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マレーシア老舗茶荘探訪2019(5)イポーからKLへ

一度部屋に戻り休息する。その後気を取り直して、宿から近くにある、洞窟寺院を訪ねてみた。そこは炭鉱の町イポーらしい、岩肌が見える小山に横穴を掘り、そこに寺院が作られていた。中に入るとひんやりとした空気が心地よく、ロウソクの火が微かに揺れる中、お参りする。

 

ただ外には犬が何匹もおり、激しく吠えてくるのですぐに退散する。その横には立派なヒンズー寺院も見えたが、閉まっており見学は出来なかった。更に山沿いに回り込むと、古い寺院が遠くの方に見えたが、これは何のためにあるのか分からず、途中で引き返してしまった。

 

街の方に戻ると、なぜか腹が減ってしまい、少し早いのだが、晩御飯とする。カレー麺と揚げ物を注文して食べたが、かなりスパイシーだった。お客は華人だけでなく、マレー系、インド系の家族などもおり、具が自由に選べるので、ベジタリアンにも受け入れられるのが分かる。多民族融合の食べ物として定着しており、マイノリティーである華人の商品開発力を見る思いだった。

 

8月20日(火)
クアラルンプールへ

翌朝は早起きした。実は昨日の午前中に知り合った人の食堂にカレー麺を食べに行く約束をしていたのだ。そこは宿から歩いて20分以上あったが、さわやかな朝なので気持ち良い散歩となった。お店は既にかなりお客がいて、人気店であることは一目で分かる。お勧めの麺を出してもらったところ、カレー麺と福建麺が半々で、カレーなどを少しずつ混ぜて食べるとなぜか絶妙な味になる。スープもうまい。更にはカレーの原汁もちょっと飲ませてもらうが、それほどスパイシーではなく程よい。何とも驚きの麺であり、次回も必ず食べたい麺として記憶に残った。デザートの煮卵、余りスープに入っており、こちらもうまい。

 

宿まで帰ると、朝食付きだったことを思い出し(わざわざ交渉して朝食を付けた)、もったいないのでコーヒーとフルーツをまた頬張る。そうこうしていると時間になり、呼んでもらったタクシーで駅に向かった。今日は12時発の列車でKLに行く。この列車のチケットは事前に購入しておかないと席は確保できない、イポー-KL間の直通列車だ。

 

約2時間半でKLまで行ってしまう。料金はバスより高いが便利なのだ。ずっと田舎の風景を眺めていたが、最後に街に入るとKL駅があった。思わず終点かと立ち上がり荷物を下ろしていると、他の乗客が『終点はKLセントラルだ』と言ったので、荷物を下ろしたまま、腰も下ろす。そして終点で列車を降りる。KLセントラルには何回か来ていたが、実質数年ぶりでかなり迷う。

 

駅からすぐのところにはいくつも簡易なホテルがあり、その一軒に飛び込む。だがこちらもネットの方が安いので、ネットで予約し、代金支払いはセブンイレブンで行った。これだと現地通貨が使えるので、現金が余っている場合は良いことを初めて発見する。このホテル、装備は悪くないのだが、何と夜ダニか何かが出て痒いので2泊して出ることにした。

 

まずはKLでスムーズに動くため、交通系カードの入手に動く。スイカなどは駅でも買えるが、ここのカードは特定の場所に行かないと買えないらしい。そのショップがKLセントラルのモールにあるというので、行ってみた。10リンギ払ってカードを買う。有効期限は10年だが、1年に一度は使わないと失効するらしい。係りの女性から『今日という日を忘れないように。年に一度はKLへ』と言われ、笑ってしまった。

 

折角カードをゲットしたのですぐに使ってみようと思い、近くのバス停を探してバスに乗る。僅か一駅で見慣れた場所に着く。パサールスニ、いわゆるチャイナタウンだ。6年前に数日宿泊したので、何となく見覚えがある。チャイナタウンの中で老舗茶荘を発見したが、資料を持っていなかったので、明日再度来ることにする。

 

その並びに海南チキンライスの店があったので、まだ夕方だったが思わず入って食べる。蒸しと焼きを半々に注文したつもりが、2皿来てしまい、大量に食べる羽目になったが、これは嬉しい誤算だった。やはりマレーシアのチキンはうまい。その後もフラフラ歩き回り、地下鉄に乗って宿へ帰ったが、6年ぶりのチャイナタウンの大きな変化は見られなかった。夜はダニと格闘して眠りは非常に浅かった。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(4)イポーの老舗茶荘を見つけるも

イポーで

今回のホテルは珍しく、日本人客の評価が高い所にしてみた。予約はせずにタクシーで乗り付け、料金を聞いてみると、やはりネットより少し高い。そのことをフロントに告げると、『実はネットの料金はプロモーション価格だ』と言いながらも、ほぼその料金で2泊泊めてくれたので有難い。この辺の対応が高評価の一因だろう。

 

約100リンギの部屋、こじんまりしているが、ロッジ風で、バスタブがあり、NHKが見られ、何より落ち着いた空間がある。朝食も付いている。こういう部屋が日本人の好みだとよくわかる。ロケーションは駅からはかなり離れているが、街の中心部にあり、前回泊まった大型ホテルのすぐ近くにあり、やはり便利である。

 

まずは街の位置関係を確認するため、駅まで歩いてみることにした。少し歩くと屋台が数軒入った食堂に出くわす。確か前回もここに来た記憶があり、懐かしさもあって入ってみた。イポーは食の街であり、煮麺も名物の1つなので頼んでみる。老夫婦がやっていたが、おばさんは広東語で注文を聞き、こちらが華語で答えるとなんと流ちょうな英語で返してきた。この辺のやり取りが実に楽しい。

 

駅までは3㎞近くあったが、曇りで暑くもなく、ゆっくり歩いた。この街もレトロな雰囲気はあったが、特にある一角には保存された古い街が残っていており、カメラポットになっていて、観光客が訪れている。往時炭鉱の町として栄えたイポーの面影はある。その中にお茶屋を発見したが、今日は日曜日のせいか、閉まっていた。

 

駅は昔のままだが、そこにあった立派なステーションホテルはかなり前に営業を止めていた。駅の周囲には特に見るべきものはない。宿の近くまで戻ると、何軒か食堂があり、その中で目を引いた、魚片粉の店に入る。濃厚なスープに揚げた魚の塊が放り込まれており、何とも美味。かなり満足して宿に帰り、大河ドラマを見て寝る。

 

8月19日(月)
イポーの老舗茶荘はどこに

朝はホテルで朝食を食べ、暑くならないうちに歩き出す。特に情報もなく、何の当てもない散歩だった。昨日と違う道を歩いて行くと、横道にきれいなモスクが見えた。実は私はイポーの街歩きが大好きだが、その理由はおそらく『華人の街』だからではないかと思っている。マレーシアはマレー系が人口の7割近くを占め、華人はマイノリティーだが、ここイポーは華人人口が7割と言い、華人的なにおいが濃厚で、何だかホッとしてしまうのだ。

 

その中でモスクを見つけて近寄ったのは決して偶然ではあるまい。何か見えないものに引っ張られたのだ。そのモスクの向かいの建物には『珈琲茶公会』の文字が見えるではないか。思わずそのドアを叩くと、中から女性が出てきて応対してくれた。ところが茶公会のはずが、『イポーはコーヒーの街だから、会員の多くはコーヒー関係者』だと言い、何と老舗茶荘については分からないという。組合が把握していないのであればもう絶望的だ。

 

だがその女性はとても親切で、どこかに電話を掛けている。すぐに男性が車で駆け付け、私をどこかに連れて行ってくれる。しかも何とその女性も同行してくれた。車はちょっと郊外に出て、瀟洒なカフェに向かった。イポーは白珈琲の発祥の地であり、このカフェでその歴史が分かるという。平日の午前中なのに満席で、しばし古い道具などの展示物を見る。

 

白珈琲とカヤトーストを頂く。この男性は実はお茶ともコーヒーとも関係がなく、イポー名粒、カレー麺を作る食堂の三代目だった。今日はたまたま休日だったので付き合ってくれたというのは、何とも有り難い。彼の原籍は海南島であり、実はイポーで食堂やカフェをやっている人は海南人が多いという事実を知る。この白珈琲も海南人が始めたそうだ。これまで華人の中で海南人について調べたことはなかったので、今後は注意してみよう。

 

彼の車で昨日行った古い町並みの所で降ろしてもらう。結局午前中は茶荘の情報は得られなかったので、ダメもとで昨日見た茶荘に行ってみる。今日は開いており、六堡茶などが店の前に出ていた。梁瑞生茶荘、雰囲気はかなり古い。三代目という若いオーナー易さんとそのおじさんが快く迎えてくれ、彼らの歴史を聞く。創業80年、広東出身のこともあり、ずっと広東系のお茶を中心に扱っており、紅茶粉は商わないらしい。

 

易さんはとても親切に、店にある沢山の資料を見せてくれ、色々なお茶を振る舞ってもくれた。更には易さんに教えてもらい、もう一つ老舗茶荘があるというのでそこまで歩いて行って見た。お店を見ると確かに老舗の匂いがプンプンする。中に入り女性に声を掛けると忙しそうに『オーナーはいない。私は歴史については何も知らないし、資料などの提供はしていない』ときっぱり言われる。

 

尚も取りすがるように『日本から来て、調べている』と訴えたが、『写真は自由に撮ってよい』と言われただけだった。仕方なく店内の写真を撮っていると、何とそこに、イポーの老舗としてリストに載っていた茶荘の名前を発見する。だが、なぜそこに名前があるのか、この茶荘とどんな関係にあるのか全く聞くことが出ず、退散するしかなかったことは残念でならない。まあこれもまた茶旅だ。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(3)ペナンでお茶イベントに参加

8月17日(土)
ペナンの茶イベント

今回ペナンに舞い戻った理由、それは茶芸協会のケビンから『ペナンでお茶イベントがあるから来ないか』と言われたのがきっかけだった。ちょうどKLまでの道中なので、寄り道した。いったいマレーシアではどんなお茶イベントが開かれているのか興味があり、ちょっと覗いてみた。

 

会場は例のタイムズスクエアーだった。宿から歩いて10分ほどの場所にあり、しかも前回行っているので迷うこともない。10時開始だというので、10時頃行ってみると、皆さんまだ準備中だった。それでも10以上のブースが出ており、様々な茶が紹介され、販売されているのは面白い。

 

このイベントはマレーシアの数か所を巡回して、お茶を紹介しようというもの。ケビン達主催者は忙しいようなので、取り敢えず一通りブースを回ることにした。岩茶を扱うところ、六堡茶の老茶を淹れてくれるところ、緑茶を売っているところなど、KLの茶商を中心に、老舗ではなく、新興の人々が集っていて興味深い。そして何より、皆さん親切で丁寧に説明してくれ、お茶を淹れてくれた。

 

そのうち開幕式が始まり、ケビンが司会をしている。彼は器用で何でも屋だ。英語も中国語もどちらも流ちょうに話す。周囲を見るとお客(殆どが華人)が続々と集まって来ており、思ったよりずっと大きなイベントになっている。茶芸というコンセプトが入って20-30年。茶業についてはそれまでとは違う動きがマレーシアにあることが分かって来た。

 

昼の時間は抜け出して、宿の近くの鴨肉飯を食べに戻った。これがうまいんだ。昨日間一髪で閉まってしまったのは残念でならなかったが、今日はちゃんとありつけた。すでにかなりの量のお茶を飲みこんでいた腹には、アイスミルクティーが新鮮でよい。このあたりの建物も、かなり古い物が多く、見ていて飽きない。

 

午後はセミナーが開催されていた。最初は茶芸協会会長が、雲南などを旅した茶旅を、中国語で報告しており、近年流行りのプーアル茶についての紹介を行っていた。その後のブレイク中に、台湾茶や雲南茶などのブースを回る。2つ目のセミナーは茶葉の種類などの基礎講座であったが、華人女性が流ちょうな英語で説明を行っていた。こういう英語講座、日本では難しいだろうな。

 

そして最前列にはインド系女性が陣取り、その講座を熱心に聞いているのが目を引いた。終了後には色々な質問もしている。現在マレーシア茶業が必要なことは、非華人系のお茶好きを発掘することかもしれない。インド系が中国茶を飲みだすのだろうか。如何にも多民族国家らしい光景を見た思いだ。

 

かなりの時間イベント会場に居てお茶を飲みすぎ、腹が減る。帰りに海南チキンライスを食べて満足して、部屋に戻って休息する。明日はイポーを目指すので早めに就寝しようとしたが、なぜか午後9時過ぎてまた腹が減る。仕方なく外へ出たが、既に多くの食堂は閉まっており、困る。

 

かなり歩いて行くと、何と飲茶屋が店を午前零時まで開けている。自分の好きな物を注文するのだが、なぜか相当な量を頼んでしまい、それをまたペロリと平らげた。お茶も鉄観音茶を注文して、一人飲茶を展開する。腹が減っているせいか、この点心が予想以上にうまい。店員の華語が少しおかしいので聞いてみると、何とベトナム人だった。彼の友人の何人もが、今日本で働いており、彼も日本へ行きたいという。私には是非日本で働いてくれ、とはとても言えない。

 

8月18日(日)
イポーへ

翌日はイポーに向けて出発した。前回ハジャイ行きで使ったミニバスが、とても楽に国境越えが出来たのと、列車で行くのが面倒そうだったので、今回もバスで行くことにした。チケットを買い、バスを待っていると、他の家族と一緒に何とミニバンに押し込められた。これで郊外まで運ばれ、そこでまた客を拾い、何とバターワースのバスターミナルで降ろされた。

 

そしてイポー行きは1時間出ないというのでちょっと驚きながら、建物の中で待つしかなかった。騙された気分である。そのバスはイポー経由キャメロンハイランド行き。到着は更に40分遅れたがどうすることもできない。ここから約2時間半、このバスに揺られていく。

 

イポーのバスターミナルと言えば、6年前、マラッカでスリに遭い、失意のうちに辿り着いた場所で、いい思い出はない。あの時は夜10時頃に到着して、既にバスはなく、高いタクシーに乗った記憶がある。しかし6年経ってもバスは整備されておらず、昼間からタクシーに乗る羽目になる。運転手の言い値は25リンギ、6年前と変わらない。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(2)フェリーでペナンに舞い戻る

8月15日(木)
アロースター散策

朝はゆっくりと目覚める。この街の茶荘探しは既に終わってしまい、特に必要な作業もないので、お休みモード。ホテルの朝食も悪くないので、十分に味わう。ただ私の課されたただ一つの作業としては、洗濯があった。マレーシアは洗濯天国、というイメージが強く、これまでもボルネオでもペナンでもコインランドリーは沢山あったので、タイでは洗濯せずに持ち込んでいた。ところが何とアロースターを半日歩いても1つもないのだ。これはどうしたことだろうか。

 

取り敢えず雨が降っていなかったので、近所のお寺を目指して歩き出す。そのお寺はタイ寺。さすがにタイに近いアロースター、大仏などタイ様式の寺があったのだ。そこは平日ながら大勢の参拝客があり、イスラム教徒が多いこの地で、華人が集まる場所となっているようだった。

 

その先を歩いて行くと、何とコインランドリーを発見した。思わず宿まで2㎞の道を引き返し、洗濯物を持って出直した。そしてその洗濯中に、ケダ州博物館まで歩いて往復することを思いつく。と言っても洗濯から乾燥は自動ではないので、洗濯終了まで待って、乾燥機に放り込み、そこから40分の間に往復するのだ。

 

1.5㎞ぐらい歩くと、ホテルがあり、その横にはスタジアムがある。その道の向こうにようやく立派な博物館が見える。無料で入場できる。基本的にはケダ州の民族習慣などが展示されており、コマ回しやじゃんけんなど、日本に通じるものは興味深い。だが残念ながら殆どの表示がマレー語しかなく、何が書いてあるのか分からないので、すぐに退散した。

 

コインランドリーに戻るとちょうど乾燥が終了しており、今日の私の任務も終了した。宿に帰ると強い雨が降り出し、部屋に閉じ込められた。ようやく雨が上がり、腹が減ったので夕飯を探しに再度出ていくと、なぜか夕方5時頃に華人系の食堂はほぼ閉まってしまった。何か暗黙のルールでもあるのだろうか。仕方がないので、マレー系の店でアイステダレを頼み、そしてマレー式洋食を食べた。かなりジャンクな食べ物だったが、偶には良いか。

 

8月16日(金)
ペナンへ

翌朝は晴れていたが、もう外へ出る気は無くなっていた。ホテルでゆっくり朝食を食べ、それから歩いて駅へ向かった。一昨日国境から乗ってきた列車、その同じ時間に乗り、バターワースまで向かうことにした。バスターミナルを探すよりこの方が遥かに簡単だと思ったからだ。

 

ところが駅に着くと、先日と違ってすごい数に人々が列車を待っていた。よく考えたら今日は金曜日。マレー系にとっては休日なので、多くの人が遊びに行くために列車を利用することが分かった。まあ切符は買えたし、一番後ろの車両で座れたので、特に問題はなく、1時間ほどで、バターワースへ着いた。

 

ここからフェリーでペナンへ渡ろうと思っていたが、駅からフェリー乗り場までは結構距離があり、表示も分かりにくい。途中にきれいなショッピングモールが出来ており、何とたこ焼きの『銀だこ』が出店していて、思わず食べそうになったが、気を持ち直して、ターミナルへゴーとなった。

 

フェリーは1.2リンギ、20分でペナン側へ着く。まあ香港のスターフェリーみたいなものだろうが、違うのは船が大型で車も一緒に乗っているところか。風に吹かれながらの船旅は気持ちはよい。ペナン側に着くとすぐに無料バスを探す。この辺はもうペナン慣れしてしまったな。

 

コムタまでバスに乗り、今日泊まろうと思っているホテルに向かった。コムタから近いはずなのに、道が複雑で行くのに時間がかかった(実は手前のホテルの中を通ると早いのだが、さすがにスマホ地図には出てこない)。そしてフロントまで辿り着いて尋ねてみると、ネット予約よりかなり高い料金を請求されたので、急いでネット予約に切り替えた。

 

このフロントの女性(インド系)、かなり言葉遣いがきつく、優しい印象のあるマレーシアでもこれか、と思ってしまった。このホテル、便利な場所にある、眺めも良い、新しいホテルできれいではあるが、サービスは相当に雑なようで、後でネットコメント見たら、酷い評価だった。次に行くイポーにもこのホテルがあったが、真っ先に除外した。

 

腹が減ったので周囲を歩いてみたが、鴨肉飯の店は閉めてしまい、何とか麺にありついた。そのままターミナルからバスに乗り、コロニアル風の建物がある場所まで行った。天気は良すぎて暑いので、フォートに入るのは敬遠し(25年前家族でここを歩いて死にそうに暑かった思い出あり)、海沿いを歩くと、風が吹いて気持ちがよかった。石碑が見えたので何の碑かとみると、第二次大戦で亡くなった人の慰霊碑だった。その中に泰緬鉄道で亡くなった人々が含まれているのが目を惹いた。

 

夕飯は何と宿の下にあった江の島という名の日本食レストランに入ってみた。日本人経営らしく、お客は日本人、華人が多かった。かつ丼を注文すると『うちのかつ丼はチキンカツですが良いですか』と聞かれ、なるほどと思った。食べてみると何だか懐かしい味がした。たまに和食を食べるのは良いものだ。マレーシアも和食好きが多い。

ペナンで老舗茶商を探す2019(3)ペナン散策

8月6日(水)
ペナン散策

今朝も天気が良い。朝食後、張さんから連絡があり、今日の午前中、茶荘に行こうと誘われる。場所はまたしてもちょっと郊外。タクシーで来て、と言われたが、昨晩で十分に慣れたので、余裕を持って出掛けた。だがほぼ現地までやってきても、住所だけでは、なぜか上手くたどり着けず、やはり電話で場所を聞く羽目になる。

 

人和茶荘は、そんな道路沿いにこじんまりとした店舗があった。張さんも車でやって来て合流した。ここも市内中心部からは離れており、小売りというより卸がベースなのだろう。安渓人の劉さんは、1952年にペナン最大の茶商、龍泉で働き始め、25年間務めた。元々岳父が経営していた人和に1977年に参加して、岳父が引退後店を引き継いだという。

 

龍泉の時代は、マレー半島東海岸を担当しており、交通が不便だったので2日も掛けて行っていたらしい。お客はマレー系が多いので、テダレの原料となる紅茶粉を売るのが仕事で、福建茶などは扱わなかった。キャメロンハイランドのボーティーは輸出用で、国内ではあまり流通しかなったともいう。

 

劉さんは80歳を過ぎても元気で、自らお茶を淹れてくれる。そして昔話はとめどなく流れていく。以前は六堡茶がかなり飲まれていたが、今ではプーアル茶に変っているように、お客の方向性はどんどん変わっていく。果たしてどのようなお茶屋が必要なのか、いつまであるのか、将来はかなり不透明な状況と言わざるを得ない。

 

張さんとも別れて、またバスで戻ることにした。スマホ地図に示されたバス停で待っているとバスが来たので乗り込む。まあ宿の近くに行かなくても港には行くだろうから、これに乗って行く。バスはかなりくねくねと運行しており、どこへ行くのかさっぱり分からない。20分ぐらい乗っていると、昨晩張さんが教えてくれた古い茶荘の近くに出たので、そこで降りた。

 

この付近は古い建物が多く残っており、チャイナタウンという感じで歩いていても楽しい。その茶荘、ちょうど昼時で店に人がいなかったので外から眺めるだけにした。ちょうど無料のバスが来たので思い切って乗ってみた。ペナンには無料で乗れるバスが走っており、実はこれが便利で市民も利用している。

 

無料バスで宿へ帰ろうかと思ったが、途中にきれいな建物が見え、思わず降りてしまった。コロニアルスタイル、なかなかいい。この付近には博物館もあるというので探してみると、いいデザインの教会も見えてくる。その横にあるはずだった博物館は、改修工事で遠くに移転しており、残念ながら見ることは出来なかった。

 

宿まで歩いて帰り、お向かいにあるマレー料理屋に入り、ミー・ゴレンを注文する。とてもうまそうな鍋の音が響く。なぜかこういう時のドリンクはコーラを頼むことにしている。ミー・ゴレンは焼きそばではあるが、福建麺とはまた違った味わいがありよい。料金も安い。宿に帰って休息する。

 

実はこの宿、当初2泊しか予約していなかった。もう一泊延泊を申し出るとフロントで言われた料金はどう見ても高い。フロントからもネット予約の方が安いと言われたので、予約してみたのだが、何と一段上の部屋を予約してしまったようで、『部屋を移動して』と言われてしまう。面倒だったが、仕方なく荷物をまとめて新しい部屋に行くと、ビューもよいし、バスタブなどもあり、かなり良い部屋になっていて驚く。それほど料金が違うわけでもない、最初からここにすればよかった。

 

 

部屋が気に入ったせいもあり、夕方までゆったりと休む。日が西に傾いたころ、部屋を出て、ペナンの夕日を探しに行く。だが海岸沿いは建物が建っており、なかなかいいスポットが見つからない。かなり苦労してようやく陽が沈むのを眺めたが、特に印象的な風景にはならなかった。街を少し散策すると、美味しいそうな食堂があり、叉焼などを食べる。

 

8月7日(木)
ハジャイへ

今日はペナンを離れ、タイのハジャイへ行く。ゆっくり移動するため、12時のバスを予約しており、午前中は部屋で過ごした。やはり体力がなくなってきている。歩いて10分のコムタに荷物を引いて行く。タクシーに乗るほどでもないが、暑さは厳しい。

 

コムタにある旅行社に行き、バスを待つ。12時過ぎてやってきたのは小型バス。乗客はタイ人、華人など数名のみ。まあ予定通りに行けばバスを乗り換えることもなく、国境を越えてハジャイに着く。ところがこのバス、ペナン島内で、更に乗客を乗せるため走り回る。予約していた中国人乗客はバスと遭遇できずに、怒りの電話を入れてくる。何とか彼らの場所に行くと、キャンセルだと言って乗ってこない。

 

ようやく半島側に渡り、高速道路を走ると快適。1時間ほどで国境に着く。国境には驚くほどに人がおらず、あっという間に出国し、少し移動して入国手続きを行い、何となくタイに入った。そこから更に1時間、合計4時間でハジャイまで行った。ここで一旦マレーシア旅は終了した。

 

ペナンで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘と茶藝に巡り合う

そこから更に2㎞ほど歩いて、ついに老翁茶の店舗を探し当てた。看板を見る限り、ここが1929年創業だとは分かったが、例の資料にこの茶荘の名はなかった。中に入って聞いてみると、何と元の名前が資料にあった陳烈盛だと分かり、歓喜する。やはり残っていたのだ、こういう店が。置いてある茶道具や茶缶なども古めかしく、テンションが上がる。だがオーナーは不在で詳細は分からない。午後もう一度来て、と言われたので、一度宿に戻ることにした。

 

ただ流石ここから歩いて帰るのは辛い。私はGrabなどのアプリを使わないので、タクシーを呼ぶこともできない。近くにバス停があったのでみてみると、どうやら市内にはいけるようなのでバスを待つことにした。すると華人の年配女性が英語で『どこへ行くの?』と声を掛けてくれ、一緒にバスに乗った。

 

彼女はタイ生まれの華人で、5つ以上の言語を流ちょうに話せるらしい。聞いたら80歳近いというのに非常に元気で活発だ。これも華人パワーの1つだろうか。宿の近くでバスを下ろしてもらう。料金は1.4リンギ。バスに乗る時は行き先の距離により料金が違うので、行先が言えないと乗れないことを知る。

 

場所とバスルートが分かったので、午後はバスに乗って老翁茶へ向かう。店には3代目のオーナーがいて、暖かく迎えてくれた。そしてすぐに様々な資料を出して、見せてくれる。熱心に写真を撮っていると、あげるよ、と言って、茶商公会の本までくれた。更には奥に行き、元の茶荘名である張烈盛の看板も探して見せてくれた。

 

 

ここの一族は珍しく広東省から来た客家であった。お茶は安渓茶など中国茶を多く扱っており、現在も小袋に鉄観音茶などを詰めて販売していた。実はペナンでは老舗茶荘が後2つ、リストに載っていたが、残念ながら2つとも既に廃業しており、ここが一番古い茶荘になっているとの情報も得た。

 

お店を出て、またバスに乗る。途中にコムタという場所があり、そこがバスターミナルだと分かったので、降りてみる。ある意味で町の中心はここだった。私の次の目的地は、タイのハジャイになるので、そこへ向かうバスを探すと、意外と便利で安いのだと分かり、満足して歩いて宿へ帰る。

 

その途中、ちょうど食べたかった福建緬があったので、立ち寄って食べた。福建緬も汁ありとなしの2種類あるが、私は汁なしが好きだ。アイスレモンティーを加えても、8リンギほどで食べられるので、軽食にはお手頃でよい。取り敢えず宿へ帰り、今日の成果を見ながら、休む。

 

日が暮れた後、宿の隣にある、フードコート?へ出掛けてみる。規模がかなり大きく、多くの屋台が出ていて、食べ物の種類は豊富。外国人観光客などはここで食べる人が多いのかもしれない。私はサーモングリルとライスを注文した。ちょっと和食テイストで案外イケる味だった。

 

今晩はこれで終わらない。午前中に連絡した茶芸協会の人から連絡が入り、夜9時に会いたいというのだ。しかも場所はペナン市郊外。場所が分かりにくいので、ホテルのフロントに相談したが、『表に居るタクシーに乗って行け』と非常につれない返事で困る。仕方なく、タクシースタンドに行き、住所を見せると、ちょっと高い料金を吹っ掛けられた。

 

それならばと、他へ行くそぶりを見せると、慌てて料金を下げてきた。どう見ても暇なのだが、大丈夫だろうか。車はすぐに郊外に出た。夜道はどこを走っているのかさっぱり分からないが、今はスマホ地図で追えるのが何とも有り難い。20分ぐらい走ると目的地に着いたが、そこは郊外の大型住宅地で、その住所には辿り着かない。電話して、最後は迎えに来てもらう。

 

その家は、林さんの自宅だった。夜9時に、全く面識のない人の家に突然上がり込む、これ海外では普通ならあり得ない状況だと分かっていたが、そこは茶の繋がり。ズカズカと上がり込む。部屋には沢山の急須があるのが目に入る。2階に上がると、心地のよい空間でお茶を頂く。張さんと林さん、この二人が十数年前に設立された茶芸協会の主要メンバーで、茶芸について日々研究する場所がここであるらしい。

 

珍しい、年代物のお茶が沢山出てきた。茶器はよく見ると日本の茶碗が使われていたりする。茶碗の本来の意味を考える。茶芸というのは工夫が重要であり、またおしゃれだなと思うが、私とは別世界、とも感じる。マレーシアの茶の歴史についても、色々と話が出てきて大変参考になる。やはりお茶の繋がりは初対面でも何の違和感もなく話に入れるのがよい。

 

夜も11時過ぎまで居座ってしまった。帰りは張さんの車で送ってもらった。彼らは本業を持っており、茶芸は趣味だと言い、連日遅くまで仕事をしたのち、お茶を飲むらしい。宿に付く前に、市内の茶荘の場所など、いくつか聞きながら行く。また明日は連れて行きたいところがあると言われ、その連絡を待つことになる。何の情報もなかったペナン、1日にして、これだけの進展を見せた。如何にも茶旅らしい。

ペナンで老舗茶商を探す2019(1)17年ぶりのペナン

《ペナン茶旅2019》  2019年8月4-7日

シンガポールから直接クアラルンプールに入らず、まずはペナン島に飛んだ。ペナン島に行ったのは、今から17年前の2002年以来になる。あの時は前年の911テロの影響で、ペナンのホテルはガラガラで、かなり安い料金で泊まれたので、1週間滞在した記憶があるが、正直あまりよく覚えていない。今回は老舗茶商を探す旅であり、これまでの旅行とは違うのだが、果たしてどうなるのだろうか。

 

8月4日(日)
ペナンで

シンガポールからペナンまでは1時間ちょっとと近い。また普通LCCでは食事は出ないのだが、私はいつも20㎏の荷物を預ける時に、座席指定とのパックで購入する。なぜか食事も含まれるので、それを食べる。今日はパンプキンライス(ベジ)だった。

 

空港に着くと、タラップを降りて歩いてターミナルに入る。かなりのローカル空港の雰囲気だ。荷物を取り出し、イミグレは簡単に通り抜けたが、シムカードの販売ブースが一か所しか見当たらず、列が出来ており手間取る。これから1か月間使うので、かなり容量の多い物を選ぶ。それでも台湾やタイよりは安い。両替はせず、ATMからリンギを引き出す。

 

空港バスに乗って市内へ行きたかったが、いつ出発するかも分からないと言われ、仕方なくタクシーを利用する。ブースで行先を言うと45リンギ取られる。これはマレーシアではかなりの料金だとは思ったが、これまた仕方がない。車はかなりのスピードで市内に向かい、40分後には予約していたホテルに着いた。

 

ホテルはかなり古く、サービスもそれほど良くはなかったが、街の中心だったので、散策には便利だった。取り敢えずまだ日も高いので、外へ出てみる。かなり暑いが、ペナンはいい感じの古い町並みがあり、歩いていても楽しい。近くの市場に入り、涼をとる。帰りにコインランドリーを見つけたので、一度宿に戻り、シンガポールで溜まった洗濯物を持って出向く。使い方がよく分からなかったが、華人のおじさんが簡単な華語で教えてくれた。料金は乾燥までつけて日本円300円程度、何とも有り難い料金設定だ。

 

洗濯の間、近所の店に入り、カヤトーストとお茶を頼む。ここは観光客も来るような有名店らしい。エアコンより扇風機の方が意外と涼しい。トーストも甘みがありおいしい。しばらく休んでから、洗濯物を取りに行った。これで当分洗濯の心配がないのは良い。実はマレーシアはコインランドリー天国だった。

 

夜は涼しくなっていたのでまた外へ出た。港の方まで歩いて行くと、途中に華人街があり、多くの古い建物が残っていた。更に行くとインド人街があり、ここはインドの匂い、雰囲気が漂っている。港からフェリーに乗れば、半島側に渡れるようだが今日は止めて、戻る。港付近は英国植民地色が強い。ペナンは色々な顔を持っている。腹が減ったので、屋台の焼きそばを食べる。これは相変わらず美味しい。

 

8月5日(月)
老舗茶商と茶藝

朝はホテルの朝食を、最上階の眺めの良い席で食べる。食事自体は普通だが、この景色はとても贅沢で、気分もよい。食後、外へ出た。スマホ地図で検索したところ、福建会館の場所が特定できたので、まずはそこへ行くことにした。何しろ老舗茶商の名前は、先日シンガポールでもらった資料に記載されているのだが、それがどこにあるのか、住所などは分からない。それを尋ねる方法として、福建会館には可能性があった。

 

会館は意外と遠く、歩いて20分もかかった。だがバス路線も分からず、ひたすら歩くしかない。ようやくたどり着くと、そこには孫文記念館があった。広東系の孫文の横に福建会館か。後でこちらの記念館も訪ねてみようか。会館のビルには新聞社が入っているようで、その5階に同郷会事務所がある。エレベーターが壊れており、階段を上がると息も上がる。

 

事務所にいた人に聞いてみた。曽さんはとても親切な人だったが、何と『私は福建人だが、お茶は飲まないよ』と言い放つ。これで望みは絶たれたかと思ったが、思い出したように『先日茶芸協会の人が訪ねてきたから、彼らに聞いてみれば』と言い、電話を入れてくれた。電話で話してみると、老舗茶荘はあるらしい。今晩彼らと会うことにして電話を切る。

 

すると曽さんは思い出したように『そういえば、老翁茶というのがあるよ』と言って、住所を調べてくれた。またタイムズスクエアーにもお茶があるぞ、と段々ノッてきた。スマホで見るとここからタイムズスクエアーは近いので、まずはそこまで歩くことにして別れた。やはり何らかの情報は得られるものだ。

 

タイムズスクエアー、香港などにもあるショッピングモールがペナンにもできていた。かなり広いスペースだが、朝早いせいかお客はおらず、エアコンだけがやけに効いた空間であった。2階に上ると、蔵茶と書かれた店があったので入ってみたが、そこに置かれていたのはプーアル茶だけ。まあ蔵茶がマレーシアまで来るわけもないか。

《奇想天外マレーシアの旅》(14)KL 大金持ちの一族だった陳さん

ここにも再会が

夜は大学の先輩Sさんと会うことに。Sさんとは北京駐在時代の13年前に一緒だったが、その後は音信が途絶えていた。2年ほど前Facebookでは再会を果たしたが、7月に突然バンコック出張を捕まえて、劇的に再会した。それからバンコックで2度程会っていた。『次回はKLかな』と言われ、日程を見たらちょうどこの日が重なっていた。

 

ホテルで待っていたが、仕事が遅くなり、夜8時を過ぎてブキッビンタンのホテルへ、と言われる。ホテルの場所もよく確認せずに出たら本当に迷う。モノレールからいくつもホテルが見えたのだが、どうして?

 

ようやく落ち合い、近くの中国料理屋へ。ところが中国料理なのに、従業員は中国語が話せない。灰皿をお願いしても爪楊枝を持ってくる。不思議に思っているとマネージャーが来て『悪気はないんだ、彼はミャンマー人だから』と言われて納得。ミャンマー人でも中華系なら言葉が通じるが純粋のミャンマー人なら仕方がない。それにしてもKLも人手不足、言葉が通じなくても雇わざるを得ない状況だ。

 

そしてSさんに今日会った陳さんのことを話した。陳さんが言っていた言葉を突然思い出す。『オジサンは日産や資生堂、ワコールなどの代理店もやっている』と。実はSさんは昔その中の会社に勤めていたのだ。『え、じゃあ、マレーシアの陳さん知っていますか?』と聞くと『知らない』という。おかしいな、嘘じゃないと思うけど。Sさんはちょっと考え、『それはタンさんじゃないのか?』と聞いてくる。そこで繋がった。福建語で陳はタンと発音するのだ。するとSさんは『それはマレーシアでも最大級の財閥グループだぞ』というではないか。え、本当?驚くしかない。その時、ショートメッセージが入った。陳さんから『明日も昼めし食わないか?』と。ようし、確かめてみよう。

 

10月10日(木)

陳さんアゲイン

翌朝は昨晩の食べ過ぎで朝食を断念、10時過ぎまでうだうだしてチェックアウト。陳さんの車が迎えに来たので、乗り込んだ。昨日と全く同じ軌道を通り、最後だけが違っていた。今日は陳さんのオフィスへ行った。だが受付で何といえばよいか分からず困る。陳さんの肩書なども知らないのだ。ようやく彼の居場所を突き止めた時は、この会社が非常に大きいことは分かった。会計士事務所、何と100名以上の会計士を擁していた。既に引退したとはいえ、彼はそこのオーナー。事業を番頭さんに任せているだけで、実質的には責任者なのだ。3階建ての3階部分の半分を自分の書斎として使っていた。お茶を淹れられる空間が広々と取られている。そこで年代物の六堡茶をご馳走になった。とてもいい空気が流れていた。

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ランチは昨日とは別の店に行く。昨日のバイク屋さんが来ていた。3人で軽く食事をした。そこへ陳さんのお客も合流した。これから重要な会議があるらしい。陳さんは『若いやつを一人つけるから車でどっか行って遊んでから帰れ』と言ってくれたので、お言葉に甘えた。

 

それから若者と2人でショッピングモールを2軒回った。雨が強く降ってきたので屋外には行けなかった。そしてセントラル駅まで送ってもらい、バスで空港へ。空港ではだいぶん時間があったが、無事エジプト航空に乗り、バンコックへ戻った。帰りのエジプト航空は意外と混んでいた。バンコックまでの格安路線ということらしい。

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今回は茶畑に行くだけではなく、お茶屋の陳さんを訪ねるなど収穫があったが、初めてスリに遭ったのはショックが大きかった。これからの旅に影響が出ないとよいが。

《奇想天外マレーシアの旅》(13)KL 膨大なお茶を持つ陳さん

5. KL2

ホテルからKLCC

先ずはホテルだが、チャイナタウンで一番わかりやすそうな場所を探す。それはモノレールの駅の近くだと思い、荷物をひいて向かう。ネットで検索してあったそのホテル、フロントに聞くとちょっと高い。仕方なく、PCを取り出して目の前でネット予約した。データが届くまで少し待たされたが、そんな客は大勢いるのかボーイは頓着しない。

 

部屋は狭いが清潔でよい。ネットも繋がる。外の音もそれほど気にならない。このホテルはさすがに華人と思われる人々が多く泊まっている。シンガポールやインドネシアから来ている人もいるようだ。

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夕方モノレールに乗り、KLCCへ。ある方の紹介でKL在住のHさんとお会いすることになっていた。この方は元インベストメントバンカーで鳴らし、小説のモデルにもなったという大物。私は日本のしがない金融機関の一員であったが、KLでこのような方を会えること自体がご縁を感じる。

 

KLCCはKLでも最も栄えている商業施設の1つ。夜のネオンが煌びやかで、山から下りてきた者には眩しすぎる。ユニクロ前で待ち合わせると、気さくなHさんが探し出してくれ、無事合流。階上のパブに入る。Hさんはロンドン勤務も長く、パブが似合う。ワンパイントのビールで乾杯した。

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お話の中で、KLへロングステイした経緯や現在の状況などが見えてきたが、何よりも『日本の現状への嘆き、憂い』というものを強く感じた。日本から離れた場所で日本人二人が日本を嘆く、外にいるものにはよくわかるが、国内にいるとはっきり分からないことが多いのだろう。私には『日本のために何かしよう』などという気負いは全くないが、日本に向けて情報を発信することには何らかの意味があるように思われた。

 

10月9日(水)

朝飯

翌朝は目覚めもよく、外へ出る。ホテルの前にある食堂で海南チキンライスを頬張る。安くてなかなか良い。ローカルな雰囲気がたまらない。この食堂は食べるスペースが共通で、各屋台が食事を提供している。朝から麺を食べるのも悪くないと思い、既に明日のメニューを物色。

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今日は陳さんに会う。彼とはひょんなご縁で、バンコックのポーラのお店で出会った。良いプーアールを持っているというので飲ませて貰っただけのご縁であるが、KLに行くと言ったら、『是非寄って』と言われたので連絡したのだ。

 

だが、KLに着いた初日にメッセージを入れると何と『今ブータンにいる』というではないか。これはダメだと諦めたが、7日頃戻ってくるというので、本日の面談が可能となった。彼の家がどの辺にあるのか分からない、と言ったら迎えに来てくれた。ちゃんとしたトヨタの新車、運転手付き。彼は何となくお金持ちだと思ってはいたが、どうなんだろうか?

 

車は北の方へ20分ほど走った。KL郊外という雰囲気。周辺に高い建物もなく、のどかな雰囲気。『この辺は全部、うちの一族の土地なんだ。あそことあそことあそこに、茶屋を出しているが全てうちの物。2階と3階にはプーアール茶がぎっしり詰まっているよ』と陳さんは笑いながら話す。『と言っても全てオジサンの物さ。うちのオジサン、92歳だけど、結構成功してね、お茶も好きで買い集めたんだ』とさりげなく言う。

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店に入ると、沢山お茶が並んでおり、箱からはみ出しているお茶が何と『宜興紅茶』だったのには驚いた。これは昔宜興の急須を売る人々が陰で飲んでいたお茶。最近の紅茶ブームで脚光を浴びたらしい。『いや、先月宜興に行ったら、美味しかったので買い込んだ』とか。陳さんはお茶屋さんなんだ、やはり。

 

『お茶屋だけど、茶旅が好きでね、それは同じだよ』と私の方を見る。彼は元々ロンドンにも留学経験がある会計士。5年前にその職を引退して、旅に出ているようだ。『オジサンから暇ならお茶屋でもやれ』と言われて、やっているらしい。彼の一族が一体どれだけのお茶を持っているのか見当もつかない。

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昼は近くのオープンレストランへ。既に仲間が3人待っている。美味しいそうな潮州料理が並ぶ。いつもこうやって仲間と飯を食い、気楽に過ごしているそうだ。理想的だ。一人は上海の復旦大学を出て上海で働いていた。彼だけが大変そう。後の2人はバイク屋などだが、既に息子に家督を譲っているとか。うーん、50代でこの生活、参考になる。

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たっぷり2時間以上昼を食い、更にまた陳さんの店でお茶を飲んだ。そして車でホテルまで送ってもらう。何だか夢のような体験だった。面白い茶旅!

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《奇想天外マレーシアの旅》(12)キャメロンハイランド 運ちゃんの途中下車

10月8日(火)

タナラタ スタバでネット

翌朝もビュッフェを食べ、ホテルのシャトルバスに乗り込む。タナラタのバスターミナルへ行くためだが、KL行バスにはかなりの時間がある。それでもタクシーに乗る料金を節約してみた。今日は快晴、どうして昨日こうではなかったのかと恨んでみても始まらない。しかし良い天気だ。シャトルバスの運ちゃんも『この旅行社の前からバスに乗れ』と指示して下ろしてくれた。

 

タナラタの街には11年前も1泊したが、印象としてはさほど変わっていなかった。あの時はロッジに泊まり、夜が11度で凍えるほど寒かった、という印象しかない。今日は天気が良いせいか、山も空も隅々までクリアーで素晴らしい場所だと思う。

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ただ荷物があるので自由に動き回ることはできない。スタバを見つけて、ここでネットをしながらバスを待った。スタバもゆったりとしており、スタッフも気持ちが良い。今は観光シーズンではないのか、外国人の姿もほとんど見えない。鮮やかな街を眺めながら。2時間ゆっくり原稿を書く。こういう時の効率は格段に良い。

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KLへ

バスは予定時刻に旅行社の前に来た。これで一安心と乗り込む。殆ど人はいない。すると5分ほど走ったところに正式のバスターミナルがあり、乗客が乗り込んできた。ホテルの運ちゃんは事情に精通しており、私を旅行社の前に連れて行ったことが分かる。

 

そこからは山下りが始まった。一気に下っていく。イポーから来た道とは違うので反対側を下りている感じだ。実はそれほど長い時間は経っていなかったのかもしれない。ウトウトしている内にバスは平地を走り出す。

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途中でバスが停まった。休憩場所とも思えない。運ちゃんだけが下りていく。便所にでも行ったのかと思っていると、ビニールの袋を下げて戻ってきた。中には飲み物が入っている。これが日本なら大変な問題になるのだろう。運転手が乗客をほっぽり出して私用で買い物をしているのだから。勿論ここで異議を唱える者などいない。私も何となく彼の行動が分かっていた。ドライブインは飲み物が高いのだ。観光客は良いが毎日利用する運転手としては節約したい気持になるだろう。もしやすると彼の気にいっている飲み物がないのかもしれない。彼の給料はいくらだろうなどと余計な詮索を始めそうだ。案の定すぐにドライブインがあり、休憩となる。

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それから平地を走り続けた。快晴の空は気持ちがよく、マレーシアでの嫌な出来事は全て忘れられそうだった。そしてほぼ4時間でKLのバスターミナルへ到着。今回はチャイナタウン近くに着いた。