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ベトナム縦断茶旅2017(15)ホーチミンを離れる前に

11月21日(火)
早朝散歩

翌朝も又早く起きる。今日はベトナム最後の日。ホーチミンの川を見ようと出掛けた。ところが何となく道を間違えしてしまい、すごく長くてくねっている道を歩くことになる。最近とみに方向感覚が悪い。結局サイゴン川に出ることはなかった。よく見ると北の方へ進む必要があった。

 

ホーチミンの川と言っても、遠くに見えるだけだ。昔からよく行くマジェスティックホテルの横まで来て、何となく落ち着く。既にここまで1時間半近く歩いており、疲れてしまう。帰りは見慣れた旧市街を歩き20分ほどで到着したから、私が如何に道に迷っていたかが分かる。まあ、散歩だからそれでよい。

 

今日は夜中の飛行機で東京へ行くので、朝食を食べた後午前中は部屋にいることにした。すでに若くはない。あまり動き回ると体力が持たない。12時に宿をチェックアウトして、荷物を預けて、外へ出る。特にやることもないのだが、ランチを探して歩き始めた。昨日見た丸亀製麺に興味を持ったが、これから日本へ行くのにわざわざ食べることもあるまい、という気持ちになり、まずはベンダイン市場の方へ行く。横にフードコートのようなところがあり、様々な食べ物が選べたが、クーラーもなく暑いのでパスした。

 

最終的にやはり丸亀に入ることにした。午後1時過ぎで昼のピークは過ぎていた。昨日店員が『美味しいですよ』と声を掛けてくれたのが印象的だった。中に入ると、うどんだけでなく、どんぶり物からデザートまであった。面白い。我々が思ううどん屋のイメージとはちょっと違う。

 

暑いので2時前に宿に戻る。ホーチミンに来ると必ず会う人と待ち合わせていた。Kさん、ベトナム人の奥さんを持ち、ホーチミン在住で長い間、ベトナム人社会で生きてきている人だ。真のベトナムを知るにはこういう人の話を聞くのが一番だと思う。特に家族間の話、地方自治体の対応、ベトナムに進出して失敗する日本企業、日本人の話は大変参考になる。

 

話は宿のロビーで行った。Kさんのバイク、カギが壊れているようで、近くで見ていなと心配だという。飲み物を買おうと宿のフロントに行くと、スタッフが誕生会をしていたのが何とも面白い。それから延々、4時間ほどKさんの話を聞いていた。彼も普段、日本語をこんなに話すことはないようで、止まらなくなっている。おまけにスコールまで来たので、帰れなくなり更に話が長くなる。

 

夕方6時過ぎにKさんが帰って行き、私はそのままそこに座っていた。夜はNさんとここで待ち合わせている。この宿はNさんの紹介だから、ボーっと待っていたが、なかなか来ない。よく見るとフロントの方にいるではないか。声を掛けると『フロントではあなたは出掛けたと言っていたが』というので驚く。私は既にチェックアウトしており、荷物は午後9時に取りに来る、と言ってあったのだが、どうしてだろうか。

 

Nさんのバイクの後ろに乗せてもらい、食事に出掛ける。ローカルに人気の場所へ行くとのことだったが、ホーチミンも路地が幾重にもなっており、道に迷う。ようやく見つけたところは確かに賑わっている、屋根はあるが屋外の雰囲気がある海鮮料理屋だった。多くの低いテーブルと椅子が並んでおり、満員の客がいた。

 

ここの料理は新鮮で旨かった。隣にはシンガポールから来た華人がおり、店の女性と中国語で会話していた。この店も華人系ということだ。さすがに大きな商売をしている。酒を飲まない我々はどんどん食べる。Nさんの近況の他、共通の知り合いの話題などで盛り上がる。3年ぶりとは思えない。Nさんはお子さんの塾のお迎えがあるというので、少ししたら私を宿まで送り、帰っていった。彼もまたベトナム人女性と結婚して、長くこの地に住んでいる人だ。

 

ホーチミンを離れる
夜9時前になり、宿で荷物を受け取り、ついでに空港までのタクシーを頼む。フロントがアプリで呼んでくれ、大通りまで一緒に行ってくれる。まあ普通にタクシーを拾っても問題はないが、10ドルならこれの方が確実か。30分もかからずに空港に到着。運転手はかなりのスピードで飛ばしていた。客からボレなければ、そうなるわな。

出発3時間前でもチェックインは出来た。前回のハノイでもそうだったので、これは空港の戦略なのか、それとも航空会社のサービスなのか。いずれにしても、暇ではある。ただ搭乗者はかなり多く、イミグレと税関ではかなり並んだ。ベトナムを訪れる外国人もどんどん増えているのだろう。

搭乗するとすぐに寝入ってしまった。機内食が配られた様だが、それにも気が付かなかった。こんな夜中に食事をするものなのだろうか。しかも時差が2時間あり、乗り込んだ時点で午前2時だったというのに。こういう時はLCCの方が落ち着く。フライトは多少遅れたが、インチョンに着き、成田行きのフライトにスムーズに乗り換えられ、昼前には無事に成田に到着。今回の旅はベトナムを縦断したが、意外と疲れたのは、夜行便のせいばかりではあるまい。

ベトナム縦断茶旅2017(14)ホーチミンの茶荘へ

そして夕飯を食べるために外へ出た。この辺はバックパッカーが集う繁華街。だが外国人向けの商売しているところが多く、メニューに英語はあるが、サービスも悪く、料金も高い。一度入った店からも出てきてしまった。何とか食堂を探して美味しい麺を食べるまでにはかなり時間が掛かった。ムイネーの暗さから一転、余りの明るさに目がくらむ。今朝は4時起きで疲れていたので、とにかく宿の6階まで這い上がり、折角確保した電気ポットも使わずに、すぐに寝込む。

 

11月20日(月)
朝の散歩

翌朝は早く起きたので、散歩に出る。雨はなく天気もよさそうだ。実は宿の位置がよくわかっていなかった。これまでは地図やガイドブックを持って歩く、アナログ型だったが、地図なしで行動する、必要あればスマホで確認するというやり方は、私には全体像がつかめなくて困る。まあ適当に歩いていると、何となく見慣れた光景が出てくる。

 

ここは有名なベンタイン市場だろう。中は準備中だが、外の花屋は朝からやっている。その横の道は閉鎖されており、地下鉄工事が3年前と同じような状態になっていた。何故だろう?ふと振り返ると日本食屋がある。この辺は日本人街なのか。その中に丸亀製麺があったのは驚きだ。ベトナム人向けなのか、麺は柔らかいのだろうか。

 

宿に帰り、朝ご飯を食べる。満員だったが何とか席を確保して、トーストと目玉焼きを頂く。食後は部屋でゆっくり休む。さすがに疲れてきた。ホーチミンは日が出ればかなり暑いはずだ。私の旅は無理せず疲れたら休むのだ。今日は午前11時半に紹介された台湾人と会う予定になっているので、それまで旅行記を書いて過ごした。

 

その台湾人、張さんは宿までやってきてくれた。思ったよりずっと若い人だった。何とホーチミン台湾人学校で先生をしているという。因みに台湾人学校の生徒数は1000人を越えており、日本人学校より多いという。台湾人は全体で何人いるのだろう。さらに韓国人学校はもっと多いそうだ。この辺に勢力図が見えてくる。

 

そして何よりお茶好きで、先日私が訪問したダラットの呉さんのところで、茶作りまでしているというのだ。これは結構驚きだった。取り敢えずタクシーで昼ご飯を食べに行く。連れて行ってくれたお店には、外国人もたくさん来ていた。バインセオ、何だか懐かしい食べ物を食べる。飲み物はレモンにソーダを入れているのが面白い。バインセオ、いつ食べてもうまい。作っているところが見られるのも豪快でよい。張さんの学校は昨日が運動会で今日は代休だったようだ、有難い。

 

張さんと茶荘へ
それからまたタクシーに乗り、ちょっと郊外の茶荘へ向かう。こんなところに茶荘があるのかという高層アパートが並ぶ、住宅街だった。そこに新しそうなお店があった。中に入ると、店長という女性が中国語を話している。ここは大陸中国人が開いた店で、お客も中国語を話す人が多いらしい。

 

張さんは慣れた様子で2階に上がる。個室やら仕切りのある席がいくつかある。お茶は店員の女性が淹れてくれる。平日の午後だからお客はいない。ここで働く女性は全員中国語が出来る訳でもない。我々のところにやってきた彼女も殆どできなかった。そして僅かな日本語を話した。日本の方が好きだが、収入は中国語、という感じだろうか。

 

張さんはここに沢山の茶葉を預けており、時々ここでお茶を飲んでいるらしい。取り敢えず店のメニューから花茶など1-2品選び、その後は彼のお茶を飲んだ。彼は自分で茶作りをしているのだから、チェックポイントが細かい。私にも意見を求めてくるが、よく分からない。

 

驚いたことに、彼は学生の時、台湾茶の歴史について研究していたというのだ。ちょうど私が探していた大学教授が指導してくれていたと聞き、驚くほかなかった。ホーチミンでこんな出会いがあるのだろうか。他にも共通知り合いが何人かいて、そんな話で時間はすぐに過ぎてしまった。

 

夕方宿に帰る時も、店の人がスマホでタクシーを呼んでくれた。料金は6万ドンだから、と教えてくれ、助かった。夕方だからラッシュかなと思ったが、すぐに宿に着いてしまった。そんなに遠くない場所なのに、かなり雰囲気が違う街だった。ホーチミンも広い。何区、何区と言われてもよく分からないが。

 

夜になるとまた宿の周囲を歩き回る。賑やかな街なのはよいが、一人でさらっと入れる店はとても少ない。白人が酒を飲んでいるか、皆で騒いでいるか。私はだんだん暗い方に追いやられていく。そしてついに暗い道の、暗い屋台で麺を頼む。暗いので麺すらよくわからない。だが食べてみると、何となくカレー味で新鮮だった。でも料金は少し高めだ。ぼられたのか、それすらわからないほど暗い。フラフラ部屋に帰る。

ベトナム縦断茶旅2017(13)ホーチミンへ

砂の中を駆け回るが、どうしても見付からない。方向は合っていると思うのだが、どうしたのだろう。何とか英語が通じる人間を見付けて聞いてみると、更に向こうを指した。そちらに歩くと同乗のカップルが前を歩いていたので、ホッとした。何とかジープまで辿り着いたが、若い女の子がいない。『あの子、英語も出来ないし、どうしよう』と言っていると、運転手は車を出してしまう。何と道路に出たところに彼女は立っていた。実は彼女はベトナム人だったのだ。なんでやねん。

 

もう一か所、砂丘へ行った。こちらが白い砂なのだろうか。もうあまり興味は無くなってしまった。車を降りると子供たちが近づいてくる。私のところには誰も来ないのだが、韓国人の若者にボードを渡している。ここでは砂の坂でボードを尻に敷いて滑るらしい。誰がそれをやりそうかはよくわかっているようだ。さすが商売。まあ20分ほどで退散する。

 

それからムイネーの街に入る。そこは漁師町、魚市場を見に行くというが、どうみても市場という程の大きさはない。雨が降ってきたのでただ海を眺めていたが、中国人の観光客は朝から大量の海産物を買い込んでいる。あんな、エビや魚、どうするんだろうか。ホテルで調理も出来まいに、と思う。

 

最後にフェアリーストリームへ行く。運転手にその名を言われても、どんなところか想像がつかない。そこは小川、何と靴を脱いで川の中を歩いて行くのだ。その川沿いに奇岩が見られるということだが、その前に川に意外と深いところがあり、足を痛めてしまった。それでも皆が行くので恐る恐る進む。なんでこんなことをしているだろうかと思ったが、何となく気持ちよくもある。

 

20分近く歩いて行ったが、特にすごいものは見られなかった。川に入る時に置いてきた靴が気になってきたので、急いで戻る。韓国人は興味がないのか、既に我々を待っていた。そして車に乗り込み、各人のホテルに送られて、ツアーは終了した。まだ朝8時過ぎ、疲れたので部屋で寝る。

 

それからバインミーを買いに出る。ベトナム滞在も2週間近くになると、バインミーかフォーが程よくなる。ご飯ものは重たい。バスに乗る前には重たいものは避けたいところだ。12時になると部屋を追い出された。バスは午後1時なのだから、それまでいてもよいと思うのだが、そんなところのサービスが欲しい。仕方なく1時間、散歩した。もう食事はしたくない。

 

ホーチミンへ
午後1時に荷物を持ってバスを待つ。何と雨が降り出した。それも強い雨。スコールともいえる雨だった。バスがやってきたが、これはホーチミンから来た逆向きだった。いつになったら来るのか心配なった頃、私が乗るバスがやって来た。雨が強いのでスタッフが編み笠をくれた。このサービスは良い。

 

シートは昨日と同じ場所だったので、他のシートがどんな感じか分らなかった。既に多くのお客が乗り込んでいて、その間に割り込む形だ。出発してすぐにまた停まる。ムイネーには2か所の停留所があったのだ。郊外にロッテのショッピングモールがあった。すごい、韓国パワー。

 

それからは雨の中をひた走った。そして1時間おきに2度停まった。2度目はかなり大きなサービスエリアで、品ぞろえも豊富だった。ここでちょっと腹が減ったので、ホットケーキのような物を買って食べる。特に味はないが、お腹には優しいのでよい。ここを出た後は、国道1号線も混み始め、特に停まることはなく、ホーチミン市内に入っていった。雨の中、何時着くのだろうと心配したが、予定通り約5時間で、到着したので驚いた。意外と正確なツアーバスだった。

 

6. ホーチミン
きれいな宿で

バスがどこに着いたのかはよく分からなかった。雨も降っていて、歩道はかなり混乱していた。こういう時にスマホは役に立つ。今回ホーチミンは知り合いのNさんが探してくれた宿を予約していた。スマホで探してみると、何と歩いて3分のところに宿があるではないか。Nさん、ナイス!傘もささずに宿を目指す。

 

路地を入るとそこにきれいな宿があった。予約している旨を告げたが、手間取る。どうやら新しい宿らしい。若者が丁寧に案内してくれた部屋は6階、そしてエレベーターは無し。おまけに後から付けたしたような階段の上にあったのでガタガタだ。ただ部屋はきれいで窓からの風景もよい。机はないが、テーブルがあるから問題はない。ベッドもフカフカ。

 

更には電気ポットがあるはずだったが、それがなぜかない。なければインスタントコーヒーはどうやって飲むんだ、と下まで行ってフロントの若者に聞いたが、彼も困ってしまい、また6階へ上がり確認するも、ないものはない。そしてまた下へ降りていき、探すがない。私は上り下りに疲れ果ててしまう。するとフロントの横にいたインド系のおじさんが『俺は要らないから、使え』と言い、若者に部屋の鍵を渡した。何とも不思議な光景だったが、私としては有り難く頂く。

ベトナム縦断茶旅2017(12)ムイネーの宿

5. ムイネー
ムイネーの宿

ムイネー郊外にあるハンカフェのオフィス前にバスは停まった。ここまで5時間半かかった。まずは明日のバスの時刻を確認するためにスタッフのところへ行く。その際、ホテルはどこ?と聞かれたので、まだ決めていない、というと、ここの上に部屋があるから泊まれば、と言われ、そのまま荷物を持って、部屋を見に行く。まあ、机もあり、便利でもあるので、ここにした。1泊15ドル。あまりに安易か。

 

実は沢木耕太郎は15年前にムイネーに来て、宿に困り、バイタクに乗って、最終的にかなり立派なリゾートホテルに泊まったとある。私もそこに泊まろうかと思ったが、今でもあるそのホテルは1泊100ドルもした。まあついてから決めるかと思っていたが、この周辺には宿はいくらでもあるのに、なぜ簡単にここにしてしまったのか。取り敢えず腹が減ったので外へ出る。

 

何となく雨が降りそうだったので、斜め向かいの食堂に入り、チャーハンを頼んだ。そこの入り口は小さく、細長い通路を行くと、ビーチに出る。ここのビーチはほぼホテルなどに占拠されており、ニャチャンと違って簡単には拝めない仕組みになっている。特にビーチで泳いでいる人もいない。寂しい。チャーハンも何となく寂しい。ここはリゾート地なんだと認識。

 

取り敢えず、道沿いに歩いて見た。ここにはいくつもの立派なホテルがあった。そして団体バスが停まっていた。白人バックパッカーがザックを背負って歩いている。こちらのための宿も沢山あるようだ。喉が渇いたのでジューススタンドでレモンジュースを買って飲む。

 

宿まで戻ってきたが、反対方向にも歩いて見る。こちらにも立派なリゾートホテルがいくつか見られたが、ひときわ立派な、サイゴン・ムイネー・リゾートというが見えてきた。ここが沢木の泊ったホテルだった。広い敷地、きれいなプール、瀟洒なコテージ、思っていたよりさらに立派で驚いた。これで100ドルなら、泊ってみるべきだったかとも思うが、コテージに一人、朝食も一人というのはかなり寂しいので、止めてよかった。

 

一度宿に戻り、休む。この宿も何もないがそれほど悪くない。トイレは広いし、シャワーも熱い。クーラーも効いており、しかも蚊や虫もこないようで、休むには申し分ない。Wi-Fiもちゃんと機能している。ただバスはそれからも両方向からやってきたが、泊っている人はいない。この辺で15ドルは高いのかもしれない。

 

夕方になってまた外に出た。ちょっと遠出して見ようと思った。チャム塔という場所が地図にあったので、そこを目指して道沿いに歩いていく。だが、日暮れは予想以上に早かった。30分も歩かないうちに暗くなってきて、これ以上進んでも塔は見えないだろうと思ったので引き返した。帰りにバインミーを買った。これは安くてうまかった。地元民向けだ。明日の朝は非常に早いので、すぐに寝入る。

 

11月19日(日)
砂丘へ

朝4時にきちんと起きた。実は昨日宿を決めた時、担当の女性が『ムイネーに来て赤い砂丘に行かない人はいない』と訴えてきて、何となくそのツアーを申し込んでしまった。ベトナムの英語ツアーは安くてよい。僅か10ドルなのは良かったのだが、朝日を見るため、何と集合は4時半だというのだ。まあ、これも流れだと、行くことにしたのだが、何と何と夜半に雨が降っていた。どう考えても行きたくない状況だったが、起きてしまった。

 

宿の前で待っていろと言われたが、果たして迎えは来るのだろうか。真っ暗だし、誰もいないので、不安は募る。おまけに小雨も降っている。だがその不安をよそに、ほぼ4時半に軍用ジープ?が宿にやって来た。そこにはすでに若い女性が一人で乗っていた。何人だろうか。それから別のホテルで白人カップルを拾い、出発かと思いきや、更にかなり遠くまで走っていき、韓国人の若者二人をピックアップ。ただ座る席はなく、後ろの荷物台に押し込められる。

 

メンバーが揃うと、車はムイネーの街を抜け、さらに遠くへ行く。30分ぐらい走ってようやく到着。そこは確かに砂丘だった。向こうの方に小高いところが見え、あそこから朝日を拝むらしい。ただ雨こそ止んでいたが、太陽が出そうには思えない。運転手が『あそこまでは遠いので、乗り物に乗って行け』というのだが、一人20ドルもかかると言われ、拒絶して、歩き始める。

 

小高い場所までは確かに遠い。思ったより多くの観光客が来ていたが、途中で疲れた。360度砂なのだが、それ以上でも以下でもない。写真に収めて、皆が戻る方に戻っていく。ところが、なぜか近いなと感じる。どうやら、違う場所に戻ってしまったらしい。一緒のジープで来た人々の姿も見えない。急に焦る。どこから行けば、元の場所に戻れるのだろうか。言葉も通じないし、運転手の電話番号すら知らない。これは困った。

ベトナム縦断茶旅2017(11)長距離バスの旅

11月17日(金)
ボー・ナガル塔

結局よく眠れないまま、朝を迎えた。午前5時半、既に周囲は明るい。すぐに外へ出た。ジョギングする人々がいる。ビーチに行くと、何と地元のおじいちゃん、おばあちゃんが水着を着て泳いでいた。これは凄い。私は暑くないうちに散歩を済ませるつもりなのだが、彼らは混まないうちに海を占拠するつもりなのだろう。

 

ビーチ沿いに北へ向かう。立派な橋が架かっており、そこを越えると魚市場があるはずだった。だがそこは既に寂れており、老人が朝のお茶を飲んでいるだけだった。その向こう側に目指すボー・ナガル塔が見えてくる。まだ6時過ぎだが、既に開いているのがよい。入場料を払い、中に入る。

 

この塔はチャンパの王様が8-13世紀にかけて建てたと言われているが、ジャワの侵攻などもあり、財宝は持ち去られてしまったらしい。坂を上って行くと上にお堂がある。チャンパのお寺だと思っていたが、行ってみると仏教的色彩が強い。線香が立ち込め、仏像が置かれたりしている。この遺跡が残った理由は、地元の仏教信仰と結びついたからだという。何とも不思議な光景だが、これが現実というものだろう。お祈りに来ている人も仏教徒のようだった。

 

ニャチャン川沿いを歩くと、船が並んで停まっていた。実に優雅な風景だった。ただもう漁に出る船の数は少ないのだろう。朝日を浴びながら、ゆっくり橋を渡る。それからダム市場というのがあるというので行ってみる。ここは観光用なのか、朝はそれほど店が開いていない。

 

ゆっくりとホテルに戻っても8時半だった。シャワーを浴びてから朝食を食べる。かなり疲れたこともあり、ここを出て別のホテルを探すのも面倒なので、ここにもう1泊することにして、ダラダラ過ごした。昼ご飯も食べる気がなく、飲み物だけを飲み、ビーチを眺めていた。

 

流石に午後3時になって外へ出た。昨日閉まってしまった教会へ向かう。ここは午後4時までなので、そこを目指したわけだ。入口で『どこから来たのか?』と聞かれたのはなぜだろうか。日本人というとあっさり通してくれたが、中国人だったらダメなのだろうか。教会は小高い丘の上にあり、周囲がよく見えた。中国人観光客も沢山いた。

 

 

その近くにはローカル市場があった。さとうきびのジュースをバイクで買いに来ているのが面白い。それからビーチ近くに戻り、両替をすることにした。中国語で両替と書かれている場所では、中国語は通じたがレートは悪かった。最終的には宝石店に入る。そこにも白人店員がおり、白人相手の商売が多いことを窺わせる。両替レートもよく、今後は銀行ではなく、宝石店を探すことにしようと思う。

 

かなり腹が減ったので、その辺の路地のラーメン屋に入る。中国系のおじさんが作る叉焼麺は安くて旨いが、足を蚊に食われて、痒くて長居できないほどだった。早々に退散する。そして恐怖の夜を迎えたが、ベッドに虫は現れず、余りに朝早起きした関係で完全に熟睡して、ディスコの音もきにならなかった。

 

11月18日(土)
ムイネーへ

翌朝も当然のように早く起き、6時半には朝食を食べに行く。朝のビーチも実にきれいな風景だったので、写真に収めて、すぐにご飯をかき込む。そして荷物を持ってチェックアウト。100ドル札を出して払っていこうとすると、ちょっと待てという。1泊50ドルは特別料金なので、契約書にサインして欲しいというのだ。恐らくはあのおじさんが特別に法人料金でも適用してくれたのだろうが、私は個人だし、もう二度と来ることはないと思うので拒否すると、女性は困ってしまった。ただ私も時間が無いので、強引に出てきてしまった。

 

8時発のバスに乗るため7時半に来い、と言われていたが、7時40分についても余裕があった。早めの集合は鉄則なのだろう。ただバスはちゃんと8時前にやって来て、皆が乗り込んでいく。このバスは長距離、寝台バス、3列、2段だ。私は真ん中ぐらいの下のシートに入った。窓の横だし、悪くない。バスは本当に定刻に出発したので驚いた。

 

ベトナムも時間厳守になったものだ。乗客は白人が多いが、ベトナム人も結構いた。ただ走り出して1時間でガソリンを入れているのはご愛敬か。いや、この間もトイレに行く人がいる。このバスは勿論ニャチャン発ではない。トイレがついていないので1-2時間に一度は停まるようだ。その次はまた1時間後にサービスエリアで停まり、その1時間半後にはランチのために停まった。まあ、急ぐ旅でなければ安心できてよい。

 

ちょっと狭いがただ寝転んでいればよいので座っているより楽だ。ずっと国道1号線を走っていたが、今日の私の目的地、ムイネーに近づくと、海沿いの道を走っているようだ。その内にムイネーの街に着いたが、ここで降りたのはベトナム人だけ。外国人はその先のビーチリゾートで下車することになっている。街は小さく、あまり発展していないが、リゾートは、立派なホテルがいくつも見えてくる。

ベトナム縦断茶旅2017(10)ニャチャンを歩く

4. ニャチャン
ホテルを値切る

この辺に安宿は一杯あるようだったが、折角ビーチに出てきたのだから、海の見える部屋でゆったり過ごしたいと思い、ビーチの方に歩いて見た。すると道路脇にちょっと立派そうに見えるが、結構古そうなホテルがあった。こういうところが狙い目ではないかと思い、料金を聞きに入る。

 

聞いてみると朝食付きで1泊60ドルぐらいだった。昨晩が10ドルちょっとだから、かなりの飛躍になる。もうちょっと安くならないか、と聞いてみると、何となく5ドルぐらい下がったが、やはり高いと思い、近所のホテルを探しに行く。その裏のホテルはきれいそうだったが、はるかに高かったので面倒になり、最初のホテルに戻った。大汗をかいて戻ってきた私を見て、フロントのおじさんが『1泊50ドルにしてあげる』と優しくしてくれた。

 

部屋からはビーチも見え、広くて明るくてよい。気に入ってしまった。クーラーを掛け、冷たい水を飲めば、気分は爽快だ。ビーチはかなりきれいで長い。思わず暑いにも拘らず、ビーチを見に外へ出た。だがまずは腹ごしらえ。焼肉ご飯を食べる。これはいつ食べてもうまい。

 

それからわき道に入った。そこには漢字も沢山表記されていたが、それ以上にロシア語が使われていて驚いた。旅行社を覗き込むと、何とロシア系と思われる男性がいた。英語、ロシア語対応要因だ。歩いている観光客もよく見えればロシア人らしい人が多い。いや、思い出してみると、3年前にカザフスタンに行った時、バンコックからまずホーチミンに飛び、そこで乗客を拾ってアルマティに向かったが、その乗客はニャチャンビーチに行ったと言っていた。

 

そう、ここはロシア及び中央アジアの人々に人気の観光地だということを確認した。ホテルの部屋のベランダにも、『洗濯物を干すな』という表示が中国語とロシア語で書かれていた。それほどまでに観光客が多いのだ。きっとビーチに寝ころんでいる人々も北の方から来たのだろう。

 

ついでにホーチミンへ行くためのバスチケットを買おうと思い、シンカフェの事務所を探す。これは沢木耕太郎が15年ぐらい前に『一号線を北上せよ』という本を出し、その中でホーチミンからハノイまで、キムカフェのツアーバスを使って旅するのだ。私はこれに乗りたかったが、キムカフェはトラブルが多そうだったので、一番メジャーなシンカフェで行きたかった。

 

だがシンカフェのオフィスは見付からない。暑さはどんどん増していく。一度宿に戻って出直そうと帰りかけると、そこにハンカフェという文字が見えた。確かこれも沢木の本に出て来たなと思い、中に入ってみる。するとちょうどよい時間バスがあったのでその場で購入してしまった。ここはホテルから近いので、移動の不便もなく、ちょうどよい。僅か22万ドンでムイネー経由ホーチミンまで行けるのだからすごい。

 

それから気を取り直してビーチにも行ってみる。砂が凄く熱い。ビーチはきれいでパラソルがリゾートだった。白人が非常に多く、一部は肌の露出が激しく、ヌーディストビーチのように見えた。こんなところにカメラを持って入り込めば、トラブルになりそうだったし、何より暑かったので部屋に帰った。

 

ニャチャン散策
夕方を待っていたが、夕日は一向に落ちない。仕方なく、散策に出掛けた。まだ何となく暑かったが、構わず歩く。ビーチは人で賑わっていたので、反対方向へ向かう。丘の上に教会があるようだった。だが下で止められてしまう。開門時間が限られていたのだ。残念。また明日来よう。

 

その先にはニャチャン駅があった。先日のダラット駅とは違い、駅舎は比較的新しく、こちらはちゃんと使われているようだったが、いずれにしてもベトナムの鉄道は時間が掛かり、バスの方が早いと思う。その横には日本製品を扱う専門店があった。日本もベトナムでは人気のようだ。

 

更に歩くと隆山寺があった。ここは先ほどバスから見えたので、来てみたいと思ったところだ。1889年創建というから、フランス時代の初期だ。本堂に行くと、ちょうど掃除中だった。団体がやってきて、横の階段を登り始めたので、何となく付いていく。因みにこの団体、英語ツアーの参加者のようで、国籍も宗教もバラバラのようで、なかなか面白い。中腹に寝そべる仏像を発見。息が上がりながら登り切ると大仏が鎮座していた。ここからニャチャンの街が一望できた。夕暮れが美しい。

 

既に暗くなっていた。どこかで夕飯を食べようと思い、歩いて行くと、街角で人が沢山いる露店があった。見ると鶏肉を大鍋で茹でていた。何とも美味しそうで、おばさんに呼び込まれて、つい席に着く。学校帰りの学生や女性が多く食べていたので、何となく安心できた。こういう店は安くてうまいのだ。その経験則は完全だった。チキンライスから鶏のスープまで非常に美味い。実は向かいにも同じもの出す店があったが、こちらに客はいなかった。やはり美味いのだ、この店は。面白い。

 

フラフラと夜のニャチャンを歩き、宿に帰った。今日はフカフカのベッドで寝られると喜んで、早めに休むことにしたのだが、夜10時を過ぎると、何と階下のディスコの騒音が3階のこの部屋まで聞こえてくる。そういえばカジノもあるのだ、このホテル。おまけになぜか、虫に噛まれて痒い。折角高い?部屋代を出したのに。明日は出て行こうか。

ベトナム縦断茶旅2017(9)ダラットからニャチャンへ

駅を離れて、湖に出ると宿の方に歩き出す。さすがに反対に歩くと戻るのに相当の時間が掛かると見たからだ。宿の近くには市場があった。そこまで来て腹が減り、フラッと低い椅子に座り飯を食う。2万ドン、やはり市場の飯は安い。観光地ダラットにはきれいなレストランも多いが、自分にはこちらの方が合っていると感じる。市場では花が沢山売られていた。張さんが作ったものもあるのだろうか。

 

午後はそのまま湖と反対方向に歩き出す。こちらは地元民の道のようだ。ずっと歩いて行くと立派な門を持つ寺があった。霊山寺、1938年創建で、当時のフランスと中国の様式が折衷された独特の雰囲気の建物。ベトナムらしい寺だったが、人影は殆どなく、ベトナムの仏教はどうなっているのだろうかと思う。

 

疲れてきたので宿に帰って休む。だが何と眼鏡をベッドの上に置いてしまい、そこに手をついたので、眼鏡が完全に曲がって、使い物にならなくなってしまった。これは困った。仕方なくフロントで眼鏡屋の場所を聞くとすぐ近くにあるというので飛び出した。眼鏡をかけないと本当に看板が見えない。不安が過る。

 

何とか歩いて3分ほどで見つかったので中に入る。若者が片言の英語を話したので安心して預けた。ところが治し方が全然なっておらず、曲がったまま返されたので驚いてしまった。すると奥にいた父親が出てきて、その仕事を見て黙って眼鏡を取り上げ、自分で治し始めた。3分もするとほぼ完全に元に戻る。やはり伝統的な職人は違う。息子は未だ修行中なのだろう。修理費は5万ドン、まあ仕方がない。

 

眼鏡の件で驚いて疲れが吹き飛び、そのまままた散歩を続ける。すごく目立つお寺があったので近くに行ってみると、まだ建設中だった。誰がこんな大きな、立地もよい、豪華な寺を建てているのだろう。資金の出所が気になる。社会主義国ベトナムでも、宗教政策が進んでいるのだろうか。

 

湖の周囲を歩いて見た。夕方の散歩をする人、老夫婦や犬を連れた人が多い。馬車が置かれ、馬がのんびりしていた。湖はかなりきれいで、特に夕方の風景がよいようだ。湖と宿の間にはおしゃれなカフェが揃っており、ここは観光客向けかと思っていたが、意外と地元の若者も来ているようだ。

 

夜はちょっと寒いくらいだった。昨晩の標高1600mから少し下がったとはいえ、やはり高原なのだ。風が冷たい。とにかく温かい食べ物が食べたいと思い、フォーの店を探した。地元の人が行きそうな近くの店、そこでは若い三姉妹が切り盛りしていた。お客はどんどん入ってきて忙しいそうだ。野菜がたっぷり盛られた皿が出てきて、湯気の立つフォーも美味しかった。名物店なのかもしれない。部屋に帰ってすぐに寝込む。何とか寒さは凌げた。

 

11月16日(木)
ニャチャンへ

翌朝は6時台に起きる。この宿でニャチャン行のバスを予約しており、バスが迎えに来てくれるというのだ。120000ドン(5.5ドル)と安い。まあ、ベトナムなので、元々8時だったが、7時半に変わったと言われても、どうせ来るのは8時だろうとたかを括り、ゆっくりロビーでチェックアウトを終え、ソファーに座った。だがバスは本当にすぐに来た。荷物も車内に運び込んだ。

 

乗客は殆どいなかったが、すぐ近くの旅行社の前で停まったので、ここでたくさん乗ってきて、時間が掛かると思われた。ところがここでも殆ど乗って来ずに、すぐに出発した。何とも驚きだ。バスは昨日来たガウダットに向かう坂を上り始め、30分後には、ガウダットを過ぎ去った。何とも順調だ。

 

実はダラットから海岸線のニャチャンまでは車で3時間と言われて、そんなに近いのかと驚いた。ところが先日珍しく台風がやってきて、このダラットからの道が不通になってしまったと聞いていた。ただ道は2本あるので、もう一本は大丈夫だというので、乗り込んだわけだ。途中道路工事をしている場所がいくつかあった。恐らく不通にはならなかったものの、被害があったということだろう。

 

それにしても順調だった。途中で地元民が何人か乗り降りして行っただけで、このままいけば3時間もかからずにニャチャンに着けそうだったが、2時間弱走ったところで、休憩所に入った。もうあと30㎞ぐらいなんだから、休憩などしなくてもよいのに、と思ったが、仕方がない。トイレに行く。

 

乗客は、中国人のカップルと白人バックパッカー2人と私しかいない。まあまだ午前中ということもあり、誰も急いでいる様子はない。後から来たバスもここで停まった。ところがそのバスはトイレ休憩を済ませるとすぐに出発したのに、我々のバスは動かない。運転手はバスをきれいに洗った後で、ゆっくりご飯を食べているではないか。結局ここで40分余りも休憩してしまう。時間がもったいない。

 

後は平たんな水田の横を走り、それから市内に入る。ここでまたガソリンなど入れているから、白人はここで降りてしまったが、私はじっと終点まで乗っていた。その方が、次の展開がしやすいと判断していたからだ。最終的には11時半に、海辺に近い道路沿いにある旅行会社のオフィス前に到着した。とにかく山から下りてくると暑い!

ベトナム縦断茶旅2017(8)茶園から花農園へ

韓さんが茶葉を持ってきた。実は彼は夜中には茶作りをしないことにしている。殺青まで終えたところで、保管庫に入れて朝を迎える。それからその後の作業を日中に行うのだという。取り敢えず昨晩作っておいた茶葉を試飲している。この時点までの茶を飲むことはあまりないので、ちょっと新鮮だ。

 

8時に工場が開き、従業員が出社して、作業が始まる。見慣れた機械が並んでいる。ほぼ台湾から運ばれてきたものだ。枝取りなどは手作業で行われている。ここで働くスタッフの多くは、地元民ではなく、中部辺りから来た出稼ぎ者だという。ここの若者は、年1回の珈琲が終われば後は遊んでいるらしい。ベトナムもすでに無尽蔵に労働力がある時代は過ぎているらしい。コストも上昇している。

 

韓さんが車で茶畑を案内してくれるというので出掛けた。何とか雨は止み、霧も晴れてはいた。工場のすぐ近くに、茶園があったが、ここは観光地化しており、きれいな茶畑の中で朝から結婚写真の撮影が行われていた。この辺はフランス時代に茶樹が植えられ、紅茶作りが行われていたと聞く。一部に大葉種の茶樹、そして茶工場も残っているらしいが、今回は確認できなかった。

 

韓さんの茶園はここから少し離れていた。20年前に台湾から品種、金萱を持ち込んだという。金萱はどんな環境でも育つ強い品種で、ベトナムでもその力を発揮したらしい。ここで作られているのは台湾方式の高山茶だが、その茶葉は台湾とは少し違っている。そして作られた茶葉の多くは台湾に輸出されていた。だが最近は台湾での売れ行きがよくない。

 

韓さんは私を花園に案内してくれた。何と彼は茶葉の先行きに不安を覚え、花の栽培への転身を図り始めていた。ちょうど張さんの花が成功していたこともあり、それほど難しくなかったようで、今ではかなりの花を栽培していた。『ベトナム国内の消費が上がり、花はよく売れる。台湾に茶を出すより、儲かる』ということのようだ。ちょうどバイクで張さんも花園を見回りに来た。これからの方向性が感じられた。

 

ダラット散策
部屋に戻るとまだ朝9時過ぎだったが、韓さんたちは忙しそうだったので、タクシーを呼んでもらい、ダラットへ行くことにした。実に短い滞在だったが、多くのことを学んだ。帰りは来た道を戻っただけなので、あっという間に着いてしまった。韓さんに聞いた、安宿前まで連れて行ってもらった。

 

その宿は極めてシンプルだった。台湾人が紹介してくれたんだから中国語が出来る、華人経営だと思い込んでいたが、何と言葉はあまり通じなかった。宿代も10ドルちょっとと確かに安い。ちゃんとエレベーターもある。部屋は狭いが机がない以外、問題はない。午前10時でも部屋が使えてよい。

 

早々に部屋を出て街歩きを開始する。とにかく湖の方角へ行けばよいと思い進む。この街、狭い石段の坂を下っていると、既視感がある。どこかヨーロッパの街かと思いきや、韓国のインチョン辺りを思い出すのはなぜだろう、不思議で仕方がない。何となく地図も見ないで、目に付いた教会を目指す。

 

ダラット教会、1931年に着工されたフランス時代の教会。ちょっと高台にあり、下に街が見えた。教会自体の外壁はかなりきれいになっていたが、後ろの家には趣があった。そこから歩くと、ダラットパレス、という立派そうなホテルがあった。門番がいたので中には入らなかったが、きっと植民地時代の産物なのだろう。これまでスリランカやミャンマーなどの英国植民地をよく見てきたが、フランスもやっていたことは同じだ。

 

何となくダラット駅が見たくなり、うろ覚えの方角を歩き出した。AH20、この道がアジアンハイウエーかと思って歩いていたが、いつになっても到着する気配がない。その内上り坂がきつくなり、仕方なくスマホで位置を確認したところ、完全に道を間違えていたことに気が付く。ちょうどそこに長距離バスターミナルがあったので、そこでタクシーを拾い、駅へ向かう。

 

車を使えば、すぐに着いてしまう。だが車が駅に入ろうとすると、ゲートで入場料を払えという。何で駅に行くのにそんなものがいるのか、と言ってみても仕方がない。5000ドンを取られ、駅舎内に入る。ちょうど15分後に列車が出るとあったので思い立って切符を買おうとしたが、何と『15分後の列車は乗客不足で運行しません。次は2時間半後です』というではないか。これは一体どういうことなのか。

 

駅舎を越えると、そこには蒸気機関車と車両が停まっていたが、大勢の観光客が写真を撮っていた。そう、ここは観光用列車が走る場所だったのだ。駅自体が観光地、そして赤字にならなければ実際に運行するという感じだろう。中国人が多くいて、『2時間半後の列車に是非乗りたいので、あなたも一緒に乗りましょう』と呼び掛けられる。確かに多くの客はそんなに待てないので帰っていく。すると次に列車も運休になる可能性が高いので、必死になるわけだ。

ベトナム縦断茶旅2017(7)ガウダットで酔いつぶれる

11月14日(火)
朝の茶摘み

朝早く目覚めた。鳥の声もするが依然として音楽が響き渡り、作業が続いていた。本当に一晩中だから、大変だ。今日も天気がよいので、ちょっと散歩がてら、工場外に出てみる。そこには茶畑が広がっており、若者が4人で、茶葉を刈る準備をしていた。見れば日本製の中古機械。2人で刈るところ、4人で刈っており、効率が良いとは言えないが、人件費に負担が無ければ、この方が沢山刈れるのかもしれない。

 

部屋に戻ると、朝ご飯に麺が用意されており、皆で食べる。呉さんは相当疲れているようだが、食べないと体力が持たない。食後、もう一人のここの客人、張さんとお茶を飲む。彼は雲林の茶商で、ここに茶葉を買い付けに来ていた。聞けば、これまでタイ北部やベトナム北部にも何度も行っており、茶作りの指導をしながら、茶葉を買い付けてきたらしい。こういう人が台湾茶の製法を広めているのか、と非常に興味を持つ。今度雲林に彼を訪ねてみたいと思う。

 

朝摘まれた茶葉が運ばれてきた。日差しが強いのか、上の部分に覆いをかけている。かなり大規模だ。その光景が風景の中で何とも映えてきれいだった。昨日私を空港に迎えに来た人がトラックに乗ってやってきた。いよいよここともお別れだ。呉さんは部屋で寝込んでおり、記念写真も撮らなかった。バオロックへ行くという張さんも一緒に車に乗り込んだ。

 

ガウダットで酔いつぶれる
今日はもう一軒、紹介されている台湾人を訪ねることにしていた。こことは全く違う方向ということで、ダラットの街まで送ってもらい、そこからタクシーを拾うことにした。約1時間でやってきたダラットの街は、やはり高原の避暑地の感じがした。タクシーはすぐに捕まり、運転手に行き先を告げてもらい、彼らと別れた。果たしてちゃんとつくのかちょっと不安。

 

高原を上って行くが、今度の道は良かった。タクシーは結構スピードを出している。30分ぐらい走ると、車は横道に入り、すぐに工場の敷地内に入って停まった。門番に取り敢えず中国語を使ってみると、すんなり通してくれた。中から韓さんが出てきて迎えてくれた。こちらも台湾から来て20年、ここで茶業をしている。

 

まずは昼飯を食おう、と言われる。こちらの奥さんもベトナム人だが、出てきた料理を見てびっくり!からすみあり、たこ焼きあり。ここはどこだと思ってしまう。隣人の台湾人、張さんが合流すると、『酒を飲もう』となり、ウイスキーをロックでぐいぐい飲み始める。私にも少しだけ、と言って注がれてしまい、ちびちび飲んでいたら、これが効く効く!標高1600mの高地で、久しぶりの酒、それもかなりの濃度だからたまらない。

 

取り敢えず昼寝しよう、と言われ、部屋に案内され、バタンキュー!完全に熟睡してしまう。ふと気が付くと、周囲は暗くなっており、既に夕方だ。4時間ほど寝入ってしまっていた。茶旅を長くやっているが、茶工場まで来て、何も見ずに午後を過ごしたのは恐らく初めてだろう。何という失態。だがすでに外は真っ暗で茶畑にも行けない。工場作業も終了したようで、後悔しても後の祭り。今日はここに泊めて頂くことになる。

 

少し経つと韓さんが『行くぞ』と言って、車を出す。先ほどの張さんの家で夕飯を食べるというのだ。これでは何のためにここまで来たのか分らない。ただ食べているだけだ。車で5分ほど行くと、韓さんの自宅があった。基本的には工場に寝泊まりしているので、こちらに帰ることは少ないらしい。立派な家だ。その横に張さんに家があり、こちらも立派だ。

 

中に招かれると、ここがベトナムの山の中か、という豪華な内装。バーカウンターまである。張さんは花の栽培で成功しているという。部屋には胡蝶蘭なども飾られている。日本向けには百合を出荷しているとか。張さんは先日病を患い、今は歩くのが少し不自由だが、元気そのもの。『台湾に帰っても煩わしいだけだ。一生ここで暮らすよ』と屈託がない。確かにこの絶好の環境とビジネスがあれば、楽しく暮らせそうだ。台湾に戻る必要などないだろう。

 

牛筋の煮込みなど、うまい料理が出てきた。韓さんと張さんはまた酒を飲み始めたが、さすがに私は遠慮した。高級ワインなども出てきて、賑やかな夜だった。華人かくあるべし、という雰囲気が出ていた。二人ともベトナム語を話し、現地に溶け込み、奥さんやその家族とうまくやって、ビジネスを成功させている。

 

11月15日(水)
花農園

午睡をあれだけしたのに、午後9時にはまた熟睡した。高原の環境と酒の影響だろうか。翌朝はさすがに5時台に起きたが、周囲は完全に霧に覆われていて、視界はない。雨も降っているようだ。6時には皆で麺の朝ご飯を頂く。昨日もそうだったが、やはり朝は麺、なのだろうか。具がかなり豪華だった。

ベトナム縦断茶旅2017(6)ダラットの茶工場に泊まる

11月13日(月)
ダラットへ

翌朝は荷物をまとめて、下におり、そのまま朝食を食べた。例のおじさんは明るく挨拶してくれたが、昨日の件を謝るでもなく、私のためにオムレツを焼いてくれた。親切な人なのだろうか?それからお願いしていたタクシーに乗り込む。僅か12ドルで空港まで行ける。やはり初日の空港からのタクシーは高過ぎた。

 

今日はついにハノイを離れ、初のダラット行きだ。今回間違って10年前のガイドブックを持ってきてしまったが、そこにはハノイからダラットへの直行便は書かれていない。だがネットで検索すると今では日に何便も出ているではないか。しかもLCCすら就航しており、料金も数千円と安い。10年前ならバスで数十時間かかると書いてあるから隔世の感がある。簡単にネット予約できるのが嬉しい。

 

フライトはジェットスターにした。今一番勢いがあるのはべトジェットだと聞いたが、外資LCCの参入しているのが競争を促している。ジェットスターのカウンターには人も少なく、並ばずにチェックイン。数年前、べトジェットに乗った時は長蛇の列だったことが懐かしい。今では大幅に作業が改善されていると見える。乗客も慣れてきたのだろう。

 

昼食は出ないので、一応腹ごしらえをすることにした。5万ドンでフォーが食べられるというので入ってみる。Wi-Fiも繋がる。空港の料理はまずくて高い、が定番だったが、これも少し改善されている。こんなところにベトナムの進化が見える。荷物検査もスムーズで搭乗する。機体の広告がサントリーのTea+というのが面白い。

 

機内は満員、そして相変わらず、初めて飛行機に乗る人などが戸惑っている。この料金ならバスよりは高いが、普通の人でも乗ることができるので、飛行機利用者はどんどん増えているようだ。フライトは順調で何事もなく、2時間弱でダラットに着いた。降りる時の混雑ぶりは相変わらずベトナムだった。今や中国ではこんなに混乱しない。持ち込み荷物が多い(LCCはしっかり制限しているはずなのだが)。

 

3. ダラット
デコボコ道の先にあった茶工場

空港は小さかった。元々は単にダラットを観光する目的で予定を考えていたが、蔡君が『折角行くのだから、ダラットの茶農家を紹介します』と言って連絡を入れておいてくれた。空港には迎えの人が来てくれた。『タクシーの運転手でも道が分からないだろう』というのだ。一体どんなところへ行くのだろうか。

 

迎えの人は中国語が出来た。地元の華人だという。元は広東省から来た客家らしい。こんなところで客家に会えるとは軽い驚きだ。ダラットと言えば、林芙美子の『浮雲』の舞台。数十年前に読んだきりで内容も覚えていないが、フランスの避暑地というイメージが強く、そこに華人は登場しないだろう。

 

彼はこれから行く茶園を手伝っていたが、今は休みだという。基本的にこれまでは農業で生きてきている。それでも既に台湾他海外旅行には何度も行っているらしい。日本への旅行に非常に興味を持っており、次は行きたい、と意欲を見せる。ベトナムももうそういう時代なのだ。

 

ナンバンという地名が見える。途中までは普通の道路だったが、そこから先は舗装されていないデコボコ道!道の両側にはコーヒーが植えられているが、茶の姿は見えない。ちょっと腰が痛いな、と思った頃、ようやく茶工場に着いた。ここで呉さんが迎えてくれた。台湾人で20年前からここで茶作りをしているという。

 

茶工場で
呉さんはここでベトナム人の奥さん(迎えに来てくれた人の妹)と一緒にずっと住んでいる。『抜群の環境でここから離れられない』という。居間に招かれ、茶を飲み始めるが、すぐに工場のチェックに行くと言ったので、私も着いて行く。呉さんは非常に熱心に茶作りを考えていた。機械は全て台湾から持ち込み、茶の苗も台湾から来ている。いわゆる台式高山茶を作っているのだ。標高は約1100m。

 

そこへ午後に摘まれた茶葉がどっと入って来た。夕日の中で日光萎凋が始まる。何とも鮮やかな光景だった。ただこの茶葉は機械で摘まれ、茶飲料用に出荷されると聞く。『台湾で高山茶の売れ行きは落ちている。飲料用は伸びているので、そちらへの転換を迫られている』と説明される。確かに台湾の景気が悪ければ、即大きな影響を受けるだろう。飲料茶市場は台湾だけでなく、むしろアセアンに広がっており、そちらの市場があると考えても不思議ではない。

 

結局今晩はここに泊めてもらうことになった。お茶を飲み、夕飯を食べて、シャワーを浴びる。テレビは衛星放送で台湾の番組が映っている。台湾とあまり変わりがない生活が送れている。ただここまで来るには相当の苦労があったことだろう。私はその成果を享受している。

 

夜10時頃眠りに就いたがすぐに起きた。呉さんは工場で忙しく働いていた。起きた理由は大きな音楽の音。深夜の作業をするベトナム人のため、音楽を流しているらしい。結局この音は朝まで続き、何度か起きあがるとその度に、呉さんが働いている様子が見える。彼はほとんど寝ていないのだろう。