静岡茶旅2024(3)紅茶フェスから伊久美、月岡へ

2月18日(日)紅茶フェスから歴史探索へ

朝ご飯も宿に付いている。ちょうど大学生の団体(野球部)が宿泊しており、食事場所は大混乱。その中を縫って何とか食べる。昨日のカレーに続き、野菜たっぷりの味噌汁が美味い。部屋は狭くてかなりくたびれてはいるが、なかなかいい宿だった。各宿には特徴というものがある。

9時半前にYさんが迎えに来てくれた。車で島田へ向かう。今日はここで地紅茶フェスが開かれるというので行ってみた。会場に着くと駐車場は何とか空いていたが、我々の後の車は停められない。会場に入ると予想をはるかに上回るお客さんが来ており、かなり窮屈な印象であった。開会式が行われていたが、中に入ってみることは難しい。

その後会場の各ブースに立ち寄り、お茶を試飲、購入した。お馴染みの茶農家さんたちがずらっと出ており、さすが静岡のフェスだと思われた。すれ違う人も知り合いが何人もいて、ご長老にもご挨拶できたのは良かった。最近の地紅茶サミットはどこでも大人気とは聞いていたが、和紅茶ブームは本当に来ているのだろうか。

午後はセミナーなどがあるようだが、早々に満席になっている。我々はお茶を買い込み、話をするべき人とは一通り話して、会場を後にした。だがこの辺に食事ができる場所はないらしい。結局すぐ近くのKADODEに行くと、そこにはフェスから流れた紅茶ファンが多く集まっていた。

KADODEに中に入ると、お茶の試飲などがあり、そちらに参加する。宮崎のKさん夫妻がいた。更にはカフェで緑茶バーガーを買って、共有スペースで何とか食べる。ここには一度来たことがあるが、こんなに人がいるんだ、と驚いてしまう今回。地方のイベントというのはなかなか難しいものだ。

そこから伊久美方面へ向かう。30分も走らずに伊久美に入ると、茶畑が見えてくる。すぐに坂本藤吉翁の顕彰碑を発見した。この人は江戸後期にこの地に宇治製法を導入した先駆者だが、初めは誰も賛成しなかったらしい。そして導入後すぐに彼は亡くなってしまったが、製法は残ったということだ。

その先まで行くと公会堂の建物がいい感じで残っている。ご近所の方に話しを聞くと、今は茶農家も減ってしまったようだが、坂本藤吉の名前は知られていた。更に西野平四郎の名前を出したが、この先は殆どが西野姓だよ、と教えてくれた。きっとご子孫がいるに違いないが、探すすべがない。近所のお墓があったが、確かに西野は多かった。

そこから車で約1時間。菊川市月岡にやってきた。ここは旧幕臣で初代静岡県知事の関口隆吉が住んでいた場所。茶畑がある横の少し高い場所に神社があり、その裏が邸宅だったようだ。関口の記念碑も建っている。『関口隆吉遺愛の地』とも書かれている。あの広辞苑を編纂した新村出は隆吉の次男で、ここで育ったらしい。奥さんは茶道家で子孫が茶室を建てていたとあるが、今はその影はない。

すぐ近くには関口家の旧菩提寺、洞月院には、顕彰碑が建っている。篆刻は勝海舟、河津桜がきれいに咲いている。牧之原開拓に尽力し、その能力から中央政府に乞われて各地を回り、最後は静岡で亡くなった関口。元々関口家は今川氏の重臣であり、あの家康の妻、築山殿を出した家と言われれば、なるほどと思ってしまう。

そこから相良の方へ走ってみる。途中に『相良油田』の看板をみえ、俄かに興味を持つ。相良油田といえば、森町の茶商、村松吉平が晩年その開発に熱心に取り組んでいた。ここは日本の太平洋側で唯一の油田だったとあり、明治初期に採掘が始まっていた。今のその採掘現場、小屋などが残っていた。その向こう側を見ると、公園がある。何とそこには相良油田の資料館や再現された採掘場などがあったが、展示は既に終了していて見ることが出来なかった。残念。

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