シベリア鉄道で茶旅する(36)モスクワ散策

赤の広場へ

この駅で降りたのには理由がある。19世紀末モスクワを訪問した李鴻章のために建てられたビルがあるというのだ。ヨーロッパ調のビルの中、何となく中華風の建物。これは李鴻章向け迎賓館だったらしいが、建てたのはロシアの茶商人だったというから興味深い。李鴻章とロシアの間には密約説が流れているが、その中に茶もあったのではないか、と勝手な推測をしてしまう。ビルの1階は茶荘になっており、中国茶も少し売られているが、大半は大きな缶に入って並べられていた。蓋を開けると物凄いフレーバー。今のロシアもヨーロッパ調のフレーバーティ全盛であった。お客が買っているのは、インドやスリランカの紅茶ティバッグが多かったかな。なんだかちょっと残念な気分。

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日差しもあり、寒くもないのでそこから歩く。完全にヨーロッパの街を歩いている気分。改修中の旧KGB本部を通り、教会を横目に見る。更に歩いていったが、また道を間違えた。モスクワ川の河畔に出る。そこから北に向かうとボクロフスキー聖堂が見えた。ついに赤の広場に出た。これが子供の頃、時々垣間見た共産主義の広場。謎のベールに包まれた場所だった。天安門とはまた違った趣がある。前にはデンとした城塞、クレムリンが建つ。何となく感慨深いものがある。クレムリンに入るには行列ができていたので、止める。もう十分だという思いがある。

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横にある歴史博物館で歴史だけを確認した。ティカップなどが展示されていたが、ここにも万里茶路に繋がる資料はなかった。モスクワにとっては、茶葉がどこから運ばれてきたかなど重要ではないということか。腹も減ってきたので、地下に潜ろうとしたが、ちょうどフードコートがあったので、寄ってみる。バーガーキングなどが人気だったが、私は料理が並んでいるコーナーへ。大きなグリルサーモンが目に入り、思わず注文したところ、係の女性が勧め上手で、ポテトなど大量に皿の上に載ってしまう。これを食べ切るのにはかなり苦労した。

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ようやく地下鉄にも慣れたので来た道を戻る。5号線に乗り換える際、なぜか外へ出てしまったので、蛇行するモスクワ川を渡り、1駅を歩いて戻る。ちょうどよい散歩だった。宿に戻り、荷物を取ろうとしたが、なぜか少し待つように言われ、トイレに行くと携帯の電話が鳴る。FB電話で、バンコックのMさんからだった。彼女もまさか私がモスクワにいるとは思っていなかったようで驚いたが、トイレにいた私も驚いた。

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空港

荷物を取ってホテルともお別れ。地下鉄のチケットは先ほど2回券を買っていたのだが、なぜか昨日のバスのチケットを自動改札に入れてしまい、通れず困惑。もう一度地下鉄に乗り、キエフスカヤ駅を目指す。ここではさすがに困惑なし。更にはキエフスカヤでも、昨日のNさんの指示が非常に有効で、少し離れているアエロエクスプレス駅まで迷わず行けた。少し早かったが、どんどん先に進む。今度はチケットも自販機で買えた。ようやくモスクワに慣れてきた頃にお別れか。

 

チケットは買ったが、出発時刻まではホームに入れない。30分に一本。天気が良いが、外で立っているのはさすがに寒い。列車は先日乗ったものと変わらず、快適に過ぎる。今度の空港はヴヌコボという名前で、かなり大きい。Fというターミナルまで、ひたすら歩かなければならない。もし急いでいたら焦るだろう。そしてエアチャイナのカウンターへ行くとちょうどチェックインが始まったのか、長蛇の列。団体観光客もかなりいた。荷物が多いのか、列はなかなか進まない。

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ようやくチェックインが終了し、イミグレレへ。ここで宿泊証明を求められたらどうしようかと思ったが、全く何もなかった。荷物検査でも、昔はここで色々といちゃもんを付けられた、とS氏は言っていたが、チェック回数は多いものの、今日は難なく通過した。出発ゲートへ行くと、既に人が溢れていた。空港は大きいが、スペースは広くはない。そこに中国人団体が占拠するのでこうなるようだ。

 

北京経由で帰国

フライトは定刻に出発した。中国人の団体観光客は数日間を共にしており、皆かなり仲良くなっていた。まだ興奮冷めやらぬ様子で、はしゃいでいる。自国の飛行機に乗っていることも彼らをリラックスさせていた。私は正直寝たかったが、なかなか眠れない。モスクワから北京までは相当遠いと思っていたが、飛行時間は7時間弱。モスクワを出たのは夕方7時だったが、時差があり、北京着は翌朝の7時なのだ。

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食事はすぐに出た。これを食べてウトウトしていると、パンが各席に押し込まれた。朝は起こさないよ、という合図である。それでも食事を渡さないとうるさいのが中国人だ。なるほど、これはよいかも。何となくボーっとしていると、あっという間に北京に着いてしまった。北京からモスクワまで列車で130時間掛かったが、飛行機で僅か7時間弱。一体あの旅は何だったんだろうか。今考えても不思議な列車旅。今回の旅を振り返る暇もない。

 

3月24日(木)

北京空港の朝は暖かく感じられた。既にホームグランドに戻った感じだ。ロシアでのあの緊張感は、文字が読めないだけではなく、やはり初めてで慣れがなかったということか。これからはもっと慣れない国にも行こう。脱アジア、これが今年の目標だ。そんなことを考えていると、すぐに搭乗となり、成田行きの便は出てしまった。何だかとても疲れてしまい、すぐに寝入ると、もう成田に着陸していた。

 

ちょうど2週間の今回の旅ほど、長く、そして厳しいものはなかった。この旅を乗り越えたことで、得る物も大きかったが、何より『本来の旅とは一体何か』という大命題を考え始める良い機会になったと思う。そして『万里茶路』については深くは情報が得られていない。次回は自分流の旅をして、さらに深く、濃く、茶路を歩いていきたい!

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