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バラナシ伝説のGHへ行け2014(1)インド式は疲れる

《バラナシ散歩2014》  2014年4月26日-29日

 

ムンバイに着いたその日、Facebookに1つのメッセージが入った。『インドにいるならバラナシへ行って』。何の話か分からなかった。台北の知り合いHさんだった。『バラナシに日本人が経営している伝説のゲストハウスがある。是非見てきて欲しい』と言われても、私はバックパッカーをやったこともないし、ゲストハウスに泊まりたいわけでもない。でも『バラナシにいる日本人』『伝説の』と言われると何となく興味を持つ。

 

なぜか日程的にも余裕があり、チケット変更もスムーズ。これは行け、という合図だ。ご縁の世界ではこれが大切。行けるなら行く、という私の旅のポリシーとも合っている。今やインドもネットで航空券が買え、あっという間に目的地に到着する時代。伝統的なバックパッカーの世界とは相容れない私の旅はまた始まった。

 

1.ムンバイ

ビジネスクラスでムンバイへ

ジェットエアーのビジネスクラスでムンバイに戻る。ビジネスクラスの席は12あったのだが、一番前の通路側に座っていた私はCAから席を移るように言われる。折角ビジネスクラスなのに、そして席は8つも空いているのに、一体どういう訳だ?CAによれば『CAが座る椅子が壊れた。規定で一番前の通路側に座らなければならない』、しかも2名も。何で??

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渋っているとチーフパーサーがやって来て『離陸と着陸の時だけ窓側へ行ってください』と慇懃に言う。ここまで言われては抵抗できずに2列目に下がる。離陸するとすぐに1列目に戻ったが。そこからのCAのサービスは凄かった。とにかく何でも聞いてくれる感じだった。インドの航空会社ということで、紅茶のセレクションも充実していた。お替りは不要だったが、トイレに立った隙に、ちゃんと別の紅茶を淹れてくれ、クッキーもくれた。

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そういえば3年前、ラダックからの帰り、なぜかビジネスクラスにアップグレードされたことがあった。あの時も一番前の席だった。ジェットに対する印象はとても良かった。インドもLCC時代がやって来ている。差別化を図るために、サービスに力を入れていることには違いない。

 

アチチホテル

ムンバイ空港に着くと、一目散に空港を出て歩く。もう慣れた道だ、迷うこともない。A師から推薦のあったアチチホテルは先日泊まったIBISのすぐ横にある。予約はしていなかったが、どう見ても空きはありそうだった。フロントへ行くと、やはり部屋はあり、朝食付きで3350rpだった。それにネット代が100rp、まあIBISよりはかなり安い。

 

ただチェックインのスムーズさではIBISはかなり洗練されている。アチチは何をするにも手間がかかる。伝統的なインド方式。更にはインドのレファレンスなどを聞かれ、回答に困る。インド旅行に来た人で知り合いもいなければどうするのだろうか?旧来からそのような質問をしているのなら、ナンセンスだがそれを改めようとはしないのだろう。

 

部屋は簡素、寝るだけなら問題はない。エアポートホテルとはこんなものだろう。ちょうど夕陽が窓から差し込む。外は道路に近いがさほど煩くはない。ネットは初め繋がらなかったが、遅いながらもなんとか繋がった。夕飯は不要だ。既に飛行機の中でかなり食べていた。

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水だけ買いたかったので、外へ出た。すぐ脇に店があり、冷たい水が買えた。ついでに周囲を散策すると、向かい側に立派なホテルを発見した。ラトールさんがいいホテルだ、と言っていた場所だが、これでは高級すぎる。今の私にはあの緩いアチチホテルが似合っている。

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4月27日(日)

うるさい朝食

翌朝は7時過ぎにはチェックアウトするため、早めに食堂へ行った。6時からやっているとのことだったが、まだ掃除をしていた。食事も全部は揃っていなかった。仕方なくある物で食べ始めると、『卵はいるか』『コーヒーはどうか』とやけに聞いてくる。ビュッフェとは何かが分かっていない。サービスのつもりかもしれないが、これでは煩くてゆっくり食べられない。

 

フライトは8時だから7時半に出れば間に合うとホテルで言われていたが、インドでは何が起こっても自己責任。7時過ぎにはチェックアウト。このホテルは無料送迎が付いているので、車を呼んでもらうと1分後にはやって来て驚いた。速い!これで悠々だな、と思っていると運転手の携帯が鳴り、車が戻り始めた。何んだ?何と私は部屋に日本語の本を忘れていた。普通なら私の行先は分からないだろうが、ホテルの車に乗っているとは何という幸運。少し時間をロスしただけで国内線ターミナルへ到着。まだ7時20分だった。だが、

 

今日乗るエアインディアのカウンターは長蛇の列。フライトに間に合うのだろうかと心配したが、係員は『普通に並んでいろ』と取り合わない。テイクオフ20分前にようやく私の番が来て、チェックイン。ところが予約してあった通路側の席はなく、真ん中の席をあてがわれた。私がそのことを言うと『あなたが最後の乗客だ、もう席はない』と強く言われる。昨日のジェットとは大違いだ。ここで喧嘩していたら乗り遅れる。とにかく荷物検査もあるんだし、早く行かねばと諦める。

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何とか搭乗ゲートまで辿り着いたが、まだ搭乗のアナウンスはなかった。これならもう少しゆっくりすればよかった。カウンターのスタッフがゆっくりやっていたのは、間に合う根拠があったのだ。そうこうしている内に搭乗となり、バスに揺られて機内へ。思ったほど狭くはないが、むくつけきオジサンが隣だとどうやっても狭い。

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フライトは2時間。ちゃんと食事も出た。エアインディアもLCCではないのだ。でも感覚としてサービスはなくてもいいかもしれない。まあ焦って喉が渇いていたので、ちょうど良かったが。

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インド アユルベーダの旅(21)アーメダナガール 州会議員も登場

1月28日(火)

朝瞑想も

翌朝は7時ごろからもそもそ起き出すが、今日のスケジュールも全然知らされず、困る。ラトールさん達はマイペースでシャワーなどを浴び、A師は瞑想に入っている。私も習って目をつぶってみたが、とても集中できない。

 

そこへ同室の男性が入ってきた。かなり眠そうだったが、聞いてみると、何と昨晩片道5時間を車で往復したという。実はラトールさんの奥さんとお嬢さんのナイニーカは所用でプネーに帰ることになっていた。ラトールさんはここを離れるわけにはいかず、車は友人が運転して帰るので問題ないと思っていたが、インドでは何が起こるか分からない。結局奥さんの弟である彼が付き添って行ったのだという。これは現在のインドが置かれている状況を端的に表しているのではないだろうか。最後は頼れるものは身内のみ、だからこの結婚式もインドで生きていくためには非常に重要な物なのだと分かる。

 

チャイを探して下に降りてみると、皆が並んでいる。何と髭剃りをしてくれるらしい。インド人は髭剃りが大事、と誰かが言っていたが、ハレの結婚式、ちゃんと髭を剃るのも礼儀かもしれない。とても面白い光景だ。勧められたが私は遠慮しておいた。

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因みに結婚式の服装も、皆気合が入っている。女性陣はサリーを3枚ぐらいは持ってきて、着替えている。男性も2日目は皆着替えたようだ。ラトールさんもかなり立派な服を着ている。この日の為に新しく新調したようだ。私は結婚式など想定していなかったので、普通のポロシャツなどを着ており、ちょっと恥ずかしいが仕方がない。『昨日と同じものは着ないで』と言われたので、予備のシャツを着ていく。

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何とかチャイを探し、飲んでいると、スナックがあるという。本当にインドではスナックがよく出る。先ずはチャイ、そしてそのお供はスナック。これが意外と行けるので食べてしまうから始末に悪い。

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州議会議員も登場

そうこうしている内に何となく2日目が始まる。先ずは新婦の写真撮影。彼女がどういう人なのかは全く分からないが、23-4才だろうか。ずっと大人しく式に従っている。その写真撮影もまたユニーク。彼女の背景には冷蔵庫やオートバイなど、嫁入り道具?が並んでいる。これは新婦の親族が持参させるために揃えたものだという。インドでは嫁に行く物にどれだけの物を持たせられるかが、とても重要。その証として新婦と共に記念撮影となるようだが、私などの心はとみに複雑になる。

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またプージャが始まった。内容は全く分からないが、新郎新婦が祭壇の周りを回っている。周囲には人が集まり、米粒?を投げかける。これが祝福の仕方のようだ。この儀式を終えて、ハレて夫婦となったらしい。長い長い儀式の終了だった。

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そこへ偉そうな人が入ってきた。州議会議員を長く務めている人だという。この一族の中での出世頭。祝い事があれば出向いてくるのは日本の政治家と変わらない。早々に周囲に人垣ができ、男たちが次々に何か話している。どうやら道路の拡張や商売のことなど、いわば陳情らしい。結婚氏が社交の場、というのは洋の東西を問わない。一気に世俗化した。

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そして新郎新婦の前で彼は祝いのスピーチをするとそそくさと帰って行った。議員はどこでも忙しい。今年は選挙の年、特にかき入れ時なのかもしれない。彼が来たことでこの式に箔が付き、一族の結束も高まるようだ。

 

新郎新婦がひな壇で並んでいる。そこへ人々が次々にお祝いを言いにやってくる。同時にお祝いの品を持参し、見せている。これもまた面白い光景だ。日本なら全て祝いのお金を受付で出すだろうが、こちらは直接本人に渡す。そして品物は見せる。私は勿論品物を持っていなかったので、お金の入った封筒を渡す。ラトールさんから1ルピーコインも必ず入れるように、と言われたので入れた。

 

最後にランチ。さすがに刺激の強い食事はパンチャカルマ後の体には堪えるので、適当に少量を取り、食べた。デザートの代わりに、日本の綿菓子があったので、食べてみた。日本と全く変わらない。インドの子供たちにも大人気。ついでに着ぐるみも登場、どこでも人気があるんだな。

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インド アユルベーダの旅(22)プネー インドでコーヒー

インドでコーヒー

ランチが終わると参加者が帰り始めた。ラトールさん達はバスで帰ることになったが、私はA師夫妻と一緒に車でプネーへ戻った。またあのバスの旅をする体力が残っていなかったのである。恐らくはパンチャカルマと結婚式の疲れが出たのであろう。

 

車は一路プネーに向かって走っていたが、すぐに道路脇のコーヒーショップに入る。A師は2月に日本からのヨーガ合宿メンバーの来訪を控え、その準備をしていた。彼らはオプションでエローラの行くことになっており、その下見で休憩場所を確認していた。

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インドのコーヒーショップ、正直あまりピンと来ないは、最近はCoffee Dayというチェー店があちこちにできている。何とのこの辺鄙なドライブインにまで進出していた。一杯100rのコーヒー、これはチャイが道端で5rなのと比べてバカ高い。だがお金を持った若者を中心に結構流行っているから、インドの変化を見るよい例かもしれない。

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ここで働いている人々もほぼ若者の男女。勿論英語も出来るし、接客態度も悪くはない。トイレもきれいだし、休憩場所としては申し分ない。でも何だかインドまで来てコーヒーを飲むのは少しイメージが合わないと考えるのは私が年寄りだからだろうか。

 

それから夕日に向かって車は走った。バスで5時間なら車では4時間ぐらいかと思っていたが、思いの外安全運転だったのと、プネー市内に入ると渋滞がひどく、結局5時間近くかかってしまった。インドでこの渋滞問題の解決が今後の大いなる課題であり、また運転の安全性も実に重要だと分かる。ただ中国に慣れてしまうと、どこの国でも安全だと思ってしまうのは、どうなんだろうか。

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ラトール家に帰りつくと、夕飯が待っていた。ラトールさんが帰宅したのはそれから3時間後、夜中になっていた。結婚式の興奮冷めやらないまま、バスで盛り上がったのだろう。本当に私は良い経験をさせてもらった。感謝。

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1月29日(水)

7.プネー3

とうとうインド最終日が来た。本日ラトールさんは日本から来たお客さんと南インドへ行く。少し早いが私もそれに便乗して空港へ向かう。先ずはお客さんが泊まっているホテルへ迎えに行くため、リキシャに乗り込む。ラトールさんの妹ももう一台のリキシャに乗って我々の後を追う。お客さんの荷物をラトール家で一部預かるためだ。

 

ホテルから空港まではホテルの車を使って移動。今日もいい天気が続いている。平日の午前中だが、思いの外渋滞がある。ラトールさん達のフライトは国内線だが、出発1時間前になっても空港に着かない。私は冷や冷やしたが、ラトールさんは平気な顔をしている。

 

50分前にようやく到着し、彼らは急いでチェックインカウンターへ向かった。私は一人国際線ターミナルに移動したが、私が乗るフライトにはまだ3時間以上あり、チェックインも出来ない。この小さな空港で何をするでもなく、ボーっと過ごす。思えば今回も色々とあった。

 

ようやく2時間少し前にチェックインができたが、今度はセキュリティチェックが開いていない。仕方なくレストランに入り、ヌードルなどを食べる。インド人やタイ人のビジネスマンが入ってきて、食事をしている。プネーという街も少しずつ発展しているように感じられる。

 

LCCスパイスジェットは快適だった。お客もかなり乗っていたが、このバンコック-プネー路線はこの後すぐに廃止になった。とても残念だ。ロナワラでこのフライトを予約した時、腹が減っていたので食事を予約していた。あまり食欲はなかったが、食べてみると案外美味かった。ニンブーも飲んでみた。

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隣のインド人はバンコックに出張だという。何とビール製造機器を売っているらしい。ただ本人は酒も飲まないし、肉も食べないという。相変わらずインド人は面白い。結構話が弾んだところでバンコックに到着した。もうデモの影響もなかった。

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インド アユルベーダの旅(20)アーメダナガール 踊り狂う夜のパレード

踊り狂う夜のパレード

そうこうしている内にどんどん時間が経つが、一向に次の行事が始まらない。イベント会場ではなぜか子供が歌ったり、踊ったり。若い女性やおじさんが歌ったり踊ったり。どうなっているのか。近所の人々が見に来ているので、結婚式とは別の行事かと思う。

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あたりが暗くなると、新郎が外へ出た。そこには馬が用意されており、彼はそれに跨る。恐らくは生まれて初めて乗るのだろう。緊張の面持ちだ。もしここで落ちでもしようものなら、末代までの恥、という感じか。日本なら絶対予行演習するだろうに。勿論馬は大人しいし、馬丁も付いているので問題はないが。音楽隊が派手に音を出し始める。よく見ると新婦は後ろの馬車に乗っている。両脇は可愛い子供が乗っている。

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この行事の意味は何だろうと思っていると、ナイニーカなど若者が突然奇声を発して踊り出す。これには驚く。インド映画ではダンスが定番らしいが、こんな場面でなぜ踊り?かなり激しく踊る。夜の闇にその踊りが映し出される。ちょっと神秘的だ。ナイニーカは普段のジーンズと異なり、とてもおしゃれなインドドレスを着ている。それを振り乱して踊る。

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よく考えてみると、朝バスの中でも踊っていた。単なる喜びでハイテンションになっているだけかと思っていたが、どうやらあれはこのための予行演習だったのではないか。そうだとすると合点がいく。この踊りは一族の中で彼女らが与えられた一種の役割だったことになる。インドの結婚では近親者に役割が与えられているようだ。それにしても、少し進んでは何度も繰り返す。気の遠くなるような時間だ。

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そして2時間後、ようやく結婚式場まで馬は引き返してきた。途中新郎は車に乗り換え、お寺へお参りに行ったようだ。新婦は既に戻っていた。ここで新郎が馬から降り、新婦と共に会場へ入場。舞台上では相変わらず女性が歌っていたが、それが祝福に替わり、全てが演出であることが分かった。

 

2人は舞台に上がり、お互いの首に花輪を掛けあう。拍手が沸き上がる中、何と舞台がゴンドラのようにせり上がる。これ80年代日本の玉姫殿系結婚式の演出に似ている。かなり高くまで2人は持ち上げられ、しばらくはそのまま。

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そしてなんとディナーになった。もう食事など要らないほどだが、親族の手前、食べ物を取りに行く。お盆を持たず、トマトスープだけを取り、席へ。それからインド風ピザを頂き、それで仕舞にした。既に夜10時近い。早々に部屋に上がるが、なぜかよく眠れず困る。

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結婚式でお酒が一滴も出ないのは良いが、食べてすぐ寝るなど、正直インドはあまり健康的な生活をしていないように思う。これからこの習慣が変化していくのか、ちょっと興味はあるが、この生活を続けて気にはなれない。

 

インド アユルベーダの旅(19)アーメダナガール 結婚式の儀式

スナックとカギは必需品

もう昼過ぎだが、スナックが用意されているという。この辺が日本的感覚では分からない。昼過ぎたらランチだろう。部屋を出る時、ラトールさんが自転車の鍵を取り出した。それで荷物をベッドに括り付ける。更に部屋の外から持参の錠前を掛ける。向かいの部屋の人も同じように錠前を掛けている。インドで旅行する際に、携帯鍵は必需品だった。

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ラトールさんによれば『日本製のカギは軽くて丈夫。インドでは必ず重宝される』とのこと。日本企業でカギを売るところはあるのだろうか。因みに寝台列車などでは盗難防止に特に有用だとか。ちょっとしたビジネスチャンスは色々と転がっている。

 

スナックと言っても、ちゃんとお盆を持ち、取りに行く。かっぱえびせんカレー味のような揚げ菓子にカレーをかけて食べる。これはなかなか香ばしくてイケル。更には煎餅の中が餅のようになっている物もある。これは日本的で一押し。今日は半日以上経ったがスナックしか食べていない。

 

レジストレーションとランチ

 

会場の舞台の上で何かが始まっていた。『レジストレーション』と後ろから声がかかる。結婚登録の儀式のようだ。ヒンズー教の世界では儀式はバラモンが仕切る。先ず花嫁が壇上で何らかの儀式を受けている。バラモン以外に数人の女性が周囲を固めている。新婦側の女性達だろう。

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続いて新郎が入れ替わりに壇上へ。同じ儀式を行う。周囲はこれまたなぜか女性に囲まれている。ナイニーカなど新郎側の女性達だ。何故女性ばかりなのだろう。不思議だ。そして新郎新婦が共に壇上に上がり、指輪の交換が行われ、レジストレーションは完成した。結婚成立のお祝いのランチが始まる。何と男性から先にビュッフェに向かう。男尊女卑?そういえば儀式を見守る多くの人々は、鮮やかに男女に分かれて席に着いていた。昔日本もこうだったのだろう。

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食事は先ほどスナックの食べ過ぎで、あまり食欲がない。それでもお盆を持って並ぶと、どんどん料理を取り分けられてしまう。食べたい物だけ入れて貰い、席を探し座って食べる。多くの人は立って食べるか、先ほどの儀式の会場の方へ行って食べている。時刻は3時を過ぎている。食べ終わると部屋に行き、昼寝をした。

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黄色の儀式

少し経つと黄色の儀式が始まったという。何だそれ?取り敢えず1つの部屋に行ってみると、何とそこには新郎を取り囲む大勢の女性たち。新郎に黄色い粉を塗りつけている。また自分たち同士でも塗っている。とても奇妙な光景だった。聞けば新婦側の女性たちがやっているらしい。

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A師の理解では、『インドでは男性が女性を守る、という概念が強い。これから親戚になる新婦側の女性から、よろしく、という意味合いでこのようなことがされるのだろう』と。それにしても新郎、可哀想。また新郎側の女性たちも参加したかったようで、後で少し揉めたと聞く。伝統的な儀式、仕来りが難しい。

 

因みに新郎側、新婦側などと言ってみたが、実はここに集まっている300人ほどの人々は殆どが同じ性を持つ。要するにもともと親戚なのだ。先祖はラジャラスタンから来たというこの一族、商業系の仕事をしている人が多い。

 

そしてチャイを探す。この結婚式場では意外なほどチャイが出ない。かといってビールなどアルコールも出ない。食事中は水を飲む。水はボーイがしょっちゅう配っている。ジュースやコーラなどソフトドリンクも出ない。これは一体どういうことだろうか?我々外国人に対して新婦側のおじさんなどが良く気配りしてくれた。必要なものはないかと何度も声を掛けてくれる。

 

インド アユルベーダの旅(18)アーメダナガール バスはハイテンション

1月27日(月)

アーメダナガールへ

その夜はラトールさんの妹が泊まりに来て、ラトールさんと同室で寝る。ただ明日の準備などに忙しい彼は寝る暇もない。そして朝は4時に起きて作業を再開。私も4時半に起きて、シャワーを浴びる。さて、初めてインドで結婚式に出る。

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6時前にチャイを飲み、家を出た。車ですぐ近くに住むラトール兄の家の前に行く。そこに大型バスが待っていた。今日はラトール家にとっては一大行事。長兄の長男が嫁を取る。結婚式は意外にも嫁側の地元で開催されため、新郎側が大挙して出掛けていく。これは面白い。既に半数ほどがバスに乗っていたが、40人乗りのバス2台、大デレゲーションだ。バスは運転席と客席が完全に仕切られており、運転席の後ろにも数人乗れるようになっていた。珍しいタイプだ。

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結局空が明るくなった7時ごろ、バスは出発した。老若男女が乗り込んでいる。途中で更に2か所に停まり、人々を拾う。当初は後から来る予定だったラトールさんの一人娘のナイニーカも乗り込んでいた。試験があるのだが、どうしても抑えきれずにやってきてしまったようだ。

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そしてバスの中が段々騒がしくなってきた。ナイニーカとその従妹の女の子たちが、立ち上がり、おしゃべりを始める。久しぶりに会った親戚と戯れる、何だかとても楽しそうだ。そのうちハイテンションになり、歌い出す。そして狭い通路で踊り出す。しかも若い子がおばさんを挑発し、一緒に歌う。おじさんも茶々を入れる。こんな光景は日本にはないだろう。この一体感は何だろうか。ものすごいパワーが朝から炸裂する。

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2時間ほど走ったところで、バスが停まる。お寺にお参りに行く。婚礼の前には一同でガネーシャにお参りする仕来りだという。靴を預け、裸足で石の床を歩いて行く。大勢が祠の前で頭をつけ、祈る。総勢80人だと時間はかなりかかる。若者の中にはお参りしないで戻る者もいる。これは日本と同じだろう。

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バスはエローラへ向かう道を快適に走る。デカン高原の高低が景観となる。途中にLGの大きな工場が見える。パナソニックもあるらしい。日本ではあまり知られていないが、この辺にも工業団地がある。その近くでバスはドライブインへ入った。そこでも親戚が待ち構えていて、新郎を祝福する。実はその時初めて新郎が誰であるか分かるほど、私はこの結婚式の内容を知らなかった。まずもって関係ない者が行ってよいのか、という疑問があったのだが、朝から色々な人とあいさつすると、長兄の古い友人やら、ラトールさんの高校時代からの友人なども参加していた。そういえば昔日本の結婚式も父の友人を招くなど、よくあったことを思い出す。日本の結婚は本当に変わってしまったのだ。

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そこでチャイとスナックを食べる。朝ごはんを食べずに、さっきもバスの中でスナックを食べた。腹が減っていたのでどんどん食べてしまったが、体にはよくなさそうだ。ロードサイドのチャイは美味い、はここでも生きていた。

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 7.アーメダナガール

結婚式場と宿泊施設

実にラトール家を出てから6時間弱、ついに目的地、アーメダナガールへ到着した。街はこじんまりとした田舎。大きな建物の前でバスが停まり下車。ここが結婚式場らしい。中へ入ると既に大勢の人がおり、並べられた椅子に皆が座る。そして歓迎の儀式が始まった。首に飾り物が掛けられる。新郎には祝福の花輪が。そしてなぜかバスで来た全員に石鹸、シャンプー、歯磨きセットなどの詰め合わせが配られる。これは試供品だろうか、面白い。

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今夜はこの会場の上に泊まるらしい。取り敢えず荷物を持って上へあがる。各部屋には4つのベッドが並べられている。百人以上の宿泊者、どのように部屋割りするのかと見ていると、何のことはない早い者勝ち。皆近親者と同室となる。私とA師はラトールさん、そして奥さんの弟と共に3階の部屋に入る。簡易なベッドだが、寝るのには十分。部屋にはトイレもあり、シャワーも付いていた。

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今後の日程は特に説明されない。インドでは自分から積極的に聞かなければ、何も起こらないことが多い。敢えて部屋で休息。A師と雑談し、次に何が起こるか、完全に待ちの状態でいる。

 

インド アユルベーダの旅(17)プネー 南インドの音楽に魅了される

直ぐに出て来ないお茶

4時前にラトールさんにリキシャに乗せてもらい、チャルンシュンギというお寺に向かう。ここでA師夫妻を待ち合わせだ。リキシャはメーターを付けており、これで料金を払うことになっていたが、接触が悪く、途中でランプが消えるなど、不安定だった。それでも何とか持ち直し、100rpちょっとでお寺に着いた。

 

このお寺、かなりの規模があり、門の所には多くの女性が座っていた。奥の方には大きな建物が見え、それを見学に行こうと思ったところへA師がやってきたので、中は見ていない。これからA師のプネー時代の恩師、パルサネ教授の自宅を訪ねることになっていたのだ。自宅は寺のすぐ近くにあった。というか、昔はこのアパートの敷地は寺の地所だったらしい。

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教授は80歳前後、A師が在学した90年代初頭、プネー大学哲学科の主任教授で、師弟関係が出来ている。奥さんを10年前に亡くして一人暮らし。家事などは家政婦さんがやっているらしい。広い自宅は2つのアパートの部屋を繋いで1つにしている。教授は時々詩を書いており、既に本を4冊出した。突然英語で作った詩を朗読してくれた。

 

30分ぐらいお話していたところ、おもむろに『お茶の用意をしよう』と言って立ち上がった。これが伝統的なインドだとA師はいう。我々の世界ではお客が来たら、すぐにお茶を出し、お菓子をだすが、インドでは、先ず世間話をしてから、お茶の用意が始まり、スナックを食べ、最後にチャイを飲むのだという。そしてこのパルサネ家でもそのように事が運んだ。何という違いだろうか。勿論今はインドも忙しい人が多いので、これは時間のあるケースだろう。

 

ただそのスナックというのが相当ヘビーなご飯のようなもので、教授手ずから皿に取ってくれたのだが、相当の量になっていた。お団子のようなものも食べ、腹一杯。更にバナナも渡され、ギブアップ。これは午後のお茶というより、ランチに近い量だ。それからチャイが出た。砂糖は入っていなかったので、そのまま飲んだが、上質のミルクティだった。今朝までの禁欲的な生活がここで一変した。

 

教授の息子がたまたま来ていた。ドキュメンタリー映画の撮影などをやっているという。商業フィルムは撮らず、社会的に意義のあるものを撮っているらしい。さすが教授の息子。俗人とはかなり違う。

 

コンサートに行き南インドの音楽に触れる

教授の家を辞し、リキシャでコンサート会場へ向かう。インドで音楽のコンサート、ちょっとピンと来なかったが、そのようなソサイアティがあり、A師は古くからの会員になっている。バラモンのコミュニティーだそうで、この辺にカーストが見え隠れする。

 

コンサートは既に始まっており、300人ぐらい入りそうな会場が満員になっている。私は会員の友人として、200rpを支払い入場。席は全く空いていなかったので、会場袖の高くなったところに座り込むしかない。そこにも既に人がいるほどの盛況だった。

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南インドの音楽、カルターナト。バイオリンを逆さにして弾くインテリ風、細長いドラムを軽快に敲く髭もじゃ、そして真ん中にはどしっと座った歌姫が、情感たっぷりに歌う。ベースになる(シタール?)は電子音、歌姫が調整している。歌姫は歌う時、右手で膝を叩き、リズムをとる。会場の聴衆も自然に右手が動く。

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歌は延々と続いて行くのに、飽きなかった。むしろどんどん引き込まれていく。これは私にしては珍しい。勿論この演奏家が上手いということもあるのだろうが、このリズムと歌に魅了される。普通は座っていると足も痛くなるのだが、今日はそれもない。これはアーサナのお蔭だろうか。それにしても、歌い続けている。時々バイオリンやドラム独奏もあるが、2時間も続けている。

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A師によれば、この2時間がクライマックスへののどの調整だという。だが残りの1時間も、それほど違わない調子で歌い続けていた。高音で、どこか哀愁があり、しかし暗くはない。南インドは私が知るこれまでのインドとは別世界のようだ。次回は南へ行こう、とこのとき心に固める。

 

8時半過ぎにコンサートが終わると、ラトールさんが待っていてくれた。バイクで帰宅する。明日は6時出発である。ラトールさん夫妻も忙しい。だが夕飯を作ってくれた。これは有難かったが、夜10時半に食べると、もうカイバリアダーマの生活は一気に崩壊し、世俗に戻る。いや、戻るというより、突き抜けた感じだ。

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インド アユルベーダの旅(16)ロナワラ 娑婆に出た

1月26日(日)

とうとう最終日の朝を迎えた。いつものように6時にキッチンへ行くと誰一人いない。日曜日の朝は寝坊らしい。いつも来る日本人学生2人も今日はホテルで朝飯を食べると言っていた。キッチンスタッフが手持無沙汰に話し掛けて来る。こんなことは初めてだ。ジンジャーティもこれが最後か。でも半分しか飲めない。虫刺されは気になるが、キンカンも忘れてきたらしい。なすがままだ。

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最後の朝のアーサナは先生が違っていた。当然のように行う項目も異なっている。Hさんが言っていた『(いつもの先生は)ストレッチ系が多過ぎ』の意味が分かる。この先生は無理にストレッチをさせず、体と心をほぐすことを重点に行っているようだ。更に心地よい朝となった。

 

朝食をさっさと食べ、最後のジンジャーティを飲み、そして散歩しながら1週間かかわった場所を訪れ、何となく頭を下げた。そんな気持ちだった。9時には部屋に戻り、荷物の整理を終え、少しゆっくりしようとしていると、部屋のドアがノックされ、ドライバーが到着を告げる。ゆっくり荷物を降ろし、オフィスへ行ってチェックアウトしようとしたが、特に何もないと言われ、車手配師のシーク教徒、クックジーの指示で車に乗り込むと、そのまま走り出してしまった。Kさんぐらいには挨拶しようと思っていたが、カイバリアダーマは遠くなっていった。

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 6.プネー2

娑婆に出た

日曜日のせいか、プネーに向かう道路は空いていた。車は思いの外のスピードで進んでいく。周囲は畑や荒れ地もあり、また家が建ち始めているところもあった。この辺りは今後急速に景観を変えていくのかもしれない。話によれば、プネーの空港は今後ロナウラ、プネーの中間あたりに建設されるらしい。いつのことかはわからないが、動きは出て来るだろう。

 

1時間後にはA師の家の近所までやってきたが、運転手が不慣れで、家を探すのに手間取った。この辺り20年前は何もなかった所だったというが、今ではこぎれいなショップが並んでいた。地価が上昇し、元々あった小さな雑貨屋や果物を売る店は立ち退かされ、住むには不便になってきているようだ。

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A師の家は築30年近いアパート。しかし近代化の波は確実に来ており、4Gの接続が昨日終わったのだという。勿論何度も試行錯誤があり、1週間近くかかったようだが。パナソニックのテレビを買い、今日のイベントを見るのだという。インドでは家電はサムソン、LGの韓国勢が圧倒的に強いが、パナソニックも値段を下げて対抗し、健闘しているとのこと。日本製への信頼を武器に、どこまで頑張れるのか。

 

今日のイベント、というのは、ナショナルホリデー。デリーではパレードや式典が催されるが、その主賓は何と安倍首相だという。これにはどんな意味があるのだろうか。日本関係の業務をしているラトールさんなどは、大いに期待を寄せているが、うーん、どうなんだろうか。少なくとも日印関係が良好な証拠には違いないのだが、相手のシン首相も4月に引退することをすでに表明しているので、どの程度の意味合いかはわからない。

 

A師夫妻と共に、プネー大学に寄る。この大学の古い建物はイギリス時代、ボンベイのガバナーの夏のオフィスや宿舎として使われた歴史的なところ。最も象徴的な建物は、長い間保存工事中。また広大な敷地には、ジャングルのような場所もあり、まだまだいくらでも校舎を建てられる余地がある。気象台なども敷地内にある。

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学生が使うカフェに行ってみた。屋外に日差し避けがある程度、お世辞にもきれいとは言えないが、何だかいい雰囲気ではある。ここで1週間ぶりにチャイを飲む。まだ腹に異物を入れる感じは残っているが、美味い。

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そこからラトール家に行き、5階の部屋に行ってみると、ベッドがソファーに替わり、来客があった。日本から来た老人、インドで日本語を教えたことがあり、ラトールさんとも付き合いがある。このあと、一緒にケララ旅行に行くという。A師も交えてしばし歓談。その後A師夫妻は車で空港へ出迎えに行ってしまった。私は勝手知ったる家として、またラトール家に投宿する。

 

腹が減ったような、お腹に入れたくないような、不思議な時間が流れた。3時前にラトールさんがランチを持ってやってきた。実に久しぶりに普通のインドの食事をした。この家の主婦、ビハさんの料理はとにかく美味い。娑婆に出た感じがした。

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インド アユルベーダの旅(15)ロナワラ 尻からオイル漏れ?

1月25日(土)

尻からオイル漏れ?

朝、ジンジャーティをいつものように飲む。ちょっと正常に戻った感じだが、まだ沢山飲むよう状態ではなかった。そして7時過ぎにHさんがムンバイへ向けて出発した。今回はHさんのお蔭で実にスムーズにパンチャカルマに入れた。あまり細かい指示の無いインド、Hさんに聞けば何でも分かったので、大いに助かった。ちょっと寂しい。Kさんも見送りに来ていた。

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そして少し遅れてアーサナクラスへ。途中からアーサナをやると、ちょっとキツイということが分かる。また体力が万全ではないせいかもしれない。今日は土曜日であり、なぜか初めてアーサナをやるようなインド人が何人か来ていた。最後まで真面目に出席していたのは私ぐらいかもしれない。でもアユルベーダとヨーガ、これを組み合わせることがカイバリアダーマの特徴であり、効果を上げるポイントらしい。

 

8時半にいつものようにトリートメントへ行く。今日は全身マッサージ、そしてスチームバス。更に最後に小型注射器で耳にオイルを入れていた。そして綿で耳に蓋をする。2時間は外さないようにと指示が出て、耳が聞こえ難い状態となる。耳にオイルが入っている、何とも不思議な状態だ。

 

9時半に朝ごはん。もうあまり食欲もなく、お粥を食べる。ようは食べたいものがないのだ。そしてすぐにライブラリーへ行き、ネットを繋ぐ。スパイスジェットの予約を今日こそはしなければならない。ところが昨日と別の予約サイトもエラーとなった。これはインドを離れるな、というサインか。この体調と食欲では早くバンコックに戻りたい。その執念が再度スパイスジェット本体の予約画面に入らせ、そして見事に予約できた。でも料金は来た時より1500rpも高かった。まあ仕方がない。LCCなので食事が提供されないため、食事の予約までしてしまう。食べることを渇望している。

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更に予約画面をプリントする必要がある。インドの空港では以前は予約画面や旅行会社の予約を証明できないと空港内に入れないことがあった。今回は大丈夫だと思うが、念のため。ライブラリーはあと5分で午前の閉館となると言われたが、根性でライブラリー備え付けのPCを使いプリントした。その紙はかなり掠れているが、文字は読み取れる。10rpを支払うのに、大仰に領収書が切られる。その為にオジサンが一人座っているのは、如何にもインドだ。

 

ランチにとうとうチャパティが登場した。ほぼ普通の食事に戻っている。ただサラダなどは食べさせてくれない。パンチャカルマ中はサラダとフルーツはご法度のようだ。美味しいはずのチャパティだが、黙々と食べる。今や食べるために物がある感じで決して楽しい食事とはならない。

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直ぐに食べ終わってライブラリーの方へ散歩に行く。日本人のNさんとSさんがいた。Nさんは仏教に興味があるようで、スリランカの話になる。ケララで働いたこともあるという。次回のインド訪問時はケララ州のウーティに行きたいと思っているので話を聞く。そこにニルギリの茶畑があるところのようだ。

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1時半にいよいよ最後のトリートメントがあった。最後は簡単にするのかと思いきや、確かに時間的には短かったが、ちょっと大変なトリートメントだった。先ずは湯たんぽでお腹を温め、それからお尻を温めた。そしてなんと、何の前触れもなく、お尻の穴に棒のようなものを差し込んできた。これには驚く。それから結構な時間、差したままで、そのまま抜いて終了。一体何をしたのか、全く分からなかったが、それからが大変だった。

 

実はお尻の奥にオイルを入れたらしい。それでその後、便意が来るとオイルが穴から逆流するのだ。パンツもズボンもオイルまみれ。オイル漏れとは笑えない。相当長い時間トイレに行き、オイルを洗い流さねばならなかった。外出もできずに困った。

 

マッサージ師は部屋に戻れとしか言わなかった。結局ドクターからの話はないのか、と安堵したが、同時に折角だから聞いてみようという気になる。オフィスへ行くと担当が『え、ドクターとの面談をしていない?それは大変』とドクターに連絡を取っていた。その間にもオイル漏れがあり、部屋に戻る。

 

ドクターが来る前に体重を量ってみた。70.5㎏だった初日から何と3㎏も落ちていた。まあ当然だろう。今後のリバウンドが問題か。ドクターは私のカルテを見て、『健康だ』という。そして食べ物の制限も『生のトマト』の僅か1つ。薬も不要なのでサプルメントを1つ出す、とだけ言う。

 

勿論これからもギーを食べろなどと無理な注文は言ってきたが、基本的に生活に支障はない。これまでの私の旅生活は不健康だと思っていたが、サラリーマン時代よりは余程健康的だったのだろう。ストレスのない生活が健康に一番良いことの証明ではないか。『食べ過ぎに注意』という表現が当たっているようだ。これで気持ちが楽になり、ネットなどをして過ごす。5時からアーサナを行い、6時にはシャワーを浴び、7時過ぎには夕飯を食べる。どう見ても健康的な生活を続ける。

 

だが食事への渇望とは裏腹に、食べる量は多くはならなかった。ライス系は食べず、チャパティ3枚をおかずにつけて食べるだけ。後はお湯を飲む。これでも生きていくには十分の食事量らしい。とすれば、我々は如何に食べ過ぎているのか。食事のバランスと言いながら、品数を増やしているのは、ビジネスの陰謀ではないのか。それでも日本食だったら、たくさん食べられるような気がする。妄想だろうか。

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今日はこれまでのベッドと反対のベッドに寝た。ギーの匂いが染みついたシーツを敬遠したのだが、なぜかこちらには虫がいたらしく、脚を何か所も刺された(実は刺されたのではなく、パンチャカルマにより出てきたものらしい)。そろそろ娑婆が近づいてきている気配がする。夜中に廊下で日本語が聞こえたのも妄想だろうか。それにしても毎日9‐10時間寝ている。ネット接続の短さと茶を飲まない効果だろう。

インド アユルベーダの旅(14)ロナワラ スッキリした朝を迎えたが

1月24日(金)

スッキリと朝を迎えたが

今朝は実にさわやかだった。少し風があるので気持ちが良い。6時にキッチンに下りるが、ティは飲めそうもなく、お湯を飲む。日本人2人から『何だかかなりスッキリした』と言われ、その効果の一端が分かる。確かに顔も心持ち小さくなった気がする。

 

アーサナはお休みして、散歩する。40分もゆっくり歩くとまた疲れる。やはり体力がないのだ。8時半に朝食に行こうとすると、掃除が来た。今日は若者ではなく、おじさんだ。先に朝食を済ませてから掃除を頼む。朝食はSoft Riceと書いてあったが、違うものが出ていた。結局スナックのようなものを渡され、ジンジャーティで流し込んだ。

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この間違って出た物をカンチャパルマと関係ない中国人が取ろうとして、ドイツ人に窘められていた。次々に中国人が取りに来て収拾がつかなくなる。どうやらダルなどは口合わず、胃にも優しいカンチャパルマ用の食事が中国人にはいいらしい。規則に厳格なドイツ人、勿論インド人から見ても、中国人の対応は許せないだろう。『中国人は規則を守らない』とはインド人が良く言うセリフだ。ただ中国人の言い分も分からなくはない。『どうせいつも残っているのだし、自分たちの食事としてこちらの方が相応しい』というのだ。まあルールから見れば中国人に分はないが、そこを中国人は『柔軟性』と呼ぶのだ。

 

掃除してもらっている間、ボーっと外にいると、Hさんが『お先に』という。どこへ行くのかと思いきや、9時半からトリートメントがあることをすっかり忘れていた。既に終わった気分で力が抜けていた。

 

9時半過ぎに急いでいくと、ちょうど担当がやってきて呼ばれる。今日は胸に何かを張り、そこにオイルを垂らした。そのままジッとしている。20分もしていたので、それで終わりかと思うと、今度はメガネのようなものを掛けさせられ、そこにオイルが垂らされる。そして突然『目を開けろ』という。おそるおそる開けてみると、目に軽くオイルが入る。これでクリーニングしているようだ。

 

それが終わると、これから2時間は本を読んだり、画面を見たりせず、ボーっとしているようにとの指示が出る。何となく目がかすんでボーっとなる。しかし部屋ではやることがない。横になって何もしないでいると、『何もしないでいることは本当にできないな』と実感する。瞑想もできない、何もしないでいることが出来ない、確かに体を酷使している。

 

2時間が過ぎ、ランチへ。チャパティは出ないが、おかずは通常に近い。ただどこまで食べてよいか分からず、かなり遠慮気味に食べる。当然後でお腹がすく。そしてまた散歩し、1時半からトリートメント。今回は脚マッサージとフットバス。実は足の裏はかなり汚くなっているのでこれで汚れが取れればと期待したが、無理だった。

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そしてネットへ。今日こそはバンコック行のフライトを予約せねばなるまい。ところが料金も高くなっているうえ、決済に失敗し、予約できず。何故だろうか。3時過ぎにチャイに行くとパパイヤを食べている人がいる。私が今食べたいものはこれであるが、じっと我慢した。バンコックや東京では我慢することが難しいが、ここでは何とか耐えられる。

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そして久しぶりに普通の石鹸で体を洗い、シャンプーで頭を洗った。こんな普通のことで喜ばしくなることが素晴らしい。有難味、というものだろう。食事の前に必ずお祈りするのも素晴らしい。これから私も『頂きます』と祈って食べるようにしよう。

 

5時のアーサナクラスへ行く。今朝と昨日の晩、2回欠席しており、この体調の変化がどう出るか、見たかった。全体的に体は軽くなっている。それで何となく少し体が持ち上がったり、お腹のへこみでひねりが良くなったりしているが、勿論筋力的には良くはならない。体力の問題もあり、途中でやめるものもいくつかあった。本調子とは言えない。

 

トラタカはパスして、休む。どうも体調がすぐれない。食欲はあるが、食べたい日本食などが浮かんでしまい、胃がキューットなる。ただ実際に食べられるわけでもなく、妄想が出る。これは本当に良く無い兆候だと思ったが、後である人に『食べたい物が昨日体から全て排出されたんだ』と言われ、妙に納得。

 

7時半にHさんを誘って夕食へ。もう元気になっているのだから、普通の食事ができると期待していたが、キッチンに行くと何とパンチャカルマ用には、お粥とダルしかない。これにはホトホト失望して、『なんてこった』と思わず声をあげてしまう。隣の親切なインド人のおばさんが、『普通の食事も一部取っていいんだよ』と誘うので、野菜を煮込んだものを取り、食べる。それでも味気ない。これは本当に参った。パンチャカルマはやっている時が大変なのではなく、元に戻す方が余程大変だ、と最初にHさんから言われたが、今この言葉の意味が分かる。

 

その後Hさんと話し込む。Hさんは既にドクターから今後の生活の指示を貰っていたが、それによれば、食べてはいけないものも多く、昼寝もダメ、など、かなり事細かな扱いを要求されていた。私はこんな状態だし、出来ればドクターに会わないで帰ろうと決めた。