chatabi のすべての投稿

マレーシア茶及び食の旅(5)雨のハジャイ

ようやくチケットを入手して、いざマレーシア出国、と思ったが、どこからマレーシアを出国するのか分からない。何の表示もなく、そのまま外へ出てしまうと、ヒンズー寺院が見える。反対側に回ると、ホームに列車があるのが見えるのだが、鉄格子が嵌っており、ここから降りることは出来ない。そのまま眺めていると向こうから列車がホームに入ってきた。あれに乗るのだろうか。

結局ある程度の人がベンチに座っている場所が待合室。皆が手持無沙汰にひたすら待っている。だが時計だけが動いていき、人の動きは起こらない。何と発車時間の16:40になって初めて審査場行きのドアが開いた。審査は2度あるが簡単で、すぐにホームまで行けた。タイの陸路入国、以前は年間2回までという制限があったが、今はないんだよな。

そこには古びた列車が待っていた。ハジャイに行く乗客が続々と審査を終えて乗り込んでくると、ゆるゆると出発した。乗客はマレーシア人が多く、白人もいる。日本人の年配者も一人だけ見掛けた。日本人バックパッカーはもういない。列車が走ると窓から吹き込む風が爽やかだ。この風を浴びるために、私はここに居る。

40分後に列車はハジャイ駅に入った。ここは何度か乗り降りしているので、見慣れた光景だった。小雨が降る中、予約した宿へ向かった。メインの通りを歩いて行くと、麵屋が見える。昼ご飯を回避して腹が鳴っており、宿よりまずは麺となった。どう見ても華人経営の店で、豚肉麺を頂く。ハジャイもタイピンに負けずグルメな街だ。有難く満たされた。

宿は以前も泊ったことがある。可もなく不可もないが、料金はちょっと値上がりしている。まあ仕方がない。荷物を置いて再度外へ出たが、雨脚が強くなっており、遠くへは行けない。仕方なく、近所の店でカオマンガイを食べる。これはさすがにタイピンの海南鶏飯の方が美味いし、コスパも良い。もっと他の物も食べたかったが、やむを得ない。部屋に帰って雨音を聞きながら寝るだけだ。明日も早い。

11月26日(火)バンコクの茶荘

朝5時台に起床する。今日は朝一番のフライトでバンコクへ移動する。だが雨はまだ降っており、Grabで車を呼んでも見つからない。何とも困った。周囲を見渡してもソンテウも全くいない。何度か挑戦していると、なんとか車がやってきた。空港までは約30分。国内線だし、それほど慌てる必要もなかったが、万が一の場合は取り返しがつかないので、ちょっと焦ってしまった。

空港に着いてホッとしたが、周囲を見るとイスラム教徒ばかりが目に付く。やはりここは深南3県、チェンマイとは全く風景が異なる。少し時間があったので、あまり人がいない所まで行き、柱についていたコンセントで充電を開始した。するとそこにムスリム親子がやってきて隣で充電する。英語で声を掛けられ、少し会話した。何でもメッカ巡礼に行くらしい。幼い娘はスマホの動画に夢中になっており、移動を拒んでいた。巡礼しなくていいの?

マレーシア茶及び食の旅(4)タイピンから国境へ

宿のすぐ近くにベーカリーがあった。新しい店舗の脇に古びたドアの製パン工場が見え、そこには1918の文字がある。タイピンで最も古いパン屋かもしれない。ラスクのようなものを買い、宿に戻って紅茶を淹れて食べてみると美味しい。本当はまたどこかの食堂でブランチを食べようと思っていたのだが、これで満足してしまう。

お昼前後はクイーンズ駅伝を見て過ごす。鈴木亜由子が久しぶりにいい走りをしていて喜ばしい。見終わるとやはり何か食べたくなり、またフードコートへ。好きなスポーツを見て、腹が減った美食食堂へまっしぐら。こんな生活、幸せだな。汁なし撈麺を頼んだが、おばさんが「ワンタンも食べたら」というので、併せて頼むと、これがモチモチで美味い。まあ、とにかく何を食べても300円程度だから、気兼ねなく追加できるのが何とも嬉しい。

腹がくちると散歩するしかない。時計台など古びた建物が並ぶエリアを歩いて行くと、郵便局など歴史的な雰囲気が漂う。さすがな150周年の街だ。また宿に帰り、今度は大相撲の千秋楽を見る。琴桜がやった!それにしても、日本のスポーツを見ながら、食べたい時に外へ出て、腹が満足すると散歩。夢の極楽生活かもしれない。年に1度ぐらいはこういう生活に浸りたい。

それでも夕方5時前にまた食べに出る。今度は何を食べようかと考えていると、ちょうど目の前に老舗茶室があった。まだ開いているようだったのでふらっと立ち寄る。メニューを見て、唐揚げ炒飯?を注文する。ここは創業から何年ぐらいやっているのだろうか。普通の炒飯に見えたが、意外に旨い。と思っていると、店を閉められ始めたので、慌てて外へ出た。この店は近所に2号店も出している。さすがに今日の食事はこれで終わりだ。

11月25日(月)タイピンからハジャイへ

タイピン最終日の朝、また何を食べようかとフラフラする。昨日の茶室の近所には、古びた茶楼があり、早起きの老人たちが集まっていた。擂茶などと魅力的な文字も見えたが、何故か気分が乗らない。フードコートで最後の一食を探していると、海鮮粥が見えた。これだと思い注文すると、かなり時間、ぐつぐつ粥を温めている。値段も13リンギとこれまでで一番高い。アツアツの粥は非常に旨かった。フードコートでの飲み物は原則中国茶。

天気が良かったので、湖の周りを半周した。今日は平日で観光客も減り、かなり気持ちの良い散歩だった。写真もきれいに撮れたような気がするして満足する。もう一度海南鶏飯を食べようかと思ったがさすがにその気力はなく、宿へ戻って休息する。チェックアウト時間の12時に宿を出てゆっくり歩く。

駅で何か食べようかと考えていたのだが、周辺の食堂を眺めてみても、ちょうど食べたい物に出くわさず、列車を待つこととなった。先日の係員に挨拶してホームで待ったが、列車は遅れていた。20分ほど遅れてやってきた列車に乗り込んだが、ほぼ満員。団体観光客が結構乗っていた。車窓の景色は基本的に変わらないが、途中で雨が降るなど、その雰囲気は時々変わる。結局2時間半以上かかって国境のパダンブサール駅に到着した。

時刻は15:40。実はハジャイ行きの列車は1日2便しかなく、午後は15:40分発しかない。とかなり焦って改札を抜けたが、何と時差が1時間あり、16:40出発だと分かる。係員に聞くとまずはハジャイ行きのチケットを買って、それから出入国審査となるらしい。ところがそのチケット売場に人がいない。確かに1日2便だから、係員も完全にダレている。僅か50バーツのチケットを買うために待つ。

マレーシア茶及び食の旅(3)イポーで飲茶、タイピンでフードコート

その飲茶屋はいい感じに建っていた。意外と奥行きがあり、老人を中心にした家族連れ客も多い。やはり週末の朝は家族・親族で飲茶か。何となく昔の香港を思い出す。何とか席を確保して周囲を見ていると、老板娘がやってきた。彼女は一瞬広東語を話したが、すぐに英語に切り替え、こちらが華語を使えると分かると、華語になった。店のオーナーは広東系だが、彼女の一家は福建省安渓の出だという。

私が安渓には何度も行ったというと喜んでくれ、珍しいお茶も出してくれた。「ここは基本的に広東語の世界なので、私もずっとアウエー状態で生きている」と小声で話したのは印象に残った。点心はかなり美味しく作られており、お茶ともマッチしていた。とてもいい朝食を食べることが出来て感謝。

それからチェックアウトギリギリまで宿の部屋で休む。この宿、眺めがよいし、フロントが最上階にあって、そのスペースも何となくスタイリッシュ。宿から駅までは歩いて10分程度だが、途中に歴史的建造物あり、モスクありで、なかなか楽しめる。到着した駅舎がまた歴史的なので、言うことはない。

列車は10数分遅れたが、無事到着。40分ちょっとでタイピン駅へ滑り込んだ。ここも今年1月に来ているので慣れている。と思ったら、何とチケットカウンターが開いていない。係員に聞いてみると何と「この駅では今は自販機でしか切符は売っていない」というではないか。え、1月は買えたのに、イポー駅でも問題なく買えると言っていたのに。実はタイピンへのチケットは郭さんがネットで予約してくれたので、難なく乗れたのだと初めて知る。

ここでまた私のクレカ問題が再発した。JCBカードは持っていたが使えない。銀聯カードも使えない。どうするのかと思っていると、その背の高い係員が、マレー人のお客さんに声を掛け始めた。何人か目で応じる人がいて、その人のクレカで国境までの切符を買ってもらい、現金を渡して購入が完了した。係員に感謝すると「今日も朝から数人、あなたのようなお客がいて、自分のカードも残高不足だったので」と笑っていた。さすがマレーシア。

予約した宿は、歩いて10分ほど。前回の記憶が鮮明で、問題なく辿り着く。この宿の設備は古びており、昨日とはかなり違っている。ただフロントはとても親切で心地よい。部屋でサッカー天皇杯決勝を観戦する。それが終わって、さてご飯を食べようと思ったら、雨が降り出していた。

でも腹は減っている。少し小降りになったところを見計らって傘を持って走り出す。目指すは前回行ったフードコート、食べたいのは海南鶏飯。だが、時刻は午後3時。いくつかの店は既に閉店していた。海南鶏飯はお預けとなり、代わりにモヤシ鶏飯を食べる。これはこれで美味い。更にフードコート内をウロウロしていると、乾撈麺という文字に反応してしまう。しかしこれは美味かった。焼きそばとスープが絶妙だ。一気に2食を食べて腹が完全に膨らんだ。

また雨が強くなり、ボーっと雨宿りした。ここで働いている人々も手持無沙汰で座り込んでいる。意を決して傘をさして宿へ戻った。そしてまた配信で卓球を見ていた。夕方雨も上がり、また外へ出た。でももう満杯で食べることは出来ない。湖の周囲を少し歩いて腹ごなしを計ったが、無駄だった。本当にこの街は目的無く散歩するに適している。

11月24日(日)タイピンを満喫

朝起きるとすぐにフードコートに向かった。今朝は海南鶏飯の屋台が開いている。これは美味い。そして何より安い。1月より1リンギ値上がりしていたが、それでも僅か5.5リンギ。信じられない値段だ。これを朝食べると一日がハッピーになりそうだ。それから天気の良い中、街をフラフラ歩いた。

マレーシア茶及び食の旅(2)イポー 六堡茶の歴史

11月22日(金)イポー 六堡茶

早く寝たので早く起きた。夕飯も中途半端だったので腹が減っていた。外へ出るとすぐに朝飯が見付かる。麵屋など数軒の屋台が入った複合店で、とろみのついた滷板麺を食べた。これは朝から美味い。中国茶といえば、ちゃんと甘くない、温かい茶も出てきて良い。朝飯を探しに来た人々は、次々とテイクアウトして去っていく。

周囲をちょっと散策すると、KLセントラル付近は様々な顔を見せてくれる。特に多いのがインド系であり、ヒンズー寺院もいくつかある。朝飯屋ではカレー系の食事を取ることもできる。中国系寺院ももちろんあり、更にはタミルチャーチと書かれた教会も存在した。このエリアはかなり混沌としていて、もう少し知識があれば、非常に面白いと感じられるだろう。

宿をチェックアウトしてバスターミナルに向かう。早めに到着してバスが来るのを待ったが一向に現れない。10分ほど定刻を過ぎてようやく姿を現したので、ホッとした。イポーまでは約200㎞、高速道路なら早いはず、と思っていた。だが途中で給油したり、何となくなくのんびり走ったりと、さすがマレーシアのバス。結局3時間ちょっとでイポーに到着。

バスターミナルで待っていてくれた郭さんに拾ってもらい、まずはランチへ向かう。イポー名物もやしチキンの店は大行列だったので、広東の焼肉系に切り替える。これがまた美味いんだ。豚、鴨、鶏、全てに満足できる味だった。こういうのが簡単に食べられるのはさすが食の街、イポーということだろう。ご馳走してもらった郭さんには感謝しかない。

午後は郭さんのオフィスへ行き、古い六堡茶を頂きながら、六堡茶と北タイの繋がり、その歴史について、こちらが最近調べた内容を披露しながら、12年前香港で手に入れた資料のコピーを手渡した。北タイの茶葉(原料)が香港で加工され、マレーシアにやってきたのだろうか。更にはタイから直接やってきた茶葉はあっただろうか。実に興味深いテーマでの意見交換だった。

ただ今日の郭さんは少しそわそわしていた。実は2週間後に中国広西から六堡茶代表団がイポーにやってきて、大規模な交流会があるというのだ。中国のことだから急に決まったのだろう、郭さんはその準備に奔走しており、夕方車に乗ってその会場のチェックに出掛けた。私も宿まで送ってもらうついでに同行した。

イポーの中心街に立派なホテルがあった。そこが会場であり、中国から数十人が来るので、その会場と宿泊準備は大規模だ。ホテルの女性マネージャーはいくつもの言語で話し、作業をどんどん進めて行く。そのテキパキさは、さすがマレーシア華人。イポーにも団体が来てイベントを開催することも結構あるのだろう。

予約した宿まで送ってもらい、郭さんと別れた。次はいつ会えるだろうか。宿はキレいでよかった。コンセントの問題もなかった。夕日がきれいに見えていたのだが、いざ夕飯に出ようとしたら、なんと激しい雨が降り出した。宿の1階にはコンビニが併設されていたので、そこで何か買おうと思ったが、サンドイッチやおにぎりは置かれておらず、カップ麺しかなかった。美食の街イポー、何だか急に寂しい夜となる。

11月23日(土)イポーからタイピンへ

翌朝はすっきり晴れていた。この宿は駅に近いという理由で泊ったのであり、周囲の土地勘はなかった。ネット検索すると歩いて数分のところに飲茶屋があるようだったので、歩いてみる。その付近は以前何度か歩いたこともあり、六堡茶の茶荘も訪ねたことがあったが、今日は週末でオーナーは不在だった。

マレーシア茶及び食の旅(1)困難続きのKL

《マレーシア茶及び食の旅》  2024年11月21日‐11月26日

チェンマイ滞在も僅かになった。行っておきたいところへ行くべきと思い、選んだのはマレーシア。六堡茶の謎を少しずつ考えていきたい。合わせて今回から食の要素を大幅に取り入れていきたいと思い、タイピンを目指す。

11月21日(木)KLの困難

朝車を呼んで空港へ向かう。運転手は英語が出来たので会話する。「先月家族でKLに行った」と言い、「来年は頑張って働いて家族を大阪に連れていきたい」と語る。私が「ペナンもいいよね」というと、「ペナンはプーケットと同じなので、タイ人は興味を持たない」ときっぱり。なるほど。

KLまでの直行便は約3時間。ウトウトしている内に到着する。マレーシア入国には事前にネットで入国カードの記入が必要となっており、それをしておけば日本人は自動ゲートから簡単に出られると聞いていたので、楽ちんと思っていたら、何と私のパスポートははねられてしまう。

係員に聞いても、「ダメなら列に並べ」と言われてしまい、いつもの長蛇の列に加わり、1時間弱かかって、入国する。何とも不思議なのは、機械には撥ねられてしまうのに、有人の入国審査の機械はちゃんと通過すること。それにしてもここで自動ゲートが通過できるかどうかは時間的にも精神的にも大きい。まずはシムカードを購入して気持ちを整える。

KLの空港内は広い。バス乗り場までの距離は相当に長い。ようやくたどり着いたが、チケット売場は1つしか開いておらず、長蛇の列。横を見ると自販機が数台並んでいるが、私は諸般の事情でクレジットカードを保持していないので、そこでは買えないようだ。係員にそれを伝えると、「窓口もキャッシュレス」というではないか。ではどうするんだ。何と係員は手作業でチケットを打ち出し、手数料を取って現金を受け取った。何だこりゃ。

バスに乗る際、今日の宿を思い出した。なぜか電話しろ、とメッセージが来ている。電話すると英語は通じたが、意味が分かり難い。先方もそう感じたようで、しきりにWhatsAppと言っている。私は普段このアプリを使わないので、分からないと答えて電話を切った。何となく面倒な予感がする。

バスは快適。途中でスマホを見ると、何と宿からWhatsAppにメッセージが来ていた。どうやって探したんだろうか。どうやらこの宿は普通のホテルではなく民泊。フロントはなく、何らかの方法で鍵を開けるのだが、その前に1泊分の保証金200リンギの入金が必要だという。

クレカがあれば簡単だったかもしれないが、それもなく、他は主にマレー人向け入金手段だったため、バスの中で窮してしまう。先方も一応外国人対応で保証金を取りに行く、と言ってくれたが、なんと翌日は11時にしか返しに行けないと言われ、万事休す。まさかの予約キャンセル、しかも返金不可。今後はホテル予約も慎重にしなければ損をする。

1時間でKLセントラル駅に着いたが、まずは明日のイポー行き列車のチケットを買わなければならない。駅で何とか売場を見付けたのだが、何と「明日午前は売り切れ」とつれない返事が来た。今日はとことんついていない。駅構内にあるバスターミナルへ移動して聞いてみると、午前は9時過ぎの一本しかないというので、そのチケットを購入。

さて宿が無い。ネットで探して近所のホテルを予約して向かうが、今日の今日で予約できるホテルの質は?既に午後4時を過ぎていたが、すぐにはチェックインできず。おまけに荷物の預かりも断られる。まあ仕方がない。近所で食事を探していたら、焼き豚が釣り下がっていたのでそこで食べる。12リンギ、まあまあ。夜もちょっと外へ出ようかと考えていたが、そこへ大雨が降ってきて出られない。諦めて部屋でネットを見て過ごす。今日は一体どんな日なんだ。

チェンマイ滞在記2024その7(3)体力の衰え、生きる意味

11月18日(月)コピー

先日Sちゃんに資料を貸したら、彼女はコピー屋を探してサクッとコピーしていたので、私も1冊コピーしようと、近所のコピー屋を探した。歩いていけるギリギリの場所に1か所発見したので、早々に歩いて行ってみる。お店が連なっているところではなく、ポツンとあったのでちょっと驚く。

中に入ると、ちゃんと英語も通じ、料金表なども貼られていた。Sちゃんはカラーコピーしたので、相当高かったらしいが、私は白黒でよいので、料金はそれ程高くはなく、お願いした。それにしてもこのペーパーレスの時代に、大量のコピーを請け負っているこのお店、一体何をコピーしているのだろうか。

コピーするのに時間がかかるので、一旦店を離れ、昼ご飯はニーマンの和食屋さんで済ませる。それから宿へ戻り、疲れを癒し、またその店まで歩いて行く。最近は歩くスピードもゆっくりとなり、Google Mapの表示通りの時間がかかる。体の劣化はかなり激しいと自覚している。

午後4時に無事コピーを受け取り、そのままMayaへ歩いて行く。長距離を歩いただけで、なぜか腹だけは減る。こういう時は体から危険信号が出ている証拠だ。八番らーめんで、早めの夕食として優しい麺を食べるのが一番固い。モール内の店ではすでにクリスマス飾りが始まっている。チェンマイ滞在も既に3カ月超。そろそろ本格的な疲れが見えてきていた。

11月19日(火)ガチ中華2

先日壊れたスーツケースの修理に失敗していた。そろそろ帰国のことを考えなければならない。もう新しいのを買うしかない。そう思って昨日Mayaを歩いていると、旅行鞄を売る店が、セールをしていたので、ちょっと見てサイズを確認しておいた。プラプラとMayaの方へ歩いて行くと、先日食べた四川料理屋の看板が目に入る。

辛い物が欲しくなる時は、体の危険信号と理解しているが、何となく店へ行ってしまった。辛い物を敢えて避けて、トマト卵麵を注文する。麺はツルツルしており、スルスルと喉を通過する。トマトと卵が辛い訳がない。大盛りサイズなので食べ過ぎ感はあるが、大変満足な一品だった。この店はフルーツ取り放題なので、スイカも一杯食べる。

Mayaへ行くと、昨日話を聞いたおじさんが待っていた。早々に選んでおいた超軽量級の大型バッグを購入する。おじさんは他にもいいのがあるよ、と言っていたが、そこは完全に無視。ただいざ会計しようとすると「会計係がいないのでちょっと待って」と言いながら、色々と商品説明をしてくれる。これまでタイでこんな対応を受けたことが無い。というか、このおじさんは英語が出来たから理解できただけなのだろうか。

ケースを引っ張って宿まで持ち帰る。午後はこれから行くマレーシアの六堡茶に関する資料を少し読んで、論点をまとめていく。だがどうしても所々抜けが発生してしまい、きちんと輪郭を掴むことが出来ない。これもまた老化の一環なのだろうか。以前はすっきりしていた頭が何となくぼやけてしまい、何を考えてもクリアーにまとまらず、同時にひらめきも起こらない。

これはもう妄想茶旅の終焉を意味するのだろうか。これからの旅、そして執筆はかなり苦しいものとなって行くだろうが、果たして耐えられるのか。いや耐える必要はなく、出来なければ辞めればいいという選択肢が残されているのだが、生きていく意味がどこにあるのかを少し考えなければならない。

チェンマイ滞在記2024その7(2)アカ族のタンブンで

日本語先生一家はこれから予約したコムローイ会場へ行くのだと言い、大型タクシーを呼んだが、予約できてもすぐにキャンセルされてしまい、何度か繰り返していた(もっといい条件のオファーがあればすぐに乗り換えるらしい)。この時期は、車を捕まえるのは本当に大変、まるでバンコクのようだ。車を待っているとAさんが呼んだバイクがサッと来て、彼女はサッと移動していく。格好いい。私はテクテク歩いて帰る。

11月17日(日)アカ族の村へ

朝突然昨日のHさんから「今日の昼、アカ族村でタンブンがある」とのお知らせが来た。え、どうしてその情報、昨日会った時に言わないの、などという野暮は言わない。早々にアカ族村に興味を持ったAさんにも連絡して、村へ向かうこととした。ところが、ロイカトーンの真っ最中で、ただでさえ車がひっ迫する中、チェンマイ郊外の村まで行ってくれる車は全然見付からない。

取り敢えずAさんが我が宿までバイタクでやってきて対策を練るが、埒が明かない。Hさんに連絡すると「メージョーまで来てくれれば迎えに行く」と言ってくれた。メージョーは大きな道路沿いになるので、Boltで何とか車を捕まえることに成功した。この作業に1時間以上を費やした。

何とかHさんと落ち合い、懐かしい村へ向かった。村の一つの家へ行くと、かなり大がかりに食事の準備が進んでいる。Hさんと入っていくとH夫人に「準備を手伝わないなら邪魔だから出て行って」と怒られてしまう。だがAさんはその合間を縫って、しれっと準備作業に加わっている。さすが料理研究家。いや、普通の料理研究家はここまでするだろうか。実地研修で積み上げたAさんの料理は一味違うことを私は知っている。

1時間ぐらいフラフラしていると料理が完成する。同時に牧師さんが教会の日曜ミサから移動してきて、この家でまた説教をしている。更にはなぜか歌を歌い始める。歌って踊れる牧師さん、凄い。確か彼とは昨年中国語で会話して記憶もあるが、今日は忙しいので話す時間はなかった。ところで今日は一体何の会なのだろうか。ロイカトーンとは関係ないと思うのだが。

食事は前回より辛くなかった。それは今日の料理の主担当がH夫人だったから、敢えて我々のために辛さを抑えてくれたのだという。何とも有難いことだ。豚肉野菜炒め、スープ、ラープと生野菜、もち米と共に食べると、どんどん食べられてしまう。少し食べるとまた料理が追加され、満腹になっても止まない。

帰りはHさんがチェンマイまで送ってくれた。途中で急にAさんが「モンスーンカフェに行きたい」というので、3人で立ち寄った。冷たいお茶と温かいお茶を2つ頼んで3人で十分に飲めるのは有難い。オーナーのケネスがちょうどやってきたので、ここ2週間の北タイ茶旅の成果を報告、彼から貴重な情報を得ることも出来た。

因みにこのカフェの反対にピン川が流れており、昨晩はそこで大勢が集まって灯篭流しを眺めていたらしい。突然お酒も入り、ケネスは眠そうな目をこすっていたが、今日もまたあるのだろうか。そういえばHさんも昨晩コムローイ祭り会場に足を運び、格安で入場して写真を撮りまくったという。車など足のない私にはどうすることも出来ない。まあ行きたいという願望も沸かない。

チェンマイ滞在記2024その7(1)ロイカトーンのチェンマイ

《チェンマイ滞在記2024(7)》  2024年11月15日‐20日 11月27日‐12月7日

11月15日(金)日本語が聞こえる街

茶旅ツアーから戻り、かなり疲れたので休養が必要だったが、朝からパンを買い、食事に出なければならない。家々には提灯が下がっていて、ロイカトーンという感じにはなっている。昨晩手の怪我のため、薬局に行った時に気づいたのだが、我が宿の路地付近を歩く親子連れ、若いカップル、普段は全く聞こえない日本語があちこちで聞こえて驚いた。

ロイカトーンの時だけ、日本人がチェンマイに来るということが分かる。1年に1度、この3日ほどの間だけ、同胞が沢山いるという、何とも不思議な光景だった。結構な料金を払って旅行会社に依頼して、コムローイ(天燈/ランタン)フェスティバルに参加する人々。チェンマイには勿論色々と魅力があると思うのだが、これは日本人の習性をうまく利用した旅行会社の策略なのだろうか。

昼ご飯は鶏麺を食べた。やっぱり鶏肉が柔らかくてうまい。何だか激闘の旅の疲れを癒すにはもってこいの麺だった。午後はSちゃんの連絡を待っていた。彼女に貴重な資料を渡しており、コピーして返してくれることになっていたが、こんな日にちゃんとコピーできるのか、そしてそれを返しに来られるのかちょっと心配した。

彼女はバイタクに乗って悠々と戻ってきた。すごい、さすが探検部。お腹が空いているというので、そのまま近所のタイ料理屋へ行き、夕飯を取る。ここのチャーハンもスープも美味しいと言って食べていたが、実は彼女は中国人なので、「これは中国料理じゃないの?」と当然すぎるリアクションだった。全くタイ料理と言われているものの多くは、中国由来と考えていいのではないか。

その後彼女はターペー門の方へ歩き出したので、付いて行った。お堀のあたりまで来ると、花火が上がり、かなりの人が出ていた。若者が多く、自ら花火を上げているので、ちょっと怖い。何だか10数年前の危険な北京、花火が飛び交う元宵節を思い出す。お坊さんも一緒に堀を眺めていたが、とても平和な光景ではない。そこで彼女とは別れ、宿へ帰った。私はどうも祭りというものに乗り切れない。この日の夜はさすがに若者が夜中まで騒いでいた。

11月16日(土)ロイカトーンのお客

Hさんから連絡が来た。お昼にロイカトーンでチェンマイに旅行に来た日本人の会食があるという。場所はニーマンだというので、出掛けることにした。ちょうど茶旅を一緒にしたAさんをH夫妻に紹介したいと思っていたので、Aさんも誘ってみる。宿から歩いて10分ちょっとでそのレストランに着いた。

そこは庭もあり、感じの良い場所。外国人客も多い。今日に限っては日本語も結構聞こえる。かなり込み合う中、H夫妻は席を14も押さえてくれていた。何とも有難い。メンバーはバンコクから来たSさん(先日チェンマイで知り合った)と奥さん(カレン族)、子供二人、そして日本語の先生をしている男性と日本から来たそのご家族計六人となっていた。

ここの名物はカレーだという。ビルマカレーと書かれていてコクがある。他の料理もまあ美味しく、しかもそれほど高くはない。日本語先生のお父さん、鹿児島から来たというが、我々と親しく話をしてくれ、楽しい。しかも気が付かない内にこの食事会の支払いまでしてくれた。息子がいるタイに来るのが何よりの楽しみのようだ。

北タイ茶旅2024その2(3)茶畑で転倒する

11月14日(木)茶畑で

朝はすっきりと目覚めた。Aさんは毎日朝5時に太極拳をやっていると言い、Sちゃんは早々に散歩に出たらしい。私もちょっと散歩してから朝ご飯にする。ご飯を食べているとオーナーが来たので「茶畑見学は可能か」と聞くと、連れて行くと言ってくれた。これまで約18年の付き合いになるが、いつも忙しい彼とはそれほど接触はなかった。今回はメーサロン茶業に昔話をしてくれた。息子たちが成長して少し余裕が出来たようだ。

彼らの茶畑に行くのは10年ぶりだった。だいぶ広くなったように思う。品種も増えている。急斜面のところもあり、茶摘みは大変ではないか。もう少し行くとアカ族が茶摘みをしていた。なかなかいい風景が広がっている、と喜んでいたその瞬間、私は足を滑らせて転倒してしまった。雨に濡れた茶畑、靴底に泥が溜まったいせいだろうか。

一瞬のことで何が行ったかは分からなかったが、すごい勢いで登り坂に叩きつけられた感じだった。ただ起き上がることは出来たし、眼鏡も壊れておらず、額を少し擦りむいた程度だった。いや左手を地面に着いた際、かなり皮がむけ、そこから血が見えていた。オーナーは応急処置が必要だと言い、すぐ宿に戻った。自ら治療してくれたが、さすが若い頃は軍人さんだ。

ここでオーナーと別れてマーケットで買い物、そして歴史を学ぶために泰北義民文史館にちょっと寄ってメーサロンを後にした。それから山を降りていき、昼過ぎにチェンライの街に入った。チェンライでランチを食べたいというのが、Aさんの希望だったので、その食堂を探したが、なかなか見つからず、暑い中をちょっと歩いた。

そこで麺を食べた。ただ名物の豚血湯は既に売り切れており、残念だった。それでも麺が緑豆で作られた特殊麺だったので、ちょっと珍しかった。この店は創業50年近くになるようで、ほんのちょっと漢字表記が見られ、華人経営だろうと想像できた。昼過ぎでお客はいなかった。次回は朝来ることにしよう。

そこからスイルンの店を探した。2週前メイラオの茶工場を訪問したが、今回はAさんがお茶を買いたいというので、市内の店を訪ねた。2階に上がると、何とジャルワン社長のお母さんがいた。初めて会ったが、気さくな人だった。ジャルワンもオフィスにいて出てきてくれた。玄米茶のティーバッグを買って帰る。

午後ちょっとだけシンハパークに寄った。ここは過去2度訪ねたことがあるが、久しぶりに来て見るとかなり変わっていた。茶畑は減ったように見える。観光客はかなりいて、カフェでお茶を飲んでいる人が多かった。日泰合弁の茶工場も健在で、今も煎茶を作っているようだった。

約2時間走り、メーカチャンで前回会った曽老人を訪ねた。突然行ったが、老人は店にいて、歓迎してくれた。息子がお茶を淹れてくれたが、私はもう曽さんに確認したいことを聞き出すのに専念した。やはり1960年代、北タイではプーアル荒茶が作られており、バンコクで加工もされていたようだ。これを聞ければ今日は御の字。

Aさんはもち米を入れる籠を買いたいと言っていたが、街道沿いにそれらしい店が見えても、ドームは全く止まる気配がない。彼はとにかく早くチェンマイに帰りたいようだったが、Aさんも引かずに車を止めさせ、走って少し戻り、籠を探していた。なかなかいい物は見付からない。

チェンマイが近づくと渋滞が始まった。普通は渋滞などないチェンマイだが、明日と明後日ロイカトーン、年に一度の大きなお祭りなので、既に前夜祭的な人の動きが見えられた。Sちゃんのホテルに寄り、次に私は自分の宿で降りた。渋滞は続いており、いつもより30分以上時間がかかった。更にAさんの宿に辿り着くまで1時間かかったらしい。

今回は2泊3日、ちょっと時間的にきつかったが、いい旅だった。と思ったが、部屋でシャワーを浴びようとすると、何と頭が切れており、血で髪の毛が固まっていた。どうやら茶畑で倒れた際、頭を打ち、本人は平気だと思っていたが、実は頭がふらついていたようだ。今年2回目の死に損ない、まだ生きていてよいということか。

北タイ茶旅2024その2(2)ドイプーメンからメーサロンへ

夕飯は前回同様ラフ族の茶葉料理が中心。向こうにはフランスのお茶好きさんツアーがテースティングなどしており、オーナーのヨックが付き添っている。明日の朝はこのツアーと一緒に古茶樹を求めて山登りらしい。フランスのお茶好きもかなり気合が入っている。この宿で売っていた茶葉もいくつが売り切れていて買えなかった。食後は暗い中、ちょっと散歩に出たがすぐに引き返した。

11月13日(水)ドイプーメン、メーサロンで

朝起きて少しだけ散歩した。既に11月、前回よりも涼しくなっていた。Sちゃんも散歩していたようで、途中ですれ違った。それから朝ご飯の粥を食べていたが、Aさんは姿を現さない。何とまた別の朝市に行き、嫌いな犬を避けるため、かなり苦労していたらしい。料理の道を究めるのも険しい。

今回はすぐにドイプーメンを目指して山道を上がっていく。途中で大木が倒れたらしく、道が一部塞がっていたが、なんとか車が通れる幅を確保して、通り過ぎた。恐らくは9₋10月の雨の影響だろう。やはり山路は何があるか分からない。それでもさほど遅れずに村には到着した。

これまで何度かここへ来たが、今回訪ねた家はこれまでと違っていた。料理研究家が料理を見たいと言ったので、料理上手な女性の家になったのかもしれない。既に準備が始まっており、早々Aさんはその作業に加わった。我々はタマダーの茶をすすりながら、ダラダラしている。

するとSちゃんも活発に動き出した。何と彼女は大学時代に探検部に入っていたそうで、実は海外の秘境などへも足を踏み入れていたという。とすれば、ここは彼女にとっては願ってもない土地だ。生き生きと出歩き、写真を撮り始めた。Sちゃんのイメージが一変した瞬間だ。これではお父さん(知り合い)も心配するわけだ。

そして前回同様ドームの兄が住む場所へ登っていく。私はもう慣れたのだが、番犬が4匹ものすごい勢いで駆け下りてきて、犬嫌いのAさんを震え上がらせた。お茶を飲みながらプーアル茶などを見て過ごしたが、何と彼ら夫妻はもうすぐにビエンチャンに働きに行き、2₋3年は留守にするという。これはちょっと残念なお知らせだが、ビエンチャンに会いに行こう。

ランチのために先ほどの家に戻ると全てが出来上がり、帰りを待っていた。相変わらず美味しいご飯を食べて、満足。食後の運動として?茶摘みを少しして、鍋で炒青、ござの上で揉捻して、製茶体験も行った。茶畑の写真を撮りに行くと、フランス人団体が大勢歩いてくる。本当にフランス人はここが好きだな。

ドイプーメンを離れ、メーサロンへ向かう。今回はミアン村には行かないので、時間が余る。Sちゃんがお寺へ行きたいというと、ドームは自分の知っている寺に連れて行く。ちょっとした山の上で、向こう側に川を挟んでミャンマーが見える。その昔国民党の人々は山越えして、この付近からタイに入ったと聞く。お寺はかなり立派で見学に時間を要する。

日が傾き始めた頃、メーサロンの手前まで来るとAさんがカフェでコーヒーを飲みたいという。こんな国境沿いでカフェなんて、と思っていたが、検索するとちゃんと出てくる。しかもそのカフェが意外としゃれていて驚く。料金は高くないので、何とも有難い。ここでしばしまったり。

日暮れが迫る頃、メーサロンの宿に着いた。ここは定宿なので勝手は分かっている。夕飯を食べようと食堂へ行くと、オーナー夫妻が現れ、旧交を温めた。更には初めて会う長男、次男も来ており、今晩は一家の集まりのようだった。烏骨鶏のスープやシイタケなどを美味しく頂く。

オーナーに明日茶工場を見せてとお願いすると何と「明日製茶はないが、今やっているので行こう」と言われ、突然車で工場へ向かった。実に久しぶりに製茶現場に遭遇してワクワク。Aさんは、このお茶屋をインスタでフォローしていると言い、大喜びだった。工場で試飲するお茶はまた格別だった。