「アジア旅」カテゴリーアーカイブ

タイ最南部からマレーシア2022(7)ナラティワート おじさんとビーチへ

10月14日(金)おじさんとビーチへ

朝飯がないのでふらふら散歩していたら、華人の店でジョークが出ていた。焼売も頼んでみると、こりゃ何とも美味い。華人オーナーは華語も話したので、何となく楽しい。中国茶をゆっくりと飲んで、70b。これならもうホテルの朝食など今後は不要だな、と思う朝。

店を出てまたフラフラしていると、何と昨日の(英語で話し掛けてきた)おじさんと遭遇する。どう見ても悪い人では無さそうだったので、案内してくれると言われるがままバイクの後ろに乗る。まずは近くのボートレース公園へ。ここは広々としており、年1回は前国王も訪れていたらしい。

更にマナオビーチへ。バイクで15分(歩いたら結構ある)。非常にきれいなビーチだが、人はほぼいない。おじさんがお茶とお菓子を買ってくれるというピクニック気分の展開。公園を掃除している人に挨拶。その先には何故かアメリカ人女性が一人で海を見つめていた。聞けば親族がここで英語教師をしているらしい。更にはヨーロッパ人男性もいた。タイ人女性と結婚しているとか。ある意味で秘境であるこの地に憧れる外国人もいるということだ。

海を見ながら、おじさんとイスラムについて話す。この地域はタイ南部のイスラム地域で、日本では危険視(渡航中止勧告地域)されているが、決してそんなことはないという。更には日本と日本人が大好きで、いつか日本へも行きたいともいう。甥は既に2回日本へ行った。日本人に是非ナラティワートを知ってもらい、来てもらいたいといい、写真を撮りまくり、LINEで知り合いに送り続けている。このおじさん、誰とでも気さくに話すのは素晴らしく、タイ国内から来た人々とも記念写真を撮っている。

帰りも軽快に走っていたバイクが突然パンクした。これは困った、どうするのかと見ていると、まずは人家のある所へ行き、人を選んで助けを求める。電話してもらうと修理屋がすぐに来てくれるのはすごい。今日は金曜日でお休みだったが、特別に修理してくれた。150b。こういうコミュニティーは素晴らしい。ホテルまで送ってもらうと、おじさんはホテルのボーイとも知り合いで、私のことを頼んでくれた。何とも有難い出会いだった。

宿で12時まで休み、チェックアウトしてランチへ。あまり食べる所はないので、結局一番近いムスリム系食堂へ思い切って入ってみる。言葉は通じないがとても親切で助かる。ちょっとピリ辛な牛雑スープとライス、そして卵焼きもいるかと言われて頷く。75bで大満足。 

午後1時、宿に頼んだ送迎ミニバスが到着する。乗っていたのは5人(家族)だけ。一人80b。20分で空港まで来てしまった。実はナラティワートには公共バスもなく、空港に行けるタクシーを見付けるのも大変。ホテルで聞くと乗り合いバスがあるというので乗ってみたのがこれ。快適だが、フライトまではさすがに早すぎる。

空港には公園のような場所があり、家族連れが芝生で食事するなど、多くの人の憩いの場になっていた。そして空港入り口はなぜか人でごった返している。まるでインドの空港を見る思いだ。空港内に入っても人が多いのはなぜ?実はこの飛行場はエアアジアとタイスマイルの1日2便しかないはずで、しかも今日のエアアジアは既に飛んでしまったのだが。 

よく見るとチェックインカウンター脇には、同じバックを持った団体が並んでいる。もしや巡礼の旅に出るのだろうか?大勢の人々はその見送りか?などと想像するがよく分からない。更に横を見ると僧侶が4人もいる。ちょっとカオスな状況だった。私はWebチェックインして、チケットはスマホに入っていたが、何とスマホ搭乗券はダメと言われて、カウンターに取りに行く羽目に。

やはり警戒態勢は厳しいと感じたが、荷物検査スタッフなど、そこで働いている人はとても明るく、ナラティワートの人々のフレンドリーさが出ている。中には日本語を使ってくる人までいて驚いた。1時間ほど待って飛行機がやってきて、歩いて搭乗する。意外と大きな機体だったが、搭乗率8割?でかなり混んでいた。

1時間20分でスワナンプーム空港まで飛んでいく。実は国内線でスワナンプームに降りたのは初めて?ではないだろうか。出口が分からず右往左往する。歩いていると途中で搭乗者とすれ違い、更に混乱をきたす。入国審査もないのにかなり緊張してようやく外へ出てバンコクに戻った。

タイ最南部からマレーシア2022(6)ボートでタイ国境へ

10月13日(木)ナラティワートへ

宿で朝飯後散歩に出た。ホテル敷地内に石碑を発見するも入れず。スタッフに説明して頼んで無理に入れてもらう。漢字の碑が建っていたが、何なのかは誰にも分からない。そして突然のにわか雨に襲われ、部屋に逃げ帰る。

1時間で雨が止む。宿を出てバス乗り場まで歩く。10:15のペンカランクボール行、料金3.2mrは定刻に出発した。乗客は4人。車内は冷房がきつかった。途中道路工事があり、またかなり郊外に中国系の寺が2‐3見えた。約1時間かかってペンカランクボールに到着。もう海の横だ。

皆の後について行くと、イミグレの建物がある。非常に簡素。出国手続き後トイレに行きたくなり聞いてみると戻っていいと言われ、またイミグレを通過。何とも親切で有難い。その先は川を渡ればタイ側だった。ボートかフェリーかを選択。ボートが速いと言われ、3mr払う。フェリーは車なども乗せるのでゆっくりのようだ(1mr)。

数人が小型ボートに乗るとすぐ対岸へ。2‐3分で到着。だが思いの外、イミグレは混んでいる。窓口は一つしかなく地元民10人以上が待っていた。おまけに陸路入国はイミグレカードも必要で取りに行く。知り合いなのかマレー人の横入りもいてなかなか進まず。ようやく私の番が来ると係官はゆっくりとパスポートを眺め、そしてPCを見てから、『陸路3回目、ここは通れない』と言い出す。

私もノービザの場合、タイは年に2階しか陸路入国を認めていないことは知っており、その上で今回2回目を使おうとしたので、その拒絶には驚いた。懸命に説明すると何とか分かってくれ、すごい時間をかけて確認後ようやくハンコを教えてくれた。だが後ろで待っていたマレー人が怒りだした。その気持ちは十分に分かる。

タイ側はタクバイという名称の街だった。国境を歩いて出ると、バイタクからの声が沢山かかったが、全て誘い断ってソンテウを探す。何と国境付近では頼みのGrabは使えない。バイタクは40㎞、300bはかかる上、そんな時間高速のバイクに乗っていては体がもたないと思った。

何とかソンテウの居場所を発見したが、いつ出るかも分からない。運転手に話し掛けると、200b出せば、今すぐにナラティワートへ向かうという。これは安いのではないかと思い、その誘いに乗る。運転手はシンガポールに出稼ぎに行ったことがあり、その時日系企業で働いたらしく、日本びいきだったが、それ以上の英語会話は続かなかった。

40㎞は平たんないい道だったが、やはりバイクではきつかったろう。途中で乗客も乗ってくるなど、この辺の交通手段がどうなっているのか分からなかった。ここからハジャイや南部三県へ道は繋がっている。約1時間で街に到着。直前に調べたタンヨンホテルまで連れて行ってもらった。何とも有難い。

このホテル、朝食なしなら1000b。部屋は広くて開放的。ベランダがあり、強い西陽で濡れたい服が乾くのが良い。宿の前の中国系食堂で麺を食す。コーラで国境越えに乾杯、70b。残念ながら華語は通じなかった。

食後ビーチの方へ歩いて行く。広い公園にいい風が吹いている。家族連れ、カップルがランチを食べているが、ビーチで泳ぐ者がいないのは、ここがイスラム教圏だからだろうか。子供が波で遊んでいるだけだったが、何となくゆったりした気分になる。子供向け電車も走る。

帰りにモスクに寄ると近代的な建物だった。その先で突然おじさんに英語で声を掛けられる。何だかとてもフレンドリーで、日本が大好きだと言っていたが、この人は誰なんだろうか。更に行くと立派な時計台があった。タイ国内でも、ミャンマーなど他の東南アジア諸国でも、時計台を見ることは多い。なぜアジアの街に時計台があるのだろうか、というテーマで調べた人はいないだろうか。

一度宿で休息し、夕方夕飯を探しに出たが、食べるところはなかなか見つからない。そんな中、ハンバーガーを売る屋台を発見。若者2人でやっているのだが、何と日本サッカー協会と書かれたエプロンをしているではないか。話し掛けると英語も上手くて、『札幌』と言えば『コンサドーレ』、『アントラーズ』と言えば『鹿島』という感じでJリーグにかなり詳しい。さっきのおじさん同様日本大好き。思わずハンバーガーを購入。ついでに近所でフライドチキンも買う。合計68b。テイクアウトして部屋で食う。しかしこの宿、夜2時まで音楽が鳴り響き、うるさい。

タイ最南部からマレーシア2022(5)コタバル散策

10月12日(水)コタバル散策

朝ご飯は前回同様ルーフトップで食べる。お粥が旨い。本当は外で食べたかったが、既に日差しが強くてとても暑く、座ってはいられない。9時過ぎに戦争博物館へ向かった。6年前のリベンジ、旧憲兵隊司令部。前回お休みだった博物館にとうとう入った。入場料2mr。係の女性が何処から来たのか聞くので、『日本』と答えると、彼女は大きく頷きながら中を指した。

館内の展示をゆっくりと見た。第1次大戦で英国に連れていかれヨーロッパで戦死したマレー人がいた。山下奉文の隣に牟田口廉也が登場した。銀輪部隊についても書かれており、パールハーバーより僅かに早く、コタバル上陸作戦が行われたとある。上陸戦はかなりの激戦で戦死した日本兵も多くいた。

三方より上陸してシンガポールを目指すのが日本軍の作戦だった。逃げていくイギリス軍に地元民は喝采したとあるが、それも長くは続かなかった。途中からは抗日運動も起こり、そこでまた悲劇が生まれる。博物館の後方には飛行機、戦車なども置かれている。我々はコタバル上陸作戦をもう少し知る必要があり、その後の日本軍がマレー半島で一体何をしたのか、もっと知るべきだろう。

外へ出て、何となく歩き出す。ふと、マレーシアリンギをあまり持っていないことに気が付いて、銀行を探す。銀行のATMに銀聯カードを突っ込んだが、お金は出てこなかった。慌てて銀行の人に聞いたが、よく分からない。もう一つの銀行でも銀聯が使えないことが分かり、愕然となる。と同時にこの街が中国人観光客の来るところではない証明を見た思いだった。

結局地元系銀行は無理で、かなり歩いてHSBCのコタバル支店でリンギットを何とか確保した。ついでに街の両替所の場所を聞くとKBモールという徒歩20分かかる郊外のビルにあることが分かった。折角なのでモールまで歩いて行く。途中で旧バスターミナルを発見、ここから国境行のバスの存在も発見できてよかった。それにしても市内で両替所はここしかないのか??モールにお客は殆どなく、小学生が遠足に来ている以外は、閑散としていた。 

宿まで歩いて帰り、荷物を持ってリバーサイドのホテルにチェックインした。ところがなんと5時前まで部屋のエアコンが使えないというではないか。結局10mr割引してもらい、 1泊朝食付218mr。部屋は広く、リバービュー全開。おまけに室内は冷房の残りが効いており、涼しく快適で問題なし。

外に出て昼ごはんを探すがなかなか良い所がない。よく見るとチキンが下がっている店があったので入ってみたら、食堂は隣だと言われる。隣はかなり立派なレストランで、きちんとした身なりの人々が食事している中、場違いな格好でチキンライスを食べる羽目になる。料金は11.5mrとそんなに高くはない。

食後に出てきたティーはミルクなしで、甘い。周囲を見渡すと、基本的にヒジャブを被った女性たちが食事をしているが、なぜか身なりの良い男性4人も登場し、私とは違った場違い感を出している。まあイスラム世界では酒を飲まないのが私にとってはとても良い。

午後はイスラム博物館でイスラム教がこの地に伝わった歴史などを勉強。ついでに隣の州立モスクを見ると非常に美しい。思わず何枚も写真を撮る。ここに来ている人は皆優しい顔をしているのが印象的。更にその隣は王宮博物館。その建築美は素晴らしいが、室内の展示は王室関係ばかりだった。その隣には今も使われている王宮があるがここは立ち入り禁止。もう一つケランタン州博物館まで歩いて行ってみたが、現在改装中で入れず。

疲れたので宿に戻り、大きな窓から川を眺めて休息する。これは何とも落ち着く。4時前にはエアコンも復活。少しずつ降りてくる夕日を見ているのは幸せだった。涼しくなったので夕飯を探しに外へ出たが、いい所が見付からず困る。川沿いに屋台?が出ていたが、川だけ眺めて宿に戻り、結果クラブサンドイッチをルームサービスして、部屋で夕日を眺めながら食べる。何とも贅沢な時間。6年前を思い出す。暗くなると川も見えず、川音だけが静かに聞こえてくる中、深い眠りにつく。

タイ最南部からマレーシア2022(4)ペンカランフールーからグリー経由コタバルへ

するとそこにちゃんとタクシーが1台いるではないか。インド系男性が英語で話し掛けてくる。『コタバルならグリー(Grik、宜力)からバスだな』というと中華系のお爺さん運転手に指示を出す。70mrと言われるが、どのくらい遠いかもわからず、他に選択肢もなく、タクシーに乗り込むしかない。このお爺さん、山道をすごい勢いで飛ばす。100㎞は出ており、対向車などもほぼなく、45㎞の道のりを1時間もかからずに走破して、グリーに到着した。因みに顔は中華系だが、華語は分からないようだった。マレーシアも奥深い。

しかしコタバル行バスチケットを買おうとブースに進むも何と言葉が通じない。マレー語しかできないのだ。何とかコタバルは分かったようで12という英語を何とか話す。だが実際に29mrで購入したチケットには12時半とある。まだ10時半(マレーシアとタイは時差1時間)で、何と2時間バスはなかった。まあ、これも想定内だったが。

仕方なく街歩きでもして過ごそうかと思ったが、何とここがどこか分からない。タイを出る時、タイのシムでローミングを買うのを忘れてしまい、スマホが機能しないのは誤算だった。どこかでマレーシアのシムを買わなければならない。思い付いたのがコンビニ。確か数年前一度シムを買ったことがある。

バスターミナルの横にセブンがあり、確かにシムは10mrで購入できた。だがアプリをダウンロードして登録を済ませないと使えないのだが、なんとそれにはWifiが必要だった。ヒジャブを被った従業員の女性は英語が出来、この状況で自分のスマホからテザリングしてセットしてくれた。本当に感謝しかない。日本ならどうするだろうか。あまりに有難いので、記念に写真を撮らせてほし渡いとお願いしたが、それは拒否されてしまった。

グリーの街歩きを始めたが、予想より小さい街だった。それでも意外と人口はいるようだ。 華人と漢字も目立っており、立派な福建会館も見られた。華人はどんな所にでも根を下ろしており、すごいとしか言いようがない。観光するべき場所は特にないのに、ホテルはいくつもある。なぜだろうか。食堂からいい匂いがしていたが、食事はバスに乗るので控える。

12時半になってもバスは来なかった。まあ想定内の20分遅れで到着したから良しとしよう。それにしてもペナン島から来たこのバス、先客は僅か1人。私ともう一人が乗り込むが、完全自由席で、車掌も暇そうにしている。ともあれ、バスが走り出したのでホッとした。

最初バスはかなりの山の中を行き、スマホは使えなかった。景色もよく見えなかったが、 途中から山を越え平地へ。後はひたすらコタバルを目指すのみ。特に休憩はないが、運転手は時々意味なく止まる。説明もないので理由は分からない。休息とは思えない。乗車する人などもいない。なぜ?

コタバルで

結局3時間半ほどかかってコタバルに到着した。以前は街中までバスが走っていたが、今回は郊外のバスターミナルで降ろされる。ここから歩いて予約した宿へは行けない。またなぜかマレーシアではGrabが使えないと思い込んでしまっていたため、飯を食べているやる気の無さそうなタクシーに頼んでしまう。宿まで5分で到着したが、料金は20mr。さっきのバスが3時間半乗って29mrだから、何とも割り切れない思いだ。

クリスタルロッジ、6年前よりロビーがきれいなっており、当然ながら料金も高くなっていた。なぜか10mr割引してくれたが、それでも1.5倍か。部屋は少し広い所になっていたが、 5階の奥まった部屋で、廊下の電気がついておらずドアのかぎが見えないほど暗い。部屋で充電しようとしたが、コンセントが合わず。マレーシア事情を、完全に忘れている。フロントでアダプター借りる。応対は親切でよい。

ついでにタイ側へ行く方法を聞いたが、『ランタウパンジャンへ行け』と言われる。初めて聞く地名で戸惑い、Grabで調べてみると75mrもかかる。かなり遠い。以前ネットで見た時は、ボートで渡れる国境があると書かれていたが、そんなところは知らないという。まあ、ゆっくり調べよう。

川沿いに行くと夕日がきれいだった。6年前の記憶が急速に蘇る。私はこの夕日を見るためにここへ戻ってきたのだろうか。街中はとても静かで歩いている人もほとんどいない。海南会館、福建会館の建物はあったが、華人食堂は閉まっているところも多く、確実に華人の影響力が弱くなっているのを感じる。

腹が減ったが適当な店が見付からない。ちょうど屋台のような店があり、中を覗くとヒジャブを被った女性と目が合う。マレー系だが英語のメニューもあり、彼女の英語も上手い。お勧めを聞くと、ナシゴレンカンポン(小魚入り)と言われ、食べてみると確かに美味いし、何となく懐かしい。6mrと甘いミルクティー2mrで満足。部屋に帰ってゆっくり休んだが、夜また赤蟻が登場して、かゆくて眠れなくて困る。

タイ最南部からマレーシア2022(3)早茶を食べて国境へ

ランチを食べていなかったので昨日の店へ行く。食べたかった豚足は残念ながら売り切れており、チキンとチャーシュー半々のライスを頂く。60bでこちらも満足する。この店の人達、みんな華語は得意ではない。広東系の一家なのだろうと理解した。 

午後は郊外のモスクに向かって歩き出す。大通り沿いには、4階建ての福建会館、広西会館、八桂会館が並んでいる。いずれも立派だ。広西会館前にお婆さんが座っている。話し掛けると華語はかなりうまい。両親が広西から70₋80年前に渡ってきたという。当時林業など仕事は何でもあった。おばあさんはここの生まれ。広西系はベートンの一大勢力らしいことが分かる。

歩くこと20分。郊外にようやく小さいモスクが現れる。ハラール料理の店が見える。ベートン人口の半数はイスラム系と聞いていたが、そのプレゼンスは大きくないように見えた。ただヒジャブを被ってバイクに乗っている(3₋4人乗り)女性がやけに目立つ。所謂タイ人らしき人はほぼ見られない。

夕方外を歩いているとあの市場の傍でタクシースタンドを見つけた。昨日旅行会社の女性が言っていたのはこれか。だが国境まで乗せてくれというとやはり300bだという。これは完全に価格統制が敷かれている。更に行くとロットゥもあることが分かる。ただこれはハジャイまで行くもので、5時間かかるらしい。料金は280bで一日数本出ている。これしかこの街から脱出方法がないと分かり呆然としたが仕方ない。

夕飯は潮州系の焼麺を屋台で食べた。既に腹は一杯だったが、それでもいつものようにうまい。時計台のライトアップがきれいだった。部屋に戻り、ちょっとPCをいじってすぐに寝る。夜はぐっすり10時間寝られた。昨晩の睡眠不足を一気に解消する。赤蟻がいない、窓がない、そして電気ポットがなく、お茶を飲まなかったことが安眠に繋がった。

10月11日(火)マレーシアへ

朝6時前起床。気持ちの良い朝。ベランダから街を眺める。ドミトリーに泊っていたタイ人女性もヨーガのポーズで景色を眺めている。旅行でバンコクからソンクラーへ飛行機で行き、そこからレンタカーを借りてここまで来たらしい。もう一人男性がいた。パッタニ県でカフェを経営しており、ここに2店舗目を出すべく、視察に来たらしい。パッタニもベートンも彼にとって極めて安全な場所だという。二人とも英語が旨い、慣れた感じの旅人だった。

朝ご飯に出掛ける。目をつけていた早茶屋、6時半ですでにほぼ満員。何となくおじさんの集まり(奥さんや家族にはお土産持ち帰り)が多い。自分で点心を選んで蒸してもらう。 1皿15b?店主に華語で菊普茶を注文。美味い(砂糖も入っている)。叉焼包、チャーシューと言ってしまうと広東語が飛んでくる。ゴーヤー肉団子巻きが渋い。全部で100bの極めて優良な朝ご飯は、満足な上、何とも楽しい。

8時前に宿に戻ると、宿の女性が待っていてくれた。コロナ禍でカフェとホテルを開いて大変だった話などを聞いていると、彼女が予約してくれたトゥクトゥクが登場した。たった 5㎞で国境へ行けるのに300bも取られるのは納得できないが、Grabなども使えない国境特有の料金設定で他の手段はない。

トゥクはあっと言う間にタイ国境に到着したが、誰もいないので出国審査は実に簡単に終わる。中立地帯へ出たが、誰もいない。その途中までトゥクで行けたが、マレーシア側手前で降ろされ、その先は歩いてイミグレへ。立派な建物が見えるが人も車もほぼ見えない。僅かに石碑が見えたので行ってみると、1968年の反共闘争で命を落としたマレー側の人たちを追悼するものだった。この辺にこの付近の歴史がにじみ出て来る。

ペンカランフル、と書かれたマレーシア側国境。マレーシアからの観光客がバンで1₋2台来ているだけで、マレーシアに入国するのは私だけ?だった。スマホアプリもワクチン接種証明も提示など求められない。ただ『どこへ行くの?』と聞かれたので、取り敢えず『コタバル』と答えると、イミグレのヒジャブを被った女性は一生懸命行き方を考えてくれた。こんな国境初めてだ。

彼女は最後に『向こうにタクシーがいるはずだから相談して』と入国スタンプをサラッと押す。こんな誰もいない所にタクシーなんか本当にいるのかと不安が過ったが、まだ午前中なのでかなりの余裕をもって歩いて行く。

タイ最南部からマレーシア2022(2)ベートン ホテルを替わると

驚きの街から戻り、部屋でなでしこジャパン‐NZ戦を見る。何だかスピード感がない試合だった。最近女子サッカーに人気が無いのは、それも原因だろうか。有料観客数が僅か4410人とは悲しい。ただ若手の一部がのびのびプレーしているのがかすかな望みだ。女子選手は見た目やファッションなどでしか取り上げられないのは、マスコミにも大いに問題がある。

2時間経過して、3時からまた散策を続ける。この街は人口統計的には半数はイスラム教徒らしいが、街の中心部は完全に華人に制圧されている感がある。ただバイクに乗ったヒジャブ女性はかなり目立っている。マレーシアへ抜けるルートが分からず、旅行会社を訪ねたが、マレー人スタッフは英語も出来ず、何も分からず。いやただ『市場へ行け』とだけ言っていたが。

同窓生のOさんにベートンへ行く、と言ったら、20年ほど前タイで放映された『OK Betong』というドラマを紹介された。見ていないので内容は分からないが、その撮影地(写真スポット)まで30分、歩いて行ってみた。特に何があるわけでなかったが、タイ人が車から降りてきて何人も記念写真を撮っていたので、彼らにとって何らかの思い出はあるのだろう。 

また歩いて市内に戻る。さっき旅行社で言われたベートン市場に行ってみるが、当然ながら何も分からない。ただそこに同安堂があった。ここは菊普茶を売っている店として紹介されていた。店は1956年創業だが、菊普茶は2010年以降の商品であり、勿論ベートンに茶畑はなく、茶葉と菊花は全て中国から輸入しているという。それをここで漢方薬のようにブレンドして売り出したら意外と売れているとか。

夕飯の時刻となったが、腹の調子があまりよくない。それでも市場近くでカリカリ豚肉麵 50bを食べたら元気になり?更に向かいで鳥粥55bまで食べる。観光客がいるので活気があってよい。だが宿に戻るとマレーシアからの団体客がおり、何と部屋の両隣で深夜まで騒いで本当に困った。さすがに眠れず、夜中に部屋を変わる。ホテル側が抗議してもびくともしない奴らで本当に質が悪い。

10月10日(月)ベートン散策2

あまり寝ていなのになぜか目が覚めてしまった。眠気がないのは昨夜の大騒ぎのせいだろうか。6時間睡眠か。ちょっと厳しいが、仕方がない。8時過ぎに朝食会場に行くとかなりの混雑。やはり団体客が多い。騒がしさはまるで中国みたい。一人で食べているのは私だけという孤独感を味わう。粥が旨い。食後館内を歩くと立派なプールがあり、庭もあった。だがもうこのホテルにはいたくない。

取り敢えず散歩に出た。すぐ近くに観音寺があり、きれいな仏塔がかなり目立っていた。やはり街中は華人中心だ。更に中華園というところへ辿り着く。1923年開校の中華学校がある。来年創立100周年、意外と古い。ただ当初生徒は少なかったようで、50年代より移民が増えたとある。立派な校舎が建っており、教室ごとに各地域の名前が付いている。

ベートンの歴史を知りたくなり、職員室?を訪ねてみた。係の人は華語が出来たが、歴史と聞いて困っている。そしてバイクに乗ろうとしていた女性に声を掛ける。彼女は学校の教師だろうか。歴史について尋ねるとかなり慎重な対応を見せ、『いきなり来ても無理。歴史は複雑だから。簡単なことならネットで検索して』と断られる。街に図書館はあるがタイ語は読めず、博物館は閉まっていて何ともならない。ベートンの歴史、知りたい。

学校の横には思わず拝みたくなる大きな大仏がある。やはり華人の象徴だろうか。タイとも異なる仏像だ。大乗仏教の影響か。その近所にきれいなカフェがあり、そこが宿にもなっていたので、今晩はここに移動することに決定。安眠できそうだ。

部屋に戻って出雲駅伝を見る。今やネットで簡単に見られるのは良い。途中でチェックアウトの時間となる。フロントの態度は非常に悪く、無料だと思って飲んだ水代まで取られる。すぐにPCを抱えてカフェへ行き、駅伝の続きを見る。カフェラテを飲みながらチェックイン。駒大強し。

靴を脱いでスリッパで2階へ。部屋に窓がないので、今晩はよく眠れる予感。2020年12月開業ということで、狭いが非常にきれいな部屋。赤蟻がいないのも有難い。下に降りて抹茶ラテを注文すると何と茶碗と茶筅を使い、ミルクでかき混ぜている。茶道も習っているとかで本格的な雰囲気が面白い。当たり前だが抹茶の味がする。カフェには地元民がひっきりなしに来ている。人気店だ。

タイ最南部からマレーシア2022(1)いざベートンへ

《タイ最南部からマレーシア2022》  2022年10月9₋15日

先日された人とバンコクで逢ったら、更に色々なことを紹介してくれた。その中に『タイの最南部に茶畑があるらしい』という耳寄りな情報があり、突如ベートンへ向かうことになった。それはどこ?どうやって行くの?とにかく情報が殆どない。更にはそこからマレーシアに抜けることを試みる。果たしてどうなるのだろう?

10月9日(日)いざベートンへ

ベートンと言ってもタイ人でも知らない人の方が多いかもしれない。20年ほど前テレビドラマで『OK Betong』が放映され、その印象がある人はいるらしいが、外国人の私にはチンプンカンプンだ。どんなところか、今はどうなっているのか、全く不明である。唯一の情報は『2021年に新しく空港が出来た。タイ政府が今後の観光地として売り出している』というもの。また『華人の街』や『カオマンガイがタイで一番美味い』などのサイド情報が入ってくる。

コロナの影響か、新空港はほとんど使われておらず、僅かにノックエアが週2便バンコクから飛んでいることが分かり、そのフライトを予約した。料金は通常の国内フライトよりはかなり高く、ちょっとビックリした。一体誰が乗るのだろうかと違った興味が沸く。

いつものように朝早く宿を出て、MRTとSRTを乗り継いで、ドムアン空港に着く。日曜日なので、混雑はない。ノックエアで初めてWebチェックインしてみたが、カウンターへ行かず搭乗できた。何と私のEメールに問題があり、これまでは搭乗券が届かなかったらしいことが判明する。早急に復旧させなければならない。

機体は小さいが前乗り(前回バンコクエアが後乗りだったので、後ろの席を予約してまた失敗)。意外なほど乗客が乗っている。しかも年配の華人比率が非常に高い。富裕層の観光旅行なのだろうか?2時間のフライト、途中はかなりの揺れを感じた。最後の着陸時には山すそギリギリを飛んでおり、相当山奥に来たことが感じられた。突然香港のカイタック空港を思い出させられた。いや80年代の雲南思茅空港だろうか。

昨年できた新しい空港は周囲に何もない。週2便しか飛んでいないのだから賑わうはずもない。空港ロビーまで歩いて行くが、まるで山の中でそこだけが平地のようだった。建物に入っても、何もない。これでどうやって街へ行けるのか心配になる。Grabをたたいてみたが、バイクの表示はあるものの来るのかどうか。その時、市内行バスの表示を見てホッとする。運賃60bはありがたい。

フライトの乗客の多くは迎えが来ており、バスに乗ったのは10人ほど。その乗客は華人のみであり、高齢者とその付き添いであり、どう見ても観光客ではない。帰省?だろうか。車掌さんはどう見ても日本人にしか見えない華人女性。車内は華人同窓会の雰囲気になる。しかし言語はタイ語というのがちょっと不思議。恐らく里帰りとしては、新しい空港を初めて使ったのだろう。皆キョロキョロしている。

15㎞ほど乗ると街中へ入る。だが目印の時計台で降りたのは私だけだった。後の人たちはどこへ行くのだろうか。取り敢えず近くのホテルへ行ってみると意外なほど立派だったのでフロントへ。ヒジャブを被った女性が突然華語で『何日泊まりますか?』と聞いてきたので驚いた。ちょっと答えないとすぐに英語で聞き直してきた。ここは一体どこなんだ?

Wifiは弱いが、広くて、眺めの良い部屋にチェックイン。1480bで朝食付き。それにしてもロビーにはチェックアウトしたマレーシア人が沢山いた。ここはタイのはずだが、何だかマレーシアにいるような気分になる。取り敢えず腹も減ったので街に飛び出してみる。目指すはベートン名物、カオマンガイ。有名な店はすぐに見つかる。1時半ぐらいなのに、この店だけは客で溢れていた。お爺さんに『鶏飯』というと通じたが、コーラは広東語でないと通じない。この家族は広東系なのだろう。鶏肉は新鮮でおいしいが量は少ない。60b。豚足も美味そうに見える。

帰りに華人女性と目が合う。すると向こうが『あんたは何語を話すの?』と華語で聞いてきたので、そのまま会話が始まる。大学芋?揚げバナナが美味しそうに揚がっていく。10b分を分けてもらう。女性の母親(客家)が35年前に始めたという店。父親は海南人でイポーから来たという。広東語、福建語、潮州語など5つの華語とタイ語、マレー語を話す。語学の天才、恐るべし。

カンボジア旅2022(6)観光客のいない街

街まで戻り、ついに運転手とお別れだった。彼もプチュンバンのお休みに故郷に帰らず、稼がなければならない立場だったようで、少しは貢献できたかもしれない。オールドマーケットで降ろしてもらった。すぐにランチを懐かしいクメールキッチンで取った。ここは11年前にも来た食堂。アモークという、カンボジア名物の甘い煮物が好きなのだ。

ついでにオールドマーケットを散策したが、どこの店も閑散としていた。既に閉店したレストランやホテルも目に付く。外国人観光客は戻ってきておらず、何となく寂しい。それでも店が開けられるまで回復したと見るべきだろうか。まあ昼間だから客が少なく、夜はもう少しマシかもしれない。

宿の向かいのスーパーへ行くと、何と日本語を話す母子とすれ違った。駐在夫人だろうか?なぜこのスーパーにと思い入ってみると、日本の味噌や豆腐などが売られていた。日本人や日本食レストラン、今も少しは残っているのだろう。相変わらず古い米ドル札が使えない。

かなり疲れたので、午後は宿で休息した。この宿は落ち着きがあってよい。夕飯のため再度オールドマーケットへ行ってみたが、事態は昼間とあまり変わらない。今度は華人系の食堂に入り、クメールカレーを食べた。ちょっとだけスパイシーなこのカレーは一体どこから来たのだろう、と思っても、答えてくれる人はない。恐らくは外国人観光客のために作られたのではないだろうか。夜のライトアップがやけにまぶしい。今は便利な世の中でカンボジアにいても、サッカー日本代表の情けない?試合が見られる夜。

9月28日(水)シェムリアップを去る

翌朝は小雨が降っている。朝ご飯を宿で食べて、傘をさしてちょっと散歩に出る。しかし特に行くべきところもなく、人も全く歩いていない。市場で働く女性はヒジャブを被っている人が多い。これはどういう系統の人々だろうか。チャンパなのか。

10時になり、宿をチェックアウトする。この宿には空港までの送迎が無料で付いているのでそれを利用する。他のトゥクドライバーは暇を持て余している。トゥクで約20分走って空港に着く。こんな空港だっただろうか。見ると国際線は1日10便程度しかない。ドル箱路線だったはずのバンコク便も1日2往復のみ。何とも寂しい空港になっていた。

トゥクを降りて礼を言うと運転手の若者が『お代は?』と聞いてくるので、『それは君がホテルからもらうんだよ』というと、『へー、そうなんだ』と言いながら笑顔で手を振り去っていく。せめて自分の食い扶持をだれが払うかぐらいは確認しろよと言いたいが、何とも憎めないヤツだった。

チェックインカウンターの女性は実に丁寧な日本語を話すのだが、なぜか話の前に『おにいさん、ワクチン証明ありますか?』と『おにいさん』を付けてくる。最初は夜の仕事でもしていたのかと思ったが、そんな雰囲気はまるでなく、日本語もしっかりしている。後である人曰く『カンボジア語では目上の人に敬称を付けて呼ぶが、それを直訳したのでは』と。

空港内は閑散としている。それでもちょうど何便か出発便があるので救われている。私が乗るバンコクエアーは、以前はエコノミークラスでも空港ラウンジが使えたのだが、当然この空港のラウンジは無くなっていた。バーガーキングは開いており『We are back!』と書かれているが、隣の吉野家は暗いままだった。土産物コーナーはコーヒーの横にカンボジア茶が売れられていたのが目を惹く。

タイと書かれた大型飛行機が到着したので私が乗る便だと写真を撮っていたら、何と30分前に出るエアアジアだった。エアアジアはここに勝負を掛けているのだろうか。だいぶん安いからこちらに乗る乗客は確かに多い。我々の飛行機は小型機で、しかも後ろ乗りだった(私は前の方の席を取ったので失敗)。搭乗時間になるとトボトボと歩いて行くのは昔から変わっていない。

機内では国際線らしく?機内食が出たが、あまり好ましいものではなく、食べない人が多かったようだ。航空会社も余裕がないのだろうか。空から下を見るとやはり水が良く見えており、洪水の懸念が高まる。シェムリアップは早く危機的状況から脱してもらいたいが、それも中国人観光客待ちだろうか。

カンボジア旅2022(5)奇跡のベンメリアへ

今日の部屋は昨日の宿とは全く違い、実にシンプルだが、必要な物はすべてそろっており、断然良い。腹が減ったので周辺で店を探すと食堂があった。入っていくと愛想のよい店主が英語でオーダーを取る。今日はポーク焼そばだなと思っていると、おまけに目玉焼きを乗せてくれた。麺はインスタント麺、美味い。2.5ドル。

近所の寺を見学していると雲行きが怪しくなる。慌ててスーパーに入ってドリンクを調達した。勘定しようとしたが、持っていたドル札はやはり受け取ってもらえない。古いものは銀行でも受け取らず、既に流通していないという。私の持っているドル札は6年以上前に使ったものだから、それも当然かもしれない。ただどれが使えないのかを私は判断できないことだった。今やアジアで米ドル札を使うのはカンボジアぐらい?なので、必要性は薄れている。

宿に戻ると激しい雨が降り出した。昨日と同じスコールかと思って部屋から外を眺めていると、向かいのレストランはいずれも中国人経営のようで看板は漢字だ。これだけ中国人観光客を当て込んで作った店は果たして生き延びられるのだろうか。この午後、雨は全く止まず、暗くなっても降り続けた。疲れてしまった私は雨の中を外へ出る気もならず、そのまま部屋で過ごし、寝てしまった。

9月27日(火)ベンメリアへ

朝は晴れていてホッとした。朝ご飯もビュッフェで、昨日のようなこともなく、ゆっくりと食べられてよかった。宿を出るとトゥクの運転手が何人も客を待っていた。彼らと値段交渉する必要がないだけでも助かった。いや今はGrabがあるから、吹っ掛けられればそちらへ行けばよい。彼らのターゲットはGrabを使わない外人客だけになっている。

ミニカブ?は順調に走っていく。ベンメリアはアンコールワットよりはるかに遠く、50㎞は走らなければならない。途中道は平たんだが、何度も大きく曲がる。何となく『The Long&Winding Road』という言葉を思い出し、その音楽が頭を流れていく。その時、『そうだ、私が本当に会社を辞めようと思ったのは、このベンメリアへ行く道』だったのだと分かった。車は音もたてずに、ただただ前に進んでいく。

1時間半ぐらいかかってベンメリアに着いた。チケットを買おうと売場を探したがない。窓口があったので聞いてみると、アンコールワットと共通券なので、不要だと言われる。トイレに行くところにベンメリアだけのチケットは0.5ドルと書かれていて驚く。次回はベンメリアだけにしようか。しかし車代を考えれば、同じか。

ベンメリアはアンコールワットより古い11世紀ごろの宮殿跡。アンコールの仏教と違い、ヒンズー教の影響を受けており、寺院もある。今は廃墟となり、その一部が整備され、見学できるようになっている。日本ではジブリの『天空の城ラピュタ』のモデル舞台だとも言われており、日本人観光客には人気があったが、今はほとんどいない。

いつものように廃墟を眺めていると、男性が『こっちだ』と声を掛けてきたので、その後に従った。彼は軽々とがれきを乗り越え、中へ入っていく。恐る恐る従っていくと、どんどん奥へ突き進む。雨も降ったので石が濡れていてかなり怖いが、面白みも出てきた。崩れた建物を潜り、西から東まで中を歩いた。普通の観光客は全く入らないエリア。なぜ彼は私を誘ったのだろうか。一部ヒンズー寺院の跡にレリーフが落ちており、図書館跡という建物も見える。

運転手との約束は1時間後だったが、まさにぴったりのワイルドツアーは終了した。そこへ日本人の男女がやってきたので少し話したが、彼らは周囲を散策しただけだった。私にも何か特別な物が付いていたのだろうか。そういえば、『会社を辞める決断』もアンコールではなく、ここで廃墟を見ながら、思ったことのように感じられた。奇跡のベンメリア、と私は名付けている。

それから運転手の案内で、街に近い3つの寺院を回った。ここも共通券があれば無料で見られるので寄っただけだが、意外と面白い。ベンメリアよりさらに古い9世紀頃の遺跡。傷みが激しく修繕中の建物もある。その横を通ると作業員が英語で話し掛けてきて、修繕の様子を熱心に語ってくれた。彼はこの遺跡に誇りを持っている。実にすばらしいことだ。

カンボジア旅2022(4)アンコールワットで何を思うか

9月26日(月)アンコールワットへ

朝は早く起きた。6時頃からプールで遊ぶ子供たちの声が聞こえたからだろうか。バルコニーで寝そべりながらコーヒーを飲んだ。それからちょっと書き物をして8時頃、朝食に行った。テラスは昨晩の雨で濡れており、食堂はそれほど広くなかった。一人旅はこういう時に座る場所に困る。

何とか2人席に座り、オムレツなどをオーダーしたら、突然後ろから激しく腰を打ち付けられて驚いた。隣のテーブルの大人数の一人が椅子を動かそうとして、誤ってしまったらしい。腰に衝撃があったので、ちょっと動かずにいたが、誰も謝りもしない。ただ見ているだけ。さすがにちょっと不愉快になり、スタッフに言って、朝食を部屋に運んでもらい、その場を立ち去った。さすがにまずいと思ったのか、朝食はすぐに運ばれてきた。

まあとにかくこのホテルにいるのはもう御免なので、朝食を食べると早めにチェックアウトした。宿の前にトゥクトゥクはいなかったので、Grabで呼ぶと簡単にやってきた。それは車というか、オートリキシャーのような乗り物で、意外と便利そうだった。取り敢えず、今日予約した宿へ向かってもらったが、運転手は英語が出来たので、交渉して宿経由でアンコールワットまで行ってもらうことにした。

まずは街中のホテルへ行く。古いが何となく雰囲気は良く、またスタッフの対応が良いのでここに決めた。まだ朝9時なのでチェックインはできず、荷物を預けて出掛ける。さあ、アンコールワットだと意気込んだところ、運転手が『チケット持っているのか?』と聞いてきた。そりゃ、チケット売場で買うよ、というと、『今売場は全然違うところに移転していて、そこへ行くなら+2米ドルだ』というので、驚いた。

検索すると確かに彼の言うとおりだったので、それに従った。そこは街からも少し離れ、またアンコールワットとも離れた場所だった。突然大きな建物が現れる。一瞬博物館かと思ったが、そこがチケット売場だった。中に入ると人はほとんどいない。窓口に行くと37米ドルで2日間使えると言われる。しかし持っていた100ドル札を差し出すと『これは古いから受取れない』と言われてしまう。3枚出してようやく1枚受け取ってもらえ、何とかチケットが買えた。なんだそりゃ。

そこから勇躍アンコールワットへ乗り込んだ。最初は片道でいいと言っていたが、彼が迎えに来るというので、3時間後に待ち合わせた。以前のチケット売場はチェックポイントなっており、入り口も実質なかった。ただ橋のところでチケットを見せるだけ。しかし聞いていたよりはるかに多くの人がここにいる。でもチケット見せているのは白人など僅か人だけ。何と今日はプチュンバンでカンボジア人無料開放日らしい。それで着飾った家族連れなどが多く訪れていた。

とにかく今回は静かにアンコールワットを回りたいと考えていた。中国人観光客不在で、それは容易なはずだったが、甘かった。仕方なく、人があまり通らない遠回りの道を選ぶ。すると草刈りをしている人々が目に入る。私が見るべきなのは、遺跡ではなく、こういう人々ではないのか、とふと思う。

実は私は11年前、ここへ来て『会社を辞める決断』をした。何があった訳でもないが、ふと『辞めても良いか』と思い至ったのだった。しかしそのピンときた場所はメインの遺跡ではなかったはずだ。いきなり脇道でコーラを飲みながら考え込むが思い出せない。仕方なく遺跡に入っていく。

遺跡の端を歩くということは、必然的に回廊を巡っていくことになる。ここにはかなりの壁画が残されており、そのほとんどは戦闘シーンである。如何に戦ったかを記録しているのはなぜなのか。一部首が落ちた仏像なども置かれており、宗教的な色彩も帯びている。メインの建物は上に登れるが、階段はかなり急激。いつもなら登らないが、なぜか足が向く。上からは遠くが見渡せる。

帰りがけに、観光客が必ず写真を撮るスポットにも行く。池に移る遺跡がメインだ。その付近では多くのカンボジア人が民族衣装で写真を撮っている。今やここもインスタ映えの世界である。いや昔も権力を誇示するためにはインスタ映えは必要だったのだろうと思わせる遺跡なのだ。

3時間弱歩き回るとさすがにきつく、最後はへたり込んで飲み物を飲んだ。迎えもちゃんと来ており、宿へ帰っていく。明日はベンメリアへ行きたいというと、運転手も連れて行くというので話が纏まる。今回は彼の運転でシェムリアップを回ろう。10年前はサレンのトゥクだったことを懐かしく思い出す。