「日本」カテゴリーアーカイブ

福島の旅2025(5)西那須野でお屋敷を回る

何が食べたいか聞かれたので「地元の人が普通に食べている物」とリクエストしていたところ、何と彼の行きつけのスナックのママが、サンマ塩焼きなどのご飯を作ってくれていた。これはこれでかなりの驚きであり、しかも二人とも酒も飲まずにずっと昔話をして話し込んでいる。その内お客さんが来てカラオケを歌い出すと、Mは政治の話などを始めて、我々は益々世俗と離れていく。結局5時間近くも話して車で送ってもらい、宿に戻ったのは10時頃だった。

9月6日(土)西那須野でお屋敷を回る

朝はさわやかに目覚める。やはり古い知り合いと話していると、話題はどうあれ、なんだか楽しい。朝飯は宿に付いていたので食べてみる。この宿1泊4000円ぐらいなので期待していなかったが、ちゃんとしたご飯が出てきてビックリ。カレーまで食べてしまい、満腹となる。

爽やかな朝、迎えが来るまで時間があったので、駅の向こう側にある大山公園付近を散策する。4年前に来た時は、大山巌、捨松について調べていて行ってみたが、今回はただの散歩。この付近には乃木希典も滞在しており、那須の御用邸もあって、実はここは明治の有名人の別荘などが多くある。

Mにお願いして、その明治の有名人たちの足跡を追うことにした。彼はずっとここに住んでいるが、それほど詳しくはないという。まずは那須野が原博物館へ向かう。ここには那須疎水の跡が見られ、先日の安積疎水との関連に思いを馳せる。因みに日本三大疎水はこの2つと琵琶湖らしい。館内には那須の歴史が展示されており、小学生の時に習う矢板武などの懐かしい名が出てくる(因みに私が栃木に転校したのは小学校高学年なので栃木の歴史は学んだことがない)。

次に千本松牧場へ行く。天気の良い週末、家族連れなどで賑わっていたが、私の目当ては松方別邸。松方正義の別荘が残っているとのことだったが、何と松方邸はこの牧場からは見えず?現在は見学不可になっているとのことで、残念ながら通り過ぎてしまう。日露戦争時に皇太子(後の大正天皇)が滞在中に、遼陽会戦に勝利して万歳したことから、萬歳閣とも呼ばれているという。

そして明治の森記念館へ。ここは明治の外交官、青木周蔵の別荘が残っていた。きちんとした見学ができ、かなり詳細な展示物があり、勉強になる。青木はドイツ一辺倒の外交官、と書かれているのが面白い。娘もドイツ人と結婚、子孫には外交官になって活躍した人もいるが、あまり世に知られる存在ではないだろう。

昼前に板室へ行く。ここは湯治場として知られる場所で、温泉宿が何軒か見られたが、今やかなり寂しい。勿論夏の暑い中、わざわざ湯治に来る人などいないだろうから、今はオフシーズンだとは思うのだが、それにしても人が歩いていない。それでも人気のそば屋があり、そこだけ車が停まっていた。我々もそこへ駆け込み、炊き込みご飯とそばを頂く。旨い。

午後は矢板の方へ向かい、田んぼと山に囲まれた田舎にある、山形有朋記念館へ行く。こんなところに人が来るのかという場所だが、雰囲気のいい洋館が見える。内部もかなり古いが、いい展示も沢山ある。この建物は小田原の別荘をここに移築したらしい。ただ内部の写真撮影禁止なのは残念だ。更に入場料が700円は高いと思っていると、管理人さんがコーヒーをご馳走してくれ、「市の補助などが無いので」と説明してくれる。まあ色々あって運営は大変だろう。

そこから40分ほどでJR宇都宮駅まで送ってもらった。今回Mには大変お世話になってしまった。何とも有難い。ここから湘南新宿ラインで2時間ちょっと行くと新宿まで行ける。新幹線に乗るには大宮か東京駅まで行かなければならないので、コスパを考えてもこの路線が一番合理的だ。またいつかこんなフラフラ旅をしよう。

福島の旅2025(4)福島から西那須野へ

仕方なく次の電車で福島まで戻る。駅に立ち食いそば屋があったので入ってみたが、何だかちょっと?外では手ごろな弁当などを売っていたが、中で天丼セットを注文した。量が多く、料金もそれなりだが、少し味気なかった。立ち食いとは書いてあったが、一種のファーストフードのような店だった。

午後は疲れてしまい、休息を取ることにした。最近は数日ずっと歩き続ける体力が無くなっていたので、仕方がない。夜は検索してやはり東口にある定食屋を訪れたが、お目当てのホルモン定食はなく、残念。まあ代わりに食べたロース味噌定食がまあまあでよかったが、ワンオペ店でせわしない。味噌汁が福島で初めてしょっぱいと感じられた。

9月5日(金)西那須野へ

台風接近の予報が出ていたが、上陸したのは四国か関西方面でこんな遠くにまでさすがに影響はなかった。最近のテレビの天気予報は騒ぎ過ぎではないか。それでも朝方は少し雨が降っており、道路が濡れている。福島では朝ラーメンを食べると検索で出たので行ってみることにしたが、雨が止むのを待っていたら、昼前になってしまった。駅東口近くのラーメン屋へ行くと午前11時でかなりお客さんがいた。ラーメン炒飯セットを注文する。ラーメンには大きな肉が入っており、スープは優しい。炒飯は町中華の味で美味しかった。

ランチ終了後時間が余ったので、バスに乗って古関裕而記念館に行く。ところがバス停でどのバスに乗ってよいか全く分からず、地元の親切な人の手助けで何とか乗れた。バスは岩谷観音の方へ向かうというので、まずはそちらへ行ってみた。だがかなり急な階段を上らねばならず、しかも階段は雨で濡れており、最近膝が痛い私には断念するしかなかった。

古関裕而記念館へ向かおうとスマホで位置を検索したが、何とスマホが動かない。いや地図アプリが開けない。こんなところでスマホが使えなくなると非常に困る。まごまごしている内に、何とか記念館にやってきたが、バス停の場所も気になってしまい、とにかくバスで福島駅へ戻る選択をして、見学を諦めた。バスはかなりの本数があり、思ったより早く駅に戻れたので見学すればよかったと後悔。しかも駅に来るとスマホは完全に回復しており、何だったのかと理解に苦しむ。

午後は福島から先日来た路線を戻り、西那須野に向かった。2日前は郡山で下車してから福島へ向かったが、今日の電車は新白河行きで郡山で乗り換える必要はなかった。が、実際は郡山で結構な時間停まっているだけで、乗り換えても変わらなかった。本当は新白河で降りて、白河城でも見ようかと思っていたが、コインロッカーもないようだったので、そのまま黒磯行きに乗り換える。

西那須野駅に来るのは4年ぶりだが、何となく変わっていた。2階の改札に人影はなく、切符を持っていてもそのまま出られてしまった。歩道橋を越えるとそこに予約したホテルがあり、とても便利だった。ただこのホテル、かなり年季が入っており、テレビを点けても点かない。それでもフロントに伝えるとちゃんと直してくれて親切。何だか田舎の有り難たみを感じる。

午後5時半には45年来の旧友Mが迎えに来てくれた。彼とも4年ぶりに会う。前回は彼が当時勤めていた病院の脇のホテルに泊まったが、今回は駅近くで彼の家も近いので良いと思ったのに、「俺も酒は飲まない」と言って車を運転する。結局病院からほど近い住宅街に車は入っていく。

福島の旅2025(3)飯坂温泉へ

県庁横に川が流れており、ここが大仏城の城跡だった。河野広中の像が立っていた。県庁の敷地は再開発エリアと聞いたので、いつまでこのままかは分からないが、ちょっといい雰囲気で、和む。更に川沿いに南に行くと、御倉邸という昭和初期の和風建築の屋敷があった。旧日本銀行福島支店長役宅として、20年前までは使われていたらしい。この日はオタク系のイベントとして半分使われていたのが何とも面白い。

何となく駅前まで戻ると、そこには芭蕉と曽良の像が立っている。奥の細道、当然ここも通っているだろうが、あまり記憶がない。更に行くと、古関裕二関連の展示がある。朝ドラ「エール」で盛り上がったのだろうか。東口から西口へ抜けるのは地下道を通ることも分かり、何とかホテルの方へ舞い戻った。

9月4日(木)福島で

朝はゆっくり目覚めたが腹が減る。朝飯が食べられるところを検索したら、やはり東口だったので、地下道を通っていく。10分以上歩く。途中の居酒屋に大波三兄弟と書かれた星取表がかかっていた。確かにここは若隆景や若元春の地元だった。ちょっとした飲み屋街らしいところへ出ると、何とその中にスナックがあり、そこで朝ご飯が出てきた。ママがご飯とみそ汁をよそい、ハムエッグを焼いてくれた。台風の進路が気になり、二人で天気予報に見入る、不思議な朝だった。夜勤のお医者さんが来てご飯を食べてちょっと一杯飲むらしい。

それから一度宿まで戻り、10時過ぎにチェックアウト。今日は飯坂温泉へ行ってみることにして、福島交通飯坂線に乗るために再び駅へ。この路線も古そうで、2両列車がホームに待っていた。チケットはSuicaで買えたが、買い方はちょっと分かり難かった。意外と乗客がいたので驚いたが、30分ほど乗って飯坂温泉に着いた時には、もうそれほど残っていなかった。

駅を出ると、古びたいい感じの街があった。横には川が流れている。少し上り坂を行くと「芭蕉と曽良 入浴の地」と書かれた碑があり、足湯が供えられていた。ただ平日の昼間であり、殆ど人は歩いていない。その先には有名な鯖湖湯という名の銭湯があった。そこには「飯坂温泉発祥之地」とあり、芭蕉がこの湯に浸かったともある。いい感じの木造建築は平成になって再現されたものらしい。湯に入りたかったが、出てきた人が団扇を仰ぎながら、暑い、暑いと言っていたので止めてしまった。

更に歩くと、旧堀切邸がある。敷地はかなり広い。江戸時代は庄屋格、そして金融業や酒作りなどの商売でも成功して財を成し、明治以降も街のために尽力した家と説明されている。この家が町の中心という感じだろう。そこから神社などを見て駅の方へ戻ると公園があり、そこには城跡古舘と書かれている。飯坂氏の城だったとあるが、何とちょうどいま再放送している大河ドラマ「独眼龍政宗」で猫御前と呼ばれた政宗の愛妾(役:秋吉久美子)の出身家、彼女は飯坂局と呼ばれていたことを思い出す。何だか急に大河ドラマが身近になってくる。更に駅の方まで下って行くと、「伊達」や「茂庭」などの地名が書かれており、伊達家がここにあるように思われた。

さすがにちょっと歩いて疲れたので、帰る電車に乗る。昼間は乗客も少なく、何ともローカル感が漲る。折角なので福島駅の前で下車し、県立図書館へ行ってみることにした。美術館図書館前という分かりやすい駅で降りて、指示通りに進む。美術館の方ではジブリ展をやっており、平日でもそこそこお客さんが来ているが、図書館の方は全く人を見かけない。入口に行ってビックリ、何と休館日だった。

福島の旅2025(2)郡山から福島へ

その近くに図書館があったが、なんと今月一カ月は情報システム交換などで休館と出ている。その先の歴史情報博物館は開いていてよかった。ここの展示を見て、郡山は奥州街道の宿場町として栄え、東北における地理的重要性などを学ぶ。勿論ここでも安積開拓は重要な歴史だった。

この近くには立派な建物、郡山公会堂が建っている。更に歩くと21世紀記念公園があり、その中に日東紡の記念碑があった。安積疎水を利用して作られた郡山絹糸紡績を引継いだ会社らしい。今はかなり穏やかな街に見えるが戦前はどうだっただろうか。そんなことを考えながら、時々見られる古い建屋に思いを馳せる。

宿に帰り、夕飯を考えた。地元食堂を探すと、三松という名前が駅前にあると出たので行ってみた。夕方五時過ぎだったが、既にお客で満員盛況。おじさんたちが飲み始める中、若い女性が一人で定食を食べているなど、地元色が強い食堂で、何しろメニューが多い。私は三松定食を注文。久しぶりにエビフライやハンバーグなどを食べて満足する。

9月3日(水)福島へ

翌朝起きると雨が降った跡があり、かなり涼しくなっていてよかった。朝ご飯は駅の立ち食いそばにしようと出掛ける。エキナカの店だが、改札内外どちらでも食べられるのが良い。私は朝から肉そばを注文して精を付ける。何だか働いている女性たちが優しくてまた良い。

腹ごなしに駅を通り越して反対側へ出てみたが、ホテルなどはちょっとあるだけで、特に何もなかった。また元へ戻り、駅付近のバス停からバスに乗ったが、同じような路線が多くて混乱の挙句、違う方面へ行くバスに乗ってしまう。仕方ないので、適当なところで降りて、後は歩くことにした。

約1.5m行くと、福島県尋常中学校(現安積歴史博物館)まで来た。だが昨日の案内所の人が言った通り、完全な改修工事中で中を見ることは出来ず、外の一部の写真を撮って退去する。そこからまた2㎞ほど歩くと郡山開成館という建物があるはずだったが、ここは完全改修中で、その姿を見ることすらできなかった。

近所の稲荷神社にちょっと寄って、広々した公園を散策してからまたバスで駅まで戻り、昼ごはんはネット検索した食堂を訪ねた。何だかかなり混んでおり、老夫婦2人でてんてこ舞いしていた。若者も多く来ており、ほぼカツカレーを頼んでいたが、そのご飯の量が半端なく、全員がかなりのご飯を残していた。中にはカツすら残している人もいて、これはインスタ狙いだと分かる。

ご主人に「半かつ丼」はないかと聞くとあるというので、注文したが、やはり出てきたかつ丼はカツが完全にどんぶりからはみ出しており、どこが半分だ、という量だった。米の値が高いこのご時世にこんな無駄なコメの使い方はあるか、と思いながら。ご飯を半分残してしまった。田舎は全体的に量が多いのだが、ここは少しやり過ぎで、定食のご飯もどんぶりにかなりの量が入ってくる。さすがに苦しい。

郡山駅からJRの在来線に乗り、福島駅まで行く。僅か40分ほどの旅ですぐに着いてしまった。この区間はスイカも使える。駅の西側のホテルを予約したが、観光案内所でもらった地図を見ると、東側に城跡があったようだった。だが、東側へ行くにはどうするのか、よく分からない。エキナカを通ることは出来るのか。地図アプリで出てきたのは駅の南側を迂回するルートで結局それが早かった。

福島の旅2025(1)郡山で安積疎水

《福島の旅2025》  2025年9月2₋6日

暑い、暑い東京に1か月以上も居座っていた。だが連日の35度越え、もう限界だった。どこでもいいから数日旅をしようと思った。ふと思いついたのが福島。東日本大震災発生からもうすぐ15年、通過することはあっても、滞在したのは会津若松ぐらいだった。まあ今回の主目的は移動することだから、目的地のアテは特にない。

9月2日(火)郡山へ

朝起きて何となく家を出て電車に乗る。新宿駅で湘南新宿ラインに乗ろうとしたが、電車が遅れているらしく、動いていない。ちょうど隣の埼京線が発車するので飛び乗る。本来は宇都宮まで直通の予定だったが、大宮止まりなのでどうするか。ネット検索すると赤羽で乗り換えないと(大宮でなく)宇都宮行き列車に遅れてしまうので、赤羽で急いで降りた。

赤羽でやってきた列車は小金井行だった。小金井が宇都宮の先だとなぜか思い込んでそれに乗ったが、小金井は小山の次の駅だったので、小山駅で再度乗り換えて宇都宮まで辿り着く。栃木で育ったのに、小金井の場所も忘れてしまっていたなんて、ちょっとショックだった。

ちょうど昼になっていた。昼過ぎになると黒磯以降方面行き列車が極端に少なくなるので、きちんと時間を管理して乗らないといけない。40分後に黒磯行きがあったので、宇都宮駅でランチを食べることにした。駅のホームに立ち食いそばがあったのを思い出したが、何と昨年閉店したとの張り紙があった。地方の立ち食いは危機的状況にある。

駅構内には食事できる場所はほぼないので、一度改札を出て、駅ビル内で餃子を食べた。焼き餃子一皿とご飯とみそ汁、漬物。まさに典型的な日本食だった。宇都宮はギョウザの街と言われるが、あまりにも店が多過ぎてどれが美味しいのかよく分からなくなっている。周囲の客はなぜか佐野ラーメンを食べている。佐野の近くで育ったが、一度も食べたことはない。そういえば佐野も足利も観光に行ったことすらほぼない。

黒磯より先Suicaは使えないので、まずは切符を買う必要がある。何とも面倒だが時間に余裕があるので苦にならない。宇都宮から宇都宮線で黒磯まで50分、そこからホームが変わるのでエレベーターに乗って移動。この辺までは意外と乗客が多い。25分乗ると新白河駅に着き、新幹線に乗らない人は、そのままホーム前方へ行くと電車が停まっており、それに乗り換える仕組み。最後はまた40分ほど揺られて郡山駅に着いた。

郡山駅は5年前、会津へ行く時乗り換えた。その際新幹線から在来線の乗り換えが上手くできずに、悩んだ思い出があるが、今回は切符を買ってあるからすんなりと出られた。まずは観光案内所へ向かい、周辺の地図を入手する。郡山で見るべきところを全く知らずに来ていたので、係の女性に「歴史的な場所」と問うとちょっと離れた2つの建物を教えてくれたが、どちらも改修中らしい。

まず駅付近に予約した宿に荷物を置いて、すぐに外へ出た。暑い東京と比べれば、風が優しく吹いていて、かなり暑さは和らいでいる。これなら歩けるな、と調子に乗り、歴史情報博物館を目指した。少し上りになり、その付近まで来ると雰囲気の良い公園があった。池があり、木々が茂って、きれいな日本庭園のようだ。何だか文化的な街だなと思って公園を歩いていると、そこに安積疎水関連の表示が見えた。

安積疎水といえば、明治の初めに大久保利通などが関わった一大事業だと思い出す。それは郡山だったのか。猪苗代湖から水を引くこの一大開拓は1882年に完成し、その時この公園でお祭り騒ぎをしたらしい。麗山の飛瀑という名称で、一部再現されているが、今はポンプの故障で滝は見られない。

山形・新潟旅2024(6)高崎経由で東京へ

そこから宿の方へ戻り、午後は図書館で調べ物をしようと思ったが、何と休館日。酒田もそうだが、とにかく休館日が全国余りにバラバラなので、何とかしてもらいたい気持ちになる(酒田の恨みあり?)。事前に検索してから行け、というお言葉ももらったが、研究者でもない私の旅からしてそういうのは似合わない、と思う。

一旦宿に帰って疲れを癒す。今晩は何を食べようかと考えたが、何だかフラフラともう一度バスターミナルへ行ってしまい、今日はイカ天そばの気分で食べる。よく分からないが、何だかこれでスッキリした。もう思い残すことはない。そして夜はダラダラして、いつのまにか寝る。

7月13日(土)高崎経由で東京へ

今日は高崎にでも泊まろうかと考えていたが、東京へ帰ることにした。三連休に入り、何だか宿も高い。取り敢えずチェックアウト時間ギリギリまで部屋でダラダラしていた。それから近所にある会津八一記念館に向かった。お知り合いのI先生がFBでここの特別展示についてアップしており、是非見に行きたいと思っていた。

ビルの5階はひっそりしていた。入場料を払い『(富岡)鉄斎・八一の文人世界』という展示を見た。両者とも名前だけは知っているが、実はよくは知らない。先日早稲田で会津八一記念館を見学したばかりだったので、何となくご縁を感じた部分がある。それにしても富岡鉄斎、もう少しきちんと見ておくべきだった。私は以前煎茶道など文人茶について簡単に調べたことはあるが、頼山陽や田能村竹田など幕末には目が行ったが、明治以降は見ていなかった。いい物を見学した。I先生、有り難い。

それから荷物を引き取り駅へ行く。新潟から新幹線で東京まで帰れば楽だが、それではつまらない。と言って各駅停車だと高崎まで行くにも2回乗り換えて5時間近くかかってしまう。仕方なく高崎まで新幹線で行き、その先は湘南新宿ラインで帰ることにした。新幹線は前日予約しており、新潟駅からスムーズに乗車。1時間ほど窓の外を眺めていると、いつの間にか高崎に着いてしまった。

そこで立ち食いそばを食べようとキョロキョロすると、何と店はホームにはなく(以前はあったと思うが)、新幹線と在来線の改札を跨いで営業していた。どちらからでも入れる。肉そばを頬張ったが、特に特徴はない。駅構内にはぐんまちゃんや高崎ダルマが置かれており、こちらは地域色が出ていた。

そこから湘南新宿ラインに乗るが、何だか始発なのに遅れている。確かこの路線、遅れが目立つ。それでも何とか発車して、無事新宿まで戻ってきた。家に夕飯はないようなので、午後4時台に駅近くのそば屋に入った。ここは先日久しぶりに食べて美味しいと感じたので再訪したのだが、何と中国人観光客とみられるグループが荷物を席に置き、食べ終わっても退かないなど、他人の迷惑を考えない行動をしていた。

店員もあきれ顔。食べるスペースがない私は、既に買ってあった券を思わず『キャンセル』した。そして駅に戻り、駅地下の10割そば屋に入ってみる。こちらも気になっていたのだが、初めて入る。午後4時台でもやはり混んでいるが、なんとか席を確保。ここのそばは美味い。怪我の功名というのだろうか。ここ2₋3日ずっとそばを食べ続けていたそば旅はここで終了した。

山形・新潟旅2024(5)バスターミナルで立ち食いそばとカレー

今日のアパホテルはかなりでっかい。リゾートと名が付けられており、有料ながらプールやジムなどが併設されていた。大浴場は無料で入れてとても気持ちが良い。実は周囲にアポホテルは3軒あるが、ここは他と差別化しており、団体客などを多く入れている。企業研修などでも使われているようで、フロントも大きい。

取り敢えず外へ出た。宿から直ぐ近くにある万代バスターミナルへ向かう。今回新潟に寄ったのは、ここで立ち食いそばとカレーを食べることだけが目的だった。バスターミナルは簡単に見つかると思っていたが、意外と手間取った。そしてようやく中に入っていくと、既にカレーのいいにおいがしてくる。

券売機まで行き、何を食べようか迷っていると(実はカレーとそばのセットはあると思っていたらなかった)、後ろに何人も並んできたので、順番を譲り考えた。しかし考え付かずに、ついにカレーとかき揚げそばを注文する。既に大勢の人が立って食べており、なんとか場所を確保する。

カレーは黄色くて甘口かと見えたが、食べた後少し辛さが来るとてもいい感じ。そばは順当に旨い。それにしても、これを両方食べている人などいない。多くはカレーだけを食べている(まだ午後5時だからおやつ替わりか)。私は部活帰りの高校生並みの食べ方をしており、食べ終わる頃には、腹がはち切れそうだった。まあ、かなり満足して去る。

そのまま駅前まで歩くと、途中に居酒屋や食堂が一杯あった。中には9年前に連れてきてもらったヘギそば屋も見付けた。ここでも食べたい衝動にかられたが、私は既に満足しており、コンビニでドリンクを買っていそいそと宿に帰り、テレビを見ながら夢見心地となった。

7月12日(金)新潟散歩

朝はゆっくりと起動する。雨もないようなので、散歩に出ると気持ちが良い。川を渡り、古町を歩く。この辺、古い建物がいくつもあり、また歴史的な場所にもなっていて興味深い。新潟大神宮には坂口安吾生誕碑などもある。この辺から急に日本海が見たくなり、護国神社に向かう。

神社周辺を一回りすると、海が見えてきた。特に海水浴など出来そうな場所でもなく、人影もない。なぜだかこんな海が見たかった。そこから少し入ると記念碑や像などがいくつかあった。興味深いのは、ここ新潟は元々長岡藩領だったが、幕末に幕府直轄領になっていたこと。この辺の真相はどうなのか。初代新潟奉行、川村修就は海防に務めたと書かれており、異国船対策などを担っていたようだ。

ふと思い立ち、新潟歴史博物館まで歩いてみた。かなりの距離があり、途中には古民家が見られた。博物館自体は頑丈な建物で、新潟の港をにらんでいる。『淳足柵』という言葉が妙に心に引っかかる。新潟県令楠本正隆という名前も久しぶりに出てきた。やはりたまには博物館に来ないと思い出せない歴史がある。

何故か9年前に渡った佐渡が恋しくなり、フェリー乗り場まで行ってみたくなる。対岸に見えるのだが、歩くと30分近くかかる。何とか歩きぬくとそこには食堂がある。そして9年前に気になっていたブリかつ丼があるはずだったが、そのメニューは既に無くなっていてガッカリ。仕方なく食べたタレかつ丼とざるそばのセット、意外とおいしい。横はフェリーの乗船場。佐渡へもう一度行きたくなる。

山形・新潟旅2024(4)鶴岡を散歩する

7月11日(木)鶴岡から新潟へ

翌朝起きてみると天気が良かった。昨晩の大盛りのお陰で食欲もなく、ただ歩きだした。鶴ケ岡城を目指す。鶴岡は歩きやすい、穏やかな街だった。商店街には三井家の蔵座敷が残されていた。街中にはきれいな庭を持つ寺社などもあったが、とりわけ目を引いたのが、教会だった。

1903年にフランス人神父により建てられたらしい。このカトリック教会を建てたのは日本人大工だという。完全な和洋折衷で、教会内に入ると、ステンドグラスなど洋風教会のそれに、畳が敷かれていて面白い。入口の門は武家屋敷のそれであり、横には現在幼稚園が併設されている。

更に歩くと、西郷隆盛碑がある。戊辰戦争で最後まで抵抗した庄内藩に寛大な措置を取ったと言われる西郷。庄内の人々はその対応に感激して西郷を師と仰ぎ、鹿児島まで教えを請いに行ったらしい。まあ各地に残る西郷伝説の一つかもしれないが、こういう話が庄内にはよく似合っている。

庄内藩校致道館に行く。ここは資料館のようになっており、庄内藩関連の歴史的展示が多い。徳川四天王の一人、酒井忠次の流れを汲む庄内藩は江戸時代も異彩を放っており、幕府から国替えを命じられても、領民がそれを阻止した。幕末庄内藩の英雄、酒井玄番や先ほどの西郷の話も展示されている。官軍黒田清隆に藩主がここで降伏したという部屋もある。

鶴ケ岡城跡には、庄内神社、藤沢周平記念館、大宝館などが残されている。この大宝館では、鶴岡ゆかりの人物についての展示があり、興味深い。致道博物館も城脇にあり、その偽洋風建物が目立っている。天気が良いので足がどんどん進む。午前中かけて鶴岡の旧市街地を歩き疲れる。

駅まで戻り、昼ご飯を食べようと思ったが、ラーメン屋ぐらいしか見つからない。地方都市は郊外に車で食べに行くので、駅前は本当に寂しい。そんな中、小さな食事処を見付ける。入ってみると狭い店内は地元民で溢れていた。ここが憩いの場という感じだ。刺身定食を頼むと分厚いさしみがやってきて嬉しい。なんだか味噌汁がやけに美味い。

駅で乗車券を買って、時間に余裕があったので各停に乗り込む。少し進むと日本海が見えてくる。今日は天気が良いのでのどかな風景だが、冬の海の荒い日などは大変な風景になるのだろう。途中までいた乗客はほぼ降りてしまい、寂しい車内でただただ外を見て過ごす。

1時間半ほどで終点の村上に着く。すでに新潟県に入っている。村上も9年前に来たきりで、降りてみたい衝動にかられたが、何となく新潟を目指して先に進んでしまった。村上茶は商業上は日本北限茶であるし、その歴史も興味深い。今度は高校生の下校時間と重なり、人が増えている。ふと窓の外を見ると、三幸製菓の工場があった。私はここのせんべいが好きでいつも食べているのだが、確か工場では不幸な事故があったはずだ。

1時間20分ほど電車に揺られた。新潟が近づくにつれて乗客が増えていく。そして新潟駅で降りると大都会に来たような気分になる。開業120周年で現在工事中の駅前から今日予約した宿を探したら、大通りの向こうの方に既に見えている。だが歩くとなかなか辿り着かない。おまけに歩道橋を使うなど、荷物が多い人間にはちょっと苦痛。

山形・新潟旅2024(3)酒田から鶴岡へ

雨は止んでいたので街散歩に出た。図書館を探していると、お寺があった。何気なく入るとそこに『徳尼公廟』と書かれており、中に『三十六人衆之碑』があった。何と奥州平泉を頼朝が征服した際、藤原秀衡の妹?がお供と共にここに流れ着いたとある。泉流寺とはそういうことか。

その横に酒田市文化資料館の建物があった。色々な展示物もあるようだったが、折角なので本間家と茶というテーマで資料はないか、聞いてみたが、残念ながら見いだせなかった。本当に本間家を研究している人はいないのだろうか。本間家の資料などを保存している光丘文庫もここにあると書かれているのだが。北前船と茶、というのでも、何も出て来ない。

ランチの時間になった。適当にホルモンと書かれた店に飛び込んだら、まさかの満員御礼。店主がワンオペで手が回らず、多くがセルフサービスの店。でもさすが日本人、皆きれいに片付けて帰っていく。私はご飯を自分でよそおうとしたが、何と蓋が開けられず、後ろのおばさんに笑われる。もつ煮込み、かなり濃厚。皆鉄板焼きを食べているよ。

駅前まで戻ると電車の時間までちょうど1時間。駅前にあるミライニという施設の中に図書館があるので、そこで時間をつぶそうかと思ったら、まさかの休館日。ちょうど観光案内所があったので、近所の穴場を聞いたところ案内されたのが、清亀園という邸宅。ここまで駅から徒歩10分。

何とも優雅な庭園だったが、誰もいない、まさに穴場。古い建物も残っている週末だけ一般公開があるのか、ひっそりしている。この周辺は古い地区らしく、お寺などもちょっと面白い。ちょうど1時間でよい散策が出来て良かった。Google検索では出て来ないよな、こういう場所。

駅には羽越本線100周年と書かれていた。開運で栄えた街に鉄道が通るには随分と時間が掛かったらしい。2両列車に乗り込むと、田んぼが広がっている。車内も何だか広々としていて、乗客は少ない。僅か30分で鶴岡に到着する。駅前は閑散としていて、寂しい。取り敢えず駅前ホテルに投宿する。

それから隣のビルにあった観光案内所で地図を貰い、説明を受ける。羽黒山も有名だが、今回は行かないこととして、今日は近場だけ回ることにした。やはりいつ雨に見舞われるか分からないので仕方がない。ちょっと歩きだすと、昔の商店街が見えるが、残念ながら開いている店は多くない。『おくりびと』という映画はここが舞台だったか。

日枝神社まで来ると芭蕉の句碑があった。奥の細道は、先日大垣を訪ねたばかりだったのでちょっと新鮮。そのまま釣られるように、芭蕉が船に乗った内川の乗り場や逗留した長山重行宅跡へも行ってみる。今や何もない場所に記念碑が建っているだけだが、もう一度奥の細道を読み返そうと思う。藤沢周平ゆかりの地という看板もある。

夕方腹が減ったので、もう一度外出する。検索しておいた近くの定食屋へ行こうとすると、何と道を渡る中で、車と接触してしまう。幸いほぼスピードが出ていなかったので、驚いただけだったが、もっと驚いたのは運転していた若い女性だったかもしれない。お爺ちゃん、危ないよ。

何とその定食屋は水曜日定休だった。Googleにはそんなこと書いてなかった、と言ってみ仕方がない。こわごわもう一度検索すると、ここから徒歩10分のところに評判の良さそうな店が見付かり、歩き出す(よく考えてみれば宿から反対側なので帰りが大変だ)。着いた店の名は『定食家』だった。

もつ煮込みが名物らしいが、昼も食べたばかりなので断念して定番かつ丼へ。味噌汁はお替り自由らしい。しかし出てきたかつ丼を見て驚いた。これは通常の1.5倍以上はありそうだ。もう味噌汁のお替りなど考えずに、ひたすら掻き込んだ。味は悪くなかった。そういえば田舎で800円といえば、確かにボリューム満点と考えるべきだった。帰りは歩いて20分だったが、腹が重くて歩行が緩やかで困る。まあこれなら車に轢かれることはない。

山形・新潟旅2024(2)本間美術館

休憩後、夕飯をどうするか悩む。雨は強く降っている。近くのラーメン屋に駆け込もうかと考えたが、一応検索してみると、『とんや』という店名が目に入る。外へ出るとなんと雨は奇跡的に止んでいたので、その店に向かったら、何とそこは平田牧場の本社だった。平田牧場といえば、前回山形市に行った際、駅ビルの店舗で600円のとんかつ定食(タイムセールで半額)を食べ、その品質に感じ入っていた。なぜ私がこんなところに宿を取ったのか、が何となくわかった気がする。

店舗内は広々しており、お客は雨のせいか多くはなかった。メニューを貰うと創業60周年とある。酒田代表する有名企業なのだ。ロースカツとランプカツのセットが400円引きになっているので思わず注文する。さすが創業60年、とろけるようないいお味だった。帰りも雨には降られなかった。よし!

7月10日(水)酒田から鶴岡へ

あれから一晩中、雨が降ったらしい。そして今朝も雨だ。朝食は宿に付いているのでそれを食べて雨が止むのを待ってみたが無理だった。10時にチェックアウトとなり、タクシーを呼んでもらった。女性のドライバーさんだったが、『夏はお客さんが多くて忙しい』などと言っている。

途中で川を渡ったが、雨でかなり増水している。溢れたりしないかと聞いてみると『50年ぐらい住んでいるけど、溢れたことはない』ときっぱり言われた(ところが後日の大雨の時、NHKのニュースでこの川が氾濫している様子が映し出されてビックリ)。駅に着いて料金を払うと、領収書と一緒にティッシュをくれた。地元タクシーのいい所かな。

取り敢えず駅に入り、荷物を預けようとコインロッカーに近寄ると、支払いは交通系ICカードのみ、と書かれている。随分進んでいるなと感心していたが、何と電車に乗るにはICカードは使えず、切符を購入しろというから驚いた。駅員に聞いたら『私もおかしいと思うんですよね』と言いながら、そそくさと立ち去る。まあ、ロッカーが切符より早く進化してしまったということか。

外を見ると何と雨が止んでいる。急いで歩いて本間美術館へ向かう。実は昨日の本間家で『必ず行くべし』と言われ、共通券を購入していたので、行かなければならない。6分ほど歩くと入口があった。ここは美術館というよりは、本間家別邸といった方が分かりやすいのではないか。

美術館へ入って声を掛けると、『雨が降りそうですから、庭から先に見たらどうですか?』と傘を渡された。こういう対応は実に好ましい。その庭というのが、かなりの庭園で、敷地も広いし、手入れも素晴らしい。鶴舞園という200年以上前に作られた庭で、最初は藩主の休息場として作ったというから本間家は凄い。

その向こうの方には、清遠閣という見栄えの良い木造建築が建っている。その横には茶室もある。清遠閣には様々な展示があったが、2階に登ってみると、その大きな座敷から庭が眺められるのがよい。実はここで30分もの間、ただただ庭を眺めていた。こんなに落ち着ける空間があっただろうか。松尾芭蕉関連の展示にも興味を引かれる。

雨が降り出したので美術館の見学に切り替えた。ちょうど『本間家と茶道』の特別展示をやっており、天目茶碗をはじめとして、お宝所蔵品が多く展示されている。ここにも本間家の財力を見る思いだ。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とはよく言ったものだ。