chatabi のすべての投稿

ある日の台北日記2025その1(5)鉄観音茶の歴史

6月17日(火)鉄観音茶の歴史

朝から暑かったが、何となく腹が減り、朝ご飯を探した。近所に永和豆漿があるのだが、何故か一度も入ったことが無かった。大勢の人が並んでいたが、思い切って覗いてみると何となく席があったので、そこで若者が食べていた小籠包と冷たい豆漿を注文してみる。外は決して涼しくはなかったが、暑さもそれほど感じられず、皮の厚みがある小籠包が意外や美味しく感じられた。偶には昔の店の味を確認してみる必要がある。

部屋に帰るとドジャースの大谷が先発していた。660日のぶりの二刀流復活、これは本当にすごいことだと思うが、それを難なくやり遂げてしまうため、見ている方もそのすごさがイマイチわからない。いきなり160㎞の速球を投げていて、すごみはある。今回は1回のみで終わってしまったが、また見てみたいものだ。

昼過ぎにバスに乗って東門へ。東門市場がどこにあるのか分からなかったが、そこにある米粉湯の有名店に向かう。場所が分かり難い上、何と2軒が並んでいるので、どちらがどちらかは初めてでは分からない。空いている方に取り敢えず座り、米粉湯と大腸、そして油豆腐を注文する。米粉湯だけではさして味はないのだが、大腸にタレを付けて、少し米粉湯の上に乗せると実に美味い。サクッと食べるにはとても良い。お客もパラパラと続いてきている。

永康街の先日行ったお茶屋さんを再訪。今日は老板にじっくりと鉄観音茶の話を聞く。老板は茶業歴約40年とのことで、ちょうどその頃から台湾茶の内需が始まり、鉄観音茶も見直されるようになったらしい。ただ台湾鉄観音茶の基準はあいまいで、使用品種を問わないのは、中国の「鉄観音品種のみを鉄観音茶という」とは大いに異なる。また鉄観音製法についても、焙煎や発酵について、以前とは異なって来ていて、今や何が鉄観音か分からなくなってきているようにも思えたが、どうだろうか。

夜は旧知のS夫妻と食事。台南系の店なのか、意麺やタウナギなどがある。そしてメインは沙茶鍋。このスープが看板メニューで実に美味い。何杯もお代わりする。しかしこの沙茶鍋は元々どこの食べ物なのだろうか。まあ美味しいのだから固いことは言わずに黙って食べる。途中からMさんも加わり、よく食べて、よく話した。楽しい夜だった。

6月18日(水)猫空を歩く

今日は午前中お休みして、昼から活動を開始。MRTで萬芳を向かう。そこからバスで猫空を目指す。ミニバスの本数は少ないので乗り損ねてはいけないとかなり早くから待っていたが、結局乗客はほぼいなかった。山道を走り、終点までやってくるとちょっと雨の気配がして、焦る。ここから緩やかな上り坂を約20分散歩するとで目的地に着くはずだった。途中にはベトナム系の寺などはあったが、基本的に山路。

ようやく指定された住所まで来たが、訪ねるべき山荘はない。電話してみると、なんと送られてきた住所が間違っており、そこから1㎞先だと言われて歩き出す。ところがその1㎞はかなり急な坂であり、距離も1㎞ではなかった。結局約50分かけて目的地に着いた時はもう汗だくで息が上がっていた。

ある日の台北日記2025その1(4)小楊からミャンマー街、沖縄料理まで

昼をどうしようかと考えていると目の前に餃子屋が出現。何といういいタイミング。速攻入って、速攻カレー餃子を注文する。スープと野菜を加え、立派なランチだ。そこからMRTで東門へ移動する。私にはあまり縁がない永康街を散策する。週末で結構人が多い。日本人の姿も見られる。

茶器やお菓子などを見た後、冶堂というお茶屋さんへ行った。ここはコロナ前に一度連れてきてもらったことがあり、その際に老板に鉄観音茶の歴史を聞きたいと思っていたのだが、先方が忙しくて実現せず、その後店の場所もあやふやになり、そのままになっていた。今日行ってみると、実に静かでよい雰囲気。いつか老板に会いたいと店員さんに告げていたら、ちょうど彼が入って来てご対面。後日詳しく話を聞くことになった。これもご縁か。

そこからMRTを乗り継ぎ、小楊の家に行った。2年ぶりだろうか。毎回入り口が分からない。そして5階まで階段で上がるのもかなりしんどくなってきている。昨日急に思い出した「15年前新店山中に連れて行ってもらい飲んだ四季春茶が香り過ぎていた」話を持ち出したら、その息子が作った今年のお茶を飲ませてくれた。小楊ともそんなに長い付き合いだったんだ、と気づく。

結局夕飯もご馳走になってしまった。白斬鶏が美味しい。中国広東では白切鶏と言っていると思うのだが、台湾の方が鶏に厚みがある。そういえば永康街で昔小楊が日本人に美味い料理をご馳走してくれたことも思い出された。お茶にうるさい人は大抵食べ物にもこだわりがある。今晩も美味しく頂く。

6月15日(日)ミャンマー街へ

台北に来て数日、かなり動き回っており、ちょっと疲れが出てきた。午前中は休息を取り、どうしても食べたかった大腸麺線を食べて、テンションを上げた。そして昨年も通ったミャンマー街へ向かう。そこでAさんと合流して、ミャンマー焼きそばを食べ、ミルクティーを飲み、話が弾む。

まあとにかく暑くて、さほど歩き回りもしなかったが、一部店舗が入れ替わったり、移転していたりと、それなりの変化が見られるミャンマー街。ミャンマー人の流入も増えてきているに違いない。どんなに暑くてもクーラーが効いていない屋外でミルクティーを啜りながら話をしているおじさんたちは強い。

6月16日(月)沖縄料理屋で

何とか週末を乗り切り、自らの台北生活が始まる。ちょっと疲れたので午前中は洗濯して、休息。NHK朝ドラ「あんぱん」は主人公が出征し、何と福州郊外に駐留という設定に。だがそこで話されていた言葉が「閩南語」だとか「台湾語話す人を集めたのか」など、その界隈が騒がしい。私の視点はお茶なので、露店に「水仙」の文字を見て喜んだが、「普洱茶」をみて、「1940年前後に雲南の茶である普洱が、福建の田舎で飲まれていたのか??」となってしまう。

昼は旧知のBさんと会う。場所は潮州路からちょっと入った沖縄料理屋。最近Bさんの根城らしい。オーナーは石垣島の人で音楽仲間とか。シェフは沖縄料理の他、日本の中華など作れるということだったが、今回は唐揚げ定食を食す。次回は是非冷やし中華を食べてみたい。

昨年に続いてBさんのラジオ番組へのお誘いがあった。毎週毎週番組を作るのは大変だろうなと思い、お役に立てるのなら、と、またお茶のお話をすることにした。今回は「台湾と三重の繋がり」にしようか。三重には日東紅茶や台湾山茶繋がりの話があり、ちょうどいま勉強中だ。

午後4時ごろまで、Bさんとよもやま話をしていた。それからバスに乗って大稲埕へ向かう。本で紹介されていた店を探していくと慈聖宮に出くわした。ここに並ぶ店の1つだった。午後4時過ぎなのに、お客は引っ切り無しに来ていた。私は名物猪脚麺線を注文して待つ。スープは白くてちょっと予想外。大蒜は効いている。猪脚はそのスープで茹でただけのようで、たれを調合して付けて食べると旨い。ただ脂身が多過ぎたせいか、そこまで美味しさが分からなかった。150元。

ある日の台北日記2025その1(3)頭份から大稲埕

バスターミナルまで歩いて戻る。2時過ぎのバスに乗客はあまりいない。うつらうつらしている間に、高速道路を走り、気が付くと高速を降りていき、予定より10分遅れで頭份のバスターミナルに入った。そこには7年ぶりに会うジャッキーが待っていてくれ、彼の車で店に向かった。その店は3代前からやっている製茶機械の製造販売がメインだった。だが今回聞いてみるとジャッキーはお父さんの機械製造には関わらず、独自の道を歩んでいた。

そして台湾ではなく、イギリス・フランス・日本などのコンテストで入賞し、今では台湾でも有名茶業者となっていた。時々彼のFBは覗いていたが、まさかこんなすごいことになっていると、夢にも思わなかった。まだ自前のお店は持っておらず、実家でお茶を淹れてくれたが、淹れ方にもかなりの工夫が見られ、お客を楽しませている。これから東方美人の生産が始まるということで、ちょうど空いていたタイミングでやってきたが、大正解だった。

あっと言う間に3時間近くが過ぎ、帰りのバスの時間を確認すると、かなり間が開いていた。どこかでご飯でも、と考えているとジャッキーが弁当を手配してくれた。これがまた豪華で美味しい。量が多過ぎて全部食べ切れなかったのは残念だったが、家庭的なご飯がサッと出てくる台湾、やはりすごい。

バスターミナルまで車で送ってもらったが、何と時刻表の時間になってもバスは来ない。おまけにチケットは空席待ちになっており、金曜日の夜だからか、人はどんどん並んでいく。ここ苗栗は客家が多く住んでいるが「客家語を話しましょう」というスローガンが現状を物語っている。30分後、ようやく次のバスと2台一緒にバスが来た。我々は1台目に乗り込み、ホッと一息。1時間ちょっとで台北まで戻った。意外と夜遅くなり、疲れたが、いい旅だった。

6月14日(土)大稲埕で

翌朝は大稲埕でお茶屋に行ってみる。埠頭近くにある王錦珍、コロナ前に息子に高山茶コーヒーを淹れて貰って以来、来ていなかった。入っていくと奥さんが出てきたが、後ろに老板がいるのが見えたので声を掛けると、何となく思い出したようで、色々と話が始まる。老板とは、コロナ前何度かお茶関係の宴席で出会っていたが、ちゃんと話をしたことはあまりなかった。杉林渓茶が香っている。因みに息子は今年からカナダで働いているらしい。

王錦珍のすぐ裏は、錦記ビルになっていて、その横の陳天来故居は改修されている。来年には公開されるらしいが、どんな風になるのか興味津々。それから王瑞珍へ行ってみる。ここは一昨年訪ねている。バンコクの王瑞珍と親せき関係かどうか聞きに来たのだが、何とその後昨年、バンコクの王一家が台北にやってきて、初めて会ったという。私がきっかけで親戚同士が連絡を取り合うようになったのであれば、こんな嬉しいことはない。

ここでは玉山の高山茶が美味しかった。更には焙煎によってかなり味が変わること、お茶を飲みながら学んだ。こういう店が必要なのだが、後継者はおらず(娘たちに継がせるには大変過ぎる)、もう何年かで閉店するかもしれないと言われるとかなり寂しい。老板夫妻は二人ともかなり日本語が出来るので、日本とのビジネスも多かったろうが、日本側の購買力の陰りも影響しているだろうか。

ある日の台北日記2025その1(2)ちょこっと大稲埕へ

6月12日(木)日常の台北

朝5時半には目覚めてしまう。クーラーを掛けて寝て、夜中に一度切ったら暑くてまた起きてしまい、結局よく眠れないまま朝になった。東京だって昨年の7月はこんな状態だったが、台北でいきなりこれが来ると辛い。今は梅雨なのだ。さすがに朝はさわやかなので、窓を開けて風を入れると良い。メールチェックなどをして過ごす。

少し腹が減ったが我慢した。中国旅と怠惰な東京生活での食べ過ぎがたたって体重は激増しており、体が重い、疲れやすい感覚に見舞われていたからだ。洗濯でもするかと思ったら途端に雨が降り出す。まさに梅雨だ。お陰で暑さは少し安らいだが、外に出るのも億劫になる。

午前10時頃雨は止んだので外へ出た。まずはいつもの店でいつものクラブサンドイッチにアイスティーの朝食だ。店のおばさんの愛想が何だかよくなっているような気がする。大腸麺線もついでに食べたかったが、これではダイエットにならないときつく心を戒める。その後全聯に行き、生活用品を買う。散歩するのが快適でよい。

午後は明日からの準備に取り掛かる。あっと言う間に半日が過ぎてしまうのは、作業効率低下が著しい証拠だ。夕方下のセブンにゴミ袋を買いに行く。台北でゴミを出す場合、専用の袋に入れないと怒られる。数年ぶりにこれを買うのはちょっと緊張するが、すぐに出てきて良かった。

夕方は風が強く、気持ちよい。いつも行っていた餃子屋が牛肉麺屋に変わっていたのは何とも悲しい。それでもお気に入りの牛雑屋は健在でよかった。しかも昨年初めて打ち解けた老板娘が「あんた、帰ってきたの?」とにっこりしたのには本当に驚いた。この7年で初めての事態にドギマギする。牛肉玉米炒飯は抜群に旨かった。牛雑湯は少しぬるかったが、それでも食べられてよかった。

6月13日(金)頭份へ

朝早く目覚める。今日はランチまで何も食べないぞ、と思っていたが、5時に起きて8時前には我慢できなくなり、朝飯を探しに行く。近所の別の店でまたクラブサンドセットを注文。昨年より10元上がっていたが、それでも美味しいから食べてしまう。近所の子たちが学校に行く前に朝食を食べているのが台湾っぽい。

今日はKさんが早朝便で台湾にやってくる日。順調に到着したとの連絡を受け、出掛ける。まずは台北駅付近のダイソーに行き、耳かきを買う。商品の種類が多過ぎて、探すのに手間取る。雨が降り出し、地下を通り、バスターミナルへ向かう。今日は午後苗栗へ行くので、そのチケットを買った。近距離バスでもチケット買えるんだな、と思う。

小雨の中、金春発で待ち合わせ。ここの牛雑湯が飲みたいと思いやって来た。最近の癖でカレー麺も頼んでしまう。このカレー麺、如何にもカレー味だが、1897年創業を謳うこの店で、一体いつからあるのだろうか、とふと思う。店はどんどん混んできて、相変わらずの盛況ぶりだった。

バスまで少し時間があったので、大稲埕付近を歩いてみる。朝陽茶葉公園に達し、有記に入ってみると、薄暗い雰囲気でお客もいない。お茶の試飲も出来ないというので、早々に退散する。その後迪化街に出て歩いていると、ちょうど王福記が目に入り、そこに吸い込まれた。お父さんが元気に相手をしてくれ、高山茶を飲ませてくれて、一息つく。鉄観音茶を広めたのは誰か、など興味深い話になる。

ある日の台北日記2025その1(1)台北に到着すると

《ある日の台北日記2025その1》  2025年6月11₋20日

1年ぶりに台北にやって来た。そろそろ茶旅のネタも尽きてきたが、今回は一体どうなるだろうか。普通は到着してから各所へ連絡するのだが、今回は滞在を少し短くしたので、事前に連絡したところ、取り敢えず最初の一週間はほぼ予定が出来てしまった。

6月11日(水)台北到着

ちょうど梅雨入りした東京。昨日から雨が降っていた。今日は空港へ向かうのだが荷物が多いので、雨に降られると運べない。タクシーを呼ぼうかと調べてみたら、羽田空港まで定額8100円となっていたが、別途高速代を負担しなければならず、一人で乗るには正直高過ぎる。ああ、中国の車を呼べればなあ、恐らく1/4の料金で行ってくれるだろう。

天気予報では午前8時半に一時的に雨が止むと出ていた。私はその時間に家を出たかったので、準備して待っていると、本当に止んだ。すごいな、日本の天気予報。急いで荷物を引いて駅まで行く。新宿からは荷物が多いとバスだが、今回はそのまま電車を乗り継いで羽田に至る。外はかなり雨が降っている。

機体は大型機であったが、満席ではなかった。日本人と台湾人がバランスよく乗っている感じ。日本人CA2名が乗っていたが、彼の日本語は分かりづらく、聞き返してしまった。余程華語で言ってもらった方が分かりやすい。今回の食事はイマイチだったが、コージーコーナーのエクレアが付いていた。映画は長澤まさみを見ている内に2度寝落ち。機内で30分無料のWi-Fiがあったので、初めて空の上で繋いでみた。これがあるともう出張者は休息できないな、と余計なことを考える。

何となく3時間が過ぎて松山空港に降りた。通路で「荷物検査免除」のカードを貰う。どうやら中国や韓国から肉類の持ち込みが横行しており、特定フライトの乗客は全て荷物検査があるらしいのだが、日本便の客は有難いことに免除されていた。入国審査も多少列が出来ていたが、殆ど日本人なのでスムーズ。

外へ出るとまずはラッキードローを引く。2023年からこれを引いているが当たったためしがない。だが今回ある人の投稿を見ていると半数の人が当たっているとあったので、かなり意気込んで引いてみたが、やはりハズレた。これで3年連続5回目のハズレ、5000元貰えればデカいのに、なぜ?

空港内でドリンクを買い、時間調整のためいつものデスクに行く。ここは充電が出来て、ネット環境もあるので、毎回使わせてもらっている。大家から連絡があれば、ここからMRT数駅で着けるので実に便利だ。そして何とか宿泊先に入って荷物を取り出していると、突然アラートがあり、地震が始まった。幸い大した揺れもなかったが、昨年は到着翌朝大地震に遭遇し、今回は何と10分後に洗礼を浴びた。まさか私が地震を運んできたとは思いたくないが。

外へ出るとあの露天商のおばちゃんと目が合った。彼らはちょうど帰ろうとしていたが、私を見るとすぐに最後に残ったバナナを持って来た。即購入。昨年台北を離れる際は1週間ほど姿を見なかったので廃業したかと心配していたのだが、良かった。それから牛肉湯肉絲麺を食べに行ったが、いつもの店は閉まっていた。またトラブルでもあったろうか。

隣が開いていたので、何となく牛肉湯麺と言ってしまったら、本当に肉絲はなく、スープに麺が入っているだけの実に寂しいものが出てきた。まあ、これでも十分美味しいのだが、牛肉麺にすればよかったと、かなり後悔の台北滞在1食目。それにしても台北は暑い。蒸し暑いのだ。東京が雨で涼しかっただけにこれは結構堪える。クーラー全開でも眠れない。

上海・浙江美食旅2025(9)オールド上海散策

5月21日(水)上海散策

爽やかな朝、外へ出る。まずは朝ご飯を探す。この付近、庶民的な店は減っているようだ。何とか食堂に入り、葱油拌麺と湯包を注文。実にシンプルだがこういう朝が欲しかった。静けさの中で麺を食すのは良い。食後は散策。孫中山故居を探しながら、何とも雰囲気の良い昔の風景を垣間見て歩く。あれだけ発展した上海の中に、38年前を思い出せる場がまだあることに少し感動する。更には錦江飯店の敷地内を散策し、多くの面影を確認して脳が喜んでいた。若き日の思い出は老いてこのように蘇るのかとびっくりした。

昼前に宿を出て車を呼んで宿を移る。移らなくてもよかったのだが、何となく散財しないようにという自制と、洗濯したいという衝動が、宿の予約サイトに繋がった。その宿は定宿チェーン店なのだが、どう見ても設備が古びていて、色々と問題がありそう。部屋に至っては何と窓が無く、久しぶりの安宿空間だった。ただ窓がない部屋は嫌いではないので一晩泊まろうと決意を固めるも、何とネットが全く繋がらない。

仕方なくフロントに伝えると、さすがに窓のある部屋に変えてくれた。そんなに安くない部屋に結構な料金を払うことには抵抗があった。ただスタッフたちはその辺の弱点がよく分かっており、非常に臨機応変に対応してくれた。洗濯も結局洗濯して畳んでおいてくれて助かった。

昼ごはんを食べようと麵屋に向かって歩いて行くと、なんとクラシック音楽などが聞こえてくる。優雅な雰囲気で、しかもレトロな建物がずらっと並んでいるので嬉しい。杭州で味をしめ、爆醤猪肝腰花麺を頂く。これは本当に私に合った濃厚な味で、しかも内臓系が驚くほど旨い。

午後は交通大学へ行ってみた。なぜ行こうと思ったのは分からないが、昨日の華東師範と脳の関連ではないだろうか。やはり38年ぶりだが、ここの記憶自体は殆どないので、懐かしさは乏しい。郊外の復旦大学から見えれば、都会だったとの記憶だけがある。歴史も復旦とほぼ同じで、それなりの建物も残っている。外へ出て道を渡ると、そこに李鴻章祠があるとあったので行ってみたが、何と復旦公学の古い門が建っていた。母校は今年120周年を迎えると再認識した。

宋慶齢故居に向かって歩いていたら、何やら交差点付近に人が集まっており、皆が上を向いて写真を撮っている。武康大楼というY字路に立つ100年前の建物。なぜ人はY字路に立つ建築物に魅せられるのだろう、などと思ってしまう。所謂インスタ映えスポットらしい。結局故居の方は通り過ぎ、その先の駅から地下鉄に乗り、宿へ戻る。夜もまた飽きずに大腸拌麺を食べて大満足。

5月22日(木)東京へ

ついに最終日の朝。この宿には朝飯があるのだが、一階の狭い空間で食べるのは気分の良いものではなく、すぐに退散して外へ出た。何となく静安寺の方へ向けて一駅歩いてみる。地図を見ると静安寺の横に愚園路という道があるのが気なる。なぜ愚園という名称なのか知りたく、歩いてみるもほぼ分からず。ただ何となくいい雰囲気の横丁などが多く、感じはいい。

暑くなってきたので静安寺から一駅地下鉄に乗り、昨日音楽が流れた道の更に南を行く。ここに白公館と呼ばれる古い建物があったが、予想通り閉鎖中で立ち入りは出来なかった。ちょっと横に回り、何となく立派な建物の横側を撮る。ここは国民党の重鎮、一時は蒋介石の右腕とも言われた白崇禧将軍の邸宅だったようだ。白崇禧は結局台湾に渡り、不遇のうちに亡くなった。お墓は台北郊外の回族墓地に立派なのが建っている。

宿に戻り、チェックアウトして浦東空港に向かい、地下鉄に乗る。既に駅にも慣れていて、入り口やエレベーターの場所も把握しており、スムーズに乗れた。一度乗り換え、2号線でひたすら向かったが、途中駅で一度終点を迎え、更に乗り継いでいく。1時間半近くかかるが、料金は7元というのが良い。今回の2週間の旅を回顧しながら進む。

空港では搭乗ゲートが遠く、いつの間にか出来たシャトルに乗るのに戸惑うが、まあ許容範囲か。フライトはそれほど混んではいないが、なぜか私の列は3人座っており、ちょっと窮屈。まあ3時間もかからないので良しとする。でもエアチャイナには珍しく、機内食は軽食だった。

成田に着くとちょっと風があり涼しく感じられた。前回同様京成線を八幡で降り、都営線に乗り継ぐ途中、日高屋に寄りタンメンと半チャーハンを食べて〆る。これが恒例となるとは?まあ美味しければよいか。揚州炒飯を食べに行き、日高屋炒飯で終わる旅、美食家的にはないだろうな。

上海・浙江美食旅2025(8)錦江飯店と国際青年茶会

5月20日(火)華東師範大学の国際茶会

朝散歩に出た。こんなところにかつやがあって驚く。朝ご飯を食べたかったが、何だかちょうどよい店が無く、そのまま宿に戻り、チェックアウトして杭州東駅へ向かう。この旅では何度も列車に乗っているが、今日初めて駅舎内の食堂でご飯を食べてみた。インスタント麺の康師傳経営で牛肉麺が売りのようだった。値段も高くて味もイマイチ、ということで、勉強になる。

列車に乗るべく改札に並ぶ。15分前になっても改札が開かず、2₋3分遅れて列が動き出した。私は自動ゲートを通れないので人がチェックする列に並んでいる。当然移動により時間がかかる。何とか潜り抜けてホームに降りようとしたら、ものすごい人がいて驚く。何と既に乗車する列車は到着しており、大勢の人がホームに降りていた。その人たちをかき分けて何とか自分の車両まで辿り着く。かなり疲れた。

約1時間乗って上海虹橋駅に着いた。そこから地下鉄で街中へ行く。下車して地上に上がるとどちらの方向に行くべきか全くわからない。だが突然目の前に「国泰劇院」の文字が見えると、自然と方向が分かってしまう。1986₋87年上海に留学していた頃のことを脳が覚えているというのは何とも驚きだ。

体が進む方向に行くと左にガーデンホテルが見えた。ホテルオークラ、留学中はずっと建設中だった。右を向くと懐かしの錦江飯店の門が見える。今日は38年にぶりにここに泊まるべく予約した。予約したのは南側の錦楠楼、小雨の中懐かしい径を歩き、何とか辿り着いた。勿論ロビーはキレイになっており、フロントの英語もきれいだった。

だが何と部屋が自動でアップグレードされ、敢え無くカートで錦北楼へ移動させられた。その階段を見るだけで自然と「北楼」と浮かんでしまう。ここもきれいに改修されていたが、何となく雰囲気はある。そして部屋はかなり立派で嬉しくなる。38年前に泊まった時は今や無き中楼で、完全フランス式の部屋だった。バスルームから反対のドアを開けるとそのまま廊下へ出てしまったのは忘れられない。北楼には今も四川料理屋があった。

午後はさっきとは別の地下鉄駅から、華東師範大学を目指していく。ここも38年ぶりだろうか。勿論地下鉄で行くのは初めて。本当に便利になったものだ。このキャンパスといえば、大連行きの飛行機が飛ばずに、空港からここへ来て泊めてもらった記憶はあるが、どんな所だったかはほぼ記憶がない。入口で身分証提示を求められ、パスポートを見せて登記して入る。

今日は先日会った王さんから教えられ、こちらで開催されている国際青年茶会にやって来た。勿論私は青年ではないのだが、上海茶の歴史に詳しい方が来るというのでその紹介を受けるためだった。だが会場がどこか分からず、取り敢えず広いキャンパスを歩いてみる。随分奥の方に毛沢東像があった。ここは何となく記憶がある。その近くの川沿いにイベントが見えた。

各国の留学生が中国各地から参加していた。イラン女子がチャイを淹れており、美味しく頂いた。茶畑の話も聞きたかったが、英語と中国語が混在して意外と難しかった。日本チームは学生ではなく、上海在住者が中国茶芸を披露していた。そこに座っていたのが、華東師範大学卒業生で先生もしていたというOB達。この人たちの話を聞いていると、昔の学生は教養豊か、博識だったなと思い出す。

夕飯に誘われて、その人々について行く。何とこの建物の横に大学の食堂があり、美味しいご飯が出てきて驚く。更にいきなり漢詩が出てきて、日本語出てきて、言語学から民俗学、音楽やアメリカの話題にもなる。久しぶりにこういう知的な会話に遭遇して、何となく嬉しい夜を過ごした。帰りはまた地下鉄に乗り、フラフラと戻り、部屋でゆったりと疲れを癒す。今日の疲れは何となく心地よい。

上海・浙江美食旅2025(7)杭州散策

5月19日(月)杭州散策

朝この宿の屋上に登る。そこにはマルコポーロの説明書きと共に像が置かれており、一緒に西湖を眺め、記念写真を撮るのは良い。ちょっと湖の周辺を散策したい気分になり宿を出ると、ちょうど朝ご飯屋がやっていたのでフラッと入る。自分の食べたい物を取るスタイルだが、糖酢里肌と筍、そして白粥をとって精算したら、何と55元もして驚く。ここは観光客用食堂だと分かったが後の祭り。

そこから西湖沿いに昨日と反対の道を歩いて行く。朝から人が多く、地元民は踊りや歌で元気だ。観光客は天気が良いので船に乗り込んでいく。私はただひたすら歩く。実は38年前もここを歩いたと記録にあるが、思い出せない。青い空、湖面に浮かぶ船、柳など眺めながら1時間半ほど歩いて、何とか観光地である雷峰塔まで辿り着いたが、疲れてしまい見学を辞める。さすがに歩いて戻る気力はない。帰りはバスに乗って宿まで戻る。

宿に戻るすぐ手前に友好飯店があった。昨日気が付いたので今日はここに宿を移動した。この宿は38年前泊った思い出の場所。その前年に開業した岐阜県の合弁ホテルで、電話予約でき、すごく安く泊まれたのが印象深い。10数年前も一度泊まっていたが、また機会が訪れたのは嬉しい。部屋は日本のビジネスホテルほどの広さしかないが機能的。NHKも見られた。湯船も深い。

昼過ぎにまたバスに乗る。乗り場を間違えてちょっと混乱したが暑さのせいだろうか。いや、既に疲れがピークを迎え、脳の働きが極端に弱っている。まあバスに乗れば後はただ揺られていくだけ。これから観光地、霊隠寺を目指す。月曜日だがかなりの観光客がいてバスも混む。終点で降りたが、そこから随分と歩く。今の中国の観光地はどこも巨大化しており、車の侵入を防ぐためにかなり歩くのが普通だ。

ようやく寺に辿り着いたが、団体を中心にかなりの人がいて萎える。10数年前、お茶の関係のこの付近に来た時はこれほどの人出ではなかったように思うが、寺での会話で観光開発が話題になっていたのを突然思い出す。それが進展し、成功したのかもしれない。とにかく寺へは入らず、人のいない方へ歩いて行く。途中茶葉が干されていたり、売られていたりしたが、あまり興味はなく、一つの寺に入り口まで着くと、もう帰りたくなってバス停を目指した。

ところが何とかバス停に着くと既に大勢の人が列を作っていてまた萎える。日差しもかなり強いのに、遮るものが無い。その時、終点まで行かないバスが来たので、取り敢えず乗り込んだら何とか座れて助かった。結局このバスは西湖を回り、私の宿の一つ前まで行ったのでOKだった。

宿で相撲を見てから夕飯を探しに行く。あまり食欲もなく麺がいいやと思い、検索して近所の麵屋に行ったら、何と既に廃業していた。その近くに午後5時で満員の店があり、フラッと覗くと1席だけあったので、そこで猪肝拌川という麵に腰花を加えてみた。これがまた大当たりで実に好みの味。嬉しくなって一気に食べ切った。周囲は若者客で溢れ、帰る時には行列が出来ていた。夜はゆっくり湯船につかり体を休めたが、自分の年齢を思い知る日々となっている。

上海・浙江美食旅2025(6)杭州 茶葉博物館へ

車を呼んで茶葉博物館に向かった。恐らくここへ行くのは15年ぶりだろうか。運転手が話し掛けてきたが、安徽の訛りが強くて半分しか分からない。ただ彼が「何年か運転手しているけど、茶葉博物館まで客を乗せたのは2回目だ。あんたは何しに行くんだ」という言葉が印象的。決して多くの観光客が訪れる場所ではないということか。車は西湖の周りを走るが、日曜日ということか渋滞があり、なかなか進まなかった。

何とか博物館に着くと、周辺の茶畑に観光客がおり、ちょっとホッとした。入場料も取られず、名前とパスポート番号を登記すれば自由に見学できた。私は茶の歴史コーナーだけを丹念に見てみた。お茶の歴史も10数年前とはかなり状況が違っているはずで、やはりある程度新しい情報が反映されていた。最後に現代茶業に貢献した人々がイラストで紹介されていたが、その中心はやはり呉覚農だった。ここだけ見るのに1時間以上かかってしまう。

あとは、お茶の試飲をちょっとして、庭のようになっている敷地内を歩いていき、静けさの中を散歩する。これはこれでとても良い。ここは国家級博物館なので、さすがに展示内容も多く、敷地も広い。陸羽像もある。外には試験場のような茶畑もある。すぐ近所には龍井村もある。

ここからどうするかと悩んだが、車を呼んでも渋滞になるのなら、とバスに乗ってみた。市内は一律2元なので、現金で払ってみる。バスはそれほど混んでいなので座ってゆっくり行く。途中に岳王廟があったので降りてみたが、廟には寄らず、反対側の庭園に入り、散策する。西湖の周囲はさすがに見学に値する場所が多いので、そのままフラフラ歩いてみる。とてもいい風景が広がる。

また湖と反対側を歩くと杭州飯店がある。ここは38年前に泊まりたかったが、未だに泊まれていないホテル、シャングリラだ。この近くに有名はレストランがあったような気がする。100年以上前に開業した新新飯店(旅館)も建っている。更にはお寺の跡地がいくつかある。その中で少し奥に入ると瑪瑙寺と書かれた場所があり、観光客が入っていく。

ここには「連横記念館」との文字が見える。連横、どこかで聞いた名だと思い入ってみると、何と台湾歴史の展示館があるので驚く。同時に彼が「台湾通史」の作者であることも思い出す。この展示館、かなり詳細な台湾史の記述があり、日本統治時代についても書かれているので驚いた。そしてこの連横の子孫が連戦であり、ここにきた写真が飾られていた。庭園はキレイでなかなか雰囲気が良く、写真を撮るために入ってくる若者観光客が多いが、この微妙は雰囲気を感じることはないだろう。一本裏の道には歴史が溢れているように見えた。

そのままトボトボと歩いて行くと、湖から離れ繁華街に入った。何となく腹が減ったが観光客相手の店が多く、素通りしていく。随分宿の方まで戻ったあたりで、良さそうな食堂を見付けた。そこで「杭州の焼きそば」と頼んでみると、老板が「どっから来たんだ?」と聞くので「日本」と答えるとかなり驚いて、如何にも昔出くわしたおじさんの対応で自分の知っている日本を繰り出してきたので笑ってしまった。

焼きそばは牛肉が入っていてなかなか美味しい。味付けがちょっと日本人好みかな、と思う。老板はしきりにうちの看板は牛肉麺と言っていたが、スープ麺も美味しかったかもしれない。因みにうちは老舗だから、と何度か言っていたが、創業は2008年で老舗とは言い難い。いや、動きの速い中国で15年以上営業しているのなら、それはそれで素晴らしい。そのまま繁華街を抜けて宿まで帰り、疲れたのでゆっくりと休んだ。

上海・浙江美食旅2025(5)上虞から杭州へ

昼も過ぎていたのでどこかで食事をしたかったが適当なところが無く、老街の外へ出て探すと食堂があった。入っていくとちょうど昼営業が終わり片付け中だったが、食べさせてくれた。そこに残っていたおかずとスープ、ご飯で20元。何となく昔の国営食堂を思い出したが、国営はそんなに親切ではなかったが、ここの人は実に気さくだった。少し冷えた飯を掻き込む。それもまたよし。

車を呼んで宿へ戻る前に博物館へ行った。ここで上虞の歴史を学ぶ。上虞が古代から地理的に重要な場所であったことを理解する。最澄がここで灌頂を受けたことなども展示されており、また茶を持ち帰ったとも書かれている。また呉覚農についてもかなり詳しい展示があり、さすが地元、という感じだった。この博物館の周辺もまた、観光開発された場所のようだったが、かなり暑くなっていて歩くのもしんどく、取り敢えず曹娥廟だけちょっと見てすぐに退散した。

宿へ帰ると快適な部屋が待っているのは何とも有難い。おまけにNHKも見られたので久しぶりに大画面で相撲を堪能した。それから湯船に長く浸かり、旅の疲れを癒した。夕暮れ時には夕日がきれいに見え、もう外へ出る気が無くなった(外へ出ても食堂があるのか分からなかった)。少し長い旅にはこういう日があっても良い。

夕飯はルームサービスを頼んだ。本当はクラブサンドイッチが食べたかったのだがなかったので、パスタとサラダにしてみた。注文も全て微信で行い、配送時間も指定出来たので楽々だった。パスタは普通の味だったが、中国に入って長い間中国料理しか食べていなかったので、何となく新鮮で美味しく感じられた。夜も広過ぎるベッドで安らかに眠った。特に夢は見なかった。

5月18日(日)杭州の茶葉博物館へ

朝はホテルの朝食を優雅に頂いた。お客も少ないのでかなりゆったりと料理を選び、広々とした席でゆっくり食べたのは実によかった。ただこういう五つ星ホテルにはオーダーすると目玉焼きを焼いてくれるシェフがいるものだが、ここにはおらず、既に焼かれた卵が置かれていたのはちょっと残念だった。まあ食事代がバカ安だった(宿代に30元足しただけ)ので、十分満足した。

部屋に戻ってソファーに転がり、ゆっくりと時間まで時の流れを噛みしめた。宿を離れ、昨日の紹興東駅まで戻る。この駅はホームが2階建てになっており、かなり簡易な作りだと分かる。乗客も多くはない。そして僅か30分乗ると杭州東駅まで来てしまう。さっきの駅とは違って、ここは大きなターミナルステーションで、出口から出るとすぐに迷う。

何とか地下鉄乗り場を見付けて乗り込む。上虞の人が言っていた通り、杭州は人が多過ぎ、不動産も高過ぎなので、上虞に家を買う人が多いというのは何となく納得できる。6つ目の龍翔橋駅で下車すると、何故かコスプレした若者が大量にいて驚く。近所でコスプレ大会でもあるのだろうか。

少し雨が降っていたが駅から近い宿をとっていてよかった。今日の宿名は何とマルコポーロホテル。ロビーにもマルコの像が置かれており、ちょっと驚く。かなり古い宿だが、コンパクトで使い勝手は良さそうでバスタブもある。さっきまで居た宿とは比べられないが、料金は半額(朝食なし)だった。但し少し虫が出たので一泊で退散した。