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名古屋・岐阜意外な旅2018(2)初めて日本で会ったOさんと

夜は何と飛騨牛の店に連れて行ってもらった。お店の雰囲気もとても良く、前菜から魚料理、そして実に柔らかい肉を堪能した。最近『我が家のご馳走とは何か』が議論となり、結局何も出てこなかったことを思えば、やはり滅多に食べられないもの、そして是非食べたい物になるだろうと得心させるお肉だった。これだけ満足したのは久しぶりだ。岐阜駅まで送ってもらい、別れた。次はいつ会えるかな。

 

名古屋
今日の宿は午後10時までにチェックインしなければならいというので、急いで名古屋にJRで戻った。9時半には宿に辿り着く。駅前の安宿。部屋は2階で荷物を持って会談で上がる、トイレは共同、シャワーは地下という構成だが、部屋は狭いが個室で、特に支障はない。まあ駅前のこの立地で3000円だというのは魅力的かな。東南アジア系の外国人がかなり泊まっているのも頷ける。

 

9月2日(日)

朝は7時前に起きて、ゆっくりと顔を洗い、部屋を出る。チェックアウトは鍵を部屋に置いて出る方式だった。既に確認済みの駅の反対側にあるバスターミナルへ向かい、8時過ぎに指定されたバスに乗る。前回は車で迎えに来てもらったので、会場に初めて一人で向かう。日曜日ということもあり、乗客は少なく、バスの本数も少ないので、かなり早めに到着してしまったが、遅刻も出来ないので仕方ない。

 

その辺をフラフラ歩いてみたが、特に何もない住宅街のようだったので、早めに会場に入り、準備する。と言っても基本的に何でもできる主催者のTさんが全てやっているので、私はただそこで予習しているだけだった。お茶の歴史、というテーマはそれほど一般受けするものではないのに、今回も沢山の方に来て頂き、誠にありがたい。

 

今回は先日の大阪の例を踏まえて、午前午後で2つのセミナーを開催した。こちらとしても2度来る手間が省け、参加者も1日で2つ聞けると双方の利害が一致しているようだ。出来ればこういう形式で、年に2度ぐらい開催できると嬉しいが、それも参加者の意向次第だ。

 

間にお昼を挟むのだが、そこは器用なTさん。ちゃんとお店でお昼を用意しており、希望者に振る舞っていて、私も台湾風料理のお相伴に預かる。それにしてもセミナーやりながら、10数人の昼ご飯まで作るとは、何とすごい人なんだTさんは。更にこのお店は移転まじかとなっており、ここに来るのは今回が最後だという。皆さんもこのお店に名残を惜しんでいる。引っ越しと新店舗の準備まで同時並行でやっているとは、もうスーパーマンというべきだろう。新店舗がどんなところか、次回に期待しよう。

 

皆さん、午後は少し眠たかったのでは、と思うほど充実したランチを食べて、また会場へ戻る。『台湾紅茶の歴史』と『台湾包種茶の歴史』を続けて話がどうだっただろうか。基本的にマニアックなトピックスだが、来ている方もマニアックな方が多かっただろうか。質問もいくつも出て、まあ取り敢えず何とか終了した。

 

実は午後のセミナーには香港で10数年お付き合いのあるOさんが参加してくれた。ちょうど昨日実家のある名古屋に香港から帰省しており、初めて日本で会った。しかも彼女の実家はこの会場から何と歩いて5分のところにあるというから、ご縁というのは凄い、としか言いようがない。

 

セミナー終了後、彼女の家にお邪魔した。実家は戦前から長年続く、表具屋さんだった。表具というと、掛け軸などを思い出すだけで知識は全くなかったが、ふすまなど様々な仕事があるとお父さんから説明を受ける。全盛期には組合加盟者も多く、繁栄していたが、昨今はふすまのある家も減り、絵画や書画の軸を新調する人も減っているようだ。

 

数少ない優良顧客はお寺だという。だがお寺の経営も少しずつ厳しくなり、本堂の修繕や軸の修理なども経費削減に遭って、その作業は減りつつある。表具の作業はかなりの忍耐が必要であり、またその熟練の技は簡単に習得できるものではないが、このような状況下、後継者は非常に少ないのが現実。

 

むしろ外国人が表具に注目しており、その習得を希望する人が日本を訪れているともいう。彼らがもしその技術を得られれば、国に帰り仕事があるというのだ。海外の博物館、美術館には多くの日本画、書画などが所蔵されているが、その修理ができる人材は極めて限られており、その需要は大きいらしい。それなら日本人人材が海外で活躍すればよいのでは、と思うのだが、そこは高齢化もあり、難しい。若者技術者がいれば、海外でいい仕事ができると思うのだが。

 

東京に帰る前に、Oさんに連れられて、ひつまぶしを食べに行った。折角実家に帰り、家族団らんするところを誠に申し訳ないが、一人で食べるのは寂しいので、何とも有り難い。これまで何度か食べたことはあるが、今日は一段と美味しく感じられる。お店も日曜日の夜でほぼ満員だ。次回は台湾ラーメンに挑戦しよう。これからも時々名古屋に来て、色々と勉強したいと思う。

名古屋・岐阜意外な旅2018(1)30年ぶりの後輩に会って

《岐阜名古屋の旅2018》  2018年9月1日-2日

2年ぶりに名古屋で茶旅報告会を開いてもらえる機会を得た。日曜日限定という制約もあり、こちらも日本にいないことが多いので、日程がなかなか合わず、半年前にようやくこの日を決めることができた。ついでに1か月前にも行ったばかりの岐阜も再訪することになった。茶旅ではない今回の短い旅、意外と中身は濃かった。

 

9月1日(土)
岐阜へ

朝から新幹線に乗り込んだ。岐阜へ行こうと思ったのだが、バスなど安い交通手段が見付からず、結局新幹線で名古屋へ行き、そこから在来線で行くことにした。全くいつものように品川駅でシュウマイを買い、車内で食べる。どうもにおい問題が気になり始めてはいる。次回はどうするか。

 

いつものように何事もなく、静岡を走り抜けていき、12時には名古屋駅へ滑り込む。静岡へは立ち寄りたいと最近何度も思うのだが、残念ながら通過ばかりだ。新幹線ホームに降りると、数年前に食べたきしめんを思い出し、食べてみようと思う。だが下りたところにあったのは、別の名前の店だった。店の変化も激しいので代わったのかと思ったが、念のためホームを端まで歩いてみる。

 

すると前の方に行列が出来ている店があるではないか。やはり流行っている店は続いているものだ。私も後ろに並び、何とか入り込んで、きしめんを食べる。初めて食べた時ほどの感慨はないが、腹も減っているのでするすると食べてしまう。ここ数年、多くの人がFBなどで紹介したこともあり、お客は増えているようだ。

 

名古屋駅で明日の準備をする。それはバス乗り場を確認することと、今日泊まるところを確認することだった。普通のホテルなら、荷物を預ければよいが、今日のところも安宿で(便利なので駅前にしただけ)、フロントは5時からしか対応しないというので、荷物を引っ張ったまま歩いた。僅か1泊なのに、セミナーで使う茶葉と、念のためのプロジェクター(主催者は急きょネットでプロジェクターを購入してくれたが、それが今日中に届くかどうか心配なため)が入っているので意外や重い。

 

岐阜で

それが終わると、JRで岐阜へ向かう。どうやら快速と普通があるようだが、私はゆっくりと向かった。今日は何と30年ぶりに大学の後輩と会うことになっていた。7月の岐阜訪問の様子をFBに上げたところ、次回岐阜に来るなら声を掛けて、と言われたので声を掛けたのだ。私も彼女もまさか1か月ちょっとでまた来るとは思っていなかったので驚いたが、この機会を逃すと、次にいつ来るか分からないので、会うことにしたのだ。

 

岐阜駅の改札近くに立っていたHさん、20歳の頃とあまり変わっていないように見えて驚いた。すぐに分かるかな、という心配は完全な杞憂に終わる。笑い方など、あの頃とそっくり同じで、思わず学生時代に戻ったかと思う程だった。彼女の車で岐阜城に向かった。お互いの近況、いや30年の流れを一通り話すのに時間が掛かる。

 

岐阜城、時代劇ではよく見るのだが、本物を初めて見る。格好いい信長像が建っている。まさかこんなに急な山の上に築かれているとは思いもしなかった。百聞は一見に如かず、とはまさにこのことだ。ロープウエーに乗り込んで上に上がる。今日はお天気が今一つだが、7月の猛暑を考えれば涼しくて快適だ。

 

ロープウエーを降りて、更に上に歩いて向かう。岐阜城は本能寺の変で焼失したと勝手に思い込んでいたが、実は関ヶ原合戦以後に廃城とされ、1966年に天守閣が再建されたことを学ぶ。その天守閣に登り、空の上から岐阜を見渡した。一部は濃い霧がかかっていたが、風が吹くとスッと視界が開ける。何だか面白い。展示も見てみるが、歴史的にはどうなのだろうか。石垣跡などをちょっと見て下に降りる。

 

そして今度は鵜飼いで有名な長良川にやってきた。鵜飼は夜行われるため、今回は船に乗る時間が無かったが、取り敢えずその周辺を散策する。立派な宿や古民家などがあり、風情がある。既に船の準備が進んでおり、乗船待ちの人々もいた。この日は台風接近が懸念されていたが、やはり商売としては雨が降っていなければ決行するだろう。

 

最後に古い県庁を見て、その横の図書館に入る。この図書館が実に立派で驚く。非常に開放的で、多くに市民で賑わっている。ここなら学生の勉強も捗るのではないだろうか。岐阜に限らず、地方都市の箱物の充実ぶりには時々目を見張るものがある。いつもならここで郷土史などを見学するのだが、今日は疲れたので、併設のスタバで休むことになる。

 

Hさんは早くに地元で結婚、3人のお子さんにも恵まれ、子供たちはみな優秀。ご主人は大手企業に勤めており、ベトナムのハノイで一度お世話になったこともある。とても幸せそうな家族だが、結構劇的な人生を歩んできていることを初めて知る。親とは何か、について語り合う。自分も最近常に反省しているが、彼女は常に乗り越えている。

北海道を旅する2016(6)初めての小樽を歩く

4月4日(月)
4. 小樽
小樽まで

本日は北海道最終日。東京行のフライトまで時間があるので、昨日懇親会で聞いたとおり、荷物を持って小樽へ向かう。小樽へ行くのは初めてで何となくワクワクする。なぜだろうか?今さら石原裕次郎でもないだろうに。札幌駅まですでに慣れ切った地下鉄で行き、小樽行のJRに乗り込む。快速エアポートという速い電車もあるが、敢えて各駅停車に乗ってみる。それでも1時間はかからない。小樽は札幌の通勤圏だと聞いている。

 

何とチケットホールダーなるものが座席の前についている。これがあるということはスイカなど使えないということだろうか。切符を挟んで置く場所など、全く初めて見た。返って忘れてしまいそうだ。この路線の駅名も面白い。星置、ほしみ、とロマンチックな名前が並んだが、その次がいきなり銭函とは、すごい。

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海が見えたなと思うと、札幌から45分位で、小樽に到着。古い駅舎のムードを残している。まずはコインロッカーを探す。ちゃんと表示があり、すぐに見つかる。そこには台湾人、タイ人などの親子連れ、カップルなどが荷物を預けていた。皆日本のコインロッカーに精通しており、私より早く預けている。駅前へ出ると、観光案内のデスクがあり、外国人観光客が順番に道を聞き、地図をもらっていた。私は横から地図だけもらい、早々に街へ出る。

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特にあてはない。駅前の道を行くと、すぐに商店街があり、榎本武揚の横断幕が見えた。その先には旧日本郵船小樽支店の重厚な建物、そして廃線となった線路が見える。歩いて行くだけで歴史が見えてきそうだ。更に行くと小樽運河だ。古い倉庫が並んでいる。その辺の公衆トイレに入ると、『異物を流すな』という文字が英語とロシア語でも書かれている。ロシア人は以前小樽に沢山いたらしいが今回は一人も見かけなかった。ルーブル暴落以降、ここにやってくるロシア人は皆無となったのだろうか。

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運河を越えて更に行くと港が見えた。今日もいい天気で、圧倒されるような風景がそこにあったが、ここを訪れる観光客はなく、駐車場を使う車だけが通っていた。何とも寂しい。そこから古い町並みを歩く。昔は港で栄えたのだろうな。再び運河に出ると、ラオックスがここに進出しており、観光客の波が分かる。

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運河を背景に写真を撮っていたのは、中国人観光客ではなく、タイ人だった。ガイドに連れられ、かなりの数が来ている。その後もところどころでタイ語に出くわした。これがタイ人訪日客か。昨年は80万人、今年は100万人来るかと言われるだけあり、その存在感を増している。勿論台湾人、香港人など常連さんも多い。大陸客は皆さくらを目指して本州に居るのだろうか?

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この街には昔の金融街があったり、商店街があったりして、変化があり、なかなか面白い。その中に先日テレビ番組で偶然見た北菓楼という菓子屋があった。そこのシュークリームが美味いというので買って食べてみる。パイ生地で中は生とカスタードが両方入っている。他の商品は試食も可能で随分と賑わっていた。隣に六花亭もあったが、こちらは試食がなく、客足は明らかだった。

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昔の料亭や街灯、そしておしゃれな建物を眺めて歩く。折り返してもと来た道を戻り途中で、わき道に入ると、そこは寿司屋通りと書かれており、確かに寿司屋が多かった。腹が減ったので、その一軒にふらっと入ってみたが、特別感はなかった。きっともっとお金を出さないと美味しいものは食べられないのだろう。

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それからも街中をぐるぐると回ってみたが、歩きやすい、気持ちの良い街だな、という印象はあったが、疲れてきてしまった。少し早いが、新千歳空港に向かうべく、電車に乗ることにした。小樽から新千歳には30分に一本、快速エアポートが走っており、1時間もかからないで、空港に着いてしまう。

 

これはとても便利であり、小樽が観光地として観光客を集められる一つの要因になっているのかもしれない。しかしここから余市やニセコへ電車で向かおうとすると、途端に不便になってしまう。私は実は今回余市へ行くことも考えたが、地元の人に止められた。もっと時間がある時でないと、何かあったら飛行機に間に合わないと言われたのだ。次回はバスも検討しよう。

 

空港に着くと、もう特に何も起こらなかった。帰りのフライトでは広東語が流れることもなかった。今回の北海道訪問は、ある意味とても面白い経験となった。同時にまた来たいな、という思いを強く持った旅となった。何しろ北海道は広い。まだまだ行くべきところはいくらでもあるだろう。

北海道を旅する2016(5)セミナーをやりながら、食を満喫する

ラーメンを

午後は4時から、日本茶カフェ、にちげつにて、「日本茶言いたい放題」と題するお話をした。これは日頃私が疑問に思っている日本茶に関する事柄(例えば日本茶には香りが無くなったとか)を披露して、海外の状況と比較したりして、日本茶の将来を考えるものだった。正直参加者がどう受け止めたかはわからないが、こういうセミナーがあってもよいと思っている。ただこの話を実にシンプルで居心地の良い日本茶カフェで話すのが適当だったかは更にわからない。ここでまったり日本茶を飲んでいればよい、という雰囲気だった。尚にちげつのオーナーAさんは私の大学の後輩であることが分かり、その方にも驚いた。

 

持ち込んだ日本茶が、村上茶やさしま茶など、地域的に珍しいものであったこと、また萎凋香が付いたもの、白茶のようなものなど、特殊な製法のものがあったことにより、一部の人々からはかなり珍しがられた。確かに日本に居ても出会わないお茶は沢山ある。それを出合わせるセミナーがあってもよい。その任を私が担うべきかどうかは分らないが。

 

夜は疲れたので、お先に失礼した。あまり腹も減っていなかったので、ホテルへ帰ろうと思ったが、ふらふら歩いているとラーメン屋さんがあったのでそこに立ち寄る。まあ、折角札幌に来たのだから、ラーメンぐらい食べないと。腹は減っていないと思いながら、熱々のラーメンをあっという間に平らげたのは、やはり味が良かったからだろう。満足して帰路に着く。

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4月3日(日)

事件起こる

前日は6月に出る本の原稿書きに没頭し、ふろにも入らず寝てしまった。既に3月末の締め切りを数日猶予してもらっており、慣れないことで悪戦苦闘している。翌朝も早く起き、原稿を続きをやる前に気分転換に湯をためて風呂に入る。朝ぶろは気持ちがよいものだったが、その後歯磨きしようと再度浴室に入ると、一面が水浸しになっていた。たぶん排水溝が詰まっていたのだろう。

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フロントに電話して人に来てもらったが、すでにかなり水はひいていた。彼はすぐに大量のタオルを持ってきて、床を拭き始めたが、その根本的な解決を図ろうとはしなかった。これではまた風呂に入れば同じことが起きるのは誰が見ても明らかだった。今日チェックアウトならそれでも良いが、私は今晩もこの部屋に宿泊するのだ。これでは困る。『後で掃除のおばさんによく見させておきますから』と言われ、その対応に唖然となった。普通なら次のお客を入れるためにもここは入念にチェックして、万全で臨むべきだろう。

 

『部屋を変えて欲しい』と訴えると、これで問題ないとか、部屋が満室だとか言って拒んでくる。これには本当に驚いてしまった。少し強い口調で要請すると、ようやくしぶしぶ同意した。だがこれから出かける私に『荷物は一度フロントへ』というではないか。実は私は持ってきたスーツケースを、セミナー会場にもっていってしまっており、着替えなどを入れる入れ物も持っていなかったから、それは出来なと、また押し問答になった。

 

普通のホテルなら、ホテルの事情で部屋を変わるのだから、お客の事情に配慮するべきだと思うのだが、そのような感覚は持ち合わせていなかった。最終的にホテルの従業員が私の荷物を新しい部屋に移しておくことで了解したが、やはりあり得ない状況だ。日本のおもてなし文化など、規則・マニュアル・効率優先のチェーンホテルにはどこにも見られない。勿論責任者からの謝罪もなければ、例えば部屋を少し良いものに変える、ということもなかった。この古いホテルでは日常的にこのような状況が起きており、稼働率向上のため、今回のような措置が取られているのだろう。

 

今日は午前中、台湾茶のお話をした。昨年末に南北台湾をぶらぶら歩いて得たお茶を飲み、台湾茶のトピックスを話した。今回の4つの講座なのかで、一番お茶が美味しかったのではないかと思う。基本的に私の旅は美味しいお茶を求める物ではない、その旅で出会った茶が提供されるのだが、やはり参加者からすれば、美味しいお茶の方が好ましいのは当然だ。

 

お昼は、皆さん午後の準備で忙しく、弁当を食べるというので、一緒に買ってきてもらい食べる。折角なので珍しいものを、ということで、登場したのが、ザンギ弁当。しかしどう見ても普通の鶏肉の唐揚げにしか見えない。ザンギの由来は中国語のザーギー(炸鶏)から来ているとも言われており、恐らくは味付けが少し異なるだけなのだろう。もっとも北海道では魚介類の揚げ物もザンギというらしいので、特定するのは危険にも思うが。

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午後は最近ハマっている?万里茶路についてお話した。何しろ10日前にはモスクワに居たのだから、多少の臨場感はあったのではないだろうか。とは言っても現在のロシアに万里茶路をしのぶところは殆どないのが実情だが。お茶は珍しいお茶、湖北の米磚茶などは、簡易のこぎりを買ってもらい、切った茶葉を前日に煮出してもらうという手間をかけた。お茶の歴史への興味を少しでも持って頂けただろうか?正直自信はない。もっと研さんを積み、話術も増さないと。

 

こうして、2日間の講座は無事に?終了した。その後にちげつで懇親会が行われ、Yさんが握ってくれる新鮮な寿司ネタに舌鼓を打つ。お茶に関心を持っている人が沢山いる、ということは、とても素晴らしいことだな、と改めて感じたのはなぜだろうか。7月2-3日には札幌で大規模なお茶イベントも計画されていた。『エコ茶会のような会を北海道でもやりたい』という話を聞き、エコ茶会主催者でもないのに、喜ばしく思ってしまった。北海道の会、成功を祈る。

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北海道を旅する2016(4)驚きの十勝豚丼を食す

わが宿の横には立派なホテルがあり、その入り口には『飯沼貞吉ゆかりの地』という碑があった。飯沼貞吉というのは確か会津白虎隊の生き残りだが、彼は札幌にゆかりがあるのだろうか。調べてみると彼は明治に通信技師となっており、1905年から5年間、札幌郵便局工務課長として、ここに勤務していた。ただなぜこの碑が建てられているかは、全く不明である。

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夕方は明日のセミナーの打ち合わせに出向く。テレビ塔を目指して歩いていく。私は今回の主催者も、セミナー会場がどんなところかも、全く知らない。それでもご縁というものがあり、受けることにした。会場までスーツケースを引きずっていく。中には茶葉が一杯詰まっていた。道路に雪は見られなかったが、日陰にまだ雪が積まれているのは見えた。

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ビルの3階にひっそりとある手ごろな広さの日本茶カフェ、そこが会場だった。ただその隣には、畳の部屋があり、その横には手もみのほいろなどもあり、なんとも不思議な空間だった。因みにこのビルのエレベーターはとても広く、ここが元病院であることはなんとなくわかった。だからフロアーの部屋が1つ1つ小さく区切られ、狭かったわけだ。

 

初めて会った人々だが、お茶という共通項があったためか、すぐに打ち解けた。打ち合わせというより、雑談を連発しているうちに、時間は過ぎてしまい、夜の予定に向かう。札幌駅までゆっくり歩いていった。周囲が暗くなる中、ちょっと涼しかったが、寒いという感じはなく、歩くのにちょうどよかった。本日3回目の札幌駅。さすがに駅の構造も分ってきており、駅ビルの1つにある指定されたレストランにもスムーズに行けた。

 

今晩は北京繋がりのおふたりと、中国話や北海道の現状、訪日観光客事情などで大いに盛り上がる。盛り上がりすぎて、料理の写真を取り忘れたが、そこは地元食材を使ったおしゃれなところだった。北海道に限らないが、ジビエ料理なるものが流行っている。農家を回っていると、シカやイノシシの被害を訴えられることが多いが、その駆除は進んでいるのだろうか。野生のものがよいという消費者が多いが、その実、それはどうだろうか?

 

4月2日(日)

紅茶屋さんで

翌朝は1つ目のセミナー会場へ向かう。1つ目はスリランカ紅茶の話であり、ここだけは会場が違っていた。札幌ドームの近く、閑静な住宅街にある紅茶屋さんに向かう。と言っても地理が全く分からず、方向音痴気味の私を心配した主催者Kさんが、途中まで迎えに来てくれるという。地下鉄の終点、札幌ドームの最寄り駅まで一人で行く。これは簡単。

 

福住というその駅を地上に上がると、向こうに札幌ドームが見え、白い恋人と宣伝が見える。駅横には不二家の直営店があるのは、何とも懐かしい。函館からわざわざ私のセミナーを聞きに来てくれた女性も一緒に車で会場に運ばれる。確かに一人でバスに乗ってきては分らなかったかもしれない紅茶専門店ニルマーネル。一軒家の中は居心地の良い空間だった。

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ここで紅茶好きの方々にスリランカの話をした。スリランカから持ってきた各種紅茶を淹れてもらい、美味しいお菓子も登場した。専門的な紅茶の技術の話などは出来ないので、あくまでも茶旅、今回は東京の紅茶屋さんの買付に同行したので、一度に10軒以上の茶園を紹介できた。

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北海道には意外とお茶好きが多い、という印象を受けた。店主のTさんも紅茶が好きでお店を始めたが、こじんまりした店舗が好ましい。冬の寒い時期に、家の中で飲む紅茶は暖かいだろうな。先日ロシアに行ったばかりなので、なぜ紅茶が好まれるのかは、何となく分る。

 

ランチ

セミナーが終わり、Kさんの車で会場を移動する途中、お昼ご飯を食べにいく。十勝豚丼、私が食べたかったものなので、いそいそと付いていくが、入り口を入ろうとすると、携帯が鳴る。何と先ほどの紅茶屋さん、Tさんからで、Kさんがお店に携帯を忘れたらしい。豚丼屋さんは、土曜日のせいか、混んでいたが、まずはランチを優先し、携帯は後で取りに行った。

 

ここの豚丼は確かに美味しかったが、初心者の私にはそのオーダーは難しかった。例えば『大盛』は肉がレギュラーサイズでご飯は大盛、また『ハーフ大盛』というのは、肉が半分で、ご飯はレギュラーサイズだというのだから、理解できない。驚きだ。お店側は様々なニーズに応えようと悪戦苦闘して付けたに違いなのだが、これでは何がなんだかわからない。

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まあ常連だけ来ればよいということかもしれないが、少なくともこのような日本的な細やかさは海外では理解されないだろう。いや、台湾や香港など一部では面白がられるかもしれないが、本当にお客のことを考えるならば、豚丼が美味しいだけに、もっとシンプルに、と言いたい。豚肉大好きの中国人にも紹介したいが、どうなんだろうか。

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昨日も打ち合わせで来た会場へ戻るが、まだ時間があったので散歩した。すぐ近くには中国人観光客が多いと言われた狸小路があり、また外国人が喜びそうな二条市場という海鮮市場があり、かに汁などがその場で食べられるようになっていた。美味しそうだったが、残念ながら腹は一杯だった。

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北海道を旅する2016(3)すすきののホテルはどこだ

4月1日(金)

翌朝は朝食がホテル代に付いていたので、早々に食べる。昨晩も食べ過ぎているので、和食中心に軽めにしてみた。大手新聞が無料で大量に置かれている。ホテルも色々とサービスに工夫を凝らしており、エアチケットのプリントなどができる機械も設置されていた。室蘭に中国人観光客がたくさん来るとの話はなかった(行くとしても登別温泉までらしい)が、中国語表記も随所にみられた。

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10時前のバスに乗るべく、駅の反対側にあるバス停に行く。実は勘違いがあり、予想より10分早くバスが来たが、いつもの癖でかなり早めに到着していたので、特に問題はなかった。札幌行のバスはやはり空いていた。そしてこのバスは昨日来た道を走り、その後新千歳には向かわずに、札幌市内に入った。札幌市内のどこで降りると予約したホテルに近いのかがわからず、ついに札幌駅まで来てしまった。この間、2時間20分、かなり早い。札幌市内には全く雪は見られず、また室蘭のような強い風もなく、生暖かい感じがした。

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3. 札幌

ホテルはどこだ

札幌駅に着くとすぐに、すすきのを目指した。予約したホテルは地下鉄東豊線「豊水すすきの」駅の下車となっていた。札幌駅内を端から端まで歩いてようやく東豊線のホームに辿り着く。今日は午後1時に札幌駅で約束があるのだが、まずは大きな荷物を預けたいと思い、宿へ向かう。

 

豊水すすきの駅で降り、地上に出るとすぐに目指すチェーンホテルの看板が見えた。もう時間がないので助かったと思い、急いでフロントに駆け込んだ。ところが名前を伝えても予約がないという。『お客様はどちらのホテルを予約されましたか?』と聞かれ、予約表を見ると、何とこのホテルは『札幌すすきの駅前』だったが、私が予約したのは『札幌すすきの駅西』だったのだ。しかもこの付近には更に『札幌すすきの』『札幌すすきの駅南』まであるというのだ。1つの地下鉄の駅の周辺に同じホテルのチェーン店が4つとは、まさに驚きだ。

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フロントに『特に予約サイトに4つもあるなんて書いてなかったけれど、お客がよく間違えないね』と言ってみると、『はい、よくお間違いになります』と平然と答えたので呆れてしまった。これに対する対策を何も取らないなんて、いくら近いと言ってもびっくりだ。そして『荷物だけ預けたいので、ここで預かってほしい。後で取りに来るから』と言ってみたが、勿論ダメだった。顧客サービスという概念はあるのだろうか。同じホテルチェーンの意味がない。

 

仕方なく急いで予約した宿へ行き、とにかく荷物を預けて、駅へ戻り、また札幌駅へ向かう。その慌ただしさと腹立たしさ。何とも言えない。更には札幌駅の待ち合わせ場所がさっき降りたバスターミナルの横にあり、またまた駅を端から端まで歩かなければならなかったことも、疲れを倍増させた。それでも何とか待ち合わせに間に合ったのでよかった。

 

ランチ

今日の昼は中国茶繋がりのSさんから札幌在住のYさんを紹介頂き、会うことになっていた。札幌駅からほど近い細長いビルの上でランチをした。かなりゆったりとした店だったが、Yさんが割引券を持っていたこともあり、格安でランチが食べられた。ホルジン定食なるものを注文したが、ホルモンとジンギスカンが混ざった料理で面白かった。さすが札幌。

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Yさんは以前新部記者だったが、5年前に北海道に移住、主にロシア関係の情報を発信し、研究をしているという。実は私が初めてロシアへ行くことになった3月に、数人の方が情報を寄せてくれ、その中にYさんもあったのだが、何と札幌在住だったので、お会いできないだろうと思っていたが、期せずして、このような機会が転がり込んできたのはご縁というものだ。

 

日本におけるロシア情報は非常に限られている。中国情報なら、良い悪いは別にして実にたくさん流れてくるのだが、ロシアウオッチャーは非常に少ない。これほどの大国でしかも隣国、なぜ日本ではロシアに対する関心が薄いのだろうか。北方領土だけではなく、ロシアそのものの動きは中国にも、そして勿論日本の政治経済にも大きな影響があると思うのだが。だからYさんが発信する情報は貴重だと思われ、更に一段進化した情報、例えば中国とロシアなど、多極的な情報を期待したい。

 

2時間も話し込んでしまい、お別れするのが名残惜しかったが、時間が来たので、ホテルへ戻る。もう正直戻りたくなかったが、これから3日間も泊まるのである。行かない訳にはいかない。部屋はカード式キーではなかった。部屋に入るとかなり広く、ベッドも二つある。どうやら、以前は観光用のホテルであったところを買収したものらしい。昔のホテルのにおいがある。だからこの付近に同じような名前のホテルが4つもあるわけだ。

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後で地元の人に聞いてみても、このホテルチェーンの評判は決して良くはない。どのような戦略でこんな買収をしたのだろうか。まあ、理解できるところでは、既存のホテルの非効率な経営が立ち行かなくなり、観光とビジネスの両方の需要を見込んだチェーン店の進出を許した、ということだろう。これが日本のホテル業界の現状、と言えるのかもしれない。ただこんなサービスレベルでは、とても経営が成り立つとは思えないのだが、どうだろうか。

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北海道を旅する2016(2)カレーラーメンを食べて室蘭散策

2. 室蘭
カレーラーメンを食べて室蘭へ

予約してもらったホテルに行ったが、勿論チェックインは午後3時から。取り敢えず荷物を預ける。まさかこんなに早く着くとは思っていなかったので、ランチの場所をフロントの女性に聞く。『室蘭はカレーラーメンが有名です』というので、スパイシーでない方と言われたところへ行ってみる。その店は駅のすぐ横にあったが、そこそこ広い店内は満席の盛況だった。

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まずはカレーラーメンを注文してから周囲を見ると、皆がそれを食べているわけではない。普通のラーメンもあり、焼きそばあり、定食もあるようだった。カレーラーメンは、カレーうどんのラーメン版という感じだったが、麺にこしがあり、非常に美味しかった。ただ滅茶苦茶熱くて、汗が噴き出した。どうやら冬に食べると体が温まるものらしい。横のおじさんがチャーシュー麺を食べていたが、次回はそちらにチャレンジしたいと思った。

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食べ終わるとお客さんが待っていたのですぐに店を出た。北海道はまだ寒いと思ってきたのだが、10度以上あるようで、また汗が噴き出した。東京と変わらない生暖かさだった。駅の反対側にバスターミナルがあり、札幌行のバスの時間を確認した。今日は年度末で、明日から時刻表が変わるらしい。聞きに来てよかった。

 

それから海でも見に行こうと歩き始めると、電話が鳴った。だが出ても声が聞こえない。Tさんからの電話だということが辛うじて分かったが、何度電話をもらってもどうしようもなかった。携帯が古すぎ、そろそろ変えなければならないことを示していた。すぐにTさんからショートメッセージが来た。ホテルのロビーにいるというのですぐに取って返した。元々2時前にホテルに着く予定だったが、あまりに早く着いたので、Tさんも急いで来てくれていたのだ。

 

彼とは東京の勉強会以来だから、1年ぶりだろうか。室蘭に転勤になったと聞いていたので、今回訪ねてみることにしたのだ。恐らくは北海道に行く人は多くても、敢えて室蘭に行く人はそうはいない。私も室蘭と言えば、新日鉄ぐらいしか思い浮かばなかったが、この機会にぜひ行ってみようと思った次第。Tさんと旧交を温めて、それから一緒に駅に向かった。

 

室蘭へ行く電車は1時間に一本しかない。なぜか彼が東室蘭に宿を取ったかはすぐにわかった。室蘭の中心は東室蘭であり、室蘭駅は何と夜は無人駅になるという。因みに東室蘭には自動改札はあったが、スイカなどは使えず、室蘭駅には自動改札すらなかった。これは結構衝撃だった。今や新幹線が北海道に上陸したというのに、一方でローカル駅は消えていく運命にあるのだろうか。

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このローカル線は僅か1両でやってきた。途中に新日鉄室蘭などの工場が見えた。そして母恋駅という、中国系の人が見たら感動するであろう名前の駅まであった。『母恋飯という駅弁が台湾人などに人気です』とTさんが説明してくれた。この名前を見れば駅弁も食べたくなるだろう。今は売り切れることが多いらしい。地球岬という名所はここから歩いて3㎞と聞き、断念した。

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室蘭散歩

そして室蘭駅でTさんと一度別れた。室蘭の街を散策する。駅前には港の文学館というレトロな建物があったが通り過ぎた。旧室蘭駅舎へ。100年以上前に建てられたこの駅舎は既に20年前に廃駅となっていた。ここには駅で昔使われたものなどが展示されていたが、また一応観光案内所も兼ねていた。だがお客はほとんどおらず、転寝するお爺さんがいただけだった。

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そのまま歩いていくと港が見えてくる。天気が良いので実にすっきりした風景、遠くには山々、近くには風力発電と古びた倉庫。風は強いが、気持ちの良い散歩となり、更に歩いてしまった。向こうの方に大きな橋が見えたが、そこまで行かないうちに疲れてきたので駅に戻る。

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駅前の商店街で写真を撮ろうとしたところ、何とカメラが壊れてしまった。実は数日前にPCが壊れて、慌てて買い直していたし、さっきは携帯電話で電話が取れなかった。私の茶旅はちょうど満5年を過ぎ、この北海道が今後5年の最初の旅だったが、前途多難というか、過去5年間の旅の激しさが一気に噴出したというか、何と大変なことになってしまった。

 

カメラが壊れても携帯で写真は撮れるのが、私は慣れていなかったし、それに疲れてしまったので、街歩きを打ち切り、電車で東室蘭へ帰る。北海道新幹線開業のポスターが張られていたが、函館までしか行かない新幹線をそう呼ぶのは如何なものかと、特にこの地に来て強く思う。帰りの電車は登別行の2両編成。1両増えただけでもホッとしてしまう。

 

駅前ホテルにチェックインして、部屋でまったりした。このホテルの周辺に高い建物はなく、実に眺めがよい。ゆっくりと夕日が落ちて行った。夜はTさんの計らいで、北京に30数年住んでいるAさんと、留学生支援をしているHさんにお付き合いいただき、地元料理を堪能した。室蘭に来て、昔の中国話で盛り上がるとは思いもよらないことだった。

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北海道を旅する2016(1)バスで東室蘭へ

《北海道を旅する2016》  2016年3月31日-4月4日

 

2013年6月、私は実質的に初めて北海道を訪れた。札幌と函館を回り、ちょっとだけ北海道気分に浸ったが勿論物足りなかった。もう一度行きたいな、とは思っていたが、何しろお茶畑がない。なかなか行くチャンスが掴めずにいたところ、突然Uさんから札幌の人を紹介され、お茶セミナー開催の話が持ち上がる。これは願ってもない機会だ、満を持して行こう!

 

だが、その直前には長く厳しいシベリア鉄道の旅を経験しており、疲れはピークに達していた。原稿の締め切りも厳しかった。そしてセミナー自体が2日間で4講座、それもすべて違う地域の話という、これまでにないハードな内容だった。それでも何としても行こうと思った。講座で使うお茶をスーツケース一杯に詰めた。北海道にはそれだけの魅力がある。

 

3月31日(木)

1. 室蘭まで

今回は日系大手航空会社で飛んでみた。実は奥さんがスカイコインなるものを持っていて、この期限が四月末に迫っており、何とか処理してほしいとの要望だったので、有り難く頂いた。それにしても高いな、チケット代。LCCなら成田に行かなければならない不便さはあるものの、恐らく3分の2の金額で十分に旅ができるだろう。

 

当日は羽田空港に到着したのは結構早かったのだが、一本前の新千歳行に乗せてくれることはなかった。『お客様のチケットは割引運賃ですので』ときっぱり言われて、うーんと思ってしまう。最近は中国でも席があっても追加料金を払わないと、早い便に変えることができなくなっていたが、今回はそんなに安いわけではなかったので、ちょっとビックリ。

 

まあ仕方がないのでゆっくりとネットでもしようかと思い、荷物検査を潜ったが、その後には、コンビニというものがなかった。朝ご飯も食べていなかったので、レストランなどを見てみても、皆どこも高い。朝からこんなに立派な食事をする身分ではないと思い、諦めた。が、一度食べられないとなると何とも食べたくなるのが人情というもの。

 

何と荷物検査に戻り、事情を話し、一度検査を取り消してもらい、1階下のコンビニへ行き、サンドイッチと飲み物を買って再度検査を潜った。日本は国内線ではペット飲料の持ち込みが自由なのは有り難い。それにしても羽田空港の荷物検査、丁寧なのは良いが、ちょっと度が過ぎるほどで、時間が相当掛かる。他国でもテロ対策や課税対策で時間が掛かるところがあるが、バックを横にするのに、一々お客に了解を取るのはどうなんだろうか。

 

機内に入ると、乗客の中には中国人、台湾人などが見られた。やはり北海道は人気スポットなのだろう。タイ語らしいものも聞こえてきて、何だか面白い空間になっていた。だが、驚いたのは機内放送。CAさんが日本語と英語で話した後、流れてきたテープ音は何と広東語だった。これは一体どういう意味だろうか。普通話や台湾語は流れず、ただ広東語だけが流れたのだ。

 

そんなに広東人や香港人が乗っているのだろうか。イースター休みだから?でもそれなら普通話も流すべきではなかろうか。いや、これは操作ミスなのだ、と思う。だがいくら国内線とは言っても一人も広東語と普通話の区別ができる乗員はいない、ということだろうか。私の頭の中はちょっとパニックになってしまった。ただ恐らくは日本人乗客も誰一人気付いていなかったのだろう。飛行機は順調に新千歳空港におり、何事もなかった。

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今日は札幌に向かわずに室蘭に行くことになっていた。空港から室蘭まで鉄道で行こうと考えていたが、バスで苫小牧へ出るルートもあるらしいことは分っていた。ただバスは乗り継ぎ時間がタイトで乗れないと思っていた。実際預け荷物が出てこなくて、かなり時間を食ってしまう。

 

ところが天は私を見捨てていなかった。取り敢えずバス会社のカウンターへ行ってみると『苫小牧行きではなく、室蘭行きがあと5分後に来ますよ』というではないか。何と一気に室蘭が近くなる。しかも料金は電車よりかなり安い。特急に乗るのと同じぐらいの時間で着いてしまう。北海道の交通はやはりバスなんだな、としみじみ思う。

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バスは降りるときの便宜のためか、荷物を一番前の座席に置き、出発した。乗客は多くはない。悠々と座る。まずは田舎道を行き、高速道路で苫小牧を目指す。何とも早い。まだ少し雪が残る大自然を行く。それでもつい先日シベリアを経験しているので、何とも優しい風景に見える。そして雪解けの道はぐちゃぐちゃではないか、と心配になる。

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苫小牧からは高速道路を使わず、各駅停車のように国道沿いを行く。登別温泉あたりを一周して、室蘭に入ったのは、わずか1時間20分後。普通電車で行けば、今頃まだ苫小牧だったかな。そして東室蘭駅で降りた。室蘭駅もあるのになぜ東室蘭?今回は北京でご一緒したTさんがここの駅前のホテルを予約してくれていた。駅はかなり立派だった。

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タイ人と行く高野山2015(6)奥の院で朝のお勤め

こちらの宿は宿坊ではなく、また突然お願いした関係もあり、夕飯は出ない。この件でも和尚が大活躍してくれた。高野山で10名以上の夕飯を食べに行ける場所はそれほど多くはないため、自炊することも検討した。だが食材の調達に橋本の街まで行かなければならないなど困難なことが多かった。結局伝手を辿って、無理を言って、弁当を作ってもらうことができた。

 

大広間に弁当を広げて皆で有難く頂いた。ただタイ人たちは少々日本料理に飽きてきていた。間食のし過ぎもあるだろうか。女性ということもあり、弁当の量が多いということもあった。そして1₋2人は遂に日本のカップ麺を食べ始めた。タイでも日本のインスタントヌードルは大人気、袋めんの麺だけを使い、独自のスープと合わせて食べることもバンコックでは普通に行われている。

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勿論タイではトムヤンクン味などが有名だが、果たして日本のカップ麺はどうだろうか。恐らくは彼らにはスパイスが効いておらず、味が淡泊ではなかっただろうか。それでも疲れた胃にはよかったのかもしれない。そういえば昨日スーパーに立ち寄った時に真っ先に彼女らが買っていたのが、このカップ麺だった。今日のコンビニでは気が付かなかったが、更に仕入れていたに違いない。ただ彼女らは日本語が読めないため、味の種類などは分からず、写真や絵を見て買ったのだろう。自分の思った味と違ったという反応もかなりあった。日本でコンビニに英語表記は今後なされるだろうか。これは意外とハードルが高そうな課題だ。因みにタイではファミマは英語とタイ語の併記、セブンイレブンはタイ語のみである。そして黒門市場で買って来た桃を皆で食べた。2個、1000円、とても美味しかった。

 

それから皆で順番にお風呂に入り、2階の広間で歓談した。Wi-Fiが繋がる場所が広間に限られていたので、自然と人が集まってきた。実はこの広間、私の今夜の寝床である。この広間の横では、ここの和尚様が中国人と台湾人に非常に熱心に何か講義をしていた。彼らは日本語が自由に出来るわけではなかったが、それでも習いたいと押しかけてきたらしい。高野山では中国人がやって来て、唐の時代の密教を学びたい、ということもあったようだ。日本には様々な資源が残っているが、それを我々日本人が知らないという悲しい現実がある。ここは外国人の力を借りて、日本を見つめ直す、ディスカバージャパンを行う必要がある。

 

この広間で1つの発見があった。サポートのために長野から車で駆けつけたSさん。ちょっと話をしていると、何と私の小学校時代の1年先輩だということが分かった。これまでインドにも一緒に行ったのだが、個人的な話はあまりしなかったのか、今回突然発覚してお互いひどく驚いた。世間とは狭いものである。実は私は先日青山のスリランカ紅茶のお店に行く途中、偶然にも陸橋の上から数十年ぶりに母校をチラリと見たのだ。これも茶縁だろう。

 

5月19日(火)

朝のお勤め

高野山最終日。今朝は5時に起きて、奥の院の朝のお勤めに参加した。前日明王院に泊まった彼女たち、朝のお勤めには6人中3人しか参加しなかったという。今日は5人が参加した。奥の院の力だろうか。まだバスも走っていない雨の中、傘を差して歩いて向かう。既に明るくなっている奥の院、雨に濡れて一層鮮やかになっているようだ。灯籠堂に参内すると既に読経が静々と響いていた。端の方に座り、目を瞑る。このお勤めは、弘法大師が今も生きて毎日修行しているとされ、御廟に食事を提供する、という意味合いがあると聞く。

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お勤めが終わると、ゆっくり散策しながら帰途に着く。朝ごはんもないので、道すがら開いていた和菓子屋さんに入り、好きな餅などを買い、店内で食べた。食べているとほうじ茶も出てくる。こんなお店が朝から開いているのはとても嬉しい。特にアジア人にとっては、朝から甘い物を食べるのも問題はない。餅やお団子は1つ百数十円で、日本茶も味わってもらえる。おばさんは簡単な英語を話していたので、外国人の利用はかなり多いのだろう。

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そして宿に戻り、荷物を纏める。実は急なことながら、タイ人一行とはここで別れ、私は小学校の先輩Sさんの車で、奈良へ向かうことになった。何とも不思議なご縁がこの先も待っている。ひとまず高野山の旅は実に呆気なく、幕を閉じた。次回来る時は一度宿坊にも泊まってみよう。

タイ人と行く高野山2015(5)奥の院

奥の院へ

タイ人は実にゆっくり歩いて行く。だから色々な景色に気が付く。途中で清浄心院という、実にきれいな樹木、小川、古い建物を供えたお寺があった。前回も見とれてしまった記憶があるが、今回はタイ人たちが足を止め、盛んにシャッターを切る。どうしてこんな鮮やかな庭の手入れができるのだろうか。これもお坊さんが修行でやっているのだろうか。日本で外国人が驚くのは、何気ない場所に行き届いた手入れが見られるところではなかろうか。

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奥の院の入り口、一の橋に到達した。ちょうど天が暗くなり、小雨が降りだした。高い杉木立、深い樹木と古い供養塔、何とも幽玄な雰囲気が我々一行に襲い掛かる。和尚は一生懸命に奥の院について説明しているが、タイ人はどれほど理解しただろう。日本人の我々でも奥の院の存在、何十万にも及ぶ供養塔の数、そして織田信長や豊臣秀吉、武田信玄など歴史上の数々の有名人の墓所、パナソニックの松下家など、当代功成り名を成した人々の墓が、一堂に会している様子は不思議としか言いようがない。『ここが日本仏教の総本山だから』と説明されても、理解は難しい。

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まず手水舎で手を洗い、口を漱ぐ。日本の作法を教えられ、タイ人も挑む。傘を差しながらもカメラは放さない。道は必ずしも平たんではなく、また雨で滑りやすい。かなりゆっくり歩くことになる。タイ人は一般的に速くあることは好きではない。ゆっくり歩き、自分の気に入った場所で止まっては、その場に浸る。この辺は日本人のように決められた時間を守って観光することはない。どこでもみな楽しそうに参観しているのは、羨ましいほどだ。

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上座仏教のタイでは、華人などを除き、一般人にはお墓はない。遺体は荼毘に付し、遺骨は川に流してしまう、とも聞いた。これは輪廻転生、魂は生まれ変わるもの、遺体は使い終わった物という考えから来ているのだろう。ここ奥の院にある無数の墓の中を歩き、しかもその墓が数百年の歴史を持つ、苔むした古い物であれば、ある意味それは驚きではなかろうか。この独特の雰囲気、どのように感じただろう。『素晴らしい!』という声は何度も聞いたが、その本当の感想を是非とも知りたいと思ったが、彼らも英語では説明できないのかもしれない。

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一番奥まで約2㎞、ついに弘法大師御廟の近くに着いた。橋の前で服装を正し、礼拝、脱帽して橋を渡る。ここから先は写真撮影も禁止だ。天皇家や宮家の供養塔が見える。燈籠堂に参内すると、張り詰めた緊張感がある。タイ人たちもここでは静かに祈りを捧げ、願いをタイ語で書いて奉納していた。更には灯籠堂裏手にある御廟前では、日本人と同じように蝋燭に灯をともして差し、花を買って捧げている。このあたりの習慣は、日タイほぼ同じであると言ってよい。団体でお参りに来た日本人の横で一緒に祈っている姿は実に好ましい。

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そのまま灯籠堂を回っていき、左から降りていくのだが、砂利が敷き詰められたきれいなお庭を見た彼女らは、そこを歩き始めた。『そこは立ち入り禁止だ』という和尚の声で、ワッーと戻ってくる。欧米人なども知らずに入ってしまう。何らかの表示がないと、外国人には分からないだろう。いや日本人の若い女性も全く気にせず歩いているのだから、外国人だけの問題ではない。

 

お茶が飲みたいというので、お茶のお給仕がある休憩所へ向かう。だが5時で閉館とかで、まだ5時前なのに、お茶は終了したという。では休憩だけでも、というと、『いつまで居るの?』という眼差しを向けられる。このような対応は大変残念であると言わざるを得ない。何も特別のことをして欲しいという訳ではないが、折角いいお参りができたのだから、温かい言葉の一つもあればよいのに、と思う。タイならこのようなケースはどうなのだろうか。まあどこでもそうだが、人によるのだろう。人にはそれぞれ事情というものがあるのだから。

 

雨が止んでいたので、帰りは奥の院の正門の方へ向かう。こちらには有名な白アリ供養塔やロケット型の供養塔などユニークなものがいくつもあり、楽しい。タイ人に説明すると目を白黒させて、驚いた様子だった。既に夕方、あたりは徐々に暗くなっていく。疲れたのでバスで戻ることにした。バスが来るのを待っていると、観光客のおじさんがタイ人に何か食べ物を差し出した。これに感激したタイ人は自分の持っていた飴をお返ししていた。言葉もほぼ通じない中、心の交流が図られている光景は何とも嬉しい。この辺がタイ人のいいところだ。

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緊急の宿

実は彼女たちは明王院に2泊する予定であったが、なぜか手違いがあり、1泊しか出来なくなっていた。直前に判明したこの事実、大慌てで和尚が宿の確保に奔走してくれた。この混雑の中、突然10名もの宿泊を受け入れてくれるところはなく、最終的に和尚の知り合いで、宿坊などはやっていないが、広い宿泊スペースのあるお寺に特別に泊めてもらうことになった。私も和尚の家からここに移ることになる。

 

荷物は明王院からSさんの車で既に運ばれていた。部屋は何室もあり、皆が集う大広間もあった。全国のお寺関係者など知り合いのみを泊めているとのことだったが、実は台湾人と中国人もここの和尚に師事するため、滞在していた。我々は偶然にも素晴らしい宿に泊まる光栄に浴した。これも全て和尚のお陰だ。有難い。

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