佐賀・福岡茶旅2024(1)新高製菓の旅

《佐賀・福岡茶旅2024》  2024年3月5₋11日

コロナ禍で国内旅行をした時、一番多く回ったのは九州だった。特に国産紅茶の歴史をやろうと、Oさんの車に乗せてもらい、かなりの場所を回っていた。ただ面白いことにOさんの地元である佐賀県は泊まるだけで調査をしていない。今回は佐賀と彼杵を少し歩き、柳川から博多へ向かった。

3月5日(火)古湯温泉へ

朝早く起きて、家を出た。羽田空港までいつものルートで行く。ラッシュアワー時間帯だったかもしれないが、恐れるほど混んではいない。これが今の東京だ。活気はあまり感じられない。羽田空港で時間を持て余す。ようやく佐賀行きのフライトに搭乗だ。だが何とバスで移動。因みに今回はマイレージを使った。

そしてアップグレードの権利が今月で切れるとの情報が出ており、それを使うと初めて『1A』という座席がもらえた。いつもは通路側しか予約しないのだが、「これもまたいつもと違うやり方」ということだ。といっても機内は快適かと聞かれれば、それほどでもないと答えるだろう。1時間半のフライトでサンドイッチが出るだけ。いや、イングリッシュブレックファーストの紅茶が飲めたのは良かったか。今日も天気は悪く、窓からは何も見えない。

実に久しぶりの佐賀空港。ここから佐賀駅までバスに乗る。途中は畑が続き、雨が降る中、最後の方が街になる。バスターミナルでOさんの出迎えを受け、車はまた郊外へ走り出す。さあて、どこへ行くのだろうか。全てお任せだ。車はこれまで行ったことがない道を北の方へ移動していく。

30分ぐらい走り、山の方へ向かっていくと、何と表示に『郭沫若』の文字が見えた。何でこんなところに郭沫若、と呟いたら、Oさんが、じゃあちょっと行ってみようと言い、車は川沿いの山道に入っていく。10分ぐらい行くと、そこには橋が架かっており、何とか歩いて渡るとそこに日中友好関連の記念碑が建っていた。郭は1924年に家族でここに湯治に来たらしい。そして何らかの小説を残しているというので、ちょっとびっくりした。

また30分ほど行くと道の駅がある。ちょうど雨が降り出していたが、その敷地内にはよい水が湧いて出るらしく、水を汲んでいる人々がいた。その付近はダム建設に伴い集落が水没したようで、昔の写真などが展示されている。ランチは『ジャンボ野菜かき揚げそば』を注文した。本当に驚くほどジャンボだった。

そこから少し行くと可愛らしいパン屋さんがあった。昔ながらのバターパン。小学校の給食にも使われているという。このパン屋さんのひいお爺さんは戦前台湾の新高製菓で働いており、戦後の引き上げで郷里に戻り、パン屋を開業したという。実はすぐ近くの和菓子屋さんも同様の歴史だというから、新高製菓は面白そうだ。

新高製菓とは何か。今日の午後はそれを知る旅となった。そこから小学校へ向かう。敷地内には、新高製菓の創業者で、地元出身の森平太郎及び養父の森源兵衛ゆかりの記念碑が建っている(文字が薄くて判別は難しい)。更に学校でも過去に森について調べており、その資料を頂戴した。

そこから図書館へ向かう途中に、森平太郎ゆかりの家が残っていた。立派な図書館には森平太郎の展示コーナーが設けられ、冊子も作られていた。ここでかなりの情報を得た。森平太郎は作家北方謙三の曽祖父に当たるそうで、東京に戻ってから、森をモデルに北方が書いた『望郷の道』という小説を読んでみた。勿論小説なので実際の森とはかなり違うのだろうが、ちょっとワクワクして読んだ。当時の台北の様子などが生き生きと描かれている。

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