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パクセー茶旅2020(1)ウボンラチャタニーで

《パクセー茶旅2020》  2020年2月16日-19日

3月初めまでバンコックを拠点に活動する予定だった。そして5年マルチのインドビザを用意し、コルカタ経由でアッサムに乗り込むつもりだったのだが、コロナウイルスの影響で急激に雲行きが怪しくなる。もしインド国内で隔離されたら、と思うと、インド行きに二の足を踏んでしまい、ビザを捨てて、ラオスに走ることにしてしまった。この判断が正しかったのかは、後に分るだろう。今回は行ったことがない南部ラオス、パクセーを目指す。

2月16日(日)ウボンへ

バンコックから直接パクセーに行ってもよかったのだが、それではやはりつまらない。今回は陸路で国境を越えようと思い、ラオス国境に近い街、ウボンラチャタニーまで飛行機で行って、そこに泊まることにした。実は2年前、コンケーンからウボンに行こうとしたことがあったが、バスの時間の関係でシーサケットに行ってしまい、結局ウボンだけ取り残してしまっていたのだ。

国内線に乗るべく、ドムアン空港を目指す。日曜日ということもあるが、MRTは空いていた。マスク姿が殆どだ。チャドチャックから空港バスに乗ると乗客は何と2人だけ。既にバックパッカーなどは随分と減っていることが分かる。ある意味でこれだけ人がいなければ安心かな。

ところがドムアンでは相変わらず乗客がかなりいた。マスクしていないのは、ほぼ白人というのが面白い。白人は感染症に敏感だとずっと思ってきたが、違うのだろうか。それともマスクが買えないのだろうか。飛行機に向かうバスも満員。機内はタイ人が多く、7割程度の乗客だった。

1時間でウボン空港に到着する。直ぐに外へ出ると、ここにも空港バスが出来ていたので乗ろうとして聞いたら、このバスは、お前が予約した宿にはいかない、と乗せてもらえなかった。タクシーに乗れと言われたが、何となく嫌で、そのまま歩き出してしまう。この空港、街とくっついているので、宿まで3㎞程度だった。ちょっと暑いが歩けないほどでもなく、街を散策しながらゆるゆると行く。

街はゆったりとしており、それほど大きくもない。宿までもう少しというところで腹が減ったので、食堂に入ってみた。そこには何ととんかつなどと書かれている。注文してみると,薄いカツに、不思議なソースが掛かっており、どんぶりでもなく皿に載ってくる。ライスの上には、目玉焼きが載る。完全な創作料理で面白い。

宿は結構立派で部屋も広い。料金は意外と安かったので、嬉しい。早速明日のパクセー行き情報を集めようとしたが、残念ながらフロントの女性たちはあまり英語が得意ではない。それでも一生懸命対応してくれ、何とか分かったのは、ここからかなり離れたバスターミナルから1日2本バスが出る、ということだけだった。

仕方なく、周辺を歩いて、旅行会社などを探すが、見つからない。大きな通りに出ると、ウボン国立博物館があったので、取り敢えず見学してみる。タイの博物館はどこもそうだが、ここも発掘された仏像の展示が中心。見学者は誰もいないので、係員も手持無沙汰でおしゃべりに夢中。

商店街があったが、日曜日のせいかほぼ閉まっていて人気がない。旅行社が一軒開いていたので、入ってみると何とか英語は通じたが、やはりバスの予約はターミナルへ行かないとできないと教えられる。その場所はBigCの近くだと聞く。そのまま川沿いに歩いて行くと、市場があったが、既にほぼ店じまいしており、のんびりした雰囲気。少し川を眺める。

橋の所へ行くと、ソンテウが停まっていたので、『BigC』と言ってみると、乗れ、と合図されたので乗ってみた。大通りをまっすぐ行けばBigCなのだが、ソンテウはくねくねと横道に入りながら、北に向かって行き、最後のBigCで停まった。地方都市のソンテウは10バーツだから安い。

地図で見るとすぐのはずだったが、ターミナルまでは実はかなり距離があった。テクテク歩く。郊外のバイパス道を何とか渡り、ようやくたどり着く。私はウボンで何しているんだろうか。パクセー行のバスは午前9時半と午後3時の2本、料金は200バーツ。午前便を予約したかったが、当日しか売らないと言いながら、座席表に私の名前を書き込んでくれたので、安心してまたソンテウで戻る。

まだ陽が高かったので、もう少し散歩を続ける。大きな教会が見えたので、ちょっと眺めていると、シスターが子供たちに声を掛け、何か話している。その親しげな様子は好ましい。私にも英語で声を掛けてくれた。

国境の街だから、貿易などに携わる華人は沢山いると思うのだが、華人廟も見つからないし、漢字の看板もさほどない。華人は一体どこへ消えたのだろうか。夜は何とか見つけた華人経営の店で麺をすすったが、言葉は英語だった。

ある日のバンコック日記2020(12)ヤワラーを歩き回る

2月12日(水)ヤワラーの奥へ

今日も午後散策へ出掛ける。MRTでファランポーンの次の新駅、ワットマンコーンで降りる。この駅の前にワットマンコーン(蓮光寺)がある。ここは中国的に商売繁盛などにご利益があると言われており、いつも多くの人が訪れている。その並びには例の王有記があるが、道路の向かい側から見るとその建物の上にも看板があった。

今日は進路をヤワラー通りの方へ取る。駅の横から両側に店が並ぶ細い道を抜ければ行けるのだが、敢えて一つ先の大きな道を行く。途中に大きな廟もあったが、ヤワラー通りの角にひっそりと建つ小さな廟に惹かれる。更に川の方に向かってずっと歩いて行くと、ようやく立派な建物の培英学校に辿り着く。

培英学校はちょうど100年前、1920年に潮州人が資金を出し合い設立した華人学校。その裏には、バンコックにおける潮州系廟の総本山ともいわれる大本頭公廟がドカンとある。その脇から路地に入っていくと、薄暗い。そうだ、80年代の都市伝説『ヤワラーに一度入ったら出て来られない』という雰囲気が漂う。そこにもほのかな灯が見え、廟が存在している。如何にもチャイナタウンの奥地だ。

明るい所へ出てくると、客家総会の入り口が見えた。その間口はかなり狭いが、中に入ると広い敷地に立派な建物が建っており、如何にも目立たないように生きる客家を象徴している。その建物の最上階には100年以上前に作られた関帝廟が置かれており、商売繁盛を願って、管理人が管理していた。

道に戻るといくつもの小さな廟を見かけた。どこも参拝者がいて、廟は華人にとって極めて重要な場所だとよく分かる。MRT駅のあるチャルンクルン通りまで戻り、広肇会館に入ってみる。ここはその名の通り、広東系の総本山。手前に仏像などは安置された廟があるが、裏は同郷会館になっている。140年前に別荘の名で建てられたという。広東系の影が薄いバンコックで、ここは異彩を放っている。

道を斜めに歩いてみる。呂帝廟がある。ここは1899年に建てられた客家最大の廟であり、道教寺院でもある。当時2大派閥があった客家を一つにまとめたのがこの廟だとも言われている。客家は当時から自らを客家と認識していたのだろうか。30年ほど前に火災で焼け、再建されたとある。中には薬を扱う場所もあり、薬局(医者)の役目も果たしていた。

その向こうには報徳善堂と書かれた大きな会館が見える。ここがタイでよく見る慈善団体、救急隊の本部だった。その向かいには100年以上前に報徳堂によって建てられた廟があり、多くの参拝者が拝んでいた。更に行くと南海観音宮がある。小さな廟だが、凛としている。ここも客家廟だそうだ。

帰る前に細い路地を歩いてみる。ふと人が横にそれた。そこにも古い廟があった。龍尾古廟、ここはバンコックの中国寺院としてはもっと古いらしい。華人商人たちがその昔から商売繁盛を願って祈る場所、潮州系廟だった。

K先生と

一度宿に戻り、ゆっくり休息した。夜また出掛ける。先日お訪ねしたOさんが『私にぴったりの人を紹介する』と言ってくれ、その方のご本まで貸してくれた。それがK先生。華人廟の歴史などを書かれていて、これまで見たことがない角度から調査されている。何より今の私の活動にドンピシャな内容で、さっそくこの本を使って歩いているわけだ。

そのK先生とお会いして更にビックリ。特に華人研究を主にしているわけではなく、世界中の面白いと思うものを実地で調べ上げ、本にしているというのだ。これはもう話が弾まないわけはない。私は茶の歴史しかやらないが、K先生は何でも知っている文化人類学者だった。隣でOさんがあきれ顔で会話を聞いている。

そこで今私が一番疑問に思っていることを素直にぶつけてみた。正直分かるわけがないと思っていたが『チェンライ、チェンマイの雲南回族がチンギスハンの子孫だといっているが?』と聞いてみると、『それはね・・』とすらすら話し出すではないか。一生解けないかと思っていた疑問、目の前でそのヒントがどんどん出てくる。そしてそれに関する本も書いてあるよ、というから、これはまさに奇跡の出会いだった。

2月13日(木)うまい炒飯と客家

今日はどうしても炒飯が食べたくなり、近所の食堂へ向かう。他の店と違い、ここの海鮮チャーハンがなぜか絶妙にうまい。一体何を入れているのだろうか。完全に癖になってしまった。ここはパッポンカリーもうまいのだ。何か秘伝のたれでもあるのではないか。

夕方、出掛ける。同級生のOさんと会う。今日は態々奥さんにも来てもらって話を聞く。何しろ奥さんはマレーシア華僑で、しかも客家系だというのだ。家庭内でも多言語を話すマレーシアの言語事情、客家としての意識の変化など、様々な話が聞けてとても有意義だった。

その後3人で、中国系食堂へ行った。いつもは満員だというのだが、お客はまばら。これもコロナの影響だろうか。オーナーがビール飲みながら夕飯をゆっくり食べている。新華僑、それも東北人がやっているのだから、餃子がうまい。でも麻婆豆腐はちょっとね。なんだか急にマレーシア中華が食べたくなる夜。

ある日のバンコック日記2020(11)ソムデット

2月11日(火)茶の番組

バンコック暮らしも1か月を過ぎると生活リズムというものが生まれてくる。午前中は資料まとめなどを行い、昼ご飯の後、気分が乗れば散策に出掛け、そして毎日プールに入るようになった。これまで宿にプールがあっても見向きもしなかったが、本を読む空間として良いかと思い、プールサイドへ行ったところ、何とも暑かったので体を浸してみるとこれが心地よい。少し泳いで、後は体が乾くまでお茶資料を読む、何ともいい習慣だ。ちょっと筋力も付いて体も軽くなってきている。

また朝ドラも必ず見るようにしている。朝ではなく10時45分からの再放送。この時間までに色々なことを済ませ一つの区切りとしている。今日朝ドラの少し前にテレビを点けると、偶然コウケンテツの食旅番組で、何とタイのミエンが取り上げられていた。それもかなり詳しく、作り方から食べ方、健康に良いなどとも言っている。こういう形でタイのお茶が番組で流れていることを初めて知る。

朝ドラが終わってそのままテレビを点けていたら、趣味の番組で、『茶の湯』をやっている。日本ではいつの間にかお茶関連番組が増えているのだろうか。私は茶の湯のことは本当に知らないので、真剣に見ていたが、解説者の話の端々に引っかかるものがあり、どうにも馴染めない。『茶の湯は特別なことではない』と言いながら、じわっと特別感を出している感じか。まあこれも一つの世界、文化と見えれば、良いのかもしれない。決して茶の湯を否定しているわけではなく、余りに形式的なのどうだろうか。気軽にお茶飲んだ方が私は楽しい。

午後はまた赤バスに乗り、ヤワラーを越えて、川を渡る。降りるべき場所が分からずだいぶん過ぎてしまう。今日の目的地はソムデット地区。今まで来たこともなかった、全くノーマークな場所。運河沿いには大きな廟があるが、タイ式だ。ここにも華人の足跡はあるのだろうか。

ずっと歩いて行くと、かなり大きな市場があった。その向こう、川に近い方に目指す三奶廟をようやく見つける。こじんまりした作りだが、中に入ると飾りがギュッと詰まっている。ここがバンコック最古の客家系廟だという。元々は川沿いにあったが後の区画整理で現在地へ移動したらしい。私には客家を示すものを発見することはできなかったが、客家は自らを隠して生きてきた、とも言われているので、そう簡単に分かるものでもないか。

渡し場が見えた。その横を潜り抜けていくと、昔の木造、塩倉庫があった。これも客家の商いだろうか。何となく昔を偲ばせる、いい風景だった。その先には公園が見えたが、河南古廟という横幕が目に入ったので、まずは川沿いの廟を目指す。武聖廟、古めの立派な廟が川沿いにあった。これは福建系で、かなり由緒正しそうな廟だった。

疲れたので、川沿いに建つ古民家カフェに入ってみた。中には多くの観光客がドリンクを飲みながらくつろいでいた。ここも昔は華人の商家だったようで、その末裔らしき人がカフェを開いていた。川辺で飲むドリンクは疲れた体に優しい。そして眺めも良いのでつい長居してしまう。

先ほどの公園は、故プミポン国王の母、シーナカリーン妃にちなんだ場所だった。王室らしい作りの庭園があり、建物内は展示館になっていた。一般人だった(華人の血が入っている)彼女が、どのような経緯でラーマ8世及び9世(プミポン国王)を生み、国母になったのか、その概要が写真から推察できる(ほぼタイ語なので説明は分からず)。

この付近、古い華人の雰囲気が溢れている。アユタヤから移り住んだ人々の末裔なのだろうか。昭帝老爺という小さな廟もあった。そのままバスを降りた方へ歩いていくとタイ式の立派な廟があったが、その中にも華人を感じさせる建物が見え、墓には漢字が刻み込まれていた。このあたりの往時の様子が垣間見られる。

運河の向こうには、高い仏塔とさらに立派な廟が見える。ワット・ピチャヤ・ヤティカラム、1830年前後に建立されたというから、このあたりの様々な歴史を思わず考えてしまう。ただ夕方のせいか、参拝者はほぼいない。そこからトボトボと10分ほど歩くと、庶民の生活が続いて行き、モスクなども見え、MRTの駅まで行く。そこで今日の散策は終了した。因みに途中に氷屋さんがあったが、氷は海南系の得意業種だったと聞いたことがある。

ある日のバンコック日記2020(10)驚きの再会

2月7日(金)ベーリングへ

夕方、近所のバスターミナルに行った。コロナ感染防止の観点から言えば、タクシーは乗りたくない。バイタクも濃厚接触か。そんな中で安くて、窓が開いていて、人がそれほど多くない赤バスが良いのではないかと乗りに行ってみる。今日はBTSに乗り継ぐ(結局コロナ対策意味なし)ため、エカマイ駅へ行けるバスに初めて乗る。

タイで初めてのバス乗るのは緊張する。何しろ言葉が通じず、字も読めないので、どこへ行ってしまうか分からない。またいつ出発するかも不明なので、相当時間に余裕をもって出る。かなり面倒だが、時間を持て余しているなら、これがよい。今日のバスも期待に違わず、あらぬ方向へスタートして、なるほどというルートで進んでくれた。ワクワク。

エカマイ駅に着くとまだ時間があったので、懐かしいエカマイゲートウエイに行ってみた。相変らず上の階に日本専門階があり、多くの和食レストランがあったが、何となく、店も変わっており、メニューもタイ風になり、お客も多くはない。外にあった巨大招き猫も無くなっただろうか。BTSに乗ると、マスクしている率が急に上がる。バンナー方面に乗る。数年前、この方面に半拠点があった時は、終点の駅がベーリングという今日の目的地で分かりやすかったが、今やBTSは四方八方に伸びており、全く知らない駅が終点になっていた。

ベーリング、意外と遠い。如何にも郊外の駅らしく、閑散としている。駅前にはなぜかインター(高校)がある。その建物を上から見てみると、なぜかジムが併設されており、バイクを漕いでいる人が見えるのが、タイらしくない。

Mさんが時々行くという食堂に入る。Mさんからは、イサーン料理と聞いていたのに、ウエートレスが中国語のメニューを持ってきたので驚く。しかも内容はイサーン料理ではなく、普通の中国料理だったので、この辺にも中国人観光客が沢山泊まるんだな、と気が付く。彼らは私と同様、タイ語が読めないので、写真付きのメニューだが、結局よく分からず、慣れ親しんだ食べ物を頼むようで、それを見越して華人が作っている。

Mさんはオーナーに口頭で料理を注文した。彼は文字が読めるし、話せるので心強い。そして先日旅したインド、特にアッサムからナガランド、インパール、そしてミャンマーへ抜けるルートの様子を教えてくれる。この旅には何ともワクワクするが、私は行くことができるだろうか。すでにインド5年マルチビザの申請は終わっている。今回はコルカタだけにしてまずはビザをゲットしようか。もし滞在中にコロナ関連で異変があれば、隔離されてしまう恐れもある。インドで隔離は辛いな。いつものことだが、インド旅は簡単にはいかないのだ。

2月8日(土)驚きの再会

今日は土曜日。何となく静かなので、少し外出してみようという気になる。昨日エカマイまで乗った赤バス、実は終点は国立図書館だということが分かった。やはりタイの歴史など、図書館で調べたいことがあるが、タイの図書館は英語が通じるのか、そもそも外国人は閲覧できるのかも分からない。

バスは順調にエカマイを過ぎ、何と大回りしてマッカサン駅の横を通り、パヤタイ駅まで来た。だがバスはUターンしてしまった。慌ててバスを降り、この先のバス停を探し、バスを待つ。この辺が文字の読めない辛さ。それでもなんとかバスを乗り継ぎ、遂に終点まで来た。ちょっと腹が減ったのでその辺で麺を注文する。すると小学1年生ぐらいの男の子が一生懸命働いている。言葉が通じなくても何とかしようとするのがとても良い。ここでチップをあげようとすれば、まさに深夜特急の沢木耕太郎だな。

図書館は歩いて3分の所にあり、とても広い敷地に立派な建物だった。さすが国立。だが何と、今日は祝日で休館日だった。がっかり。仕方なくそこからテクテク歩きだすと、教会系の学校がある。今年100周年だ。15分ぐらい歩いて、川沿いに出ると、この付近は昔の建物なども残り、ちょっと雰囲気が違っていた。

そのまさに川沿いに水尾聖娘廟があった。ここは知らなければ来られない場所だ。廟は海南系、ちょうど元宵節の午餐が終わったばかりで人々が帰りかけていた。実はバンコック、海南系もそれなりの勢力があるのだが、一般的には知られていない。そこに橋が架かっているので渡っていくと、本当に川にくっ付いた廟が見え、往時は川からお参りに来たことが分かる。

そのまま川を越えたら、そこにMRTの表示が見えたので行ってみる。10分ぐらい歩くと、新しくできたスリンドーン駅に到達した。今日は無料だと聞き、乗り込んでみる。乗客は多くはなかったが、何と目の前に昨晩一緒だったMさんが現れたのには心底驚いた。そんなに深いご縁だったのか。彼は鉄道好きで、新しい線に試乗していたのだ。

取り敢えず終点(と言っても環状線だが、今は乗り換え必要)で降り、Mさんと共にラクソン駅方面に乗ってみる。ここは元々の住宅街にMRTを通した感じで新しい感じはなく、観光地もない。帰りはそのままあり返して最寄り駅まで30分もかからない。バンコックもどんどん便利になっている。

ある日のバンコック日記2020(9)タラートノイを歩く

《ある日のバンコック日記2020》  2020年2月4日-16日

2月4日(火)空港から

チェンマイからのフライトはドムアン空港に夜7時ごろ着いた。夜のドムアンは久しぶりだ。この時間、タクシーに乗っても渋滞なのでバスで抜けることを考える。いつもはA1バスでチャドチャックまで出てMRTに乗るのだが、今日はちょうどA2が来たので、どこへ行けるのかよく分からないが、荷物も少ないので、乗り込んでみた。満員だったが座れたので、ゆっくり行くことにした。

想像通りかなりの渋滞であったが、30分ぐらいすると車掌がMRTと叫んだので降りてみたら、何といつものチャドチャックだった。A1もA2もここまでは同じルートだったことを初めて知り愕然となる。ちゃんと調べないで、これまでA2に乗らなかった自分が悔やまれる。

チャドチャック駅に降りていくと、なんとすごくきれいになっている。しかも地下モールまで出てきており、これまでの殺風景な駅が一掃されていた。急に腹が減ってくる。これまで食べるところはなかったが、見ると色々とレストランがあるではないか。中にカレーのココイチバンの名前を見てカレーに決めた。

行ってみると、普通のココイチとは様子が違っていた。入口に弁当のようなパックが沢山並んでおり、テイクアウトする人はそこで買い、中で食べる人はレジでチンを要請する仕組みのようだ。値段も普通の店より安く、よく見るとエクスプレスと書かれている。中では若者たちがカレーを食べながら話したり、一人でスマホを見ながら過ごしていた。

これからの外食産業はこうだろうか。並びのコンビニ、ローソンを眺めてみると、40-50バーツの小型弁当やおにぎりが並んでいた。若者はこれをレジに持ち込み、チンしてもらい、その辺の空きスペースでサッと食べて帰宅する感じだろう。さっきのココイチはここでは高級な方か。

2月6日(木)ヤワラーからタラートノイへ

今日の昼は久しぶりに宿近くの通称食堂へ。ただどうしてもコムヤーンが食べたい。そういう時は隣のおばさんのところから買ってきて、食べられるのがタイの良さだ。ドリンクも持ち込み自由。結局ガイヤーンとソムタムまでついてきて、大満足のランチとなる。

そのまま外出する。バンコックはコロナの影響もなく、特に変わった様子もない。バスでファランポーンまで行くが、平日の昼間としては車が少ないと感じられる。駅前から運河沿いに歩いてみる。横道に入ると、本頭廟がある。これはタイでは非常に一般的にみられる廟だ。

その先を行くと、大きな廟に出会った。慶雲寺と漢字で書かれているが、何となく雰囲気が違う。よく見るとベトナム語も書かれているではないか。入口には大きな菩提樹がある。140年前にインド政府からラーマ5世に送られたものだという。この寺はその時代にベトナムからやってきた移民が建てたもので、その土地はラーマ5世が与えたらしい。移民というと中国系やインド系ばかりを追ってしまうが、労働者としてベトナム系もいたとは。今その子孫はまだ居るのだろうか。

私はタラートノイを目指しているが、どこにタラートがあるのかよく分からない。周囲を見ると、鉄くずを扱う町工場がずらり。その脇に小さな廟があり、そこが福建系だと分かる。タラートノイはトンブリからバンコックへ都が移った時に、福建系が移り住んだと聞いていたが、あまりはっきりしない。

ただ少し歩くと見覚えのある風景が出てきてちょっと驚く。そうだ、ここは1年以上前、安渓茶商の末裔探しで通りかかった道。そしてその先には安渓人の清水祖祠廟があるのだ。何となく繋がってきた。その近くにあった財を成した役人の邸宅、恒泰は扉が閉ざされており、カフェはやっていなかった。この付近、観光客が多く歩くようになっており、それに合わせてカフェなどがどんどん増えている。中国人観光客も団体は止まったが、個人はまだ来ている。

更に川沿いを行くと、漢王廟がある。ここは客家系の廟と聞いている。18世紀に客家商人がこの廟を建て、その後1888年に現在の建物に建て替えた。タラートノイは福建系だけではなく、海南系、客家系なども多く住んでいたらしい。ちょうど正月15日(元宵節)の獅子舞の準備が行われていた。漢王廟は川辺にあり、天気が良いとその景色はとても映える。そこから内陸に歩いていくと、古い家々を使ってギャラリーが出来ており、写真展が行われていた。

その先には、サイアムコマーシャル銀行発祥の地があり、今も立派な建物が建っている。この銀行は福建系なのだろうか。その横には立派な教会があり、学校もある。この辺りがバンコック王朝初期に作られた街のようだ。その先にはリバーシティというモールがあり、この付近はリバーフロント開発が進んでいたので、今日はここまでにした。さすがに歩き疲れたので、バスで戻る。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(3)チェンマイのコンブチャ

チェンマイで

バスは今来た道を戻り、順調に進んでいく。車内の乗客は6-7割の状況であり、わりとゆったりできる。途中であのタイ茶の工場があり、近くには温泉が出ており、そして休息があった。3時間で着くはずだったが、1時間は遅れているのが何ともタイらしい。更にはチェンマイ市内へ入る道がひどい渋滞でバスが全く進まず、結局4時間半かかって、アーケードターミナルに入った。

バスを降りると、誘導され一列に並んで、何と検温を受けた。一昨日のチェンライ空港でもなかったことで正直驚く。平熱で助かる。既にチェンマイは大変なことになっているのか勘ぐったが、そこを通るといつもの風景。いや、客が非常に少ない状況が見えた。渋滞なので、予約した宿までタクシーには乗りたくなかった。何とかバイタクを探して乗り込む。

西側の老舗ホテルの豪華なロビーは静まり返っていた。日本人観光客の姿が数人見えただけで、スタッフは全てマスクをしていた。部屋は広いが非常にシンプル。テレビはなぜか日本の民放が1つ映ったが、NHKは映らなかった。電気ポットはあったが、インスタントコーヒーすらなかった。これがかつては天皇も訪れたというホテルだろうか。ロビーにその写真が飾ってあるが、今やかなり安いのだ。

ここでOさんと再会した。Oさんは以前バンコック茶会に参加してくれたことがあり、その後いつの間にかインドに拠点を変えていた。一昨年台湾で再会し、その後バンコックで一緒に茶旅した。今はインドが寒い(彼の拠点は北部の山中)ので、チェンマイで避寒しているというのだ。この付近には月極で借りられる部屋が多くあり、日本人もかなり住んでいるらしい。次回は試してみるか。食事も日本人などがよく通う台湾料理屋で食べながら、遅くまで話し込んだ。

2月4日(火)コンブ茶

翌朝Oさんと待ち合わせて、タクシーでTea Galleryへ向かった。ここも2年半前に訪問した場所ではあるが、車で連れてきてもらったので、その一は全然分かっていなかった。それでもGrabで車を呼び、何とか辿り着く。チェンマイ郊外、閑静な住宅街にオフィスがあり、知らない人はまず行けない場所だろう。

1階はドリンクなどが飲めるスペースになっている。入っていくと、何と前回チェンライでプレゼンしていたイタリア人と再会した。Jackはコンブ茶などを研究している博士だった。そしてオーナーのJeedもやってきた。彼女は私のことは忘れていたが、静岡訪問団は覚えていた。

コンブチャはタイのミエンから作られるドリンクで、健康茶としてアメリカなどで人気があるという。日本ではその昔、紅茶キノコと呼ばれていた。ミエンの製造を含めて、Oさんは発酵食品の研究に余念がなく、この手の話には極めて情熱的に反応して、出されたミエンが美味しいと食べている。ミエンから作られるジャムなど、興味深い商品も並んでおり、ワッフルにつけて食べる。もし身近に売っていれば、きっとヒットするだろうが、家訓なのか、大きな商売はしないともいう。

Jeedの話を聞いていて驚いた。実は彼女の父親も雲南回族。母がタイ人のため、彼女はヒジャブを被らないが、イスラム教徒だというのだ。苗字は雲南回族で一番多い『馬』であり、馬班だったらしい。しかも昨日訪ねたジャルワンとは姻戚関係もあるというから世界は狭い。父親の代は茶業者だったので、バンコックの茶業者との付き合いもかなりあったらしく、知っている名前もいくつか出てきた。

彼女が引き継いでから従来の形態を転換して、現在は科学的な研究を行うラボも作り、健康をキーワードにビジネスを展開している。顧客はアメリカやヨーロッパに広がっているが、タイ国内の需要が高まることを一番期待しているという。タイの茶産業は後発だから、このような健康食品ビジネスが有望ではないかということだ。

Galleryを辞して、ワロロット市場へ行ってみる。いつもは観光客で賑わっているが、中国人の団体がごっそり抜けた感じで実に静かでよい。ミエンを売っている店は僅かしかなく、残念ながらタイではこれを食べる習慣は薄れていることが実感できる。周囲の華人廟などを探しながら散歩してみたが、思ったほどは見つからない。この街で華人はひっそりと生きているのだろうか。

一度宿に帰り、預けた荷物を取ってから空港へ行く。バスターミナルと異なり、こちらは検温など、コロナ関連の対応は特になかった。マスク姿が増えていたものの、バンコック行のフライトはほぼ満員で、影響はまるで感じられない。この時点、コロナは中国だけの問題だと思われていた。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(2)回族の茶業者

そのまま川の方に戻ると、何ともレトロで良い感じの洋風建築のカフェがあった。タイの若者であふれており、川べりの席は無さそうだったので、そのまま歩いて帰る。夜は、かなり気になっていたコムヤーンカレーを食べてみた。豚ネックを使った、それほどスパイシーではないカレーは意外なほどうまい。カレーは北部タイ料理なのかと聞いてみたが、家では食べたことはない、との答えだった。チェンマイカオソイなどもカレー味だが、このカレーは一体どこから入ってきたのだろうか。

2月3日(月)

回族の茶農家

翌朝も宿で朝食を取る。そして昨日インストールしたGrabを初めて使ってみる。本日訪ねる茶農家は、何とチャンライ市内から30㎞も離れており、バスで向かうことは不可能だと聞いていた。ホテルでタクシーを頼めば、法外な料金を請求されかねない。Grabで検索すると300バーツで行けると出ている。だが本当にこんな遠くまで行くタクシーを見つけられるのか。

食後、Grabアプリで予約を押したところ、3分で来るとの表示が出たので慌てて、荷物を持ってチェックアウトする。表に出たところでタクシー到着の連絡はあったが、その車を見つけることができない。仕方なくメッセージでホテル名を再度打ち込むと2分ほどで、その番号の車と合流できた。

車は郊外の道を一直線に走る。車はきれいで、運転手は英語を話した。これなら外国人でも快適だ。目的地に行ってからGrabで帰りのタクシーを探すのは不安だったので、彼に頼んで待っていてもらうことにした。とても良い人で、滞在中の待ち時間は無料で良いという。確かに往復した方が実入りは良いのだろうが、こちらとしては何とも有り難い。

目的地は本当に田舎、それも住宅などもほぼない場所にあった。まさに農地、そして茶畑が少し見えた先に、工場と事務所があった。オーナーのジャルワンさんとは、2年半前に茶ツアーで一度訪問して顔は分かっていた。先方も日本人が中国語の通訳をしていたので、覚えていてくれたようで、にこやかに迎えてくれた。

彼女の特徴は何といっても、ヒジャブを被っており、一目でイスラム教徒と分かることだろう。そしてタイのイスラム教徒なのに、華人であること、これも我々には理解が難しい。今回はこの辺の謎をたっぷり聞こうと訪問したわけだが、その壮大な一族の歴史には正直驚いてしまった。俄かには信じられない話も出てくる。

彼女のお爺さんの故郷は雲南省。生まれた村は全員が回族だという。そしてその先祖はチンギスハンだと言われたが、いきなり言われても歴史が繋がらない。勿論雲南回族は以前馬班と言われ、ホースキャラバンを率いてこのエリアの物流を担っていたと聞く。それと関連があるのだろうか。よく調べてみる必要がある。

現在チェンライのイスラム教徒は、タイ・パキスタンとタイ・雲南の2系統がいるという。そして昨日見た清真寺は雲南系が建てたもので、一大勢力であり、現在その勢力を束ねる顔役は何と、あの鄭和の子孫だというではないか。確かに鄭和は雲南回族出身と言われているが、歴史とは何とも面白い。

話していると彼女の妹が入ってきた。妹はアメリカ留学経験があり、中国語より英語が得意だと言うので、後半は英語で話すことになる。この辺の言語適応力もすごい。彼女らのお爺さんが雲南からチェンライへ来た旅、お父さんが一代で築いた茶園、そして現在チェンライ市内にもスウィルンという名前で2店舗を持つ、姉妹で発展させる茶業、とても面白い。

茶畑の写真も撮った。以前はマンゴなどのフルーツ畑であったが、お父さんが全て買い取り茶園を広げていった。この辺の平地で茶樹が育つと思っていた農家はなかったというから、農業の才があったのだろう。台湾から技術を導入した四季春品種の烏龍茶をお土産に少し購入した。

あっという間に2時間以上が過ぎ、お昼ごはんを出してくれるというのを断って、車でチェンライバスターミナルへ向かう。この道、よく見ればチェンマイへの道ではないか。よく分かっていれば、ここからチェンマイ行きのバスに乗ることもできるのかもしれないが、既にチェンマイ行きチケットを購入していたので、市内まで戻ることになる。

ターミナルに着くと、購入したバスの時間まで1時間以上あったので、早いバスにチェンジしようとしたが、何と変更不可だった。仕方なく新たに購入してバスに乗り込む。何で変更できないのだ。ちゃんと確認しなかったこちらが悪い。しかしそうであれば、少なくとも郊外の新バスターミナルへ行けばよかったと後悔する。

チェンライ・チェンマイ茶旅2020(1)チェンライを散策すると 

《チェンライ・チェンマイ茶旅2020》  2020年2月1日-4日

タイ北部にはこれまで何度も行っているが、今回は華人調査の一環で訪ねることになった。2年半前に訪問した中で、興味を持った茶農家、果たしてどんな歴史があるのだろうか。

2月1日(土)チェンライへ

又ドムアン空港にやってきた。今回はタイライオン航空でチェンライへ向かう。その前に、また一風堂でラーメンと餃子を食べてしまった。水が一本ついているので、これを持って飛行機に乗り込む。コロナウイルスの影響で空いているかと思ったが、国内線の影響はさほどないようで、かなりの席が埋まっていた。国際線の方はほぼ中国人団体の姿が無くなり、かなり空いているように見えた。

ウトウトしていると飛行機は着陸してしまう。実質1時間の旅はやはりバスに比べて楽だ。手荷物も少なく、すぐに外へ出る。チェンライは何度も来ているが、以前は市内へ行くにはタクシーしかなかった。ところが今回路線バスを発見して、思わず乗り込む。路線はよく分からないが、街には慣れているし、Googleもあるので、20バーツ支払って席に着く。

バスは郊外からどんどん進んで市内へ入る。見慣れた風景も出てきたが、最終的には私が望んだ方向に向かわず、市内バスターミナルで降りた。ここは前回来た時は大改修工事中だったのだが、きれいに出来上がっていた。予約した宿までの道は分かっているので軽やかに歩く。

ところが宿に着いてびっくり。なんと昔の定宿が単にリニューアルされただけだった。きちんと地図も見ずに料金だけで予約したのは間違いだった。しかもきれいになった分以上に料金は高くなっている。部屋に入ると間取りは何ら変わらず、バストイレは異常に狭い。これで1400バーツも取るのはどうだろうか。ただきれいなフロント、プール、そして朝ご飯会場が光る。

夕方、P先生がご主人と一緒に来てくれた。Pさんは2年半前の北部タイ茶ツアーでお世話になり、その後も東京や静岡、和歌山でも会っている。だが昨年の彼女主催のお茶イベントには参加できず、最近はご無沙汰が続いていた。今回は、チャンライ・チェンマイでのアポにご協力頂いたこともあり、お忙しい中、会ってもらった。

庭に野菜が植わっている、何とも素敵なレストランでランナー料理をご馳走になる。北タイの料理、エビのてんぷらなどもあり、なぜか好みに合っている。ランナー王国の由来など、もう少し勉強してみようかとも思う。タイの茶産業、やはりコーヒーに押されており、政府の支援もどこまで期待できるか、ということらしい。お茶の歴史を研究する人もタイにはほとんどいないといい、資料も乏しい。なかなか厳しい現実がある。

2月2日(日)チャンライ散歩

翌朝は宿で朝食をとると暑くなる前に出掛ける。チャンライの街はこれまで何度も歩いているが、今回は少しアングルを変えてみる。古めかしい時計台のロータリーを過ぎると大きな市場がある。その裏辺りにも立派な寺があり、よく見ると何となく華人に関連しているようにも見える。その辺をフラフラすると、漢字が書かれた廟などが見えてくる。当然ながら内陸の交易都市チェンライには華人が多い。道路標示にも漢字が書かれているのが特徴的だ。

ムスリムの大きな清真寺もあった。10数年前に改修されたという。華人以外のムスリムも多いのだろうが、清真寺であれば中国系だろうか。よく見れば、漢字で雲南の文字も見え、謎は深まる。その付近にはハラール料理のレストランなどもあるようだ。更に歩いて行くと古墳のような場所があり、広い公園になっていた。何とも今風、インスタ映えする物がたくさん置かれているが、人影はなかった。

山岳民族博物館にも入ってみた。ちょうどビデオ上映があるというので急いで部屋に入ったが、何とドイツ語だった(後で日本人参加者が来たので、日本語版をもう一度見た)。それでも画面から内容は推測できるのが面白い。タイ北部の少数民族の分布など、興味深い内容であり、茶に関連したと思われる民族についても多くを知ることができる。

フラフラ歩いていると1914年に建てられた、チェンライ初の教会が建っていた。更に行くと実にうまそうな食堂があった。華人の店だとすぐに分かる。地元のお客で溢れていた。飛び込んで、何とか席を見つける。出てきた豚バラ入り麺は期待通りの濃厚なスープでうまい。幸せな気分で外へ出ると、隣のマッサージ屋が『中国加油』を掲げていたが、これはオイルマッサージとかけているのだろうか。残念ながら中国人観光客の姿は多くない。

一度部屋で休んだ後、気分がよかったので午後もまた出掛けた。川を越え、30分以上歩いた。向かった先はブルーテンプル。チェンライには白を基調とした美しいホワイトテンプルがあり、観光客で賑わっているが、それにあやかってか、ブルーのお寺も作ってしまった。確かにブルーだ。そして本堂内部が鮮やかだ。だがここも中国人観光客は少なく、白人が少し目立つだけだった。

ある日のバンコック日記2020(8)部屋を代わる&インドビザ申請

1月29日(水)

部屋を代わり、インドビザを申請

翌朝部屋に行ってみると、水漏れは止まっているように見えたが、宿側はハッキリした原因を言わず、折角なので気分転換も兼ねて、部屋を代わることにした。やはりタイのサービスというのはこんなものなのだろう。部屋を代わるにあたり、旧部屋で使用した電気と水道料金の支払いを求められた。

だがその電気代がどう見ておかしい。その点を尋ねても、明確な説明はない。仕方なく日本人Yさんに聞いてみると『タイの電気料金請求は誰にも理解できない』と言われビックリ。ホテル側も電力会社からの請求で毎度揉めているらしく、電力会社はその請求理由を一向に開示しないらしい。すごいな、タイ。ホテルなら電気料金は宿代に含まれるので、こんなことが裏にあることを初めて知る。タイ在住日本人は皆困っているのか。

部屋は家具の配置などが、今度の方が私にとって好みだった。長期で住む場合は、意外と大事なことである。ただ午後西日が当たるので、かなり暑くなるのが難点か。外の景色も変わったので、気分転換にはなる。バスタブは無くなったが、むしろスッキリしてよい。

昼はYさんと従業員が、焼肉を食べに行くというのでお供する。近くのモールに入っているチェーン店、プロモーションということで食べ放題のように肉が出てくる。焼肉と言っても、ムーカタ方式で、鍋の真ん中で肉を焼き、ヘリに汁が溜まるので、そこで野菜などを煮る。

野菜はなぜかキャベツが大量に出てくる。以前タイでこんなにキャベツを食べただろうか。まるでとんかつ屋のキャベツお替り自由を思い出す。きっとタイではキャベツ栽培が拡大しているのだろう。〆はうどん、というのも意外性があって面白い。

そのまま2階に上がり、スーパーを覗くと、なぜかキャベツが大量に売られているのが目に入る。やはりタイの野菜市場には大きな変化があったようだが、その事情などはここからは読み取れない。キャベツ好きの私としては有難い話だ。バンコックのとんかつ屋も皆、キャベツお替り自由にしてほしい。

夕方、大きな夕陽が落ちるのを部屋から眺めた。部屋を代わったことで、何だかとても得した気分になる。そのままの気分で、道端で麺をすすって、夕飯とした。これがやはりタイらしい生き方だ。

そろそろ次の旅の準備を始める。まずは2月初めにチャンライとチェンマイを訪問することが決まり、そのアポ取りを行う。それからフライトと宿を押さえる。心持か、料金が安くなっているような気がするのは、コロナウイルス関連で旅客が減っているのだろうか。そういえばMRTなどに乗ると急速にマスク姿が増えている。

2月中旬にインドに行くことも決める。あのアッサムからインパールへの過激旅を敢行する気力が出たのだ。それは良いことだが、まずはインドビザを確保する必要がある。元々インド行きと言えば、これまでビザ取得に悩まされてきた。ところが昨年驚くべき変化があった。何とインドが観光客にも5年マルチビザを発行し始めたのだ。

しかも申請はオンラインであり、いとも簡単に取れると知り合いはいう。彼は現在そのビザを使って、私が行こうとしている道を旅しているのだ。一度申請が通れば5年間ビザに悩まされない、しかも1度の滞在は180日以内だから、実質半年に一度出国すればインドに5年間住むことも可能というのは何とも画期的だ。だがそんなにうまくいくのか。

ネットビザ申請を始めたが、記入事項など要領を得ないところもあり、なかなか進まない。パスポートと写真のコピーをネットでアップロードしたりもする。悪戦苦闘の末、何とか最後まで辿り着いたが、ビザ代の支払いでまた躓く。それも乗り越え、遂に申請完了したのは深夜になっていた。5年間のビザ代は僅か25米ドル、信じられない。しかも翌日には申請完了、入国用のビザが送られてきたではないか。

だがインドはそんなに甘くはなかった。コロナ騒動が襲いかかってきた。まだインドには入れたのだが、もし途中で何か変更があった場合、インドに隔離されるのは恐ろしいと思い、結局行かないことになる。120日以内に入国しないと取得したビザは失効するのだが、それまでにインドに行ける保証はどこにもない(現在はそのビザ自体が一時停止中)。まあビザ代が安かったからまた申請するか。いや、今回の件で、次回の申請に影響があるかもしれない。やはりインドは一筋縄ではいかない国なのだ。

ある日のバンコック日記2020(7)サナムチャイからトンブリへ

1月28日(火)サナムチャイからトンブリへ

何となくバンコック滞在が長くなる予感があった。そしてちょうどOさんから、『バンコク謎解き華人廟めぐり』という本を借りた。この本にはまさに私が知りたいと思っていたことが書かれており、驚き、そして楽しく読んだ。直ぐに紀伊国屋で本を買い、華人廟を巡ってみようと思い、MRTに乗ってみる。

バンコックのMRTは大幅に延長されており、一部は環状線のようになっている。少なくともファランポーン駅から先が繋がったことにより、行動範囲が非常に広がった。今日は初めてサナムチャイという駅まで行ってみる。駅は真新しく、非常にきれいで驚く。そして駅を出ると、観光客目当てのトゥクトゥク運ちゃんが声を掛けてくる。白人が沢山歩いていて驚く。

川向うに渡る橋に向かって歩いて行くと、市場があり、カフェやホテルもある。この付近、これまで一度も来たことがなく、全くノーマークだったが、面白そうだ。橋の上を歩くと風は強いが、眺めは良い。橋を渡ると、立派な仏塔が見える。庭園も見事だ。見れば1820年代にコーヒー園だった場所がお寺になったらしい。

その先を歩いて、サンタクルス教会を探す。川沿いに建つこの立派な教会、タークシン王(タークのシン)がポルトガル人に土地を与えて1770年に建てられた(現在の建物は1916年)という。この時代はちょうどタークシン王がトンブリ王朝を開いてすぐ。荒廃したアユタヤからトンブリに都が移転したのだ。

そこから細い路地を歩く。ここがトンブリ朝時代の華人集落、クディ・チンだった。特に福建人が多く住むと言うが、残念ながらその特徴を見出すことはできない。細い路地には猫がゆっくり歩いている。まるでNHKの世界街歩きのようだ。バーン・クディチン博物館があったので入ってみる。ここは80年以上前に建てられた華人の個人宅であった。

クディ・チンは1767年、タークシン王がトンブリ王朝を建てる際、ポルトガルの兵士と福建を中心とした中国人をここに入植させたのが始まりらしい。現在のバンコック華人のマジョリティーは潮州人であるが、これはタークシンが潮州系であったことと関連する。但し世界的なチャイナタウンで潮州人がマジョリティーを占めるところはなく、バンコックが極めて稀であることが分かる。そして本来主流であるはずの福建人はどうしていたのか、その歴史がここにある。

川沿いに戻ると、建安宮があり、ここが福建系の廟であることからもそれが分かる。実に古びた、こじんまりしたいい寺であり、昼間から人が絶えない。更に歩くと、今度はタイ式の大きな寺院を目にする。ワット・カンヤラーナミット、中に入っていくと一転、中国様式の門があり、拝殿がある。これはなんだ、如何にも華人らしい様式ではないか。しかも本尊の大仏は三宝公であり、これはあの明朝時代の大遠征で有名な鄭和が祭られているではないか。

地図を見るとその向こうにモスクがあるが、何と細い運河を渡る橋はなく、かなり遠回りする。古いモスクが見えたが、門は閉ざされていた。聞けばこの付近にはムスリムの墓も沢山あるらしい。自転車の旅を楽しむ白人団体の後を行くと、白が鮮やかな大きな寺の裏から川沿いに抜け、古びた倉庫を目にする。既に使われていないようだが、後で調べると往時は塩を保管する倉庫だったようで、塩で儲けた大商人がいたということだ。

そしてトンブリ朝の宮殿跡地を見たと思い、フラフラ歩くが入る場所が見つからない。この辺、初めて来たが、白人や中国人が多く歩いており、店も沢山出来ている。横道に入ると人だかりがあり、50バーツを払ってそこへ入ると、何とワット・アルンだった。ここだけ中国人が列をなして写真を撮っており、日本人もいた。トンブリ宮殿の入り口を探したが、ここも隣は海軍の施設であり、入ることは叶わない。どうやら宮殿は海軍に飲み込まれているらしい。そこから歩いてMRT駅まで行き、宿へ戻る。暑さもあり大いに疲れる。

夜、部屋で水漏れがあった。フロントに言うと、係がすぐに見に来てくれたので、てっきり対応してくれると思ったが、その後は誰も来ない。またフロントに行くと『修理の人は明日修理すると言って帰った』というから驚いた。直ぐに部屋を変えて欲しいと言うと、夜中は出来ないと言い、一晩だけ別の部屋の鍵をくれた。バケツを借りて、水漏れの部屋の浸水を防ぎ、別の部屋で寝る。