福建茶旅2019(6)張天福氏にまつわる人々を訪ねる

4月11日(木)
歴史探訪

泊っている定宿、いつの間にか宿泊数が規定に達したので、ゴールド会員になっていた。こうなると料金の割引率も高くなるし、何と朝食無料券が沢山ついてきたので、今朝は初めて食べてみた。粥、麺、パン食などが並んでおり、一定の水準だろうか。これまでの既存ホテルの朝食に比べて、少しだけおしゃれ感がある。まあ朝から食べ過ぎはどうかと思うが、無料で食べられるのは有り難い。

 

午前中は魏さんのオフィスに行くと、魏さんと鄭さんに連れられて、どこかへ向かった。そこはアパートが並ぶ一角で、その1階にきれいな茶室が設えられていた。そこに昨年もお会いして、包種茶について解説してくれた陳先生が待っていてくれた。もうお一人、89歳の寥さん。二人とも、張天福老師と一緒に働いたことがあるというので、特別にそのお話しを聞いた。当然一緒にいた期間のことは思い出せるが、戦争前がどうだったのかを知る人はいないようだ。何しろ張老師は一昨年108歳で亡くなっているので、生き証人は非常に少ない。

 

昼は鄭さんに近所の麵屋に連れて行ってもらったが、またもや激しい雨に見舞われる。そしてその麺屋は人気店で席がなく、外のテントの下の席になったが、ここは雨漏りがして大変だった。注文を終えると鄭さんが室内に席を確保してくれ、麺を美味しく頂く。涼しい日は温かい麺に限るな。スープは海鮮風で見た目よりあっさりしており、具たくさんで麺の上に目玉焼きを載せている。こういう麺が食べたくなるが、日本にはないだろう。

 

昼ごはん後は、オフィスに戻り、また図書館で調べ物を続けた。福建省の茶の歴史は正直掘り起こせばいくらでもある。午前に聞いた話の裏付けなども取りたいと思い、本をめくっていると本当に色々な話に引っかかってしまい、なかなか前に進めない。張天福関連の本を少し読み込んだところでまたも時間切れだ。

 

昼寝から目覚めた魏さんと一緒にまた車に乗り、出掛けていく。午後は張天福基金会に向かった。ここでも張天福氏の足跡を聞き、合わせて彼の教え子の情報を探る。やはり中国側には台湾に渡った教え子の情報はあまり入っていなかったが、1980年代以降里帰りした人々については多少の記録が残っている。

 

ここは基金会だけでなく、福建茶人之家という団体も存在しており、双方の事務局長から、色々と情報をもらう。ちょっと驚くような話も出てきて、調べも少しだけ進んだ。一歩前進。またこのオフィスの横には台湾の東方美人の製法で作ったという江山美人という茶を売る店があり、そこでこのお茶を飲ませてもらった。確かに東方美人のような香りがある。昔は台湾が中国から茶を入れて改良したものだが、今では中国が台湾で良茶と言われた茶をいつの間に作るようになっている。

 

一旦魏さんたちと別れ、前回も会った台湾出身の李さんに会いに行く。彼は張天福氏に師事しており、張氏と福安農学校について何か聞いていないかと聞いてみたが、その時代のことは知らなかった。まあ確かに後に有名になる張天福といえども、初期の頃の話は後世誰かが語らない限り、残らないだろう。恐らくは張氏自身がこの時代のことをあまり語っていないかもしれないし、それに興味を持つ人もいなかっただろう。因みに張氏が静岡に行ったこと、そこで具体的にどんなことがあったのか、もぜひ知りたいところだが、これは更に難しい。

 

夕飯は魏さんの友人も加わって食べる。以前貴州に一緒に行った劉さんも来ており、しきりに私に日本茶の歴史について聞いてくる。何故だろうかと思っていると『最近日本に行く中国人が増え、日本茶へ関心も高まっている。特に中国から日本へ渡った茶についてはあまり知られていないので、調べて本を出したい』と言い出す。昔なら『それはいいことだね』などと軽く言って、分かることは教えていただろうが、今は『人に何かを教えるとか、何かを調べることはそんな簡単ではない』と思わず言っている自分がいた。私みたいな素人に聞いて本を出してはいけない。

 

魏さんに連れられて、福安の鄭さんの店へ行く。魏さんはまだ福安から戻っておらず、福安でも会った店長が対応してくれた。それにしてもこのお店、古い家を改造して趣があり、実に整っていて、立派だ。しかもそれなりに広い。ここで飲む坦洋工夫茶はまた格別だ。今回の旅ではこれまで首を傾げることが多かった中国紅茶の新たな面を発見した思いだった。お土産に坦洋工夫をもらったので、日本の知り合いに分けて味わいたい。

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