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《台湾温泉巡り2004》(9)関子嶺2

3. 2004年4月3日(土) 関子嶺

(1) 高雄
2年前のイースター休暇に台湾を訪問した。何の計画も無く行ったのに実に充実した旅となった。今回は前回の旅を踏襲することにして高雄行きのチケットを押さえる。

今回はイースターより1週間前の清明節の3連休を利用。空港は何故かドラゴンエアーのカウンターだけめちゃくちゃ混んでいる。ドラゴンは中国・東南アジアの近距離線、リゾート線に強い上に、この4月より香港人の日本旅行がビザ無し(90日以内)となったことに合わせて、成田に就航。乗客が多いのも頷ける。

高雄行きも満員でシートが普通のエコノミーより広い席を割り振られ、ご機嫌。しかし何故か今回は体が疲れている。シートに深々と体を沈めても疲れは取れない。僅か1時間のフライトで半分以上転寝をしてしまった。

高雄空港に着くと、前回と同じ様に高雄駅に行き、鉄道で嘉義に行くのでは面白くないと思い、旅行者センターで方法を聞くとバスがあると言う。バスのカウンターに行くと人が居ない。暫く覗いているとおじさんが来て切符を売る。10分後にバスが出るので外のバス停で待つようにと言う。

ところが待てど暮らせどバスは来ない。そう言えば一度一番遠い車線をこの会社のバスが通り過ぎたような気がする。しかしまさか、とても客を乗せるような運転ではない。

40分後にとうとう空港ターミナルに戻り、旅行センターへ。バスカウンターに人気は無い。センターの女性がバス会社に電話すると電話が盥回しに。挙句に『お前を探したが見つからなかった』との答え。更に次のバスは何と1時間後。これには切れてしまう。思わず関係の無い女性に『そんなバカな』と怒鳴ってしまう。

結局バス代をセンターの女性が立て替えて返してくれる。一体何と言うバス会社だ。久しぶりに悪い台湾に会ってしまった。しかしその女性はいい迷惑だったろう。一生懸命やってくれたが。

なかなか怒りが収まらず、空港の外に出た。バスが見えたので乗る。僅か12元で高雄駅に行くという。しかしこのバスは路線バス。何時になっても着かない。こんなことならタクシーに乗るんだった。しかも駅の前で曲がってしまい歩いて10分掛けて漸く駅に。嘉義行きの自強号は50分後。前回の電車より1時間以上遅れてしまう。

(2)嘉義
嘉義駅前はよくある台湾の地方都市。300mほど歩くと関子嶺行きのバス停があるはずであった。ところが前回と同じ道を歩いているはずなのにどうしてもバス停が無い。よくよく地図を見ると違う道を歩いている。最近本当にこのようなことが多い。年のせいか思い込みで動いて失敗が増えた。

漸くバス停に着いたが、何と本日の関子嶺行きは既に終わっていた。5時半がラスト。私が駅に着いたのが5時42分、焦ってバス停を探していたが結局無駄な努力だった訳だ。返す返すも高雄空港のバスが恨めしい。

タクシーで向かうか、嘉義に泊まるか、ここはじっくり考えようと思い、取り敢えずやるべき1つのことをすることにする。それは携帯電話の充電器の購入である。香港と台湾では電圧も異なるが差込口が違う。台湾で充電する場合は大きなホテルのように多様な差込口を用意している所を別とすればどうしても台湾製の充電器がいる。

台湾には中古携帯を扱う店が街の彼方此方にある。どうせやるなら店員ではなく店長、そんな台湾人気質が多数の店を生み出している。そんな一軒に何気なく入る。タイ人らしい2人連れが何やら真剣な交渉をしている。最近特にタイからの労働者が多く入っている。恐らく如何に安く携帯を手に入れるか相談しているのだろう。

若い女性店員がこちらを向いて何が欲しいのか聞いてきた。充電器というと直ぐに取り出してくる。更に目の前で試しに充電してみせる。そして大きな箱に入れようとするのを要らないと言うと、小さな箱に入れてくれる。『お急ぎなんですね』とにこりとしながら気遣う。私はこれまでの疲れが一辺に吹き飛ぶ思いを感じた。台湾の良い所が出てきた。素直に気分良く店を後にした。

その後夕飯を食べることに。私は魯肉飯と貢丸湯が大好きだ。あまり腹も空いていないのでその2品のみを頼む。僅かNT$25。安い、美味い。あまり綺麗とは言えない店だが、地元の人が入れ替わり入ってくる。

(3) 関子嶺
店を出るとやはり関子嶺に行って見たくなり、タクシーを停める。NT$500と言うので乗ってみる。タクシーは最初広い公道を走っていたが、その内農道に入って行ったりする。全く知らない真っ暗な夜道を走って行くのは怖いものである。これがバスならさほどでもないが、タクシーとなると運転手との信頼関係が必要である。ところが運転手はこちらが話し掛けてもあまり話そうとしない。

結局バスで1時間以上掛かるところを40分ほどで到着。普通の運転手は自分の馴染みの旅館を紹介したりするものだが、彼は逆に何軒か見てじっくり比較して選ぶようにアドバイスしてくれる。本当は良い人なのだ、疑った訳ではないが申し訳ない。

関子嶺は2年前とあまり変わっていなかった。2年前に泊まって見たいと思った静楽荘の前に呼び込みのおにいさんが居たが、声を掛けてもらえず残念。もし声が掛かれば泊まったかもしれないが。

結局1周して前回泊まった仁恵に入る。フロントの女性が一生懸命説明していたが、2年前にも居た日本語の出来るおばさんが『一人ならNT$1,800でいいよ。』とさらっと言う。前回は昔の小学校の校舎を思わせる造りの部屋であったが、今回はおばさんの配慮で和室風の部屋となる。和室といっても部屋が少し高くなっており、そこにマットレスを敷いたベットが作られている。テレビもある。バス・トイレも綺麗になっている。窓枠だけが昔風の木の枠である。

早々に温泉に入る。2年前と同じ室内大浴場である。ここは裸で入れる。もう1つ外に温泉プール(水着着用)があるが、こちらは子供達が泳ぎ回り今一つ雰囲気が出ないのと水着を忘れたことによりパスすることになった。

室内には先客が3人。見ると2年前と浴槽の位置が異なる。更に奥に打たせ湯?がある。泉質は例の泥の温泉。入ると肌が滑々するのは相変わらず気持ちが良い。しかしここに長く入っていると疲れが出る。今日はかなり疲れており、残念ながら退散。態々タクシーに乗ってここまで来たのに。

本日は土曜日の晩。しかし客が多いとは思えない。勿論明日が清明節で多くの人が墓参りに行く日ではあるが、それにしても台湾の温泉ブームにも陰りがあるようだ。翌朝外に出てみるとこの旅館の前に立派なホテル風の温泉宿が出来ていた。競争はどんどん激しくなっているのがわかる。

それでも朝ご飯のお粥を食べに食堂に行くと相変わらず従業員のお姐さん達が椅子に座ってテレビを見ていた。前回はここで従業員のおじさんに阿里山のお茶農家を紹介してもらった。今回はご飯の種類が増えていただけ。何か寂しい。

前回同様旅館の前からバスに乗る。昨日の夜から客引きのおにいさんが私に興味を持っていたようで、話し掛けてきた。聞けば日本人の女性が良くここを訪れているようで、彼も日本語を習いたいのだそうだ。バスが来た。彼は運転手に私のことを頼んでくれた。運転手も親切になった。バス代は僅かNT$76。昨日のタクシー代はNT$500。

《台湾温泉巡り2003》(8)北投

2.2003年9月13日(土) 北投

(1) 偶然
家族で台北を旅行した。家内は14年前に一度私の駐在中に台北に来たことがあったが、それ以来機会が無く、常々『私は14年台湾に行っていない。』と騒いでいたので、今回訪問することになった。何しろSARSの影響で台北2泊3日のパッケージツアーが安い。

長男は家内のお腹の中で、14年前ここを訪れている。覚えているか、などとからかうと『覚えているわけねーだろう。』等と利いた風な口をきく中学生である。

今回の旅行の目玉の一つが家族で温泉に行くこと。北投にするか、烏来にするかと迷っていたが、行く直前にある人から北投に良い温泉がどんどん出来ている。名前を忘れたが『川湯』の近くだと言う。そこに行って見ようと思い、ホテルにチェックインすると台北在住の知人M夫人よりFaxが入っていた。開けると何とその温泉の名前と場所が書かれている。彼らにはそのことは伝えていなかったのに、どうして分かったのだろう?こんな偶然は大切にすべき。兎に角行くことになった。

(2)湯廬
その温泉『湯廬』は北投の行義路の通称温泉街にある。我々は台北市内のホテルからタクシーに乗ること30分、NT$270をかけて行って見る。大都会のこんな近くに温泉があるの?と言う感じで、その温泉街は小高い丘にある。周りは温泉ばかり、近年の台湾温泉ブームを象徴するように競い合って並んでいる。

行義路より横に入り下って行くと、幾つかの温泉場が見え、その中から湯廬を探すと、何とお迎えの人がいて、ゴルフカートのようなもので送られていく。(昨年行った川湯も同形式)川沿いに行くと直ぐに入り口があり、和風の建物が見え、右は個室宴会場、左は大部屋宴会場、そして中央がレストラン。全てが最近建てられたものと思われ、清潔感あり。そのレストランの横を抜けると裏にSPA(個室でジャグジー付き)、個室、露天大浴場の3種類の温泉がある。我々は男女別の大浴場を選択。一人NT$200。中は露天で程広く、午後の日差しが薄っすら差し込み良い感じ。

昼時が過ぎた午後3時半、誰もいない。男3人で貸切。これは優雅。大き目の浴槽、冷水浴槽とジャグジーの3種類が完備され、子供たちも大満足。多少硫黄の臭いはするが、白湯で入りやすくなっている。洗い場も情報通り小ぎれいで申し分なし。一応40分の時間制限があるようだが、何しろ誰もいないので、1時間は入っていただろうか?特に問題なし。子供たちも久々に極楽気分を味わったようである。

尚台湾で温泉に行く時は、タオルなどは持参する。持って行かないとその場で買う羽目になり余計な出費となる。石鹸、シャンプーなどは備えられているところが多い。又湯廬では脱衣所にロッカーが用意されており、貴重品を入れておくことも可能。

出た後は、レストランでポカリスエットなどを飲み、体を少し冷やす。家族4人で合計NT$1,000、これにタクシー代を入れても何ともコストパフォーマンスの良いレジャーである。台湾在住の人が羨ましい。

ここ北投の日帰り温泉(宿泊施設が無い)のシステムはほぼ同じようで、1人NT$400を払えば、入浴代はただのよう。と言うことはつまり、台湾の人々は温泉に浸かると同時に食事をし、カラオケを歌って楽しむ所と位置づけていることになる。日本にこのシステムは導入されているのだろうか?不振の温泉宿に教えてあげたいところだが、日本では全てのコストが高すぎるのかな??

帰りはタクシーを捕まえて、MRT新北投駅へ。10分で到着。交通手段としては、この他、MRT石牌駅、北投駅から公共バスも出ている。

尚ほぼ同じ場所に昨年行った『川湯』がある。こちらもシステムは全く同じ。但し昨年までは入浴料がNT$100だったが、現在は価格が2倍になり湯廬と同じになっているとのこと。ガイドブックに載ると直に商業的になるようで、現在では日本人にはあまり評判がよくないとも聴いた。

《台湾温泉巡り2002》(7)関子嶺

1.2002年3月29日(金) 関子嶺

(1) 高雄
家族は春休みで日本に戻っていた。来週はイースター休暇の4連休だと思った瞬間、旅行社に電話した。『どちらに?』と言われて、はたと困る。『一番近いところは?』『高雄です』『じゃあ、それで』何と言う安易な決定だろう。何も考えずに空港へ。ドラゴンエアーが飛んでいる。昼過ぎ香港を発ち、僅か1時間で高雄着。考える暇も無い。空港でどうしようかと思っていると市内行きバス停が見える。残念ながら今行ったばかりの様だ。仕方なくタクシーを捕まえ、高雄駅へ。取り敢えずそれしか行き場が無い。

高尾駅に着くと駅舎が新しくなっている。古い駅舎は保存するのか、そのままの姿であるが、横に新品がある。何となく体育館を思わせ、情緒も無い。その無機的な建物に入ると切符売り場がある。思わず近寄る。突然思い立ち嘉義行きの切符を購入。3時20分の自強号に乗る。2時間で嘉義に到着。車中初めてガイドブックを開く。嘉義と言えば、阿里山の玄関口。嘉義に行くのはこれが初めてであるが、特に見るべきところも見当たらない。それより嘉義郊外に関子嶺という温泉地があるのが目に留まる。決まった、今夜はここに泊まろう。

(2)嘉義
嘉義駅前はよくある台湾の地方都市。300mほど歩くと関子嶺行きのバス停がある。残念ながらバスは1時間先。市内を歩き回るが、特に目を引くものは無かった。バス停では中高生が帰宅する為にバスを待っている。バスの横腹には温泉の宣伝があったが、温泉客らしい人は見当たらない。

バスに乗り込む。殆どが地元の人。途中白河というところでターミナルに入り止る。殆ど降りてしまい心配になる。この辺りまで来ると田舎である。白河を出ると川沿いの道となる。日は暮れかかり、人も殆ど降りてしまった。寂しさが募る。道が上りになり、小さなトンネルを潜るとそこに関子嶺はあった。

(3) 関子嶺
結局最後まで乗ったのは、孫とおばあちゃんの2人連れのみ。その2人も居なくなり、1人残される。仕方なく、前を見ると『仁恵皇家温泉渡暇山荘』と言う看板が光って見えた。宿の前に何と呼び込みのおじさんが前掛けをして立っているではないか?迷わず?入る。改装したばかりなのか非常に綺麗な内装で気に入る。

受付のおばさんに聞くと、平日は20%オフのNT$1,600で泊まれると言う。日本では金曜日の夜は平日ではないと思うが、安いので直ぐOK する。この宿には板敷きの大部屋、綺麗な小部屋など何種類かの部屋がある。私の部屋は昔の小学校の教室を思わせる作りで懐かしい感じ。シングルベットにバストイレ付き。これでこの値段は安いと思う。

呼び込みのおじさんが『食事は前の食堂で』と案内する。日本の温泉宿と異なり食事は付いていない。日本のあの食べ切れない食事にはいつも違和感があった私には、自分の好きなものを好きなだけ食べられる方がありがたい。

食堂には新鮮な野菜が並べられ、自分で選んで調理してもらう。私は地鶏の丸焼き?と豆腐スープ、そして日本には無い不思議な野菜の炒め物を頼む。地鶏が大きくて高くついたが、それでもNT$350。2階に上がり、隣を流れる川を見ながら食べる。非常に静かな光景だ。日本の温泉街の、あの煩さがここには無い。と思っていると何処かでカラオケが始まる。悪しき日本文化、ある台湾人が私に言った言葉。カラオケ、漫画、ゲーム、日本はどうして悪い文化を台湾に輸出するのか?確かにその通りである。しかし既に台湾文化になってしまった。この吸収力と加工技術が台湾のパワーなのである。

食後街を歩いてみるが、非常に小さな街であることが分かる。この温泉の歴史も古い。1898年に発見され、吉田という方が病気治療に訪れ、そのまま『吉田屋』という温泉旅館を開いたのが始まりと言う。その吉田屋が、今の静楽旅社であり、橋を渡った私の目の前にあった。如何にも古い感じの建物であるが、一度は入ってみたい気分になった。歴史が感じられるものはやはり良い。

散歩が終わると愈々温泉に入る。この宿で先ず目立つのは温泉プール。水着を着た子供達が大騒ぎをしている。しかしそのお湯を見てビックリ。まるで泥の中に入っているようだ。
流石にここには入れない。部屋の風呂場には何と大きな風呂桶があり、湯を溜めて入るようになっているが、そうすると洗い場は無い。

この宿にはもう1つ室内の大浴場がある。こちらは裸で入る。行ってみると日本的な洗い場と浴槽である。早々に湯に浸かると、何となく硫黄の臭いが漂い、かなり強烈である。更に透明度はゼロで、ドロドロとした感じ。アルカリ性弱食塩泉という珍しい泉質で、入ると細かい泥が指の間を抜ける。上がると肌が滑々する。何となく効き目のある温泉であることが感じられる。部屋に戻っても肌がつるつるしているようで、女性であれば喜ぶであろうなと思われる。湯は流し湯で新しい湯が供給されているようであるが、何しろ泥できれいかどうか見えない。

この宿は建物自体が面白く、階段を上がったり降りたり、して見て回る。茶芸館もあるが誰もいない。そうだ、この辺にも茶畑があるのではと思い、おじさんに聴いてみたが、『ここには茶畑は無い』と一言で言い切られてしまう。

翌朝起きると朝ごはんがあるという。簡単な粥を食べていると隣で呼び込みおじさんも食べている。従業員と客が一緒に食べているが面白い。おじさんが『茶畑に行きたいのか?』と聞いてくる。行きたいと言うと、何と阿里山中腹の茶農家を本当に紹介してくれた。この訪問記は別の機会に譲るが、これだから行き当たりばったりの旅行は面白い。

急いで嘉義に戻り阿里山に行こうとしていると、外が騒がしい。聞くと1年に一度のお祭り(?)のようで、拡声器で音楽を流しながら、山車が練り歩いてくる。台湾で郊外を車に乗っていると時折葬式に出くわすことがあるが、それに似ている。台湾の葬式は賑やかなのが基本で、沢山の車を連ねて通りを回る。故人の好きな出し物が車の上で催され、歌手が演歌を歌ったりしている。驚くのはストリップ嬢らしい人が水着姿で車に乗って踊っていたりする。聞くと死んだおじいさんが好きだったから、と言われ、度肝を抜かれたこともある。

この田舎の温泉町で山車が練り歩くところを見ると、何となく日本を思い出してしまう。小さいが素晴らしい街、関子嶺を後にした。

《台湾温泉巡り2002》(6)烏来

6.2002年8月29日(木) 烏来

(1) 巨龍山荘
台北駅前で直ぐに烏来行きのバス停を探す。青島西路にあったが、非常に分かりにくい。おまけに新店までMRTに沿って行き40分も掛かる。これでは最初からMRTで新店まで行き、バスに乗り換えた方が遥かに早いことが分かる。証拠に新店で沢山の乗客が乗り込んできた。

新店より先は山道となる。渓流の脇を通ると子供が水浴びしている。大都会台北の郊外とは思えないほど、長閑である。もう直ぐ終点と思って見ていると、突然『巨龍山荘』という看板が目に入る。確か聞いたことがある。迷わずバスを降りる。

『巨龍山荘』は手前に建物が無いので、田舎の1軒屋といった感じ。ロビーは広い。受付で部屋の有無を尋ねると『部屋はあるが、1人では泊められない』と断られる。日本人で態々やってきた旨を伝え、色々と話しているうちに、店長の女性が出てきて泊めてくれた。料金も何故か10%ディスカウントしてくれた。NT$2,880(朝食付き)。ここでは、オーナーが日本のことを良く研究しており、男女に係わらず1人旅は原則泊めないのだという。他のホテルでは自殺者があったとの話もあるが、定かではない。

部屋はロビーより2階下にある。まるで日本の洋風温泉旅館。しかも箱根辺りにありそうな新しくなく、情緒があり、下には渓流が見える。いや、最高。河辺までは降りられないが、途中まで木々の中をおりると東屋もある。上に道路があるが、極めて静か。

(2)ナルワンホテル
ロビーに行くと姉妹ホテルのナルワンホテルに行って滝を見ないかと誘われる。ホテルのバンに無料で乗せてくれる。非常に親切。

13年振りに滝を見る。水量が減って滝が細った感じ。突然携帯電話が鳴る。家からだ。これは奇縁。長男は生まれる前にお腹の中に入って台湾に来ており、この滝の音も聞いたはずだ。(但し現在の彼は中学生になり、夏休みの宿題に悲鳴を上げていた)

烏来にもゴミ箱が無い。観光地なのにゴミ箱が無いと極めて不便。ペットボトルを買っても捨てるところが無く、結局買った場所で引き取って貰う。観光客が買い物をして生活が成り立つ街で観光客のことを考えないのは如何なものか?

ナルワンホテルはこの滝の前にあり、滝のみが売り物。温泉などは特に無いが、値段は巨龍山荘と同じ。

(3)夕食
夕食は巨龍山荘のレストランで食べる。ここはオーナーの張氏の趣味で茶葉料理を出すことで有名。但しこの日は誰もレストランに居らず貸切。台湾の茶葉料理はここから始まったと言われているだけに寂しい、残念。

紅茶鶏丁と清香蚵仔湯をオーダー。紅茶鶏丁には文字通り紅茶の葉が入っている。賽の目に切った鶏肉と茶葉を炒める。何となく香ばしい。清香蚵仔湯はあさりに生姜が入ったスープに緑茶がまぶしてある。茶葉の色が鮮やかである。またあさりの身が大きく、ぷりぷりしている。どちらも食べ易く、美味。NT$370。

食後店長の黄さん(女性、40歳)の勧めで、散歩に。この宿にはクーラーがあまり無く夜は外の方が涼しい。沢山汗を掻いて新陳代謝を図る狙いがある。黄さんは半年前まで台北の貿易会社に勤めていたそうだが、最初の仕事はホテル業であったという。最初は泊めてくれないなどと不親切な人だと思ったが、打ち解けるととても親切。宿泊費も割り引くし、入浴権も2枚くれる。後で聞くとどうやら髭面の私を温泉作家(?)と間違えた節がある。従業員の若い女性が『何を書くの?』などと聞いていたから。勿論黄さんにはサラリーマンであることを伝えたが、それでも親切は変わらなかった。

尚ここのオーナーは烏来に2つのホテル(巨龍山荘、ナルワン)と国際岩湯という温泉(宿泊施設は無いが、非常に素晴らしい露天風呂があると聞いている)を保有する他、緑島の朝日と墾丁にもホテルを有する。元々はお茶好きで20年前には、ここで茶芸館をやっていたのが始まりという。黄さんによれば、オーナーは研究熱心で凝り性。趣味が高じて仕事になっていった模様。ホテルの至る所に工芸品が置かれている。

ということで2階の茶芸館へ。かなり広いスペース。まるで博物館のように茶器などが並べられている中に喫茶スペース(テーブルが7-8卓)がある。クーラーが無い室内は暑いので、渓流を見ながら茶が飲める屋外を選択。渓流を見ながらといっても、実は暗くてよく見えず、音を静かに聴く。

包種茶の一種を頼む。最高級ではないが色が鮮やかに出る。香も甘い感じでよい。NT$200+お湯代NT$100。オーナーはお茶に煩く、自ら茶園を経営しているようだ。このホテルにはかなりの茶葉が来ており、店長の黄さんも暇な時は茶葉の仕分けなどをやっている。実に面白い宿だ。

(4)風呂
愈々1階下の風呂場へ。入り口でロッカーの鍵をくれる等かなり日本的。数個の個室風呂があるが、窓もなくあまり広くない。大浴場はまあまあの広さ。洗い場も日本のそれと同じ。風呂は半露天で渓流が見渡せて気持ちが良い。湯は弱アルカリ性炭酸泉で、透明。大きな浴槽は温めだが、小さな浴槽はしっかりと熱いジャグジー。湯で体を温め、出ると渓流を眺めながら体を洗う。涼やかな風がサッと吹く。いやあ、極楽、極楽。きっと箱根辺りにもこんな温泉があるに違いない。

夜8時を過ぎても沢山の人が入っている。この宿には部屋は10室しかないことを考えると皆これから帰るのだろう。箱根では考えられないことだ。夜半川の音が大きくなる。眠りが浅くなる。どうやら雨が降り出したようだ。どんどん強くなる。この旅1週間で初めての雨。それがこの宿で。実に良い気分で寝返りを打つ。

午前8時に一番風呂。流石に誰も居ない。昨夜と違い、大浴槽も40度あり、気持ちよく入る。小雨が降る川辺を眺め、対岸の緑豊かな山を眺める。台湾にいることが信じられない静けさ。かなり絵になる。

朝飯は粥とキャベツ炒め、炒り豆、目玉焼き。日本的にお盆に載せられている。マニュアルが行き届いている。但し1人で泊まっているのに、2人分くれるのは如何なものか?いやいや、この宿では1人は泊めないマニュアルなのだ。

10時に雨が上がる。眩しい日差しの中、晴れやかな気分で台北に向かう。台湾1周7泊8日温泉の旅。予想を遥かに上回る満足度。これを人に知らしめないのは罪ではないかと思う。

《台湾温泉巡り2002》(5)谷関

5.2002年8月27-28日(火、水) 谷関

(1)知本から谷関まで
知本駅は本当に何も無い駅であった。駅前には2-3軒の建物があるだけで飲み物を買うことすら出来ない。自強号が停まる駅でこれだけ寂しい駅も珍しいだろう。

高雄経由台中までの切符を購入。NT$729。駅は新しく、きっと台東駅の移転と温泉ブームによる知本の重要性から駅が作られたのでは?確かにタクシーだけは数台いた。それと駅の放送に何と日本語が含まれていた。

9時半に乗車。車中は左が海、右が山という風景が続く。あまり乗客はいない。その中で私の隣は何故か西洋人。但し流暢な北京語を使っており、しかも観光客ではなく、途中の名も無い駅で下車して行った。西洋人でも台湾が好きになり、骨を埋めるつもりで滞在している人もいるだろう。台湾は日本人の為だけにあるのではないのだ。

12時10分に高雄着。急いでホームを渡り、駅弁を買い込み12時20分発の自強号松山行きに乗り継ぐ。高雄、台南、嘉義には本年3月に来ているので、今回は飛ばして一路台中へ。

14時40分台中着。本当は台中の茶芸館にも寄りたい気分であったが、これから向かう谷関が非常に遠いところなので、早くバスに乗り込もうとバス停を探す。駅前左の百貨店の前に漸く谷関行きバス停を発見。しかし台中の人が不親切なのか、私が外国人に見えないのか、バス停1つ聞くのに非常に苦労する。

15時20分にバスが着て乗り込む。ところが最初の1時間は街中を行き、何と豊原駅前に着く。こんなことなら最初から豊原に来るべきであった。豊原には昔ゴルフに来たことがあった。確かプロゴルファーの涂阿玉が練習生をしていたところと聞いた。

それから山道を1時間半行く。途中ビンロウ樹が非常に多く、このあたりも昔のビンロウ成金が多かったのだろうかと思う。ビンロウは昔台湾の名産であり、刺激があることから長距離トラックの運転手などが中毒になっているもので、咬むと口の中が真っ赤になり、一般人には食べにくい物。最近は安いタイ産などが出回り、台湾産は苦戦しているとのこと。行くに従い山の風景が濃くなる。渓流が流れ、山からは煙も棚引く。野菜などを作る畑もかなり面積が制限される。バスもかなり揺れる。

(2)谷関のホテル1
17時40分何とか谷関に到着。山の中の温泉街の雰囲気がある。ガイドブックにある『伊豆』という日式温泉を探す。場所は近いのだが、かなり急な坂を上りバテる。漸くたどり着くも部屋はスイートルームしかないという。どんな部屋でも良いというほど疲れていたが、まさか10人以上は入れる個室露天風呂の付いた部屋に1人で泊まるわけには行かない。宿の人々も親切で色々骨を折ってくれている。ここには是非泊まりたいと思い、明日の予約を入れて引き上げる。

引き上げるといってもどうすればよいのか?既に時間は6時半を過ぎ、あたりは暗くなってくる。仕方なくバス停付近に戻り、そこにある『龍谷飯店』に行く。受付の女性が親切でNT$2,000のところをNT$1,800にしてくれて、部屋も川沿いの眺めの良いところにしてくれる。更に夕食券をくれる。近くのレストランでNT$200分の食事が出来る。レストランに行くと、チャーハン、キャベツ炒めなどを頼んだが、スープは態々小椀に入れてくれる心遣いがある。1人旅には有難い。

夜1階にある風呂場へ行く。完璧に日本的な半露天風呂。窓が無く直接渓流が見渡せる。実に気持ちが良い。25度、37度、42度の3種類の浴槽があり、サウナもある。洗い場も広い。湯は透明でさらさらした感じ。弱アルカリ性炭酸の泉質。実に入りやすいお湯である。夜の闇に渓流のせせらぎが聞こえる。

風呂から出ると休息室があり、無料で電動マッサージ器が使える。初めて使ってみたが、人が揉むようなわけにはいかないものの、結構気持ちが良い。台湾人が3人ほど試しており、鼾を掻いて寝ている人もいる。いやあ、温泉気分だなあ。

(3)谷関のお茶
夕飯の後、受付の林さんに『八仙山茶』の産地に行く方法を聞く。林さんはとても親切で、農協に電話してくれたが、バスなどは無く歩いて数時間掛かることが分かる。更に春茶はもう残っていないと言われ、諦める。

気の毒に思ったのか、林さんは自分の阿里山高山茶をご馳走してくれた。このホテルには茶芸館があり入浴客は自ら茶を入れて飲むことが出来る。紅木の立派なテーブルが4つもある。更にこの茶芸館は博物館にもなっており、ここの山から発掘された古代の石などが展示されている。ここのオーナーは日月潭にある九族文化村も経営しており、文化には非常に関心が高いとのこと。

林さんのお茶は阿里山の中腹にある友人である茶農家から直接取り寄せているとのこと。1斤、NT$2,000と値段も高級。始めに今年の春茶を飲む。実に自然な感じ。水も八仙山の天然水を使用。美味い。しかし林さんに寄れば、今年台湾では雨が少なく、茶葉の出来は今一つ。昨年の春茶を飲めば分かるとのことで、挑戦する。実にマイルド、とても昨年のお茶とは思えない。台湾では時々古いお茶を飲んでも、新鮮な感じがしたりするが、今回は正に驚き。

林さんは50歳前後の女性で、20年前には台北で日本人相手に土産物を売っていたこともあるという。2年前までは台中でコーヒーショップをやっていたが、生まれ故郷に戻りたくて、今の仕事を探したという。お茶は昔から好きで、仕事の合間には必ず飲んでいるとのこと。その自然な感じが良い。

尚お茶について言えば、谷関の先に梨山という有名な茶の産地がある。以前はここから梨山まで車で行けたが、1999年9月の大地震により道路は大きく崩れ落ち、3年経った今でも復旧の目処は全く立っていないという。道の崩れている様子はホテルからも見えるほどで、その災害の凄さが分かる。

(4)吊橋
翌朝の朝食もビュッフェで、『素食』という各種野菜と粥を食べる。台湾の温泉は本当に健康的だ。

このホテルには川の向こう側に専用の温泉プールが付いているのが見え、家族連れが朝から出掛けている。行って見ようかと思ったが、難敵は吊橋。橋は結構長く、幅があまり無く、更にかなりの高さがあり怖そう。即座に断念して、部屋の風呂に浸かる。小さい浴槽ながら肩まで浸かれる深さがあり、満足。

尚ここ谷関では、吊橋が幾つかあり、橋を渡らないと行けない場所も多い。私は一人旅であったので行かずに済んだが、団体であればどうなっていただろうか?

(5)谷関のホテル2

12時に龍谷飯店をチェックアウトし、昨日予約した伊豆温泉へ。歓迎してくれたもののチェックインは3時からとのことで、仕方なく大浴場に入り待つ。この風呂、完全な露天風呂で流し湯。男湯と女湯がある。かなり広く、気持ちが良い。冷水の浴槽もあり、何度も入って楽しむ。午後の日差しを浴びて、入浴するのも良いものだ。

1時過ぎると昼休みの従業員が思い思いに入ってくる。毎日こんな温泉に入れるとは、何という贅沢。私もここの従業員になりたくなった。心なしか彼らの肌はつやつやして見える。

3時にチェックイン(NT$2,800、朝食付き)すると、フロントのある建物の横から階段を上がり、温泉プールが見える。更に石段を上がるとログハウス風の建物がある。ここが今夜の宿泊場所。5軒長屋の一番手前に入る。部屋の名前は『箱根』。中は広くは無いが、整っている。そして何といっても前庭にある露天風呂。露天風呂付き個室なのである。

早々に自分で湯を溜める。湯はかなり熱く、水を足さないととても入れない。待つこと10分、入る。実に気持ちが良い。夕方とはいえ、都会では8月の台湾の気温は30度を超えている。ところがここは海抜1,000mの山の中であり、露天風呂に浸かっていると顔はヒンヤリ、体はポカポカ。極楽、極楽。出来れば水を入れずに少し時間をおくと効果はもっと高いのでは?

夕食後、体を洗う為に再度男湯に入る。湯に浸かってから出ると結構寒い。日本の秋に露天風呂に入ったときの感触。尚この宿には情人池と呼ばれる個室風呂もあり、そちらに入れば湯醒めせずに済んだのに。しかし一人で情人池はちょっと恥かしい。

翌朝も7時に起床し、湯を溜めて入浴。朝から自分の部屋で入浴できるとは、何という贅沢。部屋に露天風呂があることがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。自分でも可笑しい位に感激。特に木の葉がはらはら落ちてきて、湯面に浮かぶともう言葉も出ない。

朝食付きで、粥、玉子焼き、野菜炒め、漬物など日本の旅館の朝食に近い献立。美味いので、粥をお替りする。非常に心残りながら、この素晴らしい宿をチェックアウトし、バス停に向かう。9時10分発台中行き。NT$121。今日は何時もの運転手が休みで代わりの人がやるので少し遅れるという。実にローカル。こんな時は腹も立たない。

出発後少し行くと、茶荘、茶畑などが見える。歩いても行くべきだったと後悔する。更に行くと梨が多く植えられているところもある。2日前と世界が違って見えるのは疲労度のせいか?

10時45分に豊原駅に到着。直ぐに11時7分発の自強号に乗り継ぎ、台北へ。NT$348。途中板橋駅を過ぎてから、地下に潜っていったのは初めての体験。13時8分台北着。これで台湾一周鉄道の旅をほぼ完成。(乗らなかった区間は台東から知本までの2駅と台中から豊原の1駅のみ。)

《台湾温泉巡り2002》(4)知本温泉

4.2002年8月26日(月) 知本温泉

(1)池上弁当
朝10時10分発のバスに乗り瑞穂駅へ(NT$19)。バスは1日に5-6本しかない。地元の高校生が乗っている。駅まで10分。そのまま10時44分の自強号で台東へ。この列車は昨日乗った列車。ここには丸一日居たことになる。

11時33分に池上という駅に着く。東京都大田区にもある地名であるが、近年台湾でも極めて有名。米所である。日本で言えば魚沼産コシヒカリとでも言おうか?

到着と同時に乗客が大勢降りて行く。何でこんなに降りるのかと外を見ると何と駅弁売りのところに人が群がっている。慌てて降りる。この駅では池上米を使った駅弁を名物としており、台湾人の間でも有名のようだ。駅弁は日本のものよりシンプルであるが、構成は同じ。鶏肉の腿焼、豚肉の煮付け、玉子焼き、野菜炒め、漬物。NT$60は安い。停車僅か1分で皆が降りる訳が分かる。

この池上米も戦前日本の技術で米作が導入され、戦後改良されたものと思われる。車窓を眺めると各水田が小さく、四角に切られている。民俗学者宮本常一の本にあるような日本古来の水田である。

(2)台東
12時17分に台東新駅に到着。旧台東駅は既に廃止され、ここ新駅に移されたが、駅前には何も無く、おまけに旧市街地まで行くバスもなかなか無い。極めて不便。学生の団体が乗り込むバスがあり、見ると旧市街地行き。15分、NT$19。

終点で降りるとそこは旧台東駅。こちらは既に列車の運行が無く、非常に寂しい。何で新駅など作ったのか相当に疑問がわく。また今日の目的地知本行きバス停も見つからない。ここは何と不親切なところだろうか?

漸くバス停を発見したが、まだ1時間もある。携帯の充電が出来ず困っていたので、バス停横の中古携帯屋に入り、充電を頼む。するとそこのオーナーである若者が『充電器を買えば良い。』と非常に親切に110Vの充電器を差し出す。流石柔軟性のある台湾のこと、簡単に香港製の携帯の充電器が見つかる。NT$250。ついでに充電してもらい涼しい店内で休む。店には若者を中心に次々と客が訪れる。故障した携帯等機用に直していく。小回りの利くこんな店が今日本に欲しい。

(3)知本
バスは30分ほどで知本に。NT$51。知本は早くから温泉で有名であり、大型の設備の整ったホテルも多い。実は朝ここの老舗ホテルに電話を入れて見たが、今は夏休み期間とのことで何とNT$9,900の部屋しか空いていないといわれ,ビビッていた。

知本も手前の外温泉と奥の内温泉に分かれており、私はバスの終点内温泉に行く。何処でも良いから泊りを確保しようと思い、バスを下車して直ぐに目に入った『龍泉山荘』に行ってみる。入り口を入るとおばあさんがテレビを見ていたが、行き成り『日本人か?』と日本語で聞いてきて、割引だといって1泊NT$800になる。面白そうなので泊まる。

知本にはそこそこ大きな知本渓という川が流れている。川の流れは緩やかで落ち着いており、近くには山が迫っており、緑豊かな場所である。龍泉山荘の5Fのベランダ(ここが入り口の階)から眺めると、山と川の調和が取れており、実に自然豊かで心洗われる思い。月曜日で客も少なく、静か。

このホテルはかなり古くて、お世辞にも豪華とはいえない。部屋は小さいが清潔。風呂は部屋にあるがこれも小さい。湯は弱アルカリ性炭酸で、何となくヌルヌルする。温泉にも入り疲れたのか、この日はあまり長く入っていない。

(4)森林遊楽区
ホテルの直ぐ近くに『森林遊楽区』があると聞き行ってみる。散歩する場所という程度の認識で入ってみる。NT$100。ところがここは本当の自然の中を遊歩道に沿って歩く所でかなりキツイ。迂回路を回り、出来るだけ疲労を避けようとしたが、頂上近くに行くころには足は棒のようになり、上がらなくなる。今日は幸い太陽が出ていないのでそれほど暑くないが、昨日だったら死んでいただろう。

ベンチで度々休んでいると鳥が鳴いたり、蝉が鳴いたり、自然の中にいることが実感できる。木々も種類が多く、覚え切れない。長くダラダラした下り坂もかなりシンドイ。最後には滝に出る。結構勢いのある、なかなか美しい滝で、かなりの時間ここで休む。出口は何と吊橋。高所恐怖症の私にはこの橋は無理であったので、横道から態々入り口に戻り漸く出る。全体で約2kmとあったが、私には10kmに感じられた。

(5)後輩
宿に戻るとおばあさんが『もう一人日本人の若者が泊まりに来た。一緒にご飯を食べたら』と言う。こういう感覚が昔の台湾だ。非常に懐かしく、好意に甘え一緒に若者の部屋に行く。なかなか好青年に思えたので、夕食に誘う。食事は山蘇という野菜の炒め物、金針という豆の入ったスープ、渓流の小魚など土地のものを頼み、NT$700。久しぶりに種類のあるおかずだ。これもおばあさんのお陰。

話を聞いていると何と大学の後輩でフランス語科の4年生と分かる。何と寄寓なことか?フランス語科なのに、何故かタイなどのアジア諸国を回っているという。台湾も気に入っており、もう暫く放浪する予定。既に就職はサントリーに決まっており、気楽な旅だ。但しサントリーは現在中国に力を入れており、彼も中国の業務に着くことを想定して北京語などもかじっている様だ。最近の学生は何を考えているか分からないなどと言うが、私などより余程考えているのでは、と思ってしまう。

(6)温泉プール
食後戻るとおばあさんが隣の『SPA(温泉プール)』に行けと言う。2人で出掛けることにする。1人NT$200。私は噂には良く聞いていたが、温泉プールは初めて。水着とタオルを持って出発。更におばあさんより帽子を借りる。帽子が無いとプールに入れないようだ。

東台大飯店。行ってビックリ。25m以上の大きなプールがある。夜8時だというのに子供が大騒ぎしている。プール内にジェットバス、打たせ湯などがある。SPAとは、水治療のことで、肩凝り、腰痛他に効果があるものを言う。プールには監視員がいて、まるで普通のプールと同じ。帽子着用が義務付けられており、違反するとピーと笛を吹かれ、退水を命じられる。実にユニーク。更にプールサイドにはリゾートにあるような寝そべることの出来るシートがあり、本当にプールである。その奥には、3種類の温泉があり、各数人が浸かれる。

プールの方を眺めていると向こうでもこちらを眺めている人がいる。こんな所に知り合いはいなが、と思ってみると何と昼間の携帯屋のオーナーと従業員だ。これまた奇遇。オーナーは業務終了後小さい子供を連れて車でやってきたようだ。
彼らにとってここはそれ程に身近なのである。生活を楽しめる空間が存在する。2度と会うことは無いと思っていた人に再会するのは楽しいものだ。

宿に戻ったのは11時半。おばあさんは我々の帰りを入り口のソファーに寝て待っていてくれた。昔の自分の家を思い出す光景だ。大感激。実はこのおばあさん、既にこのホテルは子供の代になっており、隠居の身ながら、偶然にも家族5人がアメリカ旅行中で留守番をしていたことが判明。車椅子のおじいさんの世話をしながら、インドネシア人メードを使い、やっていたところに私が転がり込んだようだ。確かに商売っ気はあまりなかった。それが良かったのだが、次回はこうは行くまい。

翌朝バスで台東に戻るよう勧めるおばあさんに無理にタクシーを頼み、台東から2つ目の知本という駅まで行く。私は今回の旅でタクシーを使うのはお茶農家に行くときだけ、と決めていたが、昨日の様子を考えてみると流石に台東に戻ると無駄な時間が多過ぎることから特例として使った。NT$250、10分で到着。

《台湾温泉巡り2002》(3)紅葉温泉

3.2002年8月25日(日) 紅葉温泉

(1)茶農家
翌日朝8時11分発で瑞穂へ(NT$386)。今まで何回も台湾にやってきたが、花蓮より南へ行くのは初めてである。花蓮を過ぎると左手に海が見えまた畑が見える。右側は険しい山が見える。非常に自然が多い場所である。天気の良い日曜日にピクニックに行く気分である。リラックスできる。

10時44分瑞穂駅到着。礁渓は日本の温泉町の雰囲気があるが、ここ瑞穂は全くの田舎である。駅前にタクシーが何台か停まっており、その内の1台に声を掛けると女性ドライバーであった。『舞鶴の茶農家へ連れて行ってくれ。』と言うとかなり驚いていたが、10分ほど走り、1軒の農家へ行った。

少し小高い道端にある茶農家へ。ここ舞鶴は舞鶴山の麓にあり、50年以上前から茶を作っている。ここは土地が痩せており、様々な作物を試した結果最後に茶に行き着いたそうだ。但し高地ではないため、高級茶は出来ない。金萱茶は近くの舞鶴山で作る(収穫は春、秋、冬の年3回)が、高山茶は廬山などで作り持ち帰る。付近には100軒以上の農家があり、台北などの茶商が買いに来る他、花蓮からの日帰り観光に組み込まれている。又日本人で年2回茶を評しにくる人もいると言う。

農家のオヤジさんは、落語家の立川談志そっくりでビックリ。訥々としたしゃべりながら、ユーモアがあり、楽しめる。弟が福建省に行き茶を作っているとのこと。最初は苦労していたが、最近は利益が出ているようだ。まるで戦前の農家の次男が満州に行くような話しだが、彼が話すと悲壮感は無い。彼も先日シンセンに行き茶葉世界も見学したが、茶は殆ど飲まずにホテルで自分のお茶を飲んでいたという。最後に舞鶴金萱茶を1斤、NT$1,000で購入。

(2)紅葉温泉
運転手のおばさんに紅葉温泉に泊まりたいと言うと、『今日は日曜日だから』と言って、部屋の有無を電話で聞いてくれる。部屋が確認できたので、駅からの一本道を行く。牧場があったり、畑があったり、田舎の風情だ。原住民に対して政府は手厚過ぎる保護をしており、住宅補助金を出したり、子女の大学入試に加点したりと、不公平感が出ているなどの話を聞きながら向かう。

紅葉温泉は一本道の行き止まり。川が流れ、山並みがそこまで迫る。実に風情のある温泉だ。まあ昔の小学校の校舎が宿舎といった感じ。映画のロケに使えそう。中を覗くと何と畳の大部屋がある。板敷きもある。戦前の日本時代の名残ではないか?私は外国人ということで(?)、新設備の個室へ。NT$1,800(運転手のおばさんの交渉により割引あり)。バストイレ付き、エアコン付きで快適ではあるが、何となく古いほうに泊まりたい気分。

取り敢えず一風呂浴びる。大浴場には子供が水着で入り、暴れているので仕方なく個室へ。この暑い夏の昼日中に個室風呂とは、まるでサウナそのもの。下はタイル張りで昔の家の風呂場を思い出す。洗い場では石鹸の泡が良く立つ。湯は炭酸水素ナトリウムで、皮膚病、神経痛に効果あり。透明で癖が無く、入り易い。本来かなり長湯が出来そうだが、今の状態では10分が限界。(宿泊者無料。外来はNT$70。)

(3)瑞穂温泉
午後暇なのでもう1軒の温泉宿、瑞穂温泉まで歩く。約3kmはある。暑い。紅葉大橋あり。川には水があまり無く、今年の降水量の少なさを感じるが、子供たちは元気に水浴びしている。思わず一緒に入りたい気分。

瑞穂温泉は通称『外温泉』と呼ばれる。(紅葉温泉は内温泉)道からかなり急な坂を上った小山の中腹にある。露天の温泉プールがあり、水着を着た子供たちがはしゃぎ回っている。受付の横には個室風呂が並び、カップルが向かう。

NT$80の入浴料を支払い個室へ。かなり狭いが清潔感があり、木の香がする。湯は流し湯で、鉄分を含む塩化物炭酸泉質。色は黄色っぽい。痛風、胃腸病に効く。戸を閉めると蒸し暑いが、なかなか気持ちが良い。肌がしっとりしてくる感じ。ゆったりとした気分に浸れる。外へ出ると汗が噴出す。皆ベンチで休む。

もと来た道を戻る。キャベツ、芋などの畑が両側に広がり、トンボやちょうちょが飛んでいる。子供の頃の夏の夕暮れを思い出し、何だか涙ぐんでしまう。尚ここのキャベツ炒めは絶品。

部屋では何故かNHKワールドプレミアが映り、大河ドラマを見る。外では親子連れが花火をしたり、若者が騒いだりしている。夏の海水浴場の民宿を思い出す。翌朝は早く起きて山道を散歩する。朝露にぬれた草花が美しい。また川のせせらぎも心地良い。非常に幸せな一日の始まりである。

《台湾温泉巡り2002》(2)礁渓

2.2002年8月24日(土) 礁渓

(1)九份
翌日新北投より台北駅に戻り、九份に向かう。北投からバスで行けると思っていたが、甘かった。一旦MRTで台北駅に戻り、そこから9時発の東部幹線莒光号で約1時間後瑞芳着(NT$62、座席無し)。本日は夏休みの土曜日。車内は海水浴に行く親子連れ等などでごった返しており、一睡の余地も無い。最近1時間も立っていることは無かったので、非常に疲れる。

漸く下車したものの大きな荷物を持つことが苦痛になり、駅で預けることに。ところが荷物預かり所には職員が一人しかおらず、且つ預かっても午後居ないこともあり、何時荷物を取り出せるか分からないという。信じられない話だ。諦めてザップを背負いバス停へ。

駅前の金瓜石行きバス停も長蛇の列。私が前回九份を訪れたのは10年以上も前。その当時ここを訪れる人の数は限られており、こんな光景は見られなかったと思う。映画『非情城市』の舞台として、既に注目はされていたが。非情城市は1947年の2・28事件を扱った台湾映画史上空前の大作である。

私はこの映画が封切られた時、台北に駐在していた。偶々日本に戻っており、家内に誘われて見たのを覚えている。何も台北駐在者が日本で台湾映画を見る必要は無いと思ったが、映画が始まるとビックリ。当時台湾ではタブーとされ、2・28の話をすると特別警察が来るとまで言われていたその事件を公の映画の中で再現しているのである。これは大変なものを見てしまったと思った。当然台湾国内では上映禁止だったと思う。

その映画の舞台が九份。非常に静かな朝の顔と騒がしい夜の顔を持ち、更に綺麗な大自然がある。魅力的な街である。バスは超満員で、山道を行く。カーブでは左右に振られて大変である。しかし運転手が気さくな人で台湾語で乗客の笑いを取っており和む。20分後到着。NT$19。

久しぶりの九份は様変わりしていた。単なる観光地である。まるで江ノ島の沿道のような土産物屋が並ぶ。映画に因んだ茶屋もある。綺麗になった建物が多い。日本人の若い女性が写真を撮っている。風情とか情緒など全く無い。苦労してきた割にはガッカリ。

疲れ果ててしまい『九重町』というホテルの5Fの茶屋に行くが、ここも朝から台湾人の団体がトランプなどをしており、落ち着けない。但し景色はまあまあ。暑いのでアイスティーを飲む。NT$130。その後も歩き回るが、良いところも無く早々に駅に引き帰し、1時半の電車で礁渓へ。途中から左手に海を見ながら、1時間後に到着。

(2)礁渓
礁渓は『小北投』とも言われるほど温泉の多い地帯。駅を出て直ぐに温泉宿が沢山見える。『蘭陽温泉ホテル』に個室のヒノキ風呂があると聞き、訪ねるが既に土曜日で予約が一杯。仕方なく、周りをきょろきょろしていると、通りに面したところに小奇麗なホテルを発見。迷わず入る。今年開業したばかりの『元隆飯店』はNT$2,560とちょっと高いが、部屋が綺麗で日本のビジネスホテルのように機能的(昨夜の部屋が汚かったので今日は綺麗なところに泊まりたかった)。日本のように機能的と言うことは、部屋は狭いがベットの上から物も取れるし、テレビも十分に見られるという意味。部屋にある浴槽に温泉を溜めてはいる。フロントでは外国人が来た事が無いのか、身分証がないと言うとパスポートも見せずにチェックインできた。

疲れていたので、早々に湯を溜めて入る。浴槽が綺麗で気持ち良く、1人で入るには丁度良い広さ。湯は透明で炭酸ナトリウム泉。関節炎、リューマチなどに効くと言う。昨日はラジウムで疲れたが、本日は長風呂が可能。今日は朝から疲れたせいか事の他、極楽気分になれる。結局一晩3回も入る。

(3)温泉溝
街を散歩する。小さな温泉宿が本当に沢山ある。民宿といった雰囲気。『部屋休憩』などと書かれた看板が多く、日帰り旅行者も多いようだ。台湾の人々にとって温泉は決して構えて旅行する場所ではない。日本人は温泉に行くといえば、大旅行だが、ここではプールに行く程度の認識である。勿論1泊2食付も無い。食事はその辺の屋台で食べる。ホテルの前も夕方から屋台が多く出て、非常に賑やかになる。

少し歩いて行くと仁愛路に温泉溝を発見する。ここは川に流れている温泉を堰き止めてプレハブの体育館のような建物を公共浴場にしている。室内プールのイメージで非常にユニークだ。本当に質素な建物で、簡単に中が覗けそう。入っているのは地元のおっちゃん、おばちゃん達。ここでは昨日の瀧の湯同様、入浴に疲れると体操したり、ベンチで寝転がったりしている。実に長閑な感じ。
流石に入るのは躊躇われる。看板はあるが料金の表示も無い。無料なのか?

ここの周りは水栽培(温泉栽培)の空心菜(茎が空洞の野菜)が多く、礁渓の名物だという。確かにニンニク炒めは絶品であった。

《台湾温泉巡り2002》(1)新北投

2002年8月、台湾7泊8日温泉ツアーに出かけた。正に温泉に入るためだけに貴重な休みを使った全く贅沢な旅であった。既に1年が過ぎており内容は現在のものと違う可能性があるが、伝えたかったことは台湾には色々な温泉があるということである。後は皆さん自身で確認して頂きたい。

1.2002年8月23日(金) 新北投

(1)空港から新北投まで
今月から運行を始めたドラゴンエアーの香港―台北線に乗り、台北へ。何故か座席がアップグレード、ビジネスクラスへご案内され、気分は上々。今回の旅はツイているに違いない。空港からはバスで市内へ。現在はバス数社が乱立しており、便利。しかし一番安いNT$100のバスに乗ったところ、途中で客を拾って行くタイプで時間を食う。やはり安いにはそれなりの理由あり。

台北市内に入り民権西路で降り、MRTで新北投へ。このMRTは90年代に渋滞解消の為フランスより導入されたものではあるが、試運転時に火災が発生。無人列車の上に避難場所が無く下に飛び降りしかない代物で運転開始が大幅に遅れたいわく付き。
現在は安全に運行されている。

(2)新秀閣大飯店

新北投駅に行くには北投駅で乗換えが必要であるが、30分で到着。非常に便利。NT$30。駅前は多少賑やかではあるが、少し行くと川が流れており、静かな環境となる。新北投には日本的で綺麗、豪華な温泉(例えば1998年にオープンした春天酒店)が幾つかあるが、私は敢て『新秀閣大飯店』に投宿。ここは駅から川沿いに歩いて5分ぐらいと手ごろ。空いていそうだったので、値段交渉をするとNT$1,500が1,200になった。

このホテルは設備が古く、その上値切った為かかなり劣悪な部屋に泊まることになる。室内は昼間なのに隣の建物と接近しており薄暗く、窓から隣の家が丸見えであった。あまり部屋に居る気にはなれず、直ぐに温泉に飛び出す。勿論部屋の汚いバスにも温泉が引かれているが。

そんな環境でもこのホテルに泊まるメリットは2つ。1つ目はホテル内で『青』『白』2つの泉質が楽しめること。2つ目は直ぐ傍に『瀧の湯』があること。

 

先ずは白の大浴場へ。『白』とは弱酸性単純泉で、白濁しており、肌触りが良く、疲労回復に効果がある。勿論夕方のこの時間、誰も居ない貸切状態。ゆっくりお湯に浸かり、気分爽快。いっぺんに今日の疲れが取れた(かなり単純?)。ただ大浴場とはいっても、窓も無く景色も無く、洗い場からして数人が入浴すれば満員か?台湾では昔裸を人に見せる習慣が無く、水着を着て入ったとの話もあったが、現在は基本的に日本と同じ。
(大学の時に同じ下宿の台湾人女性留学生陳さんが日本の銭湯に行き、どうしても裸になれず水着を持って入って番台のおばさんにこっぴどく怒られた話を思い出す。)

続いて青の個室風呂へ。『青』とは微量のラジウムを含む強酸性の泉質。血液循環を高める、細胞を活性化させる、などと言われており、近年注目されている。入ると体がぽかぽかしてきて、血行が極めてよくなっているのが実感できる。但し風呂が極めて狭いこと、そして何より相当熱いことから長い時間入浴することは出来ない。落ち着いてはいるならば、やはり白の湯である。

(3)瀧の湯
『瀧の湯』とは、新北投に現存する最も古い共同浴場である。1908年ごろ建てられたといわれており、その歴史はおよそ100年。瀧の湯の壁には今でも所謂『温泉マーク』が大きく描かれている。建物は純和風で瓦屋根。今にも崩れそうに見えるところに歴史が感じられる。

中に入ると流石に番台は無いが、男湯、女湯に分かれており、おじさんが無言でNT$70の湯銭を受け取る。浴室に入ると全てレトロ。直ぐそこに脱衣場。服を脱ぐスペースがあるといった感じで、石の床は水浸し。棚に脱いだ服を突っ込む。その奥に洗い場があったが、そこまで行けずに行き成り湯船に入ろうとしたところ、地元のおじさんに『体を洗ってから入れ。』と怒られる。いやあ、久しぶりの感触。子供の頃銭湯でよく爺さんに『湯をうめるな。騒ぐな。』などと小言を言われたのを思い出す。

洗い場で体を洗い再挑戦。かなり熱いが我慢すれば何とか入れる。ここも『青』湯であり、ラジウム効果か体がぽかぽか。しかもかなり強い酸性であり、顔を洗ったりは出来ないほど。ずっと入っていればかなり疲れるだろうと思う。ここは流し湯なので、夜8時に行っても湯は綺麗であった。

回りの台湾人達は湯に疲れると石の床の上にごろ寝したり、体操を始めたりと如何にもマイペース。何ともいい感じである。彼らにとっては、我々観光客の闖入がいい感じを邪魔しているのであろうが?風呂から出ると牛乳などを売っている。子供の頃銭湯の楽しみといえば風呂上りに冷たいコーヒー牛乳を飲むことであったことが俄かに蘇る。外に出るとバイクで家に帰る人、その辺で涼んで行く人など思い思いである。

(4)新北投の歴史
新北投は台湾で最も古い温泉地帯である。温泉の開発は1895年の日本の台湾占有と無関係ではない。割譲されたといっても北部一帯では未だに台湾義勇軍との戦闘が行われていた時代。一説には平田源吾と言う人が、金の採掘のために山に入り負傷。温泉の流れ込む渓流に身を浸して治療し、その後温泉宿を開いたのが始まり。昭和天皇が皇太子時代の1923年に台湾を訪問。北投を視察したことが一大ブームのきっかけとなる。

同時に軍も兵の保養施設として開発。日露戦争では傷病兵を大量に受け入れたという。第2次大戦後はベトナム戦争で傷ついた米兵なども治療したが、台湾の公娼制度によりその最盛期を迎える。1979年に公娼制度が廃止されてからは、衰退の一途を辿る。

因みに私は台北駐在中の1990年に『星の湯』(現逸屯大飯店)を訪れたことがある。付近は非常に静かで人気も無く良い雰囲気であったが、湯船は小さく2-3人しか入れない。夕食は昔気質のおばさんがすき焼きを作ってくれるが、何となく寂しい雰囲気は免れない感じであった。近年再度温泉の効用が見直され、多数の温泉が作られた。台北から近いこともあり、日帰り温泉としての復活である。家族で、カップルで、1人で、様々な人々が温泉に集まる。

(5)茶芸館
日本では『温泉に入って後は宴会』が定番であるが、台湾は健康的。北京語では温泉に入ることを『泡湯』、お茶を入れることを『泡茶』という。この2つがセットになっているケースが多い。

私はガイドブックに従い、最も雰囲気の良い茶芸館である、北投文物館にある『陶然居』を尋ねた。ホテルの前から巡回するミニバスに乗り(NT$15)、10分で到着。ホテルのある場所より100m以上は登っただろう。ところが不運にも『陶然居』は改装中であった。仕方なく辺りを見回すと『禅園』という名前が目に入る。

ここも20年前からある雰囲気の良い茶館。高台から北投及び台北方面が見渡せる。幸い客が無く、一人悦に居る。包種茶を頼み(NT$550)、8月の夏真っ盛りの中、汗をかきかき茶を飲む。これが何とも健康的で、且つ茶が美味い。飽きれば外を眺め、2時間は居ただろうか?台湾には居心地の良い場所があるものだ。

 

尚新北投には心地よい温泉、茶園が多数存在していると思われる。今回はほんの一つの例を提示したに過ぎない。今後是非又再訪し、新規開拓を行いたい。これから訪れる多くの場所で恐らく温泉に浸かり、そしてお茶を飲むことになる。これは実に幸せな休日になる予感がある。

 

 

 

《昔の東南アジアリゾート紀行1989》台湾 墾丁ビーチ

《昔の東南アジアリゾート紀行》

1989年12月 墾丁ビーチ

(1)台北赴任

私は1989年8月に台北に赴任した。87年7月に上海留学を終えた後、どうしても中国で業務に就くのには抵抗があった。帰国後健康診断をしたところ、極度の貧血になっており、ユニットバスに入ると良く滑って転んでいた。また体重も留学前より7kgも痩せてしまい、体調は最悪であった。

そんな中、台北駐在の話があり、飛びついた。実際には89年6月に天安門事件が起こり、中国駐在員は一時全員帰国するなど、中国ビジネスは大きな打撃を受け、私のような若輩者が赴任する必要は無かったのであるが、台北赴任はその前に決まっていた。本来は6月に赴任するはずであったが、その時偶然台湾より研修生を受け入れることになり、そのお世話をする為出発が8月にずれ込んだ。

(2)お誘い

赴任して3ヶ月が過ぎたある日、その東京でお世話した台湾人研修生張さんから電話があり、『クリスマスに一緒に墾丁ビーチに行かないか?』とのお誘いを受けた。張さんは既に結婚しており、子供もいる女性であったので、このお誘いにはちょっと戸惑った。家内は妊娠中で私は単身赴任中であったのだ。

取り敢えず行くと答えたもののその後も迷っていたが、張さんからは一向に連絡が無く、やはり止めたのかと思っていた。ところが出発予定前日になって電話があり、航空券を予約したので、明日松山空港に来るようにとの連絡があった。結局行くことになってしまった。

(3)高雄

国内線専用の松山空港に行くと、張さんと10歳になる娘さんが待っていた。どうやらこの3人で旅行するらしい。旦那さんは仕事だと言っていた。何だか変な感じではあるが、既にサイは投げられた、のである。高雄までは僅か45分。空港では張さんの親戚が出迎えてくれた。そう、高雄は張さんの故郷なのである。それを知ったのも飛行機の中という不思議な旅である。

夜張さん一族の宴会に紛れ込んだ。張さんの両親はじめ沢山の人が居て、誰が誰だか分からない。皆日本人である私には好奇の眼を向けているが、尋ねる者も無い。私は国語が多少出来たが、この宴会は殆ど台湾語で行われており、何が何だか分からない。時々年配者が日本語で『食べろ、飲め、』等と言ってくれるのみ。

当時台北でも勿論台湾語は使われていたが、一応台湾では公式には国語を使うことになっており、外国人が入る宴会では国語が主流であった。ところが南部は違う、大違いである。この時初めて北部と南部の差を感じた。

泊まりは張さんの仕事の関係者が手配してくれ、ビジネスホテルに泊まった。ところが、日本人ということでそのホテルで一番良いスイートに通され、非常に気を使ってくれた。南部は情が濃い(?)ところである。

(4)東港

翌日車で墾丁ビーチに向けて出発。高雄港を過ぎ、海沿いに進むと直ぐに東港という小さな港がある。何故か車が止まる。レストランに入る。地元の人々が待っており、昼から宴会である。それも刺身が中心の恐るべき宴会である。

ここ東港はマグロの水揚げが多く、新鮮な刺身が食える所として有名であったのだ。ところが私は当時台北の台湾海鮮料理屋で刺身を食べて中った経験があり、なかなか箸が出ない。おじさんに無理に食べさせられると、これが美味い。最後にはたらふく食ってしまった。現在でも毎年5月頃になると台湾中の人がマグロを食べにくるようである。

(5)墾丁ビーチ

東港を出ると一路墾丁ビーチへ。確か2時間ほど掛かったと思う。途中に『恒春』などという南国らしい名前の街があったりする。常に春、一番良い言葉ではないだろうか?尚恒春の近くには『四重渓』温泉がある。戦前故高松宮が好んだ温泉として知られる。静かな昔ながらの温泉であるようだ。未だ訪れていないので、是非次回行ってみたい。

墾丁ビーチに到着。今晩の泊まりは当時唯一の高級ホテル、シーザーホテル。日系建設会社が出資している高級リゾートホテルである。部屋も高級感があり、非常に良い。外へ出るとリゾート用のプールがある。但し今は12月。幾ら台湾最南端とはいえ、プールに入るにはちょっと涼しい。

ビーチに行ってみても、寒々としている。やはり12月には泳げないらしい。私は一体何の為にここにやってきたのか分からなくなった。ここに連れてきてくれた張さんの仕事関係者は反対に私の存在は不思議であったようで、とうとう『張さんとはどういう関係か?』と聞いてきた。聞けば今回張さんの依頼により、このホテルを無理に取ってくれたらしい。

夕食の時間に張さんと娘、私の3人でクリスマスディナーを食べた。娘は凄く喜んでいた。ホテル内には大きなクリスマスツリーあり、サンタクロースあり、賑わっている。多くがカップルである。やはりかなり違和感がある。28歳の私と30台の張さん、10歳の娘。周りの人は家族だと思っていただろうか?

翌朝墾丁国立公園を見学。最南端オランピの岬は素晴らしく眺めが良かった。元は米軍の保養施設だったというオランピ活動中心には、広々とした高原があり、放牧でもしたらよさそうな雰囲気があった。

思い切って張さんにこの旅行の目的を聞いてみた。『娘が来たがったから。』との答え。日頃忙しい張さんは十分に娘の面倒を見ることが出来ていないと感じており、今回娘の希望を叶えたのだという。もう1つは私が日本で張さんの面倒を見たお礼だという。

私は張さんのお礼を素直に受け入れた。但し私のような外国人を連れていると皆が何かと便宜を図ってくれることを彼女が計算していたことは事実のようである。つまりは私はだしに使われたのだ。台湾人の強かさを感じた瞬間である。

(6)リゾートの鉄則2

リゾートには目的は要らない。但し相手は選んで行くべきである。