を変えた。Yさんはちびまる子ちゃんが見たかったようだが、映像では蔡英文新総統の演説が映し出されていた。

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そうか、今日は総統就任式の日だったか。中国・台湾ウオッチャーと呼ばれる人々、台湾を愛する人々が日本から台北に集結しているのは知っていたが、私は完全にその外にいた。脚マッサージを頼み、目の見えない若い男子が揉み始めた。彼に何気なく『新総統をどう思うか?』と聞くと、彼は毅然として『彼女には何も期待していません。彼女はまだ何もしていません。私は台湾に貢献した人だけを支持する』と答えた。それは驚くほど、はっきりしており、かつ台湾人の心理を突いているように思えた。

 

大陸寄りだった国民党政権にノーを突き付けた台湾人。経済が低迷する中、中国大陸抜きの経済政策は考え難いと思われるが、それでも敢えて蔡新総統を選んだところに台湾人らしさを感じるものの、その前途は相当に多難である、と言わざるを得ない。その若者の横でベテランのマッサージ師が『前政権への失望が大きいんだ。だが我々が選んだのだから、責任は我々自身にある。そこが大陸とは違うんだ!』と静かに付け加えたのが印象的だった。

埔里から茶旅する2016(9)良久 消えゆく茶畑

そしてその先には門があり、頑丈な鍵がかかっていた。それを取り外して中へ入る。両側に気持ちの良い茶畑が広がっていた。上がっていくと奥に茶工場が見えた。既に春茶の作業はすべて終了しており、誰もいない。電気も止めてしまっている。辛うじてトイレが使えるだけだった。ここが茶業関係者の間では『良久』と呼ばれている茶産地だった。これは地名ではなく、昔何かの工場があり、その名前だそうで、勿論地図にも載ってはいない。

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周囲20㎞には全く民家がなく、生活排水など汚染とは無縁な場所。今や台湾でも、このような自然環境は殆ど見られないという。工場で必要な水は特別設備で引いてきており、まさに大自然の中に、ポツンと存在する茶園となっていた。茶畑を歩いて見る。木に囲まれた斜面に茶樹が植えられている。30年ほど前に茶園が開拓され、植えられたものらしい。実にきれいな茶畑で、うっとりしてしまう。空気もすごく澄んでいる。虫の音が微かに聞こえるだけ。ずーっとここを歩いていたい、そんな気分にさせる滑らかな傾斜。うまく表現ができないが、この自然環境、これまでいくつもの茶畑を見てきたが、こんなところは珍しい。わざわざ来た甲斐があったというものだ。

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しかしよくも、こんな山の中に茶畑を開いたものだ。何んとも感心するしかない。ここでお茶を飲みたい、ここのお茶を飲んでみたい、と切実に思ったのだが、残念ながら電気がなく、湯を沸かすことができないし、既にひとかけらの茶葉もないということで断念した。次回はぜひ製茶シーズンにここにきて、ここの小屋に泊めてもらおう。そんなことを思っていると、葉さんが『外国人がここに入るのは2組目ですが、なぜ皆さんをここに連れてきたのか。それはこの茶園がその内無くなってしまうから、その素晴らしさを外国人にも見ておいてもらいたいと思ったからです』と衝撃的なことを言う。確かにこれだけ人が入っていない秘境を紹介すれば、行ってみたいという人が続出して、結果的に環境が徐々に悪化してしまうだろう。これまではそれを懸念して、関係者以外は案内しなかったらしい。

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茶園が無くなるとはどういうことか。『すでに政府林野庁の役人が調査に入っています』と。台湾では梨山の大烏嶺など、標高の高いところにある茶園が、土砂災害の危険があるなどの理由で、相次いで閉鎖されている。本当に茶樹を植えたことにより自然災害の危険があるのか、については、意見が分かれているが、土地が政府の物であれば、賃貸契約を打ち切れば、茶園主は手も足も出ない。一説によれば『高山茶があまりに高値で取引されていることへの同業者の嫉妬』が理由で、政府が動いている、と説明する人もいる。確かに台湾の高山茶の標高はどんどん高くなり、そしてその価格も高ければ高いほど高くなっていた。これと自然環境の破壊が全くリンクしていないとは言い切れない。

 

地域ごとに様々な地元の事情もあると思われ、事はそう簡単な話ではない。ただハッキリしているのは、茶園が閉鎖され、茶樹が伐採されていくという現実である。そもそも大烏嶺などは確かに土砂崩れがあり、道路が封鎖されるなど、交通への被害があるのも見てきた。しかしこの人家もない山の中、例え土砂崩れがあっても被害を受けるのは、茶業者だけのように見える。なぜここを閉鎖するのか、理由はさっぱりわからないと茶園管理者の葉さんも言う。

 

この茶園のオーナーは、非常に良識のある人で、ここで採れた茶を『梨山高山茶』と称して高値で売ることも可能なのだが、敢えて『良久茶』として、区別して販売している。消費者を騙すような真似はしたくないことと、良久の良さを世間に広めたいという思いから、こうしている。それもこれも茶園の存続があって生きるのだが、残念ながらいつ終焉を迎えるのか分らない。葉さんから『良久を日本の皆さんにも紹介して欲しい』と言われたので、敢えて今回ここに記している。今は風向きが変わるのを祈るばかりである。

 

また車に乗り、山道を引き返す。帰りは少し慣れたのと、朝早かった疲れから、寝入ってしまう。気が付くともう埔里の街に戻っていた。何だか夢を見ているような気分である。竜宮城から戻った浦島太郎とは言わないが、かなりの喪失感がある。美容室に戻ると、ちょうど昼時で、昼めし食おう、ということになる。美容室の隣の隣に美味しいおこわの店があるというので、そこで食べる。おこわ飯、美味し。肉団子スープ、絶品!サクサク食べて、嬉しくなってしまった。

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埔里から茶旅する2016(8)魚池から良久へ

巫さんが『山の上の茶畑にも行きましょうか?』と言ってくれ、車で上に連れて行ってもらう。そこには景色の良い斜面に茶畑が広がっていた。向こうの山には茶業改良場がある。魚池だな、ここは。ここにもいくつもの品種が植えられており、ちょうど茶葉を刈ったばかりのところもあったが、鮮やか、といった雰囲気があった。道路脇には小さな家があった。巫さんが子供の頃に育った場所だった。『山の上の狭い家で不便だったが、懐かしい。1999年の921地震の時は、下の家が倒壊し、家族全員でここに避難してしばらく暮らした』という。今は農機具などを置く小屋のようにして使っているが、壊すことはできないようだ。それだけの思い出が詰まっている。

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ある意味で921地震があったことにより、この付近の紅茶が復活したというのは、何とも皮肉なことだ。震災からの復興政策の一環として、日本時代に植えられた茶樹の葉を使った紅茶を作ったところ、折からの旧懐日本ブームや紅茶ブームもあって、ヒット商品となった。紅茶で町おこし。台湾と言えば凍頂烏龍茶や高山茶しか思い浮かばなかったが、変化が求められたのかもしれない。ここ数年、台湾各地で蜜香と呼ばれる紅茶が作られ、台湾人も紅茶を飲むんだな、と思わせるようになってきた。日本人も東方美人のブームにより、台湾の蜜香に人気が高まっている。一方英国式紅茶を愛する世界の人々からは、『パンチがない』とか『甘い』とか、評価はそれほど高くはならない。同じ紅茶の世界なのに、何とも面白い傾向だ。

 

夕飯

魚池からあの美容室に戻る。何と我々が来たことを知った葉さんが、3時間も運転して、わざわざ山の上の農場から降りてきてくれたというのだ。これはもう、申し訳ないとしか、言いようがない。そして夕飯に行こうと誘ってくれた。すぐ近くに行くのかと思ったが、車は街を外れて行き、真っ暗な中、高速道路のあたりを通っていく。一体どこへ行くんだろうか、と思っていると、畑の中に大きな建物が見えた。

 

その巨大な建物がレストランだった。魚の養殖が行われており、付近の新鮮な野菜と合わせて調理され、かなり繁盛しているようだった。葉さんと奥さん、可愛い子供、お母さん、そして我々を案内してくれたお兄さんも加わり、賑やかな夕飯となった。昼間見たマコモダケも登場、初めて見た。鶏は地鶏なのか、特に美味しかった。地元の物を地元の人と食べる、何とも楽しい夕飯だった。葉さんはMさんから聞いてはいたが、ものすごく面倒見のよい人だった。そして紹介があったとはいえ、我々を丁寧に扱ってくれた。これは人柄というものだ。

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また美容室に戻り、ちょっとお茶を飲んで帰った。葉さんは『明日連れて行きたいところがある。7時に集合しよう』と言ってくれた。どこに行くのかよくわからないが、我々は明日の午後、別の茶農家の人と会う約束があったが、午前中に戻れるというので、その厚意に甘えることにした。それにしても彼は、若いとはいえ、相当に疲れているはずだ。それでも我々を最大限もてなそうしているくれることに軽い感動を覚える。

 

宿に戻るとYさんが『行き付けのカフェに行く』というので付いていくことにした。結構暗い街を歩いていくと、かなりおしゃれな店があった。室内も穏やかな雰囲気でよかった。ここで今日の反省会。今日一日は長く、そして実に濃かった。カフェラテを飲みながら話す。お茶の飲み過ぎだったので、コーヒーも悪くない。埔里も案外いい街ではないか。ふと気が付くと夜も11時を過ぎており、急いで宿に帰り、シャワーを浴びて、すぐに2段ベッドの下の潜り込み、寝る。

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5月20日(金)
良久へ

翌朝は6時には起きて、7時前に待ち合わせ場所に行った。葉さん兄弟が迎えに来てくれた。車は農作業用のバン。この車でないとそこへは入れないという。かなり険しい山道が想定された。朝ご飯としてパンと豆乳を買ってくれる。何とも親切な兄弟だ。車は梨山に登る道を行くが、途中で逸れた。そこからは山道を延々と行く。民家なども殆どない自然の林を抜けていく。大自然の中に突っ込んだ、というイメージが強い。道はそれほど悪くはないが、アップダウンもあり、かなり揺れている。

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山道で何か作業している人たちがいた。葉さんが何か話し掛けているが、その言葉はよくわからない。顔を見ると原住民の人々なのであろうと推察された。山の中で仕事をするには、そこに住む人々との信頼関係が重要だと言われているが、確かに普通の人間がここに入ってくれば警戒されるのは当然だろう。お兄さんは何かお土産まで渡しているから、相当によい付き合いをしているのだろう。『今度は一緒に酒を飲もう!』、そんな雰囲気で別れた。

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埔里から茶旅する2016(7)美容室がお茶屋

美容室がお茶屋

そしてMさんから紹介された葉さんの店を探す。住所は持っていたが、Mさんからのコメントには『住所は奥さんのやっている美容院』と書かれており、かなり首を傾げる。お店はないので、美容院で待ち合わせなのかと思う。しかも電話したところ、本人は農場に行っており、不在らしい。取り敢えず紹介されたので行ってみる、という感じになっていた。ちょっと探すと大きなホテルの向こうに、確かに美容室があった。

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ちょうど出てきた女性に声を掛けると、中に招き入れられた。美容室の椅子があり、お客さんがパーマをかけている。我々はなぜここに来たのだろうかと不思議な気分になっていると、男性が出てきて、美容室内に設けられた喫茶スペース?に座れという。そこで彼はゆっくりとお茶を淹れ始める。美容室内で、パーマをかけている人を見ながらお茶を飲む、なんともシュールな光景だった。如何にも台湾らしい、柔軟性の高い世界がそこにあった。

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男性は葉さんのお兄さんで、勿論この街の出身ではあるが、今は台北在住で、たまたま戻ってきたので、対応してくれたらしい。ただ茶葉の置いてある場所も分らないので、その度に奥さんに聞くと、彼女はお客対応の手を止めて、茶葉を出してくれた。Uさんはお茶を2-3倍飲むと、『洗濯物を干してあるので』と言って、鹿谷に帰って行った。雲行きを見て、雨が降るかどうか、わかるらしい。これも如何にもお茶屋らしい。後で聞くと、実際に雨が降ったようだ。

 

Mさんから『もし天府農場のお茶があったら、買ってきてほしい』とメッセージがあったので、聞いてみると、お兄さんは電話で葉さんに確認してくれ、『既にすべて売り切れた』と回答してきた。そして我々が今飲んでいるお茶は、別の高山茶であるという。これは結構美味しいなと思い、興味を持つ。ただその農場も場所も聞いたことがなかった。お兄さんも説明に困っている。まあそんなものなのだ。

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Iさんの目的は日月潭の紅茶にあった。その話をすると、彼は急にどこかに電話をかけ、『もし興味があるなら魚池の茶農家に連れて行く』と言ってくれた。これは願ったり叶ったり、有り難い、ということで、その話に乗り、そして彼の車に乗り込む。すると今度はYさんが『18℃』に行きたいと言い出す。中国語のできないYさんだが、18℃と言うと、その単語は彼にもわかるらしく、行こうという。訳が分からないのは私の方だ。

 

18℃というのが、お店の名前だとわかるのに、時間が掛かった。というより、車がそこに着いて初めて理解した。チョコレート屋さんとか、アイスクリーム屋さんとか言われたが、そこはちょっとしたフードコートのように見えた。実は3年ぐらい前に、ここに一軒の店を出したところ、大繁盛して次々に店を広げ、今では埔里の観光名所にもなっており、大型バスが乗り付けてきていた。お兄さんによると、この付近の不動産価格は18℃のお陰で高騰したという。こういう町おこしの仕方もあるのか、と感心する。ジェラートを食べてみたが、美味しかった。ラーメンなどの食べ物もあり、午後3時なのに、賑わっていた。

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日月潭の紅茶

車は先ほど鹿谷から来た道を戻っていく。そして昔私が行ったことがある紅茶屋さんのある道に入った。まさかそこへ行くのだろうか、と思っていると、あっさりと通り過ぎてしまった。だがそのすぐ近くで車は停まる。そこには茶工場があった。井古茶堂と書かれた看板がある。向かいの斜面には茶畑が見える。中に入ると、女性が待っていてくれた。巫さんは突然の訪問にも拘らず、にこやかに迎えてくれた。この茶工場は、数年前に女性3人で始めたと聞いて驚く。茶業は力仕事、というイメージがある。その昔は紅茶を作っていたようだが、紅茶の低迷期は止めており、ここ数年のブームで生産を再開したという。

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造りが実にシンプルな大きな屋根の下、お茶を頂く。この付近、日本時代は日本人の茶畑だったらしい。その時代に植えられた茶樹はほぼなくなっており、目の前の茶畑の茶樹は30年ぐらい前に植えられたものらしい。中にはかなり新しい木もある。数年前に茶業改良場の指導を受けて、その品種を使い、植えたものだという。巫さんは『茶畑見ますか?』と言って、率先して案内してくれた。かなりゆとりのある植え方で、品種もいくつもあり、ちょっと面白かった。ただ斜面は結構きつく、収穫はそれほど期待できないように見えた。恐らくここは、我々のような見学者のためにあるのだろう。

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もう一度工場前でお茶を飲み始める。Iさんは興味津々で、紅茶に関する質問を始める。女性3人を中心に、親戚も手伝って、紅茶作りをしているという。巫さんのお母さんが出てきて、食べ物を置いていった。初めて食べるフルーツのようなもので、ちょっと辛しのようなものが付いており、ピリッとする。これがさわやかでとても美味しい。農家で出されるこのようなちょっとした食べ物、実に美味しいし、有り難い。このお母さんの人生に思いを馳せる。

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埔里から茶旅する2016(6)鹿谷から埔里へ

 埔里へ

Uさんは若いからか、思いのほか回復しており、安全運転で埔里を目指した。山を下ると、そこには観光地として名高い日月潭が見えてくる。折角なのでと、観光した。路線バスではできないことだった。日月潭は昔より数段きれいになっており、観光客もそこそこにいた。私は興味がないのだがお土産物コーナーに行くと、日月潭紅茶アイスが売っており、Yさんが食べたいというので、後学のために食べてみた。紅茶の感じは出ていたが、それだけ。でも食べている人が多いので、いいアイデアなのかもしれない。

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更に進むと、日月潭の端に、魚池という場所がある。ここには茶業改良場の分場が置かれており、私は5年前にご縁でそこを訪れている。YさんとIさんは初めてだということで、寄り道して坂道を登ってもらった。途中に記念碑が見える。これが『台湾紅茶の守護者』、新井耕吉郎さんを祭る碑であり、歴代場長は朝ここにお参りしてから、出勤すると言われたところである。私は全く知らなかった新井さんについて、少し調べてみたことがあるが、その謎は深かった。そして日本人の誰もが知らなかった、この方の名前が台湾で広まった訳、それもまた旧懐日本ブームの一環であろうし、日月潭紅茶のブランド化、町興しなど、様々な要因が絡まっていることは見て取れた。これ以上は語らない。

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上まで登ると日本時代に茶業試験場として建てられた建物も残っているが、一般人が中に入ることは許されていない。外からそれを眺め、ついでに日月潭を一望し、また茶畑を少し見た。ここは風光明媚な場所として、週末は観光客が登ってくる場所であるが、今日は平日で人はいない。先ほどの新井さんらが尽力して、1936年に建てられたこの試験場。紅茶の輸出、外貨獲得の国策のために付近に茶樹を植えたが、戦争により、その夢は潰えていた。新井さんも戦後すぐに、この地で亡くなり、その魂はここに眠っている。丘の下には、日本時代の官舎が再現されたところがあるが、何となく真新しい。

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魚池から埔里まではあっという間に着く。途中に紅茶屋さんの看板が目立っているのは、数年前より、台湾が紅茶ブームだからだろう。私が以前訪れたことがある紅茶屋さんもあった。懐かしいので寄ってみたかったが、今回はご縁があるだろうか。埔里も何度か来たことはあるが、街中に泊まったことはなく、どこがどこやら、何もわからない。今回はYさんを頼って行動しようか。Uさんの車はゲストハウスの狭い路地に入った。

 

4. 埔里
埔里をフラフラする

そのゲストハウスの入り口は狭かったが、5階建て?で奥行きもあり、かなりの広さがあった。オーナーの日本人Wさんは在台湾20年以上。奥様も台湾人とのこと。埔里が好きになり、こちらのゲストハウスを作ったという。広いリビングのソファーに座り、少し休む。私はIさんと2人部屋、Yさんはいつものドミトリーに入った。外はそこそこ暑いのだが、建物の中はクーラーがなくても何とかなりそうな感じだった。

 

腹が減ったので昼ご飯を食べに行く。二日酔いのUさんのことを考え、Wさんに紹介された近所の麺屋へ行く。ここの麺の名前、何と傻瓜麺だというから驚きだ。日本語にすれば『バカ麺』、一体どんな麺かと興味津々で注文してみたが、あっさりした普通のスープ麺。なんで傻瓜なのかは、よくわからない。Wさんによれば、『傻瓜麵』の由来は台湾語(閩南語)の「撒乾麵」から来ているというが、どうなんだろうか。まあ、二日酔いにはよいのではないか。

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食後、ふらふら歩きながら、腹ごなしする。段ボール箱が沢山積まれているところを通ると、ポスターに美人腿大会とあった。何だろう、美脚コンテストのようだが。優勝すると10万元、というから、結構大きな大会だ。既に予選は終わっている。段ボールにもう一度目をやる。この箱の中にはマコモダケという筍にもちょっと似た農産物が入っている。これは埔里の名産品であり、街のイベントとして、白くて長いマコモダケを宣伝する目的で、この美脚大会が開催されており、台湾では有名だということを後で知る。

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セブンイレブンに寄る。台湾に来たら、やはりセブンだ。この狭い台湾に1万店舗はあるのだろうか。台湾人も殆どの人が利用しており、もしセブンがなければ生きていけなそうな人間も沢山見てきた。Uさんは『食後は黒松ですよ』と言ってドリンクを買う。黒松とは台湾の飲料メーカーの名前で私が台北に住んだ25年前にも売っていた。代表商品は沙士という炭酸飲料で、コーラのようなもの。台湾ではこれを体調が悪い時にも飲むらしい。ポカリスエットのような位置づけとでも言えばよいだろうか。兎に角ロングセラーだ。二日酔いのUさんはこれをぐびぐび飲んでいた。完全に現地化している。

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埔里から茶旅する2016(5)焙煎という仕事

焙煎という仕事

有名な焙煎師のところにも寄った。前回もUさんに連れてきてもらったのだが、そのおじさんとUさんが焙煎について激論になり、こちらは目を白黒させていただけだったのをよく覚えている。後で聞くと、このおじさんのお父さんは台湾でも超有名な焙煎師であり、その息子としておじさんにも相当のプライドがあったはずだが、そこで若いUさんが、堂々と意見を言っていたのだから、双方に対して驚くしかない。そこには厳しいプロ同士の高みを目指す姿勢が感じられた。

 

今日は、おじさん、機嫌がよかった。相撲が好きだと言い、テレビを点けると、ちょうどNHKで大相撲中継をやっていた。ただ時々時計が鳴ると、すぐに奥に引っ込み、焙煎を続けている。跡継ぎである息子も一緒になってやっている。彼はお父さんとは違い、かなり温厚に見える。いや、お父さんもきっと温厚な人なのだ。だが、焙煎にかけては譲ることはできない。それが職人というものなのだろう。笊を持ち上げて揺する、かなりの肉体労働が繰り返されていた。

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原料となる茶葉、今年はなかなかいいものが手に入らない、と嘆く。これは天候不順の問題だけでなく、やはり茶農家の減少などと関係しているかもしれない。しかし焙煎師とは難しい仕事だ。茶農家ではないのだから、自ら茶畑を持っている訳ではなく、茶葉が供給されなければ何もできず、その茶葉の質をコントロールすることもままならない。そしてこちらのように、全てを手作業でやっている限り、焙煎できる量には限りがあり、市況がよくても、供給量を伸ばすことも難しい。しかも相当にストイックな作業、メンタルも強くないとやっていけない。

 

まだ明るかったが、偉信が待つ店に夕飯に向かった。実はこの日、偉信と彼のお父さんの出品したお茶がコンテストで最高賞を受賞した、という実に喜ばしいニュースが飛び込んできた。Uさんも『これは本当に素晴らしいことだ』と我がことのように喜んでおり、今日は飲むぞ、という雰囲気になる。コンテストは沢山あるとはいえ、出品する人々もすごい数に上る。その中で、一番を取る事の難しさは、私などには想像もできないほどの大事なのだ、と実感する。これが飲まずにはいられるか、ということだ。

 

先ほどのおじさん同様、偉信もまた、相当の努力を払って焙煎を行っていた。我々にはその素振りさえも見せずに、いつもにこやかに駄洒落など軽口をたたき、笑っていたが、お父さんの指導もあり、厳しい仕事に従事していたのだ。農会のところで、お父さんとすれ違った。右手を大きく上げて、その喜びを表現していた。彼らはコンテスト入賞の常連ではあるが、やはり一番を取る、ということは得たものしか分らない、喜びがこみ上げてくるようだ。

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鶏肉の美味い店だ、ということで酒を飲まない私はたらふく食べた。Uさんはしきりに乾杯を重ねており、ビールからウイスキーに酒が切り替わっていた。偉信の友人たちも祝福にやってきており、鹿谷で彼が愛されていることが随所にみられた。Iさんも結構飲まされ、Yさんは自分からずんずん飲んでいた。その内に、Uさんがフラフラし始め、テーブルに突っ伏して寝てしまった。彼もストイックな性格なのだ。今年の春茶の仕入れに相当の神経を費やし、苦悩の日々を送っていたことを物語っていた。真面目にやれば厳しい仕事なのだ。最後は偉信に抱きかかえられて、帰って行った。

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5月19日(木)
朝ご飯

翌朝私はすっきりと起きる。Uさんのことが気にかかったが、まあ今日は静かに寝かせておこうと、敢えて連絡は取らなかった。Yさんが朝ご飯を食べたいという。この教会、昨晩戻って分ったのだが、上の階の宿泊施設は、教会から委託された地元民が運営していた。1泊900元、と言われて、かなり驚いた。5年前は申し訳程度に300元払っただけだったのだから、3倍にもなってしまっていた。Iさんが泊まったのは私が昨年泊まったところで、1泊600元。設備がきれいになっているとはいえ、どう見てもちょっと高い。だがこれもご縁なので、従う。

 

その代わり、朝ご飯の場所に連れて行け、とお願いして、彼の車で食べに行った。葱餅屋だった。そこで餅と豆乳を注文した。地元の老人が朝ご飯を食べにくる場所であり、緩い空気が流れていた。この葱餅、作り立てということもあり、実にうまかった。そしてここの主人と奥さんが『アンタラ、日本人だろう。あたし等、日本が大好きでね。毎年日本のどこかに行っているよ。去年は日本海側の街を回ったがよかったね』というではないか。正直葱餅を売って、どれだけ収入があるのか分らないが、それでも毎年日本に旅行に行ける。このゆとり、これは素晴らしいことだ。

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食べ終わると宿に戻り、チェックアウトした。今日はYさんの要望で、埔里へ行くことにしていた。昨晩埔里のゲストハウスオーナーの日本人に電話を掛けて確認したところ、鹿谷から埔里へは直通バスはなく、どこかで一度乗り換えるようだった。そのバスは9時に教会脇のバス停に来るようだったので、そこへ向かう。Iさんも同行するというので彼の到着を待っていた。するとUさんから携帯に電話があり、『埔里まで車で送っていく』といい、すぐにやってきた。これは有り難いが、昨晩の酔い方から考えて大丈夫かと心配になる。

埔里から茶旅する2016(4)鹿谷 お茶事情

 ちょうど出来上がった茶の試飲も出来るようになっていた。標高の高いところではまだ茶葉が伸びてきていないようで、この付近の茶葉を使って製茶している。香りももう少し欲しい感じだが、きちんと焙煎を掛けて茶は、既に私の好みに出来上がっていた。茶は勿論茶葉そのものの善し悪しが一番だが、その後の加工技術を発揮することにより、十分に素晴らしい茶を作ることができる。今の台湾では、茶農家が自ら加工までを行い、直接消費者に売る動きが広がっているが、良い茶葉を作る人と、良い茶を仕上げる人が同じであるとは限らないし、その専門性の発揮、という点では分業の方がさらに良い茶ができるようにも思う。

 

昼ご飯もここで頂く。偉信は常に、鹿谷で一番うまいものを食わせてくれる。今日は筍シーズンということで、炊き込みご飯と鶏のスープ。わざわざ奥さんが買ってきてくれた。申し訳ないとは思いながらも、これがお茶と並んで楽しみなのだから、仕方がない。高級なものが一番うまいとは限らない。地元で採れた食材を、美味く調理して、その場で食べるのが、一番うまいのではないだろうか、といつも思う。食事が終わるとペットボトルが渡される。午後の活動の際に持っていくようにと言われたが、そこに入っている茶がまた濃厚で美味い。ペット茶もこうであればよいのだが。何とも有り難い店である。

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凍頂烏龍茶事情

午後はUさんが車を借りて我々3人を案内してくれた。まずは普通の民家へ行く、そこには女性が待っており、摘まれた茶葉が置かれていた。Uさんも何やら茶葉を持ってきていた。ここでお茶を飲むのかと思っていたが、実はここには人が住んでおらず、お茶を淹れる用意がなかった。そこで今晩我々が泊まる予定の教会に場所を移した。この教会、5年前に私が初めて来た時に、泊めてもらったところだ。懐かしい。入ってみると何だかきれいになっていた。以前は鍵もかからない、管理されているとは思えないところだったのだが、どうしたのだろうか。

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そこのリビングルームで、Uさんがその女性の茶畑で摘まれた茶葉を製茶したものを淹れてくれた。何より製茶には原料が重要だが、その女性は茶畑を管理するほどの余力がなくなったようで、茶畑は放置されようとしているらしい。Uさんはその茶葉が使えると判断して、女性から茶葉を譲り受け、自らの好みの茶を作ろうとしている。女性も茶葉がお金になるのであれば、茶畑を守っていくかもしれない。今の鹿谷の現状、凍頂烏龍茶の現状とは、大体そんなところかもしれない。この周囲の茶畑は少しずつなくなっている。

 

教会の斜向かいには農会がある。1階で茶葉やお菓子、茶器などを販売するコーナーがあり、見に行ってみる。私はこれから旅が長いので何も買わなかったが、結構お土産に良いものがあるようだった。このビルの2階には確か、鹿谷の茶の歴史が展示されていた、との記憶があり、みんなで上がってみる。ところが展示の内容は大きく変わっており、凍頂烏龍茶の元祖と言われている『1855年に林さんが科挙合格のお祝いに36本の茶の木を持ち帰り・・・』などの記述は全くなくなっていた。代わりに中国の宋代の茶碗など、中国人観光客向けにアピールするようなものばかりになっていた。

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しかし中国人だって、わざわざここまで来て、中国の歴史を見せられても面白いとは思われない。これは一体どうしたことだろうか。やはり鹿谷の茶の歴史は伝説であり、歴史的には否定されてしまったのだろうか。なぜ展示内容が変わったか、その理由は分らなかったが、昨年この地域の役場の長が交代したというから、そういう地域的な問題なのかもしれない。私も伝説的な茶の歴史、商売ありきの茶の歴史はどうかとは思うが、その代替が中国の歴史であるのは台湾にとってもどうなのか、大いに疑問が残る。

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そして車で凍頂山に向かう。途中に景色の良いところがあり、車を停めて、写真を撮る。目の前に池があり、その向こうには山が見える。Uさんが『ここから見える山々で摘まれる茶葉で作られるお茶が凍頂烏龍茶です』と説明してくれる。凍頂烏龍茶という名称だから、当然凍頂山で採れる茶葉を使ったものだと思うのだが、今や凍頂烏龍茶とは『烏龍茶の作り方の1つの型だ』という話もあり、その茶葉も至る所にあるらしい。ただ昨今のベトナムなど海外の茶葉を使って作った茶を凍頂烏龍茶と称して売っているのは、地元としても困るのだろう。そこで範囲を特定しているらしい。

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実際凍頂山に登ってみると、登る度に茶畑は減っている。以前は面倒な茶樹からトマトやキャベツなど野菜畑に転換するところが多かったが、今回行くと耕作放棄の茶畑もいくつも見られた。何とも寂しい光景がそこにあった。農家の高齢化は日本も台湾も状況は似たようなものだ。これから先が思いやられるが、事態が好転しそうな感じはない。そんな中で、よい製茶を行う中年男性もいるというので訪ねてみたが、残念ながら不在だった。

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埔里から茶旅する2016(3)鹿谷へ向かう

 5月18日(水)
鹿谷へ

夜は外の車の音が少しうるさかったが、翌日はなんとなく目覚め、朝ご飯を買いに外へ出た。すぐ近くの店で蛋餅と紅茶をゲットして、部屋で食べる。なぜか甘い紅茶も蛋餅と食べると美味しいから不思議、台湾らしい朝だった。今日は鹿谷へ向かうのだが、一緒に行くYさんが台北から高速鉄道に乗ってくるため、目の前の台中駅ではなく、高速鉄道の台中駅へ行かなければならない。それには台中駅からローカル線、区間車に乗り、新烏日という駅へ行くことになる。料金は15元、時間も10分余りだという。

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切符は自販機で買うというのだが、ちょっと迷う。よく見ると、料金も駅名も自販機にきちんと書かれている。電車は向こうのホームにやってきた。荷物を持って地下通路を歩き、階段を上がるのはちょっとしんどい。車両は普通。台中駅を出るとすぐに農村風景になった。こんなものだろうか。確かにすぐに新烏日駅に到着。待ち合わせの8時半にはまだかなり時間があった。だが、そこから高速鉄道駅まではちょっと距離があり、ゆっくり歩く。台北駅のようにローカル線のメインと高速鉄道の駅が1つだと便利なのだが、台南なども離れているのは、何となく不便だ。

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Yさんからはメッセージで8時15分には駅に着くと連絡があったので急いで改札口へ向かった。だが8時15分の列車が走り去って、乗客が全員降りてきても、彼女の姿はなく、ちょっと焦る。Yさんはなかなかユニークな人なので、私が指定した待ち合わせ場所を勘違いしている可能性も大いにある。電話してみたが、全く出る気配もない。10分近く経ったころ、ぴょっこり現れたので、ホッとした。トイレに行っていたとのこと、確かに待ち合わせ時間には余裕があったが、到着時間が指定されれば当然先に降りてきて落ち合ってから、トイレに行くだろうと思うのは私だけだろうか。

 

そして1階にあるバス乗り場へ向かう。ここは何度か利用しているので慣れていたのだが、切符売り場でお金を払うと整理番号を渡される。この時間は10分間隔で来るので、問題なく乗れると思っていたら、完全に甘かった。バスが来て乗り込んだ人々の整理番号は130番台、私たちが持っていたのは何と180番台。一体いつになったら乗れるんだろうか?今までこんなに混んでいたことはなかった。しかも今日は平日、どうなっているんだ。乗客のほとんどは台湾人の年配者のグループ。ハイキングに行くらしい。

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どうすることも出来ずに呆然としていると、そこはYさん、すかさず『あれー』という声を出す。何だと思っていると『実は今日、もう一人Uさんを訪ねてくる人がいるんですよ』という。彼女も1度会ったきりらしいが、日本人男性とか。彼はいつ来るの?と聞くと、LINEを見る限り、今バスに乗ろうとしているというのだ。ならばこの辺にいるだろう、というと、これまたひょっこり、『あのー』という声がかかる。彼がIさんだった。何だかよくわからないが、3人旅となる。因みにYさんはUさんと会ったことはなく、私はIさんとは初対面。こんな組合せで、ご縁ができるというのが、まさに茶縁であろう。

 

そして30分後、2人なら乗れるよ、というところまで順番が来て、これをパス。次のバスには何とか乗れた。このバスは台中駅から来るようで、私一人なら、こんなに待つ必要はなく、台中駅前から乗れば済んだらしい。このバスも満員、どうなっているんだろうか、本当に。バスは竹山経由で、鹿谷に向かう。Uさんには乗車した段階でIさんが連絡を入れていた。我々は農会のバス停で降りるように指示されていたが、呆気なく通り過ぎた。なぜだろうか。今回は不思議な出だしとなっている。

 

3. 鹿谷
偉信の店

Uさんに乗りこしたと連絡すると『今バスが通り過ぎましたよね』と半ばあきれながら、次のバス停まで車で迎えに来てくれた。そしていつものように、彼の拠点となっている、偉信の店へ行く。5年前、初めて鹿谷に来た時は、隣の古い家だけだったが、今では立派な店があり、結婚もして、子供も2人居る。店に入ると女の子がヨチヨチ歩いてきて、名刺をくれる。何とも微笑ましいが、名刺は何と彼女のものだった。将来のオーナーか。どんどん大きくなっていく。

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席に着くと、ウエルカムティーだと言って、シャンペングラスに冷えた高山茶が供される。何とも有り難い。そしておしゃれで、美味い。皆さん、単にお茶を作るだけでなく、遊びを入れながら、色々な工夫をしている。今年は天候が不順であり、茶葉の生育にも影響があった。茶はようやく少し出来始めたところだった。私はここで作られる焙煎の効いたお茶が大好きだ。高山茶というと、清香が主流かもしれないが、本来は焙煎が効いた、濃香なお茶が飲まれていたはずだ。この店の地下から、いい匂いが流れてくる。ここで焙煎が行われている。私は初めて、ここに入れてもらい、見学した。

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埔里から茶旅する2016(2)古き良き台中

まずは両替をしようと、銀行へ行く。米ドルの100ドル札を出したところ、『これは古い札なので1枚ずつ手数料を取るよ。新札はないの』と言われて驚く。いよいよそんな時代が来たか。古いドル札はバンコックあたりで使おう。少し高くなってきた日本円を慌てて出して、両替した。そのお金を持って、携帯シムを買いに行く。今回は取り敢えず15日間700元のシムを買う。これで滞在中のネットの心配はなくなる。何とも便利で有り難い。

 

 

いつもはここから台北へ向かうのだが、普通と同じでは面白くないので、今日は台中に行ってみることにした。台中行のバスも何種類か出ており、一番早く出発するバスを選んだ、つもりだったが、ちょうど出てしまったらしい。230元、台北行きの2倍か。所要時間も2倍らしい。30分後のバス、乗客はそれほど多くない。やはり台北に行くのとは、かなり違う。高速を走り、途中で分かれ道を右に行くと一路台中へ。台中市内に入ると、新市街地から順番にバス停に停まっていき、台中駅に着いたのは、やはり2時間後だった。

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2. 台中
宮原眼科

駅前でホテルを探す。古びたホテルが目に入り、行ってみると、駅の真ん前なのに部屋代は630元。部屋に入ると確かにこれは古い、と感じるが、まあ1泊だからいいかと。窓から駅前がよく見える。テレビを点けると、何とNHKワールドプレミアも入っており、7時のニュースをやっている。隣にはきれいそうなホテルがいくつも出来ているが、この宿のフロントには、いかにも台湾のおばさん、という女性が座っており、何とも懐かしさを覚える。台中に初めて来た1984年。この駅前の旅社のオーナーに『頭のおかしい台湾人』と間違われた記憶が蘇る。中国語、本当に下手だったなあ、あの頃。

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台中駅付近には30年前の台湾が少し残っていた。ちょっとわき道に入ると、まだ旅社と書かれた宿が営業していた。今はどんな人が泊まるのだろうか。決して条件は良くないが、一度はトライしてみたい気もする。日本時代に建てられたと思われる木造建築の家が残り、今でも現役で商店などとして使われている。また石造りの建物は銀行として使われているが、これも日本時代のものだろうか。台中は台北などに比べれば、発展が遅れてきたため、貴重な建物が残っているのだろう。

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夕飯に何を食べるか、何も考えていなかった。駅前には意外といい感じの店がなかった。今や台湾も駅を使うのは中高生、それでファーストフードの店が増えてくる。我々にとっては良くない傾向だが、日本も同じだから仕方がない。川を渡ったところに、鶏肉飯の店があったので、そこでセットメニューを頼む。台湾の良いところは、こういうB級グルメにはあまり外れがないことだろう。75元で、スープも付き、野菜もあり、煮卵も付いてくる。これで十分満足だ。

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腹ごなしにふらふら歩いていると、古い建物の1階に立派なセブンイレブンがある。思わず入って、飲み物を買う。そういえば、ここ台中で最近評判のスポットに『宮原眼科』というのがあったのを思い出す。日本時代に眼科だった建物をリノベーションしておしゃれな空間を作り、スイーツなどを売っているらしい。コンセプトは台南の林百貨店と似ているのだろうか。ただ地図すら持っていない私には、それがどこにあるのかさえ、分らない。

 

仕方なく宿の方に戻ると、駅のすぐ近くに気になる建物があった。実は先ほども気になっていたのだが、何だかブティックのような店がある。よく見れば建物自体もかなりおしゃれ、名のある建築家が設計したのだろうか。ちょっと寄ってみると、それが宮原眼科だった。中に入ると、高い天井やきれいな商品配置が目を惹く。お客もここには沢山いた。クッキーを売っていたが、大きなクッキーが1枚、75元したので驚く。先ほどの私の夕飯と同じ値段なのだ。チョコなど他のスイーツも、きれいに包装され、美味しそうではある。が、高い。でも女性客がどんどん買っていく。日本人観光客も結構いた。

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外に回ると、アイスクリームを売っている。これまた美味しそう。日本でも騒がれている理由が何となくわかったが、私には場違いだということもよくわかり、早々に退散した。このような台湾における日本旧懐ブーム、この背景には、単に古きよきものを懐かしむ、ということ以外に、中国大陸からの強い圧力に嫌気した台湾人が、その反動として『昔はよかったな』と日本時代を懐かしみ、同時に経済発展一辺倒の中国を意識して、それを回避する傾向があるように思う。まあ、それをまたうまく商売に繋げるというのも如何にも台湾らしい。