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ヤンゴン茶旅2020(3)懐かしのヤンゴンを歩く

1月18日(土)
ヤンゴンをフラフラ

翌朝も宿で朝食を食べてから、外へ出た。今日も香港から来ているIさんと一緒にヤンゴンを歩くことにした。彼女のホテルのすぐ近くには、100年ぐらい前に建てられた教会があったが、そこには厦語教会とも書かれており目を惹く。19世紀半ば以降、厦門には教会が出来、そこで英語を学んだ若者がおり、彼らは台湾や香港など海外に雄飛したとも言われている。もしやラングーンにもやって来て、その支部がここに建てられたのだろうか。その横にはヒンズー寺院があり、インド系との境目になっていた。

 

スタンドで売られている新聞に目をやると、スーチー氏と習近平氏が握手していた。私は知らなかったが、習氏はネピドーを訪問していたようだ。だがその記事はとても好意的な内容とは思われず、今日ヤンゴンでも反中デモが行われるという話まであった。ミャンマーの苦境に忍び寄る中国、という構図だろうか。

 

チャイナタウンを歩くということだったが、何となく東の方に足が向き、インド人街を抜けて、川の方へ向かっていた。昨晩話に出ていた国立図書館のきれいな建物が見えたが、警備員から『オープンは4か月後だよ』と教えられる。ミャンマーのことを調べるためには一体どこへ行けばよいのだろうか。

 

クラシカルな建造物エリアに進む。レトロ郵便局は土曜日だからか人がいない。ストラッドホテルではハイティーが20ドルと書かれていたが、朝からやっているわけはない。まあ、それほど暑くないので、川沿いの重厚な建物を見て回るのは悪くないが、やはり疲れてくる。

 

私の宿に戻った。今日は旧知のTさんと会う約束だったが、昨晩メールで会う場所を変更した。が、Tさんからは何の連絡もなく、どちらに来てくれるのか分からないという事態が発生した。電話も掛けたが繋がらない。こういう場合は、やはり元の場所の方が無難だと思い、待っていると、ちゃんとTさんが現れたのでビックリ。何だかスマホも携帯もない時代に戻った気分だ。

 

昼ご飯は、近くのシャンカオスイの店へ行く。普通のカオスイも美味しいだが、折角なので、トウフヌエを頂く。シャン州に行ったら必ず食べたい麺だった。ついでに揚げ豆腐も頼んだが、こちらはシャンとは少し味が異なっていた。Tさんは最近モン州に引っ越しており、たまたまヤンゴンに出張で来ていて再会できた。ミャンマーのことにはとても詳しいので何でも聞いてしまう。

 

チン州の話が出たところで、場所を移してチンレストランでコーヒーを飲むことにした。話しているとそれが目の前に出てくる、やはりTさんと一緒だと世界が変わる。牛干し肉がなぜか出てきて、コーヒーを一緒に食べる。まあ、ビーフジャーキーかな。こんな組み合わせ、見たことがない。

 

Tさんと別れて、ボージョーマーケットへ行く。2003年の初ヤンゴン以来、何度も行ったマーケットだが、最近は買い物に行くこともない。Iさんは雑貨や服、織物などを物色している。そういえば、ここでチン州の物品を扱っている店があり、昔チンの茶をご馳走になったことを思い出す。あの店まだあるのかな、と思っていたら、Iさんが目指す店はそこだった。だがチンの若者は『チンにはコーヒーはあるが茶はない』ときっぱり。

 

やっぱりパゴダも1つは行こうということになり、スーレーに向かう。ここに入るのは何年ぶりだろうか。ミャンマーのお寺は入り口で靴を脱がなければならず面倒だが、花を買うと靴を預かってくれるのは昔ながらで懐かしい。昔と言えばどんな時にも、参拝客で混雑していたヤンゴンのパゴダ。今や本当に訪れる人が減った。信心より金儲け、と言われて久しいが、ミャンマーらしさが失われていく。

 

お参りは、自分の生まれた曜日の前で行う。これもミャンマーを訪れると最初に知る習慣だった。何だか日本語を少し話すミャンマー人が、一生懸命にIさんに参拝方法を指南している。こういう人は、単なる親切なのか、何か目的があって近づいているのか、現在のミャンマーにおいてはその判断は難しい。

 

疲れてしまったので、カフェに入る。ヤンゴンは急速におしゃれなカフェが増えている。外国人比率が高い。2階はバーになっており、夕暮れ時、酒を求める人々も入ってくる。今日一日、Iさんには様々な情報が入ってきたかもしれない。しかしそれを吸収、消化するのは簡単ではない。ここで飲み物を飲みながら、頭を冷やす。

 

最後に串焼きストリートへ向かう。数年前から、チャイナタウンに、路上も含めて、ビールを飲み、串焼きなどを食べる一つの通りが出現した。そこに辿り着く直前、観音古廟から麒麟がお出ましになる。夜に一体どこへ行くのだろうかと、興味本位で付いて行くと、近くの別の廟へ向かっていた。これは練習なのか、本番なのか、何も分からない。折角なので、少し観音古廟も見学する。ライトの光で廟内はきらびやか、且つ幻想的だ。

 

土曜の夜で賑わうストリートに席を見つけて、その雰囲気を味わった。白人も多いが、ミャンマー人比率が上がっているように思われる。ヤンゴンの夜の観光名所として定着しているのだろう。

ヤンゴン茶旅2020(2)ヤンゴンの再会、そして茶旅報告会

1月17日(金)
ヤンゴンの再会、そしてお話し会

朝、ホテルで朝食をとる。ここは老舗だからやはり種類が多い。パンもあればお粥もあり、フルーツもそれなりにあるので十分だった。それから暑くなる前に外へ出た。1年2か月前、何度か歩いたダウンタウンだったが、既に土地勘が無くなり、思い出しながら歩いてみた。途中インド系の多いエリアでは、インド風のチャイが飲まれており、ミャンマーのティーミックスの起源かな、などと思う。それにしてもなぜヤンゴンにはインド系が多いのだろうか。

 

そうこうしているうちに、華人街に入り、漢字が増えてくる。その昔、張彩雲が開いた茶行、張源美のあった場所も懐かしく通り過ぎた。そして彩雲の孫が今も細々とやっている茶荘に何とか辿り着いた。丁国さんは私のことを忘れていたようだが、話をしながら書いた文章を渡すとにわかに記憶が蘇ったようで、嬉しそうに相手をしてくれた。

 

その後、少し離れたホテルに向かう。何と現在は香港在住のIさんが今朝バンコックから飛んで来ているはずだった。彼女と会うのは台湾の基隆以来だろうか。ちょうど到着したIさんと二人で慶福宮に向かい、そこに彩雲の息子を訪ねた。Iさんの北京時代の同僚で、ヤンゴン在住のICさんも加わった。

 

家栄さんも私のことなどすっかり忘れていたのだが、あれから厦門へ行き、安渓へ行き、遂には彩雲の長女にも会ったことを告げると、目を丸くして驚いていた。全てはこの宮から始まったのだ。もう一度会って話ができることは双方にとって何とも喜ばしいことであった。家栄さんがお菓子を勧めてくれたが、これは彼の息子が作っているらしい。やはり張家は実業家一家なのだ。

 

そこへ男性が入ってきた。聞けば家栄さんの長男だという。何と聴診器をぶら下げており、医者だとすぐに分かる。茶業で儲かった家は必ず子供によい教育をさせており、医者や弁護士が出ることは珍しくはない。このお医者さん、政府内幹部にも患者がいるようで、なかなか興味深い人物だ。

 

更に奥さんは華人ではなかった。どうして華人以外の人と結婚したのかと問うと『うちの嫁は美人なんだ』というからビックリしてしまったが、家栄さんも満更でもない、という顔をしている。後で知ったことだが、このお医者さんのお嬢さんは、ミスミャンマーやミスインターナショナルミャンマー代表などの栄冠に輝いた、自慢の娘だったのだ。張彩雲の曾孫はミスミャンマー、知っていればエピソードとして書いたのに、残念だ。次回は是非曾孫にインタビューしに行こう?

 

外を歩いていると、やはり旧正月が近いことが分かる。正月の麒麟舞(獅子舞?)の稽古が行われており、正月飾りなどが売られている。お昼はチャイナタウンで麺を食べる。汁なし麺。豚肉がうまい。スープはホーロー缶で煮込まれている。昨晩ほど高くもなく、満足できる味だった。

 

午後はもう一度丁国さんの店に行く。折角なので、ICさんたちにも、このお店を紹介しておこうと思う。今や張彩雲関連のお茶は、ほぼここでしか買えないからだ。以前はシティーマートに置かれていたが、一部を除いて取り扱われなくなったらしい。ここは看板も出ていないので、一見さんが来るのは難しい。丁国さんも来訪を喜んでくれたのでよかった。

 

ここでICさんとは一度別れて、Iさんと二人、フラフラ歩きながらホテルへ戻った。ロビーで待っているとジュースが振る舞われる。何とも有り難く、美味しく頂く。それから、今日の講座の会場へ向かう。タクシーに場所を説明して、何とか辿り着く。今やGoogleマップもあり、何とも便利になっている。

 

着いた場所は、ダウンタウンから少し離れており、周囲はお寺が多い場所だった。そこにベトナムで成功した日系ビジネスホテルが出来ていた。この宿にはホーチミンで8年ぐらい前に泊まり、経営者とも会ったことがあったので、懐かしかった。会場はその建物の一番上、夕日の沈む、そしてライトアップされたシェンダゴンパゴダがよく見えた。

 

会には駐在員夫人や現地在住者など10数人が集まってくれ、かなり驚いた。これも主催者ICさんのネットワークの広さだと感心すると同時に、ミャンマーに住んでいるのだから、ミャンマーのことを知りたい、という意欲が他国よりも一層感じられた。話の内容はミャンマー茶の歴史及び華人茶商の歴史についてだったが、色々と質問も飛び出し、興味深い会となった。

 

その後場所を移して、夕飯を有志で食べた。中華料理とのことだったが、どこの料理かは分からない。そこでもミャンマー事情を伺うことができ、また少数民族のこと、茶の起源などについて、様々な情報が寄せられた。やはり現地でこのような問題提起の報告を行い、それによって皆さんの知識・経験などを呼び起こすことも大切かな、と思われた。

ヤンゴン茶旅2020(1)アイちゃんと赤ちゃん

《ヤンゴン茶旅2020》  2020年1月16-23日

娘のように長年付き合っているスス(以下SS)が昨年11月に二人目を出産した。可愛らしい赤ちゃんの写真が沢山送られてくる。ニセ爺さんとしては、孫の顔を見に行かねばならない。併せて、一昨年10月に訪ねた張彩雲氏の息子や孫も再訪し、既にまとめて発表した文章を届けてお礼を言いたいと思っていた。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

タイスマイルはLCCではないので、一応サンドイッチ程度の食事は出た。座席も頼んではいないが、非常口の広めの席が用意され、隣もいなかったので、かなり快適な旅だった。と言っても、1時間ちょっとで着いてしまうのだから、どうでも良いか。中国で、新型ウイルスが流行っているらしいが、中国人もチラホラ乗っている。

 

ヤンゴン空港はどんどんきれいになっていくようだ。入国審査もスムーズでよい。預けた荷物もサッと出てくる。初めてヤンゴンに来た2003年から見ると、まさに隔世の感がある。出口を出るとすぐにシムカードを買う。これも前回から簡単に買えるようになり、有り難い。前の中国人が『本当に使えるのか』などと聞いているのが微笑ましい。だが私の番になり、シムを入れ替えた後、なんとタイのシムカードを捨ててしまったらしい。この辺がミャンマーの未熟さだろうか。

 

今日はまっすぐSSの家に行くことになっていた。何しろスーツケース一杯にお土産が詰まっているのだ。しかも一番は粉ミルクだった。どうしても日本の粉ミルクがよい、というので、運んで来たのだが、これは意外と重い。それでも赤ちゃんの貴重な食糧だと思えば、軽く持っていける。

 

空港のタクシースタンドで行先を告げると1万チャットと言われたが、8000チャットでしょう、と切り返すと、それでよいという。乗り込むと若い運転手が片言の日本語を話し出す。どうやら技能実習かなにかで半年ほど広島に行っていたらしい。一生懸命に話す姿が何とも微笑ましい。30分ぐらいで到着したが、結局彼にチップとして2000チャット渡す。

 

SSと娘のアイちゃんは、昨年タイ国境のミャワディからヤンゴンに引っ越していた。アイちゃんの幼稚園の都合らしい。この家には初めて来た。おばさんが来ており、子供たちの面倒を見ている。SSが作ってくれた料理を久しぶりに食べたが、美味しい。アイちゃんは遠くの幼稚園に行っており、夕方しか帰って来ないという。それまでSSと近況を話し、赤ちゃんの顔を見て過ごす。

 

おばさんが車で迎えに行き、アイちゃんが帰って来たのは、本当に夕方だった。車の渋滞もあり、通園時間は片道1時間、大変だ。1年会っていないと、幼女が少女の顔に変っているのは面白い。そして非常に活発になっている。遊ぶところがなくて、元気を持て余しているのだろうか。

 

アイちゃんの顔を見たので、帰ることにして、車で送ってもらった。今回は初めて泊まるダウンタウンの古いホテルを予約した。数年前はどこでも高かったヤンゴンのホテルが、今や軒並み安くなっている。こういうホテルは部屋が比較的広く、設備は古いが一通り整っているところが今の私には有難い。

 

夕飯を探しに外へ出てみる。以前この付近には泊まったことがあるが、何を食べたかは覚えていない。唯一覚えていたのは、レートの良い両替屋だけだった。ちょっと覗いてみるとやはり近所より多少はレートがよいようだったので、100ドル札を出してみると、『この札は10%カットだ』と言われ、ミャンマーの洗礼を浴びる。勿論慣れているので違う札を出して100%両替をしたが、もうそろそろこういう習慣、止めてもらえないかな。

 

その近所にうまそうな麵屋があったので入ってみた。女性は英語ができるので『チキンヌードルスープ』と注文したところ、出てきた麺は大盛りの上に、店にある具材を全種類入れたかのような特盛状態だった。まあなんて盛りの良い店だろうと感心しながら、懸命に碗を平らげた。

 

勘定を聞くと、何と3000チャットだというから驚いてしまった。さすがに『こんなにたくさん頼んでない』と反論するとすぐに『じゃあ、2500チャットでいい』と値下げするから、これはボッタくりだと思い、さらに値下げを要求したところ、男性が出てきたが、英語はあまりうまくなく、何だかにらみ合いになってしまった。

 

こうしていても仕方がないので、2000チャットをテーブルに置いて出てきたが、特に相手は何も言わなかったから、それでも儲かったのだろうか。ただ翌日地元民に聞くと、『今は麺一杯1000チャットなんてない。2000チャットは十分あり得る金額』と言われ、ヤンゴンの物価が1年で相当に高くなったことを実感した。

ある日のバンコック日記2020(5)王有記を再訪!

昼ご飯は1階の8番らーめんで食べた。ここで食べるのは10年ぶりだろうか。石川のローカルラーメンが何故タイでここまでヒットしたのか、そして今やタイ人も日本のラーメンとは思わなくなったのかは、何とも興味深い話だ。昼時はタイ人でほぼ満席だった。そのラーメンは、昔の日本のしょうゆラーメンであり、何とも優しい味がした。量は少なめだが、焼餃子を付けても、150バーツ程度だから日本の本格ラーメンと比べれば安い。今後は体調が良くない時に利用しようと思う。

 

午後は、5年ぶりに知り合いに会いに行く。アソークの先の古めかしいオフィスビル、何とも懐かしい。ここで沖縄出身のIさんは10年以上、沖縄とタイを繋げる活動をしている。私も昨年沖縄でお茶の講座を開いたこともあり、何かお役に立つることでもあるかと訪ねたが、意外なことに『タイ人は沖縄になかなか興味を持ってくれない』と嘆く。そして何とかキラーコンテンツを探しているらしいことが分かる。沖縄と福建ならいくらでもあるが、果たしてタイとの接点は簡単に見つかるだろうか。泡盛はタイ米から作られる、程度ではタイ人は動かないらしい。

 

1月15日(水)
華人茶荘再訪

午後MRTに揺られて、サムヨット駅まで行く。2日前に来たばかりなので、もう道は分かっていた。あの王有記をもう一度訪ねた。今回はオーナーの王さんもいることが分かっていたが、1年2か月前に話を聞いていたにもかかわらず、私のことは全く覚えていなかった。あれ。

 

王有記の歴史について、かなり詳しい説明を聞く。ここで初めて様々なことが分かり、ある意味での謎が解けていく。やはり質問は具体的に、明確な意図をもって行うべきだと痛感する。そうでないと聞かれた方も答えにくい。祖先のこと、台湾との関係、ヤワラーの店との関係など、家系図で説明されて、ようやく納得する。今やちょっと聞いただけでは理解できない、情報が整理できない頭になってしまっている。

 

茶のパッケージに、華人の顔が使われていた。2代目、祖父であるという。そして王有記が開業したのは、1930年頃だというから、この店舗の立地も含めて考えると、ここがバンコック最古の茶荘であったのかもしれない。それについては、既に無くなってしまった茶荘も沢山あるので何とも言えない、と言われてしまったが、商売人ならきっと『最古の茶荘』で売り出すだろうから、福建人の誠実さが出ているな、と感じられた。

 

夜、何となく体調が優れずに、また八番らーめんを食べた。今日は鴨肉麺だ。何とも言えず体に優しいので、弱っている時は本当に良い。後はポカリスエットを飲んで寝てしまう。明日は一度バンコックを離れ、久しぶりにヤンゴンに行くことになっているので、体調を整える必要がある。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

朝、タクシーに乗って空港へ向かう。タイスマイルというタイ航空の子会社に乗るので、スワナンプームになる。運転手はお釣りを返さず、言葉も通じずに困る。故意なのかどうかも分からないから、始末に悪い。年配の運転手にはいまだにこういう人が時々いる。時代は変わっているのだが、と思ってしまうが、思い違いだろうか。

 

タイスマイルは、タイ航空の子会社、そして私はタイ航空のサイトから直接ヤンゴン行を購入しているのだが、タイ航空のサービスを受けることはできない。何となく騙された気分になるが、これは以前台湾のエバ航空でも同じことがあったので、その仕組みは理解していた。それでも釈然としないものが残る。

 

空港は思ったよりは空いていた。さらっと出国審査を済ませると、まだ時間があったので、朝ご飯を探す。空港内のレストランはどこも市内の倍ぐらいする料金を取っており、何となく腹立たしいが、仕方のないことなのだろうか。フラフラしていると、99バーツでクロワッサンサンドとコーヒーが出てくるというので座ってみた。まあ、これならリーズナブルかと思えるものが出てきたので満足。探せば色々とあるのだな。最近自分の行動パターンがマンネリ化してきており、新しい発見が少ないことを強く感じながら、飛び立つ。

ある日のバンコック日記2020(4)集友茶行を再訪する

1月13日(月)
華人茶荘を訪ねる

今日は朝から出掛ける。MRTでファランポーン駅まで行き、そこでHさんと待ち合わせた。向かった先はこれまで2回訪ねていた集友茶行だ。以前もこの茶行の歴史を何となく聞いていたが、今回はきちんと体系だってヒアリングすることとした。創業80年を越えるこの茶行は、今やバンコックでも現存するもっとも古い茶行の一つだと思われ、何とも興味深い。

 

王さんは原籍が福建省安渓だから、これまで訪ね歩いた多くの茶荘と同じであり、安渓も何度も訪ねているので、話は早い。創業者の父は100歳でまだご存命だともいう。もしお父さんの話が聞ければ、ヤワラー茶業史は全て分かるのではないかと思ってしまうが、ご高齢でもあり、また遠くにお住まいだということで遠慮する。

 

王さん自身も茶の歴史や茶器などにも非常に興味があるようで、つい先日も上海と宜興に出向いて、古い茶や急須を買い込んできたという。そんな老茶を振る舞われながら、タイ茶の歴史を聞く。故郷安渓には今も親族がおり、中には茶業で成功している人もいる。その繋がりなども、更に興味の対象となっていく。

 

たっぷり2時間も話し込み、店を離れた。昼ご飯を食べようと思っているとHさんが、この辺の麺は美味しいというので、すぐ近くの店に入った。店の前には行列が出来ていたが、その多くはフードデリバリーの人で、店内は空いていた。揚げ米粉に目玉焼きが載っているスープ麺だった。これは潮州料理だろうか(日本でいうかた焼きそばもこの麺かな)。うまい。さほど腹が減っているわけでもないのに、更に炒粿條まで注文してしまった。どうみても食べ過ぎだが、どう考えても満足だった。

 

それから茶荘三馬の前を通り過ぎ、有記銘茶の前も通り過ぎた。ここのオーナーはいつも不在で話が聞けない。今日も店員さんがいるだけだった。ちょうど目の前には新しいMRTの駅が出来ていた。ワット・マンコーン(龍蓮寺)がそこにあり、駅名にもなっている。ちょっとトイレを借りに入ると、多くの人が参拝している。中華街の中心的な寺、やはり潮州系なのだろうか。

 

ここからトゥクトゥクに乗った。目指すは前回何とか探し当てた王有記だった。だがとても一人で行けないとHさんのタイ語力を借りた。10分ほど走り、ジャイアントスイングと呼ばれる巨大ブランコがある場所で停まった。ここは見覚えがある。因みにこのブランコはなぜここにあるのだろうか。何となくアカ族の祭りに使われるブランコのように見えるのだが。

 

更にその横の道を行くと、仏具屋(仏像なども多し)が立ち並び、専門職業の道という雰囲気が漂う。その先に目指す王有記茶行はそのままの姿であった。だが女性オーナーは今日不在で話は聞けず、後日となる。店員はタイ語しか話さないので仕方がない。まあ場所が確認できてよかった。

 

折角ここまで来たのだからと、Hさんが古民家カフェに連れて行ってくれた。この付近は政府機関が立ち並び、老舗食堂なども多いようだが、近年白人の姿が目立ち始め、バンコックでは珍しい木造建築の古民家を利用したカフェ(食堂はいくつもあるがカフェだけは珍しいらしい)が出来ていた。

 

店員はしきりにスイーツを勧めてくる。なぜかと言えば、ここは『インスタ映えするカフェ』を売り物にしている。2階で席に着くと、スイーツがきれいな器に盛られ、如何にも、という感じで、タイ人の若い女性がしきりに写真を撮っていた。因みにドリンクしか頼まなかった我々の席は彼女の席に比べ、いいとは言えなかった。古い家の部屋が開放され、古い写真が飾られている。ここでまったりするのは悪くないかもしれない。

 

帰りはHさんの先導で、MRTの駅まで歩いて行く。サムヨット駅までは歩いて10分ほどだから、これからはMRTに乗ればいつでも来られるという安心感が広がる。更にはMRTに渋滞はないため、あっという間に帰宅できるというのも大変有り難い。ヤワラーから向こうが非常に身近に感じられる。

 

1月14日(火)
シムカード

翌日は、シムカードについて調査した。現在使っている空港で買ったカードは、どうも高過ぎるのではないか、たとえば1か月使えるカードでもっと安いものはないかを探したいと思ったが、何しろタイ語の壁は厚い。そこでYさんにお願いして、一緒に探してもらうことにする。

 

近くのロータスのAISショップで、現在のカードの有効期限などを確認すると、カード自体は3か月使えるが、15GB のパッケージはやはり8日かしか使えない。ところが何と、プロモーションで、1か月使い放題200バーツというカードを売っているというではないか。1月中はこの料金だというので、ミャンマーから戻ったら、すぐにこのカードを買うことに決めた。シムカードは50バーツで、電話番号を保持するには、毎月10バーツ払えばよいらしい。タイのシステムは本当によく分からないが、これまた何とも有り難い。

ある日のバンコック日記2020(3)バンコックでTVスポーツ観戦

1月11日(土)
突然の豪雨で

今朝は土曜日だが、Yさんが出勤してきて朝コーヒーとなる。今日は台湾の総統選挙の日であり、ニュースもそれが中心となっている。CCTVでさえも、速報していた。台湾の命運がかかるこの選挙、大勢は既に判明しているように思うが、どうだろうか。私の友人周辺では『国民党でもいいけど、韓は絶対ダメ』とか、『兎に角選びたい候補者はいない。その中での苦渋の選択だ』などの声がSNSで飛び交っている。

 

ボーっとテレビを点けていたら、昼頃ラグビーが始まる。大学選手権決勝、早稲田対明治の一戦だ。ラグビーワールドカップの余韻があり、会場には熱気が感じられた。ここ数年、早稲田が強いと聞いたことはなかったのだが、案に相違して、前半早稲田が猛攻を仕掛け、大量リード。後半明治が猛追する中、突然テレビ画面が消える。まさかのブラックアウトか、と外を見ると、何と急激な豪雨が襲い掛かっており、衛星放送が中断されてしまっていた。これは久しぶりの消える画面、何とも懐かしい。

 

雨がしっかり上がった夕方、外へ出た。近所でとんかつを食べようと思ったのだが、その向こうにおしゃれなレストランがある。レバノン料理、シーフードと書かれているが、レバノンではどんな料理を食べているのだろうかと、突如気になってしまう。これもやはりカルロス・ゴーン効果というべきか。因みにタイでは中東料理の多くがレバノン料理屋として出ているらしい。それは中東の中ではレバノン料理が美味しいという評価に寄るからだとか。

 

夜はバレーボール女子、タイとカザフスタンの一戦を見る。身長ではカザフなのだが、要所でタイが得点を重ねて勝利する。この辺のうまさがタイにはある。それにしてもネットでタイ選手の情報を検索すると、『美人選手は誰か』と言った記事ばかりがあまりにも多くて嫌気がさす。バレーに限らず、女子スポーツには、美人とかスタイルとか、そんな競技と関係ない話題が多過ぎる。これも一つのセクハラではないのか。このようなマスコミの攻勢を交わしながら、競技をしていく選手たちは可哀そうだ。

 

1月12日(日)
スポーツを見ながら

今朝はゆっくり起き上がる。そして午前中からテレビに見入る。全国都道府県対抗女子駅伝の中継があった。この駅伝は、本人は素晴らしいがチームが弱くて全国大会に出られない選手を見るのを楽しみにしている。たとえば、今回マラソン代表となった鈴木亜由子は中学生の時(中学に陸上部がなくても2年連続区間賞)からずっと注目していた。ちょうど現役を引退した宇賀地強も作新学院の時から見ている。

 

ただ今回は1区で予想以上の走りをした廣中璃梨佳が、期待の田中希美や他の大学生たちを突き放して圧巻の独走。結局レースは新谷仁美の追い上げも敵わず、高校生が強かった京都が逃げ切り。しかしこの大会、区間記録にかなり古いものが残されているのはなぜだろうか。昔の選手の方が強かったと単純に言えるのだろうか。今回2つの中学生区間で共に大分の選手が区間賞を取ったのが、新しい兆しだろうか。

 

遅い昼ご飯を探しに行く。ちょっと体調が優れない感じがあったので、近くのモール内にある和食をチョイスする。焼肉定食が税込みで240バーツというのはもはや手頃なのだろうか。食べているのはタイ人の家族ばかりだ。そして体調が悪い時によく食べるブドウパンを買いに行く。これは60バーツでブドウがたくさん詰まっており、何とも有り難い食べ物なのだ。

 

夜はそのブドウパンを食べて大人しく過ごす。ついに今日はタイバレー界にとって運命の日。対韓国戦に勝てば、東京オリンピック出場が決まる。しかも地元開催だからこれまでとは違う。これまで、2012年のロンドン五輪予選は、疑惑の判定などもあり、日本に負けてわずかの差で手が届かず。2016年のリオ五輪予選も韓国にあと1ポイント足りずに予選落ち。

 

そろそろ悲願が叶うのではと期待を寄せていたが、そこは韓国。大エース、キムヨンギョンの前には成すすべがなく、完敗。大応援団の声援も虚しかった。多くのタイ人が泣いていた。次は必ず五輪に行く、と前向きでもあったが、その落胆はいかばかりか。タイチームに足りないもの、それは一体なんだろうか。

ある日のバンコック日記2020(2)いつものバンコックで

1月9日(木)
いつもの一日

何となく体は重かったが、朝は7時に起きる。ここに泊まるといつも朝はYさんとコーヒーを飲んで一日が始まる。そしてタイで起こっている様々な出来事や変化を学び、私が知りたい情報なども得て、その日の活動方針が決まったりもする。朝ご飯は敢えて食べず、アメリカンをすすりながら1時間を過ごす。

 

普段はそのまま部屋に帰るのだが、今日はやはりどうしても我慢できずに、近所でコムヤーンを食べる。これにカオニャオ(もち米ご飯)を一緒に食べると幸せが蘇る。しかも値段はたったの45バーツだから、何とも嬉しい。それから昨晩支払った領収書をもらったが、その際、契約書にサインした。ホテル契約ではなく、月極賃貸契約のようだ。何とも大げさだが、これも法令で定められているのだろう。

 

フロントからプールとジムが使えることを告げられる。これまでもプールがあることは分かっていたが、今回改めて見に行ってみる。時間帯によってはサウナまであった。こういうホテルファシリティを日本人はあまり使わないので、本当にもったいないと思われているようだ。

 

昼ご飯もいつもの食堂と呼ばれる場所で、いつものヤンマーマを食べる。なんだか生活が落ち着いてくる。やはりコスパがよい食べ物を食べている時が一番良い。午後は出掛ける。バイタクでプロンポンに行く。これも以前は料金確認などしていたが、今は40バーツ渡すだけで簡単だ。GRABの発達により、料金も透明化されていく。

 

バンコックは思っていたより暑く、連日昼間は33度を越えている。服装もTシャツなどを増やす必要があり、買いに来たのだが、昔に比べればTシャツの値段も2倍ぐらいする。タイの物価は確実に上がっている。日本の物価は上がらないから、タイ人にとっても日本がどんどん安く見えるだろう。

 

続いて、壊れたデジカメを治しにいく。地下鉄ラマ9駅で降り、電脳ビルに入る。前回探した時、殆どがスマホ用ショップで、デジカメを売る店は少ない。ましてやデジカメを直してくれる店はほぼなく、何とか1軒見つけておいたのだ。そこに2つのデジカメを持ち込んだが、1つはパーツがないので治せない、もう一つは何とか動くからこれで我慢しろ、という内容でがっかり。もうデジカメの使命は終わったと言われた気分であり、今はそういう時代なのだと悟る。

 

夜はテレビを見る。タイではちょうど東京オリンピック予選を兼ねたU-23サッカー選手権が行われているが、私の住む部屋では残念ながらこの放送を見ることはできない。既に日本は出場権を持ってはいるが、初戦でサウジに負けている。一方西野監督のタイは好調のようだ。仕方なく、バレーボールを見る。こちらも東京オリンピック女子最終予選がナコンラチャシマで開催されている。悲願のオリンピック出場を目指すタイは今日、背の高いオーストラリアを圧倒して準決勝にコマを進めた。

 

1月10日(金)
タイ関連の情報

午前中は書き物に没頭した。昼ご飯は何とこの宿の従業員と一緒に食べてよいとオーナーから言われ、社食?を食べる。今日は根菜スープにチキンを入れるチキン麺。これはとても美味しかった。食事が美味しいと、仕事への張り合いも出てくるだろう。有り難い。

 

午後はバスでアソークまで行ってみる。いつの間にか赤バスの料金は6.5から8バーツに値上がりしている。これも世の流れだろう。アソークで以前よく言っていた100バーツ床屋に行ってみる。ところが昨年120バーツに値上がりしたと思ったら、もう150バーツになっている。そして平日の昼とはいえ、閑古鳥が鳴いている。近くの500バーツ床屋はちゃんと客がいるのだから、明らかにコスパが悪く、競争力が無くなった。私も次回は地元床屋にチャレンジしようか。

 

アソークの知り合いのオフィスを訪ねる。旧知のO社長はいつもながら親切で、今回の私の調査への助言、具体的な手助けをしてくれるので、何とも有り難い。更にはこのオフィスには、何と図書室があり、そこには東南アジア関連の書籍がかなりまとまってあるので、それを見せてもらう。中には貴重な情報や意外な観点が載っており、少し前途が開けた思いだ。

 

帰りにターミナル21に寄ってみる。既に旧正月用の飾りがされており、多くの観光客が写真に収めている。やはり中国人が多い。店内の店舗はそれほど変わった様子はなく、レストランなども人が入っている。上のフードコートに行ったら、5時頃なのに席を探すのが大変だった。それにしてもカオマンガイが100バーツとは、やはり高いと言わざるを得ない。

ある日のバンコック日記2020(1)バンコックへ

《ある日のバンコック日記2020》  2020年1月8日-16日

2015年6月、私は2年程半拠点としていたバンコックを引き払った。その日は大嵐で、道路は冠水し、木々はなぎ倒れていた。やはり私にはバンコックは合わなかったのだ、と妙な確信を得ての帰国だった。その後は年に1度程度、タイ国内旅行をし、バンコックにも数日滞在するだけだった。

 

昨年あたりから風向きが変わっていた。東南アジアの華人茶商の歴史に踏み込むなど、タイとの接点も何となく増え始めていた。そして2020年、実は今年は茶旅を始めてから20年の区切りの年となる。ここ数年で台湾及び中国の茶の歴史調査も一段落かもしれない。色々と考える中、取り敢えず2か月ほど、バンコックを拠点に動いてみようかと思い始め、正月早々荷物を抱えてやってきた。

 

1月8日(水)
バンコックへ

正月はいつものように駅伝などスポーツを見て過ごす。生活のリズムもちょっと変わっており、それを戻すのは一苦労だった。更には本日、早朝に羽田空港へ行かなければならず、寝付けない中、遂に午前4時には起き、5時過ぎの電車に乗ってしまった。6時過ぎには羽田に着き、全てが順調に進んだ。ただ体がだるい。

 

今日のフライトは北京経由のエアチャイナ。このフライトも昔はよく乗っていたが、かなり久しぶりだ。機内では朝から鮭ご飯が出た。何となくウトウトしていると、北京に着いてしまう。昨年12月、ここから東京に戻った。僅か半月でまた北京に舞い戻るとは。当然ながら東京よりはかなり寒いが、トランジットなので外へ出ないから問題はない。

 

乗り継ぎは、専用カウンターを通らなければならないはずだった。そこへ行ってみると、何と機械が導入されており、搭乗券とパスポートをかざすだけで、通り抜けられた。これでパスポートにハンコを押されることも無くなってよかった。だがその下の荷物検査は旧泰然としており、長い列が出来ていて、一向に進まない。

 

更には、バンコック行のフライトは50分ぐらい遅れるとの情報も流れる。特に急いでいるわけでもないが、疲れているので早く乗りたい気持ちはある。ところが変更時間にゲートに行ってみると搭乗はとっくに始まっていた。何だ、と急いで乗り込んだが、結局遅れた人を待ち、更に遅れる羽目になる。

 

それから5時間、じっと座っていた。やはり直行便でないと長い。疲れる。ようやく1時間遅れでバンコックに到着したが、ここでも入国審査の長い列が待っている。ドムアン空港は確か中国人の入国を別窓口にしていたが、ここスワナンプームでは多くの中国人と同じ列に並んだ。非常に多国籍の訪問者たち。入国審査も厳格に行うのか、スピードはかなり遅い。

 

荷物を取り出して、出口に向かうまで40分ぐらい経っていた。まずはシムカードを購入。今回は8日間で一度出国するので8日用のシムを買う。ただ間違えて15GBの物を買ってしまい、電話番号も必要なので、その分まで含めると意外と高くなる。後で専用アプリを入れて計ったところ、多少動画などを見ても、1日の使用量が1GBを越えることはなかったので、やはり無駄な買い物だったと分かる。

 

タクシーに乗ると運転手がメーターを倒さず『500バーツ』と言ってくるので、メーターを倒すように強く言うとすぐに引っ込んだ。取り敢えず言ってみる、ということだろうか。既に夜8時を過ぎており、渋滞はあまりなかったが、何とこの運転手、吹っ掛けておきながら、道を知らなかったので、時間がかかる。それでも結局目的地までは高速代を入れても380バーツだったから、ぼられずに済んだ。

 

今日から2か月、馴染みの宿に宿泊する。なぜか家賃は現金の前払い。デポジットまで入れたら結構な額になる。この現金を持ち込むのもちょっと緊張する。フロントは顔なじみだから良いのだが、これだけ支払って領収書は明日、と言われると、中国ならひと悶着ありそうだが、そこはタイのおおらかさだろうか。

 

部屋に荷物を置くと腹が減る。もう午後9時を回っており、遠くには行きたくないが、以前あった屋台は既に無くなっていた。それでも少し離れた所にちゃんと新しい屋台があるのがタイだろう。暗い道路わきの排ガスの中、いつものように麺をすすると、タイに来た気分になれるは面白い。既に日本時間は夜中の12時、今朝は4時前に起きているから、相当に疲れてしまい、さすがに部屋に帰ってすぐに寝込む。

北京及び遼寧茶旅2019(10)北京ぶらぶら

12月21日(土)
北京で

今朝はいつもより早く起きた。そしてさっさと朝食を取り、8時には宿を出た。ついに北京に戻る時が来た。瀋陽駅から北京駅まで行く列車は多くなく、普通の高鉄より時間も少しかかるが、瀋陽北駅まで行き、北京南駅で降りて戻ることを考えると、自分の選択はすぐに決まった。

 

瀋陽駅までは歩いても行けるのだが、ちょうどバスが来たのでそれに飛び乗り、あっという間に到着した。だが駅に行くには地下道を通らなければならず、エレベーターがない所もあって、荷物を持って上がるのは大変だった。瀋陽駅と言えば、確か映画ラストエンペラーの冒頭で、溥儀が連行される場面がここだったのではなかったか、と突然思い出す。

 

列車に乗り込むと、すぐに寝込む。今回の旅で列車に乗るのはこれが5回目、さすがに飽きた。しかも今回は最も長い5時間だ。この列車はこれまで来た道のりを戻っていくだけでもあり、窓の外を見ることもなく、やることはない。当然列車は満員で、居心地がよいわけでもない。

 

何とか午後2時前に北京駅に到着した。この駅から脱出するにはやはり地下鉄しかない。一駅乗って建国門で降り、歩いて宿へ向かう。瀋陽に比べればかなり暖かく、着込みすぎていて汗が出てしまう。宿に到着し、昼を食べていなかったので、前回来た時と同じ麵屋で麺を食べる。

 

その後、地下鉄駅まで歩き、一駅乗って10号線に乗り替え、また一駅乗って先日泊まった宿に行く。実は一部荷物を預けていたので引き取りに来たのだが、1週間前の荷物が見つからず、ちょっと困る。五つ星ホテルと言ってそこは北京か。最後は出てきたので事なきを得たが?

 

建国門で昔馴染みの足マッサージ屋、いまだに12年前に作ったカードが使えるのは有難い。この10年で店舗は相当きれいになり、そして料金は2-3倍になった。いつものようにマッサージお姐さんから、色々と話を聞き、中国の庶民の様子を勉強する。ついでに凝りもほぐしてもらい、一石二鳥である。中国の農村地帯、話によると激変しているらしいが、行ってみないと、実感が沸かない。

 

夕飯はKさんと食べる。今や貴重な東四の老舗北京料理屋へ向かう。ずいぶん前に来たことがあったと思うが、雰囲気はあまり変わっていない。勿論ここも料金は相当上がっているが、何となく懐かしい味がして、嬉しい。ジャージャー麺や腰花などを食べて満足する。ただ土曜日の夜なのに、凄く満員ではないところがちょっと気になる。

 

Kさんは北京B級グルメをよく知る人物だが、北京からどんどん老舗食堂が無くなっていくことに時に流れを感じているようだ。恐らく老北京人も同じ感慨を持っているだろうが、もうこの国の勢いを止めることはできず、ただただ呆然と眺めていくだけだ。古き良き北京、今や建物だけでなく、料理の味や人々の心も失われていく。

 

12月22日(日)
東京へ

ついに東京へ戻る日がやってきた。外へ出るとさほど寒くはないので、帰る前に懐かしい散歩道を歩いてみる。10年前に住んでいた建国門から二環路の内側に入り、社会科学院の脇を抜けて、川弁へ。ここの四川料理は安くてうまかったが、今はどうだろうか。そこから北へ趙家楼飯店(1919年の五四運動の現場)を通り過ぎ、灯市口の方へ歩いて行く。

 

この付近にも古い歴史的な建物がいくつも残っており、歩いているだけで歴史好きには楽しい。清末から民国時代が目の前に現れてくるようだ。ここは何度も歩いているが、何度でも歩きたい場所である。北京の胡同、開発は一応止まっているようだが、改修などの名目で古い建物が建て替えられている姿を見ると、何とも言えない。

 

宿へ帰って時間までテレビを見た。チャンネルは沢山あるのだが、日曜日の午前中は大体ドラマの再放送が多い。しかもいくつものチャンネルで、いわゆる抗日ドラマをやっている。日本軍人役の俳優が変な日本語を使っているのがおかしい。これまでじっくり抗日ドラマを見ることなどなかったが、これは日本でいえば、水戸黄門や大岡越前などの時代劇に当たるのでは、と思ってしまう。何しろストーリーは安定しており、筋は大体は読める。別に中国人も日本憎しで見ている人は多くはないだろう。

 

昼にチェックアウトすると、外にはフードデリバリーのバイクが列をなしている。今や北京も食堂に行かない時代なのだろう。地下鉄に乗り、久しぶりに空港鉄道に乗り換えて行く。車内はかなり混んでいたが、外国人と中国人が席を譲り合って、座っている姿が微笑ましい。今年に私の茶旅もこれにて終了した。来年はどうなるのだろうか。

北京及び遼寧茶旅2019(9)瀋陽故宮と張氏師府

12月20日(金)
瀋陽で

翌朝部屋から外を見ると快晴だった。それで暖かいのかとちょっと外へ出てみたら、ものすごく寒かった。気温は午前8時で零下15度。ほぼ想定したマックスの寒さだった。疲れもあるのでどうしようかと思ったが、ご飯を食べたら気合が入ったので、予定通り出掛けることにした。

 

今日は王道の故宮と張氏師府に行くことにした。ここは10年前には行ったと思うが、やはり歴史を見る上では外すことはできない。今は地下鉄もあるので、外が寒くても、道が凍結していても行くことはできる。中街という駅で降りる。道を間違えて反対に歩くとすぐに立派な建物を見る。1905年に設立された東北三省官銀号、当時東北最大の銀行だったという。だが1931年に日本軍がここも占拠し、資金を持ち去り、営業停止に追い込まれた、とプレートにはある。

 

やはり道は歩きにくかった。雪が残っているところは凍結していて危険だった。それでも何とか10分歩いて瀋陽故宮まで来た。入場料は50元にもなっている。中に入っていくつかの宮殿を見たが、特に日蔭は凍り付いており、危なくてオチオチ見学もしていられない。北京の故宮の小型版とはいっても、それなりの規模なので、途中で投げ出し、無念のリタイア、外へ出た。

 

数分歩くと瀋陽故宮博物院という文字が見えた。ここにも博物院があるようだが、一般公開はされていない。その横に見慣れた立派な建物が見えてきた。張氏師府、東北軍閥の首領、張作霖、張学良親子の官邸及び私邸だった場所だ。中国的な部分と西洋的な部分が入り混じった独特の建物だ。

 

1914年に作られた大青楼が中心の建物で、会議室では軍閥、日本軍など様々な人々が出入りしたとある。彼らの執務室や寝室もここにあった。また趙四小姐楼は側室の建物で、爆破された作霖はここに運び込まれて息絶えたという。尚張学良の弟たちは共産党に入党して新中国を生きた。更には1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した劉長春の写真がある。彼は中国初のオリンピック選手(陸上100m、200m)だが、張学良の支援があったと書かれているなど、知らないことも多く掲示されている。建物の門の前には張学良の像がスッとが建っている。

 

張氏師府を横に歩くと、辺業銀行という名のかつての銀行の建物が出てくる。今は金融博物館となっており、合わせてここも見学する。中は迷路のようになっており、思ったよりははるかに大きい。ここも清末から民国時代、そして満州事変での影響などの歴史が綴られている。

 

瀋陽にも立派な天主堂があると聞き、そこも訪ねてみた。1878年に作られた建物は大規模で荘厳。1900年の義和団事件、1960年代の文革では相当の被害を受けたようだが、今も立派にそびえている。現在信徒はどれほどいるのだろうか。教会の横にはなぜか瀋陽で一番きれいな公衆トイレがあった。

 

天気は良いのだが、昼間でも気温は氷点下。かなり疲れてきたので、宿へ戻る。そして宿の前にあった韓国料理屋で昼ご飯を取る。まあこれも東北らしくて良いかと思ったが、ボリュームはすごいのだが、料理の質はイマイチだった。中国では全体の物価も上がっているが、良いものとそうでないものの価格差がかなり開いていることを実感する。

 

ちょっと休んだだけで、また外へ出ていく。ラストスパートと言ってよいかもしれない。バスで旧日本領事館を探しに行く。結局今は瀋陽迎賓館になっており、建物も建て替えられてしまっていた。その横にはそれらしい建物があったが、こちらはどこぞの公館跡だった。

 

そこからフラフラ歩いて、中山広場の方へ向かう。途中から古い建物がチラホラ出てくる。更に行くと欧風街などと書かれている。皆大体1920年代に建てられているらしい。ということは、瀋陽の街が整備されたのはその頃だったのではないか。かなり歩いて瀋陽駅の近くまで来ると、ここは保存地区なのか、その100年前の建物がズラッと並んでいる。往時は日本人も沢山住んでいたのだろう。郵便局の中の展示室があったりもする。

 

夜はまた面倒になり、宿の近くの店に入った。何となく見覚えのあるメニューで、水餃子を頼んだのだが、何と営口で行った餃子屋と同じチェーンだった。そして同じメニュー、同じ味なのに、餃子が2元高かった。この辺りが中国の地方格差を表しているようにも思う。