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雲南茶葉古道をかじる茶旅2025(1)国慶節に8年ぶりの昆明へ

《雲南茶葉古道をかじる茶旅2025》  2025年10月3₋12日

チェンマイで北タイの茶歴史を学んで3年になる。いよいよ雲南へも足を踏み入れるべきだろう。昨年末よりノービザになり、時期は整っている。今回は国慶節の連休に行くという暴挙に出たが、果たして結果はどうだろう。

10月3日(金)昆明でロシア人に会う

いつものように車を呼んで僅か20分でチェンマイ空港に着いた。既にWebチェックインも済んでいるので問題ないと思っていたら、何とスマホのチケットは使えないらしく、預け荷物もないのに、長い列の一番後ろに並ばされた。カウンターで聞くと、元々Webチェックインで送られてくるチケットはここでは使えないという。なーんなんだ。

それでも20分ほどでチケットを得て、イミグレを簡単にすり抜ける。チェンマイ空港は本当に良い。でも中国は国慶節だというのに、その割には観光でチェンマイに来る人は多くない。昆明行のフライトも、連休半ばということもあってか、若干空席が見られたのは、中国経済が余程悪いという証明だろうか。

フライトは僅か1時間半、それでも中国東方航空はレガシーキャリアであり、以前は必ず食事が出たと思うのだが、今回は何とドリンク一杯だけだった。そういえばネットで席を予約した際、非常に紛らわしい表示に騙されて、わざわざ3席の真ん中が予約されていたのには、自分で驚く。因みに急に気分が悪くなった乗客が出て、初めて「お医者さんはいませんか」とCAが声を掛ける場面にも遭遇した。幸い軽症だったようで、飛行機はそのまま昆明に着いた。出発も定刻10分まで、到着は20分前だった。

イミグレへ行くと、外国人と書かれたブースに係官はいなかった。勿論誰も並んでいない。全てのパスポート、と書かれたブースでようやく係官を見付けてパスポートを出すと、暇なのか中国語で色々と聞いてくる。そして入国スタンプを押したのに、パスポートを別の係官に渡してしまう。えー、と思っていると、その後ろの係官は「あなた、記者じゃないでしょ?」と聞いてきただけですぐに解放された。

昆明に来るのは調べてみると8年ぶりだった。今は地下鉄もあるようだが、昆明駅へ行くルートを案内所で確認すると、やはりバスだった。10年前に来た時は夜中に空港に着き、極寒の中をこのバスで駅へ向かったのを懐かしく思い出す。切符はどこで買うのかウロウロすると、係員が寄ってきて、機械を出してくる。こちらも支付宝を差し出すと25元取られ、チケットの紙が出てくる。

バスはすぐに満席になる。運転手をはじめ、喫煙者は恨めしそうに車内に入る。バスが動くとなんと車掌の女性、いやガイドさんが、雲南の紹介を始め、観光案内、物産紹介などをテキパキと行う。バスは2か所だけ止まり、3つ目で駅付近に終着した。40分ほどかかったろうか。

予約した宿へ行く途中、どうしても腹が減ってしまい、米線を食べる。路上にテーブルが出ており、皆そこで食べるのだが、気温20度で優しい風が吹き、あの暑かった東京、時々雨模様以外は30度のチェンマイと比べて格段に気持ちが良い。更には米線が何とも旨く、しかも僅か8元で幸せになれる。

予約した宿もそれなりにきれいで良い。ただ笑ってしまったのが、トイレで流すためのボタン(レバー)がどうしても見つからずに困る。実は半日探してようやく見つけたのは便器の下の方にちょっとだけ突き出たポッチ(センサー)だったのだが、今まで見たことが無い場所にあるので、困った人は多いのではないだろうか。なぜそこにあるのか、誰か教えて欲しかった。足を近づければ水は流れる。

チェンマイ滞在記2025その1(4)チェンマイをフラフラ

そこから車を呼んで、郊外にある山岳民族博物館へ向かった。ここは2度ほど行こうとして、タイミングが悪く、行けていなかった場所。運転手は女性で、順路はアプリにも出ていたのだが、何か勘違いして、行き過ぎてしまい、戻る所で、どこかの敷地内に入って出られなくなる。まあ何とか脱出して無事博物館に着いたので良かった。

池のほとりに立つ博物館はかなり立派な建物で入場は無料。名前や住所を書くと入口に案内され、後は自由に見てね、というスタイル。ここにはミャオ、ヤオやアカ、リス等、北部タイの山岳民族に関する展示が並んでおり、動画もあった(日本語バージョンもあり)ので、とても理解が進んでよかった。まあ残念ながら茶に関する展示は見付からなかった。

帰りも車を呼んだのだが、一体どこを走っているのか、なかなかこの場所に近づいてこない。何とかやって来たその車のドライバーも女性であり、先ほどの人同様に英語が出来たので会話は成立した。彼女の場合、スマホが壊れてしまい、地図が表示できずに困っていたらしい。何だか今日は不思議な日だなと思う。

夕方腹が減ったのだが、何とかなり強烈なスコールに見舞われて、外へ出られない。少し待てば止むかと思ったが、30分経っても止まないので、仕方なく傘をさして一番近いバー(カフェ)まで走る。ここがいいのは、一日中ブレックファーストが食べられることだったが、今回入ってみると、クラブサンドイッチはメニューから消えていた。まあアメリカンでも十分に美味しいのでゆっくりと食べる。それでも雨は止まず、少し小降り状態で帰る。果たして洪水の危機は再来するのか。まずはほぼ濡れずに生還したことを祝おう。

10月1日(水)‐2日(木)チェンマイをフラフラ

朝雨はあがっていたが、何となく時折パラつく。朝はパンをかじり、昼前に傘が要らなかったので外へ出た。何となく気分が肉だったので、歩いてガイヤーンを食べに行く。この店はいつでも混んでおり、スタッフの愛想は相変わらずないが、鶏肉は美味い。中国人の一人旅の男女が、大量のガイヤーンとソムタムを注文してひらすら食べているのが愛くるしい。私はガイヤーンハーフで腹パンパン、もう若くはない。

特に体調が悪い訳でもないが、何となくしっくりこない。こんな時は八番らーめんに限ると、夕方MAYAまで出掛けた。この店のスタッフも愛想はなく、淡々と仕事をしている感じが良く出ている。現地化するとはこういうことかもしれない。五目ラーメンは優しい味で沁みる。

翌日は晴れたので、まずは洗濯物を干してから、また外へ出ていく。昼ごはんに和食を食べようと、いつも行くキッチンへ。ここの弁当はいつでも優しい。そして昨年無くなると書かれていた、カレー無料サービスは復活していたが、また今月で無くなるらしい。昨年より10バーツ上がったかもしれないが、これで180バーツは素晴らしい。

いよいよ明日から雲南へ行くので、色々と準備をして過ごす。気温はチェンマイより低いらしく、更には高地へも向かうのでそれなりの服装も必要だ。同時に日本女子オープンゴルフを見ながら過ごす。NHKは10月からNHK+を辞めて、NHK Oneという取り組みになったが、初日には登録が出来ずに焦った。これはNHK側の完全なミスだと思うのだが、なんと登録していなくても、配信が見られることを後になってしまったので思わず、「受信料返せ」とどこかの党のように叫びたくなる。

そんな思いをしていたら、少し腹が減ったので、今日まで行っていなかった麵屋に行ってみる。ここも安定の旨さでかつ夕方以降も開いているのが有難い。明日のフライトのチェックインも済ませて、確認事項もチェックしたので、まあ何とかなるのではないか。でも中国は国慶節の大型連休中、さてどうなるだろうか。

チェンマイ滞在記2025その1(3)洪水の気配を感じながら

9月27日(土)‐28日(日)洪水の気配が

夜中に雷が鳴り、かなり強く雨が降っていた。朝起きて外を見たら道路が少し濡れている程度でホッとした。だが外を歩いていると、一部道路に水が溢れており、昨年の再現かと緊張する。折角なのでターニン市場の方まで歩いてみたが、さすがに水が出ているところはなかった。それでもまた雨が降れば分からない。

いつも行く華人系食堂で、ワンタンメン+カリカリ豚、スープなし麺を食べる。これが何とも美味しくて嬉しい。恐らく潮州系華人が作る麺だが、彼らは既に中国語を介さず、簡単な英語でオーダーだけをする間柄だ。宿に戻ってから陸上の実業団選手権を見る。1週間前世界陸上に出た選手も結構いた。彼らは企業に雇われており、疲れていても会社のために頑張らなければならない立場なのだろう。ちょっと過酷だ。

午後もまた雨の気配があり、近所の食堂へ行く。ここは白人さんの利用が多く、スタッフも英語が出来たりする。テイクアウトして部屋で食べる人たちも多いらしい。私はここでなぜかタイなのにバインミーを注文する。そこにはフィレオフィッシュにタルタルソースがかかっており、何とも旨いのだ。マックのようには安くないので偶にしか食べられないが、なぜこんなメニューがあるのだろうか。

翌朝は麺が食べたくなり、昔行った雲南回族経営の麵屋へ。相変わらずヒジャブーを被った女性が麺を作っており、ここもまた50バーツシリーズの幸せを噛みしめる。特にスープが美味い。帰りに昨日水が出ていた道を確認したが、全く水はなかった。これで安心なのだろうか。

昼に約束があり、実に久しぶりにソンテウに乗ってターペー門へ出た。観光客が相変わらず写真を撮っているが、その数は多くはない。まだ雨季は終わっていないということだろうか。門からほど近い指定場所を探していくと、何と隠れ家的な中国食堂が現れる。タイのいい雰囲気の木造住宅。

オーナーは上海人、奥さんは山東人だと言い、コロナの頃にチェンマイに移住してきた。シェフは香港人らしく、メニューも広東系及び潮州・客家系料理が並んでいる。待ち合わせたSさんも初めて来たらしく、彼はタイ語で、私は華語で話すので話がごちゃごちゃになっていく。出てきた鶏が美味い。あの茶わん蒸しの親玉のような食べ物も登場した。

奥さんはワインや日本酒を勉強しているらしく、日本から買ってきた本まで持っている。オーナーはIT系と言っていたから、最近のこだわり夫婦なのだろう。彼女はお茶も好きだと言い、東方美人など彼女セレクトのお茶を振舞ってくれた。最近はこんな中国人がチェンマイに居るのかと感心する。

食事が終わると、一応ピン川まで歩き、水位を確認した。昨年の同じ時期に同じ場所で見た光景を考えると、今年は何とか持ちこたえるのではないか、という希望的観測が浮かんでくる。周囲に水の気配もなく、皆通常営業だった。帰りはターペーロードを歩いていたが、疲れたので車を呼んで帰る。夕飯は近所でジョークを食べて休む。少し疲れが出る時期だな。

9月30日(火)山岳民族博物館へ

あっと言う間に9月も終わりだ。早い。何だかチェンマイに来て1週間、生活が単調になっているので、今朝は全く違う道を歩いてみる。20分以上歩いていたら、昨年も見かけた点心の店が見えたので、思い切って入ってみる。メニューは小さな紙きれで、そこにタイ語と漢字が書かれているが、正直小さすぎて読めない。一生懸命見ていたら、オーナーが英語で「こちらで見て」と、点心が置かれた冷蔵庫を指す。確かにこれがいい。

焼売などいくつかの点心と粥などを頼んでみる。思っていたより美味しい。ただ頼み過ぎて、朝ご飯としては破格の代金となる。オーナーは元々バンコクの客家で、数年前に心機一転チェンマイに移住して店を始めたという。もとの職業がツアーガイドということで英語はかなり上手い。

チェンマイ滞在記2025その1(2)久しぶりの幸せな食べ物たち

9月24日(水)久しぶりのチェンマイ料理

当然朝は早く起きて、パンなどをかじって茶を飲んだ。その内外へ出たくなり、行きつけの店でカオマンガイを食べる。これがまた美味い。そして50バーツ。これからは50バーツの幸せシリーズを作って行こうかな。天気は悪くないが、時折スコールが来る。そして昨年も気になっていた洪水が迫っていたが、私の地域では何も感じられない。

昼はMAYAへ買い物に行く。スマホケースが壊れたので買う。昨年チェンマイを離れる際、スマホがフリーズして難儀していたのを救ってくれたのはここのスタッフだったが、誰かもわからない。感謝しかない。フードコートで豚足麺を食べる。これもなかなかいい。フードコートの前は遊戯施設が出来ており、ちょっと変化を感じる。ついでに壊れたスーツケースも買ってしまった。昨年も買ったのでおじさんを覚えており、懐かしい。

午後はお休みして、夕方また出掛ける。ここもいつも行く食堂で、イカ炒めを食べたが、何だかいま一つだった。炒飯は普通だったのに、なぜだろうか。そういえばこの食堂はオープンスペースなので、常に蚊に食われる。だから長ズボンを履いて来るのを常にしていたが、1年のブランクで忘れていた。痒い。

9月25日(木)‐26日(金)特に予定のない日々

朝またパンを買いに行く。ただ戻るのもしゃくなのでターニン市場まで歩いて、牛筋麺を頂く。本当に大鍋の煮込みが良く、癖が無く、旨い。ここも50バーツの幸せシリーズに入る。部屋に戻って時を待つ。今日は台湾の統一発表の当選番号が出る日。いつか当たるのではないかと期待するが、今回も外れた。私が過去に当たったのは200元が一度きりだ。

夕方、今度はガチ四川料理屋へ行く。そこで回鍋肉を頼んだのだが、どう見ても回鍋肉には見えない。むしろ東北あたりのジャガイモの煮込み風だ。日本ではなぜキャベツが入っていて、四川にはないのか、どころの騒ぎではない。やはりその土地の食材を使って美味しく作るのが中国料理だろうか。まあでも美味しいので白米を掻き込んで満足する。

翌朝ごみを捨てようとゴミ袋を持って階段のところへ行ったがゴミ箱が無い。よく見ると張り紙があり、「ゴミは1階のゴミ箱へ」となっているではないか。これまで各階に設置されていたゴミ箱を1階に集約した模様。ちょっと不便になったが、まあこの程度なら許容範囲か。ついでに別の張り紙には「大麻禁止」と書かれている。数年前の大麻合法化で町中に大麻ショップが乱立したチェンマイでも、昨今の情勢下、ついに取り締まりが厳しくなったようだ。

昼飯はやはり夢にまで見たカオカーモックを食べる。ミャンマーではダンバウ。ドライチキンカレー、といったところだろうか。いつも行く店はいつも混んでいる。やはり美味しいのだ。昨年までは大盛りを頼んでいたが、今回から普通盛りにすると、何と40バーツで食べられるからすごい。これ日本で食べたらいくらするのだろう。幸せの50バーツシリーズを下回る(幸せは更に上回る)コスパ最強飯。

夕方また腹が減ったので外へ出た。ランチが普通盛りだったから小腹が空いた。タイはちょっと空腹になれば、すぐに軽く食べる文化だから有り難い。近所に新しい店が出来ており、意外とお客がいるので入ってみた。メニューを見ると食べたい物が並んでおり、しかも確かに安い。特に野菜たっぷりのスープが50バーツは安い。これにカリカリ豚炒飯で100バーツ、しかも家から近いのは何とも有難い。尚タイは1年ぶりでタイ語も覚えておらず、カリカリ豚を入れて貰うのにかなり説明に苦労した。

チェンマイ滞在記2025その1(1)今年もチェンマイ滞在

《チェンマイ滞在記2025(1)》  2025年9月23日‐10月2日

チェンマイに滞在も3年目を迎えた。茶の歴史の方はそろそろ成果を出さないといけない。いや、それほど多くの茶歴史はないだろうから、この辺でケリを付けないといけない。今回は雲南やネパール行きもあるので、違った楽しみが見込めるだろうか。

9月23日(火)バンコク経由でチェンマイへ

世界陸上を見終わって、ゆっくり寝た。翌日の夕飯を食べた後、最後の準備をして家を出た。夜の羽田空港に行くのは2年前のベトナム行き以来だろうか。空港には3時間以上前に到着したが、既にタイ航空のカウンターは開いており、スムーズにチェックインできた。何とも有難いサービスだ。午後9時過ぎ、税関検査も簡単だった。後はタラタラ過ごす。

午前0時過ぎのフライト。昔はタイ人で満席だったかもしれないが、今は結構空いていて、3列席の真ん中は空いていて楽ちんだ。取り敢えず離陸するとパンと飲み物だけ配られ、すぐに暗くなるのは良いが、何故か眠れない。以前は簡単に眠りに就いたのに、どうしたのだろうか。仕方なく、邦画を2本も見てしまう。ちょっとウトウトしていたらタイ時間午前3時に朝食が運ばれてくる。そして午前4時過ぎには空港に着いてしまう。

今回は初めてバンコクスルーチェンマイというTGを使ってみた。大体東京方面からチェンマイに来る人はこの路線を使うのだが、私は乗ったことが無かったので、確認の意味も込めて利用してみた訳だ。午前5時前のほぼ無人の空港を彷徨い、かなりの距離を歩いて、トランジットカウンターまでやってくる。途中でシムカードを買ったが、何だか頭がボーっとして高い買い物をしたようだ。

そこに入国審査があるのだが、私以外誰もいない。係官がデジタル入国カードやったか、という感じの仕草をしたので、問題ないと首を縦に振ると、笑顔で入国スタンプが押される。今も60日間ノービザは有難い。やはり観光客は減っているのだろうか。中国人が減っているのが痛いのだろう。そして国内線ロビーに入っていくと、国際線より人がいる。午前6時台に出るフライトに乗る人たちがいた。

実はバンコクスルーチェンマイの場合、午前8時頃のフライトに乗り、チェンマイに9時台に着くのが普通だが、私は入居するアパートの管理人が来ないので、そんなに早く行っても仕方なく、午前10時のフライトに乗るので、大幅に時間が余る。まあ8時のフライトでも2時間半は余裕があるので、本来はこれが良いと理解した。

午前11時半頃、チェンマイに到着した。機内でもサンドイッチが出たので、腹は問題ない。だが昨年もスーツケースが空港で壊れて困ったが、何と今年もまた壊れた。バッゲージは羽田からスルーだったが、まあ元から壊れかかっていたので航空会社にクレームすることはしなかった。

車を呼ぶとすぐに来た。空港から僅か10分でアパートに着いた。だが11時には来るはずの管理人の姿は見えない。電話しても鳴るのは目の前のオフィスの電話。さあ、どうする、やはりタイらしいスタートか、と思ったら、彼らが車でやってきて、すぐに手続きが始まり、入居を完了した。

行きつけのパン屋まで歩き、パンを買い、スーパーでトイレットペーパーを買った。その辺にある麵屋でクイッティアオを食べると旨い。これで50バーツは素晴らしい。更にカットフルーツを買い、最後に水などドリンクをゲットして部屋に帰る。まだ何となく暑いが、東京よりはやはり涼しい。夕方には眠気に襲われ、そのまま寝込んで翌朝を迎えた。

福島の旅2025(5)西那須野でお屋敷を回る

何が食べたいか聞かれたので「地元の人が普通に食べている物」とリクエストしていたところ、何と彼の行きつけのスナックのママが、サンマ塩焼きなどのご飯を作ってくれていた。これはこれでかなりの驚きであり、しかも二人とも酒も飲まずにずっと昔話をして話し込んでいる。その内お客さんが来てカラオケを歌い出すと、Mは政治の話などを始めて、我々は益々世俗と離れていく。結局5時間近くも話して車で送ってもらい、宿に戻ったのは10時頃だった。

9月6日(土)西那須野でお屋敷を回る

朝はさわやかに目覚める。やはり古い知り合いと話していると、話題はどうあれ、なんだか楽しい。朝飯は宿に付いていたので食べてみる。この宿1泊4000円ぐらいなので期待していなかったが、ちゃんとしたご飯が出てきてビックリ。カレーまで食べてしまい、満腹となる。

爽やかな朝、迎えが来るまで時間があったので、駅の向こう側にある大山公園付近を散策する。4年前に来た時は、大山巌、捨松について調べていて行ってみたが、今回はただの散歩。この付近には乃木希典も滞在しており、那須の御用邸もあって、実はここは明治の有名人の別荘などが多くある。

Mにお願いして、その明治の有名人たちの足跡を追うことにした。彼はずっとここに住んでいるが、それほど詳しくはないという。まずは那須野が原博物館へ向かう。ここには那須疎水の跡が見られ、先日の安積疎水との関連に思いを馳せる。因みに日本三大疎水はこの2つと琵琶湖らしい。館内には那須の歴史が展示されており、小学生の時に習う矢板武などの懐かしい名が出てくる(因みに私が栃木に転校したのは小学校高学年なので栃木の歴史は学んだことがない)。

次に千本松牧場へ行く。天気の良い週末、家族連れなどで賑わっていたが、私の目当ては松方別邸。松方正義の別荘が残っているとのことだったが、何と松方邸はこの牧場からは見えず?現在は見学不可になっているとのことで、残念ながら通り過ぎてしまう。日露戦争時に皇太子(後の大正天皇)が滞在中に、遼陽会戦に勝利して万歳したことから、萬歳閣とも呼ばれているという。

そして明治の森記念館へ。ここは明治の外交官、青木周蔵の別荘が残っていた。きちんとした見学ができ、かなり詳細な展示物があり、勉強になる。青木はドイツ一辺倒の外交官、と書かれているのが面白い。娘もドイツ人と結婚、子孫には外交官になって活躍した人もいるが、あまり世に知られる存在ではないだろう。

昼前に板室へ行く。ここは湯治場として知られる場所で、温泉宿が何軒か見られたが、今やかなり寂しい。勿論夏の暑い中、わざわざ湯治に来る人などいないだろうから、今はオフシーズンだとは思うのだが、それにしても人が歩いていない。それでも人気のそば屋があり、そこだけ車が停まっていた。我々もそこへ駆け込み、炊き込みご飯とそばを頂く。旨い。

午後は矢板の方へ向かい、田んぼと山に囲まれた田舎にある、山形有朋記念館へ行く。こんなところに人が来るのかという場所だが、雰囲気のいい洋館が見える。内部もかなり古いが、いい展示も沢山ある。この建物は小田原の別荘をここに移築したらしい。ただ内部の写真撮影禁止なのは残念だ。更に入場料が700円は高いと思っていると、管理人さんがコーヒーをご馳走してくれ、「市の補助などが無いので」と説明してくれる。まあ色々あって運営は大変だろう。

そこから40分ほどでJR宇都宮駅まで送ってもらった。今回Mには大変お世話になってしまった。何とも有難い。ここから湘南新宿ラインで2時間ちょっと行くと新宿まで行ける。新幹線に乗るには大宮か東京駅まで行かなければならないので、コスパを考えてもこの路線が一番合理的だ。またいつかこんなフラフラ旅をしよう。

福島の旅2025(4)福島から西那須野へ

仕方なく次の電車で福島まで戻る。駅に立ち食いそば屋があったので入ってみたが、何だかちょっと?外では手ごろな弁当などを売っていたが、中で天丼セットを注文した。量が多く、料金もそれなりだが、少し味気なかった。立ち食いとは書いてあったが、一種のファーストフードのような店だった。

午後は疲れてしまい、休息を取ることにした。最近は数日ずっと歩き続ける体力が無くなっていたので、仕方がない。夜は検索してやはり東口にある定食屋を訪れたが、お目当てのホルモン定食はなく、残念。まあ代わりに食べたロース味噌定食がまあまあでよかったが、ワンオペ店でせわしない。味噌汁が福島で初めてしょっぱいと感じられた。

9月5日(金)西那須野へ

台風接近の予報が出ていたが、上陸したのは四国か関西方面でこんな遠くにまでさすがに影響はなかった。最近のテレビの天気予報は騒ぎ過ぎではないか。それでも朝方は少し雨が降っており、道路が濡れている。福島では朝ラーメンを食べると検索で出たので行ってみることにしたが、雨が止むのを待っていたら、昼前になってしまった。駅東口近くのラーメン屋へ行くと午前11時でかなりお客さんがいた。ラーメン炒飯セットを注文する。ラーメンには大きな肉が入っており、スープは優しい。炒飯は町中華の味で美味しかった。

ランチ終了後時間が余ったので、バスに乗って古関裕而記念館に行く。ところがバス停でどのバスに乗ってよいか全く分からず、地元の親切な人の手助けで何とか乗れた。バスは岩谷観音の方へ向かうというので、まずはそちらへ行ってみた。だがかなり急な階段を上らねばならず、しかも階段は雨で濡れており、最近膝が痛い私には断念するしかなかった。

古関裕而記念館へ向かおうとスマホで位置を検索したが、何とスマホが動かない。いや地図アプリが開けない。こんなところでスマホが使えなくなると非常に困る。まごまごしている内に、何とか記念館にやってきたが、バス停の場所も気になってしまい、とにかくバスで福島駅へ戻る選択をして、見学を諦めた。バスはかなりの本数があり、思ったより早く駅に戻れたので見学すればよかったと後悔。しかも駅に来るとスマホは完全に回復しており、何だったのかと理解に苦しむ。

午後は福島から先日来た路線を戻り、西那須野に向かった。2日前は郡山で下車してから福島へ向かったが、今日の電車は新白河行きで郡山で乗り換える必要はなかった。が、実際は郡山で結構な時間停まっているだけで、乗り換えても変わらなかった。本当は新白河で降りて、白河城でも見ようかと思っていたが、コインロッカーもないようだったので、そのまま黒磯行きに乗り換える。

西那須野駅に来るのは4年ぶりだが、何となく変わっていた。2階の改札に人影はなく、切符を持っていてもそのまま出られてしまった。歩道橋を越えるとそこに予約したホテルがあり、とても便利だった。ただこのホテル、かなり年季が入っており、テレビを点けても点かない。それでもフロントに伝えるとちゃんと直してくれて親切。何だか田舎の有り難たみを感じる。

午後5時半には45年来の旧友Mが迎えに来てくれた。彼とも4年ぶりに会う。前回は彼が当時勤めていた病院の脇のホテルに泊まったが、今回は駅近くで彼の家も近いので良いと思ったのに、「俺も酒は飲まない」と言って車を運転する。結局病院からほど近い住宅街に車は入っていく。

福島の旅2025(3)飯坂温泉へ

県庁横に川が流れており、ここが大仏城の城跡だった。河野広中の像が立っていた。県庁の敷地は再開発エリアと聞いたので、いつまでこのままかは分からないが、ちょっといい雰囲気で、和む。更に川沿いに南に行くと、御倉邸という昭和初期の和風建築の屋敷があった。旧日本銀行福島支店長役宅として、20年前までは使われていたらしい。この日はオタク系のイベントとして半分使われていたのが何とも面白い。

何となく駅前まで戻ると、そこには芭蕉と曽良の像が立っている。奥の細道、当然ここも通っているだろうが、あまり記憶がない。更に行くと、古関裕二関連の展示がある。朝ドラ「エール」で盛り上がったのだろうか。東口から西口へ抜けるのは地下道を通ることも分かり、何とかホテルの方へ舞い戻った。

9月4日(木)福島で

朝はゆっくり目覚めたが腹が減る。朝飯が食べられるところを検索したら、やはり東口だったので、地下道を通っていく。10分以上歩く。途中の居酒屋に大波三兄弟と書かれた星取表がかかっていた。確かにここは若隆景や若元春の地元だった。ちょっとした飲み屋街らしいところへ出ると、何とその中にスナックがあり、そこで朝ご飯が出てきた。ママがご飯とみそ汁をよそい、ハムエッグを焼いてくれた。台風の進路が気になり、二人で天気予報に見入る、不思議な朝だった。夜勤のお医者さんが来てご飯を食べてちょっと一杯飲むらしい。

それから一度宿まで戻り、10時過ぎにチェックアウト。今日は飯坂温泉へ行ってみることにして、福島交通飯坂線に乗るために再び駅へ。この路線も古そうで、2両列車がホームに待っていた。チケットはSuicaで買えたが、買い方はちょっと分かり難かった。意外と乗客がいたので驚いたが、30分ほど乗って飯坂温泉に着いた時には、もうそれほど残っていなかった。

駅を出ると、古びたいい感じの街があった。横には川が流れている。少し上り坂を行くと「芭蕉と曽良 入浴の地」と書かれた碑があり、足湯が供えられていた。ただ平日の昼間であり、殆ど人は歩いていない。その先には有名な鯖湖湯という名の銭湯があった。そこには「飯坂温泉発祥之地」とあり、芭蕉がこの湯に浸かったともある。いい感じの木造建築は平成になって再現されたものらしい。湯に入りたかったが、出てきた人が団扇を仰ぎながら、暑い、暑いと言っていたので止めてしまった。

更に歩くと、旧堀切邸がある。敷地はかなり広い。江戸時代は庄屋格、そして金融業や酒作りなどの商売でも成功して財を成し、明治以降も街のために尽力した家と説明されている。この家が町の中心という感じだろう。そこから神社などを見て駅の方へ戻ると公園があり、そこには城跡古舘と書かれている。飯坂氏の城だったとあるが、何とちょうどいま再放送している大河ドラマ「独眼龍政宗」で猫御前と呼ばれた政宗の愛妾(役:秋吉久美子)の出身家、彼女は飯坂局と呼ばれていたことを思い出す。何だか急に大河ドラマが身近になってくる。更に駅の方まで下って行くと、「伊達」や「茂庭」などの地名が書かれており、伊達家がここにあるように思われた。

さすがにちょっと歩いて疲れたので、帰る電車に乗る。昼間は乗客も少なく、何ともローカル感が漲る。折角なので福島駅の前で下車し、県立図書館へ行ってみることにした。美術館図書館前という分かりやすい駅で降りて、指示通りに進む。美術館の方ではジブリ展をやっており、平日でもそこそこお客さんが来ているが、図書館の方は全く人を見かけない。入口に行ってビックリ、何と休館日だった。

福島の旅2025(2)郡山から福島へ

その近くに図書館があったが、なんと今月一カ月は情報システム交換などで休館と出ている。その先の歴史情報博物館は開いていてよかった。ここの展示を見て、郡山は奥州街道の宿場町として栄え、東北における地理的重要性などを学ぶ。勿論ここでも安積開拓は重要な歴史だった。

この近くには立派な建物、郡山公会堂が建っている。更に歩くと21世紀記念公園があり、その中に日東紡の記念碑があった。安積疎水を利用して作られた郡山絹糸紡績を引継いだ会社らしい。今はかなり穏やかな街に見えるが戦前はどうだっただろうか。そんなことを考えながら、時々見られる古い建屋に思いを馳せる。

宿に帰り、夕飯を考えた。地元食堂を探すと、三松という名前が駅前にあると出たので行ってみた。夕方五時過ぎだったが、既にお客で満員盛況。おじさんたちが飲み始める中、若い女性が一人で定食を食べているなど、地元色が強い食堂で、何しろメニューが多い。私は三松定食を注文。久しぶりにエビフライやハンバーグなどを食べて満足する。

9月3日(水)福島へ

翌朝起きると雨が降った跡があり、かなり涼しくなっていてよかった。朝ご飯は駅の立ち食いそばにしようと出掛ける。エキナカの店だが、改札内外どちらでも食べられるのが良い。私は朝から肉そばを注文して精を付ける。何だか働いている女性たちが優しくてまた良い。

腹ごなしに駅を通り越して反対側へ出てみたが、ホテルなどはちょっとあるだけで、特に何もなかった。また元へ戻り、駅付近のバス停からバスに乗ったが、同じような路線が多くて混乱の挙句、違う方面へ行くバスに乗ってしまう。仕方ないので、適当なところで降りて、後は歩くことにした。

約1.5m行くと、福島県尋常中学校(現安積歴史博物館)まで来た。だが昨日の案内所の人が言った通り、完全な改修工事中で中を見ることは出来ず、外の一部の写真を撮って退去する。そこからまた2㎞ほど歩くと郡山開成館という建物があるはずだったが、ここは完全改修中で、その姿を見ることすらできなかった。

近所の稲荷神社にちょっと寄って、広々した公園を散策してからまたバスで駅まで戻り、昼ごはんはネット検索した食堂を訪ねた。何だかかなり混んでおり、老夫婦2人でてんてこ舞いしていた。若者も多く来ており、ほぼカツカレーを頼んでいたが、そのご飯の量が半端なく、全員がかなりのご飯を残していた。中にはカツすら残している人もいて、これはインスタ狙いだと分かる。

ご主人に「半かつ丼」はないかと聞くとあるというので、注文したが、やはり出てきたかつ丼はカツが完全にどんぶりからはみ出しており、どこが半分だ、という量だった。米の値が高いこのご時世にこんな無駄なコメの使い方はあるか、と思いながら。ご飯を半分残してしまった。田舎は全体的に量が多いのだが、ここは少しやり過ぎで、定食のご飯もどんぶりにかなりの量が入ってくる。さすがに苦しい。

郡山駅からJRの在来線に乗り、福島駅まで行く。僅か40分ほどの旅ですぐに着いてしまった。この区間はスイカも使える。駅の西側のホテルを予約したが、観光案内所でもらった地図を見ると、東側に城跡があったようだった。だが、東側へ行くにはどうするのか、よく分からない。エキナカを通ることは出来るのか。地図アプリで出てきたのは駅の南側を迂回するルートで結局それが早かった。

福島の旅2025(1)郡山で安積疎水

《福島の旅2025》  2025年9月2₋6日

暑い、暑い東京に1か月以上も居座っていた。だが連日の35度越え、もう限界だった。どこでもいいから数日旅をしようと思った。ふと思いついたのが福島。東日本大震災発生からもうすぐ15年、通過することはあっても、滞在したのは会津若松ぐらいだった。まあ今回の主目的は移動することだから、目的地のアテは特にない。

9月2日(火)郡山へ

朝起きて何となく家を出て電車に乗る。新宿駅で湘南新宿ラインに乗ろうとしたが、電車が遅れているらしく、動いていない。ちょうど隣の埼京線が発車するので飛び乗る。本来は宇都宮まで直通の予定だったが、大宮止まりなのでどうするか。ネット検索すると赤羽で乗り換えないと(大宮でなく)宇都宮行き列車に遅れてしまうので、赤羽で急いで降りた。

赤羽でやってきた列車は小金井行だった。小金井が宇都宮の先だとなぜか思い込んでそれに乗ったが、小金井は小山の次の駅だったので、小山駅で再度乗り換えて宇都宮まで辿り着く。栃木で育ったのに、小金井の場所も忘れてしまっていたなんて、ちょっとショックだった。

ちょうど昼になっていた。昼過ぎになると黒磯以降方面行き列車が極端に少なくなるので、きちんと時間を管理して乗らないといけない。40分後に黒磯行きがあったので、宇都宮駅でランチを食べることにした。駅のホームに立ち食いそばがあったのを思い出したが、何と昨年閉店したとの張り紙があった。地方の立ち食いは危機的状況にある。

駅構内には食事できる場所はほぼないので、一度改札を出て、駅ビル内で餃子を食べた。焼き餃子一皿とご飯とみそ汁、漬物。まさに典型的な日本食だった。宇都宮はギョウザの街と言われるが、あまりにも店が多過ぎてどれが美味しいのかよく分からなくなっている。周囲の客はなぜか佐野ラーメンを食べている。佐野の近くで育ったが、一度も食べたことはない。そういえば佐野も足利も観光に行ったことすらほぼない。

黒磯より先Suicaは使えないので、まずは切符を買う必要がある。何とも面倒だが時間に余裕があるので苦にならない。宇都宮から宇都宮線で黒磯まで50分、そこからホームが変わるのでエレベーターに乗って移動。この辺までは意外と乗客が多い。25分乗ると新白河駅に着き、新幹線に乗らない人は、そのままホーム前方へ行くと電車が停まっており、それに乗り換える仕組み。最後はまた40分ほど揺られて郡山駅に着いた。

郡山駅は5年前、会津へ行く時乗り換えた。その際新幹線から在来線の乗り換えが上手くできずに、悩んだ思い出があるが、今回は切符を買ってあるからすんなりと出られた。まずは観光案内所へ向かい、周辺の地図を入手する。郡山で見るべきところを全く知らずに来ていたので、係の女性に「歴史的な場所」と問うとちょっと離れた2つの建物を教えてくれたが、どちらも改修中らしい。

まず駅付近に予約した宿に荷物を置いて、すぐに外へ出た。暑い東京と比べれば、風が優しく吹いていて、かなり暑さは和らいでいる。これなら歩けるな、と調子に乗り、歴史情報博物館を目指した。少し上りになり、その付近まで来ると雰囲気の良い公園があった。池があり、木々が茂って、きれいな日本庭園のようだ。何だか文化的な街だなと思って公園を歩いていると、そこに安積疎水関連の表示が見えた。

安積疎水といえば、明治の初めに大久保利通などが関わった一大事業だと思い出す。それは郡山だったのか。猪苗代湖から水を引くこの一大開拓は1882年に完成し、その時この公園でお祭り騒ぎをしたらしい。麗山の飛瀑という名称で、一部再現されているが、今はポンプの故障で滝は見られない。