熱暑の関西茶旅2018(3)南京町の歴史

7月23日(月)
南京町で

翌朝も快晴で朝から暑い。ホテルから南京町までは歩いて僅か10分程度で近い。南京町の歴史は神戸港が開港した160年前当時、外国人居留地の横に華僑が住み始めたのが始まりのようだ。だが残念ながらそんな資料が展示されているだろう華僑博物館は今日休館で見られない。この地域は戦後、米軍相手の飲み屋街などになっており、1980年代に中華門を作り、中華街として再開発して売り出したのは比較的新しい。かなり意外な歴史だといえよう。

 

南京町自体は決して大きくない。暑い中、歩いていくと、天仁銘茶など台湾系の茶荘が見えるが、これも1980年頃、南京町が観光地化した際に進出したものらしい。ここには残念ながら老舗の茶荘はない、と聞いている。だが南京町には今でも多くの華人が住んでいる。彼らはお茶を飲まないのか、飲むとすればどこで買うのかを聞いてみた。

 

東栄商行でしょう、と言われる。中華食材店、そういう目で見てみると、商店の店頭には安い烏龍茶やジャスミン茶が並べられている店がいくつもある。中華レストランで使われるお茶もここらあたりから、供給されているのだろう。ここのお茶は中国から仕入れているに違いない。南京町の一般の茶の歴史を辿るのはそう簡単ではない。

 

今日は月曜日で、観光客も多くはない。老祥記などの有名店も定休日で食べられない。仕方なく、海の方へ歩いていく。海岸通りには中華商会の立派なビルがあり、また100年程度前の建物がいくつも並んでいる。ここが当時神戸の国際貿易の中心地だったことが分かるが、その中に茶葉は含まれていなかったのだろうか。

 

道路を渡り、メリケンパークへ行く。ホテルオークラの向こう側、ここは遮るものもなく、直射日光にやられ、午前10時でも歩くのは困難だった。ただ海は鮮やかに見え、気持ちはよい。そこからヨロヨロと南京町付近に戻り、古い建物が並ぶ街並みを歩いてみたが、暑くて断念。中華料理を食べようという意思も消え、なぜか鱧フライを食べてホテルに帰る。

 

梅田へ
ホテルでシャワーを浴びる。もうこれがないと生きていけないほどの暑さだった。クーラーを全開にして昼寝をする。しかしその時間も長くは続かず、またJR駅に向かう。何とこれから梅田へ出るのだ。梅田と言っても私がよく分からないので、待ち合わせはJR大阪駅にしてもらった。ただ来た電車に乗ってまっ直ぐに進めば大阪駅へ行けると思っていたが、やはりそうではなく、危うく違うところへ行きそうになる。

 

大阪駅で会ったのは王さん。実は昨年のエコ茶会で紹介され、少し話しただけだったが、四川省出身で現代茶文化を研究している研究者。私は最近喫茶の発祥が中国四川省かどうかに、興味を持ち始めたので、今後機会が有れば四川に行きたいと考えていた。3月に和歌山で会ったTさんとも仲良しということで、急きょ今回会うことが決まったのだ。本当は彼女の勤める大学まで行きたかったが、ちょっと遠かったので、梅田になった。

 

彼女はとても研究熱心で、駅構内にあるファーストフード系のカフェに入っても、抹茶ドリンクを頼み、その傾向を分析している。観光学とお茶、というテーマは、明後日和歌山大学で行われるワークショップにピッタリな気がする。それにしても日本語でこれらを研究していくのは大変だろう。また日本の大学には色々と雑用もあるようで、研究時間には制限がある。

 

四川のお茶については、実に興味深いが、私はきちんとした茶旅は一度もしていない。それは特にご縁がなかったということだが、同時にそこまで四川のお茶、特にその歴史を重視してこなかった結果ともいえる。だがここに来て、ベクトルが四川を指している。茶の起源は雲南でも茶の利用は四川から、という可能性もある。何とかして、茶旅をしてその一端を解明したいと、王さんにお願いした。果たして願いは叶うだろうか。

 

時間はあっという間に過ぎてしまい、今度は大阪から元町までJRで戻ることになる。夜は北京でのお知り合い、Iさんと中国料理を食べた。彼女の息子も同席したが、北京の時はうちのお茶会にも参加していた小学生だった彼が、何とこれからオランダの大学で勉強するのだという。思わず、『日本に帰らないつもりで頑張れ』と言ってしまった。母親の気持ちはどうなんだろうか。

 

因みに元町の南側には南京町があり、昼間も歩いた通り、昔ながらの中華街のレストランが並んでいる。駅の北側には、新華僑とも言うべき新興勢力が台頭しているようで、店は結構流行っている。従業員はほぼ中国系だったが、白人の団体がやってきたりしても、片言英語で何とかやっている。南京町にも厳しい競争が起こっているようだ。

 

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