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広東・厦門茶旅2019(4)烏岽山へ

5月28日(火)
烏岽山へ

朝起きると、『部屋に荷物をまとめておくように』と言われる。どうやら1晩でお引越しらしい。朝ごはんを近所に食べに行く。潮州の腸粉。先日広州でも食べたが、目の前で作ってくれ、熱々を食べる。広州の飲茶で食べる腸粉は白いが、こちらは卵が入っているのか、やや黄色くて、かなり大きい。

 

食事が終わると、車が迎えに来て、乗り込む。今日は鳳凰山へ向かうと聞いている。まあ、潮州まで来て、お茶を見に行くなら鳳凰山、烏岽山へ行くのはごく普通のルートだろう。途中車はなぜか池のようなところで停まる。ここは鳳凰ダムだった。そしてなぜか、このダム施設の見学が始まった。どうやら運転手は元々ここの関係者で、折角だから見て行こうということになったらしい。ダム設備には日本の会社が作ったもの(潮州に工場があった?)も使われているらしい。

 

それから車は山を登り、一軒の茶工場に入っていった。ここは張さんが知り合いから紹介された場所らしく、彼女も初対面で、ちょっとぎこちない対応になっていた。私は鳳凰単叢の歴史を知りたいと思うのだが、なかなかうまく話が進展しない。お茶は単叢を何種類も淹れてくれるが、正直に言うと、単叢は茶酔いになることがあり、余り沢山は飲めないのだ。

 

ところが間が悪いことに、突然大雨が降り出し、外は嵐のようになってしまい、出ることは出来なくなってしまう。ここで昼ご飯をご馳走になりながら(このおかずがまた美味くてご飯が進む)、雨が止むのを待った。ちょっと裏の方を覗いてみると、最新式の設備もある中、女性の皆さんが懸命に枝取りをしていた。

 

雨がほぼ上がったので、お暇して、更に登っていく。18年前も登ったはずだが、こんなにきれいな道ではなく、もっと細い、土の道のイメージだったが、どうだろうか。そしてお目当ての烏岽村に到着した。確か前回はここで樹齢800年の茶樹を見たように思うのだが、今は枯れてしまい?樹齢500年の木が、覆いに囲われていた。今や一大観光地なのだろうが、雨のせいか人はほとんどいない。

 

更に登っていき、村の中を走ってみたが、やはり18年前よりは家々が増え、明らかに豊かになっている。これも鳳凰単叢が有名になり、ブームを迎えた結果だろうか。昔のあの素朴な、茶農家がバイクで行き来する姿はもうないようだ。そう、18年前は村の家でお茶をご馳走になったが、そこの水が甘かったこと。今もそうなのだろうか。茶農家が摘んだばかりの葉を、翌日までに製茶してくれ、買って帰った思い出もある。世の中は大いに変化しているように思える。

 

今回は観光ではないので、車は天池などへは登らず、そのまま街まで降りてきた。そして何度も道を探している。おかしいな、と思っていると、ようやく下車して、細い路地を入っていく。本日の宿は、何と看板も出ていない民宿だった。鍵はオートロックで、宿は我々3人で使うことになっていた。

 

部屋も何となくオシャレな雰囲気で、昨日より格段に広い。荷物もちゃんとここに届けられていた。ただ何と、お湯が出なくて困った。聞くところによると、近所の住民が夜一斉に使うと、湯がなくなる(さらに水も乏しい)という。まさに普通の民家であり、その現状は昔とそれほど変わっていないということが分かる。

 

少し休むと夜になり、夕飯に出かける。今日は地元の潮州料理ということだったが、やはり甘いたれの鴨肉、鹵水鵝片が抜群にうまい。スープ、魚、どれをとっても、比較的あっさりしているが素材のうま味を活かした料理に特色がある。するめや干し魚などをうまく使って、うま味を引き出している。私はこれまで『中国を旅してどこの料理が一番おいしかったか』と聞かれると『新疆ウイグル』と答えて顰蹙を買っていた?が、今後は潮州と答えるようにしよう。

 

食後は今日も散歩に出る。女性2人と旅していると、酒を飲むこともないので、大いに助かるが、買い物はなかなか止まない。目につくものがあると買い込み、量が多いと託送にしている。そんな中で、一軒の古いお茶屋が目に留まり、入ってみる。何だか古そうなお茶の缶もあり、興味津々。ここのオーナーは、元々国営工場に勤務していたが、30年前に今の店を開いたらしい。

 

潮州の茶の歴史について聞いてみると、奥から1冊の本が出てきた。かなり詳しく書かれており、何と張さんが交渉して、買い取ることに成功した。これがあれば、ある程度のことは分かるのではないか。ここのオーナーのお父さんもこの本の中に載っているという。鳳凰単叢はいつからあるのか、など、興味深いテーマだろう。今晩はこれを読みながら眠りに就く。

広東・厦門茶旅2019(3)芳村から潮州へ

527日(月)

芳村で

 

翌朝はご飯を食べると、ホテルを引き払い荷物を持って地下鉄に乗る。ラッシュ時間帯で、乗り換えもあり、ちょっと大変だったが、何とか乗り切り、芳村駅で下車。そしてそこから歩いて、茶葉市場方面へ向かう。かなり荷物が重く感じられる。張さんとの待ち合わせ場所に向かったはずだが、間違って着いてしまったのは、張さんの昔のオフィス。彼女が会を辞めたことは知っていたのに。今はどこにいるのだろうか。

 

 

 

結局電話して迎えに来てもらう。彼女は自らのオフィスを既に立ち上げ、活動を始めていた。これまでの古いやり方の茶葉販売を新しく変えたい、そんな活動だと理解した。折角着いたのに、すぐにまた出掛ける。タクシーが呼ばれたが、行先は芳村駅の向こう側、非常に近い場所だった。しかもここには以前来たことがある。そう、最初に張さんと会った時、予約してくれたホテルがある、インキュベーター向けオフィス群があるところだった。

 

 

 

その入り口付近に、瀟洒な建物がある。入口の前は竹で覆われていた。中に入ると広々としており、キレいな空間があった。器などがすごい数、置かれている。何と向こうの方には畳のスペースがあり、誰かが打ち合わせをしている。ここは一体何なのだろうか。老板はやはり潮州出身で、工夫茶の茶芸なども披露してくれる。『基本的に商売ではなく、趣味で集めている。その方が色々な人が古くてよいものを沢山もたらしてくれている』というではないか。

 

 

 

打合せしていた人を紹介されたが、何と大阪と神戸から来た華僑、しかも福清人だったので驚いた。ここには日本の物もたくさん集められているが、彼らのような人が持ち込んでいるのだろうか。それにしても、日本の茶道の道具が多い。やはり茶道をやっている人が亡くなり、その子孫には価値が分からず、骨董屋が集めて中国に流れていく、ということだろうか。

 

私が見たかったいくつもの、東南アジア各地の老舗茶荘の茶缶などが出てくる。錫製の茶缶は清代の物だろうか。先日訪ねた福建茶行の名前を見ることもできた。ここに居れば、いくらでも自分のおもちゃが出てくるような感じでワクワクする。もう少し勉強してから、もう一度訪ねてみたい場所だ。

 

 

 

昼時となり、老板とお客が食事に出るという。我々も一緒について行くことになった。車はどこからか郊外に出たような感じの場所に行く。そこはどう見ても田舎の村、こんなところにレストランがあるのか思うところだった。だが中に入るとお客で満員盛況。食にうるさい広州人が集まるのだから期待が持てると思ったが、期待以上の味付け、美味しさに思わず涙する。料理が来ると一口食べる間に皆が手を出し、すぐに無くなってしまう。それほどうまいということだ。久しぶりに満足感のある食事だった。

 

 

 

潮州へ

 

我々は広州南駅から高速鉄道に乗る時間が迫っていた。だが最後の最後まで食べた。そして急いで車を呼び、皆を残して失礼した。何とも申し訳ない話だが、効率は実に良い。南駅は遠かったが、何とか時間に間に合う。外国人である私はチケット取得に時間がかかると踏んで、昨日広州駅で取っておいたのが功を奏した。予約が別々のため、彼女らとは別の車両となる。

 

広州から潮州へは約2時間半かかる。そしてその時間以上に同じ広東省内なのに、文化や言語が異なる世界が待っている。そんなことを考えているといつの間にか着いている。だがそこは潮州駅ではなく、潮汕駅という名前だった。汕頭駅は別にあるのに、何故なのだろうか。この辺は複雑な事情がありそうだ。

 

 

 

駅には車の迎えがあり、30分ぐらいかけて、潮州の街に入る。潮州に来るのは2001年の春以来、実に18年ぶりであり、どこを見ても見覚えがない。何だか城壁の中に入り、路地に今日の宿があった。そこは今流行りの民宿であり、古い民家を改造して、宿泊施設にしていた。それはそれで雰囲気は良い。

 

 

 

すぐに夕飯の時間となる。潮州と言えば牛肉だそうで、牛肉のしゃぶしゃぶを食べる。確かにこれはうまかった。それよりも、張さんが実は非常にグルメであり、食へのこだわりが強いことに驚いた。聞けば、お父さんは湖北省で特級調理師だったというではないか。子供の頃から、その舌はお父さんに鍛えられたらしい。これは何とも頼もしい。

 

 

 

食後は、川沿いを散歩した。何と午後8時からは、ライトアップまであった。今や中国の多くの街で採用しているが、ここではお客さんが少なすぎだろう、経費はどうなっているのだろうかと思うほど、贅沢だった。特に1000年前に作られた浮橋が見事に浮かび上がり、かなりきれいだった。風も心地よく吹き、良い散歩となった。

 

 

広東・厦門茶旅2019(2)茶博で広州茶会の将来に出会う

5月26日(日)
お散歩

昨晩はずっとCCTVのスポーツチャンネルを見ていた。昔は世界の情報が何も入らなかった中国だが、スポーツに関しては、今や素晴らしい環境が整っている。各種目の世界大会は国営放送が無料で見せてくれるのは何とも有り難い。『世界バドミントン男女混合国別対抗戦2019 スディルマンカップ』を中国南寧でやっている。日本対インドネシア、日本は男女両エースが順当に勝ち、勝利。決勝の相手は中国になった。

 

朝ごはんはホテルで食べる。前回からこのホテルチェーンの朝食券が付くようになり、取り敢えずあるものは食べる。まあどこへ行ってもほぼ同じメニューではあるが、良しとしよう。本当は今日午前中からKさんとお出かけの予定だったが、彼女の都合により、一人で十三行博物館に向かう。

 

この博物館、開館当時に一度来たことがあったが、その後色々と歴史調査が進む中、また確認の意味を込めて地下鉄に乗って訪ねてみる。パスポートを提示すれば無料というのも有難い。展示物はおそらくそれほど変わっていないと思われるが、所々に気になるものが置かれており、茶の歴史としての統計数字などもあり、また当時の茶の名称から気づくこともあり、種々勉強になる。さらっと1時間ほどで見終わったが、何と土砂降りの大雨に見舞われ、動くことが出来ず、もう一度館内を巡ることになったから、気が付くことが増えたようだ。

 

雨は通り雨で、止んだ。外に出て、歩いて沙面に向かう。ところが道を間違えて、沙面の向こう側まで歩いてしまう。最近のボケ具合は相当のものだ。別の橋を渡り、沙面に入る。旧横浜正金ビルはちょうど真ん中ぐらいにあった。その裏のビルは、ギャラリーのようになっており、誰でも参観できる。かなりレトロな雰囲気で、写真に収めている人もいたが、総じて人がいないのもまたよい。

 

何となく疲れてしまい、宿へ戻る。駅近くの店に入り、ランチをテイクアウトした。ホルモン系のスープがうまそうだ。勿論中国の物価は以前と比べると高くはなっているが、こういう食事を見ていると、まだまだコスパは悪くない。これを部屋に持ち帰り、ちょうど始まったバドミントン決勝の試合を見ながら、ゆっくり食べた。日本チームは戦力的には有利に思えたが、アウエーの中で思うような試合が出来ない。ついでに明日からの旅に備えて洗濯もする。

 

茶博
夕方再度出かける。今日は広州で開催されている茶博の最終日。会場近くの駅まで地下鉄に乗り、Kさんと待ち合わせて見に行く。会場前ではダフ屋が入場券を5元で販売している。もうすぐ終わるので投げ売り状態だった。会場に入っても、既に大かたの人は帰ってしまったのか、ゆっくり見学できた。

 

私には特に目的はないので、Kさんの後ろをついて歩く。湖南安化茶は作り方から伝統的な飲み方まで再現している。雲南の高山茶があり、先日行ったばかりの四川雅安の蔵茶も出てくる。そして六安茶のブースでピタッと足が止まる。現在の六安瓜片とは異なる、老六安茶とは何か。その歴史には非常に興味があり、私も聞き入る。

 

2階に上がっていくと、茶空間の展示会場がある。近年中国でも単にいい茶を飲むだけではなく、どんな器で飲むか、そしてどんな場所で、どんな雰囲気で飲むかが、問われ始めている。そんな設計を競っているようで、かなり力が入っており、驚くような空間が演出されていた。将来は日本の茶道のような、いや中国独特の茶空間が出現するだろうと思えた。

 

Kさんと会場下で夕飯を食べる。ちょっと落ち着いた空間があり、お茶を飲みながら、簡単なものが食べられるようになっていた。やはり広州、そのちょっとしたものが美味しい。何気ないものが美味しいのが本当に美味しい料理だと思う。食は広州にあり。ついでにお茶も美味しい。

 

茶博の終了した夜8時から、広州茶文化促進会の黄会長などを中心となって、『広州の茶文化をどのようにしていくのか』といったテーマで、シンポジウムのようなものが開かれ、私もKさんと一緒に参加した。Kさんは日本の代表、そして以前知り合ったコロンビア人のジェロも発言者として登壇した。

 

100名上の参加者、それも広州で名のある茶関係者が一堂に会する集まりであり、6-7人ずつ分かれてテーブルに座る。そこはお茶席になっており、各席主が工夫を凝らした設えをして、かなり良いお茶を持ち込み、いい雰囲気で淹れてくれる。私の席ではいい岩茶が出てきて嬉しい。

 

一方壇上では、何人もの発言があり、ディスカッションがあり、これだけの人間が広州にはいるのだと伝わってきた。そしてそれぞれが本当に広州の茶の将来を考えようとしている、これからを指向した集まりを目指していく様子がよく分かった。中国茶は本当に曲がり角に来ているな、と思われる。すでに角を曲がった?日本にはこんな真面目な集まり、あるのだろうか。

広東・厦門茶旅2019(1)深圳 茶葉世界

《広東・厦門茶旅2019》  2019年5月25日-6月2日

5月25日(土)
深圳で

香港から深圳にやってきた。今晩は広州に泊まる予定なのだが、広州へ行く方法はいくつもあった。ちょっと混んでいても、新しくできた高速鉄道で行くのが、旅人らしい振る舞い」だったかもしれない。ただ私は羅湖を通過した。その理由はズバリ、暇だったからだ。早めに広州に到着しても、予定がなかったのだ。

 

それともう一つ、最近深圳の茶葉市場に行った、香港在住のお知り合いIさんが、鳳凰単叢の李さんの店を訪ねた所、『最近全然来ないわね』というメッセージを頂戴したと伝えてきた。恐らく2年以上訪ねていないだろう。それなら暇なのだから寄り道して、羅湖から広州へ行けばよいと考えた。

 

イミグレは相変わらず外国人窓口が少なかったが、スピードは速かった。荷物検査は面倒だが何も問題はなかった。羅湖駅前にも特に変わった様子はなかった。茶葉世界も変わっているようには見えず、お客もまばらだった。ちょうど昼頃着いたら、李さんは弁当を食べていたので、場内を一周してみたが、店もそれほど変わってはおらず、やはり活気はない。

 

李さんも相変わらず単叢を売っている。ただ一時のブームが去り、商売は落ち着いているようだ(なぜか今日本人の間では単叢が流行っているらしいが)。李さん自身も『もうあくせく商売する気はしない。時々お客が来て、飽きない程度にできればよい』などと言っている。昔勤めていた頃の年金がもうすぐ入ってくるともいう。ご主人は既に退職して、悠々自適。ついに日本へも旅行に行ったらしい。

 

そんなことだから、ご主人も呼んで、一緒にご飯を食べようと誘ってくれる。私はこの店に何らの貢献もしていない。自分では単叢を飲むことはあまりなので、茶葉を買うことすらない。夜まで待って食事をしていると、広州へ行くのが遅くなることもあり、今回は丁重に辞退した。

 

もう一軒覗いてみた。台湾茶を売る店。ここは元々台湾人が経営しており、仲良くしていたが、数年前にそのオーナーがなくなり、店の従業員だった桃姐が店ごと引き継いでいた。阿里山の茶を主に商っている。結構いい焙煎具合の茶なので、意外と好きで、偶に飲んでいる。

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この店も、桃姐はいるものの、既に娘が結婚しており、その夫婦の代になっている感じだ。私などはお母さんの古いお客さん、という位置づけになっている。桃姐ももう商売の話などしなくなっている。ちょうど今から勉強に行くんだ、と言って去って行ってしまった。勉強の内容は何と『社会貢献』だというから驚く。中国、いや深圳はもう本当に一時代が終わり、次に時代に移行していると感じる。

 

広州へ
羅湖駅に戻り、広州行きの切符を買う。ここの行列もかなり短くなっており、有り難い。相変らず10分に一本は列車が出ており、日本の新幹線並みに乗車できる。いつものように広州東駅までの切符を買ったが、掲示板を見てみると、私が乗る次の列車は東駅を越えて広州駅まで行くらしい。

 

今日の宿泊先は広州駅の近くに取ったので、広州駅へ行きたい。だが勝手に次に列車に乗ることは出来ない。仕方なく乗り込んでから確認することにした。最初に掃除のおばさんが来たので聞いてみると、『このまま乗っていけば着くよ』という。次に来た車掌に聞くと『東駅でも広州駅でも料金は一緒だよ』というだけ。どうやって乗り換えればよいのだろうか。

 

結局終点の広州東駅で列車を降りて、駅で聞いてみる。ところが『ここはそれを教える担当ではない』などと言われ、詳細が分からない。改札口で聞くと『広州行きは当分来ないから地下鉄で行け』などという始末。もうすぐ列車が来ることを伝えて初めて確認して『1番ホームに急げ』などというのだ。もう呆れる。

 

何とかその列車に乗り込む。15分程度なので立っていく。地下鉄だと30分以上かかるのでかなりの節約だと思ったのだが、節約したのは乗車料金だけで、無駄な時間が多かった。というのは、広州駅に着いたものの、結局一駅地下鉄に乗るが早いと言われ、その一駅乗るために延々と歩き、切符の行列に並び、荷物検査を受けるのだ。バス路線を簡単に調べられるとよかったな。

 

宿は最近の定宿、チェーンホテル。なんと駅からすぐで有難い。おまけに週末のせいか、部屋をアップグレードしてくれ、かなり快適な空間となった。昨日の香港の宿とほぼ同じ料金で、部屋の広さは5倍、快適度は10倍にもなっている。冷蔵庫のドリンクも無料で飲める。

 

夕飯は近所を散策。何だか昔の広州が残っている一角があり、ちょっと迷子になりながら歩く。腸粉と米麺を食べて、大満足。やはり広州の食事は安くて美味しい。しかしよく見ると、小さな食堂が並んでいるのだが、潮汕料理という看板がかなり多い。この付近は潮汕人が多いのか、それとも潮汕料理がうまいからあるのか。私はこれから潮州へ行くので食べるのを控えた。

福建茶旅2019(7)厦門にて

4月12日(金)
厦門へ

もう疲れはピークに達していた。朝はゆっくり起きて、ゆっくりご飯を食べた。そしてゆっくりと福州駅へ地下鉄で向かった。厦門北駅行きの列車は沢山あるのだが、私は敢えて厦門駅行の列車を予約する。厦門北駅は街から遠く、BRTの切符を買うのも大変で、しかも車両が狭いのでとても面倒だという印象を持っていた。しかも今回予約したチェーンホテルは厦門駅近くにあり、歩いて行けそうなので、こちらを選択する。

 

切符の予約はできるのだが、窓口でパスポートを提示して切符を受け取るのにどれだけ時間がかかるのかが心配で、相当早くホテルを出た。だが最近中国人は殆どが身分証とスマホ予約で窓口に来ることはなく、列はそれほど長くはない。それでも窓口に来る人は訳アリだから、時間的にはかかる。特に今回は、支払いを支払宝などで行おうとして慣れておらず、時間がかかっていたおじさんが数人いた。そういう人に窓口の女性は容赦なく、怒鳴り散らすからすごい。

 

何とか列車に乗り込み、居眠りすると、あっという間に厦門北駅を通過していた。だがここから速度がかなり落ちる。街中を走るからだろうか。厦門駅まではかなり長く感じられる。駅で降りて、ホテルへの道を探すが、駅周辺が複雑、かつ大きな道が邪魔をして、なかなかたどり着けない。駅から徒歩10分の距離だが、20分以上かかってようやくホテルに着く。大型ショッピングモールはあるものの、何となく懐かしい雰囲気の場所だった。

 

先日福州のフロントではちょっと嫌な思いをしたので、どうなるかと思っていたが、ここの人は親切で、このチェーンホテルの型通りだった。しかも本日のホテル料金を見ると、予約した時より安いのでそれを指摘すると、ちゃんと差額を返してくれた。部屋は狭くて専用デスクも無く、快適とも言えないが、そのようなサービスを受けると悪くは言えない。

 

食べ過ぎだったので、昼を抜こうと思っていたが、ホテルに着くと腹が減る。すぐ横に新疆料理屋があったので、なぜか入ってしまい、ラグメンを注文する。さすがに福建系の料理が続いたので、飽きてしまった感があり、ウイグル人が作るラグメンを欲していた。久しぶりのせいか、麺にコシがあり、味付けもうまく感じられる。その後は疲労回復のため、部屋で休息した。夕飯はあまり減っていなかったので、麺線糊という麺を軽く食べて寝た。

 

4月13日(土)
厦門で

翌朝はホテルで朝食を食べてから出掛けた。昨年お会いした張源美関係者の張さんから『父が書いた本の新版が出たのであげるよ』とメッセージが来ていたので、それをもらいに行ったのだ。待ち合わせ場所に行くと、『ちょっと見ていくか』と誘われ、訪ねた場所は張さんの知り合いが開設した私設博物館。中国中の奇岩が集められており、張さんが台湾人のお客さんを案内している最中だった。こんなところもあるのかと驚き、30分も石を眺めて過ごす。

 

午後はこれまた昨年会った王さんの工作室を訪ねた。王さんはこれまで福建茶の歴史をかなり掘り起こして、関係者にもインタビューしており、記事もたくさん書いていたので、色々な話を聞きたかったが、お茶好きが高じて、今やお茶屋になっており、注文、発送作業から、パッケージの打ち合わせまで忙しそうだった。私として何となく目的を果たせずに去る。

 

4月14日(日)
台湾へ

翌日はいよいよ台北へ戻る。ホテルから空港までは疲れたのでタクシーに乗ったが、日曜日のせいか、あっという間に着いてしまう。出発2時間半前だったが、チェックインは2時間前からだと言い、既に長蛇の列ができていた。この列がそのままチェックインカウンターに流れ込み、かなり長い時間待たされるのはかなわない。

 

そしてようやくカウンターでチェックインとなったのだが、『台湾から出るチケットを提示してください』と言われて慌てる。まさかそんなこと聞かれるとは思っておらず、既に中国移動香港のシムカードはリミットを過ぎていて、Gmail内に保管されているチケットを見せることができない。『見せないとどうなるのか』と聞くと、『この場でチケットを買ってもらう』というではないか。

 

驚いていると突然Gmailが開き、帰国チケットを見せて事なきを得た。だがその係員の態度にはかなりの違和感があり、『何度も台湾に入国しているが、他の航空会社では聞かれていない。入国時に確認を求められたこともない』と説明しても、『当局のルールです』と突っぱねてきたので、本当にびっくりした。しかし思い返してみれば、この華信航空、中華航空の子会社であり、中華だけがこの嫌がらせのような扱いをずっと続けていると聞いた記憶が蘇る。もうこういう会社には乗らないぞ、と思うのだが、最近安い料金が目を惹いている。フライトは順調であっという間に桃園空港に降り立った。やはりイミグレで帰国便を聞かれることなどなかった。

福建茶旅2019(6)張天福氏にまつわる人々を訪ねる

4月11日(木)
歴史探訪

泊っている定宿、いつの間にか宿泊数が規定に達したので、ゴールド会員になっていた。こうなると料金の割引率も高くなるし、何と朝食無料券が沢山ついてきたので、今朝は初めて食べてみた。粥、麺、パン食などが並んでおり、一定の水準だろうか。これまでの既存ホテルの朝食に比べて、少しだけおしゃれ感がある。まあ朝から食べ過ぎはどうかと思うが、無料で食べられるのは有り難い。

 

午前中は魏さんのオフィスに行くと、魏さんと鄭さんに連れられて、どこかへ向かった。そこはアパートが並ぶ一角で、その1階にきれいな茶室が設えられていた。そこに昨年もお会いして、包種茶について解説してくれた陳先生が待っていてくれた。もうお一人、89歳の寥さん。二人とも、張天福老師と一緒に働いたことがあるというので、特別にそのお話しを聞いた。当然一緒にいた期間のことは思い出せるが、戦争前がどうだったのかを知る人はいないようだ。何しろ張老師は一昨年108歳で亡くなっているので、生き証人は非常に少ない。

 

昼は鄭さんに近所の麵屋に連れて行ってもらったが、またもや激しい雨に見舞われる。そしてその麺屋は人気店で席がなく、外のテントの下の席になったが、ここは雨漏りがして大変だった。注文を終えると鄭さんが室内に席を確保してくれ、麺を美味しく頂く。涼しい日は温かい麺に限るな。スープは海鮮風で見た目よりあっさりしており、具たくさんで麺の上に目玉焼きを載せている。こういう麺が食べたくなるが、日本にはないだろう。

 

昼ごはん後は、オフィスに戻り、また図書館で調べ物を続けた。福建省の茶の歴史は正直掘り起こせばいくらでもある。午前に聞いた話の裏付けなども取りたいと思い、本をめくっていると本当に色々な話に引っかかってしまい、なかなか前に進めない。張天福関連の本を少し読み込んだところでまたも時間切れだ。

 

昼寝から目覚めた魏さんと一緒にまた車に乗り、出掛けていく。午後は張天福基金会に向かった。ここでも張天福氏の足跡を聞き、合わせて彼の教え子の情報を探る。やはり中国側には台湾に渡った教え子の情報はあまり入っていなかったが、1980年代以降里帰りした人々については多少の記録が残っている。

 

ここは基金会だけでなく、福建茶人之家という団体も存在しており、双方の事務局長から、色々と情報をもらう。ちょっと驚くような話も出てきて、調べも少しだけ進んだ。一歩前進。またこのオフィスの横には台湾の東方美人の製法で作ったという江山美人という茶を売る店があり、そこでこのお茶を飲ませてもらった。確かに東方美人のような香りがある。昔は台湾が中国から茶を入れて改良したものだが、今では中国が台湾で良茶と言われた茶をいつの間に作るようになっている。

 

一旦魏さんたちと別れ、前回も会った台湾出身の李さんに会いに行く。彼は張天福氏に師事しており、張氏と福安農学校について何か聞いていないかと聞いてみたが、その時代のことは知らなかった。まあ確かに後に有名になる張天福といえども、初期の頃の話は後世誰かが語らない限り、残らないだろう。恐らくは張氏自身がこの時代のことをあまり語っていないかもしれないし、それに興味を持つ人もいなかっただろう。因みに張氏が静岡に行ったこと、そこで具体的にどんなことがあったのか、もぜひ知りたいところだが、これは更に難しい。

 

夕飯は魏さんの友人も加わって食べる。以前貴州に一緒に行った劉さんも来ており、しきりに私に日本茶の歴史について聞いてくる。何故だろうかと思っていると『最近日本に行く中国人が増え、日本茶へ関心も高まっている。特に中国から日本へ渡った茶についてはあまり知られていないので、調べて本を出したい』と言い出す。昔なら『それはいいことだね』などと軽く言って、分かることは教えていただろうが、今は『人に何かを教えるとか、何かを調べることはそんな簡単ではない』と思わず言っている自分がいた。私みたいな素人に聞いて本を出してはいけない。

 

魏さんに連れられて、福安の鄭さんの店へ行く。魏さんはまだ福安から戻っておらず、福安でも会った店長が対応してくれた。それにしてもこのお店、古い家を改造して趣があり、実に整っていて、立派だ。しかもそれなりに広い。ここで飲む坦洋工夫茶はまた格別だ。今回の旅ではこれまで首を傾げることが多かった中国紅茶の新たな面を発見した思いだった。お土産に坦洋工夫をもらったので、日本の知り合いに分けて味わいたい。

福建茶旅2019(5)福州で

4月10日(水)
福州へ

翌朝は雨が降っていた。朝ごはんはお宿でお粥と卵。今日は自力で福州へ移動する。鉄道もあるらしいが、近くにバスターミナルがあるので、そちらでチケットを買い、バスに乗り込んだ。福州行は1時間に一本はあるようで、それほど混んではいなかった。車内はきれいで、座席も快適。バスは高速道路を走り抜け、途中で海辺を見ながら、2時間ほどで福州駅横に到着した。

 

福州駅で地下鉄を探して乗る。福州には何度も来ているが、地下鉄に乗るのは初めてだろう。路線があまりないので不便だと地元の人は言い、これまでチャンスがなかった。どこの都市もそうだが、最近できた地下鉄はみなきれいで、料金は安いのに乗客は少ない。利用できるときは今後はこれを使おう。

 

今回のお宿は、最近の定宿チェーンホテル。これまで福州ではいつも魏さんたちの手を煩わせてきたが、ついに自分で予約してみた。場所も地下鉄駅からすぐで、かつ三坊七巷にも近く、何かと便利かと思われた。魏さんのオフィスまでは歩くと少し距離があるが、これは致し方ないか。

 

地下鉄を降りるとかなり雨が降っていた。傘は差したが、荷物を引いていたのでちょっと濡れた。その状態でホテルに入り、チェックインすると、これまでのどの地域のフロントよりも対応が悪い。このチェーンの良い所は対応の良さにあると思っていたので、ちょっとショック。まあたまたまそういう人だったのかもしれない。しかも部屋も小さめ。

 

どうしても腹が減ったので、また外へ出た。地下鉄駅の向こうまで行くと、小さな食堂があるのは分かっていたが、雨が激しく降りつけてくる。それでも頑張って進んだが、結局午後3時という中途半端な時間では麵屋しか見つからず、色々とトッピングした麺をすする。ここの店主は愛想が非常に良い。

 

夕方、魏さんのオフィスに向かうが、どうも雲行きが怪しいと思い、バスを選択する。僅か2駅で到着するので油断していると、何と雷雨となり、激しい雨が道路を叩きつける。そしてバスを降りると、既に道は冠水しており、びしょびしょになりながら、オフィスを目指すが、靴が耐えられそうになく、雨宿りする。大勢の歩行者がビルの下で雨を眺めながらおしゃべりしていた。

 

ようやくオフィスに着くころには全身ずぶ濡れだった。それを乾かすように、お茶を少し飲み、そのまま図書室に入って、資料を見始める。福安での経験から、張天福老師の歴史について、もう一度きちんと整理する必要を痛感しており、『茶葉人生』をはじめ、一連の本を読み返す。さすがに資料はそろっていたが、時間はすぐに過ぎてしまい、ほんのちょっと垣間見た程度で終了。

 

夕飯は、魏さんの会社メンバーとともに食べる。魏さんの会社は従来紅茶販売がメインなのだが、最近は少し方針転換を行い、社員に評茶師などをそろえていることから、評茶試験を請け負う、ある種の教室を始めていた。日本でお茶の資格と言えば茶芸師だが、中国では国家資格である評茶師への関心が高まっているようだ。確かに単純に茶葉の売買で利益が出る時代は終わっていると思われる。

 

それから魏さんと二人で雨上がりの三坊七巷を散策する。ライトアップは年々きれいになっているようだ。何だか新しい道まで出来ているが、歩いている人は少ない。そして連れて行かれた茶荘は、昨年も訪ねていた。ここで著書もある先生から茶の歴史を聞いたのを思い出す。ここの店主は武夷山出身の若い女性だが、非常に活発な人で、日本にも一人で旅をしに行き、言葉は十分ではない中、自らの興味のある茶や茶器を訪ね歩いているという。こういう中国人が増えているのではないかと思う。

 

武夷山に行ったばかりだが、ここでも岩茶を美味しく頂く。その後ホテルに向かって歩いていく。途中の細い路地は風情があり、そこにも茶荘が出来ている。ここが先日福安で世話になった鄭さんの店だと分かり、ホテルとはほんの目と鼻の先なので、ちょっとびっくり。やはりご縁は続いているようだが、彼は未だ福鼎にいるので、今晩は寄らずに帰る。

 

不思議なことは、あんなに食べて続けているのに、ちょっと腹が減る。いや確実に胃袋が大きくなっている証拠だろう。また駅付近をウロウロしたが、さすがに夜10時を過ぎるとやっている店は少ない。思わずケンタッキーに入ると、そこは若者仕様で、アニメが壁に書かれている。そこでフライドチキンを食べているおじさん、どう見ても怪しい。

福建茶旅2019(4)坦洋工夫茶の村へ

4月9日(火)
坦洋工夫茶の村へ

今朝も鄭さんが来てくれた。そして福安の紅茶、坦洋工夫茶を復活させた立役者、福安市の有力者ですでに引退している陳成基氏が態々ホテルに来てくれ、昨晩同様、農墾茶の店でその歴史の話を聞く。1851年に福安郊外の社口で作られ始めた坦洋工夫茶は非常に海外で好評だったらしい。同時にこの福安が茶業にとって往時、いかに重要な場所であるかは、社口に行けば分かるという。更にその茶の輸出が無くなり、知名度が下がる中、如何にして復活させたかは興味深い所だ。

 

次に福安市茶業協会を訪問した。この付近は福安でも最も古い建物が残っている地域で、何ともレトロな雰囲気が漂う。そして協会のビルには畬族に関する展示があると書かれていた。畬族は少数民族、瑶族の流れを汲み、福建省の少数民族で最も茶業に近い存在と言われていて、何とか調べたいと思っていた。だが協会の人々はみな漢族であり、茶業は漢族が行っているとして、余りその歴史に向き合う感じはない。もちろん皆良い人ばかりなので坦洋工夫茶の資料などを沢山くれたが、このような民族間の感情が歴史調査を妨げる可能性があることは否めない。

 

それから福安市内の茶葉卸市場に行った。市場というより、ある道に茶問屋が集まっており、そこで茶葉が売買されている場所と言った方がよいかもしれない。ここでは大きな袋に詰められた毛茶が運び込まれ、おじさんが茶葉を手でより分けていた。思ったより規模が大きく、閩東一の茶業と言われた福安の片鱗が垣間見えた。

 

ここで北京から来た茶業者も混ざってローカル昼ご飯を食べた。相変らず鶏が歯ごたえがあってうまい。食べ終わると、お茶屋に入り、お茶を飲む。そのお茶屋が何だかちんまりと焙煎などしていて、香りがよい。いいなあ、こういうの。それから車に乗り、30分ぐらい田舎道を行くと、社口坦洋村のあたりまで来た。

 

そこには大きな建物が見えた。福安市坦洋茶場と書かれた看板がある。元はここが国営工場だったのだろう。今は民営化されているという。工場では少量の製茶が行われていたが、活気はなかった。昼過ぎだったからだろうか。建物は50-60年代に建てられたのだろうが、その歴史を聞く術はない。とてものどかな雰囲気が漂う老工場。

 

我々の車は川沿いに進んでいる。川の両側に茶畑が見えてくる。牌楼が見え、ここから坦洋村だと分かる。横には坦洋工夫発祥地、との石碑がある。張天福氏が書いている。工夫紅茶、などの文字も見える。その先には200年以上前から架かる廊橋が古びた姿を見せている。この辺から辺鄙な村が現在改修中で、観光地を目指している様子が見て取れる。この川を通じて、茶葉が海辺の町に流れて行ったという。

 

村はそれほど大きくはない。その一角に切り込んでいくと、古い家並みの先に、横楼があった。ここは元々豊泰隆という茶行の建物だったらしい。かなりの規模であり、茶の加工も行われていたのだろう。ここには入れなかったが、横の邸宅は博物館のようにその歴史が展示されており、その展示物は意外なほどに精緻で、ひとしきり坦洋工夫茶の流れを学ぶことができた。1915年のパナマ運河万博では、この紅茶も受賞している。1990年頃、寧徳市の書記をしていた習近平も何度かここを訪れているようだ。

 

そして帰り道、福建省茶葉研究所に立ち寄った。ここは1935年、張天福氏が設立した福建省初の茶葉研究所であり、昨晩訪れた福安農学校と同時に作り、その生徒はここで研究の手伝いをしながら、育種、製茶などを学んだという歴史的な場所だった。当然敷地内はきれいになっているが、唯一張天福が当時住んでいたという宿舎が残されていた。

 

何故ここに研究所を作ったのか、それはとても面白い問い掛けだ。数年で主要業務は武夷山に移されたらしいが、今でもここに研究所があるのだから。室内には数十年前の茶葉が保存されており、素晴らしい田舎の農村風景の中、十分に歴史は感じられた。夕飯は近くの、地元の人で賑わう食堂で頂く。そして真っ暗な中、福安の街に戻った。何と鄭さんは北京の茶業者を送って、これから白茶で有名な福鼎の街まで出掛けていくという。私も是非行きたかったが、明日は福州へ行くと言ってしまったので、次回に回した。

福建茶旅2019(3)武夷山から福安へ

4月8日(月)
武夷山から福安へ

武夷山ツアーもあっという間に最終日を迎える。やはり団体の旅は、自分で考えて行動しないから、時間が過ぎるのだけがやたらと速い、というか、日程をこなしているだけという印象が強い。そして何よりも食べ過ぎ。今朝は沢山のご馳走を前に、麺を軽く食べて終了とする。残念、未練。

 

今日、私は他のメンバーと別れて一人で福安というところへ向かう。調べてもらうと武夷山から福安は意外と行きにくいと分かる。辛うじて1日に2本だけ直通のバスがあるというので、まずはそれを確認するためバスターミナルへ向かう。ターミナルではなく、ちょっとした停留所のようなところだった。そこで午後のバスチケットをゲットして一安心。

 

それから皆で、下梅に向かった。下梅は3年前、万里茶路の福建の起点として訪ねた街だった。ここは以前は完全に廃れた街になっていたが、大茶商だった鄒家の末裔が、こつこつと自らの先祖の歴史を調べており、それが万里茶路ブームに乗って、その起点として蘇ったらしい。本当は赤石という場所が、茶葉の集積地で起点であるとは教わったが、赤石はほぼ街が消滅する勢いで、下梅に注目が集まるのはやむを得ない。

 

パッと見た感じは3年前とそれほど変わっていないようだが、更に整備された建物が広がっているようで、見たことがない所へも案内される。今や30人近いガイドさんがいるというから、この街の観光業は大繁盛なのだろう。ガイドさんを指導しているのは、前回私が案内してもらった鄒家の末裔の方、道理でガイドさんの説明がよく耳に入る訳だ。

 

1時間ほど見学して、すぐにホテルに戻った。ちょっと早めだがホテルでランチの用意がされている。今日は香江の武夷山の責任者が出てきて、歓迎してくれた。食事はやはり広東料理でうまかったが、急に用意したのか、料理が出てくるのが遅く、全部食べる前に私は失礼する時間になってしまった。慌てて荷物を取り、ロビーへ行くとすぐに車に乗せられ、皆さんに挨拶もせずに離れることになってしまった。何とも申し訳ない。

 

バス停に到着したが何とものどかな空気が流れており、バスはいつ来るともしれない。午後1時と書いてあったが、それは別の場所の始発時間であり、ここに来るのは1時20分だと聞き拍子抜け。こんなことならランチをデザートまで食べてから来ればよかったと後悔。結局バスはさらに遅れて1時半頃音もなくやってきて、危うく乗り損なうところだった。

 

乗客はそれほど多くはなく、ゆったりと過ごす。最初の1時間は高速にも乗らず、一般道を行き、高層マンションが建設されている郊外から建陽の街に入っていく。このバスは途中何か所かに寄るため、相当に時間が掛かることを理解した。出来ればここで下車したかったが、トイレに行くだけに留める。

 

今度は高速に乗り、また1時間ほどで水吉という料金所に停まる。19年前この街を偶然に訪れ、600年前の明代の登り窯から作られた天目茶碗の破片を多数目撃したことが忘れられない。更には3年前に行った、政和という地名も出てくる。福建には何度も来ているが、もう一度行って見たいところが沢山あることに改めて気づく。

 

段々と日は西に傾いていくが、バスはひたすら高速を走り続けている。一体いつ着くのだろうかと心配した頃、突然バスは止まり、乗客が降りて行く。バスの横を見ると福安ターミナルとの表示があり、バスを降りると私の荷物が既に降ろされていた。約4時間の旅は終わったと知る。

 

紹介を受けていた鄭さんが態々福州から迎えに来てくれていた。彼は福州で茶荘を経営しているが、故郷は福安であり、地元のお茶を売り込もうと熱心に活動している。鄭さんが予約してくれた(名義は何と農墾)ホテルに入る。福安には外国人が泊まれるホテルは2つしかないのだという。因みに少し安い部屋もあったが、そちらには泊まれない?と言われてしまう。外国人の中国旅行は、お金持ちには関係ないが貧乏旅行には益々やり辛くなっている。

 

ホテルの隣に農墾の代理店があり、オーナーと鄭さんが知り合いで、まずそこでお茶を飲み始める。農墾と言えば、新疆や海南島などで見たことはあるが、福建にもあるのはちょっと意外。ここも辺境防衛が必要な場所だということか。ここで私は今回の福安来訪の目的、『福安農学校』『坦洋工夫茶』の2つを述べた。そして坦洋工夫茶を初めて飲んだが、思いのほか、味がしっかりしていて美味しく感じる。

 

ホテルのレストランに場所を移して、食事をしながら話を続けた。タニシのような小さい貝、そして独特の麺が出てきて、美味しく頂く。そこには坦洋工夫茶の製茶技術に優れているという鄭さんのお父さんも登場したので、その歴史の一端をヒアリングした。お父さんはこの日、地元の茶功労者として表彰されたらしい。

福建茶旅2019(2)筏下りと印象大紅袍

午後は筏下りに乗るという。19年前に乗ったきりだから、偶には良いかと後ろから付いていく。しかし観光客が非常に多く、長蛇の列でこれまた驚く。乗るまでに30分以上は並んだか。料金だって、決して安くはないのに、なぜこんなに人がいるのだろう。そして筏の数も昔とは比べ物にならず、川にズラッと並んでいる。船頭さんもかなり若返っている。仕事があるから若者が住まう武夷山、ということだろうか。

 

天気もよく、爽やかな中、筏はどんどん進んでいく。と思ったら、なぜか我々の筏だけ遅く、周囲の筏に抜かれていく。それでもチップは一人20元あげることになっており、なんとそれも筏上での微信決済だった。すごい。昔もそうだったが、船頭の解説には付いて行けず、何が何やら分からないうちに九曲は終了した。その昔はこの筏で人でなく、茶葉を運んでいたのだろうと思うと、ちょっと情緒がある。19年前と比べて景色はそれほど変わっているとは思えないが、1時間半ぐらいかかったので、かなり疲れる。

 

岸に上がると、その近くの茶荘で休む。この店も香江の系列店のようだ。さほど暑くはないと言っても2時間以上何も飲んでいなかったのでお茶が旨い。更には茶葉で煮た茶たまごが登場。これがまた絶品で腹を満たす。鉄羅漢の母樹とか、老水仙など、ちょっと気になるお茶が並んでいた。

 

ホテルに帰る前に、景区内にある大紅袍母樹を見に行く。19年前は景区に入り、2時間ぐらい散歩した果てにようやくたどり着いた(当時のガイドの演出)が、今回は一番近いゲートから、並ぶこともなく、さらっと入り、茶樹が植えられている道を通り抜けて到着した。もうここは完全な観光地、19年前はなかった柵が設けられ、勿論よじ登ることも出来ないようになっていた。大勢の観光客が記念写真を撮っている。武夷山に来て、ここを見ないで帰ることはあり得ない、と言った雰囲気が漂っている。

 

帰りがけに地元の食堂で夕飯を食べる。何だか食べてばかりだから控えめにしたいところだが、地鶏の料理などが出てくるとどうしても手が出てしまう。中国の旅は一人でご飯を食べても量が多くて腹一杯だが、団体で食べるとどうしようもないほど食べ過ぎになり、体重増加だけでなく、体に悪いとさえ思ってしまう。

 

ホテルに帰ると特に予定はなかったので、ホテル内を散策する。裏側には大きなプールがあり、更に別荘のようにいくつもの建物が並んでいた。まだ正式オープンではないからプールに水もなく、別荘に泊まっている客もいないが、ここの敷地も相当に広い。最終的には分譲するのかもしれないが、取り敢えず家族連れなどに一棟ごと貸し出すらしい。これまた規模の大きな話だ。

 

4月7日(日)
武夷山観光

翌朝も朝食を沢山食べて出掛ける。今日も天気が素晴らしく良い。初日の夜の小雨は何だったのだろうか。本日は一日、街中から車で1時間程度行った武夷山周辺の山に入り、環境の良い中で、森林浴などを楽しんだ。昼ご飯も農家飯を堪能して、ご満悦。食べ過ぎなどは全く気に留めなかった。紅茶も飲んだ。途中の道端にも茶畑が広がり、外山の茶葉を見ることもできた。本当の武夷山観光はこういう場所に足を運ぶのが良いのかもしれない。

 

早めの夕飯がまたやって来た。大体どこのレストランでも1階の入り口付近に置かれている食材を選び、2階の個室で食べるスタイルになっている。相変わらずすごい量がテーブルに並び、どれを食べてよいか分からないほど。カエルなども出てきて、美味しく頂く。日本人のように、兎に角ビール、などということはなく、酒を飲む人は多くない。最近は乳酸菌飲料が流行りのようで、テーブルに置かれている。

 

夜8時前になると、『印象大紅袍』というショーを見に行く。私は正直、このような観光ショーを見たいとは思わないが、『騙されたと思って一度見てみて』と言われたので、出掛けていく。会場は屋外で、非常に広い。驚いたことに舞台が周囲を囲み、客席が回っていく仕掛けになっていた。舞台だけでなく、池なども配されており、かなり本格的な作りだ。

 

有名な映画監督である張芸謀の演出だという。なるほど、このショーは何となく北京オリンピックの開会式を想起させるものがあった。それにしても100人以上が出演して、華やかに、そして細やかに、踊りや歌が繰り広げられていく。勿論テーマはお茶なのだが、製茶の場面が取り入れられ、茶館が再現され、時折客席に茶が振る舞われたりしていた。

 

1時間ちょっとのショーだったが、如何にも中国人が好みそうな、スケールの大きな、興味深いものだった。日本でもこんなショーが出来ればよいとは思うが、日本円4000円を払う観客を、1000人以上集めて毎回満員にするのは、今の経済状況では簡単ではないということだろうか。ホテルまで歩いて帰ったが、人が多過ぎて迷子になりそうだった。この人々がまたお茶屋などに吸い込まれ、新たな消費に繋がるのだからすごい。