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シベリア鉄道で茶旅する(36)モスクワ散策

赤の広場へ

この駅で降りたのには理由がある。19世紀末モスクワを訪問した李鴻章のために建てられたビルがあるというのだ。ヨーロッパ調のビルの中、何となく中華風の建物。これは李鴻章向け迎賓館だったらしいが、建てたのはロシアの茶商人だったというから興味深い。李鴻章とロシアの間には密約説が流れているが、その中に茶もあったのではないか、と勝手な推測をしてしまう。ビルの1階は茶荘になっており、中国茶も少し売られているが、大半は大きな缶に入って並べられていた。蓋を開けると物凄いフレーバー。今のロシアもヨーロッパ調のフレーバーティ全盛であった。お客が買っているのは、インドやスリランカの紅茶ティバッグが多かったかな。なんだかちょっと残念な気分。

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日差しもあり、寒くもないのでそこから歩く。完全にヨーロッパの街を歩いている気分。改修中の旧KGB本部を通り、教会を横目に見る。更に歩いていったが、また道を間違えた。モスクワ川の河畔に出る。そこから北に向かうとボクロフスキー聖堂が見えた。ついに赤の広場に出た。これが子供の頃、時々垣間見た共産主義の広場。謎のベールに包まれた場所だった。天安門とはまた違った趣がある。前にはデンとした城塞、クレムリンが建つ。何となく感慨深いものがある。クレムリンに入るには行列ができていたので、止める。もう十分だという思いがある。

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横にある歴史博物館で歴史だけを確認した。ティカップなどが展示されていたが、ここにも万里茶路に繋がる資料はなかった。モスクワにとっては、茶葉がどこから運ばれてきたかなど重要ではないということか。腹も減ってきたので、地下に潜ろうとしたが、ちょうどフードコートがあったので、寄ってみる。バーガーキングなどが人気だったが、私は料理が並んでいるコーナーへ。大きなグリルサーモンが目に入り、思わず注文したところ、係の女性が勧め上手で、ポテトなど大量に皿の上に載ってしまう。これを食べ切るのにはかなり苦労した。

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ようやく地下鉄にも慣れたので来た道を戻る。5号線に乗り換える際、なぜか外へ出てしまったので、蛇行するモスクワ川を渡り、1駅を歩いて戻る。ちょうどよい散歩だった。宿に戻り、荷物を取ろうとしたが、なぜか少し待つように言われ、トイレに行くと携帯の電話が鳴る。FB電話で、バンコックのMさんからだった。彼女もまさか私がモスクワにいるとは思っていなかったようで驚いたが、トイレにいた私も驚いた。

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空港

荷物を取ってホテルともお別れ。地下鉄のチケットは先ほど2回券を買っていたのだが、なぜか昨日のバスのチケットを自動改札に入れてしまい、通れず困惑。もう一度地下鉄に乗り、キエフスカヤ駅を目指す。ここではさすがに困惑なし。更にはキエフスカヤでも、昨日のNさんの指示が非常に有効で、少し離れているアエロエクスプレス駅まで迷わず行けた。少し早かったが、どんどん先に進む。今度はチケットも自販機で買えた。ようやくモスクワに慣れてきた頃にお別れか。

 

チケットは買ったが、出発時刻まではホームに入れない。30分に一本。天気が良いが、外で立っているのはさすがに寒い。列車は先日乗ったものと変わらず、快適に過ぎる。今度の空港はヴヌコボという名前で、かなり大きい。Fというターミナルまで、ひたすら歩かなければならない。もし急いでいたら焦るだろう。そしてエアチャイナのカウンターへ行くとちょうどチェックインが始まったのか、長蛇の列。団体観光客もかなりいた。荷物が多いのか、列はなかなか進まない。

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ようやくチェックインが終了し、イミグレレへ。ここで宿泊証明を求められたらどうしようかと思ったが、全く何もなかった。荷物検査でも、昔はここで色々といちゃもんを付けられた、とS氏は言っていたが、チェック回数は多いものの、今日は難なく通過した。出発ゲートへ行くと、既に人が溢れていた。空港は大きいが、スペースは広くはない。そこに中国人団体が占拠するのでこうなるようだ。

 

北京経由で帰国

フライトは定刻に出発した。中国人の団体観光客は数日間を共にしており、皆かなり仲良くなっていた。まだ興奮冷めやらぬ様子で、はしゃいでいる。自国の飛行機に乗っていることも彼らをリラックスさせていた。私は正直寝たかったが、なかなか眠れない。モスクワから北京までは相当遠いと思っていたが、飛行時間は7時間弱。モスクワを出たのは夕方7時だったが、時差があり、北京着は翌朝の7時なのだ。

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食事はすぐに出た。これを食べてウトウトしていると、パンが各席に押し込まれた。朝は起こさないよ、という合図である。それでも食事を渡さないとうるさいのが中国人だ。なるほど、これはよいかも。何となくボーっとしていると、あっという間に北京に着いてしまった。北京からモスクワまで列車で130時間掛かったが、飛行機で僅か7時間弱。一体あの旅は何だったんだろうか。今考えても不思議な列車旅。今回の旅を振り返る暇もない。

 

3月24日(木)

北京空港の朝は暖かく感じられた。既にホームグランドに戻った感じだ。ロシアでのあの緊張感は、文字が読めないだけではなく、やはり初めてで慣れがなかったということか。これからはもっと慣れない国にも行こう。脱アジア、これが今年の目標だ。そんなことを考えていると、すぐに搭乗となり、成田行きの便は出てしまった。何だかとても疲れてしまい、すぐに寝入ると、もう成田に着陸していた。

 

ちょうど2週間の今回の旅ほど、長く、そして厳しいものはなかった。この旅を乗り越えたことで、得る物も大きかったが、何より『本来の旅とは一体何か』という大命題を考え始める良い機会になったと思う。そして『万里茶路』については深くは情報が得られていない。次回は自分流の旅をして、さらに深く、濃く、茶路を歩いていきたい!

シベリア鉄道で茶旅する(35)レストランと地下鉄で迷走

最後の晩餐

モスクワの大学の通っている張さんの娘さんが、わざわざ家まで帰って、米せん茶を届けてくれた。これを手に入れれば満足だった。帰りは教えられたとおり、バスに乗る。50㍔でホテルの近くまで戻ってきた。ここは地下鉄がないので、バスは一般市民のおじさん、おばさん、子供たちでかなり混んでいた。30分以上乗ってようやく着いた。ホテルの横はロータリーのようになっており、そこの広場には、誰かの像が建っていたが、文字が読めないため、誰だか分らない。

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ホテルに帰ると先に戻っていたS氏は懸命に原稿を書いていた。リビングルームはそのまま使えたので、我々は2つの部屋で自らの作業をした。先に空港に向かったNさんから連絡が入った。空港でフリーWi-Fiを使う際には、携帯で暗証番号を受ける必要があるらくし、私の携帯でその番号をゲットして渡した。お礼に明日の空港までの行き方が克明に書かれたメールが来て助かった。モスクワでは単に駅名を知っているだけでは乗り換えすら怪しくなる。

 

暗くなった頃、夕飯を食べに出る。相変わらず行き当たりばったり。何を食べるかも決まっていない。駅の周囲を行くと、ちょっときれいなレストランがある。ロシア最後の夜だから、少し良いものでも食べるようと、そこへ入ってみた。中もおしゃれな雰囲気で、会社帰りのサラリーマンなどが楽しそうにビールを飲んでいた。メニューを渡されたが、全てロシア語。そして何となくわかった物は何とタコスだった。ここはメキシコ料理屋か。これは入るところを間違えたと思ったが、既に座っていたので、ビールとタコスを頼んでみる。

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何もモスクワまで来て、タコスを食べる必要はないのだが、大都市というのはそんなものだろう。ロシア人も東京で、こんなことをしているかもしれない。この店では軽くビールを飲む、というコンセプトにした。それでも代金はシベリアのカフェに比べればはるかに高かった。これがヨーロッパというものか。早々に退散する。そしてもう一つのレストランに入る。こちらは自分で料理を取って、秤で料金を払うという、とても外国人向きの店だった。私はうれしくなって、当初は軽くと思っていたが、鶏肉やジャガイモを沢山取り、腹一杯食べてしまった。ティバッグのお茶も入れて、さっきのビールとタコスの料金と変わらない。この方式が実に気にいってしまった。

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帰りは地下道を通ってホテルに戻る。その地下道では、何と向こうから馬を引いた人が歩いてきてビックリした。モスクワ市内は馬の通行が認められているのか。北京市などではかなり昔に馬の通行は禁止になっている。先日のムルマンスクでは馬に乗った人を見かけたし、他の通行人は特に反応していなかったことから見ても、意外と問題ないのかもしれない。もう一つ、地下鉄駅の脇には飲み物の自動販売機が置かれていた。

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よく見ると、なんとそれは日本製、ダイドードリンコの販売機だった。しかも表示されている飲み物は、ゆずレモンとかアイスココアとか、日本語で書かれていた。お金を入れれば本当にこれが出てくるのだろうか。ものすごく興味があったが、この寒い中、冷たい飲み物を飲みたとも思わず、とうとう買わなかった 。今考えてみれば、ネタとして一本買うべきだった!と後悔したが、後の祭り。果たしてあそこからは何が出てきたのか。なぜ日本製の自販機がモスクワにあるのだろうか。何とも不思議だ。

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3月23日(水)
地下鉄で迷走

翌日もまたホテルの朝食を思いっきり食べた。とうとうこの旅が終わる。もう列車に乗る必要もないし、安堵が広がっている。今日は一人でモスクワ散策に出る。勿論午前中には帰ってこないので、ホテルをチェックアウトして、荷物をフロントに預けた。S氏はぎりぎりまで部屋で原稿を書くようなので、私が一足先に外に出た。そして初めてモスクワの地下鉄の駅へ。チケットは自販機でも買えるが、私にはよくわからないので、窓口で目的地を言って買う。50㍔だった。

 

この駅には2つの地下鉄が交差していた。私は5号線に乗り、一駅行って1号線に乗り換えるつもりだったが、まずは5号線の乗り場が分らない。インフォメーションがあったので、地図を指して乗り場を確認。何とかホームに行ったが、どちらの方向に乗るのか分らない。5号線は環状線なので、いつかは着くとは言いながら、反対方向に乗ってはたまらない。何とか勘を働かせて、乗換駅のロシア語を推測した。パールク・クリトゥールイ駅にはたどり着いた。

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1号線のホームにも無事に辿り着いたが、来た電車にすぐに飛び乗ってしまう。幸い座れたので安心したが、次の駅名が分らない。放送もロシア語、駅の表示もロシア語だからどうしようもない。数駅行って、ついに反対方向に乗ってしまったことに気が付き愕然。今度は反対に倍の数だけ戻る。もう駅数を数えるしかない。ようやく目的駅であるチーストィエ・ブルドゥイ駅で降りた。しかしこの駅は3線が交差しており、駅名も異なっていた。東京の地下鉄にもたまにある光景だが、外国人にはたまらない。地上へ上がる方向がまたわからない。警備員に身振り手振りで何とか聞き出し、地上へ出た。

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シベリア鉄道で茶旅する(34)モスクワの中国人茶商

 中国人茶商と会う

窓から外がよく見える。朝は前の道がかなり渋滞していたが、今は車の流れがスムーズだ。昨日までいた雪の世界とは全くの別世界だった。昼前に出掛けた。今日はモスクワにいる中国人茶商と会うことになっていた。ホテルの目の前のレーニン大通りをひたすら行けば、着く所が待ち合わせ場所に指定されていた。だが彼からの連絡方法は微信であり、会話は全て中国語。『旅遊大廈33階で会いましょう』と連絡が来たが、そのビルがどこにあるのか、モスクワの地図を見ても、地球の歩き方を見てもさっぱりわからない。

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番地から判断すると、地下鉄では駅から遠いらしい。バスはよくわからない。仕方なくタクシーを拾う。モスクワのタクシーも多くが白タクだった。手を上げて停まれば、料金交渉をしなければならない。目的地を言うと、800㍔だという。かなり高い気がして値切るが、我々はその距離が分らないため、イマイチ交渉力がない。おまけに、『早く乗らないと駐車違反になる』と言われ、そのまま乗り込んだ。

 

運転手は悪い人間でもなさそうで、実際道は真っすぐだったものの、車はかなりの距離を走った。レーニン通りというぐらいの名前だから、かなり広い通りだが、市内の中心部かというとそうでもない。むしろ郊外に向かって走っていく感じだった。20分ぐらい乗っただろうか、ちょっと高い建物が見え、車はその下で停まった。韓国の起亜モーターのショールームがあった。33階以上の建物などこの周囲になかったから、ここに間違いはない。

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未だ約束の時間には早かったが、取り敢えず指定されたレストランを確認する。このビル、オフィスビルのようで、一応エレベーターに乗るところに警備員がいた。中国料理の店に行くというと、私を中国人と見たのか、すぐに通してくれた。33階かに上がると、両側に中国語が見えた。いずれも中国レストランらしい。入口の女性に中国語で話しかけても通じない。微信で連絡すると、渋滞にはまっているという。彼は一体どこから来るのだろうか。

 

そもそも彼を紹介されたのは昨年12月、この企画旅で湖南省の長沙を訪れた時だった。茶葉市場の沢山ある店の中から、なぜか選んだ一軒、その店主が見せてくれたのが、ロシア人の写真だった。ロシア人が湖南省まで買付に来るのか、彼らに連絡を取る方法はあるのか、と尋ねたところ、『モスクワに中国人がいる』と言われたのが、彼だった。しかし中国茶を商っているとは聞いたものの、その素性すらよくわからない。それでもこのモスクワで、中国茶に関する情報を得る手段は他にはなかった。

 

彼、張さんがやってきたのは、約束の時間を少し過ぎていた。この近くに住んでいるとばかり思っていたのだが、何と40㎞も離れた場所からやってきたのだという。なぜここに来たのか。それはこのレストランが中国人、彼が面倒を見ている若者の開いた店であり、茶道具などもあり、便利だったからだろう。彼は昨日中国から戻ったばかりだという。何とも忙しい、典型的な中国人だった。

 

まずは中国料理を食べながら、彼の話を聞いた。因みにここの料理は中国人シェフが作る完全な中国料理であり、ロシアの料理しか食べていなかった私には、もう故郷の味がして、うれしかった。レストランの天井は非常に高く、開放感があった。飾りつけも中国だった。ロシア人もこのような本格的中華を食べるようになっているのだろうか。ここのオーナーが店を開いたのは昨年のようだ。店の外には、ロシア語と中国語で、今日のお勧めメニューが書かれている。

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張さんは食事をしながらお茶を淹れてくれた。彼がお茶屋を始めたのは僅か10年前。ちょうど彼の会社は10周年を迎えるという。彼が初めてロシアに来たのはソ連邦が崩壊し、ロシアが大きな変化を迎えた頃だった。新疆ウイグルで育った彼は、政府の留学生としてモスクワの大学へ行き、その後も外交官としてモスクワの大使館にも勤務したらしい。その後ビジネス界に転じた。その商品がお茶だった。今ではモスクワの茶業界では有名人らしい。

 

食後張さんが本格的にお茶を淹れていると、そのパフォーマンスに人が集まってくる。ウクライナ人女性はここの常連であり、お茶好き同好会を幹部、来月中国にお茶見学に行く打ち合わせに来たという。ウクライナのオデッサもお茶のメッカらしい。ここは海ルートで運ばれた茶が陸揚げされ、モスクワに送られた場所。オデッサにも是非行ってみたい。彼らはその歴史に鑑み、中国茶を知ろうと努力していた。

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万里茶路に繋がる遺跡などモスクワにはない、と彼は言い切った。ただ彼は復刻された湖北省羊楼洞に米せん茶を扱っているというので、それを買いたいと申し出た。茶は家にあるので娘に取りに行かせると言い、私はそれを待った。その間にも、不動産価格、賃金事情などモスクワの諸事情について、色々と聴取した。お茶を飲みながら話をするというのは、こういう時に役立つものだ。途中彼とロシア人がけんかになる場面もあった。お茶の売買をルーブルで行うか、人民元で行うかで揉めたようだ。『ルーブルの下落は凄い。誰でも外貨が欲しい』、これがロシアの現状のように思われた。

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シベリア鉄道で茶旅する(33)ようやくたどり着いたホテルでスイートルームへ

 次に何とかたどり着いた宿は完全なバックパッカー宿だった。ビルの3階、聞かなければ絶対に分らない場所にあった。入っていくと気持ちの良い若者が、きれいな英語で対応してくれた。お客もヨーロッパの若者ばかりだった。リビングで皆が楽しそうにネットをしている。ここならいいな、と思ったが、空いているはずの3人部屋はあまりにも小さく我々おじさん3人が泊まるのは無理だった。

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それからだいぶ歩いた。歩き始めてから2時間も放浪しただろうか。私はもう疲れ果て、どこでもいいから泊まりましょうよ、という気分だったが、2人は慣れているので、何のことはない、という風情で次に向かって行った。暖かいとは言っても零下のモスクワの夜10時に、おじさん3人が荷物を持ってフラフラしている、周囲からどう見られただろうか。

 

もうどこをどう歩いたのか分らない。大きな通りへ出て、ビルの中の宿を探す。そもそもモスクワのアパートは1階に鍵がかかっており、住人以外は入れない仕組みが多い。そこを入っていく人に付いて入っていくのだから怖い。そしてS氏は3階だ、と言ってエレベーターで昇ったが、すぐに降りてきた。『駄目だ、文字が読めないので、どの部屋か分らない』またすごすごと出ていく。私はもうこの作業が限界であることを悟っていた。だがNさんは『バックパッカーは1ドル下げるために3時間歩くのは当たり前です』と言って意に介さない。

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私はそんなことは正直したこともないので、もうご免被りたい。何とか立派そうなホテルを見付けてそこへ入る。だがやはりツインしかない。しかもルームレートは5000㍔。2部屋取って税さを込みにすると10000㍔を越えた。私はもうそれでもいいと言ったが、Nさんはここでネットを接続して、また一人で探しに行った。そして戻ってきて、『あまりに汚いので諦めた』という。S氏が『そろそろ決めようか』というので、それならいっそ明日のアポに都合が良い場所へ移動してそこのホテルにしましょうと言ってみる。

 

流石に夜も11時、タクシーで移動した。ワルシャワホテルはオクチャープリスカヤ駅の角にあった。かなり古いホテルだった。祈るような気持でフロントへ行ったが、残念ながら、先ほどのホテルと状況はあまり変わらなかった。しかしもう動く気はない。他の2人も同意してくれたので、今晩の宿はここに決まった。何とモスクワの空港に着いてから5時間以上が経過していた。

 

今回は明日チェックアウトするNさんを一人部屋、私とS氏が同じ部屋となった。部屋はそれほど広くはない。シャワーを浴びて、さっさと寝たかったが、夕飯すら食べていなので、夜中の12時に外へ出た。閉まっている店も多かったが、1軒のカフェが開いていた。食べたい物はなかったが、なぜかセブンアップが飲みたくなる。疲れはある意味でピークに来ていた。食欲はなく、水分だけを欲しがった。ここで頼んだ紅茶はロシアで初めて、ティバッグではなくリーフがポットに入ってやってきた。やはりモスクワ、シベリアとは違う。

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3月22日(火)
スイートルームに移動

翌朝は朝食が付いていたので、ホテルで取る。天井が高く、なんとも立派な食堂だった。ジュースを飲んで、焼いたパンと目玉焼きを食べ、コーヒーで締める、いわゆるホテルのビュッフェの朝食であるが、何だかそれが嬉しい。パンとサラミだけだと腹はくちるが、どうしても寂しさが残る。人間、気持ちの問題は大きいということだ。

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食後、フロントへ行き、今日の部屋の有無を尋ねると、『昨晩より安い部屋はある』とのことで部屋を移動することにしたが、念のためネットで確認するとネット予約の方が更に安かったので、一度部屋に帰って予約してから、またフロントへ行く。フロントの若い男性は親切にも、『朝でもチェックインできますよ』と言ってくれたので、新しい部屋の鍵をもらい、すぐに荷物を移動させた。

 

確かに昨晩の部屋より狭かったが、なぜか入り口以外にドアがあり、そこが開いていた。覗いてみると、それは続きの部屋に繋がっており、かなり大きな居間のようだった。奥に机があり、ソファーもあった。インスタントコーヒーと電気ポットの用意まである。恐らくは客室担当が閉め忘れたのだろう。S氏は『取り敢えず開いているから使ってみよう』と言い、奥の机で原稿を書き始めた。これは完全にスイートルーム状態だった。確かこのホテル、各階にお茶が飲める部屋が1つずつあったが、この部屋は元々それではないのか。何かの都合で外のドアではなく、内側のドアを開けていたために、我々の部屋と繋がったのだろう。

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シベリア鉄道で茶旅する(32)吹雪の中をモスクワに飛んだが

 ネット予約してあるものの、本当に乗れるのか、ちょっと心配だったが、ちゃんと搭乗券がもらえた。簡単な荷物検査を通ると、そこには椅子以外何もなかった。すぐに出発するものと思っていたが、いつになっても搭乗のアナウンスはなかった。おかしいなと思い、滑走路の見える所へ行くと、外は吹雪のような状態になっており、当分フライトは無理だな、と素人でもわかる天候だった。ムルマンスクの天気は実に変わり易い。さて、急ぐ旅ではないが、一体いつ飛び立てるのだろうか。まさか今日は飛ばない、などということはないことを祈る。

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1時間以上遅れて、係員がゲートにやってきた。ついに飛ぶかと思い、皆列をなしたが、その後何のアナウンスもない。ロシア人がロシア語で聞いているが、要領を得ないようだ。ようは許可が出ない、ということだろう。皆がずっと立っており、イライラし始めたが、吹雪は止む気配がなかった。結局1時間半後、搭乗が始まった。飛行機までバスで移動した。タラップを上がる時も、まだ雪は降りつけてきた。これで本当に飛ぶのか心配だったが、今度はちゃんと離陸した。この安堵感は大きい。

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ノルダビア航空という聞いたこともない航空会社だったが、中はきれいだった。CAもちゃんと英語を話したし、簡単な機内食も出た。どこかの街に試合に行く中高生がジャージ姿で乗っている。ロシア人は男女ともに、とにかく大柄の人が多い。天井に頭が届きそうな人、エコノミーのシートではとても座れそうにない人などが、詰め込まれている。彼らは本当に大変な旅をしていることだろう。アジアのLCCなどにはとても乗れない感じだ。このフライトはほぼ満席だ。

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予想に反して定刻から40分遅れただけで、モスクワに到着した。タラップを降りると夕日がきれいだった。ムルマンスクの吹雪から一変、明るい内にモスクワに着けたのでかなり安心した。今晩も宿を決めていないが、これで何とかなるだろう。空港名はDME、ドモジェドモ空港という。モスクワには主要な空港が5つもあり、その距離も離れていることから、空港名の確認がかなり重要だった。

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11.モスクワ2
空港から

両替所を探すと、レートはかなり悪かったが、仕方なく最小限の両替をした。やはり空港で両替するのは良くない。これからアエロエクスプレスという空港線に乗って国鉄のバヴェレツという駅まで行く予定だった。このアエロエクスプレスの切符は自動販売機で購入することになっているが、すべてロシア語で出てきたので、戸惑っていると、後ろのロシア人が親切に操作してくれ、何とか買えた。400㍔以上したので結構高い。と言っても成田エクスプレスの5分の1程度だから知れている。日本の交通費は高過ぎる。

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この車両もきれいだった。そしてなによりも速い。40分で夕暮れの郊外を走り抜け、終点に着いてしまった。もう私は安心し切っていた。既に明日の予定を考えていた。駅に着くとすでに暗くなっていたが、Nさんが事前にこの付近のホテルを調べてくれていたので、すぐに泊まれると思っていた。しかもS氏は『折角なので、この駅のレストルームに泊まらないか』と更にうれしいことを言う。ここに泊まれればもう歩くこともない。

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確かにこの駅にもレストルームはあった。しかしそれは非常に分り難い場所にあり、また入り難い。何とかそこへ入り込んだものの、フロントのおばさんは全く英語を介さなかった。更には我々に分るように説明しようという気もないようで、いやむしろ面倒だから泊まらないで、という雰囲気すらあった。それでも料金やシステムを確認しようともがいたが、結局諦めざるを得なかった。これがすべてのケチのつきはじめとなってしまう。

 

ホテルがない

そして駅を出て大通りを進む。この辺にホテルがあるはずだ、と言われたところはどう見てもオフィス街で、高級そうな場所だった。そこから更に脇道に入り、何とかホテルを探していくが、そもそもホテルらしいところが殆どない。1軒だけあったホテルは、結構シックな雰囲気でよさそうだったが、部屋は1つしか空いておらず、かつツインルームでエクストラベッドなしで、3人は泊まれなかった。勿論料金も日本円で1万円以上した。

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そこのフロントの女性は不憫に思ったのか、ネット検索でこの付近のホテルを探してくれた。これで情報はだいぶ増えた。しかも安宿情報も入っていたので、そこへ向かってみた。ただ近いと言っても相当に歩いていかなければならない。私の新しく買ったバッグは、それほど長時間を運ぶのに耐えられない。車輪はおかしくなり、引っ張っても蛇行した。引っ張ったり、持ち上げたりしていると、腕がかなり痛くなる。

シベリア鉄道で茶旅する(31)雪に埋もれたムルマンス空港

3月21日(月)
ムルマンスク散策

翌朝も宿でパンとサラミを食べる。大きな窓から外を見ると曇りがち。S氏は原稿を書くと言い、午前は別行動となる。私は折角なので港を見てみたいと外へ出た。まずは駅前へ行き、空港行バスを探す。106と書かれた普通のバスとミニバスの2つが駐車していた。どちらが行くのか、両方とも行くのか、さっぱりわからない。運転手に聞こうとしても、反応がない。

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駅前には携帯ショップがあったので、チャージができるか聞いてみた。何とそこの店員は英語ができ、スムーズに処理がされた。だが出来上がったものを見ると、ネット接続がされていない。もう一度聞いてみると、彼がやったのは電話接続だけ。これで300㍔は高いし、私は電話を使わないので、ネット接続して欲しいというと彼は困ってしまった。実は私がキャプタで買ったシムとは別の会社に入ってしまっていたので、新規購入をしていたことが分かる。

 

仕方がないので、今入れたものをキャンセルして、他の店へ行こうとしたが、彼は『今はマネージャーがいないので返金できない』と申し訳なさそうに言う。私にはマネージャーを待つ時間はない。『では取り敢えず君のお金で私に返金して欲しい。マネージャーが来たら、手続きして、君がお金を受け取ればよいではないか』と提案したところ、益々困ったという顔で電話を始める。最後には『マネージャーの了解を得た』と言って返金してくれた。

 

その上で、別の店まで同行してくれ、事情をそちらに話してくれた。これは助かった。この店員は本当に悪いと思っていたらしい。新しい店の女性店員も英語が普通に話せた。『シベリアでは全く英語が通じなくて困ったが、ここの人は英語ができるね』というと、『当たり前でしょう。ムルマンスクだから』とこともなげに言う。さすが港町。そしてシムにチャージするより、新しいシムを買った方がいいよ、と教えてくれ、すぐに手続きしてくれた。チャージするとすぐに無くなるが、新しいものなら2-3日はもつらしい。そして料金は同じ300㍔なのだ。言葉が通じれば、こんなことが簡単にできる。素晴らしい。更に空港行バスについても教えてくれた。何とも有り難い。

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それから港の方へ歩いていく。道の雪は深い。更には小雪が舞い始める。そんな中、線路を渡る。一応踏切?があり、警報が鳴っているのだが、一向に列車は来ないし、通行人は気にせずにわたっている。その向こうに港があるようだったが、一般人は進入禁止となっており、ここで断念した。線路の引き込み線は中まで繋がっている。港や海は全く見えなかった。

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周囲は徐々に明るくなってきており、日が差し始める景色はなんとも美しい。大通りなども少しは歩いたが、特にこれと言った物はなく、例の大型ホテルの前の広場では人が人力で雪をどけているのが印象的だった。ここまで来たら、北極圏の記念碑なども見に行くべきなのだろうが、記念碑などというのは後から出来た人工物にすぎず、この旅の対象としては相応しくないと感じる。

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雪の空港へ

昼頃、少し早めだが宿を出て、駅に向かう。私も予定より早く動くことが多いのだが、S氏の行動はそれよりも更に早い。経験的に言って『早く出て待つことはあるが、遅く出たら間に合わないこともある。どっちが面倒がないかと言えば、待つことだ』という。それは道理だろう。日本のようにシステマチックに見える社会でも電車の遅れなどはかなりある。ましてやアジアなどでは、何が起こるか分らないのだ。その備えがないと旅は難しくなる。

 

駅前で聞くと、その辺で待てという。確かにその辺には数人の人が並ぶでもなく、待っていた。また小雪が舞う。ミニバスがやってきた。皆が我先に乗り込む。我々は荷物が多いので遅れる。何とか一番後ろに荷物を持ちこみ座る。見るとS氏はしっかりと運転手の後ろの席を確保している。これなら降り損なうこともないだろう。この辺が旅慣れており、ポイントを知っている動きと言えよう。

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ミニバスはすぐに郊外に出た。このバスは普通の路線バスであり、乗り降りは意外と激しい。スーパーなどがある場所は住宅街なのか、降りていく人が多い。そして段々家が無くなり、寂しい道を走っていく。雪も降りが強くなり、何となく不安な気持ちになる。30分以上走ってもまだ着く気配がないがない。席も空いてきた。すると、雪の中に大きな建物が見えてくる。空港ターミナルだとわかるのにちょっと時間が掛かった。何と一部が雪に埋もれていたからだ。料金は一人150㍔も取られ、何だかボラレた気分だった。まあそれでも無事に着いてよかった。

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何とも狭い空港だった。中に入るとすぐにカウンターが見えたが、開いている気配はない。まだ早いのだ。空港内を見てみたが、特に何もない。仕方なく、1階の店でパンとチャイを買い、座って食べる。その内、段々と人が増えてきて、食べ終わっているのに、席を確保しているは申し訳なくなる。席を離れて少し経った頃、ようやくモスクワ行のチェックインが始まった。

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シベリア鉄道で茶旅する(30)帰国準備する

 駅に着くとS氏は窓口で何か聞いている。何と『ここから先に行く列車はあるか』と確認していたのだ。貨物しかない、というのが答えのようだ。もう当然終わったと思っていた私にはかなりショックな質問だった。確かに線路は続いているように見えたから、聞いてみるのは当たり前のことだった。机上でいくら調べても、現場はそうなっていない、というのはよくあることなのだ。しかし『北半球の一番南の駅から一番北の駅に行く』という企画は、あまりにも壮大だった。

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駅舎内を見学する。天井を眺めるとドーム型になっている。小さな駅だと思っていたが、意外と広く、切符売り場は奥にあった。インフォメーションもあったが、英語は通じなかった。もう兎に角列車に乗ることだけはご免被りたい。駅舎の2階から陸橋が架かっており、雪の中、犬が寝そべっていた。私も犬になりたかった。雪の上に寝ころんで大声で何か叫びたい気分だった。体はまだ揺れている感じがする。

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駅を出て、駅前にあるショッピングセンター?に入る。昨晩切り裂いてしまったバッグの代わりを調達しないと、荷物を入れる物がないのである。だが昼前のこの時間、バッグを売る店は未だ閉まっていた。仕方なく、街を少し散策して時間をつぶして、戻ってくることになる。しかしどこへ行けばよいのか分らない。はるか向こうの丘に何か像が見えるが、そこまで行く気力はない。S氏は基本的に観光をしないので、タクシーに乗って行くこともない。

 

港町らしく税関が見えた。それからだらだら街を歩く。ゴミ収集車が走ってきたが、何とゴミ箱を自動で吊り上げて、ごみを車に運んでいる。人力では雪が多い時には難しいのだろう。馬に乗った女性が通り過ぎる。恐らくは乗馬クラブの活動だろうが、気持ち的には今でも馬で移動している人がいた方が北の街らしいと思う。子供が仔馬に乗っているのが、何とも微笑ましい。雪はかなり積もっており、車が雪で埋もれているところが多い。

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ショッピングセンターに戻ると、店は開いていた。おばさんがいた。どんなバッグを買うかは問題だった。今後も使えるそれなりのものを買うのか、東京まで荷物を持って帰ればよい、という安物を買うのか。取り敢えずチラッと商品を眺めてみたが、残念ながら今後も使おうと思えるものはなく、1回限りの使用を前提に安物を選ぶ。おばさんにディスカウントを要求したが、当然のように断られた。まあ、引っ張れば運べるものが確保できたので、良しとしよう。

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腹が減ったので昼ご飯を食べることにする。ショッピングセンターの1階にカフェがあるというので、そこへ向かったが、途中で気になる店があり、私だけ立ち止まる。それはお茶屋だった。しかも入ってみると、プーアル茶を売っているではないか。なんでこんなところにプーアル?かなり小さい塊、または1粒ごとに包まれた茶が箱に入ってギフトのようにパッケージされている。なんでもいいからお茶を買って来い、という人がいるので、適当に3つほど買ってみる。ロシア語は読めないので中身は分らない。あとでロシア語のできる人に見てもらったところ、何と『コーヒープーアル』と書かれていた。ほのかにコーヒーの味がした。

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S氏は既にカフェのカウンターで注文を始めていた。横にはロシアのおじさんが昼からビールを注文している。向こうに座っているおじさんはどうやらウオッカを飲んでいる。ロシアにはやはりアル中気味の人が多いように思う。列車の中でもそんな感じのおじさんが何人かいた。S氏もビールを飲んでいるとここでは雰囲気が出る。私はサラダとスープ、そして鶏肉を食べる。

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体が暖かくなり、外へ出た。何だか眠たくなり、宿へ戻った。もう今日は外出したいとは思わず、北の果てに来たというのに、部屋でごろごろしていた。そして明日のフライトをネットで予約し、更にはモスクワからの東京までのフライトを検索する。モスクワで1泊して、赤の広場へ行き、それで帰ろうと思ったが、フライトは日によってかなり料金が違っていた。3日後であればエアチャイナの北京経由が格安なのを発見してこれで帰ることに決めた。同じ日に帰るS氏は全く異なるイスタンブール経由のトルコ航空、Nさんは中央アジアへ行きたいというので、キルギスへ向かう便となった。

 

夕方はスーパーへ行き、食料を調達した。今晩食べる分だけを買う、カップ麺は要らないということにさえ、喜びがあった。旅の残り物を処理しつつ、晩餐となった。列車に持ち込んだパンがかなり余っていた。S氏は『今日はオーロラ、見られるかな』と言いながら、窓の外を見ながら、ビールを飲んでいる。何だかエンディングとしては悪くない。これが出張なら、反省会か、お疲れさん会だろうが、旅を振り返り、慰め合うなどということも全くない。

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シベリア鉄道で茶旅する(29)バッグを切り裂き、シャワーする

 シャワーの結末

この宿、思っていたよりはるかにきれいだ。一番奥の部屋は2間あり、手前はリビングでソファなどが置かれ、奥にはベッドがあった。ようはスイートルーム、というか、1LDKのマンションかな。ここでもS氏は、私に奥のベッドを譲り、Nさんと手前の部屋で酒を飲むつもりのようだ。まあ、その前に何としてもまずはシャワーだった。私は先にネットをやり、2人が出てくるのを待った。何といっても6日ぶりのシャワーだ。気持ちよくない訳がない。湯気を上げて出てくるNさんがまぶしく見えた。

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いよいよ私の番が来た。浴室は広く、お湯もちゃんと出ている。昔あとで入ったら、お湯が出なくなっていた、ということもあったので安堵した。そしてバッグを開け、着替えを出して、と思っていたが、何とバッグが開かない。最初はうまいジョークだな、などと気軽に考えていたが、何としても開かない。このバッグの鍵は番号式なのだが、当然番号は正しいのに、何かが引っかかって開かないのだ。Nさんも本気で手伝ってくれ、番号を全て合わせてくれたが、どうしても無理だった。

 

これは完全に鍵が壊れたな、と30分後にはわかったが、もう私には待つ気力が残っていなかった。もしこれが昨日もシャワーを浴びていれば、恐らく今晩はすぐに寝て、明日解決策を考えただろう。だがそうはいかないのだ。体はお湯を欲している。このバッグは布製で、しかもかなり使い古しており、少しだが、切れ目が入っていた。私は決心した。このバッグを壊そうと。だがどうやって壊すのか。

 

フロントの横には、確か食堂があった。あそこにはナイフなどがあったはずだ。すぐに体が動き、部屋から飛び出した。ナイフをゲットして戻り、バッグを切り裂いた。見事に切れた。すぐにパンツを取り出し、石鹸とシャンプーも持ち出し、バスルームに駆け込んだ。お湯を出す。湯気が立つ。体にあてる。何と心地よいことか。体を洗うと、何とも言えない気持ちよさ。体が脱力し、眠気が襲ってきた。すっきりした、という言葉ではちょっと表せない気持ち。だが私の部屋には無残なバッグが残っていた。ここまで数年間、私の旅に耐えてきてくれたバッグには何となく愛着があったが仕方がない。

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シャワーを終わると、リビングでは2人が酒を飲んでいた。そこには大きな窓があり、外を眺めることができた。S氏が『ここからオーロラが見えるかな』と言うが、そんな簡単に見られるのだろうか。北極圏なのだから、オーロラもありか。本当に果てしなく遠くに来たことを実感した。そしてベッドに潜り込むと、そのまま爆睡した。

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3月20日(日)
鞄を買いに

翌朝はもう何もない、ゆっくり起き上がる予定だったが、なぜか早めに目が覚めてしまう。取り敢えず旅の企画は終了したのだが、これからどうやって帰るのか、昨晩2人は検討していたようだ。結論として、明日のフライトでここからモスクワまで出て、そこからはそれぞれの道を行くことになった。まずはネットでモスクワ行の国内線を予約した。こんなことが簡単にできる時代、それは以前のロシア旅を知っているS氏からすれば驚きだったようだ。まあこれで今晩もここでシャワーを浴びて熟睡できると思うと、それだけでうれしい。

 

この宿には朝食が付いていた。昨晩使ったナイフを返しながら、食事をする。パンとチーズなど簡単なものが置かれていた。何だかその昔行ったスイスやドイツのホテルの朝食を思い出す。あまりチーズが得意ではない私など、食べる物は多くない。サラミぐらいか。他に宿泊客はいないのかと思っていると、ロシア人がやってきた。ここはロシア人が泊まる簡易宿舎のようだ。

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明るくなって外を見ると、まだ雪がかなり積もっていた。窓から眺めると、はるか遠くにムルマンスク港が微かに見える。ムルマンスはモスクワから2000㎞離れた港町。北極圏最大の都市であり、また世界最北の不凍港の1つである。重要な軍事拠点であるが、港ができたのはわずか100年前、その歴史は浅い。第二次大戦ではドイツ軍に激しく攻められたが持ち堪えた。戦後は発展を遂げたが、それ崩壊後その役割を終え、現在は人口減少が激しい街となっているという。尚時間はモスクワと同じ。

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S氏が駅へ行くというので、外へ出た。昼間見ても、この建物がサウナであることすらわからない。勿論泊まれるなどとは想像できない。1階にはサウナの客がやってきており、バスローブを羽織った人もいた。その中で我々はちょっと異邦人だった。天気は良く、寒さも感じられなかったが、雪はかなり残っており、歩きにくい。駅前にはマクドナルドなどもあり、またその付近ではおじさんたちが何かを話し掛けてきた。何と両替、と言っている。中国出は昔懐かしい路上の闇両替屋か。それにしてもなぜ闇で両替する必要があるのだろうか。どうやら今日が日曜日で銀行も開いていないということか。如何にも国際貿易港らしい雰囲気はある。

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シベリア鉄道で茶旅する2016(28)ムルマンスクを彷徨する

3月19日(土)

朝は早くから子供たちの声で起きた。既に通路を走り回っている。下の老夫婦はまだ寝ていたが、私は通路へ出て、スマホの充電を開始した。外は完全な雪景色だが、何ともきれいだった。家は殆どない。また無限の荒野を走っていく感覚だ。列車が急に停まったが、車掌はホームへ降りてはいけないという。ホームには人が待っていて、乗客が何かを受け取っていた。親戚が土産でも渡していたらしい。すぐに出発となり、すごく短い再会のようだった。

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子供たちは親からIPadを与えられ、ゲームを始めた。静かにさせるためには世界共通の行動のようだった。私は車掌からお茶を買い、紅茶のティバッグを飲む。朝ご飯を食べ終わった老夫婦が、『ここに座れ』という感じで場所を空けてくれた。そこでお茶を飲みながら、ビスケットを食べた。食べ終わると礼を言い、また上に上がる。それ以降彼らが降りるまで、下に座ることはなかった。彼らは3食全てを持参してきており、時間通りに食べ、あとは本を読んで静かに過ごしていた。我々が一緒になる余地は全くなかった。決して悪い人ではなく、これもある種、典型的なロシア人なのかもしれない。

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午前10時過ぎにケミーという駅に停まる。ここはホーム自体に雪山があり、子供たちは大喜び。押さえつけられてきた車内から飛び出し、思いっきり走り回る。天気も良いし、辛い車内を忘れられることだろう。既に14時間ぐらい乗っているのだが、まだ降りる気配はない。一体どこまで行くのだろうか。結局彼らが降り始めたのはそれから6時間後だった。20時間も列車に乗って行くスキーとは一体どんな場所なのだろうか。ロシア人の小金持ちは別荘を持っているというが、ここまでは遠すぎる。

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夕方から少し雪が降り始める。もうこの辺は北極圏だ、とS氏は言う。北極圏の定義など、これまで考えたこともなかったが、『北緯66度33分以北の地域』であり、その理由は『北半球における白夜の南限』ということらしい。確か日本の標準線が北緯35度だったことを考えると、何とも遠くへ来たもんだ、と思わざるを得ない。いよいよカウントダウンだ。

 

ついにあと4時間というところでスキー客がすべて降り、私の下の住人も姿を消した。車両はガラガラになり、どこにでもいられるようになった。S氏とは昨日以来会っていなかったが、我々より先に乗客が降りていたようで、たった一人でぽつんとしていた。ムルマンスク到着に胸が高鳴るというより、疲れで何も考えられないというのが正しい状況だった。

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10.ムルマンスク
ホテルがない

22:15、列車は定刻にムルマンスク駅に着いた。降りたのは僅かな乗客だけだった。その小さな駅舎の前で記念写真を撮り、呆気なく160時間の列車の旅はゴールを迎えた。もうこれで我慢しなくてもよい、あとはホテルに行ってシャワーを浴びるだけだ。ルーティーンである切符売り場に行く必要もない。完全に解放されたのだ。その喜びはひしひしとこみ上げてきた。

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地球の歩き方、によれば、ムルマンスクの駅近くには2つのホテルがあった。まずはここを目指せばすぐに見つかると思ったのだが、行ってみると意外と立派なホテルだった。S氏は『ここじゃくなくてもいいよね』と言って、通り過ぎてしまった。フィーリング的に合わなかったようだ。だがその先にホテルがあるのかどうかは分らなかった。普通は駅前を歩けばホテルが何軒かあるというのがアジア的常識だが、ここはロシアの外れである。その常識は見事に覆されてしまう。

 

私は地球の歩き方を見て、他の安いホテルを探す。あと2つぐらい載っていたが、その場所へ行ってみても、見付からない。私から見ればS氏は、この小雪がちらつく、夜11時、零下10度の北の果てで、ただ闇雲に歩いているようにしか見えなかった。我々の問題点は何といっても文字が読めないことではないのか。駅前のホテルは何とか『ホテル』と読めたが、例えば『民宿』とか『ゲストハウス』に当たるロシア語が読めなければ、その場に行っても分らないのではないのだろうか。

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まさか160時間の列車旅の結末がこれだったとは。何だか絶望的な気分になる。ここはもうS氏の動物的勘に頼るしかないのだろう。と思っていると、地元の家族が通りかかり、若い娘が話しかけてきた。何と英語だった。ホテルを探しているというと、ちょっと呆れたしぐさで『駅前にあるでしょう』というので『もう少し安いところは』と聞くと、スマホで検索を始める。そして『こっちにあるみたい』と言い、家族総出で、我々をそこへ連れて行ってくれるではないか。地獄に仏!

 

そこはさっき近くまで歩いてきたが、ホテルはなさそうだと引き返した場所だった。どうみてもホテルには見えない。そこはなんとサウナ施設だった。『この上が泊まれるみたい』と言い、上まで付いてきてくれ、受付で話を通してくれた。ここの受け付けの女性も英語ができた。何とも有り難い。この家族には丁重に礼を言ったが、感謝してもしきれない。

シベリア鉄道で茶旅する2016(27)初めて地下鉄に乗る

地下鉄で駅を移動する

エルミタージュを出て、裏手の川を眺める。ここからの景色がよいと言ってNさんは懸命に写真を撮っていたが、道路が渡れなかったり、塀があったりと、色々と邪魔なものがあり、なかなか難しい。戻る途中では、簡単なデモ?が行われており、何かに反対している人々がいることは分ったが、内容は全く分らない。何となく3年前にイスタンブールで出会ったデモを思い出した。あの時も内容は分らなかったが、翌年には大規模デモに発展し、結果としてオリンピックが東京に転がり込んできた。ロシアでも経済低迷など、不満が高まっていることは間違いない。

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この大通りには様々な店が出ている。スターバックスあり、バーガーキングあり、中華料理屋あり、丸亀製麺まである。ロシア人は何が好みなのだろうか。まあ、ロシア人が東京を歩いても、同じことを考えるかもしれない。通りには中国人観光客の姿が多くみられたのも、意外だった。ここまで来るのか。駅までの道のりが結構長い。日も西に傾いてきて、寒さが感じられるようになってきた。疲れも出てきただろうか。足取りは重い。

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モスクワから来たこの駅はモスクワ駅という名である。モスクワで乗った駅はレニングラード駅だった。ということは、行先が駅名になっているということか。これは面白い。だがこれから我々が向かうムルマンスク行列車はどこの駅から出るのだろうか。調べてみると、ラドジスキー駅から出るという。モスクワ駅に預けた荷物を引き出し、念のために早めに移動することにして、地下鉄に乗る。

 

ペテルブルクの地下鉄、ロシアで初めて乗った。切符はNさんが窓口で買ってくれた。駅名が分らないと乗れない。そして何ともエスカレーターが怖い。非常に駅が深いのだ。高所恐怖症には堪える。そしてホームは薄暗い。何だか地下シェルターに入った気分だ。ここはやはり地下防空壕なのだろうか。我々はどうやら3号線に乗っていく。電車の車内には不動産の広告が貼られていた。単位がよくわからないが、かなり広い間取りが多い。ここの不動産価格はどうなっているのだろうか。

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途中駅で4号線に乗り換える。この乗り換えもまたよくわからない。英語表記はあるが、文字が小さい。日本でもそうだろう。英語でも表示しています、と言いながら、日本語より文字が小さくなり、結局読めないことも多い。我々異邦人にとっては、この表示が命綱。薄暗い中、目を凝らしてみるのだが。電車がどちらに走っていくのかも含めて、何とか分りやすくならないものか。

 

乗り換えを入れても30分で、目的地ラドジスキー駅に到着した。地下鉄から長距離鉄道駅までちょっと歩く。19:48発の列車にはまだ2時間以上ある。夕飯を食べていなかったので、2階のレストランに入る。食欲はそれほどなく、パンとサラダを取ったのみ。なぜかコーラが飲みたくなる。コーラの甘さが沁みる。やはり疲労の色が相当に濃かった。夕日がやけにまぶしい。席にもたれて転寝する。

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トイレに行こうと思ったが、どこにあるのか分らない。店員から何とか聞き出すと、それは店内にあるにもかかわらず、鍵がかかっていた。なぜなのだろうか。鍵を掛けるということは自由に使ってほしくない、という表れだと思うのだが、その理由が知りたい。でも言葉が通じない。こんなちょっとしたことにも、疲れを感じてしまう。あと27時間乗れば、ゴールできる、一晩眠ればことは済む、と思いたいが、ここまでの130時間が重くのしかかる。

 

そして出発30分前、ホームへ向かう。まだ日は暮れていない。前を歩いていくのは、大きなリュックやスキー道具を抱えた団体さん。この列車に乗ってスキーに行くのだろうか。ロシア人は一体どこまでスキーに行くのか。列車には大勢の人が乗り込んでいる。我々もまた慎重に切符に書かれた番号を探す。何とS氏と我々二人は車両番号が違っていた。本来ならS氏とNさんを同室にして、私が移るべきだったが、S氏はさっさと自分の車両へ行ってしまった。この辺がなんとも面白い。

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我々2人に割り当てられていたのはコンパートメントの上段2つ。下段には厳格そうな老夫婦が陣取っていた。これまでの列車旅とは様相が異なる。自由に部屋を使うこともできないし、ましてや下の席に座るのも難しい。通路では子供たちが走り回り、賑やかだったが、ここだけは別世界であった。どうやら家族連れがスキー旅行に行くらしい。子供がはしゃぐのも無理はない。

 

27時間の旅へ

ついに列車が動き出した。既に窓の外は暗くなり、カーテンが敷かれた。もう寝るしかない。上の段は意外と狭く、寝るだけならよいが、居住スペースとしては適していない。まあ先日の3泊から考えれば、今回は一晩。寝ていれば着く、と言い聞かせて寝転がるが、眠りに就けない。部屋の電気も消えているが、頭の中がぐるぐる回り、何も考えられない。列車の線路音だけが頭に響いて離れない。

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