広東・厦門茶旅2019(4)烏岽山へ

5月28日(火)
烏岽山へ

朝起きると、『部屋に荷物をまとめておくように』と言われる。どうやら1晩でお引越しらしい。朝ごはんを近所に食べに行く。潮州の腸粉。先日広州でも食べたが、目の前で作ってくれ、熱々を食べる。広州の飲茶で食べる腸粉は白いが、こちらは卵が入っているのか、やや黄色くて、かなり大きい。

 

食事が終わると、車が迎えに来て、乗り込む。今日は鳳凰山へ向かうと聞いている。まあ、潮州まで来て、お茶を見に行くなら鳳凰山、烏岽山へ行くのはごく普通のルートだろう。途中車はなぜか池のようなところで停まる。ここは鳳凰ダムだった。そしてなぜか、このダム施設の見学が始まった。どうやら運転手は元々ここの関係者で、折角だから見て行こうということになったらしい。ダム設備には日本の会社が作ったもの(潮州に工場があった?)も使われているらしい。

 

それから車は山を登り、一軒の茶工場に入っていった。ここは張さんが知り合いから紹介された場所らしく、彼女も初対面で、ちょっとぎこちない対応になっていた。私は鳳凰単叢の歴史を知りたいと思うのだが、なかなかうまく話が進展しない。お茶は単叢を何種類も淹れてくれるが、正直に言うと、単叢は茶酔いになることがあり、余り沢山は飲めないのだ。

 

ところが間が悪いことに、突然大雨が降り出し、外は嵐のようになってしまい、出ることは出来なくなってしまう。ここで昼ご飯をご馳走になりながら(このおかずがまた美味くてご飯が進む)、雨が止むのを待った。ちょっと裏の方を覗いてみると、最新式の設備もある中、女性の皆さんが懸命に枝取りをしていた。

 

雨がほぼ上がったので、お暇して、更に登っていく。18年前も登ったはずだが、こんなにきれいな道ではなく、もっと細い、土の道のイメージだったが、どうだろうか。そしてお目当ての烏岽村に到着した。確か前回はここで樹齢800年の茶樹を見たように思うのだが、今は枯れてしまい?樹齢500年の木が、覆いに囲われていた。今や一大観光地なのだろうが、雨のせいか人はほとんどいない。

 

更に登っていき、村の中を走ってみたが、やはり18年前よりは家々が増え、明らかに豊かになっている。これも鳳凰単叢が有名になり、ブームを迎えた結果だろうか。昔のあの素朴な、茶農家がバイクで行き来する姿はもうないようだ。そう、18年前は村の家でお茶をご馳走になったが、そこの水が甘かったこと。今もそうなのだろうか。茶農家が摘んだばかりの葉を、翌日までに製茶してくれ、買って帰った思い出もある。世の中は大いに変化しているように思える。

 

今回は観光ではないので、車は天池などへは登らず、そのまま街まで降りてきた。そして何度も道を探している。おかしいな、と思っていると、ようやく下車して、細い路地を入っていく。本日の宿は、何と看板も出ていない民宿だった。鍵はオートロックで、宿は我々3人で使うことになっていた。

 

部屋も何となくオシャレな雰囲気で、昨日より格段に広い。荷物もちゃんとここに届けられていた。ただ何と、お湯が出なくて困った。聞くところによると、近所の住民が夜一斉に使うと、湯がなくなる(さらに水も乏しい)という。まさに普通の民家であり、その現状は昔とそれほど変わっていないということが分かる。

 

少し休むと夜になり、夕飯に出かける。今日は地元の潮州料理ということだったが、やはり甘いたれの鴨肉、鹵水鵝片が抜群にうまい。スープ、魚、どれをとっても、比較的あっさりしているが素材のうま味を活かした料理に特色がある。するめや干し魚などをうまく使って、うま味を引き出している。私はこれまで『中国を旅してどこの料理が一番おいしかったか』と聞かれると『新疆ウイグル』と答えて顰蹙を買っていた?が、今後は潮州と答えるようにしよう。

 

食後は今日も散歩に出る。女性2人と旅していると、酒を飲むこともないので、大いに助かるが、買い物はなかなか止まない。目につくものがあると買い込み、量が多いと託送にしている。そんな中で、一軒の古いお茶屋が目に留まり、入ってみる。何だか古そうなお茶の缶もあり、興味津々。ここのオーナーは、元々国営工場に勤務していたが、30年前に今の店を開いたらしい。

 

潮州の茶の歴史について聞いてみると、奥から1冊の本が出てきた。かなり詳しく書かれており、何と張さんが交渉して、買い取ることに成功した。これがあれば、ある程度のことは分かるのではないか。ここのオーナーのお父さんもこの本の中に載っているという。鳳凰単叢はいつからあるのか、など、興味深いテーマだろう。今晩はこれを読みながら眠りに就く。

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