インド アユルベーダの旅(17)プネー 南インドの音楽に魅了される

直ぐに出て来ないお茶

4時前にラトールさんにリキシャに乗せてもらい、チャルンシュンギというお寺に向かう。ここでA師夫妻を待ち合わせだ。リキシャはメーターを付けており、これで料金を払うことになっていたが、接触が悪く、途中でランプが消えるなど、不安定だった。それでも何とか持ち直し、100rpちょっとでお寺に着いた。

 

このお寺、かなりの規模があり、門の所には多くの女性が座っていた。奥の方には大きな建物が見え、それを見学に行こうと思ったところへA師がやってきたので、中は見ていない。これからA師のプネー時代の恩師、パルサネ教授の自宅を訪ねることになっていたのだ。自宅は寺のすぐ近くにあった。というか、昔はこのアパートの敷地は寺の地所だったらしい。

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教授は80歳前後、A師が在学した90年代初頭、プネー大学哲学科の主任教授で、師弟関係が出来ている。奥さんを10年前に亡くして一人暮らし。家事などは家政婦さんがやっているらしい。広い自宅は2つのアパートの部屋を繋いで1つにしている。教授は時々詩を書いており、既に本を4冊出した。突然英語で作った詩を朗読してくれた。

 

30分ぐらいお話していたところ、おもむろに『お茶の用意をしよう』と言って立ち上がった。これが伝統的なインドだとA師はいう。我々の世界ではお客が来たら、すぐにお茶を出し、お菓子をだすが、インドでは、先ず世間話をしてから、お茶の用意が始まり、スナックを食べ、最後にチャイを飲むのだという。そしてこのパルサネ家でもそのように事が運んだ。何という違いだろうか。勿論今はインドも忙しい人が多いので、これは時間のあるケースだろう。

 

ただそのスナックというのが相当ヘビーなご飯のようなもので、教授手ずから皿に取ってくれたのだが、相当の量になっていた。お団子のようなものも食べ、腹一杯。更にバナナも渡され、ギブアップ。これは午後のお茶というより、ランチに近い量だ。それからチャイが出た。砂糖は入っていなかったので、そのまま飲んだが、上質のミルクティだった。今朝までの禁欲的な生活がここで一変した。

 

教授の息子がたまたま来ていた。ドキュメンタリー映画の撮影などをやっているという。商業フィルムは撮らず、社会的に意義のあるものを撮っているらしい。さすが教授の息子。俗人とはかなり違う。

 

コンサートに行き南インドの音楽に触れる

教授の家を辞し、リキシャでコンサート会場へ向かう。インドで音楽のコンサート、ちょっとピンと来なかったが、そのようなソサイアティがあり、A師は古くからの会員になっている。バラモンのコミュニティーだそうで、この辺にカーストが見え隠れする。

 

コンサートは既に始まっており、300人ぐらい入りそうな会場が満員になっている。私は会員の友人として、200rpを支払い入場。席は全く空いていなかったので、会場袖の高くなったところに座り込むしかない。そこにも既に人がいるほどの盛況だった。

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南インドの音楽、カルターナト。バイオリンを逆さにして弾くインテリ風、細長いドラムを軽快に敲く髭もじゃ、そして真ん中にはどしっと座った歌姫が、情感たっぷりに歌う。ベースになる(シタール?)は電子音、歌姫が調整している。歌姫は歌う時、右手で膝を叩き、リズムをとる。会場の聴衆も自然に右手が動く。

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歌は延々と続いて行くのに、飽きなかった。むしろどんどん引き込まれていく。これは私にしては珍しい。勿論この演奏家が上手いということもあるのだろうが、このリズムと歌に魅了される。普通は座っていると足も痛くなるのだが、今日はそれもない。これはアーサナのお蔭だろうか。それにしても、歌い続けている。時々バイオリンやドラム独奏もあるが、2時間も続けている。

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A師によれば、この2時間がクライマックスへののどの調整だという。だが残りの1時間も、それほど違わない調子で歌い続けていた。高音で、どこか哀愁があり、しかし暗くはない。南インドは私が知るこれまでのインドとは別世界のようだ。次回は南へ行こう、とこのとき心に固める。

 

8時半過ぎにコンサートが終わると、ラトールさんが待っていてくれた。バイクで帰宅する。明日は6時出発である。ラトールさん夫妻も忙しい。だが夕飯を作ってくれた。これは有難かったが、夜10時半に食べると、もうカイバリアダーマの生活は一気に崩壊し、世俗に戻る。いや、戻るというより、突き抜けた感じだ。

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