関釜フェリーで行く韓国2023(2)プサンに上陸して

3月27日(月)プサンに上陸して

午前6時前には起き上がった。すると少しして船が停止した。何ともうプサン港に着いたのだ。だが下船時間は8時。そうか、港職員はまだ来ておらず、手続きできないので待っているのだ。『プサン港に入れない』。今更風呂に入るわけにもいかず、韓国用シムと格闘して、何とか開通させる。そうこうするうちに下船が始まる。

ゆっくり降りていくと、すぐに入国審査がある。韓国人はさっさと抜けて行くが、外国人の窓口は一つしか開いておらず、進まない。韓国人は全て抜け終わると一斉に窓口が外国人に開放され、後から並んだ人々がどんどん追い抜いて行く悪のシステム。そのことを係官に指摘しようとしても、理解できないらしい。実に古い空港のシステムのようで、改善はない。

まずはウォンがいるので、ターミナルの銀行で両替する。レートは悪いが金がないと何もできないので仕方がない。予約した宿はターミナルから近いはずなので歩いて行く。何だか天気が良い。道も広い。清々しい朝だ。近くに見えたプサン駅だが、歩いてみると意外と遠い。更に駅を通り越して歩いて行くとようやく宿が見える。Googleで見るよりずっと遠かった。

キレイな宿に荷物を預けて外へ出た。意外と疲れていないので驚く。まずは朝ご飯でも食べようと思ったが、駅前の中華街はどこも閉まっていた。何となく以前行った市場のことが思い浮かぶ。あれは8年前の冬、寒風吹きすさぶ中で、食べ物を売っていたおばちゃんたちの姿だ。そこは駅前から3㎞ぐらい離れていたが、折角なので歩いて行ってみた。

途中に『40階段記念碑』があり、道から階段が伸びていた。ここは朝鮮戦争時の避難民の集結した場所であり、バラック小屋で生活しながら生き別れた家族を待ったところと聞く。この付近も1953年の大火で焼かれ、その面影は無くなっている。因みに辰野金吾が設計した旧ソウル駅もこの近所にあったが、その大火で焼失したとある。

ずっと行くとおしゃれな通りが出てきた。この付近は300₋400年前、龍頭山倭館が置かれた場所らしい。今やその面影は全く見られない。何とか国際市場付近まで来たが、その風情は随分と変わっていた。まだ朝なので多くの商店は開いていない。細い路地に行くと靴下などを売っている向こうに、おばちゃんたちが座って商売している場所を見つけた。

レーメン、などと日本語で声が掛かったが無視して進むと、『チャプチェ』と言われて立ち止まる。習性として『チャ』には必ず反応してしまうのは悲しい。座ってチャプチェを食べると旨い。スープも別に出してくれ、こちらも旨い。何だか気分が乗ってきた。3000ウォン。因みにチャプチェとは雑菜と書くらしい。朝鮮半島に入った中国料理、というのはやはり一度やってみたいが、韓国語が分からない。

何となく中途半端に食べたので余計に腹が減ってきた。確か港の方に焼き魚があったようだと思い出して行ってみる。だが食堂の焼き魚定食は皆2人前以上。一人で簡単には食べられない。おばさんに聞いてみると『あっちに行けばあるよ』と指をさした方に行くと、細い路地が市場になっている。かなり長く続くその市場を抜けて行くと、途中から食べ物屋が出てきた。

だが焼き魚はない。それでも旨そうな湯気が立ち、匂いがしている。思わず覗き込むと優しそうなお姉さんが、『食べていく?』という顔をしたので頷く。そして料理名を聞くとGoogle翻訳を示す。ソンジクッパ、牛の血を固めたものを煮込んでご飯にかけて食べるようだ。濃厚なスープに牛肉の筋などが入り、実に美味。これで6000ウォンは安い!因みにお姉さんは韓流ドラマに夢中で、会計できずに困る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です