【北タイ茶旅2024】2024年10月28日‐11月1日 11月12₋14日
いよいよ茶旅本番の季節がやってきた。昨年はミアンを探す旅を行ったが、今回は北タイの茶産地を回り、その歴史を検証することにした。
10月29日(火)ファーンまで
朝ドームがやってきた。参加者3名をホテルでピックアップして、朝ご飯へ向かう。ドームのお勧めはナイトバザール近くで40年以上やっているというジョークの屋台。私は北タイの朝飯はカオトームだと思い、そちらを選択。味は悪くない。観光客も利用するような立地だが、お客は地元の人ばかり。
車は一路北を目指して走り始める。今回は後部座席に3人に座ってもらうので、かなり窮屈ではないかと心配する。元々ドームは午前中、メーテンの茶園に行く、と言っていたのだが、突然『時間がないのでチェンダオへ行く』と言い出し、混乱をきたす。どう考えても時間はあるのに、なぜ行かないのか。彼なりの事情はあるのだろうが、我々には理解しがたい。
そして車にガソリンを入れる。昨年のミアンツアーにも参加したHさん。どこのガスステーションにも併設されているカフェアマゾンを気に入り、今年もいそいそとコーヒーを買っている。トイレ休憩が終了すると車は走り出し、その内に山道に入り込む。この道、1年半前も来ているが、こんなに曲がりくねっていたのだろうか。ところどころに洪水の影響が見られた。
チェンマイから約2時間、標高約900m。ついにチェンダオ山中のラミンエステートに到着した。ここは1940年頃ラミン初代(Prasit)が茶を植えたとされる場所で、タイ全土で初めて茶園が開拓されたという歴史的なスポットになる。現在はラミンカフェが作られており、斜面に映える茶畑を眺めながら、お茶を飲むことが出来る。
ラミンの歴史については、先日ラミン3代目(Jakarin)とチェンマイのオフィスで会った際、説明は聞いていた。ただその歴史は、初代は中国人ではあるが、雲南ではなく北京から来た人と言われて驚いた。しかもフランス留学後、戦火で本国に帰れず、イギリス人とたばこビジネスで訪れたタイに留まったと聞いた。彼はユーカスの『All About Tea』を読んで感化されたともいう。彼がここに来る以前、タイでは茶葉はミアンとして消費されていたが、ドリンクとしては飲まれていなかった、というのが面白い。
カフェの後ろ側にひっそりと茶工場がある。今回特別に見学させてもらった。この工場は2代目で、最初の工場は斜面の向こう側の学校の敷地にあった、と前回聞いた記憶がある。基本的にはラミンは当初からアッサム種を使って紅茶を生産していた。1970年代ラミンの2代目(初代の娘婿Nit)は、スリランカや台湾を視察して、この工場にそこで得た技術を盛り込んでいる。現在かなり古いタイプの茶工場にはなっているが、その独特な設備は興味深い。
すぐ近くにラフ族の村があるというので行ってみる。実はここの茶園の茶摘みなどのワーカーはラフ族であり、それはドームの父親であるジャファーが、ドイプーメンの黒ラフをこの地に送ったという繋がりがあるようだ。黒ラフとは基本的にキリスト教徒。山岳民族には国境はなく、仕事があれば移動する、ということをここから学んだ。
昼前に山を下りた。ランチはどうするのかと思っていたら、チェンダオの街の華人食堂へ入る。ドーム曰く『この店はプミポン国王も食べたという美味い豚足の店』だった。確かにその豚足はあまりにも立派(1₋2人ではとても食べ切れない)、しかもトロトロで美味だった。一塊350バーツも頷ける。
店の若い女性は英語が出来た。外国人も来るのだろう。彼女は『父は華人、母はタイ人』と説明する。確かに車いすに乗った老人は華人だった。元気でにこやかな年配の女性も華人に見えたが、母親なのだろうか。ドームはプロのガイドを自称しているが、このような説明は全くない。チェンダオの街にも華人は多く住んでいるように見えた。