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タイ最南部からマレーシア2022(4)ペンカランフールーからグリー経由コタバルへ

するとそこにちゃんとタクシーが1台いるではないか。インド系男性が英語で話し掛けてくる。『コタバルならグリー(Grik、宜力)からバスだな』というと中華系のお爺さん運転手に指示を出す。70mrと言われるが、どのくらい遠いかもわからず、他に選択肢もなく、タクシーに乗り込むしかない。このお爺さん、山道をすごい勢いで飛ばす。100㎞は出ており、対向車などもほぼなく、45㎞の道のりを1時間もかからずに走破して、グリーに到着した。因みに顔は中華系だが、華語は分からないようだった。マレーシアも奥深い。

しかしコタバル行バスチケットを買おうとブースに進むも何と言葉が通じない。マレー語しかできないのだ。何とかコタバルは分かったようで12という英語を何とか話す。だが実際に29mrで購入したチケットには12時半とある。まだ10時半(マレーシアとタイは時差1時間)で、何と2時間バスはなかった。まあ、これも想定内だったが。

仕方なく街歩きでもして過ごそうかと思ったが、何とここがどこか分からない。タイを出る時、タイのシムでローミングを買うのを忘れてしまい、スマホが機能しないのは誤算だった。どこかでマレーシアのシムを買わなければならない。思い付いたのがコンビニ。確か数年前一度シムを買ったことがある。

バスターミナルの横にセブンがあり、確かにシムは10mrで購入できた。だがアプリをダウンロードして登録を済ませないと使えないのだが、なんとそれにはWifiが必要だった。ヒジャブを被った従業員の女性は英語が出来、この状況で自分のスマホからテザリングしてセットしてくれた。本当に感謝しかない。日本ならどうするだろうか。あまりに有難いので、記念に写真を撮らせてほし渡いとお願いしたが、それは拒否されてしまった。

グリーの街歩きを始めたが、予想より小さい街だった。それでも意外と人口はいるようだ。 華人と漢字も目立っており、立派な福建会館も見られた。華人はどんな所にでも根を下ろしており、すごいとしか言いようがない。観光するべき場所は特にないのに、ホテルはいくつもある。なぜだろうか。食堂からいい匂いがしていたが、食事はバスに乗るので控える。

12時半になってもバスは来なかった。まあ想定内の20分遅れで到着したから良しとしよう。それにしてもペナン島から来たこのバス、先客は僅か1人。私ともう一人が乗り込むが、完全自由席で、車掌も暇そうにしている。ともあれ、バスが走り出したのでホッとした。

最初バスはかなりの山の中を行き、スマホは使えなかった。景色もよく見えなかったが、 途中から山を越え平地へ。後はひたすらコタバルを目指すのみ。特に休憩はないが、運転手は時々意味なく止まる。説明もないので理由は分からない。休息とは思えない。乗車する人などもいない。なぜ?

コタバルで

結局3時間半ほどかかってコタバルに到着した。以前は街中までバスが走っていたが、今回は郊外のバスターミナルで降ろされる。ここから歩いて予約した宿へは行けない。またなぜかマレーシアではGrabが使えないと思い込んでしまっていたため、飯を食べているやる気の無さそうなタクシーに頼んでしまう。宿まで5分で到着したが、料金は20mr。さっきのバスが3時間半乗って29mrだから、何とも割り切れない思いだ。

クリスタルロッジ、6年前よりロビーがきれいなっており、当然ながら料金も高くなっていた。なぜか10mr割引してくれたが、それでも1.5倍か。部屋は少し広い所になっていたが、 5階の奥まった部屋で、廊下の電気がついておらずドアのかぎが見えないほど暗い。部屋で充電しようとしたが、コンセントが合わず。マレーシア事情を、完全に忘れている。フロントでアダプター借りる。応対は親切でよい。

ついでにタイ側へ行く方法を聞いたが、『ランタウパンジャンへ行け』と言われる。初めて聞く地名で戸惑い、Grabで調べてみると75mrもかかる。かなり遠い。以前ネットで見た時は、ボートで渡れる国境があると書かれていたが、そんなところは知らないという。まあ、ゆっくり調べよう。

川沿いに行くと夕日がきれいだった。6年前の記憶が急速に蘇る。私はこの夕日を見るためにここへ戻ってきたのだろうか。街中はとても静かで歩いている人もほとんどいない。海南会館、福建会館の建物はあったが、華人食堂は閉まっているところも多く、確実に華人の影響力が弱くなっているのを感じる。

腹が減ったが適当な店が見付からない。ちょうど屋台のような店があり、中を覗くとヒジャブを被った女性と目が合う。マレー系だが英語のメニューもあり、彼女の英語も上手い。お勧めを聞くと、ナシゴレンカンポン(小魚入り)と言われ、食べてみると確かに美味いし、何となく懐かしい。6mrと甘いミルクティー2mrで満足。部屋に帰ってゆっくり休んだが、夜また赤蟻が登場して、かゆくて眠れなくて困る。

タイ最南部からマレーシア2022(3)早茶を食べて国境へ

ランチを食べていなかったので昨日の店へ行く。食べたかった豚足は残念ながら売り切れており、チキンとチャーシュー半々のライスを頂く。60bでこちらも満足する。この店の人達、みんな華語は得意ではない。広東系の一家なのだろうと理解した。 

午後は郊外のモスクに向かって歩き出す。大通り沿いには、4階建ての福建会館、広西会館、八桂会館が並んでいる。いずれも立派だ。広西会館前にお婆さんが座っている。話し掛けると華語はかなりうまい。両親が広西から70₋80年前に渡ってきたという。当時林業など仕事は何でもあった。おばあさんはここの生まれ。広西系はベートンの一大勢力らしいことが分かる。

歩くこと20分。郊外にようやく小さいモスクが現れる。ハラール料理の店が見える。ベートン人口の半数はイスラム系と聞いていたが、そのプレゼンスは大きくないように見えた。ただヒジャブを被ってバイクに乗っている(3₋4人乗り)女性がやけに目立つ。所謂タイ人らしき人はほぼ見られない。

夕方外を歩いているとあの市場の傍でタクシースタンドを見つけた。昨日旅行会社の女性が言っていたのはこれか。だが国境まで乗せてくれというとやはり300bだという。これは完全に価格統制が敷かれている。更に行くとロットゥもあることが分かる。ただこれはハジャイまで行くもので、5時間かかるらしい。料金は280bで一日数本出ている。これしかこの街から脱出方法がないと分かり呆然としたが仕方ない。

夕飯は潮州系の焼麺を屋台で食べた。既に腹は一杯だったが、それでもいつものようにうまい。時計台のライトアップがきれいだった。部屋に戻り、ちょっとPCをいじってすぐに寝る。夜はぐっすり10時間寝られた。昨晩の睡眠不足を一気に解消する。赤蟻がいない、窓がない、そして電気ポットがなく、お茶を飲まなかったことが安眠に繋がった。

10月11日(火)マレーシアへ

朝6時前起床。気持ちの良い朝。ベランダから街を眺める。ドミトリーに泊っていたタイ人女性もヨーガのポーズで景色を眺めている。旅行でバンコクからソンクラーへ飛行機で行き、そこからレンタカーを借りてここまで来たらしい。もう一人男性がいた。パッタニ県でカフェを経営しており、ここに2店舗目を出すべく、視察に来たらしい。パッタニもベートンも彼にとって極めて安全な場所だという。二人とも英語が旨い、慣れた感じの旅人だった。

朝ご飯に出掛ける。目をつけていた早茶屋、6時半ですでにほぼ満員。何となくおじさんの集まり(奥さんや家族にはお土産持ち帰り)が多い。自分で点心を選んで蒸してもらう。 1皿15b?店主に華語で菊普茶を注文。美味い(砂糖も入っている)。叉焼包、チャーシューと言ってしまうと広東語が飛んでくる。ゴーヤー肉団子巻きが渋い。全部で100bの極めて優良な朝ご飯は、満足な上、何とも楽しい。

8時前に宿に戻ると、宿の女性が待っていてくれた。コロナ禍でカフェとホテルを開いて大変だった話などを聞いていると、彼女が予約してくれたトゥクトゥクが登場した。たった 5㎞で国境へ行けるのに300bも取られるのは納得できないが、Grabなども使えない国境特有の料金設定で他の手段はない。

トゥクはあっと言う間にタイ国境に到着したが、誰もいないので出国審査は実に簡単に終わる。中立地帯へ出たが、誰もいない。その途中までトゥクで行けたが、マレーシア側手前で降ろされ、その先は歩いてイミグレへ。立派な建物が見えるが人も車もほぼ見えない。僅かに石碑が見えたので行ってみると、1968年の反共闘争で命を落としたマレー側の人たちを追悼するものだった。この辺にこの付近の歴史がにじみ出て来る。

ペンカランフル、と書かれたマレーシア側国境。マレーシアからの観光客がバンで1₋2台来ているだけで、マレーシアに入国するのは私だけ?だった。スマホアプリもワクチン接種証明も提示など求められない。ただ『どこへ行くの?』と聞かれたので、取り敢えず『コタバル』と答えると、イミグレのヒジャブを被った女性は一生懸命行き方を考えてくれた。こんな国境初めてだ。

彼女は最後に『向こうにタクシーがいるはずだから相談して』と入国スタンプをサラッと押す。こんな誰もいない所にタクシーなんか本当にいるのかと不安が過ったが、まだ午前中なのでかなりの余裕をもって歩いて行く。

タイ最南部からマレーシア2022(2)ベートン ホテルを替わると

驚きの街から戻り、部屋でなでしこジャパン‐NZ戦を見る。何だかスピード感がない試合だった。最近女子サッカーに人気が無いのは、それも原因だろうか。有料観客数が僅か4410人とは悲しい。ただ若手の一部がのびのびプレーしているのがかすかな望みだ。女子選手は見た目やファッションなどでしか取り上げられないのは、マスコミにも大いに問題がある。

2時間経過して、3時からまた散策を続ける。この街は人口統計的には半数はイスラム教徒らしいが、街の中心部は完全に華人に制圧されている感がある。ただバイクに乗ったヒジャブ女性はかなり目立っている。マレーシアへ抜けるルートが分からず、旅行会社を訪ねたが、マレー人スタッフは英語も出来ず、何も分からず。いやただ『市場へ行け』とだけ言っていたが。

同窓生のOさんにベートンへ行く、と言ったら、20年ほど前タイで放映された『OK Betong』というドラマを紹介された。見ていないので内容は分からないが、その撮影地(写真スポット)まで30分、歩いて行ってみた。特に何があるわけでなかったが、タイ人が車から降りてきて何人も記念写真を撮っていたので、彼らにとって何らかの思い出はあるのだろう。 

また歩いて市内に戻る。さっき旅行社で言われたベートン市場に行ってみるが、当然ながら何も分からない。ただそこに同安堂があった。ここは菊普茶を売っている店として紹介されていた。店は1956年創業だが、菊普茶は2010年以降の商品であり、勿論ベートンに茶畑はなく、茶葉と菊花は全て中国から輸入しているという。それをここで漢方薬のようにブレンドして売り出したら意外と売れているとか。

夕飯の時刻となったが、腹の調子があまりよくない。それでも市場近くでカリカリ豚肉麵 50bを食べたら元気になり?更に向かいで鳥粥55bまで食べる。観光客がいるので活気があってよい。だが宿に戻るとマレーシアからの団体客がおり、何と部屋の両隣で深夜まで騒いで本当に困った。さすがに眠れず、夜中に部屋を変わる。ホテル側が抗議してもびくともしない奴らで本当に質が悪い。

10月10日(月)ベートン散策2

あまり寝ていなのになぜか目が覚めてしまった。眠気がないのは昨夜の大騒ぎのせいだろうか。6時間睡眠か。ちょっと厳しいが、仕方がない。8時過ぎに朝食会場に行くとかなりの混雑。やはり団体客が多い。騒がしさはまるで中国みたい。一人で食べているのは私だけという孤独感を味わう。粥が旨い。食後館内を歩くと立派なプールがあり、庭もあった。だがもうこのホテルにはいたくない。

取り敢えず散歩に出た。すぐ近くに観音寺があり、きれいな仏塔がかなり目立っていた。やはり街中は華人中心だ。更に中華園というところへ辿り着く。1923年開校の中華学校がある。来年創立100周年、意外と古い。ただ当初生徒は少なかったようで、50年代より移民が増えたとある。立派な校舎が建っており、教室ごとに各地域の名前が付いている。

ベートンの歴史を知りたくなり、職員室?を訪ねてみた。係の人は華語が出来たが、歴史と聞いて困っている。そしてバイクに乗ろうとしていた女性に声を掛ける。彼女は学校の教師だろうか。歴史について尋ねるとかなり慎重な対応を見せ、『いきなり来ても無理。歴史は複雑だから。簡単なことならネットで検索して』と断られる。街に図書館はあるがタイ語は読めず、博物館は閉まっていて何ともならない。ベートンの歴史、知りたい。

学校の横には思わず拝みたくなる大きな大仏がある。やはり華人の象徴だろうか。タイとも異なる仏像だ。大乗仏教の影響か。その近所にきれいなカフェがあり、そこが宿にもなっていたので、今晩はここに移動することに決定。安眠できそうだ。

部屋に戻って出雲駅伝を見る。今やネットで簡単に見られるのは良い。途中でチェックアウトの時間となる。フロントの態度は非常に悪く、無料だと思って飲んだ水代まで取られる。すぐにPCを抱えてカフェへ行き、駅伝の続きを見る。カフェラテを飲みながらチェックイン。駒大強し。

靴を脱いでスリッパで2階へ。部屋に窓がないので、今晩はよく眠れる予感。2020年12月開業ということで、狭いが非常にきれいな部屋。赤蟻がいないのも有難い。下に降りて抹茶ラテを注文すると何と茶碗と茶筅を使い、ミルクでかき混ぜている。茶道も習っているとかで本格的な雰囲気が面白い。当たり前だが抹茶の味がする。カフェには地元民がひっきりなしに来ている。人気店だ。

タイ最南部からマレーシア2022(1)いざベートンへ

《タイ最南部からマレーシア2022》  2022年10月9₋15日

先日された人とバンコクで逢ったら、更に色々なことを紹介してくれた。その中に『タイの最南部に茶畑があるらしい』という耳寄りな情報があり、突如ベートンへ向かうことになった。それはどこ?どうやって行くの?とにかく情報が殆どない。更にはそこからマレーシアに抜けることを試みる。果たしてどうなるのだろう?

10月9日(日)いざベートンへ

ベートンと言ってもタイ人でも知らない人の方が多いかもしれない。20年ほど前テレビドラマで『OK Betong』が放映され、その印象がある人はいるらしいが、外国人の私にはチンプンカンプンだ。どんなところか、今はどうなっているのか、全く不明である。唯一の情報は『2021年に新しく空港が出来た。タイ政府が今後の観光地として売り出している』というもの。また『華人の街』や『カオマンガイがタイで一番美味い』などのサイド情報が入ってくる。

コロナの影響か、新空港はほとんど使われておらず、僅かにノックエアが週2便バンコクから飛んでいることが分かり、そのフライトを予約した。料金は通常の国内フライトよりはかなり高く、ちょっとビックリした。一体誰が乗るのだろうかと違った興味が沸く。

いつものように朝早く宿を出て、MRTとSRTを乗り継いで、ドムアン空港に着く。日曜日なので、混雑はない。ノックエアで初めてWebチェックインしてみたが、カウンターへ行かず搭乗できた。何と私のEメールに問題があり、これまでは搭乗券が届かなかったらしいことが判明する。早急に復旧させなければならない。

機体は小さいが前乗り(前回バンコクエアが後乗りだったので、後ろの席を予約してまた失敗)。意外なほど乗客が乗っている。しかも年配の華人比率が非常に高い。富裕層の観光旅行なのだろうか?2時間のフライト、途中はかなりの揺れを感じた。最後の着陸時には山すそギリギリを飛んでおり、相当山奥に来たことが感じられた。突然香港のカイタック空港を思い出させられた。いや80年代の雲南思茅空港だろうか。

昨年できた新しい空港は周囲に何もない。週2便しか飛んでいないのだから賑わうはずもない。空港ロビーまで歩いて行くが、まるで山の中でそこだけが平地のようだった。建物に入っても、何もない。これでどうやって街へ行けるのか心配になる。Grabをたたいてみたが、バイクの表示はあるものの来るのかどうか。その時、市内行バスの表示を見てホッとする。運賃60bはありがたい。

フライトの乗客の多くは迎えが来ており、バスに乗ったのは10人ほど。その乗客は華人のみであり、高齢者とその付き添いであり、どう見ても観光客ではない。帰省?だろうか。車掌さんはどう見ても日本人にしか見えない華人女性。車内は華人同窓会の雰囲気になる。しかし言語はタイ語というのがちょっと不思議。恐らく里帰りとしては、新しい空港を初めて使ったのだろう。皆キョロキョロしている。

15㎞ほど乗ると街中へ入る。だが目印の時計台で降りたのは私だけだった。後の人たちはどこへ行くのだろうか。取り敢えず近くのホテルへ行ってみると意外なほど立派だったのでフロントへ。ヒジャブを被った女性が突然華語で『何日泊まりますか?』と聞いてきたので驚いた。ちょっと答えないとすぐに英語で聞き直してきた。ここは一体どこなんだ?

Wifiは弱いが、広くて、眺めの良い部屋にチェックイン。1480bで朝食付き。それにしてもロビーにはチェックアウトしたマレーシア人が沢山いた。ここはタイのはずだが、何だかマレーシアにいるような気分になる。取り敢えず腹も減ったので街に飛び出してみる。目指すはベートン名物、カオマンガイ。有名な店はすぐに見つかる。1時半ぐらいなのに、この店だけは客で溢れていた。お爺さんに『鶏飯』というと通じたが、コーラは広東語でないと通じない。この家族は広東系なのだろう。鶏肉は新鮮でおいしいが量は少ない。60b。豚足も美味そうに見える。

帰りに華人女性と目が合う。すると向こうが『あんたは何語を話すの?』と華語で聞いてきたので、そのまま会話が始まる。大学芋?揚げバナナが美味しそうに揚がっていく。10b分を分けてもらう。女性の母親(客家)が35年前に始めたという店。父親は海南人でイポーから来たという。広東語、福建語、潮州語など5つの華語とタイ語、マレー語を話す。語学の天才、恐るべし。

タイ南部を歩く2019(5)ハジャイへ、そして国境へ

8月13日(水)
ハジャイに戻る

翌朝雨は降っておらず、ホッとする。バスターミナルへの道をどのように行くかが気がかりだったのだ。ホテルで車を頼むと高いだろうと思い、近所でトゥクトゥクを探す。待合場所に車はあったが運転手がいなくて焦ったが、すぐにやってきたので、それに乗ってターミナルへ向かった。これも僅か50バーツで済む。

 

予約したハジャイ行きのバスは10時にきちんと出発する。さすがに乗客は半分ぐらいだろうか。大型バスで座席もゆったりしており、ミニバスより快適に過ごせる。バスは先日スラッタニーから来た道をひたすら逆走する。半島横断のところにはプーケットまで200㎞の表示がある。プーケットから飛行機という手もあったかな、とは思うが、それもまた遠い。

 

このバスはあまり停まらないで、どんどん進んでいく。風景は特に見るべきものもなく、途中から寝入る。半島の反対側に辿り着き、南下を開始する。その頃ようやくトイレ休憩があったが、食事休憩は何と午後3時ごろになっていた。そこで軽く麺をすする。本当にハジャイまでは遠かったのだと実感する。そしてスラッタニーからハジャイまで思い付きで行ったことが嘘のように思える。

 

スラッタニーなどの街には寄らず、国道本線をひた走る。さすがに車内にじっとしているのは退屈になる。途中工事などもあり、車が渋滞していつハジャイに着くのか心配になる。日は傾き、そして落ちていく。列車で北上した場所を南下しているのだろうが、もうどこを走っているのかさえ、分からなくなる。そうして9時間かけて、ついにハジャイの郊外までやってきた。

 

荷物はあったが、大丈夫というのでバイタクを拾って、駅まで行く。意外と距離があるんだな。これも60バーツ。そして事前に下見した駅にあるステーションホテルにチェックインした。かなりたくさん部屋があるようだが、泊っている人は多くはない。部屋は結構広いが特に備品は何もない、殺風景な部屋だった。それでも電気ポットもあるし、Wi-Fiの問題もないので便利である。何より明日列車に乗るのは何とも楽だ。

 

兎に角腹が減ったので、前回行った食堂へ向かう。何と団体客で満員だったが、端っこに座り、海南チキンライスを食べる。この団体、年寄りの華人が多いが、態度がかなり横柄な人がおり、従業員も困っていた。言葉が通じると途端に横柄になる人、日本人にもいるな。

 

8月14日(木)
アロースターヘ

翌朝は列車の音で目覚める。如何にもステーションホテルだ。今日乗る列車は午前7時半に出るので、7時過ぎまでゆっくりしてからチェックアウト。そしてそのまま切符を買い、ホームへ向かえるのが何とも良い。でも、なぜかこの列車、電光掲示板には表示されていなのでちょっと不安になる。

 

だが列車は既にホームにあり、すぐに乗り込めた。マレー系と思われる人々がかなり乗っており、これがマレーシア方面に向かうという雰囲気を出していた。車体は前回乗ったのと同じかな。固い椅子席に座る。定刻には出発して、すぐにのどかな田園風景になる。昨日の疲れもあり、ウトウトしているといくつか駅を過ぎる。

 

パダンブサールという国境の駅に着いたが、殆どおりない。ここはタイ側の駅であり、マレーシアに行く人はマレーシア側のパダンブサールで乗り換えなければならない。この辺は知らないと焦る場面だ。同じ名前の駅が二つあるのは、何ともややこしい。そしてハジャイから40分ちょっとで、マレーシア国境まで辿り着いた。

 

駅を降りると、そのホームから直接、タイ出国審査が受けられるようになっている。更にはそこを越えて少し行くと、今度はマレーシア入国審査まで受けられる。初めての外国人はちょっと戸惑うが、何とも便利である。無事マレーシアに入国すると、2階に上がり、チケットを買いに行く。私はマレーシアリンギを持っており、アロースターまで簡単に買える。

 

多くの乗客はクアラルンプールまでの早い電車に乗るため急いでいるが、私が乗るバターワース行きはさっき行ったばかりで約1時間待ちとなる。KL行きが出てしまえばのどかな駅となる。外に出ることも可能だが、国境以外何もなさそうだったので、待合室で待つ。ようやくやってきた電車はコミューター。確か佐賀県あたりで何回も乗った車両に似ている。ハリラヤ避難のタイ南部の旅は予想外の展開となったがこれで終了した。

タイ南部を歩く2019(4)ボートに乗ってミャンマー コータウンへ

8月12日(火)
コータウンへ

翌朝は一転、よく晴れていた。ハジャイに戻るのは明日にしていたので、今日はダメもとでミャンマーを目指すことにした。というのは、ホテルのフロントの感じの良い女性に聞くと『ここからミャンマーに渡るのは、今は雨期だからダメで10月以降解禁だ』と言われたからだ。

 

まずはどうやって港まで行くのか。ネットで検索すると、ソンテウの番号まで出てきたので、市場まで歩いて行き、それを探す。運転手に『ミャンマー』と叫んでみると、これに乗れ、と指さされたので、ソンテウに乗り込む。一緒に乗っている人々はほぼミャンマー人だったから、彼らについて行けば何とかなるだろうと思った。

 

30分ぐらいでソンテウは港に入った。乗客はどんどん降りて行き、向こうで待っているボートに乗り込んでいく。なんだ、誰でも行けるんだ、と安心したが、私はタイを出国しなければならない。イミグレオフィスはすぐ横にあり、そこに入っていくと『あなたはここに戻りもう一度タイに入国しようとすれば、これで今年2回目の陸路入国になるので、今後は陸路では入れませんよ』と念を押される。こんなことは初めてだが、承諾する以外に出国の道はない。

 

手続きが済むと、ボートの客引きがやってくる。どれに乗ってよいか分からず、とりあえず聞いてみると、100バーツだという。もっと安いボートはないかと聞いたが見つからず、適当に乗ったボートは客が集まらず、なかなか出発しない。他のボートはお客までが客引きして、出発を早めようとしている。

 

ようやく出発すると、助手の男がすぐに身分証を回収する。私のパスポートも預けたが、彼はずっとそれを手に持っており、落としはしないか気が気ではなかった。出発してすぐにボートのチェック基地があり、そこを過ぎると30分ぐらい揺られていく。天気が良いので特に心配はないが、海が荒れたら大変だろうな。

 

コータウンの港に着くと、乗客は我先に陸に上がり、そのままどこかへ姿を消してしまった。私は周囲をキョロキョロしたが、イミグレが見付けられず、オロオロする。密入国になってしまうではないか。何とか建物を見つけてパスポートを差し出すと、パスポートのコピーが必要と言われ、表に出てコピーして戻る。この間も入国手続きしていないのに、自由に歩き回る。もう密入国だ。

 

日本人はビザ免除なので、すぐにハンコは押された(以前は日帰りビザで10ドル支払っていたらしい)が、『いつ帰るんだ』と聞かれ、今日と答えると、何と2つハンコが押してある。『帰りはここに来なくていいよ』と言われ、すでに出国のスタンプが押されていることが分かる。何と合理的な、いやずさんなイミグレだ。ここは完全に自己責任型なのだと理解し、密入国者はいとも簡単にできる、ことも分かる。まあ国内に手引する人がいなければすぐに捕まるだろうが。何故タイの国境付近の警備が厳重化、その理由が分かったような気になる。

 

街を一周してみたが小さなところだった。取り敢えず腹が減ったので、食堂に入る。汁なし麺を頼むとこれが予想外にうまい。スープは別についてくる。そしてティーミックス。甘いがとてもいい。店の人々は華人のようだが、英語も話すので助かる。手持ちのミャンマーチャットで支払う。

 

小高い丘に登り、全体を見渡してみたが、やはり海に張り付いた狭いエリアに住居が見える。向こう側の丘には寺院が見えたので、そこまで歩いて行ってみる。この登りは意外と疲れる。しかも雨が降った後なのに、寺に入るには靴も靴下も脱がなければならず、ちょっと困る。

 

市場の中も歩いてみたが、茶葉を見ることはなかった。発酵食品系の物は色々とあり、興味深い。スーパーがあったので、そこでティーミックスを買い込んだ。私がミャンマーに来た目的はこれだったのか、と思ってしまう。でも暑い国を歩いていると無性に飲みたくなる。コーヒーではないのだ。最後は歩き疲れて休むために食堂に入った。肉まんを食べて、コーラも飲んだ。

 

僅か3時間の滞在でコータウンを離れることにした。帰りのボートを探していると、すぐに出るというのがあったので乗り込んだ。ところが乗客は私一人。大丈夫かと思っていると、ガソリン代がないから金をくれという。渡さなかったら、知り合いのボートからガソリンをとって自分のボートに入れている。ちょっと危険を感じたが、結局何事もなくラノーンまで戻ることが出来た。

 

一応入国スタンプももらい、またソンテウに乗って帰った。まさにショートトリップの国境越えだった。市場でまた腹が減り、麺を食べる。鶏肉入りで具沢山の麺、これが実にうまい。また食べたいな、と思いながら、宿に戻り休息する。夕方外へ出たが、目的はTシャツを買うこと。それを終えると、おばあちゃんが鶏肉をいい匂いを出して焼いていたので、思わず買い込む。1本5バーツ。安くて旨い。

タイ南部を歩く2019(3)雨のラノーンで温泉

ラノーンで

そのバスターミナルはとても寂しいところだった。バスもほとんどいないし、タクシーもいない。ソンテウに声を掛けられたが、どこへ行くのか自分でも分からない。この近くにホテルがあったのをバスから見ていたので、今晩はあそこにしようと歩き出すが腹が減って動けない。ちょうど麵屋があったので何とかエネルギーを補給する。

 

そのホテルは古びており、フロントには親切心が全くない、珍しいホテルだった。その割には700バーツもしたので、すぐに後悔したが、まずは休息が先決。その後暗くなる前に一応小雨の中外へ出てみる。ここはラノーンの郊外だから、街がどこにあるのか確認してみた。

 

歩いて10分ほどで到着。かなり小さなところだが、古びた中に、大きめの市場があり、ミャンマーへ運ばれるだろう物資が積まれていて国境貿易の感じはある。やはり国境の街なのだ。ちょうどよさそうなホテルもあったので、明日はここへ移ろう。ふらっと一周して、宿へ帰り着くころには真っ暗だった。

 

8月11日(月)
温泉、そしてホテルチェンジ

翌朝は雨が止んでいた。兎に角このホテルからは撤退したいと思い、昨日見たホテルにネットで予約を入れた。ただすぐチェックインできないので、先にバスターミナルまで歩いて行き、ハジャイに戻るバスの時間を確認し、そのチケットを購入した。戻れることがはっきりしたので安心したところ、ちょうどバイタクがいたので、温泉まで乗せてもらった。50バーツ。

 

バイクは郊外の道を少し走り、山に入っていく。そしてすぐに温泉に到着した。川沿いに湯気が上がっている。ここは完全な観光地となっており、料金を払わなくても足湯に浸かれる場所がいくつもあった。珍しく足湯してみる。しばらくそうしていると体がポカポカしてくる。今日は結構涼しいのだが、汗が出てきたので上がる。

 

勿論有料の温泉場もあり、また最新式のSPAもあるようだ。私は川沿いを散策する。とても気持ちがよい。お客もちらほらいる程度だが、皆車で遊びに来ており、私のように足がない人はいないようで、バイタクすらいない。仕方なく帰りは歩いていく。それでも30分もあれば宿にたどり着く。

 

部屋で荷物の整理をしているとまた雨が降り始めた。フロントにタクシーを呼んでくれるように頼むと一言『この街にタクシーはない』というではないか。そんなことがあるのか、と聞き返すと『英語は分からないからタイ語で話せ』と言って取り合わない。これは困った。この雨の中、荷物を引きずって30分も歩くことは出来ない。

 

すると別の男性がやって来て、『俺が何とかする』と言ってくれたが、『本当にこの街には通常のタクシーはなく、もし知り合いに頼めば法外な料金を取られる。ここは我慢してバイタクで行くのがよい』と説明する。本当に仕方なく、雨の中バイタクの後ろに跨り10分乗って行った。

 

傘を差すこともできずに、ずぶ濡れになってホテルに着く。料金は60バーツ。フロントに駆け込むと何と『午後2時までは部屋に入れない』というではないか。だがここはさっきのホテルとは違う。服が濡れているなら、2階のジムで着替えて、と言ってくれる。優しい。ジムに行くとすぐに対応してくれ、更にちょっと筋トレを始めると僅か20分ほどで、部屋の用意が出来たと案内がある。このサービスは嬉しかった。このホテルが元はこの街一番だったことはよくわかる。

 

部屋はそれほど大きくはないが、居心地は良かった。窓から外を見ると、雨で池が増水していたが、雨自体は止んでいたので、急いで外へ出て食べ物を探す。通りにガバオライスの店があったので、そこでようやくランチにありつく。ところが食べている最中に強烈な雨が降り出し、座っているテーブルたりまで吹きこまれる。20分ほどして弱くなったので傘をさして逃げかえるが、その道には水が溢れていて、かなり濡れてしまった。

 

私は何でこんなところへ来てしまったのだろうか。その雨は夜まで降り続いており、夕飯を探しに外へ出るのは諦めた。ホテルの1階で売っていたパンを食べて過ごす羽目になった。外にいる時、バナナが目に入ったが、一房が多過ぎ。半分にカットして売って、とお願いしたが、ダメと言われたのは何とも恨めしい。

タイ南部を歩く2019(2)トランへ行くはずがラノーンへ

8月9日(土)
山田長政はどこ?

私がこの辺鄙な?ナコンシータマラートに来た理由、それは『山田長政が死んだ場所』と聞いたからだった。アユタヤなどには日本人町が作られ、山田の名前も出てくるのだが、彼の最後の地がここだ、というのは意外だった。それも殺されたのだ、と言われると、興味を持ってしまった。

 

まずはホテルに付いている朝ご飯を食べる。昨日はあまり食べていなかったので、カオトームの他、パンも食べてしまう。団体客は既に食べ終わって去ってしまったらしく、ゆっくり食べられてよかった。それからすぐに外へ出て、この街の散策を開始した。ここにはバスはないらしいので、歩きか。

 

最初に行ったのは宿の近く。古い仏塔があったが、観光地ではないらしく、説明書きすらない。そこから広い通りに出ると、ソンテウが走っており、博物館まで行きたいとスマホを見せると、運転手が頷いたので乗り込む。ここのソンテウ、全て10バーツらしい。バイタクより便利で、本数も多い。

 

博物館は5㎞ぐらい離れていたが、通り沿いだったので助かる。かなり立派な建物だったが、私が知りたい山田長政に関するものは勿論、その時代の展示もほとんどない。タイでは山田は知られた存在ではなかったということだろう。この街が中世の重要貿易拠点だったことは確かのようだ。展示物はかなり多いのだが、他の都市の博物館にも大体ある仏像などを眺めて過ごす。

 

それから歩いて、観光のメインと言われているワット・プラマハタートに向かう。その隣にも興味深い寺があり寄り道する。ワット・プラマハタートは確かに立派なお寺で、その仏塔もなかなか見ごたえがある。寺院内の立像もその輝きがかなり立派でしばし立ち止まる。

 

その後、またソンテウを拾い、城壁まで運んでもらう。その昔の城壁の一部が残っており、堀で仕切られていた。城壁横の廟もかなり美しい。ちょうど何か祈りが行われており、坊さんたちが食事中だった。そのままフラフラ歩いて宿方面へ帰る。昼食の場所を探すのも大変で、何とか麵屋を見つけて飛び込む。

 

宿へ帰って午後どうするか考えていると、突然強い雨が降り出して外出できなくなる。ちょっとしたスコールだろうと思っていたが、雨は3時間以上降り続き、結局午後の散策話になってしまった。夕方は未だ小雨が降っていたが、今度はこのホテルに向かって車が大挙してなだれ込んでくるのが窓から見えて驚く。どうやらここで結婚披露宴でもあるらしい。この雨の中、着飾った人々が次々に中に入ってくる。私は益々外に出られない。

 

ようやく雨が止んだのを見計らって表へ出た。とにかく何か食べたい。辺りは既に暗く、飢餓感に追い打ちをかける。昨晩とは違う道を歩いて行くと、何だかきれいな食堂が見えた。ただメニューから注文する方式らしく、タイ語が分からず注文が出来ない。そこの若者は英語ができたので、炒飯と言ってみると、おしゃれな炒飯が登場した。ここはバーにもなっているようだが、料金は普通の食堂並みで有難い。

 

8月10日(日)
トランへ行くはずが

幸い雨は降っていなかった。朝食後にチェックアウトして、道を歩き出す。今日はトランへ行くつもりだが、バスターミナルまで歩いては行けなさそうだったので、バイタクを拾う。ヘルメットを渡され、ちゃんと被ったつもりが、何と途中で抜け落ちてしまう。後続車に被害がなかったからよかったが、かなり焦る。

 

ホテルのフロントで『トラン』と言ってみたが通じなかったので発音が難しいことは分かっており、何べんも練習してきた。ターミナルの人にその成果を披露すると、すぐに通じて、チケット窓口へ案内され、120バーツ支払ってチケットをもらい、ミニバスに案内された。運のよいことにすぐに満員になり出発した。

 

ところがどう考えても行く方角が違う。最初はこちらの方から行くのが早いのだろうと思っていたが、スマホ地図で見ると完全に反対方向で、北上しているのだ。それに気が付いてもどうすることもできない。途中で降りても厄介なので、まあ到着するまで待つしかない。チケットもらっても、ミニバスの車体を見ても、タイ語が読めなければ、何の意味もない、とわかる。

 

2時間後、スラッタニーに着いた。こんなことが世の中にはあるんだな。この街は昨年訪れており、ターミナルの様子などには見覚えがあった。だがここで見るべきものはもうない。どうするか、戻るか。その時急にひらめいた。そうだ、ミャンマーへ行こうと。唐突だが、この半島の反対側にラノーンという温泉で名高い街があり、そこからミャンマー最南端に行けると聞いていた。時間的な余裕もあるので、この際ポジティブ思考、この間違いを利用して行ってみることにする。

 

聞いてみると30分後にラノーン行きがあるという。トイレに行くだけで食事もとらずにそのミニバスに乗り込んだ。そこから北上して、更に半島の山道を延々と横断し、更にまた反対海岸を北上。4時間ほどかかって、何とかラノーンに着いた。正直ナコンシータマラートからトランまで2時間以内の旅を想定していたので、合計6時間以上はかなり疲れてしまった。

タイ南部を歩く2019(1)ハジャイからナコンシータマラートへ

《タイ南部を歩く2019》  2019年8月7-14日

マレーシアを旅していたが、ちょうどマレー系最大の祭りの一つ、ハリラヤの休みにぶつかった。この休みでは2年前、東海岸でひどい目に遭ったので、一度タイに脱出することを思いつく。ペナンから車で4時間、国境を越えて6年ぶりにハジャイに来た。後は風任せの旅になる。

 

8月7日(木)
ハジャイで

小型バスはハジャイ市内に入る。バスターミナルで西洋人を下ろし、後は中国人2人を駅前のホテルまで運ぶ。その途中に私が予約したホテルがあった。そこは元々フランス系ホテルだったが、今は撤退してタイ資本になっていた。とにかく直前割引で安かったので、泊ってみようと予約した。

 

確かにロビーなどは立派で、部屋も眺めは良かったが、何しろ古い。まあこの料金だとこんな感じだろうか。ペナンのホテルよりはマシかもしれないが、朝食も付いていないし、2度は泊まらないだろう。このホテルの下の階はモールになっており、地下にはスーパーも入っていて便利ではある。

 

周囲は繁華街で、賑やかだ。まずはシムカードを買わないと話にならないのだが、ちゃんとホテル近くに旅行者用シムを売っているところがあった。イスラム教徒の女性、英語も通じる。8日間、13GB 、299バーツは安い。腹が減ったので近所で鴨肉麺を食べる。懐かしいタイの味がして、思ったよりうまい。ここの店員は華語をちゃんと話す。やはりこの辺の言語仕様は、マレーシアの影響を強く受けているということだろう。

 

駅も近いので、明日の電車の時間を確認する。インフォメーションでは、きちんと英語で教えてくれた。ちょっと疲れたので午後便でナコンシータマラートへ向かうことにした。この駅、ステーションホテルも併設されているのが目に入る。今度泊まってみようかと考えて、一応料金を確認した。

 

それから街の散歩に出たが、それほど見るものもなく、1時間ほど歩いて宿に帰る。この街は6年前、ソンクラーに行くために泊まったことがあるが、その時も印象は殆どない。単なるマレーシアへの中継地ということだろうか。暗くなってから夕飯を探す。意外とうまい肉と野菜があったので、ご飯をもらってその食堂で食べる。宿の前に人だかりが出来ている。何かと思ってみると、ドリアン祭りでいくつもブースが出ており、ドリアンを買う人でごった返していた。勿論ホテルへのドリアン持ち込みは禁止だ。

 

8月8日(金)
ナコンシータマラートへ

翌朝はかなりゆっくり目覚める。ベッドは悪くないので眠りは深かったかもしれない。11時頃まで部屋でグダグダしてから、外へ出て昼ご飯を食べる。今日は豚足飯だ。ここのタイ人も片言の華語を話している。タイもこのくらい言葉が通じると楽なんだがな、とつい思ってしまう。

 

 

午後1時に宿を出て、駅に向かう。駅では普通車の切符を購入して、ホームに入る。1時40分ごろ来るはずの列車は一向に来ない。反対ホームにはバンコックから到着した列車が停まった。こちらのホームには、飲み物や食べ物を売る人々が何人も待機している。1日中、ここにいるのだろう。

 

ようやく乗るべき列車が来たのは30分以上遅れてから。そして出発時点では50分遅れていた。これがタイ国鉄だ。固い座席、乗客は多くはないので、一人で占領して外を眺める。お客にはマレー系の人もいる。外は延々と、畑か林が続く。駅があっても、どこが駅か分からない場所すらある。これは確か、ミャンマー南部でも見た光景だなと思い出す。途中パタルンという大きな駅を通過したが、それ以外は本当にのどか。

 

 

 

景色も変わらず、3時間も乗れば飽きてくる。その頃バンコックへ向かう列車との別れ駅に着く。何時目的地に着くんだろうと不安に思い始める。それから1時間は意外とスピードが出て早かった。1時間ぐらい遅れていたのだが、最終的には20分ぐらいで済んでいる。それでもまあ、よくここまで来たな、という感じだ。

 

ナコンシータマラート駅は小さくはなかったが、駅前にはあまり店も見えなかった。既に暗くなり始めたので急いで宿を探すが、やはり1㎞くらい歩かないとないらしい。何とか歩いて行くと、そこそこ立派なホテルが見え、600バーツと書かれていたので、そこへ飛び込む。すると後ろから観光バスが停まり、大勢のタイ人がこのホテルに入った。昔はいいホテルだったんだが、というあれだ。

 

部屋などには特に文句はない。急いでまた外へ出て夕飯を探す。こういう田舎町では夜7時を過ぎると食べ物屋が全て閉まることも考えられる。というか、駅から歩いてきた道に食べ物屋は一軒もなかった。結局駅まで戻るも何も見付けられず、その横道にあった麵屋で食べた。何となくかなり寂しい街に来てしまった、という印象だ。

 

 

タイ中部横断の旅2018(16)バンコックの福建会館へ

8月22日(水)
福建系を探す

今回の旅もついに最終日が来た。かなり充実していたとは思うのだが、心残りがあった。それはヤワラーが攻略できなかったことだ。今日は深夜便のため、午前中は部屋で休養して、午後はヤワラーを再訪、夜になったら空港へ向かうことにした。昼ご飯はいつものようにYさんたちと食べる。

 

そして昨晩Mさんから言われた『ヤワラーは潮州系、客家系だが、福建系は他の場所にいるのでは』との問いを解決すべく、教えてもらった福建会館を訪ねることにした。そこはファランポーン駅で降りるが、ヤワラーとは反対方向に歩いていくのだ。かなり迷ったが、周囲は確かに漢字の看板ばかりだった。

 

ようやく目の前に現れたその会館は思ったよりもはるかに立派だった。福建系もちゃんといるよ、とでも言いたげだ。中に入っていくとスタッフが応対してくれた。同郷会などの会員名簿に私が探している王さんの名前はないか、と聞いたところ、今は皆タイ語だから、タイ語名を持ってこないと分からないとあっさり言われてしまう。

 

それでも彼女は親切で福建系の人が集まっている廟の場所などを書いてくれた。彼女自身も当然福建の末裔だと思い込んでいたら、何とミャンマー、それもシャン州の外れの方から働きに来ているという。『たまたまここに仕事があったから』という雲南の末裔である。やはりきちんと北京語を話せる人材は不足しているのかもしれない。

 

帰ろうと思ったが、非常に強い雨が降ってきた。これではヤワラーの方にも歩いて行けない。仕方なく、会館内を見学する。建物は最近建て替えたのかもしれないが、何とか室内はレトロな感じがする。歴代会長の写真や氏名などが掲示されているが、私が探す歴史に関わるヒントのようなものは出てこなかった。

 

30分ほど待ったが、小ぶりにもならない。傘を忘れてきたのだが、我慢の限界が来て、道に飛び出し、運良くタクシーを拾った。ヤワラーを目指し、ちょうどよいところで降りる。まだ雨は降っていたが、まっしぐらに茶荘に飛び込む。だがそこにいたのはいつものおばさんではなく、どう見ても華人ではないタイ人男性。こちらが中国語で話しかけても反応せず、何だという顔をされる。

 

そこに奥からおばさんが出てきたので助かった。今回は彼女に具体的な茶荘の住所と電話番号を見せて、今もあるか聞いてみたが、首を振る。ただこの住所(漢字名)は近くにあると言い出し、何と自ら電話番号に電話してみてくれた。残念ながら繋がらなかったが、こういう具体性が調査には重要だとようやく分かる。

 

茶荘を出て、今度は向かいの宝石屋に入る。中国人観光客が値段の駆け引きしている中、『この辺で指輪を治せるところはないか』と変な質問をしてみる。店主は『ヤワラーにはないぞ、MBKに行け』と謎の言葉を残すが、取り敢えずここでは治らない、そして何より指の回復が先決だと思い、止める。

 

雨は一向に止まないので、近くの麺屋に入る。午後4時で夕飯には早いが、ここでいつも臓物の入った麺を食べている。これは素直に美味しい。中国人観光客が大勢で押し入ってきたので外へ出ると雨は小降りになっていた。だが、暗くなりかけたヤワラーでこれ以上手掛かりを探すのは難しいと諦める。バス通りに出て、バスに乗り、ゆっくりと宿へ帰る。

 

宿では恒例のマッサージで時間を潰す。今回の旅も意外と疲れが出ており、マッサージ早々で寝落ちてしまう。気が付くと2時間近く経っており、良い気分転換となる。預けていた荷物を取り、タクシーでドムアン空港へ向かう。今回は順調すぎるほど順調で30分で着いてしまった。

 

出発まで3時間以上あった。今回スクートの深夜便は3時間前からチェックイン可能で大いに助かる。日本人乗客も詰め掛け、結構行列が出来ていたが、捌きは早く、簡単にチェックインは終了した。出国審査にもまだ早いので、久しぶりにドムアン空港内を散策する。数年前とは様変わりしている。店がかなり違っており、ターミナル1と2の間の2階に沢山出来ていた。ただ夜10時頃には店も閉まり始め、24時間体制ではない。その空いたスペースを利用して、PCなどをいじって過ごす。

 

スクートの運行は時間通りでよかった。また行きと同じで機体は新しく、座席も広くてLCCと言う感じはしなかった。ただトイレがちょっと壊れており、困ってしまったが。まあそれも何となく解決されるのがLCCか。今回の旅を振り返る暇もなく、早朝成田に着き、いつもの電車で家路に着く。