チェンマイ滞在記2023その2(5)5 ラフ族を訪ねて

少し戻るとイチゴ畑がある。私が知るイチゴ畑は平地のビニールハウスだが、ここは斜面に作られている。小ぶりで甘さはなさそうだった。その少し先がミャンマーとの国境地帯だという。ヘリコプターの着陸地点に入らせてもらうとミャンマー側が良く見える。一応柵はあるが、向こうの村までは結構遠い。トーチカなどの備えはある。ここで戦闘が起こることはあるだろうか。

近くにラフ族の村があるというので行ってみた。そこは時間が止まったような、昔ながらの山岳地帯。木造の住まいが斜面に張り付くように立っている。何とさっき芋を売っていた女性もこの村に住んでいた。家では老婆が一心にミサンガを作っていた。覗き込んでいたら、彼女は私の腕に優しくそれを巻いてくれた。何だかすごく懐かしい感覚があった。なぜだろうか。

40分ほどで山を下ると、ファーンの街。ヨックのホテルに到着してお休み。夕飯は宿で適当に頼んで食べる。ドームはさすが山岳ガイドだけあって、非常用食料を携帯しており、それも合わせて食べる。食後茶を飲んで、2階の歴史的展示物を復習してから、床に就く。ああ、今日は疲れた。

11月3日(金)再びドイプーメンへ

夜中に雨が降っていたのだろうか。朝少し空気が湿っている。さわやかな朝には、ラフ族粥が良い。漢方的なものが入っている。宿を出てすぐの家に行く。そこは何とドームの父、ジャファーがファーンに開いた店の跡だという。今は親戚が住んでいるとか。家の中にはジャファーやプミポン国王、更にドームを含めた家族の写真などが沢山張られていた。

中にこの家が出来た時に華人から贈られた記念品があり、そこにジャファーの中国語名が書かれていて、その名を初めて知る。ジャファーは元ハンターだそうで、彼が仕留めた鹿などの展示もある。そういえば昨晩ドームが、父親をドイプーメンに連れて行ったのは、アメリカ人宣教師の息子だと言っていて、非常に興味深い。

次にファーンの街から5㎞ほど離れた村へ行った。ここはジャファーが国王から与えられた土地であり、ドイプーメンからラフ族が下りてきて住んだ場所だという。立派なお寺があったが、その脇に最初にジャファーが建てた小さな廟も残っている。さらにその下には、何とジャファーと妻の墓があるではないか。ここにも中国語名、郭有禄と刻まれている。期せずしてドームと墓参りする。

今や村にはラフ族以外も住んでいるが、ジャファーと共に山から下りてきた親戚も住んでいる。その一軒を訪ねると、おばさんや親せきがドームの来訪を喜んでいるという感じだった。この辺の歴史については、まだもう少し精査が必要だが、ラフ族は色々な場所に移住していることが分かる。

そこからドイプーメンへ向かう。途中から登り路となり、最初はなめらかな道が途中から悪路となる。最初の道は30年前、途中からの道は7年前に出来たというから、新しい方が先に壊れるという不思議。まさに手抜き工事だったのだろうか。まあ私は前回も経験しているので問題ないが、ピックアップの後ろに乗ったら振り落とされかねない。

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