佐賀・福岡茶旅2024(4)ついに吉野ケ里遺跡へ

吉野ケ里歴史公園、かなり広い敷地だ。川を渡って集落の入り口を入る。ほぼ復元されているものだけが残っているらしいが、木柵が気分を揚げる。そして先日25年ぶりに行った青森三内丸山遺跡を思い出す。まずは遺跡展示室に入り、ここの概要を掴む。弥生時代最大の環濠集落、というだけではないようだ。観光客は多くはないので、ゆったりとみられる。

広い敷地内をフラフラと歩いて行く。時々ガイドさんが観光客に説明している場面に出くわしたが、私が欲しているようなお話は出て来ない。弥生時代、ここでは酒や絹織物が作られていたようだ。当然ながら茶の痕跡などは全く見られない。住居から祭りごとの中心地へ移動していく。

一時はここが邪馬台国かと騒がれたところ。司祭者が重要な決定を行う場などは、我々が教えられてきた卑弥呼の姿を彷彿とさせる。更に歩いて行くと、甕棺墓と呼ばれる墓場があった。ここからは往時の物がそのまま出てきているらしい。吉野ケ里唯一の現物と言っていた。それが納められ、復元されている展示館があった。さすがにここは迫力がある。

それから森の中を少し歩き、広い広い曠野?を歩いて行く。この辺はまだまだ発掘調査などがされていない場所が多くありそうだ。最後に南側の集落を歩き、その先の展示室を少し覗いて、見学を終了する。ここまでほぼ休むことなく約3時間半、サラッと見てもこれだけ時間が掛かるので、ちゃんと見ると本当に2日は掛かるかもしれない。古代のロマンをどれだけ感じられただろうか?

また駅まで戻り、電車で佐賀駅へ。ここで初めて腹が減ったと気が付く。駅にこれまで気が付かなかったうどん屋があったので、入ってみる。午後3時前なのに、お客が意外といる。ゴボてんうどんとお稲荷さんを頼んだが、味はまあまあかな。そこから今日の宿に行き、チェックインする。これまで定宿として使ってきたが、昨日のアパと比べて、かなり見劣りする。

さっきうどんを食べたのに、また物足りなくなって、夕方定食屋を探してみる。するとお食事処があったので入ってみると、なかなか立派な夕飯が出てきて驚く。これは定食というより、お刺身御膳だろうか。さしみも分厚いし、魚のカマ焼きの塩加減も絶妙だ。味噌汁もうまい。まあいいお値段で私には贅沢な夕食だが、偶にはこういう経験も良い。

3月8日(金)佐賀をぶらつく

朝ご飯を宿で食べて、すぐに散歩に出た。街中には、数年前の維新博の時に作られた偉人たちの像がいくつも置かれている。歩いていると龍造寺八幡宮という文字に引かれて寄り道する。横から入っていくと、何と義祭同盟の記念碑が建っている。この同盟には幕末維新の佐賀藩を支えた江藤新平、大隈重信、副島種臣らが参加していた。八幡宮の鳥居は石造りで古めかしい。その先の太鼓橋もやはり古めかしい。その横にはなぜか楠木神社もある。

ずっと歩いて行くと鍋島家の徴古館があった。今は博物館のようになっているが、その建物はなかなか良い。川を渡ると、そこには図書館がある。この建物も古めかしい。2階へ上がるのも、現代の造りとは違っていて面白い。ここで佐賀県の茶業史を探す。親切に色々と資料を出してくれたので、思っていたより時間をかけて眺める。嬉野茶の歴史以外にも色々と参考になる資料が見付かった。

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