chatabi のすべての投稿

ある日のバンコック日記2020(24)緊張状態で帰国したが

花屋が並ぶ一角、よくよく見てみると、その合間に茶を売る店が2軒は見つかった。王陽春という店などは、あの安渓華僑誌にも名前が記されているので、ある意味では大発見だった。パイナップルの商標が何ともかわいらしい。店員はタイ人(いやカンボジア人?)だったが、奥から華人女性が出てきてくれた。店や一族の詳しい歴史は母親に聞いてほしいと言われたが、生憎今日は不在だった。

彼女とは華語で話せたので、後日再訪すると伝えたが、何とこれが今回最後の茶旅となり、コロナ避難となってしまった。このお店の歴史、非常に興味深いのに、何とも残念だが、既に外出制限がかかりそうで、無理して訪ねる訳にも行かなかった。とにかくバンコックにもまだまだ隠れた茶荘があり、その歴史に踏み込む余地はある、ということだろう。

それからMRTに乗って、ファランポーンまで行き、ランチを探す。汁なしワンタンメンがうまいと評判の店に入ったが、いつも満員の店内がガラガラ。すでに外国人観光客の姿は激減しており、チャイナタウンもひっそりとしていた。この麺、美味いが量が少ない。次回は大盛りやら、汁麺やらを食べてみたいと思うのだが、それが叶うのはいつのことやら。

3月22日(日)帰国

帰国の便が決まり、急に慌ただしくなってきた。2か月半も同じところにいると、なんだかんだで物も溜まり、捨てるか持って帰るかの決断を迫られてしまう。今回は予想外の成果もあり、資料や本なども多く持ち帰ることとなる。この宿には1か月分の家賃を納付済みだったが、最後は半月で出るになってしまった。もったいないとは思うが、まさに自己都合、文句は言えないし、宿の方も収入減で困っているはずだから、ある種の支援と考える。

そんな中で、借りていた本を発見し、前日急遽返しに行ったりもした。バスでアソークへ出たが、人が本当に歩いていなかった。週末だが閉まっている店も増えてきている。いよいよバンコックのロックダウンの噂も本格化し、不要不急の外出はしなくなっているようだった。

私は2日分の食料を買い込み、部屋で食事をしていたのだが、買い置いたサンドイッチかおにぎりが悪くなっていたようで、急に腹痛を起こしたのにはかなり焦ってしまった。何しろ発熱は致命的、飛行機にも乗れなければ、この宿にいることもできなくなるのだから、絶対に避けなければならない。

幸い熱は出なかったのでホッとしながら相撲を見ていた。白鵬が勝ってしまい、つまらない幕引きであった。こんな時期でも日本のニュースではまだ『東京五輪』が開催できるかのような論調が流れており、狂っているとしか思えない。世界のアスリートが東京に集まるわけがないだろう。プロ野球もJリーグも開催延期となっているにもかかわらず、オリンピックは開催するというのだから、恐ろしい国だと言わざるを得ない。

フライトは今日の深夜発なので、時間はたっぷりあったし、ホテルで1泊しているわけではないので、チェックアウトは午後9時にしてもらった。空港まで行くタクシーがあるのか心配したが、すぐにやってきた。運転手は厳重にマスクしており、我々より彼らの方がよほど高いリスクの中で仕事をしていると感じられた。

空港に入っても(入り口で体温チェック)人影はまばらだった。ヨーロッパ線のどこかの航空会社のカウンターの前にだけ、白人の団体がいたが、その他は基本的に人が少なく、蜜の状態はなかった。出国手続きもいつものような混雑はなく、スムーズ過ぎる。免税店には少しだけ人がいた。私と同じように帰国する人々が最後に土産を買っている。

時間が余ったので、ラウンジを使おうと思ったが、多くのラウンジは閉鎖されていた。タイ航空のラウンジも一番端の一か所に絞られており、そこに入るとかなりの人がいたので、緊張してしまった。体調もそれほど良くはないので、何も食べずに紅茶だけを飲んでいたが、居心地も悪く、すぐに出てしまった。空港内のベンチの方が人はいなくてよい。

フライトは定刻に出発。乗客は半分ぐらいだろうか。白人が意外と多いのは、バンコックのロックダウンに備えて東京へ移動するのか、いや東京経由で帰国するのか。深夜なので機内ではお茶が一杯出ただけですぐに暗くなる。そして朝日が射しこんで起き上がると到着だった。思いの外眠れたのは良かった。

羽田空港もさぞや緊張しているだろうと思っていたが、何と飛行機を降りても、検疫所カウンターもノーチェック。入国審査も自動で、どこから帰国したのかも尋ねたれることはなかった。どうやら特定国から来た乗客だけ別扱いにしていたようだが、あまりにあっけなく、驚いてしまい、そしてバンコック入国とのあまりの違いに、怖いと感じてしまう。

朝早いこともあるが、新宿行きリムジンバスの乗客は4人でホッとする。新宿からも普通に電車に乗って帰った。こんなことで良いのだろうかと思ったが、翌日帰国した人への対応はかなり厳しかったという。バンコックは翌日ロックダウンとなり、空港便の減便も続いていった。私の帰国は全てがギリギリだったのかもしれない。ここから約2か月半、週に一度1時間以内の買い物以外全く外へ出ない完全籠城生活が始まった。

ある日のバンコック日記2020(23)まだあった老舗茶荘

3月19日(木)再会

状況はどんどん厳しくなり、遂にバンコックもロックダウンに入ることとなった。私はあまり難しいことを考えずに、日本に帰る道を選択し、航空券の手配を行った。既にLCCなどの運休が発表され、1週間先の東京行は料金が跳ね上がっていたが、その前であれば、片道4万円ぐらいでタイ航空に乗れるので、それを選んだ。エアチャイナから片道の返金があれば、ある程度カバーできると諦めた訳だ。

事態はそれほどに切迫している。知り合いのMさんは、逆にバンコック籠城を決めたという。彼は住むところもあるし、仕事にも支障がないので、一つの選択だなと思う。確かにこんな稀有な光景を見られることはないだろう。寧ろいまだにオリンピックを開催すると言っている東京の方がどれだけ危険なことか。それでも家族がいるから私の場合は帰るのが原則だろう。

そんな中、2月初めにチェンマイで再会したOさんが、その後チェンマイを離れ、放浪していることが分かった。彼も沖縄へ向かおうとしたが、既に直行便は閉ざされていた。ちょうどバンコックに来たというので、会いに行ってみる。

場所はプロンポーンの蕎麦屋。こんな時期に開いているのかと思ったが、席の間隔が開けられた店に、お客はそれなりに居た。この蕎麦屋の特徴は、1玉でも3玉でも料金が同じということらしい。折角なので、3玉頼んでしまった。更にはかつ丼をセットにするのだから、胃袋もたまらない。バンコックの和食の競争激化は相当なものだ。

お茶会のMさんも加わって、発酵談議に花が咲く。私はお茶の発酵のみに関係があるのだが、お二人は味噌など発酵食品を作っている。東京に戻ったら、改めて小泉武夫の『発酵』という本を読み返したいと思った。タイのミエンももう一度見たいがいつになることやら。

Mさんはご主人が日本へ行っており、既にPCR検査の陰性証明が得られなければ、バンコックに戻れない状況だという。これからは往来が難しくなり、当分の間、全てがストップする。だが日本では、全てを止めずに解決を図ろうとしていた。普通に考えれば無理な話だが、日本を信じて帰るしかない。

夕方先ほどOさんに教えてもらったデリバリーアプリをインストールして、注文する実験をした。タイ語中心のアプリは無理なので、英語アプリを入れ、馴染みのマクドナルド商品を選んでみた。ビックリしたのは、店舗に行くよりかなり安く、しかもデリバリー料金も安い。これは日本ではとてもできないサービスだ。

ところが注文しても、商品が運ばれてこない。スマホで位置関係を確認するとすぐ近くまで来ており、電話が掛かってきたが、当然タイ語なので応対が出来ずにお互い困ってしまった。仕方なくフロントに頼んで連絡してもらい。何とか受け取ることができた。アプリ上の住所が間違っていたらしいが、そこはタイ語だったので私には確認ができなかったわけだ。まあ、このサービスが使えるのであれば、多少の籠城戦は戦えるでは、と思った。

3月20日(金)老舗訪問

実は2週間ほど前に、フラフラと王宮近くを歩いていると、以前も訪ねた例の王有記茶荘の北側に、もう一つ老舗茶荘があることに気が付いた。そこは店の前にドリンクスタンドがあり、暑かったので冷たい飲み物を頼んで、店内で飲んでいた。よく見るとこの店の名が王瑞珍であったので、思わず反応してしまった。というのは、台北とマレーシアのイポーでこの名前の茶荘を見たことがあり、恐らくは親戚であろうと考えられた。そうであれば、ちょっと面白い。

だが店を預かる女性は華人の顔はしているが、華語は全く分からないと頭を振り、通訳してもらっても自らの茶荘の歴史は分からないという。ただ王姓であるから福建の安渓出身であることは分かった。彼女の父親は健在だというので、後日改めてということで、今日の日を迎えた。

日程のアレンジ及び通訳はHさんにお願いして出掛けた。お店に着くと、80歳を越えた王天慶さんご夫妻が迎えてくれた。やはり王さんの祖父は福建安渓西坪堯陽の出身で、タイに渡ってきた人物。台北の王瑞珍も親族が経営していることが分かった。ただマレーシアの店については、親戚はいると思うが、茶荘をやっているとは聞いていないとのこと。

この店は娘さんに任せて、王さんは普段、息子とともに川向うのクディチンに住んでおり、茶工場もそこにあるという。中国やタイ北部から茶葉を持ってきて、この工場で加工して売っているようだ。クディチンと言えば、アユタヤから移住した福建人が多く住んだ場所。何となくこれまでのバンコック歴史散歩が鮮やかになっていく印象がある。今度機会があれば、茶工場にもお邪魔しよう。

王さんの話の中で興味深かったのが、この近くにまだ数軒、老舗茶荘が残っているはずだという証言。言われたとおり歩いて行くと、かなり遠かったが、MRTサナムチャイ駅近くの花市場付近に辿り着く。この辺りは先日も散歩した場所だが、茶荘があったという記憶は全くない。

ある日のバンコック日記2020(22)バンコックに戻る

3月14日(土)空港で

ビエンチャンからのフライトはいつものように呆気なく着陸した。そして前回同様、タラップを降り、バスに乗り込む。1台に全員を詰め込むので、かなりの密度になっている。走り出すと隣の若い女性、突然気分が悪くなり、座り込む。過呼吸ではないだろうか。友達が世話していたので、周囲は心配しながら見守り、降りる時は若者が手を貸していた。

今回も先月同様、空港内には殆ど人がいなかった。ただ入国審査のところには、意外と人がいたのでその後ろに並んだ。前の方の白人たちを見ると、皆係員に何か聞いており、戸惑っている。中にはアルゼンチンから来たといっただけで、空港内の保健室に案内されている人もいた。一体何が起きているのか、全く分からない混沌とした状況が出現し、にわかに不安になる。

ただよく見てみると、列の横にQRコードが見え、何か説明書きがある。どうやらこれをスキャンして、情報を打ち込む必要があると分かり、トライしてみると、空港アプリが出てきた。名前や搭乗便など入れていく。最後にパスポートを写メしてアップロードすると、OKがでたので、係員にそれを告げると、好きなところへ並べという。

ようは皆入力に慣れていないことから進まないだけで、審査ブースは暇にしているのだった。ここでも何か聞かれるかと身構えたが、スマホを見せると、帰国チケットや保険の提示も求められず、すぐに入国スタンプが押され、全くの拍子抜けだった。やはりラオスからの入国にはこの時点では、何の制限もなかったのだ。ただ入国者の追跡のためにスマホ入力を求められたまでだ。これで私も監視対象だ。

ターンテーブルにも、出口を出ても、相変わらず殆ど人はおらず、思っていたほどの緊張感はなかった。取り敢えずバンコックに戻れたので、ホッとしてゆっくり歩く。ただこのままでは終わりそうもない。これから何かが始まるので、それに備えなければいけない。そんなことを考えながら、エアポートリンクに乗り込む。さすがに皆マスクをつけている。乗客は先月より少ない。MRTも同様だ。白人は母国では基本的にマスクをしないと聞いていたが、さすがにこの事態では対応せざるを得ない。

部屋に戻ると、また相撲を見て過ごす。既に多くのスポーツが中止となる中、相撲が見られるのは本当にありがたいことだ。しかも昨日はビエンチャン、今日はバンコックで見られるのだから、嬉しい限りだ。ただ白鵬が強すぎるのはどうだろうか。先場所のように両横綱不在の方が面白い相撲が多いように思う。

そのままボーっとテレビを見ていると、ブラタモリが始まる。今度は長崎が舞台で、行ってみたい場所が次々紹介される。林田アナがまたピアノ?を弾いている。見終わると、パンを買いに外へ出る。これからは食料の備蓄も必要になってくるだろう。いつも行くパン屋だが、時間が遅いせいか、普段必ず買うぶどうが一杯入ったブドウパンはなかった。ただ念のため聞いてみると、ちょうど奥で作っており、作り立てのパンを買うことができた。今はこういう小さな幸せを積み上げるしかない。

3月16日(月)ご紹介で

既に2か月以上泊っている定宿だが、ついにロビー入り口で検温が始まった。もし体温が37.5度以上であれば、中に入ることはできず、そのまま病院送りとなるらしい。迂闊に発熱は出来ず、外出にも注意を払う必要がある。毎日緊張状態が続くことになる。予定されていたバンコックでのコラボイベントもすでに中止となっており、ここに留まる理由は正直無くなっていた。

更には『バンコックロックダウン』という言葉が聞かれ始め、もしそうなれば買い物などにも不便をきたすことになり、さすがにここにいる理由は完全に無くなる。折角ラオスでビザを更新したのだが、帰国の決断が迫られてきた。宿のオーナー夫人は特製の洗えるマスクを発注しており、私も家族分譲ってもらって、東京へ3つ郵送した。いよいよ臨戦態勢に入ってきた。

そんな中、先日偶然にも再会したシアヌークビルのSさんから、Iさんをご紹介頂いた。タイ北部などで少数民族の茶業支援をしており、ちょうど先月訪ねたパクセーでも行っているということなので、このような時期ではあるが、会えるときに会いましょう、ということで、早々面会する。

アソークのホテルで待ち合わせたが、繁華街は火が消えたようになっており、店もかなりが閉まっていた。ホテルでもマスク、消毒が徹底されており、人と人との距離にも注意が払われ、かなりの緊張感があった。そこでIさんから話を聞く。今日からチェンマイに行くとのことで、タイ北部のミエン造りを見てみたいという。Iさんはタイに20年以上おられ、共通の知人も多くいる。ホテルのビュッフェでランチを食べたが、さすがに客は少なかった。

サクッとビエンチャン旅2020(3)ビエンチャンからバンコックへ

3月14日(土)ビエンチャンからバンコックへ

昨夜は蚊に刺されて眠りが浅かった。バンコックなどの宿では蚊に刺されることも減り、無防備だったのが災いした。朝起きてロビーに行ってみたが、朝食を食べている人はおらず、泊り客はほとんどいないと分かる。ここの朝食は以前はフランス風でいいなと思っていたが、今や簡素なコンチネンタルブレックファーストに思えてしまうのが悲しい。

昨日街を歩いてみても、開いていないホテルがいくつもあった。観光業が主力のビエンチャンに外国人が来ないことは死活問題であろう。今泊まっている宿も、泊り客が来るとは思っておらず、何となく投げやりに運営しているようにしか見えない。次回ここに来た時、どこのホテルが残っているのだろうか。

食べていると、なぜか誰もいないのにわざわざ私の後ろの席に座る夫婦がいた。どうみても中国人だ。こんな時期だから遠く離れた席に着けよ、と思わず言いたくなる。そしてさらにやってきたおじさんも中国人で、現地の華人と何やら商売に話をしている。ラオスは一部の中国人にとってはコロナの避難場所となっているのだろうか。

ちょっと不愉快な気分のまま、外を散歩する。特に見るべきものもなく、ふらふらと歩く。以前は沢山いた観光客の姿は少なく、どこの宿も店も開店休業状態に見えた。バトゥサイ方面を歩いても、地元の人さえ、ほとんどいない。寺でゆっくり休もうかと思ったが、開いていないところもある。いよいよ世界的にコロナが広がりつつある。後一週間経てば、ここに来ることもできなくなるかもしれない。

飛行機までには時間があったが、外も見るところがなく、部屋に帰って涼む。テレビを点けると、バドミントンの全英選手権をやっており、日本選手と台湾選手の試合を放送している。こういう試合、日本ではなかなか見られないよなあ。それにしてももし東京五輪が開催されれば、バドミントンのシングルスは男女とも台湾が金メダルという可能性があるな、と思ってしまう周天成の動きだった。

11時になったので、宿をチェックアウトして、空港へ向かう。相変らずバスは整備されえおらず、トゥクトゥクを探して料金交渉して乗り込む。運ちゃんも苦しい時間を過ごしていると思うので、ハードな交渉はなしだ。まあ観光客も少ないから、トゥクトゥクもあまりいない。

空港まではわずか10分。ここは何度も来たのでよくわかっている。先月行ったパクセーの空港に比べればさすがに大きいが、それでも首都空港としてはかなり小さい方だと思う。ボードを覗くと、中国と韓国へ向かう便は軒並みキャンセルが出ており、バンコックへ向かう白人などがチェックインをしていた。

カウンターでは少し緊張する。係員はバンコックからどこへ行くのか、と聞いてきたので、東京へ帰ると答えると、案の定帰りのチケットを要求してきた。一応これも想定内で準備していたので、難なく通過した。一番恐れていた10万ドルの海外保険提示要請がなかったのは有難い。勿論熱がないことは入り口で測られていた。

2階に上がると、レストランなどもあり、食事ができるようになっていたが、腹も減っていなかったので、そのまま出国審査を通り過ぎた。乗客のほとんどいないガランとしたベンチでPCを開けて、旅日記を書いていた。すると近くで急にけたたましい話声が聞こえてきた。中国語でこんなうるさい会話を聞いたのは2か月ぶりだろうか。若者が10人以上いるのだが、彼らはどうしてここにいるのだろうか。そしてどこへ行くのだろうか。

推測するに、彼らはラオスに働きに来ていたのではないか。そしていよいよ帰国することになったのだ。ラオス人の係員が突然中国語で『広州行きはあっちのゲートだ』と叫ぶと、数十人がぞろぞろ動いて行き、その中に若者たちもいた。非常に減便されている中、貴重な広州行きだったということか。それにしてもいつもうるさいと思って避ける中国人の団体が何とも懐かしく思えるのは、コロナのせいだろうか。

タイスマイルは最低1日2便、今もバンコック-ビエンチャンを飛んでいるようだった。搭乗すると乗客は半分以下。それでも意外と乗っているなと感じる。一応食べ物も出てきたが、あまり食べたいとは思わない。ドリンクだけを飲んで、目をつぶっていく。果たしてバンコックの空港はどうなっているだろうか。万が一トラブルに巻き込まれたらどうなるのだろうか。昨日離れたばかりのバンコック、たった1日でガラッと状況が変わりかねない中、かなり不安な状況が続いていた。

サクッとビエンチャン旅2020(2)観光客の去ったビエンチャンで

ようやく出たバスは、すぐに橋を渡りラオ側に到着する。ラオス入国の際にも何のチェックもなく、ただパスポートにスタンプが押されただけだった。かなりの緩さと言わざるを得ない。自分の中ではかなりの緊張感があったが、それと相反する国境ののどかさ、このギャップの凄さに驚く。イミグレを出ると、タクシーの運転手が声を掛けてきたが、ビエンチャン市内までの料金は一律200バーツだと言って譲らない。ネット情報ではもう少し安いはずだが、最近は客がいないせいか、タクシーも少ないらしく、交渉はまとまらない。

向こうを見るとバスが停まっているので、そこへ行くと市内へ行くようだったので、バスに乗り込んだ。荷物が少ないので何とも身軽だ。タイバーツを車掌に渡すと、30バーツぐらいの料金のようだった。ビエンチャン市内まではそう離れておらず、何よりタイとは川を挟んでいるだけなので、タイのシムで何とか拾えるので、スマホで地図を見ることもできた。

30分ぐらい走っていると、市内へ入り、結局終点で降りた。この付近、何となく見覚えがあるので、そのまま歩きだした。特に予約はしていないが、ネットで調べておいた宿まで歩いて1㎞ちょっと。その間には以前訪れたことがある寺院などもあり、暑いが安心感がある。

ところが中心部のその宿へ行ってみると、隣のワンブロックが大規模工事中で、騒音がかなりするので、避けることにした。そして昔何度か泊まった宿へ向かったが、ここは何ら変わっておらず、お客もいなかったのに、料金も変わっていなかった。ネット予約の料金も全く同じでつまらない。

靴はロビーで脱いで部屋に上がるスタイルだ。昔はいい宿だと思っていたが、部屋ではネットが繋がりにくく、電気ポットがないのでお茶やコーヒーも飲めず、テレビの画像も悪かった。それでもNHKが映ったので、取り敢えず相撲を見てしまう。朝乃山と御嶽海の取り組み、朝乃山は大関になるだろうか。

午後4時になると腹が減る。今日は殆ど物を食べていないことに気が付く。いつもならビエンチャン名物を探すところだが、取り敢えず近所の麵屋で麺を食べてしまう。腹が朽ちたら散歩だ。華人の様子なども知りたいと思い、華人廟などを探して歩いたが、なかなか見つからない。ようやく川沿いに新しく建てられた廟を見つけるのがやっとだった。

実は今回のビエンチャン訪問は、華人調査の一環であり、以前からのお知合いMさんと連絡を取り合っていたのだ。彼の奥さんは客家だというので、色々と面白い話が聞けるのではないかと思い、楽しみにしていたのだが、コロナの影響で、先日日本から戻ったMさん自身が2週間の自宅待機することになり、直前に会えなくなってしまったのだ。勿論こちらも華人調査よりビザ目的なので、今回は致し方ない。

一度宿に戻ったが、のどが渇いたので、また外へ出た。折角なのでメコンの夕陽を眺めようと川へ向かったのだが、以前と違い、河川敷が開発対象となり、近づけなくなっている。その昔は川辺でガイヤーンを食べた記憶があったのだが、今はかなり奥に引っ込んで道沿いに屋台を集中させている。

屋台では、魚など海鮮を中心に、いい匂いをさせて焼かれていた。私はさっき麺を食べてしまったが、ここはどうしてもガイヤーンぐらいは食べようと探す。だが鶏は大きくて、一人ではとても食べきれない。じっとぐるぐる回っている鶏肉を見ていると、おじさんが私を一人とみて、半分でも売るよ、と言ってくれたので、80バーツでガイヤーンを手に入れ、後ろのテーブルでかぶりついた。やっぱりうまい。大満足で食べつくして立ち去る。

ビエンチャンにはタイのようなコンビニは見当たらなかったが、いつの間にかBigCエクスプレスが出来ており、コンビニの役割を果たしていた。中で売られているものも、タイとそうは変わらない。きっとタイから運び込まれているのだろう。ラオスは人口も少なく、自国生産には向かない国だ。こんな国はコロナだから鎖国する、というは簡単ではないだろう。

今日ビエンチャンの街を歩いてみたが、いつもは観光客で溢れるような場所は、軒並み閑古鳥が鳴いている。白人なども僅かに見られるが、中国・韓国系はほぼいないようだった。ただ地元のラオス人でマスクをしている人の率はそれほど高くなく、コロナに対する意識が高いとは言えないようだった。

サクッとビエンチャン旅2020(1)ウドンタニーから

《ビエンチャン旅2020》  2020年3月13日-14日

元々タイには2か月のつもりでやって来ていたが、その2か月は既に過ぎていた。ここ9年、ひたすら旅を続けてきたが、これほどまでに情勢が変わっていくのは、あまり記憶にない。とにかくどこにいるのが自らの旅にとって一番良いのか、安全か、動きやすいか、などと考えなければならないことはかなりの異常事態である。取り敢えず決めたことは、日本の方が危険なのですぐには帰らないということだけだった。

ただ問題はタイ滞在のビザ免除がもう少しすると切れることだ。昨今の情勢下、どこの国に行って戻ってくるのが利巧なのか。いや、事態が急変してもタイが受け入れてくれる国はどこなのか、を考えて、先月同様ラオスを選択した。だが先月のパクセーは多分に旅行であったが、今回はできるだけ早くバンコックに戻ってくるのが目的、という、私の旅としては珍しいものとなる。

3月13日(金)ウドンタニーからビエンチャンへ

一番簡単なのは、バンコック‐ビエンチャンを飛行機で往復することだが、さすがにそれではあまりに芸がない、ということで、ウドンタニーまで飛行機で行き、バスで国境を越えて、ビエンチャンから飛行機で戻る、というルートを選択した。当日戻るのはちょっと、ということで、ビエンチャンに1泊することになる。

フライトはタイスマイルを選んだ。先日ミャンマー行の国際線に乗ったが、今回は国内線に乗ってみる。少しでも変化をつけないと、旅が余りに単調になってしまう。タイスマイルは国内線でもスワナンプームから出る。MRTからエアポートリンクと乗り継いで空港へ向かった。さすがに車内は空いている。そして空港もガラガラだった。これはほぼ予想通りだ。

国内線にチェックインするのは何年ぶりだろうか。カウンターで『明日ビエンチャンからバンコックに戻るが、何は要求されるものはないか?保険とか?』と聞いてみたが、皆ポカーンとしている。そして空港インフォメーションで聞いてみたらというので、今度はそちらへ回ったが、『それは各航空会社が要請するものだから航空会社に聞け』と言われ、全く埒が明かない。この辺は如何にもタイ的な対応だった。 荷物検査前にはきちんと検温される。

国内線の搭乗ゲート付近には、意外ときれいなお店が並んでいた。でもタイ国内に行くのに、ここで買い物する人がいるのだろうか。田舎の親戚にお土産でも買うのだろうか。フードコート的な物もあるが、料金は国際線のところとあまり変わらず高い。賃料は国際、国内ともに変わらないのだろうか。

機内に乗り込むとCAはマスクに手袋の重装備だった。乗客は半分ぐらいか。殆どがタイ人のように見えた。知り合い同士は隣に座っているが、一人客などは間を空けた席が指定されている。一応パンなども出たが、飲み物もペットボトルの水だけだった。まあ1時間はあっという間だった。

ウドンタニーには数年前、ビエンチャンからバスで来て、そのまま空港から飛行機に乗ってしまったので、街の印象はない。そして今回もまた、街に寄ることはなく、そのまま国境へ向かう。因みに2週間ほど前にビエンチャン行きを思い立った際に、ウドンタニーに1泊するつもりで、キャンセル可能なホテルを予約していた。

だが予約日は16日であり、今回は泣く泣くキャンセルする。ところがキャンセル無料なのは1週間前までだったことに突如気が付き愕然としたものの、実際キャンセルボタンを押すと、その後全くキャンセル料を取られることはなかった。このご時世、ホテル側も仕方がないこととして扱っているのだろうか。

ラオス国境まではミニバスが出ている。カウンターで200バーツ払うと、バスまで案内された。いつ出るのかと聞くともうすぐとのことで好都合だった。だがその後乗ってきたのは3人だけで、いずれもタイ人。結局4人しかいないのであればと、別のタクシーに詰め込まれ、狭い思いをしながら国境を目指す羽目となる。タイミングは金曜日の午後、いつもなら外国人のビザラン希望者が乗ってくるはずだが、週末はビザ申請もできないので、空いているようだ。いや、元々ビザランする人ももういなくなっているのかもしれない。

車は国道に出た。いい道だ。意外と車が走っている。何となく1時間ほど走っていくと、国境に着く。まず一人がその手前で降り、次に私が国境の入り口付近で降ろされた。ということは、ラオスに向かうのは私だけということだ。タイ側イミグレに繋がる道で、『ビエンチャン行くか』とタクシー運転手に声を掛けられた。500バーツで行くというのだが、無視してタイ国境を歩いて通過した。

出た所で通行税を支払うゲートがあったが、今日は無料開放。バスに乗るには15バーツ。ボロボロのバスには既に結構人が乗っていた。かなりの荷物を持って乗り込んでくるので、ラオス人かな。バスはなかなか出発しないので暑かったが、時間はあるのでゆったりと構える。

ある日のバンコック日記2020(21)五輪は何のためにあるのか

3月11日(水)震災9周年

最近はバンコックでも連日コロナの話題ばかりで気が滅入る。そんな中、NHK7時のニュースを見てみると、女優の「のん」が生出演しているではないか。彼女は元々朝ドラあまちゃんで大ブレークしたが、その後トラブルがあったのか、テレビドラマへの出演も無くなり、我々の前から姿を消し、いつの間にか芸名すら変えていた。

その彼女、実に大人の表情になって、最近カムバックしてきており、注目されている。そして今回のNHK生出演。内容は東日本大震災9周年ということで、あまちゃん以降ゆかりのある東北に関する話題だった。もう9年も経ってしまったのか、というのが正直な感想だが、彼女は一つ一つ言葉をじっくり選びながら、話している様子が見て取れる。これは慣れていないせいなのか、性格なのか分からないが、好感が持てた。

私は9年前、26年務めた会社を辞めることが決まっており、後はいつまで出社するかを相談するだけという状態になっていた。そこにこの災害が起きてしまい、高層ビルの21階で、同僚たちと一緒に大きく揺れた。その後の混乱の中、既に戦力外になっていたので、2週間後に出社を止め、中国の茶畑に飛び出してしまったのだ。あれは私にとって日本からの逃避だったのだろうか、自分の行動を整理したことはいまだにないが、今回日本で起こっていることを見ると、その構造に変化がないことはよく分かる。

3月12日(木)聖火採火式

急に思い切って、明日ラオスに行くことにした。今回はもう旅ではなく、タイ滞在ビザ免除を延長することだけが目的となっている。徐々に緊迫しており、急がないと、日本人のタイ再入国が難しくなるかもしれない、などの、不測の事態が想定され始めてきていた。日本に帰るならはっきり決めないといけないのだが、ちょうど宿を延長したばかりでもあり、タイの方が日本より安心感が高いこと、今後の動きやすさを考えて、もう1か月タイに居ることにしたのだ。

夜またNHKを見ていると、ギリシャでオリンピックの聖火採火式というのをやっていた。本来は某元総理や吉田沙保里などが出向いて、その聖火を受け取る手はずであるが、既にギリシャに入国することすらままならないのに、まだ五輪をやると言っているのは滑稽以外の何もでもない。勿論日本国民をそう思っていると思いたいが、一体だれが何のためにこんな茶番をしているのだろうか。

このための準備させられている人々の気持ちなどはどうでも良いのだろうか。某元総理の精神論ももう聞き飽きた。そもそも2回目の五輪なのだから金を掛けずにやるべきところを、結局なんだかんだ言って利権絡みで、膨大な予算をつぎ込んだことで、もし中止となればいい訳すらできないと思っているのだろう。海外から見ていると、これほど情けない政治家はいない。

元々オリンピックに批判的な人は多い。ただ私個人はスポーツ観戦好きであり、特にマイナースポーツに日が当たるのが、五輪しかないという現状から、五輪開催サポーターではある。ただ、東京で開催する必要性は全くない。むしろ日本という国で行うことで様々な雑音が入って来て、好ましいとは思っていない。ましてやこれを好機と考えて乗り出す政治家や企業などが好ましい訳はない。

ニュースの途中で不愉快になり、外へ出た。バスに乗ってプラカノーンに向かう。今晩はインドから戻ってきたMさんと1か月ぶりに会う。さすがに?インド帰りで腹の調子が今一つというが、コロナとは無関係らしい。一応お腹に優しい和食を食べたいというので、和食堂へ行く。この食堂、プラカノーン付近に何店舗もあり、安くてボリュームがあるという、昔ながらの食堂だった。折角なので、偶に食べたくなるレバニラ炒め定食を食べる。

私が5年マルチビザを申請しながら行けていないインドに、Mさんは先月も今月もスルっと行っているのが恐ろしい。しかも今回は滞在中に、ビザ一時停止措置が発令されたというのだから怖い。インドでもし隔離でもされたらどうするのだろうか、と心配になってしまう。

だが彼はバラナシに何日も滞在し(勿論入国済みのビザは有効)、平気でガンジス川を眺めていたらしい。私も兎に角コルカタだけでも行っておけば、5年マルチが有効になり、停止解除後自由にインドへ行くことができたのだ。だがこの申請は4か月以内に入国しないと無効になり、再度取り直さなければならない。果たしてこんなことがあった後に、インドが簡単に5年マルチを出すだろうか。やはり私のインド旅は完全に振出しに戻ってしまった。

因みにインドが完全にロックダウンするというのは、尋常な対応ではない。本当に外出もできないし、何といっても、インド人ですら入国できなくなるのだ。日本人駐在員の中には、家族を残して出張に出てしまい、家族を出国させることもできない人もいるというからやはり恐ろしい。

ある日のバンコック日記2020(20)ビックリな再会

午後は大相撲大阪場所が始まった。何と観客を入れないで開催される異例中の異例な相撲だった。こうなると力士の息遣いやぶつかる音がはっきり聞こえて新鮮だ。更には行事や呼び出しの声もよく聞こえ、動きもよく見えるので、これまで気が付かなかったことがいくつも見えてくる。そして何より、観客の声援で相撲を取っていた力士、というものが結構いると感じられたのがすごい。これを従来は稽古場では強いが、などと言っていたが、声援効果はある力士にとっては、馬鹿にならないことを知る。

それにしても、力士が一人でも感染したら、場所はそこで終了という厳しい条件が付いている。もし途中で場所が打ち切られたら、優勝はどうなる?記録はどうなる?そこまでしてもやらなければならない本当に理由は何だろうか。相撲はオリンピックとも関連はないだろうに。相撲は神事なのだろうか。プロ野球もJリーグもすでに延期になっている今、なぜ開催するのか、各競技団体の利害関係が問われそうだ。

3月10日(火)日本人のタイ入国も制限

今朝ビックリするような話を聞いた。バンコックから香港に出張に行っていた人が、香港空港でタイ航空に乗ろうとして、搭乗を拒否されたというのだ。タイ政府は既に中国などからの入国者に対して、コロナ陰性証明書の提示を求めているが、そこには香港も含まれるというのだ。日本人かどうかは問題ではなく(日本から来る便では要求されない)、搭乗地の問題なのだ。

この人は日本に戻るなどの選択肢を色々と検討した結果、どうしてもバンコックに戻るため、何と香港の病院に手を回し、PCR検査を受け、その証明を入手したというからすごい。だが、再度搭乗手続きをしに空港へ行くと、今度は『10万米ドル以上の海外保険』の提示を要請されたらしい。クレジットカードの保険に入っていると主張しても、目に見える形を求められたが、振り切って飛行機に乗り込んだ。

そして今度はバンコックの空港でその保険の提示を再度求められ、それがなければ、乗ってきた飛行機で帰れ、と言われたらしい。結局夜の空港でネットを駆使して、オーストラリアの海外保険を探し当て、何とか入手して、無事のご帰還となったというのだ。これはもうただ事ではない。日本ではPCR検査を受けることもできないし、ましてやその証明を英語で出してもらうには気が遠くなりそうだ。私も身の振り方を真剣に考える必要を強く感じた。

ビックリな再会

午後相撲を見た後、出掛けた。前回髪の毛を切ったのが、ちょうど2か月前。ただ最近は濃厚接触に該当する床屋へ行くのが良いのかどうか、また床屋側も言葉が通じない相手に来てほしいのかどうかが分からず、躊躇していたのだ。それでも髪の毛は確実に伸びて行き、限界となったので、一番早く処理できるいつもの10分床屋へ駆け込んだ。

床屋はやはり空いていた。店員もお客が少なくて困っているのだろう。いやそうな表情は見せず(マスクで見えない部分はあったが)、いつもより親切丁寧な対応だった。やはり髪を切るとさっぱりしてよい。ちょっとターミナル21のお客具合を見に、上にも行ってみる。意外とお客がいたので、すぐにMRTに乗って引き返そうとしたが、BTS駅との交差で乗客がかなりいた。

MRTからBTSへ向かうエスカレーターはなぜか2本とも登りになっており、下る人は階段を使うしかない。階段を降りても人が多かったので、それを避けてバスで帰ろうかと、アソークの交差点で信号待ちをした。すると後ろから突然名前を呼ばれた。振り返ったが、そこに立っていた女性が一瞬誰だか分からなかった。

何とその人は5年ぶりに会うSさんだった。彼女と最初に会ったのはカザフスタンのアルマティ、2回目が5年前のカンボジア、シアヌークビル。今回が3回目だが、異常に印象に残る人だったが、まさかバンコックにいるとは思わなかった。聞けば、まだシアヌークビルにおり、たまたまバンコックに来ていただけというからあまにもすごい、偶然だった。日本人だが、日本ではきっと会わないタイプの人なのだ。

近況などを立ち話していたが、とても収まらないので、カフェに行って、話を続けた。彼女の人生はその滞在国や都市を見ても、普通ではなく、何とも劇的だ。5年前に訪れたシアヌークビルも、あれから中国資本が投入され、かなり変化してしまったらしい。今やバンコックとの間に直行便も飛んでいるという。コロナ終了後、機会があれば、シアヌークビルをもう一度訪れてみたい。

話は尽きなかったが、予定もあったので、1時間半ほど話して分かれた。次はいつどこで会えるのだろうか。また楽しみが増えた。因みのこのカフェでは、お客が帰るたびに消毒を行っており、その匂いが飛んで来て長居は厳しかった。既にバンコックは臨戦態勢に入っている感じがしたが、日本は相変わらず、ゆったりと構えている。

ある日のバンコック日記2020(19)自粛の流れが

3月7日(土)再会

昨日も1日炎天下のバンコックを歩き回り、かなり疲れた。ただあるミッションに目途がついたのは良かった。タイも徐々に真夏が近づいてきている。だが、既に来月予定されているソンクラーンの休みも取り消されるらしい。タイのコロナ緊迫感は高まってきているが、日本では学校だけが休校になっており、北海道だけが緊急事態だと言い始めている。

夕方、ブラタモリを見る。この番組、マニアックだとの評判をいつも聞いていたが、ほとんど見たことはなかった。見る機会がなかったというべきだろう。だが見てみると何ともためになることが多い。現在のアシスタント、林田アナはアナウンサーっぽくないなと思っていたら、芸大でピアノを専攻していたというからちょっと驚く。NHKも多彩な人材の採用を進めている。

今日は、甲賀と信楽がテーマ。信楽焼は以前工房を訪ねたこともあり、親近感があるが、最近は朝ドラで有名になっている。この朝ドラ、妙に抑揚がなく、面白いとは言い難いが一応見てはいる。陶芸家というのは本当に難しい仕事だと思う。番組ではお茶壺道中の説明などもしている。

ブラタモリを見終わった頃、部屋を出た。既に辺りは暗くなりかけている。バスでプラカノーンに向かっていく。まあどのバスに乗ってもラマ4通りを走って行けば、プラカノーンに着くので安心だ。ただバスは意外と混んでおり、皆マスク装着になっており、空いている車両を探す。エアコンバスの方が料金が高いので空きがある。

間違って少し前で降りてしまった。歩いてみると、大きな宗氏廟が見えたり、漢字の看板があったりと興味深い。やはりこの辺まで華人がメインストリートを占めていたわけだ。スクンビットまで出たが、道を渡るところがない。仕方なくBTSの駅を上下して向こう側へ降りた。それからGoogleで調べた通りに歩いて行ったが、またしても店が見つからない。有名な沖縄料理屋の横のはずだが。実はそのお店、7時開店だったが、まだ準備中で、やっていると分からず通り過ぎてしまっていた。

その店は日本人が経営しており、食堂というよりは、おしゃれない居酒屋という雰囲気だった。先週勉強会で知り合ったIさんと歴史談義をしようと声を掛けたのだが、何と主催者のY先生も一緒にやってきたので驚いた。何しろY先生を紹介されてから、わずか1週間ちょっと4回目の遭遇とは。普通ではあり得ないことだろう。Iさんは先日の勉強会参加者の中で圧倒的に若く、Y先生の助手的役割を担っていた。

Iさんはベビーカーを押している。お子さんをお店の人やお客さんがあやしてくれている間に、少し歴史談義をした。タイや東南アジアの歴史、そしてY先生が語る昭和の歴史。そこへタイ人女性がサッとやってきて席に着く。Iさんの奥さんだった。食事は何と隣から出前を取れるというので、和食となった。これは非常に便利だが、このお店としてはどうなのだろうか。店主は沖縄出身とのことだったが。

結局殆ど何も話していない、と思っていたが、気が付くと3時間もここにいた。店はいつの間にか満員になり、日本人の若者たちが酔っ払って大声で騒いでいた。コロナウイルスなど、どこ吹く風と言った感じだった。タイの緊張感とは裏腹に、ここは完全に日本だった。

3月8日(日)マラソン+無観客相撲

昨晩珍しく遅くに帰ったのだが、今朝は早起きした。マラソンの男女最終選考レースだった。女子の名古屋ウイメンズは元々中継を見られないので、速報を見て過ごす。男子のびわこは、NHKで中継があるのだが、なぜか30分くらいズレている録画。両方ともに気になるので、スマホで経過を追う。

男子の方は記録も低調で、途中から見るのを辞めて、後でNHKを追うことにした。女子はワコールの一山が快走。何と1月に松田が出した記録をあっさり抜いてしまい、代表に内定した。それにしても、見ている側からすれば面白いレース内容だったが、代表落ちした松田瑞生の心境はあまりにも悲しい。しかも男子ほどではないが、代表になっても本番でメダルの期待とは言いにくいタイムでもある。まあそもそもオリンピックは延期か中止か。そろそろはっきりしてもらいたい。

ある日のバンコック日記2020(18)日系航空会社の対応は

ANAへ

BTSまで歩いて行き、シーロムまで乗って行く。段々外出が不自由になるようなので、一度出かけた際に、他の用事も済ませる方針を取ることとなる。今日はANAの支店へ行き、特典航空券のキャンセルについて相談するつもりだった。何だかネットではキャンセルできないみたいなので、困ってしまっていたからだ。

バンコック支店に行くのは初めてだった。ビルの2階に上がると、店の外まで大勢の人が待っているのが見えた。店内も人で溢れている。どうやら、コロナ関連のキャンセルについて、無料でできるかなど、混乱が生じているようだった。先日のエアチャイナとのあまりの違いに驚いた。

店内に番号の紙があったので取ってみたが、一体何人待っているのか、いま何番の人の対応をしているのかも分からず、困ってしまった。電話も鳴りっぱなしで誰も取ろうともしない。ただ流石にタイ人と思うのは、これだけ訳も分からず待たされているのに、誰も怒ったり、文句を言っている人がいないことだ。

仕方なく支店内をウロウロしていると、白人さんが別室で何やら交渉していた。外で待っているのはタイ人ばかりのように見えたので、私も誰かが対応してくれないか、今の状況だけでも知らせてくれないか、と見回ってみると、マイレージデスクがあり、そこのスタッフが日本語で声を掛けてくれた。

特典航空券の件だというと、親切に色々と教えてくれた。だがそこで分かったことは、なんと『特典航空券のキャンセルは電話でしかできない』という衝撃的な事実だった。先日のエアチャイナは、全てネットでするものだったので、ここで日中のネット事情のあまりに大きな差に愕然となってしまった。日本は、何かあると店へ行くか、電話するかという、いまだに20世紀型の経営なのだ。

宿に戻ってすぐに電話しようかと思ったが、きっとパンク状態だろうと思い、まずはPCで予約の変更を試みたが、6月以降の予約はなぜか入れることができない。なぜできないのか、その辺の事情も分からないので、結局夜10時(日本時間深夜12時)に無料の番号に電話をしてみた。だが案の定、繋がらない。結局1時間以上経って諦めかけた頃、突然先方が応答し、話が始まった。

まあ残念ながら余計な確認やら、お知らせなどで時間をどんどんとられていく。そして肝心の予約変更も可能だというが、なぜネットではできないのか判然としない。最終的にもう一度変更となれば、また電話しなければならないので、キャンセルすることにした。オペレーターもクレームにはウンザリしているだろうから、何も言わなかったが、文句を言いたくさせるに十分すぎる対応ではある。

更に予約キャンセルは電話のみで、メールなどの確認も送られてこないので、不安になってしまう。翌日Yさんに話すと、ネット上の予約を確認するように言われ、すでに消えていたので、ようやくキャンセルを確認した。尚サーチャージの返還に関しては、何のお知らせもなく、1か月ぐらい経ってから、クレジットカードに突然戻されていた。まあこの時期だから文句は言えないが・・??

3月5日(木)コロナ混乱が本格化

昨日は一日中歩き回っていたので疲れてしまった。今日は朝から部屋にこもって過ごす。何と楽しみにしているプールも閉鎖されるらしい。運動不足が加速する。この宿では2月に最新式のジム器具も入れたばかりだが、使われることもなく、ジムが閉鎖されている。段々気がめいってくる。

ニュースを見ていると、日本では迷走が続いている。ついに中国と韓国からの帰国者に対して、2週間の自宅待機が要請された。既に遅すぎるだろうとの指摘が多く寄せられている。しかしそれにもかかわらず、オリンピックは通常通りに行うというのだ。あの元総理などは、精神論むき出しで、マスクなどつけず頑張ると言っているから驚きだ。日本が仮に開催しても世界の誰がやってくるというのだ。日本の政治家はどこを向いて話しているのか、全く分からず、困惑する。まさに狂気の沙汰だ。

いよいよタイからも日本が危険な国とみられるようになり、『タイ入国日本人も2週間隔離か??』とのうわさが流れ始めた。最近日本語で話していると、周囲のタイ人の目が厳しくなってきているのが分かる。私は既に2か月近く日本に帰っていない、と説明しないといけない状況になってきている。ちょうど部屋をもう1か月借りる契約をしたが、これは正しい選択だっただろうか。神のみぞ知る、というところか。