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タイ中部横断の旅2018(8)突然のシーサケット

8月12日(日)
バスは満員で

今日もいいお天気だ。この宿は壁が薄いのか、廊下から声が聞こえてくる。昨晩も外で若者が遅くまで騒いでいた。朝食の場所へ行くと、無料の物は、カオトームとトースト、そしてインスタントコーヒーだけだった。しかもトーストに付けるものはないもない。50バーツ払えば卵やハムが食べられるらしいが、特に必要ないのでさっさと済ませる。

 

昨日のバスターミナルの様子からして、今日の日曜日、特に午前中は何となく混みそうだとの予感はあったが、もうここにいてもやることもないので10時前にタクシーを呼んでもらう。フロントは80-バーツと言っていたが、やはり100バーツ取られた。3時間ロットゥに乗っても100-120バーツしか取られないのに、なぜ僅か3㎞、5分で行けるタクシーに同じ料金を払わなければならないのか。いつも思うことだが、考えてもよいことはないので止めよう。

 

バスターミナルで『ウボンラチャタニ―』と言ってみる。チケット売り場を教えてくれたので、そこへ行くと何と3時間後しかないという。1時間に一本あるバスは全て満員だそうだ。そこを何とか、というと、バンコックやチェンマイから来る大型バスに空きがないか聞いて見ろ、とそちらを指さす。行ってみたが、全く取り合ってもらえず、また元に戻る。

 

そこで考えを変え、『シーサケット』と言ってみる。すると1時間半後だという。これでも辛いが半分になったので、えーいとチケットを買った。105バーツ。それからちょっとウロウロして、言われていた乗車場所へ行ってみると、既にバスは来ていた。まだ45分も前だぞ。いや、ここが始発だからまだエアコンも入っていない。席だけ確保して外で待つ。30分前にエンジンがかかり、車内に移動。定刻5分すぎてようやく出発してくれた。

 

乗客はほぼ満員ながら、途中でチラホラ降りていく。かなり水かさがある河、きれいに揃った水田、などを眺めているうちに寝込む。1時間半経って、ヤソートーンという街に入る。ここで降りたい衝動にかられたが、ここのバスターミナルも郊外の街道沿いにあり、街を探すのが大変だ、と諦めてそのまま乗っていた。トイレに降りればよかったのだが、横のおじさんが寝込んでいたので、そのまま座っていた。

 

その後バスはウボンへの道から分かれ、いくつか小さな町を通り抜け、街道沿いで人を下ろし、進んでいく。ローイエットで乗車してから3時間ちょっと過ぎた頃、ようやくシーサケットの街が見えてくる。バスが線路を越えたので、思わず電車に乗りたい、という思いが出てくる。だがバスは駅では停まらず、南にかなり離れたバスターミナルへ。その間の道には商店などがかなり見える。

 

6.シーサケット
宿と世界遺産探し

バスを降りたが、周囲にホテルなどは見付からない。ここに宿を取れば、かなり便利だと思ったのだが、本当に簡易な宿しかないことが分かり、今回もまた検索して、新しめのホテルへ向かう。バイタク40バーツ、ローイエットなどと比べれば良心的な料金だ。駅の方へ向けて走り、また線路を越えた市場の近くにその宿はあった。

 

ブティックホテルという名前が如何にもと言う感じで、ロビーは少女趣味?若者が好みそうなところだ。部屋は広くて明るいが、ネットは弱い。朝食も付いていない。2階の部屋は600バーツ、3階は500バーツで、部屋のタイプは同じだそうだ。エレベーターがないので、100バーツ違うというのが、何ともタイらしい。迷わず安い3階を選択する。

フロントの女性は簡単な英語で色々と教えてはくれたが、急にカンボジア国境の世界遺産へ行きたくなり、なかなか話がかみ合わなくなる。仕方なく、ツーリストインフォメーションを探して街へ出た。ところがすぐに雨に降られ、市場に逃げ込む。昼飯を食っていなかったが、既に3時半を回り、誰も営業していない。雨はなぜか5分で上がる。まさに通り雨。

 

駅へ行くとちょうど列車が入って来た。やはり乗りたくなり、隣の駅まで行く時刻を聞いてみると、ちゃんと英語で答えてくれ、更には英語が書かれた時刻表までくれた。よし、明日は乗ろう。それにしてもこの駅も小さいし、駅前にはほぼ何もない。そこから歩き出すとどうしても腹が減り、麺屋を探すがない。

 

仕方なく一軒の食堂に飛び込むと、『外人が来た』とちょっと向こうがパニックになる。しかし英語のメニューがあるではないか。豚肉炒飯を注文。意外とイケる味だ!その先にツーリストインフォがあるはずだったが、見当たらない。それより、多くの女性が同じ制服?を着てその先の広場に集まっている。一体何のイベントがあるのだろうか。警備員のおじさんに聞いてみるも、言葉が通じず追い返される。イベントは母の日だったようで、午後6時のタイ語のテレビは全てこのイベントになってしまった。

タイ中部横断の旅2018(7)小さな街 ローイエットで

8月11日(土)
ローイエットへ

翌日は移動日。コーンケンからどこへ行こうかと、ホテルロビーの大きな地図を眺めていると、ラオス国境の方に近づいていくのがおもしろそうだと思い、昔ウンドンタニには行ったので、今回はウボンを目指すことにした。まあ、急ぐ旅でもないので、その中間に位置するローイエットという街にも寄ることにする。

 

フロントに『ローイエットにはどうやって行くのが良いか』と聞いたが、そこにいた3人は首を傾げている。仕方なく一人を地図のところまで引っ張っていき指さすと、あー、と言いながら、あなたの発音では通じない、というのだ。どこが悪いのか、どうしても聞き取れなかったが、とにかく発音できないとバスチケットも買えないので、懸命に練習する羽目となる。

 

結局バスターミナルへ行くしかないと分かり、タクシーを呼んでもらったが、この運ちゃんがイマイチ。ホテルから出た瞬間、呼び出し料金を要求したり、メーターではいかないと言い出したり。面倒なので降りてしまった。そして道端でタクシーやトゥクトゥクを探すも全然通らない。仕方なく旧バスターミナルまで歩いていくと、そこに寝ているトゥクトゥクおじさんがいたので声を掛けた。かなりのお爺さんが行くと言い出し、120バーツと良心的な料金を提示してくれる。このお爺さん、1日に1回か2回仕事して、後は寝ているのだろうか。

 

バスターミナルに着き、練習を重ねた地名を吐き出すと、すぐにロットゥが指さされ、乗り込むとすぐに出発となった。幸先がよい。だが、走っていく方角がどう見てもラオス国境方面ではなく、コラートの方なのだ。このルートで行けるのだろうか、いや自分では正しい発音をしたつもりだが、やはり通じなくて、間違った車に乗ってしまったのだろうか。

 

ロットゥは途中から何度も停車し、その度に人が乗り降りした。かなりのローカルロットゥだった。その内に何となく方向性も合ってきて、どうやらローイエットに向かっていることが分かり一安心。結局近いと思っていたのに、3時間もかかってバスターミナルに滑り込む。

 

5.ローイエット
ローイエット散策

バスターミナルは街から少しだけ離れているようだ。まずは適当な宿があるかどうか探したが、良さそうな宿が予約できない。取り敢えず適当に一つ探して、そこまで連れて行ってもらおうと思い、バイタクおじさんに聞くと、60バーツだという。それは高いだろうと言っていると、横からお兄さんが、俺のクマに乗れ、と片言の英語で言うので乗ってみた。

 

確かにクーラーもあり、快適だったが、何とかその宿を見つけると100バーツを要求されてげんなり。3時間乗ったロットゥが120バーツで、僅か3㎞走っただけでどうして100バーツ。この世界から何とか脱却したい。それでもこの宿、何と英語の看板がなく、一人ではとても来られないローカルさ。1泊500バーツだが清潔なので泊る。

 

宿から歩くと川沿いに大きなホテルが見えた。先ほど予約できなかったホテルだが、よく見ると既に廃業していた。この街には必要のないものだったのだろうか。腹が減ったので、その辺で食事を探す。ガバオライスが目に入ったので注文する。ここはインド系らしい。ちょっと辛めの味付けだが、イケル。

 

この街は湖を中心に出ているようだ。風景もなかなか良い。気が付けば今日は土曜日、大勢の家族連れが付近を楽しそうに散策している。湖を半周して向こう側へ行き、更に歩くと、立派な大仏を擁するお寺があったので、そこを参拝する。寺の中にはかなり古い建物も存在し、この街もかなりの歴史があることが分かる。物売りのおばあさんが流ちょうな英語で話しかけてきてビックリした。

 

今度は湖の北側を歩き宿に戻る。途中の繁華街はやはり漢字の看板が多い。そしてその外れには、これまたかなり大きな仏像が建てられており、思わず見上げる。ここには外国人などの姿も見られ、ちょっとした観光地になっている。それにしても誰がこんな仏像を建立したのだろうか。

 

実は問題が一つ発生していた。そろそろ着替えも尽きており、洗濯が必要になっているのだが、安い洗濯屋には出会っていなかった。宿の近くに洗濯工場?らしいところがあり、大量の洗濯物が干されていたので、そこを覗いていると、おばさんが英語で話しかけてきた。そして今日中に50バーツで洗濯して乾かしてあげる、というではないか。もう時刻は午後3時を過ぎていたが、急いで宿から洗濯物を持ってきて預けた。3時間後に取りに行くと、一応乾いている服が畳まれていて驚く。こんな料金でなぜできたのだろうか。

 

夜になってもう一度外へ出て、夕飯を探す。市場に辿り着くと、色々な食べ物を売っていて楽しい。卵焼きのようなものを買って帰る。田舎町はそこで食べるというより、買って帰るのが、基本だ。この小さな街の人々、外国人が多いとは思えないが、なぜかかなりフレンドリーで有り難い。

タイ中部横断の旅2018(6)コーンケンをフラフラ

8月9日(木)
コーンケンへ

翌朝はどんより曇っていた。今日はスコータイから、かなり西にあるコーンケンへ移動する予定だ。宿の女性に聞いたら、『チケットを買ってあげる』と言われ、スタッフがバスターミナルまで買いに行ってくれていた。何とも親切で有り難い。更には宿からバスターミナルまで、スタッフのバイクで送ってくれた。この宿は意外と便利でよかった。外国人観光客に必要なものを安く提供する、これは印象が良いに違いない。

 

バスターミナルに早めに着いたが、特に何もない。10時半発と聞いていたが、やはりバスもやってこない。不安になった頃、ようやくバスに乗り込み一安心。このバスは特に豪華でもなく、ローカル色が漂う。向こうには相当大きなお腹をした若い妊婦が一人で乗っていた。大丈夫なのだろうか。前の若いカップルは音楽をかけて、自由に振る舞っている。

 

初めは平たんな道を走っていた。昨年行ったピサヌロークはすぐに過ぎ、3時間ぐらいして山道を登り始める。正直タイ中部にこんな山があるとは思ってもいなかった。タイはここでも分断されているようだ。1つ山を越えて、どこかのバスターミナルで休憩すると、また山に挑む。これは思ったより難コースだった。

 

途中で雨も降り、山の天気となった。小さな街が点在、そこで乗客が乗り降りする。私だけが取り残されている感じだが、車掌もいるので安心して寝ていく。それにしても随分と時間が掛かる。バスの馬力の問題かもしれない。ようやくコーンケンに到着したのは夕方暗くなりかけた頃、実に7時間以上バスに揺られた。かなりの疲労感を持ってバスを降りる。

 

4.コーンケン
静かな街

タイでは今急速にバスターミナルの郊外移転が進行しており、コーンケンも例外ではなかった。バスは全く街の雰囲気などない、道路沿いを入り、そこに出来ている新しいバスターミナルで停車する。ここから街まで何キロあるのか、どうやって行くのか、さっぱり分からないので聞いてみると、タクシーなら200バーツ、トゥクトゥクでも150バーツなど、法外とも思える料金を言われる。

 

確か7時間乗ってきたバスの料金も300バーツぐらいだったから、と躊躇していたが、事態は一向に進展しない。ついにバイタクのおじさんに100バーツと言われたので、それに乗る。バイクはかなりの距離をかなりのスピードで、幹線道路を走っていく。確かにこれなら100バーツかもしれないと思う程遠い。もうちょっと便利にして欲しい。

 

夕暮れが過ぎ、暗くなりかけた頃、取り敢えず私が指定したホテルにバイクは着いた。そこはこの街の名を冠した古いホテル。何となく街外れにある印象で、ちょっと驚く。聞けば1泊800バーツだというので、泊まることにしたが、フロントの女性もあまり英語が通じない。部屋は昔のホテルのようで広くてよかった。

 

腹が減った。とにかく7時間もバスに乗り、昼飯も食べていなかったのだから、当然だ。フロントで食事の場所を聞くと、ホテルの裏口から出るとすぐにあるという。半信半疑で出てみると確かに数軒ある。麺でも食べようと思って探したが、それより先に英語のできる愛想のよいお姐さんに捕まってしまう。

 

何しろ排骨湯が目に入ったので、それを頼む。大好物のモツの煮込みもあるではないか。何となく客家系の雰囲気が漂う料理だ。それを白い飯で豪快に食べた。すぐに満腹になる。会計をすると200バーツを越えていた。私が普通に食べるご飯は数十バーツ。何と贅沢をしたことかとは思ったが、食事に満足することも大切だと割り切り、楽しげに夜の街を散歩した。ここもやはり華人系が多いことは、漢字の看板などでよくわかる。

 

8月10日(金)
コーンケンをフラフラ

翌朝はホテルで朝食を食べる。こういう老舗ホテルの朝飯は悪くない。この町で何かをしようという計画はまるでなく、まあ散歩に出た。以前ホテルの近くになったというバスターミナルは見事に無くなっており、これがこのホテル周辺の寂しさの主な原因だと思われた。ここから新バスターミナルまで出ているだろう交通手段すら、タイ語のできない私には確認できない。

 

コーンケン博物館があったので入ってみた。かなり立派で広く、展示物も多かった。コーンケンは今でもバンコックからラオスのビエンチャンへ抜ける幹線の途中にあり、交通の要所だと言えるが、その昔からこの地理的条件により栄えていたらしい。8世紀ぐらいからの出土品もあり、その歴史は思ったよりずっと古い。

 

昼はホテル周辺で麺を食べたが、ここでも英語が出来る子がいた。コーンケンは単なる田舎町だと思っていたが、やはり交易なども盛んなのだろうか。曇りではあったが、かなりの疲れもあり、午後は部屋で休む。夕方再度歩き出し、コーンケン駅を探してみる。駅は高架工事のため、小さくなっていた。タイ国鉄もお金をかけて整備するんだと妙に感心した。

 

更にフラフラと歩いていき、大きな池に出た。そこでは夜市が立っており、美味しそうなものが売られていたので、夕飯はここにした。大勢の人が食べ物を買って、楽し気に食べている。私はレイズンワッフルを頬張り、池を眺めて過ごす。陽がくれた頃、ホテルに辿り着いたが、足が痛くなる。歩きすぎだ。

タイ中部横断の旅2018(5)意外に快適なスコータイ

3.スコータイ
スコータイの宿

走っている道は全てアジアンハイウエーとの表示がある。一体どれだけのハイウエーがあるというのだ。2時間ぐらいかかってロットゥはタークからスコータイにやって来た。最近はどこでもそうだが、バスターミナルは郊外だ。とは言ってもここはまだ街に近い。それでも歩いて行けそうもなかったので、トゥクトゥクおじさんに100バーツで乗せられて、街へ向かう。宿も決めていなかったので、おじさんが勝手に連れていく。

 

スコータイは過去2度ほど、素通りした経緯がある。この付近で一番の観光地なのだが、観光地らしいところは、ぼられるし、いいことはないと踏んで、通り過ぎたのだ。今まさに、やはり観光地は、と思いながら、過ごしている。しかし結局ガイドブックに載っている宿へ行きたいというと、おじさんはあっさり連れて行ってくれた。明日は250バーツで遺跡まで連れて行くよ、と言いながら帰っていく。その後ろ姿は何となく寂しいが、悪い人ではない。

 

この宿、昔西洋人が開いたと書かれていたが、その人はもういないようで、英語の上手い女性が応対してくれた。バンガロー風の木造の部屋、それほど高くもないので泊まることにしたが、後で考えると机がないので困った。更には部屋の前の屋外テーブルでPCをいじることは出来たが、あまりにも蚊が多くて、作業は出来なかった。部屋は結構暗いので、夜は早く寝る。

 

昼は過ぎていたが、腹が減ったので飯を探しに出る。この宿、川沿いにあり、横には大きな寺がある。大きな道へ出て橋を渡ると本格的な街のようだ。だが食堂は皆閉まっていて、ようやく麺屋を探して食べた。この麺が優しい味でよかった。今日は天気もイマイチであり、宿でゆっくり休むのがよい。

 

夕方雨も降っていなかったので、散歩に出た。宿のすぐ近くには中国系の廟があり、ここも川沿いは華人が押さえていたことが分かる。この付近は現在外国人向け安宿が数軒あったが、どこも似たようなものだった。また腹が減り、道に出るとちょうどクレープの屋台があった。そこのお姉さんの愛想がよかったのでバナナクレープについ手が出る。これ甘いんだよね。

 

それから川を渡り、地元の人が良く行くという廟を訪ねた。確かにきれいで信仰心が沸きそうな場所だった。その後ろに回ると、大きな仏塔がいくつも立っている。そこで掃除していた青年僧が、突然英語で明るく『この街、エンジョイしている?』と聞いてきたのでちょっと驚く。でもこんな会話が異国では楽しい。

 

さっきクレープを食べてしまったので、夕飯は要らない。と思いながらも、串焼きを3本ほど買い、歩きながら食べてしまう。何だか最近お腹が妙に減るのだ。宿に帰る道で、車が立ち往生している。何と立ちはだかっていたのは、大きな野ブタ!怖そうだったので、襲われないように、端を歩いて退散。

 

8月8日(水)
スコータイ遺跡へ

翌朝は早めに起きたが、曇りだった。朝ご飯は宿のトーストとコーヒーで済ませる。宿の女性からスコータイ遺跡に行くには、大通りからソンテウに乗れば30バーツだと聞き、行ってみると、ちょうどその車がやってきて乗り込む。白人も何人か乗るが、満員にはならない。30分ぐらい揺られていくと、以前も通り過ぎた遺跡の入り口が見えてくる。

 

ソンテウを降りると正面に貸自転車屋があった。遺跡は広いので自転車で回るのがよいと聞いており、早々に借りに行く。何と僅か30バーツで1日乗り放題。しかも自転車返却を保証するための証明(パスポートなどを預ける)も不要という寛大なシステムに驚く。観光地と言っても、こんなところは素晴らしい。

 

自転車は快適に飛ばしていく。地図もくれたので、一番遠くの遺跡から回ることにしたのだが、3㎞ぐらい離れており、整備はあまりされておらず、しかもかなりの階段を登らなければ仏塔に辿り着かない。初期の寺院は丘の上に作られていたのだろうか。サンダルで来てしまったこともあり、途中で断念。

 

舗装された道をスイスイ行くと、メインの遺跡に入れる。チケットは最初に買ったもので3か所共有、1日使えるらしい(実は1か所100バーツ)。ワット・マハタートなど大型の遺跡は見る者を圧倒する。1200年代から1300年代にこれだけの施設が作られたということは、スコータイ王朝の強大さが見て取れる。この辺は観光客が多い。

 

日差しも強くなり、疲れも出てきたので、入り口横にある博物館に入って、この辺の歴史を確かめてみた。入場料150バーツ(外国人)はちょっと高いような気もするが、それなりの広さがあり、勉強にはなった。何より涼しい空間で休めてよい。さすがに自転車に何時間も乗ることはないので、疲労感が凄い。

 

それでも折角なのでと、東の方にも向かう。雄大な建物と仏像。どこまでも伸びていく感じが凄い。ただもう体力の限界に達したので、メイン遺跡を通りながら、遺跡とお別れする。さすがに腹も減ったので、観光客向けではない、裏にある食堂でまた串焼きを頬張る。これは幸せだ。

 

自転車を返却し、また30バーツのソンテウに乗って帰還する。なんて安い観光地巡りだろうか。これならまた来ようかと思う。午後は宿でゆっくり休養し、夕方また出掛ける。大きな大仏のある寺院をお参りし、その後屋台でカオマンガイの夕飯にありつく。

タイ中部横断の旅2018(4)メーソットで再会

セミナーが終わり片付けをしたが、フライトまではまだ時間があった。セミナーに参加してくれた以前からのお知り合いの2人が近くのパブにいるというので、そこへ合流してお昼ご飯を食べる。クラブサンドイッチを注文したが、バンコックではクラブサンドがなんと高いことか。1時間ちょっと近況などをお話して、タクシーでドムアン空港に向かう。

 

日曜日の昼下がり、タクシーで行けばすぐだと思っていたが、まさかの大渋滞。30分で行けそうなところを1時間半近くかかってしまった。それでも国内線ということもあり、時間的には余裕があるはずだった。ところが出発ボードを見ると、私のフライトはあと40分で出発予定となっているではないか。これには焦ったが、よく見ると、ディレーとも書かれており、元の時間に出発するようで安心した。でもなんでこんな表示?

 

久しぶりのノックエアーで1年ぶりのメーソットへ向かった。このフライトは小型機で、荷物もあまり持ち込めない。中国人や韓国人、インド系まで乗り込んできて賑やかだ。そしてなぜか日本人の若者グループが乗ってくる。恐らくは大学の視察ツアーだろう。こんな所まで来るとは、なかなかやるな。

 

2.メーソット
水だけが配られ、目をつぶっていると1時間でメーソット空港に到着する。本当に小さい空港だ。自分の荷物が運ばれてくるのが分かる。外へ出るとアイちゃんが恥ずかしそうに待っていた。1年の間に随分と成長した。にこやかな笑顔が可愛い。近くのホテルにチェックインして、隣のロビンソン百貨で夕飯を食べる。お土産の傘を渡すととても喜んでいるアイちゃん。

 

夕飯が終わると彼らはミャワディに戻っていく。一応国境の閉鎖時間もあるので、長くは一緒にいられない。昨年は私が国境を越えて行ったが、今回はちょっと顔を見るだけ、ということで、明日またこちら側で会う約束をして別れる。それからスーパーを見てみると、意外なほどの品ぞろえがあり、思わず好物のビスケットを買ってしまった。

 

8月6日(月)
メーソットで一日

翌朝はホテルでゆっくり朝食をとる。このホテル、最近できたばかりでデザインが面白い。Wi-Fiも問題ないし、朝飯もそれなりでよい。そのまま散歩に出た。実は昨年もメーソットには来たが、街をゆっくり歩くことはなかった。アイちゃんは午前中幼稚園なので、ちょうど時間が出来たわけだ。

 

いくつかの大きなお寺がある。これはタイ式なのだろうか、ミャンマー式もあるのだろうか。私には判別できないが、意外と規模が大きい。お堂でお祈りする。1年前同様に何もない街でも寺参りで充実する予定だ。小さな市場などもあったが、既に朝の商売を終えて休んでいる。私はパイナップルが食べたくなり、買い食い。これもまたタイ旅の楽しみ。ホテルの横はバーになっていたが、何とスパイダーマンと仮面ライダーがいた。

 

昼になるとアイちゃんたちがやってきて、去年も行った庭がとてもきれいなタイ料理レストランで食事をした。ここの料理は全て美味しい。ススはもう美味しいものしか食べないようだ。もうすぐ4歳になるアイちゃんは底抜けに可愛いポーズをとっている。写真が好きらしい。

 

スス一家は特別ライセンスでメーソットには自由に入れるが、メーソットの街で行ける範囲は時々変わるらしい。昨年行ったお寺には行けないというので、中国寺院に行ってみる。彼らミャンマー人にとっては、どれでも信仰の対象となり、まずはミャンマー式のやり方でお祈りしている。私は日本式でする。ここにも沢山の華人がいるのだろう。

 

夕方、ロビンソンデパートのゲームセンター?でアイちゃんを遊ばせる。暇があれば一日中遊んでいるというから元気だ。ここで30分、滑り台をしたり走り回ったり。ミャワディの友達も来ているようだった。運動した後は飲み物、ということで、ドリンクスタンドで飲み物を買って飲む。今やタイではドリンクの種類が非常に多く、抹茶と書かれているものも沢山あった。

 

その後ススが従業員のご飯の材料などを買っている。ミャンマーよりタイの方が安くて質が良いらしい。そんなミャンマー人のために、道路沿いには大型スーパーやホームセンターなどが並んでいる。取り敢えず来た時に買いだめする、ということらしい。最後にピザ屋で晩御飯を食べる。このピザ屋、今タイでは人気があり、出店が加速しているという。確かに手ごろな料金で、まあまあうまい。ここで時間切れとなり、アイちゃんとお別れして、一人ホテルに戻った。

 

8月7日(火)
スコータイへ

翌朝は雨模様だった。朝ご飯を食べるとタクシーを呼んでもらい、古いバスターミナルへ向かう。昨年もここを使ったので、その近さは分かっており、運転手が100バーツというのを50バーツに値切る。運転手もあっさり応じる。まずはロットゥでタークへ行くのも昨年と同じ。昨年はそこからソンテウで南下してカンペッペへ向かったが、今年はすぐにロットゥを乗り換えてスコータイに向かう。

タイ中部横断の旅2018(3)ヤワラーでリベンジを図るも

そこからスクンビットまで出るには通称赤バスが便利。だがこのバスがなかなか来ない。向こうの方に1台停まっているから、故障でもしたのだろうか。やっとのことでトンロー駅まで来て、BTSでアソークへ。こちらで以前お茶会会場を貸してもらっていたOさんと久しぶりに会う。

 

バンコックの人材派遣業にとって、この3年間の変化は大きかったようだ。日本企業も現在はサービス業の進出が中心。景気の割には給与も上がっているようだ。日本の大手派遣会社がどんどん出てきても、それでも地道にやっているところが凄い。相変わらず就職希望で活気があるオフィス。

 

帰りにアソークの交差点に差し掛かると、何やら人が並んでいた。数年前ここがデモ隊に占拠されたことを思い起こしたが、どうやら赤信号の間にパフォーマンスする企業の宣伝か、またはYoutubeなどへの動画配信を目論んだ仕掛けのように見えた。まあ平和なことは悪いことではない。

 

8月4日(土)
ヤワラー2

いつもの朝のルーティンをこなし、一昨日も行ったヤワラーへ。一昨日の活動があまりにも不本意だったのでリベンジ。今回はちゃんとバスに乗り、ワットトライミットで降りる。この寺は黄金仏で有名で観光客が多い場所。基本的にこういう寺には行かないのだが、今日はある目的があった。

 

それはここに華僑博物館があるというので、ヤワラーの華僑の歴史を勉強するためだった。日差しの強いワットトライミット、黄金仏を見学するだけなら40バーツだが、博物館に入るには更に100バーツ掛かる。これでは興味のない人は仏様を拝んで退散だ。私がこの仏を拝んだのは、恐らく20年以上前、折角なのでまずは上まで登って参拝する。そしてこの寺院の由来などの展示を簡単に見る。

 

その後で2階に戻り、博物館に入る。ここに入ってくる人は殆どいない。1-2時間に1度、説明フィルムの上映もあるが、その時間ではなかったので、まずは展示物を見る。1800年前後、ラマ1世の時代に、首都建設のために中国系に土地を与え、その貿易による経済力、労働力を活用したのが、ヤワラーの始まりだった。その後歴代の王様と協力して、バンコックを発展させていった様子が窺える。特にコメ貿易で財を成した華僑が多かったようだ。最後に私一人のために紹介フィルムを上映してくれた。

 

そこから久しぶりに三馬に行ってみる。相変わらず中国語は通じず、片言の英語で応対される。ここには包種茶はないかと聞いてみたが、話が通じない。後ろの表示を見ると、武夷奇種があったので、そのお茶を見せてもらったが、特別水仙と書かれており、値段も高かった。むしろ横にあった茶が台湾から来た緑茶だ、と説明されており、こちらが包種茶かもしれない。

 

それからフラフラと歩いていると、文山包種という文字がいきなり目に飛び込む。そこにあった茶荘、中にいたおじさんに中国語で話しかけたが、あまり要領を得ない。ただよくよく見ると、パッケージに有記銘茶の文字があり、おかしいなと思う。おじさんは『ここが有記銘茶だよ、台湾にもあるだろう』と言っているが、俄かには信じがたい。それでも最後に奥から出してきた包種茶の包装はどこか台湾ぽいので、なぜだろうとは思う。この店に関しては後日確認したいと思っている。

 

いつも街歩きはサンダルなのだが、突然履いてきたサンダルが壊れてしまい、往生した。雑貨屋や服屋はいくらでもあるのに、サンダルを売っている店がなかなか見つからない。片方の足を引きずるようにして、探し回り、ようやく新しいものを手に入れた頃には、かなりの時間が経過しており、疲れ果ててしまった。

 

またもや不完全燃焼の中、何とかバスに乗り込み、帰る。だがこのバス、エアコンバスなので行先を車掌に言って切符を買うのだが、私が場所を言うと『そこには行かないから降りろ』と言われてしまう。私はこのバスに何度も乗っていて、よく分かっていると英語で言ってみても埒が明からない。横のおじさんが助け舟を出してくれるも、車掌のおばさんは頑として聞き入れない。最後はとにかく乗せてくれ、とお願いして、何とか切符を買わせてもらう。英語おじさんが言うには『あんたの下りたい場所は、このバスの停留所から歩いて7分はかかるから』と説明され、本当にあきれ返る。タイ人はなぜ歩かないのか。

 

8月5日(日)
お茶会2

翌朝は宿をチェックアウトして、荷物を持ってお茶会会場に向かう。今日は何とMさんの家が停電だとかで、急きょ会場を探してくれたようだ。そこは以前話を聞いたことがあるサロンで、広々としていた。だがやはりここでもプロジェクターとPCの接続で手間取る。最新のPCと数年前のプロジェクターでは、接続口などが異なっているのだ。

 

それでもなんとか接続し、お茶会はスタートした。今日は休日で、一昨日より多くの人が来てくれた。何とその中には偶々バンコック旅行に来ていた、熊本県荒尾在住の人までいた。よほど熊本にご縁があるようだ。話は一昨日と一緒だが、その中に昨日のヤワラー体験なども盛り込んでみたが、どうだったろうか。

タイ中部横断の旅2018(2)バンコックで行く懐かしい場所

8月1日(水)
昔を思い出す1日

翌朝は天気が良かった。毎朝恒例8時からのコーヒータイムでYさんから最近のタイ情報を仕入れる。以前はカフェラテだったが、今はアメリカーノのホットに変わっている。健康を気遣う歳なのだ。そのまま私は朝ご飯を食べに外へ出る。もう定番となっているコムヤーンだ。これにモチ米、カオニャオを付けて僅か45バーツ。こんなに幸せになれる朝ご飯はない。

 

部屋に戻って何だかやっているとすぐに昼が来て下に降りる。Yさんが、遠出するので、と言ってバイタクに乗る。歩いても僅か10分以内のところを歩かないんだな、タイ人は。周囲のランチにあまりに飽きてしまったので、少し遠くの店に来たのだが、特に大きく変わり映えのする料理があるわけではない。まあ気分転換とはそんなものだろう。

 

午後はそのバイタクに乗ってスクンビットまで出た。さすがにスクンビットまで歩いていく気力は今の私にはない。懐かしいカフェにそのオーナーを訪ねた。ここでは昔お茶会をやり、茶旅の報告を行っていた。元々は日本人向けのカフェでカラオケもあるが、最近は日本人以外のお客が増えているようだ。

 

それからエンポイアムでYさんと待ち合わせして、IPhoneを買いに行く。これは一昨年と同じ行動。今年になってスマホが急に壊れ、慌てて台湾で中古を買ったのだが、折角なので、新しいのを買い直そうということにしたのだ。タイ語が出来る上、スマホに詳しいYさんの助けは必須だった。

 

前回は安いスマホがあったのだが、今回同じ店に行ってみると、新しい機種は日本とそれほど変わらない値段になっている。型落ちの品でもそれほど安いとは感じられない。この2年の間に、バンコックの消費力はやはり向上しているのだろうか。それでも日本で買うと色々と制限が掛けられている可能性があるので、比較的安めのものを購入したが、次回はもっと安い中国製スマホに切り替えた方がよいようにも思う。

 

夜はターミナル21の様子などを見に行ったが食べたい物もなく、宿へ戻る。途中にパッタイ屋があったので、そこで夕飯を済ませたが、その先の屋台で豪快に鶏肉を焼いているのが目に入り、思わず2本も買い食いしてしまう。僅か20バーツ、そしてこれがまた美味い。

 

8月2日(木)
ヤワラーへ

翌日はコーヒータイムの後、チャイナタウンヤワラーへ向かった。バス一本で行けると思ったが、そのバスを見逃してしまい、別のバスに乗ると大渋滞の上、MRT駅近くには停車せず、大混乱。ファランポーン駅からバイタクでヤワラーの通りまで出る。何だかぼられた気分。

 

明日はお茶会もあるので、ネタになりそうなお茶を買いに行くと、いつものお茶屋に息子がいて中国語が上手い。取り敢えず南港茶と書かれたものを購入する。その後も資料はないかと本屋を覘くが前回同様目ぼしいものはない。何だか思いのほか疲れてしまい、何もしないまま、飯だけ食って、ヤワラーを後にする。

 

午後は休養することにした。よく分からないが疲れているようだ。日本に比べれば、すごく暑いとは感じないバンコックではあるが、どうやら先日の関西旅行のツケが回ってきている。こういう時は大人しくしているのが一番だ。明日のお茶会の準備でもしようか。

 

8月3日(金)
お茶会1

翌朝は早めに起き、体調を確認する。いつものコーヒータイムを終えて、そのままタクシーに乗り込み、トンローに向かう。Mさんの家で開催されるバンコック茶会、一体何回開かれたんだろうか。毎回なぜかPCとテレビ画面の接続に苦労しているが、今回も何とか繋がる。

 

このお茶会、1年ぶりに開かれるが、毎回来て頂く常連さんと初めての方とで、良い感じで続いている。正直お茶とのご縁が少ないバンコックで、台湾茶の歴史の話をしてもどうかとは思うのだが、普段はほぼ聞く機会のない話ではあるので、偶には良いのかもしれない。次回はぜひタイのお茶の歴史、をお話ししたいと思った。

 

今回もヤワラーのお茶を出したり、台湾とヤワラーの繋がりを紹介してみたが、やはりご当地話の方がウケは良いし、話に入り易い。いずれにしてもいつも通り2時間があっという間に過ぎていく。因みに参加者の自己紹介をお願いしようと思いながら、全然できていないのは、私の困ったところだ。今回参加者の中にも、あとでFBを見たら、熊本県山鹿市出身の人がいた。山鹿は明治初期、日本で初めて紅茶伝習所が作られた場所だ、と伝えるべきだった。

 

お茶会参加者にランチに誘われた。会場のすぐ近くには日本食屋も沢山あるが、そこに最も勢いのある居酒屋チェーンが、プレミアムな居酒屋をオープンさせ、豪華なランチを提供していた。もう安いだけでないバンコック、このような試みは興味深い。そしてゆったりと美味しいランチを堪能する。

タイ中部横断の旅2018(1)バンコックに様々な変化が

《タイ中部横断の旅2018》  2018年7月31日-8月23日

最近の旅はお茶の歴史に追いまくられており、自由気ままな旅が少なくなってきていると常々感じている。そんなことではいけない、と思い、昨年タイを自由旅行してみたところ、これが存外面白いことを発見。今年もその続きをしようと思い、バンコックまで飛んでいき、その後タイ中部を横断してみた。こんな旅は今後もやめられそうにない。

 

7月31日(火)
1. バンコック
バンコックの変化

タイにいつ行くか、その決断が遅れて、いわゆる夏休みシーズンに入ってしまい、航空券が跳ね上がっていた。こんなに高いなら行かない、という選択肢もあったのだが、まあ許せる範囲で、LCCノックスクートというのが出てきたので、試しに乗ってみることにした。ドムアンへ向かうフライトは以前エアアジアに乗ったことはあるが、スクートの直行便は初めてだった。

 

朝10時成田発に乗るため始発電車で空港へ行くと、午前7時ではまだ空港もあまり動きだしていないので、それほど混雑もなく比較的スムーズに事が運ぶ。成田のLCCチェックインと言えば時間が掛かり過ぎという印象が強いが、今日はそれほどでもなかった。出国を済ませると、吉野家が見えてきたので、見てみると、メニューがただの定食屋になっており、朝から1000円も出して食べるか、と思ってしまう。これも一つの企業努力だろうが、どうなんだろうか。

 

スクートに実際に乗ってみると、機体は787型で新しく、明るくて、予想外に快適だった。乗客はタイ人の方が多いかな。食事など出なくても、毛布などなくても、これなら今後はこれに乗ればよいか、と思ってしまう。数時間ぐっすり寝込んでいると、午後3時にはドムアンに降りるのだから、便利は便利だといえる。

 

ドムアン空港の国際線に降りるのはかなり久しぶりだった。過去にイミグレでいちゃもんを付けられるなど、実はあまりいい印象の無いこの空港だったが、今回はスムーズだった。シムカードを買いに行くと、スワナンプーン空港よりなぜかだいぶん安い。本当に同じカードだろうかと疑ってしまうが、結果として普通に使えた。さすがLCC用空港だ。

 

空港からのシャトルバス、以前は一路線だったと思うが、いつの間にか5路線に広がっている。この辺の顧客対応も進んでいた。私はいつものように30バーツでA1に乗り、チャドチャックパークで地下鉄に乗り換える。地下鉄に乗ると何だか違和感がある。よく見ると車両の真ん中部分には座席がなく、皆立っているのだ。確かに朝夕のラッシュ時には乗り切れない乗客で溢れていたので、ここでも対応策を実施したのだろう。1年バンコックに来ていないと色々な変化に気づかされる。

 

非常にスムーズに定宿に辿り着いたが、ここにも変化があった。昔あった売店が無くなり、セブンイレブンになっているではないか。喉が渇いたのでドリンクを探すと何と『静岡茶』の文字と富士山の絵が見える。そういえば地下鉄の動画コマーシャルでもこんな文字が浮かんでいたような。

 

無糖と微糖の2種類あるが、静岡のお茶屋さんが提供しているとある。飲んでみると、渋みなどが全くなく、タイ人用に作られていることが分かる。おーいお茶などとも明らかに違う。よくよくパッケージを見るとイチタンの会社名がある。やはりあのタン社長が仕掛けたのか。1本30バーツ、果たしてタイ人にウケるだろうか。因みに夜スーパーのテスコに行ってみたら、微糖しか置いていなかった。やはり客層というものもあるのだろうか。

 

セブンでもらったタイバーツのおつりを何気なく見たら、紙幣に見慣れない顔が描かれていた。新国王の新紙幣だった。コインも調べてみると、新しくなっていた。タイは徐々に新しくなっているのだろうか。街中その辺では、未だに前国王の写真などが沢山見られるのだが、この辺の変化もちょっと気になる。

 

腹が減ったので早めの夕飯を取る。店はいつもの爺さんのところ。爺さん、85歳になっていたが、十分元気だった。奥さんがいつものメニューを作ってくれ、何とも安らぐ。100バーツお任せディナー、腹がきつくなることは十分に分かっているのだが、止めることができない。ここには変化は見られなかった。ごちそうさま。

 

尚定宿の最大の弱点だった、部屋でWi-Fiが使えない問題も、何と一応解消されていた。パスワードが与えられ、何とか繋がる状態となったのは朗報だ。但し1つのパスワードで1つのデバイスしか使えないという不便さはある。まあその内これも解消されるのだろう。何となく変化の多いバンコックの一日目はあっさりと暮れていく。

香港ショートステイ2018(3)新界の村祭り

私は一体何のお祭りに紛れ込んでしまったのだろうか。表示を眺めるとどうやら駱という家の祖祠の修繕記念のようだ。村の人が沢山出てきて、その祠の周囲に集まっている。突然爆竹が鳴り、村の中を練り歩いていた獅子?いや龍が祠にやってきて、華麗に舞う。今や舞う人も稀で、かなり練習したんだろうなと思う。恐らくは普段は相当静かなこの村が、何だかとても賑やかだ。

 

皆が去った後、新しい祠に入れてもらった。きれいに修繕されたその中には、族譜なども展示されている。相当古い家なのだろう。香港に来て何代になるのだろうか。客家系だろうか。この新界、元朗地区には古い集落が多くあり、我々が思っている香港とは全く違う世界がある。

 

かなり寒い日だったが、村人と近隣の村の代表などが、広場のテーブルに着いている。我々もそのテーブルの一つに案内されて席に着く。Yさんのお知り合いの香港人が、このような村々の調査をしており、村から招待を受けたらしい。主賓と主催者がテーブルに着く頃、テーブルの上には盆菜と呼ばれる鍋?が置かれ、火がつけられ始める。温かくてよい。

 

盆菜は元々客家料理だと言われている。結婚式などの祝い事があると、大勢の人に料理を振る舞う宴会料理だった。シイタケ、花膠、魚のすり身団子、鶏肉、車えび、豚ロースト、などが上の層に、その下にイカ、豆腐、髪菜、乾燥牡蠣、大根なども入れられ、中国料理の食材が1つの鍋でぐつぐつ煮られていく。ちょっと味付けは濃いが、味がしみておいしい。そして何より暖まる。昔は自前で作っていたようだが、今は盆菜専門店が大型コンテナでケータリングするらしい。香港では今、盆菜が人気だというのだ。

 

まだ明るい時間だが、来賓あいさつもそこそこに村のカラオケ大会になる。お年寄りがマイクを取る。おばあちゃんが演歌を歌い、わざわざ客家語で歌っている人もいた。その合間にラッキードローも行われている。完全な村祭りだ。そして盆菜を食べ終わると、皆ドンドン席を立ち、帰って行ってしまう。

 

我々も村の中を少し見学してから帰路に就いた。ちょうど村はずれにミニバスの停留所があり、そこから乗る。ミニバスだから席が少なく、危うく乗りそこなうところだった。この村にも黒人が住んでいるらしく、乗り合わせる。そういえば先ほどの祭りには村出身と結婚したヨーロッパ人も来ていた。意外や国際的な香港の田舎。

 

帰りは来た経路を戻る。Yさんも私の宿の近くに住んでいるので、何も考えずについていく。佐敦の近くまで来ると、『実は空港に行くバスはネーザンロードを通ると時間がかかるが、それ以外にもある』と教えてもらう。こういう情報はやはり地元ならでは。特に明日は時間が無いので有り難い。

 

2月5日(月)
楽しく話して

翌朝は狭い部屋で何とか荷物を整理してチェックアウト。鍵はフロントに置いて出るだけだ。今朝は大学の後輩Kさんと再会するため、荷物を引き摺って佐敦駅に向かう。今日も結構冷えている。確か昨日MRTで『霜に注意』などという表示もあったな。どう考えても10度以下だ。

 

駅で落ち合って、近くの茶餐庁に入る。だが大きな荷物は席まで持ち込めず、入り口付近に置かざるを得ないので、誰かが持っていかないか、ちょっと気になる。サテ牛肉即席麺を食べる。なぜか香港の茶餐庁で食べるインスタント麺は旨い。更には朝食セットとして、パンと卵まで付いてくる。

 

Kさんとは昨年久しぶりに再会し、何気ない話から、共通の関心事が多いことを発見し、話し足りなかったことから、また会うことにしたのだ。彼には無理を言って、私が空港に向かう時間まで付き合ってもらった。相変わらず、言語学、民族学などの観点から中国を中心としたアジアの話題で話は尽きない。あっという間に2時間以上が経過してしまう。

 

名残惜しかったが、バス停に向かう。幸い昨晩Yさんに早いルートを教わっていたこと、そのバスがすぐに来たことから、これまたあっという間に空港まで連れていかれてしまった。こんなことならもう少し話していればよかった、と思ったが、もう遅い。空港でいつものお菓子を買い、ゆっくりと飛行機に乗る。

 

フライトは順調、機内で映画を見ていると時間が過ぎる。香港は台湾よりちょっと遠いのだが、その1時間はかなりの距離を感じる長さだった。羽田に降りて、電車で帰ると、まだ家の周りには雪が残っていた。道理で寒い訳だ。

香港ショートステイ2018(2)上環から新界の村へ

セントラルには慣れているはずだったが、待ち合わせのFCCに辿り着くまでの坂が登れず時間を要してしまい、遅刻。ここは昔から私のお気に入りだが、以前は外国人特派員の会員しか入れなかったため、誰かに連れてきてもらうしかなかった。聞けば最近は一般(会員)にも開放されており、店内もとても明るくなっていて見違えた。ただウエーターの応対に特に変化はない。

 

Nさんと雑談。香港在住20年を超える先生で、私も以前かなりお世話になった。でも最近の香港はやはり息苦しくなっているようだ。それでも『日本よりはマシ』というのは、今や合言葉のようでおかしい。香港も残念な方向に変化しているが、日本はもっとすごい。そんな中で日本語を学び、日本で働く卒業生も多いので、彼らの心中はどうであろうか。

 

このレストランではやはりカレーが無難だという。一週間後にはインドへ向かう身でありながら、勧められればそれに従う。イギリスでも香港でも、インドカレーは人気である。期待にたがわず、なぜかうまいので、どんどん食べてしまう。膨れた腹を抱えながら、宿に戻る。

 

フェリーもアッパーデッキに乗る。10年ぶりか。料金もそれほど違わないのに、これは上流階級の乗り物だと思っていた。さっきは薄暗がりだったが、今度はくっきりとした夜景に満足した。フェリーを降りるともうあの人込みを歩くのは嫌だったからバスに乗っていく。だが停車しているバスはなかなか出発しない。ネーザンロードは未だ混んでおり、ノロノロ運転だ。

 

宿の横には廟街市場がある。腹を空かせるためにも歩くことにして、市場を覗いた。夜はかなり涼しい。9時過ぎた時間では、さほどのお客もおらず、皆あまりやる気もない様子だった。あの深夜特急の廟街の熱気はどこへ行ってしまったのだろうか。中国人観光客もここには興味はないのだろうか。

 

2月4日(日)
茶縁坊へ

翌朝は窓がないので明るくなったことも知らずに寝ていた。以前何度か窓がない部屋に寝たことがあるが、基本的によく眠れるのは、灯りのせいだけだろうか。まあ、お茶も飲んでいないので、良い。午前中は時間があるので周辺を少し散歩した。当たり前だが、この地域、再開発の対象である。特にハーバー沿いは見慣れぬ建物が増えており、数年のブランクを強く感じた。

 

またフェリー乗り場まで歩く。午前中それほど人込みはない。フェリーも休日は平日より料金が高いことに久しぶりに気が付く。やはりアッパーは贅沢だ、とローアーのいつもの位置に腰を下ろす。セントラル側では何やらコスプレイベントでもやっているのか。ちょっと不思議な人々を見る。

 

それから何気に日本領事館のあるビルを通り過ぎると、何とその前に慰安婦像が置かれていた。その近くは日曜日なのでフィリピンアマさんが、段ボールを敷き詰め、寒さ対策万全にして、皆で集まっておしゃべりしていた。一体この像を前にどんなリアクションをすればよいのか、かなり迷う。そしてあまりよく見ないで、通り過ぎてしまった。

 

上環の茶縁坊に着くと、既にYさんが来ていた。そしてお父さんがまた菜飯を作ってくれていた。私はこれを食べるのが一番好きだ。Oさんも加わって、皆で食べる。風邪気味のOさんだったが、完食した。こんなシンプルな食べ物がいい、ということかもしれない。張さんの鉄観音茶で温まる。

 

今日は上環でお茶の歴史について、色々と確認しようと思っていたのだが、何ということか、日曜日はこの辺休みだということを完全に忘れていた。何ということだ。前回も香港大学の図書館が休みで同じ目にあったのだが、まさか香港に長く住んでいたことも忘れてしまっているのだろうか。自分で自分が信じられない。

 

突然村のお祭りへ
風邪気味のOさんとはここで別れ、Yさんと向かったのは新界の村だった。ちょうどYさんの知り合いから、祭りを見に来ないか、と誘われ、それにノッた訳だ。西鉄に乗ると、昔を思い出す。初めての香港歴史散歩の会は天水圍で降りて行った村の祭りだった。その時の興奮は今でも忘れない。Yさんもそこから嵌ってしまい、今やその道の専門家になっている。

 

錦上路という駅で降りて、バスに乗り換えた。この辺は全てYさんにお任せだ。このバス停で待っている人々、よく見ると極めて多国籍だ。インドネシア系のメイドもいれば、中東系の女性達、インド系もいれば、アフリカ系と思われる男たちもいる。こんな田舎に何でこれらの人々がいるのか、それぞれ事情はあるだろうが、ある意味で今の香港を象徴していると思われる。

 

バスは結構混んでいた。2階に乗り込んだが15分位で目的地の村に着く。Yさんは降りる時もオクトパスカードをかざしていた。なんでと聞くと、『実は近距離で降りた場合、返金される制度がある』というのだ。こんなの初めて聞いた、というと、『香港人でも知らない人が多い』というではないか。さすが香港、情報通のみが得をする、という意識は健在だった。