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北京及び遼寧茶旅2019(1)北京にて

《北京及び遼寧茶旅2019》  2019年12月10日-22日

10月Hさんに誘われて北京に行った。それはイベント準備の手伝いだったが、そのイベント本番が12月にあり、そこにもお呼ばれした。一行は香港から北京入りするのだが、私だけ東京から向かった。更にイベント後は秦皇島、営口、瀋陽などを回る予定を立て、2年連続極寒の東北へ向かった。

 

12月10日(火)
北京へ

昨晩名古屋から戻り、荷物をまとめた。東京が寒いと言っても10度以下という程度だが、北京更には瀋陽となると、氷点下10度台は覚悟しなければならない。しかし荷物が多いのも動きにくいので、少し悩む。北京の天気予報は零度前後で温かいようで、東京も昼間は10度以上あったので、余り厚着をせずに出た。

 

空港もそれほど混んでおらず、スムーズだった。エアチャイナの食事は和のテーストでまあまあだった。北京空港に着くと、飛行機を降りたゲートの所にホテルの人が待っていた。今回はまさに特別待遇、ホテルカーで送ってもらえたのだが、まさか飛行機を降りたところから先導が始まるとは思ってもいなかった。またこのようなサービスがあることも知らなかった。そして空港の外へ出ると、車が待っており乗り込んだ。

 

さすがに渋滞があり、1時間半ほどかかってホテルに到着する。香港から来たHさん一行は団体だったこともあり、かなり予定より遅れて到着していた。ホテルに入る時、スーツケースをボーイが持ってくれたのだが、何と取っ手が壊れてしまった。バンコックで買ってわずか半年のイタリア製。壊れるにしてもちょっと早過ぎだろう。直ぐに専門の人が派遣され、修理が行われた。この辺は五つ星ホテル、手際が良い。

 

既に夜7時を過ぎており、レストランへ行くと、明日のイベントのためのミーティングを兼ねて夕食が始まる。私は立派な海南チキンライスを食べる。主催者はかなり緊張しており、色々と細かい心配をする。普段は大雑把に見える中国人だが、オーナー絡みの大イベントとなると話は俄然違ってくる。

 

その後、一行はホテルのバーに移動して、練習を兼ねてスタンダードジャズを演奏した。これが思っていたよりもずっと上手で驚く。特にインド系女性のクラリネットは目を引いていた。思わず体を揺すって聞き入ってしまった。バーの客も突然現れたバンドに拍手を送っている。自分の好きな曲をリクエストする輩まで出てきて、盛況に終わる。

 

12月11日(水)
イベントにて

翌朝朝ご飯を食べに行ったが、メンバーは誰もいなかった。若者が多く、遅くまで起きていたらしい。私はショッピングモールの茶荘へ行って茶を飲み、それからモール中心部へ向かった。そこでは昼の準備が進んでいた。ここでもジャズの練習会が行われる。折角だからと、モールに一番人が集まるランチタイムに行われた。ジャズをあまり知らない私でも知っている名曲が次々に流れ、思った以上に中国人が足を止め、聞き入っている姿があった。中には子供と踊り出すおじさんまでいた。如何にもジャズが好きなんだと思われる若者もいた。

 

昼ご飯を食べたら、すぐにイベント準備となる。今日は香港の某企業の開業50周年記念パーティーがあり、そのレセプション時に、またジャズが流れることになっていた。初めはちょっとしたパーティーかと思っていたのだが、ふたを開けてみると500人を超える参加者があり、ボールルームは大盛況。その中で、約2時間に渡り、お客さんを迎える演奏をしたバンドはエライ。というか、休みなしでこんなに長く演奏できるなんて、何ともすごいスパルタ練習会だった。

 

パーティーにも参加させてもらったが、ご馳走がどんどん出てくるが、従業員や子供たちの合唱などもあり、企業オーナーの人となり、そして企業の歩みが分かり、とても興味が沸く。ここには中国各地の企業スタッフ・関係者が多く集まってきており、82歳のオーナーは2時間余り殆ど立ったまま、一緒に記念写真を撮ったり、挨拶を受けている。この年齢でこの対応は正直凄い。経営者とは大変なのだ、きっと。

 

更には二次会もあるというので、昨晩のバーへ行ってみると、既にオーナーや親族が奥に座っていた。そこへ大勢の人々が引っ切り無しに訪れて、再度お祝いを述べ、何やら話をしている。我々は特に用事はなかったので、すぐに退散して部屋で、ふろに入り、大いにくつろいだ。

名古屋茶講座の旅2019(2)名古屋三昧

今日は午前中、『鉄観音茶の歴史』を話した。名古屋も熱心な方が多い。参加者の中で、珍しい鉄観音茶を持ってきてくれた人がいた。パッケージは中国福建の鉄観音だが、台北の恵美寿の文字があり、それを大阪の茶商が輸入して日本で販売されていた。ああ、これが台湾で聞いた大陸鉄観音茶だ、と分かってとても面白い。

 

お昼はTさんがご飯を作ってくれ、それをご馳走になる。Tさんの料理は常に美味しいので、食べ過ぎてしまい、眠気も出て、午後の講座に支障が出る。午前と午後に2時間合間があるので、数人で雑談会も開催する。皆さん、色々と茶の歴史に関する疑問を持っているので、質問もなかなか難しい。

 

午後は本邦初公開の『東台湾茶の歴史』を話す。これは今年1月に訪ねた宜蘭、花蓮、台東の茶旅を中心に、これまでに歩いて調べた東側の台湾について報告した。今では蜜香紅茶や紅烏龍などがブランド化され、注目されるようになったが、その歴史を話す人はほとんどいない。

 

私の講座内容は、先ず私的勉強会で話してみて、分かりにくい点などを修正してから、一般公開となるのだが、今回はTさんの要望もあり、ぶっつけ本番で実施した。その結果はやはり時間的なバランスも良くなく、内容にもばらつきが出て、私としては満足できる内容ではなかった。やはりもう少し練ってから話すべきだったと後悔する。

 

参加者の中には、わざわざ静岡から来てくれたMさんがいた。私が今調べている台湾の製茶試験場を作った男、藤江勝太郎の故郷に住み、藤江について関心を持っている方だ。来年は静岡森町で、藤江についての報告会が出来ればよいな、と考えている。名古屋にはご当地ネタ、無いのだろうか。

 

今回は夜の懇親会などは開催せず、Tさんと二人で夕食を食べることにしていた。Tさんは明日早朝から海外に出るのに、忙しい中付き合ってくれた。実は講座を何度も主催してくれているのだが、ゆっくり話す機会がなかったので、ちょうどよかった。Tさんについての理解が深まる。

 

連れて行ってもらったのは、洋食屋さん。名古屋三昧という定食があり、エビフライから手羽先、みそカツまで、凄いボリュームで名古屋が載ってきた。どう考えても若者向きの量なのだが、家族連れなども多く、知る人ぞ知る名古屋の穴場らしい。これには大満足、Tさんご馳走様でした。

 

12月9日(月)
春日井で

翌朝、宿をチェックアウトして、荷物を持って名古屋駅へ。乗る電車は昨日と同じ、中央本線だった。千草までは10分だったが、勝川駅までは18分。春日井市は思ったより近いところにあった。駅で迎えてくれたのは、お茶研究会のMさん。初対面だが、既に私の書いたものなども読んでおられ、勉強熱心で、今回お声を掛けてくれた。

 

会場は、普通の住宅地の中にあり、連れてきてもらわないと分からないところ。皆さん、遠くは1時間以上かけて、車で通ってこられているそうだ。多くが主婦などで、平日の昼間の都合の良い方々だった。中に一人、昨日の講座にも参加された方がおられ、その熱心さには驚く。また中国などの駐在経験のある方もおられ、中国茶に親しんでいる方も多い。

 

話をする前に、既に主催者の方から、たくさん質問が飛んできて、驚いた。そして相当にネット検索などで情報を集めていることも分かった。『台湾茶の輸出は東方美人から始まったのか?』『台湾茶の始まりは原住民?』など、予想もしない問い掛けもあり、ビックリする。なるほど、世の中にはいろんな情報が出回っていることがうっすら分かって面白い。

 

今日のお話は『台湾高山茶の歴史』だった。これは主催者がチョイスしたものだが、果たしてどこまで満足感が得られただろうか。また皆さん、お忙しい方も多く、講座の途中でお昼ごはんの弁当が配られ、それを食べながら話を聞いていた。私だけが話が終わった後に弁当を頂くというこの形式、個人的にはちょっと残念だった。

 

帰りに有志の皆さんと駅前でお茶をしながら(ケーキも食べる)、更に話を進めた。私が書いたこと、調べたことが全て正しいなどというつもりは毛頭ないので、説明に大きく頷かれると、こちらがビビってしまう。どこまでを鵜呑みにして(知識として覚える)、どこからを疑うのか、これは実に難しい問題だ。ただ現地に行っているから分かるというものでもないし、でも行った方が感覚は掴めるのだ。

 

名古屋駅まで戻り、新幹線に乗り込む。参加者の一人は何と新所原から来られており、新幹線で豊橋まで帰るというのでまた驚く。私などは名古屋から掛川でも在来線で行くだろう。というか、本当は帰りもJRバスで帰りたかったのだが、明日から北京なので、さすがに体の負担が少ない交通手段にした。

 

品川まで1時間半で着いてしまうのは、私にとっては、本を読むにも、何かを考えるにも実に中途半端だ。結局ボーっとしているうちに降りることになり、何となくもったいない気がする。電車の中は、私がもっとじっくり本が読める場所だからであり、今回は行きのバスの中でも松下先生の『アッサム紅茶文化史』を熟読して、テンションがかなり上がったものだ。さて、明日は極寒の地へ向かう。果たしてどうなるのだろうか。

名古屋茶講座の旅2019(1)名古屋で

《名古屋茶旅2019》  2019年12月7日-9日

4日前に九州・大阪の旅から戻ったが、すぐにまた名古屋に向かう。お声がかかるのは何とも有り難いことであり、出来る範囲で希望には応えたいと思っている。名古屋は今年2月に伺ったばかりではあるが、話したいことも増えてきているので、若干無理な日程の中、出掛けていく。

 

12月7日(土)
名古屋で

4日前、新幹線で大阪から東京に向かう際、名古屋を通過した。本当はここで降りたかったが、そうもいかずに通り過ぎたので、もう新幹線で名古屋へ行く気はなかった。静岡にも用事があったが、タイミングは合わず来年に持ち越し。それではと、昼間のバスで向かうことにした。バスは空いており、ゆったりと座って行けた。

 

バスタ新宿を昼に出たバスは、途中2か所で休憩して、夕方6時前に名古屋駅に到着する。普通の人なら、日中に5時間以上かけて移動するのは無駄に思えるだろうが、旅が専門の私にとっては、料金は新幹線の約半額で、色々と景色も眺められるので、悪い話ではなかった。天気の良い冬は特に富士山がきれいに見える。今日は土曜日なので、サービスエリアも賑わっており、土産や食べ物なども少しチェックする。

 

JRバスは名古屋駅脇に到着するから移動に便利だ。本日予約したホテルまで歩いて5分、ここは今工事中であり、料金は比較的安かったが、部屋は非常に狭かった。まあ、寝るだけなら問題はなく、テレビでもあれば退屈も凌げるので良い。電気ポットがなく、湯は給湯器で汲むのだが、紙コップなので持つのが熱くてちょっと面倒だった。

 

名古屋駅でIさんと再会した。今年2月に犬山市に彼を訪ねて以来だった。香港で一緒だったのは、もう25年も前になる。北京で再会したのも20年も前になる。その後も断続的に連絡が続いていたが、最近会う頻度が上がっている。今回はもう一人の香港仲間のUさんと3人で、と思っていたが、それは叶わず次回に持ち越し。

 

Iさんが予約してくれた駅から歩いて5分ほどのビルの上にある居酒屋に入り、四方山話に花が咲く。この居酒屋、食べ物は悪くないのだが、何だかすごく混んでおり、厨房も接客も明らかに手が回っていない状態だった。我々が注文した鍋は味がないな、と思いながら食べていたら、若い店員が『これを忘れた』と言って、つゆをポンと置いて行く。すみません、の一言すらない。何だかな、もう少し言いようもあるだろうに。近頃の若者は、などと言うつもりもないが、おもてなし日本はすでに過去のものではないだろうか、とふと思ってしまった。

 

12月8日(日)
茶心居で

翌朝は、朝ご飯を食べに、宿近くのコメダ珈琲に向かう。これまで名古屋には何度も来たが、恐らく名古屋のコメダに入るのは初めてだろう。日曜日のせいか、それほど混んではいない。駅近いこともあり、外国人観光客がチラホラみられる。そして店員は殆どが外国籍だと思われる。

 

コメダに来たのは先日台北のコメダに入ってみたので、その違いがあるかどうか確認する意味もあったのだが、違いは殆どないように見えた。珈琲の味も特に変わらない。料金は台北の方が少しだけ安いかもしれない。小倉トースト、これはやはり美味いように思う。時間があれば、ここでダラダラしていたかった。

 

2月も開催された名古屋、茶心居での講座。これまでは公民館を使用していたが、今回は茶心居の新店舗が会場となった。私は行くのが初めて。前の店舗ともそうは離れていないと聞いていたが、検索すると一番近いのはJR中央本線に乗って行くと出ている。これまでは地下鉄かバスだったので、ちょっと意外な展開。しかも地下鉄よりJRの方が安いらしい。

 

名古屋駅からJRに乗り込む。日曜日だからラッシュはない。千草という駅まで行く。駅前を歩いていると、元祖台湾カレーの文字が見える。台湾カレー、初めて見るネーミングだ。名古屋には奇怪な台湾ラーメンなる、台湾にはない辛いラーメンがあるが、カレーまであったとは。台湾のカレーは日本からの輸入品が始まりだと思うのだが、どうだろうか。そういえば、台湾うどんという看板も目に入った。正直名古屋では『台湾と付ければ何でもよい』という風潮でもあるのかと、ちょっとびっくりする。恐らく台湾人もビックリだろう。

 

歩いて10分ほどの住宅街の一角に新店舗はあった。前の店と異なり、一見ここはお茶屋かと思う作りであり、お茶や茶器もあまり並んでいない。店主Tさんによれば、どちらかと言えばイベントスペースとして使っていきたいらしい。10数人は入れるので、確かに勉強会などには適しているかもしれない。ただ日が当たる時間帯はシャッターを閉めるので、秘密結社感もある?

九州茶旅2019(4)大阪民博で客家の勉強を

そして搭乗時間となり、お別れ。ピーチの関空行き最終便は意外と混んでいた。搭乗に手間取り出発は少し遅れた。それでも1時間後には到着する。ピーチが着いたターミナルから、電車の駅までシャトルバスで移動して、何とか11時の電車に間に合った。この電車に乗らないと、終電まであと僅かだった。

 

ラピートは、特急料金がかかったが、既に深夜なので早く着くに越したことはなく、料金を払った。乗車ギリギリだが、窓口で買ったら割引があるというので並ぶ。難波まで行っても、天下茶屋で降りても、料金が同じというのは腑に落ちなかったが、とにかく急いで乗り込んだ。ガラガラなので指定席も意味がない。いや、むしろ座席を探す方が手間だった。

 

時刻検索で見ると、今晩予約した宿は難波まで行くより、天下茶屋で堺筋線に乗り換えて長堀橋駅へ行く方が早かった。ただ最終電車なので乗り過ごすことはできない。堺筋線に乗ろうとしたら、酔っ払いの若者がホームで吐いている。何だかそれを見て『日本だな』と思ってしまう。

 

大阪のホテルは2-3年前まで非常に高騰しており、予約も取り難かったが、その後新しいホテルが雨後の筍のようにできており、9月に来た時久しぶりに泊まると、地方都市より安くてサービスがよい所まで逆転してきていた。今晩の宿も地下鉄駅の真上で、真新しく、深夜なのに若い女性が勤務しており、対応がとても柔らかい。今回は寝るだけなので部屋は簡素だが、簡単な朝食も付いて1泊4000円代とは、素晴らしい。

 

12月3日(火)
民族博物館へ

昨晩遅く寝たので、ゆっくりと起きる。午前9時前に軽く朝食を食べようと食堂に行くと、いたのはほぼ外国人。中国語やタイ語が聞こえてくる。意外と食べ物もあった。掃除のおばちゃんが私に向って『サンキュー』と言ったので、日本人だと告げると、とても恥ずかしそうに去っていく。

 

10時にチェックアウトして、荷物を持って地下鉄に乗り、懐かしい梅田駅前のビルに行く。ここはいつも講座を開催してもらう場所であり、さすがに迷わず来ることが出来た。今日は民族博物館で客家のお勉強の会に参加する。その主催者で台湾擂茶を商っているMさんと合流してランチを食べることにしたのだが、指定された場所はこのビルの地下の洋食屋だった。

 

集合時間は何と10時50分。なぜこんなに早いんだろうか。いくら民博が遠いとしても早過ぎる。行ってみると既にMさんだけでなく、講座主催者でお世話になっているM女史など4人が集まっており、店の前で並んでいる。そして10分前には他に数人並ぶではないか。『予約はできないし、11時過ぎに来ると席がないんです』、ちょっと驚き。

 

11時に店に入ると既に注文してあったので、すぐに定食が出てきた。Mさんはステーキしか食べないと言うが、私はさっき朝ご飯を食べたばかりなので、ハンバーグなどにしてみた。確かにボリュームもあって、美味しい。ふと周囲を見ると、既に席は埋まっており、外には列が出来ていた。

 

それから重い腹を抱えて、荷物も引いて、梅田から千里中央に向かう。千里中央と言えば、35年前、大阪外大との定期線で2回、訪れた場所だが、それ以来来たことはなかった。妙に懐かしい。そこから更にモノレールに乗り継ぐと、万博公園駅に着く。駅からあの太陽の塔が見えるだけでワクワクした。

 

大阪万博から50年が経つ。国立民族博物館は、その公園の敷地内に建てられていた。今日は民博で客家研究をしておられる先生のお話を聞く予定だが、その前に、膨大な展示の一部を見ることにして、荷物をコインロッカーに預け(館内のロッカーは無料)、館内を回り始める。ついでに本などの資料も探してみる。

 

2時になると参加者10数人が集まり、K先生の先導で、館内のアジア、特に中国、華人関連の展示の説明を受けながら見学する。お茶に関する展示は殆どないのだが、華人や客家に関する説明は勉強になる部分があった。またここは、博物館だが、博士課程の大学院生もおり、研究員は教授や準教授の肩書も持っているというのがユニークだ。

 

そして会議室で、参加者が先生に質問する時間がやってきた。皆さんそれぞれの角度で、疑問をぶつけ、先生がそれに答えていくという、ある意味で非常に効率的な形式で行われた。最後に私は『台湾擂茶は客家の伝統文化か』と『広東客家が台湾に茶業を持ち込んだ可能性はあるか』という2つの質問をしてみた。擂茶を商うMさんからすると、ドキッとする回答だったが、真実は真実、商売は商売だろう。客家についても益々興味が沸く内容だった。

 

既に夕暮れが近づいていた。私はこれから東京へ戻らなければならないので、新大阪まで出て、新幹線に乗るべく、皆さんと別れた。駅で駅弁を買って乗り込み、それを食べてからウトウトした。そして来年の計画を考える。やはり少し東南アジアにシフトして、茶商だけではなく、華人や客家について勉強しようと思った。

九州茶旅2019(3)佐賀で講座、そして福岡経由で

12月1日(日)
佐賀で

朝はゆっくりと起き上り、ゆっくりと宿の朝ご飯を食べた。ここのご飯はかなりの種類があった。食べている人を見ていると、中国人やら他の外国人も何人かいた。中国人が納豆を食べる姿はちょっと不思議。何故鳥栖に外国人が泊まるのか、それは謎だった。どこか見るべきところがあるのだろうか、それとも何か買うのか。

 

10時前に宿を出て、佐賀に向かった。駅舎はかなり古く、小さかった。昨日の事故の影響は既になく、定刻に出発し、30分で佐賀に着く。残念ながら今回も吉野ケ里遺跡にはご縁がなく通り過ぎた。と言ってもここの駅から遺跡入り口まで歩いて20分以上かかると聞くと、簡単には行けない。

 

駅には講座の主催者、Oさんが待っていてくれており、車で会場である彼の店に行く。店の周囲ではイベントがあり、駐車場が満員で遠くまでに停めにいく。まずは簡単に準備してから昼ご飯に行く。その店には期間限定のラーメンがあり、今はなすとカボチャラーメンだったので、それを注文する。思ったよりずっとカボチャが合っており、美味しくてちょっと感激する。

 

今日は昨日の熊本と同様、可徳乾三について話をした。午後から雨になり、生憎の天候の中、皆さん熱心に集まってくれた。正直同じ九州でも熊本と佐賀は違うので、どこまで興味を持ってくれるのか心配したが、それは杞憂に終わり、かなり反応は良かった。参加者はお茶関係者が多かったが、かなり意識の高い方がおり、同じ九州人ということもあってか、多くの質問が出た。

 

講座終了後、有志で懇親会も開かれ、その席ではさらに活発な茶の歴史談義が繰り広げられた。わざわざ熊本から来てくれた茶農家さんもいて、驚いた。お酒を飲まない私でも、話題が興味深ければ楽しく過ごせる。お茶を作るにも、販売するにも、歴史や文化を知っている方が有利である、ということは間違ないだろう。ただそれを学ぶ心の余裕が持てるかどうかであろうか。

 

今晩は駅の近くの以前も泊ったホテルに投宿した。明日も講座があるので、その準備もあり、部屋でPCを開いていると、かなり大きな音がした。雷が鳴っている。季節のはずれの嵐か。それとも明日の波乱の予兆か。

 

12月2日(月)
佐賀から福岡経由大阪へ

翌朝は雨だった。宿の朝ご飯は昨日よりさらに充実していたので、ゆっくりと味わう。それにしても毎日朝からコメを食い、おかずをたらふく食べているから、どんどん太っているように感じられ、体は重い。そろそろどこかでダイエットが必要だと突き出した腹が言っている。

 

雨が止んだので、とにかく腹ごなしに散歩に出た。昨年も散歩しているので、特に目的なく歩いていく。道路に水が溜まっているから、昨晩はかなり降ったのだろう。ふと見ると横をバスが通り過ぎたが、そこには福岡空港行と書かれているではないか。今日は講座終了後、福岡空港経由で大阪に行くのだが、このバスでいくのがよいのではないかと思い、駅まで行って時間を確認した。やはり電車を乗り継ぐより早くて便利らしい。お土産に佐賀名物のぼうろを買う。佐賀はなぜか菓子がうまい。

 

今日もOさんが迎えに来てくれ、お店に行く。月曜日は定休日だが、講座のためだけに使用する。この付近は古い昔の街並みが残されており、雰囲気がよい。近所に古い建物を利用した映画館があり、そこでランチもできるというので行ってみたが、ご飯は食べられなかった。すぐ近くのラーメン屋で食べる。佐賀ラーメンというのは、高菜?食べ放題で、あと生卵を入れるのが特徴だと言われ、食べてみる。

 

午後の講座は昨日に続いて参加してくれた人もおり、またタイで知り合った人、四川で知り合った人など、熊本や福岡からも来てくれ、平日にもかかわらず有難い。今日は『台湾茶と日本の深い繋がり』について話をする。特に日本統治時代の茶業の取り組みや、昨日の可徳も係わった初期台湾紅茶の歩みなど、台湾でも知られていない内容が多かったが、果たしてどの程度、関心は得られただろうか。

 

講座終了後は、車で駅まで送ってもらい、朝調べておいた福岡空港行バスに乗り込む。乗客は少なかったが、途中数か所でお客を拾ってから高速道路を通って、特に渋滞もなく、約1時間20分で空港までやってきた。これなら確かに荷物を持って電車を乗り継ぐよりは便利だ。

 

空港には福岡在住で、昨日の講座にも来てくれたYさんが待っていてくれた。午後9時の最終便を予約しているので、まだ3時間ほどあり、夕飯を一緒に食べてもらうことにしていた。博多は食べ物が美味しく、毎年一度は必ず来ると誓っていたが、今年は空港だけになってしまった。

 

空港内にも飲食店はいくつもあったが、博多名物と言われるものは多くはなかった。それでもYさんともつ鍋を食べると、笑顔になれる。次回は福岡でも講座が出来ないだろうかと真剣に思うのだが、なぜかご縁は訪れない。国内線なので食事をしても時間はあまり、更に珈琲を飲みながら話をする。

九州茶旅2019(2)三友堂、そして合志で

11月30日(土)
三友堂へ

久しぶりに泊まった東横イン。昔はあまりよい印象がなかったが、最近はいくつか改善したようで、悪くはなかった。無料で提供される朝ごはんも以前はおにぎりとみそ汁だけだったような気がするが、今日はいくつか選択の余地があった。何よりここは駅の横にあるのが便利だった。

 

今日は合志市で行われる講座に出掛ける訳だが、最後の最後まで調べようと思い、可徳乾三が130年前に設立した茶舗を訪問することにしていた。熊本駅前からバスに乗れば一本で行けるらしい。ただその本数は多くはなく、もし乗り間違えると訪問できなくなるので結構緊張する。駅前のバスは思ったより多く走っているので、目を凝らす。

 

何とかバスに乗り込む。30分ほどでバスを降り、少し歩くとお寺があった。見性寺、そうか、ここが可徳乾三の法要が行われた寺だと知る。そのすぐ近くに三友堂はあったが、その店舗は思ったより小さかった。店主のKさん夫妻が迎えてくれる。聞けば熊本地震で仮店舗での営業を余儀なくされているという。

 

ここ三友堂は1887年(1889年の説もあり)に可徳乾三他2人により設立された老舗茶荘で、往時はシベリア向けの茶を大量に輸出していた。球磨地方などから沢山の茶が運び込まれていたという。可徳はシベリアビジネスに失敗した1908年頃には経営から手を引き、Kさんの祖先が引き継いだが、その後も発展を続けていた。

 

以前の店舗の写真を見ると間口も広く、従業員も沢山いたが、昭和28年の大洪水で茶葉を失い、その補償のために店舗を売り、縮小したらしい。可徳の名前が入った看板があるとのことだったが、残念ながら今は見せられる状態にないとのことだった。戦後宮本常一もこの店を訪れ、民族学の研究をしていた。現在の店主は茶商だけではなく『茶葉の鑑定』などで有名だという。

 

もっとお話を聞きたかったが、講座の時間が迫っており、ここから熊本鉄道に乗り、終点の御代志という駅まで行く。駅は本当に簡易で、その昔の江ノ電を思い出してしまった。二両編成の電車が何とも良い。天気が良いので、車内は温かく、転寝しそうになる。30分ほど揺られていく。

 

合志で講座
駅に着くと今回の主催者市議会議員のUさんが迎えに来てくれ、会場である合志図書館に移動した。ここは前回もつれてきてもらったが、立派な施設であり、今日はその一角を使い、可徳乾三の話をさせてもらう。会場には歴史好きの方やお茶関係者などが集まってくれた。中には台湾埔里でお世話になった日本人Yさんのお知り合いも駆け付けてくれていた。Yさんは熊本出身だったので連絡してみたところ、声を掛けてくれたようで、何とも有り難い。

 

可徳乾三はここ合志の生まれであるが、完全に歴史上は埋もれてしまった人物。その生涯とゆかりの地を追った話は地元の人にはどう映っただろうか。講座終了後、参加者から『合志の人々が戦前多く外国に出ていたことは聞いているが、具体的な話を知ることが出来た』などと言ってもらえたのは良かったが、もっと詳しい話を期待されていたかもしれない。

 

そして昔、熊本ではロシア語や中国語が出来る人は沢山いたという話も出るなど、こちらも色々と勉強になった。次回は可徳本家などから話が聞けるとよいのだが、どうだろうか。因みにほとんどお話もできなかったが、会場で紅茶を淹れてくれたのは、人吉出身の女性で、手作り菓子とお茶のお店をやっている方だったが、何とトルストイ翻訳の第一人者、北御門二郎氏のお孫さんだという。この方は就農しながら翻訳したと言うが、お茶も作っていたのだろう。やはりご縁がある。

 

帰りは高校の先生の車に乗せて頂き、上熊本駅まで行った。車中でも様々な歴史の話が出てきて面白かった。やはり私の対象はお茶好きではなく、歴史好きとの会話ではないだろうか。話も広がるし、各地方の知らないことも沢山けるのがよい。駅からJRの在来線で、一路鳥栖を目指す。

 

この路線は以前も乗っていたので、安心して寝落ちる。いつの間にか冬の田園風景が暗くなっていく。荒尾あたりに着くと、ちょうど台湾紅茶に投資した日本人の末裔からメッセージが来た。彼の先祖も荒尾の出だったことを思い出す。この車両は長距離用ではないので、ずっと座っていると腰が痛くなってくる。1時間半の旅、最後は久留米で急行に抜かれるというので乗り換えて態勢を変えた。

 

鳥栖駅に着くと、長蛇の列が出来ていた。何と佐賀、長崎方面の電車が止まっており、払い戻しなどを求める列だと分かった。普通なら佐賀に泊まるのだが、今晩は禁煙部屋が確保できず、ちょうど鳥栖に泊まることにしていたので、助かった。駅のすぐ近くの宿を予約してもらっていたが、そこの設備・サービスは料金の割にはちょっと・・??とても腹が減っていたので、近所のモールでかつ丼を食べたが美味しいとは思えない。ちょうどサガン鳥栖は残留争いをしており、ホーム最終戦がここのスタジアムで行われていたようだが、どうなったろうか。

九州茶旅2019(1)阿蘇で突然通訳を

《九州茶旅2019》  2019年11月29日-12月3日

九州には1年に一度は行きたいと思っている。昨年6月に熊本、佐賀を旅したが、今年は7月に沖縄に行った。そしてここ3年間でまとめた『九州茶をシベリアに売り込んだ男』の話をついに地元熊本で話す機会を得た。ついでに佐賀でも話す。そして何だか福岡経由で大阪まで飛んでしまった。いつもながら予測不能な旅だった。

 

11月29日(金)
熊本へ

偶にはマイレージを使って国内線に乗ってみようと思った。羽田‐熊本の片道だからそれほどマイルを食うわけでもない。そしてよく見てみると、私には毎年アップグレードポイントなるものが付与されているのだが、今まで一度もアップグレードしたことがなかった。国内線だとちょうど持っているポイントでアップグレードできたので、プレミアエコノミーというのに初めて乗る。

 

座席は一番前。少なくてもここ10年、飛行機の一番前の席に乗った記憶はない。座席もまあまあ広くて快適。そのうえ、国内線エコノミーではドリンク一杯しか出ないのに、軽食まで登場した。乗り込んだらすぐに寝ようと思っていたのに、眠れなくなる。だが実はもう一つ眠れない要因があった。

 

若いCA二人が、私の斜め前でずっとおしゃべりしていたのだ。これまであまり見たことのない光景だった。カーテンの陰というならまだ分かるが、私が見える位置でだから驚いた。そして年配CAが来たので収まるかと思ったが、止めさせようともしない。確かにプレミアム席は空いていたから、やることはなかっただろうが、日本の航空会社もアジア化が始まったか。

 

ほぼ定刻に熊本空港に着いた。先日のウラジオストクのフライトと時間はほぼ変わらない。この空港、3年前に台風直撃の中、成田に向かって飛び立ったことはあるが、降り立ったのは初めてだ。そしてここで35年ぶりの再会が待っているはずだった。大学の1年先輩のTさんは熊本出身で卒業後は地元に帰ったとは聞いていたが、その後全く連絡を取っていらず、今回電話番号を聞いて連絡したところ、わざわざ空港まで迎えに来てくれるというのだ。

 

事前に最近の写真ももらっていたので、問題なく分かるだろうと思っていたが、何と出口で通り過ぎてしまったらしい。その原因の一つは、明日からちょうどハンドボール女子の世界選手権が熊本で開催されるそうで、私のフライトにもフランス語を話す選手たちが乗り込んでおり、彼女らを歓迎する人々が多かったからだろう。電話をかけてようやく再開にこぎつける。

 

Tさんの車に乗り、お互いの35年を埋めようと話し始めたが、それは簡単な作業ではなかった。卒業後のTさんの波乱万丈の展開だけでも今日中に終わりそうもない。それほど長い時間会っていなかったのに、一瞬にして昔に戻れるのはすごいと言わざるを得ない。下宿で一緒にご飯を食べたことなど、色々と思い出して、若かりし自分が蘇る。

 

周囲は既に暗くなりかけていたが、折角だからと阿蘇方面を走り、写真を撮ろうとしたが、残念ながら暗すぎて見えなくなっていた。それから田楽を食べようと、高森というところにある雰囲気の良いレストランに入った。囲炉裏がいくつかあり、そこで肉を焼いて食べた。向こうでは中国語も聞こえてきており、観光客もいるようだった。

 

いつの間にかお客は皆帰ってしまい、我々だけが話を続けていた。話しは尽きないのだ。ところが突然店の人が騒ぎ出し、こちらに向かって『車をぶつけられたみたいです』という。意味不明ながら急いで駐車場へ行くと、暗がりの中で、Tさんの車に別の車が微かにこすったらしい。

 

その運転手は日本人ではなかった。顔を見てすぐに中国語で話しかけると、相手は台湾人であり、彼らも店の人も言葉が通じたのでホッとしている。台湾人は高齢の両親を連れており、お父さんの具合が悪いので、一度宿に送ってから戻ってくるというが、律義に一人は残っていた。私は車を運転しないので、こういう処理には全く疎く、言葉が出来てもなかなか捗らない。

 

警察もやって来て現場検証と確認が始まった。若いお巡りさんは『いやー、助かります。多いんですよ、外国人の事故が』と言い、いつもは携帯アプリで会話していると告げた。レンタカー会社もちゃんと中国語対応の体制は出来ており、様々あったが何とか解決した。事故を起こした台湾人の方は、実にきちんとしたいい人たちで、『今度高雄に来たら寄ってくれ』などと言いながら分かれた。

 

思えば熊本辺りは戦前台湾に渡って仕事をした日本人も多かったはずだ、などと思っていると、店のおばさんも『うちの主人も台湾生まれで、その両親は花蓮で・・』などと話し出す。明日の講座で話し内容にも、熊本ではロシア語や中国語が話せる人が戦前は沢山いた、というくだりがある。

 

Tさんに熊本駅前に予約した宿まで送ってもらった。何とも有り難い。もっともっとその後の出来事を聞いていたかったが、それは次回にしよう。そういえば、明日の夜、東京では大学の同じクラブのOB会が開かれるので、早々にTさんについて報告を入れておいた。

ある日の台北日記2019その3(16)チョコイベントへ

11月17日(日)
茶展からチョコイベントへ

今日はゆっくり起きて、また茶展に向かう。まだ挨拶していない茶業者も沢山いるので、この機会に纏めてご無沙汰を詫びる所存だった。日曜日なので人出は多いが、業界人は来ない日なので、余り直接的な商売にはならないらしい。どちらかというと一般人向け宣伝の日という位置付けかもしれない。

 

人だかりができているブースに行ってみると、Aさんたちが手もみの実演をしていた。その横では、以前お世話になったNさんたちが和服でお茶を点て接客に忙しい。こういうブースは非常に分かりやすくて人が集まる。その場で茶葉の販売もしており、日本茶普及への貢献度は高い。

 

少し離れた所に行くと、陽光茶園のブースが見えた。ふと覗くと楊さんもやはり来ていた。既に98歳だが、先日の南投茶博にも姿を見せており、霧社からここまでやってくる体力はすごい。魚池の李さんを見つけ、そこでお茶を飲んで休む。新しい茶工場もできたというので、次回は是非訪ねてみたい。三峡谷芳のブースも久しぶり。なぜかスペイン人の若者がここの緑茶に興味を持ち、あれこれ聞いている。

 

折角なので、横の食べ物コーナーも一通り見学する。食品卸しのブースが多いせいか、その場で食べられる場所は多くはない。私はいくつかサンプル品をつまんで腹が一杯になってきた。台湾には美味い物が一杯ある。更には反対側の酒コーナーもふらつく。酒を飲まない私には無縁の場所だが、お茶コーナーより多くの人が試飲などをしている。コンパニオンが酒を勧めるなど華やかさがある。日本酒のブースも人気だ。

 

確か夕方、知り合いが来るとか言っていたので待とうかと思っていると、葉さんが『今からチョコレートイベントに行かないか』という。茶展にも飽きてきたので、その誘いに乗ると、会場は市政府近くの百貨店であり、地下鉄で移動した。特設会場に着くと大勢の観衆がいた。そして驚いたのは、葉さんの茶葉をチョコレートやドリンクに混ぜて使っていたシェフは日本人だったのだ。

 

お茶とチョコのコラボ。そして台湾特産品とのコラボ、いわゆるペアリングだが、これを日本人シェフがアレンジして、台湾で提供するのは、実に面白い。実際には銀座の店で提供が始まっているらしい。非常に工夫されており、多彩で観客ウケもよい。お茶の扱い方を見直す時期が来ていることを感じさせる。

 

11月18日(月)
南港の茶農家へ

茶展最終日。昨日途中で抜けてしまったので、今日も行こうと地下鉄に乗る。鹿谷からUさんが出てきており、南港で待ち合わせることになっていた。ちょうど2年前Uさんと南港の茶農家に行ったのだが、彼は今日もそこへ行くというのでバスの時間を確認していた。ところが今日は大雨だった。

 

Uさんのお義父さんが車で送ってくれるというので、南港茶展に寄らず、駅で拾ってもらい、そのまま茶農家へ直行した。ここはいつ来ても懐かしさを感じさせる場所だった。そして素朴な農家が、昔ながらの茶作りをしているのが、何とも好ましい。数種類の包種茶を並べて試飲していると、その発酵度も若干高く、心地よい。ほぼ今年の茶は作り終えており、常連さんがどんどん買って行ってしまう。

 

奥さんは茶摘みのプロ(ご本人は長年やっているだけと言っているが)であり、全国茶摘みコンテストで準優勝するなど、その実力を発揮している。今や茶の摘み手不足が深刻化する中、貴重な存在だ。果たしてこの茶農家、いつまで続くのだろうか。台北市内から車であっという間なのに、この山の中。環境的にも面白い。

 

一度宿泊先に帰り、夜はTさん主催の浙江の会に参加させてもらった。先日は四川の会だったが、Tさんは昔から会を作って人を集めるのが得意なのだ。今晩も6人で杭州料理を食べた。奥さんが浙江人という方が中心だが、近々江蘇との合同会に発展するとか。台湾にも中国関係者が増えているということだろう。

 

今回の台北滞在1か月半も無事に終了した。茶の歴史はいくらでも広がっていくが、調べることの限界も見えてきている。そしてその広がりは台湾に留まらず、中国、そして東南アジアへと繋がっている。来年は少し台湾滞在が減り、東南アジアシフト及び中国への本格調査が始まるのかもしれない。

ある日の台北日記2019その3(15)坪林の絶景茶畑

11月16日(土)
坪林へ

翌朝は早く起きて、新店駅へ向かった。今日は知り合いと共に坪林を散策する予定となっている。坪林行バス、週末なのでハイキング客で混んでいるかと思い、早めに集合したところ、何とか乗車することができてよかった。ここから1時間弱で坪林に到着する。ちょっと朝早かったが、祥泰茶荘は開いており、お父さんがお茶を淹れてくれた。因みにお父さんの趣味の一つが急須を集めることであり、ものすごい数の急須を所蔵していることに初めて気が付く。

 

それから馮君が包種茶について色々と説明をしてくれ、勉強する。その後、天気が良いので茶畑を見に行こうと言って、近くの川沿いの畑を見学する。最近は茶農家と一緒に茶畑を見ながら基本的な話しをする機会は無くなっており、ちょうどよかった。もう街の近くには茶畑は殆どない。

 

馮君は他に予定があったので、そこで分かれて、早めの昼ご飯に向かう。勧められた食堂に行くと、店先に珍しい野菜が置かれており、自分で選んで調理してもらう方式になっていた。この野菜が色味はワイルドだが、新鮮でなかなか良い。それに乾麺やスープ、魯蛋などを注文して腹を満たす。味がとても良く満足。

 

腹がくちると散歩するが、何しろ暑い。通りをフラフラしていると、店先で茶葉のてんぷらを作って売っていたので、興味本位で食べてみることにした。これもサクサクしてなかなか美味しい。日本でも是非茶葉天ぷらを茶産地の名物にして欲しいと思う。このお店、勿論お茶屋でもあり、茶箱には達筆な文字が書かれている。今や茶葉を売るにも個性が必要な時代だろうか。

 

その後もフラフラと歩き、茶葉博物館の前まで来た。前回既に見学していたので、今回は単に待ち合わせ場所に使った。午後は白青長工作坊を訪問する予定となっており、白さんがわざわざ迎えに来てくれたのだ。私は2年前に一度訪ねてことがあったが、昨日偶然茶展で再会し、急遽今日の訪問が実現した。これも茶縁だろう。

 

『坪林で一番高い所にある茶畑を見に行こう』と連れて行ってもらったのは、山道をかなり上った標高800mの茶畑。その風景は絶景で、遠くには太平洋も望めた。だが台風などが来れば、畑は直撃を受け、強い風で葉は育たないともいう。ほんのちょっと離れた場所でも生育状況がかなり異なることを知る。自然環境とは実に恐ろしいものである。

 

白さんの家は高祖父の代から茶を作っているらしい。この付近の茶畑は、福建の安渓から渡ってきた先祖が開拓し、今も親族が所有して、何軒かが茶を作っているという。白さん自身は33歳で、大学を出てから茶業を継ぐため郷里に戻った5代目、青年茶農だ。ちょうど2年前我々が訪ねた時に結婚し、既にお子さんがいた。台湾ではイケメン茶農家としても有名だと聞く。

 

白さんの茶工場に向かった。ここには最新鋭の製茶機械が揃っており、包種茶を中心に、東方美人茶、白茶、鉄観音茶など様々な茶を作っている。ちょうど摘まれた生葉が到着し、お父さんが室内萎凋を行っていた。今や坪林では日光萎凋は行わず、いきなり萎凋槽に茶葉を入れて、熱風萎凋を行うのが普通になっている。これなら天候に関わらず、茶作りができる。

 

数種類のお茶を試飲した。あの800mの茶畑に植えられていた鉄観音で作られた茶もあった。焙煎機も最新の設備を備えている。何度も言うが、台湾茶の歴史の中で、一番重要なのは包種茶だと思っている。現在は坪林の文山包種茶だけが有名であるが、日本時代はどこでも作っていた。坪林の、それもこれほどの山の中であれば、その伝統もかなり残っているかと思ったが、今や技術は進み、若者は最先端の茶を作っていく。

 

茶工場の前にある茶畑、雰囲気がとても良い。何でも台湾茶飲料のCMのために使われたらしい。しかもそこに出演したのが、何と日本の俳優、阿部寛だというから驚いた。先ほど隣でお茶を飲んでいたカップルも、この茶畑でポーズを決めて写真を撮っている。私もイケメン君の写真をパチリ。

 

帰りに車で街まで送ってもらう。ちょうど車がバス停に着いた時に、新店行のバスがやってきたので、急いで乗り込むと、何とか席を確保できた。お世話になったのに挨拶もできぬまま、お別れとなってしまったのは残念だ。まあまたどこかで会うこともあるだろう、きっと。

ある日の台北日記2019その3(14)南港茶展始まる

11月15日(金)
南港茶展始まる

翌朝、茶展に出掛ける葉さん夫婦に同行して、南港に向かった。開場は10時だが、9時に到着。皆さんは準備に精を出すが、私はやることもないので、一度会場を後にして、近所を散策する。すると、ロイヤルホストの看板が見え、何やら朝食を提供しているとあったので、思わず入ってみる。

 

朝定食は2種類あり、どちらも190元だった。鮭和風定食はよいが、和牛ハンバーグ定食は、日本の朝に、出て来るものだろうか?取り敢えず鮭を選択してみたが、そこはファミレス。当然ながらチンして作った食事だから、何とも味気ない。海苔が一番良いかな。ハンバーグの方がよかったかと後悔する。因みに午前9時台に食事している人はほとんどいなかった。

 

会場に戻ると既に沢山のお客さんが入場している。葉さんの所では、冷蔵庫が壊れたようで、ジェラートが提供できずに困っていた。私はブースを回り始める。まず目に入ったのが、埔里で高山茶を作っている原住民のところ。以前一度訪問したことがあったが、今は息子が販売に力を入れている。

 

鹿谷の連山とは、先日南投でも会っており、既に顔なじみになった。花蓮の嘉茗茶園も毎年出店している。先日東台湾茶の歴史を書いたので、その冊子を渡す。花茶の歴史関連では、三峡で先日訪ねた天芳が出店している。息子が来ており、お父さんと会ったことを話すと喜んでくれた。そしてこれから是非行くべきと言われた茶業者も出店していたので、奥さんにあいさつした。来年訪ねる時、果たして覚えていてくれるだろうか。

 

あっという間に昼を過ぎてしまった。知り合いが来ていたので、一緒に近くにあった台湾料理の欣葉に行く。欣葉は懐かしい店だが、最近は大発展を遂げ、支店を幾つも出しており、ここもきれいな店舗だった。茶展関係者が沢山食事をしていたが、何とか席を確保して、定番料理を食べた。

 

実はこの知り合い、夜も台湾人の招待で、別の欣葉で食事をすることが分かり、何だか申し訳なかった。その話を聞きつけたこの店のマネージャーが『夜はどこの欣葉に行くのですか?予約のお名前は?』といい、何と我々が昼に食べたメニューを夜の店に伝達しておくので、重ならない食事ができるでしょう、というではないか。この辺のサービス概念は素晴らしい。

 

午後もまた、ブースを回った。ただ1階のお茶コーナーではなく、4階にある珈琲コーナーを見学した。4階の方が規模は遥かに大きく、来場者も遥かに多い。各ブースでは、新しいコーヒーの売り込み、淹れ方や豆の紹介などを競って行っている。やはりお茶よりはコーヒーかとも思ってしまうが、よく見ると4階の隅には空きスペースが結構あった。さすがに台湾のコーヒーブームも一段落かなと思われるスペースだった。

 

午後4時過ぎに南港を出た。葉さんから『中山の店とコラボして、お茶が飲めて、アイスが食べられるスペースがある』と聞いたので、予約してもらったのだ。その店は中山駅からすぐの所にあり、畳があるなど和のテースト満載だった。そこで何と、ジェラート、お茶ポップコーンなどのセットが無料で体験できたのには驚いた。

 

聞けばこの店は、食事も提供する予定だったが、火の取り扱いが禁止されてしまい、やむなく閉店するところで、葉さんたちが1か月だけそのスペースを借りて、プロモーションに使っていたのだ。日本人観光客からは、『こんな店があったら是非行きたい』との要望もあるようだが、ある程度の料金を取っても、家賃との比較では割に合わないのだろうか。

 

既に暗くなりかけていた。中山からトボトボ歩いて、長安東路に向かった。夜は『32年ぶりの再会』が待っていた。32年前に一緒に上海に留学していたBさんから、『あの時院生だったSさんが来るので会いませんか?』と誘われたのだ。正直Sさんとはそれほど親しく話した記憶はないが、言われた瞬間、彼のフルネームを思い出し、急に懐かしくなっていた。

 

会うと、その面影は十分に見て取れた。彼は九州の大学で中国文学を研究しながら、中国語を教えているのだという。留学中、似非文学班だった私とは違い、Sさんは既に明確な目的で留学しており、その後も巴金や余華などの文学作品を研究、紹介していた。今は台湾の日本時代文学にも興味を持ち、台湾に来る機会も増えているらしい。

 

久しぶりの熱炒で、何だかたくさん食べて、たくさん話してしまった。酒を飲まない私は熱炒に来る機会も少ないが、偶にはこういう空間で食事をするのもよいものだ。何となく熱気があると、人はハイになるらしい。急に思い出した懐かしい記憶、ご縁も繋がり、いい一日だった。