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東マレーシア散歩2016(10)私も含めてコタバルは休む

6.    コタバル
ロッジ

そのロッジは中国語名が書かれていたが、英語名はクリスタルロッジ、とても感じがよかった。1108mrでハリラヤにも拘らず、問題なく泊まれた。部屋は非常にコンパクトで清潔、申し分ない。お湯を沸かすポットもあるし、窓もある。テレビでサッカーも見られた。

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何となく夕暮れが見たくて、ロッジから外へ出る。すぐ近くに川があり、雲に覆われた夕日が微かに輝いて動いていた。しばし休憩した。それから街へ行こうかと思ったが、時計台を見たところで止めた。疲れていたので、簡単にご飯を食べて帰ることにした。まだ体調がよいは言えず、また中華食堂へ。

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麺を茹でている女性に『麺』と言ったが、通じなかったらしい。奥にいた中華系オーナーに言い直し、具沢山の麺が出てきた。これもまたウマし。何だか力が抜けてほっとした。食後にお茶を頼むと、やはり暖かい黒茶が出てきた。JBでもコタバルでも暖かい茶は黒茶なのだ。宿に帰り、イングランドプレミア・リーグ、マンチェスターダービーを見て寝る。

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911日(日)
コタバル散歩も

翌朝は早く起きた。昨日は宿でもバスでも寝すぎてしまった。もうそれなりの歳なので、あまりたくさんは寝られない。ホテル代に朝食が含まれているので、最上階に行ってみる。今日も天気が良い。パンとお粥を食べて満足。ここも屋上の屋外で食べられるようになっているのは良いが、暑い!

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今日一日しかないので、コタバル博物館へ向かう。ここは太平洋戦争勃発時に、日本軍が上陸した場所。いわゆる銀輪部隊が有名なので、その辺の歴史について、どのように展示されているのか見てみたい、というのが今回のコタバル行の目的だった。フロントでもらった地図を見ながら進んだが、なかなか博物館は見付からない。その内、なぜか腹が痛くなる。まずはトイレを探す羽目になった。

 

大きなモスクはあったが、ここのトイレは使ってよいか分らず、少し戻って、織物展示場のような場所で用を足した。まだ朝早く、ようやく観光バスが到着したところ。場内には誰もいなかった。驚いたことに博物館はいくつかあったが、役所、学校共に全て休館となっていた。これもハリラヤのお陰だ。自分がマレーシアの休日を確認しなかったことを残念に思いながら、いつものように『今回は呼ばれてなかったな』と感じる。

 

日本軍憲兵隊本部が、戦争博物館になっていた。戦後は銀行になり、ギャラリーになり、最近になって戦争関連の展示が行われるようになったとある。見られないと思うと余計見たくなるのが心理だが、次回があればきっとみられるだろう。日本統治下のコタバルは一体どうなっていたのだろうか。

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川沿いに出た。税関の建物が立派だ。空は限りなく青い。その割には風があり、暑さは感じられない。ただ疲れた。帰りがけに、バスターミナルに寄り、明日早朝の空港行バスを確認する。係員は確かに『午前7時から1時間に一本はある』と言ったので、安心して、部屋に帰って休む。ホテルでタクシー料金を聞くと『通常は35mrだが、明日はハリラヤだから2倍だ』と言われ、凹む。全てがハリラヤなのだ。

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因みに街中を歩いていると、漢字の看板が目立ち、華人が多いことがよくわかる。タイとのゲートにもなっているコタバルはやはり交通の要所、交易の中心地であり、華人が多く商売をしていた。市場ではハリラヤに備えて、マレー人が買い出しに訪れごった返していた。明日は飛行機に乗るので体調を調整するため、食事も控え、外出も控えて万全の態勢で臨む。

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912日(月)
コタバルを離れる

夜明け前に起きる。今日は飛行機でKLに飛び、乗り継いで羽田へ行く。コタバル発のフライトは930分だが、空港行バスは7時なので、6時半過ぎにはチェックアウトして荷物を引いてターミナルへ行く。だが、そこにはバスの姿はなかった。係員に空港行バスを聞くと『ああ、今日はハリラヤだから午前10時からだ』とぬけぬけという。ハリラヤだって飛行機は飛ぶのだ、しかも昨日あれだけ確認しているのに、などと愚痴っても何もならない。

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仕方なくあたりを見渡すと、ハリラヤにも拘らず、タクシーがいた。聞くと30mrで行くという。何だ、それなら最初からこれでよかったのだ。運ちゃんも陽気。ガソリンスタンドに入るも、休み。『ハリラヤだからな』と大声で笑う。そう、全てはハリラヤさ。空港にはすぐに着いてしまい、当然早過ぎてチェックインも出来ない。外に出て朝日を拝む。

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ようやくチェックインして、搭乗口に行くと、何と一本前のKL行きすらまだ搭乗していない。何ともしようがない。食事も控えているので、ただボーっと過ごす。フライトは飛び立つとすぐにKLに着いてしまう。ここで国際線乗り継ぎを通過。まだ3時間もあった。広々と居心地の良いLCCターミナルでゆっくり過ごす。

 

羽田行の搭乗口に向かうと、なぜかそこかしこで日本語が聞こえてくる。こんな状況はマレーシアに来て以来はじめてだった。まあ、考えてみればKL-羽田便だ。日本人が乗っていてもおかしくはないのだが、最近日本人観光客を見る機会も少ないので、ちょっと新鮮。

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搭乗したものの、フライトは1時間遅れ、羽田に着いた時には午後11時半。新宿までは行けるが京王線の終電は既にない。奥さんから『渋谷から深夜バスに乗れ』と指令があり、午前1時発のバスで最寄り駅に30分後に到着。無事帰宅。今回は最後までバスだった。

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東マレーシア散歩2016(9)祈りのために停まるバス

99日(金)
腰痛で

翌朝は腰痛で起きる。これは結構辛い。昨日のバスでの無理な姿勢、食事のとり方の誤り、冷たい物のとり過ぎなど、いくつもの要因が考えられるが、今は考えるより、まずは痛みを緩和することが重要だ。薬局の場所を聞き、ダラダラ歩いて行ってみる。今日は金曜日で且つハリラヤ、しかも朝から薬局が開いているか心配だったが、それは杞憂に終わる。薬局は基本的に華人系が開いているからだ。華人にはハリラヤは無関係、且つ働き者だ。

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ただ店員はマレー人で、湿布を買うのは身振り手振り、腰ぶり!まあ昨年タイでも買ったタイガーバームの湿布薬が目に入り、一安心。これを貼っていればいずれは直る。ただ今日は安静にしていなければならない。まあハリラヤだし、休みでよいかと宿へ帰る。そして湿布して横になっていた。

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チェックアウトは1時ということで、それまで安静にしていた。そして時間になると荷物を下ろしてもらい、なぜか今日のチェックインをここで行い、車で搬送された。若い女性スタッフが対応してくれたが、荷物もちゃんと運んでくれ、大いに助かる。ただ系列店は狭い入口から入り、2階に部屋だけが確保されていて、他は何もない。掃除をする人以外スタッフもいない。部屋は狭く、窓もない。まあ、寝ているだけでいいか。

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しかし昨日の状況を考えると、もしお粥などを食べるなら、今行かないと夜は店が閉まっている。そう思い、無理して起き上がり、またチャイナタウンへ向かう。前の宿より少し遠くなったが、何とか歩けた。探していた粥は意外と簡単に見つかった。しかもかなりおしゃれなラテアートのような模様が描かれている。面白い。

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食べ終わるとフラフラ帰る。今度の宿の裏にはモスクがあり、ちょっとそこへ寄る。ちょうど祈りの大音響が拡声器から聞こえてきた。マレー人が中へ入っていく。イスラム教徒以外は入ることができない。外からゆっくり眺めるのみ。そしてまた宿で休む。因みに夜のモスクはきれいに輝いていた。

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夜までベッドにいたが、余り寝ているだけでも腰にはよくない。日が暮れた後なら暑くないので、散歩に出た。今日はハリラヤの金曜日、ということで、近くの公園で夜市が開かれているというので行ってみた。だがそこは台湾の夜市のような賑やかさはなく、閑散としたイメージだった。当然食べられそうなものはなく、早々に退散した。面白かったのは、ポテトを串刺しにして揚げるチップ。そして得体のしれない飲み物の数々。

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結局腹は刺激を受け、何かは食べようと、またまたチャイナタウンに向かう。鍋焼きうどんのようなものがあり、それを注文する。熱々の鍋、ビーフンのような麺が入っており、海鮮の具もまたよい。ついつい美味しく頂いてしまう。このようなものが大体5mrぐらいで食べられるのはなんとも嬉しい。それにしてもトレンガヌというマレー人の街で、チャイナタウンなしでは生きられなかった私、どうなんだろうか。

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910日(土)
コタバルへ

窓がない部屋で寝るのは、実はよく眠れるものだ。朝が来たことも気が付かず、騒音もなく、快適な睡眠を得た。湿布のお陰か、腰も少し良くなっている。今日はバスで移動があるのだから、気を付けねばならない。クッキーを少し食べ、買ってきたマレーシアのボーティーのティーバッグで紅茶を淹れて飲む。

 

午後1時にチェックアウトだったが、スタッフもいないので、誰も何も言ってこない。それをよいことに1時半頃までうだうだする。更には鍵を返しに元の宿へ行き、フロント脇で涼みながらPCをした。出発時刻を少し過ぎた頃、バスはターミナルへやってきて、乗り込む。すぐに眠りに就き、2時間後にバスが停まるまでそのままだった。やはり疲れているのだろうか。

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バスが停まったところで、人々がゆるゆると降りていく。私もトイレについていく。なんだか不思議な建物だなとは思ったが、若者の後ろに従うと、途中で男女が分れた。トレイが両脇にあると思い、男子についていくと、彼は何と靴を脱ぎだした。さすがマレー人はきれい好き、いや足が汚れるのか。ハッと思った。ここはトイレではない。彼らは礼拝に行くのだった。

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私はすごすごと靴を履き、トイレを探すと別の場所にあった。子供だけがトイレにいた。大人は全て祈っていたのだ。バスに戻ったが、礼拝に行った人はなかなか戻らない。ここがモスクだとは分ったが、ちょうど礼拝の時間だったから休憩したのだろうか。それともハリラヤだから特別だったのか。運転手もマレー人。30分経っても一人いなかった。運転手も人数は数えたが探しに行くことはなかった。そして文句をいう人もいなかった。戻ってきた若い女性も『すみません』というでもなく、静かに席に着き、バスは走り出した。これが宗教というものだろう。

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それから2時間以上経ったがなかなかコタバルには着かなかった。腰が少し痛いな、と思い始めた頃、ようやく街に入る。バスターミナルで降りたが、どこに宿があるのか分らない。ナイトマーケットの準備が進んでいた。今晩はお祭りなのだろう。フラフラ彷徨っていると、向こうの方に漢字の看板が見えた。中華系ホテルへ向かったが、ふと横を見ると、雰囲気のよさそうなホテルが見えたので、そちらへ入る。

東マレーシア散歩2016(8)学生にもまれながらトレンガヌへ

実はこのバスはここが始発であり、すでに車体は来ていたのだが、ギリギリまで乗車できない。しかも行先はコタバル。これならそのままトレンガヌまで乗せてくれてもよいのだが、『満席だ』とにべもない。実際乗り込むと空席もあり、なぜ?という思いが募る。まあ、いい加減なバスのこと、ドゥーンまで行けば何とかなるだろうとたかを括る。

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バスは見慣れた道を走っていく。途中一度ガソリンスタンドでトイレ休憩をして、2時間でドゥーンのターミナルに着いた。やはり私はここで降りなければならなかった。なぜなら大勢の学生がバスに乗り込んできたからだ。ハリラヤとは、学校が1週間休みになり、普段は寄宿生活をしている子供たちが里帰りする時だと分かった。

 

しかしここからどうすればよいのだろうか。地元のおじさんが、どこへ行くんだ、と声を掛けてきた。トレンガヌ、と答えると、タクシーかバスかというので、ローカルバスと答えると、タクシーは速いぞ、という。このおじさん、タクシー運転手か客引きかと思ったが、ただの親切な人で、バスが来たら教えてくれるという。その間、別のおじさんたちも色々と話しかけてきて面白かった。

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このターミナルには相変わらず、学生が大勢いた。バスに乗れずに待っている子もいたのだろうか。私が乗るローカルバスは建物の反対側から出るのだが、バスが来た途端、ものすごい数の学生が、バスに乗り込み、あっという間に席が埋まってしまった。私は重い荷物を抱えて立っていくことになる。車内はギューギュー詰めで、身動きもできない。体調が悪い上に姿勢もよくなく、じきに腰痛になる。

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1時間ぐらい乗っていると、幸い席が空いたので、ようやく腰を落ち着けた。それでも荷物は通路にはみ出し、邪魔になっているので申し訳ない。まあ若者が多いので、あまり気にしていないようだったが。そして偶に乗客が乗り込んでくる。単なるローカルバス。計2時間乗っていると、何とかトレンガヌへ到着した。いや、疲れた。

 

5.    トレンガヌ
チャイナタウン

バスターミナルで次の切符、コタバル行を聞いてみる。やはり明日のチケットはなかった。明後日の午後にならないとここを脱出することは叶わない。人々は口々に『ハリラヤだから』と口にする。イスラムでも最大のお祭りらしい。これは全ての口実になる。さて心配なのは、宿だろう。果たして泊まれるのか。

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ターミナルから周囲を見渡すと、手頃なホテルが見えたので行ってみた。フロントの女性も親切、部屋もすぐに取れたので安心した。88mrで、結構広い部屋、快適そうだった。既に時間は午後3時、少し腹が減っていたが、体調が悪いので、お粥などが食べたかった。フロントの女性が『それならチャイナタウンね』と言って、場所を教えてくれた。

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この街の雰囲気は完全にマレーだった。周囲にモスクも見えるし、歩いている人の顔もマレー人が多かった。そんな中にチャイナタウンがあるのか。歩いて5分位ですぐに見つかったその街は、きれいに整備されており、ちょっとした観光スポットになっていた。漢字の看板が並ぶが、マレーシアの国旗も棚引く、これがマレーシアで暮らす中華系の配慮だろうか。

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店はご飯時ではないので、暇そうだった。粥や麺を売る店は既に店仕舞いで、食べることはできなかった。歩いていると、美味しそうな鴨があったので、鴨飯を食する。ついでに冷たいコーラなど、飲んでしまったのは、よほど暑かったからだろうか。ただこれがいけなかった。完全に腹を下す。これは疲れた体に冷たいものを入れたせいだろう。全く自業自得だ。

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それから海沿いを歩いて見る。大きな市場があり、その向こうに海、いや、海にそそぐ大きな川が広がっていた。この辺で貿易が行われていたのだろう。今はフルーツを売る店が並ぶだけ。帰りに街に入ると、なぜかNagoyaという名の店があった。これは服のチェーン店だというが、どうして名古屋という名を付けたのだろうか。因みにイスラム服を売る店も多数あるのだが、ヒジャブを展示するマネキンがあまりにリアルでドン引きしてしまう。

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日差しは強くないが暑くて疲れる。これは体調不良のせいだろう。汗が異常に出る。部屋に戻り、ゆっくり休む。そして明日もここを動けないのでフロントに延泊を申し出たのだが『明日は満室です』というつれない答え。困った顔をしていると『実は系列店に1部屋だけ空きがある。部屋は狭くなり、窓もなく、料金も上がるがそれでよければ』という。それでよい訳はないが、何だか疲れてしまい、『そこは近いのか。荷物が重いので困るな』というと『荷物はスタッフが運びます』というので、95mrのその部屋を押さえた。

 

夜までゆっくり休む。今日はもう外へは出ないと決めていたが、やはり何となく腹が減る。近くのレストランはマレー系ばかりなので、必然脚はチャイナタウンへ向かう。粥のある店を探したがやはりなく、仕方なく、麺を注文する。鶏肉麺と中国語で注文したのだが、出てきたものは、麺と蒸し鶏。この鳥がうまくて、また食べてしまい、症状を悪化させた。何をしているんだか。

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東マレーシア散歩2016(7)あっという間のクワンタン

7.    クアンタン
市内へ

バスは2時間ちょっとでクアンタンのバスターミナルに着いた。だがここは高速道路の脇に新しくできたもので、市内までは結構遠いらしい。インド人の女性は『市内まではタクシーで10mrだけどマレー語ができないとね』と言いながらサッサと行ってしまった。この辺がインド人らしい。

 

かなり大きなバスターミナル。白人カップルはすぐさまチケット売り場でKL行バスを探している。やはりここは泊まる場所ではなく、通過する街なのである。私はタクシー乗り場を探して、市内まで、と言ってみる。回答は『25mr』。インド人が言っていた10mrとは2倍以上の開きがある。15mrでどうだ、と言っても誰一人取り合ってくれない。ここでは完全な談合が出来上がっている。『マレー語が少しでもできれば違うんだけどね』と言った彼女の言葉がのしかかる。これも一つのブミプトラ政策だろうか。

 

おじさんの一人がそんなに金がないならバスで行け、と言ったように聞こえた。そうかバスがあるのか。それならバスで行こう。だがバスはどこから出るのだろうか。ようやく見つけたバスは長距離が出る、その一番端にあった。タクシーに配慮して、案内も出ていない。外国人はタクシーに金を落とせ、ということだろう。バスは僅か2mrだから。

 

少し待っているとバスが来た。きれいなバスだが、荷物を置く所などないので、立って荷物を支えていく。バスはマレー人で満員だった。30分もかからずに、市内のバスターミナルに着いた。まずは宿を探すが、適当なところがなく、歩く。大きな通りに出ると、ちょうど角に88mrという表示があった。外観もきれいそうだったので、そこにしようと行ってみたが、その部屋は既に満室で128mrになってしまう。

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それなら仕方ないと、一旦外へ出て別のホテルを探したが、結局良いものに巡り合えず、ここに戻ってきてチェックインする。フロントの女性は普通に英語を話すマレー人。『ほら、言った通りでしょう』という顔をしていた。部屋は古かったが、まあ快適だ。因みに彼女は英語が話せたが、翌朝の男性は全く英語が出来なかった。この辺からマレー人の街に入ったことを実感する。

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腹が減った。外は既に夕やみに包まれている。ふらふら歩いていると、中華食堂があり、思わず入る。おじさんが勢いよく鍋を動かしている。いい匂いがする。なぜだか、とても辛い物が食べたくなり、辛い炒め物を頼む。これがまた激ウマ!どんどん口に入ってしまったのだが、その後冷たいジュースを飲み、一息つくと、何だか腹がひりひりした。疲れている時に、辛い物を腹に入れるのは良くない。そしてつめたい飲み物を入れるのはさらに良くない。この原則を完全に破ってしまった。そして体調不良に陥り、夜は静かに寝る。

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98日(木)
圧倒されるモスク

翌朝は早めに起きた。クアンタンは見る所がないと言っても、街歩きすらしないで去るのは何とも惜しい。そこで朝の散歩だけをして、それからバスに乗ろうと思った。外はすでに明るくなり、日が登り始めている。マレー人の街ながら、やはりどうしても目立つのは華人の家。海南会館など、華人が建てた同郷会がいくつか見える。

 

車が殆ど走っていない大きな道を更に進んでいくと、海?河?に出た。朝の散歩が清々しい場所。その裏にはやはり華人のショップハウスが軒を並べ、往時の海上貿易などを仕切っていた様子が伺われるが、今はひっそりとした暮らしが見えてくる。栄えたのは今から何年前だろうか。

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見上げると他を圧倒する、そして何とも優美なモスクが見えてきた。スルタンアフメッド1世モスク。遠くから見えたその姿は、実に美しく、朝日を浴びて輝いていた。近づいてみると、凛とした雰囲気が立ち込め、朝の祈りを捧げる人たちがいた。私は場違いだと思い、すぐにそこを離れ、再び遠くからモスクを拝む。

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ホテルに戻り、朝食を食べる。昨晩体に異変があったので、あまり食べる気がなかったのだが、食堂へ行くと、スタッフが冷たいジュースを出してくれたので、トーストと一緒に飲む。朝は暖かいものにすればよかったのだが、言葉が通じない悲しさ。これで完全に調子を崩した。

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バスがない

チェックアウトして、昨日のバスターミナルから郊外行きのバスに乗り、大型ターミナルに着いた。そして2階に上がり、バスチケットを買う。ところが『トレンガヌ行は売り切れだよ』となんとも意外な返事。そして『恐らくどこへ行っても買えないと思うよ』とダメを押されてしまった。これは一体どうしたことだ。係員はカレンダーを指さし、『ハリラヤだから』とだけ告げる。

 

私はハリラヤに意味も分らず、途方に暮れる。気を取り直して、他のブースを回るが、悉く首が横に振られた。だが最後に来たブースでは『トレンガヌまではないが、途中のドゥーンまでなら買える。そこでローカルバスに乗り換えれば行けるよ』というので、藁をもつかむ思いで、チケットを買う。バスの発車まで1時間ほどあり、しばし休息。

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フラフラしているとタバコを吸っているおじさんに話し掛けられた。KLに住むマレー人だが、今日どうしてもコタバルに行く必要があり、チケットがなく困っていた。話していると電話が入り、友人が車で送ってくれるという。私も一緒にどうか、という雰囲気だったが、既にチケットを買ったこと告げるとそれ以上の話はなかった。もしこの時この車に乗ってくれば楽だっただろうか。それともこれは新手の白タクだったのだろうか。

東マレーシア散歩2016(6)ティオマンからクアンタンへ

小降りになったところで歩き出し、もう行き慣れた、例の店まで戻り、そこに入る。今回はさすがに雨に濡れたので、暖かいミルクティを注文した。更には海鮮チャーハンを食す。非常に満足したが、また雨が強くなり、動けなくなる。今は雨期なのだろうか。じっと暮れていく外を眺めて過ごす。

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何とか宿に辿り着いた。今晩は、ワールドカップサッカーアジア予選、日本vsタイの試合が組まれていた。果たして見られるのかと思ってテレビを点けると、ちゃんとスポーツチャンネルで生中継している。試合は日本が勝利したが、なんとも物足りなかった。日本のサッカーも転換期を迎えている。これまでの選手は、そろそろ後進に道を譲るべき時ではないか。不完全燃焼の中、寝る。

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97日(水)
ティオマンを離れる

今日はティオマン島を離れ、クアンタンに向かう日だった。朝から曇り、風が心地よい。10時のフェリーに乗るためには9時に桟橋に行け、と言われていた。朝食は間に合うだろうか。結果、オムレツを食べ、8時半には食事終了。荷物をまとめて、早々にチェックアウトし、荷物を引いて桟橋に向かった。

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だが桟橋には係員の姿がなかった。徐々に乗客が集まり出した頃、忽然と姿を現し、手続きを行う。パスポートを見て名前を控える程度だが、最近事故でもあってルール化したのだろう。誰が乗っているのか、どこの国の人間が乗っているのかをチェックしていた。それから1時間近く桟橋で待ちぼうけだった。それならこんなに早く出てくることはなかったのに、と思うのだが、不測の事態というのも当然予想されるので仕方がない。ただただフェリーはいつ来るかと海を眺めて待つのみ。

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ようやく来たフェリーは一昨日とは形が違っていた。色々な会社のフェリーがあるのだろう。荷物も大量に積み込まれた。そして2時間弱で、メルシンの波止場に着く。実はクアンタンに行くバスが午後1時に出ることを一昨日見ていたので、それに間に合うといいなと思っていた。願いが通じ、12時半頃埠頭に着き、荷物を引いてバスターミナルへ急いだ。

 

何とか15分前にターミナルへ着き、チケット売り場へ行ったのだが、何と答えは『売り切れ』だった。え、どうするんだ?聞いてみると一番端の売り場で買うバスが一番早いらしい。私の後からも続々と、フェリーから降りた人々がやってきた。私は午後2時半のバスチケットを確保した。来た時も大勢の白人がターミナルにいた理由がよく分かった。途中駅のここではチケットが買いにくいのだ。

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クアンタン行バスの中で

昼を食べていないので、どこかで食べようと思い、今来た道を戻り、街へ向かった。道路を渡る陸橋の上から眺めてみると、街ではない方向に一軒の食堂が目に入る。中国語が書かれていたので、フラフラ行ってみると、お昼はおかずが10種類ぐらい置かれており、自分で選ぶスタイルだった。店の人は勿論中国語ができた。安い(5mr)うえに味もまあまあなので、かなり繁盛していた。

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コーラを頼むと、その家のお婆さんが奥から氷と共に持ってきてくれた。これが彼女の任務であるらしい。華人というのは一生働くんだな、としみじみ。彼女の人生は一体どんなだったのだろう。お爺さんも食事を運んだりして現役だった。二人とも穏やかな表情をしており、暗さがまるでない。

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店を出ると、目の前に廟が見えた。東海岸はマレー人の街、と言われてきたが、やはり華人も相当数いるのだ。その周囲をぐるっと歩くと、やはり華人街だった。道路を挟んでマレー人街と分けられていた。緊張はなく、融合しているように見えた。時間前にターミナルに戻ると、バスが何本もやってきたが、自分が乗るバスは予定時刻になってもこなかった。外人である我々は乗り損なわないように右往左往している。

 

ようやくやってきたバスは、サービスが悪かった。運転手は働かないし、何と途中からクーラーを切ってしまい、暑さがこみ上げてきた。私の隣の女性はインド人だった。彼女はハッキリと暑い、と声を上げたが、車掌が天井の戸を開けただけだった。彼女はマレー系インド人と結婚してマレーシアへ来たという。『だからマレー人はダメなのよ』とつぶやく。

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バス会社も競争が激しく大変らしい。燃料の節約のため、また運転手がガソリン代を懐に入れるため、クーラーを切ったのだ、と彼女は言う。またマレー人の中には正規の切符を買わずに運転手に乗せてもらい、運賃を彼に支払う者もいるらしい。両者とも得をする仕組みとか。運転手も給料が上がらず、物価だけが上がるので、苦肉の策とはいえる。そしてマレーシアのバス代金は極めて安いが、こちらも上げることが難しい。

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彼女はおしゃべりであり、英語も達者だから、色々と教えてくれた。今日はシンガポールへ仕事で行った帰りらしい。クアンタンは何もないから、早くコタバルからタイへ抜けろ、という。タイの方が物価も安くホテルも安くて豪華だとしきりに勧める。私がクアンタン市内で泊まるというと、『何のため』と驚いた様子。確かに私にも何のためかは分らない。

東マレーシア散歩2016(5)ティオマン散歩

洗濯していると、ビーチに日が傾き始める。そして洗濯物を干そうとするとオーナーが『乾燥機を使えば早い』というので、乾燥機に放り込む。本当は夕日に棚引く洗濯物がよかったのだが、すぐに乾くのは有り難い。それにしても静かなビーチだ。この宿のプライベートビーチだから、人影もない。しばし傍観する。

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そのうち腹が減る。昼ご飯がナシレマック1つという寂しさだったので、まだ日が落ちる前に夕飯を探しに行く。すぐ近くにレストランがあったが、貸し切りの表示があり、中ではマレー系の人々がビュツフェで食事をしていた。特別な食事が提供されるのだろうか。仕方なく歩いていると、桟橋近くに手ごろなレストランがあったので入る。

 

ちょうど席から海を眺めると夕日が落ちていく。実に静かな光景で、周囲の人々も見とれている。恐らくは毎日見ているであろう地元のおじさんたちもじっと見ている。これは幸せな気分だ。ライムジュースを頼み、しばし休息した。その間にも続々とお客がやってきてテーブルは埋まった。

 

メニューに英語があり、助かる。鶏肉とカシューナッツ炒めを頼む。何となく中華系のメニューだが、これが甘くてうまい。ご飯も進む。あっという間に平らげる。8mr。この店は観光客用の味付けをしているのだろうか。それにしても、美味すぎる。これならマレー料理で十分暮らせる。

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宿に戻り、ビーチにたたずむ。風が心地よい。ハンモックに寝そべる。部屋の前にハンモックがあり、隣の白人カップルはそこに寝そべっている。特にやることはない。それがまた何とも良い。日が暮れるまでそうしていた。夜はシャワーを浴び、早く寝る。疲れが一気に噴き出した。

 

96日(火)
豪華ホテルを見学する

朝もゆっくり起きた。8時から朝食があると聞いたが、行ってみるとおじさんが二人でコーヒーを飲んでいるだけでキッチンには誰もいなかった。確かに昨日オーナーが『朝食は8時に提供されるかもしれない』と言っていたが、どういうことだろうか。ビーチを散歩して時間をつぶす。今朝は太陽がなく、涼しくてよい。

 

その内に誰かがやってきて、準備が始まり、目玉焼きとトーストが支給された。朝食はいくつかから選べるようだ。泊まり客もバラバラやってきて、食べ始める。白人さんが多い。シンガポール人もいたが、我が日本人はいなかった。単なるリゾートの人、スキューバや釣りをするために来た人もいた。

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特にやることもないので、島の中を歩いて見た。昨日行ったGHの先は上り坂となっている。興味本位で登っていくと、サルの群れと遭遇。多勢に無勢、ちょっと怖かったが、何ごともなく、ホッとした。丘の上からも海がよく見えた。反対側を下っていくと、そこは立派なリゾートホテル。

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通り抜けOKということで中へ入る。昨日桟橋に来ていた迎えの車はここのものだった。いきなりゴルフコースが見える。ホテル内にゴルフ場があったのだ。これは凄い。多分20年前同僚が泊まりに来たのはこのホテルだろう。コテージがぽつぽつと点在している。かなり贅沢な作り。ビーチに人影はないが、ここもわが宿とは比べ物にならない豪華さだった。ただ誰もいない。

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更に行くとようやくゴルフコースの一番ティがあった。だがそこは岩山を登ったところにあるらしく、見えない。その向こうにも敷地は続いているが、もう体力の限界だった。太陽が出てきて、暑い。ホテルスタッフの女性たちが歩いてきたので、その後ろについて引き返したが、すぐに置いて行かれてしまった。歩幅も相当に狭くなっており、フラフラしながら歩く。宿までの道のりは長かった。特に峠越えはきつかったが、幸いサルはいなかった。

 

散歩

いったん宿に戻り、水シャワーを浴びると気持ちがよい。日差しは強いが日陰は快適な風が吹いている。ハンモックで昼寝をした。そのうち腹が減ってきたが、どうしても昨晩の味が忘れられない。他に行くべきレストランもないので、また桟橋近くまで歩く。昼は閉まっていないか心配したが、ちゃんと営業していた。

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昨日と同じ席に座り、海鮮焼きそばを頼んだ。これがまた、甘いソースで絶妙に味付けされており、美味しく頂いた。もうこれだけ食べていれば幸せだった。ゆっくり冷たいライムジュースを飲みながら、疲れを癒す。ビーチリゾートに来てよかった、というより、この島に来てよかった、と思える瞬間だった。

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宿に戻り、うだうだ過ごす。この島にはもう行くところはなさそうだった。これぞビーチリゾートではあるが、海に入るわけでもなく、水着すら持たない身としては少し寂しい。夕方、若干涼しくなると、やはりまた歩き出す。今回桟橋の向こう側。飛行場の滑走路がよく見えた。

 

建物は殆どなく、海でイスラム教徒が服のまま、水に足を入れていた。もう一つの桟橋も見える。なかなかいい雰囲気。そしてちょうど先端まで行った頃、急に雨が降り出した。セパタクローをやっていた若者たちは構わず続けていたが、雨はどんどん強くなり、いわゆるスコールとなる。昨日はなかったので、びっくり仰天して走り出す。が、雨宿りする場所がない。相当濡れてしまった頃、茶店があり、バイクの地元民が休んでいたので、そこへ逃げ込む。

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東マレーシア散歩2016(4)ティオマン島へ

3.    ティオマン島
メルシンで

豪華長距離バスがやってきた。シートもちゃんと決まっている。これは快適だ。乗客はマレー人が多い。ここからは南国のムードが漂う田舎道をひた走る。すっと眠りに落ちると、すぐに時間が過ぎていく。2時間ほどで、目的地メルシンに着いた。このバスターミナル、やけに白人が多い。やはりリゾート地、ティオマン島へ行った帰りの人々らしい。私はビーチリゾートが好きではないが、この旅で一度ぐらいは良いかと思い、ティオンマン行を決意した。

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ただどうやって行くのだろうか。バスチケット売り場で聞くと、このターミナルの向かいでフェリーチケットを売っているらしい。行ってみるとインド系の女性が、『ティオンマン行チケットはここでしか買えないから往復買っていけ』という。これだけのリゾートでそんなはずはない、と思いながらも、1カ月有効というので取り敢えず買ってみる。往復70mrは結構な値段だ。バスは安いがフェリーは高い。

 

フェリーターミナルはここから歩いて10分だという。仕方がないので、荷物を引いていく。途中メルシンの街があるのだが、あまりに小さいので、やはりティオマン島へ行くのが正解だった。フェリーターミナルにはやはりいくつものチケット売り場があった。こんなすぐに分かる嘘が付ける、というのはある意味ですごい。

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そしてフェリーに乗るための手続きが意外とややこしい。入島税のようなものを支払い、フェリーチケットを手に入れ、更にその検閲を受けた。雇用対策だろうか。外国人にはわからないような仕組みを作っているに違いない。リゾートとは外国人から金を巻き上げるシステムだと考えている。

 

腹が減ったので、昼ご飯を食べる。ナシレマック、という、ご飯に目玉焼きが乗っている定番メニューだ。ジュースと合わせて5mrは、このターミナルとしては良識的な値段だろう。フェリーは1時発。バスにうまく乗れたから、今日ティオマンへ行くことができる。有り難い。だがそのフェリーは定刻を過ぎてもなかなか来なかった。

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ようやく来たフェリーに乗り込む。かなり乗客が多い。白人も多いがインド系の顔をしたファミリーが凄い量の荷物を積んでいる。食料も入っているのだろう。彼らはイスラムとはまた違った食生活なので、食べ物を持参すると聞く。日本人も1-2人はいたが、リゾートっぽくない、バックパッカーだった。

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ティオマン上陸

フェリーは大海原を1時間以上、ゆっくり航行した。所々で波が高く、揺れもあったが、それほど影響はなかった。12月頃に行くと、船が欠航するほど揺れると聞いていたので、このシーズンは良かった。ただティオマン島にはいくつもの桟橋があった。どこで降りるのだ、と聞かれても何の当てもない私は困ってしまう。

 

結局空港もある一番大きそうな場所で降りることにしたが、そこへはなかなか到達しない。一つずつきれいな海の小さな桟橋に船が横付けされ、数人ずつ降りていく。ここでいきなり降りても、宿があるのだろうかと思ってしまう。何とか桟橋に辿り着くと、私の荷物はフェリーの上から若者が降ろしてくれる。

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宿探し

桟橋を出て、キョロキョロしたが、宿のようなところはない。白人などの一団は、迎えの車に乗り込み去っていく。どうやら大型リゾートホテルがここにはあるようだ。実は今から20年以上前、香港に住んでいる時、同僚が家族とティオマン島へ来ていた。大自然がとても良い、と勧められたが、小型セスナで行くと聞いて躊躇した。その空港からこの桟橋のすぐそこにあった。確かに今でも小型機しか離発着できないだろう。

 

仕方なく歩き出す。小さなレストランや土産物屋、売店などはあるが、宿は見付からない。荷物を引いて、炎天下歩いているのは私しかいない。すると、後ろから『どこへ行くんだ』と中国語で声が掛かる。華人のおじさんが、バイクに乗っていた。『乗りな』と言ってくれたが、その後で『うちは宿屋をやっている。ホテルは高いからうちに泊まれ』と言われ、逆に躊躇した。ここで乗ってしまっては選択肢がなくなる。

 

選択肢もないのに、おじさんの誘いを断り、前に進む。太陽が照り付け、暑さが身に染みる。そのうちおじさんの宿の前を通った。ビーチリゾートではなく、単なるゲストハウスだ。ここまで来て、ビーチがないのは残念だと思い、更に行くと、一軒の宿がある。サーフボードなどもあり、いかにもリゾートだ。ここがいいと思い聞いてみたが、部屋は奥まったところしか空いていない。いいところは長期滞在の白人が占拠しているという。

 

そういえばさっきのおじさんの宿の前に宿の看板が出ていたのを思い出し、行ってみる。そこは細長くなっており、奥に行くとコテージがあり、その先に海があった。ビーチに面した部屋を見てもらうと、160mr220mrがあり、どうみても220mrの方がよいので、そこに泊まることにした。

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オーナーは何人か分らないが気軽な若者。雰囲気も悪くない。コテージにはテレビもあり、エアコンもある。そして宿には洗濯機が備えられていたので、早速洗濯に行く。使っている人がいたので、順番を待つ間、ロビーでPCをやる。ネット環境も問題はない。いい風が吹いてくる。

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東マレーシア散歩2016(3)JBグルメ散歩

94日(日)
再びホテル探し

翌朝は早くに目覚める。ホテルの朝食を食べに行ってみると、屋外でも食べられるが、既に日差しが強く、とてもいられない。大人しく室内でパンを焼き、卵を食べる。それから朝の散歩に出た。今日は最初から隧道沿いを歩くことにしていた。古い街並みを抜けると、そこは広い道とショッピングモール。更に進むと、お屋敷のようなところがあり、時計台もある。隧道沿いもビーチのようで、人もなく、何となく落ち着く。

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その向こうには、立派なモスクが見えた。近寄ってみたくなる雰囲気がある。道路から正面を登ると、いい感じの建物がある。だが扉は開いていない。日曜日は開いていないのだろうか。裏に回ると、おじさんがいた。『ここはJBの象徴さ。今は改修工事中で中に入れず、人がいないけど、いいところへ来たな』という。何だか初めてJBがマレーシアであり、イスラム国家なのだ、と感じさせる光景だった。そこから内陸へ歩いて行くと、広大な敷地を持つお屋敷や、昔からあるキリスト教の教会などがあった。それほど広くはないJBだが、往時は様々なものが行き交っていたようだ。

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今日は宿を変わるのでその候補地まで歩いてきた。確かに99mrで泊まれると横断幕もあるので入ってみたが、ネットの状態を聞くと『良好とはいえない』という残念な返事が返ってきたので、取り止めとした。そして駅の方に戻る途中、昨日も通りかかった道路工事中の前のホテルで聞いてみると、128mrだけど、ネットは良好だという。ただその部屋が空くかどうかは午後2時までわからないと言われ、悩む。

 

まあ今日はJB散歩だ、と思い、駅を上から見て、その反対側へも行ってみる。そちら側は殆ど開けていなかったが、例のイスカンダルプロジェクトか、中国系ディベロッパーがシンガポールが眺められる高級マンションを建設していた。そしてホテルも何軒かあったが、荷物を持ってここまで来るのが面倒で止めにした。特に料金的に安いということもなかったからかもしれない。

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昼に近くなり、宿をチェックアウト。荷物を預けて昼飯を食べる。昨日から狙っていた叉焼焼きそば。麺が美味い。たれも美味い。茶を頼むと、ホットのミルクティが出てきた。こちらはマレーシアで作られている紅茶、ボーティから作るのだろう。茶、と一言言っても、昨日の黒茶と言い、バリエーションがあって面白い。先ほどのホテルに行くと部屋が確保できたので、荷物を移動させる。こちらの部屋は実にコンパクトで日本のビジネスホテルを想起させる。そして確かにネットは高速だった。

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ようやく今日の宿が決まったばかりだが、明日は東海岸へ移動しようと思う。その移動手段を探しに行く。近くにバスチケットを売る店が並んでいたが。そのすべてがKLやマラッカなどの西海岸へ向かうもの。東へ行くには駅下のバスターミナルから、郊外の大型ターミナルへ移動して、そこからバスを探すらしい。ちょっと面倒だが仕方がない。フラフラしていると、焼き腸粉の屋台が目に入り、思わず食す。濃厚なたれが絶妙だ。

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宿に戻ってネット検索していると、JBにはジャパンストリートなる場所があると分かる。それもすぐ近くのモールの中だったから、見学することにした。だがその場所は簡単には分らなかった。ようやく探し当てた6階、他の食堂がにぎわっている中、このストリートには全くといってよいほど、お客がいなかった。日本食は当地でも人気があると聞いていただけに、意外な気がした。コンセプトを間違えたのだろうか。寂しい限りだ。

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結局一度は宿に戻り、もう夕飯は食べないと決めたのに、その後空腹に耐えきれず、夜な夜なまた屋台街へ舞い戻り、海南チキンライスを食べる。昨日のマレー風とは違い、これは非常に本格的で実にうまかった。屋台のおじさんも『わざわざ日本から来たのか』と妙に感激してくれて、大満足。

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95日(月)
いざ東海岸へ

翌朝は早めに起きて、ホテルの朝食を食べる。1階のロビーの向こうにあるその食堂、なぜか制服を着た人々に占拠されていた。これは中国の航空会社の制服だった。ここに宿泊しているクルーなのか、それとも研修ででも来ている社員なのか。クルーにしては人数が多い。お陰で卵もなくなっていたし、フルーツもなくなっている。

 

そしてホテルをチェックアウトして、バスターミナルへ。取り敢えずラーキンという郊外の大きなターミナルへ向かおうとしたが、もう一度聞いてみると、ちょうど入ってきたバスがメルシンの方角、途中まで行くらしい。ラーキンで乗り換えても、そこで乗り換えて結果は同じだろうと考えて、来たバスに乗り込む。5mr。コタ・ティンギという街まで約1時間、長距離バスではないので、荷物の保持が難しかったが、無事到着した。

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しかしこのコタ・ティンギの街は小さかった。バスも殆どローカルバスしかない。トイレに行こうと2階に上がると、そこにバスチケット売り場があった。メルシン行きを尋ねるとなんと15分後に出るというからラッキーだった。だがそのバスがどれか迷う。勿論ここが始発ではないので、いつ来るかわからない。

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東マレーシア散歩2016(2)JBを歩いて見ると

2.    ジョホールバル(JB
宿を探す

イミグレを出るとそこはショッピングモールに繋がっていた。下はバスターミナルだ。モールの中を歩くと暑くはないが、なかなか出口が見付からない。何とか外へ出て、言われた宿へ行ってみたが、何と満室。土曜日はシンガポール人で一杯になるらしい。向かいにも宿があったので、そちらへ行くと、新人のインド人女性がまごまごしている。すぐに華人のおばさんが、抜け目なく『部屋はあるよ。泊まりな』と言ってきた。

 

ちょっと高いと思ったが、その部屋は最上階で広々としており、見晴らしは抜群。ただネットはつながりにくく、何となく埃っぽい。恐らくは普通の部屋ではなく、高い部屋、あまり使っていない部屋をあてがわれた様だ。まあ、仕方がない。すぐに下に降りて、昼ご飯を食べようとしたが、エレベーターはなぜかなかなか来ない。シンガポールから来たという女性が暇なのか話しかけてくる。『週末はJBでマッサージよ』と。

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宿の周囲は完全なチャイナタウン。肉骨茶の店があったが、何となく素通り。中央餐室と書かれた食堂へ入る。海南鶏飯があったので注文したが、作ってくれたのはマレー人。出来上がったものは、中華風の鶏飯ではなく、ショウガが効いたマレー風味。会計台に座っていたのはどう見ても華人のおばさんだったので、中国語で『茶はあるか』と聞くと『熱いのか』というので、そうだと答える。マレーシアでは茶の基本はアイスのようだ。

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出てきたお茶は出涸らしのようだった。黒茶っぽい。茶の名前を聞くと『タンチャ』と答える。メニューを見ると『Teh』という表記が並んでいる。これは福建の言葉で茶だ。彼女は海南島の出身だという。でもタンチャだ。なぜだろうか。そしてこの謎の黒茶。マレーシアの華人は広西の六堡茶をよく飲んでいるから、それであろうか。薬缶で煮出している。奥に行き、茶葉を見せてもらったが、小さな包みに小分けされていた。タンチャとはどう意味、どういう文字だろうか。

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ショッピングモールに入ると、中秋節が近いせいか、月餅を売る特設ブースが沢山出ていた。中には日本語で『ももやま』などと書かれた月餅?も売られており、これまた面白い。華人が多いことがよくわかる光景だが、マレー人も品選びをしていた。先ほどのイミグレの方に戻り、両替をする。いくつかある両替所、あるところに客が集中している。レートがいいのである。私もそこに並ぶ。なぜこんなことを起きるのだろうか。不思議だ。

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イスカンダル計画

お金が手に入ると、次は携帯のシムカード。10mrで簡単に買える。恐らくこれで10日間はもつだろうという。以前はパスポートチェックなど面倒な手続きがあったが、ここではあっと言う間にスマホにシムが挿入された。これは便利で有り難い。その横では不動産のセールスが盛んに行われている。暇だったのでその一つを覗くと、すぐにセールスレディが出てきて、中国語で話しかけられた。興味本位で話を聞く。私が日本人だと分かると言語もさっと英語になり、日本企業の工場などがある場所の近くの物件を勧めてくる。賃貸するのに便利だという。

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現在ここJBでは壮大なイスカンダル計画なるプロジェクトが進行している。全てできればシンガポールの3倍の土地を開発することになるらしい。そろそろマンションが建ち始め、プレセールが盛んだった。小型のコンドミニアムが日本円で1000万円ちょっと、安いと言えるだろうか。これだけ巨額な投資が行われ、マンションが数多くの建つのだ。値崩れは起きないのだろうか。

 

向こう側では中国系のディベロッパーが販売していた。広さが同じようなコンドミニアムの値段は先ほどの2倍。ロケーションがすごく良いらしいが、後から来て用地を買収したので、当然コストが高い。チャイナマネーはその程度なら吸収できる、ということだろうか。川向こうのシンガポールは、どんな外れた場所でも億ションと言われるだけに、その価格メカニズムはよくわからない。よくわからないものに踊らされて投資するのは良くないだろう。それにしても2025年に完成するというこのプロジェクト、最終的にどうなるのか、是非見てみたい。

 

それから少し街中を歩いて見たが、特に面白いものもなさそうだ。イスカンダルとは関係ないのだろうが、あちこちでビルの修復や道路工事をしているのが目につく。緩やかな坂もあったので登ってみると、立派なお屋敷があった。スルタンの居住地だろうか。暑いのでいったん宿に戻り休む。そして夕方腹が減り、また外へ出る。道路にせり出したテーブルには沢山の男たちがいた。単にお茶を飲んでいるかと思いきや、突然お兄ちゃんが何かをわめくと、一斉に動きがある。これは競馬から何かの、ノミ行為が行われているに違いない。

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屋台街もあり、既に人が集まっていた。鴨肉飯を食べたが、収まらず、また麺も食べてしまう。これが屋台のいけないところだが、しかし旨いのだから仕方がない。更に歩いて行くと、今度はマレー料理の屋台が出ている。この辺は中華系とマレー系できちんとすみ分けはできている。明日はマレー料理に挑戦しよう。ということで、JBにもう1泊することを心の中で決めた。

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部屋に戻るとちょうどジョホール水道に夕日が落ちていく。この夕日をボーっと眺めていると、スーッと暗くなり、今度は夜景が拝めた。この部屋には色々と問題はあるのだが、まあ、この景色が見られるだけでも良しとしよう。ただ明日はもうちょっと安いところへ引っ越そう。

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東マレーシア散歩2016(1)シンガポールからJBへ

《東マレーシア散歩2016》 201692-13

 

茶旅に疲れた!今年は特に激しい旅が続いており、お茶を求める自由な旅とはいえ、行ったからには何か成果を求めてしまう自分に少し疲れてきた。7月末に行ったカンボジアの帰り、バンコックまでの気ままなバス旅はいい意味で気分転換になった。リオオリンピック後、最初の海外はマレーシア、特に行ったことがない、東海岸に行こうと思った。そこはマレー人の世界と聞いている。また違ったマレーシアが見られることだろう。楽しみだった。

 

92日(金)
1.    シンガポールまで

東マレーシアにはどこから入るか、それが問題だった。KLから行くか、コタバルから行くか、JBからか。フライトチケットを確認したところ、どれもそれなりに高い。そんな中、なぜかエアチャイナのシンガポール線(片道)が意外と安い。シンガポール自体は物価が高いのであまり行きたくなかったが、早朝シンガポールに着き、空港から直接JBに行けば良いと割り切り、予約した。

 

ただこのフライト、夜8時前に羽田を出て、北京到着は2240分。シンガポール行きの出発は00:05。乗り換え時間は僅か1時間25分しかなかった。ちょっと遅れれば、北京1泊となる。まあそれも面白いかと思っていたが、何とフライトは極めて順調で、いつもであれば1時間はかかる北京での乗り換えも予想外に空いていた。結局殆ど待ちがなく、次のフライトに乗り込むことになった。

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乗り込むとすぐに寝込む。昔エアチャイナの深夜便は寝ている乗客をたたき起こして食事をさせていただが、さすがに改善されたらしい。起き上がると機内が明るくなり、すぐに着陸した。まだ6時前だった。飛行機を降りる時、日本人のカップルが大きなスーツケースを持っているのに気が付いた。なぜあんな荷物を預けなかったのか。そこで思い付いた。乗り換え時間が少ないということは、荷物の乗せ換えにもリスクがあるということだ。もしやすると、私の預け荷物は届いていないかもしれない。だがこの不安も杞憂に終わる。荷物はすぐにターンテーブルを回ってきた。なんて順調なんだろう。

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93日(土)
JBまで

まず腹が減った。ふらふら歩いていると、目の前にスターバックスがある。シンガポールはスタバも高いのだろうなと思ったが、疲れたので、6.9ドルの朝食セットを頼む。コーヒーとサンドイッチだ。ここでPCを立ち上げ、ネットに繋ぐ。さすがシンガポール、ネットは快調だ。シムカードは買わないので、空港を出たらネットが無くなる。食べ終わると、これからの移動方法を探る。JB行直行バスがあると分かったが、1時間後だった。ただここからウットランドまでMRTに乗って行っても1時間以上かかると言われ、バスを待つことにした。

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バス停は分り難い。バスもちゃんと来るのか分らない。8時半に何とかバスが来て乗る。しかしこれは直通バスというより市内バスの延長。我々は国際バスということで10ドル取られる。バスはぐるぐるとシンガポールを回っているように思われ、いつになったら国境に着くのか、皆目わからない。ようやくバスから降りたのは1時間以上経っていた。荷物を引いて、国境のビルに歩いて向かう。

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国境を越える人は予想以上に多かった。今日が土曜日であることをすっかり忘れていた。シンガポール人は物価の安いJBに週末出掛けて、買い物したり、食事をしたりするとは聞いていた。それでもシンガポール側はまだよかった。そこからJBへ向かう中間点は激混みだった。そしてどのバスに乗ればよいか分らない。来たバスに聞いてみても、違うと首を振るばかり。私と同様、空港から来た中国人一家も途方に暮れていた。1時間近く経っても我々が乗ってきたバスは姿を見せなかった。騙されたのか。

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仕方なく、一般の人が乗るバスにまた2ドル払って乗った。これもまた激混み。それでも橋を渡るだけだから、すぐに着いてしまう。これで2ドル?何だか釈然としない。そしてマレーシア入国審査へ。体育館のような天井の高い、だだっ広い空間は人で埋め尽くされていた。一体どれだけの人がいるのだろうか。何とか列に並び、後は前へ進むのを待つしかなかった。シンガポール人は知り合いを見付けては、そちらの列に並び替えて前に進む。家族がバラバラの列に並び、一番早いところへ集合する姿もあった。私にはジャンプする手段はない。寝不足もあり疲れが倍加する。冷房は効いているはずだが、汗が出る。

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結局1時間半近くかかってイミグレに辿り着く。職員はヒジャブを被るマレー人が多かった。この人たちも仕事とはいえ大変だ。ようやくJBに辿り着いたが、既に昼になっていた。飛行機代は安かったが、意外と高くついた。JBには以前も来たことがあるが、街中に泊まったことはない。まずは案内所で、街の位置を確認し、地図をもらい、安宿を聞く。すぐ近くに宿があるようなので、探しに出た。案内所の女性が唯一優しいと感じられた。