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関釜フェリーで行く韓国2023(7)青瓦台

記念館を後にして、ランチを探すことにした。ふらふら歩いていると、何故か一本の横道に入ってしまった。そこにはなんと9年前に気に入って2度も行ってしまったとんかつ居酒屋があって、心底驚いた。これは完全に惹きがあったということだろう。今から東京へ帰るのにとんかつもどうかと思ったが、これもご縁と入る。するとそこには9年前と同じようにシンさんが座っていた!

コロナ禍で大変だったようだが、何とか乗り切り、今は夜の居酒屋にもお客が戻っているらしい。取り敢えずつくし定食を頼んだところ、何とカツが2枚とエビフライが付いている。昔は食えたこの定食、今やいくら何でも多過ぎだよ!値段もほぼ変わらずとは、どうなんだろうか。驚きの連続攻撃を浴びる。

つくしを出て、地下鉄で昨日と同じ景福宮を目指す。駅からは昨日も来たので慣れている。今日は宮の後ろにある青瓦台に向かう。ここは現在の大統領になってから一般開放されたと聞いていた。ただ人数制限があり、予約が必要ともネットには書かれている。だが行ってみるとパスポート提示で簡単に入れてくれた。無料だ。

中に入るとテレビでは見たことがある青瓦台の建物が見えた。建物内に入ると立派なロビーがあり、階段で2階へ上がる。歴代大統領(大統領夫人も)の肖像画、執務室など見学する。ここで大統領が北朝鮮問題などで重大な決断をしたのだろうか。公邸の方は木造建築。庭がきれい。周囲のサクラも美しい。

景福宮のすぐ前に国立歴史博物館もあるというので、ちょっと寄ってみた。結構立派な建物だったが、コンテンポラリーヒストリーミュージアムと書かれており、何となく現代アートのような感じだった。景福宮とここの間では大規模工事が行われているが、何が作られるのだろうか。

そこから懐かしの道を歩く。もう30年も前になるが、毎年4回ソウル出張があり、この辺は良く歩いていた。勿論相当キレイになっており、雰囲気も変わっている。定宿だったホテルはかなりきれいな4星ホテルに昇格している。李瞬臣や世宗大王の座像から遠くの山を眺める景色は相変わらずかな。

結局ソウル駅まで楽しくお散歩。預けていた荷物も無事に取り出す。そこから金浦空港まではエアポート鉄道で行く。インチョンまでの速い電車には乗れず、各駅停車でゆっくり進む。料金は僅か150円と安い。時間的にも30分は掛らない。何とも便利な空港だ。羽田よりずっと良い。

空港に着いたが、殆ど人がいない。羽田などと比べてもフライト数が少ない。そして私が久しぶりに乗る日系空港会社のカウンターは2時間半前からしか開かない。しかもWebチェックインし、預け荷物が無くてもここに寄らなければならないという。航空券を貰い、荷物検査、出国審査は実に簡単に終わってしまった。あの羽田空港の大混雑は一体何なのだろうか?

だいぶん待ってようやく機内へ。日系だからサービスは良いだろうと思っていたが、機内食を下げる際、何と私の膝に食べかけの物が付いた蓋が落ちてきた。CAは全く気付かぬふりで通り過ぎてしまう。さすがに『何か拭くものありませんか?』と声を掛けたが、それでも申し訳ない、の一言すらない。床には若干残飯が散らばっていたが、それすら拾わなかったので驚いた。正直食事の質も落ちており、これならアシアナに乗るべきだったと後悔したが後の祭り。これで高い料金を取れるのだからすごい。

羽田には早めに到着。前回バンコクから帰国した際のドタバタを思い出したが、今回は預け荷物すらないので、あっという間に入国し、外へ出て電車に悠々と乗って帰った。短い海外旅だったが、それでも意外と疲れたのは歳のせいだろうか。

関釜フェリーで行く韓国2023(6)戦争記念館へ

ようやくタッカンマリの店に到着した。この付近にはタッカンマリ屋が数軒、そして旨そうな臓物屋まである。入口の女性に日本語で声を掛けられて入店。店内はほぼ満員御礼の盛況。8年前はここに一人で入ったのか、我ながら度胸あるな。早々に鶏鍋が運ばれてきて、はさみで鶏肉が切り分けられる。ここのスープは実に旨い。林さんも黙ってずっとスープを啜っていた。満足の証だな。

帰りも地下鉄に乗るが、途中の乗り換えが全く分からず焦る。慣れれば平気なのだろうが、ソウルの地下鉄もかなり複雑で困る(東京で電車に乗る外国人に気持ちが痛いほど分かる)。乗り違えると大変な方向に行きそうで怖い。林さんが物おじせず、韓国人にルートを尋ねているが、彼らさえも混乱している。思い出したのが、電車の切符は交通カード(Suicaのようなもの)を買えばよかったのだ。今頃遅い。何とか宿へ帰り着く。

3月30日(木)ソウルをぶらぶら

朝8時前にロビーへ行く。林さんが上海に行くため、飛行場へ向かう。我々観光客はタクシー予約が難しいが、フロントの若者が自分のアプリで予約してくれた。実はこのホテル、朝のフロントサービスは無いのだが、特別にやってくれていた。林さん、荷物が多いので助かったはずだ。

彼女を見送り、私は散歩に出た。今朝は幸州山城を目指す。ここは駅の向こう側にあるのだが、駅を通り抜け出来ず、かなりの遠回りとなる。最後は登り坂を何とか登って城跡まで着く。ただ開場は9時からで早過ぎたのだが、何故か開けてくれたので中へ入る。今は公園となっており、入り口付近に権慄将軍の像がある。

この城は朝鮮の役に際して、1593年2月に権慄が立てこもり、日本軍と対峙した場所だった。日本側は小西行長を筆頭に石田三成、黒田長政、宇喜多秀家らも参戦したらしい。ただ朝鮮側はすぐに撤退したという。この戦いに坊さんや婦女子も参加したとされている。現在は緑の多い、実に静かな良い所だ。時間があまりなかったので、途中で引き返す。

10時前に宿を引き払い、荷物を持ってソウル駅に向かった。ところがまたまた電車で迷う。一本早い電車に乗ると、それはソウル駅には行かないらしいと分かり、急遽途中で降りて、何とか難を逃れ、ソウル駅まで辿り着く。1925年に建てられたソウル駅は実に立派な姿を今日も見せている。

まずは荷物をコインロッカーに預ける。だがその方法が分からない。すると後ろにいた黒人男性が丁寧に英語で教えてくれて助かった。でもなぜかドアがちゃんとしまっていないようにも思えて心配する。そのまま駅から歩き出す。地下鉄2駅分歩いて、戦争記念館だった。ここで70年前の戦役について、もう一度勉強する。

朝鮮戦争では、勿論朝鮮人に多大な犠牲者が出ているが、実は各国軍にも被害は出ていた。アジア系ではフィリピンやインド、そしてタイの犠牲者がいた。トルコもかなり多い。イスタンブールに行った時、韓国とは戦友だ、と言われたのを思い出す。尚当然日本人は出てこないが、本当は何人の方が亡くなったのだろうか。

この記念館は非常に広い。建物も大きい。そして古代から行われてきた戦争について多く展示されていて、勉強になる。白村江も朝鮮の役も、そして近代の朝鮮併合に関する歴史も韓国側の視点で克明に出て来る。勿論朝鮮戦争についてはかなりのスペースが割かれており、詳細な内容が語られている。その展示をじっと見つめている軍服姿の若者が非常に心に残った。外には戦闘機などの展示もある。

関釜フェリーで行く韓国2023(5)統一展望台から北朝鮮を眺める

朝ご飯を抜いていたら、迎えに来てくれたK社長がキンバを用意してくれ、車の中で頬張る。何とも旨い。本日は私の希望で、統一展望台に車で連れて行ってもらうことになった。元々一人で板門店へ行こうと思っていたが、手続きなども面倒そうなので、展望台に代わった。

ソウル郊外からだから40分ほど走ると、烏頭山(オドゥサン)統一展望台に着いた。ここは他の地域と違い、事前の許可なく、外国人でも入ることが出来、写真撮影も許されている。何と日本から修学旅行生も来ていた。そして漢江(ハンガン)と臨津江(イムジン川)の合流点にある展望台から北朝鮮側を眺める。私が北朝鮮を肉眼で見るのは、2009年の延辺朝鮮族自治区(中国)以来、実に14年ぶりだったが、対岸に人の気配はない。

外に出ると風が強く、帽子を飛ばされそうになる。70年前この付近でも様々なことがあったはずだが、今やそれを窺い知るものはない。ただ説明では厳冬期に歩いて川を渡って韓国側に来る脱北者は常にいるらしい。朝鮮戦争について説明するビデオが流れる中、何とも言えない気持ちになる。何となくイムジン川という昔のフォークソングを思い出す。

そこからすぐ近くに、K社長の会社があるというので、行ってみる。そこは出版社が集まる一つの巨大な街だった。政府の政策で集められ、もうかなりの年月が経つらしい。当初ソウル市内からは不便であり、評判は良くなかったが、今や郊外の環境の良い住宅地にもなっているようだ。しかし出版業界が38度線近くに集結しているのはどうなのだろうか。面白い形の建物がいくつもある。

市内に戻る途中、林さんの希望で、ランチにカンジャンケジャンを食べに行く。私は正直カニを積極的に食べることはないが、ここのカニは実に見事な見栄えで、分量も多く、しかも抜群の味で驚く。更に釜炊きのご飯、とんかつ、キムチ、うまい汁などがずらっと並ぶ。これで値段も手ごろというから、皆食べに来るはずだ。満腹でかなり苦しい。

そこから車で最寄りの地下鉄駅まで送ってもらい、K社長と別れた。K社長には今回大変お世話を掛けてしまったが、そのお陰でとても有意義なソウル旅が出来た。感謝し、次回の再会を願いたい。林さんと二人地下鉄に乗って景福宮を目指す。かなりの時間乗っていたので、その距離が分かる。

すごく天気の良い景福宮。何と今日は無料開放日だとか。そして各国の観光客、在住外国人が韓国伝統衣装を身にまとい、桜が咲き誇る庭を歩き回っている。この衣装も無料だというから、韓国のインスタ映えを考えたコマーシャルの上手さ、には感心するしかない。話し掛けた外国人の中には日本人もいてお互いビックリ。

そこから歩いて仁寺洞に行ってみる。以前何度か通ったお茶屋を探したが、見つからなかった。ここも外国人観光客が多く歩いており、既に韓国もインバウンド復活を感じる。疲れたのでお茶を飲む。最近仁寺洞にはお茶を売る店、飲ませる店がとみに増えている。これも観光客用だ。我々が入った店も英語が通じる。花茶を飲んでお菓子を頂く。

そこから更に歩いて行く。今晩はタッカンマリが食べたいと思い、以前行った店を目指していく。途中広蔵市場が目に入る。その中を歩いて行くと、既に路上に沢山の店が出て、多くの人が酒を飲みながら、巨大チジミなど美味しそうなものを食べている。思わずここで沈没しそうになりながら、何とか堪える。林さんも、フルーツだけ買う。次回はこの市場を目指すことになるだろう。漬物が豊富で、楽しそうだ。

関釜フェリーで行く韓国2023(4)ソウルの電車で困惑?

昼前に宿をチェックアウトして、プサン駅へ向かう。駅弁はなく、腹も減っていないので、いきなりホームへ向かう。KTXは以前から改札がない。全席指定なのだろうか、車掌が回ってきて、不審な場合のみチケットをチェックするというきわめて合理的な手法を取っている。車両は何となく古びた感はある。外国人も乗り込んできてほぼ満席のように見える。

そこから約3時間、列車は郊外の道を走り抜けるように主要な駅を通って、ソウルまでやってきた。窓から外を眺めていても特筆すべきことはない。ただ70年前北朝鮮軍が南下した道はここだったろうかなどと考えてしまう。車内では原則まだ皆がマスクをつけている。

ソウル駅で降りたが、8年ぶりで方向が全く分からず、反対に歩いてしまうなど手間取る。何とか旧ソウル駅の駅舎から入り、京義線へ。ところが切符がなかなか買えず困る。何とか30秒前にホームに飛び込み、辛うじて乗車した。もしこれを逃すと直通列車は1時間以上なかったので緊張する。

この京義線は日本時代の産物らしい。朝鮮半島から満州方面へ向かったのだろうか。車内には軍服を着た若者が何人か乗っていた。韓国ではいまだに戦争は終わっていないと感じる。駅のホームはほぼ二重ドアが設置されている。20分ほど今回の宿泊地、幸信(ハンシン)駅に到着した。

ここで大問題が起こる。ソウル駅で買った切符を使ってみたが、残高不足だと機械が日本語で言い、外に出られない。チャージしようにもそのような機械設定もない。周囲にはほぼ人がいない。このままでは大声で誰かを呼ばなければならないが、言葉は通じるだろうか。そう思っていると、一つの改札口に非常ボタンがあったので、押してみるとちゃんと英語が通じた。そしてチケットの磁気の問題らしいと判断され、外に誘導され、窓口で保証金の返還を受けて開放された。進んでいるようでアナログな韓国の一面。

駅前は整然としており、ソウルの郊外に来た、という感じだった。歩いて5分ほどのところに予約したホテルがあった。新しくて若者向け、ちょっとおしゃれ。だが電源に繋ぐコンセントがない。韓国はコンセントが違うとは全く思いつかなかった。フロントで聞くと、何とか一つ貸してくれて、充電出来た。実は3月末ということか、ソウル中心部のホテルは予約が難しく、郊外に泊まることになったのだった。

そんなことをしていると、今回会う予定のK社長が迎えに来てくれた。K社長は実に9年ぶりの再会だろうか。何とも懐かしい。更に私の上海時代の中国語の先生、林さんも登場。この3人での再会が今回の主要目的だった。昔話や近況を話していると、K社長の知り合いでYouTuberとして人気の花緒さんも加わった。何だか面白いメンバーで、韓国の話から中国台湾、東南アジアまで幅広い話題に花が咲く。

その後ホテル近くの食堂に移動して夕飯。焼き魚、チゲ、焼き肉など、豪華な料理がテーブル一杯に並び、どんどん食べてしまう。おまけにキムチなどのサイドデッシュが充実しており、いくらでもお替りできてしまうので、腹一杯になるまで詰め込んでしまった。何とも有難い。ご馳走様。

更にスタバに場所を移して、話し続ける。花緒さんのYouTubeは今や2万人の登録者がいて大人気。韓国だけでなく、上海、台北などの滞在経験もあるので、中国語も出来る才女だった。K社長の出版社もいつの間にか韓国で最大手になったというから驚いた。林さんも不動産事業を拡大しており、お気楽なのは私だけ、という場違いな感じがまた良い。

3月29日(水)国境へ

朝はゆっくりと目覚めた。林さんは昨晩あれから韓国サウナへ行ったらしいが、私は疲れていたので早々に寝た。今朝はちょうどよい感じだ。散歩に出た。さほど寒さもなく、歩きやすい。この街には若干古い建物が残っている。教会は周囲に3つもあった。どんな成り立ちでここは出来たのだろうか。朝鮮戦争とも関連があるだろうか。

関釜フェリーで行く韓国2023(3)プサンの倭館

龍頭山に登る。無料エスカレータがあるので助かる。今は公園になっているが、その昔は草梁倭館が置かれていたという。高いタワーの前には、あの救国の英雄、李瞬臣像が建っている。周辺のサクラが見事に咲いていて美しい。高台からはプサン市内が良く見える。下に降りて歴史的建造物の歴史博物館に行ったが、月曜は休みだった。

立派な教会の建物写真を撮っていたら、老夫婦に韓国語で話し掛けられた。とっさに韓国語出来ません、と手を振ったが、先方は『何と不親切な』という感じだった。もしかしたら日本語を口から出せば、通じたのかもしれない。この付近には華人の高級な家が立ち並んでいた。

宿のチェックインには少し早かったので、急に地下鉄に乗ってみた。自販機で切符を買おうと思ったが、意外と手間取る。昔ソウルで地下鉄に乗ると、表示が全てハングルでどちらに乗った良いかかなり迷ったものだが、今は英語と漢字があるので、間違えることはない。中国人が増えてから漢字も増えたので感謝しないといけない。

中央駅から佐川駅まで乗った。1350ウォンなのだが、切符カードのデポジットで500ウォン取られる。これは駅に着くとリファンドの機械があるので、そこに入れれば戻ってくるが何とも面倒だった。佐川駅でコンビニに入り、ポカリを買う。何と日本円で240円もして驚く。コカ・コーラも同じ値段だったので、韓国のドリンクの高さが目立った。なぜだろうか。

歩いて行くと古びた建物が見えた。鄭公壇と書かれている。朝鮮の役で殉節した釜山僉使・鄭撥将軍と共に戦死した部下や民らを追慕して建てられた祭壇とある。境内には鄭将軍とその他の人々の墓碑が並んでいる。そこからかなりの坂を上っていくが、何故か目的地に行けない。Googleも役に立たない。

細い住居道を登り続けて相当に疲れた。目的地である豆毛浦倭館は1600年以降、朝鮮との往来が再開されて作られた倭館。数十年で先ほど訪ねた草梁倭館に引き継がれたため、知る人もあまりいない。そこは現在公園になっているが、韓国語しか表記もなく、何も分からない。ただサクラがきれいに咲いているのみ。

帰ろうと別ルートで降りてくると、何と坂を上り下りしなくても良いエレベーターが設置されていた。これは住民用だろうか、老婆がその乗り方を手招きで教えてくれた。確かにここに住む人々にとってエレベーターはどう見ても必要だろう。何とも有難い。疲れはピークに来たので、ホテルへ向かってまた地下鉄に乗る。

宿の部屋は思っていたより広く、かなり快適だった。ソウルはホテルが高くて取り難かったが、プサンはかなり安い印象。少し疲れを取って休んでいると、また腹が減ってくる。ポッサムが食べたいと思い、検索して近くの店へ向かった。だがその店には韓国語表記しかなく、店員のおばさんたちも無論日本語など話さない。仕方なく食べる仕草をしたら、分かったと出てきたのがゆで豚(スクユ)。ついでに麵も頼んで大いに食べる。これ、時々食べたいな。

まだ陽があったので、プサン駅へ行く。明日のソウル行の切符を買うためだったが、なぜか私が検索した時刻のKTXはない、と英語で言われてしまう。仕方なく言われるがまま切符を買う。6万ウォンというのは日本の新幹線の半分ぐらいの料金だろうか。駅構内を散策して驚いたのが、駅弁屋が一軒もないこと。コロナの影響だろうか?明日の楽しみが一つ消えた。

3月28日(火)ソウルへ

ソウル行のKTXは昼発なので、ゆったりと起きる。朝ご飯でも探そうかと街歩きをしていると古い建物や市場が出てきて面白い。なぜか何軒かミャンマー食堂や食料品店が見られる。出稼ぎ者が多いのだろうか。残念ながら朝飯になるようなもの巡り合えず、折角なのでパン屋に入ってみる。8年前韓国はパンブームだったような気がするが、今や定着したようでどこにでもある。値段も日本よりは高い。2つばかり買って部屋で食べる。

関釜フェリーで行く韓国2023(2)プサンに上陸して

3月27日(月)プサンに上陸して

午前6時前には起き上がった。すると少しして船が停止した。何ともうプサン港に着いたのだ。だが下船時間は8時。そうか、港職員はまだ来ておらず、手続きできないので待っているのだ。『プサン港に入れない』。今更風呂に入るわけにもいかず、韓国用シムと格闘して、何とか開通させる。そうこうするうちに下船が始まる。

ゆっくり降りていくと、すぐに入国審査がある。韓国人はさっさと抜けて行くが、外国人の窓口は一つしか開いておらず、進まない。韓国人は全て抜け終わると一斉に窓口が外国人に開放され、後から並んだ人々がどんどん追い抜いて行く悪のシステム。そのことを係官に指摘しようとしても、理解できないらしい。実に古い空港のシステムのようで、改善はない。

まずはウォンがいるので、ターミナルの銀行で両替する。レートは悪いが金がないと何もできないので仕方がない。予約した宿はターミナルから近いはずなので歩いて行く。何だか天気が良い。道も広い。清々しい朝だ。近くに見えたプサン駅だが、歩いてみると意外と遠い。更に駅を通り越して歩いて行くとようやく宿が見える。Googleで見るよりずっと遠かった。

キレイな宿に荷物を預けて外へ出た。意外と疲れていないので驚く。まずは朝ご飯でも食べようと思ったが、駅前の中華街はどこも閉まっていた。何となく以前行った市場のことが思い浮かぶ。あれは8年前の冬、寒風吹きすさぶ中で、食べ物を売っていたおばちゃんたちの姿だ。そこは駅前から3㎞ぐらい離れていたが、折角なので歩いて行ってみた。

途中に『40階段記念碑』があり、道から階段が伸びていた。ここは朝鮮戦争時の避難民の集結した場所であり、バラック小屋で生活しながら生き別れた家族を待ったところと聞く。この付近も1953年の大火で焼かれ、その面影は無くなっている。因みに辰野金吾が設計した旧ソウル駅もこの近所にあったが、その大火で焼失したとある。

ずっと行くとおしゃれな通りが出てきた。この付近は300₋400年前、龍頭山倭館が置かれた場所らしい。今やその面影は全く見られない。何とか国際市場付近まで来たが、その風情は随分と変わっていた。まだ朝なので多くの商店は開いていない。細い路地に行くと靴下などを売っている向こうに、おばちゃんたちが座って商売している場所を見つけた。

レーメン、などと日本語で声が掛かったが無視して進むと、『チャプチェ』と言われて立ち止まる。習性として『チャ』には必ず反応してしまうのは悲しい。座ってチャプチェを食べると旨い。スープも別に出してくれ、こちらも旨い。何だか気分が乗ってきた。3000ウォン。因みにチャプチェとは雑菜と書くらしい。朝鮮半島に入った中国料理、というのはやはり一度やってみたいが、韓国語が分からない。

何となく中途半端に食べたので余計に腹が減ってきた。確か港の方に焼き魚があったようだと思い出して行ってみる。だが食堂の焼き魚定食は皆2人前以上。一人で簡単には食べられない。おばさんに聞いてみると『あっちに行けばあるよ』と指をさした方に行くと、細い路地が市場になっている。かなり長く続くその市場を抜けて行くと、途中から食べ物屋が出てきた。

だが焼き魚はない。それでも旨そうな湯気が立ち、匂いがしている。思わず覗き込むと優しそうなお姉さんが、『食べていく?』という顔をしたので頷く。そして料理名を聞くとGoogle翻訳を示す。ソンジクッパ、牛の血を固めたものを煮込んでご飯にかけて食べるようだ。濃厚なスープに牛肉の筋などが入り、実に美味。これで6000ウォンは安い!因みにお姉さんは韓流ドラマに夢中で、会計できずに困る。

関釜フェリーで行く韓国2023(1)小倉でサクラ、食べ歩き

《関釜フェリーで行く韓国2023》  2023年3月25₋30日

2か月のタイ滞在を終えて東京に戻った。だがもうコロナ時代は終わったとばかり、次々に旅が予定されていた。1週間後には韓国に向けて旅立つ。今回は単にソウルの知り合いに会いに行くのが目的だが、飛行機の往復はつまらないと思い、前々から乗ってみたかった関釜フェリーを選択。そして久々の北朝鮮を眺める旅に出た。

3月25日(土)小倉へ

小雨の中、羽田空港に向かった。ここ数日天気が良くない。今回は実に久しぶりにスターフライヤーに乗る。ANAのマイレージ、国際線はサーチャージが高すぎて、使う気になれないが、北九州行のチャージは僅か470円。これなら安いと、年度末、春休みで込み合うフライトを抑えた。

ところが羽田に着くとスターフライヤーはANAと違い第1ターミナルなので、反対に行ってしまい、戸惑う。同じグループというわけでもないのだろうか。スターフライヤーは機体が格好良い。機内は満席だが、席は心持ち広くて快適な気分になれた。まあ、フライトは1時間半なので、あっという間に着いてしまう。

北九州空港で降りるとリムジンバスが待っている。710円、40分で小倉駅前まで行く。因みに小倉駅前といっても、新幹線口とバスターミナルがあり、ちょっと混乱。そこでお茶友達のNさんと合流し、彼女の案内で予約した宿へ荷物を置きに行く。そこは老舗ホテルで本館と新館があり、それはなぜか繋がっていなくて、また混乱。何だか日本では困惑が多い感じだ。

それから地元のうなぎの名店へ行ったが、外に行列が出来ていた。30分待ちの間に、カフェでアッサム茶200周年などのお茶話をする。戻るとちょうど順番が来て、席に着く。せいろ蒸しというのがあったので、それを注文する。肝焼きなども美味しかったが、せいろ蒸しのうなぎは柔らかく、極上。

それから駅前近く、Mさんのお店、ホーンへ行ってみる。本当は明日行く予定だったが、昼はお休みとのことで、急遽訪ねる。夜はバーで、お客さんが溢れていた。コロナが過ぎ去り、急激に客足が伸びているようだが、まだ常連客は完全に戻っていないという。バーで伊勢紅茶を味わいながら、Nさんとお茶談義。更には隣に一人で来ていた女性がいて、紅茶好きということで話す。これからはこんな紅茶の飲み方もありではないか。残念ながら大忙しのMさんとあまり話せなかった。

3月26日(日)小倉でお花見

昨晩は夜遅く戻ったので、朝風呂。さっぱりしたところで朝散歩。お城近くにサクラが咲いている。昨年2度の火事に見舞われた旦過市場はひっそりとしていた。後で調べたら日曜日は休業日らしい。どの程度賑わいが戻ってきているのだろうか。焼けた部分の修復、そして一部は残されていた。大正時代からある由緒ある市場は残っていくだろうか。

小倉駅でYさんと合流して、北九州のソウルフードとも呼ばれる『資さんうどん』に行ってみる。チェーン店ながら安定の味で、ひっきりなしに客が来ている。もつ鍋うどんを注文。確かにいい味になっている。デザートにぼたもちも頂く。今はかつ丼が売出し中だった。帰る頃には席待ちの人が外まで続いていた。

腹が一杯になり、雨も止んだので、小倉城に花見に行く。ほぼ満開でかなりきれいな状況だった。毎年日本のどこかでサクラが見られるのは何とも嬉しい。今日は日曜日だから花見客も多いが、それでも十分余裕をもって見られるのは尚よい。また小雨が降り出したので、辻利へ行って、あんみつを食べ、抹茶を頂く。何とも贅沢な午後。

その後Yさんと別れて下関に移動。JRに乗って行く。本当は駅のうどんが食べたかったが、腹に全く余裕なし。40分弱で下関駅に到着。昨年三泊もしたのに、駅の配置も忘れてしまい、道に迷いながらターミナルを目指す。実は歩道橋でかなり繋がっていることは後から知る。

真冬の韓国散歩2015(11)ソウル 焼サバと生ガキ

4.ソウル2

サッカー

そのまま部屋でテレビを見る。今日はアジアカップの第2戦、日本対イラクの試合がちょうどあった。大丈夫かよ、という試合内容だったが、それでも何とか勝てる所が今の日本代表の強さかもしれない。それにして相変わらず韓国は地上波で全ての試合を放送している。日本代表の試合を見る人が一体どれほどいるのか分からないが、ここには政治も島問題もない。

 

宿には相変わらず、お客がいない。オーナーも『今は休みの時期』と諦め顔だ。冬とは言え、数年前なら日本からの観光客が溢れた街、それが今では日本語から中国語への切り替えが行われ、見事なまでの対象を成してしまった。ただあまりに中国寄りにかじを切ってしまったため、中国の景気減速の余波も受けているようで、日本との関係改善の道を探る動きもある。この宿にお客が戻ることを願うのみだ。

 

韓国人と中国語で

今晩は前回紹介されてソウルであったSさんと再会する約束になっていた。ところが8時頃になっても何の連絡もない。確かに彼女の会社(IT関連業界)は7時過ぎまで業務があり、前回も8時集合ではあったが、どうなんだろうか。8時半を過ぎてようやく、今車で宿の方に向かっている、との連絡が入る。車で来るのか?結局9時前になり、宿の近くに来たというので、外へ出る。Sさんは何と、彼氏の車でやってきた。そう、彼女もお年頃の女性だから不思議はない。近くの鍋屋に入る。Sさんと私は中国語で話をするのだが、彼氏は中国語が出来ないので、彼女は全て通訳している。ソウルで日本人と韓国人が、中国語を介して会話する、何とも周囲には不思議な光景に映っただろう。

 

Sさんはソウル生まれの華人。親は山東省から移住してきている。学校は高校まで華人学校だからネイティブに中国語を話せる訳だ。しかも大学は台湾に留学しているから完璧。何の違和感もない中国人だ。だが彼氏といる彼女は当然だが、完璧な韓国人なのである。鍋は全て彼氏が作る。これが今の韓国若者流なのか、このカップルだけの特徴なのか、はたまたSさんが強いだけなのか、よくわからないが、面白い。昔の韓国人なら、日本以上の男尊女卑だったと思うのだが。夜10時になるとこの店もお客がいなくなり閉店。もっと聞きたいことは一杯あったのだが、二人は車に乗り、あっさりと帰ってしまう。次回はこの二人ともっとじっくり会おう。何かが見えてきそうな予感がした。

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帰りにセブンイレブンに寄る。今鍋を食べたばかりなのに、なぜかチョコが食べたくなる。韓国にはロッテがあるから、安心して買える。しかも見ると割引価格らしきものが提示されている。それでも日本より高い気もするのだが。レジに持っていくと、若者が店番をしていたが、彼は新米なのか、レジの操作で困っていた。そしてついに私に通常価格での支払いを提示してきた。私はすかさずそれを拒否して、割引表示を示すと、彼は困ったようにどこかに電話を掛け、時間を相当にかけて、何とか解決した。しかし謝るそぶりもない。言葉が通じたら、思いっきり文句を言うところだが、通じないのでそのまま帰る。これがおばちゃんだったら、どうしただろうか。韓国も日本同様サービス業の質低下があるように思われ、ちょっと残念に思う。

 

1月17日(土)

焼き魚と生ガキ

朝はゆっくりと起きる。今日はついにバンコックに帰る日。暖かい南国が恋しいようでもあり、食べ物の美味い韓国が名残惜しいようでもあり、ちょっと複雑な心境になる。過去韓国に来て、このような心境になったのは恐らくは初めてであり、自分でも驚く。しかしどうしても心残りがあった。それは焼サバ!

 

という訳で、出掛ける。まずは先日途中になってしまった仁寺洞の平安を訪ねる。だが、彼女はまだ来ていなかった。12時頃に来るだろうというので、急いで東大門へ向かい、先日見つけた焼き魚通りへ。途中東大門の市場ビルを通ったが、きれいなビル内で昔ながらの商売が行われているのを見る。また外ではいまだに担ぎ屋、が、荷を担いでいる姿を見て、ちょっと感動する。

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おばさんが外で魚を焼いている。すぐに店内に吸い込まれる。焼サバを注文。11時だというのに、お客がどんどん入ってきて、席が埋まる。日本人観光客もいる。焼きたてのサバとキムチ、そして味噌汁と大盛りのごはん、いい感じだ。ちょっと幸せな気分になり、黙々と食べる。周囲の客もさっさと食べ、さっさと出ていく。

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そして私もこの店を去り、仁寺洞へ戻る。平安は店に来ていた。お茶を飲みながら、話をしていると、突然『ご飯を食べよう』という。何と私のために、生ガキを用意してくれていた。自家製のキムチもある。雑穀のごはんもある。こんなご馳走があるのなら、焼サバ食べなければ、いやサバも食べたかった。今回はカキをほんの少し貰い、諦める。私が食べる分のカキは、キムチと混ぜられて、保存された。なるほど、カキキムチ、いいなこれ。次回韓国の茶旅はあるのだろうか。

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名残惜しいソウル、宿に戻り、荷物を持ち、電車に乗って仁川空港へ向かう。既に寒さにもなれ、地下鉄にも慣れたので、スムーズに行ける。さあ、飛行機に乗ろうと思ったら、1時間遅延した。まるで私の気持ちを代弁しているようだった。また来よう、韓国。

真冬の韓国散歩2015(10)慶州 奇跡のバス乗車

更に何の当てもなく北上した。しかし疲れてきたので、宿へ戻ろうと進路を逆に取る。すると途中に邑城と呼ばれる城跡があった。1012年の建造というから古い。その後文禄の役では日本軍をここで食い止めたと言われ、日本統治時代には殆どが破壊されたらしい。ほんのごく一部が保存されているが、そこがまた何とも言えないリアリティを感じる。

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帰りが意外と遠かった。疲れていたからかもしれない。大陵苑の外壁を見ながら延々と歩くと、その広さを実感する。冬の午前、歩いている人は殆どなく、車も少ない。慶州の街、それ自体が世界遺産とも言える街、次回はもっと、もっとゆっくりと時間を掛けて歩きたい。

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バスターミナルでブテチゲ

宿に帰ると、オーナーが『ソウル行きのバスの時間』と言って、電話で問い合わせてくれた手書き時刻表を渡してくれた。有難い。12時のバスに乗れば4時過ぎにはソウルに着くらしい。まだ時刻は11時だが、ちょうどチェックアウトの時間でもあり、この宿を去る。『どこかうまいランチが食べられる店はないか?』と聞くと、『この辺にはないよ』と一言。あれ、昼めし、どうするんだ?

 

まずはバスターミナルまで歩いていき、バスの発車時間を確認する。ところが・・、何と12時発のバスの切符は既に売り切れていた。午後2時のバスにしか乗れないという。今日の夜はソウルで約束があり、それに間に合わない恐れが出てきた。売り場の女性に『他に方法はないのか?』と聞くと『KTXで行け』と一言、言われ、終わる。他の案内所もなく、途方に暮れる。

 

KTXは新慶州という駅まで行かなければならないが、どうやって行くのか?仕方なくバスの方を眺めていると、運転手と目が合う。『KTX』というと、チケットを買って来い、という合図をするので先ほどの売り場に戻り、切符を買おうとするが、あの女性は『ここではない』の一点張りで応じない。片言英語の悲しさ、どうにもならない。

 

ふさぎ込んだ気分でターミナルから外へ出る。急に腹が減る。近くの食堂を眺めるが、また言葉が通じずに嫌な思いをしたくはない。『英語メニュー』と書かれた店へ入ってみたが、誰もいないので出てしまう。チラッと目に入ったもう1つの食堂、そこにはどう見ても外国人が数人で食事をしており、私もそこへ吸い込まれる。ところがここも言葉は通じない。インドネシアあたりから来た、その外国人たちは出稼ぎ労働者だろうか。韓国語を話しているではないか。

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メニューに英語があった。見ていると『ブテチゲ』が目に入り、思わず注文した。ブテチゲ、部隊チゲ。要はあるものを何でも鍋に突っ込む、日本で言うと闇鍋?特徴はインスタント麺がぶち込まれることだろうか。どこの店でもそうだが、キムチ以下の副菜が並び、真ん中にドンと鍋が出てくる。物凄い量だが、暖かい鍋、食欲がわく。

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この店、おばあちゃんとその娘が切り盛りしている。娘さんは朝から働き詰めなのか、具合が悪いのか、私の料理を仕上げると寝込んでいる。おばあちゃんとは勿論言葉は通じないが『もっと食べろ』という仕草、そしてやさしい笑顔。こういうのには本当に癒される。先ほどの嫌な思いなど、すぐに吹き飛ぶ。自然に湧き出す不思議なホスピタリティ、これが魅力だ。

 

満腹で食堂を出る。KTXに乗るためのバスを探して歩きだすと、目の前にバスターミナルが見えてきた。あれ、さっきのターミナルとは違う。咄嗟に悟った。ターミナルが2つのあるのだ。時計を見ると12時5分前、走って切符売り場に行くと、何と12時のバスに乗れた。しかも乗客は数人しか乗っていなかった。こちらが高速バス、料金が3万ウォンとかなり高かった。先ほどのバスは一般バス、料金もかなり安い。だからあちらから埋まっていくらしい。それにしても奇跡的な出会い、絶妙のタイミング。

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バスは直ぐに発車し、田舎道を走りだす。あっという間に慶州とお別れした。バスは横3席、かなりゆったりしている。そして何より客が少ないので、静かだ。と思っていると、KBSの番組をそのまま放送し始めた。まるで日本のワイドショーと同じ。相変わらず、韓国は日本の真似をしているのか、どうせ真似るなら、もっといいところを真似るべきだと思うのだが。高速道路に乗ると、実にスムーズに進む。途中1回、トイレ休憩したが、その休憩所のあり方も日本とほぼ同じで驚く。昔『韓国はミニ日本』と言って、怒られたことがあるが、それは今でもあながち間違ってはいないようだ。

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午後4時近くにソウル市内に入る。そして渋滞する車をよそに、バス専用レーンを走り、ほぼ時間通りにターミナルに入った。この辺りはキチンとしている。ここは江南のバスターミナル。ここから地下鉄に乗り、またあの宿に帰った。宿では私が預けた荷物をそのまま部屋に置きっぱなし、下宿に帰ったような気分で、またその部屋を使う。携帯の充電器もそのままコンセントに差さっており、まずは充電する。私も疲れた体を充電した。

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真冬の韓国散歩2015(9)古き良き慶州に泊まり、歩く

韓定食2人前

そのレストランは庭が広く、宿と同じような造りであり、100年以上は経っている建物を使っている。庭に入っていくと、おばさんがいたが、言葉が通じない。するともう一人のおばさんを呼ぶ。そのおばさん、なんと普通に中国語を話した。朝鮮族でもなさそうだが。最近は中国人がここまで個人旅行で来る時代らしい。

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聞いてみると、韓定食は一人9000ウォンなのだが、二人前からしか頼めない。一人で来た者はブルコギ定食など、普通の定食を頼むのだそうだが、その料金は1.6万ウォンだったので、韓定食2人前と僅かしか違わない。なんと思い切って韓定食をオーダーした。まあランチも食べていないし、いいだろう。

 

それにしても趣のある建物だな、少し曲がっている所が特に良い。その建物に案内されると、テーブル、いや、ちゃぶ台が4つ置かれている。一番端に座る。まだ夕方5時過ぎだからお客などくるまい、と思っていると、あっという間に席は埋まってしまった。3組ともカップル、恐らくは日帰りでソウルかプサンへ帰る人なのだろう。

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一人の私のテーブルの上が全て埋まってしまった。料理はこれでもかというほど運ばれてきた。キムチや海苔、キュウリのあえ物、チジミなどは馴染があるが、意外に美味かったのが、魚の煮つけ。味噌汁も味わいがある。昔仕事で何度か韓定食を食べる機会があったが、美味しいという記憶は一度もなかった。嗜好が変わったのだろうか、どんどん食べていく。ご飯も2つ来ていたが、なんと大半を平らげた。量的にこれほど満足したのは久しぶりではなかろうか。すでに日は落ちたが、まだ暗くなっていない庭を歩く。何ともいい雰囲気だった。

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歩いて宿へ帰る。宿には共有スペースがあり、WiFiが使えるが、だれ一人いない。昼間は外人が一人いたが、彼もどこかへ向かって去っていった。今日は一人なのだろうか。私の部屋は4畳半ぐらいのオンドル部屋。但し後ろにシャワーとトイレが付いており、とても便利。前は伝統家屋、後ろは近代的。これで3.5万ウォンは値打ちあり、というところだろうか。

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部屋でも何とかネットが拾えたので、寒い外へ出ることもなく、オンドルに暖められ、床に座り込む。何とも心地よい。ただお茶を飲むために共有スペースへ行かなければならない。ソウルほどではないが、慶州も夜は寒い。スペースには韓国人が数人おり、テイクアウトしてきた食べ物を食べていた。別にここは外国人向け宿ではないのだ。そんな当たり前のことに気が付く。

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1月16日(金)

散策

翌朝は鳥の鳴き声で早く目覚めた。この宿は共有スペースに広いキッチンがあり、何と朝食は自分で作る。パンを焼き、卵を焼く。ジュースをコップに入れ、インスタントコーヒーの湯を沸かす。材料を置いているだけで、管理人は姿を見せない。実に自由な朝だった。あとから韓国人の女性が2人入ってきて、思い思いの朝食を作る。フルーツなど自分で持参したものを加える人もいる。

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食事が終わるとこの宿の敷地散策。私が入ってきた小さな門は通用口で、大きな門は別にあったが、今は開けていない。更に奥には離れのような建物と庭があり、こちらも宿泊スペースになっている。何だか日本の昔の家を思い出すような造り。きりっとした爽やかな朝に見ると、気持ちが良い。因みに部屋によってはトイレ、シャワー共用もあり、冬は外へ出ていく必要がある。

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そして外へ出る。今日の午後にはソウルへ戻らなければならない。もっとゆっくり慶州滞在を考えればよかった、との思いがあるが、それもご縁。また次回ということで、午前中は歩ける範囲を行ってみる。宿の目の前には大陵苑という古墳23基が点在する公園がある。しかしここに入ってしまうと、これだけで終わりそうだったので断念して、先へ進む。

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大陵苑の正門前まで来ると、南側は広大な敷地。遠くに瞻星台と呼ばれる東洋最古の天文観測所の建物が霞んで見えた。荒涼とした冬の大地を歩くと結構かかる。建物は実に素朴に見える。新羅時代の建造というから、1400年ほどの時が経っているのだろうか。この時代に天文観測とは唐より進んでいたのだろうか。周囲には所々に古墳が見えるが、特に何もない場所。

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足の向くまま歩いていくと、道路に出てしまう。そこを越えると、雁鴨池があった。新羅時代には今通ってきたあたりに半月城という宮廷があり、王侯貴族が歩いてこの池に遊びに来たという。1975年の発掘調査後、現在の姿に復元されており、往時を偲ぶ感じはないが、氷の張った池に浮かぶ鴨を眺め、広い庭園内をゆっくり歩いていると、気持ちがちょっと張る。

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横には慶州博物館があったが、何となく慶州駅が見たくなり、道路沿いを歩く。昨日乗れなかった電車が、先ほど池の近くを通過していったためだ。何とものどかな光景だった。駅まで歩くとそれなりの距離があった。駅自体は非常に小さく、確かに単なるローカル駅だった。

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