チェンマイ滞在記2023その2(5)4ドイアンカーンへ

11月2日(木)ドイアンカーンへ

先日ヨックがアレンジしてくれた旅が1泊2日で行われる。朝8時前、ヨックの兄のドームが迎えに来てくれた。彼がガイド兼ドライバーだ。今日はまずドイアンカーンへ向かうことになっていた。ファーンまでは同じ道だから寝ていればよいかと思っていたが、1時間半ほど行くと車は止まる。そこにはあのラミンティーの販売店とカフェがあった。ラミンのオーナーとドームは知り合いだったが、オーナーはチェンダオの茶工場にいるらしい。次回はこのルートで再び、チェンダオへ行こう。

更に途中で止まり、北タイで2番目に高い山をバックに写真撮影もする。ドームもガイド経験が長いので、いつもの行動なのだろう。でも朝から何だか喜ばしい旅だ。ファーンまでは3時間、ドームはこの道に精通している。途中知り合いから連絡が入ったと言って、少し違う道に踏み込む。そして広大な畑の中を突っ切り、彼の家に行った。

その人はバンコク在住の潮州人だったが、だいぶ前にここの土地を買い、ここで暮らしていたらしい。美味しいコーヒーを淹れてくれた。今は故あってバンコクにいることが多く、ここに住めないので、売りに出しているとか。とてもいい所だが、日本人が買うのはどうだろうか。タイの華人の投資活動の一端を垣間見る。

そこから30分ほど行くと、最初の目的地、標高600m弱の萬養村の入り口が見えてきた。ドームは食堂を探している。餃子屋に入ったので、てっきり昼ご飯を食べるのかと期待していたら、何とお茶だけ飲んで出て行く。違う店に入ったらしい。次の店は正解だったようで、ご主人が出てきた。

華語で話し掛けると普通に通じる。ただ奥さんはヒジャブーを被っているので雲南回族だと分かる。国民党の中にも回族は結構いたらしい。この辺の話を聞いていると面白い。その間に焼き餃子が出てきたので頬張る。店主の馬さんはミャンマー生まれの74歳。1950₋60年代にこの村に1500人の人々がやってきたというが、今は60家余りが残るだけで、若者は皆街へ行ってしまったらしい。

村には大きなモスクがあるというので馬さんの案内で見学する。清真寺と書かれており、確かにかなりの大きさ、この村には似つかわしくないほど立派だった。学校も併設されており、昔は人口が多かったのも頷ける。ただこの地では茶業は行われていないようだが、彼らはどのようにして生計を立てたのだろうか。

そのすぐ近くには最初のロイヤルプロジェクトの工場(1973年創設)が記念館となっていた。中に入ると写真が多く展示され、プミポン国王やその母などが頻繁にこの地を訪れ、山岳民族や華人に対して支援をしている様子が見られた。ミャンマーとの国境地帯であり、1970年代の反共との関わりをもう少し勉強したい。この記念館でドイアンカーン産のお茶を買うことが出来た。

そこからドイアンカーンへ登っていった。標高1500mまで登ると、そこにはきれいな庭園があった。盆栽などもあり、ちょっとビックリ。その先にはお花畑があり、おしゃれなカフェもある。山の中に来たとは思えない雰囲気。だがそこに一人、ラフ族のおばさんが地面に座り、芋などを売っている。心優しいドームはその芋を全部買い取り、車に運んでいる。彼も半分はラフ族なのだ。

車でその先の果樹園を回る。梨などいろんな果樹がある。更に行くとついに茶畑が登場した。見事に整っており、台湾を想起させる。ここは台湾の支援で茶が作られており、私の知り合いも参加しているらしい。さっき記念館で買った茶はここで作られている。今の時期製茶はなく、インスタ映えする撮影スポットだった。茶工場もあったが、閉まっていて話を聞くことは出来ない。

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