関釜フェリーで行く韓国2023(3)プサンの倭館

龍頭山に登る。無料エスカレータがあるので助かる。今は公園になっているが、その昔は草梁倭館が置かれていたという。高いタワーの前には、あの救国の英雄、李瞬臣像が建っている。周辺のサクラが見事に咲いていて美しい。高台からはプサン市内が良く見える。下に降りて歴史的建造物の歴史博物館に行ったが、月曜は休みだった。

立派な教会の建物写真を撮っていたら、老夫婦に韓国語で話し掛けられた。とっさに韓国語出来ません、と手を振ったが、先方は『何と不親切な』という感じだった。もしかしたら日本語を口から出せば、通じたのかもしれない。この付近には華人の高級な家が立ち並んでいた。

宿のチェックインには少し早かったので、急に地下鉄に乗ってみた。自販機で切符を買おうと思ったが、意外と手間取る。昔ソウルで地下鉄に乗ると、表示が全てハングルでどちらに乗った良いかかなり迷ったものだが、今は英語と漢字があるので、間違えることはない。中国人が増えてから漢字も増えたので感謝しないといけない。

中央駅から佐川駅まで乗った。1350ウォンなのだが、切符カードのデポジットで500ウォン取られる。これは駅に着くとリファンドの機械があるので、そこに入れれば戻ってくるが何とも面倒だった。佐川駅でコンビニに入り、ポカリを買う。何と日本円で240円もして驚く。コカ・コーラも同じ値段だったので、韓国のドリンクの高さが目立った。なぜだろうか。

歩いて行くと古びた建物が見えた。鄭公壇と書かれている。朝鮮の役で殉節した釜山僉使・鄭撥将軍と共に戦死した部下や民らを追慕して建てられた祭壇とある。境内には鄭将軍とその他の人々の墓碑が並んでいる。そこからかなりの坂を上っていくが、何故か目的地に行けない。Googleも役に立たない。

細い住居道を登り続けて相当に疲れた。目的地である豆毛浦倭館は1600年以降、朝鮮との往来が再開されて作られた倭館。数十年で先ほど訪ねた草梁倭館に引き継がれたため、知る人もあまりいない。そこは現在公園になっているが、韓国語しか表記もなく、何も分からない。ただサクラがきれいに咲いているのみ。

帰ろうと別ルートで降りてくると、何と坂を上り下りしなくても良いエレベーターが設置されていた。これは住民用だろうか、老婆がその乗り方を手招きで教えてくれた。確かにここに住む人々にとってエレベーターはどう見ても必要だろう。何とも有難い。疲れはピークに来たので、ホテルへ向かってまた地下鉄に乗る。

宿の部屋は思っていたより広く、かなり快適だった。ソウルはホテルが高くて取り難かったが、プサンはかなり安い印象。少し疲れを取って休んでいると、また腹が減ってくる。ポッサムが食べたいと思い、検索して近くの店へ向かった。だがその店には韓国語表記しかなく、店員のおばさんたちも無論日本語など話さない。仕方なく食べる仕草をしたら、分かったと出てきたのがゆで豚(スクユ)。ついでに麵も頼んで大いに食べる。これ、時々食べたいな。

まだ陽があったので、プサン駅へ行く。明日のソウル行の切符を買うためだったが、なぜか私が検索した時刻のKTXはない、と英語で言われてしまう。仕方なく言われるがまま切符を買う。6万ウォンというのは日本の新幹線の半分ぐらいの料金だろうか。駅構内を散策して驚いたのが、駅弁屋が一軒もないこと。コロナの影響だろうか?明日の楽しみが一つ消えた。

3月28日(火)ソウルへ

ソウル行のKTXは昼発なので、ゆったりと起きる。朝ご飯でも探そうかと街歩きをしていると古い建物や市場が出てきて面白い。なぜか何軒かミャンマー食堂や食料品店が見られる。出稼ぎ者が多いのだろうか。残念ながら朝飯になるようなもの巡り合えず、折角なのでパン屋に入ってみる。8年前韓国はパンブームだったような気がするが、今や定着したようでどこにでもある。値段も日本よりは高い。2つばかり買って部屋で食べる。

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