インド アユルベーダの旅(16)ロナワラ 娑婆に出た

1月26日(日)

とうとう最終日の朝を迎えた。いつものように6時にキッチンへ行くと誰一人いない。日曜日の朝は寝坊らしい。いつも来る日本人学生2人も今日はホテルで朝飯を食べると言っていた。キッチンスタッフが手持無沙汰に話し掛けて来る。こんなことは初めてだ。ジンジャーティもこれが最後か。でも半分しか飲めない。虫刺されは気になるが、キンカンも忘れてきたらしい。なすがままだ。

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最後の朝のアーサナは先生が違っていた。当然のように行う項目も異なっている。Hさんが言っていた『(いつもの先生は)ストレッチ系が多過ぎ』の意味が分かる。この先生は無理にストレッチをさせず、体と心をほぐすことを重点に行っているようだ。更に心地よい朝となった。

 

朝食をさっさと食べ、最後のジンジャーティを飲み、そして散歩しながら1週間かかわった場所を訪れ、何となく頭を下げた。そんな気持ちだった。9時には部屋に戻り、荷物の整理を終え、少しゆっくりしようとしていると、部屋のドアがノックされ、ドライバーが到着を告げる。ゆっくり荷物を降ろし、オフィスへ行ってチェックアウトしようとしたが、特に何もないと言われ、車手配師のシーク教徒、クックジーの指示で車に乗り込むと、そのまま走り出してしまった。Kさんぐらいには挨拶しようと思っていたが、カイバリアダーマは遠くなっていった。

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 6.プネー2

娑婆に出た

日曜日のせいか、プネーに向かう道路は空いていた。車は思いの外のスピードで進んでいく。周囲は畑や荒れ地もあり、また家が建ち始めているところもあった。この辺りは今後急速に景観を変えていくのかもしれない。話によれば、プネーの空港は今後ロナウラ、プネーの中間あたりに建設されるらしい。いつのことかはわからないが、動きは出て来るだろう。

 

1時間後にはA師の家の近所までやってきたが、運転手が不慣れで、家を探すのに手間取った。この辺り20年前は何もなかった所だったというが、今ではこぎれいなショップが並んでいた。地価が上昇し、元々あった小さな雑貨屋や果物を売る店は立ち退かされ、住むには不便になってきているようだ。

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A師の家は築30年近いアパート。しかし近代化の波は確実に来ており、4Gの接続が昨日終わったのだという。勿論何度も試行錯誤があり、1週間近くかかったようだが。パナソニックのテレビを買い、今日のイベントを見るのだという。インドでは家電はサムソン、LGの韓国勢が圧倒的に強いが、パナソニックも値段を下げて対抗し、健闘しているとのこと。日本製への信頼を武器に、どこまで頑張れるのか。

 

今日のイベント、というのは、ナショナルホリデー。デリーではパレードや式典が催されるが、その主賓は何と安倍首相だという。これにはどんな意味があるのだろうか。日本関係の業務をしているラトールさんなどは、大いに期待を寄せているが、うーん、どうなんだろうか。少なくとも日印関係が良好な証拠には違いないのだが、相手のシン首相も4月に引退することをすでに表明しているので、どの程度の意味合いかはわからない。

 

A師夫妻と共に、プネー大学に寄る。この大学の古い建物はイギリス時代、ボンベイのガバナーの夏のオフィスや宿舎として使われた歴史的なところ。最も象徴的な建物は、長い間保存工事中。また広大な敷地には、ジャングルのような場所もあり、まだまだいくらでも校舎を建てられる余地がある。気象台なども敷地内にある。

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学生が使うカフェに行ってみた。屋外に日差し避けがある程度、お世辞にもきれいとは言えないが、何だかいい雰囲気ではある。ここで1週間ぶりにチャイを飲む。まだ腹に異物を入れる感じは残っているが、美味い。

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そこからラトール家に行き、5階の部屋に行ってみると、ベッドがソファーに替わり、来客があった。日本から来た老人、インドで日本語を教えたことがあり、ラトールさんとも付き合いがある。このあと、一緒にケララ旅行に行くという。A師も交えてしばし歓談。その後A師夫妻は車で空港へ出迎えに行ってしまった。私は勝手知ったる家として、またラトール家に投宿する。

 

腹が減ったような、お腹に入れたくないような、不思議な時間が流れた。3時前にラトールさんがランチを持ってやってきた。実に久しぶりに普通のインドの食事をした。この家の主婦、ビハさんの料理はとにかく美味い。娑婆に出た感じがした。

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