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チェンマイ滞在記2023その2(1)1 チェンマイ宿探し

《チェンマイ滞在記2023その2(1)》  2023年9月24₋30日

いよいよチェンマイ滞在が始まった。まずは住むところを探し、体制を整えることが肝心だ。果たしてどんな生活になるのだろうか。

9月24日(日)チェンマイで家探し

チェンマイ空港には定刻前に到着した。荷物もすぐに出てきて、Boltを呼ぶとこれもすぐに来た。予約した宿まで10分で着く。バンコクとは違って、驚くほど効率的な街だ。気に入った。宿は4年ほど前に泊ったことがある昔の一流ホテル。日本の皇族の写真なども飾られているが、今や人影はない。部屋は広いが、古さは否めない。というわけでかなり安い料金になっており、有り難い。

前回滞在時にガイドをしてくれたケンサンが来てくれた。すぐに近所に家探しに出掛ける。本当に歩いて3分ぐらいのところに広いアパートがあった。中庭にはプールもあったが、部屋はかなり殺風景でちょっと躊躇する(因みに家賃は安い)。道路を渡って路地へ入ると、そこにも数軒の貸アパート(1か月単位)があった。その内の一軒に入ると、内装はきれいで家具も整っていたが、先ほどよりかなり高い。

そして3軒目。結構古いが一応整っており、何といっても家賃が安い。空き部屋が一つしかないというのも評価できる。小さいベランダもあり、窓から風景があるのも良い。エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、調理は出来ないが簡単な食器も付いている。まあいいかな、と思える水準だったので、今日のところはここまでとして、明日チェックアウト後、ここに来ることにした。

ケンサンと別れて、ニーマンの方へ歩く。明日からの生活に備えて周辺の見学をする。実はニーマンをちゃんと歩いたことはない。コロナ前、ここは中国人だらけと聞き、避けていた場所。一度だけチェンマイ大学近くの宿に泊まり、MAYAまで買い物に来たことはある。そして今年1月、ワンニーマンで開かれたティーカンファレンスで劇的な出会いがあり、今回のチェンマイ滞在が決まった場所でもある。

ワンニーマンの裏の方へ歩いて行くと、ちょうどよい食堂があったので、そこでイカチャーハンを食べた。これが旨い、そして安い。チェンマイはいい所だと思った瞬間だ。その付近にはタイ料理から洋食、更にはラーメン屋やカフェなど、何でもあるように見えた。これでチェンマイ滞在は安心だ。

かなり歩いて行くとマックの99バーツセットまであった。マックはやはり外国人向けと地元民向けで値段を分けている。そこからスアンドック門を回り、宿へ引き返すと、いい感じのお寺もある。夕暮れの寺で、まったりしてから戻る。これはチェンマイ生活、止められないかもしれない。

9月25日(月)新居へ

一泊したホテルは広い。そして眺めも良い。しかも料金はかなりお手頃。昔は高いホテルだったのだろうが、隣のショッピングモールも閉店してしまい、ちょっと寂しい雰囲気が漂う。朝はまたニーマン方面へ歩いて行き、ちょっとおしゃれなカフェに入り、朝ご飯を食べる。昔チェンマイに来ると朝食が安くて充実していた印象があったが、やはりカフェがすごく多いので、競争も激しいのかもしれない。

ソーセージにベーコン、目玉焼きにトースト、そして珈琲とオレンジジュースまでついて、150バーツは安い。しかも雰囲気はよく、長居したくなるような木の感じもある。白人さんが何人か来ており、アジア系女性も顔をのぞかせていた。ダラダラ、ボーっとした朝は何といっても幸せだ。

そして昼前に宿をチェックアウト。かなりの日差しの中、荷物を引いてアパートへ向かった。肩肘痛があるので、かなりゆっくり歩いたが、5分で到着する。最終的にもう一部屋見たが、昨日見た方が断然良いので、そこで契約する。掃除などの時間が必要とのことで。午後また来ることにした。

バンコク滞在記2023その3(4)ガチ東北料理はないバンコク

9月22日(土)シムカード

私はタイのシムカードを持っているが、それ以外に旅行用シムを時々買うので、どれがどれだか分らなくなってしまった。そこでYさんに協力を仰ぎ、一緒に近所のAISショップに行ってみた。その結果3つ持って来た全てのカードが旅行用で、探していた物は無くなっていることが発覚する。そこで再発行の依頼をした所『あなたのパスポート番号は登録と違うから発行できない』と言われてしまう。

腹が減ったので八番ラーメンで作戦会議をする。ラーメンと餃子、それにメンチカツまで注文してうっ憤?を晴らす。なぜか外ではキムチを大量に売っている。そこからプロンポーンにあるAISの基幹店へ向かう。小さな店では修正できないというので大きな店へ行く。ところが週末ということもあり、また新型Iphoneの発売日と重なっていたらしく、お客さんで満員。

何とか並んで1時間近く待ってカウンターに辿り着くと、あっさり修正してくれ、しかも新しいプログラムを即日起動してくれた。何とも有難い。というか、簡単ならどこの店でもやって欲しい。そこからお馴染みのカスタード中村へ行って総菜パンをたくさん買い込む。久々にバイタクで宿に戻る。

9月23日(日)リベンジ

朝またフラフラ散歩する。先日行った飲茶をまた食べようと思って歩いていると、何とホルモン麺屋の前を通りかかる。いつも夕方しか行かないから気が付かなかったが、ここは朝からやっていた。結構客がいたが思わず入っていつもの麺を注文してしまった。朝からホルモン、とは思ったが、美味い物はちゃんと口に入り、そして胃に落ちていくものだ。幸せな朝だった。

昼までなでしこジャパンのサッカーを見る。ワールドカップでいい感じだったので、注目度も少しは上がっているだろう。次のオリンピック予選で負けてはリオ五輪の蒸し返しに終わるので、気を付けたいものだ。見終わるとすぐにMRTに乗って一昨日大雨で外に出られなかったところにリベンジ。今日雨は降っていない。

駅を出てすぐに横道に入る。その先は漢字の看板は並んでいたが、思っていたような中華街でもなかった。蘭州拉麺など中国料理屋がいくつか見えた。ただ我々が今探しているのはガチ東北料理。Yさんが食べたことがないというので、必死で探したが、どうしても見付からない。

かなり奥へ行き、更に道を曲がって突き進む。四川系はいくつもあるのだが、東北料理はない。ようやくそれらしい店を見付けて入ったが、料理人はタイ人で華語も通じない。それでも水餃子に土豆絲、干偏四季豆などを頼むと一応それなりの味だった。帰ろうとしたら、また雨が降り始め、Yさんと話しながら止むのを待った。

最終的に小雨になったところで、店を出てMRT駅まで戻る。途中の店では華語も通じたので聞いてみたが、恐らくここでは『地三鮮』は食べられないだろうと言われてガッカリ。これでバンコクでの私のアクティビティーは終了となった。夜はゆっくり休み、明日からのチェンマイに備える。

9月24日(月)チェンマイへ

朝ダラダラと起き上がる。今日はついにチェンマイへ移動する。残ったパンをかじり、荷物を整理して、ロビーで車を呼ぶ。だが月曜日の朝、なかなか捕まらない。ようやく捕まった車がやってきたのは、20分以上経っていた。しかしそこからが速かった。特に高速道路にも乗らず、黙々とした道を走ったが、僅か25分でドムアン空港まで着いてしまった。料金も安くて、有り難い。

チェックインも順調に終了し、時間が余る。いつものように食堂へ行き、ついに鴨麺とワンタンスープのセットを食べる。これで90バーツはお値打ちかなと思う。その後の荷物検査もあっさりと終わり、セブンでドリンクを調達して、いざ飛行機を待つ。特に遅れることもなく、フライトは極めて順調にチェンマイへ向けて飛び立った。機内はそれほど混んでおらず、ゆっくりできるのがタイライオンの良い所だ。

バンコク滞在記2023その3(3)雨季のバンコク

9月20日(木)お休み

何だか疲れが出てしまう。まだほぼ何もしていないのになぜだろう。午前中は完全休養に充てるつもりが、原稿書きに追われた。ランチはYさんといつもの食堂へ行き、いつもと同じ料理を食べる。一番安心感があり、また満足感が得られる。まあ今回バンコクに居るのは、この食事のためだったかもしれない。

午後はどこかへ出掛けようと思っていたが、何と雷雨となる。最近バンコクでは激しい雨が降り、道路が冠水するなど被害が出ていたが、私が来てからはそれが無かった。そして夜の予定も何となくキャンセルとなり、食事を考える。ちょうど雨が止んだので、タイヤ屋さんの麺でも食べようと出て行ったが、残念ながらやっておらず。それならと近くのマックに駆け込み、99バーツセットを頬張る。このセット、チェンマイでは見かけなかったので、ここで食べておく価値はある?

9月21日(金)晴れから雨へ

朝は天気が良かったので、いつも行くバンミーの店まで行ったが、残念ながらやっていなかった。そこで今度は反対に歩き出し、クロントイ市場の向こうまで行く。そこに先日バスから見えた蒸籠が積まれていた店があった。いくらか分からないが焼売と叉焼包を注文する。何と2つで50バーツ。こんなに安いなら明日も来るか、と思う。

クロントイ市場を久々に歩く。結構活気があり、お客はコロナ前と同じようだった。物価は何となく上がっているように見える。そこから宿へ帰り、また休息する。何だか休みが多い。ランチはまたYさんとパッタイの店へ行く。私はパッタイしか食べたことがなかったが、この店にはカオカームーがあると初めて知り、トライする。灯台下暗し。

午後はプロンポーンまで出る。Mさんとおしゃれなカフェで待ち合わせ。このお店、何と日本茶メニューがあり、玄米茶を注文する。煎茶と玄米茶が同じ料金というは日本では考えられない。しかも140バーツとはいささか高い。どれだけのタイ人がこれを頼むのだろうか。まあ、差し湯もしてくれて、ゆっくりお話しが出来たので、良しとしよう。

そこからBTSに乗り、アソークで乗り換える。プロンポーンでは雨模様だったが、アソークでは夕日が見えたので一安心したのだが、何と目的地ホイクワンに到着すると地上は大雨。待ち合わせていたYさんは出口の人ごみの中に立っていた。誰も外へ出られず、人はどんどん増えていく。決断の時が迫り、我々はここを撤退することとした。

ただ宿へ戻るにもこの雨では難しい。そこでMRTでアソークまで戻り、ターミナル21で夕飯を食べることにした。一番良いのはフードコートなのだが、当然のことながら席がない。雨もあるから空きそうもない。そこでふらふら歩き始めると、目の前に中華のSee Fahが現れた。ちょうど知り合いから、ここのクレーポットが美味しいと聞いていたので、思わず入ってしまった。

この店はチェーン店で、以前は近くのモールにも入っていたが、今はないので、かなり久しぶり。所謂なんちゃって中華系だと思い込んでいたが、そうではなく、1936年創業。潮州系がオーナーと思われる。確かに焼売は潮州系の形をしており、ラートナーもかなり旨い。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。

何とか雨が小降りなったが、タクシーは捕まらないので、バスで帰ることにしたが、なかなか来ない。道路はかなりの水が溜まっており、乗り降りするのも一苦労だった。更にバスを降りてほんの少し歩くのも大変。結局車で10分のところをバスと徒歩で1時間以上かかった。バンコクの雨季は本当に侮れない。

バンコク滞在記2023その3(2)老舗茶荘と老舗レストラン

午後バスに乗ってヤワラーへ向かった。ヤラワーの老舗茶荘林銘記は前回も訪ねたが、更に話を聞こうと出掛ける。ちょうど5代目のMaccoはその日だけ店にいるというので、ご縁を感じる。彼は一族についてかなり調べていたので、その辺を中心にその歴史の解明に取り組んだ。やはり興味深い話がいくつも出て来る。よく見ると隣の店は、あのタイ茶で有名な会社。聞いてみれば、やはり一族が経営していた。その先の林明記も同族だった。ヤワラーの歴史も少しずつ解明されていく。

帰りにヤワラーで鴨肉麺を食べる。昔よく行った店を探したが無くなっており、その横に新しい店が出来ていた。若い人がやっており、清潔感のある店だったが、英語も華語も通じなかった。料金も随分と高くなっており、観光客料金のようだった。帰りはまだ雨季のためか、雨模様となり、急ぎ足で帰る。

9月19日(水)昔の名店へ

午前中バスに乗り、シーロムへ向かった。ここからBTSに乗るため、サラディーン駅へ上がると、ローソンやヤマザキパンがお出迎えしてくれる。更にはエキナカスーパーまでできていて、ちょっと風景が変わっている。いよいよバンコクにも時間を惜しんで買い物する時代が来たのだろうか。

そこから川向うまで行く。川を渡ってすぐ、クルントンブリー駅で降りる。ここは10年位前に何度か来たことがあるが、実にご無沙汰だ。ここで後輩のUさんと待ち合わせた。バンコクの潮州料理探しをお願いしたのだ。ここからタクシーで10分ぐらい走っていく。随分と不便なところにあるのだな。

広い道からちょっと入った、こぎれいなアパート群のような場所にその店はあった。ただ隣は工事しており、営業しているのかと思うほど存在感が無かった。客もいなかった。ウォンリーと言えば、10数年以上前にバンコクに住んでいた人ならだれでも知っていると言われたスリオンの名店だったが、再開発でその場所を追われた後、ここに移ってきたらしい。店を懐かしむ人々もさすがに足が遠のくほどに遠かった。

ゴーヤースープや内臓揚げ、豆腐など、どれも普通に美味しい。お粥を頼むと白がゆが出て来る。これって、タイの居酒屋、カオトーム屋のようなものだ。外の工事はうるさかったが、店の拡張工事らしい。帰りがけにオーナー夫妻に出会った。奥さんが簡単な日本語を話し、後は華語になる。やはり潮州系の一族だった。昔は日本人も良く来たよ、と懐かしそうだった。メニューには今でも日本語があった。

一旦宿まで引き上げると、今度はOさんが迎えに来てくれた。彼と向かったのは何と洋服屋さん。今度お嬢さんが結婚するそうで、日本で式を挙げる。新婦の父としての礼服を借りるに当たり、その寸法を測るように指示が出たらしい。それにしても何も買わなくても、丁寧に寸法を測ってくれる店の人、Oさんのご人徳だろうな。

それからフジスーパーへ向かう。これもいつもの定番行事だが、何と今日はOさんが自宅で料理を作ってくれるというので、その買い出しを兼ねていた。『今晩は何でもいいですね』と3回もOさんに念を押されたのは、このためだったのだ。自宅でOさんはポテトサラダとパスタを振舞ってくれた。料理の間、ずっとしゃべっていたので随分と時間が掛かったが、実に美味しく頂いた。私はとても人に振舞う料理は出来ない。

バンコク滞在記2023その3(1)バンコクに日常と非日常

《バンコク滞在記2023その3》  2023年9月17‐24日

今年3月半ばに離れたバンコク。半年してまた戻ってきた。今回からは短期滞在となり、主軸はチェンマイに移る。さて、バンコクでの過ごし方はどうするか。行きたいところは沢山あるが、どこを選択するのかちょっと迷う。

9月17日(月)バンコクに戻って

早朝バスタ新宿へ行き、羽田空港行バスに乗り込む。インド系の家族が乗り込んできて、何となく車内が狭くなったような気がした。リムジンバスはスムーズで時間通りに着くから有り難い。だが相変わらず羽田空港の保安検査場への行列は果てしない。昨年から比べれば多少改善されているようだが、それでも出国までに1時間ぐらいはかかる。あの絶望的な行軍はいつか終わりになるのだろうか。

タイ航空のフライトは40‐50分前に搭乗が始まっており、既に皆さん、乗り込んでいた。昔タイ人は時間にルーズだと思っていたが、やはり中国人同様、意外と早く搭乗している(勿論中には買い物に夢中でギリギリの人も見られるが)。機内では食事を食べて、映画を見て過ごすと、すぐにバンコクまで来てしまった。

空港は羽田と違い、思いの外混んではいなかった。入国まで20分ぐらいで荷物を拾ってすぐに外へ飛び出した。本当はBoltで車を呼びたかったが、何と捕まえた車から200バーツの追加請求を受けるなど、決して心地よいものではなく、下へ行って空港タクシーに乗り込んだ。

こちらもボッタくり覚悟で乗ったのだが、運転手は極めて丁寧な男性で、何とも心地よかった。ところが車が走り出すと、何と前方に設置されていたナビが壊れて、落ちてきてしまう。2‐3度直していたが、結局使えない。そうなると料金も表示されない。運転手はとても困ったという顔をしたが、本当のところは分からない。ただこんなところで放り出されれば困るのはこっちのほうなので、いつもの料金にプラスして渡すことで決着した。これは新手の詐欺なのだろうか。

定宿に着いてホッとした。いつもの係員が顔を出したが、なぜか料金を払えという。私は以前から予約を知り合いに頼んでいたので明日彼に払うというと、違うという。支払いの用意をしていなかったので、慌ててデビットカードを出したら、何と使えないという。同じ銀行のスマホアプリを差し出すとちゃんと使えた。一体なぜ?後日確認したら、前回もフロントで支払っていたというから、私のボケ具合も相当になっている。

いつものようにパンを買いに外へ出た。途中のショッピングモールで夕飯を探す。なぜか豚足麺が輝いている。その麵はママー。インスタント麺で豚足を頂くのは初めてかもしれない。そして意外なおいしさを新たに発見する。以前の日常が非日常になっていく感覚が面白い。

9月18日(火)ヤワラーの茶荘へ

朝はいつものコムヤーンで開ける。まあ取り敢えずバンコクに来たなと感じる瞬間。これも永遠に続く時間だろう。ランチはYさんが最近発見したという近所の食堂。私は散歩でよく通っていたが、あまりにローカルで言葉も通じそうにないので敬遠していた店だった。ここのチャーハンは普通に美味しい。

ランチ後に隣に出来ていたモダンなホテルを探索。ロビーのデザインも良く、絵なども飾られ、すごくおしゃれな空間だった。トイレもLGBTQに配慮した誰でもトイレ。中には椅子があったりして、相当広い。こんなところがバンコクの先端をいっているようで、若者中心に泊まり客は多く、盛況らしい。

バンコク滞在記2023その2(4)

食後どこかでお茶でもしようと店を探す。ヤワラーで最も入りにくいカフェ?とある人が言ったお茶屋は今日も実に入りにくそうでパスした。その向こうにおしゃれない建物が見えたのでそちらに入ってみた。すると中の客がインド系で驚く。ここは一体どこなんだろう。すごくしゃれた雰囲気の店内に、次々と客がやってくる。後で聞くと、今売出し中のホテルだったようだ。因みにインド系観光客は昨年バンコクに来た時から相当目立っていたので、特に驚きはないが、若者でお金のある人が多く見受けられる。

ここでお互いのコロナ禍での生活などについて話す。インドもかなりひどかったようだが、今や何事もなかったように普通に戻っているらしい。私も一度アユルベーダドクターのところへ行きたいと思っているので、計画せねばなるまい。Tさんもヨーロッパから帰国し、今は京都に住んでいる。当たり前だが3年という月日はかなり長い。

皆さんと別れてMRTに乗り、先日行った王陽春へ行き、頼んでおいたお茶を取りに行く。やはり長女が対応してくれた。4代目候補が学校から帰ってくる時間かもしれないので、すぐに失礼した。ここのお茶は実に飲みやすいので、普段飲み用として好評だ。帰りに宿の近くまで来て、何故かエネルギーが切れた。初めて入る店で麺を食べたが、美味かった。どこで食べても安くてうまい、これがバンコクか。

3月17日(金)東京へ

何とか2か月分の荷物を纏めて宿を出る。思えば今回も意外と長かった。フライトは午後だが、念のため空港へは早くに向かった。前回チェンマイへ行く時、Grabで呼んだ車が全然来なくて困ったが、今回もやはり時間が掛かる。しかも何と私の位置情報が間違って送信されており、Yさんがタイ語で対応してくれ、難を逃れた。Yさんにも毎度毎度お世話をかけている。

車は高速を使い、30分ちょっとで空港に到着。チェックインカウンターで『ワクチン証明』と言われるのももう慣れたが、何をいまさらと、日本政府に不満の矛先が向く。結局昼間の時間帯は、税関検査も出国審査も言われるほど混んではおらず、また空港で大いに時間をつぶすこととなった。まあ喜ばしいことと言わざるを得ない。

満員の乗客を乗せた(その多くは花見のタイ人)フライトは順調だったが、それでも羽田到着は午後10時半。ここで降りるまで10分待たされた。すぐに外へ出てVisit Japanをかざして人込みを突き抜けて行く。終電の一本前に間に合うかと焦ったが、荷物が出てこない。その間に税関申告の電子手続きをして、何とか11時過ぎに荷物を受け取り、また走る。

やった、何とか電車に間に合ったと思ったが、何とそこには大勢の乗客がおり、乗り込めない外国人も多数いた。私は素早く一番前まで移動して何とか滑り込む。何度もドアが閉まらず、開閉が繰り返された後、列車静かにホームを離れた。積み残された外国人が遠くに見えた。日本って、こんな国だっけ?

その列車は4分遅れて品川に着いた。すると予定していた山手線には乗れず、一本待つことになる。そうなると今度は新宿の乗り換えにも間に合わず、結局終電と同じになってしまった。それでも運よく乗れたからよいものの、もし終電と思って1本遅い電車に乗っていたら、途中までしか帰れなかっただろう。そして羽田空港の大勢の入国待ち外国人には終電などあり得ないのだろう。どうする外国人観光客?

バンコク滞在記2023その2(3)ヤワラーの潮州系茶荘

3月15日(水)近所で食べ納め

今朝は朝からコムヤーン。すぐそこにあると思うとあまり食べなくなっていたが、いざバンコクを離れるとなるとやはり食べたくなる。カオニャオとの相性がいい。おばさんも歳を取り、今は息子や娘?が店を切り盛りし始めている。もう少ししたら、孫と遊ぶおばあちゃんになっているかもしれない。

昼はYさんと最後のランチ。もう一つのカオマンガイ屋へ行く。ご飯がかなり濃厚で、鶏肉は柔らかい。ケチャップをかければチキンライスかとも思ってしまう。これで60バーツとなれば、やはり食べるだろう。狭い店内には客がひしめいていた。夕方通り掛かると、いつも鶏肉の残骸だけが残っていた理由が分かった。

夜も早めに近所のお気に入りへ。牛雑麺と言えばよいだろうか。ここは英語が通じてしまうので、彼らが中国語で何と言っているのかは知らない(漢字メニューはない)。まあとにかく濃厚スープといい味が出ている内臓があればよいだろう。隠れた名店、と評した人がいたがまさに。2人以上だと鍋を食べているので、いつか誰かと来て鍋を食いたい。

3月16日(木)ヤワラーで

今日は先日紹介を受けたヤワラーのお茶屋さんを訪ねる。超老舗で5代目だという。まずはMRTでファランポーンまで行き、そこから歩いていつもの店でジョークを食べる。これからジョークが食べられなくなるのは、何とも悲しい。今日も極めて天気が良いが、暑さも相当厳しい。

老舗茶荘に行って見るとそこは過去何度も行った店だった。確かにお母さんは華語を話していた。南港茶という文字に惹かれたこともある。だがこの店の歴史は分からなかった。5代目は30代の若者で、何と大阪で商売をしていたという親戚のおばさん(70代)も来ていた。日本を離れて10年ぐらい経つというが、日本語をよく覚えており、使いたいらしい。

5代目が淹れてくれた茶は何とタイティーだった。その理由を聞いて驚く。あの私が以前訪ねて記事も書いたタイティーの会社は、何とこの一族の人たちだったのだ。確かに苗字は林だ。古いガラスコップにこの一族に関連した企業が書かれていたが、その中にタイ人なら誰でも知るあのマークもあって驚く。私が以前書いた記事を見せると、皆が寄ってきて『親戚が写っているぞ、後ろの写真はうちのおじいちゃんじゃない』と言い出し、笑ってしまった。

この店、間口が狭いので小さな店と思っていたが、実は奥行きがかなりある。お母さんは奥に引っ込んで出てこない。さすが潮州系。商売にならないと分かると奥で別の作業をしている。確かに歴史だ、文化だと言っても、利益には直結しないことが多い。やはり商売というものは厳しいものだ。

あっという間に2時間が過ぎ、店を辞した。駅まで行き、待ち合わせのA師夫妻とTさんと合流。5年ぶりだろうか。一緒に先日紹介された潮州料理屋へ向かう。階段を上がり2階へ行くと、何と団体さんが大勢で食事をしていたが、すぐに終了し、我々だけが取り残され、急に静かになる。

オーナーは勿論潮州人だが、華語をこちらが使う前に英語で対応してくれた。肉は食べないが伝統的潮州料理が食べたいというといくつか選んでくれた。潮州料理は海鮮も有名だが、やはり肉を全く頼まないというと、色々と制限が出ることが良く分かった。工夫茶が出た後、鍋などを美味しく頂く。

バンコク滞在記2023その2(2)天ぷら食べて So Macha

3月9日(木)王陽春を再訪

今朝はYさんとコーヒーを飲んで、すぐに出かけた。行き先は花市場。バイタクでMRT駅まで行き、そこから地下鉄に乗ろうとしたら、何とまさかの『乗車禁止』の表示が出ている。だがもうタイ生活にも慣れているので、周囲の人間を観察すると、皆黙って待っている。タイ語のアナウンスが分からなくても何となく安心。結局やってきた車両には乗客が乗っており、何事もなかったかのように皆が乗り降りしている。

10時に昨年訪問した王陽春に行った。長女が店にいたので雑談していると、三女もやってきた。三女は最近台湾に行って、私の知り合いともコンタクトしており、台湾話で話が弾む。ただ昨年土産にもらったお茶が美味しかったので買いに来たのだが、残念ながら売り切れだった。

三女が近所のカフェでランチをご馳走してくれた。全く隠れ家的店で、知らないと入れない。だが大勢が既にご飯を食べており、後から来た人は席がなかった。料理はタイ風でも雰囲気はカフェ。私はタイティーを飲んだ。こんなところが今流行っているようだ。タイの若者、ヨーロッパ人も来ている。

一度宿に帰り静養。夕方また出掛ける。今晩は数年前にFB上では知っていたが、初対面というSさんとプラカノン駅で待ち合わせ。バスで向かうとすぐに着いてしまう。Sさん行きつけの天ぷら屋に連れて行ってもらう。日本人の大将が揚げている本格的な天ぷらをカウンターで頂く。こんなの実に久しぶり。釜めしも旨い。タイ人の若者も食べにきている。

Sさんとは元々ヨーガ関連で紹介された記憶があったのだが、北京や香港で駐在経験があるようで、共通の知り合いが何人もいる。そして共通に知り得る事項も多いので、そちらの話が大いに盛り上がる。更には天ぷらを揚げ終わった大将も中国に詳しく、話に参戦してきて、がぜん具体的なエピソードが乱入し、すごく不思議な時間を過ごした。珍しく面白い夜だった。

3月14日(火)スクンビットをフラフラ

今日は何だか午前中から出掛けたい気分となり、暑いなかバスに乗る。偶々来た電気バスに初めて乗る。乗り心地も良いしきれいだな、などと思っていると突然バスが路肩で停まる。バス停ではない。運転手が外に出たが、すぐに戻ってきた。車掌が何か言ったが、勿論私には分からない。

乗客が誰も動かなかったので、私もそのままジッとしていたが、5分経っても状況に変化がなく、バスを降りることにした。すると車掌がそれを遮る。更に運転手が合図を出して、乗客が皆降り始めた。車掌が後続車を見ていたので、このバスは故障で回復見込みがなく、後続車に拾ってもらうつもりだと分かる。皆乗り込み、勿論追加料金は取られない。

プラカノンで気分を変えてまたバスでプロンポーンに出た。そこで以前何度か食べたランチを食べたが以前ほど美味しいとは思わなかった。なぜだろうか。そこからスクンビット沿いに歩き、ソイ49あたりを入っていく。何だか昔懐かしい感じだった。その先に先日行ったおしゃれなカフェの1号店があったが、ガラス張りで外から丸見えで、何となく入らずに去る。

トンロー付近にある古めかしい教会にも行ってみる。だが中に入ることはできず写真もうまく撮れない。スクンビット沿いに戻るとすぐに立派なビルがある。その中にSo Machaという店があった。ここが先日会った静岡の茶業者さんの直営店。何となく近づくと、いい感じの笑顔の店員さんが、何と日本語を話す。

ゆず抹茶ソーダを頼むと、ちゃんと抹茶を点てて作ってくれる。思った以上に飲みやすい。マネージャーも加わり、色々と話も聞けて面白い。ここの抹茶は本物なので、海外のバイヤーが買い付けに来ることもあるらしい。確かに日本まで行かなくても買えるのであれば、そうなるかもしれない。勿論普通のタイ人がドリンクを買いに来て、リピーターになるケースも増えているとか。こういう取り組みは実にいいと思う。

バンコク滞在記2023その2(1)美味い広東料理がないバンコク

《バンコク滞在記2023その2》  2023年3月6₋17日

3月6日(月)バンコクに戻って

スワンナプーム空港に着いて、入国審査も比較的簡単に片付き、さっさとエアポートエクスプレスで宿へ帰った。何だかFB上では空港の混雑ぶりが連日挙げられているが、私に関してはほぼ何の問題も起きていない。ただ情報によって早く動いて、その結果かなり待つという不都合だけが生じている。

夜パンを買いに行くついでに、ご飯を探す。急に豚足が食べたくなったが、遠くまで行く気はなく、近所のフードコートに立ち寄る。インスタント麺に、豚足、内臓、高菜、煮卵が入ったセット、何とも旨い。これで65バーツなら、今度からこれを食べようと思う一品。

3月7日(火)ご近所の食事で

何となくベトナム疲れが出た朝。いつものようにYさんとコーヒーを飲み、ベトナム茶旅報告をする。それから部屋でゆっくりと茶を飲みながらボーっとする。こういう時間も必要だ。それでもすぐに次の旅を考えてしまうのは習性として仕方がない。メーソット行のフライトを予約して、セブンで支払う。

昼はYさんお気に入りのカオマンガイ屋へ向かう。ラマ4通りなので、ちょっと不便だが、一度はチャレンジしようと出掛ける。店の前にはお客が溢れていたが、何とか席を確保して、カオマンガイを注文した。給食の食器のような更に見事なカオマンガイが載っている。これはいいと、あっという間に平らげる。満腹、満足。

午後もフラフラ過ごす。夜6時頃、軽く麵でも食べようと思い、いつものタイヤの店へ行き、麺を注文したのだが、お母さんは完全にテンパっている。店は客であふれ、テイクアウト客が外で列をなしている。一体これはどうしたことか。ついにタイヤの横で麺を啜るのがインスタ映えということで、Youtuberが宣伝でもしたのだろうか。本当に驚いたことにいつもは5分以内に出て来る麺にありついたのは、何と30分後だった。それでも中に入れるものをちゃんと聞いてくれるのは素晴らしい。

3月8日(水)広東料理を探して

今日もダラダラ過ごす。昼にYさんといつもの食堂へ行き、いつものメニューを食べる。私はこれが一番幸せな形だとは思うのだが、Yさんは先日の広東焼きそばが忘れられないらしい。仕方がないので、バンコクに美味しい広東料理屋は存在するのか、というテーマで探すことにする。

午後Mさんと会う。場所は双方の中間にあるオンヌット。オンヌット、以前はよく通過したが、ほぼ降りたことはない地域。バスで向かうとそれほど遠くはない。そのBTS駅の向かいにショッピングモールがあり、そこのカフェにMさんがいた。このモール、意外と日系の店なども入っている。Mさん曰く、スクンビットで一番東の日系エリアだとか。

相変わらずMさんから潮州語とタイ料理などの有益情報を聞き出す。最近は潮州系の勉強も進んできたので、さらに熱が入ってしまう。カオマンガイやカオカームーと潮州語はどの程度関連しているのか。実に興味深い。結局カフェで3時間も話し込んでしまい、最後には体が冷え切った。

この辺に広東料理屋はないかとMさんが検索すると、駅の反対側に広州という名の店があるというので行って見た。そのすぐ脇には私が10年ほど前に2‐3度行った美味い麺屋がある。ここも広東系なのだろうか。そしてレストランに入ったが、まだ5時過ぎで客はほぼいない。店員も華人系かもしれないが、タイ語しか話さないし、やる気は感じられない。

ぶら下がっていたダックの味付けはまあまあだったが、野菜炒めは特に特徴もなく、焼きそばに至ってはかなり残念な感じだった。ここは広州生鍋と書かれており、周囲の客はほぼ鍋を頼んでいた。いずれにしても、『広州』を名乗っている店でさえ、美味い焼きそばにはありつけないのがバンコクだと思い知らされる。

バンコク滞在記2023その1(5)潮州飯店へ

今晩は静岡でいつもお世話になっているMさんのお嬢さんと会うことになっていた。行って見ると、彼女が勤める会社のO社長も一緒だった。お茶関係者なので、早々静岡茶話が始まる。茶の輸出の最前線で奮闘している様子がよく分かる。バンコクでも色々とビジネスしているという。娘さんが活躍していると、お父さんも安心だろうなあ。

食事は何とイタリアン。O社長は企業派遣でバンコク在住経験があり、美味しい店をよく知っているようだ。私はバンコクでイタリアンを食べる機会は滅多になく、ワインも飲まずにピザやパスタ、ティラミスまでバクバク食べて、ご馳走になってしまった。何とも有難い夜となる。

2月26日(日)潮州飯店で

今日は早朝から大阪マラソンを見る。こういうスポーツ番組がライブ配信されるのは何とも有難い。西山・池田が頑張った男子だが、世界との差は何とも大きい。日本への帰化選手が出てこない限り、五輪のメダルは難しいだろうか。見終わると腹が減ったので、いつもの30バーツ、バミーを食べに行く。コスパ最強。

夕方までハノイ行の準備をする。それからまたもヤワラーへ向かう。少し時間があったので、Yさんがいう『怖くて入れない老舗カフェ』を怖いもの見たさで覗きに行く。そこはヤワラーの裏通りにあり、創業100年。確かに入口から中まで、おじさんたちがまさに『たむろ』していて、とても入ろうとは思わない。タイ語が出来る人、誰か入って見て欲しい。

Yさんと合流して、潮州飯店に向かう。Yさんは潮州料理の研究もしているのだが、さすがに一人では入れない(食べ切れない)ので、私が誘われたわけ。だがそれは私にとっても好ましいこと。いそいそと出掛けていく。この店は決して古いとは思われず、ちょっと得体が知れない。中に入ると、テーブルの上に食材がふんだんに並べられており、お客はここから選ぶことが出来る。

まさに現代の潮州スタイルだった。オーナーは2000年代に潮州から移民してきて、ここに店を開いたというから、新華僑だ。料理の味付けも、あっさりしているが、味はしっかり出ている、潮州を思い出し、大満足。料金も手ごろで、週末ということもあってか、家族連れ(恐らく潮州華人の老人一家)が、大勢来ており、大繁盛だった。こんな世界もあるのだと知る。

2月27日(月)空いていたスワナンプーム空港

本日はハノイへ行く。スワナンプーム空港は、外国人観光客の急増とタイ人の海外旅行ラッシュでごった返しており、出国手続きまで2時間はかかるとの情報が流れていた。私のフライトは昼間だったが、恐れをなして、朝7時半過ぎに宿を出た。すぐにバイタクが捕まり、最寄りMRT駅へ。そこからMTR、エアポートリンクを乗り継いで、空港に到着したのは8時40分過ぎ。

ベトナム航空のチェックインカウンターはまだ開いていなかったが、Webチェックインのお陰で(預け荷物無し)、保安検査場に進むことが出来た。ところが混んでいると思った検査場にはあまり人がおらず、5分で通過。出国手続きの列はある程度あったが、それも20分以内に終了してしまった。

時刻はまだ9時過ぎで、私のフライトまで3時間以上残っていた。一体あの情報は何だったのか、とも思ったが、簡単に通過できたことを喜ぶべきだと思いなおし、空港内の椅子に座ってゆっくりと休む。朝は出国ラッシュだが、この時間の乗客は多くないということだろう。途中でトイレを探したら、いくつものトイレが使用できなかった。これもコロナの影響で閉鎖したままになっているのだろう。朝などは大変な混雑ではないかと心配になる。