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NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年7月号第4回『マニラ』

第4回『マニラ』

フィリピンのマニラへ行くと言うと友人が「あそこは中国語、ほとんど通じないよ」と教えてくれました。あれ、フィリピンも他の東南アジア同様華人がおり、経済的にはかなりの貢献をしているはずなのに。現地の華人事情を探ってみました。

フィリピンへの中国人の渡来は15 世紀頃に始まり、その後のスペイン、アメリカの支配下でも流入が続きました。華人は貿易などに大きな役割を果たし、現在では大手財閥の半数以上は華人系の経営だと言われています。また歴代大統領の多くも華人で、その影響力は相当なものがあり、ある意味フィリピンを支えている存在とも言えます。

ただ、地理的な理由からでしょうか、ほとんどが福建系で占められており、商売でも家庭でも福建語を話しているよで、中国系の顔立ちの人が多い割には私が耳慣れている中国語はあまり使われていません。またフィリピンでは英語、タガログ語などが話されており、かなり同化している華人の若者は中国語まで手が回らないようです。しかし、マニラに住む華人は「中国語ができる人はそこそこいるよ」と言うのです。

マニラ湾にほど近い場所にある海鮮市場。エビやカニ、魚などを自分で買い、横のレストランに持って行って好みの味で調理してもらう、香港などでおなじみのスタイルの店がありました。ここには大陸や台湾などからの観光客が大勢来ており、かなりにぎやかで中国語も飛び交っていました。中国語を使う観光客が増えれば、中国語を使う地元の人も増えてくるというのは経済的な必然でしょうか。

マニラのチャイナタウン、ビノンドに行くと、漢字の看板が目につきます。そして中国人が好きな宝石類などがたくさん売られています。何軒か華人が集中しているマニラのチャイナタウン回りましたが、売り子さんで中国語ができる人はほとんどいませんでした。しかし、オーナーの何人かには、ちゃんと中国語が通じました。

ある店の40 代の男性のオーナーは、「20 年ぐらい前に中国に留学したよ」、またある店の50 歳前後の女性のオーナーは「私は台湾へ1 年行ったわ」と言っていました。中国の改革開放政策が軌道に乗るまでは台湾へ、その後は大陸へ留学に行った人も多かったようです。もちろんフィリピンで華人学
校へ行き、学んだ人もいました。ビノンドの教会の中には中国語での礼拝の時間を定めている所もあります。カトリックの多いマニラで中国語礼拝を聞く、なども得難い体験かもしれませんね。

スペイン人がフィリピン統治の根拠地として作った城塞都市、イントラムロス。現在でも世界遺産に登録されている教会などがありますが、そのそばにある「菲華歴史博物館」では、華人のたどってきた道が説明されていますので、観光の
ついでに立ち寄ってみてはいかがでしょう。マニラの場合、中国語が使える機会は限られますが、話し相手の歴史を知っていることは相手を尊重することになり、相手からも好感をもたれ、会話が大いに盛り上がります。なお、他のアジア
も同様ですが、くれぐれも周囲の安全を確保した上で、旅行をお楽しみいただければと思います。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年6月号第3回『シンガポール』

第3回『シンガポール』

便利でクリーンなイメージのある南国、シンガポール。東京23 区ほどの面積に500 万人強が暮らしており、人口の約75%は中国系で公用語にも英語と共に中国語が採用されています。最近はカジノも作られるなど、観光業にも一層力を入れており、日本人観光客も多く訪れる国ですね。

まずはチャンギ国際空港のインフォメーションデスクで市内への行き方を中国系の女性職員に中国語で聞いてみたのですが、何と返ってきた答えは英語でした。でも彼女は筆者の中国語を完全に聞き取っており、的確な回答でした。中国でも時々外国人に対しては英語を使おうとする人がいますが、そんな風にも見えませんでした。

市内へ向かう列車の中で、若いカップルの話に耳を傾けると、一方が中国語を使い、もう一方は英語と中国語が半々などという会話に出会います。シンガポールでは常に複数の言語を使っているため、その場の状況と相手に合わせて言語を使い分けているという人もいます。例えば、オフィスで交わすビジネスの会話は英語でも、一度ランチの話になればそこで言語が中国語に切り替わる、我々から見ると実に不思議な、そしてその高い語学能力を羨ましく思います。

シンガポールは約75%が中国系と書きましたが、福建系、広東系、海南系、客家など実はさまざまな人々が混在しています。ですから、家庭で、また同じ地域の出身者同士ならその母語を使いますが、例えば福建系と広東系の人が話す場合は、共通言語として中国語を使っています。この切り替えがまた実に見事なのです。

最近は中国からの新たな移住者も非常に多くなってきています。彼らにとってシンガポールは、物価や不動産が高くても、何よりも中国語が普通に通じる国として、便利だと言っていました。中国人観光客も増加しており、中国語を聞く機会が増えています。ただ中国人と同じようにアラブ系、インド系、マレー系も増えており、シンガポールはますます多言語国家になっているようにも見えました。

チャイナタウンも相当に変貌を遂げていました。昔の少しさびれたような雰囲気は全くなく、今では一大観光地となっています。もちろんここでは、普通に中国語が話され、観光客慣れもしていますので、お土産を購入する際など、皆さんが日頃習得した中国語を使う絶好の機会かと思います。またプチホテルなどもたくさんありますので、ここに泊まり、付近のフードコートで中国各地の料理を味わうのも一興ですね。

シンガポールに滞在して思うこと、それはこの国の国民が多様化しており、言語的には国民全体の共通言語が英語、華人の共通言語が中国語、となっていることでした。ここは人種のるつぼであり、その活力が経済発展を生み出していることをひしひしと実感しています。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年5月号第2回『タイ北部・ミャンマー北東部』

第2回『タイ北部・ミャンマー北東部』

「タイにお茶を飲む文化はあるのか」、これは筆者のタイに関する最大の関心事です。実際、バンコクでお茶屋さんはほとんど見かけませんし、喫茶店もあまりありません。タイに長く住む華人はお茶を飲まなかったのでしょうか。バンコクの中心、ラマ4 世通りにひっそりとお茶屋さんが建っていました。お店のおばあさんはバンコク生まれの2 世。お茶の店は50 年以上前にお父さんが開業したといいます。華人学校で学んだと、中国語で話す彼女。「お茶は全て大陸から来るんだよ」と教えてくれました。近所の華人が常連客だそうです。

実はタイの北部にはおいしいウーロン茶が作られている場所があります。タイ産のウーロン茶というとタイに住む日本人でも知る人は少ないのですが、筆者が訪れたメーサローンはバンコクから飛行機に乗って1 時間、タイ北部チェンライから車で1 時間半、標高1200m の高原地帯にあり、山の斜面一面に茶畑が広がる風光明美な観光地でした。

メーサローンの街では、どこでもお茶を売っています。そしてほとんどの人が中国語を話せます。タイ語ができない筆者にとっては、何とも居心地の良い場所、読者のみなさんも、台湾の技術で作られた、歴史的に極めてユニークなメーサローンの茶園経営者 中国系母子のウーロン茶を是非現地でお試しください。タイ語ができなくても中国語で楽しく滞在できること請け合いです。

そういえばタイ北部とミャンマー北東部は地続きであり、ミャンマーのシャン州でも茶畑が多く見られます。ミャンマーでは緑茶を生産していますが、この地では、何とお茶は食べる物でもあるのです。お茶の葉を塩漬けにしたもので、日本で言えば漬物のような感覚です。さらに、小エビやゴマなどと混ぜて、ミャンマーの女性がよくお茶請けとして食べている姿が見られます。

以前ミャンマーの茶畑を訪れた際、ミャンマーの人に通訳を頼みましたが、彼女もお茶の専門家ではなく、訳にかなり苦しんでいました。しかしよく聞いてみるとその茶農家の青年は中国系。後は全て中国語で話が済み、通訳不要となったということもありました。

彼のお父さんは40 年前に雲南省からミャンマーに移住、茶作りを始めたそうですが、実にきれいな標準的な発音で説明してくれたのが、いまだに印象に残っています。渋みのあるお茶を味わいながら、タイやミャンマーの北部と中国西南部の近さを実感するのもいいですね。

NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年4月号第1回『バンコク』

第1回『バンコク』

今月から、アジア各国で中国語(※)がどのように使われているか、みなさんがアジアを旅したら、中国や台湾以外で中国語がどんな場面に使えるのか、をお伝えしていきたいと思います。

連載第1回はタイの首都バンコク。南国の温かい雰囲気、なんとなくホッとするほほえみ、日本人にもなじみのある、アジアの人気都市ですね。この街にはヤワラートと呼ばれる大きなチャイナタウンが王宮近くにあり、その歴史は200年を超えています。実に多くの人々が中国本土から海を渡り、ここバンコクで米などの産物を扱い、富を築いており、今も多くの家や商店が軒を並べています。

当然中国語は簡単に通じると思ったのですが、実はこの地に住む華人(中国系住民)の半数以上は現在の広東省潮州市付近から渡って来た潮州人で、その主言語は潮州語です。

しかもタイの場合、他国と異なり華人とタイ人の同化が非常に進んでおり、華人であっても、漢字の名前を使う人は稀まれで、2世、3世となるにつれて、生活習慣もタイ化し、タイ人と見分けがつかなくなっています。それでも昔から中国と商売をしている商人、また最近は多くの中国人観光客への対応から、中国語を話せる層もある程度いますので、一度は訪れ、お土産物を物色しながら、話しかけてみると面白いかと思います。

またヤワラート以外にもバンコクには華人が住む地域がいくつかあります。その1 つクロントイ地区には大きな市場があり、昔から華人が運送業や商業を営んできました。この辺りのお店の看板には漢字が併記されている所が多く、中国風のちょうちんが飾られるなど、中国的な雰囲気が漂っており、意外なほど華人がいるのです。

筆者が好んで通う小さなレストランのオーナー・黄さんは1946年、12歳の時に広東省汕頭(スワトウ)より一家5人で船に乗り、7日間かけてはるばるバンコクにやってきた「客家」です。客家は独特の文化・言語を持つ中国の移住集団とも言われ、東南アジアへも多くが渡って来ています。バンコクにも多くの客家人がおり、潮州人と並んで一大勢力を築いています。黄さんが1つ1つ思い出しながらぼつぼつと話すその波乱万丈の、苦難に満ちた人生を、おいしい客家料理を食べながら中国語で聞く、何だか自分も歴史の1シーンに紛れ込んだ気分になってきます。

最近タイの経済成長を背景に、中国本土から新たにタイへ渡ってくるニューカマーもかなり増えています。バンコクには、彼らが投資して作った本格的な中国料理店(本土の中国人を対象としている店)が出来てきています。店員さんは中国本土またはタイ北部チェンマイあたりの出身者、中にはミャンマーから出稼ぎにきた華人もおり、中国語が常用語として使われています。ここは本当にバンコクかと思うほど中国をそのまま持ち込んだ辛い四川料理や水ギョーザを出す店もあり、驚いてしまいます。バンコクで中国語を使って料理をオーダーし、本格的な中国料理をリーズナブルな料金で味わう……、何となく話のタネに行ってみたくなりませんか。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年9月号第6回『香港のお茶』

第6回『香港のお茶』

香港のお茶というと皆さん何を思い浮かべるでしょうか。とても香りのよいジャスミン茶、それとも茶色が濃く味わいの深いプーアール茶でしょうか。中には午後いただくアフタヌーンティーの紅茶を思い出す方もいるでしょう。いやアフタヌーンティーの場合、香港でのメインはふんだんに出てくるスコーンやケーキになるかもしれません。香港では英国式紅茶が多く飲まれていると思いがちですが、紅茶専門店は殆どありません。

実は香港人がいつ頃からお茶を飲んでいたのか尋ねても答えが見当たりません。またどんなお茶が好まれていたのかも資料があまりないようです。茶葉を売る店舗を開いて50年以上になる茶荘のオーナーたちに、しかたなくヒアリングしてみました。すると意外にも……。

ちなみに日本人は飲茶をお昼に食べる物と思っている人が多いようですが、伝統的には朝いただきます。広東省ではヤムチャ(飲茶)を『早茶』と呼んでいるほどです。香港に旅行に行った外国人が飲茶を食べに行くと多くの場合、お店の人はジャスミン茶かプーアール茶を勧めます。

ところが横で食べている地元の人のカップには別のお茶が入っていることが多いのです。この白茶と呼ばれる緑茶に似た微発酵のお茶が好まれる理由は、すっきりした味わいであることと値段が安いことではないでしょうか。今度もし香港でヤムチャに行く機会があったら、白茶の一種である寿眉茶を注文してみてください。きっと一目置かれますよ。

また潮州系、福建系の人々には自宅でお茶を飲む習慣はありましたが、焙煎の利いた濃い目の鉄観音などが好まれていたようで、茶荘でもこの手のお茶が長く売られています。今でも潮州料理店などでは、工夫茶と呼ばれる、小さな茶杯に濃くて少し苦いお茶が出されますので、一度味わってみるのも面白いかもしれません。

香港ではこれらのお茶以外にもさまざまなお茶が飲まれてきました。お茶ひとつとっても歴史が感じられます。ただ現在ではアメリカ系コーヒー店がチェーン展開するなど、多くの香港人のコーヒーを飲んでいる姿が、お茶の存在を脅かしています。ちなみに10年ほど前まで、香港には日本にあるような喫茶店が殆どなく、コーヒーはホテルのコーヒーショップに行かなければ飲めないと言われたほどでしたので、この変化には驚かされます。変わっていく香港と変わらぬ香港、やはり香港は継続的に見ていかないとついていけませんね。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年8月号第5回『香港島暮らし』

第5回『香港島暮らし』

香港というと香港島と九龍半島先端の高層ビル群、そして煌びやかな夜景を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。確かに凝縮された近代都市というイメージが相応しいかもしれませんが、実は香港には230余りの島があり、自然豊かで昔ながらの生活がそこにはあるのです。

筆者は駐在員時代、香港島に住んでいましたが、今回の滞在ではこれまでと違う体験ができることもあり、敢えて香港島から25分フェリーに乗るラマ島に住んでみました。ラマ島は人口約6,000人、ランタオ島、香港島に次ぎ香港で3番目に大きな島です。島に二つあるフェリーターミナルを結ぶ道はハイキングコースとなっており、週末ともなれば、運動不足解消、自然との触れ合いを求めて多くの人が島を訪れ、歩いた後は安くて新鮮な海鮮料理を楽しむ光景がよく見られます。

島の特徴の一つは何と言っても自然が多いこと。ここは香港かと思うほど、多様な亜熱帯の木々や草花があちこちに見られます。そして何とこの島には原則普通車が走っていません。救急車など緊急車両はありますが、住人は徒歩か、自転車となります。また荷物を運ぶ専用車としてVVと呼ばれる村の車が走るのがユニークです。

住人も多様です。自然環境を愛する欧米人も多く住んでいますし、インド系、アフリカ系など人種もいろいろです。島の店では「普通話」も英語も大抵の所で通じます。香港島より遥かに国際的と言えましょう。日本人も数十人住んでおり、何とその中に昔一緒の職場で働いた女性がいたのには、世間の狭さを感じました。

住んでいるのは人ばかりではありません。都会では飼いにくい犬や猫などペットも多く見かけます。自然の中で伸び伸びと散歩する犬を見ると幸せだなと思えます。そういえば、ペットも時々香港島へお出かけするらしく、フェリーの前方2列はペット優先席になっているほどです。

筆者が住んだ場所は、香港の古い友人が育った実家。フェリーターミナルから徒歩20分以上かかりますが、何と目の前はキレイなビーチ。夕暮れには実に優雅に陽が沈んでいきます。しかしビーチの向こうに見えるのは火力発電所。こんな光景は香港らしいかもしれません。

勿論いいことばかりではありません。自然が多ければ虫も多く、結構格闘したりします。また暑い日ざしの中、ターミナルまで往復50分のハイキングはかなり堪えます。夜お酒を飲んで島へ帰るとタクシーに乗りたくなります。でもこの島の生活はある意味、人間の本質を突いており、エコや節電などの要素が満載です。ご興味あれば、是非一度訪ねてみてください。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年7月号第4回『香港の物価』

第4回『香港の物価』

「香港に住むのは大変でしょう、物価が高くて」、香港を知る多くの日本人からよくこんな言葉を掛けられますが、筆者の答えは「いえ、家賃さえなければ、それほど高くはありませんよ。食べ物などはむしろ日本より安いと感じます」と
いうものです。

広い広い中国大陸からみれば、まさに猫の額のような場所に700万人以上の人がひしめく街、香港。当然その不動産価格は高く、最近の統計では駐在員の家賃が世界一高い場所、にも輝いています。庶民は高層の古いアパートで、本当に狭い生活を余儀なくされています。家賃は東京よりも高く、住居の質も落ちる、というのが一般的な感覚です。

香港は世界の貿易港であり、国際金融センターの一つでもあり、投資マネーの往来も激しく、その不動産価格も世界情勢に左右される面があります。近年は中国経済の台頭によって、中国マネーが香港不動産にもドッと流れ込んできており、その価格を押し上げています。

実は為替レートが原因です。香港ドルは米ドルに実質的に連動するペッグ制を採用しています。最近は円高、ドル安が続いており、日本円は香港ドルに対してもここ3年で20〜30%高くなっていますので、日本円換算で考えると実際の値上がり感があまりありません。

同じことが中国大陸から来る人にも言えます。筆者が香港に駐在していた2000年代の前半、香港ドルは人民元より数%高かったのですが、現在では人民元の方が20%程度高い状況となってしまったのです。昔は香港に買い物に来る中国人と言えば、高級ブランド品を買う富裕層のイメージでしたが、今では日用雑貨が大陸より安く買えるケースもあり、広東省などから毎週、香港のスーパーへ日常の買い物に来る人が急増しています。

一方香港ドルで給料をもらう平均的な香港人の生活は物価上昇をまともに受け、厳しくなっています。以前は広東省にセカンドハウスを買い、週末はそこで過ごすなど、羨ましい生活を送っていた人たちが筆者の部下にもいましたが、今では「大陸は高くて、ほとんど行っていない」と答えています。

いずれにしても他のアジア諸国同様、香港の物価は上がっています。上がっていない国は日本ぐらいではないでしょうか。円高は悪い面ばかりではありません。香港への旅行を検討してみてはいかがでしょうか。ただ、ホテルは安くありませんが。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年6月号第3回『現代香港大学生事情』

第3回『現代香港大学生事情』

初めて赴任した1991年頃、香港には確か2つの大学しかありませんでした。香港大学と香港中文大学。勤務先で何人か卒業生を採用し、一緒に働いたことがありましたが、そのプライドと自信は相当のものがありました。当時はこの2校に入れない人が海外留学する、とまで言われたエリート校でした。最近はどうなのでしょうか。

私は、昨年創立100周年を迎えた名門香港大学に所属し、日本人の中野嘉子先生が担当する「日本研究ビジネスプロジェクト」に参加してきました。このゼミは「日本語を実践的に使用」して、「日本企業とタイアップしたプロジェクト」を推進しており、香港でも新しい試みとして注目されています。ゼミ生の中にはグローバルな人材として、日本企業の本社採用になる学生も出てきており、中国大陸だけでなく広く世界で活躍できる人材が育成されています。

今年度は「日本の復興のためになることをしよう」とのテーマで、日本政府観光局(JNTO)香港事務所と協力して、香港人が日本を訪れたときに撮影した写真を募集、ソーシャルメディアに掲載して投票を呼び掛ける写真コンテストを企画しました。先生の厳しくも温かい指導の下、日本語で説明資料を作成し、領事館をはじめとする官庁や日本企業を訪問して、自ら日本語で協賛をお願いするなど、実に実践的な活動を展開していました。そして震災一周年のイベント「活力日本展」(「元気な日本」展示会)の香港開催に合わせてコンテストの表彰式を行い、見事プロジェクトをやり遂げました。5名のメンバーの多くが日本留学中に震災を経験しており、その思いが非常に強く出ていました。

メンバーの4年生カスティア・チャンさんとエミー・ウォンさんは「うまく行動できなくて怒られたり、迷惑をかけたりしたこともあったが、日本の官庁や企業と直接接触する機会を得て、日本への理解がさらに深まった。自分たちも大いに成長したと思う」と話してくれました。日本の大学でもこんな授業があったら、面白いと思いました。

日本語を勉強する動機として、中国大陸の学生の多くが日本のアニメなどサブカルチャーを挙げるのに対して、彼女らは「就職時に有利だから」と答えています。筆者から見れば母語の広東語、学校の公用語である英語に加えて「普通話」も問題なく使える香港の大学生があえて第4言語として日本語を選択し、相当のレベルに達しているだけで驚きますが、より良い職場を求めて就活する厳しさを感じました。「香港に来ている大陸の留学生は非常に優秀でハングリー精神がある」とのことで、香港の学生が大陸の学生に刺激を受けている面もあるかもしれません。香港大学の学生からはエリート意識が徐々に薄れているようです。

学費は親が出しているとのことですが、得意の日本語を駆使してアルバイトをしたり日本企業でインターンをしたりと、学生生活は授業以外でも忙しいようです。それでも就職後は給与の一部を親に仕送りするというエミーさん。「教育は投資」という伝統的な考え方が未だに息づいており、日本も見習うべきではないでしょうか。香港では日本の商品が溢れ、経済から芸能情報まで、リアルタイムに日本が感じられますが、「日本に留学したとき、日本人はとても優しかったのに、香港の現状は殆ど知られていないのがちょっぴり残念だった」との声も聞かれました。読者の皆さんも是非香港を訪れ、香港の人々と触れ合って、香港への理解を深めて欲しいと思います。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年5月号第2回『香港の公用語は』

第2回『香港の公用語は』

1997年に返還された香港を今や日本人は「中国の一部」とのみ認識するようになっていますが、国は一つでも制度は別々という「一国二制度」が採用されている事実を忘れていませんか。でも二制度とは具体的にどんなことでしょうか。言語の面から見てみましょう。

この制度を規定する法律は香港特別行政区基本法ですが、その第9条に「香港特別行政区の行政機関、立法機関、司法機関は、中国語のほか、英語も使用することができる。英語も公式言語である」とあります。わざわざ英語に言及しているのは、返還以前の公用語である英語を残し、変化を最小限に抑えるという意味でしょうが、「中国語」は漢字で「中文」とのみ書かれています。この「中文」の意味合いは、香港においてはすこし複雑です。

実は香港政府が推奨し、現場で実際に行われる言語教育は「両文三語」と呼ばれています。「両文」とは書き言葉としての中国語と英語、「三語」は話し言葉としての広東語、「普通話」、英語となります。ここでは、中国語(中文)は書き言葉、「普通話」は話し言葉として区別しています。なお話し言葉の第一言語は広東語です。現在では幼稚園でも第二言語として、英語と「普通話」を教える時間が設けられているようです。

もちろん一般の香港人は街中で普通に広東語を話しています。ただ中には大陸から渡って来て以来、出身地域の言葉しか話さないお年寄りなどもいます。香港で最も有名な道教寺院の一つである黄大仙廟にある占いの店に行くと、使用言語として広東語や「普通話」を意味する表示に交じって、潮州語、客家語、そして広東省の一地域である台山語や海豊語なども書いてあってめんくらいますが、自らに関わる重大なことは母語で聞きたい、という気持ちは十分に分かります。もちろん日本語もありますよ。

企業でも、返還前は英語ができるスタッフが優遇される傾向がありましたが、最近では「普通話」ができなければ大陸への出張や対応などで不便をきたすため、こっそり語学学校に通う幹部社員などもいるようです。返還前には英語で会話していたスタッフに、「今日から『普通話』で話してくれ」と言われて、驚いた記憶があります。

当初は広東語の発音で「普通話」の語彙を使うような「香港風の普通話」が多く聞かれましたが、最近は教育のせいか、非常に標準的な「普通話」を話す香港人が増えているという印象があります。一方懸念されるのは、英語力の低下。やはり香港人の主言語は広東語であって、その他の言語は、その時の状況、とりわけ仕事内容や経済に左右されるようです。英国植民地時代を生き抜いた、香港人のしたたかさを見る思いです。

NHKテレビで中国語コラム『香港現地レポート』2012年4月号第1回『健康は香港に在り』

第1回『健康は香港に在り』

今年は香港が返還されてからちょうど15年。その間、香港は経済・社会・文化・教育など各方面で大きく変わっています。筆者は返還前5年間、返還後4年間を駐在員として香港で過ごし、今年久しぶりに香港に戻ってきました。今回より、現地・香港から「変わった香港 変わらない香港」の現状をリポートしていきたいと思います。

「食は香港に在り」、というわけで香港といえばまず思い浮かぶのは「食」。しかし残念なことに返還前に通っていた安くておいしいレストランの多くは、この15年で消えてしまいました。1997年のあの返還前の移民騒動、その直後のアジア通貨危機、そして2003年のSARS騒ぎ。香港が経験したこれらの試練の過程で、庶民派優良レストランは経済的に立ち行かなくなり、淘汰されていきました。チェーン展開されるファストフード系のお店が街中に溢れ、便利で安心感はあるのですが、昔ながらの味が懐かしく思い出されます。

ではこの15年で香港の伝統的な食事は消えてしまったのかといえば、そんなことはありません。筆者が最も香港的だと考える料理はずばりスープ。広東料理のフルコースには必ずスープが2品入るほど、この地域ではスープを重視しています。ただし今回はフカヒレのような高級食材を使ったものではなく、「例湯」(レイトン)、英語でデイリースープと呼ばれるスープのお話です。このスープはメニューになくても、今でも大抵のレストランにあるでしょう。

その日の気候と食材によって、シェフがダイコン、ニンジン、レンコンなどの野菜を大きめに切り、豚肉などと合わせて鍋に放り込み、数時間もぐつぐつ煮込む例湯は、「老火(例)湯」などとメニューに書かれている、実に滋味の溢れるおいしいスープです。漢方の生薬なども入れられており、いかにも体に良さそうです。

お年寄りを中心にした家庭では、今でも昔ながらのこのスープを毎日飲んでいるといいます。実際香港の友人と話すと「昨日はのどが痛く、風邪をひきそうだったので、母さんに頼んで風邪に効く例湯を作ってもらった」などという話をよく耳にします。例湯は香港の人々の健康に大いに寄与しています。

実は香港は意外にも世界有数の長寿地域。厚生労働省の統計によれば、2009年日本の平均寿命は男性79.6歳、 女性86.4歳。対する香港は男性79.8歳、女性86.1歳。男性の平均寿命は日本などを抜き、今や世界一なのです。更に香港では、日本のように高齢の患者に胃瘻などの措置を取ることは少ないと言われ、お年寄りが統計以上に健康だとも考えられます。

香港のお年寄りに長寿の秘訣を聞くと答えは「みんなで楽しく、よく食べ、よく話す」。彼らの行動を見ていますと、とにかくよく食べます。現在は経済的に大いに発展した香港ですが、中国大陸から移住してきた当時の過酷な環境に対応する一つの手段だったのでしょうか。香港人が食を大切にする理由が分かる気がします。お年寄りの横で一緒に食事をすると、何だかこちらも元気になった気分になります。

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