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《奇想天外マレーシアの旅》(11)キャメロンハイランド 謎のイタリアン

10月7日(月)

サボテン園で癒されて

何だか目的は達したようだし、今日KLに戻るかどうか思案。だが天気がとても悪く、あまり動きたくない心境となり、延泊決定。優雅に朝食ビュッフェを食べると後はやることがない。そうだ、休息だ、休むのが一番、とは分かっていた。精神的にも疲れはてていた。

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でも雨が止んだので出掛けてしまった。やはり何か歯車が合っていなかったのだろう。ホテルから少し行くと、観光客用の出店が並ぶ。いちごや高原野菜を売っている。そういえば最近この辺りでは華人が農業を行っていると聞いていたが、これのことだったのか。環境もよく、暑くもなく、そして収入の道があれば、農業に従事する人々も増えているのだろう。

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サボテン園がある。何故こんなところにあるのかは分からないが、あのとげとげしいサボテンを見ていると何となく癒されるのが不思議。大きいのから小さいのまで、鉢の植えられた各種サボテン、マレーシアではブームなのだろうかと思うほど、大量に展示されている。勿論他の草花もあるが、サボテンが圧倒している。

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昼ごはんは抜いて、ホテルでハイティセットを頼む。僅か15rでスコーンと紅茶が出て来る。誰もいないホテルロビーのカフェ、何だか寛げてよい。スコーンも予想以上に美味い、ジャムつけると、もっと美味い。紅茶もストレートで十分に飲める味。月曜日の雨の午後、なかなか良い雰囲気だったが、なぜか蚊が来て・・?

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夕飯はイタリアン

そして午後は部屋でボーっと過ごした。ボーっとしているなぜか腹が空く。夕方フラフラ外へ出る。相変わらず食べる所は少ないが、イタリアンが目に入る。ここでイタリアン、などと私は思わない。食べたい時にそこにあれば入るのみ。

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お客は誰もいなかった。セットメニューからグリルドチキンを探しだす。飲み物は紅茶だ。若いにいちゃんが注文を取っていたが愛想がよい。ふとカウンターを見ると、そこにはとてもかわいい女性が立っていた。どう見ても中華系だ。この店は誰がやっているのだろうか?店員二人は何と中国語で会話していた。一体どういう関係なのか?彼女はここの生まれなのか?

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やってきたチキングリルを食べながらも、どうしても2人のことが気になってしまう。どうやって聞き出そうか、と考えていると、何と彼女はどこかへ行ってしまった。にいちゃんに何か聞こうとしたが、ちょうど客が来てしまった。この店の謎は全く解けないままに終わった。

《奇想天外マレーシアの旅》(10)キャメロンハイランド ボーティガーデン

ボーティガーデン

ようやくボーティガーデンに近づいた。茶畑の脇に小屋が並んでいた。そしてそのすぐ横にはヒンズー寺院があった。以前スリランカの茶畑に行った時も、同じ光景があった。そこではイギリス統治時代に南インドから連れて来られたタミル人が多く働いていた。タミル人はヒンズー教徒、それで寺院があった。ここもスリランカと同じ歴史があるのだろうか?

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ガーデンの建物ははるか上に見えた。結構きつい坂を上る必要がある。まさに茶畑の合間を歩いて上がる感じ。車で来ている人々もここは足で上がらなければならない。既に午後も遅く、観光客がおりてきている。

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実にモダンな建物が建っていた。11年前の記憶ではここには木の小屋があり、庭から茶畑を見ながらお茶が飲めたはずだったが、今はガラスで仕切られた屋内から眺めるようになっている。館内にはキャメロンハイランドとお茶の歴史が展示されている。ここにお茶が植えられたのは1920年代末のようだ。

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工場の方に回ってみたが、既に工場見学ツアーは終了しており、閑散としていた。ちょうどオジサンがいたので話し掛けてみると、彼が工場の責任者だった。工場は自由に見てよいというオジサンにいくつか質問。その結果、ボーティーはマレーシアの茶葉生産量の半分以上を1社で賄っていること、以前は輸出中心だった紅茶も今では国内向けとなっており、マレーシア全体が茶葉の輸入国となっていること、そしてワーカーはタミル人ではなく、ヒンズー教のネパール人とイスラム教のバングラディシュ人が中心であることを教えてくれた。なるほど。工場は至ってシンプルで、如何にも紅茶工場の造り。

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喫茶コーナーは明るい雰囲気で、マレー系の地元民が楽しそうにお茶を飲んでいた。これは11年前にはなかった光景。やはり紅茶が国内向けになったという話は本当だと思われた。ボーティーはかなり細かく茶葉を刻むが、それはそれで美味しいし、値段もそれほど高くはないので、良い。

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茶畑を見ながらお茶を飲む、避暑地の観光としてはインドのダージリンなどを思い出させる。国内所得の向上により、マレー人の観光客が増えており、彼らが紅茶需要を押し上げているのだ。

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4時半にはガーデン営業が終了。1時間ほどの滞在で、ホテルへ戻ることになる。ただ来た時はまだワクワク感もあったのだが、帰りは単に歩くだけで、結構つらい。おまけに雨も降りだした。こんな雨模様なのになぜか傘も忘れてきている。上り坂が余計きつくなる。こんなことなら最終のバスに乗っておくのだった、と後悔したが後の祭り。

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道ではかなりの車が私を追い抜いて行った。皆帰っていくのだ。すると1台の車が停まり、運転手が『乗って行かないか』という合図をした。助手席には女性が乗っていたが、早々に後部座席に移った。頭にベールを被るマレー系だった。感謝して乗り込む。

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彼らはKLから日帰りの旅に来ていた家族だった。『雨の中を一人で歩いていたので声を掛けた』といい、私が日本人だと名乗ると驚いた様子だった。外国人だから乗せたのではなく、困っていそうだから乗せた、ということが嬉しかった。そして彼らは私が想像していたような典型的な一家だった。ご主人は技術者で日本に研修に行ったこともあった。近年所得が向上し、生活に余裕が出来、国内旅行を楽しんでいた。紅茶もよく飲むという。

 

大きな通りまで出たので感謝して下りる。既に道は渋滞となっていた。日曜日の夕方、これから皆KLを目指して帰っていくのだろう。夜は何も食べずに早や目に就寝。

《奇想天外マレーシアの旅》(9)キャメロンハイランド ボーティ茶園への道

4. キャメロンハイランド

ジャパンセッティングの謎

小雨の降る中、ホテルへの道を歩く。この付近がキャメロンハイランドで一番高い所らしい。標高1800m?ホテルは広い敷地があり、辺りを見下ろす地形にある。なかなか立派なホテルである。

 

ロビーも広々としていてよい。予約していたのですんなりチェックインできると思っていたが、何やら様子が怪しい。また何かトラブルか、と身構える。するとフロントの女性が『これからジャパンセッティングをするので、少し時間がかる』と告げる。なんだそりゃ、ジャパンセッティング?やはり疲れていた私は『そんなもの、いらないからすぐにチェックインを』と食い下がるが、マネージャーのインド系女性が出てきて『これはホテルのルールだから』と譲らない。

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結局20分ほど待たされて部屋へ。その頃には私もかなり怒っており、部屋へ入るなり、そのセッティングを観察した。しかし見つかったものと言えば①ウオシュレットタイプの便器②とてもへんてこな浴衣③日本茶ティーバック、3点のみ。①は元々部屋の備わったもので、②③をセットするのは1分も掛からない。これがサービスと言えるだろうか。それとも日本人客に好意を持っていて、分からないなりに一生懸命やった結果なのだろうか?

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雨はシトシト降っている。山の上で風も強い。ここは静かに部屋で休めということだろうか。1時間ほど茶を飲みながら過ごしたが、腹が減ってきた。今日は昼を食べていない。雨も何となく上がっていたので、外へ出る。本館の他に、コテージ風の建物もいくつもある。ここはリゾート地なのである。

 

周囲に殆ど食べる所はなかった。日曜日だが、雨の午後、お客もいないと店を閉じたところもあるようだ。1軒だけ、は入れそうな店があったので、入ると、若者がギターを弾いていた。中国語で話し掛けるとちゃんと返ってきた。ワンタン麺を頼む。若者と話していると『もし茶園に行くなら今日だね。明日は休みだから』との貴重な情報を得る。

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ボーティー茶園への長い道のり

何故ここにホテルを取ったのか、それは地図で見る限り、ボーティー茶園まで歩いていえそうだったからだ。早々に若者の情報に基づいて夕方の山を歩き始める。国道にはきちんとボーティーの表示があったが、何とここから3.5㎞もあるという。まあ、何とかなるだろうと持ち前のいい加減さで歩く。

 

本当に山道だったが車は走れる。途中に洋館があり、この辺もイギリス人の別荘があったことが分かる。この辺りでヨーロッパン人女性とすれ違う。茶園までの道のりを聞くと『ずーっと向こう』と言われ、途方に暮れる。道は螺旋を描き、遠くに茶畑が見えた。

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1時間以上歩いて、ようやく茶園に到着した。ちゃんとボーティーの表示がある。キレイな茶畑である。なだらかな斜面にへばりつく様に茶樹が植わっている。遠くを眺めると実に広大な敷地に、優雅に茶樹が植えられている。更に1㎞先に茶園センターがあるらしい。観光客は車でそこへ向かっていた。私も恐らく11年前に訪れた場所だ。疲れ果てていたが、進むしかない。

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《奇想天外マレーシアの旅》(8)イポー 静かな落ち着いた街

10月6日(日)

静かな落ち着いた街

イポーの朝は何事もなかったかのような静けさに包まれていた。昨日の興奮からか、眠りは浅く、そのまま起きて、散歩に出る。この街は全体的にゆったりとしており、道も広く、高い建物もない。妙に落ち着く街並みだ。

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イギリス植民地時代の建物も多く残り、中華的な建物も存在する。マレーシアで3番目に大きな街と聞いたが、そうは見えない。が、かつてはスズの生産で栄え、KLとペナンを結ぶ交通の要衝としても重要な位置にあった都市だ。キンタ川という川が真ん中を流れ、スズを運ぶために作られた鉄道駅もコロニアル風で歴史を感じさせるに十分な造りを持っている。

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1時間も歩いただろうか、久しぶりに気持ちの良い散歩となった。朝食はホテルで取ったが、外には飲茶屋などもあり、お茶を飲みながらゆっくり点心をつまめば良かったと後悔した。もっと言えば、今からこの街を去らなければならないことに大いに後悔した。

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イポーからキャメロンハイランドへ行くには昨晩降りた郊外のバスターミナルのほか、街中のバスターミナルからバスが出ていた。11時のバスがあるのを確認して、荷物を引き摺り、ターミナルへ向かう。ところがなぜか雨が降ってきた。

 

横を見ると、東安会館という華人の同郷会が見える。ここで華人はどんな生活をしてきた、そしてしているのだろうか。道を間違えたのか、インド人街にも迷い込む。イポーは華人の街と聞いていたが、ここにもインド系がいる。マレーシアの多様性を垣間見る。

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バスは11時ギリギリに入線。豪華バスだった。今日は日曜日、ほぼ満員の乗客を乗せ、出発した。すぐに山道に入る。昨日のバスの旅が長すぎたせいか、今日の2時間半はあっという間に過ぎる。山をかなり上ると、高原野菜のビニールハウスなどが見え、近づいてきていることが分かる。

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このバスの終点はタナラタという街だが、私は途中のブリンチャンで降りなければならない。一体どこで降りればよいのだろうか。一人二人と下車する人が出てきたが、一向に分からない。すると突然『エクアトリアル』という文字が見えた。本日予約をしたホテルではないか。

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慌てて下りようとすると、運転手が『こんな所では降りられない』と厳しい。だが幸いもう一人下りる人がいて、運転手も渋々ドアを開けた。私が荷物を取り出したいというと一層嫌な顔になったが、もう仕方がない。後ろを見ると、車が渋滞していた。これは申し訳ないことをした。

《奇想天外マレーシアの旅》(7)イポー イポー目前で大渋滞

1. イポー

イポー手前で大渋滞

気持が急速に落ち込んでいた。スリの被害額は大したことはない。パスポートやカードなど取られて面倒な物は全て手元に残っている。これはプロの仕業、足のつくものには手を付けていない、幸いだった。旅も続けられる。ということで、イポー行のバスに乗り込む。乗客は少なく、快適なはずなのだが、気持ちを立て直すことが出来ない。こちらには落ち度は殆どなかったと思う。ではなぜ?

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バスはチンタラ走る。そしてイポー行直通ではなく、途中のポートディクソンへ寄った。小さな町でバスターミナルではなく、適当にところで乗客を降ろしたようだが、それでも時間を取られる。トイレにはこまめに行く。

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更に進むと夕陽が傾く。もう一つクランという街にも入る。高速道路は快適なのだが、街中は少し渋滞。イポーまで6時間と言われたが既に4時間近い。これなら一度KLに戻り、バスを探した方が良かったような。

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そして日が暮れ、到着時刻が近づく。明るい内に到着すると何かと気が楽だったのだが、何とイポーまであと50㎞で大渋滞に嵌る。最初はちょっとした事故なのかと思っていたが、いつまでも車が動かない。ちょっとイライラし、そしてまたスリのことを考える。早く新しい街へ行き、気分を変えたいのに、試練が与えられているようだ。

 

1時間後ようやく渋滞を抜け、さあ、イポーだ、と思った瞬間、バスは無情にもドライブインへ入る。ここは相当大型で、きれい。どうやらこのバスはイポー止まりではなくさらに先に行くため、運転手の休息と食事休憩が義務付けられていた。あと20㎞でイポーなのに、と一人悶々としていたが、20分休憩と言いながら、運転手が帰ってくる気配はない。

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乗客が戻り、最後に運転手が席に着いたのは40分後ぐらいだった。そしてあっという間にイポーバスターミナルへ。マラッカを出てから実に8時間近くが経っていた。ターミナルには人影もまばらで、市内へ行くバスなど見付からない。仕方なくタクシーに乗ると25rも取られる。

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大音響のホテル

どこへ行くのかと運転手に問われ、ハッと我に返る。私はホテルの予約もしていなければ、この街のことを何も知らない。だが適当なホテルへ、と言いたくなかった。どうしてもスリのことが頭に残っており、何かが起こりそうな気がしたからだ。ガイドブックで見た、エクセルシオールという名前を言うと、無言で走り出す。

 

市内まで15分ぐらい、タクシー代は高過ぎた。ホテルに入ると、大音響でライブ演奏中だった。他を探したかったが、夜の10時過ぎで、疲れてもいた。1泊150rも気に入らなかったが、部屋は静かだと言われて、チェックイン。部屋は古びていたが、広々としており、多少救われる。だが下での大演奏は当然ガンガン響いてきた。表に出たかったが、疲れが邪魔をした。

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ネットが繋がるので、Facebookに今日の出来事を書き込んだ。今日の出来事を今日書き込むことは稀であるが、そうせざるを得ない精神状態だった。明日からどうやって旅を続ければよいのか、人が信じられなくなる怖さ。

 

もう夜中の12時だというのに、演奏はどんどんエスカレートしていく。このまま朝まで続いたら気が狂いそうだと思った午前1時、ピタッと終了した。そして恐ろしいほどの静寂が訪れ、それがまた私の眠りを大いに妨げた。

《奇想天外マレーシアの旅》(6)マラッカ 集団スリに遭う

10月5日(土)

SIMカード

河沿いホテルの夜景は素晴らしく、ぐっすりと眠れた。マラッカでもうすることはない。朝から散歩に出る。ポルトガル遺構付近では子供たちの踊りが披露されていた。何となく雰囲気がマッチしていてよい。

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今回携帯はタイのSIMをそのまま使っていたが、何とローミング代が高過ぎて、1000バーツ以上使ってしまい、残高不足に陥る。仕方なく、マレーシアのSIMを探しに行く。だが意外とショップはない。コンビニを覗くと、そこで出来そうだった。一応パスポートの提示を求められ、SIMカードが買えた。店員はマレー人で言葉は通じなかったが、携帯に言葉はいらない。セットアップもしてくれて助かった。

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ホテルに戻りチェックアウト。これからキャメロンハイランドへ向かう。取り敢えず下の街、イポーを目指すため、昨日着いた郊外のバスターミナルへ。ホテルオーナーからは近いバス停を紹介されていたが、折角なので、観光スポットの時計台から乗ることに。そこへ着くとちょうどバスが来て慌てて乗り込む。

 

集団スリ

バスはそれほど混んではいなかったが、私の窓際の横には足の悪いオジサンが座る。通路には3-4人のマレー人らしき人々が立っていた。すると後ろの席の男性がくしゃみをして、私のTシャツに何か付いた。彼は『ソーリー、ソーリー』と言いながら、ハンカチで私の背中を拭き始める。私はTシャツだからいいよ、と言いながらほんの数秒振り向いた。

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ちょうどバスがカーブして2人の男性が寄りかかったように思えた。前に振り向くと、2人が私のカバンに手を付いていたが、すぐに元に戻った。ちょっと嫌な感じがした。すると後ろの男性が再度背中を拭き始めた。これはおかしいと感じ、振り向くのをやめた。更には念のためポケットのカメラを取り出し、首から下げてみた。

 

横に立っていたオジサンが『お前の背中はまだ汚れているぞ』という仕草をしたので、決定的におかしいと思い、前を向いたままバックを固めた。その時バスが停まり、一人が下りた。その後隣のおじさんが話し掛けてきたがほぼ無視した。次のバス停で数人が降りた。あの数秒で私のバッグを開けたとは思えない。念のため手でパスポートなどを探ってみたが、特に問題はなかった。ちょっと気にし過ぎたかと反省。

 

それから小1時間、マラッカ市内を遊覧したバスは、ターミナルへ着いた。イポー行バスはまだ来ていなかった。念のため、トイレに入り、荷物を全て点検して驚いた。パスポートの入ったポーチは2段になっていたが、その上の方は見事に現金が抜かれていた。あんな短い間に出るのか、驚愕。

 

完全なプロによる集団スリに遭ってしまった。2年半の旅で1度も危険な目に合ったことがなかった私は狼狽えてしまった。彼らはパスポートなど足が着くものには手をつけなかった。幸いにも米ドルやバーツなどは下の段で取られず、上の段に入っていた人民元だけが抜かれていた。

 

そのある中国系にこの話をした。私は日本人に見えないことが災難に合わない理由だと思っていたが、彼は『お前は中国人に見える。今や現金を持っているのは中国人だぞ。だから狙われたんだ』と。人民元だけが抜かれたというのはその後笑い話となる。『盗人も値上がりする通貨を選んで盗む時代』だと。

 

《奇想天外マレーシアの旅》(5)マラッカ 華人の開墾地マチャバルへ行く

マチャバルへ

ホテルへ戻りオーナーに相談事をしようと思っていたら、先客がいた。何と中国遼寧省出身の中国人女性で、現在シンガポールで働いているという。一人旅でここにやってきた。『最近は中国人女性の一人旅も増えてきた』という彼女、私も認識を改めなければいけない。

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実は今日はマチャバルという場所へ行きたいと思っていた。それは先日ソウルで会った華人女性のシュウシュウが、『マラッカに行くなら、是非黄さんに会いに行け』とメッセージを飛ばしてきたので、それに従ったまで。何度か電話したが、どうやらマラッカ市内から少し離れているらしいこと、夕方5時以降に来るようにということ以外、よくわからないため、オーナーから黄さんに電話してもらった。

 

その結果分かったことは、マチャバルはここから40㎞ほど内陸に入った所で、バスなどはなく、車をチャーターするしかないということ。また料金もKL‐マラッカのバス代が片道10rであるのに対して、マチャバルまでは40r、往復で80rも掛かるということ。何故行くのかと問われれば、それがご縁、というしかない。

 

運転手も華人で言葉は通じた。最初は普通の道を走ったが、途中から山道、田舎道の連続。池などもあり、いい場所ではあるが、本当にこんなところに人が住んだのだろうか。40分ほど、車も走らない道を行き、ついにマチャバルに着く。黄さんは海鮮レストランを開いており、場所は直ぐに分かった。

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だが運転手は1時間後には帰りたいという。黄さんを探し、聞いてみると、この村にはタクシーなどはなく、この車で戻るほかないことが判明。滞在は1時間と決まる。黄さん、74歳、50年以上前に家族と共にこの村に入植。マレーシア政府が華人の為に開墾を認めた村、マチャバルは中国語では新村。当初は色々と大変だったが、場所に恵まれ、農業が軌道に乗り、更にその後レストランを始めた。子供にも恵まれ、うち一人が台湾へ留学、シュウシュウと出会ったと言う訳だ。その彼女はインドネシア華人に嫁いでおり、既に不在。

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黄さんには電話で説明したつもりだったが、突然日本人が現れて驚いた様子。私の電話はレストランの予約だと思い込んでいたので、午後5時の開店に合わせてくるように言ったようだ。何はともあれ飯ということで、美味しい豚の角煮や野菜炒めが私の為に振る舞われる。黄さんは何度も『シュウシュウの紹介だったのか』と感慨深げである。シュウシュウはその昔、ここに遊びに来たことがあった。

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店は地元の人で繁盛しており、すでに老人の黄さんも何かと忙しい。1時間はあっという間に過ぎ、運転手もどこからともなく戻ってきた。何とも突然の出会いであり、そして突然の別れとなる。50年前の新村、マチャバルは若者がどんどん出ていき、過疎化している。今後どうなるのだろうか?帰りは真っ暗な道を無言で戻る。いずれにしても、このショートトリップは歴史の一コマを見るだけでも十分に意味があった。

《奇想天外マレーシアの旅》(4)マラッカ 奇跡のホテルを再訪

奇跡のエクアトリアルを再訪

先ずはホテルを出て、観光街を歩き始める。宿のオーナーから『昼飯は海南チキンボールを食え』と言われていたので、探そうとしたが、探すまでもなく、大行列が出来ていた。オーナーも2軒だけが美味しい、と言っていたが、完全にその2軒に客が集中している。

 

私はそこまで食にこだわる方ではなく、むしろ面倒は嫌いなので並んで食べることはしないのだが、なぜか和記という1軒で客が途切れたようで、スッと入ることが出来た。注文は勿論中国語、基本は海南チキンで、ご飯が丸くなっているだけ。日本人観光客も大勢来ており、驚く。お茶などは出ない。

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それからマラッカの観光地をどんどん歩く。ポルトガル時代の遺構もあり、なかなか楽しい。私が前回ここへ来たのは確か2002年の暮れ。沢木耕太郎の深夜特急に触発され、『マラッカで夕陽を見る』ためだけに何と3泊もした。そう思い出すと、あの1泊目の奇跡のホテルが気になる。12年前のその日はこの州のお祭りで全くホテルが取れず、途方に暮れていたところ、偶然にホテルが見え、中に入ると、何とフロントスタッフが日本人女性で、部屋も奇跡的に1つ空いていた、というもの。マラッカで日本人在住者に会うことも稀なのに、不思議なことがあるものだ。

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そのエクアトリアルホテルは健在だった。勿論きれいになっており、現在の私の旅では高くて泊まれない。と言っても聞いてみると12年前と料金はほぼ同じ。時が止まったような気分になる。

 

そういえば3泊目はババハウスだったような。ここマラッカには移民してきた中国系男性とマレー系女性から生まれた混血が多数存在しており、ババニョニャと呼ばれる。オランダ時代に、奥の深い家、京都の街やのような建物、ババニョニャハウスが作られた。ここに泊まってみるのも一興だ。この付近は歴史保存地区だろうか。建物はきれいになっているが、元は相当に古い。いい感じだ。

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フランシスコザビエル教会にも立ち寄る。ここマラッカもイエズス会の拠点の一つ。ザビエルはここでどんな活動をしたのだろうか。1545年にここで布教活動をしたとあるが、当時はどんな場所だったのか。そして上川島での死、そして遺骸がマラッカにも運ばれたとある。現在の教会はとても荘厳な感じで、素晴らしい。

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あまりに暑いのでホテル近くのお茶屋で休む。アイスミルクティが美味い。気候によっては冷たいもの、甘いものが欲しくなる。一概に甘いのはダメ、などと言っていても仕方がない。それより、焼いている焼き鳥が食べたかったが、1本では焼いてくれない。ちょうど他のお客が注文したのでそれのおこぼれにあずかる。これもまた楽しい。

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《奇想天外マレーシアの旅》(3)KL マラッカ行のバスがない

10月4日(金)

2. マラッカ

バスターミナルへ辿り着けない

翌朝はホテルの近くにある茶室へ行き、朝のお茶を飲む。古い作りの細長い店舗、感じが出ている。中華系ばかりでなく、インド系、マレー系も来ており、朝からにぎわっている。このようなところが少ないからだろうか。トーストを食べている人もいるし、ご飯を食べている人もいる。この雑多な状態はよい。私はミルクティーを頼んでゆっくり1杯飲む。それからホテルに戻り朝食をとった。

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チェックアウトし、バスターミナルまで歩いて行く。ターミナルはチャイナタウンの外れにあり、荷物をひいて進む。結構疲れる。ようやく到着して、チケット売り場へ行くと、ブースの前で売り子のおじさん、おばさんが声を掛けて来る。ところが・・。マラッカ行は見当たらない。中国語で聞いてみると『マラッカは別のターミナル』とそっけなく言われ、お客にならない人間を相手にしない。途方に暮れる。

 

ようやく聞き出したことには、マラッカ行のバスはここから電車で30分も離れた新しいターミナルから出るという。仕方なく、駅へ行くとバスチケット売り場があり、そこの人が地図をくれて、何とか行くことが出来た。1回乗り換え、随分と南へ来たような気がする。全く事前調査しない旅は時々このようなことが起こる。

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新しいターミナルは駅に直結しており、空港行きの電車ともリンクしている。初めから分かっていれば結構便利だ。勿論きれいでバスも頻繁に出ている。僅か10rでマラッカへ行ける。所要時間2時間。スイスイと進んだ。

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南国の日差しが強く感じられるマラッカに到着した。市内へはどのように行くのだろうか。キョロキョロしているとバスがあるが、長蛇の列で乗れない。結局タクシー以外の人は皆これに乗るらしい。次のバスも満員では発車した。観光客が多い。

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市内までは30分ぐらい。宿を決めていない私は適当なところで降りて歩き始めた。河沿いに雰囲気の良い場所があり、その辺にゲストハウスがあったので、入ってみる。広東系のオーナーと中国語で会話し、100rで宿泊を決める。順調な滑り出しだ。

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《奇想天外マレーシアの旅》(2)KL チャイナタウン周辺を歩く

10月3日(木)

チャイナタウン周辺を歩く

翌朝は頭がボーっとしていた。昨晩の凍えるような体験がこびりついていた。早く外に出よう。外は既に暖かかった。KLのチャイナタウンは実はセントラル駅から電車でわかず1駅、本当に中心にあるのだが、近年の発展で、駅前は再開発されていた。

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朝からお茶を飲む茶室も多くが無くなっており、残念だ。僅かに残っているところは朝から繁盛しており、席がなかった。仕方なくホテルの朝食を食べる。ビュッフェの普通の食事だが、なぜかマネージャーのおじさんが色々と世話を焼いてくれるのが面白い。このホテルで初めてサービスというものを見た。

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セントラルマーケット付近はきれいなアーケードになっており、観光客向け。いや、このチャイナタウン自体がある意味で観光地になっており、華人が住む場所ではなくなっているということ。

 

85年の歴史を誇る老舗のお茶屋さんに入ると、店員のおばさんが親切に色々と教えてくれた。最近は華人ばかりでなく、マレー人もお茶を飲むようになったとか。主に緑茶らしい。華人はプーアール茶や広西壮族自治区で作られる六堡茶が好まれる。これも黒茶だが、中国本土では殆ど飲まれていない。

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そして南香という海南チキンライスの有名店に入る。朝も来てみたのだがまだ開店していなかった。夜もやっていない。朝10時、いましかない。店は既に大繁盛で、席がない。観光客もいるが地元の人が多い。最近よくあるセットではなく、チキンとご飯、そしてスープを別々に頼む。このチキンはいい味がした。好物にようやくありつけた。

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そしてまたお茶屋に入る。ここは福建省から来たオーナーが最近開いたらしい。お姐さんが『お茶飲んでく?』と大陸的な声掛けをしたので、入って飲む。ちょっと珍しい種類の烏龍茶があったので試飲したが、価格が高すぎる。買わないで帰ろうとすると『試飲したのに買わないのか』と怒られる。買う約束もしていのに、なんだ?最近お茶の売れ行きが悪いらしい。

 

何となく気分を変えたくて、雨にも関わらず、植民地時代の建物が並ぶエリアへ。KLにもこんなにあるのかと思うほど、19世紀スタイルの建物が残り、いまだに使用されている。勿論外壁などはきれいにされており、これも一つの観光スポットになっている。

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ホテルに戻る前にチャイナタウンで両替。KLで色々とみていると、両替レートは場所によってかなり違っている。歩いているとやけに人が多い場所があり、入ってみるとやはりレートが良い。何故こうなのか?スタッフも愛想がよい。

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夜は紹介された日本人商社マンFさんと肉骨茶を食べる。以前は美味しいと思わなかったが、これも変化があり、非常に美味で驚く。帰りはモノレールがなぜか止まっており?4駅程を歩いて行く。暗い中道に迷い、ちょっと慌てるが、何とか戻る。

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