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バンコク滞在記2023その1(4)潮州系の若者たち

そのレストランの向こうには、おしゃれなカフェがあった。スティーブンの用事で訪ねたのだが、何とここでは日本茶が飲まれていた。お茶請けも抹茶アイスから団子まで、和のテーストがふんだんにあって驚いた。このカフェのオーナーTは38歳で、潮州系の4代目。高校からアメリカに留学し、30歳で一号店を開き、現在バンコクに7店舗を持っているという。ちょうど今日は一号店開店から8周年の記念日だとか。

抹茶だけでなく煎茶などもかなりこだわって出している。お茶は全てTが日本へ行き、茶農家を1軒ずつ訪問して仕入れてくるというからすごい。竹炭の抹茶アイスはかなり斬新でおしゃれ。お店の雰囲気も良く、常にお客で満員状態だった。ピースという名前はバンコクでかなり知られている存在だった。

その後Yさんとルンピニ公園で休息。ここで潮州人とは何か。今日の調査を踏まえて3時間に渡り、Yさんの講義を聞いたのは大変参考になった。福建人や広東人は身近な存在だったが、潮州人は全くと言ってよいほど分からない。例えば台湾で潮州系に出会ったことはない(こちらが聞かない、意識していないからだろうか)。日本で潮州人を研究している人はかなり少ないようなので、何とも有難い。今後は潮州人と潮州地域について、もっと気を配りながら旅をしたい。

2月24日(金)バンコクの金継ぎ師に会う

今日は午前中をお休みとして、昼から出掛けた。バンコクもどんどん暑さが増してくる季節に入った。バスも何となくすぐに来ない。今日は乗ったことがない路線に乗る。しかも途中で乗り換える。まあ今はアプリがあるので、いつ来るのか分からない、という状態ではないが、渋滞などもあれば、ちょっと面倒ではある。

訪ねたのは、バンコク中心部にありながら、BTSやMRTが通っていないため、昔の雰囲気が残る地域。そして華人が多く住んでいそうな場所だった。訪ねた人も潮州系華人の4代目。成功した華人が建てたビルに住み、その屋上に工房を構えていた。ただ彼はまだ若く、非常に柔軟性がある。潮州から渡ってきたお爺さんが、工夫茶が好きで、彼も幼い頃より興味を持ったらしい。

バンコクで金継ぎとは珍しい。彼によれば、8年ほど前に始めたが、バンコク最初の金継ぎ師だという。そして日本人の師匠を持たず、自力でノウハウを集め、バンコクに合う材料を探して、活動している。今では金継ぎ教室の講師をしたり、バンコク在住日本人からも依頼が舞い込んでくる、知られた存在らしい。茶の歴史ばかりではなく、バンコクの華人は非常に興味深い。

バスで一度宿に戻る。夕方、パンを買いに行くついでに、偶には食べたいとはちばんらーめんへ行く。ラーメンのお供に、いつの間にかメンチカツというメニューが出来ており、思わず注文する。ところがラーメンが出てきて食べていても一向にメンチカツは出てこない。結局別々に食べる羽目になる。まあタイだから仕方がないとは思うものの、やはりどうなんだろうとも思ってしまう。

2月25日(土)ミライさんと

朝はいつものコムヤーンを食べて、そこから近所の散歩。実は昨年ホテルが出来たことにより、裏の道への通路が確保された。そこを通ると、裏側は完全な下町の風情。トウガラシや肉が屋外で干されており、これが食卓に上るのかなと眺めてしまう。簡単な食事を提供する店もいくつかあるが、近所の顔見知りしか食べられない雰囲気もある。

夕方バスに乗ってアソークへ。そこからスクンビットを歩いてナナまで行ってみる。目的は本屋探しだったが、英語の本屋はかなり撤退しており、見付けられない。こんなに観光客は戻ってきているのに、一度無くなったものが復活するのは難しいようだ。そこから今度はプロンポーン方面へ歩く。かなりの距離の散歩となる。先日チェンマイで訪ねたMonsoon Teaのバンコク支店があるというので行ってみる。だがよく見ると6時閉店となっており、前まで行って引き返す。

バンコク滞在記2023その1(3)ヤワラー案内人に会う

2月22日(水)ヤワラー案内人に会う

本日はチェンマイで出会った華人研究者から紹介された『ヤワラー案内人』、ソムチャイ氏と会う予定となっていた。ちょうどチェンマイで知り合ったばかりのY氏が潮州人研究者ということで、同行してもらう。まずはヤワラーに泊まっているY氏のホテルへ行く。こんなところにホテルがあるのかとちょっと驚く。そこからいつものジョークを食べに行く。

そして待ち合わせ場所へ。ソムチャイ氏もサンペン市場出身の潮州系ということで、お話を聞くべく、近所の小さなカフェへ行く。ヤワラーの歴史、潮州系華人についてなど、多岐に渡る我々の質問に英語で丁寧に答えてもらった。潮州系華人から直接話を聞く機会はあまりなく、大変参考になる。ソムチャイ氏はヤワラーを紹介する活動をずっと行っているので、回答の要領が良い。

お昼になり、ソムチャイ氏は『ヤワラーに3軒しか残っていない伝統的な潮州料理の店に行こう』と連れて行ってくれた。そこはヤワラー大通りを少し入ったビルの2階。知らない人はほぼ入れないレストランだった。階段に一人用の昇降機が設置されており、その客層、年齢層が分かる。

かなり広い店だったが、お客はいなかった。テーブルとテーブルの間がかなり空いているのはコロナのせいかと思ったが、ソムチャイ氏は『いや。昔からかなりあいていた。以前は商売の話や金の貸し借りもやっていたから、あまり近いと不都合だった』というので、妙に納得。実は潮州商人の生々しい現場だったのか。Yさんはかなり詳しいヒアリングを行っている。

料理は実に美味しかった。焼売が広東風ではない。魚の胃袋スープも潮州系だったのか。タイ料理でいうクイッティアオより、濃厚な麺。勿論ふかひれやカニなどもふんだんにメニューに載っているが、そんなものを食べなくても十分に満足できる。午後1時頃まで誰もいなかった店内だが、そこから数組が次々に訪れて盛況となる。まるで香港時間のランチのようだった。

ソムチャイ氏と別れて、ヤワラーを歩く。古い建物が目に付く。川まで歩いて行くと、気持ちよい風が吹いている。またヤワラー通りに戻り、更に細い路地に入っていく。ベトナム寺がある。本当はダブルドッグへ行こうと思っていたが、2時になっても閉まったままなので、諦めて王さんのところへ行き、お茶を飲む。潮州人を研究しているとYさんを紹介すると、潮州人との商売の苦労話が沢山出てきた。それは潮州人主体のヤワラーで商売するのは大変だったであろう。潮州人は商売人だと良くわかる。

2月23日(木)ヤワラーの潮州茶荘とおしゃれなピース

何と2日続けてヤワラーに行く。今日はチェンマイで出会ったスティーブンの案内で、潮州系茶行を訪ねた。そこはファランポーン駅から橋を渡ってすぐのところにあり、何度も前を通っていたが、入ったことはなかった。昨日も会ったYさんもすぐそこに宿泊していたので、合流する。

美記茶行は創業100年を越えているという。福建系が大体1930年代創業が多いなか、1910年頃となると、店舗を持っていたのだろうか。それともバンコクに渡ってきた年代なのだろうか。天秤棒で担いで売り歩いた名残の木桶が見られる。店主は陳氏の3代目だというが、華語はあまり話さない。この店舗は戦後の建物だろうか。奥では今も茶葉の焙煎がされており、老舗には違いない。コロナ禍においては、ネット販売なども始めているようだ。

潮州と言えば、今では鳳凰単叢など有名な烏龍茶があるが、往時は福建茶を主に商っていたという。面白いことにお茶は福建から来るのだが、船はスワトウの港から出ており、茶葉は一度スワトウに集められていたらしい。それほどスワトウ(潮州)-バンコク航路は乗客がいたということだろう。

それからスティーブンの車に乗って、ルンピニ公園の北側にある、立派なモールの、立派なレストランの屋外で、ご馳走になる。ガチョウをはじめ、潮州系の味付けの物を沢山味わって至極満足。こんなところにこんな場所があるなんて、全く知らなかった。腹が一杯で動きがかなり鈍くなる。

バンコク滞在記2023その1(2)インスタ映えする古民家で

2月20日(月)日常の食事

今朝はゆっくり過ごす。やはり旅の疲れは確実に出ている(今も旅の途中だが)。昼にYさんといつもの食堂で、いつもの食事をすると、本当にホッとする。そしていつものおじさんから、いつものようにフルーツを買い、いつものような午後を過ごす。そんな日もあってよい。

夕飯は近所のマックへ行ってみる。何しろチェンマイではValue Mealが無くなっていたことにショックを受けたので、バンコクでも無くなったのか確かめに来た。だが予想に反して99バーツセットは健在で、いつもの席で食べる。チェンマイのあれは何だったのだろうか。それをある人に話すと、『スクンビット界隈でも、そんなセットはないよ』と言われて驚く。

マックは戦略的に、外国人が多い地域、地元民が買う地域などを分けているのではないか。白人にとってマックが160バーツでも高いとは感じられないが、日本人にとってはちょっと高い。どうやって店舗を分けているのか、少し興味がある。まあ私は近所で99バーツセットを時々食べれば満足ではある。

2月21日(火)優雅なランチ、久しぶりのディナー

本日は『名建築で昼食をIn Bangkok』で、Mさんが見付けてくれた古民家レストランへ向かう。ここは宿泊先から徒歩15分ぐらいだったので、暑い中を歩いて行く。正直入ったことのないソイへ行き、バンコクも広いな、まだまだ知らない所ばかりだなと感じる。そしてその道路脇にさりげなく、店の看板が出ていたが、建物の全貌は見えていないので、まさかここに古民家があるとは気が付かない。

入っていくと意外なほど古風な建物だった。お客は誰もおらず、奥の立派な席に案内された。折角なのでと周囲を見学し始めると、店の人が案内してくれ、2階まで見せてくれた。かなり広い家屋、どうやら100年以上前の商人の住まいだったらしい。仏間などの様子に何となく華人の雰囲気もある。

食事は勿論いつも食べている物よりは高いが、この空間で食べる、インスタ映えするセット、美味しいパッポンカリーなど、色々と楽しめてよい。2階は予約すれば、10人程度の会合も出来る。帰り際に見ると、中国人が数人でお茶を飲んでいる。ここをカフェ代わりに使えれば、それはそれでいい利用法ではないかと思う。

午後はリラックスして過ごす。夕方Yさんと待ち合わせてご近所のソントーンというレストランへ行く。恐らく10年近く行ったことがない店だった。ただ先日表でムーサテを焼いているのを見て、どうしても食べたくなり、Yさんに付き合ってもらった次第だ。まだ5時台だというのに、既に数組の客が食べている。我々の後から日本人グループが2組も入ってきた。いまだに日本人などの観光客に人気のようだ。

私はムーサテがあればよかったのだが、何と10本からしか売らないという。Yさんが交渉して、何とか6本にしてもらい、ようやく食べられた。ここのタレは美味しいと思う。Yさんは後ろでオーナー家族が食べている焼きそばの山を見て、これが食べたいと注文し、『こんな旨い香港焼きそばは食べたことがない』と歓喜する。

だが私にしてみれば、この程度の焼きそばは香港の飲茶屋ならどこにでもあると思ってしまった。そこで分かったことは、バンコクには広東料理屋は多くなく、また本格的に美味しい広東料理はバンコクでは食べられない、ということだった。魚は蒸した物が食べたかったが、大き過ぎて2人では食べられず、揚げた魚にした。ここのオーナー家族はどこから来たのだろうか。ちょっと興味が沸いてくる。

バンコク滞在記2023その1(1)タイ人の日本旅行熱

《バンコク滞在記2023その1》  2023年2月18₋26日

2月18日(土)バンコクにて

チェンマイからのフライトは順調にドムアン空港に到着した。今日はどのようにして定宿へ帰りつくのがよいかと考えたところ、Boltを呼んでみようと思いつく。車はすぐに捕まり、ピックアップポイントへ行ったが、かなりの人がそこで車を待っており、大混雑。自家用車や家人の迎えを待っている人もいるだろうが、その多くはGrabなどの配車アプリを使っており、皆が車を探して右往左往している。

私も予約した車を見付けられず、運転手からの通話はタイ語のみで反応できず、何と先方から予約キャンセルを食らってしまった。そこでちょっと火が付き、何としても乗ろうともう一度予約する。車がすぐに捕まるのは、観光客などを当てにして、待機しているドライバーが多いのだろう。今度は何とか探し当て、車に乗り込み一安心。

ドライバーは若い。普通のタクシー運転手は必ず『ハイウエー?』と聞いてくるのだが、彼からその問いはなく、推移を見守る。彼は地図アプリをセットして、忠実にその通り進んでいく。このルートは私が一度も経験したことがなく、どうなることかとドキドキ。ずっと下道を走り、何とナナあたりからスクンビットを越え、宿まで約1時間かけて辿り着く。これで250バーツはかなり安い。暇な時は今後ものこのルートを使いたいが、普通の運転手が応じるだろうか。

夜は買い物に出て、そこで巻きずしを買って帰り、部屋で食べた。チェンマイでは食べたいとも思わなかった日本食、そしてその価格はコロナ前と比べると20%は上昇しているのに、目の前に現れるとつい手が出てしまう。バンコクの物価はチェンマイとは比べられないし、誘惑も多い。

2月19日(日)旅行イベントへ

今朝はさわやかに目覚める。チェンマイはPM2.5がすごくて、散歩に出る気分が削がれていたが、バンコクは随分マシのようだ。クロントイ市場を抜けて行くと、今日も活気がある。漬物などに目が行くが、チェンマイとはちょっと品物が違う。MRTの先まで歩くと、新装なったコンベンションセンターが見えてくる。

かなり立派になった建物、ここで昨年G20会合が開かれたらしい。建物の中はかなり広く、イベント会場を探すのが大変だ。基本的に地下にあり、行って見るといくつかのイベントが並行して行われている。私は迷わず旅行イベントへ向かう。入口ではQRコードを読み取り、登録すれば入れた。

まだオープンしたばかりの会場、人はまばらだったが、日本関係のブース周辺だけに人が集まっているのが良く分かる。韓国、香港、台湾ブースもあるのに、なぜ日本にだけ人が集まるのだろう。既に感じていることではあったが、タイ人の日本旅行熱は半端なくすごい。その熱量を肌で感じる機会となる。日本側も都道府県ベース、ホテルベースなど、他国が国ベースなのに比べて、相当に細かい。気合が入っているが、その気合は成功するだろうか。

建物の横には大きな池があり、公園になっている。一度も入ったことがなかったので、ちょっと覗いてみる。日曜日の午前中、ランニングする人、散歩する人などが思い思いの時間を過ごしている。こんな近くに、リラックスできる空間があることを再認識する。そこからアソークまで歩き、BTSに乗る。

ランチの約束が、エカマイであった。そこはタイ料理屋だったが、家族連れなどでかなり賑わっている。タイ人が多いこともあるが、チェンマイと異なり、多くの客がマスクをしているのが気になる。今回チェンマイ旅をアレンジしてくれたUさん一家と会い、ここでイサーン料理などを美味しく頂きながら、チェンマイでの出来事を報告していく。

帰りに車でプロンポーンまで送ってもらい、そこから本屋へ行く。チェンマイで紹介されたオランダ偉人が英語で書いた世界の茶に関する本を手に入れたいと考えたのだが、係員に検索してもらうと、『この本の扱いはありません。Amazonで探したら如何ですか?』と言われてしまう。世はアマゾンの時代なのだ。

チェンマイ滞在記2023 その4(6)チェンマイを去る

2月17日(金)メーカー運河をお散歩

チェンマイ滞在も残り2日。今朝はお粥を食べに行く。この店は3回目だが、かなり気に入っている。やはり粥にしっかり味が付いているのが良い。先週はここから北へ行き、雲南朝市に顔を出したが、今日は南へ行ってみる。チェンマイに来てすぐに車で通りかかったメーカー運河を歩いてみた。

北海道の小樽運河に準えて整備されたとも聞いたが、それにしては規模が小さい。だが橋のところから歩いてみると、川沿いにかなり長いエリアが整備されており、飲食店も出来ている。大きな木などもあり、散歩している人もちらほら程度で、結構気持ちよく歩けた。2㎞ぐらい歩いただろうか。

そこから北に折り返す。結構歩くと広肇同郷会があった。チェンマイに華人は多いと感じているが、同郷会はこんなところにあるのか。中を見学しようとしたら、すごい勢いで犬が2匹が駆け出してきたので、慌てて退去した。更に行くと海南会館もある。こちらには犬はいなかったので、ゆっくり見学した。

一旦部屋に戻り休息。昼にターペー門へ行く。先日リス族村で出会ったUさんが、その先輩と一緒にランチを食べようと誘ってくれたので、出向く。3人で城内の中国料理屋へ向かう。ここは気になっていたが入ったことはなかった。店の人の中国語が非常に分かりやすい。聞けば台湾で働いていたらしい。それらしいメニューが並んでおり、喜ばしい。腹一杯食べる。

Uさんはリス族、先輩のYさんは潮州人を研究しており、特に潮州人についての話題で盛り上がる。我々は潮州人について実はほとんど知らない。台湾では客家は注目されるが潮州人と会ったことはない。とにかくマイナー民族、地域の研究者は少ないと知り、残念に思う。もっと勉強したい。

午後は荷物の整理に充て、夕方最後の晩餐に出る。何を食べようか迷ったが、何となくナイトマーケットへ行き、中華弁当にしようと向かう。だがなぜか弁当はない。単品で注文すると、焼きそばはすぐできたが、春巻きに時間が掛かる。まあ屋外でゆっくり食事するのも当分ないかもしれないと思いながら、一気に食べて帰る。

2月18日(土)ついにチェンマイを去る

ついに最後の朝を迎えた。何となく早く起きてしまう。窓の外から見えるプールも今日が見納め。結局ほぼ入らなかった。最後の朝はクラブサンドイッチを食べに行く。きれいなカフェでコスパも良い。店員の応対も丁寧だ。さわやかに食べて、さわやかに去る。今日はとても良い天気で、思わずターペー門で写真を撮る。毎日のように通った道に別れを告げる。

昼まで最終準備をして、12時にチェックアウトした。この1か月、掃除の人が何時に来るか、いつ部屋を空けるべきかと毎日考えていたが、今日はその必要が無かった。チェックアウトとフロントに言っても、特に感慨もなくすぐにOKになる。確かにこの1か月、この宿で大きな問題はなかった。だからフロントの人を煩わせることもなく、仲良くなる機会もなかった。

少ししたらNさんが車で迎えに来てくれ、空港まで送ってくれるという。しかも時間があるのでランチを食べようと、城壁付近の食堂へ入る。この店もどう見ても華人系だった。名物の薬草入り麺を食べる。これは予想以上に美味しい。こんな店もあったのかとまた一つ発見する。

空港までは僅か10分。入口で降ろしてもらい、Nさんは車を駐車してから来るという。ところが駐車場が満杯で結局最後は会わずにお別れとなった。チェンマイも既に観光業の回復が顕著ということだろうか。空港内に入ると、すごい行列があり、驚く。だがそれは私が乗るフライトではなく安心する。外国人もいるが、タイ人が多い。やはり国内線だからだろうか。

私の乗るライオン航空はいつも空いているのが有難い。チェンマイ空港、預け荷物は計量後、自ら共同の検査台に持込み、預けなければならない。私の荷物は来た時より重くなっているが、それでも20㎏ちょっとだったので、何とか運ぶ。フライトは特に遅れもなく、どんどん出て行く。チェンマイは街もコンパクトだが空港もサイズが良い。次回はもっと長い期間滞在したいと思う。

チェンマイ滞在記2023 その4(5)城内を西へ行くと

宿へ戻る道は昔の街道沿いだったのだろうか。古めかしい華人商店などが並んでいるのが、漢字表記で分かる。一部はおしゃれないカフェなどに改造されており、観光客相手の商売に替わっている。チェンマイ市街地の地形、というのも、もう一度その歴史を見直してみる必要がありそうだ。

2月16日(木)おしゃれなカフェで

本日の天気予報は雨。朝窓から外を見ると何となく降っている感じがする。チェンマイに来て夜中に雨が降ったことはあるが、昼間の雨は初めてだった。それでも10時頃には上がってしまったので、取り敢えず散歩がてら外へ出た。昨日は東に歩いたので、今日は西に向かってみる。

Uさんから『SPチキン』という名を聞いていたので、そこまで行ってみる。ワットプラシンのすぐ近くにその店はあった。いかにも華人の食堂で、表でチキンがグルグル回っている。店員が私に中国語か日本語か、どちらのメニューを渡すべきか悩んでいた。取り敢えずガイヤーンハーフと空心菜炒め、そしてカオニャオを注文する。

ガイヤーンはさすが大きかったが、何となく平らげた。空心菜炒め、実に久しぶりに食べる中国的味で嬉しい。日本人も以前はたくさん来ていたようで、日本語の紹介記事なども貼られている。ガイヤーンは外国人にも食べやすいので、確かに必要不可欠な食べ物だろう。次回はちょっと別の物を頼んでみたい。

ワットプラシンにも入ってみた。今や観光客が戻ってきたチェンマイのこと、ここには白人や韓国人、また日本人も来ており、ちょっと騒々しくなっていた。その裏側に回ると、年老いた母親を車いすに乗せて、お参りしているタイ人がいた。母親はこれが最後のお参り、という感じで気力を振り絞り、車いすから降りて一心に祈っている。その横でそれを見ている息子、ちょっと感動した。

近くにアカコーヒーの店があった。先日アカ族村でコーヒーを飲んだこともあり、ちょっと寄り道してみる。だがここはかなりデザインがおしゃれなカフェで、若者を中心にお客で満員だった。皆思い思いにスマホを眺めて時間を送っている。写真を撮る客も多く、如何にもインスタ映えする店だったが、私のような老人には少し落ち着かない感じだ。

チェンマイ歴史資料館があったので、寄ってみた。だが何だか展示などが見当たらない。よく見ると現在閉館中であった。その向こうにはアートカルチャーセンターがあったが、ちょうど社会科見学の生徒が来たのでパスして、一旦宿へ帰った。その後何となく疲れてしまい、うだうだと午後を過ごす。

夕方何故かもう一度さっきの方に歩いてみる。実は部屋の下のプールサイドで昼間から宴会が行われていて、下手なカラオケが響き渡り、居たたまれない。夕日に寺が映えている。夕方は西へ向かうのが良いような気になる。ここチェンマイでは時々寺の美しさに見惚れることがある。

夕飯はその辺の食堂に入る。白人が多いかな、と思っていると、少女が手伝いでやっているのか、要領がよくないので、注文が溜まってしまう。そこへ中国人女子が外から食べ物を持込、コーラだけ頼んで食べている。なにが正解か分からない混沌とした世界。薄暗くなったが、カラオケの終了時間が分からず、更に歩いて行く。

ついに城壁の反対側まで来てしまう。ここに公園がある。先日フラワーフェスティバルの会場になったところで、まだその時の花が残っていて美しい。公園の真ん中では、ダンスに興じるおばさんたちの音楽が鳴り響く。その周囲をランニングするおじさんたちがいる。案外広い公園であった。

宿へ戻る途中、市場近くに屋台街を発見。インドのビリヤニなどもあり、ちょっと食べたくなったが堪えた。もう少し早く知っていれば来たのに。チェンマイはまだまだ知らないことばかり。次回はもう少し長く、更にディープな滞在をしたいと思う。宿に戻るとカラオケは終わっており、周囲は静寂に包まれていた。

チェンマイ滞在記2023 その4(4)初めてのドイステープで

2月14日(火)初めてのドイステープで

チェンマイには何度も来ているが、チェンマイ有数の観光地、ドイステープに登ったことはこれまで一度もない。今回は1か月の滞在だから、暇な時に登ろうと考えていたが、何と意外と忙しく、ついに今日まで機会がなかった。もうあと数日でチェンマイを離れることから、何としても登りに行く。

チャンプアック門からソンテウが出ていると聞き、行ってみると、確かに門の外側にソンテウが何台も停まっていた。一人60バーツと書かれているが、これは10人集まって乗った場合の話らしい。私の他にロシア人家族とタイ人女性の合計6人しか乗車希望がなく、運転手が『一人100バーツ出せば今すぐ行く』と声を掛け、見事に車は走り出した。

途中までは平地を行くが、そこからの上りは意外とカーブが多く、何だか日光いろは坂を思い出す。特にソンテウで周囲が良く見えないことが余計に気分を悪くする。30分ぐらいで何とか寺まで辿り着く。思っていたよりはるかに大きく、立派な寺がそこにあり、観光客も多かった。

階段が300段以上あり、膝に負担がかかるが、何とか登り切る。そこで外国人だけ入場料を払えと書かれているのがイマイチ。しかしチケットをチェックする人は誰もいなかった。中はかなりきれいな状態で、写真撮影には良い。だから人気があるのだろう。一緒にソンテウに乗っていた女性が一人祈りを捧げている。何かあったのだろうか。僧侶の一団が記念撮影に余念がない。

帰りもソンテウに乗り込む。今度は客の集まりが良い。私が助手席に座っていると、その後ろに乗ってきたのは、何と日本人だった。しかも彼はある競技に出るためタイにやってきたのだが、その会場はチェンマイではなく、何と私が昨年訪ねた、タイ最南部ベートンだというから驚いた。こんなところでベートンへ行く日本人と遭遇するとは。しかも彼は朝5時に起きて、この山を走って登ったらしい。

下まで降りてくると3人でランチに行く。牛肉麺を食べながらFさんの競技について、故郷についてなど、話が進む。すると突然Fさんと一緒にいたミャンマー人女性が、ミャンマーの現状について語りだす。あまりに大きな声を出して英語で話すので、周囲も聞き耳を立て始める。ちょっと衝撃の真実が語られる。まあこんな出会いもチェンマイならではかと感じる。

部屋に帰ってみると、掃除されたベッドの上に、チョコレートが載っていた。何とバレンタインデーのプレゼントらしい。先日は旧正月のミカンもあり、なかなか粋なホテルだと感じる。夕方ちょっと外へ出た。食欲はあまりなかったが、クリスピーポークが食べたくなり、汁なし麺の上に乗せてもらい、食す。何だかこのポークに妙に嵌ってしまった。

2月15日(水)初めてチェンマイ駅へ行く

今朝も涼しい。朝ご飯にカイダオとパンを食べてから、周囲を散歩する。何となくナイトバザールの方へ向かうと、中華風の建物が見えた。修徳善堂と書かれた立派な門と堂がある。門の横にはタイ語と漢字で『棺桶の寄贈』について書かれていた。この辺に華人の共同体の存在が見られる。

何となく気分が乗ってきてそのまま細い路地を歩いて抜けて行く。全くの思い付きでチェンマイ駅を目指すことにした。これまで何人もの人からバンコクまで夜行列車に乗った話を聞いてはいたが、一度もトライしたことはなく、駅へ行くこともなかった。駅が遠いというのも理由の一つだったが、確かに東に3㎞ほど歩いた。途中におしゃれない市場などはあったが、特にこれと言ったものは見当たらない。

駅は予想していたものより小さかった。時刻表を見ても1日10便程度しか走っておらず、午前中の列車の往来もなく、閑散としたホームと待合室を眺めた。バンコクの駅がファランポーンから新駅に表示替えになっていたのが目を惹く。確かにここまで切符を買いに来るのは大変だったろう。今はネットで買えるのだろうか。今度一度試してみたい。

チェンマイ滞在記2023 その4(3)突然JJマーケットへ

2月12日(日)突然JJマーケットへ

翌朝はさすがに腹が減らない。10時過ぎて散歩に出て、またジョークを食べる。この辺が軽い食べ物ということだ。そのまま散歩を続けた。以前出されたクッキーが意外と美味しかったので、買ってみたいと思い、Googleで調べて歩いて向かう。途中『WASEDA』と大きく書かれた学校を見た。あの早稲田かと思ったが、どちらかというと早稲田ゼミの雰囲気か。語学学校で、タイ人に日本語や英語を、日本人にはタイ語を教えているらしい。

実はそのクッキー屋は予想以上に遠くにあり、しかもそこにあったのは工場だった。恐る恐る工場の人に『クッキー』と言ってみると、何とも親切に工場の前にあるショップまで案内してくれた。ショップのスタッフも大変親切で驚く。顧客満足度向上とはこんなところから来るのではないだろうか。思わず余計に買ってしまい、売り上げに微々たる貢献をする。

だいぶん暑くなってきたので、フラフラしながら歩いて帰途に着く。ところが途中でトイレに行きたくなり、ふと見るとそこにマーケットがあったので、その中のトイレを借りた。出て来るとちょうどあのMonsoon Teaのショップがある。庭では日曜日のマーケットが開かれ、服などが売られている。

ふと見ると、向こうに座っている女性に見覚えがある。何と先日リス族村に一緒に行ったAさんではないか。ここで逢うとはお互いにビックリ。やはりチェンマイは狭い。Aさんは3人と話していたが、皆日本人。しかも今ここで知り合ったというから驚く。うち一人はチェンライの茶イベントに参加するというから更に驚きだった。どうやって仲良くなるのだろうね。

Aさんとマーケットをフラフラすると、豆乳が売られていたので、買って飲む。何と宣伝に日本語が書かれていたので、理由を聞いてみたが、『実は枝豆農家で、日本にかなり輸出している』というから、またまた驚いた。日本の枝豆って、チェンマイ郊外から来ているのか。その後日本から逃避してきたという男性と3人で、仏像の前でお話を続けた。何とも穏やかな午後の時間が流れていく。夕方2人と別れて、一人とぼとぼと歩いて帰る。チェンマイの夕方はさほど暑くないので、有難い。

2月13日(月)P先生と再会

今日も少し疲れが出ており、ゆっくりと過ごす。それでも11時前には外へ出て、ランチを探す。ちょうどよさそうなカフェがあり、クラブサンドイッチの朝食メニューもあったので入ってみたが、なんとクラブサンドは単品でコーヒーを余計に頼まなければならなかった。耄碌すると損が多い。何となく物足りず、いつものお寺の麺まで食べてしまった。

昼過ぎP先生が来てくれた。思えばチェンマイに来てすぐに会いに来てくれたのは彼女だった。あれからもうすぐ1か月、嬉しいほどの幸運について報告できるのは何とも喜ばしい。涼しいカフェで話していると時間はあっと言う間に過ぎてしまい、次回の再会を期して別れる。

夕方散歩に出た。さっきP先生と日本食の話などをしたこともあり、急に和食を探す。と言ってもよく分からず、適当に検索する。20年近く前に訪ねた店かと思い、少し郊外まで歩いて行ってみた。ところが到着するとそこは全く新しいお店。ただ日本語の本や漫画が沢山あるのは、何かの名残ではないだろうか。ここでかつ丼を頂く。何となくスプーンで食べたほうがよさそうな感じが如何にもタイらしい。

チェンマイ滞在記2023 その4(2)メージョー アカ族の村で

先日プラーオに行った時に使ったチャンプアックのバスターミナルへ行き、メージョーと行ってみる。ここにはメイリム行きは沢山出ていたが、メージョー行きはあまりなかった。それでもそのソンテウを見付けたので乗り込むと15分ほどで出発したのでホッとした。ところが、何故か車は思ったのと違う方向に走っていく。そして何とワーロット市場で停まってしまった。

どうやらここで客を待つらしい。運転手に聞いてみても言葉が通じない。乗客は女子高校生一人で、彼女も英語を解さないため、分かったのは、このソンテウがメージョーへ行くことだけだった。20分ぐらいしてようやく車は動き出す。何と我が宿の近くまで行って、何とか北上した。そこからも曲がりくねっていき、郊外に出るや猛スピードで飛ばした。

結局バスターミナルに行ってからメージョーまで行くのに1時間半以上かかった。直線距離なら僅か10㎞だから、驚いた。しかも指定された場所は、そこから15分も歩いた場所にあり、汗をかきながら何とか到着する。そこにHさんが車で迎えに来てくれ、村へ行く。アカ族村というから山があるのかと思っていたが、ほぼ平地にその村はあった。

今日はH夫人の親族の新築披露パーティーだと聞いていた。Hさんは車を置きに行き、夫人も見当たらない。ちょうどアカ族の衣装を着た女性がいたので、写真を撮らせてもらったら、向こうのテーブルの人から声が掛かり、その席に誘導された。すると横に座った女性が流暢な華語を話す。何とこの村の男性と結婚した台湾人、台南の女性だった。その後Hさんも加わり、皆でご馳走を食べた。

台湾女性が『台湾茶を持ってきたから飲もう』と言い、近所のカフェに行く。このカフェがまたおしゃれで驚く。アンティークも多く置かれている。そしてウリは何と言ってもアカコーヒーだ。そこに教会の神父さんがやってきた。彼もアカ族で、この店は長男がやっていると、華語で話す。なんと教会では20年前から子供たちに華語を教えているらしい。長男は重慶の大学にまで行っており、完璧な普通話を話す。そこへ香港人の一団がやってきた。彼らはキリスト教関係者で村の教会を支援しているという。会話は全て華語。驚くしかない。

その後Hさんの案内で、新築住宅を見学。かなり広い空間、豪華な家具。1階はショップとして使える。チェンライのミャンマー国境からも大勢の親族が来ており、皆が思い思いに見学している。すぐ横には村の教会もあり、村の中心が教会だとはっきりわかる。そして遊んでいる子供たちがこちらに向かって『ニイハオ』と挨拶してくれるのにはかなり面食らう。

Hさんの奥さんの家も近くにある。彼女は今日も裏方として料理を作るなど奮闘している。いつもは麺屋をやっていると言い、朝から夕方まで働いているらしい。今日も私がどうやってチェンマイに戻るかと考えていると、車で送ってくれた。何とも有難いことだ。実は今晩は夜の部もあるようだったが、夕方には村を離れた。

ターペー門で降ろしてもらうと、そこには指を三本立てて何らかの抗議活動をしている数人がいた。初めはミャンマー問題に対する訴えかとも思ったが、タイ国内での言論抑圧などに抗議、仲間の釈放を求めているものだと分かる。タイという国は自由なのか、不自由なのか、実はよく分からない。

昼ご飯をあんなに食べたのに、夜になると腹が減る。麺でも食べようと外へ出ると、美味そうなクリスピーポークが目に入る。これを麺の上に乗せて食べると実にうまい。僅か50バーツの幸せ。そして調子に乗ってしまい、何と禁断のローティーにまで手を出してしまった。バナナ、チョコとコンデンスミルク、もう駄目だ。明日から体調を整えねばなるまい。

チェンマイ滞在記2023 その4(1)雲南金曜朝市からチェンマイ大へ

《チェンマイ滞在記2023》  2023年2月10₋18日

2月10日(金)雲南金曜朝市からチェンマイ大へ

最近のチェンマイは朝が涼しい。というか、いつも曇りで太陽があまり見られない。これは煙害なのだろうか。PM2.5とか焼畑という言葉も良く聞かれ、空気がよろしくはない。それでも一度は行こうと思っていた雲南朝市に、ついに繰り出した。毎週金曜日の朝しかやっていないので、これを逃すと見る機会はない。

もう慣れた道を歩いて行く。市場はあの回族モスクのすぐ横から入る。多くのブースが出ており、店の人はヒジャブを被った女性が多い。如何にも雲南回族の朝市だが、働いている多くは回族ではなさそう。各店、麺や豆腐、ソーセージや漬物など思い思いの食品などを売っており、何となく楽しい。

中に入っていくと、簡単な料理を店がいくつか出ており、多くの人が注文している。やはりここまで来たら雲南麺を食べたい。久しぶりに少しスパイシーな汁を味わう。豆腐なども美味しそうだったが、そこをパスして、外で肉まんを買って歩きながら食べる。この朝市は有名なのだろう。たくさんの地元民と観光客で賑わっていた。因みにこの市場の横にムエタイスタジアムがある。

一度宿へ帰って、今度はチェンマイ大学へ向かう。前回も行ったのでもう慣れており、人文学部のビルに着く。P先生に紹介されたS先生に会った。彼は華人研究が専門とのことで、タイ北部、雲南漢人や回族、潮州系などの華人について知りたかったのだが、何と彼の研究テーマは『華人の感情』と言われて戸惑う。ただ内容を聞いてみると『自分はタイ人なのか、中国人なのか』などについて、華人の世代ごとの考え方の変化などについて検討しているようで、これはこれで大変興味深いテーマだった。

更に彼はバンコク出身の潮州系四世ということで、バンコクに住む知り合いを紹介してくれた。私は基本的にこれまで福建系を追い続けてきたが、タイにおいては潮州系が重要だと感じている。今後は良い機会なので潮州人について、勉強をしてみたいと思った。尚彼の弟さんは日本の大分別府で旅館をやっているというから、こちらも実に興味深い。

大学の正門を出たところに食堂があったので入ってみた。メニューはしっかり英語と中国語がある。カオカームーを食べる。それから近所のフードコートを見てみる。確か数年前ここで食事した覚えがあるが、今や全く機能していない。観光客激減の煽りで、閉鎖状態だった。

午後は宿でゆっくりと休み、夕方また外へ出た。チェンマイの夕方は西日があっても何となくいい風が吹き、涼しく感じられる。これまで何度も通り過ぎたナイトマーケットに行って夕飯を食べてみた。何と日本の中華弁当のようなチャーハン、春巻き、野菜のセットがあった。100バーツで美味しく頂く。夕日が傾く中、目の前でライブがあるのも何となく楽しい。

帰りにセブンに寄る。これまで見つからなかった静岡緑茶アイスをついに見つけて買う。食べてみると、何となく雪見大福のアイスが抹茶という感じで、なかなか美味しい。しかも僅か20バーツでコスパも良い。知り合いの娘さんが勤めている会社がタイ大手に原料の茶を下ろしているらしい。

2月11日(土)メージョー アカ族村へ

朝はお寺で麺。やはり20バーツは何度食べても安い。今日は先日リス族村で出会ったHさんに誘われて、彼がアカ族の奥さんと住む村へ行くことになっていた。そこはなぜかチェンマイ郊外、メージョー大学の近くだという。そこにはソンテウに乗れば行けるというので、調べてみると、確かに大学までソンテウが出ていた。