佐賀・福岡茶旅2024(3)嬉野と彼杵

そしてその明治初期の紅茶史を求めて、式浪村という場所へ行ってみる。1873年のオーストリア万博にこの村の山口という人による紅茶の報告書があるというのだ。しかし何の手掛かりもなく、ちょうど山口製茶園があったので、そこに入って聞いてみるも、その歴史については何も分からなかった。もう150年も前の話しだから、分かる方が珍しい。

嬉野の大茶樹にも行ってみる。ここは9年前に来ていたが、冬で誰もいないせいか、400年を越える老茶樹も元気がないように見えた。この茶樹が植えられた頃に茶業に尽力した吉村新兵衛という武士の記念碑が近くにあるというので、そこを訪ねてみたが、何とかなり急な坂道で、あわや転げ落ちそうになりながら、何とか辿り着く。これだと一般の人は、とても登っては来ないだろう。

そこから30分、山を越えると長崎県だった。彼杵茶は近年コンテストで連続受賞するなど有名になりつつあるが、こちらも早い時期に紅茶生産があったのではないか、ということで訪ねてみる。東彼杵町歴史民俗資料館へ行くと、古民家が建っており、雛飾りなどが鮮やかだった。資料館へ入ると、茶業についても展示もあったが、その開始時期は明治中期以降とそれほど早くはなく、また期待したような展示には出会わなかった。

ランチは資料館の敷地内にあった店で、『クジラ炊き込みご飯と団子汁』を頂く。彼杵ではクジラが名物なのだろうか。我々が行った後すぐに売り切れになっていた。長崎街道を大村の方へ走っていく。老舗茶舗があるとのことだったが、既にやっている様子はなかった。図書館を目指すべきだったのかもしれないが、残念ながら本日の調査はここで終了となり、一路佐賀市を目指して引き返す。

佐賀駅まで送ってもらい、珍しくアパホテルに入る。6₋7年前に使った時はあまり良い印象はなかったが、部屋もリノベされ、フロントも実に親切で好感度が爆上りした。飲み物を買おうと、駅周辺へ行くと、駅もきれいになっており、その横にスーパーも出来ていた。そこで寿司を買って持ち帰ったのだが、何と入れたはずの醤油が見当たらず、醤油を全くつけずに食べた。それはちょっと新鮮でよかった。

3月7日(木)ついに吉野ケ里遺跡へ

これまで何度も佐賀には来ていた。電車に乗ると吉野ケ里という名前の駅があることも知っていた。だが、何故かこれまで一度も吉野ケ里遺跡を訪れたことはなかった。雨が降っているとか、急に予定が変更になったとか、色々と理由はあるが、要はどうしても行きたいとは思っていなかった可能性がある。

JR長崎本線で佐賀駅から3つ、吉野ヶ里公園駅で降りる。そこから歩くと1㎞ぐらいあると聞いていたが、きちんと表示があり、途中に気分を盛り上げる物もあり、あっという間に門まで着いた。チケットを買おうと見ると、何と2日券が売られている。ここに2日続けてきて見学する人はどんな人なのだろうか。アンコールワットのように1日ではすべては見切れない遺跡なのだろうか。興味津々となり、入場する。

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