関釜フェリーで行く韓国2023(6)戦争記念館へ

ようやくタッカンマリの店に到着した。この付近にはタッカンマリ屋が数軒、そして旨そうな臓物屋まである。入口の女性に日本語で声を掛けられて入店。店内はほぼ満員御礼の盛況。8年前はここに一人で入ったのか、我ながら度胸あるな。早々に鶏鍋が運ばれてきて、はさみで鶏肉が切り分けられる。ここのスープは実に旨い。林さんも黙ってずっとスープを啜っていた。満足の証だな。

帰りも地下鉄に乗るが、途中の乗り換えが全く分からず焦る。慣れれば平気なのだろうが、ソウルの地下鉄もかなり複雑で困る(東京で電車に乗る外国人に気持ちが痛いほど分かる)。乗り違えると大変な方向に行きそうで怖い。林さんが物おじせず、韓国人にルートを尋ねているが、彼らさえも混乱している。思い出したのが、電車の切符は交通カード(Suicaのようなもの)を買えばよかったのだ。今頃遅い。何とか宿へ帰り着く。

3月30日(木)ソウルをぶらぶら

朝8時前にロビーへ行く。林さんが上海に行くため、飛行場へ向かう。我々観光客はタクシー予約が難しいが、フロントの若者が自分のアプリで予約してくれた。実はこのホテル、朝のフロントサービスは無いのだが、特別にやってくれていた。林さん、荷物が多いので助かったはずだ。

彼女を見送り、私は散歩に出た。今朝は幸州山城を目指す。ここは駅の向こう側にあるのだが、駅を通り抜け出来ず、かなりの遠回りとなる。最後は登り坂を何とか登って城跡まで着く。ただ開場は9時からで早過ぎたのだが、何故か開けてくれたので中へ入る。今は公園となっており、入り口付近に権慄将軍の像がある。

この城は朝鮮の役に際して、1593年2月に権慄が立てこもり、日本軍と対峙した場所だった。日本側は小西行長を筆頭に石田三成、黒田長政、宇喜多秀家らも参戦したらしい。ただ朝鮮側はすぐに撤退したという。この戦いに坊さんや婦女子も参加したとされている。現在は緑の多い、実に静かな良い所だ。時間があまりなかったので、途中で引き返す。

10時前に宿を引き払い、荷物を持ってソウル駅に向かった。ところがまたまた電車で迷う。一本早い電車に乗ると、それはソウル駅には行かないらしいと分かり、急遽途中で降りて、何とか難を逃れ、ソウル駅まで辿り着く。1925年に建てられたソウル駅は実に立派な姿を今日も見せている。

まずは荷物をコインロッカーに預ける。だがその方法が分からない。すると後ろにいた黒人男性が丁寧に英語で教えてくれて助かった。でもなぜかドアがちゃんとしまっていないようにも思えて心配する。そのまま駅から歩き出す。地下鉄2駅分歩いて、戦争記念館だった。ここで70年前の戦役について、もう一度勉強する。

朝鮮戦争では、勿論朝鮮人に多大な犠牲者が出ているが、実は各国軍にも被害は出ていた。アジア系ではフィリピンやインド、そしてタイの犠牲者がいた。トルコもかなり多い。イスタンブールに行った時、韓国とは戦友だ、と言われたのを思い出す。尚当然日本人は出てこないが、本当は何人の方が亡くなったのだろうか。

この記念館は非常に広い。建物も大きい。そして古代から行われてきた戦争について多く展示されていて、勉強になる。白村江も朝鮮の役も、そして近代の朝鮮併合に関する歴史も韓国側の視点で克明に出て来る。勿論朝鮮戦争についてはかなりのスペースが割かれており、詳細な内容が語られている。その展示をじっと見つめている軍服姿の若者が非常に心に残った。外には戦闘機などの展示もある。

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