ベトナム縦断茶旅2017(8)茶園から花農園へ

韓さんが茶葉を持ってきた。実は彼は夜中には茶作りをしないことにしている。殺青まで終えたところで、保管庫に入れて朝を迎える。それからその後の作業を日中に行うのだという。取り敢えず昨晩作っておいた茶葉を試飲している。この時点までの茶を飲むことはあまりないので、ちょっと新鮮だ。

 

8時に工場が開き、従業員が出社して、作業が始まる。見慣れた機械が並んでいる。ほぼ台湾から運ばれてきたものだ。枝取りなどは手作業で行われている。ここで働くスタッフの多くは、地元民ではなく、中部辺りから来た出稼ぎ者だという。ここの若者は、年1回の珈琲が終われば後は遊んでいるらしい。ベトナムもすでに無尽蔵に労働力がある時代は過ぎているらしい。コストも上昇している。

 

韓さんが車で茶畑を案内してくれるというので出掛けた。何とか雨は止み、霧も晴れてはいた。工場のすぐ近くに、茶園があったが、ここは観光地化しており、きれいな茶畑の中で朝から結婚写真の撮影が行われていた。この辺はフランス時代に茶樹が植えられ、紅茶作りが行われていたと聞く。一部に大葉種の茶樹、そして茶工場も残っているらしいが、今回は確認できなかった。

 

韓さんの茶園はここから少し離れていた。20年前に台湾から品種、金萱を持ち込んだという。金萱はどんな環境でも育つ強い品種で、ベトナムでもその力を発揮したらしい。ここで作られているのは台湾方式の高山茶だが、その茶葉は台湾とは少し違っている。そして作られた茶葉の多くは台湾に輸出されていた。だが最近は台湾での売れ行きがよくない。

 

韓さんは私を花園に案内してくれた。何と彼は茶葉の先行きに不安を覚え、花の栽培への転身を図り始めていた。ちょうど張さんの花が成功していたこともあり、それほど難しくなかったようで、今ではかなりの花を栽培していた。『ベトナム国内の消費が上がり、花はよく売れる。台湾に茶を出すより、儲かる』ということのようだ。ちょうどバイクで張さんも花園を見回りに来た。これからの方向性が感じられた。

 

ダラット散策
部屋に戻るとまだ朝9時過ぎだったが、韓さんたちは忙しそうだったので、タクシーを呼んでもらい、ダラットへ行くことにした。実に短い滞在だったが、多くのことを学んだ。帰りは来た道を戻っただけなので、あっという間に着いてしまった。韓さんに聞いた、安宿前まで連れて行ってもらった。

 

その宿は極めてシンプルだった。台湾人が紹介してくれたんだから中国語が出来る、華人経営だと思い込んでいたが、何と言葉はあまり通じなかった。宿代も10ドルちょっとと確かに安い。ちゃんとエレベーターもある。部屋は狭いが机がない以外、問題はない。午前10時でも部屋が使えてよい。

 

早々に部屋を出て街歩きを開始する。とにかく湖の方角へ行けばよいと思い進む。この街、狭い石段の坂を下っていると、既視感がある。どこかヨーロッパの街かと思いきや、韓国のインチョン辺りを思い出すのはなぜだろう、不思議で仕方がない。何となく地図も見ないで、目に付いた教会を目指す。

 

ダラット教会、1931年に着工されたフランス時代の教会。ちょっと高台にあり、下に街が見えた。教会自体の外壁はかなりきれいになっていたが、後ろの家には趣があった。そこから歩くと、ダラットパレス、という立派そうなホテルがあった。門番がいたので中には入らなかったが、きっと植民地時代の産物なのだろう。これまでスリランカやミャンマーなどの英国植民地をよく見てきたが、フランスもやっていたことは同じだ。

 

何となくダラット駅が見たくなり、うろ覚えの方角を歩き出した。AH20、この道がアジアンハイウエーかと思って歩いていたが、いつになっても到着する気配がない。その内上り坂がきつくなり、仕方なくスマホで位置を確認したところ、完全に道を間違えていたことに気が付く。ちょうどそこに長距離バスターミナルがあったので、そこでタクシーを拾い、駅へ向かう。

 

車を使えば、すぐに着いてしまう。だが車が駅に入ろうとすると、ゲートで入場料を払えという。何で駅に行くのにそんなものがいるのか、と言ってみても仕方がない。5000ドンを取られ、駅舎内に入る。ちょうど15分後に列車が出るとあったので思い立って切符を買おうとしたが、何と『15分後の列車は乗客不足で運行しません。次は2時間半後です』というではないか。これは一体どういうことなのか。

 

駅舎を越えると、そこには蒸気機関車と車両が停まっていたが、大勢の観光客が写真を撮っていた。そう、ここは観光用列車が走る場所だったのだ。駅自体が観光地、そして赤字にならなければ実際に運行するという感じだろう。中国人が多くいて、『2時間半後の列車に是非乗りたいので、あなたも一緒に乗りましょう』と呼び掛けられる。確かに多くの客はそんなに待てないので帰っていく。すると次に列車も運休になる可能性が高いので、必死になるわけだ。

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