ベトナム縦断茶旅2017(6)ダラットの茶工場に泊まる

11月13日(月)
ダラットへ

翌朝は荷物をまとめて、下におり、そのまま朝食を食べた。例のおじさんは明るく挨拶してくれたが、昨日の件を謝るでもなく、私のためにオムレツを焼いてくれた。親切な人なのだろうか?それからお願いしていたタクシーに乗り込む。僅か12ドルで空港まで行ける。やはり初日の空港からのタクシーは高過ぎた。

 

今日はついにハノイを離れ、初のダラット行きだ。今回間違って10年前のガイドブックを持ってきてしまったが、そこにはハノイからダラットへの直行便は書かれていない。だがネットで検索すると今では日に何便も出ているではないか。しかもLCCすら就航しており、料金も数千円と安い。10年前ならバスで数十時間かかると書いてあるから隔世の感がある。簡単にネット予約できるのが嬉しい。

 

フライトはジェットスターにした。今一番勢いがあるのはべトジェットだと聞いたが、外資LCCの参入しているのが競争を促している。ジェットスターのカウンターには人も少なく、並ばずにチェックイン。数年前、べトジェットに乗った時は長蛇の列だったことが懐かしい。今では大幅に作業が改善されていると見える。乗客も慣れてきたのだろう。

 

昼食は出ないので、一応腹ごしらえをすることにした。5万ドンでフォーが食べられるというので入ってみる。Wi-Fiも繋がる。空港の料理はまずくて高い、が定番だったが、これも少し改善されている。こんなところにベトナムの進化が見える。荷物検査もスムーズで搭乗する。機体の広告がサントリーのTea+というのが面白い。

 

機内は満員、そして相変わらず、初めて飛行機に乗る人などが戸惑っている。この料金ならバスよりは高いが、普通の人でも乗ることができるので、飛行機利用者はどんどん増えているようだ。フライトは順調で何事もなく、2時間弱でダラットに着いた。降りる時の混雑ぶりは相変わらずベトナムだった。今や中国ではこんなに混乱しない。持ち込み荷物が多い(LCCはしっかり制限しているはずなのだが)。

 

3. ダラット
デコボコ道の先にあった茶工場

空港は小さかった。元々は単にダラットを観光する目的で予定を考えていたが、蔡君が『折角行くのだから、ダラットの茶農家を紹介します』と言って連絡を入れておいてくれた。空港には迎えの人が来てくれた。『タクシーの運転手でも道が分からないだろう』というのだ。一体どんなところへ行くのだろうか。

 

迎えの人は中国語が出来た。地元の華人だという。元は広東省から来た客家らしい。こんなところで客家に会えるとは軽い驚きだ。ダラットと言えば、林芙美子の『浮雲』の舞台。数十年前に読んだきりで内容も覚えていないが、フランスの避暑地というイメージが強く、そこに華人は登場しないだろう。

 

彼はこれから行く茶園を手伝っていたが、今は休みだという。基本的にこれまでは農業で生きてきている。それでも既に台湾他海外旅行には何度も行っているらしい。日本への旅行に非常に興味を持っており、次は行きたい、と意欲を見せる。ベトナムももうそういう時代なのだ。

 

ナンバンという地名が見える。途中までは普通の道路だったが、そこから先は舗装されていないデコボコ道!道の両側にはコーヒーが植えられているが、茶の姿は見えない。ちょっと腰が痛いな、と思った頃、ようやく茶工場に着いた。ここで呉さんが迎えてくれた。台湾人で20年前からここで茶作りをしているという。

 

茶工場で
呉さんはここでベトナム人の奥さん(迎えに来てくれた人の妹)と一緒にずっと住んでいる。『抜群の環境でここから離れられない』という。居間に招かれ、茶を飲み始めるが、すぐに工場のチェックに行くと言ったので、私も着いて行く。呉さんは非常に熱心に茶作りを考えていた。機械は全て台湾から持ち込み、茶の苗も台湾から来ている。いわゆる台式高山茶を作っているのだ。標高は約1100m。

 

そこへ午後に摘まれた茶葉がどっと入って来た。夕日の中で日光萎凋が始まる。何とも鮮やかな光景だった。ただこの茶葉は機械で摘まれ、茶飲料用に出荷されると聞く。『台湾で高山茶の売れ行きは落ちている。飲料用は伸びているので、そちらへの転換を迫られている』と説明される。確かに台湾の景気が悪ければ、即大きな影響を受けるだろう。飲料茶市場は台湾だけでなく、むしろアセアンに広がっており、そちらの市場があると考えても不思議ではない。

 

結局今晩はここに泊めてもらうことになった。お茶を飲み、夕飯を食べて、シャワーを浴びる。テレビは衛星放送で台湾の番組が映っている。台湾とあまり変わりがない生活が送れている。ただここまで来るには相当の苦労があったことだろう。私はその成果を享受している。

 

夜10時頃眠りに就いたがすぐに起きた。呉さんは工場で忙しく働いていた。起きた理由は大きな音楽の音。深夜の作業をするベトナム人のため、音楽を流しているらしい。結局この音は朝まで続き、何度か起きあがるとその度に、呉さんが働いている様子が見える。彼はほとんど寝ていないのだろう。

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